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【事件名】“闘病記”の無断転載事件
【年月日】平成22年5月28日
 東京地裁 平成21年(ワ)第12854号 損害賠償請求事件
 (口頭弁論終結日 平成22年3月24日)

判決
原告 X
同訴訟代理人弁護士 寒河江孝允
同 高瀬亜富
被告 Y
同訴訟代理人弁護士 加藤文也


主文
1 被告は、原告に対し、41万6000円及びこれに対する平成21年4月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを30分し、その1を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
4 この判決の第1項は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、1250万円及びこれに対する平成21年4月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、月刊誌に記事を連載していた原告が、同記事の一部を被告が自己のホームページ上に無断で転載(一部は改変の上、転載)したことによって財産的損害及び精神的損害を受けたとして、被告に対し、不法行為(@著作権〔複製権、公衆送信権〕侵害、A著作者人格権〔氏名表示権、同一性保持権〕侵害、Bプライバシー侵害、C名誉毀損)による損害賠償請求(一部請求)として、損害合計1480万円のうち1250万円及びこれに対する不法行為の後である平成21年4月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提となる事実
(1) 当事者
ア 原告は、平成14年6月に末期(Wb期)の子宮頸がんが発見され、以後、合計9度の転移(リンパ節転移及び脳転移)を繰り返したが、放射線療法、抗がん剤による化学療法、外科療法等が功を奏し、現在までに固形がんのすべてが寛解している。(甲1〜8、20、22、乙8)
イ 被告は、昭和51年に東京大学医学部を卒業した医師(婦人科医)であり、癌研究会附属病院婦人科副部長等を経て、平成9年、東京都中野区にYクリニック(以下「被告クリニック」という。)を開設した。(甲17)
(2) 被告は、平成16年4月21日、被告クリニックにおいて原告を初診し、同年5月から平成20年3月18日まで、原告に対し、抗がん剤治療等を実施した。(乙10、13)
(3) 原告は、平成18年1月ころから、自己のがん治療体験を基にした「がん闘病マニュアル」の執筆を開始し、その記事(以下「本件記事」という。)は、月刊誌「がん治療最前線」(八峰出版株式会社)の平成18年10月号(同年8月発行)から平成20年6月号(同年4月発行)まで、「ちょっと役立つ!HP 子パンダ」.com というタイトルで、合計20回にわたって連載された。(甲1〜8、20、23、乙8)
(4) 被告は、平成17年3月ころ、元患者の協力を得て、被告クリニックのホームページを開設し、 同ホームページ(以下「被告ホームページ」という。)の「漢方コラム」の欄に、本件記事のうち、第4回連載分から第10回連載分及び第18回連載分(別紙1の1〜8)の本文部分を、別紙2の1〜8のとおり転載した。(甲9〜16、乙10、13。以下、この転載を「本件転載」という。)
 なお、本件記事の転載開始時期及び被告ホームページに転載された該当記事、内容等は、別紙「対照表」に記載のとおりである。(甲1〜16、乙13)
(5) 被告は、平成20年9月16日付け書面により、原告から本件転載を中止するよう求められ、同月末ころまでに、被告ホームページから本件転載に係る記事をすべて削除した。(甲18、19)
(6) 原告は、本件記事に加筆、修正を施した上、平成21年9月22日、梧桐書院から「がん『余命半年』からの生還患者と家族のための実践マニュアル」と題する単行本(定価1500円〔消費税抜き〕で、初版第1刷の発行部数は7000部。以下「本件書籍」という。)を出版した。(甲23、40)
3 争点
(1) 本件転載について原告の許諾があったか
(2) 本件転載は「引用」(著作権法32条1項)に当たるか
(3) 本件転載による原告の著作者人格権侵害の成否
(4) 本件転載による原告のプライバシー及び名誉権侵害の成否
(5) 原告の損害
4 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(本件転載について原告の許諾があったか)について
ア 被告
 被告は、被告ホームページに本件記事を転載することを考え、平成19年4月ころ(遅くとも同年6月20日までに)、抗がん剤治療のために被告クリニックを受診した原告に対し、本件記事を被告ホームページに掲載することの許否について意向を聞いたところ、原告は「いいですよ。」と回答した。被告は、当時、自己の患者であった原告との間に信頼関係があるものと考えており、上記許諾を書面化することはしなかった。
