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【事件名】経済学論文の共同著作事件 【年月日】平成21年6月25日 東京地裁 平成19年(ワ)第13505号 著作権侵害差止等請求事件 (口頭弁論終結日 平成21年4月16日) 判決 原告 A 同訴訟代理人弁護士 鈴木仁 被告 B 同訴訟代理人弁護士 富岡英次 同 外村玲子 同 佐竹勝一 主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告は、別紙被告論文目録記載の各論文を発行し、販売し、贈与し、又は頒布してはならない。 2 被告は、国立国会図書館及び国立大学法人一橋大学に対し、それぞれの所蔵する別紙被告論文目録記載の各論文につき、閲読禁止の措置を申し出よ。 3 被告は、別紙広告文目録記載の広告文を日本経済新聞の全国版朝刊の社会面に掲載せよ。 4 被告は、原告に対し、金50万円を支払え。 第2 事案の概要 本件は、別紙原著目録記載1の論文(以下「本件原著1」という。)及び同目録記載2の論文(以下「本件原著2」という。また、本件原著1及び本件原著2を併せて「本件各原著」ということがある。)を被告と共同執筆した原告が、被告において本件各原著の一部を原告に無断で使用した別紙被告論文目録記載1ないし3の各論文(以下、目録に付された番号に従い「被告論文1」などという。また、被告論文1ないし3を併せて「被告各論文」ということがある。)を作成し、これらを含む論文(“Economic Analysis of Justice”。以下、学位請求論文全体を「本件博士論文」という。)を、経済学博士の学位請求のため、被告の論文として一橋大学(現在は、国立大学法人一橋大学。以下、特に区別せず「一橋大学」という。)に提出したことは、本件各原著に係る原告の著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び公表権)を侵害する行為であるとして、被告に対し、著作権法112条、115条に基づき、被告各論文の発行等の差止め、国立国会図書館及び一橋大学に対する被告各論文の閲読禁止の措置の申出、全国紙への謝罪広告の掲載を求め、不法行為による損害賠償として、弁護士費用相当額50万円の支払を求める事案である。 1 前提となる事実等(認定事実については末尾に証拠を掲記する。) (1)当事者 ア 原告は、千葉大学の教授である。 イ 被告は、早稲田大学の教授である。 (2)本件各原著 ア 被告は、平成2年ころ、原告と一橋大学のC教授(以下「C教授」という。)との共同研究論文にコメントをしたことをきっかけに、原告から誘われ、原告とC教授との共同研究に参加し、3人で「公共財の蓄積と政治システムの変遷」というテーマで共同研究論文を作成した。 被告は、平成5年ころから、原告と共に、本件原著1及び本件原著2の基となる「私的財の蓄積と政治システムの変遷」というテーマの研究(以下「本件共同研究」という。)を開始した。 イ 原告と被告は、本件共同研究について議論を重ね、研究論文の草稿を作成し、これに加筆修正を加え、完成させていった(本件原著1は、草稿に加筆修正が加えられたものの一形態であり、平成7年5月当時に作成されたディスカッションペーパーである。なお、加筆修正の経過を問わず、本件原著1に関する共同研究論文を「本件共同研究論文1」ということがある。)。本件原著1(本件共同研究論文1)は、主として被告が執筆を担当した。 ウ 平成7年ころから、原告と被告は、本件共同研究論文1とは異なる条件を前提としてモデルを修正した場合にも本件共同研究論文1と同様の結果が成立するのか否か、さらに、「私的財の蓄積に伴う政治システムの変遷」についての議論を行うようになり、研究論文の草稿を作成し、これに加筆修正を加え、完成させていった(本件原著2は、草稿に加筆修正が加えられたものの一形態であり、平成8年8月当時に作成されたディスカッションペーパーである。なお、加筆修正の経過を問わず、本件原著2に関する共同研究論文を「本件共同研究論文2」ということがある。)。本件原著2(本件共同研究論文2)は、主として原告が執筆を担当した。 エ 本件原著1及び本件原著2は、いずれも、原告と被告が共同で作成した共同著作物である。 原告と被告は、本件各原著について、本件原著1についての出版(Publish)に向けた活動を被告の担当とし、本件原著2についての出版(Publish)に向けた活動を原告の担当とする旨を合意した。 オ 被告は、平成16年、上記合意に基づき、本件原著1を修正した論文「The state of Nature and Property Rights Systems」を投稿し、同論文が「The Waseda Journal of Political Science and Economics 3552004」(以下、同誌を「早稲田政治経済学雑誌」という。)に掲載された。 (甲6、乙5、17、弁論の全趣旨) (3)本件博士論文 ア 被告は、平成9年9月、一橋大学に対し、被告論文1ないし3を含む本件博士論文を被告の論文として提出し、経済学博士の学位を請求した。 本件博士論文は、下記の各章で構成されており、被告論文1は本件博士論文のうち第2章に、被告論文2は本件博士論文のうち第3章に、被告論文3は本件博士論文のうち第4章に、それぞれ相当する部分である。 記 1 Prologue 2 State of Nature 3 Property Rights Systems and the Protection Cost 4 A Model of Hobbesian Economy 5 The Dynamic Transformation of Political Systems through Social Contract 6 Justice and Sen's Paradox 7 Two Resolutions of Gibbardian Libertarian Paradox 8 An Axiomatic Approach to Libertarian Rights-Assignment 9 Three Resolutions of Libertarian Paradox Reconsidered:An Axiomatic Approach 10 Justice under Interpersonally Comparable Welfare Levels 11 Impossibility Theorems with Interpersonally Comparable Welfare Levels 12 Libertarian Rights-Assignment on the Base of Interpersonal Welfare Comparison 13 Epilogue イ 本件博士論文による学位請求が認められ、被告は、平成10年1月、一橋大学博士(経済学)の学位を授与された。 ウ 本件博士論文は国立国会図書館及び一橋大学において一般の閲読に供されている。 (甲4、5、乙1、5、17、弁論の全趣旨) (4)被告各論文における本件各原著の複製 ア 別紙一覧表において番号1ないし29で特定された被告論文1ないし3の各該当部分は、同表において番号1ないし29で特定された本件原著1及び本件原著2の対応する番号の各該当部分に依拠して作成されたものである。 イ 別紙一覧表において番号1ないし29で特定された被告論文1ないし3の各該当部分は、同表において番号1ないし29で特定された本件原著1及び本件原著2の対応する番号の各該当部分の複製に当たるものと認められる(なお、この点については、当事者間に争いがない。)。 2 争点 (1)原告が本件原著1の著作権(複製権)を有するか否か(争点1) (2)被告による本件各原著に係る著作権(複製権)侵害の成否・原告による承諾の有無(争点2) (3)被告による著作者人格権(氏名表示権及び公表権)侵害の成否(争点3) (4)被告各論文の発行等の差止め、被告各論文の閲読禁止の措置の申出の要否(争点4) (5)謝罪広告の掲載の要否(争点5) (6)損害の有無及び額(争点6) 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点1(原告が本件原著1の著作権(複製権)を有するか否か)について 〔原告の主張〕 (1)本件原著1の改訂版である論文は、平成16年ころ、早稲田政治経済学雑誌に掲載され、公表された。 (2)早稲田政治経済学雑誌の論文等投稿規程には、本件原著1の改訂版である論文の投稿当時から、「採用された論文等の著作権は、早稲田大学政治経済学会に帰属するものとする。」と規定されていたようである。 しかしながら、原告は、上記論文の投稿については了解していたものの、投稿手続の一切を被告に委ねていたため、投稿当時、上記規定の存在を知らなかったから、上記論文の著作権を譲渡する意思を有していなかった。 したがって、本件原著1に係る原告の著作権が早稲田大学政治経済学会に譲渡されたとすることはできない。 〔被告の主張〕 (1)本件原著1の改訂版である論文が掲載された早稲田政治経済学雑誌の論文等投稿規程(乙29)には、「『早稲田政治経済学雑誌』は、354号以降、投稿制の査読誌に移行するに伴い、以下の要領で原稿を募集する。3.著作権について採用された論文等の著作権は、早稲田大学政治経済学会に帰属するものとする。」と記載されている。 (2)そして、以下の事情に照らせば、原告は、被告に対して、本件原著1に係る論文が早稲田政治経済学雑誌に掲載された場合には、同論文の著作権を早稲田大学政治経済学会に譲渡することをあらかじめ同意することを含め、投稿手続を委ねたものと解することが相当である。 ア 原告と被告は、本件原著1については被告が、本件原著2については原告が、それぞれ責任をもって公刊(publish)に向けた活動を行っていくことを合意していた。 この合意は、それぞれが担当した論文の公刊(publish)に向けた活動について、発表に適切な時期、発表の場、投稿先の選定、申請、投稿に伴う手続、公刊までの準備、誤字脱字の修正、担当者との連絡等を特に定めず、包括的、全面的に互いに任せるというものであった。 