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【事件名】廃墟写真の模倣事件
【年月日】平成22年12月21日
 東京地裁 平成21年(ワ)第451号 損害賠償等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成22年9月14日)

判決
原告 A
訴訟代理人弁護士 野間啓
同 小倉秀夫
被告 B
訴訟代理人弁護士 野間自子
同 伊東亜矢子


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 被告は、別紙写真目録(1)の1−D、2−D、3−D、4−D及び5−Dの写真図柄のいずれかを含む別紙書籍目録1ないし4記載の各書籍を、自ら増製又は頒布し、又は第三者に増製又は頒布させてはならない。
2 被告は、前項の各書籍における前項の写真図柄を掲載した部分を廃棄せよ。
3 被告は、原告に対し、628万7117円及びこれに対する平成21年2月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は、別紙謝罪広告目録1記載の内容の謝罪広告を、同目録2記載の条件で、各1回掲載せよ。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
 本件は、原告が、原告が撮影した「廃墟」を被写体とする写真(いわゆる「廃墟写真」)と同一の被写体を、被告において撮影して写真を作成し、それらの写真を掲載した別紙書籍目録1ないし4記載の各書籍(以下「被告各書籍」といい、それぞれの書籍を「被告書籍1」、「被告書籍2」などという。)を出版及び頒布した行為が、原告の有する写真の著作物の著作権(翻案権、原著作物の著作権者としての複製権、譲渡権)及び著作者人格権(氏名表示権)を侵害し、また、被告が「廃墟写真」という写真ジャンルの先駆者である原告の名誉を毀損したなどと主張して、被告に対し、@著作権法112条1項、2項に基づく被告各書籍の増製及び頒布の差止め並びに一部廃棄、A著作権侵害、著作者人格権侵害、名誉毀損及び法的保護に値する利益の侵害の不法行為による損害賠償、B著作権法115条及び民法723条に基づく名誉回復等の措置としての謝罪広告を求めた事案である。
2 争いのない事実等(証拠の摘示のない事実は、争いのない事実又は弁論の全趣旨により認められる事実である。)
(1) 当事者
 原告及び被告は、いずれもプロの写真家である。
(2) 原告及び被告の写真
ア(ア) 別紙写真目録(1)の1−P、2−P、3−P、4−P、4−P’及び5−Pの各写真(以下、「1−P」の写真を「原告写真1」、「2−P」の写真を「原告写真2」、「3−P」の写真を「原告写真3」、「4−P」及び「4−P’」の各写真を「原告写真4」、「5−P」の写真を「原告写真5」という。)は、原告が撮影した写真である。
 別紙写真目録(1)の1−D、2−D、3−D、4−D及び5−Dの各写真(以下、それぞれの写真を「被告写真1」、「被告写真2」などという。)は、被告が撮影した写真である。
 原告写真1ないし5及び被告写真1ないし5は、いずれも写真の著作物である。
(イ) 上記各写真の被写体は、以下のとおりである(被写体の所在地名は撮影当時のもの。以下同じ。)。
a 原告写真1(1−P)及び被告写真1(1−D)
 「旧丸山変電所の建物内部」(群馬県松井田町所在)
b 原告写真2(2−P)及び被告写真2(2−D)
 「足尾銅山付近の通洞発電所跡(建物外観)」(栃木県足尾町所在)
c 原告写真3(3−P)及び被告写真3(3−D)
 「大仁金山付近の建物外観」(静岡県修善寺町所在)
d 原告写真4(4−P、4−P’)及び被告写真4(4−D)
 「奥多摩ロープウェイの機械室内部」(東京都奥多摩町所在)
e 原告写真5(5−P)及び被告写真5(5−D)
 「奥羽本線旧線跡の橋梁跡」(秋田県大館市所在)
(ウ) 「棄景−廃墟への旅」(株式会社宝島社 1993年7月発行、甲1。以下「原告書籍1(「棄景」)」又は単に「原告書籍1」という。)及び「少女物語−棄景W」(株式会社春秋社 2000年11月発行、甲2。以下「原告書籍2(「棄景W」)」又は単に「原告書籍2」という。)は、原告が撮影した写真の写真集である。また、「日本風景論」(株式会社春秋社 2000年11月発行、甲3。以下「原告書籍3」という。)は、C及び原告の共著の対談集であり、同書籍には原告が撮影した写真が収録されている。
 原告書籍1(「棄景」)には原告写真1が「旧丸山変電所 1987」として、原告書籍2(「棄景W」)には原告写真4のうち4−P’が「< 4 9 >東京都奥多摩町・小河内観光開発旧川野駅 1996年」(甲2の巻末の「撮影データ」)として、原告書籍3(「日本風景論」)には原告写真2が「写真は、1989年の撮影。場所は栃木県足尾町・旧古河鉱業足尾銅山第1変電所。」(甲3の319頁)としてそれぞれ収録されている。
(エ) 被告各書籍は、被告が撮影した写真の写真集である。
 被告書籍1(「廃墟遊戯」)及び被告書籍4(「廃墟遊戯−Handy Edition」)には被告写真1及び3が、被告書籍2(「廃墟漂流」)には被告写真4及び5が、被告書籍3(「廃墟をゆく」)には被告写真2がそれぞれ収録されている。
イ(ア) 別紙写真目録(2)の6−PT、6−PV、6−PW、6−PX、6−PY、7−P、8−P、9−PT、9−PU、9−PV、10−PT、10−PU、11−PT、11−PU、12−P、13−PT、13−PUの各写真(以下、「6−PT、6−PV、6−PW、6−PX、6−PY」の各写真を「原告写真6」、「7−P」の写真を「原告写真7」、「8−P」の写真を「原告写真8」、「9−PT、9−PU、9−PV」の各写真を「原告写真9」、「10−PT、10−PU」の各写真を「原告写真10」、「11−PT、11−PU」の各写真を「原告写真11」、「12−P」の写真を「原告写真12」、「13−PT、13−PU」の各写真を「原告写真13」という。)は、原告が撮影した写真である。なお、別紙写真目録(2)の6−PUの写真は原告以外の者が撮影した写真である。
 別紙写真目録(2)の6−D、7−D、8−D、9−D、10−D、11−D、12−D及び13−Dの各写真(以下、それぞれの写真を「被告写真6」、「被告写真7」などという。)は、被告が撮影した写真である。
 原告写真6ないし13及び被告写真6ないし13は、いずれも写真の著作物である。
(イ) 上記各写真のうち、次のものは、被写体について争いがない。
a 原告写真6及び被告写真6
 「奥多摩ロープウェイ車両」(東京都奥多摩町所在)
b 原告写真7及び被告写真7
 「士幌線橋梁」(北海道上士幌町所在)
c 原告写真9及び被告写真9
 「越川橋梁」(北海道斜里町所在)
d 原告写真12及び被告写真12
 「日光発電所」(栃木県日光市所在)
e 原告写真13の13−PT及び被告写真13
 「遠野ボーリング場鉄塔」(岩手県遠野市所在)
(3) 写真集「亡骸劇場」の記述
 被告の写真集である「亡骸劇場」(株式会社メディアファクトリー、2006年6月発行)の巻末の被告に対するインタビューの記載部分には、「亡骸劇場の撮影のきっかけは」との質問に対し、被告が述べた内容として、次のような記述がある(甲69)。
 「1990年代前半、東京湾岸の風景を撮影していた頃、・・・スクラップ&ビルドの世界に興味を持っていました。そこで眼にした捨て去られた古い倉庫や貨物列車の引き込み線を撮影したとき、初めて「廃墟」というものを意識しました。それから全国に同じような場所がもっとあるだろうと考え、古い地図帳をたよりに鉱山跡を探す旅に出るようになりました。鉱山の廃墟を撮影していて気づいたのは、かつて鉱山を中心にしてでき上がった集落は鉱山が閉山したあと、同じように朽ち果ててしまったということです。」、「そんなゴーストタウンの学校や病院、遊園地、商店などを眼の前にしたとき、鉱山跡とはまったく違った別のジャンルの廃墟が撮れると確信し、「亡骸」シリーズの撮影を続けることにしたのです」
3 争点
 本件の争点は、@被告写真1ないし5の作成は、原告写真1ないし5についての原告の翻案権(著作権法27条)の侵害に当たるか(争点1)、A被告写真1ないし5が掲載された被告各書籍の発行及び頒布は、原著作物(原告写真1ないし5)の著作権者としての原告の複製権及び譲渡権(同法28条、21条、26条の2第1項)の侵害に当たるか(争点2)、B被告各書籍の発行は、原著作物(原告写真1ないし5)の著作者としての原告の氏名表示権(同法19条1項)の侵害に当たるか(争点3)、C「亡骸劇場」における被告の発言の記述は、原告の名誉を毀損する不法行為を構成するか(争点4)、D被告各書籍の発行及び頒布は、原告の法的保護に値する利益の侵害による不法行為を構成するか(争点5)、E被告が賠償すべき原告の損害額(争点6)、F原告の名誉又は声望を回復するための適当な措置(同法115条、民法723条)として謝罪広告を求めることができるか(争点7)である。
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(翻案権侵害の成否)について
(1) 原告の主張
ア 「廃墟写真」の特徴
 「廃墟写真」という写真ジャンルにおいては、被写体たる廃墟の選定が重要な意味を持つ。
 「廃墟写真」の被写体は、誰もが美しいと感ずる光景ではなく、それゆえ、先駆者たる写真家がその光景に「美」を見出すまでは、その光景が風景写真の被写体たるに値すること自体誰にも気付かれていなかったものである。そこでは、その従前見捨てられ、あるいは見逃されてきた光景に耽美性を見出し、これを被写体として選択したこと自体に、写真家の個性、より具体的にいえば、写真家の美的センスないし感受性が表れている。
 また、「廃墟写真」を見る者を最も惹き付けるのは、その「廃墟」が持つ妖しげなあるいは物悲しげなあるいは郷愁を誘うような美しさである。写真家はこの美しさを伝えるために、撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等において工夫を凝らすのであるが、富士山の風景写真等とは異なり、その「廃墟」が被写体として写し出されていることにその写真の特徴を見出すのである。
イ 原告写真1の翻案
(ア) 表現上の本質的な特徴及びその感得
a 原告写真1の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、旧丸山変電所の、打ち捨てられてまさに廃墟化した建物内部を、逆ホームベース上の内壁を奥に配置して、左上に大部分の葺き板が消滅した屋根の痕跡を配置し、右上には葺き板の大部分を残しつつも数か所にわたり小さくない亀裂を有する屋根の痕跡を配置し、これを上記内壁から見て相当後方から上記内壁に対して斜めに、そして上記内壁に接する内壁の一方とほぼ平行に撮影するという点にある。この構図の斬新さは、原告写真1を見る者に強いインパクトを与えるものである。
 このような原告写真1の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、原告写真1とフレーミングに左右の差がある被告写真1においても、直接感得することが可能である。
 したがって、被告写真1は、原告写真1と実質的に同一であるか、又は類似する。
b 被告は、後記のとおり、被告写真1と原告写真1には、フィルムの選択やプリント手法に違いがある、遠近感が異なるなどと述べるが、そのことは、原告写真1の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真1において直接感得することを何ら阻害するものではない。
(イ) 依拠
 @原告写真1は、原告が1987年(昭和62年)に撮影したものであること、A原告は、1994年(平成6年)に、原告写真1が掲載された写真集である原告書籍1(「棄景」)で、日本写真協会新人賞を受賞し、また、原告写真1はNHK総合放送でも紹介されたこと、B1996年(平成8年)になってから朝日新聞社が旧丸山変電所の建物内部の写真を再度撮影するように原告に依頼するほどに原告写真1は原告の作品として広く知られていたこと、C原告書籍1は、日本における廃墟写真の写真集の先駆け的な作品であったこと、D1998年(平成10年)以前の時点において廃墟写真を主題とする写真集はそれほど種類が出ていなかったこと、E被告はプロの写真家であり、他のプロの写真家による写真集には概ね目を通していることが通常であること、F被告写真1は被告が廃墟写真というジャンルに転向する第1作目の写真集であり、そのような場合、同ジャンルである先行作品には概ね目を通していることが通常であること、G旧丸山変電所の建物内部に立ち入ることは当時一般には許されておらず、被告が偶然同建物内に立ち入ってその光景を発見したということは考え難いこと、H旧丸山変電所の建物内部に立ち入り、前記(ア)aのような構図で写真を撮影しようという発想は極めて奇抜なものであり、偶然に一致するということが通常あり得ないこと、I原告書籍1においては、丸山変電所が廃止された理由について、「1963年の路線変更と1500V昇圧の際に廃棄され」とあるが、これは原告の思いこみに基づく誤った記載であって、実際は路線変更と丸山変電所の廃止とは関係がないことが後日判明しているのに、被告書籍1にも、この誤った説明がそのまま掲載されていること(「信越線の路線変更と、1、500ボルト昇圧化に伴い」とある。)は、被告が原告書籍1を情報源としたとしか考えられないことなどを勘案すると、被告が、原告写真1に依拠して、被告写真1を作成したことは明らかである。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真1の作成は、原告写真1の翻案に当たるというべきである。
