判例全文 line
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【事件名】歴史小説の“参考文献”事件(2)
【年月日】平成28年6月29日
 知財高裁 平成27年(ネ)第10042号 著作権侵害差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成25年(ワ)第15362号)
 (口頭弁論終結日 平成28年4月18日)

判決
控訴人(一審原告) X
訴訟代理人弁護士 柳原敏夫
被控訴人(一審被告) 株式会社テレビマンユニオン
訴訟代理人弁護士 山本博
同 林千春


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
 用語の略称及び略称の意味は、本判決で付するもののほか、原判決に従う。
第1 控訴の趣旨
1 原判決中、主文第3項につき控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、3169万1341円及びこれに対する平成25年6月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要等
1 事案の概要
 本件は、控訴人が、被控訴人が控訴人の著作物である原告各小説を無断で翻案ないし複製して被告各番組を制作して、控訴人が有する著作権(翻案権、複製権)及び著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)を侵害したと主張して、被控訴人に対し、著作権法112条1項に基づき、被告各番組の公衆送信及び被告各番組を収録したDVDの複製、頒布の差止めを求めるとともに、民法709条に基づく損害賠償金3200万円及びこれに対する平成25年6月26日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
 原審は、控訴人の請求のうち、被告番組1−3−1、被告番組2−5−6、被告番組3−4−6、被告番組4侵害認定表現部分及び被告番組5侵害認定表現部分が、それぞれ、控訴人の保有する原告各小説に係る著作権(複製権、翻案権)を侵害すると認めて、被告各番組の公衆送信の差止め、同番組を収録したDVDの複製又は頒布の差止め、及び、30万8659円の損害賠償金(遅延損害金を含む。)の支払について認容し、その余の請求を棄却した。
 控訴人は、損害賠償金の支払が認められなかった部分についてのみ控訴した。
2 前提事実
 原判決1頁25行目の「第1 請求」の前の行に、「事実及び理由」を加える。前提事実は、以下のとおり原判決添付別紙作品対照表(以下同じ。)1〜3を改めるほか、原判決第2「事案の概要」の1記載のとおりであるから、これを引用する。
(作品対照表1)
@1頁「2、シークエンスの翻案」の番号1「被告番組1の表現」欄3行目「(9項27〜28行目)」を「(9頁27〜28行目)」に改める。
A2頁「原告小説1の表現」欄8行目「(21頁3〜7行目)」を「(21頁4〜8行目)」に改める。
B2頁「被告番組1の表現」欄18行目「(10項26〜27行目)」を「(10頁26〜27行目)」に改める。
C3頁「原告小説1の表現」欄13行目「(299頁10行目」を「(299頁11行目」に改める。
D3頁「被告番組1の表現」欄1行目「定信は、八代将軍」を「定信は八代将軍」に改める。
E3頁「被告番組1の表現」欄21行目「16項5〜10行目」を「16頁5〜10行目」に改める。
F4頁「原告小説1の表現」欄25行目「書き出した。」を「書きだした。」に改める。
G4頁「原告小説1の表現」欄36行目「書き出した。」を「書きだした。」に改める。
H5頁「原告小説1の表現」欄9行目「米切手と村高(田畑)」を「米切手と相応の村高(田畑)」に改める。
(作品対照表2)
@2頁「被告番組2の表現」欄4行目「安倍」を「安部」と改める。
A2頁「原告小説2の表現」欄27行目「いうがままに」を「いうがままの」、29行目「割かれた」を「割かされた」、30行目「割かれる」を「割かされる」と改める。
B3頁「原告小説2の表現」欄6行目「(31頁12〜13行)」を「(31頁13〜14行目)」と改める。
C6頁「原告小説2の表現」欄31行目「貴書様」を「貴所様」と改める。
D7頁「3 人物設定の翻案」の「原告小説2の表現」欄2行目「(31頁3行目)」を「(31頁4行目)」と改める。
E9頁「4 エピソードの翻案」の「被告番組2の表現」欄2〜3行目「アメリカ官吏の」を「アメリカ国官吏の」と改める。
F10頁「原告小説2の表現」欄22行目「いうがままに」を「いうがままの」、24行目「割かれた」を「割かされた」と改める。
(作品対照表3)
@2頁「被告番組3の表現」欄3行目「挙げ句」を「揚げ句」と改める。
A2頁「被告番組3の表現」欄16行目「(8頁25〜26行目)」を「(8頁24〜25行目)」と改める。
B4頁「原告小説3の表現」欄19行目「(147頁6行目)」を「(147頁5〜6行目)」と改める。
C4頁「被告番組3の表現」欄18行目「(13頁10〜11行目)」を「(13頁9〜10行目)」と改める。
D5頁「原告小説3の表現」欄28行目「しなかければならない。」を「しなければならない。」と改める。
E6頁「被告番組3の表現」欄13行目「(8頁17〜20行目)」を「(8頁16〜19行目)」と改める。
F7頁「被告番組3の表現」欄1行目「(4頁15〜18行目)」を「(4頁14〜17行目)」と改める。
G7頁「被告番組3の表現」欄13行目「(8頁14〜16行目)」を「(8頁13〜15行目)」と改める。
H7頁「被告番組3の表現」欄18行目「(13頁22〜23行目)」を「(13頁21〜22行目)」と改める。
I7頁「被告番組3の表現」欄23行目(「15頁27〜28行目」)を「(15頁26〜27行目)」と改める。
第3 争点及びこれに関する当事者の主張
 争点及びこれに関する当事者の主張は、原判決5頁16〜17行目「(最高裁平成13年6月28日判決)」を「(最1小判平成13年6月28日・民集55巻4号837頁)と改め、次のとおり、当審における主張を追加するほか、原判決第2「事案の概要」の3及び第3「争点に関する当事者の主張」の1〜4記載のとおりであるから、これを引用する。
1 争点(1)のうち、シークエンスの翻案について
(控訴人)
(1) ストーリーとは、一般的に「小説・脚本・映画などの筋又は筋書」であり、筋とは「話の骨組み・しくみ」である。「話の骨組み」とは、登場人物に関する個々の行動や出来事を複数組み合わせて、1つの流れとして捉えることである。複数の出来事の組合せがストーリーであるためには、個々の出来事に5つのW(誰が、いつ、どこで、何を、なぜ)が備わっていることが必要である。控訴人が主張する「原告各小説の各シークエンスを構成する各出来事」は、いずれも5つのWを備えた表現であるから、「原告各小説のシークエンスのストーリー」は、ストーリーの要件を満たすものである。したがって、これは、「思想、アイデア、事実にすぎない」とはいえない。
(2) ストーリーが作られるためには、そのストーリーの主題(テーマ)に沿って、その主題にふさわしい題材(素材)が選ばれ、調整される。こうして選択され、調整された題材(素材)が、ストーリーの要素である。例えば、原告小説1−2−1のシークエンスであれば、このシークエンスのストーリーの主題は「田沼が家治の日光社参実現に深くかかわった」であるので、この主題に沿って、この主題にふさわしい題材(素材)が選ばれ、調整される。こうして選択され、調整された題材(素材)が、このシークエンスのストーリーの要素となるのである。
(3) 控訴人は、シークエンスのストーリーの要素として「登場人物の出来事」について主張しているが、これを、ストーリーの要素から切り離して、個々に控訴人の創作であると主張するものではない。ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があると主張するものである。
(4) 物語一般におけるストーリーのスタイルには、@直線的ストーリー(単純構成)と、A断続的ストーリー(複雑構成)とがある。
 @直線的ストーリー(単純構成)は、ストーリーの基本的なスタイルであって、「王が死んだ。その悲しみのため妻が死んだ。そして・・・」と第1の事件が第2の事件の原因となり、更に第2の事件が第3の事件の原因となって、次々と第4、第5と発展していく形、すなわち、直線的に一貫していくスタイルである。
 A断続的ストーリー(複雑構成)は、直線的ストーリーのように、第1、第2、第3というような規則的な順序をとらず、第1の事件の進行の途中において別の事件が侵入してきて、前の事件がいったんそこで中断されたかのごとき印象を与え、そして、再び前の事件に戻り進行する。この断続的な事件の展開が適宜にくり返されて、結局はいくつかの事件(挿話)が入り乱れながら、しかも、そこに一定の秩序を保ちつつ主題の解明に向かって進んでいくというスタイルである。
 原告小説1〜3は、いずれも中編以上の小説であり、そのストーリーのスタイルは、断続的ストーリー(複雑構成)である。したがって、原告小説1〜3の各シークエンスの部分でも、控訴人が主張する主系のストーリーのみならず、その途中で傍系の挿話が挿入されることがあるのは当然である。傍系の挿話が挿入されたからといって、それによって控訴人が取り上げる主系のストーリーが損なわれたり、否定されるものではない。
 したがって、控訴人が主張する「両作品のストーリーの類似性」とは、原告各小説の各シークエンスに描かれている主系のストーリーと傍系のストーリーのうち、主系のストーリーに着目して、これを取り上げ、主系のストーリー(厳密には、主系のストーリーの全部又は主要な部分)が被告各番組のストーリーと類似していると主張しているものである。それ以上に、原告各小説に描かれた傍系のストーリー・挿話の類似性まで問題としているのではない。
(5)ア 控訴人は、原審で主張した著作権侵害のうち、シークエンスの翻案について、本判決添付別紙作品対照表(以下同じ。)1A〜3Aの太字ではない部分のとおり改める。表中、斜字体の部分が、原審で取り上げた原告各小説及び被告各番組の表現と異なるものである。
イ 上記変更前の、控訴人のシークエンスの翻案に関する主張において、シークエンスのストーリーとして取り上げた記述の、原告各小説における配列と、控訴人の主張における配列との間に、齟齬があったことは、認める。その理由は、上記(2)記載の検討が不十分だったからである。
ウ 上記変更前後で異ならない、原告小説3−2−1、原告小説3−2−3及び原告小説3−2−4のストーリーの特定は、以下のように行った。
(ア) 原告小説3−2−1
 原告小説3−2−1におけるストーリーの主題は、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」である。したがって、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「利子の踏み倒し」の導入部分を取り上げた。それが「重豪が利払いの停止を決めた」であり、これがストーリーの要素(a)である。
 次に、主題の展開として、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その具体化を取り上げた。それが「重豪がその担当者不在に悩む」であり、これがストーリーの要素(b)である。
 次に、主題の展開の続きとして、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その具体化の続きを取り上げた。それが「重豪が悩んだ末、金方物奉行に命じる」であり、これがストーリーの要素(c)である。
 次に、主題の展開の続きとして、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、踏み倒しに対する貸主のリアクションを取り上げた。それが「銀主が借金踏み倒しに対し、融資をストップ」であり、これがストーリーの要素(d)である。
 次に、主題の結末として、「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その結果を取り上げた。それが「銀主の融資ストップに対し、重豪の完敗」であり、これがストーリーの要素(e)である。
 以上のストーリーの要素(a)〜(e)は、原告小説3の記述の順番どおりである。したがって、原告小説3−2−1のストーリーの要素の配列は(a)〜(e)の順番である。
(イ) 原告小説3−2−3
 原告小説3−2−3におけるストーリーの主題は、「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」である。したがって、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「利子の踏み倒し」の導入部分を取り上げた。それが「重豪が利払いの停止を決める」であり、これがストーリーの要素(a)である。
 次に、主題の展開として、「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その具体化を取り上げた。それが「重豪が『つなぎ資金の確保』に悩むが、担当を笑左衛門に命じる」であり、これがストーリーの要素(b)である。
 次に、主題の結末として、「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」、その結果を取り上げた。それが「笑左衛門が出雲屋孫兵衛と出会い、つなぎ資金を確保」であり、これがストーリーの要素(c)である。
 以上のストーリーの要素(a)〜(c)は、原告小説3の記述の順番どおりである。したがって、原告小説3−2−3のストーリーの要素の配列は(a)〜(c)の順番である。
(ウ) 原告小説3−2−4
 原告小説3−2−4における構成の主題は、「笑左衛門と孫兵衛の薩摩藩の再建策」である。したがって、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「再建策」の第1のステップを取り上げた。それが「新たに第二会社設立、事業を引継ぐ」であり、これが構成の要素(a)である。
 次に、主題の第2のステップとして「薩摩藩を整理会社とし、そこに借金を凍結させる」であり、これが構成の要素(b)である。
 以上の構成の要素(a)〜(b)は、原告小説3の記述の順番どおりである。したがって、原告小説3−2−4の構成の要素の配列は(a)〜(b)の順番である。
(6) 原審においては、原告各小説と被告各番組のストーリーの中身について実質的には審理されておらず、控訴審の平成27年9月以降、実質的な審理が開始されたものであるから、その後まもなく提出された控訴人の主張の変更は、時機に後れたとはいえず、後れたとしてもそのことにつき控訴人に故意又は重過失がなく、変更後の主張について審理することが訴訟の完結を遅延させるものでもない。
(被控訴人)
(1) 控訴人が、控訴審において、シークエンスの翻案についての選択する記述及び配列を修正をすることは、時機に後れた攻撃防御方法であって許されない。
(2) 修正後の配列は、歴史上の事実を普通に配列したにすぎないものであり、格別の独創性や創作性は認められない。
 また、原告各小説においては、配列間に控訴人のいうシークエンス又はストーリーとは無関係な記述が多く存在し、原告各小説と被告各番組との配列が異なる部分もある。控訴人は、本訴提起時より一貫して、ストーリーの創作性はストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方にあると主張してきたのであるから、番組の配列に合わせて個々の出来事に関する記述部分と配列を控訴審の最終準備書面に至って変更したことは、創作性がないことを自認したものといわざるを得ない。
 被控訴人の、配列に関する主張及び表現が異なることに関する主張は、本判決添付別紙作品対照表1A〜3Aの太字部分のとおりである(例えば、原告小説1−2−1は別紙1Aの原告小説1の表現欄の番号1に該当する。以下同じ。)。
(3) 控訴人の変更前の主張においては、ストーリー又はシークエンスの中には、章を隔て、又は、ストーリーの間に数十頁から200頁にも及ぶ間隔を持つものもあり、更には、各ストーリー間に別の事実等についての記述があることから、これをもってまとまりのあるものということはできない。各ストーリー間の記述は、本判決添付別紙(以下同じ。)1B−2、2B−2及び3B−2の太字部分のとおりである(例えば、原告小説1−2−1は別紙1B−2の原告小説1の表現欄の番号1に該当する。以下同じ。)。
 原告各小説と被告各番組とでは、ストーリーの配列を異にする部分があり、この部分の類似性は否定されるべきである。ストーリーの配列が異なるものは、原告小説1−2−1、原告小説1−2−2、原告小説1−2−3、原告小説2−2−1、原告小説2−2−2、原告小説2−2−3、原告小説3−2−2及び原告小説3−2−5であるが、その詳細は、別紙1B−1、2B−1及び3B−1の太字部分のとおりである(例えば、原告小説1−2−1は別紙1B−1の「原告小説1の表現」欄の番号1に、原告小説2−2−1は別紙2B−1の「1、シークエンスの翻案」の「原告小説2の表現」欄の番号1に、原告小説3−2−1は別紙3B−1の「1、シークエンスの翻案」の「原告小説3の表現」欄の番号1に該当する。以下同じ。)。
 原告各小説と被告各番組とは、表現方法と表現自体を異にするから、類似性があるとはいえない。被告各番組において、原告各小説との類似性や同一性が問題になるのは、ナレーションとドラマ・ロケ部分であるが、控訴人がいう個々のストーリー部分は、原告各小説が文字を表現方法とするものであるのに対し、被告各番組の当該部分はナレーション又は再現劇による表現方法である。具体的な表現方法の違いは、別紙1B−1、2B−1及び3B−1の太字部分のとおりである。
2 争点(1)のうち、人物設定の翻案について
(控訴人)
 登場人物に具体的な「性格、思想、道徳、経済観念、経歴、境遇、容姿等」を与えておれば、著作権法で保護する人物設定であるといえる。原告小説2の6人の登場人物についての人物設定はいずれも、著作権で保護する人物設定の要件を満たすものである。
(被控訴人)
 原告各小説と被告各番組の表現は、別紙2B−1及び3B−1の太字部分のとおり、その共通性を欠き、本質的特徴に類似性や同一性があるとはいえない。
3 争点(1)のうち、エピソードの翻案について
(控訴人)
 控訴人が主張する原告各小説の各エピソードは、5つのWを備えた個々の行動や出来事を複数組み合わせたものであるから、翻案権の保護範囲であるストーリーであるといえる。なお、原告小説3−3−3は、ストーリーではなく構成であり、被控訴人がこれを無断利用したことが翻案権侵害となる。
(被控訴人)
 原告小説と被告番組の表現は、別紙2B−1及び3B−1の太字部分のとおり、その共通性を欠き、本質的特徴に類似性や同一性があるとはいえない。
4 争点(1)のうち、複製権侵害について
(控訴人)
(1) 被控訴人は、原告各小説を部分複製して被告各番組を制作した。部分複製とは、まとまりのある創作的な外面的表現形式の一部分をそのまま利用することをいう。
(2) 原告小説1について
ア 原告小説1−4−1について
 原判決は、両作品の共通部分についての表現の選択の幅は極めて狭く、ごくありふれた表現にすぎないから、創作的な表現ではないとした。
 しかし、@「蟄居の内容」を表現するために、他に様々な表現が可能があり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、A同じ状況の同じ場面を「日中でも雨戸をとざして一室にひきこもらなければならない。事実上の幽閉である」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがない。したがって、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説1の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
イ 原告小説1−4−2について
 原判決は、両作品の共通部分はごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとする。
 しかし、@「田沼の功績と長く語り継がれるような事業」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、A同じ状況の同じ場面を「“あれは田沼様のなされたこと”と後世長く語り伝えられるような」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがない。したがって、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説1の個性的な表現が共通しているものであり、それゆえ複製である。
(3) 原告小説2について
ア 原告小説2−5−1について
 原判決は、両作品の共通部分は短文であり、表現の選択の幅は狭く、ごくありふれた表現であるから、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@短文で言語著作物と認められる俳句の文字数は17文字であり、被告番組2の表現「日本の行く末を間違わぬように舵をとらねば」は、17文字以上あるから、これが著作物性が認められるだけのまとまりを満たしていることは明らかであり、A「岐路に立っている日本国をしっかり統治しようと思いを新たにする堀田の内心」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は狭いとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「行く末を誤らないように舵をとろう」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
イ 原告小説2−5−2について
 原判決は、両作品の共通部分は短文であり、表現の選択の幅が狭く、ありふれた表現であるので、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@原告小説2の表現「下総佐倉の堀田備中守に白羽の矢を立てた」は、17文字以上あるから、これが著作物性が認められるだけのまとまりを満たしていることは明らかであり、A「多くの候補者の中で、これぞと思う人物としてとくに堀田が選び定められたこと」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は狭いとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「白羽の矢を立てた」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
ウ 原告小説2−5−3について
 原判決は、両作品の筋立ては共通しているが、原告小説2では「御用召の奉書」との用語が用いられているのに対して、被告番組2では「登城の連絡」との用語が用いられており、具体的表現において共通性はほとんどないとした。
 しかし、著作物の複製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいい、ここでいう同一性の程度は、完全に同一である場合のみならず、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない、実質的に同一である場合も含むと解されている。そして、@筋立て以外にも、原告小説2−5−3の「どさくさに紛れて」と被告番組2−5−3では「どさくさに紛れるように」が共通しており、A「登城せよ」という通達を表わす用語は「御召」であり、これを陸軍用語である「連絡」に置き換えることは違法な改変行為に該当する。以上の@とAを総合すれば、両作品の表現形式の同一性は、実質的に維持されていると認められる。
 また、B「地震の折に、堀田に登城せよと通達をだすこと」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は狭いとはいえず、C同じ状況の同じ場面を「どさくさに紛れて堀田の人事を発令しようとした」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品は具体的表現において共通性を有し、その共通部分は多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
エ 原告小説2−5−4について
 原判決は、両作品の共通部分はごく短文であり、表現の選択の幅がほとんどなく、就任時のありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@被告番組2の表現「何分にもよろしくお頼み申す」は、俳句の17文字分あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A「就任時の挨拶」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅がほとんどないとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「何分にもよろしく」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
オ 原告小説2−5−5について
 原判決は、両作品の筋立ては共通しているが、比較的短い文章で表現しているにすぎず、両作品は具体的な表現において異なるとした。
 しかし、一文ごとに対比すれば、被告番組2は原告小説2の表現のうち一部を省略している以外は共通している。この意味で、多少の省略(増減)が加えられているにしても、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。 
 そして、両作品の共通部分が原告小説2の個性的な表現であることも明らかであり、複製である。
カ 原告小説2−5−7について
 原判決は、両作品の共通部分は極めて短文であり、表現の選択の幅がほとんどなく、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@両作品の共通部分は優に俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A「外交を担当したいと申し出ること」を正確に表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅がほとんどないとはいえない。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
キ 原告小説2−5−8について
 原判決は、両作品の共通部分はありふれた表現であり、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@「堀田と阿部の関係について」表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、A同じ状況の同じ場面を「阿部は次席。とはいうものの実権は阿部にある。」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、すなわち個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
ク 原告小説2−5−9について
 原判決は、両作品の共通部分は極めて短文であり、表現の選択の幅は極めて狭く、ごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@両作品の共通部分は、俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A「隠居(斉昭)に介入させずに条約調印を推進すること」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、B同じ状況の同じ場面を「ぐうの音もいわさずに」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説2の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
(4) 原告小説3について
ア 原告小説3−4−1について
 原判決は、両作品の共通部分は歴史上の事実にすぎず、5か所の相違点があり、両作品は具体的な表現において異なるとした。
 しかし、原告が参考にした「幕末の薩摩」(乙30)の記述と対比すると、両作品が具体的な表現においていかに共通しているかが明らかである。したがって、多少の修正、増減、変更等が加えられているにしても、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。
 そして、両作品の共通部分が原告小説3の個性的な表現であることも明らかであり、複製である。
イ 原告小説3−4−2について
 原判決は、両作品の筋立ては共通しているが、長文の文章である原告小説3と比較的短い文章で表現している被告番組3の両者は、具体的な表現において異なるとした。
 しかし、原告が参考にした「幕末の薩摩」(乙30)の記述と対比すると、両作品が具体的な表現においていかに共通しているかが明らかである。したがって、多少の修正、増減、変更等が加えられているにしても、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。
 そして、両作品の共通部分が原告小説3の個性的な表現であることも明らかであり、複製である。
ウ 原告小説3−4−3について
 原判決は、両作品の共通部分はごく短文であり、表現の選択の幅がほとんどなく、ごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではない、また、両作品は具体的な表現において異なるとした。
 しかし、@両作品の共通部分は、俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A被告番組3−4−3に原告小説3−4−3と一致しない部分があるとしても、それは多少の修正、増減、変更等が加えられているものであり、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されていると認められる。
 また、B当時、公の席で、舅が婿にひれ伏すという決まりごとはなく、原告小説3−4−3は原告の創作(フィクション)である。したがって、フィクションについてどう表現するかは様々な表現が可能であり、表現の選択の幅がほとんどないとはいえず、C同じ状況の同じ場面を「舅が聟にひれ伏す」「気をきかせて隠居し」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説3の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
エ 原告小説3−4−4について
 原判決は、両作品の共通部分は極めて短文であり、表現の選択の幅が極めて狭く、3つの表現はごくありふれた表現にすぎないから、それは創作的な表現ではないとした。
 しかし、@両作品の共通部分は、俳句の17文字以上あるから、著作物性が認められるだけのまとまりを満たしており、A共通部分として、さらに、「衣服や金目の物は売りつくされ」があり、B「薩摩藩邸の悲惨な状況」を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅は極めて狭いとはいえず、C同じ状況の同じ場面を「痩せこけたからだ」「すりきれた衣服」、「草は伸び放題」「衣服や金目の物は売りつくされ」と同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがないから、この表現はありふれた表現でない、個性的な表現である。
 以上から、両作品の共通部分は、多様な表現の選択の幅があるにもかかわらず、原告小説3の個性的な表現が共通しているものであり、複製である。
(被控訴人)
 原告各小説と被告各番組の表現は、別紙2B−1及び3B−1の太字部分のとおり、表現の共通性を欠き、本質的特徴に類似性や同一性があるとはいえない。
第4 当裁判所の判断
1 控訴人の主張の変更について
(1) 控訴人は、当審において、原審で主張した著作権侵害のうち、「シークエンスの翻案」の一部について、各ストーリーを構成する表現の内容を変更した。具体的な変更の内容は、別紙作品対照表1A、2A及び3Aの斜字体で記載したとおりであるが、次の箇所において原告各小説及び被告各番組から抜粋する記述を変更し、そのために、記述されている出来事の内容が変更され、あるいは、原告各小説及び被告各番組における抜粋箇所の配列が変更されている。
@ 原告小説1−2−1 (a)、(b)及び(c)
  被告番組1−2−1 (a)
A 原告小説1−2−2 (a)
B 原告小説1−2−3 (d)
  被告番組1−2−3 (d)
C 原告小説2−2−1 (a)、(d)及び(e)
  被告番組2−2−1 (a)及び(e)
D 原告小説2−2−2 (b)及び(d)
  被告番組2−2−2 (b)及び(c)
E 原告小説2−2−3 (f)及び(i)
  被告番組2−2−3 (i)
F 原告小説3−2−1 (c)及び(d)
G 原告小説3−2−2 (b)
  被告番組3−2−2 (b)及び(c)
H 原告小説3−2−5 (c)及び(d)
 これに対して、被控訴人は、控訴人において、シークエンスの翻案についての選択する記述及び配列を修正することは、時機に後れた攻撃防御方法であって、許されない、と主張する。
(2) そこで、検討するに、控訴人の著作権侵害の主張は、原告各小説の各ストーリーを構成する表現によって示された出来事の選択とその配列に創作性が認められることを前提とするところ、原告各小説の各ストーリーを構成する表現を変更することは、創作性の根拠となる、選択した「出来事」及び「配列」を変更することであり、創作性の有無の判断対象が異なることとなるから、変更部分について、創作性の有無に関する審理を再び行わなければならない。また、控訴人は、被告各番組の各ストーリーが、対応する原告各小説の各ストーリーに類似していると主張するものであるから、原告各小説及び被告各番組の各ストーリーを構成する表現を変更することは、類否に関する審理も再び行うこととなる。上記変更が、当審の第4回弁論準備手続期日(平成28年1月18日)においてなされたこと、本件訴訟の提起は平成25年6月12日であったこと、上記変更までに既に2年6か月も審理が継続されており、上記変更を除けば当事者の主張立証はほぼ尽きていたことからすれば、上記変更は時機に後れて提出した攻撃の方法といえ、上記変更を許せば創作性の有無及び類否に関する審理を再び行わざるを得ず、これにより訴訟の完結を遅延させることが明らかである。原告である控訴人は、訴訟提起時に、創作性があると主張する著作物を特定し、被控訴人の侵害行為を特定すべきであるし、本件において、かかる特定が訴訟提起時において出来なかった事情も認められないから、上記変更が時機に後れたことにつき、控訴人に故意又は重大な過失があるというべきである。