そして、被告は、原告との上記合意に基づき、平成7年6月から平成15年10月までの間、多くの経済学会やセミナーにおいて、本件共同研究論文1(本件原著1)に関する報告をし、平成16年に、本件原著1の改訂版である論文を早稲田政治経済学雑誌に掲載させ、公刊(Publish)をすることに成功した。 イ 被告が本件原著1の改訂版である論文を早稲田政治経済学雑誌に投稿した当時、多くの学術雑誌等の学術論文の投稿に関する規程において、投稿者が著作権を雑誌主催者等に譲渡することを条件とする旨の規定があり、これが投稿者の常識となっていた。 2 争点2(被告による本件各原著に係る著作権(複製権)侵害の成否・原告による承諾の有無)について 〔被告の主張〕 (1)学界の慣行 ア 経済学界に限らず、医学、工学、理学等の各分野において、研究者が研究成果をより迅速かつ効率的に達成するため、他の研究者と協力して、相互の役割分担、意見交換を活用する共同研究が広く行われている。かかる共同研究は、ディスカッションペーパー(「ワーキングペーパー」ともいう。)としていったんまとめられた上で、共同研究者が何度も議論を重ねて、修正を繰り返し、その途中で学会、研究会等で発表され、その学会、研究会等での評価、他の研究者からの意見を踏まえて、更に加筆修正が加えられる。その間、共同研究者は、直接会って議論するだけでなく、それぞれが自由にディスカッションペーパーに修正を加え、修正箇所が分かるようにした上で、互いに送付して意見を求める等して、議論を進める形をとるのが一般的である。 このようにして作成された共同研究のディスカッションペーパーの内容は、共同研究の成果であるから、共同研究者は、共著論文が専門雑誌に掲載され、出版されることを最大の目標とする。 しかしながら、専門雑誌への掲載、出版までには、厳しい審査を受け、批判を受けた部分についての修正等により、相当の時間を要する場合も少なくない。学術研究の発展は日進月歩であるから、共同研究の成果であるディスカッションペーパーの内容を各共同研究者が、専門雑誌への掲載、出版までの間に使用することができないというのでは、共同研究の成果を利用した更なる研究の発展は期待することができない。 そのため、学界等においては、共同研究成果内容を紹介し、共同研究成果をそれぞれの研究分担者が独自に発展させる研究成果を報告する場合には、依拠する共同研究成果がまとめられたディスカッションペーパーを明記した上で、学会発表等に使用することが慣行となってきた。 そして、上記のように、依拠する共同研究成果を明記した上で共同研究者が共同研究論文における成果を利用することができるというのは暗黙の了解事項であり、特別の事情がない限り、改めて他の共同研究者の承諾をもらうことは行われていなかった。 イ ところで、論文を書籍として出版する場合、引用されるディスカッションペーパーがこれに先んじて雑誌等に掲載されていることが必要である。引用される論文が先んじて雑誌等に掲載され出版されていないと、読者は引用されているディスカッションペーパーを参照することができず、また、ディスカッションペーパー自体の出版が学問的に無意味となり、共同研究者が、自らの著作物又は研究成果として出版等する機会を失いかねないからである(ただし、研究成果がディスカッションペーパーとしてまとめられ、その存在が多くの研究者の知るところとなっていれば、雑誌等に掲載され出版されていなくても引用が可能となることがある。)。 他方、このような出版上の問題を生じることがない場合、例えば、学会等における発表資料の作成や学位論文への使用については、共同研究者各自は、共同研究の成果であることを明らかにした上で、共同研究者の承諾を特に要せず、自由にディスカッションペーパーの内容を利用することができるものとされてきた。博士論文とは、博士号請求のために審査してもらうための論文であり、その論文が後日必ず出版されなくてはならないというものではなく、また、特別に特定の学者の学位論文がどのようなものであったのかを調査しない限り、閲読することも困難なものである。したがって、少なくとも経済学界等の慣行から考えれば、共同研究者は、ディスカッションペーパーを利用して博士論文を作成、提出するに当たり、改めて他の共同研究者の明示的な承諾を得る必要はないと一般的に考えられてきた。 ウ 共同研究論文での研究成果を利用する場合、その事情を示す方法としては、「〜の論文に基づいています。」、「詳細は、〜の論文にあります。」(邦文論文の場合)、「depends on 〜」(英文論文の場合)などと論文冒頭の謝辞や脚注に記載することが一般的であり、それで十分足りるものと考えられてきた。 実際にも、国内外を問わず、多数の書籍、論文において、共同研究、共同ワーキングペーパーが単独著者名の書籍、論文中の1章として、改訂、修正されて利用されている。そして、共同研究を部分的に改訂、修正して利用した場合や、一部利用の場合であっても、元の共同研究のどの部分を改訂修正したのか、あるいは、どの一部分を利用したのか等を個別に記載することなく、「〜との共同研究の一部である」、「〜との共著「○○」を一部改訂したものである」などと記載されるのみで利用されているのである。 (2)本件共同研究の経緯等 被告は、平成2年ころ、原告と一橋大学のC教授との共同研究論文にコメントをしたことをきっかけに、原告から誘われ、原告とC教授との共同研究に参加し、3人で「公共財の蓄積と政治システムの変遷」というテーマで共同研究論文を作成した。 被告は、平成5年ころから、原告と共に、本件各原著の基となる「私的財の蓄積と政治システムの変遷」というテーマの研究(本件共同研究)を開始した。 原告と被告は、本件共同研究に関して議論を重ね、まず、原告が議論をまとめ、被告がこれを基に加筆、修正を加えて草稿(本件原著1の基になるもの)を作成した。その後、原告と被告は本件共同研究に関し更に議論を重ね、電子メールや電話などで意見を交換しながら、草稿に加筆修正を加えて、論文を完成させていった(本件原著1は、平成7年5月当時に作成されたディスカッションペーパーである)。 平成7年ころ、原告と被告は、本件共同研究論文1とは異なる条件を前提として、モデルを修正した場合にも、上記論文と同様の結果が成立するか否か、さらに、「私的財の蓄積に伴う政治システムの変遷」について議論を行うようになった。この議論については、まず、原告が草稿(本件原著2の基になるもの)を作成した。その後、原告と被告は更に議論を重ね、電子メールや電話などで意見を交換しながら、草稿に加筆修正を加えて、論文を完成させていった(本件原著2は、平成8年8月当時に作成されたディスカッションペーパーである。)。 (3)原告の承諾 ア 慣行に基づく原告の承諾 (ア)被告は、平成7年から平成8年ころには、原告に対し、学会等への発表に本件共同研究に関する論文を利用したいという意思を伝え、原告もこれを承諾した。 実際に、被告は、原告の了承の下、平成7年6月ころから、学会等において、本件共同研究論文1の報告をし始めた。 (イ)上記のとおり、学界においては、依拠する共同研究成果を明記した上で、共同研究者が共同研究論文における成果を利用することができることは暗黙の了解事項であり、特別の事情がない限り、改めて他の共同研究者の承諾をもらうということは行われていなかった。 そして、学界において、博士論文に共同研究の成果であるディスカッションペーパーが利用されることは珍しくなく、共同研究の成果を博士論文に利用することができることは暗黙の了解事項であり、共同研究者は、ディスカッションペーパーを利用して自らの博士論文を作成し、提出するに当たり、改めて他の共同研究者の明示的な承諾を得る必要はなかった。 (ウ)このような学界の常識に照らせば、原告の上記「利用の承諾」は、博士論文への利用の承諾をも当然に含むものであったといえる。 したがって、原告は、遅くとも、本件共同研究の成果が一応の形となった、平成7年(本件原著1の作成当時)、平成8年(本件原著2の作成当時)ころには、被告に対し、これらを被告の博士論文に利用することを含め、本件共同研究に係る論文の利用を承諾していたものである。 イ 本件博士論文の提出に当たっての原告の承諾 (ア)被告は、平成8年10月ころ、当時勤務していた福岡大学において博士課程の授業を持とうとした。その際、被告は、博士課程の学生に授業を行うためには、自らが博士号を取得している必要があることを知り、博士号を取得する現実的な必要性に迫られた。 そこで、被告は、同年11月ころから、博士論文の構想を練り始め、それまでに被告が取り組んできた研究(多くは他の研究者との共同研究であり、その中には、原告との本件共同研究も含まれる。)を利用し、これらの研究をまとめて博士論文にすることを考えた。 同年12月、共同研究者の一人である一橋大学のD教授(以下「D教授」という。)に、共同研究をまとめて博士論文として提出することを相談した上で、原告との本件共同研究、原告及びC教授との共同研究、関西大学のE教授(以下「E教授」という。)との共同研究、D教授との共同研究に共通する「正義の経済分析」というテーマを設定し、このテーマに関連付けてこれらの共同研究を体系的に整理して博士論文を作成することを決めた(本件博士論文の第5章には、C教授及び原告との共同研究論文が、第8、第9、第11及び第12章には、E教授との共同研究論文が、第7章には、D教授との共同研究論文が利用されている。)。 被告は、平成9年1月から、学位請求のための博士論文の作成を開始し、同年7月ころには博士論文を完成させて、同年9月12日学位請求のために本件博士論文を一橋大学に提出した。 (イ)被告は、博士論文に他の研究者との共同研究論文を利用することにしたため、各共同研究者にその旨話をしておく必要があると考えた。 そこで、被告は、平成8年12月以降平成9年9月12日までの間、学会、研究会、特別講義等の各種の催し、その準備のための連絡等の機会に、直接会い、あるいは、電話や電子メールで連絡を取った際に、原告を含め各共同研究者に対し、博士論文に共同研究論文を利用することを伝え、原告を含め各共同研究者から、共同研究の成果として共同研究に依拠することを示した上で博士論文に利用することについて、承諾を得た(なお、当時、被告は、原告との間で、電話や電子メールなどで頻繁に連絡を取り合っていた。)