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【事件名】“日航機墜落事故”ノンフィクションの表現類似事件(2)
【年月日】平成25年9月30日
 知財高裁 平成25年(ネ)第10027号 著作権侵害差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成23年(ワ)第33071号)
 (口頭弁論終結日 平成25年6月26日)

判決
控訴人(第1審被告) X
訴訟代理人弁護士 三村量一
同 澤田将史
同 岡田 宰
同 広津佳子
同 杉本博哉
同 堀口雅則
控訴人(第1審被告) 株式会社集英社
訴訟代理人弁護士 一井泰淳
被控訴人(第1審原告) Y
訴訟代理人弁護士 梓澤和幸
同 大城 聡
同 倉地智広


主文
1 控訴人らの原判決主文第1項及び第2項に対する控訴をいずれも棄却する。
2 原判決主文第3項を次のとおり変更する。
(1) 控訴人らは、被控訴人に対し、連帯して57万7720円及びこれに対する平成23年10月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 原判決主文第3項の請求に関し、被控訴人のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第1審において生じた費用はこれを8分し、その1を控訴人らの連帯負担とし、その余を被控訴人の負担とし、控訴費用はこれを全部控訴人らの負担とする。
4 この判決は、第2(1)項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 控訴人X(以下「控訴人X」という。)
(1) 原判決中控訴人X敗訴部分を取り消す。
(2) 上記部分につき、被控訴人の控訴人Xに対する請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は、第1、2審を通じて被控訴人の負担とする。
2 控訴人株式会社集英社(以下「控訴人集英社」という。)
(1) 原判決中控訴人集英社敗訴部分を取り消す。
(2) 上記部分につき、被控訴人の控訴人集英社に対する請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は、第1、2審を通じて被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は、被控訴人が、控訴人Xが著述し、控訴人集英社が発行する原判決別紙書籍目録記載の書籍(以下「控訴人書籍」という。)に被控訴人の著述した書籍の複製又は翻案に当たる部分があり、その複製及び頒布によって被控訴人の著作権及び著作者人格権が侵害されたとして、控訴人らに対し、著作権法112条に基づき、控訴人書籍の複製、頒布の差止め及び廃棄を求めるとともに、民法709条及び719条に基づき、著作権侵害による著作権利用料相当損害金として168万円、著作権侵害及び著作者人格権侵害による慰謝料として各150万円、弁護士費用として50万円の合計518万円及びこれに対する不法行為後の日である平成23年10月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める事案である。
 原審は、原判決別紙対比表の被告書籍欄記載の各記述(以下「控訴人各記述」といい、個別の記述は同表の記述番号欄記載の番号に従い、順次「控訴人第1記述」などという。)のうち、同表の当裁判所の判断欄に「○」印の付された各記述が、同表の原告書籍欄記載の各記述(以下「被控訴人各記述」といい、個別の記述は同表の記述番号欄記載の番号に従い、順次「被控訴人第1記述」などという。)のうち、当裁判所の判断欄に「○」印の付された各記述の複製又は翻案に当たると認め、控訴人らに対し、複製又は翻案に当たると認められた控訴人各記述のある第3章(113頁ないし160頁)を不可分的に含む控訴人書籍の複製、頒布の差止め及び廃棄、著作権利用料相当損害金2万8560円、慰謝料50万円及び弁護士費用5万2856円の合計58万1416円並びにこれに対する遅延損害金の支払を命じる限度で被控訴人の請求を認容し、被控訴人のその余の請求をいずれも棄却した。
 控訴人らはこれを不服としていずれも控訴し、上記控訴の趣旨記載の判決をそれぞれ求めた。したがって、当審における審理判断の対象は、原審において被控訴人各記述の複製又は翻案に当たると認められた控訴人各記述に関する著作権及び著作者人格権侵害の成否等である。
2 前提事実、争点及び争点に関する当事者の主張は、原判決を下記のとおり補正するほか、原判決の「事実及び理由」第2の1及び2のとおりであるから、これを引用する(以下、原判決を引用する場合、「被告」を「控訴人」と、「原告」を「被控訴人」と、それぞれ読み替える。略語についても同様である。)。
(1) 原判決3頁1行目及び2行目の「取り上げたが、この部分は、原告書籍に依拠して著述されたものである。」を「取り上げた。」と改める。
(2) 原判決4頁11行目の「前記の前提事実(2)のとおり、」を削り、同頁12行目末尾に次のとおり加える。
 「控訴人Xはこれを否認するが、控訴人Xは、AやBらへの取材の際、被控訴人書籍を元に取材を行っているから、同人らに取材したからといって、控訴人書籍が被控訴人書籍に依拠している事実は何ら変わるものではない。」
(3) 原判決4頁13行目末尾に、改行の上、次のとおり加える。
 「控訴人Xは、被控訴人各記述は全て事実の記載であると主張する。しかし、被控訴人が当時抱いた感情を忠実に記載したから事実の記載であるとの主張は、事実ないし事件を記述するに当たって、筆者が独自の観点で表現した部分までもが、筆者が「事実」に対してそう感じたことは「事実」であるから「事実」に当たる、と主張するに等しく、失当である。」
(4) 原判決4頁16行目の「創作性を」から同頁20行目末尾までを次のとおり改める。
 「その内容には、作者の想像による創作は存在せず、事実の客観描写のみで構成されているものである。他方、被控訴人書籍は、本件事故で夫を失った遺族である被控訴人により執筆された手記であり、客観的な事実に加え、被控訴人が当時そのような感情を抱いたという事実を記載したものである。
 そして、控訴人Xは、控訴人書籍を作成するに際して、本件事故の遺族等の関係者に直接取材し、事実をありのままに記述したのであるが、被控訴人書籍は、控訴人書籍との関係では単なる先行作品ではなく、事実関係を確認するための取材対象の一つにすぎない。被控訴人書籍の記載内容については、それが事実として確認できた内容や当時遺族の抱いた感情を記載したものと確認できるものは、これを忠実に控訴人書籍に反映させるのはノンフィクションの性質上当然のことであり、これらがいずれも事実の記載である以上、控訴人書籍に共通する記載があったとしても、著作権侵害を構成するものではない。
 控訴人各記述については、本判決別紙「控訴人Xの主張」記載のとおり、被控訴人各記述との間に共通部分があったとしても、これらの共通部分は、客観的な事実の記載であるか、本件事故の遺族である被控訴人等が当時そのような感情を抱いたという事実の記載であるから、いずれも被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。仮に、これらの記述によって、被控訴人が抱いた感情が表現されているとしても、これらの表現はありふれたものであり、記載の順序も時系列に従ったものにすぎない。
 また、控訴人第5記述における「敗残兵のように」のような特定の単語を用いることによる短い比喩表現を創作的表現として著作権法による保護の対象とすることは、最初にそのような単語を用いた比喩を用いた者に排他的独占権を与えることになるため是認されるものではなく、このような極めて短い文章表現は著作物性を満たさない。
 さらに、控訴人Xは、控訴人書籍を作成するに当たり、被控訴人だけではなく、A、B、C記者及びD歯科医師にも取材をしている。控訴人各記述のうち第4、第7ないし第9、第13ないし第16、第19、第21、第23及び第24の各記述については、控訴人Xがこれらの関係者への取材等によって確認した客観的事実を記載したものであり、被控訴人書籍の記載のみを根拠とするものではない。したがって、これらの記述は、被控訴人書籍に依拠して記載されたものではない。」
(5) 原判決5頁1行目末尾に、改行の上、次のとおり加える。
 「控訴人各記述のうち、被控訴人各記述と表現において類似、共通するのは、単語や短いフレーズ程度にすぎない。すなわち、控訴人各記述は、表現それ自体ではない部分や表現上の創作性が認められない部分において被控訴人各記述と同一性が認められるにすぎず、被控訴人各記述の複製又は翻案には当たらない。」
(6) 原判決7頁21行目の「その精神的損害は、」の次に「著作権侵害に基づくものにつき150万円、著作者人格権侵害に基づくものにつき150万円の合計」を加える。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、被控訴人の請求は、控訴人らに対し、第3章を不可分的に含む控訴人書籍の複製、頒布の差止め及び廃棄並びに損害賠償として57万7720円及びこれに対する平成23年10月19日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由があると判断する。その理由は以下のとおりである。
1 争点@(被控訴人の著作権の侵害の成否)について
(1) 控訴人各記述は被控訴人各記述を複製又は翻案したものであるか否か
ア 複製とは、印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいうところ(著作権法2条1項15号参照)、言語の著作物の複製とは、既存の著作物に依拠し、これと同一のものを作成し、又は、具体的表現に修正、増減、変更等を加えても、新たに思想又は感情を創作的に表現することなく、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持し、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものを作成する行為をいうと解される。
 また、言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁)。
 そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、既存の著作物に依拠して作成又は創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、複製にも翻案にも当たらないというべきである。
 本件においても、控訴人各記述と被控訴人各記述との間で表現上の共通性を有するものについては、その共通性(同一性)を有する部分が事実それ自体にすぎないときは、複製にも翻案にも当たらないと解すべきであるし、それが、一見して単なる事実の記述のようにみえても、その表現方法などからそこに筆者の個性が何らかの形で表現され、思想又は感情の創作的表現と解することができるときには、複製又は翻案に当たるというべきである。
