判例全文 line
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【事件名】邦画3作品の格安DVD事件(2)
【年月日】平成22年6月17日
 知財高裁 平成21年(ネ)第10050号 著作権侵害差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成20年(ワ)第11220号)
 (口頭弁論終結日 平成22年2月23日)

判決
控訴人 株式会社コスモ・コーディネート
被控訴人 東宝株式会社
同訴訟代理人弁護士 中村稔
同 熊倉禎男
同 辻居幸一
同 小和田敦子


主文
1 控訴人の控訴に基づき、原判決中、主文第3項を取り消し、同取消しに係る部分の被控訴人の請求を棄却する。
2 控訴人のその余の控訴を棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審を通じ、訴訟費用のうち訴えの提起及び控訴の提起の手数料に係る部分は、控訴人及び被控訴人の各2分の1の負担とし、その余の訴訟費用は各自の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴人の控訴の趣旨
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 上記の部分につき、被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は、映画の著作物の著作権を有すると主張する被控訴人(1審原告。以下「原告」という。)が、控訴人(1審被告。以下「被告」という。)に対し、被告が同映画を複製したDVD商品を海外において作成し、輸入・販売しており、被告の同輸入行為は原告の著作権(複製権)を侵害する行為とみなされる(著作権法113条1項1号)として、著作権法112条1項及び2項に基づき同DVD商品の製造等の差止め及び同商品等の廃棄を求めるとともに、民法709条及び著作権法114条3項に基づき損害賠償金1350万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成20年5月21日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 原審が、被告による著作権侵害行為を認定した上で、差止等の請求を全部認容し、損害賠償請求につき108万円及びその遅延損害金部分を認容したところ、被告が控訴した。
3 原審において原告が求めた裁判
(1) 被告は、別紙被告商品目録記載1ないし3の商品を製造し、輸入し、又は頒布してはならない。
(2) 被告は、別紙被告商品目録記載1ないし3の商品及びその原版を廃棄せよ。
(3) 被告は、原告に対し、1350万円及びこれに対する平成20年5月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原判決の主文
(1) 被告は、別紙被告商品目録記載1ないし3の商品を製造し、輸入し、又は頒布してはならない(原告の請求どおり認容)。
(2) 被告は、別紙被告商品目録記載1ないし3の商品及びその原版を廃棄せよ(原告の請求どおり認容)。
(3) 被告は、原告に対し、108万円及びこれに対する平成20年5月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
5 前提事実及び争点
 原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」「1 争いのない事実等」及び「2 争点」記載のとおりであるから、これを引用する。なお、原判決の「争いのない事実等」部分を次に摘示する。
 「1 争いのない事実等(争いのない事実以外は証拠等を末尾に記載する。)
(1) 当事者
ア 原告は、映画の製作、映画その他の各種興行等を業とする株式会社である。
イ 被告は、映画、テレビ・ラジオ番組、ビデオ等の企画、製作及び販売等を業とする株式会社である。
(2) 各映画について
ア 映画「暁の脱走」(以下「本件映画1」という。)は、Aが監督を担当し、新東宝株式会社(以下「新東宝」という。)を映画製作者として、昭和25年(1950年)に公開された。
イ 映画「また逢う日まで」(以下「本件映画2」という。)は、Bが監督を担当し、原告を映画製作者として、昭和25年(1950年)に公開された。
ウ 映画「おかあさん」(以下「本件映画3」という。)は、Cが監督を担当し、新東宝を映画製作者として、昭和27年(1952年)に公開された。
エ 本件映画1ないし3(以下、本件映画1ないし3を併せて「本件各映画」という。)は、いずれも独創性を有する映画の著作物である。
オ Aは平成19年(2007年)10月29日に、Bは平成3年(1991年)11月22日に、Cは昭和44年(1969年)7月2日に、それぞれ死亡した(甲28ないし30)。
(3) 著作権法(昭和45年法律第48号。昭和46年1月1日施行。以下、これを「新著作権法」という。なお、単に著作権法という場合は、現に施行されている著作権法を指す。)により全部改正される前の著作権法(明治32年法律第39号。以下「旧著作権法」という。)は、次のとおり規定していた。
ア 3条
@ 発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ著作者ノ生存間及其ノ死後三十年間継続ス
A 数人ノ合著作ニ係ル著作物ノ著作権ハ最終ニ死亡シタル者ノ死後三十年間継続ス
イ 4条
 著作者ノ死後発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ三十年間継続ス
ウ 5条
 無名又ハ変名著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ三十年間継続ス但シ其ノ期間内ニ著作者其ノ実名ノ登録ヲ受ケタルトキハ第三条ノ規定ニ従フ
エ 6条
 官公衙学校社寺協会会社其ノ他団体ニ於テ著作ノ名義ヲ以テ発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ三十年間継続ス
オ 9条
 前六条ノ場合ニ於テ著作権ノ期間ヲ計算スルニハ著作者死亡ノ年又ハ著作物ヲ発行又ハ興行シタル年ノ翌年ヨリ起算ス
カ 22条ノ3
