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【事件名】映画「ハレンチ君主いんびな休日」事件 【年月日】令和4年7月29日 東京地裁 令和2年(ワ)第22324号 損害賠償等請求事件 (口頭弁論終結日令和4年5月31日) 判決 原告 X1(以下「原告X1」という。) 原告 X2´ことX2(以下「原告X2」という。) 原告ら訴訟代理人 長尾宜行 同 小口明菜 同 青龍美和子 被告 株式会社新潮社(以下「被告新潮社」という。) 同訴訟代理人弁護士 岡田宰 同 広津佳子 同 杉本博哉 同 藤峰裕一 被告 大藏映画株式会社(以下「被告大藏映画」という。) 被告 オーピー映画株式会社(以下「被告オーピー映画」という。) 上記両名訴訟代理人弁護士 上野雅祥 同 井上省三 主文 1 被告新潮社は、原告ら各自に対し、各33万円及びこれに対する平成30年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は、原告X1と被告新潮社との間に生じた費用については、その21分の1を被告新潮社の負担とし、その余は原告X1の負担とし、原告X2と被告新潮社との間に生じた費用については、その50分の3を被告新潮社の負担とし、その余は原告X2の負担とし、原告X1と被告大藏映画及び被告オーピー映画との間に生じた費用については、原告X1の負担とする。 4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 被告新潮社は、原告ら各自に対し、各330万円及びこれに対する平成30年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告新潮社及び被告大藏映画は、原告X1に対し、連帯して、220万円及びこれに対する平成30年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 被告新潮社は、別紙2記載の謝罪広告を別紙3記載の掲載要領により、被告新潮社の発行する「週刊新潮」に1回掲載せよ。 4 被告大藏映画及び被告オーピー映画は、原告X1に対し、連帯して、220万円並びにうち110万円に対する平成30年2月17日から支払済みまで年5分の割合による金員及びうち110万円に対する令和4年3月4日から支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。 5 原告X1と被告オーピー映画との間において、原告X1が別紙1記載の映画の著作権を有することを確認する。 6 仮執行宣言(第1項、第2項及び第4項) 第2 事案の概要 原告X1は、別紙1記載の映画「ハレンチ君主いんびな休日」(以下「本件映画」という。)の監督、脚本等を務め、原告X2は、本件映画の脚本を務めた。本件は、原告らが、本件映画に関する記事を週刊誌に掲載した被告新潮社のほか、本件映画を制作、配給等する被告大藏映画及び被告オーピー映画(以下「被告大藏映画ら」という。)に対し、次に掲げる請求をする事案である。 (1)原告らの請求(いずれも被告新潮社に対する請求) ア 被告新潮社において週刊新潮2018年3月8日号(以下「本件週刊誌」という。)に掲載した「不敬描写で2月公開が突如延期!「昭和天皇」のピンク映画」と題する記事(以下「本件記事」という。)の記載内容が原告らの名誉を毀損したことを理由とする不法行為に基づく損害賠償金各220万円及びこれに対する不法行為の日である平成30年3月1日(本件週刊誌の発売日)から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払請求(請求の趣旨第1項の一部) イ 被告新潮社が本件記事に本件映画の脚本(以下「本件脚本」という。)を無断で引用し、原告らの著作者人格権(公表権)を侵害したことを理由とする不法行為に基づく損害賠償金各110万円及びこれに対する前記アと同旨の遅延損害金の支払請求(請求の趣旨第1項の残りの部分) ウ 本件記事の内容が原告らの名誉を毀損することを理由とする民法723条に基づく別紙2の謝罪広告の別紙3の要領による掲載(請求の趣旨第3項) (2)原告X1の請求 ア 被告新潮社及び被告大藏映画に対する請求 被告大藏映画の取材に基づき、被告新潮社が本件週刊誌に掲載した本件記事(原告X1の謝罪に関する記載等)が、原告X1の名誉を毀損することを理由とする共同不法行為に基づく損害賠償金220万円及び前記(1)ア及びイと同旨の遅延損害金の連帯支払請求(請求の趣旨第2項) イ 被告大藏映画らに対する請求 (ア)被告大藏映画らが本件映画の公開を中止したことにより、本件映画が公開され、観客により視聴されることに対する原告X1の期待権が侵害されたことを理由とする不法行為に基づく損害賠償金110万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成30年2月17日(本件映画の公開延期決定の翌日)から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払請求(請求の趣旨第4項の一部) (イ)被告大藏映画らが本件映画に係る完成作品及びその他一切の映像素材のデータ(以下「本件データ等」という。)を廃棄したことが原告X1の人格権を侵害することを理由とする不法行為に基づく損害賠償金110万円及びこれに対する不法行為の後の日である令和4年3月4日(請求の拡張申立書の送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年3分の割合による遅延損害金の連帯支払請求(請求の趣旨第4項の残りの部分) ウ 被告オーピー映画に対する請求 原告X1が本件映画の著作権を有することの確認請求(請求の趣旨第5項) 1 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに後掲の各証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実をいう。なお、証拠を摘示する場合には、特に記載のない限り、枝番を含むものとする。) (1)当事者 ア 原告X1は、映画監督であり、本件映画の脚本、監督及び主演を行った者である。また、原告X2は、映画監督・脚本家であり、本件映画の脚本を行った者である。 イ 被告新潮社は、週刊誌「週刊新潮」その他の雑誌及び書籍の出版、販売、配信等を主たる業とする株式会社である。 ウ 被告大藏映画らは、いずれも、R18映画等の制作、配給等を主たる業とする株式会社である。 (2)基本契約の締結 ア 原告X1と被告オーピー映画は、平成26年8月1日、記録媒体に収めた映画の著作物に関し、基本契約(以下「本件基本契約」という。)を締結した。(甲3、弁論の全趣旨) イ 本件基本契約には、次のとおりの規定がある。 (ア)原告X1が被告オーピー映画に売り渡す映像作品は、被告オーピー映画の指定した規格で制作されたものであり、映倫審査終了後に被告オーピー映画が買い取る。(第1条) (イ)原告X1は被告オーピー映画より下記の検定(略)を経た上、被告オーピー映画に対し、当該映像作品の記録媒体(原版)を被告オーピー映画が指定する場所に納入し、被告オーピー映画に引き渡す。その証として記録媒体引渡書を原告X1は被告オーピー映画に提出する。(第4条) (ウ)被告オーピー映画が本基本契約により原告X1から譲り受ける権利は、下記のとおりとする。(第5条) a 映画著作権、複製権、上映権、放送権、頒布権及び翻案権その他の改編権を含む。 b 映像作品の所有権、その他の権利は被告オーピー映画に原始的に帰属する。 (3)本件映画に係る代金の支払 被告オーピー映画は、原告X1に対し、本件映画の代金207万3000円を、次のとおり分割して支払った。(甲3、8、弁論の全趣旨) ア 平成29年12月20日 120万円 イ 平成30年1月31日 87万3000円 (4)本件映画に係る著作権の譲渡 ア 原告X1及び被告オーピー映画は、平成30年1月26日、本件映画に係る著作権譲渡契約(以下「本件著作権譲渡契約」という。)を締結し、もって、原告X1は、被告オーピー映画に対し、本件映画に係る著作権(前記(2)イ(ウ)aに記載された全ての権利を含む。以下同じ。)を譲渡した。(甲63、乙B9、弁論の全趣旨) イ その後、被告オーピー映画は、本件映画に係る著作権を被告大藏映画に譲渡した。(弁論の全趣旨) (5)本件映画の公開中止 被告大藏映画は、遅くとも平成30年2月16日までに、本件映画の公開中止を決定し、以後、本件映画は、現在に至るまで上映されていない。(弁論の全趣旨) (6)新潮社による本件記事の掲載 ア 被告新潮社は、平成30年3月1日に発売された週刊新潮2018年3月8日号(本件週刊誌)において、「不敬描写で2月公開が突如延期!「昭和天皇」のピンク映画」との見出しで、別紙4の記事(本件記事)を掲載した。 そして、本件においては、本件記事のうち、次のないしの各記載(以下「本件各記載」と総称する。)につき、名誉毀損の成否が争われている。 (ア)本件映画の登場人物と昭和天皇を結び付けた記載及び本件映画を「不敬映画」とする以下の各記載(以下「本件記載1」という。) @「不敬描写で2月公開が突如延期!「昭和天皇」のピンク映画」 A「王のモデルが天皇陛下だとすると、宮内庁が目をむきそうだが、いくつかのバージョンがある映画の解説文やあらすじを読むと、それはより明確になる。」 B「映画に登場する王の風貌も含めて、昭和天皇をモデルにしているのは明らかなのだ。」 C「その脚本には、不敬描写がこれでもかと連ねられ・・・」 D「過去に不敬映画と評された主なケースをリストにしてまとめたが、そこに連なる作品であることは間違いなかろう。」 E「民族派右翼の重鎮、「二十一世紀書院」代表のC氏が苦言を呈す。・・・不敬な映画かなという気がします。・・・こういう映画を作ること自体、許されざることだと思います。」 (イ)原告X1の認識等に関する以下の各記載(以下「本件記載2」という。) @「制作サイドは“思想的な意図は全くなかった”と言い訳しているそうです。」 A「映画のチラシには〈右の方も、左の方も心して観よ!〉〈表現の自由はエロとスキャンダルから!〉といった文句が躍る。如何なる「意図」をもって映画を作ったのか。」 B「それを質すため、X1監督にも取材を申し込んだところ、「現時点で自分のほうからは話すことはありません。」と言うのみだった。」 (ウ)原告X1と被告大藏映画らのやり取りに関する以下の各記載(以下「本件記載3」という。) 「業界関係者の話。「映画の企画を大蔵映画に持ち込んだのは監督側だったのですが、その時点で大藏側は“昭和天皇をイメージしているなら止めてくれ”と言っていた。しかし、結局、昭和天皇に寄せすぎたものが出来上がってきた。」」 (エ)原告X1が謝罪をした旨の以下の記載(以下「本件記載4」という。) 「自宅前で大蔵映画のD社長に声をかけたところ、(中略)社長は、その場から上野オークラ劇場の支配人に電話をかけ、事実関係を確認した上でこう語った。「映倫の審査は普通に通っていたのですが、劇場支配人が“これはマズイだろう”と自分の判断で延期にした。監督も了承しており“申し訳なかった”と謝罪しているそうです。」」 イ また、本件記事には、別紙5のとおり、本件脚本が引用されている。 (7)映像データの廃棄 被告大藏映画らは、遅くとも令和4年2月2日までに、本件映画の完成作品及びその他一切の映像素材に係るデータ(本件データ等)を廃棄した。 (8)本件脚本の著作権 本件脚本は、原告らによる共同著作物であり、原告らは、本件脚本の共有著作権を有している。(弁論の全趣旨) 2 争点 (1)本件各記載による名誉毀損の成否(争点1) ア 本件記載1の名誉毀損の成否(争点1−1) イ 本件記載2の名誉毀損の成否(争点1−2) ウ 本件記載3の名誉毀損の成否(争点1−3) エ 本件記載4の名誉毀損の成否(争点1−4) (2)本件各記載に係る違法性阻却事由の有無(争点2) (3)謝罪広告の掲載の要否(争点3) (4)本件記事による本件脚本に係る原告らの公表権侵害の成否(争点4) (5)本件映画の公開中止による原告X1の期待権侵害の成否(争点5) (6)本件データ等の廃棄による原告X1の人格権侵害の成否(争点6) (7)本件映画の著作権の帰属(争点7) (8)損害額(争点8) 3 争点に対する当事者の主張 (1)争点1(本件各記載による名誉毀損の成否)について ア 争点1−1(本件記載1の名誉毀損の成否) (原告らの主張) (ア)原告らは、本件映画に登場する「王」が昭和天皇をモデルにしているとは一言も述べていないにもかかわらず、本件記載1は、本件映画の登場人物のモデルが昭和天皇であると断定した上で、本件映画につき「不敬映画」とするものである。そのため、本件映画の脚本執筆及び制作をした原告らが、「悪い映画」、「本来作成してはいけない映画」、「危険な映画」を作成して公開しようとしたという誤った事実を摘示し、原告らの社会的評価を低下させるものである。 すなわち、「不敬」とは、一般に、「皇室・社寺に対して、敬意を失すること」とされている。また、不敬罪がかつて犯罪とされていたという事実や、日本国憲法上、天皇が象徴として敬われていることからすれば、「不敬」という言葉は、「悪いこと」、「本来してはいけないこと」、「危険なこと」であるというマイナスな印象を与えるものである。 そして、本件記載1のうち、特に「映画に登場する王の風貌も含めて、昭和天皇をモデルにしているのは明らかなのだ。」