イ 以上を踏まえ、次に、被控訴人各記述と控訴人各記述との表現上の共通性を認定した上で、控訴人各記述が、被控訴人各記述と同一であるか、あるいは、被控訴人各記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持し、これに接する者が被控訴人各記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものであるか、及び、被控訴人各記述のうち控訴人各記述と同一性を有する部分が思想又は感情を創作的に表現したものであるか否かを判断する。
(ア) 控訴人第2記述について
 被控訴人第2記述と控訴人第2記述とは、朝元気に家を出た人が、その夕刻に死ぬなんて被控訴人にはどうしても信じられなかったこと、悪夢だと思ったこと、夫のいない生活を考えたこともなかったこと、これから一人になると思うと、涙が止めどなく溢れてきたこと、被控訴人は周囲に知られないよう涙をふいたことを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 控訴人第2記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第2記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第2記述に接することにより、被控訴人第2記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第2記述中の上記同一性のある部分は、被控訴人の当時の認識や行動に加え、夫が生存を期待し難い飛行機事故に遭遇したとの報に接した被控訴人の驚愕や困惑、悲しみや絶望感を表現したものであり、これらの感情の形容の仕方や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、被控訴人が当時抱いた感情ないしは当時の被控訴人の行動を記載したものであり事実の記載である、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、上記同一性のある部分は極めて短い文章表現であり著作物性を満たさない、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が自ら感じたところについて被控訴人なりに表現を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(イ) 控訴人第4記述について
 被控訴人第4記述と控訴人第4記述とは、大きなカメラを担いだ人たちが近づいてきたこと、なんて嫌なことをするのだろう、と思っていると、カメラにあったテレビ局の名前が目に入ったこと、それは息子が勤めるテレビ局だったこと、被控訴人は、あることを思いついてバスを降り、「息子があなたたちの会社に勤めています。少しでも早く現場に行きたいので、あなたの車に乗せてもらえませんか」と言ったこと、若者が「僕はAと同期で、お父さんのこと、聞いています」と言ったことを著述している点及びその著述の順序においておおむね共通し、同一性がある。
 控訴人第4記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第4記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第4記述に接することにより、被控訴人第4記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第4記述中の上記同一性のある部分は、被控訴人の当時の認識や行動に加え、報道関係者の行動に当初嫌悪した被控訴人が、たまたま息子の勤務先と同じテレビ局の関係者であることを知って驚き、少しでも早く現場に到着したいとの思いから同人らとの同乗を依頼するに至る感情の流れを表現したものであり、これらの感情の形容の仕方や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、被控訴人が当時抱いた感情ないしは当時のカメラマンや被控訴人の行動を記載したものであり事実の記載である、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情の流れが表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が自ら感じたところについて被控訴人なりに表現を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(ウ) 控訴人第5記述について
 被控訴人第5記述と控訴人第5記述とは、家族らが不安と疲労で敗残兵のようにバスから降り立ったことを著述している点及びその著述の順序において共通し、同一性がある。
 控訴人第5記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第5記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第5記述に接することにより、被控訴人第5記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第5記述中の上記同一性のある部分は、バスに乗車した被控訴人などの事故機の乗客の家族らの行動に加え、同人らが抱いていた不安や疲労の感情を表現したものであり、その感情の形容の仕方の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は事実の記載にすぎないし、「敗残兵のように」との比喩表現はありふれたものであると主張する。
 しかしながら、「敗残兵のように」との比喩表現は、形容の仕方として一般的であるとかありきたりとまでいうことはできず、家族が抱いていた不安や疲労の感情を表現するための表現方法としては他の多様な表現方法もあり得ることからすれば、かかる表現がされていることを理由に、上記同一性のある部分が被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(エ) 控訴人第7記述について
 被控訴人第7記述と控訴人第7記述とは、若い警官から「事故当日の服装、所持品、肉体的特徴を詳しく話して下さい」と聞かれたが、背広の色さえ記憶していなかったこと、夫は若い頃から着替えは自分でする人だったこと、空港への車中も助手席の夫と向き合わず、前日自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかったこと、覚えていたのはニナリッチのカフスボタン、朝磨いておいた靴くらいだったこと、身体的特徴は人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多く、ヘアトニックをたくさんつける習慣があること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなどを説明したことを著述している点及びその著述の順序において共通し、同一性がある。
 控訴人第7記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第7記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第7記述に接することにより、被控訴人第7記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第7記述中の上記同一性のある部分は、被控訴人の当時の認識や行動に加え、夫の服装や身体的特徴について聴取された被控訴人が、意外にも明確な記憶がなく不十分な説明しかできなかったことに対する困惑や後悔を表現したものであり、そのための事実の選択や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、被控訴人の警官とのやりとりや被控訴人が当時思い出すことのできた夫に関する事情を記載したものであり事実の記載である、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が被控訴人なりに事実を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(オ) 控訴人第8記述について
 被控訴人第8記述と控訴人第8記述に関し、原審が複製又は翻案であると認定判断した部分は、体育館は折からのひどい暑さで、まるで蒸し風呂だったこと、昨夜から着ている服も汗まみれだったが、やむを得なかったことを著述している点及びその順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 しかし、被控訴人第8記述中の上記同一性のある部分は、被控訴人の認識した不快感やそれに対する諦めの気持ちを表現したものとしてはありふれたものであり、表現上の創作性があるとはいえないし、記述の順序もありふれており、被控訴人の個性が表れているということはできない。
 したがって、被控訴人第8記述中の上記同一性のある部分は、思想又は感情を創作的に表現したものであるとはいえない。
(カ) 控訴人第9記述について
 被控訴人第9記述と控訴人第9記述とは、館内に日航の用意した新聞がたくさん積まれていたこと、第一面に単独機として過去最大の事故であることが大きな文字で記載されていたこと、犠牲者の顔写真の中には、夫の顔もあったこと、テレビでは、生存者の劇的な救出場面が繰り返しうつし出されたが、見ようとする人はほとんどいなかったことを著述している点及びその著述の順序において共通し、同一性がある。
