| 判例全文 | ||
| 【事件名】「聖教新聞」の写真無断投稿事件(2) 【年月日】令和7年7月31日 知財高裁 令和6年(ネ)第10075号 損害賠償請求控訴事件 (原審・東京地裁令和5年(ワ)第70388号) 令和7年7月31日判決言渡 令和6年(ネ)第10075号 損害賠償請求控訴事件 (原審・東京地方裁判所令和5年(ワ)第70388号) (口頭弁論終結日 令和7年4月17日) 判決 控訴人(1審原告) 創価学会 同訴訟代理人弁護士 中村秀一 同 西口伸良 同 堀田正明 同 長谷川伸城 同 甲斐伸明 同 大原良明 被控訴人(1審被告) Y 同訴訟代理人弁護士 佃克彦 同 山縣敦彦 主文 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は、控訴人の負担とする。 事実及び理由 本判決において用いる略語は、次のとおりである(原判決で定義している略語は、そのまま用いている。)。また、本判決中、証拠は、特段の記載のない限り枝番を含むものである。
1 原判決を取り消す。 2 被告は、原告に対し、419万1500円及びこれに対する令和元年10月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 仮執行宣言 第2 事案の概要 1 事案の要旨 (1)本件は、宗教法人であり、その発行する聖教新聞に掲載された本件各写真の著作権を有する原告が、会員である被告に対し、被告において、平成30年10月22日から令和元年10月21日までの間、25回にわたり、インターネットを利用して、本件各写真を本文とともにツイッター(X)に投稿(本件各投稿)した行為は、原告の本件各写真の著作権(送信可能化権。著作権法23条)を侵害すると主張して、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条、著作権法114条3項)として419万1500円及びこれに対する最後の不法行為日である同日から支払済みまで平成29年法律第44号による改正前の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 (2)原審は、本件各写真について引用の抗弁(著作権法32条1項)を認め、原告の請求を棄却した。これに対し、原告が、本件控訴を提起した。 2 前提事実は、原判決「事実及び理由」第2の3(原判決2頁20行目〜3頁7行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。 3 争点は、次のとおりである(争点Aは、当審で追加された争点)。 (1)争点1(本件各写真の著作物性) (2)争点2(著作権の帰属) (3)争点3(複製の成否) (4)争点4(引用の抗弁) (5)争点5(付随対象著作物の利用の抗弁) (6)争点A(権利濫用の抗弁・当審における被告の追加主張) (7)争点6(損害額) 4 争点に関する当事者の主張は、後記第3に当審における当事者の補充主張及び追加主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」第3(原判決3頁15行目から10頁9行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。 第3 当審における当事者の補充主張及び追加主張 1 争点4(引用の抗弁)について (被告の主張) (1)著作権法32条1項の引用の成否の判断基準 公正な慣行に合致し、かつ、引用の目的上正当な範囲内であるかどうかは、社会通念に照らし、他人の著作物を利用する目的のほか、その方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響などを総合考慮して判断されるべきである(知財高判平成22年10月13日(平成22年(ネ)第10052号))。 また、明瞭区分性・主従関係(最判昭和55年3月28日民集34巻3号244頁)を引用該当性の要件として捉えるとしても、本件各投稿の投稿本文と掲載された本件各写真(引用)(本件写真1〜9、11〜26、30〜37)とは明瞭に区分されており、前者が主・後者が従であることも明らかである。非代替性、密接関連性、批評対象の表象性、必然性・必要性、引用の必要最小限度性等の要件を加重するのは相当でない(乙16)。 (2)引用の目的、本件各写真(引用)との関連性 ア 被告が本件各写真(引用)を引用した目的は「原告の活動や方針等を批評するため」であるが、本件各写真(引用)はいわゆる報道写真として新聞記事本文の内容を補助し、新聞記事本文と密接に関連し一体となるものであり、引用の目的と本件各写真(引用)には明確な関連性・必要性がある。被告は、この目的に沿う範囲で、原告が聖教新聞で使用した見出し、記事本文、写真の全てを利用し、より効果的な批評を展開するため、新聞記事本文だけでなく、これと密接な関連性がある本件各写真(引用)を引用したものである。 イ 本件各投稿と新聞記事や本件各写真(引用)との間の一定の関連性を極めて厳格に捉え、引用の成立する範囲を限定するのは相当でない。本件投稿19(本件写真22)は、信濃町盆踊りに関する記事を靖国神社の提灯献灯事件とかけて原告を批評したものであり、提灯が写っている本件写真22は関連性がある。本件投稿8(本件写真6)は、施設に高額な費用をかける一方で配達員を大切にしない原告の姿勢を批評したものであり、多額な費用をかけて建設した世界聖教会館の本件写真6は関連性がある。本件投稿10(本件写真8)は、A氏の現在の状況を公表しない原告が、A氏の肖像写真及び和歌を掲載したことを批評したものであり、肖像写真の本件写真8等は関連性がある。また、本件投稿1(本件写真1)は、字数制限があり添付画像のサイズを選択することができないツイッター(X)の特徴を考慮すると、引用の要件である主従関係を形式的に判断すべきではない。本件投稿1は、本件写真1に原告の幹部2名が写っていることを契機に、短い言葉で端的に表現し原告の姿勢を批評したものであり、関連性がある。本件投稿12(本件写真11)は、広宣流布に言及した新聞記事とこれを補足するために掲載された本件写真11に対し、その内容を明らかにしない原告の姿勢を批評したものであり、本件写真11は関連性がある。 ウ 著作権者が被る経済的不利益をどの程度斟酌すべきかは、事案によって異なるのであり、本件のように経済的不利益が生じていない場合には引用の成立を肯定する方向の一要素となる。 また、本件各写真(引用)は、被告が、照明やピント等に留意せずスマートフォンで撮影したものであり、元の掲載された写真をそのまま複製したものとは到底いえない。撮影範囲も、スマートフォンの写真1枚に写りこむ限度で利用しており、利用の方法・態様を含め、引用として許容されるべき正当な範囲内のものである。 (3)公正な慣行 「出所表示」については、閲覧者において被告の投稿本文を複数見ることは特段珍しい用法ではなく、投稿本文の内容と写真を併せてみれば、出所が聖教新聞であることは十分に読み取ることが可能である。 (原告の主張) (1)主従関係 伝統的な二要件説によれば、本件各投稿は、掲載された本件各写真(引用)との批評関係を欠くから、投稿本文が主で本件各写真(引用)が従とはいえない。また、本件投稿1については、本件写真1をトリミングして被写体を強調する一方、投稿本文は「最凶タッグ」の5文字のみであるから、投稿本文が主で本件写真1が従とはいえない。 (2)引用の目的上正当な範囲内 ア 原告は、本件各写真(引用)の著作権侵害を主張するのであるから、引用の抗弁の成否も、引用の目的や、当該引用の目的と被引用著作物である本件各写真(引用)との関連性の有無・程度を検討し、それが正当な範囲内で行われているか否かを個別具体的に判断する必要がある。 イ すなわち、編集著作物又は言語著作物である新聞記事について引用が成立しても、写真著作物である本件各写真(引用)については、別途引用の抗弁の成否を検討しなければならない。そして、本件各投稿には、本件各写真(引用)自体に対する批評・論評はないから、本件各投稿の引用目的と本件各写真(引用)の間には、批評関係の関連性は認められない。 本件各投稿の具体的内容と、新聞記事や本件各写真(引用)との間における一定の関係性が客観的に認定することができるかを検討しても、本件各投稿は、批評対象が聖教新聞の記事が報じる出来事ではなく、原告に過去に生じた出来事(本件投稿19〔本件写真22〕)又は聖教新聞の見出し若しくは記事本文のごく一部の記載であるもの(本件投稿8〔本件写真6〕)、批評対象の写真が本件写真でないもの(本件投稿10〔本件写真8〕)、写真中の人物2名を特定することができず、短い投稿本文に対し本件写真が質量的に優越しているもの(本件投稿1〔本件写真1〕)、記事本文又は本件写真との関連性が不明なもの(本件投稿12〔本件写真11〕)などであり、引用の抗弁が成立するような批評関係の関連性は認められない。