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【事件名】米軍ヘリ墜落事故のニュース映像無断使用事件(2)
【年月日】平成30年8月23日
 知財高裁 平成30年(ネ)第10023号 著作権侵害差止等本訴請求、損害賠償反訴請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成28年(ワ)第37339号)
 (口頭弁論終結日 平成30年6月21日)

判決
控訴人(1審本訴被告・反訴原告) 株式会社シグロ
訴訟代理人弁護士 岡邦俊
同 小畑明彦
同 前原一輝
被控訴人(1審本訴原告・反訴被告) 琉球朝日放送株式会社
訴訟代理人弁護士 竹下勇夫
同 久保以明
同 秀浦由紀子
同 亀山聡
同 伊藤真
同 平井佑希
同 丸田憲和


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決中、本訴請求に関する控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の上記取消しに係る部分の請求を棄却する。
3 原判決中、反訴請求に関する部分を取り消す。
4 被控訴人は、控訴人に対し、1950万円及びこれに対する平成28年4月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
6 第4項につき仮執行宣言
第2 事案の概要(以下、略称については原判決のそれに従う。)
1 本件は、次の本訴及び反訴から成る事案である。
(1) 本訴
 本訴事件は、原判決別紙1著作物目録記載1ないし4の各映像(本件映像1ないし4、併せて本件各映像)の著作者及び著作権者である被控訴人が、控訴人が被控訴人の許諾なく本件各映像を使用して製作した原判決別紙3映画目録記載の映画(本件映画)につき、@控訴人が本件映画を上映する行為は本件各映像につき被控訴人が有する上映権(著作権法22条の2)を侵害する、A控訴人が本件映画を記録したDVDを販売する行為は本件各映像につき被控訴人が有する頒布権(著作権法26条1項)を侵害する、B控訴人が本件映画の上映に際して被控訴人の名称を表示しなかったことは本件各映像につき被控訴人が有する氏名表示権(著作権法19条1項)を侵害する、C本件映像2のうち原判決別紙2−2「著作物目録の著作物2」のJないしOの部分(約8秒。同別紙に「未公表部分」との記載のあるもの)及び本件映像4のうち原判決別紙2−4「著作物目録の著作物4」の@ないしCの部分(約5秒。同別紙に「未公表部分」との記載のあるもの)は、公表されていない著作物であったから、控訴人が上記各部分の映像を使用した本件映画を上映したことは、上記各部分につき被控訴人が有する公表権(著作権法18条1項)を侵害するなどと主張して、控訴人に対し、@著作権法112条1項に基づき、本件各映像を含む本件映画の上映、公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布の差止めを、A同条2項に基づき、本件映画を記録した媒体及び本件各映像を記録した媒体からの本件各映像の削除を、B著作権侵害の不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害賠償金111万0160円及びこれに対する不法行為の日以後である平成27年6月21日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を、C著作者人格権侵害の不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害賠償金300万円及びこれに対する不法行為の日以後である平成27年6月21日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を、D著作権法115条に基づき、原判決別紙4謝罪広告要領記載の要領による原判決別紙5謝罪広告内容記載の謝罪広告の掲載を、それぞれ求める事案である。
(2) 反訴
 反訴事件は、控訴人が、@本件映画での本件各映像の使用につき、被控訴人が、控訴人による二度の許諾申請を拒絶した上で本訴事件を提起した一連の行為は、共同の取引拒絶又は単独の取引拒絶として私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)に違反し、控訴人に対する不法行為を構成するとして、被控訴人に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害賠償金1392万円及びこれに対する不法行為の日以後である平成28年4月5日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を、A被控訴人が、本件各映像に係る控訴人との交渉内容を秘匿したまま、本訴事件を提起した旨を自社の放送波を通じて放送し、ウェブサイトに同内容を掲載し、マスコミにリリースした行為は、控訴人に対する不法行為を構成するとして、被控訴人に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害賠償金558万円及びこれに対する不法行為の日以後である平成28年4月5日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める事案である。
2 原判決は、本訴請求については、差止請求及び削除請求の全部と、損害賠償請求の一部を認容し、その余(損害賠償請求の残部と謝罪広告掲載請求)をいずれも棄却し、反訴請求については、その請求を全部棄却した。
 これに対し、自己の敗訴部分に不服のある控訴人が本件控訴をした。
3 前提事実
 原判決の該当部分(原判決4頁23行目から6頁9行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
4 争点及び争点に対する当事者の主張
 原判決7頁2行目及び同18頁2行目に「本件事件を」とあるのをいずれも「本訴事件を」に改め、次項のとおり、当審における補充主張を追加するほかは、原判決の該当部分(原判決6頁10行目から19頁11行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
5 当審における補充主張
(控訴人)
(1) 争点1(差止め及び削除を求める請求は特定されているか)に関し
 本訴事件に係る被侵害著作物は、被控訴人が原審で提出した原告第2準備書面(平成29年1月30日付け)において、長さが4分を超す「映画の著作物」から、その素材としての最大の長さが十数秒の未編集映像(映画類似の著作物−著作権法2条3項)に変更され、これに伴い本訴事件の訴訟物も変更された。
