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【事件名】「霊言」DVDの引用事件 【年月日】平成24年9月28日 東京地裁 平成23年(ワ)第9722号 損害賠償等請求事件 (口頭弁論終結日 平成24年7月27日) 判決 原告 宗教法人幸福の科学 同訴訟代理人弁護士 糠谷秀剛 同 野武正一郎 同 佐藤悠人 同 宮原正志 同 水谷共宏 被告 A 同訴訟代理人弁護士 原口健 同 町田弘香 主文 1 被告は、別紙著作物目録記載の各動画映像を収録したDVD、その活字起こし文書及びワープロソフトデータファイルをいずれも複製又は頒布してはならない。 2 被告は、原告に対し、金60万円及びこれに対する平成23年4月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 原告のその余の請求を棄却する。 4 訴訟費用は、これを5分し、その4を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。 5 この判決は、第2項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 主文第1項同旨 2 被告は、原告に対し、金1000万円及びこれに対する平成23年4月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 本件は、宗教法人である原告が、その代表役員の配偶者である被告に対し、別紙著作物目録記載の各動画映像(以下、同目録記載の番号順に「本件霊言1」「本件霊言2」といい、これらを併せて「本件各霊言」という。また、本件各霊言を収録したDVDを「本件DVD」という場合がある。)について、原告の著作権(複製権、頒布権)が侵害された旨主張して、@著作権法112条1項に基づく差止請求として、本件DVD、その活字起こし文書及びワープロソフトデータファイルの複製又は頒布の禁止、A不法行為に基づく損害賠償請求として1028万3500円の一部である1000万円(附帯請求として訴状送達の日の翌日である平成23年4月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金)の支払を求めた事案である。 1 前提事実(当事者間に争いがない。) (1) 原告 原告は、昭和61年10月任意団体として活動を開始し、平成3年3月宗教法人法に基づく設立登記をした宗教団体である。 (2) 被告 被告は、原告代表役員の配偶者である。なお、被告は、離婚調停が不調により終了したため、原告代表役員に対し、離婚等請求訴訟を提起している(東京家庭裁判所平成23年(家ホ)第131号事件)。 (3) 被告の記者会見とその後の対応 被告は、平成23年2月24日、原告代表役員及び原告に対する名誉毀損を理由とする損害賠償請求訴訟(当庁同年(ワ)第6077号事件、以下「本件名誉毀損訴訟」という。)を提起し、同月25日、本件訴訟の被告訴訟代理人である原口健弁護士(以下、単に「被告代理人」という。)を伴って、都内のホテルにおいて、本件名誉毀損訴訟の提訴記者会見を行なった(以下「本件記者会見」という。)。本件記者会見には、20数名のマスコミ(テレビ局4社、週刊誌記者、フリージャーナリスト等)が出席し、訴状の概要を記した書面が配布され、被告及び被告代理人による口頭説明が行われたが、本件名誉毀損訴訟において証拠として提出された本件DVD及びその活字起こし文書については上映や配布などは行われなかった。 その後、被告は、本件DVDとその活字起こしのワープロソフトデータファイルが収められたCD−Rを複製し、平成23年2月26日付け書簡を同封した上で、宅配便により本件記者会見の出席者全員に対して本件DVDとCD−Rを送付して頒布した(以下「本件複製頒布行為」という場合がある。)。 2 争点 (1) 本件各霊言の著作物性の有無(争点1) (2) 本件各霊言の著作権が原告に帰属するか(争点2) (3) 本件複製頒布行為が著作権法32条1項の引用に当たるか(争点3) (4) 本件複製頒布行為が著作権法41条の時事の事件の報道のための利用に当たるか(争点4) (5) 原告の著作権の行使が権利濫用に当たるか(争点5) (6) 原告の損害及び損害額(争点6) 3 争点に関する当事者の主張 (1) 件各霊言の著作物性の有無(争点1) (原告の主張) ア 本件各霊言は、「霊言」と呼ばれる宗教行為の動画映像であり、映画の著作物である。 イ 本件各霊言は、ビデオカメラで収録された動画映像であり、その表現は、第1に「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法」で行われ(表現方法の要件)、第2にDVD−RWディスク等のデジタル録画媒体という「物に固定」され(存在形式の要件)、第3に「思想又は感情を創作的に表現した」ものであって、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」である(内容の要件)。 特に、第3に関しては、本件各霊言は、その収録に際し、そのタイトルとテーマ、複数の出演者(対話者である人間だけでなく招霊される霊を含む)及び全体の構成が決定された上で「霊言」が行われたものであって、単に自然現象をあるがままに記録したものではないから、「思想又は感情を創作的に表現した」といい得る。 ウ 「霊言」の映像は、複数のテレビカメラによって様々な角度から撮影が行われ、収録中に同時進行で適宜カメラが切り換えられ1本の映像番組にまとめる編集作業が行われており、原則として、それ以上に撮影部分を加除訂正するような収録後の編集作業は行われることなく完成版として上映されるのが通例である。これは映画の著作物か否かが問題になる未編集の撮影済みフィルムと異なり、完成された映画に該当するものである。 (被告の主張) ア 原告の主張に対する認否 原告の主張アは争う。同イのうち、本件各霊言が表現方法及び存在形式の要件を充足することは認め、その余は否認する。同ウは不知ないし争う。 イ 創作性がないこと 本件各霊言は、「思想又は感情を『創作的に』表現した」ものではなく、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」でもないから、映画の著作物たり得ない。 本件各霊言の内容は、それ自体およそ正当な表現行為としての価値を認め難い原告代表役員の、「霊言」の名の下に行われた被告に対する名誉毀損的言説を、記録のため、あるいは信者に対する放送のための技術的手段として、単純に連続的・通時的に録画したものでしかない。言語的表現の単純な記録にすぎない動画映像が、映画の著作物とされるためには、創作的表現としての編集行為が認められなければならないが、本件各霊言には創作性を認めるに足りる編集行為は存在しない。この点、確かに、本件各霊言には、複数のカメラによる異なる角度からの映像が含まれるが、大半は話者を正面から固定的に捉えたものであり、せいぜい稀に異なった角度から対話状況を撮影する定型的なカメラワークがあるにすぎず、それ以上の編集行為は全く存在しないから、このような機械的画一的なカメラワークについて、映画の著作物たり得る創作性を認めることは困難である。 著作権法2条3項が「著作物であること」を映画の著作物の成立要件としているのは、映画としての著作物性を要求したものであり、単なる動画映像や録画物を排除する趣旨であるから、創作性を欠いた本件各霊言には、映画としての著作物性は存しないというべきである。 ウ 映画の著作物としての実質性がないこと 著作権法が、映画の著作物について、著作者の特定や著作権の帰属に関して他の著作物と異なる特則を置き、特に頒布権を付与しているのは、映画が製作に莫大な費用を要する著作物で、作成を主導するプロデュース業務と著作物を作成する創作活動たる制作業務が別個に担われることが多く、制作も総監督の指揮のもと、実演家、演出家、カメラマン、美術担当者など多くの人々の共同作業によってされるため、創作の全体的形成に寄与した者を著作者とする一方で、映画製作を発案、企画し資本投下する映画製作者に一元的に著作権を与え、資金回収を容易ならしめる必要性が高いからである。 このような観点から見た場合、本件各霊言には映画の著作物としての実質性を見いだすことができない。本件各霊言は、原告代表役員が原告の信者に対し、被告を誹謗して自らの言動を正当化し権利擁護を図るために行った言説を機械的に録画し、原告が有する放送設備等を用いて放送又は配信するため、技術的手段として固定したものにすぎない。このような動画映像まで「映画」の範疇に含めることは、「映画」の日常的、常識的用語例から著しく外れ、社会一般の認識から乖離する。また、収録された動画映像における言説を行ったのは原告代表役員であり、これを動画に収録せしめることを発案し指示したものも原告代表役員である上、動画映像の製作のために多額の資金が投じられたわけではなく、当然劇場における公開やそれを前提とする頒布を予定するものでもなかったから、上記のような特則規定を適用する理由や必要性が全くない。 著作権法は、動画映像をすべて映画の著作物として取り込むものではない。著作権法上、「録画物」と「映画著作物」が区別して用いられているのは、映画の著作物たり得ない動画像が存在するからである。 そうすると、本件各霊言は、著作権法が想定する「映画の著作物」としての実体を有せず、著作物性の認められない単なる録画物にすぎないことが明らかというべきである。 (原告の反論) ア 創作性がないこと(被告主張イ)に対する反論 本件各霊言によって表現されるのは、原告代表役員ないし原告代表役員に呼ばれた霊の思想であって、原告代表役員以外には表現不可能な事象ないし思想内容であるから極めて創作的な表現であるととともに、これが宗教の奥義であって、学術ないし文芸の範囲に属するものであることは当然である(著作権法2条1項1号)。 すなわち、少なくとも現象的には人間である原告代表役員の精神的活動全般による高度な思想そのものである。その上、本件各霊言は、その収録に際し、タイトル及びテーマ、複数の出演者(対話者である人間が複数であるだけでなく招霊される霊を含む)並びに全体の構成が予め決定された上で霊言が行われており、単に自然現象等をあるがままに記録したものではなく、かかる構成面において高度の創作性を有し、「思想又は感情を創作的に表現した」ものであることは明らかである。さらには、本件各霊言に収録された霊言の影像は、複数のテレビカメラによって様々な角度から撮影が行われ、収録中に同時進行で適宜カメラが切り換えられ1本の映像番組にまとめるという編集作業が行なわれているから、未編集の撮影済みフィルムなどとは全く異なるものであって、その編集面においても高度の創作性が存することは明らかなのである。 