判例全文 line
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【事件名】著者死亡後の出版許諾契約事件
【年月日】令和5年4月20日
 東京地裁 令和3年(ワ)第15628号 損害賠償請求事件、令和4年(ワ)第10112号 損害賠償請求反訴事件
 (口頭弁論終結日 令和5年3月27日)

判決
本訴原告・反訴被告 A(以下「原告」という。)
同訴訟代理人弁護士 阿部浩基
本訴被告・反訴原告 株式会社現代書館(以下「被告」という。)
同訴訟代理人弁護士 北村行夫
同 宮澤真志


主文
1 原告の本訴請求及び被告の反訴請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを2分し、その1を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 本訴
 被告は、原告に対し、330万円及びこれに対する令和3年7月29日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
2 反訴
 原告は、被告に対し、142万1345円及びこれに対する令和4年5月10日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本訴及び反訴に係る各請求の概要
(1)本訴
 本件本訴は、原告の夫である亡B(以下「B」という。)が、出版社である被告の依頼により、武士道に関する書籍(以下「本件書籍」という。)の原稿を執筆していたところ、その完成前である平成27年12月頃に死亡したため、その後、本件書籍の出版に向けた作業を引き継ぎ、令和2年11月頃にその最終稿を作成した原告が、被告が、被告とB又は原告との間で未だ本件書籍の出版契約が締結されていないにもかかわらず、インターネット上で本件書籍の出版予告を行ったことにつき、@Bが本件書籍の原稿の著作者として有する著作者人格権(公表権)を侵害した旨(主位的請求)、又は、A本を出版しようとする者である原告の自己決定権を侵害した旨(予備的請求)を主張して、不法行為に基づく損害賠償請求(@につき、著作権法(以下「法」という。)116条1項、2項、115条、民法709条、Aにつき、民法709条)として、330万円及びこれに対する不法行為後である令和3年7月29日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで年3%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
(2)反訴
 本件反訴は、被告が、@平成18年頃、Bとの間で、本件書籍を独占的に出版する旨の許諾契約(以下「本件出版許諾契約1」という。)を締結し、Bの死後はその妻である原告が本件書籍の原稿の著作権及び本件出版許諾契約1上の地位を承継したにもかかわらず、原告が、令和3年12月22日、本件書籍の出版を拒絶したことから、本件出版許諾契約1に基づく債務が履行不能となった旨(主位的請求)、又は、A本件書籍に係る最終稿を被告が原告に送付した令和2年10月26日までに、原告と被告との間で本件書籍の出版許諾契約(以下「本件出版許諾契約2」という。)が成立したにもかかわらず、上記のとおり原告がその履行を拒絶したことにより同契約に基づく債務が履行不能となった旨(予備的請求)を主張して、本件出版許諾契約1又は2による債務の不履行に基づく損害賠償請求として、142万1345円及びこれに対する令和4年5月10日(反訴状送達日の翌日)から支払済みまで年3%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実(当事者間に争いがないか、末尾の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実。証拠番号の枝番は省略する(以下同様)。)
(1)当事者
 原告は、日本武道傳骨法會の局長である。
 Bは、原告の夫であり、武道家で、日本武道傳骨法會創始師範であるが、平成27年12月26日に死亡した。
 被告は出版社であり、被告代表者は、B及び原告との間で、本件書籍の出版に向けた作業及び契約交渉等に当たっていた。
(2)本件書籍の出版に向けた作業及び契約交渉等の経緯の概略
