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【事件名】“マニュアル”翻訳事件
【年月日】平成30年12月26日
 東京地裁 平成30年(ワ)第6943号 損害賠償等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成30年12月12日)

判決
原告 A
被告 株式会社エンタシス
同訴訟代理人弁護士 高下謹壱
同 植田浩


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 被告は、別紙物件目録記載2のマニュアルを複製してはならない。
2 被告は、原告に対し、2500万円を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、別紙物件目録記載1のマニュアル(以下「本件マニュアル」という。)を作成した原告が、本件マニュアルは著作物であり、自ら著作権を有するとし、被告において、本件マニュアルをシンハラ語及び英語に翻訳し、本件マニュアルの内容を削除し、変形し、又は追加し、著作者としての原告の氏名を誤って表示した別紙物件目録記載2のマニュアル(以下「被告マニュアル」という。)を作成したことは、本件マニュアルについての原告の翻案権、同一性保持権及び氏名表示権を侵害する旨を主張して、@著作権法112条1項に基づき、被告マニュアルの複製の差止めを求めるとともに、A民法709条の著作権及び著作者人格権侵害の不法行為による損害賠償請求権に基づく損害賠償金2660万円のうち2500万円の支払を求める事案である(なお、原告は、損害の内訳として後記のとおり主張するところ、その合計額は2660万円であり、一部請求として2660万円のうち2500万円を請求するものと解される。)。
2 前提事実(当事者間に争いがない又は後掲の証拠(以下、書証番号は特記しない限り枝番を含む。)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1)当事者
 被告は、平成26年1月頃、手書きの文章をデータ入力するシステムであるピース1エントリーシステム(以下「本件システム」という。)を開発した株式会社である(甲1)。
 原告(平成28年8月に離婚する前の姓は「B」であった。)は、被告の依頼を受け、本件システムの操作方法に関するマニュアルである本件マニュアルを作成した者である(甲1の1)。
(2)本件マニュアル
 本件マニュアルは、表紙及び本文から構成されており、本文は、本件システム使用時に表示される画面を取り込んだ画像のみの頁や、同画像にコメント(以下「本件コメント」という。)を付した頁により構成されている(甲1の1)。
(3)被告の行為
 被告は、少なくとも以下のアないしウの翻訳、変更及び氏名の表示を行って、被告マニュアルを作成した(甲1)。
ア 翻訳
 被告は、日本語で記載された本件コメントをシンハラ語及び英語に翻訳して本件コメントにそれらの翻訳文を併記した。
イ 変更
 被告は、本件マニュアル中の別紙変更箇所目録記載1の部分を削除し、同記載2の部分を変更し、同記載3の部分を追加した。
ウ 原告の氏名の表示
 原告の名の読み方は「C」であるが、被告は、本件マニュアルの表紙のDという氏名の表示の下に、「E」と付記した。
3 争点
(1)本件マニュアルの著作物性の有無(争点1)
(2)本件マニュアルの職務著作性の有無(争点2)
(3)許諾の有無(争点3)
(4)損害の発生の有無及び額(争点4)
4 争点に対する当事者の主張
(1)争点1(本件マニュアルの著作物性の有無)について
【原告の主張】
 本件コメントは、ソフトウェアのコンピュータ用語を用いて、本件システムの機能を説明したものであり、短いものもあるが、3行から5行にわたるものもある。
 また、本件マニュアルのうち、本件システムの表示画面の部分については、本件システムを起動し、システムを動作させながら入力作業を行った本件システムの画面を本件マニュアルに取り込んだものであって、技術が必要であった。
 以上のとおり、原告は、独自の表現方法によって、全体構成を考えながら、本件マニュアルを作成したものであって、本件マニュアルに独創性があることは明らかである。なお、本件マニュアルは、平成28年11月9日に完成したもの(9494キロバイト)であって、平成27年6月16日に完成したもの(3637キロバイト)とは異なる。
【被告の主張】
 本件マニュアルは、本件システムの表示画面が取り込まれ、若干のコメントが付されているものにすぎない。
 本件コメントの表現は、より効率的な操作方法へと向かう一方向性を有しており、表現の多方向展開性を有する精神活動を意味する「創作性」を具備しない。また、本件コメントは、本件システムの表示画面に対するありふれた初歩的、典型的なコメントであり、機能を説明するにすぎないから、「思想又は感情の表現」に当たらず、システムマニュアルは技術に属する実用品であって、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」ではない。
 よって、本件マニュアルは、原告の「思想又は感情を創作的に表現したもの」ではない。
 なお、本件マニュアルは、平成27年に作成されたものである。
(2)争点2(本件マニュアルの職務著作性の有無)について
【被告の主張】
 本件マニュアルは、平成27年6月から8月頃、被告の発意に基づき、被告の業務に従事する者として、原告が職務上作成したものであり、被告は原告に対し、労務提供の対価として合計16万円を支払った。本件マニュアルは、本件システムの販売事業の展開次第では被告名義で公表されることが予定されていた。