 また、被告は、本件記事が「がん治療最前線」に掲載されたものであることから、同年5月ころ、その発行元である八峰出版株式会社(以下「八峰出版」という。)に連絡し、同社の担当者であるAから、被告ホームページへの掲載についての許諾を得た。
 なお、原告は、被告ホームページに本件転載がされている間も被告クリニックで診察、治療を受けていたが、本件転載を問題にすることはなかった。
イ 原告
 原告と被告との間で、本件記事を被告ホームページに掲載することに関する話が出たことはなく、原告が平成19年4月ころに被告クリニックを受診した際、本件記事の転載について許諾した事実はない。本件転載は、原告に無断で行われたものである。
 原告は、平成19年3月、左後頭葉に再発したがんを摘出するため、全身麻酔による開頭手術を受けており、同年4月当時は、再発防止の治療のために医師も患者も必死だった時期であって、このような時期に、担当医である被告が、原告に対し、本件記事の利用について話を持ちかけるなどということは考え難い。原告は、同年4月当時、上記開頭手術の影響で体力が著しく低下しており、独力で自宅(千葉県佐倉市)から被告クリニック(東京都中野区)まで通院できる状態ではなかったため、原告の長女も診察に付き添っていたが、同人も、そのころ、被告から本件記事の利用許諾を求められたことはないと記憶している。
 また、原告は、平成20年8月ころ、本件転載の事実を知り、その後すぐに、当時の代理人弁護士を通じて、被告に対し、同年9月16日付け書面により著作権侵害の通知をしているが、仮に被告が原告から本件転載について許諾を得ていたのであれば、同通知を受けた後すぐに本件転載を中止するのは不自然である。被告が、原告による上記侵害通知の後すぐに本件転載を中止したということは、被告が原告から本件転載について許諾を得ていなかったことの何よりの証左である。
(2) 争点(2)(本件転載は「引用」〔著作権法32条1項〕に当たるか)について
ア 被告
 被告は、被告ホームページ(著作物)の一部を構成する「漢方コラム」に本件記事を従たる記事として(従属性)転載するに当たり、「当クリニックの患者さん(ニックネーム:子パンダさん)の手記が“ちょっと役立つ!子パンダ.COM”として、『がん治療最前線』に掲載中です。今回は○○年○月号分をお届けします。」と記載し、どの号のものであるかを明示して、引用であることを明らかにした上(明瞭区別性)、原告の著作者人格権を侵害することがないようにも配慮して、本件転載を行っている。これらのことからすれば、本件転載は、公表された著作物を引用して利用したものであり、その引用も相当な方法でされているから、著作権法32条1項により、適法というべきである。
イ 原告
 被告が本件記事を転載した被告ホームページ内の「漢方コラム」の各回の構成は、被告により冒頭に若干の紹介文が挿入されるのみで、その余はすべて本件記事の本文を転載したものから成っている。このような利用が「公正な慣行に合致する」とも「引用の目的上正当な範囲内」で行われたものともいえないことは明らかであり、本件転載は、著作権法32条1項の「引用」に該当しない。
(3) 争点(3)(本件転載による原告の著作者人格権侵害の成否)について
ア 原告
(ア) 被告は、原告に無断で、本件記事の本文を被告ホームページに転載したことにより、原告が本件記事の公衆への提供に際して実名を付すか変名を付すかを決定する機会を奪い、もって、原告の氏名表示権を侵害した。
(イ)a 本件記事は、@リード文、A本文、Bコラム、C担当医等からのコメントの4つから構成されているところ、原告は、このうち、特に@、Aを一体として一つの記事を創作し、思想・感情を表現してきた。例えば、平成20年4月号掲載分(別紙1の8)では、リード文において抗がん剤治療の際に点滴が血管外に漏れ、非常に苦しい思いをしたことを記載する一方、本文において被告に対する好意的な内容の文章を記載することにより、全体としてバランスの取れた記事に仕上げている(仮に読者が同連載分の本文のみに接した場合、原告は被告を持ち上げるだけのライターだと誤解しかねない。)。
 したがって、本件記事は、リード文(@)及び本文(A)が一体となった著作物と解すべきところ、被告は、本件記事中の本文のみを被告ホームページに転載することにより、原告の著作物を分断して改変し、原告の同一性保持権を侵害した。
b 被告は、基本的には本件記事の本文をそのまま被告ホームページ上に転載しているものの、以下の各点において、本件記事を故意又は過失により改変し、原告の同一性保持権を侵害した。