 したがって、控訴人の上記変更の主張は、時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきものである。
(3) これに対して、控訴人は、原審において原告各小説と被告各番組のストーリーの中身については実質的に審理されておらず、当審の平成27年9月以降審理が開始されたものであるから、上記変更は時機に後れたものではないと主張する。
 しかし、原審においても、原告各小説の各ストーリーの創作性については、原判決別紙主張対照表の「原告の主張」欄及び「被告の主張」欄に創作性に関する主張及び反論が摘示されているとおり、原告各小説の各ストーリーと被告各番組の各ストーリーとの類否については、原判決別紙主張対照表の「原告の主張」欄及び「被告の主張」欄に類似性に関する主張及び反論が摘示されているとおり、実質的に審理されていたものである。控訴人の主張には、理由がない。
 また、控訴人は、時機に後れたことについて故意又は重過失がないと主張する。
 しかし、控訴人は原告であり、創作性のある自らの著作物及び自らの著作権を侵害したと主張する被控訴人の著作物を特定した上で訴訟提起したというべきであるし、創作性のある著作物を変更し、類似していると主張する被控訴人の著作物を変更することは、請求の根幹を覆すものであるから、控訴審である当審の終了間際にかかる変更を主張することが時機に後れていることについて、故意又は重過失がないとはいえない。控訴人の主張には、理由がない。
2 争点(1)のうち、シークエンスの翻案について
(1) 翻案について
ア 言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案に当たらないというべきである(最1小判平成13年6月28日・民集55巻4号837頁参照)。
 したがって、歴史上の事実や歴史上の人物に関する事実は、単なる事実にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないというべきである。他方、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が肯定されることがあり、事実の選択、配列や、歴史上の位置付け等が著作物の表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。
イ 本件において、控訴人は、原告各小説の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があると主張し、各ストーリーを構成する出来事に5つのWが備わっていれば、それを複数選択し、配列したものには、創作性があると主張する。
 しかし、原告各小説は歴史を題材とした小説であるから、5つのWを備えた出来事を複数組み合わせて配列しただけでは、歴史上の事実等の経過を示したものにすぎないこと、あるいは、これらの事実等についての見解や歴史観を示すものにすぎないことがあるから、常に著作権法の保護の対象となるとはいえない。控訴人主張に係る各ストーリーに創作性があり、事実の選択や配列が表現上の本質的特徴を基礎付けるというためには、5つのWを備えた出来事を複数組み合わせて配列することだけでは足りず、少なくとも、事実の選択や配列に創作性が発揮されているといえなければならない。
 以下、控訴人主張の各ストーリーについて個別に検討する。
(2) 控訴人は、上記のとおり、原告各小説の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があり、被告各番組の各ストーリーは、個々の出来事の選択とその配列において原告各小説のストーリーと類似しているから、被告各番組は原告各小説を翻案したものであると主張する。したがって、控訴人が選択したと主張する個々の出来事の記述が、控訴人主張の配列で原告各小説において記載されていることが前提となるべきものである。
 しかし、控訴人が自認するとおり、控訴人の本件訴訟提起時には、原告小説1−2−1、原告小説1−2−2、原告小説1−2−3、原告小説2−2−1、原告小説2−2−2、原告小説2−2−3、原告小説3−2−2及び原告小説3−2−5のストーリーについては、以下のとおり、個々の出来事の記述の配列が、原判決別紙主張対照表に基づく控訴人主張と、実際の原告各小説(甲2〜4)とで異なっている。
@ 原告小説1−2−1
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)
  原告小説1 (b)→(a)→(d)→(c)
A 原告小説1−2−2
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)(1)→(c)(2)
  原告小説1 (a)→(b)→(c)(2)→(c)(1)
B 原告小説1−2−3
  控訴人主張 (a)(1)→(a)(2)→(b)→(c)→(d)(1)→(d)(2)
  原告小説1 (a)(2)→(a)(1)→(c)((d)(2)→(d)(1)は(c)に含まれている。)→(b)
C 原告小説2−2−1
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e)→(f)→(g)
  原告小説2 (c)→(d)→(f)→(a)(1)→(g)(1)→(a)(2)→(b)→(g)(2)→(e)→(g)(3)
D 原告小説2−2−2
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e)
  原告小説2 (a)→(b)→(d)→(c)→(e)
E 原告小説2−2−3
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e)→(f)→(g)→(h)→(i)
  原告小説2 (a)→(b)→(c)→(i)(3)→(f)→(d)→(e)→(g)→(h)→(i)(1)(2)
F 原告小説3−2−2
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)→(e)
  原告小説3 (a)→(b)→(c)→(e)→(d)
G 原告小説3−2−5
  控訴人主張 (a)→(b)→(c)→(d)
  原告小説3 (a)(1)→(a)(2)((d)(1)と同じ)→(a)(3)→(c)→(d)(2)→(b)
 よって、上記各ストーリーについては、控訴人の主張はその前提を欠き、失当である。
(3) また、控訴人は、被告各番組の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列が、原告各小説の各ストーリーを構成する創作性のある個々の出来事の選択とその配列に類似しているから、被告各番組は原告各小説を翻案したものであると主張する。
 原告小説1−2−2は、上記(2)のとおり、(c)(1)と(c)(2)とを分けて考察する場合には、控訴人主張の配列と原告小説1における実際の配列とが異なるが、(c)全体をみた場合には、控訴人主張の配列と原告小説1における実際の配列とが一致するともいえる。そこで、原告小説1−2−2と被告番組1−2−2において、選択された個々の出来事とその配列とを比較すると、以下のとおりである(甲2、8)。
@ 原告小説1−2−2
(a)(田安家は幕府予算をくいつぶす存在だった。)→(b)(田沼、幕府の財政再建のため田安家取り潰しを狙う。)→(c)(将軍になれる可能性があった田安家の定信、これに激しく反発。)
A 被告番組1−2−2
(b)(田沼、幕府の財政再建のため田安家取り潰しを狙う。)→(a)(田安家は幕府予算をくいつぶす存在だった。)→(c)(将軍になれる可能性があった田安家の定信、これに激しく反発。)
 このように、原告小説1−2−2と、被告番組1−2−2とでは、3つの出来事のうち、2つの配列が異なっている。仮に、原告小説1−2−2の事実の選択と配列に創作性があるとしても、被告番組1−2−2とでは、配列が大きく異なるから、両者が類似しているとはいえない。
 控訴人の主張には、理由がない。
(4) 原告小説3−2−1について
ア 控訴人主張の認定
 原告小説3−2−1は、「重豪の利子踏み倒しの顛末」を主題とするものである。
 控訴人の主張する、選択された出来事は、(a)島津重豪(「重豪」)、利払いの停止を決める、(b)重豪、その担当者不在に悩む、(c)重豪、悩んだ末、金方物奉行に命じる、(d)銀主、借金踏み倒しに対し、融資をストップ、(e)重豪、「完敗」、であり、これに対応する表現が、原判決別紙作品対照表3、2の番号1欄のとおり存在し、原告小説3及び被告番組3において上記(a)〜(e)の順に配列されていることが認められる(甲4、10)。
イ 原告小説3−2−1のストーリー及び創作性
(ア) 控訴人は、上記の配列を前提として、原告小説3−2−1のストーリーの要素は、主題「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」の発端として、その導入部分である(a)(重豪が利払いの停止を決めた)を取り上げ、主題の展開としてその具体化(b)(重豪がその担当者不在に悩む)を取り上げ、主題の展開の続きとしてその具体化の続き(c)(重豪が悩んだ末、金方物奉行に命じる)を取り上げ、主題の展開の続きとして踏み倒しに対する貸主のリアクション(d)(銀主が借金踏み倒しに対し、融資をストップ)を取り上げ、主題の結末として(e)(銀主の融資ストップに対し、重豪の完敗)を取り上げた、と主張する。また、控訴人は、原告小説3においては、断続的ストーリー(複雑構成)のスタイルがとられており、各シークエンスの部分でも、控訴人が主張する主系のストーリーのみならず、その途中で傍系の挿話が入ることは当然だが、それによって主系のストーリーが損なわれるものではない、と主張する。
(イ) しかし、原告小説3においては、重豪の利子踏み倒しに関して、重豪が樋口に借金踏み倒し計画を取り計らうように命じた((c)の表現)後、踏み倒し後に金策が出来なくなることを見越して金を蓄える方策を講じ、しかる後に樋口に実際に借金踏み倒しを宣言するよう指示し、その後は国元から送った産物を大阪で売りさばいて得た現金で経費をまかなうことにしていたものの、船の難破等によって当てが外れた、といった経緯が、調所が御小納戸勤となること、島津家と将軍家が次々に婚姻を重ねていることなどの事実を織り交ぜながら、約30頁にわたって記述され、その後に、(d)の表現である「借金踏み倒し宣言をし、手を切った以上、つなぎの融資はたのめない。」が出てくる。これらのうち、「利子踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」は、控訴人の主張する主題である「重豪の利子踏み倒しの顛末」に関連する出来事であるし、利子踏み倒しといった大胆な政策が、準備の上で行われたのか、それとも、ただ無謀に行われたのかといった歴史上の評価に直結し、ストーリー自体の印象を形作るから、ストーリーを構成するために選択された出来事であるといえる。
 控訴人の主張には、理由がない。
(ウ) この点について、控訴人は、上記「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」は傍系のストーリーであるから、上記事実に関する表現の有無は、原告小説のストーリーと被告番組のストーリーとを比較対照するに当たって検討不要と主張するものと考えられる。
 しかし、原告小説3−2−1の記述の過程に、控訴人の主張する主題である「島津重豪の利子の踏み倒しの顛末」に関連する出来事である、「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」について具体的かつ詳細な記載がされているから、これが、控訴人のいう、傍系の挿話とはいえない。また、かかる出来事は、上記(イ)で記載したとおり、控訴人の主張する、主題の展開として利子踏み倒しの具体化に関する事実であるし、ストーリー自体の印象に大きく影響するものであるから、ストーリーを構成するために選択された出来事であるといえる。
 控訴人の主張には、理由がない。
(エ) さらに、控訴人は、原告小説3−2−1の創作性の際立った具体的内容は、第1に、利子の踏み倒しの過程(HOW)について、利払い停止後の対応で「適任の担当者不在に悩む」という重豪の内面を描き、第2に、そこからその後の展開(重豪の完敗)を描いた点にある、と主張する。
 しかし、原判決別紙主張対照表3の1、番号1「当裁判所の判断」記載のとおり、重豪が利子を踏み倒した過程について、同人が利払い停止後の対応で、適任の担当者が不在であることに悩んだとする点は、著者の創作意図、アイデア又は歴史上の事実についての見解であり、上記利子の踏み倒しについて重豪を軸に置き、同人の上記のような内心を描いたとする点は、著者の創作意図又はアイデアにすぎないし、重豪の目論見どおりにいかず、完敗といってよい結果となったとする点も、著者の創作意図、アイデア又は歴史上の事実についての見解である。このような具体的表現から離れた著者の創作意図、アイデア又は歴史上の事実についての見解は、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
ウ 被告番組3−2−1のストーリーの認定
 被告番組3−2−1のストーリーは、上記ア記載のとおり、(a)島津重豪(「重豪」)、利払いの停止を決める、(b)重豪、その担当者不在に悩む、(c)重豪、悩んだ末、金方物奉行に命じる、(d)銀主、借金踏み倒しに対し、融資をストップ、(e)重豪、「完敗」、である。なお、被告番組3においては、重豪が利子踏み倒しに当たって金策の手当てをしようとしたことや、これが失敗したからといって再度銀主に頼るわけにもいかず、財政が破たんしたということについては、一切触れられていない。(甲10)
エ 原告小説3−2−1と被告番組3−2−1との比較
 以上を前提として、原告小説3−2−1と、被告番組3−2−1とを比較すると、原告小説3−2−1で選択された出来事「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」が、被告番組3−2−1では選択されていない。そのため、原告小説3においては、重豪は、用意周到に準備した上で利子踏み倒しを計画、実行したにもかかわらず、船の難破等といった予想外の事情によって思惑が外れてしまったという筋書きとなっているのに対し、被告番組3−2−1においては、一方的に借金の踏み倒しをすればその後借りられなくなることは明白なのに、重豪は浅慮にもこれを実行してしまい、その結果、財政が破たんしたという筋書きとなっており、ストーリー全体から受ける印象が大きく異なる。
 また、原告小説3−2−1は、全体が文庫本で41頁にもわたるのに対し、被告番組3−2−1は、テープ起こししたもので7行にすぎず、分量にも大きな差がある。なお、(a)〜(e)の配列は、上記「利子の踏み倒しによる財政破たんの防止策の準備」の出来事を除けば、原告小説3−2−1と被告番組3−2−1とで共通するが、配列自体は時系列に沿っていて、平凡である。
オ 以上より、原告小説3−2−1は、そこで選択された出来事として(a)〜(e)のみを掲げることが不適切であって、控訴人の主張するストーリーが原告小説3−2−1部分に記述されていると認められないから、控訴人の主張はその前提を欠いて失当である。
 また、選択された出来事以外に主題と関連する出来事である、「重豪は、周到に準備した上で借金踏み倒しを計画、実行したにも関わらず、船の難破等といった予想外の事情によって思惑が外れてしまった」を加えると、@原告小説3−2−1と被告番組3−2−1とでは、主題に関連して選択された出来事が異なり、かかる異なる出来事はストーリー全体の印象を左右するものであり、A原告小説3−2−1及び被告番組3−2−1の分量の違いや、B配列自体が時系列に沿っていて平凡であることを併せて考慮すれば、仮に、原告小説3−2−1に上記異なる出来事を加えたものの出来事の選択と配列に創作性があるとしても、被告番組3−2−1は、原告小説3−2−1の表現上の本質的な特徴を直接感得させるとはいえない。
 よって、被告番組3−2−1は、原告小説3−2−1を翻案したものとはいえない。
(5) 原告小説3−2−3について
ア 控訴人主張の認定
 原告小説3−2−3は、「2回目の重豪の利子踏み倒しの顛末」を主題とするものである。
 控訴人の主張する、選択された出来事は、(a)重豪、利払いの停止を決める、(b)重豪、「つなぎ資金の確保」に悩むが、担当を笑左衛門に命じる、(c)調所、出雲屋孫兵衛(「孫兵衛」)と出会い、つなぎ資金を確保、であり、これに対応する表現が、原判決別紙作品対照表3、2の番号3欄記載のとおり存在し、原告小説3及び被告番組3において上記(a)〜(c)の順に配列されていることが認められる(甲4、10)。
イ 原告小説3−2−3のストーリー及び創作性
(ア) 控訴人は、上記の配列を前提として、原告小説3−2−3におけるストーリーの主題は「2回目の重豪の利子の踏み倒しの顛末」であり、発端としてこの主題にふさわしい題材(素材)として、「利子の踏み倒し」の導入部分(a)「重豪が利払いの停止を決める」を取り上げ、次に、主題の展開として、その具体化(b)「重豪が『つなぎ資金の確保』に悩むが、担当を笑左衛門に命じる」を取り上げ、最後に主題の結果として(c)「笑左衛門が出雲屋孫兵衛と出会い、つなぎ資金を確保」を取り上げたものであるから、(a)〜(c)をストーリーを構成する出来事として選択したことは適切である、と主張する。
(イ) しかし、原告小説3においては、再度の借金踏み倒しに関して、重豪が調所につなぎ資金の確保を担当させることを決めた((b)の表現)後、調所に10万両作るように命じる経緯が記載され、さらに、調所が両替商をあちこち訪ねるが融資を受け付けてもらえない経緯が記載されており、最後に出雲屋を訪ねたという経緯を述べた後に、(c)の表現である「出雲屋孫兵衛は調所がたずねてくるのを待っていた。・・・」が出てくる。調所に10万両作るように命じる事実、及び、調所が両替商をあちこち訪ねる事実は、再度の利子踏み倒しに関連する事実である。したがって、原告小説3−2−3の(a)の記述から(c)の記述までの間のストーリーを構成する出来事として、(a)〜(c)のみを選択することは適切ではない。
 しかも、原告小説3−2−3を構成する記述は23頁にわたっており、その中で、主題に関連する事実である、重豪が調所に対して10万両作るように命じる経緯が約6頁にわたり、調所が両替商をあちこち訪ねるが融資を受け付けてもらえない経緯が約8頁にわたり記載されており、この分量は、全体に対してそれぞれ、約4分の1及び約3分の1と相当多いといえる。したがって、これらの事実は、原告小説3−2−3のストーリーを構成する出来事であると認めるのが相当である。
 控訴人の主張には、理由がない。
(ウ) また、控訴人は、原告小説3−2−3の、創作性の際立った具体的内容は、第1に、利子の踏み倒しの過程について、文化10年の踏み倒しの経験から学び、つなぎ資金調達の必要性を認識し、その担当者として調所しかいないという重豪の内面を描き、そこからその後の展開(つなぎ資金の確保)を描いた点、第2に、つなぎ資金調達の担当に命じられた調所が孫兵衛と出会い、両者を初めてつないで、その中でつなぎ資金を確保する展開を描いた点にある、と主張する。
 しかし、上記第1の点については、後記ウのとおり、被告番組3において表現されていないから、仮に創作性があるとしても、被告番組3−2−3のストーリーが原告小説3−2−3のストーリーの表現上の本質的な特徴を直接感得させる理由とはならない。
 また、上記第2の点については、以下のとおり、他の文献においても、調所が、孫兵衛と出会い、重豪との間を仲介し、その中でつなぎ資金を確保する展開を描いたものがあるから、控訴人の主張はその前提を欠き、失当である。
 @「ここに、重豪は非常な決意をもって茶道頭調所笑左衛門を抜擢し、財政の改革に当らせることになりました。初め、調所に協力する商人は全くありませんでしたが、大阪の出雲屋浜村孫兵衛が調所の悲壮な決意に同情し、義侠により協力してくれることになりました。」(「島津歴代略記」。乙51の144頁)
 A「さて名案はできても、先立つものは資金である。調所の手始めの仕事は、大阪に出て改革資金を調達することから始まった。しかし、たびたび銀主たちに会って出金を依頼しても、それまでに何度も信用を失い、約束違反もしてきていたのだから、今さら引き受けてくれる者もいない。銀主たちに馬鹿にされたり、恥をかかされたり、とうとう相手になってくれる町人さえいなくなった。調所は、このままでは江戸に帰るわけにもいかず、今は腹を切る覚悟をさだめた。だが、“窮すれば通ずる”の譬もある世の中、朝から晩までソロバンをはじいて世渡りする銀主たちの中から、思いがけなくも調所の援助者が現われた。
 海老原は、「其ノ儘江戸ニ帰リ復命スル事能ハズ、刀ノニ手ヲカケタル事度々アルニ及ンデ、浜村(判決注:孫兵衛のこと)等其ノ忠実ヲ憐ミ、平野屋五兵衛等ヲ語ラヒ新組ノ銀主ヲ設ケ、当座ノ用ヲ携ヘ江戸ニ出タルガ始ニテ・・・」と当時を伝えているが、大藩の重役が町人たちのはずかしめをじっと我慢して誠意をつくす姿、その死を決した真心には、さすがに人の心を動かすものがあったろうが、また一面において調所その人の人柄がもともと人の信を得るに足る充分な魅力を備えていたからでもあろう。」(「幕末の薩摩」。乙30の75〜76頁)
 B「(調所は)まず従来からの銀主に強く出銀を頼んだが、「皆共手切レノ御断リ申出又ハ不都合ノ儀ヲ申出」たので、是非に及ばず古銀主は断り、新銀主の依頼に取りかかった。ところがそれまで何度か借入金返済に違約があった末であるから、どんなに手堅く相談しても一切引受けず、時にうまく運ぶかと思ったものも急に手違いになったりした。何分以前のやり方を見て懲りているので、全然話にならず出銀を断ってしまう。だから再度当方の趣旨を理解してくれるよう頼むと、今度は「種々ノ難渋アルイハ聞キ捨テ難キホドノ事」もいい出し、その度に短気が起こったが、ここで短気を起こしては終りだと考え、残念ながら胸をおさえてひたすら出銀を頼み込んだ次第だとし、ソノ時分ハ実ニ寝食ヲ忘レ心痛ツカマツリタル儀ハ、今更筆舌ニモ尽シ難シ(『御改革取扱向御届手控』、以下『手控』と略称)という。海老原には死を覚悟したと話している。事実であろう。
 この時どの段階で出雲屋孫兵衛に接触したかについては、調所は何も記していないが、調所は大いに孫兵衛を頼りにし、その協力を得ることに成功したものであろう。」(「調所広郷」。乙29の66頁。ただし、発行は原告小説3より後。)。
ウ 被告番組3−2−3のストーリー
 被告番組3−2−3は、テープ起こしで11行にわたるものであるが、(b)の表現と(c)の表現との間に、「笑左衛門は両替屋を歩きまわった。「その時分は実に寝食を忘れ、心痛つかまつりたる儀は今さら筆舌にも尽くしがたし」。その苦労は死を覚悟するほどのものであり、なかなか成果が出なかった。」との表現が3行にわたって存在する。調所が両替商をあちこち訪ねる事実は、再度の借金踏み倒しに関連する事実であるし、被告番組3−2−3の約4分の1を占めている。したがって、被告番組3−2−3の(a)の表現から(c)の表現までのストーリーを構成する出来事として、(a)〜(c)のみを選択することは適切ではない。調所が両替商をあちこち訪ねる事実も、被告番組3−2−3のストーリーを構成する出来事であると認めるのが相当である。
エ 原告小説3−2−3と被告番組3−2−3との比較
(ア) 以上を前提として、原告小説3−2−3のストーリーと、被告番組3−2−3のストーリーとを比較すると、被告番組3−2−3においては、重豪が調所に10万両の調達を命じる経緯という事実が選択されていない点において、選択された出来事が異なる。
(イ) 仮に、(b)の出来事と(c)の出来事との間に、重豪の命に応じて「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」を挿入して、(a)→(b)→(調所が両替商をあちこち訪ねたこと)→(c)というストーリーであると理解した場合、原告小説3−2−3と被告番組3−2−3とでは、その選択した出来事と配列は共通することとなる。しかし、その配列は、時系列に沿っていて、平凡である。
 しかも、その具体的表現をみると、特に、被告番組3−2−3における「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」に対応する表現のうち、「その時分は実に寝食を忘れ、心痛つかまつりたる儀は今さら筆舌にも尽くしがたし」は、文体が異なっていて特徴的であることに加え、「御改革取扱向御届手控」の表現(乙29の66頁)に酷似し、これに依拠したものと推認される。
(ウ) また、上記イのとおり、控訴人は、創作性の際立った内容は、利子の踏み倒しの過程について、文化10年の踏み倒しの経験から学び、つなぎ資金調達の必要性を認識し、その担当者として調所しかいないという重豪の内面を描き、そこからその後の展開を描いた点にあると主張する。
 しかし、被告番組3においては、文化10年の踏み倒しに関する表現(被告番組3−2−1のストーリーに相当する。甲10の6頁4〜10行目)において、つなぎ資金の必要性について一切触れられていないため、被告番組3−2−3のストーリー中、つなぎ資金の確保の必要性を文化10年の踏み倒しの経験から学んだという点が表現されているとはいえない。したがって、仮に、つなぎ資金の確保の必要性を文化10年の踏み倒しの経験から学んだという表現に原告小説3−2−3の創作性があるとしても、被告番組3−2−3が原告小説3−2−3を翻案したものであると認める根拠にはならない。
 なお、原告小説3−2−3の表現は、文庫本で23頁にもわたるのに対し、被告番組3−2−3の表現は、テープ起こししたもので11行にすぎず、分量が大きく異なる。
オ 以上より、原告小説3−2−3は、そこで選択された出来事として(a)〜(c)のみを掲げることが不適切であり、控訴人主張のストーリーが原告小説3−2−3部分に記述されているとは認められないから、控訴人の主張はその前提を欠いて失当である。
 また、控訴人の主張する選択された出来事以外に、主題と関連する事実である「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」を加えたとしても、@配列は、時間の経過に沿っていて平凡であり、Aこれらの追加した事実に関する被告番組3における表現は、文体が異なり印象的で、他の文献に依拠したことが明らかである上、B控訴人がその他の創作性の際立った表現と主張する点は、被告番組3では表現されていないか、他の複数の文献に記載されていて著者の個性が表れているとはいえないものであり、Cこれに原告小説3−2−3及び被告番組3−2−3の分量の違いを併せて考慮すれば、仮に、原告番組3−2−3に上記「調所が両替商をあちこち訪ねたこと」を加えて配列した表現に創作性があるとしても、被告番組3−2−3は、原告小説3−2−3の表現上の本質的な特徴を直接感得させるとはいえない。
(6) 原告小説3−2−4について
ア 控訴人主張の認定
 原告小説3−2−4は、「笑左衛門と孫兵衛の薩摩藩の再建策」についてのものである。
 控訴人の主張する、選択された出来事は、(a)調所と孫兵衛、再建策の1つとして、新たに第2会社を設立、事業を引き継ぐ、及び(b)調所と孫兵衛、薩摩藩を整理会社とし、そこに借金を凍結させる、であり、これに対応する表現が原判決別紙作品対照表3、2の番号4欄記載のとおり存在し、原告小説3及び被告番組3において、上記(a)、(b)の順に配列されていることが認められる(甲4、10)。
イ 原告小説3−2−4のストーリー及び創作性
(ア) 控訴人は、原告小説3−2−4を構成する(a)及び(b)の2つの出来事を選択し、これを(a)、(b)の順に並べたことに創作性があると主張する。
 しかし、(a)の表現で示された、新たに第2会社を設立して第2会社が事業を引き継ぐことと、(b)の表現で示された、薩摩藩を整理会社にして、そこへ借金を凍結することは、現在でも行われている、旧会社の債務を引き継がない新会社を設立してこれに事業譲渡をすることにより会社事業を再生させようとする手法の法的構成を説明したものである。したがって、2つの出来事を選択したというよりは、1つの事象を説明したにすぎないから、出来事の選択をしたとはいえない。仮に選択したといい得るとしても、その選択はありふれていて、著者の個性が表れているとはいえない。
 また、選択した2つの出来事の配列の仕方は、2通りしかないことに加え、(a)の表現で示された出来事と(b)の表現で示された出来事との間には、時間的又は論理的な先後関係もないのであるから、(a)、(b)の順に並べることもありふれていて、著者の個性が表れているとはいえない。
(イ) さらに、控訴人は、創作性の際立った具体的内容は、薩摩藩の再建方法を、借金だらけの薩摩藩を整理会社にし、そこへ借金を凍結し、新たに第2会社(島津家)を設立し、第2会社が事業を引き継ぐ、という方式と捉え、そこから「薩摩藩の再建」のストーリー展開を描いた点にある、と主張する。
 しかし、原判決別紙主張対照表3、1の番号4「当裁判所の判断」欄記載のとおり、薩摩藩の財政再建について、その方法として、多額の借金を負う薩摩藩を整理会社にして、そこへ借金を凍結し、新たに島津家という第2会社を設立して、これが薩摩藩の事業を引き継ぐとした、という点は、それ自体歴史上の事実にすぎず、「清算会社」、「第2会社」といった程度の比喩的な表現によって個性の表れとはいえないから、このような、歴史上の事実や、具体的表現から離れた著者の創作意図及びアイデア並びにこれらを含む一連の筋立てやストーリー性は、いずれも著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
(ウ) よって、原告小説3−2−4には、創作性がない。
(7) 以上のとおり、被告各番組が、原告各小説のシークエンスのストーリーの翻案に当たるとはいえない。
3 争点(1)のうち、人物設定の翻案について
(1) 翻案について
 上記2(1)のとおり、歴史上の事実や歴史上の実在の人物に関する記述は、単なる事実の羅列にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないといえる。他方、歴史上の事実等に関する記述であっても、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が肯定されることがあり、事実の選択、配列や、歴史上の位置付け等が、表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。
 この点について、控訴人は、著作権法で保護する人物設定であるためには、登場人物に、具体的な「性格、思想、道徳、経済観念、経歴、境遇、容姿等」を与えればよいのであって、原告小説2の6人の登場人物についての人物設定はいずれも、かかる要件を満たすから、著作権法で保護されるべきものである、と主張する。
 しかし、原告小説2の6人の登場人物は、いずれも歴史上の実在の人物であり、具体的な「性格」等を与えるだけでは、単なる歴史上の事実か、歴史上の事実等についての見解や歴史観にすぎないから、著作権法の保護の対象となるとはいえない。他方、人物設定に関する記述であっても、人物設定をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が肯定されることがあり、歴史上の位置付け等が表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。
 以下、控訴人主張にかかる人物設定について、個別に検討する。
(2) 原告小説2−3−1(徳川斉昭)
ア 徳川斉昭の人物設定を、烈公と敬称され鬼神をもひしぐ豪傑との評判と大きく違い、誰とでも見境なく争う人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現のうち、共通する表現である「誰とでも見境なく争う」は、相手との力関係などを考慮せずに浅慮にも争うことを表現するに当たっての、ありふれた表現である。したがって、共通する具体的表現に創作性があるとはいえない。
ウ よって、被告番組2−3−1は、原告小説2−3−1を翻案したものとはいえない。
エ なお、徳川斉昭が烈公と称されたことは歴史的事実にすぎないし(乙22)、誰とでも見境なく争う人物であったことは、以下のとおり、@「日本開国史」(乙21)、A「堀田正睦(二)」(乙46)及びB「堀田正睦」(乙47)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−1の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。
 @「12月29日、川路聖謨・永井尚志が堀田老中の旨を受けて斉昭を訪うと、斉昭はひどく不機嫌で、「備中・伊賀ハ腹を切らセ、ハルリスは首を刎て然るべし。切つて仕廻へ」とどなった。」(288頁)
 A「もとより齊昭は、大名中の偉物にて、一人前の仕事ができぬ心配はない。否、一人前はおろか、十人前も百人前も、その才略も精力もあった。されど彼には一の大なる欠点があった。それは余りに智術・策略を用うると、余りに当坐の感情に任せて、前後の思慮もなく、それを打ち出すと、かつ余りにその熱中したる方面にのみ没頭して、かえって大局の安排・整調を破壊するを慮らざる癖があった。」(77頁)
 B「齊昭懿親の身を以て、具瞻の地に居る、其一挙一動、悉く天下國家に影響するをも顧みず、此濫言暴語を放ちて、自から快とす、世の固陋頑愚の徒、益々跋扈跳梁して憚からざる所以、實に是が為めのみ。」(527、528頁)
(3) 原告小説2−3−2(堀田正睦)
ア 控訴人は、堀田正睦の人物設定を、ランペキ(蘭癖)大名、西洋かぶれの大名ではなく、実務能力に長けた人物として描いたと主張する。
 しかし、控訴人の主張する、原告小説2の対応する表現は、「忠固と乗全を罷免して・・・事務処理能力のある者を幕閣に迎えたい。阿部はごく自然にそう思った。・・・堀田備中守に白羽の矢を立てた。」であるから、ここでは、「ランペキ(蘭癖)大名、西洋かぶれの大名ではなく」といった人物設定は表現されていない。このように実際に表現されていない人物設定に係る控訴人の主張は、その前提がなく、失当である。
イ 堀田正睦の人物設定を、実務能力に長けた人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