。 (ウ)原告が博士論文への利用を承諾していたことを裏付ける事情 a 本件博士論文の提出前後の原被告間の関係 被告は、本件博士論文を平成9年9月に一橋大学に提出する直前である同年7月に、原告の承諾の下、関西大学で開催された学会において、本件共同研究論文1の報告を行い、その後も、平成10年、平成11年に、原告の承諾の下、学会において、同様の報告を行った。また、平成12年には、原告に勧められて、被告を代表者とする科学研究の申請をするに際し、被告から原告に手続等について尋ねるなど、原被告間で頻繁に電子メールのやりとりをしていた。 さらに、被告は、原告から「しばらくたっていますから、一度、お会いして、方針を決めたいと思いますが、ご都合は如何でしょうか。」(乙27の添付メール10)との誘いを受け、同年12月5日、原告と面談して、本件各原著の公刊(Publish)をどのようにしていくかについて話し合った(乙27の添付メール11、12)。 以上のとおり、本件博士論文を提出した平成9年9月の前後において、原告と被告との関係は良好であったのであり、かつ、頻繁に連絡を取り合っていた。被告は、このような機会に、原告から本件各原著を博士論文に利用することについて承諾を得たのである。 被告は、本件博士論文に収録した他の共同研究論文の共同研究者から承諾を得ており、原告からだけ承諾を得なかったとは考えられない。 b 被告が博士論文を作成する意思を有していることを原告が知っていたこと 被告は、学者になった当初から、将来、学位請求のための論文を作成する意思を有していた。 そして、原告は既に学位を取得していたことから、原告と被告との間において、被告も早く学位をとらなければならないという内容の会話がされており、原告においても、被告が将来学位を取得する意思を有していることを認識していた。原告は、当時被告が最も力を注いでいたテーマが本件共同研究を含むものであることを認識しており、被告が博士論文を作成するとすれば、当時の経済学界の慣行に従って、本件共同研究の成果を利用することも当然に予想していたはずである。 しかしながら、原告は、被告に対し、被告が本件共同研究の成果である論文を博士論文に利用することについて、留保や異議があることを示したことはない。 c 原告も、本件原著1を被告の博士論文に利用することを承諾していたことを認めていること (a)原告は、博士論文を作成するに当たり本件原著1を引用することを被告に承諾したという事実がある旨主張する。「引用」が著作物の利用に該当することは明らかであるから、原告の上記主張は、要するに、原告が被告に対し、本件原著1を利用した博士論文を作成することを承諾していたことにほかならない。 本件原著1を利用した博士論文の作成を承諾しながら、本件原著1と連続する共同研究の成果であり、相互に連続する内容を有する本件原著2(本件原著1と本件原著2は、共通のテーマの下に、異なる条件を前提としてモデルを修正した場合にも、同様な結果が成立するのか否かを考察するという関係にある。本件原著1のみでは極めて限定的な現実から離れた条件での議論ということになり、他方、本件原著2のみでは前提が十分に伝わらない議論になってしまうのであり、原告と被告は、両者を内容として一体のものと理解していた。)については利用の承諾を留保(あるいは、利用を禁止)しなければならない理由はない。 以上の点からも、原告が被告に対し、本件原著1のみならず、本件原著2についても、博士論文を作成するために利用し、博士論文を学位請求のために大学に提出することを承諾していたことが分かる。 (b)原告は、本件原著1を被告の博士論文に利用することを承諾したまでであり、本件原著2の利用については全く知らなかった旨主張するものの、本件原著1のみならず本件原著2も博士論文に利用しようと考えていた被告が、本件原著1についてのみ原告の承諾を求めるはずはない。 (c)被告は、原告から利用を承諾する部分は本件原著1に係る論文だけであると限定されたことも、本件原著2に係る論文の利用について異議を述べられたことも、あるいは、承諾を留保する意思を伝えられたこともなかった。 (d)なお、被告の博士論文についての構想内容、原告と被告との関係、学界の慣行に照らして、被告が著作権法32条に規定される「引用」の形態での利用についてのみ原告に承諾を求めたとは考えられないし、また、原告が利用方法を限定し、著作権法32条に規定される「引用」の形態に限定して承諾をしたこともない。 d 電子メール(乙4)の記載 (a)原告において、被告が本件博士論文に本件原著1及び本件原著2を利用することを承諾していたことは、原告が被告に宛てた電子メール(乙4。以下「本件電子メール」という。)に、「我々の共同論文2本(貴兄担当分と小生担当分)を、早いところ、どのジャーナルでも良いからpublishしてしまいませんか(高望みせずに)?publicationが宙ぶらりんですと、いつまでも貴兄の博士論文が出版できませんから。」と記載されていることからも明らかである。 (b)原告は、本件博士論文の内容を知らず、本件原著2については、本件博士論文に利用されていることすら全く知らなかった旨主張する。 しかしながら、原告の上記主張は、本件電子メールの記載内容と相反する不自然なものである。本件原著1及び本件原著2が本件博士論文に利用されていることを知らなかったとすれば、本件各原著をpublishすることを急がせる必要はなく、原告が本件各原著をpublishすることを提案する内容の本件電子メールを被告に送信する必要もなかったのである。 本件電子メールの内容に照らせば、原告は、本件各原著が本件博士論文に利用されていることを知っていたといえ、しかも、これに特段の異議を述べていないのであるから、本件各原著が被告の博士論文に利用されることについて承諾していたことは明らかである。 (c)原告は、本件電子メールの記載について、「本件原著2については、これから本件原著2を被告と原告との共著として出版しようではないか」という趣旨であった旨主張する。 しかしながら、被告と原告は、既に平成8年末ころには、本件各原著(本件共同研究論文1、2)の専門雑誌掲載を目指して、本件原著1については被告、本件原著2については原告とその役割分担を決め、学会発表やセミナーの開催、その他の機会をとらえて、研究内容を紹介し、publishに向けて努力をする旨約束していた。 したがって、原告が、平成12年11月になって、初めて本件原著2に係る論文を一緒に出版しようと被告に提案するはずはなく、本件電子メールの記載が、本件原著2に係る論文を一緒に出版しようと被告に提案する趣旨のものであったとは考えられない。 (エ)以上によれば、被告は、平成8年12月以降において、原告から、本件共同研究に係る論文の全体、すなわち、本件原著1及び本件原著2を利用して博士論文を作成することについて承諾(少なくとも黙示的承諾)を得ていた。 ウ 平成8年3月までに成立していた原被告間の利用許諾合意 (ア)原告による本件各原著の利用 原告は、文部科学省からの補助金を得て研究を行う「科学研究費補助金基盤研究」の成果について報告するため、以下の報告書を提出した。 a 「経済体制の成立と崩壊の動学モデル分析」と題する平成7年度科学研究費補助金研究成果報告書(平成8年3月)(以下「原告報告書1」という。) b 「私的所有権の生成と発展の動学モデル分析」と題する平成8年度ないし平成9年度科学研究費補助金研究成果報告書(平成10年3月) (以下「原告報告書2」という。) (イ)原告報告書1 原告報告書1には、その表紙に「研究代表者A(千葉大学法律経学部助教授)」と表示されているものの、その他の研究者、著者の表示はない。 先頭頁の「はしがき」の研究分担者にも被告の氏名の記載はないものの、最下欄に「研究発表口頭発表(A・B,Property Rights System and the State of Nature. 理論計量経済学会西部部会、平成7年6月3日」と記載されている。「はしがき」の記載中には、「・・・本報告書は平成7年度理論計量経済学会西部部会で口頭発表された論文(Property Rights System and the State of Nature)を加筆訂正したものである・・・」と記載されているものの、被告との共著であることの記載はない。 原告報告書1の報告内容本文の冒頭頁には、「Property Rights System and the State of Nature by A and B」と記載されている。原告報告書1の内容は、本件原著1を一部訂正しているほかは、そのまま使用している。 原告報告書1は、国会図書館に保管されており、一般の閲覧に供されている。 (ウ)原告報告書2 原告報告書2には、その表紙に「研究代表者A(千葉大学法経学部助教授)」と記載されているのみで、他の著者、研究者の氏名は表示されていないものの、中表紙には、研究分担者として被告の氏名が記載されている。 原告報告書2の内容は、本件原著2をその表題の変更も含め一部訂正しているほかは、そのまま使用している。 原告報告書2は、国会図書館に保管されており、一般の閲覧に供されている。 (エ)被告の認識 被告は、原告が科学研究費補助金を受けて本件共同研究を行うことについては認識していたものの、本件各原著をほとんどそのまま利用して報告書として提出すること、その内容の一部を改変すること、国会図書館に保管されて、一般の閲覧に供されること等については、原告から全く知らされていなかった。 このことは、原告においても、被告と同様、本件共同研究の成果である本件各原著を自由に使用することができるという認識を有していたことを示すものである。 (オ)原告は、原告報告書1及び原告報告書2のほかにも、「A Dynamic Model of the State of Nature with Investment Opportunities」(March 2007)と題する論文を、平成19年7月に、原告の単独の著作者表示で報告している。