ウ 原告写真2の翻案
(ア) 表現上の本質的な特徴及びその感得
a 原告写真2の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、足尾鉱山地区に所在する建物の第二次世界大戦中に描かれた迷彩模様と、朽ち果てたことにより色あせ、壁等が剥がれ落ちることにより壁面に現れた模様を、朽ち果てた感の強い建物外壁を中央部に大きく配置するとともに、左上に短く山の尾根を、左下に植物を配置するという点にある。この構図により、原告写真2は、悠久の自然とのコントラストによって人工物の儚さを強調している。
 このような原告写真2の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、その植物がススキの穂ではなく葉を付けた木になった被告写真2においても、直接感得することが可能である。
 したがって、被告写真2は、原告写真2と実質的に同一であるか、又はこれに類似する。
b(a) 被告写真2と原告写真2との若干の撮影位置の違い、色調の違い、粒子の粗さの違い、撮影時期の違い等は、原告写真2の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真2において直接感得することを何ら阻害するものではない。
(b) また、被告は、後記のとおり、被告写真2と原告写真2には、フィルムの選択やプリント手法に違いがあるなどと述べるが、そのことは、原告写真2の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真2において直接感得することを何ら阻害するものではない。
(イ) 依拠
 @原告写真2は、原告が1989年に撮影したものであること、A2002年(平成14年)ころになっても廃墟写真を主題とする写真集はそれほど種類が出ていなかったこと、B被告はプロの写真家であり、他のプロの写真家による写真集には概ね目を通していることが通常であること、Cなかでも原告は、プロの廃墟写真家の先駆けのような存在であり、廃墟写真集である原告書籍1(「棄景」)で日本写真協会新人賞を受賞している者であるから、後発の廃墟写真家である被告が2003年(平成15年)に出版する被告書籍3を構成する写真を撮影するに先立って原告の廃墟写真集(平成12年発行の原告書籍3(「日本風景論」))に目を通していないことは通常考え難いこと、D前記(ア)aの建物を原告写真2のような角度から撮影することができる位置取りというのは普通に足尾鉱山跡地付近をぶらり歩き回っただけでは行き着くことができないこと、E前記(ア)aの建物を前記(ア)aの構図で写真を撮影しようという発想は極めて奇抜なものであり、偶然に一致するということが通常あり得ないことなどを勘案すると、被告が、原告写真2に依拠して、被告写真2を作成したことは明らかである。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真2の作成は、原告写真2の翻案に当たるというべきである。
エ 原告写真3の翻案
(ア) 表現上の本質的な特徴及びその感得
a 原告写真3の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、大仁金山付近にある、小高い丘の麓にぽつんとある、既に様々な部分にゆがみが生じており、今にも壊れそうな木造建物について、これを、中央部にやや小さめに配置し、木々が生い茂った小高い山を背景に、当該建物に向かう道を前景として大きく取り入れるという点にある。この構図により、原告写真3は、建物の孤立感を強く印象づける効果を生んでいる。
 このような原告写真3の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、被告写真3においても、直接感得することが可能である。
 したがって、被告写真3は、原告写真3と実質的に同一であるか、又はこれに類似する。
b(a) 被告は、後記のとおり、原告写真3が長方形であるのに対し、被告写真3は正方形である点を強調するが、そのような違いは、原告写真3の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分が被告写真3から直接感得されることを阻害するものではない。
(b) また、被告は、後記のとおり、被告写真3と原告写真3には、色調の違いや、フィルムの選択やプリント手法に違いがあるなどと述べるが、そのことは、原告写真3の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真3において直接感得することを何ら阻害するものではない。
(イ) 依拠
 @原告写真3は、原告が1990年(平成2年)に撮影したものであること、A1992年(平成4年)の渋谷での「A展」、1994年(平成6年)の東京電力「A展」とも、廃墟写真という写真ジャンルを確立する契機となった写真展であり、プロの写真家から大きく注目されていたものであり、原告写真3はこれらの写真展に展示されていたものであるところ、ありふれた都会的風景写真等でプロの写真家として生計を立てていた被告がこれに代わる将来性のあるジャンルを模索して上記写真展に来場していても不思議ではないこと、B大仁金山跡地付近を歩くということ自体が通常ではない上、前記(ア)aの建物を原告写真3のような角度から撮影することができる位置どりというのは普通に大仁金山跡地付近をぶらり歩き回っただけでは行き着くことができないこと、C前記(ア)aの建物を前記(ア)aの構図で写真を撮影しようという発想は極めて奇抜なものであり、偶然に一致するということが通常あり得ないこと、D上記二つの写真展で展示した写真と被写体、構図等を共通する写真を被告は複数撮影しており、偶然の一致とは考え難いことなどを勘案すると、被告が、原告写真3に依拠して、被告写真3を作成したことは明らかである。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真3の作成は、原告写真3の翻案に当たるというべきである。
オ 原告写真4の翻案
(ア) 表現上の本質的な特徴及びその感得
a(a) 原告写真4の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、既に使用されなくなって久しく、通常人が訪れることがない奥多摩ロープウェイの機械室の内部を、その内壁を背景として、中央下部と左上部にそれぞれ大きな歯車を配置し、その間に短く勾配が急な階段を配置し、床面や階段足掛部の塵等を清掃することなく、窓から光を入れて撮影するという点にある。この構図により、原告写真4は、建物の打ち捨てられ感を強烈に印象づける効果を生んでいる。
 このような原告写真4の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、被告写真4においても、直接感得することが可能である。
 したがって、被告写真4は、原告写真4(4−P、4−P’)と実質的に同一であるか、又はこれに類似する。
(b) 原告写真のうち4−P'は人物を構図に入れ込んでいるのに対し被告写真4は人物を構図に入れ込んでいないが、人物を構図に入れ込んだことにより初めて構図に創作性が生ずるような写真であるのならばともかく、奥多摩ロープウェイの機械室の内部の二つの大きな歯車と短く勾配が急な階段が見る者に強いインパクトを与える4−P'においては、その中に人物を配することは、その構図における唯一の本質的特徴部分ではないし、主たる特徴的部分ですらないから、上記違いは、4−P'の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真4において直接感得することを何ら阻害するものではない。
b 被告は、後記のとおり、被告写真4と原告写真4には、色調の違い、遠近感が誇張されているか否かの違いや、フィルムの選択やプリント手法に違いがあるなどと述べるが、そのことは、原告写真4の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真4において直接感得することを何ら阻害するものではない。
(イ) 依拠
 @原告写真4は、原告が1990年(平成2年)に撮影したものであること、A1992年(平成4年)の渋谷での「A展」、1994年(平成6年)の東京電力「A展」とも、廃墟写真というジャンルを確立する契機となった写真展であり、プロの写真家から大きく注目されていたものであり、原告写真4の4−Pはこれらの写真展に展示されていたものであるところ、ありふれた都会的風景写真等でプロの写真家として生計を立てていた被告がこれに代わる将来性のあるジャンルを模索して上記写真展に来場していても不思議ではないこと、B朝日新聞は日本を代表する日刊新聞の一つであり、かつ、朝日新聞に連載された「少女物語」は、Fという超一流の小説家と原告という新進気鋭の廃墟写真家とのコラボレーションということで非常に注目を集めていたところ、1996年(平成8年)11月8日付け紙面(甲9)の「少女物語」に原告写真4の4−P’が掲載されたこと、C既に使用されなくなった多摩ロープウェイの機械室に入るということ自体が通常ではないこと、D原告写真4と被告写真4の構図が酷似しており、偶然に構図が一致するということが通常あり得ないこと、E被告は、上記二つの写真展で展示した原告の写真と被写体、構図等を共通する写真を複数撮影しており、偶然の一致とは考え難いことなどを勘案すると、被告が、原告写真4に依拠して、被告写真4を作成したことは明らかである。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真4の作成は、原告写真4の翻案に当たるというべきである。
カ 原告写真5の翻案
(ア) 表現上の本質的な特徴及びその感得
a 原告写真5の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、既にその上を列車が通らなくなって久しい分銅型の橋梁跡を中心に配し、その橋梁の下をくぐる砂利道、並びに橋梁跡の左側に木々が生い茂る山肌を配置するという点にある。この構図により、原告写真5は、橋梁の打ち捨てられ感を強烈に印象づける効果を生んでいる。
 このような原告写真5の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、被告写真5においても、直接感得することが可能である。
 したがって、被告写真5は、原告写真5と実質的に同一であるか、又は類似する。
b(a) 被告は、後記のとおり、原告写真5と被告写真5は、橋梁と背景の構成やバランスが全く異なる旨主張する。
 確かに、被告写真5は、原告写真5の右半分に写っている光景を再び撮影し直したものであるから、原告写真5の左半分に写っている光景が写っていないという点においてバランスが異なるものである。しかし、原告写真5においては、右半分の部分に構図選択上重要な要素が多く含まれているのであるから、左半分を捨象したとしても、原告写真5の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を直接感得することの妨げとなるものではない。
(b) また、被告は、後記のとおり、原告写真5と被告写真5には、色調の違い、遠近感が誇張されているか否かの違いや、撮影する時間帯が異なると主張するが、そのような違いは、原告写真5の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を、被告写真5において直接感得することの妨げとなるものではない。
(c) さらに、被告は、後記のとおり、被告写真5と原告写真5とは、フィルムの選択やプリント手法に違いがあるなどと述べるが、それは、原告写真5の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分を被告写真5において直接感得することを何ら阻害するものではない。
(イ) 依拠
