判例全文 | ||
【事件名】江戸文献の編纂事件 【年月日】平成26年12月24日 東京地裁 平成26年(ワ)第4088号 損害賠償請求事件 (口頭弁論終結日 平成26年10月22日) 判決 原告 A 同訴訟代理人弁護士 江森民夫 同 仲村渠桃 被告 B 同訴訟代理人弁護士 宮岡孝之 同 永井太丸 同 阿久津透 同訴訟復代理人弁護士 武藤義行 主文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 被告は、原告に対し、300万円及びこれに対する平成26年3月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 本件は、別紙書籍目録記載の書籍(以下「本件問答集」という。)における「解題」と題する部分(以下「本件解題」という。)を執筆した原告が、「法史学研究会会報15号」(以下「本件会報」という。)に本件問答集の書評(以下「本件書評」という。)を寄稿した被告に対し、本件書評は本件解題の翻案物であり、被告は原告の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権・同一性保持権)を侵害した旨主張して、翻案権侵害の不法行為又は氏名表示権及び同一性保持権の侵害の不法行為に基づく損害賠償金300万円及びこれに対する平成26年3月3日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である(翻案権侵害の不法行為に基づく請求と氏名表示権及び同一性保持権の侵害の不法行為に基づく請求は、選択的併合の関係にある。なお、以下では、人物その他の固有名詞を中心に、一部の表記を常用漢字で置き換えた箇所がある。)。 2 前提事実(争いのない事実以外は、証拠等を末尾に記載する。) (1) 当事者 ア 原告は、城西大学経済学部准教授の地位にあり、法史学研究会に所属する者である。 イ 被告は、専修大学法学部講師の地位にある者である。なお、被告は、その学術活動に際し、戸籍上の姓である「B」ではなく、「C」という姓を使用している。 (2) 本件問答集 本件問答集は、平成22年2月25日、株式会社創文社から「石井良助・服藤弘司編 問答集」の「問答集9」として出版されたものであり、主に江戸時代の大名らと大目付らとのやりとりを収載した「大目附問答」、「町奉行所問合挨拶留」及び「公邊御問合」の3つの文献(以下「本件三文献」という。)を楷書体で活字化し、読みやすいように句読点を付すなどして収録した部分(49頁から478頁まで。以下「史料部分」という。)と、史料部分について解説する本件解題(3頁から48頁まで)とからなる。原告は、本件問答集の担当者であり、史料部分の編纂及び本件解題の執筆を行った。本件解題には、別紙主張対照表の原告記述欄記載の各記述(以下「原告各記述」といい、個別の記述は別紙主張対照表の番号欄記載の番号に従い「原告第1記述」のようにいう。)がある。本件問答集のカバーケースの表面には、「石井良助 服藤弘司 本間修平 編」、「本卷擔當 A」と記載されている。また、本件問答集の奥付にも、「編者 石井良助 服藤弘司 本間修平」、「本卷擔當 A」と記載されている。他方、本件問答集及びそのカバーケースの各背表紙には、「石井良助 服藤弘司 本間修平 編」との記載があるのみで、原告の氏名の記載はない(甲6、7)。 (3) 被告の行為 被告は、平成23年6月発行の本件会報に本件書評を寄稿した。本件書評中には、別紙主張対照表の被告記述欄記載の各記述(以下「被告各記述」といい、個別の記述は別紙主張対照表の番号欄記載の番号に従い「被告第1記述」のようにいう。)がある。本件書評の冒頭には、「【書評】石井良助・服藤弘司・本間修平[編]『大目附問答・町奉行問合挨拶留・公辺御問合』(創文社、2010年2月、A5版x+478頁、9200円)」との記載があるが、原告の氏名は表示されていない(甲3)。 2 争点 (1) 翻案権侵害の成否(争点1) (2) 同一性保持権侵害の成否(争点2) (3) 氏名表示権侵害の成否(争点3) (4) 引用の成否(争点4) (5) 不法行為の成否及び損害(争点5) 第3 争点に対する当事者の主張 1 争点1(翻案権侵害の成否)について (原告の主張) 別紙主張対照表の原告の主張欄記載のとおり、原告各記述は、創作性を有するところ、被告各記述は、原告各記述に依拠して作成されたものであり、原告各記述の表現上の本質的特徴を直接感得することができるから、原告各記述の翻案物にあたる。 (被告の主張) 別紙主張対照表の被告の主張欄記載のとおり、原告各記述は、創作性が認められず、また、仮に創作性が認められるとしても、被告各記述は、原告各記述と類似性がなく、原告各記述の翻案物に当たらない。 2 争点2(同一性保持権侵害の成否)について (原告の主張) 本件書評は、前記1のとおり、本件解題の二次的著作物にあたるところ、被告は、本件解題を構成する文章の主要な部分を抜き出し、各文章の前後を入れ替えて利用し、本件書評を作成したものであり、本件解題の表現形式上の本質的な部分は維持されつつも、外面的な表現形式に改変が加えられたものであるから、原告の同一性保持権を侵害したといえる。 (被告の主張) 争う。 3 争点3(氏名表示権侵害の成否)について (原告の主張) 本件書評は、前記1のとおり、本件解題の二次的著作物にあたるところ、被告は、前記前提事実(3)のとおり、本件書評に原告の氏名を表示しなかった。 被告は、本件問答集において、原告が著作者であるように記載されていないと主張するが、本件問答集の「序言」のB頁には、本件解題を執筆したのが原告であることが明確に記載されている。