 活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、 学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス其ノ保護ノ期間ニ付テハ独創性ヲ有スルモノニ在リテハ第三条乃至第六条及第九条ノ規定ヲ適用シ之ヲ欠クモノニ在リテハ第二十三条ノ規定ヲ適用ス
キ 52条
@ 第三条乃至第五条中三十年トアルハ演奏歌唱ノ著作権及第二十二条ノ七ニ規定スル著作権ヲ除ク外当分ノ間三十八年トス
A 第六条中三十年トアルハ演奏歌唱ノ著作権及第二十二条ノ七ニ規定スル著作権ヲ除ク外当分ノ間三十三年トス
B 第二十三条第一項中十年トアルハ当分ノ間十三年トス」
第3 争点についての当事者の主張
 次のとおり付加訂正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」「3 争点についての当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。
 なお、被告は、控訴審において、本件と、黒澤明が監督した映画に関する別件とを混同したものと思われる主張をする部分があるが、適宜善解して、主張を整理することとする。
1 原告の主張
(1) 原判決6頁19行目の「原告」を「被告」と訂正する。
(2) 原判決6頁20行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「被告は、本件各映画について、どのようなプロデューサーが、どのように指揮監督して映画を製作したかについての具体的な主張をしていない上、依然として、本件各映画のプロデューサーによる指揮監督を示す何らの証拠も提出していない。また、映画を公開するかどうかの決定権がだれにあるかという点は、当該映画の著作物の著作者がだれかという議論とは無関係である。
 さらに、旧著作権法において映画の著作物の著作者がだれかという点は、原審でも問題となっており、被告には十分に反論の機会が与えられていた。
 なお、映画の利用が円満に行われるためには、著作者から映画製作者に対し著作権が譲渡されれば十分であり、職務著作として映画製作者を著作者と解する必要はない。また、映画の著作物について、旧著作権法6条により職務著作の成立を認める解釈は通俗的解釈ではない。
(エ) 旧著作権法における映画の著作者は、『制作、監督、演出、撮影、美術等を担当して映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者』であって、現行法と同様に著作者の範囲は明確であるから、保護期間の算出に当たり著作者の死亡時を基準としても、保護期間が不明確になるわけではなく、映画会社の利益を不当に擁護することにはならない。
 また、原判決が、本件各映画につき旧著作権法6条の団体名義の著作物に当たらないとした理由は、映画製作者が著作権者であることを明記しなかったからではなく、本件各映画がいずれも監督の実名が表示されて公表されたからであり、被告は、この点に関し、原判決を誤解している。」
(3) 原判決8頁11行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「このように、シェーン判決は、あくまで控訴審における著作者についての認定事実及び旧著作権法6条が適用されることを前提として、平成15年改正法附則2条の経過規定の解釈について判断したものであり、一般的に、旧著作権法における映画の著作物は団体名義の著作物であると認めたものではない。」
(4) 原判決15頁4行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「被告は、旧著作権法における映画の著作物の著作者について、法的な解釈が分かれており、確定した判例もない状況であり、自らが行う輸入・販売行為について提訴された場合には、自己が依拠する解釈が裁判所において採用されない可能性があることは当然に予見できたにもかかわらず、本件各映画の著作権が存続しているか否かについて専門家等の第三者に意見を求める等何ら調査をせず、本件各映画の著作権の存続期間について、複数あり得る見解のうち自己に都合の良い見解に依拠して、本件各映画の著作権の存続期間が満了したと軽信したにすぎない。」
(5) 原判決16頁15行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「カ なお、原判決は、当事者間に争いのない、本件各映画につき1000本ずつという本数を基礎に損害額を算定したものである。」
2 被告の主張
(1) 原判決9頁20行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「なお、当時は、各映画会社が専属の映画館を所有し、一般人は、各映画は各映画会社の作品であるという明確な意識を持っていた。特定の監督の作品であるから観に行くというのは、近年の発想であり、原判決の解釈は、当時の実態にそぐわないものである。当時の映画製作において、監督も単なるスタッフの1人にすぎなかったことは一般的常識である。」
(2) 原判決9頁25行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「本件各映画において、映画製作者については、『東宝株式会社』など1社のみの表示だが、個人に関しては、スタッフやキャスト全員の表示がされており、監督のみを取り上げて、個人著作者の表示があると解釈するのも不当である。」
(3) 原判決10頁15行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「以上のとおり、本件各映画と米国映画『シェーン』の違いは、単に著作権者が著作者は個人であったと自身で主張するか否かというだけで、そこに何の法的根拠もその違いを証明するものもない。
 著作権者の主張だけによって、著作権保護期間を終了した映画とそうでない映画とが存在することになれば、一般人は何をもって判断すればよいのか不明となる。映画は、大勢の人間がその創作に関わり、各人が映画の形成に影響するものであるから、著作者の死亡を基準に保護期間を定めるのは無理で、公開日を基準に定める現著作権法の規定とも整合する解釈として、本件映画は、団体名義の著作物として、既に著作権保護期間を終了しているものと解すべきである。」