 それにもかかわらず、被控訴人は、その後の準備書面において、既に撤回した主張(被侵害著作物が、編集によって創作性を付与された「映画の著作物」であるかのような主張)を事実上復活させ、控訴人が被控訴人主張の被侵害著作物に矛盾があることを指摘したにもかかわらず、原判決は、被侵害著作物を特定しないまま被控訴人の請求を認容した。
 これでは、「差止め及び削除を求める請求」が特定されているとはいえず、原判決の争点1に関する判断の誤りは明らかである。
(2) 争点3(本件映画に被控訴人の名称を表示していないことは、「その著作物につきすでに著作者が表示しているところに従つて」〔著作権法19条2項〕されたものといえるか)に関し
ア 原判決は、「著作権法19条2項は…著作者名を表示する場合に、その表示として、既に著作者が表示した名称等を用いることを許容するにすぎず、同条3項において著作者名の表示を省略できる場合が規定されていることからしても、著作者名を表示しないことを正当化する規定ではないと解される。」と判断した。
 しかし、氏名の不表示は当該著作物を無名のままにするという著作者の積極的な意思表示であり、著作権法19条2項の解釈としても、「無名の著作物については、その著作者において氏名を表示しないこととする権利を行使したものと考えられるから、その著作物を利用するに際しては…無名の著作物として利用すれば足りる。」と解されている。また、同条3項は、原作品に著作者名が表示されている場合の「省略」に関する規定であり、同規定の存在は、同条2項を上記のように解釈することを何ら妨げるものではない。さらに、著作権法48条2項が、「…出所の表示に当たつては…当該著作物が無名のものである場合を除き、当該著作物につき表示されている著作者名を示さなければならない。」と規定しているのも、上記のとおり、「無名の著作物については…無名の著作物として利用すれば足りる。」からにほかならない。
 以上によれば、原判決の争点3に関する判断の誤りは明らかである。
イ 当審における仮定的主張
 著作権法19条3項は、「著作者名の表示は、著作物の利用の目的及び態様に照らし著作者が創作者であることを主張する利益を害するおそれがないと認められるときは、公正な慣行に反しない限り、省略することができる。」と規定する。
 しかるところ、後記(3)ウのとおり、控訴人は「公正な慣行」に従って著作者(著作権者)としての被控訴人名の表示を省略せざるを得なかったのであるから、その行為は同項の要件を全て充足する。
(3) 争点4(著作権の行使に対する引用〔著作権法32条1項〕の抗弁は成立するか)に関し
ア 公正な慣行に合致することの立証責任について
 原判決は、著作権法32条1項の適用に関し、当該行為(著作物の利用行為)が「公正な慣行」に合致し、また「引用の目的上正当な範囲内」で行われたことについては、同項の適用を主張する者が立証責任を負担すると判断した。
 しかし、当該行為が「公正な慣行」に合致することについては、引用に関する著作権制限規定の適用を主張する者(控訴人)が立証責任を負担すると解すべきではない。なぜなら、「そもそも、公正な慣行が存在するとは限らないから、これを抗弁の構成要素に位置づけることはできない。」からである。
イ 「公正な慣行」に合致し、また「引用の目的上正当な範囲内」で行われたことについての判断基準と判断要素について
 原判決は、上記2要件の判断基準について、「他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか、その方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などを総合考慮すべきである。」としており、それ自体は妥当である。
 しかし、本件の最大の争点は、控訴人の事前・事後の利用許諾申請に対し、何ら理由を示すことなく一貫して不許諾とした被控訴人の対応の当否(不許諾理由の当否)であり、この点は、上記のとおり、引用の成否に関して総合的に考慮すべき諸要素の一つに当たる。
 それにもかかわらず、原判決は、この点について何ら判断せず、上記基準に即した総合的考慮を行わなかった。
ウ エンドクレジットにおける表示について
 原判決は、「ドキュメンタリー映画において資料映像を使用する場合に、そのエンドクレジットにすら映像の著作権者を表示しないことが、公正な慣行として承認されているとは認め難い」と判断した。
 たしかに、ドキュメンタリー映画のエンドクレジットに資料映像や資料写真の提供者の名前などが掲載されることが多い。
 しかし、その目的は、基本的には提供者・協力者に対する賛辞を表示することであり、その意味で、協力者名をエンドクレジットにおいて表示することは「公正な慣行」であるといってよい(賛辞はSpecial thanks to:として表示されることもある。)。なお、協力者名は、当該資料の使用箇所に表示されることもあり、BBCが自社の放送番組「Development with Destruction」の被控訴人映像使用箇所に「Courtesy of Ryukyu Asahi Broadcasting」(琉球朝日放送のご厚意による)と付記したことは、著作権法上の出所表示ではなく、賛辞の表示と解すべきである。
 しかるところ、控訴人が、「エンドクレジットにすら」被控訴人名を表示しなかったのは、ひとえに被控訴人が本件各映像の使用を理不尽にも不許諾としたからである。すなわち、エンドクレジットへの掲載は賛辞を意味するという上記の「公正な慣行」が存在するため、控訴人としては、許諾申請が拒否された以上、被控訴人の許諾があったかのような記載を避ける必要があった。
 したがって、(エンドクレジットに被控訴人名を表示しなかった)控訴人の行為は、少なくとも公正な慣行に反するものではない。
エ 出所の明示について
 また、原判決は、出所を明示していないことを理由に引用の抗弁を退けた点において、「絶対音感」事件判決(東京高裁平成14年4月11日判決)の判断に合致しているが、「出所明示」がなければ引用における「公正な慣行」に合致しないという判断基準は、従来の判例学説にみられない、全く独自のものであり、同事件判決に対する批判がそのまま当てはまる。
 なお、同事件判決は、著作権法上の長い歴史を持つ言語の著作物の引用の要件を論じたものであり、本件のように、ニュース素材映像のドキュメンタリー映画への引用という極めて現代的な紛争に援用して「公正な慣行」の存在を安易に認定すべきではない。
オ 小括
 以上によれば、原判決の争点4に関する判断の誤りは明らかである。
(4) 争点5(被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使は、権利の濫用に当たり許されないか)に関し
