判例全文 line
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【事件名】松沢成文神奈川県知事の著作権侵害事件
【年月日】平成22年1月29日
 東京地裁 平成20年(ワ)第1586号 著作権侵害差止等請求反訴事件
 (口頭弁論終結日 平成21年10月27日)

判決
反訴原告 A
訴訟代理人弁護士 西岡弘之
同 北村聡子
反訴被告 B
反訴被告 株式会社講談社
反訴被告ら訴訟代理人弁護士 美勢克彦
同訴訟復代理人弁護士 平井佑希


主文
1 反訴被告らは、別紙書籍目録1記載の書籍のうち、別紙対比表1のbV1の「破天荒力」欄の前段の下線部分に対応する文章(218頁11行〜12行)を削除しない限り、同書籍を印刷、発行又は頒布してはならない。
2 反訴被告らは、反訴原告に対し、連帯して12万円及びこれに対する平成19年6月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 反訴原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は、これを50分し、その1を反訴被告らの負担とし、その余を反訴原告の負担とする。
5 この判決の第2項は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 反訴被告らは、別紙書籍目録1記載の書籍を印刷、発行又は頒布してはならない。
2 反訴被告らは、反訴原告に対し、連帯して695万8075円及びこれに対する平成19年6月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、別紙書籍目録2記載の書籍(以下「原告書籍」という。ただし、「物語」という場合もある。)の著作者である反訴原告(以下「原告」という。)が、反訴被告B(以下「被告B」という。)が同目録1記載の書籍(以下「被告書籍」という。ただし、「破天荒力」という場合もある。)を執筆し、反訴被告株式会社講談社(以下「被告講談社」という。)がこれを発行、販売した行為が、原告書籍について原告が有する著作権(複製権又は翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害する旨主張して、被告らに対し、著作権法112条1項に基づく被告書籍の印刷、発行又は頒布の差止めと不法行為による損害賠償を求めた事案である。
1 前提事実(証拠の摘示のない事実は、争いのない事実又は弁論の全趣旨により認められる事実である。)
(1) 当事者
ア 原告は、ノンフィクション、紀行、エッセイ、小説等の執筆を業とする者である。
イ 被告Bは、平成15年4月に初当選し、平成19年4月に再選した神奈川県知事であり、執筆活動も行っている者である。
ウ 被告講談社は、書籍、雑誌等の出版、販売等を業とする株式会社である。
(2) 原告書籍
ア 原告書籍は、原告を著作者とする著作物である。
 原告書籍は、明治11年創業の「富士屋ホテル」の歴史について、創業者である山口仙之助(以下「仙之助」という。)、その娘婿で実質的な2代目の経営者である山口正造(以下「正造」という。)及び同じく仙之助の娘婿で実質的な3代目の経営者である山口堅吉(以下「堅吉」という。)の3名の事績に焦点を当てながら叙述されたノンフィクション作品である(甲2)。なお、原告は、堅吉の孫である。
 原告書籍の本文は、「プロローグ」、「T 箱根山に王国を築く−仙之助」、「U 繁栄と大脱線−正造」、「V 嵐の中の守り手−堅吉」及び「エピローグ」の各章で構成されている。
 仙之助の事績に焦点を当てた「T 箱根山に王国を築く−仙之助」(甲2 の1 3 頁〜 1 0 1 頁) は、 「岩倉使節団」、 「牛」、 「新天地」、「不夜城」、「富士山」、「日本人を泊めないホテル」、「王堂文庫」及び「箱根山の王」の各項目で構成されている。また、正造の事績に焦点を当てた「U 繁栄と大脱線−正造」(甲2の103頁〜181頁)は、「狐の婿入り」、「放浪」、「花と自動車」、「建築道楽」、「孤独」、「万国髭倶楽部」、「花御殿」及び「南洋への憧れ」の各項目で構成されている。
イ 原告書籍には、別紙対比表1ないし3の各「物語」欄(別紙対比表1及び2においては右欄、別紙対比表3においては左欄)に記載された各記述がある(ただし、別紙対比表1の下線、別紙対比表3の「(1)」等の番号、下線は、被告書籍の記述との対比のために付されたものであり、原告書籍に記載はない。)。
(3) 被告書籍
ア 被告書籍は、被告Bを著作者とする著作物である。
 被告書籍は、箱根の開発と近代化に尽力したとされる5名の人物(仙之助、福沢諭吉、福住正兄、二宮尊徳及び正造)について、その人物像や箱根のために果たした業績を紹介、評価しながら現代において学ぶべき「志」等を論じた作品である(甲1)。
 被告書籍の本文は、「序章明治男とサムライ・スピリッツ」、「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」、「第二章実学のススメ−福沢諭吉」、「第三章徳あるリーダーが不可能を可能にする−福住正兄」、「第四章現代に生きる尊徳の経済道徳−二宮尊徳」、「第五章歴史に奇跡はない−志を発信せよ」、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」及び「終章現代の「サムライ」が目覚めるとき」の各章で構成されている。
 「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」(甲1の27頁〜6 2 頁) は、 「明治初期に外国人向けリゾートホテルをつくった男」、「「遊郭の養子」からの出発」、「大胆不敵な単身渡米」、「突然の転身−慶應義塾入塾」、「富士屋ホテル創業、悲運の大火」、「ゼロからの再出発」、「暴挙?義挙?民の力で道路開削」、「“私”より“公”のサムライ・スピリッツ」、「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」、「国益、外貨獲得のためのホテル業!?」、「「日本人の客は来てもらはずともよい」」、「箱根開発の“黒幕”福沢諭吉」、「閉鎖的な日本の限界」、「託された「開かれた日本」への想い」及び「生粋の国際人だから見えた未来」の各項目で構成されている。
 また、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」(甲1の195頁〜236頁)は、「無鉄砲な一七歳、海を渡る」、「幸運の女神に導かれてイギリスへ」、 「ロンドンで「柔道家」として成功」、「帰国、“山口正造”時代の幕開き」、「モータリゼーションの時代へ」、「正造、バス事業に乗り出す」、「昭和天皇が愛した「仙石原ゴルフ場」」、「子どもキャディーの活躍」、「関東大震災で倒壊、二代目の負けじ魂」、「富士屋ホテルと結婚した男」、「人材育成でもホテル業界をリード」、「「萬国髭倶楽部」の創設」、「日本文化を紹介する『We Japanese』刊行」、「商売を超えた日本のPR」、「時代の要求を見極める先見性」、「正造の最後の作品「花御殿」」及び「激動の昭和を生き抜いた名門ホテル」の各項目で構成されている。
イ 被告書籍には、別紙対比表1ないし3の各「破天荒力」欄(別紙対比表1及び2においては左欄、別紙対比表3においては右欄)に記載された各記述がある(ただし、別紙対比表1の下線、別紙対比表3の「(A)」等のアルファベット、下線は、原告書籍の記述との対比のために付されたものであり、被告書籍に記載はない。)。
(4) 先行文献等
 原告書籍の巻末(甲2の227頁〜229頁)には、原告書籍の出版前に発行された文献が「参考文献」の見出しの下に掲載されている。その末尾には、「このほか・・・C氏(富士屋ホテル株式会社専務取締役)より富士屋ホテル関係資料を提供頂いた。」との記載がある。
 被告書籍の巻末(甲1の270頁)には、被告書籍の出版前に発行された文献が「主な参考文献(五十音順)」の見出しの下に掲載されており、その中には、原告書籍、「富士屋ホテル小史」(富士屋ホテル株式会社。以下「小史」という場合がある。)が含まれている。
 また、原告書籍及び被告書籍のいずれの巻末にも、堅吉編「富士屋ホテル八十年史」(富士屋ホテル株式会社、昭和33年。以下「八十年史」という場合がある。)、堅吉編「山口正造懐想録」(富士屋ホテル株式会社、昭和26年。以下「懐想録」という場合がある。)、「We Japanese」(富士屋ホテル株式会社、昭和25年)、「慶應義塾出身名流列傳」(実業之世界社、明治42年)、箱根温泉旅館協同組合編「箱根温泉史」(昭和61年)、「箱根と外国人」(児島豊著、神奈川新聞社、平成3年)、「箱根町文化財研究紀要第19号富士屋ホテルの建築」(箱根町教育委員会、平成元年。以下「富士屋ホテルの建築」という場合がある。)が参考文献として挙げられている(甲1、2)。
(5) 被告らの行為
ア 被告Bは、原告書籍に依拠(アクセス)して、被告書籍を執筆した。
イ 被告Bと被告講談社は、平成19年5月24日、被告Bが被告講談社に対し被告書籍の出版権を設定する旨の出版等に関する契約を締結した(甲23)。
 被告講談社は、上記契約に基づいて、被告書籍を出版物として発行し、販売している。
2 争点
 本件の争点は、被告らの行為が原告書籍についての原告の複製権又は翻案権の侵害に当たるか(争点1)、被告らの行為が原告書籍についての原告の氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たるか(争点2)、被告らが賠償すべき原告の損害額(争点3)である。
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(被告らによる複製権又は翻案権の侵害の成否)について
(1) 原告の主張
ア ノンフィクション作品の特殊性等
 原告書籍のようなノンフィクション作品は、歴史上の事実を前提に叙述されたものであるが、このような歴史的事実に関する記述であっても、数多く存在する基礎資料からどのような事実を取捨選択するか、また、どのような視点で、どのような表現をするかという点については、様々な方法があり得るのであるから、思想又は感情を創作的に表現したものとして著作権の保護の対象となり得ることは明らかである。
 そして、ノンフィクション作品の場合、登場人物の人物像を明らかにする上で、当該登場人物にまつわる多数存在するエピソードのうち、どのエピソードを挙げるか、その中でも、どのエピソードに特に強い照明を当て、どのように表現するかという点などにも、著者の創作性が発揮されることが多い。また、ノンフィクション作品においては、エピソードを紹介する際に、そのエピソードの信憑性を読者に伝えるために、あるいは、読者の興味を惹くためにどのような資料を挙げるか(そもそも資料を挙げるか否かという選択も含めて)という点にも創作性が発揮され得る。特に、原告書籍のような謎解き型のスタイルを使用した作品においては、「必ずしも発見が容易ではない文献に辿り着き、意外な事実が明らかになった」といった叙述の流れが、読者を作品に惹きつけるものであり、提示する資料の取捨選択にも創作性が発揮されるのである。
 以下に述べるとおり、被告書籍には、原告書籍において創作性を有する記述部分と同一又は類似の表現をした記述部分があり、また、原告書籍と被告書籍とは歴史的事実が共通するのみならず、表現方法、事実の取捨選択、配列等の創作的部分において同一性又は類似性があり、しかも、前記第2の1(5)アのとおり被告書籍は原告書籍に依拠して執筆されたものであるから、被告書籍は、原告書籍を複製又は翻案したものである。
 したがって、被告Bが被告書籍を執筆し、これを被告講談社が出版物として発行、販売した行為は、原告書籍記述部分についての原告の複製権又は翻案権の侵害に当たる。
イ 狭義の表現に関する複製又は翻案
 原告書籍のうち、別紙対比表1のbP0、19、23、35、36、38、43、47、58、62、68、69、71、89、91の「物語」欄の下線部分の各記述は、それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、これに対応する「破天荒力」欄の下線部分の各記述は、上記各原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性を有するから、上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる。
(ア) bP0について
 原告書籍記述部分(下線部分。以下、別紙対比表1において同じ。)は、仙之助が帰国したとき7頭だったはずの牛が「農務顛末」(農業総合研究刊行会、昭和31年)では5頭となっていることから、「2頭の牛」は「死んでしまったのだろうか」と推測したことは、原告独自の推測・意見であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分(下線部分。以下、別紙対比表1において同じ。)においても「売却する前に二頭が死んでしまったからだろう。」と表現しており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(イ) bP9について
 原告書籍記述部分において、「アイリー」、「ハーミテイジ」という建物の愛称及びその響きに着目し、好意的に捉えたことは、原告独自の感想であり、これを「「アイリー」に呼応するようチャーミングな名前がついた。「ハーミテイジ」(隠者の庵)である。私はこの「ハーミテイジ」という響きが大好きだった。」と個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても「アイリーにしろ、ハーミテイジにしろ、なんとも素敵な響きではないか。」、「建物の愛称ひとつとっても洒落ている。」と表現しており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(ウ) bQ3について
 原告書籍記述部分において、電気や道路の整備といったインフラ整備は、「もちろん」ホテルのためにも必要だったとしつつ、「だが」と逆説でつないだ上で、箱根の近代化にも大きく寄与したと捉えたことは、原告独自の感想であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、これらの事業が「もちろん」「第一義的には富士屋ホテルの客や必要物資を運ぶためのものであったろう。」としつつ、「だが」と逆説でつなぎ、「この開削によってどれだけ当時の住民の暮らしが便利になったことか。また、箱根の開発がどれだけ進んだことか。」として、仙之助の事業が箱根全体の近代化に寄与したことを強調しているのであり、その構成も含めて、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(エ) bR5について
 原告書籍記述部分において、「八十年史」の中にあった「富士屋ホテルは外国人の客を取るをもって目的とす。」、「自分は純粋なる外国の金貨を輸入するにあり。」との仙之助の言葉を捉えて、「仙之助はホテルという事業を、日本の外貨獲得のためと考えていたのである。」と評価したことは、原告独自の意見であり、かつ、「外国の金貨を輸入」との表現を、現代人に分かりやすく、かつ、インパクトのある言葉で伝えるため、「外貨獲得」という言葉を選択し、個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、「仙之助は、そもそも「外貨」を獲得するためにホテル経営を志していたからである。」と表現しており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(オ) bR6について
 原告書籍記述部分においては、「慶應義塾出身名流列傳」の中から、仙之助が岩崎彌之助や古川市兵衛といった名士の宿泊まで謝絶したというエピソードを抜き出し、これに対して「ちょっと驚かされる。」とその一徹さを強調し、仙之助の、日本人は泊めないという経営方針が驚くほどに強固であったことを独自の表現で伝えている。さらに、その理由として、「八十年史」から、仙之助が、外国人の金を取ることを富士屋ホテルの目的としていた旨述べたという箇所を引用し、その言葉から、仙之助は単なるホテル事業を超えて、外貨獲得という日本の国益を視野に入れていたのだろうと解釈したことは、原告独自の意見であり、これを「日本の外貨獲得」という個性的な表現で表したものである。
 他方、被告書籍記述部分では、上記と同様の視点から、「八十年史」及び「慶應義塾出身名流列傳」という同じ文献を挙げ、しかも全く同じ箇所を引用し、仙之助の決意の強固さ、「日本人を泊めない」方針が「一徹」であったことを強調し、ホテルの利益を超えて、国益のために外貨を稼ぐという経営哲学があった旨を述べており、文献の紹介の順を逆にしてはいるものの、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性は極めて高い。
(カ) bR8について
 原告書籍記述部分において、ホテル事業を「単なる商売」ではなく、「“日本のために”やっている」、「“日本のために”自分は外貨を稼ぐのだと。」と、国益のための外貨獲得と捉えたことは、原告独自の意見であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、「単なる外国人向けの温泉宿」に止まらず、「このホテルの創業には「国益」という壮大な目標が隠されていた。」としており、「日本のために」を「国益」と言い換えてはいるものの、構成も含めて、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(キ) bS3について
 原告書籍記述部分において、仙之助の慶應義塾入塾の時期を特定することで、福澤諭吉が箱根道普請の提言を行った時期との関連性を導き出した上で、仙之助による箱根開発が、福澤諭吉から影響を受けたものであると捉えたことは、原告独自の視点、推測であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、仙之助の道路開削事業が、福澤諭吉の提言に影響されたものである旨全く同様の推測を述べており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(ク) bS7について
a 前段の下線部分について
 原告書籍記述部分において、正造のそれまでの破天荒なエピソードを受け、逆説を用いて当時の年齢を引き合いに出し、実際には寂しかったであろうとその内面に目を向けたことは、原告独自の推測であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、全く同様の流れで、同様の推測を述べており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
b 後段の下線部分について
 原告書籍記述部分において、上記aの推測を前提として、サンフランシスコは日本からの船が出入りするという事実を指摘した上で、そこから、正造がサンフランシスコは故郷への未練が募って良くないと考えてロンドン行きを思い立ったと捉えたことは、原告独自の推測であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、全く同様の事実を指摘した上で、全く同様の推測を述べており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(ケ) bT8について
 原告書籍記述部分において、仙之助の死後、代表取締役には兄の山口修一郎(以下「修一郎」という。)が就任したにもかかわらず、以後のホテル経営に正造の個性が色濃く反映されているという歴史的事実から、以後をあえて「正造の時代」と称したことは、原告書籍の出版前に発行された先行文献には記述のない原告独自の歴史認識であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、仙之助の引退、逝去により、富士屋ホテルが「正造時代」を迎えたと捉えており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(コ) bU2について
 原告書籍記述部分において、富士屋自動車株式会社設立のエピソードを交えながら、自動車時代への移行をもって「箱根にも、モータリゼーションの波が押し寄せ始めていた。」、「時代は確実に、モータリゼーションに対して追い風だった。」と捉えたことは、原告独自の意見であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、全く同じ時期のエピソードを引用しながら、「箱根はいよいよモータリゼーションの時代を迎えることになった」と表現しており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(サ) bU8について
 原告は、先行文献に記載のない正造と孝子の離婚時期について、親族であるが故に入手可能であった戸籍によってこれを特定した。その結果、原告書籍記述部分において、震災後、金谷真一(以下「真一」又は「眞一」という。)が正造に対し日光に帰ることを勧めた理由につき、正造と孝子の夫婦仲が悪くなっていたことを真一が察していたからではないかとの考えに至ったのは、原告独自の推測であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、全く同様の推測を述べており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(シ) bU9について
 原告書籍記述部分において、正造と孝子の離婚について、「男と女として愛し合うことが出来なかった」以上、「どちらかが富士屋を去らなければならなかった。」と表現したことは、原告独自の表現である。
 他方、被告書籍記述部分においても、「夫婦の絆が失われた」以上、「どちらかが舞台を降りるしかない」と述べており、かつその「舞台」とは、2行前の「「富士屋ホテル」という華やかな舞台」を指していることから、「どちらかが富士屋を去らなければならない」と実質的に同義であり、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(ス) bV1について
 原告書籍記述部分において、単に正造が独身を貫いたという事実から、広く正造の人となりや人生観を改めて捉え直す過程において、正造が「ホテルと結婚した」と捉えたことは、原告独自の意見であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、全く同じ事実をもって、正造は「富士屋ホテルと結婚した」と表現しており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(セ) bW9について
 原告書籍記述部分において、花御殿の設計について、その細部にまで正造の意図が反映されたとの事実をもって、正造がホテル建築に夢と理想を注ぎ込んだと捉えたことは、原告独自の意見であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分においても、「正造のアイデアを細部にまで反映させた設計」、「正造がこの新館の建設に並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいた」と表現しており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
(ソ) bX1について
 「八十年史」を編纂した堅吉は、戦後、自身のプロジェクトとして、フォレストロッジ建て替えなどを行っており、花御殿の完成をもって富士屋ホテルの完成とは全く捉えていない。他の先行文献にもそのような評価を下す記載は一切ないところ、原告書籍記述部分において、「花御殿の完成=富士屋ホテルの完成」と捉えたことは、原告が独自に思い至った評価であり、これを個性的に表現したものである。
 他方、被告書籍記述部分も、同様に花御殿の完成をもって「このホテルは」「完成を見た」と述べており、原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性がある。
ウ 事実の取捨選択等に関する複製又は翻案
 前記アのとおり、ノンフィクション作品においては、エピソード、事実、提示する資料・文献等の取捨選択、あるいは、これら資料などの引用、要約の仕方においても創作性が発揮され得るのであり、このような視点からみて、被告書籍は、原告書籍の複製又は翻案に当たる。
(ア) 別紙対比表2について
 別紙対比表2は、原告書籍及び被告書籍における一つのまとまりの記述部分をX1ないしX21の標題を付して特定し、それぞれの記述部分のうち特に共通する記述部分を「X1(同一箇所)」等の標題の下に「bP」等の番号を付して対比したものである。なお、別紙対比表1の各番号の記述部分は、別紙対比表2の当該番号の記述部分と同一である。
 そして、原告書籍のうち、別紙対比表2のX1ないしX21の「物語」欄の各記述部分は、それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は、上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる。
a X1について
 原告書籍記述部分は、仙之助の出生、幼少期等について記述するものであるが、その記述の流れをみると、まず、出生等について語る上で重要な資料である戸籍を挙げ本籍地を示し、本籍地が実在せず、出生について複数の説があるというミステリアスな事実を告げて冒頭から読者の興味を惹きつけ、実父の氏名・職業、仙之助が五男であることを述べ、山口粂蔵の養子になったこと、養父の出身、職業(横浜の繁栄に目をつけ横浜に出て、しかも遊郭を営んでいたこと)、養父が、「神風楼」を開業し、「伊勢楼」は姪に任せて自分は「神風楼」の経営にあたったこと、当時、外国人の登楼が許されていたのは「岩亀楼」のみであったが、養父の働きかけでどの店でも外国人客が取れるようになったことなどが述べられており、ミステリアスな出生についての謎、それまでタブーとされていた「仙之助と遊廓とのつながり」にあえてスポットライトを当て、読者の興味を惹きつけ、上記の流れで仙之助の幼少期について述べた点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、同様の事実が、同様な流れで述べられており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。もっとも、被告書籍記述部分には、原告書籍記述部分とは異なる記述もあるが、冒頭の導入部分、当時のいわゆる「赤線」、横浜についての一般的な事実等についての記述部分であり、本質的な部分においては原告書籍記述部分と同一である。
b X2について
 原告書籍記述部分においては、@「八十年史」にも一言しか記載がない「牛」のエピソードについて、「富士屋ホテル創業の謎」というテーマにおける謎解きの「鍵」と捉え、多くの紙面を割いたこと、A「農業顛末」という一般的ではない資料を提示し、読者の好奇心を駆り立てつつ史実を明らかにしたこと、B売却代金、牛の頭数等について詳細に述べたこと、C2頭の牛について死んだのかとの推論を立て読者の興味を惹きつけようとしたこと、D当時の巡査の初任給と比較して売却代金は現在では5千万円もの額になるとして、売却代金についての具体的なイメージを読者に伝えようとしたことなどに原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、上記のすべての点において、原告書籍記述部分と共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
c X3について