イ 映画の著作物としての実質性がないこと(被告主張ウ)に対する反論 被告の主張する頒布権制限説は、判例の採用するところではなく、最判平成14年4月25日(民集56巻4号808頁)もまた、劇場用映画に該当しない(ゲームソフトの)場合であっても、映画の著作物に該当するものである以上、その著作権者が著作権法26条1項所定の頒布権を専有すると解すベきであると明白に判示しているのである。 したがって、被告主張は、かかる判例法理に照らせば全く意味を有しないものである。そして、実質的に考えても、著作権法26条には頒布権の客体を劇場用映画に限定するという文言はなく、貸与権が認められた際にビデオカセット等を貸与権の対象としなかったことに鑑みれば、劇場用映画以外の映画の著作物についても、頒布権を肯定すべきは至極当然というべきである。 (2) 本件各霊言の著作権が原告に帰属するか(争点2) (原告の主張) ア 本件各霊言の著作者は、そのタイトルとテーマ、出演者及び全体の構成をすべて決定することで、「制作、監督、演出」に該当する行為を行い、「映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者」である原告代表役員である(著作権法16条本文)。 イ 本件各霊言の著作権は、その著作者である原告代表役員が、映画製作者である原告に対し、「当該映画の著作物の製作に参加することを約束している」ことから原告に帰属している(著作権法29条1項)。 原告代表役員と原告との間には、原告代表役員が原告制作の動画映像に出演した場合には、これに原告制作のロゴマーク映像を付すること、原告の判断でこれを利用してかまわないこと、これに対して原告代表役員が著作権使用料等を一切請求しないことにつき慣習的に合意が成立している。すなわち、黙示のうちに「当該映画の著作物の製作に参加することを約束」しているものである。 ウ したがって、本件複製頒布行為は、原告の著作権(複製権、頒布権)を侵害する。 (被告の主張) 原告の主張はいずれも争う。 (3) 本件複製頒布行為が著作権法32条1項の引用に当たるか(争点3) (被告の主張) ア 本件複製頒布行為は、著作権法32条の定める適法な引用行為の範疇であるから、著作権侵害とならない。 イ 上記引用行為において、従たる被引用著作物すなわち本件各霊言に対し、主たる引用表現として位置づけられるのは、本件記者会見における(配布資料を含む)説明、批判、反論等である。 (ア) 本件記者会見は、平成23年2月25日午後2時から午後3時頃まで、東京都千代田区<以下略>所在の都市センターホテル706号室において、被告及び被告代理人が出席して行われた。 開催に先立ち、被告は、「Aは、幸福の科学総裁B氏及び同教団に対し、名誉毀損等に基づく損害賠償請求の訴えを提起いたしました。この件に関しご説明のため、…記者会見を行いますので、ご参集賜りますようお願い申し上げます。」と呼びかけるFAX(乙1)を前日に各種報道機関に送り、これを受けて、当日、新聞社、テレビ局、週刊誌所属の記者、カメラマンや、フリーライターなど総勢25名が本件記者会見に参加した。 (イ) 本件記者会見の開催当日、参加者には、受付時に、「訴状の概要」と題する説明資料(乙2)を配付した。これは、実際に提出した訴状のうち、当事者目録や立証方法、添付書類などごく一部の内容を割愛したが、請求の趣旨及び請求の原因は全文を掲載し、一部人物の固有名詞のみを●で伏せ字表記したものであり、特に被告が問題とした原告代表役員の名誉毀損的言説の指摘部分はそのまま残したものである。 (ウ) その後、定刻に至り、まず被告代理人が開会の辞を述べ、出席者紹介を行い、また、記者会見開催の趣旨として、本件名誉毀損訴訟の訴え提起の報告とその内容についての説明を行うものであると述べた。 引き続き、被告が挨拶して、原告代表役員との夫婦関係悪化に端を発して、原告代表役員や原告との係争が発生、拡大した経緯全般を説明した。具体的には、平成16年に原告代表役員が心不全で入院して以降夫婦関係が変化してきたこと、平成19年当時、原告代表役員の女性関係をめぐり夫婦仲にひびが入り、平成20年4月以降、追い出されるようにして別居状態に至っていたこと、そのとき、原告から激しいバッシングを受け、自殺衝動にかられて病院に通院していたこと、衆議院議員選挙に際し一時期幸福実現党党首として活動したが、選挙後再び関係が疎遠になり、平成22年3月に離婚届に判を押すよう求められたことなどを述べた後、同時点で別居中の建物からの退去を求められて立入禁止仮処分申立てを行っていること、離婚訴訟が係属していることなどを説明した。 その後、被告はさらに、平成22年10月から同年11月にかけて、原告が収録し、信者向けに配信した本件各霊言のなかで、原告代表役員が被告の守護霊たる文殊菩薩を原告代表役員が降霊させてしゃべらせ、それを被告の本心であるかのように語っているのを知るに及び、「“これはいくらなんでもひどい”ということで、何とか損害賠償などの救済措置を講じられないかと思い、提訴した」旨を説明した。 続いて、被告代理人が「霊言は、被告の個人攻撃と目される表現に終始している」と指摘し、例えば、被告が原告代表役員に対して、自分の方が能力的に優位だと主張して原告代表役員を貶めているのだとの表現や、被告が被告こそ原告を大きくした最大の功労者だと主張しているのだと装っている箇所が多数あると述べ、他にも、過去に被告と原告代表役員が結婚した経緯について事実を偽っていること、原告関係の大きな事件として、講談社のフライデーに対するネガティブキャンペーンが発生した経緯について、被告が私怨のためにやったのだと自白しているように話す場面があること、これらが名誉毀損的な言質だと認識していることを説明した。 さらに、霊言の席に、原告代表役員と被告の長男、長女を同席させ、被告の「霊」と子供たちを罵り合わせたり、被告の「霊」が、オウム真理教を例に出して特定の人物を、「ポアした方がいい」「殺した方がいい」としていること、「核ミサイル、ぶっぱなしてみたい」などと語っていることが、問題であるとし、霊言により、被告の社会的評価とともに、被告の主観的な名誉感情も侵害されていると説明し、これらの精神的苦痛に対する慰謝料として1億円の請求を行ったと述べた。 (エ) その後、若干の質疑応答が行われ、その中でも、被告代理人が、外部に向けて行う表現行為には制約が伴うと指摘し、霊言という特殊な表現行為が隠れ蓑に使われてはならず、宗教的行為であっても許されるべきではないと主張するなどした上で、午後3時頃、閉会に至った。 (オ) 以上のとおり、本件記者会見の主題は、本件各霊言等が被告の名誉を毀損するとして行った本件名誉毀損訴訟の提起を報告し、その概要を説明するものであり、霊言がそもそもどのようなもので、本件各霊言がどのような内容に及んでいるかを説明し、かつそれが被告のいかなる権利を侵害しているかを提訴者の立場から主張するものであったから、その前提として、説明、批判、反論等の対象となった本件各霊言について具体的に提示することが必要不可欠だったものである。 したがって、本件複製頒布行為は、本件記者会見の説明等の補充として、本件記者会見における説明等の行為に対し従たる関係に立つ適法な引用というべきである。被告は、本件DVD等を記者会見の席上で配布したものではないが、会見の翌日、記者会見の出席者にのみ郵送したものであるから、当然、同一機会における引用利用と認められるべきである。また、動画映像の上映に代え、本件DVDを交付することは、事前に上映設備を用意したり、上映する時間を確保できないという物理的・時間的制約の観点から当然に許され、代替手段としての合理性も認められる。 ウ かかる引用は、著作権法32条1項が要求する公正な慣行にも合致する。 例えば、相手方当事者の著作物が自らの著作権その他何らかの権利を侵害しているとして訴訟を提起し、提訴会見を開くような場合に、相手方当事者の著作物を複製して開示し、侵害の具体的態様や自らの主張するところを説明することは、日常、当然のように行われているところであり、当該行為が著作権侵害を問われることなどない。記者会見における配付資料として、自己の権利を侵害する著作物を配布し利用することは、世上極めて頻繁に目にするところであり、明らかに公正な慣行に合致するものであるといえる。 その際、引用の量や範囲も必要範囲に限定されなければならないとされるが、本件各霊言は、「霊言」という特殊な形態と内容により行われ、動画映像の視聴によって初めてその趣旨や権利侵害の事実を正確に理解し得るといえること、名誉毀損的言辞がほぼ全編にわたって貫かれていること等からすれば、引用が本件各霊言を収録した本件DVDの配布をもって行われることは、説明と反論という引用の目的上当然に正当な範囲内のものと認められるべきである。 (原告の主張) ア 被告の主張に対する認否 被告の主張は争う。 イ 適法な引用ではないこと (ア) 裁判例の基準 裁判例は、著作権法32条1項で許容される適法な「引用」について、「報道、批評、研究等の目的で他人の著作物の全部又は一部を自己の著作物中に採録すること」であるとし、同条項の「公正な慣行に合致し」かつ「引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」ことという要件について、「全体としての著作物において、その表現形式上、引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができること及び右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められることを要する」とした上で、「右主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘つて確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきものであ」るとしている(東京高裁昭和60年10月17日判決〔藤田嗣治作品無許諾掲載事件〕)。 そして、同裁判例では、引用されて利用される側の著作物(絵画)が、引用して利用する側の著作物(論文)に対する「理解を補足し、その参考資料となつている」ことは認めつつも、当該論文と別のページに掲載されたものが多く、「右論文に対する結び付きが必らずしも強くないこと」とともに、「それ自体鑑賞性をもつた図版として、独立性を有するもの」であることを認定し、「従たる関係にあるということはできない」として、適法な引用に当たらないと判断した。 (イ) 付従性の欠如 a 被告の主張において、「引用されて利用される側の著作物」は、本件霊言1(甲1)、本件霊言2(甲2)であるが、その動画収録時間は、前者が約103分、後者が約118分であり、合計すれば221分(3時間41分)にも及ぶものである。 被告は、本件名誉毀損訴訟において、本件各霊言につき活字起こしして書証として提出しているところ、その分量は、A4版サイズの文書で合計366枚に及ぶものである。 