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【事件名】映画「スウィートホーム」二次的使用契約事件 【年月日】平成7年7月31日 東京地裁 平成4年(ワ)第5194号 損害賠償請求事件 判決 原告 X 訴訟代理人弁護士 竹内康二 同 中小路大 被告 株式会社伊丹プロダクション 代表者代表取締役 Y1 訴訟代理人弁護士 田中克郎 同 遠山友寛 同 石原修 同 升本喜郎 被告 東宝株式会社 代表者代表取締役 Y2 訴訟代理人弁護士 辻居幸一 主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 一 被告らは、原告に対し、各自金2036万5990円及びこれに対する被告株式会社伊丹プロダクション(以下「被告伊丹プロ」という。)については平成4年4月28日から、被告東宝株式会社(以下「被告東宝」という。)については同月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 二1 被告らは、別紙映画目録記載の映画の著作物(以下「本件映画」という。)のビデオカセットテープを複製、販売又は貸与してはならない。 2 被告らは、本件映画を複製したビデオカセットテープを廃棄せよ。 三 被告らは、本件映画について、テレビ放送、有線テレビ放送その他劇場上映を除く一切の本件映画の利用行為を行ってはならない。 四 被告伊丹プロは、原告に対し、本件映画の劇場上映につき、国内劇場配収配分金及び総製作費の各金額及びその明細を各証拠を添付して報告せよ。 第2 事案の概要 一 本件は、映画監督である原告が、自らその脚本(以下本件映画の脚本を「本件脚本」という。)を著作し、監督した本件映画について、 1 本件映画をビデオカセットテープ(以下、単に「ビデオ」という。)に複製し、販売している被告らに対し、右複製、販売が、本件脚本の著作者である原告の許諾なく行われ、本件脚本の著作権を侵害したとして、不法行為に基づく損害賠償金1118万2995円の支払い(請求第一項。但し、左記2の請求額と合わせて請求第一項の額となる。)並びに本件脚本の著作権に基づいて、右ビデオの複製、販売等の差止め及び廃棄並びに本件映画のテレビ放送、有線テレビ放送その他劇場上映を除く一切の本件映画の利用行為の差止め(請求第二、第三項)(以下、本項の請求を合わせて「甲請求」という。)を、 2 本件映画をビデオに複製し、販売している被告らに対し、主位的に、右複製、販売が、原告の本件映画の監督としての著作権(この著作権は、原告と被告伊丹プロとの間の本件映画製作への参加契約に含まれる追加報酬支払合意部分の債務不履行を理由として、原告が右参加契約を解除したことにより取得したとするものである。)を侵害したとして、不法行為に基づく損害賠償金918万2995円の支払いを、予備的に、被告伊丹プロに対し、右の債務不履行に基づく右同額の損害賠償金(追加報酬相当額)の支払いを(請求第一項)並びに本件映画の監督としての著作権に基づいて、本件映画をビデオに複製し、販売している被告らに対し、その複製、販売等の差止め及び廃棄並びに本件映画のテレビ放送、有線テレビ放送その他劇場上映を除く一切の本件映画の利用行為の差止め(請求第二、第三項)(以下、本項の請求を合わせて「乙請求」という。)を、 3 本件映画の監督としての著作者人格権(同一性保持権)に基づいて、本件映画を改変してビデオに複製し、販売している被告らに対し、その複製、販売等の差止め及び廃棄、並びに、被告伊丹プロが本件映画を改変してテレビ放送をしたことを理由に、被告らに対し、テレビ放送、有線テレビ放送その他劇場上映を除く一切の本件映画の利用行為の差止め(請求第二、第三項)(以下、本項の請求を「丙請求」という。請求第二、第三項について、甲、乙、丙請求は選択的請求である。)を、 4 被告伊丹プロに対し、右2項の参加契約に含まれる追加報酬支払合意に基づいて、本件映画の国内劇場上映による配収配分金額の報告等(請求第四項。以下「丁請求」という。)を、それぞれ求めた事案である。 二 当事者間に争いのない事実 1 当事者 (一)原告は、映画監督である。 (二)被告伊丹プロは、映画の企画、製作、配給、斡旋及びビデオカセットの企画、製作などを目的とする会社である。 (三)被告東宝は、映画の製作、その請負、委託及びオーディオソフト、ビデオソフトの製作、販売などを目的とする会社である。 2 本件映画 (一)原告は、本件脚本を著作し、本件映画の監督業務を行った(ただし、被告らは、原告が、A(被告伊丹プロの代表者の一人である。)と共同して、本件映画の脚本を著作し、本件映画の監督業務を行ったとの限度で右事実を認めている。)。 (二)原告は、被告伊丹プロとの間で、被告伊丹プロが原告の著作に係る本件脚本を使用して本件映画を製作することを許諾するとともに、原告が監督業務を行い、本件映画の製作に参加することを約する契約を締結し、その報酬について、左記の合意をした(ただし、後記のとおり、右使用の許諾及び報酬の合意が、本件脚本を映画化すること及び本件映画の劇場等における上映による利用にのみ限定されたものであるのか、本件映画のビデオ化、テレビ放映その他の二次的利用も含んだものであるのかについては、争いがある。以下、原告と被告伊丹プロとの間に成立した契約を「本件契約」といい、本件契約の合意内容のうち、本件脚本の使用許諾を内容とする合意の部分を「本件脚本家契約」と、原告が監督業務を行い、本件映画の製作に参加することを内容とする合意部分を「本件監督契約」と、左記の報酬についての合意を「本件報酬の合意」という。)。 記 (1)監督料 300万円 (2)脚本料 200万円 (3)プロフィット 被告伊丹プロの国内劇場配収配分金が総製作費を上回った場合には、その上回った額の2パーセント (三)本件映画は、平成元年に劇場公開された。 3 本件映画のビデオ化及びテレビ放映 (一)被告伊丹プロは、被告東宝に対し、本件映画をビデオ化する権利を付与し、被告東宝は、本件映画の複製物であるビデオを複製し、頒布している。 (二)被告伊丹プロは、平成2年1月に、本件映画をテレビ放映した。 三 争点 1 本件脚本家契約において、原告は、被告伊丹プロが本件脚本を使用することについて、本件脚本を映画化すること及び本件映画を劇場等において上映することのほかに、本件映画をビデオに複製して、販売すること、テレビ放送、有線テレビ放送その他の劇場上映を除く一切の利用行為をすること(以下、これらの行為を総称して「二次的利用」ともいう。)も許諾しており、本件報酬の合意もこれらを対象として含まれるものとしてなされたか否か(甲請求の抗弁についての争点)。 2 本件監督契約において、本件映画のビデオ化による利用について、映画業界の慣行に従い追加報酬を支払う旨の合意がされていたか、それとも、本件報酬の合意がビデオ化等の二次的利用も対象として含まれるものとしてなされたものか(乙請求の請求原因ないし再抗弁についての争点)。 3 被告らによる、本件映画のビデオへの複製、販売及び被告伊丹プロによる本件映画のテレビ放送は原告の本件映画についての監督としての著作者人格権(同一性保持権)を侵害するか否か(丙請求の請求原因及び抗弁についての争点)。 4 被告は、被告伊丹プロに対し、本件映画の劇場上映による配収配分金額の報告等を求める権利を有するか否か(丁請求の請求原因についての争点)。 四 争点についての当事者の主張 1 争点1及び2について 被告らの主張 (一)本件契約における本件報酬の合意は、被告伊丹プロによる本件映画の二次的利用も当然にその対象となるものとして合意されており、本件脚本家契約において、原告が被告伊丹プロによる本件映画の二次的利用も許諾していること、本件監督契約において、本件報酬の合意とは別に追加報酬を支払う旨の合意がなされていないことは、次の(二)ないし(六)の事実に照らして明らかである。 (二)当初の企画及び被告伊丹プロが協力するに至った経緯 (1)本件映画は、当初、原告の脚本、監督にかかる「心霊(サイキック)」というタイトルで、3000万円ないし4000万円の予算で、東映ビデオが出資し、原告が、当時継続的な契約関係にあったディレクターズデオが出資し、原告が、当時継続的な契約関係にあったディレクターズ〈アンダーライン部分は、本件の「更生決定」で削除された。〉カンパニー株式会社(以下「ディレクターズカンパニー」という。)が製作するという、主にビデオを主体とした企画であり、当然ビデオ化が予定されていた。 (2)しかし、東映ビデオが、結局、出資を断ったため、ディレクターズカンパニーは、その後、ビデオ制作会社である株式会社ソニー・ミュージックエンターテインメント株式会社(以下「ソニー・ミュージック」という。)に出資を求めることとし、ソニーミュージックは、3500万円ないし4000万円の出資を了承した。 (3)原告は、その後、右の額では製作資金が不足することが明らかとなったため、かねて知合いの被告伊丹プロ代表の一人であるAに協力を要請しようと考え、昭和61年9月9日、ディレクターズカンパニーの契約プロデューサーであるBとともに、Aを訪問した。Bは、右訪問の際に、Aに対し、「冒険的企画を実現させるための“4〜5000万円映画”製作・公開計画書」と題する企画書を示して、ビデオやテレビ放送による製作資金回収の話を詳細に行っている。 (4)このように、本件映画は、当初の企画の段階からビデオ化が念頭におかれており、原告もそのことを当然に認識していたものである。 (三)原告と被告伊丹プロとの交渉内容 (1)原告及びBは、昭和61年12月15日、再度、Aを訪問し、Aに対し、「心霊(サイキック)」の製作費6000万円の不足分20〈本件の「更生決定」により、アンダーライン部分の次に、次の〜部分が挿入された。〉00万円の出資を要請したが、これに対し、Aは、原告に対し、原告が真剣にいわゆる「商売もの」の映画を製作するつもりがあるならば、被告伊丹プロがプロデュースし、製作者の立場から出資することを考えてもよいと述べたうえで、総指揮はAが行う、アメリカからSFXチームを招く、配給は東宝とする、テレビ放送はフジテレビに与える可能性が高い、できれば監督にプロフィットを組んで次回作の資金ができるようにしたい等、「心霊(サイキック)」を商業映画として製作する意味を具体的に説明した。 このAの提案に対し、原告は、異存はない、是非その方向で実現してほしい旨述べて、これに同意したのである。 (2)原告とAは、再度、昭和61年12月17日に、「心霊(サイキック)」の製作に関して話合いを行い、Aは、ディレクターズカンパニーと被告伊丹プロとの共同製作ということではどうしても気が乗らないと述べ、被告伊丹プロ主導という方向であれば製作に踏み切ってもよいという被告伊丹プロの基本方針を提案し、これに対し、原告は、自分一人で解決できる問題ではないので、ディレクターズカンパニーの代表者であるCに相談してみると回答した。 (3)このように、原告と被告伊丹プロとの間で、映画製作者からディレクターズカンパニーが降り、被告伊丹プロの単独作品となることを停止条件として、本件映画を、劇場上映だけでなく二次的利用を含めて利用するいわゆる商業映画とする旨の合意が成立し、また、この商業映画の対価として監督料、脚本料の他にプロフィットを組むという基本的な報酬の枠組みについて合意した。その後、ディレクターズカンパニーが、昭和62年4月24日、本件映画製作者となることを止めることに決定して、右停止条件が成就し、原告と被告伊丹プロとの間の右の商業映画とする旨の合意は確定的に効力を生じることとなった。仮に、右時点においては、右合意が確定的に効力を生じなかったとしても、遅くとも、後記のとおり、具体的な本件報酬の合意が確定した昭和63年4月までには、右合意は、確定的に効力を生じた。 (4)右のとおり、原告と被告伊丹プロは、その間で、本件映画をその二次的利用を含む商業映画として製作する旨合意し、本件契約を締結したものである。 (四)本件報酬の合意成立の経緯 (1)被告伊丹プロと原告との間では、先のとおり、原告の報酬の基本的な枠組みが合意されたが、具体的な報酬の決定、交渉については、本件映画のプロデューサーであるDが被告伊丹プロから一任されており、Aは、Dに対して金額面でも十分配慮してあげてほしいと何度も念を押していた。 (2)Dは、昭和63年4月ころ、本件映画の映画化、ビデオ化、テレビ放送その他の二次的利用等を含む本件映画製作に関する原告の報酬を決定するにあたり、参考のため右報酬額についての原告の意見を聞いたところ、「お金のことはお任せします。」