判例全文 line
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【事件名】「ホンダ50年社史」事件
【年月日】令和3年12月8日
 東京地裁 令和2年(ワ)第2426号 不当利得返還請求事件
 (口頭弁論終結日 令和3年12月3日)

判決
原告 A
同訴訟代理人弁護士 横山康博
同 岩ア泰一
同 平村樹志雄
同 横山丈太郎
被告 本田技研工業株式会社
同訴訟代理人弁護士 前田哲男
同 中川達也
同 福田祐実


主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、200万円及びこれに対する令和2年2月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
 本件は、別紙1原告著作物目録記載の書籍(以下「原告書籍」という。)の著作者である原告が、被告によって平成11年3月25日に発行された「語り継ぎたいことチャレンジの50年」と題する被告の社史(以下「被告社史」という。)は原告書籍を無断で翻案したものであり、被告は翻案を許諾することの対価相当額200万円の支払を免れたとして、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、200万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である令和2年2月29日から支払済みまで平成29年法律第44号による改正前の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実(当事者間に争いがない事実並びに後掲の証拠(以下、書証番号は特記しない限り枝番号を含む。)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1)当事者
ア 原告は、翻訳家、フリーライターである(甲2)。
イ 被告は、自動車等の製造、販売等を目的とする株式会社である(甲1、弁論の全趣旨)。
(2)被告による二輪レースへの参加状況
 被告は、昭和34年(1959年)から二輪世界GPに参加し、8年目の昭和41年(1966年)に5クラス完全制覇を遂げ、それを機に当該レースから撤退した。
 被告は、昭和54年(1979年)から二輪世界選手権500ccクラスに再挑戦し、この過程で楕円ピストン(ないし長円形ピストン)エンジンの開発に成功し、昭和57年(1982年)には再び世界GPで優勝した(甲1、2。以下、この一連の再挑戦の過程を「二輪世界選手権への再挑戦」ということがある。)。
(3)原告と被告との関係等
 原告は、少なくとも昭和62年11月から平成20年12月までの間、二輪レース活動を行う被告の関連会社である株式会社ホンダ・レーシングと契約を結び、コーディネーター、外国人レーサーの通訳として活動した。また、原告は、少なくとも平成17年4月から平成20年12月までの間、被告の広報部とも契約を結び、コーディネーターとして活動した。
(4)原告書籍
 原告は、被告の二輪世界選手権への再挑戦について、被告の関係者等に取材した実話に基づいて原告書籍を執筆し、原告書籍は昭和63年10月31日頃に出版された。原告書籍は言語の著作物に該当し、原告はその著作者として著作権を有している(甲2、弁論の全趣旨)。
 原告書籍には、別紙2記述対比表の「原告書籍」の「ページ」欄記載の頁に、同「記述内容」欄記載の記述がある(甲2。以下、同別紙における「原告書籍」の「記述内容」欄の各記述を、それぞれ同別紙の「番号」欄の番号及び「原告書籍」の「ページ」欄の枝番号に従って「原告書籍の番号1の記述」、「原告書籍の番号3−1の記述」等という。)。
(5)被告社史の編纂事業
 被告は、平成10年9月に創業50年を迎えるに当たり、社史の発行を企画した。
 この社史発行については、被告の広報部が編集を担当することとなり、17名の社員に社外からの3名を加えた20名のスタッフからなる社史編纂委員会が組織されて、平成9年初め頃から活動を開始し、平成11年3月25日に被告社史(総頁数352頁)が発行された。
 被告社史においては、前記(2)の昭和54年(1979年)からの被告の二輪レースへの参加が、「レースへのあくなき情熱」と題する章の「二輪世界GP参戦再び世界の頂点を目指して」と題する項(被告社史の266頁から273頁まで。以下、この部分を「本件社史部分」という。)で扱われており、本件社史部分には、別紙2記述対比表の「被告社史(本件社史部分)」の「ページ」欄記載の頁に、同「記述内容」欄記載の記述がある(甲1、乙12。以下、同別紙における「被告社史(本件社史部分)」の「記述内容」欄の各記述を、それぞれ同別紙の「番号」欄の番号に従って「本件社史部分の番号1の記述」等という。また、同別紙中の原告書籍の記述とこれに対応する本件社史部分の記述とを併せて、同別紙の「番号」欄の番号に従って「番号1の各記述」等という。)。
3 争点
(1)本件社史部分の翻案該当性(争点1)
(2)被告の不当利得の有無及び利得額(争点2)
4 争点に関する当事者の主張
(1)争点1(本件社史部分の翻案該当性)について
(原告の主張)
ア 本件社史部分が原告書籍を翻案したものに該当すること
(ア)本件社史部分は、原告書籍に依拠し、その表現上の同一性を維持しつつ、原告書籍の具体的表現を修正、増減、変更したものであり、原告書籍を翻案したものである。
(イ)原告書籍と本件社史部分との間における具体的な表現の同一性及び依拠性についての主張は、別紙2記述対比表の「原告の主張」欄記載のとおりである。
(ウ)別紙3構成の類似性(原告の主張)記載のとおり、本件社史部分は記述内容の全体的な流れと取り上げたテーマにおいても原告書籍と類似性が強い。このような全体の構成の類似性は、本件社史部分が原告書籍に依拠して作成されたことを示す間接事実である。
イ 被告の主張への反論
(ア)表現の同一性について
a 被告は、原告書籍と本件社史部分は、記述された事実のみが同一であると主張するが、事実のみの同一性などということは実際にはあり得ず、両者は、事実をどのように表現しているかについても同一性がある。
b 被告は、原告書籍及び被告社史がいずれも事実を伝える文章であって、文章表現自体における工夫の余地は少ないと主張する。
 しかしながら、原告書籍及び被告社史は、いずれも、単に事実を羅列したものではなく、被告が二輪レースに再挑戦したこと、新しいエンジンを開発したこと、世界GPで優勝したことなどの大きな事実のほかに、余人の知らない様々な苦労話や隠れたエピソードなどの細かな事実、ほとんど知られていなかった事実も含んでいるから、そのような事実を表現するに当たっては、表現自体における工夫の余地が少ないとはいい難い。
 また、本件社史部分は、原告書籍の表現を並べ替えたり、言い換えたりしただけのものであって、原告書籍の表現上の本質的な特徴を直接に想起させるものとなっている。
c 被告は、別紙2記述対比表には、原告書籍の複数の箇所に分散する記述を一つにまとめた上で、被告社史の特定の箇所と比較している部分(番号3の各記述等)があり、比較の方法として不適当であると主張する。
 しかしながら、原著作物の複数個所をつまみあげて類似表現として使用するという翻案の手法もあり得るから、原告の上記の比較方法が不適当とはいえない。
(イ)原告書籍への依拠について
a 原告書籍は実話に基づく執筆であるが、前記(ア)bのとおり、大きな事実もあれば、細かな事実、ほとんど知られていなかった事実も含まれているのであり、実話であるからといって、その全体が一般的に知られている訳ではない。
 原告や原告の取材対象者以外にも原告書籍に記された事実を知っている者が存在する可能性はあるが、上記のとおり、原告書籍には大小様々な事実が描かれており、実話に基づいて執筆されたものゆえ内容が知られているとの被告の指摘は、可能性を指摘するにすぎない。
 そして、被告社史に原告書籍と共通の事実が含まれていることは、依拠性を裏付けるための重要な要素となり、共通の事実が原告書籍以外にはほとんど語られてこなかったエピソードや秘密事項であるときは、その事実についての表現も原告書籍に依拠したものである蓋然性が大きくなる。
b 被告は、社史編纂委員会の担当者は本件社史部分を作成するに当たって独自に取材をしたと主張するが、被告が提出する取材時の録音データや関係者の陳述書を見ても、原告が翻案権侵害を主張する内容について、上記担当者が自らの取材によって情報を得たという事実はうかがわれないから、上記担当者は、独自の取材を行うことなく、原告書籍に完全に依拠して、本件社史部分を作成したものといえる。
(被告の主張)
ア 本件社史部分が原告書籍を翻案したものに該当しないこと
 原告書籍と本件社史部分との間において、具体的な表現の同一性及び依拠性がいずれも認められないことは、別紙2記述対比表の「被告の主張」欄記載のとおりである。
イ 表現の同一性について
(ア)原告は、別紙2記述対比表の各所において、翻案権侵害といい得る程度に原告の著作物との同一性がある旨の主張をするが、その大半は、記述されている事実が同一であることを根拠とするものである。
 しかしながら、既存の著作物に依拠して創作された著作物であっても、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には既存の著作物の翻案には当たらないから、事実の同一性をもって翻案に該当する旨の原告の主張は失当である。