ア Bは、平成14年頃、知人を介して紹介された被告代表者から武士道に関する書籍の執筆依頼を受け、被告の協力を受けながらその原稿執筆作業を進め、平成18年頃には、原稿は著作物として成立したといえる程度の完成度に至った(以下、この時点での原稿を「未完成原稿」という。)。もっとも、Bは、同原稿につき更に加筆修正することを予定していたものの、これが進まないために、同原稿は未完成な状態のまま、作業は一時保留状態となっていた。このような状態であった平成27年12月26日に、Bは死亡した。
イ 原告は、Bの死後、被告から返還された未完成原稿を推敲した上で体裁を整え、令和元年7月頃、被告に対し、完成版としてその原稿を送付した。
 その後、原告と被告は、上記原稿の校正作業に加え、コラム、掲載写真等について協議するなど、本件書籍の出版に向けた作業を続けた。
ウ 原告は、令和2年8月3日、被告代表者に対し、出版契約に係る契約書の作成について問い合わせた。これを受け、被告代表者は、同月26日、原告に対し、出版契約書の書式(甲15。以下「被告契約書案」という。)を示しつつ、印税の支払条件や支払時期、贈呈部数、契約の有効期間等を含む契約内容を説明した。これに対し、原告は、その説明内容を被告契約書案にメモしつつ、その場で特段の異議を述べなかったが、被告契約書案には署名押印しなかった。(上記のほか、原告本人、被告代表者)
エ 被告は、令和2年8月頃、本件書籍の出版に向けて、自社ウェブサイト上に本件書籍の出版予告を掲載すると共に、書籍販売サイトに本件書籍を掲載するために必要な登録手続等を行い、後に各書籍販売サイトに本件書籍の紹介記事が掲載された(以下、これらを併せて「本件予告」という。)。
(甲3〜14、被告代表者)
オ その後も原告と被告との間で校正作業その他本件書籍の出版に向けた作業が行われ、被告代表者は、同年10月26日、原告に対し、最終稿を送付してその確認を依頼し、原告側から指摘を受けた修正点の修正を了解した上で、本件書籍の印刷に取り掛かる旨を伝えた。
 これに対し、同月27日に原告が印刷は出版契約締結後に行うことを求めたところ、被告代表者は、同月28日、「出版契約の内容はすでにお話し済みですので、いつでもいいですが、具体的にはいつお伺いしたらいいですか?」と回答した。しかし、原告は、同日、被告に対し、被告契約書案をもとにした改定案(甲16。以下「原告契約書案」という。)を電子メールで送信した。
 被告代表者は、同月29日、原告に対し、原告契約書案の内容について承服できないこと、既に提示した条件で契約は成立していることなどを伝えると共に、原告に対し話合いを求めた。しかし、以後、本件書籍に係る出版契約の成否及び内容等に係る原告と被告との間の議論は、出版契約は成立しているとしつつ話合いを求める被告と、契約は成立しておらず、原告契約書案の内容でなければ契約せず、被告と会うこともしないとする原告とで平行線をたどった。
(以上につき、上記のほか、甲18、原告本人、被告代表者)
(3)原告は、令和2年12月17日到達の通告書により、被告に対し、本件書籍の出版予告を削除するよう要求したが、被告はその後もこれを掲載し続けた(甲1、2、13)。
 しかし、原告が本件訴訟を提起し、原告の令和3年12月22日付け準備書面(4)において本件書籍を被告から出版する意思はない旨を明らかにしたことを受け、被告は、同月23日、自社ウェブサイト上の「近刊案内」から本件書籍の記載を削除した(乙16)。
(以上につき、上記のほか、原告本人、被告代表者)
3 主な争点
(1)本件出版許諾契約1の成否(争点1)
(2)本件出版許諾契約2の成否(争点2)
(3)被告に生じた損害及びその額(争点3)
(4)著作者人格権(公表権)侵害の有無(争点4)
(5)自己決定権侵害の有無(争点5)
(6)原告に生じた損害及びその額(争点6)
4 争点に関する当事者の主張
(1)本件出版許諾契約1の成否(争点1)
(被告の主張)
ア 平成14年頃、知人の紹介により被告代表者と知り合ったBは、被告代表者の勧めに応じ、武士道に関する書籍を被告から出版することに同意し、自ら執筆した原稿を被告代表者に交付した。しかし、同原稿は書籍用原稿として極めて不十分なものであった。