(a) 本件記事(第4回連載分)においては、「白血球が2000以下で…」と記載されているが(別紙1の1・2頁目最下段右から3行目)、被告が被告ホームページに転載した際には、「白血球が200以下で…」と改変している(別紙2の1・2頁目下から3行目)。
 白血球数が200というのは生存中の人間ではあり得ない数値であり、被告ホームページにおいて上記記載に接した者は、本件記事の信用性に疑問を持ちかねないから、小さな改変とはいえ、その影響は大きい。
(b) 本件記事(第4回連載分)においては「たった5分間程の面談…」と記載されているが(別紙1の1・2頁目最下段右から11行目)、被告が被告ホームページに転載した際には「たった5分程の面談…」と改変している(別紙2の1・3頁目上から1行目)。
(c) 本件記事(第8回連載分)においては「写真は、執刀医の指の上にある、摘出された直後の私のがんです。」と記載され、その真下にそのがんの写真が掲載されており、両者が一体となって一つの著作物となっているところ(別紙1の5・2頁目)、本件転載の際には、その写真を転載せず、本文のみを転載することにより、本件記事を改変した(別紙2の5・2頁目)。
イ 被告
(ア) 氏名表示権の侵害については争う。
(イ)a 被告は、本件記事を被告ホームページに掲載するに当たり、主として本文のみをそのまま転載しているが、これは「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」(著作権法20条2項4号)に当たるものであり、原告の同一性保持権を侵害することにはならない。
b 本件記事(第4回連載分)において「白血球が2000以下で…」と記載されているのに対し、被告ホームページにおいては「白血球が200以下で…」と記載されていることは事実であるが、これは転記に際しての単なる誤記であり、改変ではない。なお、この転記ミスは、一定の医学的知識を有する者であれば、すぐに気が付くものである。
 また、本件記事(第4回連載分)において「たった5分間程の面談…」と記載されているのに対し、被告ホームページにおいては「たった5分程の面談…」と記載されていることは事実であるが、これは、引用するに当たって許される範囲の整理であり、改変ではない。
 同様に、本件記事(第8回連載分)の転載に当たり、被告ホームページに写真を転載しなかったことは認めるが、これが改変であるとする点は争う。
(4) 争点(4)(本件転載による原告のプライバシー及び名誉権侵害の成否)について
ア 原告
 被告は、転載第1回目には、本件記事の本文を転載するとともに、原告の各連載に付されている原告の病歴を転載しており(別紙2の1)、原告のプライバシー権を侵害している。原告の担当医であったものとしてあるまじき行為であり、医師倫理にも反する行為である。
 また、本件記事のコンセプトは、一貫して、がん患者が治療上必要とする情報を提供すること、すなわち、客観的、科学的な「がん闘病マニュアル」を作成することや、通常の標準治療を行っている医療現場の欠点や格差を指摘し、医療現場の体制の改善、医療の向上を図ることにあり、これらの点において一般の「がん闘病記」とは一線を画するものであるところ、被告ホームページにおいて本件記事に接した者は、上記のように本件記事が被告ホームページ内の「漢方コラム」というがん闘病マニュアルとはおよそ関係がないコーナーにおいて、かつ、被告に都合のよい部分のみを取捨選択して利用されていることにより、原告に対し、被告を賞賛するだけの「医師のちょうちん持ち」といった印象を抱きかねない。被告による本件記事の利用は、原告の名誉を毀損する態様のものといえる。
イ 被告
 被告は、本件転載に当たり、原告のプライバシー及び名誉についても十分に配慮しており、本件転載によりプライバシー侵害及び名誉毀損があったとする点は争う。
(5) 争点(5)(原告の損害)について
ア 原告
(ア) 著作権(複製権、公衆送信権)侵害による財産的損害 900万円
a 被告は著名な医師であるから、被告ホームページにアクセスして本件記事に接した者は5万人と見込まれるところ、そのうちの60%(3万人)が、上記のとおり、本件記事が特定の医師を賞賛したり、宣伝したりする「ちょうちん記事」であり、読む必要がないものと判断して、本件書籍(定価1500円)を買い控えるものと考えられる。
 原告は、本件書籍の販売に当たり、梧桐書院との間で、販売価格の10%を印税として受領する旨合意しているが、本件は故意による悪質な著作権侵害の事案であるから、原告の損害を算定するに当たっては、原告が受け取るべき印税率を20%として算定するのが相当である。
 上記算定方法によれば、被告の著作権侵害による原告の財産的損害(逸失利益)額は、次式のとおり、900万円となる。
 1,500円/冊× 0.2 × 30,000冊= 9,000,000円
