判例全文 | ||
【事件名】“映画村”記事の類似事件 【年月日】平成28年8月19日 東京地裁 平成28年(ワ)第3218号 著作権侵害および名誉侵害行為に対する損害賠償事件 (口頭弁論終結日 平成28年6月24日) 判決 原告 A 被告 株式会社朝日新聞社 同訴訟代理人弁護士 秋山幹男 主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告は、原告に対し、340万円及びこれに対する平成28年2月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告は、原告の名誉回復措置として別紙謝罪文記載の内容の謝罪文を被告のウェブサイトに英語及び日本語で掲載せよ。 3 仮執行宣言 第2 事案の概要 本件は、原告が、被告の運営するウェブサイト上の記事により著作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権、名誉・声望権)を侵害され、また名誉を毀損されたと主張して、被告に対し、@著作権侵害、著作者人格権侵害ないし名誉毀損の不法行為に基づき、損害合計340万円及びこれに対する不法行為の後の日(本訴状送達の日の翌日)である平成28年2月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、A著作権法115条ないし民法723条に基づき、被告のウェブサイトへの謝罪文の掲載を求めた事案である。 1 前提事実(当事者間に争いのない事実又は文中掲記した証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実) (1) 当事者 ア 原告は、映画プロデューサーである。(甲1、2) イ 被告は、新聞社であり、ウェブサイト「朝日新聞デジタルAJW」を運営するものである。 (2) 原告の著作物 原告は、平成27年10月10日発行の雑誌「プレジデント」に掲載された「なぜ東京国際映画祭は世界で無名なのか」と題する記事(以下「原告記事」という。)の著作者であり、著作権者である。 原告記事には、別紙著作物対比表の「原告記事」欄記載の各表現がある(以下「原告各表現」という。)。 (3) 被告のウェブサイト上の記事 被告は、平成27年11月13日、上記(1)イのウェブサイトに「ONE TAKE ON JAPANESE CINEMA: Taking the good with the bad at the Tokyo International Film Festival」(以下「被告記事」という。)を掲載した。 被告記事には、別紙著作物対比表の「被告記事」欄記載の各表現がある(以下「被告各表現」という。なお、訳文の正確性については一部に争いがある。)。 2 争点 (1) 著作権ないし著作者人格権侵害の成否 ア 翻案権侵害の成否 イ 同一性保持権侵害の成否 ウ 名誉・声望権侵害の成否 (2) 名誉毀損の成否 ア 社会的評価の低下の有無 イ 真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否 (3) 損害発生の有無及びその額 3 争点に関する当事者の主張 (1) 争点(1)ア(翻案権侵害の成否)について 〔原告の主張〕 被告各表現と原告各表現とを対比させると、別紙著作物対比表のとおりとなる。 これによれば、被告各表現の本質的特徴は、原告各表現の思想を反映した映画産業の国際発展を妨げている利権構造批判にあり、また表現上の思想をサポートする要素として原告による調査、追求、研究に基づく斬新な視点で論じられる東京国際映画祭の事業費と具体的な企業名を示し、その委託先との関係性を論述したところにある。さらに、映画産業の既得権益にある社会的集団を表す表現にも原告各表現の「映画村」(movie village)を用い、「独占」(monopolized)という状態を示す表現をそのまま引き写している。論述においても、平成26年の映画祭事業費と委託費の割合の数字をほぼそのまま引き写し、その後も、既得権益を構成する企業として大手映画会社とその子会社、電通及び森ビルに触れ、更に同年に初めて確認された東京国際映画祭とクールジャパン政策の連携という特徴的な出来事について、原告各表現の一部を削り又は要約している。 したがって、被告各表現は、原告各表現の内容及び形式を覚知させるに足りるものか、少なくとも原告表現の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものであって、原告の著作権(翻案権)を侵害する。 〔被告の主張〕 原告の主張する「映画産業の利権構造批判」や「事業費と委託先との関係性」は表現上の本質的特徴とはいえない。「映画村」及び「独占」もこれをもって表現上の本質的特徴とはいえない。事業費と委託費の割合は単なる事実を示すものにすぎず、これも表現上の本質的特徴とはいえない。企業名を記載した点も表現上の本質的特徴とはいえない。東京国際映画祭とクールジャパン政策との連携についての記載も同様である。したがって、被告記事は原告記事の翻案に該当しない。 なお、別紙著作物対比表2枚目の訳文のうち「映画祭に対する」は「映画祭に関する」とするのが、「のせいだと批判し」は「に責任があるとし」とするのが正確である。 (2) 争点(1)イ(同一性保持権侵害の成否)について 〔原告の主張〕 被告記事には「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位は“映画村”のせいだと批判し、映画産業の既得権益に触れた」とあるが、原告記事にはそのような表現、論述は一切存在しない。上記表現部分は、事実を誤るだけでなく、原告の人格及び表現上の思想を著しく歪曲したものである。 