上記論文は、本件原著2の改訂版の一部を、引用であることを示すことなく利用している。このことも、原告が本件各原著を、自己の研究成果を示す論文に自由に使用することができると考えていたことを示すものである。 (カ)以上に照らせば、原告と被告との間には、遅くとも平成8年3月には、本件共同研究の具体的な成果である本件原著1及び本件原著2を、各自の研究に自由に使用することについての合意があったといえる。 (4)本件博士論文における本件各原著の利用態様 ア 本件博士論文においては、その第2章ないし第4章に本件各原著が利用されている。その際、本件各原著のどの部分を利用したかは個別に記載されていないものの、原告と被告との共同研究である本件各原著を利用していることが記載されている。 被告は、経済学界の上記慣行に従い、本件共同研究の成果としてのディスカッションペーパー(本件原著1及び本件原著2)を、修正の上、出版の問題が生じない学位論文に共同研究の成果に基づくものであることを明示して利用している(甲5には、「ここで提示されたモデルはいずれもB氏とその共同研究者(C氏・A氏)に独自のものである。」、「B氏の貢献は、それぞれ異なるチームによる共同研究の成果を纏めたものであって、B氏単独の研究はこれらの共同論文の拡張という姿で報告されている。」などと記載されている。)。 イ 本件博士論文における本件各原著の利用態様は、原告の承諾の範囲内のものであるから、被告各論文は、本件各原著に係る原告の複製権を侵害するものではない。 〔原告の主張〕 (1)被告の主張は否認する。 (2)本件原著2についての承諾の事実がないこと ア 原告と被告との間には、本件原著1についての主たる起案作業及びその出版に向けた活動については被告の担当とし、本件原著2についての起案のほとんど全部及びその出版に向けた活動については原告の担当とする旨の役割分担が合意されていた。 原告は、被告の本件原著1の担当者としての役割を尊重する趣旨で、被告が本件原著1をその博士論文に引用することを承諾していた。 イ 他方、本件原著2については、本件原著1の場合と異なり、被告は特段の役割を担っていなかった。 本件原著2については、被告の貢献度は無きに等しいのであり、被告の博士論文に関するものと否とを問わず、被告による本件原著2の利用については、当時、原告と被告との間で話題に上ることすらなかった。 したがって、原告が被告に対し、本件原著2を被告の博士論文に利用することを承諾したことはないのである。 ウ 被告は、本件原著1について承諾があったにもかかわらず、本件原著2について承諾がないというのは不自然であるから、本件原著2についても承諾があったはずである旨主張する。 しかしながら、原告が被告に対し、本件原著1を引用することを認めながら、本件原著2については何らの承諾を与えなかったのは、当時、両者の間で出版に向けた活動について、本件原著1の担当は被告、本件原著2の担当は原告という役割分担があったことや、本件原著1が論文の形を成すについては被告が、本件原著2が論文の形を成すについては原告が、それぞれ起案したという経緯があったことから、原告は本件原著1の担当であった被告の労に報いるべく、本件原著1に限り、引用を承諾したからにすぎない。 本件原著2については、担当が原告であったことから、本件原著2についての引用の承諾その他のことが両者間の話題に上ることすらなかった。 (3)本件博士論文における本件原著1の利用は、承諾の範囲を超えるものであること ア 上記のとおり、原告は、被告の本件原著1の担当者としての役割を尊重する趣旨で、被告が本件原著1をその博士論文に引用することを承諾していた。 イ ここに、原告が承諾していた「引用」とは、著作権法が規定する要件を備える適正な引用を意味することは言うまでもない。 そうであるとすれば、引用することについての原告の承諾は、法的には必要がなかったということになる。 しかし、法的には必要がなかったということになるとしても、共同研究者間における、いわば道義として、共著論文の無断の引用がされるべきではなく、原告が引用を承諾していたことによって道義に反することにもならないという意味がある。 ウ 「引用」というためには、公正な慣行に合致し、引用の目的上、正当な範囲内のものでなければならない。 しかしながら、本件博士論文における本件原著1の利用の仕方は、公正な慣行に合致し、引用の目的上正当な範囲内のものであるとはいえず、原告が承諾していた範囲を超え、態様を異にするものである。 (4)本件電子メール(乙4)の記載について ア 本件電子メールの記載は、当時、本件原著1、本件原著2のいずれについてもPublishが未了であったことから、原告は、被告に対し、前段において、本件原著1と本件原著2のPublishを急ぐべきことを提案し、そして、後段においては、当時、原告が認識していたとおり、本件原著1が被告の博士論文に引用されているであろうということを前提に、本件原著1のPublishが未了のままでは、本件原著1を引用した被告の博士論文を出版することができないということを、本件原著1のPublishを被告に催促する理由として説明しようとしたものである。 原告と被告との間には、共通の事実認識があることを前提に本件電子メールは記載されているのであり、そのため、原告は、後段が本件原著1についてのみの話であることを、わざわざ記載しなかったというにすぎない。 イ 本件原著1については、被告がこれを引用して博士論文を作成したのであるとすれば(原告は、当時、被告の博士論文を読んだことはなかったので、被告が本件原著1を引用して博士論文を作成していると考えていた。)、まずは、本件原著1が出版され、その後に、被告の博士論文が出版されるというのが、しかるべき順序であり、本件電子メールにおいては、原告は、被告がその博士論文を出版しようとしているのであれば、本件原著1の出版を先行させる必要があるということを述べたのである。 これは、仮に、被告の博士論文が先に出版されてしまうと、その読者は、被告の博士論文が引用している論文の原典、すなわち、本件原著1を読むことができず、博士論文における引用の位置付け、意味合い等が不明瞭になるという支障が生じるからである。 他方、「我々の共同論文2本」のうちの1本、すなわち、本件原著2についての出版の提案とは、これから本件原著2を原告と被告との共著として出版しようではないかという趣旨のものである。 当時、原告としては、本件原著2については、被告に対し、引用その他について何らの承諾を与えたことはなかったから、本件原著2が無断で既に本件博士論文に利用されているなどとは全く思っていなかったのである(原告は、被告が本件博士論文に本件各原著を複製して利用していたことを全く知らなかったものの、被告が別件訴訟(東京地方裁判所平成18年(ワ)第10367号)において、被告の博士論文に本件各原著を利用することについて原告が承諾していた旨の陳述書を提出したため、本件博士論文を確認し、被告による本件各原著の複製の事実を初めて知ったものである。)。 (5)学界の慣行について ア 被告は、経済学界においては、共同研究の成果であるディスカッションペーパーを利用するに当たり、改めて他の共同研究者の承諾を得る必要はないという慣行が存在していた旨主張する。 しかしながら、過去現在を問わず、被告の主張に係る慣行の存在は認められない。 このような慣行があるとすれば、およそ共同研究に従事している経済学者に対しては著作権法の保護が及ばないというに等しいのであり、少なくとも、かかる慣行が、公の秩序に関する規定である著作権法に優先することはない。 イ ディスカッションペーパーについて、その内容が研究の中間生産物的なものであること、その目的が研究仲間に広く配布して意見を求めるところにあること、これが共著のものとしても、上記の目的のために用いる限りは、逐一、他の共同研究者の承諾を得る必要がないことは、被告が主張するとおりである。 しかしながら、上記の点から、ディスカッションペーパーを自らの博士論文の作成に利用するに当たり、他の共同研究者の承諾を得る必要がないということにはならない。 (6)原告と被告との関係について 本件各原著が作成されるに至った本件共同研究の経緯は、本件各原著を被告の博士論文の作成に利用することについて原告の承諾があったとする点を除き、おおむね被告の主張するとおりである。 当時、原告と被告は、本件共同研究を進めていたのであるから、両者の間に、多数回の面談や連絡があったことは当然である。 しかしながら、上記事実が、承諾に関するやりとりが原告と被告との間でされたことを推認し得る事情であるとはいえない。 (7)原告による本件各原著の利用について ア 原告報告書1、2について 本件共同研究が補助金の交付を受けていたことは被告も認識していた。 一般に、補助金の交付を受ける以上、研究成果の報告が必要であること、研究成果を効率よく報告するためにはディスカッションペーパーをそのまま添付する場合もあることについては、研究者としては当然に想定すべき範囲内のことである。 したがって、原告が原告報告書1及び原告報告書2に、本件各原著の改訂版を添付して提出することについては、被告においても、当然にあり得ることとして想定する範囲内のことであったというべきである。 また、原告は、原告報告書1及び原告報告書2において、それぞれの第1頁を見ても明らかなとおり、ディスカッションペーパーを原告と被告との共著のものとして添付している。これに対し、被告による本件各原著の本件博士論文への利用は、原告の予想だにしない利用態様で、かつ、共著によるものを単著として用いたものであり、原告が原告報告書1及び原告報告書2において、本件各原著を利用したことと同列に論じることはできない。 イ 原告の単著論文(乙23)について 原告の単著論文(乙23)と本件原著2を改訂した論文(乙24)との間には、一部類似した部分がある。 これは、研究論文においては、共通する研究課題について、過去の研究が到達した地点までの各論文を摘示、紹介した上で、その先に進むということが行われているためである。 