 @原告写真5は、原告が1990年(平成2年)に撮影したものであること、A1992年(平成4年)の渋谷での「A展」は、廃墟写真というジャンルを確立する契機となった写真展であり、プロの写真家から大きく注目されていたものであり、原告写真5は上記写真展に展示されていたものであるところ、ありふれた都会的風景写真等でプロの写真家として生計を立てていた被告がこれに代わる将来性のあるジャンルを模索して上記展覧会に来場していても不思議ではないこと、B奥羽本線の旧線跡を巡るということ自体尋常ではないが、奥羽本線の旧線跡には橋梁跡等が複数存在するのであって、その中で、原告が被写体にするに値する芸術性を感じ取った橋梁跡と、被告が被写体にするに値する芸術性を感じ取った橋梁跡とが偶然一致するとは考え難いこと、C原告写真5と被告写真5の構図が酷似しており、偶然に構図が一致するということが通常あり得ないこと、D上記二つの展示会で展示した写真と被写体、構図等を共通する写真を被告は複数撮影しており、偶然の一致とは考え難いことなどを勘案すると、被告が、原告写真5に依拠して、被告写真5を作成したことは明らかである。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真5の作成は、原告写真5の翻案に当たるというべきである。
キ まとめ
 以上のとおり、被告による被告写真1ないし5の作成は、原告写真1ないし5の翻案に当たるところ、被告は、上記翻案を行うことについて原告から許諾を得ていないから、被告の上記行為は原告が有する原告写真1ないし5の翻案権(著作権法27条)の侵害に当たる。
(2) 被告の主張
ア 廃墟写真の特徴の主張に対し
(ア) いかなる風景写真であっても、被写体の選択はそれ自体が創作性のあくまでも一要素である。創作性の有無は、被写体の選択、具体的な構図、撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法における工夫などの要素を総合的にみて判断すべきである。この点において、「廃墟写真」も、その他の風景写真と何ら変わらない。
 ある被写体を特定の方向から撮影することはアイデアであって、著作権法の保護の対象外である。具体的な構図に加えて、陰影等の決め方に創作性が認められるに過ぎず、これらの表現が再生されていない限り写真に関して著作権侵害は起こり得ない。
(イ) 原告は、廃墟写真においては被写体の選択及びその撮影が創作性の判断において重要な意味を持つ旨主張する。
 しかし、廃墟は、風景としてそこに存在するのであるから、誰がどの方向から撮影しようと自由であり、どの方向から撮影するかいうことについて、「最初に写真を撮影した者」が当該方向から撮影する権利を独占することになるというのはあり得ない。このような独占を認めると、被写体を一定の方向から撮影した写真が既に発表されているかどうかをいちいち調べてから撮影に臨む必要があるが、そのようなことは非現実的である。
 前記(ア)のとおり、廃墟写真においても、具体的な構図に加えて、陰影等の決め方に創作性が認められるに過ぎないというべきであるから、原告の上記主張は失当である。
イ 原告写真1の翻案の主張に対し
(ア) 表現上の本質的な特徴を感得できないこと
a 原告写真1ないし5と被告写真1ないし5は、以下のような共通する表現上の差異がある。
 第1点は、そもそも原告の原告書籍1(「棄景」)や写真集「棄景U」(平成7年発行)のテーマは廃線、廃車体が中心であり、全国の様々な廃墟をテーマとする被告各書籍とはテーマが異なる。
 第2点は、全般的に、被告写真1ないし5はカラーで説明的かつ克明に、そして正確に被写体を記録したものであるのに対し、原告写真1ないし5は非現実的で夢の中の世界のような、回想されたような虚構性に満ちたものであり、その与える印象は全く異なる。
 第3点は、被告は写真を撮影するに当たって、例えば正方形のフィルムを使用する際は正方形の構図を常に意識して、一番表現したいものを中心に置いてそこからシンメトリーな構図を撮影現場で被写体と対峙しながら組み立てていくという方法で作画しており、事後的なトリミングを想定して撮影していない点において、広角レンズを使用し、事後のトリミングを想定している原告とは違いがある。
b 原告写真1と被告写真1は、いずれも丸山変電所をその内部に立って撮影した写真ではあるが、以下の点において表現が明らかに異なっており、写真の著作物としての類似性はない。
 まず、被告写真1は、建物の内部全体を説明的かつ色鮮やかに映し出したカラー写真であるのに対し、原告写真1は、説明的な記録より雰囲気を優先し、所々が黒くつぶれた状態の叙情的な白黒写真である。
 次に、原告写真1と被告写真1では、風景を切り取る写真家の視野でもあるフレーミングが原告写真1では長方形、被告写真1では正方形と決定的に異なっており、写真家の視座も原告写真1では左、被告写真1では右と異なっており、また、原告写真1は白黒、被告写真1はカラーということも大きな違いである。
 被告は、6×6正方形のカメラ(フィルムサイズ56mm×56mm)とネガカラーフィルムを用いて、被写体を構成する個々の素材の質感に注意をはらいながら、豊富な色表現と階調ある超微粒子の写真表現を行い、また、被告は、自らカラープリントを行い、画面中央の煉瓦のオレンジ色や空の青を強調することによって室内の壁の白さやそこに残るしみを際立たせたり、積み重なる煉瓦、屋根の鉄骨の錆、手前の床に散乱した残留物など個々の物体をその陰影を含めて克明に映し出して、廃墟の侘びしさを表現した。これに対し原告写真1は、35mmカメラ(フィルムサイズ24mm×36mm)と白黒フィルムにより、粗い粒子で、ハイコントラストで暗部を強調した白黒プリントで制作され、また超広角レンズの使用により遠近感が誇張されており、被告写真1とは表現が全く異なる。被告写真1が廃墟の侘びしさを表現したのに対し、原告写真1が生い茂る植物や光を強調し、廃墟という無機質な空間に宿った命を表現したと思われる点も異なっている。
 さらに、被告は、被告写真1を撮影した際、丸山変電所の建物外観、内部、建物に付属した小部屋の内部など、撮影場所や構図を変えて、合計60ないし70枚の写真を撮影し、そのうち、丸山変電所の内部の様子が説明的にオーソドックスに分かる被告写真1と、施設の中の一部の黄色い変色が印象的な部屋の写真の2枚を選んで、丸山変電所を多角的に表現する意図で、それぞれ被告書籍1に掲載して発表したものであり、被告写真1の発表に際しての独自の工夫もこらしている。
 以上のとおり、被告写真1及び原告写真1には写真の著作物としての類似性はなく、被告写真1から原告写真1の表現上の本質的な特徴を直接感得できるものではない。
(イ) 依拠の不存在
a 被告は、1980年代から廃墟の写真を撮影しており、1991年(平成3年)には、1980年代半ばから後半にかけて撮影した東京ベイサイドの廃墟写真13点を掲載した写真集「Tokyo Bay Side」(乙12)を出版した。
 このように被告は、もともと廃墟に興味を持ち、原告が平成4年に個展を開催し、翌平成5年に原告書籍1(「棄景」)を出版する前から廃墟の写真を撮影・発表していたものであり、原告の影響を受けて廃墟写真の撮影・発表を思い立ったのではない。
b 被告写真1は、被告が事前に原告写真1を見ることなく別個独立に創作したものであり、原告写真1に依拠して作成したものではない。
 すなわち、被告は、両親が長野県の生まれであったため信越線で両親の実家に行くことがあり、その車内から丸山変電所を見てその存在を知っていた。
 また、丸山変電所は、平成6年には国の重要文化財に指定されたほど有名な場所であり、鉄道雑誌や産業遺産系の書籍などでもしばしば特集記事が組まれ、被告は、これらにも目を通した上で自ら被写体として丸山変電所を選択し、平成7年に同所を訪れて、被告写真1を撮影した。
 なお、原告は、被告書籍1には、原告書籍1(「棄景」)の丸山変電所の誤った説明がそのまま記載されていることなどを根拠として、被告写真1は原告写真1に依拠して撮影した旨主張するが、写真の説明書きは、被告が写真を撮影し、写真集が出版されることが決定した後で、被告のスタッフや出版社のスタッフが、鉄道雑誌などの資料を何冊か集めて作成するものであるから、説明書き部分が似ているかどうかは、被告自身が自らの写真を撮影する前に原告書籍1の写真を見て、これに依拠して被告写真1の撮影に臨んだのかどうかとは関係がない。また、原告書籍1と被告書籍1の丸山変電所の説明書きの部分は、字数も限られた中での被写体の単なる説明であり、どちらも文章自体に特段の工夫が凝らされているわけではないから、内容が似通ってくるのはむしろ当然である。被告書籍1の上記説明書き部分を作成するに当たりスタッフが原告書籍1の上記説明書き部分を参考とした可能性を完全には否定はできないものの、被告書籍1の説明書きが少なくとも原告書籍1のみを資料として作られたものでないことは明らかである。そして、上記説明書き部分は、あくまでも、写真集の出版が決まり、被告写真1を掲載作品として選んだ後に、出版社の編集方針として作成されたものであり、被告が原告写真1に依拠して被告写真1を撮影したことの根拠とはならない。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真1の作成が原告写真1の翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
ウ 原告写真2の翻案の主張に対し
(ア) 表現上の本質的な特徴を感得できないこと
 被告写真2と原告写真2は、いずれも足尾銅山通洞発電所を建物のやや右方向から撮影した写真ではあるが、以下の点において表現が明らかに異なっており、写真の著作物としての類似性はない。
 まず、被告写真2は、建物全景を説明的かつ克明に記録した端正なカラー写真であるのに対し、原告写真2は、建物の一部を逆光で象徴的にとらえたセピア色の情緒的な写真である。
 次に、被告は、建物の一番の特徴である迷彩柄を克明に撮影し、発電所の歴史を説明・記録として写すことに重きを置いて、カラープリントで豊富な色再現と階調ある超微粒子による表現を行った。被告写真2では、建物の特徴として右側上部にある緑十字がはっきり映され、また、緑十字の下にぽっかりと穴を空けた入口とその奥の闇を構図に入れることで奥行きが立体的に表現され、建物全体が正確に映し出されている。
 これに対し原告写真2では、手前に白く鮮やかなススキを入れ、逆光で建物の一部(原告写真2では特徴的な緑十字やその下の入口部分は画面から切り取られている。)を撮影し、本来単一な壁それ自体にも光に照らされた形で濃淡をつけて表現することで、命と廃墟を対照させる形で建物を象徴的に映し出しており、表現が全く異なる。原告写真2では迷彩柄もそうとは見えず、壁の一部が崩れ落ちたものかのように見える。
 さらに、被告は、足尾町という町全体に各施設が広がる「足尾銅山」そのものを、多角的に表現する意図で、被告写真2を含めた8枚の写真を4枚ずつ組み合わせて見開きページに掲載する方法で、被告書籍3において発表しており、被告写真2の発表に際しての独自の工夫もこらしている。
 以上のとおり、被告写真2及び原告写真2には写真の著作物としての類似性はなく、被告写真2から原告写真2の表現上の本質的な特徴を直接感得できるものではない。
(イ) 依拠の不存在
 被告写真2は、被告が事前に原告写真2を見ることなく別個独立に創作したものであり、原告写真2に依拠して作成したものではない。
 被告は、1980年代から足尾銅山の撮影を続けており、その取材の途中で通洞発電所を見つけ、空襲対策で施された迷彩柄を留めている特徴的な外観の建物を撮影しようと考えて、自ら被写体として選択した。
 通洞発電所は足尾町の主要道路からもその外観が間近に見え、足尾銅山観光周辺を少し歩くだけで確認できるものである。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真2の作成が原告写真2の翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
エ 原告写真3の翻案の主張に対し
(ア) 表現上の本質的な特徴を感得できないこと
 原告写真3と被告写真3は、いずれも大仁金山木造廃屋を建物の前方から撮影した写真ではあるが、以下の点において表現が明らかに異なっており、写真の著作物としての類似性はない。
 まず、被告写真3は、枯れ枝の下に佇む木造廃屋を、侘びしさの中にも色鮮やかに表現したカラー写真であるのに対し、原告写真3は、全体的に暗く、鬱蒼とした山に囲まれた木造廃屋をセピア色で表現した写真である。
 次に、原告写真3と被告写真3では、風景を切り取る写真家の視野でもあるフレーミングが原告写真3では長方形縦、被告写真3では正方形と決定的に異なっている。原告写真3は下の方から撮影され、被告写真3は上から俯瞰ぎみに撮影されている点も異なる。
 被告は、6×6正方形カメラとネガカラーフィルムを選択し、画面上部に冬空と葉が落ちた木々の枝を入れ、より一層廃屋の持つ寂しさを強調している。また、被告は、自らカラープリントすることによって廃屋のトタン屋根の板の色(赤茶色)や、あぜ道の草の黄色を強調し、冬空の侘びしさを表現するため空に青色を入れるなどの工夫も凝らし、全体的に色鮮やかな仕上がりとしている。
 被告は、以前にも35mmカメラで同じ被写体を撮影しているが、自らの表現を追及し、被告写真3では6×6正方形カメラに変え撮影している。
 一方、原告写真3は、35mmカメラと白黒フィルムを使用し、セピア色でプリントされたものであり、粒子は粗く、ハイコントラストで暗部が強調され、全体的に朽ちゆく建物そのものを強調するような暗い仕上がりとなっており、被告写真3とは表現が全く異なる。