 控訴人第9記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第9記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第9記述に接することにより、被控訴人第9記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第9記述中の上記同一性のある部分のうち、体育館内に日航の用意した新聞がたくさん積まれていたこと、第一面に単独機として過去最大の事故であることが大きな文字で記載されていたこと、犠牲者の顔写真の中には、夫の顔もあったことは、いずれも事実の記載にすぎない。これに対し、テレビでは生存者の劇的な救出場面が繰り返しうつし出されたが、見ようとする人はほとんどいなかったことについては、単にその事実を記述しただけでなく、生存者の劇的な救出場面を見ることに耐えられないほどに、被控訴人や乗客の家族らが深い悲しみの中にあったことやその無念さを表現したものである。そうすると、被控訴人第9記述中の上記同一性のある部分は、被控訴人が当事者としての視点から上記の各事実を選択して、当日の館内の被控訴人の置かれた状況や犠牲者の家族の様子を淡々と記述することによって、被控訴人や乗客の家族らの深い悲しみを表現したものとみることができ、上記同一性のある部分全体として被控訴人の個性ないし独自性が表れており、思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分はいずれも事実の記載であり、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人や家族らの感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分については、当日の体育館内の被控訴人が置かれた状況や犠牲者の家族の様子を淡々と記述しながら、テレビでの生存者の劇的な救出場面を捉えて、被控訴人や犠牲者の家族が抱いていた深い悲しみ等を表現したものであり、被控訴人なりに事実を選択してその叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(キ) 控訴人第13記述について
 被控訴人第13記述と控訴人第13記述とは、その場で着衣のネーム、所持品のカード、免許証などで確認できた遺体は、家族が呼び出されること、家族は戦々恐々として呼出しを待ったこと、呼出しは、死を確認することであったこと、呼び出されないよう生への望みを少しでもつなごうとしていたこと、館のステージ横に乗客の座席が張り出されたこと、被控訴人はこの時初めて夫が前から5番目の右側、つまりコックピットの下あたりに座っていたことを知り、生きている可能性が皆無に近いと認識したこと、機体は右に傾き、前方から山に激突していたこと、この表は相撲の星取表のように、遺体が確認されるたびに黄色に塗りつぶされていったこと、後部座席から始まり、夫のいた前方はいつまでも空白が残ったことを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 控訴人第13記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第13記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第13記述に接することにより、被控訴人第13記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第13記述中の上記同一性のある部分は、遺体の身元確認についての状況や墜落の際の事故機の状況、これらを踏まえての被控訴人の認識に加え、被控訴人や家族らが抱いた呼出しへの恐怖や呼び出されないことへの期待、夫の生存が期待し難いことへの絶望感や夫の生死がいつまでも判明しないことへの不安を表現したものであり、これらの感情の形容の仕方や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、客観的状況あるいは被控訴人が当時抱いた感情を記載したものであり事実の記載である、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人や家族らの感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人や家族らが抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人なりに表現を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(ク) 控訴人第14記述について
 被控訴人第14記述と控訴人第14記述とは、午後、作業衣と長靴のE運輸大臣と黒服のF日航社長が体育館に見舞いに来たこと、申し訳ないと詫びる言葉が空々しく、違う世界の話に聞こえたことを著述している点及びその著述の順序において共通し、同一性がある。
 控訴人第14記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第14記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第14記述に接することにより、被控訴人第14記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第14記述中の上記同一性のある部分は、運輸大臣や日航社長の見舞いの様子に加え、同人らに対して被控訴人が抱いた怒りの感情を表現したものであり、その感情の形容の仕方の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、運輸大臣と日航社長の見舞いの状況や被控訴人が当時抱いた感情を記載したものであり事実の記載にすぎず、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものであると主張する。
 しかしながら、被控訴人の感情が表現された上記部分は、その内容に照らすと、被控訴人が自ら感じたところについて被控訴人なりに表現を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(ケ) 控訴人第15記述について
 被控訴人第15記述と控訴人第15記述とは、一刻も早く親類の安否を知りたいと思う家族が日航の幹部を容赦なく罵倒し、F社長の顔に水を浴びせたことを著述している点及びその著述の順序において共通し、同一性がある。
 しかしながら、被控訴人第15記述中の上記同一性のある部分は、犠牲者の家族らの日航幹部に対する怒りや一部の人達の行動等の、当時における客観的な事実を記述したものにすぎず、その表現としても被控訴人の個性が表れたものとはいえず、表現上の創作性があるとまではいえない。
 したがって、上記同一性のある部分は、被控訴人の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
(コ) 控訴人第16記述について
 被控訴人第16記述と控訴人第16記述とは、遺体収容がこの日から比較的身元確認の容易な後部座席が終わり、いよいよ尾根の上の方の収容が始まったらしいこと、細かく分断され、その上、火災に遭ったため、むざんな遺体が増えてきたらしいこと、確認が困難になってきたことを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 しかしながら、被控訴人第16記述中の上記同一性のある部分は、当時の遺体の収容状況や身元確認の困難さについての客観的な事実を記述したものにすぎず、その表現としても被控訴人の個性が表れたものとはいえず、表現上の創作性があるとはいえない。
 したがって、上記同一性のある部分は、被控訴人の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
(サ) 控訴人第19記述について
 被控訴人第19記述と控訴人第19記述とは、暑さで腐敗による悪臭がひどく、3000人の自衛隊員たちは、防毒マスクをつけて作業していることが報じられていたこと、愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられていることを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 控訴人第19記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第19記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第19記述に接することにより、被控訴人第19記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第19記述中の上記同一性がある部分は、自衛隊員による遺体の身元確認作業の状況を記述しながら、愛する者の悲惨な状況に対する被控訴人や遺族の悲しみや怒りを表現したものであり、その形容の仕方や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的な事実ないしは被控訴人を含む遺族が当時抱いた感情を記載したものであり事実の記載である、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人や遺族の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人を含む遺族が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が自ら感じたところを被控訴人なりに表現を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(シ) 控訴人第21記述について
 被控訴人第21記述と控訴人第21記述に関し原審が複製又は翻案であると認定判断した部分については、息子が夕方、戻ってきたこと、ねぎらって弁当を出したが、手をつけなかったこと、幕の内の中のはんぺんのにおいが遺体とそっくりだと言ったこと、息子はその日見たひつぎに入っていた手足や内臓、陥没した遺体について話したことを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 控訴人第21記述中の上記部分は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第21記述の上記部分と表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第21記述の上記部分に接することにより、被控訴人第21記述の上記部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第21記述中の上記同一性のある部分は、Aの行動や同人と被控訴人との会話の内容を記述しながら、Aが遺体の酷い状況について抱いた嫌悪感や恐怖感等の感情を表現したものであり、そのための事実の選択や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的事実の記載であるし、仮に、上記同一性のある部分によってAの感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、Aが抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が被控訴人なりに事実を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(ス) 控訴人第22記述について
 被控訴人第22記述と控訴人第22記述に関し原審が複製又は翻案であると認定判断した部分については、被控訴人が、気づくと、藤棚の下にあった椅子に腰を下ろしたこと、若い男が近づいてきたこと、「ご家族の方ですか」と話しかけられ、「そばにいてください」と言ったこと、誰かに話したかったこと、被控訴人は、夫を捜すために大阪の自宅から送られたズボンの切れ端を持っていたことを著述している点においておおむね共通し、同一性がある。
