判例全文 line
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【事件名】駒込大観音の頭部すげ替え事件(2)
【年月日】平成22年3月25日
 知財高裁 平成21年(ネ)第10047号 著作権侵害差止等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成19年(ワ)第23883号)
 (弁論終結日 平成21年12月21日)

判決
控訴人兼被控訴人(一審原告) X
訴訟代理人弁護士 飯田丘
同 飯田圭
被控訴人兼控訴人(一審被告) 光源寺
被控訴人( 一審被告) Y
一審被告両名訴訟代理人弁護士 徳田幹雄
同 藤田嗣潔
同 高橋利郎
同 中田裕規


主文
1 原判決を、以下のとおり変更する。
2 一審被告らは、一審原告に対し、別紙広告目録記載第1の広告を、同目録記載第2の要領で、掲載せよ。
3 一審原告のその余の各請求をいずれも棄却する。
4 当審において追加的に変更された一審原告の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを5分し、その1を一審被告らの、その余を一審原告の負担とする。

事実及び理由
 以下の用語については、一審判決の例による。
第1 請求(当審における一審原告の訴えの追加的変更を含む。)
1 一審原告(以下「原告」という。)の控訴の趣旨
(1) 原判決中原告敗訴部分を取り消す。
(2) 一審被告光源寺(以下「被告光源寺」という。)は、本件観音像(仏頭部すげ替え後の観音像を以下「本件観音像」という。)について、その仏頭部を、仏頭部すげ替え前の本件原観音像(仏頭部すげ替え前の観音像を以下「本件原観音像」という。)制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、一般公衆の観覧に供してはならない。
(3) 被告らは、原告に対し、連帯して金600万円及びこれに対する被告光源寺について平成19年9月22日から、一審被告Y(以下「被告Y」という。)について同月23日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被告光源寺は、原告に対し、本件口頭弁論終結の日の翌日である平成21年12月22日から本件観音像についてその仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまで1か月につき各金10万円を、それぞれ当該月の末日ごとに支払え。
(5) 被告らは、原判決別紙謝罪広告目録1記載第2の要領で、同目録1記載第1の内容の謝罪広告(訂正広告を含む。)を掲載せよ。
(6) 被告らは、原判決別紙謝罪広告目録2記載第2の要領で、同目録2記載第1の内容の謝罪広告(訂正広告を含む。)を掲載せよ。
(7) 訴訟費用は、第一、二審とも被告らの負担とする。
(8) 仮執行宣言
2 被告光源寺の控訴の趣旨
(1) 原判決中被告光源寺敗訴部分を取り消す。
(2) 原告の被告光源寺に対する請求を棄却する。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも原告の負担とする。
3 原告の当審における訴えの追加的変更に係る請求
(1) 被告光源寺は、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復せよ。
(2) 被告光源寺は、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、一般公衆の閲覧に供してはならない。
(3) 被告らは、原告に対し、連帯して金1800万円及びこれに対する平成21年9月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被告光源寺は、原告に対し、平成21年12月22日から本件観音像についてその仏頭部を観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまで1か月30万円を毎月末日限り支払え。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
(1) 原審における請求
 原告は、原告の亡父T(雅号・「T」、以下「T」ないし「T」という場合がある。)、亡兄R(雅号・「R」、以下「R」ないし「R」という場合がある。)及び兄J(雅号・「J」、以下「J」ないし「J」という。)と共同で制作した美術の著作物である別紙物件目録記載の観音像について、その原作品の所有者である被告光源寺が亡T及び亡Rの死後に被告Yに依頼して仏頭部をすげ替えて、公衆の観覧に供していることが、本件原観音像に係る原告の著作者人格権(同一性保持権)及び著作権(展示権)の侵害又は原告の名誉若しくは声望を害する方法による著作物の利用行為(著作者人格権のみなし侵害)に当たり、かつ、亡T及び亡Rが存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為に当たる旨主張し、被告光源寺に対し、@著作権法(以下、「法」という場合がある。)112条1項、115条、113条6項に基づき又はT及びRの遺族として法116条1項、112条1項、115条に基づき、本件観音像の仏頭部を本件原観音像の制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、本件観音像を一般公衆の観覧に供することの差止めを、A法112条2項、115条、113条6項に基づき又はT及びRの遺族として法116条1項、112条2項、115条に基づき、本件観音像の仏頭部を本件原観音像の仏頭部に原状回復することを求めるとともに、被告両名に対し、B原告の著作者人格権侵害又は著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償(被告光源寺に対しては前記原状回復するまでの間の将来分の損害賠償を含む。)を、C法115条に基づき並びにT及びRの遺族として法116条1項、115条に基づき、原告、T及びRの名誉又は声望を回復するための適当な措置として別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告(訂正広告を含む。)を求めた。
(2) 当審における追加的変更に係る請求
 原告は、当審において、DT及びRから相続した展示権侵害を理由とする法112条1項、2項に基づく原状回復請求、及び法112条1項に基づく一般公衆の観覧に供する行為の停止請求、E原告固有の展示権侵害を理由とする、不法行為に基づく損害賠償請求、T及びRから相続した展示権侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求、及び原告の被告らに対する、遺族としての深い愛着・名誉感情侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求を、追加的に請求した。
(3) 原告の求めた「請求の内容」及びその「請求原因」
 原告の求める請求の内容及び原因は、以下の34個に整理される。
ア 原告の固有の請求
(ア) 被告光源寺に対する原状回復までの本件観音像の一般公衆への供覧の停止請求
@ 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく法112条1項所定の請求
A 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく法115条所定の請求
B 原告固有の展示権の侵害に基づく法112条1項所定の請求
C 原告固有の法113条6項に基づく法112条1項所定の請求
(イ) 被告光源寺に対する本件観音像の原状回復請求
D 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく法112条2項所定の請求
E 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく法115条所定の請求
F 原告固有の展示権の侵害に基づく法112条2項所定の請求
G 原告固有の法113条6項に基づく法112条2項所定の請求
(ウ) 被告ら各自に対する金600万円の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
H 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく民法709条及び719条所定の過去分の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
I 原告固有の法113条6項に基づく民法709条及び719条所定の過去分の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
(エ) 被告ら各自に対する金600万円の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
J 原告固有の展示権の侵害に基づく民法709条及び719条所定の過去分の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
(オ) 被告光源寺に対する原状回復までの1か月当たり金10万円の損害賠償請求
K 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく民法709条所定の将来分の損害賠償請求
L 原告固有の法113条6項に基づく民法709条所定の将来分の損害賠償請求
M 原告固有の展示権の侵害に基づく民法709条所定の将来分の損害賠償請求
(カ) 被告らに対する謝罪広告請求
N 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく法115条所定の謝罪広告請求
O 原告固有の法113条6項に基づく法115条所定の謝罪広告請求
(キ) 被告らに対する訂正広告請求
P 原告固有の同一性保持権の侵害に基づく法115条所定の訂正広告請求
Q 原告固有の法113条6項に基づく法115条所定の訂正広告請求
イ 原告のT及びRの相続人としての請求
(ア) 被告光源寺に対する原状回復までの本件観音像の一般公衆への供覧の停止請求
@ 原告がT及びRから相続した展示権の侵害に基づく法112条1項所定の請求
(イ) 被告光源寺に対する本件観音像の原状回復請求
A 原告がT及びRから相続した展示権の侵害に基づく法112条2項所定の請求
(ウ) 被告ら各自に対する金600万円の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
B 原告がT及びRから相続した展示権の侵害に基づく民法709条及び719条所定の過去分の損害賠償請求及び遅延損害金の請求
(エ) 被告光源寺に対する原状回復までの1か月当たり金10万円の損害賠償請求
C 原告がT及びRから相続した展示権の侵害に基づく民法709条所定の将来分の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
ウ 原告のT及びRの遺族としてのT及びRの人格的利益の保護のための請求
(ア) 被告光源寺に対する原状回復までの本件観音像の一般公衆への供覧の停止請求
@ 原告のT及びRの遺族としての同一性保持権の侵害に基づく法60条、116条及び112条1項所定の請求
A 原告のT及びRの遺族としての同一性保持権の侵害に基づく法60条、116条及び115条所定の請求
B 原告のT及びRの遺族としての法113条6項に基づく法60条、116条及び112条1項所定の請求
(イ) 被告光源寺に対する本件観音像の原状回復請求
C 原告のT及びRの遺族としての同一性保持権の侵害に基づく法60条、116条及び112条2項所定の請求
D 原告のT及びRの遺族としての同一性保持権の侵害に基づく法60条、116条及び115条所定の請求
E 原告のT及びRの遺族としての法113条6項に基づく法60条、116条及び112条2項所定の請求
(ウ) 被告らに対する謝罪広告請求
F 原告のT及びRの遺族としての同一性保持権の侵害に基づく法60条、116条及び115条所定の謝罪広告請求
G 原告のT及びRの遺族としての法113条6項に基づく法60条、116条及び115条所定の謝罪広告請求
(エ) 被告らに対する訂正広告請求
H 原告のT及びRの遺族としての同一性保持権の侵害に基づく法60条、116条及び115条所定の訂正広告請求
I 原告のT及びRの遺族としての法113条6項に基づく法60条、116条及び115条所定の訂正広告請求
エ 原告のT及びRの遺族としての固有の損害賠償請求
(ア) 被告ら各自に対する金600万円の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
@ 原告のT及びRの遺族としての固有の民法709条及び719条所定の過去分の損害賠償金及びその遅延損害金の請求
(イ) 被告光源寺に対する原状回復までの1か月当たり金10万円の損害賠償請求
A 原告のT及びRの遺族としての固有の民法709条所定の将来分の損害賠償請求
2 争いのない事実等(証拠の摘示のない事実は、争いのない事実又は弁論の全趣旨により認められる事実である。)
(1) 当事者
ア 原告は、現代彫刻及び仏像彫刻を業とする彫刻家兼仏師である。
 原告の亡父Tと亡母L(以下「亡L」という。)は、長男亡R、二男J及び三男原告の3人の子を儲けた(甲47ないし50)。
 亡T及び亡Rは、いずれも仏像彫刻を業とする仏師であって、前記のとおり、亡Tは雅号を「T」と、亡Rは雅号を「R」と称した。Tは昭和63年7月29日に、Rは平成11年9月28日に死亡した。Rに、配偶者及び子はいない(甲49、50)。
 また、Jも、仏像彫刻を業とする仏師であり、雅号を「J」と称していたが、平成10年に廃業した。
イ 被告光源寺は、浄土宗の寺院である光源寺を管理、運営する宗教法人である。
ウ 被告Yは、仏像彫刻を業とする仏師(雅号・「俊亨」)である。被告Yは、昭和56年ころから平成元年9月ころまでの間亡R(R)の弟子となったが、同年9月ころ独立した。
(2) 本件原観音像の制作
ア 光源寺には、江戸時代の元禄10年(1697年)に造立された、木彫十一面観音菩薩立像(以下「旧大観音像」という。)を祀る観音堂があった。旧大観音像は、奈良県長谷寺の本尊である十一面観音菩薩立像(長谷寺式十一面観音像)の様式・特徴を備えた仏像であり、天保年間に刊行された「江戸名所図会」にも掲載されるなど、江戸時代から「駒込大観音」として広く人々の信仰を集めていた。
旧大観音像は、昭和20年5月25日の東京大空襲により観音堂と共に焼失した。
イ(ア) 光源寺の先代の住職であり、被告光源寺の代表役員であった亡M(以下「先代住職」という。)は、昭和62年初めころ、T及びRに対し、駒込大観音の復興となる新たな十一面観音菩薩立像の制作を依頼した。
 その後、同年5月ころから、T、R及びJが居住していた東京都中野区内の自宅兼工房(以下「本件工房」という。)において、本件原観音像の彫刻作業(木彫作業)が開始された。
(イ) 木彫作業を完了した本件原観音像は、平成2年3月12日、本件工房から搬出され、光源寺の境内に建築された漆塗り・金箔貼り作業を行うための工房(以下「本件漆塗り工房」という。)に搬入された。
 先代住職は、同日、本件原観音像の本件漆塗り工房への搬入を記念する法要を執り行った。同日から、塗師(漆塗り職人)によって本件原観音像の漆塗り・金箔貼り作業が開始された。
(ウ) 漆塗り・金箔貼り作業を完了した本件原観音像は、光源寺の境内に新たに建築された観音堂(以下「本件観音堂」という。)に安置された。
 その後、先代住職は、平成5年5月18日、本件原観音像の開眼法要(名称「駒込大観音開眼落慶法要」)を執り行った。以後、本件原観音像は、参拝者等の公衆の観覧に供された。
ウ 本件原観音像の体内(躯体の内部)には、「大仏師監修T」、「制作者R J X 弟子Y」との墨書(甲10)が、また、本件原観音像の足ほぞには、「監修T」、「制作者R J X Y」との墨書(乙3)が施されている。
エ 本件原観音像は、美術の著作物であり、Rは、その著作者である。
(3) 被告らによる仏頭部のすげ替え
ア 先代住職は、平成6年12月26日に死亡した。その後、A(以下「A」という。)は、光源寺の住職となり、また、平成7年2月23日、被告光源寺の代表役員に就任した。
イ 被告光源寺は、平成15年ころから平成18年ころまでの間に、被告Yに対し、本件原観音像について新たな仏頭部の制作及び仏頭部のすげ替え作業を依頼し、被告Yは、上記依頼に応じて、これを実施した。
 被告光源寺は、本件原観音像の仏頭部をすげ替えた本件観音像を、光源寺の本件観音堂に祀り、参拝者等の公衆の観覧に供している。
 すげ替え前の仏頭部は、別紙写真目録記載の右側の写真(3枚)のとおりであり、すげ替え後の仏頭部は、同目録記載の左側の写真(3枚)のとおりである。
ウ なお、被告らは、本件原観音像から取り外した仏頭部(すげ替え前の仏頭部)をその原形のままの状態で本件観音堂に保管している。
3 争点
 本件の争点は、以下のとおりである。
〔原審における争点〕
(1) 原告は、本件原観音像の共同著作者か(争点1)。
(2) 被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることが、本件原観音像に係る原告の著作者人格権(法20条、同一性保持権)の侵害に当たるか、これに当たるとした場合、原告は被告光源寺に対し、法112条1項、2項に基づき、本件観音像についてその仏頭部を本件原観音像の仏頭部に原状回復するまでの間の公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点2)。
(3) 原告は、法115条に基づく名誉回復等の措置として、被告光源寺に対し、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点3)。
(4) 被告ら又は被告光源寺による上記各行為が、原告の名誉又は声望を害する方法による著作物の利用行為(法113条6項)に当たり、その著作者人格権の侵害行為とみなされるか、みなされるとした場合、原告は被告光源寺に対し、法112条1項、2項に基づき又は法115条に基づく名誉回復等の措置として、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点4)。
(5) 原告は、被告光源寺が仏頭部がすげ替えられた後の本件観音像を公衆の観覧に供していることが、二次的著作物である本件観音像に係る原著作物の著作者としての原告の著作権(展示権)の侵害に当たるとして、被告光源寺に対し、法112条1項、2項に基づき、前記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び前記原状回復そのものを求めることができるか(争点5)。
(6) 原告は、被告らに対し、原告の著作者人格権侵害及び著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償(被告光源寺に対しては上記原状回復するまでの間の将来分の損害賠償を含む。)を求めることができるか及び被告らが賠償すべき原告の損害額(争点6)。
