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【事件名】歴史小説の“参考文献”事件(2) 【年月日】平成28年6月29日 知財高裁 平成27年(ネ)第10042号 著作権侵害差止等請求控訴事件 (原審・東京地裁平成25年(ワ)第15362号) (口頭弁論終結日 平成28年4月18日) 判決 控訴人(一審原告) X 訴訟代理人弁護士 柳原敏夫 被控訴人(一審被告) 株式会社テレビマンユニオン 訴訟代理人弁護士 山本博 同 林千春 主文 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は控訴人の負担とする。 事実及び理由 用語の略称及び略称の意味は、本判決で付するもののほか、原判決に従う。 第1 控訴の趣旨 1 原判決中、主文第3項につき控訴人敗訴部分を取り消す。 2 被控訴人は控訴人に対し、3169万1341円及びこれに対する平成25年6月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要等 1 事案の概要 本件は、控訴人が、被控訴人が控訴人の著作物である原告各小説を無断で翻案ないし複製して被告各番組を制作して、控訴人が有する著作権(翻案権、複製権)及び著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)を侵害したと主張して、被控訴人に対し、著作権法112条1項に基づき、被告各番組の公衆送信及び被告各番組を収録したDVDの複製、頒布の差止めを求めるとともに、民法709条に基づく損害賠償金3200万円及びこれに対する平成25年6月26日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。 原審は、控訴人の請求のうち、被告番組1−3−1、被告番組2−5−6、被告番組3−4−6、被告番組4侵害認定表現部分及び被告番組5侵害認定表現部分が、それぞれ、控訴人の保有する原告各小説に係る著作権(複製権、翻案権)を侵害すると認めて、被告各番組の公衆送信の差止め、同番組を収録したDVDの複製又は頒布の差止め、及び、30万8659円の損害賠償金(遅延損害金を含む。)の支払について認容し、その余の請求を棄却した。 控訴人は、損害賠償金の支払が認められなかった部分についてのみ控訴した。 2 前提事実 原判決1頁25行目の「第1 請求」の前の行に、「事実及び理由」を加える。前提事実は、以下のとおり原判決添付別紙作品対照表(以下同じ。)1〜3を改めるほか、原判決第2「事案の概要」の1記載のとおりであるから、これを引用する。 (作品対照表1) @1頁「2、シークエンスの翻案」の番号1「被告番組1の表現」欄3行目「(9項27〜28行目)」を「(9頁27〜28行目)」に改める。 A2頁「原告小説1の表現」欄8行目「(21頁3〜7行目)」を「(21頁4〜8行目)」に改める。 B2頁「被告番組1の表現」欄18行目「(10項26〜27行目)」を「(10頁26〜27行目)」に改める。 C3頁「原告小説1の表現」欄13行目「(299頁10行目」を「(299頁11行目」に改める。 D3頁「被告番組1の表現」欄1行目「定信は、八代将軍」を「定信は八代将軍」に改める。 E3頁「被告番組1の表現」欄21行目「16項5〜10行目」を「16頁5〜10行目」に改める。 F4頁「原告小説1の表現」欄25行目「書き出した。」を「書きだした。」に改める。 G4頁「原告小説1の表現」欄36行目「書き出した。」を「書きだした。」に改める。 H5頁「原告小説1の表現」欄9行目「米切手と村高(田畑)」を「米切手と相応の村高(田畑)」に改める。 (作品対照表2) @2頁「被告番組2の表現」欄4行目「安倍」を「安部」と改める。 A2頁「原告小説2の表現」欄27行目「いうがままに」を「いうがままの」、29行目「割かれた」を「割かされた」、30行目「割かれる」を「割かされる」と改める。 B3頁「原告小説2の表現」欄6行目「(31頁12〜13行)」を「(31頁13〜14行目)」と改める。 C6頁「原告小説2の表現」欄31行目「貴書様」を「貴所様」と改める。 D7頁「3 人物設定の翻案」の「原告小説2の表現」欄2行目「(31頁3行目)」を「(31頁4行目)」と改める。 E9頁「4 エピソードの翻案」の「被告番組2の表現」欄2〜3行目「アメリカ官吏の」を「アメリカ国官吏の」と改める。 F10頁「原告小説2の表現」欄22行目「いうがままに」を「いうがままの」、24行目「割かれた」を「割かされた」と改める。 (作品対照表3) @2頁「被告番組3の表現」欄3行目「挙げ句」を「揚げ句」と改める。 A2頁「被告番組3の表現」欄16行目「(8頁25〜26行目)」を「(8頁24〜25行目)」と改める。 B4頁「原告小説3の表現」欄19行目「(147頁6行目)」を「(147頁5〜6行目)」と改める。 C4頁「被告番組3の表現」欄18行目「(13頁10〜11行目)」を「(13頁9〜10行目)」と改める。 D5頁「原告小説3の表現」欄28行目「しなかければならない。」を「しなければならない。」と改める。 E6頁「被告番組3の表現」欄13行目「(8頁17〜20行目)」を「(8頁16〜19行目)」と改める。 F7頁「被告番組3の表現」欄1行目「(4頁15〜18行目)」を「(4頁14〜17行目)」と改める。 G7頁「被告番組3の表現」欄13行目「(8頁14〜16行目)」を「(8頁13〜15行目)」と改める。 H7頁「被告番組3の表現」欄18行目「(13頁22〜23行目)」を「(13頁21〜22行目)」と改める。 I7頁「被告番組3の表現」欄23行目(「15頁27〜28行目」)を「(15頁26〜27行目)」と改める。 第3 争点及びこれに関する当事者の主張 争点及びこれに関する当事者の主張は、原判決5頁16〜17行目「(最高裁平成13年6月28日判決)」を「(最1小判平成13年6月28日・民集55巻4号837頁)と改め、次のとおり、当審における主張を追加するほか、原判決第2「事案の概要」の3及び第3「争点に関する当事者の主張」の1〜4記載のとおりであるから、これを引用する。 1 争点(1)のうち、シークエンスの翻案について (控訴人) (1) ストーリーとは、一般的に「小説・脚本・映画などの筋又は筋書」であり、筋とは「話の骨組み・しくみ」である。「話の骨組み」とは、登場人物に関する個々の行動や出来事を複数組み合わせて、1つの流れとして捉えることである。複数の出来事の組合せがストーリーであるためには、個々の出来事に5つのW(誰が、いつ、どこで、何を、なぜ)が備わっていることが必要である。控訴人が主張する「原告各小説の各シークエンスを構成する各出来事」は、いずれも5つのWを備えた表現であるから、「原告各小説のシークエンスのストーリー」は、ストーリーの要件を満たすものである。したがって、これは、「思想、アイデア、事実にすぎない」とはいえない。 (2) ストーリーが作られるためには、そのストーリーの主題(テーマ)に沿って、その主題にふさわしい題材(素材)が選ばれ、調整される。こうして選択され、調整された題材(素材)が、ストーリーの要素である。例えば、原告小説1−2−1のシークエンスであれば、このシークエンスのストーリーの主題は「田沼が家治の日光社参実現に深くかかわった」であるので、この主題に沿って、この主題にふさわしい題材(素材)が選ばれ、調整される。こうして選択され、調整された題材(素材)が、このシークエンスのストーリーの要素となるのである。 (3) 控訴人は、シークエンスのストーリーの要素として「登場人物の出来事」について主張しているが、これを、ストーリーの要素から切り離して、個々に控訴人の創作であると主張するものではない。ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があると主張するものである。 (4) 物語一般におけるストーリーのスタイルには、@直線的ストーリー(単純構成)と、A断続的ストーリー(複雑構成)とがある。 @直線的ストーリー(単純構成)は、ストーリーの基本的なスタイルであって、「王が死んだ。その悲しみのため妻が死んだ。そして・・・」と第1の事件が第2の事件の原因となり、更に第2の事件が第3の事件の原因となって、次々と第4、第5と発展していく形、すなわち、直線的に一貫していくスタイルである。 A断続的ストーリー(複雑構成)は、直線的ストーリーのように、第1、第2、第3というような規則的な順序をとらず、第1の事件の進行の途中において別の事件が侵入してきて、前の事件がいったんそこで中断されたかのごとき印象を与え、そして、再び前の事件に戻り進行する。この断続的な事件の展開が適宜にくり返されて、結局はいくつかの事件(挿話)が入り乱れながら、しかも、そこに一定の秩序を保ちつつ主題の解明に向かって進んでいくというスタイルである。 原告小説1〜3は、いずれも中編以上の小説であり、そのストーリーのスタイルは、断続的ストーリー(複雑構成)である。したがって、原告小説1〜3の各シークエンスの部分でも、控訴人が主張する主系のストーリーのみならず、その途中で傍系の挿話が挿入されることがあるのは当然である。傍系の挿話が挿入されたからといって、それによって控訴人が取り上げる主系のストーリーが損なわれたり、否定されるものではない。 したがって、控訴人が主張する「両作品のストーリーの類似性」とは、原告各小説の各シークエンスに描かれている主系のストーリーと傍系のストーリーのうち、主系のストーリーに着目して、これを取り上げ、主系のストーリー(厳密には、主系のストーリーの全部又は主要な部分)が被告各番組のストーリーと類似していると主張しているものである。それ以上に、原告各小説に描かれた傍系のストーリー・挿話の類似性まで問題としているのではない。 (5)ア 控訴人は、原審で主張した著作権侵害のうち、シークエンスの翻案について、本判決添付別紙作品対照表(以下同じ。)1A〜3Aの太字ではない部分のとおり改める。表中、斜字体の部分が、原審で取り上げた原告各小説及び被告各番組の表現と異なるものである。 イ 上記変更前の、控訴人のシークエンスの翻案に関する主張において、シークエンスのストーリーとして取り上げた記述の、原告各小説における配列と、控訴人の主張における配列との間に、齟齬があったことは、認める。その理由は、上記(2)記載の検討が不十分だったからである。 ウ 上記変更前後で異ならない、原告小説3−2−1、原告小説3−2−3及び原告小説3−2−4のストーリーの特定は、以下のように行った。 (ア) 原告小説3−2−1 原告小説3−2−1におけるストーリーの主題は、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」である。したがって、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「利子の踏み倒し」の導入部分を取り上げた。それが「重豪が利払いの停止を決めた」であり、これがストーリーの要素(a)である。 次に、主題の展開として、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その具体化を取り上げた。それが「重豪がその担当者不在に悩む」であり、これがストーリーの要素(b)である。 次に、主題の展開の続きとして、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その具体化の続きを取り上げた。それが「重豪が悩んだ末、金方物奉行に命じる」であり、これがストーリーの要素(c)である。 次に、主題の展開の続きとして、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、踏み倒しに対する貸主のリアクションを取り上げた。それが「銀主が借金踏み倒しに対し、融資をストップ」であり、これがストーリーの要素(d)である。 次に、主題の結末として、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その結果を取り上げた。それが「銀主の融資ストップに対し、重豪の完敗」であり、これがストーリーの要素(e)である。 以上のストーリーの要素(a)〜(e)は、原告小説3の記述の順番どおりである。したがって、原告小説3−2−1のストーリーの要素の配列は(a)〜(e)の順番である。 (イ) 原告小説3−2−3 原告小説3−2−3におけるストーリーの主題は、「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」である。したがって、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「利子の踏み倒し」の導入部分を取り上げた。それが「重豪が利払いの停止を決める」であり、これがストーリーの要素(a)である。 次に、主題の展開として、「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その具体化を取り上げた。それが「重豪が『つなぎ資金の確保』に悩むが、担当を笑左衛門に命じる」であり、これがストーリーの要素(b)である。 次に、主題の結末として、「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その結果を取り上げた。