 よって、本件マニュアルは、職務著作であるから原告には著作権が帰属しない。仮に、原告主張のとおり、原告が、株式会社アイエスエフネットライフ(以下「アイエスエフネットライフ」という。)の従業員として本件マニュアルを作成したのであれば、本件マニュアルは職務著作として、同様に原告には著作権が帰属しない。
【原告の主張】
 否認又は争う。
 原告は、被告の従業員ではなく、被告の取引先であるアイエスエフネットライフの従業員として本件マニュアルの作成依頼を受けたものであり、被告に従属した立場になかった。また、被告が主張する報酬は、被告からではなく被告の現在の経営者の一人であり、原告の元夫であるF(以下「F」という。)から支払われたものである。よって、被告の職務著作であるということはできない。
(3)争点3(許諾の有無)について
【被告の主張】
 原告は、平成29年6月頃、Fに対し、本件マニュアルを英語とシンハラ語に翻訳することを許諾した。
【原告の主張】
 否認する。原告は、本件マニュアルを翻訳することは聞いておらず、許諾していない。
(4)争点4(損害の発生の有無及び額)について
【原告の主張】
 被告の不法行為によって、原告は、翻案権侵害に基づく損害2340万円、同一性保持権侵害に基づく損害160万円及び氏名表示権侵害に基づく損害160万円の合計2660万円の損害を被った。
【被告の主張】
 否認し、争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件マニュアルの著作物性の有無)について
(1)証拠(甲1の1)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
 本件マニュアルは、本件システムの機能や操作方法を説明することを目的とするものであり、総頁数は158頁である。
 各頁は、本件システムの操作の際に表示される画面を取り込んだ画像がその大部分を占め、同画像に添えられている本件コメントは、1行ないし5行程度である。本件コメントは、本件マニュアルの前記作成目的に従い、本件システムの操作の際に表示される画面の内容を説明し、同画面に関連する本件システムの機能を説明し、又は同画面に関連する本件システムの操作について説明するものであり、例えば、本件システムのID及びパスワードの入力画面の画像が表示されている頁には、「ピースエントリーシステム起動後、ログイン画面が表示されるので、次の通り、個人個人に割り当てられたIDとPWを入力し「Login」ボタンを押す。」(甲1の1の3頁)と記載されている。
(2)当裁判所の判断
ア 著作物は、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう(著作権法2条1項1号)ところ、創作的に表現されたというためには、厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく、作成者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきであるが、他方、文章自体がごく短く、又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合には、作成者の個性が表現されたものとはいえないから、創作的な表現であるということはできない。
イ これを本件についてみるに、前記第2の2前提事実?及び前記?に認定したとおり、本件マニュアルは、本件システムの機能や操作方法の説明を目的として作成されたものであり、その作成目的に従い、本件コメントは、各頁に表示された本件システムの画面の内容を説明し、同画面に関連する本件システムの機能を説明し、又は同画面に関連する本件システムの操作といった客観的事実を説明することを目的として作成されており、その性質により、機能や操作方法を分かりやすく、一般的に用いられるありふれた表現で示すことが求められることから、表現の選択の幅は狭いものである。そして、本件コメントでは、本件システムの機能等を説明するためにコンピュータに関する用語が選択されているものの、当該説明において他の表現を用いることは想定し難く、また、その他の表現も操作等を説明するものとして特徴的な言い回しが存するともいえない。
 そうすると、本件コメントに原告の個性が表現されているとはいえないのであって、本件マニュアルに著作物性があるということはできない。これに反する原告の主張は採用することができない。
2 結論
 以上によれば、その余の争点につき判断するまでもなく、原告の請求には理由がないから、いずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 山田真紀
 裁判官 伊藤清隆
 裁判官 棚橋知子


(別紙)
物件目録
1 標題 ピースエントリーシステムマニュアル(画面仕様書)Ver2.10
  頁数 158頁
  作成者 (株)アイエスエフネットライフ D
2 標題 ピースエントリーシステムマニュアル(画面仕様書)Ver2.10
  頁数 77頁
  作成者 (株)アイエスエフネットライフ D
  E
内容 英語及びシンハラ語の翻訳が付されたもの

(別紙)
変更箇所目録
1 削除された箇所
 本件マニュアルの11頁ないし13頁、15頁ないし20頁、23頁、25頁ないし29頁、32頁、36頁、38頁、42頁、44頁、47頁ないし53頁、57頁ないし78頁、80頁ないし85頁、90頁ないし98頁、124頁ないし148頁
2 変更された箇所
(1)被告マニュアル14頁
 本件マニュアルの24頁に英語及びシンハラ語の文章を追加。
(2)被告マニュアル15頁
 本件マニュアル24頁に矢印の記号を追加。
(3)被告マニュアル43頁
 本件マニュアル100頁に矢印の記号を追加。
3 追加された箇所
 被告マニュアル11頁、21頁ないし33頁
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