また、本件問答集の奥付にも、原告の氏名が記載されている。また被告は、本件書評のタイトルを作成する責任は法史学研究会にあり、被告に責任はないとも主張するが、被告としては、漫然と法史学研究会のつけたタイトルに依拠するのではなく、自身で本件問答集記載内容を余すことなく確認し、正確に著者を表記すべきであるから、被告が原告の氏名表示権を侵害したことは、明らかである。 (被告の主張) 本件書評が本件解題の二次的著作物にあたることは、前記1のとおり、否認する。 本件解題が掲載されている本件問答集の背表紙には、「石井良助 服藤弘司 本間修平 編」と記載されているのみで(乙4)、原告の氏名の記載はない。また、カバーケースにも、「本卷擔當 A」と記載されているだけで、担当が何を指しているのかは明らかではなく、原告が著作者であるようには記載されていない(乙6)。それゆえ、被告が本件書評を寄稿したことは、原告の氏名表示権の侵害とならない。 また、本件書評のタイトルを作成する責任は法史学研究会にあり、被告は法史学研究会の指示に従ったのみであって、被告には原告の氏名を明示するか否かの権限及び責任はなかった。したがって、仮に、氏名表示権の侵害があるとしても、その責任は被告にはない(責任を問われるべきは、本件書評にタイトルを付与し、本件会報にて出版した法史学研究会編集委員会である。)。 4 争点4(引用の成否)について (被告の主張) 本件書評は本件解題の書評であり、本件解題を批評し又は紹介するものである。書評としての性質上、本件解題の内容を要説し、簡潔に紹介することが求められるのであるが、これは学術において広く行われている実務であるし、社会的にも広く一般的に行われているものといえる。 本件書評は本件解題を約10分の1の量で要約して紹介しており、その手法は公正な慣行として認められる引用方法であるし、その範囲も正当である。 (原告の主張) 本件書評は、本件解題の記載内容をそのまま転用しており、あたかも被告自身が本件三文献を解読し、その内容を書評として「紹介」したかのような表現となっており、本件解題の記載内容に対する被告の知見に基づく「批評」はどこにも存在しない。仮に、本来あるべき書評の作成手法をとるのであれば、「本件三文献についてその内容を分析した成果物である本件解題には、云々と記載されている」と表現するのが適当であり、そのような形をとらず、あたかも被告自身が本件三文献の内容を分析して紹介したような記載をしている点に本件書評の問題点がある。 以上のとおり、本件書評は適当な「書評」の体をなしておらず、「公正な慣行」を逸脱し、「正当な範囲」の引用の域を超えている。 5 争点5(不法行為の成否及び損害)について (原告の主張) 被告は、前記1ないし4のとおり、本件書評を寄稿したことにより、原告の@翻案権、並びにA同一性保持権及び氏名表示権をそれぞれ侵害した。本件書評は原告の努力の成果を盗用し、あたかも被告自身の成果であるかのような表現を用いているものであることからすれば、被告の侵害行為により原告が被った精神的損害は、上記@及びAでそれぞれ300万円を下らない。 (被告の主張) 争う。 著作財産権である翻案権の侵害から、精神的損害が発生するという因果関係が不明である。 また、氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害から、どのように精神的損害が発生したのか不明である。特に、本件解題の読者が本件解題の著作者を被告であると誤認することはあり得ないから、原告に損害は発生していない。 第4 当裁判所の判断 1 争点1(翻案権侵害の成否)について (1) 言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、 これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、著作物の表現上の本質的特徴とは思想又は感情の創作的な表現を意味すると解されるところ、思想又は感情の創作的な表現といえない点において既存の著作物とそれに依拠して創作された著作物とが同一性を有するにすぎない場合には、翻案に当たらないというべきである。 したがって、本件において、被告各記述が原告各記述を翻案したというためには、原告各記述が思想又は感情を創作的に表現したものであることはもとより、原告各記述と被告各記述とで同一性を有する部分が思想又は感情を創作的に表現したものであることも必要である。 ここで、思想又は感情の創作的な表現というためには、厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく、作者の何らかの個性が表現されたもので足りると解すべきであるが、事実若しくは事件それ自体など思想又は感情でない部分、思想、感情若しくはアイデアなど表現でない部分又は表現であっても他の表現をする余地が小さく若しくは表現がありふれたものであるなど表現上の創作性がない部分は、いかに思想への想到若しくは事実の発見などに多大な労力を要し、又は思想として独創的なものであろうと、思想又は感情の創作的な表現たり得るものではない。 この点、原告は、本件三文献の解読及び分析に20年の歳月を費やして本件問答集を完成させたこと、従前は類書が存在せず、本件解題に記載された分析も原告が初めてなしたものであること等を、創作的表現の根拠として主張するが、上記のとおり、著作権法は、学術的な思想や発見それ自体を保護するものではないから、本件三文献の解読及び分析に多大な労力を費やしたこと及びそれが原告によって初めてなされたことそれ自体が、著作権法によって保護される創作的表現となるものではない。