(イ)仮に、局所的に見た場合には一部について創作性のある表現が同一といえる箇所があるとしても、原告書籍及び被告社史のいずれも事実を伝える文章であって、文章表現自体における工夫の余地は少ない上、共に被告の二輪世界選手権への再挑戦及びそのための二輪車の開発の歴史を紹介するものであって、記述対象とする事実が同一であることから、具体的表現の選択の幅が限定され、ある程度表現が似通う現象が生じるのはむしろ自然である。また、そのような事情の下で、原告書籍は316頁の書籍であり(字数に換算すると20万字程度である)、被告社史のうち本件社史部分は8頁(字数に換算すると1万5000字程度である)であるところ、そのうちで創作性のある表現が同一である箇所は、仮に存在するとしてもごくわずかな部分でしかない。これらによれば、被告社史に接した者が原告書籍の表現上の本質的特徴を直接感得することはできないというべきである。
(ウ)原告は、別紙2記述対比表の一部(番号3の各記述等)において、原告書籍の複数の箇所に分散する記述を一つにまとめた上で、本件社史部分の特定の箇所と同一性を有すると主張する。
 しかしながら、原告が指摘する原告書籍中の上記複数の箇所の記述の間には異なる内容及び表現が挟まっているにもかかわらず、これらを捨象してあたかも1箇所の記述であるかのようにして、本件社史部分の特定の箇所と対比することは、比較対象の設定を誤っているというほかなく、対比の方法として不適当である。
ウ 原告書籍への依拠について
(ア)原告書籍と共通する事実が本件社史部分に掲載されている箇所に関し、原告は、あたかも社史編纂委員会の担当者が原告書籍によって初めて当該事実を知ったかのように主張する。
 しかしながら、原告書籍は、被告に係る実話(被告の二輪レース参戦及びそのための二輪車開発の歴史)に基づいて執筆されたものであり、当然ながら、その内容は、原告や原告の取材に応じた被告関係者だけが知るものでもない。また、被告の二輪世界選手権への再挑戦を扱った書籍は、原告書籍に限られない。被告の二輪世界選手権への再挑戦に係る事実は、被告の歴史における重要な挑戦の一事例に関するものであって、被告の社内で伝承されている。
(イ)さらに、被告の社史編纂委員会は、被告社史を制作するに当たっては、改めて関係者に取材をしており、これは、当時の取材の録音データが一部残っていることなどからも明らかである。
(ウ)そもそも、複製及び翻案において、依拠の対象となるのは、アイデアや事実ではなく、創作的な表現でなければならない。仮に、被告社史の編纂事業に関わった担当者が原告書籍を通じて知った事実があったとしても、当該事実自体は依拠の対象ではないから、依拠を裏付けることにはならない。
(2)争点2(被告の不当利得の有無及び利得額)について
(原告の主張)
 被告は、対価を支払うことなく原告書籍を原告に無断で翻案して本件社史部分を作成したことにより、本来、原告に支払うべき翻案の許諾の対価の支払を免れ、他方で、原告は、被告から支払われるべき翻案の許諾の対価を得ることができなかった。
 被告から原告に対して支払われるべき翻案の許諾の対価は200万円を下らないので、被告は原告に対して同額の不当利得返還義務を負う。
(被告の主張)
 被告が、被告社史の作成に関して、原告に翻案の許諾の対価の支払を行っていないことは認めるが、その余の主張は争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件社史部分の翻案該当性)について
(1)言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁)。
 そうすると、本件社史部分が原告書籍を翻案したものに当たるというためには、原告書籍と本件社史部分とが、創作的表現において同一性を有することが必要であるものと解される。
 したがって、原告書籍と本件社史部分との間で、事実など表現それ自体でない部分でのみ同一性が認められる場合には、本件社史部分は原告書籍を翻案したものに当たらない。
 また、原告書籍と本件社史部分との間に、表現において同一性が認められる場合であっても、同一性を有する表現がありふれたものである場合には、その表現に創作性が認められず、本件社史部分は原告書籍を翻案したものに当たらないと解すべきである。すなわち、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与するという著作権法の目的(同法1条)に照らせば、著作物に作成者の何らかの個性が現れており、その権利を保護する必要性があるといえる場合には、上記の創作性が肯定され得るが、一方で、表現がありふれたものである場合には、そのような表現に独占権を認めると、後進の創作者の自由かつ多様な表現の妨げとなり、かえって上記の著作権法の目的に反する結果となりかねないため、当該表現に創作性を肯定して保護を与えることは許容されないというべきであり、そのため、原告書籍と本件社史部分との間で同一性を有する表現がありふれたものである場合には、その表現に創作性を認めることができない。
(2)まず、別紙2記述対比表の原告書籍及び本件社史部分の各記述について、それぞれの間での創作性を有する表現の同一性が認められるか否かについて検討する。
ア 番号1の各記述について
(ア)原告書籍の番号1の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、被告従業員であったBが被告の二輪世界選手権への再挑戦の担当者になるとの内示を受ける前日に出身地を尋ねられた際のやりとりを記述したものであり、本件社史部分の番号1の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、Bが上記内示の際に出身地を尋ねられたことを記述したものであると認められる。
 これらの記述は、Bが上記内示を受ける際に出身地を尋ねられたことを内容とする点で共通しているが、このようなやりとりがあったことは事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、出身地を尋ねるやりとりがあったことについて、原告書籍の番号1の記述では、「おいB、おまえ家は東京だよな」と記述されているのに対し、本件社史部分の番号1の記述では、「世間話の中で出身地を聞かれました。『東京です』と答えたのを覚えていますよ」と記述されており、それらの具体的な記述における描写の手法が異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(イ)原告は、原告書籍と本件社史部分に同じ事実が記述されていることについて、社史編纂委員会の担当者は原告書籍に記述された事実を原告書籍に依拠して知ったものであるから、翻案該当性が認められるべき旨を主張する。
 しかしながら、前記(1)のとおり、本件社史部分に記述された事実が原告書籍に依拠したものであったとしても、原告書籍と本件社史部分の各記述が事実といった表現それ自体でない部分において同一性を有するに留まる場合には、原告書籍の翻案には当たらないと解するのが相当であるから、原告の上記主張は採用することができない。
(ウ)したがって、番号1の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
イ 番号2の各記述について
 原告書籍の番号2の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、Bが被告の二輪世界選手権への再挑戦の担当部門(レース・ブロック。以下「本件部門」という。)のマネージャーになるに当たり、Cから示された企画書に記載されていた本件部門の編成の条件を記述したものであり、本件社史部分の番号2の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、Bが本件部門のマネジメントを任されるに当たり、朝霞研究所(HGA)のD所長から示された企画書に記載されていた内容を記述したものであると認められる。
 番号2の各記述は、本件部門の編成の条件等として、「三年以内に世界チャンピオンになること」、費用を年間約30億円とすること、要員は100名程度とすることが企画書に記載されていたことを内容とする点で共通するが、このような条件等が設定されていたことは事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号2の各記述は、上記の編成の条件等の示し方などの点で、具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号2の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ウ 番号3の各記述について
(ア)原告書籍の番号3−1の記述と本件社史部分の番号3の記述との同一性について
 原告書籍の番号3−1の記述と本件社史部分の番号3の記述とを比較しても、具体的な記述における表現において同一性を有する部分は認められない。
(イ)原告書籍の番号3−2の記述と本件社史部分の番号3の記述との同一性について
 原告書籍の番号3−2の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、本件部門の編成として、過去の二輪世界選手権への参加の際の担当者ではなく、若手を起用することについて、Cの「この新しい部隊は最初はものすごく苦労するだろう」との考えを記述したものと認められる。他方で、本件社史部分の番号3の記述中の「しかし、一九六〇年代に世界GPを経験した人には、この仕事をお願い出来ないわけですから初挑戦と変わらない。かなり苦労することは予想していました」との部分は、本件社史部分における当該部分の前後の文脈を踏まえると、本件部門の編成に当たってのBの考えを記述したものと認められる。