ウ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。
エ よって、被告番組2−3−2は、原告小説2−3−2を翻案したものとはいえない。
オ なお、堀田正睦が事務処理能力ないし実務能力に長けていたという評価は、以下のとおり、@「幕末閣僚伝」(乙15)及びA「堀田正睦(三)」(乙16)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−2の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。
 @「正弘が堀田正睦を外交掛専任の老中として入閣させようと決心したのは、二年前ペリーが来航したとき、諸大名に通商開始の可否についての意見書を出させたとき、通商開始の必要性を整然として述べてある、正睦の意見書を読んだときからであった。正弘の眼中には、門閥も派閥もなかった。二百年間の鎖国を放棄して、開国通商をせざるを得ない非常事態に直面している現在、外国との交渉を円満に、有利にすすめる能力を備えている人材ならば、過去の経歴を問わず、どしどし登用するのが、正弘の方針であった。」(24、25頁)
 A「堀田は決して普通の大名ではなかった。彼はつとに佐倉藩主として賢明の名を博した。」(30頁)
 「阿部は外事にかけて、自らその長所にあらざることを知っていた。彼は堀田以外には、外相として適任者なきを知っていた。されば彼が堀田を推挙したのは、自ら責任を回避したといわんよりも、むしろ国家のために適材を適所に求めたというべきであろう。」(31、32頁)
(4) 原告小説2−3−3(阿部正弘)
ア 阿部正弘の人物設定を、開明的な政治家ではなく、鎖国体制維持の頑固な保守主義者、すなわち、攘夷鎖国派の人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。
ウ よって、被告番組2−3−3は、原告小説2−3−3を翻案したものとはいえない。
エ なお、阿部正弘が攘夷鎖国派であったことは、以下のとおり、「日本開国史」(乙21)にも記載されているから、既に存在していた評価の1つにすぎず、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−3の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。
 「米艦渡来当時、幕閣の首班であった阿部正弘は、包容力と柔軟性に富む人物で、名宰相とも評価されてはいるが、対外政策については、はじめ鎖国説をとり、開国政策へ転換する展望をもつことができなかったようである。」(76、77頁)
(5) 原告小説2−3−4(ハリス)
ア ハリスの人物設定を、日本のために尽くした善人ではなく、傍若無人で喧嘩腰の人物として描いたとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。
ウ よって、被告番組2−3−4は、原告小説2−3−4を翻案したものとはいえない。
エ なお、ハリスが傍若無人で喧嘩腰であったことは、以下のとおり、@「堀田正睦(四)」(乙24)及びA「横浜物語」(乙25)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−4の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。
 @「彼(判決注:ハリス)と応接したる堀田正睦を始め、岩瀬忠震・井上直らも、彼の講釈や、苦情や、威嚇的態度や、そもそもまた神経質的激怒やには当惑した」(9頁)
 A「ハリスは癇症な乱暴者で、ある日のこと突然に腹を立て、奉行中村出羽守、組頭、目付など十人ばかりが居並ぶなかへ火の入った煙草盆を投げつけた。」(50頁)
(6) 原告小説2−3−5(孝明天皇)
ア 控訴人は、孝明天皇の人物設定を、幕府に好意的、強い攘夷主義者、皇権恢復の自覚をした人物ではなく、幕府に対抗心をむき出しにする、過激な攘夷主義者であり政治に敏感な人物であると強調し、また、積極的で攻撃的な政治的権力奪回の野心の持ち主として描いたと主張する。
 しかし、控訴人の主張する、原告小説2における対応する表現は、「(判決注:孝明天皇は)水戸学崇拝者も顔負けの過激な攘夷主義者で・・・」であるから、ここでは、幕府に対抗心をむき出しにし、政治に敏感で、積極的で攻撃的な政治的権力奪回の野心の持ち主といった人物設定は表現されていない。このように実際に表現されていない人物設定に係る控訴人の主張は、その前提がなく、失当である。
イ 孝明天皇が過激な攘夷主義者であったとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
ウ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的表現は、「過激な攘夷主義者」を共通にするにとどまっており、この表現は、8文字にすぎない短いフレーズであり、外国勢力を排斥する主張を有する者を「攘夷主義者」と表現するのは普通であるし、極端な主義主張を持つ場合を「過激な」と表現することもごくありふれているから、「過激な攘夷主義者」という表現もありふれているといえ、共通する具体的表現に創作性があるとはいえない。
エ よって、被告番組2−3−5は、原告小説2−3−5を翻案したものとはいえない。
オ なお、孝明天皇が過激な攘夷主義者であったことは、以下のとおり、@「人質の日本史 陰の日本史」(乙18)、A「孝明天皇」(乙19)及びB「社会科学討究 第29巻第1号」(乙20)にも記載されているから、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−5の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。
 @「孝明天皇が熱烈な攘夷主義者であったことはまちがいない。欧米人はしっぽがあって牛馬のような蹄を持っているなどとほんきで信じていたという証言もあるくらいだから」(113頁)
 A「(判決注:孝明)天皇の思想は、伝統的な公家社会のなかにあって、攘夷論的であり、非開国思想であった。」「孝明天皇は、強い攘夷主義者であった。」(100頁)
 B「(判決注:安政条約に関する)「勅許」の申請は、理念上は幕府に対し内政・外交の一切を「委任」しているとされていた天皇に承認を求めることになり、しかも尊王論の抬頭という情況の下では事は重大であった。その上、この「勅許」が、予想に反して孝明天皇の強い反対に直面したのであった。孝明天皇の政治的動きがはっきりと現れたのは、この時点からであった。」(7頁)
 「(判決注:安政条約の勅許について)孝明天皇はあくまでも不承認の態度をとろうとしていたことがわかる。」「朝議を条約反対に導いていた中心人物が孝明天皇であったことを知ることができる。幕府の必死の工作にもかかわらず、孝明天皇の態度を変えることはできなかった。」(11頁)
(7) 原告小説2−3−6(徳川家定)
ア 控訴人は、原告小説2における徳川家定の人物設定を、馬鹿者ではなく、冷静に周りの状況を読める人物として描いたと主張する。しかし、控訴人の主張する、原告小説2における対応する表現は、「たしかに(判決注:家定は)頭はよくなかった。しかし馬鹿ではなかった。常識のあるごくふつうの男で、統治、国を治めるということに関していうなら、少なくとも自分に統治能力はない、余計なことはいわずに宿老に任せておくのがいいと判断する能力はもちあわせていた。」であるから、ここでは、冷静に周りの状況を読める人物といった人物設定は表現されていない。このように実際に表現されていない人物設定に係る控訴人の主張は、その前提がなく、失当である。
イ 家定が馬鹿ではなかったとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、その具体的記述が、創作的に表現されたものでない限り、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
ウ 原告小説2と被告番組2の対応する具体的な表現は異なっており、共通性は認められない。
エ よって、被告番組2−3−6は、原告小説2−3−6を翻案したものとはいえない。
オ なお、家定が馬鹿ではなかったという人物設定は、@以下のとおり、「幕末閣僚伝」(乙15)で採用するほか、AコメンテーターのA氏も採用する(甲1の19頁)から、歴史上の位置付け等においてありふれており、かかる人物設定が原告小説2−3−6の表現上の本質的特徴を基礎付けるともいえない。
 @「老中の一人松平乗全が家定将軍に報告すると、「条約のことは時勢のおもむくところ、止むを得ないことで、伊勢守一人の過ちではない。いま伊勢守に退かれたら、自分は誰を頼りにすればよいのじゃ。閣老が協議して、彼が出仕するようにはからえ」と命じたという。これだけでも家定が暗愚や白痴の将軍でないことがわかる。」(23頁)
4 争点(1)のうち、エピソードの翻案について
(1) 翻案について
 上記2(1)記載のとおり、歴史上の事実や歴史上の実在の人物に関する記述は、単なる事実の羅列にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないといえる。他方、歴史上の事実等に関する記述であっても、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作物性が認められることがあり、事実の選択、配列や、歴史上の位置付け等が、表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。
 この点について、控訴人は、控訴人が主張する原告各小説の各エピソードは、5つのWを備えた個々の行動や出来事を複数組み合わせたものであるから、翻案権の保護範囲であるストーリーである、と主張する。
 しかし、原告各小説は歴史小説であるから、個々の行動や出来事を複数組み合わせたというだけであれば、単なる歴史上の事実や、歴史上の事実等についての見解や歴史観にすぎないこともあるから、それのみで著作権法の保護の対象となるとはいえない。歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観が、具体的記述において創作的に表現されたものであるか否かを、その事実の選択や配列、あるいは、歴史上の位置付け等を踏まえて検討する必要がある。
 以下、各エピソードについて、具体的に検討する。
(2) 原告小説2−4−1
ア ハリスの出府をめぐり、堀田と将軍家定との間で、堀田が将軍家定に出府を提案し、将軍家定が堀田の提案を了承したというやりとりがあったとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説2と被告番組2の具体的表現のうち、堀田の発言部分における共通の表現は、「当節の模様を」「熟考つかまつりますに」「出府をみとめるのがよろしいかと存じます。」「さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」である。江戸時代に、武士が身分の高い者に対して話す場合に、当時使用していたと思われる敬語を用いることは当然である。ハリスの出府といった重要な事項について許可を求めるのに理由を付すことは自然であり、理由は形式的で単純な、周囲の状況を考慮して、といった程度とすることもありふれているし、そのころの状況を表すのに「当節の模様」、よくよく考えることを「熟考」とするのもごく普通の表現である。許可を求める表現としても、まず自分の考えを述べて、それに対する相手の諾否を尋ねるのも通常使用される表現であるから、江戸時代の老中である堀田が、将軍家定に対して出府の許可を求めるのに、「出府を認めるのがよろしいかと存じます。」「さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」とするのも、通常の表現であり、ありふれている。さらに、家定の発言部分「そ、そうせい」は原告小説2と被告番組2とで全て共通しているが、家定が吃音であったことは歴史上の事実であるから、堀田に対して承諾を与える場合の発言として、ありふれた表現である。
 以上のとおり、具体的記述において、著者の個性が表わされているとはいえない。
ウ これに対して、控訴人は、ハリスの出府をめぐって、堀田と将軍家定のやり取りを具体的な出来事として描いたのは控訴人が初めてであることをもって創作性があると主張する。
 しかし、堀田がハリスの出府を提案したことは、歴史上の事実である(乙47の51頁)し、当時の幕府の最高権力者である将軍は家定であるから、ハリスの出府という重要事項について、堀田が将軍家定に提案し、将軍家定が堀田の提案を了承したことは、歴史上の事実か、歴史上の関連する事実から自然に思い至ることである。
 しかも、重要事項について当時の最高権力者の承諾を得るということを、具体的な出来事として描くという点も(仮に、そういう記述が上記事実に関しては初めてであったとしても)、歴史上の事実について具体的場面を設定して具体的会話を記述するというありふれた手法であり、かかる具体化によって表現上の創作性が生じたともいえない。
エ よって、原告小説2と被告番組2の対応する表現のうち、共通する部分には、創作性がない。被告番組2−4−1は、原告小説2−4−1を翻案したものとはいえない。
(3) 原告小説2−4−2
ア 松平越前守の将軍補佐役就任をめぐり、堀田と将軍家定との間で、堀田が松平越前守の将軍補佐役就任を提案し、いつものように将軍家定が堀田の提案を了承することを期待したが、将軍家定が「掃部をおいて越前を挙げるべきではない。掃部を任ずる」旨述べて、提案を拒否したとする点は、歴史上の事実又はそれについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説2と被告番組2との対応する表現のうち、堀田の発言の部分は、@原告小説2が「昨日同列どもと評議いたしまして、松平越前守に御補佐をお願いしようと意見がまとまりました。」であるのに対して、被告番組2では、「昨日評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐役をお願いしようと意見がまとまりました。」、A原告小説2が「よろしくお聞き取りくださいませ」であるのに対して、被告番組2では「何卒、お聞き取りくださいませ。」である。@については、「同列どもと」の有無に差異があることに加え、話し合うことを「評議」、将軍補佐役を「御補佐役」と表現することはありふれているし、江戸時代の老中が将軍に対して敬語を使用するのも当然である。Aについては、江戸時代の老中が将軍に対して許可を求める表現として、「お聞き取りくださいませ。」とすることはありふれている。堀田が家定の承諾を期待したことを表現した部分は、原告小説2と被告番組2とで共通していない。家定の発言を表現した部分のうち、原告小説2と被告番組2との共通部分は、その大筋は後記「公用方秘録」の表現に沿っており、吃音で表現していることが「公用方秘録」とは異なるが、家定が吃音であったことは歴史的事実であるから、歴史上の位置付け等を踏まえれば、吃音を交えて表現することに表現上の創作性が発揮されているとはいえない。具体的な吃音の入れ方は、原告小説2−4−2においては8か所、被告番組2−4−2においては3か所と異なっているから、具体的記述において創作性のある部分が共通しているとはいえない。
ウ これに対して、控訴人は、松平越前守の将軍補佐役就任拒絶をめぐって、堀田と将軍家定のやり取りを以上の具体的な出来事として描いたのは控訴人が初めてであり、このような出来事をつないだのも控訴人が初めてであるから、原告小説2−4−2のエピソードのストーリーには控訴人の創作性が認められる、と主張する。
 しかし、松平越前守の将軍補佐役就任をめぐり、将軍家定が堀田の提案を拒否したことは、歴史上の事実である(「公用方秘録」に記載されている。乙50の240、241頁)。堀田が越前守の将軍補佐役就任を提案する際に、家定が了承することを期待していたとする点も、提案者による期待として通常のことである。
 しかも、堀田が将軍家定に対して松平越前守の将軍補佐役就任を提案したことは、前記「公用方秘録」に記載されており、それを具体的な出来事として描くという点も(仮に、そういう記述が上記事実に関しては初めてであったとしても)、歴史上の事実について具体的場面を設定して具体的会話を記述するというありふれた手法であり、かかる具体化によって表現上の創作性が生じたともいえない。話し言葉で表現するという手法も、ありふれているから、表現上の創作性が発揮されているとはいえない。
エ よって、原告小説2と被告番組2の対応する表現のうち、共通する部分には、創作性がない。被告番組2−4−2は、原告小説2−4−2を翻案したものとはいえない。
(4) 原告小説3−3−1
ア 重豪が隠居した理由が、重豪が、娘の婿である家斉が将軍となったため、公の席上では、舅の重豪が家斉にひれ伏さなければならないことになったが、それを面倒と考えて、家斉に気を利かせて隠居することにした、とする点は、歴史上の事実か、それについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説3と被告番組3とで対応する表現のうち、共通する部分は、「公の席」「ひれ伏(す)」「面倒」「気をきかせて隠居」である。公共の場所を「公の場」、平伏することを「ひれ伏(す)」と表現することはありふれている。また、面倒だから気を利かせて隠居したということ自体は、アイデアであり、それを「面倒」「気をきかせて隠居」と表現することは、普通である。
ウ これに対して、控訴人は、重豪の隠居をめぐって、隠居の理由を描いたのは控訴人が初めてであることをもって、原告小説3−3−1のエピソードに創作性があると主張する。
 しかし、銃豪が若くして隠居し隠居後も藩政の実権を握り続けたことは、歴史上の事実であり、このことから、隠居には年齢以外の別の理由があるのだろうと推測し、表現すること自体は、著者の創作意図又はアイデアにすぎない。そして、その具体的理由を、舅が婿にひれ伏さなければならないことを避けて気を利かせた点にあると描いたとしても、上記のとおり、表現上の創作性があるとはいえない。
エ よって、原告小説3と被告番組3の対応する表現のうち、共通する部分には、創作性がない。被告番組3−3−1は、原告小説3−3−1を翻案したものとはいえない。
(5) 原告小説3−3−2
ア 調所がいつも笑みを絶やさない表情をしていることから、重豪が調所に笑悦と改名を命じたとする点は、歴史上の事実か、それについての見解であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説3と被告番組3とで対応する表現に、共通する部分はない(なお、原告小説3−3−2で取り上げられたエピソードは、調所が1798年に重豪付きの茶道となったときに、それまでの調所清悦から、重豪の命により調所笑悦に改名した(乙26、52)という歴史的事実を元にしたものである。これに対して、被告番組3−3−2で取り上げられたエピソードは、調所が1813年に御小納戸勤めとなったときに、調所笑悦から調所笑左衛門に改名した(乙52)という歴史的事実を元にしたものである。したがって、被告番組3−3−2のエピソードから、原告小説3の表現上の本質的な特徴を直接感得できるとは到底いえない。)。
ウ これに対して、控訴人は、調所の改名をめぐって、改名の理由と改名の場面を描いたのは控訴人が初めてであることをもって、原告小説3−3−2のエピソードに創作性が認められる、と主張する。
 しかし、調所が1798年に重豪付きの茶道となったときに、重豪の命で笑悦と改名したことは、歴史的事実であり(乙26、52)、その理由と場面を描くこと自体は、著者の創作意図又はアイデアにすぎない。また、「笑悦」と改名させた理由が、調所がいつも笑みを絶やさない表情をしていることにあったとした点は、以下のとおり他の文献にも記載されており(「島津斉彬の全容」(乙26))、表現上の創作性が発揮されているとはいえない。
 「調所の「笑悦」「笑左衛門」という風変りな名前は、重豪が名づけたものだ。調所という男は、いつも笑をたたえていて、どんな場合でも、物に動じない余裕(思慮分別)のある―一種、滑稽な―人生態度を持っていたので、癇癪持ちの独裁者・重豪も、そのふりがおかしくて、つい「笑」と呼んだのではないか。」(乙26の198頁)
 改名の経緯として、重豪が調所に対して直接命じる場面を設けたこと自体は、通常考え得る表現の1つにすぎないから、著者の個性を表したものとはいえず、表現上の創作性が発揮されているともいえない。
エ よって、被告番組3−3−2は、原告小説3−3−2を翻案したものとはいえない。
(6) 原告小説3−3−3
ア 薩摩藩の石高に基づいて算出した薩摩藩の藩士一人当たりの石高を算出し、その算出過程とともに示し、さらに、年間平均消費量を一石として、上記薩摩藩の藩士一人当たりの石高と比較する、という点は、歴史的事実及びこれから計算した結果であるから、具体的記述において創作的に表現されているのでなければ、著者の創作意図又はアイデアにすぎず、著作権法で保護されるべき表現には当たらない。
イ 原告小説3と被告番組3とで対応する表現に、共通する部分はない。
ウ これに対して、控訴人は、薩摩藩士の平均石高をめぐって、薩摩藩士一人当たりの石高を導き出したのは控訴人が初めてであり、誰がやっても当然同じ計算方法になるとは限らないし、これを人間一人の年間平均消費量と対比する際、後者を一石としたのも控訴人が初めてであるから、原告小説3−3−3のエピソードに創作性が認められる、と主張する。
 しかし、薩摩藩藩士の窮乏ぶりを具体的に示すに当たって、米の石高をもって示すこと、一人当たりの消費量と実際に割り当てられたであろう量とを比較すること自体は、アイデアにすぎない。また、人間一人の年間平均消費量を一石とすることも、仮に控訴人が初めて示した見解であるとしても、アイデアにすぎない。
エ よって、被告番組3−3−3は、原告小説3−3−3を翻案したものとはいえない。
5 争点(1)のうち、部分複製について
(1) 複製とは、印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいうところ(著作権法2条1項15号)、著作物の複製とは、既存の著作物に依拠し、これと同一のものを作成し、又は、具体的表現に修正、増減、変更等を加えても、新たに思想又は感情を創作的に表現することなく、その表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものを作成することをいうと解するのが相当である。
(2) 控訴人の主張する、被告各番組の控訴人の複製権侵害についての判断は、原判決第4「当裁判所の判断」の1(2)のとおりであるから、これを引用する。
(3) これに対して、控訴人は、上記第2「事案の概要等」の4(控訴人)記載のとおり反論する。
 各複製部分に共通する反論の要旨は、@ある事実を表現するために、他に様々な表現が可能であり、表現の選択の幅が極めて狭いとはいえない、A同じ状況の同じ場面を同じ言い回しで表現した他の作品を見たことがない、B短文で言語著作物と認められる俳句の文字数は17文字であるから、17文字以上ある表現は著作物性が認められるだけのまとまりを有しており、原告各小説と被告各番組の共通する表現は、ありふれた表現ではない、というものである。
 しかし、@ある事実を表現する方法に多数の選択肢があるとしても、その選択された表現自体がいずれもありふれたものであれば、これらに創作性を認めることができないことは明らかである。控訴人が部分複製であると主張した、原判決別紙主張対照表1の「3 部分翻案」、同2の「4 部分翻案」及び同3の「3 部分翻案」記載の原告各小説の部分と被告各番組との共通する表現は、上記(2)で原判決を引用して個々に説示するとおり、いずれもありふれたものである。
 また、A仮に、控訴人の主張するとおり、同じ状況の同じ場面を同じ言い回しで表現した他の作品がなく、控訴人が初めて当該状況の当該場面に当該言い回しを用いて表現したとしても、そのことのみで当該表現に創作性が認められるものではない。選択された表現が、同様の状況や同様の場面を表現するに当たってありふれたものであれば、やはり、創作性は認められない。そして、控訴人が部分複製であると主張した、原判決別紙主張対照表1の「3 部分翻案」、同2の「4 部分翻案」及び同3の「3 部分翻案」記載の原告各小説の部分と被告各番組との共通する表現は、上記(2)で原判決を引用して個々に説示するとおり、当該状況や当該場面を表現するに当たって、いずれもありふれたものである。
 さらに、B俳句が短文であるが言語著作物として認められることがあるとしても、17文字以上あれば常に創作性を認められるわけではない。一般的に、短文であればそれに応じて表現の選択の幅が狭くなり、ありふれた表現となりやすい。そして、控訴人が部分複製であると主張した、原判決別紙主張対照表1の「3 部分翻案」、同2の「4 部分翻案」及び同3の「3 部分翻案」記載の原告各小説の部分と被告各番組との共通する表現には、上記(2)で原判決を引用して個々に説示するとおり、17文字以上であっても短文であることも一因となって、創作性が認められないものもある。
 以下、控訴人が上記@〜B以外の反論を加えている部分複製について、個別に検討する。
(4) 原告小説2−5−3について
 控訴人は、原告小説2−5−3と被告番組2−5−3とは、阿部が地震発生のどさくさに紛れて堀田に老中首座兼勝手掛老中任命の人事を発令したという筋立て以外にも、@原告小説2の「どさくさに紛れて」と被告番組2の「どさくさに紛れるように」が共通しており、A「登城せよ」という通達を表す用語は「御召」であり、これを陸軍用語である「連絡」に置き換えることは違法な改変行為に該当するから、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されている、と主張する。
 しかし、@地震その他の天災や事故など、世間や周囲が混乱している機会に何かを行うときに「どさくさに紛れる」と表現することは、ごくありふれている。したがって、地震発生に乗じて堀田を登用するという事実を、「どさくさに紛れる」と表現することはありふれている。
 また、A違法な改変、つまり、同一性保持権(著作権法20条)を侵害する行為とは、表現形式上の本質的な特徴を維持しつつその外面的な表現形式に改変を加える行為である(最2小判平成10年7月17日・裁判集民事189号267頁)。そして、原告小説2−5−3と被告番組2−5−3とは、アイデアが共通しているにすぎず、上記(2)で原判決を引用して示したように、原告小説2−5−3には、阿部が地震を期待していたわけではないがいい機会だと思った、まず安否をたしかめるための使者を送った、発令が御用番久世大和守の手を経たものであったという経緯が記述されている(甲3、37〜38頁)のに対して、被告番組2−5−3には、それらについての表現部分がない。しかも、具体的表現として、「どさくさに紛れて」(甲3、37頁)と「どさくさに紛れるかのように」(甲9、5頁)が共通するとはいえ、いずれもありふれた表現にすぎず、その他の具体的表現において共通性がほとんどないから、被告番組2−5−3は、原告小説2−5−3の本質的な特徴を維持しているとはいえない。したがって、「御召」を「連絡」に置き換えたことが、違法な改変行為に該当するとはいえない。
 控訴人の主張には理由がなく、その余の控訴人の反論は、前記(3)のとおり、理由がない。
(5) 原告小説2−5−5について
 控訴人は、原告小説2−5−5と被告番組2−5−5を一文ごとに対比すれば、被告番組2−5−5は原告小説2−5−5の表現のうち一部を省略している以外は共通し、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されており、両作品の共通部分が原告小説2の個性的な表現であるから、被告番組2−5−5は、原告小説2−5−5の複製である、と主張する。
 控訴人の主張するように対比したとすれば、@原告小説2−5−5の「いずれそのうち西洋諸国は交易を求めてやってくる。必ずくる。それも近いうちにくる。このことは昇った日は必ず沈むのとおなじくらい明白なことだ。」と被告番組2−5−5の「西洋諸国は次には交易を求めてやってくる。」を、A原告小説2−5−5の「そのとき皇国(日本)はどう対応すればいいのか。唐国のように戦うのか。」と被告番組2−5−5の「そのときわが国は清国のように戦うのか。」を、B原告小説2−5−5の「戦って、敗れて、相手(イギリス)のいうがままに償金を支払わされ、唐国が香港とかいう要地を割かされたように、長崎、下関などの要地も割かされるのか。」と被告番組2−5−5の「戦い敗れて、言われるままに償金を支払わされ、領土まで奪われるのか。」を、C原告小説2−5−5の「それらはどう考えても愚かな対応だ。」と被告番組2−5−5の「それは絶対に避けねばならない」を、それぞれ比較することとなると考えられる。しかし、@については、被告番組2の「次には」という表現が原告小説2にはなく、Aについては、被告番組2の「わが国」及び「清国」の表現が原告小説2にはなく、Bについては、被告番組2の「戦い敗れて」「言われるままに」「領土まで奪われるのか」という表現が原告小説2にはなく、Cについては、被告番組の「絶対に避けねばならない」という表現が原告小説2にはない。被告番組2−5−5は原告小説2−5−5の一部を省略したものであるという控訴人の主張は、その前提を欠いている。
 上記(2)にて原判決を引用して示したとおり、被告番組2−5−5の表現内容は、原告小説2−5−5との共通部分である筋立てを、比較的短い文章で表現しているにすぎず、原告小説2−5−5における特徴的な比喩的表現や具体的地名を含んでいないなど、具体的な表現において異なり、同一の表現ということはできない。
 控訴人の主張には、理由がない。
(6) 原告小説3−4−1について
 控訴人は、控訴人が参考にした「幕末の薩摩」(乙30)の記述と対比すると、@「幕末の薩摩」では「朱印つきの大命」とされているのを、原告小説3−4−1では「朱印状」とし、被告番組3−4−1でも「朱印状」とし、A「幕末の薩摩」では「重豪・斉興から」とされているのを、原告小説3−4−1では「重豪」とし、被告番組3−4−1でも「重豪」とし、B「幕末の薩摩」では「そのほかに、平時並びに非常時の手当てもなるたけ貯えること」とされているのを、原告小説3−4−1では「次に公儀への納金および非常の手当のため、五十万両とは別に相応の額を貯えよ」とし、被告番組3−4−1では「幕府への上納金や非常用の手当を準備せよ」とし、C「幕末の薩摩」では「大命を朱印つきで渡した」とされているのを、原告小説3−4−1ではマンツーマンの会話で劇場性を持たせ、被告番組3−4−1もその劇場性を踏襲しているから、原告小説3−4−1と被告番組3−4−1とは具体的な表現において共通しており、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されている、と主張する。
 しかし、@朱印を押捺した書状を「朱印状」とするのは、単にそのような書状を一般に用いられる短い言葉で表現したにすぎず、ありふれている(なお、「日本型経済政策の源流」においても、当該書状は「朱印状」と表現されている。(乙52の50頁))。また、A命じた者を重豪と斉興とするのか、重豪のみとするのか、Bこのときに命じられた貯えの目的の中に、幕府への上納金が含まれているのかどうかは、歴史的な見解にすぎない(なお、「履歴概略」における上記朱印状の内容は、「一、金五十万両 右来卯年ヨリ来ル子年迄相備エ候コト 一、金納並ビニ非常手当別段コレアリタキコト 一、古借証文取返シ候コト」とあり、「調所広郷」(乙29の76、77頁)においては「金納」を「幕府への上納金」と解している。)。C被告番組3−4−1においては、ナレーターが朱印状に書かれた内容を説明する形式で表現されており、マンツーマンの会話で表現されているのではないから、劇場性を踏襲しているとはいえない。
 よって、控訴人の上記主張を参酌してもなお、被告番組3−4−1は、表現上の創作性を有する原告小説3−4−1の複製と認めることはできない。
(7) 原告小説3−4−2について
 控訴人は、控訴人が参考にした「幕末の薩摩」の記述と対比すると、「幕末の薩摩」は「何より困ったのが参勤交代の費用調達だ」として「参勤交代」と「江戸への往復費用」について触れ、「国元との二重生活」には触れずに、御手伝普請について述べているところ、原告小説3及び被告番組3では、「参勤交代」「江戸への往復費用」「国元との二重生活」を列挙したあと、御手伝普請に話を移行させているのだから、両作品の表現形式の同一性は実質的に維持されている、と主張する。
 しかし、薩摩藩が経済的に困窮した原因の1つが参勤交代であって、江戸への往復費用と国元との二重生活のために費用がかさむことは、歴史上の事実又は歴史上の事実についての見解にすぎない。また、「参勤交代」「江戸への往復費用」「国元との二重生活」と配列することも、薩摩藩困窮の説明の順序として平凡であり、創作性が発揮されている表現とはいえない。
 よって、被告番組3−4−2は、表現上の創作性を有する原告小説3−4−2の複製と認めることはできない。
 控訴人の主張には、理由がない。
(8) 原告小説3−4−3について
 控訴人は、当時、公の席で、舅が婿にひれ伏すという決まりごとはなく、原告小説3−4−3はフィクションであるから、表現の選択の幅がほとんどないとはいえない、と主張する。
 しかし、公の場で舅が婿にひれ伏すことが控訴人の創作したフィクションであったとしても、アイデアにすぎず、具体的な表現においては、上記(2)で原判決を引用して示したとおり、原告小説3−4−3は、「公の席では舅の重豪が婿の家斉にひれ伏さなければならない。」と表現するのに対し、被告番組3−4−3には、「重豪」と「家斉」の用語がなく、「ひれ伏すことになってしまう。」との用語が用いられており、当該表現部分は短文であって選択の幅が狭いことも考え併せると、被告番組3−4−3が、原告小説3−4−3の表現上の本質的な特徴を直接感得させるということはできない。
 控訴人の主張には、理由がない。
6 著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)侵害の成否について原判決第4「当裁判所の判断」の2のとおりであるから、これを引用する。
7 許諾の有無について
 原判決第4「当裁判所の判断」の3のとおりであるから、これを引用する。
8 損害発生の有無及びその額について
 原判決第4「当裁判所の判断」の5のとおりであるから、これを引用する。
9 結論
 以上によれば、本件控訴には理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第2部
 裁判長裁判官 清水節
 裁判官 片岡早苗
 裁判官 古庄研