 そこで、Bの著作を出版することを同人と合意していた被告は、下調べの上、Bから3回(平成17年8月22日、同年9月11日、同年10月17日)にわたって聴き取り及び録音を行い、外部業者を入れてその録音物を反訳した上、文意の明確化や字句の修正等多大な労力を傾注してBの考えを反映した原稿(未完成原稿)を作成した。これにより、当該原稿は著作物として成立するに至った。もっとも、Bは、未完成原稿に更に加筆修正する意向であったところ、直ちにこれを行い得なかったことから、その出版は一時保留状態になった。
イ 被告は、未完成原稿が著作物として成立した平成18年頃、Bとの間で、Bが上記加除修正を加え、被告が校正・校閲した後の未完成原稿につき、被告により独占的に出版することを許諾する旨の契約(本件出版許諾契約1)を締結した。本件出版許諾契約1における印税等の経済的条件は、被告の通常の条件によるものとされた。
ウ Bが平成27年12月26日に死亡したことにより、妻である原告は、Bの未完成原稿に係る著作権及び本件出版許諾契約1上の地位を承継した。
 原告は、令和元年7月9日頃、自ら未完成原稿を修正するなどして最終稿を作成し、被告にこれを送付した。その後、被告は、原告の弟子であるC(以下「C」という。)との間で、出版のための校正作業等を行った。
 にもかかわらず、原告は、令和3年12月22日、本件書籍を被告から出版することを拒絶した。これにより、被告による本件書籍の出版は不可能となった。これは、本件出版許諾契約1に基づく原告の債務の不履行である。
(原告の主張)
 本件出版許諾契約1の締結は否認する。
 Bは、平成18年頃、原稿が9割程度完成したにもかかわらず被告代表者から出版契約についての話がないなどと言っていた。また、出版部数も定価も決まっていない状態で出版契約が成立することはあり得ない。
(2)本件出版許諾契約2の成否(争点2)
(被告の主張)
 原告は、Bの死後、Bの未完成原稿に係る著作権及び本件出版許諾契約1上の地位を承継し、被告は、自らこれを出版するための校正作業等に協力してきた。また、原告は、令和2年8月26日、被告から被告契約書案を受領し、出版許諾契約の内容について説明を受けた際、これに異議を述べず、その後、本件書籍の出版に向けて、被告に本文や見出し、カバー、帯、コラムや掲載写真等について、多数の修正作業等を行わせた。
 したがって、被告が当該修正作業等を終え、本件書籍の最終稿を原告に送付した令和2年10月26日までには、出版許諾契約(本件出版許諾契約2)が成立した。
 出版許諾の経済的条件その他の契約内容は、被告契約書案に基づき決定された。被告契約書案において、印税割合は、書籍の販売数が3000部に達するまでは本体価格の7%、3000部を超え5000部に達するまでは本体価格の8%、5000部を超え1万部に達するまでは本体価格の10%とされている。また、印税の支払時期については、被告と書店や取次業者との契約において6か月後に実売部数が計算されることを踏まえ、被告から原告への印税支払いは出版から8カ月後になるとされている。
 にもかかわらず、原告は、令和3年12月22日、本件書籍を被告から出版することを拒絶した。これにより、被告による本件書籍の出版は不可能となった。これは、本件出版許諾契約2に基づく原告の債務の不履行である。
(原告の主張)
 本件出版許諾契約2の締結は否認する。
 被告が被告契約書案を持参した際に原告が異議を述べなかったのは、原告には書籍を出版した経験がなく、内容を確認、検討するために即答を避けただけのことであり、その内容で了承してはいない。その後も、被告から出版契約の内容についての問合せはなく、契約書への署名押印も要請されなかった。また、被告契約書案の受領後に出版に向けた校正作業等が行われたのは、被告が契約締結よりも作業を先行させたというだけのことである。
(3)被告に生じた損害及びその額(争点3)
(被告の主張)
 原告の出版拒絶の債務不履行により被告に発生した損害の金額は、以下のとおり、合計142万1345円である。
 ・テープ起こし・原稿入力26万円
 ・原稿訂正制作14万円
 ・組版26万2900円
 ・校正13万7445円
 ・装幀12万1000円
 ・編集50万円
(原告の主張)
 争う。
(4)著作者人格権(公表権)侵害の有無(争点4)
(原告の主張)
 Bは本件書籍の原稿(未完成原稿)の著作者として著作者人格権を有していた。死亡した著作者の遺族は、故意又は過失による侵害に対して、固有の権利として損害賠償請求をすることができ(法116条1項、115条、60条)、損害賠償請求のできる遺族の第1順位は妻であるから(法116条2項)、原告は、Bの著作者人格権の侵害に対して損害賠償を請求する権利がある。