 原告書籍記述部分は、ホテル創業に至るまでのエピソードについての記述であるが、数ある事実の中から、@仙之助が買収した旅館が「富士屋」ではなく「藤屋」であったこと、A「藤屋」が500年の伝統を持つ温泉旅館であり、秀吉も泊まったと伝えられていること、B外国人を意識して「富士屋」に屋号を変えたことなど、読者が興味を惹くエピソードを取り上げ、これらを表現した点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、途中異なるエピソードを挟んではいるものの、上記の事実が同様の流れで述べられており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
d X4について
 原告書籍記述部分においては、@明治16年(1883年)の富士屋ホテルの大火、A仙之助が養父からの支援を受けるため、横浜で忍従の日々を送ったこと、B養父からの融資を受けて翌年に復興という流れで、大火にまつわるエピソードが述べられており、仙之助に関する数あるエピソードの中からこれらのエピソードを選び、上記の流れで記述した点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分におていも、同様のエピソードが、同様の流れで述べられており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
e X5について
 原告書籍記述部分においては、富士屋ホテルの大火の後、明治17年から20年までの富士屋ホテルの増築及び建築された各建物の呼び名やその特徴が述べられているが、仙之助の偉業を語るに当たって、これらの事実に着目したことは原告独自の視点であり、創作性を有する。すなわち、原告書籍記述部分においては、大火の後、明治17年にアイリーの建設が行われたこと、アイリーの形状、装飾、呼び名の由来、現在は従業員寮として利用されていることなど、続いて、明治18年に14室、食堂、バー、調理場などを備えた数寄屋造りの日本建築の建物が建築されたこと、次に、明治19年にハーミテイジが建築されたこと、さらに、明治20年に「別荘」が建てられたこと(すなわち、年を追うごとに、次々と建築が進んでいく様子)などが、アイリーやハーミテイジといった名前がチャーミングであるとの独自の感想を交えながら述べられ、読者の興味を惹きつけようとした点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、上記と同じ事実が、同じ順序で述べられ、しかも、アイリー、ハーミテイジといった呼び名について、「何ともすてきな響きではないか」などと原告書籍記述部分と同様の感想が述べられるなど、原告書籍記述部分との同一性又は類似性は極めて高い。
f X6について
 原告書籍記述部分においては、仙之助が、自分のホテルのことだけではなく、箱根の近代化まで視野に入れて事業を展開していたという独自の評価を設定し、その例として、道路開削と発電という2つのインフラ整備の問題を選択し、それらに関する事実が述べられている点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、上記と共通した「評価」と「選択」をしており、その記載内容も原告書籍記述部分の記載とほぼ同一であって、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
g X7について
 原告書籍記述部分においては、仙之助が、自分のホテルのことだけではなく、箱根の近代化まで視野に入れて事業を展開していたという独自の評価を設定し、その例として、仙之助の数ある偉業の中から、道路開削と発電という2つのインフラ整備の問題を選択し、そのような偉業を伝える上で効果的と考えられる史実(コストを考え、火力発電ではなく水力発電に着手したこと、明治37年に水利権を確保し、水力発電の合資会社を設立したこと、それにより宮城野、仙石の各村にも電灯がともったことなど)が述べられている点及び仙之助が「大きな視点」でホテル事業を捉えていたとの評価の下、その例として、大日本ホテル同盟会の設立というエピソードを選択し、これを記述した点に原告独自の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、仙之助が大きな視野でホテル事業を捉えていたとの原告書籍記述部分と同様の視点の下、一部順序の入れ替えはあるものの、原告書籍記述部分に挙げられた事実、エピソード等が同様に述べられており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
h X8について
 原告書籍記述部分においては、「国益のために外貨を稼ぐ」という仙之助の隠れた創業の目的にスポットを当て、奈良屋との競争とユニークな契約というテーマを取り上げ、これに関する各史実が述べられている点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、原告書籍記述部分に挙げられた史実とほぼ同じ内容のものが、ほぼ同じ流れで述べられており、原告書籍記述部分との同一性又は類似性は極めて顕著である。
i X9について
 原告書籍記述部分においては、仙之助が、自分のホテルの利益を超えて、「外貨獲得」という「国益」を視野に入れていたという独自の視点から、「八十年史」及び「慶應義塾出身名流列傳」の記述を引用し、仙之助の経営哲学や日本人を泊めなかったといったユニークなエピソードが述べられている点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、上記と同様の視点から、「八十年史」及び「慶應義塾出身名流列傳」という同じ文献を挙げ、しかも全く同じ箇所を引用し、仙之助の経営哲学や日本人を泊めなかったといったエピソードが述べられており、文献の紹介の順を逆にしてはいるものの、原告書籍記述部分との同一性又は類似性は極めて高い。
j X10について
 原告書籍記述部分においては、「慶應義塾出身名流列傳」の一節を引用した上で、福澤諭吉と仙之助、仙之助の箱根におけるホテル創業のエピソードへと結びつける展開により、読者の関心を惹きつけようとした点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、同一の文献の全く同じ箇所を引用するという方法で、同様のエピソードが展開されており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
k X11について
 福澤諭吉と箱根のつながりについては、諭吉や箱根の研究者の間では既に語られていたが、「足柄新聞」のエピソード(明治6年)は、富士屋ホテル創業前であるため、諭吉と富士屋ホテルが関連づけて語られることはなかった。この点、原告は、仙之助が「明治7年」に慶応義塾に入学したことを独自の調査により突き止めたことで、「足柄新聞」に関連する一連の時期と、仙之助が慶応義塾で諭吉に学んだ時期が重なっていることを発見し、その発見から、ホテル創業の地として仙之助が箱根を選んだ理由に対する答えとして、背景に諭吉の存在があったという独自の推論を打ち立てたものである。
 原告書籍記述部分においては、上記のような原告独自の推論とそれに行き着くためのエピソードが述べられている点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分は、この独自の推論、当該推論に行き着くために選択されたエピソードがことごとく原告書籍記述部分と一致しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
l X12について
 「X12(同一箇所)」のbS4の原告書籍記述部分においては、正造が留学を思い立った動機について、病気、休学のエピソードが挙げられているが、これは、このエピソードにこそ、正造の性格がよく表れており興味深いと考えられたことから、取り上げられたものであり、この点に、bS4の原告書籍記述部分における原告の独自性があり、創作性を有する。
 また、bS5、bS6の原告書籍記述部分についても、「懐想録」(乙3)の2ないし6頁に記載された数あるエピソードのうち、正造を描く上で興味深く、的確と思われるものとして、以下のようなエピソードを取捨選択し、以下のような流れで記述した点に原告の創意工夫があり、創作性を有する。
@ 父の猛反対
A 決意の固さに父が折れる。
B 600円の渡航費用を与える。
C 昭和32年に出発
D 昭和33年サンフランシスコに到着
E 船賃を払えば残金80円
F サンフランシスコのホテルは一泊4ドルで泊まれない。
G 下男募集の広告を見てドイツ人の家で給仕
H 女主人に皿を投げつけるという失敗をやらかしてクビになる。
 他方、bS4ないしbS6の被告書籍記述部分においても、以上の各エピソードの選択及び記述の流れが、原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
m X13について
 原告書籍記述部分においては、正造を描くに当たって、「懐想録」(乙3)の7ないし17頁に記載された数あるエピソードの中から、以下のようなエピソードを取捨選択し、以下のような流れで記述した点に原告の独自性があり、創作性を有する。
@ 正造はまだ若いので故郷が恋しい。
A 日本からの船が出入りするサンフランシスコは未練が残って良くない。
B ロンドン行きを決意
C しかし金がない。
D 金谷の客目当てにバンクーバーへ
E バンクーバーで英語教師
F 英語力は生徒と変わらないのに何とか務めた。
G カークウッドとの再会
H 病人の付添人として乗船。但し「英国上陸後は責任なし」との条件付き。
 他方、被告書籍記述部分においても、以上の各エピソードの選択及び記述の流れが、原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
n X14について
 原告書籍記述部分においては、正造を描くに当たって、「懐想録」(乙3)の18ないし49頁に記載された数あるエピソードの中から、以下のようなエピソードを取捨選択し、以下のような流れで記述した点に原告の独自性があり、創作性を有する。
@ ロンドンで日本大使館へ駆け込む。
A 最初は断られるがあきらめずに大使と直談判
B ボーイとして採用
C 2年後に大使帰国で失職
D 二人の柔道家との出会い
E ロバート・ライトの柔道場で柔道を教えると同時に興行
F ライトのあくどさに気づき、独立
G マネージャーと実演
H 当時の異国ではまだ柔道は珍しかったので技術がなくとも何とかなった。
I 3人は有名になる。
J ロンドン警察、オックスフォード大、ケンブリッジ大で教えるようになる。
K 自前の柔道学校開校
L 渡米から5年、22歳の時には、11室の豪邸、6人の使用人を雇うまでに成功する。
 他方、被告書籍記述部分においても、以上の各エピソードの選択及び記述の流れが、原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 なお、「懐想録」(乙3)の30頁1行目には、「漂流轉々六年・・・」とあり、原告書籍記述部分において「渡米から五年」と記載したことは誤りであるが、被告書籍記述部分においても、「日本を離れて五年」と全く同じ誤りが認められる。また、正造と二人の柔道家との出会いについて、被告書籍記述部分では、「職を求めてさまよっていた街中で、谷と三宅という二人の柔道家と知り合い」とあるが、「懐想録」には「谷及び三宅の兩柔術手を訪問した」とあり、街中で出会ったことにはなっていない。これは、原告書籍記述部分にある「二人の柔道家との出会いが彼の運命を大きく変えた」の「出会い」という記述に、被告が引きずられたものと思われる。これらのことからも、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分を模倣して作成されたことが強く推認される。
o X15について
 原告書籍記述部分においては、正造がロシア人拳闘家アポロと闘ったエピソードが挙げられているが、これは、原告が様々な資料に当たるなどして調査した結果行き当たったこのエピソードに、正造の破天荒ぶりがよく表れていて興味深いと考えたことから、取り上げたものであり、この点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、上記と同様のエピソードが述べられており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
p X16について
 原告書籍記述部分においては、正造の成し遂げた数ある偉業の中で、ホイットニーの書簡をきっかけに富士屋自動車株式会社を設立したことや同社にまつわる各エピソードを取捨選択した点及び正造による同社設立のエピソードに関連して「箱根にモータリゼーションの時代が来た」との表現をした点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、上記のエピソードの選択及び表現が共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
q X17について
 原告書籍記述部分においては、関東大震災に関する数あるエピソードの中から、以下の一連のエピソードを取捨選択し、以下のような流れで記述した点に原告の独自性があり、創作性を有する。
@ 「はふや」買収
A 木造四階建ての建物竣工
B 夏のシーズン、経営順調
C しかし、震災発生
D 箱根ホテルは全壊し、富士屋ホテルも平屋の日本館が倒壊
E 富士屋自動車のハイヤーは灰と化した。
F 宿泊客の安全確保
 他方、被告書籍記述部分においても、以上の各エピソードの選択及び記述の流れが、原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
r X18について
 原告書籍記述部分においては、震災、離婚、人材育成、トレーニングスクール設立というストーリー展開及び以下のようなエピソードの選択と記述の流れにおいて、読者を惹きつけるための原告の独自性があり、創作性を有する。
@ 震災を受けて故郷に戻ってはどうかとの兄の助言に首を縦に振らなかった正造
A 実は、兄は正造夫婦の不仲を察して助言したのかも知れない。
B 正造の妻孝子のエピソード(語学堪能、社交的。でも優しい。)
C 二人は似合いの夫婦に見えたが内情は違った。
D どちらかが富士屋を去らなければならなかった。
E 離婚し、孝子が去った。
F 孝子は再婚したが、正造は独身を貫いた。
G 正造は、「富士屋ホテルと結婚した」と言える。
H 正造には、子どももなかった。
I かわりにホテルのための人材育成に力を注いだ。
J トレーニングスクール開設
K 昭和5年当時、旅館業界に経営法を教える教育機関がほしいとの声が高まっていたが、そのような機関は皆無であった。
L そのような要望により発足したトレーニングスクール
M 講師には各部署の主任があたった。
N 各修行科目
O これら13科目のうち、6科目以上を修め、修業年限3年を終えた者に卒業証書
P 第1回卒業生を送り出したのは昭和8年
Q 約10年でいったん役目を終えたが、その後再開R 正造の一周忌を記念して集めた寄付金を基に、立教大学に観光学科設立
 他方、被告書籍記述部分においても、以上の各エピソードの選択及び記述の流れが、原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
s X19について
 原告は、幼少の頃より、一族の人間や古い時代を知る関係者から、正造が「髭」、「お髭さん」、「髭旦那」と呼ばれていたことを何度も耳にする中で、「髭」が正造の代名詞でありアイデンティティーであると感じ取っていた。そこで、原告は、正造の「髭」にまつわるエピソードを熱く語りたいとの独自の視点から、「懐想録」以外の資料にも当たって、これらのエピソードを抜き出し、原告書籍記述部分において記述したものである。また、原告書籍記述部分においては、正造にまつわる数あるエピソードの中から、万国髭倶楽部の創立という史実を選択し、これに関連する各史実を取り上げ、これらエピソードの締めくくりに、現在富士屋ホテル本館の廊下に掲げられた写真を紹介するというストーリー展開をしており、これらの点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、正造の「髭」にまつわるエピソードの選択及び記述の流れが、原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
t X20について
 原告書籍記述部分においては、正造に関する数多くのエピソードの中から、「We Japanese」と題する冊子についてのエピソードを、「海外への日本のPR」という広い視野を正造が持っていたことを示す興味深いエピソードであるとの考えから選択した点及び正造が外国人客との交流の中で「We Japanese」の原点となる献立表裏の解説文を思い立ったという経緯から始まって、最終的には、これが本として発刊されたものの、第三巻は空襲で原稿が失われたことを述べ、更に「We Japanese」で紹介された項目を例示列挙するという流れで記述した点において、原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、「We Japanese」に関するエピソードの選択及び記述の流れが原告書籍記述部分とほぼ共通しており、原告書籍記述部分との同一性又は類似性がある。
u X21について
 原告書籍記述部分においては、「花御殿」と呼ばれる富士屋ホテルの新館が建設されたエピソードを紹介するに際して、@「花御殿」について、正造の意図がその設計の細部にまで反映されていることから、正造のホテル建築に対する夢と理想が注ぎ込まれた作品であると評価している点、A「花御殿」建設(昭和11年)後も、富士屋ホテルでは様々な立て替えや改装があったにもかかわらず、花御殿の完成をもって、「富士屋ホテルが完成した」との独自の評価をしている点、B花御殿の特徴として、すべての客室には客室番号の代わりに花の名前が付けられていたこと、客室のドアにはその花の絵が飾られていたこと、同じ花の絵が描かれた巨大な木製のキーホルダーが使われていたこと、客室の絨毯にもその花が織り込まれていたことの4点を紹介している点において、原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、被告書籍記述部分においても、一部順序が変えられているものの、上記で述べたすべての点が原告書籍記述部分と共通しており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
(イ) 別紙対比表3について
 別紙対比表3は、原告書籍及び被告書籍における一つのまとまりの記述部分をY1ないしY5の標題を付して特定し、対比したものである。なお、Y1ないしY5の各記述部分は、別紙対比表2のX1ないしX21の各記述部分よりも広範囲なまとまりとなっており、Y1ないしY5の各記述部分がX1ないしX21の各記述部分のうちの複数をそれぞれ包含する関係にある。
 そして、原告書籍のうち、別紙対比表3のY1ないしY5の「物語」欄の各記述部分は、それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は、上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる。
a Y1について
 原告書籍記述部分は、「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章にある「日本人を泊めないホテル」との見出しに係る記述の主要部分(甲2の72頁冒頭〜83頁3行)であり、被告書籍記述部分は、「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」の章にある「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」、「国益、外貨獲得のためのホテル業!?」、「「日本人の客は来てもらはずともよい」」との見出しに係る記述の全部(甲1の48頁2行〜55頁4行)である。
 そして、原告書籍記述部分は、別紙対比表2のX8及びX9、別紙対比表1のbR5の各原告書籍記述部分を含むものであるが、前記(ア)h、i、イ(エ)のとおり上記各原告書籍記述部分が創作性を有し、それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 したがって、Y1というより広い範囲の記述部分のまとまりにおいても、原告書籍記述部分が創作性を有し、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
b Y2について
 原告書籍記述部分は、「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章にある「新天地」との見出しに係る記述の一部(甲2の46頁5行〜50頁1行)であり、Y2の被告書籍記述部分は、「第二章実学のススメ−福沢諭吉」の章にある「学問は実学であるべし−」及び「箱根の道路開削をしかけろ!」との見出しに係る記述の全部(甲1の77頁2行〜81頁末行)である。
 そして、原告書籍記述部分は、別紙対比表2のX10及びX11の各原告書籍記述部分を含むものであるが、前記(ア)j、kのとおり上記各原告書籍記述部分が創作性を有し、それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 したがって、Y2というより広い範囲の記述部分のまとまりにおいても、原告書籍記述部分が創作性を有し、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
c Y3について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章にある「放浪」との見出しに係る記述の全部と「花と自動車」との見出しに係る記述の一部(甲2の114頁冒頭〜126頁2行)であり、Y3の被告書籍記述部分は、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章にある「無鉄砲な一七歳、海を渡る」、「幸運の女神に導かれてイギリスへ」、「ロンドンで『柔道家』として成功」及び「帰国、“山口正造”時代の幕開き」との見出しに係る記述の全部(甲1の196頁冒頭〜204頁末行)である。
 まず、原告書籍記述部分は、別紙対比表2のX12ないしX15、別紙対比表1のbT8の各原告書籍記述部分を含むものであるが、前記(ア)lないしo、イ(ケ)のとおり上記各原告書籍記述部分が創作性を有し、それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 次に、別紙対比表3のY3のbT4ないしbT7の番号を付した記述部分(ただし、下線部分)のうち、bT4の原告書籍記述部分においては、仙之助の長男修一郎について、「趣味人でホテル経営に関心がない」旨の原告独自の人物評価に基づき、長男であった修一郎ではなく、正造が経営の実権を握ることになったというエピソードを伝えている点に原告の独自性があり、創作性を有する。また、bT5ないしbT7の原告書籍記述部分においても、膨大な正造についてのエピソードの中で、特に目立たないエピソードではあるが、正造を描く上で効果的と思われるものを取捨選択し、正造が労働者階級と上流階級のイギリス英語を操り、英語と米語の違いも心得ていたこと(bT5)、明治40年、結婚と同時に富士屋ホテルの取締役に就任したこと(bT6)、いつも「H.S.K.YAMAGUCHI」とサインしていたこと、Sは正造、Kは旧姓の金谷、そしてHは、彼の愛称だったヘンリーのイニシャルであったこと(bT7)を述べている点に原告の独自性があり、創作性を有する。
 他方、bT4ないしbT7の被告書籍記述部分においても、全く同じエピソードが述べられており、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 したがって、Y3というより広い範囲の記述部分のまとまりにおいても、原告書籍記述部分が創作性を有し、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
d Y4について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章にある「孤独」との見出しに係る記述の一部(甲2の147頁冒頭〜153頁14行)であり、被告書籍記述部分は、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章にある「関東大震災で倒壊、二代目の負けじ魂」、「富士屋ホテルと結婚した男」及び「人材育成でもホテル業界をリード」との見出しに係る記述の全部(甲1の215頁2行目〜221頁2行)である。
 そして、原告書籍記述部分は、別紙対比表2のX17及びX18の各原告書籍記述部分を含むものであるが、前記(ア)q、rのとおり上記各原告書籍記述部分が創作性を有し、それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 したがって、Y4というより広い範囲の記述部分のまとまりにおいても、原告書籍記述部分が創作性を有し、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
e Y5について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章にある「万国髭倶楽部」との見出しに係る記述の一部(甲2の157頁冒頭〜163頁7行)であり、被告書籍記述部分は、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章にある「「萬国髭倶楽部」の創設」との見出しに係る記述の全部及び「日本文化を紹介する『We Japanese』刊行」との見出しに係る記述の一部(甲1の221頁3行〜226頁9行)である。
 そして、原告書籍記述部分は、別紙対比表2のX19及びX20の各原告書籍記述部分を含むものであるが、前記(ア)s、tのとおり上記各原告書籍記述部分が創作性を有し、それぞれに対応する各被告書籍記述部分は各原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある。
 したがって、Y5というより広い範囲の記述部分のまとまりにおいても、原告書籍記述部分が創作性を有し、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることは明らかである。
(エ) 仙之助及び正造を主人公とした章全体について
a 仙之助を主人公とした章全体について
 原告書籍の「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章全体(甲2の13頁〜101頁)の記述部分と被告書籍の「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」の章全体(甲1の27頁〜62頁)の記述部分は、いずれも仙之助を主人公とした記述部分であるところ、被告書籍記述部分をみると、「「遊郭の養子」からの出発」との見出しから「「日本人の客は来てもらわずともよい」」との見出しにかけて(甲1の29頁〜55頁)の広範囲にわたる記述において、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある箇所が多数存在する(別紙対比表1のbP0、19、23、35、36、38、別紙対比表2のX1ないしX9、別紙対比表3のY1)。
 このほか、被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とには、別紙対比表4のW1ないしW3のとおり、記載が同一又は類似する箇所がある(別紙対比表5は、上段に原告書籍の記述部分、下段に被告書籍の記述部分を示したものであり、枠で囲んだ上で「bT」などの同一の番号を付した部分が、両者の記述が同一又は類似する箇所である。)。
