判例全文 line
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【事件名】駒込大観音の頭部すげ替え事件
【年月日】平成21年5月28日
 東京地裁 平成19年(ワ)第23883号 著作権侵害差止等請求事件
 (口頭弁論終結日 平成21年3月17日)

判決
原告 A1
訴訟代理人弁護士 飯田丘
同 飯田圭
被告 光源寺
被告 C1
被告両名訴訟代理人弁護士 徳田幹雄
同 高橋利郎
同 藤田嗣潔
同 中田裕規


主文
1 被告光源寺は、別紙物件目録記載の観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部に原状回復せよ。
2 原告の被告光源寺に対するその余の請求及び被告C1に対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、原告に生じた費用の6分の1及び被告光源寺に生じた費用の3分の1を被告光源寺の負担とし、原告に生じたその余の費用、被告光源寺に生じたその余の費用及び被告C1に生じた費用の全部を原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 主文第1項と同旨
2 被告光源寺は、別紙物件目録記載の観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまでの間、一般公衆の観覧に供してはならない。
3 被告らは、原告に対し、連帯して、600万円及びこれに対する被告光源寺について平成19年9月22日、被告C1について同月23日から又は被告らについて平成20年8月29日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告光源寺は、原告に対し、平成21年3月18日から別紙物件目録記載の観音像についてその仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまで1か月10万円を毎月末日限り支払え。
5 被告らは、別紙謝罪広告目録1記載の第2の要領で、第1の内容の謝罪広告を掲載せよ。
6 被告らは、別紙謝罪広告目録2記載の第2の要領で、第1の内容の謝罪広告を掲載せよ。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
 本件は、原告が、原告の亡父D1(以下「亡D2」という。)、亡兄E1(以下「亡E2」という。)及び兄F1(以下「F2」という。)と共同で制作した美術の著作物である別紙物件目録記載の観音像について、その原作品の所有者である被告光源寺が亡D2及び亡E2の死後に被告C1(以下「被告C2」という。)に依頼して仏頭部をすげ替えて、公衆の観覧に供していることが(以下、仏頭部すげ替え前の観音像を「本件原観音像」、仏頭部すげ替え後の観音像を「本件観音像」という。)、本件原観音像に係る原告の著作者人格権(同一性保持権)及び著作権(展示権)の侵害又は原告の名誉若しくは声望を害する方法による著作物の利用行為(著作者人格権のみなし侵害)に当たり、かつ、亡D2及び亡E2が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為に当たる旨主張し、被告光源寺に対し、@著作権法112条1項、115条、113条6項に基づき又は亡D2及び亡E2の遺族として同法116条1項、112条1項、115条に基づき、本件観音像の仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(すなわち、本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間、本件観音像を一般公衆の観覧に供することの差止めを、A同法112条2項、115条、113条6項に基づき又は亡D2及び亡E2の遺族として同法116条1項、112条2項、115条に基づき、本件観音像の仏頭部を本件原観音像の仏頭部に原状回復することを求めるとともに、被告両名に対し、B原告の著作者人格権侵害又は著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償(被告光源寺に対しては上記原状回復するまでの間の将来分の損害賠償を含む。)を、C同法115条に基づき並びに亡D2及び亡E2の遺族として同法116条1項、115条に基づき、原告、亡D2及び亡E2の名誉又は声望を回復するための適当な措置として別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告を求めた事案である。
2 争いのない事実等(証拠の摘示のない事実は、争いのない事実又は弁論の全趣旨により認められる事実である。)
(1) 当事者
ア 原告は、現代彫刻及び仏像彫刻を業とする彫刻家兼仏師である。
 原告の父亡D2と母亡G1(以下「亡G2」という。)は、長男亡E2、二男F2及び三男原告の3人の子をもうけた(甲47ないし50)。
 亡D2及び亡E2は、いずれも仏像彫刻を業とする仏師(亡D2の雅号・「D3」、亡E2の雅号・「E3」)であったが(以下、亡D2を「D4」、亡E2を「E4」ということもある。)、亡D2は昭和63年7月29日に、亡E2は平成11年9月28日に死亡した。亡E2に、配偶者及び子はいない(甲49、50)。
 また、F2も、仏像彫刻を業とする仏師(雅号・「F3」)であったが(以下、F2を「F4」ということもある。)、平成10年に廃業した。
イ 被告光源寺は、浄土宗の寺院である光源寺を維持、運用する宗教法人である。
ウ 被告C1(以下「被告C2」という。)は、仏像彫刻を業とする仏師(雅号・「C3」)である。被告C2は、昭和56年ころから平成元年9月ころまでの間亡E2(E4)に雇用された後、同年9月ころ独立した。
(2) 本件原観音像の制作
ア 光源寺には、江戸時代の元禄10年(1697年)に造立された、木彫十一面観音菩薩立像(以下「旧大観音像」という。)を祀る観音堂があった。旧大観音像は、奈良県長谷寺の本尊である十一面観音菩薩立像(長谷寺式十一面観音像)の様式・特徴を備えた仏像であり、天保年間に刊行された「江戸名所図会」にも掲載されるなど、江戸時代から「駒込大観音」として広く人々の信仰を集めていた。
 旧大観音像は、昭和20年5月25日の東京大空襲により観音堂と共に焼失した。
イ(ア) 光源寺の先代の住職であり、被告光源寺の代表役員であった亡H(以下「先代住職」という。)は、昭和62年初めころ、D4及びE4に対し、駒込大観音の復興となる新たな十一面観音菩薩立像の制作を依頼した。
 その後、同年5月ころから、D4、E4及びF4が居住していた東京都中野区内の自宅兼工房(以下「本件工房」という。)において、本件原観音像の彫刻作業(木彫作業)が開始された。
(イ) 木彫作業を完了した本件原観音像は、平成2年3月12日、本件工房から搬出され、光源寺の境内に建築された漆塗り・金箔貼り作業を行うための工房(以下「本件漆塗り工房」という。)に搬入された。
 先代住職は、同日、本件原観音像の本件漆塗り工房への搬入を記念する法要を執り行った。同日から、塗師(漆塗り職人)によって本件原観音像の漆塗り・金箔貼り作業が開始された。
(ウ) 漆塗り・金箔貼り作業を完了した本件原観音像は、光源寺の境内に新たに建築された観音堂(以下「本件観音像」という。)に安置された。
 その後、先代住職は、平成5年5月18日、本件原観音像の開眼法要(名称「駒込大観音開眼落慶法要」)を執り行った。以後、本件原観音像は、参拝者等の公衆の観覧に供された。
ウ 本件原観音像の体内( 躯体の内部) には、 「大仏師監修D3」、「制作者E3 F3 A1 弟子C1」との墨書(甲10)が、また、本件原観音像の足ほぞには、「監修D3」、「制作者E3 F3 A1 C1」との墨書(乙3)が施されている。
エ 本件原観音像は、美術の著作物であり、E4は、その著作者である。
(3) 被告らによる仏頭部のすげ替え
ア 先代住職は、平成6年12月26日に死亡した。その後、B1(以下「B3」という。)は、光源寺の住職となり、また、平成7年2月23日、被告光源寺の代表役員に就任した。
イ 被告光源寺は、平成15年ころから平成18年ころまでの間に、被告C2に対し、本件原観音像について新たな仏頭部の制作及び仏頭部のすげ替え作業を依頼し、被告C2は、上記依頼に応じて、これを実施した。
 被告光源寺は、本件原観音像の仏頭部をすげ替えた本件観音像を、光源寺の本件観音堂に祀り、参拝者等の公衆の観覧に供している。
 すげ替え前の仏頭部は、別紙写真目録記載の右側の写真(3枚)のとおりであり、すげ替え後の仏頭部は、同目録記載の左側の写真(3枚)のとおりである。
ウ なお、被告らは、本件原観音像から取り外した仏頭部(すげ替え前の仏頭部)をその原形のままの状態で保管している。
3 争点
 本件の争点は、@原告は本件原観音像の共同著作者か(争点1)、A被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることが、本件原観音像に係る原告の著作者人格権(同一性保持権)の侵害に当たるか、これに当たるとした場合、原告は被告光源寺に対し、著作権法112条1項、2項に基づき、本件観音像についてその仏頭部を本件原観音像の仏頭部に原状回復するまでの間の公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点2)、B原告は、同法115条に基づく名誉回復等の措置として、被告光源寺に対し、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点3)、C被告ら及び被告光源寺による上記各行為が、原告の名誉又は声望を害する方法による著作物の利用行為(同法113条6項)に当たり、その著作者人格権の侵害行為とみなされるか、みなされるとした場合、原告は被告光源寺に対し、同法112条1項、2項に基づき又は同法115条に基づく名誉回復等の措置として、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点4)、D原告は、被告光源寺が仏頭部がすげ替えられた後の本件観音像を公衆の観覧に供していることが、二次的著作物である本件観音像に係る原著作物の著作者としての原告の著作権(展示権)の侵害に当たるとして、被告光源寺に対し、同法112条1項、2項に基づき、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点5)、E原告は、被告らに対し、原告の著作者人格権侵害及び著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償(被告光源寺に対しては上記原状回復するまでの間の将来分の損害賠償を含む。)を求めることができるか及び被告らが賠償すべき原告の損害額(争点6)、F原告は、亡D2及び亡E2の遺族として同法116条1項、112条1項、2項、115条に基づき、被告光源寺に対し、上記仏頭部を原状回復するまでの間の本件観音像を公衆の観覧に供することの差止め及び上記原状回復そのものを求めることができるか(争点7)、G原告は、自ら同法115条に基づき、D4(亡D2)及びE4(亡E2)の遺族として同法116条1項、115条に基づき、原告、D4及びE4の名誉又は声望を回復するための適当な措置として別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告を求めることができるか(争点8)である。
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(原告の共同著作者性)について
(1) 原告の主張
 本件原観音像は、D4、E4、F4及び原告が共同で制作した共同著作物であり、原告は、その共同著作者である。
 その理由は、以下のとおりである。
ア 本件原観音像の制作の経緯
(ア) 原告は、江戸時代から続く仏師の家柄(I家)に生まれ、いずれも仏師である父D4、兄E4及びF4とともに、仏像等を制作するための共用の工房(本件工房)を営み、依頼を受けた仕事の内容やその規模、納期等に応じて、臨機応変に仕事を分担し合い、互いに協力して仏像の彫刻等の業に携わっていた。
 被告光源寺は、昭和62年初めころ、I家に対し、本件原観音像の制作を依頼した。E4は、その際、I家を代表して、光源寺の先代住職と折衝等を行った。
 被告光源寺の依頼の趣旨は、戦災により焼失した「駒込大観音」の復興となる木彫十一面観音菩薩立像の制作であったため、長谷寺式十一面観音像の様式に則った観音像の制作を企画した。
(イ)a 木彫の仏像は、おおむね、@原材から材料となる木材を切り出す工程(「木取り」)、A木材を材料として、鉈、ノミ、丸刀等を用いた彫刻的技法を施すことにより仏像を彫り上げる工程(木彫作業)、B木彫作業の完了後、漆塗り等の塗装作業を施し、最後に開眼作業(胡粉による眼部の彩色作業)を施す工程を経て制作される。
 像体をいくつかの部位に分けて制作する「寄木造り」の仏像の材料は、単一の木材から切り出したものではなく、複数の角材をほぞや接着剤を用いて継ぎ合わせた木材(この継ぎ合わせ工程を「木寄せ」という。)が用いられる。
 また、一般に、木彫作業は、「荒彫り」(木材から仏像の大まかな像形を彫り出す工程)、「小造り」(荒彫りによる荒いノミ目を平滑に整えながら、 仏像としての大体の像形を彫り整える工程)、「仕上げ」(仏像の完成イメージを念頭において、像全体のバランス等に配慮しながら、像の各部位を調整しつつ、像の細部を彫り上げる工程)といった各段階を経て進められる。寄木造りの仏像の場合、まずその頭部から制作を開始し、頭部の荒彫り又は小造りが完了した段階から、躯体部、次いで腕部の制作を行うことが一般的である。その他の光背、台座等の制作は、適宜、上記作業と平行して進められる。
 そして、上記各部位ごとに小造りの作業が完了した段階から、像全体について仕上げの作業を進めることとなる。なお、本件原観音像のような規模の大きな仏像の制作に際しては、荒彫りが完了した段階から小造りの段階にかけて、像体をばらしてその内部の木部をそぎ取った後、改めて像体を継ぎ合わせる「内刳り」の作業を行うことが一般的である。
b 本件原観音像の制作は、次のような工程を経て行われた。
@ 本件原観音像の各部位ごとの材料となる木材の木寄せ作業は、昭和62年5月ころから7月ころにかけて行われた。また、木彫作業は、まず頭部の荒彫りから開始され、同年6月中旬ころまでには、同作業が完了し、頭部の内刳りも行われた。
 同年夏ころ以降、荒彫りが完了した頭部を躯体部の材料となる木材に取り付けた上で、躯体部の荒彫り作業が開始された。
