判例全文 line
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【事件名】松沢成文神奈川県知事の著作権侵害事件(2)
【年月日】平成22年7月14日
 知財高裁 平成22年(ネ)第10017号、同第10023号 著作権侵害差止等反訴請求控訴、同附帯控訴事件
 (原審・東京地裁平成20年(ワ)第1586号)
 (口頭弁論終結日 平成22年5月26日)

判決
控訴人兼附帯被控訴人 株式会社講談社(以下「控訴人会社」という。)
控訴人兼附帯被控訴人 X(以下「控訴人X」という。)
上記両名訴訟代理人弁護士 美勢克彦
同 平井佑希
被控訴人兼附帯控訴人 Y(以下「被控訴人」という。)
同訴訟代理人弁護士 西岡弘之
同 北村聡子


主文
1 控訴人らの控訴に基づき、
(1) 原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。
(2) 前項の部分に係る被控訴人の請求を棄却する。
2 被控訴人の附帯控訴を棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 申立て
1 控訴の趣旨
 主文1項及び3項と同旨
2 附帯控訴の趣旨
 原判決を次のとおり変更する。
(1) 控訴人らは、原判決別紙書籍目録1記載の書籍を印刷、発行又は頒布してはならない。
(2) 控訴人らは、連帯して、被控訴人に対し、120万円及びこれに対する平成19年6月5日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は、第1、2審とも控訴人らの負担とする。
(4) 仮執行宣言
第2 事案の概要
 本件は、 原判決別紙書籍目録2記載の書籍(以下、「被控訴人書籍」といい、原判決にいう「原告書籍」を「被控訴人書籍」と読み替える。ただし、原判決と同様、「物語」ともいう。)の著作者である被控訴人が、控訴人Xが同目録1記載の書籍(以下、「控訴人書籍」といい、原判決にいう「被告書籍」を「控訴人書籍」と読み替える。ただし、原判決と同様、「破天荒力」ともいう。)を執筆し、控訴人会社がこれを発行、販売した行為が、被控訴人書籍について被控訴人が有する著作権(複製権又は翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害する旨主張して、控訴人らに対し、@著作権法112条1項に基づく控訴人書籍の印刷、発行又は頒布の差止めと、A民法709条に基づく損害賠償とを求める事案である。
 原判決は、@の請求については、控訴人書籍のうち、原判決添付別紙対比表1のNo.71の「破天荒力」欄の前段の下線部分に対応する文章(甲1の218頁11ないし12行目の「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」との部分。以下「本件文章」ともいう。)が同「物語」欄の下線部分に対応する文章(甲2の152頁4ないし5行目の「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。」との部分。以下「対比文章」ともいう。)を再製したものであって、被控訴人の有する複製権を侵害するものと認め、本件文章を削除しない限り、控訴人書籍を印刷、発行又は頒布してはならないとの限度で、また、Aの請求については、控訴人らに対して695万8075円及びこれに対する不法行為の日(控訴人書籍の発行日)である平成19年6月5日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める請求中、12万円及びこれに対する上記遅延損害金の連帯支払を求める限度でそれぞれ一部認容したため、控訴人らが、控訴人ら敗訴部分を不服として本件控訴に及んだほか、被控訴人も、被控訴人敗訴部分を不服として、ただし、Aの請求については120万円及びこれに対する上記遅延損害金に請求を減縮した上で、附帯控訴に及んだものである。
1 前提となる事実
 被控訴人の本件各請求に対する判断の前提となる事実は、原判決添付別紙対比表2の58頁「物語」欄末行の次に「こうと発足したのが、富士屋ホテルトレーニングス」を加え、同63頁「破天荒力」欄の「英国髭倶楽部」(2箇所)とあるのをいずれも「萬国髭倶楽部」と改めるほか、原判決2頁22行目ないし6頁14行目に摘示のとおりであるから、これを引用する。
2 本件訴訟の争点
(1) 控訴人らによる被控訴人の複製権又は翻案権の侵害の成否(争点1)
 控訴人らによる被控訴人の氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否(争点2)
(3) 控訴人らが賠償すべき被控訴人の損害の額(争点3)
第3 当事者の主張
1 争点1(控訴人らによる被控訴人の複製権又は翻案権の侵害の成否)及び2(控訴人らによる被控訴人の氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否)について
(1) 原審における主張
 この点に関する被控訴人及び控訴人らの原審における主張は、原判決21頁22行目の「昭和32年」を「明治32年」に、23行目の「昭和33年」を「明治33年」にそれぞれ訂正するほか、原判決6頁21行目ないし54頁18行目に摘示のとおりであるから、これを引用する。
(2) 当審における主張
〔控訴人らの主張〕
ア 控訴人書籍と被控訴人書籍とは、いずれも、事実に関する著作物であるところ、歴史的事実及びその取捨選択は、いずれも、著作権法による保護対象ではない。著作権法による保護対象は、取捨選択した事実に基づいて、どのように記述をしたのかという表現である。
 しかるところ、被控訴人は、控訴人書籍及び被控訴人書籍の合計15箇所(原判決添付対比表1のNo.10、19、23、35、36、38、43、47、58、62、68、69、71、89及び91)について狭義の表現に関する複製又は翻案であると主張するが、これらは、本件文章及び対比文章を含めて、いずれも歴史的事実、固有名詞、語又は句が共通するにすぎず、創作性を有する表現に共通点はない。また、被控訴人は、控訴人書籍及び被控訴人書籍の合計29箇所(原判決添付対比表2のX1ないしX21、同対比表3のY1ないしY5並びに仙之助及び正造を主人公とした各章全体)について、事実の取捨選択等に関する複製又は翻案であると主張するが、これは、被控訴人の独自の見解に基づく、相互に重畳した侵害主張であって、主張自体失当というべきである。
イ 特に、原判決が複製権の侵害を認め、その限度で、氏名表示権及び同一性保持権の侵害を認めた原判決添付別紙対比表1のNo.71中の本件文章及び対比文章についてみても、@人が現実の結婚をせず、あるいは、現実の結婚をしながらも結婚生活に比重を置かない(置けない)で、A仕事・事業等に傾注する様子を、仕事・事業等と「結婚した(ようなもの)」と喩えたり、「富士屋ホテルを結婚相手に喩えること」は、表現ではなく、単なるアイデアにすぎない。そして、本件文章と対比文章とで共通するのは、ごく抽象的なアイデアのレベルで「『富士屋ホテル』を正造の結婚相手に喩えたこと」であって、創作性を有する表現ではないから、本件文章は、対比文章を複製又は翻案したものではない。
 仮に、対比文章がアイデアではなく表現であるとしても、対比文章は、「婿である正造が妻と離婚したにもかかわらず富士屋ホテルにとどまり、妻が再婚したにもかかわらず生涯再婚することなくホテル経営に傾注した。」という歴史的な事実関係を前にして、表現上の極めて狭い選択肢の幅の中から、誰もが思い付くようなごくありふれた言い回し、語句、慣用句又は常套句を選択してそのまま記述しているにすぎないから、表現上の創作性はなく、著者の個性も現れていない。現に、原判決も、本件文章に先立つ「富士屋ホテルと結婚した男」との表題部については、対比文章の再製等に当たらない旨を判示している。
 さらに、対比文章は、正造が孝子との結婚当初から、富士屋ホテルと結婚した(孝子と結婚しながらもその結婚生活に比重を置かない(置けない))との趣旨を記述しているのに対し、本件文章は、正造と孝子との離婚後、正造が富士屋ホテルと結婚した(離婚後も再婚しないでホテル経営に傾注した)との趣旨を記述しており、対比文章とは前提とする事実関係及び意味合いが異なり、両者からは、何ら共通する本質的特徴部分など感得できない。
〔被控訴人の主張〕