 加えて、原告書籍記述部分は、多数ある仙之助に関するエピソードの中からわずかのもの(「八十年史」に記載されているエピソードのうち19%)を取捨選択したものであるにもかかわらず、そのうちの大半のエピソードが被告書籍記述部分においても取り上げられていること、被告書籍記述部分においてのみ取り上げられているエピソードはほとんどないこと(「八十年史」に記載されているエピソードのうち1%)からすれば、被告書籍記述部分が、原告書籍記述部分に大きく依拠し、原告書籍記述部分における事実等の取捨選択の独自性・創意工夫を盗用していることは明らかである。
 以上の諸点にかんがみれば、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を要約・修正・増減したり、順序を変えるなどして、変形して制作された作品であり、原告書籍記述部分を翻案したものである。
b 正造を主人公とした章全体について
 原告書籍の「U 繁栄と大脱線−正造」の章全体(甲2の103頁〜181頁)の記述部分と被告書籍の「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章全体(甲1の195頁〜236頁)の記述部分は、いずれも正造を主人公とした記述部分であるところ、被告書籍記述部分をみると、「無鉄砲な一七歳、海を渡る」との見出しから「モータリゼーションの時代へ」との見出しにかけて(甲1の196頁〜206頁)、「関東大震災で倒壊、二代目の負けじ魂」との見出しから「日本文化を紹介する『We Japanese』刊行」との見出しにかけて(甲1の215頁〜228頁)及び「正造の最後の作品「花御殿」」との見出しの広範囲にわたる記述において、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある箇所が多数存在する(別紙対比表1のbS7、58、62、68、69、71、89及び91、別紙対比表2のX12ないしX21、別紙対比表3のY3ないしY5)。
 このほか、被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とには、別紙対比表4のW4、W5のとおり、記載が同一又は類似する箇所がある。
 加えて、原告書籍記述部分は、多数ある正造に関するエピソードの中からわずかのもの(「八十年史」に記載されているエピソードのうち8%)を取捨選択したものであるにもかかわらず、そのうちの大半のエピソードが被告書籍記述部分においても取り上げられていること、被告書籍記述部分においてのみ取り上げられているエピソードはほとんどないこと(「八十年史」に記載されているエピソードのうち0.31%)からすれば、被告書籍記述部分が、原告書籍記述部分に大きく依拠し、原告書籍記述部分における事実等の取捨選択の独自性・創意工夫を盗用していることは明らかである。
 以上の諸点にかんがみれば、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を要約・修正・増減したり、順序を変えるなどして、変形して制作された作品であり、原告書籍記述部分を翻案したものである。
(2) 被告らの主張
ア 歴史的事実を基礎とする著作物についての著作権侵害の判断基準被告書籍及び原告書籍は、いずれも正造、仙之助という富士屋ホテルの経営に携わり、地域の発展に尽くした歴史上の人物に関する歴史的事実を基礎とする著作物である。このような歴史的事実を基礎とする著作物において、歴史的事実そのもの、エピソードの取捨選択、すなわち、歴史的事実を取り上げたこと自体により著作権侵害となることはあり得ない。なぜなら、「歴史的事実」そのもの、「エピソード」そのものは、最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁(「江差追分事件最高裁判決」)が指摘するように「事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分」にすぎないものであって、本来、何人にも独占させるべきではない、公有に帰すべきものであるからである。著作物が「事実を発掘した」先人の「汗」の上に成り立っている場合であっても、かかる「汗」の成果である「歴史的事実」そのものについては、速やかに公有に帰するのであり、一定期間、著作権法により保護されるのは、歴史的事実に関する「思想又は感情の創作的な表現」部分のみである。
 そして、以下に述べるように、原告書籍及び被告書籍の別紙対比表1ないし3において共通するのは、「事実」のみであり、「思想又は感情の創作的な表現」において表現上の本質的特徴の同一性はない。
 また、エピソードの取捨選択の創作性をいう原告の主張は、「歴史的事実に関する記述」から、極めて抽象的な「エピソード」を抽出し、かかる極めて抽象的な「エピソード」の取捨選択が共通しただけで、「エピソード」を具体的にどのように表現したとしても創作的表現として類似し、著作権侵害に当たるというものにほかならず、その主張自体失当である。原告は、エピソードの取捨選択のほかに、原告書籍と被告書籍は、「表現方法」、事実の「配列」の創作的部分において同一性又は類似性がある旨主張するが、原告書籍と被告書籍は、極めて抽象的なエピソードが共通する以外に、「表現方法」においてどこが共通する創作的表現であるというのか、その具体的摘示はほぼ皆無といわざるを得ない。ことに、「配列」については、歴史的事実を抽象化した「エピソード」レベルである以上、基本的に時系列に沿って述べている限り、創作性が認められるはずもなく、また、エピソードレベルで多少の前後があっても、そのことだけで創作性が生じるはずもない。まして、原告書籍及び被告書籍は、いずれも単なるエピソード集ではなく、それぞれが独自の視点をもち、それぞれの具体的な創作的表現部分により著作物となっているものであり、抽象的なエピソードの選択や配列により著作物となっているのではない。
 したがって、被告書籍は原告書籍を複製又は翻案したものとはいえないから、被告らの行為が複製権又は翻案権の侵害に当たるとの原告の主張は、理由がない。
イ 狭義の表現に関する複製又は翻案の主張に対し
 以下に述べるとおり、別紙対比表1における原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とを対比しても、両者において共通する箇所は、表現上の創作性がなく、著作物性を有しない部分にすぎず、両者の間に表現上の同一性又は類似性は存在しない。
 したがって、被告書籍記述部分は原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
(ア) No.10について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは、事実のみであり、表現の類似は皆無である。
 原告は、仙之助が帰国した時の牛が7頭であるのに対して、売却した牛が5頭であることから、残りの2頭については死んでしまったのであろうと述べている点について指摘するが、7頭が5頭になったときに、残りの2頭について当時の事情からして死んだのだろうと推測することは当然であるし、「推測」それ自体に著作物性が認められるものでもない。
(イ) No.19について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。また、その客観的事実については、先行文献に記載がある。
(ウ) No.23について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。また、その客観的事実については、先行文献に記載がある。
 原告は、「もちろん」、「だが」とつなぐ文章構成それ自体が表現であるかのごとき主張をしているが、表現であるはずもなく、失当である。
(エ) No.35、36について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。また、その客観的事実については、先行文献に記載がある。
 原告は、「八十年史」に記載された「富士屋ホテルは外国人の客を取るをもって目的とす。」、「自分は純粋なる外国の金貨を輸入するにあり。」との仙之助の言葉を捉えて、「仙之助はホテルという事業を、日本の外貨獲得のためと考えていたのである。」と評価したことは、原告独自の意見であると主張するが、「八十年史」の記述をみれば、仙之助がホテル経営により「外貨獲得」を目的としていたことを読み取るのが通常であり、原告独自の意見とはいえない。
(オ) No.38について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通する語はほとんどなく、一部、類似する見解が表明されているにすぎず、表現上の類似は皆無である。
(カ) No.43について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで、表現の類似は皆無である。
 仙之助の道路開削事業が福沢諭吉の影響、後押しによるとの見解について共通する部分があるとしても、道路の開削が福沢諭吉の提言によるものであることは、先行文献にも記載されているところであり、そのような見解を原告が独占できるものではない。
(キ) No.47について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
 また、原告は、仙之助が、サンフランシスコは日本への未練が残って良くないと考えてロンドン行きを思い立ったという原告書籍記述部分の記述は、原告独自の推測であり、個性的な表現であるなどと主張する。しかし、先行文献である「懐想録」(乙3の7頁2行〜9行)には、仙之助が「極度の恋郷病」にかかるも、父親から帰国を許されずに「石に齧り付いても帰へるまい」と決心し、「桑港は日本内地から郵船の出入りが余り頻繁なので、此処に止まらず、寧ろどうにかして英国に行きたいと考へた」ことが記述されており、この記述から、仙之助が、弱気を払うために、日本に帰れないようにもっと遠くに行きたいと考えたと理解するのは通常であり、原告書籍記述部分の上記記述が原告独自の推測とはいえない。
(ク) No.58について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
 原告は、仙之助の死後、代表取締役には兄の修一郎が就任したにもかかわらず、以後のホテル経営に正造の個性が色濃く反映されているという歴史的事実から、以後をあえて「正造の時代」と称したことは、先行文献には記述のない原告独自の歴史認識であり、これを個性的に表現したものであると主張するが、修一郎が「名目上」の社長で、正造が「実質的な二代目経営者」であることは、先行文献にも明記されている事実であり、「正造時代」という語も、原告書籍の参考文献でもある「富士屋ホテルの建築」に記述されているところであるから、原告独自の歴史認識であるとも、これを個性的に表現したものであるともいえない。
(ケ) No.62について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは、「モータリゼーション」という単語にすぎず、表現の共通性は皆無である。
(コ) No.68について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
 原告は、真一が正造に対し日光に帰ることを勧めた理由につき、正造と孝子の夫婦仲が悪くなっていたことを真一が察していたからではないかとの考えに至ったのは、原告独自の推測であり、これを個性的に表現したものであると主張するが、正造と孝子との結婚生活が早い段階で実質的に破綻していたことは、先行文献の記載から明白であり、現に、真一が正造に日光に帰ることを勧めた2年半後に正造と孝子は正式に離婚しているのであるから、正造と仲のよい兄弟であった真一が、正造と孝子の不和に感づいていたと考えることは自然であり、原告独自の推測とはいえない。
(サ) No.69について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
 原告書籍記述部分は、「どちらかが富士屋を去らなければならない」という事実をそのまま記載したにすぎないのに対して、被告書籍記述部分は、富士屋ホテルを「華やかな舞台」に見立てて、「舞台を降りる」という独自の比喩表現を用いているのであり、表現が異なる。述べている内容が「実質同一」であることは「狭義の表現」の同一とは異なるものである。
(シ) No.71について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
 原告は、「富士屋ホテルと結婚した」との記述が、原告独自の意見であり、個性的表現であるなどと主張するが、「〜と結婚したようなもの」という表現は、何かに一心不乱に打ち込む状態を表すありきたりな言い回しにすぎず、原告による個性的表現とはいえない。
(ス) No.89について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
(セ) No.91について
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは単語、それも客観的事実を示すべく使用されている名詞、固有名詞にすぎず、表現の共通性は皆無である。
ウ 事実の取捨選択等に関する複製又は翻案の主張に対し前記アで述べたように、原告の主張は、エピソードの選択と配列が同一であれば、更にいえば、同一のエピソードを選択すれば、著作権侵害になるというものであって、エピソードの取捨選択に名を借りて、「歴史上の人物の来歴・業績について、先行資料から選択して記述する行為」それ自体に著作権が及ぶというものであり、明らかに失当である。
 しかも、原告が主張する原告書籍と被告書籍とでエピソードについての記述が同一又は類似する箇所は、極めて抽象的なレベルでの事実が両者で共通しているというものにすぎず、そもそも「表現」ではないし、ことに、配列については歴史的事実を抽象化したエピソードレベルである以上、基本的に時系列に沿って述べている限り、創作性が認められるはずはない。
 また、仙之助及び正造は、富士屋ホテルの創設とその発展、地域の発展に寄与した歴史上の人物であるから、仙之助及び正造の富士屋ホテルとその周辺に関わる事績を記述する場合、事実やその配列が共通することはやむを得ないというべきである。原告書籍及び被告書籍のいずれにおいても、先行文献である「八十年史」に記述された事実の中から、それぞれのテーマに従って記述すべきものをほとんど記述しており、それ以外の事実を記述することが事実上できないこと、すなわち選択の幅がないことは明らかであり、両書籍は、創作的表現部分において何ら共通していない。
 したがって、被告書籍は原告書籍の複製又は翻案に当たるとの原告の主張は、理由がない。
(ア) 別紙対比表2について
 別紙対比表5は、別紙対比表2のX1ないしX21の各記述部分について、原告書籍記述部分(別紙対比表5の「物語」欄)、被告書籍記述部分(同「破天荒力」欄)及び先行文献の記載(同「先行文献等の記載」欄)の三者を対比した一覧表である。
 別紙対比表5における赤色の表示は、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通する語、固有名詞等(一部は、先行文献の記載とも共通する。)、緑色の表示は、原告書籍記述部分と先行文献の記載との間でのみ共通する語、固有名詞等であり、先行文献の記載の下線部分は、当該部分と原告書籍記述部分との共通性が甚だしい部分を示すものである。
 別紙対比表5をみれば明らかなとおり、別紙対比表2のX1ないしX21の各記述部分について、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通しているのは、いずれもそれ自体に著作物性のない、固有名詞、単語、語句や既に先行文献に記載のある歴史的事実にすぎず、著作物性のある創作的表現部分において共通する箇所は皆無である。また、対比した各記述部分ごとに補足すべき被告の主張は、別紙対比表5の「先行文献等の記載」欄末尾の各「(被告らの主張)」に記載のとおりである。
(イ) 別紙対比表3について
 別紙対比表3のY1ないしY5の各記述部分は、別紙対比表2のX1ないしX21の各記述部分のいくつかを組み合わせ、別紙対比表2では対比されていない箇所をも含むものであるが、前記(ア)のとおり、原告書籍と被告書籍には、別紙対比表2のX1ないしX21の各記述部分について創作的表現部分において共通する箇所が存在しない以上、別紙対比表3のY1ないしY5の各記述部分についても、同様に創作的表現部分において共通する箇所が存在しないことは明らかである。
 また、原告書籍及び被告書籍における別紙対比表3のY1ないしY5の各記述部分は、以下に述べるとおり、そもそもの主題の設定、ストーリー展開、創作性を有する描写等においてことごとく異なるものであり、創作的表現として全く異なるものである。
a Y1について
 原告書籍記述部分においては、(1)の導入に係る記述の後、(2)で富士屋ホテルが外国人しか泊めなかった時期があること、(3)で著名人を泊めないエピソードを紹介し、(4)、(5)でその理由が外貨獲得であり、(6)で奈良屋との契約締結によること、(7)で契約締結に至る経過が激烈なライバルとの競争にあったことを紹介し、(25)でその争いの結果、契約が締結されたとしてその条項を紹介し、(26)で大正元年まで、この契約が続いたと締めくくっている。
 他方、被告書籍記述部分においては、(A)でそもそも奈良屋が最初に外国人を泊めていたが、(C)でその後、解禁に伴い富士屋ホテルも開業したため、争奪戦が始まったとして、(D)でそれが再建競争となり、(G)で共倒れを防ぐために契約を締結したとして条項を紹介し、(I)で契約締結は共存共栄、箱根繁栄のためであると結び、「国益、外貨獲得の為のホテル業!?」と題して、(J)でこの契約が終了時期から仙之助自身のこだわりであると推測し、(K)でその理由は外貨獲得であるとし、「日本人の客は来てもらはずともよい」と題して、(N)で「八十年史」の言葉を引き、(O)で仙之助の意思が強固である例として、著名人を泊めないエピソードを紹介し、(Q)で別の契約条項を紹介して著者の感想を述べ、(R)で制限を解いたが創業者の志を受け継ぎ、外国人客主体の経営を継続していると結んでいる。
 以上のとおり、原告書籍記述部分は、「日本人を泊めないホテル」との標題のとおり、まず、富士屋ホテルが外国人しか泊めない時期があったとの歴史的事実を紹介し、読者の興味を惹いて、その理由が奈良屋との契約締結であると種明かしをした後に、そこに至る経緯を述べている。これに対し、被告書籍記述部分においては、「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」において、まず、「奈良屋が先に外国人客」、「富士屋登場」、「ライバル関係」、「競争激化」、「契約締結」という歴史的事実を基本的に時系列に沿って述べ、その上で、「国益、外貨獲得のためのホテル業!?」と題して上記歴史的事実を分析し、契約が仙之助の思い入れによるものであり、外貨獲得のためであるとし、「日本人の客は来てもらはずともよい」と題して、その思い入れの例証を挙げ、著名人を泊めなかったエピソード、契約条項を引いているのである。
 このように両者は、記述の順序を全く異にしているところ、その理由は、原告書籍記述部分が、読者の注意を引いて富士屋ホテルが宿泊客を泊めなかった時期があることを興味をもって読ませるために、歴史的事実を読者が興味を持ちやすいように配列し直しているのに対し、被告書籍記述部分は、仙之助が国益という「公」の視点から外貨を獲得するために外国人客しか泊めなかったという主題に向かい、歴史的事実を時系列に沿って述べた後で、これを主題にそって分析し、例証としてエピソードや契約条項を挙げているからである。
 上記のとおり、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴は、歴史的事実を配列し直した上で、読者が飽きずに読めるようにした具体的表現部分にあり、他方、被告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴は、歴史的事実を明確な主題に沿って分析し、その例証を挙げている具体的表現部分にあるのであって、両者は、表現上の本質的な特徴を全く異にしている。
 したがって、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書籍記述部分において感得することはできないから、後者が前者の複製又は翻案に当たるとはいえない。
b Y2について
 原告書籍記述部分は、「新天地」と題する仙之助に関する記述部分であり、仙之助が慶應義塾で福沢諭吉に影響を受けてホテルを経営するに至ったのではないかとの推測について、(1)で慶應義塾の紹介、(2)で仙之助が塾生であった根拠を述べ、福沢の言葉を「慶應義塾出身名流列傳」から引用し、(3)で福沢の助言がホテル創業のきっかけといわれているが、(4)で突飛すぎるとして、福沢の著述、足跡にあたるとして、(5)で仙之助が洋行によりホテルに興味を持ったとの記述はないとし、(6)で福沢が塔之沢温泉に逗留し、福住正兄と懇意にしていたこと、(7)で足柄新聞掲載の記事を紹介し、(9)でその後も、福沢が県知事への手紙で道普請のことに触れていることを引き、著者の推測として、福沢は正兄に新道開発を相談していたらしいとし、(10)で結論として、福沢が仙之助に箱根開発を進めたのかどうかは不明だが、福沢の意見に影響を受けた可能性が高いとしている。なお、福沢が正兄に新道開発を相談していたらしいとの著者の推測は、先行文献(「福澤諭吉と福住正兄−新発見の福澤書簡をめぐって−」・甲19)に記載されているものを著者自身の推測としているものにすぎない。
 他方、被告書籍記述部分は、そもそも「仙之助」に関する章ではなく、「第二章実学のススメ−福沢諭吉」の章における福沢に関する記述である。すなわち、被告書籍記述部分は、福沢について、「挫折は飛躍への一大転機」、「ひたすら学べ。諸君らの戦場はここにある」、「近代化への種をまく思想家」、「足柄の「福沢神社」や箱根との深い縁」、「箱根人・福住正兄との友情」と続けた後に、「学問は実学であるべし−」及びそれに続く「箱根の道路開削をけしかけろ!」との見出しに係る記述の中で、仙之助との関係に触れている部分である。「学問は実学であるべし−」においては、(A)で福沢が欧米のリゾートから箱根に着目し、仙之助にホテル経営を勧めたのではないかという著者の推測をまず述べ、(B)でその根拠として、「慶應義塾出身名流列傳」の福沢の言葉を引用し、(C)で福沢が実学論者であったことなどを詳細に検討して、(E)で仙之助は福沢の言葉を受けて箱根に入ったと推測している。すなわち、同じ福沢の言葉について、原告書籍記述部分では、突飛すぎるとした推測を、被告書籍記述部分では福沢の学問、思想から推測を裏付けるものと評価しているのである。
 また、被告書籍記述部分では、引き続き、「箱根の道路開削をけしかけろ!」と題して、(F)でホテルの外に道路開削工事にも尽力しているのは福沢の間接的な訓戒であると断定し、その根拠を足柄新聞の記事に求め、(G)で記事とその経緯を紹介した上で、(I)でこの後も福沢が道路建設を提言し、(J)で足柄県令や福住正兄にも提言していることを挙げ、(K)で福沢のススメにより箱根でホテルを経営する仙之助が福沢の提言に影響されないはずはないとしている。すなわち、原告書籍記述部分では、福沢が箱根開発、ひいてはホテル経営を勧めたのかどうかはわからないが、仙之助が影響を受けたことは大いに考えられるとしているのに対し、被告書籍記述部分では、上記(G)、(I)、(J)を根拠として新道建設が福沢の影響であるとしているのであり、原告書籍記述部分におけるような単なるホテル経営という視点ではなく、「公」という立場からの新道開削について論じているのである。現に、被告書籍記述部分では、(L)で仙之助が手がけた水力発電事業、大日本ホテル業同盟会の結成などの数々の事績は、いずれも、実学や事業によって国益に寄与することを重視した福沢に感化されてのものだと推測し、仙之助が推進した事業の多くは、福沢の思想的影響を大いに受けており、それが箱根の開発や発展につながっていったとして、(M)で福沢が、箱根に近代化の種をまいた男であり、箱根には、その啓蒙思想が息づいていると結んでいるのである。
 このように、原告書籍記述部分が、仙之助は福沢の言葉でホテルを経営したのか、という「富士屋ホテル物語」にふさわしい疑問を打ち立てて、それを推理仕立てで記述することにより読者の興味を惹き、結論としては不明であるが、大いに考えられると結んでいるのに対し、被告書籍記述部分では、まず福沢が箱根をリゾートと考えたという推測を述べ、さらに仙之助にホテル建築を勧めたとの推測が事実であろうとした上で、「公」としての道路開削は、福沢の間接的な訓戒によるものであるとして、原告書籍記述部分が、仙之助は福沢の言葉でホテルを経営したのかとして検討した歴史的事実以外の事実をも検討して、道路開削は福沢の間接的訓戒であると位置づけているのであり、両者は、抽象的なレベルでは同じ歴史的事実を扱うものではあるものの、両者におけるその扱い、位置づけは全く異なっているのである。
 したがって、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書籍記述部分において感得することはできないから、後者が前者の複製又は翻案に当たるとはいえない。
c Y3について
 原告書籍記述部分は、「放浪」と題して、「H.S.K.YAMAGUCHI」という正造のサインの由来から始まり、正造の渡米の経緯、米国での行状、渡英の経緯、英国での柔道家としての成功、帰国までの経過を時系列に沿って描いている。
 他方、被告書籍記述部分も、「無鉄砲な一七歳、海を渡る」、「幸運の女神に導かれてイギリスへ」、「ロンドンで「柔道家」として成功」、「帰国、山口正造℃梠繧フ幕開き」と題して、正造の渡米の経緯、米国での行状、渡英の経緯、英国での柔道家としての成功、帰国までの経過を時系列に沿って記述しているが、これらの事実経過自体は、「懐想録」等の先行文献にも記載された歴史的事実にすぎず、表現上の創作性が認められる部分ではない。また、上記渡米、渡欧、帰国に至る経緯を、読者の興味を惹き、正造の人となりを明らかにするように記述するためには、上記の各事実が必須というべきであり、そもそも選択の可能性は存しないか、極めて乏しいのであるから、原告が主張する抽象的なエピソードの取捨選択や配列のみによって、著作物性を有するものとはいえない。
 原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とでは、このような「事実そのもの」の範囲を超えて、創作性を有する具体的表現等において類似する箇所はない。
 加えて、原告書籍記述部分では、(16)、(17)で正造を同時代の野口英世と対比しているが、被告書籍記述部分にはそのような記述はなかったり、帰国後の記述について、原告書籍記述部分では、「花と自動車」と題して、(31)で正造の富士屋ホテルでの地位と修一郎との関係について触れるのみであるが、被告書籍記述部分では、(S)で結婚式が企図されたこと、(T)で仙之助が上記米英における事績を含め正造を気に入っていたことなどについても述べているなど、異なる部分も認められる。
 したがって、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書籍記述部分において感得することはできないから、後者が前者の複製又は翻案に当たるとはいえない。
d Y4について