b 被告の主張によれば、「引用して利用する側の著作物」は、「被告が原告に対する名誉毀損訴訟の提起に当たり開催した記者会見における(配布資料を含む)説明、批判、反論等」である。 本件記者会見は、被告の主張によれば、約1時間行われたというのである。そして、被告が本件記者会見で配布した説明資料「訴状の概要」(乙2)は、準備書面形式による掲載字数が少ないレイアウトのA4文書2枚がA4文書1枚に縮小コピーされているものの、これを 復元してA4版サイズの文書に換算すれば19枚である。 仮に本件記者会見の60分を、被告が本件各霊言を文字化した書式による頁数に換算すると、60分÷221分×366枚=約99枚であるから、配布した説明資料(乙2)19枚と合計しても、その分量はA4版サイズ文書でわずか118枚にしかならない。 c 上記裁判例の基準を適用するに際し、引用著作物と被引用著作物との間に「前者が主、後者が従の関係があると認められる」か否かを判断するに当たって、その「分量」は検討を外すことができない極めて重要な要素のはずである。特に、「引用」に関するすべての裁判例において、被引用著作物のほうが引用著作物の分量を超えているような場合に、これを「従」であると判断したような事案は全く見当たらない。 しかるに、本件においては、「主」であるべき引用著作物が文書換算でわずか118枚というのに、「従」であるべき被引用著作物が366枚であり、「従」であるべき著作物が「主」であるべき著作物の3.1倍にも及ぶ分量なのである。 d さらに、本件において、被引用著作物である本件各霊言は、その一部が抜粋されて複製されたわけではなく、全編がそのまますべて無断複製され配布されたのである。 したがって、これらはいずれも「それ自体鑑賞性をもつた動画映像として、独立性を有するもの」なのである。 e しかも、被引用著作物である本件各霊言を収録した本件DVDは、本件記者会見の場で配布されたのではなく、その翌週になって、宅配便で、本件記者会見に出席した記者に対して送付されたものである。 したがって、これが本件記者会見の「理解を補足し、その参考資料となつている」ものといえることがあったとしても、配布場所及び時間の隔絶に鑑みるならば、引用著作物であるはずの本件記者会見「に対する結び付きが必らずしも強くない」ものでもある。 (ウ) 小括 上記裁判例の基準に照らせば、被告の主張する引用著作物(本件記者会見とそこにおける配布資料)に対して、被引用著作物である本件各霊言は、その主従を完全に逆転した分量の極端な多さといい、独立した鑑賞性といい、結びつきの薄さといい、まったく「従たる関係」にあるということはできないものであることが、客観的に明白なのである。 ウ 被告の主張に対する反論の補足 (ア) 必要性の逸脱 被告は、本件各霊言の「引用の必要性」について、「霊言がそもそもどのようなもので、本件各霊言がどのような内容に及んでいるかを説明し、かつそれが被告のいかなる権利を侵害しているかを提訴者の立場から主張するものであったから、その前提として、説明、批判、反論等の対象となった・・・霊言について具体的に提示することが必要不可欠だった」などと主張する。 しかしながら、仮に被告の主張によったとしても、被告が「名誉毀損行為」として具体的に主張しているのは、本件記者会見で配布した説明資料「訴状の概要」(乙2)の10〜15頁に列挙された部分であり、そのような「名誉毀損行為」の内容について、これを「具体的に提示する」ためには、その部分のみを取り出して「引用」すれば必要にして充分のはずであるし、またそれだけの量の動画を提示すれば、「霊言がどのようなものであるか」について充分に理解可能なはずである。 にもかかわらず、被告自ら主張する目的の範囲を完全に逸脱して、本件記者会見及び配布資料全体の3倍を超える分量に該当する本件各霊言すべてを複製して配布する必要性が認められるはずもない。 被告の行為は、この観点からも、「正当な範囲」を逸脱したものであるのは明白である。 (イ) 被告の主張による結論の不当性 仮に被告が主張するように、被引用著作物(本件各霊言)が、完全に独立して流通し得る形態で交付されることが許容されることになれば、例えば、わずか100頁あまりの「映画に対する論評本」を出版するに当たり、その「論評の対象」となった3時間41分に及ぶ2つの映画のDVDを、丸ごと無断複製の上、当該書籍に添付して販売する行為が許容されることになりかねない。 さらに、本件では、本件記者会見の終了した翌週になって、その出席者の連絡先宛てに本件DVDが送付されているのであるが、これは当該論評本を購入した読者に対し、論評の対象となった映画を一本丸ごと無断複製したDVDを送付する行為に等しい。 その結論の不当性は、上記裁判例がこれを許容しないことをみるまでもなく明らかというべきであって、このような被告の行為が、一般常識に照らして認められるはずもない。 (ウ) 公正な慣行に合致しないこと 被告は、自らの行為が「公正な慣行」に該当するかのような主張もしているが、これは、訴訟提起さえすれば、いかなる映画であっても丸ごと無断複製できることを意味する主張であって、「裁判を受ける権利」の著しい濫用であり、全く認められるものではない。 (被告の反論) 適法な引用ではないこと(原告の主張イ)に対する反論 ア 原告が主張する物理的な「分量」の比較論は、東京高裁判決の事例のように、被引用著作物が引用著作物上に合体して収録、登載されているような場合にのみ妥当する議論である。 読者や視聴者が引用著作物を閲読し、視聴するとき、その内容に被引用著作物が含まれ、否応なくこれを目にし、認識することとなるときは、両者の物理的分量の多寡によっては、どちらが主でどちらが従であるか判断に迷いを生ずる場合もあるかもしれない。 例えば、被告が記者会見において、本件各霊言の全部あるいは大半を延々上映して出席者に視聴させた後に、短時間の論評等を行ったにすぎないとすれば、それはむしろ「上映会」としての性質を帯有することとなって、原告主張の「分量論」なるものが意味を持ってくるかもしれない。 しかし、被告は、本件記者会見では自らの説明、批判、反論等に終始しており、本件各霊言自体を直接上映して視聴させるようなことを一切行っていない。引用行為は、被引用著作物が固定され化体した有体物たる本件DVDを提供することによってのみされ、口頭の言説を行った同一機会に、被引用著作物の内容そのものを取り込んで直接提示したわけではない。引用の同一機会に、同一の伝達手段によって提示されるのでなければ、読者、視聴者は、そもそも引用著作物と被引用著作物の双方を認識し、両者の「分量」を比較する機会を持たないのであるから、物理的分量の比較など意味を持たないことは明らかである。 さらに、被引用著作物が記者会見の出席者に認識されるためには、本件DVDの提供を受けた出席者が、収録された動画映像をことさらに視聴しようと自ら意欲し、主体的、能動的に視聴する行為を待たなければならないし、実際に視聴されることがあったとして、動画映像の全部が視聴されるかも視聴者の判断により左右され、むしろ圧倒的多数の場合に、限定された一部が視聴されるにすぎないと思われる。このような事情も、本件において「分量論」を云々することの無意味さを強く裏付けるものであるといえる。 イ 上記のとおり、物理的「分量論」が著作権法32条の適法引用における付従性判断の指標たり得ない以上、付従性の有無は、引用著作物の目的及び主体性の有無、被引用著作物が引用される目的と効能、さらに引用著作物と被引用著作物の関係などから、社会通念に照らして判断されなければならない。 この点、東京高裁判決中の「…当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべき」との説示は、なお意義を有するというべきである。 すなわち、引用著作物たる本件記者会見もしくはその機会における口頭の言説は、原告代表役員の誹謗中傷に対する訴訟提起に関する説明と反論等を目的とするものであり、原告代表役員の言説(もしくは被引用著作物)に依存し追随するのとは相反する関係に立つから、それ自体として独立した固有の目的を持ち、主体性を確保しているといえる。 また、被告は、本件記者会見では自らの口頭の言説のみを提示しており、原告代表役員の言説もしくは被引用著作物を直接取り込み、出席者に認識させることを一切行っておらず、物理的な側面での主体性も完全に確保されている。 他方で、上記誹謗中傷言辞は、提訴対象そのものであり、反論の対象にほかならないから、提訴記者会見における訴訟に関する説明と反論に当たり、その内容を踏まえることは論理的必然を伴い、記者会見出席者にも十全に理解してもらうことが必要不可欠であるという関係に立つ。そうすると、本件では、分量の多寡などにかかわらず、自ずから「被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明」する関係にあり、引用行為は「その参考資料を提供する」ものとして位置付けられるといえる。 ウ このように考えると、原告が主張する「分量論」は、付従性の問題としては考慮の対象外のことであり、せいぜい「引用の必要性」あるいは「正当な範囲」の問題として取り扱えば足りる。 その際、まず、本件では、本件各霊言を引用する必要性が極めて高かったことを十分に念頭に置かなければならない。原告代表役員の誹謗中傷言辞は、書籍等に固定されたものではなく、口頭の言説によってされているから、本件記者会見において、被告自身がそのまま言語的に内容を取り込み再現することは極めて困難であった。また、霊言という特殊な世界観のもとでの表現活動である上、表現上無意味な発声や脈絡を欠く発言等も多数見られることから、単純に活字化しても教団外の人間が直ちにこれを判読し、意味内容を正確に理解することは決して容易ではない。そうすると、原告代表役員の発言が、どのような環境あるいは状況のもとで、どのような声音や表情、ニュアンスで行われているかを直ちに覚知し得る、本件各霊言を直接視聴してもらうことこそが最善かつ必要な方法だったといえる。 そして、この場合、原告代表役員の被告に対する誹謗中傷発言がほぼ全編にわたって行われていること、さらに、原告代表役員による霊言の趣旨に関する説明が霊言の前後にあり、本件各霊言全体を視聴することによって初めて霊言の意味合いや被告に対する権利侵害の内容をよく知り得ること等からすれば、本件各霊言を収録した本件DVDを提供することも、引用上必要な行為であり、正当な範囲内のものとして当然許容されるというべきである。 また、このような提供方法によっても、本件各霊言を実際に視聴するかどうかは、被提供者の自発的、能動的意思に係らしめられており、無限定に直接的な表出がされるわけでもない。 