(7) 原告は、T及びRの遺族として、法20条、113条6項、60条、116条1項、112条1項、2項、115条に基づき、被告光源寺に対し、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点7)。
(8) 原告は、自ら法115条に基づき、T及びRの遺族として法116条1項、115条に基づき、原告、T及びRの名誉又は声望を回復するための適当な措置として別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告(訂正広告を含む。)を求めることができるか(争点8)。
〔当審における争点〕
(9) 原告は、T及びRから相続した展示権侵害を理由として、法112条2項に基づく原状回復請求、及び法112条1項に基づく一般公衆の観覧に供する行為の停止を求めることができるか(争点9)
(10) 原告は、@自らの展示権侵害を理由として、AT及びRから相続した展示権侵害を理由として、B遺族としての深い愛着・名誉感情侵害を理由として、いずれも不法行為に基づく損害賠償を求めることができるか及び被告らが賠償すべき原告の損害額(争点10)
第3 当事者の主張
〔原審における争点に係る主張〕
 原審における主張及び当審における補充主張は、以下のとおりである。
1 争点1(原告の共同著作者性)について
(1) 原告の主張
 本件原観音像は、T、R、J及び原告が共同で制作した共同著作物であり、原告は、その共同著作者である。
 その理由は、以下のとおりである。
ア 本件原観音像の制作の経緯
(ア) 原告は、江戸時代から続く仏師の家柄(N家)に生まれ、いずれも仏師である父T、兄R及びJとともに、仏像等を制作するための共用の工房(本件工房)を営み、依頼を受けた仕事の内容やその規模、納期等に応じて、臨機応変に仕事を分担し合い、互いに協力して仏像の彫刻等の業に携わっていた。
 被告光源寺は、昭和62年初めころ、N家に対し、本件原観音像の制作を依頼した。Rは、その際、N家を代表して、光源寺の先代住職と折衝等を行った。
 被告光源寺の依頼の趣旨は、戦災により焼失した「駒込大観音」の復興となる木彫十一面観音菩薩立像の制作であったため、長谷寺式十一面観音像の様式に則った観音像の制作を企画した。
(イ)a 木彫の仏像は、おおむね、@原材から材料となる木材を切り出す工程(「木取り」)、A木材を材料として、鉈、ノミ、丸刀等を用いた彫刻的技法を施すことにより仏像を彫り上げる工程(木彫作業)、B木彫作業の完了後、漆塗り等の塗装作業を施し、最後に開眼作業(胡粉による眼部の彩色作業)を施す工程を経て制作される。
 像体をいくつかの部位に分けて制作する「寄木造り」の仏像の材料は、単一の木材から切り出したものではなく、複数の角材をほぞや接着剤を用いて継ぎ合わせた木材(この継ぎ合わせ工程を「木寄せ」という。)が用いられる。
 また、一般に、木彫作業は、「荒彫り」(木材から仏像の大まかな像形を彫り出す工程)、「小造り」(荒彫りによる荒いノミ目を平滑に整えながら、仏像としての大体の像形を彫り整える工程)、「仕上げ」(仏像の完成イメージを念頭において、像全体のバランス等に配慮しながら、像の各部位を調整しつつ、像の細部を彫り上げる工程)といった各段階を経て進められる。寄木造りの仏像の場合、まずその頭部から制作を開始し、頭部の荒彫り又は小造りが完了した段階から、躯体部、次いで腕部の制作を行うことが一般的である。その他の光背、台座等の制作は、適宜、上記作業と並行して進められる。
 そして、上記各部位ごとに小造りの作業が完了した段階から、像全体について仕上げの作業を進めることとなる。なお、本件原観音像のような規模の大きな仏像の制作に際しては、荒彫りが完了した段階から小造りの段階にかけて、像体をばらしてその内部の木部をそぎ取った後、改めて像体を継ぎ合わせる「内刳り」の作業を行うことが一般的である。
b 本件原観音像の制作は、次のような工程を経て行われた。
@ 本件原観音像の各部位ごとの材料となる木材の木寄せ作業は、昭和62年5月ころから7月ころにかけて行われた。また、木彫作業は、まず頭部の荒彫りから開始され、同年6月中旬ころまでには、同作業が完了し、頭部の内刳りも行われた。
 同年夏ころ以降、荒彫りが完了した頭部を躯体部の材料となる木材に取り付けた上で、躯体部の荒彫り作業が開始された。
A その後、昭和63年中は、それぞれ、頭部の小造り(仏頭上に取り付ける「化仏」の制作を含む。)、躯体部の荒彫り、次いでその小造り、腕部の荒彫りといった各作業が順次進められた。また、それと同じ時期に、前記作業と並行して、光背、台座等の荒彫りも行われた。
 この間の同年7月29日に、Tは死亡した。
B Rは、平成元年5月6日、脳梗塞で倒れ、同日から同年6月24日まで入院した。
 その間の6月14日、原告は、被告光源寺の先代住職を本件工房に迎えて、本件原観音像の躯体の内部に、「大仏師監修T」、「制作者R J X 弟子Y」との墨書(前記第2の2(2)ウ)をした。
 この時期までに、本件原観音像は、上記各部位ごとの小造り作業が完了しており、以後、像全体の仕上げに入る段階にあった。
C 本件原観音像の仕上げ作業は、平成元年6月ころ開始され、平成2年3月初めころ完了した。
 木彫作業が完了した本件原観音像は、平成2年3月12日、本件工房から搬出され、本件漆塗り工房に搬入された。
 その後、漆塗り・金箔貼り作業が完了した本件原観音像の開眼作業が行われ、本件原観音像が完成した。
c 分担作業の内容
 前記bの本件原観音像の制作工程におけるT、R、J及び原告の分担作業の内容は、おおむね次のとおりである。
@ 本件原観音像の全体の構想及び設計は、T、R、J及び原告が協議して決定した。
A 本件原観音像の頭部の荒彫りは、T及びRを中心に行われ、その小造りはRを中心に行われた。頭部のうち化仏の小造り及び仕上げは、原告が行った。
B 本件原観音像の躯体部の荒彫り及び小造りは、Rを中心に行われた。
C 本件原観音像の腕部、光背及び台座の荒彫り及び小造りは、J及び原告を中心に行われた。
D 小造り作業完了後の本件原観音像全体の仕上げ作業は、原告を中心に行われた。
E 漆塗り・金箔貼り作業の完了後の本件原観音像の開眼作業は、原告が行った。
(ウ) 原告が著作者であることを示す間接事実
a 原告が本件原観音像の創作活動に従事していたこと等を示す間接事実として、次のようなものがある。これらは、法14条による著作者の推定を補強する事実といえる。
@ 原告は、仏像彫刻分野においても、十分な学識と経験を有しており、実際に、多数の様々な仏像を、単独で、また、特に大きな仏像の場合には仏師集団としてのN家の父T、長男R及び次男Jと共同で、本件原観音像の制作時期の前後を通じて、制作してきた。
A 先代住職は、昭和63年8月23日から1週間、仏頭部が仏教美術彫刻展に出展された際、観音堂の設計・施工管理を依頼されたKに対し、本件原観音像の制作者について、「Rさんが中心になって仕事をして、その手伝いをN家の一族の方々が皆さんやっている」と説明し、さらに、平成2年4月ないし5月ころ、光源寺において、原告を、「N家の仏師の一族の1人で、この観音像も彼によるところが非常にある」として紹介した。
B 平成5年5月ころ、本件原観音像が本件漆塗り工房から本件観音堂に搬入・安置された際の記念撮影において、原告は、本件原観音像の制作・完成に実質的に関与したR・塗師等に準じて遇された。
 平成5年5月18日の本件原観音像の開眼落慶法要に、原告は、Rと同様に先代住職の招待を受けて出席し、その際の記念撮影において、多数の関係者のうち、少なくとも本件原観音像又は本件観音堂の制作・完成に実質的に関与したR、K、塗師等に準じて遇された。先代住職は、上記法要の際の挨拶において、本件原観音像の制作・完成について、「監修」者T、「制作」者R、「台座、光背など」に係る「協力」者J、原告及び被告Yとして紹介した。先代住職がそのスピーチの中で原告を本件原観音像の共同著作者の一人として紹介し、謝辞を述べている状況が撮影されたビデオテープ(甲71)が存在する。
C 平成7年6月15日に発行された宗教工芸新聞(甲1)に、「(Rの)最近の大作としては駒込光源寺の大観音を仕上げたこと。・・・常に仕事を共に続ける弟・J氏、X氏(行動美術会員)は大きな支えとなった」(甲1)等と報道され、また、亡Tの主治医であった医師Z作成の昭和63年7月30日付け紹介状(甲34)においても「(Tは)観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」等と言及されている。
D 平成12年11月26日に執り行われた先代住職の七回忌法要のために光源寺の現住職のA(被告光源寺代表者)が作成した席次表(甲44)には、原告について「再建駒込大観音の共同彫刻家」と記載されている。また、現住職は、その際、現住職作成の会食の席次表において、原告を「再建駒込大観音の共同彫刻家」の肩書きで紹介した。
b 本件原観音像制作後の事実中、原告が共同制作者であることを示すものとして、以下のものがある。これらも、法14条による著作者の推定を補強する事実といえる。
@ 本件原観音像の仏頭部の作り直しを決意したA(現住職)は、平成15年ころ、わざわざ、原告に対し、被告Yに本件原観音像の仏頭部の作り直しを依頼する考えを伝え、了解を得ようとした。
A 本件原観音像の仏頭部のすげ替えが本件原観音像の共同制作者である原告の同一性保持権を侵害すること等を理由とする、原告代理人弁護士による内容証明郵便に対し、A(現住職)も、被告Yも、書面での回答において、原告が本件原観音像の共同制作者であることを特に争うことなく、本件訴訟において代理人弁護士の反論として初めて原告が本件原観音像の共同制作者であることを争うに至った。
(エ) Tが著作者であることを示す間接事実
 Tは、仏師集団としてのN家の統率者であるから、Tは、先代住職の依頼を受けた上で、家業として次男J、三男原告と共同して本件原観音像の制作を行ったと推認することが合理的である。
 そして、Tが本件原観音像の創作活動に従事していたこと等を示す間接事実として、次のようなものがある。これらは、法14条による著作者の推定を補強する事実といえる。
a 昭和62年6月14日、粗彫りが完了した仏頭部の内部に先代住職が梵字・「駒込大観音」の文字等を墨書した際、RのみならずTも立ち会った。その際、Tが、Rより同仏頭部の近くに位置して、先代住職による墨書を補佐するとともに、記念撮影に収まった。なお、同記念撮影による写真は、「駒込大観音」の復興に関する昭和63年8月9日発行の新聞記事にも使用されている。
b Tは、確かに、昭和63年以後の6か月程は軽い認知症状が現れ、同年5月下旬より浮腫が認められるようになり通院も不能となった。しかし、昭和62年5月ころ、本件工房において本件原観音像の木彫作業が開始された当時は、「基本的には」「元気で作業に参加」していた。
c 昭和63年7月29日に主治医が医大あてに作成した紹介状には、「(Tが)、観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」と記載されている。
d 原告代理人弁護士の内容証明郵便に対する回答書において、現住職は、「光源寺先代M住職がR・T氏と出会い、駒込大観音再建の話が具体化しました。・・・両先生には感謝しております」、「T先生が心血を注いで製作して下さった尊像」、「T先生が精魂をこめて刻んで下さったお像のお顔」、「T先生が刻まれた仏頭」と述べ、現住職も、被控訴人Yも、書面での回答書において、Tが本件原観音像の共同制作者であること自体は特に争うことなく、本件訴訟において代理人弁護士の反論として初めてTが本件原観音像の共同制作者であることを争うに至った。
(オ) 以上によれば、本件原観音像は、T、R、J及び原告の4人を共同著作者とする共同著作物に該当する。
 特に、原告は、Rが脳梗塞で倒れた後の全体の仕上げ作業を中心となって行い、本件原観音像の木彫作業を完成へと導いているものであり、本件原観音像の制作に創作的に関与したものである。
(カ) これに対し被告らは、後記のとおり、本件原観音像を制作したのは、R及び被告Yの両名であり、原告は、本件原観音像の制作に関与していない旨主張する。
 しかし、原告がT、R及びJと互いに作業を分担し合い、共同して本件原観音像の制作作業を遂行したことは、前記(イ)cのとおりであり、他方で、被告Yは、本件原観音像の制作当時、Rに雇用され、その制作助手として、専らRが担当する作業をRの具体的な指示及び監督の下で補佐していたにすぎず、本件原観音像の制作に創作的に関与したものではない。
 したがって、被告らの上記主張は失当である。
イ 法14条による著作者の推定
(ア) 法14条は、「著作物の原作品に、・・・その氏名又はその雅号として周知のものが著作者名として通常の方法により表示されている者は、その著作物の著作者と推定する」旨が規定されている。
 そして、仏像彫刻の仏体内に著作者名を墨書することは、古くから広く一般に行われてきた。また、仏像彫刻の仏体内に著作者名として、「実制作者」である仏師の氏名又は雅号のみならず、「監修」者すなわち「編集の最高責任者」のような「制作全体の指揮者」である「大仏師」等の氏名又は雅号を墨書することも、古くから広く一般に行われてきたことである。
 このように仏像彫刻の仏体内に「監修」者又は「制作者」として墨書が施されている者は、「著作者名として通常の方法により表示されている者」に該当すると解するのが相当である。
 そして、前記のとおり、本件原観音像の体内(躯体の内部)及び足ほぞには、「監修T」、「制作者R J X」との墨書が施されているところ、「X」は原告の氏名であり、また、「T」は亡Tの雅号として、「R」は亡Rの雅号として、「J」はJの雅号としてそれぞれ周知のものである。
 そうすると、亡T(T)、亡R(R)、J(J)及び原告は、法14条に基づいて、いずれも本件原観音像の共同著作者と推定される。
ウ 小括
 以上のとおり、原告及びTは、本件原観音像の共同著作者である。
(2) 被告らの反論
 本件原観音像を制作したのは、R及び被告Yの両名である。原告は、本件原観音像の制作について全く関与していないか、少なくとも創作的な関与をしていないから、本件原観音像の共同著作者ではない。
 その理由は、以下のとおりである。
ア 本件原観音像の制作の経緯の主張に対し
(ア) R及び被告Yは、昭和62年以降、本件原観音像の木彫作業を開始し、平成元年9月にその木彫作業をすべて終了し、漆塗り・金箔貼り作業を残すのみとなった。したがって、本件原観音像を制作したのは、R及び被告Yの両名である。この間の昭和61年6月ころから昭和62年6月ころまでの約1年間、R及び被告Yの下で仏像彫刻の修行をしていたD(以下「D」という。)が本件原観音像の制作に補助的に関与したが、T、J及び原告は、いずれも本件原観音像の制作に全く関与していない。
 本件原観音像の制作の経緯は、次のとおりである。
a 昭和62年1月ころ、先代住職は、Rに対して駒込大観音の再建を依頼し、駒込大観音の再建計画が具体的に動き出した。
 Rは、駒込大観音の設計図を描き、それを基に檜材料の必要量を算出し、制作日数と必要経費などから制作費を算出した上で、被告光源寺に制作費用の概算を提示した。
 被告光源寺は、Rが示した制作費を受け入れ、本件原観音像の制作が開始された。
b 昭和62年5月5日までに、Rが発注した檜材料が、R及び被告Yの作業場である本件工房に搬入された。
 被告Yは、Dとともに、檜材料に電気鉋や手鉋で鉋をかけて水平面を作り、多数本の檜角材をボンドで接着して大きな木塊を作った。そして、Rが、仏頭部を制作するため、被告YとDが制作した木塊を彫り進めていった。
c 被告Yは、仏頭部を制作するための木塊を制作した後、体部や光背の制作に取りかかった。
 まず、被告Yは、Dとともに、檜材料に鉋をかけて水平面を作り、多数本の檜角材をボンドで接着して、光背を制作するためのテーブル状の木塊や体部を制作するための木塊を制作した。
 次に、被告Yは、唐草模様の中に七観音を表す梵字を配した光背の絵図面を描き、Rの承諾を得ると、テーブル状の塊を光背の形に彫刻し、そこに光背の絵図面を写して、電動ドリルやノミで彫り進めていった。その後、平成元年1月ころ、光背が完成した。
d Rは、昭和62年6月ころ、仏頭部の粗彫りを完了し、同年6月14日、本件工房を訪れた先代住職、Aらに対し、その仏頭部の確認を求めた。その際、Rは、先代住職らに対し、「お気に召さなければ作り直しましょうか。」と申し出た。これに対し、先代住職は、本件原観音像の仏頭部が未だ粗彫りの状態にすぎず、仏頭部の欠陥が顕在化しておらず、完成した場合にどのような顔になるのか不明であったことから、「せっかくお作りになったのですから、そんなことをしていただくつもりはありません。」と言って、Rの申出を断った。
e 被告Yは、仏頭部の粗彫りの完了後、体部に仏頭部を差し込む作業に取りかかった。
 まず、被告Yは、体部用の木塊をある程度粗彫りし、電動ドリルで仏頭の首部を差し込む数十センチメートルの深さの穴をあけた。
 一方、Rは高齢のため、重い道具を持って作業するとすぐに息切れし、膝関節も痛くなるという状態であったことから、重い電動ドリルを使用する作業や長時間立ちながらの作業(すなわち、体部用の木塊の粗彫りや首部を差し込む穴をあける作業)に携わることはできなかった。
 そのため、被告Yは、上記作業を一人でやらなければならず、仏頭部の粗彫りから仏頭部を体部に差し込むという一連の作業に1か月もの時間を要した。
 次に、R及び被告Yは、仏頭部の差し込み作業終了後、各部の彫刻を進めていった。
 被告Yは、寝かせて作業していた体部を、本件工房の天井に設置してあるチェンブロックを使って立たせ、その周りを囲むように鉄パイプの足場を組み立てた。そして、被告Yは、上記足場に昇り、チェンソーやノミなどを使用して本件原観音像の彫刻を進めていった。足場に昇って作業するためには、極めて不安定な姿勢が要求され、膝関節が悪いRが足場に昇って作業することができなかったため、被告Yが一人で上記作業を行った。
 被告Yは、体部の彫刻が進むと、肩腕部を落とし込み、ほぞで体部に取り付けるように段取りをするとともに、ひび割れの防止と仏像を軽くするため、仏像を寝かせて体部の前部と後部を離し、仏体内を空洞にする作業に取りかかった。
f 平成元年5月ころ、Rが脳梗塞を発症して突然倒れ、約1か月間入院した。
 被告Yは、Rが倒れるまでRとともに本件原観音像の制作に取り組んできた経緯があったことから、Rが退院するまでの間、本件原観音像の制作を進めることはなかった。
 ところが、Rの入院期間中に、原告が、突然、本件工房を訪れ、被告Yに本件原観音像の作業に関し、意見を挟もうとしてきた。被告Yは、それまで本件原観音像の制作に全く関与していなかった原告が、Rが病に倒れたことを契機として、突然、本件原観音像の制作に関与しようとしてきたことに納得することができず、その旨原告に伝えたところ、それ以降、原告が本件原観音像の制作に関与するために口を挟もうとしてくることはなくなった。
 また、Rの入院期間中に、先代住職は、本件工房において、空洞にされた仏体内に願文を記し、その後、「監修T」、「制作者RJ X」の文字が記されるとともに、被告Yも「Y」と記した。
