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【事件名】教科書「新しい日本の歴史」盗用事件 【年月日】平成26年12月19日 東京地裁 平成25年(ワ)第9673号 書籍出版差止等請求事件 判決 原告 A 同訴訟代理人弁護士 福本修也 被告 株式会社育鵬社 被告 株式会社扶桑社 被告 B 被告 C 上記4名訴訟代理人弁護士 奈良次郎 同 奈良輝久 同 若松亮 同 林紘司 同 堂免綾 被告 D 同訴訟代理人弁護士 土居伸一郎 主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告らは、別紙書籍目録記載1の書籍(以下「被告書籍1」という。)を出版、販売、頒布してはならない。 2 被告株式会社育鵬社(以下「被告育鵬社」という。)及び被告株式会社扶桑社(以下「被告扶桑社」という。)は、各々が占有する被告書籍1を廃棄せよ。 3 被告らは、原告に対し、各自6031万5750円及びこれに対する平成23年3月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 本件は、原告が、被告らが制作して出版する別紙書籍目録記載1及び2の各書籍が原告の著作権を有する書籍の記述を流用したものであり、原告の翻案権及び著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)を侵害すると主張して、著作権法112条1項及び2項に基づき、被告らに対し、被告書籍1の出版等の差止めを求めるとともに、同書籍の発行者である被告育鵬社及び被告扶桑社に対し、同書籍の廃棄を求め、また、共同不法行為に基づき、被告ら各自に対して、翻案権侵害に係る損害賠償金及び著作者人格権侵害に係る慰謝料並びにこれらに対する別紙書籍目録記載2の書籍(以下、同書籍を「被告書籍2」といい、被告書籍1と併せて「被告書籍」という。)の教科書検定の合格日である平成23年3月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実(証拠〈略〉を掲げていない事実は当事者間に争いがない。) (1) 当事者 ア 原告 原告は、学習指導要領の「我が国の歴史に対する愛情を深める」という目標に沿った歴史教科書を推進する目的で平成9年1月に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」という。)の理事(元会長)であり、被告扶桑社が出版していた中学校用歴史教科書「改訂版新しい歴史教科書」(平成17年3月30日検定済み、平成18年2月15日初版発行。以下「原告書籍」という。)の代表執筆者であり、その本文の著作権者の一人である。 イ 被告育鵬社及び被告扶桑社 被告育鵬社は、被告書籍1及び2を出版している。 被告扶桑社は、かつて原告を初めとする原告書籍の著作者らから許諾を受けてこれを出版していたものであり、現在は、被告書籍1の発行者となっている。 被告育鵬社及び被告扶桑社は、いずれもフジサンケイグループに属する会社であり、被告育鵬社は、被告扶桑社の100%子会社である。 ウ 被告B 被告Bは、つくる会の元理事であり、同会脱退後は、「日本教育再生機構」との名称の団体(以下「本件再生機構」という。)の立ち上げに参画し、被告書籍の執筆者の一人となった。 エ 被告D 被告Dは、つくる会の元会長であり、同会脱退後は、本件再生機構を立ち上げて、その理事長を務め、被告書籍の執筆者の一人となった。 オ 被告C 被告Cは、つくる会の元会員であり、同会脱退後は、本件再生機構の立ち上げに参画し、同機構傘下の「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」との名称の団体(以下「教科書改善の会」という。)の代表世話人を務めている。 なお、教科書改善の会は、被告らによる教科書の普及のための活動を行っており、被告Dがその事務局担当を務め、被告Bもその構成員となっている。 (2) 原告書籍 原告書籍は、中学校用歴史教科書であり、原告書籍には、別紙対比表〈略〉の「原告書籍」欄記載の各記述がある(以下、別紙対比表の「項目」欄記載の1ないし47の番号に対応する「原告書籍」欄の各記述内容を「原告記述1」ないし「原告記述47」といい、これらを併せて「原告各記述」という。)。 原告は、原告書籍の改訂前の同名初版本(平成13年3月30日検定済み)の本文を改訂する作業等をしたことから、原告各記述については、原告が少なくとも共同著作者の一人となっている。 (3) 被告書籍及びその発行に至る経緯 ア 被告Dは、平成18年4月、つくる会の中での原告及び他の主要理事らとの路線対立などを理由に同会を脱退し、自らを理事長とする本件再生機構を立ち上げ、以後、つくる会とは別に歴史教科書を制作・普及する運動をしてきた。