判例全文 line
line
【事件名】“催告書”のHP公開事件
【年月日】平成21年3月30日
 東京地裁 平成20年(ワ)第4874号 著作権に基づく侵害差止請求事件
 (口頭弁論終結日 平成21年2月12日)

判決
原告 甲
同訴訟代理人弁護士 喜田村洋一
被告 乙
同訴訟代理人弁護士 馬奈木昭雄
同 江上武幸
同 市橋康之
同訴訟復代理人弁護士 小林正幸
同 毛利倫
同 白水由布子
同訴訟代理人弁護士 大西啓文
同 椛島隆
同 紫藤拓也
同 高峰真
同 迫田登紀子
同 岩元理恵


主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、別紙ウェブサイト目録記載のインターネットウェブサイトから、別紙文章目録1記載の文章を削除せよ。
第2 事案の概要
 本件は、 別紙文章目録1 記載の文章を内容とする書面( 以下「本件催告書」という。)を被告にメールで送信した原告が、被告が開設する別紙ウェブサイト目録記載のインターネットウェブサイト(以下「被告サイト」という。)において、本件催告書が掲載されたことから、被告に対して、本件催告書について原告が有する公表権及び複製権に基づき、被告サイトから、本件催告書の削除を求めている事案である。
1 争いのない事実等
(1)原告は、 株式会社読売新聞西部本社( 以下「読売新聞西部本社」という。)の社員であり、同社の法務室長の地位にある。
 被告は、フリージャーナリストであり、被告サイトを主宰し、同サイトに、自ら執筆した原稿等を掲載している。
(2)原告は、丙弁護士(以下「丙弁護士」という。)に対して、別紙文章目録2記載の文章を内容とする書面(以下「本件回答書」という。)をファクシミリで送信したところ、平成19年12月21日、本件回答書が被告サイトに掲載されているのを発見したので、被告に対して、本件催告書をメールに添付する方法で送信した。
(3)被告は、原告から送信された本件催告書を被告サイトに掲載した。
2 争点
(1)本件催告書を作成したのは、原告であるか
(2)本件催告書の著作物性
ア 本件催告書は、「思想又は感情」の表現といえるか
イ 本件催告書は、創作的な表現といえるか
ウ 本件催告書は、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」といえるか
(3)本件催告書の作成は、著作権法15条の職務著作といえるか
(4)著作権法41条の抗弁の可否
(5)原告は、被告が本件催告書を公表することを承諾していたか
(6)原告の請求は、権利の濫用となるか
(7)本件訴えは、訴権の濫用となるか
3 争点に対する当事者の主張
(1)争点(1)(本件催告書を作成したのは、原告であるか)について
(原告)
 原告は、平成19年12月21日、本件回答書が被告サイトに掲載されていることを発見したため、同日、著作権関係の図書を参照し、弁護士からの助言を受け、また、以前に催告書や通告書などを目にした経験に基づき、本件催告書を執筆した。
 被告は、本件催告書が、本件の原告訴訟代理人(以下「原告代理人」という。)作成に係る別紙文章目録3記載の文章を内容とする催告書(乙21。以下「代理人催告書」という。)と類似していると主張するところ、原告代理人が同催告書を作成したことは認める。
 しかしながら、原告は、本件催告書の宛先である被告と、代理人催告書の宛先会社とは、相互に連絡を取り合って、それぞれのウェブサイトに本件に関する各種書面を掲載しているものと判断したため、「同じ相手には同じ書面で対応している」ことを示すため、代理人催告書を本件催告書と基本的に同じ構成としたのである。したがって、両者が類似しているのは当然であり、このことによって、本件催告書の作成者が原告代理人であると推定できるわけではない。
(被告)
 原告は、本件催告書は原告が作成したものであると主張し、原告本人尋問においても、その旨供述する。
 しかしながら、原告の上記供述は信用できず、本件催告書の作成者は原告ではなく、原告代理人である。理由は以下のとおりである。
ア 原告は、原告本人尋問において、原告代理人とは、本件訴訟が始まった以降も、 具体的にどの表現に著作物性や創作性があるというような「具体的な打合せはしていない。」旨を明確に供述する一方で、本件催告書は自らが作成したものであり、原告の陳述書(甲5)や原告準備書面における本件催告書作成の際の思考過程の主張部分については、「私が喜田村先生に話したことを書かれている。」旨を供述した。しかしながら、具体的な打合せもせずに、自分の思考過程、著作物性を基礎付ける事実について、原告代理人が書面化できるはずはなく、上記の各供述内容は、明らかに整合性を欠くものである。
 具体的に指摘すれば、原告は、原告本人尋問において、本件催告書の著作物性は全体の表現にあると供述するのみであり、個別の表現について著作物性ないし創作性があるかについては一切言及できなかった。その一方で、準備書面においては、「特定の個人に宛てた」などの個別の表現に創作性が認められるかのような主張をしている。具体的な打合せもしていない原告と原告代理人間において、何ゆえにそのような準備書面が作成できたのかは定かではない。
 このように、本件催告書に関する原告の準備書面における主張と原告本人尋問における供述とは、内容が乖離しており、同一人の認識に基づくものでないことは明らかである。
 これは、原告代理人が本件催告書を作成したものであることの証左である。
イ 原告主張の不合理・不自然性
(ア)原告は、原告本人尋問において、本件催告書は自分で作成し送付したが、本件催告書を送った後は、原告代理人に「お任せした」旨供述する。しかしながら、一般に、何らかの権利侵害の事実が発見され、これを専門家である弁護士に依頼するときは、催告書の作成・送付を含めて依頼するのであり、催告書は自分で作成・送付し、その後を代理人に一任するという一連の流れは不自然極まりない。しかも、原告代理人は、本件催告書の問題が生じる以前から、読売新聞西部本社の顧問弁護士を務めており、原告は、本件催告書を作成する前に、本件回答書の被告サイトへの掲載に関する法的問題点について原告代理人に相談していたこと自体は認めているのであるから、上記の不自然さは一層際立っているといえる。
