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【事件名】会員情報管理システム「知らせますケン」事件
【年月日】平成28年10月21日
 東京地裁 平成27年(ワ)第20841号 損害賠償請求事件
 (口頭弁論終結日 平成28年9月14日)

判決
原告 A
被告 株式会社ネットワーク応用通信研究所
同訴訟代理人弁護士 飯田藤雄
同 金川裕紀


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1(主位的請求)
 被告は、原告に対し、1938万6607円及びうち558万3703円に対する平成21年4月1日から、うち1380万2904円に対する平成22年4月2日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(予備的請求)
 被告は、原告に対し、1318万6607円及びうち558万3703円に対する平成21年4月1日から、うち760万2904円に対する平成22年4月2日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2(主位的請求)
 被告は、原告に対し、6286万2435円及びこれに対する平成27年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(予備的請求)
 被告は、原告に対し、4912万0445円及びこれに対する平成27年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告が、別紙プログラム目録記載1の「会員情報管理システム」(以下、単に「会員情報管理システム」という。)の著作者であること、被告は、「会員情報管理システム」の著作者ではないことを確認する。
4 被告は、被告ウェブサイトの事例紹介において、B(システム名は省略)の事例紹介をする際、別紙「技術目録」記載の「著作者の表示・技術用語・実現した機能の説明」を使用してはならない。
5 被告は、原告に対し、8万1000円及びこれに対する平成21年5月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
6 被告は、原告に対し、6866円及びこれに対する平成28年4月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
7 仮執行宣言
第2 事案の概要
1 本件は、平成19年9月3日から平成22年5月31日までの間、被告に雇用されていた原告が、被告に対し、(1)原告が被告の従業員として開発に従事したコンピュータシステムないしプログラムである別紙プログラム目録記載2の「知らせますケン」(以下、単に「しらせますケン」という。)及び「会員情報管理システム」について、被告が納入先から得た請負代金及び保守代金を原告に分配していないことが不当利得に当たると主張して、不当利得返還請求権に基づき、@主位的に、被告が得た請負代金及び保守費用のうちの原告の寄与分相当額から原告が受領済みの賃金額を控除した額合計1938万6607円及びうち58万3703円に対する平成21年4月1日(被告が「知らせますケン」の報酬金の支払を受けた日の翌日)から、うち1380万2904円に対する平成22年4月2日(被告が「会員情報管理システム」の報酬金の支払を受けた日の翌日)から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を、A予備的に、上記合計額から「会員情報管理システム」の保守費用相当額を控除した合計1318万6607円及びこれに対する遅延損害金の支払を求め(請求の趣旨第1項)、(2)原告が、被告の安全配慮義務違反のために過重労働を原因とするうつ病を発症して、労働者災害補償保険の「神経系統の機能又は精神の障害に関する障害等級認定基準」第14級の9に当たる後遺障害を生じたことから、退職及び退職後2年間の休業を余儀なくされたと主張して、債務不履行に基づく損害賠償請求として休業損害、後遺障害逸失利益及び慰謝料相当額(主位的に合計6286万2435円、予備的に合計4912万0445円)並びにこれに対する催告の後の日である平成27年8月8日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め(請求の趣旨第2項)、また、(3)被告の業務として原告が制作したプログラムである「会員情報管理システム」について、その制作時、被告が安全配慮義務を怠っていたために原告に重大な労働災害(過労死)が発生する蓋然性が高い状況にあったこと等に照らすと、著作権法15条2項の適用は権利濫用ないし公序良俗違反に当たるから、職務著作とは認められないと主張して、@原告が著作者であり、被告が著作者ではないことの確認を求めるとともに(請求の趣旨第3項)、A著作者人格権に基づいて別紙「技術目録」記載の文言の使用禁止を求め(請求の趣旨第4項)、(4)原告が受領すべき保険金(平成21年2月20日発生の通勤時の事故に関するもの)を被告が取得していると主張して、不当利得返還請求権として被告が得た保険金のうち少なくとも8万1000円及びこれにする平成21年5月28日(被告が保険金を受領した日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め(請求の趣旨第5項)、(5)原告の訴え提起前の照会に対し、被告が契約書等の書面の開示を拒否したことが不法行為に当たると主張して、不法行為に基づく損害賠償請求として被告及び第三者らに対する照会書等の郵送費用6866円及びこれに対する不法行為の後の日である平成28年4月5日(平成28年3月22日付け請求拡張申立書送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実(当事者間に争いがない事実又は文中に特に掲記した証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)