g Rが平成元年6月に退院した後、本件原観音像の制作が再開された。
 平成元年6月ころの時点では、本件原観音像の制作作業は、既に最終的な仕上げの段階に入っていた。
 被告Yは、本件原観音像を寝かせ、彫刻刀で表面を滑らかにするなどの仕上げ作業を進めていった。
 Rは、退院後、言語障害や体の麻痺等の後遺症はほとんどなかったものの、体力の低下が著しかったため、被告Yの作業を見守り、本件原観音像の制作を進めることになった。
 その後、平成元年9月に本件原観音像の木彫作業がすべて終了し、漆塗り、金箔貼り作業を残すのみとなったことから、被告Yは、同月、Rから独立した。なお、被告Yは、昭和63年ころから、Rに対し、本件原観音像の完成後に独立したい旨の申出をし、Rも快諾していた。
h 先代住職は、平成元年10月ころ、Rから木彫作業が終了した旨の連絡を受け、Aと共に、同月10日、本件工房を訪れ、木彫作業が全て終了した本件原観音像の写真(乙30の1、2、31の1、2)を撮った。
 その後、先代住職は、本件原観音像の漆塗工程、その費用等に関する打合せをするため、塗師に連絡を取ったが、塗師の仕事が忙しかったため打合せの日程が入らなかった。また、本件原観音像を安置する観音堂(本件観音堂)の設計者の変更などもあった。そのため、平成2年の年明けになって、塗師、設計者、光源寺の関係者等の間で、漆塗りや金箔貼りに関する打合せを行うことができた。この打合せの中で、漆塗り・金箔貼り作業を行うための工房(本件漆塗り工房)を光源寺境内に建設すること、本件原観音像の火災保険の期間が満了する同年3月23日までに本件漆塗り工房に本件原観音像を搬入することが決められた。
 その後、本件漆塗り工房が完成し、同月12日、本件原観音像の本件漆塗り工房への搬入がされ、その搬入を記念する法要が執り行われた。
(イ)a T、J及び原告は、いずれも本件原観音像の制作に全く関与していない。
 まず、Tは、昭和61年ころから「脳軟化症」に罹患し、体調不良を訴えており、本件原観音像の制作が開始された昭和62年5月の時点では、87歳という高齢で、仏像制作の意欲が減じていただけでなく、軽い脳梗塞も発症していたため、事実上、仏像制作から引退しており、本件原観音像の制作に全く関与していない。
 本件原観音像の制作が開始されたころの、Tの健康状態について、原審の証人Dは、「基本的にはいらっしゃいまして、もう御高齢でございましたので、私の記憶では、直接ノミを取ってうんぬんという記憶はないんですけれども」(同証人調書12頁)と証言しており、Tは本件原観音像の制作に携われるような健康状態ではなかった。
 次に、Jは、昭和55年ころには、病気を患い、ほとんどの時間を自室で過ごす状態にあり、本件原観音像の制作当時も病状が改善することはなく、病気のため自室にこもることが多く、本件原観音像の制作に全く関与していない。
 さらに、原告は、現代美術における抽象的な彫刻の作成を専門とし、本件原観音像の制作当時、行動美術協会展などの展覧会に出品する作品の制作に取り組んでいた上、武蔵野美術大学に講師として勤務していたことから、本件原観音像の制作を手伝うことができる時間的余裕がなかったため、本件原観音像の制作に全く関与していない。
b また、仮に被告Yが独立した後の平成元年10月以降、原告が何らかの仕上げ作業を実施していたとしても、その作業は、最終工程での確認程度であり、創作的な関与といえるものではないから、原告は、本件原観音像の共同著作者ではない。
(ウ) 原告主張の甲1、34、44は、原告が本件原観音像の制作作業に従事していたことを示す根拠にはならない。
 まず、平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)におけるRの紹介記事において「(常に仕事を共に続ける弟・J氏、X氏(行動美術会員)は大きな支えとなった」との文章があり、これを見ると、R、J及び原告の3人の兄弟は、ずっと一緒に作業をしていたかのようである。しかし、原告は、フランス留学から帰国して以降、TやRらとは全く別に茨城県取手市にアトリエを構え、大学の講師や行動美術協会での活動など、TやRらとは異なった活動を主体的に行っていた。原告が、R及びJとずっと一緒に作業を行ってきた事実は存在しない。加えて、上記紹介記事によれば、Rは平成7年ころも意欲的に仏像彫刻を行っていたかのようにみえるが、そのような事実はないなど、上記紹介記事は、極めて信頼性が低く、原告が本件原観音像の著作者であることの根拠としては薄弱である。
 このように、原告は、N家から離れて、全く独自の存在として、抽象彫刻や行動美術などの芸術的活動に従事していた。原告は、N家の兄弟の中で、唯一、仏師としての名前を持たず、仏像を手がけたことは数回あるものの、仏教美術協会の会員となることもなかった。本件原観音像が、Rが制作した仏像の中で最大のものであったとしても、原告が本件原観音像の制作に関与したことを意味するものではない。
 次に、医師Z作成の昭和63年7月30日付け紹介状(甲34)には、Tについて「O先生の菩提寺の観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」との記載があるが、被告光源寺の檀家には、Oという医師又はその縁者は存在せず、「O先生の菩提寺の観音像」は、本件原観音像を示しているとは考え難い。また、そもそも医師Zなる人物が、どの程度本件原観音像をめぐる事実関係を正確に認識していたかも不明であり、前記記載部分の証拠価値が著しく低いことは明らかである。
 さらに、先代住職の七回忌法要の際の席次表(甲44)において、現住職のAが原告について「再建駒込大観音の共同彫刻家」と紹介しているのは、原告が本件原観音像の制作には携わっていなかったため、原告を「再建駒込大観音の仏師」(本件原観音像の制作に携わった者という趣旨)と紹介するのは偽りになるが、N家の名代として招いた原告を、本件原観音像とは無関係の者と紹介することもできなかったため、苦し紛れに本件原観音像の「共同彫刻家」としたものである。一方、席次表の「X」の記載の一つ上には、「F様」という記載があるところ、「F」は、本件原観音像に漆を塗り、金箔を貼った者であるため、「再建駒込大観音の塗師(漆・金箔)」と紹介したものである。また、仮に原告が本件原観音像の制作に携わっていたとすれば、木彫作業を行った者と漆塗り・金箔貼り作業を行った者との間における本件原観音像を完成させるための寄与度(制作に携わった時間や費やした労力)を比較すると、木彫作業を行った者の方が高いから、原告を「F」よりも「正面」に近い上座の席を用意したはずであるが、実際には、「F様」の下座になるところに原告の席を用意した。
 このように席次表の「再建駒込大観音の共同彫刻家」との記載は、本件原観音像の制作には関わっていないことを示す記載であって、原告が本件原観音像の著作者であることを裏付ける資料とはいえない。
(エ) 先代住職及び現住職Aらが撮影した写真のうち、原告の写っている写真は一枚も残っていないこと、先代住職及び現住職Aらが本件工房を訪れた際、原告を一度も見かけたことがなかったことに照らすならば、原告は、本件原観音像の制作に関与していないと推認するのが合理的である。
 原告は、二階の作業場で作業を実施していたなどと供述主張する(原告の本人調書20頁)。しかし、二階に寝床のような細長い作業場が存在するものの、小品の彩色ができる程度のものであり、戦後最大規模を誇る本件原観音像の各部を搬入・搬出することは不可能である。原告が写真に写っていないことを正当化するための供述である。
 木彫作業は、平成元年10月ころまでには完成しており、そのため、現住職がプロのカメラマンH(以下「H」という。)に依頼して、写真を撮影してもらったものであり、そのような特別な撮影においても、原告が写真に写っていないことは不自然である(乙28)。
(オ) 原告は、本人尋問において、「特に、搬入直前の3週間位はほぼ毎日徹夜でそれこそ死に物狂いで作業にあたりました。」(甲37の原告陳述書4頁)などと述べるにもかかわらず、他方、本件原観音像の制作に対する報酬を受け取っていないと供述している。多大な労力を費やしているにもかかわらず、何らの報酬も受け取らないということは不合理であり、この供述は、原告が本件原観音像の制作に関与していないことを示している。
(カ) 原告は、本人尋問において、陳述書どおりである旨回答するのみで、本件原観音像の制作過程について、ほとんど供述をしなかった。また、わずかな供述内容によっても、光背の制作に関し一旦「(光背の設計図は)作っていない」(原告の本人調書23頁)旨供述したにもかかわらず、その直後、再度確認を求められると「いや、小さなものはやっぱり書いて」(同本人調書24頁)、「A4ぐらいの紙に書いて」(同頁)などと供述するなど、相矛盾する虚偽の供述をしている。また、化仏についても、「化仏には手がないですよ。」(同本人調書27頁)と事実と異なる供述をしている。
 以上のような供述内容に照らすと、原告が本件原観音像の制作に関与していないことは疑う余地がない。
(キ) 以上のとおり、原告、T及びJは、本件原観音像の共同著作者ではない。
イ 法14条による著作者の推定の主張に対し
(ア) 原告は、本件原観音像の体内や足ほぞに、「監修者T」、「制作者R J X 弟子Y」と墨書されていることを根拠に、法第14条により、原告が本件原観音像の共同著作者である旨主張する。
 しかし、同条は、「著作者と推定する」ことを定める規定であり、前記アのとおり原告が本件原観音像の制作に全く関与していないことは、被告Yの供述、写真(乙8ないし23)などの本件証拠から明らかであり、推定を妨げる事情がある。
 本件原観音像の制作に関与した旨の原告の供述は、重要な部分に多くの変遷があり、その供述内容自体に不自然・不合理な点が多数存在し、客観的な証拠にも一致しないものであり、信用性は極めて低い。
 したがって、原告の前記主張は、理由がない。
(イ) 原告は、本件原観音像の体内や足ほぞに、「監修T」と記載されていることから、法14条により、Tは本件原観音像の著作者と推定される旨主張する。
 しかし、美術業界においても「権威づけ」のために名目的に著名人の名前を監修者として掲げることがあることからすれば、監修者としての記載がされている者は、同条の「著作物の原作品に・・・著作者名として通常の方法により表示されている者」に該当するものではなく、著作者としての推定を受けるということはできない。
 したがって、原告の前記主張は、理由がない。
(ウ) 本件原観音像の仏体内及び足ほぞに記載されているT、J及び原告の氏名は、本件原観音像の体部を破壊するか、台座から本件原観音像を取り外さない限り、その存在すら確認できないものであり、当該箇所に原告の氏名が記載されていることを知っている者はわずか数名であることから、「通常の方法により表示されている」とはいえず、法14条が想定している表示でなく、同法の適用はない。
ウ 小括
 以上によれば、原告が本件原観音像の共同著作者であるとの原告の主張は、理由がない。
2 争点2(原告の同一性保持権侵害に基づく差止等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 原告は、本件原観音像の共同著作者であり、本件原観音像について著作者人格権(同一性保持権)を有している。
イ(ア) 原告は、平成15年ころ、光源寺の現住職のA(被告光源寺代表者)から、本件原観音像の顔の表情が厳しいので、仏頭部をすげ替えたいが、了承してもらえないかなどと申入れを受けた。しかし、本件原観音像のように開眼法要(開眼落慶法要)を済ませた仏像は、単なる彫刻ではなく、信仰の対象たる仏様になるものであり、そのため保存修復のために最小限必要な場合を除けば、たとえその制作者であってもその仏像に手を加えることが許されなくなることは、仏教関係者あるいは仏像彫刻に携わる者にとって常識であること、Aの前記申入れの趣旨は、本件原観音像の仏頭部のすげ替えを既定事項とし、かつ、そのすげ替えに原告の関与を予定しないものであったことなどから、即座に前記申入れを断った。
 しかるに、被告らは、原告が本件原観音像について著作者人格権(同一性保持権)を有しており、かつ、原告には本件原観音像の仏頭部のすげ替えを了承する意思がないことを承知しながら、被告光源寺においては被告Yに対して本件原観音像の仏頭部のすげ替え作業を依頼し、これを受けて被告Yにおいては同作業を実施したことにより、共同して、原告が本件原観音像について保有する同一性保持権を故意に侵害した。
 そして、被告光源寺は、前記のとおり自らが主導して本件原観音像の仏頭部をすげ替えた後、そのすげ替えられた状態のままの本件原観音像(すなわち、本件観音像)を本件観音堂内に祀り、原告からの再三にわたる仏頭部の原状回復要求に一切応じることなく、参拝する公衆の観覧に供し続けているものであり、このような被告光源寺の一連の行為は、全体として、原告が保有する本件原観音像についての同一性保持権を故意により不断に侵害し続けているというべきである。
(イ) 法20条1項は、著作物が著作者の人格が具現化されたものであることにかんがみ、著作物に具現化された著作者の思想や感情の表現の完全性あるいは同一性を保持するために著作者に対し、著作者人格権として、「その著作物」の「同一性を保持する権利」を認めたものである。したがって、いかなる行為を同一性保持権の侵害行為としてとらえるかは、上記のような同条項の本来の趣旨に則り、実質的かつ規範的に検討されるべきであって、少なくとも、同条項の「改変を受けないものとする」との文言部分に拘泥して同一性保持権の意味内容を単なる改変禁止権にすぎないと矮小化するような限定解釈を行うべきではない。
 すなわち、被告光源寺の前記(ア)の一連の行為は、原告による事前の明示の意思に反して、当初から最後まで一貫した明確な故意に基づき、仏像彫刻における表現上最も重要な部位というべき本件原観音像の仏頭部を全面的にすげ替えた上、そのすげ替えの事実を原告に対して報告することも、一般に周知することもないまま、仏頭部がすげ替えられた状態の本件観音像を今日に至るまで不特定多数の一般公衆の観覧に供し続けているものであり、かかる確信犯的な行為に対し同一性保持権の侵害行為であるとの評価を下すことができないとしたならば、著作者にとって同一性保持権はまさしく画餅に等しいものとなるというべきである。
ウ 被告光源寺は、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、「Rらの意に反する改変」に当たらない、「やむを得ないと認められる改変」(法20条2項4号)に該当するから、同一性保持権侵害に当たらない旨主張する。
 しかし、被告光源寺の上記主張は、以下のとおり失当である。
(ア) 著作者であるRらの意に反すること
 11体の化仏(正確には、化仏と変化面)を付された仏頭部は、木彫十一面観音菩薩立像である本件原観音像において、著作者であるRらの思想又は感情を表現するに当たり、重要な部分である。修繕の必要がないにもかかわらず、仏頭部をすげ替える行為は、Rが生前それを許諾していたなどの特段の事情が存しない限り、当然にRらの意思に反するものと評価されるべきである。
(イ) 「やむを得ないと認められる改変」に当たらないこと
 同号所定の「やむを得ないと認められる改変」に当たる場合とは、仏像の仏頭部に修繕の方法として部分的修復では足りずその全体のすげ替えを選択せざるを得ないような重大かつ深刻な破損を生じた場合、又は、本件原観音像の仏頭部について、そのままではおよそ仏像としての用をなさない重大な欠陥が存する場合に限られるというべきである。
 本件においては、そのような場合に当たらないから、「やむを得ないと認められる改変」に該当しない。
 また、本件観音堂の奥行きが小さいため、拝観者が本件原観音像を拝むためには見上げる必要があり、それにより拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなかったが、これは、先代住職の要望により、本件観音堂の外から窓を通して拝観されることをも念頭において本件原観音像を制作したためである。なお、Rが本件原観音像の完成後に本件原観音像が下を向くように、強引に眼球面を彫刻したなどという事実はない。
 原告は、平成6年ころ、本件原観音像の修繕を行ったが、同修繕は、被告光源寺から、本件原観音像の目を彩色した際の胡粉地が剥がれ落ちたので、修繕してもらいたい旨の依頼を受けて行った胡粉地を補修する作業であり、本件原観音像の表情や左右の眼の木彫自体について修繕を行ったものではない。
 加えて、本件原観音像がT、R、J及び原告により制作されたことは、周知の事実であること、本件原観音像がその仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変を受けていること、その改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、長谷寺式十一面観音像の様式や特徴(「堂々とした」、「威厳」等)を踏まえて構想及び設計された本件原観音像の像容の特質(「天平期(奈良時代後期)の観音像のような立体感ある力強いもの」ないし「単なる慈悲深さだけではなく、観る者に威厳と力強さを感じさせる像容。以下同じ。)への配慮を欠く内容となっていること、その改変行為が原告の事前の明示の不承諾の意思に反して実行されていること、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替えは、信者や近隣住民らの総意に基づくものでもないこと等諸般の事情に照らすならば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、「やむを得ないと認められる改変」に該当するものではない。
エ したがって、原告は、被告光源寺が継続して行っている前記イ(ア)の同一性保持権侵害行為を停止するため、法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、前記侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、同条2項に基づき、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
ア 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について同一性保持権を有するものではない。
イ 本件原観音像の仏頭部の交換は、法20条1項所定の「(著作者であるRの)意に反する変更、切除その他の改変」に該当せず、また、同条2項4号の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当する。
 その理由は、以下のとおりである。
(ア) 著作者であるRの意に反する改変に当たらないことについて
a 本件原観音像の仏頭部は、Rの思想又は感情を表現する上で重要な部分であり、仏頭部に関する「お気に召さなければ作り直しましょうか」というRの発言には、Rの真意がそのまま反映されている。
 Rが仏頭部の出来映えに満足しているのであれば、たとえ制作途中であったとしても、仏頭部を「作り直す」ことなど微塵も考えず、そのような発言をすることなどあり得ないのであるから、Rの前記発言は、仏頭部の出来に満足していなかったことを示すものである。
