判例全文 line
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【事件名】映画「Shall we ダンス?」の振り付け侵害事件
【年月日】平成24年2月28日
 東京地裁 平成20年(ワ)第9300号 損害賠償請求事件
 (口頭弁論終結日 平成23年10月18日)

判決
原告 A
同訴訟代理人弁護士 福井健策
同 松島恵美
同訴訟復代理人弁護士 鈴木里佳
角川映画株式会社訴訟承継人
被告 株式会社角川書店
同訴訟代理人弁護士 前田哲男
同 中川達也
被告補助参加人 株式会社アルタミラピクチャーズ
同訴訟代理人弁護士 遠山友寛
同 小泉直樹
同 升本喜郎
同  稲垣勝之


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、5276万2500円及びこれに対する平成20年4月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、映画「Shall we ダンス?」のダンスシーンで用いられたダンスの振り付けを創作したと主張する原告が、被告による上記映画のビデオグラムの販売・貸与、テレビでの放映等の二次利用によって、原告の有する上記ダンスの振り付けに係る著作権(複製権、上映権、公衆送信権及び頒布権)が侵害されたと主張して、被告に対し、主位的に民法709条に基づく損害賠償を請求し、予備的に民法703条に基づく不当利得の返還を請求する事案である。
1 前提となる事実(証拠を記載したもの以外は当事者間に争いがない。)
(1) 原告は、平成8年1月27日に日本で公開された劇場映画「Shall we ダンス?」(以下「本件映画」という。)において、ダンスの振り付けや指導を行い、自らもダンサーとして出演した者である。
 大映株式会社は、日本テレビ放送網株式会社、株式会社博報堂及び日本出版販売株式会社と共に製作委員会を組織して本件映画を製作し、その著作権を有している製作委員会の幹事会社であった。大映株式会社は、その後、角川映画株式会社に再編され、角川映画株式会社は、平成23年1月1日、被告に吸収合併された(以下、会社の再編、合併の前後を通じて「被告」という。)。
(2) 被告は、被告補助参加人に本件映画の制作を委託し、本件映画のプロデューサーであった被告補助参加人代表者B(以下「被告補助参加人代表者」という。)は、原告に本件映画の製作への参加を依頼し、原告は本件映画の製作に参加した。
(3) 原告は、本件映画のダンスシーンで用いられるダンスの振り付けを考案し、役者らにダンスの振り付けを指導した(甲20、25、原告本人、証人B)。
(4) 本件映画のエンドクレジットには、「ダンス演出・振付 A」との表記がある。
(5) 被告は、本件映画を平成8年1月27日に日本において劇場公開した。
 その後、平成8年9月ころ、本件映画を収録したビデオテープのレンタルが開始され、平成9年1月ころ、同ビデオテープの販売が開始された。また、平成8年12月ころ、本件映画を収録したレーザーディスクの販売が開始された。
 さらに、本件映画は、平成9年3月に、日本テレビ放送網株式会社の全国ネットで放送され、その後も繰り返し地上波で放送された。また、本件映画は、飛行機やバスにおける上映、BS放送、CS放送などの衛星放送やビデオ・オン・デマンドの配信等の二次利用にも供され、現在もこのような二次利用が継続されている。
(6) 被告は、本件映画の二次利用に際し原告の許諾を求めたことはなく、また、原告に対し、本件映画の二次利用につき金銭の支払をしたことはない。
(7) 原告は、平成20年4月7日、被告に対し、本件訴訟を提起した。
2 争点
(1) 本件映画のダンスの振り付けに著作物性が認められ、同振り付けが本件映画に複製されているといえるか(争点1)
(2) 原告は、いわゆるクラシカル・オーサーに該当し、本件映画の二次利用について著作権を行使することができるか(争点2)
(3) 原告が、本件映画の二次使用料を受け取る権限がないことを自認していたか(争点3)
(4) 原告の権利行使が著しく正義に反するものであるか(争点4)
(5) 原告の損害(争点5)
3 当事者の主張
(1) 本件映画のダンスの振り付けに著作物性が認められ、同振り付けが本件映画に複製されているといえるか(争点1)
(原告の主張)
ア 原告は、本件映画の登場人物のキャラクターや役者の持つキャラクター及びストーリーの流れに応じて各場面のダンスの振り付けを創作し、役者にレッスンをしてその振り付けを指導した。
イ 社交ダンスには、基本ステップと呼ばれるものが数多くあり、その基本ステップを抽出し、組み合わせて一つの流れを作ることが振り付けであり、基本ステップの抽出・組合せの点に創意工夫がされるものである(基本ステップを取り入れた振り付け)。また、基本ステップに基づかず、全てオリジナルで動作及びその流れを創作する振り付けもある(基本ステップに基づかない振り付け)。原告は、本件映画のダンスシーンにおいて、基本ステップを取り入れた振り付け及び基本ステップに基づかない振り付けを創作した。原告が本件映画のダンスシーンにおいて創作したダンスの振り付けは、ダンスシーンごとに、別紙「振り付けについての当事者らの主張」(以下「本件別紙」という。)符号1ないし21の「原告の主張」欄中の「本件振付の個別説明」欄に掲げた再現画像と言語による説明によって特定される(以下、各符号で特定されるダンスの振り付けについて、単に「符号1の振り付け」などといい、符号1ないし21の振り付けを総称して「本件振り付け」という。)。本件振り付けは、本件映画の映像中に複製されており、甲第4号証のDVDの映像においては、本件別紙の各符号の「チャプター・時間」欄に記載のチャプター・時間に現れる。原告は、本件別紙符号1ないし21の「原告の主張」欄中の「本件映画におけるシーン」欄に本件映画のシーンを掲げて上記振り付けとの比較を行った。
 本件振り付けの創作性についての個別の主張は、本件別紙符号1ないし21の「原告の主張」欄並びに「補助参加人の主張・反論」欄又は「補助参加人及び被告の主張・反論」欄中の【原告の原主張】、【原告の反論】及び【原告の再反論】に記載のとおりである。
 本件振り付けには、独創性・創作性があり、原告は本件振り付けの著作権者である。
ウ 本件振り付けの著作物性の判断においては、ダンスの一連の流れを全体で見て、かつ、ダンス同士の組合せ・配列をも見るべきである。原告は、本件において、次の(ア)、(イ)の組合せについての著作権も主張する。
(ア) 同時に踊られるダンスシーン相互の組合せ
a ダンスサークルにおける、服部の符号19の振り付け(ある程度の経験者らしく余裕を持ってダンスを楽しむ振り付け)、青木の符号20の振り付け(自信の無さの裏返しから、女性へのアピール過剰な独りよがりの振り付け)、田中の符号18の振り付け(女性のリードで次第に積極的になり、ダンスの楽しさに目覚めていく振り付け)の対比。なお、対比の対象としては、これらに最もぎこちなく、まともなダンスにならない杉山の様子が加わる。
b 競技会のルンバにおける、マッチョ・まりかペアの符号13の振り付け(親密さ・セクシーさを見せつけつつ、青木ペアの妨害を繰り返す悪意の振り付け)、青木・豊子ペアの符号12の振り付け(マッチョペアを気にしつつ、自意識過剰に女性にアピールしようとする振り付け)、田中・アキコペアの符号14の振り付け(パートナーと一緒に踊る喜びを解放する、ほほえましい振り付け)の対比
c 上記bに続く競技会のパソドブレにおける、マッチョ・まりかペアの符号10の振り付け(勝ち負けにこだわり、肉体美や技術を誇示する振り付け)、青木・豊子ペアの符号9の振り付け(コンプレックスをかなぐり捨てパートナーとダンスの真剣勝負を挑む気迫と、次第に生ずる信頼関係の振り付け)、田中・アキコペアの符号11の振り付け(パートナーと一緒に踊る喜びを爆発させる、ほほえましい振り付け)の対比
(イ) 前後のキャラクターの変化を示すダンスの組合せ
a 杉山について
 競技会前の符号16、15の振り付け(初出場前の不安感とぎこちなさの残る振り付け)があり、次に、競技会における符号6、8の振り付け(緊張を残しつつ美しく軽快に踊る高揚感と、突然の悲劇の対比)があって、最後に、ラストシーンの符号1の振り付け(踊る喜びを取り戻した、肩の力を抜いた楽しげな振り付けと、踊りの輪が美しく広がる様子)につながる。
b 青木について
 ダンスサークルでの符号20の振り付け(自信の無さの裏返しから、女性へのアピール過剰な独りよがりの振り付け)があり、次にホールでの符号17の振り付け(同じ誤りを繰り返してパートナーの不興を買い、マッチョに相手を奪われる振り付け)があり、さらに、競技会での符号12の振り付け(過剰なアピールにこだわり、かつマッチョ達にあえなくペースを乱され、その後の豊子の一喝につながる振り付け)があって、符号9の振り付け(コンプレックスをかなぐり捨て、パートナーとダンスの真剣勝負に挑む気迫の振り付け)に続く。
c 田中について
 ダンスサークルでの符号18の振り付け(内気だった田中が女性のリードで次第に積極的になり、ダンスの楽しさに目覚めていく振り付け)から符号14、11の振り付け(パートナーと一緒に踊る喜びを爆発させる、ほほえましい振り付け)に続く。
エ 原告は、本件映画のエンドクレジットに「ダンス演出・振付」と表記されており、著作者としての推定を受ける。
(被告及び被告補助参加人(以下「被告ら」という。)の主張)
ア 原告は、本件映画の制作において、ダンス指導とダンス演出を行った。すなわち、原告は、ダンス指導として、本件映画に登場するダンスシーンの一部について、基本ステップ等の組合せや一連の流れ(振り付け)をほかのダンス教師と共に役者に指導した。また、原告は、ダンス演出として、社交ダンスの経験者としての立場から、撮影準備及び撮影現場において、C監督の要求に応じてダンスについての情報を提供したり、技術的な助言をしたりすることなどを通じて、各ダンスシーンにおける役者の動きなどがアマチュア競技ダンスとして不自然でないかを確認し、C監督の演出を補佐した。
 原告は、上記各業務を行い、助監督と同等の立場で本件映画に関わったにすぎない。原告が行ったダンス指導やダンス演出に関連して、著作権法上保護される舞踊の著作物が創作されたとは認められない。
イ 原告は、本件訴訟において、自己の創作した振り付けの著作物に係る著作権(複製権)侵害を主張しており、その侵害態様については、本件映画の中で再現されている振り付けとは分離された独立の振り付けの著作物が別に存在しており、それがそのままの形で本件映画に複製されている旨主張している。また、原告は、本件別紙符号1ないし21の全てのシーンにおいて、足のステップはもちろん、上半身の使い方や腕の上下、手先の細かな動きに至るまで、全て原告が事前に創作したものであり、役者はその振り付けを忠実に踊ったにすぎないと主張する。
 このような原告の主張を前提とするならば、原告は、自己の振り付けの著作権(複製権)侵害を主張するに当たり、本来、そのような細部に至るまでの細かな振り付けを具体的かつ明確に特定し、その上で、その振り付けが本件別紙符号1ないし21の各シーンに正確に再製(複製)されていることを、立証しなければならない。また、原告は、社交ダンスの著作物性について、個々のステップではなく、「一連の流れ」に着目すべきであるとも主張しているところ、このような主張を維持するのであれば、なおさら原告が自己の著作物であると主張する振り付けが、画面上切れることなくペアの全身が手足の先まで完全に再製され、かつ、映像の途中で別のシーンが挿入されるなどしてダンスシーンが途切れたりしないで「一連の流れ」として完全に再製されていることが必要不可欠である。
 しかしながら、実際の本件映画の映像を見ると、本件別紙符号1ないし21の各シーンのほとんどに、別のシーンが挿入されるなどした結果、一連のダンスが途中で途切れているシーンや、上半身しか映っていないシーン、ペアの一方しか映っていないシーンなど、原告が創作し、複製されたと主張する部分が、そもそも複製(再製)されていない箇所や、一定のまとまりある振り付けとして複製(再製)されていない箇所が多数存在する。
 結局、原告が創作したと主張する振り付けは、そもそも特定されているとはいえないし、また、仮に特定されているとしても、それが本件映画に再製(複製)されているとはいえない。