それが「笑左衛門が出雲屋孫兵衛と出会い、つなぎ資金を確保」であり、これがストーリーの要素(c)である。 以上のストーリーの要素(a)〜(c)は、原告小説3の記述の順番どおりである。したがって、原告小説3−2−3のストーリーの要素の配列は(a)〜(c)の順番である。 (ウ) 原告小説3−2−4 原告小説3−2−4における構成の主題は、「笑左衛門と孫兵衛の薩摩藩の再建策」である。したがって、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「再建策」の第1のステップを取り上げた。それが「新たに第二会社設立、事業を引継ぐ」であり、これが構成の要素(a)である。 次に、主題の第2のステップとして「薩摩藩を整理会社とし、そこに借金を凍結させる」であり、これが構成の要素(b)である。 以上の構成の要素(a)〜(b)は、原告小説3の記述の順番どおりである。したがって、原告小説3−2−4の構成の要素の配列は(a)〜(b)の順番である。 (6) 原審においては、原告各小説と被告各番組のストーリーの中身について実質的には審理されておらず、控訴審の平成27年9月以降、実質的な審理が開始されたものであるから、その後まもなく提出された控訴人の主張の変更は、時機に後れたとはいえず、後れたとしてもそのことにつき控訴人に故意又は重過失がなく、変更後の主張について審理することが訴訟の完結を遅延させるものでもない。 (被控訴人) (1) 控訴人が、控訴審において、シークエンスの翻案についての選択する記述及び配列を修正をすることは、時機に後れた攻撃防御方法であって許されない。 (2) 修正後の配列は、歴史上の事実を普通に配列したにすぎないものであり、格別の独創性や創作性は認められない。 また、原告各小説においては、配列間に控訴人のいうシークエンス又はストーリーとは無関係な記述が多く存在し、原告各小説と被告各番組との配列が異なる部分もある。控訴人は、本訴提起時より一貫して、ストーリーの創作性はストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方にあると主張してきたのであるから、番組の配列に合わせて個々の出来事に関する記述部分と配列を控訴審の最終準備書面に至って変更したことは、創作性がないことを自認したものといわざるを得ない。 被控訴人の、配列に関する主張及び表現が異なることに関する主張は、本判決添付別紙作品対照表1A〜3Aの太字部分のとおりである(例えば、原告小説1−2−1は別紙1Aの原告小説1の表現欄の番号1に該当する。以下同じ。)。 (3) 控訴人の変更前の主張においては、ストーリー又はシークエンスの中には、章を隔て、又は、ストーリーの間に数十頁から200頁にも及ぶ間隔を持つものもあり、更には、各ストーリー間に別の事実等についての記述があることから、これをもってまとまりのあるものということはできない。各ストーリー間の記述は、本判決添付別紙(以下同じ。)1B−2、2B−2及び3B−2の太字部分のとおりである(例えば、原告小説1−2−1は別紙1B−2の原告小説1の表現欄の番号1に該当する。以下同じ。)。 原告各小説と被告各番組とでは、ストーリーの配列を異にする部分があり、この部分の類似性は否定されるべきである。ストーリーの配列が異なるものは、原告小説1−2−1、原告小説1−2−2、原告小説1−2−3、原告小説2−2−1、原告小説2−2−2、原告小説2−2−3、原告小説3−2−2及び原告小説3−2−5であるが、その詳細は、別紙1B−1、2B−1及び3B−1の太字部分のとおりである(例えば、原告小説1−2−1は別紙1B−1の「原告小説1の表現」欄の番号1に、原告小説2−2−1は別紙2B−1の「1、シークエンスの翻案」の「原告小説2の表現」欄の番号1に、原告小説3−2−1は別紙3B−1の「1、シークエンスの翻案」の「原告小説3の表現」欄の番号1に該当する。以下同じ。)。 原告各小説と被告各番組とは、表現方法と表現自体を異にするから、類似性があるとはいえない。被告各番組において、原告各小説との類似性や同一性が問題になるのは、ナレーションとドラマ・ロケ部分であるが、控訴人がいう個々のストーリー部分は、原告各小説が文字を表現方法とするものであるのに対し、被告各番組の当該部分はナレーション又は再現劇による表現方法である。具体的な表現方法の違いは、別紙1B−1、2B−1及び3B−1の太字部分のとおりである。 2 争点(1)のうち、人物設定の翻案について (控訴人) 登場人物に具体的な「性格、思想、道徳、経済観念、経歴、境遇、容姿等」を与えておれば、著作権法で保護する人物設定であるといえる。原告小説2の6人の登場人物についての人物設定はいずれも、著作権で保護する人物設定の要件を満たすものである。 (被控訴人) 原告各小説と被告各番組の表現は、別紙2B−1及び3B−1の太字部分のとおり、その共通性を欠き、本質的特徴に類似性や同一性があるとはいえない。 3 争点(1)のうち、エピソードの翻案について (控訴人) 控訴人が主張する原告各小説の各エピソードは、5つのWを備えた個々の行動や出来事を複数組み合わせたものであるから、翻案権の保護範囲であるストーリーであるといえる。なお、原告小説3−3−3は、ストーリーではなく構成であり、被控訴人がこれを無断利用したことが翻案権侵害となる。 (被控訴人) 原告小説と被告番組の表現は、別紙2B−1及び3B−1の太字部分のとおり、その共通性を欠き、本質的特徴に類似性や同一性があるとはいえない。 4 争点(1)のうち、複製権侵害について (控訴人) (1) 被控訴人は、原告各小説を部分複製して被告各番組を制作した。部分複製とは、まとまりのある創作的な外面的表現形式の一部分をそのまま利用することをいう。 (2) 原告小説1について ア 原告小説1−4−1について 原判決は、両作品の共通部分についての表現の選択の幅は極めて狭く、ごくありふれた表現にすぎないから、創作的な表現ではないとした。 しかし、@「蟄居の内容」を表現するために、他に様々な表現が可能があり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、A同じ状況の同じ場面を「日中でも雨戸をとざして一室にひきこもらなければならない。事実上の幽閉である」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがない。したがって、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説1の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 イ 原告小説1−4−2について 原判決は、両作品の共通部分はごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとする。 しかし、@「田沼の功績と長く語り継がれるような事業」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、A同じ状況の同じ場面を「“あれは田沼様のなされたこと”と後世長く語り伝えられるような」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがない。したがって、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説1の個性的な表現が共通しているものであり、それゆえ複製である。 (3) 原告小説2について ア 原告小説2−5−1について 原判決は、両作品の共通部分は短文であり、表現の選択の幅は狭く、ごくありふれた表現であるから、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@短文で言語著作物と認められる俳句の文字数は17文字であり、被告番組2の表現「日本の行く末を間違わぬように舵をとらねば」は、17文字以上あるから、これが著作物性が認められるだけのまとまりを満たしていることは明らかであり、A「岐路に立っている日本国をしっかり統治しようと思いを新たにする堀田の内心」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は狭いとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「行く末を誤らないように舵をとろう」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 イ 原告小説2−5−2について 原判決は、両作品の共通部分は短文であり、表現の選択の幅が狭く、ありふれた表現であるので、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@原告小説2の表現「下総佐倉の堀田備中守に白羽の矢を立てた」は、17文字以上あるから、これが著作物性が認められるだけのまとまりを満たしていることは明らかであり、A「多くの候補者の中で、これぞと思う人物としてとくに堀田が選び定められたこと」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は狭いとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「白羽の矢を立てた」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 ウ 原告小説2−5−3について 原判決は、両作品の筋立ては共通しているが、原告小説2では「御用召の奉書」との用語が用いられているのに対して、被告番組2では「登城の連絡」との用語が用いられており、具体的表現において共通性はほとんどないとした。 しかし、著作物の複製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいい、ここでいう同一性の程度は、完全に同一である場合のみならず、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない、実質的に同一である場合も含むと解されている。そして、@筋立て以外にも、原告小説2−5−3の「どさくさに紛れて」と被告番組2−5−3では「どさくさに紛れるように」が共通しており、A「登城せよ」という通達を表わす用語は「御召」であり、これを陸軍用語である「連絡」に置き換えることは違法な改変行為に該当する。以上の@とAを総合すれば、両作品の表現形式の同一性は、実質的に維持されていると認められる。 また、B「地震の折に、堀田に登城せよと通達をだすこと」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は狭いとはいえず、C同じ状況の同じ場面を「どさくさに紛れて堀田の人事を発令しようとした」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品は具体的表現において共通性を有し、その共通部分は多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 エ 原告小説2−5−4について 原判決は、両作品の共通部分はごく短文であり、表現の選択の幅がほとんどなく、就任時のありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@被告番組2の表現「何分にもよろしくお頼み申す」は、俳句の17文字分あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A「就任時の挨拶」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅がほとんどないとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「何分にもよろしく」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 オ 原告小説2−5−5について 原判決は、両作品の筋立ては共通しているが、比較的短い文章で表現しているにすぎず、両作品は具体的な表現において異なるとした。 しかし、一文ごとに対比すれば、被告番組2は原告小説2の表現のうち一部を省略している以外は共通している。この意味で、多少の省略(増減)が加えられているにしても、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。 そして、両作品の共通部分が原告小説2の個性的な表現であることも明らかであり、複製である。 カ 原告小説2−5−7について 原判決は、両作品の共通部分は極めて短文であり、表現の選択の幅がほとんどなく、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@両作品の共通部分は優に俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A「外交を担当したいと申し出ること」を正確に表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅がほとんどないとはいえない。