A その後、昭和63年中は、それぞれ、頭部の小造り(仏頭上に取り付ける「化仏」の制作を含む。)、躯体部の荒彫り、次いでその小造り、腕部の荒彫りといった各作業が順次進められた。また、それと同じ時期に、上記作業と平行して、光背、台座等の荒彫りも行われた。
 この間の同年7月29日に、D4は死亡した。
B E4は、平成元年5月6日、脳梗塞で倒れ、同日から同年6月24日まで入院した。
 その間の6月14日、原告は、被告光源寺の先代住職を本件工房に迎えて、本件原観音像の躯体の内部に、「大仏師監修D3」、「制作者E3 F3 A1 弟子C1」との墨書(前記第2の2(2)ウ)をした。
 この時期までに、本件原観音像は、上記各部位ごとの小造り作業が完了しており、以後、像全体の仕上げに入る段階にあった。
C 本件原観音像の仕上げ作業は、平成元年6月ころ開始され、平成2年3月初めころ完了した。
 木彫作業が完了した本件原観音像は、平成2年3月12日、本件工房から搬出され、本件漆塗り工房に搬入された。
 その後、漆塗り・金箔貼り作業が完了した本件原観音像の開眼作業が行われ、本件原観音像が完成した。
(ウ)a 前記(イ)bの本件原観音像の制作工程におけるD4、E4、F4及び原告の作業分担は、おおむね次のとおりである。
@ 本件原観音像の全体の構想及び設計は、D4、E4、F4及び原告が協議して決定した。
A 本件原観音像の頭部の荒彫りは、D4及びE4を中心に行われ、その小造りはE4を中心に行われた。頭部のうち化仏の小造り及び仕上げは、原告が行った。
B 本件原観音像の躯体部の荒彫り及び小造りは、E4を中心に行われた。
C 本件原観音像の腕部、光背及び台座の荒彫り及び小造りは、F4及び原告を中心に行われた。
D 小造り作業完了後の本件原観音像全体の仕上げ作業は、原告を中心に行われた。
E 漆塗り・金箔貼り作業の完了後の本件原観音像の開眼作業は、原告が行った。
b 原告が本件原観音像の制作作業に従事していたことを示す客観的資料として、次のようなものがある。
 まず、平成7年6月15日に発行された宗教工芸新聞(甲1)に、「(E4の)最近の大作としては駒込光源寺の大観音を仕上げたこと。・・・常に仕事を共に続ける弟・F4氏、A2氏(行動美術会員)は大きな支えとなった」(甲1)等と報道され、また、亡D4の主治医であった医師J作成の昭和63年7月30日付け紹介状(甲34)においても「(D4は)観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」等と言及されている。
 次に、平成12年11月26日に執り行われた先代住職の七回忌法要のために光源寺の現住職のB3(被告光源寺代表者)が作成した席次表(甲44)には、原告について「再建駒込大観音の共同彫刻家」と記載されている。
 さらに、平成5年5月18日に執り行われた本件原観音像の開眼落慶法要の際に、先代住職がそのスピーチの中で原告を本件原観音像の共同著作者の一人として紹介し、謝辞を述べている状況が撮影されたビデオテープ(甲71)が存在する。
(エ) 以上によれば、本件原観音像は、D4、E4、F4及び原告の4人を共同著作者とする共同著作物に該当する。
 特に、原告は、E4が脳梗塞で倒れた後の全体の仕上げ作業を中心となって行い、本件原観音像の木彫作業を完成へと導いているものであり、本件原観音像の制作に創作的に関与したものである。
(オ) これに対し被告らは、後記のとおり、本件原観音像を制作したのは、E4及び被告C2の両名であり、原告は、本件原観音像の制作に関与していない旨主張する。
 しかし、原告がD4、E4及びF4と互いに作業を分担し合い、共同して本件原観音像の制作作業を遂行したことは、前記(ウ)aのとおりであり、他方で、被告C2は、本件原観音像の制作当時、E4に雇用され、その制作助手として、専らE4が担当する作業をE4の具体的な指示及び監督の下で補佐していたに過ぎず、本件原観音像の制作に創作的に関与したものではない。
 したがって、被告らの上記主張は失当である。
イ 著作権法14条による著作者の推定
(ア) 著作権法14条は、著作物の原作品に、その氏名又はその雅号として周知のものが著作者名として通常の方法により表示されている者は、その著作物の著作者と推定する旨規定されている。
 ところで、仏像彫刻の仏体内に著作者名を墨書することは、古くから広く一般に行われてきたことである。また、仏像彫刻の仏体内に著作者名として、「実制作者」である仏師の氏名又は雅号のみならず、「監修」者すなわち「編集の最高責任者」のような「制作全体の指揮者」である「大仏師」等の氏名又は雅号を墨書することも、古くから広く一般に行われてきたことである。
 このように仏像彫刻の仏体内に「監修」者又は「制作者」として墨書が施されている者は、「著作者名として通常の方法により表示されている者」に該当すると解するのが相当である。
 そして、本件原観音像の体内(躯体の内部)及び足ほぞには、「監修D3」、「制作者E3 F3 A1」との墨書が施されているところ(前記第2の2(3)ウ)、「A1」は原告の氏名であり、また、「D3」は亡D2の雅号として、「E3」は亡E2の雅号として、「F3」はF2の雅号としてそれぞれ周知のものである。
(イ) そうすると、亡D2(D4)、亡E2(E4)、F2(F4)及び原告は、著作権法14条に基づいて、いずれも本件原観音像の共同著作者と推定される。
ウ 小括
 以上のとおり、原告は、本件原観音像の共同著作者である。
(2) 被告らの反論
 本件原観音像を制作したのはE4及び被告C2の両名であって、原告は、本件原観音像の制作について全く関与していないか、少なくとも創作的な関与をしていないから、本件原観音像の共同著作者ではない。
 その理由は、以下のとおりである。
ア 本件原観音像の制作の経緯の主張に対し
(ア) E4及び被告C2は、昭和62年以降、本件原観音像の木彫作業を開始し、平成元年9月にその木彫作業をすべて終了し、漆塗り・金箔貼り作業を残すのみとなった。したがって、本件原観音像を制作したのは、E4及び被告C2の両名である。この間の昭和61年6月ころから昭和62年6月ころまでの約1年間、E4及び被告C2の下で仏像彫刻の修行をしていたK1(以下「K2」という。)が本件原観音像の制作に補助的に関与したが、D4、F4及び原告は、いずれも本件原観音像の制作に全く関与していない。
 本件原観音像の制作の経緯は、次のとおりである。
a E4と被告C2は、年始の挨拶のため、昭和62年1月ころ、被告光源寺を訪れた。E4は、その際、先代住職に対し、駒込大観音の再建を勧めたところ、先代住職は、E4の勧めに応じ、E4に対して駒込大観音の再建を依頼したことから、駒込大観音の再建計画が具体的に動き出した。
 E4は、駒込大観音の設計図を描き、それを基に檜材料の必要量を算出し、制作日数と必要経費などから制作費を算出した上で、被告光源寺に制作費用の概算を提示した。
 被告光源寺は、E4が示した制作費を受け入れ、本件原観音像の制作が開始された。
b 昭和62年5月5日までに、E4が発注した檜材料が、E4及び被告C2の作業場である本件工房に搬入された。
 被告C2は、K2とともに、檜材料に電気カンナや手鉋で鉋をかけて水平面を作り、多数本の桧角材をボンドで接着して大きな木塊を作った。そして、E4が、仏頭部を制作するため、被告C2とK2が制作した木塊を彫り進めていった。
c 被告C2は、仏頭部を制作するための木塊を制作した後、体部や光背の制作に取りかかった。
 まず、被告C2は、K2とともに、檜材料にカンナをかけて水平面を作り、多数本の桧角材をボンドで接着して、光背を制作するためのテーブル状の木塊や体部を制作するための木塊を制作した。
 次に、C2は、唐草模様の中に七観音を表す梵字を配した光背の絵図面を描き、E4の承諾を得ると、テーブル状の塊を光背の形に彫刻し、そこに光背の絵図面を写して、電動ドリルやノミで彫り進めていった。その後、平成元年1月ころ、光背が完成した。
d E4は、昭和62年6月ころ、仏頭部の粗彫りを完了し、同年6月14日、本件工房を訪れた先代住職、B3らに対し、その仏頭部の確認を求めた。その際、E4は、先代住職らに対し、「お気に召さなければ作り直しましょうか。」と申し出た。これに対し、先代住職は、本件原観音像の仏頭部が未だ粗彫りの状態に過ぎず、仏頭部の欠陥が顕在化していなかったため、完成した場合にどのような顔になるのか不明であったことから、「せっかくお作りになったのですから、そんなことをしていただくつもりはありません。」と言って、E4の申出を断った。
e 被告C2は、仏頭部の粗彫りの完了後、体部に仏頭部を差し込む作業に取りかかった。
 まず、被告C2は、体部用の木塊をある程度粗彫りし、電動ドリルで仏頭の首部を差し込む数十センチメートルの深さの穴をあけた。
 一方、E4は高齢のため、重い道具を持って作業するとすぐに息切れし、膝関節も痛くなるという状態であったことから、重い電動ドリルを使用する作業や長時間立ちながらの作業(すなわち、体部用の木塊の粗彫りや首部を差し込む穴をあける作業)に携わることはできなかった。
 そのため、被告C2は、上記作業を一人でやらなければならず、仏頭部の粗彫りから仏頭部を体部に差し込むという一連の作業に1か月もの時間を要した。
 次に、E4及び被告C2は、仏頭部の差し込み作業終了後、各部の彫刻を進めていった。
 被告C2は、寝かせて作業していた体部を、本件工房の天井に設置してあるチェンブロックを使って立たせ、その周りを囲むように鉄パイプの足場を組み立てた。そして、被告C2は、上記足場に昇り、チェンソーやノミなどを使用して本件原観音像の彫刻を進めていった。足場に昇って作業するためには、極めて不安定な姿勢が要求され、膝関節が悪いE4が足場に昇って作業することができなかったため、被告C2が一人で上記作業を行った。
 被告C2は、体部の彫刻が進むと、肩腕部を落とし込み、ほぞで体部に取り付けるように段取りをするとともに、ひび割れの防止と仏像を軽くするため、仏像を寝かして体部の前部と後部を離し、仏体内を空洞にする作業に取りかかった。
f 平成元年5月ころ、E4が脳梗塞を発症して突然倒れ、約1か月間入院した。
 被告C2は、E4が倒れるまでE4とともに本件原観音像の制作に取り組んできた経緯があったことから、E4が退院するまでの間、本件原観音像の制作を進めることはなかった。
 ところが、E4の入院期間中に、原告が、突然、本件工房を訪れ、被告C2に本件原観音像の作業に関し、意見を挟もうとしてきた。被告C2は、それまで本件原観音像の制作に全く関与していなかった原告が、E4が病に倒れたことを契機として、突然、本件原観音像の制作に関与しようとしてきたことに納得することができず、その旨原告に伝えたところ、それ以降、原告が本件原観音像の制作に関与するために口を挟もうとしてくることはなくなった。
 また、E4の入院期間中に、先代住職は、本件工房において、空洞にされた仏体内に願文を記し、その後、「監修D3」、「制作者E3 F3 A1」の文字が記されるとともに、被告C2も「C1」と記した。
g E4が平成元年6月に退院した後、本件原観音像の制作が再開された。
 平成元年6月ころの時点では、本件原観音像の制作作業は、既に最終的な仕上げの段階に入っていた。
 被告C2は、本件原観音像を寝かせ、彫刻刀で表面を滑らかにするなどの仕上げ作業を進めていった。
 E4は、退院後、言語障害や体の麻痺等の後遺症はほとんどなかったものの、体力の低下が著しかったため、被告C2の作業を見守り、本件原観音像の制作を進めることになった。
 その後、平成元年9月に本件原観音像の木彫作業が全て終了し、漆塗り、金箔貼り作業を残すのみとなったことから、被告C2は、同月、E4から独立した。なお、被告C2は、昭和63年ころから、E4に対し、本件原観音像の完成後に独立したい旨の申出をし、E4も快諾していた。
h 先代住職は、平成元年10月ころ、E4から木彫作業が終了した旨の連絡を受け、B3と共に、同月10日、本件工房を訪れ、木彫作業が全て終了した本件原観音像の写真(乙30の1、2、31の1、2)を撮った。
 その後、先代住職は、本件原観音像の漆塗工程、その費用等に関する打合せをするため、塗師に連絡を取ったが、塗師の仕事が忙しかったため打合せの日程が入らなかった。また、本件原観音像を安置する観音堂(本件観音堂)の設計者の変更などもあった。そのため、平成2年の年明けになって、塗師、設計者、光源寺の関係者等の間で、漆塗りや金箔貼りに関する打合せを行うことができた。この打合せの中で、漆塗り・金箔貼り作業を行うための工房(本件漆塗り工房)を光源寺境内に建設すること、本件原観音像の火災保険の期間が満了する同年3月23日までに本件漆塗り工房に本件原観音像を搬入することが決められた。
 その後、本件漆塗り工房が完成し、同月12日、本件原観音像の本件漆塗り工房への搬入がされ、その搬入を記念する法要が執り行われた。
(イ)a D4、F4及び原告は、いずれも本件原観音像の制作に全く関与していない。
 まず、D4は、昭和61年ころから「脳軟化症」に罹患し、体調不良を訴えており、本件原観音像の制作が開始された昭和62年5月の時点では、87歳という高齢で、仏像制作の意欲が減じていただけでなく、軽い脳梗塞も発症していたため、事実上、仏像制作から引退しており、本件原観音像の制作に全く関与していない。
 次に、F4は、昭和55年ころには、病気を患い、ほとんどの時間を自室で過ごす状態にあり、本件原観音像の制作当時も病状が改善することはなく、病気のため自室にこもることが多く、本件原観音像の制作に全く関与していない。
 さらに、原告は、現代美術における抽象的な彫刻の作成を専門とし、本件原観音像の制作当時、行動美術協会展などの展覧会に出品する作品の制作に取り組んでいた上、武蔵野美術大学に講師として勤務していたことから、本件原観音像の制作を手伝うことができる時間的余裕がなかったため、本件原観音像の制作に全く関与していない。
b また、仮に原告が被告C2が独立した後の平成元年10月以降何らかの仕上げ作業を実施していたとしても、その作業は、最終工程での確認程度であり、創作的な関与といえるものではないから、原告は、本件原観音像の共同著作者ではない。
(ウ) 原告主張の甲1、34、44は、原告が本件原観音像の制作作業に従事していたことを示す根拠とはいえない。
