判例全文 line
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【事件名】「性犯罪被害にあうということ」映画化事件
【年月日】平成27年9月30日
 東京地裁 平成26年(ワ)第10089号 著作権侵害差止等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成27年7月8日)

判決
原告 A
同訴訟代理人弁護士 望月晶子
同 柳誠一郎
被告 B
同訴訟代理人弁護士 内藤篤
同 村上斐子


主文
1(1) 被告は、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現を含む別紙物件目録記載の映画を上映し、複製し、公衆送信し、送信可能化し、又は同映画の複製物を頒布してはならない。
(2) 被告は、別紙侵害認定表現目録1及び2の@ないしBに記載の表現を含む別紙物件目録記載の映画を上映し、公衆送信し、送信可能化し、又は同映画の複製物を頒布してはならない。
(3) 被告は、別紙確定稿対比表の赤色部分、緑色部分及び水色部分の表現を含む別紙物件目録記載の映画を上映し、複製し、公衆送信し、送信可能化し、又は同映画の複製物を頒布してはならない。
2(1) 被告は、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現を含む別紙物件目録記載の映画のマスターテープ又はマスターデータ及びこれらの複製物を廃棄せよ。
(2) 被告は、別紙確定稿対比表の赤色部分、緑色部分及び水色部分の表現を含む別紙物件目録記載の映画のマスターテープ又はマスターデータ及びこれらの複製物を廃棄せよ。
3 被告は、原告に対し、55万円及びこれに対する平成26年5月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は、これを6分し、その1を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
6 この判決は、第3項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 被告は、別紙物件目録記載の映画を上映し、複製し、公衆送信し、送信可能化し、又は同映画の複製物を頒布してはならない。
2 被告は、別紙物件目録記載の映画のマスターテープ又はマスターデータ及びこれらの複製物を廃棄せよ。
3 被告は、原告に対し、400万円及びこれに対する平成26年5月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は、原告に対し、100万円及びこれに対する平成26年12月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要等
1 本件は、原告が、被告に対し、(1) @被告の製作に係る別紙物件目録記載の映画(以下「本件映画」という。)は、原告の執筆に係る「性犯罪被害にあうということ」及び「性犯罪被害とたたかうということ」と題する各書籍(以下、それぞれ、「本件著作物1」、「本件著作物2」といい、両者を併せて「本件各著作物」という。)の複製物又は二次的著作物(翻案物)であると主張して、本件各著作物について原告が有する著作権(複製権〔著作権法21条〕、翻案権〔同法27条〕)及び本件各著作物の二次的著作物について原告が有する著作権(複製権、上映権、公衆送信権〔自動公衆送信の場合にあっては、送信可能化権を含む。〕及び頒布権〔同法28条、21条、22条の2、23条、26条〕)、並びに本件各著作物について原告が有する著作者人格権(同一性保持権〔同法20条〕)に基づき、本件映画の上映、複製、公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布(以下、これらを併せて「本件映画の上映等」という。)の差止め(同法112条1項)を求めるとともに、本件映画のマスターテープ又はマスターデータ及びこれらの複製物(以下、これらを併せて「本件映画のマスターテープ等」という。)の廃棄(同条2項)を求め、A本件映画は、原告の人格権としての名誉権又は名誉感情を侵害するとして、同人格権に基づき、本件映画の上映等の差止めを求めるとともに、本件映画のマスターテープ等の廃棄を求め、B本件映画製作の前に原被告間に成立した合意に基づいて、本件映画の上映等の差止めを求めるとともに、本件映画のマスターテープ等の廃棄を求め、(2) 著作者人格権侵害(本件各著作物を原告の意に反して改変されたこと)の不法行為による損害賠償金400万円(慰謝料300万円と弁護士費用100万円の合計)及びこれに対する平成26年5月8日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求め、(3) 債務不履行(被告が原告との上記合意に違反して本件映画を製作したこと)による損害賠償金(精神的苦痛に対する慰謝料)100万円及びこれに対する平成26年12月27日(同月26日付け訴えの変更申立書(2)の送達の日の翌日)から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である(なお、原告は、上記(2)及び(3)の請求についてのみ、仮執行宣言を申し立てた。)。
2 前提事実(当事者間に争いがないか、掲記の証拠〔なお、当事者尋問の結果につき、尋問調書の速記録部分の該当頁を付記することがある。〕及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1)ア 原告は、本件各著作物の著作者であり、本件各著作物は、性犯罪被害を受けた原告のノンフィクション小説である(甲1、2)。
イ 被告は、株式会社NHKエンタープライズ(以下「NHKエンタープライズ」という。)に所属するテレビディレクター兼プロデューサーであって、日本放送協会のドキュメンタリー番組などを制作する者であるが、NHKエンタープライズの許可を得て、プライベートでも劇場用映画を製作している(乙18、被告本人〔18頁〕)。
(2) 被告は、かねてから本件各著作物を映画化した作品を製作しようと考え、原告に話をもちかけていたが、なかなか実現に至らなかった。その後、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員会及びNPO法人ゆうばりファンタが主催し、平成26年2月から同年3月にかけて開催予定の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2014」(以下「本件映画祭」という。)において上映するための映画を製作するに当たり、本件各著作物の映画化の話を具体化させ、平成25年8月頃、原告と本件各著作物の出版元である株式会社朝日新聞出版(以下「朝日新聞出版」という。)の担当者であるC(以下「C」という。)に相談した(甲7、12、乙1、18)。
(3) 被告は、本件映画祭に向けて、本件映画(上映作品名「あなたもまた虫である」)を製作したが、本件映画祭直前の平成26年2月28日、原告及び朝日新聞出版の抗議及び差止め要求により、本件映画の上映は中止された(乙1、10)。
第3 争点
1 著作権(翻案権・複製権)侵害の成否(争点1)
2 著作者人格権(同一性保持権)侵害の成否(争点2)
3 人格権としての名誉権及び名誉感情の侵害の成否(争点3)
4 本件各著作物の場面・台詞不使用の合意の成否(争点4)
5 本件映画の上映等の差止請求及び本件映画のマスターテープ等の廃棄請求の当否(争点5)
6 損害発生の有無及びその額(争点6)
第4 争点に対する当事者の主張
1 争点1(著作権〔翻案権・複製権〕侵害の成否)について
【原告の主張】
(1) 本件各著作物の翻案権侵害について
ア 本件映画のストーリーの構成と本件各著作物の構成
 本件映画のストーリーは、@主人公の女性が性犯罪被害に遭い、Aそのことが原因で両親や恋人、夫との人間関係が壊れていくが、B実名で性犯罪被害者のためのウェブサイトを立ち上げ、テレビで性犯罪被害の実態について話したりしたことで多くの性犯罪被害者との交流が生まれる、Cしかし、両親にはついに理解されず、最後に両親に殺されてしまうというものである。この@ないしCのうちの@ないしBの構成は、本件各著作物と同じである。すなわち、起承転結のうちの「起承転」に当たる以下に掲げたエピソードまでは、本件各著作物と同じであり、本件映画の結末では、主人公が両親に殺されてしまうエピソードがあり、その点だけが異なるにすぎない。
イ 本件映画のエピソードから本件各著作物の表現上の本質的特徴を直接感得できること
(ア) 言語の著作物と映画は表現形態が異なるから、映画の形式で表現しようとすれば、原作の言語の著作物と同じ体裁にはならず、原作の言語の著作物の単語の選び方、語順、改行その他の文体といったものは、映画には表れない。また、言語の著作物において、言葉で明示的に表現されている登場人物の思考や感情なども、映画では明示的に描かれないことが多い。映画では、登場人物の台詞やストーリー、プロットなどだけでなく、登場人物の行動・仕草・表情、構図、カット割り、効果音、BGMといった言語の著作物にない様々な視覚的・聴覚的要素も駆使して表現するものであるから、台詞に表れない登場人物の思考や感情なども表現されていることに留意する必要がある。
 しかし、これらのことをもって、映画とその原作であって事実を素材とする言語の著作物の共通点が、ストーリーを構成する事実それ自体にすぎないとみるべきではない。
(イ) 本件各著作物と本件映画を比較すると、本件映画は、別紙エピソード別対比表の各エピソードの「原告の主張」欄に掲げた共通点において、「本件各著作物」欄の本件各著作物の各エピソードの表現上の本質的特徴を直接感得することができるから、同別紙の「本件映画」欄の各エピソードは本件各著作物の翻案物に当たる。
 したがって、被告が本件映画を製作したことは、原告が本件各著作物について有する翻案権の侵害に当たる。
(2) 台詞についての複製権又は翻案権の侵害について
 本件各著作物において、原告などの登場人物が言ったとして書かれている「 」(かぎかっこ)付きの言葉は、すべて原告が創作したものである。素材となっている出来事が実際に起きた際にその場にいた人がどのような言葉をどのように言ったかを、原告がすべて正確に覚えていたはずもなく、また実際の場面でその場にいた人たちが本件各著作物にあるように分かり易い言葉で淀みなく喋ったはずもない。本件各著作物の登場人物の言葉は、原告が記憶を踏まえつつも、各場面における人物の心の動き、エピソードが原告や本件各著作物において有する意味、前後のエピソードとの因果の流れが読者に伝わりやすいようにすることといった様々な要素を考慮して、創作したものである。
 このように、本件各著作物において登場人物が言ったとして書かれている言葉と会話には著作物性があるところ、本件映画では、別紙エピソード別対比表の4、6、7のエピソードの「原告の主張」欄で指摘しているとおり、本件各著作物の登場人物の言葉及び会話と全く同一、又は、ほぼ同一の台詞を用いている。
 したがって、被告が当該台詞を含む本件映画を製作したことは、原告が本件各著作物について有する複製権又は翻案権の侵害に当たる。
(3) 被告の主張に対する反論
ア 被告は、本件各著作物と本件映画の共通点はいずれも実際に起きた出来事である「事実」であり、実際に起きた出来事の中身は著作者が創作した「表現」ではないから、翻案権侵害は成立しないと主張する。
 しかし、実際に起きた出来事の中身自体は著作権で保護されないとしても、実際に起きた出来事のうちどれを作品に用いるかという選択や作品中での配列は、それ自体が著作者の「思想又は感情」の「表現」たり得る。
 本件各著作物についてみると、暴行事件の発生時やその後に現実に起きたのは、本件各著作物において描かれている事実だけではない。原告は、無数の事実の中から本件各著作物のエピソードとして描く事実を取捨選択し、配列し、構成して本件各著作物の構成要素とし、もって本件各著作物によって読者に伝えたい著作者としての「思想又は感情」を「表現」したのであるから、その選択・配列自体が創作性の極めて重要な要素であり、「表現」である。
 したがって、本件映画と本件各著作物との間で共通する部分はすべて事実について記載したものであるから、本件映画は本件各著作物の翻案物ではないという被告の主張は、理由がない。
イ 被告は、本件各著作物と本件映画において共通するエピソードについて、本件のような事件について記述する際に選択すべき内容として特段珍しいものではないなどとして、本件各著作物のエピソードの選択には創作性がないと主張する。
 しかし、本件各著作物のエピソードの選択が珍しいものでない、ありがちなものだからといって創作性がないという被告の主張には理由がない。
 本件各著作物のエピソードは、無数に存在する事実の中から原告が、性犯罪とその被害者の姿を被害者本人の目線で語り、周囲の人たちの理解が被害者に必要であることを訴え、また被害者たちにそのままでいいから一緒に生きて行こうと伝えるという本件各著作物のテーマにふさわしい素材と判断して選択し配列したものなのであり、その選択は、原告の精神活動の成果の所産であり、本件各著作物の個性を形成するものであり、原告の個性の表出そのものである。
 したがって、本件各著作物のエピソードの選択と配列は、原告の思想感情の創作性な表現である。
【被告の主張】
(1) 本件各著作物の翻案権侵害について
ア 被告は、原告が実際に経験した「事実」のみを題材に使用したものである。