とのことであった。そこで、Dは、原告のこれまでの経歴、映画業界での一般的相場及びAの原告に対する気持ち等を考慮して、監督料及び脚本料の金額を被告伊丹プロに提示し、被告伊丹プロは、同月28日、本件映画の映画化、ビデオ化、テレビ放送その他の二次的利用等を含む本件映画製作に関する原告の報酬について、本件報酬の合意内容のとおりに決定した。 Dは、その直後、原告に対し、右報酬の決定を通知したところ、原告は今日まで年収が200万円を超えたことがないといって喜び、これを了承した。 (3)本件報酬の合意の内容についてみると、当時の原告の監督及び脚本家としての経歴からすると、その監督料及び脚本料の金額自体高いものであったが、特に、それらに加えて、原告に対してプロフィットを与えるということは異例のことであり、当時有名な監督でさえこのような条件をつけないのが普通であったのであり、破格な待遇であった。このような本件報酬の合意の内容自体を客観的にみても、これにビデオ化及びテレビ放送が含まれていることは明らかである。 (4)以上のとおり、被告伊丹プロと原告は、本件映画を二次的利用を含む商業映画とすることを合意し、本件契約における本件報酬の合意は、本件映画の二次的利用もその対象としてなされたものであり、右の二次的利用について別途報酬を支払う旨の合意は何らなされていない。 (五)本件映画製作及び本件映画のビデオ発売前後における原告の態度 (1)製作準備期間中における原告の態度 Aは、昭和62年7月7日、原告の才能についての理解を求めるために、原告の第1回作品である「神田川淫乱戦争」の参考試写会を手配し、この試写会には、当時東宝事業部ビデオ事業室プロデューサーで被告伊丹プロ担当のEほかビデオ関係者等数名と原告が出席した。Eは、試写終了後、原告及びAらと食事をし、Eの職務上の関係もあり、本件映画及びそのビデオ化の話をしたのであるが、このとき、原告は本件映画のビデオ化について、何ら異論を述べなかった。 (2)製作期間中における原告の態度 本件映画については、映画の製作、撮影風景、仕掛、舞台裏、演技指導風景などの製作過程を映像にしたメイキングビデオの発売が決定されていた。メイキングビデオの発売目的は、映画のビデオ発売のための宣伝であり、上映期間後にメイキングビデオを発売し、再度映画の宣伝を行ったうえでビデオを発売するという方法により、販売促進上、ビデオ発売の効果的な宣伝となるものである。メイキングビデオの製作は、映画の製作、撮影風景や舞台裏さらにはNG等を題材とするために、撮影現場に常にメイキングビデオ用のカメラが持ち込まれ、原告等を撮影し続けているのである。映画のビデオ化を認識し、かつ、許諾することなくしてメイキングビデオの撮影はありえないものである。 (3)ビデオ発売前後における原告の態度 本件映画は、平成元年8月にビデオとして発売されたが、原告は、このことを知りながら、ビデオの発売前後に全く異議を述べていなかった。 原告は、本件映画のビデオの発売後の平成元年11月25日、被告伊丹プロの代表者Y1と面談し、そこでは、Y1が原告に対し本件映画のビデオ収入やテレビ放送料の話をしているにもかかわらず、原告は、Y1に対し、無許諾でビデオを販売しないでほしいとか、ビデオの製造、販売を中止してほしい等という主張を一切していない。 (4)なお、Y1は、その際、原告からビデオに関する報酬を支払ってほしいとの申し出を受け、200万円なら支払うつもりがある旨告げたが、これは、本来ならば支払ういわれはないが、Aのこれまでの原告に対する温情や、原告の何かお金がほしいという気持ちを考え、自分の判断で述べたものであり、右200万円という金額の提示は、すでに、原告には、監督料300万円、脚本料200万円、ファミコンの監修料300万円の合計800万円が支払われていたため、さらに200万円を加えて合計1000万円を原告が受け取れば、それで原告も満足するであろうとの配慮に基づくものである。後日支払われた200万円は、このような経緯で支払われたものであり、ビデオ化の追加報酬の一部として支払ったものではない。 (5)右のとおり、原告は、本件映画の製作や本件映画のビデオの発売の前後を通じ、本件映画のビデオ化について何らの異議も述べていないのであって、本件契約において、二次的利用の許諾がなされ、本件報酬の合意もこれを対象としてなされたことは明らかである。 (六)映画業界の慣行と映画製作費のリクープ (1)映画業界においては、通常の場合、映画製作の準備段階において、劇場公開のほか、ビデオ化、テレビ放送等が計画されている。そして、映画のための脚本を書いた者は、当然、テレビ放送、ビデオ化を前提に脚本の利用を許諾しているものである。 (2)現在、映画製作においては、劇場映画の興行だけでは映画製作費及び配給経費の回収は極めて困難であり、ビデオ化、テレビ放送等の二次的利用による収益を合算しなければ製作費がリクープできないのが現状である。そのため、映画製作を始めるにあたって、劇場配収、テレビ放送、ビデオ化等の収入を考慮に入れて製作予算は計算されており、製作準備段階から、ビデオ化、テレビ放送等の二次的利用は決定されている。特に、本件映画の場合、原告がAに対し協力を要請した当初から、数億円の製作費をかけることが予定されており、実際4億円もの製作費が投資されたのであるが、まだ劇場用映画としてはポルノ映画等2作品しか経験のない原告を監督兼脚本家とする作品に対し、映画製作者が、テレビ放送、ビデオ化その他一切の二次的利用抜きで、数億円の投資をすることなどありえないことである。 (七)原告は、協同組合日本シナリオ作家協会、協同組合日本脚本家連盟(旧名称・日本放送作家組合)及び社団法人日本文芸著作権保護同盟(以下「原著作者3団体」という。)と社団法人日本映画製作者連盟(以下「映連」という。)の会員各社間並びに協同組合日本映画監督協会(以下「監督協会」という。)と映連の会員各社間で、それぞれ締結された「申し合わせ」や覚書(以下「本件覚書等」ともいう。)の内容が、映画業界の慣行となっている旨の主張をするが、本件覚書等は、あくまでも、その当事者を拘束するものであり、以下に述べるとおり、映画業界全体の慣行となるような合理性がないものであり、本件覚書等の内容は、映連に加盟していない映画製作会社や右団体に加入していない監督や脚本家との間における慣行となっていない。したがって、映連に加盟していない被告伊丹プロが、本件監督契約において、本件覚書等に従って追加報酬を支払う旨の合意をするはずもない。 (1)本件覚書等は、映連会員各社以外の映画製作者をも念頭において統一のルールを作ろうとしたものではない。また、本件覚書等は、全国でビデオが500本から1000本程度販売される程度の市場状況を前提に締結されたものであり、全国でビデオが数万本販売されるという、現在のビデオ市場を予想して作成されたものではない。 (2)本件覚書等は、次の2点で不合理なものであり、映画業界一般の慣習となり得るだけの合理性を有しない。まず、第1に、本件覚書等によれば、監督と脚本家は、映画が成功するか否かにかかわりなく、常に、ビデオ化に関し、ビデオの小売価格を基準として、それに1.75パーセントを乗じた額を取得できることになる。しかし、映画の製作費や配給経費の回収すらできなかった場合にも、監督や脚本家だけがそれに関係なく追加執酬を得ることができるというのは不合理である。第2に、映画製作は、監督、脚本家のみならず、投資家、製作会社、プロデューサー、美術、撮影、録音、特殊効果(SFX等)等、様々なスタッフの総合芸術であるにもかかわらず、監督、脚本家のみが対象となっている点が不合理である。 (八)原告は、原告と被告伊丹プロとは、本件監督契約において、本件映画のビデオ化について、業界の慣行に従って追加報酬を支払う旨の合意をした旨主張しているが、仮にこのような合意をしているとすれば、かかる合意には、被告伊丹プロが本件映画のビデオを販売できるという内容が含まれているはずであり、原告が本件脚本家契約において、本件映画の二次的利用を許諾していないとの主張との間で矛盾が生じている。 (九)原告は、本件監督契約における右の追加報酬支払債務の不履行を理由として、本件監督契約を解除しており、本件監督契約に含まれる原告の本件映画の製作に参加する旨の合意は、遡及的に無効となり、著作権法29条2項が適用されないから、原告は監督としての映画の著作権を有することとなる旨主張する。 しかしながら、著作権法29条1項の立法趣旨は、映画製作者と著作者との間の映画著作権の帰属に関する特約を排除し、映画の権利関係を明白にし、映画利用の円滑化を図ったことにあるから、原告の主張する追加報酬支払特約は、参加契約の内容ではなく、参加契約とは別個独立の特約であって、仮に追加報酬支払特約の債務不履行があったとしても、それを理由として、参加契約を解除することはできない。 仮に、原告の主張する追加報酬支払特約が参加契約の内容をなし、その不履行によって参加契約を解除することが認められるとしても、解除の遡及効を認めることは、映画の円滑利用を図るという著作権法29条1項の立法趣旨を没却させることになるから、将来に向かってのみ契約を解消させる効果をもつにすぎないと解すべきである。 原告の主張 (一)脚本家契約についての映画業界の慣行について 脚本家契約について、原著作者3団体と被告東宝等の大手映画製作、配給会社が加盟する映連会員各社間の次のとおりの取り決めがあり、これが劇場用映画の脚本の著作権の処理の慣行となっている。 まず、映画の脚本家契約については、協同組合日本シナリオ作家協会と映連会員各社間の昭和49年12月20日作成の「申合せ」及び脚本家契約書ひな型から明らかなように、脚本に基づき作成した映画を、映画フィルムとして複製、配給、上映することに限り許諾が行われているのであり、脚本料は、脚本の作成、脚本の映画化及び映画の上映による利用の許諾に対する対価として支払われるものであり、協同組合日本脚本家連盟と映連会員各社間でも同一内容の協定がなされている。 そして、それ以外のビデオ化等の二次的利用は、それぞれ別途覚書が締結されており、原著作者3団体と映連会員各社との間では、右の覚書のうちの「ビデオの複製、販売に関する覚書」(昭和58年3月31日作成)が適用される。右覚書の第1条(1)には、「乙(映連会員各社)は、劇場用映画をビデオに自ら複製し、販売するときは、甲(原著作者3団体)に申込みその承認を受け、所定の使用料を支払う。」、第2条(1)には、「前条の使用料は、原作・脚本それぞれ小売価格の1.75%とし、各所属団体を通じて支払う。」と規定されている(なお、後記監督契約におけると同様に、ビデオの複製本数の80%を対象にして使用料を算出する規定がある。)。このように、映画製作者は、二次的利用については、各利用ごとに、脚本家の承諾を得て、所定の使用料を支払うのである。映連会員である被告東宝は、自ら販売するビデオの複製物につき、右覚書の適用を受ける。 このほか、原著作者3団体と社団法人日本ビデオ協会との間でも、昭和58年3月31日、同様の覚書が締結されており、このような処理が業界の慣行となっているのである。 (二)監督契約についての映画業界の慣行について 映連会員各社と監督協会との間では、昭和46年12月27日付の映画の監督契約についての「申合せ」及び、昭和59年3月1日付の「劇場用映画の市販用ビデオ複製物に関する覚書」に記載された取り決めがあり、この申合せ及び覚書が、日本の映画業界における映画のビデオ化に関する監督の権利処理についての慣行となっている。 右申合せの第3項は、「甲(映連会員各社)が映画をテレビ放送し、ビデオ化し、または将来開発される手段方法によって利用した場合は、甲は乙(監督協会組合員)に対し追加報酬を支払うものとする。その金額及び支払い方法は別途に定める。」と規定している。 そして、右覚書第2条は、ビデオ化に関する追加報酬について、「甲(映連会員各社)は、当該乙(監督協会)組合員に、追加報酬として、ビデオ複製物1個につき小売価格の1.75%を、甲がそれぞれ定める6ヶ月毎の計算期に乙を通じて支払うものとする。」(1項)、「当分の間、特例として複製本数の80%を対象にして追加報酬を算出する。」(5項)と規定している。以上の結果、追加報酬の額は、ビデオ複製物の小売価格に販売本数及び1.75パーセントを乗じた額の80パーセントの額となる。 (三)映画業界においては、脚本家契約及び監督契約について、以上のとおりの慣行があり、本件脚本家契約において、本件映画の劇場上映以外のビデオ化について、脚本の使用許諾はなされておらず、被告伊丹プロが本件映画をビデオ化するに当たっては、別途原告の許諾を得た上でビデオ化報酬を支払うべきことになるものである。また、本件監督契約において、本件映画をビデオ化等の二次的利用については、右業界の慣行に従い追加報酬を支払う旨合意したのである。 これらのことは、次の事実からも明らかである。 (1)Aは、平成元年9月11日、原告に対し、「(ビデオ化報酬を)規定どおり支払います。」と述べた。原告の手帳には、同日欄に、「A、F等にпAすっきり」との記載があるが、これは、Aの右発言によって、ビデオ化報酬の件が決着し、原告の気持ちが「すっきり」したことを意味している。 また、原告は、右Aの発言の後、ビデオ化報酬が得られることを前提として、不動産購入を検討し始め、物件の下見にも行っているし、原告の妻は、そのころ、住宅購入のための資料収集を開始し、研究を始めたのである。 (2)Y1は、平成元年11月25日、原告と会って、本件映画のビデオ化についての話合いをしたが、右話合いを申し入れたのは、原告ではなくY1であった。本件映画の劇場公開は、既に、同年3月には終了していたから、右話合いの当時は、劇場公開が終了してから相当の期間を経過しており、原告にとっては、プロフィットの支払いが関心の対象ではなく、同年8月に発売された、本件映画のビデオ化報酬の支払いが強い関心の対象であった。このような時点において、Y1が、原告に対し、話合いを申し入れたということは、被告伊丹プロが、本件覚書等の存在を熟知し、その後処理を必要としていたからにほかならない。 (3)被告伊丹プロが本件映画を製作する前にAが監督した映画「お葬式」は、株式会社ニュー・センチュリー・プロデューサーズと被告伊丹プロとの共同製作であり、日本アート・シアター・ギルド(以下「ATG」という。)が上映配給権を有していたが、ATGと株式会社フジテレビジョン(以下「フジテレビ」という。)との間の契約書には、ビデオを含めた市販用録画物についての監督の権利(追加報酬)について言及されている。したがって、AやY1は、原告との間で本件契約をした当時、本件覚書等による業界の慣行を知っていたものである。 (四)本件映画のビデオの販売価格は、1本につき1万3800円であり、平成2年までの販売数量は5万7883本であるから、監督協会と映連会員各社間の前記覚書の規定に従って計算すると、被告伊丹プロは、原告に対し、本件監督契約に基づく追加報酬として、少なくとも1118万2995円の支払義務を負う。 原告は、被告伊丹プロに対し、再三にわたり、右追加報酬の支払いを求めたが、被告伊丹プロはこれを履行しなかった。そこで、原告は、平成4年6月8日、同被告に対し、本件契約の合意のうちの本件監督契約部分について、債務不履行を理由として解除する旨の意思表示をした。 その結果、本件監督契約に含まれる原告の本件映画の製作に参加する旨の合意は、遡及的に無効となり、著作権法29条2項が適用されないから、原告は、本件映画について監督としての著作権を有することとなる。 (五)以上によれば、原告は、被告らに対して、@本件脚本家契約において、ビデオ化を許諾していないのに、本件映画のビデオ化により本件脚本の著作権が侵害されたことを理由に、不法行為に基づく損害賠償として、脚本家が通常受けるべき利益額1118万2995円(前記覚書に基づく使用料相当額)の支払を、A本件映画のビデオ化により監督として有する本件映画の著作権が侵害されたことを理由に、不法行為に基づく損害賠償として、監督がビデオ化により通常受けるべき利益額(前記覚書に基づく追加報酬相当額)1118万2995円から既に被告伊丹プロから支払いをうけた200万円を控除した918万2995円の支払を、それぞれ請求することができる。仮に、原告の監督としての著作権の侵害が認められないとしても、本件監督契約の追加報酬の支払債務の不履行に基づく損害賠償として、被告伊丹プロに対し、右同額の請求をすることができる。 (六)被告らの主張に対する反論 (1)被告らは、当初ディレクターズカンパニーを製作者として企画が進められた段階でビデオ化が予定されていたことを主張するが、むしろ、現在製作されるすべての劇場用映画はビデオ化されることが予定されているのであり、この劇場用映画のビデオ化が予定されているということと、脚本家が劇場用映画のビデオ化を許諾したこと又はビデオ化報酬を合意したこととは、全く別のことである。ビデオ化の予定があるからといって、脚本家が著作権者として著作物の利用について具体的な許諾をしたことを意味するものではない。 また、被告伊丹プロがBの作成した計画書を入手したのは、被告らが主張するような、昭和61年9月9日のことではなく、同年12月中旬以降のことである。 (2)被告らは、本件報酬の合意におけるプロフィットの約定を根拠として、本件報酬の合意が本件映画の二次的利用も対象としてなされた旨主張するが、このプロフィットの約定は、劇場における配収からの被告伊丹プロの純益の2パーセントであり、この算定基準が劇場における配収に基づいていること、すなわち、ビデオ、放送等に関する収入が除かれていることに注意すべきである。この点は、むしろ当初の本件契約がビデオ放送等の二次的使用を除外していることを意味している。 (3)被告らは、原告を経験のない監督兼脚本家と主張するが、原告は、本件映画の製作前に、2本の映画の監督を行っており、若手の監督であったとはいえ、映画業界において、日本のゴタール等として極めて高い評価を受けていた。なお、Aも、本件映画製作前には、同人の監督脚本にかかる映画は2本にすぎなかったものである。 2 争点3について 原告の主張 (一)被告らは、本件映画をビデオ化するにあたり、次のとおりの改変を行い、原告の本件映画についての監督としての著作者人格権(同一性保持権)を侵害した。 (1)本件映画は、劇場用映画としてビスタサイズで製作されているところ、被告らは、本件映画をビデオ化するにあたり、本件映画のカット数の約95パーセント程度の部分をテレビ画面サイズにトリミングして改変した。右テレビサイズ画面へのトリミングは、劇場用サイズの画面の左右を、それぞれのカットに応じて切除するものである。その結果、本件映画の画面の約30パーセントの部分が切除されるという大幅な改変を伴うこととなっている。 さらに、本件では、被告らのトリミングにより、本件映画の登場人物が欠けてしまい、当初の著作者の意図したカットと大きく相違するカットになっているものがある。 また、本件映画のカット数の約5パーセント程度は、劇場用サイズの画面がそのまま使用されている。その結果、本件映画のビデオ版においては、トリミングしたカットとトリミングしないカットとが不規則に混在しており、非常に見苦しいものとなっている。 (2)本件映画のうち、約32コマ分につき、劇場用映画においては、悪霊の顔が表示されていた画面に、ビデオ版においては、少女の顔を重ね合わせて、明らかに別のカットとして改変されている。 (二)被告伊丹プロは、本件映画をテレビ放送するにあたり、次のとおりの改変を行い、原告の本件映画についての監督としての著作者人格権(同一性保持権)を侵害している。 (1)右(一)の(1)、(2)と同様である。 (2)テレビ放送中、本件映画に6か所以上のテレビ・コマーシャルを挿入するため、本件映画のカットを中断し、テレビ・コマーシャルを挿入した。特に、5回めのテレビ・コマーシャル挿入にあたり、本件映画の音楽をぶつ切り状況にして、テレビ・コマーシャルを挿入したため、本件映画の音楽が突然に中断し、さらに、コマーシャル終了後、奇妙な音声状況から本件映画が開始されるという非常に不自然なものになっている。 (三)監督やカメラマンは、劇場での上映を考えてスクリーンサイズを決定し、構図を決めているのであるから、映画作品の鑑賞のためには上映のときと同じスクリーンサイズが最適であり、そのため、ビタサイズの場合には、そのままの形式でビデオ化、テレビ化するのが主流となっているし、また、これをトリミングする場合には、監督又は監督から依頼を受けたカメラマンが立ち会うのが通常である。 また、監督協会と映連会員各社間の「劇場用映画の市販用ビデオ複製物に関する覚書」及び社団法人全日本テレビ番組製作者連盟と映画監督協会の覚書の「甲は、前項の通知において、短縮、トリミング、再編集等改変の必要の有無を明らかにし、必要ある場合は、その作業は当該乙組合員の意思を尊重して行うものとする。」との規定は、トリミングが映画の改変に当たることを明確に定めているものである。 したがって、本件のトリミングは、ビデオ化やテレビ放送にあたり、ビデオ化やテレビ放送のための技術的手段としてやむをえず行う場合にあたらない。 被告の主張〈アンダーライン部分は、本件の「更生決定」で〔被告らの主張〕と訂正された。〉 (一)ビスタサイズで製作された劇場用映画をビデオ化する場合には、テレビの画面のサイズに合せるためにトリミングが行われるのが通例である。そして、被告らは、次のとおり、ストーリー性、基本的モチーフ、構成等著作物たる劇場用映画の内面的表現形式にかかわらない限度での変更を行ったものであり、著作物の本質に触れるとはいえない細部の変更をしたにすぎないから、著作者の人格的利益を侵害するものではなく、そもそも著作物の改変に該当しない。 仮に、被告伊丹プロの行為が、著作権法20条1項の「変更、切除その他の改変」にあたるとしても、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」(同条2項4号)に該当するものである。 (1)劇場用映画のフィルムのサイズには、画面の縦横の比率に応じて、様々なものが存するが、その代表的なものとしては、スタンダードサイズ(縦横比1対1.33)、ビスタサイズ(縦横比1対1.85)、シネマスコープ(縦横比1対2.35)の三つがある。 これに対し、テレビの画面のサイズは、右スタンダードサイズを模して、縦横比1対1.33に作られている。 したがって、ビスタサイズやシネマスコープの映画をテレビ放送したり、ビデオ化する際には、サイズの違いを何らかの形で解決する作業が必要となる。この作業がトリミングといわれるものであり、スタンダードサイズ以外のサイズで製作された劇場用映画をスタンダードサイズでビデオ化及びテレビ放送する際には、必要不可欠の作業である。 (2)本件映画のフィルムサイズは、ビスタサイズであり、ビデオ化及びテレビ放送に際しては、サイズの違いを解決するため、次の3種類の手法が用いられた。 第1は、ビスタサイズの天地をテレビ画面の天地に合せる手法である。この場合、画質や迫力の点で優れるという長所を有するものの、映画の画面の左右がテレビ画面からはみ出すため、その部分はカットされてしまうという短所を有する。特に、映画の左右に重要な情報がある場合、この手法は不適切である。 第2は、ビスタサイズの左右をテレビの左右に合わせる手法である。これは、映画の画面全体が収まるノートリミングの手法である。この場合、テレビの画面の上下が余るので、その部分は黒い帯となる。この手法は、映画のフレーム全体がテレビ画面に収まるという長所を有するが、他方、画面は第1の手法より小さくなり、その分ディテイルが損われ、迫力も失われるという短所を有する。 第3は、右両手法の中間型ともいうべきものである。すなわち、画面の上下の帯の幅が第2の手法よりも狭く、カットされる画面の左右は第1の手法より少ないという手法である。 本件映画のビデオ化及びテレビ放送に際しては、劇場公開映画に近似した迫力、画質をなるべく実現するために、原則として第1の手法を用い、画面の左右に重要な情報が存在する場合には画面の左右をそのまま維持できる第2の手法を適宜用い、さらに必要に応じて第3の手法を用いて、本件映画のストーリー性、画面構成等を損わないように配慮している。 (3)テレビ・コマーシャルを挿入するに際しては、映画のストーリー上区切りがよく、また、画面的にも、音的にも、区切ることが可能な場所を注意深く選んで挿入したものであり、原告が主張するように、進行中のカットの途中に、突然テレビ・コマーシャルを挿入するという事実はまったく存しない。本件映画は、平成2年1月2日、テレビ朝日で放送されたが、テレビ放送特有の時間的制約による短縮版放送ということではなく、いわゆる全編ノーカットで放送されている。 