 以上のとおり、被告写真3及び原告写真3には写真の著作物としての類似性はなく、被告写真3から原告写真3の表現上の本質的な特徴を直接感得できるものではない。
(イ) 依拠の不存在
 被告写真3は、被告が事前に原告写真3を見ることなく別個独立に創作したものであり、原告写真3に依拠して作成したものではない。
 すなわち、大仁金山は伊豆の観光地として多くの画家が宿泊し富士山を描いた有名な場所であり、何人もの写真家が被写体として取り上げている。
 被告は、1980年代後半以降、撮影で何度も大仁金山を訪れており、その過程で木造廃屋も見つけて自ら被写体として選択し、平成7年に被告写真3を撮影した。
 大仁金山自体は国道136号線から見える場所に位置し、ガラス窓が割れ、荒れ果てた工場の外観は容易に認識できる。また、廃墟撮影を続けてきた被告は、通常大きな鉱山の周りには住宅や学校や商店などが廃墟として残っている場合が多いということを知っており、いつものように工場の周りを散策したところ、工場の裏手に木造廃屋を見つけることができた。
 上記のとおり、大仁金山は写真家によく知られており、被写体として多く取り上げられており、原告写真3と同一の建物を被写体とした写真は原告の平成4年の個展より以前にも公表されている。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真3の作成が原告写真3の翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
オ 原告写真4の翻案の主張に対し
(ア) 表現上の本質的な特徴を感得できないこと
 原告写真4と被告写真4は、いずれも奥多摩ロープウェイの機械室の内部を撮影した写真ではあるが、以下の点において表現が明らかに異なっており、写真の著作物としての類似性はない。
 まず、被告写真4は、機械室の内部全体を説明的かつ克明に記録し、機械の錆びや画面右側の壁に当たった光の色が印象的な、メタリックなイメージのカラー写真であるのに対し、原告写真4の4−Pは説明的な記録より雰囲気を優先し、画面上部が黒くつぶれ上の歯車もほとんど見えないセピア色の写真であり、原告写真4の4−P’は雰囲気重視で画面上部が黒くつぶれた白黒写真であり、さらに階段に佇む少女が点景とされている。
 次に、被告は、6×6正方形カメラとネガカラーフィルムを使用し、自らカラープリントを行うことによって豊富な色再現と階調ある超微粒子のオリジナルカラープリントとして被告写真4を作成している。被告は、被告写真4の右側にマゼンダ色によるカラーレタッチング(ゼラチンを含む特殊な彩色用絵の具を印画紙に直接塗り込む技法)を施し、無機質なコンクリートに差し込む光に色彩を与えた。
 また、被告写真4では、正方形の画面上に、二つの歯車を中心とし、斜めに走る階段がシンメトリーに配置された構図が選択され、遠近感の誇張はされず、水準器を用いた正確な垂直・水平線による構成がされている。
 これに対し原告写真4の4−Pでは、35mmカメラが使用され、セピア色による表現とされており、被告写真4より相当下の撮影ポジションから超広角レンズを使用して撮影しているため、長方形縦の画面の下3分の1程度を占めるコンクリート部分が極端に誇張されゆがんでいて、被告写真4と全く表現が異なる。被告写真4では二つの歯車を中心に機械室内部全体が克明に映し出されているのに対し、原告写真4の4−Pでは画面上部(殊に右側)が黒くつぶれており、全体的に粒子が粗く、克明な記録とはなっていない点も異なる。
 また、原告写真4の4−P’も、35mmカメラが使用され、長方形横の画面を選択し、白黒で、しかも少女を点景として入れ込んだ写真であるから、被告写真4とは表現が全く異なる。風景写真において、画面の中に人物が写っていないのと、一人でも点景として人が写っているのとでは、当然のことながら表現が全く異なる。
 以上のとおり、被告写真4及び原告写真4(4−P、4−P’)には写真の著作物としての類似性はなく、被告写真4から原告写真4の表現上の本質的な特徴を直接感得できるものではない。
(イ) 依拠の不存在
 被告写真4は、被告が事前に原告写真4を見ることなく別個独立に創作したものであり、原告写真4に依拠して作成したものではない。
 すなわち、被告は、東京生まれであり、家族や友人と出かけたり遠足で行ったりして奥多摩を何度も訪れていた。そのため奥多摩湖を渡るロープウェイの存在はもともと知っていた。このロープウェイは運休になってからも、「奥多摩ガイドブック」に「運休中」と記載されていた。
 また、被告は、フジテレビの「NONFIX」という廃墟を取り上げた番組(平成12年放送)に出演したことをきっかけとして知り合った人から、同所に車両や機械室が残っているということを聞いたため、同所に出掛けていき、駅舎に残された車両や機械室の写真(被告写真4)を撮影した。
 奥多摩湖沿いの国道411号線沿いにロープウェイの大きな索道跡(鉄塔)があり、ロープウェイの所在地は容易に発見できた。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真4の作成が原告写真4の翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
カ 原告写真5の翻案の主張に対し
(ア) 表現上の本質的な特徴を感得できないこと
 原告写真5と被告写真5は、いずれも奥羽本線橋梁跡を撮影した写真ではあるが、以下の点で表現が明らかに異なっており、写真の著作物としての類似性はない。
 まず、被告写真5は、アーチ橋を主役として画面の中央に置き、太陽の光によってできたアーチ橋の影が印象的なカラー写真であるのに対し、原告写真5は、山と農道を中心とする風景の右下の隅に橋が配置されたセピア色の写真である。
 次に、被告は、アーチ橋の立体感を出すため敢えて夕方の西日を待って被告写真5を撮影した。被告の思惑どおり、夕方になると逆光となり、アーチ橋の下の農道に影ができ、アーチ橋の立体的な表現ができた。原告写真5ではこのような工夫はされていない。
 また、被告は、4×5カメラを使用し、同カメラの特徴でもあるアオリ操作を駆使して正確な垂直、水平線で画面を構成しているのに対し、原告は、35mmカメラを使用し、ワイドレンズを用いて遠近感を極端に誇張している点も異なる。
 以上のとおり、被告写真5及び原告写真5には写真の著作物としての類似性はなく、被告写真5から原告写真5の表現上の本質的な特徴を直接感得できるものではない。
(イ) 依拠の不存在
 被告写真5は、被告が事前に原告写真5を見ることなく別個独立に創作したものであり、原告写真5に依拠して作成したものではない。
 すなわち、奥羽本線橋梁跡は秋田県大館から青森県弘前に向かう国道7号線に並行して続く鉄道遺構であり、被告は、鉄道雑誌やその他の資料からその存在を知っていた。
 そのため、被告は、別の撮影の際車両で移動するときに国道7号線を選んで通り、被告写真5の被写体である橋梁を見つけて写真を撮影した。
(ウ) 小括
 前記(ア)及び(イ)によれば、被告写真5の作成が原告写真5の翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
2 争点2(複製権侵害及び譲渡権侵害の成否)について
(1) 原告の主張
 被告が被告写真1ないし5を掲載した被告各書籍をそれぞれの出版社と共同して増製し、又は頒布する行為は、被告写真1ないし5の原著作物(原告写真1ないし5)の著作権者として原告が有する複製権又は譲渡権(著作権法28条、21条、26条の2第1項)の侵害に当たる。
(2) 被告の主張
 原告の主張は争う。
 前記1(2)のとおり、被告写真1ないし5は原告写真1ないし5を翻案したものではなく、原告写真1ないし5は被告写真1ないし5の原著作物に当たらない。また、被告各書籍の増製・頒布に関する支配権は専ら出版社にあり、被告自身は、被告各書籍を自ら増製又は頒布しているのでも、第三者をして増製又は頒布させているのでもない。なお、被告各書籍の所有権は、販売前のものは出版社に、販売後のものは購買者にそれぞれあるから、被告がその一部を廃棄することはできない。
3 争点3(氏名表示権侵害の成否)について
(1) 原告の主張
 被告が被告写真1ないし5を掲載した被告各書籍をそれぞれの出版社と共同して頒布するに際して原告の氏名を被告写真1ないし5の原著作物(原告写真1ないし5)の著作者名として表示しないのは、原告の氏名表示権(著作権法19条1項)の侵害に当たる。
(2) 被告の主張
 原告の主張は争う。
 前記1(2)のとおり、被告写真1ないし5は原告写真1ないし5を翻案したものではなく、原告写真1ないし5は被告写真1ないし5の原著作物に当たらないから、原告の主張は、その前提を欠くものである。
4 争点4(名誉毀損の不法行為の成否)について
(1) 原告の主張
 被告は、写真集「亡骸劇場」において前記第2の2(3)の記述のとおりの発言をし、あたかも被告自ら「廃墟写真」というジャンルをゼロから作り上げたかのような事実摘示を行っている。この事実摘示を目にした一般人が原告の廃墟写真に接したときは、反射的に、原告が「廃墟写真」という分野において被告の二番煎じを演ずる模倣者であるとの誤解を生ずるおそれがあるから、被告の上記発言は、原告の名誉を毀損するものである。被告は、被告以前に原告がプロの写真家として「廃墟写真」というジャンルを確立した先駆者であることを知りつつ、上記発言を行っており、被告に故意があることは明らかである。
 したがって、被告の上記発言は、原告の名誉を毀損する不法行為を構成する。
(2) 被告の主張
 原告の主張は争う。
 被告は、被告写真1ないし5の発表に際しそれらの撮影年を明らかにしており、原告に先立ってこれらを撮影したと偽っていない。
 「亡骸劇場」における被告の発言箇所は、文言上明らかに、被告が自分で廃墟の撮影を続けようと考えるに至った経緯を書いているだけのものであり、「被告が「廃墟写真」というジャンルをゼロから作り上げた」などと読めるものでは全くない。また、上記発言箇所中に、原告の名を挙げたり、原告作品に言及したりしてその価値を貶めるような部分は一切ない。
 したがって、被告の上記発言箇所が原告に対する名誉毀損に該当するということはあり得ない。
5 争点5(法的保護に値する利益の侵害の不法行為の成否)について
(1) 原告の主張
ア 法的保護に値する利益
 法的保護に値する利益が違法に侵害された場合であれば、不法行為が成立する。
 廃墟写真において被写体となった「廃墟」が、最初に被写体として発見し取り上げた者と認識されることによって生ずる営業上の利益、すなわち、当該廃墟を作品写真として取り扱った先駆者として、世間に認知されることによって派生する営業上の諸利益は、法的保護に値する利益に当たるというべきである。この営業上の諸利益は、廃墟写真において被写体となった「名も無き廃墟」、すなわち、様々な人の眼に触れたことはあっても、そこに特別の価値を見出し得なかった状況において、そこに美を酌み取り、作品写真として世に出すことによって得られる商業的利益である。
 具体的には、@原告が自ら多大な費用と労力をかけて発掘した「廃墟」について、廃墟写真を撮影して写真集等に収録して発行し、これにより投下資本を回収することによる営業上の利益、A原告がその写真集に掲載されている廃墟写真の被写体である廃墟の発見者であると正しく認識されること、換言すれば、その写真集に掲載されている廃墟写真が、他人の発見した廃墟を追い掛けて撮影した二番煎じものであると誤解されないということは、その顧客訴求力を高い水準で保ち、これにより多くの著作権収入を得るということにつながるものであり、このような意味での営業上の利益、B原告が発掘した廃墟を撮影した写真が後発の雑誌、新聞、CDジャケット等に掲載され若しくはテレビニュース等のタイトル画像に使用される等して商品等又はサービスに組み入れられる場合には、通常、原告がその廃墟の発掘者として、既に撮影済みの写真について利用許諾を行ったり、業務委託契約を締結してその廃墟の写真を新たに撮影することとなるが、そのような原告の地位は、多大な費用と労力をかけて被写体たるに相応しい廃墟を発掘するプロの写真家たる原告にとって、投下資本の回収可能性を支えるものであり、このような意味での営業上の利益である。
 このような営業上の利益が法的保護に値することの根拠は、これらの廃墟が一般には(少なくとも作品写真の被写体としては)全く知られておらず、それらの存在を認識し、かつ、それらに到達して作品写真に仕上げるまでに、極めて特殊な調査能力と膨大な時間を要していること、このノウハウと多大な労力に営業上の利益の根源が存することにある。
 上記のような保護法益に照らせば、少なくとも原告が最初に廃墟写真として作品化した被写体を、営利の目的において撮影し発表するに当たっては、原告の同意を得るか、少なくとも当該作品を掲載する書籍において、原告の作品を参照したことを明らかにする義務があると解すべきである。なお、構図の類似性は、上記義務違反の成立要件として位置付けないが、構図が類似している場合には、上記の法的利益の侵害の程度が大きく、要求される義務としてはより強く、侵害の結果としての損害もより大きいと評価することができる。
