判例全文 | ||
【事件名】会員情報管理システム「知らせますケン」事件(2) 【年月日】平成29年5月23日 知財高裁 平成28年(ネ)第10113号 損害賠償請求控訴事件 (原審・東京地裁平成27年(ワ)第20841号) (口頭弁論終結日 平成29年4月25日) 判決 控訴人 X 被控訴人 株式会社ネットワーク応用通信研究所 同訴訟代理人弁護士 飯田藤雄 同 金川裕紀 主文 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴人の当審で拡張した予備的請求を棄却する。 3 当審における訴訟費用は全て控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決を取り消す。 2(主位的請求) 被控訴人は、控訴人に対し、1938万6607円及びうち558万3703円に対する平成21年4月1日から、うち1380万2904円に対する平成22年4月2日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (予備的請求) 被控訴人は、控訴人に対し、1318万6607円及びうち558万3703円に対する平成21年4月1日から、うち760万2904円に対する平成22年4月2日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3(主位的請求) 被控訴人は、控訴人に対し、6286万2435円及びこれに対する平成27年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (予備的請求) 被控訴人は、控訴人に対し、5532万0445円及びこれに対する平成27年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(控訴人は、当審において、原審における4912万0445円の損害賠償請求を、上記のように拡張した。)。 4 控訴人が、原判決別紙プログラム目録記載1の会員情報管理システムの著作者であること、被控訴人は、上記会員情報管理システムの著作者ではないことを確認する。 5 被控訴人は、被控訴人ウェブサイトの事例紹介において、全国視覚障害者情報提供施設協会視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」の事例紹介をする際、原判決別紙技術目録記載の「著作者の表示・技術用語・実現した機能の説明」を使用してはならない。 6 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。 7 第2項ないし第5項につき仮執行宣言 第2 事案の概要(略称は、特に断らない限り、原判決に従う。) 1 本件は、平成19年9月3日から平成22年5月31日までの間、被控訴人に雇用されていた控訴人が、被控訴人に対し、(1)控訴人が被控訴人の従業員として開発に従事したプログラムである「会員情報管理システム」及び「知らせますケン」並びにこれらに係るシステム(以下、これらのシステム及びプログラムを総称して「本件システム」という。)について、被控訴人が納入先から得た請負代金及び保守費用を控訴人に分配していないことが不当利得に当たると主張して、不当利得返還請求権に基づき、@主位的に、被控訴人が得た請負代金及び保守費用のうちの控訴人の寄与分相当額から控訴人が受領済みの賃金額を控除した額合計1938万6607円及びうち558万3703円に対する平成21年4月1日(被控訴人が「知らせますケン」の報酬金の支払を受けた日の翌日)から、うち1380万2904円に対する平成22年4月2日(被控訴人が「会員情報管理システム」の報酬金の支払を受けた日の翌日)から各支払済みまで民法704条前段所定の年5分の割合による利息(以下「法定利息」という。)の支払を、A予備的に、上記合計額から「会員情報管理システム」の保守費用相当額を控除した合計1318万6607円及びこれに対する法定利息の支払を求め、(2)控訴人が、被控訴人の安全配慮義務違反のために過重労働を原因とするうつ病を発症して後遺障害を生じたことから、退職及び退職後2年間の休業を余儀なくされたと主張して、債務不履行に基づく損害賠償金として、休業損害、後遺障害逸失利益及び慰謝料相当額(主位的に合計6286万2435円、予備的に合計4912万0445円)並びにこれに対する催告の後の日である平成27年8月8日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め、(3)被控訴人の業務として控訴人が制作したプログラムである「会員情報管理システム」について、その制作時、被控訴人が安全配慮義務を怠っていたために控訴人に重大な労働災害(過労死)が発生する蓋然性が高い状況にあったこと等に照らすと、著作権法15条2項の適用は権利濫用ないし公序良俗違反に当たるから、職務著作とは認められないと主張して、@控訴人が著作者であり、被控訴人が著作者ではないことの確認を求めるとともに、A著作者人格権に基づき、原判決別紙技術目録記載の文言の使用禁止を求め、(4)控訴人が受領すべき保険金(平成21年2月日発生の通勤時の事故に関するもの)を被控訴人が取得していると主張して、不当利得返還請求権に基づき、被控訴人が得た保険金のうち少なくとも8万1000円及びこれに対する平成21年5月28日(被控訴人が保険金を受領した日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による法定利息の支払を求め、(5)控訴人の訴え提起前の照会に対して被控訴人が契約書等の書面の開示を拒否したことが不法行為に当たると主張して、不法行為に基づく損害賠償金として、被控訴人及び第三者らに対する照会書等の郵送費用6866円及びこれに対する不法行為の後の日である平成28年4月5日(同年3月22日付け請求拡張申立書送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。 原判決は、(1)控訴人の被控訴人に対する労務の提供が雇用契約に基づくものである以上、控訴人が開発した本件システムについて被控訴人が取引先から代金を受領したとしても、控訴人の損失及び被控訴人の利得の有無には何ら影響しないと認められるから、本件システム開発に関する不当利得返還請求は、その前提を欠くものである、(2)控訴人が被控訴人を退職する前後の状況や退職後の経緯等からすると、控訴人が過重労働を原因とするうつ病を発症し、労働能力を喪失していたとは認められず、被控訴人に安全配慮義務違反があったとは認められない、(3)「会員情報管理システム」は著作権法15条2項所定の職務著作に該当するから、その著作者は被控訴人である、(4)被控訴人は、平成21年2月20日に発生した控訴人の通勤時の事故に関して保険会社から受領した保険金と同額の金員を控訴人に支払済みであるから、被控訴人に利得はない、(5)被控訴人が契約書等の書面の開示に応じなかったことが控訴人に対する不法行為を構成するということはできないとして、控訴人の請求をいずれも棄却した。 そこで、控訴人が、これを不服として、上記(1)ないし(3)の支払等を求める限度において控訴した(原判決が上記(4)及び(5)の請求を棄却した部分は、不服の対象とされていない。)。また、控訴人は、当審において、上記(2)の予備的請求に係る損害に「会員情報管理システム」の保守費用相当額である620万円を加え、同請求を5532万0445円及び法定利息の請求に拡張した。 2 前提事実 原判決の「事実及び理由」の第2の2(1)ないし(3)及び(5)記載のとおりであるから、これを引用する。 3 争点 (1) 本件システム開発に関する不当利得返還請求の可否 ア 不当利得の有無 イ 不当利得の額 (2) 被控訴人の安全配慮義務違反に基づく請求の可否 ア 被控訴人の安全配慮義務違反の存否 イ 控訴人の損害の発生及びその額 (3) 「会員情報管理システム」の著作者は控訴人か被控訴人か 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点(1)(本件システム開発に関する不当利得返還請求の可否)について 後記(1)のとおり付加訂正し、後記(2)のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第3の1記載のとおりであるから、これを引用する。 (1) 原判決の付加訂正 ア 原判決8頁21行目の「として」を「に基づき」と改める。 イ 原判決8頁22行目の「遅延損害金」を「法定利息」に改める。 ウ 原判決9頁15行目冒頭から17行目末尾までを次のとおり改める。 「よって、控訴人は、被控訴人に対し、「会員情報管理システム」の開発に関する不当利得返還請求権に基づき、主位的に1380万2904円及びこれに対する平成22年4月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による法定利息の支払を求め、予備的に760万2904円(主位的請求額から「会員情報管理システム」の保守費用620万円を除いた額)及び法定利息の支払を求める。」 (2) 当審における当事者の主張 〔控訴人の主張〕 原判決は、控訴人は雇用契約に基づいて労働に従事することによって雇用契約の相手方である被控訴人に対する報酬請求権を取得し、被控訴人は控訴人から労務提供を受けることと引換えに控訴人に対する報酬支払債務を負うとして、労務の提供が雇用契約に基づくものである以上、控訴人が被控訴人に労務を提供したとしても、控訴人には損失がなく、被控訴人には利得がない旨判示する。 しかし、控訴人と被控訴人との間の労働契約書(甲1)及び給与辞令(甲5の2〜4)には、「従事する業務の種類:技術職」、「業務:技術職(ソフトウェアの研究開発および当該附随業務)」としか記載がなく、控訴人が現実に時間を費やして被控訴人に提供する役務の具体的な内容及び当該役務に対する具体的な報酬金は明記されていない。 