判例全文 line
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【事件名】自衛隊ムック本の編集委託事件
【年月日】平成24年10月15日
 東京地裁 平成22年(ワ)第28318号 委託料請求事件(本訴)、平成22年(ワ)第43643号 損害賠償請求反訴事件(反訴)
 (口頭弁論終結日 平成24年7月20日)

判決
本訴原告・反訴被告(以下、単に「原告」という。) 株式会社ムックハウス
同訴訟代理人弁護士 横山康博
同 杉浦正敏
同 浅賀大史
同 岩ア泰一
本訴被告・反訴原告(以下、単に「被告」という。) 株式会社ネコ・パブリッシング
同訴訟代理人弁護士 河野敬


主文
1 本訴
 原告の請求を棄却する。
2 反訴
(1) 原告は、被告に対し、金44万1032円及びこれに対する平成22年11月30日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
(2) 被告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用の負担
 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを10分し、その3を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
4 仮執行の宣言
 この判決は、2項(1)に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 本訴
 被告は、原告に対し、金178万5000円及びこれに対する平成21年1月26日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 反訴
 原告は、被告に対し、金570万6741円及びこれに対する平成22年11月30日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、@原告が、被告に対し、被告との間で「自衛隊百識図鑑」(以下「本件ムック本」という。)の編集委託契約(以下「本件委託契約」という。)を締結し、本件ムック本が発売されたにもかかわらず、被告が委託手数料を支払わない旨主張して、本件委託契約に基づく委託手数料として残金178万5000円(附帯請求として約定の支払日の翌日である平成21年1月26日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金)の支払を求めた(本訴)のに対し、A被告が、原告に対し、著作権侵害の疑念がある本件ムック本の原稿データを編集・制作した旨主張して、本件委託契約の債務不履行に基づく損害賠償として570万6741円(附帯請求として反訴状送達の日の翌日である平成22年11月30日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金)の支払を求めた(反訴)事案である。
1 前提事実(証拠等を掲記した事実以外は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
 原告は雑誌・ムック本の編集請負を主要な業務とする会社であり、被告は出版を主要な業務とする会社である。
 被告は、本件委託契約以前に、原告に対し、ムック本の編集・制作を委託したことはなかった。
(2) 本件委託契約の締結
 原告と被告は、平成20年9月中旬ころ、次のとおり、本件委託契約を締結し、被告は、原告に対し、委託手数料の内金80万円を支払った。
委託者 被告
受託者 原告
編集刊行物 本件ムック本
発行予定日 平成20年10月31日
委託手数料 250万円(消費税別)
委託手数料の支払 契約時に内金80万円を支払い、残額170万円は、
発売日の属する月の翌々々月25日に支払う。
(3) 本件ムック本の発売
 原告は、被告に対し、平成20年10月23日頃、本件ムック本を編集・制作した原稿データを納品した。被告は、同月30日、本件ムック本(NEKO MOOK 1205「自衛隊百識図鑑」)を発売した。
(4) 本件ムック本についての通知書