ア 対比文章は、それに先立つ歴史的事実や、これに関連した被控訴人独自の推測を受けた、被控訴人の正造という人物に対する一定の評価が個性的に表出した部分であり、単なるアイデアではなく、創作性を有する表現である。
イ 「仕事(会社)と結婚」との表現は、「家庭(夫婦)生活よりも仕事を優先する仕事人間」との脈絡で皮肉等の否定的なニュアンスが込められることが一般的であるところ、対比文章にはそのようなニュアンスは感じられない。むしろ、対比文章は、正造とホテルとの間の運命的・宿命的なつながりに関する深い文脈であって、「かもしれない」との表現を受けて、読者に感慨を迫るものとなっている。また、対比文章に先立つ歴史的事実等を前提とすれば、正造と富士屋ホテルとの関係を表現する方法として、「ホテルと結婚」のほかにも多数の選択肢の幅がある。そのような選択肢の中から「ホテルと結婚」という表現を選択した対比文章には、被控訴人による表現上の創作性が認められるべきである。
2 争点3(被控訴人の損害の額)について
〔被控訴人の主張〕
(1) 控訴人らの不法行為責任
 この点に関する被控訴人の主張は、原判決54頁22ないし25行目に摘示のとおりであるから、これを引用する。
(2) 被控訴人の損害額の算定
ア 控訴人会社は、控訴人書籍を定価1600円で7430部販売した(当事者間に争いがない)ところ、被控訴人書籍についての使用料相当額は、上記定価の10パーセントと認めるのが相当であり、かつ、控訴人書籍(本文239頁)のうち、66頁が被控訴人書籍の著作権を侵害しているから、被控訴人の財産的損害は、32万8387円である(1600円×0.1×(66頁÷239頁)×7430部=32万8387円)。
イ 被控訴人は、長期間にわたる調査、検討、執筆及び推敲等の末に被控訴人書籍を発表したもので、控訴人Xがこれを承諾なく転載したことにより、甚大な精神的苦痛を被った。控訴人両名による著作者人格権侵害による被控訴人の精神的損害は、少なくとも500万円と評価されるが、被控訴人は、その一部である80万円を請求する。
ウ 控訴人らによる著作権侵害及び著作者人格権侵害と相当因果関係にある弁護士費用は、7万1613円を下らない。
(3) よって、控訴人らは、被控訴人に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、以上合計120万円及びこれに対する不法行為の日(控訴人書籍発行日)である平成19年6月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
〔控訴人らの主張〕
 いずれも争う。
第4 当裁判所の判断
1 争点1(控訴人らによる被控訴人の複製権又は翻案権の侵害の成否)について
(1) 原判決添付別紙対比表1について
 被控訴人は、控訴人書籍が被控訴人書籍に依拠していること(当事者間に争いがない)を前提として、原判決添付別紙対比表1のNo.10、19、23、35、36、38、43、47、58、62、68、69、71、89及び91、以上合計15箇所の「物語」欄の下線部分の各記述部分がそれぞれ表現上の創作性を有する著作物であり、これと表現上の同一性又は類似性を有する控訴人書籍の「破天荒力」欄の対応する下線部分の各記述部分がその複製又は翻案に当たる旨、特に、対比文章(No.71の「物語」欄の下線部分)が被控訴人の正造という人物に対する一定の評価が個性的に表出した部分であり、単なるアイデアではなく、被控訴人の創作性を有する表現であるとして、本件文章が対比文章の複製又は翻案に当たる旨を主張する。
 そこで検討すると、著作物の複製(著作権法21条、2条1項15号)とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁判所昭和50年(オ)第324号同53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照)。ここで、再製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいうと解すべきであるが、同一性の程度については、完全に同一である場合のみではなく、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない、すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。
 また、著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
 そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、複製にも翻案にも当たらないものと解するのが相当である(最高裁判所平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
 このように、複製又は翻案に該当するためには、既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が、著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要である(著作権法2条1項1号)。そして、「創作的」に表現されたというためには、厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく、筆者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきであるが、他方、文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合には、筆者の個性が表現されたものとはいえないから、創作的な表現であるということはできない。
 したがって、上記各控訴人書籍記述部分がこれに対応する上記各被控訴人書籍記述部分の複製又は翻案に当たるか否かを判断するに当たっては、当該被控訴人書籍記述部分が創作性を有する表現といえるか否か、創作性を有する場合に当該控訴人書籍記述部分がこれを再製したものであるか否か及び当該被控訴人書籍記述部分の表現上の本質的特徴を直接感得することができるか否かを検討する必要がある。
 そこで、以上の見地から、原判決添付別紙対比表1について個別に検討することとする。
ア No.10について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@7頭いた仙之助の牛が5頭になったこと、A7頭のうち2頭が死亡したのであろうとの推測を記述している点が共通している。
 しかしながら、上記共通点のうち、@は、事実であり、Aは、思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
イ No.19について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@富士屋ホテルの建物の名前に「アイリー」と「ハーミテイジ」があったこと、Aこれらの名前の付け方に対する積極的な評価を記述している点が共通している。
 しかしながら、上記共通点のうち、@は、事実であり、Aは、思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
ウ No.23について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@道路の開削が富士屋ホテルのために必要であったこと、A道路の開削により富士屋ホテルに加えて箱根の利便性が高まったことを記述している点が共通している。
 しかしながら、上記共通点は、いずれも、事実又は思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
エ No.35について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、仙之助が富士屋ホテルという事業を外貨獲得のためであると考えていたことを記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、事実又は思想を「外貨」及び「獲得」という、ごくありふれた言葉で表現したものであって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