b 仮に原告の具体的な逸失利益額の算定ができないとしても、被告による著作権侵害が認められた場合に原告に逸失利益が生じていることは明らかであるから、裁判所において、民事訴訟法248条又は著作権法114条の5に基づき、相当な損害(逸失利益)額が認定されるべきである。
c 原告は、本件記事の執筆に当たり、八峰出版から、1頁当たり1万5000円の原稿料を得ていたが、被告による著作権侵害の悪質性を勘案すれば、本件記事に係る著作権の行使につき受けるべき金銭の額は、1頁当たり3万円として算定するのが相当である。
 被告が被告クリニックのホームページに無断転載したのは、本件記事のうち、第4回〜第6回連載分(各3頁相当)、第7回連載分(2頁相当)、第8回連載分(1頁相当)、第9回連載分(2頁相当)、第10回連載分(1頁相当)、第18回連載分(3頁相当)の合計18頁分であるから、本件著作権侵害について、原告が著作権の行使につき受けるべき金銭の額(著作権法114条3項)は54万円(=3万円/頁×18頁)であり、少なくともこの金額が原告の財産的損害として認められるべきである。
(イ) 精神的損害
a 著作権(複製権、公衆送信権)侵害による精神的損害 30万円
 被告は、原告の生死を賭けたがん闘病に関する連載について、大部分をそのまま故意に(計画的に)被告ホームページに転載するなど、その著作権侵害の態様が悪質であること、被告は、その侵害発覚後も原告から許諾を得ているなどと虚偽の弁解をするなど、誠意ある態度を示していないこと、本件転載による本件記事の利用態様は、原告による本件記事創作のコンセプトに反するもので、本件記事の信用性を著しく毀損するものであること、被告は、原告の担当医でありながら、患者である原告の信頼を裏切ったこと等の事情にかんがみれば、著作権(複製権、公衆送信権)侵害に基づく慰謝料は30万円が相当である。
b 著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)侵害による精神的損害 200万円
上記aと同様、被告による著作者人格権侵害行為の態様は悪質であり、被告が侵害行為発覚後も誠意ある対応をしていないこと、本件転載による本件記事の利用態様が原告による本件記事創作のコンセプトに反するもので、本件記事の信用性を著しく毀損するものであること、被告は、原告の担当医でありながら、患者である原告の信頼を裏切ったこと等の事情にかんがみれば、著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)侵害による原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は300万円を下らないが、本件訴訟においては、そのうちの200万円を請求する。
c プライバシー侵害による精神的損害 40万円
 本件転載による原告のプライバシー権侵害の態様は、原告のがん治療の担当医であった被告が、原告の病歴を含め、原告のがん闘病に関する記事を被告ホームページに転載するという医師倫理に反するもので、悪質である。したがって、原告のプライバシー侵害による精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は100万円を下らないが、本件訴訟においては、そのうちの40万円を請求する。
d 名誉毀損による精神的損害 30万円
 原告の名誉権侵害による精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は100万円を下らないが、本件訴訟においては、そのうちの30万円を請求する。
(ウ) 弁護士費用 50万円
 原告は、弁護士を選任して本件訴訟を追行しているところ、その弁護士費用のうち50万円が、被告による不法行為と相当因果関係の認められる損害として認容されるべきである。
(エ) 上記(ア)〜(ウ)によれば、原告が本件転載(不法行為)により受けた損害は合計1480万円であるが、原告は、本件訴訟において、被告に対し、そのうちの1250万円及びこれに対する不法行為の後である平成21年4月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 被告
(ア)a 原告は、被告ホームページにアクセスして本件記事に接した者が5万人であるなどと主張するが、そのような証拠は全くない。本件転載当時から、被告ホームページへのアクセスは、被告クリニックの所在地等を確認する目的のものが圧倒的に多く、被告ホームページの中身、それも漢方コラムの中身まで見るような人は極めて限られていた。
 また、原告は、「被告ホームページにおいて本件記事に接したこと」と「本件書籍の購入を控えること」との間の因果関係について何ら論証をしていない。そもそも原告の論法によれば、「がん治療最前線」において本件記事を読んだ読者はすべて本件書籍の購入を控えるということにもなりかねないのであって、その主張は失当である。