エ 原告は、高裁判決の説示に基づいて、本件各霊言は、「それ自体鑑賞性を持った動画映像として独立性を有する」とか、「記者会見に対する結び付きが必ずしも強くない」として、本件各霊言が従たる関係にはないというのであるが、本件各霊言における原告代表役員の言説は、提訴対象にして反論の対象であり、相対する関係にあるから、当該言説やその映像がそれ自体観賞性を持ち独立性を有するかどうかは、付従性判断に当たってはそもそも考慮すべき内容とはならない。 また、本件記者会見の直接目的に連なるものであるから、引用行為におけるこれ以上強固な「結び付き」は想定できないというべく、単なる配布場所や時間の隔絶を理由とする原告の所論は、およそ採用するに足りるものではない。 (4) 本件複製頒布行為が著作権法41条の時事の事件の報道のための利用に当たるか(争点4) (被告の主張) ア 被告は、本件各霊言による名誉毀損事件という時事の事件の当事者(被害者)として、事件報道に従事する報道機関等に対し記者会見を開催して事実関係を説明し報道を促すに当たり、当該事件を構成する著作物たる本件各霊言を収録した本件DVDを提供したものであるから、自ら報道の目的上正当な範囲内において著作物を複製したものとして、著作権法41条の直接適用を受けるというべきである。 著作物による権利侵害を防止し、広く言論の自由を保障する見地から、著作権法41条による利用主体若しくは保護主体を報道機関に限る必要はなく、自らの権利が侵害された事実を公知のものとする目的があれば、報道機関を対象とした私人による記者会見なども、広く「報道する場合」に包含されると解すべきである。 イ 報道機関が当該事件の報道に伴って利用する著作物は、著作者や著作権者から入手するばかりとは限らない。むしろ、著作物が直接何らかの事件を構成するような場合には、本件同様、著作者や著作権者が加害者的な立場にあり、当該著作物による権利侵害を受けた被害者から著作物を入手するような場合が極めて多いであろう。 そのようなケースにおいて、入手に至る経路(すなわち被害者からの著作物提供)を著作権侵害として差し止めることが可能となれば、著作権法41条は実質的に有名無実に帰し、ひいては自由な報道や言論が妨げられるという重大な帰結を生むこととなりかねない。 そうだとすれば、著作権法41条は、事件当事者が著作物を報道機関に提供する行為をも適法な利用として許容することを所与の前提としていると考えられる。したがって、本件記者会見の出席者への本件DVDの配布は、仮に同条の直接適用を受けないとしても、少なくとも同条の準用もしくは類推適用を受けるというべきである。 ウ 以上により、本件複製頒布行為は、著作権法41条に定める報道の目的上正当な範囲内の複製、利用に当たるから、著作権侵害を構成しない。 (原告の主張) ア 被告の主張に対する認否 被告の主張は争う。 イ 被告は時事報道の主体となり得ないこと 著作権法41条は、報道の自由を担保するために、時事報道の過程において当該事件を構成する著作物等の利用を特に認めたものであるから、その主体は報道機関に限定される。これは、同条が、著作権者の権利を特に制限した規定であることから当然の帰結である。しかるに、被告は報道機関ではない。 したがって、被告は、著作権法41条の主体とはなり得ない。 ウ 利用態様も報道の目的を完全に逸脱していること 著作権法41条は、「報道の目的上正当な範囲内で」と規定していることに照らせば、その利用対象となる著作物の中身そのものを通常の意味において「鑑賞」できるような時間ないし態様で利用することができないのは当然のことである。 しかるに、仮に本件の主体が報道機関の場合であったとしても、本件各霊言をそのまま複製して郵送する行為は、本件各霊言を通常の意味において鑑賞できるようにする態様の行為そのものであるから、許されないというべきである。 すなわち、被告の行為は、仮に被告が報道機関であったとしても、著作権法41条の許容範囲を完全に逸脱する、著しい違法行為なのである。 (被告の反論) ア 被告は時事報道の主体となり得ないこと(原告主張イ)に対する反論 著作権法41条は、文理上その主体を報道機関に限ることはしていない。また、「報道機関」といったところで、厳密な定義規定が存在するわけでもないから、その外縁は著しく不明確で、かえって同条の適用関係をあいまいならしめる。 さらに、報道若しくは言論の自由を確保するため、報道機関による著作物利用を認めたところで、当該著作物の入手の途を確保しなければ、結局、著作権法41条が保障しようとした報道若しくは言論の自由は無意義に帰し、全く達成されない結果となってしまう。 そうすると、著作権法41条があえて「当該事件の報道に伴って利用することができる」者の主体を明示しなかったのは、「時事の事件を報道する場合」には、著作物利用の主体を限定せず、むしろ著作権が働くこと自体を制限することの方を主眼として、それに伴い、報道を裏付ける著作物の入手の途すなわち取材の自由をも確保することによって、報道の自由を実質的に保障しようとする考慮が働いたからと考えることができる。 以上によれば、第1に、報道機関でない私人が情報を発信する場合も、「時事の事件を報道する場合」に含まれ得ると解される(このような場合には、当該私人は、報道機関たり得るといってもよい)。第2に、報道機関が「時事の事件を報道する場合」、著作物を「当該事件の報道に伴って利用することができる」主体は報道機関に限られず、その入手過程における利用行為は主体の如何を問わず保護対象となる(もしくは入手行為自体が利用行為として保護される)と解される。 イ 利用態様も報道の目的を完全に逸脱していること(被告主張ウ)に対する反論 本件複製頒布行為は、名誉毀損の態様にかかわる「霊言」の特殊な形式を理解し、また名誉毀損の全体像を理解するうえで必須のものであるから、明らかに「報道の目的上正当な範囲内」のものにとどまる。 (5) 原告の著作権の行使が権利濫用に当たるか(争点5) (被告の主張) ア 被告の行為が著作権法の定める個別的権利制限条項に該当しないとしても、原告による著作権侵害の主張は、権利濫用として許されないというべきである。 イ この点、米国法が著作権について「フェアユース」と称される一般的権利制限規定を置いていることはつとに知られるところであり、日本国内の事案について、上記法理をそのまま法解釈に導入することは困難であるにせよ、権利濫用法理の適用、解釈に当たり、参考となるところを含んでいるというべきである。 ここに「フェアユース」の法理とは、以下の諸要素を考慮して著作物の利用が公正なものであると評価される場合、当該利用行為は著作権侵害には該当しないとするものである。 @ 著作物の利用の目的及び性格(利用が営利目的か非営利目的かなど) A 利用された著作物の性質 B 著作物全体に占める利用された部分の量及び程度 C その利用が著作物の潜在的市場または価値に及ぼす影響 ウ 上記諸要素をも斟酌しながら、本件について権利濫用の成否を検討するならば、まず、本件各霊言が全体として被告に対する極めて悪質な誹謗中傷に終始し、それ自体として被告の名誉権侵害行為を組成していることを指摘しなければならない。原告代表役員及び原告がこれを収録し、全国に13万人以上いると言われる三帰者らを対象として、全国の教団支部等に向け配信し放映する等の行為は、単に民事上の不法行為にとどまらず、刑法230条に定める名誉毀損罪に問擬せられるべきものである。 かかる言説には、言論の自由の保障が及ぶはずもないのであるから、同様に著作権法の保護を受け得るはずもなく、そもそも原始的に著作権を享有し得ないと考えるべきである。そうだとすれば、すでにこの一事をもってしても、原告は被告に対し何らの著作権侵害を主張することができないこととなる。 エ 被告による著作物の利用は、かかる権利侵害を訴え出て、報道機関による報道等を通じて社会に公知のものとし、原告代表役員や原告の行為を批判、批評し、反論するという正当な目的に出たものである。被告による反論の機会は、憲法が保障する表現の自由の名において確保、保障されなければならず、なおかつ反論のためには、自己の権利を侵害した著作物の利用・指摘が不可欠という関係にある。 したがって、被告による著作物の利用(本件DVDの提供)が営利目的に出たものであるはずもなく、その複製頒布等によって被告に経済的利益がもたらされた事実もない。 オ もともと、原告代表役員の「霊言」は、原告代表役員や原告と対立する者や相容れない主張をする者を排外的に攻撃して自らの立場を正当化し、信者に対し自らの宗教的権威を確立・確保し、団体としての結束を高めようとする目的に出たものであり、著作権行使を通じて経済的利益を獲得するようなことを目的としていない。原告が、「霊言」を宗教的行為であるなどと標榜し、全国の教団支部の信者らに向け繰り返し配信し放映したのはその端的な証左である。 被告による利用も、原告らの不当な言論又は言論による攻撃に対する反論若しくは反論準備に伴いされたものであるから、本件は、もともと著作権者と利用者の相互の経済的利益が対立し衝突するような場面ではないといえる。被告の利用は、財産権としての原告の著作権を侵害する側面をそもそも有しておらず、これによって原告の著作権の潜在的市場価値が低減・希薄化されたり、経済的価値が下落するような結果がもたらされたことはないのである。 カ 原告の被告に対する権利主張の目的は、著作権又は著作権法が想定する著作物の財産的価値の維持・擁護に向けられたものではなく、もっぱら被告の正当な言論活動、それも原告が著作権を標榜する名誉毀損的言辞に対する反論を、表面上著作権行使に名を借りて抑圧、妨害する目的に出たものであることが、明白である。原告又は原告代表役員は、自ら被告の名誉を毀損する言論活動をしておきながら、いったん被告がこれに防御反論し、そのため名誉毀損行為を組成する著作物を利用しようとすると、著作権を楯にこれを封殺しようとするものであり、その目的とするところは著しく不当といわざるを得ない。 原告による著作権行使は、被告に憲法上保障されるべき正当な表現の自由を封殺し、自らの一方的な誹謗中傷のみを目的とする不当なものというほかない。 キ 原告の著作権侵害の主張は、明らかに権利の濫用であって許されない。 (原告の主張) ア 被告は、米国連邦著作権法107条、すなわち、著作物のフェア・ユース(fair use)には著作権の独占権が及ばないとする一般規定を引いて主張を展開しているようである。 しかしながら、我が国の著作権法は、1条において、「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作権の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産としての著作物の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」と定めていることからも明らかなとおり、文化の発展という最終目的を達成するためには、著作者等の権利の保護を図るのみではなく、著作物の公正利用に留意する必要があるという当然の事理を認識した上で、著作者等の権利という私権と、社会、他人による著作物の公正な利用という公益との調整のため、30条ないし49条に著作権が制限される場合やそのための要件を具体的かつ詳細に定めるにとどめ、それ以上に米国法のフェア・ユースの法理に相当するような一般条項を定めなかったのである。 