むしろ、本件解題のように、史料を分析して歴史的な事実を明らかにしようとする場合、個々の分析結果は、他の方法により表現する余地が小さく、学術的な思想ないし発見された事実それ自体であって、創作的表現とならないことが多いというべきである。 また、原告は本件解題のうちの一部である原告各記述の翻案権侵害を主張しているのであるから、原告各記述の表現上の創作性又は原告各記述と被告各記述とで同一性がある部分の表現上の創作性の有無を検討すれば足り、本件解題中の原告各記述以外の記載や、まして史料部分の記載について表現上の創作性の有無を検討する必要はない。 以上をふまえて、以下検討する(なお、著作権法による保護を受けることができる創作的表現に当たるか否かを検討することは、本件解題を含む本件問答集に対する学術的な評価とは異なる次元の問題であり、原告の学術的功績を何ら否定するものでないことは、いうまでもない。)。 (2)ア 別紙主張対照表1について (ア) 原告第1記述は、石井良助・服藤弘司編『三奉行問答 問答集1』(15頁、創文社、平成9年)を引用しつつ、服藤弘司の分類によると、「大目附問答」は、「問答を中心としながら、これに直接、間接関係を有する届書、触書、達書、内規・申合書などを含んだ、関連書付収録問答集」に該当すること、関連書付収録問答集の場合、その編纂者は「問合せをする側に立ち、藩主の名代として実際に幕府諸役人と交渉した大名留守居」であることを紹介する記述である。 原告第1記述の大半を占める服藤弘司による著作の引用部分を原告が創作したものでないことは、原告自身認めるところであるし、引用の仕方もありふれた表現にとどまっており、原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第1記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第1記述は、原告第1記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、@服藤弘司の著作を引用して「大目附問答」の位置付けないし特徴を明らかにしたこと、A文献を的確に引用していること、B文章内容を理解できるよう叙述を工夫していることから、創作性が認められる旨主張する。 上記@については、「大目附問答」の位置付けないし特徴をいかなるものと考えるかは思想又はアイデアであるし、かかる思想又はアイデアの表現自体は、服藤弘司の著作の引用によっており、原告による表現ではない(服藤弘司の著作の当該部分の引用を原告が独占できるとすることが不当であることは、明らかである。)。 上記Aについては、文献を的確に引用することはありふれた表現と言うべきである(なお、被告第1記述では、出典の記述方法も異なっている。)。 上記Bについては、原告がいかなる点で叙述を工夫していると主張するのか不明である(なお、この点は、別紙主張対照表2以下も同様である。)。 したがって、原告の主張は、いずれも採用することができない。 イ 別紙主張対照表2について (ア) 原告第2記述と被告第2記述は、(「大目附問答」の)内容が3種類に分類できることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、「大目附問答」の内容を3種類に分類すること自体は、思想又はアイデアであって表現ではないし、文章の長さからしても、上記同一性のある部分は、他の表現の余地が小さい。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第2記述は、原告第2記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、三分類の名称を「第一部」、「第二部」、「第三部」と表現したことに創作性が認められると主張する。 しかし、被告第2記述に「第一部」、「第二部」、「第三部」との表現は出てこないし、3種類に分類したものに「第一部」、「第二部」、「第三部」と名称を付すことは、ありふれた表現にすぎない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ウ 別紙主張対照表3について 原告第3記述は、@第一部は、一巻から三巻までであること、A第一部は大目付の役所にあった留書から、関係者がある特定の時期の部分を抜粋したいわゆる純粋問答集であることの記述である。 上記@については、一巻から三巻までを「第一部」と分類すること自体は思想若しくはアイデアであり、それを「第一部は、一卷から三卷までである。」と記述することは、文章の長さからしても、他の表現を選択する余地が小さい。 上記Aについては、歴史的な事実を記述したものにすぎず、その表現に原告の個性が表れているとは認められない。 そうすると、原告第3記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第3記述は、原告第3記述を翻案したものとはいえない。 エ 別紙主張対照表4について 原告第4記述は、「服忌令撰註」が山形藩主秋元家(出丁、六萬石・譜代)の留守居を勤めた長山庄右衛門の著作であることの記述である。 「服忌令撰註」の著者が誰であるかとの点は、歴史的な事実それ自体であるし、その表現に原告の個性が表れているとは認められない。 そうすると、原告第4記述は原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第4記述は原告第4記述を翻案したものとはいえない。 