 さらに、原告は、本件書籍の発行部数が減少することをもって損害としているが、この点について(とりわけ、本件書籍がどの程度売れるかについて)も何ら論証するところがない。なお、被告自身、医師として、がんに関係する著作もあり、雑誌に連載記事を書いたこともあるが、その経験上、がん関係の書籍、雑誌はあまり売れず、発行部数も多くないのであって、実際、「がん治療最前線」自体、発行部数は多くなかった。
 以上のとおり、原告に逸失利益が発生したと認めることはできない。
b 原告は、著作権法114条3項に基づく利用許諾料相当額について、原告が得ていた原稿料の倍額(1頁当たり3万円)を基礎とした損害の算定をしているが、同規定により原稿料を2倍にする根拠はなく、原告の主張は失当である。
(イ) 被告は、公表された雑誌の連載記事(本件記事)を、その雑誌も明らかにし、引用であることを明示した上、原告のプライバシー、名誉にも配慮して、被告ホームページに一時期転載したにすぎない。このような場合、原告の著作者人格権やプライバシー権、名誉権を侵害しているとはいえず、原告に精神的損害は発生していない。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(本件転載について原告の許諾があったか)について
 被告は、平成19年4月ころ、抗がん剤治療のため被告クリニックを受診した原告から、本件転載について許諾を得た旨主張し、被告作成の陳述書(乙10)にはこれに沿う記載部分があるが、被告自身、その後(弁論準備手続終結後)に作成した陳述書(乙13)及び本人尋問において、原告から本件転載の許諾を得たのは同年6月18日であると述べているのであって、その供述は一貫性に欠けるものといわざるを得ない。また、被告は、抗がん剤治療のため被告クリニックを受診した原告に対し、本件記事を被告ホームページに掲載(転載)することについての意向を確認したところ、原告は「いいですよ。」と回答した旨主張するが、仮に、被告が原告に対してそのような意向確認をしたとすれば、原告から、被告ホームページの趣旨、目的や、上記転載の時期、態様のほか、本件記事が掲載された「がん治療最前線」の出版社(八峰出版)との関係で問題はないか等の質問が発せられたはずであるが、被告本人の供述にはこれらの点について触れるところがほとんどなく、単に、原告から「いいですよ。」という回答(許諾)を得たということに終始するものであって、その主張及び供述は具体性が欠けているというほかない。さらに、本件転載に係る記事はかなり長文であるが(甲9〜16)、被告が原告から本件転載について許諾を得ていたのであれば、本件記事の中にはパソコンのワープロソフトで作成されたものもあったのであるから(原告本人)、当該文書ファイルデータを利用できるよう原告から便宜を受けることが合理的であると考えられるが、本件においてそのような措置が一切採られていない(被告本人)のは、不自然との印象を免れない。
 以上のとおり、争点(1)に関する被告本人の供述には疑念をいれざるを得ず、採用することができない。その他、本件全証拠を検討しても、本件転載について原告が許諾した事実を認めることはできない。
2 争点(2)(本件転載は「引用」〔著作権法32条1項〕に当たるか)について(1) 被告は、本件転載について、著作権法32条1項の「引用」として適法なものである旨主張するが、同項所定の「引用」とは、報道、批評、研究等の目的で自己の著作物中に他人の著作物の全部又は一部を採録するものであって、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物を明瞭に区別して認識することができ、かつ、両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があるものをいうと解するのが相当である(最高裁昭和55年3月28日第三小法廷判決・民集34巻3号244頁)。そして、同項の立法趣旨は、新しい著作物を創作する上で、既存の著作物の表現を引用して利用しなければならない場合があることから、所定の要件を具備する引用行為に著作権の効力が及ばないものとすることにあると解されるから、利用する側に著作物性、創作性が認められない場合は「引用」に該当せず、同項の適用はないというべきである。