オ No.36について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@仙之助が日本人著名人の宿泊を断ることに関する「慶應義塾出身名流列傳」の記載を紹介し、かつ、引用していること、A富士屋ホテルは外国人の金を取ることを目的とする旨の仙之助の発言に関する「八十年史」の記載を紹介し、かつ、引用していること、B仙之助が富士屋ホテルという事業を通じて日本の外貨獲得を考えていたこと、Cこうした仙之助に対する積極的な評価を記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点のうち、@及びAは、いずれも事実であり、Bは、事実又は思想であり、Cは、思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
カ No.38について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、仙之助が、富士屋ホテルの経営を単なる事業ではなく日本のためという気持ちで行っていたとの推測を記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、事実又は思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
キ No.43について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、仙之助が福沢諭吉の影響で箱根の開発を行ったとの推測を記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、事実又は思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
ク No.47について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@サンフランシスコで無軌道な生活をしていた当時の正造がまだ若年であったこと、A正造が寂しい思いをしていたこと、又はそうであったろうとの推測、Bサンフランシスコには日本からの船が出入りしていたこと、C正造がそのようなサンフランシスコに滞在すると日本への思いが残って良くないと考え、かえってロンドンに行く旨の決意をしたことを記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点のうち、@、B及びCは事実であり、Aも、事実又は思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
ケ No.58について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、富士屋ホテルが正造の「時代」に入ったことを記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、正造が富士屋ホテルの経営の実権を握ったという事実を、人物の名前と「時代」という言葉を組み合わせるというごくありふれた言葉を使って表現したものであって創作的な表現とはいえない。したがって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
コ No.62について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、箱根が「モータリゼーション」の時代に入ったことを記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、事実を「モータリゼーション」というごくありふれた用語を使って表現したものであって創作的な表現とはいえない。したがって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
サ No.68について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@正造の兄である真一が、正造に対し、故郷日光に帰参することを勧めたが、正造がこれを拒絶したこと、A真一が正造に日光帰参を勧めた真意が、正造夫婦の不仲を察していたからではないかとの推測を記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点のうち、@は、事実であり、Aは、思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
シ No.69について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、正造と孝子の関係が破綻した場合、いずれかが富士屋ホテルを去らねばならなかったことを記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、事実又は思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
ス No.71について
(ア) この箇所の被控訴人書籍記述部分(対比文章。「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。」)と控訴人書籍記述部分の前段(本件文章。「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」)とは、いずれも、正造と富士屋ホテルとの関係を、「(富士屋ホテル)と結婚したようなもの」「だったのかもしれない」との用語で記述している点が共通する。
 そして、対比文章及び本件文章は、いずれも、@正造が明治40年にいわゆる婿養子として孝子と結婚したこと(被控訴人書籍(甲2)105頁以下及び控訴人書籍(甲1)203頁)、A正造と孝子が大正15年4月に離婚したが、婿養子であった正造が富士屋ホテルにとどまる一方、仙之助の実子である孝子が山口家を出たこと(被控訴人書籍150頁以下及び控訴人書籍203頁)、B孝子が離婚後に再婚した一方で、正造が再婚しなかったこと(被控訴人書籍150頁以下及び控訴人書籍218頁)の記述に引き続いて用いられており、しかも、対比文章及び本件文章に続いて、これを裏付ける事実として、C正造が自らの設立した学校等の関係者を子どもとして扱うこととして、富士屋ホテルトレーニングスクールを設立するなどしたことが記述されている(被控訴人書籍152頁及び控訴人書籍218頁以下)。
(イ) しかしながら、「(特定の事業又は仕事)と結婚したようなもの」との用語は、特に配偶者との家庭生活を十分に顧みることなく特定の事業又は仕事に精力を注ぐさまを比喩的に表すものとして広く用いられている、ごくありふれたものといわなければならない。しかも、「だったのかもしれない」との用語も、特定の事実に関する自己の思想を婉曲に開陳する際に広く用いられている、ごくありふれた用語である。
(ウ) してみると、前記の正造と富士屋ホテルとの関係の特異性と、「結婚したようなものだったのかもしれない」との用語の慣用性に鑑みると、前記(ア)@ないしCの事実に接した者が、これについて「正造は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」との感想を抱くことは、それ自体ごく自然なことであって、対比文章と本件文章との前記共通点は、結局、正造と富士屋ホテルとの関係という事実に関して共有されるであろうごく自然な感想という思想であるというべきである。また、対比文章及び本件文章は、これが表現であるとしても、上記のような思想をいずれもごくありふれた用語で記述したものであるから創作性が認められない。したがって、対比文章と本件文章とでは、表現それ自体ではない部分又はせいぜい表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから、いずれにせよ、複製又は翻案に当たらない。
(エ) この点について、被控訴人は、「仕事(会社)と結婚」との表現は、「家庭(夫婦)生活よりも仕事を優先する仕事人間」との脈絡で皮肉等の否定的なニュアンスが込められることが一般的であるところ、対比文章にはそのようなニュアンスは感じられず、むしろ、対比文章は、正造とホテルとの間の運命的・宿命的なつながりに関する深い文脈であって、「かもしれない」との表現を受けて、読者に感慨を迫るものとなっているから、創作性が認められる旨を主張する。