ア 控訴人の許諾申請と被控訴人の不許諾を巡る経緯
 控訴人は、本件映画の製作の企画時には、フェアユース又は引用の法理によって本件各映像を無許諾かつ無償で利用することなどは、全く考えていなかった(ドキュメンタリー映画の製作について実績を有する控訴人は、従前から全ての資料映像について一つ一つ丁寧に許諾を得ることを心掛けており、本件映画のA監督も、被控訴人から本件各映像の使用を拒否されることは想像もしなかったと述べている。)。
 控訴人は、被控訴人に対し、本件各映像の本件映画への利用許諾を一貫して真摯に求め続け、被控訴人の要求に応じて謝罪し、適切な映像対価を支払う意思を表明した上で、被控訴人提示の諸条件については合理的な理由を示して再考を求めたのであり、客観的には、本訴提起の直前の時点まで許諾条件の交渉が継続していたということができる。これに対し、被控訴人の側が、控訴人に何ら連絡することなく一方的に交渉を打ち切り、本訴を提起したのである。
 ところが、原判決は、「被告は、本件映画における本件各映像の使用はフェアユースに当たり、映像を提供しない合理的な理由を原告が説明すべきであるとの立場を…維持し、話はまとまらなかった」と認定した。
 この認定は、前記の経緯、特に控訴人が本件各映像の本件映画への利用許諾を事前・事後に誠実に求め続けたという重要な事実を完全に無視し、あたかも控訴人が当初から本件各映像を無断で利用しようとし、無断利用の発覚後、フェアユースに固執して被控訴人との許諾条件の交渉をまとめようとしなかったかのように事実を歪曲した認定であるといわざるを得ない。
 また、原判決は、上記のとおり、「話はまとまらなかった」ということを前提に、「これ(控訴人注・フェアユースに関する控訴人の見解)と見解を異にする原告が訴訟を提起することは、正当な権利の行使であって、本訴を那覇地方裁判所(民訴法5条1項1号及び9号により管轄が認められることが明らかである。)に提起したとしても、これが権利の濫用となる理由はないというべきである。」と判断した。
 しかし、控訴人は、那覇地裁への本訴提起自体を権利濫用とするものではなく、むしろ東京(又は大阪)地裁の知的財産専門部より現地沖縄の裁判所が本件を審理・判断することに意義があると考え、また、B報道制作局長、C記者その他の沖縄在住の被控訴人側証人によって本件の最大の争点である不許諾理由の適否が十分に立証されることを期待していた。現に、控訴人は、東京などへの移送も申し立てていない。
 ところが、被控訴人は、「オールニッポン・ニュースネットワーク協定」(甲13)を書証として提出しながら、移送の前後を問わず、同協定と不許諾理由との関係を立証しようとせず、被控訴人の行為の正当性などに関する総論的主張についても、B局長らを証人申請しようとすらしなかった。
 控訴人は、被控訴人のこのような不当な対応を権利濫用として主張したのである。
イ 引用の成否との関係
 原判決は、被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使が権利濫用に当たらない理由として、「原告による著作権の行使が著作権法32条1項により妨げられるものでないこと」を挙げる。
 しかし、引用の規定(著作権法32条1項)は、一定の要件を充たす場合に著作権が制限されることを定めるものであり、著作権及び著作者人格権の権利濫用全般について定める規定ではない。したがって、引用に該当しないことが、直ちに権利濫用に当たらないことの根拠とはなり得ない。
 また、原判決は、引用の要件のうち、「公正な慣行」及び「正当な範囲内」の判断に際しては、「…(利用)の方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などを総合考慮すべき」との評価基準を提示しているのであり、引用について総合的に考慮すべき事情は、権利濫用の成否の判断について考慮すべき事情にも合致するはずである。
 しかし、原判決は、前記のとおり、引用の成否について、この基準に即した総合的考慮を何ら行っていないのであるから、引用に該当しないとの理由で権利濫用に当たらないという結論を導くことはできない。
ウ 小括
 以上によれば、原判決の争点5に関する判断の誤りは明らかである。
(5) 争点8(被控訴人が、控訴人からの本件各映像の利用許諾申請を拒絶した上で本訴事件を提起した一連の行為は、控訴人に対する不法行為を構成するか)に関し
ア 原判決は、被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使が権利の濫用に当たると評価できないことを独占禁止法の規定の適用を受けない理由とする。
 しかし、前記のとおり、被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使は、権利の濫用に当たるのであるから、独占禁止法21条の解釈上、行為@ないしCの一連の行為にも同法が適用され得るというべきである。
イ また、行為@に関し、重大な歴史的事実を撮影したニュース素材としての本件各映像について、利用者よりはるかに経済的・社会的に優位に立つ報道機関が、利用者の利用の態様を詳しく審査しなければ利用の可否を判断できないとすることは、国家機関による検閲に等しく、利用しようとする者の表現の自由を著しく侵害するとともに、利用の成果を鑑賞する者の知る権利を著しく侵害する。
 行為AないしCに関しても、前記のとおり、控訴人は、被控訴人の許諾が得られないまま、本件各映像を使用した本件映画の製作・公開に踏み切ったため、許諾を得た利用であるとの誤解を避ける必要があり、「エンドクレジット」において言及することも含め本件映画に被控訴人の名称を表示することを断念したのである。したがって、被控訴人が本件各映像の入手先の開示や重ねての謝罪を控訴人に求めたこと(行為A)や、事前に許諾を得て映像を使用させる場合よりも高額な使用料の支払を求めたこと(行為B)、控訴人と被控訴人との交渉が継続中であったにもかかわらず、これを一方的に打ち切って訴訟を提起したこと(行為C)が権利の濫用に該当することは多言を要しない。
ウ 以上によれば、被控訴人の行為@ないしCは、独占禁止法2条9項1号イ(共同の取引拒絶)又は同項6号イ、一般指定2項(単独の取引拒絶)に定める不公正な取引方法に当たり、かつ、被控訴人の権利濫用として、控訴人に対する不法行為に該当する。
 したがって、原判決の争点8に関する判断の誤りは明らかである。
(6) 争点9(被控訴人が、控訴人との交渉内容を秘匿したまま、本訴事件を提起した事実を自社の放送波で放送すると共に自社のウェブサイトに掲載し、マスコミ各社に同内容のリリースを配布した行為は、控訴人に対する不法行為を構成するか)に関し