(1) 当事者
ア 原告は、平成19年9月3日から平成22年5月31日まで、被告との間で雇用契約を締結しており、被告の従業員であった。
イ 被告は、コンピュータ及びコンピュータ関連機器の販売、コンピュータ利用技術の開発・指導・販売及び仲介業等を業とする株式会社である。
(2) 原告の担当業務
ア 被告在職中の原告の主な業務内容は、プログラムの設計及び作成であった。
イ 原告は、被告の職務として、平成20年5月から平成21年2月までの間、C(以下「C」という。)が被告に発注した「知らせますケン」の開発に従事した。
ウ 原告は、被告の職務として、平成21年9月から平成22年4月まで、D(以下「D」という。)が被告に発注した「会員情報管理システム」の開発に従事した。原告は、被告の発意に基づいて、プログラム言語Rubyを用いて、プログラムである「会員情報管理システム」を制作した。
(3) 会員情報管理システムの公開等
ア 「会員情報管理システム」は、平成22年4月1日以降、一般に公開された。
イ 被告は、その管理するウェブページ(URLは省略)において、B・(システム名は省略)の紹介をしており、同ウェブページには、別紙「技術目録」記載の各表現を含む記載がある。なお、「(システム名は省略)」は「会員情報管理システム」を含むシステムであり、また、別紙「技術目録」記載の「著作者の表示」にある「NaCl」とは、被告を指すものと認められる。(甲29)
(4) 被告の保険契約及び原告の事故
ア 被告は、AIU保険会社(以下「AIU」という。)との間で、被告の役員及び従業員を被保険者とする業務災害総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結していた。(乙4、6の1・2)
イ 原告は、平成21年2月20日、交通事故(以下「本件事故」という。)に遭い、その際に頭部及び右足を負傷し、同日から同月28日まで入院し、その後、同年5月26日までに11日通院した。(甲30、32)
ウ 被告は、AIUに対し、本件保険契約に基づき、本件事故による原告の入通院についての保険金を請求し、平成21年5月28日、2万9000円の支払を受けた。(甲24、乙7)
エ 被告は、平成21年2月、原告に対し、本件事故の見舞金として、1万円を支払った。
オ 被告は、原告から本件事故に関し受領した保険金を支払うよう請求を受け、平成26年10月3日、原告に対し、上記ウでAIUから受領した保険金から上記エで支払済みの見舞金を控除した残金1万9000円及びこれに対する平成21年5月28日(保険金受領日)から平成26年10月3日までの年5分の割合による遅延損害金であるとして、合計2万4083円を支払った。(甲24、乙17の1)
(5) 原告の被告に対する別件訴訟
ア 原告は、平成22年6月24日、被告に対し、未払賃金等の支払を求める訴えを提起した(鳥取地方裁判所米子支部平成22年(ワ)第261号未払賃金等請求事件。以下「別件訴訟」という。)。別件訴訟において被告は、原告との間の雇用契約は裁量労働制であり、また、年俸額には年360時間の時間外労働に対する手当を含んでいたなどと主張して争ったが、裁判所は、平成24年5月23日、被告の上記主張を退け、被告に対し、平成20年4月21日から平成22年5月20日までの未払時間外賃金合計168万8817円及びこれに対する給与支払日(当月25日)の翌日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を命じる内容の一部認容判決をした。同判決は、法定外時間外労働については125%、法定休日労働について135%、法定外休日労働について125%の割増賃金を認定し、さらに、深夜勤務には賃金の25%を支払うものとして、未払賃金額を算出している。(甲119)
イ 原告は、上記第一審判決の敗訴部分に不服があるとして控訴したが、広島高等裁判所松江支部は、平成24年12月26日、控訴を棄却した。(甲120)
ウ 原告は、上記控訴棄却判決について上告及び上告受理申立をしたが、最高裁判所第三小法廷は、平成26年7月22日、上告を棄却し、また、上告不受理決定をした。(甲21)
エ 被告は、平成24年8月10日、原告に対し、第一審判決に従い、未払賃金及び遅延損害金として、192万2893円を支払った。
(6) 本件訴訟提起前の照会
ア 原告は、平成26年8月4日付け訴えの提訴予告通知書(甲148の1)により、被告に対し、民事訴訟法132条の2所定の訴えの提起前における照会として、原告が役務を提供したプロジェクトについて、取引先との間の契約書及び請求書の写しの送付並びに報酬金額の開示を求めた。
イ 被告は、上記照会に対し、原告の請求の根拠が不明確であり、また、契約書等は営業秘密に該当するなどとして、開示を拒否した。(乙17の1)
ウ 原告は、平成26年10月29日、被告の取引先であるDに対し、内容証明郵便を送付して、契約書等の開示を求め、また、同月30日、被告の取引先であるCに対し、内容証明郵便を送付して、契約書等の開示を求めた。原告は、D及びCに対する上記各内容証明郵便及び資料の郵送費用として、合計6866円を支払った。(甲122の1ないし4、甲123の1ないし3)
3 争点
(1) システム開発に関する不当利得返還請求の可否
ア 不当利得の有無
イ 不当利得の額
(2) 被告の安全配慮義務違反に基づく請求の可否
ア 被告の安全配慮義務違反の存否
イ 原告の損害の発生及びその額
(3) 「会員情報管理システム」の著作者は原告か被告か
(4) 保険金に関する請求の可否
ア 不当利得の有無
イ 不当利得の額
(5) 原告による訴え提起前の照会に対する開示拒否が不法行為に当たるか
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点(1)(システム開発に関する不当利得返還請求の可否)について