 また、著作者には、自己の未公表著作物につき、公表の可否や時期、方法等を決定する権利(公表権。法18条1項)があるところ、この権利は著作物の公表そのものに限らず、著作物の出版予告や広告等その前段階の行為にも及ぶ。
 被告による本件書籍の出版予告行為(本件予告)は、出版契約を結んでいない段階で、本件書籍に係る公表権を有するBの妻である原告に無断で本件書籍の刊行予定があること、本件書籍のタイトル、その内容のエッセンス等を公表したものであるから、Bの著作者人格権を侵害するものとして、不法行為(民法709条)が成立する。
 また、本件予告に記載された被告作成に係る紹介文は、本件書籍に書かれた著者の武士道に関する思想を簡単に紹介したものであるから、本件予告により、被告は著作物を無断で公表したと評価できる。
(被告の主張)
 著作者人格権(公表権)侵害の不法行為の成立は争う。
ア 被告は、本件出版許諾契約1又は同2が成立したことを前提に、出版が間近に迫ったことから本件予告を開始したのであり、このような出版予告は、出版社が通常行う事前の宣伝活動である。
イ 公表権とは、「その著作物でまだ公表されていないもの」を「公衆に提供し、又は提示する権利」をいう(法18条1項)。
 しかるに、出版予告は、書籍の刊行予定日やタイトル等を記載し、書籍の刊行予定を広く知らせることであって、「著作物」の「公衆への提供」や「提示」ではない。また、出版予告は、書籍の内容の紹介ではあるが、著作物の創作的表現の利用はない。
 したがって、被告による本件予告は、Bの著作者人格権(公表権)を侵害するものではない。
(5)自己決定権侵害の有無(争点5)
(原告の主張)
 出版契約もしていないのに、無断で著書の刊行予定、著書の内容のエッセンスをインターネットで拡散することは、本を出版しようとする者の自己決定権(出版の時期、出版社、形式、価格等に関する決定権)を侵害する不法行為である。被告は本件予告によりこれを侵害したものであり、原告の受けた精神的損害に対して慰謝料を支払うべき義務がある。
 Bは日本武道傳骨法會の創始師範であり、原告はその妻で日本武道傳骨法會の代表者である。したがって、本件書籍の出版はBの名前で出版したとしても、原告及び日本武道傳骨法會が出版に関わっていることは容易に理解し得ることである。しかるに、被告の上記行為により、SNS等で本件書籍の出版につき取り沙汰されたことで、原告は非常に不愉快な思いをしている。
(被告の主張)
 争う。
(6)原告に生じた損害及びその額(争点6)
(原告の主張)
 被告の本件予告により、原告や日本武道傳骨法會に対し、本件書籍に関する問合せがあり、SNS上でも出版の話が事実であるかのように情報が流れている。しかも、原告が削除要求した後もウェブサイト上に出版予告を掲載し続けるのは悪質である。
 原告は、出版契約を締結していない段階から、被告により出版があたかも既定事実であるかのような事実と異なる宣伝をされ続けたことによって、多大な精神的苦痛を被った。これを慰謝するには300万円が相当である。また、弁護士費用として30万円が相当である。
(被告の主張)
 争う。
第3 当裁判所の判断
1 前提事実、後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1)被告代表者は、平成14年頃、Bに対し、武士道に関する書籍の執筆を依頼し、Bは、これを受けてその原稿を執筆したが、Bから被告に提出された原稿は、書籍用の原稿としては不十分なものであった。そこで、被告は、下調べの上、質問等によりBから聴取した内容を録音し、これを外部業者に委託して反訳した上、字句の修正等を施し、Bがその内容を確認するなどして、平成18年頃、本件書籍の原稿(未完成原稿)は9割程度の完成度に至った。
 ただし、Bは、未完成原稿につき更に検討、加筆をしたいと考えていたが、体調不良等により直ちに執筆することができず、出版は一時保留の状態となった。
(以上につき、乙20、26、被告代表者)
(2)Bが平成27年12月26日に死亡したところ、被告は、Bの妻である原告からの求めに応じて、Bから預かっていた未完成原稿を原告に返還した(甲22、原告本人)。
(3)原告は、返還された未完成原稿を推敲し、体裁を整えるなどした上で、令和元年7月9日、被告に対し、完成版として本件書籍の原稿を電子メール(乙14)により送信した。