イ 被告の侵害行為
(ア) 被告は、原告が平成4年に開いた個展(写真展。以下同じ。)において展示し、平成5年発行の原告書籍1(「棄景」)に掲載した丸山変電所内部の原告写真1を見て丸山変電所跡を訪れ、その内部を、撮影角度の左右の違い等些細な差こそあれ、原告写真1とほぼ同様の構図で、被告写真1を撮影し、平成10年発行の被告書籍1に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍1を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記ア@ないしB)を侵害する不法行為に該当する。
(イ) 被告は、原告が平成4年及び平成6年に開いた個展において展示し、平成12年発行の原告書籍3(「日本風景論」)に掲載した足尾銅山付近の迷彩壁の建物の原告写真2を見て上記建物に赴き、上記迷彩壁を中心とする光景を、撮影時期やトリミング等の些細な差こそあれ、原告写真2とほぼ同様の構図で、被告写真2を撮影し、平成15年発行の被告書籍3に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍3を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記ア@ないしB)を侵害する不法行為に該当する。
(ウ) 被告は、原告が平成4年及び平成6年に開いた個展において展示した大仁金山付近の建物の原告写真3を見て上記建物に赴き、撮影者の場所がやや遠方からであるなどの些細な差こそあれ、原告写真3とほぼ同様の構図で、被告写真3を撮影し、平成10年発行の被告書籍1に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍1を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記ア@ないしB)を侵害する不法行為に該当する。
(エ) 被告は、原告が平成4年及び平成6年に開いた個展において展示した奥多摩ロープウェイの機械室の歯車の原告写真4(4−P)、あるいは1996年(平成8年)11月8日付け朝日新聞夕刊(甲9)及び平成12年発行の原告書籍2(「棄景W」)に掲載された奥多摩ロープウェイの機械室の歯車の原告写真4(4−P’)を見て上記機械室に赴き、上記機械室内部を、撮影者の場所がやや近接している等の些細な差こそあれ、原告写真4とほぼ同様の構図で被告写真4を撮影し、平成13年発行の被告書籍2に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍2を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記ア@ないしB)を侵害する不法行為に該当する。
(オ) 被告は、原告が平成4年に開いた個展において展示した奥羽本線旧線跡の橋梁の原告写真5を見て上記橋梁跡に赴き、原告写真5の右半分を撮り直すかのようにして被告写真5を撮影し、平成13年発行の被告書籍2に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍2を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記ア@ないしB)を侵害する不法行為に該当する。
(カ) 被告は、原告が平成4年及び平成6年に開いた個展で展示した奥多摩ロープウェイの乗降駅に佇むロープウェイ車両の原告写真6(6−PT)、雑誌「月刊カメラマン」1994年1月号に掲載された上記ロープウェイ車両の原告写真6(6−PU)、1997年(平成9年)3月28日付け朝日新聞夕刊に掲載された上記ロープウェイ車両の原告写真6(6−PV)、平成7年発行の「鉄道廃線跡を歩く」に掲載された上記ロープウェイ車両の原告写真6(6−PW)、雑誌「東京人」1999年9月号に掲載された上記ロープウェイ車両の原告写真6(6−PX)、雑誌「旅」1997年7月号に掲載された上記ロープウェイ車両の原告写真6(6−PY)を見て上記乗降駅跡に赴き、上記ロープウェイ車両を被写体とする被告写真6を撮影し、平成13年発行の被告書籍2に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍2を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(キ) 被告は、原告が平成6年に開いた個展において展示した士幌線の橋梁跡の原告写真7を見て上記橋梁跡に赴き、これを被写体とする被告写真7を撮影して、平成10年発行の被告書籍1に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍1を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(ク) 被告は、原告が平成4年に開いた個展において展示した北海道三笠市の原っぱに不要となったバス車両が打ち捨てられている原告写真8を見て上記原っぱに赴いて、上記バス車両の残骸の被告写真8を撮影し、平成13年発行の被告書籍2に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍2を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(ケ) 被告は、原告が平成6年に開いた個展において展示し、平成8年発行の「鉄道廃線跡を歩く2」、平成13年発行の「鉄道廃墟」(甲18)に掲載した越川橋梁の原告写真9(9−PT)、又は週刊新潮1995年7月27日号(甲19)に掲載した越川橋梁の原告写真9(9−PU)、前記「鉄道廃線跡を歩く2」及び「鉄道廃墟」に掲載した越川橋梁の原告写真9(9−PV)を見て上記橋梁跡に赴き、これを被写体とする被告写真9を撮影し、平成15年発行の被告書籍3に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍3を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(コ) 被告は、原告が平成7年発行の「鉄道廃線跡を歩く」(甲21)及び平成13年発行の「鉄道廃墟」に掲載した赤煉瓦造りの信越線橋梁跡の原告写真10(10−PT)、又は1996年(平成8年)11月29日け付朝日新聞夕刊(甲22)に掲載された赤煉瓦造りの信越線橋梁跡の原告写真10(10−PU)を見て上記橋梁跡に赴き、これを被写体とする被告写真10を撮影し、平成15年発行の被告書籍3に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、これを販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の前営業上の利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(サ) 被告は、原告が平成4年に開いた個展で展示し、平成5年発行の原告書籍1(「棄景」)に掲載した松尾鉱業の旧職員宿舎の原告写真11(11−PT)、あるいは、平成7年発行の「棄景2」(甲23)に掲載した松尾鉱業の旧職員宿舎の原告写真11(11−PU)を見て上記旧職員宿舎に赴いて、これを被写体とする被告写真11を撮影し、平成10年発行の被告書籍1に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍1を販売させた。
 これらの被告の行為は、これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(シ) 被告は、原告が平成4年に開いた個展で展示した日光市にある発電所跡内部の原告写真12を見て同発電所跡に赴いて、同発電所跡を被写体とする被告写真12を撮影し、平成13年発行の被告書籍2に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、被告書籍2を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(ス) 被告は、原告が平成4年に開いた個展で展示した遠野市にあるボーリング場跡の原告写真13(13−PT)、あるいは平成5年発行の原告書籍1(「棄景」)に掲載した前記ボーリング場跡の原告写真13(13−PU)を見て同ボーリング場跡に赴いて、同ボーリング場跡を被写体とする被告写真13を撮影し、平成18年発行の「亡骸劇場」に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたこと等の注釈も入れることなく掲載させ、「亡骸劇場」を販売させた。
 これらの被告の行為は、原告の法的保護に値する利益(前記アA、B)を侵害する不法行為に該当する。
(2) 被告の主張
ア 法的保護に値する利益の主張に対し
 廃墟は、写真の普遍的なテーマであり、廃墟写真を掲載した出版物は多く刊行され、写真文化として根付いている。
 原告の主張するような「営業上の利益」が法的保護の対象となれば、風景の撮影・発表の権利を最初に撮った一人の者が独占することになり、写真表現そのものが萎縮する結果となるから、著しく不当である。
 しかも、 一般論として、 読者やマスコミは、 「廃墟」の「発見者」、「発掘者」であることを理由にその写真家の写真集を買い、その写真家に仕事を発注するのでなく、あくまで出来上がった作品の良し悪しで好みの写真集を購読し、仕事の発注先を選択するのであって、「先駆者として認知されること」によって発生する営業上の利益などない。
 また、廃墟写真は古くからあるテーマであり、原告書籍1(「棄景」)の発表前にもたくさんの写真集等が発表されていたものであって、原告は廃墟写真の「先駆者」ではない。原告写真1の被写体である丸山変電所及び原告写真3の被写体である大仁金山木造廃屋や原告写真10の被写体である信越線第6橋梁については、原告が主張する発表の時期よりも前に別の写真家の写真が発表されている。
 さらに、業界慣行としても、誰かが一度でも撮影した廃墟はその者の許可を得たり、その者の氏名に言及したりしなければ後に写真を発表できないなどということは全くなく、被告の廃墟写真を例にとっても、被告の発表後に他者が当該廃墟の写真を発表している例はいくらでもある(乙9・3頁、乙1・別紙7)。
 以上によれば、原告主張の「営業上の利益」なるものは、法的保護に値する利益に当たらない。
イ 被告の侵害行為の主張に対し
(ア) 被告は、自らの写真集において原告書籍1(「棄景」)等の出版年に遅れる掲載写真の撮影年を全て記載しており、原告より先に当該被写体を「発掘した」などと一切偽っていない。
 また、被告書籍1及び4には102点、被告書籍2には181点、被告書籍3には159点の廃墟写真が掲載されており、その他の写真集に掲載された廃墟写真を含めると写真の数は合計982点となるが(乙1・9頁)、そのうち原告が「先に発表した」と主張する写真と被写体が同じなのは、10点に留まる。このように、10/982、すなわち、わずか1%の被写体が同じであるというだけで、原告が主張するような「先駆者としての利益」が侵害されることなどあり得ない。
 さらに、被告は自らが廃墟写真の先駆者だとも考えていないし、先駆者であることの利益があるとも考えていないから、自分が廃墟写真の先駆者であるかのように装って行動したことは一度もない。このように被告にとって「先駆者たる地位」には何の意味もないから、他者の「先駆者たる地位」を冒用しようなどとは一切考えておらず、そのような主観的意図をもって被告が行動したことは一切ない。
(イ)a 原告写真1ないし6に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告が原告と無関係に被告写真1ないし5を撮影したことは、前記1(2)イないしカの各(イ)のとおりである。
 また、被告写真6は、被告写真4と同一の機会に撮影したものであり、同様に原告写真6とは無関係である。このことは、被告写真6と原告写真6の表現が全く異なることからも明らかである。
(b) 原告写真2ないし5が、それぞれ被告写真1ないし5の撮影に先立って発表された事実はない。
 原告は、平成4年の個展で原告写真2ないし5を、平成6年の個展で写真2ないし4を発表した旨主張するが、それらの客観的な裏付けはない。
 また、被告が上記各個展に行った事実はなく、そもそも個展に行っただけでは、展示写真の被写体の撮影場所を知ることはできない。
(c) さらに、被告写真1ないし5の撮影前に、原告書籍1(「棄景」)や原告主張の新聞記事を見たこともない。
b 原告写真7に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告と無関係に被告写真7を撮影した。
 すなわち、被告は、雑誌等の情報から旧国鉄士幌線の存在も同線沿線にアーチ橋梁が点在する地域があることも知っており、平成5年、鴻之舞鉱山及びイトムカ鉱山の撮影のため北海道を訪れた際、同所で被告写真7を撮影した。士幌線アーチ橋は国道273号線を北上すると音更川と並行して見えるものであり、アーチ橋保存活動等のシンポジウムでも取り上げられるような、知られた存在である。