 しかしながら、「仕事(会社)と結婚」との表現に否定的なニュアンスが込められていることが一般的であるとまではいえないし、「かもしれない」との用語も、前記のとおり、ごくありふれたものであるから、これを「仕事(会社)と結婚」との比喩と組み合わせたからといって、直ちに創作性が認められるというものではない。
 また、被控訴人は、対比文章に先立つ歴史的事実等を前提とすれば、正造と富士屋ホテルとの関係を表現する方法として、「ホテルと結婚」のほかにも多数の選択肢の幅があるから、創作性が認められる旨を主張する。
 しかしながら、特定の思想を表現する方法に多数の選択肢があるとしても、その選択された表現自体がありふれたものであれば、これに創作性を認めることができないことは明らかである。
 したがって、被控訴人の主張は、いずれも採用することができない。
(オ) また、控訴人書籍記述部分中の「富士屋ホテルと結婚した男」との部分(後段の下線部分)は、前記(ア)AないしCの記述部分の冒頭に記載された表題部であり、対比文章とは「富士屋ホテル」の固有名詞及び「結婚した」との語句が共通する。
 しかしながら、上記共通点は、前記のとおり、正造と富士屋ホテルの関係に関するごく自然な感想をごくありふれた用語で記述したものであって、思想であるか、又は表現であるとしても創作的がなく、結局、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
セ No.89について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、正造が花御殿の建築に当たって、その意図を「細部にまで」「反映」させ、あるいはその思いを「注ぎ込んだ」のであろうとの推測を、かぎ括弧内の用語で記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点は、思想を上記のかぎ括弧内のいずれもごくありふれた用語を使って表現したものであって、創作的な表現とはいえない。したがって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
ソ No.91について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@花御殿の完成当時から富士屋ホテルが大きく変化していないこと、A上記@を受けて、富士屋ホテルがそのころ完成されたといっていいであろうとの意見を記述している点で共通する。
 しかしながら、上記共通点のうち、@は、事実であり、Aも、事実又は思想であって、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とは、表現それ自体ではない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらない。
タ 小括
 以上によれば、原判決添付別紙対比表1の各被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、いずれも、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから、複製又は翻案に当たらないというほかない。
(2) 原判決添付別紙対比表2について
 被控訴人は、控訴人書籍が被控訴人書籍に依拠していること(当事者間に争いがない)を前提に、いわゆるノンフィクション作品においては、事実、提示する資料・文献等の取捨選択あるいはこれらの資料等の引用及び要約の仕方に著作者の創作性が発揮されるところ、原判決添付別紙対比表2の各控訴人書籍記述部分が、いずれもこれらに対応する各被控訴人書籍記述部分で発揮された上記の創作性を有する部分と同一又は類似しており、したがって当該被控訴人書籍記述部分を再製し、又はこれを土台として修正・増減等して変形して制作されたものであるから、被控訴人の複製権又は翻案権を侵害している旨主張する。
 そこで、まず、被控訴人が問題にしている原判決添付別紙対比表2のX1ないしX21の以上合計21箇所について個別に検討することとする。
ア X1について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@仙之助の戸籍上の出生地が実在しない地名であること、A仙之助の実父の紹介、B仙之助が山口粂蔵(以下「粂蔵」という。)の養子となったこと、C粂蔵が横浜で「伊勢楼」という遊郭を営んでいたこと、D粂蔵が新たに「神風楼」という遊郭も開き、「伊勢楼」を姪に任せ、自らは「神風楼」の経営に当たったこと、E当時の横浜で外国人客を取ることが許されていた遊郭が「岩亀楼」という遊郭だけであったが、粂蔵の働きかけによりどの店でも外国人客を取ることができるようになったことが記述されている点が共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしEの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。むしろ、被控訴人書籍記述部分には、粂蔵が横浜で遊郭を経営していたことに関連して、横浜の遊郭の来歴やいわゆるブタ小屋火事という事実を記述しているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、当時の遊郭の性格を説明する記述や、当時の横浜の異国然とした様子を説明する記述があるのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実が@、B、A、B、C、D及びEの順序で記載されているため、両者は、事実の選択及び配列が異なっている。
イ X2について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@仙之助がアメリカから持ち帰った牛を駒場勧業寮に売却したこと、A「農務顛末」という資料に基づく売却した牛の頭数、B7頭のうち2頭が死亡したのであろうとの推測、C売却した牛の代金(1250円)、D当時の巡査の初任給4円から牛の売却代金の現在の価値を5000万円くらいになるとの推測を記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしDの事実又は思想は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。むしろ、被控訴人書籍記述部分には被控訴人が上記牛の行方を資料等を通じて追求した事実等が相当量記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想が@、C、A、B及びDの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
ウ X3について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@仙之助が宮之下の「藤屋」という旅館を買収したこと、A「藤屋」が500年の歴史を持つ由緒ある旅館であること、B「藤屋」には豊臣秀吉が小田原征伐の際に宿泊したと伝えられていること、C仙之助がホテル開業に当たって「藤屋」を「富士屋」に改めたのは、外国人が富士山にあこがれを持っていることを意識してのことであるとの事実又は推測を記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしCの事実又は思想は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。むしろ、被控訴人書籍記述部分には、これらの事実に加えて鎌倉時代にさかのぼる「藤屋」の来歴という事実についての記述があるのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、仙之助は当初浅間山にホテルを建てるつもりだったが、山が高すぎて物資が運べなかったことからこれを断念したことが記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想がA、@、B及びCの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