ウ 原告は、舞踏譜を提出することなく、本件映画における実演から「舞踊の著作物」を特定しようとしている。しかしながら、このような場合において舞踊の著作物の存在が認められるためには、その著作物の創作性とは区別されるべき「実演」及び実演の「指揮・演出」の準創作的行為を除外して、抽象的な型としての存在及びその型自体における創作性が認められるかどうかが検討されなければならない。そして、本件において、抽象的な型としての「振り付け」自体に著作物としての創作性は到底認められない。
エ 本件別紙符号1ないし21の各シーンに再製されている振り付けに著作物性がないこと
(ア) 競技ダンスには、いわゆる「基本ステップ」と呼ばれる基礎的なステップや、競技ダンスの世界で広く知られているステップや、一般的なテクニック等が多数存在する。競技ダンスとは、基本的には、これらのステップやテクニック等を駆使して完成度の高い演技を競うスポーツである。
(イ) 基本ステップと創作性について
a 基本ステップとは、英国の社交ダンス団体が発行する教科書に掲載されている基礎的なステップのことをいい、「ベーシック・フィガー」、「スタンダード・フィガー」、「ネームド・バリエーション」(ラテン種目では「アドバンスド・フィガー」)の3種類に分類される。これらの基本ステップを紹介している教科書は、あくまでプロの試験に合格するために必要な基本的事項を網羅しているにすぎず、教科書に記載されていないステップの組合せであるから目新しいとか、創作性がある、というわけではない。競技ダンスは、タイミング(テンポ)や足の位置等が合えば、教科書に縛られることなく、自由につなげて踊ることができるものである。また、教科書に掲載されている基本ステップの諸要素(回転数やスウェイ、先行・続行等)は、いわば「試験に出る諸要素」にすぎず、実際にダンスを踊る際は、教科書で紹介されている諸要素にアレンジを加えて踊られるのであり、かかるアレンジによって審査員の目をひき付け、技や技術の高度さを競うのが、競技ダンスというスポーツである。
b 競技ダンスには、それぞれ種目ごとに教科書で紹介されている基本ステップが存在し、かかる基本ステップは、その多くが種目を超えて一般的に使われている。各種目のダンスでは、その種目の特性に応じて、自由に他の種目のステップを使用・脚色することができるのであり、このように種目を問わず、基本ステップやそれにアレンジを加えたステップ等を駆使して、リズミカルで雄大な美しい流れを競い合うスポーツが競技ダンスなのである。
c 上記のとおり、基本ステップは、既に一般化してありふれたものであって、創作性がなく、基本ステップを構成する諸要素にアレンジを加え、教科書に紹介されていない組合せやつなぎ方をして踊ったとしても、結局、基本ステップの範ちゅうにとどまるものであり、創作性はない。
 また、実際の競技ダンスの現場でも、そのようなアレンジや組合せ等は、広く一般的に行われており、著作物性を生じさせるに足りる創作行為であるとは到底いえないし、このような行為に振り付けの著作権が発生することによる弊害も計り知れない。
 よって、基本ステップをアレンジしたダンスや、基本ステップを適宜組み合せたダンスには創作性がなく、かかる振り付けに著作権が発生しないことは、明らかである。
(ウ) 基本ステップではないが、メダルテストや各競技会、デモンストレーション等を通じて、次第に世界中のダンス界に知られるようになり、広く一般に愛用されるに至ったステップを、便宜上、「基本的フィガー」ということとする。故D氏の「ポピュラー・バリエーション」や「マンスリー・レター・サービス」で紹介されているステップは、基本的フィガーに当たるものである。
 基本的フィガーも、基本ステップと同様、既に社会に広く認識され、一般化したステップであるから、ありふれたもので、創作性が認められないことは明らかである。
 また、基本的フィガーに多少のアレンジを加えたり、適宜基本ステップと組み合せて踊ったりすることも、既に一般的に行われている行為であって、著作権が発生するほどの創作性は認められない。
(エ) 著作権法10条1項3号の「舞踊の著作物」は、演技の型、すなわち舞踊の型を示す舞譜や無言劇の演技の型をいうものであって、実演家による演技はこれに含まれない。また、能楽やバレエ等の芸術性のある舞踊的動作に関する型は、これに含まれるが、社交ダンスのステップなどの振り付けや、民謡の踊り方など、既存のありふれた動作は、これに含まれない。
 実質的に考えても、既に基本ステップ等のありふれた動きが存在し、これを組み合せて踊る社交ダンス(競技ダンス)に著作物性が認められるとすると、世に存在するあらゆる社交ダンスの流れについて何者かが著作権者となり、以後、その者が踊ったダンスやその組合せを社交ダンス教室で指導したり競技会等で踊ったりすることができなくなってしまい、不当である。
 さらに、米国においても、社交ダンスのステップは舞踊の著作物に含まれないと考えられている。
(オ) 競技ダンスは、基本的に「競技」であり、定型化された基本ステップの組合せの枠内で競い合うものであるから、一般的に個性を発揮する余地ないし選択の可能性が少なく、何らかの個性ですら発揮することが困難である。具体的にも、原告が著作物性を主張する符号1ないし21の振り付けは、いずれも既存の基本ステップないしそのありふれた組合せにすぎず、著作物一般に求められる何らかの個性のレベルにすら達していない。
(カ) 仮に、本件別紙符号1ないし21の各シーンに再製されている限度で振り付けの流れ(各ステップの組合せ)を全体的に考察したとしても、各ステップの組合せは、いずれも教科書に紹介されているレベルの極めてありふれた組合せであるか、教科書に紹介されていなくとも、既に競技ダンス大会等で演じられているか、競技ダンス経験者であれば誰もが容易に思いつくようなありふれた基本レベルの組合せであり、これらに著作権法上保護されるべき創作性を認めることはできない。
 また、本件映画のストーリーや場面設定、登場人物のキャラクターを考慮した上で、どのように基本ステップ等を組み合わせ、一連の流れ(振り付け)にするのかは、アイデアに属するものであって、それ自体が著作物として保護されるわけではない。
 なお、本件映画のダンスシーンにおいて固定されている音楽は、撮影終了後に編集作業において映像に録音し、後から固定したものであるから、本件振り付けと音楽との調和を強調する原告の主張は失当である。
(キ) 本件振り付けの創作性についての個別の主張は、本件別紙符号1ないし21の「補助参加人の主張・反論」欄及び「補助参加人及び被告の主張・反論」欄に記載のとおりである。
オ 原告が主張する、ダンス同士の組合せの著作権の主張について
(ア) 同時に踊られるダンスシーン相互の組合せについて
 原告が各符号の振り付けについてする説明は、役者の演技から感得される印象を説明するにすぎないものであって、いずれも振り付け自体から生ずるものではなく、本件映画のストーリー、場面設定、各登場人物のキャラクター設定等を踏まえた役者の演技から生じるものである。また、各シーンの脚本、撮影、演出、編集等に関する全ての判断はC監督が行っており、各振り付けを一つのシーンに登場させて対比することもC監督のアイデアと判断によるものであって、かかる判断に原告が創作的に関与した事実はない。さらに、競技会のダンスシーンにおいて、複数のペアが同時に踊ることは、場面設定上当然のことである。
(イ) 前後のキャラクターの変化を示すダンスの組合せ
 原告が各符号の振り付けについてする説明が、役者の演技から生じるものであることは上記(ア)と同様である。また、各キャラクターの変化の表現に係るダンスの組合せの流れを決めたのはC監督であり、各シーンの流れから感得できる各キャラクターの変化の表現も、全てC監督によるストーリー設定、役者に対する指導や演出、編集等の作業によって生み出されたものである。したがって、上記ダンスの組合せの流れもC監督のアイデアと判断によるものであり、かかる流れについて原告が創作的に関与した事実はない。
カ 原告が本件振り付けの著作者としての推定を受けるとの主張は争う。本件映画のエンドクレジットで、原告の氏名は、監督助手らと同じ小さな活字を用いたブロックに表記されており、著作者として表記されているのではない。「ダンス演出・振付」とのクレジット表記は、本件映画の製作者側が、原告への感謝の意を込めて表記したものにすぎない。
(被告らの主張に対する原告の反論)
ア 被告らは、原告がダンス指導・ダンス演出を行ったにすぎないと主張するが、重要なのは、原告への依頼内容ではなく、本件映画に収録されているダンスの振り付けが「著作物」といえるのか、それを創作したのは誰かということである。
 なお、C監督は、ダンスの内容やその流れを全て原告に任せており、ダンスレッスンから撮影現場を通じ、ダンスの振り付けや配置について、C監督から指示や異論が出ることはなかった。
イ 本件映画が本件振り付けの枢要な部分を複製していることは明らかであり、上半身しか映っていないからステップの創作性は利用されていないなどというのは、議論として単純化し過ぎている。たとえ本件映画の映像に上半身しか映っていなくても、その上半身の動きは、下半身が所定のステップをしなければおよそ起こらないものである。ステップとは、そのような全身の美しい動きを生み出すものであって、効果は当の足だけに限定されない。
 そして、本件振り付けは、少なくとも本件別紙の各符号における説明によって、十分に特定されている。
ウ 本件映画の設定やストーリーから振り付けを着想するのは当然のことであり、振り付けの著作物性からかかる影響を受けた要素が捨象されなければならない理由は全くない。また、ストーリーや設定を表現するためのステップの抽出及び組合せ自体に振付家の苦心や創意の余地は十分にある。さらに、ダンスシーンは、しばしばその場面に特有の設定や物語性を持つものであり、本件振り付けの多くにも、ダンスシーンごとの設定やキャラクターがある。
エ 本件振り付けの著作物性に係る被告らの主張に対する反論
(ア) 本件振り付けの著作物性は、映画の場面設定や登場人物のキャラクターを考慮しつつも、これらを発展させ、若しくは独自に作られた各ダンスの場面の設定やキャラクターを表現するために、ステップや動きを新たに創作し、既存のステップをアレンジし、あるいは既存のステップから抽出し、さらには、音楽との調和や全体のバランスを考慮しながら、これらを複雑に組み合わせた構成全体に見出されるべきである。
 本件振り付けを構成するステップ及びその組合せについて、仮に教科書に掲載されているステップや過去に踊られたステップの組合せと部分的、断片的に共通する部分があったとしても、それだけをもって、本件振り付けに創作性がないことの根拠とはなり得ない。むしろ、その全体的な構成を含めて、著作物性は判断されるべきである。
 被告らは、本件振り付けをありふれたものと主張する根拠として、部分的な数秒程度のステップの映像や教科書に掲載されているステップしか提示しておらず、このこと自体、ステップの組合せ及びこれからなる振り付けの全体的な構造にそれ相応の多様性、工夫の余地が残されていることを示している。さらに、被告補助参加人が証拠として提出する教科書における基本ステップの記載においてさえ、先行と続行のステップが複数存在し、たった3ステップの組合せにすら無数の選択肢が存在する。原告は、振り付けの全体的な流れ、スピード感、美しさ等を考慮した上で、この中からたった一つの組合せを選択したのである。
 また、被告補助参加人が提出したダンス関係者の陳述書は、本件振り付けの部分的な流れについて判で押したように「流行していた」、「見たことがある」などと述べつつ、具体例をほとんど示すことができておらず、信用性を欠き、説得力もない。
 本件は、「本件振り付けと共通の要素があるダンスを第三者が踊った」という事案ではなく、原告が振り付けたダンスをそのまま含む本件映画が、広範に二次利用され続けている事案である。被告らは、本件振り付け全体の著作物性の問題と、社交ダンスの振り付けの構成要素である個々のステップや動きについての独占の弊害の問題とをすり替えている。また、本件のような事案で、ステップの組合せがアイデアにすぎないとの理由で被告の責任を否定することはできない。