被告は、関連性の後付けの弁解として主観的動機を述べるにすぎない。 ウ 仮に、批評関係の関連性が認められない利用形態にも引用の抗弁の成立を認める見解を採ったとしても、当該写真を用いなければ批評・研究等を説得的に行うことが困難であるとか、ごく僅かしか存在しないその人物の代表的な写真であるとか、絵と文字が不可分一体・批評の対象を正確に示すには文も絵も引用が必要であるなど、非代替性や密接関連性、批評対象の表象性等の事情が必要とする見解によれば(甲18)、本件各投稿にこのような事情は認められない。また、問題となる著作物が、直接の批評論評対象と十分な関連性があれば適法引用とする見解は、その判断要素として、物理的観点(複数の著作物が容易に分離可能な状態か否か等)、内容的観点(引用側著作物と被引用側著作物の間に関連性があるだけでは足りない。)を挙げるが(甲24)、本件各投稿にこのような事由は認め難い。 結局、投稿本文の具体的な内容や投稿の批評が引用記事のどの部分を対象としているか、被告の撮影した記事写真が当該紙面のどの範囲を写しているか、当該記事における写真の位置付はどのようなものか等の諸事情を総合的に考慮し「写真と記事との間に十分な関連性が認められる場合」か否かを個別具体的に検討しなければならないが、本件では、引用の抗弁が成立するような本件各写真の利用はない。 エ 著作権者への経済的影響の有無・程度を考慮するとしても、引用目的と被引用著作物との関連性が存在することが前提であり、本件ではこのような関連性は認められない。 また、原告は、公衆送信権侵害を主張しているから、総合考慮説により、公衆送信された状態で、撮影データを画面で操作次第で鑑賞に供し得る程度に複製されているかを検討すべきである。 (3)公正な慣行 公正な慣行の要素としての「出所表示」も、ツイッター(X)の一般利用者は、本件各投稿を一連のものとして閲覧するものではないから、出所表示は個々の投稿ごとに判断する必要がある。 (4)本件各投稿における本件各写真(引用)に係る引用の抗弁に対する個別の反論は、別紙「控訴審における原告の主張」記載のとおりである。 2 争点5(付随対象著作物の利用の抗弁)について (被告の主張) (1)著作権法30条の2の規定は、写り込みに係る権利制限の対象範囲を拡大しており、複製伝達行為全般について、創作性が認められない場面(固定カメラでの撮影)も写り込みの対象とし、複製伝達対象事物等に付随する著作物であれば分離が困難でないものも対象とする。一方、付随性・軽微性の要件は維持し、「正当な範囲内」の要件を加えることで濫用的な利用や権利者の立場を害する利用を防止している。以上を踏まえると、本件写真10、27〜29(本件各写真〔付随〕)は、付随対象著作物の利用(著作権法30条の2)として許容される。 (2)本件各写真(付随)について ア 本件投稿11の写真は被告が撮影したが、「福岡に創価勝利の旗を」の記事全文を写真に収めるために、本件写真10が付随して写り込んだものである。本件写真10が本件投稿11に占める割合は5%程度と非常に小さく、軽微な構成部分である。また、被告は、本件写真10の利用による利益を得る目的はなく、上記のとおり、これを除いて撮影することはできず分離困難であるから、その利用(複製及び掲載)は、正当な範囲内のものである。 イ 本件投稿21の写真は被告が撮影したが、「『一人の励まし』で広布は脈動B会長らリーダーが沖縄各地で友と語らい」の記事全文を写真に収めるために、本件写真27、28が付随して写り込んだものである。本件写真27、28が本件投稿21に占める割合は、本件写真27が3%程度、本件写真28が5%程度といずれも非常に小さく、軽微な構成部分である。 また、被告は、本件写真27、28の利用による利益を得る目的はなく、上記のとおり、これらを除いて撮影することはできず分離困難であるから、その利用(複製及び掲載)は、正当な範囲内のものである。 ウ 本件投稿22の写真は被告が撮影したが、「台風19号各地で被害相次ぐ学会本部に対策本部」の記事全文を写真に収め、「聖教新聞」の題字を収めるために、本件写真29が付随して写り込んだものである。本件写真29が本件投稿22に占める割合は15%程度と非常に小さく、軽微な構成部分である。また、被告は、本件写真29の利用による利益を得る目的はなく、上記のとおり、これを除いて撮影することはできず分離困難であるから、その利用(複製及び掲載)は、正当な範囲内のものである。 (原告の主張) (1)本件で適用されるのは、旧著作権法30条の2の規定である。被告が主張する写り込みは、いずれも令和2年改正法施行前の被告による撮影行為で生じており、旧著作権法30条の2第1項の規定により付随対象著作物としての複製等の利用が認められることが必要となる。 (2)しかるところ、旧著作権法30条の2第1項の規定によれば「著作物を創作するに当たって」付随対象著作物を複製することができるが、被告は、いずれも聖教新聞紙面を上からスマートフォンカメラで機械的に撮影したにすぎず、この過程で創作的表現が介在する余地はない。また、本件各写真(付随)は、紙片等を置いたり塗りつぶしたり、画角から外したりして撮影することで分離することが容易であるから、同項の「分離することが困難である」との要件を満たさない。よって、本件各写真(付随)について、付随対象著作物の利用の抗弁は成立しない。 3 争点A(権利濫用の抗弁・当審における被告の追加主張)について (被告の主張) 原告は、創価学会に親和的な言論については聖教新聞の複製行為を野放しにする一方で、創価学会に批判的な言論については著作権侵害に藉口して制圧しようとしている。すなわち、親和的な投稿は、C、D、E外による投稿(合計956件〔乙8、9、15、20〜25〕。前記3名については、令和6年12月以降も合計176件〔乙26〜28〕の投稿があり、約1年〜1年8か月間に1年換算で各約76〜335件の投稿を行っている。)がある一方、原告は、被告の投稿25件のみを問題としており、権利の濫用である。 すなわち、原告は、聖教新聞の複製について、前記親和的な956件については、利益・損失の問題としてない。一方、被告は、本件訴訟に巻き込まれ裁判費用の負担を余儀なくされ、聖教新聞の画像を複製しての言論活動を躊躇せざるを得ない状況に置かれている。このように、被告の損害が著しく、原告の訴訟提起が創価学会に対する批判を封じるためのものと解されることからすると、原告の権利行使は不公正であり、権利の濫用に該当する。 (原告の主張) 本件は、著作権侵害を受けた被害者が正当に権利行使するものであり、権利濫用には当たらない。著作権侵害を受けた原告が、個別の事案ごとに複製を拒否し又は許諾するのは当然であり、実際、侵害の程度が重い事案では批判的か否かに関わらず法的手続・対応をとっている。原告が本件訴訟で問題にしているのも、原告が認識した被告の投稿235件中の約10%にすぎない。 また、原告が求めているのは、他の新聞社の使用料規定に即した使用料相当損害金の支払にすぎない。表現活動、言論活動も著作権法の権利制限規定の適用が認められる範囲内で自由に行うことができるのが法の建前である。使用料相当額の請求で権利濫用をいうのは的外れである。 第4 当裁判所の判断 1 当裁判所も、本件各写真について、引用の抗弁(著作権法32条1項)又は付随対象著作物の利用の抗弁(著作権法30条の2)が認められるから、原告の請求は理由がなく棄却すべきものと判断する。 その理由は、次のとおりである(本件事案に鑑み、争点4(引用の抗弁)及び争点5(付随対象著作物の利用の抗弁)について判断する。)。 2 認定事実 認定事実は、以下のとおり補正するほかは、原判決第4の1(原判決10頁13行目から11頁22行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。 (原判決の補正) 原判決第4の1(1)(原判決10頁16行目から21行目まで)を以下のとおり改める。 「(1)聖教新聞(甲9、10、15、16、25) ア 聖教新聞は、宗教法人である原告が出版及び販売等を行っている。聖教新聞社には独立の法人格はない。聖教新聞は、昭和26年4月20日に旬刊2頁建てで発行が開始され、昭和40年7月20日付から日刊化され、昭和46年1月4日付から12頁建てとなり、現在2万2100号を超えている。購読料は月額1934円(税込み)、電子版が月額1731円(税込み)である。 イ 聖教新聞は、原告の機関紙であるから、読者層の中心は原告の会員であるが、原告に対する理解を社会に広く拡げるため、原告の会員以外においても数多く購読されている。 ウ 聖教新聞の紙面構成は、曜日により若干の相違はあるが、1面から5面までが原告の宗教目的(会員の教化育成、原告の教義を弘める目的)に関する内容である。また、6面以降は、社会のニュースや一般的な記事、天気・テレビ欄が掲載されており、各面には広告欄がある。 