 また、本件各著作物と本件映画においてその構成が共通する部分があるとしても、本件各著作物における構成は時系列に沿ったものであって、創作性のあるものとはいえず、著作物たりえない。さらに、事実であっても、その選択や配列等に創作性が認められることはあり得るが、本件各著作物において本件映画と同一性が認められる点に関しては、@選択されている事実は、事件に遭った状況、事件直後の行動、その後の日常生活の様子、男女間及び親子間の人間関係の変化等であって、本件のような事件について記載する際に選択すべき内容として特段珍しいものではなく、Aその事実の配列も、時系列に沿った、最もありふれた配列であり、これらの事実の選択や配列に創作性が認められるものではない。仮に、創作性があるとしても、当該表現は短すぎて著作物たりえないものである。
イ 別紙エピソード別対比表の「本件映画」欄の各エピソードに対する被告の主張は、同別紙の「被告の主張」欄に記載のとおりであり、事実や事件、創作性のない表現については、表現上の本質的な特徴の同一性を基礎づけることはないのであるから、これらの共通部分から本件各著作物の本質的な特徴を直接感得することはなく、本件映画は本件各著作物を翻案したものとはいえない。
(2) 台詞についての複製権又は翻案権侵害について
 原告が共通しているという台詞はいずれも短く、また表現内容もありふれたものであって、およそ著作物たり得ない。また、仮に、著作物性が認められるとしても、このような短い表現についての同一性又は類似性が認められる範囲は狭く、いわゆるデッドコピーのようなもの以外は認められるべきではない。さらに、各台詞が発言された状況は、本件各著作物と本件映画とではそれぞれ異なり、当該台詞により表現される内容も異なるから、これらの表現に同一性又は類似性はない。
 以上のとおり、本件映画におけるこれらの台詞と本件各著作物における台詞との間に同一性又は類似性はなく、複製又は翻案になることはない。
2 争点2(著作者人格権〔同一性保持権〕侵害の成否)について
【原告の主張】
 本件映画は、原告の意に反して、本件各著作物の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現したものであり、これに接する者が本件各著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる著作物である。
 したがって、被告による本件映画の製作は、原告が本件各著作物について有する同一性保持権の侵害に当たる。
【被告の主張】
 本件映画は、本件各著作物の翻案物ではない以上、被告による本件映画の製作は原告が本件各著作物について有する同一性保持権の侵害を構成するものではない。
3 争点3(人格権としての名誉権及び名誉感情の侵害の成否)について
【原告の主張】
(1) 原告が本件映画の公開又は本件映画の上映等を許諾したと誤解されることによる名誉権及び名誉感情の侵害
ア 本件映画の「起承転結」のうち「起承転」が本件各著作物と共通しており、また、本件映画の主人公のように実名で性犯罪被害を公表して、性犯罪被害者との交流のためのホームページを運営し、講演やテレビ出演といった活動を行っているのは日本では原告だけである。
 したがって、本件各著作物を知る人や原告の活動を知る人が本件映画を見れば、原告が本件映画のモデルであると認識するのみならず、本件各著作物が本件映画の原作であるとか、本件映画が本件各著作物をアレンジしたものであるなどと認識することは明白である。
イ 原告が、本件各著作物、講演活動、被害者との交流を通じて訴えよう、伝えようとしてきたことは、性犯罪被害当事者に対しては、「あなたは一人ぼっちではない、生きてていいんだよ、生きていて、生き続けて」という、強い生のメッセージであり、社会に対しては、そのために必要な、性犯罪被害の悲惨さを伝え、社会に性犯罪被害者への理解を求めるものである。そして、原告は、これまで5000人を超える性犯罪の被害者と直接交流し、信頼を得ており、これまでに、警察、学校、検察庁、弁護士会、支援機関等で、170回以上の講演も行っている。講演の聴衆は、多いときは800人を上回り、原告に対する講演依頼が絶えないのは、性被害について話す被害者が少ないというだけでなく、原告の伝えようとするメッセージ、真摯な姿勢や生き方が信頼されるからである。さらに、販売部数が単行本と文庫本を合わせて約4万1000部の本件著作物1と約1万部の本件著作物2、原告のホームページ運営、テレビ出演といった活動を通じ、原告を知る人の数は、性犯罪の被害者か否かにかかわらず、相当数に上る。原告は、性犯罪の被害者からは、生きる勇気を与えてくれる存在、一般社会からは、心身を削り、性犯罪被害者のために活動を続ける真摯でひたむきな存在という社会的評価を得ているものである。
ウ 一方、本件映画は、主人公が最後まで両親の理解を得られないばかりか結末で両親に殺されるものとなっており、主人公と会った50代の女性被害者(中学3年生のときに大学生の兄から実家の蔵の中で性暴力被害にあう)は、主人公と会っている最中に席を外し、「あなたもまた呪いから逃れられない」と書き残して自殺するエピソードも加わって、性犯罪被害者を救ったり理解しようとする存在は無く、性犯罪被害にあった者は2度と幸せになれない、という印象を見る者に与える。さらに、本件映画の題名は、「あなたもまた虫である」と、性犯罪被害者を虫けらになぞらえており、性犯罪被害者を冒涜するものである。本件映画は、原告が伝えようとしてきたことと正反対のメッセージを、見る者に伝える。ただでさえ、自分は汚れた、生きている価値がない、社会に居場所がない、と絶望している性犯罪の被害者がこの映画を見たら、自分は殺されても仕方がないほど価値のない人間であるとショックを受ける(本件映画にはそれを救うシーンが全くない。)。
 本件映画の主人公が原告と同定され、また、本件映画の起承転結のうちの「起承転」が本件各著作物と共通しているため、仮に、参考文献として本件各著作物を記載しないとしても、原告や原告の活動を知る人が本件映画を見たら、原告が本件映画の上映を許諾したものと誤信する。性犯罪の被害者に向けて、一人じゃないと生きる希望のメッセージを発信し続けてきた原告が、これまでと正反対のメッセージを持つ本件映画の上映を許諾したとなれば、原告に信頼を寄せてきた人達は、原告に裏切られたという失望感や、原告に対する著しい不信感を持つ。本件映画が公開されれば、原告の社会的評価が著しく失墜することは明らかである。
エ 原告の名誉権等が侵害されている具体的場面
(ア) 主人公の両親が主人公を殺す結末
 本件映画の主人公が原告と同定されることによって、本件映画の主人公の両親は原告の両親をモデルとしていると本件映画を見る者に理解される。本件映画の結末では、主人公の両親が主人公を殺し、主人公の兄も殺したことが示唆されている。したがって、原告の両親は、原告を殺そうとしたことがあった、又は、原告を殺そうとしかねない人物であるかのような誤解が生じかねない。
 両親が子殺しを行う、又は、行おうとするような人間であるということは、原告の社会的評価を低下させるものであり、原告の名誉権及び名誉感情を害する。
(イ) 主人公が必要もなく「おちんちん」と発言するシーンが描かれていること
 本件映画には、主人公が「おちんちん」と言うシーンが複数個所あるが、普通、女性は、親しい間柄であっても易々と「おちんちん」と口にしたりはしない。女性としては、非常に抵抗がある単語であり、女性がこれを安易に繰り返すことを描くのは、その女性に品位や知性が足りないという印象を与える。原告と同定される本件映画の主人公が「おちんちん」という言葉を繰り返すことにより、本件映画を見る人が、原告も私生活では「おちんちん」という言葉を繰り返すような人間なのかと誤解するおそれが多分にある。
 したがって、本件映画で多用されている主人公の「おちんちん」というセリフは、原告の品位と知性に対する社会的評価を低下させるものであり、原告の名誉権及び名誉感情を害する。
オ 以上のとおり、本件映画が公開されれば、原告の名誉権とともに、原告の自分に対する誇りや自分自身の存在価値を肯定する意識、すなわち名誉感情に対し、重大で回復困難な損害を被らせるものである。
(2) 被告の主張に対する反論
ア 被告は、本件映画は「『社会から疎外される恐怖』を描くことにより、性犯罪被害者を含めた『社会から疎外された者』の苦悩を描き、社会に問題提起することを意図したものであり、かかる内容は決して性犯罪被害者の生きる希望を奪うものでも、冒涜するものでもない」と主張する。
 しかし、本件映画の幹となるストーリーが、主人公が性犯罪被害に遭ってから苦しみ抜いた末にようやく生きがいを見つけたかに思えたが、その矢先によりによって両親に殺されるというものであり、その大きな流れに、若い頃に性犯罪被害に遭ったという中年女性が主人公の目の前で自殺するというエピソードが加わって、性犯罪被害者には結局幸せも救いもないのかという印象を観る者に与える。本件映画が本件各著作物を原作とし、あるいは本件各著作物の読者に本件各著作物を想起させ、主人公が原告と同定される内容である上、性犯罪の被害者の幸せも救いもない、社会から疎外され続ける者として描かれていることが問題である。
イ 被告は、本件映画と本件各著作物のストーリー展開や方向性は大きく異なるので合理的に判断すれば、本件映画は原告の許諾を得たものではないと考えると主張する。
 しかし、本件映画は、結末以外、つまり「起承転結」の「起承転」のエピソードが本件各著作物と共通しており、本件各著作物のエピソードをそのまま、あるいは、アレンジして映画化したことが本件各著作物の読者には明白である。本件各著作物の読者が本件映画を観れば、原告の許諾を得て本件各著作物を映画化し、原告の了承のもとで結末を変更したものと認識することは明白である。
ウ 被告は、「この映画は、フランツ・カフカ『変身』にインスパイアされたものであり、純然たるフィクションです。実在の人物、事件または書籍とは一切関係ありません。」というテロップを入れれば原告が本件映画の公開を許諾したと誤解されるおそれはないと主張する。
 しかし、上記テロップが挿入されたとしても本件映画の中身が変わるわけではなく、本件各著作物を読んだことのある人が、上記テロップが入った途端に本件各著作物のことも原告を想起しなくなるなどということはあり得ない。仮に、上記テロップが入った場合でも、原作者の許諾がない映画は、原作者が公開を差し止めるはずだから、本件映画が現に公開されれば、原告が裏で許諾を公表しない約束で公開を許諾しているのだろうと考えるはずである。
【被告の主張】
(1) 被告の製作意図
 被告は、本件映画を製作するにあたり、社会からも家族からも見放され見殺しにされる主人公を描いたフランツ・カフカの小説「変身」(以下、単に「変身」ということがある。)に、社会のマイノリティといわれる者(本件映画では性犯罪被害者)の姿を重ねて脚本を執筆しており、本件映画はいわば「変身」の現代版オマージュといえる。「変身」における「毒虫」は比喩であり、社会に適応し、社会の一員であったと自ら信じていた者が、ある出来事をきっかけに社会からも家族からも疎外される存在になるという、社会の脆さや恐ろしさを描いていると理解されているところ、本件映画は「毒虫」を「社会から疎外される者」として表現し、「変身」のストーリーをその意味においてなぞらえたものである。
 また、本件映画では、性犯罪被害者のみを「社会から疎外される者」として描いているものではない。主人公の父が最初に「虫」になぞらえるのは、ひきこもりとして描かれる主人公の兄であり、間接的な表現ながら、福島県の物産(ニシンの山椒漬け)を通して、原発事故による被ばくが疑われる福島県からの避難者もまたこのような「社会から疎外される者」として描かれている。世間体を過度に気にする主人公の両親は、娘を自らの手にかけるという形で「社会から疎外される者」へと堕ちて行く。主人公を強姦する加害者も、「社会から疎外される者」としての性的マイノリティたるゲイバーのママからの抑圧により、客に犯されるという形で「社会から疎外される者」となっている。そうした加害者の犠牲になるのが主人公であるという、円環的な構造を見せながら、本件映画は幕を閉じる。被告は、誰もが「社会から疎外される者」になり得るのだ、という観点から本件映画のタイトルを『あなたもまた虫である』としたのであって、性犯罪被害者を冒涜する意図は全くない。むしろ、自分は社会の一員であることに何らの疑問を持っていない観客に対する一種の警鐘を込めたものである。
(2) 名誉権の侵害について
ア 原告と交流のある者や本件各著作物の読者等が本件映画を観た場合であっても、本件映画はそのラストにおいて、原告自身の経験や本件各著作物のストーリーと大きく異なり、主人公たる性犯罪の被害者は殺されてしまうという結末を辿るため、本件映画が本件各著作物を原作としてはおらず、原告の許諾を得たものではないと考えるのが普通である。また、被告は、本件映画を一般公開する際には、本件各著作物を参考文献として掲げている部分は削除する予定であり、原告が許諾したと誤信されることがないよう、「この映画は、フランツ・カフカ『変身』にインスパイアされたものであり、純然たるフィクションです。実在の人物、事件または書籍とは一切関係ありません。」といった趣旨のテロップを加える予定である。
 原告が主張するように、原告に信頼をおいている者であれば、本件映画を観たとしても、本件映画のストーリー展開や方向性の違いに接すれば、本件映画は、原告や本件各著作物とは関係ない作品と思うであろうし、原告の氏名がクレジットされておらず、上記のようなテロップが入る以上、原告が本件映画の上映を許諾したと考えることはない。仮に、映画の上映を許諾したかのごとき誤信が生じたとしても、当該許諾者の客観的な社会的評価が低下するということは考え難い。原告の主張は、一方的な仮定を積み重ねた抽象的な主張であり、本件映画の上映と原告の名誉権侵害との間に相当因果関係があるとはいえない。
 したがって、原告が本件映画の上映を許諾したと誤信を与えることにより、原告の名誉権及び名誉感情を侵害する旨の主張は、その前提を欠く。