(4) 原判決10頁20行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「オ 映画は流通性のある有機的な共同作業による著作物であるから、その利用が円満に行われるためには、多数の著作者の権利主張によってその利用が阻害されないことが必要であり、こうした視点や映画の特殊性からも団体著作権(旧著作権法6条)の適用又は法解釈として、一般に公表から30年ないし33年間が保護期間とされなければならない。上記解釈こそ、旧著作権法6条の通俗的解釈であるばかりか、現行著作権法との整合性も認められるものである。
 著作者の死亡を基準とすると、著作者として監督しか明確ではなく、各作品において、他にだれが著作者か特定することもできず、保護期間が明確ではなく、一般人にとって、本件各映画の著作者はだれで、その保護期間はいつまでであると明確にならないような基準は問題である。
カ 原判決は、旧著作権法時代の映画製作の現状を全く考慮していない。当時の映画は、あくまで映画会社の主導のもとに、その代理となるプロデューサーの指揮下で製作業務が行われており、著作権は、製作当初より、映画会社にあることを了承した上で、監督として起用されており、その他のスタッフも同様である。映画を公開するかどうかも、監督の意思ではなく、あくまで映画会社の独断で決められていた。このことは、映画製作業務に携わっている者には当然のことで、本件各映画についても、同様に、製作に入る前から、映画会社が著作権を取得することが決まっていた。
キ なお、国際条約であるベルヌ条約に加入していた日本では、本件各映画において、映画製作者や映画配給元が著作権者であることを明記する必要はなかったものである。」
(5) 原判決13頁5行目の後に、次のとおり挿入する。
 「現に、本件において、映画会社と監督自身や各スタッフとの譲渡契約書も提出されていない。」
(6) 原判決14頁6行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「被告は、著作権の存続期間が終了した映画の映像を、パブリックドメインとして提供しているだけで、その販売を業とはしていない。」
(7) 原判決15頁11行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「また、被告の元代表は、過去のパブリックドメインに関する訴訟にすべて関わっており、当時、文化庁まで誤った法解釈をしていた著作権保護期間に関して指摘して、最高裁判決でそれを証明するなど、映画のパブリックドメイン問題に関しては、著作権に関する専門家の少ない我が国において、弁護士も意見を求めるほど精通していた。
 本件は、法解釈の問題であり、著作者がだれであるか定められていない旧著作権法における判断は、司法にゆだねるしかなく、被告は、本件各映画は団体名義の著作物であると確信していたものである。被告は、可能な限りの調査をして司法判断に臨んでおり、決して十分な調査もせずに都合の良い解釈を導き出したわけではない。」
(8) 原判決16頁23行目の後に行を改めて、次のとおり挿入する。
 「エ 被告は、忘れられた古い映画を世の中に提供して、公共の財産として役立たせるために、無償で原版映像を提供し続けており、『シェーン』や『ローマの休日』など300以上の映画の原版映像を、パブリックドメインとして世の中に提供しており、本件各映画もその一部である。そして、被告は、実費を除き、無償で本件各映画の映像を提供しただけで、自らDVDの商品化や販売をしておらず、現在、これらの行為から全く利益を得ていない。そうであるのに、単なる憶測による枚数を設定し、損害金として被告に課すことは認められない。」
第4 当裁判所の判断
1 当裁判所は、本件各映画の著作者については、監督を務めた者が著作者の一人であり、その後当該監督の著作権は映画会社に譲渡されたと認められ、その著作権の存続期間は満了していないから、原告の著作権に基づく差止等の請求は理由があるが、被告が、その著作権の存続期間が満了したものと考えた点に過失はなく、損害賠償責任を負わないから、原告の損害賠償請求は理由がないと判断する。
 その理由は、以下のとおりである。
2 本件各映画の著作権の存続期間の満了時期について
 この点の当裁判所の判断は、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 争点に対する判断」「1 争点(1)(本件各映画の著作権の存続期間の満了時期(本件各映画の著作者はだれか))について」「(1) 映画の著作物の保護期間に関する我が国の法令の概要」(原判決17頁1行目から21頁16行目)と同じである。原判決の当該部分を次に摘示する。
 「(1)映画の著作物の保護期間に関する我が国の法令の概要
 前記第2の1(判決注:本判決の前記第2の5参照。以下同様。)(2)のとおり、本件映画1及び2は昭和25年(1950年)に、本件映画3は昭和27年(1952年)にそれぞれ公表されたものであり、新著作権法が施行された昭和46年1月1日より前に公表された映画の著作物である。このような旧著作権法下で公表された映画の著作物の著作権の存続期間に関する我が国の法令の概要は、次のとおりである。
ア 前記第2の1(3)のとおり、旧著作権法は、映画の著作物の著作権の存続期間を、独創性の有無(22条ノ3後段)及び著作名義の実名(3条)、無名・変名(5条)、団体(6条)の別によって別異に扱っていたところ、前記第2の1(2)エのとおり、本件各映画は独創性を有する映画の著作物であるから、本件各映画の著作権の存続期間については、本件各映画の著作名義が監督等の自然人であるとされた場合には、その生存期間及びその死後38年間(22条ノ3後段、3条、52条1項)とされるのに対し、それが団体である映画製作者名義であるとされた場合には、本件各映画の公表(発行又は興行)後33年間(22条ノ3後段、6条、52条2項)とされることになる。
イ 旧著作権法は、昭和46年1月1日に施行された新著作権法により全部改正された。新著作権法(平成15年改正法による改正前の規定)は、映画の著作物及び団体名義の著作物の保護期間を、いずれも、原則として、公表後50年を経過するまでの間と規定する(53条1項、54条1項)とともに、附則2条1項において、「改正後の著作権法(以下「新法」という。)中著作権に関する規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法・・・(以下「旧法」という。)による著作権の全部が消滅している著作物については、適用しない。」旨を定め、また、附則7条において、「この法律の施行前に公表された著作物の著作権の存続期間については、当該著作物の旧法による著作権の存続期間が新法第2章第4節の規定による期間より長いときは、なお従前の例による。」旨を定めている。