(イ)また、原告は、原告本人尋問において、原告自らが本件催告書内で用いた「専有」という言葉に関し、「以前見た本でそういう言葉があったんではないかと思います。具体的には覚えていません。」という曖昧な供述をしており、その言葉の意味内容を理解しておらず、したがって、上記の言葉は、原告が自ら考えて使用した言葉ではないことは明らかである。
(ウ)さらに、原告は、現在、法務室長という立場であり、法務室長就任前は、現場の記者経験を有し、普段から記事の作成や報告書の作成にパソコンを使用する仕事に従事し続けてきたのであるから、自身が文書作成に用いるワープロソフトについては明確に回答ができるはずである。それにもかかわらず、原告本人尋問において、原告は、本件催告書をいかなるワープロソフトで作成したかについては「ちょっとそこまで覚えていません。分かりません。」などとあいまいな供述に終始した。
 これも、原告が自身で本件催告書を作成していないことを示す事実である。
(エ)しかも、原告は、原告本人尋問において、著作権について、関連書籍を5、6冊読んだと供述しながら、読んだ本の著者の氏名を全く覚えておらず、しかも、「私が作ったものなので著作物だ」と強弁するなど、著作権法に関する知識は甚だ不十分であり、著作権に関する書籍を読んだ形跡は全く窺えない。
 さらに、原告は、催告書類を作成したのは、本件催告書のみであるとしながら、部下が以前に作成し、会社のパソコン内に保存してある催告書類や文例集を参照もしないで作成したと供述する。このように、初めて催告書類を作成する者が、何も参照しないで、本件催告書のような法的三段論法を踏まえた催告書を、短時間(原告の催告書の作成時間は長く見積もっても6時間程度である。)で作成したということは、到底考えられない。
ウ 原告の作成部分が特定できないこと
 原告は、原告本人尋問において、本件催告書について、原告代理人が修正した部分があると供述するが、原告代理人が修正した箇所については、「ちょっとよく覚えていません」とあいまいな供述に終始し、修正部分について明らかにしていない。
 原告の供述のとおり、本件催告書の作成者が真実原告であれば、原告が作成した催告書の原案は、原告から原告代理人に送付された電子メールの記録の中に当然残存しているはずである(この点につき、原告は、作成した本件催告書の原案をメールに添付して原告代理人に送付した旨供述する。)。しかしながら、原告は、被告の求釈明があったにもかかわらず、原告代理人による修正がされる前の本件催告書の原案及びその送付記録を明らかにしていない。
 上記の点は、原告が本件催告書を作成した事実など存在しないことを示すものである。
エ 本件催告書の作成者ないし著作者は原告代理人であること
 代理人催告書は、原告代理人が作成したものであるが、この文面は、本件催告書と、その構成、被侵害権利の選択ないし主張及び文言(例えば、「専有」や「不一」)など多くの箇所で共通する。しかも、両催告書の文書のスタイル(フォント、字体など)も全く同じものである。
 このように多くの要素で一致する文書の作成者が別人であるということは、経験則上極めて稀なことであり、このような事実は、本件催告書の作成者が、代理人催告書の作成者である原告代理人であることの証左となる。
(2)争点(2)ア(本件催告書は、「思想又は感情」の表現といえるか)について
(原告)
 本件催告書の内容は、被告による本件回答書の無断掲載が違法であることを論じ、救済を求めたものであるから、本件催告書が「思想又は感情」の表現であることは明らかである。
(被告)
 本件催告書は、単に本件回答書の掲載中止を求めているにすぎず、原告の意思を相手方に伝える意味しか持ち合わせておらず、そこには、何らの思想も表白されていない。
 したがって、本件催告書は、「思想又は感情」の表現とは到底認められない。
(3)争点(2)イ(本件催告書は、創作的な表現といえるか)について
(原告)
ア 本件催告書は、原告が、被告に対し、原告が丙弁護士に宛てた本件回答書が被告サイトに掲載されているとして、被告サイトから本件回答書を削除するよう求めたものである。
 原告は、本件催告書の名宛人である被告が著作権法について深い知識を有しているとは思われなかったため、本件催告書の中では、なぜ本件回答書の削除が認められるべきかの根拠を丁寧に説明している。
イ まず、本件催告書の第1文(以下「本件第1文」という。)では、被告サイトに2007年12月21日付けで掲載された記事を指摘し、その記事の中で、原告が丙弁護士に宛てた本件回答書が掲載されていることを指摘している。
ウ 本件催告書の第2文(以下「本件第2文」という。)では、本件回答書がどのようなものであるかについて触れ、これについて、「特定の個人に宛てたもの」とその性格を規定している。そして、「特定の個人に宛てたもの」であることから、本件回答書が一般に公開されたものでないことを明らかにしている。この「特定の個人に宛てた」との文言は、日常的に用いられる普通の用語ではなく、同表現には、原告の創意工夫が認められる。
 著作権法は、4条で、どのような場合に著作物が公表されたものとなるのかを明らかにし、さらに、3条で、どのような場合に著作物が発行されたものとなるのかを明らかにしている。しかしながら、本件催告書では、このような「著作物の公表」や「著作物の発行」について触れるならば、不必要に議論が細かくなりすぎると考えられたため、この点については論じることはせず、上記のとおり、「特定の個人に宛てられたもの」という基本的な性格を述べるだけに止め、これによって、本件回答書が一般に公開されていないものであることを明らかにしている。この説明のための素材の選択において、原告の創作的判断が認められる。また、本件回答書は、ファクシミリによって丙弁護士に送付されたものであるが、弁護士の事務所にファクシミリで送付されたものが広く公衆の目に触れることは想定されず、特にこの回答書の内容に照らせば、このことは明らかであると判断されたため、本件催告書は、この点について、これ以上詳細に論じることはしていない。