〔原告の主張〕
(1) 不当利得の有無
 原告は、被告に在職中、被告とその取引相手との間の契約の目的のために、被告に役務を提供した。そして、原告は、被告の命令を受けて原告と被告との間の契約の目的を達成し、被告は、報酬金を得た。すなわち、被告は、報酬金のうち原告の寄与分に応じた部分を利得した。また、被告は、報酬金を原告に分配しなければならないことを知っているから、悪意の受益者である。
 したがって、被告は、取引先から受領した報酬金額に原告の寄与度を乗じた額を、原告に返還しなければならない。
(2) 不当利得の額
ア 「知らせますケン」について
 被告は、「知らせますケン」について、取引先から、報酬金合計878万8327円を得た。そして、原告の「知らせますケン」への寄与度は90%である。
 ところで、原告は、「知らせますケン」の開発業務に従事していた期間に、被告から、賃金として232万5791円を受領した。
 したがって、被告の利得額は、次のとおり、558万3703円である。
 (878万8327円×0.9)−232万5791円=558万3703円
 そして、原告は平成21年2月まで「知らせますケン」の開発業務に携わっていたが、取引先の被告に対する同月分の報酬金の支払期限は同年3月末日であった。
 したがって、原告は、被告に対し、「知らせますケン」の開発に関する不当利得返還請求権として、558万3703円及びこれに対する平成21年4月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 「会員情報管理システム」について
 被告は、平成22年4月1日、「会員情報管理システム」の報酬金(保守費用620万円を含む。)として1703万円を受領した。原告は、「会員情報管理システム」について、設計から、開発及びテストまでを一人で行ったから、その寄与率は100%である。
 ところで、原告が行った設計・開発の質が高かったため、被告の保守担当者は大きな労力を要することなく容易に保守をすることができるし、原告は、被告を退職しなければ、「会員情報管理システム」の保守を担当してその保守費用の全額を得ることができたことは明らかである。このことからすると、保守費用に対する原告の貢献度も100%というべきであるから、被告は保守費用を不当に利得し、原告は保守費用を得ることができなかった。
 他方、原告は、被告から、「会員情報管理システム」の開発業務に従事していた期間の賃金として、322万7096円を受領した。
 したがって、被告の利得額は、次のとおり、1380万2904円である。
 1703万円−322万7096円=1380万2904円
 仮に保守費用が不当利得として認められない場合、原告は、予備的に、被告に対し、保守費用相当額を安全配慮義務違反に対する損害賠償として請求する。そして、その額、760万2904円である。
〔被告の主張〕
(1) 不当利得の有無について
 被告は、取引先との間の業務委託契約に基づき、完成したシステムを納品した対価として報酬金を受領しており、被告の利得には法律上の原因がある。また、原告は、被告との間の雇用契約に基づき上記各システムの開発プロジェクトに従事していたのであり、原告の労務提供という損失にも法律上の原因がある。そして、原告の労務に対する対価は賃金として既に支払われているから、原告には何ら損失がない。
(2) 不当利得の額について
 原告が、「知らせますケン」と「会員情報管理システム」の開発を担当したこと、担当した期間、いずれも原告が退職するまでに完成したこと及び被告が取引先から上記各システムに対する報酬金を受領したことは認めるが、その余は否認ないし争う。
 また、被告が、「知らせますケン」について取引先から受領した額は、664万0102円(税込み)である。
2 争点(2)(被告の安全配慮義務違反に基づく請求の可否)について
〔原告の主張〕
(1) 被告の安全配慮義務違反の存否
ア 原告と被告は雇用関係にあったのであるから、被告は、原告に対し、原告の過重労働を回避する安全配慮義務を負っていた。
 ところが、被告は、平成22年1月初め、原告に対し、「会員情報管理システム」の開発に関して、5.45人月に相当する仕事量を一人で同年3月末までに遂行するよう命じて、過重労働を強制した。なお、5.45人月とは、実労働760時間に相当する。
 そして、被告は、このような労働量を課せば、原告が、脳・心臓疾患を発症する蓋然性が高いと認識していた。また、被告従業員でプロジェクトマネージャーであったE氏(以下「E」という。)は、原告から毎日送信されるコミットログのメールにより、原告が毎日深夜まで残業していることを知っていた。
 被告は、原告の過重労働を回避するために、取引先に対し、開発期間の延長を申し出たり、あるいは、被告従業員の配置転換又は派遣会社に対し、技術者の派遣を要請するなどして、「会員情報管理システム」の開発担当者を1名増員することもできたのに、これらの措置を取ることもなかった。
 したがって、被告は、故意又は重大な過失により、原告に過重労働を強制し、うつ病を発症させ、また、過労死の危険を招来したのである。
イ 原告の退職前の3か月における実労働時間は、平成22年2月度(「月度」は前月21日から当月20日までの期間を指す。以下同じ。)が275時間21分(法定外労働時間は91時間21分)、同年3月度は316時間6分(法定外労働時間は156時間6分)、同年4月度は282時間4分(法定外労働時間は106時間4分)であり、法定外労働時間はおおむね月平均120時間であった。
 週40時間に加え、2か月ないし6か月間にわたって、1か月当たり80時間を超える時間外労働が認められる労働者には、脳・心臓疾患が発症する蓋然性が高い。
ウ 上記のような過重労働の結果、原告は、うつ病を発症し、相当程度の死の危険が生じたことから退職した。原告は、医師による診断は受けていないが、次の各事実によれば、原告が平成22年4月15日に被告代表取締役F氏に退職の意思を伝えて退職が決定した際、過重労働を原因としてうつ病を発症していたことは明らかである。