 なお、新著作権法は、法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物の著作者並びに映画の著作物の著作者及びその著作権の帰属について、それぞれ新たな規定を設けた(15条、16条、29条)が、附則4条において、「新法第15条及び第16条の規定は、この法律の施行前に創作された著作物については、適用しない。」旨を定め、また、附則5条1項において、「この法律の施行前に創作された新法第29条に規定する映画の著作物の著作権の帰属については、なお従前の例による。」旨を定めている。
ウ 映画の著作物の著作権の存続期間は、平成15年改正法(平成16年1月1日施行)により、原則として公表後70年を経過するまでの間と延長される(同法による改正後の著作権法54条1項)とともに、平成15年改正法附則2条は「改正後の著作権法・・・第54条第1項の規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法による著作権が存する映画の著作物について適用し、この法律の施行の際現に改正前の著作権法による著作権が消滅している映画の著作物については、なお従前の例による。」と、同法附則3条は「著作権法の施行前に創作された映画の著作物であって、同法附則第7条の規定によりなお従前の例によることとされるものの著作権の存続期間は、旧著作権法・・・による著作権の存続期間の満了する日が新法第54条第1項の規定による期間の満了する日後の日であるときは、同項の規定にかかわらず、旧著作権法による著作権の存続期間の満了する日までの間とする。」と定めている。
エ 著作者及び著作名義を個人と団体のいずれとみるかによる著作権の存続期間
(ア) 本件各映画の著作者及び著作名義がそれぞれその監督である本件各監督であるとした場合の著作権の存続期間
a 本件映画1及び2
 前記の場合、旧著作権法を適用すれば、@本件映画1の著作権の存続期間は、その監督であるAが死亡した平成19年(2007年。前記第2の1(2)オ)の翌年から起算して38年後の平成57年(2045年)12月31日まで、A本件映画2の著作権の存続期間は、その監督であるBが死亡した平成3年(1991年。前記第2の1(2)オ)の翌年から起算して38年後の平成41年(2029年)12月31日までとなる(同法22条ノ3、3条、52条1項)。
 他方で、本件映画1及び2は、いずれも昭和25年(1950年)に公開されたものである(前記第2の1(2)ア及びイ)から、新著作権法附則2条1項により、同法を適用し、その著作権の存続期間を公表後50年とした場合は、本件映画1及び2の著作権の存続期間は平成12年(2000年)12月31日までとなるが、同法附則7条により、著作権の存続期間の長い旧著作権法が適用される。
 その結果、本件映画1及び2は、平成15年改正法の施行時において著作権が存するから、同法附則2条により、公表後70年を著作権の存続期間とする平成15年改正法による改正後の著作権法54条1項を適用することができ、同項を適用した場合の本件映画1及び2の著作権の存続期間は、平成32年(2020年)12月31日までとなる。
 ただし、平成15年改正法附則3条により、著作権の存続期間の長い旧著作権法が適用され、前記のとおり、著作権の存続期間は、本件映画1が平成57年(2045年)12月31日まで、本件映画2が平成41年(2029年)12月31日までとなる。
b 本件映画3
 前記の場合、旧著作権法を適用すれば、本件映画3の著作権の存続期間は、その監督であるCが死亡した昭和44年(1969年。前記第2の1(2)オ)の翌年から起算して38年後の平成19年(2007年)12月31日までとなる(同法22条ノ3、3条、52条1項)。
 他方で、本件映画3は、昭和27年(1952年)に公開されたものである(前記第2の1(2)ウ)から、新著作権法附則2条1項により、同法を適用し、その著作権の存続期間を公表後50年とした場合は、本件映画3の著作権の存続期間は平成14年(2002年)12月31日までとなるが、同法附則7条により、著作権の存続期間の長い旧著作権法が適用される。
 その結果、本件映画3は、平成15年改正法の施行時において著作権が存するから、同法附則2条により、公表後70年を著作権の存続期間とする平成15年改正法による改正後の著作権法54条1項を適用することができ、同項を適用した場合の本件映画3の著作権の存続期間は、平成34年(2022年)12月31日までとなる。
 したがって、平成15年改正法による改正後の著作権法54条1項の規定による著作権の存続期間が旧著作権法の規定による著作権の存続期間より長いから、平成15年改正法附則3条は適用されず、平成15年改正法による改正後の著作権法54条1項が適用され、本件映画3の著作権の存続期間は、平成34年(2022年)12月31日までとなる。
(イ) 本件各映画につき団体である映画製作会社の著作名義であるとした場合の著作権の存続期間
 前記の場合、旧著作権法を適用すれば、団体名義の著作物として、公表後33年間、すなわち、本件映画1及び2については昭和58年(1983年)12月31日まで、本件映画3については昭和60年(1985年)12月31日までが保護期間となる(同法22条ノ3、6条、52条2項)。
 他方で、新著作権法附則2条1項により、同法を適用し、公表後50年間を保護期間とした場合には、本件映画1及び2については平成12年(2000年)12月31日まで、本件映画3については平成14年(2002年)12月31日までとなり、新著作権法の規定による保護期間が旧著作権法の規定による保護期間より長いから、新著作権法附則7条は適用されず、いずれも新著作権法の規定が適用される。
 したがって、著作権の存続期間は、本件映画1及び2については平成12年(2000年)12月31日まで、本件映画3については平成14年(2002年)12月31日までとなる。なお、この場合、平成15年改正法の施行前に本件各映画の著作権が消滅しているから、同法附則2条により、同法による改正後の著作権法の規定は、適用されない。