ア 被控訴人は、平成28年4月4日の自社テレビニュースで、本訴の提起について、「著作権の侵害に当たるとして、QABは映画制作会社を提訴しました。(以下略)」と報道するとともに、自社ホームページに同内容の記事を掲載した。
 予備知識のない一般の視聴者は、この報道を「被控訴人が撮影した映像を控訴人が無断で使用したことについて控訴人に謝罪を求めたにもかかわらず、控訴人が自由に使用できると主張して著作権侵害を否定し、謝罪もせずに、DVD版の販売や字幕版の制作まで行っている。」と捉えることが優に推認される。
 なぜならば、この報道では、被控訴人が理由を示さずに利用許諾を拒否した事実、本件映画の公開後、控訴人が被控訴人に謝罪した事実、被控訴人が許諾条件として再度の謝罪や高額な映像使用料等を提示した事実など、被控訴人の公正さを疑わせる事実が全て隠蔽されているからである。
 その結果、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とすれば、控訴人を悪質な違法複製者であるとの印象を視聴者に与え、控訴人の社会的評価を低下させたことは明らかである。
イ この点、原判決は、「原告が放送し、ウェブサイトに掲載した内容は…@原告が、映画の制作会社に対して著作権侵害訴訟を提起したこと、A本件映画には原告が沖国大ヘリ墜落事故を撮影した映像が42秒間無断で使用されていること、B原告は制作会社に対して謝罪を求めてきたが、『放送局が撮影した映像は高度の公共性があり自由に使用できる』と主張したこと、C本件映画についてはDVD版販売や字幕版の制作が行われていること、D制作会社の代表者は訴状を見ていないと述べたことであって、これらの事実の摘示が、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準として、直ちに被告の社会的評価を低下させるものと認めることはできない。」とする。
 しかし、一般の視聴者は、1回限りの視聴において当該報道全体を一体として、その趣旨を捉えるのが通常である。原判決の手法は、文脈を切断して文章全体の趣旨を変えてしまうものであり適切でない。当該報道全体としては、前記のとおり控訴人を悪質な違法複製者であるとの印象を視聴者に与え、控訴人の社会的評価を低下させるものというべきである。
ウ また、原判決は、「原告が放送し、ウェブサイトに掲載した内容は、公共の利害に関する事実に係るものと認められるから、専ら公益を図る目的に出たものと推認すべきところ、摘示された事実は、その主要な部分において真実であることが認められる…から、違法性がないものというべきである」とする。
 しかし、被控訴人は、被控訴人が放送しウェブサイトに掲載した内容が公共の利害に関する事実であるかのように装いながら、控訴人が悪質な違法行為者であるとの印象を視聴者に与える目的で放送等を行ったものというべきである。また、被控訴人の放送等で摘示された事実は、前記のとおり全体として事実に反するものであり、その主要な部分において真実であるとは到底いえない。
エ 被控訴人の報道は、被控訴人が放送事業者の立場にあることを悪用して、控訴人に不利、被控訴人に有利になるよう情報操作を行ったものであり、控訴人の名誉・信用を毀損する不法行為に該当する。
 したがって、原判決の争点9に関する判断の誤りは明らかである。
(被控訴人)
(1) 争点1(差止め及び削除を求める請求は特定されているか)に関し
 控訴人の主張を見ても、なぜ本件における被侵害著作物が特定されていないことになるのか、全く不明である。本件における被侵害著作物は、原判決別紙1の1ないし4に掲げる各映像(その内容は、甲4、5及び原判決別紙2−1ないし2−4のとおりである。)であって、明確に特定されている。
(2) 争点3(本件映画に被控訴人の名称を表示していないことは、「その著作物につきすでに著作者が表示しているところに従つて」〔著作権法19条2項〕されたものといえるか)に関し
ア 著作権法19条1項は、明確に、氏名の「表示」と「表示しないこと」を区別しており、表示と不表示は全く別の、相反する概念である。
 このことに加え、著作権法19条2項は、「著作物を利用する者は、その著作者の別段の意思表示がない限り、その著作物につきすでに著作者が表示しているところに従つて著作者名を表示することができる。」と、「表示している」ところに従って「表示する」旨規定していること、これに対して著作権法19条3項が表示を省略することについて規定していることに照らせば、著作権法19条2項は、従前「表示している」場合にそのまま「表示する」ことを正当化する規定であり、「表示されていない」場合に「表示しない」ことを正当化する規定ではないことが明らかである。
イ 被控訴人は、本件各映像(未公表部分は除く。)を、被控訴人を示すことが明らかな「琉球朝日放送」というチャンネル中の、「ステーションQ」という番組で放送し、当該番組のオープニングにも「RYUKYU ASAHI BROADCASTING」と表示していた。
 このように、被控訴人は本件各映像を放映するに当たって、そのチャンネル名やオープニングに被控訴人の名称を表示しているのであり、これが本件各映像に関する「すでに著作者が表示しているところ」であることは明らかである。
ウ 当審における仮定的主張について
 「仮定的主張」という位置付けはよく理解できないが、ドキュメンタリー映画において、他人の映像を引用する場合に、著作者の表示をしないことが「公正な慣行」に合致するものではないということについては、既に原審において主張したとおりであり、控訴人の主張は誤りである。
(3) 争点4(著作権の行使に対する引用〔著作権法32条1項〕の抗弁は成立するか)に関し
ア 公正な慣行に合致することの立証責任について
 「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」という著作権法32条1項の規定ぶりに照らし、「公正な慣行に合致するもの」であること及び「引用の目的上正当な範囲内で行われるもの」であることが積極的に立証されて初めて適法引用として認められるものであることは明らかである。控訴人自身も、「引用の目的上正当な範囲内で行われるもの」であることについて、適法引用を主張する者がその立証責任を負うということは争っておらず、これと並列的に規定されている「公正な慣行に合致するもの」であることについて、立証責任を異にすると解釈する合理性はない。
 仮に、引用に関する「公正な慣行」が存在しないというのであれば、その旨を主張立証すれば足りるのであり、立証責任を転換すべき理由となるものではない。
イ 不許諾理由の当否について