聖教新聞の1面から5面までに掲載される写真は、本件各写真のように、報道を視覚的に伝達するいわゆる報道写真であり、聖教新聞社のカメラマンが職務上撮影したもので、原告がその著作権を保有している。 エ 聖教新聞の写真は、例外的に、原告の関連法人又は団体に有償で貸し出されることはあるが、個人への貸出しは想定されていない。 オ 原告(創価学会)の会員である被告は、かつて、聖教新聞の販拡(啓蒙)活動をしており、現在も聖教新聞を購読している。」 3 争点4(引用の抗弁)について (1)本件各投稿に掲載されている本件各写真(引用)(本件写真1〜9、11〜26、30〜37)は、被告において、被告が対象とする聖教新聞の紙面上の新聞記事(見出し、本文、写真)をスマートフォンの写真1枚に写り込む限度で撮影し、ツイッター(X)の本件各投稿において、投稿本文を付して、当該新聞記事の見出し・本文とともに掲載しているものであるところ、被告は、本件各投稿に掲載した本件各写真(引用)については、引用の抗弁(著作権法32条1項)が成立すると主張するので、以下検討する。 著作権法32条1項は、「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」と規定する。そして、この規定の文言によれば、著作物の全部又は一部を著作権者の承諾を得ることなく自己の作品に含めて利用するためには、@利用される側が公表された著作物であること、A当該著作物の利用が引用に該当すること、B当該引用が公正な慣行に合致すること、C当該引用が報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものであること、の各要件を満たすことを要することになる。さらに、著作権法の目的は、著作物等の文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することであり(著作権法1条参照)、著作権法32条の規定の趣旨も、著作権の保護を図りつつ、文化的所産としての著作物等の公正な利用を可能ならしめるための規定であることからすると、同条の各要件の解釈に当たっては、これらの著作権法の目的や規定の趣旨を考慮すべきである。 以上を踏まえ、@の公表著作物性の要件以外の各要件を検討すると、Aの「引用」については、引用する側の作品に接した一般人が、引用されている部分を認識し得ることが前提となることから、一般には、利用する側の作品から、利用される側の著作物を明瞭に区別して認識することができることが必要であり、また、利用する側の作品と、利用される側の著作物の間に、利用する側が主、利用される側が従という主従関係があることを要するものと解するのが相当である。ただし、この主従関係も、利用する側の作品と利用される側の著作物との量的な比較のみにより形式的な主従関係を判断するのではなく、利用する側の作品や利用される側の著作物の性質、引用の目的、引用の方法や態様等の様々な要素を考慮した上、社会通念に照らし、実質的な主従関係を判断すべきものであり、その場合には、後記Cの「引用の目的上正当な範囲内」の判断とも一部重なることになる。 また、Bの引用が「公正な慣行」に合致すること、すなわち、引用して利用する方法や態様が公正な慣行に合致したものであることについては、「公正な慣行」が、著作物の属する分野や公表媒体等によって異なり得ることから、当該分野や公表媒体等における引用に関する公正な慣行が存在するのであれば、引用して利用する方法や態様が当該慣行に合致すると認められるかにより判断され、これが存在しないのであれば、社会通念上相当な方法等によるものと認められるかにより判断されるものと解される。この場合において、利用される側の著作物の出所が明らかにされていることは、当該公正な慣行又は社会通念上相当な方法等の一要素として考慮され得るものと考えられる。 さらに、Cの引用が「報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内」で行われるものであること、すなわち、引用部分が、引用の目的との関係において正当な範囲内であることについては、引用の目的の内容及び正当性、引用の目的と利用される側の著作物との関連性、利用される側の著作物の性質、引用された範囲及び分量、引用の方法及び態様、利用する側が得る利益及び利用される側が被る不利益の程度等を考慮し、前記著作権法の目的及び規定の趣旨を踏まえ、総合的に評価するほかはない。 そして、本件各写真(引用)は、記事と一体となって出来事を報道するために同じ紙面に掲載された報道写真であるから、それ自体は写真の著作物(著作権法10条1項8号)だとしても、引用の目的が記事により報道されている出来事と一定の関連性があるのであれば、当該記事の一部を構成する報道写真についても同様の関連性が認められるということができる。また、著作権法32条1項の規定の文言上、引用の必然性や厳格な必要性までは要求されていないから、著作権の保護と利用の調和という観点からは、本件各写真(引用)それ自体を批評する場合に限らず、本件各写真(引用)と一体となった記事により報道された出来事と引用の目的とに関連性が認められる場合には、商業的利用の有無、前記主従関係の要件の充足その他の事情を考慮した上で、「引用の目的上正当な範囲内」の引用であると認めることは妨げられない。 この点、確かに、著作権法上、写真と言語は著作物としてその創作的表現を全く異にするものであり、同じ出来事を報道する記事の引用が認められるからといって、写真の引用も当然に認められることにはならないということはできる。この場合において、引用の必要性を厳格に要求するならば、ある出来事が発生したことを前提に自己の意見を述べる場合には、原告が主張するように当該出来事を報道した写真ではなく、記事の一部を引用するだけで足り、さらに言えば、記事中の創作的表現部分を利用する必要がないのであれば、記事を引用する必要性すらも認められないことになる。 しかし、一般に、原告の機関紙である聖教新聞を含む報道機関は、その報道する出来事を広く知らしめ、読者による意見等の形成に資することを目的として記事及び報道写真を作成し、掲載している。このような記事及び報道写真の性質に照らすと、引用の必要性を厳格に要求することは相当ではなく、特に、本件のように原告の機関紙の読者が、当該機関紙が報道した出来事の内容に言及し、批評を加える場合には、表現活動の自由を保護する必要性が高いから、論評と当該出来事との関連性が認められる限り、他の引用の要件が認められることを前提として、引用という形での利用を認めるのが相当である。そして、このように解したとしても、もともと時事の出来事に関する情報を広く公衆に提供し、民主主義的言論を形成させることを目的として提供された記事又は報道写真を当該出来事に関連する論評のために引用することを認めるにすぎないから、直ちに著作権者に不測の損害を与えることにはならず、著作権法の目的及び同条の趣旨に反するものでもないというべきである。 そこで、以下、本件各写真(引用)について引用の抗弁の成否について判断する。 (2)利用される側が公表された著作物であること 本件各写真(引用)(本件写真1〜9、11〜26、30〜37)は、いずれも聖教新聞に掲載され公表されている写真の著作物(著作権法10条1項8号)と認められる(甲3、4)。被告は本件各写真の著作物性を争い、確かに本件各写真は、新聞記事と共に出来事を報道するために撮影されたいわゆる報道写真であって、その構図や撮影方向等の選択の幅は広くないということができるかもしれないが、最も的確に事実を報道するという目的から撮影者が選択した構図や撮影方向、撮影のタイミング等について撮影者の個性が発揮されていないと認めることはできない。 (3)引用に該当すること ア 本件各投稿(甲1)のうち、本件各写真(引用)が掲載されている本件投稿1(本件写真1を掲載)、本件投稿2及び3(本件写真2を掲載)、本件投稿4(本件写真3を掲載)、本件投稿5及び6(本件写真4を掲載)、本件投稿7(本件写真5を掲載)、本件投稿8(本件写真6を掲載)、本件投稿9(本件写真7を掲載)、本件投稿10(本件写真8を掲載)、本件投稿11(本件写真9を掲載)、本件投稿12(本件写真11を掲載)、本件投稿13(本件写真12〜14を掲載)、本件投稿14(本件写真15を掲載)、本件投稿15(本件写真16を掲載)、本件投稿16(本件写真17、18を掲載)、本件投稿17(本件写真19、20を掲載)、本件投稿18(本件写真21を掲載)、本件投稿19(本件写真22を掲載)、本件投稿20(本件写真23を掲載)、本件投稿21(本件写真24〜26を掲載)、本件投稿23(本件写真30〜33を掲載)、本件投稿24(本件写真34〜36を掲載)並びに本件投稿25(本件写真37を掲載)は、いずれも、各投稿の画面の右上(パソコンで表示した場合。以下「PC」と略称する。)又は左上(スマートフォンで表示した場合。以下「SP」と略称する。)