 仮に、本件振り付けの創作性が全て否定されるのであれば、原告は、一切の氏名表示権も持たないこととなり、極めて不当な結論となる。
(イ) 被告らが、社交ダンスが著作物ではないことの根拠として指摘する文献は、単に既存のステップを対象とした一般論を述べたもので、いずれも根拠にはならない。実演家の演技そのものが振り付けの著作物に該当しないことは当然であるし、基本動作の抽出と組合せという点では同様の要素を含む能楽やバレエと社交ダンスとを区別する理由はない。むしろ、社交ダンスの振り付けでも、ありふれたものでなければ著作物性が認められる。
(ウ) 本件映画は社交ダンスのうち、競技ダンスを主に扱っているところ、主要な競技ダンスの団体が採用する審査基準では「技術および芸術性など全体的な評価を行う」とした上で、採点の主要要素として「振り付け」、「(振り付けの)創造性、独創性」が明記されている。また、社交ダンスの分野にも、振付家が多数存在する。
オ ダンス同士の組合せの著作権に係る被告らの主張に対する反論
 それぞれの振り付けが各キャラクターを的確に表現していることは明らかであり、各振り付けの相互対比によってキャラクターがより表現できるように工夫されていることは否定できない。
 また、仮に百歩譲って、ダンスを相互にどう対比するかが全てC監督の単独の発案と判断であったと仮定しても、そのような対比のアイデアをいかなる振り付けの動きで表現するか、各人をどのような位置関係とタイミングで動かすかは、かかるアイデアのみから必然的に決まるものではなく、いずれも原告が創作的に表現したものである。
(2) 原告は、いわゆるクラシカル・オーサーに該当し、本件映画の二次利用について著作権を行使することができるか(争点2)
(被告らの主張)
ア 完成した映画の利用に対して権利行使ができる者は、いわゆる「クラシカル・オーサー」と呼ばれる者であり、具体的には、著作権法16条で映画の著作物の著作者から除外されている者、すなわち、「その映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者」である。そして、上記「その他の著作物」とは、映画の製作前から存在していた「既存の著作物」を意味すると解される。なぜなら、映画の製作前から既に存在していた著作物の創作行為は、映画の著作物の製作とは無関係に完結しており、その創作者は映画の製作の過程そのものに参加する者ではないからである。したがって、映画の製作に参加することを約束した者が、映画製作の過程で新たに創作したものは、上記「その他の著作物」には該当しない。ただし、著作権法16条は、脚本及び音楽の著作物の著作者を映画の著作物の著作者から明文の規定をもって一律に除外しているから、脚本及び音楽の著作物に限り、映画製作のために創作されたものであっても、それらの著作者はクラシカル・オーサーとなる。
イ 著作権法16条において映画の著作物の著作者とされる者は、モダン・オーサーと呼ばれ、著作権法29条によって映画の著作物の利用について原則として著作権を有せず、その者が映画製作の過程において行った創作的な寄与の成果は映画の著作物を形成し、それに包含されることになるが、その者は、完成した映画の著作物の利用に対して禁止権・許諾権を有しない。他方、上記アの著作権法16条において映画の著作物の著作者から除外されている者(クラシカル・オーサー)は、映画の利用について著作権(禁止権・許諾権)を行使することができることとなる。
 小説、脚本、音楽の著作者がクラシカル・オーサーに該当し、映画監督やプロデューサー、撮影担当者、美術担当者がモダン・オーサーに該当することは著作権法16条の規定から明らかであるし、また、映画の製作より前から存在していた既存の著作物の著作者は、映画製作の過程に参加する者ではないから、クラシカル・オーサーに該当することも明らかである。しかし、著作権法16条で具体的に列挙されている者以外の著作者であって映画製作の過程に参加している者については、その者がクラシカル・オーサーとされるのか、それともモダン・オーサーとされるのかは同条の規定の文言だけからでは必ずしも明らかではなく、著作権法16条及び29条の立法目的・趣旨及び立法経緯、ベルヌ条約の規定及びその趣旨に照らし、当該著作者の具体的な行為の内容・性質、それと映画製作過程との関係、映画関係業界の一般的な慣行ないし慣習、当事者の認識等を総合的に考慮して、その者がモダン・オーサー、クラシカル・オーサーのいずれに属するのかを決するほかはない。
(ア) ベルヌ条約14条の2(3)は、「映画の著作物の製作のために創作された脚本、せりふ及び音楽の著作物の著作者並びに映画の著作物の主たる制作者(監督・演出を担当して映画の著作物の創作の中心となった者)」以外の「映画の著作物の製作に寄与した著作者」に、「映画の著作物を複製し、頒布し、公に上演し及び演奏し、有線で公に伝達し、放送し、他の方法で公衆に伝達し並びに字幕を挿入し及び吹替えをすること」に反対できる権利(すなわち許諾権・禁止権)を付与することを同盟国に禁止している。原告は、本件映画について「映画の著作物の製作のために創作された脚本、せりふ及び音楽の著作物の著作者並びに映画の著作物の主たる制作者」には当たらないから、ベルヌ条約の規定及び趣旨に照らし、原告がクラシカル・オーサーとして本件映画の利用について許諾権・禁止権を有すると解釈することはできない。
(イ) 原告は、本件映画の製作過程に参加することを映画製作者から求められ、その対価を受領して、連日撮影現場に赴き、C監督からの指示に基づき、あるいはC監督及びその他のスタッフと相談しながら実演家に対する振り付けの指導を行ってきたのであり、仮にその過程において舞踊の「型」を考案することがあったとしても、それは、本件映画の製作のための行為であって、本件映画から独立して「型」を利用することを想定して行われたものではない。
(ウ) 本件映画は巨額の製作費により企業活動として製作され、公表された劇場用映画であって、本件映画には著作者の地位に立ち得る多数の関与者が存在するのであり、他方、上述のとおり、原告の行為は本件映画の製作過程におけるものであって、映画の製作過程との関係においては美術担当者などのモダン・オーサーの行為と異ならないものであることを考慮すると、本件映画における原告に関しても、劇場用映画等の円滑な流通を保証するために映画製作者に許諾権・禁止権を集中させるという著作権法16条及び29条の立法目的・趣旨が妥当する。
(エ) 映画関連業界において、映画の著作物を二次利用等するに当たっては、当該映画に利用されている原作・脚本・音楽の著作権については権利処理が行われるものの、「振り付け」について権利処理が行われることはなく、かつ「振り付け」について権利処理が必要であるという認識も関係者の間には全くない。のみならず、原作・脚本・音楽の著作物については著作権等管理事業者が存在しており、実務上も権利処理が容易に行えるのに対し、「振り付け」にはそのような管理も行われていない。このような映画関連業界における慣行ないし慣習及び当事者の認識に照らしても、原告のように映画製作の過程において振り付けやその指導を行う者をクラシカル・オーサーと解釈することはできない。
(オ) 後記のとおり、原告自身も、本件映画の二次利用に対して主張することができる財産権があるとは思っていなかったのであり、原告がクラシカル・オーサーに該当しないことは、原告自身の認識とも一致する。
 以上によれば、本件において、原告が本件映画のクラシカル・オーサーに当たらないことは明らかである。
(原告の主張)
ア 原告は、本件映画の映像から独立して利用することが可能な舞踊の著作物である本件振り付けを創作した。本件振り付けは、既存の著作物が映画の著作物に利用されているのと同様に評価できるものであるから、原告は、いわゆるクラシカル・オーサーであり、本件振り付けの著作権を有する。
イ 著作権法16条の文言は、「映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者」であり、映画の著作者から除外される者を小説、脚本及び音楽の著作物の著作者に限定しておらず、脚本・音楽と「その他の著作物」との間で何ら記載上の差異を設けていないし、「その他の著作物」を、映画の製作前から既に存在していた著作物に限ってはいない。
 また、ベルヌ条約14条の2(2)は、そもそも「映画の著作物の著作権者」の取扱いに関する規定である。クラシカル・オーサーについては、同条約14条の2(1)で「(映画に)翻案され又は複製された著作物の著作者の権利を害することなく」と明記されており、更に先行する同条約14条(1)において、自作が翻案又は複製された映画の頒布・上演・演奏・公の伝達について排他的権利を有することが明記されている。映画の利用についてこのような排他的権利を有するのは「文学的又は美術的著作物の著作者」であり、同条約2条(1)により舞踊の著作物も明文で含まれている。そして、同条約14条の2(2)(b)は被告らも認めるとおり、映画の製作に寄与した著作者が映画について著作権を有する国についての規定であり、我が国は対象ではない。同条約14条の2(3)は、それとの関連で読めば、脚本や音楽の著作者が映画について著作権を有する法制度をとっている場合に、これらの者が映画の利用に反対することができることを確認した規定にすぎない。
 さらに、被告らのように著作権法16条を解釈することは、本件映画の楽曲を作曲した者が権利者として十分に保護されていることと比して著しく不公平であり、その解釈を裏付ける政策上の要請もない。
 加えて、我が国の著作権法の主要な解説書を見ても、条文の文理に重大な変更を加える被告らのかかる解釈を裏付ける記載は一切見当たらない。
 以上によれば、「脚本及び音楽の著作物の著作者」以外の者については、映画の製作前から既に存在していた著作物の著作者でなければクラシカル・オーサーになり得ない旨の被告らの著作権法16条の解釈が誤りであることは明らかである。
ウ 仮に、被告らの主張するように、脚本および音楽の著作物以外の著作物の場合、映画の製作前から既に存在していた著作物の著作者でなければ、クラシカル・オーサーになり得ないとしても、本件振り付けのうち、符号2ないし6、8、13、14の振り付けは、本件映画の製作前に原告が創作したものである。
(3) 原告が、本件映画の二次使用料を受け取る権限がないことを自認していたか(争点3)
(被告らの主張)
ア 原告は、平成13年2月に破産宣告を受けたが、その際、自己の全財産を破産財産として届け出なければならないことを認識していたにもかかわらず、本件振り付けの著作権や本件映画の二次使用料の請求権等を届け出ていない。このことは、原告が、当時、本件振り付けの著作権や本件映画の二次使用料の請求権がないことを十分理解していたことの証左である。
 もし、仮に、原告が、本件振り付けの著作権を原始的に有していたとすれば、原告は、それを映画製作者に譲渡したか、又は映画製作者に対して本件映画の二次利用を包括的に許諾していたと理解するほかない。
イ 本件映画が製作された当時、劇場用映画が公開後に様々な方法で二次利用されることは社会的に広く認知されていた。原告も、本件映画が二次利用に供され、自己の振り付けも二次利用に供されることを本件映画が製作された当時から当然に認識又は予想していたのであって、かかる認識の下に、被告補助参加人からの本件映画のダンス指導及びダンス演出の依頼を快諾し、同依頼に基づいて業務を行い、これに相当する対価として総額605万8460円の支払を受けている。この金額は、本件映画に関して原告に支払われる対価としては十分なものであり、これには振り付けに関する一切の対価が含まれていた。そして、原告は、自己の振り付けについての対価や権利の取扱い、二次利用における追加報酬について、上記依頼を受けた当時はもちろんのこと、その後においても、何らの申入れもしておらず、問い合わせすらしていない。また、原告は、遅くとも平成11年3月ころには本件映画が二次利用されていることについて認識していたが、その後、平成19年に至るまで、何ら二次利用について追加報酬の請求や異議等を述べたことはなかった。結局、原告は、上記対価の支払が、本件映画の製作及びその後の利用について自己が受領することができる報酬の全額であると十分納得し、合意した上で本件映画の製作に参加していたものであり、本件映画の二次利用について別途自己が権利を有するとか、二次使用料が発生するとの認識を有しておらず、少なくとも、本件映画の二次利用について別途追加で対価を受け取ることができないことを認識し、了解していた。すなわち、少なくとも本件映画の二次利用について禁止権を行使しないという原告の包括的な許諾があったと考えられる。