また、原告記事には、@原告の上記「批判」の原因である「税金の拠出」、「東京国際映画祭が公益性の高いイベント」及び「公益財団法人ユニジャパンの主催」、A例年からほぼ倍増した事業費の異質性、B過去5年間における委託事業者の偏りや、委託事業者と公益財団法人ユニジャパンの理事の構成の関係性、C平成26年に政府によりクールジャパンの連携へ大きく方向転換が行われた東京国際映画祭と関連してほぼ倍増した事業費の事実と、映画関連のクールジャパン事業として平成27年5月にフランスのカンヌで実施された「ジャパンデイプロジェクト」の事実が記載されていた。しかし、被告記事では、これらの表現上の目的の事実も一切削除している。 したがって、被告記事は、原告の著作者人格権(同一性保持権)を侵害する。 〔被告の主張〕 原告の主張は、被告記事が原告記事の複製ないし翻訳、翻案に該当することを前提にして、原告の同一性保持権を侵害したとの主張と考えられるが、被告記事は原告記事の複製でもなければ翻訳や翻案でもないから、原告の同一性保持権を侵害したものではない。 (3) 争点(1)ウ(名誉・声望権侵害の成否)について 〔原告の主張〕 原告記事における原告の表現上の思想は、産業現場で働く映画プロデューサーの視点から、映画産業政策における税金の使われ方の問題点を挙げると同時に、単なる映画行政施策の揶揄に止まることなく、日本の映画産業発展のための生産的な議論にすることを目的としている。しかし、被告記事は、「今年の東京国際映画祭は過去の失敗から学び、再び映画を中心に考え、大幅に改善されたイベントを開催する明確な努力がはっきりと表れていた」との前置きをした上で、「それにもかかわらず、未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており、映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事のようなものになっている。そして、今回それを行ったのが映画プロデューサーの甲であった」として原告記事を紹介しており、原告の意図と著しく異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。 したがって、被告記事は、原告の著作者人格権(名誉・声望権)を侵害する。 〔被告の主張〕 原告の主張は、被告記事が原告記事の複製ないし翻訳、翻案に該当することを前提にして、原告の名誉・声望権を侵害したとの主張と考えられるが、被告記事は原告記事の複製でもなければ翻訳や翻案でもないから、原告の名誉・声望権を侵害したものではない。 (4) 争点(2)ア(社会的評価の低下の有無)について 〔原告の主張〕 被告記事は、上記(2)〔原告の主張〕のとおり「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」と事実でない表現をもって原告の主張、思想を歪曲する極めて深刻な名誉侵害行為を行った。 また、公の出版物で第三者を批判するということは重大な責任を負うものであり、批判を行った当事者の対外的信頼は、その論述法、論拠となる事実と事実の正確性に極めて高く依存しているにもかかわらず、被告は、上記(2)〔原告の主張〕のとおり、原告の表現上の思想を歪曲させた改変だけでなく、表現上の意図を大幅に削除した要約を行い、原告の名誉及び業務上の信頼に対する侵害行為を行った。 そして、被告が名誉回復の措置を拒否していることから、原告への名誉侵害行為は今もなお継続している。 〔被告の主張〕 原告記事は、「日本映画は大変不幸である。なぜなら日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ。今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にはない。予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら、映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで、日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。」、「問題はこうしたクリエイティブ産業への支援が、現場に届かず、映画会社や広告代理店といった『映画村』のなかで計画、実施されている点にある。」、「世界の映画産業はパラダイムシフトに入っている。世界市場の変化だけでなく、消費者行動の変化により、100年の歴史をもつ映画の概念が根本から変わろうとしている。その中においても、日本では国際的な実務能力をもたない『映画村』の人間たちが、政府から税金を引き出し、利権を貪っている。人を育むことを無視した政策こそ、日本映画産業の国際的な発展を大きく妨げている。」、「日本映画を次世代につなぐには、この利権構造との決別が急務である。」などとして、東京国際映画祭が日本映画産業や映画文化を育む機能を果たせておらず、人を育むことを無視した政策が日本映画産業の国際的な発展を妨げているとしており、東京国際映画祭と日本映画全般が国際的に不本意な地位にあるとの趣旨の評価、評論を行っている。 それゆえ、被告記事は、「彼はプレジデントオンラインの記事において、東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位は“映画村”に責任があるとし、映画産業の既得権益に触れた。」としたものであって、原告記事における原告の主張を歪曲するものではなく、原告の社会的評価を低下させるものではない。 また、そもそも「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位は“映画村”に責任があるとし、映画産業の既得権益に触れた」ことが、原告の社会的評価を低下させるものとはいえない。 (5) 争点(2)イ(真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否)について 〔被告の主張〕 被告記事の「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位は“映画村”に責任があるとし、映画産業の既得権益に触れた」との部分は、原告が東京国際映画祭と日本の映画産業について批判したことを紹介したもので、公共の利害に関する事項について専ら公益を図る目的で掲載したものである。 