イ 仮に、原告が主張するように原告の周囲の人間は、本件映画が原告の許諾した映画だと誤信するとしたら、原告が殺されていないことも承知しているはずであり、主人公の両親が主人公を殺害するシーンがフィクションであることは明らかである。
 したがって、主人公の両親が主人公を殺害するシーンは、原告の社会的評価を低下させ、原告の名誉権を毀損するものではない。
ウ 女性が「おちんちん」と発言してもそのことだけで直ちに女性の品位が損なわれるものではない。本件映画において、同台詞が使用されているシーンは、いずれも親しい人物との、限られた空間でのプライベートな会話であり、各シーンの状況で主人公が「おちんちん」と発言したことをもって、主人公に品位がない、知性が足りないとは判断されることはおよそ考え難い。
 したがって、本件映画を観た者が、仮に主人公と原告とを重ねて見ることがあったとしても、原告の社会的評価を低下させるものではなく、原告の名誉権が侵害されることはない。
(3) 名誉感情の侵害について
 本件映画は、観る者に対し、絶望を植え付けるものではない。本件映画をどのように評価するかは観る者次第である。被告の意図を理解する観客もいるはずであり、原告による本件映画の評価が一義的、絶対的なものではない。
 したがって、本件映画の上映の帰結として、本件映画を観た性犯罪被害者が生きる希望を失うことにより原告の名誉感情が侵害されることはない。
4 争点4(本件各著作物の場面・台詞不使用の合意の成否)について
【原告の主張】
(1) 原告は、被告から、平成25年12月5日、本件映画の脚本の第1稿(以下「本件脚本1」という。)を受領したが、その内容に納得できず、被告に対し、本件各著作物の出版元である朝日新聞出版の担当者であるCを通じて、本件各著作物を映画の原作、原案として使用することを断った。
 これに対し、被告は、同月13日、Cに電子メール(以下、単に「メール」という。)を送信することにより、原告に対し、Cを通じて、@「私どもは『性犯罪被害』をテーマにした映画の制作を続行いたしたく存じます。」、A「題名やAさんのお名前は一切使用しません。脚本の内容において、書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」、B「もし、それでも映画の製作は続行せず即刻中止してほしい、というご希望でしたら、お申しつけ下さい。」との申入れをした(以下、被告が、同日、Cに送信したメールを「乙5メール」という。)。
 Cは、同日、乙5メールを受け、原告の代理人として、被告に対し、C「映画化に関しては、Aさんも私も応援しております。」との一文を含むメール(以下、Cが、同日、被告に送付したメールを「乙6メール」という。)を送った。
 以上のとおり、被告は、上記Aを条件として、原告に対し、性犯罪被害をテーマにした映画の製作の続行について原告に異議を述べないことを求め(上記@及びB)、原告は、被告が上記Aを守ることを条件として、被告が性犯罪被害をテーマにした映画の製作を続行することに異議を述べない(@及びB)という趣旨で、乙6メールにて上記Cの返答を行った。
 したがって、原告が、被告からの申入れに対し異議を述べなかったことをもって、原告と被告の間で、被告が製作する映画に本件各著作物の「場面・台詞」つまりエピソードを一切使用しない旨、及び、原告は被告の映画製作の中止を要求しない旨の合意(以下「本件合意」という。)が成立した。
(2) 本件合意の内容は、被告が本件各著作物のエピソードをそのまま使うことを禁止しただけではなく、本件各著作物のエピソードをアレンジしたものと、本件各著作物の読者が認識する程度に類似しているエピソードを使うことの禁止を含む。被告の「それでも映画の製作は続行せず即刻中止してほしい、というご希望でしたら、お申しつけください。」、「脚本の内容において、書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」という申し出は、被告の製作する映画に本件各著作物の痕跡を一切残さないという趣旨のものであったことが明らかである。
 さらに、本件合意の内容には、本件各著作物のエピソードを使用した映画の上映や公衆送信といった利用行為の禁止も含む。「脚本の内容において、書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」という被告の申し出には、もしその約束を反故にして製作してしまった場合にそれを上映などしないことを含む趣旨と解されるからである。
(3) 本件映画のエピソードの大半は、本件各著作物のエピソードそのもの、あるいは少なくともそれをアレンジしたものであることが明らかであって、本件映画は、本件合意に違反して製作されたものである。なお、本件合意以前は、原告と被告の間では、被告が脚本を作成し、それに原告が納得すれば映画化を許諾することになっていたもので、被告による本件各著作物の映画化を原告が許諾したことはなく、本件合意は、映画化の許諾の撤回や変更というものではない。
(4) 被告の主張に対する反論
ア 「参考文献として使用すること」について
 被告は、本件各著作物を原作として使用したのではなく、本件映画の主人公のモデルが原告と特定されないから、参考文献としての使用にとどまると主張する。
 しかし、本件映画を見た原告及びCは、本件各著作物が映画化された、原告のことが映画化されたと感じたものであり、性犯罪被害に遭って、顔と実名を公表し、テレビに出たり、ウェブサイトを立ち上げて多数の性犯罪被害者と交流し、公表しているのは、本件映画製作時には、日本では原告しかおらず、原告であることは容易に特定できる。
イ 無因債務について
 仮に、被告の主張するように、本件合意に係る被告の債務が無因債務であるとしても、契約自由の原則から無因契約も広く認められる。また、被告は、NHKエンタープライズにおいてディレクターとして、ドキュメンタリーや情報番組の制作を行ったり、映画を製作して「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で受賞したりする等、メディアと深い関わりがあり、著作権という概念に馴染みが深いはずであるから、「いわゆる『著作権侵害』に抵触する行為は一切いたしません。」、「書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」とは、原告の著作権が及ぶ範囲を超えて、本件各著作物からの直接的引用及び、本件各著作物のエピソードをアレンジしたと認識されるものは一切使わないという趣旨であったことは明らかである。
ウ 心裡留保について
 本件各著作物の映画化については、被告が作成した脚本を原告が了承した時点で、原告が被告に対し、映画化を許諾するもので、原告が脚本を読了した時点で許諾しない可能性もあった。
 原告は、本件脚本1の受領後、本件各著作物の映画化を拒絶し、被告はこれを受けて、乙5メールにて、「不快な思いをさせたことにつきましては、かさねて心よりお詫び申し上げます。」として、「書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」、「それでも映画の制作は続行せず即刻中止してほしい、というご希望でしたら、お申し付け下さい。」と通知してきたのであるから、それが被告の真意でないなどとはいえない。被告が、原告に乙5メールを送った時点では、「書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除」すると考えていたことは明らかである。
【被告の主張】
(1)ア 被告が乙5メールを記載した時点での被告の意思は次のとおりである。
 被告が、平成25年12月11日に、Cから本件各著作物の使用を認めないとするメール(以下、Cが、同日、被告に送信したメールを「乙4メール」という。)を受信したのは、原告から、同月7日、本件脚本1について、「大前提として、流れは違和感なしです!」(以下、原告が、同日、被告に送信したメールを「乙3メール」という。)との返信を受けた4日後のことであり、本件映画祭まで3か月を切った時点であった。本件映画祭では、被告が本件脚本1に基づいて製作した作品を上映する予定であったため、突然の原告の翻意を受け、被告は非常に動揺し、焦っていた。しかも、被告にその連絡をしてきたのは原告ではなくCであっため、被告は、原告が本件脚本1を拒否した理由を十分に知り得なかった。また、Cから、原告に本件脚本1についての話し合いをする心の余裕はないと聞いていたため、原告に直接問いただすこともできなかった。
 被告は、原告が、被告の作成した本件脚本1の表現(脚色)が気に入らなかったためその使用を拒否したのであって、原告が本件各著作物に記載されている事実を映画化すること自体を拒否しているとは思っていなかった。原告が受けた性犯罪事件を構成する事実については、原告自らその書籍や講演等において公に向けて語ってきたものであり、また、事件を映画化すること自体については数年前から実質的な合意があった。そこで、被告は、原告の名前を出さずに全く別の人物として描き、本件各著作物の題名を使用しなければ問題ないと考えた。乙5メールにおいては、「事実に即して『参考文献』としてクレジットすべきかとは存じますが」と記載されているが、参考文献として使用することとは、原告がモデルだとは分からない形(原告を特定できるような原告に固有の場面や台詞は使用せずに)、本件各著作物のモチーフや設定(性被害に遭った女性主人公がカミングアウトして、その不正を世の中に訴え出るというモチーフや設定)を使用して本件各著作物と異なるテーマやストーリーの映画を製作することであった。
 したがって、乙5メールを作成した当時の被告の意思は、(i)原告の名前や本件各著作物の題名は使用しない、(ii)本件各著作物の著作権侵害とならないように脚本をフィクションとして再構成する、ということを条件に映画を続行したいというものであり、「本件各著作物に記載されている事実は使用しない」という意思は全くなかった。
イ(ア) 上記のとおり、被告は当時動揺していたため、被告の真意に基づいた正確な意図を記載できなかった。本件合意は、メールでのやりとりにすぎないから、同合意の成立の認定は、正式な文書による合意と比して、より慎重になされるべきである。
(イ) 被告は、本件各著作物を原作としてではなく、参考文献とするに当たり、本件脚本1から、主人公の氏名、事件の発生年月日、父母との和解などを削除、変更した上、本件脚本1になかった様々なフィクション的なエピソード(主人公の両親が挨拶に来た主人公の恋人に対しアフリカの部族について語るシーン、主人公が親に殺されるシーン、加害者が男に犯されるシーンなど)を付け加えている。
 他方、強姦された状況やその後の展開等については、同様又は類似の体験をしている性犯罪被害者は多数存在し、本件映画が一見してフィクションだと分かることやそのテーマの違い等をも考慮すれば、本件映画が原告をモデルにしたとはおよそ考えられないため、「参考文献」としての使用の範囲内であると考えて残すこととした。被告としては、基本的には原告が主人公であることが特定されなければ、本件各著作物を「原作」として使用したのではなく、「参考文献」として使用したことにとどまるものと考えていた。なお、実際に、実名を出して活動している性犯罪被害者は原告以外にも存在している。
(ウ) 原告が、乙5メールに対し、具体的にどの部分について合意したのか、また、原告が、当時、どのような内容の意思を有していたのかは明らかではなく、原告が主張する本件合意の内容はおよそ曖昧である。被告は、原告と直接やりとりしたわけではなく、Cに対してメールを送ったもので、その後に、「参考資料として明記することは問題ないそうです」とCを介して受信したにすぎない。
(エ) 以上からすれば、被告には、原告が主張するような本件合意を生じさせる意思はなく、また、本件合意の範囲も不明確であるから、本件合意は成立していない。
(2) 原告は、被告は本件各著作物に記載されている事実及びそれに類似する事実についても使用しない、との本件合意が成立したと主張するが、原告はこれらの事
 実について法的な支配・処分権を有しているわけではない。原告は自ら法的支配・処分権を有していない事実について、被告に対し、その使用を禁止したというのであるから、被告のかかる債務は法的原因に基づかない債務、すなわち無因債務といえる。無因債務契約の法的有効性が認められるとしても、その認定に関しては、正式な文書に明文規定がある場合を除き、無因意思(法的な発生原因のない、単純な債務を成立させる意思)の合致が必要であり、その認定には慎重でなければならない。被告は、上記のとおり、原告が本件各著作物に記載されている事実(及びそれに類似する事実)についても使用して欲しくないと考えているとは思ってもみなかったのであり、これらの事実を使用してはならないとは考えていなかった。
 したがって、無因であることを基礎付ける前提の認識に齟齬があり、被告の側においては無因意思を有しておらず、無因意思の合致があったとはいえない。乙5メール又は乙6メールに明確かつ具体的に記載されているものでもなかったのであるから、特に慎重に認定されるべき無因債務契約について、その合意の成立を認定することはできない。
 仮に、原告が処分権限を有していないにもかかわらず、被告が一方的に債務を負うということを被告が正確に認識、了解していない状況で誤って申入れをした場合には、契約自由の原則の基礎となる意思が欠けているのであるから、一方的に被告が義務を負うような不公平な合意が認められるべきではない。
(3) 被告は、乙5メールにおいて、「書籍から使用している場面や台詞は一切使用しません」と記載しているが、それは被告が動揺した状況で筆が滑って記載したにすぎず、被告の本心ではないのであるから心裡留保(民法93条)に当たる。