ウ 原告は、本件映画の製作に関与するに当たり、被告補助参加人代表者から、原告が助監督と同じ立場であることについて説明を受けている。助監督は、映画の二次使用料を受け取る権利を有しておらず、原告も助監督と同等の立場でダンス指導・ダンス演出をしたにすぎない以上、その業務について二次使用料を受け取れないことは当時から十分に予期し、または認識していたというべきである。
エ 本件映画のように、あくまで映画の舞台設定として登場する初心者の競技ダンスのシーンを撮影するため、競技ダンスを踊れない役者にある程度ダンスが踊れるよう指導をし、また、ダンスシーンにリアリティを出すために監修や助言等を行ったにすぎない者に対して、二次使用料を支払うという映画実務の慣行はない。
 そもそも、映画関連業界において、振り付けについて権利処理が行われたり、二次使用料等が支払われたりすることはなく、業界の関係者にそのような処理が必要であるとの認識もない。振り付けを行った者に対して映画の著作物の二次利用に当たって対価が支払われないのが映画関連業界における常識かつ慣習であり、原告もそれに従う意思であったと考えられる。
(原告の主張)
ア 被告らは、映画関連業界において振り付けの二次使用料を支払う慣習がないとか、本件振り付けの著作権につき黙示の著作権譲渡があったなどと主張するものの、その立証に全く成功していない。原告は、それまで劇場用映画の制作に携わったことはなく、上記慣習についても聞いたことがなかった。
イ 被告らの主張は、「利用の予見」と「無限定及び無償利用の予見」を混同するものである。一定の利用を予見できるということと、対価が不要であることは別問題であり、原告は、映画が無限定に利用されても対価の支払が得られないと予測していたわけではない。
ウ 被告補助参加人から原告に対して支払われた金額は、撮影期間中の拘束時間をベースに計算されたものであり、権利の対価としての性質を有しないことは明らかであり、原告は、上記支払が本件映画の将来の一切の多角的利用を包含したものであるとは考えていなかった。上記金額は、原告及び原告の経営するダンススタジオのスタッフによるダンス指導料の実費(通常のレッスン料の半額である1時間当たり6000円で計算した実費で、原告の分は54万3800円であり、ここに振付料が含まれているとは考えられない。)と原告が平成7年7月から約2か月間撮影現場に赴きC監督と共に演出を行ったダンス演出料97万8500円(1月当たり40万円をベースとした金額)からなり、このような低廉な金額で、原告による演出のほかに本件映画の振り付けの創作及び二次利用への対価の支払がされ、振り付けの著作権の黙示的な譲渡までされたとは到底考えられない。
エ 被告らが、映画業界について知識がない原告に対し、本件映画の制作への協力を依頼した際に、原告が何ら契約条件を聞かなかったから、二次使用料を受け取る権利を失ったと主張することは、不合理であって正当化することができない。
 原告は、本件映画が成功を収めたならば、いずれ二次使用料についての連絡があるだろうと考えていた。原告が長期間二次使用料について問い合わせができなかったのは、二次利用が開始された当時、原告は、テレビ出演等で多忙を極めており、その後、深刻な病を発症し、長期療養生活を余儀なくされたからである。
(4) 原告の権利行使が著しく正義に反するものであるか(争点4)
(被告らの主張)
 被告補助参加人は、原告に俳優に対するダンスの指導を依頼したにすぎず、新たな著作物を創作することを依頼していない。にもかかわらず、原告が指導した振り付けの中に原告が創作した著作物であると主張する本件振り付けを忍ばせておき、本件映画が十分に利用された後になって突如、振り付けの著作権を主張し、多額の請求をすることは、正義に反するというべきである。さらに、原告が自己破産の申立てをした平成12年当時において、原告が本件振り付けの著作権及び本件映画の二次使用料の請求権を保有し、そのことを認識していたのであれば、これらの権利は詐欺破産行為によって隠匿されたおそれがあるものに当たり、免責許可決定の後にこれらの権利行使を認めることは、著しく正義に反し、クリーンハンドの原則にも反するといわざるを得ない。
(原告の主張)
 争う。
(5) 原告の損害(争点5)
(原告の主張)
 本件映画の興行収入(約26億円)の規模からすれば、本件映画の二次利用に関して、少なくとも今日まで、販売用ビデオグラムについては7億5000万円、個人向け貸与用ビデオグラムについては7億5000万円、また、テレビ放送については3億円の売上げがあったことが推測される。
 本件映画の二次利用について支払われるべきであった使用料相当額は、脚本家が受けるべき使用料を参酌して算定すべきであり、少なくとも次のアないしウの合計額である5025万円に消費税を加算した5276万2500円が原告に対して支払われるべき使用料相当額と認められ、この額が著作権法114条3項によって原告の損害額となる。
ア 販売用ビデオグラム
 7億5000万円×0.0175=1312万5000円
イ 個人向け貸与用ビデオグラム
 7億5000万円×0.0335=2512万5000円
ウ テレビ放送
 3億円×0.04=1200万円
(被告らの主張)
 否認する。
第3 争点に対する判断
1 争点1(本件映画のダンスの振り付けに著作物性が認められ、同振り付けが本件映画に複製されているといえるか)について
(1) 証拠(甲2、4〜8、12、18、20〜22、25、26、29、34の1・2(枝番を含む)、37、40、丙1の1〜14(枝番を含む)、2の1〜4、4、9〜18、24〜26、29、33、35、36、45〜47、証人B、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
ア 社交ダンスとは、競技ダンスとパーティーダンス(ダンスパーティーなどで踊られるダンス)を含む概念である。競技ダンスは、ダンスのステップ(2歩以上の足の運び方の組合せのことをいう。社交ダンスの用語では、「フィガー」ないし「フィギュア」ともいうが、以下、当事者の主張にならい「ステップ」という言葉を用いる。)を適宜自由に組み合わせて踊り、その技術の高さを競い合う競技(スポーツ)であり、モダン(スタンダードともいう。)5種目(ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ、ヴェニーズワルツ)とラテン5種目(チャチャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレ、ジャイブ)のダンスから成るものである。パーティーダンスは、パーティーなどにおいて即興で踊られるダンスで、原則として、基本的なステップをつなげて踊られるものである。パーティーダンスでは、ブルース、スクエア・ルンバ、マンボ、ジルバ等のダンスも踊られる。
 社交ダンスには、様々なステップがある。社交ダンスの基本となるステップは、Imperial Society of Teachers of Dancing(以下「ISTD」という。) が発行する社交ダンスの教科書である「The Ballroom Technique」(丙9)や、ISTDのラテン・アメリカン・ダンス委員会が監修する各ラテン種目の教科書(丙11、12等)などに掲載されている(以下、これらの社交ダンスの教科書(以下、単に「教科書」という。)に掲載されているステップを「基本ステップ」という。)。
 また、基本ステップ以外にも、メダルテスト、競技会、デモンストレーション等で広く一般に使用されるようになったステップも数多くあり、このようなステップの一部はISTDの元会長であるDが著作した「ポピュラーバリエーション」(丙10)に掲載されており(以下、ポピュラーバリエーションに掲載されているステップを「PVのステップ」という。)、これに掲載されていないステップも数多くある。
 社交ダンスは、原則として基本ステップやPVのステップ等の既存のステップを自由に組み合わせて踊られるものであるが、競技ダンスでは、基本ステップを構成する諸要素にアレンジを加えて踊ることは一般的に行われており、また、ある種目の基本ステップを、種目を超えて用いることも一般的に行われている。さらに、他の種類のダンスの動きを参考にするなどして、既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを取り入れることも行われている。
 社交ダンスの振り付けとは、このような既存のステップを選択して組み合わせ、これに適宜アレンジを加えるなどして一つの流れのあるダンスを作り出すことをいう。
イ 原告は、本件映画のダンスシーンで用いられた本件振り付けを考案し、原告自ら、又は他のダンス教師を通じて、役者らに上記振り付けを教授し、役者らは、上記振り付けをそれぞれのダンスシーンで演じた。
ウ 本件映画は、アマチュアの社交ダンスを題材とした映画であり、原告が考案した本件振り付けに関連する映像が現れるシーンは、ダンス教室でのレッスンのシーン(本件別紙符号15、16、21)、ダンスサークルのダンスパーティーのシーン(本件別紙符号18ないし20)、ダンスホールでのダンスのシーン(本件別紙符号17)、アマチュアダンスの競技会のシーン(本件別紙符号5ないし14)、ブラックプールでの競技会のシーン(本件別紙符号3、4)及びダンスホールでのダンスパーティーのシーン(本件別紙符号1、2)である。
(2) 社交ダンスの振り付けの著作物性について
ア 社交ダンスが、原則として、基本ステップやPVのステップ等の既存のステップを自由に組み合わせて踊られるものであることは前記(1)アのとおりであり、基本ステップやPVのステップ等の既存のステップは、ごく短いものであり、かつ、社交ダンスで一般的に用いられるごくありふれたものであるから、これらに著作物性は認められない。また、基本ステップの諸要素にアレンジを加えることも一般的に行われていることであり、前記のとおり基本ステップがごく短いものでありふれたものであるといえることに照らすと、基本ステップにアレンジを加えたとしても、アレンジの対象となった基本ステップを認識することができるようなものは、基本ステップの範ちゅうに属するありふれたものとして著作物性は認められない。社交ダンスの振り付けにおいて、既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを取り入れることがあることは前記(1)アのとおりであるが、このような新しいステップや身体の動きは、既存のステップと組み合わされて社交ダンスの振り付け全体を構成する一部分となる短いものにとどまるということができる。このような短い身体の動き自体に著作物性を認め、特定の者にその独占を認めることは、本来自由であるべき人の身体の動きを過度に制約することになりかねず、妥当でない。
 以上によれば、社交ダンスの振り付けを構成する要素である個々のステップや身体の動き自体には、著作物性は認められないというべきである。
イ 前記(1)アのとおり、社交ダンスの振り付けとは、基本ステップやPVのステップ等の既存のステップを組み合わせ、これに適宜アレンジを加えるなどして一つの流れのあるダンスを作り出すことである。このような既存のステップの組合せを基本とする社交ダンスの振り付けが著作物に該当するというためには、それが単なる既存のステップの組合せにとどまらない顕著な特徴を有するといった独創性を備えることが必要であると解するのが相当である。なぜなら、社交ダンスは、そもそも既存のステップを適宜自由に組み合わせて踊られることが前提とされているものであり、競技者のみならず一般の愛好家にも広く踊られていることにかんがみると、振り付けについての独創性を緩和し、組合せに何らかの特徴があれば著作物性が認められるとすると、わずかな差異を有するにすぎない無数の振り付けについて著作権が成立し、特定の者の独占が許されることになる結果、振り付けの自由度が過度に制約されることになりかねないからである。このことは、既存のステップの組合せに加えて、アレンジを加えたステップや、既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを組み合わせた場合であっても同様であるというべきである。
