判例全文 line
line
【事件名】営業秘密の不正所得事件(情報処理サービス)(2)
【年月日】令和5年2月21日
 令和4年(ネ)第10088号 損害賠償請求控訴事件
 (原審・東京地裁令和3年(ワ)第9317号)
 (口頭弁論終結日 令和4年11月30日)

判決
控訴人 グローシップ・パートナーズ株式会社
同訴訟代理人弁護士 林康司
被控訴人 ZEIN株式会社(以下「被控訴人会社」という。)
被控訴人 Y(以下「被控訴人Y」という。)
上記両名訴訟代理人弁護士 大野志保
同 松井裕介
同 谷口行海


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
 用語の略称及び略称の意味は、本判決で付するもののほかは、原判決に従い、原判決に「原告」とあるのを「控訴人」と、「被告会社」「被告Y」「被告ら」とあるのを「被控訴人会社」「被控訴人Y」「被控訴人ら」と適宜読み替える。また、原判決の引用部分の「別紙」を全て「原判決別紙」と改める。
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して1億円及びこれに対する平成30年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第1、2審を通じて被控訴人らの負担とする。
4 仮執行宣言
第2 事案の概要
1 事案の要旨
 本件は、控訴人の従業員であったA(以下「A」という。)が控訴人在職中に原判決別紙本件データ目録記載のスライドを作成し、Aが被控訴人会社への転籍後に上記スライドの2〜8枚目の部分のデータ(以下当該部分に係るデータを「本件データ」という。)を流用して、原判決別紙被控訴人ら作成データ目録記載のスライドを作成(同スライドの7〜13枚目が本件データを流用して作成した部分であり、当該部分に係るデータを「被控訴人ら作成データ」という。)し、被控訴人代表者である被控訴人Yに電子メールで送付したことに関し、控訴人が、被控訴人らに対し、@被控訴人会社従業員であるAをして控訴人の著作物である本件データを流用して被控訴人ら作成データを作成させたことにより、控訴人の著作権(複製権又は翻案権)を侵害し、AAをして控訴人の営業秘密を含む本件データを不正の手段により取得して持ち出させ、B被控訴人Yが、控訴人の従業員を被控訴人会社に移籍するよう勧誘し、又はAを通じて控訴人の顧客に対して被控訴人会社への取引の切換えを勧奨したこと等が、被控訴人らの不法行為又は債務不履行に当たると主張して、被控訴人らに対し、連帯して、損害の一部である1億円及びこれに対する不法行為の後の日等である平成30年4月1日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
 原判決は、本件データは営業秘密に該当せず、また、著作物性を欠くものであり、本件合意書に係る合意の当事者は控訴人代表者であるB(以下「B」という。)と被控訴人Yであって、控訴人と被控訴人Yとの間で本件合意書が締結されたものとは認められないなどと判断して、控訴人の請求を全部棄却したことから、控訴人が、これを不服として控訴した。
2 前提事実(当事者間に争いがない事実並びに証拠(以下、書証番号は特記しない限り枝番を含む。)及び弁論の全趣旨から認められる事実。以下「前提事実」という。)並びに争点及び争点に関する当事者の主張は、次のとおり改め、後記3のとおり当審における当事者の補充主張等を加えるほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第2事案の概要」の3及び4並びに「第3争点に関する当事者の主張」に記載するとおりであるから、これを引用する。
(1)原判決3頁3行目の「B(以下「原告B」という。)」を「B」と、同頁8行目、10行目及び14行目並びに4頁10行目及び19行目の「原告B」を「B」とそれぞれ改める。
(2)原判決3頁7行目の「乙6の1・2」を「乙4、乙6の1〜5」と改める。
(3)原判決4頁13行目の「甲2の1」を「甲2の1・2」と、同頁16行目の「また、から同頁18行目末尾までを「また、控訴人の取締役であったC(以下「C」という。)は同年10月31日に、同じくD(以下「D」という。)は同年11月15日にそれぞれ控訴人の取締役を辞任し、いずれも、同日、被控訴人会社の取締役に就任した。」と、同頁20行目の「(2)イ以降」を「平成29年10月31日以降」とそれぞれ改める。
(4)原判決5頁2行目の「Aは、」の次に「控訴人から貸与されていたPCを用いて被控訴人ら作成データを作成し、」を、同行目「Yに対し、」の次に「同PCから」をそれぞれ挿入する。
(5)原判決5頁7行目の「不法行為に基づく」の前に「本件の」を、同行目の援用する」の次に「旨の」をそれぞれ挿入し、同頁8行目の末尾に改行して「ウBが、現在、控訴人代表者の地位を有していることについて、当事者間に争いがない。」を加える。
(6)原判決5頁17行目の「本件合意書の当事者」を「本件合意書に係る合意の当事者」と、同頁20行目の「本件合意書違反の有無」を「本件合意書に係る契約違反の有無」とそれぞれ改める。
(7)原判決6頁25〜26行目の「原告B」を「B」と、8頁2行目の「初期的な」を「初歩的な」とそれぞれ改め、同頁26行目の「本件データにつき」の次に「、同規程所定の秘密情報について指定するものとされている」を挿入し、9頁1行目の「の周知がなかったなど」を「はなく」と改める。
(8)原判決56頁19行目の「色分け・優先度の記載・」を削り、11頁15行目の「本件データについての」を「著作物の」と改める。