(別紙)作品対照表 1A 田沼意次篇(原告小説1・被告番組1)
(シークエンスの翻案につき、両作品の該当箇所の抜粋を一覧)
斜体部分は一審の作品対照表には記載されなかった新しい該当部分である。
番号 原告小説1の表現(頁と行は原告小説1のもの) 被告番組1の表現(頁と行は、甲8=テープ起しのもの)
1 (a)
家重、家治、二代にわたる将軍親子の恩顧にこたえるため、田沼は家治の、日光東照宮参詣費用の二十万両の捻出、というプランをおもいたった。
(19頁9〜11行目)

(a)
(1)、田沼は二代にわたって徳川家にお世話になった恩返しとして、この大プロジェクトにとりかかります。
(9頁13〜15行目)

[番組の表現]
 スタジオ進行のアナウンサーによるCM前のコメントで表現したもの
 映像の時間は、秒数で6秒


(2)、日光社参には莫大な費用がかかりました。その費用はなんと二十万両以上。
(9頁27〜28行目)

[番組の表現]
 タレントが皇居のお堀端を歩きながらコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で8秒
(b)
(1)、財政専管の若年寄になって財政状態を調べ、二十万両を捻出してもらいたいと田沼は水野にいった。
(20頁1〜2行目)

(2)、十一月十五日、水野忠友は五千石加増されて一万三千石の大名となり、若年寄にすすんだ。若年寄は数人いた。水野は月番を免除され、勝手掛若年寄、財政を専管する若年寄となった。
(24頁3〜5行目)

(配列間の要素)
次の(c)との間(頁数では、約10頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・江戸幕府の租税徴収の仕組みの説明と、その問題点の指摘。
・長崎奉行と勘定奉行を兼ねた石谷清昌の業績を引き合いに出す。
・田沼、老中格となる。
・田沼、水野に倹約を持ちかける。
(b)
 田沼意次は、同僚の水野忠友(ただとも)に目を付けた。田沼は水野を、勝手掛若年寄、すなわち財政専門の「表」の役人に転任させたのだ。
(10頁4〜5行目)

[番組の表現]
 建物(屋敷)の縁側の実景を流し、その映像とテロップ及びナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で13秒
(c)
・・・水野は言った。
「されば、二十万両、なんとか倹約によってを捻りだしてみましょう」
(34頁1〜2行目)
宝暦五年にさだめられた行政費の総額は十三万八千四百七十両だった。歳入の一割にも満たないが、水野はあらためてこれをチェックした。
・・・水野は五年かけて四万両ずつひねりだす、というのをえらんだ。
水野は勘定奉行以下の役人に命じて四万両削減の試案、倹約案をつくらせた。

(34頁9〜15行目)

(配列間の要素)
 次の(d)との間(頁数では、約19頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・倹約の中身とそれに対する悪評。
・田沼と弟・意誠の会話。
・一橋民部卿治済が、将軍家治の手のかかった大奥の女・お富を娶ることを望んだこと。
・大奥の影響力と田沼と大奥のつながり。
・御三卿について。
・一橋民部卿治済が一橋家のとりつぶしを恐れていること。
・田沼、役割を終えたと考えられている御三卿の賄領が莫大であることに気付く。
・田沼、一橋民部卿治済の意を察する。
・老中についての説明。
(c)
水野は幕府の財政に無駄がないかを徹底的に調べあげ、歳出を切り詰めていきました。
(10頁7〜8行目)

[番組の表現]
 タレントが屋敷の塀の前でコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で7秒
(d)
家治は日光東照宮参詣をようやくタイムテーブルにのせた田沼の骨折りを賞して、田沼を正式の老中にすすめた。
(53頁5〜7行目)
(d)
 その功績が認められ、田沼意次は五十四歳で老中へと昇進した。
(10頁10〜11行目)

[番組の表現]
 皇居の実景に田沼意次の肖像を重ねる映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒
(配列の順序について)
小説は
 a→b(1)→b(2)→c→d
(配列の順序について)
番組は、
 a(1)→a(2)→b→c→d
(a)
(田沼)「上様の日光東照宮参詣費用二十万両の捻出を思いたって、ついあれはどうだろう、これはどうだろと考えるようになった。田安、一橋、清水の御三卿の賄料はあわせて三十万石である。・・・」
(46頁5〜7行目)
・・・
「・・・田安、一橋はもう役割をおえた。そう思っている者はすくなくない。・・・ 廃邸にしたところで路頭に迷う者はいない。それがしはそんなことを考えるようになった」
(46頁11〜14行目)
(a)
幕府の財政運営から無駄を省いていくその作業の中で、田沼はそれまで人が手をつけようとしなかったことに着目します。それが御三卿の一つ、田安家のとりつぶしです。
(10頁19〜21行目)

[番組の表現]
 タレントが宇都宮城天守閣の階段を上りながらコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で13秒
(b)
(御三卿の賄い料は)十二万両だ。いま倹約している分が年に四万両。御三卿の賄い料金は合計すると倹約の三年分にもなる。これは大きい。
(46頁9〜10行目)

(配列間の要素)
 次の(c)(頁数では、約44頁)の間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・田沼、一橋民部卿治済の意が、自身との接近にあることを察する。
・倹約2年目の明和9年、田沼は老中に昇進する。
・異例の昇進は、日光東照宮参拝をタイムテーブルにのせたことにたいする褒賞だった。
・田沼、一橋民部卿治済と会い、お富のもらいうけについて話す。
・江戸で大火が起こる。(明暦の大火)
・同じく明和9年、災害が相次いだことから、安永に改元された。
・田沼の屋敷での来客対応、陳情受付について。
・田沼の時代における賄賂の意味。
・賄賂は、現代の政治献金と性格上かわりない。
・江戸時代、賄賂がはびこった構造的な要因について。
・「御手伝普請」について。
・田沼は、陳情に丁寧に応対した政治家。
・田沼、家治に一橋民部卿治済によるお富もらいうけについてお願い。
・田沼、水野、御用取次・稲葉正明の会話
・稲葉のもとに田安宗武の正室である宝蓮院から使いが来て、賢丸(定信)を他家に養子に出すことをやめて欲しいと言ったという。
・田沼は水野に相談。水野は宝蓮院の願いを聞き入れることを進言するが、田沼は、江戸の大火の処理費用がかさみ日光東照宮参詣費用の捻出に支障をきたすのではないかが心配。
・安永4年、田沼は評議の席で、倹約の20万両で将軍の日光東照宮参拝を行うことを提案。
・安永5年、日光東照宮参拝のスケジュールが組まれる。
・家治、日光東照宮参拝。
・安永6年、田沼と水野は褒賞として加増される。
(b)
 むしろ、幕府予算を食いつぶす存在と、田沼意次は考えていたのである。
(10頁26〜27行目)

[番組の表現]
 将軍家と御三卿の系図の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒
(c)
<思うだにいまいましい>
 定信はいちだんと田沼を憎悪するようになった。やがて、
<恨みはきっとはらす>
 田沼への復讐の、青い炎を心にめらめらと燃やすようになった。
(90頁終りから3行目〜91頁1行目)
(c)
(定信)「なぜ、養子になど出ねばならぬのだ。余は将軍吉宗公の、孫。ゆくゆくは幕政の中核を担う男だぞ。おのれ、田沼め。許さんぞ。今に見ていろ。」
(11頁5〜6行目)

[番組の表現]
 タレントが宇都宮城前にてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で15秒

(配列の順序について)
対照表では
 a→b→c となっているが、
小説の順序は、
 a(前半)→b→a(後半)→c 。
(配列の順序について)
番組は
 a→b→c 。
3 (a)
(1)、それとは別に田沼は宝永の国役金令をみつめていてあることに気づいた。
<徳川幕府は開幕当初ミスをおかした>
ということに――。
<全国民から税金を徴収する権利を確保しなかった>
というミスだ。
(245頁6〜10行目)

(2)、宝永の国役金令を手にした田沼は、はからずも、支配地以外で租税徴収権をもたずに天下の政治をとりしきっているという、幕府の変則的課税の矛盾に気づいた。
(247頁1〜3行目)
(a)
 田沼は、その年貢制度に限界を感じていました。

[番組の表現]
 タレントが東京タワー展望フロアにてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で3秒


 幕府は日本全土の年貢徴収権を有していたわけではない。幕府が徴収できるのは、各地に点在する、天領と呼ばれる直轄地からのみ。そのほかの地域は、幕府への忠誠と引き換え、諸大名に任されていた。これが徳川幕府の政治体制の根幹、年貢制度であった。
(16頁5〜10行目)

[番組の表現]
 東京タワーからの俯瞰映像に日本地図、イラスト、テロップを重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で24秒
(b)
 「諸大名の土地を担保にいれさせ、担保流れの土地を没収していく」
というテーマが先にあった。そのためには金が必要だ。金を探していて、
 「公儀の変則的課税の矛盾」
に気づいた。これは修正しておかなければならない。天下の支配者である以上、全国六十余州からもれなく税を徴収しなければならない。でなければ天下を統治しているなどと口はばったくていえない。
諸大名の領土を担保流れにしてすべて没収してしまえば変則的課税の矛盾は完全に修正できる。しかしそこへいたる道はとおい。並行しながら、全国六十余州から税を徴収する。その金を諸大名に貸す。「諸大名の領土を没収する」というテーマと「公儀の変則的課税の矛盾の修正」というテーマは二つながら実現する。
(247頁4〜13行目)
(b)
しかし、この法律にはもう一つ恐るべき狙いがあったのです。

[番組の表現]
 タレントが東京タワー展望フロアにてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒


貸金会所から金を借り受ける際、藩は担保を提供しなければならなかった。そしてその担保となったのが、藩の財産ともいうべき領地であった。

[番組の表現]
 イラスト、テロップの映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で12秒


貸金会所設立令のもう一つのねらい。それは、各藩から領地を手に入れ、幕府の収益を安定化させると同時に、諸大名の勢力を縮小させることにあったのです。
(16頁20〜26行目)

[番組の表現]
 タレントが東京タワー展望フロアにてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で12秒
(c)
高百石あたり二両だとおよそ六十万両になる。六十万両を五年分割とする。その分民百姓の負担も軽くなる。またいちどきに課税するより、毎年毎年徴収するほうが税というものをより認識させうるし、徴税組織も整備しうる。徴税組織を整備し売れば、いざというときマシーンとして活用しうる。
 五年分割だ。田沼は二両を五で割った。二両は銀で百二十匁である。一年で二十四匁。二十四匁ははんぱだ。二十五匁とする。「民百姓に高百石につき五年間、毎年銀で二十五匁ずつかける」
田沼はまずこう書き出した。高百石はおよそ十所帯である。
一所帯二・五匁・銭にして二百五十文。職人のおよそ一日の日雇い賃である。おさめる側もなんとかなる額だ。
 宝永の国役金令は町人に賦課しなかった。町人は一所帯あたり銀三匁がふさわしかろう。
 町人にはどういう基準でかけるか。間口の広さに応じてかけるというのはどうだ。間口一間(一・八メートル)を一所帯とみる。
 「町人にかける分は間口一間につき毎年銀で三匁ずつとする。これを毎年五年間、地主より徴収する」
 田沼はつぎにこう書き出した。
 宝永の国役金令は寺社にもかけなかった。寺社も例外であっていいはずがない。現代でいうなら宗教法人の優遇措置もみとめないということになろうか。田沼は寺社奉公配下の調役を呼び、寺社の台所を詳しく報告させて、
 「五年の間、寺社山伏は最高十五両、以下格式に応じておさめるものとする。ただし、皇族関係の官問跡尼御所はのぞく」さらにこう書き出した。
 大坂に「大坂表会所」という役所を設置する。そこに全国から徴収した税金をあつめる。公儀からも資金を援助する。大坂表会所でそれらの金を諸家(諸大名)に貸し出す。担保には米切手と相応の村高(田畑)証文をとる。
 もし返済がとどこおったら、米切手は、米切手に記してあるとおりの米をひきわたさせる。村高証文の分は、田畑をもよりの代官にあずからせ、物成りをもって返済させる――。
 およそこういう内容の、細部の先は<御用金令>とほとんど変わりのない法令(新御用金令)をつくりあげた。
(247頁終りから3行目〜249頁10行目)

(配列間の要素)
 次の(d)との間(頁数では、約6頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・水野、田沼の出した法令案に反対する。
・田沼、水野に真意を告げず説得を試みる。
(c)
全国民から平等に強制出資させた資金を、財政に苦しむ藩に貸し出すというものだった。
(16頁17〜18行目)

[番組の表現]
 東京タワーからの俯瞰映像にイラスト、テロップを重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で8秒
(d)
「これだけはやめられよ」
「・・・・・・・・」
「きっと騒ぎがおこり申す」
・・・

田沼は実質的な総理だ。水野の反対をおしきり、大目付に命じて新御用金令を発令させた。
(255頁3〜14行目)
(d)
これには当然、各地の諸大名をはじめ幕府の内部からも、猛烈な反発が起こりました。それでも田沼はこの法案を強引に通します。
(16頁26〜27行目)


[番組の表現]
 タレントが、東京タワーが背後に見える寺の門の前でコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で10秒
(配列の順序について)
対照表は
 a(1)→a(2)→b→c→d
(配列の順序について)
対照表では
 a→b→c→dとなっているが、
番組の順序は、
 a→c→b→d。
 以上

(別紙)作品対照表 2A 堀田正睦篇(原告小説2・被告番組2)
(シークエンスの翻案につき、両作品の該当箇所の抜粋を一覧)
斜体部分は一審の作品対照表には記載されなかった新しい該当部分である。
番号 原告小説2の表現(頁と行は原告小説2のもの) 被告番組2の表現(頁と行は、甲9=テープ起しのもの)
(a)
老中首座兼勝手掛老中として幕閣を主導する立場にいた阿部伊勢守正弘も、国体の護持、攘夷鎖国を外交の基本理念に据えた政治家だった。ペリーを迎えて阿部は、水戸学の総本山の総師、海防問題の権威、徳川斉昭を外交顧問のような形で幕閣に迎えようとした。
(31頁13〜15行目)

ペリー来航に対し、阿部は攘夷鎖国派の御三家水戸の徳川斉昭を幕閣に迎え、幕府開府以来の難局をくぐり抜けようとした。
(5頁1〜2行目)

[番組の表現]
 徳川斉昭の文楽人形と斉昭の肖像画の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒
(b)
(1)、(注:斉昭は)烈公と敬称され・・・
(31頁3行目)

(2)しかし斉昭は世間一般から抱かれている印象とおよそ異なる、感情の抑制のきかない、思いついたことを口から出まかせにしゃべって一歩も譲らない、誰とでも見境なく争う、性格の狷介な男だった。
(32頁5〜7行目)

(配列間の要素)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・斉昭、忠固に対し激怒。
・阿部は忠固と松平乗全を罷免

 しかし斉昭は評判とは大きく違った。 海防問題の第一人者と目されていた斉昭は烈公と呼ばれ、誰とでも見境なく争うばかりで、期待はずれだった。
(5頁3〜4行目)

[番組の表現]
 斉昭の肖像画と怒る斉昭の文楽人形に「烈公」の文字を重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒
(c)
 忠固と乗全を罷免して・・・事務処理能力のある者を幕閣に迎えたい。阿部はごく自然にそう思った。・・・堀田備中守に白羽の矢を立てた。
(34頁3〜8行目)

(配列間の要素)
次の(d)との間(頁数では、約10頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・阿部による人事。
・斉昭の立ち位置、溜間詰大名との対立
・阿部と堀田の外見の比較
・安政の大地震が起こる

(文楽阿部)「この難局に早く能力のある者を幕閣に迎え入れなければ。」
そこで白羽の矢が立ったのが老中経験もある佐倉藩主、堀田備中守正睦だった。
(5頁9〜11行目)

[番組の表現]
 悩む阿部の文楽人形と小さい画面に阿部の肖像画の映像であり、その映像と声優による阿部のセリフで表現、そのあとナレーションにより表現
 映像の時間は、14秒
(d)
 (安政の大)地震を期待していたわけではないがいい機会だと思った。どさくさに紛れて堀田の人事を発令しようと、翌十月三日の早朝、まず安否をたしかめるための使者を送り、つづけて御用番久世大和守の手を経て御用召の奉書を送った。
(37頁末行目〜38頁2行目)

 この年の秋、四千人の死者を出す安政の大地震が江戸を襲った。地震騒ぎの中、まるでどさくさに紛れるかのように堀田の下に登城の連絡が入る。なんと阿部が
堀田を老中首座に迎えたのだ。
(5頁11〜13行目)

[番組の表現]
「安政大地震」を描いた浮世絵と江戸城のイメージ画像に阿部と堀田の肖像画を重ねた映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、17秒
(e)
堀田は老中首座兼勝手掛老中に任じられたものの、実権はなにもない、看板みたいなものだというのが、いろいろ情報を集めてまわった外野の結論だった。
(39頁1〜2行目)

(文楽阿部)「お主には悪いが所詮はお飾り。老中筆頭には座らせるものの、権力は渡さぬ。これまでどおり自分が幕閣を仕切るのみ。」
(5頁21〜22行目)

[番組の表現]
 阿部正弘の文楽人形の映像であり、その映像と声優による阿部のセリフで表現したもの
 映像の時間は、12秒
(a)
 しかしいずれにしろ伊勢守(阿部)は交易を非とするこちこちの攘夷鎖国論者で、海防掛勘定奉行勘定吟味役が伊勢守の意に沿うように(注:交易反対と)歩調を合わせている、というのははっきり分かる。
(65頁3〜5行目)

 当時、海防掛は西洋列強との交易反対の姿勢を打ち出していた。そのトップは宿敵、阿部正弘。
(9頁6〜7行目)

[番組の表現]
 海、帆船、航海のイメージ映像に阿部の肖像画の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、8秒
(b)
堀田はそう思った。
伊勢守に交易反対の旗を振らせておくわけにはいかない。振らせておくと国を誤る。唐国のように、大艦巨砲にものをいわされ、結局のところはゆずらされて港を開かされるのはもちろん、要地をも割譲させられる。巨額の償金も支払わされる。
翌日登城すると堀田はためらうことなく阿部にいった。

「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
(65頁7〜12行目)

(配列間の要素)
次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・イギリスやオランダの代表者、長崎奉行が開国の益を説く。
・海防掛目付として優秀と評判の岩瀬忠震が下田に派遣される。
・ロシアのプチャーチンを乗せた船が下田沖で難破したがその後和親条約を取りつけ帰国。
・江戸を台風が襲い「これも外夷のせい」と堀田は思う。
・オランダの海軍中佐ファビウスが下田に来日。その2か月前にファビウスは英国香港総督のボウリングが来ると告げてきていた。
・日本はイギリスと通商条約ではなく和親条約に調印。
・未だ来ぬボウリングにどう対応するかで海防掛のなかに悲壮感が漂い、堀田あきれる。
・ボウリングは結局来なかった。
・下田のハリスから書状が届く。ハリスよりボウリングを何とかしたい堀田はハリスからボウリングの情報を聞き出し対処の最善策を探りたい。


(文楽堀田)「このまま伊勢守に交易反対の旗を振らせておくわけにはいかない。振らせておくと国を誤る。清国のように、西洋諸国の大艦巨砲にものをいわされてしまう。」
飾りのはずの堀田が動く。

(文楽堀田)「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
(9頁9〜13行目)

[番組の表現]
 堀田の文楽人形の映像と肖像画であり、その映像と声優による堀田のセリフで表現したもの
 映像の時間は、18秒
(c)
(注:江戸への出府要求が書かれたハリスの書状を読んだ堀田の心境)
大事なのは……、ハルリスを望みどおり江戸へ呼び寄せ、ハルリスから直接ボウリングのことを聞き、ボウリングに対処する最善の策をさぐりだすことにある。
 相手はハルリスではない。ボウリングである。ボウリングの手の内を知ればそれだけ準備もできる。備えも厚くなる。
 場合によってはハルリスと日本にとってより有利な条約を結べばいい。そしてそれをボウリングへの盾とする。早い話が利用する……。
(104頁3〜8行目)

(配列間の要素)
次の(d)との間(頁数では、約10頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・岩瀬がファビウスからオランダ船を借り受けて外国行きを目論んでいるらしい
・海外遊学の重要性を説く岩瀬の話を聞く堀田。それを勧めても阿部が立ちはだかるのはわかっていたので、その話は前向きに考えると返事をする。
・阿部達が鎖国体制を堅持したい最大の理由のひとつはキリスト教に対する嫌悪感であった。
・ペリーを始め多くの人物による日本進出の経緯戦略について
・メキシコドルと一分銀の重量交換について日本側の不信感

変わろうとしない幕府を変える。そのために堀田が頼みとしたのは外圧だった。通商条約締結を求め、下田にやってきたアメリカ公使ハリスの、江戸への出府要求を利用しようと動き出す。
(9頁21〜23行目)

[番組の表現]
 黒船、船上、舵、「外圧」の文字、ハリスの写真に黒船、ハリスの映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒

(d)
(1)、下田に到着した翌日、ハリスは奉行所の役人に不意打ちを食わせるように聞いた。
「コンシェル館は建てておられますか?」
・・・
そのあともハリスは何度も、
「コンシェル館は何ヶ月ほどで建てられるのですか?」
とか
「すみやかに建ててもらいたい」
と高飛車な質問や要望をくりかえした。
・・・
三人(注:幕府の役人)はついでにコンシェル館建設問題を持ち出した。すると、ハリスは手の平を返すように、
「しばらく見合わせます」
といった。これまたおかしい。
日本側は糾した。ハリスは涼しい顔をして、
「下田は良港でないから、追って港を変えてもらうつもりです」
とか
・・・
などと問題をはぐらかした。

(138頁11行目〜140頁4行目)

(配列間の要素)
 次の(2)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・ボウリング来日の報が真実とわかり堀田も日本側の面々も緊張する。
・ハリスによるメキシコドルと一分銀の重量交換の要望書が下田奉行あてに届く。

 しかし外圧(注:ハリス)ともなるべき男も一癖も二癖もある人物だった。なんと、通商条約締結という任務を担い来日したハリスは、幕府の役人を前に傍若無人に振る舞った。交易不可という幕府の役人に対し、怒号を上げののしり、それでいて自国や自分の利益に都合の悪い問題は常にはぐらかす。
 (9頁24〜27行目)

[番組の表現]
 ハリスの銅像、下田・玉泉寺の山門、寺の中のハリスの部屋、秤の上の小判の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、23秒
(2)、ハリスはいっこうに怒りをしずめない。給仕が茶を運んでくると手を振って、「そんな茶など飲めるか」と荒々しくいい、御徒目付をさしては「出て行け」とののしり、何をいっても耳を傾けようとしない。
・・・
目をつむっておもむろに首を振り、「いいやそうではない」といわんばかりの仕草をして見せるのがハリスの反撃の前触れだった。その仕草がはじまると、井上も岡田も身を縮ませて、ハリスの破れ鐘のような怒声が頭上をとおりすぎていくのを待たねばならなかった。
(153頁3〜13行目)

(配列間の要素)
次の(e)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・アメリカに続きオランダ・イギリス・ロシアからの開港要求。
・幕府はそれらの回答をのらくらと逃げ回り、堀田はそれを苦々しく思う。
・しばらく登城しなかった阿部、10日ぶりの阿部は見るからに病にかかっている様子で、堀田はもし阿部が死んだら好都合になるとこっそり考える。
・阿部の病状がますます悪化する。
・阿部、死す。
 
(e)
堀田はこう前置きした。
「当節の模様をつらつら熟考つかまつりますに、上申書でも申し上げておきましたとおり、やはり勝手掛大目付目付、在府箱館奉行の申し立てどおり出府を認めるのがよろしいかと存じます。これは同列どもと協議したうえでの評決でございます。
さよう取り計らってよろしゅうございましょうか?」
家定は老職のいうことには何であれ逆らったことがない。この日も言葉少なに吃りながらいった。
「そ、そうせい」
(219頁8〜15行目)

(文楽堀田)「上様に申し上げます。当節の模様を熟考つかまつりますに、アメリカ官吏の出府を認めるのがよろしいかと存じます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」
(文楽家定)「そ、そうせい。・・・」
(10頁17〜20行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、13秒
3 (a)
 しかしとにかく激過ぎる。またたく間に朝野に知れ渡る。いまこの瞬間にも小石川(水戸の上屋敷)から波紋が広がるように広がっていよう。そして朝野は、今夜からにも、「御老公は条約調印に断固反対なのだそうだ」とかまびすしくささやきあう。
 説明、質疑応答も、隠居の暴言で吹っ飛んでしまった。
(503頁9〜13行目)

(b)
(1)、なにかないか。
堀田は思いを巡らした。
いいのがある。
これならというのを堀田は思いついた。
(503頁後ろから3行目〜504頁1行目)

(配列間の要素)
 次の(2)との間(頁数では、約10頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・1月1日、堀田登城。一橋慶喜にお目通りを願いでる。
・斉昭の暴言の件と鷹司からハリスの事を聞くのをやめてもらう件を進言。
・身内からの動きで自分の立場が危うくなると、慶喜は立腹する。


(2)、(注:堀田)「御老公はご承知のとおり水戸学の総帥で、なにかにつけて叡慮叡慮といわれる。時には征夷大将軍の職を奪われるなどと脅しもかけられる・・・ですからこの際、あと腐れのないように、勅許をいただいておこうと思うのです。そうしておけば御老公もなにもおっしゃれない」
(515頁10〜13行目)

(配列間の要素)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・慶喜は父・斉昭の一連の暴言は老いのせいであるのでもう少しとり成してほしいと海防掛5人に頼む。
・父親を立てる慶喜に西城に迎えるべきは慶喜だと皆が思うようになる。

 烈公斉昭が条約調印に断固反対。それが広まれば、これまでのハリスとの交渉、諸候への根回しも吹っ飛んでしまい、条約締結が頓挫してしまう。
(13頁28行目〜14頁1行目)

[番組の表現]
 斉昭の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒


(1)、そのとき、堀田に至極のアイデアが浮かぶ。
(文楽堀田)「これだ。これしかない。」
(14頁4〜5行目)

[番組の表現]
 山にかかる月の映像とナレーション、義太夫節による堀田のセリフで表現したもの
 映像の時間は、8秒


(2)、斉昭は尊皇攘夷を美とする水戸学の総帥。天皇の言葉に背くことはできない。天皇の御言葉を手に入れれば、斉昭の邪魔をふせげる。
(14頁11〜12行目)

[番組の表現]
 斉昭と堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、11秒
(c)
(注:堀田)「なに勅許をいただくなど簡単です。蒸気船やテレガラフなどが急速に発達して世界は一つになりつつある。そんなとき我国だけ孤立して独善をきめこむことはできません。だから条約を結ばなければならないのです、と事を分けてお話しすれば、物の道理さえ弁えておられれば、たちどころに、思召しはあらせられぬと叡
慮を下されるはずです。」
(520頁7〜11行目)

(配列間の要素)
次の(d)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・将軍継承問題。慶喜と家定、どちらにするかでもめていた。

 老中が京に乗り込み、外的の危険を吹聴すれば、勅許はただちに手にできる。
(14頁9〜10行目)

[番組の表現]
 葵と菊の御紋のイメージ映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、7秒
(d)
 諸大名の赤心、意見は聞いた。それも二度にわたって聞いた。ほとんどが賛成だった。・・・それなのにもう一度聞けといっている。無理難題だ。差し戻し、取りようによっては不許可ともとれる。
(572頁3〜5行目)

 朝廷からの返事は、御三家以下諸大名の意見を聞いてから再願せよという差し戻し、つまり不許可であった。
(14頁14〜16行目)

[番組の表現]
 堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、7秒
(e)
(注:孝明天皇は)水戸学崇拝者も顔負けの過激な攘夷論者で・・・・
(574頁1行目)

 さらに孝明天皇は過激な攘夷主義者。
(14頁22行目)

[番組の表現]
 孝明天皇の肖像画に攘夷鎖国の文字を重ね、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、3秒
(f)
(1)、とはいえ家康が江戸に幕府を開いて以来、政治は幕府がおこなうことになっている。なにか変わったことがあっても天皇にとってそれらは事後に報告されるにすぎない。ペリーとの和親条約の締結も・・・事後に報告されただけだ。
(575頁7〜10行目)

(2)、政治に敏感であればあるほど、なにがしかであれ幕府から政治権力を奪い取ろうという野心はきざす。孝明天皇はそんな野心を抱いていた。
(575後ろから2行目〜576頁1行目)

(3)、ところが、今度ばかりはちがった・・・「宿老の首座堀田備中守が叡慮を宿老の首座堀田備中守が叡慮を仰ぎに・・・」
(576頁10行目および14行目)

(配列間の要素)
 次の(g)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・孝明天皇のただひとり意にそぐわない人物が太閤鷹司。
・この勅許の打診を巡って、廷臣八十八卿列参事件がおこる。

 事の次第はこうだった。これまで幕府と朝廷の関係は、ペリーと結んだ和親条約も含め、すべてが事後報告だった。しかし、今回、はじめて事前に(注:幕府から)勅許を求められた。それが政治に敏感であった孝明天皇に政治介入の野心を抱かせてしまった。
(14頁18〜21行目)

[番組の表現]
 京都御所の外観と孝明天皇の肖像画の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、19秒
(g)
(1)、(注:同席からの手紙)「貴所様にも諸事御困苦御取扱いの儀と、毎々(注:将軍の)御沙汰も在せられ候間、其処は御心配これ無く・・・」
(680頁6〜7行目)

(2)、上にさえ信頼しておいていただければ、そうだ、肥後のいう、条約調印独断強行はけっして難しいことではない。
そう思うと堀田の顔にはまたみるみる生気がもどった。
(680頁終わりから3〜1行目)

(配列間の要素)
 次の(h)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・慶永は自分にも好機が来たかもしれないと、慶喜が次期であり堀田が戻り次第発表だろう」と忠固に告げる。
・家定か慶喜かどちらが次期将軍になるのか?裏でもいろいろ駆け引き。