被告B及び被告Cも、同様につくる会を脱退し、本件再生機構の傘下に教科書改善の会を設立した。 イ 被告書籍2は、平成23年3月30日に中学校用歴史教科書として検定に合格し、平成24年2月15日に初版が発行され、平成24年度から教育現場で使用されている。被告書籍2の発行者は、被告育鵬社であり、その著作者として、被告B及び被告Dなどが記載されているが、被告Cは記載されていない。 被告書籍1は、被告書籍2の市販本であり、平成23年5月10日に初版が発行され、一般人向けに発行、頒布・販売されている。被告書籍1の発行者には、被告育鵬社及び被告扶桑社が含まれ、その著作者として、被告B及び被告Dなどが記載されているが、被告Cは記載されていない。 被告書籍1と被告書籍2は、その記述内容や頁が同一であり、そのいずれにも別紙対比表の「被告書籍」欄記載の各記述がある(以下、別紙対比表の「項目」欄記載の1ないし47の番号に対応する「被告書籍」欄の各記述内容を「被告記述1」ないし「被告記述47」といい、これらを併せて「被告各記述」という。)。 3 争点 (1) 被告各記述が原告各記述を翻案したものか否か (2) 原告が有する著作者人格権の侵害の有無 (3) 各被告の責任原因 (4) 損害発生の有無及びその額 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点(1)(被告各記述が原告各記述を翻案したものか否か)について 〔原告の主張〕 (1) 被告らは、被告書籍を制作するに当たり、被告扶桑社が原告書籍の本文データを保有していたことを奇貨として、原告書籍の本文のうち原告が著作権を有する記述を大々的に流用して、被告書籍を制作した。 別紙対比表から明らかなとおり、被告書籍による原告書籍の流用は意図的、確信的な盗作行為であり、被告らによる被告書籍の制作・出版行為が原告の翻案権を侵害していることは明らかである。 (2) 被告各記述が原告各記述を翻案したものであることに関する原告の主張は、別紙対比表の「原告主張」欄に記載のとおりである。 歴史教科書であっても、歴史事実そのものではなく、表現の視点、事項の選択、配列順序及び具体的表現においては、各社の個性や創造性が発揮されるところであり、東京地方裁判所平成20年(ワ)第16289号書籍出版等差止請求事件(以下「別件事件」という。)の判決でも、原告書籍には「表現の視点、表現すべき事項の選択、表現の順序(論理構成)、具体的表現内容などの点において、創作性が認められる」として、その著作物性が肯定されている。 被告各記述は、原告各記述と対照して、根底となる歴史的事実及び歴史認識が同一であるだけではなく、表現の視点、事項の選択、配列順序及び具体的表現内容までほとんどそっくりである。 (3) この点に関して被告らは、他社の教科書でも同じような事項の選択と配列がされているなどと主張するが、報告書で明らかなように、被告各記述は、事実の選択・配列及び歴史観・歴史認識において原告各記述と酷似しており、その具体的な表現内容においてもほとんどコピーに近いものになっているのに対して、原告各記述は、他社の教科書の記述とは、事実の選択・配列の大半で異なっており、歴史観・歴史認識においては顕著な違いが見られ、具体的な表現内容においても、同じ事実を記述しながらも似ても似つかないものとなっている。このように、他社の教科書が、原告書籍及び被告書籍と対照して、事項の選択と配列において大きく異なっているのは、表現の視点(歴史観・歴史認識など)の違いが自ずと事項の選択及び配列に表れた結果である。原告各記述は、まさに創作的な事項の選択・配列であって、具体的な表現内容と相まって創作的な表現となっている。 歴史教科書である以上、各教科書において相当程度同じ事項が共通して表れるのは当然のことであるが、それだけで創作性がないとする被告らの主張は、「歴史教科書の記述=歴史的事実又は歴史的事実に対するありふれた認識」というドグマである。このような被告らの主張に基づけば、歴史教科書にはおよそ著作権が成立する余地がないということになってしまうから、被告らの主張の不当性は、一見して明らかである。 〔被告らの主張〕 (1) 被告らが被告書籍を制作するに当たり、原告書籍の本文を流用した事実はない。 (2) 被告各記述が原告各記述を翻案したものであるとの原告の主張に対する被告らの反論は、別紙対比表の「被告主張」欄に記載のとおりである。 そもそも、事実や事件そのものは、思想又は感情を創作的に表現したものではないから、歴史上の事実、人物に関する事実等は、著作権法の保護の対象とならない。