ウ 以上を前提に、以下、本件振り付けの著作物性について判断する。
(3) 符号1ないし21の振り付け、又は符号1ないし21の振り付けのうち本件映画に再製されていると認められる部分に、著作物性が認められるか
ア 符号1の振り付けについて
 符号1の振り付けは、クイックステップの@クォーターターントゥライト、Aプログレッシブシャッセ、Bフォワードロックを2回、Cナチュラルターンの前半、Dバックウィスクと続け、次に、ジルバのEベーシックステップ、Fチェンジオブプレイスライトトゥレフト、Gチェンジオブプレイスレフトトゥライト、Hチェンジオブハンズ、Iリンクと続け、上記@に戻る、という流れの振り付けである(なお、原告は、上記@、Aについて、本件別紙符号1の「本件振付の個別説明」では、「クォーターターンズ」と説明しているが、この「クォーターターンズ」は、「クォーターターントゥライト」と「プログレッシブシャッセ」の組合せと同じものを指す(甲37)。)。
 証拠(甲6、22、丙4、9、14、45)によれば、上記クイックステップの@ないしDは、いずれも基本ステップから構成され、その流れも教科書に記載があるありふれた流れであり、また、上記ジルバのEないしIは、いずれも基本的なステップから構成され、その流れもありふれたものであることが認められる。
 さらに、証拠(丙4、14)によれば、クイックステップの曲でジルバが踊られることや、クイックステップで踊っていた者がジルバに移行することはよく行われるものであることが認められる。
 以上によれば、符号1の振り付けは、クイックステップのありふれた流れとジルバのありふれた流れを組み合わせたにすぎない振り付けであって、クイックステップとジルバを組み合わせること自体もありふれていることからすると、符号1の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、符号1の振り付けに著作物性は認められない。
 なお、原告は、符号1の振り付けが、本件映画において、フォーメーションダンスとしての美しさを表現している旨主張するが、大勢のペアが同時に同じ踊りを踊ること自体はアイデアに属することであり、上記のとおり著作物性が認められない符号1の振り付けを同時に大勢のペアで踊る振り付けを考案したとしても、そのことから独創性が生じるとはいえないというべきである。
イ 符号2の振り付けについて
(ア) 符号2の振り付けは、@スウェイをチェンジしながら、男女が入れ替わるようにして180度ずつ回転した形で、横にスキップで移動するサイドシャッセの変形(本件別紙符号2 の「本件振付の個別説明」(1))、A男性が女性を抱え、女性の上半身を反らせて女性の左足を男性の右足にかけ、男性が女性の上半身を左右に回す動作を数回繰り返し、男性が抱えた女性の上半身を起こす(同(2)ないし(6))、B男女がお互いの右肩にあごを乗せ、マリオネットのように、左足と右腕を同時に上げる動作を2回行い、次に、同じ体勢で右足と左腕を同時に上げる動作を2回行う(同(7)ないし(10))、Cサイドバイサイドのポジションになり、4歩前に進むが、前に進む際、体重を片足に乗せ、その反対側の足を横に出し、足を出す側の腕及び手指を前に伸ばして出す(同(11)ないし(13))、D上記Cの4歩目で、男性が右手で女性の左手をつかみ、女性を回転させながら男性の左側までスピンさせて誘導し、倒れ込むようにさせ、左腕で女性を支え、さらに、男性が女性を足先の方から男性の左足の下をくぐらせ、左手で巻き込むように女性をリードし、男性の足の下をくぐった女性は上半身を起こして決めのポーズをとり、男性もそれに合わせて右膝に腕を乗せて決めのポーズを取る(同(14)ないし(17))、という流れの振り付けである。
(イ)a 証拠(丙4、14、37ないし40、46)によれば、上記@は、基本的なステップであるサイドシャッセにスウェイと回転のアレンジを加えたステップであることが認められる。
b 証拠(丙4、14、22、37ないし40)によれば、上記Aの振り付けのうち、男性が女性を抱え、女性の反らせた上半身を左右に回す動き自体は、他の選手によっても競技会などでよく使用されていた動きであったことが認められる。上記Aの振り付けでは、この動きを数回繰り返しているが、動き自体が単純なものであることをも考慮すると、この振り付けに独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえない。
c 上記Bの振り付けは、単純な足と腕の動きから構成されたものであり、振り付けの長さも短いことからすると、この振り付けに独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえない。
d 証拠(甲18、丙4、14、37ないし40)によれば、上記Cの振り付けは、他の選手によってもよく使用されている、ありふれた動きであることが認められる。
e 証拠(丙4、14、37ないし40)によれば、上記Dの振り付けは、他の選手によってもよく使用されている、ありふれた動きの組合せであることが認められる。
(ウ) 上記(ア)、(イ)のとおり、符号2の振り付けは、上記@ないしDの各部分から構成されるが、これらは、基本的なステップに単なるアレンジを加えたにすぎないもの(上記@)、単純な動きであって顕著な特徴があるとはいえないもの(上記A、B)や、ありふれた動き及びその組合せ(上記C、D)であって上記各部分に独創性は認められず、加えて、上記@ないしBの振り付けと上記CとDの振り付けは、振り付けとして連続しておらず、それぞれの長さは短いものであることからすると、符号2の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、符号2の振り付けに著作物性は認められない。
ウ 符号3の振り付けについて
(ア) 符号3の振り付けのうち、本件別紙符号3の「本件振付の個別説明」(1)ないし(5)の部分と同(17)ないし(34)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号3の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号3の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号3の「本件振付の個別説明」(6)ないし(16)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(6)ないし(16)の部分の振り付けは、@テレスピンを繰り返す、Aスローアウェイオーバースウェイ、という流れの振り付けであるが、証拠(丙4、10、14、18)によれば、上記@、AともPVのステップであり、その流れもありふれたものであることが認められるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、上記(6)ないし(16)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
エ 符号4の振り付けについて
 符号4の振り付けは、@シザース、Aサイドシャッセ、Bバックロック・アンド・ランニングフィニッシュ、Cナチュラルターン、Dピボット、Eオーバースウェイ、Fバックロック・アンド・ランニングフィニッシュ、Gクイックオープンリバース、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、9、14、15、46)によれば、上記@ないしGは、いずれも基本ステップ及び基本ステップに若干のアレンジを加えたにすぎないものや、ありふれた既存のステップであり、上記B、Cの流れや、上記F、Gの流れは、教科書にも記載があるありふれた流れであることが認められる。そうすると、符号4の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、符号4の振り付けに著作物性は認められない。
オ 符号5の振り付けについて
(ア) 符号5の振り付けのうち、本件別紙符号5の「本件振付の個別説明」(1)ないし(13)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身やその一部が映るのみで、身体の動きの大部分は映っていない。よって、符号5の振り付けのうち上記部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号5の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号5の「本件振付の個別説明」(14)ないし(27)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(14)ないし(27)の部分の振り付けは、@ナチュラルウィーヴ、Aティップルシャッセ、Bレフトウィスク、Cスタンディングスピン、Dリルト、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、9、14、18、46)によれば、上記@ないしBはいずれも基本ステップであり、上記CはPVのステップで、上記Dはよく使われる既存のステップであること、また、上記B、Cの流れはありふれた流れであることが認められる。そうすると、上記(14)ないし(27)の部分の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(14)ないし(27)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
カ 符号6の振り付けについて
(ア) 符号6の振り付けのうち、本件別紙符号6の「本件振付の個別説明」(20)ないし(85)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身を中心とした部分が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号6の振り付けのうち上記部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号6の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号6の「本件振付の個別説明」(1)ないし(19)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(1)ないし(19)の部分の振り付けは、@フォールアウェーリバース・アンド・スリップピボット、Aテレスピン、Bスローアウェイオーバースウェイ、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、9、10、14、18)によれば、上記@は基本ステップで、上記A、BはPVのステップであり、上記A、Bの流れはありふれた流れであることが認められるから、上記(1)ないし(19)の部分の振り付けは、全体としてありふれたもので、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 なお、原告は、上記振り付けの冒頭で、フロアの中央に切り込むような動きをすることは誰も行わないような意外性に満ちた動きである旨主張するが、証拠(丙4、14)によれば、踊り始めの冒頭で中央に進むことは競技会でも普通に行われる動きであることが認められるから、原告の上記主張は失当である。
 よって、上記(1)ないし(19)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
キ 符号7の振り付けについて