 その上で、 本件催告書では、 このような性格を有する本件回答書は「未公表の著作物」であるとして、これを公表する権利は、著作者である原告が有することを、著作権法の条文を引用して明らかにしている。ここで著作権法の条文を引いたのは、被告が著作権法についての知識を有しているとは考えられなかったことから、本件催告書の主張が法律的な根拠に基づくものであることを示し、これによって、被告が著作権法の該当条文を容易に参照することができるようにしたためである。
エ 本件催告書の第3文(以下「本件第3文」という。)では、被告が本件回答書を、被告サイトに掲出する行為は、原告の有する公表権を侵害する行為であるとして、民事上も刑事上も違法な行為であると記載されている。
 著作権法では、 著作権侵害行為に対しては、 民事上は、 差止請求権(112条)のほか、損害賠償に関する規定(114条)、名誉回復等の措置(115条)などが規定され、刑事上は、10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金又はその併科(119条1項)などが規定されている。しかしながら、本件第3文においては、このような民事上の救済や刑事罰の詳細を記載することはせず、単に「民事上も刑事上も違法な行為」という抽象的な言い方に止めている。これは、この段階において民事上の救済や刑事罰の詳細を記すことは、紛争の早期の解決に資するものではないと判断されたためである。この説明のための素材の選択において、原告の創作的判断が認められる。
オ 本件催告書の第4文(以下「本件第4文」という。)では、民事上の救済のうち、差止請求権だけを取り上げ、原告はこの権利を有しているため、書面到達後3日以内に本件回答書を削除するよう求めている。このように、原告は、本件催告書において、本件回答書の削除だけを求めたが、この点についても原告の創作的判断が認められる。また、その際、差止請求権の根拠となる条文を引用したのは、公表権についてと同じく、受取人である被告の便宜を図ったものである。
 本件催告書では、差止請求権以外の救済ないし刑事罰については、あえて言及していない。本件催告書において、「これ以外の救済を求める権利や刑事告訴をする権利を放棄するものではない(あるいは、これらの権利を留保する)」旨を記載するという選択もあり得たが、ここでも紛争の早期解決を求めて、原告は、そのような趣旨の記載は行わなかった。
カ 本件催告書の第5文(以下「本件第5文」という。)では、被告が催告に従わない場合には、「相応の法的手段を採ることとなる」旨記載されている。この箇所でも、具体的に「民事上の提訴」、「差止め及び損害賠償を求める裁判」、「刑事告訴」などと書く選択肢もあり得たところであるが、原告は、上記のように抽象的な記述に止めた。その目的は、被告の任意の履行を期待し、これを実現するためには、この程度の記述が適正であると判断されたためである。
キ 以上のように、本件催告書は、@未公表の著作物であることを、本件回答書のどのような性格に基づいて論述するか、Aこの論述に当たって、著作権法上の「公表」ないし「発行」の概念に触れるか、B被告の行為の違法性がどのレベルで成立するかを抽象的に述べるに止めるか、違法行為が惹起する結果として著作権法が規定する種々の救済ないし刑事罰の詳細にまで踏み込んで記述するか、C被告の便宜のため、公表権や差止請求権が認められる根拠を著作権法の条文まで摘示するか、D催告に従わない場合の結果について、法的手続の種類(民事裁判、刑事裁判)や、求める救済の種類(差止請求、損害賠償、懲役、罰金)まで明示するか、あるいは、抽象的な記述に止めるか、E削除要求の根拠として公表権と複製権のいずれを選択すべきか等の諸点において、筆者である原告の考え方が反映されている。また、本件催告書の受け手である被告が冷静に判断することが可能となるよう、本件催告書全体を通じて、使用する用語や表現は極めて抑制的なものとされており、紛争の早期解決を意図する原告の立場は、これを読めば容易に了解することができる。
 このように、本件催告書は、法律上の論点をすべて網羅することはせず、必要な限度において論点を取捨選択し、これを理解しやすい順番に並べたものであり、また、そこで用いられている表現は、日頃よく用いられるもの、又はありふれたものに止まるものではなく、筆者である原告の個性が反映されている。したがって、この催告書が創作性を備えた著作物であることは明らかである。換言すれば、原告の立場にある者が被告の立場にある者に宛てて催告書を出すとすれば、その内容は、誰が作成しても同じになるということはあり得ない。
 仮に、本件催告書について、著作物性が弱い、あるいは、著作権法によって保護される範囲が狭いと解されるとしても、被告は、本件催告書の全文をそのままコピー(いわゆるデッドコピー)したのであり、このような行為について公表権及び複製権侵害を認めるについては、何の問題もない。
(被告)
ア 創作性の判断基準
(ア)原告は、これまで本件催告書につき、創作性が認められる根拠を細かく主張してきたが、その内容は作成の過程でいろいろ考えたという主観的な主張であって、創作性を認める根拠とはなり得ないものである。
 創作性は、あくまで、表現それ自体から客観的に判断されるべきものであり、そうでなければ、主観的事情で著作物性が判断されることになり、当該表現が他人の著作権を侵害するものか否か判別することができず、結果として表現行為の不当な萎縮を招く結果となる。
(イ)本件催告書のような言語表現による記述等の場合、ごく短いものであったり、表現形式に制約があるため、他の表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合は、「創作的に表現したもの」であると解することはできず、また、専ら事実を格別の評価、意見を入れることなく、そのまま叙述する場合は、記述者の「思想又は感情」を表現したとはいえない。
イ 本件催告書の著作物性
(ア)同種催告書の体裁