(9)原判決11頁26行目の「本件合意書違反の効力の帰属」を「本件合意書の効力の帰属」と改め、12頁3行目、6行目、7行目、8行目、12行目、14行目、15行目、16行目、19行目、21行目、24行目及び25行目並びに13頁1行目(2か所)、5行目及び6行目の各「原告B」を「B」とそれぞれ改め、12頁1行目の「本件合意書の当事者」を「本件合意書に係る合意の当事者」と改め、同頁3行目の冒頭に「本件合意書は、控訴人と被控訴人Yとの間で締結されたものである。」を挿入する。
(10)原判決13頁17行目の「本件合意書違反の有無」を「本件合意書に係る契約違反の有無」と改め、同頁20〜21行目の「当該情報は、営業秘密又はこれに準ずる情報であるから、」を削り、同頁25行目の「するものはない。また、これらが」を「するものはなく、被控訴人Yが、本件合意書5項所定の控訴人の「営業上・経営上の資産、情報」に該当するものを持ち出した事実はない。また、上記情報(甲5の1〜6)が」と改める。
(11)原判決14頁6行目及び19行目並びに15頁6〜7行目、同行目及び19行目の各「原告B」を「B」と、14頁26行目の「継続かつ繰り返し」を「継続的に」とそれぞれ改める。
(12)原判決16頁15行目、59頁23行目及び61頁3行目の各「原告B」を「B」と、58頁25行目の「原告の従業員に対して、シャディ社への」を「シャディ社に対し、」とそれぞれ改め、同頁26行目の「及びD」を削り、60頁5行目の「被告会社での」を「被控訴人会社との」と、同頁6行目の「秘密保持契約の依頼」を「秘密保持契約締結の依頼」とそれぞれ改める。
(13)原判決16頁23行目の「前記4−1(原告の主張)欄記載のとおり、」を「被控訴人Yによる」と、17頁1行目の「前記4−1」を「前記4(1)」と、同頁7行目及び11行目の各「前記4−2」を「前記4(2)」と、同頁16行目及び20行目の各「前記4−3」を「前記4(3)」とそれぞれ改め、同頁7行目の「(原告の主張)」の次に「欄」を挿入する。
(14)原判決18頁4行目の「被告らの主張」を「被控訴人会社の主張」と改める。
(15)原判決19頁6行目冒頭から9行目末尾までを次のとおり改める。「控訴人は、遅くとも平成30年2月23日には、本件に係る損害及び加害者を知っていたものであるが、本件訴訟を提起した令和3年4月9日の時点において3年が経過していた。そこで、被控訴人らは、本件の不法行為に基づく損害賠償請求権について消滅時効を援用する旨の意思表示をした。そのため、仮に、控訴人の主張する不法行為に基づく損害賠償請求権が発生していたとしても、時効により消滅した。」
(16)原判決19頁10行目の「令和2年10月23日」を「令和2年10月23日付け書面をもって」と改め、同頁15行目の冒頭に「本件の」を挿入する。
3 当審における当事者の補充主張等
(1)控訴人の主張
ア 争点1−1(「営業秘密」該当性)について
(ア)本件データは、控訴人において厳格に秘密管理されていたものであって控訴人の役職員はその旨認識していたし、その内容は公知の情報の寄せ集めではなく、営業秘密に該当する。
(イ)原判決は、本件データについて、平成29年当時の公知の方法を寄せ集めたもので、初歩的な情報にすぎないと認定したが、この認定は専らAが作成した陳述書(乙18。以下「A陳述書」という。)に依拠したものであるところ、Aはそもそも本件データの持ち出しを理由として控訴人を懲戒解雇された者であって、その陳述を信用することはおよそできない。また、原判決は平成29年当時の技術水準を検討することもなく、上記のとおり認定しており、正当ではない。
(ウ)原判決は、本件データについて秘密管理性がないと認定したが、これも専らA陳述書に依拠した認定であり、フォルダ構成図(甲16)、情報管理規程(甲17)、入社誓約書(甲18)といった客観的証拠を軽視した不当なものであり、次のとおり事実誤認がある。
a 原判決は、控訴人におけるシェアポイントによるデータ管理について、フォルダごとにパスワードが設定されていなかったとか、パスワードが文字数を8文字以上とする一般的なものであったと認定したが、シェアポイントはそもそも各フォルダへのアクセス権限を厳密に管理するものであり、また、パスワードは大文字・小文字・記号・数字から3種類以上で8〜16文字とするものであり、シェアポイントによるデータ管理により高度なセキュリティが実現されており、秘密管理性は十分担保されていた。
b 原判決は、控訴人の役職員の全員が本件データを閲覧でき、「07.Team」フォルダに保存された資料に関するルールは格別存在しなかったと認定したが、その根拠となったA陳述書の記載は、IT担当(情報管理担当)であったAが、データ管理に関し広範な権限を有する自身の立場を利用して、情報の管理やそのルールを無効化したということを意味しているにすぎず、これをもって本件データの秘密管理性を喪失するものではない。
c 原判決は、本件データには、「機密情報」、「confidential」という記載がないため、客観的にみて、本件データにアクセスした者において当該情報が秘密情報であることを認識できなかったことが認められるとしたが、これは、本件データの作成者であるAが(おそらく故意に)機密情報といった表示をしなかったというにすぎず、少なくとも控訴人の役職員であれば、当該情報が秘密情報に該当すると認識した。
d フォルダ構成図(甲16)について、原判決は、Aが本件データを被控訴人Yに送信した平成30年1月22日よりも後の同年2月27日に作成されたものである旨認定したが、同日は、控訴人が警察に被害相談をした際に、甲16に説明文を加えたことによる最終更新日であって、ファイルの作成日ではない。当該説明部分を除いた甲16は本件データが格納された当時から存在していた。
イ 争点3−1(本件合意書に係る合意の当事者)について