 まず、平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)におけるE4の紹介記事において「(常に仕事を共に続ける弟・F4氏、A2氏(行動美術会員)は大きな支えとなった」との文章があり、これを見ると、E4、F4及び原告の3人の兄弟はずっと一緒に作業をしていたかのようである。しかし、原告は、フランス留学から帰国して以降、D4やE4らとは全く別に茨城県取手市にアトリエを構え、大学の講師や行動美術協会での活動など、D4やE4らとは異なった活動を主体的に行っていたものであるから、原告が、E4及びF4とずっと一緒に作業を行ってきた事実は存在しない。加えて、上記紹介記事によれば、E4は平成7年ころも意欲的に仏像彫刻を行っていたかのようにみえるが、そのような事実はないなど、上記紹介記事は、極めて信頼性が低く、原告が本件原観音像の著作者であることの根拠としては薄弱である。
 次に、医師J作成の昭和63年7月30日付け紹介状(甲34)には、D4について「Q先生の菩提寺の観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」との記載があるが、被告光源寺の檀家には、Qという医師又はその縁者は存在せず、「Q先生の菩提寺の観音像」は、本件原観音像を示しているとは考え難い。また、そもそも医師Jなる人物が、どの程度本件原観音像をめぐる事実関係を正確に認識していたかも不明であり、上記記載部分の証拠価値が著しく低いことは明らかである。
 さらに、先代住職の七回忌法要の際の席次表(甲44)において、現住職のB3が原告について「再建駒込大観音の共同彫刻家」と紹介しているのは、原告が本件原観音像の制作には携わっていなかったため、原告を「再建駒込大観音の仏師」(本件原観音像の制作に携わった者という趣旨)と紹介するのは偽りになるが、I家の名代として招いた原告を、本件原観音像とは無関係の者と紹介することもできなかったため、苦し紛れに本件原観音像の「共同彫刻家」としたものである。一方、席次表の「A1」の記載の一つ上には、「L様」という記載があるところ、「L」は、本件原観音像に漆を塗り、金箔を貼った者であるため、「再建駒込大観音の塗師(漆・金箔)」と紹介したものである。また、仮に原告が本件原観音像の制作に携わっていたとすれば、木彫作業を行った者と漆塗り・金箔貼り作業を行った者との間における本件原観音像を完成させるための寄与度(制作に携わった時間や費やした労力)を比較すると、木彫作業を行った者の方が高いから、原告を「L」よりも「正面」に近い上座の席を用意したはずであるが、実際には、「L様」の下座になるところに原告の席を用意した。
 このように席次表の「再建駒込大観音の共同彫刻家」との記載は、本件原観音像の制作には関わっていないことを示す記載であって、原告が本件原観音像の著作者であることを裏付ける資料では全くない。
(エ) 以上のとおり、原告、D4及びF4は、本件原観音像の共同著作者ではない。
イ 著作権法14条による著作者の推定の主張に対し
(ア) 原告は、本件原観音像の体内や足ほぞに、「監修者D3」、「制作者E3 F3 A1 弟子C1」と墨書されていることを根拠に、著作権法第14条により、原告が本件原観音像の共同著作者である旨主張する。
 しかし、同条は、「著作者と推定する」ことを定める規定であり、前記アのとおり原告が本件原観音像の制作に全く関与していないことは、被告C2の供述、写真(乙8ないし23)などの本件証拠から明らかであり、推定を妨げる事情がある。
 これに対し本件原観音像の制作に関与した旨の原告の供述は、重要な部分に多くの変遷があり、その供述内容自体に不自然・不合理な点が多数存在し、客観的な証拠にも一致しないものであり、信用性は極めて低い。
 したがって、原告の上記主張は、理由がない。
(イ) 次に、原告は、本件原観音像の体内や足ほぞに、「監修D3」と記載されていることから、著作権法14条により、D4は本件原観音像の著作者と推定される旨主張する。
 しかし、美術業界においても「権威づけ」のために名目的に著名人の名前を監修者として掲げることがあることからすれば、監修者としての記載がされている者は、同条の「著作物の原作品に・・・著作者名として通常の方法により表示されている者」に該当するものではなく、著作者としての推定を受けるということはできない。
 したがって、原告の上記主張は、理由がない。
ウ 小括
 以上によれば、原告が本件原観音像の共同著作者であるとの原告の主張は、理由がない。
2 争点2(原告の同一性保持権侵害に基づく差止等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 原告は、本件原観音像の共同著作者であり、本件原観音像について著作者人格権(同一性保持権)を有している。
イ(ア) 原告は、平成15年ころ、光源寺の現住職のB3(被告光源寺代表者)から、本件原観音像の顔の表情が厳しいので、仏頭部をすげ替えたいが、了承してもらえないかなどと申入れを受けた。しかし、本件原観音像のように開眼法要(開眼落慶法要)を済ませた仏像は、単なる彫刻ではなく、信仰の対象たる仏様になるものであり、そのため保存修復のために最小限必要な場合を除けば、たとえその制作者であってもその仏像に手を加えることが許されなくなることは、仏教関係者あるいは仏像彫刻に携わる者にとって常識であること、B3の上記申入れの趣旨は、本件原観音像の仏頭部のすげ替えを既定事項とし、かつ、そのすげ替えに原告の関与を予定しないものであったことなどから、即座に上記申入れを断った。
 しかるに、被告らは、原告が本件原観音像について著作者人格権(同一性保持権)を有しており、かつ、原告には本件原観音像の仏頭部のすげ替えを了承する意思がないことを承知しながら、被告光源寺においては被告C2に対して本件原観音像の仏頭部のすげ替え作業を依頼し、これを受けて被告C2においては同作業を実施したことにより、共同して、原告が本件原観音像について保有する同一性保持権を故意に侵害した。
 そして、被告光源寺は、上記のとおり自らが主導して本件原観音像の仏頭部をすげ替えた後、そのすげ替えられた状態のままの本件原観音像(すなわち、本件観音像)を本件観音堂内に祀り、原告からの再三にわたる仏頭部の原状回復要求に一切応じることなく、参拝する公衆の観覧に供し続けているものであり、このような被告光源寺の一連の行為は、全体として、原告が保有する本件原観音像についての同一性保持権を故意により不断に侵害し続けているというべきである。
(イ) この点について補足すると、著作権法20条1項は、著作物が著作者の人格が具現化されたものであることにかんがみ、著作物に具現化された著作者の思想や感情の表現の完全性あるいは全一性を保持するために著作者に対し、著作者人格権として、「その著作物」の「同一性を保持する権利」を認めたものである。したがって、いかなる行為を同一性保持権の侵害行為としてとらえるかは、上記のような同条項の本来の趣旨に則り、実質的かつ規範的に検討されるべきであって、少なくとも、同条項の「改変を受けないものとする」との文言部分に拘泥して同一性保持権の意味内容を単なる改変禁止権にすぎないと矮小化するような限定解釈を行うべきではない。
 すなわち、被告光源寺の前記(ア)の一連の行為は、原告による事前の明示の意思に反して、当初から最後まで一貫した明確な故意に基づき、仏像彫刻における表現上最も重要な部位というべき本件原観音像の仏頭部を全面的にすげ替えた上、そのすげ替えの事実を原告に対して報告することも、一般に周知することもないまま、仏頭部がすげ替えられた状態の本件観音像を今日に至るまで不特定多数の一般公衆の観覧に供し続けているものであり、かかる確信犯的な行為に対し同一性保持権の侵害行為であるとの評価を下すことができないとしたならば、著作者にとって同一性保持権はまさしく画餅に等しいものとなるというべきである。
ウ これに対し被告光源寺は、後記のとおり、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、「やむを得ないと認められる改変」(著作権法20条2項4号)に該当するから、同一性保持権侵害に当たらない旨主張する。
 しかし、本件観音堂の奥行きが小さいため、拝観者が本件原観音像を拝むためには見上げる必要があり、それにより拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなかったが、これは、先代住職の要望により、本件観音堂の外から窓を通して拝観されることをも念頭において本件原観音像を制作したためである。なお、E4が本件原観音像の完成後に本件原観音像が下を向くように、強引に眼球面を彫刻したなどという事実はない。
 原告は、平成6年ころ、本件原観音像の修繕を行ったが、同修繕は、被告光源寺から、本件原観音像の目を彩色した際の胡粉地が剥がれ落ちたので、修繕してもらいたい旨の依頼を受けて行った胡粉地を補修する作業であり、本件原観音像の表情や左右の目の木彫自体について修繕を行ったものではない。
 加えて、本件原観音像がD4、E4、F4及び原告により制作されたことは、周知の事実であること、本件原観音像がその仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変を受けていること、その改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、長谷寺式十一面観音像の様式や特徴(「堂々とした」、「威厳」等)を踏まえて構想及び設計された本件原観音像の像容の特質(「天平期(奈良時代後期)の観音像のような立体感ある力強いもの」ないし「単なる慈悲深さだけではなく、観る者に威厳と力強さを感じさせる像容。以下同じ。)への配慮を欠く内容となっていること、その改変行為が原告の事前の明示の不承諾の意思に反して実行されていること、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替えは、信者や近隣住民らの総意に基づくものでもないこと等諸般の事情に照らすならば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、「やむを得ないと認められる改変」に該当するものではない。
エ したがって、原告は、被告光源寺が継続して行っている前記イ(ア)の同一性保持権侵害行為を停止するため、著作権法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、上記侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、同条2項に基づき、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
ア 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、そもそも本件原観音像について同一性保持権を有するものではない。
 また、仮に原告が本件原観音像について同一性保持権を有するとしても、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、「やむを得ないと認められる改変」(著作権法20条2項4号)に該当するから、原告の同一性保持権を侵害するものではない。
 その理由は、以下のとおりである。
(ア) 本件原観音像は、台座から光背まで約6メートルあるのに対し、本件観音堂は、奥行きが小さかったため、本件観音堂に祀られた本件観音像を拝むためには急角度で見上げる必要があり、急角度で見上げる拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなくなってしまった。そこで、E4は、急遽、本件原観音像が下を向くように、強引に眼球面を彫刻したため、上まぶたが仏像の慈悲の表現を表す「半眼」にならず、しかも、下から見上げると、本件原観音像は、驚いたように又はにらみつけるように目を見開いた表情になってしまった。
(イ) 平成5年5月18日、光源寺において、本件観音堂に安置された本件原観音像の開眼落慶法要が執り行われた。
 開眼落慶法要をすませた観音像は、単なる彫刻ではなく、信仰の対象たる存在になる。すなわち、拝観者らは、慈悲深い表情を投げかける観音像を拝むことによってその信仰心を深めていくのであるから、開眼落慶法要後の観音像は、そのような信仰の対象たる存在になる。
 このように、仏像の表情は、拝観者らの信仰、ひいては、憲法で保障される信教の自由が具体化されるプロセスにおいて、極めて重要な意義を有している。
 本件原観音像は、開眼落慶法要以降、一般に公開されたが、被告光源寺に対して、信者や拝観者から「駒込大観音を拝むと違和感を覚える」という苦情や、檀家総代から「大変申し訳ないが、せっかくの観音様がこれでは、光源寺へお参りするのもためらってしまいます。なんとかなりませんか。」という要望が多く寄せられるようになった。
(ウ) 被告光源寺は、信者や拝観者からの本件原観音像の表情に関する苦情を放置することができず、やむなく、平成6年ころ、E4に対し、本件原観音像の左右の目の修繕を依頼した。
 ところが、E4は、脳梗塞の後遺症や高齢のため自ら本件原観音像の修繕をすることができず、原告を派遣して、本件原観音像の目の修繕を行わせた。
 原告は、一旦は、本件原観音像の目の削り直し作業を行ったが、被告光源寺が本件原観音像を確認すると、依然として左右の目が上下バラバラであったことから、原告に対してその旨伝えるとともに、再度修繕を依頼した。
 原告は、被告光源寺の依頼に応じて再度修繕したが、左右の目のバランスは直らず、本件原観音像の表情を修繕することはできなかった。
 そして、原告による修繕後も、依然として、信者や拝観者らから「駒込大観音を拝むと違和感を覚える」という苦情や「せっかくの観音様ですので、何とかなりませんか」という要望が多数寄せられた。
(エ) 被告光源寺は、信者や拝観者らの信仰心を尊重し、本件原観音像の仏頭部をすげ替えるのもやむを得ないと考え、平成15年ころ、原告に対して、その旨説明した上で、仏頭部のすげ替えを了承するよう求めた。しかし、原告は、被告光源寺の説明を真摯に聞こうともせず、上記依頼を拒絶した。
 被告光源寺は、原告の態度から、仏頭部のすげ替えを了承してもらうことは不可能であると考えるに至ったが、本件原観音像が信仰の対象である以上、信者や拝観者の意向を無視して放置することもできなかった。そこで、被告光源寺は、やむを得ず、被告C2に対して、新たな仏頭部を作成するよう依頼した。
 新しい仏頭部では、見開いたような目は改められ、多くの信者からの安堵、賞賛の言葉が寄せられている。このように、被告らが本件原観音像の仏頭部をすげ替えたのは、ひとえに信者や近隣住民の信仰心を尊重したからであり、それ以外の理由はない。
 しかも、被告らは、仏頭部のみをすげ替えたものであり、そのすげ替えも必要最小限に留めている。
(オ) したがって、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、その目的や態様、著作物が信仰の対象という特殊性があること等に照らし、「やむを得ないと認められる改変」に該当することは明らかである。