 財団法人防衛弘済会(以下「防衛弘済会」という。)は、平成21年2月23日、被告に対し、同月19日付け通知書をもって、本件ムック本について、防衛弘済会が著作権を有する「知っておきたい!!自衛隊100科」(以下、括弧書きで「自衛隊100科」という。)と構成、内容が類似しているとして、「対象本(判決注:本件ムック本を指す。)においては、100項目という構成の類似性もさることながら、100項目のうち、70以上の項目において、通知人本(判決注:「自衛隊100科」を指す。)と同様ないし、類似した項目が立てられています。また、対象本には、通知人本の文章の言い換えを行う等の手法により記載されたと思われる類似文章が非常に多く見られ、対象本が通知人本を模倣して記載されていることは明らかといわざるを得ません。」などと主張し、本件ムック本の販売停止等を要求した。
(5) 防衛弘済会と原告及び被告との間の争訟
 防衛弘済会は、平成21年7月、被告を債務者として、被告が「自衛隊100科」の著作権を侵害している旨主張して、本件ムック本の販売等の禁止を求める仮処分命令を申し立てた(当庁同年(ヨ)第22047号事件、以下「本件関連仮処分」という。)。その後、防衛弘済会は、本件関連仮処分を取下げ、平成22年3月、被告に対し、同様の主張をして、約729万円の損害賠償を請求する訴訟を提起した(当庁同年(ワ)第8657号事件、以下「本件関連訴訟」という。)。本件関連訴訟は、原告が補助参加した後、和解により終了した。
(乙7〜11、当裁判所に顕著)
2 争点
(1) 原告の委託手数料請求の可否(争点1〔本訴の争点〕)
(2) 原告の債務不履行の有無(争点2〔反訴の争点〕)
(3) 被告の損害の有無及び損害額(争点3〔反訴の争点〕)
3 争点に関する当事者の主張
(1) 原告の委託手数料請求の可否(争点1〔本訴の争点〕)
(原告の主張)
 被告は、本件委託契約に基づく委託手数料のうち170万円(消費税別)について、約定支払日である平成21年1月25日を経過しても支払わない。
 よって、原告は、被告に対し、本件委託契約に基づく委託手数料として178万5000円(消費税込み)及びこれに対する約定の支払日の翌日である平成21年1月26日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
 原告の主張は争う。
(2) 原告の債務不履行の有無(争点2〔反訴の争点〕)
(被告の主張)
 原告は、本件委託契約について、債務の本旨に従って、編集・制作義務を履行することがなかった。
 原告は、本件ムック本の編集・制作業務において、著作権法その他の法令を遵守し、著作権侵害あるいは編集著作権侵害の疑念を生じさせる余地のない著作物を編集・制作すべき契約上の義務を負っていた。
 ところが、原告は、本件ムック本について、「自衛隊100科」の内容と対比して、文章及び文章構成が類似していると考えられる部分の存在が指摘されているばかりでなく、著作権侵害の疑念がある著作物を編集・制作して被告に納品しているから、原告には、本件委託契約における債務の本旨に従った履行をしなかった債務不履行がある。
 原告は、原告と被告の双方が協議しながら企画を練り、被告の承認を得た上でデータを印刷所に送っているなどと主張するが、本件ムック本の編集・制作データが被告に納品された時点では、既に原告によって編集・制作データが印刷所に持ち込まれており、原稿の校正を初め編集・制作データについて被告が関与する余地が全く存在しなかった。むしろ、原告は、著作権侵害が懸念される部分が存在することについて、被告に告知・説明することを怠って、著作権侵害の疑念のある本件ムック本を納入したものである。
(原告の主張)
 被告の主張は争う。
 被告は、本件ムック本の出版の決定に先立って、同種、類似の出版物の出版状況や売れ行き等について、市場調査、市場性の見当をしないはずはなく、その過程で「自衛隊100科」の存在、内容を当然知悉している。出版物の編集を受託した立場の者(原告)としては、著作権侵害とならないよう注意を払って編集を進めることは当然である。一方、編集を委託した立場の者(被告)も、受託者から提出された企画内容や原稿について、著作権侵害等の問題はないかどうか、独自の立場で相応のチェックをする必要がある。著作権侵害かどうかの評価には極めて微妙な面があり、判断者によっては意見が分かれ得るからである。実際、原告と被告は双方で協議しながら企画を練り上げ、編集・制作の過程では必要に応じて担当者同士の打合わせが行われている。また、原告は本件ムック本の台割りを被告に提出して承認を受け、ゲラ刷りを提出して承認を得た上で、データを印刷所に送っている。