(ア)本件合意書は、1〜4項についてはBと被控訴人Yとの間で合意されたもの、5項及び6項については控訴人と被控訴人Yとの間で合意されたものである。ところが、原判決は、本件合意書の全体について、Bと被控訴人Yとの間で合意されたものと認定しており、誤りがある。
(イ)たしかに、本件合意書の本文の上部にある背景説明や4項(株式の処理)では、甲と乙は明らかにBと被控訴人Yの各個人をそれぞれ指す用語として使用されている。ところが、5項(資産情報の持ち出し禁止)と6項(従業員の新会社への移籍の勧誘、顧客への取引切換えの勧奨の禁止)には、そもそも「甲」という用語は存在せず、5項の「GSPの資産・・・」、6項の「従業員の・・・」及び「顧客への・・・」が、B個人ではなく、控訴人の資産、従業員、顧客を指していることは明白である。
 そうすると、本件合意書の当事者は、1項〜4項についてはBを当事者(効果帰属主体)として考えているものの、5項及び6項については控訴人を当事者(効果帰属主体)として考えているものと理解すべきである。なお、本件合意書冒頭の控訴人側当事者の表記は、肩書表記、顕名表示のいずれとも取り得る形式で記載されているから、当事者は、肩書表記でもあり顕名表示でもあると認識していたと解するのが最も自然である。
ウ 争点4(本件合意書に係る契約違反の有無)について
(ア)争点4−1(本件合意書5項違反の有無)について
a 本件合意書5項の「情報」は、同項の字句のとおり、ソフトウェアや顧客リストを含む、営業上・経営上の情報を広く指すと解するほかない。同項には、秘密管理性、有用性、非公知性といった言葉はもちろん、営業秘密という言葉すらないから、同項の「情報」について「営業秘密又はこれに準ずる情報」を指すなどと限定解釈する理由がない。そうすると、被控訴人Yの行為が本件合意書5項に違反することは明らかである。
b 原判決は、同項の「情報」について「営業秘密又はこれに準ずる情報」を意味するものと限定的に解釈したが、これを裏付ける証拠のうち、「営業秘密又はこれに準ずる情報」という具体的な表現が出てくるのは、原審における控訴人代表者Bに対する裁判長からの誘導的かつ抽象的な補充尋問のみであることからして、上記限定解釈は根拠を欠く。
(イ)争点4−2(本件合意書6項前段違反の有無)について
a 被控訴人Yは、事実に反する説明を執拗に行うことで、控訴人従業員に対し、控訴人に残留することについての不安を強くあおり、かかる不安に駆られた従業員に退職意思を表明させたのであり、被控訴人Yによる控訴人従業員に対する移籍の勧誘行為は、その規模、態様、結果などからみて極めて悪質かつ重大というほかなく、本件合意書6項前段に違反するのみならず、社会通念上、自由競争の範囲を大きく逸脱した背信的な引き抜き行為に該当する。
b 原判決は、本件合意書6条前段違反を否定したが、その根拠となる事実について、被控訴人らが提出した被控訴人Y、D、Cの各陳述書に基づいて、次のとおり、誤った認定をしている。
(a)控訴人は、Bが、古くからの友人・取引先であるE(以下「E」という。)が有する休眠状態の会社(当時の商号「株式会社リンクラフト」)の譲渡を受け、登記手続、事務所の賃借、什器備品等の購入費用を負担し、自らが中心となって立ち上げた会社である。ところが、原判決は、被控訴人Yが立ち上げた会社などと認定した。
(b)上記に関連し、原審はEの陳述書(甲35)の取調べを行わなかったが、著しく不当であり、裁判所の合理的裁量の範囲を逸脱するものである。
(c)Bは、平成29年8月31日付けで控訴人の代表取締役に就任したが、これについて原判決は、株主総会決議がなく、Bに代表権がない旨判示した。
 しかしながら、Bの代表権の存否は、本訴に至るまで問題とされておらず、それまで、被控訴人らは、Bが控訴人代表者であることを前提として行動していたし、控訴人は、Bの代表権の存否が争点であるとは認識していなかった。原判決は不意打ち的に上記判断を示したものである。
 本件では、Bの代表取締役への選任は、臨時株主総会招集通知、臨時株主総会議事録、取締役決定書が作成され、定款を変更して代表取締役会長という役職を創設し、Bが代表取締役会長に就任する一方で、被控訴人Yに代表取締役社長という地位を与える形で行われており(甲13の1〜3)、被控訴人Yを排斥するようなことはしていない。さらに、株主全員が、Bが控訴人の代表取締役に就任することを認識しており、誰からも異論が出されていなかった。そうすると、上記Bについての代表取締役選任決議が有効であることは明らかである。
(d)原判決は、Bが、代表権がないにもかかわらず控訴人の業務に不当に介入したなどと繰り返し判示しているが、前記(c)のとおりその前提に誤りがある。
(e)原判決は、被控訴人Yが、Bに対し、「控訴人の代表者を名乗らないよう求めたものの、Bはこれに応じなかった」と認定したが、乙4(被控訴人Y作成のメモ)等の被控訴人ら提出の証拠等を見ても、上記事実はない。
(f)原判決は、控訴人従業員の大多数が被控訴人Yを追って控訴人に入社したと認定したが、被控訴人会社に移籍した者が被控訴人らに迎合的な陳述をすることは当然であり、信用性が高いとはいえない。仮にこのような素地があったというならば、それは、被控訴人Yから従業員に対する移籍の勧誘が容易かつ安易に行われたことを推認させる事情といえる。
(g)多数の勧誘メール(甲24の1〜11)及び勧誘にもかかわらず控訴人に残留した従業員らの陳述書(甲32〜34)により、被控訴人Yが、控訴人従業員に対して、組織的に被控訴人会社への移籍を勧誘していたことは明らかである。これでも勧誘は認められないというならば、従業員への移籍の勧誘を民事訴訟において立証することなど、およそ不可能である。