オ このように、本件各映画の著作者及び著作名義をどのように考えるかによって、平成19年1月ころに行われた被告による本件各映画の複製物の輸入行為(後記3(1)参照)(判決注:被告の侵害行為の有無について判断した部分であり、本判決の後記5参照)が、本件各映画の著作権の存続期間内にされたものといえるか否かが異なることとなる。そこで、以下、本件各映画の著作者及び著作名義について検討することとする。」
3 本件各映画の著作者及び原告がその著作権を有するかについて
 本件では、原審においては、当事者双方の主張立証が一応完了したものとして、原判決がされたものであるが、当審においては、原審で被告訴訟代理人を務めた弁護士が控訴状提出後に辞任し、新たに訴訟代理人が委任されず、しかも、被告の代表者は手術を伴う入院加療により、簡潔な控訴理由書を提出し、第1回口頭弁論期日に出頭してこれを陳述したほかは、何ら主張立証をしなかったため、被告の主張立証は不十分にすぎ、事案の具体的な真相、時代背景等の解明がはなはだ不十分であり、そうした事実関係を前提としての判断にならざるを得なかったものである。
(1) 本件各映画は、いずれも新著作権法が施行される前に創作された映画の著作物であり、同法附則4条によれば、映画の著作物の著作者に関する規定である同法16条は適用されないから、本件各映画の著作者がだれかについては、旧著作権法によることになる。
 そして、旧著作権法においては、映画の著作物の著作者について直接定めた規定はなく、著作物一般についての著作者の定義や著作物の定義を定める規定もないものの、この点につき、新著作権法における解釈と特段異なる解釈をすべき理由が見当たらないことからすれば、旧著作権法の下においても、著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいうと解される。
 そして、映画は、脚本家、監督、演出者、俳優、撮影や録音等の技術者など多数の者が関与して創り出される総合著作物であるから、旧著作権法の下における映画の著作物の著作者については、その全体的形成に創作的に寄与した者がだれであるかを基準として判断すべきものと解される。
(2) 証拠(甲15、16、26、36ないし43(枝番を含む。)、45ないし79(枝番を含む。)、乙14ないし16)及び弁論の全趣旨から、以下の各事実が認められる。
ア 本件映画1は、新東宝が制作したものであるところ、そのオープニングでは、冒頭部分において、新東宝の標章とともに「新東宝映画」との表示がされ、その後、題号、製作スタッフ、出演者等の表示がされ、最後に「監督A」との表示がされている(乙14)。
 なお、本件映画1においては、Aは、監督のほか、2名の脚本担当者のうちの1名となっているが、制作、原作は、A以外の者が行った(乙14)。
 また、本件映画1のポスターにおいては、新東宝の標章及び「新東宝興業株式会社配給」との記載とともに「監督・A」との記載がされている(甲26)。
イ 本件映画2は、原告が制作したものであるところ、そのオープニングでは、冒頭部分において、原告の標章とともに「東宝株式会 」との表示がされ、その後、題号、製作スタッフ、出演者等の表示がされ、最後に「演出B」との表示がされている(乙15)。
 なお、本件映画2においては、制作、脚本は、B以外の者が行った(甲37、乙15)。
 また、本件映画2のポスターにおいては、「東宝株式会社製作・配給」との記載とともに「B監督作品」との記載がされている(甲39)。
ウ 本件映画3は、新東宝が制作したものであるところ、そのオープニングでは、冒頭部分において、新東宝の標章とともに「新東宝映画」との表示がされ、その後、題号、製作スタッフ、出演者等の表示がされ、最後に「監督C」との表示がされている(乙16)。
 なお、本件映画3においては、制作、原作、脚本は、C以外の者が行った(乙16)。
 また、本件映画3のポスターにおいては、新東宝の標章及び「新東宝の良心特作」との記載とともに「監督C」との記載がされている(甲40)。
エ 本件各映画は、当初から映画制作者である原告又は新東宝が自己の作品として公表することを前提に制作され、興行された(甲26、39、40、乙14ないし16)。
オ 原告は、本件各映画の原版を保管し、これを、以下に述べるようなビデオグラムの作成、テレビ放映、上映等に利用している(甲41ないし43)。
カ 原告は、本件映画1及び2を複製したビデオグラム(ビデオ及びDVD)及び本件映画3を複製したビデオを、それぞれ販売してきた(甲36ないし38(枝番を含む。)、41、77)。
キ 原告は、株式会社衛星劇場に対し、本件映画2及び3をCS放送に利用する権利を許諾した(甲43、45ないし48、76)。
ク 原告は、日本映画衛星放送株式会社に対し、本件各映画を放送することを許諾した(甲43、49ないし54、76)。
ケ 原告は、本件映画2につき共同映画株式会社及び有限会社日本教育映像に対し、本件映画3につき東京テアトル株式会社に対し、それぞれ劇場上映を許諾する旨の契約を締結した(甲55ないし59、76)。
コ 原告は、本件映画1及び2の一部につき、テレビ番組において、その映像を使用することを許諾した(甲60ないし63、76)。
サ 東宝国際株式会社(原告の関連会社と推認される。)は、海外での本件各映画の上映を許諾してきた(甲69ないし72)。
シ 原告は、テレビ放送への利用許諾やビデオグラムの複製頒布をして対価を得た場合、原告もその会員である社団法人日本映画製作者連盟と、本件各監督もその組合員であった協同組合日本映画監督協会(甲78の1ないし3、79)との間の申合せ(甲73)に従い、監督等に対し、追加報酬を支払い、また、原告が著作権を有する映画について放送への利用を許諾した際又はビデオグラムの複製頒布をする際には、協同組合日本映画監督協会に対し、その旨を通知し、同協会は、監督等の組合員に対し、その旨を連絡している(甲64ないし68、74ないし77)。
ス 原告は、長年にわたり、上記カないしサのとおり本件各映画の著作権を行使しているが、この間、このような著作権の行使に対して、本件各監督以外の本件各映画の制作に関与した者から、自己が著作者であるとの主張がされた形跡はなく、また、本件各監督のほか本件各映画の制作に関与した者やそれらの遺族等から、何らかの異議が述べられた形跡もない(甲76、77)。