 これらの記述は、本件部門の編成に当たって、経験者ではなく若手を起用するとの方針が取られたことから、編成に携わる者が二輪世界選手権への再挑戦について、かなり苦労することを予想していたことを内容とする点で共通する。しかしながら、そのような編成の方針が取られていたことは事実にすぎないというべきであり、その点の共通性を原告書籍の番号3−2の記述と本件社史部分3の記述の対比において考慮するとしても、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、編成に携わる者が苦労を予想していたという部分についても、上記のとおり、原告書籍の番号3−2の記述ではCの考えとして記述されているのに対して、本件社史部分の番号3の記述ではBの考えとして記述されている上、両記述は具体的な言い回しや説明的な記述の有無などの点においても異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(ウ)原告書籍の番号3−3の記述と本件社史部分の番号3の記述との同一性について
 原告書籍の番号3−3の記述は、Bが「新しいレース・ブロックの名前をNR(NewRacing)にしようと考え」て、Cがそれを承諾したことを記述したものであり、本件社史部分の番号3の記述中にも、Bの発言として、「プロジェクト名は、私がNewRacing(NR)でどうですかと提案して決まりました。」との記述がある。
 これらの記述は、本件部門の名称について、Bが「NewRacing」を指す「NR」とすることを提案し、これが了承されたことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、原告書籍の番号3−3の記述と本件社史部分の番号3の記述とでは、プロジェクト名をBが提案したやりとりの描写における用語や言い回しなど、具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(エ)小活
 前記(ア)ないし(ウ)の対比の結果に照らせば、原告書籍の番号3−1ないし3−3の記述と本件社史部分の番号3の記述とが、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできず、これは、原告書籍の番号3の記述全体と本件社史部分の番号3の記述とを対比した場合でも同様である。
エ 番号4の各記述について
 番号4の各記述は、本件部門の担当者であったE(甲1、2)が、まず世界GPに関するデータを調査したこと、昭和52年(1977年)当時における世界GPにおける4ストロークエンジンと2ストロークエンジンの情勢を調査した結果、4ストロークエンジンの可能性を認めたことを内容とする点で共通する。
 しかしながら、上記の内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、Eの調査及び分析に関して、原告書籍の番号4の記述では比較的詳細な説明がされているのに対し、本件社史部分の番号4の記述では簡潔にまとめられており、具体的な記述の手法は異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号4の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
オ 番号5の各記述について
(ア)原告書籍の番号5−1の記述と本件社史部分の番号5の記述との同一性について
 原告書籍の番号5−1の記述においては、「UFOピストン」と呼ばれる「楕円型ピストン」が設計されたこと、その形状等として、当該ピストンが「二本のコンロッドによって支持され」、その中に「八つの吸排気バルブが綺麗に収まった」ものであることが記述され、本件社史部分の番号5の記述中にも、「長円形ピストン」が設計され、その形状等として、当該ピストンが「二本のコンロッドによって支えられ、八つのバルブが整然と並ぶ」ものであったとの記述がある。
 これらの記述は、楕円型ないし長円形のピストンが設計されたことや、ピストンの形状等として、それが2本のコンロッドによって支持されるものであり、八つの吸排気バルブを備えるものであることを内容とする点で共通するが、当該内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、原告書籍の番号5−1の記述と本件社史部分の番号5の記述とでは、上記のピストンの形状に関する具体的な記述における言い回しが異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(イ)原告書籍の番号5−2の記述と本件社史部分の番号5の記述との同一性について
 原告書籍の番号5−2の記述においては、前記(ア)の「楕円型ピストン」である「UFOピストン」を用いた「エンジンの予測性能」として「二万三〇〇〇回転まで回り、一三〇馬力の出力が出ると計算上出ていた。」ことが記述され、本件社史部分の番号5の記述中にも「長円形ピストン」を用いたエンジンについて、「そのエンジンの予測性能を割り出したところ、二万三千回転まで回り、百三十馬力を発揮するポテンシャルを秘めていることが分かった。」との記述がある。
 これらの記述は、楕円型ないし長円形のピストンを用いたエンジンの予測性能が、2万3000回転まで回り、130馬力の出力が出るものであったことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、原告書籍の番号5−2の記述と本件社史部分の番号5の記述とでは、エンジンの予測性能に関する具体的な記述における言い回しが異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(ウ)小活
 前記(ア)及び(イ)の対比の結果に照らせば、原告書籍の番号5−1及び5−2の記述と本件社史部分の番号5の記述とが、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできず、これは、原告書籍の番号5の記述全体と本件社史部分の番号5の記述とを対比した場合でも同様である。
カ 番号6の各記述について
(ア)原告書籍の番号6−1の記述と本件社史部分の番号6の記述との同一性について
 原告書籍の番号6−1の記述においては、「K00と呼ばれる最初の楕円ピストン+シリンダー・エンジンが製作された」ことが記述され、本件社史部分の番号6の記述中にも「K00と呼んだ二バルブヘッド・一二五cc単気筒の試作エンジンが完成」との記述がある。
 これらの記述は、「K00」と呼ばれる、楕円型ないし長円形のピストンを用いた最初の試作エンジンが製作されたことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、原告書籍の番号6−1の記述では、Cの開発意欲とK00の製作経緯とが結び付けられた描写となっているのに対し、本件社史部分の番号6の記述では、その製作の経過が比較的客観的に描写されているなど、両記述では、K00の試作に関する具体的な記述の手法が異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(イ)原告書籍の番号6−2の記述と本件社史部分の番号6の記述との同一性について
 原告書籍の番号6−2の記述においては、「四気筒エンジンの一気筒だけを取り出した形の単気筒K0エンジンが完成したのは七八年(昭和五十三年)の十月のことだった。」と記述され、本件社史部分の番号6の記述中にも「同年十月に八バルブヘッド・水冷単気筒エンジン・K0を完成させる。」との記述がある。
 これらの記述は、昭和53年(1978年)10月に単気筒エンジン「K0」が完成したことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、原告書籍の番号6−2の記述と本件社史部分の番号6の記述とでは、「K0」の完成に関する具体的な記述における表現も異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(ウ)原告書籍の番号6−3の記述と本件社史部分の番号6の記述との同一性について
 原告書籍の番号6−3の記述と本件社史部分の番号6の記述とを比較しても、具体的な記述における表現において同一性を有する部分は認められない。
(エ)小活
 前記(ア)ないし(ウ)の対比の結果に照らせば、原告書籍の番号6−1ないし6−3の記述と本件社史部分の番号6の記述とが、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできず、これは、原告書籍の番号6の記述全体と本件社史部分の番号6の記述とを対比した場合でも同様である。
キ 番号7の各記述について
 番号7の各記述は、本件部門に、Fを中心とした「材料専門部門」ないし「材料グループ」が発足したこと、そのグループが破損した部品について破損の原因を分析する役割を担っていたことを内容とする点で共通する。
 しかしながら、上記の内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号7の各記述においては、「材料専門部門」ないし「材料グループ」の作業内容等の記述について、具体的な記述における描写が異なっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号7の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ク 番号8の各記述について