イ 以上によれば、本件原観音像についての原告の同一性保持権侵害を理由とする原告の請求は、いずれも理由がない。
3 争点3(原告の著作権法115条に基づく原状回復等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 著作権法115条は、@主に氏名表示権の侵害に対応する「著作者であることを確保するために適当な措置」、A主に同一性保持権の侵害に対応する「訂正するために適当な措置」、B同法113条6項等の名誉声望毀損関係行為に対応する「その他著作者の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置」の三つの措置を定めており、名誉声望ないし社会的名誉の毀損が要求されるのは最後のものに限られると解すべきである。
 したがって、「訂正するために適当な措置」を求めるには著作者の名誉又は声望の毀損は必須要件ではなく、同一性保持権が侵害されたこと、その改変著作物が社会に流布し、救済手段として訂正措置が適当となったこと、その権利侵害が侵害者の故意又は過失に基づくことさえ認定できれば、それ以上に社会的評価の低下を問うことなく、流布状況に応じた訂正措置が認められるべきである。
 そして、被告らが本件原観音像についての原告の同一性保持権を故意に侵害したこと、本件原観音像がD4、E4、F4及び原告により制作されたものであることは周知の事実であること、被告らが行った改変は、本件原観音像の仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変であること、改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、本件原観音像が長谷寺式十一面観音像であることにも配慮されない内容となっていること、原告による再三にわたる侵害警告にもかかわらず被告らが不誠実な態度に終始し、かつ、被告光源寺は今日に至るまで改変後の本件観音像を公衆の観覧に供し続けていること等の諸般の事情を考慮するならば、原告は、被告光源寺に対し、著作権法115条に基づく「訂正するために適当な措置」として、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復すること、本件観音像について、上記原状回復までの間、一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めることできる。
イ また、光源寺の檀家、信者、近隣住民等の多数の者の間においては、D4、E4、F4及び原告が本件原観音像を共同制作したことは、@本件原観音像の復興に関する新聞等での報道、A被告光源寺において原告らの出席の下で執り行われ、新聞等でも報道された開眼落慶法要、B被告光源寺が主催した先代住職の七回忌法要において住職のB3が出席者の席次表(甲44)に原告を「再建駒込大観音の共同彫刻家」と明記して多数の出席者に対して紹介したこと等から明らかなとおり、広く知られた事実であった。
 このような多数の者における原告の名誉又は声望に対する評価は、被告光源寺において被告C2に依頼して本件原観音像の仏頭部のすげ替え作業を実行させ、それが檀家、信者、近隣住民等に了知されたことにより、著しく毀損されたものである。
 そうすると、原告は、被告光源寺に対し、著作権法115条に基づく「名誉若しくは声望を回復するために適当な措置」として、本件原観音像について、その仏頭部を本件原観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復させること、本件観音像について、上記原状回復までの間、一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について著作者人格権を有していない。
 したがって、原告が本件原観音像について著作者人格権を有することを前提とする原告の請求は、いずれも理由がない。
4 争点4(原告の著作者人格権のみなし侵害に基づく措置請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 著作物を改変して利用するような一連の全体としての行為が、当該改変及び利用態様の如何により、著作者の創作意図を外れ、それに疑いを抱かせるような場合には、著作権法113条6項所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に当たり、著作者人格権の侵害行為とみなされると解すべきである。
 そして、被告光源寺は、本件原観音像の仏頭部をすげ替えた後、そのすげ替えられた状態のままの本件原観音像(すなわち、本件観音像)を本件観音堂内に祀り、参拝する公衆の観覧に供し続けているものであり、このような被告光源寺の一連の行為は、@被告光源寺に対して示された原告の明示の不承諾の意思に反することはもとより、仏教関係者ないし仏像彫刻家にとって常識的な仏師一般の信条にも反すること、A本件原観音像についてその仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変を施し、その改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、本件原観音像が長谷寺式十一面観音像の様式や特徴を踏まえた本件原観音像の像容の特質への配慮を欠く内容となっていることに照らすならば、原告の創作意図を外れたものであることは勿論のこと、一般公衆において本件原観音像の著作者の創作意図に疑いを抱かせるものであって、原告の名誉又は声望を現実に害したものであるか、少なくとも害するおそれがあるものであるから、「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に当たることは明らかである。
イ したがって、原告は、被告光源寺による原告の著作者人格権のみなし侵害行為を停止するため、著作権法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、上記侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、同条2項に基づき、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について著作者人格権を有していない。
 したがって、原告が本件原観音像について著作者人格権を有することを前提とする原告の請求は、いずれも理由がない。
5 争点5(二次的著作物の原著作物の著作者としての展示権侵害に基づく差止等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 原告は、本件原観音像の共同著作者であり、E4が死亡した平成11年9月28日以降、同じく共同著作者であるF4と共に、本件原観音像について著作権を共有している。
 被告らによって本件原観音像の仏頭部がすげ替えられた本件観音像は、本件原観音像の二次的著作物の原作品であるから、原告は、著作権法28条、25条により、二次的著作物の原著作物の著作者として、本件観音像の展示権を専有している。
 そして、被告光源寺は、本件観音像を本件観音堂内に祀り、原告からの再三にわたる仏頭部の原状回復要求に一切応じることなく、参拝する公衆の観覧に供し続けているから、原告の上記展示権を侵害している。
イ したがって、原告は、被告光源寺による原告の上記展示権の侵害行為を停止するため、著作権法112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、上記侵害行為の停止又は予防に必要な措置として、同条2項に基づき、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
 原告は、本件原観音像の共同著作者ではないから、本件原観音像について著作権(展示権)を有していない。
 したがって、二次的著作物の原著作物(本件原観音像)の著作者としての本件観音像についての展示権侵害を理由とする原告の請求は、いずれも理由がない。
6 争点6(原告の損害額)について
(1) 原告の主張
ア(ア) 被告らによる同一性保持権侵害行為(前記2(1))又は著作者人格権のみなし侵害行為(前記4(1))の不法行為により原告が被った損害は、以下のとおり合計600万円を下らない。
a 慰謝料500万円
 原告の経歴、本件原観音像の制作経緯、本件原観音像の仏像彫刻としての高い価値、被告らによる本件原観音像の重要部分の故意に基づく大幅な改変、被告光源寺による多数の一般公衆に対する改変後の本件観音像の継続的な供覧、原告の侵害警告に対する被告らの不誠実な対応等の諸般の事情を考慮すれば、被告らによる同一性保持権侵害行為又は著作者人格権のみなし侵害行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、500万円を下らない。
b 弁護士費用100万円
 被告らによる同一性保持権侵害行為又は著作者人格権のみなし侵害行為と相当因果関係のある原告の弁護士費用相当額の損害は、100万円を下らない。
(イ) したがって、原告は、被告らに対し、同一性保持権侵害の不法行為又は著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償として、600万円及びこれに対する被告光源寺について平成19年9月22日、被告C2について同月23日(同一性保持権侵害に係る不法行為の後である各訴状送達の日の翌日)から又は被告らについて平成20年8月29日(著作者人格権のみなし侵害に係る同月27日付け訴え変更の申立書送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めることができる。
イ(ア) 被告光源寺による同一性保持権侵害行為又は著作者人格権のみなし侵害行為により将来にわたり原告が被り得べき精神的苦痛に対する慰謝料は、本件口頭弁論終結日の翌日から被告光源寺が本件観音像についてその仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復するまで1か月につき10万円を下らない。
(イ) したがって、原告は、被告光源寺に対し、同一性保持権侵害の不法行為又は著作者人格権のみなし侵害の不法行為に基づく損害賠償として、平成21年3月18日(本件口頭弁論終結日の翌日)から被告光源寺が本件観音像についてその仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまで毎月末日限り1か月につき10万円の支払を求めることができる。
(2) 被告らの反論
 原告の主張は争う。
7 争点7(D4及びE4の人格的利益の保護のための原状回復等請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア(ア) D4(亡D2)及びE4(亡E2)は、本件原観音像の共同著作者の一人であるが、いずれも被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為前に、死亡した。原告は、D4の子であり、かつ、E4の弟であるから、E4及びD4の「第一順位の遺族」(著作権法116条2項)である。
 そして、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、E4及びD4が存しているとしたならば、D4及びE4の意に反するものであって、同一性保持権侵害行為に当たる。
 したがって、被告光源寺が本件原観音像の仏頭部をすげ替えて、そのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、D4及びE4が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為(著作権法60条本文)に当たるというべきである。
(イ) これに対し被告光源寺は、後記のとおり、E4の「意を害しないと認められる場合」(著作権法60条ただし書)に当たるから、同条本文による禁止の対象とはならない旨主張するが、失当である。
 すなわち、被告光源寺は、E4が本件原観音像の仏頭部を作り直すべきであると考えていたかのように主張しているが、そのような事実は存しない。このことは、E4自身が本件原観音像の制作当時の仏頭部を仏教美術彫刻展に出品した事実(甲4、5)からも明らかである。
 また、仮にE4が本件原観音像の仏頭部を作り直すべきであると考えていたとしても、本件において、被告らは、故意に、共同して本件原観音像の仏頭部をすげ替えて、被告光源寺は、すげ替え後の本件観音像の公衆への供覧を継続している。E4は、本件原観音像の制作者として公示されているので、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為により、E4の社会的な名誉又は声望が著しく毀損されたものであることは明らかである。
 また、仏頭部をすげ替えた本件観音像を公衆へ供覧し続けている行為も、同様に、E4の社会的な名誉又は声望を著しく毀損し続けるものである。
 したがって、著作権法60条ただし書所定の考慮要素を精査すれば、被告らの行為は、E4の「意を害しないと認められる場合」に該当しないことは明らかである。
イ 前記ア(イ)のとおり、被告光源寺が本件原観音像の仏頭部をすげ替えて、そのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、E4の名誉又は声望を毀損するものであり、これと同様に、D4の名誉又は声望を毀損するものである。
ウ したがって、原告は、D4及びE4の遺族として、著作権法116条1項、112条(前記2(1))、115条(前記3(1))に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間一般公衆の観覧に供する行為を停止することを求めるとともに、本件観音像について、その仏頭部を本件観音像制作当時の仏頭部に原状回復することを求めることができる。
(2) 被告光源寺の反論
ア D4は、本件原観音像の共同著作者ではなく、本件原観音像について著作者人格権を有していないから、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、D4が存していたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為に該当しない。