したがって、控訴人が現実に時間を費やした役務が被控訴人にもたらす報酬金を前提に、被控訴人と控訴人が雇用契約を締結していない事実は明らかであり、報酬金の発生に多大な貢献をした控訴人に報酬金を配分せず、報酬金を全て被控訴人の利得とすることは、法律上の原因を欠く。 〔被控訴人の主張〕 控訴人と被控訴人は、控訴人の労働時間に対して一定の単価に基づく賃金を支払うという、極めて一般的な雇用契約を締結している。控訴人の労務提供はかかる雇用契約に基づくものであり、雇用契約に基づき賃金が支払われているのであるから、控訴人に損失はない。 2 争点(2) 被控訴人の安全配慮義務違反に基づく請求の可否)について 後記(1)のとおり付加訂正し、後記(2)のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第3の2記載のとおりであるから、これを引用する。 (1) 原判決の付加訂正 ア 原判決10頁16行目の「脳・心臓疾患」を「脳血管性疾患及び虚血性心疾患等(以下「脳・心臓疾患」という。)」と改める。 イ 原判決10頁24行目の「取る」を「採る」と改める。 ウ 原判決11頁16行目の「こととから」を「ことから」と改める。 エ 原判決13頁24行目末尾の後に、行を改めて以下のとおり付加する。 「エ 「会員情報管理システム」の保守費用相当額620万円(予備的請求) 控訴人は、被控訴人を退職しなければ、「会員情報管理システム」の保守担当者となっており、同システムの保守費用を受け取ることができた。したがって、仮に上記保守費用が被控訴人の不当利得として認められない場合には、控訴人は、当審において予備的請求を拡張し、被控訴人に対し、上記保守費用相当額を安全配慮義務違反に対する損害賠償金として請求する。」 オ 原判決13頁25行目の「エ」を「オ」と、同頁26行目の「オ」を「カ」と、14頁1行目の「カ」を「キ」とそれぞれ改める。 カ 原判決14頁3行目の「4912万0445円」を「5532万0445円」と改める。 キ 原判決15頁10行目の末尾の後に、行を改めて以下のとおり付加する。 「ウ 保守費用につき 保守費用は、被控訴人が取引先との保守契約に基づき受領する金員であり、控訴人が受領すべき性質のものではない。また、実際には保守作業を被控訴人の他の従業員が担当しており、仮に控訴人が退職していなかったとしても、控訴人が保守作業を担当したかは分からず、因果関係がない。」 ク 原判決15頁11行目の「ウ」を「エ」と改める。 (2) 当審における当事者の主張 〔控訴人の主張〕 ア 原判決は、控訴人が平成22年4月頃に過重労働を原因としてうつ病を発症していたとか、労働能力を喪失していたなどと認めることは到底できない旨判示する。 確かに、控訴人は、平成22年4月当時に同人がうつ病を発症し、労働能力を喪失していたことについて、精神科医等の医師の診察結果に基づく立証をしておらず、精神科の受診もしていない。 しかし、使用者の故意又は重大な過失により労働者に対する安全配慮義務を欠き、高度の蓋然性又は医療現場の医師の経験則により通常人が健全な精神を保てないと認められるような危険にさらされた状態に労働者が陥った場合、使用者は、安全配慮義務を欠いた代償として、当該労働者が危険にさらされた状態から安全な状態へ戻ったことを確認する安全確認義務を負い、使用者において同義務を履行しない限り、当該労働者は健全な精神を保てない状態にあったと認定すべきである。そして、精神障害に係る労災認定基準の概要(甲9)に、業務による心理的負荷の総合評価を「強」とする「特別な出来事」の類型として、「極度の長時間労働 発病直前の1か月におおむね160時間を超えるような、又はこれに満たない期間にこれと同程度の・・・時間外労働を行った」とあることから、精神科の医療現場の医師の経験則として、上記のような過重労働に従事する労働者は正常な精神を保てず精神病を発病している蓋然性が高いといえる。 控訴人は、被控訴人からの退職時において、雇用主がその状態に陥ることを回避すべき義務を負う程度の過重労働の状態にあったものであり、被控訴人は控訴人に対する安全配慮義務に違反したと認められる。また、被控訴人は、安全確認義務に基づき、医師に特別の健康診断を依頼するなどして、過重労働により危険にさらされている控訴人の精神状態を真摯に把握する義務を負っていたにもかかわらず、これを怠った。仮に、被控訴人が安全確認義務を履行していれば、控訴人が平成22年4月当時に正常な精神であったか否かについて、控訴人又は被控訴人は精神科医の診察記録又は診断書によって立証できたはずである。 このように被控訴人が安全確認義務を履行していない以上、控訴人は過重労働を原因としてうつ病を発症し、労働能力を喪失していたと認定することができる。 イ 原判決は、控訴人には、被控訴人からの退職前後において、社会生活上の問題が生じていたとはいえないことからすると、雇用主がその状態に陥ることを回避すべき義務を負う程度の過重労働の状態にあったということはできない旨判示する。 