に原告のアカウント名「F」及びユーザー名「(省略)」が、その下に投稿本文の全文がそれぞれ表示され、画面の左側(PC)又は下部(SP)に、被告が聖教新聞の一部を撮影した新聞記事の写真(本件各写真(引用)を含む。)が掲載されていることが認められる(前提事実(2)、認定事実(3)、甲1、21、22)。 そうすると、その記載事項、掲載の形式、外観から、利用する側の本件各投稿の投稿本文の部分と、利用される側の本件各写真(引用)を含む部分とは、明瞭に区別して認識することができるものといえる。 イ また、利用する側の本件各投稿の投稿本文は、画面上、1~13行(PC)、1〜9行(SP)程度の分量であるのに対し、利用される側の本件各写真(引用)を含む聖教新聞を撮影した写真部分は、画面上、投稿本文より大きい部分を占めており、本件各写真(引用)の中には、当該写真部分の大部分を占めるものもある。しかし、本件各投稿は、インターネット上のいわゆる短文投稿サイトであるツイッター(X)に投稿されたものであり、ツイッターにおいては、本文で投稿することができる文字数に制限があるから、ツイッター上で他の著作物を引用して表現活動を行う場合には、外見上、引用部分よりも本文の方が短くなることは通常よくみられることである。この場合に単純に引用部分と本文との長短や量を比較し、主従関係を判断することは、ツイッターを利用して「つぶやく」という形で行われる表現活動を不当に制限する効果をもたらすおそれがある。他方、本件における被告の表現活動の目的は原告に対する「批評」であり(後記)、批評に当たり引用されたのは時事の出来事を報道した記事本文や本件各写真(引用)であって、その引用の方法・態様等は、被告において、批評の対象とする出来事を報じた紙面上の記事や本件各写真(引用)をスマートフォンの写真1枚に写り込む限度で撮影し、当該撮影した写真を掲載する態様で行ったものである(認定事実(4))。これらの本件各投稿の内容や本件各写真(引用)等の性質、引用の目的、引用の方法・表現態様等に照らせば、本件各投稿においては、社会通念上、ツイッターの本文として投稿された部分が主であり、利用される側の本件各写真(引用)が従であると認めるのが相当である。 ウ 原告は、本件投稿1(本件写真1を掲載)、本件投稿4(本件写真3を掲載)、本件投稿5及び6(本件写真4を掲載)、本件投稿8(本件写真6を掲載)、本件投稿11(本件写真9を掲載)は、投稿本文が短い単語又は短文である、又は、それぞれの本件写真が、カラーで大きく目立つように表示され、独立して鑑賞の対象となる大きさ、態様で掲載されていることなどを主張する。 しかしながら、本件のように、報道写真等をスマートフォンの写真1枚に写り込む限度で撮影したものを引用して、ツイッターの本文を投稿するときは、社会通念上、投稿本文が主、本件各写真(引用)が従の関係にあると認められるべきことは前記のとおりである。もともと、本件各写真(引用)は、報道写真として関連する新聞記事と一体となって時事の出来事を報道するために作成されたものであり、独立して鑑賞の対象となるものとして公衆に提示されていたわけではない。本件各投稿において本件各写真(引用)が目立つように引用され、表示されていたとしても、本件各写真(引用)により報道された出来事に関連して原告を批評する目的で本件各写真が引用されたことに変わりはなく、その大きさの程度や引用方法に照らし、客観的にみて、本件各写真(引用)が投稿本文と独立して鑑賞の対象となる態様で引用されていたとまでは認めることはできない。したがって、原告の前記主張は、主従関係についての前記判断を左右するに足りるものではない(なお、本件投稿1について補足すると、本件投稿1の投稿本文は「最凶タッグ」と短いものであるが、本件写真1に写る人物のうちの2名がともに共通の行事に参加しているという事実について批評するものといえる。また、本件写真1は、トリミングされて上記2名を含む写真中央に位置する人物が強調されているが、そのことによって本件写真1が報道の性質を有するものであることが否定されるものとはいえない。)。よって、本件各投稿と本件各写真(引用)の主従関係に係る原告の主張を採用することはできない。 エ 以上によれば、被告が、本件各写真(引用)を新聞記事とともに複製し本件各投稿に掲載した行為は、「引用」に該当する。 (4)公正な慣行に合致すること ア 原告は、本件投稿1(本件写真1を掲載)、本件投稿2及び3(本件写真2を掲載)、本件投稿4(本件写真3を掲載)、本件投稿12(本件写真11を掲載)、本件投稿15(本件写真16を掲載)、本件投稿17(本件写真19、20を掲載)、本件投稿20(本件写真23を掲載)並びに本件投稿21(本件写真24〜26を掲載)には、本件各写真(引用)の出所が明示されておらず(本件投稿21については発行年月日の記載がないとする。)、公正な慣行に合致しないなどと主張する。 この点、証拠上、ツイッターの表現活動における引用に関し、確立した公正な慣行が存在するかどうかは必ずしも明らかとはいえず、著作権法32条1項及び48条の規定上も、出所の明示は引用を適法とするための直接の要件とはされていない。また、証拠(乙8の2から4まで、乙8の6、乙9)によれば、ツイッター上では、原告の関係者と思われる複数の者が聖教新聞の記事を出所明示することなく引用し多数の投稿をしている例もあることが認められる。しかしながら、これらの点を踏まえても、前記のとおり、利用される著作物の出所が明らかにされていることは、少なくとも公正な慣行又はこれに代わる社会通念上相当な方法等の一要素として考慮されるというべきである。 これを本件についてみると、被告は、本件各投稿の投稿本文に聖教新聞からの引用である旨記載し(本件投稿7、9、10、14、18、19、21〜25)、又は「聖教新聞」の題字を写り込ませてその写真を掲載する(本件投稿10、11、13、21〜24)などしており(認定事実(3))、本件各投稿が、平成30年10月22日(本件投稿1)以降、平成31年2月13日(本件投稿2)、同月14日(本件投稿3)、同年3月12日(本件投稿4)、同月16日(本件投稿5、6)、同年4月16日(本件投稿7)、同月20日(本件投稿8)、同月24日(本件投稿9)、令和元年5月3日(本件投稿10)、同月10日(本件投稿11)、同月16日(本件投稿12)、同月22日(本件投稿13)、同月29日(本件投稿14)、同年6月2日(本件投稿15)、同月17日(本件投稿16)、同年7月3日(本件投稿17)、同月12日(本件投稿18)、同年8月3日(本件投稿19)、同月9日(本件投稿20)、同年10月6日(本件投稿21)、同月13日(本件投稿22)、同月14日(本件投稿23)、同月16日(本件投稿24)、同月21日(本件投稿25)(原判決別紙「投稿記事目録」参照)と、概ね継続して投稿がされてきており、いずれも新聞紙面を撮影した写真とこれを批評する投稿本文という同様の体裁のものとなっている。さらに、本件各投稿の読者の多くが原告の会員やその関係者であると考えられることに照らすと、原告が指摘する本件各投稿の一部に、投稿本文において聖教新聞に言及しておらず、新聞紙面を撮影した写真に聖教新聞の題字が写り込んでいないものがあるとしても、投稿内容や前後の投稿を参照することにより、掲載された本件各写真(引用)の出所が聖教新聞であることは容易に読み取ることができるというべきである。前記のとおり、原告関係者と思われる者による聖教新聞の記事を引用したツイッター上の多数の投稿においても、そのすべてが必ずしも出所を表示しているわけではないことも考慮すると、本件各投稿における聖教新聞の引用は、少なくとも社会通念上相当な方法には合致するものというべきである。よって、原告の主張を採用することはできない。 イ 原告は、本件投稿7の投稿本文中の「ケチ臭っ」(本件写真5)、本件投稿9の投稿本文中の「選挙学会」(本件写真7)、本件投稿11の投稿本文中の「選挙学会」(本件写真9)は、原告を侮辱・揶揄する態様で本件各写真(引用)を使用するものであり、公正な慣行に合致しないなどと主張する。 しかしながら、原告の指摘する上記各表現は、各投稿の投稿本文に記載された批評部分であり、このような批評が別途原告に対する名誉棄損等の不法行為を構成することはあっても、これによって、批評の対象となった記事本文及び本件各写真(引用)につき、直ちにその引用の方法・態様が公正な慣行に合致しないものとなるとはいい難い。よって、原告の主張を採用することはできない。 (5)引用の目的上正当な範囲内であること ア 認定事実(3)、(4)のとおり、本件各投稿は、投稿本文並びに「聖教新聞」の紙面上の新聞記事及び本件各写真(引用)をスマートフォンの写真1枚に写り込む限度で撮影した写真から構成され、各投稿本文において、記事本文又は本件各写真(引用)により報道された出来事や、新聞の紙面の作り方等に関する批評等を記載していることからすると、本件各投稿の目的は、原告の機関紙である聖教新聞の記事本文又は本件各写真(引用)を通じて被告が認識した原告の活動等を批評することを目的とするものと認められる。