(a) 原告書籍記述部分は、「孤独」と題して、(1)で「はふや」買収とホテル竣工、(2)で開業した直後に関東大震災、(3)で富士屋ホテルを含め大損害を受けたが、(6)で苦労の末、1年後に営業再開に至った経緯を述べ、(7)で災害の際に兄真一が日光に帰ることを勧めて正造が断る経緯を述べた上で、それは、真一が正造と孝子の不和を感じたからではないかとし、(8)で震災から立ち直ろうとしていた大正15年に離婚、正造が残り、孝子が山口家を出たこと、(9)で孝子がメートランドと再婚したこと、離婚の経緯についての推測、(11)で二人の紹介、(13)で正造が再婚しなかったことを述べた後、(14)で家庭のない正造が従業員の教育、ホテルマンの育成に尽力したことを詳細に述べ、(17)でそれは家庭がなかったからであるとしている。
(b) 他方、被告書籍記述部分は、まず、「関東大震災で倒壊、二代目の負けじ魂」と題して、(A)で「はふや」買収、(B)で関東大震災で全壊、(C)でこれを仙之助時代の「宮ノ下の大火」になぞらえ著者の感想を述べ、(D)で富士屋ホテルも全壊、そこから正造が奮起し、(E)で大正15年には2階建ての建物再築したこと、その後の北伊豆地震からの再築にも触れ、(F)で正造の負けじ魂を岳父仙之助になぞらえて紹介する形で結んでいる。
 この部分において、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と共通するのは、正造が買収したホテルを竣工した直後、関東大震災で建物が倒壊し、富士屋ホテルも大損害を受けたが、そこから復興したという歴史的事実にすぎず、表現上の創作性が認められる部分ではない。
(c) 次いで、被告書籍記述部分は、「富士屋ホテルと結婚した男」と題して、(G)で大震災の後、兄眞一が日光に帰ることを勧めて正造が断る経緯を述べ、(H)で眞一が、そのころ正造と孝子の仲がうまくいっていなかったことを察して、婿養子という立場を考えてのことではないかと推測し、(I)で二人について簡単に述べ、(K)で大正15年に離婚したこと、(L)で正造が残り、孝子が去ったこと、(M)で孝子がメートランドと再婚し、正造は再婚しなかったこと、(N)で孝子との間に子のない正造にとっての子は富士屋ホテル従業員、明日のホテル業界の若者であり、離婚後、これらの子の育成に力を注いでいくことになると結んでいる。
 原告書籍記述部分では、(7)で関東大震災の後の真一について正造夫妻の不和を推測していたのではないかとして、それを裏付ける形で、直後に、(8)で「震災の打撃から富士屋ホテルが完全に立ち直ろうとしていた大正一五年四月」離婚としているのに対し、被告書籍記述部分では、(H)で眞一の推測をひとまず措いて、(I)で孝子について述べ、さらに、(J)で正造について述べ,(K)で二人を傷つけることない表現で離婚の事実を明らかにしている。
 また、原告書籍記述部分では、正造と孝子の離婚の真相に関し、(9)で「孝子が出奔したためである」との説に、「納得のいく話だ」と述べつつ、(10)でそれを否定する考えも述べ、読者の興味を惹きながら、(11)、(12)で孝子と正造の二人について多くの記述を割いて、(13)正造が再婚しなかったことについても詳細に述べ、「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない」とし、(14)で家庭のない正造の「事業を造り、学校を造り、もっと大勢のママとも、パパともなって楽しむのだ」という言葉を引いて、従業員教育、ホテルマンの育成から富士屋ホテル・トレーニングスクールの開設へとつないでいるのに対し、被告書籍記述部分では、(M)で孝子の再婚と正造が再婚しなかったことから、正造は「富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」とし、(N)で子のない正造にとっての子が、従業員、明日のホテル業界を担う若者であり、その育成に力を注いでいくことになるとつないでいる。
 以上によれば、原告書籍記述部分が、あくまでも地震と離婚を結びつけているのに対して、被告書籍記述部分では、離婚の時期からその3年前の地震のころには眞一が正造と孝子の不和を察知していたかも知れないとしているだけであり、論旨も表現も異なっている。また、原告書籍記述部分では、家庭のない正造が「事業や学校を造り」という言葉から、従業員教育、ホテルマンの育成へとつないでいるのに対して、被告書籍記述部分では、正造に子供がなかったことから、子供はホテル従業員であり、明日のホテル業界を担う若者としているのであり、趣旨が微妙に異なる上に、表現としても異なっている。
(d) さらに、被告書籍記述部分は、「人材育成でもホテル業界をリード」と題して、(O)で「富士屋ホテル・トレーニング・スクール」開設とその経緯、(Q)で修業科目、(R)で卒業者等について詳細に述べている。
 この部分において、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分と共通するのは、その中の歴史的事実に関する記述部分のみであり、表現上の創作性のある部分ではない。被告書籍記述部分が、それらの歴史的事実についての評価として述べている、(S)のメリットがほとんどなく、デメリットの方が大きかったかもしれないにもかかわらず、正造がスクールを続けたのは社会貢献であり、(T)の志の発信であるという点は原告書籍記述部分にはない。
(e) 以上のとおり、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、記述された歴史的事実自体は共通するものの、創作性を有する具体的表現等において類似するものではない。
 したがって、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書籍記述部分において感得することはできないから、後者が前者の複製又は翻案に当たるとはいえない。
e Y5について
 原告書籍記述部分は、「万国髭倶楽部」と題して、(1)で著者自身の想い出を導入として、(2)で正造の髭、(3)で真一も髭を生やしており、正造と瓜二つであったこと、(4)で真一は髭を落としたが、正造はますます長く伸ばしたこと、(6)で万国髭倶楽部の設立とその宣伝を紹介し、続いて、「We Japanese」の詳細を説明し、正造がユニークな方法で自分、富士屋ホテル、日本をPRしたとしている。
 他方、被告書籍記述部分は、「「萬国髭倶楽部」の創設」と題して、(A)で明治時代から昭和の前半には日本男性の多くは髭を生やしていたことを導入として、(B)で正造と眞一がともに髭を生やしており、眞一はそり落としたが、(C)で正造は伸ばしており、(D)で歌に歌われるほど有名であること、(F)で萬国髭倶楽部の設立とその宣伝を紹介しているのであり、導入から萬国髭倶楽部の設立に至る流れ、記述内容がことごとく異なっている。また、被告書籍記述部分では、(H)で正造の「萬国髭倶楽部」を通じた宣伝方法について、福住正兄が安藤広重に浮世絵を描かせ、湯治場としての箱根と福住旅館をコマーシャリズムに乗せようとしたのと、まったく同じ発想ではないかと、原告書籍記述部分にはない独自の評価もしている。
 さらに、被告書籍記述部分でも、「日本文化を紹介する『We Japanese』刊行」と題して、(L)でその内容を紹介しているが、具体的表現部分において、原告書籍記述部分とことごとく異なっている。
 以上のとおり、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、記述された歴史的事実自体は共通するものの、創作性を有する具体的表現等において類似するものではない。
 したがって、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書籍記述部分において感得することはできないから、後者が前者の複製又は翻案に当たるとはいえない。
(エ) 仙之助及び正造を主人公とした章全体について
 原告は、仙之助を主人公とした章全体(原告書籍の「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章全体、被告書籍の「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」の章全体)の記述部分及び正造を主人公とした章全体(原告書籍の「U 繁栄と大脱線−正造」の章全体、被告書籍の「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章全体)の記述部分について、被告書籍記述部分が原告書籍記述部分のそれぞれ翻案に当たる旨主張する。
 しかし、前述のとおり、原告が被告書籍記述部分が原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たると主張する個々の狭い対比個所(別紙対比表1ないし3)について、複製又は翻案のいずれにも当たらない以上、それ以外の箇所をも含めた「章全体」についても、翻案に当たらないことは明らかである。
 また、当該章全体において、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分において共通するのは、歴史的人物に関する、いずれも先行文献に記載のある事実にすぎず、創作的表現部分において共通する箇所は存在しないものであり、原告書籍記述部分の表現上の本質的な特徴を被告書籍記述部分において感得することはできないから、後者が前者の翻案に当たるとはいえない。
2 争点2(被告らによる氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否)について
(1) 原告の主張
 被告書籍においては、原告書籍のうち別紙対比表1ないし3、仙之助及び正造を主人公とした章全体の各記述部分を複製又は翻案しておりながら、上記各記述部分の著作者である原告の氏名を表示していないから、被告Bが被告書籍を執筆し、これを被告講談社が出版物として発行、販売した行為は、原告の氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たる。
(2) 被告らの主張
 原告の主張は争う。
3 争点3(原告の損害額)について
(1) 原告の主張
ア 被告らによる共同不法行為
 被告らは、故意又は過失により、共同して、前記1(1)及び2(1)のとおおり原告の著作権(複製権又は翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)を侵害したものであるから、共同不法行為者として、連帯して原告が被った損害を賠償する義務がある。
イ 原告の損害額
(ア) 著作権侵害による財産的損害
 被告講談社は、被告書籍を、定価1600円で、少なくとも3万部発行し、販売した。
 原告書籍についての使用料相当額は、上記定価の10パーセントと認めるのが相当である。
 被告書籍の本文は、239頁であり、そのうち、原告の著作権を侵害する部分を含む頁の総数は、66頁(30ないし41、44、46ないし51、53、54、61、78ないし81、196ないし207、215ないし226、229、230、233ないし236頁)であるから、頁数の割合に応じて使用料相当額を算定すると、次のとおり、132万5523円となる。
 1600円×0.1×(66頁÷239頁)×3万部=132万5523円
 したがって、原告が、被告らに対し、著作権侵害を理由として、著作権法114条3項に基づいて損害賠償を請求し得る損害額は、132万5523円である。
(イ) 著作者人格権侵害による慰謝料
 原告は、原告書籍を執筆するに当たり、調査、検討、執筆、推敲等にそれぞれ数か月もの期間を要するなど、長期間にわたり、多大な労力を費やしている。
 原告は、このように長期間にわたり多大な労力を費やして著作、発表した原告書籍を被告書籍において無断で複製又は翻案して使用され、著作者人格権を侵害されることによって、甚大な精神的苦痛を被った。
 この精神的損害を金銭で評価するとすれば、500万円を下るものではない。
 したがって、原告が、被告らに対し、著作者人格権侵害を理由として請求し得る慰謝料の額は、上記500万円である。
(ウ) 弁護士費用相当額
 被告らの上記著作権侵害と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、132万5523円の1割に当たる13万2552円であり、また、被告らの上記著作者人格権侵害と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、500万円の1割に当たる50万円である。
(エ) よって、原告は、被告らに対し、著作権侵害の不法行為による損害賠償として145万8075円、著作者人格権侵害の不法行為による損害賠償として550万円の合計695万8075円及びこれに対する平成19年6月5日(被告書籍の第1刷発行の日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
(2) 被告らの主張
 原告の主張のうち、被告講談社が被告書籍を定価1600円で発行し、7430部販売したこと、被告書籍の本文が239頁あること(前記(1)イ(ア))は認めるが、その余は争う。
第4 当裁判所の判断
1 争点1(被告らによる原告の複製権又は翻案権侵害の成否)について
 原告は、別紙対比表1の各原告書籍記述部分(下線部分)はそれぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、同対比表の各被告書籍記述部分(下線部分)は上記各原告書籍記述部分と表現上の同一性又は類似性を有し、また、別紙対比表2、3、仙之助及び正造を主人公とした章全体の各原告書籍記述部分とこれらに対応する各被告書籍記述部分は、歴史的事実が共通するのみならず、表現方法、事実の取捨選択、配列等の創作的部分において同一性又は類似性を有し、しかも、被告書籍は原告書籍に依拠して執筆されたものであるから、上記各被告書籍記述部分は、上記各原告書籍記述部分を複製又は翻案したものである旨主張する。
 ところで、原告書籍のように、歴史的事実を素材として叙述されたノンフィクション作品においては、基礎資料からどのような歴史的事実を取捨選択し、その歴史的事実をどのように評価し、どのような視点から、どのような筋の運び、ストーリー展開、言い回し、語句等を用いて具体的に叙述したかといった点に筆者の個性が現れるものといえるが、著作権法は、思想又は感情の創作的表現を保護するものであり(同法2条1項1号参照)、思想、感情又はアイデア、事実又は事件など表現それ自体でないものや、表現であっても、表現上の創作性がない部分は保護の対象とするものではないから、ノンフィクション作品においても、叙述された表現のうち、表現上の創作性を有する部分のみが著作権法の保護の対象となるものであり、素材である歴史的事実そのものや特定の歴史的事実を取捨選択したことそれ自体には著作権法の保護が及ぶものではないものと解される。
 そして、複製とは、印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により著作物を有形的に再製することをいい(著作権法2条1項15号参照)、また、言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいうものと解されるから(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)、被告書籍記述部分がこれに対応する原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるか否かを判断するに当たっては、被告書籍記述部分において、原告書籍記述部分における創作的表現を再製したかどうか、あるいは、原告書籍記述部分の表現上の本質的特徴を直接感得することができるかどうかを検討する必要がある。
 そこで、以下においては、上記のような観点から、別紙対比表1ないし3、仙之助及び正造を主人公とした章全体の各原告書籍記述部分と各被告書籍記述部分を対比し、後者が前者の複製又は翻案に当たるか否かについて順次判断する。
(1) 別紙対比表1について
 原告は、原告書籍のうち、別紙対比表1のbP0、19、23、35、36、38、43、47、58、62、68、69、71、89、91の「物語」欄の下線部分の各記述部分は、それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の下線部分の各記述部分は、上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる旨主張する。
ア bP0について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX2の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX2の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、仙之助がアメリカから帰国する際に持ち帰った牛について、「八十年史」によると7頭とされているのに対し(別紙対比表2のX2(同一箇所)のbW)、原告が調査して発見した「農務顛末」という本に、政府が仙之助から牛を5頭買った旨の記述があることから(同bX)、残りは「飼っているうちに死んでしまったのだろうか。」との推測を述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分も、仙之助がアメリから持ち帰った牛が7頭であるという事実(別紙対比表2のX2(同一箇所)のbW)、「農務顛末」という記録に仙之助が政府に売却した牛が5頭であるとの記載があること(同bX)を挙げた上で、仙之助が売却した牛が5頭になっているのは7頭の牛のうちの2頭が売却する前に「死んでしまったからだろう。」との推測を述べているものであって、仙之助がアメリから持ち帰った牛7頭のうちの2頭が売却前に死亡したと推測している点において、原告書籍記述部分と共通するものといえる。
 しかしながら、上記のような推測それ自体は、上記の客観的事実から自然に導かれるものにすぎず、格別の独自性が認められるものではない。また、そのような推測を表現した原告書籍記述部分(bP0の下線部全体)は、客観的な事実から自然に導かれる推測をありふれた表現で記述した、短い文章にすぎないものといえるから、この部分のみを他と切り離して取り上げた場合において、当該部分に筆者の個性が現れているということはできず、創作性を認めることはできない。
イ bP9について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX5の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX5の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、富士屋ホテルにおいて、明治17年に建築された「アイリー」という名称の洋館に次いで明治19年に建築された洋館に「ハーミテイジ」という名称が付けられたことについて、「アイリー」に呼応するような「チャーミングな名前」であるとした上で、「「ハーミテイジ」という響きが大好きだった」との筆者個人の感想を述べている記述である。
 このように原告書籍記述部分は、洋館に付けられた「ハーミテイジ」という名称及びその「響き」に着目し、「チャーミングな名前」で、その「響き」が「大好きだった」と表現している点において、筆者の個性が現れており、創作性を有するものと認められる。
 他方、被告書籍記述部分は、「ハーミテイジ」という建物の名称及びその「響き」に着目している点では原告書籍記述部分と共通しているものの、富士屋ホテルが「日本における外国人向けリゾートホテルの先駆け」であることと結びつけて、「アイリー」にしろ、「ハーミテイジ」にしろ、「建物の愛称ひとつとっても洒落ている」との感想を述べている記述であり、感想の具体的内容及びその具体的表現において、原告書籍記述部分と共通性が認められないから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ウ bQ3について
 原告書籍記述部分は、仙之助が「電気や道路の整備」を行ったことについて、「ホテル自体に必要だったから」にとどまらず、仙之助が「箱根の近代化を自分が背負っているという自負」によるものと捉えた上で、仙之助の業績を「困難な事業にも果敢にチャレンジしていった」と表現している記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、仙之助による道路開削の事業について、「第一義には富士屋ホテルに客や必要物資を運ぶためのもの」とした上で、それが住民の暮らしを便利にしたり、箱根の開発を進める結果をもたらしたことを述べている記述である。
 両者を比較すると、仙之助の道路開削事業について、ホテルの利益を図ることのみならず、公共的な意味を有していたという趣旨を述べている点において共通するものの、そのことについて、原告書籍記述部分においては、「箱根の近代化を自分が背負っているという自負」によるもの、「だからこそ、困難な事業にも果敢にチャレンジしていった」と評価しているのに対し、被告書籍記述部分にはこのような表現部分は存在しない。むしろ、被告書籍記述部分は、仙之助がホテルの利益のために行った事業が、結果的に、住民の暮らしを便利にしたり、箱根の開発を進めたという事実を客観的に述べることによって上記趣旨を表現しているものであり、両者の間には、具体的表現における相違が認められる。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、述べられている趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
エ bR5について
 原告書籍記述部分は、原告書籍(甲2)中の「『八十年史』によれば、仙之助はその理由をこう言っている。〈富士屋ホテルは外国人の客を取るをもって目的とす。日本人の金を取るはあたかも子が親の金を貰うに等しい。自分は純粋なる外国の金貨を輸入するにあり。日本人の客は来てもらわずともよい〉」との記述部分(73頁6行〜9行)に引き続いて記述された箇所であり、「八十年史」に記載された「富士屋ホテルは外国人の客を取るをもって目的とす。」、「自分は純粋なる外国の金貨を輸入するにあり。」との仙之助の言葉に基づいて、仙之助がホテル事業を「外貨獲得」のためと考えていたと述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、被告書籍(甲1)中の「仙之助が倒れるのと時期を同じくして奈良屋との協定が終了したということは、ほかでもなく仙之助自身が、最晩年まで外国人専用ホテルの経営にこだわっていたことのなによりの証左であろう。」、「しかし、なぜか。」との記述部分(51頁後から6行〜3行)に引き続いて記述された箇所であり、仙之助のホテル経営が「「外貨」を獲得するため」と述べている点において、原告書籍記述部分と共通するものといえる。
 しかしながら、「八十年史」に記載された仙之助の上記のような言葉から仙之助のホテル経営の目的が外貨を獲得することにあったと結論付けることは、自然に導かれる結論にすぎず、格別の独自性が認められるものではない。また、そのことを「仙之助はホテルという事業を、日本の外貨獲得のためと考えていたのである。」と記述したこと(原告書籍記述部分(下線部分))もありふれた表現であるといえるから、この部分のみを他と切り離して取り上げた場合において、当該部分に筆者の個性が現れているということはできず、創作性を認めることはできない。
オ bR6について
 原告書籍記述部分は、「慶應義塾出身名流列傳」という本に出てくる、仙之助が、岩崎彌之助、古川市兵衛等の名士の富士屋ホテル来宿を謝絶したとのエピソード、及び「八十年史」に記載された上記エ記載の仙之助の言葉を引用した上で、仙之助がホテル事業を日本の外貨獲得のためという大局から見ていた旨を述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分も、仙之助の「一ホテルの利益を超えて、国益のために外貨を稼ぐという経営哲学」を物語るものとして、いずれも原告書籍記述部分と同一の「八十年史」に記載された仙之助の言葉及び「慶應義塾出身名流列傳」の中のエピソードを引用し、それらについてコメントを加えている記述である。
 両者を比較すると、同一文献の同一部分を引用し、それらを根拠として、仙之助のホテル経営の目的が外貨を獲得することにある旨を述べている点において共通するものの、その具体的内容及び具体的表現においては、「外貨獲得」との言葉を使用している以外にはほとんど共通性がみられない。むしろ、被告書籍記述部分では、@「八十年史」に記載された仙之助の言葉については、「奈良屋との協定」に結びつけて「こうした強固な決意がなければ、奈良屋との協定はありえなかっただろう。」としている点、A「慶應義塾出身名流列傳」の中のエピソードについては、岩崎彌之助及び古川市兵衛の人物紹介をしたり、「崇高な理念が漂っているように思える一方で、それ以上に、彼のあまりの一徹さに微苦笑を禁じ得ない」との筆者の感想を述べている点において、原告書籍記述部分にはみられない特徴的な表現部分がみられる。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、同一文献の同一部分を引用し、筆者の感想、評価等が述べられている点や述べられている趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
カ bR8について
 原告書籍記述部分は、仙之助のホテル事業に対する姿勢について、「単なる商売を超えた使命感」、「“日本のために”やっている事業なのだという自負心」、「“日本のために”自分は外貨を稼ぐのだ」などと表現している記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、富士屋ホテルの創業について、「単なる外国人向けの温泉宿として生まれたわけではな」く、「「国益」という壮大な目標が隠されていた」と述べている記述である。
 両者を比較すると、仙之助の富士屋ホテル経営の目的について、営業上の利益を得ることのみならず、公共的な利益を図る目的があったという趣旨を述べている点においては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、述べられている趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
キ bS3について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX11の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX11の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、仙之助が箱根の道路開発の事業を行ったことと福沢諭吉が箱根の道路開発を行うべきとの意見を持っていたこととの関わりについて、福沢が仙之助に「直接、箱根の開発を勧めたのかどうかはわからない」としつつ、明治7年に仙之助が慶応義塾に入学したことから、福沢の意見に「影響を受けたことは大いに考えられる」との筆者の推測を述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、福沢の勧めによって箱根でホテルを経営することになった仙之助が、福沢の提言に影響されないわけがないと断定し、「仙之助の道路開削事業が、恩師・福沢諭吉の間接的な後押しによってなされた」との筆者の考えを述べている記述である。
 両者を比較すると、仙之助による箱根の道路開発が福沢の意見に影響されたものであるという趣旨を述べている点においては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、述べられている趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ク bS7について
(ア) 前段の下線部分について