 原告書籍の番号8の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、本件部門で開発しようとしていた二輪車のフレームが厚さが約1mmしかないアルミ板によるものであったことを「エンジンを下ろした後のフレームはペラペラの皮になるのである。」と記述したものと認められ、本件社史部分の番号8の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、本件部門で開発しようとしていた二輪車のフレームについて、エンジンをセットしない場合の状態として「板厚はわずか1mmしかないためペラペラであったが」と記述したものと認められる。
 これらの記述は、本件部門で開発しようとしていた二輪車のフレームの厚さが約1mmと薄かったこと、そのためエンジンをセットしない状態でのフレームの剛性が低かったことを内容とする点で共通するが、当該内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。
 また、これらの事実を記述するために、原告書籍においては「ペラペラの皮になる」、本件社史部分においては「ペラペラであったが」との表現が用いられており、いずれも「ペラペラ」という表現を用いている点で共通するが、薄くて剛性が低いものを示す際に「ペラペラ」と表現することは、通常用いられるありふれた表現であるといえるから、創作的表現であるとは認められない。
 したがって、番号8の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ケ 番号9の各記述について
 原告書籍の番号9の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、Gにおいて、本件部門で開発しようとしていた二輪車のホイールに16インチのものと18インチのもののいずれを採用すべきかを検討し、当時主流であった18インチではなく16インチを提案する際に発言した内容を記述したものと認められ、本件社史部分の番号8の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、上記のホイールサイズについて、当時主流であった18インチではなく16インチを提案した理由をGが説明した内容を記述したものと認められる。
 これらの記述は、本件部門で開発しようとしていた二輪車のホイールのサイズについて、Gが18インチと16インチの優劣を比較検討したこと、コーナリングでは18インチの方が有利であると考えられていたこと、最終的にはGが当時主流であった18インチではなく16インチを提案したことを内容とする点で共通するが、当該内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。
 また、番号9の各記述は、18インチと16インチを比較検討して最終的な判断に至った経緯に関し、原告書籍の番号9の記述の方が本件社史部分の番号9の記述よりもGの心の動きを生き生きと描写しているなど、具体的な記述において異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号9の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
コ 番号10の各記述について
 番号10の各記述は、レースをするためには、「マシンを作る」(原告書籍)あるいは「サーキットを走る」(本件社史部分)以外に、移動手段や宿泊地の手配などの様々な庶務的な仕事があることを内容とする点で共通する。
 しかしながら、上記の内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号10の各記述は、庶務的な仕事の必要性に関し、原告書籍の番号10の記述の方が本件社史部分の番号10の記述よりも多くの例を挙げて説明しているなど、具体的な記述において異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号10の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
サ 番号11の各記述について
 原告書籍の番号11の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、被告の二輪世界選手権への再挑戦について、レースが始まる前の時期において、ヨーロッパにおいて大きな期待が寄せられていたことを記述したものと認められ、本件社史部分の番号11の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、シルバーストーンサーキットにおける復帰初戦の際に、被告の二輪車に大きな期待が寄せられていたことを記述したものと認められる。
 これらの記述は、被告の二輪世界選手権への再挑戦について、復帰初戦が始まる前には大きな期待が寄せられていたことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号11の各記述は、被告に寄せられていた期待に関し、期待の内容や程度の描写、復帰初戦当日についての記載であるかどうかなどの具体的な記述において異なったものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号11の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
シ 番号12の各記述について
 原告書籍の番号12の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、フランスGPにおいて、決勝出場台数が足りないために予選落ちした被告の二輪車が決勝に参加できそうになったという状況で、決勝に参加すべきかどうかが議論になり、参加すべきであるとのEら日本人技術者の考えを記述したものと認められ(なお、原告書籍には、当該記述の後ろに、実際には決勝には参加できなかったことが記述されている。)、
 本件社史部分の番号12の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、フランスGPで予選落ちとなり、決勝を走ることができなかったことを受けて、そのまま日本に帰れないとの被告の担当者の考えを記述したものと認められる。
 これらの記述は、フランスGPでの予選落ちの結果について、実際のレースに参加して各種のデータを得ることが重要であると本件部門の担当者が考えていたことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、上記のとおり、これらの本件部門の担当者の考えは、原告書籍においてはフランスGPの決勝に参加すべきかどうかの議論の内容として記述され、本件社史部分においては、フランスGPの決勝に参加できなかったことを受けての担当者の考えとして記述されているから、その意味するところが異なり、その結果、番号12の各記述での具体的な記述における言い回しも異なっているから、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号12の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ス 番号13の各記述について
 原告書籍の番号13の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、昭和55年(1980年)当時、本件部門における二輪車の開発において、エンジンとフレームのうちエンジン開発の方に重点を置こうとしていたことを記述したものと認められ、本件社史部分の番号13の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、同年当時、本件部門が、二輪車開発における複数の課題のうち、エンジンの熟成を図ることを最優先課題としたことを記述したものと認められる。
 これらの記述は、1980年当時の本件部門における開発方針として、エンジン開発を最も優先していたことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号13の各記述は、開発の課題に関する説明などの具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号13の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
セ 番号14の各記述について
 原告書籍の番号14の記述は、「NS500」のエンジンを設計したのがHであることと、Hの経歴、Hが本件部門に加わることになった経緯、本件部門でのそれまでのHの担当職務について記述したものと認められ、本件社史部分の番号14の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、「NS500」のエンジン開発の中心となったHについて、その経歴や本件部門での担当職務について記述したものと認められる。
 これらの記述は、Hが、1960年代に二輪車のエンジン開発に携わった経験があること、NS500のエンジン開発を担当する前に本件部門においてモトクロスレースの担当をしていたことを内容とする点で共通するが、当該内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号14の各記述は、原告書籍の番号14の記述の方が本件社史部分の番号14の記述よりもHの経歴等に関する描写が詳細であるなど、具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号14の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ソ 番号15の各記述について