(2) これを本件についてみると、本件転載に係る記事は、別紙2の1〜8のとおり、いずれも冒頭の題号の下に、1文ないし2文から成る被告の導入文(例えば、「子パンダさんはどのようにして9度の告知を乗り越えてきたのでしょうか?その鍵となる医師との連携とは?」〔別紙2の2〕、「手術・放射線・抗がん剤、それぞれに専門医がいるがん治療でどのように医師を選んだらよいのでしょうか?」〔別紙2の3〕、「子パンダさんが乗り超えた、初めての手術の経験が語られます。」〔別紙2の5〕等)が記載され、それに続けて「当クリニックの患者さん(ニックネーム:子パンダさん)の手記が“ちょっと役立つ!子パンダ.COM”として、『がん治療最前線』に掲載中です。今回は○○年○月号分をお届けします。」として、以下、数頁にわたって本件記事を掲載するという体裁になっているが、本件記事を除く部分は、いずれも短文の上、内容もおしなべて平凡なものであり、これらについて、被告の思想又は感情を創作的に表現したものとして、著作物性、創作性を認めることは困難である。仮に、これらの部分に著作物性、創作性が肯定される余地があるとしても、その分量、内容からして、引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物との間に、前者が主、後者が従の関係があるものと認めることはできない。
 したがって、本件転載が著作権法32条1項所定の「引用」として適法であるとすることはできない。
3 争点(3)(本件転載による原告の著作者人格権侵害の成否)について
(1) 被告は、本件記事を被告ホームページに掲載するに当たり、本件記事の執筆者(著作者)の変名(ニックネーム)として、原告に無断で「子パンダ」と表示しているところ(甲9〜16)、著作者は、その著作物の公衆への提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有するのであるから(著作権法19条1項)、被告による上記行為は、原告の氏名表示権を侵害するものである(なお、被告は、本件訴訟において、氏名表示権の侵害について争う旨の主張をするのみで、氏名表示権の例外が認められるような事情については何ら主張、立証をしない。)。
(2)ア本件記事において、リード文は本文の導入としての役割を担っており、両者が一体となって、原告の思想又は感情を創作的に表現した一つの著作物となっているものと認められる(甲1〜8、原告本人)。しかるところ、被告は、本件転載の際、これを分断し、リード文を切除して、本文のみを被告ホームページに掲載したものであるが(甲9〜16)、このような切除は、原告の意に反するものであるから(原告本人)、原告が本件記事について有する同一性保持権(著作権法20条1項)を侵害するものと認められる。
 この点、被告は、上記切除について、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変である(著作権法20条2項4号)などと主張するが、リード文を切除することがやむを得なかった事情について、何ら具体的に主張するところがない。また、被告は、前記2(2)のとおり、「当クリニックの患者さん(ニックネーム:子パンダさん)の手記が“ちょっと役立つ!子パンダ.COM”として、『がん治療最前線』に掲載中です。今回は○○年○月号分をお届けします。」という紹介文に続けて本件転載を行っており、本件記事のうちリード文の部分を切除し、その一部(本文)のみを転載したものであることが分かるような態様で本件転載を行ったものではないこと等の事情を考慮すると、上記切除が「やむを得ないと認められる改変」又はそれに準じるものということはできないから、被告の上記主張を採用することはできない。
イ 原告は、@本件記事(第4回連載分)においては「白血球が2000以下で…」と記載されているのに対し、被告ホームページにおいては「白血球が200以下で…」と記載されている、A本件記事(第4回連載分)においては「たった5分間程の面談…」と記載されているのに対し、被告ホームページにおいては「たった5分程の面談…」と記載されている、B本件記事(第8回連載分)においては原告のがん(摘出された腫瘍)の写真が掲載されているにもかかわらず、被告ホームページにおいてはその写真が掲載されていない点を指摘し、これらが原告の同一性保持権を侵害するものである旨主張する。
 しかしながら、上記@については、転記の際の明らかな誤記と認めるのが相当であり、また、医学的常識に基づいて被告ホームページを読めば、それが誤記であることは明らかに理解し得るところであるから、この誤記によって本件記事の内容を改変したものとは認められない。
 また、上記Aについても、本件記事の「5分間」という記載が被告ホームページにおいては「5分」と表記されているにすぎないもので、本件記事及び被告ホームページの全体からみればわずかな相違であり、しかも、両者の間に実質的な意味の違いはないから、これをもって本件記事を改変したものと認めることはできない。