その意味で、本件映画のテレビ放送は、劇場用映画のストーリー性、基本的モチーフ、構成等が変更されたわけではなく、あくまでもテレビ放送の際のコマーシャル挿入という要請から、やむをえず必要最小限度、本件映画を中断したものにすぎない。 (二)少女の顔を重ね合わせることは、本件映画の本質に触れる改変ではなく、むしろ本件映画のもつストーリー性、基本的モチーフ、構成等をより的確に視聴者に伝えるために行ったものである。 少女の顔を重ね合せた部分は、劇場用映画製作の段階から、元のままのカットではわかりにくい面があったので、少女の顔を重ね合わせようと考えられており、スケジュール上、劇場公開に間に合わなかったので、ビデオ化、テレビ放送の段階で修正すべきであるとされていた部分である。原告は、Aが行う本件映画の編集作業にいつも立ち会っていたのであるから、少女の顔を重ね合わせることは当然に承知していたものである。また、Aは、製作総指揮者(監督の監督)として、このような修正を行う権限を有している。 3 争点4について 原告の主張 原告は、本件監督契約に基づき、被告伊丹プロから、本件映画の劇場上映に基づく利益(国内劇場配収配分金が総製作費の金額を上回る場合その上回る額)の2パーセントを取得することができるが、右利益の有無を判断する前提として、原告は、被告伊丹プロから、同契約に基づき、劇場用映画上映に関する収入及び支出の報告を受ける権利を有している。 原告は、本件契約のうち、監督契約の部分の債務不履行を理由とする解除を主張しているが、右解除の有効無効を問わず、被告伊丹プロは、原告に対し、右報告義務を履行すべきである。 被告の主張〈アンダーライン部分は、本件の「更生決定」で〔被告らの主張〕と訂正された。〉 そもそも本件監督契約から、なぜ原告が右報告を受ける権利が生じるのか明らかでなく、また、右契約の解除の有効無効を問わず、被告伊丹プロが原告に対し右報告義務を履行すべきであるとする根拠が明らかでない。 第3 争点に対する判断 一 争点1、2について 1 原告と被告伊丹プロとの間の契約締結に至る経緯、本件映画において原告がなした脚本作成及び監督業務の内容及び本件映画公開後の原告と被告伊丹プロの交渉の経過等について (一)本件契約に至る経緯 前記第2、二の当事者間に争いのない事実及び証拠(甲1ないし4、14、17、27ないし29、40、41、48の1、49の2、乙1、2、4ないし7、15、20、証人D、原告本人、被告伊丹プロ代表者A、被告伊丹プロ代表者Y1)によれば、以下の事実が認められる。 (1)Aは、被告伊丹プロの代表者の一人であるとともに、俳優であり、また、映画「お葬式」、「マルサの女」、「ミンボーの女」等を代表作とする監督として知られている者である。 (2)原告は、大学在学中から、8ミリ映画の撮影、製作を始め、その後、長谷川和彦監督、相米慎二監督の映画作品で助監督を務めるなどの経験を経た後、昭和58年、「神田川淫乱戦争」という映画で監督としてデビューをした。原告は、昭和59年に、「恥かしゼミナール」という作品を監督することとなったが、その際、Aに出演を依頼したところ、Aは、昭和58年ころ、前記「神田川淫乱戦争」という作品を見て、原告の映画監督としての才能を高く評価していたため、この依頼に応じて、右作品に出演した。右作品は、当初株式会社にっかつによって配給される予定であったが、中止となり、その後、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」と改題されて、昭和60年、一部の映画館で公開された。 原告が監督した右2作品のうち、「神田川淫乱戦争」は、製作予算300万円、原告の脚本報酬及び監督報酬は合計約50万円であり、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」は製作予算1000万円、原告の脚本報酬及び監督報酬は合計約80万円であって、いずれも、スタッフ、キャストの数も少ない小規模の映画であった。 (3)Aは、昭和59年、第1回の作品として映画「お葬式」を監督した。同映画は、被告伊丹プロとATGによって配給されたものであるが、同映画には、原告も端役として出演した。また、Aが昭和60年に監督した作品である「タンポポ」は、被告東宝によって配給されたものであるが、原告は、同映画で予告篇の作成を手伝ったり、作品のプログラムに文章を寄せたりした。 また、Aは、このころから、自らが出演していた味の素マヨネーズのコマーシャルのディレクターに原告を推薦し、原告が右のコマーシャル製作の仕事を通じて経験を積み、さらに本格的な映画監督に育つことを期待していた。 (4)原告は、昭和61年当時、ディレクターズカンパニーという映画製作会社と契約をして、同社から月月固定した契約料を取得していた。そして、原告は、同年春ころから、「心霊(サイキック)」という脚本を執筆していたが、これをディレクターズカンパニーが東映ビデオと共同で予算4000万円位で映画製作をするという企画が進められた。しかし、東映ビデオは、結局、映画製作のために出資することを中止し、そのため、ディレクターズカンパニーは、新たに、ソニー・ミュージックと交渉して、同社が製作に参加することとなり、最終的には、同社が3000万円、ディレクターズカンパニーが1000万円を出資することとなった。 原告は、同年夏ころから、ディレクターズカンパニーの契約プロデューサーであるBとともに、撮影や美術のスタッフを決め、俳優と出演交渉を行うなどの準備を進めていったが、その後、映画の製作費用が6000万円位は必要となることが明らかとなってきた。しかし、ソニー・ミュージックは、不足分の出資をすることを拒絶した。 そこで、原告は、Aに資金援助を依頼することとし、予め「心霊(サイキック)」の脚本を被告伊丹プロ宛てに届けた後、同年9月9日、BとともにAの自宅を訪問した。 (5)Bは、右訪問の際に、「冒険的企画を実現させる為の“4〜5000万円映画”製作・公開計画書」(乙2。以下「B計画書」という。)と題する、同人作成のメモを持参し、これをAに渡して話をした。 B計画書は、表紙を除いて4枚で構成され、1枚めに、「〈本プロジェクトのテーマ〉」として、「1.ビデオ販社(ビデオルート)と劇場(メジャーの配給を通さない配給ルート)と制作会社(一流の制作スタッフ)が直接提携することにより、今まで不可能とされて来た先鋭的な企画、冒険的な企画、地味だが良質の企画を実現させること。2.各々の持つ強みを提供し合うことによってリスクを最少限に押え、無駄を省くことによって、今までビジネスにならないとされて来た企画を、ビジネスとしても成立させること。3.1、2を可能にすることによって、映画・ビデオの新しいマーケットを開発し、映画の新しい製作・公開システム、ビデオの新しい販売システムを開発・確立すること。」と記載され、2枚めは、「展開計画」と題して、本編、劇場展開、ビデオ、TV、海外配給のそれぞれの項目について一般的なスケジュールが一覧表形式で記載されている。3枚め及び4枚目には、まず「T.企画内容、U.展開計画」が記載され、右Tの項目4には、「総予算は、自主配給+TV・ビデオ・海外配給で現実的に回収可能な5000万〜6000万とし、その内製作費に4000万〜5000万、配給・宣伝費に1000万〜1500万の予算を当てる。」との記載が、Uには〈ビデオ・TV〉の小項目下に、「1.製作時より、提携することにより、宣伝予算を映画だけでなく、ビデオ・TVのプロモーションとしても捉える。2.したがって、宣伝は、〈映画・ビデオ・TV〉が一体となった共同プロモーションとし、予算も相方の負担とする。3.1、2によって、トータルなプロモーションを進めることを可能にし製作サイドの負担を経費的にも軽減させる。」と記載されていた。 Bは、Aに対し、右計画書を前提として、「今までの映画の作り方だと、要するに、劇場からの収入というもののみを計画に取り込んだ計画をするけれども、テレビに放送したり、ビデオ化したりすることによって得られる収入も予め取り込んで計画するので、劇場からの収入だけでは実現できないような冒険的企画が実現する」という趣旨を述べ、そして、「今回の「心霊(サイキック)」の企画については、ディレクターズカンパニーとソニー・ミュージックが出資することとなっているが、それに加えて被告伊丹プロも製作者として加わって資金援助をしてほしい」旨の依頼をした。 原告は、Bの右説明の際に同席し、Aからの予定スタッフについての質問に答えたりした。 Aは、原告らの依頼に対して、「ローバジェットでマニア向きのホラー映画というのはあまり乗り気になれないし、伊丹プロの作品というのではなく、3社の共同製作というのもあまり乗り気になれないが、天才的な原告がホラーという非常に面白いジャンルに挑むわけだから、被告伊丹プロでよく検討してみる。」と答えて、その日の話合いは終った。 (6)Aは、右訪問の直後から、「マルサの女」の映画撮影に着手したため、次に、原告が被告伊丹プロの事務所でAと会ったのは、右「マルサの女」の撮影が終了した昭和61年12月15日のことであった。同映画は、前作の「タンポポ」同様、被告東宝によって配給された。 Aは、この席で、原告に対し、「アングラ的なホラー映画に出資するつもりはないが、本格的に商売映画を作るつもりならば、その方向でもう少し考えてもよい」と述べ、原告もこれに同意する意向を示したため、Aは、原告に対し、さらに、被告伊丹プロが商売映画として製作する場合の具体的な枠組みについて説明した。その内容は、全国に公開するとなると配給会社は被告東宝になるであろうこと、公開の時期としては正月第2弾となるであろうこと、テレビ放送はフジテレビになるであろうこと、ビデオの製作、販売は、東宝ビデオがよいと考えていること、原告監督作品というだけでは被告東宝が全国120館を開けてくれるか分からないので、Aが総指揮ということで頭へくることなどを説明した。また、Aは、この映画を作るとなると、被告伊丹プロのプロデューサー第1回作品になるので、監督料、脚本料のほかにプロフィットを組みたいとの考えも述べたが、原告は、これらの説明について、何の異論も述べていない。 なお、原告は、甲17及び18の報告書において、このときに、右のようなテレビ放送やビデオ化等についての話まではなかった旨述べるが(甲17・12頁、甲18・1項)、原告は、甲17の報告書において、このときAが、「『心霊』を伊丹プロで全面的にやりたいが、それなら数千万の予算で単館公開するといったマイナーな方法ではなく、数億の金を掛けた大作とし、全国的に公開されるような作品にしたい。」と述べたことは認めており(甲17・8、9頁)、同年の9月9日の訪問の際に、Bがかなり具体的な資金回収の方法を説明しているのに対し、Aがその対案として本格的な商売映画を作るとの案を呈示する以上、それに相応した、被告伊丹プロとしての、映画製作の方針、興行方法、二次的利用の方法等を、前記のとおりある程度具体的に説明したというのはむしろ当然の成行きというべきである。 (7)原告は、その直後の同月17日、Aと会ったが、その際、Aは、「ディレクターズカンパニーと被告伊丹プロとの共同製作というのは気が乗らない。伊丹プロ主導型にしたい。」との意向を述べ、これに対して原告は、単独で決定できることではないので、ディレクターズカンパニーの代表者であるCと相談してみると述べた。 (8)Aから、ディレクターズカンパニーとの交渉についての依頼を受けた被告伊丹プロ代表者のY1は、同月中に、ディレクターズカンパニーのCと、「心霊(サイキック)」の製作体制について交渉を開始し、Cからは、ディレクターズカンパニーと被告伊丹プロとの共同製作としたいとの要望が出されたが、Y1が、被告伊丹プロの単独製作としたいとの強い要望をもって交渉に臨んだ結果、最終的に、昭和62年4月24日、被告伊丹プロがディレクターズカンパニーに対し、それまでディレクターズカンパニーが「心霊(サイキック)」の映画化のために支出した費用を支払うこと、映画の企画者として本件映画のクレジットにディレクターズカンパニーを表示すること、ビデオ化についてはソニー・ミュージックと優先的に交渉することを条件に、ディレクターズカンパニーが製作者となることを断念することに話がまとまり、「心霊(サイキック)」は、被告伊丹プロ作品、A総指揮、ディレクターズカンパニー企画、原告脚本・監督という体制で製作されることになった。そして、被告伊丹プロは、右合意に基づいて、ディレクターズカンパニーに対し、その支出した費用として請求のあった約767万円を支払った。 (9)右被告伊丹プロとディレクターズカンパニーとの間の交渉が行われていた同年2月1日、原告とA、プロデューサーのD、Bらは、脚本の内容について最初の打合せを行い、A、Dから具体的な指摘もなされ、脚本の方向付けが検討された。これに伴って、原告は、脚本の見直し作業に着手した。その後、原告、A、Dらは、同年3月20日の脚本の打合せにおいて、ワンシーンごとの検討をし、Aから具体的な指摘がなされた。そして昭和62年5月11日には、「心霊(サイキック)」を「悪霊」と改題した脚本ができあがった。さらに、被告伊丹プロの単独製作が決定した後の昭和62年5月下旬には、被告伊丹プロの依頼を受けたSFX担当者であるGが、適切なスタッフを探すために、渡米して調査することとなった。Gは、同年7月下旬に、日本へ戻り、SFXのスーパーバイザーとして、映画「エクソシスト」などのSFXメイクを担当したHを推薦し、同人が採用されることとなった。 また、Aは、同年7月7日、被告東宝のビルにおいて、原告の第1回監督作品である「神田川淫乱戦争」の試写会を手配した。これは、Aが、本件映画の配給及びビデオ化については被告東宝がよいと考えていたため、被告東宝に原告の才能を理解してもらうために行ったものであった。この試写会には、原告のほか、被告東宝の事業部ビデオ事業室(劇場映画のビデオ化権、ビデオ販売等を担当する部署)のプロデューサーであるEも参加し、原告とEとは試写会終了後、食事を共にし、本件映画のビデオ化等についての話をしたが、これに対し、原告は異議を述べなかった。 (10)Aは、昭和62年8月ころ以降、同年中は、映画「マルサの女2」の監督の仕事に取り組んでいたため、本件映画の製作が本格化したのは、昭和63年に入ってからのことであった。 この間、原告による脚本の手直しはさらに進み、同年3月18日には、「失楽園」と改題された脚本が作成された。 原告とA及び本件映画のプロデューサーとなったDは、同年4月27日、本件映画の題名を検討し、様々な案の中からDが提案した「スウィートホーム」に決定し、同年6月16日には、「スウィートホーム」と改題された脚本が作成された。 (11)原告が本件映画の脚本作成及び監督業務に関して得る報酬の具体的な額の検討は、被告伊丹プロからプロデューサーであるDが任されており、Dは、昭和63年4月ころに原告から報酬についての希望を聞いたところ、原告は、「お任せします。」と答えた。そこで、Dは、原告の従前の経験や当時の脚本報酬、監督報酬の支払の実情も考慮して、同月中に、原告に対する報酬として、脚本報酬200万円、監督報酬300万円を被告伊丹プロに提案し、被告伊丹プロでは、A、Y1らがこの提案を受けて相談した結果、同月28日、脚本報酬、監督報酬の額についてはDの提案どおりとし、さらに、監督にインセンティブを与えるというAの考え方に従い、国内劇場配収配分金が総製作費を上回った場合には、その上回った額の2パーセントをプロフィットとして原告に支払うことを決定した。 Dが、そのころ右決定を原告に伝えたところ、原告は、これを大変喜んで受諾し、原告と被告伊丹プロとの間で、右のとおり報酬についての合意が成立した。 (二)本件映画の脚本作成と監督業務証拠(甲1ないし4、17、28、41、乙4、5、7、15、被告伊丹プロ代表者A)によれば、以下の事実が認められる。 (1)脚本作成 原告は、前記認定のとおり、本件映画の企画の進行と並行して、脚本の手直しをしており、昭和62年5月11日作成の「悪霊」の脚本を作成するにあたっては、それ以前の「心霊(サイキック)」の脚本について、AとDが脚本の細かい欠点を一つ一つ具体的に指摘し、原告は、それらの指摘を参考にして改訂を行った。また、原告は、同年12月には、さらに、「悪霊」の脚本について、A、Dとの間で打ち合せを行い、この席で、Dは、「脚本が全体に暗いタッチで書かれているので、このままでは一般映画としては売りづらいのではないか。」という意見を出し、また、Aは、「X君(原告)は、ともかく面白くすることだけを考えてよ。そうすれば自然と明るくなる。」等の意見を述べた。翌昭和63年2月にも、脚本についての協議が行われ、原告は、「悪霊」という題名が暗すぎるとの意見を採り入れて、題名を「失楽園」と改題した。しかし、さらに「失楽園」についても、芸術映画のようにも聞こえ、親しみにくいとの意見が出て、原告とA及びDは、前記認定のとおり、同年4月27日、題名を「スウィートホーム」と決定した。その後も、原告は、AとDの意見を採り入れたり、自らの検討結果に基づき、また、撮影条件の制約等を考慮して脚本を手直ししていった。 以上のような脚本の手直しの結果、原告が昭和61年9月ころに伊丹プロ宛て届けた「心霊(サイキック)」の脚本は、次のような変遷を遂げた。まず、右当初の脚本は、「主人公の秋子がペンションを経営するための建物を探して、姪のエミ及びその父親和夫らとともに間宮家の廃墟を訪れたところ、その家で死亡した間宮夫人の亡霊が闇を作り、エミを死んだ自分の赤ん坊だと誤解して闇の中へ連れ去る。エミは、一旦、タクシー運転手の山村に救出されるものの、再度、連れ去られ、それに続いて、和夫も闇の中に連れ去られる。しかし、秋子が死んだエミの母親のドレスを着て、その心の力を頼りに、死んだ赤ん坊のミイラを亡霊に差し出すことによって、エミ及び和夫を救い出す」というストーリー及び設定であった。その後、伊丹プロの作品として「悪霊」と改題された脚本は、運転手山村による間宮家の惨事についての説明が加わるなど細部についての変更はあるが、ストーリー及び基本的な設定には大きな変更はない。「失楽園」と改題された昭和63年3月の段階での脚本は、秋子と和夫らが、テレビ番組の取材のために、村役場が文化財として管理している伝説の画家間宮一郎の廃墟を訪れるという設定に変更されており、また、カメラマンである和夫と秋子との関係は親族関係ではなく同僚ということになっている。その結果、全体として、「悪霊」までの段階より、親しみやすく興味のわく設定に変わっている。そして、ガソリンスタンドの経営者という設定となった山村が説明する間宮家の惨事の内容はより具体的かつ衝撃的なものとなっている。しかし、基本的なストーリーについての変更はない。 そして、さらに「スウィートホーム」と改題された段階での脚本は、「失楽園」とは設定自体について大きな変化はないが、台詞においてかなり俗な内容と語調が採り入れられ、また、秋子と和夫は結婚間近の恋人に近いような関係とされ、その結果、一層親しみやすい、手慣れた感じのする内容のものとなっている。しかし、基本的なストーリーに変更はない。 右のとおり、本件脚本は、基本的ストーリー自体に変更はないものの、その設定や会話の内容等は当初のものとは相当異なったものとなっており、商業映画としての成功のために、AやDがかなり細かい点にわたるまで助言をし、それを原告が採り入れたものと認められる。 (2)本件映画は、昭和63年6月下旬から撮影に入った。この撮影においては、メイキングビデオ(映画の製作、撮影風景、舞台裏、演技指導風景などの製作過程を映像にしたもので、主に映画のビデオ発売のための前宣伝のために一般に頒布されるもの)製作のための撮影が行われ、原告等も撮影されていた。 本件映画の撮影は、同年7月下旬ころまでは順調に進んだが、その段階で、Aが、編集した映像をみて、つながりの悪い箇所や意味のわかりにくい箇所を指摘し、それに従って、撮影をやり直すことが生じた。その後、Aからはアップ・ショットの数が少ない点が指摘され、原告とやや意見の対立が生じたりした。撮影の後半は、特殊メイクを使ったシーン、画面合成を必要とするシーン、ミニチュアを使うシーン、炎を使うシーン、落盤のシーンなど、かなり監督としての技術、経験を要し、また、神経を使うシーンが多かった。このような場合、特殊監督が別に存在して、このようなシーンの撮影にあたる場合もあるが、本件映画にはそのような特殊監督は存在しなかった。原告は、右のような撮影の監督を務めるのは初めてであったため、撮影、照明、特殊機材のスタッフらと相談を重ねて進めざるをえないこととなり、このようなことから撮影が順調に進まず、また、撮影のやり直し等が大幅にでたため、次第にスタッフやキャストの原告に対する信頼が低下し、映画撮影の後半段階においては、AやDが原告を全面的にバックアップせざるを得ないような状況となり、Aは、総指揮者として現場の指揮に当たり、編集、ダビング(音入れの作業)、特殊撮影や合成部分の仕上げ等を自ら取り仕切った。本件映画の撮影は、このような経過を経て、同年秋ころ終了した。 (三)本件映画の劇場公開、製作費、収益及び報酬の支払い等 証拠(甲17、19、乙5、7、被告伊丹プロ代表者Y1)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。 (1)本件映画は、その製作費として、数億円かかることを当初から予定していたところ、結局4億円を費やし、A総指揮、原告脚本・監督、被告伊丹プロ製作として、平成元年1月21日、全国166の映画館で劇場公開された。 同映画の劇場公開によって得られた収入のうち、被告伊丹プロへ配分された配収金は、約2億8000万円であり、原告と被告伊丹プロとの報酬契約に基づいて、原告に対しプロフィットが支払われる額には達しなかった。 (2)被告伊丹プロは、原告との前記報酬についての合意に基づいて、原告に対し、昭和63年4月から同年11月の間に、前後5回にわたり、各100万円ずつ、合計500万円を支払った。 また、被告伊丹プロは、原告に対し、「スウィートホーム」と題するファミコンの監修を依頼し、その監修料として、平成元年2月から同年5月の間に、前後3回にわたり、各100万円ずつ、合計300万円を支払った。 (四)本件映画のビデオ発売後の原告と被告伊丹プロの交渉等 証拠(甲17、乙6、8、15、原告本人、被告伊丹プロ代表者Y1)によれば、次の(1)、(2)の事実が認められる。 (1)本件映画のメイキングビデオは、平成元年6月1日に発売され、本件映画の市販ビデオは、同年9月1日に、被告東宝から発売された。被告伊丹プロのY1は、平成元年11月25日、原告に連絡をとって渋谷の喫茶店で原告と会い、本件映画についての劇場配収配分金、ビデオ化、テレビ放送による収入を書いた手書きのメモを示し、プロフィットの支払いはできないことを説明した。 これに対し、原告は、ビデオ化による報酬を支払ってもらいたいような口吻を示したが、Y1は、原告に支払うビデオ報酬はない、としながらも、今まで、脚本報酬、監督報酬、ファミコンの監修料の合計で800万円支払っているので、200万円加えるとちょうど1000万円となって切りがいいから200万円を支払う旨述べた。 原告は、その日は明確な意思表示をせずに、Y1と別れた。 (2)Y1は、その後、被告プロ〈アンダーライン部分は、本件の「更生決定」で、被告伊丹プロと訂正された。〉の経理担当であるIに、原告に200万円支払うように指示したが、Iは、原告からの請求があれば支払うという趣旨だと誤解し、右200万円の支払いは行われないまま経過した。 原告は、知人の映画監督らにも相談した結果、本件映画のビデオ化報酬について、監督協会に相談することとなった。 監督協会では、平成2年に、被告伊丹プロに対し、本件映画のビデオ化報酬の件で何度か連絡をとったため、Y1がIに確認したところ、右200万円が未だ支払われていないことが判明し、Iは、直ちに、原告へ200万円を送金した。 しかし、原告は、本件訴え提起に至るまで、被告伊丹プロ又は被告東宝に対し、本件映画をビデオ化することについて、異議を述べたことはなかった。 (3)原告は、Y1が原告に連絡をとって会った経緯に関して、Aが、平成元年9月11日、原告に対し、本件映画のビデオ化報酬を、「規定どおり支払う」旨述べたと主張し、原告は、これに沿ったことを述べるとともに、原告はこれを監督協会の規定する報酬であると理解したと述べている(甲17・39頁、原告本人115項、116項)。また、原告の手帳(甲43)の右日付の欄には、原告が指摘する「A、F等にрオ、すっきり」との記載がある。 確かに、右(1)のとおり、Y1が平成元年11月25日に原告に会い、本件映画の劇場収入等について説明をするきっかけとなったのは、原告がAに右電話をし、本件映画のビデオ発売を含む収益に関しAに話したためであり、Aがこれに対して何らかの発言をした可能性は否定できない。