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【事件名】雑誌標章“HEART nursing”事件 【年月日】平成24年6月7日 大阪地裁 平成23年(ワ)第12681号 不正競争行為差止等請求事件 (口頭弁論終結日 平成24年4月12日) 判決 原告 株式会社メディカ出版 同訴訟代理人弁護士 三山峻司 同 井上周一 同 木村広行 同 松田誠司 同 種村泰一 被告 株式会社医学出版 同訴訟代理人弁護士 加嶋是 主文 1 被告は、その発行する看護雑誌に別紙被告標章目録記載の標章を使用し又はこれを使用した看護雑誌を販売し、引渡し、販売若しくは引渡しのために展示してはならない。 2 被告は、別紙被告雑誌目録記載の雑誌を廃棄せよ。 3 被告は、原告に対し、50万円及びこれに対する平成23年10月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 4 原告のその余の請求を棄却する。 5 訴訟費用は、これを5分し、その1を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。 6 この判決は、1、3及び5項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 当事者の求めた裁判 1 原告 (1)主文1及び2項と同旨 (2)被告は、原告に対し、100万円及びこれに対する平成23年10月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3)訴訟費用は被告の負担とする。 (4)仮執行宣言 2 被告 (1)原告の請求をいずれも棄却する。 (2)訴訟費用は原告の負担とする。 第2 事案の概要 1 前提事実(証拠の掲記がない事実は当事者間に争いがない。) (1)当事者 原告は、学術用書籍・新聞・映像及びコンピューターに関連する書籍の出版並びに販売業務等を目的とする会社である。 被告は、書籍・雑誌・新聞の編集・企画・出版・印刷及び雑誌・書籍の輸入・販売・卸業務等を目的とする会社である。 (2)原告雑誌 原告は、循環器疾患に係る医療に従事する看護師を主な読者とする雑誌(以下「原告雑誌」という。)を、昭和62年11月1日から刊行している。当初は隔月で刊行していたが、昭和64年1月号以降は毎月刊行しており(甲3の1〜280)、平成元年からは、毎年2回、特定のテーマを設定した増刊号も刊行している(甲4の1・2)。 原告雑誌の題号は、「HEART nursing」であり、創刊号(昭和62年11月号)から平成16年3月号まで、表紙に記載された題号のうち「HEART」の部分は、別紙旧原告標章目録記載の標章(以下「原告旧標章」という。)のとおりであり、平成16年4月号以降は、別紙原告標章目録記載の標章(以下「原告標章」という。)のとおりである。 (3)被告の行為(甲11の1・2) 被告は、平成23年8月15日から、別紙被告雑誌目録記載の雑誌(以下「被告雑誌」という。)を刊行しており、被告雑誌の題号として、別紙被告標章目録記載の標章(以下「被告標章」という。)を使用している。 2 原告の請求 原告は、被告の行為が、不正競争防止法(以下「法」という。)2条1項1号の他人の商品等表示として需要者の間に広く認識されている原告標章と同一又は類似の商品表示を使用した商品を譲渡する行為に当たり、原告の商品(原告雑誌)と誤認混同を生じさせるとして、被告に対し、法3条に基づき、被告標章の使用差止め及び被告雑誌の廃棄を求めるとともに、法4条本文に基づき、100万円の損害賠償及びこれに対する平成23年10月19日(本件訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている。 3 争点 (1)原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているか(争点1) (2)被告標章は、原告標章と同一又は類似の商品表示であるか(争点2) (3)被告の行為は、原告の商品(原告雑誌)と混同を生じさせるものであるか(争点3) (4)損害額(争点4) 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点1(原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているか)について 【原告の主張】 以下のとおり、原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものである。 (1)原告標章の商品等表示性 ア 原告旧標章 前提事実(2)のとおり、原告は、昭和62年11月1日から原告雑誌を刊行しており、平成16年3月号までは、原告雑誌の表紙上段に、大きく目立つ態様で、原告旧標章を付して使用していた。増刊号でも、題号とは別に、その表紙に出所を識別できる態様で、原告旧標章を付して使用していた。 イ 原告標章 原告は、平成16年4月号から現在まで、原告雑誌の表紙上段に、大きく目立つ態様で、原告標章を付して使用してきた。増刊号でも、題号とは別に、その表紙に出所を識別できる態様で、原告標章を付して使用してきた。 原告標章は、原告旧標章と比べると、「A」の文字がギリシャ文字の「Λ」に近づけられており、「R」の文字の右下の部分がやや右下に延ばされているものの、これらの差違は微細なものにすぎず、原告旧標章と原告標章は、実質的に同一の構成のものである。 ウ 原告標章の商品等表示性 原告雑誌の表紙における誌名(題号)の表記は、雑誌上部中央の誌名を記載する部分に、いずれもアルファベット(書体は「Times New Roman」と同等のもの)の大文字で「HEART」と大きく表わし、「HEART」のTの文字の右上端に、やや大きく、何月号であるかについて示す各号表示があり、その下部に、各号表示よりも小さく、アルファベットの小文字で、「nursing」と小さく記載されているというものである。 具体的な表記の態様は、以下のとおりであり、実寸は、「HEART」の部分(原告標章)が横13.3p×縦3p、「nursing」の部分が横3.5p×縦0.5pである。 (原告標章イメージ省略) このように、「HEART」の部分は、「nursing」の部分と比べると、圧倒的に大きく、表紙上段に最も目立つように記載されている。「nursing」の部分は、原告雑誌が看護雑誌であることを意味するものにすぎないし、上記の態様で表記されているにすぎないから、需要者の注意を引くものではない。 また、実際に、原告雑誌は、取引者、需要者(購読者)から、「ハート」と呼称されており、原告標章は、原告の商品表示として認識されている。 エ 後記【被告の主張】に対する反論 循環器疾患に係る医療に従事する看護師を読者として雑誌を出版する場合に、誌名の一部に「HEART」の語を用いなければ、当該雑誌が何を内容としているのかを表すことが困難であるということはない。例えば、「循環器」、「心臓」、「疾患」、「看護」及び「ケア」等の語を、単独で又は組み合わせて使用することが可能であり、誌名選択の幅は非常に広い。 したがって、普通名詞であるからといって、商品表示となりえないということはない。 (2)原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されていること 原告標章は、被告雑誌が刊行された時点において、需要者である循環器疾患に係る医療に従事する看護師を中心に、原告の商品表示として広く認識されていた。以下の事実は、これを裏付けるものである。 ア 原告雑誌の販売実績等 原告雑誌は、現在まで20年以上もの長期間にわたり継続的に刊行されている。 発行部数は、各号につき概ね4000部を超えており、増刊号を含めた年間総発行部数は、平成3年ころには5万8000部を、平成15年には7万2000部を超えており、その後、現在に至るまで7万部前後で推移している。 原告雑誌は、大型書店を中心に店頭販売もされており、長年にわたり、多くの需要者が原告標章を目にする状況が継続している。 イ 原告雑誌の需要者 原告雑誌は、循環器疾患に係る医療に従事する看護師を主な購読者(需要者)とする専門誌である。具体的には、循環器内科、心臓血管外科及び集中治療室(ICU)等の病棟に所属する看護師が需要者であり、その数は全国で合計6万4599人程度である。 原告雑誌は、病院・医療センター・専門学校などによって定期購読がされており、これらの施設に勤務する看護師等も読者となるから、上記アの販売実績等からすると、需要者のうち相当割合の者が閲覧しているものである。 ウ 原告雑誌以外の同種の刊行物 上記のとおり、原告雑誌は、循環器疾患に係る医療に従事する看護師を主な読者とする定期刊行物であるところ、同様の刊行物としては、訴外日総研が刊行する隔月の会員制雑誌である『呼吸器・循環器 急性期ケア』があるのみである。 したがって、原告雑誌は、長年にわたり、この分野における主要な定期刊行物であった。 エ 広告・宣伝 (ア) 学会誌広告 原告は、看護学会のプログラムや学会誌等において、原告標章を付した原告雑誌の表紙を掲載し又は原告標章をそのまま掲載した多数の広告をしてきた。 (イ) 各種セミナーの開催等 原告は、第4回日本循環器看護学会学術集会において、「ナースが知っておきたいわが国の保険診療の現状」と題するランチョンセミナーを共催し、その際に原告標章を使用している。 また、原告主催のセミナーにおいても原告旧標章及び原告標章を使用してきた。 【被告の主張】 以下のとおり、原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものではない。 (1)原告標章の商品等表示性 原告の商品表示である原告雑誌の題号は、「ハートナーシング」ないし「HEΛRT nursing」であり、原告旧標章ないし原告標章ではない。 また、原告標章及び原告旧標章の「HEART」は、「心臓」又は「循環器」を指す普通名詞であり、何ら独自性がなく、心臓又は循環器に関する雑誌を発行しようとするときに普通に用いられる表示であって、商品等表示とはなりえないものである。 したがって、原告標章は、原告の商品表示ではない。 (2)原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されていないこと 原告雑誌が需要者の間に広く認識されているとしても、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているのは、原告標章ではなく、「ハートナーシング」ないし「HEΛRT nursing」である。 2 争点2(被告標章は、原告標章と同一又は類似の商品表示であるか)について 【原告の主張】 以下のとおり、被告標章は、原告標章と同一又は類似の商品表示である。 (1)原告標章 原告標章は、別紙原告標章目録記載のとおり、アルファベットの大文字で「HEART」と横書きしてなる標章であり、書体は、いわゆる「Times New Roman」と同等のものが用いられている。 (2)被告標章 被告標章は、別紙被告標章目録記載のとおり、アルファベットの大文字で「HEART」と横書きしてなる標章であり、書体は、いわゆる「Times New Roman」と同等のものが用いられている。 (3)類否 原告標章と被告標章は、外観、称呼及び観念において同一であり、両者は同一ないし類似していることが明らかである。 ア 外観 原告標章と被告標章は、いずれもアルファベットの大文字で「HEART」と横書きしてなる標章であり、書体も共通である。 イ 称呼 原告標章と被告標章の称呼は、いずれも「ハート」である。 ウ 観念 原告標章と被告標章からは、いずれも「心」「愛情」の観念が生じる。 【被告の主張】 以下のとおり、被告標章は、原告標章と同一又は類似の商品表示ではない。 (1)原告標章 前記1【被告の主張】のとおり、原告は、原告の商品表示として原告標章を使用していない。原告の商品表示は、「ハートナーシング」ないし「HEΛRT nursing」である。 また、「HEART」は、「心臓」又は「循環器」を指す普通名詞であり、何ら独自性がないものであるから、原告の商品表示である原告雑誌の題号の要部でもない。原告は、原告雑誌のほかに「消化器外科ナーシング」、「オペナーシング」、「ブレインナーシング」などの題号を付した雑誌を刊行しており、このことからしても、原告標章のうち「ナーシング」(看護のための専門誌)の部分の方が「ハート」の部分よりも重要である。 (2)類否 以下のとおり、原告の商品表示と被告標章とは、類似しない。 ア 外観 原告の商品表示である原告雑誌の題号の外観は、被告標章と異なる。また、原告雑誌には、必ずカタカナ表記で「ハートナーシング」と併記されているのに対し、被告雑誌には、「HEART」以外のカタカナ表記はなく、「ナーシング」の記載もない。 イ 称呼 原告の商品表示である原告雑誌の題号から生じる称呼は、「ハートナーシング」であるのに対し、被告標章から生じる称呼は、「ハート」であり、明らかに異なっている。 ウ 観念 原告の商品表示である原告雑誌の題号から生じる観念は、「心臓看護」又は「循環器看護」であるのに対し、被告標章から生じる観念は、「心臓」又は「循環器」であり、類似しない。 3 争点3(被告の行為は、原告の商品(原告雑誌)と混同を生じさせるものであるか)について 【原告の主張】 以下のとおり、被告の行為は、原告の商品と混同を生じさせるものである。 (1)被告雑誌の需要者 被告雑誌の主な購読者(需要者)は、原告雑誌と同様に、循環器疾患に係る医療に従事する看護師である。 (2)取引の実情 原告雑誌は、書店において、表紙が客に見える状態で棚に陳列する、いわゆる「面出し」の状態で陳列されており、表紙で最も注意を引くのは、上部中央の誌名を記載する部分に大書された原告標章である。 