エ X4について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@明治16年の大火で富士屋ホテルが全焼したこと、A富士屋ホテルが明治17年には粂蔵からの融資で復興したこと、Bそれに先だって、仙之助が養父粂蔵の援助を受けるためにその下で雑役に服したこと、C上記Bにより粂蔵が心を動かして融資に及んだことを記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしCの事実は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。むしろ、被控訴人書籍記述部分には、大火で従業員1名が亡くなったことに触れ、仙之助が行方不明になっていた従業員を不信に思っていたが、帳簿を抱いたままの焼死体が発見されたため、不信に思ったことを詫びて手厚く葬ったことが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には大火により仙之助に莫大な借金が残されたことが記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実が@、B、C及びAの順序で記載されているため、両者は、事実の選択及び配列が異なっている。
オ X5について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@前記の大火の後、富士屋ホテルには明治17年に最初の平屋建てが完成したこと、Aその建物がその後改築・移築を繰り返したこと、Bその建物に「アイリー」という呼び名が付けられたこと、C「アイリー」とは、「高いところにある家」という意味であること、D「アイリー」に続いて明治18年に日本館が新築されたこと、E明治19年に洋館が建てられたこと、Fこの洋館が後に移築され、「隠者の庵」という意味の「ハーミテイジ」という呼び名が付けられたこと、Gこれらの名前の付け方に対する積極的な評価、H明治20年に「別荘」と称する日本館が建てられたことを記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしHの事実又は思想は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。むしろ、被控訴人書籍記述部分には「アイリー」の旧称についての事実が記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、大火後の最初の建物「アイリー」の特徴的なデザインである「唐破風」について、外国人客を対象とした仙之助のホテル経営戦略と関連付けた事実又は思想が記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想がB、@、A、C、D、E、F、G及びHの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
カ X6について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@仙之助が道路開削工事を行ったこと、A仙之助がその事業のために借入をしたほか、自ら1000円の資金を提供したこと、B完成した道路の距離、幅及び総工費の具体的な数字を記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしBの事実は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。しかも、控訴人書籍記述部分では、上記事実がA、@及びBの順序で記載されているため、両者は、事実の配列が異なっている。
キ X7について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@仙之助が火力発電機を買い入れ、富士屋ホテル全館を点灯したこと、Aコストの関係から仙之助が次いで蛇骨川の水流を利用した水力発電に着手したこと、B仙之助が明治37年に本格的な発電事業に乗り出し、「宮之下水力発電合資会社」を設立したこと、C箱根の発展に対する仙之助の貢献に対する積極的な評価、D仙之助が明治39年に「大日本ホテル業同盟会」を設立し、その会長に就任したことを記述している点で共通しており、控訴人書籍記述部分では、上記@ないしDの事実又は思想は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分は、被控訴人書籍から4箇所を抜粋し、順序を入れ替えて編集されたものであるから、上記事実又は思想の配列について、控訴人書籍記述部分と比較する適格性を有していない。このことを措くとしても、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、これらの事実等に加えて発電機を導入した正確な年号や、仙之助が「箱根の王」と評されていたこと、仙之助が温泉村の村長を務めていたことなどが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、日露戦争及びその終結や仙之助が有していたであろう今後のホテル業に関する抱負に関する筆者の推測といった事実又は思想が記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、被控訴人書籍記述部分では、その抜粋部分の順序を元に戻した場合、上記事実又は思想が@、A、D、@、A、B及びCの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
ク X8について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書記述部分とでは、@富士屋ホテルが日本人客を排除するようになったのが明治26年の奈良屋旅館との契約からであること、A奈良屋旅館が箱根では老舗の旅館であったこと、B奈良屋旅館が早くから外国人を宿泊させていたこと、C明治初期の外国人の手記に「NARAYA」の名前が出てくること、D奈良屋旅館と富士屋ホテルが外国人客を巡ってライバル関係にあったこと、E両者が、明治16年の大火の後も、建物の再建を競って行うなどして外国人客の争奪戦を繰り広げたこと、F両者が、明治26年に、「富士屋ホテルは外国人専用、奈良屋旅館は日本人専用にする。富士屋ホテルは、代償金を支払う。」との内容の契約を締結することで争奪戦が収束したこと、G明治35年の上記契約の契約書が残っており、その内容を紹介して、富士屋ホテルが大正元年まで代償金の支払を継続したことを記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしGの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、これらの事実に加えて、当時富士屋ホテルに滞在した英国人の手記の引用、大火後に再建された建物に関する相当量の詳細な説明、ロシア皇太子が富士屋ホテルに訪問予定となったが大津事件のためにそれが実現しなかったことなど、ライバル関係の激化に関連する詳細な説明などが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、上記の争奪戦が宮之下の観光地としての成長につながったとの筆者の感想(すなわち思想)が記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実がB、A、C、D、E、@、F及びGの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
ケ X9について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@富士屋ホテルは外国人の金を取ることを目的とする旨の仙之助の発言に関する「八十年史」の記載を紹介し、かつ、引用していること、A仙之助が日本人著名人の宿泊を断ることに関する「慶應義塾出身名流列傳」の記載を紹介し、かつ、引用していること、B仙之助が、富士屋ホテルの経営を単なる事業ではなく日本のためという気持ちで行っていたとの推測、Cこうした仙之助に対する積極的な評価、D富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交わされた契約内容の一部を紹介する記述をしている点において共通しており、控訴人書籍記述部分では、上記@ないしDの事実又は思想は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍から2箇所を抜粋して編集されたものであるから、上記事実又は思想の配列について、控訴人書籍記述部分と比較する適格性を有していない。このことを措くとしても、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想がA、@、B、C及びDの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の配列が異なっている。