 そして、本件映画祭まで3か月もない中で、被告が「性犯罪被害」を題材としながら原告の被害事件に関する事実を一切使用することなく、全く新たな脚本を仕上げるということがおよそ不可能であるということは、それまで被告が悩み抜きながら半年以上もかかって本件脚本1を書き上げた事実をよく知っている原告は当然予測できたはずであり、「参考資料」として掲げることは問題ないなどと乙6メールに記載されていたことから、原告は、被告が本件各著作物に記載されている事実を使用しない意図でなかったと十分知り得たといえる。
 したがって、原告は、上記記載内容は被告の筆がすべった挙句のものであり、被告の真意でなかったことを知っていた又は知ることができたといえ、当該記載内容については心裡留保が成立し、本件合意は無効である。
5 争点5(本件映画の上映等の差止請求及び本件映画のマスターテープ等の廃棄請求の当否)について
【原告の主張】
(1) 本件映画の上映等の差止請求について
ア 争点1及び2について主張したとおり、本件映画は、本件各著作物の翻案物である。
 したがって、原告は、被告に対し、翻案物の原著作権者の権利(著作権法28条)に基づき、また、著作者人格権(同一性保持権)に基づき、本件映画の上映等をしないよう求めることができる(同法112条1項)。
イ 本件映画が公開されると原告の人格権としての名誉権及び名誉感情が侵害されるから、原告は、被告に対し、同人格権に基づき、上記侵害を予防するため、本件映画の上映等をしないよう求めることができる。
 なお、名誉感情は名誉権と異なり主観的なものであるが、名誉感情も人格権であって、一度傷付けられたらその傷を一生背負って生きていくことを余儀なくされるおそれのあるものであるから、差止めによる救済を一切否定するという合理的な理由はない。本件のように、誰であっても同じ立場であれば名誉感情に重大な侵害を受けることが明らかな場合には、差止請求が認められるべきである。
ウ 原告は、被告に対し、本件合意に基づき、本件映画の上映等をしないよう求めることができる。
(2) 本件映画のマスターテープ等の廃棄請求について
ア 翻案物の原著作権者の権利(著作権法28条)の侵害の予防措置及び著作者人格権(同一性保持権〔同法20条1項〕)の侵害の停止措置として、原告は被告に対し、本件映画のマスターテープ等の廃棄を求めることができる(同法112条2項)。
イ 原告は、被告に対し、人格権としての名誉権及び名誉感情に基づき、その侵害を予防するため、本件映画のマスターテープ等の廃棄を求めることができる。
ウ 原告は、被告に対し、本件合意に基づき、本件映画のマスターテープ等の廃棄を求めることができる。
 被告の本件各著作物のエピソードを含む映画を製作しないという申入れは、被告の製作にかかる映画を存在させないという趣旨であるから、被告は、仮にそのような映画を製作した場合には、廃棄すべきであることを当然認識していたはずである。
 したがって、本件合意には、本件各著作物のエピソードを使用した本件映画のマスターテープ等の廃棄義務も含まれるというべきである。
【被告の主張】
(1) 本件映画は、本件各著作物の複製物でも、翻案物でもないため、原告が著作権(複製権、翻案権)に基づき、差止請求及び廃棄請求をすることはできない。
(2) 本件映画の製作により原告の人格権としての名誉権及び名誉感情は侵害されていないから、原告が同人格権に基づく差止請求及び廃棄請求をすることはできない。
 名誉感情は、名誉権としては保護されない主観的な権利であり、社会への影響も小さいことからすれば、慰謝料請求の原因として認められることはあるとしても、それ自体から差止請求が認められるものではない。名誉感情に基づき、差止請求等の物権的請求権を認めることは表現の自由に対する過剰な制限となる。
 また、名誉権に基づいて本件映画のマスターテープ等の廃棄請求ができるとする根拠が明らかでない。被告が本件映画のマスターテープ等を保有していても、それによって原告の名誉権が侵害されることはおよそ考えられない。
(3) 原告が主張する本件合意のような意思表示の合致があったとはいえず、また、仮にあったとしても心裡留保により無効であるから、原告が本件合意に基づき差止請求及び廃棄請求をすることはできない。
 仮に、本件合意の成立及び有効性が認められたとしても、かかる合意自体から、本件映画の上映等の差止めが直接導かれるものではない。物権や人格権といった絶対的権利とは性質の異なる本件合意違反により、将来の侵害について差止請求ができるとする根拠は不明である。
 また、本件合意からマスターテープ等を廃棄するという合意が含まれていることを基礎付ける事実もない。
6 争点6(損害発生の有無及びその額)について
【原告の主張】
(1) 不法行為(著作者人格権侵害)による損害について
ア 被告には、著作者人格権(同一性保持権)の侵害につき、故意又は過失があるところ、原告は、同侵害(本件各著作物に意に反する改変をされたこと)により、精神的苦痛を被った。その慰謝料としては、300万円が相当である。
イ 原告は、本件訴えを提起するため、弁護士に依頼することを余儀なくされ、これにより弁護士費用の出損という損害を被った。著作者人格権(同一性保持権)の侵害についての弁護士費用相当額は、100万円である。
(2) 債務不履行(本件合意違反)による損害について
 原告は、信頼していた被告が、本件合意を反故にし、本件映画を製作したことで大きなショックを受け、また、本件映画が公開されれば自らの名誉が毀損されるであろうという恐怖に苛まれ深刻な精神的苦痛を被っている。被告が、本件合意に反して、本件映画を製作し、これを公開しようとしていることについての慰謝料としては、100万円が相当である。
【被告の主張】
(1) 本件映画は、本件各著作物の複製物でも翻案物でもない以上、同一性保持権を侵害することはなく、原告には何らの損害も生じていない。
(2) 仮に、被告が乙5メールに誤解を生じさせるような記載をしたことに落ち度があるとしても、原告にもその責任の一端はある。原告は、本件映画祭が、被告にとって非常に重要な映画祭であり、本件映画祭まで時間がないことを十分認識していたにもかかわらず、突如、何の説明もなく、話し合いの余地すら与えず、一方的に、第三者を介して映画の製作の打ち切りを通告した。このような原告の行動が被告をひどく動揺した状況に追いやったものである。
 乙5メールの記載について被告に過失があるならば、原告についても上記の点で過失があるというべきである。
第5 当裁判所の判断
1 本訴に至る経緯

 前記前提事実、掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件訴訟に至る経緯につき、次の事実が認められる。
(1) 原告と被告は、平成20年8月、本件著作物1をテレビのドキュメンタリードラマとして番組化するため、被告が原告に連絡をしたことをきっかけとして知り合った。その後、被告は、ドキュメンタリー番組の製作には至らなかったものの、原告の事件や取組を映画化し、社会に性犯罪被害者の声を届けたいと考えるようになり、平成24年5月、原告に対し、本件各著作物の映画化を打診した(乙1、原告本人〔1頁及び2頁〕、被告本人〔3頁〕)。
(2) 被告は、「暗闇から手をのばせ」と題する自主製作映画を製作し、平成25年2月、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞し、平成26年2月から同年3月に開催される本件映画祭で新作を上映すること(上映予定日は同月2日)を条件に、製作支援金200万円を受け取った(乙1、被告本人〔4頁〕)。
(3) 本件各著作物の映画化については、製作資金等の工面がつかず進捗していなかったが、被告は、上記(2)の製作支援金を受領できたこともあって、具体的に映画化について進めることとし、平成25年8月、本件各著作物の出版元である朝日新聞出版のCとも面会した。その際、被告は、Cから、被告が作成する脚本内容の確認をもって映画化についての原告の正式な許諾とするとして、脚本の作成を要望された(甲7、乙1、原告本人〔7頁〕、被告本人〔4頁及び22頁〕)。
 被告は、原告及びCと、同年9月に面会し、本件各著作物を映画化する際は、原告以外の登場人物についてはすべて仮名を使用し、人物設定、家族構成、交友関係を大胆に脚色することなどを話し合った。その際、被告は、原告に対し、これまでの経験上、他人に自分を主人公として描かれることの違和感や実体験として被害事件を再現されることについて、苦痛やショックを受けることが想定されることから、あらかじめ覚悟してほしい旨忠告した(乙6、原告本人〔13頁及び14頁〕)。
(4) 被告は、平成25年12月5日、本件映画の脚本の第1稿(本件脚本1)を完成させ、原告及びCに送付した。本件脚本1の内容は、別紙「本件脚本1」目録に記載のとおりである(甲6)。
(5) 原告は、被告に対し、平成25年12月7日、「大前提として、流れは違和感はなしです!」、「一番気になったことは、Aが、エロい(笑)感じというか、性にだらしない印象を受けたのが・・・」、「またお会いして、誤解など解き合えたら嬉しいです。」とのメール(乙3メール)を送った(乙3)。
(6) 原告は、Cを通じて、被告に対し、平成25年12月11日、本件映画において原告の名前や本のタイトルが出ること、原告の本を原作・原案として使用することを認めない旨の結論に達したとのメール(乙4メール)を送った(乙4)。
(7) 被告は、Cに対し、平成25年12月13日、メール(乙5メール)を送り、原告の名前やタイトルは一切使用しないとした上で、「性犯罪被害」をテーマにした映画の製作を続行したいこと、それでも映画の製作を即刻中止して欲しいのであれば申し出て欲しいこと等を原告に伝えた。
 乙5メールには、次の記載があった(乙5)。
 「私どもは「性犯罪被害」をテーマにした映画の制作を続行いたしたく存じます。」、「(当然のことながら)題名やAさんのお名前は一切使用いたしません。」、「脚本の内容において、書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。「原作」「原案」のクレジットはいたしません。事実に即して「参考文献」としてクレジットすべきかとは存じますが、映画と書籍との関連性が生じるため「不可」ということであれば、記載はいたしません。いわゆる「著作権侵害」に抵触する行為は一切いたしません。もし、それでも映画の製作は続行せず即刻中止してほしい、というご希望でしたら、お申しつけ下さい。」
(8) 原告は、乙5メールを受け取った同日、Cを通じて、被告に対し、乙6メールを送った。
 乙6メールには、「今まで何度か携わった映像化でこういうことは何度かあって、それを双方が納得のいくところへ落とし込んでいったのを知っていました。」、「これは、Bさんの脚本がどうこうではなくて、たぶん、どういうかたちであれど、映像化はできなかったと思います。」、「Aさんと話しました。参考資料として明記するのは問題ないそうです。映画化に関しては、Aさんも私も応援しております。蓋をして見ないようにしてきたものを、Bさんたちの力で社会に認知されるように、被害にあったら泣き寝入りしなきゃいけない、被害者にも落ち度がある、なんて社会を変える一因をつくってください。」などと記載されていた(乙6)。
(9) 被告は、Cに対し、平成25年12月20日、映画製作については、フランツ・カフカの「変身」を翻案する形式で脚本を修正していること、「性犯罪被害」に遭遇したことによって、大切にしていた人々と心情や言葉が通わなくなり、まるで「異物」であるかのように排除されていく恐怖が、この問題のひとつの断面ではないかと考えたためであること、「性犯罪被害にあうということ」から離れた映像化のため荒療治であるが試行錯誤していることを報告するなどと記載されたメールを送信した(乙7)。
(10) 被告は、平成26年1月17日、本件脚本1に若干の修正を加えた確定稿(甲4。以下「確定稿」という。)を完成させた。なお、確定稿の内容は、別紙物件目録記載の脚本のとおりである。
(11) 原告は、被告に対し、平成26年1月12日及び同月19日、映画の作成を応援する旨のメールを送った(乙8の1・2)。
(12) 被告は、原告に対し、平成26年1月25日に映画の撮影を開始し、同年2月24日に本件映画が完成したこと、参考資料として本件著作物1を映画に明記するに当たり、本件映画祭において、本件映画と本件著作物1の関係をどこまで説明すべきかを相談するため、同月25日、メール(甲8。以下、被告が、同日、原告に送信したメールを「甲8メール」という。)を送った。同メールには、「『性犯罪被害にあうということ』の脚本として以前お送りした内容を、全編にわたって改稿しましたが、最終的に一部の設定を初期の脚本に戻す、という判断をしました。具体的には「犯行の手口(二人組・車・道案内)」「被害女性の状況(生理中・自転車)」「恋人との別離」「夫との結婚・離婚」「両親との確執」「性犯罪被害者のウェブサイト運営」「実名でのテレビ出演(書籍出版から変更)」です。」、「私にとっては、二冊のご著書やAさんとの会話が鮮烈すぎて、どのように改稿しても「嘘」にしか感じられず、苦渋の選択ではありましたが、Aさんに否定された脚本の一部を使用したことにつきまして、あらためまして心よりお詫び申し上げます。」などと記載されていた。
 上記メールを受けた原告は、被告に対し、すぐに本件映画のDVDを送付するよう求め、Cは、被告に対し、本件映画の脚本データを至急朝日新聞出版宛てに送るように要請した。
 そして、被告が、Cに対し、脚本データを送信した約1時間後、被告は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭事務局から、原告から上映中止の要請があった旨の電話連絡を受けた。また、原告の代理人である弁護士望月晶子から被告に対し、本件映画の上映の差止めを要請する旨の平成26年2月26日付け内容証明郵便が届いた(乙9)。