この点、歴史的事実そのものではなく、これを創作的に表現したものは著作物性が肯定される場合があり、事実の選択、配列、歴史上の位置付け等が本質的特徴を基礎付けることもあり得るが、原告が原告各記述と被告各記述につき同一性を有すると主張する部分は、いずれも歴史的事実そのものか歴史的事実に対するありふれた認識を記載した内容にすぎず、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分である。 よって、本件において、翻案権侵害が成立する余地はない。 (3) この点に関して原告は、原告各記述には、表現の視点、事実の選択・配列、具体的表現内容に創作性があると主張する。 しかし、教育課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材との教科書の性質や、その記述を公正・中立でバランスのとれたものとしなければならないとの教科書検定上の要求からすれば、歴史教科書は、その出版物としての性格上、著作者が歴史的事実やこれに対する認識以外の純粋な表現部分においてその個性を表出させることは、もともと期待も想定もされていない。 原告各記述に取り上げられた各歴史的事実は、いずれも他社の歴史教科書にも取り上げられている歴史的事実にすぎないから、このような他社の歴史教科書にも記載されているような事項の中での取捨選択に、創作性が認められるとはいえない。 また、選択された歴史的事実の配列についても、原告各記述は、起こった歴史的事実を淡々と時系列に沿って配列していくという編集部が立てた基本方針に沿って作成されており、そこに創作性は見受けられない。 歴史的事実に関して、事項の選択や配列によって創作性が認められる場合とは、基礎資料の中からある事実を取捨選択し、ある順序に配列することによって、単なる歴史的事実を超えた、著者が伝えようとする思想や感情が表現されて、それが読者に読み取れる場合をいうが、原告各記述には、特に原告の個性が表出されるような特殊な選択や配列がなされているわけではなく、客観的な歴史的事実の記載を超えて、著者自身の思想や感情が表現されている箇所はない。 なお、原告は「表現の視点」の独自性を主張するが、原告のいう「表現の視点」なるものは、実際の表現にはなっておらず、そもそも著作権法の保護の対象ではない。 このほか、原告各記述の具体的表現内容についても、他の歴史教科書と同じようなありふれた記述であり、その記述に創作性は認められない。 2 争点(2)(原告が有する著作者人格権の侵害の有無)について 〔原告の主張〕 被告らによる著作権侵害行為によって、原告の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)が侵害された。 〔被告らの主張〕 否認ないし争う。 3 争点(3)(各被告の責任原因)について 〔原告の主張〕 被告らは、共謀の上、編集会議を経て、原告書籍の記述を流用する被告書籍を制作した。その制作過程においては、被告D、被告B及び被告Cが中心的な役割を果たしている。そして、被告育鵬社が、被告書籍2を教科書として発行し、配布した。なお、被告扶桑社は、同書籍の発行者に名を連ねていないが、これは教科書の性格上、共同出版の形式をとることができなかったにすぎず、被告扶桑社が同書籍の出版を企画し、かつ実際にも原告書籍の本文データを他の被告らに提供するなどして、著作権侵害行為に関与したことは明らかである。 また、被告らは、市販本として被告書籍1を制作し、一般人向けにこれを発行(発行者に被告育鵬社及び被告扶桑社が名を連ねる。)・配布・販売した。 なお、被告Cは、被告書籍の制作への関与を否定するが、被告Cが代表世話人になっている教科書改善の会は、そのホームページ上で、被告書籍に関し、「来年度の検定申請に向けて粛々と編集作業を行っています。」などと声明を発表し、同会が被告書籍の編集作業を行っていることを自認しているのであるから、被告Cがその制作に関与したことは明らかである。 〔被告らの主張〕 被告らが原告書籍の記述を流用したこと、原告書籍の本文のデータを用いて制作したこと及び被告Cが被告書籍の制作に関わったことは、いずれも否認する。 被告Cは、被告書籍の制作には関与しておらず、教科書改善の会が、団体として教科書の編集に関わっているものでもない。 4 争点(4)(損害発生の有無及びその額)について 〔原告の主張〕 (1) 被告書籍の出版に係る財産的損害 被告書籍1の販売単価は1143円(税抜)であり、販売部数は約2万部であるから、その売上額は、2286万円である。ここから製造原価及び販売手数料の合計に相当する20%を控除した残額、すなわち、1828万8000円が、被告らの得た利益である。 被告書籍2の販売単価は700円(税抜)であり、販売部数は、平成24年度及び平成25年度を合わせて9万4365部であるから、その売上額は、6605万5500円である。ここから製造原価として50%を控除した残額、すなわち、3302万7750円が、被告らの得た利益である。 