 被控訴人Yは、同人が退職する平成29年10月31日までに従業員らに退職意思を表明させることを目標としていた。このことは、甲24の9の電子メールで退職意思を示した控訴人従業員のリストを刻一刻とアップデイトしながら、意思を表明していない者を特定していることに示されている。つまり、被控訴人Yは、同日に向けて、誰が退職意思を示していないかを逐一確認し、その説得を継続的に行っていたのである。
(ウ)争点4−3(本件合意書6項後段違反の有無)について
a 本件合意書6項後段に特段の限定がないことから、同項後段の「顧客」には控訴人の営業先や潜在的な顧客も含まれると解すべきである。そうすると、被控訴人らによる本件合意書6項後段違反があったことは明らかである。
b 原判決は、経験則や一般社会通念に基づく判断をするのではなく、Bが中心となって控訴人が立ち上げられたこと、Bが控訴人の代表者であったこと、Bによる経営への不当な介入など存しないことといった、客観的な証拠や事実から明らかである諸事実を殊更に否定し、これらについて事実に反する認定を行った上で、それをあたかも重大な前提事実であるかのように位置付けて、本件合意書の違反がないという結論を導いており、前提とする事実に誤認があり、また、結論に誤りがある。
(2)被控訴人らの主張
ア 争点1−1(「営業秘密」該当性)について
(ア)本件データについて、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めたものにすぎず、AIに関する初歩的な情報にすぎないものであり、そもそも秘密情報として管理されるべきものではなく、また、秘密として管理されていた情報とはいえないことから、営業秘密に該当しないとした原判決の認定は相当である。
(イ)控訴人の主張に対する反論は次のとおりである。
a 控訴人は、Aが控訴人を懲戒解雇された者であることからA陳述書は信用できないなどと主張するが、Aは平成29年12月末に自主的に退職したものであり、控訴人が懲戒解雇することはできない。Aは、退職後においても、Bの執拗な引き留め行為により労働の提供を事実上強制されており、その期間の労働の対価について関心を有していたことから、平成30年1月に控訴人に問合せをしたことがあったが(甲21)、そのこととAが平成29年12月末に退職していたことは矛盾するものではない。したがって、控訴人の指摘する事項はA陳述書の信用性を否定しない。
b 控訴人はシェアポイントにより秘密管理性が認められる旨主張するが、控訴人において、シェアポイントのID及びパスワードは、控訴人以外の第三者に対する情報流出を防止するためのものにすぎず、控訴人の従業員らにおいて、本件データにつき、控訴人に秘密管理意思があると認識することはできなかった。
c 控訴人は本件データに係る情報の非公知性や有用性を何ら具体的に主張せず、自身の主張に沿う証拠も一切提出しない。
d フォルダ構成図(甲16)に関し、仮に控訴人の主張するとおり、平成30年1月22日時点においてA陳述書とは異なるフォルダ管理が行われていたのであれば、控訴人は、その異なるフォルダ管理が行われていたことを証する証拠を提出するはずであるが、控訴審においても提出しない。このことは、同日時点の控訴人におけるフォルダ管理がA陳述書記載のとおりであることを裏付けるものといえる。
イ 争点3−1(本件合意書に係る合意の当事者)について
 本件合意書は、Bと被控訴人Yとの間で締結されたものである。控訴人は、本件合意書の5項及び6項に限り、控訴人と被控訴人Yとの間の合意である旨主張するが、本件合意書という一つの合意書面につき、5項及び6項に限り、甲(B)ではなくGSP(控訴人)を当事者(効果帰属主体)とする顕名(意思表示の効果帰属先が表意者以外のものであることを明らかにすること)が行われていたという控訴人の主張は、甚だ不合理であって、法律実務上受け入れられる解釈ではない。他方で、控訴人の30%株主であるBが本件合意書5項及び6項のような合意を個人として締結することも何ら不自然ではない。
 原判決が認定するとおり、Bは、個人として本件合意書を締結したものである。
ウ 争点4(本件合意書に係る契約違反の有無)について
(ア)争点4−1(本件合意書5項違反の有無)について
 控訴人が本件合意書5項違反を主張する情報(甲5の1〜6のメール)は、営業秘密又はこれに準ずるものに該当せず、これらメールのやり取りにより、控訴人に損害が生じていない。
 控訴人は、本件合意書5項における「情報」の解釈について、原判決は原審裁判長の誘導的な質問に対するBの回答をもって限定的に解釈したが不当であるなどと主張するが、原審の控訴人代表者尋問におけるやりとりをみると、Bが、5項の「情報」について「経営上有益なもの」を持ち出さないという趣旨である旨述べたことを踏まえて、原審裁判長が、「要するに営業秘密又はそれに準ずるような情報という趣旨」かを確認したところ、Bが「おっしゃるとおり」と回答したのであるから、B自身が「経営上有益なもの」に限定する意思を有していたのであり、原審裁判長による誘導などされていない。
(イ)争点4−2(本件合意書6項前段違反の有無)について控訴人が指摘する証拠(甲24のメール)は、原判決も認定するとおり、被控訴人Yの控訴人従業員に対する被控訴人会社への移籍の勧誘に当たらない。
 被控訴人らは、控訴人に残留した従業員らの陳述書(甲32〜34)から、被控訴人Yが、控訴人従業員に対して、組織的に被控訴人会社への移籍を勧誘していたことは明らかであると主張するが、上記各陳述書は、勤務先に関する重大な判断事項である退職意思について、被控訴人Yからの指示に従って、Bに対して「ひとまず」又は「とりあえず」退職意思を通知したなどとするものであって、争点に関する核心部分において著しく不合理・不自然であり、信用できない上、その内容をみても、被控訴人Yによる移籍勧誘が行われた事実を示すものではない。被控訴人Yは、Bから言いがかりをつけられることを防ぐべく、慎重に対応しており、控訴人従業員らに対し、全クライアントを新会社に移動させる案などを提示したことはない。また、控訴人従業員の大多数が被控訴人Yを追って控訴人に入社したという事実は、勧誘行為の不存在にとって最も重要な事実である。