 インターネットのウェブサイト上に自己の著作物が無断で掲載され、無断掲載した者に対して催告書を送付しようとした場合、当該催告書に記載すべき内容は、法的三段論法を基礎に構成されることになる。具体的には、@ホームページに自己の著作物が掲載されている事実の指摘、A当該著作物につき、自己が著作権法上の権利を有している事実の指摘、B当該行為が著作権法上の権利を侵害している事実の指摘、C相手方に対する一定の行為をなすべきことの要求、DCがなされない場合の法的措置を執る旨の通告となることは、容易に理解されるところである。
(イ)本件催告書の内容
a 本件第1文は、ホームページに自己の著作物が掲載されている事実の指摘である。
 本件第1文は、事実を格別の評価、意見を入れることなく、そのまま叙述したものであり、そこには何らの「思想又は感情」の表現もない。もちろん、創作性など認められるはずもない。
 原告自身も、本件第1文については、創作性に関する主張を何らしていないので、この点は争いがない。
b 本件第2文は、当該著作物につき、自己が著作権法上の権利を有している事実の指摘である。
(a)公表権(著作者人格権)の主張について
 原告は、著作者人格権の主張をするに当たって、自己が著作者人格権を有している旨を指摘するにすぎないから、その表現の選択の幅は極めて限定されており、平凡かつありふれた表現にならざるを得ないのであって、よほどの個性あふれる表現でもしない限り、創作性など認められないのである。
 実際に、本件第2文は、短い文章であり、その表現も平凡かつありふれたものに止まる。
(b)「特定の個人に宛てた」との表現について
 原告は、「特定の個人に宛てた」との文言が、日常的に用いられる普通の用語ではなく、原告の創意工夫が認められるなどと主張するが、いかなる意味で日常的に用いられる用語ではないと主張しているのか、全く定かではない。
 そもそも、この表現自体は、被告という特定の個人に宛てたという事実を、格別の評価、意見を入れることなく、そのまま叙述したものでもあり、そこに「思想又は感情」の表現は認められない。
 また、「特定の個人に宛てた」という表現それ自体は何らの創意工夫もないものであって、極めて平凡かつありふれたものである。公表権の侵害を問題にする以上、 それが公表されていない旨の指摘、つまり特定の個人に宛てられたものである旨の指摘がなされるべきは必然であり、そこには創意工夫など全くない。
(c)その他
 原告は、本件催告書で「公表」や「発行」に触れていないことを創作性の根拠であるかのように主張するが、創作性は、表現それ自体に認められなければならないのであって、客観的に表れていないものは表現ではなく、表現していないことが創作性の根拠になるかのような主張はそれ自体失当である。つまり、表現しないことの結果、客観的にみて表現がありふれたものになっている以上、素材の選択をどれだけ行おうが、その選択自体をもって創作性を肯定する根拠にはなりはしないのである。
c 本件第3文は、当該行為が著作権法上の権利を侵害している事実の指摘であるが、いかにも平凡かつありふれた表現であって、そこには創作性は全くない。
 原告は、差止請求等を個別に挙げず、「民事上も刑事上も違法な行為」という抽象的な言い方に止めたなどと主張するが、個別の請求権を挙げなかったという選択、すなわち、表現しないという選択が、創作性の根拠になるなどという主張が失当であることは、前記主張のとおりである。
 原告は、紛争の早期解決のため、具体的な救済方法の詳細を示さなかったとするが、これも原告自らが本件催告書の表現が平凡かつありふれたものであることを自認している主張でしかない。
d 本件第4文は、相手方に対する一定の行為をなすべきことの要求である。
 本件第4文は、原告自身が認めるように、著作権侵害に際して最も端的な救済を求めたに止まる、平凡かつありふれた表現となっており、創作性が存しないことは自明である。
 また、原告は、具体的な他の手段に言及していないことを創作性の根拠として主張しているが、表現しないことが創作性の根拠であるとの主張が失当であることは、前記主張のとおりである。
e 本件第5文は、本件第4文の要求に従わない場合の法的措置を執る旨の通告である。
 本件第5文は、ごく平凡かつありふれた表現であり、創作性がないことはいうまでもない。原告は、具体的な法的手段を書くこともあり得たが、抽象的な記述に止めたと主張するが、これも表現が平凡かつありふれたものであることを自認したものである。
f 原告は、催告書全体を通じて、言い回しにおいて抽象的な言い方に止め、冷静な表現を用いたとするが、正に平凡かつありふれた表現に止め、著作者の個性を表さなかったことを自ら認めるものであり、本件催告書全体について創作性を基礎付けるだけの表現がなされていないことを自認するものである。
 原告は、本件催告書において選択が必要であったから創作性が認められるとの主張を繰り返す。しかしながら、いかに選択があったとしても、でき上がった表現が客観的にみて平凡かつありふれたものであれば、創作性など認められないことは前記のとおりである。
 結局、原告の主張をまとめると、「本件催告書を作成するときに、いろいろと考えて素材を選択し、抽象的かつ冷静に書きました」という主張にほかならない。そして、「抽象的かつ冷静」に書けば、表現そのものは自ずと、平凡かつありふれたものにならざるを得ないのであって、そこには創作性など現れようがないのである。
 また、本件催告書全体の構成も、法的三段論法を踏まえたありふれたものであり、通常の同種催告書で想定される構成に従ったものにすぎず、何らの工夫もなされていない。
(ウ)原告自身が明確な主張ができていないこと
 被告は、これまで再三にわたり、具体的に本件催告書のどの部分のどの表現に創作性があるのかについて、原告に対し、釈明を求めてきたが、明確な主張は結局なされることがなかった。この事実は、本件催告書の表現に創作性などないことを意味している。
 また、原告は、原告本人尋問において、本件催告書の全体について、著作物性ないし創作性があると供述するのみであり、このように、原告自身が本件催告書の具体的表現に創作性ないし著作物性が指摘できないこと自体、本件催告書に著作物性が存しないことを何より端的に表しているといえる。