 被告は、同年12月18日頃、原告に対し、校正確認用の上記原稿を送付し、原告は、校正の確認をすると共にこれに更に手を加えて、令和2年3月、被告に原稿を書留で送付すると共に追加部分を電子メールにより送信した。
 原告と被告は、その後も、校正作業のほか、コラムの挿入とその配置、掲載写真、序文作成の依頼先等について協議を続けた。
(以上につき、上記のほか、甲18、22、乙15)
(4)原告は、令和2年8月3日、被告代表者と打合せを行った後、Cを介して、出版契約書の件について電子メールで問い合わせた。
 これに対し、被告代表者は、同月4日、「出版契約はいつも本の刊行時に結んでいますので、何となくそのままになっておりますが、いかが致しましょうか。当方はいつでも結構です。今度二校をご覧頂くときお持ちしましょうか。」と回答し、Cから、次回来館時にお願いしたい旨の返信があったことから、同月5日、「契約書は次回お持ちいたします。」と回答した。
 その間及びその後も、原告と被告は、校正作業のほか、特別付録の取扱いや掲載写真、「はじめに」及び「あとがき」、発行日、章タイトル等に関する協議を続けた。
(以上につき、甲18、22、乙1、2)
(5)被告代表者は、同月26日、原告に対し、被告契約書案を示しつつ、印税の割合や支払時期等について説明した。
 原告は、被告代表者による説明のとおり、被告契約書案の第5条(著作物使用料および支払方法等)の「支払方法・時期」の欄に、手書きで、「3000部7%」、「5000 8%」、「1万 10%」と記入すると共に、「8ヶ月後に支払い」、「6ヶ月(いたく)」と記入した。また、同条2項には、著作物使用料の支払対象数から除外すべき納本・贈呈・批評・宣伝・業務等に使用する部数として「100」と記入した。さらに、第7条(贈呈部数等)に、初版第1刷の際の贈呈部数を「5」部、増刷のつど「2」部と記入し、第15条(契約の有効期間と更新)に、契約の有効期間につき、初版発行後満「5」カ年間と記入した。
 原告は、被告代表者による被告契約書案の説明に対し、特段の異議を述べなかったが、これに署名押印しなかった。
 なお、被告契約書案は、「日本ユニ著作権センター」が提供する著作物利用許諾契約書の書式である。また、被告契約書案第2条(甲の責任)には、「甲は、本契約の締結日までに乙に引き渡した原稿が、本著作物の完全な原稿…であることを保証する。」とされている。
(以上につき、甲15、22、乙26、29、原告本人、被告代表者)
(6)被告は、本件書籍を宣伝すると共に販売数量を予測するため、令和2年8月頃から本件予告を開始することとし、所要の登録手続きを経るなどして、取次店、書店、一般読者等に対し、本件書籍の出版予定を告知した。
 すなわち、本件予告は、被告の自社ウェブサイト(甲13、14)のほか、いずれも書籍販売サイトであるHonyaClub(甲3)、TSUTAYA(甲4)、読書メーター(甲5)、Rakutenブックス(甲6)、HMV&BOOKS(甲7)、honto(甲8)、紀伊國屋書店(甲9)、auPAYマーケット(甲10)、ブクログ(甲11)、新刊.ネット(甲12)の各ウェブサイトに掲載された。
 本件予告には、本件書籍の書籍名、発売予定時期、著者名、著者紹介等が示されているほか、一部のサイトには、著者紹介のほか、内容の説明として、被告の作成した次の文章が掲載されていた(甲3、6、8、13、14。なお、サイトにより若干の表現の相違があるが、概ね同一内容である。以下は被告の自社ウェブサイトに掲載されたものによる。また、「/」は改行を示す。)。ただし、これは本件書籍の原稿記載の表現をそのまま掲載したものではない。
 「「武士道」という言葉が一般に膾炙されるようになったのは明治期以降である。/世界に武士道を知らしめたのは、新渡戸稲造の「BUSHIDO,THESOULOFJAPAN」だが、この「武士道」という言葉はそれまで日本で使われていなかったわけではない。/つわもの、もののふ、さぶらい、など武士を連想させる言葉はあったし、武士の生き方を表象した精神は存在したのであるが、「武士道」という言葉は明治時代の精神を表現したものであり、日本のナショナル・アイデンティティーとしての国民道徳を、武士道の名によって確立したものであった。(新渡戸は武士道の歴史は述べず、頭脳で武士道を作った。)/本書は新渡戸に代表される明治期武士道論の、「大和魂−国民道徳−民族精神高揚」ではない、本来の武士道の解釈を目指した。/武士道はいつ生まれ、どのようにその生き様が変化したかを解明する。/武士道とは、命と名を掛け、「人は一代、名は末代」の精神を表現するものとして、歴史的に究明した。」