オ 別紙主張対照表5について 原告第5記述は、(「服忌令撰註」が)近世の服忌書の二代著作の一つに位置付けられていることの記述である。 服忌令撰註を近世の服忌書の二代著作の一つに位置付けることそれ自体は思想又はアイデアであり、文章の長さからしても、原告第5記述は、他の表現の余地が小さい。 そうすると、原告第5記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第5記述は、原告第5記述を翻案したものとはいえない。 カ 別紙主張対照表6について (ア) 原告第6記述は、(大目付問答の「第一部」部分を)まとめた大目付は、石谷周防守(備後守)C豐と思われることの記述である。 大目付問答をまとめたのが誰であるかという推測それ自体は、思想ないしアイデア又は事実であり、文章の長さからしても、原告第6記述は、他の表現の余地が小さい。 そうすると、原告第6記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第6記述は、原告第6記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、編纂者が誰であるかについて、問答の内容を細かく分析することにより推論したもので、このような分析が原告の論文で初めてされたことであるから、原告第6記述には創作性がある旨主張する。 しかし、原告第6記述にそのような細かな推論過程が記述されているものではなく、原告の上記主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない。 キ 別紙主張対照表7について 原告第7記述は、(大目付問答に)収載している問答の年代が文政四年から文政十三年までであることの記述である。 原告第7記述は、歴史的な事実それ自体を記述したものにすぎず、その表現に原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第7記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第7記述は、原告第7記述を翻案したものとはいえない。 ク 別紙主張対照表8について (ア) 原告第8記述は、第三部が明らかに第二部の補足事項であること、服忌令に関する法令、全文の注釈を収載していることの記述である。 服忌令に関する法令、全文の注釈を収載しているという事実から、第三部が第二部の補足事項であると推測することそれ自体は、思想又はアイデアであって、原告第8記述はそれをありふれた言い回しで表現したものにすぎず、原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第8記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第8記述は、原告第8記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、資料の内容が「注釈」であることは、資料の内容を読み込んで初めてわかることであるから、創作性が認められる旨主張する。 しかし、事実を解明するために労力を要したことそれ自体は、前記のとおり、創作性を基礎づけるものでない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ケ 別紙主張対照表9について 原告第9記述は、(「第三部」によって)元文元年改正の服忌令に関する解釈を簡略ながら集成することとなったことの記述である。 「第三部」によって元文元年改正の服忌令に関する解釈を簡略ながら集成することとなったとの分析それ自体は思想又はアイデアであって、文章の長さからしても、原告第9記述は、他の表現の余地が小さい。 そうすると、原告第9記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第9記述は、原告第9記述を翻案したものとはいえない。 コ 別紙主張対照表10について (ア) 原告第10記述と被告第10記述とは、(大目附問答に収録された問答のうち)大名の勤め向きや服忌に関する問答については、既刊の問答集と重複しておらず、貴重な問答史料と位置付けられることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、既刊の問答集と重複していないことから、貴重な問答史料と位置付けられるという分析それ自体は、思想又はアイデアであり、上記同一性がある部分の表現は、ありふれた表現にすぎず、原告の個性が表れているとは認められない。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第10記述は、原告第10記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、記載内容に創意性がある旨主張するが、上記同一性がある部分はありふれた表現であることは上記のとおりである。なお、大目附問答を分析対象として論じること自体に創作性があるとの趣旨であれば、それは、アイデアそのものである。