(ア) 符号7の振り付けのうち、本件別紙符号7の「本件振付の個別説明」(1)ないし(9)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの顔を中心とした一部分が映るのみで、身体の動きの大半は映っていない。よって、符号7の振り付けのうち上記部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号7の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号7の「本件振付の個別説明」(10)ないし(12)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(10)ないし(12)の部分の振り付けは、PVのステップであるトラベリングコントラチェック(丙18)であり、これは既存のありふれたステップにすぎないから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、上記(10)ないし(12)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
ク 符号8の振り付けについて
(ア) 符号8の振り付けのうち、本件別紙符号8の「本件振付の個別説明」(1)ないし(3)の部分、同(17)ないし(23)の部分、同(43)ないし(82)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身を中心とした部分が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。また、同(24)ないし(27)の部分については、役者らの足下が映るのみで上半身の動きが映っておらず、同(28)ないし(30)の部分については、本件映画の映像上では、上記振り付けを演じる役者らの前をほかのダンサーが横切っており、身体の動きが十分に映っていない。よって、符号8の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号8の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号8の「本件振付の個別説明」(4)ないし(16)の部分、同(31)ないし(42)の部分及び同(83)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(4)ないし(16)の部分の振り付けについて
 上記(4)ないし(16)の部分の振り付けは、@クイックシャッセ、Aシザース、Bホップ、Cサイドシャッセ、Dクイックバックロック、Eランニングフィニッシュ、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、9、14、46)によれば、上記@ないしEは、いずれも基本ステップ及びありふれた既存のステップやこれらに若干のアレンジを加えたにすぎないものであり、上記D、Eの流れは教科書に記載があるありふれた流れであること、また、上記B、Cの流れも目新しいものではないことが認められる。そうすると、上記(4)ないし(16)の部分の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(4)ないし(16)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(ウ) 上記(31)ないし(42)の部分の振り付けについて
 上記(31)ないし(42)の部分の振り付けは、@オーバースウェイの変形、Aスリースウェイチェンジ、Bスタタロック、Cカンガルーホップ、Dクイックフォワードロック、Eナチュラルターンという流れの振り付けである。
 証拠(丙4、9、14、18、46)によれば、上記@ないしEは、いずれも基本ステップ及び基本ステップに若干のアレンジを加えたものや、PVのステップ、既存のありふれたステップであり、また、上記D、Eの流れは教科書に記載があるありふれた流れであることが認められる。そうすると、上記(31)ないし(42)の部分の振り付けを全体としてみても、この振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(31)ないし(42)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(エ) 上記(83)の部分の振り付けは、オーバースウェイの変形の決めのポーズであるが、これは基本ステップにアレンジを加えたものの一部分にすぎず(丙9、14)、ありふれたもので独創性が認められないから、著作物性は認められない。
ケ 符号9の振り付けについて(ア) 符号9の振り付けのうち、本件別紙符号9の「本件振付の個別説明」(3)ないし(7)の部分と同(12)ないし(20)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号9の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号9の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号9の「本件振付の個別説明」(1)、(2)の部分と同(8)ないし(11)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(1)、(2)の部分の振り付けについて
 上記(1)、(2)の部分の振り付けは、男性がジャンプをして身体の向きを180度変え、女性が男性の周りを回って男性に背を向けた状態で男性の正面に来る、という振り付けである。
 証拠(丙37ないし40)によれば、上記振り付けのうち、ジャンプをしてその着地から演技に入ることはパソドブレではよく行われることが認められ、上記振り付けの長さが極めて短く、そのほかの動きも単純なものであることからすると、上記振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(1)、(2)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(ウ) 上記(8)ないし(11)の部分の振り付けについて
 上記(8)ないし(11)の部分の振り付けは、@フラメンコタップの変形で、男性が両手を上に上げ、両足で可能な限り速く床を叩き、女性は右足を軸にして左足を少し前に出して床を踏み鳴らし、最後に、男女とも左足を大きく出して床を叩く、A男女ともその場で右方向に1回転する、B上記@の動作をもう一度繰り返す、という振り付けである。
 フラメンコタップ自体は、基本ステップであり(丙36)、上記@の振り付けは、その変形で、その場で足を素早く動かすだけの単純な動きであり、また、上記@の最後の足を踏み込んで床を鳴らす動作はパソドブレでよく行われる動作である(丙37、38、40)。そして、上記(8)ないし(11)の部分の振り付けは、上記@の後、男女ともその場で1回転するという単純な動作(上記A)の後に、上記@の動作を繰り返すというものである。このように、上記(8)ないし(11)の部分の振り付けは、基本ステップや、パソドブレでよく行われる動作を基礎とした単純な動きからなる振り付けであり、全体の長さが短いことをも考慮すると、この振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(8)ないし(11)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
コ 符号10の振り付けについて
 符号10の振り付けは、本件映画の映像上では、役者らの上半身が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号10の振り付けは、本件映画に再製されているとはいえない。
サ 符号11の振り付けについて
(ア) 符号11の振り付けのうち、本件別紙符号11の「本件振付の個別説明」(1)ないし(13)の部分と同(22)、(23)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号11の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号11の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号11の「本件振付の個別説明」(14)ないし(21)の部分と同(24)ないし(29)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(14)ないし(21)の部分の振り付けについて
 上記(14)ないし(21)の部分の振り付けは、@スパニッシュライン、Aクゥドピーク、という流れの振り付けであるが、証拠(丙4、11、14)によれば、上記@、Aはいずれも基本ステップであることが認められるから、この振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(14)ないし(21)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(ウ) 上記(24)ないし(29)の部分の振り付けについて
 上記(24)ないし(29)の部分の振り付けは、@男女がつないだ右手同士を上に上げ、下で左手同士をつなぎ、A両手をつないだまま男性が女性を背後に導き、その際つないだ左手を上に上げ、B女性が背後に導かれたら、男性は右足を曲げて低くなり、背中を地面に水平にし、女性は男性の背中に前向きに乗って右足を上げるという決めのポーズを取る、という流れの振り付けである。
 この振り付けは、上記@からBの決めのポーズに至るまでの一連の動きであり、振り付け全体の長さがごく短く、その動き自体も男性が女性を背後に導き、女性が男性の背中の上に乗るという単純なものであることからすると、この振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(24)ないし(29)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
シ 符号12の振り付けについて
(ア) 符号12の振り付けのうち、本件別紙符号12の「本件振付の個別説明」(1)ないし(3)の部分、同(24)の後半から(25)の部分及び同(33)ないし(46)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号12の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号12の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号12の「本件振付の個別説明」(4)ないし(24)の前半の部分、同(26)ないし(32)の部分及び同(47)ないし(51)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(4)ないし(24)の前半の部分の振り付けについて
a 上記(4)ないし(24)の前半の部分の振り付けは、@男性と女性が向かい合って立ち、男性が両腕を上に上げてから降ろしていき、女性が左足に体重を乗せて右足を上げて前方にキックし、シェネを入れ、女性が男性の右側に来る直前に、男性が1歩左足を前に出す(本件別紙符号12の「本件振付の個別説明」(4)ないし(9))、Aスライディングドアーズの変形(スライディングドアーズの途中から、男性が左方向に90度向きを変え前進ウォークを行い、サイドクカラーチャをし、女性が前進ウォーク、チェックドフォワードウォーク、後退ウォークを行う。同(10)ないし(17))、B男性がその場で1回転して低い姿勢になり、女性はスポットターンの変形を行って右足を横に出す(同(18)、(19))、C男性が起き上がり、女性が前進ウォークをし、そして、男性が前進ウォークをし、女性が90度向きを変えて男性と向かい合い、オープンベーシックの変形を行い、その際、男性の左手と女性の右手をつなぐ(同(20)ないし(22))、Dプログレッシブウォークスを行い、続けて男性がチェックドフォワードウォークを行う(同(23)、(24)の前半)、という流れの振り付けである。
b(a) 上記@の男性の動きは極めて単純であり、また、女性の動きもキックとシェネ(クラシックバレエの回転。丙4)を組み合わせただけの単純なものである。