(以上につき、上記のほか、被告代表者)
(7)原告と被告は、その後も本件書籍の出版に向けて、校正作業のほか、本文や見出し、カバー、帯、コラムや掲載写真、あとがき、著者略歴、奥付、タイトル、販売価格等について、協議や修正作業を行った。
 その中で、原告は、令和2年10月13日、2回にわたり、被告の自社ウェブサイトに掲載された本件予告の記載内容(著者紹介を含む。)について、誤り及び誤解を受ける文章があるとして訂正を求めた(上記サイトごとの表現の相違は、これを受けて行われた訂正に起因するものと見られる。)。
(以上につき、甲18、乙3)
(8)被告代表者は、同月26日、原告に対し、本件書籍の最終稿を送付した。
 これに対して原告が再度修正点を伝えたところ、被告代表者は、同日、その内容を了解した旨回答すると共に、本件書籍の印刷に取り掛かる旨を伝えた。
 しかし、原告は、同月27日、被告代表者に対し、更に修正すべき点を指摘すると共に、「印刷は、契約後にしてください。」と伝えた。
 被告代表者は、同月28日、「出版契約の内容はすでにお話し済みですので、いつでもいいですが、具体的にはいつお伺いしたらいいですか?」との電子メール(乙5)を送信した。
 これに対し、原告は、同日、被告代表者に対し、「当方の親しい出版社の方から「これなら双方のバランスが良いでしょう」とアドバイスを頂き、書類を作成しました。添付致しますのでご覧ください。」などと記載すると共に、原告契約書案(甲16)を添付した電子メール(乙6)を送信した。
 原告契約書案は、被告契約書案と同一の書式を用いつつ、第5条(著作物使用料および支払方法等)の部分には、印税率が税込定価の「8」%、印税支払いが発行月の「6カ月」後であることなどを記載したものを貼付し、また、同条3項には、著作物使用料の支払対象数から除外すべき部数として「200」と記入した。さらに、第7条(贈呈部数等)には、初版第1刷の際に「30」部、増刷のつど「2」部を贈呈すること、第15条(契約の有効期間と更新)には、契約の有効期間につき初版発行後満「3」カ年間とすることなどが、原告の手書きで記入されている。
(以上につき、上記のほか、甲18、乙4)
(9)被告代表者は、同月29日、原告に対し、「すでに条件は提示し、了解をえて進めてきました。…こう一方的に約束が変えられるようでは困ります。民事契約で口頭でも契約は成立しております。それをご了解の上で、これまで作業をお進めになったのではありませんか。…一方的に押し付けられては承服できかねます。」などと伝えると共に、問題解決のために話合いを求めた(甲18、乙7)。
 しかし、原告は、同日、被告代表者に対し、「条件についてですが、その時に了解した訳では有りません。ただ、聞いただけで、口頭での契約はしていません。…契約書の問題は相互の理解の下で運ぶものではないですか?一方的に押し付けているのは、Dさんです。」などと回答した。
 以後、原告と被告代表者との間で契約の成否について議論がされたものの、話合いを求める被告代表者に対し、原告契約書案の内容を承諾してもらえないのであれば会うことはできないとする原告との間で、議論は平行線をたどった。
(以上につき、甲18、乙7〜12)
(10)原告は、令和2年12月16日付け通告書(甲1。同月17日到達。甲2)により、被告に対し、本件予告の削除を要求した。
 被告代表者は、上記議論を経て、原告との間に本件書籍の出版条件につき不一致があることを認識していたが、これは原告が出版の実情に疎いためであり、話し合えば理解を得られるものと考え、本件予告を継続し、引き続き原告との協議を求めた(乙18、被告代表者)。
 しかし、原告が本件訴訟において本件書籍を被告から出版する意思はない旨を明らかにしたことから、被告は、同月23日、自社ウェブサイト上の「近刊案内」から本件書籍の記載を削除した(乙16)。
2 反訴請求について
(1)本件出版許諾契約1の成否(争点1)について
 被告は、平成18年頃、Bとの間で、本件書籍について、Bが被告による独占的な出版を許諾すること、印税等の経済的条件は被告の通常の条件によることなどを内容とする本件出版許諾契約1を締結した旨を主張する。