書店において、分野を同じくする出版物は同一のスペースに陳列されるのが通常であるところ、上記のとおり被告雑誌の主な購読者(需要者)は原告雑誌と共通であるから、被告雑誌は原告雑誌と同じコーナーに陳列されている。このような状況で、購読者は、表紙上部中央に被告標章が大書された被告雑誌を目にすることになる。 (3)混同のおそれ 前記1【原告の主張】のとおり、原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されていること、前記2【原告の主張】のとおり、原告標章と被告標章とが同一又は類似のものであること、上記(1)のとおり、原告雑誌と被告雑誌の需要者が共通であることに加え、上記(2)の取引の実情からすれば、需要者が、被告雑誌を原告雑誌であると誤認、混同するおそれは極めて高い。 執筆者ないし編集企画者が、被告雑誌を原告雑誌であると誤認、混同するおそれもある。 実際に、原告雑誌を購入しようとして、誤って被告雑誌を購入した例が生じている。 (4)被告の故意 原告は、原告雑誌を含む17の雑誌について、古いものでは昭和57年から刊行しており、いずれも各専門分野における読者層に好評をもって受け入れられ、着々と出版の実績を上げてきたものである。 ところが、被告は、原告が出版している上記17の雑誌名と同一ないし類似する表示について、平成19年4月以降、指定商品16類の「雑誌等の商品」に係る商標として次々と商標登録出願している。 また、被告代表者は、かつて、株式会社オリーブの代表者であった際、同社の商号を杏林ファルマ株式会社と変更したが、杏林製薬株式会社から商号の使用差止と商号抹消登録を求めて提訴され、敗訴している(東京地裁平成18年(ワ)第17405号、知財高裁平成19年(ネ)第10014号)。そして、上記杏林ファルマ株式会社の住所は、本件訴訟提起時における被告の住所地と同じである。 このことからも、被告が不正競争の意図を有することは明らかである。 【被告の主張】 以下のとおり、被告の行為は、原告の商品と混同を生じさせるものではない。 (1)被告雑誌の需要者 被告雑誌の主な購読者(需要者)は、循環器疾患に係る医療に従事する看護師に限られるものではない。被告雑誌は、「ナース・コメディカルのためのハートケア誌」であり、看護師のみではなく、専門外の医師、学生、薬剤師、理学療法士等、広く医療関係者を対象とするものである。 (2)取引の実情 書店等において、原告雑誌が全て面出しの状態で陳列されているとは限らない。原告雑誌は、種類が多いため、書店でまとめて棚に並べられることが多く、背表紙にはカタカナ表記で「ハートナーシング」と記載されている。これに対し、被告商品は書店で平積みにされることが多い。 (3)混同のおそれ ア 前記2【被告の主張】のとおり、原告の商品表示である原告雑誌の題号と被告標章とは類似しないから、混同のおそれはない。 イ 書籍には、「ISBN ナンバー」が付されており、書店や取次店は、この番号を用いており、表紙の大きな文字だけを見て取り次ぐのではないから、書店や取次店が混同することはあり得ない。 ウ 以下のとおり、読者が原告雑誌と被告雑誌を混同するおそれもない。 (ア) 原告雑誌がB5判であるのに対し、被告雑誌はA4判である。 (イ) 原告雑誌は「HEART」の部分の色彩が黒であるのに対し、被告雑誌は赤である。 (ウ) 被告雑誌の方が原告雑誌よりも頁数が多く、全てカラー頁であるのに対し、原告雑誌は増刊号を除くと、ほとんど白黒頁である。原告雑誌の増刊号は、全頁2色刷であるが、カラー頁ではない。 (エ) 原告雑誌の定価が本体価格1800円であるの対し、被告雑誌の定価は2000円である。原告雑誌の増刊号の定価は4000円もする。 (オ) 原告雑誌と被告雑誌の表紙には、それぞれの出版社名も記載されている。 (カ) 前記(1)のとおり、被告雑誌の読者は、広く医療関係者であり、記事の難易度が原告雑誌より高度なものである。 (4)前記【原告の主張】(4)について 本件と関連性のない主張である。 4 争点4(損害額)について 【原告の主張】 原告は、被告の行為により本件訴訟を提起することを余儀なくされた。 本件事案の内容及び本件訴訟の経緯等からすれば、被告の行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は、少なくとも100万円を下回ることはない。 【被告の主張】 否認する。 