という部分と、脚本中「王」が性交するシーンの引用部分を併せ読むと、読者は、性交の場面が描かれた「ピンク映画」に昭和天皇をモデルにした「王」が登場すると理解する。そうすると、本件記載1は、昭和天皇と性的な行為を結びつけることが「不敬」に当たるという前提の下、昭和天皇をモデルにした登場人物がピンク映画に登場することは「不敬」であり、「悪いこと」、「本来してはいけないこと」、「危険なこと」という印象を読者に与える。 (イ)被告新潮社の主張は、以下のとおり、いずれも理由がない。 a 被告新潮社は、本件記事は、本件映画が反論権のない昭和天皇や皇族の人格権を無視したものであることを理由に、「不敬」と評価している旨主張するが、いずれにせよ、本件記事が、本件映画に登場する「王」が昭和天皇であると断定し、昭和天皇をモデルにした人物の性行為のシーンが含まれるピンク映画は不敬であり、作ってはいけないものであると評価していることには変わりがない。 b 被告新潮社は、本件記事は原告ら個人には何らの評価を加えていない旨主張するが、本件映画に関する評価は、本件映画の制作に携わった監督及び脚本家に関する評価とほぼ同じである。 c 被告新潮社の主張する類型的実質的違法性は、その内容が一義的に明確であるとは到底いえず、法理として確立されたものではない。 また、仮に類型的実質的違法性の枠組みを採用するとしても、本件記事においては、名誉毀損に当たる事実摘示部分が非常に多く、かつ、目立つ形で掲載されていること、本件記事には公益性がないこと、裏取りがされておらず、虚偽の記載が散見されること、本件記事はインターネット記事としても配信されており、広く一般公衆に知れ渡るのに効果的な方法が採られていることなどからすれば、本件記事が実質的違法性を備えていることは明らかである。 d 被告新潮社は、本件記事には悪意がなく、社会的に相当な範囲にとどまる旨主張するが、被告新潮社は、本件記事のみならず、ラジオ番組においても、「明らかに、昭和天皇を模した人物を主役にしたピンク映画」、「そういう映画をつくること自体ちょっと信じられない。」などと評価している。また、週刊新潮2018年3月15日号においても、本件映画のタイトル、原告らの氏名や年齢を記載した上で、「昭和天皇をモデルにしているのは明白」と断定し、本件映画の内容を記載している。このような放送内容・記載内容は、一般視聴者や一般読者の立場によりつつ本件映画を強く非難するものであり、単なる主観的感想であるとか、悪意がないなどとは到底認められない。また、「昭和天皇のピンク映画」と記述されること自体が原告らの社会的信用を低下させるものであり、社会的相当性の範囲を超えて悪質である。 (被告新潮社の主張) 本件記載1は、原告らの社会的評価を何ら低下させるものではない。 (ア)本件記事全体の記述を見ると、本件記事が突然公開延期となった本件映画の評価をテーマとして扱った記事であることが明らかである。 そして、本件記事全体の記述内容から一般の読者が理解するのは、本件映画が性的描写を含む「ピンク映画」に分類されるものであること、映画に登場する「王」が昭和天皇をモデルとするものと理解されること、本件映画の一般公開が被告大藏映画らの劇場側の判断によって延期になったこと、皇族には反論権がなく、このような映画を作ること自体が許されず、不敬描写があることから、公開が延期されたと判断されるということである。 (イ)一般読者の普通の注意と読み方を基準として、本件記事の見出し、リード、記事本文などの記述全体を一体のものとして理解した場合は、本件記事は、公開予定の前日に公開が延期された本件映画に関して一定の評価を伝えるものではあっても、本件映画の監督や脚本に参加した原告らの人格的価値については何も述べていない。そして、単に原告らにとって不快な表現があるというだけでは、原告らの社会的評価を低下させるものではない。 (ウ)また、名誉毀損が成立するためには類型的実質的違法性が必要であるというべきところ、本件記載1は実質的違法性を欠く。すなわち、対象者が不快に思っただけで直ちに名誉毀損が成立するのではなく、不法行為を構成する名誉毀損は、対象に対して表現行為が向けられており、かつ、一定程度以上の社会的評価の低下が認められる必要がある。 そして、本件記事における「不敬映画」という評価も、主観的な感想又は印象、本件記事に記述をしたとおりの本件映画の描写を前提にした意見論評であるところ、「不敬」という言葉は、「尊敬の念を持たず、礼儀に外れること」という意味で用いられたとしても、特定の対象物や対象人物について不敬であると評価すること自体が、直ちに人格的価値や社会的評価の低下を招くものではない。 さらに、本件映画に対する評価と原告らの人格的な評価は全くの別物であり、本件記事において本件映画を「不敬映画」であると評しても、それは飽くまで主観的な感想にとどまるものであり、一般読者の普通の注意と読み方に照らせば、悪意があるものとはいえず、社会的相当性の範囲内のものであるから、原告らの社会的評価を低下させるものではない。 イ 争点1−2(本件記載2の名誉毀損の成否) (原告X1の主張) (ア)本件記載2を含む本件記事は、以下のとおり、原告X1が本件映画を「不敬映画」であると十分認識した上で、敢えて制作・公開しようとしたという事実や、原告X1に「不敬」の意図・思想があるという事実を摘示し、もって、原告X1の社会的評価を低下させるものである。 a 本件記載2のうち「制作サイドは“思想的な意図は全くなかった”と言い訳しているそうです。」という部分は、原告X1が本件映画の制作に関する思想的な意図を否定する発言をしたことを「言い訳」と表現している。この表現は、原告X1において本件映画が不敬な映画であることを自覚していたことを読者に理解させるものである。 b 「映画のチラシには〈右の方も、左の方も心して観よ!〉〈表現の自由はエロとスキャンダルから!〉といった文句が躍る。如何なる「意図」をもって映画を作ったのか。」という部分は、制作サイドが作ったチラシの「文句」が政治的な意図、不敬の意図をもって記載されており、本件映画も不敬の意図をもって作成されたと読者に理解させるものであり、更には、原告X1が不敬思想を有していると理解させる記述である。 c 「それを質すため、X1監督にも取材を申し込んだところ、「現時点で自分のほうからは話すことはありません。」と言うのみだった。」という部分は、上記bに引き続き、原告X1が本件映画の制作に関し、不敬な意図を有していることを否定しなかったと読者に理解させるものである。 (イ)被告新潮社の主張は、以下のとおり、いずれも理由がない。 a 被告新潮社は、「不敬」とは、反論権のない昭和天皇や皇族の人格権を無視したことに対する評価である旨主張するが、前記のとおり、「不敬」は、「悪いこと」、「本来してはいけないこと」、「危険なこと」と受け取られ、マイナスの印象を与える言葉である。 また、本件記載2に接した一般読者は、皇族には人格権の行使ができないことを理由に本件映画を不敬映画と評しているものとは理解しない。すなわち、皇族に反論権がないことが記述されているのは、3頁にわたる記事のうち、わずか5行にすぎないのであって、本件記事全体を一体として読んだ場合に理解できるのは、本件映画に登場する「王」が昭和天皇であり、その昭和天皇をモデルにした人物の性行為のシーンが含まれる「ピンク映画」は不敬であり、作ってはいけないものであるという評価である。 b 被告新潮社は、本件記事には原告らについての評価は記載されていない旨主張するが、映画には制作者の思想が表れることが一般的であり、一般読者は、「不敬映画」、「作ってはいけない映画」を制作した原告X1が不敬な思想を持っていると理解するといえる。 c 被告新潮社は、本件映画は昭和天皇のプライバシー権や名誉権侵害との評価があり得るところ、皇族には反論権がないことを考慮すれば、本件映画を不敬映画であると評価すること自体は、意見論評として許される旨主張するが、本件映画に昭和天皇本人は登場しないし、仮に昭和天皇を想起できたとしても、実際に昭和天皇が体験したエピソードを描写したものではないことは明らかである以上、名誉毀損やプライバシー侵害に当たる余地はない。 d また、本件映画は公開されておらず、自主上映もできないため、本件記事について読者は自由に思考し、論評することはできない。したがって、本件映画を一方的に不敬映画とする本件記事は、読者に対して一方的に悪い印象を与え、原告らの社会的評価を低下させるものである。 (被告新潮社の主張) (ア)一般読者の普通の注意と読み方を基準にすれば、本件記載2が伝える意味内容は、本件記事の見出し、小見出し、リード、記事本文を一体として捉えて理解すべきである。そして、本件記事全体を見れば、本件記事における「不敬」とは、天皇や皇族には人格権の行使は許されていない状況下で本件映画を制作することは許されないという意味であり、原告らが「悪い映画」、「本来作成してはいけない映画」、「危険な映画」を制作したという事実を摘示したものではないことは明らかである。 (イ)また、本件映画の「王」が昭和天皇であると同定できる場合には、本件映画が昭和天皇の名誉毀損やプライバシー権を侵害するものと評価することも可能であるところ、皇族には人格権侵害を主張すること自体が許されていないことを考慮の上、本件映画が不敬映画であると評価すること自体は、意見論評として許される表現の範囲にとどまるから、名誉毀損としての実質的な違法性を欠く。 (ウ)さらに、本件記事には、監督や脚本を担当した原告らについて、本件映画に対する評価と離れて、個別に一定の評価を加えたような記述は存在しない。 ウ 争点1−3(本件記載3の名誉毀損の成否) (原告X1の主張) (ア)本件記載3は、本件映画の脚本の執筆及び制作を行った原告X1が、被告大藏映画らの反対を押し切って、「悪い映画」、「本来作成してはいけない映画」、「危険な映画」を作成した悪質な監督であるという誤った事実を摘示するものである。 そして、「依頼に反して昭和天皇に寄せすぎた映画を作った」という記載について、一般の読者は、原告X1が、被告大藏映画らの反対を押し切って独断で本件映画を作成したものと理解するところ、誰からも止められなかった場合に比べ、制作・配給会社から止められた経緯がある方が、より映画監督として悪質という印象を与える。 したがって、本件記載3は、原告X1の社会的評価を低下させるものである。 (イ)被告新潮社は、発注者サイドと制作者サイドの認識のずれは往々にしてあり得るものであり、このような記述で、原告X1が映画監督として悪質であるとまでの印象を与えることはない旨主張するが、一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、本件記事からは、単なる「認識のずれ」ではなく、原告らは、「発注者サイド」の指示に従わなかったという事実が浮かび上がってくるから、同主張には理由がない。 (被告新潮社の主張) (ア)被告大藏映画らとしては、原告X1に対し、本件映画の登場人物が昭和天皇をイメージしているならやめてほしい旨依頼していたところ、結果的に昭和天皇に寄せすぎたものになったという客観的な事実経過を摘示したものであって、本件記載3からは、原告X1が独断で作成したということまでは読み取れないため、映画監督としての悪質さに直結するような摘示ではない。 (イ)原告らが指摘をする表現では、名誉毀損としての類型的実質的違法性は認められない。また、本件記載3には、原告X1が被告大藏映画らの反対を押し切って意図的に本件映画を制作したことや、原告X1が積極的に被告大藏映画らの意に反する行動に出たことなど、原告X1の主観面についての記載は存在しない。 すなわち、本件記載3は、被告大藏映画らが希望していた成果物と実際に制作された成果物が違っていたという端的な事実を摘示するものにすぎないところ、そのような発注者サイドと制作者サイドの「認識のずれ」は往々にしてあり得るものであり、この程度の記述で、原告X1が映画監督として悪質であるとまでの印象を与えることはない。 エ 争点1−4(本件記載4の名誉毀損の成否) (原告X1の主張) (ア)本件記載4による社会的評価の低下 本件記載4は、原告X1が、映画監督にとってかけがえのない映画作品の公開延期の決定を、劇場支配人の判断に合わせて易々と了承したという事実や、原告X1が本件映画を「マズい」映画であると自ら認め、「申し訳なかった」と謝罪したという事実を摘示するものである。 そして、これらの事実は、いずれも、原告X1が自らの作品に対して真摯ではないという印象を読者に与えるものであるから、原告X1の映画監督としての社会的評価を低下させるものである。 (イ)被告大藏映画による共同不法行為 本件記載4は、被告新潮社の記者が、被告大藏映画のD社長(以下「D社長」という。)らから聞き取った言葉として記述されているものである。そして、D社長は、記事の掲載を前提とする被告新潮社からの取材に対し、応答内容が記事として公表されることを認識しつつ、原告X1が被告大藏映画の意向に反して不敬な映画を制作したかのごとく虚偽の事実を述べたものであり、結果として、その内容とほぼ同一の内容が記事として公表された以上、被告大藏映画の応答は、原告X1に対する共同不法行為を構成する。5被告新潮(ウ)社及び被告大藏映画の主張は、以下のとおり、いずれも理由がない。 a 被告新潮社は、映画監督としては公開について劇場側の判断に従うしかないから、了承したからといって監督としての作品に対する真摯性は左右されない旨主張するが、公開決定権の帰属の有無にかかわらず、公開が延期になった場合、監督は抗議や不満の意思を示すことができる。