 控訴人は適法引用の抗弁の成否に関する箇所で「不許諾理由の当否について」ということを論じているが、失当である。
 著作権者による許諾がないからこそ、適法引用の抗弁が問題となるのであり、著作権者による許諾がどのような理由によりなされなかったのかは、適法引用の抗弁の成否とは全く無関係の事柄である。
ウ エンドクレジットにおける表示について
 控訴人はエンドクレジットにおいて協力者名を表示することは「公正な慣行」であると主張した上で、本件において被控訴人は映像利用許諾を拒んだからエンドクレジットに表示しなかったと主張するが、失当である。
 そもそも、原判決は、控訴人がエンドクレジットに「すら」著作者として被控訴人の名称を表示しなかったことを、引用に関する公正な慣行に合致しないと評価しているのであり、エンドクレジットに著作者として被控訴人の名称を表示さえすれば、それだけで引用に関する「公正な慣行」に合致して、適法引用となると述べているわけではない。
 むしろ、ドキュメンタリー映画において、他人の映像を引用する場合には、単にエンドクレジットに著作権者を表示するのでは足りず、当該映像を引用した箇所に著作権者を表示するなど、どの映像が誰の映像であるのかが理解できるように著作権者を表示することが、「公正な慣行」に合致する。
 このように、エンドクレジットに被控訴人の名称を表示したか否かに関わらず、本件各映像の引用箇所にクレジット表示するなど、映像との対応関係を明示する態様で被控訴人の名称を表示していない時点で、控訴人による利用態様が公正な慣行に合致したものではないことは明らかである。
エ 以上のとおり、本件各映像の引用部分で著作権者として被控訴人の名称を表示していない時点において、控訴人の利用態様が引用に関する「公正な慣行」に合致したものではないことは明らかである。
(4) 争点5(被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使は、権利の濫用に当たり許されないか)に関し
ア 控訴人は、本件映画の製作の企画時には、フェアユース又は引用の法理によって本件各映像を無許諾かつ無償で利用することなどは、全く考えていなかったと主張するが、かかる控訴人の内心が権利濫用の成否にどのように関係するのか、控訴人の主張の趣旨が明らかでない。また、本件映画の監督は、被控訴人から本件各映像の使用を拒否されることは想像もしなかった、などと述べているが、なぜ、被控訴人から許諾が得られると確信していたのか、とりわけ、甲8のような極めて漠然とした利用許諾申請であるにも関わらず、許諾を得られると信じて疑わなかった理由が全く不明である。
 結局のところ、控訴人の側が本件各映像の利用許諾が得られると根拠なく軽信し、控訴人映画の撮影や編集作業を進めた結果、被控訴人から本件各映像の利用許諾が断られてしまい、しかもその時点において既に本件各映像を前提としたD氏の証言が撮影されていたために、被控訴人の著作権や著作者人格権を侵害することにおかまいなく作品の公開に踏み切り、その後になって、後付けで適法引用の抗弁などを持ち出した、というのが本件の「事の真相」である。
イ 原審で既に主張したとおり、被控訴人のような放送事業者には公正・中立であることが強く求められるのであり、メッセージ性の強い作品への映像提供などは、極めて慎重に判断せざるを得ず、控訴人が軽信するように、安易に映像提供することなど到底できない。
 また、仮に映像が利用される場合には、その映像が被控訴人の映像であることを明示して、中立的な立場で撮影されたものであることを示すなど、被控訴人の中立性を損なったり、疑念を抱かれたりするようなことがないように、細心の注意を払う必要がある。
 被控訴人が本件各映像の利用を許諾しなかったことが権利濫用に当たるとか、不法行為に当たるというような控訴人の主張は、このような事情を全く無視した自己本位な主張である。
 また、このような事情に照らしても、ドキュメンタリー映画である控訴人映画に被控訴人の本件各映像を引用するのであれば、出所表示をすることが必須であることは明らかである。
ウ 結局のところ、控訴人の権利濫用に関する主張で述べられているのは、許諾が得られると軽信したことを、被控訴人に責任転嫁しているだけのことであり、何ら被控訴人の権利行使を妨げる事情に当たらない。
(5) 争点8(被控訴人が、控訴人からの本件各映像の利用許諾申請を拒絶した上で本訴事件を提起した一連の行為は、控訴人に対する不法行為を構成するか)に関し
ア 控訴人は、平成27年2月19日付け利用許諾申請を拒絶した行為(行為@)、同年9月7日付け利用許諾申請に対して映像の入手先の開示や再度の謝罪を求め(行為A)、同年12月10日付け利用許諾条件提示を控訴人が拒否したことを受けて被控訴人が利用許諾を拒絶した行為(行為B)、及び、被控訴人が訴訟を提起した行為(行為C)を不法行為と主張する。
イ しかしながら、行為@について、申請に際して控訴人から提供された情報は、極めて簡略なものといわざるを得ず、当該情報程度では、編成権の及ばない作品への映像提供はできないと被控訴人が判断したことは、著作権者として、合理的・常識的な判断であって、不法行為を構成するものではないことは明らかである。この点、控訴人は、映像の社会的意義であるとか、公共性を強調しているところであるが、こうした主張は後付けのものにすぎない。
ウ 控訴人は、行為A及びBに関する原判決の認定について、控訴人が本件各映像の本件映画への利用許諾を事前・事後に誠実に求め続けたという重要な事実を完全に無視したものであるなどと非難するが、その主張は自らに都合の良い主張を並べるものにすぎない。
 まず、当初の申請行為が誠実なものではなく、むしろ、安易に無断使用をしたものであることは前記のとおりであり、その後、自ら無断使用を明らかにすることなく、Bの指摘によって、無断使用が発覚してからも、著作権者にとって極めて重要な関心事である入手経路を秘匿した点についても、悪質といわざるを得ない。
 また、控訴人による映像の利用行為が著作権法上許されないことは、既に主張したとおりであるところ、被控訴人としては、この様な控訴人による著作権侵害行為を許容できないと考えたが、それでもなお、既に映画が製作・公開されているという状況に鑑みて、著作権侵害行為を前提としつつも、その事後処理として、映像を活かす方途を開こうとしたものが、無断使用発覚後の話合いなのである。
 そうであるにもかかわらず、控訴人は、「スタンディングアーミーからの借用」という主張を、「フェアユース」に変遷させた上でこれに固執し、かつ、映像の入手経路についても明らかにすることはなかった。また、自らの映像使用についても、「無断で使用」には当たらないと主張するに至ったのである(乙11)。