 原告書籍記述部分は、サンフランシスコ滞在中の正造について、「今でいえばまだ高校生の年齢である」ことから、「ふっと一人になれば、故郷が恋しかった。」と当時の正造の心情を述べている記述である。
 他方、対応する被告書籍記述部分は、同様に、サンフランシスコ滞在中の正造について、「まだ一〇代の少年である」ことから、「奉公先から放り出されたときは、さすがに心細かったろう。」と当時の正造の心情を述べている記述である。
 両者を比較すると、サンフランシスコ滞在中の正造の心情について正造の当時の年齢に照らし推測している点においては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられない。特に、正造の心情について、原告書籍記述部分では、ふっと一人になったときの故郷への思いとして表現しているのに対し、被告書籍記述部分では、奉公先を出されるという具体的な出来事によって生じた不安感として表現しており、両者の意味合いに違いがみられる。
 この点について原告は、正造のそれまでの破天荒なエピソードを受け、逆説を用いて当時の年齢を引き合いに出し、実際には寂しかったであろうとその内面に目を向けたことは、原告独自の推測であり、原告書籍記述部分において、これを個性的に表現した旨主張する。
 しかし、当時の正造が「極度の戀郷病」にかかっていたことは、「懐想録」(乙3)の7頁にも記載されている事実であるから、当時の正造の心情を「実際には寂しかったであろう」と推測したことは、原告独自の推測とはいえない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、サンフランシスコ滞在中の正造の心情について正造の当時の年齢に照らし推測している点においては共通するものの、その心情の具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) 後段の下線部分について
 原告書籍記述部分は、正造がサンフランシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由について、正造が「日本からの船が出入りするサンフランシスコは、日本への未練が残ってよくない」と考えたことによるとの推測を述べている記述である。
 この点について原告は、サンフランシスコは日本からの船が出入りするという事実を指摘した上で、正造がサンフランシスコは故郷への未練が募って良くないと考えてロンドン行きを思い立ったと捉えたことは、原告独自の推測であり、原告書籍記述部分においては、これを個性的に表現したものである旨主張する。
 しかし、「懐想録」(乙3)の7頁には、「極度の戀郷病」にかかり、父に帰国を願い出たものの、それを拒絶され、「石に囓り付いても歸へるまい、異郷に止まらう」と堅く決心した正造が、「桑港は日本内地から郵船の出入が餘り頻繁なので、此處に止まらず、寧ろどうかして英國にいきたいと考へた。」との記述があるところ、正造がサンフランシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由を原告書籍記述部分のように推測することは、「懐想録」の上記記述から自然に導かれるものにすぎず、格別の独自性が認められるものではない。
 また、被告書籍記述部分も、同様の事実を挙げて、正造がサンフランシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由を推測している点において原告書籍記述部分と共通するものといえるが、その具体的表現は、「サンフランシスコには、日本の客船や貨物船が頻繁に入港する。」、「サンフランシスコにいるから里心が募るのだ。」と考えたというものであって、ほとんど共通性がみられない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、正造がサンフランシスコからロンドンに向かうことを思い立った理由を推測している点においては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるのであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ケ bT8について
 原告書籍記述部分は、仙之助の引退後、長男修一郎が社長、正造が専務に就任したが、ホテル経営の実権は正造が握っていたことについて、「富士屋ホテルは正造の時代を迎える」と表現している記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、正造がホテル経営の実権を握っていた事実について、「富士屋ホテルは「正造時代」に移り替わった」と表現している記述であり、「正造」の名前に「時代」という言葉を組み合わせて表現している点において原告書籍記述部分と共通するものといえる。
 しかしながら、仙之助の引退後、社長となった修一郎ではなく、専務となった正造がホテル経営の実権を握っていたことは、例えば、「八十年史」(甲27)の96頁に、「大正3年3月2日・・・取締役社長に山口脩一郎氏、専務取締役に山口正造氏が就任し、正造氏は仙之助氏に代って營業一切の衝に當ることゝなつた。」と記載されるなど、先行文献から明らかな事実であるから、そのような認識自体は独自性のあるものではない。また、そのような事実を「正造の時代」などと、人物の名前と「時代」という言葉を組み合わせて表現することも、一般的によくみられる慣用的表現にすぎないものといえるから、このような慣用的表現を含む短い文章である原告書籍記述部分について、この部分のみを他と切り離して取り上げた場合において、当該部分に筆者の個性が現れているということはできず、創作性を認めることはできない。
コ bU2について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX16の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX16の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、仙之助による富士屋自動車株式会社設立の事実を述べる中で、自動車が普及し始めていた当時の時代背景について、「箱根にも、モータリゼーションの波が押し寄せ始めていた。」、「時代は確実に、モータリゼーションに対して追い風だった。」と表現している記述である。
 他方、被告書籍記述部分も、同様の事実を述べる中で、当時の時代背景を「モータリゼーション」という言葉を使って表現している点において原告書籍記述部分と共通するものといえる。
 しかしながら、自動車が普及していくことを一言で「モータリゼーション」と表現すること自体は、一般的によくみられる慣用的表現にすぎず、その言葉を使用すること自体に創作性が認められるものではない。むしろ、原告書籍記述部分においては、「モータリゼーション」の言葉に「波が押し寄せ始めていた」、「追い風だった」との比喩表現を組み合わせている点に表現上の特徴が認められるというべきであるが、これらの比喩表現は、被告書籍記述部分にはみられない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、表現上の創作性が認められない部分が共通するにすぎないから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
サ bU8について
(ア) 原告書籍記述部分は、関東大震災で富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた際、日光から箱根に駆けつけた正造の実兄真一が、正造に日光に帰ることを勧めたのに対し、正造が箱根を復興させた後でなければ帰らないとして拒絶したというエピソードを懐想録記載の真一と正造の問答(乙3の序文)を引用して紹介し、兄真一が正造に日光帰参を勧めた真意は、正造とその妻孝子の不和を「薄々察していたのではないか」との筆者の推測を述べている記述である。
 そして、原告書籍記述部分は、兄真一が正造に「日光に帰るよりほか、ないんじゃないか。」と問いかけて日光帰参を勧めた意図について、その当時、関東大震災で富士屋ホテルが壊滅的な被害を受け、「前の晩に降った雨で裏山に土砂崩れが起き、その土砂が庭から屋内へも流れ込もうとしていた」状況があったにもかかわらず、そのことと直接には関係のない正造夫婦の不和にあえて着目し、「このとき、もしかしたら真一は、正造夫婦の身に起きていたもう一つの破壊を薄々察していたのではないか、と私は推測する。それもあって、日光に帰ろうと言ったのではないだろうか。」、「もう一つの破壊−正造と孝子の不和を、真一は感じていたのではないだろうか。」と記述したものであり、上記推測は筆者独自のものであって、この推測について、震災による建物の被害を言外に「破壊」と捉えた上で、正造夫婦の不和を「もう一つの破壊」という言葉を用いて表現している点において、筆者の個性が現れており、創作性を有するものと認められる。
 この点について被告らは、正造と孝子との結婚生活が早い段階で実質的に破綻していたことは、先行文献の記載から明白であり、現に、真一が正造に日光に帰ることを勧めた2年半後に両者は正式に離婚しているのであるから、正造と仲のよい兄弟であった真一が正造と孝子の不和に感づいていたと考えることは自然であり、原告独自の推測とはいえない旨主張する。
 しかしながら、真一が正造に日光に帰ることを勧めた2年半後に正造と孝子が離婚したという事実があるからといって、関東大震災で富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた直後の上記のような状況下における真一の上記問いかけの理由が震災による被害とは直接関係のない正造夫婦の不和を真一が察していたことにもよるものと自然に導かれるものではない。また、仮に関東大震災で富士屋ホテルが被害を受けた当時、真一が正造と孝子の不和に感づいていたとしても、上記のような状況下における真一の上記問いかけの理由を、あえて震災による被害とは直接関係のない正造夫婦の不和に求めるのは、やはり原告独自の推測というべきである。上記の推測が原告独自のものであることは、「懐想録」(乙3)の中において、正造が「實兄は復興に見込みないから、『歸家せよ』などと無法なことを云って來た」と述べている記述(88頁15行〜89頁1行)があり、真一が正造に日光帰参を勧めた理由をあくまでも震災による被害と結びつけて理解していることからも裏付けられる。
 したがって、被告らの上記主張は、採用することができない。
(イ) 他方、被告書籍記述部分は、関東大震災で富士屋ホテルが全壊し再興は不能と思われたとき、正造の実兄金谷真一が、正造に日光に帰ることを勧めたのに対し、正造が箱根を復興させた後でなければ帰らないとして拒絶したというエピソードを「懐想録」記載の真一と正造の問答を引用して紹介し、真一が正造に日光帰参を勧めたことについて、その真意を推測し、「じつはそのころには、正造と妻・孝子の中がうまくいかなくなっていた。そのことを薄々察していた眞一は、婿養子という弟の立場を考えて、「帰ってこい」といったのかもしれない。」と記述したものであり、「懐想録」記載の真一と正造の問答を引用して、真一の問いかけの真意を、真一が正造夫婦の不和を察していたからであると推測している点において、原告書籍記述部分と共通するものといえる。
 しかしながら、そのような推測そのものは表現それ自体ではないのみならず、被告書籍記述部分においては、「薄々察していた」との語句が用いられている点で共通するほかには、上記推測の具体的表現は原告書籍記述部分と異なるものであり、原告書籍記述部分の特徴的表現である、正造夫婦の不和を「破壊」に喩えた表現もみられないから、被告書籍記述部分は、表現上の創作性のある原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
シ bU9について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX18の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX18の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、正造と孝子が離婚し、孝子が富士屋ホテルから出て行ったこと(別紙対比表2のX18(同一箇所)のbV0)の理由について、「男と女として愛し合うことができなかった」以上、「どちらかが富士屋を去らなければならなかった。」と表現している記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、同様の事実について、「夫婦の絆が失われた」以上、「どちらが舞台を降りるしかない。」と表現している記述である。
 両者を比較すると、述べられている事柄は共通するものの、その具体的内容及び具体的表現にはほとんど共通性がみられない。特に、正造又は孝子の一方が富士屋ホテルを出て行かざるを得なかったことについて、原告書籍記述部分は、「どちらかが富士屋を去らなければならなかった」との客観的な事実の記述に止まるのに対し、被告書籍記述部分は、富士屋ホテルを舞台に喩え、「どちらかが舞台を降りるしかない」との比喩的な表現を用いており、両者の間において、表現上の特徴的な部分において相違が認められる。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、述べられている事柄は共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ス bV1について
(ア) 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX18の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX18の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、@震災により富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた際に、正造の兄真一が故郷日光に帰参することを正造に勧めたが、正造がこれを拒絶したエピソード、真一が正造に日光帰参を勧めた真意は正造夫婦の不仲を察していたからかもしれないとの推測(別紙対比表2のX18(同一箇所)のbU8)、A孝子及び正造の人物描写、正造と孝子が別れる場合には一方が富士屋ホテルを出て行かざるを得なかったこと(同bU9)、B大正15年に正造と孝子が離婚し、正造が富士屋ホテルにとどまり、孝子が出ていったこと(同bV0)の記述に引き続いて、孝子は正造と離婚した後スコットランド人実業家と再婚したのに対し、正造は再婚することがなかった事実を指摘し、「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。」と述べている記述である。
 そして、原告書籍記述部分は、上記@のエピソードを経て、婿であった正造が孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり、生涯再婚することなく、富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実について、「富士屋ホテル」を正造の結婚相手に喩えて、正造が「結婚した」のは「富士屋ホテルだったのかもしれない」と表現した点において、筆者の個性が現れており、創作性が認められる。
 この点について被告らは、「〜と結婚したようなもの」という表現は、何かに一心不乱に打ち込む状態を表すありきたりな言い回しにすぎないから、原告書籍記述部分は、原告による個性的表現とはいえない旨主張する。
 しかしながら、原告書籍記述部分のように短い文章の表現の創作性の有無を判断するに当たっては、当該記述部分の前後の記述をも踏まえて、当該記述部分がいかなる脈絡の下で、どのような内容を表現しようとしたものかをも勘案して総合的に判断すべきであり、また、語句や言い回しそのものはよく用いられるものであっても、ある思想又は感情を表現をしようとする場合に多様な具体的表現が可能な中で、特に当該語句や言い回しを選んで用い、当該語句や言い回しを含む表現がありふれたものといえない場合には、表現上の創作性を有するというべきである。
 これを前提に検討すると、婿であった正造が、上記@のエピソードを経て、孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり、生涯再婚することなく、富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実を表現する場合には、多様な具体的表現が可能であって、その中で、「富士屋ホテル」を正造の結婚相手に喩えて表現した原告書籍記述部分は、筆者の個性が現れており、ありふれた表現とはいえないから、被告らが主張するように「〜と結婚したようなもの」という言い回しそのものが何かに一心不乱に打ち込む状態を表す際に用いられる表現であるとしても、そのことをもって原告書籍記述部分が表現上の創作性を有することを否定することはできない。
 したがって、被告らの上記主張は、採用することができない。
(イ) 他方、被告書籍記述部分(前段の下線部分)は、前記(ア)@ないしBの事実等の記述に引き続いて、孝子は正造と離婚した後スコットランド人実業家と再婚したのに対し、正造は再婚することがなかった事実を指摘し、「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」と述べている記述である。この被告書籍記述部分は、上記(ア)@のエピソードを経て、婿であった正造が孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり、生涯再婚することなく、富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実について、「富士屋ホテル」を正造の結婚相手に喩えて、正造が「富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない」と表現したものであり、原告書籍記述部分(下線部分)と実質的に同一の表現であるといえる。
 したがって、上記被告書籍記述部分は、表現上の創作性を有する原告書籍記述部分を再製したものであって、しかも、被告書籍は原告書籍に依拠して執筆されたものであるから、上記被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分の複製に当たる。
(ウ) 次に、被告書籍記述部分中の「富士屋ホテルと結婚した男」との部分(後段の下線部分)は、前記(ア)@ないしBの事実等の記述部分の冒頭に記載された表題部であり、原告書籍記述部分とは「富士屋ホテル」の固有名詞、「結婚した」との語句の一部は共通するものの、この表題自体から、原告書籍記述部分が表現しようとした、婿であった正造が、上記(ア)@のエピソードを経て、孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり、生涯再婚することなく、富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実を読み取ることはできない。このように上記被告書籍記述部分と原告書籍記述部分は、表現上の同一性を認めることはできないから、上記被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、上記被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
セ bW9について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX21の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX21の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、富士屋ホテルの新館として昭和11年に建築された「花御殿」について、「細部まで正造の意図が反映されたもの」であるとの事実を前提に、正造が「ホテル建築に対して思い描いてきた夢と理想を注ぎ込んだ作品」であるとの評価を述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、「花御殿」について、「正造のアイデアを細部にまで反映させた設計と言われる」との事実を指摘する部分と正造が花御殿の建設に「並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいたことがわかる」との筆者の評価を述べている部分とで構成されている。
 両者を比較すると、正造の考え(「意図」あるいは「アイデア」)が花御殿の設計の細部にまで反映されていたとの事実を記述している点及び正造の花御殿に対する思いを「・・・を注ぎ込」むという言葉を用いて表現している点において共通するものといえる。
 しかしながら、花御殿の建築に正造の意図が大きく反映されていたことは、「富士屋ホテルの建築」(甲11の3)の27頁に、「『新築落成記念』ははっきりと「設計、山口正造」と記している。」、「・・・という知人の証言もある。したがって正造の意図が相当通っていることは確かであろう。」などと記載された事実であって、このような事実を「かなり細部まで正造の意図が反映されたもの」と表した原告書籍記述部分は、ありふれた表現であり、この部分のみを他と切り離して取り上げた場合において、当該部分に筆者の個性が現れているということはできず、創作性を認めることはできない。
 また、「・・・を注ぎ込」むとの表現自体は、一般的によくみられる慣用的表現であるから、その部分のみを捉えて、創作性があるとはいえないし、他方、正造の思いについての表現全体をみると、「ホテル建築に対して思い描いてきた夢と理想を注ぎ込んだ」との原告書籍記述部分と「並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいた」との被告書籍記述部分とでは、具体的表現が明らかに異なっている。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、述べられている事実の内容や正造の思いを表現した語句の一部が共通するものの、原告書籍記述部分における創作性のある表現部分について表現上の同一性を認めることはできないから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ソ bX1について
 原告書籍記述部分は別紙対比表2のX21の「物語」欄記載の記述部分の一部、被告書籍記載部分はX21の「破天荒力」欄記載の記述部分の一部である。
 原告書籍記述部分は、花御殿の完成によって富士屋ホテルは完成されたとの評価を述べている記述である。
 この点について原告は、花御殿の完成をもって、富士屋ホテルの完成と捉えたことは原告独自の評価であり、原告書籍記述部分はこれを個性的に表現したものである旨主張する。
 しかし、原告書籍記述部分のように、花御殿完成時の富士屋ホテルの客室数が現在の客室数とほぼ同じであるという事実から、花御殿の完成によって富士屋ホテルが完成したものと捉えることは自然に導かれる評価であるといえる。しかも、「富士屋ホテルの建築」(甲11)の12頁に、「この花御殿の完成が言わば富士屋ホテルの完成であり、花御殿の竣工は富士屋ホテル最盛期のシンボルであった。」と記載されており、この記載は、原告書籍記述部分と同様に、花御殿の完成によって富士屋ホテルが完成したと表現したものであり、上記評価は、原告独自の評価ということもできない。
 他方、被告書籍記述部分も花御殿の落成をもって富士屋ホテルが完成したという趣旨の評価を述べている点において原告書籍記述部分と共通するものといえるが、原告書籍記述部分では「富士屋ホテルは、この花御殿をもって完成されたと言っていいだろう。」と表現しているのに対し、被告書籍記述部分では「その意味で、このホテルは山口正造の代で完成を見たといってもいいだろう。」と表現しており、その具体的内容及び具体的表現において共通するものとはいえない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、述べられている趣旨は共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであって、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
タ 小括
(ア) 以上によれば、別紙対比表1のbV1の原告書籍記述部分(下線部分)は、表現上の創作性を有する著作物であり、同対比表のbV1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)は、上記原告書籍記述部分の複製に当たるから(前記ス)、被告Bが上記被告書籍記述部分を含む被告書籍を執筆し、被告講談社がこれを出版物として発行したことは、被告らによる上記原告書籍記述部分についての複製権侵害と認められる。
(イ) 他方で、別紙対比表1のうち、上記(ア)以外の各原告書籍記述部分については、表現上の創作性を有するものと認められないか、あるいは、対応する各被告書籍記述部分が上記各原告書籍記述部分における創作的表現を再製したものとはいえないものであり、また、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないのであるから(前記アないしシ、セ、ソ)、上記各被告書籍記述部分が上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるものとは認められない。
(2) 別紙対比表2について
 原告は、原告書籍のうち、別紙対比表2のX1ないしX21の「物語」欄の各記述部分は、それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は、上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる旨主張する。
ア X1について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも仙之助の出生から山口粂蔵の養子となるまでの出自に関する記述であり、両者を比較すると、@仙之助の戸籍上の出生地が実在しない地名であること、A仙之助の実父の紹介、B仙之助が山口粂蔵の養子となったこと、C粂蔵が横浜で「伊勢楼」という遊郭を営んでいたこと、C粂蔵が新たに「神風楼」という遊郭も開いたこと、D粂蔵は「伊勢楼」を姪に任せ、自らは「神風楼」の経営に当たったこと、E当時の横浜で、外国人客を取ることが許されていた遊郭は「岩亀楼」という遊郭だけであったが、粂蔵の働きかけによりどの店でも外国人客を取ることができるようになったこと、以上の@ないしEの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられず、むしろ、被告書籍記述部分には、粂蔵が横浜で遊郭を経営していたことに関連して、当時の遊郭の性格を説明する記述があったり、当時の横浜の異国然とした様子を説明し、少年時代の仙之助が幕末のうちに「文明開化」を経験していたという独自の視点を述べる記述があるなど、原告書籍記述部分にはみられない特徴的な表現部分がみられる。