セ 新東宝は、昭和38年4月20日、原告に対し、本件映画1及び3の著作権を譲渡した(甲15、16)。
(3) 上記(2)アないしウのとおり、本件各監督は、それぞれ本件各映画の制作に、監督として相当程度関与したものであり、Aは、本件映画1の脚本担当者の1人にもなっている。
 しかし、本件各監督は、いずれも、本件各映画において、俳優として関与してはおらず、本件各映画において、本件各監督自身の演技などを通して、本件各監督の思想・感情が顕著に表れているものではない。また、本件各監督は、いずれも、本件各映画において、原作、制作、演出等を担当していたものでもなく(ただし、Bについては、「監督」としての表示と「演出」としての表示があり、その具体的役割はやや不明確である。)、A以外のB及びCは、いずれも脚本を担当していない。
 そうであってみれば、本件は、チャップリンに関する最高裁平成20年(受)第889号平成21年10月8日第一小法廷判決・判例時報2064号120頁とは、事案を大きく異にし、本件各監督が、本件各映画の発案から完成に至るまでの制作活動のすべて又は大半を行ったものとは到底認められず、本件各監督は、本件各映画の全体的形成に創作的に寄与した者の一人にすぎないものと認められ、また、その寄与の程度については、格別の立証がなく、そのおおよその程度についても認めるに足りる証拠はない。
(4) ところで、旧著作権法6条は、著作物の存続期間を定めた規定であるものと解されるが、同条につき、さらに、法人等の団体が著作者となり得ることを前提とした規定であると解することも可能である。
 そして、新著作権法における職務著作の規定の実質的な根拠とされた、法人等における著作物の創作実態及び利用上の便宜の必要性等の事情(甲5の80ないし81頁参照)は、旧著作権法の下においても、程度の差こそあれ存在していたものと推認できることからすれば、同法6条によって、直ちに、著作者として表示された映画製作会社がその映画の著作者となると帰結されるものでないとしても、旧著作権法の下において、実際に創作活動をした自然人ではなく、団体が著作者となる場合も一応あり得たものというべきである。
 特に、映画制作においては、非常に多くの者が関与し、その外延が不明なことが通常であり、それら多数の者の複雑な共同作業によって映画が完成するものであるが、その関与者の関与の時期、程度、態様等も、映画によって千差万別であって、このような性質を有する映画については、映画会社がその著作者となり、原始的にその著作権を取得したものと観念するのが、各関与者の意図に合致する場合もあったものと想像され、新著作権法15条1項所定の要件と同様の要件を備え、映画会社が原始的に著作者となるべきものと認める映画も相当数あったのではないかと思われる。
(5) この見地から、本件各映画についてみるに、新著作権法15条1項所定の要件が充たされているかは、具体的には、@法人その他使用者(法人等)の発意に基づき、Aその法人等の業務に従事する者が、B職務上作成する著作物で、Cその法人等が自己の著作の名義の下に公表するもので、Dその作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがないかについて検討することになるところ、上記Cの要件は、前記(2)アないしウのとおり、本件映画1、3の各オープニングの冒頭部分において、新東宝の標章や「新東宝映画」との表示がされ、各ポスターにも、新東宝の標章とともに、「新東宝興業株式会社配給」ないし「新東宝の良心特作」との記載があり、本件映画2についても、オープニングの冒頭部分において、原告の標章と「東宝株式会 」との表示がされ、ポスターにおいても「東宝株式会社製作・配給」との記載がされているものの、本件各映画のオープニングの冒頭部分やポスターに各監督名も大きく表示されていることを考慮すると、原告や新東宝が、自社の制作名義の下に本件各映画を公表したとはいい得るが、自社を著作者とした映画として公表したとまでいい得るか、必ずしも断じ難いものがある。そのほかの要件については、本件では、必要な証拠が十分に提出されていないため、確たることは不明であるといわざるを得ない。
 そうすると、旧著作権法下において、本件各映画が著作物として保護を受けることは明らかであるところ、その著作者としては、原告ないし新東宝と本件各監督を含む多数の自然人とのいずれと認めるのが合理的であるかについては、新著作権法15条1項の要件が証拠不十分のため、認められないとすれば、本件各映画の著作権は、本件各監督を含む多数の自然人に発生したものといわざるを得ない。そして、本件各監督を含む多数の自然人が著作者であると認めた場合には、いったん本件各監督等が各映画の著作権を取得しながら、その後、映画公開までの間に、原告又は新東宝に同著作権を黙示的に譲渡したと認められるかが問題となるところ、前記(2)セのとおり、新東宝・原告間では、著作権譲渡につき正式な契約書が存在するにもかかわらず、本件各監督と原告ないし新東宝との間の著作権の移転については、何ら証拠が提出されていない。しかしながら、監督については、前記(2)シで認定したように、原告は、テレビ放送への利用許諾等で対価を得た場合、原告もその会員である社団法人日本映画製作者連盟と、本件各監督もその組合員であった協同組合日本映画監督協会との間の申合せに従い、監督等に対し追加報酬を支払い、また、原告が放送への利用許諾等をした際には、協同組合日本映画監督協会に対しその旨を通知し、同協会は、監督等の組合員に対しその旨を連絡していることを考えると、映画製作会社は映画監督につき著作者の一人として処遇していることが窺われる。
 以上のように考えると、映画監督に限っては、映画公開までの間に原告又は新東宝に対し監督を務めることとなった法律関係に基づいて、自己に生じた著作権を譲渡したものと認定することができる。
 これに対し、本件各監督以外の多数の自然人については、原告の主張自体からして、具体的にその自然人がだれであり、いかなる業務をいかなる法的な地位に基づいて行ったかなどについては、明らかにされておらず、しかも、それがいかなる法律関係に基づいて譲渡されたというのか、その契約類型もその内容も特定されておらず、ましてや立証もされていない。したがって、本件各監督以外の多数の自然人に発生した著作権が原告又は新東宝に譲渡されたとの点については、主張自体失当であり(要件事実論としていえば、いかなる自然人とのいかなる契約に基づく譲渡なのか主張がない。)、また、証拠上も証明不十分であるとしかいいようがない。