そして、当該目的に不相当・不適切な点は認められない。 イ 前記(1)のとおり、引用の目的上正当な範囲内であるとの要件を充足するためには、少なくとも引用の目的と利用される側の著作物である本件各写真(引用)との関連性が認められる必要がある。そこで、本件各投稿における引用の目的と本件各写真(引用)の関連性について、以下、検討する。 (ア)本件投稿1(本件写真1を引用) 本件写真1は、原告の幹部2名がともに共通の行事に参加した様子を撮影した報道写真と認められる。そして、本件投稿1の「最凶タッグ」との記載は、原告の幹部2名の人物及びその活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真1は、引用の目的と関連するものであるということができる。 原告は、本件投稿1は、本件写真1そのものへの批評ではなく、本件写真1の被写体への批評であると主張するが、本件写真1の人物2名とその活動姿勢を批評する目的でこれらの人物が写されている本件写真1を利用した場合も、引用の目的と本件写真1との関連性は認められるというべきである。原告は、本件投稿1が2名の人物を特定していないとも主張するが、本件投稿に関心を持つであろう一般の読者(原告の会員やその関係者)を基準としてみれば、「最凶タッグ」という表現から、本件写真1に写る人物のうち中央の人物(B会長)及びその隣の原告関係者と理解することは可能といえる。よって、原告の主張を採用することはできない。 (イ)本件投稿2及び3(本件写真2を引用) 本件写真2は、平成31年2月11日、東京の戸田記念講堂において実施された原告の港総区の「港の日」を祝う総会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同総会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿2は、「G先生の誕生日を祝う事なく「港の日」を祝う本末転倒」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真2は、本件投稿2が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿2には、本件写真2自体又は被写体である多数の会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真2は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ウ)本件投稿4(本件写真3を引用) 本件写真3は、平成31年3月11日に実施された原告の東横浜総県緑区の大会に参加している原告会長及び会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同大会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿4は、「「追善と復興」というコトバは横浜(重点区)ではなく東北で言えよってハナシ」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真3は、本件投稿4が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿4には、本件写真3自体又は被写体である多数の会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真3は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (エ)本件投稿5及び6(本件写真4を引用) 本件写真4は、定礎式が実施される原告の世界聖教会館を撮影した報道写真であると認められ、そのことを報道する記事の見出し及び記事本文、さらに、青年部が行事を実施したことを報道する記事の見出し、記事本文及び写真とともに掲載されている。そして、本件投稿5及び6はいずれも、「誓願に生きる人は強し!青年よ立ち上がる時は今…誓願より「世界聖教会館」の定礎式の扱いが大きい不思議な新聞」などとして、原告の活動姿勢又は紙面の作り方を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真4は、本件投稿5及び6が批評の対象とする紙面を構成するものであるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿5及び6は、単に定礎式に大きく紙幅が割かれていることを批評するものであるから本件写真4を引用する必要はなく、本件投稿5及び6には、本件写真4自体又は被写体である建設途中の社屋についての言及もないから批評関係はないと主張するが、前記3(1)のとおり、引用の厳格な必要性まで要求することは相当ではなというべきであるから、本件投稿5及び6は、本件写真4の社屋と隣接する記事の青年部の行事を対比し、原告の活動姿勢又は紙面の作り方を批評したものと解されるから、引用の目的と本件写真4との間には関連性があり、これに反する原告の主張を採用することはできない。 (オ)本件投稿7(本件写真5を引用) 本件写真5は、モザンビーク共和国のサイクロン被害に対する義援金の目録を原告職員から同国大使に手渡した様子を撮影した報道写真であると認められ、これが実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿7は、「義援金が一万米ドル(110万円)ケチ臭っ」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真5は、本件投稿7が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿7には、本件写真5自体又は被写体である大使と原告職員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真5は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (カ)本件投稿8(本件写真6を引用) 本件写真6は、原告の社屋「世界聖教会館」を撮影した報道写真であると認められ、聖教新聞が創刊68周年であること、原告の新社屋の工事が進んでいること、配達員の永年表彰が行われる予定であることなどを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿8は「永年表彰を実施するより配達員の給料上げろ!いつまでもいると思うな、配達員」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 利用される側の著作物である本件写真6は、本件投稿8が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿8は、本件写真6自体又は被写体である建設途中の社屋についての言及もないから批評関係はないと主張するが、本件投稿8の内容は、引用されている記事と合わせて読むと、創刊68周年を迎え、新社屋建築工事が進んでいるという状況の中で、配達員の永年表彰を行うだけで配達員の給料を上げない原告の活動姿勢を批評するものと理解されるのであって、本件写真6は、新社屋建築工事に関する報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものである。したがって、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (キ)本件投稿9(本件写真7を引用) 本件写真7は、平成31年4月23日に実施された原告の足立総区の支部長・支部婦人部長会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿9は、「何で足立?…本当にわかりやすい「選挙学会」」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真7は、本件投稿9が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿9には、本件写真7自体又は被写体である多数の会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真7は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ク)本件投稿10(本件写真8を引用) 本件写真8は、令和元年5月3日の「創価学会の日」「創価学会母の日」の紙面に寄せられた「記念の和歌」を制作した「A先生」を撮影した肖像写真であると認められ、記念の記事の見出し及び記事本文、和歌等とともに掲載されている。