 原告書籍の番号15の記述は、原告書籍における当該記述の前後の文脈を踏まえると、Hが350cc並みの大きさのコンパクトな2ストローク・ロードレーサーを開発するとの発想を得たきっかけについて記述したものと認められ、本件社史部分の番号15の記述は、本件社史部分における当該記述の前後の文脈を踏まえると、Hが、NS500の開発をするに当たり、「軽量・コンパクト」なマシンを設計するとのコンセプトを持っていたこと及びその発想を得たきっかけについて記述したものと認められる。
 これらの記述は、Hが昭和56年(1981年)の「ダッチTT」というレースを見に行ったこと、Hが当該レースのラップタイムから350ccと500ccマシンのラップタイムには大きな差がなく、350ccクラスのベストタイムなら、500ccクラスのスターティング・グリッドで2列目に並べることを知ったことを内容とする点で共通するが、当該内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、番号15の各記述は、Hが350ccと500ccのマシンに大きな差がないことに気づいた経緯の具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号15の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
タ 番号16の各記述について
 番号16の各記述は、それぞれの前後の文脈からすれば、いずれもHの考えとして記述されているものと認められるところ、Hが「空気抵抗」(原告書籍)あるいは「前影投影面積」(本件社史部分)を減らすために500ccクラスのマシンを350ccクラスのマシン並みにコンパクトにしようと考えたことを内容とする点で共通する。
 しかしながら、上記の内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分において同一性が認められるに留まる。また、番号16の各記述は、Hの思考過程の描写などの具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号16の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
チ 番号17の各記述について
 番号17の各記述は、それぞれの前後の文脈からすれば、いずれもNS500の開発に当たってリードバルブが採用されたことについて記述されているものと認められるところ、NS500の吸気バルブにリードバルブが採用されたこと、リードバルブのメリットとして、パワーロスがなく、押しがけスタートの際のエンジンのかかりがよいこと、レースにおいてトップでスタートを切れば3秒程度差を付けられること、レースにおいてスタート時に3秒差が付くことは非常に重要であることを内容とする点で共通する。
 しかしながら、上記の内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で共通するに留まる。また、原告書籍の番号17の記述の方が本件社史部分の番号17の記述よりもスタート時の3秒差の重要性に関する描写が詳しいなど、番号17の各記述は、上記の内容についての具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号17の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ツ 番号18の各記述について
 本件社史部分の番号18の記述は、本件社史部分における当該記述の直前の記述から、Iについて記述したものであると認められ、そうすると、番号18の各記述は、Iがチームの監督に就任するに当たって、ライダー、メカニック、日本人スタッフ等からなるチームの態勢を一から見直したことを内容とする点で共通する。
 しかしながら、上記の内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。また、原告書籍の番号18の記述では、Iがどのような点でチームの態勢を見直したのかという視点から記述されているのに対し、本件社史部分の番号18の記述では、Iがなぜチームの態勢の見直しを行ったのかという視点から記述されているなど、番号18の各記述は、上記の内容についての具体的な記述において異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号18の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
テ 番号19の各記述について
 原告書籍の番号19の記述は、勝った際の原因分析が重要であるとのHの考えを記述したものと認められ、本件社史部分の番号19の記述は、本件社史部分における前後の文脈を踏まえると、勝ち方や負け方の原因分析を重視するとのIないしは「チームメンバー」の考えを記述したものと認められる。
 これらの記述は、レースの勝敗の原因分析が重要であると本件部門の担当者が考えていたことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で共通するに留まる。また、上記のとおり、これらの本件部門の担当者の考えについては、原告書籍の番号19の記述ではHの考えとして記述され、本件社史部分の番号19の記述では、Iないしは「チームメンバー」の考えとして記述されている点で異なっており、その結果、番号19の各記述での具体的な記述も異なるものとなっているから、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
 したがって、番号19の各記述について、創作的表現において同一性を有するものと認めることはできない。
ト 番号20の各記述について
(ア)原告書籍の番号20−1の記述と本件社史部分の番号20の記述との同一性について
 原告書籍の番号20−1の記述においては「前年、Iの海外滞在日数は二一二日にも及んでいた」と記述され、本件社史部分の番号20の記述中にも「一九八二年のシーズンにおいて、Iの海外遠征は二百十日間にも及んだ。」と記述がある。
 これらの記述は、昭和57年(1982年)のシーズンにおけるIの海外滞在日数が210日程度に及んだことを内容とする点で共通するが、当該内容は事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。そして、この点のほかに、原告書籍の番号20−1の記述と本件社史部分の番号20の記述との間に共通する部分は認められない。
(イ)原告書籍の番号20−2の記述と本件社史部分の番号20の記述との同一性について
 原告書籍の番号20−2の記述と本件社史部分の番号20の記述のうちの「この間、彼は、絶対的なパワーは劣るがコーナリング性能に勝るNS五〇〇にとって、有利となるコース、逆に苦戦を強いられるコースに分けた。」との記述とを対比すると、IがNS500にとって有利となるコースと不利となるコースを分類していたこと、NS500の特性として絶対的なパワーには劣るがコーナリング性能の点で優れていたことを内容とする点で共通するが、当該内容はいずれも事実にすぎないというべきであり、表現それ自体でない部分で同一性が認められるに留まる。
 また、原告書籍の番号20−2の記述の方が本件社史部分の番号20の記述よりもIの行ったコースの分類に関する描写が詳細であるなど、上記の内容についての具体的な記述は異なるものとなっており、表現それ自体において同一性を有するとは認められない。
(ウ)小活
 前記(ア)及び(イ)の対比の結果に照らせば、原告書籍の番号20−1及び20−2の記述と本件社史部分の番号20の記述が創作的表現において同一性を有するものと認めることはできず、これは、原告書籍の番号20の記述全体と本件社史部分の番号20の記述とを対比した場合でも同様である。
(3)前記(2)のとおり、番号1ないし20の各記述において、本件社史部分が原告書籍と創作的表現において同一性を有するとは認められないから、依拠性について検討するまでもなく、被告社史中の本件社史部分は原告書籍の翻案に該当するものではない。
2 結論
 よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告に対する原告書籍の翻案を許諾することの対価相当額の不当利得返還請求は理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 國分隆文
 裁判官 小川暁
 裁判官 矢野紀夫


別紙一覧
別紙1 原告著作物目録
別紙2 記述対比表
別紙3 構成の類似性(原告の主張)添付省略

別紙1 原告著作物目録
書名 「いつか勝てるホンダが二輪の世界チャンピオンに復帰した日」
著者 A(原告のペンネーム)
発行所 株式会社徳間書店
初刷日 1988年10月31日
概要 四六版316頁

別紙2 記述対比表
  原告書籍 被告社史(本件社史部分) 原告の主張 被告の主張
番号 ページ 記述内容 ページ 記述内容
1 p.23 「おいB、おまえ家は東京だよな」 p.266-267 世間話の中で出身地を聞かれました。『東京です』と答えたのを覚えていますよ」 とBは言う。 原告書籍に倣って、Bの出身地に関するやりとりを表現している。
Bが出身地を聞かれたやり取りが実在したことは当然のこと。問題は、被告が原