(13) ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員会は、平成26年2月28日、本件映画の本件映画祭での上映中止を決定し、本件映画祭のウェブサイト(ホームページ)上において通知した(乙10)。
2 争点1(著作権〔翻案権・複製権〕侵害の成否)に対する判断
(1) 著作者は、その著作物を「複製する」権利を専有し(著作権法21条)、また、その著作物を「翻訳し、(中略)脚色し、映画化し、その他翻案する」権利を専有する(同法27条)。複製とは、「印刷、写真、複写、(中略)その他の方法により有形的に再製すること」をいい(同法2条1項15号参照)、翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同項1号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらない(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。すなわち、事実それ自体は、人の思想又は感情から離れた客観的な所与の存在であり、精神的活動の所産とはいえず、著作物として保護することはできない。ただし、歴史的事実や客観的事実であっても、これを具体的に表現したものについて、その表現方法につき表現の選択の幅があり、かつその選択された具体的表現が平凡かつありふれた表現ではなく、そこに作者の個性が表れていれば、創作的に表現したものとして著作物性が肯定される場合があり得るし、客観的事実を素材とする場合であっても、種々の素材の中から記載すべき事項を選択し、その配列、構成や具体的な文章表現に、著作者の思想又は感情が創作的に表現され、著作物性が認められる場合もあり得る。
 したがって、本件各著作物と本件映画との間で表現上の共通性を有するものについては、その共通性(同一性)を有する部分が事実それ自体にすぎないときは、複製にも翻案にも当たらないと解すべきであるし、それが、一見して単なる事実の記述のようにみえても、その表現方法などからそこに筆者の個性が何らかの形で表現され、思想又は感情の創作的表現と解することができるときには、複製又は翻案に当たるというべきである(知財高裁平成25年(ネ)第10027号同年9月30日判決・判時2223号98頁参照)。
 また、著作権法27条は、著作物を「変形し、又は脚色し、映画化し」たりすることが「翻案」に該当することを明文で規定しているところ、そもそも言語の著作物と映画の著作物とでは、表現方法が異なり、言語の著作物を映画化した映画の著作物においては、登場人物の思考や感情などを表現するに際し、もとになった言語の著作物の表現をそのまま使用するのではなく、登場人物の行動、仕草、表情、構図、効果音などといった視覚的・聴覚的要素も加えた表現が用いられることが、むしろ通常であることをも考慮した上で、本件映画の表現(描写)に接した際に、本件各著作物の表現(著述)上の本質的な特徴を直接感得することができるか否かを判断すべきである。
 以上の観点から検討する。
(2) 別紙エピソード別対比表の各エピソードについて(以下、同別紙の番号に従い「エピソード1」などという。
ア エピソード1について
(ア) エピソード1において、本件各著作物と本件映画とは、@主人公の女性が、夜間の一人の帰り道に、停車中の車の助手席に座った若い男から道を尋ねられること、A主人公が道を教えようとしたところ、仲間の男が現れて、車に連れ込まれたこと、B主人公が生理中であったこと、Cその男たちのうちの一人から車内で性的暴行を受けたが、一人は主人公が生理中であったことを嫌がって性的暴行をしなかったこと、D主人公が刃物で脅され、恐怖で抵抗できなかったこと、E性的暴行後に主人公が車から降ろされ、車が走り去ったことを描いている点において共通し、同一性がある。一方、本件映画においては、上記Aで車内に連れ込まれた後、Eの場面に移り、回想シーンの中で、BないしDの場面が表現されており、表現の順序において異なる。
(イ) エピソード1における本件各著作物と本件映画の上記同一性のある部分は、原告が被害を受けた事件についての客観的な事実を記述したものにすぎず、その表現として原告の個性が表れたものとはいえず、表現上の創作性があるとまではいえない。
 したがって、上記同一性のある部分は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
(ウ) 原告は、上記の同一性を有する部分は、性的暴行の際に原告が感じた恐怖と絶望、原告がこれから先に待ち受ける苦しみの中に一人放り出された孤独感を表現している旨主張する。
 確かに、本件著作物1では、「『殺されるの?死にたくない』そんなことしか頭に浮かばなかった。大声なんて、出ない。出せない。出し方を忘れてしまったように。(中略)解放されるまでの記憶はすべて聴覚だけである。私は何をしていたんだろう。無抵抗だったのか……。身体の記憶がない。」、「このとき、一度だけ、大声で、叫んだ(ような気がする)。出たか出ないか分からないその声と一緒に、それまでの二十四年間を過ごしてきた私が、消えた。学生時代の勉強や、部活動、友達づき合い、すべて洗い流されたように感じた。「水の泡」「全否定」。そんな気がした。(中略)医学的・心理学的にどうとかは分からないが、横断歩道を渡っているときに凄い速さで自動車が走ってきたら、自動車に気づいた瞬間、「はっ」とそこで立ち止まってしまうのではないか。そのまま歩き続ければぶつからないで済むものを、まるで自動車とぶつかるのを待っているように。“足が竦んで”というより、きっと足を動かすことさえ思いつかないだろう。そんな感覚だ。」、「そんななか、ずっと『生き残りたい』と祈っている自分がいた。(中略)一瞬一瞬に常に私は二つの相反する願いと不安を感じていた。『早く終わって……。放して!!!』」といった表現部分、本件著作物2では、「怖かった。“まさか、ここで殺されるの?”(中略)ベルトを切られ、シャツのボタンがはじかれ、パンツと下着を下ろされ……。それは後に自分の服装を見てわかったことで、いつそうされたかの記憶は、ほとんどないのです。」、「頭の中がただ真っ白で、抵抗する気力も、声も、感情も消えた私の耳元で聞こえる声。(中略)一方で、射精する瞬間に上がった男のうなり声を聞きながら、“こいつ、バカだ”強烈にそう思ったことを覚えています。」などの表現部分に、原告が感じた恐怖と絶望、孤独感などが具体的に表現されているといえる。
 しかしながら、上記(ア)及び(イ)でみたとおり、本件映画と共通性を有する部分に関しては、表現上の創作性があるとまでは認められない。
 したがって、原告の上記主張は採用できない。
イ エピソード2について
(ア) エピソード2において、本件各著作物と本件映画とは、@主人公が傷付いた体で公園の公衆トイレに入ったこと、Aそこで血などの汚れを落としたこと、Bトイレの鏡に映った自分の姿や状態に気付いて愕然としたことを描いている点において共通し、同一性がある。
(イ) エピソード2における本件各著作物と本件映画の上記同一性のある部分は、原告が被害を受けた後に原告がとった行動についての客観的な事実を記述したものにすぎず、その表現として原告の個性が表れたものとはいえず、表現上の創作性があるとまではいえない。
 したがって、上記同一性のある部分は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
(ウ) 原告は、これらの事実は、事件直後の原告がとにかく誰にも見られないところに身を隠したかったこと、原告は暴行されたという現実に否応なく目を向けさせられたこと、それによって受けた衝撃を表現している旨主張する。
 しかし、人目の付きにくい場所として公園内の公衆トイレに向かったこと、自らの衣服の状態等を確認し、現実に起きたことを認識したことは客観的事実である。そして、本件著作物1では、原告がその時受けた衝撃を表現するものとして、「持っていたポケットティッシュを水で濡らし、身体中を拭いた。」、「臭くて汚いトイレだ。(中略)私は、何度も水を流した。(中略)そこで、悔しさと無力感が込み上げてきて、泣いた。惨めだった。小さなポケットティッシュで身体を拭いている自分を、とても惨めに感じた。」などと表現され、本件著作物2においても、「持っていたポケットティッシュを水で濡らし、全身を拭きながら、悔しさと無力感が込み上げてきて、自分がみじめで仕方ありませんでした。私は震えていました。」などと表現されているのに対し、本件映画にはこれらに対応する場面は認められず、鏡に向かって主人公が叫びをあげる様子が描写されているだけで、その表現方法も異なる。
 したがって、原告の主張は採用できない。
ウ エピソード3について
(ア) エピソード3において、本件各著作物と本件映画とは、@主人公が(元)恋人に助けを求めたこと、A公園に駆け付けた(元)恋人が主人公の様子に驚いて、誰かに何かされたのかと聞いたこと、B主人公はうなずくことしかできなかったこと、C(元)恋人が、主人公が性的暴行を受けたことを知ってやり場のない怒りで物に当たる様子、D主人公が(元)恋人に対して「ごめんなさい」と謝り続けた点及びその著述(描写)の順序において共通し、同一性がある。
(イ) 本件各著作物のエピソード3における著述中の上記同一性のある部分のうち、@主人公が(元)恋人に助けを求めたこと、A公園に駆け付けた(元)恋人が主人公の様子に驚いて、誰かに何かされたのかと聞いたこと、B主人公はうなずくことしかできなかったことは、いずれも事実の記載にすぎない。一方、(元)恋人がやり場のない怒りを物にぶつける様子に対し、主人公が「ごめんなさい」と謝り続けた著述は、単にその事実を記述しただけでなく、被害に遭ってしまった悔しさ、被害者であるにもかかわらず込み上げてくる罪悪感、やるせなさを表現したものと認められる。そうすると、本件各著作物のうち、上記同一性のある部分は、原告が被害を受けた当事者としての視点から上記の各事実を選択し、事件後の原告の状況や原告の元恋人とのやりとりを淡々と記述することによって、原告の悔しさ、罪悪感、やるせなさ等を表現したものとみることができ、上記同一性のある部分全体として、原告の個性ないし独自性が表れており、思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
(ウ) 以上より、本件映画のエピソード3における描写は、上記認定の表現上の共通性により、本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ、本件映画におけるエピソード3部分に接することにより、本件各著作物のエピソード3における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ、本件各著作物を翻案したものといえる。
(エ) 被告は、上記同一性のある部分はいずれも事実の記載である旨主張するが、上記のとおり、事実の著述であっても、原告が、自身の上に実際に起きた自己の認識に基づく事実を選択し、上記のとおり、原告が抱いた悔しさ、罪悪感等を表現したものと認められ、その表現には、原告の個性が表れているとみるべきであって、原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって、被告の上記主張を採用することはできない。
エ エピソード4について
(ア) エピソード4において、本件各著作物と本件映画とは、@事件翌朝に(元)恋人が主人公に仕事を休むように勧めたこと、Aそれを主人公が拒んだこと、事件が起きたことを理由として、仕事を休むことはできないと対応した点において共通し、同一性がある。なお、上記@の場面の、本件著作物1の元恋人の「こんな日くらい休めよ……」と本件映画における恋人の「仕事・・・休めない?」との台詞はほぼ共通し、上記Aの場面の本件著作物1の原告及び本件映画の主人公の「なんて言って休めばいいの?」という台詞は同一である。
(イ) 本件各著作物のエピソード4における著述中の上記同一性のある部分は、被害に遭った翌朝、元恋人との会話の内容を記述しながら、被害を他人に知られることに対する恐怖、被害に遭った事実は現実であるのにこれを正直に話すことはできないやるせなさ、無力感、不条理さ等を表現したものと認められ、そのための事実の選択や感情の形容の仕方、叙述方法の点で原告の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
(ウ) 以上より、本件映画のエピソード4における描写は、上記認定の表現上の共通性により、本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ、本件映画におけるエピソード4部分に接することにより、本件各著作物のエピソード4における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ、本件各著作物を翻案したものといえる。
(エ) 被告は、上記同一性のある部分はいずれも事実の記載である旨主張する。しかし、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、原告が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分は原告なりに事実や表現を選択して著述を行ったものと認められるから、その表現には原告の個性が表れているとみるべきであり、原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって、被告の上記主張を採用することはできない。
オ エピソード5について
(ア) エピソード5において、本件著作物1と本件映画とは、主人公がシャワーでずっと体を洗い続けることがあったことを著述又は描写している点において共通し、同一性がある。しかし、本件映画のエピソード5における描写は、恋人がシャワーで体を洗い続ける主人公にシャワーを浴びさせるのを止めさせ、主人公の体はきれいだよと慰めるシーンが付け加わっている点で本件各著作物と異なる。