(エ)まとめ
 以上のとおり、本件催告書の構成に創作性はなく、また、その表現も、いずれもごく短い文章で構成され、平凡かつありふれたもの、あるいは、他の表現が想定できないものであって、記述者の何らかの個性さえ表現されていない。したがって、本件催告書には、創作性は認められない。
(4)争点(2)ウ(本件催告書は、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」といえるか)について
(原告)
 著作権法2条1項1号の「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」との要件は、厳格に、ある著作物をそれぞれのジャンルに区分して当てはまるか否かという判断をするためのものではなく、知的、文化的精神活動の所産全般を指すものと一般に解されているところ、本件催告書が、人間の知的、文化的精神活動の所産であることは疑いないから、上記要件を満たす。
(被告)
 本件催告書は、単に原告の意思を被告に伝達するものであり、文芸・学術・美術・音楽に代表される知的・文化的概念に包摂されるような性質のものではない。
 したがって、本件催告書は、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」ということはできない。
(5)争点(3)(本件催告書の作成は、著作権法15条の職務著作といえるか)について
(被告)
 仮に、原告本人尋問における本件催告書の作成経緯についての原告の供述が信用できるとすると、本件催告書は、原告が、読売新聞西部本社の代理人でもある原告代理人と相談しながら、同社の法務室長たる立場で、業務時間中に作成したものということになる。
 本件催告書の差出人は、「株式会社読売新聞西部本社 法務室長 甲」とされている上、原告自身も、原告本人尋問において、「法務室の業務としてやった」ことを明確に供述しており、本件催告書が、「法人その他使用者の発意に基づき」(著作権法15条1項)作成、送付されたものであることは明らかである。また、 読売新聞西部本社の法務室長である原告(「法人等の業務に従事する者」)が、法務室長たる業務として作成したものであるから、「職務上作成する著作物」であることも明らかというべきである。また、本件催告書には、明確に「株式会社読売新聞西部本社」との記載があるから、「その法人等が自己の著作の名義の下に公表するもの」との要件も満たす。
 したがって、仮に、本件催告書を作成したのが原告であり、本件催告書 が著作物であるとしても、本件催告書の著作権及び著作者人格権の帰属主体は、読売新聞西部本社である。
(原告)
 争う。
(6)争点(4)(著作権法41条の抗弁の可否)について
(被告)
ア 本件催告書送付の背景事情
(ア)被告は、フリージャーナリストであり、インターネット上で、被告サイトを主宰するところ、新聞社の「押し紙問題」(新聞発行本社が、販売店に実際の読者数以上の部数の新聞を搬入し、そのすべてについて卸代金を徴収し、 発行部数を水増しして利益を得ているという問題)を長く追いかけてきており、以前から、「押し紙」が、新聞社による広告費の詐欺、独占禁止法違反、新聞紙が過剰に供給されてそのまま廃棄されることによる環境問題等の様々な社会的問題をはらんでいることを伝え、警鐘を鳴らしてきており、被告サイトにおいても、この問題を広く世間に伝え、新聞業界のタブーを白日の下に明らかにしようと活動を続けてきた。その意味で、被告は、ウェブサイト上で「押し紙問題」を世間に発信するメディアとしての地位にある。
 他方、原告は、被告が問題にしてきた「押し紙問題」の一方当事者である読売新聞西部本社の社員であり、同社法務室長の地位にある。本件催告書は、原告が法務室長たる肩書で送付したものであり、その実質は会社の意思に基づくものである。つまり、原告は個人であるものの、その背後には、会社の意向が存在することは明白である。
(イ)読売新聞西部本社は、「押し紙」に異を唱える福岡県久留米市を中心とする販売店から訴訟を提起され(この訴訟は同市の読売新聞販売店YC広川(読売センター広川、以下同じ。)を経営する訴外丁(以下「丁」という。)が中心となって提起されたものである。以下、同訴訟を「丁訴訟」という。)、原告は法務室長としての立場からこれに対応してきた。
 他方、被告は、「押し紙問題」を世間に発信するメディアとして、丁訴訟の経過を取材し、被告サイトにおいてこれを克明に報道してきた。
 すなわち、本件催告書のやり取りがあった平成19年12月当時、被告と原告との関係は、取材者と取材対象者という関係であった。
(ウ)本件催告書の送付までの経緯
 読売新聞西部本社は、丁訴訟の係属中、販売店であるYC広川との業務上の打合せ等を一切拒否することを意味する「訪店拒否」の姿勢を貫いていたが、丁訴訟の判決(福岡高裁平成19年6月19日)において、読売新聞西部本社の販売政策が、優越的地位の濫用として厳しく断罪されると、平成19年の12月に入ってから、丁に対して、訪店を再開したい旨を申し入れてきた。そこで、丁は、丁訴訟の代理人でもあった丙弁護士に相談し、 丙弁護士は、読売新聞西部本社の訪店再開の真意を確認する書面を、同社宛てに内容証明郵便にて送付したところ、原告から本件回答書がファクシミリで送られてきた。
 本件回答書は、読売新聞西部本社が長年継続してきたYC広川に対する「訪店拒否」の措置から180度転換することを示すものであり、丁訴訟の報道において極めて重要な意味を持つものであった。そこで、押し紙問題、丁訴訟を追い続けてきた被告は、本件回答書を全文、被告サイトに掲載した。
 本件催告書は、上記のような経緯の中、本件回答書の全文掲載という被告の報道方法に対する原告の抗議として、電子メールに添付された形で送付された。
イ 著作権法41条の抗弁
(ア)「時事の事件を報道する場合」に当たること
a 丁訴訟で問題とされていたのは、新聞社による販売店に対する不当な部数の押し付け(押し紙)であるが、同時に、押し紙問題を声高に唱える者、報道する者に対する大手メディアの妨害行為も、押し紙問題の重大な要素である。