そして、仮に上記記載部分が原告の社会的評価を低下させるとしても、同部分は、上記(4)〔被告の主張〕のとおり、原告の主張を歪曲したものではなく、真実を記載したものであることが明らかである。 したがって、上記部分は原告に対する名誉毀損の不法行為とはならない。 〔原告の主張〕 被告は、「東京国際映画祭」批評コラムの冒頭において、読者の関心を獲得するためにセンセーショナルにする目的で原告記事を装飾として用いたにすぎず、その記述には公共の利害のための公益性は存在しない。また、上記(4)〔原告の主張〕のとおり、被告記事の記述は原告の主張、思想を著しく歪曲したものである。 したがって、原告に対する名誉侵害行為の不法行為が成立するのは明らかである。 (6) 争点(3)(損害発生の有無及びその額)について 〔原告の主張〕 被告による著作権及び著作者人格権の侵害行為並びに名誉棄損行為によって原告の受けた損害額は、次のとおり、合計340万円である。 ア 著作者人格権侵害による慰謝料 200万円 イ 翻案権侵害による損害額 10万円 ウ 名誉侵害行為に対する慰謝料 100万円 エ 原告が定め、平成27年11月18日に通知し、同年12月7日付けで請求を行った使用料 30万円 〔被告の主張〕 争う。 第3 当裁判所の判断 1 争点(1)ア(翻案権侵害の成否)について (1) 著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。 (2) 原告は、被告各表現が原告各表現と同一性を有する部分として、概要、@映画産業の国際発展を妨げている利権構造批判、A東京国際映画祭の事業費、事業委託先及びその関係、B映画産業の既得権益たる社会的集団を「映画村」と表現し、その状態を「独占」と表現したこと、C平成26年の映画祭事業費と委託費の割合、D既得権益を構成する企業名、E東京国際映画祭とクールジャパン政策の連携等を挙げる。 しかし、このうち@、A、C、D及びEは、原告の思想、感情又はアイデア、事実又は事件など、表現それ自体でない部分についての同一性を主張するものにすぎない。 また、Bのうち「独占」との表現は、明らかに一般用語であって、表現上の創作性はない。 さらに、Bのうち「映画村」との表現についても、ある特定の限られた分野又は共通の利害関係を有する一定の社会的集団を「○○村」と表現することは経験則上一般にみられるありふれた表現であって、これに、わずか3字からなる単語にすぎないことも併せると、この表現自体が著作権法上保護すべき創作的な表現であると認めることはできない。この点に関して原告は、被告記事では「映画村」(movie village)という表現に引用符の「“”」が用いられ、「原発村から派生した造語」との注釈まで付されていることを指摘するが、引用符及び注釈の付記によって直ちに被告が著作権法上の創作性を自認したことにはならないというべきであるから、原告の指摘は上記判断を左右するに足りない。 したがって、被告各表現は、原告の主張によっても、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において原告各表現と同一性を有するにすぎず、表現上の本質的な特徴の同一性を維持したものとは認められないから、被告各表現が原告各表現を翻案したものであるということはできない。 2 争点(1)イ(同一性保持権侵害の成否)について 上記1において説示したとおり、被告各表現が原告各表現の表現上の本質的な特徴の同一性を維持したものとは認められない以上、被告記事は、原告記事の表現上の本質的特徴を直接感得することができない別個の著作物であって、原告記事を改変したものということはできない。 したがって、被告記事によって、原告記事に係る原告の同一性保持権が侵害されたということはできない。 3 争点(1)ウ(名誉・声望権侵害の成否)について この点に関し、原告は、被告記事の中に「それにもかかわらず、未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており、映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事のようなものになっている。そして、今回それを行ったのが映画プロデューサーの甲であった」として原告記事を紹介していることが、日本の映画産業発展のための生産的議論にすることを目的とした原告の意図と著しく異なる意図を持つものとして受け取られる可能性があることを理由として、原告の名誉・声望権を侵害すると主張する。 しかし、著作権法113条6項の「名誉又は声望を害する方法」とは、単なる主観的な名誉感情の低下ではなく、客観的な社会的、外部的評価の低下をもたらすような行為をいい、対象となる著作物に対する意見ないし論評などは、それが誹謗中傷にわたるものでない限り、「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するとはいえないというべきところ、原告が指摘する被告記事の上記表現部分は、被告記事の著者の原告記事に対する意見ないし論評又は原告記事から受けた印象を記載したものにすぎず、原告又は原告記事を誹謗中傷するものとは認められないから、たとえ、被告記事の表現によって、原告の意図と著しく異なる意図を持つものとして受け取られる可能性があるとしても、そのことをもって、原告の「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」と認めることは相当でないというべきである。 したがって、被告記事によって、原告記事に係る原告の名誉・声望権が侵害されたということはできない。 4 争点(2)ア(社会的評価の低下の有無)について (1) 被告記事のうち、原告に関して記載された部分は、原告によれば以下のとおりである(甲1)。