コ X10について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@福沢諭吉による仙之助に対する訓戒に関する「慶應義塾出身名流列傳」の記載を紹介し、かつ、引用していること、A上記訓戒の背景として、福沢諭吉が仙之助の資質を見抜いていたのであろうとの推測、B仙之助が福沢諭吉の影響で箱根の開発を行ったとの推測を記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしBの事実又は思想は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、控訴人書籍記述部分には、福沢諭吉が箱根について有していたであろう抱負、福沢諭吉が仙之助にホテル開業を勧めたとの筆者の想像及び福沢諭吉が実学論者であったことなどが記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはこれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想がA、@、A及びBの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
サ X11について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@福沢諭吉が明治6年に「足柄新聞」に「箱根道普請の相談」と題する文章を載せたことを紹介し、かつ、引用していること、A福沢諭吉が箱根の道路開発を進めるべきであるとの意見を持っていたこと、B福沢諭吉が足柄県知事にも道路開削を勧めていたこと、C仙之助の道路開削事業が福沢の上記意見に影響されたものであろうとの推測を記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしCの事実又は思想は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、箱根の来歴、福沢諭吉が明治3年から箱根を訪れるようになったこと、福沢諭吉が上記文章にて、自分が塔之沢滞在中に工事に着工すれば10両を寄付する旨を書いていたこと、当時の足利県知事も箱根開発について同じ志を有していたことなどが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはこれがなく、控訴人書籍記述部分には、福沢諭吉が上記文章の後にも、鉄道敷設を含めた箱根開発の提唱を続けていたことや、道路開削事業以外の仙之助の業績も福沢諭吉の影響によるものであろうとの意見が記述されているのに、被控訴人書籍記述部分にはこれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想がC、@、A、B及びCの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
シ X12について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@正造が17歳の時に渡米しようとしたこと、A正造が渡米を決意した理由が、中学校を病気で1年休学した後、復学して下級生と机を並べるのが嫌だったためであること、B正造の父が、正造の渡米に当初反対したが、結局は承知し、渡米費用として600円を出したこと、C上記渡米費用のうち、サンフランシスコ到着時には80円が残っていたこと、D正造が、明治32年に船で日本を発ち、翌年にサンフランシスコに到着したこと、E当時のサンフランシスコの一流ホテルの宿泊料が1泊4ドルだったこと、Fホテルを出た正造がドイツ人の家でボーイとして働くようになったが、その家の女主人に皿を投げつけて失職したことを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしFの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、正造の渡米に当たって、兄真一が所持金を腹巻きに縫いつける気遣いをしてくれたこと、サンフランシスコに到着した正造が、ロックフェラー気取りでポーターに命じてトランクを一流ホテルに運ばせたこと、金時計の購入を思いとどまったこと、牧師の紹介で窓洗いの仕事を始めたこと、ドイツ人の家を出た後、公園でけんかをして警察の世話になったことなどの事実が記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはこれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実が@、A、B、D、C、E及びFの順序で記載されているため、両者は、事実の選択及び配列が異なっている。
ス X13について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@サンフランシスコで無軌道な生活をしていた当時の正造がまだ若年であったこと、A正造が寂しい思いをしていたこと、又はそうであったろうとの推測、Bサンフランシスコには日本からの船が出入りしていたこと、C正造がそのようなサンフランシスコに滞在すると日本への思いが残って良くないと考え、かえってロンドンに行く旨の決意をしたこと、D正造が日本からの豪華客船が入港するバンクーバーに行けば、金谷ホテルの客が来ているであろうから、その客の従者になってロンドンに連れて行ってもらえばいいと考えてバンクーバーに行く旨の決意をしたこと、E正造が牧師の紹介状を持ってバンクーバーの教会に転がり込み、教会の夜間学校で自分と同じレベルの日本人を相手に英語教師を務めたこと、F正造がある日、日本からの船客に英国への帰国途上のカークウッドという英国人を見つけたこと、Gカークウッドが英国に到着したらいっさい責任を負わないとの条件で、正造を一行の中の病人の付添人として雇ったことを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、上記@ないしGの事実又は思想は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、正造の父が帰国したら勘当する旨の手紙を寄越したこと、英国人カークウッドの職業、カークウッドと再会した際の正造の気持ちを述べた文章の引用が記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはこれがないなどのため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
セ X14について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@ロンドンに渡った正造が大使館に駆け込み、大使と直談判の末にその好意で日本大使館のボーイとして勤めたこと、A臨時雇いだったために大使の帰国に伴って2年後に失職した正造が、谷と三宅という2人の日本人柔道家と知り合い、彼らとともにロバート・ライトという英国人が経営する道場で柔道を教えるとともに、柔道の興行をするようになったこと、Bその後、ライトの搾取ぶりを知った正造らが、ライトのもとを離れて3人で柔道の興行をやるようになったこと、C正造が立教学校当時に柔道の多少の心得があったこと、D3人が、徐々にその存在を知られるようになり、大学や警察でも柔道を教え、ロンドン市内に柔道場を持つようになったこと、Eその結果、正造が、11室もある屋敷に住み、6人の使用人を使うようになったこと、Fそのような成功が、正造が22歳で、渡米から5年で実現したことを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしFの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、正造と同時代の人物である野口英世を取り上げ、野口英世と正造の行動や性格を比較する筆者の意見(すなわち思想)、正造程度の実力でも柔道家として認められた歴史的背景に関する推測(すなわち思想)、正造が貴族の館に招待されたこと、上記のような遍歴の結果、労働者階級の英語から上流階級の英語まで解するようになったことなどが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはこれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実が@、A、B、C、D、F及びEの順序で記載されているため、両者は、事実及び思想の選択及び配列が異なっている。