よって、著作権法114条2項により算定される原告の損害額は、合計5131万5750円となる。 (2) 著作者人格権侵害に係る慰謝料 氏名表示権及び同一性保持権の侵害についての慰謝料は、300万円が相当である。 (3) 弁護士費用 原告は、被告らの著作権侵害により弁護士に依頼して本件訴訟を提起することを余儀なくされた。これに要する弁護士費用は、600万円が相当である。 (4) 持分による減額について 原告書籍の本文のうち原告各記述については、いずれも原告が少なくとも共同著作者の一人となっている。被告扶桑社もその共同著作者であるとの被告らの主張は、否認する。 著作権侵害に対する差止めや損害賠償請求は著作権の共有者が単独でなし得るものであり(著作権法117条2項)、そこに持分による減額などあり得ない。 (5) まとめ よって、原告は被告らに対して、計6031万5750円の支払を求める。 なお、教科書である被告書籍2と市販本である被告書籍1は、被告らの教科書改善運動の両輪を形成するものであり、被告書籍2が教科書検定に合格すれば、同書籍の出版が確定すると同時に市販本である被告書籍1の出版も確定することから、同検定合格の時点で著作権侵害が確定したということができる。したがって、遅延損害金の起算日は、被告書籍2の検定合格日である平成23年3月30日である。 〔被告らの主張〕 (1) 被告書籍1の販売単価は認めるが、その販売部数は約2万5000部である。また、被告書籍2の販売部数は認めるが、その販売単価は728.64円(非課税)である。 原告主張の製造原価及び販売手数料は明らかに過小である。損害に関するその他の主張は、否認ないし争う。 (2) 原告が原告書籍の共同著作者の一人であることは認めるが、原告書籍の執筆・編集は、原告やE及び被告扶桑社を含めた著作関係者全員によって行われ、その内容は被告扶桑社が主催する編集会議で決定されたものであるから、原告各記述については、被告扶桑社も共同著作者である。 原告は、他の共同著作者らの持分については損害賠償請求をすることができないから、損害賠償額の算定においては、原告の持分と他の共同著作者らの持分とを考慮すべきである。 第4 当裁判所の判断 1 争点(1)(被告各記述が原告各記述を翻案したものか否か)について (1) 翻案について 言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないというべきである(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。 したがって、歴史上の事実や歴史上の人物に関する事実は、単なる事実にすぎないから、著作権法の保護の対象とならず、また、歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも、それ自体は思想又はアイデアであるから、同様に著作権法の保護の対象とはならないというべきである。他方、歴史上の事実等に関する記述であっても、その事実の選択や配列、あるいは歴史上の位置付け等において創作性が発揮されているものや、歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては、著作権法の保護が及ぶことがあるといえる。 そして、上記のように「創作性」又は「創作的」というためには、厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく、筆者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきであるが、他方、文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合には、筆者の個性が表現されたものとはいえないから、創作的な表現であるということはできない。 (2) 教科書及びその検定について 前記第2、1の前提事実並びに証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。 ア 原告書籍及び被告書籍2は、いずれも中学校用歴史教科書であり、被告書籍1は、中学校用歴史教科書である被告書籍2を市販本としたものである。 イ 中学校においては、文部科学大臣の検定を経た教科用図書(教科書)を用いなければならず(学校教育法49条・34条)、その教科書検定の基準は、文部科学大臣が公示する教科用図書検定基準の定めるところによるとされている(教科用図書検定規則3条)。