第4 当裁判所の判断 1 争点1(原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているか)について 以下のとおり、原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものと認めることができる。 (1)原告標章の商品等表示性 証拠(甲3の1〜280)及び弁論の全趣旨によれば、原告雑誌の題号は、「ハートナーシング」ないし「HEΛRT nursing」であることが認められる。 原告の主張は、要するに、原告標章が独立して商品表示性を獲得するに至っていると主張するものと解される。 そこで検討すると、証拠(甲3の191〜280)によれば、原告は、原告雑誌の平成16年4月号から現在に至るまで、原告雑誌の表紙に原告標章を付して使用してきたことが認められる。具体的には、原告雑誌の表紙上段の誌名が記載される部分に、大きく目立つ態様で、以下の記載がされていることが認められる。 (原告標章イメージ省略) なお、上記「nursing」の部分の上方には、何月号であるかを示す各号表示が記載されており、「nursing」の部分の下部には、より小さい文字で「ハートナーシング」と記載されている。 このように、原告標章である「HEΛRT」の文字の部分が、「nursing」ないし「ハートナーシング」の部分よりも、格段に大きな文字で記載されていることからすれば、原告雑誌の表紙を見る取引者、需要者にとっては、原告標章が特に注意を引く部分であると認められる。 被告は、「HEART」が普通名詞である又は原告雑誌の内容を説明する単語にすぎないから、商品表示とはなりえないとか、出版業界において、このような普通名詞を出版元の異なる複数の雑誌が使用するのは、通常のことである旨主張する。しかしながら、「HEART」とは、一般に、「心臓、胸」「思いやりの心、愛情」「興味、関心、勇気」「中心、核心」を意味する英単語であり、循環器疾患に係る医療やそれに関連する事項を直ちに連想させるものではない。また、循環器疾患に係る医療やそれに関連する事項を題材とした雑誌を刊行するに当たり、「HEART」の文字を使用することが必須であるとか、これを用いない誌名を創作することが困難であるなどといえないことは、多言を要しない。 したがって、原告標章について、商品内容を普通に用いられる方法で説明したにすぎないものであるとか、他の同種商品と識別することができないものであるなどということはできないから、上記被告の主張は採用できない。 後述する後記(2)の事実を併せ考えると、原告標章は、原告雑誌の題号のうち他の部分から独立して、商品表示として機能するものであるということができる。 (2)原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものであること 上記(1)に加え、以下のとおり、原告標章が、長期間にわたり、継続的かつ独占的に使用されてきたものであることなどからすれば、原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものであると認めることができる。 ア 前提事実に加え、後掲各証拠によれば、以下の事実が認められる。 (ア) 原告標章及び原告旧標章の使用 原告は、昭和62年11月号(創刊号)から平成16年3月号までの間、原告雑誌の表紙に原告旧標章を付して使用してきた。 その具体的な使用態様は、原告雑誌の平成11年12月号までは、原告雑誌の表紙上段の誌名が記載される部分に、大きく目立つ態様で、原告旧標章が記載され、その下部に小さく「ハートナーシング」と記載され、その右横に、同様の小さい文字で「nursing」と併記されていた(甲3の1〜139)。 その後、平成12年1月号から平成16年3月号までの間は、前記(1)の原告標章と同様の構成で、原告旧標章が記載されていた(甲3の140〜190)。 平成16年4月号以降は、前記(1)のとおり、原告標章が記載されている。 原告標章は、原告旧標章の「A」の文字を「Λ」と替え、「R」の文字の右下の部分をやや右下に延ばしている点で原告旧標章と相違する。しかしながら、これらの相違点は、表示全体の構成から見ると些細な相違というべきであり、原告標章は、原告旧標章と実質的に同一のものである。 したがって、原告標章は、それと実質的に同一の表示である原告旧標章が用いられた期間を含め、被告雑誌が刊行される前の20年間以上にもわたり使用されてきたものである。しかも、この間、原告標章ないし原告旧標章と同一又は類似する標章を使用した看護雑誌は存在しなかったから、原告は、原告標章を長期間にわたり継続的かつ独占的に使用してきた。 (イ) 原告雑誌の販売実績等及び広告・宣伝 原告雑誌の発行部数は、各号につき概ね4000部を超えており、平成3年から平成23年までの1年当たりの発行部数は合計5万部ないし8万部である(甲5、22及び23)。 また、原告雑誌の読者は、主として、心臓血管外科、循環器科及び集中治療室(ICU)に勤務する看護師であるところ、これらの診療科に所属する看護師の総数は、平成21年11月時点において、全国で合計約6万4500人と推定される(甲26)。 原告雑誌は、病院・医療センター・専門学校などによって定期購読をされており、これらの施設に所属する看護師も読者となるものであるから、原告雑誌は、全国で想定される読者のうち相当程度の割合の者によって閲覧されてきたものである。 原告は、これまで看護学会のプログラムや学会誌等において、原告標章ないし原告旧標章を付した原告雑誌の表紙を掲載し又は原告標章ないし原告旧標章をそのまま掲載した広告を繰り返しており(甲6〔枝番省略〕〜9)、これらの広告・宣伝も、需要者に対する原告標章の知名度を高めたものである。 イ 上記アの各事実に加え、原告社員の陳述書(甲21)並びに医師及び看護師の陳述書(甲27、67ないし73)によれば、原告雑誌は、循環器疾患に係る医療に従事する看護師を読者とする看護雑誌として、医師、看護師の間に広く認識されていたものであること、原告雑誌の取次会社、書店、定期購読者や読者である医師及び看護師は、一般に原告雑誌を「ハート」と呼称してきたことも認められる。 なお、被告は、書店担当者(乙39、40)並びに医師及び看護師に対するアンケート調査の回答書(乙41ないし49)を提出しており、これらの書面には原告雑誌を「ハート」と呼称することはない旨の記載がある。しかしながら、原告提出の上記各陳述書が、前記(1)及び上記アの各事実により客観的に裏付けられているのに対し、被告提出の上記各回答書は、これらの事実と整合するものではない。 (3)小括 前記(1)のとおり、原告標章は、原告雑誌の題号のうち他の部分から独立して、商品表示として機能するものであるということができ、少なくとも原告雑誌の題号のうちの要部であることに加え、前記(2)のとおり、原告標章が、長期間にわたり、継続的かつ独占的に使用されてきたものであることなどからすれば、原告標章は、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものと認めるのが相当である。 2 争点2(被告標章は、原告標章と同一又は類似の商品表示であるか)について 以下のとおり、被告標章は、原告標章と類似の商品表示であると認められる。 (1)特定の商品表示が法2条1項1号にいう他人の商品表示と類似のものか否かを判断するに当たっては、取引の実情の下において、取引者、需要者が、両者の外観、称呼、又は観念に基づく印象、記憶、連想等から両者を全体的に類似のものとして受け取るおそれがあるか否かを基準として判断するのが相当である。 原告標章は、別紙原告標章目録記載のとおり、アルファベットの大文字で「HEΛRT」と横書きしてなる標章であり、書体は、いわゆる「Times New Roman」と同等のものが用いられている。被告標章も、別紙被告標章目録記載のとおり、アルファベットの大文字で「HEART」と横書きしてなる標章であり、書体は、いわゆる「Times New Roman」と同等のものが用いられている。 そうすると、少なくとも、いずれの標章からも「ハート」の称呼が生じ、観念においても共通のものであると認めることができる。 なお、外観において、原告標章は、「A」の文字を「Λ」と表記している点及び「R」の文字の右下の部分がやや右下に延ばされている点において被告標章と相違する。しかしながら、他の文字については共通であり、後記の原告雑誌及び被告雑誌における各標章の使用態様も考慮すると、各標章を全体としてみる限りにおいて、上記相違点はいずれも些細な違いにすぎないものというべきであって、全体としてみた場合には外観においても類似すると認められる。 取引の実情についてみると、証拠(甲3の191〜280、甲11の1・2、甲18、乙17〜24、27)によれば、原告標章及び被告標章は、それぞれ、原告雑誌及び被告雑誌の表紙上段の誌名が記載される部分に、大きく目立つ態様で記載され、原告雑誌及び被告雑誌は、書店等において、いわゆる面出しの状態で陳列されるときもあることが認められる。 これらのことに加え、前記1のとおり、原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されていることも考慮すると、需要者である購読者が書店において原告雑誌又は被告雑誌を購入する際には、表紙上段に大きく目立つ態様で記載された原告標章又は被告標章に注目することが認められる。