なお、文中の「甲」ないし「乙」とは原告を指す。また、訳文につき争いある部分には下線を付した上、被告の主張する訳文を〔〕内に付記してある。 「…今年の東京国際映画祭は過去の失敗から学び、再び映画を中心に考え、大幅に改善されたイベントを開催する明確な努力がはっきりと表れていた。 それにも関わらず、未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており、映画祭に対する〔関する〕厳しい批判は毎年の恒例行事となっている。そして今回それを行ったのが映画プロデューサーの甲である。彼はプレジデントオンラインの記事において、東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”(“原子力村”から派生した造語)のせいだと批判し〔に責任があるとし〕、映画産業の既得権益に触れた。 乙は2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社、巨大広告代理店の電通、大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した。これらの大企業が日本の“コンテンツ”輸出のためのプロモーションばかりに使われ、文化政策にそれほど使われない政府のクールジャパン政策の恩恵のほとんどを享受している。」 (2) 原告は、被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させるものであると主張し、その理由として、概要、@被告記事には原告が「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」と述べた旨の記載があるが、原告記事にはそのような表現、論述は一切存在しないこと、A被告は大幅な要約を行ったこと、との2点を挙げる。 しかし、新聞、雑誌等への記事の掲載が人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきところである(最高裁昭和29年(オ)第634号同31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁参照)。そうすると、被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、被告記事それ自体についての一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきことになるのであって、原告記事に同様の表現、論述が存在しないとか、被告記事がこれを大幅に要約したなどという事情は、被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させるものであることの理由とはなり得ない。原告の上記主張は、それ自体失当であるといわざるを得ない。 そして、念のために検討しても、被告記事は、原告が「東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”のせいだと批判し、映画産業の既得権益に触れた」ものであり(原告の訳文による。)、「2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社、巨大広告代理店の電通、大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した」というものにすぎないのであって、原告がこのような批判や指摘をした旨の紹介自体が、一般読者の普通の注意と読み方とを基準とした場合に原告の社会的評価を低下させるものと認めることはできない。 したがって、被告記事が原告の社会的評価を低下させるものであるとの原告の主張は理由がなく、被告記事による名誉毀損は成立しない。 5 争点(2)イ(真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否)について 上記のとおり被告記事による名誉毀損は成立しないところであるが、事案に鑑み、争点(2)イ(真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否)についても検討する。 (1) 他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠く(最高裁昭和60年(オ)第1274号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。そして、意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、上記著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである(最高裁平成6年(オ)第1082号同10年7月17日第二小法廷判決・集民189号267頁参照)。 (2) 上記4(2)のとおり、原告は、被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させた点として、@原告が「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」と述べた旨の記載と、A大幅な要約が行われたとする点とを主張する。 ア そこで検討するに、被告記事のうち原告に関する部分(上記4(1))は、東京国際映画祭と日本の映画産業についての原告の意見を紹介するものであって、その内容自体からしても、公共の利害に関する事項について専ら公益を図る目的で掲載したことは明らかというべきである。 イ その上で、まず上記@についてみると、そもそも原告は、原告記事において「日本映画は大変不幸である。なぜなら日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ。今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが、その任務は映画芸術の祝福にはない。予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら、映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで、日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。」、「問題はこうしたクリエイティブ産業への支援が、現場に届かず、映画会社や広告代理店といった『映画村』の中で計画、実施されている点にある。」、「日本映画のために本当に必要なことは、製作現場に投資を呼び込む枠組みづくりである。…しかし日本は国際競争から取り残されている。」、「世界の映画産業はパラダイムシフトに入っている。世界市場の変化だけでなく、消費者行動の変化により、100年の歴史をもつ映画の概念が根本から変わろうとしている。その中においても、日本では国際的な実務能力をもたない『映画村』の人間たちが、政府から税金を引き出し、利権を貪っている。人を育むことを無視した政策こそ、日本映画産業の国際的な発展を大きく妨げている。」、「日本映画を次世代につなぐには、この利権構造との決別が急務である。」などとして、東京国際映画祭が日本映画産業や映画文化を育む機能を果たせておらず、人を育むことを無視した政策が日本映画産業の国際的な発展を妨げていると述べ、もって、東京国際映画祭と日本映画全般が国際的に不本意な地位にあるとの趣旨の評価、評論を行っていたところである(甲2)。 そうすると、原告記事には「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」といった表現は直接見当たらないものの、全体としてみると、被告記事における原告記事の引用紹介が正確性を欠くとまではいうことができない。 ウ また、上記Aについてみても、そもそも原告は被告記事が原告記事の「要約」であること自体は自認しているものである上、念のために検討しても、原告は原告記事において「主催する公益財団法人ユニジャパンの決算報告書(2014年度)によれば、東京国際映画祭の事業費は約10億9656万円である。このうち66.6%を占める7億3052万円は『委託費』となっている。」、「注目すべきはその非常に偏った委託先だ。2010年から14年の5年間では、KADOKAWAが広報宣伝事業、クオラスと北の丸工房が運営事業を、いずれも5年連続で委託されている。また12年より映画祭のオンラインチケット販売を担当している会社は電通の関係会社で、電通も13年を除くすべての年で委託を受けている。ユニジャパンの理事も広報事業と上映会場委託の東宝、歌舞伎座上映とイベント委託の松竹、メイン会場委託の森ビルなど、映画祭に近い特定の大企業の幹部という構成になっている。つまり健全な競争を排除した一定のグループが公益事業の運営、事業費を独占している。」などとして、平成26年度(2014年度)の東京国際映画祭の事業費の3分の2が企業に対する「委託費」となっていることを指摘していたところである(甲2)。 そうすると、被告記事は原告記事を大幅に要約したものであるとはいえ、全体としてみると、やはり被告記事における原告記事の「乙は2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社、巨大広告代理店の電通、大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した。」などといった引用紹介が正確性を欠くとまではいうことができない。 エ 加えて、被告記事のうち原告に関する部分(上記4(1))をみても、これが原告への人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものであるようにはおよそうかがわれない。 (3) 以上からすれば、被告記事に名誉毀損としての違法性があるということはできず、原告の名誉毀損に基づく請求は理由がない。 6 結論 よって、その余の点について判断するまでもなく、本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第40部 裁判長裁判官 東海林保 裁判官 古谷健二郎 裁判官 廣瀬孝 (別紙)謝罪文 平成27年11月13日付の朝日新聞デジタル AJW の記事『ONE TAKE ON JAPANESE CINEMA: Taking the good with the bad at the Tokyo International Film Festival』において、『プレジデント2015年11月2日号』クエスチョンタイムに掲載された映画プロデューサー甲さんの『なぜ東京国際映画祭は世界で無名なのか』の要約を甲さんの許諾を得ないまま掲載しました。 記事において、甲さんの表現上の目的とした事実を削除するなど意に反する形で要約が行われ、一部表現においては事実の誤りを掲載する改変を行い甲さんの人格、名誉、対外的信頼を毀損する歪曲表現がありました。 甲さんの記事は、運営費の大半が税金と公益性の高いイベントである東京国際映画祭の2010年から2014年までの5年間の事業費、映画祭を運営する公益財団法人ユニジャパンの理事の構成員と事業費の委託先の偏りを例に挙げ、日本の映画産業支援の問題点と映画産業現場に本当に必要な政府支援のあり方を論説したものです。 また記事の表現にある「日本映画のがっかりするような国際的地位」においては全く事実ではなく、甲さんはいかなる表現をもっても記事に掲載した意見は述べておりません。 当初、朝日新聞社は甲さんの再三の指摘に対して記事において事前の連絡は必要としていない、著作権侵害、および名誉侵害行為は行っていないと回答しました。あらためて甲さんならびに関係者の皆さまに深くお詫びいたします。 (別紙)著作物対比表
|
日本ユニ著作権センター http://jucc.sakura.ne.jp/ |