そして、自らが制作した映画を観客に見せることができないというのは映画監督にとって生きがいを奪われるに等しいところ、抗議や不満の意思を示さずに「謝罪した」とだけ記載した本件記事は、原告X1が監督として真摯ではないという印象を与えるものである。 b 被告新潮社は、前後の文脈からすれば、映画の公開が延期になったことについての謝罪と理解するのが通常の読み方である旨主張するが、そのようには読めない。本件記事は、全面的に、本件映画がピンク映画に分類され、「王」が昭和天皇をモデルにしていること、延期になった理由が「不敬映画」であることなどを読者に伝えているのであるから、前後の文脈を併せて読めば、原告X1の謝罪対象は、被告大藏映画らの意向に逆らって、昭和天皇のピンク映画すなわち不敬映画を作ったことであると読み取れる。 また、本件記載4の前提事実は、真実ではない。本件映画は、被告大藏映画もその内容を了承して制作されたものであり、本件映画が公開延期となったのは、被告大藏映画らが一方的に公開延期を決定したからである。しかるに、本件記載4を目にした一般読者は、原告X1が「申し訳ない」と謝罪をしたと誤認をするため、本件記載4は、原告X1の社会的評価を低下させるものである。 (被告新潮社の主張) 本件記載4のうち、「監督も了承しており“申し訳なかった”と謝罪しているそうです」という部分は、本件映画の公開を延期した過程を説明しているものにすぎず、原告X1の人格的価値について一定の評価を加えているわけではないから、一般の読者において、原告X1が真摯ではなかったという印象を受け取ることはない。 また、原告X1が劇場支配人の判断に易々と迎合したという記述はどこにも見当たらない。本件映画を公開するかどうかの決定権は専ら劇場側にあり、その劇場側の判断で公開延期が決定された以上、監督も立場上、その判断に服さざるを得ないから、公開延期の判断に従うことにより、原告X1の作品に対する真摯性は何ら否定されない。 さらに、原告X1が謝罪したという点についても、本件記事からは、原告X1がどのような事実を認めて謝罪をしたのかは明らかではなく、前後の文脈に照らせば、結果として本件映画の公開が延期されたことにつき責任を感じたことを受けての謝罪と理解するのが通常の読み方である。 (被告大藏映画らの主張) 否認ないし争う。本件映画の公開中止に至る経緯は、次のとおりであり、被告大藏映画らは、事実に基づき当該経緯をありのままに話したものにすぎず、虚偽の事実を伝えたことはない。また、担当記者自身が、被告大藏映画への取材結果を記事として公表するかどうかは未定であると告げていた状況であった以上、被告大藏映画らとしても、取材を受けた時点では、取材内容が記事として公表されることを認識していたわけではない。 (ア)企画段階 原告X1は、平成29年9月、被告オーピー映画の制作担当であるE(以下「E」という。)に3本の企画書を提出した。これを受けて、Eは、被告大藏映画の映像部責任者兼上野オークラ劇場の支配人であるF(以下「F」という。)に相談したところ、同人は、このうち2本は採用できないと判断し、残る1本については、原告X1が設定の変更に応じることを条件に採用することとした。すなわち、被告大藏映画らは、観客に不快な思いをさせたり、不安の念を抱かせたりするおそれのある作品の制作・配給は行わないことを会社の基本方針として業務を行ってきたところ、原告X1に対し、次の3つを企画採用の絶対条件として示した。 @誰がどう見ても昭和天皇を想起させないものにすること。 A日本を連想させる表現をせずにファンタジーにすること。 B純粋な「ローマの休日」のパロディとすること。 (イ)準備稿段階 原告X1は、上記条件に全面的に応じたものの、その後、原告X1から提出された準備稿は、明らかに昭和天皇及び日本を指し示す内容及び演出を多く含むものであったため、被告オーピー映画は、原告X1に対し、全面的な修正を指示した。 原告X1は、これを受けて、2つ目の準備稿を提出したが、同準備稿は、表現がマイルドにはなっていたものの、内容自体は変わっていなかったため、被告オーピー映画は、改めて、原告X1に対し、昭和天皇及び日本を想起させる内容及び演出にしてはならない旨を伝え、再度の修正を指示した。 その後、原告X1は、平成29年12月に入ってから3つ目の準備稿を提出したが、その内容も、被告オーピー映画として納得できるものではなかったため、原告X1に対し、全く違う表現に改めるよう指示した。これを受けて、原告X1は、被告オーピー映画に対し、脚本を一部修正する旨連絡するとともに、撮影開始予定日の約1週間前に、最終稿と称する脚本を提出した。 しかしながら、度重なる被告オーピー映画からの修正指示にもかかわらず、この段階に至っても、なお、依然として修正されていない部分が多数存在したため、被告オーピー映画は、決定稿として了承しなかった。 これに対し、原告X1は、被告オーピー映画から指摘された箇所についての修正の必要性は認めたものの、前もって設定されていた撮影開始日が間近に迫り、撮影準備、スタッフ・キャストの手配等の都合上、これから修正脚本を提出することは間に合わないという理由で、作品完成後に撮影台本を提出することを申し出た。これを受けて、被告オーピー映画は、原告X1の長年の監督としてのキャリアを信用して、修正箇所は撮影時には反映させるという約束の下、了承することとした。 (ウ)公開中止の決定 平成30年2月2日に、公開前の社内試写である映倫試写が実施されたが、これに出席したEやFは、この度の企画の大前提であった「昭和天皇を想起させる内容は一切入れない」という約束が守られていなかったことから、本件映画をこのまま公開することは難しいと考えた。しかしながら、作品が既に完成し、制作費も支払われており、制作に関わった全ての人々の努力と時間を無駄にしたくない、また、新作を心待ちにしている観客や全国の映画館の封切りスケジュールに穴を空けたくないとの思いから思案を重ねた結果、被告大藏映画らにおいて、不適切箇所をカットするなど再編集を試みることで、公開中止を回避することとした。 これを受けて、Eは、同月15日の午前中、原告X1に対し、電話で再編集の方針を伝えたところ、同人は、本件映画を撮影したカメラマンに再編集を行わせてほしい旨要望したが、時間がなかったことに加え、再三にわたる指示に従わなかった原告X1を信頼することができなかったため、これを断ったところ、原告X1は、被告大藏映画らにおいて再編集を行うことを了承した。 その後、被告大藏映画らは、昭和天皇を想起させる部分を全てカットした修正バージョンの作成を試みたが、いかに修正を加えても服装や所作・せりふ回し等から昭和天皇を想起させてしまうと判断し、同日の夕方、Fにおいて、本件映画の公開の中止を決定した。 (2)争点2(本件各記載に係る違法性阻却事由の有無) (被告新潮社の主張) 仮に本件記事が原告らの社会的評価を低下させるとしても、次のとおり、違法性が阻却されるため、不法行為は成立しない。 ア 公共性・公益目的 本件記事は、本件映画が昭和天皇をモデルとするピンク映画として制作されたものの、劇場側の判断により公開が延期されたという経緯を踏まえ、過去に公開中止となった映画等を引き合いに出しつつ、公開延期となった経緯を論理的に推論するものである。 すなわち、制作者側の都合によらずに劇場側の判断で映画の公開が中止されるというのは通常あり得る事態ではないことに加え、本件映画は、昭和天皇を彷彿させるピンク映画であるところ、日本において映画等の作品で天皇を扱う場合にはその描き方にセンシティブな問題をはらんでいる。そのため、本件映画が制作され、公開延期となったという事実やその経過を報じ、また、公開延期となった理由や本件映画の内容について分析的に論じて推論することは、公共の利害に関する事実に該当するとともに、そのようなテーマを扱った本件記事は、公益を図る目的に出たものである。 イ 真実性・真実相当性 (ア)真実性 本件映画が「ピンク映画」に分類されるものであり、本件映画の概要や描写が本件記事で引用したとおりのものであって、当該映画の「王」が昭和天皇をモデルとするものと理解されること、試写会が終わったにもかかわらず、一般公開の前日になって、被告大藏映画ら劇場側の判断によって突如延期となったという事実経過に争いはなく、いずれも真実である。 (イ)真実相当性 仮に真実でなかったとしても、以下のような経緯からすれば、真実であると信ずるにつき相当な理由が認められる。 a 被告新潮社のG記者は、平成30年2月26日にD社長に直接取材をした。すなわち、D社長は、本件映画の存在を把握していなかったものの、取材中に、F支配人から架電があったため、同人から事実関係を確認した上で、G記者に説明を行ったものである。そして、G記者自身も、D社長と電話を交代し、F支配人から直接話を聞いている。 b G記者は、前日の同月25日にもF支配人に電話取材を行っているが、その際にも、同人から、本件映画は原告X1の方から企画の提案があったこと、会社の方から昭和天皇をイメージしているなら止めるよう伝えたこと、しかしながら、実際には被告大藏映画らの意図とは異なるものが完成したため、同人らの判断で公開をやめたこと、原告X1が謝罪をしたことを確認している。 c G記者は、同月26日には、本件映画の試写会に参加したH氏にも、本件映画の印象や感想を取材した。 d 被告新潮社のI記者は、同月25日及び26日に、本件映画の出演者に対し取材をしたほか、ポルノファンにも取材をした。J記者も、同月26日に、映画倫理機構やC氏に取材をした。 e 原告X1は、被告新潮社による取材の申入れに応じなかったため、被告新潮社は、関係者を通じて取材をしたところ、同関係者から、原告X1のコメントとして、「現時点で自分のほうからは話すことはありません。」という内容のコメントを受け取ったため、本件記事に掲載したものである。 ウ 公正な論評の範囲内であること 本件映画の「王」が昭和天皇であると同定できれば、本件映画は昭和天皇のプライバシー権や名誉権を侵害するとの評価があり得るところ、皇族には人格権の行使が認められないことを踏まえ、本件映画を不敬映画であると評価すること自体は、意見論評として許される表現である。 (原告らの主張) ア 公共性・公益目的 以下のとおり、本件記事には公共性はなく、公益目的も認められない。 (ア)本件映画が一般公開されず、公開延期となったことは、原告らと被告大藏映画らという私人間のプライベートな問題となっていたため、本件映画が公開延期となった理由や本件映画の内容そのものは、公共の利害に関する事項ではない。 (イ)本件記事の内容からすると、本件記事の目的は、「不敬映画」を制作することは許されないことをアピールし、制作者である原告らの氏名を晒らした上で社会的に非難、攻撃し、本件映画をその後においても公開させないようにすることであると推認できる。実際に、原告X1は、本件記事を読んだ複数の者から、SNSで危害を加えるような投稿を受けている。 また、被告新潮社が本件記事について「昭和天皇のピンク映画」というセンセーショナルなタイトルを付し、昭和天皇の写真も使用して、つり革広告や新聞広告で大々的に宣伝していたことからすると、本件記事によって週刊誌の売上げを増加させ、経済的利益を図るという私的な目的も認められる。 イ 真実性・真実相当性 (ア)データ原稿の内容が真実でないこと a 被告新潮社は、記者の作成したデータ原稿を基に、本件記事の内容がいずれも真実であり、真実と信ずるにつき相当な理由があると主張するが、同データ原稿は録音した音声の反訳そのものではなく、記者による編集が加わっている。そして、音声データは廃棄されている以上、データ原稿に記載された内容が取材先の発言内容と同一であったかどうかは確認できない。 b 被告新潮社は、データ原稿を既に廃棄した旨主張するが、原告X1は、平成30年7月30日付けで、被告新潮社に対し、本件記事の違法性を主張するとともに、謝罪及び訂正を求める内容の通知書を送付している。これにより、被告新潮社は、将来的に法的紛争になることを見据えて、真実性を裏付けるための客観的な証拠として音声データを保全することは不可欠であることを認識したはずであるから、データを消去したという主張自体、信用することはできない。 (イ)本件記事の内容はデータ原稿とも異なること 仮にデータ原稿の内容が取材先の発言内容と概ね同一であったとしても、本件記事中には、取材先の発言内容と大きく異なる箇所が存在する。すなわち、証拠として提出されたデータ原稿(乙A1ないし7)のいずれにも、取材先が「制作サイドは“思想的な意図は全くなかった”と言い訳しているそうです。」と述べたという記載は存在しない。 (ウ)原告X1の発言については裏付け資料がないこと a 原告X1の発言は、事実ではなく、裏付け資料もない。すなわち、原告X1が第三者に対し、「現時点で自分のほうからは話すことはありません。」と発言した事実はない。実際に原告X1は、被告新潮社の取材には一切応じておらず、また、第三者を通じてこのようなコメントをしたこともない。 b 被告新潮社は、原告X1の発言につき、関係者を通じて受け取ったと主張するだけであり、他の取材先のように取材記録は提出していない。データ原稿の中に、K(以下「K」という。)が、被告新潮社の記者の取材中に原告X1と話をして、「「現時点で自分のほうからは話すことはありません」ということでした」と述べた旨の記載があるが、Kのその発言も事実ではない。原告X1は、Kに対して、取材拒否の意向を示したにすぎない。 