 さらに、上記Bについて、本件転載は、基本的に、本件記事の本文部分を1文字ずつ入力する方法でされたものであるところ(被告本人)、その文字情報の中に写真の画像を再製することは必ずしも容易なこととはいえない(上記入力方法によっては、画像を入力することができない。)から、本件転載に当たって同写真部分を切除したとしても、その著作物の性質上、やむを得ない改変である(著作権法20条2項4号)ということができる。したがって、上記Bが原告の有する同一性保持権を侵害するものとは認められない。
4 争点(4)(本件転載による原告のプライバシー及び名誉権侵害の成否)について
(1) 原告は、本件転載に際し、被告ホームページにおいて原告の病歴が公開され、プライバシーが侵害されたと主張するが、原告の病歴、経歴や病状の推移等については、原告自身、本件記事において詳細に公開しており(甲1〜8)、その後に発行された本件書籍においても、格別の留保なくこれらの情報を開示しているのであって(甲22・246頁等)、被告が被告ホームページにおいて掲載した内容も、原告が既に公開した範囲内の事実に止まっているのであるから、本件転載によって原告のプライバシーが侵害されたと認めることはできない。
(2) 原告は、本件記事は客観的、科学的な「がん闘病マニュアル」をコンセプトとして創作したものであるのに、被告ホームページにおいては、本件記事のうち被告に都合のよい部分だけを取捨選択して転載されているため、読者に「医師のちょうちん持ち」といった印象を与えるものであり、これによって原告の名誉が侵害されたと主張する。
 しかしながら、本件記事の執筆意図が原告の主張するとおりのものであったとしても、被告ホームページに掲載された本件記事(別紙2の1〜8)をみても、本件転載について、本件記事のうち被告に都合のよい部分のみを取捨選択して行われているとか、原告が被告の「ちょうちん持ち」であるなどの印象を抱かせるものと直ちに認めることはできず、その他、本件全証拠によっても、本件転載によって原告の社会的評価が低下したなどの事実を認めることはできない。
 したがって、本件転載により原告の名誉権が侵害されたとは認められない。
5 争点(5)(原告の損害)について
(1) 著作権(複製権、公衆送信権)侵害による財産的損害 21万6000円
ア 逸失利益について
 本件転載は、原告が本件記事について有する著作権(複製権、公衆送信権)を侵害するものであるところ、原告は、その著作権侵害の結果、本件書籍の売上げが減少し、900万円の利益を逸失した旨主張する。
 しかし、本件書籍(初版第1刷7000部)は、その発行後、順調に販売され、増刷も予定されているということ(原告本人)に照らすと、原告が主張する買控えの事実があったと認めることは困難である。その他、本件全証拠を検討しても、本件書籍について売上げの減少があったことを認めることはできず、原告の上記主張を採用することはできない。
 なお、原告は、民事訴訟法248条又は著作権法114条の5の規定を適用して本件書籍の売上減少による原告の逸失利益額を算定すべきであるとも主張するが、上記のとおり、原告に逸失利益があったことを認めることができない本件においては、上記各規定を適用する前提を欠いているというべきであり、原告の上記主張も採用することができない。
イ 利用許諾料相当額(著作権法114条3項)について
 被告は、本件転載に当たり、本件記事の著作権者である原告に対して利用許諾料を支払う必要があるところ、その利用許諾料相当額については、著作権法114条3項の規定により、これを原告に発生した損害と認めることができる。
 この点、原告は、本件記事の執筆に当たり出版社(八峰出版)から受領した原稿料単価の倍額(1頁当たり3万円)を基礎として、これに被告ホームページへの掲載頁数(18頁)を乗じた金額(合計54万円)を損害額として算出しているが、本件記事の転載に当たり原告に支払うべき利用許諾料が、著作者である原告が得た原稿料の単価より高額であるということは、通常は想定し難いというべきであるから、原告の上記計算は妥当を欠くというべきである。
 本件全証拠によっても、本件記事をホームページに転載する場合の利用許諾料の額は必ずしも明らかではないが、被告が利用した本件記事の分量、本件記事が被告ホームページに掲載されていた期間や被告ホームページに占める割合、本件転載の経緯等、本件に現れた一切の事情を斟酌すれば、原告が本件記事に係る著作権の行使につき受けるべき金銭の額は、本件記事1頁当たり1万2000円とし、これに本件記事が掲載された頁数(18頁)を乗じた金額として、21万6000円(= 12,000円/頁× 18頁)と認めるのが相当である。
(2) 著作権(複製権、公衆送信権)侵害による精神的損害 0円
 原告は、著作権(複製権、公衆送信権)侵害による精神的損害として30万円の慰謝料の請求をするが、一般に、財産権(著作権)の侵害に基づく慰謝料を請求し得るためには、財産上の損害の賠償だけでは償い難いほどの大きな精神的苦痛を受けたと認めるべき特段の事情がなければならないと解されるところ、本件全証拠によっても、本件著作権侵害を理由とする慰謝料請求を認めなければならないような事情が存在するとは認められない。