 前記認定のとおり、Bが、平成18年頃、被告の依頼により本件書籍の原稿作成に取り掛かり、被告と協力して9割方の原稿(未完成原稿)を作成するに至ったことに鑑みれば、少なくとも未完成原稿作成の時点で、Bと被告との間で本件書籍の出版に係る出版許諾契約の締結が予定されていたものと考えられる。
 しかし、被告は、本件訴訟において、出版許諾契約の重要な要素である印税の割合や支払時期といった経済的条件につき、被告の通常の条件による旨を主張するにとどまり、Bとの間で合意した具体的内容は特定されていない。
 この点を措くとしても、Bと被告との間で本件書籍の出版に係る出版許諾契約書その他の書面は何も作成されておらず、また、両者間で契約条件について行われた具体的な協議の内容を認めるに足りる証拠もない。かえって、被告代表者自身、尋問の際、Bとの間で出版許諾契約の締結やその際の経済的条件等について話をしたことは一度もない旨陳述している。
 したがって、Bと被告との間における本件出版許諾契約1が成立したことを認めることはできない。この点に関する被告の主張は採用できない。
(2)本件出版許諾契約2の成否(争点2)
 被告は、本件出版許諾契約1の締結が認められないとしても、令和2年10月26日までには、原告との間で、本件書籍の出版について、被告契約書案に記載されたとおりの内容の本件出版許諾契約2を締結した旨を主張する。
 前記認定のとおり、原告は、令和2年8月26日、被告代表者から被告契約書案を示されると共に印税の割合及び支払時期等契約内容についての説明を受け、その際その内容について特段の異議を述べず、その後原告契約書案を示すまでの間、被告との間で、校正その他本件書籍の出版に向けた様々な作業を積み重ねると共に、販売価格等についても自己の意見ないし希望を強く述べるなどしていた。このような事実経過に照らすと、少なくとも、原告と被告は、将来の本件書籍に係る出版許諾契約の締結を前提として、一定の信頼関係の下にこれに必要な作業を行っていたことがうかがわれると共に、被告にとっては、原告との間で、被告契約書案及びその際に行った説明内容による出版許諾契約がいずれ締結されることを期待し得る状況にあり、かつ、その期待は合理的なものであったと考えられる。
 もっとも、原告が被告から上記説明を受けた際に特段の異議を述べなかったことをもって直ちに、原告がその内容で出版許諾契約の締結を承諾したとはいえない。現に、原告は、その場では被告契約書案に署名押印しなかった。また、その後、本件書籍の最終稿とされる原稿が被告から原告に送付された令和2年10月26日までの2か月間、本件書籍の出版に向けた作業が継続していた点についても、契約内容の精査の必要性や本件書籍の原稿完成に向けた作業の必要性等に鑑みると、本件出版許諾契約2の締結を前提としなければ不合理であるとまではいえない。
 したがって、原告が、被告に対し、令和2年10月26日までに、被告契約書案及びその提示の際の説明内容による本件出版許諾契約2の締結を承諾する旨の意思表示をしたことは認められない。この点に関する被告の主張は採用できない。
(3)まとめ
 以上のとおり、原告又はBと被告との間で、本件出版許諾契約1又は2が成立したことは認められないから、その余の点につき論ずるまでもなく、被告は、原告に対し、各契約上の債務の不履行に基づく損害賠償請求権を有しない。被告の反訴請求には理由がない。
3 本訴請求について
(1)著作者人格権(公表権)侵害の有無(争点4)について
ア 公表権とは、未だ公表されていない著作物を公衆に提供し、又は提示することについての著作者の権利をいう(法18条1項)。「公衆に提供」するとは、著作物の性質に応じ公衆の要求を満たすことができる相当程度の部数の複製物が作成されて頒布されることをいい、公衆に「提示する」とは、上演、演奏、上映、公衆送信、口述、展示のように複製物の頒布以外の方法で公衆に示されることをいうものと解される(法4条1項、3条1項参照)。
イ 前記1(2)のとおり、本件書籍の未完成原稿は著作物として成立し、その著作者であるBがこれについて著作者人格権(公表権)を有していたと認められる。しかし、本件予告には、本件書籍の書籍名、発売予定時期、著者名、著者紹介等が示されているほか、被告の作成した本件書籍の内容を紹介する文章が掲載されているにとどまり(前記1(6))、本件書籍の原稿に記載された文章それ自体が記載されているわけではない。
 そうである以上、被告による本件予告は、Bの著作物である未完成原稿の内容を公衆に提供又は提示したものとはいえない。