c さらに、原告X1が「申し訳なかった」と謝罪したという記述についても、データ原稿が根拠になっているものと考えられるが、被告新潮社は、同記述についても裏付けを取っていない。 ウ 公正な論評の範囲内であること 争う。 (3)争点3(謝罪広告の掲載の要否) (原告らの主張) 本件週刊誌が、被告新潮社の発行する著名な週刊誌として全国的に広く流通していること等の事実に鑑みると、原告らが本件記事の掲載により被った損害を回復するためには、別紙2の謝罪広告を別紙3の掲載要領で週刊新潮に掲載する必要がある。 (被告新潮社の主張) 争う。 (4)争点4(本件記事による本件脚本に係る原告らの公表権侵害の成否) (原告らの主張) ア 本件記事は、原告らの同意なく、本件映画の脚本を引用したものであるから、原告らの著作者人格権(公表権)を侵害するものである。 イ 被告新潮社の主張は、以下のとおり、いずれも理由がない。 (ア)被告新潮社は、本件映画が試写会により既に公開されている以上、脚本についても公表されている旨主張するが、映画と脚本は異なる著作物である以上、仮に映画が公開されたからといって、脚本を無断で公表してよいということにはならない。特に、本件映画は公開延期及び中止となり、誰も見ることができない映画になってしまったところ、そのような映画の脚本を著作者である原告らに無断で公表することは、なおさら許されない。 なお、被告新潮社の指摘する東京地裁平成12年2月29日判決は、本件とは事案を異にする。 (イ)試写会に参加したのは、原告X1の知り合いの評論家、ライター、スチールマン等4名と被告大藏映画らの関係者約8名に加え、映倫関係者程度である。そして、映画評論家も一人しか参加しておらず、「多数」が参加したとか「多くの人の目に触れた」などとは到底いうことはできないし、参加者はいずれも制作陣に近い者ばかりであり、制作人以外の多数の者の要求を満たす程度にその内容が明らかにされたとは認められない。 (被告新潮社の主張) 以下のとおり、本件映画は、試写会をもって既に外部への発信がなされているため、本件記事が掲載された時点では、本件映画は既に公表済みであった上、公表につき原告らの同意もあったというべきである。 ア 東京地裁平成12年2月29日判決においては、「発行」とは、「その性質に応じて公衆の要求を満たす程度の部数の複製物が作成され、頒布されたこと」をいい、「公衆」には特定かつ多数の者が含まれるとされている。 そして、本件映画は、平成30年2月2日に映倫試写会(以下「本件試写会」という。)が実施されているが、本件試写会には、映画評論家等の関係者を含め特定多数が参加しているため、制作陣以外の多数の者の要求を満たす程度にその内容が明らかにされ、多くの人の目に触れたというべきであるから、既に公表されていたものと評価される。 イ 本件映画は、劇場で上映されることを前提に、原告において制作し、完成させたものであり、本件映画のチラシも既に制作されており、映倫の審査も通っているなど、一般公開に向けた準備が着々と進んでいる状況にあった。そして、本件映画の検定試写も平成30年1月26日と同年2月2日に2回実施されている上、原告X1が招待した映画作家兼スポーツライターは被告大藏映画の宣伝のために招待された人物であることを踏まえると、本件映画の内容を広く社会に広める趣旨で、外部の人間として参加した人物である。そのため、本件試写会の参加人数は15人であるが、その数は決して少数とはいえないし、参加者の資格も限定されてはいなかった。 ウ 原告らは、一般公開を前提として本件映画を制作したものであるところ、本件試写会はそのような一般公開に先行して本件映画を発表するものにほかならない以上、原告らは、このような形で本件映画が公表されることにつき同意し、またそれを意図していたというべきである。また、本件試写会は、原告らが一般公開を意図する目的の下に実施したものと評価でき、原告らにおいて、本件試写会の結果、本件映画の内容が本件映画の制作陣という限られた範囲を超えて外部に伝播する可能性を認識し、認容していたというべきである。そして、名古屋地裁平成15年2月7日判決は、「著作物の公衆に対する使用行為に当たるか否かは、著作物の種類・性質や利用態様を前提として、著作権者の権利を及ぼすことが社会通念上適切か否かという観点をも勘案して判断するのが相当」であると判示している。 そうすると、本件試写会をもって、一般大衆に向けた映画の上映と同程度に作品が公表され、著作権者の権利を及ぼすことが社会通念上適切な程度に本件映画が利用されたというべきである。 これに対し、原告らは、映画の公開と脚本の公表は別である旨主張するが、本件映画の脚本は、本件映画が上映されることに伴い、必然的にその内容が公開されるものであり、本件映画の公表をもって当該脚本も公表されたというべきであるから、公表の有無という点においては別異に解する実益はなく、原告らの主張は失当である。 (5)争点5(本件映画の公開中止による原告X1の期待権侵害の成否)について (原告X1の主張) ア 本件映画は、実質上、被告大藏映画から委託を受けた原告X1において、公開を前提として制作されたものであり、被告オーピー映画としても、その公開を念頭に置いて、本件映画の著作権を取得したものである。そのため、原告X1は、本件映画が公開され、観客により視聴されることについて合理的な期待を有しているということができる。そして、表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることに鑑みると、そのような期待は法的保護に値するものである。 イ 被告大藏映画らは、原告らに対する十分な説明や、原告らとの十分な協議を経ることなく、一方的に本件映画の公開中止を決定し、原告X1の有する期待権を侵害したものである。これによって、原告X1が被った精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、100万円を下らない。 (被告大藏映画らの主張) ア 平成30年2月15日、本件映画の公開中止が決定されたことを受け、Eは、直ちに原告X1に対し、「本件映画を公開することによって、監督や上映する全国の映画館のスタッフ、そして何よりも我々が大切にしなくてはならないお客様たちの身に危険が及ぶ可能性がある。」と説明の上、本件映画の公開中止についてメール及び電話により伝えた。これに対し、原告X1は、「おっしゃるとおりです。確かに私の配慮が足りませんでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」と謝罪をし、本件映画の公開中止を納得、了承した。 このように、被告大藏映画は、原告X1に対し、担当者を通じて公開中止の理由を説明しており、原告X1も公開中止の決定につき納得、了承している以上、原告X1の主張には理由がない。 イ そもそも、映画の公開・上映権は、著作権に含まれる権利の一つとして、本件映画の著作権者である被告オーピー映画が独自の判断で決定することができるものであるから、原告X1の主張は失当である。 (6)争点6(本件データ等の廃棄による原告X1の人格権侵害の成否)について (原告X1の主張) ア 本件訴訟における審理を通じ、被告大藏映画らは、本件データ等を既に廃棄していることが明らかとなったが、本件映画は、制作者である原告X1の人格、思想及び表現が具現化されたものであり、原告X1にとって唯一無二の作品である。このような原告X1と本件映画の関係性に照らせば、本件データ等の廃棄行為は、原告X1の人格そのものを否定し、その人格権を侵害する行為であり、原告X1に対する不法行為を構成する。 イ これに対し、被告大藏映画らは、本件データ等の廃棄は権利者としての正当な権利行使である旨主張するが、本件データ等とともに、全てのデータや映像素材等をも含めて廃棄されたことにより、本件映画そのものは永久に公開が不可能になってしまったことに鑑みると、不法行為としての違法性は極めて高いというべきである。そのため、被告大藏映画又は被告オーピー映画が本件映画の著作権を有しているとしても、違法性が阻却されるものではない。 ウ また、本来、本件映画の制作者である原告X1の側において、作品のデータや撮影素材が保管、管理されるのが通常であるところ、原告X1は、Eから、「一度、全ての素材を会社に集めてこれで全てです、とわたしが会社に説明することになりました」、「迅速に対応しているところを見せたいのです」と説明を受け、本件映画の公開に向けて上層部を説得したいという意向を示されたため、やむを得ず、同人に対し、これらのデータの提供を了解したものである。すなわち、Eは、本件映画の公開に一縷の望みを抱く原告X1に虚偽を述べて本件データ等を取得した上で、それらを廃棄したものである。 (被告大藏映画らの主張) 被告オーピー映画は、平成30年1月26日、原告X1から、本件映画の完成データの引渡しを受け、同月31日には代金を完済しているところ、遅くとも同日の時点で、原告X1の本件映画に対する著作者としての権利は全て被告オーピー映画に移転している(本件契約第5条参照)。そして、その後、それらの権利は、被告オーピー映画から被告大藏映画に譲渡されている。 したがって、被告大藏映画らが、自らの判断により本件映画の上映を中止し、その後、本件データ等を廃棄処分したことは、本件映画及び映像作品の権利者としての正当な権利行使である。 (7)争点7(本件映画の著作権の帰属) (原告らの主張) 前述のように、原告X1は、本件映画が公開され、観客により視聴されることにつき合理的な期待を有していた。そのため、被告大藏映画らは、本件映画に係る著作権譲渡契約に付随する義務として、本件映画の公開延期や公開中止を決定するに当たっては、原告X1に対して十分な説明を行うとともに、原告X1との間で十分な協議を尽くす信義則上の義務を負っていたというべきである。 しかるに、被告オーピー映画は、そのような義務に違反したものであるから、原告X1は、本件訴状をもって、本件映画の著作権譲渡契約を解除しており、その結果、本件映画の著作権は原告X1に帰属することになる。 (被告大藏映画らの主張) 争う。 (8)争点8(損害額) (原告らの主張) 原告らは、被告らが故意又は過失により原告らの権利を侵害したことにより、次に掲げる損害を被った。 ア 原告らに生じた損害 (ア)名誉毀損による損害 220万円 被告新潮社による名誉毀損により、原告らは甚大な精神的苦痛を被ったところ、その苦痛を慰謝するに足りる金銭の額は、200万円を下らない。また、その1割に相当する20万円も、弁護士費用として、被告新潮社の名誉毀損行為と相当因果関係のある損害である。 (イ)公表権侵害による損害 110万円 被告新潮社による公表権侵害により、原告らは甚大な精神的苦痛を被ったところ、その苦痛を慰謝するに足りる金銭の額は、100万円を下らない。また、その1割に相当する10万円も、弁護士費用として、被告新潮社の名誉毀損行為と相当因果関係のある損害である。 イ 原告X1のみに生じた損害 (ア)名誉毀損による損害 被告新潮社及び被告大藏映画による名誉毀損行為により、原告X1は甚大な精神的苦痛を被ったところ、その苦痛を慰謝するに足りる金銭の額は、200万円を下らない。また、その1割に相当する20万円も、弁護士費用として、上記名誉毀損行為と相当因果関係のある損害である。 (イ)期待権侵害による損害 被告大藏映画らによる本件映画の公開中止により、原告X1は計り知れない精神的苦痛を被ったところ、その苦痛を慰謝するに足りる金銭の額は、100万円を下らない。また、その1割に相当する10万円も、弁護士費用として、上記侵害行為と相当因果関係のある損害である。 (ウ)人格権侵害による損害 110万円 被告大藏映画らによる本件データ等の廃棄行為により、原告X1は多大な精神的苦痛を被ったところ、その苦痛を慰謝するに足りる金銭の額は、100万円を下らない。また、その1割に相当する10万円も、弁護士費用として、上記廃棄行為と相当因果関係のある損害である。 (被告らの主張) 争う。 第3 当裁判所の判断 1 認定事実 前記前提事実、証拠(後掲の各証拠のほか、証人L、証人E及び証人Fの各証言、原告X1、原告X2の本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。 (1)原告X1と被告大藏映画らの関係 原告X1は、平成7年に被告大藏映画が制作する映画の監督を務めて以降、被告大藏映画らにおいて、これまで約90本の映画の監督を務めてきた。(甲63、乙B9、B10、原告X1本人、証人E) (2)本件映画に係る企画書の提出(以下、平成29年の出来事については、月日のみを記載する。) ア 原告X1は、9月4日、Eに対し、次回作に関し、3通の企画書を提出した。企画書の題名は、それぞれ、「人妻不倫腐れ縁・光陰如流水」、「昭和天皇と人間宣言」、「恋は思考を無効にす」というものであった。(甲13、14、63、乙B9) イ これに対し、Eは、9月19日、原告X1に対し、上記3通の企画書のうち、「昭和天皇と人間宣言」を採用する旨告げた上で、昭和天皇という特定の人物についてのストーリーとはしないこと、設定を特定の国とせず、架空の国王とすることという条件の下で、脚本を作成するよう指示した。(甲63、原告X1本人) (3)脚本制作及び映画撮影の経緯 ア 準備稿1の提出 (ア)原告X1は、9月29日、Eに対し、初回の準備稿(以下「準備稿1」という。)を提出した。 準備稿1は、「朕、人妻と密会す」という題名に変更されていたが、前記企画書と同様、「陛下」や「皇后陛下」が登場人物とされていた。