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 キ 原告小説2−5−8について 原判決は、両作品の共通部分はありふれた表現であり、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@「堀田と阿部の関係について」表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、A同じ状況の同じ場面を「阿部は次席。とはいうものの実権は阿部にある。」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、すなわち個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 ク 原告小説2−5−9について 原判決は、両作品の共通部分は極めて短文であり、表現の選択の幅は極めて狭く、ごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@両作品の共通部分は、俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A「隠居(斉昭)に介入させずに条約調印を推進すること」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「ぐうの音もいわさずに」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 (4) 原告小説3について ア 原告小説3−4−1について 原判決は、両作品の共通部分は歴史上の事実にすぎず、5か所の相違点があり、両作品は具体的な表現において異なるとした。 しかし、原告が参考にした「幕末の薩摩」(乙30)の記述と対比すると、両作品が具体的な表現においていかに共通しているかが明らかである。したがって、多少の修正、増減、変更等が加えられているにしても、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。 そして、両作品の共通部分が原告小説3の個性的な表現であることも明らかであり、複製である。 イ 原告小説3−4−2について 原判決は、両作品の筋立ては共通しているが、長文の文章である原告小説3と比較的短い文章で表現している被告番組3の両者は、具体的な表現において異なるとした。 しかし、原告が参考にした「幕末の薩摩」(乙30)の記述と対比すると、両作品が具体的な表現においていかに共通しているかが明らかである。したがって、多少の修正、増減、変更等が加えられているにしても、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。 そして、両作品の共通部分が原告小説3の個性的な表現であることも明らかであり、複製である。 ウ 原告小説3−4−3について 原判決は、両作品の共通部分はごく短文であり、表現の選択の幅がほとんどなく、ごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではない、また、両作品は具体的な表現において異なるとした。 しかし、@両作品の共通部分は、俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A被告番組3−4−3に原告小説3−4−3と一致しない部分があるとしても、それは多少の修正、増減、変更等が加えられているものであり、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。 また、B当時、公の席で、舅が婿にひれ伏すという決まりごとはなく、原告小説3−4−3は原告の創作(フィクション)である。したがって、フィクションについてどう表現するかは様々な表現が可能であり、表現の選択の幅がほとんどないとはいえず、C同じ状況の同じ場面を「舅が聟にひれ伏す」「気をきかせて隠居し」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説3の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 エ 原告小説3−4−4について 原判決は、両作品の共通部分は極めて短文であり、表現の選択の幅が極めて狭く、3つの表現はごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとした。 しかし、@両作品の共通部分は、俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A共通部分として、さらに、「衣服や金目の物は売りつくされ」があり、B「薩摩藩邸の悲惨な状況」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、C同じ状況の同じ場面を「痩せこけたからだ」「すりきれた衣服」、「草は伸び放題」「衣服や金目の物は売りつくされ」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説3の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。 (被控訴人) 原告各小説と被告各番組の表現は、別紙2B−1及び3B−1の太字部分のとおり、表現の共通性を欠き、本質的特徴に類似性や同一性があるとはいえない。 第4 当裁判所の判断 1 控訴人の主張の変更について (1) 控訴人は、当審において、原審で主張した著作権侵害のうち、「シークエンスの翻案」の一部について、各ストーリーを構成する表現の内容を変更した。具体的な変更の内容は、別紙作品対照表1A、2A及び3Aの斜字体で記載したとおりであるが、次の箇所において原告各小説及び被告各番組から抜粋する記述を変更し、そのために、記述されている出来事の内容が変更され、あるいは、原告各小説及び被告各番組における抜粋箇所の配列が変更されている。 @ 原告小説1−2−1 (a)、(b)及び(c) 被告番組1−2−1 (a) A 原告小説1−2−2 (a) B 原告小説1−2−3 (d) 被告番組1−2−3 (d) C 原告小説2−2−1 (a)、(d)及び(e) 被告番組2−2−1 (a)及び(e) D 原告小説2−2−2 (b)及び(d) 被告番組2−2−2 (b)及び(c) E 原告小説2−2−3 (f)及び(i) 被告番組2−2−3 (i) F 原告小説3−2−1 (c)及び(d) G 原告小説3−2−2 (b) 被告番組3−2−2 (b)及び(c) H 原告小説3−2−5 (c)及び(d) これに対して、被控訴人は、控訴人において、シークエンスの翻案についての選択する記述及び配列を修正することは、時機に後れた攻撃防御方法であって、許されない、と主張する。 (2) そこで、検討するに、控訴人の著作権侵害の主張は、原告各小説の各ストーリーを構成する表現によって示された出来事の選択とその配列に創作性が認められることを前提とするところ、原告各小説の各ストーリーを構成する表現を変更することは、創作性の根拠となる、選択した「出来事」及び「配列」を変更することであり、創作性の有無の判断対象が異なることとなるから、変更部分について、創作性の有無に関する審理を再び行わなければならない。また、控訴人は、被告各番組の各ストーリーが、対応する原告各小説の各ストーリーに類似していると主張するものであるから、原告各小説及び被告各番組の各ストーリーを構成する表現を変更することは、類否に関する審理も再び行うこととなる。上記変更が、当審の第4回弁論準備手続期日(平成28年1月18日)においてなされたこと、本件訴訟の提起は平成25年6月12日であったこと、上記変更までに既に2年6か月も審理が継続されており、上記変更を除けば当事者の主張立証はほぼ尽きていたことからすれば、上記変更は時機に後れて提出した攻撃の方法といえ、上記変更を許せば創作性の有無及び類否に関する審理を再び行わざるを得ず、これにより訴訟の完結を遅延させることが明らかである。原告である控訴人は、訴訟提起時に、創作性があると主張する著作物を特定し、被控訴人の侵害行為を特定すべきであるし、本件において、かかる特定が訴訟提起時において出来なかった事情も認められないから、上記変更が時機に後れたことにつき、控訴人に故意又は重大な過失があるというべきである。 したがって、控訴人の上記変更の主張は、時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきものである。 (3) これに対して、控訴人は、原審において原告各小説と被告各番組のストーリーの中身については実質的に審理されておらず、当審の平成27年9月以降審理が開始されたものであるから、上記変更は時機に後れたものではないと主張する。 しかし、原審においても、原告各小説の各ストーリーの創作性については、原判決別紙主張対照表の「原告の主張」欄及び「被告の主張」欄に創作性に関する主張及び反論が摘示されているとおり、原告各小説の各ストーリーと被告各番組の各ストーリーとの類否については、原判決別紙主張対照表の「原告の主張」欄及び「被告の主張」欄に類似性に関する主張及び反論が摘示されているとおり、実質的に審理されていたものである。控訴人の主張には、理由がない。 また、控訴人は、時機に後れたことについて故意又は重過失がないと主張する。 しかし、控訴人は原告であり、創作性のある自らの著作物及び自らの著作権を侵害したと主張する被控訴人の著作物を特定した上で訴訟提起したというべきであるし、創作性のある著作物を変更し、類似していると主張する被控訴人の著作物を変更することは、請求の根幹を覆すものであるから、控訴審である当審の終了間際にかかる変更を主張することが時機に後れていることについて、故意又は重過失がないとはいえない。控訴人の主張には、理由がない。 2 争点(1)のうち、シークエンスの翻案について (1) 翻案について ア 言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案に当たらないというべきである(最1小判平成13年6月28日・民集55巻4号837頁参照)。 したがって、歴史上の事実や歴史上の人物に関する事実は、単なる事実にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないというべきである。他方、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が肯定されることがあり、事実の選択、配列や、歴史上の位置付け等が著作物の表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。 イ 本件において、控訴人は、原告各小説の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があると主張し、各ストーリーを構成する出来事に5つのWが備わっていれば、それを複数選択し、配列したものには、創作性があると主張する。 しかし、原告各小説は歴史を題材とした小説であるから、5つのWを備えた出来事を複数組み合わせて配列しただけでは、歴史上の事実等の経過を示したものにすぎないこと、あるいは、これらの事実等についての見解や歴史観を示すものにすぎないことがあるから、常に著作権法の保護の対象となるとはいえない。控訴人主張に係る各ストーリーに創作性があり、事実の選択や配列が表現上の本質的特徴を基礎付けるというためには、5つのWを備えた出来事を複数組み合わせて配列することだけでは足りず、少なくとも、事実の選択や配列に創作性が発揮されているといえなければならない。 以下、控訴人主張の各ストーリーについて個別に検討する。 (2) 控訴人は、上記のとおり、原告各小説の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があり、被告各番組の各ストーリーは、個々の出来事の選択とその配列において原告各小説のストーリーと類似しているから、被告各番組は原告各小説を翻案したものであると主張する。したがって、控訴人が選択したと主張する個々の出来事の記述が、控訴人主張の配列で原告各小説において記載されていることが前提となるべきものである。 しかし、控訴人が自認するとおり、控訴人の本件訴訟提起時には、原告小説1−2−1、原告小説1−2−2、原告小説1−2−3、原告小説2−2−1、原告小説2−2−2、原告小説2−2−3、原告小説3−2−2及び原告小説3−2−5のストーリーについては、以下のとおり、個々の出来事の記述の配列が、原判決別紙主張対照表に基づく控訴人主張と、実際の原告各小説(甲2〜4)とで異なっている。 @ 原告小説1−2−1 控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d) 原告小説1 (b)→(a)→(d)→(c) A 原告小説1−2−2 控訴人主張 (a)→(b)→(c)(1)→(c)(2) 原告小説1 (a)→(b)→(c)(2)→(c)(1) B 原告小説1−2−3 控訴人主張 (a)(1)→(a)(2)→(b)→(c)→(d)(1)→(d)(2) 原告小説1 (a)(2)→(a)(1)→(c)((d)(2)→(d)(1)は(c)に含まれている。)