 また、被告写真7は、カラーで、悪天候を利用して、霧でかすむ空をバックに中央のアーチ橋の下を通る泥で汚れた河川を効果的に配置し、橋をシンボリックに表現する構図が選択されているのに対し、原告写真7は白黒で、好天のもと超ワイドレンズで撮影され、画面下部が黒くつぶれて河川は確認できず、左上に電線が写り込んでおり、このよう表現が全く異なっていること自体、被告が原告と無関係に被告写真7を撮影し、発表したことの証左である。
(b) 原告は、平成6年の個展で士幌線橋梁を被写体とする原告写真7を発表した旨主張するが、その客観的な裏付けはない。
 仮に原告写真7がその時期に発表されていたとしても、被告が被告写真7を撮影したのは平成5年であり、原告写真の発表前である。
 また、仮に原告が主張するように原告写真7が原告の個展で発表されていたとしても、被告は原告の個展に行っておらず、個展で見た原告写真に依拠して被告写真7の写真を撮影していない。
c 原告写真8に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告写真8と無関係に被告写真8を撮影した。
 すなわち、被告は、北海道空知支庁主催の炭鉱フォーラムにパネリストとして参加したことをきっかけとして空知支庁管内に炭鉱が複数存在することや付近の状況を詳しく知り、幾春別炭鉱等の炭鉱の撮影のため北海道を訪れた際、柵に囲まれた中に放置された廃バスを見つけて被告写真8を撮影した。
(b) 被告写真8は北海道赤平市で撮影したものであり、そもそも
 原告写真8と撮影地、被写体が異なる。
 また、仮に原告が主張するように原告写真8が原告の個展で発表されていたとしても、被告は原告の個展に行っておらず、個展で見た原告写真8に依拠して被告写真8の写真を撮影していない。
d 原告写真9に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告と無関係に被告写真9を撮影した。
 すなわち、被告は、鉄道系雑誌等で旧国鉄根北線の存在も越川橋梁の存在も知っており、平成12年、釧路の太平洋炭鉱及び根室の日本軍トーチカ跡を撮影した後、根室から国道244号線を北上する途中で被告写真9を撮影した。越川橋梁の橋脚は国道沿いからも見え、すぐに見つけることができた。
 被告は国道244号線から下の河原まで降りてアーチを象徴的に撮影しており、原告写真9と被告写真9は同じ橋梁でも撮影ポイントが全く異なり、その表現も全く異なる。
(b) 仮に原告が主張するように原告写真9が原告の個展で発表されていたとしても、被告は原告の個展に行っておらず、また、原告主張の雑誌記事も見ていない。
e 原告写真10に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告と無関係に被告写真10を撮影した。
 すなわち、被告は、平成3年に平凡社準太陽賞を受賞し、その後雑誌「太陽」のグラビア撮影の仕事をしており、その企画の一つとして信越線橋梁跡の撮影を行った。それらの被写体は編集部が選択した中に入っていた。
 その時撮影した写真は「太陽」の平成11年11月号に掲載されたが、その中で使われなかった被告写真10を被告書籍3に掲載して発表した。
(b) 被告写真10は信越本線第5橋梁を被写体とするのに対し、原告写真10は第6橋梁を被写体とするものであり、両者の被写体は異なっている。
f 原告写真11に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告と無関係に被告写真11を撮影した。
 すなわち、松尾鉱山は鉱毒問題などで有名な鉱山であり、1990年代から被告が使っている地図にも松尾鉱山跡と明記されていたため、被告は鉱山跡の存在を知っていた。岩手県に友人が居住していたため被告は学生時代から八幡平を訪れることがあり、平成7年に松尾鉱山に赴き被告写真11を撮影した。
(b) 被告写真11は松尾工業従業員宿舎の内部を被写体とするのに対し、原告写真11は松尾工業従業員宿舎の外観を被写体とするものであり、両者の被写体は異なっている。
 また、被告は、被告写真11を撮影する前に、原告書籍1(「棄景」)も「棄景U」も見ておらず、これらに依拠して被告写真11を撮影していない。
g 原告写真12に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告と無関係に被告写真12を撮影した。
 すなわち、被告は、文化庁の産業遺産の調査(金属鉱山研究会会長村上安正氏の近代遺跡調査)に同行した際、日光・別倉発電所跡の存在を知り、平成11年に被告写真12を撮影した。
 原告写真12と被告写真12は、同じ発電所跡の内部を撮影したものではあるが、被告写真はカラーでシンメトリーな画面とされ、窓や入口のアーチ越しに外の木々が見え、西洋の教会をイメージした仕上がりとなっているのに対し、原告写真はセピア色で内部の廃材が多く写り込んでいて、廃墟らしさが強調されているなど、このこと自体、原告と無関係に被告が被告写真12を撮影したことの証左である。
(b) 仮に原告が主張するように原告写真12が原告の個展で発表されていたとしても、被告は、原告の個展に行ったことはなく、原告写真12に依拠して被告写真12を撮影していない。
h 原告写真13に係る侵害行為の主張に対し
(a) 被告は、原告写真13と無関係に被告写真13を撮影した。
 すなわち、被告は、学生時代岩手県に友人が住んでいた関係で東北を訪ねることが多く、その際国道283号線のすぐ脇にある遠野ボーリング場を知り、平成6年に被告写真13を撮影した。
(b) 原告写真13の13−PUは、遠野ボーリング場跡にあるボーリングのピンを被写体とするもので、同所の鉄塔を被写体とする被告写真13とは被写体が異なる。また、原告写真13の13−PTと被告写真13とは表現が全く異なる。
 被告は、原告書籍1(「棄景」)を被告書籍1の発売前後に見た記憶はあるが、被告写真13の撮影前に見たことはなかった。
 また、仮に原告が主張するように原告写真13が原告の個展で発表されていたとしても、被告は、原告の個展に行ったことはなく、原告写真13に依拠して被告写真13を撮影していない。
6 争点6(原告の損害額)について
(1) 原告の主張
ア 被告は、前記1ないし4の各(1)のとおり、故意により、原告写真1ないし5に係る原告の著作権(翻案権、複製権、譲渡権)及び著作者人格権(氏名表示権)を侵害し、原告の名誉を毀損し、更には原告の法的保護に値する利益を侵害したものであるから、これらの不法行為により原告が被った損害を賠償する義務がある。
イ(ア) 著作権侵害による財産的損害(使用料相当額の損害)
 原告は、被告の前記1(1)及び2(1)の著作権侵害行為により、著作権の行使について受けるべき金銭の額に相当する額(使用料相当額)の損害を被った。
 原告の上記使用料相当損害額は、被告各書籍のそれぞれの定価に、権利侵害作品数の全収録写真数に対する割合、書籍の発行部数及び「印税率」を乗じた金額によって算定すべきである。
 被告各書籍の定価、全収録写真数は、別紙書籍目録1ないし4記載のとおりであり、その発行部数は、被告書籍1については2万5000部を、被告書籍2については2万部を、被告書籍3については5000部を、被告書籍4については5000部を下らない。
 被告書籍1には被告写真1及び3の2枚が、被告書籍2には被告写真4及び5の2枚が、被告書籍3には被告写真2の1枚が、被告書籍4には被告写真1及び3の2枚が収録されている(前記第2の2(2)ア(エ))。
 そして、原告写真1ないし5のような廃墟写真の場合、写真家が得る「印税」は通常、写真集の定価の10%である。
 以上を基に、原告の上記使用料相当損害額を算定すると、28万7117円となる。
 【計算式1/10×(3,675円×2/102×25,000+3,675円×2/181×20,000+2,625円×1/159×5,000+1,785円×2/102×5,000)≒287,117円】
(イ) 著作者人格権侵害による慰謝料
 廃墟写真という分野においては、最初にその廃墟に「美」を発見したのは誰であるのかということが重要であるから、最初の発見者が撮影した廃墟写真の二次的著作物が公衆へ提供又は提示がされるに際して、最初の発見者において原著作物の著作者名としての氏名表示を受けられなかったことによる精神的苦痛は、通常の場合よりも大きい。
 被告の氏名表示権侵害行為により原告が被った精神的苦痛を慰謝するのに必要な額は、200万円を下らない。
(ウ) 名誉毀損による慰謝料
 被告の名誉毀損行為により原告が被った精神的苦痛を慰謝するのに必要な額は、100万円を下らない。
(エ) 法的保護に値する利益の侵害による損害
 原告は、原告写真1ないし13の各被写体の発掘に当たって多大な時間と労力等をかけてきた。しかるに、被告は、原告写真1ないし13を見て被写体を剽窃して、被写体を同じくする新たな「廃墟写真」(被告写真1ないし13)を撮影し、被告各書籍に組み入れて出版した。そして、被告各書籍には、原告の写真を見て当該被写体を知りこれを撮影するに至ったことを示す説明文言等はない。
 このような被告各書籍を見た一般消費者は、上記被写体たる廃墟を発掘したのは被告に他ならないと誤解し、その後に原告の写真集等で上記被写体を撮影した原告の廃墟写真を見ても、いわば「二番煎じ」写真としてしか認識しないことが当然に想定される。
 したがって、原告の写真集は、「発掘者」の手によるものとしての市場価値が大いに損なわれたことは明らかである。また、これらの写真集を見た編集者等の中には原告を平然と「二番煎じ」を行う者と誤解して廃墟写真の撮影業務等の依頼を躊躇する者もおり、原告は、「先駆者」としての市場価値が大いに損なわれた。
 以上の点を踏まえると、被告の法的保護に値する利益の侵害行為により原告が被った損害は、300万円を下らない。
ウ よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償として628万7117円(前記イ(ア)ないし(エ)の合計額)及びこれに対する不法行為の日の後である平成21年2月5日(訴状送達の日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
(2) 被告の主張
 原告の主張は争う。
7 争点7(謝罪広告請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 被告が故意に原告の氏名表示権を侵害したことにより(前記3(1))、むしろ原告こそが被告の廃墟写真をまねて廃墟写真を撮影している写真家のごとき誤解を生じてしまっており、原告の名誉又は声望が著しく害されている。
 また、「亡骸劇場」における被告の発言により(前記4(1))、原告の名誉を毀損された。
イ したがって、原告は、被告に対し、著作権法115条及び民法723条に基づき、名誉又は声望を回復するための適当な措置として、別紙謝罪広告目録記載の謝罪広告を求めることができる。
(2) 被告の主張
 原告の主張は争う。
第4 当裁判所の判断
1 翻案権侵害の成否(争点1)について
(1) 著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいうものと解される(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
 そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分は、ここにいう既存の著作物の表現上の本質的な特徴には当たらないというべきである。
 本件において、原告は、「廃墟写真」の写真ジャンルにおいては被写体である「廃墟」の選定が重要な意味を持ち、原告写真1ないし5の表現上の本質的な特徴は被写体及び構図の選択にある旨主張しているので、被告写真1ないし5の作成がこれに対応する原告写真1ないし5の翻案に当たるか否かを判断するに当たっては、原告が主張する原告写真1ないし5における被写体及び構図の選択における本質的特徴部分が上記のような表現上の本質的な特徴に当たるかどうか、被告写真1ないし5において当該表現上の本質的特徴を直接感得することができるかどうかを検討する必要がある。
 そこで、以下においては、上記のような観点を踏まえて、被告写真1ないし5の作成が原告写真1ないし5の翻案に当たるか否かについて順次判断することとする。
ア 原告写真1の翻案の成否
(ア) 原告は、原告写真1の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、旧丸山変電所の、打ち捨てられてまさに廃墟化した建物内部を、逆ホームベース上の内壁を奥に配置して、左上に大部分の葺き板が消滅した屋根の痕跡を配置し、右上には葺き板の大部分を残しつつも数か所にわたり小さくない亀裂を有する屋根の痕跡を配置し、これを上記内壁から見て相当後方から上記内壁に対して斜めに、そして上記内壁に接する内壁の一方とほぼ平行に撮影するという点にあり、この構図の斬新さは、原告写真1を見る者に強いインパクトを与えるものである旨主張する。