 押し紙問題は、新聞社の暗部に迫るものであるから、新聞社や系列メディアが自らこの問題を紙面に取り上げることはあり得ず、新聞社としては、他者によるこの問題の報道を封殺することに力を注いできた。
 したがって、押し紙報道の本質は、押し紙問題を世間に周知させることとともに、このような報道に対する大手新聞社による弾圧についても詳らかにするという2つの側面がある。
 以上から、本件催告書掲載の目的として位置付けられる「時事の事件」とは、@丁訴訟を初めとする押し紙問題及びA押し紙問題の報道に対する読売新聞西部本社の妨害行為の2つを挙げることができる。
b 本件催告書が送付されてきた経緯は、前記ア(ウ)で主張したとおりであり、被告としては、 本件催告書が、被告に送付されたことそれ自体が、丁訴訟を中心とする一連の押し紙報道の中で重要な事実であると判断すると同時に、本件催告書が、当を得ない法的根拠に基づいて被告に送付された事実もまた、押し紙報道に対する大手メディアの言論封殺の一事例としての意味を有するものと判断した。
 すなわち、本件催告書は、丁訴訟を初めとする押し紙問題との関係で報道に値する重要な文書であると同時に、被告を初めとする押し紙問題を報道する者に対する読売新聞西部本社の妨害行為の具体的事例を構成する文書である。
 したがって、本件催告書の被告サイトへの掲載が、「時事の事件を報道する場合」に当たることは明らかである。
(イ)「当該事件を構成し、又は当該事件の過程において見られ、若しくは聞かれる著作物」に当たること
 前記のとおり、本件催告書を一連の押し紙問題の中での報道妨害の一事例として捉えれば、本件催告書は、「当該事件を構成」する文書である。
 また、丁訴訟という時事の事件との関係でいえば、本件催告書は、丁訴訟の被告である読売新聞西部本社の方針転換という「事件の過程において見られ、若しくは聞かれる」文書ということになる。
(ウ)「報道の目的上正当な範囲内において」といえること
 丁訴訟との関係では、同訴訟を読売新聞西部本社に反対する立場から報道する被告に、原告が本件催告書を送付したという事実自体が重大なニュースである。また、本件催告書は、前記(3)で主張したとおり、短く、ごくありふれた表現を用いたものであることから、これを加工して掲載するとなると、事実をありのままに伝えるという報道目的が損なわれるものである。
 したがって、読売新聞西部本社による押し紙問題(特に丁訴訟)を報道するに当たり、書面をそのまま掲載することは、事件の正確な報道をするために不可欠であったというべきである。
 そして、被告は、以上のような判断に基づき、本件催告書を被告サイト上に掲載したが、本件催告書を受領した直後、念のため、原告に対して、質問状を送付しその趣旨について問い合わせたが、原告からは全く反応がなかったのであって、報道する上での配慮も十分に尽くしている。
 また、本件催告書が公開されたとしても、著作物の市場にはほとんど影響を与えることはなく、権利者の受ける不利益はない。本件催告書は、そもそも原告が何らかの経済的利益を企図して作成したものではなく、被告による報道行為で、原告が被る経済的不利益は観念できない。
 したがって、被告による被告サイトへの本件催告書の全文掲載は、「報道の目的上正当な範囲」内にあることは明らかである。
(エ)以上より、被告が本件催告書を被告サイトに掲載したことが、複製権侵害となることはない。
ウ 公表権侵害の主張に対する著作権法41条の適用
(ア)著作者人格権についても著作権法41条が適用されること
 著作権法50条は、「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない」と規定するが、これは著作権法41条を含むものではないと解すべきである。
 著作権法50条は、著作権を制限することが著作者人格権をも制限することにはならないという当然のことを規定した確認規定にすぎない。いかなる利用方法が著作者人格権侵害となるのかについて、条文上必ずしも明確になっているわけではないから、著作者人格権の侵害に関して著作権法41条が抗弁とならないという形式的解釈は、妥当でない。
 著作権法41条の趣旨は、報道の自由を保障することにあるところ、報道は、迅速かつ正確に事実を公にすることをその本質としている以上、未公表の著作物をも報道する必要があることは必然であり、著作権法50条は著作権法41条を排斥しないと読むべきである。そうでなければ、報道が不当に萎縮してしまう。未公表の著作物であっても、報道の対象とすべき場合があることは優に想定でき、例えば、報道機関が、脅迫被害者宛に送付された加害者作成の脅迫文を、脅迫被害者から入手した場合、これを全文掲載することは、当然許されるべきであろう。
(イ)著作権法50条の適用制限
a 著作権法50条は、著作者人格権侵害の場合について、著作権法41条を直接適用しないと解し得るとしても、当該報道により得られる利益と失われる利益を比較し、前者が後者を上回る場合には、著作権法50条の適用を制限し、同条は著作権法41条には適用されない、あるいは、著作者人格権侵害にも同条の趣旨を及ぼし著作権法違反とはならないと解すべきである。
b 当該報道により得られる利益
 押し紙は、新聞社が販売店に対する優越的地位を利用して、新聞紙を強制的に販売店へ押し付け、それにより高額の新聞販売収入を得るものである。読売新聞社は、日本有数の新聞社であり、大企業である。このような読売新聞社による押し紙問題は、いわゆる「第4の権力」と呼ばれ、 公的存在と言っても過言ではないマスメディア・大手新聞社の暗部であり、しかも、余分な新聞紙を莫大に生み出すという環境問題の観点からも極めて重要な社会問題であるといえ、決して放置しておくことのできないものである。特に、この問題は、いずれの新聞社もが抱える問題であり、この問題について報道ができるのは、被告のようなフリーのジャーナリストだけなのである。