 また、仙之助の出自を説明するに当たって、上記の各事実を取り上げることに格別の独自性があるとはいえず、もとより、これらの事実を先行文献から取捨選択し、あるいは、独自の調査でこれらの事実を発見したことそれ自体に、原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、仙之助の出自を紹介するに当たって、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであって、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、ミステリアスな出生についての謎やそれまでタブーとされてきた仙之助と遊郭とのつながりにスポットライトを当てて、仙之助の幼少期について述べた点に原告独自の創意工夫があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、仙之助の戸籍上の出生地とされる「神奈川県橘樹郡大根村」が実在しない地名であるという点についての両者の表現ぶりを比較すると(別紙対比表2のX1(同一箇所)のbP)、原告書籍記述部分においては、その事実を「ミステリアスな話だ」として強調した上で、「現在の秦野市に大根という地名はあるが、橘樹郡ではなく、大住郡である」ことや、現在の港北区にある大曽根村の「曽」の字が抜けたとの指摘があることを説明するなど、この点を詳しく論じているのに対し、被告書籍記述部分では、「橘樹郡大根村は実在しない地名で、出生地については諸説ある」との簡略な紹介を述べているのみであり、表現上の特徴が異なっている。
 また、仙之助と遊郭とのつながりについては、「富士屋ホテルの建築」(甲11の3)に、仙之助の略歴として、「横浜の遊郭神風楼の経営者山口粂蔵の養子となり」と記載されており(38頁)、しかも、仙之助の出自を説明する中で、その養父の職業に触れることはごく自然なことであるから、これを取り上げたこと自体に原告独自の工夫があるともいえない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
イ X2について
 原告書籍記述部分は、「八十年史」に記載された、仙之助がアメリカから持ち帰った牛7頭を「駒場勧業寮」に売却したとの記述に着目し、その事実を確認するために、原告が国立国会図書館等の資料に当たるなどして調査した過程を物語風に述べている記述であり、その調査の結果として、「農務顛末」という資料から仙之助が政府に牛5頭を1頭250円、合計1250円で売却した事実が確認されたこと、その金額を当時の巡査の初任給4円から推測すると、現在の価値は5000万円くらいになること、その大金が富士屋ホテル建設の礎となったことなどを述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、「突然の転身−慶應義塾入塾」と題して、アメリカから帰国した後、慶應義塾に入塾するまでの仙之助の事績として、アメリカから牛を持ち帰って牧畜業を営もうとしたが、それに行き詰まって牛を売却し、それを原資として慶応義塾に入学したことなどを述べている記述である。
 両者を比較すると、@仙之助がアメリカから持ち帰った牛を政府に売却したという事実が述べられていること、A「農務顛末」という資料を挙げ、売却した牛の頭数や金額が具体的に述べられていること、B当時の巡査の初任給4円から牛の売却代金1250円の現在の価値を5000万円くらいになるとしていることなどにおいて共通するものの、その具体的表現にはほとんど共通性は認められない。
 すなわち、原告書籍記述部分においては、仙之助がアメリカから持ち帰った牛の行方という謎を設定した上で、それを解明していく調査の過程を記述していくという表現手法を採っていることや、仙之助が手にした大金が富士屋ホテル建設の礎となったとの結論に結びつけ、そのことを、「「牛」がホテルになった」との特徴的な表現で描写した点などに、表現上の特徴が認められる。これに対し被告書籍記述部分は、仙之助が帰国後、慶應義塾に入塾するまでの経過を述べる中で、上記@ないしBに係る事実を簡単に紹介しているに過ぎず、原告書籍記述部分におけるような表現手法が採られているものではないし、その結論においても、被告書籍記述部分では、仙之助が手にした大金は慶應義塾入塾の原資となったとしているのであって、原告書籍記述部分とは趣旨が異なっている。
 また、仙之助が売却した牛の売却代金の現在の価値を売却当時の巡査の初任給から5000万円くらいと推測するというのはアイデアであり、そのアイデアに基づく具体的表現(別紙対比表2のX2(同一箇所)のbP1)は異なっている。
 なお、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、仙之助が持ち帰った牛7頭のうちの2頭が売却前に死亡したとの推測を述べている点においても共通するものといえるが、原告書籍記述部分の当該部分はありふれた表現であり、創作性を認めることができないことは、前記(1)アのとおりである。
 以上のとおり、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、それ自体が表現とは認められない事実やアイデア又はそれらについてのありふれた表現において共通しているにすぎず、特徴的な表現部分においては異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ウ X3について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも仙之助による富士屋ホテル開業の経過に関する記述であり、両者を比較すると、@仙之助が箱根宮ノ下の「藤屋」という旅館を買い取ったこと、A「藤屋」が500年の歴史を持つ由緒ある旅館で、豊臣秀吉が小田原征伐の際に宿泊したと伝えられていること、B仙之助は、ホテル開業に当たって「藤屋」の屋号を「富士屋」に改めたが、それは外国人が富士山に憧れをもっていることを意識してのことであること、以上の@ないしBの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、原告書籍記述部分には、鎌倉時代にさかのぼる「藤屋」の来歴について記述があるのに、被告書籍記述部分にはそれがなかったり、他方、被告書籍記述部分には、仙之助は当初浅間山にホテルを建てるつもりだったが、山が高すぎて物資が運べなかったことからこれを断念した経緯が紹介されているのに、原告書籍記述部分にはそれがないなど、両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、仙之助による富士屋ホテル開業の経過を説明するに当たって、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであって、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、数あるエピソードの中から、前記(ア)@ないしBのエピソードを取り上げて、これらを表現した点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかし、前記(ア)@ないしBの事実は、「小史」(甲12の1頁、2頁)や「八十年史」(甲13の3の2頁、3頁、7頁)にも記載されており、しかも、仙之助による富士屋ホテル開業の経過を説明するに当たって、その前身である藤屋旅館を紹介したり、「富士屋」への改名の理由を説明することはごく自然なことであるから、上記の各事実を取り上げたことに格別の独自性があるとはいえないし、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
エ X4について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも明治16年の富士屋ホテルの大火に関する記述であり、両者を比較すると、@明治16年の大火で富士屋ホテルが全焼したこと、Aその後、仙之助が養父粂蔵の下で、雑役に服したこと、B明治17年、仙之助は、粂蔵からの融資を受けて、富士屋ホテルを復興したこと、以上の@ないしBの事実が時系列で述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、原告書籍記述部分には、大火で従業員1名が亡くなったことに触れ、仙之助は、行方不明になっていた従業員を不信に思っていたが、帳簿を抱いたままの焼死体が発見されたため、不信に思ったことを詫びて手厚く葬ったという仙之助の人柄を表すエピソードが記述されているのに、被告書籍記述部分にはそれがないなど、特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、仙之助の富士屋ホテルに関わる事績を記述するに当たって、同一の事実を取り上げて時系列で記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであって、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、仙之助に関する数あるエピソードの中から、前記(ア)@ないしBのエピソードを選び、前記の流れで記述した点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかし、前記(ア)@ないしBの事実は、「小史」(甲12の12頁)や「八十年史」(甲13の3の19頁、20頁)にも記載されており、しかも、仙之助の富士屋ホテルに関する事績を記述するに当たって、富士屋ホテルが全焼するに至った明治16年の大火に触れることは当然のことであり、その際、その後の復興に至る経過を述べることもごく自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて時系列で記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
オ X5について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも明治16年の大火で全焼した後、富士屋ホテルの建物か再建されていった経過に関する記述であり、両者を比較すると、@明治17年に最初の平屋建てが完成したこと、Aその建物は、その後改築、移築を繰り返し、「高いところにある家」という意味の「アイリー」という呼び名がつけられたこと、B@の建物に続き、明治18年に日本館が新築されたこと、C続いて、明治19年に洋館が建てられたこと、Dこの洋館は、後に移築され、「隠者の庵」という意味の「ハーミテイジ」という呼び名がつけられたこと、E更に、明治20年に「別荘」と称する日本館が建てられたこと、以上の@ないしEの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、被告書籍記述部分には、大火後の最初の建物「アイリー」の特徴的なデザインである「唐破風」について、「仙之助は、外国人宿泊客を喜ばせるものとして考えていたようである。」、「いかにも日本的なその意匠は、当時の外国人の異国趣味を満足させるのに、うってつけだったのであろう。」などと、外国人客を対象とした仙之助のホテル経営戦略と関連づけた説明がされているのに対し、原告書籍記述部分にはそのような趣旨の記述はないなど、特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように被告書籍記述部分と原告書籍記述部分とは、仙之助の富士屋ホテルに関わる事績を記述するに当たって、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであって、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、仙之助の偉業を語るに当たって、富士屋ホテルの大火の後、明治17年から20年までの富士屋ホテルの増築及び建築された各建物の呼び名やその特徴に係る事実に着目したことは原告独自の視点であり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかし、これらの事実(前記(ア)@ないしE)は、「小史」(甲12の1頁)や「八十年史」(甲13の3の22頁、23頁、45頁)にも記載されており、しかも、仙之助の富士屋ホテルに関する事績を記述するに当たって、富士屋ホテルが大火で全焼した後の復興に至る経過を述べること、また、その際に、復興の初期に次々と建てられた建物について説明することは自然なことであるから、これらの事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
カ X6について
 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも仙之助による箱根の道路開削事業に関する記述であり、両者を比較すると、@明治19年から20年にかけて道路開削事業が行われたこと、A仙之助はその事業に自ら1000円の資金を提供し、有志からの借入れもしたこと、B完成した道路の距離、幅、総工費の具体的な数字、以上の@ないしBの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性は認められず、結局のところ、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通しているのは、それ自体が表現とは認められない事実又はそれらについてのありふれた表現であるにすぎない。
 また、上記の各事実は、「小史」(甲12の1頁)や「八十年史」(甲13の3の34頁、35頁)にも記載されており、しかも、仙之助の箱根にまつわる事績を記述するに当たって、その功績が顕著であった道路開削事業に触れることはごく自然なことであり、その際、事業資金の原資や完成した道路の概要を述べることも自然なことであるから、これらの事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 以上のとおり、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、それ自体が表現とは認められない事実又はそれらについてのありふれた表現において共通しているにすぎず、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。
 また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
キ X7について
 原告書籍記述部分は、仙之助の事績として、@明治24年に火力発電機を買い入れ、富士屋ホテル全館を点灯したとの事実等を述べている部分(甲2の60頁)、A明治26年に蛇骨川の水流を利用した水力発電に着手したとの事実等を述べている部分(同61頁)、B明治24年の火力発電機導入、明治26年の水力発電計画に続いて、明治37年には本格的な発電事業に乗り出し、「宮之下水力発電合資会社」を設立した事実等を述べている部分(同96、97頁)及びC明治39年に「大日本ホテル業同盟会」を設立し、その会長に就任した事実等を述べている部分(同84頁)を抜き出し、それらを上記の順序で並べたものである。
 他方、被告書籍記述部分は、「“私”より“公”のサムライ・スピリッツ」と題して、仙之助の事績のうち、ホテル事業や道路開削のほかに箱根の発展に寄与した事業として、発電事業と「大日本ホテル業同盟会」の結成を取り上げ、それらの概要等を述べている記述である。
 両者を比較すると、いずれも上記@ないしCの事実が述べられている点において共通するものの、その具体的表現には格別の共通性は認められない。被告書籍記述部分は、仙之助が道路開削のほかに、電力事業及び同業者の連帯を目指した同盟会の結成に尽力したことを総合して、「仙之助の頭には、常に「共存共栄」の四文字があった」と捉え、この点を「明治人特有の大いなる志、すなわち「サムライ・スピリッツ」を強く感じる」と特徴的なフレーズで表現しているのに対し、原告書籍記述部分は、発電事業に関する事実と「大日本ホテル業同盟会」の結成に関する事実を、それぞれ別々の箇所で述べているのみで、それらを総合して仙之助の「共存共栄」の考え方を物語るものとして位置付けているわけではないし、仙之助の考え方の具体的表現も被告書籍記述部分とは全く異なるのであって、両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
 また、上記の各事実は、「小史」(甲12の1頁)や「八十年史」(甲13の3の46頁、47頁、67頁、69頁)にも記載されており、しかも、仙之助の事績を記述するに当たって、その功績が顕著であった電力事業や現在の日本ホテル協会の前身である「大日本ホテル業同盟会」の結成に触れることは自然なことであるから、これらの事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 以上のとおり、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、仙之助の事績を記述するに当たって、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ク X8について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも富士屋ホテルと「奈良屋旅館」との関係について述べた記述であり、両者を比較すると、@箱根において、奈良屋旅館と富士屋ホテルとがライバル関係にあったこと、A明治16年の大火後、両者が、建物の再建を競って行うなどして外国人客の争奪戦を繰り広げたこと、B両者の競争は、明治35年に、「富士屋ホテルは外国人専用、奈良屋旅館は日本人専用にする」という内容の契約を取り交わすことによって収束したこと、以上の@ないしBの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、原告書籍記述部分においては、明治16年の大火後に、次々に建築された奈良屋旅館や富士屋ホテルの建物の外観や様式等についての説明が詳細に述べられ、特に富士屋ホテルの建物については、筆者自身の体験に基づく描写や感想の記述が相当の分量をもって述べられているのに対し、被告書籍記述部分においてはそのような記述がないなど、特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、仙之助の事績を記述するに当たって、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、「国益のために外貨を稼ぐ」という仙之助の隠れた創業の目的にスポットを当て、奈良屋との競争とユニークな契約というテーマを取り上げ、これに関する各史実が述べられている点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、仙之助のホテル経営の目的が外貨を獲得することにあったと結論付けることは、「八十年史」の記載から自然に導かれる結論にすぎないものであって、格別の独自性が認められないことは、前記(1)エで述べたとおりである。また、富士屋ホテルと奈良屋旅館とが競争関係にあったことや前記(ア)Bのような契約を取り交わしたことは、いずれも「箱根温泉史」(甲10の94頁、140頁)や「八十年史」(甲13の3の48頁)にも記載されており、しかも、仙之助の富士屋ホテルに関する事績を記述するに当たって、ライバルであった奈良屋旅館との競争関係について述べることは自然なことであるから、前記(ア)@ないしBの事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
ケ X9について
 原告書籍記述部分は、仙之助の富士屋ホテル経営に当たっての姿勢について、@「慶應義塾出身名流列傳」という本に出てくる、仙之助が、岩崎彌之助、古川市兵衛等の名士の富士屋ホテル来宿を謝絶したとのエピソード、及び「八十年史」に記載された仙之助の言葉を引用した上で、仙之助がホテル事業を日本の外貨獲得のためという大局から見ていた旨を述べている部分(別紙対比表2のX9(同一箇所)のbR6)、A富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交わされた契約内容の一部を紹介した部分(同bR7)を上記の順序で並べたものであり、それぞれが原告書籍の別々の箇所にある記述のまとまりであり、連続性のあるひとまとまりの記述ではない。
 他方、被告書籍記述部分は、「日本人の客は来てもらはずともよい」と題して、仙之助の「一ホテルの利益を超えて、国益のために外貨を稼ぐという経営哲学」を物語るものとして、いずれも原告書籍記述部分と同一の「八十年史」に記載された仙之助の言葉及び「慶應義塾出身名流列傳」の中のエピソードを引用し、それらについてコメントを加え、更に、富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交わされた契約内容の一部を紹介するなどしている記述である。
 まず、原告書籍記述部分のうち上記@の部分とこれに対応する被告書籍記述部分とは、同一文献の同一部分を引用し、述べられている趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの、その具体的内容及び具体的表現は異なるものであるから、上記被告書籍記述部分は、上記原告書籍記述部分を再製したものとはいえないこと、上記被告書籍記述部分から、上記原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないことは、前記(1)オのとおりである。
 次に、原告書籍記述部分のうち上記Aの部分とこれに対応する被告書籍記述部分とを比較すると、富士屋ホテルと奈良屋旅館との間で取り交わされた契約書の条項中に、富士屋が日本人客を、奈良屋が外国人客を、それぞれ泊める場合には、宿泊料の一割を相手方に支払わねばならないとの条項や富士屋は英語、奈良屋は日本語でしか広告を出してはいけないとの条項があったことが述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、上記の点は、「八十年史」(甲27の426頁、427頁、431頁)にも記載された契約書の条項の内容そのものであり、上記原告書籍記述部分は、これをありふれた表現で記述しているものにすぎない。すなわち、上記原告書籍記述部分は、先行文献に記載された契約書の条項の内容という客観的事実をありふれた表現で記述した文章にすぎないものであり、この部分のみを取り上げて、筆者の個性が現れているということはできず、創作性を認めることはできない。
コ X10について
 原告書籍記述部分は、「慶應義塾出身者名流列傳」という本の中にある、福沢諭吉が仙之助に対して「今後勉強せんよりは寧ろ実業界に入りて一旗挙ぐるに適せり」と訓戒したとの記述を引用し、「この助言が富士屋ホテル創業の一つのきっかけになったといわれている」と述べている記述である。
 他方、被告書籍記述部分は、「学問は実学であるべし−」と題して、福沢諭吉が仙之助に箱根にホテルを造るよう勧めたとの筆者の推測を述べた上で、それを裏付けるものとして、原告書籍記述部分と同じ「慶應義塾出身者名流列傳」中の記述を引用し、実学論者である福沢の思想について言及するなどしている記述である。
 両者を比較すると、いずれも同一の文献にある同一の部分を引用し、そこに出てくる福沢の言葉と仙之助による富士屋ホテルの創業とを結びつけている点において共通するものの、その具体的表現にはほとんど共通性は認められない。しかも、福沢の上記訓戒の意味について、原告書籍記述部分では、福沢が「野心家で行動的な仙之助の性格を・・・見抜いていた」ものと理解しているのに対し、被告書籍記述部分では、福沢が、単に仙之助の性格的な適性を見抜いていたということに止まらず、仙之助には「これまでの経験で培ってきた国際人としての感覚と行動力がある」ことに着目し、「実業の世界で名を成し、わが国の経済振興の一役を担うべし」と言っているものと理解し、実学論者としての福沢の思想に結びつけて捉えている点において、記述の趣旨が異なっている。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、仙之助の事績を記述するに当たって、同一の文献にある同一の部分を引用して、福沢の言葉と仙之助の富士屋ホテル創業とを結びつけている点においては共通するものの、記述の全体的な趣旨や具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
サ X11について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも福沢諭吉が箱根の道路開発を進めるべきとの意見を持っていたことに関する記述であり、両者を比較すると、@福沢が明治6年に「足柄新聞」に載せた「箱根道普請の相談」と題する文章の内容を引用し、福沢が箱根の道路開発を進めるべきとの意見を持っていたことを述べている点、A仙之助の道路開削事業が福沢の上記意見に影響されたものであるとの推測を述べている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの点についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。しかも、上記Aの推測の根拠について、原告書籍記述部分においては、福沢が「足柄新聞」に「箱根道普請の相談」と題する文章を載せた時期(明治6年)と仙之助が慶應義塾に入塾した時期(明治7年)が近接していることに着目しているのに対し、被告書籍記述部分においては、そのような視点はなく、発電事業や大日本ホテル業同盟会の結成をも含めた「共存共栄」を旨とする仙之助の数々の事績が、いずれも実学や事業によって国益に寄与することを重視した福沢に感化されたものであったとして、仙之助の事績全体を福沢の思想的影響によるものであるとの捉え方をしているのであり、両者の間で記述の趣旨が異なっている。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、それ自体が表現とは認められない事実又は述べられている趣旨を抽象化したレベルにおいては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、仙之助が「明治7年」に慶応義塾に入学したことを独自の調査により突き止めたことで、「足柄新聞」に関連する一連の時期と、仙之助が慶応義塾で諭吉に学んだ時期が重なっていることを発見し、その発見から、ホテル創業の地として仙之助が箱根を選んだ理由に対する答えとして、背景に福澤諭吉の存在があったという独自の推論を打ち立てたものであり、原告書籍記述部分においては、上記のような原告独自の推論とそれに行き着くためのエピソードが述べられている点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)Aのような推測あるいは推論の結論それ自体は、著作権法上の保護の対象とはいえないアイデアにすぎず、著作権法上保護されるのは、そのような推測の結果を導き出す過程等も含めた記述における具体的表現である。また、上記推測に係る事実を先行文献から取捨選択し、あるいは、独自の調査でこれらの事実を発見したことそれ自体に、原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