 江戸より届いた手紙の中で「堀田に苦労をかけていると将軍家定が心配している」との記述があった。上様に信頼してもらえば大丈夫。条約の締結に邁進するのみ。堀田の顔に生気が戻り、
(16頁末行〜17頁2行目)

[番組の表現]
 江戸城のイメージ映像と家定の肖像画、堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒
(h)
「大儀であった。これからもよろしくたのむ」
(706頁12行目)

京都での不首尾を詫びると「これからも頼むぞ」との温かいお言葉をいただく。
(17頁13〜14行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、8秒
(i)
(1)、「昨日同列どもと評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐をお願いしようと意見がまとまりました。・・・よろしくお聞き取りくださいませ」
(707頁11〜15行目)

(2)、・・・堀田はいいおわって、いつものように「そうせい」「よきに計らえ」という家定の言葉が返ってくるのを待った。・・・
「カ、カ、家格、ジ、ジ、人物、イ、いずれを見るも、カ、掃部。掃部を措きて、エ、越前を、ア、挙ぐべきにあらず。掃部を、掃部を呼べ。掃部を、タ、大老に、ニ、任ずる」
(707頁後ろから3行目〜708頁2行目)

(文楽堀田)「昨日評議いたしまして、松平越前守に御補佐役をお願いしようと意見がまとまりました。なにとぞ、お聞き取りくださいませ。」
 いつもなら、
「そ、そうせい」そう言葉が帰ってくるはずだった。しかし。
(文楽家定)「か、掃部を放っておいて、え、越前を挙ぐべきにあらず。さ、掃部を呼べ、掃部を大老に任ず。」
(17頁17〜22行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の遣り取りの映像を声優によるセリフとナレーションで表現したもの
 映像の時間は、33秒
 以上

(別紙)作品対照表 3A 調所笑佐衛門篇(原告小説3・被告番組3)
(シークエンスの翻案につき、両作品の該当箇所の抜粋を一覧)
斜体部分は一審の作品対照表には記載されなかった新しい該当部分である。
番号 原告小説3の表現(頁と行は原告小説3のもの) 被告番組3の表現(頁と行は、甲10=テープ起しのもの)
(a)
(注:重豪の考え)こんどは利払いの停止だ。
(35頁7〜8行目)

(配列間の要素)
次の(b)の間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・銀主はおもに大坂にいる。大坂の地で産物を売りさばき、現金収入を得る。
・一方、領内の米や商品作物、道之島三島の砂糖などの生産をふやし、役人の不正を排除する。
・持ち場、持ち場に人はいる。

(重豪)「むこう十年、利子は払わぬ」
 利子の踏み倒しである。
(6頁4〜5行目)
(b)
 その人が、まわりを見わたしてもどこにも、
 <いない!>
(35頁後ろから6〜4行目)

(配列間の要素)
 35頁後ろから6〜4行目と40頁後ろから3行目の間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・久保はどうか、久保は当時の薩摩藩にあっては、第一級の識見をもった人物だった。
 久保は重豪の求める人材ではなかった。
・「どこかに使えるやつはいないのか?人さえいれば・・・のう笑悦(注:調所のこと)」(ここで章が終わり、別の章になります)
・文化6年(1809)斉宜(なりのぶ)、隠居。家督を継いだのは斉宜の嫡男、斉興(なりおき)。


 人は・・・と思いをめぐらしても見つからない。
(40頁後ろから3行目)

(配列間の要素)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・重豪、人選をするため調所を連れて大坂へ。

(重豪)「困ったなあ。誰にやらせるか」
(6頁6行目)
(c)
(1)、重豪は借金踏み倒し計画を(注:樋口に)うちあけ、万端とりはからうよう、樋口に命じた。
(45頁8行目)
(2)、樋口は銀主を蔵屋敷によびよせた。代理出席でだいたい番頭がやってくる。番頭を前に、樋口は実質的な借金踏み倒し宣言をした。
(67頁末行〜68頁1行目)

(配列間の要素)
 次の(d)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・「金利は払わぬ。元金も払えぬ」
万一に備え金を蓄える必要がある。
・重豪、公金をくすねる官僚機構を立て直すべく幕府に帰国願いを出す。
・調所、重豪に命じられ御小納戸勤となる。名も笑左衛門となる。
・島津家と将軍家は重豪の祖父・継豊(つぐとよ)と竹姫の結婚を機につぎつぎと婚姻をかさねていく。
・関が原の戦いにみる薩摩隼人“人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬”った。
・重豪、領内の商業活動を活発にする目的もあって、関所の往来をゆるやかにした。仕付(しつけ)方という役所をもうけ、言語、容貌、風俗、服装をあらためさせた。
・重豪、帰国し鹿児島で組織の改革を行う。公金の扱いを勝手方吟味役が行っていたが、趣方法という一局を勝手方に内部にもうけ、金の出入りを趣方法がおこなった。
・金方物奉行の樋口小右衛門、銀主に借金踏み倒しを宣言。
・借金踏み倒し後は「国元からおくった産物を、大坂で売りさばくことにより現金を調達し、経費をまかなう」のを原則としていたが、砂糖の不作、船の難破により思うように大坂へ送ることができなかった。

悩んだあげく、重豪は金方物奉行に命じ、利子の踏み倒しを宣言した。
(6頁7〜8行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で8秒
(d)
「えげつないおっしゃりようでんな」
・・・銀主は怒りをあらわに帰っていった。 銀主は両替商である。怒りをあらわに帰っていったものの、表だって騒がなかった。そのかわり、
「島津家には二度と金を貸さない」
こう、かたく申しあわせた。

(68頁2〜9行目)

(配列間の要素)
 次の(e)の間には控訴人が主張する以外の要素が主張する要素の記述がある。
・金方物奉行の樋口小右衛門死去。
・側役側用人、伊集院隼衛(いじゅういんはやえ)、未着の米や産物を担保に堂島や堺筋の問屋や商人から金を前借りしたが悪循環となり失敗。
・これを聞いた重豪、大坂へ行こうとしたがもはやどうにもならない。

 だが、これに怒った古くからの両替屋たちは、一切の融資をストップ。薩摩藩は自ら金融の道を塞いでしまった。
(6頁8〜9行目)

[番組の表現]
 鹿児島の実景(銀行)、街を歩く人々の実景映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で13秒
(e)
「われ敗れたり!」
重豪はがくっと首をたれた。
(76頁11〜12行目)

(重豪)「やっぱりだめか」
(6頁10行目)
(a)
(1)、働きかける相手は筆頭老中の水野忠成だ
(111頁13行目)
(2)、重豪はいった。
「そちの仕事は、出羽(水野)の屋敷に日参して、品数を増やしてもらうよう、働きかけること。仕事はそれだけ。たやすいことだ」
(112頁2〜4行目)

(配列間の要素)
 次の(b)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・君命であるため、調所は拒むことはできない。
・職を免ぜられると収入が零になる。
・調所はない知恵を絞る。
・土方縫殿助が水野家と関係を作った時のエピソード

(重豪)「水野(注:忠成)のところにつてはある。笑左衛門、お主を続料係に命じる。水野の所に行って、品数の増加を働きかけよ。」
(8頁24〜25行目)
(b)
 こんなエピソードが残されていることからもわかるように、土方縫殿助は諸藩の江戸家老や留守居、御使番などの“外交官”に広く名を知られた男だった。調所はその土方に照準をあわせた。
(114頁後ろから5〜3行目)

(配列間の要素)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・調所、土方に面会を頼むが断られる。
・そのころ島津家は斉宜の娘郁姫を当主斉興の養女として近衛家に嫁がせる準備で金が必要だった。
・調所は毎日きまった時刻に土方の別荘の門を叩いた。
・土方、調所の熱意を感じ会ってみたくなるが、あくまでも恩を売る形にしたいと考える。
・通い始めて半月後、面会が許された。

だが、笑左衛門のアプローチは違った。島津家と婚姻関係にあった将軍家斉の側近、水野忠成の元家老、土方縫殿助の才能に注目した。土方はコネづくりの天才。
こんなエピソードが残されている。・・・

(9頁4〜6行目)

[番組の表現]
 調所役の役者の演技とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で20秒
(c)
(注:土方と調所の会話)
(土方)「かねて主人出羽守(水野)は、上様(家斉)も一位様(家斉の父治済)がご息災のうちに親孝行をしてさしあげたいと思っておられるに違いない、と申している」
・・・
(土方)「一位様が一位にふさわしい官職にお昇りまいらせられれば、上様もことのほかお喜びになるだろうとも……」
・・・
(土方)「あいにく出羽守やそれがしには京につてがござらぬ」
・・・
(調所)「そのことなら、お安い御用かと存じます。島津家はかねて京とは昵懇の間柄。このたび郁姫様も近衛家へ入輿あらせられます。京へはいかようにもお口添えできるかと……。・・・」
(117頁13行目〜118頁9行目)

(土方)「この男は(注:調所のこと)薩摩の男。うまく使えば、治済様の官位をあげられるかもしれない。島津家は京都と昵懇の間柄だ」
土方は将軍徳川家斉が、父である治済に親孝行ができるよう、官職をあげてもらえないかと相談を持ちかける。
(9頁11〜14行目)

[番組の表現]
 調所役と土方役の演技とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、(e)と併せて秒数で31秒
(d)
 調所は重豪の前にかしこまった。
 「あらたに十品目を認めていただきました」
 「合計十六品目か?」
 「さようでございます。詳しくはこれに」
(119頁1〜4行目)

文政八年、笑左衛門は土方とコネクションを持ったことにより、貿易の品数は十品目追加され、十六品目となった。
(9頁16〜17行目)
(e)
八月七日、一橋穆翁(治済)は准大臣に任ぜられた。・・・なるほど、それに水野が一働きしたからなのだと、誰彼はなっとくした。
(122頁11〜13行目)

 結果、重豪の取り計らいにより治済は准大臣となり、その手柄は水野のものになったという。
(9頁14〜15行目)
(a)
「棄捐」――。
 所帯を立て直すにはもう一度棄捐をやり、借金を踏み倒して一からでなおす。
(125頁6〜7行目)

(重豪)「藩を立て直すには、あの手しか
ない」
 借金の踏み倒しである。
(10頁2〜3行目)
(b)
 しかしそれにはつなぎの資金、およそ「十万両」――が必要だ。
・・・
「人」――。
誰にやらせるか・・・。
調所以外に顔が浮かんでこない。・・・
(注:重豪)「国元から笑左を呼び戻せ」
(125頁9行目〜126頁末行)

(配列間の要素)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の要素の記述がある。
・重豪、調所に10万両を作るように命じる
・両替商の辰巳屋を藩邸に呼ぶがけんもほろろに挨拶を返された。
・調所、直接両替商へ出向く。鴻池屋、加島屋といった大手から中小の両替屋をまわるが相手にされない。
・調所、最後の望みをかけ出雲屋を訪ねる

そのためには、およそ一年分のつなぎの資金を集めなくてはならないが、・・・
(重豪)「誰にやらせるか。奴しかおらんか」
笑左衛門である。
(10頁3〜6行目)
(c)
(1)、出雲屋孫兵衛は調所がたずねてくるのを待っていた。調所が大坂の両替屋をまわりはじめたこの二カ月の間、調所がくるのを今日か明日かと待ちかまえていた。
(141頁9〜10行目)

(配列間の要素)
 次の(2)との間には被告人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・薩摩藩の金の出入りのところが腐敗しているのは国元だけでなく大坂もそうだった。経済学者の佐藤信淵はこの2年後に差薩摩の財政再建案『薩摩経緯記』を書いている。そのなかに腐敗の様子が書かれている。
・出雲屋、薩摩の蔵役人と合体盤結してひと儲けしようと1年前より考えていた。
 そこへ調所があらわれた。
・調所と出雲屋面会。


(2)、出雲屋はいった。
「二万両、ご用立てましょう」
(147頁6行目)

(1)、そんなとき、笑左衛門の前に、救世主があらわれる。大阪の両替屋、出雲屋孫兵衛兵である。
(10頁9〜10行目)
(2)、薩摩特産の黒砂糖に目をつけた出雲屋孫兵衛は、二万両の融資をおこない、
(10頁11〜12行目)
(a)
 あらたに第二会社(島津家)を設立し、第二会社が事業を引き継ぐ――。
(186頁9〜10行目)

 笑左衛門と孫兵衛たちが考えた再建案のひとつは、新たに第二会社「島津家」を設立し、事業をおこなうこと。
(13頁9〜10行目)
(b)
 薩摩藩を整理会社にし、そこへ借金を凍結する
(186頁後ろから7行目)

薩摩藩を整理会社とし、借金を凍結させた。
(16頁5〜6行目)
5 (a)
(1)、斉興は当分斉彬に家督をゆずる気が なかった。
・・・
(2)、家督をゆずれば(注:斉彬は)きっ とやりたいことをやるだろう。これまでこ つこつ貯めてきた金を、うわばみが呑み干 すようにひと呑みに呑み干してしまうだ ろう。そしてもとの貧乏にもどる――。
(285頁3〜13行目)

(配列間の要素)
 次の(3)の間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・斉彬はおよそこの5年後、阿部と筒井などの 力をかりて、いやがる親父(斉興)を隠居さ せ、家督を相続。反射炉や溶鉱炉をつくっ て大砲をつくり、火薬を製造し、軍艦をつく り、ガス灯をつけ、電気・通信、水雷などを 実験し、ガラス工場を建て、紡織機械を輸 入して綿布を織らせ・・・と精力的に活動を はじめる。
・阿部、薩摩が琉球に送った人数を疑う。
・調所と斉興、琉球に送った人数が疑われた 背景に斉彬が関係していると推測。
・斉彬、富国強兵を考えるが、うまく金を使わ せてもらえない。
・斉彬、琉球にいるはずの家臣がいることに気 づく。貨幣の密造にも気づく。


(3)、斉彬を(注:鹿児島から)おくりだ したあと、斉興は由良との間の子、幼名又 二郎、一門の重富家へ養子にやった忠教 (ただゆき)、のちの久光を家老座上席に すえ、琉球・海防担当の名代(藩主代理) とした。
(298頁4〜5行目)

 斉彬に家督を継がせると、財政は破綻 する。家督を譲りたくない斉興は、側室 由良との子、久光に藩政を任せようとし た。
(16頁14〜16行目)
(b)
調所は阿部の意図を計りかね、沈黙をつづけた。阿部は追い打ちをかけるようにいった。
「そちの不始末は大隅(斉興)の不始末でもある。ばあいによっては大隅に評定所へきてもらうやもしれぬ」
 あっ、と調所は声にならぬ声を肚の中であげた。阿部は辞めろといっているのではない。死ね!といっている。
(313頁最後の行〜314頁4行目)

そんなとき、薩摩藩の密貿易を幕府の老中、阿部正弘が追及。
(16頁17行目)
(c)
(注:斉彬の大叔父黒田斉溥が斉彬に)
「伊勢守(阿部)に一働きしていただく。 琉球への派遣人員の齟齬と、昆布の密買、材料はこれだけあれば十分」
斉溥が阿部に手をまわした・・・
(316頁終わりから4〜2行目)

 驚くことに、早く家督を継ぎたい斉彬が幕閣に手をまわし、密貿易の情報を流していたのだ。
(16頁17〜18行目)

[番組の表現]
 阿部正弘の肖像画、島津斉彬の銅像の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で8秒
(d)
(1)、家臣として累が主君大隅、斉興におよばないようにするには、斉興は知らなかったということにしなければならない。ということは、調所が海産物密買の責任をとって、みずから命をたたねばならない。
(314頁5〜7行目)

(配列間の要素)
 次の(2)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・斉彬はおよそこの5年後、阿部と筒井などの力をかりて、いやがる親父(斉興)を隠居させ、家督を相続。反射炉や溶鉱炉をつくって大砲をつくり、火薬を製造し、軍艦をつくり、ガス灯をつけ、電気・通信、水雷などを実験し、ガラス工場を建て、紡織機械を輸入して綿布を織らせ・・・と精力的に活動をはじめる。
・阿部、薩摩が琉球に送った人数を疑う。
・調所と斉興、琉球に送った人数が疑われた背景に斉彬が関係していると推測。
・斉彬、富国強兵を考えるが、うまく金を使わせてもらえない。
・斉彬、琉球にいるはずの家臣がいることに気づく。貨幣の密造にも気づく。
・斉興は由良との間の子、久光を家老座上席にすえ、琉球・海防担当の名大(藩主代理)とする。
・調所と由良は君側(くんそく)の奸(かん)、奸婦奸臣ということになる。これが親父の目をくらませている。だから自分に家督をゆずらないと斉彬は考える。斉彬は調所と由良を殺すことを考える。
・調所、給地高の改正、軍政改革を行う。
・嘉永元年、斉興、参勤交代で江戸に入る。
・調所、阿部の屋敷へ向かい、斉興の位階昇進のお願いをするが、断られる。逆に清国との昆布の密買、琉球への派遣人数を追求される。
・調所は勘づく。この責任をとるのに阿部は辞めろと言っているのではない。死ね!と言っている。


(2)、(注:重豪の祠の前で)
(調所)「・・・太守(斉興)さまに塁が及ばぬよう、見事に死んでご覧にいれます」
・・・
 「しかしそれにしても気がかりなのは若殿(斉彬)です・・・若殿さまが家督を・・・
継がれればおそらく、営々とためた百万両の金子は、あっという間になくなることでしょう。・・・」

(318頁3〜15行目)

 そして悲劇が起きる。
(笑左衛門)「わしが、責任を取るほかないか」
 斉彬に苦労して貯めた金を無駄にされたくない。斉興を隠居させるわけにはいかない。笑左衛門は密貿易の責任を取り、自ら毒を盛った。
(16頁19〜22行目)

[番組の表現]
 調所の肖像画と調所役の役者の演技とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で29秒
 以上

(別紙)1B−1 田沼意次篇
1 小説と番組の配列と表現の比較(表)
番号 原告小説1の表現(頁と行は原告小説1のもの) 被告番組1の表現(頁と行は、甲8=テープ起しのもの)
(a)
(1)、倹約の総額は二十万両である。五年後の四月に二十万両がたまる。四月十七日、家康の命日についでに墓まいりができるよう、日光東照宮参詣にでかける――
(35頁10〜11行目)

(2)明和八年(一七七一年)四月、幕府はむこう五年間、毎年およそ四万両ずつ倹約するという内容の倹約令を発令した。
(35頁終りから3〜2行目)
(a)
(1)日光社参には莫大な費用がかかりました。その費用はなんと20万両以上。
(9頁27〜28行目)

[番組の表現]
 タレントが皇居のお堀端を歩きながらコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で8秒


(2)(倹約を毎年)四万両ずつ5年間したわけですね。
(12頁21行目)

[番組の表現]
 スタジオトーク部分の映像であり、その映像とゲストの発言で表現したもの
 映像の時間は、秒数で3秒
(b)
 田沼は水野に、「少老(若年寄)にすすまれよ」といい、少老になる資格を得る加増のことについては、
「折りをみて上様にお願いいたす・・・」といった。
(21頁4〜8行目)
十一月十五日、水野忠友は五千石加増されて一万三千石の大名となり、若年寄にすすんだ。若年寄は数人いた。水野は月番を免除され、勝手掛若年寄、財政を専管する若年寄となった。
(24頁3〜5行目)
(b)
田沼意次は、同僚の水野忠友(ただとも)に目を付けた。田沼は水野を、勝手掛若年寄、すなわち財政専門の表の役人に転任させたのだ。
(10頁4〜5行目)

[番組の表現]
 建物(屋敷)の縁側の実景を流し、その映像とテロップ及びナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で13秒
(c)
 安永五年の四月をむかえた。五年の倹約が満期になる月である。準備が着々とすすめられた。
 徳川家康の命日は四月十七日だ。四月十七日に、ついでに家康の墓所にまいれるよう、家治の日光東照宮参詣のスケジュールは組まれた。
(86頁8〜11行目)
(c)
(1)水野は幕府の財政に無駄がないかを徹底的に調べあげ、歳出を切り詰めていきました。
(10頁7〜8行目)

[番組の表現]
 タレントが屋敷の塀の前でコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で7秒


(2)その結果、日光社参の費用を捻出することに成功します。
(10頁8〜9行目)

[番組の表現]
 タレントが屋敷の塀の前でコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒
(d)
家治は日光東照宮参詣をようやくタイムテーブルにのせた田沼の骨折りを賞して、田沼を正式の老中にすすめた。
(53頁5〜7行目)
(d)
 その功績が認められ、田沼意次は五十四歳で老中へと昇進した。
(10頁10〜11行目)

[番組の表現]
 皇居の実景に田沼意次の肖像を重ねる映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒
小説の順番(配列)は、
 (b)→(a)(1)→(a)(2)→(d)→(c)
となっている。
番組の順番(配列)は、
 (a)(1)→(b)→(c)→(d)→(a)(2)
としており、小説とは配列が異なる。
(a)
(御三卿の賄い料は)十二万両だ。いま倹約している分が年に四万両。御三卿の賄い料金は合計すると倹約の三年分にもなる。これは大きい。
(46頁9〜10行目)
(a)
 むしろ、幕府予算を食い潰す存在と、田沼意次は考えていたのである。
(10頁26〜27行目)

[番組の表現]
 将軍家と御三卿の系図の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒
(b)
「この際でござる。田安家を廃邸にしてしまうというのはいかがでござろう」
考えてもみない(田沼の)提言だった。水野も稲葉もびっくりし、水野が身をのりだしてきいた。
「廃邸というと、おとりつぶし・・・」
(80頁6〜8行目)
(b)
 幕府の財政運営から無駄を省いていく、という作業の中で、田沼は、それまで人が手をつけようとしなかったことに着目します。それが、御三卿のひとつ、田安家のとりつぶしです。
(10頁19〜21行目)

[番組の表現]
 タレントが宇都宮城天守閣の階段を上りながらコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で13秒
(c)
(1)、田安家は吉宗の二男がおこした家だ。一橋家は四男のおこした家である。将軍継承順位は田安家のほうが上になる。定信は吉宗の孫で豊千代(のちの十一代将軍家斉)はひ孫である。定信のほうが血も吉宗によりちかい。田安家にのこっていれば将軍世子になれたかもしれない。すくなくともなれる可能性があったという未練が、定信に田安家おいだしの張本人である田沼をいちだんとはげしく憎悪させた。
(299頁11行目〜300頁1行目)

(2)、<思うだにいまいましい>
 定信はいちだんと田沼を憎悪するようになった。やがて、
<恨みはきっとはらす>
 田沼への復習(ママ)の、青い炎を心にめらめらともやすようになった。
(90頁終りから3〜91頁1行目)
(c)
(1)、定信は八代将軍,吉宗の直系の孫に当たる血筋。当然、田安家を継ぎ、将来の将軍候補にもなるつもりだった。
(10頁28〜30行目)

[番組の表現]
 宇都宮城の実景に松平定信の肖像画を重ねる映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で9秒


(2)、(定信)「なぜ、養子になど出ねばならぬのだ。余は将軍吉宗公の、孫、ゆくゆくは幕政の中核を担う男だぞ。おのれ、田沼め。許さんぞ。いまに見ていろ。」
(11頁5〜6行目)

[番組の表現]
 タレントが宇都宮城前にてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で15秒

小説の順番(配列)は、
 (a)→(b)→(c)(2)→(c)(1)
となっている。

番組の順番(配列)は、
 (b)→(a)→(c)(1)→(c)(2)
としており、配列が異なる。
(a)
(1)宝永の国役金令を手にした田沼は、はからずも、支配地以外で租税徴収権をもたずに天下の政治をとりしきっているという、幕府の変則的課税の矛盾に気づいた。
(247頁13行目)

(2)それとは別に田沼は宝永の国役金令をみつめていてあることに気づいた。
<徳川幕府は開幕当初ミスをおかした>
 ということに―。
<全国民から税金を徴収する権利を確保しなかった>
というミスだ。
(245頁610行目)
(a)
 田沼は、その年貢制度に限界を感じていました。

[番組の表現]
 タレントが東京タワー展望フロアにてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で3秒


 幕府は日本全土の年貢徴収権を有していたわけではない。幕府が徴収できるのは、各地に点在する、天領と呼ばれる直轄地からのみ。そのほかの地域は、幕府への忠誠と引き換えに、諸大名に任されていた。これが徳川幕府の政治体制の根幹、年貢制度であった。
(16頁5〜10行目)

[番組の表現]
 東京タワーからの俯瞰映像に日本地図、イラスト、テロップを重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で24秒
(b)
 田沼は実質的な総理だ。水野の反対をおしきり、大目付に命じて新御用金令を発令させた。天明六年(一七八六年)六月二十九日のことである。
(255頁終りから5〜4行目)
(b)
天明六年六月、幕府は貸金会所設立令を発令。
(16頁16行目)

[番組の表現]
 東京タワーからの俯瞰映像にテロップを重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で6秒
(c)
 高百石あたり二両だとおよそ六十万両になる。六十万両を五年分割とする。その分民百姓の負担も軽くなる。またいちどきに課税するより、毎年毎年徴収するほうが税というものをより認識させうるし、徴税組織も整備しうる。徴税組織を整備しうれば、いざというときマシーンとして活用しうる。
 五年分割だ。田沼は二両を五で割った。二両は銀で百二十匁である。一年で二十四匁。二十四匁ははんぱだ。二十五匁とする。
 「民百姓に高百石につき五年間、毎年銀で二十五匁ずつかける」
田沼はまずこう書きだした。高百石はおよそ十所帯である。
一所帯二・五匁・銭にして二百五十文。職人のおよそ一日の日雇い賃である。おさめる側もなんとかなる額だ。
 宝永の国役金令は町人に賦課しなかった。町人が例外であっていい理由はない。民百姓が一世帯あたり銀二・五匁なら,町人は一世帯あたり三匁がふさわしかろう。
 町人にはどういう基準でかけるか。間口の広さにおうじてかけるというのはどうだ。間口一間(一・八メートル)を一所帯とみる。
 「町人にかける分は間口一間につき毎年銀で三匁ずつとする。これを毎年五年間、地主より徴収する」
 田沼はつぎにこう書きだした。
 宝永の国役金令は寺社にもかけなかった。寺社も例外であってよかろうはずがない。現代でいうなら宗教法人の優遇措置もみとめないということになろうか。田沼は寺社奉公配下の調役を呼び、寺社の台所事情を詳しく報告させ、
 「五年の間、寺社山伏は最高十五両、以下格式に応じておさめるものとする。ただし、皇族関係の宮門跡方尼御所はのぞく」
さらにこう書きだした。
 大坂に「大坂表会所」という役所を設立する。そこに全国から徴収した税金をあつめる。公儀からも資金を援助する。大坂表会所でそれらの金を諸家(諸大名)に貸しだす。担保には米切手と相応の村高(田畑)証文をとる。
 もし返済がとどこおったら、米切手は、米切手に記してあるとおりの米をひきわたさせる。村高証文の分は、田畑をもよりの代官にあずからせ、物成りをもって返済させる――。
 およそこういう内容の、細部は先の御用金令とほとんどかわりのない法令案を田沼はつくりあげた。
(247頁終りから3行目〜249頁10行目)
(c)
 全国民から平等に強制出資させた金を、財政に苦しむ各藩に貸し出すというものだった。
(16頁17〜18行目)

[番組の表現]
 東京タワーからの俯瞰映像にイラスト、テロップを重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で8秒
(d)
(1)大坂表会所でそれらの金を諸家(諸大名)に貸しだす。担保には米切手と相応の村高(田畑)証文をとる。もし返済がとどこおったら、米切手は、米切手に記してあるとおりの米を引きわたさせる。村高証文の分は、田畑をもよりの代官にあずからせ、物成りをもって返済させる――。
(249頁5〜8行目)

(2)「諸大名の土地を担保にいれさせ、担保流れの土地を没収していく」
 というテーマが先にあった。そのためには金が必要だった。金をさがしていて、
 「公儀の変則的課税の矛盾」
 に気づいた。これは修正しておかなければならない。天下の支配者である以上、全国六十余州からもれなく税を徴収しなければならない。でなければ天下を統治しているなどと口はばったくていえない。
 諸大名の領土を担保流れにしてすべて没収してしまえば変則的課税の矛盾は完全に修正できる。しかしそこへいたる道はとおい。並行しながら、全国六十余州から税を徴収する。その金を諸大名に貸す。「諸大名の領土を没収する」というテーマと「公儀の変則的課税の矛盾の修正」というテーマは二つながら実現できる。
(247頁4〜13行目)
(d)
 しかし、この法律にはもう一つ恐るべき狙いがあったのです。

[番組の表現]
 タレントが東京タワー展望フロアにてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で5秒


貸金会所から金を借り受ける際、藩は担保を提供しなければならなかった。そしてその担保となったのが、藩の財産とも言うべき領地であった。

[番組の表現]
 イラスト、テロップの映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、秒数で12秒


貸金会所設立令のもう一つのねらい。それは、各藩から領地を手に入れ、幕府の収益を安定化させると同時に、諸大名の勢力を縮小させることにあったのです。
(16頁20〜26行目)

[番組の表現]
 タレントが東京タワー展望フロアにてコメントする映像であり、その映像と出演者(タレント)のセリフで表現したもの
 映像の時間は、秒数で12秒
 小説の順番(配列)は、
 (a)(2)→(a)(1)→(d)(2)→(c)→(d)(1)→(b)
となっている。
 番組の順番(配列)は
 (a)→(b)→(c)→(d)
となっており、配列が異なる。
 以上

(別紙)2B−1 堀田正睦篇
1 小説と番組の配列と表現の比較(表)
1,シークエンスの翻案
番号 原告小説2の表現(頁と行は原告小説2のもの) 被告番組2の表現(頁と行は、甲9=テープ起しのもの)
(a)
(1)(注:斉昭は)烈公と敬称され・・・
(31頁3行目)
(2)しかし斉昭は、世間一般から抱かれている印象とおよそ異なる、感情の抑制のきかない、思いついたことを口から出まかせにしゃべって一歩も譲らない、誰とでも見境なく争う、性格の狷介な男だった。
(32頁5〜7行目)