 控訴人第22記述中の上記部分は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第22記述の上記部分と表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第22記述の上記部分に接することにより、被控訴人第22記述の上記部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 被控訴人第22記述中の上記同一性のある部分は、夫の遺体と対面した直後に藤棚の下に呆然と座っていた被控訴人と新聞記者との会話の内容やその際の被控訴人の行動などを記述しながら、被控訴人が当時抱いていた絶望感や深い悲しみを表現したものであり、そのための事実の選択や感情の形容の仕方、叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的事実ないし被控訴人の当時の気持ちを記載したものであり事実の記載であるし、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人なりに事実や表現を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(セ) 控訴人第23記述について
 被控訴人第23記述と控訴人第23記述とは、16人が夫の火葬に立ち会ったこと、遠地であり、ひつぎに入れるものがなかったことを著述している点において共通し、同一性がある。
 控訴人第23記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第23記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第23記述に接することにより、被控訴人第23記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第23記述中の上記同一性のある部分は、夫の葬儀の際の状況に加え、遠地であったため十分な弔いができないことに対する被控訴人の悲しみや無念さを表現したものであり、そのための事実の選択や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的事実の記載であるし、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が被控訴人なりに事実を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(ソ) 控訴人第24記述について
 被控訴人第24記述と控訴人第24記述とは、「G君の好きだったスコッチウイスキーを遺体にかけてあげよう」と副社長が言い、遺体にウイスキーをかけたこと、その時、すさまじい勢いで白煙が上がったこと、「G君、長い間、会社のために働いてくれてありがとう」と副社長が言い、皆泣いたことを著述している点及びその著述の順序において共通し、同一性がある。
 控訴人第24記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第24記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第24記述に接することにより、被控訴人第24記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第24記述中の上記同一性のある部分は、夫の葬儀の際の出来事を記述しながら、副社長や被控訴人らが抱いていた悲しみや故人となった夫への感謝の気持ち等を表現したものであり、そのための事実の選択や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的事実の記載であるし、仮に、上記同一性のある部分によって副社長や被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、被控訴人第24記述中の上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、副社長や被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が被控訴人なりに事実を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(タ) 控訴人第25記述について
 被控訴人第25記述と控訴人第25記述とは、被控訴人は「人の価値はひつぎをおおって定まる」を思い出し、「あなたは立派でした」と紙に書き、ひつぎに入れたこと、これに被控訴人の夫への感謝をこめたことを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し、同一性がある。
 控訴人第25記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第25記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第25記述に接することにより、被控訴人第25記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 そして、被控訴人第25記述の上記同一性のある部分は、夫の葬儀の際に被控訴人が抱いた想いやその際の被控訴人の行動に加え、被控訴人の夫に対する感謝や尊敬の念を表現したものであり、そのための事実の選択や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的事実の記載ないしは被控訴人が当時抱いていた想いを記載したものであり事実の記載であるし、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が被控訴人なりに事実を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
(チ) 控訴人第26記述について
 被控訴人第26記述と控訴人第26記述とは、夫が骨となってこの日の深夜に自宅へ戻ったこと、8月12日に自宅を出て以来、7日と17時間ぶりであったことを著述している点において共通し、同一性がある。控訴人第26記述は、上記認定の表現上の共通性により、被控訴人第26記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しており、控訴人第26記述に接することにより、被控訴人第26記述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものといえる。
 被控訴人第26記述の上記同一性のある部分は、夫の遺骨が自宅に戻った時期に加え、被控訴人が抱いた無念や悲しみを表現したものであり、そのための事実の選択や叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており、表現上の創作性が認められる。
 控訴人Xは、上記同一性のある部分は、当時の客観的事実の記載であるし、仮に、上記同一性のある部分によって被控訴人の感情が表現されているとしても、その表現はありふれたものである、と主張する。
 しかしながら、上記同一性のある部分は、その記述全体を通じて、被控訴人が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり、上記同一性のある部分を構成する個々の記述を取り出した上、事実の記載にすぎないとかありふれた表現であるとみるのは相当ではない。上記同一性のある部分は、その内容に照らすと、被控訴人が被控訴人なりに事実を選択して叙述を行ったものと認められるから、その表現には被控訴人の個性が表れているとみるべきであり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないということはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
ウ さらに、控訴人各記述が、被控訴人各記述に依拠して作成されたか否かについて判断する。
 この点、控訴人各記述のうち被控訴人各記述と同一性を有する部分は、いずれも、その対象となる事実や感情の選択や形容の仕方、叙述方法や記載の順序などが共通していることは、前記イにおいて検討したとおりである。これに加え、証拠(甲6、乙1、乙4、乙6の1及び2、乙7の1及び2、乙10の1、被控訴人本人)によれば、控訴人Xは、控訴人書籍第3章部分の執筆のために、平成22年5月21日から同月27日にかけて、A、被控訴人、B、Cなどの関係者に順次取材しているが、同月21日にAに取材した際には既に被控訴人書籍を閲読済みであり、これらの関係者への取材は、被控訴人書籍に記載された内容を踏まえて行われたと考えられること、控訴人X自身、被控訴人書籍中の被控訴人の認識についての記述はそのまま用いた旨供述していることなどに照らすと、控訴人各記述は、いずれも被控訴人各記述に依拠して作成されたと認めるのが相当である。
 控訴人Xは、控訴人各記述の一部について、被控訴人をはじめとする関係者への取材の結果確認した事実を記載したものであり、被控訴人書籍の記載のみを根拠に記載したのではないと主張する。しかしながら、控訴人各記述のうち被控訴人各記述と同一性を有する部分の対象となる事実や感情の選択や形容の仕方、叙述方法や記載の順序の共通性に照らすと、被控訴人各記述に全く依拠することなしに控訴人各記述を記述し得たと考えることは困難であり、控訴人Xが関係者に取材を行い、被控訴人各記述にある事実関係について確認を行ったことのみをもって、控訴人各記述が被控訴人各記述に依拠して作成されたことを否定することはできない。控訴人Xの上記主張を採用することはできない。
エ 以上のとおりであって、控訴人各記述のうち、本判決別紙「控訴人Xの主張」の当裁判所の判断欄に「〇」印を付した記述(以下「当裁判所が複製又は翻案を認めた控訴人各記述」という。)については、対応する被控訴人各記述を複製又は翻案したものと認められる。
(2) 控訴人Xは複製又は翻案及び譲渡に係る利用の許諾を得たか否か
 原判決32頁2行目の「認めるに足りる証拠はない。」の次に、改行の上、次のとおり加えるほか、原判決「事実及び理由」第3の1(2)に記載のとおりであるから、これを引用する。
 「ウ 控訴人Xは、被控訴人が控訴人Xに対して被控訴人書籍を用いて事実の正確な著述をするよう求めた以上、被控訴人による複製又は翻案についての許諾が存在する旨主張する。