(b) 証拠(丙4、14、17、47)によれば、スライディングドアーズとサイドクカラーチャは基本ステップであり、スライディングドアーズの途中から男子がサイドクカラーチャを行うことはありふれた流れであること、また、スライディングドアーズがアレンジを加えて踊られることはよくあることが認められる。そうすると、上記Aも、アレンジを加えたスライディングドアーズにすぎず、特に目新しいステップではないと認められる。
(c) 上記Bの男性の動きは極めて単純であり、女性の動きも基本ステップであるスポットターン(丙35)のアレンジにすぎない単純なものである。
(d) 上記Cは、男女が向かい合い、アレンジを加えた基本ステップであるオープンベーシック(丙12)を行う単純なステップである。
(e) 証拠(丙4、12、14)によれば、上記Dのプログレッシブウォークスは基本ステップであり、チェックドフォワードウォークは基本的なステップであること、オープンベーシックからプログレッシブウォークスを行うことは教科書に記載があるありふれた流れであること、また、プログレッシブウォークスに続けてチェックドフォワードウォークを行うこともありふれた流れであることが認められる。よって、上記Cのアレンジを加えたオープンベーシックから上記Dの振り付けを行う流れはありふれたものであると認められる。
c 以上のとおり、上記(4)ないし(24)の前半の部分の振り付けは、単純な動きや基本ステップ及びアレンジを加えた基本ステップから構成され、上記Cの後半から上記Dの振り付けの流れもありふれたものであることからすると、全体としてみても、この振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(4)ないし(24)の前半の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(ウ) 上記(26)ないし(32)の部分の振り付けについて
 上記(26)ないし(32)の部分の振り付けは、@キューバンロックス、Aファン、Bホッケースティック、Cアレマーナ、D男性が女性を回転させ女性は右足を水平に上げ、続けて女性が右足で回転し、その際男性が両腕を左右に振る、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、12、17)によれば、上記@ないしCはいずれも基本ステップであり、その流れは教科書に記載があるありふれた流れであることが認められる。加えて、上記Dはごく単純な動きの振り付けであることをも考慮すると、上記(26)ないし(32)の部分の振り付けには、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(26)ないし(32)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(エ) 上記(47)ないし(51)の部分の振り付けについて
 上記(47)ないし(51)の部分の振り付けは、@ファンポジション、Aホッケースティック、Bニューヨーク、という流れの振り付けであるが、証拠(丙4、12)によれば、上記@ないしBはいずれも基本ステップであり、その流れも教科書に記載があるありふれた流れであることが認められるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、上記(47)ないし(51)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
ス 符号13の振り付けについて
(ア) 符号13の振り付けのうち、本件別紙符号13の「本件振付の個別説明」(1)ないし(5)の部分と同(18)ないし(24)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身やその一部が映るのみで足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号13の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そこで、以下では、符号13の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる本件別紙符号13の「本件振付の個別説明」(6)ないし(17)の部分と同(25)ないし(27)の部分の振り付けについて、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(6)ないし(17)の部分の振り付けについて
 上記(6)ないし(17)の部分の振り付けは、@男性がブリッジしている女性を垂直の姿勢に戻し、男性と女性が向かい合った状態で抱き合う、Aオープニングアウト、B速いステップからのファンポジション、Cホッケースティック、Dニューヨーク、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、12、14)によれば、上記AないしDは基本ステップや基本ステップに若干のアレンジを加えたものであり、その流れは教科書に記載があるありふれた流れであることが認められる。加えて、上記@も女性がブリッジから起き上がるだけの単純な動きであることからすると、上記(6)ないし(17)の部分の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(6)ないし(17)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(ウ) 上記(25)ないし(27)の部分の振り付けについて
 上記(25)ないし(27)の部分の振り付けは、男性が女性を抱えて、後方に引きずりながら早足で後退し、その後、止まってから女性がブリッジして起き上がるというものであり、ごく短い単純な動作にすぎないものであるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、上記(25)ないし(27)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
セ 符号14の振り付けについて
(ア) 符号14の振り付けのうち、本件別紙符号14の「本件振付の個別説明」(7)、(8)の部分については、本件映画の映像上では、上記振り付けを演じる役者らがほかの役者らの背後にわずかに映るのみで、ほとんどの部分は映っておらず、また、同(12)の部分については、男性の役者の動きの一部しか映っていない。よって、符号14の振り付けのうち上記各部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 また、符号14の振り付けは、本件映画の映像上、一連の振り付けとして再製されておらず、途中にほかの映像が入るなどして、いくつかの部分に分断されている。
 そこで、以下では、符号14の振り付けのうち、本件映画に一連の振り付けとして再製されていると認められる、本件別紙符号14の「本件振付の個別説明」(1)ないし(6)の部分、同(9)ないし(11)の部分、同(13)、(14)の部分、同(15)ないし(19)の部分、同(20)の部分について、著作物性が認められるか否かを検討することとする。
(イ) 上記(1)ないし(6)の部分の振り付けについて
 上記(1)ないし(6)の部分の振り付けは、@クローズドヒップツイストの変形、A男性が女性をブリッジさせて、そのまま男性の左側から右側に回して起こす、Bクローズドヒップツイスト、Cホッケースティック、Dアレマーナ、Eロープスピンの変形という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、12、14)によれば、上記@、BないしEは、いずれも基本ステップや基本ステップにアレンジを加えたものであり、上記Aもよく用いられる動きであること、また、上記BないしEの流れは教科書に記載があるありふれた流れであることが認められる。そうすると、上記(1)ないし(6)の部分の振り付けには、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(1)ないし(6)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(ウ) 上記(9)ないし(11)の部分の振り付けについて
 上記(9)ないし(11)の部分の振り付けは、@ホッケースティック、Aアレマーナ、Bオープニングアウトという流れの振り付けであるが、証拠(丙4、12、14)によれば、上記@ないしBは、いずれも基本ステップで、その流れも教科書に記載があるありふれた流れであることが認められるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、上記(9)ないし(11)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(エ) 上記(13)、(14)の部分の振り付けについて
 上記(13)、(14)の部分の振り付けは、スリースリーズの変形であるが、スリースリーズは基本ステップであり(丙4、12、17)、この振り付けは、スリースリーズに単純なアレンジを加えたにすぎないものであるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、上記(13)、(14)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(オ) 上記(15)ないし(19)の部分の振り付けについて
 上記(15)ないし(19)の部分の振り付けは、@ロープスピンの変形、A女性が左足で立ち、右足を後方に上げ、左手を上に上げ、男性が女性を左手で支え、B女性が右足を左方向にキックし、C女性が男性の前を回転しながら移動し、D女性が右足で立って右手を上げたポーズを取ったところで男性が女性の左手をつかみ、男性の方に振り向かせる、という流れの振り付けである。
 上記@は基本ステップの変形であり(丙4、12)、上記AないしDの振り付けも、単純な動きの組合せからなる一連の短い振り付けであるから、上記(15)ないし(19)の部分の振り付けを全体としてみても、その長さが短いことをも考慮すると、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、上記(15)ないし(19)の部分の振り付けに著作物性は認められない。
(カ) 上記(20)の部分の振り付けについて
 上記(20)の部分の振り付けは、女性が右手で男性の右手を持ち、男性が右手を女性の頭より上方で回転させるというものであり、これはごく単純な動作にすぎないものであるから、この振り付けに独創性は認められず、著作物性は認められない。
ソ 符号15の振り付けについて
 符号15の振り付けは、@クウォーターターンズ、Aフォワードロック、Bナチュラルスピンターン、Cフォワードロック、Dナチュラルスピンターンという流れの振り付けであるが、証拠(丙4、9、14)によれば、上記@ないしDはいずれも基本ステップであり、その流れも基本的でありふれた流れであることが認められるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、符号15の振り付けに著作物性は認められない。
タ 符号16の振り付けについて
 符号16の振り付けは、@ナチュラルスピンターン、Aリバースターンの4歩から6歩、Bリバースターン、Cウィスク、Dシャッセという流れの振り付けであるが、証拠(丙4、9、14)によれば、上記@ないしDはいずれも基本ステップであり、その流れも基本的でありふれた流れであることが認められるから、この振り付けに独創性は認められない。
 よって、符号16の振り付けに著作物性は認められない。
チ 符号17の振り付けについて
 符号17の振り付けのうち、本件別紙符号17の「本件振付の個別説明」(1)ないし(28)の部分については、本件映画の映像上では、役者らの上半身やその一部が映るのみで、足の運びを含む下半身が映っていない。よって、符号17の振り付けのうち上記部分は、本件映画に再製されているとはいえない。