 この様な状況を受けて、被控訴人が提案したものが、条件を制限した利用許諾であって(乙12)、控訴人による著作権侵害行為及びその後の対応に鑑みれば、何ら不当とされるべきものではないことは明らかである。
エ 行為Cについて、提訴に至ったことは、国民の権利として、通常それ自体が不法行為に該当するとは考え難いことはいうまでもない。また、そのことを措いても、前記の経緯を経て被控訴人が提案した条件についてすら、控訴人は、事前の許諾を得た場合に支払うべき使用料相当額の支払以外の全ての条件を否定したものである(乙13)。
 この様な状況に鑑みれば、訴訟外において、話合いが決着する見通しも付いていないことは明らかであって、訴え提起が正当な権利行使であることは明らかである。
オ 以上によれば、各行為について不法行為が成立しないとした原判決の判断は正当である。
(6) 争点9(被控訴人が、控訴人との交渉内容を秘匿したまま、本訴事件を提起した事実を自社の放送波で放送すると共に自社のウェブサイトに掲載し、マスコミ各社に同内容のリリースを配布した行為は、控訴人に対する不法行為を構成するか)に関し
 以上に加えて、控訴人は、訴訟提起後に被控訴人が行った報道及びウェブサイト掲載についても不法行為に当たると主張するが、被控訴人の報道内容等は、報道局の有する著作物の使用に関わる争訟という公共の利害に関係する事項について、双方の見解を端的に述べたものであって、また、控訴人の社会的評価を不当に貶めるものでも、真実に合致しないものでもないことは明らかである。
 控訴人は、報道内容等に重要な経緯が現れていないなどと主張するが、訴え提起段階において、未成熟で詳細な事実関係を報道することはむしろ適当ではなく、また、控訴人が重要な事実関係と述べる経緯自体、その評価は多義的である。双方の言い分が有る事実経過について、一方のみを殊更に取り上げたのであればともかく、端的に双方の主張の骨子を報道したことが違法とは到底いえないことは明らかである。
 したがって、上記行為について、不法行為が成立しないとした原判決の判断は正当である。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も、本訴請求については、原判決が認容した限度で認容し、その余をいずれも棄却し、反訴請求については、その請求を全部棄却するのが相当であると判断する。
 その理由は、次項のとおり、原判決を補正し、第3項のとおり、当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほかは、原判決の第3の1ないし10(原判決19頁13行目から31頁14行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 原判決の補正
(1) 原判決20頁4行目末尾の後に改行の上、次のとおり加える。
 「上記映像の入手先は『普天間辺野古アクションネットワーク』の一員であるE(英国人)であり、Aは、上記映像が記録されているテープを借り受ける際、Eから、上記映像を使用する際は被控訴人の許諾を得るよう注意されていた。」
(2) 原判決20頁14行目末尾の後に改行の上、次のとおり加える。
 「しかし、F及びAは、被控訴人に対し、改めて本件各映像の使用許諾を求めたり、不許諾の理由を尋ねたりすることなく、許諾がないまま本件各映像を利用して本件映画を完成させた。」
(3) 原判決20頁15行目の「乙1、2、」の後に「8、」を加える。
(4) 原判決26頁24行目から25行目にかけて「民訴法5条1項1号及び9号」とあるを「民訴法5条1号及び9号」に改める。
(5) 原判決30頁13行目に「本件事件を」とあるのを「本訴事件を」に改める。
(6) 原判決31頁9行目に「合計31秒」とあるのを「合計34秒」に改める。
3 当審における控訴人の主張について
 控訴理由に鑑み、必要な限度で判断を加える。
(1) 差止請求等の特定について(争点1関係)
 控訴人の主張は、要するに、本訴請求のうち、「差止め及び削除を求める請求」の特定が不十分であるというものである。
 よって検討するに、本件差止請求(原判決主文第1項に相当)は、被控訴人の著作物である原判決別紙1著作物目録記載1ないし4の各映像(本件各映像)を含んだ原判決別紙3映画目録記載の映画(本件映画)に関し、上映、公衆送信、送信可能化及び複製物の頒布の禁止を求める、というものであり、各別紙において、被侵害著作物である本件各映像や差止めの対象となる本件映画についてもそれぞれ具体的に特定されている。
 また、本件削除請求(原判決主文第2項に相当)は、原判決別紙3映画目録記載の映画(本件映画)を記録した媒体から、被控訴人の著作物である原判決別紙1著作物目録1ないし4の各映像(本件各映像)の削除を求める、というものであり、各別紙において、本件各映像や本件映画が具体的に特定されていると認められることは、上記のとおりである。
 そして、上記の程度に特定がなされていれば、通常、執行対象の特定としては十分というべきであり、それ以上に、自動公衆送信装置や複製物、あるいは、本件映画の記録媒体の特定まで要するものとは解されない。
 また、控訴人は、被侵害著作物である本件各映像が著作権法上の映画の著作物か、それとも素材としての未編集著作物か、という点を問題にするが、いずれにしても本件各映像の特定自体には問題がないといえるから、請求の特定という観点からは失当である。
 以上によれば、請求の特定に関する控訴人の主張は採用できない。
(2) 著作者名の表示について(争点3関係)
ア 控訴人は、氏名の不表示は当該著作物を無名のままにするという著作者の積極的な意思表示であり、著作権法19条2項の解釈としても、「無名の著作物については、その著作者において氏名を表示しないこととする権利を行使したものと考えられるから、その著作物を利用するに際しては…無名の著作物として利用すれば足りる。」と解されている(から、本件映画に被控訴人の名称を表示しなくても氏名表示権侵害は成立しない)と主張する。
 しかしながら、本件においては、そもそも被控訴人が本件各映像を無名の著作物として公表することを選択した事実、すなわち、本件各映像について著作者名を表示しないこととする権利を積極的に行使した事実を認めるに足る証拠はない。
 したがって、本件各映像が無名の著作物であるとの前提自体が失当であるから、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の主張は採用できない。
イ 当審における仮定的主張について