(ア) 原告は、Eに開発の遅延を何度か叱責されており、また、開発が納期に間に合いそうになかったこととから、Eに叱責される不安感と過重労働による疲労感が入り混じり、毎日が嫌な気分であった。被告従業員のG氏(以下「G」という。)が、平成22年3月16日、原告に対し、Eが「彼(原告)を潰すつもりで仕事を振っていきますよー。」と述べていたと伝えたときには、特に嫌な気分が高まった。
(イ) 同年2月27日頃から同年4月8日頃まで、自分の責任で開発に遅れが出ているという気持ちを強くもっており、自己評価と自信が低下していた。また、休息を取ることに罪悪感を有しており、「間に合わせるためには死んでも仕方がない」と感じていた。
(ウ) 同年3月中旬からは特に労働時間が多く、ほぼ常に疲労困憊状態であった。
(エ) 同年3月27日から同月31日頃まで、「死んでもいいさ。死ぬまで開発してやるさ。」「自殺か交通事故を起こして早く楽になりたい」などという気持ちを感じていた。
(オ) 「会員情報管理システム」の開発で喜びを感じたのは、同年4月1日に同システムが一般公開された後に、アクセスログが太る(システムが使用される)ことだけであった。原告の興味は、「会員情報管理システム」の開発をいかに進め、いかに過労死を避けて退職するかにあり、精神的ゆとりはなく、興味あるいは喜びが消失していた。
(カ) 「会員情報管理システム」の一般公開後も残業が続き、休暇も取れず、「全然仕事が終わらない。最悪。」とずっと思っていた。同年4月12日前後は働く気にならず、抑うつ気分が特に重症であった。
(キ) 同年4月12日から同月16日の間には、気絶するように寝たり、安眠ができないといった症状が出ていた。
(ク) 同年4月12日から同月15日頃まで、このままでは過労死してしまうと思い込み、退職を決意した。
(2) 原告の損害の発生及びその額
ア 基礎収入
 損害の算定に当たり、原告の基礎収入は、平成21年2月度から平成22年4月度まで(本件事故により休職・短時間勤務であった平成21年3月度から同年5月度を除く。)の12か月間の原告の収入とすべきである。上記期間の賃金は合計448万1641円であるが、これに同期間に開発を行った前記1の開発費用の寄与分(「知らせますケン」について平成21年2月度の寄与分55万7493円、「会員情報管理システム」について全額の1380万2904円(主位的主張)又は760万2904円(予備的主張))を合算するので、原告の基礎収入は、@主位的に年1884万2038円、A予備的に年1264万2038円であると主張する。
イ 休業損害
(ア) 原告は、被告を退職した後、過重労働による過労死の危険が生じたことがトラウマとなり、少なくとも2年間は働くことができなかった。原告が発症したうつ病を治療する責任は被告にあるが、被告は何らの治療を受けさせなかったから、原告は、医師の治療を受けることもなく自然治癒を待つしかなかった。
(イ) 休業損害額は、上記アの基礎収入(年額)の2年分である。
@主位的に、3768万4076円
A予備的に、2528万4076円
ウ 後遺障害逸失利益
(ア) 原告は、過重労働によりうつ病を発症し、退職から5年経過しても、IT業界での仕事に対する不安を抱き、IT業界で働くことに意欲を持てないでいるから、「仕事・生活に積極性・関心を持つこと」に障害がある。この原告の症状は、労働者災害補償保険の「神経系統の機能又は精神の障害に関する障害等級認定基準」第14級の9の後遺障害に当たる。
 したがって、原告は、5%の労働能力を5年間にわたって喪失したというべきである。
(イ) 原告の後遺障害による逸失利益は、上記アの基礎収入をもとに、5%の収入を喪失したものとして、5年に対するライプニッツ係数4.329を用いて計算すると、次のとおりである。
@主位的に、407万8359円
A予備的に、273万6369円
エ 後遺障害に対する慰謝料 110万円
オ 過重労働に対する慰謝料 2000万円
カ 合計額
@主位的に、6286万2435円
A予備的に、4912万0445円
〔被告の主張〕
(1) 被告の安全配慮義務違反の存否について
ア 原告が退職を申し出たことは認め、その余は否認する。
 平成22年1月から同年3月までの開発予定量は3.75人月であった。
 また、被告は、原告について裁量労働制の適用があると認識していたことから、原告の労働時間を把握していなかった。
イ 原告の労働時間については争わない。
ウ Eが「彼(原告)を潰すつもりで仕事を振っていきますよー。」と述べた事実及び同発言をGが原告に伝えた事実は否認する。
 Eが、原告に対し、「手伝ってあげてんだよ。」と発言した事実はあるが、これは、原告の作業が遅く、Eが手伝わなければ「会員情報管理システム」の開発を遂げることができない状況にあったにもかかわらず、原告が決めた手順と異なる作業をたびたび行っていたことから、なぜ自分勝手な作業をするのかという意味で述べたものである。
 Eが、原告に対し、「ねえ、間に合うの?大丈夫なの?君の定時は12時かもしれんけど、僕は帰るからね。」というような発言をした事実はあるが、これは、原告が自分勝手な作業をしているときに、適切に作業を行わせる趣旨でした発言である。
エ うつ病は自然に治癒するような病気ではなく、継続的なカウンセリング等の治療が必要であるが、原告が自然治癒を自覚していることからも、原告がうつ病に罹患していなかったといえる。
(2) 原告の損害の発生及びその額について
ア 休業損害につき
 原告は自己都合で退職したのであり、退職せざるを得なかったというものではない。また、原告は、平成23年頃アメリカに留学しており、前訴において本人尋問を行い、前訴の控訴審及び本件訴訟を本人訴訟として遂行し、長文の訴状も自ら作成していることなどからしても、被告を退職した後も、社会活動や就労が可能であった。