 したがって、被告は、企画の市場性を調査する過程で「自衛隊100科」に行き当たっているだけでなく、原告の原稿をチェックする段階でも、著作権侵害という観点から「自衛隊100科」と向かい合っているはずである。本件ムック本が「自衛隊100科」に対する著作権侵害の疑念を生んだことは事実であるが、それだけで契約の目的が達成できない欠陥があったとはいえない。いずれの出版物も自衛隊に関する客観的な情報を提供しようとするものであるから、随所で同一の事実関係に触れざるを得ない。いずれも著作物性のない記述を多く含み、たとえ類似の表現だとしても、著作権侵害の問題ではない部分が多いことも事実である。被告がそのような面を理解しようとせずに批判するのは正当ではない。
(3) 被告の損害の有無及び損害額(争点3〔反訴の争点〕)
(被告の主張)
ア 被告は、本件ムック本について、平成21年3月12日付けで倉庫会社に対して出荷停止を通知し、倉庫からの出荷は同月13日に停止されている(同日時点以前に取次店からの注文が確定していたものについては、同月17日の出荷が最終となっている。)。
 本件ムック本の印刷部数は1万5500部であり、現時点での販売部数は5088部である。被告におけるムック本の販売見込率は80%であるが、第2版、第3版と増刷を繰り返すムック本も数多くあり、第7版に達しているものもある。
 本件委託契約の債務不履行によって被告が被った損害額は、603万2832円である(別紙被告主張の損害額E参照)。
イ 被告は、原告に対し、平成24年2月27日の本件弁論準備手続期日において、上記アの損害賠償請求権と原告の委託手数料請求権170万円とを対当額で相殺する旨の意思表示をした。
ウ 被告は、反訴において、損害額603万2832円から170万円を控除し、残額433万2832円を請求金額とする(別紙被告主張の損害額F参照、判決注:請求の減縮がされていないため反訴の請求としては前記第1の2記載のとおりである。)。
(原告の主張)
 被告の主張アは争う。
 本件ムック本について、防衛弘済会から著作権侵害の主張がされた後も、被告が書店店頭から回収した事実はない。被告は、そのまま本件ムック本を市場に置き、売れ残りによる返本を待っていた。
 本件ムック本の実売状況は、ごく一般的なものであった。ムック本において、実売部数の発行部数に占める割合は、20〜70%の範囲に広がるが、60%に達するケースはごくまれであり、多くの出版社は40%程度を採算分岐点として設定している。実際には採算分岐点に達しないものの方が多く、実売割合30〜40%のケースはごく一般的な成績であり、20〜30%の実売というムック本も全体の3割程度を占めている。
 このように、本件ムック本の実売成績35%はごく一般的な数字であって、原告が非難される理由は全くない。
第3 当裁判所の判断
1 原告の委託手数料請求の可否(争点1〔本訴の争点〕)について
 本件委託契約では、委託手数料を250万円(消費税別)と定め、その支払について、契約時に内金80万円を支払い、残額170万円は、発売日の属する月の翌々々月25日に支払う旨が定められ(前提事実(2))、本件ムック本は、平成20年10月30日に発売された(前提事実(3))のであるから、被告は、原告に対し、平成21年1月25日限り、残額178万5000円(消費税込み)の支払義務があったと認められる。
 したがって、原告の本件委託契約に基づく委託手数料請求は理由がある。
2 原告の債務不履行の有無(争点2〔反訴の争点〕)について
(1) 前提事実に加え、後掲の証拠等によれば、以下の各事実がそれぞれ認められる。