しかし、仮に、原告がビデオ発売に関する話を電話でしたとしても、@被告伊丹プロの代表者Aは、原告主張の発言をしたことは明確に否定し、また右当時、原告主張の覚書等の存在は知らなかった旨供述していること、A前記認定のとおり、本件映画製作についてのディレクターズカンパニーとの交渉、右11月25日の原告との交渉等、被告伊丹プロの対外的契約についての処理は、被告伊丹プロのもう一人の代表者のY1が専らこれにあたっていることからすれば、Aが契約内容に直接関係する問題について、「規定どおり支払う」等の確答をしたとすることには多大の疑問があり、他方、この時期は、前記報酬の合意をした昭和63年4月ころから約1年半経過していて、明確な書面は作成されていないことや、Aは従来から本件映画における原告の報酬に関して好意的に考えていたことから、Aは、原告の話について、前記プロフィットの合意に必ずしもこだわらず、被告伊丹プロで、改めてY1らと検討してみようと考えて、これに類することを述べた可能性が否定できないこと、Bまた、前記手帳の「すっきり」との記載については、原告は、右電話の主たる趣旨は、原告がAの出演する「ツムラ日本の名湯」のテレビ・コマーシャルの演出を依頼されていたにもかかわらず、他の仕事のために、これに応じることができなかったための、お詫びの趣旨でされたものであるとしており(甲17、38頁)、右手帳にAとともに名前の挙げられている「F」とは、右テレビ・コマーシャルの製作者である株式会社ボーイズのFと認められるから(右同)、右手帳の「A、F等にрオ、すっきり」との記載の趣旨も、右コマーシャル・フィルムの演出を断ったことについてのお詫びが済んだことについての気持ちを表現したものと解するのが相当であり、仮に、Aが原告主張のとおりの発言をし、原告もこれを監督協会の規定と結び付けて理解したとすれば、これは原告にとって大きな利益となるのであるから、むしろ、その旨の記載をすることが自然と思われるが、右お詫びのこと以外の記載はなされていないこと、C原告は、11月25日にY1がなした本件映画のビデオ発売に関する説明に対して、Aの電話での発言を引用したり、自分が理解したとする監督協会の規定について主張することはしなかったこと(原告本人232項)、以上によれば、Aが原告主張の発言をしたものと認めることはできない。 また、原告は、Aの右発言を前提として、ビデオ化報酬を当てにして、不動産の購入を検討し始め、物件の下見に行くとともに、妻も、そのころから、住宅購入についての資料を集めたとして、甲43ないし46を提出しているが、右のような事実があったとしても、そのことが、原告主張どおりのAの発言があったことの裏付けとなるものとはいえない。 2 右(一)ないし(四)に認定の事実によれば、原告と本件映画の製作者である被告伊丹プロとの間に、脚本報酬、監督報酬及びプロフィットについての合意がされた昭和63年4月ころに、本件映画に関して、原告が作成した脚本の使用を許諾する(本件脚本家契約)とともに、原告が監督業務を行い、本件映画の製作に参加することを約する(本件監督契約)ことを内容とする本件契約が締結されたものと認められる。 そして、原告は、右参加の約束に基づき、本件映画の監督業務を行ったものであるから、本件映画の著作権は被告伊丹プロに帰属することになる。 また、前記(二)(1)で認定したとおり、原告が脚本を完成するまでの間には、AやDが、かなり具体的な意見を出したことが認められるが、それは、本件映画について、脚本の作成を担当する原告に対する助言としてなされたもので、原告がこの意見も参考にして自ら脚本の手直しを行い、これを執筆したものであるから、本件映画の脚本の著作者は原告であり、原告が脚本の著作権を有するものと認められる。 3 右のとおり、原告は、本件映画の監督業務と脚本の作成に当たっており、本件契約は、脚本家契約と監督契約の双方をその内容として締結されたものであるところ、被告らは、本件脚本家契約において、原告が脚本の著作権について、脚本を映画化すること及び本件映画を劇場等において上映することのほかに、本件映画の二次的利用も含めて使用許諾した旨主張する(争点1)。また、他方、原告は、本件監督契約において、原告の監督業務について、本件映画のビデオ化による利用に対して、原告に追加報酬を支払う旨の合意をした旨主張する(争点2)。 そこで、本件契約における脚本報酬、監督報酬及びプロフィットの約定が、本件映画のビデオ化等の二次的利用を含めたものとして合意されたか否かが問題となるところ、前記1に認定の事実経過のとおり、本件契約に関しては、このことを明記した契約書等の書面は何ら作成されていない。 この点に関して、原告は、映画業界において、@監督契約について、映画製作者は監督に対し、劇場用映画のビデオ化に伴いビデオの小売価格の1.75パーセントの追加報酬を支払うこと、A脚本家契約について、脚本家は脚本の映画化とその配給、上映に限り使用を許諾するのであり、それ以外のビデオ化等の二次的利用については、別途申し込み、その承諾を得た上で、ビデオの場合には小売価格の1.75パーセントの使用料を支払うこと、がそれぞれ慣行となっている旨主張する。 そこで、まず、この原告主張の各慣行の有無について判断する。 (一)監督契約に関する映連会員各社と監督協会との覚書等の取交わし (1)映連会員各社(松竹株式会社、被告東宝、東映株式会社、株式会社にっかつ(旧商号日活株式会社))と監督協会とは、昭和46年12月27日、両者間で締結する映画の監督契約について「申合せ」をした(甲9)。 その前文は、「映連会員各社と監督協会組合員との間で締結する映画の監督契約について、次のとおり申合せる。」との趣旨が記載され、その2項は、「(最低報酬)監督の報酬は、1作品につき70万円以上とする。」、3項は「(追加報酬)甲(映連会員各社)が映画をテレビ放送し、ビデオ化し、または将来開発される手段方法によって利用した場合は、甲は乙(監督協会組合員)に対し追加報酬を支払うものとする。その金額および支払い方法は別途に定める。」、7項は、「(有効期限と更新)この申合せの有効期限は2ヶ年とし、期限までに両者いずれからも申出のない場合は、自動的に更新するものとする。」とされている。なお、2項の註には、最低報酬の改訂額が記載されているが、それによると最低報酬はほぼ1、2年ごとに更新され、原告が劇場公開映画の監督を始めた時期以降についてみると、昭和57年4月1日以降175万円、昭和59年4月1日以降190万円、昭和61年4月1日以降220万円とされている。さらに、昭和63年4月1日には、右額が255万円に、平成2年4月1日には300万円に引き上げられている(甲23の2、23の4)。そして、右申合せが、いずれかの申し出により更新がなく終了したことを認めるに足りる証拠はなく、同申合せは、現在においても効力を有しているものと推認される。 (2)映連会員各社(但し、前記申合せをした4社に加えて大映株式会社が加わっている。)と監督協会とは、昭和59年3月1日、右申合せ3項のビデオ化のうち、個人利用を目的として販売する場合について、「劇場用映画の市販用ビデオ複製物に関する覚書」を交わした(甲10)。 同覚書は、前文において、「昭和46年12月27日付両者「申合せ」第3項のビデオ化(映画のビデオ複製物=テープ、ディスクおよび将来実用化される類似のもの=を作成し、頒布すること。)のうち、個人利用を目的として販売する場合について次の通り定める。」とし、第2条1項は、「甲(映連会員各社)は、当該乙(監督協会)組合員に、追加報酬として、ビデオ複製物1個につき小売価格の1.75%を、甲がそれぞれ定める6ヶ月毎の計算期に乙を通じて支払うものとする。」、同5項は、「当分の間、特例として複製本数の80%を対象にして追加報酬を算出する。」、第6条は、「本覚書の有効期間は、昭和58年4月1日より、昭和60年3月31日までの2年間とし、期間満了の3ヶ月前までに甲乙いずれかより申出がない限り、更に1年間延長されるものとし、爾後も同様とする。」と定められているが、前記申合せ同様、現在も効力を有しているものと推認される。 (二)脚本家契約に関する映連会員各社と原著作者3団体との覚書の取交わし等 (1)映連会員各社(松竹株式会社、被告東宝、東映株式会社、株式会社にっかつ)と協同組合日本シナリオ作家協会とは、昭和49年12月20日、両者間で締結する映画の脚本家契約について「申合せ」をした(甲5の2)。 その前文は、「映連会員各社と日本シナリオ作家共同組合会員との間で締結する映画の脚本家契約について次のとおり申し合わせる。」との趣旨が記載され、2項は、追加使用料として、「甲(映連会員各社)が乙(日本シナリオ作家共同組合会員)の脚本を使用して製作した映画著作物を次の方法によって利用する場合、甲は乙に対し追加使用料を支払う。但し、その金額支払方法等についてはその都度別途協議して定める。1テレビ放送、ビデオ化、その他将来開発される手段方法による利用。」とされ、8項は、「本申合せの有効期間は、昭和49年12月20日から昭和51年12月19日までの満2年間とする。但し、期間満了3ヶ月前までに甲乙いずれかより文書による異議の申出でがないかぎり更に2年間延長されるものとし、延長後の取扱いについても同様とする。」とされており、前同様、現在も効力を有しているものと推認される。また、同日付けで脚本家契約書ひな型が作成されており(甲5の1)、この第1条には、脚本家が、脚本を映画化することを、第2条には、映画を配給し、上映することをそれぞれ許諾する旨の約定がある。 (2)原著作者3団体と映連会員各社(但し、右申合せをした4社に加えて大映株式会社が加わっている。)とは、昭和58年3月31日、「ビデオの複製、販売に関する覚書」を交わしている(甲6)。 その前文は、原著作者3団体と映連会員各社とは、「劇場用映画をビデオ(カセット及びディスク、以下同じ。)に複製し、個人利用を目的として販売することに関し、次の通り覚書を締結する。」とされ、第1条(1)は、「乙(映連会員各社は、劇場用映画をビデオに自ら複製し、販売するときは、甲(原著作者3団体)に申込みその承認を受け、所定の使用料を支払う。」、同(2)は、「甲の会員もしくは組合員の許諾が得られない場合は、甲乙協力して円満解決のため努力する。」、第2条(1)は、「前条の使用料は、原作・脚本それぞれ小売価格の1.75%とし、各所属団体を通じて支払う。」、同(4)は、「当分の間、特例として複製本数の80%を対象にして使用料を算出する。」、第7条は、「本覚書の有効期間は、昭和58年4月1日より昭和59年3月31日までの1年間とし、期間満了の3ヶ月前までに、甲乙いずれかより文書による申出がないかぎり、更に1年間延長されるものとし、爾後も同様とする。」とされており、前同様、現在も効力を有しているものと推認される。また、原著作者3団体と社団法人日本ビデオ協会との間にも、昭和58年3月31日、右同様の覚書が交わされている(甲30の1)。 (三)映連会員各社以外の映画製作者並びに監督協会及び原著作者3団体加入者以外の者に対する本件覚書等の拘束力 被告伊丹プロは、本件契約当時及び現在まで、映連に加盟したことはなく(乙5、被告伊丹プロ代表者A)、他方、原告も、本件契約当時は、監督協会には加入しておらず、平成元年末又は平成2年ころに加入したものである(甲17)。また、原告が原著作者3団体に加入していることについての主張立証はない。 そこで、映連会員各社以外の映画製作者並びに監督協会及び原著作者3団体加入者以外の者に対して、前記認定の各申合せ及び覚書(本件覚書等)の拘束力が及ぶか否かについて検討すると、前記各申合せ及び覚書の前文の記載に照らしても、これらはあくまでも、その当事者である映連会員各社並びに監督協会及び原著作者3団体との間の合意を定めたものであり、これらの団体に加入していない者に対して、直接の拘束力を及ぼすものではないことは明らかである。 (四)次に、これらの合意事項の内容が、本件契約当時、映連会員各社以外の映画製作者並びに監督協会及び原著作者3団体加入者以外の者も含む映画業界全体における慣行となっていたかどうかについて判断する。 (1)監督協会の理事長である大島[渚]は、甲11の報告書において、「脚本家が映画製作者と脚本家契約を締結する場合、その契約は映画の脚本作成と劇場上映について取り決められるのが通常です。映画製作段階の脚本家契約で定められる事項及び脚本料は、右の範囲に限られ、二次利用にかかわる脚本の利用の許諾及び著作権使用料等は含まれていません。」