 被告がこれら一連の押し紙問題を報道することは、極めて重要な社会的価値を有するというべきであり、絶対的に保護されるべきものなのである。被告のようなフリージャーナリストが報道しなければ、決して国民の知るところとはならないのであり、国民の知る権利に奉仕するという意味でもこのような報道は重要である。
 被告の報道により得られる利益は、極めて大きいというべきであり、これを封じられることによる損害は計り知れない。
c 当該報道により失われる利益
 本件催告書は、被告に対して、著作者人格権侵害に基づく削除を求める内容にすぎない。原告がこの書面を公開し、何らかの利益を得るなどということは想定できず、公表により具体的不利益を被るというわけではない。そのような文書を掲載されたからといって、原告が不利益を受けるなどということはおよそ考えられないのである。
d 以上のように、本件報道により得られる利益は、失われる利益に比較して大きいというべきであるから、著作権法41条が適用される、あるいは、同条の趣旨を及ぼし著作権法違反とはならないと解すべきである。
(原告)
 著作権法50条が規定するとおり、著作権法第2章第3節第5款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならないのであるから、著作権法41条を根拠として、未公表の著作物である本件催告書を、著作権者である原告の同意を得ないで公表することは許されない。
 被告は、著作権法50条は同法41条には適用されないと主張するが、法の明文の規定を無視するものであり、到底、採りえない解釈である。また、仮に、著作者人格権と時事の報道との調和を図るべき場合があり得ると想定しても、被告は、本件催告書の全文をそのままウェブサイト上に掲出したものであり、このような公表が報道の目的上正当な範囲内に止まるものでないことは明らかである。
(7)争点(5)(原告は、被告が本件催告書を公表することを承諾していたか)について
(被告)
 本件催告書は、前記(6)で主張したとおりの経緯で被告に送付された極めてニュース価値の高いものであり、被告のこれまでの報道姿勢、報道態様からすれば、被告が、このようなニュース性の高い書面を報道しないわけがない。
 したがって、原告としても、本件催告書を被告に送付した時点で、被告が本件催告書を被告サイト上に掲載することは予測していたものと判断される。
 したがって、原告は、被告に対し、本件催告書を公表することを承諾していたと解される。
(原告)
 本件催告書は、本件回答書の本文が被告サイトに掲載されていることを指摘し、その削除を求めたものであり、その内容は、被告が問題とする新聞販売店の問題と関係するものではないから、本件催告書にニュース価値があるとは考えられない。現に、原告は、被告がこの催告書を報道するとは考えていなかったし、被告サイトに掲載するとも予測していなかった。
 さらに、原告は、本件催告書の中で、本件回答書が被告サイトに掲載されていることが違法であるとして、その削除を求めているのであるから、本件催告書が被告サイトに掲載されること自体を容認していないことは明らかである。
 したがって、原告は、被告に対し、本件催告書の公表を許諾していない。
(8)争点(6)(原告の請求は、権利の濫用となるか)について
(被告)
 前記(6)で主張したように、本件では、報道により得られる利益は、失われる利益より圧倒的に大きく、被告の報道は、保護されるべきである。
 また、本件催告書は、本件回答書を被告が被告サイトに掲載したことが著作権法に違反しているとの評価をその基礎とするものである。しかしながら、本件回答書に、創作性が認められる余地はないから、本件催告書は、虚偽の内容を告知し、それに従わなければ法的措置を執るという脅しの文章ということになる。
 したがって、原告の請求は、権利濫用として排斥されるべきものである。
(原告)
 争う。
 本件催告書に著作物性が認められる以上、著作者人格権に基づく公表権の主張が権利濫用とされるべき事情は存在しない。
(9)争点(7)(本件訴えは、訴権の濫用となるか)について
(被告)
ア 前記(6)で主張したように、本件訴訟の実質的な原告は、読売新聞西部本社である。
 そして、読売新聞西部本社は、報道機関であり、報道機関が何よりも重んじるべきは、報道・表現の自由であるが、本件訴訟においては、報道の自由・表現の自由を守るべき読売新聞西部本社が、フリージャーナリストである被告の報道・表現を封殺しようとしているのであり、これは、報道機関として自殺行為ともいうべき行為である。
 また、本件訴訟は、著作物性の存在にさえ疑義のあるものを根拠に提起されているのであり、このこと自体、被告に対する言論弾圧を裏付けている。さらに、前記(1)で主張したとおり、本件催告書の作成者は、原告代理人であるとの強い疑いがあり、本件催告書の作成者が原告代理人であるとすれば、この訴訟それ自体何らの根拠がないといわざるを得ない。それを知りながら、本件訴訟を提起したとすれば、権利濫用であることは明らかである。
 一方、被告は、本件訴訟に対応するために取材活動や原稿作成のための時間の多くを失うことになり、ジャーナリストとしての活動が物理的に制約されており、有形無形の多くの不利益を被っている。
イ 本件訴訟は、読売新聞西部本社という強大な社会的権力による言論弾圧であることにその本質がある。
 読売新聞西部本社にとって、押し紙問題は、触れることの許されない、いわゆるタブーの問題である。この問題を報道し、一般国民に知らせようという被告の言論を封じようとするのが、本件訴訟である。
 近時、このような不当訴訟(いわゆるSLAPP)ともいうべき訴訟が増えており、例えば、大企業が圧倒的な資金力の下、自己に不都合な報道をしたジャーナリストを相手取り、複数の訴訟を提起したり、巨額の損害賠償を求めたりし、そのため、そのような訴訟をおそれて、報道・言論自体が萎縮してしまう。すなわち、報道の自由が民主政治において不可欠なことはいうまでもないが、その重要な報道の自由を、社会的権力である大企業が、自社に不都合な報道・言論を封じ込めるために訴訟を起こすのである。
 本件訴訟も、正にこの種の訴訟であって、読売新聞西部本社という大企業による一フリージャーナリストに対する不当訴訟といわざるを得ず、訴権の濫用として棄却されるべきものである。