→(b) C 原告小説2−2−1 控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e)→(f)→(g) 原告小説2 (c)→(d)→(f)→(a)(1)→(g)(1)→(a)(2)→(b)→(g)(2)→(e)→(g)(3) D 原告小説2−2−2 控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e) 原告小説2 (a)→(b)→(d)→(c)→(e) E 原告小説2−2−3 控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e)→(f)→(g)→(h)→(i) 原告小説2 (a)→(b)→(c)→(i)(3)→(f)→(d)→(e)→(g)→(h)→(i)(1)(2) F 原告小説3−2−2 控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e) 原告小説3 (a)→(b)→(c)→(e)→(d) G 原告小説3−2−5 控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d) 原告小説3 (a)(1)→(a)(2)((d)(1)と同じ)→(a)(3)→(c)→(d)(2)→(b) よって、上記各ストーリーについては、控訴人の主張はその前提を欠き、失当である。 (3) また、控訴人は、被告各番組の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列が、原告各小説の各ストーリーを構成する創作性のある個々の出来事の選択とその配列に類似しているから、被告各番組は原告各小説を翻案したものであると主張する。 原告小説1−2−2は、上記(2)のとおり、(c)(1)と(c)(2)とを分けて考察する場合には、控訴人主張の配列と原告小説1における実際の配列とが異なるが、(c)全体をみた場合には、控訴人主張の配列と原告小説1における実際の配列とが一致するともいえる。そこで、原告小説1−2−2と被告番組1−2−2において、選択された個々の出来事とその配列とを比較すると、以下のとおりである(甲2、8)。 @ 原告小説1−2−2 (a)(田安家は幕府予算をくいつぶす存在だった。)→(b)(田沼、幕府の財政再建のため田安家取り潰しを狙う。)→(c)(将軍になれる可能性があった田安家の定信、これに激しく反発。) A 被告番組1−2−2 (b)(田沼、幕府の財政再建のため田安家取り潰しを狙う。)→(a)(田安家は幕府予算をくいつぶす存在だった。)→(c)(将軍になれる可能性があった田安家の定信、これに激しく反発。) このように、原告小説1−2−2と、被告番組1−2−2とでは、3つの出来事のうち、2つの配列が異なっている。仮に、原告小説1−2−2の事実の選択と配列に創作性があるとしても、被告番組1−2−2とでは、配列が大きく異なるから、両者が類似しているとはいえない。 控訴人の主張には、理由がない。 (4) 原告小説3−2−1について ア 控訴人主張の認定 原告小説3−2−1は、「重豪の利子踏み倒しの顛末」を主題とするものである。 控訴人の主張する、選択された出来事は、(a)島津重豪(「重豪」)、利払いの停止を決める、(b)重豪、その担当者不在に悩む、(c)重豪、悩んだ末、金方物奉行に命じる、(d)銀主、借金踏み倒しに対し、融資をストップ、(e)重豪、「完敗」、であり、これに対応する表現が、原判決別紙作品対照表3、2の番号1欄のとおり存在し、原告小説3及び被告番組3において上記(a)〜(e)の順に配列されていることが認められる(甲4、10)。 イ 原告小説3−2−1のストーリー及び創作性 (ア) 控訴人は、上記の配列を前提として、原告小説3−2−1のストーリーの要素は、主題「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」の発端として、その導入部分である(a)(重豪が利払いの停止を決めた)を取り上げ、主題の展開としてその具体化(b)(重豪がその担当者不在に悩む)を取り上げ、主題の展開の続きとしてその具体化の続き(c)(重豪が悩んだ末、金方物奉行に命じる)を取り上げ、主題の展開の続きとして踏み倒しに対する貸主のリアクション(d)(銀主が借金踏み倒しに対し、融資をストップ)を取り上げ、主題の結末として(e)(銀主の融資ストップに対し、重豪の完敗)を取り上げた、と主張する。また、控訴人は、原告小説3においては、断続的ストーリー(複雑構成)のスタイルがとられており、各シークエンスの部分でも、控訴人が主張する主系のストーリーのみならず、その途中で傍系の挿話が入ることは当然だが、それによって主系のストーリーが損なわれるものではない、と主張する。 (イ) しかし、原告小説3においては、重豪の利子踏み倒しに関して、重豪が樋口に借金踏み倒し計画を取り計らうように命じた((c)の表現)後、踏み倒し後に金策が出来なくなることを見越して金を蓄える方策を講じ、しかる後に樋口に実際に借金踏み倒しを宣言するよう指示し、その後は国元から送った産物を大阪で売りさばいて得た現金で経費をまかなうことにしていたものの、船の難破等によって当てが外れた、といった経緯が、調所が御小納戸勤となること、島津家と将軍家が次々に婚姻を重ねていることなどの事実を織り交ぜながら、約30頁にわたって記述され、その後に、(d)の表現である「借金踏み倒し宣言をし、手を切った以上、つなぎの融資はたのめない。」が出てくる。これらのうち、「利子踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」は、控訴人の主張する主題である「重豪の利子踏み倒しの顛末」に関連する出来事であるし、利子踏み倒しといった大胆な政策が、準備の上で行われたのか、それとも、ただ無謀に行われたのかといった歴史上の評価に直結し、ストーリー自体の印象を形作るから、ストーリーを構成するために選択された出来事であるといえる。 控訴人の主張には、理由がない。 (ウ) この点について、控訴人は、上記「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」は傍系のストーリーであるから、上記事実に関する表現の有無は、原告小説のストーリーと被告番組のストーリーとを比較対照するに当たって検討不要と主張するものと考えられる。 しかし、原告小説3−2−1の記述の過程に、控訴人の主張する主題である「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」に関連する出来事である、「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」について具体的かつ詳細な記載がされているから、これが、控訴人のいう、傍系の挿話とはいえない。また、かかる出来事は、上記(イ)で記載したとおり、控訴人の主張する、主題の展開として利子踏み倒しの具体化に関する事実であるし、ストーリー自体の印象に大きく影響するものであるから、ストーリーを構成するために選択された出来事であるといえる。 控訴人の主張には、理由がない。 (エ) さらに、控訴人は、原告小説3−2−1の創作性の際立った具体的内容は、第1に、利子の踏み倒しの過程(HOW)について、利払い停止後の対応で「適任の担当者不在に悩む」という重豪の内面を描き、第2に、そこからその後の展開(重豪の完敗)を描いた点にある、と主張する。 しかし、原判決別紙主張対照表3の1、番号1「当裁判所の判断」記載のとおり、重豪が利子を踏み倒した過程について、同人が利払い停止後の対応で、適任の担当者が不在であることに悩んだとする点は、著者の創作意図、アイデア又は歴史上の事実についての見解であり、上記利子の踏み倒しについて重豪を軸に置き、同人の上記のような内心を描いたとする点は、著者の創作意図又はアイデアにすぎないし、重豪の目論見どおりにいかず、完敗といってよい結果となったとする点も、著者の創作意図、アイデア又は歴史上の事実についての見解である。このような具体的表現から離れた著者の創作意図、アイデア又は歴史上の事実についての見解は、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 ウ 被告番組3−2−1のストーリーの認定 被告番組3−2−1のストーリーは、上記ア記載のとおり、(a)島津重豪(「重豪」)、利払いの停止を決める、(b)重豪、その担当者不在に悩む、(c)重豪、悩んだ末、金方物奉行に命じる、(d)銀主、借金踏み倒しに対し、融資をストップ、(e)重豪、「完敗」、である。なお、被告番組3においては、重豪が利子踏み倒しに当たって金策の手当てをしようとしたことや、これが失敗したからといって再度銀主に頼るわけにもいかず、財政が破たんしたということについては、一切触れられていない。(甲10) エ 原告小説3−2−1と被告番組3−2−1との比較 以上を前提として、原告小説3−2−1と、被告番組3−2−1とを比較すると、原告小説3−2−1で選択された出来事「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」が、被告番組3−2−1では選択されていない。そのため、原告小説3においては、重豪は、用意周到に準備した上で利子踏み倒しを計画、実行したにもかかわらず、船の難破等といった予想外の事情によって思惑が外れてしまったという筋書きとなっているのに対し、被告番組3−2−1においては、一方的に借金の踏み倒しをすればその後借りられなくなることは明白なのに、重豪は浅慮にもこれを実行してしまい、その結果、財政が破たんしたという筋書きとなっており、ストーリー全体から受ける印象が大きく異なる。 また、原告小説3−2−1は、全体が文庫本で41頁にもわたるのに対し、被告番組3−2−1は、テープ起こししたもので7行にすぎず、分量にも大きな差がある。なお、(a)〜(e)の配列は、上記「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」の出来事を除けば、原告小説3−2−1と被告番組3−2−1とで共通するが、配列自体は時系列に沿っていて、平凡である。 オ 以上より、原告小説3−2−1は、そこで選択された出来事として(a)〜(e)のみを掲げることが不適切であって、控訴人の主張するストーリーが原告小説3−2−1部分に記述されていると認められないから、控訴人の主張はその前提を欠いて失当である。 また、選択された出来事以外に主題と関連する出来事である、「重豪は、周到に準備した上で借金踏み倒しを計画、実行したにも関わらず、船の難破等といった予想外の事情によって思惑が外れてしまった」を加えると、@原告小説3−2−1と被告番組3−2−1とでは、主題に関連して選択された出来事が異なり、かかる異なる出来事はストーリー全体の印象を左右するものであり、A原告小説3−2−1及び被告番組3−2−1の分量の違いや、B配列自体が時系列に沿っていて平凡であることを併せて考慮すれば、仮に、原告小説3−2−1に上記異なる出来事を加えたものの出来事の選択と配列に創作性があるとしても、被告番組3−2−1は、原告小説3−2−1の表現上の本質的な特徴を直接感得させるとはいえない。 よって、被告番組3−2−1は、原告小説3−2−1を翻案したものとはいえない。 (5) 原告小説3−2−3について ア 控訴人主張の認定 原告小説3−2−3は、「2回目の重豪の利子踏み倒しの顛末」を主題とするものである。 控訴人の主張する、選択された出来事は、(a)重豪、利払いの停止を決める、(b)重豪、「つなぎ資金の確保」に悩むが、担当を笑左衛門に命じる、(c)調所、出雲屋孫兵衛(「孫兵衛」)と出会い、つなぎ資金を確保、であり、これに対応する表現が、原判決別紙作品対照表3、2の番号3欄記載のとおり存在し、原告小説3及び被告番組3において上記(a)〜(c)の順に配列されていることが認められる(甲4、10)。 イ 原告小説3−2−3のストーリー及び創作性 (ア) 控訴人は、上記の配列を前提として、原告小説3−2−3におけるストーリーの主題は「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」であり、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「利子の踏み倒し」の導入部分(a)「重豪が利払いの停止を決める」を取り上げ、次に、主題の展開として、その具体化(b)「重豪が『つなぎ資金の確保』に悩むが、担当を笑左衛門に命じる」を取り上げ、最後に主題の結果として(c)「笑左衛門が出雲屋孫兵衛と出会い、つなぎ資金を確保」を取り上げたものであるから、(a)〜(c)をストーリーを構成する出来事として選択したことは適切である、と主張する。 (イ) しかし、原告小説3においては、再度の借金踏み倒しに関して、重豪が調所につなぎ資金の確保を担当させることを決めた((b)の表現)後、調所に10万両作るように命じる経緯が記載され、さらに、調所が両替商をあちこち訪ねるが融資を受け付けてもらえない経緯が記載されており、最後に出雲屋を訪ねたという経緯を述べた後に、(c)の表現である「出雲屋孫兵衛は調所がたずねてくるのを待っていた。・・・」が出てくる。