(ウ)争点4−3(本件合意書6項後段違反の有無)について
 被控訴人らが、控訴人の顧客に対する取引切換えを勧奨した事実はなく、原判決の認定は相当である。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も控訴人の請求にはいずれも理由がないものと判断する。理由は、次のとおり補正し、後記2に当審における当事者の補充主張等に対する判断を付加するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第4当裁判所の判断」に記載するとおりであるから、これを引用する。
(1)原判決19頁24行目並びに20頁1行目、5行目、8行目、11行目、14行目及び17行目の各「原告B」を「B」と、20頁7行目の「Cも」を「アロウズの外注先であったCも、その後」と、同頁24行目の「被告Yは」から21頁3行目の「立ち上げた。」までを「平成28年7月1日、休眠会社であった控訴人の代表取締役にDが就任し、控訴人としての事業を開始した。」と、同頁9行目の「入社した者である」を「入社した者であった」とそれぞれ改め、同頁13行目冒頭から同頁16行目末尾までを削る。
(2)原判決21頁17行目の「甲3」を「甲1、3」と改め、同行目の「5、」の次に「21、」を加え、同頁19行目冒頭から22頁12行目までを次のとおり改める。「ア 平成29年9月19日、同年8月31日付けでBが控訴人代表取締役に就任した旨の登記がされた。
イ Bは、同年9月頃から、控訴人の従業員らに対し、指揮系統とは無関係に、直接的な指揮監督を行うようになった。被控訴人Yは、Bによる現場への介入のために業務遂行に混乱が生じていたことや、Bが、控訴人従業員に、自らが取締役を務めるエレベート株式会社の管理業務等を行わせるといった不適切な指示をしていたことについて強い危機感を抱き、また、Bが、控訴人の役員及び従業員らに対する直接的な指示をすることにより従業員らの自主性が損なわれるといった問題があると考えた。そこで、被控訴人Yは、同年10月3日、Bに対し、控訴人の現場への過度な介入を控えるよう依頼をした(乙4)。」
(3)原判決22頁の13行目冒頭から同頁15行目末尾までを次のとおり改める。
「ウ Bは、自らが控訴人を退職する場合の条件を記載した合意書案(乙5)を作成し、同月16日、被控訴人Yに対し、これを示したが、被控訴人Yが同意しなかったことから、合意には至らなかった。同合意書案の内容は下記のとおりである。」
(4)原判決23頁22〜23行目の「原告Bの不当な」を「Bの」と、同頁24行目、25頁6行目並びに26頁本文2行目及び同7行目の各「原告B」を「B」と、24頁26行目の「18」を「乙18」とそれぞれ改め、25頁3行目の「ある者は、」の次に「その後、」を挿入し、26頁本文5行目の「以下「Fという。」」を「以下「F」という。」と改める。
(5)原判決68頁21行目の「G」を「G(ママ)」と改める。
(6)原判決26頁下から1行目の「行っており、」を「行っていた。」と改め、同行目の「原告の役職員は」から27頁6行目末尾までを削る。
(7)原判決27頁25行目の「に係る」を「に関し、」と改める。
(8)原判決30頁の17行目の「本件データの」から同頁21行目の「られる。」までを「本件データは、AIについての特段の知識を有していなかったAが、インターネット上に公開されている記事又は情報を確認しながら、平成29年前後の公知の情報を寄せ集めて作成したものであって、その内容はAIに関する公知かつ初歩的な情報であるから、不正競争防止法2条6項の「公然と知られていないもの」に当たらない。」と改め、その末尾で改行する。
(9)原判決31頁13行目の「上記フォルダ」から同頁17行目の「とはいえない。」までを削る。
(10)原判決32頁20行目の「によれば、本件データ」を削り、33頁9行目の「本件データの複製又は翻案」を「著作物の複製又は翻案」と改める。
(11)原判決33頁15行目及び22行目の各「本件合意書の当事者」を「本件合意書に係る合意の当事者」と、同頁16行目、17行目、19〜20行目、21行目及び22行目並びに34頁8行目、9行目、11行目、23行目及び24行目の各「原告B」を「B」と、33頁24行目の「(背景欄)」を「(背景)欄」とそれぞれ改め、34頁17行目冒頭から同頁20行目末尾までを削る。
(12)原判決35頁15行目冒頭から44頁8行目末尾までを次のとおり改める。「以上によれば、控訴人は本件合意書に係る合意の当事者ではなく、また、本件合意書に関し何らの地位を有するものではないから、その余の点につき検討するまでもなく、控訴人の被控訴人Yに対する本件合意書に係る契約違反の債務不履行に基づく損害賠償請求は、理由がない。
5 争点5(背任行為の有無)について
 前記4のとおり、控訴人は本件合意書に係る合意の当事者ではないから、被控訴人らに対し、本件合意書に係る契約違反の債務不履行に基づく損害賠償請求をすることはできない。
 もっとも、被控訴人らの行為が自由競争を逸脱するような不当な行為に当たるのであれば、被控訴人Yの行為が控訴人との関係において背任に当たる可能性があり、また、被控訴人らの行為が控訴人に対する不法行為に当たる可能性があるので、以下検討する。
(1)本件データの持ち出しについて