原告が単著の論文を作成するに当たって摘示、紹介した各論文と、原告と被告とが本件原著2を改訂した論文(乙24)を作成するに当たって摘示、紹介した各論文とは、過去の研究が到達した地点という限りで共通しており、かつ、過去の論文を摘示、紹介するについて常套となっている学界的言回しがあるため、同一の表現が存在しているにすぎない。 原告の単著論文(乙23)と本件原著2の改訂論文(乙24)との間に一部類似する部分があるからといって、本件各原著を自己の研究成果論文に自由に使用することができるとの相互の了解があったということはできない。 (8)以上のとおり、原告が被告に対し、本件原著2を被告の博士論文に利用することを承諾したことはなく、また、本件博士論文における本件原著1の利用態様は、原告が承諾した範囲を超え、態様を異にするものであるから、被告各論文における本件各原著の利用は、本件各原著に係る原告の複製権を侵害するものである。 3 争点3(被告による著作者人格権(氏名表示権及び公表権)侵害の成否)について 〔原告の主張〕 (1)氏名表示権の侵害 被告は、氏名表示に関する原告の意思を問うことなく、本件各原著に基づいて作成された被告論文1ないし3を含む本件博士論文を図書館における閲読に供することによって公表した。 よって、被告は本件各原著に係る原告の氏名表示権を侵害した。 (2)公表権の侵害 ア 被告は、原告の承諾なく、本件各原著に基づいて作成された被告論文1ないし3を含む本件博士論文を図書館における閲読に供することによって公表した。 よって、被告は本件各原著に係る原告の公表権を侵害した。 イ 被告の主張について (ア)被告論文1ないし3が被告の著作物として現に公表されていることが問題なのであり、公表についての被告のあらかじめの善意悪意が問題となるわけではない。 そもそも、学者たる被告が、博士論文が図書館に所蔵されて閲覧に供されることを知らなかったとは考えられない。 (イ)被告は、本件博士論文の著者として、その公表を停止させようとすれば、直ちにその公表を停止させることができるはずである。 それにもかかわらず、被告が上記の措置を取らないということは、被告の意思に基づいて、本件博士論文の公表という状態が継続していることにほかならない。 〔被告の主張〕 (1)氏名表示権の侵害について ア 原告の主張は否認ないし争う。 イ 被告は、一橋大学の学位論文審査担当者の審査を受けるために、本件博士論文を一橋大学に提出したにすぎない。 その後、一橋大学が、本件博士論文をどのように保管し、使用し、あるいは、一般の閲覧に供するのか否かについては、被告の関知しない事柄である。 実際に、被告は、本件博士論文を提出するに当たって、査読された後どこに保管されるのか(不特定多数の者が閲読することができる場所に保管されるのか)、あるいは、廃棄されるのかについて、全く認識していなかった。 したがって、被告が、本件博士論文を、一橋大学の図書館等における閲読に供することにより公表したということはない。 ウ 原告は、被告に対し、本件各原著の博士論文への使用を承諾していたのであるから、特段の意思表示がない限り、その氏名表示方法は、通常の共同研究に基づく博士論文における共同研究者の氏名表示方法と同様にされることを承諾していたといえる。 そして、本件博士論文においては、通常の共同研究に基づく博士論文における共同研究者の氏名表示方法と同様の方法で、原告の氏名も表示されている。 (2)公表権の侵害について ア 原告の主張は否認ないし争う。 イ 公表権は、著作物でまだ公表されていない著作物について認められる人格権である。本件各原著は、いずれも学会等において配布され、公表済みであるから、公表権の侵害はない。 ウ 被告は、本件博士論文を一橋大学の学位論文審査担当者の審査を受けるために、一橋大学に提出したにすぎない。 その後、一橋大学が、本件博士論文をどのように保管し、使用し、あるいは、一般の閲覧に供するのか否かについては、被告の関知しない事柄である。 実際に、被告は、本件博士論文を提出するに当たって、査読された後どこに保管されるのか(不特定多数の者が閲読することができる場所に保管されるのか)、あるいは、廃棄されるのかについて、全く認識していなかった。 したがって、被告が、本件博士論文を、一橋大学の図書館等における閲読に供することにより公表したということはない。結果として、本件博士論文が図書館等において閲読に供される状態に置かれたとしても、それは、被告の行為によるものではない。 仮に、被告が図書館等において閲読されることを予期して一橋大学に本件博士論文を提出していたのであれば、被告の行為が著作権法における「公表」と評価される可能性もあるものの、このような事情がない限り、本件博士論文を学位論文審査のために一橋大学に提出したことだけでは、「公表」したことにはならない。 エ 本件各原著は、原告と被告との共同研究の成果である以上、出版ではない限り、共同研究者各自が学会において発表して公表することが当初から予定されていたものであり、原告は、本件各原著が公表されることを承諾していた。 実際に、本件各原著の内容は、本件博士論文とは関係なく、学会等において報告され、公表されており、原告は、このことを事前に認識しながら、公表されることに異議を述べたことはない。 オ 原告は、被告に対し、本件各原著の博士論文への使用を承諾していたのであるから、原告が主張するところの公表、すなわち、博士論文を学位申請のために大学に提出することについても承諾していたといえる。 4 争点4(被告各論文の発行等の差止め、被告各論文の閲読禁止の措置の申出の要否)について 〔原告の主張〕 被告が、被告各論文を作成し、これらを含む本件博士論文を一橋大学に提出したことにより、本件各原著に係る原告の著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び公表権)が侵害された。 したがって、被告に対し、被告各論文の発行、販売、贈与又は頒布の差止めを命じ、国立国会図書館及び一橋大学に対し、その所蔵する本件博士論文のうち被告各論文部分の閲読禁止の措置を申し出るように命ずる必要がある。 〔被告の主張〕 (1)否認ないし争う。 (2)被告は、本件博士論文を発行したことも、販売したことも、頒布したこともないから、本件において、被告に対し、被告各論文の発行、販売及び頒布の差止めを命ずる必要性はない。 5 争点5(謝罪広告の掲載の要否)について 〔原告の主張〕 被告が、被告各論文を作成し、これらを含む本件博士論文を一橋大学に提出したことにより、本件各原著に係る原告の著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び公表権)が侵害された。 したがって、被告に対し、「第1 請求」の第3項記載のとおりの謝罪広告の掲載を命ずる必要がある。 〔被告の主張〕 原告の主張は否認ないし争う。 6 争点6(損害の有無及び額)について 〔原告の主張〕 原告は、被告による著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び公表権)侵害の不法行為により、弁護士費用相当額50万円の損害を被った。 よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償として50万円を請求する。 〔被告の主張〕 原告の主張は否認ないし争う。 第4 当裁判所の判断 1 本件において、本件各原著が原告と被告との共同著作物であること、別紙一覧表において番号1ないし29で特定された被告論文1ないし3の各該当部分は、同表において番号1ないし29で特定された本件原著1及び本件原著2の対応する番号の各該当部分に依拠して作成されたものであることは、当事者間に争いがなく、別紙一覧表において番号1ないし29で特定された被告論文1ないし3の各該当部分は、同表において番号1ないし29で特定された本件原著1及び本件原著2の対応する番号の各該当部分と対比した場合、その複製に当たるものと認められる(「第2 事案の概要」1(4)記載のとおり)。 そこで、まず、被告の、本件博士論文における本件各原著の上記複製行為が、本件各原著に係る原告の著作権(複製権)を侵害するものであるか、複製につき原告による承諾があったと認められるか否か(争点2)について、検討する。2 被告による本件各原著に係る著作権(複製権)侵害の成否・原告による承諾の有無(争点2)について (1)前提となる事実等に証拠(甲5、6、9、乙1、2、4、5、15、17ないし19、21、22、25ないし27、原告本人、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。 ア 原告と被告との関係等 原告(現在は千葉大学の教授である。)と被告(現在は早稲田大学の教授である。)とは、一橋大学大学院経済学研究科において、F教授を指導教官とする同じゼミナールに所属していたことがきっかけで(ただし、原告は被告よりも1年先輩である。)、大学院に在学中から親しく交流するようになり、大学院を卒業し研究者となった後も、親しい交流が続いていた。 イ 本件共同研究の経緯・内容 (ア)被告(当時は福岡大学に勤務)は、平成2年ころ、原告とC教授との共同研究論文にコメントをしたことがあり、これがきっかけとなって、原告から誘われ、原告とC教授との共同研究に参加し、3人で「公共財の蓄積と政治システムの変遷」というテーマで共同研究論文を作成した(なお、同論文は、平成9年に「International Journal」に掲載された。)。 その後、平成5年ころから、原告と被告は、上記研究と同じ分析手法を用いて、「私的財の蓄積と政治システムの変遷」というテーマの研究(私的所有権の保護を行う政治システムとしての国家の成立と変遷を明らかにすることを目的とする研究。本件共同研究)を開始した。 (イ)原告と被告は、本件共同研究に関し議論を重ね、しばらくして、原告において、この議論をまとめた。被告は、原告による議論のまとめを基にして、本件原著1の基になる草稿を作成した。その後も、原告と被告とは更に議論を重ね、意見を交換しながら、被告の作成した草稿に加筆修正を加え、論文として完成させていった(その執筆は、主として被告が担当した。)。