 また、控訴人は、当審における仮定的主張として、著作権法19条3項は、「著作者名の表示は、著作物の利用の目的及び態様に照らし著作者が創作者であることを主張する利益を害するおそれがないと認められるときは、公正な慣行に反しない限り、省略することができる。」と規定するところ、控訴人は「公正な慣行」に従って著作者(著作権者)としての被控訴人名の表示を省略せざるを得なかったのであるから、その行為は同項の要件を全て充足する、などと主張する。
 しかしながら、そもそも、本件各映像に係る著作者名の表示を省略することについて、著作権法19条3項が規定する「著作物の利用の目的及び態様に照らし著作者が創作者であることを主張する利益を害するおそれがないと認められるとき」の要件を満たすものとは認められないし(その具体的主張立証もない。)、「公正な慣行」に従って著作者(著作権者)としての被控訴人名の表示を省略せざるを得なかったとの前提自体が失当であることは、後記(3)のとおりである。
 したがって、控訴人の上記主張も採用できない。
(3) 引用の抗弁について(争点4関係)
ア 控訴人は、本件映画において、本件使用部分においても、エンドクレジットにおいても何ら出所表示をすることなく本件各映像を利用したことが「公正な慣行」に合致しないとして引用の抗弁(著作権法32条1項)を認めなかった原判決の認定判断に誤りがあると主張する。
 よって検討するに、本件映画において、被控訴人が報道用として編集管理する本件各映像がその著作権者である被控訴人の名称を全く表示することなく、無許諾で複製して使用されている事実は当事者間に争いがないところ、もともと出所の明示は引用者に課された著作権法上の義務(著作権法48条1項1号)である上に、本件の場合、本件映画中の控訴人製作部分と本件使用部分とは、原判決が指摘するとおり、画面比や画質の点において一応区別がされているとみる余地もあり得るとはいえ、映画の中で、これらの部分が明瞭に区別されているわけではなく、その区別性は弱いものであるといわざるを得ないから、本件使用部分が引用であることを明らかにするという意味でも、その出所を明示する必要性は高いものというべきである。また、本件のようなドキュメンタリー映画の場合、その素材として何が用いられているのか(その正確性や客観性の程度はどのようなものであるか)は、映画の質を左右する重要な要素であるといえるから、この観点からしても、素材が引用である場合には、その出所を明示する必要性が高いものと考えられる。他方、本件においては、引用する側(本件映画)も引用される側(本件各映像)も共に視覚によって認識可能な映像であって、字幕表示等によって出所を明示することは十分可能であり、かつ、そのことによって引用する側(本件映画)の表現としての価値を特に損なうものとは認められない。これらのことに、原判決が指摘する「公正な使用(フェア・ユース)の最善の運用(ベスト・プラクティス)についてのドキュメンタリー映画作家の声明」(乙17)の内容等を併せ考えると、適法引用として認められるための要件という観点からも、本件映画において本件各映像を引用して利用する場合には、その出所を明示すべきであったといえ、出所を明示することが公正な慣行に合致し、あるいは、条理に適うものといえる。そして、このことは、本件映画の総再生時間が2時間を超えるのに対し、本件各映像を使用する部分(本件使用部分)が合計34秒にとどまるといった事情や、本件各映像が番組として編集される前の映像であるといった事情によっては左右されない。
 したがって、控訴人が何ら出所を明示することなく被控訴人が著作権を有する本件各映像を本件映画に引用して利用したことについては、(単に著作権法48条1項1号違反になるというにとどまらず)その方法や態様において「公正な慣行」に合致しないとみるのが相当であり、かかる引用は著作権法32条1項が規定する適法な引用には当たらない。よって、これと同旨をいう原判決の認定判断に誤りがあるとは認められない。
イ これに対し、控訴人は、@「公正な慣行」の立証責任を利用者の側に負わせるべきではない、A本件における引用の抗弁の成否に関しては、被控訴人が本件各映像の利用を許諾しなかった理由(不許諾理由)こそが考慮されてしかるべきである、Bエンドクレジットへの掲載は賛辞を意味するという「公正な慣行」が存在するため、控訴人としては、許諾申請が拒否された以上、被控訴人の許諾があったかのような記載を避ける必要があった、Cそもそも出所を明示していないことを理由に引用の抗弁を退けること自体が誤りである、などと主張する。
 しかしながら、次のとおり、上記各主張はいずれも採用できない。
 上記@について、著作権法32条1項は、飽くまで著作権行使の制限規定である以上、その適用については、基本的に適用を主張する側が要件充足の主張立証責任を負うものと解するのが相当である。
 上記Aについて、著作権法32条1項は著作権の制限規定であって、これによって認められる引用はそもそも著作権者の許諾がなくとも適法とされるのであるから、適法引用に当たるかどうかを判断するのに当たって、権利者が著作物の利用を許諾したかどうかや、許諾しなかった場合のその理由が考慮の対象になる余地はないというべきである。
 上記Bについて、原判決が指摘しているのは、エンドクレジットにすら映像の著作権者を表示しないことが公正な慣行として承認されているとは認められない、ということであって、原判決は、エンドクレジットに被控訴人の名称を表示すれば直ちに適法引用として認められる、とするものではない。そこで問われているのは、飽くまで出所明示の要否であって、エンドクレジットに被控訴人の名称を記載しなかった理由それ自体が問題にされているわけではない(仮に控訴人が主張する「公正な慣行」が存在したとしても、本件使用部分において被控訴人の名称を表示することができなくなるわけではない。)から、控訴人の主張は失当である。
 上記Cについて、著作権法32条1項が規定する適法引用の要件として常に出所明示が必要かどうかという点はともかくとしても、少なくとも本件においては(適法引用の要件として)出所明示がなされるべきであったと認められることは、前記アのとおりである。
ウ 以上のとおりであるから、引用の抗弁に関する控訴人の主張は採用できない。
(4) 権利濫用について(争点5関係)
ア 控訴人は、@控訴人は被控訴人に対し、本件各映像の本件映画への利用許諾を一貫して真摯に求め続け、被控訴人の要求に応じて謝罪し、適切な映像対価を支払う意思を表明した上で、被控訴人提示の諸条件については合理的な理由を示して再考を求めたのであり、客観的には、本訴提起の直前の時点まで許諾条件の交渉が継続していたと評価できる、Aこれに対し、被控訴人の側が、控訴人に何ら連絡することなく一方的に交渉を打ち切り、本訴を提起した、B被控訴人は、本訴提起後も不許諾の理由を説明せず、自らの行為の正当性についても何ら立証しようとしなかった、などと本訴提起の前後にわたる事情を種々指摘して、被控訴人の本件各映像に係る著作権及び著作者人格権の行使を権利濫用と認めなかった原判決の認定判断は誤っていると主張する。