 したがって、著作権侵害による慰謝料請求については、これを認めることができない。
(3) 著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)侵害による精神的損害 15万円
 前示のとおり、被告は、本件転載によって、原告の著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)を侵害したものであるが、原告自身、「がん治療最前線」に本件記事を掲載するに当たっては「子パンダ」という変名(ペンネーム)を用いていたこと、前記4のとおり、本件転載によって原告の社会的評価が低下したなどの事情までは認められないこと等を考慮すれば、著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)の侵害により原告が受けた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料の額については、15万円と評価するのが相当である。
(4) 弁護士費用 5万円
 原告は、弁護士を選任して本件訴訟を追行しているところ、本件事案の難易、認容額、その他諸般の事情を考慮して、その弁護士費用のうち5万円を被告の不法行為と相当因果関係のある損害と認める。
第4 結論
 よって、原告の請求は、上記合計41万6000円及びこれに対する不法行為の後である平成21年4月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限度で認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第40部
 裁判長裁判官 岡本岳
 裁判官 鈴木和典
 裁判官 坂本康博


対照表
  転載開始時期 本件記事 披告ホームページ
1 平成19年8月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第4回
 「がん治療最前線」平成19年2月号掲載分 (別紙1の1)
被告ホームページ内「漢方コラム」
第12回 「医者とのコミュニケーション」において本文全文を転載(別紙2の1)
2 平成19年9月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第5回
 「がん治療最前線」平成19年3月号掲載分 (別紙1の2)
披告ホームページ内「漢方コラム」
第13回 「告知の仕方・受け方」において本文全文を転載(別紙2の2)
3 平成19年10月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第6回
 「がん治療最前線」平成19年4月号掲載分 (別紙1の3)
被告ホームページ内「漢方コラム」
第14回 「専門医の探し方」において本文全文を転載 (別紙2の3)
4 平成19年11月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第7回
 「がん治療最前線」平成19年5月号掲載分 (別紙1の4)
被告ホームページ内「漢方コラム」
第15回 「良い病院のポイント」において本文全文を転載(別紙2の4)
5 平成19年12月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第8回
 「がん治療最前線」平成19年6月号掲載分 (別紙1の5)
披告ホームページ内「漢方コラム」
第16回 「初めての手術は脳手術!!」において本文全文を転載(別紙2の5)
6 平成20年1月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第9回
 「がん治療最前線」平成19年7月号掲載分 (別紙1の6)
被告ホームページ内「漢方コラム」
第17回 「連携のトライアングル」において本文全文を転載(別紙2の6)
7 平成20年2月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第10回
 「がん治療最前線」平成19年8月号掲載分 (別紙1の7)
被告ホームページ内「漢方コラム」
第18回 「看護師の存在」において本文全文を転載(別紙2の7)
8 平成20年3月 ちょっと役立つ!HP 子パンダ.com 連載第18回
 「がん治療最前線」平成20年4月号掲載分 (別紙1の8)
被告ホームページ内「漢方コラム」
第19回 「抗がん剤治療」において本文全文を転載(別紙2の8)

別紙1の1〜8 (添付省略)
別紙2の1〜8 (添付省略)
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