 前記のとおり、本件データは著作物性を有しないものであり、また、営業秘密に当たるものでもないから、被控訴人Yが、控訴人を退職した後に、本件データと実質的に同一な部分を含む被控訴人ら作成データが添付された電子メールを受領し、被控訴人らが被控訴人ら作成データを利用したとしても、それは、著作権法違反又は不正競争防止法違反に当たる行為とはいえない。そして、被控訴人ら作成データが、被控訴人らのために、控訴人の許諾もなく控訴人所有のPCにおいて作成され、被控訴人Yに送付されたこと自体は不適切といえる可能性があるとしても、被控訴人ら作成データの送付により本件データが持ち出されたことによって、控訴人に何らかの損害が生じたものと認めるに足りる証拠がない。そうすると、その余の点につき検討するまでもなく、本件データの持ち出しに関し、被控訴人らが不法行為責任を負うものと認めることはできない。
(2)従業員の勧誘について
ア 前記認定事実によれば、@平成28年7月の控訴人の立ち上げ時、従業員となった者の大多数は、被控訴人YがEYA社に在籍中の直接の部下として、被控訴人Yと親交のあった者であって、被控訴人YのEYA社からの独立を契機として、被控訴人Yを追って控訴人に入社した者であったこと、ABは、平成29年9月以降、控訴人の従業員らに対し、指揮系統とは無関係に、直接的な指揮監督を行うようになり業務遂行に混乱が生じていたこと、B被控訴人Yは、このような状況に危機感を覚え、Bに対し、控訴人の現場への介入を控えるように依頼をし、その後、Bは自らが控訴人を退職する場合の条件を記載した合意書案を作成したが、その内容は被控訴人Yが受け入れられるものではなく、合意に至らなかったこと、C被控訴人Yは、控訴人において業務を継続することを断念し、控訴人を退職して、被控訴人会社を設立することとしたこと、D被控訴人Yを追って控訴人に入社した者らは、被控訴人Yが被控訴人会社を設立するに当たり、再び被控訴人Yを追って被控訴人会社に移籍したこと、以上の事実が認められる。
 そして、被控訴人会社に移籍した控訴人の従業員の全員(従業員名省略)が報告書(乙18、乙25の1〜17)を作成し、同各報告書において、被控訴人Yを信頼し、自らの意思で被控訴人会社に入社したこと、被控訴人Yからは、当該従業員の意思を尊重し、勧誘など一切されていない旨述べている。上記各報告書は、長さ及び文体がそれぞれ異なるものであり、その内容をみると、新会社設立に賛同した(乙25の1)、Bと被控訴人Yのいずれからも勧誘を受けていない(乙25の3、10)、今までのクライアントに迷惑をかけることはないかといった点を悩んだ(乙25の3)、控訴人に対する悪い印象はなかった(乙25の6)、自分がやりたいやり方で仕事ができることが被控訴人会社入社の理由(乙25の10)、Bから慰留があった(乙25の11)などがそれぞれに記載されており、Bや被控訴人Yに対する意見もそれぞれであって、不自然、不合理なところはなく、各報告書の陳述者が移籍時の状況の説明や移籍に係る意見を素直に述べたものとして信用性が高いといえる。
 前記認定事実及び上記各報告書によれば、被控訴人会社に移籍した控訴人の従業員の大多数は、そもそも被控訴人Yと親交があり、被控訴人Yを追って控訴人に入社した者であり、Bに対する不満を抱くなどしたこともあって、従前から信頼していた被控訴人Yを追って、又は自らの今後の仕事の内容等に照らして、自らの判断で被控訴人会社に移籍したものと推認するのが相当である。
 証拠(乙25の1〜17の各報告書及び甲24の2・7ないし9の被控訴人Yが送信した電子メール。原判決別紙送信メールの記載参照)によると、被控訴人Yが、Bを除く控訴人の経営会議の構成員らに対し、被控訴人Yが新会社(被控訴人会社)を立ち上げることや、控訴人に残るか又は新会社に移籍するという選択肢があることを説明したことは認められるものの、本件合意書の2項及び3項に照らすと、被控訴人Yが控訴人の従業員らに対して、これらの説明をすることは、本件合意書においても当然に想定されていたものと認められるところであって、上記説明をしたことをもって、自由競争を逸脱する態様で勧誘が行われたと認めることはできず、その他、本件全証拠によっても、被控訴人らに控訴人会社の従業員らの勧誘に係る不法行為があったと認めることはできない。
イ これに対し、控訴人は、被控訴人YがBを除く経営会議の構成員らに送信した電子メール(甲24の2・7、甲24の8の1頁目下段以降、甲24の9の冒頭)をみれば、控訴人の従業員に対する被控訴人会社への移籍の勧誘が組織的にされたことは明白である旨主張する。
 そこで検討すると、前記認定事実(5)のとおり、被控訴人Yは、Bを除く経営会議の構成員らに対して、原判決別紙送信メールの記載のとおりの電子メールを送信しており、その中において、被控訴人Yが、経営会議の構成員らに対し、Bとの協議の内容を報告したり、被控訴人Yとしては控訴人の従業員ら全員が新会社に移籍する旨を希望していること、各人の部下の退職意思について確認を求めたり、部下から質問があった場合の想定問答を示していること、控訴人の従業員らのうち既に新会社への移籍を表明している者を示していることが認められる。
 しかしながら、上記電子メールを子細に検討しても、被控訴人Yが、控訴人に残留する意思を有している者や移籍するか悩んでいる者に対して、その意に反してまで被控訴人会社への移籍を促したり、Bを除く経営会議の構成員らに対し、その部下に、被控訴人会社への移籍を促すよう指示したりするような内容は見当たらず、上記電子メールをもって、被控訴人会社への移籍の勧誘が組織的にされたと認めることはできない。
 かえって、証拠(乙18、21、25の1ないし17)によれば、控訴人を退職して被控訴人会社に移籍した者に加え、被控訴人Yの離職と時期を同じくして控訴人を退職し、独立した者(H)も、被控訴人Yによる被控訴人会社への移籍の勧誘を受けたことはない旨述べており、これらの者は、被控訴人Yが被控訴人会社を設立するに伴って自発的に移籍又は控訴人を退職したものと認められる。