ア 被告の編集局長(当時)であったA(以下「A」という。)は、役員の提案により被告が扱ったことのない自衛隊をテーマとしたムック本が企画されることとなったため、素人でも分かる自衛隊のムック本ができないかと思い、友人の出版プロデューサーに相談したところ、自衛隊関連本の実績のある編集プロダクションとして原告を紹介された。Aは、平成20年8月下旬、原告の編集担当であったB(以下「B」という。)、原告役員等とミーティングを行い、初心者を読者として想定した陸海空の自衛隊が分かるような内容が基本線であるが、全体としてはややマニアックな内容も入れることが話し合われた。また、被告は、陸海空の各自衛隊について3冊を順に出版する方向で企画を検討していたが、上記ミーティングの後、Bからまず自衛隊全般が分かるような図鑑の提案を受け、Aはこれを了承した。
(乙38、弁論の全趣旨)
イ 原告は、平成20年9月下旬頃、本件ムック本の編集・制作に着手した。Bは、同年10月14日、印刷会社への入稿締切りが同月21日朝と知り、Aに対し、「本文の校正ですが、当方にお任せいただけませんか?21日朝入稿となり、Aさんにお目通し願う日数を失った感があります。」、「当方、校正精度は厳に高め、とうぜん、差別表現など無きよう全編留意を走らせますので、校正作業は当方にお任せいただきますよう、お願いいたします。」、「とはいえ、ゲラはある程度溜まりしだい、宅急便メール便などでAさんのお手元へ随時届くようにと考えておりますが。」等と記載したメールを送った。原告は、本件ムック本の原稿データを印刷会社に対して入稿した後、同月23日頃、被告に対し、本件ムック本の原稿データを納品した。本件ムック本は、同月27日に取次会社等に納品され、同月30日に発売された。
(前提事実(3)、乙16〜23、37〜39、50)
ウ 被告は、本件ムック本の販売停止等を要求する防衛弘済会の通知書を受領した後、原告に対し、本件ムック本の制作状況について説明を求めた。原告は、平成21年2月25日付け報告書をもって、執筆に当たって参考資料とした図書等として、「平成19年版防衛白書」「平成20年版防衛ハンドブック」等とともに、「自衛隊100科」を挙げた上で、「『自衛隊100科』と『自衛隊百識図鑑』の全体、100項目中の70項目が近似であるとの先方よりのご指摘についてですが、『自衛隊百識図鑑』のありようを、自衛隊のことをよく知らない方々へ向けて基本的事項や各種情報を提供するものとしました。そこで、素朴な疑問を解説したり、基本事項を平易に説明することに優れた前述の各参考図書を資料とし、読み込みました。」、「『自衛隊百識図鑑』を100項目とした理由は、数字のキリが良いことと、設計された総ページ数の割合などによります。各項目やテーマを選出する作業では、自衛隊が保有する装備(兵器等)、防衛戦略(法制、政策等)、本来任務と国際貢献等、組織解説、その他雑学といった構成をとることが前述の各参考図書でも多く見られたことから、基本事項を解説する『自衛隊百識図鑑』においても必須の構成であると考えました。」、「なかでも自衛隊の基本事項を高品質に解説することに優れている『自衛隊100科』を参考にさせていただいたことも事実ですが、この他に、弊社が独自に自衛隊取材を継続してきたことで獲得してきた各種情報のストックや、新たな取材結果も盛り込み、項目を決めました。」、「このことから、自衛隊の基本事項を解説する種類の誌面という性格上、自衛隊情報を元とする企画にあっては、項目が近似性を持つことは避けられないものではないかと考えております。また、各項目の本文中の表現手法や記述などについても、専門用語や法律用語、形式名や固有名詞、統計データの数量や回数などが頻出することも避けられず、これらの用語や表現などはその用語として使い執筆し、近似の記述に結果として帰結することもまた避けられない状況なのではないかと考えております。」等と説明した。