イ(ア) E4は、本件原観音像の著作者であるが、以下の事情によれば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為及び被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、「著作者の意を害しないと認められる場合」(著作権法60条ただし書)に当たるから、同条本文による禁止の対象とはならない。
a E4は、昭和62年6月ころ、本件観音像の仏頭部の荒彫りが完成した際、先代住職に対し、「お気に召さなければ作り直しましょうか。」と申し出るなど、仏頭部の出来に不満を抱いており、これを作り直すことも考えていた。
 そして、平成5年5月18日に行われた開眼落慶法要において、本件原観音像の仏頭部の欠陥が顕著に現れた。すなわち、漆・金箔を貼られた本件原観音像は、驚愕しているかのようににらみつけるような表情をしており、仏の慈悲の表情を表す半眼になっておらず、観音様の包み込むような慈悲深い表情が全くなかった。
 そのため、E4も先代住職も、「長い制作年月を費やしてたどり着いた開眼法要の祝いの場であるというのに、このようなお顔では」と落胆していた。
 このように、E4は、本件観音像の制作を通じて、仏頭部の出来に満足しておらず、作り直すことも検討していたが、平成元年5月に入院して以降、体力や気力の低下が著しく、再度、仏頭部を作り直すことは、事実上、不可能であった。
 そして、E4は、体力や気力が回復することなく、平成11年9月28日に死亡した。
b 以上のとおり、E4は、体力や気力の問題から本件観音像の仏頭部を作り直すことができなかったに過ぎず、本件仏頭部の出来には満足しておらず、作り直すことも検討していた。
 被告C2は、長年にわたって、E4と共に本件観音像の制作に携わっていた者であり、互いに尊敬し合う関係にあった。そして、被告C2は、本件観音像の仏頭部の作り直しを真剣に検討していたE4の心情や被告光源寺の真情をくみ取り、被告光源寺の依頼により、本件観音像の仏頭部を作り直したにすぎないから、E4の「意を害しないと認められる場合」(著作権法60条ただし書)に該当する。
(イ) 被告らが本件観音像の仏頭部を作り直した行為によって、E4の名誉又は声望が害されたという事実はない。
ウ したがって、著作権法116条1項に基づく原告の請求は、いずれも理由がない。
8 争点8(謝罪広告請求の可否)について
(1) 原告の主張
ア 被告らによる同一性保持権侵害行為及び著作者人格権のみなし侵害行為により、原告、D4及びE4の名誉又は声望が毀損されたことは、前記3(1)、4(1)及び7(1)のとおりである。
 そして、金銭賠償のみでは、原告、D4及びE4の名誉又は声望が回復され得るものではないこと、被告らが行った改変は、本件原観音像の仏頭部全体という重要部分についてすげ替えという大幅な改変であること、改変行為は、補修の必要性に基づいたものではない上、本件原観音像が長谷寺式十一面観音像であることにも配慮されない内容となっていること、原告による再三にわたる侵害警告にもかかわらず被告らが不誠実な態度に終始し、かつ、被告光源寺は今日に至るまで改変後の本件観音像を公衆の観覧に供し続けていること等の諸般の事情を考慮すれば、被告らをして原告については別紙謝罪広告目録1記載の謝罪広告を、D4及びE4については同目録2記載の謝罪広告を掲載させる程度のことであれば、原告の名誉又は声望を回復する措置として、D4及びE4の名誉又は声望を回復する措置としてそれぞれ必要最小限かつ相当なものである。
イ したがって、原告は、被告らに対し、著作権法115条に基づき並びにD4及びE4の遺族として同法116条1項、115条に基づき、原告、D4及びE4の名誉又は声望を回復するために適当な措置として、別紙謝罪広告目録1及び2記載の謝罪広告を求めることができる。
(2) 被告らの反論
 原告の主張は争う。
第4 当裁判所の判断
1 前提事実
 前記争いのない事実等と証拠(甲1ないし21、25ないし34、37、43ないし50、54ないし69、71、乙1ないし32、35ないし37(以上、枝番のあるものは枝番を含む。)、証人M1、証人K2、原告、被告光源寺代表者、被告C2)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(1)ア 亡D2(明治34年2月7日生)は、仏像彫刻を業とする仏師(雅号・「D3」)であり、東京都中野区内の自宅兼工房(本件工房)に居住していた。
 亡D2(D4)とその妻亡G2は、長男亡E2(大正15年2月18日生)、二男F2(昭和5年1月2日生)及び三男原告(昭和9年1月23日生)の3人の子をもうけた。亡G2は、昭和61年7月23日に死亡した。
 亡E2及びF2は、いずれも仏像彫刻を業とする仏師(亡E2の雅号・「E3」、F2の雅号・「F3」)であり、本件工房で、D4と同居していた。
 原告は、昭和43年3月12日に留学先(国立パリ美術学校彫刻科)のフランスで婚姻した後、同年中に帰国し、茨城県取手市内に居住するようになった。その後、原告は、D4から仏像彫刻の指導を受けた後、現代彫刻及び仏像彫刻を業としている。
イ 被告光源寺は、東京都文京区内で浄土宗の寺院である光源寺を維持、運用する宗教法人である。
 光源寺には、江戸時代の元禄10年(1697年)に造立された、像高2丈6尺(約7.9メートル)の木彫十一面観音菩薩立像(旧大観音像)を祀る観音堂があった。旧大観音像は、奈良県長谷寺の本尊である十一面観音菩薩立像(長谷寺式十一面観音像)の様式・特徴を備えた仏像であり、江戸時代から「駒込大観音」として広く人々の信仰を集めていた。
 旧大観音像は、昭和20年5月25日の東京大空襲により観音堂と一緒に焼失した。
 光源寺の住職であったH(先代住職)は、旧大観音像の焼失後、「駒込大観音」の再建を念願していた。
ウ 被告C2(昭和28年11月12日生)は、昭和48年ころから約6年間、彫刻家Nに師事して彫刻造形を学んだ後、昭和55年ころ亡E2(E4)の弟子となり、そのころから、E4に雇用され、本件工房でE4やD4の仕事を手伝うようになった。
 また、K2は、昭和61年6月ころE4の弟子となり、そのころから昭和62年6月ころまでの約1年間、E4に雇用され、本件工房でE4や兄弟子の被告C2の仕事を手伝っていた。
(2)ア E4は、昭和62年1月、被告C2を伴って年始の挨拶のため光源寺を訪れた際、先代住職に対し、「駒込大観音」の再建を勧めた。
 先代住職は、そのころ、E4からの勧めに応じ、「駒込大観音」及びこれを安置する観音堂の再建を決意し、E4に対し、「駒込大観音」の再建を依頼する旨伝えた。
 E4は、同年2月ころ、本件原観音像の下図(乙8の2、3)を描き、その下図を基に本件原観音像の材料となる檜材の必要量を算出し、その檜材の代金の見積りを得た後、被告光源寺に対し、本件原観音像の制作費の概算額を示した。被告光源寺は、E4が示した上記制作費の概算額を了承した。
イ(ア) 昭和62年5月ころ、本件原観音像の材料となる檜材が本件工房に搬入された。
 先代住職は、同年5月5日午前10時ころ、先代住職の妻、当時副住職であったB3(現住職で、現在の被告光源寺代表者)及びその妻とともに、本件工房を訪れた。B3は、その際、本件工房内に積み上げられた檜材の写真(乙8の1)等を撮影した。
 被告C2及びK2は、そのころから、本件工房で、檜材を寄せ合わせて木塊を制作し、E4は、その木塊を仏頭とする彫刻(粗彫り)を開始した。
(イ) 先代住職は、E4から仏頭部の粗彫りが完成したので確認して欲しい旨の連絡を受け、昭和62年6月14日午後3時ころ、先代住職の妻、B3及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。先代住職は、その際、D4及びE4の面前で、粗彫りされた仏頭部の内刳り部(内部)に梵字、「駒込大観音」の文字等を墨書した。
 B3は、先代住職が仏頭部に墨書を行っている最中の写真(乙9の1の1ないし1の5)、仏頭部及びその墨書の写真(甲6)、仏頭部をほぼ中央に挟んで、先代住職、D4及びE4の3人が入った写真(甲7)等を撮影した。
ウ(ア) 先代住職は、昭和62年7月24日、B3とともに、本件工房を訪れた。B3は、その際、仏頭部が体部に差し込まれた写真(乙10)を撮影した。その体部は胸部まで彫り進められていた。
(イ) 先代住職は、昭和62年8月25日、先代住職の妻、B3及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。B3は、その際、仏頭部が体部に差し込まれた写真、E4が作業用に組まれた足場の上で仏頭部及び体部に向かって彫刻作業のポーズをとった写真(乙11の1)、足場の上で彫刻作業のポーズをとったE4を背景に、先代住職及びその妻、B3の妻子の5人が入った写真(甲25)を撮影した。
(ウ) 先代住職は、E4から体部の粗彫りが出来上がってきた旨の連絡を受け、昭和62年10月20日午後3時ころ、先代住職の妻、B3及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。B3は、その際、粗彫りされた体部に仏頭部及び上腕部(肩から肘まで)が取り付けられた仏像を背景に、先代住職及びその妻、B3の妻子、E4の5人が入った写真(乙12の2)等を撮影した。
(エ) 先代住職は、E4から腕を彫り進めている旨の連絡を受け、昭和63年1月10日午前中に、B3とともに、本件工房を訪れた。B3は、その際、体部に仏頭部及び腕部(肩から指先まで。以下同じ。)が取り付けられた仏像を背景に、先代住職及びE4の2人が入った写真(乙13の2)等を撮影した。
(オ) 先代住職は、E4から仏頭部に設置する化仏を彫刻した旨の連絡を受け、昭和63年4月8日、写真家のO(以下「O」という。)とともに、本件工房を訪れた。先代住職は、その際、体部に仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像の各部位、彫刻途中の化仏の写真(乙22)を撮影した。
(カ) 先代住職は、昭和63年6月20日、毎日新聞社の記者から、駒込大観音の再建の件で取材を受けた。
 その後、同月22日発行の毎日新聞(甲4)に、「光源寺の「駒込大観音」復興」の大見出し、「空襲で焼失住職の努力実り制作中」等の小見出しの下に、高さ3.63メートルの木像を制作中である旨の記事が掲載された。
 上記記事には、「制作は仏像彫刻家のE3さん・・・に依頼。昨年五月に木曽ヒノキをIさんのアトリエに運び込み、同六月から弟子二人とともに彫り続けている。像の高さは十二尺(三・六三メートル)。台や光背も入れると十七尺(五・一五メートル)。旧像と同じ十一面観音像で、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に蓮華(ハスの花)を持つ。六十四年十月の完成を目指す。ウルシ塗り、金箔を配した観音像が姿を現す予定だ。・・・観音像を安置する御堂も建設するため、開眼はその後の四、五年先になる。」等の文章が掲載されている。また、上記記事には、「寄せ木造りの手法で作られる観音像とIさん」との説明が付された、体部に仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像と同仏像に向かって彫刻作業のポーズをとったE4の写真が掲載されている。
(キ) D4は、腎性高血圧症等で通院治療を受けていたところ、昭和63年5月下旬から通院不能となり、同年7月29日、死亡した。
 その後、同年8月9日発行の中外日報(甲5)に、「よみがえる「駒込大観音」浄土宗光源寺」、「最後の大空襲で焼失」、「B2住職復興へ悲願43年」、「仏像彫刻家E3氏精魂こめて制作」等の見出しの下に、「駒込大観音」を再建中である旨の記事が掲載された。上記記事には、「寄せ木造りで作られる「駒込大観音」」との説明が付された、体部に仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像の写真、粗彫りされた仏頭部をほぼ中央に挟んで、先代住職、D4及びE4の3人が入った写真(甲7)が掲載されている。
(ク) 先代住職は、E4から仏頭部に化仏をつけた旨の連絡を受け、昭和63年8月11日午後1時ころ、先代住職の妻及びOとともに、本件工房を訪れた。Oは、その際、化仏がつけられた仏頭部及び腕部が取り付けられた仏像の正面及び背面の写真(甲27、28)、同仏像を背景に、先代住職及びその妻、E4、F4、被告C2の5人が入った写真(甲26)を撮影した。
 その後、同月23日から1週間、化仏がつけられた仏頭部が、日本橋三越百貨店で開催された第35回仏教美術彫刻展に出展された。
(ケ) 先代住職は、E4から光背をほぼ彫り終わった旨の連絡を受け、平成元年1月28日午後2時ころないし3時ころ、先代住職の妻、B3及びその妻子とともに、本件工房を訪れた。B3は、その際、光背の写真(乙14の1)、光背を背景に、先代住職及びその妻、B3の妻子、E4、F4、被告C2の7人が入った写真(乙14の3)を撮影した。
エ E4は、平成元年5月6日、脳梗塞を発症して倒れ、同日から同年6月24日までの間入院した。
 その間の6月14日、先代住職は、妻とともに、本件工房を訪れた。先代住職は、その際、内刳りされた体部(躯体)の内部に、梵字、「願 天下和順荘厳国土」の願文等を墨書(甲9)した。先代住職が墨書を行っている様子は、写真撮影された。その写真中には、先代住職の様子を見ているF4が写り込んだ写真(甲30)がある。
 一方、原告も、上記体部の内部に、「大佛師 監修 D3」、「制作者 E3 F3 A1」と墨書(甲10)した。また、上記体部の内部には、「A1」の墨書部分の左側に「弟子 C1」と墨書(甲10)されているが、このうち、「C1」の墨書部分は被告C2が、「弟子」の墨書部分は原告がそれぞれ記載したものであった。
オ(ア) 被告C2は、平成元年9月ころ、E4から独立し、千葉県佐倉市内に工房を開設した。その後、被告C2は、本件原観音像の制作作業に関与することはなかった。
(イ) 先代住職は、E4から彫刻が終了した旨の連絡を受け、平成元年10月10日午後2時ころ、B3とともに、写真を撮る目的で本件工房を訪れた。
 B3は、その際、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖を持った仏像(本件原観音像)の写真(乙30の2、31の2)を撮影した。
 その後、B3から写真撮影の依頼を受けたOは、同年10月ころ、本件工房を訪れ、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖、左手に蓮華をそれぞれ持ち、台座の上に立った姿勢の仏像(本件原観音像)と同仏像用の光背とを並べた構図の写真(甲11の1枚目)を撮影した。その後、先代住職は、平成3年ころ、Oが撮影した上記写真を裏面に印刷したはがき(甲11)を作成した。