そして、同規則に基づいて定められた「義務教育諸学校教科用図書検定基準」において、教科用図書(教科書)は、教育課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として教授の用に供せられる図書であるとされており(同基準・第1章(2))、その内容の選択及び扱いについては、学習指導要領に示す目標に従って、学習指導要領に示す内容及びその内容の取扱いに示された事項を不足なく取り上げるものとし、基本的に、不必要なものは取り上げないこと(同基準・第2章1(3)、(4))、図書の内容が、使用される学年の生徒の心身の発達段階に適応していること(同(5))、学習指導要領に示す内容及びその取扱いに示す事項が、定められた授業時数に照らして図書の内容に適切に配分されていること(同章2(3))、その話題や題材の選択及び扱いについては、特定の事項、事象、分野などに偏ることなく、全体として調和がとれていることが必要であり、特定の事項を特別に強調しすぎたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げたりしないこと(同(5)、(6))、構成や排列については、全体として系統的、発展的に構成することとし、網羅的又は羅列的にならないようにすること(同(11))などと定められており、ここでは、教科書記述を公正・中立でバランスのとれたものとすることが求められているものと解される。 ウ 文部科学省が作成した中学校学習指導要領(平成20年3月)及びその解説(「中学校学習指導要領解説 社会編 平成20年9月」)では、歴史的分野についての内容及び取扱いに関して、例えば、古代までの日本については、「世界の古代文明や宗教のおこり」、「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」、「大和朝廷による統一と東アジアとのかかわり」などの内容を記載することとされており、さらに、このうち「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」については、狩猟・採取を行っていた人々の生活、日本の豊かな自然環境の中における生活が、農耕の広まりととともに変化していったことや、自然崇拝や農耕儀礼などに基づく信仰が人々の中に生きていたことを気づかせ、その際、新たな遺跡や遺物の発見による考古学などの成果の活用を図るようにするなどというように、その取扱いが具体的に示されている。 (3) 原告各記述及び被告各記述について ア 原告は、別紙対比表の「原告主張」欄記載のとおり、47項目において、表現の視点、事項の選択、表現の順序(論理構成)及び具体的表現内容をそれぞれ挙げて、原告各記述に創作性があるとし、それらの創作的部分が被告各記述と共通しているから、被告各記述が原告各記述の翻案に当たると主張する。 イ この点、「表現の視点」として主張される内容が、単に記述内容についての著者のアイデアや制作意図ないし編集方針、あるいは歴史観又は歴史認識にすぎない場合は、それ自体は表現ということができないものであるから、それによって、著作権法で保護されるべき著作物の創作性を基礎付けることはできないというべきである。そのような場合は、その表現の視点自体ではなく、その視点に基づいて記された具体的な記述について、表現上の創作性の有無が検討されることが必要となる。 ウ 「事項の選択」に関しては、歴史教科書である原告書籍及び被告書籍に記載されている事項は、いずれも歴史上の事実そのもの又はその事実についての見解ないし認識であって、それ自体を表現ということはできないから、それらの個々の事項について著作権法の保護が及ぶものとはいえない。 他方、書籍においてどのような事項を取り上げ、それらの事項をどのように組み合わせるかについては、著者による独自の創意や工夫の余地があるから、一般論としては、その具体的な選択の結果に、何らかの表現上の創作性が表れることはあり得るということができる。 もっとも、前記(2)のとおり、歴史教科書については、教科書の検定基準並びに学習指導要領及びその解説において、その記述内容及びその具体的な記述の方法が相当詳細に示されており、そこに記載できる事項は限定的であるというべきであるから、その中で著者の創意工夫が発揮される余地は大きいとはいえない。そこでは、仮に著者が主観的には創意工夫を凝らしたというものであっても、これを具体的な記述として表現するについては、検定基準及び学習指導要領に基づく歴史教科書としての上記制限に従った表現にならざるを得ないのであるから、表現の選択の幅は極めて狭いというべきであり、客観的には、そこに著者の独自性や個性が表われないということもあり得るのであって、その場合には、表現上の創作性があるということはできない。 したがって、例えば、ある歴史教科書の一単元において選択された複数の事項の組合せが、他の歴史教科書の同じ単元において選択された事項の組合せと異なる場合であっても、当該歴史教科書で取り上げられた個々の事項が、いずれも他の歴史教科書にも記載されているような一般的な歴史上の事実又は歴史認識にすぎないときは、通常、それらの事項の組合せは、歴史教科書に記載され得る一般的な事項の中から、著者が適宜選択をした結果であるといえ、そこに著者独自の創意工夫が表れているということはできないから、その組合せの相違をもって歴史教科書の個性であるということはできないと解される。 