「通常は、脚本家契約により、脚本作成及び劇場上映についての利用許諾を定め、後に具体的にビデオ化又はテレビ放送される等の二次利用が行われるごとに、共同組合日本シナリオ作家協会の組合員でもある映画監督の場合は同協会を通して、あるいは同協会の組合員でない監督の場合は当協会(監督協会)を通して、各二次利用ごとの利用許諾及び著作権使用料の支払いが行われます。」、「映画監督の契約においても、脚本家契約と同様で、前記の例外的な場合を除けば、まず当初に劇場上映の目的で監督契約を結びます。この監督契約で取り決める監督料には、ビデオ化等の二次利用に伴う報酬は含まれていません。劇場上映終了後に当該映画がビデオ化等二次利用されるたびに当協会と映連との各協約にしたがって追加報酬が支払われることになります。この点は、映画監督が当協会の組合員であるかどうかにかかわらず同様の契約が行われることが、映画業界の常識となっています。また、以上の脚本家契約および監督契約の在り方は、当該映画製作者が映連に加盟しているかどうかによって相違するものではありません。」として、脚本家でもある監督が監督協会や原著作者3団体に加盟しているか否か、映画製作者が映連に加盟しているかどうかを問わず、前記各覚書に従った取扱いがされている旨述べ、共同組合日本シナリオ作家協会理事長山内久も脚本家契約について同趣旨を述べ(甲12)、監督協会理事長高村倉太郎も、監督契約について「当初取り決める監督料には、その映画の二次利用に伴う報酬は含まれないのが通常と考えられます。映画監督について、右のような契約のあり方及び二次利用に伴う追加報酬の支払われ方は、映画業界の慣習となっています。」と述べている(甲13)。また、社団法人日本芸能実演家団体協議会専務理事の小泉博も映画の脚木家契約及び監督契約で、当初取り決める報酬には、その映画の二次的利用に伴う報酬は含まれないのが通常である旨述べている(甲25)。 (2)ところで、映画業界は、住年と異なり、ビデオ化、テレビ放送等の二次的利用による収益によることなく劇場用の上映だけで映画製作費及び配給経費の回収を図ることは困難な情況にあり、特に近年は、ビデオ化、テレビ放送等の二次的利用が、劇場用映画の利用形態として、その収益面で極めて重要なものとなっている。このため、映画製作を企画するに当たっては、通常、劇場配収のほか、テレビ放送、ビデオ化等の収入をも組み入れて製作予算が立てられており、製作準備段階で、ビデオ化、テレビ放送等の二次的利用が決定されていることが多い。そして、共同組合日本シナリオ作家協会理事長山内久によると、脚本家が劇場用映画の脚本を作成する場合は、通常、当該劇場用映画が劇場で上映されると〈「と」が脱落〉もにビデオ化され又はテレビ放送されることを当然に予定している。(甲11ないし13、乙11、13、14、18、丙1、伊丹プロ代表者A) (3)本件覚書等は、映画監督や脚本家の利益の保護に役立っていると評価することができる反面、右の映画製作費の回収についての現状を前提とした場合に、映画の出資者、製作者やプロデューサーの立場からは、本件覚書等の取扱いは次の点で不合理であるとの意見も出されており、本件訴訟において、複数の関係者が、この取扱いが、映連会員各社以外の映画製作者を含む映画業界全体として慣習ないし慣行とはなっていない旨を述べている。 すなわち、第1点として、映画の出資者、製作者が二次的利用によっても製作費を回収できなかった場合であっても、脚本家と監督が、それぞれの固定の収入の他にビデオの販売数を基準として小売価格の1.75パーセントの報酬を得られること、第2点として、映画は、脚本家と監督だけで製作されるものでなく、プロデューサー、及び、撮影、美術、音楽、特殊効果等の各製作担当スタッフや俳優等による総合芸術として作り上げるものであり、この中で、監督と脚本家だけが優遇されるのは不公平である、との意見である。(乙11ないし13、14、18) (4)著作権審議会総会からの付託を受けた著作権審議会第1小委員会は、平成3年9月から平成4年3月まで、「映画の二次的利用に伴う映画監督等の権利」等の6項目について、著作権制度上の当面解決すべき課題を検討したが、平成4年3月30日付の「著作権審議会第1小委員会のまとめ」と題する書面において、関係団体からのヒアリングを踏まえた上での報告を行っている。そこでは、「著作権審議会において検討を継続しつつ、当面は、文化庁において関係者の協議を積極的に支援することが適当な事項」として、「映画の二次的利用に伴う映画監督等の権利」を挙げ、「今後の取扱い」として、「映画監督の場合、(社)日本映画製作者連盟と(協)日本映画監督協会との間で、映画のテレビ放送についての追加報酬等に関する覚書(昭和50年)があり、また、市販用ビデオ複製物の作成頒布についても、両者の間に追加報酬等に関する覚書(昭和59年)がある。この二つの覚書に定められたルールは、テレビ映画の製作をしているプロダクションとの間でも、準用されるケースもある。このように、映画監督の場合には、実演家の場合と比ベると改善されている部分はあるものの、これらは、(社)日本映画製作者連盟加盟の各社との間の取決めであって、それ以外の映画製作者との間においては取決めのない状況となっている。映画監督等の場合においても、契約等による解決について、今後、先進諸国の先例を参考としつつ、現在特段の取決めのない(社)日本映画製作者連盟に非加盟の映画製作者の取扱いや、取決めの内容等について関係者間で検討や協議が行われることが望ましく、文化庁としても関係者の協議の場を設ける等積極的に支援していくことが望ましいと考える。」と記している(乙19)。 (5)昭和60年から映画製作を行っているソニー・ミュージックの総務本部副部長Jは、原著作者3団体や監督協会が、前記各覚書を根拠として、映画をビデオ化した場合、ビデオの小売価格の1.75パーセントの割合により計算した額を支払うように要求してくることがあるが、同社としては、原則として断っている旨述べ(乙11)、株式会社角川春樹事務所に勤務し、昭和51年から平成元年7月まで、約50本の映画製作に係わったKも、同様に前記各覚書に基づきビデオの小売価格の1.75パーセントの割合により計算した額を支払うように要求があった場合に、これを断っていた旨述べている(乙12)。また、社団法人日本芸能実演家団体協議会専務理事の小泉博は、映画製作会社は、映画の二次的利用に関して製作会社と監督との間の文書による特約がなされない情況を利用して、資金難等を理由として正当な報酬を支払わないケースが多くみられるとも述べている(甲25)。 なお、証拠(甲39の資料8)によれば、映連会員各社以外が製作した映画について、監督に対して前記覚書と同様の率のビデオ化追加報酬が支払われた事例が、本件契約が成立した昭和63年には25件、前年の昭和62年には10件あることが認められるが、この資料は、監督協会の台帳からの抜粋であって、少なくとも監督協会所属の監督に対するものを含むものであり、また、支払がされなかった事例について記録したものではない。 (6)以上の判示の諸点を総合して考慮すると、本件覚書等の内容が、その合意の当事者、その加入者とは関わりのない、映連会員以外の映画製作者や監督協会及び原著作者3団体が加入者以外の者も含んだ映画製作業界全体の慣行や慣習となっているものとは認めることはできない。 4 次に、被告伊丹プロと原告との間の本件報酬の合意が、本件映画のビデオ化、テレビ放送等の二次的利用についての対価も含めて合意されたものか否かについて判断する。 (一)本件映画の製作は、前記1認定のとおり、原告が、被告伊丹プロの代表者であるAに、自ら執筆した「心霊(サイキック)」の映画化について、ディレクターズカンパニーの契約プロデューサーであるBとともに、製作資金の援助を依頼したことを端緒とするものであるが、その当初の依頼において製作が企画されていた映画は、B計画書の企画と同様に、ビデオ化やテレビ放送による収益を前提とした資料計画が立てられており、原告同席の上で、その説明がなされた。 これに対して、被告伊丹プロの代表者のAは、原告に対し、前記1(一)(6)のとおり、被告伊丹プロが本件映画を製作する場合は、本件映画の劇場公開とともにビデオ化やテレビ放送をすることを具体的に説明し、原告もこれに対し、異論を述べなかった。そして、本件映画は、被告伊丹プロとディレクターズカンパニーとの合意によって、被告伊丹プロが単独で製作することが決定され、その製作体制のもとで原告も本件映画の製作の準備をした。 また、Aは、本件映画の配給及びビデオ化を考慮して被告東宝における「神田川淫乱戦争」の試写会を手配し、原告がこれに出席したのであるが、その後の食事の際には、原告は、右試写会に出席した被告東宝のビデオ部門の担当者と本件映画のビデオ化についての話をしているが、本件映画のビデオ化について異議を述べていない。 そして、本件映画の撮影中には、本件映画の市販ビデオ販売の宣伝を目的としたメイキングビデオの撮影が並行してなされ、原告等の様子も撮影されており、原告は、当然これを認識していたものである。原告は、その後、本件映画がビデオ化され、またテレビ放送された後も、原告は、〈アンダーライン部分は、本件の「更生決定」で削除された。〉本件訴え提起に至るまで本件映画をビデオ化等すること自体について異議を述べていない。 右のとおりの本件契約前後の状況に、前記3(四)(2)に認定の映画業界における製作費回収状況やこれについての一般の脚本家の認識状況を併せて考慮すると、本件契約の当事者である被告伊丹プロと原告の双方とも、本件契約締結に至るまでの交渉経過の中で、被告伊丹プロが製作する本件映画について、映画製作者として本件映画の著作権者となる被告伊丹プロが、本件映画についてビデオ化、テレビ放送等の二次的利用をなし、これによって製作費を回収することを十分に認識しており、その上で本件契約を締結したことは明らかである。 (二)次に、本件契約において、本件映画に関して、原告の監督報酬300万円、脚本報酬200万円及びプロフィットとして被告伊丹プロの国内劇場配収配分金が総製作費を上回った場合に、その金額の2パーセントを支払うという本件報酬の合意が成立した経過について検討する。 前記1認定のとおり、本件映画は、当初、原告がAに対し、資金援助を依頼しに行ったことを端緒とするものであり、その当時は、被告東宝のような大手の配給会社が全国的に劇場公開するような映画を製作することは予定されておらず、製作資金も6000万円程度のものであった。原告は、右当時までに、2本の映画を監督したことがあったが、それらはいずれも製作費も少額で、スタッフ、キャストの数も少なく、少数の映画館で公開された程度の映画にすぎなかった。ところが、Aが原告の才能を高く評価していたところから、被告伊丹プロは、製作費も当初から数億円程度を予定し、SFXのスタッフもアメリカの一流の人物を充てるなど、本格的な商業映画としてその製作を進めるようになったものであり、原告は、右のような大作を監督するのは初めての経験であった。 その意味で、原告が本件映画の脚本を作成し、監督を務めることとなったのは、Aの原告に対する脚本家、監督としての高い評価を前提とした抜擢と評価できるものであり、原告が、当時、右のような大作の脚本、監督を務めるだけの経歴、実績を既に備えていることを前提したものではなかったと認められる(その後、Aは、本件脚本の作成に当たり、全国多数の劇場に観客を動員できるだけの大衆性をもたせるために、Dとともに相当細かな点まで助言をして、その結果、原告の当初の脚本が大幅に書き改められたものであり、また、原告が特殊撮影を含む監督業務に不慣れであったため、撮影の後半には、総指揮として原告を全面的に支援して、本件映画を製作していったものである。)。 そして、被告伊丹プロから、原告の本件脚本の作成と監督業務についての報酬額の検討を任されていた本件映画のプロデューサーであるDは、原告に対して、右の報酬についての希望を聞いたところ、原告は、「お任せします。」と述べたものであり、これは、原告がAの抜擢に対し、報酬については被告伊丹プロの決定に従い、特に異議を述べない意思を率直に表明したものと評価することができる。 そこで、Dは、原告の従前の経験や当時の脚本報酬や監督報酬の支払情況も考慮して、監督報酬300万円と脚本報酬200万円との金額を被告伊丹プロに対して提案したものである。そして、Aは、かねてから、プロフィットを組むことによって監督にインセンティブを与え、当たる映画を作っていくことによって自分の資金で自分の作りたい映画が作れることになる仕組みが必要であると考えており、原告に監督兼プロデューサーへと成長してもらいたいとの希望から、被告伊丹プロにおいて、前記のプロフィットを支払うことを含めて原告に対する報酬を決定したものであり、このプロフィットの支払約定は、映画業界でもほとんど前例のないものであった(乙5、6、7、8、12、被告伊丹プロ代表者A、証人D)。