(ウ) 平成元年10月10日を最後に、先代住職及びB3が本件原観音像の制作状況の確認のため本件工房を訪れることはなかった。
 また、先代住職及びB3が上記制作状況の確認のため本件工房を訪れた際、E4が入院中の平成元年6月14日(前記エ)を除き、原告と会ったことはなかった。
カ(ア) 先代住職は、株式会社竹澤古典建設設計事務所(以下「竹澤事務所」という。)に対し、本件原観音像を安置する観音堂の新築工事の見積りを依頼していたところ、竹澤事務所から、新築工事費用を合計3億5000万円とする平成元年4月8日付け概算書及び設計図面(乙37)の提出を受けた。
 先代住職は、同年ころ、光源寺の檀家であるM1(以下「M2」という。)に対し、上記概算書及び設計図面を見せて相談した結果、本件原観音像を安置する観音堂の新築工事の設計及び施工監理をM2に依頼した。
 その後、先代住職は、平成2年1月15日ころ、M2との間で、本件原観音像の漆塗り・金箔貼り作業を行うための工房(本件漆塗り工房)を建設するための打合せをした。M2は、本件漆塗り工房(プレハブ建物)の建設の手配をした。
(イ) 平成2年3月12日、本件原観音像が本件工房から搬出されて光源寺の境内に建設された本件漆塗り工房に搬入され、塗師(漆塗り職人)によって、本件原観音像の漆塗り・金箔貼り作業が開始された。
 先代住職は、同日、本件原観音像の本件漆塗り工房への搬入を記念する法要を執り行った。E4及び被告C2は、上記法要に出席したが、F4及び原告は出席しなかった。
 その法要の際、寝かせた本件原観音像の体部を前方に配して、出席者の記念写真が撮影された。その記念撮影(乙3)に写された本件原観音像の足ほぞには、「監修 D3」、「制作者 E3 F3 A1 C1」との墨書があった。この墨書は、昭和63年ころないし平成元年ころ、E4によって記載されたものであった。
(3)ア 平成5年ころ、M2の設計及び施工監理に係る本件原観音像を安置するための観音堂(本件観音堂)が、光源寺の境内に完成した。本件観音堂の壁面には、陶器製のレリーフが設置されているところ、同レリーフは、原告がM2の依頼を受けて制作したものであった。
イ 原告は、平成5年5月ころ、漆塗り・金箔貼り作業が完了した本件原観音像から仏頭部を取り外して本件工房に持ち帰り、本件原観音像の眼の彩色、書き入れ作業を行った後、その仏頭部を本件原観音像の体部に再び取り付けた。
 その後、同月ころ、制作作業がすべて完了した本件原観音像が、本件漆塗り工房から本件観音堂に搬入され、本件観音堂内に安置された。その際、本件原観音像を背景に、先代住職及びその妻、B3及びその妻子、E4、原告、塗師等が入った写真(甲31)が撮影された。
ウ(ア) 先代住職は、平成5年5月18日、本件原観音像の開眼法要(開眼落慶法要)を執り行った。E4、F4、原告及び被告C2は、上記法要に出席した。上記法要の際、本件観音堂の前で、先代住職及びその妻、B3及びその妻、E4、F4、原告、被告C2、M2等が入った記念写真(甲12)が撮影された。
(イ) 本件観音堂に安置された本件原観音像は、前記(ア)の法要後、一般に公開され、檀家や一般の参拝者によって参拝されるようになった。
(4) 原告は、平成6年7月18日、本件原観音像の両目の補修作業を行った。B3は、その補修結果に満足せず、再補修を要望した。原告は、同月20日までに、本件原観音像の目の再補修を行った。
(5)ア 先代住職は、平成6年12月26日、死亡した。その後、B3は、光源寺の住職となり、また、平成7年2月23日、被告光源寺の代表役員に就任した。
イ 平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)に、「名工をたずねて(東京)」との記事の中で、「江戸仏師は五代目」、「仏師 E3師」との見出しの下に、E4が紹介された。上記記事には、「最近の大作としては駒込大観音を仕上げたこと。台座から後背まで八メートル、総金箔張という巨大な仏像である。製作には二年半を費し、一昨年、開眼式を行った。常に仕事を共に続ける弟・F4師、A2氏(行動美術会員)は大きな支えとなった。」との文章や、「東京駒込光源寺大観音(E3)」と付された、本件原観音像の写真が掲載されている。
ウ F4は、平成10年、病気のため仏師を廃業した。
 その後、E4は、平成11年9月28日に死亡した。
エ 現住職のB3は、平成12年11月26日、先代住職の七回忌法要を執り行った。原告は上記法要に出席したが、F4及び被告C2は出席しなかった。上記法要の後の会食の席次表(甲44)には、原告について「再建駒込大観音の共同彫刻家」と記載されていた。
(6)ア 現住職のB3は、本件観音堂に安置された本件原観音像は目を見開いた状態で、参拝場所から本件原観音像を見上げると、驚いたように又は睨みつけるような表情であって、その表情にかねてから強い違和感を感じていたところ、檀家や一般の参拝者からも、本件原観音像の表情に違和感を覚える旨の苦情や慈悲深い表情とするよう善処を求める旨の要望を受けていた。
 そこで、現住職のB3は、平成15年ころ、被告C2に相談したところ、本件原観音像の表情を変えるには、目の部分だけを彫り直す方法や顔の前面を彫り直す方法などが考えられるが、失敗する可能性もあり、そのリスクを考えると、新たに仏頭部を作り直した方がよい旨の助言を受け、仏頭部の作り直しを決意した。現住職のB3は、同年ころ、原告に対し、本件原観音像の仏頭部の作り直しを被告C2に依頼する考えでいる旨伝えたところ、原告は、仏頭部の作り直し自体を拒絶した。
 その後、現住職のB3から依頼を受けた被告C2は、仏頭部を新たに制作し、この仏頭部を本件原観音像の仏頭部とすげ替え、そのすげ替え後の観音像(本件観音像)が本件観音堂で一般の観覧に供されるようになった。現住職のB3は、上記すげ替えの事実を被告C2との間で秘匿することとし、上記すげ替えの事実を原告に知らせたり、公表することはなかった。
イ(ア) 原告は、平成18年10月ころ、本件原観音像の仏頭部がすげ替えられた本件観音像が本件観音堂に祀られて一般の観覧に供されていることに気づいた。
(イ) 原告の代理人弁護士は、平成18年10月18日到達の内容証明郵便(甲15の1、2)で、被告光源寺に対し、本件原観音像の仏頭部のすげ替えは、本件原観音像の共同制作者である原告の著作者人格権を侵害するとして、本件観音像の仏頭部について原状回復の措置を講じるよう要求する旨の通知をした。
 被告光源寺は、同年10月27日付け書面(甲16)で、原告の代理人に対し、@檀家、参拝者からの本件原観音像の「お顔」に対する批判はおさまることなく、「駒込大観音」が信仰の対象であるということにかんがみ、「お顔」を変える決断をした、A本件原観音像の仏頭部は大切に保管している、B「信徒の皆さま」の希望が強ければ元のとおりに戻すことはやぶさかではないが、現状を認めていただくようお願いする旨の通知をした。
(ウ) 原告の代理人弁護士は、平成18年11月18日到達の内容証明郵便(甲17の1、2)で、被告光源寺に対し、同年12月末日までに、本件観音像の仏頭部について原状回復の措置を講じるよう要求する旨の通知をした。
 また、原告の代理人弁護士は、同年11月18日到達の内容証明郵便(甲18の1、2)で、被告C2に対し、同内容証明郵便到達後1週間以内に、被告C2が仏頭部のすげ替けを行った経緯の説明及び原告らに対する謝罪文の送付を求める旨の通知をした。
(エ) 被告C2は、平成18年12月14日付け書面(甲19)で、原告の代理人に対し、@本件原観音像の仏頭部を彫刻したのは亡E2(E4)であるが、本件原観音像の「尊顔」が悪相であり、慈悲深い相貌ではなかったため、亡E2自身が「尊顔」を作り直す願いを持っていた、A被告C2は、亡E2の願いをかなえるため、亡E2の名代として、新たな仏頭部を制作するに至った旨通知した。
 これを受けた原告の代理人弁護士は、平成19年2月9日到達の内容証明郵便(甲20の1、2)で、被告C2に対し、@上記書面(甲19)による被告C2の弁明は一方的かつ不合理な言い分に過ぎず、承服することはできない、A本件紛争を穏便に収めるべく、被告光源寺が自主的に本件観音像について原状回復の措置を講じるよう申し入れてきたが、被告光源寺から誠意ある対応を得られなかったので、今後やむをえず訴訟提起等の措置を講じる旨の通知をした。
ウ 原告は、平成19年9月13日、本件訴訟を提起した。
2 原告の共同著作者性(争点1)について
(1) 原告は、著作物の原作品である本件原観音像の体内(躯体の内部)及び足ほぞの「A1」との墨書によって、原告の氏名である「A1」が著作者名として通常の方法により表示されているから、著作権法14条に基づいて、原告は本件原観音像の著作者(共同著作者)と推定される旨主張する。
ア まず、証拠(甲40、41)及び弁論の全趣旨によれば、仏像彫刻においては、仏像の体内や足ほぞに制作者の実名又は雅号を墨書することは、著作者名の通常の表示方法であることが認められる。
 そして、前記争いのない事実等(前記第2の2(2)ウ)のとおり、本件原観音像の体内(躯体の内部)には、「制作者 E3 F3 A1 弟子 C1」との墨書が、また、本件原観音像の足ほぞには、「制作者 E3 F3 A1 C1」との墨書が施されている。
イ しかし、他方で、以下のとおり、本件原観音像の体内(躯体の内部)及び足ほぞの「A1」との墨書から、原告が本件原観音像の著作者と推定されることを妨げる証拠がある。
(ア) 被告C2は、本人尋問において、E4及びその弟子である被告C2は、昭和62年5月ころ本件原観音像の木彫作業を開始し、平成元年9月半ばにその仕上げ作業を完了したが、この間に原告が本件原観音像の制作に関与したことはない、E4が平成元年5月ころ脳梗塞により入院し、退院するまでの約1か月間、被告C2は、本件原観音像の木彫作業を進めたことはなく、E4の退院後に作業を再開した、E4が入院した当時、木彫作業は仕上げを残している状態であった、E4の入院期間中に、原告が本件原観音像の制作について口を挟もうとしたので、被告C2は、これを拒絶した旨供述し、また、昭和62年1月ころから被告C2がE4から独立した平成元年9月までの間における本件原観音像の制作経緯及び制作作業の内容について具体的かつ詳細に供述している。
 そして、@平成元年10月10日にB3によって撮影された、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖を持った仏像(本件原観音像)の写真(乙30の2、31の2)、同年10月ころに写真家のOによって撮影された、仏頭部に化仏をつけ、右手に錫杖、左手に蓮華をそれぞれ持ち、台座の上に立った姿勢の仏像(本件原観音像)と同仏像用の光背とを並べた構図の写真(甲11の1枚目)(前記1(2)オ(イ))によれば、上記各写真が撮影された同年10月当時、本件原観音像はその細部まで彫り上げられた状態にあったことがうかがわれること、A先代住職は、昭和62年5月5日、6月14日、7月24日、8月25日、10月20日、昭和63年1月10日、4月8日、8月11日、平成元年1月28日、6月14日、10月10日の11回にわたり、本件原観音像の制作状況の確認等のため本件工房を訪れたが、E4が入院中の平成元年6月14日を除き、原告と会ったことはなく(前記1(2)イ(ア)、(イ)、ウ(ア)ないし(オ)、(ク)、(ケ)、オ(イ)、(ウ))、また、先代住職が本件工房を訪れた際に撮影された各写真(甲7ないし10、25ないし28、30、乙8の1ないし3、9の1の1ないし1の5、9の2、10、11の1ないし3、12の1、2、13の1、2、14の1のないし4、17の1ないし5、18ないし20、21の1ないし4、22、23等)には、原告が写っていないこと、B証人K2の供述中には、K2は、昭和61年6月ころから昭和62年6月ころまでの間、E4の弟子として仏像制作を学び、同年5月ころから6月ころまでの間、兄弟子の被告C2の作業を手伝って本件原観音像の制作作業に関与したが、その間に原告は本件原観音像の制作作業に関与していないと思う旨の供述部分があること、C被告光源寺代表者(B3)の供述中には、B3は、平成元年10月10日、本件原観音像の彫刻が終了したという連絡を受け、その撮影をするため、先代住職と共に本件工房へ行き、本件原観音像の写真(乙30の2、31の2)を撮影した、B3は、昭和62年5月5日、6月14日、7月24日、8月25日、昭和63年1月10日、平成元年1月28日、10月10日の7回にわたり、本件原観音像の制作状況の確認等のため本件工房を訪れた際、原告を見かけたことはない、原告は、目の修繕以外に、本件原観音像の制作に全く関与していない旨の供述部分があること、D平成元年10月10日を最後に、先代住職及びB3が本件原観音像の制作状況の確認等のため本件工房を訪れることはなかったこと(前記1(2)オ(ウ))に照らすならば、本件原観音像の制作が開始された昭和62年5月ころから被告C2が独立した平成元年9月までの間に、原告が本件原観音像の制作に関与したことはない旨の被告C2の上記供述部分は、信用することができる。
 また、上記@、Dの事実と被告C2の供述(乙7の陳述書を含む。)及び被告光源寺代表者の供述(乙28の陳述書を含む。)を総合すれば、被告C2が独立した当時、本件原観音像の木彫作業は、仕上げ作業のほとんどが完了している段階にあったものと推認することができる。
(イ) これに対し原告は、本人尋問において、本件原観音像の制作は、I家として依頼を受けたものであり、その仕事の割り振りは、「頭」はD4が健康のころはD4が、D4が亡くなってからはほとんどE4が、「体」はF4が、「腕、光背及び台座」はF4と原告が、「化仏」は原告がそれぞれ担当して制作した、E4の退院後の平成元年6月末ころの時点では、小造りが終わり、仕上げに入る段階であった、E4は退院後、気力が衰え、見通しがつかないような状態であったため、原告が中心となって仕上げ作業を進めた、被告C2が独立した平成元年9月当時、本件原観音像の木彫作業は大体90パーセント位が進んでいた、仕上げ作業は平成2年3月12日に本件原観音像が本件漆塗り工房に搬入される直前までかかり、その搬入の前の1週間位は、原告がほとんど寝ない状態で作業を行った、仕上げ作業の主な内容は、腕部及び体部の彫り直し及び削り直しであり、一方で、仏頭部には手をつけておらず、光背の彫り直し及び削り直しも仕上げ作業としては行っていない、その具体的な作業ないし工程としては、漆を塗ることになるため、きちんと彫っていないと漆がかかった時点で形がぼけて甘くなってしまうので、そういうところを特に丁寧に仕上げていき、また、衣の部分については質感ないし材質感を直していく仕事であった旨供述し、これに沿う陳述書(甲37)の記載部分がある。