 しかしながら、本件の事実経過は、原判決が「第3 当裁判所の判断」の「1 認定事実」(原判決19頁13行目から22頁20行目まで)において認定するとおり(ただし、前記2のとおり補正する。)であって、これによれば、@控訴人が被控訴人に対し本件各映像の利用許諾を申請したのは、本件映画の企画製作の開始(平成24年頃)から約3年後、本件映画の公開日(平成27年6月20日)の約4か月前(同年2月19日)に至ってからであって、申請の理由も「A監督・シグロ製作の当該ドキュメンタリー映画『OKINAWA(仮題)』は、沖縄戦後70年を迎える年に当たって、沖縄地上戦から現在までの沖縄の歴史、とりわけ沖縄米軍基地の存在による地域抑圧や性暴力の実態を、沖縄・アメリカの双方に取材してまとめた2時間30分(予定)の作品です。本年6月20日より、東京・岩波ホールと沖縄・桜坂劇場にて劇場公開を予定しています。」という概括的なものにとどまっていたこと、A控訴人が本件映画の公開前に被控訴人に対して本件各映像の利用許諾を申請したのは、上記の1回のみであって、しかも、被控訴人からその利用を許諾されなかったにもかかわらず、許諾がないままこれを利用して本件映画を完成し、その公開に踏み切っていること、B本件映画の公開後も、控訴人は、被控訴人側から説明を求められるまで、何ら無許諾で本件各映像を利用した理由を説明しておらず、事後の交渉においてもフェアユースを主張するなどして、必ずしも正面から権利侵害の事実(違法性)を認めていなかったこと等の事情が認められる。
 これらの事情を総合すれば、本件映画の公開の前後を通じて、控訴人が本件各映像の利用許諾につき被控訴人との間で真摯な交渉を継続していたなどと評価できないことは明らかである。控訴人が主張する前記@Aの点は、事の真相を正しく反映したものとはいえず、権利濫用を基礎付ける根拠ないし事情としては採用できない。
 また、控訴人が主張する前記Bの点についても、本訴提起後の被控訴人の訴訟追行ないし訴訟態度に、その権利行使を権利濫用とすべき特段の事情があるものとは認められない。
 したがって、当事者間の交渉経過等を踏まえた権利濫用の主張は理由がない。
イ 控訴人は、引用の抗弁の成否に関して総合的に考慮すべき事情は、権利濫用の成否の判断について考慮すべき事情にも合致するはずであるが、原判決はこの点について基準に即した総合的考慮を何ら行っていないのであるから、引用に該当しないという理由で権利濫用に当たらないという結論を導くことはできない、などとも主張する。
 しかしながら、そもそも控訴人が主張する引用の抗弁が成立しないこと、この点に関する原判決の認定判断に誤りがないことは、いずれも前記(3)のとおりである。
 したがって、引用の抗弁に関する主張を踏まえた権利濫用の主張もまた理由がない。
ウ 以上によれば、本件においては、被控訴人の控訴人に対する本件各映像に係る著作権及び著作者人格権の行使が権利濫用に当たると評価することはできず、これに反する控訴人の主張は採用できない。
(5) 行為@ないしCの違法性について(争点8関係)
 控訴人は、被控訴人の行為@ないしCは、独占禁止法2条9項1号イ(共同の取引拒絶)又は同項6号イ、一般指定2項(単独の取引拒絶)に定める不公正な取引方法に当たり、かつ、被控訴人の権利濫用として、控訴人に対する不法行為に該当するとして、この点に関する原判決の認定判断には誤りがあると主張する。
 しかしながら、被控訴人の行為@ないしCが、いずれも被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使にほかならないところ、著作権及び著作者人格権の行使は、当該権利行使が著作権制度の趣旨を逸脱し、又はその目的に反するような不当な権利行使でない限り、独占禁止法の規定の適用を受けるものではないと解すべきことは、原判決が説示するとおりである。
 しかるところ、被控訴人による著作権及び著作者人格権の行使をもって権利濫用とすべき根拠ないし事情が認められないことは、前記(4)のとおりであるから、控訴人の主張はその前提を欠く。
 なお、一般論としては、被控訴人が報道機関として取材によって得た映像や資料を独占する立場にある(そもそも報道機関でなければ取材自体が許されない現場ないし場面が存することは、経験則上明らかであって、その場合、当該報道機関は取材によって得た映像や資料を独占する立場にあるといえる。このことは、取材を行える報道機関に一定の資格要件が課される場合は、なお一層明らかであるといえる。)ことからすると、事情によっては、第三者による当該映像等の使用を許諾すべき義務が生じることがあるといえ、そのような場合にまで、著作権や著作者人格権を盾にしてその許諾を拒むことは、独占禁止法上、違法と評価される余地も存するというべきであるが、本件においては、そのような事情が存するものとまでは認められない。
 したがって、その余の点について判断するまでもなく、争点8に関する控訴人の主張は理由がない。
(6) 本訴提起に関する報道内容の違法性について(争点9関係)
 被控訴人が報道し、ウェブサイトに掲載した内容は、原判決が認定するとおり、@被控訴人が、映画の制作会社に対して著作権侵害訴訟を提起したこと、A本件映画には被控訴人が沖国大ヘリ墜落事故を撮影した映像が42秒間無断で使用されていること、B被控訴人は制作会社に対して謝罪を求めてきたが、「放送局が撮影した映像は高度の公共性があり自由に使用できる」と主張したこと、C本件映画についてはDVD版販売や字幕版の制作が行われていること、D制作会社の代表者は訴状を見ていないと述べたことであり、それ自体は本件の客観的な事実関係におおむね沿うものといえる。
 また、上記報道は、その内容からして、被控訴人が訴訟提起を行ったという客観的事実(上記@)を伝えることに主眼に置くものであることが明らかである上に、上記Bのとおり、控訴人側の言い分も一応紹介されていることからすると、おおむね中立的なものであるということができ、それ以上に、殊更事実を歪曲して情報操作を行うことを意図したものであるとか、控訴人の名誉、信用を傷つけることを目的とするものであるなどと断定すべき具体的事情は見当たらない。
 よって、その余の点について判断するまでもなく、上記報道内容に関する控訴人の主張は理由がない。
第4 結論
 以上のとおり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 鶴岡稔彦
 裁判官 寺田利彦
 裁判官 間明宏充
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