 さらに、原告は、同月25日付けの報告書(その2)において、本件ムック本の全体構成及び各章の編成方法について説明し、全体構成については、「一般的にネタ(項目)の人気度が高いと認識できるものを優先させ冒頭に配置したり、4C/1C(カラーとモノクロ)の紙質を考慮してネタの順番を変えたりしながら、本誌(「自衛隊百識図鑑」)を読み進むうちに自然と自衛隊の情報が入ってくる、理解できそうな構成に留意したものです。」、「ネタ(項目)数の『100個』も、自衛隊に対する素朴な疑問や豆知識、Q&Aのような要素や手法など本誌のありようを考えたときに自然と出てきた数量です。物量で迫力を出したかったこともあります。」、「タイトル・書名も、100個の知識=百知識=百識と縮めて単純化し、語呂を良くした結果です。」等と述べ、各章の編成方法については、「5章にした理由は、総ページ数『112ページ』の本誌において、まず、1章分を約1折り(印刷の構成単位:1折は16ページ分)と大まかに割り振り、つぎに総項目数『100項目』を考慮し調整した結果、各章あたり12〜20数項目を振り分けることで、5つの折で足りることが想像できました。バランスよく章建てすることを目的としたものです。」等と述べている。
(前提事実(4)、乙40、41、弁論の全趣旨)
エ 被告は、防衛弘済会に対し、平成21年3月12日付け書面をもって、「株式会社ネコ・パブリッシングは、貴職らがご指摘の類似していると考えられる点について、編集・制作過程に関する株式会社ムックハウスの説明をふまえたうえで検討いたしましたが、『項目』の選定と当該記載内容の表現が、客観的事実を基礎とする著作物としての性格を有していることはいうまでもないところであって、そのような性格を考慮するならば、上記MOOK『自衛隊百識図鑑』が『知っておきたい!!自衛隊100科』の著作権を侵害しているとの貴職らのご主張については、残念ながら俄に賛同することができません。」、「しかしながら、株式会社ネコ・パブリッシングといたしましては、上記MOOK『自衛隊百識図鑑』が『知っておきたい!!自衛隊100科』の著作権を侵害しているということはできないとしても、類似していると考えられる部分が存在していることを看過することは適切ではなく、当該出版物は同社が発行する出版物として適当ではないと判断するに至りました。」、「したがって、株式会社ネコ・パブリッシングは、上記MOOK『自衛隊百識図鑑』について、すでに注文出庫を停止し、さらに、これを絶版とすることを決定いたしました」等と通知した。
(甲3)
オ 被告は、平成21年3月13日、取次会社と出版社とのデータ交換システム(「新出版ネットワーク」)に本件ムック本の出荷停止情報を登録するとともに、被告のホームページに在庫なしと表示し、電話での直接注文には在庫がない旨回答することとして、出荷を停止した(ただし、同日以前に取次店からの注文が確定していたものは同月17日まで出荷した。)。もっとも、被告は、既に出荷していた本件ムック本を回収することはなかった。
(甲8、乙2、3、46〜48、57の1及び2、弁論の全趣旨)
カ 防衛弘済会は、本件関連仮処分及び本件関連訴訟において、本件ムック本について、別紙対照表1のとおり「自衛隊100科」の著作権侵害を指摘した(同表は本件関連訴訟において提出されたものであり、同表の「原告記事」欄が「自衛隊100科」の記載、「被告記事」欄が本件ムック本の記載である。)。
(乙7、8)
(2) 以上に基づいて、原告の債務不履行の有無について検討する。
ア 上記(1)において認定した事実によれば、本件委託契約においては、原告と被告の担当者との間で、初心者を読者として想定した陸海空の自衛隊が分かるような内容を基本線とし、マニアックな内容も入れたムック本を制作するという基本的な内容についての合意がされた。しかし、その後の制作の経緯及び著作権侵害の指摘を受けた後の原告の説明内容によれば、実際の編集・制作作業は専ら原告によって行われ、参照図書の選択及びその参照方法、本件ムック本の全体の構成、各章の編成方法等は原告によって決定され、校正作業も原告に委ねられたものと認められる。
 上記のような事実関係に照らせば、原告は、本件ムック本の制作において当然行われるべき、類似図書との対比による著作権侵害のおそれの回避作業を、被告から委ねられていることを前提とした作業をしているものと認められ、本件委託契約において、原告は、委託者である被告に対し、合理的にみて著作権侵害の疑いがある書籍を編集・制作しない義務を負っていたものと認めるのが相当である。
イ そこで、原告が上記義務を履行したものといえるかについて検討する。