また、ある歴史教科書に、他の歴史教科書には記載のない事項が取り上げられて記載されている場合でも、その事項が歴史文献等に記載されている一般的な歴史上の事実又は歴史認識にすぎないときは、それを当該歴史教科書の中の関連する単元で取り上げ、一般的に歴史教科書に記載される歴史的事項に関連して、その説明のために、又はそれを敷衍するものとして、付加して記述することは、歴史学習のための教科書としては通常のことであるから、当該歴史教科書にそのような他の歴史教科書に記載のない事項があるというだけでは、そこに歴史教科書としての個性が表れていると解することはできないというべきである。 エ 原告は「表現の順序(論理構成)」の創作性を主張するところ、事項の選択において取り上げられた複数の事柄をどのような順序で配列して記載するかという点には、著者の創意や工夫が発揮されることがあるから、一般論としては、そこに何らかの表現上の創作性を認める余地はあるということができる。 もっとも、前記(2)のような歴史教科書の性質上、一つの単元で取り上げることが可能な事項の数は限られており、しかも、それらの事項は、系統的に配列されて、生徒が理解しやすいように記述されることが求められているといえるから、特に歴史教科書においては、ある単元において取り上げられた複数の歴史的事実をどのような順序で配列するかについての選択の幅は限られており、そこに著者の個性が表れていると認められる場合は少ないものといわざるを得ない。 この点、例えば、歴史的事実を単に時系列に沿って配列するような場合は、そこに著者の創意や工夫があるということはできない。また、複数の関連する事項を、通常の歴史教科書において考慮されるような、歴史的な因果関係、相互の関連性、歴史学習における重要性などの観点に従って、生徒の読みやすさや理解のしやすさに配慮しつつ、論理的な文章として、適宜、配列して表現したにすぎないような場合も、それは歴史教科書としてありふれた配列というべきであるから、仮にその配列がたまたま他の歴史教科書の配列と異なっているとしても、そこに著者の個性が表れているということはできない。それゆえ、そのような場合は、その配列の差異をもって、著作権法によって保護される著作物としての創作性を基礎付けることはできないというべきである。 オ 表現の視点に当たるアイデア、制作意図・編集方針又は歴史観などは、前記イのとおり、それ自体は表現ではなく、著作権法によって保護されるものではないのであるから、仮にその表現の視点が独自のものといい得るとしても、その表現の視点に基づいて記述された具体的な表現内容が、単に著者のアイデア、制作意図・編集方針又は歴史観などをそのまま文章にして記述したにすぎない場合や、その表現の視点に基づけば、誰が書いてもそのような文章としてしか表現できず、あるいは、その文章表現が平凡なものにとどまるときは、その文章は、表現の視点という著作権法で保護されない点において独自性があるというにすぎず、その具体的な表現内容において、著作権で保護されるべき表現上の創作性を有するものということはできない。 また、歴史教科書において取り上げられ、その表現の素材とされている歴史上の事実又は歴史認識も、前記ウのとおり、それ自体は著作権法で保護されるべき表現には当たらないのであるから、上記と同様に、仮に取り上げられた歴史上の事実あるいは歴史認識がそれ自体として独自性を有するものであるとしても、そのような事実あるいは認識を、ありふれた構文や一般的な言い回しで、生徒が理解しやすいような文章として記述したというだけでは、その具体的な表現内容において創作性があるというということはできない。 したがって、二つの歴史教科書が、その具体的な記述の内容において共通する部分があるとしても、その共通部分が上記のように表現上の創作性が認められないものである場合には、それを翻案の根拠とすることはできないというべきである。 カ 原告が翻案を主張する47項目での被告各記述及び原告各記述は、それぞれ別紙対比表の「被告書籍」欄及び「原告書籍」欄に記載のとおりであるところ、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、被告各記述は、少なくとも同対比表の「裁判所の判断」欄の「事項の選択」に挙げた各事項が記載されているという点で、原告各記述と共通しているものと認めることができる。 