調所に10万両作るように命じる事実、及び、調所が両替商をあちこち訪ねる事実は、再度の利子踏み倒しに関連する事実である。したがって、原告小説3−2−3の(a)の記述から(c)の記述までの間のストーリーを構成する出来事として、(a)〜(c)のみを選択することは適切ではない。 しかも、原告小説3−2−3を構成する記述は23頁にわたっており、その中で、主題に関連する事実である、重豪が調所に対して10万両作るように命じる経緯が約6頁にわたり、調所が両替商をあちこち訪ねるが融資を受け付けてもらえない経緯が約8頁にわたり記載されており、この分量は、全体に対してそれぞれ、約4分の1及び約3分の1と相当多いといえる。したがって、これらの事実は、原告小説3−2−3のストーリーを構成する出来事であると認めるのが相当である。 控訴人の主張には、理由がない。 (ウ) また、控訴人は、原告小説3−2−3の、創作性の際立った具体的内容は、第1に、利子の踏み倒しの過程について、文化10年の踏み倒しの経験から学び、つなぎ資金調達の必要性を認識し、その担当者として調所しかいないという重豪の内面を描き、そこからその後の展開(つなぎ資金の確保)を描いた点、第2に、つなぎ資金調達の担当に命じられた調所が孫兵衛と出会い、両者を初めてつないで、その中でつなぎ資金を確保する展開を描いた点にある、と主張する。 しかし、上記第1の点については、後記ウのとおり、被告番組3において表現されていないから、仮に創作性があるとしても、被告番組3−2−3のストーリーが原告小説3−2−3のストーリーの表現上の本質的な特徴を直接感得させる理由とはならない。 また、上記第2の点については、以下のとおり、他の文献においても、調所が、孫兵衛と出会い、重豪との間を仲介し、その中でつなぎ資金を確保する展開を描いたものがあるから、控訴人の主張はその前提を欠き、失当である。 @「ここに、重豪は非常な決意をもって茶道頭調所笑左衛門を抜擢し、財政の改革に当らせることになりました。初め、調所に協力する商人は全くありませんでしたが、大阪の出雲屋浜村孫兵衛が調所の悲壮な決意に同情し、義侠により協力してくれることになりました。」(「島津歴代略記」。乙51の144頁) A「さて名案はできても、先立つものは資金である。調所の手始めの仕事は、大阪に出て改革資金を調達することから始まった。しかし、たびたび銀主たちに会って出金を依頼しても、それまでに何度も信用を失い、約束違反もしてきていたのだから、今さら引き受けてくれる者もいない。銀主たちに馬鹿にされたり、恥をかかされたり、とうとう相手になってくれる町人さえいなくなった。調所は、このままでは江戸に帰るわけにもいかず、今は腹を切る覚悟をさだめた。だが、“窮すれば通ずる”の譬もある世の中、朝から晩までソロバンをはじいて世渡りする銀主たちの中から、思いがけなくも調所の援助者が現われた。 海老原は、「其ノ儘江戸ニ帰リ復命スル事能ハズ、刀ノニ手ヲカケタル事度々アルニ及ンデ、浜村(判決注:孫兵衛のこと)等其ノ忠実ヲ憐ミ、平野屋五兵衛等ヲ語ラヒ新組ノ銀主ヲ設ケ、当座ノ用ヲ携ヘ江戸ニ出タルガ始ニテ・・・」と当時を伝えているが、大藩の重役が町人たちのはずかしめをじっと我慢して誠意をつくす姿、その死を決した真心には、さすがに人の心を動かすものがあったろうが、また一面において調所その人の人柄がもともと人の信を得るに足る充分な魅力を備えていたからでもあろう。」(「幕末の薩摩」。乙30の75〜76頁) B「(調所は)まず従来からの銀主に強く出銀を頼んだが、「皆共手切レノ御断リ申出又ハ不都合ノ儀ヲ申出」たので、是非に及ばず古銀主は断り、新銀主の依頼に取りかかった。ところがそれまで何度か借入金返済に違約があった末であるから、どんなに手堅く相談しても一切引受けず、時にうまく運ぶかと思ったものも急に手違いになったりした。何分以前のやり方を見て懲りているので、全然話にならず出銀を断ってしまう。だから再度当方の趣旨を理解してくれるよう頼むと、今度は「種々ノ難渋アルイハ聞キ捨テ難キホドノ事」もいい出し、その度に短気が起こったが、ここで短気を起こしては終りだと考え、残念ながら胸をおさえてひたすら出銀を頼み込んだ次第だとし、ソノ時分ハ実ニ寝食ヲ忘レ心痛ツカマツリタル儀ハ、今更筆舌ニモ尽シ難シ(『御改革取扱向御届手控』、以下『手控』と略称)という。海老原には死を覚悟したと話している。事実であろう。 この時どの段階で出雲屋孫兵衛に接触したかについては、調所は何も記していないが、調所は大いに孫兵衛を頼りにし、その協力を得ることに成功したものであろう。」(「調所広郷」。乙29の66頁。ただし、発行は原告小説3より後。)。 ウ 被告番組3−2−3のストーリー 被告番組3−2−3は、テープ起こしで11行にわたるものであるが、(b)の表現と(c)の表現との間に、「笑左衛門は両替屋を歩きまわった。「その時分は実に寝食を忘れ、心痛つかまつりたる儀は今さら筆舌にも尽くしがたし」。その苦労は死を覚悟するほどのものであり、なかなか成果が出なかった。」との表現が3行にわたって存在する。調所が両替商をあちこち訪ねる事実は、再度の借金踏み倒しに関連する事実であるし、被告番組3−2−3の約4分の1を占めている。したがって、被告番組3−2−3の(a)の表現から(c)の表現までのストーリーを構成する出来事として、(a)〜(c)のみを選択することは適切ではない。調所が両替商をあちこち訪ねる事実も、被告番組3−2−3のストーリーを構成する出来事であると認めるのが相当である。 エ 原告小説3−2−3と被告番組3−2−3との比較 (ア) 以上を前提として、原告小説3−2−3のストーリーと、被告番組3−2−3のストーリーとを比較すると、被告番組3−2−3においては、重豪が調所に10万両の調達を命じる経緯という事実が選択されていない点において、選択された出来事が異なる。 (イ) 仮に、(b)の出来事と(c)の出来事との間に、重豪の命に応じて「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」を挿入して、(a)→(b)→(調所が両替商をあちこち訪ねたこと)→(c)というストーリーであると理解した場合、原告小説3−2−3と被告番組3−2−3とでは、その選択した出来事と配列は共通することとなる。しかし、その配列は、時系列に沿っていて、平凡である。 しかも、その具体的表現をみると、特に、被告番組3−2−3における「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」に対応する表現のうち、「その時分は実に寝食を忘れ、心痛つかまつりたる儀は今さら筆舌にも尽くしがたし」は、文体が異なっていて特徴的であることに加え、「御改革取扱向御届手控」の表現(乙29の66頁)に酷似し、これに依拠したものと推認される。 (ウ) また、上記イのとおり、控訴人は、創作性の際立った内容は、利子の踏み倒しの過程について、文化10年の踏み倒しの経験から学び、つなぎ資金調達の必要性を認識し、その担当者として調所しかいないという重豪の内面を描き、そこからその後の展開を描いた点にあると主張する。 しかし、被告番組3においては、文化10年の踏み倒しに関する表現(被告番組3−2−1のストーリーに相当する。甲10の6頁4〜10行目)において、つなぎ資金の必要性について一切触れられていないため、被告番組3−2−3のストーリー中、つなぎ資金の確保の必要性を文化10年の踏み倒しの経験から学んだという点が表現されているとはいえない。したがって、仮に、つなぎ資金の確保の必要性を文化10年の踏み倒しの経験から学んだという表現に原告小説3−2−3の創作性があるとしても、被告番組3−2−3が原告小説3−2−3を翻案したものであると認める根拠にはならない。 なお、原告小説3−2−3の表現は、文庫本で23頁にもわたるのに対し、被告番組3−2−3の表現は、テープ起こししたもので11行にすぎず、分量が大きく異なる。 オ 以上より、原告小説3−2−3は、そこで選択された出来事として(a)〜(c)のみを掲げることが不適切であり、控訴人主張のストーリーが原告小説3−2−3部分に記述されているとは認められないから、控訴人の主張はその前提を欠いて失当である。 また、控訴人の主張する選択された出来事以外に、主題と関連する事実である「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」を加えたとしても、@配列は、時間の経過に沿っていて平凡であり、Aこれらの追加した事実に関する被告番組3における表現は、文体が異なり印象的で、他の文献に依拠したことが明らかである上、B控訴人がその他の創作性の際立った表現と主張する点は、被告番組3では表現されていないか、他の複数の文献に記載されていて著者の個性が表れているとはいえないものであり、Cこれに原告小説3−2−3及び被告番組3−2−3の分量の違いを併せて考慮すれば、仮に、原告番組3−2−3に上記「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」を加えて配列した表現に創作性があるとしても、被告番組3−2−3は、原告小説3−2−3の表現上の本質的な特徴を直接感得させるとはいえない。 (6) 原告小説3−2−4について ア 控訴人主張の認定 原告小説3−2−4は、「笑左衛門と孫兵衛の薩摩藩の再建策」についてのものである。 控訴人の主張する、選択された出来事は、(a)調所と孫兵衛、再建策の1つとして、新たに第2会社を設立、事業を引き継ぐ、及び(b)調所と孫兵衛、薩摩藩を整理会社とし、そこに借金を凍結させる、であり、これに対応する表現が原判決別紙作品対照表3、2の番号4欄記載のとおり存在し、原告小説3及び被告番組3において、上記(a)、(b)の順に配列されていることが認められる(甲4、10)。 イ 原告小説3−2−4のストーリー及び創作性 (ア) 控訴人は、原告小説3−2−4を構成する(a)及び(b)の2つの出来事を選択し、これを(a)、(b)の順に並べたことに創作性があると主張する。 しかし、(a)の表現で示された、新たに第2会社を設立して第2会社が事業を引き継ぐことと、(b)の表現で示された、薩摩藩を整理会社にして、そこへ借金を凍結することは、現在でも行われている、旧会社の債務を引き継がない新会社を設立してこれに事業譲渡をすることにより会社事業を再生させようとする手法の法的構成を説明したものである。したがって、2つの出来事を選択したというよりは、1つの事象を説明したにすぎないから、出来事の選択をしたとはいえない。仮に選択したといい得るとしても、その選択はありふれていて、著者の個性が表れているとはいえない。 また、選択した2つの出来事の配列の仕方は、2通りしかないことに加え、(a)の表現で示された出来事と(b)の表現で示された出来事との間には、時間的又は論理的な先後関係もないのであるから、(a)、(b)の順に並べることもありふれていて、著者の個性が表れているとはいえない。 (イ) さらに、控訴人は、創作性の際立った具体的内容は、薩摩藩の再建方法を、借金だらけの薩摩藩を整理会社にし、そこへ借金を凍結し、新たに第2会社(島津家)を設立し、第2会社が事業を引き継ぐ、という方式と捉え、そこから「薩摩藩の再建」のストーリー展開を描いた点にある、と主張する。 しかし、原判決別紙主張対照表3、1の番号4「当裁判所の判断」欄記載のとおり、薩摩藩の財政再建について、その方法として、多額の借金を負う薩摩藩を整理会社にして、そこへ借金を凍結し、新たに島津家という第2会社を設立して、これが薩摩藩の事業を引き継ぐとした、という点は、それ自体歴史上の事実にすぎず、「清算会社」、「第2会社」といった程度の比喩的な表現によって個性の表れとはいえないから、このような、歴史上の事実や、具体的表現から離れた著者の創作意図及びアイデア並びにこれらを含む一連の筋立てやストーリー性は、いずれも著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 (ウ) よって、原告小説3−2−4には、創作性がない。 (7) 以上のとおり、被告各番組が、原告各小説のシークエンスのストーリーの翻案に当たるとはいえない。 3 争点(1)のうち、人物設定の翻案について (1) 翻案について 上記2(1)のとおり、歴史上の事実や歴史上の実在の人物に関する記述は、単なる事実の羅列にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないといえる。他方、歴史上の事実等に関する記述であっても、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が肯定されることがあり、事実の選択、配列や、歴史上の位置付け等が、表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。 この点について、控訴人は、著作権法で保護する人物設定であるためには、登場人物に、具体的な「性格、思想、道徳、経済観念、経歴、境遇、容姿等」を与えればよいのであって、原告小説2の6人の登場人物についての人物設定はいずれも、かかる要件を満たすから、著作権法で保護されるべきものである、と主張する。 しかし、原告小説2の6人の登場人物は、いずれも歴史上の実在の人物であり、具体的な「性格」等を与えるだけでは、単なる歴史上の事実か、歴史上の事実等についての見解や歴史観にすぎないから、著作権法の保護の対象となるとはいえない。