 しかし、原告が本件原観音像の化仏、両腕、光背及び台座の制作を担当し、E4の退院後の平成元年6月末ころから平成2年3月12日に本件漆塗り工房に搬入される直前まで、原告が中心となって仕上げ作業を行った旨の原告の上記供述(上記陳述書を含む。)は、本件原観音像の制作経緯及び制作作業の内容に関する被告C2の供述内容と対比すると、具体性に乏しい上、前記(ア)の@、A、Dの事実とも整合しないことに照らし、採用することはできない。
 もっとも、原告の供述と相反する被告C2の供述を前提としても、被告C2が独立した後の平成元年10月から本件原観音像が平成2年3月12日に本件漆塗り工房に搬入されるまでの間に、原告が本件原観音像の仕上げ作業に関与したこと自体を否定するものではなく、その間に原告は仕上げ作業に何らかの関与をしたものとうかがわれる。
 しかし、原告は、上記のとおり、仕上げ作業は本件原観音像が本件漆塗り工房に搬入される直前までかかり、その搬入の前の1週間位は、原告がほとんど寝ない状態で作業を行った旨供述していながら、その作業内容及び作業経緯については具体的な供述をしていないこと、前記(ア)@の各写真の内容に照らすならば、原告が平成元年10月から平成2年3月12日までの間に行った仕上げ作業が、本件原観音像の制作についての創作的な関与に当たるものとまで認めることは困難である。
(ウ) また、原告が本件原観音像の制作作業に従事していたことを示す客観的資料であると主張する甲1、34、44、71は、いずれも本件原観音像の制作についての原告の具体的な関与の状況を示すものではなく、ましてや原告が平成元年10月から平成2年3月12日までの間に行った仕上げ作業によって本件原観音像の制作についての創作的な関与をしていたことを示すものではない。
 すなわち、平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)における「(E4の)最近の大作としては駒込光源寺の大観音を仕上げたこと。・・・常に仕事を共に続ける弟・F4氏、A2氏(行動美術会員)は大きな支えとなった」との記載、医師J作成の昭和63年7月30日付け紹介状(甲34)における「(D4は)観音像を3人の息子さん達と制作中の方です」との記載、平成12年11月26日に執り行われた先代住職の七回忌法要の席次表(法要後の会食の席次表。甲44)における原告についての「再建駒込大観音の共同彫刻家」との記載は、いずれも原告が本件原観音像の制作にいかなる関与をしたのかを具体的に示すものではない。
 また、先代住職の七回忌法要の際には、D4及びE4は既に死亡し、F4は病気のため仏師を廃業していたことに照らすと、原告は、本件原観音像を制作したE4の名代としての位置づけであったことがうかがわれるから、上記席次表において「再建駒込大観音の共同彫刻家」と記載されているからといって、原告が本件原観音像の制作者であることを裏付けることにはならない。
 さらに、平成5年5月18日に執り行われた本件原観音像の開眼法要の際に、先代住職のスピーチを録音したビデオテープ(甲71)には、「この駒込大観音尊像は、仏教彫刻家D3氏が監修されまして、E3氏が制作されました。・・・そして、台座、光背等もF3、A1、C1氏の御協力を得まして見事に完成いしましたものでございます。」との部分があるが、この部分は、先代住職は、本件原観音像の「制作」はE4が行い、原告は「台座、光背等」についての「御協力を得た者」の一人として認識していたことを示すものにすぎない。
 なお、証人M2の供述中には、M2は、平成2年4月か、5月ころ、先代住職から、原告を紹介され、その際、先代住職は、原告がI家の仏師の一族の一人で、本件原観音像も原告によるところが非常にあったという話をしていた旨の供述部分があるが、上記供述部分も、原告が本件原観音像の制作にいかなる関与をしたのかを具体的に裏付けるものではない。
ウ そうすると、本件原観音像の体内(躯体の内部)及び足ほぞの「A1」との墨書から、著作権法14条により、原告が本件原観音像の著作者と推定されるということはできない。
(2) そして、本件全証拠によっても、原告が本件原観音像の制作に創作的に関与したことを認めるに足りない。
 したがって、原告が本件原観音像の共同著作者であるものとは認められない。
(3) 以上によれば、原告は、本件原観音像について著作者人格権及び著作権を有するものとはいえないから、これを有することを前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
3 D4及びE4の人格的利益の保護のための原状回復等請求の可否(争点7)について
(1) D4の人格的利益の保護のための原状回復等請求
ア 原告は、著作物の原作品である本件原観音像の体部(躯体部)の内部の「大仏師 監修 D3」及び同足ほぞ部の「監修 D3」との墨書によって、D4(亡D2)の雅号である「D3」が著作者名として通常の方法により表示されているから、D4は、著作権法14条に基づいて、本件原観音像の著作者(共同著作者)と推定される旨主張する。
 前記争いのない事実等(前記第2の2(2)ウ)のとおり、本件原観音像の体内(躯体の内部)には、「大仏師 監修 D3」との墨書が、また、本件原観音像の足ほぞには、「監修 D3」との墨書が施されている。
 しかし、他方で、@被告C2の供述(乙7の陳述書を含む。)中には、D4は、昭和62年5月ころ、ぼけの症状がひどくなってきており、本件原観音像の制作作業に関与できる状態にはなく、本件原観音像の制作作業に関与していない旨の供述部分があること、AD4は、本件原観音像の制作がされた昭和62年当時通院中であり、その後昭和63年5月下旬から通院不能となり、同年7月29日死亡したこと(前記1(2)ウ(キ))に照らすと、「D3」との上記墨書から、D4が本件原観音像の著作者と推定されることを妨げる証拠がある。
イ また、原告の供述(甲37の陳述書を含む。)中には、本件原観音像の仏頭部の制作は、D4が健康のころはD4が行い、D4がなくなってからはほとんどE4が行い、また、化仏の粗彫りは、D4とE4が行った旨の供述部分があるが、これと反対の趣旨の被告C2の供述部分に照らし、採用することはできない。
 他にD4が本件原観音像の著作者であることを認めるに足りる証拠はない。
ウ したがって、原告主張のD4の人格的利益の保護のための原状回復等請求は、いずれも理由がない。
(2) E4の人格的利益の保護のための原状回復等請求
ア E4(亡E2)が、美術の著作物である本件原観音像の著作者であること、E4が平成11年9月28日に死亡したこと、被告光源寺が本件原観音像を本件観音堂内に祀り、参拝者等の公衆の観覧に供していたこと、被告らが、E4の死後である平成15年ころから平成18年ころまでの間に本件原観音像の仏頭部をすげ替え、被告光源寺がそのすげ替え後の本件観音像を本件観音堂内に祀り、参拝者等の公衆の観覧に供していることは、前記争いのない事実等(第2の2)のとおりである。
 本件原観音像は、木彫十一面観音菩薩立像であって、11体の化仏が付された仏頭部、体部(躯体部)、両手、光背及び台座から構成されているところ、11体の化仏が付された仏頭部が、著作者であるE4の思想又は感情を本件原観音像に表現する上で重要な部分であることは明らかである。
 そうすると、本件原観音像の仏頭部のすげ替えは、本件原観音像の重要な部分の改変に当たるものであって、E4の意に反するものと認められるから、本件原観音像を公衆に提供していた被告光源寺による上記仏頭部のすげ替え行為は、E4が存しているとしたならばその著作者人格権(同一性保持権)の侵害となるべき行為(著作権法60条本文)に該当するものと認めるのが相当である。
イ(ア) これに対し被告光源寺は、E4が本件原観音像の仏頭部に満足しておらず、これを作り直すべきことを検討していたから、被告光源寺による本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、E4の「意を害しないと認められる場合」(著作権法60条ただし書)に当たり、同条本文による禁止の対象とはならない旨主張する。
 しかし、本件において、E4が本件原観音像の完成後にその仏頭部を作り直すことを考えていたことを認めるに足りる証拠はない。
 すなわち、被告C2の供述中には、仏頭部の粗彫りが完成した際、E4が先代住職に確認を求めたその場で、先代住職に対し、「お気に召さなければ作り直ししましょうか、と言いました」との供述部分があり、また、被告光源寺代表者(B3)の供述中には、先代住職とB3が昭和62年6月14日に本件工房を訪れた際、E4が先代住職に対し、粗彫りが出来上がった仏頭部について、「だみ声で、どうでしょう。お気に召さなかったら作り直しましょうかねえ、というふうにおっしゃったのを覚えてます。」、E4は仏頭部の出来について、「作り直しましょうかという言葉からすると、満足なさっていなかったのではないかと思います。」との供述部分がある。
 しかし、他方で、@昭和63年8月23日から1週間、化仏がつけられた仏頭部が、日本橋三越百貨店で開催された第35回仏教美術彫刻展に出展されているが(前記1(2)ウ(ク))、仏師であるE4が自ら制作した作品である仏頭部の出来について満足せず、あるいはこれを作り直すつもりでいたとすれば、仏教美術彫刻展に出展することを差し控えるのが自然であること、A平成5年5月18日に執り行われた本件原観音像の開眼法要(開眼落慶法要)の際に、E4は、本件原観音像の制作について、「・・・一生懸命やりました。出来映えはまあまあというところだと思います。」と挨拶していること(甲71)、B被告C2及び被告光源寺代表者の上記各供述部分は、E4が粗彫りが出来上がった仏頭部について「お気に召さなければ作り直ししましょうか」あるいは「お気に召さなかったら作り直しましょうかねえ」と発言したというものであって、その発言は、本件原観音像の制作途中の段階のものであり、完成した本件原観音像の仏頭部について作り直す意向を示したものとはいえないこと、C上記開眼法要(開眼落慶法要)が執り行われた平成5年5月18日以降、E4が死亡した平成11年9月28日までの間に、E4が本件原観音像の仏頭部を作り直す意向を示したことをうかがわせる証拠はないことに照らすならば、被告C2及び被告光源寺代表者の上記各供述部分からE4が本件原観音像の完成後にその仏頭部を作り直すことを考えていたものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被告光源寺による本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為がE4の「意を害しないと認められる場合」に当たる旨の被告光源寺の上記主張は、採用することができない。
(イ) また、被告光源寺は、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、「やむを得ないと認められる改変」(著作権法20条項4号)に該当し、本件原観音像についての同一性保持権侵害に当たらない旨主張しているので(前記第3の2(2))、念のためこの点についても判断する。
 被告光源寺は、@本件原観音像は、本件観音堂に祀られた本件観音像を下から見上げる拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなかったことから、E4が、本件原観音像が下を向くように、強引に眼球面を彫刻した結果、上まぶたが仏像の慈悲の表現を表す「半眼」にならず、しかも、下から見上げると、本件原観音像は、驚いたように又はにらみつけるように眼を見開いた表情になってしまった、A開眼法要後の観音像は、信仰の対象たる存在となり、その表情は、拝観者らの信仰、ひいては、憲法で保障される信教の自由が具体化されるプロセスにおいて、極めて重要な意義を有しているところ、被告光源寺は、本件原観音像の開眼落慶法要(開眼法要)以降、本件原観音像の表情について、信者や拝観者から、「駒込大観音を拝むと違和感を覚える」などの苦情や、檀家総代から「大変申し訳ないが、せっかくの観音様がこれでは、光源寺へお参りするのもためらってしまいます。なんとかなりませんか。」という要望が被告光源寺に多く寄せられるようになった、B被告光源寺は、平成6年ころ、E4に対し、本件原観音像の左右の目の修繕を依頼したところ、E4は、原告を派遣して、本件原観音像の目の修繕を行わせたが、左右の目のバランスは直らず、本件原観音像の表情を修繕することはできなかった、C被告光源寺は、上記修繕後も、依然として、信者や拝観者らから「駒込大観音を拝むと違和感を覚える」という苦情や「せっかくの観音様ですので、何とかなりませんか」という要望が多数寄せられたため、信者や拝観者らの信仰心を尊重し、本件原観音像の仏頭部をすげ替えるのもやむを得ないと考え、平成15年ころ、原告に対して、その旨説明した上で、仏頭部のすげ替えを了承するよう求めたが、原告は、被告光源寺の説明を真摯に聞こうともせず、上記依頼を拒絶した、D被告光源寺は、原告の態度から、仏頭部のすげ替えを了承してもらうことは不可能であると考えるに至ったが、本件原観音像が信仰の対象である以上、信者や拝観者の意向を無視して放置することもできなかったため、やむを得ず、被告C2に対して、新たな仏頭部を作成するよう依頼して、本件原観音像の仏頭部をすげ替えた、E被告らは、仏頭部のみをすげ替えたものであり、そのすげ替えも光背などは取り替えず必要最小限に留めている、以上の@ないしEによれば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、その目的や態様、著作物が信仰の対象という特殊性があること等に照らし、「やむを得ないと認められる改変」に該当する旨主張する。
 しかし、被告光源寺の主張は、以下のとおり理由がない。
a まず、弁論の全趣旨によれば、本件原観音像の像高と本件観音堂の奥行きの関係等から、下から見上げる拝観者の眼差しと本件原観音像の眼差しとが合わさらなかったことが認められるが、これを是正するため、E4が本件原観音像が下を向くように強引に眼球面を彫刻したとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。
b 次に、被告光源寺代表者の供述中には、本件原観音像の完成後、檀家や信者から、「お顔がよろしくない、目が怖いというような指摘を幾つも頂きました。」、檀家総代のPからは「観音様のお顔、特に目がよくないということ何回も指摘されました。」、目を修繕した後も、檀家や信者から同様の指摘を受けた、そのほか近隣大檀家から、目についてお顔についてよくないと意見を伺った旨の供述部分がある。