もっとも、被告各記述における翻案の成否については、前記イないしオの各点を考慮して検討すべきであるところ、同対比表の「裁判所の判断」欄に記載のとおり、原告が表現の視点と主張する内容は、いずれも原告のアイデア、制作意図・編集方針又は歴史観ないし歴史認識など、それ自体表現ではなく、著作権法による保護の対象とならないものであると認められ、また、原告各記述と被告各記述は、上記認定に係る事項が選択されている点で共通しており、それらの事項の配列や、それらの事項を用いた記述内容において共通する部分があるということができるものの、それらの共通部分はいずれも、歴史的事実や歴史認識それ自体であって表現ということができないものであるか、あるいは、事項の選択・配列及びその具体的表現内容のいずれにおいても創作性を認めることができないものであると認められ、他方で、それ以外の点では、原告各記述及び被告各記述の文章表現は異なるものとなっており、その具体的な表現内容が共通していないものと認められる。 したがって、原告が主張する47項目における被告各記述は、いずれも原告各記述の翻案に当たるものとは認めることができない。 (4) 原告の主張について ア 表現の視点の違いに基づく創作性につき (ア) 原告は、表現の視点(歴史観ないし歴史認識など)の違いは自ずと記載事項の選択や表現の順序、具体的表現内容に反映されるものであって、原告各記述は、原告独自の表現の視点から創作的になされた事項の選択・配列であり、それが具体的な表現内容と相まって創作的な表現となっており、被告各記述は、その事項の選択・配列及び具体的表現内容までそっくりであると主張する。そして、原告は、これを裏付けるものとして、報告書による比較を挙げて、被告各記述が、事項の選択及び配列、歴史観ないし歴史認識並びにその具体的な表現内容において、原告各記述と酷似しており、他方で、原告各記述が他社の教科書の記述とは大きく相違していると主張する。 この点、上記報告書は、原告訴訟代理人が、原告書籍、被告書籍及び他社(東京書籍と帝国書院)の各歴史教科書について、別紙対比表の47項目に対応する箇所で記述された歴史的事項の選択・配列を対照したものであるが、その内容は、47項目のうちの大半で、原告書籍は、その記述された事項が被告書籍と類似しており、その類似の程度は、東京書籍及び帝国書院の各教科書との類似の程度を圧倒的に上回っており、また、歴史観ないし歴史認識が表れているとされる26項目では、そのほとんどの項目で、原告書籍と被告書籍の歴史観ないし歴史認識が共通しており、これと東京書籍及び帝国書院の各教科書が対立しているというものである。 (イ) しかし、歴史教科書に記述された歴史上の事実又は歴史認識そのものは、著作権法の保護の対象となる表現ではないのであって、また、原告の上記主張は、原告書籍と被告書籍が共通の歴史認識に立っており、その意味で歴史認識の異なる他の歴史教科書と相違するといっているにすぎず、上記共通の歴史認識に立脚して歴史教科書を表現しようとすれば、その表現の選択の幅は極めて狭いため、同じような表現にならざるを得ないのであるから、原告各記述で選択された事項と被告各記述で選択された事項がいかに共通するものであるとしても、それだけでは、両者が創作的な表現部分において共通しているということはできない。それゆえ、原告書籍と被告書籍における選択された事項の類似性の程度が、他の歴史教科書と比較して高いものであったとしても、そのことを翻案の根拠とすることはできない。 また、表現の視点(歴史観ないし歴史認識など)の違いが事項の選択に反映され、そこに創作性があるとの原告の主張については、別紙対比表の「裁判所の判断」欄に記載のとおり、原告各記述においては、その事項の選択について著者の個性が発揮されているということができないから、いずれも創作的な事項の選択と認めることはできない。この点、上記報告書では、表現の視点に当たる「歴史観・歴史認識」として種々の内容が挙げられているが、そのほとんどは、例えば、項目1において、原告書籍及び被告書籍は縄文土器を1万数千年前から作られた世界最古の土器の一つと見るのに対して、他の二つの教科書は1万年前から作られたと見るとし、また、項目15において、鎌倉幕府の成立時期について原告書籍及び被告書籍は1192年説に立ち、他の二つの教科書は1185年説に立つというように、単に歴史的事実に関する学問上の見解ないし歴史認識の違いを表現の視点の違いと主張しているにすぎない。その余の項目についても、例えば、項目12において、原告書籍及び被告書籍は「日本が世界一の鉄砲生産国になったこと」を記すが、他の二つの教科書はこれを記さないとし、また、項目25において、原告書籍及び被告書籍は「万世一系」を記すのに対して、他の教科書はこれを記さないとするように、単にある事項を取り上げたか否かという違いを表現の視点の違いと主張するものにすぎない。