したがって、著作権法は、著作物の公正な利用のために著作権が制限される場合を上記各条所定の場合に限定するものであるから、民法1条3項の権利濫用の法理は安易に適用されるべきではないし、著作権制限の一般法理としてフェア・ユースがここで参考にされるべきでもない。 イ 被告は、本件各霊言の内容が被告に対する名誉毀損であることを理由に、原告の著作権行使が権利濫用であるとも主張するようであるが、被告が主観的に名誉毀損と信じただけで原告の著作権が制限されるいわれはない。 そもそも、本件各霊言は被告に対する名誉毀損を構成しないから、権利濫用とされるべき理由はない。被告が本件各霊言について告訴したような事実もなく、これが名誉毀損罪に問われたような事実は一切存在しない。 ウ また、被告は、自己の営利目的が存在しない、あるいは原告著作権の「市場価値の下落はない」とも主張するが、いずれも、著作権法上原告著作権の制限根拠たり得ず、法の解釈を誤るものである。 さらに、被告は、本件提訴の目的につき論難するが、提訴に至る経緯に照らせば明らかなとおり、単なる邪推であって、何の理由にならないものにすぎない。 (被告の反論) ア 原告は、まず被告がフェアユースの法理の適用を主張していることを前提とする反論を行うが、被告は、フェアユースの法理が適用されるべきであるなどと主張しておらず、せいぜい権利濫用法理の適用、解釈に当たり、その趣旨や判断基準が参酌されるべきと述べているにとどまるから、原告の反論は的外れというほかない。 イ しかして、著作権法第30条ないし49条の権利制限規定が限定列挙であったとしても、民法が規定する権利濫用法理の適用により権利行使が制限される場合は当然想定されるところであり、現に東京地裁平成8年2月23日判決など、適用を肯定した具体的事例が存在する。 ウ 原告は、被告が本件における権利濫用基礎付け事実を列挙したのに対し、被告が名誉毀損と信じただけで、原告の著作権が制限されるいわれはないとか、市場価値の下落がないことは著作権制限根拠たり得ないとか、本件提訴の目的について被告が主張するところは邪推であるなどと反論するが、単純かつ断片的な否認を連ねたにすぎず、全く説得力に欠けているというほかない。 (6) 原告の損害及び損害額(争点6) (原告の主張) ア 有形損害 甲14号証(C陳述書)に詳述のとおり、事前の内容証明による通告を全く無視した本件複製頒布行為の後、原告代理人である佐藤弁護士が、平成23年3月1日、被告代理人との間で電話でやりとりした結果、被告代理人からは、「(本件DVDの複製・頒布は)何の問題もない、複製頒布を中止させるつもりはない。」という趣旨の応答を得た。 そこで、原告としては、本件各霊言がインターネット等に流出する危険が極めて高いと判断せざるを得ず、やむなく、インターネット監視業者に対し、昼夜を分かたない対応を依頼した。そして、その費用は、上記監視業者に支払った具体的金額だけでも、平成23年3月1日から同年5月5日まで、合計金28万3500円となっている。 この被告の危惧は、すでに実際のものとなっているのであって、平成23年3月5日には、Dというフリーライターが公開している「やや日刊カルト新聞」と題するブログに、本件記者会見の模様が掲載され、その中で、被告が送付したとみられる本件DVDの映像の一場面を静止画像としたものが使用されているのが発見された(甲13)。 以上から、本件複製頒布行為によって、原告には、少なくとも監視費用28万3500円の損害が発生した。 イ 弁護士費用 平成23年3月5日に被告代理人から届いた内容証明郵便による回答書(甲10)は、正当な法律論とは到底評価し得ない主張を書きつらねた、激しい対立的姿勢が示されたものであり、原告としては、被告の性格をも考え合わせるとき、このままでは、無断複製と頒布行為が際限なく繰り返され、原告の損害は計り知れないものとなると判断をせざるを得なかった。そこで、原告は、本件訴訟の提起に至った。 しかるところ、これに対する弁護士費用相当額としては、少なくとも、本件訴訟における損害賠償請求額全体の1割である100万円を下ることはない。 ウ 無形損害 (ア) 本件DVDは、いずれも「霊言」という原告の宗教行為の中核部分に関わるものであり、原告内で厳密に管理され、これを頒布等することは全く想定されていない。本件DVDについては、「頒布価格」が全く想定できないのである。 その上、宗教法人である原告にとって、その宗教行為の中核にかかわる本件DVDについての「(限界)利益」(著作権法114条1項)や「使用料相当額」(同条3項)といった概念も観念することができない。また、被告は、本件DVDによって利益を上げているわけでもないから、著作権法114条2項も適用することができない。 したがって、原告の損害の大半は、「無形損害」として構成せざるを得ないことになる。 (イ) しかしながら、これが宗教法人ではなく、株式会社等の営利企業であったとすれば、その営業の中核となる著作物が広範かつ重大な侵害を受け、多大な逸失利益を被った場合に該当する。 すなわち、自らの宗教行為の中枢に関するものを無断複製されて、これを無料配布されてしまうなどという事態は、宗教法人である原告にとっては極めて由々しき事態であって、その損害は大きい。 しかも、本件DVDは、教団内において厳しく管理され、教団施設内において、信者を対象にその映像を視聴させていたものであるから、その点において、個人が各家庭で視聴するDVDなどとはその性質を全く異にしており、むしろ、映画の配給元が、その厳密な管理の下、各映画館に供給する映画フィルムと非常に類似した性質を有しているのである。 とりわけ、DVDの無断複製・無断頒布という被告の行為は、その性質上、それが一旦されてしまえば、無限に無断複製・無断配布等がされる危険性を包含しており、被害者としては、将来にわたって、常にその危険にさらされてしまう。 したがって、このような本件DVDの性質、さらにはその内容が宗教法人にとって活動の中核に関するものであるという事実に鑑みるとき、どんなに少なく見積もっても、その法的評価として、1枚当たりの損害金額が30〜50万円程度を下回ることはない。 そして、被告は、少なくとも本件記者会見に参加したマスコミ関係者25名を含む30名程度に対し、本件DVDを、無断複製の上で無料配布したから、その損害額は、少なくとも「30万円×30名=900万円」ないし「50万円×30名=1500万円」程度には優に達している。 (ウ) 被告行為の性質に起因する甚大な危険性は、すでに実際に顕在化してしまっている。 すなわち、上記アのとおり、平成23年3月5日には「やや日刊カルト新聞」と題する前記ブログに、被告が送付したと見られる本件DVDの映像の一場面を静止画像としたものが使用されているのが発見された(甲13)。 さらには、原告が母体となって、平成25年4月に滋賀県大津市に開校を予定している「幸福の科学学園関西校」(平成21年4月に開校された那須本校に続く2校目の中学・高校一貫校)に関し、これに正当な理由もなく強硬に反対する一部住民が呼びかけて、平成23年7月10日に約200名が参加した大津市における集会において、Dが招待されて本件DVDの動画映像の一部がDによって無断上映された上で、原告に対する誹謗中傷というべき「説明」が加えられた(甲14)。 かかる事態がすでに生じてしまったという客観的事実は、本件複製頒布行為が、原告に対して実際に甚大な損害を与えており、これからも、そのような危険が常に存在し続けるということの、何よりの証左である。 (エ) 以上から、原告の無形損害は、どんなに少なく見積もっても900万円を下ることはない(著作権法114条の5)。 エ まとめ 以上のとおり、本件複製頒布行為によって原告の被った損害は、少なく見積もっても、有形損害28万3500円、弁護士費用相当額100万円及び無形損害900万円の合計1028万3500円を下ることはない。 よって、原告は、被告に対し、その内金である1000万円を損害賠償金として請求する。 (被告の主張) ア 原告の主張に対する認否 原告の主張アのうち、第1段落は否認し、第2、3段落は不知、第4段落は争う。同イのうち、被告代理人が回答書を送付したことは認め、その余は不知ないし争う。同ウ(ア)のうち、本件DVDに頒布価格が存在しないこと、原告が利益を挙げていないことは認め、その余は争う。同ウ(イ)は否認ないし争う。同ウ(ウ)は不知ないし争う。同ウ(エ)は争う。 イ 有形損害について 原告が有形損害として主張する動画監視のための費用は、被告の行為に対応するものではなく、因果関係を欠いている。 ウ 無形損害について 原告は、本件DVDを有償頒布しておらず、また被告自身も本件DVDの複製、頒布によって利益を挙げたわけではないことを自認しながら、原告が「株式会社等の営利企業」であった場合を想定して、逸失利益の主張を行っている。 しかし、原告は、そもそも「株式会社等の営利企業」ではないから、その主張は極めて不可解で意味不明というほかなく、もとより原告について逸失利益を観念する余地など全くない。 第3 当裁判所の判断 1 本件各霊言の著作物性の有無(争点1)について (1) 証拠(甲1、2、14)によれば、本件各霊言は、原告内部において「霊言」と呼ばれる宗教行為を撮影した動画映像(本件霊言1は103分の動画映像、本件霊言2は117分の動画映像)であること、本件各霊言はDVDに収録されたものであることがそれぞれ認められる。 そうすると、本件各霊言は、映画の効果に類似する視覚的又は視聴的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されたものであると認められる(この点については当事者間に争いがない。)。 (2) また、証拠(甲1〜3、14、乙3)によれば、本件各霊言は、原告代表役員が題名、主題、列席者及び全体の構成を決定し、文殊菩薩(被告の過去世とされる文殊菩薩)の霊が原告代表役員に降霊したという設定で、原告代表役員と列席者との対話の模様(対話の内容については甲3参照)を撮影したものであることが認められる。 本件霊言1の冒頭では、原告代表役員が、文殊菩薩の霊を降霊させる前に、原告代表者役員自身の発言として、今後、マスコミ等で原告代表者と被告との関係が問題とされることが予測されるため、それに先だって信者の皆さんにその概要を知っておいてもらいたい旨の発言がされている。本件霊言2の冒頭でも同趣旨の発言がされている。 