シ X12について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造の事績のうち、渡米に至る経緯と渡米後の正造の活動を述べた記述であり、両者を比較すると、@正造が渡米を決意した理由は、中学校を病気で1年休学した後、復学して下級生と机を並べるのが嫌だったためであること、A正造の父は、正造の渡米に当初反対したが、結局は承知し、渡米費用として600円を出したこと、B正造は、明治32年に船で日本を発ち、翌年にサンフランシスコに到着したこと、Cその時の正造の所持金は80ドルしかなかったこと、D他方、当時のサンフランシスコの一流ホテルの宿泊料は1泊4ドルだったこと、Eその後、正造はドイツ人の家でボーイとして働くようになったこと、Fところが、その家の女主人と喧嘩してクビになったこと、以上の@ないしFの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、原告書籍記述部分においては、正造の渡米に当たって、兄真一が所持金を腹巻きに縫いつける気づかいをしてくれたこと、サンフランシスコに到着した正造が、ロックフェラー気取りで、ポーターに命じてトランクを一流ホテルに運ばせたこと、ドイツ人の家を出た後、公園で喧嘩をして警察の世話になったことなど、正造や兄真一の人柄を示すエピソードが述べられているのに対し、被告書籍記述部分においてはそのような記述がないなど、両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造の渡米について記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、「懐想録」に記載された正造に関する数あるエピソードの中から、正造を描く上で興味深く、的確と思われるものとして、前記(ア)@ないしFのようなエピソードを取捨選択し、上記の流れで記述した点に原告の創意工夫があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしFの事実は、「懐想録」のみならず、「八十年史」(甲27の82頁、84頁)や真一著の「ホテルと共に七拾五年」(金谷ホテル株式会社、昭和29年。以下「ホテルと共に七拾五年」という。)(甲29の4の32頁、33頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績や人物像を描くに当たって、正造が若くして渡米した事実に触れることは当然のことであるし、その際、正造が渡米を決意した理由、渡米に当たっての父とのやりとり、渡米後の活動などを述べることも自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さらに、原告書籍記述部分の記述の流れも、時系列に従ったもので、やはりそれ自体に、表現上の本質的な特徴があるとはいえない。
 このことは、「ホテルと共に七拾五年」における上記記載部分においても、おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも明らかである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
ス X13について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造が渡米後、更にイギリスに渡るまでの経緯を述べた記述であり、両者を比較すると、@正造がサンフランシスコからロンドンに行くことを思い立ったこと、Aその理由は、日本からの船が出入りするサンフランシスコにいると日本への未練が残るからというものであったこと、Bイギリスに渡るためには、金谷ホテルに来ていた客の従者になって連れて行ってもらえばいいと考え、そのような客を捜すために、日本からの豪華客船が入港するバンクーバーへ向かったこと、Cバンクーバーでは、教会に寄宿し、日本人相手に英語を教えたこと、Dある日、金谷ホテルに来ていた客で、カークウッドというイギリス人を見つけたこと、Eカークウッドは、イギリス到着後は責任を負わないという条件付きで、正造を病人の付添人として雇い、イギリスに同行したこと、以上の@ないしEの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられない。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造が渡米後、更にイギリスに渡るまでの経緯について記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、「懐想録」に記載された正造に関する数あるエピソードの中から、正造を描く上で興味深く、的確と思われるものとして、前記(ア)@ないしEのようなエピソードを取捨選択し、上記の流れで記述した点に原告の創意工夫があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしEの事実は、「懐想録」のみならず、「八十年史」(甲27の84頁)や「ホテルと共に七拾五年」(甲29の4の33頁〜35頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績や人物像を描くに当たって、正造が若くして海外に渡り、様々な苦労を経験した事実に触れることは当然のことであるし、その中でも、いったん渡ったアメリカから更にイギリスにまで渡った理由やその方法について述べることは自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さらに、原告書籍記述部分の記述の流れも、時系列に従ったもので、やはりそれ自体に、表現上の本質的な特徴があるとはいえない。このことは、「ホテルと共に七拾五年」における上記記載部分においても、おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも明らかである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
セ X14について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造のロンドンにおける事績について述べた記述であり、両者を比較すると、@ロンドンに渡った正造は、最初日本大使館のボーイとして勤めたこと、A2年後、正造は、谷と三宅という2人の日本人柔道家と知り合い、彼らと共にロバート・ライトというイギリス人が経営する道場で柔道を教えるとともに、柔道の興行をするようになったこと、Bその後、ライトの搾取ぶりを知った正造らは、ライトのもとを離れ、3人で柔道の興行をやるようになったこと、C3人は、徐々にその存在を知られるようになり、ロンドン市内に柔道場を持つまでになったこと、Dその結果、正造は、経済的にも成功をおさめ、豪邸に住むようになったこと、以上の@ないしDの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、原告書籍記述部分においては、正造と同時代の人物である野口英世を取り上げ、野口と正造の行動や性格を比較し、常識外れでありながら人々を惹きつける不思議なパワーを持っていたところやチャンスを掴む天才であったところが共通しているなどと述べられているのに対し、被告書籍記述部分においてはそのような記述がないなど、両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造のロンドンにおける事績について記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、「懐想録」に記載された正造に関する数あるエピソードの中から、正造を描く上で興味深く、的確と思われるものとして、前記(ア)@ないしDのようなエピソードを取捨選択し、上記の流れで記述した点に原告の創意工夫があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしDの事実は、「懐想録」のみならず、「八十年史」(甲27の84頁、85頁)や「ホテルと共に七拾五年」(甲29の4の35頁、36頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績や人物像を描くに当たって、正造が若くして海外に渡り、様々な苦労を経験した事実に触れることは当然のことであるし、その中でも、イギリスにおいて豪邸に住むまでの成功をおさめるに至った経緯について述べることは自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 さらに、原告書籍記述部分の記述の流れも、時系列に従ったもので、やはりそれ自体に、表現上の本質的な特徴があるとはいえない。このことは、「ホテルと共に七拾五年」における上記記載部分においても、おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも明らかである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
ソ X15について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも日光にいる正造の父と兄が雑誌の記事によって正造の消息を知ったというエピソードについて述べた記述であり、両者を比較すると、金谷ホテルの客が忘れていった雑誌に、アポロというロシア人ボクサーと闘って勝った日本人の記事が出ており、そこに載っていた写真から、その日本人が正造であることがわかったという事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、上記の事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられない。むしろ、原告書籍記述部分においては、正造の兄真一の内面の描写として、雑誌に載っていた正造の写真が自分に似ていたことに驚いたことや、たった一人で異国で頑張っていた弟の姿にうれしさを覚えたことが述べられているのに対し、被告書籍記述部分においては、そのような描写はなく、雑誌に載った正造の写真を見た父や兄が「たまげた」ことが述べられているにすぎないなど、両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造のロンドンにおける事績について記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、原告が様々な資料に当たるなどして調査した結果、前記(ア)のエピソードに正造の破天荒ぶりがよく表れていて興味深いと考えたことから、取り上げたものであり、この点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、上記エピソードに係る事実は、「ホテルと共に七拾五年」(甲29の4の37頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績や人物像を描くに当たって、正造が若くして海外に渡り、そこで経験した事実に触れることは当然のことであるし、その中でも、イギリスにおける活躍ぶりを示す興味深いエピソードとして、上記の事実を取り上げることは自然なことであるから、上記の事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、この事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
タ X16について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造が富士屋自動車株式会社を設立した経緯について述べた記述であり、両者を比較すると、@正造が大正3年に富士屋自動車株式会社を設立し、箱根でハイヤー業を始めたこと、Aそのきっかけは、富士屋ホテルの宿泊客であったホイットニーというアメリカ陸軍少佐が、予約した貸自動車が時間どおりに来なかったため、列車に遅れそうになったことから、「一流ホテルなら自動車を持つべきだ」という趣旨の手紙を正造に送ったためであること、B正造は、人力車や駕籠かきの人夫らに配慮し、会社の株主になるよう勧めたが、嫌がらせを受けることもあったこと、以上の@ないしBの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられない。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造が富士屋自動車株式会社を設立した経緯について記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、正造の成し遂げた数ある偉業の中から、正造を描く上で、前記(ア)@ないしBのようなエピソードを取捨選択した点及び正造による富士屋自動車設立に関連して「箱根にモータリゼーションの時代が来た」旨の表現をした点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしBの事実は、「八十年史」(甲27の97頁〜99頁)、「箱根温泉史」(甲10の3の104頁)、「懐想録」(乙3の63頁、335頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績を述べるに当たって、箱根の近代化をもたらしたという観点から重要と考えられる富士屋自動車株式会社の設立に触れることは自然なことであるし、その際に、同社設立のきっかけとなったエピソードについて述べたり、設立に伴って生じたあつれきについて述べたりすることも自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さらに、原告書籍記述部分の記述の流れも、それ自体に表現上の本質的な特徴があるとはいえない。このことは、「八十年史」における上記記載部分においても、「富士屋自動車會社の創立」と題して、おおむね上記の各事実が同様の順序で記述されていることからも明らかである。なお、「モータリゼーション」という言葉を使用した表現部分について原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とでは、特徴的な表現部分において異なることは、前記(1)コのとおりである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
チ X17について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも関東大震災によって富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けたことなどについて述べた記述であり、両者を比較すると、@正造が大正11年に外国人用の旅館であった「はふや」を買収し、箱根ホテル株式会社を設立したこと、A「箱根ホテル」の開業後営業は順調であったが、その矢先、関東大震災が発生したこと、B震災により、箱根ホテルは全壊、富士屋ホテルも大きな被害を受け、富士屋自動車の自動車も灰になったこと、以上の@ないしBの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、これらの事実やその周辺事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間でほとんど共通性がみられない。むしろ、原告書籍記述部分には、震災後の建物被害の状況を詳しく説明する記述や、震災時の富士屋ホテルにいた「久邇宮朝融王殿下」をはじめ113名の宿泊客が一夜を明かす様子を描写する記述があるのに対し、被告書籍記述部分には、そのような記述はなく、被害結果を簡略に説明する記述や、「宿泊客の安全を確保し、数日のうちに箱根を脱出させた」との記述があるのみである。また、被告書籍記述部分においては、正造の自伝中の言葉を引用し、順調な経営を続けていた矢先に震災により多大な被害を受けた正造の無念の思いを描写する記述があるのに対し、原告書籍記述部分においては、そのような記述はない。両者の間には、特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、関東大震災によって富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けたことなどについて記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、関東大震災に関する数あるエピソードの中から、上記@ないしBのようなエピソードを取捨選択し、上記の流れで記述した点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしBの事実は、「八十年史」(甲27の136頁、137頁、143頁、148頁、149頁)、「箱根温泉史」(甲10の3の117頁)、「懐想録」(乙3の86頁、87頁、89頁〜91頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造のホテル経営にまつわる事績を描くに当たって、「箱根ホテル」を開業したことや関東大震災によって大きな被害を受けたことに触れるのは当然のことであるし、その際に、被害の状況等について述べることも自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さらに、原告書籍記述部分の記述の流れも、時系列に従ったもので、それ自体に表現上の本質的な特徴があるとはいえない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
ツ X18について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造と孝子の離婚とその後の二人の生き方などについて述べた記述であり、両者を比較すると、@震災により富士屋ホテルが壊滅的な被害を受けた際に、正造の兄真一が故郷日光に帰参することを正造に勧めたが、正造がこれを拒絶したエピソード、真一が正造に日光帰参を勧めた真意は正造夫婦の不仲を察していたからかもしれないとの推測、A孝子及び正造の人物描写、正造と孝子が別れる場合には一方が富士屋ホテルを出て行かざるを得なかったこと、B大正15年に正造と孝子が離婚し、正造が富士屋ホテルにとどまり、孝子が出ていったこと、Cその後、孝子はスコットランド人実業家と再婚したが、正造は再婚しなかったこと、Dその後の正造が、従業員の教育に力を注ぎ、「富士屋ホテルトレーニングスクール」を開設したこと、E「富士屋ホテルトレーニングスクール」は、多くの卒業生をホテル業界に送り出したこと、以上の@ないしEの事実等が述べられている点において共通するものといえる。また、被告書籍記述部分が、原告書籍記述部分のうち、「富士屋ホテル」を正造の結婚相手に喩えて、正造が「結婚した」のは「富士屋ホテルだったのかもしれない」と表現した部分を複製した記述を含むことは、前記(1)スのとおりである。
 しかしながら、上記複製部分は原告書籍記述部分のごく一部の記述部分であって、上記複製部分を除く、ほとんどの記述部分においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で上記@ないしEについての具体的表現に格別の共通性はみられない。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造と孝子の離婚とその後の二人の生き方などについて記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通し、ごく一部の記述部分には複製部分がみられるものの、その複製部分を除く、ほとんどの記述部分においては具体的表現は異なるものであるから、原告書籍記述部分の全体と被告書籍記述部分の全体との対比の観点からみると、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、震災、離婚、人材育成、トレーニングスクール設立というストーリー展開及び前記(ア)@ないしEのようなエピソードの選択と記述の流れにおいて、読者を惹きつけるための原告の独自性があり、創作性を有し、これらのエピソードの選択と記述の流れが共通する被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしEの事実は、「懐想録」(乙3の序文、39頁、54頁〜56頁、88頁〜90頁、95頁、101頁、107頁、109頁、120頁、164頁、304頁等)、「八十年史」(甲27の105頁、169頁、170頁等)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績や人物像を描くに当たって、妻孝子との関係や離婚の経過、その後の二人の生き方などに触れるのは当然のことであるし、その際に、上記の各事実について述べることも自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。さらに、原告書籍記述部分の記述の流れも、おおむね時系列に従ったもので、それ自体に表現上の本質的な特徴があるとはいえない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
テ X19について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造の特徴であった「髭」に関するエピソードを紹介した記述であり、両者を比較すると、@正造と兄真一がともに、髭を生やしていたこと、Aその後、真一は髭を落としたが、正造は落とさなかったこと、B正造の髭が地元で有名であったこと、C正造は、夜寝るとき、羽二重の袋に髭を入れていたこと、D昭和6年に、正造が、「万国髭倶楽部」という団体を設立したこと、E万国髭倶楽部には、世界各国の髭自慢が集まり、国際交流が図られたこと、F正造は、万国髭倶楽部を富士屋ホテルをPRするものと考えていたこと、G富士屋ホテルには、今も万国髭倶楽部のメンバーの写真が飾られていること、以上の@ないしGの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、上記の各事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられない。むしろ、原告書籍記述部分においては、原告の育った家に掲げられていた正造の肖像画の紹介や祖父から正造の髭にまつわるエピソードを聞かされたことなど、正造の髭について、原告自身の体験に基づく具体的な描写が述べられているのに対し、被告書籍記述部分においてはそのような描写はなかったり、他方、被告書籍記述部分においては、正造が万国髭倶楽部を富士屋ホテルのPRに利用したことについて、「かつて福住正兄が安藤広重に浮世絵を描かせ、湯治場としての箱根と福住旅館をコマーシャリズムに乗せようとした」ことと比較し、「まったく同じ発想ではないか」と述べているのに対し、原告書籍記述部分においてはそのような記述はないなど、両者の間で特徴的な表現部分における相違がみられる。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造の特徴であった「髭」に関するエピソードを紹介するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、正造にまつわる数あるエピソードの中から、「髭」にまつわるエピソードや「万国髭倶楽部」の創立という史実を選択するなどした点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしGの事実は、「懐想録」(乙3の82頁、83頁、264頁、265頁等)、「八十年史」(甲27の164頁)、「ホテルと共に七拾五年」(甲29の4の60頁、62頁)にも記載されている事実であり、しかも、正造の事績や人物像を描くに当たって、正造の外見的な特徴である「髭」について触れるのは自然なことであるし、その際に、上記(ア)@ないしGのようなユニークなエピソードに着目し、これらについて述べることも自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
ト X20について
(ア) 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも正造が、日本の習俗、習慣等を英語で紹介する冊子「We Japanese」を発刊した経緯についての記述であり、両者を比較すると、@正造が、外国人が知りたがる日本の習俗、習慣等について、英語による短い解説文を、富士屋ホテルのレストランの献立表に載せるようになったこと、Aその後、正造は、献立表に記載したものをもとにして、昭和9年に「We Japanese」と題した冊子を発刊したこと、Bその後、「We Japanese」は第3巻まで刊行されたこと、以上の@ないしBの事実が述べられている点において共通するものといえる。
 しかしながら、上記の各事実についての具体的表現においては、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で格別の共通性はみられない。
 このように原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とは、正造が「We Japanese」を発刊した経緯について記述するに当たり、同一の事実を取り上げて記述しているという点においては共通するものの、その具体的表現は異なるものであるから、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえない。また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
(イ) これに対し原告は、原告書籍記述部分においては、正造にまつわる数あるエピソードの中から、「We Japanese」に関するエピソードを、正造が「海外への日本のPR」という広い視野を持っていたことを示す興味深いエピソードとして選択し、これを前記(ア)@ないしBの流れで記述した点に原告の独自性があり、創作性を有し、この点において共通する被告書籍記述部分は、本質的な部分において原告書籍記述部分と同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)@ないしBの事実は、「八十年史」(甲27の176頁、177頁、314頁)、「懐想録」(乙3の153頁、154頁等)にも記載されている事実であり、しかも、正造の富士屋ホテルに関わる事績を描くに当たって、正造が富士屋ホテルの宿泊客であった外国人とどのように関わったのかについて触れるのは自然なことであるし、その際に、正造のユニークな事績である「We Japanese」発刊に注目し、その経緯について述べることも自然なことであるから、上記の各事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、これらの事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。
ナ X21について
 原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分は、いずれも昭和11年に完成した花御殿(フラワーパレス)と呼ばれる新館についての記述であり、両者を比較すると、@正造の考えが花御殿の設計の細部にまで反映されていたとの事実が述べられ、それに関して、正造の花御殿に対する思いを「・・・注ぎ込む」という言葉を用いて表現している点、A花御殿の落成をもって富士屋ホテルが完成したという趣旨の評価を述べている点、B花御殿の客室の説明として、花の名前が付けられていた事実、ドアにはその花の絵が掲げられていた事実、ルームキーにドアと同じ絵が描かれた木製の巨大なキーホルダーが付けられていた事実及び室内の絨毯に部屋の名前と同じ花が織り込まれていた事実を述べている点において、共通性が認められるものといえる。
 しかしながら、上記@及びAの点については、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで、これらの共通点にかかわらず、具体的表現において相違するものであることは、前記(1)セ、ソのとおりである。
 また、上記Bの点については、いずれも「富士屋ホテルの建築」(甲11の3の26頁)に、花御殿の客室についての説明として、おおむね同様に記載されている事実であるから、花御殿について述べるに当たって、上記事実を取り上げて記述したことに格別の独自性があるとはいえないし、また、上記事実を取捨選択したことそれ自体に原告書籍記述部分における表現上の本質的な特徴があるといえるものでもない。また、上記事実の具体的な表現ぶりをみても、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分とで共通するのは、ありふれた表現であるにすぎない。