しかし斉昭は評判とは大きく違った。
海防問題の第一人者と目されていた斉昭は烈公と呼ばれ、誰とでも見境なく争うばかりで、期待はずれだった。
(5頁3〜4行目)

[番組の表現]
 斉昭の肖像画と怒る斉昭の文楽人形に「烈公」の文字を重ねた映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒
(b)
 忠固と乗全を罷免して・・・事務処理能力のある者を幕閣に迎えたい。阿部はごく自然にそう思った。・・・堀田備中守に白羽の矢を立てた。
(34頁3〜8行目)

(1)「この難局に早く能力のある者を幕閣に入れなければ。」
(5頁9行目)

[番組の表現]
 悩む阿部の文楽人形と小さい画面に阿部の肖像画の映像であり、その映像と声優による阿部のセリフで表現したもの
 映像の時間は、6秒


(2)実務能力に長けた堀田を幕府運営に加えたのだった。
(5頁15〜16行目)

[番組の表現]
 深々とお辞儀をする堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、5秒
(c)
(注:大地震のことについて詳述したあと)
「御用番(月番)の久世大和守様から御召の御用状が到来しました」
 書状を携えた側用人がひざまずいていう。
 堀田はいぶかりながら御用状をひらいた。老中連署の奉書で、
「御召につき、明五つ半(午前九時)に登城されたし」
とあった。
(19頁後ろから2行目〜20頁3行目)

 この年の秋、四千人の死者を出す安政の大地震が江戸を襲った。地震騒ぎの中、まるでどさくさに紛れるかのように堀田の下に登城の連絡が入る。なんと安部(ママ)が堀田を老中首座に迎えたのだ。
(5頁11〜13行目)

[番組の表現]
 「安政大地震」を描いた浮世絵と江戸城のイメージ画像に阿部と堀田の肖像画を重ねた映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、17秒
(d)
「何分にもよろしく」
(27頁後ろから4行目)

 「何分にもよろしくお頼み申す」
(5頁17行目)

[番組の表現] 
 阿部の文楽人形と声優による阿部のセリフで表現したもの
 映像の時間は、5秒
(e)
 阿部は次席。とはいうものの実権は阿部にある。
(160頁4行目)

 阿部は次席というものの、実権はすべて阿部にある。
(10頁9行目)

[番組の表現] 
 阿部の文楽人形と阿部の肖像画及び声優による阿部のセリフで表現したもの
 映像の時間は、3秒
(f)
 いずれそのうち西洋諸国は交易を求めやってくる。必ずくる。それも近いうちにくる。このことは昇った日は必ず沈むのとおなじくらい明白なことだ。
 そのとき皇国(日本)はどう対応すればいいのか。唐国のように戦うのか。戦って、敗れて、相手(イギリス)のいうがままの償金を支払わされ、唐国が香港とかいう要地を割かされたように、長崎、下関などの要地も割かされるのか。それらはどう考えても愚かな対応だ。
(29頁後ろから5行目〜30頁2行目)

 「西洋諸国は次には交易を求めてやってくる。そのときわが国は清国のように戦うのか、戦い敗れて、言われるままに償い金を支払わされ、領土まで奪われるのか。それは絶対に避けねばならない。
(5頁26〜28行目)

[番組の表現]
 堀田の肖像画と堀田の文楽人形及び声優による阿部のセリフで表現したもの
 映像の時間は、17秒
(g)
(1)老中首座兼勝手掛老中として幕閣を主導する立場にいた阿部伊勢守正弘も、国体の護持、攘夷鎖国を外交の基本理念に据えた政治家だった。
(31頁13〜14頁)
(2)ペリーにいやいや和親条約を結ばされたものの、通商条約の締結拒否を鎖国体制堅持の第二の防波堤にしようと考えなおし、姿勢を立てなおした阿部は、海軍力の充実というのを本気で模索するようになった。海軍力さえ充実し得れば諸外国からの開国圧力を撥ね返すことができると考えたのだ。
(108頁後ろから7〜4行目)
(3)このように阿部は鎖国体制の堅持を侵すべからざる不動の外交基本理念に据えた、かたくなな体制派、頑固な保守主義者だった。
(215頁後ろから7〜6行目)

(1)攘夷鎖国派でエリート老中、阿部正弘。対するは開国派で実務派の堀田正睦。ここから二人の激しいつば競り合いが始まる。
(5頁末行〜6頁1行目)

[番組の表現]
 阿部の肖像画に「攘夷鎖国エリート老中」堀田の肖像画に「開国論者実務派」の文字をそれぞれ重ね、さらに阿部と堀田の文楽人形が争う映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒


(2)当時、海防掛は西洋列強との交易反対の姿勢を打ち出していた。そのトップは宿敵、阿部正弘。阿部は攘夷派であり、頑なに通商条約を避け鎖国体制を図っていた。
(9頁6〜8行目)

[番組の表現]
 海、帆船、航海のイメージ映像に阿部の肖像画の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒
小説の順番(配列)は、
 (c)→(d)→(f)→(g)→(a)→(b)→ (e)
となっている。
番組の順番(配列)は、
 (a)→(b)(1)→(c)(1)→(b)(2)→(d)→(f)→(g)(1)(2)→ (e)
としており、配列が異なる。
(a)
 しかしいずれにしろ伊勢守(注:阿部)は交易を非とするこちこちの攘夷鎖国論者で、海防掛勘定奉行勘定吟味役が伊勢守の意に沿うように(注:交易反対と)歩調を合わせている、というのははっきり分かる。
(65頁3〜5行目)

 当時、海防掛は西洋列強との交易反対の姿勢を打ち出していた。そのトップは宿敵、阿部正弘。
(9頁6〜7行目)

[番組の表現]
 海、帆船、航海のイメージ映像に阿部の肖像画の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、8秒
(b)
「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
(65頁後ろから7行目)

 「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
 「ううん、その儀だけは。」
(9頁13〜14行目)

[番組の表現]
 阿部と堀田の文楽人形を対峙させる映像と義太夫の語りにて阿部と堀田のセリフで表現したもの
 映像の時間は、13秒
(c)
 ハリスはいっこうに怒りをしずめない。給仕が茶を運んでくると手を振って、「そんな茶など飲めるか」と荒々しくいい、御徒目付を指さしては「出て行け」とののしり、何をいっても耳を傾けようとしない。
「いざというときはいつでも腹をき切ってご覧に入れましょう」
というのが井田と岡田(注:ともに下田奉行)の口癖だった。二人ともペリーの来日以後勘定吟味役、そして新設されて間もなくの下田奉行へと異例の抜擢を受けた者たちで、すがは苦労人、覚悟の程が違うと称賛されていた。しかし、正体は口とは裏腹の小心な男たちだった。いつもハリスの鼻息をうかがっていた。
 目をつむっておもむろに首を振り、「いいやそうではない」といわんばかりの仕草をして見せるのがハリスの反撃の前触れだった。その仕草がはじまると井上も岡田も身を縮ませて、ハリスの破れ鐘のような怒声が頭上をとおりすぎていくのを待たねばならなかった。
(153頁3〜13行目)

 しかし外圧(注:ハリス)ともなるべき男も一癖も二癖もある人物だった。なんと通商条約締結という任務を担い来日したハリスは、幕府の役人を前に傍若無人に振舞った。
交易不可という幕府の役人に対し、怒号を上げ罵り、それでいて自国や自分の利益に都合の悪い問題は常にはぐらかす。
(9頁24〜27行目)

[番組の表現]
 下田の玉泉寺の山門、寺の中のハリスの部屋、秤に載せた小判の映像であり、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、23秒
(d)
 大事なのは・・・、ハルリスを望みどおり江戸へ呼び寄せ、ハルリスから直接ボウリングのことを聞き、ボウリングに対処する最善の策をさぐりだすことにある。相手はハルリスではない。ボウリングである。ボウリングの手の内を知ればそれだけ準備もできる。備えも厚くなる。
 場合によってはハルリスと日本にとってより有利な条約を結べばいい。そしてそれをボウリングへの盾とする。早い話が利用する・・・
(104頁3〜8行目)

 そのために堀田が頼みとしたのは外圧だった。通商条約締結を求め下田にやってきたアメリカ官吏ハリスの、江戸への出府要求を利用しようと動き出す。
(9頁21〜23行目)

[番組の表現]
 黒船、船上、舵、「外圧」の文字、ハリスの写真に黒船、ハリスの映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、10秒
(e)
 堀田はこう前置きした。
 「当節の模様をつらつら熟考つかまつりますに、上申書でも申し上げておきましたとおり、やはり海防掛大目付目付、在府箱館奉行の申し立てどおり出府をみとめるのがよろしいかと存じます。これは同列どもとも協議したうえでの評決でございます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか?」
 家定は老職のいうことには何であれ逆らったことがない。この日も言葉少なに吃りながらいった。
「そ、そうせい」
(219頁8〜15行目)

 「上様に申し上げます。当節の模様を熟考つかまつりますに、アメリカ国官吏の出府を認めるのがよろしいかと存じます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」
 「そ、そ、そうせい。・・・」
(10頁17〜20行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、13秒
小説の順番(配列)は、
 (a)→(b)→(d)→(c)→(e)
となっている。
番組の順番(配列)は、
 (a)→(b)→(d)→(c)→(e)
である。
3 (a)
 しかしとにかく過激すぎる。またたく間に朝野に知れ渡る。いまこの瞬間にも小石川(注:水戸の上屋敷)から波紋が広がるように広がっていよう。そして朝野は、今夜からにも、「御老公は条約調印に断固反対なのだそうだ」とかまびすしくささやきあう。
 説明、質疑応答も、隠居の暴言で吹っ飛んでしまった。
(503頁9〜13行目)

 烈公斉昭が条約調印に断固反対。それが広まれば、これまでのハリスとの交渉、諸侯への根回しも吹っ飛んでしまい、条約締結が頓挫してしまう。
(13頁28行目〜14頁1行目)

[番組の表現]
 斉昭の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒
(b)
(1)なにかないか。
堀田は思いを巡らした。
いいのがある。
これならというのを堀田は思いついた。
(503頁後ろから3行目〜504頁1行目)

(2)(注:堀田)「御老公はご承知のとおり水戸学の総帥で、なにかにつけて叡慮叡慮といわれる。時には征夷大将軍の職を奪われるなどと脅しもかけられる・・・ですからこの際、あと腐れのないように、勅許をいただいておこうと思うのです。そうしておけば御老公もなにもおっしゃれない」
(515頁10〜13行目)

(1)そのとき、堀田に至極のアイデアが浮かぶ。
 「これだ。これしかない。」
(14頁4〜5行目)

[番組の表現]
 山にかかる月の映像とナレーション、義太夫節による堀田のセリフで表現したもの
 映像の時間は、8秒


(2)斉昭は尊皇攘夷を美とする水戸学の総帥。天皇の言葉に背くことはできない。天皇のお言葉を手に入れれば、斉昭の邪魔をふせげる。
(14頁11〜12行目)

[番組の表現]
 斉昭と堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、11秒
(c)
(注:堀田)「なに勅許をいただくなど簡単です。蒸気船やテレガラフなどが急速に発達して世界は一つになりつつある。そんなとき我国だけ孤立して独善をきめこむことはできません。だから条約を結ばなければならないのです、と事を分けてお話しすれば、物の道理さえ弁えておられれば、たちどころに、思召しはあらせられぬと叡慮を下されるはずです。・・・」
(520頁7〜11行目)

 老中が自ら京に乗り込み、外的の危険を吹聴すれば、勅許はただちに手にできる。
(14頁9〜10行目)

[番組の表現]
 葵と菊の御紋のイメージ映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、7秒
(d)
(注:孝明天皇は)水戸学崇拝者も顔負けの過激な攘夷論者で・・・・
(574頁1行目)

さらに孝明天皇は過激な攘夷主義者。
(14頁22行目)

[番組の表現]
 孝明天皇の肖像画に攘夷鎖国の文字を重ね、その映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、3秒
(e)
(1)ところが、今度ばかりはちがった・・・「・・・宿老の首座堀田備中守が叡慮を仰ぎに・・・」
(576頁10行目および14行目)
(2)、政治に敏感であればあるほど、なにがしかであれ幕府から政治権力を奪い取ろうという野心はきざす。孝明天皇はそんな野心を抱いていた。
(575後ろから2行目〜576頁1行目)

 事の次第はこうだった。これまで幕府と朝廷の関係は、ペリーと結んだ和親条約も含め、すべてが事後報告だった。しかし、今回初めて,事前に(注:幕府から)勅許を求められた。それが政治に敏感であった孝明天皇に政治介入の野心を抱かせてしまった。
(14頁18〜21行目)

[番組の表現]
 京都御所の外観と孝明天皇の肖像画の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、19秒
(f)
 諸大名の赤心、意見は聞いた。それも二度にわたって聞いた。ほとんどが賛成だった。・・・それなのにもう一度聞けといっている。無理難題だ。差し戻し、取りようによっては不許可ともとれる。
(572頁3〜5行目)

 朝廷からの返事は、御三家以下諸大名の意見を聞いてから再願せよ」という差し戻し、つまり不許可であった。
(14頁14〜16行目)

[番組の表現]
 堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、7秒
(g)
(1)(注:同席からの手紙)「貴所様にも諸事御困苦御取扱いの儀と、毎々(注:将軍の)御沙汰も在らせられ候間、其処は御心配これ無く・・・」
(680頁6〜7行目)
(2)上にさえ信頼しておいていただければ、そうだ、肥後のいう、条約調印独断強行はけっして難しいことではない。
 そう思うと堀田の顔にはまたみるみる生気がもどった。
(680頁終わりから3〜1行目)

 江戸より届いた手紙の中で「堀田に苦労をかけていると将軍家定が心配している」との記述があった。上様に信頼してもらえば大丈夫。条約の締結にまい進するのみ。堀田の顔に生気が戻り・・
(16頁末行〜17頁2行目)

[番組の表現]
 江戸城のイメージ映像と家定の肖像画、堀田の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒
(h)
「大儀であった。これからもよろしくたのむ」
(706頁12行目)

 京都での不首尾を詫びると「これからも頼むぞ」との温かいお言葉をいただく。
(17頁13〜14行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、8秒
(i)
(1)「昨日同列どもと評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐をお願いしようと意見がまとまりました。・・・よろしくお聞き取りくださいませ」
(707頁11〜15行目)
(2)堀田はいいおわっていつものように,「そうせい」「よきに計らえ」という家定の言葉が返ってくるのを待った。
(707頁後ろから3〜2行目)
(3)たしかに(注:家定は)頭はよくなかった。しかし馬鹿ではなかった。常識のあるごくふつうの男で、統治、国を治めるということに関していうなら、少なくとも自分には統治能力はない、余計なことはいわずに宿老に任せておくのがいいと判断する能力はもちあわせていた。
(538頁末行〜539頁2行目)

「昨日評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐役をお願いしようと意見がまとまりました。何卒、お聞き取りくださいませ」
いつもなら、
「そ、そうせい」、そう言葉が返ってくるはずだった。しかし。・・・・
なんと家定は越前ではなく掃部、すなわち井伊直弼を大老に命じたのだ。うつけ者と呼ばれてきた将軍家定。しかし実際は冷静に周りの状況を読める人物だった。これまで政はすべて老中に任せてきた。開国を迫るペリーとの交渉は阿部正弘。そしてハリスとの交渉はもちろん堀田に全幅の信頼を置いていた。
 しかし今回だけは違った。
(17頁17〜28行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の遣り取りの映像、井伊直弼の肖像画、歩いてくる阿部の文楽人形とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、1分3秒
小説の順番(配列)は、
 (a)→(b)→(c)→(f)→(d)→(e)→(g)→(h)→(i)
となっている。
番組の順番(配列)は、
 (a)→(b)→(c)→(f)→(e)→(d)→(h)→(i)→(g)
としており、配列が異なる。
2、人物設定の翻案
番号 原告小説2の表現(頁と行は原告小説2のもの) 被告番組2の表現(頁と行は、甲第9号証=テープ起しのもの)
(1)(注:斉昭は)烈公と敬称され・・・
(31頁4行目)
(2)しかし斉昭は世間一般から抱かれている印象とおよそ異なる、感情の抑制のきかない、思いついたことを口から出まかせにしゃべって一歩も譲らない、誰とでも見境なく争う、性格の狷介な男だった。
(32頁5〜7行目)

しかし斉昭は評判とは大きく違った。海防問題の第一人者と目されていた斉昭は烈公と呼ばれ、誰とでも見境なく争うばかりで、期待はずれだった。
(5頁3〜4行目)

[番組の表現]
 怒る斉昭の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒
 忠固と乗全を罷免して・・・事務処理能力のある者を幕閣に迎えたい。阿部はごく自然にそう思った。・・・堀田備中守に白羽の矢を立てた。
(34頁3〜8行目)
(1)「この難局に早く能力のある者を幕閣に入れなければ。」
(5頁9行目)

[番組の表現]
 悩む堀田の文楽人形とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、6秒


(2)実務能力に長けた堀田を幕府運営に加えたのだった。
(5頁15〜16行目)

[番組の表現]
 お辞儀をする堀田の文楽人形とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、5秒
(1)老中首座兼勝手掛老中として幕閣を主導する立場にいた阿部伊勢守正弘も、国体の護持、攘夷鎖国を外交の基本理念に据えた政治家だった。
(31頁13〜14頁)

(2)ペリーにいやいや和親条約を結ばされたものの、通商条約の締結拒否を鎖国体制堅持の第二の防波堤にしようと考えなおし、姿勢を立てなおした阿部は、海軍力の充実というのを本気で模索するようになった。海軍力さえ充実し得れば諸外国からの開国圧力を撥ね返すことができると考えたのだ。
(108頁後ろから7〜4行目)
(3)、このように阿部は鎖国体制の堅持を侵すべからざる不動の外交基本理念に据えた、かたくなな体制派、頑固な保守主義者だった。
(215頁後ろから7〜6行目)
(1)攘夷鎖国派でエリート老中、阿部正弘。対するは開国派で実務派の堀田正睦。ここから二人の激しいつば競り合いが始まる。
(5頁末行〜6頁1行目)

[番組の表現]
 阿部の肖像画と「攘夷鎖国エリート老中」の文字、堀田の肖像画と「開国論者実務派」の文字、阿部と堀田の文楽人形が争う映像にナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒


(2)当時、海防掛は西洋列強との交易反対の姿勢を打ち出していた。そのトップは宿敵、阿部正弘。阿部は攘夷派であり、頑なに通商条約を避け、鎖国体制を図っていた。
(9頁6〜8行目)

[番組の表現]
 海、帆船、航海のイメージ映像、海のイメージ映像に阿部の肖像画の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、12秒
 ハリスはいっこうに怒りをしずめない。給仕が茶をはこんでくると手を振って、「そんな茶など飲めるか」と荒々しくいい、御徒目付を指しては「出て行け」とののしり、何をいっても耳を傾けようとしない。
「いざというときはいつでも腹を掻き切ってご覧に入れましょう」
というのが井上と岡田(注:ともに下田奉行)の口癖だった。二人ともペリーの来日以後勘定吟味役、そして新設されて間もなくの下田奉行へと異例の抜擢を受けた者たちで、さすがは苦労人、覚悟の程が違うと称賛されていた。しかし、正体は口とは裏腹の小心な男たちだった。いつもハリスの鼻息をうかがっていた。
 目をつむっておもむろに首を振り、「いいやそうではない」といわんばかりの仕草をして見せるのがハリスの反撃の前触れだった。その仕草がはじまると、井上も岡田も身を縮ませて、ハリスの破れ鐘のような怒声が頭上をとおりすぎていくのを待たねばならなかった。(153頁3〜13行目)

 しかし外圧(注:ハリス)ともなるべき男も、一癖も二癖もある人物だった。なんと通商条約締結という任務を担い来日したハリスは幕府の役人を前に傍若無人に振舞った。交易不可という幕府の役人に対し怒号を上げ罵り、それでいて自国や自分の利益に都合の悪い問題は常にはぐらかす。
(9頁24〜27行目)

[番組の表現]
 ハリスの銅像、下田・玉泉寺の山門、寺の中のハリスの部屋、秤の上の小判の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、23秒
(注:孝明天皇は)水戸学崇拝者も顔負けの過激な攘夷主義者で・・・・
(574頁1行目)
 さらに孝明天皇は過激な攘夷主義者。
(14頁22行目)

[番組の表現]
 孝明天皇の肖像画と攘夷鎖国文字の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、3秒
 たしかに(注:家定は)頭はよくなかった。しかし馬鹿ではなかった。常識のあるごくふつうの男で、統治、国を治めるということに関していうなら、少なくとも自分には統治能力はない、余計なことはいわずに宿老に任せておくのがいいと判断する能力はもちあわせていた。
(538頁末行〜539頁2行目)
 うつけ者と呼ばれてきた将軍家定。しかし実際は冷静に周りの状況を読める人物だった。これまで政はすべて老中に任せてきた。開国を迫るペリーとの交渉は阿部正弘。そしてハリスとの交渉はもちろん堀田に全幅の信頼を置いていた。
 しかし今回だけは違った。
(17頁24〜28行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の遣り取り、井伊直弼の肖像画、歩いてくる阿部の文楽人形の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、25秒
3、エピソードの翻案
番号 原告小説2の表現(頁と行は原告小説2のもの) 被告番組2の表現(頁と行は、甲第9号証=テープ起しのもの)
「アメリカ官吏出府についての下田奉行井上信濃守の“見込書”と、それについての評定所一座や海防掛の意見書についてはすでにお手許まで差し上げている上申書に詳述しております」
堀田はこう前置きした。
「当節の模様をつらつら熟考つかまつりますに、上申書でも申し上げておきましたとおり、やはり海防掛大目付目付、在府箱館奉行の申し立てどおり出府をみとめるのがよろしいかと存じます。これは同列どもとも協議したうえでの評決でございます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか?」
 家定は、老職のいうことには何であれ逆らったことがない。この日も言葉少なに吃りながらいった。
「そ、そうせい」
(219頁5〜15行目)
「上様に申し上げます。当節の模様を熟考つかまつりますに、アメリカ国官吏の出府を認めるのがよろしいかと存じます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」
「そ、そうせい。・・・」
(10頁17〜20行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の遣り取りの映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、13秒
(a)
「昨日同列どもと評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐をお願いしようと意見がまとまりました。・・・よろしくお聞き取りくださいませ」(707頁11〜15行目)・・・堀田はいいおわっていつものように、「そうせい」「よきに計らえ」という家定の言葉が返ってくるのを待った。
(707頁後ろから3〜2行目)

「昨日評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐役をお願いしようと意見がまとまりました。何卒、お聞き取りくださいませ。」

 いつもなら「そ、そうせい」、そう言葉が返ってくるはずだった。しかし。
(17頁17〜20行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の遣り取りの映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、16秒
(b)
「カ、カ、家格、ジ、ジ、人物、イ、いずれを見るも、カ、掃部。掃部を措きて、エ、越前を、ア、挙ぐべきにあらず。掃部を、掃部を呼べ。掃部を、タ、大老に、ニ、任ずる」
(708頁1〜2行目)

「か、掃部を放っておいて、え、越前を挙ぐべきにあらず。さ、掃部を呼べ、掃部を大老に任ず」
(17頁21〜22行目)

[番組の表現]
 堀田と家定の文楽人形の遣り取りの映像と義太夫節で表現したもの
 映像の時間は、13秒
4、部分複製
番号 原告小説2の表現(頁と行は原告小説2のもの) 被告番組2の表現(頁と行は、甲第9号証=テープ起しのもの)
1 (注:堀田は)日本丸の舵取りをまかされることになった。
 よし、では一つ、行末を誤らないように舵をとろう、
(30頁後ろから5〜3行目)
「日本の行く末を間違わぬように舵を取らねば」
(3頁4行目)

[番組の表現]
 舞う堀田の文楽人形の映像と義太夫節によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、14秒
 下総佐倉の堀田備中守に白羽の矢を立てた。
(34頁7〜8行目)
 そこで白羽の矢が立ったのが老中経験もある佐倉藩主、堀田備中守正睦だった。
(5頁10〜11行目)

[番組の表現]
 左に堀田の肖像画、中央に堀田の文楽人形、画面上に「佐倉藩主堀田正睦」の文字の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、8秒
 地震を期待していたわけではないがいい機会だと思った。どさくさに紛れて堀田の人事を発令しようと、翌日十月三日の早朝、まず安否をたしかめるための使者を送り、つづけて御用番久世大和守の手を経て御用召の奉書を送った。
(37頁後ろから1〜38頁2行目)
 この年の秋、四千人の死者を出す安政の大地震が江戸を襲った。地震騒ぎの中、まるでどさくさに紛れるかのように堀田の下に登城の連絡が入る。
(5頁11〜13行目)

[番組の表現]
 安政大地震の浮世絵、江戸城のイメージ映像に阿部と堀田の肖像画の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、13秒
「何分にもよろしく」
(27頁後ろから4行目)
「何分にも,よろしくお頼み申す」
(5頁17行目)

[番組の表現]
 安部と堀田の文楽人形の遣り取りの映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、7秒
 いずれそのうち西洋諸国は交易を求めてやってくる。必ずくる。それも近いうちにくる。このことは昇った日は必ず沈むのとおなじなくらい明白なことだ。
 そのとき皇国(日本)はどう対応すればいいのか。唐国のように戦うのか。戦って、敗れて、相手(イギリス)のいうがままの償金を支払わされ、唐国が香港とかいう要地を割かされたように、長崎、下関などの要地も割かされるのか。それらはどう考えても愚かな対応だ。
(29頁後ろから5行目〜30頁2行目)
「西洋諸国は次には交易を求めてやってくる。そのときわが国は清国のように戦うのか。戦い敗れて、言われるままに償金を支払わされ、領土まで奪われるのか。それは絶対に避けねばならない。」
(5頁26〜28行目)

[番組の表現]
 堀田の肖像画、堀田の文楽人形の映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、17秒
 伊勢守に交易反対の旗を振らせておくわけにはいかない。振らせておくと国を誤る。唐国のように、大艦巨砲にものをいわされ、結局のところはゆずらされて港を開かされるのはもちろん、要地をも割譲させられる。巨額の償金も支払わされる。
(65頁8〜10行目)
「このまま伊勢守に交易反対の旗を振らせておくわけにはいかない。振らせておくと国を誤る。清国のように、西洋諸国の大艦巨砲にものを言わされてしまう。」
(9頁9〜11行目)

[番組の表現]
 堀田の文楽人形の映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、13秒
「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
(65頁後ろから7行目)
「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
(9頁13行目)

[番組の表現]
 阿部と堀田の文楽人形の遣り取りの映像と義太夫節によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、5秒
 阿部は次席。とはいうものの実権は阿部にある。
(160頁4行目)
 阿部は次席というものの実権はすべて阿部にある。
(10頁9行目)

[番組の表現]
 阿部の文楽人形と阿部肖像画の映像とナレーションで表現したもの
 映像の時間は、3秒
 こうなったらあの隠居にぐうの音もいわさずに条約を調印できる道を新たにさがさなければならない。
(503頁後ろから5〜4行目)
「ここまで進めてきたのに、あの隠居にぐうの音も言わさずに条約締結を進める方法はないものか。」
(14頁2〜3行目)

[番組の表現]
 斉昭の文楽人形と堀田の文楽人形を奥と手前に配する映像と声優によるセリフで表現したもの
 映像の時間は、9秒
 以上

(別紙)3B−1 調所笑左衛門篇
1 小説と番組の配列と表現の比較(表)
1、シークエンスの翻案
番号 原告小説3の表現(頁と行は原告小説3のもの) 被告番組3の表現(頁と行は、甲10=テープ起しのもの)
(a)
 (注:重豪の考え)こんどは利払いの停止だ。
(35頁7〜8行目)

(重豪)「むこう十年、利子は払わぬ」
利子の踏み倒しである。
(6頁4〜5行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、次項(b)と併せて秒数で20秒
(b)
 その人が、まわりを見わたしてもどこにも、
<いない!>
(35頁後ろから6〜4行目)
 人は・・・と思いをめぐらしても見つからない。
(40頁後ろから3行目)

(重豪)「困ったなあ。誰にやらせるか」
(6頁6行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像で表現
 映像の時間は、前項(a)と併せて秒数で20秒
(c)
「金方物奉行のなんと申したか・・・」・・・
「樋口小右衛門でございますか」
(44頁後ろから6〜4行目)

 重豪は借金踏み倒し計画を(注:樋口に)うちあけ、万端とりはからうよう、樋口に命じた。
(45頁8行目)

 悩んだ揚げ句、重豪は金方物奉行に命じ、利子の踏み倒しを宣言した。
(6頁7〜8行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で8秒
(d)
 借金踏み倒し宣言をし、手を切った以上、つなぎの融資はたのめない。
(73頁最後の行〜74頁1行目)

 だが、これに怒った古くからの両替屋たちは、一切の融資をストップ。薩摩藩はみずから金融の道を塞いでしまった。
(6頁8〜9行目)

[番組の表現]
 鹿児島の実景(銀行、街を歩く人々)の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で13秒
(e)
「われ敗れたり!」
重豪はがくっと首をたれた。
(76頁11〜12行目)

(重豪)「やっぱりだめか」
(6頁10行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像で表現
 映像の時間は、秒数で3秒
(a)
(1)、働きかける相手は筆頭老中の水野忠成だ。
(111頁13行目)
(2)、重豪はいった。
 「そちの仕事は、出羽(水野)の屋敷に日参して、品数を増やしてもらうよう、働きかけること。仕事はそれだけ。たやすいことだ」
(112頁2〜4行目)