 Rは、深く信頼している被告Yに対しても、本件原観音像の出来に不満を感じており、作り直しを考えている旨伝えていた。
 Rが本件原観音像の仏頭部の出来については満足していなかったことは明らかである。
b Rは、被告光源寺からの依頼に応じて、原告をして本件原観音像の変化面の胡紛(眼)の剥離の修復に加え、批判が殺到した悪相の主因であった本件原観音像の眼のバランスの修繕を試みさせている。Rが本件原観音像の仏頭部の出来に満足していれば、被告光源寺からの依頼であっても、本件原観音像の仏頭部の修繕に応じるはずがなく、この本件原観音像の眼のバランスを修繕させている事実自体が、Rが本件原観音像の仏頭部の出来に満足していなかったことを示している。
 Rが、本件原観音像の仏頭部を作り直さなかったのは、脳梗塞を患い体力が著しく低下し、自ら作り直すことが不可能になったからである。
c 昭和63年8月23日から1週間、Rは、仏頭部を、日本橋三越百貨店で開催された第35回仏教美術彫刻展に出展し、また、平成5年5月18日に執り行われた本件原観音像の開眼法要(開眼落慶法要)の際に、本件原観音像の制作について、「・・・一生懸命やりました。出来映えはまあまあというところだと思います。」と挨拶したが、これらの事実から、Rが、仏頭部の交換を意図していないと推認することはできない。
 すなわち、Rは、仏教美術教会の会員であって、仏教美術彫刻展への出展が義務づけられていること、昭和63年8月の時点では、仏頭部は、粗彫りが終わったという段階にすぎず、本件原観音像の完成した表情を確認できる状況にはなかったこと、R自身は、本件原観音像の仏頭部に重大な欠陥が存在することに気付いていなかったことから、仏教美術彫刻展へ出品してしまったものにすぎない。
 また、Rの開眼落慶法要の場での発言については、開眼落慶法要という本件原観音像の完成を祝う場において、本件原観音像の制作者であるRが、注文者である被告光源寺及びすべての関係者を面前にして、「本件原観音像の出来に満足していない。」などと発言することは不可能であったため、「出来映えはまあまあ」という表現を使ったにすぎない。Rが本件原観音像の出来に満足しているのであれば、祝いの場での挨拶である以上、「出来映えについては申し分ない」などと、率直に本件原観音像の出来を褒める発言をしたはずである。
 「出来映えはまあまあ。」という表現は、自身の気持ちにを素直に感想を述べることも出来ない祝いの席において、本件原観音像の出来には満足はしていなかったことを端的に表す発言といえる。
(イ) 「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当することについて
a 本件原観音像は、台座から光背まで約6メートルあるのに対し、本件観音堂は、奥行きが小さかったため、本件観音堂に祀られた本件観音像を拝むためには急角度で見上げる必要があり、急角度で見上げる拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなくなってしまった。そこで、Rは、急遽、本件原観音像が下を向くように、強引に眼球面を彫刻したため、上まぶたが仏像の慈悲の表現を表す「半眼」にならず、しかも、下から見上げると、本件原観音像は、驚いたように又はにらみつけるように眼を見開いた表情になってしまった。
b 平成5年5月18日、光源寺において、本件観音堂に安置された本件原観音像の開眼落慶法要が執り行われた。
 開眼落慶法要を済ませた観音像は、単なる彫刻ではなく、信仰の対象たる存在になる。すなわち、拝観者らは、慈悲深い表情を投げかける観音像を拝むことによってその信仰心を深めていくのであるから、開眼落慶法要後の観音像は、そのような信仰の対象たる存在になる。
 このように、仏像の表情は、拝観者らの信仰、ひいては、憲法で保障される信教の自由が具体化される極めて重要な意義を有する。
 本件原観音像は、開眼落慶法要以降、一般に公開されたが、被告光源寺に対して、信者や拝観者から「駒込大観音を拝むと違和感を覚える」という苦情や、檀家総代から「大変申し訳ないが、せっかくの観音様がこれでは、光源寺へお参りするのもためらってしまいます。なんとかなりませんか。」という要望が多く寄せられるようになった。
c 被告光源寺は、信者や拝観者からの本件原観音像の表情に関する苦情を放置することができず、やむなく、平成6年ころ、Rに対し、本件原観音像の左右の眼の修繕を依頼した。
 ところが、Rは、脳梗塞の後遺症や高齢のため自ら本件原観音像の修繕をすることができず、原告を派遣して、本件原観音像の眼の修繕を行わせた。
 原告は、一旦は、本件原観音像の眼の削り直し作業を行ったが、被告光源寺が本件原観音像を確認すると、依然として左右の目が上下バラバラであったことから、原告に対してその旨伝えるとともに、再度修繕を依頼した。
 原告は、被告光源寺の依頼に応じて再度修繕したが、左右の眼のバランスは直らず、本件原観音像の表情を修繕することはできなかった。
 そして、原告による修繕後も、依然として、信者や拝観者らから「駒込大観音を拝むと違和感を覚える」という苦情や「せっかくの観音様ですので、何とかなりませんか」という要望が多数寄せられた。
d 被告光源寺は、信者や拝観者らの信仰心を尊重し、本件原観音像の仏頭部をすげ替えるのもやむを得ないと考え、平成15年ころ、原告に対して、その旨説明した上で、仏頭部のすげ替えを了承するよう求めた。しかし、原告は、被告光源寺の説明を真摯に聞こうともせず、上記依頼を拒絶した。
e 被告光源寺は、原告の態度から、仏頭部のすげ替えを了承してもらうことは不可能であると考えるに至ったが、本件原観音像が信仰の対象である以上、信者や拝観者の意向を無視して放置することもできなかった。そこで、被告光源寺は、本件原観音像の制作者の一人であり、長年にわたるRとの仕事を通じて、Rの心を知り尽くしている被告Yに、本件原観音像の眼差し及びバランスの修繕を依頼した。被告Yは、現住職の依頼を引き受けることは、本件原観音像の仏頭部の欠陥を把握してその作り直しを希望していたRの悲願を叶えることになるとして、これを受諾した。
f 被告Yは、本件原観音像の仏頭部の彫り直しを検討したが、彫り直したとしても、左右の眼のバランスと眼差しの異様さを直すことはできないと考え、仏頭部を新たに作り直すことにした。本件原観音像の左右の眼差し及びバランスを修繕するためには、仏頭部の前面を切り取り、再度、彫り直すことが必要であったが、その場合には、顔の輪郭線を巧く彫り上げることができず、被告Yは、やむなく、新たに仏頭部を作り直すこととした。
g 仏頭部では、見開いたような眼は改められ、多くの信者からの安堵、賞賛の言葉が寄せられている。このように、被告らが本件原観音像の仏頭部をすげ替えたのは、ひとえに信者や近隣住民の信仰心を尊重したからであり、それ以外の理由はない。
 しかも、被告らは、仏頭部のみを交換し、必要最小限に留めている。
h したがって、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、その目的や態様、著作物が信仰の対象という特殊性があること等に照らし、「やむを得ないと認められる改変」に該当する。
ウ 以上によれば、本件原観音像についての原告の同一性保持権侵害を理由とする原告の請求は、いずれも理由がない。
3 争点3(原告の法115条に基づく原状回復等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 法115条は、「著作者・・・は、故意又は過失によりその著作者人格権・・・を侵害した者に対し、著作者・・・であることを確保し、又は訂正その他著作者・・・の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求することができる」旨規定する。
 同条の規定による名誉声望回復等の措置としては、@主に氏名表示権の侵害に対応する「著作者であることを確保するために適当な措置」、A主に同一性保持権の侵害に対応する「訂正するために適当な措置」、B法113条6項等の名誉声望毀損関係行為に対応する「その他著作者の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置」の三つの措置を定めており、名誉声望ないし社会的名誉の毀損が要件とされるのは、Bの請求に限定されると解すべきである。
 したがって、「訂正するために適当な措置」を求めるには著作者の名誉又は声望の毀損は要件とはならず、同一性保持権が侵害されたこと、その改変著作物が社会に流布し、救済手段として訂正措置が適当となったこと、その権利侵害が侵害者の故意又は過失に基づくことが充足されれば、それに加えて社会的評価の低下を問うことなく、流布状況に応じた訂正措置が認められるべきである。
 そして、被告らが本件原観音像についての原告の同一性保持権を故意に侵害したこと、本件原観音像がT、R、J及び原告により制作されたものであることは周知の事実であること、被告らが行った改変は、本件原観音像の仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変であること、改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、本件原観音像が長谷寺式十一面観音像であることにも配慮されない態様となっていること、原告による再三にわたる侵害警告にもかかわらず被告らが不誠実な態度に終始し、かつ、被告光源寺は今日に至るまで改変後の本件観音像を公衆の観覧に供し続けていること等の諸般の事情を考慮するならば、原告は、被告光源寺に対し、法115条に基づく「訂正するために適当な措置」として、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復すること、本件観音像について、上記原状回復までの間、一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めることできる。
イ また、光源寺の檀家、信者、近隣住民等の多数の者の間においては、T、R、J及び原告が本件原観音像を共同制作したことは、@本件原観音像の復興に関する新聞等での報道、A被告光源寺において原告らの出席の下で執り行われ、新聞等でも報道された開眼落慶法要、B被告光源寺が主催した先代住職の七回忌法要において住職のAが出席者の席次表(甲44)に原告を「再建駒込大観音の共同彫刻家」と明記して多数の出席者に対して紹介したこと等から明らかなとおり、広く知られた事実であった。
 このような多数の者における原告の名誉又は声望に対する評価は、被告光源寺において被告Yに依頼して本件原観音像の仏頭部のすげ替え作業を実行させ、それが檀家、信者、近隣住民等に了知されたことにより、著しく毀損されたものである。
 そうすると、原告は、被告光源寺に対し、法115条に基づく「名誉若しくは声望を回復するために適当な措置」として、本件原観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復させること、本件観音像について、上記原状回復までの間、一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について著作者人格権を有していない。
 したがって、原告が本件原観音像について著作者人格権を有することを前提とする原告の請求は、いずれも理由がない。
4 争点4(法116条6項所定の原告の著作者人格権のみなし侵害に基づく措置請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 著作物を改変して利用するような一連の全体としての行為が、当該改変及び利用態様の如何により、著作者の創作意図を外れ、それに疑いを抱かせるような場合には、法113条6項所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に当たり、著作者人格権の侵害行為とみなされると解すべきである。
 そして、被告光源寺は、本件原観音像の仏頭部をすげ替えた後、そのすげ替えられた状態のままの本件原観音像(すなわち、本件観音像)を本件観音堂内に祀り、参拝する公衆の観覧に供し続けているものであり、このような被告光源寺の一連の行為は、@被告光源寺に対して示された原告の明示の不承諾の意思に反することはもとより、仏教関係者ないし仏像彫刻家にとって常識的な仏師一般の信条にも反すること、A本件原観音像についてその仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変を施し、その改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、本件原観音像が長谷寺式十一面観音像の様式や特徴を踏まえた本件原観音像の像容の特質への配慮を欠く内容となっていることに照らすならば、原告の創作意図を外れたものであることは勿論のこと、一般公衆において本件原観音像の著作者の創作意図に疑いを抱かせるものであって、原告の名誉又は声望を現実に害したものであるか、少なくとも害するおそれがあるものであるから、「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するというべきである。
 また、被告光源寺が、仏頭部をすげ替え、すげ替えたの後の本件観音像を一般公衆の観覧に供することは、檀家、近隣住民、参拝者、及び不特定多数の一般人にとって、本件原観音像の制作者は、仏頭部がすげ替えられてしまうような観音像しか制作し得なかったとの認識を持つおそれが生じることに照らすならば、本件観音像を一般公衆の観覧に供することは、「名誉又は声望を害する方法により」本件原観音像を「利用」する行為に該当するといえる。
イ したがって、原告は、被告光源寺による原告の著作者人格権のみなし侵害行為を停止するため、法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、上記侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、同条2項に基づき、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について著作者人格権を有していない。
 したがって、原告が本件原観音像について著作者人格権を有することを前提とする原告の請求は、いずれも理由がない。
5 争点5(二次的著作物の原著作物の著作権としての展示権を侵害したことよる差止等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 原告は、本件原観音像の共同著作者であり、Rが死亡した平成11年9月28日以降、同じく共同著作者であるJと共に、本件原観音像について著作権を共有している。
 被告らによって本件原観音像の仏頭部がすげ替えられた本件観音像は、本件原観音像の二次的著作物の原作品であるから、原告は、法28条、25条により、二次的著作物の原著作物の著作者として、本件観音像の展示権を専有している。
 そして、被告光源寺は、本件観音像を本件観音堂内に祀り、原告からの再三にわたる仏頭部の原状回復要求に一切応じることなく、参拝する公衆の観覧に供し続けているから、原告の前記展示権を侵害している。
イ したがって、原告は、被告光源寺による原告の上記展示権の侵害行為を停止するため、法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、上記侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、同条2項に基づき、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について著作権(展示権)を有していない。
 したがって、二次的著作物の原著作物(本件原観音像)の著作者としての本件観音像についての展示権侵害を理由とする原告の請求は、いずれも理由がない。
6 争点6(原告の損害額)について
(1) 原告の主張
ア(ア) 被告らによる同一性保持権侵害行為(前記2(1))又は著作者人格権のみなし侵害行為(前記4(1))の不法行為により原告が被った損害は、以下のとおり合計600万円を下らない。
a 慰謝料 500万円
 原告の経歴、本件原観音像の制作経緯、本件原観音像の仏像彫刻としての高い価値、被告らによる本件原観音像の重要部分の故意に基づく大幅な改変、被告光源寺による多数の一般公衆に対する改変後の本件観音像の継続的な供覧、原告の侵害警告に対する被告らの不誠実な対応等の諸般の事情を考慮すれば、被告らによる同一性保持権侵害行為又は著作者人格権のみなし侵害行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、500万円を下らない。
b 弁護士費用 100万円
 被告らによる同一性保持権侵害行為又は著作者人格権のみなし侵害行為と相当因果関係のある原告の弁護士費用相当額の損害は、100万円を下らない。
(イ) したがって、原告は、被告らに対し、同一性保持権侵害の不法行為又は著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償として、600万円及びこれに対する被告光源寺について平成19年9月22日、被告Yについて同月23日(同一性保持権侵害に係る不法行為の後である各訴状送達の日の翌日)から又は被告らについて平成20年8月29日(著作者人格権のみなし侵害に係る同月27日付け訴え変更の申立書送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めることができる。
イ(ア) 被告光源寺による同一性保持権侵害行為又は著作者人格権のみなし侵害行為により将来にわたり原告が被り得べき精神的苦痛に対する慰謝料は、本件口頭弁論終結日の翌日から被告光源寺が本件観音像についてその仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまで1か月につき10万円を下らない。
(イ) したがって、原告は、被告光源寺に対し、同一性保持権侵害の不法行為又は著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償として、平成21年12月22日(本件口頭弁論終結日の翌日)から被告光源寺が本件観音像についてその仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまで毎月末日限り1か月につき10万円の支払を求めることができる。
(2) 被告らの反論
 原告の主張は争う。
7 争点7(T及びRの人格的利益の保護のための原状回復等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア(ア) T及びRは、本件原観音像の共同著作者の一人であるが、いずれも被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為前に、死亡した。原告は、Tの子であり、かつ、Rの弟であるから、T及びRの「第一順位の遺族」(法116条2項)である。