 そして、同(29)の部分(女性が男性の方を振り向くと男性はしゃがむという振り付け)のみ、辛うじて本件映画の映像上再製されていることが認められるが、上記部分の振り付けは、単純な動きにすぎないから、この振り付けに独創性は認められず、著作物性は認められない。
ツ 符号18の振り付けについて
 符号18の振り付けは、@プログレッシブウォークス、Aナチュラルトップ、Bクローズドヒップツイスト、Cホッケースティック、Dアレマーナ、Eロープスピン、Fオープニングアウト(ライトアンドレフト)、G男性と女性が向かい合って密着し、上半身を左に回し、最後に女性だけ半回転する、Hアイーダ、I男女とも90度ずつ向きを変えて向かい合う、Jフェンシング、Kアンダーアームターン、Lスリースリーズにアレンジ(男性が女性の右側から顔と体全体を大きく出す。)を加えたもの、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、12、14、17、35)によれば、上記@ないしF、H、J、Kはいずれも基本ステップであり、上記@ないしFの流れ及び上記J、Kの流れは、教科書に記載があるありふれた流れであること、また、上記Lは基本ステップに若干のアレンジを加えたにすぎないものであることが認められる。このように、符号18の振り付けは、半分以上が教科書に記載がある基本ステップを組み合わせたごくありふれた流れの振り付け(上記@ないしF及び上記J、K)であり、加えて、そのほかの要素も基本ステップ(上記H)、基本ステップのアレンジ(上記L)や基本的なステップであり(上記I。これが基本的なステップであることは争いがない。)、さらに、上記Gはごく単純な動きにすぎないことも考慮すると、符号18の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、符号18の振り付けに著作物性は認められない。
テ 符号19の振り付けについて
 符号19の振り付けは、キキウォークスであり、これは基本ステップであるから(丙4、12、14)、この振り付けに独創性は認められない。
 なお、原告は、顔の向きの変化を振り付けたと主張するが、基本ステップにこのようなささいなアレンジを行っても、独創性は認められないというべきである。
 よって、符号19の振り付けに著作物性は認められない。
ト 符号20の振り付けについて
 符号20の振り付けは、@男性が女性の後方をついていくように前進ウォーク、A女性が振り向き、男性がしゃがむ、B男性が立ち上がり1歩前進して左手で女性の右手をつかみ、男性が右足を前進させるとともに女性が左足を後退させる、Cチェックドフォワードウォークから男性が女性を引き寄せて自分の右側まで誘導し、女性を自分の正面に向かせる、Dキューバンロックス、Eオープンヒップツイストの4歩目から6歩目、Fホッケースティック、Gニューヨーク、Hスポットターン、Iチェックドフォワードウォーク、J男性が女性を自分の方に引き寄せて、アレマーナに導く体勢を取る、Kアレマーナ、という流れの振り付けである。
 証拠(丙4、12、14、17、35)によれば、上記DないしH、Kはいずれも基本ステップであり、また、上記C、Iのチェックドフォワードウォークは基本的なステップであって、さらに、上記EないしHの流れは教科書にも記載があるありふれた流れであることが認められる。そして、上記@ないしCは、ごく単純な一連の動きであり、上記Jも基本的なステップ(争いがない。)である。
 以上のとおり、符号20の振り付けは、ほとんどが基本ステップと基本的なステップから構成され、教科書にも記載があるありふれた基本ステップの流れも多く使用されており、上記@ないしCの振り付けもごく単純な動きにすぎないことからすると、符号20の振り付けを全体としてみても、社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、符号20の振り付けに著作物性は認められない。
ナ 符号21の振り付けについて
 符号21の振り付けは、マンボのステップを練習する振り付けであり、男女が向かい合って、@両者がベーシックを2回繰り返す、A男性がハーフターンの前半、女性がベーシックの前半、B男性がハーフターンの後半、女性がハーフターンの前半、C男性がベーシックの前半、女性がハーフターンの後半、D両者がベーシックの後半、E男性がフルターン、女性がベーシックの前半、F男性がベーシックの後半、女性がフルターン、G両者がベーシック、H男性がニューヨークの前半、女性がベーシックの前半、I男性がニューヨークの後半、女性がニューヨークの前半、J男性がベーシックの前半、女性がニューヨークの後半、K両者がベーシックの後半という流れでステップを踏む振り付けである。
 証拠(甲22、丙14)によれば、上記ステップはいずれもマンボの基本的なステップであることが認められ、符号21の振り付けはこれらを単純に組み合わせただけのものであるから、この振り付けには社交ダンスの振り付けとしての独創性が認められるほどの顕著な特徴があるとはいえないというべきである。
 よって、符号21の振り付けに著作物性は認められない。
ニ 以上のとおり、符号1、2、4、15、16、18ないし21の振り付けに著作物性は認められず、また、符号3、5ないし9、11ないし14、17の振り付けのうち、本件映画に再製されていると認められる部分の振り付けに著作物性は認められない。そして、符号10の振り付けは、本件映画に再製されているとはいえない。
 なお、原告は、本件振り付けと本件映画で使用されている音楽が調和していることも、本件振り付けに著作物性が認められることの根拠として主張しているが、振り付けが音楽と調和するか否かは、振り付け自体の著作物性の判断を直ちに基礎付けるものではないから、原告の上記主張は、本件振り付けの著作物性についての上記判断を左右するものではない。
 よって、原告の符号1ないし21の振り付けの著作権(各符号の振り付け自体の著作権)に基づく主張は、いずれも理由がない。
(4) 原告が主張する振り付けの組合せに著作権が認められるか
ア 原告が主張する同時に踊られるダンスシーン相互の組合せについて
(ア) 原告は、符号18ないし20の振り付けの組合せについての著作権を主張する。
 符号18ないし20の振り付けのいずれにも著作物性が認められないことは、上記(3)のとおりである。そして、これらの振り付け自体に、原告が主張するそれぞれの振り付けの印象が表現されているとは認められず、著作物性のないこれらの振り付けの組合せによって独創性が認められるほどの顕著な特徴を有することになるということも困難である。
 よって、原告の、符号18ないし20の振り付けの組合せについての著作権の主張は失当である。
(イ) 原告は、符号12ないし14の振り付けの組合せについての著作権を主張する。
 符号12ないし14の振り付けは、その一部分しか本件映画に再製されておらず、再製されていると認められるいずれの部分についても、著作物性が認められないことは、上記(3)のとおりである。そして、符号12ないし14の振り付けのうち再製が認められる部分自体に、原告が主張するそれぞれの振り付けの印象が表現されているとは認められず、著作物性が認められない振り付けの一部分の組合せによって、独創性が認められるほどの顕著な特徴を有することになるということも困難である。
 よって、原告の、符号12ないし14の振り付けの組合せについての著作権の主張は失当である。
 なお、原告は、符号12の振り付けと符号13の振り付けの創作性に関し、マッチョとまりかのペアが青木のかつらをずらす場面は、原告が事前に動きを計算して振り付けをしたからこそ実現できたものであると主張する。しかし、上記のかつらをずらす動きはC監督のアイデアであり(丙53)、そのアイデアを表現する手段である符号12の振り付けと符号13の振り付けのうち、本件映画への再製が認められる個々の部分には著作物性が認められず、再製が認められる部分の組合せにも著作権が認められないのは上記のとおりであり、これにかつらをずらすという単純な動きが加わったとしても、これによって著作物性が発生するものでないことは明らかである。
(ウ) 原告は、符号9ないし11の振り付けの組合せについての著作権を主張する。
 符号10の振り付けは、本件映画の映像上再製されているとは認められず、また、符号9、11の振り付けは、その一部分しか本件映画に再製されておらず、再製されていると認められるいずれの部分についても、著作物性が認められないことは、上記(3)のとおりである。そして、符号9、11の振り付けのうち再製が認められる部分自体に、原告が主張するそれぞれの振り付けの印象が表現されているとは認められず、著作物性がない振り付けの一部分の組合せによって、独創性が認められるほどの顕著な特徴を有することになるということも困難である。
 よって、原告の、符号9ないし11の振り付けの組合せについての著作権の主張は失当である。
イ 原告が主張する前後のキャラクターの変化を示すダンスの組合せについて
(ア) 杉山のダンスの組合せについて
 原告は、符号16、15、6、8、1の振り付けの組合せ等について著作権を主張する。
 符号1、15、16の振り付けに著作物性が認められないこと、符号6、8の振り付けは、その一部分しか本件映画に再製されておらず、再製されていると認められるいずれの部分についても、著作物性が認められないことは、上記(3)のとおりである。そして、符号1、15、16の振り付け自体や、符号6、8の振り付けのうち再製が認められる部分自体に、原告が主張するそれぞれの振り付けの印象が表現されているとは認められず、著作物性の認められない振り付けや、著作物性が認められない振り付けの一部分の組合せや配列によって、独創性が認められるほどの顕著な特徴を有することになるということも困難である。
 よって、原告の、符号16、15、6、8、1の振り付けの組合せや配列についての著作権の主張は失当である。
(イ) 青木のダンスの組合せについて
 原告は、符号20、17、12、9の振り付けの組合せ等について著作権を主張する。
 符号20の振り付けに著作物性が認められないこと、符号9、12、17の振り付けは、その一部分しか本件映画に再製されておらず、再製されていると認められるいずれの部分についても、著作物性が認められないことは、上記(3)のとおりである。そして、符号20の振り付け自体や、符号9、12、17の振り付けのうち再製が認められる部分自体に、原告が主張するそれぞれの振り付けの印象が表現されているとは認められず、著作物性の認められない振り付けや、著作物性が認められない振り付けの一部分の組合せや配列によって、独創性が認められるほどの顕著な特徴を有することになるということも困難である。
 よって、原告の、符号20、17、12、9の振り付けの組合せや配列についての著作権の主張は失当である。
(ウ) 田中のダンスの組合せについて
 原告は、符号18、14、11の振り付けの組合せ等について著作権を主張する。
 符号18の振り付けに著作物性が認められないこと、符号11、14の振り付けは、その一部分しか本件映画に再製されておらず、再製されていると認められるいずれの部分についても、著作物性が認められないことは、上記(3)のとおりである。そして、符号18の振り付け自体や、符号11、14の振り付けのうち再製が認められる部分自体に、原告が主張するそれぞれの振り付けの印象が表現されているとは認められず、著作物性の認められない振り付けや、著作物性が認められない振り付けの一部分の組合せや配列によって、独創性が認められるほどの顕著な特徴を有することになるということも困難である。
 よって、原告の、符号18、14、11の振り付けの組合せや配列についての著作権の主張は失当である。
ウ 以上のとおり、原告の振り付けの組合せによる著作権の主張は、いずれも理由がない。
2 上記1によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないこととなる。
第4 結論
 よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第47部
 裁判長裁判官 阿部正幸
 裁判官 山門優
 裁判官 小川卓逸


(別紙「振り付けについての当事者らの主張」は省略)
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