 他方で、@証人M2の供述中には、光源寺の檀家であるM2は、先代住職から本件原観音像の表情や眼差しについて不満めいた話を一切聞いたことはなく、檀家や近隣住民、一般参拝者から本件観音像の表情に対する不満や否定的な意見を聞いたことはない旨の供述部分があること、A被告光源寺代表者の供述中にも、すげ替えを決定した際に、すげ替えるかどうかについて檀家や近隣住民に相談したり、意見を求めたかとの原告代理人からの質問に対し、「お寺としてそういうことを皆さんに広く問うものではないと考えましたので、既に伺っておりますので、広く皆さんの意見をあえて伺うことはせず、I様をもともと紹介してくださった大円寺の住職に首を作り替えることについて相談し、同意を頂きました。」と答えた供述部分があることに照らすと、光源寺の檀家や信者の中に、本件原観音像の表情や眼差しについて苦情等を持つ者が相当数存在していたかどうかはともかくとして、平成5年5月18日の本件原観音像の開眼落慶法要(開眼法要)以降平成15年ころまでの約10年間信仰の対象となっていた本件原観音像について、光源寺の檀家や信者の多くが、その仏頭部をすげ替えることを要望していたとまで認めることはできない。
c そして、本件原観音像のすげ替え前の仏頭部は、別紙写真目録記載の右側の写真(3枚)のとおりであり、そのすげ替え後の仏頭部は、同目録記載の左側の写真(3枚)のとおりであるところ、信仰の対象という観点から、上記各仏頭部の優劣を評価することは困難であり、仏頭部のすげ替え前の本件原観音像の表情等が信仰の対象として相応しくないと断定することはできない。
d 以上によれば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為が「やむを得ないと認められる改変」に該当するとの被告光源寺の主張は、採用することができない。
ウ 著作権法116条1項は、著作者の死後においては、その遺族は、当該著作者について故意又は過失により同法60条に違反する行為をした者に対し、同法115条の請求をすることができる旨定めている。
 E4には配偶者及び子はいないこと、E4の父D4及び母亡G2は、E4の死亡前に既に死亡していること、原告は、E4の弟であることは、前記争いのない事実等(第2の2)のとおりである。
 そうすると、原告は、本件原観音像の著作者であるE4の弟であって、E4の「遺族」(著作権法116条1項)に当たるから、同条項ににより、E4について故意又は過失により同法60条に違反する行為をした者に対し、同法115条の請求をすることができる。
 ところで、著作権法115条は、著作者又は実演家は、故意又は過失によりその著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者に対し、損害の賠償に代えて、又は損害の賠償とともに、著作者又は実演家であることを確保し、又は訂正その他著作者若しくは実演家の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求することができると規定している。
 同条は、その文言上、著作者が、故意又は過失によりその著作者人格権を侵害した者に対し、「著作者であることを確保」するために適当な措置、「訂正」するために適当な措置又は「その他著作者の名誉若しくは声望を回復」するために適当な措置の3類型の措置を請求することができることを定めたものと解され、「その他著作者の名誉若しくは声望を回復」するために適当な措置とは別類型である「訂正」するために適当な措置を請求するに当たっては、著作者の名誉又は声望が毀損されたことを要件とするものではないと解される。
 そして、著作者人格権(同一性保持権)の侵害行為により改変された著作物の原作品を侵害前の原状に回復することは「訂正」に当たり、その必要性及び実現可能性があれば、著作者は、「訂正」するために適当な措置として、当該原状回復を請求することができるものと解するのが相当である。
 これを本件についてみるに、@本件原観音像は、木彫十一面観音菩薩立像であって、美術の著作物の原作品であり、11体の化仏が付された本件原観音像の仏頭部は、著作者であるE4の思想又は感情を本件原観音像に表現する上で重要な部分であること、A被告光源寺は、被告C2に依頼して、仏頭部を新たに制作し、これを本件原観音像の仏頭部とすげ替えることによって、E4が存しているとしたならばその著作者人格権(同一性保持権)の侵害となるべき行為を行ったものであり、被告光源寺には故意又は過失があること、B仏頭部のすげ替え後の本件観音像は本件観音堂内に祀られ、参拝者等の公衆の観覧に供されており、それがE4の意に反することは明らかであること、C本件原観音像から取り外した仏頭部(すげ替え前の仏頭部)は、被告らによってその原形のままの状態で保管されており、これを本件観音像に取り付けてすげ替え前の本件原観音像の状態に戻すことは可能であること(弁論の全趣旨)を総合すれば、本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復することの必要性及び実現可能性があるものと認められる。
 したがって、原告は、E4の遺族として、著作権法116条1項、115条に基づき、被告光源寺に対し、訂正するために適当な措置として、本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復することを求めることができるというべきである。
エ(ア) 原告は、E4の遺族として、著作権法116条1項、115条に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間、一般公衆の観覧に供することの停止を請求できる旨主張する。
 しかし、前記ウのとおり、上記原状回復そのものを請求することができる以上、本件観音像を公衆の観覧に供することの停止請求を認める必要性はなく、原告主張の上記停止請求は、著作権法115条にいう「適当な措置」に当たらないと解される。
 したがって、原告の上記主張は、理由がない。
(イ) 原告は、E4の遺族として、著作権法116条1項、112条1項に基づき、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復するまでの間、一般公衆の観覧に供することの停止を請求できる旨主張する。
 著作権法116条1項は、著作者の死後においては、その遺族は、当該著作者について同法60条に違反する行為をする者に対し、同法112条の請求をすることができる旨定めている。
 しかるに、著作権法112条1項は、著作者人格権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができることを定めたものであるところ、被告光源寺による上記仏頭部のすげ替え行為は、前記アのとおり、E4の意に反する改変に当たり、E4が存しているとしたならばその著作者人格権(同一性保持権)の侵害となるべき行為に該当するが、他方で、被告光源寺が仏頭部のすげ替え後の本件観音像を公衆の観覧に供していることは、上記改変後の行為であって、E4の著作者人格権(同一性保持権)の侵害となるべき行為に当たるものとは認められないから、同条項により、原告が本件観音像を公衆の観覧に供することの停止請求をすることはできないものと解される。
 したがって、原告の上記主張は、理由がない。
オ 以上によれば、原告主張のE4の人格的利益の保護のための原状回復等請求は、本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復することを求める限度で理由がある。
4 E4の遺族としての謝罪広告請求の可否(争点8)について
(1) 原告は、本件原観音像の著作者であるE4の遺族として、著作権法116条1項により、同法115条の請求をすることができることは、前記3(2)ウのとおりである。
 ところで、著作権法115条にいう「著作者の名誉若しくは声望」は、著作者がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち社会的名誉又は声望を指すものであって、人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価、すなわち名誉感情を含まないものであり、著作者の社会的名誉又は声望が毀損された事実があり、かつ、その回復のために謝罪広告の必要性がある場合に限り、当該著作者は、同条にいう「名誉若しくは声望を回復」するために適当な措置として、謝罪広告を請求することができるものと解される(最高裁昭和45年12月18日第二小法廷判決・民集24巻13号2151頁、最高裁昭和61年5月30日第二小法廷判決・民集40巻4号725頁参照)。
 これを本件についてみるに、E4は、平成5年5月18日に執り行われた開眼法要(開眼落慶法要)の際に、本件原観音像の制作者として紹介され、出席者の前で挨拶していること(甲71)、平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)の記事において、「仏師 E3師」との見出しの下に、E4が本件原観音像の制作者として紹介され、「東京駒込光源寺大観音(E3)」と付された、本件原観音像の写真が掲載されていること(前記1(5)イ)からすれば、E4が死亡した平成11年9月28日から9年以上が経過した本件口頭弁論終結日(平成21年3月17日)の時点においてもなお、光源寺の檀家、信者や仏師等仏像彫刻に携わる者の間において、E4は「駒込大観音」を制作した仏師として知られているものと推認することができ、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は、E4が存しているとしたならば仏師としてのE4の名誉感情を害するものであることは想像に難くはないというべきである。
 しかし、他方で、@光源寺の現住職のB3は、本件原観音像の仏頭部のすげ替えの事実を被告C2との間で秘匿することとし、公表しなかったこと(前記1(6)ア)及び本件審理の経過からすれば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替えの事実は、本件口頭弁論終結日の時点では、本件訴訟の関係者及びその協力者、光源寺の檀家及び信者の一部等の限られた範囲の者にしか知られていないものとうかがわれること、A被告らが本件原観音像の仏頭部をすげ替えるに至った経緯に照らすならば、被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為によって、E4が社会から受ける客観的な評価の低下を来たし、その社会的名誉又は声望が毀損されたものとまで認めることはできない。
 また、仮にE4のその社会的名誉又は声望が毀損されたと認める余地があるとしても、前記3(2)のとおり、本件においては、E4の人格的利益の保護のための措置として、被告光源寺に対し、本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復することを求めることができる以上、E4の社会的名誉又は声望を回復するために謝罪広告請求を認める必要性はなく、原告主張の謝罪広告請求は、著作権法115条にいう「適当な措置」に当たらないと解される。
(2) したがって、E4の遺族としての原告の謝罪広告請求は、理由がない。
5 結論
 以上によれば、原告の請求は、被告光源寺に対し、E4の遺族として本件観音像について、その仏頭部を同観音像制作当時の仏頭部(本件原観音像の仏頭部)に原状回復することを求める限度で理由があるからこれを認容することとし、被告光源寺に対するその余の請求及び被告C2に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 大鷹一郎
 裁判官 関根澄子
 裁判官 杉浦正典は、転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 大鷹一郎


(別紙) 物件目録
仏像 木彫十一面観音菩薩立像
所在 東京都文京区<以下略>光源寺観音堂内

(別紙) 謝罪広告目録1
第1 謝罪広告の内容
謝罪広告
 光源寺及びC1は、光源寺から委託を受けてE3殿らと共同してA1殿が制作し、光源寺が東京文京区<以下略>所在の光源寺境内観音堂内に安置した木造十一面観音菩薩立像である「駒込大観音」について、A1殿には無断で、光源寺においてはC1に対して仏頭部のすげ替えを委託し、これを受けてC1においては仏頭部のすげ替えを実行し、これにより光源寺においては仏頭部がすげ替えられた状態で一般公衆の観覧に供し続け、もって、A1殿が保有する同一性保持権を共同して侵害し、A1殿に多大なるご迷惑をお掛け致しましたことを、ここに深く陳謝致します。
 平成 年 月 日
 東京都文京区<以下略>光源寺
 千葉県佐倉市<以下略>C1
 茨城県取手市<以下略>A1 殿
第2 謝罪広告の要領
1 毎日新聞
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント
2 中外日報
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント

(別紙) 謝罪広告目録2
第1 謝罪広告の内容
謝罪広告
 光源寺及びC1は、光源寺から委託を受けて故D3殿及び故E3殿がA1殿らと共同して制作し、光源寺が東京文京区<以下略>所在の光源寺境内観音堂内に安置した木造十一面観音菩薩立像である「駒込大観音」について、光源寺においてはC1に対して仏頭部のすげ替えを委託し、これを受けてC1においては仏頭部のすげ替えを実行し、これにより光源寺においては仏頭部がすげ替えられた状態で観音像を一般公衆の観覧に供し続け、もって、故D3殿及び故E3殿が存命していたとすれば、同人らの保有する同一性保持権の侵害となるべき行為を共同して実行し、故D3殿及び故E3殿の名誉ないし声望を毀損致しましたことを、ここに深く陳謝致します。
 平成 年 月 日
 東京都文京区<以下略>光源寺
 千葉県佐倉市<以下略>C1
第2 謝罪広告の要領
1 毎日新聞
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント
2 中外日報
(1) 掲載スペース:2段×4.0p
(2) 使用活字:見出し及び末尾被告らの名称は12ポイント(ゴシック)、その他は10ポイント
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日本ユニ著作権センター
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