 したがって、休業損害は生じていない。また、基礎収入額が失当であることは、前記1〔被告の主張〕のとおりである。
イ 後遺障害につき
 原告は、後遺障害が生じたことを立証しておらず、また、被告を退職した後、複数社で現に就労しており、労働能力を喪失していない。
ウ 過重労働に対する慰謝料につき
 過重労働については、時間外労働に対する割増賃金を払っており、それ以上に原告に損害はない。
3 争点(3)(「会員情報管理システム」の著作者は原告か被告か)について
〔原告の主張〕
(1) 被告は、「会員情報管理システム」の開発過程において、故意又は重大な過失によって、原告に対する安全配慮義務を怠り、その結果として、原告に重大な労働災害が発生する蓋然性が相当程度高くなり、原告の生命は死の危機に瀕していた。加えて被告からの退職が決定する前の原告は、被告での過重労働に苦痛を感じていた。
 これらの事情からすれば、「会員情報管理システム」は著作権法15条2項の「法人等の業務に従事する者が職務上作成するプログラム」と認めることはできない。
 仮に、「会員情報管理システム」が「法人等の業務に従事する者が職務上作成するプログラム」に当たるとしても、その開発過程において、被告が、故意又は重大な過失によって原告に対する安全配慮義務を怠り、原告に重大な労働災害(過労死)が発生する蓋然性が相当程度高かったという事実と、原告が過重労働に苦しんだという事情を踏まえると、「会員情報管理システム」に著作権法第15条2項が適用されると被告が主張することは、権利の濫用または公序良俗に反するものであり、許されない。
 よって、「会員情報管理システム」は著作権法第15条2項の適用を受けないから、同システムの著作者は被告ではなく、原告である。
(2) そして、被告が、別紙「技術目録」記載の内容を被告の事例として公表す ることは、原告の著作者人格権(著作権法18条〔公表権〕及び同法19条〔氏名表示権〕)を侵害し、また、同法113条6項の著作者の名誉又は声望を害する行為といえる。
 よって、原告は、被告に対し、著作権法112条により、別紙「技術目録」記載の記述の掲載中止を求める。
〔被告の主張〕
 著作権法15条2項は「法人等の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成するプログラムの著作物の著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。」と規定している。また、「会員情報管理システム」が被告の発意に基づくこと、及び契約、勤務規則その他に別段の定めがないことは明らかである。
 そして、前記2〔被告の主張〕のとおり、被告には安全配慮義務違反はないし、仮にそのような事実があったとしても、原告の主張する解釈論は成り立たず、「会員情報管理システム」に著作権法15条2項が適用されるのは明らかである。
 したがって、原告の上記主張はいずれも失当である。
4 争点(4)(保険金に関する請求の可否)について
〔原告の主張〕
(1) 不当利得の有無
 被告は、AIUに対し、本件事故について、本件保険契約に基づいて保険金請求をし、保険金を受領した。保険金は原告が取得することが本件保険契約の目的にかなうものであり、被告が保険金を取得することは本件保険契約の目的にかなうものではないから、被告の利得には正当な理由がない。
(2) 不当利得の額
ア AIUは、「支払保険金の合計が1事故10万円を超える場合」に診断書の手配が必要であるとしているところ、被告が本件事故に係る保険金を請求するに当たり、原告は診断書を提出したから、AIUが被告に対し、保険金として10万円以上の金員を支払ったことは明らかである。
 そして、被告は、原告に対し、AIUから受領した保険金元本1万9000円及びこれに対する平成21年5月28日から支払日まで年5分の割合による遅延損害金であるとして2万4083円を支払ったから、被告には、少なくとも8万1000円の利得がある。そして、上記のとおり、被告は平成21年5月28日を遅延損害金の起算日としたから、原告も、本訴において、同日を遅延損害金の起算日であると主張する。
 そこで、原告は、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、一部請求として8万1000円及びこれに対する平成21年5月28日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 被告は、見舞金として1万円を支払ったと主張しているところ、被告の負担で原告に1万円を支払ったことは認めるが、これは保険金の先渡しではない。
〔被告の主張〕
 被告は、平成21年2月、原告に対し、本件事故に関する見舞金として、1万円を支払った。
 被告は、原告を含めた従業員の労災給付及び弔慰金の支払に備えて、AIUとの間で、従業員を被保険者とする保険契約を締結していた。被告は、平成21年11月、AIUから診断書作成料相当額の保険金3675円を受領し、原告に支払った。また、被告は、AIUから、本件事故に係る入院保険金及び通院保険金として合計2万9000円を受領していたものの、上記見舞金とAIUから受領した保険金の差額を、原告へ支払う必要性がないと考えていた。しかし、平成26年7月に原告から請求があったため、被告は原告に上記差額を支払うこととし、同年10月3日、差額の1万9000円に支払日までの遅延損害金を付して、原告に対し支払った。
 したがって、被告がAIUから受領した保険金は全て原告に支払済みであるから、原告の保険金に関する請求には理由がない。
5 争点(5)(原告による訴え提起前の照会に対する開示拒否が不法行為に当たるか)について
〔原告の主張〕
(1) 原告は、前記第2、2(6)のとおり、被告に対し、民事訴訟法に基づいて訴えの提起前における照会をしたが、被告は、営業秘密に該当するとのみ回答し、原告が開示を求めた契約書等は開示しなかった。