告の著作物に依ってそのやり取りを知り、自己の著作物に利用したという点であ
る。具体的な表現が異なるというが、翻案権侵害と言いうる程度に原告の著作
物との類似性がある。

なお、被告の主張欄には、「書かれた内容は真実であるから共通しているにすぎ
ず、具体的な表現は異なっている」旨の記載が多いが、そのすべてに対して、上
記のとおり「書かれた内容が真実であるのは当然であり、被告はその真実を原告
の著作物に依拠して知り、または著作したものであり、表現に類似性がある」との
反論が当てはまる(以下においては、記載を省略する。)。
Bが出身地を聞かれたことは事実であり、表現それ自体ではない部分において
共通するにすぎない。
具体的な表現においては、両者は異なっている。
2 p.25 “レース・ブロックを作りなさい。条件は、
一、 三年以内に世界チャンピオンになること
二、 費用は年間三〇億円くらいにしなさい
三、 人は一〇〇名ぐらいでレースの好きそうなのを集めなさい
四、 人を集めるにあたっては三〇歳以下の人にしなさい
五、 集める人は昔レースに携わっていた人ではなく新人を起用しなさい ただし、昔やっていた先輩達の意見はよく聞いて参考としなさい……“
p.267 その内容は、
@ レースを通じて革新技術を生み出すこと
A 将来の核となる人材を育てること
B 三年以内に世界チャンピオンになること というものであった。
そのための費用は年間約三十億円、要員は百人程度ということ以外は、プロジェクトの名称 などもまだ決まっていなかった。
原告書籍に倣って、レース部門の編成についてのポイントを、ほぼ同一内容でま とめている。 原告の著作物を参考にしながら、原告による箇条書きの一部を敢えて普通の 文書に変更しただけ。「C」を「D」に変えているのも、原告の著作物を見て誤記 部分は訂正したということであろうが、そこは依拠の部分に含めていない。 当時の方針の内容(目標達成時期、予算、人員等)はいずれも事実であ り、表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。 原告書籍が5個の箇条書きで記述しているのに対し、被告社史は3個の箇条 書きで記述しているなど、表現形式も相違する。 原告書籍ではCから3頁にわたる企画書とあるが、被告社史ではDから1枚の 企画書とあり、その点でも相違している。
3 3-1
p.26
Bにも解せないことがあった。なんで新人ばかり、それも若手ばかり集めなくてはいけないんだ ろう、と不思議に思ったのである。 p.267 「プロジェクト名は、私がNew Racing(NR)でどうですかと提案して決まりました。しかし、一 九六〇年代に世界GPを経験した人には、この仕事をお願い出来ないわけですから初挑戦 と変わらない。かなり苦労することは予想していました」(B)。 原告書籍に倣って、BがNew Racingという名称を決定したこと、かなり苦労す ると考えたことを表現している。 被告著作物では、原告の著作物の三か所に依拠して、それらを一文にまとめて いる。 被告の著作物は、実際には原告の著作物に依って知ったBの想いやBとCとの 会話を、あたかもBが社史編集者に語った言葉であるかの如く表現している。明 らかに、原告書籍に依拠した類似表現である。 共通する点は見当たらない。
3-2
p.27
この新しい部隊は最初はものすごく苦労するだろう。 共通する点は見当たらない。なお、原告書籍の「この新しい舞台は最初はもの すごく苦労するだろう」はCの思いであるが、被告社史はBの思いを記述してお り、その点も相違する。
3-3
p.29
Bが、新しいレース・ブロックの名前をNR(New Racing)にしようと考え、Cが、「ああ、それ
でいこうよ」
 と気軽にBの案を承諾した頃、Eはまずデータ集めの作業に取りかかることにした。
プロジェクト名がNew Racing(NR)であること、及びその考案者がBであること は、いずれも事実であり、表現それ自体ではない部分において共通するにすぎな い。 具体的な表現においては、両者は異なっている。
4 p.30 Eはまずグランプリ・レースに関するありとあらゆるデーターを集めた。どんなライダーがどんなマ シンでレースに出ているか、各サーキットにおける彼らのラップ・タイムは……。
 七七年以前のデーターを調べているうちに、Eはひとつのことに気がついた。500ccグランプ リの歴史は4ストローク・マシンの歴史ともいえ、ヤマハ、スズキ等の2ストローク勢が台頭し てきたのはここ数年であるということ、前年七六年には、まだ4ストローク・レーサーのMVアグ スタがJというライダーによってレースで優勝していること……に気がついたのだった。
 ちょうどその頃EはCと4ストローク・マシンでいくか、2ストローク・マシンでいくかを話し合っ ていた。六〇年代ホンダはずっと4ストローク・マシンで世界グランプリに参戦していたし、量 産車でも4ストローク・モデルの開発が主流だった。だが2ストロークの量産モデルも手がけて いたし、その当時は2ストローク・モトクロッサー(モトクロス用マシン)もやっていたので、2ス トロークの技術についてもある程度見えていたのである。
p.267 EはHGAに異動してきた直後から、世界GPのデータを調べ始めていた。一九七七年当 時、世界GPのレギュレーションは四気筒・六速シフトであり、出場しているマシンの主流は二 ストロークエンジンだった。また、世界GPの主流が、二ストロークエンジンを搭載したマシンに なったのは一九七七年からで、前年までは四ストロークエンジンを搭載したマシンも走ってお り、優勝もしている。両者には埋めようのない差が開いたわけではないということが分かった。 原告書籍に倣って、Eが世界GPグランプリにおける四ストロークエンジンと二ス トロークエンジンの変遷を調べ、四ストロークエンジンを見直す機運が生まれたこ とを表現している。
被告の著作物は、原告の著作物に表現された事実を要約したものである。内 容はほぼ同一で、原告の著作物を想起させる。
EがHGAへの異動後に世界GPに関するデータを調査したこと、調査によりEが 把握した77年当時の情勢、調査の結果4ストロークエンジンの可能性を認めた こと等は、いずれも事実であり、表現それ自体ではない部分において共通するに すぎない。
具体的な表現においては、両者は異なっている。 なお、2ストロークエンジンが主流となっていた当時に4ストロークエンジンで参戦し たことは、当時から広く関心を集めた事実であり、被告の世界GP復帰を語る上 で欠かせない事実であるから、その検討の過程を紹介すること自体もありふれて いる。
5 5-1
p.31
 Eが手渡された図面には、半円と半円を2本の直線で?いだ楕円型ピストンに、八つの吸 排気バルブが綺麗に収まった図が描かれていた。そして後にUFOピストンと呼ばれるこの楕 円ピストンは二本のコンロッドによって支持され、点火用に二本のスパーク・プラグを持ってい たのである。つまりこれは4バルブ・ヘッドを持つ丸いピストンを二つ?げたような形だった。 p.268  長円形ピストン。それがホンダの答えだった。それは二本のコンロッドに支えられ、八つのバル ブが整然と並ぶ、まさしく八気筒のような四気筒エンジンであった。Eがそのエンジンの予測 性能を割り出したところ、二万三千回転まで回り、百三十馬力を発揮するポテンシャルを秘 めていることが分かった。目標馬力は百三十馬力に設定された。 原告書籍に倣って、楕円形ピストン(正確には、長円形)が設計されたことと、 その性能数値について表現している。

原告書籍の記載を要約してほぼ同趣旨の記載をし、下記のとおり原告書籍の 記述を、類似した表現に改めている。
楕円形ピストン→長円形ピストン
二本のコンロッドによって支持され→二本のコンロッドに支えられ
八つの吸排気バルブが綺麗に収まった→八つのバルブが整然と並ぶ
エンジンの予測性能を聞いて→エンジンの予測性能を割り出し
二万三〇〇〇回転まで回り、一三〇馬力の出力が出る→二万三千回転まで 回り、百三十馬力を発揮する
設計されたピストンの形状や構造等はいずれも事実であり、表現それ自体では ない部分において共通するにすぎない。具体的な表現においては、両者は異 なっている。
5-2
p.34
UFOピストンの構想を聞かされて懐疑的だった者も、このエンジンの予測性能を聞いて納得 した。UFOピストン・エンジンは二万三〇〇〇回転まで回り、一三〇馬力の出力が出ると 計算上出ていた。4ストロークに比べて爆発工程が二倍ある2ストローク・エンジン。4スト ローク・エンジンでもこれだけの予測性能が出れば2ストローク・エンジンに対抗できる。   設計されたピストンの当時の予測性能値は事実であり、表現それ自体ではない 部分において共通するにすぎない。具体的な表現においては、両者は異なって いる。
6 6-1
p.38-39
Cは一刻も早く自分の考え出したエンジンが現実にものになるかどうか確かめたかったのであ る。  
 こうしてK00と呼ばれる最初の楕円ピストン+シリンダー・エンジンが製作された。これは量 産車のXL250空冷単気筒モデルのエンジンを流用したもので、シリンダーとピストンだけ楕円 のものに替え、シリンダーヘッドやシリンダーの下回りはすべてXLのものをそのまま拝借した 152ccエンジンだった。
p.268 本格的に長円形ピストンの製作に取り組んでから三か月ほどたった一九七八年七月には、 K00と呼んだ二バルブヘッド・一二五cc単気筒の試作エンジンが完成。心配されたベンチテ ストでは見事に回ったのである。自信を得たNRブロックでは、同年十月に八バルブヘッド・水 冷単気筒エンジン・K0を完成させる。 原告書籍に倣って、K00と呼ぶ単気筒試作エンジンが1978年に完成し たこと、いよいよ四気筒の楕円形ピストンを試作する機運が高まったことを表現し ている。 1978年7月にK00が完成したことは事実であり、表現それ自体ではない部分 において共通するにすぎない。具体的な表現においては、両者は異なっている。 なお、K00について原告書籍では152ccと紹介しているが、被告書籍では 125ccと紹介している。