(イ) 本件著作物1のエピソード5における著述中の上記同一性のある部分は、被害に遭った事実を思い起こすと、自分の体が汚れてしまったように感じ、忌まわしい過去を洗い流したいが消し去ることはできないやるせなさ等を表現したものということもできるが、その表現自体に原告の個性が表れたものとはいえず、表現上の創作性があるとまではいえない。
(ウ) 原告は、上記表現は、事件に対する恐怖や忌まわしさ、事件をなかったことにしたいという衝動や、事件によって自分が汚れてしまったという感覚が深く根付いて拭い去れなかったこと、それらが蘇ってきていたことを表現している旨主張する。しかし、上記のとおり、本件映画では恋人とのやり取りが加わっている点が異なる上、「シャワーでずっと身体を洗っていることもあった」との形容の仕方としては一般的であり、ありふれた表現といえる。
 よって、原告の上記主張を採用することはできない。
カ エピソード6について
(ア) エピソード6において、本件各著作物と本件映画とは、事件後の(元)恋人とのやりとりにおいて、@主人公が(元)恋人に対し、また自分が襲われてもいいのかなどと挑発的、脅迫的な言葉を発したり、A(元)恋人が、主人公に対し、主人公が被害に遭ったことを本当は喜んでいた、とか、スリルがあって気持ちいいとか楽しんでいたとか、被害を受けた主人公と付き合ってあげていることに感謝して欲しいなどという言葉を発し、主人公の気持ちを逆なで、主人公を絶望させるような言葉をかけたこと、B最後には、(元)恋人が、主人公に対し、もう俺のことは忘れて、幸せになってくれなどと言って、主人公の元を去っていく点において共通し、同一性がある。
 なお、@の場面の本件著作物1の原告の「また襲われてもいいの?」と、本件映画の主人公の「健ちゃんはまた私が襲われてもいいの?」、Aの場面の本件著作物1の元恋人の「ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」や「お前みたいな汚れた女とつき合ってやってんだ。感謝しろ!」と本件映画の恋人の「おまえ二人組に犯されているとき、本当は興奮して濡れてたんだろ?また襲われたいって、今もそう思ってるんだろう?」や「今までつきあってやっただけでも、感謝してほしいよ」、Bの場面の本件著作物1の元恋人の「頼むから、もう俺のことは忘れて、幸せになってくれ。」と本件映画の恋人の「頼むから、もうおれのことは忘れて、幸せになってくれ」という各台詞は、ほぼ同一である。
(イ) 本件各著作物のエピソード6における著述中の上記同一性のある部分は、単に原告が元恋人との間でした会話の内容を記述しただけでなく、被害に遭った原告のやり場のない悔しさを、当時身近にいてくれた元恋人に対し、脅迫的な言動でぶつけてしまうしかなかった不合理な気持ち、原告の気持ちを理解しながらも、受け止めることが負担になり、精神的にも追い詰められていった元恋人の無念さや無力感とともに、自分を理解しようとしてくれていた人を失っていく悲しみなどを表現したものと認められる。そうすると、本件各著作物のうち、上記同一性のある部分は、原告が被害を受けた当事者としての視点から上記の各事実を選択し、事件後の原告の元恋人とのやりとりを淡々と記述することによって、原告の悔しさ、やるせなさ、悲しみ等を表現したものとみることができ、上記同一性のある部分全体として、原告の個性ないし独自性が表れており、思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
(ウ) 以上より、本件映画のエピソード6における描写は、上記認定の表現上の共通性により、本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ、本件映画におけるエピソード6部分に接することにより、本件各著作物のエピソード6における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ、本件各著作物を翻案したものといえる。
(エ) 被告は、上記同一性のある部分は事実の記載である旨主張する。しかし、上記同一性のある部分は、その記述を通じて、原告が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分は原告なりに事実や表現を選択して著述を行ったものと認められるから、その表現には原告の個性が表れているとみるべきであり、原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって、被告の上記主張を採用することはできない。
キ エピソード7について
(ア) エピソード7において、本件各著作物と本件映画とは、@主人公が意を決して、暴行被害に遭ったことを母親に告白したこと、Aそれに対して母親が主人公をやさしくいたわるどころか逆に主人公に怒ったこと、Bその後も両親は主人公を気遣うどころか厳しい言葉を投げ、それに対して主人公が失望と怒りをぶつけたこと、C母親にやさしく抱きしめてもらいたかったが、その願いが叶わなかった点において共通し、同一性がある。
 なお、D本件著作物1における母親の「なんでいまさらそんなこと言うのよ!?あんたの言うこと信じられない!」と本件映画における母親の「どうして今頃になってそんなことを打ち明けるの?お母さん、あなたの神経が信じられない!」、E本件著作物1の父親の「お前は強い子だから、そんなこと(事件のこと)を気にするような子じゃないでしょ」と本件映画の父親の「おまえは強い子だから、そんなことは気にせず今までどおり、生きていけるはずだ」、F本件著作物1における母親の「あんたが襲われたのはあんたのせいではないけど、私たちのせいでもないんだから、そんなことで私たちを責めないでよね!」と本件映画の母親の「あなたが襲われたのは、私たちのせいかしら?親を責めるなんて、筋違いだわ」との各台詞は、ほぼ共通し、同一性がある。
(イ) 本件各著作物のエピソード7における著述中の上記同一性のある部分は、被害を受けた原告が、母親に対し、母親にいたわってもらいたい、すぐに真実を告白できなかった自分を理解して欲しいとの思いで事件を告白したにも関わらず、両親が、原告の被害を受けた現実を受け止めることができなかったこと、原告が被害に遭った事実を認めたくないという態度を示したことを著述することで、原告の悲しみ、失望、やるせなさ、被害者であるのに隠さなければならないことに対する矛盾や怒り等を表現したものと認められる。そうすると、本件各著作物のうち、上記同一性のある部分は、原告が被害を受けた当事者としての視点から上記の各事実を選択し、事件後の原告の両親とのやりとりを淡々と著述することによって、原告の悲しみ、やるせなさ、怒り等を表現したものとみることができ、上記同一性のある部分全体として、原告の個性ないし独自性が表れており、思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
(ウ) 以上より、本件映画のエピソード7における描写は、上記認定の表現上の共通性により、本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ、本件映画におけるエピソード7部分に接することにより、本件各著作物のエピソード7における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ、本件各著作物を翻案したものといえる。
(エ) 被告は、上記同一性のある部分は事実の記載である旨主張する。しかし、上記同一性のある部分は、その著述全体を通じて、原告が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分は原告なりに事実や表現を選択して著述を行ったものと認められるから、その表現には原告の個性が表れているとみるべきであり、原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって、被告の上記主張を採用することはできない。
ク エピソード8について
(ア) エピソード8において、本件著作物1では、彼が部屋に泊まったとき、「ちょっとトイレ行ってくるね」といい、彼には気分が悪くなっていることは告げられずに吐いてしまうこと、原告が、セックスに対して人よりも恐怖心が強いことや敏感であることを告げていても、乱暴に扱われ、怯えると、何が怖いと感じたのか説明することもあったこと、怖いと感じたときでも、そういう気持ちを出さないように、別のことを考えて気を紛らわして我慢していたこと、そういうときは、被害に遭ったときと同じように早く終われという気持ちになっていたことなどが著述されている。
 これに対し、本件映画では、自ら服を脱ぎ、セックスに応じようとする主人公に対し、恋人が止めておこうと言うのを遮り、主人公は自らベッドに入るものの、性行為時には唇を噛みしめ、我慢している表情が描写されるとともに、被害に遭った事件のシーンが回想シーンとして描写されると、突然、「怖いよ」と言って恋人を突き飛ばしてしまい恋人が謝るシーン、その後、恋人が熟睡しているのを横目に、洗面台に行って吐いて苦しむ様子が描写されるが、「幸せになってやる……私だって、幸せに……」などとつぶやく場面が描写されている。
 そうすると、本件著作物1と本件映画とは、@男性と親しい関係になっても、性行為時には事件のことが思い出されて必死に我慢しなければ応じられないこと、A性行為後には吐き気をもよおしてしまう点において同一性を有する。しかし、これらは原告が被害に遭った後、性行為時の身体的状況や心身の状況を客観的に記述したものにすぎず、性犯罪被害を受けた者の身体的状況や心身の状況を表現したものとして、原告の個性が表れたものとはいえず、表現上の創作性があるとはいえない。したがって、上記同一性がある部分は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
(イ) 原告は、上記@、Aに加え、事件のせいでセックスに対して拒否反応が起きるようになったことも同一性を有する部分として掲げているが、本件映画では、洗面台で吐いてしまうこと以外にセックスに対する拒否反応は描かれていない。
 また、原告は、エピソード8の本件著作物1の著述は、普通の男女の関係を築きたいという原告の願いと、それを阻むように起きる拒否反応に対する悔しさや原告の心の傷の深さを表現していると主張する。
 しかし、エピソード8における本件著作物1の記述全体を通してそのような原告の心情が表現されていると認められるとしても、本件映画と同一性を有する部分についてみれば、その表現はありふれており、原告の主張は採用できない。
(3) 依拠性について
 本件映画の各エピソードのうち、本件各著作物の記述と同一性を有する部分は、いずれも対象となる事実や感情の選択や形容の仕方などが共通していることは前記(2)で認定したとおりである。
 これに加え、被告本人尋問の結果(被告本人〔10頁〕)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、本件映画は、少なくとも本件各著作物にある場面を参考にして映像として表現したものであることは自認しているものと認められるから、本件映画の各エピソード部分の表現は、いずれも本件各著作物の記述に依拠して作成されたと認めるのが相当である。
(4) 台詞の著作権の侵害について
ア 原告が、本件各著作物の台詞の著作権が侵害されているとして、別紙エピソード対比表において主張するのは、以下のとおりである。
@ エピソード4における本件著作物1の「こんな日くらい休めよ……」という台詞と、本件映画における「仕事・・・休めない?」という台詞
A 上記@に対する返答として、本件著作物1及び本件映画の「なんて言って休めばいいの?」との台詞
B エピソード6における本件各著作物の「また襲われてもいいの?」という台詞と、本件映画における「健ちゃんは、私がまた襲われてもいいの?」という台詞
C エピソード6における本件著作物1の「お前ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」という台詞と、本件映画の「おまえさあ、その二人組だっけ、犯されてたとき、本当は興奮して濡れてたんだろ?また犯されたいって今もそう思ってんだろう?」という台詞
D エピソード6における本件著作物1の「お前みたいな汚れた女とつき合ってやってんだ。感謝しろ!」という台詞と、本件映画の「今までつきあってやっただけでも感謝してほしいよ」という台詞
E エピソード6における本件著作物1の「頼むから、俺のことは忘れて、幸せになってくれ」との台詞と、本件映画の「頼むから、おれのことは忘れて、幸せになって」との台詞
F エピソード7における本件著作物1における原告の母親の原告に対する「なんでいまさらそんなこと言うのよ?!あんたの言うこと信じられない!」という台詞と、本件映画における主人公の母親の主人公に対する「どうして今頃になってそんなことを打ち明けるの?お母さん、あなたの神経が信じられない!」という台詞
G エピソード7における本件著作物1における原告の両親の原告に対する「お前は強い子だから、そんなこと(事件のこと)を気にするような子じゃないでしょ」といった台詞と、本件映画における、主人公の父親の「お前は、強い子だから、そんなことは気にせず、今までどおり、生きていけるはずだ」という台詞
H エピソード7における本件著作物1で、原告の母親の「あんたが襲われたのはあんたのせいではないけど、私たちのせいでもないんだから、そんなことで私たちを責めないでよね!」という台詞と、本件映画における主人公の母親の「あなたが襲われたのは、私たちのせいかしら?親を責めるなんて、筋違いだわ!」といった台詞