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 サ 別紙主張対照表11について (ア) 原告第11記述と被告第11記述は、服忌に関する問答については、服忌に関する問答集が刊行されていない今日において、未だ検討を保留しなければならない部分が多いことを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、問答集が刊行されていないことから、検討を保留しなければならない部分が多いという分析それ自体は、思想又はアイデアであり、それを「服忌に関する問答については、服忌に関する問答集が刊行されていない今日において、未だ検討を保留しなければならない部分が多い。」と記述することは、ありふれた表現にすぎず、原告の個性が表れているとは認められない。 そうすると、上記同一性のある部分に創作性は認められず、したがって、被告第11記述は、原告第11記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、@原告が把握している他の資料集の内容の理解を基礎にして叙述している点で創作性がある、A「検討を留保する」という表現は、独自の分析からの叙述であり、だれでも叙述できるものではなく、創作性がある旨主張する。 しかし、原告が知識を有していたこと自体は、創作的表現となるものではなく、具体的にされた「検討を留保する」との記述は、ありふれた表現というほかない。 したがって、原告の上記主張は、いずれも採用することができない。 シ 別紙主張対照表12について (ア) 原告第12記述は、(「町奉行所問合挨拶留」に)収載している事例数は、一巻が57點(史料一〜五七)、二巻が48點(史料五八から一○五)、都合105事例であることの記述である。 「町奉行所問合挨拶留」の各巻に何点の事例が収載されているかは、歴史的な事実それ自体であって、その表現に原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第12記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第12記述は、原告第12記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、「點」、「事例」という特徴のある言葉を使用したり、点数を全体でなく巻ごとに表示するなど、内容を理解できるように工夫して紹介している旨主張する。 しかし、いかなる単位を用いるかについての表現の選択の余地は、小さいし、点数を全体でなく巻ごとに表示することは、ありふれた表現にすぎない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ス 別紙主張対照表13について 原告第13記述は、現在は一冊本である「町奉行所問合挨拶留」だが、編纂当初は二冊本であったこと、本書には目録−すなわち目次−が二箇所あることの記述である。 原告第13記述は、歴史的な事実それ自体であって、その表現に原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第13記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第13記述は、原告第13記述を翻案したものとはいえない。 セ 別紙主張対照表14について (ア) 原告第14記述と被告第14記述とは、南町奉行所の実務官である与力が(「町奉行所問合挨拶留」の)編纂に携わったと考えられることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、南町奉行所の実務官である与力が「町奉行所問合挨拶留」の編纂に携わったと考えられるという分析それ自体は、思想ないしアイデア又は事実である(なお、原告第14記述と被告第14記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第14記述は、原告第14記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、「実務官である与力」という表現に創作性が認められる旨主張するが、文章の長さからしても、他の表現の余地が小さいというべきであり、原告の上記主張は、採用することができない。 ソ 別紙主張対照表15について (ア) 原告第15記述と被告第15記述とは、(「町奉行所問合挨拶留」は)収載された事例の年代と、担当した南町奉行の就任時期から、根岸が編纂を意図して実行に移し、その後筒井が継承したものと推測されることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、収載された事例の年代と担当した南町奉行の就任時期から、「町奉行所問合挨拶留」は根岸が編纂を意図して実行に移し、その後筒井が継承したと推測するという分析それ自体は、思想又はアイデアである(なお、原告第15記述と被告第15記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第15記述は、原告第15記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、編纂関係者の名前を記載している点や「編纂を意図」との表現を用いている点で、原告第15表現と被告第15表現に同一性がある旨主張するが、編纂関係者が誰であるかの推測が思想又はアイデアであることは上記のとおりであるし、「編纂を意図」との表現はありふれた表現であるから、原告の上記主張は、採用することができない。 