 以上によれば、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分を再製したものとはいえないし、また、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ニ 小括
 以上のとおり、別紙対比表2の各被告書籍記述部分は、いずれも、これに対応する各原告書籍記述部分における創作的表現を再製したとはいえないものであり、また、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないのであるから、上記各被告書籍記述部分が上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるものとは認められない。
(3) 別紙対比表3について
 原告は、原告書籍のうち、別紙対比表3のY1ないしY5の「物語」欄の各記述部分は、それぞれが表現上の創作性を有する著作物であり、これに対応する被告書籍の「破天荒力」欄の各記述部分は、上記各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たる旨主張する。
ア Y1について
 原告書籍記述部分は、「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章にある「日本人を泊めないホテル」との見出しに係る記述の一部(甲2の72頁冒頭〜83頁3行)であり、富士屋ホテルのある宮ノ下を紹介する記述に続いて、X9の原告書籍記述部分があり、更に続いてX8の原告書籍記述部分がある。
 他方、被告書籍記述部分は、「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」の章にある「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」、「国益、外貨獲得のためのホテル業!?」及び「「日本人の客は来てもらはずともよい」」との見出しに係る記述の全部(甲1の48頁2行〜55頁4行)であり、「富士屋vs.奈良屋の外国人客争奪戦」においては、冒頭からX8の被告書籍記述部分があり、続く「国益、外貨獲得のためのホテル業!?」においては、仙之助が外貨獲得のためにホテル業を志した背景事情等が記述され、更に続く「「日本人の客は来てもらはずともよい」」においては、X9の被告書籍記述部分がある。
 原告は、Y1の中に含まれるX8及びX9の各被告書籍記述部分が、それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることを根拠として、Y1における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分にも同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、X8及びX9の各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、前記(2)ク、ケのとおりである。
 また、これらを上記のとおり組み合わせたY1全体の記述を比較してみても、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分における創作的表現部分を再製したものとはいえないし、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
イ Y2について
 原告書籍記述部分は、「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章にある「新天地」との見出しに係る記述の一部(甲2の46頁5行〜50頁1行)であり、慶應義塾を紹介する記述に続いて、X10の原告書籍記述部分があり、更に続いてX11の原告書籍記述部分がある。
 他方、被告書籍記述部分は、「第二章実学のススメ−福沢諭吉」の章にある「学問は実学であるべし−」及び「箱根の道路開削をけしかけろ!」との見出しに係る記述の全部(甲1の77頁2行〜81頁末行)であり、「学問は実学であるべし−」においては、冒頭からX10の被告書籍記述部分があり、続く「箱根の道路開削をけしかけろ!」においては、X11の被告書籍記述部分がある。
 原告は、Y2の中に含まれるX10及びX11の各被告書籍記述部分が、それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることを根拠として、Y2における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分にも同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、X10及びX11の各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、前記(2)コ、サのとおりである。
 また、これらを上記のとおり組み合わせたY2全体の記述を比較してみても、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分における創作的表現部分を再製したものとはいえないし、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
ウ Y3について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章にある「放浪」との見出しに係る記述の全部と「花と自動車」との見出しに係る記述の一部(甲2の114頁冒頭〜126頁2行)であり、「放浪」においては、冒頭の導入部分に続いて、X12ないしX15の各原告書籍記述部分が順に続き、最後に、正造が英国女性との結婚を望んだが、父の反対を受け、あきらめて帰国した経過が記述され、続く「花と自動車」においては、正造が仙之助の婿となり、その後、富士屋ホテルの経営に当たるようになったことが記述されている。
 他方、被告書籍記述部分は、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章にある「無鉄砲な一七歳、海を渡る」、「幸運の女神に導かれてイギリスへ」、「ロンドンで「柔道家」として成功」及び「帰国、“山口正造”時代の幕開き」との見出しに係る記述の全部(甲1の196頁冒頭〜204頁末行)であり、「無鉄砲な一七歳、海を渡る」においては、正造とその実家である「金谷ホテル」を紹介する記述に続いて、X12の原告書籍記述部分があり、続く「幸運の女神に導かれてイギリスへ」においては、X13の原告書籍記述部分があり、続く「ロンドンで「柔道家」として成功」においては、X14の原告書籍記述部分があり、更に続く「帰国、“山口正造”時代の幕開き」においては、その冒頭からX15の原告書籍記述部分があり、続いて、正造が英国から帰国した経緯、孝子と結婚し、富士屋ホテルの経営に関わっていった経過、正造に対する仙之助の心情などが記述されている。
 原告は、Y3の中に含まれるX12ないしX15の各被告書籍記述部分が、それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることを根拠として、Y3における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分にも同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、X12ないしX15の各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、前記(2)シないしソのとおりである。
 また、これらを上記のとおり組み合わせたY3全体の記述を比較してみても、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分における創作的表現部分を再製したものとはいえないし、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
 なお、原告は、Y3の原告書籍記述部分と被告書籍記述部分には、上記X12ないし15の各記述部分以外にも、別紙対比表3のY3のbT4ないしbT7の番号を付した記述部分(ただし、下線部分)のように共通する記述部分があるとして、その点も上記主張の根拠とする。しかしながら、このうち、bT5ないし57の各原告書籍記述部分と各被告書籍記述部分とが共通しているのは、それ自体が表現とはいえない、先行文献(bT5につき「懐想録」(乙3)54、207頁、bT6につき「八十年史」(甲27)84頁、bT7につき「懐想録」(乙3)83頁)にも記載された事実それ自体又はそれらについてのありふれた表現であるにすぎず、創作的表現において同一性又は類似性が認められるものではない。また、bT4の各記述部分は、記述全体の趣旨や展開とは直接結びつかない、局部的な記述部分にすぎず、これが共通するからといって、上記判断が左右されるものではない。
エ Y4について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章にある「孤独」との見出しに係る記述の一部(甲2の147頁冒頭〜153頁14行目)であり、ほぼ冒頭からX17の原告書籍記述部分があり、それに続いて、X18の原告書籍記述部分がある。
 他方、被告書籍記述部分は、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神− 山口正造」の章にある「関東大震災で倒壊、 二代目の負けじ魂」、「富士屋ホテルと結婚した男」及び「人材育成でもホテル業界をリード」との見出しに係る記述の全部(甲1の215頁2行〜221頁2行)であり、「関東大震災で倒壊、二代目の負けじ魂」においては、冒頭からX17の被告書籍記述部分があり、続く「富士屋ホテルと結婚した男」においては、X18の被告書籍記述部分があり、更に続く「人材育成でもホテル業界をリード」においては、冒頭からX18の被告書籍記述部分の残りが続き、最後に、正造が「富士屋ホテルトレーニングスクール」を続けたのは、「ホテル業界全体の発展に寄与し、社会に貢献しようという想い」によるものであるとの筆者の意見が述べられている。
 原告は、Y4の中に含まれるX17及びX18の各被告書籍記述部分が、それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることを根拠として、Y4における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分にも同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、X17及びX18の各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、前記(2)チ、ツのとおりである。
 また、これらを上記のとおり組み合わせたY4全体の記述を比較してみても、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分における創作的表現部分を再製したものとはいえないし、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
オ Y5について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章にある「万国髭倶楽部」との見出しに係る記述の一部(甲2の157頁冒頭〜163頁7行)であり、冒頭からX19の原告書籍記述部分があり、それに続いて、X20の原告書籍記述部分がある。
 他方、被告書籍記述部分は、「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章にある「「萬国髭倶楽部」の創設」との見出しに係る記述の全部及び「日本文化を紹介する『We Japanese』刊行」との見出しに係る記述の一部( 甲1 の2 2 1 頁3 行〜 2 2 6 頁9 行) であり、「「萬国髭倶楽部」の創設」においては、冒頭からX19の原告書籍記述部分があり、続く「日本文化を紹介する『We Japanese』刊行」においては、X20の原告書籍記述部分がある。
 原告は、Y5の中に含まれるX19及びX20の各被告書籍記述部分が、それぞれに対応する各原告書籍記述部分と同一性又は類似性があることを根拠として、Y5における被告書籍記述部分と原告書籍記述部分にも同一性又は類似性がある旨主張する。
 しかしながら、X19及びX20の各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、前記(2)テ、トのとおりである。
 また、これらを上記のとおり組み合わせたY5全体の記述を比較してみても、被告書籍記述部分は、原告書籍記述部分における創作的表現部分を再製したものとはいえないし、被告書籍記述部分から、原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない。
カ 小括
 以上によれば、別紙対比表3のY1ないし5の各被告書籍記述部分は、いずれも、対応する各原告書籍記述部分の複製又は翻案に当たるものとは認められない。
(4) 仙之助及び正造を主人公とした章全体について
ア 仙之助を主人公とした章全体について
 原告書籍記述部分は、原告書籍の「T 箱根山に王国を築く−仙之助」の章全体(甲2の13頁〜101頁)の記述部分であり、被告書籍記述部分は、被告書籍の「第一章チャンスは非常識にあり−山口仙之助」の章全体(甲1の27頁〜62頁)の記述部分である。
 原告は、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間に多数の同一又は類似の箇所が存在すること、具体的には、最も狭い範囲における表現上の同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表1のbP0、19、23、35、36及び38の各記述部分、より広い範囲における事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表2のX1ないしX9の各記述部分、更により広い範囲における事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表3のY1の各記述部分が存在することを根拠として、被告書籍記述部分全体が原告書籍記述部分全体の翻案に当たる旨主張する。
 しかしながら、前記(1)ないし(3)で述べたところから明らかなとおり、原告が原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で同一性又は類似性が認められるとして指摘する上記の箇所については、各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことに照らすならば、原告書籍記述部分全体と被告書籍記述部分全体とを対比してみても、後者が前者の翻案に当たらないことは明らかである。
 なお、原告は、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分には、上記の箇所以外にも、別紙対比表5のW1ないしW3記載のとおり同一又は類似する記述箇所がある旨主張するが、いずれも、原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分の中において、局部的な事実の記述内容が共通している部分にすぎず、それらが共通するからといって、上記判断を左右するものではない。
イ 正造を主人公とした章全体について
 原告書籍記述部分は、「U 繁栄と大脱線−正造」の章全体(甲2の103頁〜181頁)の記述部分であり、被告書籍記述部分は、被告書籍の「第六章「奇妙人」のおもしろがる精神−山口正造」の章全体(甲1の195頁〜236頁)の記述部分である。
 原告は、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間に多数の同一又は類似の箇所が存在すること、具体的には、最も狭い範囲における表現上の同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表1のbS7、58、62、68、69、71、89及び91の各記述部分、より広い範囲における事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表2のX12ないしX21の各記述部分、更により広い範囲における事実の取捨選択等に関する同一性又は類似性が認められる箇所として別紙対比表3のY3ないしY5の各記述部分が存在することを根拠として、被告書籍記述部分全体が原告書籍記述部分全体の翻案に当たる旨主張する。
 しかしながら、前記(1)ないし(3)で述べたところから明らかなとおり、原告が原告書籍記述部分と被告書籍記述部分との間で同一性又は類似性が認められるとして指摘する上記の箇所(ただし、別紙対比表1のbV1の前段の下線部分を除く。)については、各被告書籍記述部分は、これに対応する各原告書籍記述部分を再製したものではないこと、上記各被告書籍記述部分から、上記各原告書籍記述部分における創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないこと、別紙対比表1のbV1の前段の下線部分の複製部分は、原告書籍記述部分全体からみるとごく一部の記述部分であることに照らすならば、原告書籍記述部分全体と被告書籍記述部分全体とを対比してみても、後者が前者の翻案に当たらないことは明らかである。
 なお、原告は、原告書籍記述部分と被告書籍記述部分には、上記の箇所以外にも、別紙対比表5のW4、W5記載のとおり同一又は類似する記述箇所がある旨主張するが、いずれも、原告書籍記述部分及び被告書籍記述部分の中において、局部的な事実の記述内容が共通している部分にすぎず、それらが共通するからといって、上記判断を左右するものではない。
ウ 小括
 以上によれば、仙之助及び正造を主人公とした章全体の各被告書籍記述部分は、いずれも、対応する各原告書籍記述部分の翻案に当たるものとは認められない。
(5) まとめ
 以上のとおり、原告の主張は、別紙対比表1のbV1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)が同bV1の原告書籍記述部分の複製に当たり、被告Bが上記被告書籍記述部分を含む被告書籍を執筆し、被告講談社がこれを発行した行為が、上記原告書籍記述部分についての複製権侵害に当たるとの限度で理由があるが、その余の複製権侵害又は翻案権侵害に関する主張はいずれも理由がない。
2 争点2(被告らによる氏名表示権及び同一性保持権の侵害の成否)について(1) 原告は、被告書籍においては、原告書籍のうち別紙対比表1ないし3、仙之助及び正造を主人公とした章全体の各記述部分を複製又は翻案しておりながら、上記各記述部分の著作者である原告の氏名を表示していないから、被告Bが被告書籍を執筆し、これを被告講談社が出版物として発行、販売した行為は、原告の氏名表示権及び同一性保持権の侵害に当たる旨主張する。
 そこで検討するに、前記1の認定事実によれば、別紙対比表1のbV1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)は同bV1の原告書籍記述部分の複製に当たるところ、被告書籍(甲1)においては、上記被告書籍記述部分に係る上記原告書籍記述部分の著作者が原告であることの表示がされていないから、被告Bが被告書籍を執筆し、被告講談社がこれを発行、販売した行為は、著作物である上記原告書籍記述部分についての原告の氏名表示権侵害に当たるものと認められる。
 次に、別紙対比表1のbV1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)と同bV1の原告書籍記述部分とを対比すると、上記被告書籍記述部分は、上記原告書籍記述部分の記述の一部を改変したものと認められ、これが原告の意に反することは明らかであるから、被告Bが被告書籍を執筆し、被告講談社がこれを発行、販売した行為は、著作物である上記原告書籍記述部分についての原告の同一性保持権侵害に当たるものと認められる。
 しかし、前記1で説示したとおり、被告らは、原告書籍のうち、別紙対比表1のbV1の原告書籍記述部分以外の記述部分を複製又は翻案したものとは認められないから、上記原告書籍記述部分以外の記述部分に関する氏名表示権及び同一性保持権の侵害をいう原告の上記主張は、その前提を欠くものであって、いずれも理由がない。
(2) 以上のとおり、原告の主張は、被告らの前記(1)の行為が原告書籍のうち、別紙対比表1のbV1の原告書籍記述部分についての氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害に当たるとの限度で理由があるが、その余の氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害に関する主張はいずれも理由がない。
3 争点(3)(原告の損害額)について
(1) 被告らによる共同不法行為
 前記1及び2の認定事実によれば、被告らは、被告Bが被告書籍を執筆し、被告講談社がこれを発行、販売したことにより、別紙対比表1のbV1の原告書籍記述部分に関する原告の複製権、氏名表示権及び同一性保持権を共同して侵害したものであって、上記侵害について被告Bにおいては故意が、また、被告講談社においては少なくとも過失があったものと認められるから、被告らの上記行為は共同不法行為に該当するものと解される。
 したがって、被告らは、民法709条、719条により、原告に対し、連帯して、原告が上記共同不法行為により被った損害を賠償する義務があるというべきである。
(2) 原告の損害額
ア 著作権(複製権)侵害による財産的損害
(ア) 被告講談社が被告書籍を定価1600円で発行し、7430部販売したこと、被告書籍の本文が239頁あることは、前記第3の3(2)のとおり、当事者間に争いがない。
 この点に関し原告は、被告書籍の販売部数は少なくとも3万部である旨主張するが、本件証拠上、被告書籍の販売部数が7430部を超えることを認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被告講談社による被告書籍の販売額の合計額は、1188万8000円となる。
 (計算式・1600円×7430=1188万8000円)
(イ) そこで、上記(ア)の認定事実を前提に、被告らの複製権侵害に係る別紙対比表1のbV1の原告書籍部分についての使用料相当額を算定するに、被告書籍は序章から終章まで8つの章(前記第2の1(3)ア)から成り、その本文が全部で239頁に及ぶところ、上記原告書籍記述部分に対応する被告書籍記述部分は、第6章中の1箇所のみであり、しかも、2行のごく短い文章にすぎないことなどからすると、上記の使用料相当額は、被告書籍の販売額の合計額1188万8000円の約0.4パーセントに当たる5万円と認めるのが相当である。
(ウ) したがって、原告が被告らに対し、原告書籍記述部分の複製権侵害を理由として、著作権法114条3項に基づいて損害賠償を請求し得る損害額は、上記5万円である。
イ 著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害による慰謝料被告らによる著作者人格権の侵害態様(特に、前記ア(イ)のとおり、被告書籍のうち、侵害となる部分は極めて限られていること)、被告書籍の発行・販売部数、原告と被告らとの間における交渉経過、本件審理の経過、その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば、被告らの著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は5万円と認めるのが相当である。
ウ 弁護士費用相当額
 原告は、本件訴訟の追行のため弁護士費用の負担を余儀なくされたものであり、本件事案の性質・内容、本件訴訟に至る経過、本件審理の経過等諸般の事情にかんがみれば、被告らの著作権(複製権)侵害と相当因果関係のある弁護士費用相当額については、前記アの損害額5万円の2割に当たる1万円、また、被告らの著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害と相当因果関係のある弁護士費用相当額についても、前記イの慰謝料額5万円の2割に当たる1万円とそれぞれ認めるのが相当である。
エ よって、原告は、被告らに対し、著作権(複製権)侵害の不法行為による損害賠償として6万円、著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の不法行為による損害賠償として6万円の合計12万円及びこれに対する不法行為の日(被告書籍の第1刷発行日)である平成19年6月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
4 結論
(1) 前記1及び2によれば、原告の被告らに対する被告書籍の印刷等の差止請求は、別紙対比表1のbV1の原告書籍記述部分(下線部分)に関する複製権、氏名表示権及び同一性保持権に基づき、同bV1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)を削除しない限り、被告書籍の印刷、発行又は頒布をしてはならないことを求める限度で差止めの必要があるものと認めるのが相当である。
(2) 以上によれば、原告の請求は、被告らに対し、原告書籍についての著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)に基づき、著作権法112条1項により、被告書籍のうち、別紙対比表1のbV1の被告書籍記述部分(前段の下線部分)を削除しない限り、被告書籍を印刷、発行又は頒布してはならないことを求め、上記著作権(複製権)侵害及び上記著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害の不法行為による損害賠償として12万円及びこれに対する平成19年6月5日から支払済みまで年5分の割合による金員の連帯支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余は理由がないからこれを棄却することとし、差止請求部分についての仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 大鷹一郎
 裁判官 大西勝滋
 裁判官 関根澄子


別紙 書籍目録
1 題号 「破天荒力箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」
 著者 B
 発行所 株式会社講談社 2007年(平成19年)6月5日第1刷発行
2 題号 「箱根富士屋ホテル物語【新装版】」
 著者 A
 発行者 株式会社トラベルジャーナル 2002年(平成14年)4月27日第1刷発行

別紙 対照表(抜粋)
  破天荒力   物語
No.71

218頁後から5行目〜4行目
のちに孝子はスコットランド人実業家と再婚したが、正造が再婚することはなかった。彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。

150頁8〜9行目
のちに孝子は、スコットランド人実業家メートランドと再婚しミメートランド・孝子となる。

217頁1行目
富士屋ホテルと結婚した男
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二度と結婚をしなかったのは、正造が富士屋ホテルを結婚相手だと考えていたからではないかと私は思う。そう、正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。
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