(重豪)「水野(注:忠成)のところにつてはある。笑左衛門、お主を続料係に命じる。水野のところに行って、品数の増加を働きかけよ。」
(8頁24〜25行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像で表現
 映像の時間は、秒数で20秒
(b)
 土方はこのときすでに隠居していて、向島の別墅(別荘)に住まっていた。調所は水野の役宅ではなく、向島の土方の別墅を訪ねた。
(114頁後ろから2〜1行目)

だが、笑左衛門のアプローチは違った。・・・将軍家斉の側近、水野忠成の元家老、土方縫殿助の才能に注目した。
(9頁4〜5行目)

[番組の表現]
 調所役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で14秒
(c)
(1)、(注:土方)「かねて主人出羽守(注:水野)は、上様(家斉)も一位様がご息災のうちに親孝行をしてさしあげたいと思っておられるに違いない、と申している・・・」
(117頁13〜14行目)
(2)、(注:土方)「一位様(注:治済)が一位にふさわしい官職にお昇りまいらせられれば、上様もことのほかお喜びになるだろうとも・・・」
・・・
(注:土方)「・・・あいにく出羽守やそれがしには京につてがござらん」
・・・
(注:調所)「そのことなら,お安い御用かと存じます。島津家はかねて京とは昵懇の間柄。このたび郁姫様も近衛家へ入輿あらせられます。京へはいかようにもお口添えできるかと・・・。さりながら、いちおうは大御隠居様にはかってみませぬと確かなことは申し上げられませぬ。また明日伺ってよろしゅうございますか?」
(118頁2〜11行目)

(土方)「この男は(注:調所のこと)薩摩の男。うまく使えば、治済様の官位をあげられるかもしれない。島津家は京都と昵懇の間柄だ」。
土方は将軍徳川家斉が、父である治済に親孝行ができるよう、官職をあげてもらえないかと相談を持ちかける。
(9頁11〜14行目)

[番組の表現]
 島津重豪役、調所役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、次項(d)と併せて秒数で31秒
(d)
 八月七日、一橋穆翁(治済)は准大臣に任ぜられた。・・・なるほど、それに水野が一働きしたからなのだと、誰彼はなっとくした。
(122頁11〜13行目)

 結果、重豪の取り計らいにより、治済は准大臣となり、その手柄は水野のものになったという。
(9頁14〜15行目)

[番組の表現]
 島津重豪役、調所役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、前項(c)と併せて秒数で31秒
(e)
 と調所は重豪の前にかしこまった。
「あらたに十品目を認めていただきました」
「合計十六品目か?」
「さようでございます。詳しくはこれに」
(119頁1〜4行目)

 文政八年。笑左衛門が土方とコネクションを持ったことにより、貿易の品数は十品目追加され,十六品目となった。
(9頁16〜17行目)

[番組の表現]
 調所の肖像画の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で9秒
小説の順番(配列)は、
 (a)、(b)、(c)、(e)、(d)
である。
番組の順番(配列)は、
 (a)、(b)、(c)、(d)、(e)
であり、配列が異なる。
(a)
「棄捐」――。
所帯を立て直すにはもう一度棄捐をやり、借金を踏み倒して一からでなおす。
(125頁6〜7行目)

(重豪)「藩を立て直すには、あの手しかない」
借金の踏み倒しである。
(10頁2〜3行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で10秒
(b)
 しかしそれにはつなぎの資金、およそ「十万両」――が必要だ。
・・・
「人」――。
誰にやらせるか・・・
調所以外に顔が浮かんでこない。・・・
(注:重豪)「国元から笑左を呼び戻せ」
(125頁9行目〜126頁末行)

 そのためには、およそ一年分のつなぎの資金を集めなくてはならないが、・・・
(重豪)「誰にやらせるか。奴しかおらんか」
 笑左衛門である。
(10頁3〜6行目)

[番組の表現]
 鹿児島の街を歩く人々の映像と島津重豪役の役者の演技の映像及びナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で18秒
(c)
(1)、出雲屋孫兵衛は調所がたずねてくるのを待っていた。調所が大坂の両替屋をまわりはじめたこの二カ月の間、調所がくるのを今日か明日かと待ちかまえていた。
(141頁9〜10行目)
(2)、出雲屋はいった。
「二万両、ご用立てましょう」
(147頁5〜6行目)

(1)、そんなとき、笑左衛門の前に、救世主があらわれる。大阪の両替屋、出雲屋孫兵衛である。
(10頁9〜10行目)
(2)、薩摩特産の黒砂糖に目をつけた孫兵衛は、二万両の融資をおこない、
(10頁11〜12行目)

[番組の表現]
 出雲屋役の役者、調所役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で23秒
(a)
 あらたに第二会社(島津家)を設立し、第二会社が事業を引き継ぐ――。
(186頁9〜10行目)

 笑左衛門と孫兵衛たちが考えた再建案の一つは、新たに第二会社、島津家を設立し、事業をおこなうこと。
(13頁9〜10行目)

[番組の表現]
 出雲屋役の役者、調所役の役者の演技の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で8秒
(b)
薩摩藩を整理会社にし、そこへ借金を凍結する
(186頁後ろから7行目)

 薩摩藩を整理会社とし、借金を凍結させた。
(16頁5〜6行目)

[番組の表現]
 桜島の実景の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で8秒
(a)
(1)、斉興は当分斉彬に家督をゆずる気がなかった
 (285頁3行目)
(2)、家督をゆずれば(注:斉彬は)きっとやりたいことをやるだろう。これまでこつこつ貯めてきた金を、うわばみが呑み干すようにひと呑みに呑み干してしまうだろう。そしてもとの貧乏にもどる――
(285頁11〜13行目)
(3)、斉彬を(注:鹿児島から)おくりだしたあと、斉興は由良との間の子、幼名又二郎、一門の重富家へ養子にやった忠教(ただゆき)、のちの久光を家老座上席にすえ、琉球・海防担当の名大(藩主代理)とした。
(298頁4〜5行目)

 斉彬に家督を継がせると、財政は破綻する。家督を譲りたくない斉興は、側室由良との子、久光に藩政を任せようとした。
(16頁14〜18行目)

[番組の表現]
 桜島の実景、島津斉興肖像画、島津久光肖像画の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で11秒
(b)
(注:斉彬の大叔父黒田斉溥が斉彬に)
「伊勢守(注:阿部)に一働きしていただく。琉球への派遣人員の齟齬と、昆布の密売、材料はこれだけあれば十分」
(316頁終りから4〜3行目)

 驚くことに、早く家督を継ぎたい斉彬が幕閣に手をまわし、密貿易の情報を流していたのだ。
(16頁17〜18行目)

[番組の表現]
 阿部正弘の肖像画、島津斉彬の銅像の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で8秒
(c)
 調所は阿部の意図を計りかね、沈黙をつづけた。阿部は追い打ちをかけるようにいった。
「そちの不始末は大隅(斉興)の不始末でもある。ばあいによっては大隅に、評定所へきてもらうやもしれぬ」
 あっ、と調所は声にならぬ声を肚の中であげた。阿部は辞めろといっているのではない。死ね! といっている。
(313頁最後の行〜314頁4行目)

 そんなとき、薩摩藩の密貿易を幕府の老中、阿部正弘が追及。
(16頁17行目)

[番組の表現]
 阿部正弘の肖像画の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で6秒
(d)
(1)、(注:斉興の台詞)家督をゆずれば(注:斉彬)はきっとやりたいことをやるだろう。これまでこつこつ貯めてきた金を、うわばみが呑み干すようにひと呑みに呑み干してしまうだろう。そしてもとの貧乏にもどる――。
(285頁後ろから7〜5行目)
(2)、家臣として累が主君大隅、斉興におよばないようにするには、斉興は知らなかったということにしなければならない。ということは、調所が海産物密買の責任をとって、みずから命をたたねばならない。
(314頁5〜7行目)

 そして悲劇が起きる。
(笑左衛門)「わしが責任をとるほかないか」
 斉彬に苦労して貯めた金を無駄にされたくない。斉興を隠居させるわけにはいかない。笑左衛門は、密貿易の責任をとり、自ら毒を盛った。
(16頁19〜22行目)

[番組の表現]
 調所の肖像画と調所役の役者の演技の映像及びナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で29秒
小説の順番(配列)は、
 (a)、(c)、(d)、(b)
である。
番組の順番(配列)は、
 (a)、(c)、(b)、(d)
であり、配列が異なる。
2、エピソードの翻案
番号 原告小説3の表現(頁と行は原告小説3のもの) 被告番組3の表現(頁と行は、甲10=テープ起しのもの)
 公の席では舅の重豪が聟家斉にひれ伏さなければならない(14頁8行目)。
 ・・・とかく面倒になる……。気をきかせて隠居し,・・・
(14頁後ろから5行目)
 公の席になると,舅が婿にひれ伏すことになってしまう。それを断るとなにかと面倒だ。重豪は気をきかせて隠居したのだ。
(5頁6〜8行目)

[番組の表現]
 菜の花の実景、島津重豪と一橋豊千代の肖像画の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で12秒
(注:重豪)「そのほう、本日より名を笑悦とあらためよ」
・・・調所はやや面長の顔にいつも笑みをたやさない、あいきょうのある、ひょうきんな貌をしていた。
(9頁後ろから6〜1行目)
重豪「よし、お主、今日から名を笑左衛門とせよ」
その表情がいつも笑っているかのように見えたことから改名を命じられたのだ。
(5頁24〜27行目)

[番組の表現]
 島津重豪役と調所役の役者の演技の映像及びナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で15秒
 士卒の数は端数を切り、二十万人としよう(注:兵士20万人に該当)。二十万人の中には士卒の家族も含まれている。実高は三十五万石である。八公二民だから公のとり分は二十八万石。二十八万石のうち島津家や藩庁のとり分がおよそ四割で十一・二万石。家臣のとり分は六割で十六・八万石。この少ない禄(米)のうちから、重出米などといって、藩庁は毎年一割三分くらいを,税金のように吐き出させた(注:そこから役所に一割三分くらいを納めていたに該当)。差引十四・六万石。
 二十万人にたいして一四・六万石。一人(一家族)あたり平均およそ七斗三升(〇・七三石)。一石を切っている。米だけを食べるとして、人間一人年間の消費量はおよそ一石である。・・・
(24頁後ろから5行目〜25頁3行目)
 薩摩藩の石高は三十五万石。年貢は八公二民のため、ほかの藩より高い。公の取り分は二十八万石。うち家臣の取り分は十六.八万石。そこから役所に一割三分ぐらいを納めていたため、兵士およそ二十万人の一人あたりは〇.七三石。年間平均消費量、一石およそ百五十キログラムを下回っていた。
(8頁16〜19行目)

[番組の表現]
 桜島の実景と当時の生活をイメージするモニュメントの映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で29秒
3、部分複製
番号 原告小説3の表現(頁と行は原告小説3のもの) 被告番組3の表現(頁と行は、甲10=テープ起しのもの)
「・・・むこう十年の間に、五十万両をそなえよ」
・・・
「次に公儀(注:幕府)への納金および非常の手当てのため、五十万両とは別に相応の額をたくわえよ」
・・・
「・・・これまでの借用証文、すべてとり戻せ」
・・・
「朱印状をつかわそう」
(197頁後ろから7行目〜198頁後ろから3行目)
 重豪は笑左衛門に一通の朱印状を渡した。そこには、「借用証文を取り返せ」「五十万両を備蓄せよ」「幕府への上納金や非常用の手当を準備せよ」という三ヶ条が書かれていた。
(2頁11〜13行目)

[番組の表現]
 島津重豪役と調所役の役者の演技の映像及びナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で20秒
 貧乏になるように、貧乏になるように、と幕府はあの手この手を使って大名の財力を弱めた。
 参勤交代もその一つだ。近距離は半年交代、遠距離は一年交代。行列を仕立てての往復には巨額の費用がかかった。
 参勤交代による、半年おき、あるいは隔年の江戸住まいもそうだ。国元との二重生活で生活費が余分にかかるだけではない。
(11頁4〜9行目)
(注:借金がふくらんだ)原因の一つに、藩の経済力をそぐ、幕藩体制による二つの政策があった。
一つは参勤交代。江戸への往復費用。
国元との二重生活が支出を増やしていった。
(4頁14〜17行目)

[番組の表現]
 太陽の実景、橋の実景、参勤交代を再現したモニュメントの映像及びナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で17秒
 公の席では舅の重豪が聟家斉にひれ伏さなければならない。
(14頁8行目)
 ・・・とかく面倒になる……。気をきかせて隠居し・・・
(14頁後ろから5行目)
 公の席になると舅が婿にひれ伏すことになってしまう。それを断るとなにかと面倒だ。重豪は気をきかせて隠居したのだ。
(5頁6〜8行目)

[番組の表現]
 菜の花の実景、島津重豪と一橋豊千代の肖像画の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で12秒
・・衣服など金目のものも早くに売りつくし、全員が痩せこけたからだに、すりきれた衣服をまとっていた。
(108頁後ろから6〜5行目)。
・・・夏ともなると・・・草は伸びほうだいに伸びるのだと,・・・
(108頁後ろから4〜3行目)
 両替屋からの融資がストップしたことにより、野垂れ死に寸前の薩摩藩。江戸の藩邸の壁ははげおち、夏にもなると草は伸び放題。衣服や金目のものは売りつくされ、人々は痩せこけた体に擦り切れた服を着ていた。
(8頁13〜15行目)

[番組の表現]
 古い屋敷の実景、石の壁の実景、柿の木の実景、土間、囲炉裏の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で20秒
 精選した菜種子はこぼれ落ちないよう、紙袋につめ、さらに俵で包むというように、荷づくりを変えさせた。ちょっとした工夫だ。薩摩の菜種子はすぐに大坂市場の
極上品となった。
(201頁1〜2行目)
 精選した菜種子がこぼれ落ちないように紙袋に詰め、俵で包む工夫をするなど、調整作業を改善。結果、大坂市場の極上品となった。
(13頁21〜22行目)

[番組の表現]
 菜の花の実景の映像とナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で13秒
(注:重豪)そのほうに気づかなかったのは、おれの一生の不覚だった。・・・そのほうを最後の最後まで,使えぬとみた。役や権限もだしおしみした。灯台下暗しというが、まったくそのとおりじゃ。ゆるせ」
(206頁4〜7行目)
(重豪)「そのほうに気づかなかったのは、わしの一生の不覚だった。おろかなことに、そのほうを最後の最後まで使えぬとみた。ゆるせ」
(15頁26〜27行目)

[番組の表現]
 島津重豪役の役者の演技の映像及びナレーションで表現
 映像の時間は、秒数で24秒
 以上

(別紙)1B−2 田沼意次篇
2 控訴人主張の配列以外の記述等
−小説のシークエンス(ストーリー)の配列間の記述とその概要
番号 原告小説1の表現(頁と行は原告小説1のもの) 被告番組1の表現(頁と行は、甲8=テープ起しのもの)
(a)
(1)、倹約の総額は二十万両である。五年後の四月に二十万両がたまる。四月十七日、家康の命日についでに墓まいりができるよう、日光東照宮参詣にでかける――
(35頁10〜11行目)
(2)明和八年(一七七一年)四月、幕府は向こう五年間、毎年およそ四万両ずつ倹約するという内容の倹約令を発令した。
(35頁終りから3〜2行目)

(1)日光社参には莫大な費用がかかりました。その費用はなんと20万両以上。
(9頁27〜28行目)

(2)(倹約を毎年)四万両ずつ5年間したわけですね。
(12頁21行目)
(b)
 田沼は水野に、「少老(若年寄)にすすまれよ」といい、少老になる資格を得る加増のことについては、
「折りをみて上様にお願いいたす・・・」といった。
(21頁4〜8行目)
十一月十五日、水野忠友は五千石加増されて一万三千石の大名となり、若年寄にすすんだ。若年寄は数人いた。水野は月番を免除され、勝手掛若年寄、財政を専管する若年寄となった。
(24頁3〜5行目)

 次の(c)との間(頁数では、約62頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・倹約の中身とそれに対する反響。
・田沼と弟・意誠の会話。
・一橋民部卿治済が、将軍家治の手のかかった大奥の女・お富を娶ることを望んだこと。
・大奥の影響力と田沼と大奥のつながり。
・御三卿について。
・一橋民部卿治済が一橋家のとりつぶしを恐れていること。
・田沼、役割を終えたと考えられている御三卿の賄領が莫大であることに気付く。
・田沼、一橋民部卿治済の意を察したこと。

 田沼意次は、同僚の水野忠友(ただとも)に目を付けた。田沼は水野を、勝手掛若年寄、すなわち財政専門の表の役人に転任させたのだ。
(10頁4〜5行目)
(c)
 安永五年の四月をむかえた。五年の倹約が満期になる月である。準備が着々とすすめられた。
 徳川家康の命日は四月十七日だ。四月十七日に、ついでに家康の墓所にまいれるよう、家治の日光東照宮参詣のスケジュールは組まれた。
(86頁8〜11行目)

(1)水野は幕府の財政に無駄がないかを徹底的に調べあげ、歳出を切り詰めていきました。
(10頁7〜8行目)
(2)その結果、日光社参の費用を捻出することに成功します。
(10頁8〜9行目)
(d)
 家治は日光東照宮参詣をようやくタイムテーブルにのせた田沼の骨折りを賞して、田沼を正式の老中にすすめた。
(53頁5〜7行目)

 その功績が認められ、田沼意次は五十四歳で老中へと昇進した。
(10頁10〜11行目)
(a)
(御三卿の賄い料は)十二万両だ。いま倹約している分が年に四万両。御三卿の賄い料金は合計すると倹約の三年分にもなる。これは大きい。
(46頁9〜10行目)
 
 次の(b)(頁数では、約34頁)の間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・田沼、一橋民部卿治済の意が、自身との接近にあることを察する。
・倹約2年目の明和9年、田沼は老中に昇進する。
・異例の昇進は、日光東照宮参拝をタイムテーブルにのせたことにたいする褒賞だった。
・田沼、一橋民部卿治済と会い、お富のもらいうけについて話す。
・江戸で大火が起こる。(明暦の大火)
・同じく明和9年、災害が相次いだことから、安永に改元された。
・田沼の屋敷での来客対応、陳情受付について。
・田沼の時代における賄賂の意味。
・賄賂は、現代の政治献金と性格上かわりない。
・江戸時代、賄賂がはびこった構造的な要因について。
・「御手伝普請」について。
・田沼は、陳情に丁寧に応対した。
・田沼、家治に一橋民部卿治済によるお富もらいうけについてお願い。
・田沼と水野、御用取次・稲葉正明の会話
・稲葉のもとに田安宗武の室森姫・宝蓮院から使いが来て、賢丸(定信)を他家に養子に出すことをやめて欲しいと言ったという。
・田沼は水野に相談。水野は宝蓮院の願いを聞き入れることを進言するが、田沼は、江戸の大火の処理費用がかさみ日光東照宮参詣費用の捻出に支障をきたすのではないかが心配。

 むしろ、幕府予算を食い潰す存在と、田沼意次は考えていたのである。
(10頁26〜27行目)
(b)
 「この際でござる。田安家を廃邸にしてしまうというのはいかがでござろう」
考えてもみない(田沼の)提言だった。水野も稲葉もびっくりし、水野が身をのりだしてきいた。
「廃邸というと、おとりつぶし・・・」
(80頁6〜8行目)

 次の(c)との間(頁数では、約219頁)には控訴人が主張する以外の要素が記述されている。
(P80−P90)
・稲葉正明が田沼に泣きつく。
・田安家の取り扱いについて評議が行われる。
・田安家廃邸が決定。
・宝蓮院が田安家の存続を将軍家治にはたらきかけ、家治の温情で存続が決まる。
・だが、賢丸(定信)は予定通り、白河松平家に養子に出されることに。
・安永4年、田沼は評議の席で、倹約の20万両で将軍の日光東照宮参拝を行うことを提案。
・安永5年、日光東照宮参拝のスケジュールが組まれる。
・家治、日光東照宮参拝。
・安永6年、田沼と水野は褒賞として加増される。
・それをにがにがしい思いで眺めていたのが松平定信。
・田安家の跡取りになるつもりだったが養子に出された定信。田沼とその一派が裏で画策したことを聞き田沼を憎悪するように。
・定信、田安家廃邸の動きは、家治の日光東照宮参詣と関係があるらしいと気づく。
(P90−P299)
・将軍世子(家治の子)家基が死去。
・一橋民部卿治済のもとに出したお富の子・豊千代が、実は家治の子ではないかという噂が。
・家治、豊千代を将軍世子として養子にもらいうけることを望む。
・一橋民部卿治済が実権を握ることを恐れる田沼。
・豊千代、正式に将軍世子に。
・将軍になりえたかもしれないと思っていた定信は、さらに田沼を恨む。
・老中首座・松平輝高について
・改会所の設置をめぐって、田沼と松平輝高の意見が相違。
・輝高は、役得、賄賂の取り込みを急ぎすぎると田沼は思う。
・不満を持った農民が騒動をおこし、輝高は法令をあわてて撤回するという大失態。
・家治、田沼が勝手掛老中の座に座ることを望むが、松平康福との関係をかんがみ、水野忠友が勝手掛老中になることに。
・田沼に対するねたみの陰口。
・田沼は大きな事業で功名を立てたいと思うようになる。
・印旛沼の開拓事業について。
・莫大な工事費用を両替商からの役銀徴収でまかなう。
・天明2年、浅間山の噴火。
・江戸時代の商人に対する課税について。
・田沼、工藤平助の『赤蝦夷風説考』を手にし、ロシアとの交易に興味を持つ。
・天明の大飢饉が起こる。
・田沼の長男・意知が江戸城内で斬られ、その後死去。
・江戸の民衆は、意知を斬りつけた佐野善右衛門を讃えた。
・失意の田沼、孫の姿を見て、大きな事業を成し遂げようと決意する。
・事業資金の調達の方法を考えるなかで田沼が目をつけたのが大坂。
・阿部正敏を大坂に派遣に、「米切手改」について調べさせる。
・田沼、松本秀持から『赤蝦夷風説考』についての調査結果を聞く。
・蝦夷に調査団を送ることに。
・田畑を担保に諸藩に商人が金を貸し付ける法令が発令。
・蝦夷調査団が帰ってくる。蝦夷の開拓が莫大な石高をもたらすことがわかる。
・御用金令、うまく機能せず。
・江戸時代と税について。
・田沼、新たな御用金令を思いつく。
・水野忠友の反対を押し切り、新御用金令を発令。
・新御用金令への反発。
・江戸で洪水が起こる。
・水野の裏切り。田沼、失脚。
・田沼、一橋民部卿治済の謀略に気付く。
・家治の死。
・田沼、地位回復をはかるが、治済は定信と急接近していた。

 幕府の財政運営から無駄を省いていく、という作業の中で、田沼は、それまで人が手をつけようとしなかったことに目をつけました。それが、御三卿のひとつ、田安家のとりつぶしです。
(10頁19〜21行目)
(c)
(1)、田安家は吉宗の二男がおこした家だ。一橋家は四男のおこした家である。将軍継承順位は田安家のほうが上になる。定信は吉宗の孫で豊千代(のちの十一代将軍
家斉)はひ孫である。定信のほうが血も吉宗により近い。田安家に残っていれば将軍世子になれたかもしれない。すくなくともなれる可能性があったという未練が、定信に田安家おいだしの張本人である田沼をいちだんとはげしく憎悪させた。
(299頁11行目〜300頁1行目)
(2)、<思うだにいまいましい>
 定信はいちだんと田沼を憎悪するようになった。やがて、
<恨みはきっとはらす>
 田沼への復讐の、青い炎を心にめらめらと燃やすようになった。
(90頁終りから3〜91頁1行目)

(1)、定信は、八代将軍吉宗の直系の孫に当たる血筋。当然、田安家を継ぎ、将来の将軍候補にもなるつもりだった。
(10頁28〜30行目)

(2)、(定信)「なぜ、養子になど出ねばならぬのだ。余は将軍吉宗公の、孫。ゆくゆくは幕政の中核を担う男だぞ。おのれ、田沼め。許さんぞ。今に見ていろ。」
(11頁5〜6行目)
(a)
 宝永の国役金令を手にした田沼は、はからずも、支配地以外で租税徴収権をもたずに天下の政治をとりしきっているという、幕府の変則的課税の矛盾に気づいた。
(247頁13行目)

 それとは別に田沼は宝永の国役金令をみつめていてあることに気づいた。<徳川幕府は開幕当初ミスをおかした>
 ということに―。
<全国民から税金を徴収する権利を確保しなかった>
というミスだ。
(245頁610行目)

 次の(b)の間(頁数では、約10頁)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・後記(d)、(2)の記述
・後記(c)の記述
・後記(d)、(1)の記述
・田沼、水野の強い反対に合う。

 田沼は、その年貢制度に限界を感じていました。幕府は日本全土の年貢徴収権を有していたわけではない。幕府が徴収できるのは、各地に点在する、天領と呼ばれる直轄地からのみ。そのほかの地域は、幕府への忠誠と引き換えに、諸大名に任されていた。これが徳川幕府の政治体制の根幹、年貢制度であった。
(16頁5〜10行目)
(b)
 田沼は実質的な総理だ。水野の反対をおしきり、大目付に命じて新御用金令を発令させた。天明六年(一七八六年)六月二十九日のことである。
(255頁終りから54行目)

 天明六年六月、幕府は貸金会所設立令を発令。
(16頁16行目)
(c)
 高百石あたり二両だとおよそ六十万両になる。六十万両を五年分割とする。その分民百姓の負担も軽くなる。またいちどきに課税するより、毎年毎年徴収するほうが税というものをより認識させうるし、徴税組織も整備しうる。徴税組織を整備し売れば、いざというときマシーンとして活用しうる。
 五年分割だ。田沼は二両を五で割った。二両は銀で百二十匁である。一年で二十四匁。二十四匁ははんぱだ。二十五匁とする。「民百姓に高百石につき五年間、毎年銀で二十五匁ずつかける」
田沼はまずこう書きだした。高百石はおよそ十所帯である。
一所帯二・五匁・銭にして二百五十文。職人のおよそ一日の日雇い賃である。おさめる側もなんとかなる額だ。
 宝永の国役金令は町人に賦課しなかった。町人が例外であっていい理由はない。民百姓が一世帯あたり銀二・五匁なら、町人は一所帯あたり銀三匁がふさわしかろう。
 町人にはどういう基準でかけるか。間口の広さに応じてかけるというのはどうだ。間口一間(一・八メートル)を一所帯とみる。
 「町人にかける分は間口一間につき毎年銀で三匁ずつとする。これを毎年五年間、地主より徴収する」
 田沼はつぎにこう書きだした。
 宝永の国役金令は寺社にもかけなかった。寺社も例外であってよかろうはずがない。現代でいうなら宗教法人の優遇措置もみとめないということになろうか。田沼は寺社奉公配下の調役を呼び、寺社の台所事情を詳しく報告させて、
 「五年の間、寺社山伏は最高十五両、以下格式に応じておさめるものとする。ただし、皇族関係の官問跡尼御所はのぞく」さらにこう書き出した。
 大坂に「大坂表会所」という役所を設置する。そこに全国から徴収した税金をあつめる。公儀からも資金を援助する。大坂表会所でそれらの金を諸家(諸大名)に貸し出す。担保には米切手と相応の村高(田畑)証文をとる。
 もし返済がとどこおったら、米切手は、米切手に記してあるとおりの米をひきわたさせる。村高証文の分は、田畑をもよりの代官にあずからせ、物成りをもって返済させる――。
 およそこういう内容の、細部の先は<御用金令>とほとんど変わりのない法令(新御用金令)をつくりあげた。
(247頁終りから3行目〜249頁10行目)

全国民から平等に強制出資させた資金を、財政に苦しむ藩に貸し出すというものだった。
(16頁17〜18行目)
(d)
(1)大坂表会所でそれらの金を諸家(諸大名)に貸し出す。担保には米切手と村高(田畑)証文をとる。もし返済がとどこおったら、米切手は、米切手に記してあるとおりの米を引きわたさせる。村高証文の分は、田畑を最寄りの代官にあずからせ、物成りをもって返済させる――。
(249頁5〜8行目)

(2)「諸大名の土地を担保にいれさせ、担保流れの土地を没収していく」
 というテーマが先にあった。そのためには金が必要だ。金を探していて、
 「公儀の変則的課税の矛盾」
に気づいた。これは修正しておかなければならない。天下の支配者である以上、全国六十余州からもれなく税を徴収しなければならない。でなければ天下を統治しているなどと口はばったくていえない。
 諸大名の領土を担保流れにしてすべて没収してしまえば変則的課税の矛盾は完全に修正できる。しかしそこへいたる道はとおい。並行しながら、全国六十余州から税を徴収する。その金を諸大名に貸す。「諸大名の領土を没収する」というテーマと「公儀の変則的課税の矛盾の修正」というテーマは二つながら実現する。
(247頁4〜13行目)

 しかし、この法律にはもう一つ恐るべき狙いがあったのです。
貸金会所から金を借り受ける際、藩は担保を提供しなければならなかった。そしてその担保となったのが、藩の財産ともいうべき領地であった。
貸金会所設立令のもう一つのねらい。それは、各藩から領地を手に入れ、幕府の収益を安定化させると同時に、諸大名の勢力を縮小させることにあったのです。
(16頁20〜26行目)
 以上

(別紙)2B−2 堀田正睦篇
2 控訴人主張の配列以外の記述等
−小説のシークエンス(ストーリー)の配列間の記述とその概要
番号 原告小説2の表現(頁と行は原告小説2のもの) 被告番組2の表現(頁と行は、甲9=テープ起しのもの)
(a)
(1)(注:斉昭は)烈公と敬称され・・・
(31頁3行目)

 次の(2)との間には下記の要素が記述されている。
・ペリーがきて未曾有の国難を迎える
・阿部をはじめ幕府役人らは斉昭に期待、老中松平伊賀守忠固は反対。
・将軍家慶も反対したが急逝し、阿部は家定の了解をとりつけ忠固の反対を押し切り斉昭を外交顧問に迎える。