タ 別紙主張対照表16について (ア) 原告第16記述と被告第16記述とは、「町奉行所問合挨拶留」に収載された105事例中、他の問答集と重複しているのはわずか5事例であり、町奉行所の問答を新たに明らかにできる点で、価値が高い旨を記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、「町奉行所問合挨拶留」に収載された105事例中、他の問答集と重複しているのが5事例であるという事実から、価値が高いと評価することそれ自体は、思想又はアイデアである(なお、原告第16記述と被告第16記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第16記述は、原告第16記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、他の資料集の内容を読み取り、「町奉行所問合挨拶留」の内容と比較検討し、重複が5点であり少数であるとの結論に至り、さらになぜ重複がないのかを叙述しているから創作性が認められる旨主張する。 しかし、重複が5点であることは、その分析にどれだけ労力を要していようと、事実それ自体であり、そこに表現上の創作性は認められない。 また、重複が少ない理由についての記述は、被告第16記述には存在しない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 チ 別紙主張対照表17について (ア) 原告第17記述は、(「町奉行所問合挨拶留」に収載された)事例の内容は、刑罰、雇用、久離と義絶、治安、金銭関係、養子、格式、捨て子、衣類、敵討、身柄についてなど樣々であること、しかしながら、もっとも多いのが刑罰の事例であり、これが全体の半分弱を占めていることの記述である。 「町奉行所問合挨拶留」に収載された事例の内容を刑罰、雇用等と分類すること自体は、思想又はアイデアにすぎず、かかる分類を前提とすれば、表現の選択の余地は小さいというべきである。また、もっとも多いのが刑罰の事例であり、これが全体の半分弱を占めていることそれ自体は、かかる分類を前提にすれば事実それ自体であって、その表現に原告の個性が表れているとはいえない(なお、原告第17記述と被告第17記述とは、「刑罰」、「雇用」等の分類以外の部分の表現が異なっている。)。 そうすると、原告第17記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第17記述は、原告第17記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、実際の資料中に「刑罰」、「雇用」等の記載は一切なく、分類をどう表現するかは、それぞれの著者の工夫で行うものであり、原告第17記述のような表現しかできないなどということはない旨主張するが、上記のとおり、分類の仕方は、思想又はアイデアそれ自体であって、著作権法で保護される創作的表現ではない(「町奉行所問合挨拶留」に収載された事例を「刑罰、雇用、久離と義絶、治安、金錢關係、養子、格式、捨て子、衣類、敵討、身柄についてなど」と分類することを原告が独占できるとすれば、学問の発展を阻害して不当であることは明らかである。)。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ツ 別紙主張対照表18について (ア) 原告第18記述と被告第18記述とは、「公邊(辺)御問合」は東北大学附属図書館に所蔵されていることが知られており(既存本)、「図書総目録」でも他の史料収蔵施設に類本は無いとされていたが、近年、別のもの(新出本)が発見されたこと、既存本は「公邊(辺)御問合」の勘定之部のみであったが、新出本には既存本と重複するものの他に「寺社公邊(辺)御問合」なるものが存在していたことを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、上記同一性がある部分はいずれも事実それ自体である(なお、原告第18記述と被告第18記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第18記述は、原告第18記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、「既存本」、「新出本」との表現は原告が独自に名付けた表現であるから創作性が認められる旨主張する。 しかし、すでに知られていた書物を「既存本」と表現し、新たに発見された書物を「新出本」と表現することは、いずれもありふれた表現にすぎない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 テ 別紙主張対照表19について (ア) 原告第19記述は、既存本の「公邊御問合」の存在だけが知られていた当時、服藤弘司が「公邊御問合」とは、幕府の寺社・町・勘定奉行などの三奉行や大目付の問答を奉行ごとにまとめて成立したものである可能性を指摘していたことの記述である。 原告第19記述は、服藤弘司が既存本の「公邊御問合」の存在だけが知られていた時点である見解を示していたというものであり、事実それ自体であって、その表現に原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第19記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第19記述は、原告第19記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、原告第19記述は、「寺社之部」が、従来から議論されていた、寺社・町・勘定の三奉行ごとの問答が存在する可能性の裏付けとなることを叙述するため服藤弘司の著作を紹介したもので、創作性がある旨主張するが、服藤弘司の見解を紹介することが原告の思想の表れとなるとしても、その紹介方法はありふれている。