他方、人物設定に関する記述であっても、人物設定をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が肯定されることがあり、歴史上の位置付け等が表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。 以下、控訴人主張にかかる人物設定について、個別に検討する。 (2) 原告小説2−3−1(徳川斉昭) ア 徳川斉昭の人物設定を、烈公と敬称され鬼神をもひしぐ豪傑との評判と大きく違い、誰とでも見境なく争う人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現のうち、共通する表現である「誰とでも見境なく争う」は、相手との力関係などを考慮せずに浅慮にも争うことを表現するに当たっての、ありふれた表現である。したがって、共通する具体的表現に創作性があるとはいえない。 ウ よって、被告番組2−3−1は、原告小説2−3−1を翻案したものとはいえない。 エ なお、徳川斉昭が烈公と称されたことは歴史的事実にすぎないし(乙22)、誰とでも見境なく争う人物であったことは、以下のとおり、@「日本開国史」(乙21)、A「堀田正睦(二)」(乙46)及びB「堀田正睦」(乙47)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−1の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。 @「12月29日、川路聖謨・永井尚志が堀田老中の旨を受けて斉昭を訪うと、斉昭はひどく不機嫌で、「備中・伊賀ハ腹を切らセ、ハルリスは首を刎て然るべし。切つて仕廻へ」とどなった。」(288頁) A「もとより齊昭は、大名中の偉物にて、一人前の仕事ができぬ心配はない。否、一人前はおろか、十人前も百人前も、その才略も精力もあった。されど彼には一の大なる欠点があった。それは余りに智術・策略を用うると、余りに当坐の感情に任せて、前後の思慮もなく、それを打ち出すと、かつ余りにその熱中したる方面にのみ没頭して、かえって大局の安排・整調を破壊するを慮らざる癖があった。」(77頁) B「齊昭懿親の身を以て、具瞻の地に居る、其一挙一動、悉く天下國家に影響するをも顧みず、此濫言暴語を放ちて、自から快とす、世の固陋頑愚の徒、益々跋扈跳梁して憚からざる所以、實に是が為めのみ。」(527、528頁) (3) 原告小説2−3−2(堀田正睦) ア 控訴人は、堀田正睦の人物設定を、ランペキ(蘭癖)大名、西洋かぶれの大名ではなく、実務能力に長けた人物として描いたと主張する。 しかし、控訴人の主張する、原告小説2の対応する表現は、「忠固と乗全を罷免して・・・事務処理能力のある者を幕閣に迎えたい。阿部はごく自然にそう思った。・・・堀田備中守に白羽の矢を立てた。」であるから、ここでは、「ランペキ(蘭癖)大名、西洋かぶれの大名ではなく」といった人物設定は表現されていない。このように実際に表現されていない人物設定に係る控訴人の主張は、その前提がなく、失当である。 イ 堀田正睦の人物設定を、実務能力に長けた人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 ウ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。 エ よって、被告番組2−3−2は、原告小説2−3−2を翻案したものとはいえない。 オ なお、堀田正睦が事務処理能力ないし実務能力に長けていたという評価は、以下のとおり、@「幕末閣僚伝」(乙15)及びA「堀田正睦(三)」(乙16)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−2の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。 @「正弘が堀田正睦を外交掛専任の老中として入閣させようと決心したのは、二年前ペリーが来航したとき、諸大名に通商開始の可否についての意見書を出させたとき、通商開始の必要性を整然として述べてある、正睦の意見書を読んだときからであった。正弘の眼中には、門閥も派閥もなかった。二百年間の鎖国を放棄して、開国通商をせざるを得ない非常事態に直面している現在、外国との交渉を円満に、有利にすすめる能力を備えている人材ならば、過去の経歴を問わず、どしどし登用するのが、正弘の方針であった。」(24、25頁) A「堀田は決して普通の大名ではなかった。彼はつとに佐倉藩主として賢明の名を博した。」(30頁) 「阿部は外事にかけて、自らその長所にあらざることを知っていた。彼は堀田以外には、外相として適任者なきを知っていた。されば彼が堀田を推挙したのは、自ら責任を回避したといわんよりも、むしろ国家のために適材を適所に求めたというべきであろう。」(31、32頁) (4) 原告小説2−3−3(阿部正弘) ア 阿部正弘の人物設定を、開明的な政治家ではなく、鎖国体制維持の頑固な保守主義者、すなわち、攘夷鎖国派の人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。 ウ よって、被告番組2−3−3は、原告小説2−3−3を翻案したものとはいえない。 エ なお、阿部正弘が攘夷鎖国派であったことは、以下のとおり、「日本開国史」(乙21)にも記載されているから、既に存在していた評価の1つにすぎず、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−3の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。 「米艦渡来当時、幕閣の首班であった阿部正弘は、包容力と柔軟性に富む人物で、名宰相とも評価されてはいるが、対外政策については、はじめ鎖国説をとり、開国政策へ転換する展望をもつことができなかったようである。」(76、77頁) (5) 原告小説2−3−4(ハリス) ア ハリスの人物設定を、日本のために尽くした善人ではなく、傍若無人で喧嘩腰の人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。 ウ よって、被告番組2−3−4は、原告小説2−3−4を翻案したものとはいえない。 エ なお、ハリスが傍若無人で喧嘩腰であったことは、以下のとおり、@「堀田正睦(四)」(乙24)及びA「横浜物語」(乙25)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−4の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。 @「彼(判決注:ハリス)と応接したる堀田正睦を始め、岩瀬忠震・井上直らも、彼の講釈や、苦情や、威嚇的態度や、そもそもまた神経質的激怒やには当惑した」(9頁) A「ハリスは癇症な乱暴者で、ある日のこと突然に腹を立て、奉行中村出羽守、組頭、目付など十人ばかりが居並ぶなかへ火の入った煙草盆を投げつけた。」(50頁) (6) 原告小説2−3−5(孝明天皇) ア 控訴人は、孝明天皇の人物設定を、幕府に好意的、強い攘夷主義者、皇権恢復の自覚をした人物ではなく、幕府に対抗心をむき出しにする、過激な攘夷主義者であり政治に敏感な人物であると強調し、また、積極的で攻撃的な政治的権力奪回の野心の持ち主として描いたと主張する。 しかし、控訴人の主張する、原告小説2における対応する表現は、「(判決注:孝明天皇は)水戸学崇拝者も顔負けの過激な攘夷主義者で・・・」であるから、ここでは、幕府に対抗心をむき出しにし、政治に敏感で、積極的で攻撃的な政治的権力奪回の野心の持ち主といった人物設定は表現されていない。このように実際に表現されていない人物設定に係る控訴人の主張は、その前提がなく、失当である。 イ 孝明天皇が過激な攘夷主義者であったとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 ウ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的表現は、「過激な攘夷主義者」を共通にするにとどまっており、この表現は、8文字にすぎない短いフレーズであり、外国勢力を排斥する主張を有する者を「攘夷主義者」と表現するのは普通であるし、極端な主義主張を持つ場合を「過激な」と表現することもごくありふれているから、「過激な攘夷主義者」という表現もありふれているといえ、共通する具体的表現に創作性があるとはいえない。 エ よって、被告番組2−3−5は、原告小説2−3−5を翻案したものとはいえない。 オ なお、孝明天皇が過激な攘夷主義者であったことは、以下のとおり、@「人質の日本史 陰の日本史」(乙18)、A「孝明天皇」(乙19)及びB「社会科学討究 第29巻第1号」(乙20)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−5の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。 @「孝明天皇が熱烈な攘夷主義者であったことはまちがいない。欧米人はしっぽがあって牛馬のような蹄を持っているなどとほんきで信じていたという証言もあるくらいだから」(113頁) A「(判決注:孝明)天皇の思想は、伝統的な公家社会のなかにあって、攘夷論的であり、非開国思想であった。」「孝明天皇は、強い攘夷主義者であった。」(100頁) B「(判決注:安政条約に関する)「勅許」の申請は、理念上は幕府に対し内政・外交の一切を「委任」しているとされていた天皇に承認を求めることになり、しかも尊王論の抬頭という情況の下では事は重大であった。その上、この「勅許」が、予想に反して孝明天皇の強い反対に直面したのであった。孝明天皇の政治的動きがはっきりと現れたのは、この時点からであった。」(7頁) 「(判決注:安政条約の勅許について)孝明天皇はあくまでも不承認の態度をとろうとしていたことがわかる。」「朝議を条約反対に導いていた中心人物が孝明天皇であったことを知ることができる。幕府の必死の工作にもかかわらず、孝明天皇の態度を変えることはできなかった。」(11頁) (7) 原告小説2−3−6(徳川家定) ア 控訴人は、原告小説2における徳川家定の人物設定を、馬鹿者ではなく、冷静に周りの状況を読める人物として描いたと主張する。しかし、控訴人の主張する、原告小説2における対応する表現は、「たしかに(判決注:家定は)頭はよくなかった。しかし馬鹿ではなかった。常識のあるごくふつうの男で、統治、国を治めるということに関していうなら、少なくとも自分に統治能力はない、余計なことはいわずに宿老に任せておくのがいいと判断する能力はもちあわせていた。」であるから、ここでは、冷静に周りの状況を読める人物といった人物設定は表現されていない。このように実際に表現されていない人物設定に係る控訴人の主張は、その前提がなく、失当である。 イ 家定が馬鹿ではなかったとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 ウ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。 エ よって、被告番組2−3−6は、原告小説2−3−6を翻案したものとはいえない。 オ なお、家定が馬鹿ではなかったという人物設定は、@以下のとおり、「幕末閣僚伝」(乙15)で採用するほか、AコメンテーターのA氏も採用する(甲1の19頁)から、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−6の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。 @「老中の一人松平乗全が家定将軍に報告すると、「条約のことは時勢のおもむくところ、止むを得ないことで、伊勢守一人の過ちではない。いま伊勢守に退かれたら、自分は誰を頼りにすればよいのじゃ。閣老が協議して、彼が出仕するようにはからえ」と命じたという。これだけでも家定が暗愚や白痴の将軍でないことがわかる。」(23頁) 4 争点(1)のうち、エピソードの翻案について (1) 翻案について 上記2(1)記載のとおり、歴史上の事実や歴史上の実在の人物に関する記述は、単なる事実の羅列にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないといえる。他方、歴史上の事実等に関する記述であっても、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が認められることがあり、事実の選択、配列や、歴史上の位置付け等が、表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。 この点について、控訴人は、控訴人が主張する原告各小説の各エピソードは、5つのWを備えた個々の行動や出来事を複数組み合わせたものであるから、翻案権の保護範囲であるストーリーである、と主張する。 しかし、原告各小説は歴史小説であるから、個々の行動や出来事を複数組み合わせたというだけであれば、単なる歴史上の事実や、歴史上の事実等についての見解や歴史観にすぎないこともあるから、それのみで著作権法の保護の対象となるとはいえない。歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観が、具体的記述において創作的に表現されたものであるか否かを、その事実の選択や配列、あるいは、歴史上の位置付け等を踏まえて検討する必要がある。 以下、各エピソードについて、具体的に検討する。 (2) 原告小説2−4−1 ア ハリスの出府をめぐり、堀田と将軍家定との間で、堀田が将軍家定に出府を提案し、将軍家定が堀田の提案を了承したというやりとりがあったとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説2と被告番組2の具体的表現のうち、堀田の発言部分における共通の表現は、「当節の模様を」「熟考つかまつりますに」「出府をみとめるのがよろしいかと存じます。」「さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」である。江戸時代に、武士が身分の高い者に対して話す場合に、当時使用していたと思われる敬語を用いることは当然である。ハリスの出府といった重要な事項について許可を求めるのに理由を付すことは自然であり、理由は形式的で単純な、周囲の状況を考慮して、といった程度とすることもありふれているし、そのころの状況を表すのに「当節の模様」、よくよく考えることを「熟考」とするのもごく普通の表現である。許可を求める表現としても、まず自分の考えを述べて、それに対する相手の諾否を尋ねるのも通常使用される表現であるから、江戸時代の老中である堀田が、将軍家定に対して出府の許可を求めるのに、「出府を認めるのがよろしいかと存じます。」「さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」とするのも、通常の表現であり、ありふれている。さらに、家定の発言部分「そ、そうせい」は原告小説2と被告番組2とで全て共通しているが、家定が吃音であったことは歴史上の事実であるから、堀田に対して承諾を与える場合の発言として、ありふれた表現である。 以上のとおり、具体的記述において、著者の個性が表わされているとはいえない。 ウ これに対して、控訴人は、ハリスの出府をめぐって、堀田と将軍家定のやり取りを具体的な出来事として描いたのは控訴人が初めてであることをもって創作性があると主張する。 しかし、堀田がハリスの出府を提案したことは、歴史上の事実である(乙47の51頁)し、当時の幕府の最高権力者である将軍は家定であるから、ハリスの出府という重要事項について、堀田が将軍家定に提案し、将軍家定が堀田の提案を了承したことは、歴史上の事実か、歴史上の関連する事実から自然に思い至ることである。 しかも、重要事項について当時の最高権力者の承諾を得るということを、具体的な出来事として描くという点も(仮に、そういう記述が上記事実に関しては初めてであったとしても)、歴史上の事実について具体的場面を設定して具体的会話を記述するというありふれた手法であり、かかる具体化によって表現上の創作性が生じたともいえない。 エ よって、原告小説2と被告番組2の対応する表現のうち、共通する部分には、創作性がない。被告番組2−4−1は、原告小説2−4−1を翻案したものとはいえない。 (3) 原告小説2−4−2 ア 松平越前守の将軍補佐役就任をめぐり、堀田と将軍家定との間で、堀田が松平越前守の将軍補佐役就任を提案し、いつものように将軍家定が堀田の提案を了承することを期待したが、将軍家定が「掃部をおいて越前を挙げるべきではない。掃部を任ずる」旨述べて、提案を拒否したとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説2と被告番組2との対応する表現のうち、堀田の発言の部分は、@原告小説2が「昨日同列どもと評議いたしまして、松平越前守に御補佐をお願いしようと意見がまとまりました。」であるのに対して、被告番組2では、「昨日評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐役をお願いしようと意見がまとまりました。」、A原告小説2が「よろしくお聞き取りくださいませ」であるのに対して、被告番組2では「何卒、お聞き取りくださいませ。」である。@については、「同列どもと」の有無に差異があることに加え、話し合うことを「評議」、将軍補佐役を「御補佐役」と表現することはありふれているし、江戸時代の老中が将軍に対して敬語を使用するのも当然である。Aについては、江戸時代の老中が将軍に対して許可を求める表現として、「お聞き取りくださいませ。」とすることはありふれている。堀田が家定の承諾を期待したことを表現した部分は、原告小説2と被告番組2とで共通していない。家定の発言を表現した部分のうち、原告小説2と被告番組2との共通部分は、その大筋は後記「公用方秘録」の表現に沿っており、吃音で表現していることが「公用方秘録」とは異なるが、家定が吃音であったことは歴史的事実であるから、歴史上の位置付け等を踏まえれば、吃音を交えて表現することに表現上の創作性が発揮されているとはいえない。具体的な吃音の入れ方は、原告小説2−4−2においては8か所、被告番組2−4−2においては3か所と異なっているから、具体的記述において創作性のある部分が共通しているとはいえない。 ウ これに対して、控訴人は、松平越前守の将軍補佐役就任拒絶をめぐって、堀田と将軍家定のやり取りを以上の具体的な出来事として描いたのは控訴人が初めてであり、このような出来事をつないだのも控訴人が初めてであるから、原告小説2−4−2のエピソードのストーリーには控訴人の創作性が認められる、と主張する。 しかし、松平越前守の将軍補佐役就任をめぐり、将軍家定が堀田の提案を拒否したことは、歴史上の事実である(「公用方秘録」に記載されている。乙50の240、241頁)。堀田が越前守の将軍補佐役就任を提案する際に、家定が了承することを期待していたとする点も、提案者による期待として通常のことである。 しかも、堀田が将軍家定に対して松平越前守の将軍補佐役就任を提案したことは、前記「公用方秘録」に記載されており、それを具体的な出来事として描くという点も(仮に、そういう記述が上記事実に関しては初めてであったとしても)、歴史上の事実について具体的場面を設定して具体的会話を記述するというありふれた手法であり、かかる具体化によって表現上の創作性が生じたともいえない。話し言葉で表現するという手法も、ありふれているから、表現上の創作性が発揮されているとはいえない。 エ よって、原告小説2と被告番組2の対応する表現のうち、共通する部分には、創作性がない。被告番組2−4−2は、原告小説2−4−2を翻案したものとはいえない。 (4) 原告小説3−3−1 ア 重豪が隠居した理由が、重豪が、娘の婿である家斉が将軍となったため、公の席上では、舅の重豪が家斉にひれ伏さなければならないことになったが、それを面倒と考えて、家斉に気を利かせて隠居することにした、とする点は、歴史上の事実か、それについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説3と被告番組3とで対応する表現のうち、共通する部分は、「公の席」「ひれ伏(す)」「面倒」「気をきかせて隠居」である。公共の場所を「公の場」、平伏することを「ひれ伏(す)」と表現することはありふれている。また、面倒だから気を利かせて隠居したということ自体は、アイデアであり、それを「面倒」「気をきかせて隠居」と表現することは、普通である。 ウ これに対して、控訴人は、重豪の隠居をめぐって、隠居の理由を描いたのは控訴人が初めてであることをもって、原告小説3−3−1のエピソードに創作性があると主張する。 しかし、銃豪が若くして隠居し隠居後も藩政の実権を握り続けたことは、歴史上の事実であり、このことから、隠居には年齢以外の別の理由があるのだろうと推測し、表現すること自体は、著者の創作意図又はアイデアにすぎない。そして、その具体的理由を、舅が婿にひれ伏さなければならないことを避けて気を利かせた点にあると描いたとしても、上記のとおり、表現上の創作性があるとはいえない。 エ よって、原告小説3と被告番組3の対応する表現のうち、共通する部分には、創作性がない。被告番組3−3−1は、原告小説3−3−1を翻案したものとはいえない。 (5) 原告小説3−3−2 ア 調所がいつも笑みを絶やさない表情をしていることから、重豪が調所に笑悦と改名を命じたとする点は、歴史上の事実か、それについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説3と被告番組3とで対応する表現に、共通する部分はない(なお、原告小説3−3−2で取り上げられたエピソードは、調所が1798年に重豪付きの茶道となったときに、それまでの調所清悦から、重豪の命により調所笑悦に改名した(乙26、52)という歴史的事実を元にしたものである。これに対して、被告番組3−3−2で取り上げられたエピソードは、調所が1813年に御小納戸勤めとなったときに、調所笑悦から調所笑左衛門に改名した(乙52)という歴史的事実を元にしたものである。したがって、被告番組3−3−2のエピソードから、原告小説3の表現上の本質的な特徴を直接感得できるとは到底いえない。)。 ウ これに対して、控訴人は、調所の改名をめぐって、改名の理由と改名の場面を描いたのは控訴人が初めてであることをもって、原告小説3−3−2のエピソードに創作性が認められる、と主張する。 しかし、調所が1798年に重豪付きの茶道となったときに、重豪の命で笑悦と改名したことは、歴史的事実であり(乙26、52)、その理由と場面を描くこと自体は、著者の創作意図又はアイデアにすぎない。また、「笑悦」と改名させた理由が、調所がいつも笑みを絶やさない表情をしていることにあったとした点は、以下のとおり他の文献にも記載されており(「島津斉彬の全容」(乙26))、表現上の創作性が発揮されているとはいえない。 「調所の「笑悦」「笑左衛門」という風変りな名前は、重豪が名づけたものだ。調所という男は、いつも笑をたたえていて、どんな場合でも、物に動じない余裕(思慮分別)のある―一種、滑稽な―人生態度を持っていたので、癇癪持ちの独裁者・重豪も、そのふりがおかしくて、つい「笑」と呼んだのではないか。」(乙26の198頁) 改名の経緯として、重豪が調所に対して直接命じる場面を設けたこと自体は、通常考え得る表現の1つにすぎないから、著者の個性を表したものとはいえず、表現上の創作性が発揮されているともいえない。 エ よって、被告番組3−3−2は、原告小説3−3−2を翻案したものとはいえない。 (6) 原告小説3−3−3 ア 薩摩藩の石高に基づいて算出した薩摩藩の藩士一人当たりの石高を算出し、その算出過程とともに示し、さらに、年間平均消費量を一石として、上記薩摩藩の藩士一人当たりの石高と比較する、という点は、歴史的事実及びこれから計算した結果であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。 イ 原告小説3と被告番組3とで対応する表現に、共通する部分はない。 ウ これに対して、控訴人は、薩摩藩士の平均石高をめぐって、薩摩藩士一人当たりの石高を導き出したのは控訴人が初めてであり、誰がやっても当然同じ計算方法になるとは限らないし、これを人間一人の年間平均消費量と対比する際、後者を一石としたのも控訴人が初めてであるから、原告小説3−3−3のエピソードに創作性が認められる、と主張する。 しかし、薩摩藩藩士の窮乏ぶりを具体的に示すに当たって、米の石高をもって示すこと、一人当たりの消費量と実際に割り当てられたであろう量とを比較すること自体は、アイデアにすぎない。また、人間一人の年間平均消費量を一石とすることも、仮に控訴人が初めて示した見解であるとしても、アイデアにすぎない。 エ よって、被告番組3−3−3は、原告小説3−3−3を翻案したものとはいえない。 5 争点(1)のうち、部分複製について (1) 複製とは、印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいうところ(著作権法2条1項15号)、著作物の複製とは、既存の著作物に依拠し、これと同一のものを作成し、又は、具体的表現に修正、増減、変更等を加えても、新たに思想又は感情を創作的に表現することなく、その表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものを作成することをいうと解するのが相当である。 (2) 控訴人の主張する、被告各番組の控訴人の複製権侵害についての判断は、原判決第4「当裁判所の判断」の1(2)のとおりであるから、これを引用する。 (3) これに対して、控訴人は、上記第2「事案の概要等」の4(控訴人)記載のとおり反論する。 各複製部分に共通する反論の要旨は、@ある事実を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅が極めて狭いとはいえない、A同じ状況の同じ場面を同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがない、B短文で言語著作物と認められる俳句の文字数は17文字であるから、17文字以上ある表現は著作物性が認められるだけのまとまりを有しており、原告各小説と被告各番組の共通する表現は、ありふれた表現ではない、というものである。 