 そこで、原告は、被告に対し、平成26年10月20日付け「訴えの提起予告通知書(3)」を送付し、回答に要する相当の期間を30日とした上で、再び照会したが、被告は、回答しなかった。
 被告の上記態度は、民事訴訟法132条の2第1項の予告通知を受けた者の義務に反するものであり、同項ただし書きを濫用するものであって違法である。
(2) 上記被告の不法行為により、原告は、被告の取引先に対する照会を余儀なくされた。
 原告は、D及びCに対し、契約書等の開示を求めて内容証明郵便を送付し、Dにはさらに別件訴訟第一審判決書別紙7、8、原告の日記抜粋等を別便にて配達証明を付して送付し、Cにはさらに別件訴訟第一審判決書表紙、別紙8を別便にて送付し、これらの郵送費用として6866円を支出した。
〔被告の主張〕
(1) 原告の平成26年8月4日付け「訴えの提起予告通知書」に対し、被告は、代理人を通じて、同年9月5日、回答書を発送した(乙17の1及び2)。
 被告の開示拒否の理由は、@原告の労働の「質」に基づく受領金の配分請求の法的根拠及び具体的な主張内容が不明であること及びA取引先との間の守秘義務契約に関わる事項に当たる、ということであった。
(2) 被告と取引先の間では、個別の契約において秘密保持条項が規定されているか、別途秘密保持契約が締結されている。そして、業務委託料あるいは報酬金額は、いずれも販売上の機密あるいは業務戦略に関する情報であり、秘密保持(守秘義務)契約の対象事項である。
 したがって、被告が、原告の照会に対する回答を拒否したことは正当であり、不法行為に当たらない。
第4 当裁判所の判断
1 前記第2、2の前提事実並びに後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。
(1) 「会員情報管理システム」の開発に係る経緯等
ア 被告は、平成21年、Dから、BとDが共同運営する「(システム名は省略)」のうち、視覚障害者、ボランティア、点字作成者及び図書館などの会員情報を管理・検索・閲覧するシステムである「会員情報管理システム」の開発を受託した。(乙22)
イ 被告は、同年8月頃、「会員情報管理システム」の開発作業を開始し、同年9月頃には、Eがリーダーとして、原告及びH氏(以下「H」という。)が開発作業者として、「会員情報管理システム」の開発に参加することとなった。「会員情報管理システム」の開発作業量は6.45人月と見積もられていた。同年12月末には予定通りプロトタイプ(アルファ版)が完成した。(甲14、乙2、22)
ウ 原告とHは、共同で開発作業を行っていたが、やがて両名は開発方針などについて言い争いをするようになった。それが原因で、同年12月中ごろ、HがGに対し、原告とともに作業することはできないと申し出たため、平成22年1月以降、Hは別の案件を担当することになり、以後、原告は一人で「会員情報管理システム」の開発作業を担当することとなった。被告においては、Hの上記申し出がなければ、Hと原告の二人で「会員情報管理システム」の開発作業を継続する予定であった。(証人E〔4、11〕、証人G〔3〕)
エ 原告とEは、同年1月初頭、開発スケジュールを確認した。Eは、開発人員の減少を受け、同年2月末に予定していた結合テスト完了予定時期を、同年3月中旬に変更したが、納期の変更はしなかった。(証人E〔4、5〕、原告本人〔42〕)
オ 原告は、同年2月15日から同月19日まで休暇を取得して海外旅行に行った。原告は、旅行前までは、開発はスケジュール通りに進んでいると認識していた。(甲24〔13頁〕、原告本人〔40〕)
カ しかし、Eが、同年2月下旬、原告に対して開発の進捗状況を確認したところ、余裕がない状態であり、Eは、その3、4日後に再び進捗状況を確認したが、予定通りには進んではいなかった。そこで、Eは、原告に対し、毎朝、当日行う作業予定を確認し、夕方に進捗状況を確認することとしたが、夕方には作業はできておらず、翌朝に確認すると8割方できているという状況であった。
 原告は、同年3月頃、Eから開発が遅れていると言われるようになってから、開発工程に遅れがあると認識するようになった。
 なお、原告とEとの間には、プログラムにおけるパーシャルという機能の使用や実施すべきテストの内容や時期について、意見の相違があった。(証人E〔7、25〕、原告本人41〕)
キ Eは、「会員情報管理システム」の開発期間中、同システムの機能設計書の作成などの作業を担当し、また、その他のシステムに関する業務も担当していた。Eは、同年2月下旬及び同年3月には、土日も出勤して、「会員情報管理システム」のテストを行うなどしていた。(乙3、証人E〔5、9〕)
ク 被告は、原告について裁量労働制が適用されるものと認識していたことから、原告の勤務時間の管理を行っていなかったものの、Gは、原告が遅くまで作業をしていることを認識しており、同年2月又は3月頃、原告に対し「大丈夫か」と声をかけたことがあった。(証人G〔15〕)
(2) 原告の退職前後の状況
ア 原告は、平成22年4月15日、Gに対し、長時間勤務や残業代が支払われないことが不満である旨述べて退職の意思を告げ、同日、被告代表者に対しても同様に退職の意思を告げた。(甲11、原告本人〔12〕、証人G〔4〕)
イ 原告は、同月28日まで被告において勤務を継続したが、同月30日以降は有給休暇を取得し、出勤しなかった。原告と被告との間の雇用契約は、同年5月31日で終了した。(甲11、63の1・2、甲66、原告本人〔12〕)
ウ 原告は、同年2月下旬から同年3月頃には体調が悪いと思うようになったものの、食欲不振や睡眠障害はなく、病院で診察を受けるほどの症状ではないと認識していた。原告は、退職後も含めて、うつ病ないしうつ状態にあることについて、医師の診察を受けていない。(原告本人〔11〕)
(3) 退職後の経緯等
ア 原告は、有給休暇を取得していた期間である平成22年5月、留学の準備を開始し、同年6月22日から同年9月6日まで、米国に語学留学した。原告は、留学中、自ら楽しく過ごしたと述べている。(甲67、68、原告本人〔12、13、36〕)