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ト 別紙主張対照表20について (ア) 原告第20記述と被告第20記述とは、新出本の二冊とも、原告の小口に「公邊(辺)御問答 全三册(冊)」、被告の小口に「公邊(辺)御問合 全三册(冊)」と記してあり、新出本の二冊は勘定と寺社が各一冊ずつであること、そのため町奉行所の問答を収録したものが存在したと考えられることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、新出本の記載内容から、町奉行所の問答を収録したものが存在したと推測することは、思想又はアイデアそれ自体である(なお、原告第20記述と被告第20記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第20記述は、原告第20記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、原告第20記述は原告が原資料を実際に確認したことにより可能となった表現であり、創作性がある旨主張するが、そのような原告の努力は、表現に創作性があることの根拠となるものではない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ナ 別紙主張対照表21について 原告第21記述は、編纂者は、山形藩秋元但馬守家の留守居を勤めていた長山庄右衞門であることの記述である。 しかし、原告第21記述は、事実それ自体であって、その表現に原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第21記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第21記述は、原告第21記述を翻案したものとはいえない。 ニ 別紙主張対照表22について (ア) 原告第22記述は、@問答の内容は、刑罰、税、治安、商業、訴訟、金銭、寺社、馬、相續、家、通行、弁償に関することなどだが、もっとも多く見られるのは刑罰に関する問答で、全体の3分の1を占めていること、A勘定之部に収載された89件の問答は、既刊の問答集に収載された問答と重複するものが55事例もあり、全体の半分を超えていることの記述である。 しかし、上記@について、収載された事例の内容を刑罰、税等と分類すること自体は、アイデアにすぎず、具体的表現に選択の余地は小さいというべきであるし、当該分類を前提とすれば、刑罰に関する問答が全体の3分の1を占めていることは、事実それ自体であるし、上記Aも、事実それ自体である(なお、原告第22記述と被告第22記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、原告第22記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第22記述は、原告第22記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、実際の資料中に「刑罰」、「税」等の記載は一切なく、どのように分類するか、分類をどう表現するかは、それぞれの著者の工夫で行うものであり、原告第22記述のような表現しかできないなどということはない旨主張するが、上記のとおり、分類の仕方は、思想又はアイデアそれ自体であって、著作権法で保護される創作的表現ではない。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ヌ 別紙主張対照表23及び24について (ア) 原告第23記述は、@寺社之部は、寺社奉行に対して大名らが問合わせた問答をまとめたものであること、A収載された問答の年代は、近世中期、しかも天明・寛政年代という、極めて限定された時期のものであることの記述であり、原告第24記述は、Bその(寺社之部の)年代は、天明2年(1782)10月から寛政3年(1791)12月までの10年間にかけてのものであることの記述である。 上記@及びBは、いずれも事実それ自体であり、上記Aは、収載された問答の年代という事実から極めて限定された時期という評価をありふれた言い回しで記述したものであって、その表現に原告の個性が表れているとはいえない。 そうすると、原告第23記述及び原告第24記述は、いずれも原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、著作物性はない。 したがって、被告第23記述は、原告第23記述又は原告第24記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、「公邊御問合」の「寺社之部」の内容の理解のために、冒頭に、「寺社之部」の特徴と、作成時期の特徴を明らかにする必要があると考え、原告第23記述をしたものであり、創作性がある旨主張する。 しかし、そのような考えは、思想又はアイデアであって、それを表現するために上記@、Aの事実を選択して記述することは、他の表現を選択する余地が小さい。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 ネ 別紙主張対照表25について 原告第25記述と被告第25記述とは、寺社之部も勘定之部と同様に山形藩留守居の長山が作成したものと推測されることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、寺社之部を山形藩留守居の長山が作成したものと推測することは思想又はアイデアにすぎず、かかる推測を表現しようとすれば、表現の選択の余地は小さいというべきである。 