しかし、控訴人は、「会員情報管理システム」を開発中の平成22年4月8日及び同月13日に、過重労働の余り意識を保てなくなり、被控訴人の業務中に気絶しており、社会生活上の問題が生じていたといえる。そして、社会生活上の問題が発生したから、控訴人は被控訴人からの退職を余儀なくされたものである。 また、厚生労働省労働基準局長の発した通達(甲8)には、「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できることを踏まえて判断すること。ここでいう時間外労働時間数は、1週間当たり40時間を超えて労働した時間数である。」と記載されていることから、週40時間労働に加え、2箇月間ないし6箇月間にわたって、1箇月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる労働者は、脳・心臓疾患が発症する蓋然性が高いといえる。控訴人の平成22年2月度から同年4月度までの3箇月にわたる実労働時間は760時間を超えており、上記基準に照らし脳・心臓疾患が発症する高度の蓋然性が存在したといえるから、雇用主がその状態に陥ることを回避すべき義務を負う程度の過重労働の状態にあったものと認められる。 〔被控訴人の主張〕 争う。原判決が判示するとおり、被控訴人に安全配慮義務違反はない。 3 争点(3)(「会員情報管理システム」の著作者は控訴人か被控訴人か)について 原判決の「事実及び理由」の第3の3記載のとおりであるから、これを引用する。 第4 当裁判所の判断 当裁判所も、控訴人の本件システム開発に関する不当利得返還請求、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求、並びに「会員情報管理システム」の著作者であること及び著作者人格権に基づく請求は、当審における拡張部分を含めていずれも理由がないものと判断する。 その理由は、以下のとおりである。 1 認定事実 原判決20頁14行目の「納期の変更はしなかった。」を「同月末日を納期とすることは変更しなかった。」と改めるほかは、原判決の「事実及び理由」の第4の1記載のとおりであるから、これを引用する。 2 争点(1)(本件システム開発に関する不当利得返還請求の可否)について (1) 原判決の引用 後記(2)のとおり、当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第4の2記載のとおりであるから、これを引用する。 (2) 当審における控訴人の主張に対する判断 控訴人は、控訴人と被控訴人との間の労働契約書及び給与辞令には、控訴人が現実に時間を費やして被控訴人に提供する役務の具体的な内容及び当該役務に対する具体的な報酬金は明記されておらず、控訴人が現実に時間を費やした役務が被控訴人にもたらす報酬金を前提に雇用契約を締結していない事実は明らかであるから、報酬金の発生に多大な貢献をした控訴人に報酬金を配分せず、報酬金を全て被控訴人の利得とすることは法律上の原因を欠くと主張する。 しかし、前記第2の2の前提事実並びに証拠(甲1、5の2〜4)及び弁論の全趣旨によれば、@控訴人は、平成19年9月3日から平成22年5月31日まで、被控訴人との間で雇用契約を締結し、被控訴人の従業員であったこと、A控訴人は、被控訴人に雇用される際、被控訴人との間で、控訴人が従事する業務の種類を技術職とし、就業時間を午前9時から午後5時まで(うち休憩時間60分)、基本給を16万5243円などとする労働契約を締結したこと、B控訴人は、その後も毎年1回、被控訴人から、控訴人の業務を技術職(ソフトウェアの研究開発及び当該附随業務)とし、基本月額給与を支払うことなどを記載した給与辞令を交付されていたこと、C控訴人は、被控訴人に雇用されていた間に、被控訴人の職務として本件システムの開発に従事したことが認められる。 以上の事実関係によれば、控訴人が本件システムの開発に従事し、被控訴人に労務を提供したのは、被控訴人との間の上記雇用契約に基づくものであることが明らかであり、労働契約書や給与辞令に控訴人が提供する役務の内容が具体的に特定されていない事実は、同認定を左右するものではない。 よって、被控訴人が控訴人から本件システムの開発に関し労務の提供を受けたことについては、法律上の原因があることが明らかであり、控訴人の上記主張は理由がない。 3 争点(2)(被控訴人の安全配慮義務違反に基づく請求の可否)について (1) 原判決の引用 原判決23頁末行の「同4月頃」を「同年4月頃」と改め、後記(2)のとおり当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第4の3記載のとおりであるから、これを引用する。 (2) 当審における控訴人の主張に対する判断 ア 控訴人は、使用者の故意又は重大な過失により労働者に対する安全配慮義務を欠き、高度の蓋然性又は医療現場の医師の経験則により通常人が健全な精神を保てないと認められるような危険にさらされた状態に労働者が陥った場合、使用者は、安全配慮義務を欠いた代償として安全確認義務を負い、使用者において同義務を履行しない限り、当該労働者は健全な精神を保てない状態にあったと認定すべきであるところ、控訴人は被控訴人が安全配慮義務を欠いたことにより危険にさらされた状態に陥り、被控訴人の安全確認義務も履行されていないから、控訴人は過重労働を原因としてうつ病を発症し、労働能力を喪失していたと認定できると主張する。 しかし、控訴人が被控訴人を退職する前後の状況及び退職後の経緯等については、前記1のとおり(原判決の「事実及び理由」の第4の1記載のとおり)であり、控訴人が上記のような危険にさらされた状態にあったことについて、これを認めるに足りる的確な証拠はない。なお、控訴人は、同人の主張を裏付ける証拠として、甲9(「精神障害の労災認定」〔平成23年12月26日厚生労働省・都道府県労働局・労働基準監督署〕)中の記載を挙げるが、同文書は、精神障害が労災認定されるための要件として、認定基準の対象となる精神障害を発病していること、精神障害の発病前おおむね6箇月の間に業務による強い心理的負荷(長時間労働等)が認められること、業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したとは認められないことなどを規定したにすぎず、長時間労働等に従事する者が一般的に精神疾患を発症する蓋然性が高い旨を述べるものではないから、かかる証拠から控訴人が危険にさらされた状態にあったと認めることはできず、控訴人の上記主張は理由がない。 イ 控訴人は、同人が「会員情報管理システム」を開発中、過重労働の余り業務中に気絶したことがあり、社会生活上の問題が生じていたと主張し、原審における控訴人本人尋問の結果中には、これに沿う部分がある。 しかし、上記供述は、これを裏付ける客観的証拠を欠くものであり、採用することはできず、他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。なお、控訴人が「会員情報管理システム」の開発に従事していた当時につけていた日記(甲10)の平成22年4月8日欄及び同月13日欄には、それぞれ「15分寝た」、「17:30〜17:50ねた」との記載があるところ、控訴人は、同記載は控訴人が気絶した事実を記載したものである旨主張するが、同記載の内容に照らし不合理であって採用できない。 ウ 控訴人は、平成22年2月度から同年4月度までの3箇月にわたる控訴人の実労働時間は760時間を超えており、脳・心臓疾患が発症する高度の蓋然性が存在していたものであるから、労働者がその状態に陥ることを雇用主が回避すべき義務を負う程度の過重労働の状態にあったとも主張し、同人の主張を裏付ける証拠として、甲8の通達中の記載を挙げる。 しかし、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成13年12月12日基発第1063号。甲8)は、発症直前から前日までの間において発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと、発症に近接した時期において特に過重な業務に就労したこと、又は、発症前の長期間にわたって著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したことによる明らかな過重負荷を受けたことにより発症した脳・心臓疾患について、労災認定において業務に起因する疾病と認定する運用基準を示したにすぎず、過重労働を行っていた場合に脳・心臓疾患を発症する蓋然性が高い旨を述べるものではないから、かかる証拠から控訴人に脳・心臓疾患が発症する高度の蓋然性が存在していたと認めることはできず、控訴人の上記主張は理由がない。 4 争点(3)(「会員情報管理システム」の著作者は控訴人か被控訴人か)について 原判決25頁11行目の「法人の」から同頁12行目の「により」までを削除するほかは、原判決の「事実及び理由」の第4の4記載のとおりであるから、これを引用する。 5 その他、控訴人はるる主張するが、いずれも、被控訴人に不当利得及び安全配慮義務違反が認められず、また、控訴人が「会員情報管理システム」の著作者ではないとする前記2ないし4の判断を左右するものではない。 6 結論 以上のとおりであるから、その余について判断するまでもなく、(1)控訴人の本件システム開発に関する不当利得返還請求、(2)安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求並びに(3)「会員情報管理システム」の著作者であること等の確認請求及び著作者人格権に基づく請求を理由がないものとしていずれも棄却した原判決は相当であり、控訴人が当審で拡張した予備的請求も理由がないから棄却すべきである。 よって、主文のとおり判決する。 知的財産高等裁判所第4部 裁判長裁判官 部眞規子 裁判官 山門優 裁判官 片瀬亮 |
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