また、場所については、「某国街頭」とされているものの、冒頭では、「あなたは陛下についてどう思いますか、王とは一体何なのだろうか」という質問につき、皇居、繁華街、丸の内、風俗街、高麗神社、靖国神社等で街頭インタビューが行われるという内容であった。 そして、これに引き続き「この映画にモデルはない」との字幕が表示されるものの、「今から数十年前敗戦間も無い頃、某国で長年生き神と祀られていた陛下は人間宣言をし、地方へ敗戦に打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民に人間王として直にお話しする為に巡幸していた。」というナレーションが流れるほか、「国際裁判でA級戦犯にされた御臣下の事を心病んでおられるのでしょうか。」、「国体維持」、「進駐軍」、「実際、そのように陛下は敗戦受け入れ直前の御前会議で、そう話していたのだ」などといったセリフやナレーションが存在した。 (イ)これに対し、Eは、しばらく返信をしなかったが、10月27日になって、原告X1からメールで催促をされたことを受け、原告X1に電話をし、設定について架空性をより強めるように指示をしたものの、それ以上に具体的な問題点を指摘することはなかった。 また、Eは、その際に、原告X1に対し、本件脚本の作成につき別の脚本家の関与を得て共作とすることを打診したところ、原告X1もこれを了解、Eの挙げた複数の候補者の中から、原告X2に参加を求めることとした。(以上につき、甲15、63、原告X1本人) イ 準備稿2の提出 原告X1は、11月8日、Eに対し、2回目の準備稿(以下「準備稿2」という。)を提出した。 準備稿2では、登場人物は、「王」、「皇后」に改められたほか、冒頭で「この映画にモデルはない」との字幕が表示された上で、「これは時代不詳の某霊長類立憲君主星での出来事である。」とのナレーションが流れるものとされ、また、「モスラ族」が登場人物として設定されるという違いが見られた。他方、「王は長年神として崇められていたが敗戦を期に霊長類宣言をし、打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民と直にお話しする為に巡幸していた。」とのナレーション部分が記載されていた。 また、「国体維持」、「宇宙裁判でA級戦犯にされた御臣下の事を心病んでおられるのでしょうか。」、「朕はこの度の敗戦に重大な責任があり」、「国体維持」、「実際、そのように王は敗戦受け入れ直前の御前会議で、そう話していたのだ」、「宮内庁」などといったセリフやナレーション等が存在するほか、「詔書(しょうしょ)国体はゴジ(護持)されたぞ朕はタラフク食っているぞナンジ人民飢えて死ねギョメイギョジ御名御璽?」と記載されたプラカードが登場する。(以上につき、甲16) ウ 原告X2の脚本への参加 原告X1は、11月9日、原告X2に対し、準備稿2を提供した上で、脚本の共作を打診したところ、前向きに検討する旨の返答を得た。そこで、原告X1は、同日、Eに対し、原告X2が共作につき前向きに考えている旨を報告したところ、Eは、同日、「了解しました!X1監督の描きたい要素を汲み取って新しい世界が描かれることを期待してお待ちします」と返信した。 なお、Eから、原告X2に対し、脚本作成に当たって、誰が見ても天皇を想起しない内容にする必要がある旨や、登場人物が天皇であるという印象を弱めるようにする必要がある旨を告げることはなかった。(以上につき、甲17、18、34、63、証人E、原告X2本人)。 エ キャスティング作業の進行 その後、原告X1は、11月14日頃からキャスティング等の作業に着手し、Eに対しても、主演女優への打診状況等について報告していたが、Eから、配役やスケジュールにつき異論が出されることはなかった。(甲19〜33) オ 準備稿3の提出 (ア)原告X1は、12月1日、Eに対し、原告X2による改訂を経たものとして、3回目の準備稿(以下「準備稿3」といい、準備稿1及び2と併せて、「各準備稿」と総称する。)を提出した。 準備稿3は、冒頭、テーブルの端に座っている王の反対側に「サングラスをかけた外人がパイプをくわえて座って」おり、その「外人」が、「普通さ、君、処刑だよね、負けたんだから、でもさ、そうすると大変なことになるってみんな言うからさ、君、生きてていいよ。でさ、巡幸っていうの?あちこち地方回ってさ、頑張れとか言っちゃってくれる?」と発言するシーンから開始する。 その後、「この映画にモデルはない」との字幕が表示され、「これは時代不詳の某霊長類立憲君主星での出来事である。」とのナレーション部分が記載されているのは、準備稿2と同様である。 また、「王は長年神として崇められていたが敗戦を期に霊長類宣言をし、打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民と直にお話しする為に巡幸していた。」とのナレーション部分は依然として記載されていた。 さらに、「国体維持」、「宇宙裁判でA級戦犯にされた御臣下の事を心病んでおられるのでしょうか。」、「象徴としての国家行事が目白押しです。国体の維持に空白は許されません」、「東京空襲」、「実際、そのように王は敗戦受け入れ直前の御前会議で、そう話していたのだ」、「宮内庁」などといったセリフやナレーション等が引き続き存在するほか、「詔書(しょうしょ)国体はゴジ(護持)されたぞ朕はタラフク食っているぞナンジ人民飢えて死ねギョメイギョジ御名御璽?」と記載されたプラカードが登場する。 (イ)その後、原告X1は、12月1日、原告X2に対し、「Eさんから基本的にオッケイ頂きました。細かいところで又連絡差し上げます。」とのメッセージを送った上で、12月3日、Eから指摘を受けた@国名を指定しないこと、A薬物注射の描写を中止することの2点を踏まえたものとして、準備稿3を更に改訂した原稿を原告X2に送付した。(以上につき、甲34〜36) カ 最終稿の提出 原告X1は、12月17日、Eに対し、「これから大きく変わることはないと思いますので台本をお送りしいたします。」と伝えた上で、最終稿(本件脚本)を提出した。 最終稿(本件脚本)は、「東京空襲」が「帝都空襲」に変更されているのを除き、前記オにおいて認定した内容は変更されていなかった。 また、最終稿(本件脚本)には、冒頭に配給、監督、脚本、撮影照明、編集等のクレジットが記載されるとともに、今後の撮影スケジュールも記されていたが、Eからは、これに対する特段の指摘はなかった。(以上につき、甲37、63、原告X1本人) キ 被告オーピー映画による本件映画の代金の支払 被告オーピー映画は、12月20日、本件映画の買取金額207万3000円のうち120万円を支払った。(甲8、弁論の全趣旨) ク 本件映画の撮影 本件映画は、12月25日にクランクインし、平成30年1月3日に撮影が終了した。(甲63、弁論の全趣旨) (4)試写会の実施等(以下、平成30年の出来事については、月日のみを記載する。) ア 1月11日、都内にある東映ラボ・テックの試写室にて、初号技術試写(オールラッシュ。映像のみの試写であり、音声は入っていない。)が行われ、Eのほか、被告大藏映画の検定担当者であるM(以下「M」という。)と映倫の審査員2名が出席したが、映画の内容につき、EやMらから、特段の指摘を受けることはなかった。(甲63、弁論の全趣旨) イ 1月14日、都内の録音スタジオにてアフレコが行われた。原告X1は、1月15日、Eに対し、前日にアフレコが無事終了したことを伝えるとともに、公開日が決定したら教えてほしい旨を依頼するメッセージを送ったところ、Eは、同日、「了解しました!お疲れ様です寂しいですが前を向いてまた次回も進みましょう!!」と返信した。これに対し、原告X1は、「次回!何しましょう?がんばります!」と返信した。(甲38、39、40、63) ウ Eは、1月18日、原告X1に対し、「ハレンチ君主、公開日は2/16(金)〜2/22(木)となりました。お誕生日公開です。来週の初号、楽しみにしてますのでよろしくお願いします!」とのメールを送付した。(甲66) エ 1月26日に、東映ラボ・テックにおいて、スタッフやキャスト等を集めた試写会(初号試写会)が行われ、EとMも同席したが、同人らから特段の指摘を受けることはなかった。(甲63、弁論の全趣旨) オ 原告X1は、1月27日、Eの指示を受けて、被告大藏映画の映像部に所属するNに対し、決定台本を送付したが、これに対しても、被告大藏映画から特段の指摘を受けることはなかった。(甲48、49、弁論の全趣旨) カ 被告オーピー映画は、1月31日、原告X1に対し、本件映画の買取代金の残額87万3000円を支払った。 また、この頃、被告大藏映画らは、マスコミに配布するとともに、公開予定の劇場に掲示するためのプレスシートを作成したが、同プレスシートには、「キャスト」として「皇后」や「侍従長」といった配役が記載されているほか、「あらすじ」として、「敗戦間もないころ王は人間宣言をし、地方へ敗戦に打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民に人間として直にお話しする為に巡幸していた頃の物語」、「生物学者の王」、「王の失踪に大騒ぎになったのは宮内庁だった。」との記載が存在する。(以上につき、甲59、63) キ 2月2日には、映倫の試写室にて、いわゆる映倫試写(本件試写会)が行われた。 本件試写会は、原告らの同意の下で行われたところ、被告大藏映画の社内試写(公開前に、社内の劇場関係者や営業関係者に向けて内容を確認してもらうための試写)も兼ねており、映倫の審査員のほか、被告大藏映画からも、E、Mに加え、Fなど、本件映画の上映が予定されていた映画館の支配人などの合計9名が同席をした。また、原告X1の知り合いの評論家であるH、ライター、スチールマン等4名も参加した。 そして、被告大藏映画からの参加者による寸評の中には、「題材がキワもので政治色もあり、娯楽作品として楽しめなかった。」、「果たして白黒撮影、そしてこのテーマで撮る必然性があったのか?」というコメントはあったものの、それ以上に、本件映画を公開すべきでないとの指摘をしたものは存在しなかった。 (以上につき、甲50、53、乙A7、乙B9、原告X1本人、弁論の全趣旨) (5)公開中止に至る経緯 ア 被告大藏映画らは、2月上旬頃までには、本件映画の予告編を作成し、インターネット上で配信するとともに、本件映画の宣伝用ポスターを制作した。(甲63、弁論の全趣旨) イ Mは、2月11日、原告X1に電話をし、上野オークラ劇場に備え置かれていた本件映画のチラシを撤去するように求めた。これに対し、原告X1は、その理由を尋ねたものの、Mは、「上の命令だから」と答えるのみで、それ以上に具体的な説明をしようとはしなかった。(甲63、弁論の全趣旨) ウ Eは、2月12日、原告X1に電話をし、公開中止は回避されたようである旨伝えた。(甲63、弁論の全趣旨) エ Eは、2月15日午前10時頃、原告X1に電話をし、被告大藏映画において本件映画を再編集した上で公開する予定である旨を伝えた。 そして、Eは、同日午後6時頃、原告X1に対し、本件映画については技術的に再編集ができなかったため、公開の延期が決定されたことを伝えた。(甲63、弁論の全趣旨) オ Eは、2月16日午後5時55分頃、原告X1に対し、「打ち合わせの結果、公開は中止になりました わたしの詰めの甘さから悲しい事態を引き起こしてしまい申し訳ありませんでした」、「X1組の次回作の打ち合わせも落ち着いたらさせてください 今後とも、何卒よろしくお願いします!」とメールで送信した。(甲45、46) (6)その後の経緯 ア 原告X1、E及び本件映画の撮影を担当したカメラマンの3名は、2月23日、調布市内で協議を行った。同協議の場では、主として、原告X1の次回作についての打合せが行われた。(甲63、証人E、原告X1本人) イ Eは、2月26日、原告X1に対し、「ハレンチ君主、データを会社で全て預かることになりました監督が保管しているハードディスクなどデータが入っている物を一度お預かりさせてくださいなるべく早い方がいいです」とのメールを送信した。(甲60) ウ Eは、2月28日、原告X1に対し、「一度、全ての素材を会社に集めてこれで全てです、とわたしが会社に説明することになりましたので、迅速に対応しているところを見せたいのです」とのメールを送信した。 これを受けて、原告X1は、本件データ等を被告大藏映画に提出した。(以上につき、甲61) (7)事実認定の補足説明(本件映画の採用条件について) ア 被告大藏映画らは、本件映画につき企画書が持ち込まれた段階から、本件映画を採用する条件として、誰が見ても天皇を想起しない内容とすることが約束されていたにもかかわらず、原告X1が実際に制作した映画の内容は、当該約束に反するものであった旨主張し、証人E及び証人Fもこれに沿う証言をする。 そこで検討するに、前記認定事実によれば、原告X1は、本件映画の制作に至るまで、被告大藏映画らの下、多数の映画の制作に関与してきており、被告大藏らと良好な関係にあったことが認められることからすると、本件映画に限り、原告X1が、被告大藏映画らの一貫した指示を無視して本件映画の制作を強行したとするのは、極めて不自然である。その上、本件映画の制作担当であったEが原告X1に対し、そもそも上記のような条件を指示したことを裏付ける客観的な証拠は提出されていない。 