そして、上記のとおり、原告標章と被告標章が外観、称呼及び観念において共通ないし類似することからすれば、購読者が両者を全体的に類似のものとして受け取るおそれがあるというべきである。 (2)なお、被告は、原告標章について、原告の商品表示としては使用されておらず、原告の商品表示は、原告雑誌の題号である「ハートナーシング」ないし「HEΛRT nursing」であり、これと被告標章とは類似しない旨主張する。 しかしながら、前記1のとおり、原告標章は、他の部分から独立した商品表示として機能するものであるということができるし、少なくとも原告雑誌の題号のうちの要部であるということができるから、上記被告の主張は前提となる事実を誤るものであり、採用することができない。 3 争点3(被告の行為は、原告の商品(原告雑誌)と混同を生じさせるものであるか)について 以下のとおり、被告の行為は、原告の商品と混同を生じさせるものであると認められる。 (1)被告雑誌の需要者 被告雑誌に掲載された「創刊の辞」と題する編集主幹名義の記事(甲62)には、被告雑誌が、循環器看護に従事する看護師のための雑誌として創刊された旨の記載があること、被告も読者として循環器疾患に係る医療に従事する看護師を読者としていること自体は認めていることからすれば、被告雑誌の主たる需要者(購読者)は、原告雑誌と同様に、循環器疾患に係る医療に従事する看護師であることが認められる。 (2)取引の実情 前記2のとおり、書店等において、需要者(購読者)が原告雑誌又は被告雑誌を購入する際には、原告標章又は被告標章に注目することが認められる。 (3)混同のおそれについて 上記(1)のとおり、原告雑誌と被告雑誌の需要者(購読者)が共通であること、上記(2)のとおり、取引の実情においては、需要者が原告標章又は被告標章に注目すること、前記2のとおり、被告標章が、原告標章と類似の商品表示であることに加え、前記1のとおり、原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されているものであることからすれば、需要者が原告商品と被告商品とを混同するおそれがあると認めるのが相当である。 なお、被告は、誌面の大きさの相違(前記第3の3【被告の主張】(3)ウ(ア))、原告標章と被告標章の色の相違(同(イ))、頁数及び記事の着色の有無に係る相違(同(ウ))、価格の相違(同(エ))、出版社名の相違(同(オ))、陳列方法の相違(同(カ))並びに対象読者の相違(同(キ))からすれば、購読者が原告雑誌と被告雑誌を混同するおそれはない旨主張する。 しかしながら、誌面の大きさの相違(同(ア))、原告標章と被告標章の色の相違(同(イ))、頁数及び記事の着色の有無に係る相違(同(ウ))並びに価格の相違(同(エ))は、同一の出版社から発行される定期刊行物においても、これらの点について変更されることがありうるものであり、需要者において、これらの些細な相違点により、商品を混同するおそれがないとはいえない。 また、前記のとおり、原告標章が、原告の商品表示として需要者の間に広く認識されていること、需要者が購入する際には原告標章ないし被告標章に注目することなどからすれば、出版社名(同(オ))の相違にもかかわらず原告雑誌と被告雑誌を混同するおそれは十分にあるといえる。 陳列方法の相違(同(カ))については、被告が提出した証拠(乙22、23及び27)によっても、原告雑誌及び被告雑誌がともに書店で面出しの状態で陳列されるときがあることが明らかであり、対象読者の相違(同(キ))についても、前記(1)のとおり、主たる需要者(購読者)は共通であるから、これらの点に関する被告の主張はいずれも前提を欠いている。 したがって、被告の上記主張を採用することはできない。 4 争点4(損害額)について 本件事案の内容及び本件訴訟の経過等一切の事情を総合考慮すると、弁護士費用については50万円の限度で本件と相当因果関係のある損害であると認める。 5 結論 よって、主文のとおり判決する。 大阪地方裁判所第26民事部 裁判長裁判官 山田陽三 裁判官 松川充康 裁判官 西田昌吾 (別紙)被告標章目録 (標章イメージ省略) (別紙)被告雑誌目録 被告刊行の下記雑誌 記 題号 『HEART』 発行態様 平成23年9月号を創刊号とする月刊誌 主な対象読者 循環器疾患に係る医療に従事する看護師 (別紙)原告標章目録 旧原告標章目録 (以上、標章イメージ省略) |
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