 しかしながら、被控訴人が上記のとおり控訴人Xに対し事実の正確な著述を求めたからといって、これによって直ちに、被控訴人が被控訴人書籍について複製又は翻案することを許諾したと認めることができないのは明らかである。被控訴人書籍の複製又は翻案に至る程度にその記述を利用するためには、その旨の明示ないし少なくとも黙示の許諾が必要であるところ、被控訴人についてこれらを認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりであり、控訴人Xの上記主張は理由がない。」
(3) 以上によれば、控訴人Xは、当裁判所が複製又は翻案を認めた控訴人各記述を不可分的に有する控訴人書籍の第3章を著述することによって、被控訴人の被控訴人書籍の著作権(複製権又は翻案権)を侵害し、控訴人集英社は、上記のとおりの控訴人書籍を頒布することによって、被控訴人の被控訴人書籍の著作権(譲渡権又は著作権法28条に基づく譲渡権)を侵害したと認められる。
2 争点A(被控訴人の著作者人格権の侵害の成否)について
 原判決を以下のとおり補正するほか、原判決「事実及び理由」第3の2に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決33頁7行目及び8行目の「別紙対比表の当裁判所の判断欄に○と記載した被告各記述に対応する原告各記述について」を「当裁判所が複製又は翻案を認めた控訴人各記述に対応する被控訴人各記述について」に改める。
(2) 原判決33頁11行目の「頒布した」を「印刷し頒布した」と改める。
3 争点B(控訴人らの故意又は過失の有無)について
 原判決「事実及び理由」第3の3に記載のとおりであるから、これを引用する。
4 争点C(被控訴人の損害の額)について
 原判決を以下のとおり補正するほか、原判決「事実及び理由」第3の4に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決34頁3行目の「2万8560円」を「2万5200円」と改める。
(2) 原判決34頁7行目の「原告各記述を」から同頁9行目末尾までを「当裁判所が複製又は翻案を認めた控訴人各記述は、合計すると控訴人書籍の約4.38頁分(79行÷18行/1頁)であり、本文290頁からなる同書籍の約1.5%分に相当する。」と改める。
(3) 原判決34頁11行目の「2.856円」を「2.52円」と、同頁12行目から13行目の「2万8560円」を「2万5200円」と、それぞれ改める。
(4) 原判決35頁1行目及び2行目を次のとおり改める。
 「(計算式)1680円×0.1×0.015=2.52円
  2.52円×1万部=2万5200円」
(5) 原判決35頁12行目の「慰謝料の額は50万円とするのが相当である。」を「慰謝料の額は、著作権侵害に基づくものにつき25万円、著作者人格権侵害に基づくものにつき25万円の合計50万円とするのが相当である。」と改める。
(6) 原判決35頁13行目の「5万2856円」を「5万2520円」と改める。
(7) 原判決35頁15行目の「弁護士費用の額は、」から同頁17行目末尾までを「弁護士費用の額は5万2520円とするのが相当であると認める。」と改める。
5 以上によれば、被控訴人の請求は、控訴人らに対し、当裁判所が複製又は翻案を認めた控訴人各記述を不可分的に有する第3章(113頁ないし160頁)を含む控訴人書籍の複製、頒布の差止め及び廃棄並びに損害賠償として57万7720円及びこれに対する共同不法行為後の日であることの明らかな平成23年10月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却すべきところ、原判決はこれとは異なる限度で失当であって、本件控訴の一部は理由がある。
 なお、控訴人Xの主張には、控訴人書籍の一部についてのみ著作権及び著作者人格権侵害を認めながら、第3章を含む控訴人書籍を複製・頒布の禁止及び廃棄の対象とすることは過大であり違法であるとの部分がある。しかしながら、控訴人書籍の第3章が上記の著作権侵害等に係る記述を不可分的に含む以上、第3章を含む限度で控訴人書籍を差止め及び廃棄の対象とすることが過大であるとはいえず、控訴人Xの上記主張は理由がない。
6 よって、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 設樂隆一
 裁判官 田中正哉
 裁判官 神谷厚毅

 
(別紙)控訴人Xの主張
 【凡例】○:複製又は翻案と認められる.×:複製も翻案も認められない
記述番号 被控訴人書籍 控訴人書籍 控訴人Xの主張 当裁判所の判断
2 17
朝、元気に家を出た人間が、そのタ刻に死ぬなんて、私にはどう考えても信じられない。悪夢でも見ているのではないか、そうであってほしいと思った。今まで、夫のいない生活を考えたこともなかった。これから一人になって、どんな楽しみがあるのだろうと思ったら、涙が止めどなく溢れて仕方がなかった。私は、周囲に気づかれないように涙をそっとふいた。 131
朝元気に家を出ていった夫が、そのタ刻に死ぬなんて、Yにはどうしても信じられなかった。これは悪夢に違いない。そう何度も思おうとしていた。夫のいない生活など考えたこともない。これから―人になって、自分は何を頼りに生きていけばいいのだろうか。
 考えれぱ考えるほど、止めどもなく涙が溢れてきた。周囲に悟られまいと、Yは何度もハンカチで涙を拭った。
 共通部分が、@朝元気に家を出た人が、その夕刻に死ぬなんて、被控訴人にはどうしても信じられなかったこと、A悪夢と思ったこと、B夫のいない生活を考えたこともなかったこと、Cこれから一人になると思うと、涙が止めどなく溢れてきたこと、D被控訴人は周囲に知られないよう涙をふいたことであったとしても、共通部分@ないしBは、いずれも被控訴人が当時抱いた感情を忠実に記載したものであり、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。また、共通部分C及びDは、いずれも当時の被控訴人の行動を客観的に記載したものであり、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしDによって、被控訴人が抱いた悲しみの感情が表現されているとしても、それは、「どう考えても信じられない」、「悪夢でも見ているのではないか」、「夫のいない生活を考えたこともなかった」の部分により表現されているものであるところ、これらの表現は夫を失った未亡人の感情を表現するものとしてありふれたものである。「涙が止めどなく溢れて」、「周囲に知られないように涙をふいた」の部分も、悲しみの感情を表す際に一般的に用いられる表現であり、ありふれている。また,記載の順序も、被控訴人の当時の思考及び行動の順序に従ったものにすぎない。したがって、上記@ないしDには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
 また、これらの共通部分はいずれも極めて短い文章表現であり、その意味でも著作物性を満たさず、著作権法による保護の対象とはなり得ない。
4 155
大きなカメラを担いで近づいてきた人たちの姿が日に入った。なんて嫌なことをするのだろう、と思いながら見るうちに、カメラに書かれたテレピ局の社名が目に入った。驚いたことに、それは息子の勤務するテレピ局のクルーだったのである。
 私は、あることを考えついてバスを降りた。…
「私は、あなた方と同じ局に勤務する者の母親で、父親が日航機に乗って遭難したらしいのです。なんとかあなたの車に乗せてもらえませんか。少しでも早く現場に行きたいのです」
 すると…若い男性が、ぴょこんと頭を下げ、
「ぽくは、Aと同期で、お父さんのことを聞いています」と、…言った。
131

132
大きなカメラを担いだテレビクルーが乗客の顔を撮ろうとバスに近づいて来た。なんていやなことをするんだろう、と思ったYの目にカメラにつけられたテレビ局のネームが入った。そこには息子が勤める「読売テレビ」の社名が書かれていた。
息子の会社だ、と思ったYは、ふとあること
を思いつき、バスを降りて…
「あのう、息子があなたたちの会社に勤めています。Aと言います。少しでも早く現場に行きたいので、あなた方の車に乗せてもらえませんか」
 スタッフに向かってYはそう声をかけたのだ。その時、後ろから、
「僕はAの同期です。お父さんのこと、聞いています」
 そう声を挙げた若者がいた。
 共通郎分が、@大きなカメラを担いだ人たちが近づいてきたこと、Aなんて嫌なことをするのだろう、と思っていると、カメラにあったテレビ局の名前が目に入ったこと、Bそれは息子が勤めるテレビ局だったこと、C被控訴人は、あることを思いついてバスを降り、「息子があなたたちの会社に勤めています。少しでも早く現場に行きたいので、あなたの車に乗せてもらえませんか」と言ったこと、D若者が「僕はAと同期でお父さんのこと、聞いています」と言ったことであったとしても、共通部分@、BないしD及びAの「カメラにあったテレビ局の名前が目に入った」の部分は、テレビ局のカメラマンがバスに乗車中の犠牲者の家族を撮影するために近づいて来た状況や当該カメラマンが息子の同僚であることが分かった際の会話の内容であって、当時の客観的な事実の記載であり、Aの「なんて嫌なことをするのだろう」の部分は、被控訴人が当時抱いた感情を忠実に記載したものであり、いずれも事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしDによって、披控訴人が抱いた嫌悪や驚きの感情が表現されているとしても、それは「なんて嫌なことをするのだろう」、「驚いたことに」の部分により表現されているものであるところ、嫌悪の感情を「嫌な」、驚きの感情を「驚いた」といった単語を用いて直接的に表現することは、これらの感情の表現としてありふれている。また、記載の順序も、当時生じた出来事の時系列に従ったものにすぎない。したがって、共通部分@ないしDは、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているとはいえない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
5 19
みなさすがに不安と疲労の色濃く、敗残兵のようにバスから降り立った。 134
不安と疲労のために、家族たちは"敗残兵″のようにバスから降り立った。  共通部分が、家族たちが不安と疲労で敗残兵のようにバスから降り立ったことであったとしても、この共通部分は、被控訴人がバスから降り立った家族たちを見て当時抱いた感情を忠実に記載したものであって、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分によって、「被控訴人を含むバスに乗車した家族が抱いていた不安や疲労の感情」が創作的に表現されているとしても、それは「敗残兵のように」の部分により表現されているものであるところ、上記敗残兵という表現は、目的を失い、疲労困憊している状況を表現する比喩として一般的に用いられるものであって、ありふれたものであるし、短い文章であり、記載の順序に被控訴人の個性ないし独自性が表れているということもできない。したがって、共通部分には、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容が用いられているということはできないから、共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