 そして、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、T及びRが存しているとしたならば、T及びRの意に反するものであって、同一性保持権侵害行為(法20条)に当たり、また、名誉、声望を害する方法による著作物の利用行為(法113条6項)に当たる。
 したがって、被告光源寺が本件原観音像の仏頭部をすげ替えて、そのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、T及びRが存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為(法60条本文)に当たるというべきである。
(イ) これに対し被告光源寺は、後記のとおり、R等の「意を害しないと認められる場合」(法60条ただし書)に当たるから、同条本文による禁止の対象とはならない旨主張するが、失当である。
 すなわち、被告光源寺は、Rが本件原観音像の仏頭部を作り直すべきであると考えていたかのように主張しているが、そのような事実は存しない。このことは、R自身が本件原観音像の制作当時の仏頭部を仏教美術彫刻展に出品した事実(甲4、5)からも明らかである。
 また、仮にRが本件原観音像の仏頭部を作り直すべきであると考えていたとしても、本件において、被告らは、故意に、共同して本件原観音像の仏頭部をすげ替えて、被告光源寺は、すげ替え後の本件観音像の公衆への供覧を継続している。Rは、本件原観音像の制作者として公示されているので、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為により、Rの社会的な名誉又は声望が著しく毀損されたものであることは明らかである。
 また、仏頭部をすげ替えた本件観音像を公衆へ供覧し続けている行為も、同様に、Rの社会的な名誉又は声望を著しく毀損し続けるものである。
 したがって、被告らの行為は、法60条ただし書所定の「著作者(R等)の意を害しないと認められる場合」に該当しない。
イ 前記ア(イ)のとおり、被告光源寺が本件原観音像の仏頭部をすげ替えて、そのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、T及びRの名誉又は声望を毀損するものである。
ウ したがって、原告は、T及びRの遺族として、法20条、113条6項、116条1項、112条(前記2(1))、115条(前記3(1))に基づき、また法112条1項、2項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
ア Tは、本件原観音像の共同著作者ではなく、本件原観音像について著作者人格権を有していないから、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、Tが存していたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為に該当しない。
イ Rは、本件原観音像の著作者である。
(ア) しかし、以下の事情によれば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、「著作者の意を害しないと認められる場合」(法60条ただし書)に当たるから、同条本文による禁止の対象とはならない。
a Rは、昭和62年6月ころ、本件観音像の仏頭部の荒彫りが完成した際、先代住職に対し、「お気に召さなければ作り直しましょうか。」と申し出るなど、仏頭部の出来映えに不満を抱いており、これを作り直すことも考えていた。
 そして、平成5年5月18日に行われた開眼落慶法要において、本件原観音像の仏頭部の欠陥が顕著に現れた。すなわち、漆・金箔を貼られた本件原観音像は、驚愕しているかのように睨みつけるような表情をしており、仏の慈悲の表情を表す半眼になっておらず、観音様の包み込むような慈悲深い表情が全くなかった。
 そのため、Rも先代住職も、「長い制作年月を費やしてたどり着いた開眼法要の祝いの場であるというのに、このようなお顔では」と落胆していた。
 このように、Rは、本件観音像の制作を通じて、仏頭部の出来映えに満足しておらず、作り直すことも検討していたが、平成元年5月に入院して以降、体力や気力の低下が著しく、再度、仏頭部を作り直すことは、事実上、不可能であった。
 そして、Rは、体力や気力が回復することなく、平成11年9月28日に死亡した。
b 以上のとおり、Rは、体力や気力の問題から本件原観音像の仏頭部を作り直すことができなかったにすぎず、本件原観音像の仏頭部の出来には満足しておらず、作り直すことも検討していた。
 被告Yは、長年にわたって、Rと共に本件原観音像の制作に携わっていた者であり、互いに尊敬し合う関係にあった。そして、被告Yは、本件原観音像の仏頭部の作り直しを真剣に検討していたRの心情や被告光源寺の真情をくみ取り、被告光源寺の依頼により、本件原観音像の仏頭部を作り直したにすぎないから、Rの「意を害しないと認められる場合」(法60条ただし書)に該当する。
c Rの名誉又は声望が害されたという事実はない。
(イ) 被告らが本件原観音像の仏頭部を作り直した行為は、法20条1項所定の「その意に反(する)・・・改変」に該当しないものであり、また、同条2項4号所定の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当する。
(ウ) 被告らが本件原観音像の仏頭部を作り直した行為は、法113条6項所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当しない。
ウ したがって、法116条1項に基づく原告の請求は、いずれも理由がない。
8 争点8(謝罪広告請求及び訂正広告請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為が、法20条1項所定の同一性保持権侵害行為、法113条6項所定の著作者人格権のみなし侵害行為に当たり、それらの行為により、原告、T及びRの名誉又は声望が毀損されたことは、前記3(1)、4(1)及び7(1)のとおりである。
 そして、金銭賠償のみでは、原告、T及びRの名誉又は声望が回復され得るものではないこと、被告らが行った改変は、本件原観音像の仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変であること、改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、本件原観音像が長谷寺式十一面観音像であることにも配慮されない内容となっていること、原告による再三にわたる侵害警告にもかかわらず被告らが不誠実な態度に終始し、かつ、被告光源寺は今日に至るまで改変後の本件観音像を公衆の観覧に供し続けていること等の諸般の事情を考慮すれば、被告らをして原告については別紙謝罪広告目録1記載の謝罪広告を、T及びRについては同目録2記載の謝罪広告を掲載させる程度のことであれば、原告の名誉又は声望を回復する措置として、T及びRの名誉又は声望を回復する措置としてそれぞれ必要最小限かつ相当なものである。
イ したがって、原告は被告らに対し、原告、T及びRの有する法115条所定の権利が侵害されたものとして、自らの権利行使として、またT及びRの遺族として、法116条1項に基づき、原告、T及びRの名誉又は声望を回復するために適当な措置として、別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告(訂正広告を含む。)を求める。なお、訂正広告請求は、Rの名誉・声望の低下又は高まる機会の喪失の有無及びその回復の必要性の有無にかかわらないものとして請求するものである。
(2) 被告らの反論
 原告、Tは、本件原観音像の著作者ではなかった。
 また、本件原観音像の仏頭部を作り直すことは、Rの意思に沿うものであった。Rは、本件原観音像の仏頭部の出来映えに不満を抱いていたものの、それを作り直すだけの体力も気力も残っていなかったため、これを成し遂げることができなかった。したがって、本件原観音像の仏頭部の作り直しは、法60条ただし書所定の「その行為の性質及び程度、社会情勢の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合」に該当するものであり、Rの著作者人格権を侵害しない。
 また、本件原観音像の仏頭部の作り直しは、法20条1項所定の「その意に反(する)・・・改変」に該当しないものであり、また、同条2項4号所定の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当し、また、法113条6項所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するものではない。法60条本文所定の「著作者人格権の侵害となるべき行為」に該当しない。
 したがって、法116条1項に基づいて、Rの名誉又は声望を回復するために適当な措置として、別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告(訂正広告を含む。)を求める原告の各請求は、失当である。
〔当審における争点に係る主張〕
 当審における争点に係る当事者の各主張は、以下のとおりである。
9 争点9(展示権侵害に基づく原状回復請求、及び一般公衆観覧停止請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 美術の著作物のうち彫刻の著作物(法10条1項4号)に該当する本件原観音像について、Rが(共同)著作者であることは当事者間に争いがなく、Tも共同著作者である。
 Tは、昭和63年7月29日死亡し、Rは平成11年9月28日死亡した。そのため、T及びRが有していた本件原観音像についての展示権は、原告及びJに相続された。
 原告は、本件原観音像の二次的著作物である本件観音像について、Jとともに、共同して、これを原作品により公に展示する権利を専有している(法28条、25条)。
イ よって、原告は、T及びRから相続して取得した展示権(法28条、25条)の侵害行為について、その侵害行為を停止するため、法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、一般公衆の観覧に供する行為を停止すべき旨を請求する権利を有する。
 また、原告は、上記展示権侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、法112条2項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復すべき旨を請求する権利を有する。
(2) 被告らの反論
ア Tは、本件原観音像の著作者ではないから、Tは、生前、展示権を有していなかった。したがって、原告は、T固有の展示権を相続することはない。
イ 被告Yが本件原観音像の仏頭部を作り直したことは、Rの意思に合致するものであり、Rの意思に反するものではない。このように、著作者の1人である被告Yによる仏頭部の作り直しが、他の著作者(R)の意に反するものでないにもかかわらず、著作者の1人であるRの著作権を相続したにすぎない者が、展示権の相続を理由に、本件観音像の公開の停止や原状回復を求めることは、権利の濫用に該当し、許されない。
 また、被告光源寺は、本件観音像の所有権を有するから、法45条に基づき、本件観音像を自由に展示することができる。
10 争点10(展示権侵害、遺族としての名誉感情侵害を理由とする損害賠償請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 原告固有の展示権侵害を理由とする損害賠償請求
(ア) 被告らは、本件観音像を展示することにより、本件原観音像について原告の有する展示権を侵害している。
 被告らの前記不法行為により原告が被った損害は、次のとおりである。
 被告らによる不法行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、由緒ある仏師集団としてのN家の仏師らの総力による本件原観音像の制作経緯、「駒込大観音」の復興としての本件原観音像の高い価値、被告らによる本件原観音像の重要部分の大幅な改変、被告光源寺による極めて多くの一般公衆に対する本件観音像の継続的な供覧など諸般の事情を総合すると、金500万円を下らない。
 また、被告らによる原告固有の展示権侵害行為と相当因果関係のある原告の弁護士費用相当額の損害は、金100万円を下らない。
 さらに、被告らによる原告固有の展示権侵害行為による将来にわたり原告が被ることになる精神的苦痛に対する慰謝料は、本件口頭弁論終結の日の翌日から被告光源寺が本件観音像についてその仏頭部を観音像制作当時の仏頭部に原状回復する作業が完了するまで1か月につき10万円を下らない。
(イ) よって、原告は、民法709条に基づき、被告らに対し、原告固有の展示権侵害による損害賠償金600万円及びこれに対する当審における訴え変更申立書送達の日の翌日である平成21年9月2日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、本口頭弁論終結の日の翌日である同年12月22日から本件観音像の仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、1か月につき損害賠償金10万円を毎月末日限り支払うことを求める。
イ T、Rから相続した展示権侵害を理由とする損害賠償請求
(ア) T・Rは生前、本件原観音像について展示権を有しており、原告は、相続により同権利をJとともに相続した。被告らが本件観音像を展示することにより、本件原観音像について原告が相続により取得した展示権(持分)を侵害している。また、その損害額については、上記アと同様の額が認められるべきである。
(イ) よって、原告は、民法709条に基づき、被告らに対し、原告がT、Rから相続した展示権侵害による損害賠償金600万円及びこれに対する当審における訴え変更申立書送達の日の翌日である平成21年9月2日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、本口頭弁論終結の日の翌日である同年12月22日から本件観音像の仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、1か月につき損害賠償金10万円を毎月末日限り支払うことを求める。
ウ 原告の被告らに対する、遺族としての深い愛着・名誉感情侵害を理由とする損害賠償請求
(ア) 原告は、由緒ある仏師集団としてのN家の仏師ら(少なくともN家の仏師らの棟梁であった亡父T及び亡兄R)の総力により制作された、「駒込大観音」の復興として高い価値を有する本件原観音像について、N家の仏師らの棟梁であった亡父T及び亡兄Rの遺族であり、N家最後の仏師である。
 原告は、本件原観音像を製作したT及びRの遺族として、本件原観音像に深い愛着及び名誉感情を有しており、このような感情は民法709条の法律上保護される利益に該当する。
(イ) 被告らは、本件観音像を展示することにより、原告の深い愛着及び名誉感情を侵害した。被告らの不法行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、@由緒ある仏師集団としてのN家の仏師らの総力による本件原観音像の制作経緯、A「駒込大観音」の復興としての本件原観音像の高い価値、B被告らによる本件原観音像の重要部分の大幅な改変、C被告光源寺による極めて多くの一般公衆に対する本件観音像の継続的な供覧など、本件における諸般の事情を考慮すると、少なくとも金500万円を下らない。また、相当因果関係のある弁護士費用相当額の損害は、金100万円を下らない。
(ウ) 被告らの仏頭部のすげ替え行為により、原告は、T及びRの遺族としての感情を害され、その精神的苦痛は、すげ替え行為が回復しない限り、将来も継続する。その慰謝料は、本件口頭弁論終結の日から被告光源寺が本件観音像についてその仏頭部を観音像制作当時の仏頭部に原状回復する作業が完了するまで1か月につき10万円を下らない。
(エ) よって、原告は、民法709条に基づき、被告らに対し、原告がT及びRの遺族として有する本件原観音像への深い愛着及び名誉感情を侵害したことによる損害賠償金600万円及びこれに対する当審における訴え変更申立書送達の日の翌日である平成21年9月2日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、本口頭弁論終結の日である同年12月22日から本件観音像の仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、1か月につき損害賠償金10万円を毎月末日限り支払うことを求める。
(2) 被告らの反論
 いずれも、争う。
 原告は、本件原観音像の著作者ではないから、固有の展示権を有しない。
 原告は、本件原観音像の制作に関与していない。したがって、原告の本件原観音像に対する深い愛着・名誉感情は、社会通念上、保護に値しない。
第4 当裁判所の判断
1 事実経緯について
 本件原観音像及び本件観音像が制作された経緯の詳細は、以下のとおりである。
 前記争いのない事実等と証拠(甲1ないし21、25ないし34、37、43ないし50、54ないし69、71、乙1ないし32、35ないし37(枝番号の表記を省略する。)、証人K、証人D、原告、被告光源寺代表者、被告Y)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(1)ア 亡T(明治34年2月7日生)は、仏像彫刻を業とする仏師(雅号・「T」)であり、東京都中野区内の自宅兼工房(本件工房)に居住していた。
 亡T(T)とその妻亡Lは、長男亡R(大正15年2月18日生)、二男J(昭和5年1月2日生)及び三男原告(昭和9年1月23日生)の3人の子を儲けた。亡Lは、昭和61年7月23日に死亡した。
 亡R及びJは、いずれも仏像彫刻を業とする仏師(亡Rの雅号・「R」、Jの雅号・「J」)であり、本件工房で、Tと同居していた。R(R)に配偶者及び子はいない。
 原告は、昭和43年3月12日に留学先(国立パリ美術学校彫刻科)のフランスで婚姻した後、同年中に帰国し、茨城県取手市内に居住し、自身のアトリエを設け、そこで彫刻をするようになった。原告は、Tから仏像彫刻の指導を受けた後、現代彫刻及び仏像彫刻を業としている。
 原告は、昭和52年、墨田区本所に所在する華厳寺の閻魔大王像を制作したほか、昭和55年ころ、千葉県所在の泉養寺の薬師如来像を制作するなどした。
 N家では、共同で仏像を制作することがあり、昭和48年に開眼した妙西寺の釈迦如来座像は、これを紹介するリーフレットにおいて、T、R、J、原告4名の制作とされ、昭和62年ころ制作された妙西寺の不空絹索観音像の光背の裏側には、「謹刻者」として、T、R、J、原告ほか1名の名が記載されている。
イ 被告光源寺は、東京都文京区内で浄土宗の寺院である光源寺を管理、運営する宗教法人である。