かえって、本件事実経過をみると、前記認定事実によれば、@原告X1は、Eに対し、3度の準備稿の提出を経て、平成29年12月17日に最終稿を提出しているところ、それらにおいては、一貫して、「王は長年神として崇められていたが敗戦を期に霊長類宣言をし」、「生活苦にあえぐ国民・・・直にお話しする為に巡幸していた」、「国体維持」、「A級戦犯」、「敗戦受け入れ直前の御前会議」といった、太平洋戦争直後の我が国や昭和天皇を明らかに想起させるような記載が存在すること、AEは、それらの脚本の内容を確認していながら、同年12月20日には、本件映画の代金の一部を支払っていたほか、その頃、原告X1が同月25日から本件映画の撮影を開始することを承認していること、B原告X2の脚本への関与は、脚本の内容を大きく変更することができる絶好の機会であったはずであるにもかかわらず、Eは、原告X2に対し、昭和天皇を想起させないような脚本にすべき旨指示をしていないこと、CEは、平成30年1月15日のアフレコ終了時にも、特段異議を述べることなく、むしろ、原告X1の次回作についても言及していること、DEやMは、同年1月以降、試写会に計3回参加し、本件映画を実際に視聴したにもかかわらず、その際に、原告X1に対し、映画の内容につき、条件と異なるなどといった抗議を一切行っていないこと、Eむしろ、被告大藏映画らは、年明け以降は、宣伝用の動画やプレスシートを作成するなど、本件映画の積極的な宣伝活動を行っているところ、同プレスシートには、「敗戦間もないころ王は人間宣言をし、地方へ敗戦に打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民に人間として直にお話しする為に巡幸していた頃の物語」、「王の失踪に大騒ぎになったのは宮内庁だった。」などと、敗戦後の日本や昭和天皇を明らかに想起させるような記載が存在すること、F被告大藏映画が本件映画の公開中止を決定した際にも、Eは、自らの詰めが甘かった旨謝罪をする一方で、原告X1が約束を守らなかったことを非難するような言動には一切及んでいないこと、Gさらには、2月23日には、原告X1とEは、次回作についての打合せを行っていること、以上の各事実が認められる。 上記認定事実によれば、少なくともEとしては、各準備稿や最終稿において、昭和天皇を想起させる内容が含まれていることを格別問題にしていなかったことが認められ、むしろ、E自身は、原告X1が自らの指示に従っているものと認識し、映画の撮影開始や映画の買取りまで了承した上、試写会で視聴した本件映画の内容にも抗議をせず、本件映画の公開中止が決定された後も、原告X1に対し、友好的な態度を示していたことが認められる。 これらの事情の下においては、被告大藏映画らは、Eを通じ、原告X1に対し、誰が見ても天皇を想起しない内容とすることを条件として求めていなかったものと認めるのが相当である。 したがって、上記のような条件を求めていたという被告らの主張は、本件映画の公開中止を一方的に原告X1の責任に押し付けるための後付けのものにすぎず、E及びFの証言は、上記事実経過に照らし、その信用性を欠くというほかない。 イ(ア)Eは、原告X1による撮影を許可したのは、3度の準備稿の提出を経て、少しずつ内容が変わっていったため、最終的には原告X1が指示に従った修正を行うものと信じたためである旨主張する。 しかしながら、原告X1が3度にわたって提出した準備稿には、一貫して昭和天皇を明らかに想起させる内容が含まれており、しかも、最終稿に至っても、依然として、「敗戦を機に霊長類宣言」、「国体維持」、「宮内庁」、「朕はタラフク食っているぞナンジ人民飢えて死ねギョメイギョジ御名御璽?」といった記載が存在していたことは、既に説示したとおりである。そうすると、Eは、上記内容を了承していたと推認するのが相当であり、これを覆すに足りる的確な証拠はない。そうすると、Eの証言は、自己保身を図るものというほかなく、信用性を欠くといわざるを得ない。 (イ)Eは、脚本の内容が条件を満たしていない状況下で本件映画を買い取った理由として、これまで被告大藏映画らにおいて、一旦制作された映画の買取りを拒否した前例がなかったため、独断で買取りを決定した旨証言する。 しかしながら、条件を満たしていないのに一旦映画を買い取ってしまうと、本件映画の公開に向けて後戻りすることが困難になり、周囲に大きな迷惑を掛けることは、自明であって、Eが買取りを先行させたというのは、明らかに不自然である。この点につき、Eは、原告X1の行為が明確に信頼関係を壊す行為であると感じていたにもかかわらず、そのまま進めざるを得ない旨判断したことにつき(乙B9)、法廷において合理的な理由を一切示すことができないことを踏まえても(証人E〔35頁及び36頁〕)、証人Eの証言は、合理性を欠くものであり、信用性が極めて低いといえる。 (ウ)Eは、本件映画の公開中止が決まった後にも原告X1との間で次回作についての協議をしていたのは、自らの八方美人的な性格に起因する態度であったにすぎない旨証言する。 しかしながら、Eは、陳述書において、原告X1の裏切りにより「失望と虚無感でいっぱいになり、わたしの心は殺されました。」、「考えれば考えるほどショックでした。」、「明確に信頼関係を壊す行為です。」などとまで陳述しているのであるから、真実、原告X1にそのような感情を抱いていたのであれば、そのような状況下で、あえて次回作についての協議をしていたというは極めて不自然である。したがって、Eの証言及び陳述は、その後の自己の行動にも矛盾するものであり、信用性を欠くというほかない。 ウ その他に、被告大藏映画らの主張及び提出証拠を改めて検討しても、被告大藏映画らの主張は、具体的な裏付けを欠くもの又は本件映画の制作経緯に係る客観的な事実に矛盾するものというほかなく、前記判断を左右するに至らない。 2 名誉毀損の成否に係る判断枠組み (1)名誉を毀損するとは、人の社会的評価を低下させることをいうところ、ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものと解される(最高裁昭和29年(オ)第634号同31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁参照)。また、事実を摘示しての名誉毀損と意見ないし論評による名誉毀損とでは、不法行為責任の成否に関する要件が異なるため、問題とされている表現が、事実を摘示するものであるか、意見ないし論評の表明であるかを区別することが必要となるところ、上記の理は、当該区別に当たっても、妥当するものというべきである(最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。 (2)そして、事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記事実が真実であることの証明がないときにも、行為者において上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁、最高裁昭和56年(オ)第25号同58年10月20日第一小法廷判決・裁判集民事140号177頁各参照)。一方、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきである(最高裁昭和55年(オ)第1188号同62年4月24日第二小法廷判決・民集41巻3号490頁、最高裁昭和60年(オ)第1274号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁各参照)。そして、仮に上記意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、事実を摘示しての名誉毀損における場合と対比すると、行為者において上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当である(最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。 3 本件記載1について (1)名誉毀損の成否(争点1−1) ア 摘示事実等 前記前提事実によれば、本件記載1の内容は、「不敬描写で2月公開が突如延期!「昭和天皇」のピンク映画」、「王のモデルが天皇陛下だとすると、宮内庁が目をむきそうだが、いくつかのバージョンがある映画の解説文やあらすじを読むと、それはより明確になる。」、「映画に登場する王の風貌も含めて、昭和天皇をモデルにしているのは明らかなのだ。」、「その脚本には、不敬描写がこれでもかと連ねられ・・・」、「過去に不敬映画と評された主なケースをリストにしてまとめたが、そこに連なる作品であることは間違いなかろう。」、「民族派右翼の重鎮、「二十一世紀書院」代表のC氏が苦言を呈す。・・・不敬な映画かなという気がします。・・・こういう映画を作ること自体、許されざることだと思います。」というものであることが認められる。 上記認定事実によれば、本件記載1は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、@本件映画が昭和天皇をモデルとしたピンク映画であるという事実を摘示した上で、その事実を前提に、A本件映画は不敬な映画であり、このような本件映画を制作すること自体、社会的に許されるものではない旨の意見ないし論評を表明したものであると認めるのが相当である。 イ 名誉毀損の成否 (ア)上記@の事実 上記@の事実は、本件映画が昭和天皇をモデルとしたピンク映画であるということを摘示するものであり、単に本件映画の客観的な内容を紹介するものにすぎないから、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、これをもって原告らの社会的評価が直ちに低下するということ はできない。 これに対し、原告らは、「昭和天皇のピンク映画」という記載のみをもって、不適切な映画を制作したという事実を摘示するものである旨主張するが、当該事実を摘示すること自体は、本件映画の客観的な内容を紹介するにとどまるものといえる。したがって、原告らの主張は、採用することができない。 (イ)上記Aの意見ないし論評 前記認定事実によれば、本件記載1は、本件映画は、不敬な映画であり、このような本件映画を制作すること自体、社会的に許されるものではない旨の意見ないし論評を表明したものであるといえる。そうすると、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、原告らは社会的に許されないような映画を制作したのであり、本件映画の監督、脚本等を担当した原告らの資質等に問題があるという印象を与えるものといえる。 したがって、上記Aの部分は、原告らの社会的評価を低下させるものと認めるのが相当である。 ウ 被告新潮社の主張 (ア)被告新潮社は、本件記載1は、飽くまで本件映画に対する評価であり、原告らに対する評価とは無関係である旨主張する。 しかしながら、著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、財産的価値と人格的価値とを表す側面を有するものといえるから、本件映画に対する評価は、本件映画の監督、脚本等を担当した原告らの評価とも密接不可分の関係にあるといえる。そうすると、被告新潮社の主張は、著作物の上記の性質を正解するものとはいえず、採用することができない。 (イ)被告新潮社は、本件記載1は、皇族には名誉毀損や肖像権侵害に対する反論権がないことをもって不敬と表現したものにすぎない旨主張する。 しかしながら、本件記事全体をみると、本件映画における描写そのものをもって不敬である趣旨をいうものと認めるのが相当であるから、被告新潮社の主張は、上記と異なる前提に立って主張するものである。のみならず、本件記載1は、本件映画が不敬な映画であるというにとどまらず、本件映画を制作すること自体、社会的に許されるものではない趣旨までいうものであるから、被告新潮社の主張は、前記判断を左右するに至らない。したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。 (ウ)被告新潮社は、「不敬映画」と評することは、社会的相当性の範囲内のものであり、本件記載1は、名誉毀損の成立に必要な類型的実質的違法性を欠く旨も主張するが、上記において説示したところを踏まえると、独自の見解をいうものといえ、採用することができない。 (エ)その他に、被告新潮社の主張及び提出証拠を改めて検討しても、被告新潮社の主張は、前記判断を左右するに至らない。 (2)違法性阻却事由の有無 ア 公共性及び公益目的の有無 前記前提事実及び前記認定事実によれば、本件記事は、本件映画が公開直前に上映中止となった事実、理由等を取り上げた上、本件記載1は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、@本件映画が昭和天皇をモデルとしたピンク映画であるという事実を摘示した上で、その事実を前提に、A本件映画は不敬な映画であり、このような本件映画を制作すること自体、社会的に許されるものではない旨の意見ないし論評を表明したものである。 そうすると、広く一般に公開される映画が公開直前に上映中止となることは、社会的には異例の事態であって、それ自体、社会の関心が高いものといえるから、本件記載1は、上記において説示した内容に照らしても、上記異例の事態に関連するものとして、公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的で掲載されたものと認めるのが相当である。 イ 原告らの主張 (ア)原告らは、本件映画が一般公開されず、公開延期となったことは、原告X1と被告大藏映画らという、私人間のプライベートな問題であるため、公共の利害に関する事柄ではない旨主張する。