 また、「敗残兵のように」の部分については、このような特定の単語を用いる短い比喩表現は著作物性を満たさず、創作的表現として著作権法による保護の対象とならない。
7 20

21
私は若い警官の前に腰かけた。
「ご主人の事故当日の服装、所持品、肉体的特徴についてくわしく話して下さい」
 と聞かれたが、背広の色さえ記憶していなかった。若いころから着替えは自分でしなければ気のすまない人だったし、空港までの車中も助手席の夫と顔を合わすことがなく、前日自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。覚えていたのはニナリッチのカフスボタン、朝磨いてそろえた靴の色くらいである。身体的特徴については次のように説明した。人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多く、ヘアトニックをたくさんつける習慣のあること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど
136
聴取を担当したのは、若い警官だった。
「事故当日の服装、所持品、肉体的特徴を詳しくお話し下さい」…
 Yは、いざ聴かれるとGが着ていった背広の色さえ記憶していなかった。若い頃から着替えなど、準備は自分―人でやってしまう夫だった。十二日の朝、空港へ送る車中でも助手席の夫とは横向きの位置関係にあり、前日に自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。Yが覚えていたのは、わずかにニナリッチのカフスボタンとタイピン、あとは、朝、磨いて出した黒靴の型くらいのものだ。
 身体的特徴も人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多くてヘアトニックをたくさんつける習慣があること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど
 共通部分が、@若い警官から「事故当日の服装、所持品、肉体的特徴を詳しく話してください」と聞かれたが、背広の色さえ記億していなかったこと、A若い頃から着替えは自分でする人だったこと、B空港への車中も助手席の夫と向き合わず、前日自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかったこと、C覚えていたのはニナリッチのカフスボタン、朝磨いていた靴くらいだったこと、D身体的特徴は人並み以上に頭が大きいこと、E髪の毛が多く、ヘアトニックをたくさんつける習慣があること、F色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、G足の水虫のことなどを説明したことであったとしても、共通部分@ないしGは、警官と被控訴人との間の当時の客観的なやりとりを記述し、その際に被控訴人が思い出すことができた夫に関する事情を記載したものであるから、単なる事実の記載であり、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしGによって、「被控訴人が抱いた困惑や後悔の感情」を表現したものであるとしても、それは「記憶していなかった」、「よく見ていなかった」の部分により表現されているものであるところ、親しい関係にある親族や恋人が死亡した際に、故人について知っている事情がほとんど無く、またそれを知ろうともしなかったことを記載することで、困惑や後悔の感情を表現するという手法は、一般的に用いられる表現方法であって、ありふれたものである。記載の順序も、被控訴人の当時の思考の順序に従ったものにすぎない。したがって、共通部分@ないしGには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということもできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
 また、「背広の色」、「ネクタイの柄」、「靴の色」等の特定の単語を用いる短い表現は著作物性を満たさず、創作的表現として著作権法による保護の対象とならない。
8 21
体育館は、折からのひどい暑さの中に立錐の余地もないほどの人いきれで、まるで蒸しぶろのようである。昨晩から着ていたブルーのTシャツも汗まみれであったが、この際なりふりなど構っていられなかった。 137
体育館は折からの酷暑で、まるでむし風呂だった。Yが前夜から着つづけている洋服も汗まみれだったが、仕方なかった。  共通部分が、@体育館は折からのひどい暑さで、まるで蒸し風呂だったこと、A昨夜から着ている服も汗まみれだったが、やむを得なかったことであったとしても、共通部分@は当時の体育館の客観的状況、すなわち夏の暑い盛りに閉じられた空間に多数の人間が密集していたことにより温度・湿度が上昇して不快感を生ずる状況になっていたという状況を記述したものにすぎず、また、共通部分Aは、当時の被控訴人の着衣が昨夜から着続けているものであったという事実と、そのことについて被控訴人が当時抱いた感情を忠実に記載したものであって、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、@及びAによって、「被控訴人が抱いた不快感や諦めの感情」を表現していたとしても、「蒸しぶろ」、「汗まみれ」は、温度湿度の高い室内の状況や暑さによる不快感の表現として一般的に用いられるものであって、ありふれている。また、記載の順序は、周囲の状況を説明した上で、被控訴人の状況を説明するというもので、ありふれている。したがって、共通部分@及びAには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているとはいえない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
×
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22
館内には日航が用意した新聞がたくさん積まれてあり、どれも第一面に単独機として史上最悪の事故という大きな見出しがのっていた。犠牲者の顔写真の中には、もちろん夫の生き生きした顔もあった。そしてテレビには、あの生存者の劇的な救出場面が何回となく写し出されたが、見ようとする人は少なかった。 137
館内には日航の用意した新聞がたくさん積まれていた。…
 新聞の第一面には、単独機として世界最大の事故であることが特大の文字と共に報じられていた。犠牲者の顔写真の中には、夫のGの顔も載っていた。
 館内に置かれたテレビでは、生存者の劇的な救出場面が何度となく映し出されたが、誰も見ようとする者はいなかった。
 共通部分が、@館内に日航の用意した新聞がたくさん積まれていたこと、A第一面に単独機として過去最大の事故であることが大きな文字で記載されていたこと、B犠牲者の顔写真の中には、夫の顔もあったこと、Cテレビでは、生存者の劇的な救出場面が繰り返しうつし出されたが、見ようとする人はほとんどいなかったことであったとしても、共通部分@及びCは、当時の体育館の客観的な状況を記載したものであり、共通部分A及びBは事故を報じる新聞の紙面と犠牲者の顔写真の中に夫のものがあったという事実の記載であるから、いずれも被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしCによって、「被控訴人や家族らが抱いた悲しみや嫉妬の感情」を表現したものであるとしても、それは「見ようとする人は少なかった」の部分により表現されているものであるところ、何かを見ようとしないことで絶望や嫉妬の感情を表すという手法は、一般的に用いられる表現手法であって、ありふれたものにすぎない。記載の順序も、被控訴人が当時知覚した順序に従ったものである。
 したがって、共通部分@ないしCには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
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27
その場で着衣のネーム、所持品のカード、免許証などで確認できた遺体は、家族が呼び出されることになったので、家族は戦々恐々として呼び出しを待っていた。呼び出しは、死を確認することであった。私たちは、なるべく呼び出されないようにと生への望みを少しでもつないでおきたかった。
 そのうち、館のステージの横に一二三便の乗客の座席が張り出lされた。私は、この時初めて夫が前から五番目の右側、つまりコックピットの下あたりに座っていたことを知り、もはや生きている可能性は絶望に近いと確信した。なぜなら、機体は右に傾きながら前方から山に激突していたからである。相撲の星取表のようなこの表は、遺体が確認されるたびに黄色に塗りつぷされていった。それも遺体の損傷の少ない後部座席から始まり、夫のいた前方はいつまでも空白が残っていた。
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その場で着衣のネーム、所持品のカード、免許証などで身元が特定されていった。確認できた遺体に対しては、家族が呼び出される。
 家族は戦々恐々として呼び出しを待った。呼び出しがあるというのは、「死」を確認することを意味するからである。遺体搬送が始まったこの日、家族は呼び出しがないこと、すなわち「生」への望みを少しでもつなぎとめようとしていた。
 YとAのいる藤岡第二小学校体育館のステージ横には乗客の座席表が張り出された。二人はこの時、初めてGが前から五番目の右側、つまりコックピットの下あたりに座っていたことを知る。それは,生きている可能性が限りなく「ゼロに近い」ことを物語っていた。機体は右に傾き、前方から山に激突していることが、すでに明らかになっていた。
 この後、この表は相撲の星取表のように、遺体が確認されるたびに、黄色に塗りつぶされていった。しかし、塗りつぶされるのは、後部座席から始まって、Gのいた前方はいつまでも空白が残った。