6-2
p.45-46
 四気筒エンジンの一気筒だけを取り出した形の単気筒K0エンジンが完成したのは七八年 (昭和五十三年)の十月のことだった。 1978年にK0が完成したことは事実であり、表現それ自体ではない部分におい て共通するにすぎない。
6-3
p.46
いつまでも単気筒で回していないで、実際に四気筒エンジンを作ってみようよ、という声が出 てきた。 共通する点は見当たらない。
7 p.48 こうしてNRブロックには“材料専門部門”が生まれたのである。  
 材料専門家のFには、実験、研究などやることが山のようにあったが、中でも重要な仕事 は、物が壊れた時、現場でバラバラになった金属を相手に、“これはどの部分、これはあれ… …”と選り分け、それを分析して壊れた原因がどこにあったかを推理することだった。例えばピス トンが欠けたというような場合、破損の原因がピストンそのものにあったのか、それともピストン・ リングにあったのか、あるいはコンロッドからストレスが原因か……などを見極めるのである。
p.268  さらに、NRブロックでは加工精度と耐久性の二つの問題を、材料からも検討するため、開 発の早い段階から協力してくれたF(当時、HGA第三研究ブロック主任研究員)を中心 とした材料グループを発足させる。そこではテストで破損した部品を集め、その原因を調べて いくのが大きな役目だった。時には複数の部品が破損し、その一つひとつを、これはリング、こ れはバルブと分類しなければならなかった。 原告書籍に倣って、NRブロックにFを中心とした材料専門部門が生まれ、テス トで破損した部品がどの部分の物かを選り分け、破損原因を突き止めることを役 目としたことを表現している。 原告書籍に依って知った材料専門部門の特徴的な活動内容について、類似し た表現によって説明したものである。 当時Fを中心とした材料グループが発足したことや、その役割等はいずれも事実 であり、表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。例示されてい る作業内容も、原告書籍はピストンが欠けた場合の原因探求を挙げているのに 対し、被告社史は複数の部品が破損した場合の分類を挙げており、異なってい る。
8 p.57 エンジンを下ろした後のフレームはペラペラの皮になるのである。 p.268 板厚はわずか1mmしかないためペラペラであったが 原告書籍に倣って、アルミフレームの厚みが極薄く、「ペラペラ」だと表現している。 フレームについて、ペラペラと言う表現で説明することは、ありふれたことではない。 フレームが薄かったこと(1mm)は事実である。
そして、そのような薄いものを「ペラペラ」と表現すること自体はありふれており、表 現上の創作性のない部分において共通するにすぎない。 薄いものを「ペラペラ」と表現すること自体はありふれている。薄いフレームの存在 が珍しいことの帰結として「フレームについて、ペラペラと言う表現で説明すること は、ありふれたことではない」という事情が仮にあったとしても、現に薄いフレームが 存在する場合にそれを「ペラペラ」と表現することに創作性は認められない。
また、仮に「ペラペラ」と表現したことに一応の創作性が認め得るとしても、その創 作性の程度が高いとは到底いえないし、原告書籍及び被告社史の価値を基礎 付ける表現であるともいえず、被告社史全体との関係において原告書籍の表現 上の本質的特徴を直接感得することはできない。
9 p.57 16インチが加速と最高速度で稼ぐ分とコーナリングで損する分を差し引けば、16インチと18 インチではどちらがいいか……。やってみなくては分からない。だからやってみましょう p.269 一八インチと一六インチのどちらが先にゴールラインを通過できるのか、コーナリングなどの部分 的な速さではなく、総合的に考えた時に、一六インチには可能性があると判断しました 原告書籍に倣って、タイヤホイールについて18インチと16インチとの優劣が比 較検討されたことを表現している。
原告書籍に依って知り得た、開発当時の関係者の思考ややり取りについて、類 似した表現で説明している。
ホイールにつき、当時の主流が18インチだったこと、これに対し被告のGが当時 16インチを発案したことは、いずれも事実である。
また、大きなホイールがコーナリングで有利であり、小さなホイールが加速等で有 利であることは技術常識に属する。どちらのインチを採用するかは結局これらのメ リット・デメリットの比較の問題であって、当時のそのような思考過程を描いている 限りにおいて共通するにすぎず、そのような思考過程を経たことは事実であるし、 具体的な表現においては両者は異なっている。
10 p.50-51 レースをするには、ライダーのエントリー(出場申し込み)をしたり、現地でベースを構えたり、 移動する際の足を用意したり、宿泊地の手配をしたりと、マシンを作るというハードウエアの作 業以外にもソフトウエアの仕事が無数にある。 p.269 移動の足や宿泊地の確保など、レースではサーキットを走ること以外に、やらなければならな いことが山ほどある。 原告書籍に倣って、レース参加するには様々な庶務的な仕事があることを表現 している。
マシンを作る=サーキットを走る、と言い換えているにすぎない。要するに、マシン を作ってサーキットを走ることのほかに庶務的なことがたくさんあるということを、原 告書籍に倣って類似表現で説明しているのである。
レースに参戦するために様々な庶務的な仕事があったことは事実であり、表現そ れ自体ではない部分において共通するにすぎない。
原告書籍では「ハードウエア」「ソフトウェア」という表現を用いているが、被告社 史にはそうした表現は用いられていない。また、庶務的な仕事の対となる作業 を、原告書籍は「マシンを作るというハードウエアの作業」と製造に引きつけて表 現しているのに対し、被告社史は「サーキットを走ること」とレースに引きつけて表 現している。このように、具体的な表現においては、両者は異なっている。
11 p.83 こうしてNR部隊の混乱と当惑をよそに、ヨーロッパの人間はホンダがすぐにでも勝てるマシン をひっさげて登場してくるだろうとワクワクして待ち構えていた。 p.269 シルバーストーンサーキットに姿を現したNR五〇〇は、その独創的なエンジンと姿で、未知 なる走りに大きな期待を抱かせたが 原告書籍に倣って、NR500が二輪レース界に大きな期待を抱かせたことを 表現している。 被告の再参戦に多くの人が期待を寄せたのは事実であり、表現それ自体ではな い部分において共通するにすぎない。
なお、原告書籍は参戦前の時期について述べているのに対し、被告社史は世 界GP復帰初戦(シルバーストーンサーキット)の際について述べており、時期も 異なる。
12 p.96 サーキットで実際にライバル・マシンに混じってレースをしなければ、マシンの耐久性にしろ、燃 費にしろ、本当のデータは出てこない。それさえ取らずに帰ったのでは、何のために膨大な費 用と時間をかけてここまでやってきたのか分からない。 p.269 多くの時間と費用をかけてレースに参戦したにもかかわらず、何のデータも得られないまま日 本へ帰ることはできなかった。 原告書籍に倣って、実際のレースで走ることによって各種のデータを得ることの重 要性を表現している。
原告書籍に依って知った、当時のNRブロックの想いを、類似表現で説明して いる。
実際のレースでのデータ収集が技術開発において非常に重要であったこと、しか し予想外の予選落ちにより決勝でのデータ収集がかなわなかったこと等は、いず れも事実であり、表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。
13 p.104 エンジンもフレームも一度に新しいことをトライするよりは、フレームだけでもコンベンショナルな ものに戻し、エンジン開発のほうに重点を置こうという結論に達したからである。 p.270 NRブロックでは、一番問題を抱えていたエンジンの熟成を図ることを最優先課題としたので ある。 原告書籍に倣って、エンジンとフレームのうち、まずエンジンの開発を最重要課題 とする方針が決まったことを表現している。
原告書籍に依って知った、当時のNRブロックの想いを、類似表現で説明して いる。
1980年のマシンではエンジンの熟成を図ることが最優先課題とされたことは事 実である。表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。
14 p.150 NS500のエンジンを設計したのは第二世代の人、Hだった。Hは六〇年代に50ccから 500ccまでのエンジンをひととおり手がけたあと、数年間四輪車開発にタッチし、そのあと2ス トローク・モトクロッサーの開発をまかされた。その後朝霞研究所が分離し、今度は二輪量産 車の開発部隊へ回されたのである。そうこうしているうちにNRブロックが誕生し、CがHを引 き抜いてきた。だが、NR500のエンジンを始めようという時になって、それまで朝霞研究所内 でやっていたモトクロス部隊もNRに加わることになり、Hはそちらのほうをまかされることになっ たのである。 p.271 彼は六〇年代にホンダが頂点を極めた二輪GPマシンのエンジン設計を手掛けたベテランで もあった。NR五〇〇の開発がスタートした時に、HGAでレース用モトクロッサーのエンジン設 計を担当しており、NRブロックとモトクロス部隊が合流した後はNRブロックでモトクロスレース を任されていた。 原告書籍に倣って、NS500のエンジン設計をしたHのエンジン開発経歴や NRブロックに参加することになった経緯を紹介している。 NS500の開発がHを中心に開始されたことや、同人の経歴等は事実である。 表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。