そして、右決定を聞いた原告は、これに異議を述べたり、被告伊丹プロが行う本件映画の二次的利用に関して何ら留保を止めることなく、快くこれを承諾したものである。 (三)右の原告に対する監督報酬額は、原告のそれまでの経験や劇場公開映画で得た監督報酬額(これは、当時の映連各社と監督協会との間の前記覚書に基づく最低報酬額にも到底及ばない金額であった。)からみると、かなり高額なものであり、本件契約当時の右の最低報酬額の255万円を超えている。また、原告の各報酬額は、全国で公開された劇場映画である映画「お葬式」のA自身の監督報酬額250万円、脚本報酬額150万円(乙5)と比較しても、これらを上回っている。また、経験の浅い原告に対してプロフィットの合意をするということは、破格の扱いであると認められ、仮に、本件映画への劇場入場者数が多く、被告伊丹プロの純益が出れば、その額に応じて原告は利益を得ることができるというものであった(A脚本監督の映画のうち、「お葬式」「マルサの女」等では実際に劇場配収による利益が生じており(被告伊丹プロ代表者A)、その可能性も十分あったものである)。 (四)以上の本件契約締結に至る経緯によれば、被告伊丹プロと原告とは、被告伊丹プロが製作する本件映画を、被告伊丹プロが劇場上映のみならず、ビデオ化、テレビ放送等の二次的利用をするものと明確に位置づけして、この映画の脚本作成及び監督業務に対する対価として、前記のとおり原告の報酬を合意したもの〈「と」が脱落〉認められ、二次的利用についてこれとは別個の合意を要すると当事者が認識していたような事情は何ら見受けられないものであり、前記プロフィットを含めた脚本報酬や監督報酬の合意はそのような趣旨のものとして十分首肯することができるものである。 したがって、原告は、本件契約において、本件映画の二次的利用も含めて本件報酬の合意をしており、脚本家として、これを許諾したものと解することができる。 なお、この点に関して、原告は、プロフィットの算定基準がビデオ化等の二次的利用に関する収入が除かれた劇場における配収に基づいていることは、本件契約がビデオ化等の二次的利用を除外していることを意味していると主張するが、被告伊丹プロ代表者Aは、映画製作における製作費の回収について、「劇場からの収入は非常に不安定で予測不可能な部分があり、ビデオ権とかテレビ放送権という二次使用が回収可能な金額として非常に大きな意味をもっている。したがって、この二次使用の固定した収入はリスクヘッジにさせてもらい、出資に対する保証として出資者を得る必要があり、もしこれがなければ、資金を出す人は次第に少なくなって、ついには日本映画が衰退に導かれてしまうことを私は何よりも危惧している。そのかわり、いい映画を作って劇場収入による利益がでた場合には、映画製作に関わった皆で分配しようという〈「の」が脱落〉が製作者の偽らざる心からの叫びであると考えている。自分は、実際にも、劇場配給利益がでた「お葬式」「マルサの女」等の映画では、全スタッフ、全キャストに分配しており、「お葬式」に出演した原告にも配分している。」との趣旨を述べており(被告伊丹プロ代表者A91項ないし93項)、この供述内容は、A自身の信念を述べたものとして、不自然と思われることはないものであり、このAの立場によると、被告伊丹プロがプロフィットの算定について二次的利用による利益を対象としなかったことは当然のこととして理解することができるものであり、原告の右の主張は理由がない。 さらに、原告は、株式会社ニュー・センチュリー・プロデューサーズと被告伊丹プロが製作した映画「お葬式」について、上映配給権者であるATGとフジテレビとの間の契約書において、監督の権利処理(追加報酬)の取決めがあり、したがって、A伊丹及びY1は、本件契約締結当時、本件覚書等の存在を知っていた旨主張する。確かに、甲48の2の契約書4条1項aには、映画「お葬式」をテレビ放送するについては、ATGが監督等についての権利処理及びテレビ放送についての承諾のとりつけをする旨規定され、甲48の3の契約書8条(1)には、ATGが、監督に追加報酬を支払うことにより録画物の販売拡布に支障のないように措置する旨の規定がある。しかしながら、AやY1ないしは被告伊丹プロは、直接右契約の当事者となっていないのであるから、右規定があるからといって、右契約の内容について知っていたとみることはできないし、また、乙21によれば、Aが、映画「お葬式」について、ビデオ化による追加報酬を得たこともないというのであるから、原告の右の主張も理由がない。 5 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告が本件映画の脚本家として求める甲請求は理由がなく、原告の監督契約における追加報酬支払い合意の存在を理由とする乙請求も理由がない。 二 争点3について 1 証拠(甲11、17、20、33、36、被告伊丹プロ代表者A)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。 (一) 本件映画は、前記のビデオ発売の後の平成2年1月2日、テレビ朝日ほかで放送された。 (二) 映画フィルムのサイズは、画面の縦横の比率によって、様々な種類があるが、そのうちの主なものは、スタンダードサイズ(縦横比1対1.33)、ビスタサイズ(縦横比1対1.85)、シネマスコープサイズ(縦横比1対2.35)である。 テレビ画面のサイズは、最近の横長型画面を除くと、一般的にはスタンダードサイズと同じく縦横の比率が1対1.33であるので、ビスタサイズ、シネマスコープサイズの映画をテレビ画面で写すことを前提としてビデオ化する場合及びテレビ放送する場合には、映画の画面をテレビのスタンダードサイズに合うように調整する必要が発生する。この調整の作業のうち、映画の画面の必要部分を選択する作業がトリミングと呼ばれる。 本件映画は、ビスタサイズで撮影されたため、右の調整作業をする必要があった。その方法としては、次の三つが考えられる。@ビスタサイズの画面の天地をテレビ画面の天地に合わせる方法であり、そのために、画面の左右のいずれか若しくは双方をカットすることになる。Aビスタサイズの画面の左右をテレビ画面の左右に合せる方法であり、そのために普通のテレビ画面では上下の空間に黒い帯が生じる方法である。これは、映画の画面の全体がテレビ画面に出ることとなるため、ノートリミングの方法とも呼ばれる。B右@、Aの方法の中間の方法として、ビスタサイズの画面の天地はテレビ画面の天地内に入り、ビスタサイズの画面の左右はテレビ画面の左右にはみ出るという方法である。@の方法は、画質や迫力の点では優れるが、画面の左右がカットされてしまうという欠点を有する。Aの方法は、カット部分がないという長所を有するが、画面が@よりも小さくなり、その分迫力が失われる。Bの方法は、双方の長所、欠点を半ば併有する。 被告伊丹プロは、本件映画をビデオ化及びテレビ放送するにあたり、本件映画の総指揮に当たったAがそれぞれの方法の長所、短所を考慮したうえで、原則として@の方法を用いてトリミングを行い、画面の左右に重要な情報が存在する場合にはAの方法を用い、さらに、必要に応じて中間型のBの方法を用いた。 そして、本件映画のテレビ放送当時、右Aの方法のみによってテレビ放送される映画はほとんどなく、何らかの方法でトリミングが行われるのが通常であった。 (三)前記一1(二)(2)で認定したとおり、本件映画の特殊撮影のシーンの編集については、本件映画の総指揮者であるAが自らこれにあたり、その時点で、ビデオ化、テレビ放送の際に少女の顔が重ねられたシーンについては、そのように編集することについて、Aと原告との間で了解されていた。しかし、重ね合わせる少女の顔の選定には時間を要し、映画製作の時間的制約から、本件映画の劇場公開までには、その作業が実行できなかった。 そこで、Aは、本件映画をビデオ化及びテレビ放送するにあたり、右予定のとおり少女の顔を重ね合わせることとしたものであり、その内容は、甲35の27ないし29のとおりである。 2(一)以上によれば、本件映画は、ビデオ化及びテレビ放送される際に、トリミングにより、画面の一部切除が行われ、改変されたものと認められる。 しかし、ビスタサイズの映画をテレビ放送し、又はテレビ画面で鑑賞されるビデオに複製するについては、映画の画面をテレビ画面に合わせて調整する作業は必要なものであることは前記のとおりであり、本件映画のテレビ放送当時、前記Aの方法(いわゆるノートリミング)のみにより放送されることは稀であったものである。そして、前記認定のとおり、原告は、本件映画がビデオ化、テレビ放送されることは承諾していたもので、映画製作者であり、本件映画の著作権者である被告伊丹プロが、テレビ放送やビデオ化するに当たって、前記認定のとおり、本件映画の製作において、総指揮者として、その編集、ダビング等を自ら取り仕切ったAが、それぞれの方法の長短を考慮したうえでトリミングを行ったのであり、これは、著作権法20条2項4号の「著作物の性質並びに利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に当たるものと認められる。 この点について、原告は、ビスタサイズの映画をビデオ化、テレビ放送する場合には、上下に黒い帯を出してトリミングをしない形式が主流となっているとし、これに沿う証拠として、「ビデオソフト完全カタログ1994年版」(甲32)を提出している。しかし、その「従来、ワイド版の作品をビデオに収録するときは、左右を切り落とし、被写体を中心にあわせる作業(トリミング)が行なわれていた。……最近になって上映場面サイズとほぼ同じ、ワイドスクリーン版というノートリミング版が続々登場している。……最近の話題作ならばワイドバージョンは、テレビサイズトリミング版と同時に発売されることが多い。」という記載からは、本件映画がテレビ放送された平成2年(1990年)当時、原告の主張する方法が主流であったと認めることはできない。また、日本映画編集協会理事長作成の報告書(平成6年作成。甲33)も当時の方法を述べるものではない。 (二)また、少女の顔が重ね合わせられた場面については、重ね合わせること自体については、事前に原告の了解が得られてたものであり、甲35の27ないし29によれば、総指揮者のAがしたその具体的な方法も了解の範囲のものと認められるから、原告の著作者人格権(同一性保持権)を侵害したものとは認められない。 (三)原告は、本件映画のテレビ放送にあたり、テレビ・コマーシャルが不自然に挿入されたと主張し、甲35の30ないし35によれば、本件映画のテレビ放送にあたり、テレビ・コマーシャルが挿入されたことは認められるが、コマーシャルの挿入は、民間放送での長時間の映画放送にあたっては、避けられないものであって、これをもって、被告伊丹プロが本件映画の改変を行ったとみることはできない。また、右コマーシャルの挿入によって、原告の著作者人格権(同一性保持権)が侵害されたことを認めるに足りる証拠はない。 三 争点4について 前記一1(一)(11)で認定したとおり、原告と被告伊丹プロとの間の本件映画の報酬に関する合意において、被告伊丹プロは、原告に対し、本件映画の国内劇場配収配分金が総製作費を上回った場合は、その上回った額の2パーセントをプロフィットとして支払う旨が約束されたものである。 しかし、右の合意は、金銭債務についての合意であって、このような合意があることのみを理由として、原告が主張するような、相手方に報告等の作為を求める権利が当然に生じるものとは解することができないから、原告の右の主張は失当である(なお、仮に、右の合意に付随する義務として、報告等を求める権利が生じるものと解する余地があるとしても、そのような義務の履行としては、Y1が、平成元年11月15日、原告に対し、メモ書きを提示して説明した行為によって履行されているものと解されるから、いずれにせよ、原告の請求は理由がない。)。 四 以上によれば、原告の請求はいずれも理由がない。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 設楽隆一 裁判官 橋本英史 裁判官 大須賀滋 |
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