しかし、@ある事実を表現する方法に多数の選択肢があるとしても、その選択された表現自体がいずれもありふれたものであれば、これらに創作性を認めることができないことは明らかである。控訴人が部分複製であると主張した、原判決別紙主張対照表1の「3 部分翻案」、同2の「4 部分翻案」及び同3の「3 部分翻案」記載の原告各小説の部分と被告各番組との共通する表現は、上記(2)で原判決を引用して個々に説示するとおり、いずれもありふれたものである。 また、A仮に、控訴人の主張するとおり、同じ状況の同じ場面を同じ言い回しで表現した他の作品がなく、控訴人が初めて当該状況の当該場面に当該言い回しを用いて表現したとしても、そのことのみで当該表現に創作性が認められるものではない。選択された表現が、同様の状況や同様の場面を表現するに当たってありふれたものであれば、やはり、創作性は認められない。そして、控訴人が部分複製であると主張した、原判決別紙主張対照表1の「3 部分翻案」、同2の「4 部分翻案」及び同3の「3 部分翻案」記載の原告各小説の部分と被告各番組との共通する表現は、上記(2)で原判決を引用して個々に説示するとおり、当該状況や当該場面を表現するに当たって、いずれもありふれたものである。 さらに、B俳句が短文であるが言語著作物として認められることがあるとしても、17文字以上あれば常に創作性を認められるわけではない。一般的に、短文であればそれに応じて表現の選択の幅が狭くなり、ありふれた表現となりやすい。そして、控訴人が部分複製であると主張した、原判決別紙主張対照表1の「3 部分翻案」、同2の「4 部分翻案」及び同3の「3 部分翻案」記載の原告各小説の部分と被告各番組との共通する表現には、上記(2)で原判決を引用して個々に説示するとおり、17文字以上であっても短文であることも一因となって、創作性が認められないものもある。 以下、控訴人が上記@〜B以外の反論を加えている部分複製について、個別に検討する。 (4) 原告小説2−5−3について 控訴人は、原告小説2−5−3と被告番組2−5−3とは、阿部が地震発生のどさくさに紛れて堀田に老中首座兼勝手掛老中任命の人事を発令したという筋立て以外にも、@原告小説2の「どさくさに紛れて」と被告番組2の「どさくさに紛れるように」が共通しており、A「登城せよ」という通達を表す用語は「御召」であり、これを陸軍用語である「連絡」に置き換えることは違法な改変行為に該当するから、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されている、と主張する。 しかし、@地震その他の天災や事故など、世間や周囲が混乱している機会に何かを行うときに「どさくさに紛れる」と表現することは、ごくありふれている。したがって、地震発生に乗じて堀田を登用するという事実を、「どさくさに紛れる」と表現することはありふれている。 また、A違法な改変、つまり、同一性保持権(著作権法20条)を侵害する行為とは、表現形式上の本質的な特徴を維持しつつその外面的な表現形式に改変を加える行為である(最2小判平成10年7月17日・裁判集民事189号267頁)。そして、原告小説2−5−3と被告番組2−5−3とは、アイデアが共通しているにすぎず、上記(2)で原判決を引用して示したように、原告小説2−5−3には、阿部が地震を期待していたわけではないがいい機会だと思った、まず安否をたしかめるための使者を送った、発令が御用番久世大和守の手を経たものであったという経緯が記述されている(甲3、37〜38頁)のに対して、被告番組2−5−3には、それらについての表現部分がない。しかも、具体的表現として、「どさくさに紛れて」(甲3、37頁)と「どさくさに紛れるかのように」(甲9、5頁)が共通するとはいえ、いずれもありふれた表現にすぎず、その他の具体的表現において共通性がほとんどないから、被告番組2−5−3は、原告小説2−5−3の本質的な特徴を維持しているとはいえない。したがって、「御召」を「連絡」に置き換えたことが、違法な改変行為に該当するとはいえない。 控訴人の主張には理由がなく、その余の控訴人の反論は、前記(3)のとおり、理由がない。 (5) 原告小説2−5−5について 控訴人は、原告小説2−5−5と被告番組2−5−5を一文ごとに対比すれば、被告番組2−5−5は原告小説2−5−5の表現のうち一部を省略している以外は共通し、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されており、両作品の共通部分が原告小説2の個性的な表現であるから、被告番組2−5−5は、原告小説2−5−5の複製である、と主張する。 控訴人の主張するように対比したとすれば、@原告小説2−5−5の「いずれそのうち西洋諸国は交易を求めてやってくる。必ずくる。それも近いうちにくる。このことは昇った日は必ず沈むのとおなじくらい明白なことだ。」と被告番組2−5−5の「西洋諸国は次には交易を求めてやってくる。」を、A原告小説2−5−5の「そのとき皇国(日本)はどう対応すればいいのか。唐国のように戦うのか。」と被告番組2−5−5の「そのときわが国は清国のように戦うのか。」を、B原告小説2−5−5の「戦って、敗れて、相手(イギリス)のいうがままに償金を支払わされ、唐国が香港とかいう要地を割かされたように、長崎、下関などの要地も割かされるのか。」と被告番組2−5−5の「戦い敗れて、言われるままに償金を支払わされ、領土まで奪われるのか。」を、C原告小説2−5−5の「それらはどう考えても愚かな対応だ。」と被告番組2−5−5の「それは絶対に避けねばならない」を、それぞれ比較することとなると考えられる。しかし、@については、被告番組2の「次には」という表現が原告小説2にはなく、Aについては、被告番組2の「わが国」及び「清国」の表現が原告小説2にはなく、Bについては、被告番組2の「戦い敗れて」「言われるままに」「領土まで奪われるのか」という表現が原告小説2にはなく、Cについては、被告番組の「絶対に避けねばならない」という表現が原告小説2にはない。被告番組2−5−5は原告小説2−5−5の一部を省略したものであるという控訴人の主張は、その前提を欠いている。 上記(2)にて原判決を引用して示したとおり、被告番組2−5−5の表現内容は、原告小説2−5−5との共通部分である筋立てを、比較的短い文章で表現しているにすぎず、原告小説2−5−5における特徴的な比喩的表現や具体的地名を含んでいないなど、具体的な表現において異なり、同一の表現ということはできない。 控訴人の主張には、理由がない。 (6) 原告小説3−4−1について 控訴人は、控訴人が参考にした「幕末の薩摩」(乙30)の記述と対比すると、@「幕末の薩摩」では「朱印つきの大命」とされているのを、原告小説3−4−1では「朱印状」とし、被告番組3−4−1でも「朱印状」とし、A「幕末の薩摩」では「重豪・斉興から」とされているのを、原告小説3−4−1では「重豪」とし、被告番組3−4−1でも「重豪」とし、B「幕末の薩摩」では「そのほかに、平時並びに非常時の手当てもなるたけ貯えること」とされているのを、原告小説3−4−1では「次に公儀への納金および非常の手当のため、五十万両とは別に相応の額を貯えよ」とし、被告番組3−4−1では「幕府への上納金や非常用の手当を準備せよ」とし、C「幕末の薩摩」では「大命を朱印つきで渡した」とされているのを、原告小説3−4−1ではマンツーマンの会話で劇場性を持たせ、被告番組3−4−1もその劇場性を踏襲しているから、原告小説3−4−1と被告番組3−4−1とは具体的な表現において共通しており、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されている、と主張する。 しかし、@朱印を押捺した書状を「朱印状」とするのは、単にそのような書状を一般に用いられる短い言葉で表現したにすぎず、ありふれている(なお、「日本型経済政策の源流」においても、当該書状は「朱印状」と表現されている。(乙52の50頁))。また、A命じた者を重豪と斉興とするのか、重豪のみとするのか、Bこのときに命じられた貯えの目的の中に、幕府への上納金が含まれているのかどうかは、歴史的な見解にすぎない(なお、「履歴概略」における上記朱印状の内容は、「一、金五十万両 右来卯年ヨリ来ル子年迄相備エ候コト 一、金納並ビニ非常手当別段コレアリタキコト 一、古借証文取返シ候コト」とあり、「調所広郷」(乙29の76、77頁)においては「金納」を「幕府への上納金」と解している。)。C被告番組3−4−1においては、ナレーターが朱印状に書かれた内容を説明する形式で表現されており、マンツーマンの会話で表現されているのではないから、劇場性を踏襲しているとはいえない。 よって、控訴人の上記主張を参酌してもなお、被告番組3−4−1は、表現上の創作性を有する原告小説3−4−1の複製と認めることはできない。 (7) 原告小説3−4−2について 控訴人は、控訴人が参考にした「幕末の薩摩」の記述と対比すると、「幕末の薩摩」は「何より困ったのが参勤交代の費用調達だ」として「参勤交代」と「江戸への往復費用」について触れ、「国元との二重生活」には触れずに、御手伝普請について述べているところ、原告小説3及び被告番組3では、「参勤交代」「江戸への往復費用」「国元との二重生活」を列挙したあと、御手伝普請に話を移行させているのだから、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されている、と主張する。 しかし、薩摩藩が経済的に困窮した原因の1つが参勤交代であって、江戸への往復費用と国元との二重生活のために費用がかさむことは、歴史上の事実又は歴史上の事実についての見解にすぎない。また、「参勤交代」「江戸への往復費用」「国元との二重生活」と配列することも、薩摩藩困窮の説明の順序として平凡であり、創作性が発揮されている表現とはいえない。 よって、被告番組3−4−2は、表現上の創作性を有する原告小説3−4−2の複製と認めることはできない。 控訴人の主張には、理由がない。 (8) 原告小説3−4−3について 控訴人は、当時、公の席で、舅が婿にひれ伏すという決まりごとはなく、原告小説3−4−3はフィクションであるから、表現の選択の幅がほとんどないとはいえない、と主張する。 しかし、公の場で舅が婿にひれ伏すことが控訴人の創作したフィクションであったとしても、アイデアにすぎず、具体的な表現においては、上記(2)で原判決を引用して示したとおり、原告小説3−4−3は、「公の席では舅の重豪が婿の家斉にひれ伏さなければならない。」と表現するのに対し、被告番組3−4−3には、「重豪」と「家斉」の用語がなく、「ひれ伏すことになってしまう。」との用語が用いられており、当該表現部分は短文であって選択の幅が狭いことも考え併せると、被告番組3−4−3が、原告小説3−4−3の表現上の本質的な特徴を直接感得させるということはできない。 控訴人の主張には、理由がない。 6 著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)侵害の成否について原判決第4「当裁判所の判断」の2のとおりであるから、これを引用する。 7 許諾の有無について 原判決第4「当裁判所の判断」の3のとおりであるから、これを引用する。 8 損害発生の有無及びその額について 原判決第4「当裁判所の判断」の5のとおりであるから、これを引用する。 9 結論 以上によれば、本件控訴には理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。 知的財産高等裁判所第2部 裁判長裁判官 清水節 裁判官 片岡早苗 裁判官 古庄研 (別紙)作品対照表 1A 田沼意次篇(原告小説1・被告番組1) (シークエンスの翻案につき、両作品の該当箇所の抜粋を一覧) 斜体部分は一審の作品対照表には記載されなかった新しい該当部分である。
(別紙)作品対照表 2A 堀田正睦篇(原告小説2・被告番組2) (シークエンスの翻案につき、両作品の該当箇所の抜粋を一覧) 斜体部分は一審の作品対照表には記載されなかった新しい該当部分である。
(別紙)作品対照表 3A 調所笑佐衛門篇(原告小説3・被告番組3) (シークエンスの翻案につき、両作品の該当箇所の抜粋を一覧) 斜体部分は一審の作品対照表には記載されなかった新しい該当部分である。
(別紙)1B−1 田沼意次篇 1 小説と番組の配列と表現の比較(表)
(別紙)2B−1 堀田正睦篇 1 小説と番組の配列と表現の比較(表) 1,シークエンスの翻案
(別紙)3B−1 調所笑左衛門篇 1 小説と番組の配列と表現の比較(表) 1、シークエンスの翻案
(別紙)1B−2 田沼意次篇 2 控訴人主張の配列以外の記述等 −小説のシークエンス(ストーリー)の配列間の記述とその概要
(別紙)2B−2 堀田正睦篇 2 控訴人主張の配列以外の記述等 −小説のシークエンス(ストーリー)の配列間の記述とその概要
(別紙)3B−2 調所笑左衛門篇 2 控訴人主張の配列以外の記述等 −小説のシークエンス(ストーリー)の配列間の記述とその概要
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