 共通部分が、@その場で着衣のネーム、所持品のカード、免許証などで確認できた遺体は、家族が呼び出されるため、家族は戦々恐々として呼出しを待ったこと、A呼出しは、死を確認することであったこと、B呼ぴ出されないよう生への望みを少しでもつなごうとしていたこと、C館のステージ横に乗客の座席が張り出されたこと、D被控訴人はこの時初めて夫が前から5番目の右側、つまりコックピットの下あたりに座っていたことを知り、生きている可能性が皆無に近いと認識したこと、E機体は右に傾き、前方から山に激突していたこと、Fこの表は相撲の星取表のように、遺体が確認されるたびに黄色に塗りつぷされていったこと、G後部座席から始まり、夫のいた前方はいつまでも空白が残ったことであったとしても、共通部分@、C、F及びGは当時の体育館における家族の呼び出し及び掲示の状況を、Eは山腹への衝突時の機体の傾きをそれぞれ客観的に記載したものであり、@の「戦々恐々として呼ぴ出しを待っていた」、A、B、D及ぴFの「相撲の星取表のように」は、被控訴人が当時抱いた感情を忠実に記載したものであり、いずれも事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしGによって、「家族や被控訴人が抱いた恐怖や期待、絶望、不安の感情」が表現されているとしても、それは、「戦々恐々として」、「望みをつなぐ」、「可能性は絶望に近い」の部分により表現されているものであるところ、「戦々恐々として」は恐怖や不安の表現として、「望みをつなぐ」は期待の表現としてそれぞれ一般的に用いられる表現であり、「可能性は絶望に近い」は絶望の感情を直接的に表現するものであり、これらは全てありふれたものにすぎない。また、「星取表のように」の部分については、該当・非該当の区別を該当欄を塗りつぶすことで示す一覧表は一般的に「星取表」あるいは「当落表」と表現されるものであるから、ありふれている。記載の順序は、時系列に従って状況の説明をしたものにすぎない。したがって、共通部分@ないしGには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
 また、「星取表のように」の部分については、このような特定の単語を用いる短い比喩表現は著作物性を満たさず、著作権法による保護の対象とならない。
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25
午後、作業衣と長靴を着けたE運輸大臣と、そして黒服を着用したF日航社長が体育館に見舞いに来られた。申し訳ない、と詫ぴる言葉が空々しく、別の世界の話に聞こえてならなかった。 140
午後、作業衣と長靴姿のE運輸大臣と,黒服のF日航社長が体育館に見舞いに来た。…「申し訳ありません」と、詫びる言葉が空々しく、Yにはどこかほかの世界の話のように聞こえた。  共通部分が、@午後、作業衣と長靴のE運輸大臣と黒服のF日航社長が体育館に見舞いに来たこと、A申し訳ないと詫びる言葉が空々しく、違う世界の話に聞こえたことであったとしても、共通部分@は、運輸大臣と日航社長が体育館に見舞いに来た際の服装や行動を客観的に記載した事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないし、共通部分Aは、被控訴人が当時抱いた感情を忠実に記載したものであって、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@及びAによって「被控訴人を含む家族達が抱いた怒りの感情」が表現されているとしても、それは「空々しく」「別の世界の話に聞こえた」の部分により表現されているものであるところ、「空々しく」は怒りの感情を表現するときに一般的に用いる表現であり、「別の世界の話に聞こえた」の表現も聴いた事実を真実と信じられないか、信じたくない状況を描写する表現としてありふれている。記載の順序は、時系列に従ったものにすぎない。したがって、共通部分@及びAには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
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一刻も早く肉親の安否を知りたいと念じる家族の不安と怒りは頂点に達し、日航の幹部を容赦なく罵倒し、F社長の顔に水を浴びせる人もいた。 140
―刻も早く身内の安否を知りたいと思う家族は、日航の幹部を容赦なく罵倒し、その中の―人はF社長の顔に水を浴びせたりした。  共通部分が、一刻も早く親類の安否を知りたいと思う家族が日航の幹部を容赦なく罵倒し、F社長の顔に水を浴びせたことであったとしても、この共通部分は、当時の犠牲者の家族が日航の幹部や社長に対してとった行動を客観的に記載したもので、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分によって、「家族が抱いた不安や怒りの感情」が表現されているとしても、「安否を知りたい」は不安の表現として一般的に用いられる表現であるし、「容赦なく罵倒した」は怒りの感情の表現として一般的に用いられる表現であり、これらはありふれたものである。記載の順序についても、家族の状況を説明した上で、その結果としての行動を記載したというもので、通常の順序である。したがって、共通部分には、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
16 29
遺体収容は、この日から比較的身元確認の容易な後部座席の分が終わり、いよいよ尾根の上の方の収容が始まったようである。ここでの遺体は、細かく分断され、その上、火災にも遭ったりしたため、無残な遺体がふえて確認が困難になってきたらしい。 141
この日から比較的身元確認の容易な後部座席の方の遺体収容が終わり、いよいよ尾根の上の方の収容が始まった、という情報が流れた。細かく離断され、その上、火災に遭ったものが多く、より無惨な遺体が増えてきたという情報である。
 いずれにしても身元確認がいよいよ困難になっていたことは間違いなかった。
 共通部分が、@遺体収容がこの日から比較的身元確認の容易な後部座席が終わり、いよいよ尾根の上の方の収容が始まったらしいこと、A細かく分断され、その上、火災に遭ったため、むざんな遺体が増えてきたらしいこと、B確認が困難になってきたことであったとしても、共通部分@ないしBは、遺体収容作業の進展進行状況を記載したもので、当時の客観的な事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしBによって、「被控訴人が抱いた悲しみの感情」が表現されているとしても、それは「無残な遺体」の部分により表現されているものであるところ、身元確認が困難となるような遺体につき「無残」の語を用いることは一般的に用いられる表現であって、ありふれたものである。記載の順序についても、被控訴人が知覚した順序に従ったものにすぎない。したがって、共通部分@ないしBには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
×
19 31

32
報道によると、暑さのため腐敗による悪臭がひどく、三〇〇〇人ほどの自衛隊員たちは、防毒マスクを着けての作業だという。愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられているというすさまじさ。 141

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酷暑の八月である。遺体は、腐敗による悪臭がひどく、三千人に及ぶ自衛隊員たちが、防毒マスクをつけて作業をおこなっている様子がニュースに繰り返し報じられていた。
 愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられているという事実に、
 共通部分が、@暑さで腐敗による悪臭がひどく、3000人の自衛隊員たちは、防毒マスクをつけて作業していることが報じられていたこと、A愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられていることであったとしても、共通部分@は、自衛隊員の作業の様子を記載したもので、当時の客観的な事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないし、共通部分Aについては、被控訴人第19記述に続く記載を併せると、被控訴人書籍においては「愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられているというすさまじさ。こんなことが現実に許されていいのだろうか。」という記載であり、また控訴人第19記述に続く記載も併せると、控訴人書籍においては「愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられているという事実に、遺族は耐えられなかった。」という記載であるから、共通部分Aは、被控訴人を含む遺族が作業の様子を見て当時抱いた感情を忠実に記載したものであって、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@及びAによって、「被控訴人を含む遺族の悲しみや怒りの感情」が表現されているとしても、それは「人に嫌われるほど腐敗させられている」の部分により表現されているものであるところ、悪臭を人は嫌うので、悪臭を放つほど腐敗している遺体につき、「人に嫌われるほど腐敗」と表現するのは一般的であり、「腐敗させられている」については、ある現象に対してそれを引き起こした責任を負う者がいる場合に、被害を受けた者が受動態を用いるのは一般的であるから、ありふれている。記載の順序は、事実の説明に続いて事実に対する被控訴人の感想を述べるもので、通常の順序である。したがって、共通部分@及びAには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容や言い回しが用いられているということはできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
21 33
夕方、遺体捜しの息子たちが戻った。ご苦労さまと言ってお弁当を出したが、手をつけない。幕の内の中のはんぺんと焼いた鶏肉のにおいが遺体のそれとそっくりだと顔をしかめた。息子たちは、その日体験したすさまじい遺体捜しの模様を話し始めた。柩には、ちぎれた手足や内臓の塊まで入っていたこと。この世のものとは思えない陥没した頭に 142

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Aは夕方、Yのもとに帰ってきた。Yは、大変だったでしょう、といって弁当を出したが、Aは手をつけない。
「幕の内弁当の中の"はんぺん″が遺体とそっくりの臭いがする」
 そう言ったまま何も食べなかった。
 Aはその日、目撃した棺の中に入れられていた手足や内臓,あるいは陥没遺体などのことをYに語って聞かせた。
 共通部分が、@息子が夕方、戻って来たこと、Aねぎらって弁当を出したが、手をつけなかったこと、B幕の内の中のはんぺんのにおいが遺体とそっくりだと言ったこと、C息子はその日見たひつぎに入っていた手足や内臓、陥没した遺体について話したことであったとしても、共通部分@ないしCは、遺体探しから戻ってきたAの様子と被控訴人の会話の内容を記載したもので、当時の客観的事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしCによって、「息子が抱いた嫌悪や恐怖の感情」が表現されているとしても、それは「顔をしかめた」、「この世のものとは思えない」の部分により表現されているものであるところ、「顔をしかめ」るのは嫌悪の感情の表現として一般的であるし、恐ろしいものを「この世のものとは思えない」と表現するのも一般的であり、これらは全てありふれたものにすぎない。記載の順序も、単に時系列に従ったものである。したがって、共通部分@ないしCには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