 以上のとおり、本件においては、原告は、本件各映画について、本件各監督に発生した著作権の準共有持分を承継取得しているものということができる。ただし、その持分割合については、証拠上確定することができない。
(6) なお、旧著作権法の立法理由と解釈について、立法担当者が作成した「現行著作権法の立法理由と解釈」と題する文献(甲4)には、「俳優は著作の助手、援助者に過ぎないのでないかとの疑問が起る。カメラマンも同様であり、その行為は機械操作に過ぎないから著作者とは言えないのではないかとの疑問が起る。その他の者も著作階梯の一部を演ずるに過ぎないのであって著作者と断定するにはこれ亦疑問となる。」「そうだとすると、映画監督が著作者であると言うことになる。さりとて上記のすべての人達は、映画著作には何らかの形で関与しており、それらの人達の精神的創作の協力なくしては映画は完成されないとも言える。」「他面又、この映画監督をも含めてすべての関与者は、映画会社の被傭者であるから、使用者である映画会社を著作権者とするのが妥当ではないかとの論議もあった。」などとの記載がある(114ないし115頁参照)。しかしながら、立法担当者の上記解説が本件各映画を含むすべての映画に妥当するかについては、異論があり、個々の映画作品について個別的に観察すべき問題と思われる。
 ちなみに、新著作権法の立法担当者等が作成した「著作権法改正の諸問題−著作権法案を中心として−」と題する文献(甲5、乙8)には、「この映画の著作物の著作者、著作権者についてすべての人に異論のないような結論をうることが不可能に近いとすれば、結局、立法政策によってこの問題の解決をはかるほかはないであろう。」、「また、法案は、前掲の規定(判決注:16条)のただし書きで、法人等の著作名義の職務上の著作者は原則として法人等であることを定めた第十五条の規定が映画の著作物にも適用されることを明らかにしている。これは、映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与したと認められる者がすべて映画製作者によって雇用された者であり、しかも完成した映画の著作物が映画製作者の著作名義で公表された場合には、映画製作者も映画の著作者となりうることを認めたものとして、注目に値する点である。」との記載がある(182ないし183頁参照)。
 そのほか、本件に顕れたすべての証拠を精査してもなお、旧著作権法下では、映画の著作者がだれであるかにつき定説はなかったというべきであって、少なくとも、各映画の制作において各映画監督が果たした具体的役割を問わず、一般論として旧著作権法下における映画の著作者が映画監督であるとの解釈には、広範な例外を認めるべきである。
4 本件各映画の著作権の存続期間について
 以上のとおり、本件各監督は、それぞれ本件各映画の著作者の一人であり、これを前提にすると、本件各映画は、旧著作権法6条の団体名義の著作物に当たらず、本件各映画の著作権の存続期間について適用される旧著作権法の規定は、同法3条、52条1項であると解されるから、@本件映画1の著作権は、本件映画1の著作者であるAが死亡した平成19年(2007年)の翌年から起算して38年後の平成57年(2045年)12月31日まで、A本件映画2の著作権は、本件映画2の著作者であるBが死亡した平成3年(1991年)の翌年から起算して38年後の平成41年(2029年)12月31日まで、B本件映画3の著作権は、本件映画3が公表された昭和27年(1952年)の翌年から起算して70年後の平成34年(2022年)12月31日まで、それぞれ存続することとなる。
5 被告の侵害行為の有無について
 この点の判断は、原判決の31頁5行目から33頁11行目までの理由説示と同じであり、以下に、当該部分を摘示する。
 「(1)ア 被告が、本件DVDを国外で作成し、遅くとも平成19年1月ころから我が国に輸入し、国内で頒布していることにつき、被告は、いったんはこの事実を認めたが、その後、著作権の侵害についての審理を終え、当該侵害に基づく損害についての審理を目的とした第5回弁論準備手続期日及び弁論準備手続の終結が予定された第6回弁論準備手続期日において、パッケージ化して商品化したのは、別紙被告商品目録記載1及び3については株式会社サイドエーであり、同目録記載2については株式会社アブロックであると主張するに至った。
 このような主張の変更は、本件DVD(これが、被告がいうところの商品としてパッケージ化されたDVDを意味することは、別紙被告商品目録の記載から明らかである。)の輸入・頒布について成立した自白を撤回するものであって、これが認められるためには、@自白した事実が真実に合致せず、かつ、自白が錯誤によること(大審院大正10年(オ)第662号同11年2月20日第二民事部判決・民集1巻52頁)、A刑事上罰すべき他人の行為により自白したこと(最高裁昭和30年(オ)第416号同33年3月7日第二小法廷判決・民集12巻3号469頁)、B相手方の同意があることのいずれかの事実が認められることが必要である。
 本件についてみると、被告の前代表者Dの陳述書(乙19)には、前記主張に沿った記載があるが、他方で、本件DVDのパッケージや作品リストには、その発売元として「Cosmo Contents」(被告の旧商号)と記載されていること(甲1ないし3(枝番を含む。)、乙24、弁論の全趣旨)、本件DVDを頒布していた株式会社日本カルチャーセンター及び株式会社ワールドピクチャーは、両社に対する原告の警告状への回答において、被告から商品供給を受けた又は販売委託の話があった旨述べていること(甲96ないし101(枝番を含む。))に照らして、被告が自白した事実が、真実に合致しない(前記@)とは認めるに足りず、また、前記A及びBの事実についても、これらを認めるに足る証拠はないから、自白の撤回は認められない(もっとも、被告の変更後の主張によっても、本件映画2については、これを複製したDVDの盤を輸入・販売した事実は認めていることから、被告が、本件映画2につき著作権(複製権)侵害行為とみなされ得る行為を行ったことには、当事者間に争いはない。)。
イ したがって、被告が、本件DVDを国外で作成し、遅くとも平成19年1月ころから我が国に輸入し、国内で頒布した事実は、当事者間に争いがないものと認められる。