イ 上記@ないしHの台詞自体は、いずれもごく短いものであり、台詞そのものに表現上の創作性があるとはいえず、ありふれたものであって、各台詞はそれ自体で原告の個性が表れているということはできない。
 したがって、仮に、上記各台詞が類似又は同一と解されるとしても、上記台詞のみでは、思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、原告の主張は採用できない。
(5) まとめ
 以上のとおり、エピソード3、4、6及び7の本件映画における表現は、それに対応する本件各著作物の各エピソードの著述を翻案したものと認められる。
 そして、前記1に認定した事実によれば、原告が、被告に対し、本件映画の製作に本件各著作物を利用することについて許諾したとは認められないから、仮に、被告が本件各著作物から事実のみを抽出したものであり、著作権侵害に当たらないと理解していたとしても、少なくとも本件各著作物の利用について過失は認められる。
 したがって、被告は、上記エピソードを不可分的に有する本件映画を製作することにより、原告が本件各著作物について有する著作権(翻案権)を侵害したものと認められる。
3 争点2(著作者人格権〔同一性保持権〕侵害の成否)に対する判断
 同一性保持権を侵害する行為とは、他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴を維持しつつその外面的な表現形式に改変を加える行為をいう(最高裁昭和51年(オ)第923号同55年3月28日第三小法廷判決・民集34巻3号244頁、同平成6年(オ)第1082号同10年7月17日第二小法廷判決・判時1651号56頁参照)。
 被告は、前記2において当裁判所が翻案を認めた本件映画のエピソード部分(エピソード3、4、6及び7)に対応する本件各著作物の各記述を視覚的又は聴覚的効果を生じさせる方法で表現し、かつ、これを媒体に固定する方法により、原告の本件各著作物における表現形式上の本質的な特徴を維持しつつ、その表現形式に改変を加え、本件映画における上記各エピソードを描写したものであるから、被告は、原告が本件各著作物について有する著作者人格権(同一性保持権)を侵害したものと認められる。
4 争点3(人格権としての名誉権及び名誉感情の侵害の成否)に対する判断
(1) 本件映画の主人公と原告との同定の可能性について
ア 本件映画の主人公と原告に係る事実は、次の点で共通する。
@ 主人公の女性が、夜、帰宅途中に停車中の車に乗っている助手席側の男から道を聞かれ、道を教えていたところ、もう一人の別の男が現れて、車内に連れ込まれたこと
A 主人公が生理中であることが分かり、二人組の男のうち、一人は嫌がり、一人からだけ暴行を受けたこと
B 事件直後に公園のトイレに入って体や衣服についた血を拭き、公園に恋人を呼び出したこと(ただし、原告が呼び出した相手は元恋人である。)
C 事件の翌日に出勤したこと
D 事件直後から(元)恋人が主人公をサポートしようとしてくれるが、体に触られることにも拒絶反応が出る状態で、結局うまく行かずに別れてしまうこと
E 事件後に結婚するが、結局、事件のことが障害になり離婚してしまうこと
F 事件後しばらくして親に被害に遭った真実を告白するが、親からは慰めてもらうどころか、さっさと忘れるんだなどと言われ、親子関係が上手くいかなくなったこと
G 主人公が実名で性犯罪被害者のためのウェブサイトを立ち上げること
H 主人公が実名でテレビに出演し性犯罪被害についての話をすること
I 上記G、Hにより、性犯罪被害者等から主人公に対し、多数の反響があったこと
J 主人公が父親から性的虐待を受けている少女と知り合い交流すること
イ そして、弁論の全趣旨によれば、上記@ないしJに現れた原告に係る事実が記述された本件著作物1は単行本が約2万9000部、文庫版が約1万2000部、本件著作物2の単行本が約1万部発行されていることが認められるから、原告と面識があり、又は、上記に摘示した原告に係る事実の幾つかを知る者が不特定多数存在することは推認するに難くないところ、それらの者が本件映画を観た場合、本件映画の主人公と原告とを同定することは容易に可能である。すなわち、上記の各事象を個々的に取り出した場合には、これを有する人物を特定するに足りないとしても、上記を組み合わせた本件映画における主人公の設定は、本件各著作物における原告の体験した事実や原告を取り巻く現実の家族関係や交友関係の経過に依拠して描写されたものであることが推認され、本件映画の主人公のモデルが原告であることを特定するに十分なものということができる。
(2) 本件映画を観た不特定の者が、本件映画の主人公を原告と同定し得ることは上記のとおりであるから、主人公についての描写に、その社会的評価を低下させる性質のものがある場合には、当該描写は、本件映画のモデルとなった原告の社会的評価をも低下させることになり、原告の名誉を毀損するというべきである。
 しかし、本件映画を観た者が、原告が本件映画の製作、上映を許諾したと誤信し、許諾をしているという誤信により、これまで原告が培ってきた性犯罪の被害者等からの信頼、信用等の社会的評価が低下する旨の原告の主張は、本件映画の表現それ自体による社会的評価の低下を主張するものでないから、この点についての原告の主張は採用できない。
 なお、被告は、本件映画の製作に、性犯罪被害者を冒涜する意図はなかった旨主張するが、製作意図いかんにかかわらず、本件映画における描写において、社会的評価を低下させるものがあれば、名誉等を毀損するものというべきである。
(3) 以下に、原告が主張する本件映画中の映像が本件映画の主人公の社会的評価を低下させる性質のものか否かについて検討する。
ア 主人公の両親が主人公を殺す場面
 証拠(甲3)によれば、本件映画において、別紙侵害認定表現目録1記載の脚本に係る場面が存在することが認められる。
 この場面は、主人公の両親が、主人公を殺し、主人公の兄もまた両親に殺害されたことを示唆するものであり、自己の両親が子殺しをする、又は、子供を殺害しようとすることを描写するもので、通常、このような描写は、本人及びその家族の社会的評価をも低下させるものというべきである。
 被告は、原告を知る者であれば、原告が今現在も生きていることを知っており、本件映画における両親に殺害される場面は虚構であることは容易に認識し得るため名誉毀損には当たらない旨主張する。
 しかし、当該場面が虚構であるとしても、不特定多数の者が本件映画の登場人物やモデルを同定することができ、本件映画における登場人物についての描写において、モデルとなった原告が現実に体験したと同じ事実が摘示され、かつ、観衆にとって、モデルとなった原告に関わる現実の事実であるか、本件映画の製作者である被告が創作した虚構の事実であるかを截然と区別することができない場合においては、本件映画中の登場人物についての描写がモデルである原告の名誉を毀損し、原告の名誉権や名誉感情を侵害する場合があるというべきである。
 そして、証拠(甲3、4)及び弁論の全趣旨によれば、本件映画は、原告が体験した現実の事実に被告が創作した虚構の事実が織り交ぜられ、渾然一体となってその全体が描写されていると認められるから、本件映画の観衆は、これらの性質を異にする事実を容易に判別することができず、虚構の事実を現実の事実と誤解する危険性が高いものといえる。そうすると、主人公の両親が主人公を殺害する上記場面は、実際には両親が原告を殺害しようとしたことはないのに、そのような場面が現実にあったと誤解する危険性を十分にはらんでいるものというべきである。
 したがって、上記場面は、本件映画の主人公の社会的評価を低下させる性質のものといえ、本件映画の主人公が原告と同定されることにより、原告の社会的評価を低下させるものというべきである。また、その名誉感情を害するものといえる。
イ 「おちんちん」との表現を主人公が使用している場面
 証拠(甲3、4)によれば、本件映画における主人公が「おちんちん」との表現をしている場面は、別紙侵害認定表現目録2@ないしB記載の脚本に係る次の3場面あることが認められる。
@ 主人公の実家で婚約者が両親と共に食事をした後、自転車で二人乗りしながら主人公が婚約者を駅まで送る道中における場面(甲4〔4頁〕)
A 主人公が勇気を出して両親に強姦された事実を伝えたところ、予期せず親からひどい言葉を浴びせられ、いたたまれず、実家に引きこもっている兄に扉越しに訴える場面(甲4〔17頁〕)
B 事件のショックから、夫との間で性交渉を持てずにいた主人公が、何も知らない義母から、いつになったら子供ができるのか、体に欠陥でもあるのかと言われ、深く傷つき、夫へ愚痴を言っている場面(甲4〔22頁〕)
 そして、上記各場面は、主人公の女性が、その婚約者、兄又は夫との間の会話において、成人男性の性器を表現するため、あえて「おちんちん」という言葉を口にした場面であって、上記各場面においてその言葉を持ち出さなくても会話は成立すること、我が国においては、プライベートな会話であっても、成人男性の性器の名称を口にすることを避けることが少なくないことをも考慮すれば、上記各表現は、主人公が品位のない女性であるとの印象を与えるものであって、主人公の社会的評価を低下させるものというべきである。
 したがって、上記場面は、本件映画の主人公が原告と同定されることにより、原告の社会的評価を低下させ、また、その名誉感情を害するものである。
5 争点4(本件各著作物の場面・台詞不使用の合意の成否)に対する判断
(1) 前記1に認定した事実経過のとおり、被告は、本件各著作物に依拠した本件脚本1を完成させて原告に送付したところ、平成25年12月11日、原告から本件脚本1から本件各著作物を原作・原案として使用することを認めない旨の結論に達したとの乙4メールを受け取った。そして、被告は、原告の代理人であるCに対し、乙5メールにおいて、「『性犯罪被害』をテーマにした映画の製作を続行いたしたく存じます。」、「脚本の内容において、書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」と記載し、これに対し、原告は、Cを通じて被告に対し、乙6メールにおいて、「どういうかたちであれど、映像化はできなかったと思います。」、「参考資料として明記するのは問題ないそうです。」と伝えたことが認められる。
 したがって、上記事実経過に照らせば、被告は、性犯罪被害をテーマにした映画の製作を続行する場合でも、本件各著作物に記載された場面・台詞を使用した本件脚本1をもとにした映画の製作はできないこと、そのような映画を製作したとしても公表することはできないことを十分認識した上で、本件各著作物に記載された場面・台詞を使用しない性犯罪被害をテーマにした映画の製作を続行する旨を原告に約し、これに対して、原告は、被告が本件各著作物に記載された場面・台詞を使用しないで映画の製作を続行するものと理解し、その限りにおいて、被告の性犯罪被害をテーマにした映画製作に同意したものと認められ、乙6メールを被告が受け取った時点で、原告と被告との間で、被告が本件各著作物の場面・台詞を使用しないことを条件として性犯罪被害をテーマにした映画製作を続行することについての合意(以下「本件各著作物不使用の合意」という。)が成立したものと評価できる。
 一方、証拠(甲6、7)によれば、被告が平成26年1月17日に完成させた確定稿は、その約8割ほどが本件脚本1のままであり(別紙確定稿対比表における黄色部分は本件脚本1と同一の箇所、赤色部分は本件著作物1と同一の箇所、緑色部分は本件著作物1とほぼ同趣旨の箇所、水色部分は本件著作物2と同一又は同趣旨の箇所である。)、被告は、本件各著作物に記載された場面・台詞を使用して各定稿(ママ)を完成したことが認められる。
 以上によれば、被告は、本件各著作物不使用の合意に違反して、本件映画を製作したものと認められる。
(2)ア 被告は、乙3メールの返信を受けた4日後、本件映画祭まで3か月を切った時点に乙4メールを受け取り、突然の原告の翻意を受け、被告は非常に動揺し、焦っていたこと、原告が本件各著作物に記載されている事実を映画化すること自体を拒否しているとは思っていなかったこと、事件を映画化すること自体については数年前から実質的な合意があったものであったことなどから、被告が乙5メールを出したのは、(i)原告の名前や本件各著作物の題名は使用しない、(ii)本件各著作物の著作権侵害とならないように脚本をフィクションとして再構成する、ということを条件に映画を続行したいというものであり、「本件各著作物に記載されている事実は使用しない」という意思は全くなかったなどと主張する。
 しかし、前記1に認定した事実経過によれば、本件各著作物の映画化については、最終的に、被告が完成した脚本を原告が見てから許諾することになっていたものと認められ、原被告間に数年前からの実質的な合意は認められない。また、原告本人尋問の結果(原告本人〔4頁〕)によれば、原告は、本件脚本1を受領した時点で、短期間に修正することは困難と判断して乙4メールを送付したものであること、乙5メールの「脚本の内容において、書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除いたします。」との文言を普通に解釈すれば、本件各著作物に記載されている場面は、描かれている事実も含めてすべての場面・台詞を使用しないとの意思と解されることから、被告の上記主張は採用できない。
イ また、被告は、本件映画において、その主人公が原告と同定されない限り、「参考文献」としての使用に当たる旨主張するが、本件映画の全般にわたり、原告及び原告を取り巻く状況、関係等が同一又は類似であるため、本件映画の主人公のモデルが原告であると容易に同定できることは前記認定のとおりであるから、被告の主張は採用できない。