15 p.151 Hがこのことを思いついたのにはひとつのきっかけがあった。それはHが八一年のダッチTTを 見に行った時のことで、この時彼は350ccと500ccマシンのラップタイムにそれほど 差がないことに気づいた。350ccクラスのベストタイムなら、500ccクラスのスターティン グ・グリッドで二列目に並べるのである。ということは、350ccと500ccには大した差はない… …。圧倒的に500ccのほうが速いというわけではない……。 p.271 NS五〇〇の開発に当たってHが考えていたコンセプトは、『軽量・コンパクト』であった。彼は 二ストロークGPマシンの設計に際して、一九八一年六月にオランダのアッセンで行われたダッ チTTレースのラップタイムから、五〇〇ccと三五〇ccマシンのタイムには大きな差がないこと を、現地を訪れて調べていた。
――三五〇ccクラスのトップタイムなら、五〇〇ccクラスでスターティング・グリッド二列目に 並ぶことができる――
原告書籍に倣って、Hが1981年のダッチTTレースのデータから、350 CCマシンと500CCマシンのタイムには大きな差がないと気づいたことと、3 50CCクラスでベストのタイムを出せば500CCクラスのスターティング・グ リッドで2列目に並ぶことができることを表現している。
原告書籍に依って知ったエピソードを、類似表現で説明している。
Hが1981年6月のダッチTTレースを現地で観戦したこと、その際500ccと 350ccのマシンのラップタイムに大差がなく、350ccクラスのトップタイムであれば 500ccクラスのスターティング・グリッドで2列目に並ぶことができることを知ったこ と、それが契機となり同人がNS500のコンセプトを考えついたことは、いずれも事 実である。表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。
16 p.151 その結果、350cc並みの大きさで一三〇馬力出れば勝つことができるという結論に達したの である。
500ccマシンを350cc並みにコンパクトにすれば、当然ドラッグ(空気抵抗)が減る。
p.271 彼は五〇〇ccのマシンを三五〇ccクラス並みにコンパクトにして前影投影面積を減らし、エ ンジンも最高速重視よりもコントロールしやすいセッティングにすることで、トータルバランスのと れたマシンづくりを考えていた。 原告書籍に倣って、Hが500CCマシンを350CC並にコンパクトにしようと 考えたことを、類似した表現で説明している。 ダッチTTレースの観戦を契機としてHが500ccのマシンを350ccクラス並みにコ ンパクトにすることを計画したのは事実である。表現それ自体ではない部分にお いて共通するにすぎない。
17 p.159-160 Hがリードバルブを採用したのにはいくつか理由があった。もちろん低速でのパワー・ロスがない ということも考えられたが、もうひとつ押しがけスタートの時にエンジンのかかりがいいというのがそ の理由だった。スタートでトップに出れば三秒から五秒差がつく。一旦スタートしてしまうと後 方から他のライダーを抜くのは大変なことだが、スタートで三秒差をつけてしまえば二〇周の レースだと毎周〇.一五秒差をつけている計算になる。コンマ数秒を競うレースの場合、この スタート時の三秒は非常に重要なのである。 p.271 吸気バルブには、ロードレーサーに使われていたロータリー・バルブではなく、モトクロッサーで使 用されているリード・バルブを採用した。それはパワーロスがないほかにも、押しがけスタートの 時にかかりが良いという理由もあった。トップでスタートを切れば三秒は差が付いてしまうから だ。この三秒はレースでは勝敗を左右するほど重要であった。 原告書籍に倣って、Hが、吸気バルブにリード・バルブを使用したこと、その理由 は、パワーロスのないこと、押しがけスタート時にエンジンのかかりがよいことであり、 それによってスタート時に3秒差を付けることができればレース結果を左右すると 表現している。
原告書籍をほとんどそのままの内容で、文字数を詰めたものである。
NS500ではリードバルブを採用したこと、リードバルブのメリット(パワーロスがな い、押しがけスタートの時にかかりが良い)、レースにおけるスタートの重要性は、 いずれも事実である。表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。 原告は「3秒」の記述にも言及するが、「3秒」という記述自体に何らかの創作性 があるわけでもない。
そして、こうした知見を説明する具体的な表現においては、両者は異なってい る。
18 p.163 世界グランプリの監督になるにあたって、Iはチーム体制作りを根本から見直すことにした。ラ イダーやメカニック、テクニカル・アドバイザー、ヘルパー、日本人スタッフ等の各自の役割分担 を明確にし、全員が自分の役割をスムーズに行なえるよう組織を系統だてたのである。 p.272 彼は監督に就任するに当たり、チームを一から見直した。それは、海外のライダーとメカニッ ク、そしてホンダのスタッフを含めると、四カ国から五カ国にもなる多国籍部隊をどのようにまと めていくのか、ということが勝利への鍵となるからでもあった。 原告書籍に倣って、Iが世界GPの監督に就任して、ライダー、メカニック、その 他のスタッフを含めたチーム体制の見直しをしたことを表現している。
被告は、このようなIの着想を原告書籍に依って知ったものである。
Iが監督に就任する際にチームの体制を一から見直したことは事実である。表 現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。
19 p.223-224 “勝つ”ことについていろいろ自分なりの理論を持っていたHは、常日頃NRのメンバーに、 “勝った時はその原因を考えろ”と言っていた。負けた時の原因はすぐに分かる。ライダーの体 調がおかしかっただの、マシン・トラブルがあった、ライバル・マシンのほうが速かった、といった敗 因があるわけだ。 p.273 さらに、勝ち方や負け方も重要視した。相手のミスによる偶然の一勝と、完璧な一勝では、 同じ一勝でも内容や重みが違う。負け方も同じであった。それを分析しデータに残す。それら によりNS五〇〇の弱点やコースとの相性などが見えてくる。一九八三年はHRCにとって、一 つのレースの勝ち負けではなく、一年間を通した勝ち負けを問われる年でもあった。データから 得た戦術を駆使することで上位に食い込む。それが、チャンピオンになる条件だとチームメン バーは考えたのだ。 原告書籍に倣って、Hがレースでの勝ち方、負け方にこだわり、その原因の分析 を重視したことを表現している。
原告書籍に依って知ったHのチームメンバーに向けた言葉を、チームメンバー全 体の考え方のように形を変えて、類似表現で説明している。
原告書籍はHについての言及であるが、被告社史はI(ないしは「チームメン バー」)についての言及であり、そもそも異なっている。
いずれにしても、原因分析を重視することは被告の伝統であり(原告書籍224 頁でも言及されている)、Iが当時、勝敗いずれの場合にも原因分析を重視 していたことは事実である。
20 20-1
p.240
前年、Iの海外滞在日数は二一二日にも及んでいた。 p.273 一九八二年のシーズンにおいて、Iの海外遠征は二百十日間にも及んだ。この間、彼は、 絶対的なパワーは劣るがコーナリング性能に勝るNS五〇〇にとって、有利となるコース、逆 に苦戦を強いられるコースに分けた。 原告書籍に倣って、Iの1982年の海外滞在日数が210日(正確には 212日だが)に及んだこと、そして、Iが各地のサーキットを回って、出場者の 立場から見たコースの特性を分類していたことを表現している。
原告書籍の内容を、短文に要約して、類似表現で示したに過ぎない。
Iの海外滞在日数は事実である。表現それ自体ではない部分において共通す るにすぎない。
また、原告が海外滞在日数に言及したのは、助監督制を採用する契機となった ことに触れるためであるが、被告社史はそうした文脈ではなく、その点でも相違す る。
20-2
p.248-249
Iはハラマ・サーキットはNS500向きのコースだと読んでいた。タイトなコーナーが連続し、最高速の問われる長いストレートのないテクニカル・コース、ハラマは絶対馬力では非力だが旋回性能の高いNS500が実力発揮できるコースだと考えていたのである。
 世界グランプリ・チームの監督になる以前から、Iはヨーロッパの各サーキットを回ってコース分類表を作っていた。各サーキットを高速コース、低速コース、両方のまざったコースの三つに分け、さらにライダー・テクニックのいるテクニカル・コースかどうかと分類する。
IがNS500にとって有利なコースと不利なコースを分けていたこと、NS500の特 性(絶対的なパワーは劣る一方、コーナリング性能に勝ること)はいずれも事実 である。表現それ自体ではない部分において共通するにすぎない。
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