22 168

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気がつくと、藤棚の下に折りたたみ椅子がある。私は、それに腰を下ろした。目の前の暗いしじまに、たった今見てきた夫の痛ましい遺体が浮かんだ。
 その時だった。若い男がおそるおそる私に近づいてきた。
「ご家族の方ですか」
 突然かけられた言葉に我に返ったものの、身体の震えが止まらない。しかし、一瞬助かったと思った。
「そばにいてくれませんか」
 と言ったかもしれない。…
 とにかくだれでもいいから、しゃべり続けていたかった。…彼は、私が手にしていた布地が何であるかを聞いた。夫の着ていた背広の布地だった。大阪の自宅から当日の着衣と同じ布地のズボンを送ってもらい、ハサミで小さく切り分けて持ち、その布地から夫を捜し出そうとしていたのである。・・・
151
Yは、時問の感覚を失っていた。魂の抜けた人問のように、体育館の外の藤棚の下にあった椅子に腰を下ろした。すると新聞記者だという若い男が近づいてきた。
「ご遺族の方ですか?」
 その新聞記者はそう話しかけてきた。
「はい」
 Yには、誰でもよかった。Yは、その新聞記者に「怖いからそばにいてください」と頼んでいた。Yは、夫の身元確認のために大阪の自宅から取り寄せたズボンの切れ端を固く握りしめていた。
 Yは、記者の質問に答えた。この自分の思いを誰かに聞いて欲しかったのである。
 共通部分が、@被控訴人は、気づくと、藤棚の下にあった椅子に腰を下ろしたこと、A若い男が近づいてきたこと、B「ご家族の方ですか」と話しかけられ、「そばにいてください」と言ったこと、C誰かに話したかったこと、D被控訴人は、夫を捜すために大阪の自宅から送られたズポンの切れ端を持っていたことであったとしても、共通部分@ないしB及びDは、被控訴人が新聞記者に声をかけられた際の状況や会話の内容を記載したもので、当時の客観的事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないし、共通部分Cは、被控訴人が当時抱いた「誰かと話をしたかった」という気持ちを忠実に記載したものであって、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしDによって、「被控訴人が抱いていた寂しさや不安の感情」が表現されているとしても、それは「そばにいてくれませんか」、「とにかくだれでもいいから、しゃべり続けていたかった」の部分により表現されているものであるところ、「そばにいてくれませんか」、「とにかくだれでもいいから、しゃべり続けていたかった」は、寂しさや不安の感情を表現する際に一般的に用いられる表現であり、これらは全てありふれたものにすぎない。記載の順序も、時系列に従ったものにすぎない。したがって、共通部分@ないしDには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容や言い回しが用いられているということはできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
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その時十六人、カマの前で最後の別れをした。旅先のことでもあり、柩の中に入れるものもない。 154
自宅からは遥かに遠く、見ず知らずの土地だったため、棺に入れるものはほとんど何もなかった。…
 棺を十六人全員が囲んだ時
 共通郵分が、@16人が夫の火葬に立ち会ったこと、A遠地であり、ひつぎに入れるものがなかったことであったとしても、共通部分@及びAは、16人が夫の火葬に立ち会ったことと柩の中の状況を客観的に記載したもので、当時の客観的事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@及びAによって、「被控訴人が抱いた悲しみや無念の感情」が表現されているとしても、それは、「遠地であり、柩に入れるものがなかった」という部分により表現されているものであるところ、「遠地であり、柩に入れるものがなかった」ことを述べる文章も言い回しに独自性はなく悲しみや無念の感情の表現として,ありふれている。短い文章であり、記載の順序に被控訴人の個性ないし独自性は表れていない。したがって、共通部分@及ぴAに被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
24 46
「G君の好きだったスコッチウイスキーを遺体にかけてあげよう」
 との副社長の言葉を合図に私たちは、順番に真っ黒な遺体にウイスキーをかけて別れを惜しんだ。アルコールが腐敗止めのドライアイスにかかった時、すさまじい勢いで白煙が上がり、遺体が見えなくなった。
「G君、長い間、会社のために働いてくれてありがとう」
 と副社長が大きな声を出されて泣かれた時、みな泣いた。
154

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 「G君の好きだったスコッチウィスキーを(遺体に)かけてあげよう」…
 副社長はそう言うや、オールドパーの口をあけ、下顎のところにかけ始めた。
 その時、すさまじい勢いで白煙が上がった。…
「G君、長い間、会社のために働いてくれてありがとう!」
 その時、副社長の声が白く霞んだ中に響きわたった。…
 その場にいる全員が泣いていた。
 共通部分が、@「G君の好きだったスコッチウイスキーを遺体にかけてあげよう」と副社長が言い、遺体にウイスキーをかけたこと、Aその時、すさまじい勢いで白煙が上がったこと、B「G君、長い間、会社のために働いてくれてありがとう」と副社長が言い、皆泣いたことであったとしても、共通部分@ないしBは、副社長が夫の遺体にウィスキーをかけた際の状況、副杜長の発言内容及びその場にいた人々の行動を記載したもので、当時の客観的事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@ないしBによって、「副社長や被控訴人らが抱いた感謝や悲しみの感情」が表現されているとしても、「ありがとう」、「泣いた」の部分により表現されているものであるところ、感謝の感情を「ありがとう」、悲しみの感情を「泣いた」という単語を用いて直接的に表現するもので、これらは全てありふれたものである。記載の順序も、時系列に従ったものにすぎない。したがって、共通部分@ないしBには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできない。
 以上のとおり、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
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ふと、私は「柩のふたを覆って決まる人の価値」という言葉を思い出し、少し早い気がしたが、「あなたは立派でした」と紙切れに書き、持っていた赤い財布と共に柩に入れた。これが私のできる精一杯の夫ヘの感謝の気持ちであった。 156
夫は「人間の価値は、棺を蓋って初めて定まる」とよく言っていた。…
「あなたは立派でした」
 Yは、そう紙に書いて棺に入れた。Yは、夫に対する感謝と誇りを、その短い言葉に籠めたのである。
 共通郵分が、@被控訴人は「人の価値はひつぎをおおって定まる」を思い出し、「あなたは立派でした」と紙に書き、ひつぎに入れたこと、Aこれに被控訴人の夫への感謝をこめたことであったとしても、共通部分@は、被控訴人が「あなたは立派でした」との内容を紙に書いて柩に入れたことを記載したもので、当時の客観的事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではないし、共通部分Aは、当該行動に関して被控訴人が当時抱いていた思いを忠実に記載したものであって、事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@及ぴAによって、「被控訴人が抱いた尊敬や感謝の感情」が表現されているとしても、「『あなたは立派でした』と紙切れに書き、持っていた赤い財布とともに棺に入れた」、「これが私のできる精一杯の夫への感謝の気持ちであった」の部分により表現されているものであるところ、尊敬の感情を「立派」、感謝の感情を「感謝の気持ち」といった単語を用いて直接的に表現しており、これらは全てありふれたものにすぎない。記載の順序も、時系列に従って行動を記載し、その後にその行動の意味を記載するものであって、通常の順序である。したがって、共通部分@及びAには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。 
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八月十二日、自宅を出た夫は、この日の深夜、骨箱の中に入ってようやく戻ってきたのである。七日と十七時間ぶりであった。 157
Gの骨壺が、大阪・茨木の自宅の門をくぐったのは、八月十九日午後十一時のことである。八月十二日早朝に自宅を出て以来、実に七日と十七時間ぶりの帰宅だった。  共通部分が、@夫が骨となってこの日の深夜に自宅へ戻ったこと、A8月12日に自宅を出て以来、7日と17時間ぶりであったことであったとしても、共通部分@及びAは、8月12日に家を出た夫が死亡し、8月19日こ遺骨となって自宅に戻ったことを記載したもので、当時の客観的事実の記載であるから、被控訴人の思想又は感情を表現したものではない。
 仮に、共通部分@及ぴAによって、「被控訴人が抱いた無念さや悲しみの感情」が表現されているとしても、それは「骨箱の中に入ってようやくもどってきた」の部分により表現されているものであるところ、「骨箱に入って帰宅する」という表現内容は、自宅外で死亡した人に関する記述として一般的な表現であって、ありふれたものにすぎない。したがって、共通部分@及びAには、被控訴人の個性ないし独自性が表れるような感情の形容、言い回しや強調方法が用いられているということはできないから、上記共通部分は、思想又は感情を創作的に表現したものではない。
 また、「骨箱に入る」については、このような特定の単語を用いる短い比喩表現は著作物性を満たさず、創作的表現として著作権法による保護の対象とならない。
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