そして、本件投稿10は、「何か違和感アリアリの本日の聖教1面」「「記念の和歌」とやらも、「ふーん」って感じだし、何より2019年(令和元年)5月3日を飾る写真が、昨年3月(2018年)平成30年の写真というお粗末さには呆れてモノが言えない」などとして、当該紙面等を批評するものと理解できる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真8は、本件投稿10が批評の対象とする紙面を構成するものであるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿10は、本件写真8とは関連性がなく批評関係はないと主張するが、本件写真8は、「記念の和歌」を含めて掲載する新聞記事の記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ケ)本件投稿11(本件写真9を引用) 本件写真9は、令和元年5月9日に実施された原告の福岡の支部長・支部婦人部長総会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同総会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿11は、「何を(どこを)どう言い繕おうが参院選各選挙区でしか会合が開催されない…宗教団体ではなく政治団体」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真9は、本件投稿11が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿11には、本件写真9自体又は被写体である多数の会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真9は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (コ)本件投稿12(本件写真11を引用) 本件写真11は、令和元年5月19日の「創価学会常住御本尊」(脇書に大法弘通慈折広宣流布大願成就の記載がある。)の記念日に関する座談会の記事において、「「広宣流布大誓堂」に集い来る世界の同志」として海外から来日した会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、「広宣流布」等をテーマとする座談会の記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿12は、「…「広宣流布とは何か」という概念を示してもらった事はないけどな」「…公明党の勢力拡大とカネ集めが広宣流布って言うつもりか?」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真11は、本件投稿12が批評の対象とする原告の「広宣流布」の状況に関し海外から来日した会員の様子を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿12は、本件写真11とは全く関連性はなく、批評関係はないと主張するが、本件写真11は、報道写真として、「広宣流布」の状況に関する記事の記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (サ)本件投稿13(本件写真12〜14を引用) 本件写真12〜14は、令和元年5月21日に神奈川(B会長が出席)及び埼玉において、同月20日に愛知において、それぞれ実施された座談会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、各座談会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿13は、「相変わらず、参議院選挙の選挙区にしか顔を出さないB会長(笑)」などとして、神奈川をはじめとする選挙区で座談会を実施するなどしている原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真12〜14は、本件投稿13が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿13には、本件写真12自体への論評はなく、本件写真13、14も、出席した原告職員も場所も本件投稿13とは異なるため批評関係はないと主張するが、本件写真12〜14は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (シ)本件投稿14(本件写真15を引用) 本件写真15は、令和元年5月28日に中国東北師範大学副学長らが原告の総本部を訪問している様子を撮影した報道写真であると認められ、このことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。 そして、本件投稿14は、「…中国東北師範大学の副学長が総本部を訪問。相互交流を進めるそうだ。」「いいのか?…」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真15は、本件投稿14が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿14には、本件写真15自体への言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真15は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ス)本件投稿15(本件写真16を引用) 本件写真16は、令和元年6月1日に実施された原告の総大阪女子部の集いに参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同集いが実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿15は、「大阪の女子部の会合があったみたい。…自分史上最高の拡大って、手のひら返しの公明をどんな理屈で説明するの?…」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真16は、本件投稿15が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿15には、本件写真16自体又は被写体である会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真16は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (セ)本件投稿16(本件写真17、18を引用) 本件写真17、18は、令和元年6月16日に実施された原告の石川総県と富山総県の各幹部会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同幹部会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿16は、「…早い話、大阪・兵庫の地元票だけじゃ足らないから、石川・富山から票を取りに大阪・兵庫(激戦地)へ行けって事だろ」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真17、18は、本件投稿16が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿16には、本件写真17、18自体又は被写体である会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真17、18は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ソ)本件投稿17(本件写真19、20を引用) 本件写真19、20は、令和元年7月2日に実施された原告の北海道札幌5総県の地区部長・婦人部長会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿17は、「九州が災害級の豪雨の中、雨の届かぬ真反対の北海道で会員を激励?するB会長」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真19、20は、本件投稿17が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿17には、本件写真19、20自体又は被写体である会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真19、20は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (タ)本件投稿18(本件写真21を引用) 本件写真21は、令和元年7月11日に実施された原告の総新潟の壮年・男子部大会(B会長が出席)に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同大会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿18は、「B会長は…「我らの立正安国は〜云々」と講釈垂れたらしいが、学会員が投票する事になるだろう…の所属会派は神道政治連盟・日本会議国会議員懇談会である。」