イ 原告は、同年6月24日、被告に対し、別件訴訟を提起した。
ウ 原告は、平成23年1月5日から同年5月26日まで、及び同年8月20日から同年12月15日まで、米国サンタバーバラ・シティカレッジに留学した。(甲67、69、70、原告本人〔12、13〕)
エ 原告は、平成24年5月23日に別件訴訟の第一審判決が言い渡された後は、訴訟代理人を選任せずに自ら、その控訴審及び上告審の訴訟を遂行した。
オ 原告は、同年8月10日、被告から、未払賃金及び遅延損害金として192万2893円の支払を受けた。これは、別件訴訟第一審判決において認定された額の全額である。
カ 原告は、同年12月6日、宅配便のアルバイトを開始し、その後、ラーメン店、カラオケ店、妖怪饅頭の販売店、食品製造工場、スキー場などを転々としながら、アルバイトを続けている。(甲63、74ないし77、85ないし88〔いずれも枝番含む。〕)
2 争点(1)(システム開発に関する不当利得返還請求の可否)について
 原告は、「知らせますケン」及び「会員情報管理システム」の開発業務に従事したことをもって、被告に対し、不当利得返還請求として原告の開発に対する寄与分に相当する報酬の分配を請求している。同請求に係る原告の主張の趣旨は必ずしも明らかではないものの、原告は、被告に対する労務提供をもって原告の損失であると捉えていると考えられる。しかし、原告は、被告との間の雇用契約に基づいて被告に対する労務提供をしたものであるところ、雇用契約は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって成立するものであるから(民法623条)、原告は、雇用契約に基づいて労働に従事することによって、雇用契約の相手方である被告に対する報酬請求権を取得し、被告は原告から労務提供を受けることと引き換えに原告に対する報酬支払債務を負うのであって、このように労務の提供が雇用契約に基づくものである以上、原告が被告に労務を提供したとしても、原告には損失がなく、被告には利得がないというべきであり、原告が開発したシステムについて被告が取引先からその代金を受領したとしても、原告の損失及び被告の利得の有無には何ら影響しないと認められる。
 したがって、原告のシステム開発に関する不当利得返還請求は、そもそもその前提を欠くと言わざるを得ず、原告の請求は理由がない。
3 争点(2)(被告の安全配慮義務違反に基づく請求の可否)について
(1) 前記第2、2(5)及び前記1(2)及び(3)のとおり、原告は、平成22年2月下旬から同年3月頃には体調が悪いと感じるようになったものの、食欲不振や睡眠障害はなく、病院に行くほどの症状ではなかったこと、同年4月中旬には被告を退職することを決意し、退職前の有給休暇をとっていた同年5月から留学の準備を始め、同年6月から2か月ほど米国に語学留学をして何ら問題なく留学生活を送り、並行して、訴訟代理人弁護士に委任して、被告を相手方とする別件訴訟を提起したこと、上記語学留学からの帰国後、再び米国へ渡り約9か月の間米国の大学に留学していたこと、原告は、退職後も含めて、うつ病ないしうつ状態にあることについて、医師の診察を受けていないこと、別件訴訟の控訴審及び上告審を代理人を委任せずに自ら一人で遂行するなどしていたことが認められ、これらの事実を総合考慮すると、原告は、平成22年2月下旬から同年3月頃には長時間勤務によりかなりの疲労を感じていたことが推認されるものの、退職前から留学準備を開始することができており、退職後まもなく実際に米国に留学して留学生活を送ることが可能であったのであるから、原告が、同4月頃、過重労働を原因としてうつ病を発症していたとか、労働能力を喪失していたなどと認めることは到底できない。
(2) 確かに、原告の勤務時間が、平成22年2月度は275時間21分(法定外労働時間は91時間21分)、同年3月度は316時間6分(法定外労働時間は156時間6分)、同年4月度は282時間4分(法定外労働時間は106時間4分)であったことについては当事者間に争いがなく、上記労働時間は、原告に対し、相当程度の負荷を与えるものであったと推認されるものである。しかし、原告は、同年2月下旬までは開発の進捗状況は順調であると認識していたのであるから、原告が特に負荷を感じていたのは同年2月下旬から退職を申し出るまでの2か月弱の期間であると推認され、この期間は比較的短いといえること、同年2月下旬以降はEが開発を手伝い、また、テストを実施するなどしており、原告が全ての開発作業を一人で行っていたものではないこと、被告は、Hが開発から外れるにあたって結合テストの完了時期を半月程度遅らせるといったスケジュールの変更を行ったこと及び上記(1)で指摘したとおり、原告が、退職を申し出た後、うつ病を発症するなどの健康上の問題もなく海外留学していて、原告には、被告からの退職前後において、社会生活上の問題が生じていたとはいえないことからすると、原告が、被告からの退職時において、雇用主がその状態に陥ることを回避すべき義務を負う程度の過重労働の状態にあったということはできず、被告に安全配慮義務違反があったと認めることはできない。
 そして、原告が、平成22年2月頃から同年4月頃の長時間労働に負荷を感じていたとしても、前記第2、2(5)のとおり、原告は、時間外労働及び深夜勤務に応じた割増賃金を受領しているのであり、それ以上に、金銭的補償を必要とするほどの精神的苦痛を生じたと認めるに足りる事情もない。
(3) 以上のとおり、安全配慮義務違反に基づく原告の請求は理由がない。
4 争点(3)(「会員情報管理システム」の著作者は原告か被告か)について
(1) 本件では、法人である被告の従業員である原告が、被告の発意に基づき、プログラムである「会員情報管理システム」を創作したことについては当事者間に争いがない。また、「会員情報管理システム」の著作者に関し、作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがあることはうかがえない。