しかしながら、映画は、広く一般に公開されるものであることからすると、当該映画が公開直前に上映中止となる事態は、私人間のプライベートな問題にとどまらないというべきであり、原告らの主張は、上記判断を左右するに至らない。したがって、原告らの主張は、採用することができない。 (イ)原告らは、本件記事の内容に照らせば、本件記事の目的は、不敬映画を制作することが許されないことを強調して、制作者である原告らの氏名を晒した上で、社会的に非難、攻撃し、本件映画を公開させないようにすることにある旨主張する。 しかしながら、証拠(甲1)及び弁論の全趣旨によれば、本件記事全体を通してみても、本件記事は、本件映画を不敬映画として紹介しているものの、本件映画の監督や脚本を担当した原告ら個人に対し、殊更攻撃するような記載を認めることはできない。そうすると、原告らの主張は、本件記事が摘示する事実又は意見論評につき、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断するものとはいえず、採用することができない。 (ウ)原告らは、本件記事のタイトルが「昭和天皇のピンク映画」というセンセーショナルなものであり、本件記事を大々的に宣伝していたなどの事情に照らせば、被告新潮社には、本件記事によって週刊誌の売上げを増加させ、経済的な利益を図るという私的な目的も認められる旨主張する。しかしながら、上記において説示したところのほか、映画の上映中止という問題は、社会の関心が高く、原告らの主張のとおり、表現の自由にも関わる問題であることを踏まえても、原告ら主張に係る事情は、上記判断を左右するに至らない。したがって、原告らの主張は、採用することができない。 (3)真実性の有無 ア 前記認定事実及び証拠(甲7、48の2、原告X1本人、原告X2本人)によれば、@本件映画は、原告X1において、昭和天皇の別府への行幸をモチーフにして、「昭和天皇と人間宣言」というタイトルで脚本が制作されたものであり、もともと昭和天皇をモデルとしたものであること(原告X2本人、原告X1本人)、Aその後、Eの指示により、特定の国名を出さないこととされ、「天皇」が「王」に改められた上、形式上は、本件映画には「モデルはない」という設定に変更されたものの、「皇后」、「侍従長」や「宮内庁」が登場し、その「皇后」は、「宇宙裁判でA級戦犯にされた御臣下の事を心病んでおられるのでしょうか。」と発言するほか、「王」の一人称は「朕」であること、B本件映画の冒頭では、サングラスをかけてパイプをくわえた外国人が、「王」に対し、「普通さ、君、処刑だよね、負けたんだから、でもさ、そうすると大変なことになるってみんな言うからさ、君、生きてていいよ。でさ、巡幸っていうの?あちこち地方回ってさ、頑張れとか言っちゃってくれる?」と指示すること、C「王は長年神として崇められていたが敗戦を期に霊長類宣言をし、打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民と直にお話しする為に巡幸していた」、「実際、そのように王は敗戦受け入れ直前の御前会議で、そう話していたのだ」とのナレーションが存在すること、D「国体維持」という言葉が複数回登場すること、Eデモ隊が掲げるプラカードに「証書(しょうしょ)国体はゴジ(護持)されたぞ朕はタラフク食っているぞナンジ人民飢えて死ねギョメイギョジ御名御璽?」と記載されていること、F本件映画のチラシには「右の方も、左の方も心して観よ!」、「歴史のタブーに軽やかに切り込む禁断の王朝絵巻」、「某国の象徴としての王は、長年神として崇められていたが、敗戦を期に霊長類宣言をし、打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民と直に接する為に、自ら全国巡幸の途にあった。」という記載があること、以上の各事実が認められる。 イ 上記認定事実によれば、本件映画は、「モデルはない」という建前ではあるものの、実際には、太平洋戦争直後の日本をモチーフにしたものであって、登場する主人公である「王」が昭和天皇をモデルにしたものであることは明らかであり、原告らも、この点につき認める趣旨の供述をしている(原告X2本人13頁、原告X139頁)。また、証拠(甲2、68)及び弁論の全趣旨によれば、本件映画は、R18指定がされており、成人映画専門の映画館である上野オークラ劇場で上映される予定であって、その内容も、性描写が多数存在することが認められることからすると、本件映画がいわゆる「ピンク映画」に当たることも明白であるというべきである。 ウ したがって、本件記載1における意見ないし論評の前提としている事実は、重要な部分について真実であるものと認めるのが相当である。 (4)相当性の有無 本件記載1は、前記において説示したとおり、本件映画は不敬な映画であり、このような本件映画を制作すること自体、社会的に許されるものではない旨の意見ないし論評を表明したものであるものの、本件映画の監督や脚本を担当した原告ら個人に対し、殊更攻撃するような記載を認めることはできない。そうすると、本件記載1は、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとはいえない。 (5)小括 以上によれば、本件記載1を掲載する行為は、違法性を欠くものと認めるのが相当である。 4 本件記載2について (1)名誉毀損の成否(争点1−2) ア 摘示事実 前記前提事実によれば、本件記載2の内容は、「制作サイドは“思想的な意図は全くなかった”と言い訳しているそうです。」、「映画のチラシには〈右の方も、左の方も心して観よ!〉〈表現の自由はエロとスキャンダルから!〉といった文句が躍る。如何なる「意図」をもって映画を作ったのか。」、「それを質すため、X1監督にも取材を申し込んだところ、「現時点で自分のほうからは話すことはありません。」と言うのみだった。」というものであることが認められる。 上記認定事実によれば、本件記載2は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すると、本件映画の監督らの制作サイドは思想的な意図を否定しており、その点について取材を申し込んだものの原告X1はコメントを控えたという事実を摘示したものであるといえる。 イ 名誉毀損の成否 本件記載2は、原告X1自身は不敬思想をもって本件映画を制作したことを否定しており、その取材に対してコメントを控えた原告X1の対応を摘示するにとどまるものである。そうすると、本件記載2は、原告X1が不敬思想をもって本件映画を制作した旨断定するものではなく、むしろ、原告X1自身がこれを否定しているという事実を中心として摘示するものであるから、原告X1の社会的評価を直ちに低下させるものとはいえない。 ウ 原告X1の主張 (ア)原告X1は、取材に応じなかったという記載につき、不敬な意図を有していることを読者に理解させるものである旨主張する。 しかしながら、原告X1が取材に応じなかったという記載は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、原告X1がコメントを控えたものと理解されるにとどまり、これを超えて、原告X1が不敬な意図を有しているものと理解されるとはいえない。そうすると、原告X1の主張は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断するものとはいえず、採用することができない。 (イ)原告X1は、「言い訳している」という表現が、原告X1が本件映画を不敬な映画であると自覚していたことを読者に理解させるものである旨主張する。 しかしながら、本件記載2は、取材を受けた原告X1が本件映画には思想的な意図がなかったと弁明していることを前提として、取材をした側がこれを「言い訳している」と受け止めたというにすぎず、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、原告X1が本件映画を不敬な映画であると自覚していたとまで理解されるものとはいえない。そうすると、原告X1の主張は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断するものとはいえず、採用することができない。 (ウ)その他に、原告X1の主張及び提出証拠を改めて検討しても、原告X1の主張は、本件記載2に係る摘示事実を正解するものとはいえず、前記判断を左右するに至らない。 エ したがって、本件記載2を掲載する行為は、名誉毀損を構成するものと認めることはできない。 5 本件記載3について(争点1−3) (1)名誉毀損の成否(争点1−3) ア 摘示事実 前記認定事実のとおり、本件記載3の内容は、「原告X1の方から映画の企画を被告大藏映画に持ち込んでおり、その時点で大藏側は「昭和天皇をイメージしているなら止めてくれ」と伝えていたにもかかわらず、結局、昭和天皇に寄せすぎたものが出来上がってきた」という業界関係者の話を紹介するものであることが認められる。 上記認定事実によれば、本件記載3は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すると、原告X1は、事前に、被告大藏映画から、昭和天皇をイメージした映画を制作しないように伝えられていたにもかかわらず、昭和天皇を想起させるような内容の映画を作成したという、業界関係者から聞いた話を摘示したものであることが認められる。 イ 名誉毀損の成否 本件記載3が摘示する事実は、飽くまで業界関係者から聞いた話を伝えるものである上、本件映画の具体的な制作過程や具体的なやり取りを一切記載することなく、被告大藏映画の当初の意図に反した映画となった旨の結果を簡潔に述べるにすぎないものである。そうすると、当該結果に至る具体的な事情を離れて、上記の事実が摘示されただけでは、原告X1の社会的評価を直ちに低下させるものとまで認めることはできない。 しかも、証拠(乙A2)及び弁論の全趣旨によれば、被告の担当記者は、オークラ劇場の支配人に電話取材をした上、上記事実の詳細を事前に確認していたことが認められる。そうすると、仮に、上記事実が原告X1の社会的評価を低下させたという原告X1の主張に立ったとしても、業界関係者から直接聞いた話として上記事実の重要な部分は真実であり、違法性がなく、少なくとも上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があるといえ、故意又は過失がないものと認められる。したがって、原告X1の主張は、上記結論を左右するものとはいえない。 ウ 原告X1の主張 (ア)原告X1は、本件記載3は、原告X1において、被告大藏映画らの反対を押し切って、本件映画を独断で作成したものであり、映画監督として悪質であるという事実を摘示するものであると主張する。 しかしながら、本件記載3は、上記において説示したとおり、本件映画の具体的な制作過程や具体的なやり取りを一切記載することなく、被告大藏映画の当初の意図に反した映画となった旨の結果を簡潔に述べるにすぎないものであり、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、原告X1が映画監督として悪質であるという事実まで摘示するものと認めることはできない。したがって、原告X1の主張は、採用することができない。 (イ)その他、原告X1の主張及び提出証拠を改めて検討しても、原告X1の主張は、本件記載3に係る摘示事実の内容を正解するものとはいえず、前記判断を左右するものとはいえない。 エ したがって、本件記載3を掲載する行為は、名誉毀損を構成するものと認めることはできない。 6 本件記載4について (1)名誉毀損の成否(争点1−4) ア 摘示事実 前記前提事実によれば、本件記載4の内容は、「自宅前で大蔵映画のD社長に声をかけたところ、(中略)社長は、その場から上野オークラ劇場の支配人に電話をかけ、事実関係を確認した上でこう語った。「映倫の審査は普通に通っていたのですが、劇場支配人が“これはマズイだろう”と自分の判断で延期にした。監督も了承しており“申し訳なかった”と謝罪しているそうです。」」というものであることが認められる。 上記認定事実によれば、本件記載4は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すると、上野オークラ劇場の支配人が本件映画の延期を決めたのに対し、原告X1もこれを了承し謝罪しているという、被告大藏映画の社長が劇場支配人から直接電話で聞き取った事実を摘示したものであると認められる。 イ 名誉毀損の成否 本件記載4は、被告大藏映画の社長が上野オークラ劇場の支配人から直接電話で聞き取った事実を摘示するものにすぎず、原告X1が謝罪をしたのも、本件映画の公開延期という事態を招いたことに対するものであるから、劇場支配人と原告X1のやり取りをもって、原告X1の社会的評価を直ちに低下させるものとはいえない。 のみならず、証拠(乙A1)及び弁論の全趣旨によれば、被告の担当記者は、被告大藏映画の社長に対面取材をし、同社長は、その場で上野オークラ劇場の支配人に直接電話で事情を確認し、被告新潮社の担当記者は、本件記載4の摘示事実を現場で同社長から直接確認していたのであり、しかも、被告の担当記者は、その場で同社長から電話を代わり、上記支配人から直接上記摘示事実に関する事情を重ねて確認していたことが認められる。