「学会員は知らず知らずに日本会議を支援しているという事になる」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真21は、本件投稿18が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿18には、本件写真21自体又は被写体である会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真21は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (チ)本件投稿19(本件写真22を引用) 本件写真22は、令和元年8月2日に実施された「信濃町ふるさと盆踊り大会」において、櫓と提灯が設置され参加者が盆踊りをしている様子を撮影した報道写真であると認められ、これが実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文(「創価学会のB会長があいさつした」との記載がある。)とともに掲載されている。そして、本件投稿19は、「靖国神社の提灯はどうなったとツッコミたいが置いといて(笑)」「機関紙が自分の会の会長を「さらに創価学会のB会長が」との文はおかしい。」などとして、原告の活動姿勢のほか、記事の表現振りを批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真22は、本件投稿19が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿19には、本件写真22との関連性はなく批評関係はないと主張するが、本件写真22は、「靖国神社の提灯はどうなった」というコメントの前提となっている信濃町の盆踊り大会における提灯が写されている上、本件投稿19で記事の表現振りが問題とされている当該大会におけるB会長のあいさつという出来事に関する報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ツ)本件投稿20(本件写真23を引用) 本件写真23は、令和元年8月8日に実施された原告の総岩手の代表幹部会(B会長が出席)に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿20は、「選挙のあるところにしか出没しない創価学会会長(笑)」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真23は、本件投稿20が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、前記引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿20には、本件写真23自体又は被写体である多数の会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真23は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (テ)本件投稿21(本件写真24〜26を引用) 本件写真24〜26は、令和元年10月5日の「励まし週間」に沖縄において、B会長(本件写真24)や原告職員(本件写真25、26)が会員宅をそれぞれ訪問している様子を撮影した報道写真であると認められ、各訪問が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿21は、「…B会長が…訪問先から「今、幸せそのものです」と一言(笑)」「訪問するなら宿命に泣く、苦境に泣く人を励ますのが本来の姿だと思うのだがなぁ」などとして、励まし週間に各訪問を実施している原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真24〜26は、本件投稿21が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿21には、本件写真24自体への論評はなく、本件写真25、26も、原告職員と会員の懇談の様子であって本件投稿21とは批評関係はないと主張するが、本件写真24〜26は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ト)本件投稿23(本件写真30〜33を引用) 本件写真30〜33は、令和元年10月に台風19号により東日本の広範囲にわたって甚大な被害がもたらされた際、東日本各県でリーダーが被災地を訪れた様子を撮影した報道写真であると認められ、このことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿23は、「B会長の談話として「学会本部では引き続き…激励に総力を挙げてまいります」との記事」「おいっ、総力を挙げてまいるのは「激励」だけかいっ!」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真30〜33は、本件投稿23が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿23には、本件写真30〜33自体又は被写体である会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真30〜33は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ナ)本件投稿24(本件写真34〜36を引用) 本件写真34〜36は、前記台風19号の被災地におけるリーダーによる激励等の様子を撮影した報道写真であると認められ、このことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿24は、「…全力と言うならなぜ創価学会は会館を避難所として提供しなかったのか?という疑問を指摘せざるを得ない」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真34〜36は、本件投稿24が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿24には、本件写真34〜36自体又は被写体である職員及び会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真34〜36は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 (ニ)本件投稿25(本件写真37を引用) 本件写真37は、令和元年10月20日に実施された原告の福島常磐総県の支部長会に参加している会員の様子を撮影した報道写真であると認められ、同会が実施されたことを報道する記事の見出し及び記事本文とともに掲載されている。そして、本件投稿25は「表向きは被災された会員の激励らしいが、福島県議選が10月31日告示11月10日投票日を見ての事か?」などとして、原告の活動姿勢を批評するものと理解することができる。 したがって、利用される側の著作物である本件写真37は、本件投稿25が批評の対象とする出来事を報道した報道写真であるから、引用の目的と関連するものと認められる。 原告は、本件投稿25には、本件写真37自体又は被写体である会員についての言及はなく批評関係はないと主張するが、本件写真37は、報道写真として、記事本文の内容を補助し、記事本文と関連し一体となるものであるから、引用の目的との関連性を否定する原告の主張を採用することはできない。 ウ 以上のとおり、本件各写真(引用)は、引用の目的との関係で、いずれも関連性が認められるというべきである。進んで、利用される側の著作物の範囲及び分量、並びに、引用の方法及び態様について検討する。 本件においては、本件各投稿で批評の対象とされた聖教新聞の紙面上の新聞記事のうちスマートフォンの写真1枚に写り込む限度で撮影された記事の見出し、記事本文、本件各写真(引用)が引用され掲載されているが、ツイッター上の表現として、本件各投稿の本文と引用部分との間の主従関係は、行数等の形式的多寡にかかわらず、実質的に検討されるべきことは前記のとおりであり、本件においては、基本的には本件各投稿における批評を理解するために、これらの引用部分(スマートフォンの写真1枚に写りこむ限度で撮影された紙面中の本件各写真(引用))が引用の範囲として過大であったとまでは認めることはできないから、本件の引用により利用された著作物の範囲及び分量は相当であったというべきである。