(2)しかし斉昭は、世間一般から抱かれている印象とおよそ異なる、感情の抑制のきかない、思いついたことを口から出まかせにしゃべって一歩も譲らない、誰とでも見境なく争う、性格の狷介な男だった。
(32頁5〜7行目)

 次の(b)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・斉昭は評判を落とす。
・阿部は斉昭を条約締結後も幕閣に留める。
・老中松平忠固は斉昭とことごとく対立。
・斉昭は忠固の罷免を迫る。
・斉昭と同じ立場をとっている阿部は斉昭を選ぶ。

しかし斉昭は評判とは大きく違った。
海防問題の第一人者と目されていた斉昭は烈公と呼ばれ、誰とでも見境なく争うばかりで、期待はずれだった。
(5頁3〜4行目)
(b)
 忠固と乗全を罷免して・・・事務処理能力のある者を幕閣に迎えたい。阿部はごく自然にそう思った。・・・堀田備中守に白羽の矢を立てた。
(34頁3〜8行目)

(1)「この難局に早く能力のある者を幕閣に入れなければ。」
(5頁9行目)

(2)実務能力に長けた堀田を幕府運営に加えたのだった。
(5頁15〜16行目)
(c)
(注:大地震のことについて詳述したあと)
 「御用番(月番)の久世大和守様から御召の御用状が到来しました」
 書状を携えた側用人がひざまずいていう。
 堀田はいぶかりながら御用状をひらいた。老中連署の奉書で、
 「御召につき、明五つ半(午前九時)に登城されたし」
とあった。
(19頁後ろから2行目〜20頁3行目)

 次の(d)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・堀田の元に災害状況が報じられる。
・将軍家定に謁見、家定は癇癪持ちで痙攣持ちでどもり。
・家定から勝手掛老中(いわば総理大臣)に任ぜられる。

 この年の秋、四千人の死者を出す安政の大地震が江戸を襲った。地震騒ぎの中、まるでどさくさに紛れるかのように堀田の下に登城の連絡が入る。なんと安部(ママ)が堀田を老中首座に迎えたのだ。
(5頁11〜13行目)
(d)
「何分にもよろしく」
(27頁後ろから4行目)

「何分にもよろしくお頼み申す」
(5頁17行目)
(e)
 阿部は次席。とはいうものの実権は阿部にある。
(160頁4行目)

 阿部は次席というものの、実権はすべて阿部にある。
(10頁9行目)
(f)
 いずれそのうち西洋諸国は交易を求めやってくる。必ずくる。それも近いうちにくる。このことは昇った日は必ず沈むのとおなじくらい明白なことだ。
 そのとき皇国(日本)はどう対応すればいいのか。唐国のように戦うのか。戦って、敗れて、相手(イギリス)のいうがままの償金を支払わされ、唐国が香港とかいう要地を割かされたように、長崎、下関などの要地も割かされるのか。それらはどう考えても愚かな対応だ。
(29頁後ろから5行目〜30頁2行目)

「西洋諸国は次には交易を求めてやってくる。そのときわが国は清国のように戦うのか、戦い敗れて、言われるままに償い金を支払わされ、領土まで奪われるのか。それは絶対に避けねばならない。
(5頁26〜28行目)
(g)
(1)老中首座兼勝手掛老中として幕閣を主導する立場にいた阿部伊勢守正弘も、国体の護持、攘夷鎖国を外交の基本理念に据えた政治家だった。
(31頁13〜14頁)

 次の(2)との間(頁数では70頁以上)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・水戸藩内の派閥抗争がおこる。
・斉昭は反斉昭派が毒殺の謀議を図っていると決めつけ、反斉昭派20人以上を次々と処刑したり隠居させたりしたが、この処分を内密にする。
・長崎奉行所から書状とオランダ通詞から長崎奉行への上申書が届いていた。2か月後にイギリスの香港総督が交易条約を結びに長崎にやってくるという。
・オランダは日本に戦艦だけでなく操船技術も教え、その見返りに通商条約を結ばせようと考えていた。
・勝鱗太郎などを艦長候補として海軍演習始まる。


(2)ペリーにいやいや和親条約を結ばされたものの、通商条約の締結拒否を鎖国体制堅持の第二の防波堤にしようと考えなおし、姿勢を立てなおした阿部は、海軍力の充実というのを本気で模索するようになった。海軍力さえ充実し得れば諸外国からの開国圧力を撥ね返すことができると考えたのだ。
(108頁後ろから7〜4行目)

 次の(3)との間(頁数では100頁以上)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・ファビウスが長崎に入る。
・岩瀬と堀田との遣り取り。


(3)このように阿部は鎖国体制の堅持を侵すべからざる不動の外交基本理念に据えた、かたくなな体制派、頑固な保守主義者だった。
(215頁後ろから7〜6行目)

(1)攘夷鎖国派でエリート老中、阿部正弘。対するは開国派で実務派の堀田正睦。ここから二人の激しいつば競り合いが始まる。
(5頁末行〜6頁1行目)

(2)当時、海防掛は西洋列強との交易反対の姿勢を打ち出していた。そのトップは宿敵、阿部正弘。阿部は攘夷派であり、頑なに通商条約を避け鎖国体制を図っていた。
(9頁6〜8行目)
2 (a)
 しかしいずれにしろ伊勢守(注:阿部)は公益を非とするこちこちの攘夷鎖国論者で、海防掛勘定奉行勘定吟味役が伊勢守の意に沿うように(注:交易反対と)歩調を合わせている、というのははっきり分かる。
(65頁3〜5行目)

 当時、海防掛は西洋列強との交易反対の姿勢を打ちだしていた。そのトップは宿敵、阿部正弘。
(9頁6〜7行目)
(b)
「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
(65頁後ろから7行目)

 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・ファビウスが長崎に入る。
・岩瀬と堀田の遣り取り。

「それがしも海防の御役に就かせていただきたい」
「ううん、その儀だけは」
(9頁13〜14行目)
(c)
 ハリスはいっこうに怒りをしずめない。給仕が茶を運んでくると手を振って、「そんな茶など飲めるか」と荒々しくいい、御徒目付を指さしては「出て行け」とののしり、何をいっても耳を傾けようとしない。「いざというときはいつでも腹をき切ってご覧に入れましょう」
というのが井田と岡田(注:ともに下田奉行)の口癖だった。二人ともペリーの来日以後、勘定吟味役、そして新設されて間もなくの下田奉行へと異例の抜擢を受けた者たちで、さすがは苦労人、覚悟の程が違うと称賛されていた。しかし、正体は口とは裏腹の小心な男たちだった。いつもハリスの鼻息をうかがっていた。
 目をつむっておもむろに首を振り、「いいやそうではない」といわんばかりの仕草をして見せるのがハリスの反撃の前触れだった。その仕草がはじまると井上も岡田も身を縮ませて、ハリスの破れ鐘のような怒声が頭上をとおりすぎていくのを待たねばならなかった。
(153頁3〜13行目)

 しかし外圧(注:ハリス)ともなるべき男も一癖も二癖もある人物だった。なんと通商条約締結という任務を担い来日したハリスは、幕府の役人を前に傍若無人に振舞った。
交易不可という幕府の役人に対し、怒号を上げ罵り、それでいて自国や自分の利益に都合の悪い問題は常にはぐらかす。
(9頁24〜27行目)
(d)
 大事なのは・・・、ハルリスを望みどおり江戸へ呼び寄せ、ハルリスから直接ボウリングのことを聞き、ボウリングに対処する最善の策をさぐりだすことにある。相手はハルリスではない。ボウリングである。ボウリングの手の内を知ればそれだけ準備もできる。備えも厚くなる。
 場合によってはハルリスと日本にとってより有利な条約を結べばいい。そしてそれをボウリングへの盾とする。早い話が利用する・・・
(104頁3〜8行目)

 次の(e)との間(頁数では100頁以上)には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・岩瀬と堀田との遣り取り。
・オランダ、イギリス、ロシアからの開港要求。
・阿部の病気と死去。

 そのために堀田が頼みとしたのは外圧だった。通商条約締結を求め下田にやってきたアメリカ官吏ハリスの、江戸への出府要求を利用しようと動き出す。
(9頁21〜23行目)
(e)
堀田はこう前置きした。
「当節の模様をつらつら熟考つかまつりますに、上申書でも申し上げておきましたとおり、やはり海防掛大目付目付、在府箱館奉行の申し立てどおり出府をみとめるのがよろしいかと存じます。これは同列どもとも協議したうえでの評決でございます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか?」
家定は老職のいうことには何であれ逆らったことがない。この日も言葉少なに吃りながらいった。
「そ、そうせい」
(219頁8〜15行目)

「上様に申し上げます。当節の模様を熟考つかまつりますに、アメリカ国官吏の出府を認めるのがよろしいかと存じます。さよう取り計らってよろしゅうございましょうか。」
「そ、そ、そうせい。・・・」
(10頁17〜20行目)
3 (a)
 しかしとにかく過激すぎる。またたく間に朝野に知れ渡る。今この瞬間にも小石川(注:水戸の上屋敷)から波紋が広がるように広がっていよう。そして朝野は、今夜からにも、「御老公は条約調印に断固反対なのだそうだ」とかまびすしくささやきあう。
 説明、質疑応答も、隠居の暴言で吹っ飛んでしまった。
(503頁9〜13行目)

 烈公斉昭が条約調印に断固反対。それが広まれば、これまでのハリスとの交渉、諸侯への根回しも吹っ飛んでしまい、条約締結が頓挫してしまう。
(13頁28行目〜14頁1行目)
(b)
(1)なにかないか。
堀田は思いを巡らした。
いいのがある。
これならというのを堀田は思いついた。
(503頁後ろから3行目〜504頁1行目)

 次の(2)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・堀田と慶喜の遣り取り。
・慶喜の心情。


(2)(注:堀田)「御老公はご承知のとおり水戸学の総帥で、なにかにつけて叡慮叡慮といわれる。時には征夷大将軍の職を奪われるなどと脅しもかけられる・・・ですからこの際、あと腐れのないように、勅許をいただいておこうと思うのです。そうしておけば御老公もなにもおっしゃれない」
(515頁10〜13行目)

 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・慶喜の心情と行動。

(1)そのとき、堀田に至極のアイデアが浮かぶ。
 「これだ。これしかない。」
(14頁4〜5行目)

(2)斉昭は尊皇攘夷を美とする水戸学の総帥。天皇の言葉に背くことはできない。天皇の御言葉を手に入れれば、斉昭の邪魔をふせげる。
(14頁11〜12行目)
(c)
(注:堀田)「なに勅許をいただくなど簡単です。蒸気船やテレガラフなどが急速に発達して世界は一つになりつつある。そんなとき我国だけ孤立して独善をきめこむことはできません。だから条約を結ばなければならないのです、と事を分けてお話しすれば、物の道理さえ弁えておられれば、たちどころに、思召しはあらせられぬと叡慮を下されるはずです。」
(520頁7〜11行目)

 次の(d)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・堀田家の財政状態。
・将軍継承問題。

老中が自ら京に乗り込み、外的の危険を吹聴すれば、勅許はただちに手にできる。
(14頁9〜10行目)
(d)
(注:孝明天皇は)水戸学崇拝者も顔負けの過激な攘夷論者で・・・・
(574頁1行目)

 さらに孝明天皇は過激な攘夷主義者。
(14頁22行目)
(e)
(1)ところが、今度ばかりはちがった・・・「・・・宿老の首座堀田備中守が叡慮を仰ぎに・・・」
(576頁11行目および15行目)
(2)、政治に敏感であればあるほど、なにがしかであれ幕府から政治権力を奪い取ろうという野心はきざす。孝明天皇はそんな野心を抱いていた。
(575後ろから2行目〜576頁1行目)

 事の次第はこうだった。これまで幕府と朝廷の関係は、ペリーと結んだ和親条約も含め、すべてが事後報告だった。しかし、今回初めて,事前に(注:幕府か)勅許を求められた。それが政治に敏感であった孝明天皇に政治介入の野心を抱かせてしまった。
(14頁18〜21行目)
(f)
諸大名の赤心、意見は聞いた。それも二度にわたって聞いた。ほとんどが賛成だった。・・・それなのにもう一度聞けといっている。無理難題だ。差し戻し、取りようによっては不許可ともとれる。
(572頁3〜5行目)

 次の(g)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・将軍継承問題。
・島津斉彬の将軍継承をめぐる動き。

 朝廷からの返事は、御三家以下諸大名の意見を聞いてから再願せよ」という差し戻し、つまり不許可であった。
(14頁14〜16行目)
(g)
(1)(注:同席からの手紙)「貴書様にも諸事御困苦御取扱いの儀と、毎々(注:将軍の)御沙汰も在らせられ候間、其処は御心配これ無く・・・」
(680頁6〜7行目)
(2)上にさえ信頼しておいていただければ、そうだ、肥後のいう、条約調印独断強行はけっして難しいことではない。
 そう思うと堀田の顔にはまたみるみる生気がもどった。
(680頁終わりから3〜1行目)

 次の(h)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素が記述されている。
・将軍継承問題。

 江戸より届いた手紙の中で「堀田に苦労をかけていると将軍家定が心配している」との記述があった。上様に信頼してもらえば大丈夫。条約の締結にまい進するのみ。堀田の顔に生気が戻り・・
(16頁末行〜17頁2行目)
(h)
「大儀であった。これからもよろしくたのむ」
(706頁12行目)

京都での不首尾を詫びると「これからも頼むぞ」との温かいお言葉をいただく。
(17頁13〜14行目)
(i)
(1)「昨日同列どもと評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐をお願いしようと意見がまとまりました。・・・よろしくお聞き取りくださいませ」
(707頁11〜15行目)
(2)堀田はいいおわっていつものように、「そうせい」「よきに計らえ」という家定の言葉が返ってくるのを待った。
(707頁後ろから3〜2行目)
(3)たしかに(注:家定は)頭はよくなかった。しかし馬鹿ではなかった。常識のあるごくふつうの男で、統治、国を治めるということに関していうなら、少なくとも自分には統治能力はない、余計なことはいわずに宿老に任せておくのがいいと判断する能力はもちあわせていた。
(538頁末行〜539頁2行目)

「昨日評議いたしまして、松平越前守殿に御補佐役をお願いしようと意見がまとまりました。何卒、お聞き取りくださいませ。」
いつもなら、
「そ、そうせい」、そう言葉が返ってくるはずだった。しかし。・・・・
なんと家定は越前ではなく掃部、すなわち井伊直弼を大老に命じたのだ。うつけ者と呼ばれてきた将軍家定。しかし実際は冷静に周りの状況を読める人物だった。これまで政はすべて老中に任せてきた。開国を迫るペリーとの交渉は阿部正弘。そしてハリスとの交渉はもちろん堀田に全幅の信頼を置いていた。
 しかし今回だけは違った。
(17頁17〜28行目)
 以上

(別紙)3B−2 調所笑左衛門篇
2 控訴人主張の配列以外の記述等
−小説のシークエンス(ストーリー)の配列間の記述とその概要
番号 原告小説3の表現(頁と行は原告小説3のもの) 被告番組3の表現(頁と行は、甲10=テープ起しのもの)
(a)
(注:重豪の考え)こんどは利払いの停止だ。
(35頁7〜8行目)

(重豪)「むこう十年、利子は払わぬ」
利子の踏み倒しである。
(6頁4〜5行目)
 次の(b)の間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・銀主はおもに大坂にいる。大坂の地で産物を売りさばき、現金収入を得る。
・一方、領内の米や商品作物、道之島三島の砂糖などの生産をふやし、役人の不正を排除する。
・持ち場、持ち場に人はいる。
 
(b)
その人が、まわりを見わたしてもどこにも、
<いない!>
(35頁後ろから6〜4行目)

 35頁後ろから6〜4行目と40頁後ろから3行目の間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・久保はどうか、久保は当時の薩摩藩にあっては、第一級の識見をもった人物だった。久保は重豪の求める人材ではなかった。
・「どこかに使えるやつはいないのか?人さえいれば・・・のう笑悦(注:調所のこと)」(ここで章が終わり、別の章になります)
・文化6年(1809)斉宜(なりのぶ)、隠居。家督を継いだのは斉宜の嫡男、斉興(なりおき)。


 人は・・・と思いをめぐらしても見つからない。
(40頁後ろから3行目)

(重豪)「困ったなあ。誰にやらせるか」
(6頁6行目)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。

・重豪、人選をするため調所を連れて大坂へ。
 
(c)
「金方物奉行のなんと申したか・・・
「樋口小右衛門でございますか」
(44頁後ろから6〜4行目)

 重豪は借金踏み倒し計画を(注:樋口に)うちあけ、万端とりはからうよう、樋口に命じた。
(45頁8行目)

 悩んだ揚げ句、重豪は金方物奉行に命じ、利子の踏み倒しを宣言した。
(6頁7〜8行目)

次の(d)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。

・「金利は払わぬ。元金も払えぬ」
 万一に備え金を蓄える必要がある。
・重豪、公金をくすねる官僚機構を立て直すべく幕府に帰国願いを出す。
・調所、重豪に命じられ御小納戸勤となる。 名も笑左衛門となる。
・島津家と将軍家は重豪の祖父・つ継と豊と竹姫の結婚を機につぎつぎと婚姻をかさねていく。
・関が原の戦いにみる薩摩隼人“人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬”った。
・重豪、領内の商業活動を活発にする目的もあって、関所の往来をゆるやかにした。 仕付(しつけ)方という役所をもうけ、言語、容貌、風俗、服装をあらためさせた。
・重豪、帰国し鹿児島で組織の改革を行う。公金の扱いを勝手方吟味役が行っていたが、趣方法という一局を勝手方に内部にもうけ、金の出入りを趣方法がおこなった。
・金方物奉行の樋口小右衛門、銀主に借金踏み倒しを宣言。
・借金踏み倒し後は「国元からおくった産物を、大坂で売りさばくことにより現金を調達し、経費をまかなう」のを原則としていたが、砂糖の不作、船の難破により思うように大坂へ送ることができなかった。
 
(d)
借金踏み倒し宣言をし、手を切った以上、つなぎの融資はたのめない。
(73頁最後の行〜74頁1行目)

だが、これに怒った古くからの両替屋たちは、一切の融資をストップ。薩摩藩はみずから金融の道を塞いでしまった。
(6頁8〜9行目)
 次の(e)の間には控訴人が主張する以外の要素が主張する要素の記述がある。

・金方物奉行の樋口小右衛門死去。
・側役側用人、伊集院隼衛(いじゅういんはやえ)、未着の米や産物を担保に堂島や堺筋の問屋や商人から金を前借りしたが悪循環となり失敗。
・これを聞いた重豪、大坂へ行こうとしたがもはやどうにもならない。
 
(e)
「われ敗れたり!」
重豪はがくっと首をたれた。
(76頁11〜12行目)

(重豪)「やっぱりだめか」
(6頁10行目)
(a)
(1)、働きかける相手は筆頭老中の水野忠成だ。
(111頁13行目)

(2)、重豪はいった。
「そちの仕事は、出羽(水野)の屋敷に日参して、品数を増やしてもらうよう、働きかけること。仕事はそれだけ。たやすいことだ」
(112頁2〜4行目)

(重豪)「水野(注:忠成)のところにつてはある。笑左衛門、お主を続料係に命じる。水野のところに行って、品数の増加を働きかけよ。」
(8頁24〜25行目)
 次の(b)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・君命であるため、調所は拒むことはできない。
・職を免ぜられると収入が零になる。
・調所はない知恵を絞る。
・土方縫殿助が水野家と関係を作った時のエピソード
 
(b)
 土方はこのときすでに隠居していて、向島の別墅(別荘)に住まっていた。調所は水野の役宅ではなく、向島の土方の別墅を訪ねた。
(114頁後ろから2〜1行目)

だが、笑左衛門のアプローチは違った。・・・将軍家斉の側近、水野忠成の元家老、土方縫殿助の才能に注目した。
(9頁4〜5行目)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。

・調所、土方に面会を頼むが断られる。
・そのころ島津家は斉宜の娘郁姫を当主斉興の養女として近衛家に嫁がせる準備で金が必要だった。
・調所は毎日きまった時刻に土方の別荘の門を叩いた。
・土方、調所の熱意を感じ会ってみたくなるが、あくまでも恩を売る形にしたいと考える。
・通い始めて半月後、面会が許された。
 
(c)
(1)、(注:土方)「かねて主人出羽守(注:水野)は、上様(家斉)も一位様がご息災のうちに親孝行をしてさしあげたいと思っておられるに違いない、と申している・・・」
(117頁13〜14行目)

(2)、(注:土方)「一位様(注:治済)が一位にふさわしい官職にお昇りまいらせられれば、上様もことのほかお喜びになるだろうとも・・・」
・・・
(注:土方)「・・・あいにく出羽守やそれがしには京につてがござらぬ」
・・・
(注:調所)「そのことなら,お安い御用かと存じます。島津家はかねて京とは昵懇の間柄。このたび郁姫様も近衛家へ入輿あらせられます。京へはいかようにもお口添えできるかと・・・。さりながら、いちおうは大御隠居様にはかってみませぬと確かなことは申し上げられませぬ。また明日伺ってよろしゅうございますか?」
(118頁2〜11行目)

(土方)「この男は(注:調所のこと)薩摩の男。うまく使えば、治済様の官位をあげられるかもしれない。島津家は京都と昵懇の間柄だ」。
土方は将軍徳川家斉が、父である治済に親孝行ができるよう、官職をあげてもらえないかと相談を持ちかける。
(9頁11〜14行目)
(d)
 八月七日、一橋穆翁(治済)は准大臣に任ぜられた。・・・なるほど、それに水野が一働きしたからなのだと、誰彼はなっとくした。
(122頁11〜13行目)

 結果、重豪の取り計らいにより、治済は准大臣となり、その手柄は水野のものになったという。
(9頁14〜15行目)
(e)
 と調所は重豪の前にかしこまった。
「あらたに十品目を認めていただきました」
「合計十六品目か?」
「さようでございます。詳しくはこれに」
(119頁1〜4行目)

 文政八年。笑左衛門が土方とコネクションを持ったことにより、貿易の品数は十品目追加され,十六品目となった。
(9頁16〜17行目)
(a)
「棄捐」――。
所帯を立て直すにはもう一度棄捐をやり、借金を踏み倒して一からでなおす。
(125頁6〜7行目)

(重豪)「藩を立て直すには、あの手しかない」
借金の踏み倒しである。
(10頁2〜3行目)
(b)
しかしそれにはつなぎの資金、およそ「十万両」――が必要だ。
・・・
「人」――。
誰にやらせるか・・・
調所以外に顔が浮かんでこない。・・・(注:重豪)「国元から調所を呼び戻せ」
(125頁9行目〜126頁末行)

 そのためには、およそ一年分のつなぎの資金を集めなくてはならないが、・・・
(重豪)「誰にやらせるか。奴しかおらんか」
 笑左衛門である。
(10頁3〜6行目)
 次の(c)との間には控訴人が主張する以外の要素の記述がある。
・重豪、調所に10万両を作るように命じる
・両替商の辰巳屋を藩邸に呼ぶがけんもほろろに挨拶を返された。
・調所、直接両替商へ出向く。鴻池屋、加島屋といった大手から中小の両替屋をまわるが相手にされない。
・調所、最後の望みをかけ出雲屋を訪ねる。
 
(c)
(1)、出雲屋孫兵衛は調所がたずねてくるのを待っていた。調所が大坂の両替屋をまわりはじめたこの二カ月の間、調所がくるのを今日か明日かと待ちかまえていた。
(141頁9〜10行目)

 次の(2)との間には被告人が主張する以外の下記の要素の記述がある。

・薩摩藩の金の出入りのところが腐敗しているのは国元だけでなく大坂もそうだった。経済学者の佐藤信淵はこの2年後に差薩摩の財政再建案『薩摩経緯記』を書いている。そのなかに腐敗の様子が書かれている。
・出雲屋、薩摩の蔵役人と合体盤結してひと儲けしようと1年前より考えていた。
 そこへ調所があらわれた。
・調所と出雲屋面会。


(2)、出雲屋はいった。
「二万両、ご用立てましょう」
(147頁6行目)

(1)、そんなとき、笑左衛門の前に、救世主があらわれる。大阪の両替屋、出雲屋孫兵衛である。
(10頁9〜10行目)

(2)、薩摩特産の黒砂糖に目をつけた孫兵衛は、二万両の融資をおこない、
(10頁11〜12行目)
(a)
 あらたに第二会社(島津家)を設立し、第二会社が事業を引き継ぐ――。
(186頁9〜10行目)

 笑左衛門と孫兵衛たちが考えた再建案のひとつは、新たに第二会社島津家を設立し、事業をおこなうこと。
(13頁9〜10行目)
(b)
 薩摩藩を整理会社にし、そこへ借金を凍結する
(186頁後ろから7行目)

 薩摩藩を整理会社とし、借金を凍結させた。
(16頁5〜6行目)
5 (a)
(1)、斉興は当分斉彬に家督をゆずる気がなかった
(285頁3行目)

(2)、家督をゆずれば(注:斉彬は)きっとやりたいことをやるだろう。これまでこつこつ貯めてきた金を、うわばみが呑み干すようにひと呑みに呑み干してしまうだろう。そしてもとの貧乏にもどる――。
(285頁11〜13行目)

 次の(3)の間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。

・斉彬はおよそこの5年間、阿部と筒井などの力をかりて、いやがる親父(斉興)を隠居させ、家督を相続。反射炉や溶鉱炉をつくって大砲をつくり、火薬を製造し、軍艦をつくり、ガス灯をつけ、電気・通信、水雷などを実験し、ガラス工場を建て、紡織機械を輸入して綿布を織らせ・・・と精力的に活動をはじめる。
・阿部、薩摩が琉球に送った人数を疑う。
・調所と斉興、琉球に送った人数が疑われた背景に斉彬が関係していると推測。
・斉彬、富国強兵を考えるが、うまく金を使わせてもらえない。
・斉彬、琉球にいるはずの家臣がいることに気づく。貨幣の密造にも気づく。


(3)、斉彬を(注:鹿児島から)おくりだしたあと、斉興は由良との間の子、幼名又二郎、一門の重富家へ養子にやった忠教(ただゆき)、のちの久光を家老座上席にすえ、琉球・海防担当の名大(藩主代理)とした。
(298頁4〜5行目)

 斉彬に家督を継がせると、財政は破綻する。家督をゆずりたくない斉興は、詩句失由良との子、久光に藩政を任せようとした。
(16頁14〜16目)
(b)
(注:斉彬の大叔父黒田斉溥が斉彬に)「伊勢守(注:阿部)に一働きしていただく。琉球への派遣人員の齟齬と、昆布の密売、材料はこれだけあればじゅうぶん」
(316頁終りから4〜3行目)

 驚くことに、早く家督を継ぎたい斉彬が幕閣に手をまわし、密貿易の情報を流していたのだ。
(16頁17〜18行目)
(c)
 調所は阿部の意図を計りかね、沈黙をつづけた。阿部は追い打ちをかけるようにいった。
 「そちの不始末は大隅(斉興)の不始末でもある。ばあいによっては大隅に,評定所へきてもらうやもしれぬ」
 あっ、と調所は声にならぬ声を肚の中であげた。阿部は辞めろといっているのではない。死ね!といっている。
(313頁最後の行〜314頁4行目)

 そんな時、薩摩藩の密貿易を幕府の老中、阿部正弘が追及。
(16頁17行目)
(d)
(1)、(注:斉興の台詞)家督をゆずれば(注:斉彬)はきっとやりたいことをやるだろう。これまでこつこつ貯めてきた金を、うわばみが呑み干すようにひと呑みに呑み干してしまうだろう。そしてもとの貧乏にもどる――。
(285頁後ろから7〜5行目)

次の(2)との間には控訴人が主張する以外の下記の要素の記述がある。
・斉彬はおよそこの5年後、阿部と筒井などの力をかりて、いやがる親父(斉興)を隠居させ、家督を相続。反射炉や溶鉱炉をつくって大砲をつくり、火薬を製造し、軍艦をつく
り、ガス灯をつけ、電気・通信、水雷などを実験し、ガラス工場を建て、紡織機械を輸入して綿布を織らせ・・・と精力的に活動をはじめる。
・阿部、薩摩が琉球に送った人数を疑う。
・調所と斉興、琉球に送った人数が疑われた背景に斉彬が関係していると推測。
・斉彬、富国強兵を考えるが、うまく金を使わせてもらえない。
・斉彬、琉球にいるはずの家臣がいることに気づく。貨幣の密造にも気づく。
・斉興は由良との間の子、久光を家老座上席にすえ、琉球・海防担当の名大(藩主代理)とする。
・調所と由良は君側(くんそく)の奸(かん)、奸婦奸臣ということになる。これが親父の目をくらませている。だから自分に家督をゆずらないと斉彬は考える。斉彬は調所と由良を殺すことを考える。
・調所、給地高の改正、軍政改革を行う。
・嘉永元年、斉興、参勤交代で江戸に入る。
・調所、阿部の屋敷へ向かい、斉興の位階昇進のお願いをするが、断られる。逆に清国との昆布の密買、琉球への派遣人数を追求される。
・調所は勘づく。この責任をとるのに阿部は辞めろと言っているのではない。死ね!と言っている。
 そして悲劇が起きる。
(笑左衛門)「わしが責任をとるほかないか」
 斉彬に苦労して貯めた金を無駄にされたくない。斉興を隠居させるわけにはいかない。笑左衛門は、密貿易の責任をとり、自ら毒を盛った。
(16頁19〜22行目)
(2)、家臣として累が主君大隅、斉興におよばないようにするには、斉興は知らなかったということにしなかければならない。ということは、調所が海産物密買の責任をとって、
みずから命をたたねばならない。(314頁5〜7行目)
 
 以上
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