 光源寺には、江戸時代の元禄10年(1697年)に造立された、像高2丈6尺(約7.9メートル)の木彫十一面観音菩薩立像(旧大観音像)を祀る観音堂があった。旧大観音像は、奈良県長谷寺の本尊である十一面観音菩薩立像(長谷寺式十一面観音像)の様式・特徴を備えた仏像であり、江戸時代から「駒込大観音」として広く人々の信仰を集めていた。旧大観音像は、昭和20年5月25日の東京大空襲により観音堂とともに焼失した。
 光源寺の住職であったM(先代住職)は、旧大観音像の焼失後、「駒込大観音」の再建を念願していた。
ウ 被告Y(昭和28年11月12日生)は、昭和48年ころから約6年間、昭和54年に文化勲章を受章した彫刻家Wに師事して彫刻造形を学んだ後、昭和55年ころ亡R(R)の弟子となり、伝統的な仏像彫刻を学び、また、本件工房でRやTの仕事を手伝うようになった。また、Dは、浄土宗智香寺の僧侶であるが、昭和61年6月ころRの弟子となり、そのころから昭和62年6月ころまでの約1年間、本件工房でRや兄弟子の被告Yの仕事を手伝っていた。
(2)ア先代住職は、昭和62年1月ころ、「駒込大観音」及びこれを安置する観音堂の再建を決意し、Rに対して、「駒込大観音」の再建を依頼した。
 Rは、まず、縮尺5分の1の下図(乙36)を作成した上、同年2月ころ、本件原観音像の設計図(乙8の2、3参照)を作成し、これを基に本件原観音像の材料となる檜材の必要量を算出し、その檜材の代金の見積りを得た後、被告光源寺に対し、本件原観音像の制作費の概算額を示した。被告光源寺は、Rが示した上記制作費の概算額を了承した。
イ(ア) 昭和62年5月ころ、本件原観音像の材料となる檜材が本件工房に搬入された。
 先代住職は、同年5月5日午前10時ころ、先代住職の妻、当時副住職であったA(現住職で、現在の被告光源寺代表者)及びその妻とともに、本件工房を訪れた。Aは、その際、本件工房内に積み上げられた檜材の写真(乙8の1)等を撮影した。
 被告Y及びDは、そのころから、本件工房で、檜材を寄せ合わせて木塊の制作にとりかかり、Rは、その木塊を仏頭とする彫刻(粗彫り)を開始した。
 本件原観音像は、戦後制作された最も大きな仏像の一つであるが、Rが、このような規模の仏頭を制作したのは、初めてであった。これは、Tが健康であったころは、大規模の仏像については、Tが仏頭部を担当していたからである。
 大観音像の場合、仏頭の顎を引いて、見上げる拝観者に頷く表情とすべきところ、Rは、そのような点を考慮せず、顎を引かずに眼差しのみを下に向けるようにしたため、本件原観音像では、仏像の顔の表情に無理が生じ、下から見上げると半眼にならず、驚いたような眼差しの表情になった。
 Rは、原観音像の光背の制作については、被告Yに任せ、Yが、図面を描き、彫刻を施して、完成させた。また、本件原観音像の体部は、主に被告Yが、Rの指示の下に制作した。
(イ) 先代住職は、Rから仏頭部の粗彫りが完成したので確認して欲しい旨の連絡を受け、昭和62年6月14日午後3時ころ、先代住職の妻、A及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。先代住職は、その際、T及びRの面前で、粗彫りされた仏頭部の内刳り部(内部)に梵字、「駒込大観音」の文字等を墨書した。
 Aは、先代住職が仏頭部に墨書を行っている最中の写真(乙9の1の1ないし1の5)、仏頭部及びその墨書の写真(甲6)、仏頭部をほぼ中央に挟んで、先代住職、T及びRの3人が入った写真(甲7)等を撮影した。
ウ(ア) 先代住職は、昭和62年7月24日、Aとともに、本件工房を訪れた。Aは、その際、仏頭部が体部に差し込まれた写真(乙10)を撮影した。その体部は胸部まで彫り進められていた。
(イ) 先代住職は、昭和62年8月25日、先代住職の妻、A及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。Aは、その際、仏頭部が体部に差し込まれた写真、Rが作業用に組まれた足場の上で仏頭部及び体部に向かって彫刻作業のポーズをとった写真(乙11の1)、足場の上で彫刻作業のポーズをとったRを背景に、先代住職及びその妻、Aの妻子の5人が入った写真(甲25)を撮影した。
(ウ) 先代住職は、Rから体部の粗彫りが出来上がってきた旨の連絡を受け、昭和62年10月20日午後3時ころ、先代住職の妻、A及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。Aは、その際、粗彫りされた体部に仏頭部及び上腕部(肩から肘まで)が取り付けられた仏像を背景に、先代住職及びその妻、Aの妻子、Rの5人が入った写真(乙12の2)等を撮影した。
(エ) 先代住職は、Rから腕を彫り進めている旨の連絡を受け、昭和63年1月10日午前中に、Aとともに、本件工房を訪れた。Aは、その際、体部に仏頭部及び腕部(肩から指先まで。以下同じ。)が取り付けられた仏像を背景に、先代住職及びRの2人が入った写真(乙13の2)等を撮影した。
(オ) 先代住職は、Rから仏頭部に設置する化仏を彫刻した旨の連絡を受け、昭和63年4月8日、写真家のHとともに、本件工房を訪れた。先代住職は、その際、体部に仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像の各部位、彫刻途中の化仏の写真(乙22)を撮影した。
(カ) 先代住職は、昭和63年6月20日、毎日新聞社の記者から、駒込大観音の再建の件で取材を受けた。
 その後、同月22日発行の毎日新聞(甲4)に、「光源寺の『駒込大観音』復興」の大見出し、「空襲で焼失住職の努力実り制作中」等の小見出しの下に、大観音を制作中である旨の記事が掲載された。
 前記記事には、「制作は仏像彫刻家のRさん・・・に依頼。昨年五月に木曽ヒノキをRさんのアトリエに運び込み、同六月から弟子二人とともに彫り続けている。像の高さは十二尺(三・六三メートル)。台や光背も入れると十七尺(五・一五メートル)。旧像と同じ十一面観音像で、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に蓮華(ハスの花)を持つ。六十四年十月の完成を目指す。ウルシ塗り、金箔を配した観音像が姿を現す予定だ。・・・観音像を安置する御堂も建設するため、開眼はその後の四、五年先になる。」等の文章が掲載されている。また、上記記事には、「寄せ木造りの手法で作られる観音像とRさん」との説明が付された、体部に仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像と同仏像に向かって彫刻作業のポーズをとったRの写真が掲載されている。
(キ) Tは、腎性高血圧症等で通院治療を受けていたところ、昭和63年5月下旬から通院不能となり、同年7月29日、死亡した。
 その後、同年8月9日発行の中外日報(甲5)に、「よみがえる「駒込大観音」浄土宗光源寺」、「最後の大空襲で焼失」、「A住職復興へ悲願43年」、「仏像彫刻家R氏精魂こめて制作」等の見出しの下に、「駒込大観音」を再建中である旨の記事が掲載された。前記記事には、「寄せ木造りで作られる「駒込大観音」」との説明が付された、体部に仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像の写真、粗彫りされた仏頭部をほぼ中央に挟んで、先代住職、T及びRの3人が入った写真(甲7)が掲載されている。
(ク) 先代住職は、Rから仏頭部に化仏をつけた旨の連絡を受け、昭和63年8月11日午後1時ころ、先代住職の妻及びHとともに、本件工房を訪れた。Hは、その際、化仏がつけられた仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像の正面及び背面の写真(甲27、28)、同仏像を背景に、先代住職及びその妻、R、J、被告Yの5人が入った写真(甲26)を撮影した。
 その後、同月23日から1週間、化仏がつけられた仏頭部が、日本橋三越百貨店で開催された第35回仏教美術彫刻展に出展された。
(ケ) 先代住職は、Rから光背をほぼ彫り終わった旨の連絡を受け、平成元年1月28日午後2時ころないし3時ころ、先代住職の妻、A及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。Aは、その際、光背の写真(乙14の1)、光背を背景に、先代住職及びその妻、Aの妻子、R、J、被告Yの7人が入った写真(乙14の3)を撮影した。
エ Rは、平成元年5月6日、脳梗塞を発症して倒れ、同日から同年6月24日までの間入院した。
 その間の6月14日、先代住職は、妻とともに、本件工房を訪れた。先代住職は、その際、内刳りされた体部(躯体)の内部に、梵字、「願天下和順荘厳国土」の願文等を墨書(甲9)した。先代住職が墨書を行っている様子は、写真撮影された。その写真中には、先代住職の様子を見ているJが写り込んだ写真(甲30)がある。
 なお、上記体部の内部に、「大佛師監修T」、「制作者R JX」が墨書(甲10)されたが、原告により記載されたものである。また、上記体部の内部の「X」の墨書部分の左側の「弟子Y」との墨書(甲10)については、このうち、「Y」の墨書部分は被告Yが、「弟子」の墨書部分は、原告がそれぞれ記載したものであった。Rは、入院中又は退院後に、原告が体部の内部に墨書したことについて、不満を述べることはなかった。
 原告は、本件原観音像の制作が開始された後、少なくとも1か月に2回程度は本件工房を訪れ、2階のアトリエで自己の作品を制作したりするなどしていたが、昭和63年5月下旬ころTの体調が悪化し、その後、同年7月29日、Tが死亡するまでの間は、頻繁に本件工房を訪れていた。
 また、原告は、本件工房を訪れた際には、本件工房1階の本件原観音像の制作の状況を見て、その様子を把握していた。原告は、Rの入院期間中に、本件工房を訪れた際に、被告Yに対し、横に寝かせてある観音像の足の部分を指さして、「ここを仕上げてくれ」と依頼したことがあったが、被告Yは、「あなたにそのようなことを言われる筋合いはない」と述べて、原告の依頼を拒絶した。
オ(ア) 被告Yは、平成元年9月ころ、Rから独立し、千葉県佐倉市内に工房を開設した。その後、被告Yは、本件原観音像の制作作業に関与することはなかった。
(イ) 先代住職は、Rから彫刻が終了した旨の連絡を受け、平成元年10月10日午後2時ころ、Aとともに、写真を撮る目的で本件工房を訪れた。
 Aは、その際、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖を持った仏像(本件原観音像)の写真(乙30の2、31の2)を撮影した。
 その後、Aから写真撮影の依頼を受けたHは、同年10月ころ、本件工房を訪れ、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖、左手に蓮華をそれぞれ持ち、台座の上に立った姿勢の仏像(本件原観音像)と同仏像用の光背とを並べた構図の写真(甲11の1枚目)を撮影した。その後、先代住職は、平成3年ころ、Hが撮影した上記写真を裏面に印刷したはがき(甲11)を作成した。
(ウ) 平成元年10月10日を最後に、先代住職及びAが本件原観音像の制作状況の確認のため本件工房を訪れることはなかった。
 また、先代住職及びAが上記制作状況の確認のため本件工房を訪れた際、Rが入院中の平成元年6月14日(前記エ)を除き、原告と会ったことはなかった。
カ(ア) 先代住職は、株式会社竹澤古典建設設計事務所(以下「竹澤事務所」という。)に対し、本件原観音像を安置する観音堂の新築工事の見積りを依頼していたところ、竹澤事務所から、新築工事費用を合計3億5000万円とする平成元年4月8日付け概算書及び設計図面(乙37)の提出を受けた。
 先代住職は、同年ころ、光源寺の檀家であるK(以下「K」という。)に対し、上記概算書及び設計図面を見せて相談した結果、本件原観音像を安置する観音堂の新築工事の設計及び施工監理をKに依頼した。
 その後、先代住職は、平成2年1月15日ころ、Kとの間で、本件原観音像の漆塗り・金箔貼り作業を行うための工房(本件漆塗り工房)を建設するための打合せをした。Kは、本件漆塗り工房(プレハブ建物)の建設の手配をした。
(イ) 平成2年3月12日、本件原観音像が本件工房から搬出されて光源寺の境内に建設された本件漆塗り工房に搬入され、塗師(漆塗り職人)によって、本件原観音像の漆塗り・金箔貼り作業が開始された。
 先代住職は、同日、本件原観音像の本件漆塗り工房への搬入を記念する法要を執り行った。R及び被告Yは、前記法要に出席したが、J及び原告は出席しなかった。
 その法要の際、寝かせた本件原観音像の体部を前方に配して、出席者の記念写真が撮影された。その記念撮影(乙3)に写された本件原観音像の足ほぞには、「監修T」、「制作者R J X Y」との墨書があった。この墨書は、昭和63年ころないし平成元年ころ、Rによって記載されたものであった。
(3)ア 平成5年ころ、Kの設計及び施工監理に係る本件原観音像を安置するための観音堂(本件観音堂)が、光源寺の境内に完成した。本件観音堂の壁面には、陶器製のレリーフが設置されているところ、同レリーフは、原告がKの依頼を受けて制作したものであった。
イ 原告は、平成5年5月ころ、漆塗り・金箔貼り作業が完了した本件原観音像から仏頭部を取り外して本件工房に持ち帰り、本件原観音像の眼の彩色、書き入れ作業を行った後、その仏頭部を本件原観音像の体部に再び取り付けた。
 その後、同月ころ、制作作業がすべて完了した本件原観音像が、本件漆塗り工房から本件観音堂に搬入され、本件観音堂内に安置された。その際、本件原観音像を背景に、先代住職及びその妻、A及びその妻子、R、原告、塗師等が入った写真(甲31)が撮影された。
ウ(ア) 先代住職は、平成5年5月18日、本件原観音像の開眼法要(開眼落慶法要)を執り行った。R、J、原告及び被告Yは、前記法要に出席した。前記法要の際、本件観音堂の前で、先代住職及びその妻、A及びその妻、R、J、原告、被告Y、K等が入った記念写真(甲12)が撮影された。
(イ) 本件観音堂に安置された本件原観音像は、前記(ア)の法要後、一般に公開され、檀家や一般の参拝者によって参拝されるようになった。
(4) 原告は、平成6年7月18日、本件原観音像の両眼の補修作業を行った。Aは、その補修結果に満足せず、再補修を要望した。原告は、同月20日までに、本件原観音像の眼の再補修を行った。
(5)ア 先代住職は、平成6年12月26日、死亡した。その後、Aは、光源寺の住職となり、また、平成7年2月23日、被告光源寺の代表役員に就任した。
イ 平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)に、「名工をたずねて(東京)」との記事の中で、「江戸仏師は五代目」、「仏師R師」との見出しの下に、Rが紹介された。前記記事には、「最近の大作としては駒込大観音を仕上げたこと。台座から後背まで八メートル、総金箔張という巨大な仏像である。製作には2年半を費し、一昨年、開眼式を行った。常に仕事を共に続ける弟・J師、X氏(行動美術会員)は大きな支えとなった。」との文章や、「東京駒込光源寺大観音(R)」と付された、本件原観音像の写真が掲載されている。
ウ Jは、平成10年、病気のため仏師を廃業した。
 その後、Rは、平成11年9月28日に死亡した。
エ 現住職のAは、平成12年11月26日、先代住職の七回忌法要を執り行った。原告は前記法要に出席したが、J及び被告Yは出席しなかった。前記法要の後の会食の席次表(甲44)には、原告について「再建駒込大観音の共同彫刻家」と記載されていた。
(6)ア現住職のAは、本件観音堂に安置された本件原観音像は目を見開いた表情であって、参拝場所から本件原観音像を見上げると、驚いたような又は睨みつけるような眼差しに見えるため、その表情にかねてから強い違和感を感じていたところ、檀家や一般の参拝者からも、本件原観音像の表情に違和感を覚える旨の苦情や慈悲深い表情とするよう善処を求める旨の要望を受けていた。
 現住職のAは、平成15年ころ、被告Yに相談したところ、本件原観音像の表情を変えるには、眼の部分だけを彫り直す方法や顔の前面を彫り直す方法などが考えられるが、失敗する可能性もあり、そのリスクを考えると、新たに仏頭部を作り直した方がよい旨の助言を受け、仏頭部の作り直しを決意した。現住職のAは、同年ころ、原告に対し、本件原観音像の仏頭部の作り直しを被告Yに依頼する考えでいる旨伝えたところ、原告は、仏頭部の作り直し自体を拒絶した。
 そこで、Aは、被告Yに仏頭部の作り直しを依頼し、依頼を受けたYは、同年ころから平成18年ころまでの間に、仏頭部を新たに制作し、この仏頭部を本件原観音像の仏頭部とすげ替えた。すげ替え後の観音像(本件観音像)が本件観音堂で一般の観覧に供された。すげ替え前の仏頭部は、判決別紙写真目録記載の右側の写真(3枚)のとおりであり、すげ替え後の仏頭部は、同目録記載の左側の写真(3枚)のとおりである。本件原観音像から取り外した仏頭部(すげ替え前の仏頭部)はその原形のままの状態で、本件観音堂に保管、安置されている。Aは、前記すげ替えの事実を、公表せず、また、原告に知らせることもなかった。
イ(ア) 原告は、平成18年10月ころ、本件原観音像の仏頭部がすげ替えられた本件観音像が本件観音堂に祀られて一般の観覧に供されていることに気づいた。
(イ) 原告の代理人弁護士は、平成18年10月18日到達の内容証明郵便(甲15の1、2)で、被告光源寺に対し、本件原観音像の仏頭部のすげ替えは、本件原観音像の共同制作者である原告の著作者人格権を侵害するとして、本件観音像の仏頭部について原状回復の措置を講じるよう要求する旨の通知をした。
 被告光源寺は、同年10月27日付け書面(甲16)で、原告の代理人に対し、@檀家、参拝者からの本件原観音像の「お顔」に対する批判はおさまることなく、「駒込大観音」が信仰の対象であるということにかんがみ、「お顔」を変える決断をした、A本件原観音像の仏頭部は大切に保管している、B「信徒の皆さま」の希望が強ければ元のとおりに戻すことはやぶさかではないが、現状を認めていただくようお願いする旨の通知をした。
(ウ) 原告の代理人弁護士は、平成18年11月18日到達の内容証明郵便(甲17の1、2)で、被告光源寺に対し、同年12月末日までに、本件観音像の仏頭部について原状回復の措置を講じるよう要求する旨の通知をした。
 また、原告の代理人弁護士は、同年11月18日到達の内容証明郵便(甲18の1、2)で、被告Yに対し、同内容証明郵便到達後1週間以内に、被告Yが仏頭部のすげ替けを行った経緯の説明及び原告らに対する謝罪文の送付を求める旨の通知をした。
(エ) 被告Yは、平成18年12月14日付け書面(甲19)で、原告の代理人に対し、@本件原観音像の仏頭部を彫刻したのは亡R(R)であるが、本件原観音像の「尊顔」が悪相であり、慈悲深い相貌ではなかったため、亡R自身が「尊顔」を作り直す願いを持っていた、A被告Yは、亡Rの願いをかなえるため、亡Rの名代として、新たな仏頭部を制作するに至った旨返信した。
ウ 原告は、平成19年9月13日、本件訴訟を提起した。