そして、本件各霊言では、上記冒頭の各発言の後、降霊の儀式がされ、例えば、(文殊菩薩の霊が降霊した)原告代表役員は、本件霊言1では、「イエスなんて、どうせあんな、まあ、大したことない、十字架なって死刑になった、大したことない、ただの殺され男ですけど、パウロが出て世界に伝道したことによってキリスト教は世界宗教になった。だから、本当はキリスト教の、本当の教祖はパウロだって、聖書だって、キリスト教の中にはあるんですよ。」、「私がこの前、あんた方にこんなに苦しめられるから神様に祈ったら出てきたのはミカエルでしたよ。だから、ミカエルは、やっぱ政治は分かつって思ってますから、政治は分かつってのが、これ、知恵の始まりなんだから、だから、私は、政治は分かつから、ばしっと厳しく物を言うんで、この亭主は、政治は分かたないで、まあまあと収めるから、これはだめなんですよ」、「美の女神、美っていうのは、ほら、お化粧の部分であって、1枚むけば、それは夜叉になるのが女じゃないですか。」、「あなたね、あの、文殊教典読んでないかもしれんけどさ、文殊教典というのはね、あの、釈迦の十大弟子をね、けちょんけちょんにやっつけた教典なんですよ。それを信じる人が大乗の徒なんですよ。それが世界に広がった。世界宗教の仏教の正体は文殊教典なんですよ。それは、大乗のその出家、出家の十大弟子ってのは、みんなばかだということを証明した書なんですよ。」、「まあ、イエスのいいとこだけ取り出せばいいわけよ。で、まあ、あの、悪いとこは全部切ればいいのよ。だから、それは外科手術が要るのよ。だから、Bの悪いとこをぶち切って、いいとこだけ残せばいいのよ。その仕事が要るわけ。」、本件霊言2では、「今、今応援してくれてるからね。うん。私は、だから神に祈ったら、出てきた、ミカエルが出てきたからね。だから、ミカエルに毎日祈ってるから、ミカエルが応援しくれて、来てるわけですから、ミカエルは今、アメリカを指揮して、戦争あちこちしてるぐらいですから、世界最強でございましょうからね。だから、あなた方踏みつぶすのにちょうど手頃なあれですので、七大天使はミカエルの部下でございますからね。」、「釈迦は実在の人間かもしれないけれども、実在の人間として、80年ばかしの人生を生きて、あと死んだ人間釈迦はいるかもしれないけれども、それを神格化して偉くしたのは、後代の、弟子たちでありましょうから、私の知恵の力でもって、釈迦がブッダになり、釈尊になり、世界宗教になったんです。」、「それで世界宗教になったわけですから。実際、じゃあ、まあ、キリスト教で言やあ、イエスは十字架にかかって野垂れ死にしよったけれども、パウロは、パウロは直接イエスに会ったことがない人ですけども、その人が伝道者になって、キリスト教を世界宗教にしたでしょう? パウロの立場に立つのが私で、だから、キリスト教の研究者の中にもですね、実質、キリスト教の実質上の、ほんとの教祖はパウロだと言う人もいるんですよ。これは、うそじゃないですから。本当にキリスト教学において、パウロが本当の教祖で、イエスは、そういう、その先駆者にすぎなくて、それを拡大してキリスト教にしたのはパウロだという考えが、キリスト教にはあります。同じように、ソクラテスってのは、もう、ちゃらんぽらんなおっさんで、対話ばっかりしてたけども、プラトンっていう人が出てきて、それで、哲学というものができたという説で。おんなじように、その、対峙は、釈迦と文殊がおんなじ対比で、釈迦っていう、人間釈迦、60、80年ほど生きたおっさんがおったけれども、あと何百年か後に出てきた文殊というのが、それを体系化して、りっぱな教えにして、大乗仏教にしたために、世界中に広がったと。だから、実質上の教祖は文殊であると。だから、元々、わたしのほうが上だと言ってる。」、「いや、ルシフェルは、すごく優れた魂だったのよ。もう、もうちょっとで神様の寸前まで行ってて、で、尊敬もされてたし、みんなから人気もあったのよ。それに神がしっとして、たたき落としたのよ。」などと発言している。 このような発言をみても、本件各霊言は、題名、主題、列席者及び全体の構成を決定した原告代表役員の個性が表現されているといえるのであって、思想又は感情を創作的に表現したものであると認められる。 そうすると、本件各霊言は、創作的な表現であり、上記(1)と併せると、映画の著作物の要件(著作権法2条3項)を満たすから、映画の著作物であると認められる。 (3) これに対し、被告は、言語的表現の単純な記録にすぎない動画映像が、映画の著作物とされるためには、創作的表現としての編集行為が認められなければならないが、本件各霊言には創作性を認めるに足りる編集行為は存在しない旨主張する。 また、被告は、著作権法が、映画の著作物について、著作者の特定や著作権の帰属に関して他の著作物と異なる特則を置き、特に頒布権を付与しているのは、映画が製作に莫大な費用を要する著作物で、作成を主導するプロデュース業務と著作物を作成する創作活動たる制作業務が別個に担われることが多く、制作も総監督の指揮のもと、実演家、演出家、カメラマン、美術担当者など多くの人々の共同作業によってされるため、創作の全体的形成に寄与した者を著作者とする一方で、映画製作を発案、企画し資本投下する映画製作者に一元的に著作権を与え、資金回収を容易ならしめる必要性が高いからであるとして、このような観点から見た場合、本件各霊言には映画の著作物としての実質性を見いだすことができない旨主張する。 確かに、著作権法は、映画の著作物について、その著作者の要件を「映画の著作物の著作者は、・・・制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。」(同法16条本文)と定め、映画製作者を「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者をいう。」(同法2条1項10号)と定義し、映画の著作権の帰属について「映画の著作物の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。」(同法29条1項)と定めるとともに、「著作者は、その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有する。」(同法26条1項)と定め、特に頒布権を認めている。このような規定が設けられた理由として、主に劇場用映画について、その制作に多数の者が関与し、著作者の確定が容易ではないことや、多額の投資が必要であり、その円滑な利用のためには映画製作者が権利を集中的に行使できるようにする必要があったなどが考えられる。 他方で、著作権法は、映画の著作物について、「『映画の著作物』には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」(同法2条3項)と規定するのみであるから、当該要件を満たす著作物を映画の著作物として定めているというべきであって、当該要件に加えて編集行為が必要であるとする解釈や、映画の著作物を劇場用映画又はこれに類するものに限定する解釈を採用することはできない。そして、同法16条本文、29条1項、26条1項等の規定に加え、その立法理由を考慮したとしても結論が左右されることはない。 したがって、被告の主張はいずれも採用できない。 2 本件各霊言の著作権が原告に帰属するか(争点2)について (1) まず、本件各霊言の著作者について検討するに、前記1(2)のとおり、本件各霊言は、原告代表役員が題名、主題、列席者及び全体の構成を決定したのであるから、原告代表役員は、本件各霊言の「制作、監督、演出…を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者」(著作権法16条本文)であると認められる。 そうすると、本件各霊言の著作者は原告代表役員であると認められる。 (2) 続いて、本件各霊言の映画製作者について検討するに、映画製作者の定義である「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者」(著作権法2条1項10号)とは、映画の著作物を製作する意思を有し、当該著作物の製作に関する法律上の権利・義務が帰属する主体であって、そのことの反映として当該著作物の製作に関する経済的な収入・支出の主体ともなる者と解するのが相当である。 そして、証拠(甲15、乙3)によれば、本件霊言1は、平成22年11月27日、原告の支部・精舎に向けて衛星配信により放映されたこと、本件霊言2は、同年12月8日以降、原告の支部・精舎に向けて衛星配信により繰り返し放映されたことがそれぞれ認められるから、本件各霊言は原告の信者向けに製作された著作物であると認められる。 そうすると、本件各霊言を製作する意思を有し、本件各霊言の製作に関する法律上の権利・義務が帰属する主体は、原告であると認めるのが相当であるから、原告が本件各霊言の映画製作者である。 また、前記1(2)のとおり、原告代表役員は、本件各霊言の題名、主題、列席者及び全体の構成を決定し、自ら列席者と対話しているのであるから、原告代表役員が原告に対して本件各霊言の製作に「参加することを約束」(著作権法29条1項)していたと認めるのが相当である。 (3) 以上のとおり、本件各霊言の著作者は原告代表役員であり、本件各霊言の映画製作者は原告である。そして、本件各霊言の著作者である原告代表役員は、本件各霊言の映画製作者である原告に対し、本件各霊言の製作に参加することを約束していたのであるから、本件各霊言の著作権は原告に帰属する(著作権法29条1項)。 3 本件複製頒布行為が著作権法32条1項の引用に当たるか(争点3)について (1) 証拠(甲6、13、14、乙1〜3)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実がそれぞれ認められる。 ア 被告は、平成23年2月24日、本件記者会見に先立ち、新聞社、テレビ局、週刊誌等の合計32の報道機関に対し、「Aは、幸福の科学総裁B氏及び同教団に対し、名誉毀損等に基づく損害賠償請求の訴えを提起いたしました。この件に関しご説明のため、…記者会見を行いますので、ご参集賜りますようお願い申し上げます。」との文書をファックス送信した。同日、原告の広報局長から被告に宛てた内容証明郵便による通告書が配達され、同通告書では、本件各霊言の動画映像DVDあるいはその活字起こしを複製し、週刊誌記者等のマスコミ等に配布する行為を即刻中止し、配布物を責任をもって回収することが申し入れられていた。したがって、同日までの時点において、被告は、本件各霊言の内容を視聴しており、前記本件各霊言の冒頭における原告代表役員の発言内容等から、本件各霊言が原告教団内部の信者宛てに作成されたものであることを認識するとともに、上記内容証明郵便の内容から、本件各霊言の内容を一般に知られることを原告が望んでいないことを認識していた。 イ 本件記者会見は、平成23年2月25日午後2時から午後3時まで、東京都千代田区内のホテルにおいて、被告及び被告代理人が出席して行われ、記者、カメラマン、ライター等の25名が参加した。