本件原著1は平成7年5月当時に作成されたディスカッションペーパーである。 (ウ)本件共同研究論文1について一定の成果が得られた平成7年ころ、原告と被告は、上記論文における条件とは異なる条件を前提としてモデルを構築した場合についての分析や、本件共同研究のテーマである「私的財の蓄積に伴う政治システムの変遷」に関する議論を行うようになり、原告において、本件原著2の基になる草稿を作成した。その後も、原告と被告は更に議論を重ね、意見を交換しながら、原告の作成した草稿に加筆修正を加え、論文として完成させていった(その執筆は、主として原告が担当した。)。本件原著2は、平成8年8月当時に作成されたディスカッションペーパーである。 (エ)本件共同研究において、原告と被告は、まず、分析の出発点である自然状態の社会モデルとして、「すべての人は富を同じ量だけ持つ」(私的財の初期保有量が等しい)と仮定し、この仮定の下で分析を行った。この分析に関するディスカッションペーパーが本件原著1である。 上記研究において一定の成果を得た後、原告と被告は、本件原著1における自然状態は、「すべての人は富を同じ量だけ持つ」(私的財の初期保有量が等しい)という、現実からの乖離の程度が相当に大きい仮定を用いていることから、私的財の初期保有量が異なることを前提とした、より一般的なモデルを構築することにし、上記モデルによる分析を行った。この分析に関するディスカッションペーパーが本件原著2である。 (オ)本件原著1及び本件原著2は、上記の経緯で作成された共同研究論文(ディスカッションペーパー)であり、いずれも、原告及び被告を著作者とする共同著作物である(なお、本件原著1及び本件原著2が、原告及び被告を著作者とする共同著作物であることは、当事者間に争いがない。)。 また、本件原著1と本件原著2は、本件共同研究のテーマである「私的財の蓄積と政治システムの変遷」という同一のテーマに関する研究であり、相互に関連を有する研究に関する論文(ディスカッションペーパー)である。 ウ 原被告による本件共同研究の学会発表等 (ア)原告と被告は、本件各原著について、本件原著1についての出版(Publish)に向けた活動を被告の担当とし、本件原著2についての出版(Publish)に向けた活動を原告の担当とする旨を合意した。 また、平成7年から平成8年ころにかけて、本件共同研究に係る論文(本件共同研究論文1及び2)が、経済学の論文としてある程度の内容を有するものになったことから、原告と被告は、本件共同研究に関するディスカッションペーパーである本件原著1(本件共同研究論文1)及び本件原著2(本件共同研究論文2)について、それぞれ学会等で研究報告をするようになった。なお、原告と被告は、本件各原著(本件共同研究論文1、2)を、共同研究の成果であることを明示した上で、学会等での報告に自由に使用することができるものと相互に了解していた(原告は、その陳述書(甲9)において、共著のディスカッションペーパーにつき、被告が述べるように、経済学界の慣行として、共著のディスカッションペーパーとして自由に使用することができることについては異論がない旨陳述している。)。 (イ)原告による本件各原著の学会発表状況等 a 原告は、平成8年3月、研究代表者として、「経済体制の成立と崩壊の動学モデル分析」と題する「平成7年度科学研究費補助金(一般研究(C))研究成果報告書」(乙21)を作成し、研究成果を示すものとして、同報告書に本件共同研究論文1(本件原著1に修正を加えたもの)を添付した。なお、原告は、上記報告書に本件共同研究論文1を添付することについて、共著者である被告の意思を特に確認していない。 b 原告は、平成10年3月、研究代表者として、「私的所有権の生成と発展の動学モデル分析」と題する「平成8年度〜平成9年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書」(乙22)を作成し、研究成果を示すものとして、同報告書に本件共同研究論文2(本件原著2に修正を加えたもの)を添付した。 その際、原告は、共著者である被告の意思を特に確認しないまま、本件原著2の表題を「A Model of Hobbesian Economy」から「The Emergence of the State in a Hobbesian Anarchy」に変更した。また、原告は、上記報告書に本件共同研究論文2を添付することについて、共著者である被告の意思を特に確認していない。 c 原告は、平成8年7月及び平成9年1月に、学会において、本件共同研究論文2(本件原著2)についての研究報告をそれぞれ行った。 (ウ)被告による本件各原著の学会発表状況等 a 被告は、平成7年6月に日本経済学会西部部会で、平成8年3月に西日本経済理論学会で、同年10月に福岡大学セミナーで、平成9年7月に関西大学セミナーで、本件共同研究論文1(本件原著1)についての研究報告をそれぞれ行った。 b 被告は、平成10年以降も、学会やセミナー等で本件共同研究論文1(本件原著1)についての研究報告を行い、平成16年に、原告の了解の下に、本件原著1を修正した論文を投稿し、同論文が早稲田政治経済学雑誌に掲載された。 エ 被告による本件博士論文の作成等 (ア)本件博士論文の作成、一橋大学への提出 被告は、平成8年10月ころ、当時勤務していた福岡大学において博士課程の授業を持とうとした。その際、被告は、博士課程の学生に授業を行うためには、自らが博士号を取得している必要があることを知り、博士号を取得する必要に迫られた。 そこで、被告は、学位請求のために博士論文を作成することにし、同年11月ころから、博士論文の構想を練り始め、それまでに被告が取り組んできた研究の成果を利用し、これらの研究の成果をまとめて博士論文にすることを考えた。 被告は、同年12月、共同研究者の一人である一橋大学のD教授に、それまでに行ってきた共同研究のいくつかをまとめて博士論文として提出することを相談した上で、原告との本件共同研究、原告及びC教授との共同研究、関西大学のE教授との共同研究、D教授との共同研究に共通する「正義の経済分析」というテーマを設定し、このテーマに関連付けて、これらの共同研究を体系的に整理して博士論文を作成することを決めた。 被告は、平成9年1月から、博士論文の作成を開始し、他の研究者との共同研究の成果である論文を利用し、必要に応じて、加筆し、あるいは、削除するなどして、同年7月ころには博士論文を完成させ、同年9月12日、学位請求のために本件博士論文を一橋大学に提出した。 そして、本件博士論文による学位請求が認められ、被告は、平成10年1月、一橋大学博士(経済学)の学位を授与された。 (イ)本件博士論文の構成等 本件博士論文は、「Economic Analysis of Justice(正義の経済分析)」との表題が付されており、全部で13章から成る。 本件博士論文は、3部構成となっており(第1部「正義と国家」、第2部「正義と個人の権利」、第3部「正義と拡張された同感」)、各部は、それぞれ3つないし4つの章から構成されている(第1部は第2章ないし第5章から、第2部は第6章ないし第9章から、第3部は第10章ないし第12章から、それぞれ成る。)。 このうち、本件原著1が第2章(被告論文2)及び第3章(被告論文3)に利用され、本件原著2が第4章(被告論文4)に利用されている(なお、本件原著2は、第2章の一部(別紙一覧表番号5)にも用いられている。)。また、本件博士論文には、被告とC教授及び原告との共同研究論文が第5章に、被告とE教授との共同研究論文が第8、第9、第11及び第12章に、被告とD教授との共同研究論文が第7章に利用されている。 (ウ)本件博士論文における記述等 a 本件原著1を利用して作成された本件博士論文の第2章の冒頭(12頁)の脚注には、「This chapter partly depends on A and B(1995).」と記載されており、第3章の冒頭(25頁)の脚注にも、「This chapter partly depends on A and B(1995).」と記載されている。 また、本件原著2を利用して作成された本件博士論文の第4章の冒頭(50頁)の脚注には、「This chapter is taken from A and B(1996).」と記載されている。 そして、本件博士論文の巻末の「Bibliography(参考文献一覧)」(285頁)には、「A and B(1995):“Property Rights System and the State of Nature,”Faculty of Economics,Fukuoka University,Discussion Paper 33.」、「A and B( 1996):“A Model of Hobbesian Economy,”Faculty of Law and Economics,Chiba University,Discussion Paper 96-E018.」と記載されている。 b 本件博士論文の巻頭の「Acknowledgments(謝辞)」には、「共著者であるD先生、C先生、A先生、E先生には、共同研究をこの博士論文に収録することを同意してくださったことに対し、感謝の意を表したい」旨が記載されている。 c 被告は、本件博士論文を一橋大学に提出した後に行われた博士学位請求論文の審査会において、審査員から、本件博士論文において共同研究の成果を利用することについて、他の共同研究者の同意を得ているか否かを尋ねられ、同意を得ている旨回答した。 d 一橋大学博士学位請求論文審査報告書(甲5)には、「第1部の第2〜4章は、国家による私的所有権システムの生成過程を説明する。最初に第2章において、ひとつの単純な社会・経済モデルが提示される。このモデルでは、社会を構成する個人は、財を《生産》する通常の経済活動のほかに、他の個人の初期保有を《窃盗》する活動−−すなわち他人の所有権を侵害する活動−−の可能性をもつと想定される。・・・(中略)・・・第3章では、私的所有権が保護される政治システムの選択肢として《君主制》《民主制》およびそれらの中間的な制度が導入される。