 本件ムック本と「自衛隊100科」は、いずれも自衛隊に関する情報を提供することを目的とする出版物であるから、「自衛隊100科」に記載された客観的な情報が本件ムック本において記述されていたとしても、それだけでは直ちに不自然であるとはいえない。しかしながら、別紙対照表1をみるに、本件ムック本の記載のうち、「自衛隊100科」の著作権侵害と指摘された箇所は多数である上、表現が異なる部分もあるものの、語句を入れ替えた程度にすぎない部分も多い。
 そうすると、著作権侵害と指摘された箇所の大部分が客観的な情報に関する記述であることを考慮したとしても、当該箇所は「自衛隊100科」に依拠したものと認めるのが相当であり(上記(1)ウのとおり、原告は、本件ムック本の原稿データの編集・制作に当たり、「自衛隊100科」を参考としたことを認めている。)、本件ムック本は合理的にみて著作権侵害の疑いがある書籍であったというべきである。
 そして、このような合理的にみて著作権侵害の疑いがある書籍については、紛争が生じるおそれがあるために、通常の形態での販売が困難であることは明らかであり、実際に、本件ムック本については、防衛弘済会と被告との間で紛争が生じ、被告は本件ムック本の出荷を停止している。
 そうすると、本件ムック本については、最終的に表現において類似性が認められないために著作権侵害とされない箇所があるとしても、合理的にみて著作権侵害の疑いがある書籍であったから、本件ムック本の原稿データを編集・制作した原告は本件委託契約の債務の本旨に従った履行をしていない(不完全履行)というべきである。
ウ これに対し、原告は、被告が「自衛隊100科」の存在、内容を知っており、原告の原稿をチェックできた旨を主張する。しかしながら、原告の主張に沿って検討しても、上記(1)の本件ムック本が発売されるまでの事情や原告の本件ムック本の制作状況についての説明(上記(1)ア〜ウ)から、被告が「自衛隊100科」の存在を知っていたとは認められないし、その他これを認めるに足りる証拠はない。加えて、被告は、原告が印刷会社に入稿した後に、本件ムック本の原稿データを受領しており、本件ムック本が発売されるまでに原稿データを精査する時間は残されていなかったと解されるから、原告の主張は理由がない。
 また、原告は、本件ムック本が「自衛隊100科」に対する著作権侵害の疑念を生んだだけで契約の目的が達成できない欠陥があったとはいえない旨主張するが、上記イのとおりであるから、原告の主張は理由がない。
(3) 以上のとおり、原告は本件委託契約の債務の本旨に従った履行をしていない(不完全履行)と認められる。
3 被告の損害の有無及び損害額(争点3〔反訴の争点〕)について
(1) 前提事実及び前記2(1)に認定した事実に加え、後掲の証拠等によれば、以下の各事実がそれぞれ認められる。
ア 本件ムック本は、初刷りとして1万5500部が印刷され、そのうち、株式会社トーハンに5500部、日本出版販売株式会社に4500部、株式会社太洋社に700部、株式会社大阪屋に600部、株式会社中央社に150部、協和出版販売株式会社に50部、栗田出版販売株式会社に700部、弘正堂図書販売株式会社に50部が納品され(合計1万2250部)、在庫分として京葉流通倉庫株式会社(以下「京葉流通倉庫」という。)に3085部が搬入されたほか、献本その他に使用する分としてヤマトロジスティック株式会社及び被告営業部に合計165部が搬入された。
(乙12、15〜27、34、弁論の全趣旨)
イ 本件ムック本は、上記アの納品・搬入の後、京葉流通倉庫から、平成20年10月には取次出庫79部、直送出庫4部、通販出庫1部、同年11月には取次出庫752部、直送出庫6部、同年12月には取次出庫365部、直送出庫34部、平成21年1月には193部、同年2月には取次出庫140部、直送出庫1部、同年3月には取次出庫69部、直送出庫1部が出庫され(合計1645部)、平成20年11月には1289部、同年12月には2309部、平成21年1月には1578部、同年2月には867部、同年3月には724部が返品された(合計6767部)。その後も返品は続き、平成23年6月頃までに、上記6767部を含めて合計8815部が返品された。被告は、出荷停止後も、出荷済みの本件ムック本を回収することはなかったが、本件関連仮処分の審尋期日において、本件ムック本の在庫を断裁する旨を表明し、平成23年6月21日までに、1万0196冊の在庫(返品された合計8815部を含む。)を断裁処理した。本件ムック本は、同年7月8日までの間、5068部が販売され、165部が献本その他に使用され、その他71部の流通在庫又は在庫が存在した。