 そもそも、原告は、被告の自社ウェブサイトに掲載された本件予告を閲覧した上で、その誤り等の訂正を申し入れたものである(前記1(7))。このことに鑑みると、被告による本件予告の掲載については、原告も承諾していたことがうかがわれる。
 以上より、被告は、本件予告によりBの著作者人格権(公表権)を侵害したとは認められない。
ウ これに対し、原告は、公表権は著作物の公表そのものに限らず、著作物の出版予告等その前段階の行為にも及ぶとすると共に、本件予告記載の紹介文が、本件書籍の原稿に記載されたBの武士道に関する思想を紹介したものであるから、本件予告は公表権侵害となるとも主張する。
 しかし、「公表」の意義は前記のとおりであり、著作物の出版予告等までこれに含まれるとは解されない。また、Bの思想それ自体はアイデアであって著作物とはいえず、これを紹介したからといって、Bの著作物を公表したことにはならない。
 したがって、本件予告の掲載をもってBの著作者人格権(公表権)の侵害とすることはできない。
 そうである以上、原告は、被告に対し、本件予告につき、Bの著作者人格権(公表権)侵害の不法行為に基づく損害賠償請求権を有しない。この点に関する原告の主張は採用できない。
(2)自己決定権侵害の有無(争点5)について
 原告は、被告による本件予告は、本を出版しようとする者の自己決定権を侵害する不法行為である旨を主張する。
 しかし、原告が主張する「本を出版しようとする者の自己決定権」なるものの性質、内容は必ずしも明らかとはいえず、また、これが自己決定権として法的に保護された利益といえるだけの内実を備えたものであることの主張立証もない。すなわち、少なくとも商業目的での出版においては、人件費のほか、デザイン費用、校正費用、印刷費用等出版に要する各種費用を負担する出版社の意思にかかわりなく、著作者ないし著作権者が出版の時期や価格等の決定権を有すると考えることに合理性は乏しい。現に、原告契約書案及び被告契約書案のもととなっている契約書の書式では、著作物の著作に要する費用は著作者の負担とし、製作・頒布・宣伝に要する費用は出版社の負担とされ(第6条(費用の分担))、また、出版社は、著作物の定価、発行部数、宣伝・販売の方法等を決定し得ることとされている(第3条(乙の責任))。
 しかも、これらの条項は、被告契約書案はもとより、原告自身が親しい出版社の人物からのアドバイスで作成したとする原告契約書案においても維持されている。これらの事情を踏まえると、原告が被侵害利益とする「本を出版しようとする者の自己決定権」なるものは、少なくとも法的保護の対象とし得る程度の具体性を備えていないというべきである。
 そもそも、前記(1)イのとおり、被告による本件予告の掲載については、原告も承諾していたことがうかがわれる。その後、原告が被告に対し本件予告の撤回を求めたとはいえ、被告は原告に対し出版許諾契約の締結に向けた協議を要請し続け、本件訴訟において原告が被告と契約締結の意思がないことを明確に示したことを受けて直ちに本件予告を削除したことに鑑みると、この間本件予告の掲載を継続したことにつき、不法行為を成立させる違法な行為と見ることはできない。
 したがって、本件予告の掲載をもって原告の自己決定権を侵害するものとはいえず、原告は、被告に対し、自己決定権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求権を有しない。この点に関する原告の主張は採用できない。
(3)まとめ
 以上のとおり、被告による本件予告の掲載をもって、Bの著作者人格権(公表権)又は原告の自己決定権を侵害するものとは認められないから、その余の点につき論ずるまでもなく、原告は、被告に対し、これらの権利侵害による不法行為に基づく損害賠償請求権を有しない。原告の本訴請求には理由がない。
第4 結論
 よって、原告の本訴請求及び被告の反訴請求は、いずれも理由がないから、これらをそれぞれ棄却することとして、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第47部
 裁判長裁判官 杉浦正樹
 裁判官 小口五大
 裁判官 稲垣雄大は、転補のため、署名押印することができない。
裁判長裁判官 杉浦正樹
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