これらのいずれの政治システムにおいても、所有権を保護する施政者が存在して、保護に必要な費用を賄うために租税が徴収される。・・・(中略)・・・第4章では、第2章のモデルを個人の初期保有が必ずしも等しくない状況に一般化する。また、第3章の民主制をさらに単純化した政治システムが考察される。・・・(中略)・・・第5章では、公共財として社会共通資本が存在する社会が考察され、政治体制と社会資本の蓄積との関係が分析されている。・・・(中略)・・・以上が第1部の内容である。政治システムのモデルを具体的に組み入れて国家の形成をゲーム理論的に分析した先行研究は余り多くはなく、ここで提示されたモデルはいずれもB氏とその共同研究者(C氏・A氏)に独自のものである。」、「以上の要約と評価から明らかなように、本論文は正義の実証的側面と規範的側面に関する経済学の視点に立つ体系的な研究として、充実した理論的貢献を果たしている。3つのパートに纏められたB氏の貢献は、それぞれ異なるチームによる共同研究の成果を纏めたものであって、B氏単独の研究はこれらの共同論文の拡張という姿で報告されている。」などと記載されている。 (エ)他の共著者の承諾 a 被告は、博士論文において他の研究者との共同研究論文を利用するに当たって、共同研究者から博士論文に共同研究論文を利用することについて話をし、承諾を得ておく必要があると考え、学会や研究会などで顔を会わせた機会等に、博士論文における共同研究論文の利用について、共同研究者に話をし、承諾を得るようにした。 b 本件博士論文には、被告と原告との本件共同研究のほか、被告と原告及びC教授との共同研究、被告とE教授との共同研究、被告とD教授との共同研究が利用されている。 このうち、D教授は、被告の学位請求論文である本件博士論文の審査委員長を務めており、被告に対し、博士論文においてその共同研究論文を利用することを承諾していた(D教授は、その陳述書(乙15)において、「共同研究の成果を共同研究者の一人が博士学位請求論文に収録することも、共同研究者の同意さえ得ていれば、全く差し支えないというのが世界的に共有されている考え方です。」との前提の上で、被告から共同研究の成果を博士論文に収録することについて他の共同研究者の同意を得ているとの回答を得て(被告本人)、本件博士論文を審査しているのであるから、少なくとも、自身との共同研究論文の利用を承諾していたことは明らかであるといえる。)。 また、E教授は、被告と共同研究を行い、平成5年から平成8年ころにかけて、その成果について、4本の被告との共同研究論文を作成した。E教授は、経済学の研究会か学会に参加した際に、被告から、今度博士論文を書くので博士論文の一部に共同研究論文を利用させてほしいという話を聞いたことがあり、特に反対する理由もなかったことから、被告に対し、博士論文に自身との共同研究論文を利用することを承諾した。 C教授は、原告及び被告と共同研究を行い、その成果について共同研究論文を作成した。C教授は、被告に対し、博士論文の一部に共同研究論文を利用することについて承諾する旨を伝えたか否かについては、約10年も前のことであり、はっきりとは覚えていない。しかしながら、経済学界においては、博士論文の一部に共同研究論文を利用することはよく行われていることであり、C教授としては、通常の方法で共同研究論文を博士論文の一部に利用することについて、特に反対の意思を有していないので、被告から、博士論文に利用してもよいかと聞かれていたとすれば、これを承諾していたはずであると考えている。 オ 被告が本件博士論文を作成し、提出した当時の原被告間の関係等 (ア)前記ア、イのとおり、原告と被告は、大学院在学中から親しい間柄であり、研究者となった後も共同研究をするなど、親しく交流をしており、本件博士論文を作成、提出した平成9年当時もその関係に変化はなかった。 (イ)被告は、平成12年7月ころ、文部科学省の「科学研究費補助金基盤研究」の申請をした。 上記申請に当たって、被告は原告に助言を求め、原告もこれに応じると共に、被告を代表者とする上記基盤研究の研究分担者として名前を連ねることに同意した。 (ウ)原告は、平成12年11月20日、被告に対し、本件電子メール(乙4)を送信した。本件電子メールには、「学会のときにちょっとお話しましたが、我々の共同論文2本(貴兄担当分と小生担当分)を、早いところ、どのジャーナルでも良いからpublishしてしまいませんか(高望みせずに)?publicationが宙ぶらりんですと、いつまでも貴兄の博士論文が出版できませんから。」と記載されていた。 そして、本件電子メールにおいて、原告が被告に対し、面談して方針を決めることを提案し、原告と被告は、同年12月5日、面談し、本件原著1及び本件原著2のpublishをどのように行うか等について話し合った。 (エ)原告は、被告に対し、原告が単独で作成した研究論文の内容についてコメントをするように依頼していた。平成13年1月ころには、原告から被告に対し、上記論文についてコメントをするよう催促したり、被告が原告に対し、上記原告の論文にコメントをしたりしていた。 (オ)以上のように、原告と被告は、被告が本件博士論文を一橋大学に提出した前後を通じて、親しい交流を続けていた。 その後、平成19年ころまでの間、原告から被告に対し、本件博士論文の内容について、問い合わせをしたり、説明を求めたりしたことはなかった。 被告は、原告から、博士論文において、本件原著1及び本件原著2を利用することについて承諾を得たと認識しており、別件訴訟(当庁平成18年(ワ)第10367号事件。同事件は、原告が、被告において、早稲田政治経済学雑誌に掲載された本件原著1を修正した論文を共同著作者である原告に無断で一部省略して翻訳した論文を作成し、出版社において、これを書籍に掲載して発行したとして、上記本件原著1を修正した論文の著作権及び著作者人格権に基づき、被告に対し、論文の発行等の差止め等を、出版社に対し、書籍の発行の差止め等を求めた事案である。)の証拠として提出した陳述書において、「本件博士論文には原告と共著した論文2本を収録したのですが、2本の論文のうち、基本的な概念や仮定、モデルの設定などの共通する部分をまとめて1つの章とし、残りの部分を別の2つの章としてそれぞれそのまま収録しました。原告は、このように収録の際に手が加えられることについて知ったうえで、本件原著である英論文(判決注・本件原著1の修正版の論文であり、早稲田政治経済学雑誌に掲載された論文のこと)を本件博士論文に収録することについて同意していたのです」と陳述していた。 カ 経済学界における共同研究論文の取扱い等 一橋大学経済研究所教授であり、平成19年以降は同研究所特任教授であるD教授の陳述書(乙15)には、以下の内容の記載がある。 (ア)レフェリー制度を採用する研究雑誌に投稿して、採択されて掲載されるという最終的な公刊は厳しい競争であるため、論文の執筆者は成功のチャンスを高めるために、投稿に先立って中間生産物的な論文をDiscussion Paper と呼ばれる簡素な形式で研究者仲間に広く配布して、改善のためのコメントを得ようとする。この段階の論文はあくまで中間生産物であって、最終公刊物とは認められない。 (イ)研究方法の成熟と標準化、研究課題のグローバルな共有化の進展によって、現在では、世界的なレベルで指導的な役割を果たしている経済学者の場合であっても、研究成果が共同論文の形でレフェリー制度の雑誌に掲載されるのが、むしろ標準的な姿になっている。 若い研究者の場合には、お互いの資質を補完しあう共同研究を推進して、成果を共同論文として公刊することは、きわめてありふれた研究の姿となっている。 (ウ)共同研究においては、その進展の過程で偶々一方の研究者の貢献が最終的な共同論文の中で相対的に大きな比重を占めたにせよ、共同研究の成果は参加者全員の共有資産であると考える。 (エ)共同研究の成果を共同研究者の一人が博士学位請求論文に収録することも、共同研究者の同意さえ得ていれば、全く差し支えないというのが世界的に共有されている考え方である。 共同研究に依拠する学位請求論文の章には、その旨を明記することが要求されている。 博士論文自体は公刊物ではなく、その中に収録されたという事実がそれ自体で構築素材となった原論文の将来の公刊を妨げるということはない。 (2)被告が博士論文に原告との共同研究論文を利用することについての原告の承諾について ア 原告は、その本人尋問において、平成8年か平成9年ころ、被告から、博士論文を作成することになったと告げられ、博士論文に本件原著1を引用したいのでいいかと、承諾を求められたので、本件原著1の引用については了解したものの、本件原著2については話題にすらのぼったことはなく、いかなる形態での利用についても承諾したことはない旨供述する。 他方、被告は、その本人尋問において、平成8年から平成9年ころにかけて、博士論文において利用することを予定している共同研究論文の共同研究者に対して、学界やセミナー等で会った機会などに、「今度、博士論文を書こうと思っているんだけど、使わせてもらっていいか」というぐらいの聞き方をしたと思う、当時、原告とは親しく交流をしており、本件各原著を博士論文に利用することを原告に隠そうとしたということもないから、原告にも、同様の聞き方をしたと思う旨供述する。 原告の供述と被告の供述とは、平成8年か平成9年ころ、被告が原告に対し、博士論文を作成することになったことを伝え、原告との共同研究論文を博士論文に利用することについて承諾を求めたという点において一致しており、上記証拠(原告本人、被告本人)によれば、少なくとも、平成8年か平成9年ころ、被告が原告に対し、博士論文を作成することになったことを伝え、原告との共同研究論文を博士論文に利用することについて承諾を求めたとの事実を認めることができる。 イ 被告は、上記承諾の求めに対し、原告が本件原著1及び本件原著2の利用を承諾した旨主張するのに対し、原告は、上記承諾の対象が原告と被告との共同研究論文のうち、本件原著1に限られ、かつ、その利用態様も「著作権法が規定する方法、すなわち、公正な慣行に合致し、引用の目的上正当な範囲内の引用」に限るものであった旨主張し、原告及び被告は、その各本人尋問において、それぞれの主張に沿う供述をしている。 