2 原告の共同著作者性(争点1)、原告の同一性保持権侵害に基づく差止等請求の可否(争点2)、原告の法115条に基づく原状回復等請求の可否(争点3)、原告の著作者人格権のみなし侵害に基づく措置請求の可否(争点4)、二次的著作物の原著作物の著作者としての展示権侵害に基づく差止等請求の可否(争点5)、原告の著作者人格権侵害及び著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償請求の可否(争点6)、原告の著作者人格権侵害及び著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく謝罪広告請求(訂正広告請求を含む。)の可否(争点8)について
 原告が本件原観音像を創作したことを根拠とする請求の当否について、判断する。
(1) 事実認定
 本件原観音像の体内(躯体の内部)に、「大佛師監修T」、「制作者R J X 弟子Y」との墨書が、また、本件原観音像の足ほぞには、「監修T」、「制作者R J X Y」との墨書が記載されていることは、当事者間に争いがない。
 しかし、本件において、原告が、本件原観音像の木彫作業がほぼ完成した平成元年9月までの間に、本件原観音像の制作作業に関与した事実を裏付ける証拠は、原告が制作作業に関与したとする供述及び陳述書があるのみで、他に客観的な書証、供述、証言等は存在せず、以下の各証拠を総合評価するならば、本件原観音像の木彫作業がほぼ完成した平成元年9月までの間に、原告は、本件原観音像の制作作業に関与していないと認定できる。
 その理由は、以下のとおりである。
ア 各証拠の評価
(ア) 被告Yは、本人尋問において、以下のとおり、昭和62年1月ころから被告YがRから独立した平成元年9月までの間における本件原観音像の制作経緯及び制作作業の内容について、具体的かつ詳細に供述している。すなわち、
@ R及びその弟子である被告Yは、昭和62年5月ころ本件原観音像の木彫作業を開始し、平成元年9月半ばにその仕上げ作業を完了したが、この間に原告が本件原観音像の制作に関与したことはない、
A Rが平成元年5月ころ脳梗塞により入院し、退院するまでの約1か月間、被告Yは、本件原観音像の木彫作業を進めたことはなく、Rの退院後に作業を再開した、Rが入院した当時、木彫作業は仕上げを残している状態であった、
B Rの入院期間中に、原告が本件原観音像の制作について口を挟もうとしたが、被告Yは、これを拒絶した。
(イ) 各証拠(供述を含む。)によれば、以下の事実が認められる。すなわち、
@ 平成元年10月10日にAによって撮影された、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖を持った仏像(本件原観音像)の写真(乙30の2、31の2)、同年10月ころに写真家のHによって撮影された、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖、左手に蓮華をそれぞれ持ち、台座の上に立った姿勢の仏像(本件原観音像)と同仏像用の光背とを並べた構図の写真(甲11の1枚目)(前記1(2)オ(イ))によれば、上記各写真が撮影された同年10月当時、本件原観音像はその細部まで彫り上げられた状態にあったことがうかがわれる、
A 先代住職は、昭和62年5月5日、6月14日、7月24日、8月25日、10月20日、昭和63年1月10日、4月8日、8月11日、平成元年1月28日、6月14日、10月10日の11回にわたり、本件原観音像の制作状況の確認等のため本件工房を訪れたが、Rが入院中の平成元年6月14日を除き、原告と会ったことはない(前記1(2)イ(ア)、(イ)、ウ(ア)ないし(オ)、(ク)、(ケ)、オ(イ)、(ウ))、
B 先代住職が本件工房を訪れた際に撮影された各写真(甲7ないし10、25ないし28、30、乙8の1ないし3、9の1の1ないし1の5、9の2、10、11の1ないし3、12の1、2、13の1、2、14の1のないし4、17の1ないし5、18ないし20、21の1ないし4、22、23等)には、原告が写っていない、
C 証人Dの証言によれば、同人は、昭和61年6月ころから昭和62年6月ころまでの間、Rの弟子として仏像制作を学び、同年5月ころから6月ころまでの間、兄弟子の被告Yの作業を手伝って本件原観音像の制作作業に関与したが、その間に原告は本件原観音像の制作作業に関与していない、
D 被告光源寺代表者(A)の供述によれば、Aは、平成元年10月10日、本件原観音像の彫刻が終了したという連絡を受け、その撮影をするため、先代住職と共に本件工房へ行き、本件原観音像の写真(乙30の2、31の2)を撮影したほか、昭和62年5月5日、6月14日、7月24日、8月25日、昭和63年1月10日、平成元年1月28日、10月10日の7回にわたり、本件原観音像の制作状況の確認等のため本件工房を訪れたが、その際、原告を見かけたことはなく、Aの知る限り、原告は、眼の修繕以外に、本件原観音像の制作に全く関与していない、
E 平成元年10月10日を最後に、先代住職及びAが本件原観音像の制作状況の確認等のため本件工房を訪れることはなかった(前記1(2)オ(ウ))。
(ウ) 前記(イ)の事実及びその他の証拠を総合すれば、本件原観音像の制作が開始された昭和62年5月ころから被告Yが独立した平成元年9月までの間に、原告が本件原観音像の制作に関与したことはない旨の被告Yの前記供述部分は、信用することができる。
 また、前記(イ)@、D、Eの事実と被告Yの供述(乙7の陳述書を含む。)及び被告光源寺代表者の供述(乙28の陳述書を含む。)を総合すれば、被告Yが独立した当時、本件原観音像の木彫作業は、仕上げ作業のほとんどが完了している段階にあったものと推認することができる。
イ 原告の供述等の評価
(ア) これに対し原告は、本人尋問において、本件原観音像の制作は、N家として依頼を受けたものであり、その仕事の割り振りは、「頭」はTが健康のころはTが、Tが亡くなってからはほとんどRが、「体」はJが、「腕、光背及び台座」はJと原告が、「化仏」は原告がそれぞれ担当して制作した、Rの退院後の平成元年6月末ころの時点では、小造りが終わり、仕上げに入る段階であった、Rは退院後、気力が衰え、見通しがつかないような状態であったため、原告が中心となって仕上げ作業を進めた、被告Yが独立した平成元年9月当時、本件原観音像の木彫作業は大体90パーセント位が進んでいた、仕上げ作業は平成2年3月12日に本件原観音像が本件漆塗り工房に搬入される直前までかかり、その搬入の前の1週間位は、原告がほとんど寝ない状態で作業を行った、仕上げ作業の主な内容は、腕部及び体部の彫り直し及び削り直しであり、一方で、仏頭部には手をつけておらず、光背の彫り直し及び削り直しも仕上げ作業としては行っていない、その具体的な作業ないし工程としては、漆を塗ることになるため、きちんと彫っていないと漆がかかった時点で形がぼけて甘くなってしまうので、そういうところを特に丁寧に仕上げていき、また、衣の部分については質感ないし材質感を直していく仕事であった旨供述し、これに沿う陳述書(甲37)の記載部分がある。
(イ) しかし、原告が本件原観音像の化仏、両腕、光背及び台座の制作を担当し、Rの退院後の平成元年6月末ころから平成2年3月12日に本件漆塗り工房に搬入される直前まで、原告が中心となって仕上げ作業を行った旨の原告の上記供述(上記陳述書を含む。)は、本件原観音像の制作経緯及び制作作業の内容に関する被告Yの供述内容と対比すると、具体性に乏しい上、前記ア(イ)の@ないしDの事実とも整合しないことに照らすと、採用することはできない。
 もっとも、原告の供述と相反する被告Yの供述を前提としても、被告Yの供述は、同被告が独立した後の平成元年10月から本件原観音像が平成2年3月12日に本件漆塗り工房に搬入されるまでの間に、原告が本件原観音像の仕上げ作業に関与したか否かについて触れているわけではない。そこで、その間に原告が仕上げ作業に何らかの関与をしたか否かについて、さらに検討する。
 原告は、前記のとおり、仕上げ作業は本件原観音像が本件漆塗り工房に搬入される直前までかかり、その搬入の前の1週間位は、原告がほとんど寝ない状態で作業を行った旨供述していながら、その作業内容及び作業経緯については具体的な供述をしていないこと、前記ア(イ)@の各写真の内容に照らすならば、原告が平成元年10月から平成2年3月12日までの間に行った仕上げ作業が、本件原観音像の制作についての創作的な関与に当たるものとまで認めることはできない。
(ウ) 原告が本件原観音像の制作作業に従事していたことを示す客観的資料であると主張する甲1、34、44、71は、いずれも本件原観音像の制作についての原告の具体的な関与の状況を示すものではなく、ましてや原告が平成元年10月から平成2年3月12日までの間に行った仕上げ作業によって本件原観音像の制作についての創作的な関与をしていたことを示すものではない。
 すなわち、平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)における「(Rの)最近の大作としては駒込光源寺の大観音を仕上げたこと。・・・常に仕事を共に続ける弟・J氏、X氏(行動美術会員)は大きな支えとなった」との記載、医師Z作成の昭和63年7月30日付け紹介状(甲34)における「(Tは)観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」との記載、平成12年11月26日に執り行われた先代住職の七回忌法要の席次表(法要後の会食の席次表。甲44)における原告についての「再建駒込大観音の共同彫刻家」との記載は、いずれも原告が本件原観音像の制作にいかなる関与をしたのかを具体的に示すものではない。
 また、先代住職の七回忌法要の際には、T及びRは既に死亡し、Jは病気のため仏師を廃業していたことに照らすと、原告は、本件原観音像を制作したRの名代としての位置づけであったことがうかがわれるから、上記席次表において「再建駒込大観音の共同彫刻家」と記載されているからといって、原告が本件原観音像の制作者であることを裏付けることにはならない。
 さらに、平成5年5月18日に執り行われた本件原観音像の開眼法要の際に、先代住職のスピーチを録音したビデオテープ(甲71)には、「この駒込大観音尊像は、仏教彫刻家T氏が監修されまして、R氏が制作されました。・・・そして、台座、光背等もJ、X、Y氏の御協力を得まして見事に完成いしましたものでございます。」との部分があるが、この部分は、先代住職は、本件原観音像の「制作」はRが行い、原告は「台座、光背等」についての「御協力を得た者」の一人として認識していたことを示すものにすぎない。
 なお、証人Kの証言中には、Kは、平成2年4月か、5月ころ、先代住職から、原告を紹介され、その際、先代住職は、原告がN家の仏師の一族の一人で、本件原観音像も原告によるところが非常にあったという話をしていた旨の証言部分があるが、上記証言部分も、原告が本件原観音像の制作にいかなる関与をしたのかを具体的に裏付けるものではない。
ウ その他の証拠について
 原告は、原告が著作者であることを裏付ける事実として原告の経歴やN家における過去の共同作業の在り方、関係者・第三者の認識、原告の著作者に準じる者としての処遇等の事実を主張する。しかし、原告の経歴やN家における過去の共同作業の在り方が、被告Yが参加した本件原観音像の制作への関与者を明らかにするものとはいえない。また、関係者・第三者の認識、原告の処遇等は、原告がT・Rを中心としたN家の一員として認識されていたことを示すにとどまり、原告の本件原観音像の制作作業への参加を裏付けるものとはいえない。
エ 小括
 前記によれば、法14条所定の推定を覆す事実があるから、原告を本件原観音像の共同著作者と認めることはできない。
(2) 判断
 前記のとおり、原告が本件原観音像の共同著作者と認められないから、原告が本件原観音像について共同著作者であることを前提とする前記争点2ないし争点6、争点8(原告固有の権利に基づく請求部分)についての原告の請求はいずれも理由がない。
3 Tの遺族として、@法112条、法115条に基づく本件観音像を公衆の観覧に供することの差止請求、A法112条、法115条の適当な措置請求等による原状回復請求、B法115条に基づく名誉声望回復のための謝罪広告請求(訂正広告請求を含む。)、CTから相続した展示権侵害を理由とする公衆の観覧に供することの差止請求(法112条1項)、原状回復請求(法112条2項)及び損害賠償請求の可否(争点7ないし10−−−Tに係る請求部分)
(1) 事実認定
 原告は、著作物の原作品である本件原観音像の体部(躯体部)の内部の「大仏師監修T」及び同足ほぞ部の「監修T」との墨書によって、T(亡T)の雅号である「T」が著作者名として通常の方法により表示されているから、Tは、法14条に基づいて、本件原観音像の著作者(共同著作者)と推定される旨主張する。
 しかし、原告の請求は、以下のとおり、理由がない。
 前記争いのない事実等(前記第2の2(2)ウ)のとおり、本件原観音像の体内(躯体の内部)には、「大仏師監修T」との墨書が、また、本件原観音像の足ほぞには、「監修T」との墨書が施されている。
 しかし、他方で、@被告Yの供述(乙7の陳述書を含む。)中には、Tは、昭和62年5月ころから、認知症がひどくなってきており、本件原観音像の制作作業に関与できる状態にはなく、本件原観音像の制作作業に関与していない旨の供述部分があること、ATは、本件原観音像の制作がされた昭和62年当時通院中であり、その後昭和63年5月下旬から通院不能となり、同年7月29日死亡したこと(前記1(2)ウ(キ))に照らすと、「T」との上記墨書から、Tが本件原観音像の著作者と推定されることを妨げる事実があるといえる。
 また、原告の供述(甲37の陳述書を含む。)中には、本件原観音像の仏頭部の制作は、Tが健康のころはTが行い、TがなくなってからはほとんどRが行い、また、化仏の粗彫りは、TとRが行った旨の供述部分があるが、これに反する被告Yの供述部分に照らし、原告の供述部分は、到底採用することはできない。
 他にTが本件原観音像の著作者であることを認めるに足りる証拠はない。
(2) 判断
 したがって、原告の主張に係る、Tの遺族として、@本件観音像を公衆の観覧に供することの差止請求、A適当な措置請求等としての原状回復請求、B名誉声望回復のための謝罪広告請求(訂正広告請求を含む。)、CTから相続した展示権侵害を理由とする公衆の観覧に供することの差止請求(法112条1項)、原状回復請求(法112条2項)及び損害賠償請求は、いずれも理由がない。
4 Rの遺族として、@法112条、法115条に基づく本件観音像を公衆の観覧に供することの差止請求、A法112条、法115条の適当な措置請求等による原状回復請求、B法115条に基づく名誉声望回復のための謝罪広告請求(訂正広告請求を含む。)の可否(争点7ないし9−−−Rの著作者人格権侵害に係る請求部分)
(1) はじめに
 原告は、Rの遺族として、著作者であるRが存しなくなった後において、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権(法20条及び113条6項所定の権利)の侵害となるべき行為を保護するために、@法112条、法115所定を根拠とする本件観音像を公衆の観覧に供することの差止請求、A法112条、法115条を根拠とする適当な措置請求としての原状回復請求、B法115条を根拠とする名誉声望回復のための謝罪広告請求(訂正広告請求を含む。)を求める(法20条、113条6項、116条1項、60条)。
 これに対して、被告らは、@法20条1項所定のRの「意に反する・・・改変」に該当しない、及び法60条ただし書き所定のRの「意を害しないと認められる場合」に該当する、A法20条2項4号所定の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ない・・・改変」に該当する、B法113条6項所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当しないなどと反論する。
 当裁判所は、@被告光源寺による本件観音像の仏頭部のすげ替え行為は、著作者であるRが生存しているとしたならばその著作者人格権(同一性保持権、法20条)の侵害となるべき行為であり、A法113条6項所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当し、侵害とみなされるべき行為であり、B法60条のただし書等により許される行為には当たらないと判断する。したがって、原告はRの遺族として、法116条1項に基づいて、法115条に規定するRの名誉声望を回復するための適当な措置等を求めることができると解される。そして、当裁判所は、すべての事情を総合考慮すると、法115条所定のRの名誉声望を回復するためには、被告らが、本件観音像の仏頭のすげ替えを行った事実経緯を説明するための広告措置を採ることをもって十分であり、法112条所定の予防等に必要な措置を命ずることは相当でないと判断するものである。
 その理由は、以下のとおりである。以下、要件論(要件を充足性しているかの判断)と効果論(適切な回復措置に関する判断)と分けて、検討する。
(2) 要件論−−−要件充足性(法20条の同一性保持権侵害、法113条6項の著作者人格権のみなし侵害、及び法60条所定の要件該当性)について
ア 改変の有無について
 R(亡R)が、美術の著作物である本件原観音像の著作者であること、Rが平成11年9月28日に死亡したこと、被告光源寺が本件原観音像を本件観音堂内に祀り、参拝者等の公衆の観覧に供していたこと、被告らが、Rの死後である平成15年ころから平成18年ころまでの間に本件原観音像の仏頭部をすげ替えたことは、前記争いのない事実等(第2の2)のとおりである。
 本件原観音像は、木彫十一面観音菩薩立像であって、11体の化仏が付された仏頭部、体部(躯体部)、両手、光背及び台座から構成されているところ、11体の化仏が付されたその仏頭部は、本件原観音像においてRの思想又は感情を表現した創作的部分であるといえる。
 そうすると、本件原観音像の仏頭部の眼差しを修正する目的で行われたものであるとしても、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、本件原観音像の創作的部分に改変を加えたものであると認められる。
イ 法20条1項所定のRの「意に反する・・・改変」の該当性、及び法60条ただし書き所定のRの「意を害しないと認められる場合」の該当性について
 被告らは、R自身も本件原観音像の仏頭部に満足しておらず、これを作り直すべきことを検討していたから、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、Rの「意に反する・・・改変」(法20条1項)には当たらず、また「意を害しないと認められる場合」(法60条ただし書)に該当し、法20条1項による禁止の対象とはならない旨主張する。
 しかし、以下の経緯に照らすならば、本件原観音像の完成後に、観音像の仏頭部を作り直した行為は、法20条1項所定のRの「意に反する・・・改変」と推認するのが相当であり、また法60条所定の「意を害しないと認められる場合」に該当すると認めることはできない。