 なお、被告は、本件脚本1から、主人公の氏名、事件の発生年月日、警察に被害を届け出し、屈辱的な取り調べを受けること、病院に行ったこと、法律事務所に就職すること、本を出版すること、事件後、取材のために恋人にインタビューすること、母親との和解、出版のサイン会、父親との和解の点を削除し、変更した上、本件脚本1になかった様々なフィクション的なエピソード(主人公の両親が挨拶に来た主人公の恋人に対しアフリカの部族について語るシーン、主人公が親に殺されるシーン、加害者が男に犯されるシーンなど)を付加しているものであるから「参考文献」としての使用の範疇に属する旨も主張する。
 しかし、上記の変更点や追加されたシーンがあったとしても、それらが本件映画に占める割合はわずかであって、本件映画において、本件各著作物と共通する場面が占める割合の方が多く、本件映画の主人公を原告と同定できることに変わりない。さらに、本件映画のエンドロールに「参考文献」と記したり、本件各著作物とは全く関係ない旨のテロップを流したとしても、本件映画の内容が変わらない限り、その主人公が原告であると同定されることに変わりない。
ウ また、被告は、強姦された状況やその後の展開等については、同様又は類似の体験をしている性犯罪被害者は多数存在し、本件映画が一見してフィクションだと分かることやそのテーマの違い等をも考慮すれば、本件映画が原告をモデルにしたとはおよそ考えられない旨も主張するが、上記のとおり、本件映画を通して主人公の属性や取り巻く状況等から原告と同定できる以上、被告の主張は採用できない。
 また、実際に、実名を公表して活動している性犯罪被害者は原告以外にも存在しているとしても、その点のみで、本件映画の主人公が原告と同定されるものではなく、本件映画に全般的に顕れた原告に係る事実が共通するために、原告と同定されるのであって、仮に原告以外に実名を公表して活動している性犯罪被害者がいたとしても上記認定を左右するものではない。
エ 被告は、乙5メールを出した時点においては、直前に迫った本件映画祭へ出品するために本件各著作物をもとにした映画製作を拒否され、気が動転していたなどと主張し、真実はそのような意思がないのに、本件各著作物で使用する場面・台詞を一切使用しない旨をメールで送ってしまったとして、心裡留保を主張する。
 しかし、被告は、テレビ番組等の製作に携わるという職業に従事する者である上、被告が確定稿を完成させた後に原告に送った甲8メールでは、「『性犯罪被害にあうということ』の脚本として以前お送りした内容を、全編にわたって改稿しましたが、最終的に一部の設定を初期の脚本に戻す、という判断をしました。」、「Aさんに否定された脚本の一部を使用したことにつきまして、あらためまして心よりお詫び申し上げます。」と明確に記載していることなどからすると、当初、被告は、原告に拒否された本件脚本1を使用する意思がなかったものの、その後、翻意して、本件脚本1を修正する形で確定稿を作成させ、確定稿に基づき本件映画を製作したことは明らかである。
 そうだとすれば、被告が、原告に乙5メールを送った時点では、「書籍から使用している場面・台詞に関しては、すべて削除」すると考えていたことが真意であることは明らかというべきである。
 また、以上の事実関係に照らせば、原告が、被告が乙5メールの記載内容どおりの意思を有していなかったと認識することはできないというほかはなく、原告の悪意又は過失を認めることは一層困難というべきである。
 したがって、被告の心裡留保の主張は採用できない。
オ さらに、被告は、無因債務を認めることはできないから、合意は成立していない旨主張する。
 しかし、被告の上記主張は、本件各著作物に記載された事実の使用について、原告が自ら法的支配・処分権を有していないとするものであるが、原告と被告の間の合意は事実の使用に限ったものでなく、原告が著作権を有する本件各著作物の使用についての合意であるから、被告の上記主張はその前提を欠き、採用できない。
6 争点5(本件映画の上映等の差止請求及び本件映画のマスターテープ等の廃棄請求の当否)に対する判断
(1) 本件映画の上映等の差止請求について
ア 本件映画のうち、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現が本件各著作物の翻案物に当たること、本件映画のその余の部分については、本件各著作物の複製又は翻案に当たらないか、複製又は翻案に当たる旨の主張がないことは、前記2において認定、説示したとおりである。
 したがって、本件各著作物について原告が有する著作権(翻案権)及び本件各著作物の二次的著作物について原告が有する著作権(複製権、上映権、公衆送信権〔自動公衆送信の場合にあっては、送信可能化権を含む。〕及び頒布権〔著作権法27条、28条、21条、22条の2、23条、26条〕)に基づく差止請求は、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現を含む本件映画の上映等の差止めを求める限度で理由がある。
 また、本件各著作物について原告が有する著作者人格権(同一性保持権)に基づく差止請求は、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現を含む本件映画の複製の差止めを求める限度で理由がある(なお、本件各著作物について原告が有する同一性保持権に基づいて請求することができるのは、著作者である原告の意に反する本件各著作物の「変更、切除その他の改変」であるから、本件映画の上映、公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布の差止めを求めることはできず、複製の差止めを求めることができるにとどまる。)。
イ 別紙侵害認定表現目録に記載の表現が原告の人格権としての名誉権及び名誉感情を害する性質のものと認められることは、前記4において認定、説示したとおりである。
 そして、前記前提事実のとおり、本件映画は、未だ公衆に対し公開されていないものであるから、憲法21条が保障する表現の自由に鑑み、原告は、同人格権に基づいて、上記表現を含む限りにおいて、本件映画の公衆への提供、すなわち、上映、公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布の停止を求めることができるというべきである。
 他方、同表現を含む本件映画が複製されたとしても、公衆に提供されない限り、原告の名誉権及び名誉感情が害されるものではないから、同人格権に基づいて同映画の複製の差止めを求めることはできないものというべきである。
 したがって、同人格権に基づく差止請求は、別紙侵害認定表現目録に記載の表現を含む本件映画の上映、公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布の差止めを求める限度で理由がある。
ウ 被告が、原告との間で、性犯罪被害をテーマにした映画を制作・発表するに際し、原告の名前を使用せず、かつ、本件各著作物の場面・台詞を使用しないことを約し、かかる条件の下で当該映画の製作を続行する旨の合意をしたと認められること、並びに、本件映画には、別紙確定稿対比表に記載の赤色部分、緑色部分及び水色部分において、それぞれ本件各著作物の場面・台詞が使用されていることは、前記5において認定、説示したとおりである。
 そして、被告は、上記合意を前提とすれば、原告に対し、本件各著作物の場面・台詞を使用した映画を製作したり、これを公表したりしないこと、換言すると、本件各著作物を使用した映画の上映、複製、公衆送信及び送信可能化を行わないこと、並びに本件映画の複製物の頒布を行わないことを約したものと認めるのが相当である。
 したがって、同合意に基づく差止請求は、上記本件各著作物の場面・台詞が使用されている本件映画の上映等の差止めを求める限度で理由がある。
(2) 本件映画のマスターテープ等の廃棄請求について
ア 本件映画のうち、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現が本件各著作物の翻案物に当たることは、前記2において認定、説示したとおりである。
 したがって、本件各著作物について原告が有する著作権(翻案権)及び本件各著作物の二次的著作物について原告が有する著作権(複製権、上映権、公衆送信権〔自動公衆送信の場合にあっては、送信可能化権を含む。〕及び頒布権〔著作権法27条、28条、21条、22条の2、23条、26条〕)に基づく廃棄請求、並びに本件各著作物について原告が有する著作者人格権(同一性保持権)に基づく廃棄請求は、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現を含む本件映画のマスターテープ等の廃棄を求める限度で理由がある。
イ 別紙侵害認定表現目録に記載の表現が原告の人格権としての名誉権及び名誉感情を害する性質のものと認められることは、前記4において認定、説示したとおりである。
 しかしながら、人格権に基づく差止請求については、著作権法112条1項のような、侵害の予防に必要な作為を当然に請求することができる旨の法律の明文の規定がないこと、また、同表現を含む本件映画のマスターテープ等が存在していても、これらが公衆に提供されない限り、原告の名誉権及び名誉感情が害されるものではないことに照らせば、同人格権に基づいて本件映画のマスターテープ等の廃棄を求めることはできないものというべきであり、原告の同請求は、理由がない。
ウ 被告が、原告との間で、性犯罪被害をテーマにした映画を制作・発表するに際し、原告の名前を使用せず、かつ、本件各著作物の場面・台詞を使用しないことを約し、かかる条件の下で当該映画の製作を続行する旨の合意をしたと認められること、並びに、本件映画には、別紙確定稿対比表に記載の赤色部分、緑色部分及び水色部分において、それぞれ本件各著作物の場面・台詞が使用されていることは、前記5において認定、説示したとおりである。
 そして、上記合意を前提とすれば、そもそも、同合意に反する映画が存在すること自体が許されないというべきであるから、原告は、同合意の履行請求として、同映画を固定した媒体を廃棄することをも求めることができると解される。
 したがって、債務不履行(本件各著作物の不使用合意違反)に基づく廃棄請求は、上記本件各著作物の場面・台詞が使用されている本件映画のマスターテープ等の廃棄を求める限度で理由がある。
7 争点6(損害発生の有無及びその額)に対する判断
(1) 著作者人格権の侵害による損害について
 証拠(甲1、2、7、原告本人〔12頁〕)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、突然、性犯罪の被害を受け、被害者であるにもかかわらず、社会ではかえってこれを公然といえない苦しみ、家族や周囲の人たちに理解されない悲しみや絶望、それを乗り越えて踏み出すためのきっかけ、勇気などを本件各著作物に著述したにもかかわらず、被告が、原告の許諾を得ずに、別紙エピソード別対比表3、4、6及び7の本件映画欄に記載の表現により本件各著作物を翻案したことが認められ、被告はこれにより前記3のとおり原告の本件各著作物に係る著作者人格権(同一性保持権)を侵害したものである。
 したがって、原告は、被告による上記行為により、相当な精神的苦痛を被ったものと推認するのが相当であり、上記侵害の内容及び本件記録に顕れた諸事情を考慮すれば、原告の精神的苦痛に対する慰謝料の額は50万円とするのが相当である。
 なお、被告は、本件映画祭の直前になって原告が翻意して映画化について許諾しなかったことをもって、原告に過失がある旨の主張しており、同主張は、過失相殺をいう趣旨と解されるが、そもそも、原告が、最終的な脚本の内容を確認した上で、本件各著作物の映画化を正式に許諾する予定であったことについては、被告も了解していたものであって、本件映画祭直前に映画化についての許諾をしなかったことをもって、原告に過失があるということはできない。
(2) 弁護士費用について
 本件事案の内容、審理経過その他本件記録に顕れた諸般の事情を総合考慮すると、被告による著作者人格権侵害行為と相当因果関係のある弁護士費用は、上記(1)の1割である5万円とするのが相当である。
(3) 本件合意違反による損害について
 証拠(甲7、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件各著作物の映画化に関しては、被告の才能を尊敬し、被告を信頼して、話を進めていたことが認められるのであり、被告から、映画の製作に当たっては、本件各著作物で使用している一切の場面・台詞を使用しないとの内容を含む乙5メールに接した原告は、同内容についても、これを信頼したものと推認される。
 それにもかかわらず、被告は、前記認定のとおり、本件映画に本件各著作物の場面・台詞を使用していたものであるから、原告が被告の態度が不誠実であると非難することは、無理からぬところではある。
 しかしながら、前記のとおり、本件合意に基づいて本件映画の上映等の差止めが認められること、本件各著作物の使用については著作者人格権の侵害行為に基づく慰謝料が認められることなどからすると、被告に対して、これらに加え、本件各著作物不使用の合意違反に基づく慰謝料の支払を命ずることは、相当でない。
(4) まとめ
 以上より、原告の被告に対する損害賠償請求は、損害賠償金55万円(著作者人格権侵害による慰謝料50万円と弁護士費用5万円の合計)及びこれに対する平成26年5月8日(不法行為後の日)から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を認める限度で理由があり、その余は理由がない。
第6 結論
 以上によれば、原告の請求は、主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 嶋末和秀
 裁判官 鈴木千帆
 裁判官 笹本哲朗
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