(前記2(1)エ、枝番号を含めて乙15、27、28〜33、35、37、42、43)
ウ 被告は、本件ムック本の印刷費用として222万0593円、デザイン料として1万2600円、その他経費として1万3190円(いずれも消費税込み)を支出し、広告売上として8万円の収入があった。また、本件委託契約に基づく委託手数料は262万5000円(消費税込み)であり、被告は、原告に対し、そのうち80万円を支払った。本件ムック本の本体価格(小売価格)は1286円(消費税別)であり、搬入正味価格は836円であった。
(前提事実(2)、枝番号を含めて乙12〜14、50、弁論の全趣旨)
エ 社団法人全国出版協会・出版科学研究所発行の「出版指標年報2012年版」及び「出版月報2012年4月号」には、ムック本の返品率は、平成11年から平成23年までの間、43.5%、41.2%、39.8%、39.5%、41.5%、42.3%、44.0%、45.0%、46.1%、46.0%、45.8%、45.4%、46.0%である旨が記載されている。そして、上記出版指標年表の書籍・雑誌全般について作成された返品率一覧表においては、ムック本を雑誌(月刊誌)に区分し、その注記として、返品率は、雑誌につき推定返品金額を推定発行金額で除して算出したものであり、ただし、返品された書籍の大半と雑誌の一部は注文等に充当され再出荷されるので、返品は即廃棄を意味するものではないとの注釈が付されている(「新文化」編集部編「出版流通データブック2011」には、「ムック市場の推移(推定)」において、上記出版科学研究所の調べとして、上記と同じ平成12年から平成22年までの間の返品率が記載されている。)。また、株式会社メディアパル発行の「よく分かる出版流通のしくみ改訂版」には、本が返品された場合、書籍については、改装されて再出荷されることが一般的であり、他方、雑誌については、コミックスやムック本を除いて、週刊誌、月刊誌等は実売期間が限られるので、廃棄の対象となる旨が記載されている。
(乙48、51〜53)
オ 上記エの「出版指標年報2012年版」及び「出版月報2012年4月号」には、被告の平成18年から平成23年までのムック本の新刊点数として、68点、90点、138点、206点、134点、127点(合計763点)である旨が記載されている。
(乙51、52)
カ 被告の発行するムック本については、主として大手書店を対象とする取次会社である株式会社トーハン及び日本出版販売株式会社からの返品は、京葉流通倉庫に、小規模書店を対象とする取次会社である株式会社太洋社、株式会社大阪屋、株式会社中央社、協和出版販売株式会社及び栗田出版販売株式会社からの返品は、株式会社OIMセンターにそれぞれ搬入され、搬入先において検品を実施し(株式会社OIMセンターでは搬入開始後5か月目からの返品について実施)、改装品を良品とともに再出荷の対象とする扱いである(例えば、被告の発行した「ゆるふわショート&ボブ」、「所ジョージの世田谷ベース11」では、出荷数合計が総刷り部数を上回っているから、返品が再出荷されていると認められる。)。
(乙37、43〜46)
(2) 以上に基づいて、被告の損害の有無及び損害額を検討する。
ア 原告は、被告が本件ムック本を書店から回収したことがないことを指摘し、原告の債務不履行によっても損害が生じていない旨主張するようである。
 しかしながら、被告は、本件ムック本の販売開始から出荷停止の時点まで、継続的に本件ムック本を出荷していたのであるから(上記(1)イ)、原告の債務不履行により本件ムック本が出荷停止となり、そのために被告に損害が生じていることは明らかである。
イ 続いて、被告の損害額について、まず本件ムック本の販売見込みを検討する。