そうすると、上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものとは認められず、したがって、被告第25記述は、原告第25記述を翻案したものとはいえない。 ノ 被告第26記述について 原告第26記述と被告第26記述とは、寺社之部の45事例の収録問答のうち、36事例は他の問答集の問答と共通しているが、9事例は寺社之部のみに見られるものであり、他の問答集などから抜粋して作成されたものでないことを示していることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、寺社之部に収録された問答が何事例で、そのうち何事例が他の問答集と共通するかは、事実それ自体であるし、他の問答集などに収録されていない事例があることから、他の問答集の抜粋でないと推測すること自体は思想又はアイデアである(なお、原告第26記述と被告第26記述では、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、上記同一性のある部分に創作性は認められず、したがって、被告第26記述は、原告第26記述を翻案したものとはいえない。 ハ 被告第27記述について (ア) 原告第27記述と被告第27記述とは、問答の内容は、寺社人の不埒や不法行為に対する処罰が多いが、これは寺社人は寺社奉行の管轄であり、領主が独断で処罰ができなかったため、問合せは必須だったためであること、その他に、敷地の境界の傍示抗に関するもの、改宗・改派、寺社人の事例、庵号、勤化などに関することがあることを記述している点で共通し、同一性がある。 しかし、収載された事例の内容を「寺社人の不埒や不法行為に対する処罰」、「敷地の境界の傍示抗に関するもの」などと分類すること自体は、思想又はアイデアにすぎず、かかる分類を表現しようとすれば、表現の選択の余地は小さいというべきである。 また、寺社人の不埒や不法行為に対する処罰が多いが、これは寺社人は寺社奉行の管轄であり、領主が独断で処罰ができなかったため、問合せは必須だったためであるとの分析もそれ自体は思想又はアイデアである(なお、原告第27記述と被告第27記述とは、具体的表現が異なっている。)。 そうすると、原告第27記述は、原告の思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず、したがって、被告第27記述は原告第27記述を翻案したものとはいえない。 (イ) この点、原告は、事例の内容としてどのような基準で分類するか検討し、資料の内容を読み取り事例の種類を明らかにし、資料の全体的な内容・特徴を明らかにしたものであり、資料の中に「寺社人の不埒や不法行為に対する処罰」、「敷地の境界の傍示杭に関して」等の記載は一切なく、資料を読み込み内容を検討してはじめて資料の内容の特徴を明らかにすることができるものであるから、原告第27記述には創作性がある旨主張する。 しかし、収載された事例を内容ごとに分類すること自体は、思想又はアイデアにすぎず、かかる分類を表現しようとすれば、表現選択の余地は小さいというべきである。 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 2 争点2(同一性保持権侵害の成否)について 被告各記述は、前記1のとおり、原告各記述の二次的著作物とは認められないから、同一性保持権侵害は、成立しない。 3 争点3(氏名表示権侵害の成否)について 本件書評のうち、本件書籍の表題及び著作者を紹介する部分については、被告が作成したと認める的確な証拠はない。 仮に、被告が本件書籍の表題及び著作者を紹介する部分を作成していたとしても、本件書籍の表題及び著作者の紹介部分には、そもそも「著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示」(著作権法19条1項第2文)がないから、氏名表示権の侵害とはならないものと解される。また、そもそも被告各記述は、前記1のとおり、原告各記述の翻案物とは認められないから、本件書籍の表題及び著作者を紹介する部分と被告各記述を併せて検討しても、二次的著作物の公衆への提供又は提示には当たらず、氏名表示権侵害は成立しない。 なお、他人が著作権者の許諾なく著作物を利用する場合には、利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により明示することが要求される(同法48条)が、同義務は、著作者人格権に基づく義務ではないから、氏名表示権侵害の理由とはならない。 第5 結論 以上によれば、その余の点について検討するまでもなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 嶋末和秀 裁判官 鈴木線穂 裁判官 石神有吾は、転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 嶋末和秀 (別紙)書籍目録 書籍名 問答集9 大目附問答・町奉行問合挨拶留・公邊御問合 2010年2月20日 第1刷印刷 2010年2月25日 第1刷發行 編者 石井良助 服藤弘司 本間修平 本卷擔當 A 發行者 久保井浩俊 印刷者 藤原愛子 發行所 株式会社創文社 以上 |
日本ユニ著作権センター http://jucc.sakura.ne.jp/ |