(2) 被告は、頒布目的で本件DVDを輸入したことを否認し、被告の前代表者Dの陳述書(乙19)にも、被告がこのような行為を行ったのは、著作権の存続期間が終了していることを司法に判断してもらうためである旨の記載がある。
 しかしながら、前記(1) で認定したとおり、被告は、本件DVDを輸入後、国内で頒布していることからすれば、本件DVDを輸入する際に頒布目的があったことは明らかであり、これに反する被告の主張は、採用することができない。
(3) 前記1、2(判決注:本件各映画の著作権の存続期間の満了時期(本件各映画の著作者はだれか)及び原告が本件各映画の著作権を有するかについて判断した部分を指し、本判決の対応部分は前記3、4である。)のとおり、原告が有する本件各映画の著作権の存続期間は満了していないから、本件DVDは、輸入の時において国内で作成したとしたならば本件各映画の著作権の侵害となるべき行為によって作成された物に該当する。
 したがって、被告が本件DVDを国内で頒布する目的をもって輸入した行為は、原告の著作権を侵害する行為とみなされる(著作権法113条1項1号)。
(4) 前記(1)のとおり、被告は、本件DVDを海外で作成して輸入しているところ、本件訴訟において著作権の存続期間の満了を主張して本件各映画の著作権侵害を争っているのみならず、本件各映画以外の劇場用映画についても、これを複製したDVD商品を販売し、本件訴訟と同様に、訴訟において著作権の存続期間の満了を主張して著作権侵害を争っていること(甲8ないし12、44、90、93)からすれば、将来、日本国内においても本件DVDを製造するおそれがあると認められる。
(5) よって、原告は、被告に対し、著作権法112条1項及び2項に基づき、本件DVDの製造、輸入又は頒布の差止め並びにその在庫品及び原版の廃棄を求めることができる。」
6 被告の故意又は過失の有無について
(1) 被告は、著作権の存続期間が満了してパブリックドメインとなった映画の販売等を業として行っていることが認められる(甲1ないし3、21、乙17、19ないし22、24(枝番のあるものは枝番を含む。)、弁論の全趣旨)。なお、原判決は、このような事業を行う者としては、自らが取り扱う映画の著作物の著作権の存続期間が満了したものであるか否かについて、十分調査する義務を負っているものと解すべきであると判示するが、一般論としてそのような調査義務を負っていることは認められるが、そうであるからといって、そのような業者が高度の注意義務や特別の注意義務を負っているということはできない。
(2) 旧著作権法における映画の著作物の著作者については、原則として自然人が著作者になるのか、例外なく自然人しか著作者になり得ないのか、映画を制作した法人が著作者になり得るのか、どのような要件があれば法人も著作者になり得るのかをめぐっては、旧著作権法時代のみならず、現在でも学説が分かれており、これについて適切な判例や指導的な裁判例もない状況であることは、証拠(甲4、86ないし89、乙1ないし7等)に徴するまでもなく、当裁判所に顕著である。
 旧著作権法下における映画著作権の存続期間の満了の問題については、シェーン事件における地裁、高裁、最高裁の判決が報道された当時、法律家の間でさえ全くといってよいほど正確に認識されておらず、この点は、チャップリン事件の地裁、高裁、最高裁の判決が出た今日でも、同事件に登場してくるチャップリンが原作、脚本、制作、監督、演出、主演等をほぼすべて単独で行っているというスーパースターであるため、十分な問題認識が提起されたとはいえない。この問題が本格的に取り上げられるようになったのは、映画の著作権を有する会社が、我が国で最も著名な映画監督の1人といえる黒澤明の作品について、本件の原告等が本件の被告に対し本件と同種の訴訟を提起したことに事実上始まっているにすぎない。そして、チャップリン事件では、最高裁は先例性のある判断を示しているが、黒澤監督の作品では、黒澤監督以外に著作者がいることが想定されており、明らかにチャップリン事件よりも判例として射程距離が大きく判断も難しい事件であるところ、最高裁は上告不受理の処理を選択し、格別、判断を示していない。そして、本件各監督は、有名な監督ではあるが、黒澤監督の作品よりも、その著作者性はさらに低く、自然人として著作者の1人であったといえるか否かの点は判断の分かれるところである。
 そうであるとすれば、本件において、何人が著作者であるか、それによって存続期間の満了時期が異なることを考えれば、結果的に著作者の判定を異にし、存続期間の満了時期に差異が生じたとしても、被告の過失を肯定し、損害賠償責任を問うべきではない。原判決は、被告のような著作権の保護期間が満了した映画作品を販売する業者については、その輸入・販売行為について提訴がなされた場合に、自己が依拠する解釈が裁判所において採用されない可能性があることは、当然に予見すべきであるかのような判断をするが、映画の著作物について、そのような判断をすれば、見解の分かれる場合には、裁判所がいかなる見解を採るか予測可能性が低く、すべての場合にも対処しようとすれば、結果として当該著作物の自由利用は事実上できなくなるため、保護期間満了の制度は機能しなくなり、本来著作権の保護期間の満了した著作物を何人でも自由に利用することを保障した趣旨に反するものであり、当裁判所としては採用することはできない。
 したがって、原告の著作権侵害に基づく損害賠償の請求は理由がない。
第5 結論
 以上のとおりであるから、原告の請求は、著作権侵害に基づく差止め及び侵害品等の廃棄を求める請求は理由があり、この点についての原判決は正当であり、この部分に係る控訴は理由がないが、損害賠償を求める請求を一部認容した原判決は正当ではなく、この部分に係る控訴は理由があり、認容した部分を取り消して請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第1部
 裁判長裁判官 塚原朋一
 裁判官 東海林保
 裁判官 矢口俊哉


(別紙)被告商品目録
1 日本名作映画集56  「暁の脱走」 商品番号:4582297250765
2 日本名作映画集14  「また逢う日まで」 商品番号:4582297250246
3 日本名作映画集30  「おかあさん」 商品番号:4582297250406
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