 そこで検討するに、原告が主張する原告写真1において旧丸山変電所の建物内部を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではなく、また、その建物内部を、逆ホームベース状内壁の相当後方から、上記内壁に対して斜めに、上記内壁に接する内壁とほぼ平行の視点から撮影する撮影方向としたことのみから、原告が主張するような「旧丸山変電所の、打ち捨てられてまさに廃墟化した」印象や見る者に与える強いインパクトを感得することができるものではない。
 したがって、原告が主張する原告写真1における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできない。
 次に、原告写真1と被告写真1とは、旧丸山変電所の建物内部を被写体とする点、逆ホームベース状の内壁を奥に配置した点、上部に屋根と空を配置した点、逆ホームベース状内壁の相当後方から、上記内壁に対して斜めに、上記内壁に接する内壁とほぼ平行の視点から撮影した点などにおいて共通する。
 しかし、他方で、原告写真1と被告写真1とは、@原告写真1は、ハイコントラストの白黒写真で、遠近感が強調されているのに対し、被告写真1は、建物の内部全体を色鮮やかに映し出したカラー写真であり、画面中央の煉瓦のオレンジ色や空の青を強調することによって室内の壁の白さやそこに残るしみを際立たせたり、積み重なる煉瓦、屋根の鉄骨の錆、手前の床に散乱した残留物など個々の物体をその陰影を含めて克明に映し出していること、A原告写真1は「左側の内壁」とほぼ並行に撮影しているのに対し、被告写真1は「右側の内壁」にほぼ平行に撮影しているところ、丸山変電所の建物内部は左右対称ではなく、特に右側の屋根の葺き板はほぼ消失している一方で左側の屋根の葺き板は大部分が残っているため、原告写真1では右上から中央部にかけて斜めに走る屋根の葺き板の消失部分から空が見えるのに対し、被告写真では右上に手前から奥にかけてまっすぐに走る屋根の葺き板の消失部分から空が見え、このように左右いずれの位置から撮影したかによって、屋根の部分の印象が異なるものとなっていること、B原告写真1では、生い茂る植物や光が強調されているが、被告写真1ではそのような表現は取られていないことなどの相違点があり、これらの相違点によって、原告写真1と被告写真1とでは写真全体から受ける印象が大きく異なるものとなっており、被告写真1から原告写真1の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。
(イ) したがって、被告写真1の作成が原告写真1の翻案に当たるとの原告の主張は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
イ 原告写真2の翻案の成否
(ア) 原告は、原告写真2の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、足尾鉱山地区に所在する建物の第二次世界大戦中に描かれた迷彩模様と、朽ち果てたことにより色あせ、壁等が剥がれ落ちることにより壁面に現れた模様を、朽ち果てた感の強い建物外壁を中央部に大きく配置するとともに、左上に短く山の尾根を、左下に植物を配置するという点にあり、この構図により、原告写真2は、悠久の自然とのコントラストによって人工物の儚さを強調している旨主張する。
 そこで検討するに、原告が主張する原告写真2において足尾鉱山地区所在の迷彩模様の壁(迷彩壁)を有する建物(通洞発電所跡の建物)を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではなく、また、建物外壁を中央部に大きく配置するとともに、左上に短く山の尾根を、左下に植物を配置して撮影したことのみから、原告が主張するような悠久の自然とのコントラストによる人工物の儚さを感得することができるものではない。
 したがって、原告が主張する原告写真2における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできない。
 次に、原告写真2と被告写真2とは、通洞発電所跡の迷彩壁を有する建物を被写体とする点、迷彩壁の外壁を中央に大きく配置した点、左上に山の尾根を配置した点、左下に植物を配置した点、右下から左上にやや斜めに見上げるような角度から撮影した点、横長のフレーミングで撮影した点などにおいて共通する。
 しかし、他方で、原告写真2と被告写真2とは、@原告写真2は、建物の一部を逆光でとらえたセピア色の写真であるのに対し、被告写真2は、建物全景をとらえたカラー写真であって、迷彩模様がより克明に映し出されていること、A原告写真2では、迷彩壁の左から4番目までのブロックを撮影し、左から5番目のブロックや地面との接地部分はフレームからはずし、山の尾根と上空を比較的大きく配置しているのに対し、被告写真2では、左から5番目のブロックや地面との接地部分をフレームに入れ、建物を画面の左側及び上側のぎりぎりにまで大きく配置して、5番目のブロックの上部にある緑十字がはっきりと映され、また、緑十字の下の入口とその奥の窓を構図に入れることで奥行きが立体的に表現されていること、B原告写真2では、左下手前に白く鮮やかなススキを入れ、逆光で穂が白く光って見えるのに対し、被告写真2では。同じく植物は配置されているが、ススキではなく、逆光でもないことなどの相違点があり、これらの相違点によって、原告写真2と被告写真2とでは写真全体から受ける印象が大きく異なるものとなっており、被告写真2から原告写真2の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。
(イ) したがって、被告写真2の作成が原告写真2の翻案に当たるとの原告の主張は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
ウ 原告写真3の翻案の成否
(ア) 原告は、原告写真3の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、大仁金山付近にある、小高い丘の麓にぽつんとある、既に様々な部分にゆがみが生じており、今にも壊れそうな木造建物について、これを、中央部にやや小さめに配置し、木々が生い茂った小高い山を背景に、当該建物に向かう道を前景として大きく取り入れるという点にあり、この構図により、原告写真3は、建物の孤立感を強く印象づける効果を生んでいる旨主張する。
 そこで検討するに、原告が主張する原告写真3において大仁金山付近の木造建物を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではなく、また、その建物を中央部にやや小さめに配置し、小高い山を背景に、当該建物に向かう道を前景として大きく取り入れて撮影したことのみから、原告が主張するような建物孤立感を強く印象づける効果を感得することができるものではない。
 したがって、原告が主張する原告写真3における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできない。
 次に、原告写真3と被告写真3とは、大仁金山付近の木造建物を被写体とする点、建物の背部に木々に覆われた小高い丘を配置した点、その上方に空を配置した点、前景として道を配置した点、建物の正面を前方から撮影した点などにおいて共通する。
 しかし、他方で、原告写真3と被告写真3とは、@原告写真3は、ハイコントラストのセピア色の写真であるのに対し、被告写真3は、建物のトタン屋根の板の色(赤茶色)や、あぜ道の草の黄色などが色鮮やかに映し出されたカラー写真であること、A原告写真3と被告写真3とは、撮影位置及びフレーミングが違い、建物の大きさも背後の丘及び地面の撮影範囲も異なっている上、被告写真3においては上方や左右から伸びる木の枝が空や丘にかかっていることなどの相違点があり、これらの相違点によって、原告写真3と被告写真3とでは写真全体から受ける印象が大きく異なるものとなっており、被告写真3から原告写真3の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。
(イ) したがって、被告写真3の作成が原告写真3の翻案に当たるとの原告の主張は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
エ 原告写真4の翻案の成否
(ア) 原告は、原告写真4の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、既に使用されなくなって久しく、通常人が訪れることがない奥多摩ロープウェイの機械室の内部を、その内壁を背景として、中央下部と左上部にそれぞれ大きな歯車を配置し、その間に短く勾配が急な階段を配置し、床面や階段足掛部の塵等を清掃することなく、窓から光を入れて撮影するという点にあり、この構図により、原告写真4は、建物の打ち捨てられ感を強烈に印象づける効果を生んでいる旨主張する。
 そこで検討するに、原告が主張する原告写真4において奥多摩ロープウェイの機械室の内部を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではなく、また、その内部を、内壁を背景として、中央下部と左上部にそれぞれ大きな歯車を配置し、その間に階段を配置し、床面や階段足掛部の塵等を清掃することなく、窓から光を入れて撮影したことのみから、原告が主張するような建物の打ち捨てられ感を強烈に印象づける効果を感得することができるものではない。
 したがって、原告が主張する原告写真4における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできない。
 次に、原告写真4(4−P、4−P’)と被告写真4とは、奥多摩ロープウェイの機械室の内部を被写体とする点、コンクリート造りの内壁を背景とした点、二つの大きな歯車を上下に配置した点、天井付近の歯車の下に短く急勾配な階段を配置した点、下側の歯車の右側に小さく機械が配置されている点、窓から光が取り込まれている点などにおいて共通する。
 しかし、他方で、原告写真4と被告写真4とは、@原告写真4の4−Pは、画面上部が黒い影となっているセピア色の写真、原告写真4の4−P’は、白黒写真であるのに対し、被告写真4は、機械の錆びや画面右側の壁に当たった光の色などを克明に映し出したカラー写真であること、A原告写真4の4−Pは、長方形縦の画面を、下の撮影ポジションから上部の歯車を見上げるような構図で撮影され、塵等が散乱した床面を大きく画面に取り込んでいるのに対し、被告写真4は、正方形の画面上に、ほぼ水平の視点から、二つの歯車を中心とし、斜めに走る階段が配置された構図で撮影され、床面はほとんど取り込まれていないこと、B原告写真4−P’は、階段に佇む少女が点景とされているのに対し、被告写真4は、人物が点景として表現されていないことなどの相違点があり、これらの相違点によって、原告写真4(4−P、4−P’)と被告写真4とでは写真全体から受ける印象が大きく異なるものとなっており、被告写真4から原告写真4の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。
(イ) したがって、被告写真4の作成が原告写真4の翻案に当たるとの原告の主張は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
オ 原告写真5の翻案の成否
(ア) 原告は、原告写真5の被写体及び構図の選択における本質的特徴部分は、既にその上を列車が通らなくなって久しい分銅型の橋梁跡を中心に配し、その橋梁の下をくぐる砂利道、並びに橋梁跡の左側に木々が生い茂る山肌を配置するという点にある。この構図により、原告写真5は、橋梁の打ち捨てられ感を強烈に印象づける効果を生んでいる旨主張する。
 そこで検討するに、原告が主張する原告写真5において奥羽本線旧線跡の橋梁跡を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではなく、また、その橋梁跡を中心に配し、その橋梁の下をくぐる砂利道、橋梁跡の左側の山肌を配置して撮影したことのみから、原告が主張するような橋梁の打ち捨てられ感を強烈に印象づける効果を感得することができるものではない。
 したがって、原告が主張する原告写真5における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできない。
 次に、原告写真5と被告写真5とは、奥羽本線旧線跡の橋梁跡を被写体とする点、橋梁を横から撮影した点、橋梁の奥側から手前側に向かって砂利道が走っている点、画面の左側に木々の生い茂る山を配置した点、横長のフレーミングである点などにおいて共通する。