 これに対し、控訴人は、被控訴人Yから部下に対する被控訴人会社への勧誘をさせる旨の指示や被控訴人会社への移籍の勧誘があった旨主張し、これを裏付けるものとして、I(甲31)、J(甲32)、K(甲33)及びL(甲34)の各陳述書を提出する。しかしながら、上記各陳述書をみても、各人とも、移籍をするか迷っている間には被控訴人YやCから説明を受けたり、被控訴人Yらが主催する集会に参加するなどしていたことが認められるものの、移籍を断った後に慰留されたことはなく、被控訴人Yが自由競争を逸脱する態様で勧誘をしていたなどと認めることはできない。
(3)取引先に対する取引切換え勧奨について
ア 控訴人は、原判決別紙取引の切換え勧奨に関する当事者の主張の(控訴人の主張)欄記載のとおり、被控訴人Yが控訴人の顧客(ユナイテッドアローズ社、シャディ社、マクロミル社、ナレッジディストリビューション社、スクロール社、HS情報システムズ社、シャフト社及びソフトバンクコマース&サービス社)に対して控訴人との取引の切換えを勧奨したことが不法行為に当たる旨主張するので、以下検討する。
イ (ア)ユナイテッドアローズ社、マクロミル社、ナレッジディストリビューション社及びソフトバンクコマース&サービス社について
 上記各社については、被控訴人Yが控訴人を退職する以前に、控訴人と取引があったことを認めるに足りる証拠はない(原審における控訴人代表者B本人尋問の結果16頁)。そうすると、上記各社が控訴人の顧客であったということはできず、被控訴人らが、上記各社に対し、取引切換えを勧奨したとする控訴人の主張は、その前提を欠く。
(イ)シャディ社について
 証拠(甲26の1)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人Yが、平成29年11月30日、シャディ社に対し、AIサービスに関する資料を送付したことが認められるものの、それ以前に、控訴人とシャディ社との間で、AIサービスに関連する契約が締結されていたことを認めるに足りる証拠はない。また、証拠(甲26の2)によれば、Aが、平成30年1月10日頃、シャディ社との間で打合せの日程調整を行ったことが認められるものの、シャディ社の元従業員の報告書(乙23の4)によると、上記打合せは被控訴人Yが退職した後の控訴人の業務状況を確認するものであったと認められ、その他、被控訴人らが、シャディ社に対し、控訴人との間の取引を被控訴人会社に切り換えるよう勧奨したことをうかがわせる証拠はない。
 そうすると、被控訴人らが、シャディ社に対し、控訴人との取引を切り換えるよう勧奨したと認めることはできず、本件全証拠によってもこれを認めることはできない。
(ウ)スクロール社について
 控訴人は、控訴人の従業員であったMが被控訴人会社に移籍する控訴人の従業員に対し浜松市に本社を有するスクロール社の案件(浜松の案件)への対応を指示していることからすれば、被控訴人らはスクロール社の取引を被控訴人会社に切り換えるため行動していたと解され、また、控訴人が、被控訴人らにより取引切換えの勧奨が行われた旨の報告をスクロール社から受けたなどと主張する。
 しかしながら、証拠(甲28)によると、Mが、平成29年11月30日、被控訴人YやDらに対し、「浜松の案件に影響したくないので」などと記載した電子メールを送信したことが認められるものの、同メールにおける「浜松の案件」に関する記載は、1月1日入社メンバーと浜松の案件に影響したくないので先行して12月5日からネットワーク設定を始めたいとの一文に尽きるのであって、これをもって、被控訴人らからスクロール社に対する取引切換えの勧奨があったと推認することはできない。また、控訴人は、被控訴人らにより取引切換えの勧奨が行われた旨の報告をスクロール社から受けたと主張するが、被控訴人らが、自由競争を逸脱する態様でスクロール社に対して取引切換えの勧奨をし、不法行為が成立すると認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被控訴人らが、スクロール社に対し、控訴人との取引を切り換えるよう勧奨したことを理由とする不法行為が成立するものと認めることはできない。
(エ)HS情報システムズ社について
 控訴人は、控訴人の取締役であったDが、Bに対し、HS情報システムズ社と控訴人との取引を被控訴人会社に切り換えることを打診し、また、被控訴人らにより取引切換えの勧奨が行われた旨の報告をHS情報システムズ社から受けたなどと主張する。
 しかしながら、Dが、Bに対し、HS情報システムズ社と控訴人と間の取引を被控訴人会社に切り換えることを打診したとしても、これをもって、被控訴人らが、HS情報システムズ社に対して切換え勧奨をしたものと認めることはできない。控訴人は、被控訴人らにより取引切換えの勧奨が行われた旨の報告をHS情報システムズ社から受けたと主張するが、被控訴人らが、自由競争を逸脱する態様でHS情報システムズ社に対して取引切換えの勧奨をし、不法行為が成立すると認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被控訴人らが、HS情報システムズ社に対し、控訴人との取引を切り換えるよう勧奨したことを理由とする不法行為が成立するものと認めることはできない。
(オ)シャフト社について
 控訴人は、控訴人の従業員であったMが、シャフト社に対し、今後は被控訴人会社に移籍するMが後任となり、被控訴人会社の電子メールアドレスに連絡するように依頼する電子メールを送信したなどと主張する。