 したがって、「会員情報管理システム」は著作権法15条2項所定の職務著作に該当するから、上記プログラムの著作者は被告である。
(2) この点に関して原告は、「会員情報管理システム」の作成時の状況に照らすと、同システムの著作者は原告と認められるべきであると主張する。
 しかし、仮に、職務著作の創作の過程において、法人等が従業員に対し、何らかの不法行為又は債務不履行に当たる行為をしたとしても、当該行為が別途損害賠償請求等の対象となる可能性があることはあっても、法人の上記行為により当該行為の存在が著作権法15条2項の適用の可否に影響を及ぼすものでないことは明らかである。なお、本件においては、原告の被告に対する損害賠償請求に理由がないことは前記3で説示したとおりである。
(3) また、原告は、被告が「会員情報管理システム」に著作権法15条2項が適用されると主張することは権利濫用又は公序良俗に反するなどとも主張するが、「会員情報管理システム」は、著作権法15条2項所定の要件を満たせば、職務著作として被告が著作者となるのであって、被告が原告に対して何らかの権利行使をしているものではないし、被告の主張いかんによって誰が著作者となるのかが左右されるものでもないから、本件はそもそも権利濫用が問題となる場面ではない。また、公序良俗とは、国家社会の一般的利益である公の秩序及び社会の一般的道徳観念である善良の風俗を意味し、公序良俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とされるものであるが(民法90条)、「会員情報管理システム」について著作権法15条2項が適用されて被告が著作者と認められること自体、何ら公序良俗に反するものではない。
 したがって、権利濫用又は公序良俗違反であるという原告の主張は、その前提を欠くといわざるを得ず、およそ採用することができない。
(4) よって、原告は「会員情報管理システム」の著作者ではないから、その余の点について判断するまでもなく、原告が著作者であることを前提とする請求の趣旨3項の確認請求、並びに原告の著作者人格権(著作権法18条〔公表権〕及び同法19条〔氏名表示権〕)の侵害、若しくは同法113条6項違反を理由とする請求の趣旨第4項の差止請求はいずれも理由がない。
5 争点(4)(保険金に関する請求の可否)について
(1) 原告は、被告が加入した保険契約に基づいて受領した保険金について、原告が被告に支払請求できると主張しているところ、そもそもそのような請求権が存在するのか疑問を差し挟まざるを得ないものの、それを措いたとしても、前記第2、2(4)のとおり、被告は、本件事故に関し、AIUから2万9000円の支払を受け、その全額と同額の金員を原告に支払っているから、被告には利得がない。
(2) この点に関して原告は、被告は、10万円以上の保険金の支払を受けたなどと主張するが、これを裏付ける証拠はなく、むしろ証拠(甲24、乙7)及び調査嘱託の結果によれば、被告が、本件事故に関してAIUから支払を受けた保険金の額は2万9000円であると認められる。原告は、調査嘱託の結果に関し、AIUと被告が結託しているなどとも主張するが、これをうかがわせる証拠は全く存しない。
(3) したがって、原告の保険金に関する請求は理由がない。
6 争点(5)(原告による訴え提起前の照会に対する開示拒否が不法行為に当たるか)について
(1) この点に関する原告の主張は必ずしも明瞭ではないが、これを善解するに、原告は、原告が被告に対し、民事訴訟法132条の2第1項所定の訴え提起前における当事者照会を理由として、契約書等の開示を求めたのに対し、被告がそれに応じなかったことが、原告に対する不法行為に当たると主張しているものと解される。
(2) ところで、同項は、「訴えを提起しようとする者が訴えの被告となるべき者に対し訴えの提起を予告する通知を書面でした場合(中略)、その予告通知を受けた者に対し、(中略)、訴えの提起前に、訴えを提起した場合の主張又は立証を準備するために必要であることが明らかな事項について、相当の期間を定めて、書面で回答するよう、書面で照会をすることができる。」と定めているところ、同項に従って予告を受けた者は、訴えの提起をしようとする者からの照会に対し、回答をする訴訟法上の義務を負うと解されるから、照会に応じなかった場合には、訴え提起後の訴訟において、回答をしなかったという事実が、裁判所に弁論の全趣旨として考慮されることは考えられる。しかし、同項はそれ以上の義務を定めるものではなく、被告が、契約書等の開示や報酬金額の回答をしなかったことが、原告に対する不法行為に当たるというべき理由はない。また、そもそも、民事訴訟法132条の2第1項には、書面の開示に応じる義務は定められていないから、被告が、契約書等の書面を開示しなかったことは、同項の義務に違反するものではない。
(3) したがって、被告が契約書等の書面の開示や報酬金額の照会に応じなかったことが、原告に対する不法行為を構成するということはできないから、この点に関する原告の請求は理由がない。
7 結論
 以上のとおり、原告の請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第40部
 裁判長裁判官 東海林保
 裁判官 廣瀬孝
 裁判官 勝又来未子


別紙 プログラム目録
1 会員情報管理システム
 BとDが共同運営する「(システム名は省略)」のうち、視覚障害者、ボランティア、点字作成者及び図書館などの会員情報を管理・検索・閲覧するシステムに係るプログラム
2 知らせますケン
 被告が、平成20年から平成21年頃、Cからの発注を受けて開発したシステムに係るプログラム

別紙 技術目録
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