ソ X15について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@正造の父と兄の真一が、ホテルの客が忘れていった雑誌から正造の活躍ぶりを知ったこと、Aその記事には、アポロというロシア人拳闘家(ボクサー)を負かした日本人の写真と「S.KANAYA」との名前が掲載されていたこと、B正造の父と真一が、上記雑誌記事を見て驚いたであろうとの推測を記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、上記@ないしBの事実又は思想は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、正造と真一の顔つきや体型がよく似ていたことなどの事実が記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはこれがないため、両者は、事実及び思想の選択及び配列が異なっている。
タ X16について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@箱根がモータリゼーションの時代に入ったこと、A箱根方面には既に貸し自動車会社が2社営業していたこと、B富士屋ホテルの宿泊客であったホイットニーという米国陸軍少佐が、予約した貸し自動車が時間どおりに来なかったため、列車に遅れそうになったことから、「一流ホテルなら自動車を持つべきだ。」という趣旨の手紙を書いてきたこと、Cそこで、正造が、大正3年に富士屋自動車株式会社を設立したこと、D同社が、フィアットの7人乗り幌型自動車とランブラー2台で出発したこと、E正造が、人力車の車夫や駕籠かき人夫の生活の安定を考えて同社の株主になるように配慮したが、その配慮が理解されなかったこと、F同社の運転手にはカーキ色に青襟、青袖の制服を着せ、英語や礼儀作法を学ばせたことを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしFの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、先行する自動車業者の会社名、正造の提言にもかかわらず、仙之助が自動車の購入を了承しなかったこと、富士屋自動車株式会社の大正8年以降の事業規模やバスを赤く塗って評判になったことなどの事実が記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはこれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実が@、C、B、D、F、A及びEの順序で記載されているため、両者は、事実の選択及び配列が異なっている。
チ X17について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@正造が、大正11年に外国人用の旅館であった「はふや」を買収し、箱根ホテル株式会社を設立したこと、A箱根ホテルの営業が、大正12年6月の開業後、順調であったが、その矢先に関東大震災が発生したこと、B震災により、富士屋ホテルの日本館が倒壊し、富士屋自動車の自動車が灰となり、箱根ホテルも全壊したこと、C正造が、震災後、宿泊客の安全を確保し、箱根を脱出させたことを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分では、上記@ないしCの事実は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、震災後の建物被害の状況の詳細な説明、前年に小田原駅前に開業していた「カフェー・リゾート」もほとんど全壊となったこと、震災時の富士屋ホテルにいた久邇宮朝融王殿下をはじめ113名の宿泊客がおり、米国人客1名が死亡したが、同殿下には乗合自動車で夜を明かしてもらうなどしたことなどが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、正造の無念の思いを吐露する自伝中の言葉が引用されているのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないなどのため、両者は、事実の選択及び配列が異なっている。
ツ X18について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@震災により富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた際に、正造の兄である真一が、正造に対し、故郷日光に帰参することを勧めたが、正造がこれを拒絶したこと、A真一が正造に日光帰参を勧めた真意が、正造夫婦の不仲を察していたからではないかとの推測、B正造と孝子が大正15年に離婚したが、既に分家していた正造が山口姓のままで富士屋ホテルにとどまり、孝子が出て行ったこと、C孝子がその後、スコットランド人実業家と再婚したこと、D孝子が英語とフランス語に通じており、富士屋ホテルの看板としても知られるなど社交的で、正造に対しても気を遣っていたこと、E正造と孝子の関係が破綻した場合、いずれかが富士屋ホテルを去らねばならなかったこと、F正造が隆子との離婚後、独身であったこと、G正造と富士屋ホテルとの関係についての、「(正造が富士屋ホテル)と結婚したようなもの」「だったのかもしれない」との感想、H正造が自らの設立した学校等の関係者を子どもとして扱うこととして、富士屋ホテルトレーニングスクールを開設したこと、I昭和5年ころ、ホテル業界や旅館業界では、科学的な経営法を教える教育機関が望まれていたが、日本にはそのような機関がなかったこと、J富士屋ホテルでは、早くから他のホテルから研修生を受け入れていたこと、K同スクールの詳細な説明、L同スクールが昭和8年に第1回卒業生を出し、昭和18年まで活動したが、正造の1周忌を記念して集めた寄付をもとに設立された立教大学観光学科がその志を継いでいることを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしLの事実又は思想は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、孝子とスコットランド人実業家との再婚をめぐる関係者の憶測、孝子の華やかさとの対比で、仙之助が結婚当初、自分の立場についてやや自嘲気味に語っていたこと、仙之助と衝突した正造が実家の日光に帰ってしまった際に孝子がそれを追いかけて日光にとどまったこと、ホテルマンとしての孝子の資質に対する積極的な評価、正造が隆子との離婚後、再婚を断り続けたことなどが記述されており、ホテル従業員らを自分の子どもとみなす「懐想録」記載の正造の言葉が引用されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想が@、A、D、E、B、C、F、G、H、I、J、K及びLの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