 そこで検討すると、証拠(甲29)及び弁論の全趣旨によれば、Mが、平成29年11月29日、シャフト社に対し、「実は弊社が会社を分割することとなりまして、私及びGeneis案件を担当したA・Nはグローシップ・パートナーズから離れることとなりました。Ccに入っている(メールアドレス省略)が新しいアドレスとなります。現グローシップのメンバーの大半が別会社に移籍となりますので我々がチームとして実施している事業に変化はないのですがそのあたりも含めて、一度ご挨拶にお伺いさせていただきたいと思っております。」と記載された電子メールを送信したことが認められる。
 しかしながら、上記電子メールの記載は、控訴人を退職する者による挨拶として社会的儀礼の範囲内にとどまるものであって、控訴人との取引について被控訴人会社への切換えを具体的に勧奨するものといえないことは明らかであり、その他、被控訴人らが、自由競争を逸脱する態様でシャフト社に対して取引切換えの勧奨をし、不法行為が成立すると認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被控訴人らが、シャフト社に対し、控訴人との取引を切り換えるよう勧奨したことを理由とする不法行為が成立するものと認めることはできない。
ウ その他、本件に提出された全証拠を精査しても、被控訴人らが、自由競争を逸脱する態様で控訴人の顧客に対して取引の切換えの勧奨をし、不法行為が成立するものと認めるに足りない。
(4)小括
 したがって、控訴人の被控訴人らに対する不法行為に基づく請求には理由がない。」
2 当審における当事者の補充主張等に対する判断
(1)争点1−1(「営業秘密」該当性)について
 控訴人は、原判決が、本件データに営業秘密性がないことを専らA陳述書に依拠して認定したことが不当であると主張するが、本件データが営業秘密を含まないことは、顧客へのプレゼンテーション用の資料として作成されていること及び秘密情報であることを示唆する表示もないことからも明らかである。また、控訴人は、Aが情報管理やルールを無効化したにすぎないとも主張するが、仮にそうであるとしても、本件データについての秘密管理性がなかったという事実に変わりはなく、控訴人の上記主張は、本件データが営業秘密に該当しないという結論を左右しない。
 その余の控訴人の主張する事情を全て考慮しても、本件データについては、非公知性がなく、また、秘密管理性がないというほかない。
(2)争点3−1(本件合意書に係る合意の当事者)について
 控訴人は、本件合意書は、1〜4項についてはBと被控訴人Yとの間で合意されたもの、5項及び6項については控訴人と被控訴人Yとの間で合意されたものであるなどと主張するが、本件合意書においては、各条項において契約当事者を具体的に特定して明記するものでもなく、当事者の異なる2つの契約が同一文書に記載されているとの特段の事情も認められず、各条項において契約当事者が異なるものとは認め難い。そして、控訴人の代表取締役を務め、その相当割合の株式を有し、被控訴人Yが控訴人の取締役を退任した後にも控訴人の経営責任を持つBが、個人の立場で、被控訴人Yとの間で、本件合意書5項及び6項の合意を行うことは不自然ではなく、本件合意書の記載を総合しても、本件合意書はBと被控訴人Yとの間で合意されたものと推認するのが合理的であり、上記控訴人の主張は採用できない。
(3)争点4(本件合意書に係る契約違反の有無)及び争点5(背任行為の有無)に関連し、被控訴人らに債務不履行責任のみならず、不法行為責任も認められないのは前記のとおりである。また、控訴人は、原審がEの陳述書(甲35)の取調べを行わなかったことにつき、裁判所の合理的裁量の範囲を逸脱すると主張するが、証拠の採否は裁判所の裁量事項であるところ(民事訴訟法181条1項)、原審の審理経過に照らすと、原審裁判所は、令和4年4月21日付けで、双方当事者に対し、本件合意書における「勧誘」該当性に限って、侵害論の審理を続行する旨を述べていたこと(原審の第2回弁論準備手続調書)に照らし、同年5月31日にファクシミリで提出された上記陳述書を取り調べないこととしたものと認められ、上記陳述書の取調べを行わなかったことが、裁判所の裁量の範囲を逸脱するものであったということはできない。
 なお、控訴人は、弁論再開の申立てを行うが、当裁判所はその必要はないものと判断する。すなわち、控訴人が弁論再開を求める理由のうち、@Eの陳述書(甲35)の取調べが行われていないことをいうところについては、上記のとおり、同陳述書の取調べを行わなかったことが裁判所の裁量の範囲を逸脱するものではなく、A被控訴人ら提出の陳述書・報告書に関し、控訴人に反対尋問の機会が付与されていないことをいうところについては、当裁判所は、そのような事情を含め、その他の証拠も考慮した上で認定判断を行ったものであって、更に弁論再開の必要まではなく、BBの控訴人における代表権の存否につき、原判決における認定が不意打ちであって審理が十分に行われていないことをいうところについては、当審において、当事者間で、現在、Bが控訴人代表者の地位を有していることについて争いがないことが確認され、また、Bの控訴人の代表取締役への就任に関する主張等については、控訴人は控訴理由書において既に主張しているところであり、当裁判所は、その点も検討の上で認定判断を行い、争点3−2(控訴人の代表権の存否)については判断を要しないとしたものであって、更に弁論再開の必要まではないと、それぞれ判断するものである。
3 結論
 以上の次第で、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第2部
 裁判長裁判官 本多知成
 裁判官 浅井憲
 裁判官 勝又来未子
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/