その結果、原告が独自の表現の視点に基づいて事項を選択したと主張する点は、単に、歴史的事実に関する学問上の見解ないし歴史認識をそのまま記載事項として取り上げたものか、ある事項を記載するという制作意図ないし編集方針に従って当該事項を取り上げたというにすぎないものであって、その事項の選択において創意や工夫を伴うようなものであるとはいえない。 したがって、仮に原告書籍で選択された事項が他の歴史教科書と異なるものであるとしても、それは著作権法で保護されない歴史観ないし歴史認識又は制作意図若しくは編集方針といった表現それ自体ではない部分において違いがあるというにすぎず、事項の選択に著者の個性が表れているということはできないから、そこに表現上の創作性を認めることはできないと認めるのが相当である。 (ウ) 表現の視点(歴史観ないし歴史認識など)の違いが表現の順序(事項の配列)に反映されているとの原告の主張については、そもそも原告は、別紙対比表の「原告主張」欄のとおり、47項目のほとんどで、被告各記述の表現の順序が原告各記述のそれと同一、ほぼ同一、又は基本的に同一などと主張するのみであって、原告各記述における表現の順序のどの部分にどのような工夫がなされており、そこに著者の個性が表れているといえるのかを具体的に主張していない。 そして、原告各記述の事項の配列を個別に検討しても、それらは、いずれも時系列に沿ったものであるか、一般的でありふれた配列というべきものであって、そこに格別の工夫があるとか、著者の個性が表れているということができないことは、別紙対比表の「裁判所の判断」欄に記載のとおりである。 (エ) 具体的表現内容に関して、原告各記述と被告各記述とは、事項の選択及び配列においては共通する部分があり、その共通する選択事項をその共通する配列に従って記述したという限りでは、記述内容においても共通ないし類似する部分があると認めることができるものの、その点を除くと、原告各記述と被告各記述は、その文章表現の多くが異なっており、具体的な表現内容においては、むしろ相違しているというべきである。 そして、前記(イ)及び(ウ)のとおり、原告各記述については、その事項の選択及び配列に表現上の創作性を認めることはできないのであるから、そのように創作性のない選択事項が創作性のない配列に従って記述されているという点が共通するとしても、それをもって、創作的な表現部分における共通性ということはできない。 (オ) よって、原告各記述が、独自の表現の視点を反映して、その事項の選択・配列及び具体的表現内容に創作的な表現がなされており、その創作的部分において被告各記述と共通しているとの原告の主張は、採用することができない。 イ 別件事件の判決につき 原告は、別件事件の判決が、原告書籍について「表現の視点、表現すべき事項の選択、表現の順序(論理構成)、具体的表現内容などの点において、創作性が認められる」として、その著作物性を肯定していると主張する。 しかし、別件事件の判決は、上記判示部分において、抽象的に原告書籍の創作性を肯定しているにすぎず、原告書籍の個々の記述について、その記述のいかなる点に創作性があるかについては何ら触れていない。原告書籍が、その書籍の本文部分又は各単元の記述において何らかの創作性を有し、それが著作物と認められるとしても(なお、本件では、被告らも、原告書籍が著作物であることは争っていない。)、そのことと、本件で、原告各記述における被告各記述との共通部分に表現上の創作性が認められるか否かは別の問題であるから、別件事件判決の上記判示は、本件における翻案の根拠となるべきものとはいえない。 よって、原告の上記主張は採用することができない。 (5) 小括 以上のとおり、被告各記述は、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、原告各記述と同一性を有するにすぎないから、被告各記述が原告各記述を翻案したものであるということはできない。 また、そうである以上、被告書籍によって、原告書籍に係る原告の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)が侵害されたということもできない。 2 結論 以上によれば、その余の点を判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第40部 裁判長裁判官 東海林保 裁判官 今井弘晃 裁判官 足立拓人 別紙 書籍目録 1(市販本) 題号 「こんな教科書で学びたい 新しい日本の歴史」 著者 B ほか14名 発行者 株式会社育鵬社、株式会社扶桑社 初版発行日 平成23年5月10日 2(教科書) 題号 「中学社会 新しい日本の歴史」 著者 B ほか14名 発行者 株式会社育鵬社 初版発行日 平成24年2月15日 |
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