 すなわち、被告Yの供述中には、仏頭部の粗彫りが完成した際、Rが先代住職に確認を求めたその場で、先代住職に対し、「お気に召さなければ作り直ししましょうか、と言いました」との供述部分があり、また、被告光源寺代表者(A)の供述中には、先代住職とAが昭和62年6月14日に本件工房を訪れた際、Rが先代住職に対し、粗彫りが出来上がった仏頭部について、「だみ声で、どうでしょう。お気に召さなかったら作り直しましょうかねえ、というふうにおっしゃったのを覚えてます。」、Rは仏頭部の出来について、「作り直しましょうかという言葉からすると、満足なさっていなかったのではないかと思います。」との供述部分がある。
 他方で、@Rは、昭和63年8月23日から1週間、化仏がつけられた仏頭部が、日本橋三越百貨店で開催された第35回仏教美術彫刻展に出展されているが(前記1(2)ウ(ク))、仏師であるRが自ら制作した作品である仏頭部の出来について満足せず、あるいはこれを作り直すつもりでいたとすれば、仏教美術彫刻展に出展することを差し控えるのが自然であること、A平成5年5月18日に執り行われた本件原観音像の開眼法要(開眼落慶法要)の際に、Rは、本件原観音像の制作について、「・・・一生懸命やりました。出来映えはまあまあというところだと思います。」と挨拶していること(甲71)、B被告Y及び被告光源寺代表者の前記各供述部分は、Rが粗彫りが出来上がった仏頭部について「お気に召さなければ作り直ししましょうか」あるいは「お気に召さなかったら作り直しましょうかねえ」と発言したというものであって、その発言は、本件原観音像の制作途中の段階のものであり、完成した本件原観音像の仏頭部について作り直す意向を示したものとまではいえないと推認されること、C前記開眼法要(開眼落慶法要)が執り行われた平成5年5月18日以降、Rが死亡した平成11年9月28日までの間に、Rが本件原観音像の仏頭部を作り直す意向を示したことをうかがわせる証拠はないことに照らすならば、被告Y及び被告光源寺代表者の上記各供述部分からRが本件原観音像の完成後にその仏頭部を作り直す確定的な意図を有していたとまで認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、Rが、本件原観音像について、どのような感想を抱いていたかはさておき、本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、法20条1項所定のRの「意に反する・・・改変」と推認するのが相当であり、また法60条所定の「意を害しないと認められる場合」に該当するとまでは認めることはできず、この点に関する被告らの上記主張は、いずれも採用することができない。
ウ 法20条2項4号所定の「やむを得ないと認められる改変」の該当性について
 被告らは、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、法20条2項4号所定の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当すると主張する。
 確かに、前記1で認定した事実によれば、@本件原観音像は、本件観音堂に祀られた本件観音像を下から見上げる拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなかったことから、Rが、本件原観音像が下を向くように、眼球面を彫刻した結果、上まぶたが仏像の慈悲の表現を表す「半眼」にならず、しかも、下から見上げると、本件原観音像は、驚いたように又は睨みつけるように眼を見開いた表情となった、A観音像は、信仰の対象であり、その表情は、拝観者らの信仰の対象として、重要な意義を有するところ、信者や拝観者において、本件原観音像の表情について違和感を覚えるなどの感想を述べる者、慈悲深い表情とするよう善処を求める者がいた、B被告光源寺は、平成6年ころ、Rに対し、本件原観音像の左右の眼の修繕を依頼したところ、原告において、本件原観音像の眼差しの修正を試みたものの、本件原観音像の眼差しや表情を補修するには至らなかった、C被告光源寺の現住職のAは、信者や拝観者らの信仰心を考慮して、本件原観音像の表情を修復すべきである考えた、DAは、Rの死後の平成15年ころ、被告Yに相談したところ、本件原観音像の表情を変えるには、「目の部分だけを彫り直す方法」や「顔の前面を彫り直す方法」などが考えられるが、失敗する可能性もあり、その可能性を考えると、新たに仏頭部を作り直した方がよい旨の助言を受け、仏頭部全体の作り直しを決意した、E原告に対し、本件原観音像の仏頭部の作り直しを伝えたところ、原告は、仏頭部の作り直しを拒絶した、FAは、被告Yに対して、本件原観音像の眼差しや表情を修正するため、新たな仏頭部を制作を依頼し、本件原観音像の仏頭部をすげ替えたとの経緯が認められる。
 このような経緯に照らすと、被告らによる本件原観音像の仏頭部を新たに制作して、交換した行為には、相応の事情が存在するものと認められる。
 しかし、たとえ、被告光源寺が、観音像の眼差しを半眼下向きとし、慈悲深い表情とすることが、信仰の対象としてふさわしいと判断したことが合理的であったとしても、そのような目的を実現するためには、観音像の仏頭をすげ替える方法のみならず、例えば、観音像全体を作り替える方法等も選択肢として考えられるところ、本件全証拠によっても、そのような代替方法と比較して、被告らが現実に選択した本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為が、唯一の方法であって、やむを得ない方法であったとの点が、具体的に立証されているとまではいえない。したがって、観音像の眼差しを修正し、慈悲深い表情に変えるとの目的で、被告らが実施した本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、法20条2項4号所定の「やむを得ないと認められる改変」のための方法に当たるということはできない。
 被告らの主張は理由がない。
エ 法113条6項(著作者人格権のみなし侵害)所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」の該当性について
 Rは、平成5年5月18日に執り行われた開眼法要(開眼落慶法要)の際に、本件原観音像の制作者として紹介され、出席者の前で挨拶していること(甲71)、平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)の記事において、「仏師R師」との見出しの下に、Rが本件原観音像の制作者として紹介され、「東京駒込光源寺大観音(R)」と付された、本件原観音像の写真が掲載されていること(前記1(5)イ)からすれば、Rが死亡した平成11年9月28日から10年以上が経過した本件口頭弁論終結日(平成21年12月21日)の時点においてもなお、光源寺の檀家、信者や仏師等仏像彫刻に携わる者の間において、Rは「駒込大観音」を制作した仏師として知られているものと推認することができること等の事実を総合すれば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、Rが社会から受ける客観的な評価に影響を来す行為である。
 したがって、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、法113条6項所定の、「(著作者であるRが生存しているとしたならば、)著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するといえる。
(3) 効果論−−−法115条所定の名誉声望回復措置等、法112条所定の停止措置等について
 前記のとおり、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、著作者であるRが生存しているとしたならば、同一性保持権の侵害となるべき行為であり、また、法113条6項の著作者人格権のみなし侵害となるべき行為である。そして、Rには配偶者及び子はなく、Rの父T及び母亡Lは、Rの死亡前に既に死亡しており、原告は、Rの弟である(争いはない)。したがって、原告はRの遺族として、法116条1項に基づいて、法115条、112条所定の適当な措置等を求めることができる余地がある。そこで、法115条、112条に基づいて、原告が被告らに対して求めることができる適当な措置等の内容について吟味する。
ア 法115条所定の名誉声望回復措置等
(ア) 原告は、法115条所定の適当な措置として、被告光源寺に対し、仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復措置、公衆の閲覧に供することの差止め等、被告らに対し謝罪広告措置等を求めている。
 しかし、下記の諸般の事情を総合考慮するならば、@原告が求める謝罪広告中(訂正広告を含む。)、その客観的な事実経緯を周知するための告知をすることで、Rの名誉、声望を回復するための措置としては十分であり、A仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部に原状回復する措置や謝罪広告を掲載する措置、公衆の閲覧に供することの差止めについては、いずれも、Rの名誉、声望を回復するための適当な措置等とはいえないものと解する。
 前記認定のとおり、@本件原観音像は、被告光源寺の前住職が、戦災により焼失した「旧駒込大観音」を復興し、信仰の対象となる仏像にふさわしい観音像を制作することを目的として、Rに対し、依頼したこと、Aしかし、Rが制作した本件原観音像は、本件観音堂に安置された状態では、拝観者が見上げることになり、対面した拝観者に対しては、驚いたような表情、又は睨みつけるような表情となったこと、B被告光源寺現住職のAは、そのような表情について違和感を感じて、本件原観音像の眼差しを修繕することを希望し、Rに対し、本件原観音像の左右の眼の修繕を依頼したこと、Cその依頼に応じて、原告が、一旦は、本件原観音像の眼差しの修繕を試みたが、結局、本件原観音像の表情を補修することができなかったこと、D被告光源寺のAは、被告Yに対し、本件原観音像の眼差しの修繕の相談をしたところ、被告Yは、仏頭部の一部のみを残して、前面のみを作り変えることは、かえって、失敗する危険性があると助言をしたこと、Eそこで、Aは、被告Yに、仏頭部を新たに制作し、仏頭を交換することを依頼し、被告Yは、そのような方法によって、本件観音像を作り替えたこと、F被告Yは、Rの弟子として、長年にわたり、その下で制作に関与し、本件原観音像についても、制作開始から木彫作業が終了するまでの全制作行程(漆塗り、金箔貼りを除く。)に精力的に関与して、Rの創作活動に協力し、補助してきた者であること、G本件原観音像から取り外した仏頭部(すげ替え前の仏頭部)は、その原形のままの状態で本件観音堂に保管されており、第三者が同仏頭部の形状を拝観することは不可能でないこと、H仮に、被告光源寺は、本件観音像について、その仏頭部を観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを命じられた場合、同被告は、一旦は、原状回復措置を講じても、その後すみやかに、いわゆる「お焚き上げ」と称する方法により、本件原観音像全体を焼却する措置を講ずることが推測され、結局のところ、Rの名誉、声望等が回復される目的が十分に達成できるとはいえないこと等諸般の事情を総合考慮するならば、原状回復の措置は、適当な措置ということはできない。
(イ) すなわち、被告らによる本件観音像の仏頭部のすげ替え行為は、確かに、著作者が生存していたとすれば、その著作者人格権の侵害となるべき行為であったと認定評価できるが、本来、本件原観音像は、その性質上、被告光源寺が、信仰の対象とする目的で、Rに制作依頼したものであり、また、仏頭部のすげ替え行為は、その本来の目的に即した補修行為の一環であると評価することもできること、交換行為を実施した被告Yは、Rの下で、本件原観音像の制作に終始関与していた者であることなど、本件原観音像を制作した目的、仏頭を交換した動機、交換のための仏頭の制作者の経歴、仏像は信仰の対象となるものであること等を考慮するならば、本件において、原状回復措置を命ずることは、適当ではないというべきである。
 以上の事情によれば、Rの名誉声望を維持するためには、事実経緯を広告文の内容として摘示、告知すれば足りるものと解すべきであり、別紙広告目録記載第1の内容が記載された広告文を同目録記載第2の新聞に、同目録記載第2の要領で掲載することが相当であると解する。また、法115条所定に基づき、公衆の閲覧に供することの差止め等を求めることも適当でない。
イ 法112条1項、2項所定の差止請求等
 原告は、法112条1項に基づいて、著作者人格権を侵害する行為の停止又は予防を、同条2項に基づいて、著作者人格権侵害の停止又は予防に必要な措置を請求する。しかし、法112条1項、2項を根拠としたとしても、前記アと同様の理由によって、本件観音像を公衆の閲覧に供することの差止め及び原状回復は、必要な措置であると解することはできない。
5 Rから相続した展示権侵害を理由とする公衆の観覧に供することの差止請求(法112条1項)及び原状回復請求(法112条2項)の可否(争点9−−−Rに係る請求)
 原告は、Rが有していた原作品により公に展示する権利に係る専有権を相続したことを前提として、本件原観音像の二次的著作物である本件観音像について、公衆の観覧に供することの差止請求権等が存在すると主張する。
 しかし、原告の請求は、以下のとおり失当である。
 すなわち、Rは、被告光源寺からの、観音像の制作依頼に対し、これを承諾して、本件原観音像を制作したものである。ところで、観音像は、その性質上、信仰の対象として、拝観者をして観覧させるものであり、このような観音像の本来の目的に照らすならば、Rが、自己が制作した観音像の展示については、一般的、包括的かつ永続的に承諾をした上で、制作したとみるのが自然である。したがって、原告が、Rから相続したと主張する展示権に基づいて、公衆の観覧に供することの差止め及びこれに関連する原状回復を求めることが許される余地はないと解するのが合理的である。
 本件観音像は、本件原観音像の眼差しを修正する目的から、頭部を交換したものであり、本件原観音像そのものではないが、前記4の事実経緯等に基づき総合判断するならば、原告の有する展示権に基づく、本件観音像の展示差止めの請求が許されないのは同様である。
6 原告自らの展示権侵害を理由とする損害賠償請求、Rから相続した展示権侵害を理由とする損害賠償請求、遺族としての深い愛着・名誉感情侵害を理由とする損害賠償請求について(争点10)
 前記5で述べたとおり、被告光源寺による本件観音像の展示は、許されると解すべきであり、原告の本件原観音像について有する展示権に基づく、被告光源寺に対する本件観音像の展示の差止請求権は存在しない。したがって、原告は、被告光源寺による、本件観音像の展示により、金銭に評価できる損害を被っているということはできない。原告のこの点の請求は、理由がない。
第5 結論
 以上のとおりであり、原告の被告らに対する請求は、別紙広告目録記載第1の広告を、同目録記載第2の要領により掲載を求める限度で理由があり、その余の請求は、いずれも理由がない。その他、原告は、縷々主張するが、いずれも理由がない。また、仮執行宣言は相当でないから、これを付さない。
 よって、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 飯村敏明
 裁判官 大須賀滋
 裁判官 齊木教朗


(別紙) 物件目録
仏像 木彫十一面観音菩薩立像
所在 東京都文京区向丘×丁目×番×号
   光源寺観音堂内

(別紙) 謝罪広告目録1
第1 謝罪広告の内容
 謝罪広告
 光源寺及びYは、光源寺から委託を受けてR殿らと共同してX殿が制作し、光源寺が東京文京区向丘2丁目38番22号所在の光源寺境内観音堂内に安置した木造十一面観音菩薩立像である「駒込大観音」について、X殿には無断で、光源寺においてはYに対して仏頭部のすげ替えを委託し、これを受けてYにおいては仏頭部のすげ替えを実行し、これにより光源寺においては仏頭部がすげ替えられた状態で一般公衆の観覧に供し続け、もって、X殿が保有する同一性保持権を共同して侵害し、X殿に多大なるご迷惑をお掛け致しましたことを、ここに深く陳謝致します。
 平成年月日
  東京都文京区向丘×丁目×番×号
  光源寺
  代表者代表役員A
  千葉県佐倉市山王×丁目×番×号
  Y
  茨城県取手市戸頭×丁目×番×号
 X 殿
第2 謝罪広告の要領
1 毎日新聞
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント
2 中外日報
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント

(別紙) 謝罪広告目録2
第1 謝罪広告の内容
 謝罪広告
 光源寺及びYは、光源寺から委託を受けて故T殿及び故R殿がX殿らと共同して制作し、光源寺が東京文京区向丘2丁目38番22号所在の光源寺境内観音堂内に安置した木造十一面観音菩薩立像である「駒込大観音」について、光源寺においてはYに対して仏頭部のすげ替えを委託し、これを受けてYにおいては仏頭部のすげ替えを実行し、これにより光源寺においては仏頭部がすげ替えられた状態で観音像を一般公衆の観覧に供し続け、もって、故T殿及び故R殿が存命していたとすれば、同人らの保有する同一性保持権の侵害となるべき行為を共同して実行し、故T殿及び故R殿の名誉ないし声望を毀損致しましたことを、ここに深く陳謝致します。
 平成年月日
  東京都文京区向丘×丁目×番×号
  光源寺
  代表者代表役員A
  千葉県佐倉市山王×丁目×番×号
  Y
第2 謝罪広告の要領
1 毎日新聞
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント
2 中外日報
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント

(別紙) 広告目録
第1 広告の内容
 広告
 光源寺及びYは、光源寺から委託を受けて故R殿が共同して制作し、光源寺が東京文京区向丘2丁目38番22号所在の光源寺境内観音堂内に安置した木造十一面観音菩薩立像である「駒込大観音」について、光源寺においてYに対して仏頭部の再度の制作を委託し、これを受けてYにおいて仏頭部を新たに制作し、これにより光源寺においては新たに制作された仏頭部を備えた観音像を観音堂に安置し、拝観に供していること、及び故R殿の制作にかかる仏頭部も同じく観音堂に安置していることについて、故R殿の名誉・声望を回復するための適当な措置として、お知らせ申し上げます。
 平成年月日
  東京都文京区向丘×丁目×番×号
  光源寺
  代表者代表役員A
  千葉県佐倉市山王×丁目×番×号
  Y
第2 広告の要領
1 毎日新聞
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント
2 中外日報
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント

(別紙) 写真目録
 略
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日本ユニ著作権センター
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