 上記(1)エの統計によると、ムック本については、返品率(推定返品金額を推定発行金額で除して算出したもの)が39.5%〜46.1%であるから、その販売率を全体から返品率を控除するものとすると、53.9%〜60.5%となる。また、実際には、返品されたムック本が改装されて再出荷される場合があるから(上記(1)エ)、その再出荷分を含めると、ムック本の販売率は53.9%〜60.5%を上回るものと推定される。
 以上に加え、本件ムック本の平成21年3月までの出庫・返品の状況、実売部数、被告はムック本の返品を改装して再出荷していることを併せて考慮すると、本件ムック本の販売見込みは印刷部数の60%を下回ることはないと認めるのが相当である。
 これに対し、被告は、本件ムック本の販売見込率が印刷部数の80%である旨主張する。確かに、被告の発行するムック本には重版となるものが一定数存在し、例えば、平成18年から平成22年までの間では重版になったものが39点存在する(乙4)。しかしながら、被告は、同時期において、ムック本を合計636点発行しており(上記(1)オ)、重版となる比率は約6%であることなどに照らすと、一般的なムック本の販売率を超えると解される販売見込率を認めることは困難である。
 他方、原告は、本件ムック本の実売成績35%はごく一般的な数字である旨主張し、これに沿う証人Cの証言及び陳述書(甲11)もあるが、原告の主張は、上記に示した統計から推定される数字と乖離するものであるから、これを容易に採用することはできない。
ウ 以上を前提として、被告の損害額を算定する。
 本件ムック本の1部当たりの利益の計算式は、「(搬入正味価格×印刷部数−〔費用合計−広告売上〕)/印刷部数」であり、上記(1)ウのとおり、搬入正味価格836円、費用合計487万1383円(印刷費用222万0593円、デザイン料1万2600円、その他経費1万3190円、本件委託契約に基づく委託手数料262万5000円)、広告売上8万円であるから、これらを上記の計算式に当てはめると、本件ムック本の1部当たりの利益は526円(1円未満切捨て)となる。
(836×15,500-〔4,871,383-80,000〕)/15,500=526(円)
 そして、本件ムック本の販売見込みである印刷部数の60%は9300部であり、上記(1)イのとおり、実売部数は5068部であるから、その差である4232部に526円を乗じると、222万6032円となる。
 したがって、被告の損害額は222万6032円と認めるのが相当である。
(3) 以上のとおり、本件委託契約の債務不履行に基づく損害賠償として222万6032円が認められる。
4 まとめ
 被告は、原告に対し、平成24年2月27日の本件弁論準備手続期日において、本件委託契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権と原告の委託手数料請求権とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。そして、本訴及び反訴が係属中に、反訴請求債権を自働債権とし、本訴請求債権を受働債権として相殺の抗弁を主張することは禁じられないと解するのが相当であるから(最高裁平成16年(受)第519号同18年4月14日第二小法廷判決・民集60巻4号1497頁参照)、原告の委託手数料請求権(178万5000円)は相殺により消滅したと認められる(なお、被告の主張では、委託手数料請求権を170万円とするが、残債権の全額を受働債権とする趣旨であると解される。)。
 したがって、原告の本件委託契約に基づく委託手数料請求に対する相殺の抗弁は理由がある。これに対し、被告の本件委託契約の債務不履行に基づく損害賠償請求は、相殺後の残額である44万1032円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成22年11月30日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある。
5 結論
 よって、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 大須賀滋
 裁判官 小川雅敏
 裁判官 西村康夫
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