そうすると、仮に、本件記載4の摘示事実が原告X1の社会的評価を低下させたという原告X1の主張に立ったとしても、被告大藏映画の社長から直接聞いた話として上記摘示事実の重要な部分は真実であり、違法性がなく、少なくとも上記摘示事実を真実と信ずるについて相当の理由があるといえ、故意又は過失がないものと認められる。したがって、原告X1の主張は、上記結論を左右するものとはいえない。 ウ 原告X1の主張 (ア)原告X1は、本件記載4について、原告X1において抗議や不満の意思を示すことなく、公開延期の決定を易々と了承するとともに、謝罪をしたという事実を摘示するものであり、原告X1が作品に対し真摯ではないという印象を読者に与えるものであると主張する。 しかしながら、本件映画の監督である原告X1は、そもそも本件映画の公開延期を止めるような立場にない上、映画が急遽公開延期となれば、多くの映画関係者に迷惑を掛けることは自明であるから、原告X1がこれに謝罪したとしても、一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すれば、社会人として常識的な行動であるといえ、その事実のみをもって、原告X1が作品に対し真摯ではないという印象を読者に与えるものとはいえない。 したがって、原告X1の主張は、採用することはできない。 (イ)その他に、原告X1の主張及び提出証拠を改めて検討しても、原告X1の主張は本件記載4の摘示事実を正解するものとはいえず、前記判断を左右するものとはいえない。 エ したがって、本件記載4を掲載する行為は、名誉毀損を構成するものと認めることはできない。 7 小括 以上によれば、本件各記載を掲載する行為はいずれも名誉毀損を構成するものとはいえず、名誉毀損に関する原告らの請求はいずれも理由がない。 8 争点4(本件記事による本件脚本に係る原告らの公表権侵害の成否) (1)映画の公表と脚本の公表について ア 被告新潮社は、原告らが本件脚本の著作権を有していたとしても、本件映画が試写会で公開された際に、本件脚本も同時に公衆に提供されていたのであるから、その後、本件脚本が本件週刊誌に掲載されたとしても、本件脚本の公表権を侵害するものとはいえない旨主張する。 イ 著作権法4条3項は、翻訳物の公衆への提示等を原著作物の公衆への提示等と同視して、翻訳物が公表された場合には、原著作物も公表されたものとみなす旨規定しているところ、翻案物は、翻訳物よりも、原著作物からの創作的表現の幅が広いといえるから、脚本の翻案物である映画が、当該脚本の著作者又はその許諾を得た者によって上映の方法で公衆に提示等された場合であっても、上記脚本が公表されたものとみなすのは相当ではない。 他方、著作権法2条7項は、上演、演奏又は口述には、著作物の上演、演奏又は口述で録音され又は録画されたものを再生することなども含む旨規定しているところ、脚本の翻案物である映画が上映された場合には、当該脚本に係る実演が映写されるとともにその音が再生されるのであるから、著作物の公表という観点からすると、脚本の上演で録音され又は録画されたものを再生するものと実質的には異なるところはないといえる。 上記各規定の趣旨及び目的並びに脚本及び映画の関係に鑑みると、脚本の翻案物である映画が、脚本の著作者又はその許諾を得た者によって上映の方法で公衆に提示された場合には、上記脚本は、公表されたものと解するのが相当である。 これを本件についてみると、前記認定事実によれば、本件映画は、原告らの同意の下、本件試写会で上映されたところ、本件試写会は、映倫による審査に加え、公開前に被告大藏映画の内部で内容を確認することを目的として行われた社内試写にすぎず、その参加者も、映倫審査委員のほかには、被告大蔵映画の関係者が9名、外部の者は4名にとどまり、しかも、その外部の者も、原告X1の知り合い等であったことが認められる。そうすると、本件映画は、少数かつ特定の者に対し上映されたにとどまるものといえる。 したがって、本件試写会で本件映画を上映する行為は、公衆に提示されたものとはいえない。 ウ 以上によれば、本件脚本は、本件試写会において公表されたものとはいえず、本件脚本を原告らに無断で本件週刊誌に掲載する行為は、原告らの本件脚本に係る公表権を侵害するものと認めるのが相当である。 (2)被告新潮社の主張 ア 被告新潮社は、本件試写会には映画評論家等の関係者を含めた特定多数が参加しているため、制作陣以外の多数の者の要求を満たす程度にその内容が明らかとされた旨主張する。しかしながら、前記認定以上に、映画評論家等多数の関係者が本件試写会に参加していたことを認めるに足りる的確な証拠はなく、前記認定を前提とする限り、本件脚本は、公衆に提示されたものということはできない。 したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。 イ 被告新潮社は、原告X1は本件試写会において本件脚本を一般公開する意図の下、本件試写会を実施したものである以上、本件脚本がその後公表されることに同意していた旨主張する。 しかしながら、著作者は、その著作物でまだ公表されていないものを公表するか否かを決定する公表権(著作権法18条)を有するところ、その著作物には著作者の人格的価値を左右する側面があることに鑑みると、公表権には、公表の時期、方法及び態様を決定する権利も含まれると解するのが相当である。これを本件についてみると、原告X1が公表につき同意したのは、飽くまで、本件試写会におけるものにとどまると認めるのが相当であり、それを超えて、本件脚本がその後本件週刊誌に掲載されることにまで同意していたことを認めるに足りる客観的な証拠はない。 したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。 ウ その他に、被告新潮社の主張及び提出証拠を改めて検討しても、被告新潮社の主張は、公表権の趣旨、目的を正解しないものに帰し、いずれも採用することができない。 9 争点5(本件映画の公開中止による原告X1の期待権侵害の成否) 原告X1は、本件映画の公開につき法的保護に値する期待権を有していたところ、被告大藏映画らが原告らに対する十分な説明なく、一方的に本件映画の公開を中止したことにより、同期待権が侵害された旨主張する。 そこで検討するに、前記前提事実のとおり、被告オーピー映画は、207万3000円を支払って、原告X1から、本件映画に係る著作権を譲り受けたことが認められる。そのため、原告X1が本件映画の公開を期待していたとしても、自らの判断で本件映画の著作権を207万3000円で譲渡している以上、本件映画を利用できるのは著作権者又はその許諾を得た者に限られることは明らかである。そうすると、原告X1の上記にいう期待は、事実上のものにすぎず、法律上保護される利益であるとまで認めることはできない。 したがって、原告X1の主張は、採用することができない。 10 争点6(本件データ等の廃棄による原告X1の人格権侵害の成否) 原告X1は、被告大藏映画らが本件データ等を廃棄した行為につき、本件映画が原告X1の人格、思想及び表現を具現化したものであり、原告X1にとって唯一無二の作品であるのに、本件映画の公開を永久に不可能にするものであることを踏まえると、原告X1の人格そのものを否定する人格権侵害に当たり、原告X1に対する不法行為を構成する旨主張する。 しかしながら、本件データ等は、本件映画の著作物の一部といえるところ、原告X1は自らの判断で本件映画の著作権を207万3000円で譲渡している以上、本件映画の全部又は一部を利用できるのは著作権者又はその許諾を得た者に限られることは明らかである。その他に、著作権法が規律の対象とする本件映画の利用による利益とは異なる利益が侵害されたことを具体的に主張立証するに足りず、その他に本件に現れた諸事情を考慮しても、原告X1主張に係る利益は、著作権法が規律の対象とする本件映画の利用による利益をいうものに帰し、人格権によって保護される法的利益ということはできない。 したがって、原告X1の主張は、採用することができない。 11 争点7(本件映画の著作権の帰属) 原告X1は、被告オーピー映画において、本件著作権譲渡契約に付随する義務として、本件映画の公開延期や公開中止を決定するに当たっては、原告X1に対して十分な説明を行うとともに、原告X1との間で十分な協議を尽くす信義則上の義務を負っていたというべきところ、被告オーピー映画は、そのような義務に違反したものであるから、原告X1による契約解除の意思表示により、本件映画の著作権は、原告X1に帰属する旨主張する。 しかしながら、原告X1は自らの判断で本件映画の著作権を207万3000円で譲渡している以上、本件映画を利用できるのは著作権者又はその許諾を得た者に限られることは、上記において繰り返し説示したとおりである。そうすると、被告オーピー映画が上記にいう信義則上の義務を直ちに負っていたものと解することはできず、その他に本件に現れた諸事情を考慮しても、上記義務を負うことを裏付けるに足りる事情を認めるに足りない。 したがって、原告X1の主張は、採用することができない。 12 争点8(損害額) 公表された本件脚本の内容、性質、分量等に加え、本件映画を不敬映画と評する記事の中で紹介された公表の態様、本件脚本が公表された週刊誌の内容、性質、社会に対する影響力、その他の前記事実関係に照らすと、原告らが本件脚本に係る公表権を侵害されたことによる精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告らにつき各30万円を認めるのが相当である。また、本件事案の内容、難易度、審理経過及び認容額等に鑑みると、これと相当因果関係あると認められる弁護士費用相当損害額は、原告らにつき各30万円の1割である各3万円を認めるのが相当である。 そうすると、被告新潮社は、原告らに対し、各33万円及びこれに対する平成30年3月1日(本件週刊誌の発売日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払義務を負うものと認めるのが相当である。 したがって、原告らの請求は、被告新潮社に対し、各33万円及びこれに対する平成30年3月1日(本件週刊誌の発売日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余の部分はいずれも理由がない。 13 その他 その他に、当事者双方提出に係る準備書面及び証拠を改めて検討しても、本件事案の経過及び内容に鑑みると、前記判断を左右するに至らない。したがって、上記判断に反する原告ら及び被告らの主張は、いずれも採用することができない。 そして、原告らは、弁論終結後、新たに被告大藏映画らの代表者の本人尋問を行うことを求めて弁論の再開を求めているものの、上記において説示したところを踏まえると、弁論を再開して当事者に更に攻撃防禦の方法を提出する機会を与えることが明らかに民事訴訟における手続的正義の要求するところであると認められるような特段の事由があるものとはいえず、弁論を再開しないこととする。 なお、付言するに、被告大蔵映画らは、原告らの本件映画をめぐる将来の表現活動を保障する観点から、当裁判所の和解勧告に従って、本件映画の著作権を原告らに譲渡することに最終的には合意していたのであり、当審では他の条件が折り合わず和解成立に至らなかったものの、原告らの表現活動を保障するという観点から、上記和解勧告の趣旨目的及び本判決の結果を踏まえ、改めて今後和解協議が当事者間において再開されることが望まれるところである。 第4 結論 よって、原告らの請求は主文の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからいずれも棄却して、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第40部 裁判長裁判官 中島基至 裁判官 小田誉太郎 裁判官 古賀千尋 (別紙1)映画目録 映画の題名 ハレンチ君主いんびな休日 制作年 2018年 監督 X1 脚本 X1・X2 以上 (別紙2)謝罪広告 当社は、当社発行の「週刊新潮」平成30年3月8日号において、概略以下のような印象を読者に与える記事を掲載いたしました。 ・「ハレンチ君主いんびな休日」と題する映画(監督:X1氏、脚本:X1氏・X2氏)は、昭和天皇をイメージして制作されたものであって、「不敬映画」に該当し、本来制作が許されないものである。 ・X1氏は、映画制作会社の意向に反して同映画を制作した。 ・X1氏は上記の事実を自認し、映画制作会社に対して謝罪した。 ・X1氏は本社の取材に対し「現時点で自分のほうからは話すことはありません」と回答した。 しかしながら、これらの内容は事実ではなく、上記の記事はX1氏やX2氏の名誉を著しく毀損するものでした。 また、上記の記事は、X1氏及びX2氏の同意を得ることなく、同映画の脚本を引用しており、X1氏及びX2氏の著作者人格権を侵害するものでした。 これらの記事により、X1氏及びX2氏に対して多大なるご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます。 株式会社新潮社代表取締役社長 О 「週刊新潮」編集長 P 以上 (別紙3)掲載要領 1 使用する活字 14ポイントの明朝体 2 掲載載(ママ)場所 広告・グラビアを除いて表紙から最初の頁 (別紙4)本件記事(省略) (別紙5)
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