また、引用の方法及び態様に、特段不相当な点も認められない。 この点に関し、原告は、@本件投稿2及び3(本件写真2を掲載)、本件投稿4(本件写真3を掲載)、本件投稿7(本件写真5を掲載)、本件投稿13(本件写真12を掲載)は、「見出し部分及び新聞記事本文のみ」を引用すれば足り、A本件投稿8(本件写真6を掲載)、本件投稿9(本件写真7を掲載)、本件投稿11(本件写真9を掲載)、本件投稿14(本件写真15を掲載)、本件投稿17(本件写真19、20を掲載)、本件投稿20(本件写真23を掲載)、本件投稿25(本件写真37を掲載)は、「見出し部分のみ」を引用すれば足り、B本件投稿5及び6(本件写真4)、本件投稿15(本件写真16を掲載)、本件投稿16(本件写真17、18を掲載)、本件投稿18(本件写真21)、本件投稿21(本件写真24を掲載)、本件投稿23(本件写真30〜33を掲載)、本件投稿24(本件写真34〜36を掲載)は、「新聞記事本文のみ」を引用すれば足りるなどと主張する。 しかしながら、前記ア及びイのとおり、本件においては、引用の目的と利用される側の著作物である本件各写真(引用)との関連性が認められる一方、前記3(1)のとおり、引用の厳格な必要性まで要求することは相当ではないというべきであるから、原告の主張を採用することはできない。 エ 本件各投稿は、公開された聖教新聞の紙面上の本件各写真(引用)により報道された出来事等に対する批評であるが、被告が本件各投稿により、商業的利益を得た事実は認められない上、本件各写真(引用)の引用を認めることにより、原告が販売部数の減少等の経済的不利益(使用料を除く。引用の適法性が認められる場合には、そもそも使用料相当の損害は発生せず、使用料相当の損害の発生をもって引用を認めない理由とするのは、引用の違法性という結論を先取りしていることになるからである。)を被ることを認めるに足りる証拠はない。 オ したがって、本件各投稿における本件各写真(引用)の引用は、いずれも「引用の目的上正当な範囲内で行われるもの」であるものと認めるのが相当である。 (6)以上によれば、本件各投稿に掲載した本件各写真(引用)については、引用の抗弁(著作権法32条1項)が成立する。 4 争点5(付随対象著作物の利用の抗弁)について (1)本件各投稿に掲載されている本件各写真(付随)(本件写真10、27〜29)は、本件各写真(引用)と同様、聖教新聞の紙面をスマートフォンで撮影し、ツイッター(X)の本件各投稿において掲載しているものである。被告は、本件各写真(付随)については、付随対象著作物の利用の抗弁(著作権法30条の2)が成立すると主張しているところ、原告は、被告が主張する写り込みは、被告による聖教新聞紙面の撮影行為で生じているから(本件写真10につき令和元年5月10日投稿の紙面の写真〔本件投稿11〕、本件写真27、28につき同年10月6日投稿の紙面の写真〔本件投稿21〕、本件写真29につき同月13日投稿の紙面の写真〔本件投稿22〕)、本件で適用されるのは、令和2年改正法(令和2年10月1日施行)による改正前の旧著作権法30条の2の規定であると主張する。 (2)そこで検討するに、憲法上、刑罰法規について遡及処罰を禁止する規定(憲法39条)はあるが、新法の規定を新法施行前の事実に適用することを禁止する一般的な規定はないし、刑罰法規の改正であっても減刑する方向の改正の場合には、改正法を遡及的に適用することは憲法違反にはならないと考えられる(刑法6条参照)。したがって、本件において、令和2年改正法施行後の規定を施行前の行為に適用することができるかどうかは、法改正の趣旨を踏まえた法解釈の問題として、経過規定の有無、法改正の経緯及び目的等に照らし検討する必要がある。 しかるところ、令和2年改正法附則その他の法令において、令和2年改正法の施行前にされた撮影行為等により生じた付随対象著作物の利用について、令和2年改正法による改正後の著作権法の規定の適用を排除し、旧著作権法の定めるところによる旨の経過措置等の規定は置かれていない。本件口頭弁論終結時において現に効力を有するのは現行の著作権法30条の2の規定であり、旧著作権法30条の2の規定は既に存在しない規定であるから、仮に現行規定を施行前の行為に遡及適用することができないのであれば、旧著作権法30条の2の規定を適用する根拠となる経過規定もない以上、令和2年改正法施行前の行為については、およそ付随対象著作物に関して適用可能な著作権制限規定が存在しないことになる。この結果は、明らかに不当である。そもそも著作権は天賦の人権ではなく国が文化の発展のために政策的に認めている権利であるから、その内容や保護範囲は絶対的なものではなく、他の保護すべき価値や利益との関係で相対的に決まる性質のものである。令和2年改正法は、平成24年の著作権法改正によって創設された旧著作権法30条の2の権利制限規定の要件が厳格に過ぎ、日常生活において広く一般的に行われている行為等についても、妥当な結論を導くことができない場合がある等の指摘を踏まえ、要件を緩和し、権利制限規定の対象範囲を拡大するために行われた改正である(文化庁HPに掲載された文化審議会著作権分科会(第55回)の「写り込みに係る権利制限規定の拡充に関する報告書」参照)。このような法改正の経緯及び目的を踏まえると、令和2年改正法による改正後の著作権法30条の2の規定は、令和2年改正法施行前に行われた行為についても適用されると解するのが相当である。そうすると、本件において適用されるのは、令和2年改正法による改正後の著作権法30条の2の規定であり、これに反する原告の主張は採用することはできない。 (3)以上を前提に、本件各写真(付随)について検討する。 ア 本件写真10及びこれにより報道された出来事は、本件投稿11の投稿本文による批評の対象ではなく、投稿本文との関連性はない。本件投稿11に掲載された被告がスマートフォンで撮影した聖教新聞の一面の写真(作成伝達物)のうち本件写真10の占める割合は5%程度であり軽微な構成部分(付随対象著作物)と認められる。また、本件写真10は、被告がその利用により利益を得る目的はなく、批評の対象とされた新聞記事に隣接するために分離して撮影することも困難であって、本件写真10が作成伝達物において特段の役割を果たすものでもないことなどからすると、付随対象著作物として正当な範囲内で複製伝達行為に伴って利用されているものといえる。 イ 本件写真27、28及びこれらにより報道された出来事は、本件投稿21の投稿本文による批評の対象ではなく、投稿本文との関連性はない。本件投稿21に掲載された被告がスマートフォンで撮影した聖教新聞の一面の写真(作成伝達物)のうち本件写真27の占める割合は3%程度、本件写真28の占める割合は5%程度であり、いずれも軽微な構成部分(付随対象著作物)と認められる。また、本件写真27、28は、被告がその利用により利益を得る目的はなく、批評の対象とされた新聞記事に概ね隣接するために分離して撮影することも困難であって、本件写真27、28が作成伝達物において特段の役割を果たすものでもないことなどからすると、付随対象著作物として正当な範囲内で複製伝達行為に伴って利用されているものといえる。 ウ 本件写真29及びこれにより報道された出来事は、本件投稿22の投稿本文による批評の対象ではなく、投稿本文との関連性はない。本件投稿22に掲載された被告がスマートフォンで撮影した聖教新聞の一面の写真(作成伝達物)のうち本件写真29の占める割合は15%程度であり軽微な構成部分(付随対象著作物)と認められる。また、本件写真29は、被告がその利用により利益を得る目的はなく、批評の対象とされた新聞記事の紙面における「聖教新聞」の題字に隣接するために分離して撮影することも困難であって、本件写真29が作成伝達物において特段の役割を果たすものでもないことなどからすると、付随対象著作物として正当な範囲内で複製伝達行為に伴って利用されているものといえる。 (4)以上によれば、本件各写真(付随)については、付随対象著作物の利用の抗弁(著作権法30条の2)が成立する。 5 小括 したがって、本件各写真については、引用の抗弁(著作権法32条1項)又は付随対象著作物の利用の抗弁(著作権法30条の2)が成立するから、その余の点について判断するまでもなく原告の請求は理由がない。そして、当事者の主張に鑑み本件記録を検討しても、前記認定判断を左右するような事由は認められない。 第5 結論 よって、これと結論において同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。 知的財産高等裁判所第2部 裁判長裁判官 清水響 裁判官 菊池絵理 裁判官 頼晋一 (別紙)控訴審における原告の主張 (別紙)本件各写真(付随) |
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