しかしながら、上記各供述内容は、いずれも、承諾の際の具体的なやりとり等についての記憶に乏しく、あいまいなものであると言わざるを得ない。上記承諾の時期が平成8年か平成9年ころのことであり、本件訴訟が提起される(あるいは、原告が、被告に対し、本件博士論文が原告の本件原著1及び本件原著2の著作権及び著作者人格権を侵害するものである旨主張するようになる(乙2))まで、約10年と長期間が経過していることに鑑みると、上記各供述は、いずれも承諾内容の認定の決め手となるものとはいえない。 ウ そこで、更に検討するに、上記(1)認定事実によれば、@本件原著1と本件原著2とは、本件共同研究のテーマである「私的財の蓄積と政治システムの変遷」という同一のテーマに関する研究であり、相互に関連を有する研究に関する論文(ディスカッションペーパー)であって、本件原著2を本件原著1と別異に取り扱うべき合理的な理由も見当たらないこと(加えて、本件原著1及び本件原著2はいずれも原告と被告との共同著作物であるという点で共通しており、この点においても、本件原著1と本件原著2を別異に取り扱うべき合理的な理由はない。)、A被告は、博士論文を作成するに当たり、「正義の経済分析」というテーマを設定し、このテーマに関連付けて、原告と被告との本件共同研究の成果、すなわち本件原著1及び本件原著2を利用するという構想を有していたこと、B本件博士論文においては、原告との共同研究論文(本件原著1及び本件原著2)のほかにも、原告及びC教授との共同研究論文、E教授との共同研究論文、D教授との共同研究論文が利用されており、被告は、上記各共同研究者から、博士論文における共同研究論文の利用について承諾を得る必要があると考えていたこと、CE教授及びD教授は、被告から博士論文に各共同研究論文を利用することについての承諾を求められ、これを承諾しており、C教授も、約10年も前のことであり、はっきりした記憶はないものの、被告から博士論文に共同研究論文を利用することについて承諾を求められていれば承諾していたはずであると述べていること、D原告が自身の単独研究論文のコメントを被告に依頼するなど、本件博士論文の作成、提出の前後を通じて、原告と被告は親しく交流していたこと、E経済学界においては、共同研究の成果を共同研究者の一人が博士学位請求論文に収録することも、共同研究者の承諾さえ得ていれば、全く差し支えないと考えられていたこと、F本件博士論文を一橋大学に提出する前後を通じて、被告は、博士論文に本件原著1及び本件原著2を利用することについて、原告から承諾を得ているものと認識していたことが認められ、これらの事情に照らせば、原告は被告に対し、特に対象を本件原著1に限定することなく、本件共同研究の成果である論文(すなわち、本件原著1及び本件原著2)の本件博士論文への利用を承諾し、その利用態様についても、特に著作権法の規定する引用の要件を充足する態様(すなわち、著作権者の承諾がなくても著作権法上許される態様)に限定することなく、収録(複製)を含め、博士論文における共同研究論文の利用として一般に行われる方法での利用を承諾したものと推認することができるというべきである。 上記認定は、上記(1)認定のとおり、@原告は、被告が博士論文に原告との共同研究論文を利用していることを認識していたにもかかわらず、長期間にわたり、本件博士論文の内容の確認すらしていなかったこと、A原告は、原告報告書1及び原告報告書2における本件各原著の利用について、共著者である被告の意思を特に確認していないこと、B原告が被告に対して送信した本件電子メール(乙4)には、「我々の共同論文2本(貴兄担当分と小生担当分)を、早いところ、どのジャーナルでも良いからpublishしてしまいませんか(高望みせずに)?publicationが宙ぶらりんですと、いつまでも貴兄の博士論文が出版できませんから。」と記載されており、その内容は、被告の本件博士論文に本件原著1及び本件原著2が利用されていることを前提とするものであると理解することができること、あるいは、少なくとも、原告は、本件電子メールにおいても、本件原著1及び本件原著2の取扱いを特に区別していないことからも裏付けられるものであるということができる。 (3)本件博士論文における本件各原著の利用態様について 本件博士論文における本件各原著の利用態様は、上記(1)認定のとおりである。すなわち、全体で13章から成る本件博士論文のうち、本件原著1が第2章(被告論文2)及び第3章(被告論文3)に、本件原著2が第4章(被告論文4)において複製されている(なお、本件原著2は、第2章の一部(別紙一覧表番号5)においても複製されている。)ものの、第2章及び第3章の冒頭の脚注には、「This chapter partly depends on A and B(1995).」と、第4章の冒頭の脚注には、「This chapter is taken from A and B(1996).」とそれぞれ記載されており、本件博士論文の巻末の参考文献一覧には、「A,and B(1995)」に対応するものとして本件原著1が、「A,and B(1996)」に対応するものとして本件原著2が、それぞれ記載されている(上記各記載によって、本件博士論文についての博士学位請求論文審査報告書では、上記(1)認定のとおり、「(第2章ないし第4章を含む第1部において)提示されたモデルはいずれも被告とその共同研究者(C教授、原告)に独自のものである。」、「3つのパートに纏められた被告の貢献は、それぞれ異なるチームによる共同研究の成果を纏めたものであって、被告単独の研究はこれらの共同論文の拡張という姿で報告されている。」などと評されている。)。このような本件博士論文における本件各原著の利用態様は、博士論文における共同研究論文の利用方法として、一般的なものであると認められるから(乙6ないし13、14ないし16、18、19)、本件博士論文における本件各原著の利用態様は、原告による承諾の範囲内のものであると認めるのが相当である。 (4)以上によれば、被告各論文における本件各原著の複製については、当該行為につき原告の承諾があったものと認められるから、原告の本件各原著に係る著作権(複製権)を侵害するものではない。 3 争点3(被告による著作者人格権(氏名表示権及び公表権)侵害の成否)について (1)原告は、被告が本件各原著に基づいて作成された被告各論文を含む本件博士論文を図書館における閲覧に供することにより公表したとして、被告の当該行為は、本件各原著に係る原告の著作者人格権(氏名表示権及び公表権)を侵害するものである旨主張する。 (2)しかしながら、原告が、被告に対し、その博士論文に、博士論文における共同研究論文の利用として一般に行われる方法での利用を承諾したものと認めることができること、本件博士論文における本件各原著の利用態様は、博士論文における共同研究論文の利用方法として一般的なものと認められることは、上記2で説示したとおりである。そして、博士論文は、博士学位請求者の作成に係るものとして、学位請求先である一橋大学に提出されることは自明のことであり、また、学位請求のために一橋大学に提出された後は、学位の授与された論文が図書館で閲覧に供されることも含め提出先の大学における手続に委ねられるものと認められるから(弁論の全趣旨)、被告による本件博士論文の作成及び一橋大学への提出行為は、原告による承諾の範囲内の行為であって、被告の上記行為が原告の本件各原著に係る著作者人格権(氏名表示権及び公表権)を侵害するものとはいえないというべきである。 (3)よって、被告による本件博士論文の作成及び一橋大学への提出行為は、原告の本件各原著に係る著作者人格権(氏名表示権及び公表権)を侵害するものではない。 4 以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がない。 よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 阿部正幸 裁判官 柵木澄子 裁判官 舟橋伸行 (別紙)被告論文目録 被告が経済学博士の学位を請求するに当たり一橋大学に提出した論文“Economic Analysis of Justice”のうち、 1 第2章“State of Nature” 2 第3章“Property Rights Systems and the Protection Cost” 3 第4章“A Model of Hobbesian Economy” 以上 (別紙)原著目録 1 “Property Rights System and the State of Nature”,1995,福岡大学経済学部 Discussion Paper bR3. 2 “A Model of Hobbesian Economy”,1996,千葉大学経済学会 Working Paper bX6−E018. 以上 (別紙)広告文目録 謹告 私が経済学博士の学位を請求するに当り一橋大学に提出した論文“Economic Analysis of Justice”のうち、第2章“State of Nature”及び第3章“Property Rights Systems and the Protection Cost”とは、A千葉大学教授と私の共著である“Property Rights System and the State of Nature”,1995,福岡大学経済学部Discussion Paper bR3.を、また、同博士論文第4章“A Model of Hobbesian Economy”とは、同教授と私の共著である“A Model of Hobbesian Economy”,1996,千葉大学経済学会 Working Paper bX6−E018.を、いずれも同教授の同意を得ることなく、利用して作成し、かつ、専ら私が著作した論文として公表したものであり、これによって同教授の著作権を侵害したことをお詫び申し上げます。 東京都新宿区<以下略> 早稲田大学教授 B (原本) |
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