被告は、本件記者会見の参加者に対し、受付時に、説明資料として別紙訴状の概要(乙2。以下、括弧を付して単に「訴状の概要」という。)を配付した。「訴状の概要」は、本件名誉毀損訴訟において提出した訴状のうち、目録、添付書類等が除外されているものの、請求の趣旨及び請求の原因について全文を掲載したものである(ただし、一部人物の固有名詞を伏せ字にした箇所がある。)。 ウ 本件記者会見では、まず被告代理人が訴え提起の報告とその内容についての説明を行う旨を述べた後、被告及び被告代理人が以下のとおり説明した。 (ア) 被告は、原告代表役員との夫婦関係悪化に端を発して、原告や原告代表役員との係争が発生、拡大した経緯全般を説明した。具体的には、平成16年に原告代表役員が心不全で入院して以降夫婦関係が変化してきたこと、平成19年当時、原告代表役員の女性関係をめぐり夫婦仲にひびが入り、平成20年4月以降、追い出されるようにして別居状態に至っていたこと、そのとき、原告から激しいバッシングを受け、自殺衝動にかられて病院に通院していたこと、衆議院議員選挙に際し一時期幸福実現党党首として活動したが、選挙後再び関係が疎遠になり、平成22年3月に離婚届に判を押すよう求められたことなどを説明した後、別居中の建物からの退去を求められて立入禁止仮処分の申立てを行っていること、離婚訴訟が係属していることなどを説明した。 (イ) さらに、被告は、平成22年10月から同年11月にかけて、原告が収録し、信者向けに配信した本件各霊言のなかで、原告代表役員が被告の守護霊である文殊菩薩を原告代表役員に降霊させてしゃべらせ、それを被告の本心であるかのように語っているのを知るに及び、「“これはいくらなんでもひどい”ということで、何とか損害賠償などの救済措置を講じられないかと思い、提訴しました」と説明した。 この点について、被告代理人は、「霊言は、Aさんの個人攻撃と目される表現に終始している」と指摘し、例えば、被告が原告代表役員に対して、自分の方が能力的に優位だと主張して原告代表役員を貶めているのだとの表現や、被告が自分こそ原告を大きくした最大の功労者だと主張しているのだと装っている箇所が多数あると説明し、他にも、過去に被告と原告代表役員が結婚した経緯について事実を偽っていること、原告関係の大きな事件として、講談社のフライデーに対するネガティブキャンペーンが発生した経緯について、被告が私怨のためにやったのだと自白しているように話す場面があること、これらが名誉毀損的な言質だと認識していることを説明した。 さらに、被告代理人は、霊言の席に、原告代表役員と被告との長男、長女を同席させ、被告の「霊」と罵り合わせたり、被告の「霊」が、オウム真理教を例に出して特定の人物を、「ポアした方がいい」「殺した方がいい」としていること、「核ミサイル、ぶっぱなしてみたい」などと語っていることが問題であるとし、霊言により、被告の社会的評価とともに、被告の主観的な名誉感情も侵害されていると説明し、これらの精神的苦痛に対する慰謝料として1億円の請求を行ったと説明した。 エ 以上の説明の後、若干の質疑応答が行われ、被告代理人は、外部に向けて行う表現行為には制約が伴うと指摘し、霊言という特殊な表現行為が隠れ蓑に使われてはならず、宗教的行為であっても許されるべきではないと指摘した上で、午後3時頃、本件記者会見は閉会した。 (2) 以上に基づいて、本件複製頒布行為が著作権法32条1項の引用に当たるかについて検討する。 ア 被告は、本件複製頒布行為が著作権法32条1項の引用に当たるとして、本件記者会見における説明、批判、反論等(説明資料である「訴状の概要」を含む。)が引用表現であり、本件各霊言が被引用著作物である旨主張する。 著作権法32条1項は、「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と規定するから、他人の著作物を引用して利用することが許されるためには、引用して利用する方法や態様が、報道、批判、研究等の引用するための各目的との関係で、社会通念に照らして合理的な範囲内のものであり、かつ、引用して利用することが公正な慣行に合致することが必要である。 本件においては、引用する側の表現であると主張する本件記者会見における(配布資料を含む)説明、批判、反論等と被告が引用される表現であると主張する本件各霊言及びその活字起こしファイルとは、同時ではなく1日又は数日の時間的間隔を置いて伝えられたものであり、また伝達媒体としても異なるところから、これらを理由として、著作権法32条1項の「引用」に当たらないと解する余地もあると考えられるが、以下においては、仮に「引用」に当たるものとして、同項の他の要件について検討する。 イ まず、引用の目的上正当な範囲で行われたものか、すなわち、引用して利用する方法や態様がその目的との関係で、社会通念に照らして合理的な範囲内のものであるかについて検討する。 上記(1)のとおり、本件記者会見では、約1時間にわたり、「訴状の概要」を説明資料として、本件名誉毀損訴訟に至る経緯、内容等について説明されたものと認められる。そして、その中心的な内容である、本件各霊言による被告の名誉毀損については、「訴状の概要」において、1頁を25行で構成し、1行当たりの文字数37文字で構成された同書面の6〜15頁において、丸数字で示されている。その丸数字の箇所は、本件霊言1につき28箇所、本件霊言2につき38箇所(本件各霊言の合計で179行)であり、1行文字数37字で換算すると、6623字である。これに対し、本件霊言1は103分の動画映像、本件霊言2は117分の動画映像であり(前記1(1))、その間、登場人物がほとんど間隙なく、通常の会話の速度で、質問とこれに対する回答という形式で話し続けているものであり(甲1、2)、その反訳文(1行当たり40文字のもの)において、本件霊言1は約7万3000字、本件霊言2は約7万4000字であり、その合計は約14万7000字である(甲3)。なお、「訴状の概要」自体において、本件各霊言における原告代表役員の発言がその言語的表現として引用されているから、本件各霊言のうち、「訴状の概要」に記載されている部分は既に引用済みであり、その後本件DVD等が配布されたからといって、その部分については、新たに引用されたものとは認め難い。しかし、「訴状の概要」において引用された言語的表現部分においても本件DVDではその音声部分や映像部分が新たに利用されていると考えられるから、既に「訴状の概要」において引用されていた言語的表現部分を除いた本件DVD全体について、引用の要件を検討することとする。また、本件DVD映像の言語的表現部分を活字起こししたCD−Rにおける表現については、言語的表現部分のみであるから、「訴状の概要」で引用された部分については引用には当たらないことになり、その他の部分について引用の要件を検討することになる。 上記の量的な対比からも明らかなとおり、「訴状の概要」を含む被告の説明、批判、反論において名誉毀損として具体的に摘示されている箇所は本件各霊言全体であるとは認められず、むしろその一部分にとどまる。しかも、前記1(2)のとおり、本件各霊言中には、被告が名誉毀損と主張する内容とは直接関係のない内容のものが多く含まれている。 このように、被告が名誉毀損と主張する部分が、本件各霊言の一部にすぎないことや、名誉毀損とは関係のない内容も多数含まれていることからすれば、本件各霊言全体を複製・頒布して利用した本件複製頒布行為について、上記の説明、批判、反論等の目的との関係で、社会通念に照らして正当な範囲の利用であると解することはできない。 これに対し、被告は、本件各霊言が「霊言」という特殊な形態と内容により行われ、動画映像の視聴によって初めてその趣旨や権利侵害の事実を正確に理解し得るといえること、名誉毀損的言辞がほぼ全編にわたって貫かれていること等からすれば、本件複製頒布行為が説明と反論という引用の目的上当然に正当な範囲内のものと認められるべきである旨主張する。 しかしながら、本件各霊言が「霊言」という特殊な形態と内容により行われたものであっても、被告が名誉毀損と主張するのは、個々の言語的表現であり、本件各霊言全体を視聴しなければ、被告が指摘する名誉毀損の箇所を理解できないものではない。また、被告は、本件記者会見において、「訴状の概要」を配布したほか、口頭での説明も付加しているのであるから、本件各霊言の全体の趣旨についても口頭で説明することが可能であったと認められる。そうすると、被告が主張するような理由によって本件複製頒布行為が「引用の目的上正当な範囲内」であるとは認められない。 被告は、引用の同一機会に、同一の伝達手段で提示されたものではない本件のような場合には、分量論は意味をもたないと主張する。しかしながら、たとえ同一の機会等でないとしても、原告において被引用著作物が引用著作物と関連づけて理解されるものであると主張する以上、引用の正当性を判断するに当たって、その両者の分量を考慮の一要素とする必要があると考えられるから、被告の主張は採用できない。 ウ 次に、原告の主張する引用が公正な慣行に合致するものであるかについて検討する。 本件DVD等は、被告の主張によれば、「訴状の概要」を含む被告の説明、批判、反論がされた本件記者会見の翌日に、原告の主張によれば本件記者会見の翌週に、記者会見に参加した報道関係者等に配布されたものである。しかも、被告の陳述書(乙3)によれば、被告は、記者会見終了後に、記者会見の出席者が原告代表者が行う「霊言」というものをきちんと理解してもらえたかという気がかりを生じ、その気がかりを解消するために本件DVD等を報道関係者等に送付する必要を感じ実行したものと認められるから、本件記者会見の席上においては、本件DVD等を、後日、記者会見における説明等に必要なものとして配布する旨を述べていなかったものと認められる。 このような本件DVD等の配布の時期、本件記者会見当日における説明内容に照らせば、本件複製頒布行為が公正な慣行に合致するものと認めることもできない。 被告は、例えば、相手方当事者の著作物が自らの著作権その他何らかの権利を侵害しているとして訴訟を提起し、提訴会見を開くような場合に、相手方当事者の著作物を複製して開示し、侵害の具体的態様や自らの主張するところを説明することは、日常、当然のように行われているところであり、記者会見における配付資料として、自己の権利を侵害する著作物を配布し利用することは、世上極めて頻繁に目にするところであり、明らかに公正な慣行に合致するものである旨主張する。 被告の主張は、提訴者が著作権侵害であると主張する相手方当事者の著作物について、提訴会見における複製・開示行為全般を公正な慣行に合致すると主張するものと解されるが、そのような複製・開示行為について限定を付することなく許容する公正な慣行は存在しないというほかないから、被告の主張は理由がない。 (3) したがって、本件複製頒布行為が著作権法32条1項の引用の要件を満たし、適法に行われたものであるとは認められない。 4 本件複製頒布行為が著作権法41条の時事の事件の報道のための利用に当たるか(争点4)について (1) 被告は、本件各霊言による名誉毀損事件という時事の事件の当事者(被害者)として、事件報道に従事する報道機関等に対し記者会見を開催して事実関係を説明し報道を促すに当たり、当該事件を構成する著作物たる本件各霊言を収録した本件DVDを提供したものであるから、自ら報道の目的上正当な範囲内において著作物を複製したものとして、著作権法41条の適用を受ける旨主張する。 そこで検討するに、著作権法41条は、時事の事件を報道する場合には、その事件を構成する著作物を報道することが報道目的上当然に必要であり、また、その事件中に出現する著作物を報道に伴って利用する結果が避け難いことに鑑み、これらの利用を報道の目的上正当な範囲内において認めたものである。このような同条の趣旨に加え、同条は「写真、映画、放送その他の方法によつて時事の事件を報道する場合」と規定するのであるから、同条の適用対象は報道を行う者であって、報道の対象者は含まれないと解するのが相当である。 そうすると、被告は、本件記者会見を行ったことが認められるものの、本件記者会見についての報道を行った者ではないから、著作権法41条の適用はないというべきである。 (2) 被告は、本件のような場合に、報道機関が情報を入手する経路を著作権侵害として差し止めることが可能となれば、著作権法41条は実質的に有名無実に帰し、ひいては自由な報道や言論が妨げられると主張する。しかしながら、本件の場合、被告が開催した本件記者会見によって、報道機関は必要な情報を入手することが可能であったと認められるから、被告の主張は当たらない。 また、被告は、本件複製頒布行為は、名誉毀損の態様にかかわる「霊言」の特殊な形式を理解し、また名誉毀損の全体像を理解するうえで必須のものであるから、「報道の目的上正当な範囲内」のものにとどまる旨主張する。しかしながら、本件各霊言が「霊言」という特殊な形態と内容により行われたものであっても、前記のとおり、本件各霊言全体を視聴しなければ、被告の訴え提起の内容及びその趣旨について正確な報道ができないとは解されない。 したがって、本件複製頒布行為が「報道の目的上正当な範囲内」であるとは認められないから、被告の主張は理由がない。 (3) 以上のとおり、本件複製頒布行為が著作権法41条の時事の事件の報道のための利用に当たるとは認められない。 また、被告は、著作権法41条の適用がないとしても、同条の準用又は類推適用があるなどと主張するが、上記(2)のとおり、本件複製頒布行為が「報道の目的上正当な範囲内」であるとは認められないから、同条の準用又は類推適用があるかなどを判断するまでもなく、被告の主張は理由がない。 5 原告の著作権の行使が権利濫用に当たるか(争点5)について 被告は、@本件各霊言が全体として被告に対する極めて悪質な誹謗中傷に終始し、それ自体として被告の名誉権侵害行為を組成していること、A被告による著作物の利用は、かかる権利侵害を訴え出て、報道機関による報道等を通じて社会に公知のものとし、原告代表役員や原告の行為を批判、批評し、反論するという正当な目的に出たものであること、B原告の権利主張の目的は、著作権もしくは著作権法が想定する著作物の財産的価値の維持・擁護に向けられたものではなく、もっぱら被告の正当な言論活動、それも原告が著作権を標榜する名誉毀損的言辞に対する反論を、表面上著作権行使に名を借りて抑圧、妨害する目的に出たものであることなどを指摘して、原告の著作権の行使が権利濫用である旨主張する。 そこで検討するに、本件各霊言は、被告の指摘(「訴状の概要」参照)に従っても名誉毀損が本件各霊言全体にわたるものとは解されないし、原告の権利主張が被告の言論活動を抑圧、妨害する目的であったことを認めるに足りる証拠もない。そして、たとえ本件各霊言において名誉毀損と評価される箇所があったとしても、それゆえに原告の著作権の行使が直ちに否定されるものではなく、名誉毀損については、被告が原告及び原告代表役員に対して名誉毀損を理由として権利行使することによって対処すべき事柄である。 また、前記3(1)のとおり、平成23年2月24日、原告の広報局長から被告に宛てた内容証明郵便による通告書が配達され、同通告書では、本件各霊言の動画映像DVDあるいはその活字起こしを複製し、週刊誌記者等のマスコミ等に配布する行為を即刻中止し、配布物を責任をもって回収することが申し入れられていたのであるから、被告は、このような通告書を送付されながら、あえて本件複製頒布行為を行ったものと認められる。 以上に照らすと、たとえ本件複製頒布行為が原告及び原告代表役員の行為を批判、批評し、反論するなどの目的から行われたものであったとしても、その他に原告の著作権の行使が権利濫用に当たる事情は認められないから、被告の主張は理由がない。 6 著作権侵害のまとめ 前記1〜5のとおり、本件複製頒布行為は、原告の有する著作権(複製権、頒布権)を侵害するものと認められるから、本件DVD、その活字起こし文書及びワープロソフトデータファイルの複製又は頒布の禁止を求める著作権法112条1項に基づく差止請求は理由がある。 また、本件複製頒布行為は、原告の有する著作権(複製権、頒布権)を侵害する不法行為であると認められるから、後記7において、原告の損害及び損害額を検討する。 7 原告の損害及び損害額(争点6)について (1) まず、原告は、事前の通告を全く無視した本件複製頒布行為の後、被告代理人から「(本件DVDの複製・頒布は)何の問題もない、複製頒布を中止させるつもりはない。」という趣旨の応答を得たため、本件各霊言がインターネット等に流出する危険が極めて高いと判断して、インターネット監視業者に対し、昼夜を分かたない対応を依頼し、その費用は、上記監視業者に支払った具体的金額だけでも、平成23年3月1日から同年5月5日まで、合計金28万3500円である旨主張する。 しかしながら、被告代理人から「(本件DVDの複製・頒布は)何の問題もない、複製頒布を中止させるつもりはない。」という趣旨の応答があったことを認めるに足りる証拠はない。 もっとも、被告が平成23年3月4日付け内容証明郵便で原告代理人弁護士宛てに送付した回答書(甲10)には、「本件霊言は犯罪行為を組成したものにほからず、これらについて教団やB殿に著作権その他如何なる法的権利も認められる余地はなく、著作権法違反を言われる貴信のご主張は自ずから失当というべきです。」「著作権法上は、時事事件の報道に当たり、当該事件を構成する著作物等は報道の目的上正当な範囲内において複製し、報道にともない利用することができるとされています。」という記載がある。 そこで検討するに、確かに、被告は、本件各霊言又はその活字起こし文書を複製して配布する行為の中止を求める通告書を送付されながら、あえて本件複製頒布行為を行ったものと認められ(前記5)、かつ、回答書には上記のような記載がある。 このような被告の回答内容からみれば、被告は既にした本件複製頒布行為の正当性を主張し、その配布物の回収をする意思がないことが認められる。しかし、たとえそのような応答があったとしても、そのような応答自体によって既に行われた本件複製頒布行為によって本件各霊言がインターネット等に流出する危険性が高まるわけではない。 そこで、本件複製頒布行為によって配布された本件DVD等によって、本件各霊言の内容がインターネット等に流出する危険性があったかについて検討する。原告は、そのような危険性があったことを示すものとして、フリーライターのブログに、被告が配布したとみられる本件DVD映像の一場面を静止画像としたものが使用されていた事実(甲13)を挙げる。 しかし、被告が配布の対象としたのは報道機関の記者、カメラマン、ライター等であり、本来報道目的で配布したものである。そのような配布を受けた報道機関関係者が報道目的とは離れて安易にインターネットに本件DVDの内容等を流出させるものと認めることはできない。原告が挙げるライターのブログも、報道目的で静止画1枚のみを掲載したものであり、そこから、音声を含む本件DVDの内容等がインターネット上に流出する危険性が高かったと認めることもできない。 そうすると、原告の主張する監視費用の損害について、被告の違法行為である本件複製頒布行為との間に相当因果関係のある損害と認めることはできない。 (2) また、原告は、本件DVDは、いずれも「霊言」という原告の宗教行為の中核部分にかかわるものであり、これを頒布等することは全く想定されていないなどとして、著作権法114条の5を適用して、相当な損害額の認定を求める。 そこで検討するに、証拠(甲14、乙3)及び弁論の全趣旨によれば、本件各霊言は、頒布を予定して製作されたものではなく、実際に原告の信者等に対しては衛星配信されたものの、DVD映像等として有償で頒布されるようなこともなかったことが認められる。他方で、本件複製頒布行為によって、本件各霊言が記者、カメラマン、ライター等の25名に対して頒布されたことが認められる(前提事実(3)、前記3(1)イ)。 このように、本件各霊言は頒布を予定されたものではないものの、これを一般に頒布するとすれば、それなりの対価を得て頒布されるものと認められるから、本件複製頒布行為によって原告に損害が発生したことが認められる。そして、本件各霊言は本来は頒布を予定して製作されたものではないことなどを考慮すると、「損害額を立証するために必要な事実を立証することが当該事実の性質上極めて困難であるとき」(著作権法114条の5)に当たるというべきである。 そこで、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づくと、相当な損害額としては30万円を認めるのが相当である。 (3) 最後に、弁護士費用相当額について検討するに、本件訴訟の内容、進行等に加え、著作権法112条1項に基づく差止請求が認容され、不法行為に基づく損害賠償請求として弁護士費用相当額を除いて30万円が認められていることを考慮すると、被告が負担すべき弁護士費用相当額としては30万円を認めるのが相当である。 以上のとおり、不法行為に基づく損害賠償請求は60万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成23年4月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。 8 結論 よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 大須賀滋 裁判官 小川雅敏 裁判官 森川さつき |
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