 しかし、他方で、原告写真5と被告写真5とは、@原告写真5は、セピア色の写真であるのに対し、被告写真5は、橋梁の影などを克明に映し出したカラー写真であること、A原告写真5は、左側の山を大きく配置し、橋梁の比較的手前の部分から撮影しているのに対し、被告写真5は、橋梁を画面の中央に置き、左側の山はそれほど大きくなく、橋梁に比較的近い部分だけを撮影していることなどの相違点があり、これらの相違点によって、原告写真5と被告写真5とでは写真全体から受ける印象が大きく異なるものとなっており、被告写真5から原告写真5の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。
(イ) したがって、被告写真5の作成が原告写真5の翻案に当たるとの原告の主張は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。
(2) 以上によれば、被告写真1ないし5の作成が原告写真1ないし5を翻案したものとは認められない。
 そして、被告写真が原告写真の翻案物といえない以上、原告主張の複製権侵害及び譲渡権侵害(争点2)並びに氏名表示権侵害(争点3)は成立しないというべきである。
2 名誉毀損の不法行為の成否(争点4)について
(1) 原告は、写真集「亡骸劇場」に記述された被告の発言は、あたかも被告自ら「廃墟写真」というジャンルをゼロから作り上げたかのような事実を摘示するものであり、この事実摘示を目にした一般人が原告の廃墟写真に接したときは、反射的に、原告が「廃墟写真」という分野について被告の二番煎じを演ずる模倣者であるとの誤解を生ずるおそれがあることからすると、被告の上記発言は、原告の名誉を毀損するものであり、しかも、被告は、原告がプロの写真家として「廃墟写真」というジャンルを確立した先駆者であることを知りつつ、上記発言を行ったものであり、故意があるから、被告の上記発言は、原告の名誉を毀損する不法行為を構成する旨主張する。
 そこで検討するに、被告の写真集である「亡骸劇場」には、被告がインタビューにおいて「亡骸劇場の撮影のきっかけは」との質問に対し述べた内容として、「1990年代前半、東京湾岸の風景を撮影していた頃、・・・スクラップ&ビルドの世界に興味を持っていました。そこで眼にした捨て去られた古い倉庫や貨物列車の引き込み線を撮影したとき、初めて「廃墟」というものを意識しました。それから全国に同じような場所がもっとあるだろうと考え、古い地図帳をたよりに鉱山跡を探す旅に出るようになりました。鉱山の廃墟を撮影していて気づいたのは、かつて鉱山を中心にしてでき上がった集落は鉱山が閉山したあと、同じように朽ち果ててしまったということです。」、「そんなゴーストタウンの学校や病院、遊園地、商店などを眼の前にしたとき、鉱山跡とはまったく違った別のジャンルの廃墟が撮れると確信し、「亡骸」シリーズの撮影を続けることにしたのです」との記述があることは、前記第2の2(3)のとおりである。
 原告の上記主張は、この記述部分が原告の名誉毀損に当たるというものである。
 しかし、上記記述部分は、「鉱山の廃墟」を撮影してきた被告が、「鉱山の廃墟」とは別の種類の廃墟を撮影して、それらの廃墟写真を「亡骸劇場」に掲載するに至った個人的な経緯を述べたものであって、上記記述部分から、原告が主張するようにあたかも被告自らが「廃墟写真」というジャンルを創設したことを述べたものと認めることはできない。
 また、上記記述部分には、原告及びその写真作品に言及した記載はないのみならず、被告が「廃墟写真」のジャンルにおいて原告の先駆者であるかのような印象を与える記載もない。
 したがって、上記記述部分は、原告の名誉を毀損する事実の摘示を含むものとは認められない。
(2) 以上によれば、原告の被告による名誉毀損の不法行為の主張は、理由がない。
3 法的保護に値する利益の侵害の不法行為の成否(争点5)について
(1) 原告は、@廃墟写真において被写体となった「廃墟」が、最初に被写体として発見し取り上げた者と認識されることによって生ずる営業上の利益、すなわち、当該廃墟を作品写真として取り扱った先駆者として、世間に認知されることによって派生する営業上の諸利益は、法的保護に値する利益である、A原告は、原告写真1ないし13について、上記@の法的保護に値する利益を有している、B原告が最初に廃墟写真として作品化した被写体を、営利の目的において撮影した写真を発表するに当たっては、原告の同意を得るか、少なくとも当該写真を掲載する書籍において、原告の作品を参照したことを明らかにする義務がある、C被告は、原告写真1ないし13を見て、それらの被写体のある撮影場所に赴き、同一の被写体の被告写真1ないし13を撮影し、被告各書籍及び「亡骸劇場」に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたことなどの注釈も入れることなく掲載させ、これらの書籍を販売させたものであり、被告の上記行為は、原告が有する上記@の法的保護に値する利益を違法に侵害したものとして不法行為を構成する旨主張する。
 しかし、原告の主張は、以下のとおり理由がない。
ア 原告は、廃墟写真において被写体となった「廃墟」が、一般には(少 なくとも作品写真の被写体としては)全く知られておらず、それらの存在を認識し、かつ、それらに到達して作品写真に仕上げるまでに、極めて特殊な調査能力と膨大な時間を要していること、このノウハウと作品写真に仕上げるまでに要した多大な労力を根拠に、廃墟写真において被写体となった「廃墟」が、最初に被写体として発見し取り上げた者と認識されることによって生ずる営業上の利益、すなわち、当該廃墟を作品写真として取り扱った先駆者として、世間に認知されることによって派生する営業上の諸利益は、法的保護に値する利益であり、具体的には、@原告が自ら多大な費用と労力をかけて発掘した「廃墟」について、廃墟写真を撮影して写真集等に収録して発行し、これにより投下資本を回収することによる営業上の利益、A原告がその写真集に掲載されている廃墟写真の被写体である廃墟の発見者であると正しく認識されること、換言すれば、その写真集に掲載されている廃墟写真が、他人の発見した廃墟を追い掛けて撮影した二番煎じものであると誤解されないということは、その顧客訴求力を高い水準で保ち、これにより多くの著作権収入を得るということにつながるものであり、このような意味での営業上の利益、B原告が発掘した廃墟を撮影した写真が後発の雑誌、新聞、CDジャケット等に掲載され若しくはテレビニュース等のタイトル画像に使用される等して商品等又はサービスに組み入れられる場合には、通常、原告がその廃墟の発掘者として、既に撮影済みの写真について利用許諾を行ったり、業務委託契約を締結してその廃墟の写真を新たに撮影することとなるが、そのような原告の地位は、多大な費用と労力をかけて被写体たるに相応しい廃墟を発掘するプロの写真家たる原告にとって、投下資本の回収可能性を支えるものであり、このような意味での営業上の利益である旨主張する。
 しかしながら、「廃墟」とは、一般には、「建物・城郭・市街などのあれはてた跡」をいい(広辞苑(第六版))、このような廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体は、当該廃墟が権限を有する管理者によって管理され、その立入りや写真撮影に当該管理者の許諾を得る必要がある場合などを除き、何人も制約を受けるものではないというべきである。このように廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体に制約がない以上、ある廃墟を最初に被写体として取り上げて写真を撮影し、作品として発表した者において、その廃墟を発見ないし発掘するのに多大な時間や労力を要したとしても、そのことから直ちに他者が当該廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体を制限したり、その廃墟写真を作品として発表する際に、最初にその廃墟を被写体として取り上げたのが上記の者の写真であることを表示するよう求めることができるとするのは妥当ではない。また、最初にその廃墟を被写体として撮影し、作品として発表した者が誰であるのかを調査し、正確に把握すること自体が通常は困難であることに照らすならば、ある廃墟を被写体とする写真を撮影するに際し、最初にその廃墟を被写体として写真を撮影し、作品として発表した者の許諾を得なければ、当該廃墟を被写体とする写真を撮影をすることができないとすることや、上記の者の当該写真が存在することを表示しなければ、撮影した写真を発表することができないとすることは不合理である。
 したがって、原告が主張するような、廃墟写真において被写体となった「廃墟」を最初に被写体として発見し取り上げた者と認識されることによって生ずる営業上の利益が、法的保護に値する利益に当たるものと認めることはできない。
イ また、原告が主張する被告の違法行為の態様は、原告写真1ないし13を見て、それらの被写体のある撮影場所に赴き、同一の被写体の被告写真1ないし13を撮影し、被告各書籍及び「亡骸劇場」に、原告の同意なく、かつ、当該被写体を認識したのは原告の作品を参考にしたことなどの注釈も入れることなく掲載させ、これらの書籍を販売させたというものであるが、前記ア認定のとおり、ある廃墟を最初に被写体として取り上げて写真を撮影し、作品として発表した者において、他者が当該廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体を制限したり、その廃墟写真を作品として発表する際に、最初にその廃墟を被写体として取り上げたのが上記の者の写真であることを表示するよう求めることはできないことに照らすならば、仮に原告が主張するように被告が原告写真1ないし13を見て被告写真1ないし13の撮影場所に赴いたとしても、被告において被告写真1ないし13を被告各書籍に発表するに際し原告の同意を得るなどの必要はないというべきであるから、原告が主張する被告の行為は、その主張自体、社会的に是認できる限度を逸脱した違法なものに当たるものではないというべきである。
 また、@被告各書籍及び「亡骸劇場」には、被告が被告写真1ないし13の各被写体を最初に撮影した者である旨の記載はなく、また、被告が原告に先立ってこれらの被写体を撮影したことをうかがわせるような記載もないこと、A被告各書籍に掲載された被告写真1ないし12については、それらの撮影時期が明記されていること(乙5ないし8)に照らすならば、被告において原告が主張するような先駆者としての利益を害する主観的な意図があったものと認めることはできない。
ウ 以上を総合すれば、原告主張の被告の行為が不法行為を構成するものと認めることはできない。
(2) したがって、原告の被告による法的保護に値する利益の侵害の不法行為の主張は、理由がない。
4 結論
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は、理由がないからいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 大鷹一郎
 裁判官 上田真史
 裁判官 石神有吾


(別紙) 書籍目録
1 タイトル:廃墟遊戯
  出版社:株式会社メディアファクトリー
  発行年月:1998年10月
  定価:3675円(税込み)
  収録写真点数:102点
2 タイトル:廃墟漂流
  出版社:株式会社マガジンハウス
  発行年月:2001年9月
  定価:3675円(税込み)
  収録写真点数:181点
3 タイトル:廃墟をゆく
  出版社:株式会社二見書房
  発行年月:2003年1月
  定価:2625円(税込み)
  収録写真点数:159点
4 タイトル:廃墟遊戯−Handy Edition
  出版社:株式会社メディアファクトリー
  発行年月:2008年1月
  定価:1785円(税込み)
  収録写真点数:102点

(別紙) 謝罪広告目録
1 広告内容
 私は、A氏の成功を見てこれにあやかろうと廃墟写真を撮影するようになったのに、あたかも自分こそが廃墟写真というジャンルを築き上げたかのうような発言をし、先駆者としてのA氏の名誉を傷つけました。
 また、「廃墟遊戯」16頁、「廃墟遊戯 Handy Edition」16頁の旧丸山変電所建物内部の写真、「廃墟をゆく」46頁上段の足尾銅山近郊の迷彩模様の建物の写真、「廃墟遊戯」25頁、「廃墟遊戯 Handy Edition」25頁の大仁金山付近の木造建物の写真、「廃墟漂流」31頁の奥多摩ロープウェイの機械室内部の写真、「廃墟漂流」66〜67頁の奥羽線の旧線跡にある橋梁跡の写真は、いずれも、A氏の写真を見て、その被写体と構図をまねて作成したものであるにもかかわらず、その原作品の著作者名としてA氏の氏名を表示することを怠ってしまいました。
 これらの点につき、深くお詫び申し上げます。


2 掲載条件
(1) 媒体:@朝日新聞、A読売新聞、B日本経済新聞の各全国版朝刊第1社会面、並びに、C「日本カメラ」、D「アサヒカメラ」
(2) 大きさ:@ないしBにつき2段×10センチメートル以上、Cにつき下3分の1頁以上、Dにつき下4分の1頁以上
(3) 活字の大きさ:8ポイント以上
(4) 活字の種類、色:明朝体(W3以上のウェイトのもの)・黒、背景色:白又は紙色
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