テ X19について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@正造がその髭で知られており、寝る際には白羽二重の袋に入れ、朝にはそれから出して手入れをしていたこと、A正造と兄の真一が髭を生やしていたこと、B真一が顔を覚えてもらうために髭を生やしており、その手入れをしていたこと、C大正から昭和初期にかけて髭が流行していたこと、D真一が昭和に入ってから髭を落とした一方、正造が髭を落とさず、むしろ長く伸ばしたこと、E正造の髭の長さの詳細、F正造が昭和6年に国際交流のために万国髭倶楽部を設立し、併せて富士屋ホテルの宣伝にも役立てたこと、G正造が米国の漫画家を使って各国に万国髭倶楽部の設立を伝えたこと、H万国髭倶楽部には10か国43名から入会申込みがあったこと、I万国髭倶楽部の入会条件と退会条件、J現在でも富士屋ホテルに万国髭倶楽部のメンバーの写真が飾られていることを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしJの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分においては、筆者の育った家に掲げられていた正造の肖像画の紹介、祖父から正造の髭にまつわる逸話を聞かされこと、髭に対する正造の思い入れに関する推測(すなわち思想)などが記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがなく、控訴人書籍記述部分には、正造の髭が詩に詠われたことや、正造が万国髭倶楽部を富士屋ホテルのPRに利用したことを、福住正兄が安藤広重に浮世絵を描かせ、湯治場としての箱根と福住旅館を宣伝したことと比較する記述(すなわち思想)があるのに、被控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実がC、A、B、D、E、@、F、G、I、H及びJの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
ト X20について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@富士屋ホテルを訪れる外国人が日本の習俗等に興味を持っていることを、正造が的確に把握していたこと、A昭和9年に「We Japanese」の第1巻が刊行されたこと、B同書が、献立表の裏側に記載していた短い文章をまとめたものであること、C同書の刊行が、正造の発意によるものであること、D同書の第2巻までが戦前に刊行されたが、第3巻の原稿が空襲で失われ、戦後に刊行されたこと、E同書の内容に七五三などが含まれていることを記述している点において共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしEの事実は、概ねこの順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、富士屋ホテルの当時の食事のメニューの特徴、食卓に対する正造の発言の引用、「We Japanese」の目次の詳細な説明が相当量記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実がA、@、B、E、C、A及びDの順序で記載されているため、両者は、事実の選択及び配列が異なっている。
ナ X21について
 この箇所の被控訴人書籍記述部分と控訴人書籍記述部分とでは、@正造が花御殿(フラワーパレス)の建築に当たって、その意図を細部にまで反映させ、あるいはその思いを注ぎ込んだのであろうとの推測、A花御殿の完成当時から富士屋ホテルが大きく変化していないこと、B上記Aを受けて、富士屋ホテルがそのころ完成されたといっていいであろうとの意見、C花御殿の各部屋には花の名前が付けられており、それぞれの花をあしらった木製の巨大なキーホルダーや絨毯が用いられていたことを記述している点で共通しており、被控訴人書籍記述部分では、上記@ないしCの事実又は思想は、この順序で記載されている。
 しかしながら、被控訴人書籍記述部分の上記事実又は思想の選択及び配列自体に表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできない。そればかりか、被控訴人書籍記述部分には、幻の新館の設計者名、正造が花御殿の設計者と記録されていること、花御殿の部屋の具体的な名称や部屋の内装に関する詳細な説明が記述されているのに、控訴人書籍記述部分にはそれがないことに加えて、控訴人書籍記述部分では、上記事実又は思想が@、C、A及びBの順序で記載されているため、両者は、事実又は思想の選択及び配列が異なっている。
ニ 小括
 既に説示したとおり、著作権法は、思想又は感情の創作的表現を著作物として保護するものである(著作権法2条1項1号)から、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分は、著作権法による保護が及ばない。すなわち、歴史的事実の発見やそれに基づく推論等のアイデアは、それらの発見やアイデア自体に独自性があっても、著作に当たってそれらを事実又は思想として選択することは、それ自体、著作権による保護の対象とはなり得ない。そのようにして選択された事実又は思想の配列は、それ自体としてひとつの表現を構成することがあり得るとしても、以上のとおり、原判決添付別紙対比表2記載の各被控訴人書籍記述部分の事実又は思想の選択及び配列自体には、いずれも表現上の格別な工夫があるとまでいうことはできないばかりか、上記各被控訴人書籍記述部分とこれに対応する各控訴人書籍記述部分とでは、事実又は思想の選択及び配列が異なっているのである。
 したがって、上記各控訴人書籍記述部分は、これに対応する各被控訴人書籍記述部分と単に記述されている事実又は思想が共通するにとどまるから、これについて各被控訴人書籍記述部分の複製又は翻案に当たるものと認めることができないことは明らかである。
(3) 原判決添付別紙対比表3について
 原判決添付別紙対比表3記載のY1ないしY5について検討すると、Y1は、原判決添付別紙対比表2のX8及びX9を、Y2は、X10及びX11を、Y3は、X12ないしX15を、Y4は、X17及びX18を、Y5は、X19及びX20を、それぞれ含むものである。
 しかるところ、前記説示のとおり、X8ないしX15及びX17ないしX20の各控訴人書籍記述部分が、いずれも対応する各被控訴人書籍記述部分と事実又は思想の選択及び配列を異にしており、したがって、複製又は翻案に当たらない以上、これらを含むY1ないしY5の各控訴人書籍記述部分も、同様に、いずれも対応する各被控訴人書籍記述部分の複製又は翻案に当たらないことは明らかである。
(4) 仙之助及び正造を主人公とした章全体について
 控訴人書籍の仙之助を主人公とする章は、Y1及びY2を、正造を主人公とする章は、Y3ないしY5を、それぞれ含むものである。
 しかるところ、上記説示のとおり、Y1ないしY5の各控訴人書籍記述部分が、いずれも対応する各被控訴人書籍記述部分の複製又は翻案に当たらない以上、これらを含む控訴人書籍の仙之助及び正造を主人公とする章全体も、同様に、いずれも被控訴人書籍の対応する部分の複製又は翻案に当たらないことは明らかである。
(5) まとめ
 以上のとおり、控訴人らによる被控訴人の複製権又は翻案権の侵害をいう被控訴人の主張は、いずれも理由がない。
2 争点2(控訴人らによる控訴人の氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否)について
 被控訴人は、控訴人書籍においては、被控訴人書籍のうち別紙対比表1ないし3並びに仙之助及び正造を主人公とした章全体の各記述部分を複製又は翻案しておきながら、上記各記述部分の著作者である被控訴人の氏名を表示していないから、控訴人Xが控訴人書籍を執筆し、これを控訴人会社が出版物として発行、販売した行為は、被控訴人の氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たる旨主張する。
 しかしながら、前記1で説示したとおり、そもそも控訴人らが被控訴人書籍を複製又は翻案したものであるとは認められないのである。
 したがって、同一性保持権の侵害をいう被控訴人の上記主張は、その前提を欠くものであって理由がない。また、前記説示から明らかなとおり、被控訴人は、控訴人書籍の著作者ではなく、控訴人書籍は、被控訴人書籍を原著作物とする二次的著作物ともいえないから、被控訴人による氏名表示権の侵害に関する主張は、理由がない。
3 結論
 以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の控訴人らに対する@及びAの請求をいずれも一部認容した原判決は、控訴人らの控訴に基づき、取り消されるべきものであり、また、被控訴人の附帯控訴は棄却されるべきものである。

知的財産高等裁判所第4部
 裁判長裁判官 滝澤孝臣
 裁判官 高部眞規子
 裁判官 井上泰人
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