(原告)
 争う。
 他人の未公表の著作物をそのまま全文、ウェブサイトに掲出することが、被告のフリージャーナリストとしての職務遂行に欠かせないのであれば、そのような業務は著作権法に反するものであり、これに対して法の保護が与えられないことは明らかである。まして、公表権侵害を主張する本件訴訟が、訴権の濫用に該当しないことは明らかである。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(本件催告書を作成したのは、原告であるか)について
(1)ア 前記争いのない事実等、証拠(甲2ないし6、乙11、原告本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。
(ア)当事者
a 原告は、昭和54年に読売新聞西部本社に取材記者として入社し、社会部を中心に福岡及び九州の地方支局に勤務した後、編集局地方部次長、配信センター次長、 大分支局長などを経て、平成19年5月1日から、同社の法務室長の地位にある。同人は、社会部記者として警察や裁判所を取材担当とする経験を有するものの、大学時代を含めて、これまでの間、専門的に法律を習得した機会を有するものではない。
 原告の勤務する法務室の担当職務は、読売新聞西部本社に関係する裁判への対応や法律問題への対応等であり、法務室には、原告を含めて3名が在籍している。法務室においては、外部の第三者に対して催告書等を作成する機会があるが、原告自身は、本件催告書の作成に至るまで、催告書を作成した経験を有するものではない。
b 被告は、フリージャーナリストであり、被告サイトを主宰し、同サイトに自ら執筆した文章等を掲載している。
(イ)読売新聞西部本社は、同社の販売店であるYC広川の所長の丁との間で、民事上の紛争を抱え、同紛争は丁が仮処分申立て及び訴訟(丁訴訟)提起をするに至っていたところ、丁訴訟の係属中に、同訴訟における丁の訴訟代理人である丙弁護士から、読売新聞西部本社の丁への対応についての質問の書面が送付されてきたので、原告は、平成19年12月19日、同質問に回答すべく、丙弁護士に対して、本件回答書をファクシミリによって送信した。
(ウ)その後、平成19年12月21日、原告が被告サイトを閲覧していたところ、本件回答書が被告サイトに掲載されているのを発見したため、原告代理人に、上記の点に関しての今後の対応について相談した。
 これを受けて、原告代理人は、原告に対して、本件回答書を被告サイトに掲載することは、本件回答書について原告が有する公表権を侵害することになるから、本件回答書の被告サイトからの削除を求める旨の催告書を、被告に対して送付することを提案し、原告代理人事務所において、催告書の文案(本件催告書)を作成し、そのデータをメールに添付する方法により、原告に送信した。
 原告は、同日の午後6時26分、原告代理人事務所から受け取った上記の本件催告書に係るデータを、メールに添付して、被告に送信した。なお、被告に送信された本件催告書の上記データはPDFファイル形式であった。
イ 上記の認定事実によれば、本件催告書には、読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告の名前が表示されているものの、その実質的な作成者(本件催告書が著作物と認められる場合は、著作者)は、原告とは認められず、原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて高いものと認められる。
 これに対して、原告は、本件催告書を作成したのは原告である旨主張し、原告本人尋問において、本件催告書は、原告が作成したものであり、原告代理人には、本件催告書の文末の部分の添削を受けただけであると供述する。
 そこで、この点について、以下、検討する。
(ア)前記アで判示したように、本件催告書は、平成19年12月21日の午後6時26分に、メールで被告に送信されたところ、原告は、原告本人尋問において、同日に、被告サイトに本件回答書が掲載されていることを発見したため、原告代理人に対し、その対処方法について相談した結果、本件催告書を被告に送信することになったこと、原告がまず本件催告書の草案を作成し、これを原告代理人に対しメールによって送信し、原告代理人から上記草案の末尾のみ修正を受けたことを供述する。
 また、原告は、この点に関連して、本件催告書を作成するに当たって、法務室において過去に作成されパソコン等に保存された催告書等の文例を一切参考することなく、しかも、市販の文例集等も参考にせずに、法務室に備え付けの著作権法関係の本を5、6冊読み、六法全書を見て作成した(原告本人調書4頁及び12頁)旨供述する。
 しかしながら、前記アで判示したとおり、原告は、社会部を中心とする取材記者の経歴が長く、大学時代を含めて、これまで専門的に法律を習得した機会はなく、読売新聞西部本社において、法務室に配属されたのも、本件催告書を作成する7か月余り前のことであり、また、これまで、催告書を作成した経験もないところ、このような経歴、素養を有する原告が、上記のような数時間程度の期間内で、作成済みの催告書や文例を一切参考にせずに、六法全書と著作権法関係の本を参考にして、本件催告書とほぼ同一の内容の草案を作成できるとは到底考え難いところである。
(イ)また、原告は、原告本人尋問において、日常の業務においては、ワープロソフトとしてはワードを使用していることを自認するところ、本件催告書の作成に当たっては、会社にあるパソコンで作成したことは覚えているが、使用したワープロソフトは覚えていない旨供述する(原告本人尋問調書14、15頁)。
 しかしながら、原告が、本件催告書を、会社に備え付けのパソコンで作成したのであれば、通常、日常の業務において使用しているワープロソフトであることを自認するワードによって本件催告書を作成したものと考えられ、原告本人尋問においても、そのように供述するのが自然と解される。また、原告が、本件催告書を日常の業務で使用しているワープロソフト以外のソフトで作成した可能性があるのであれば、そのことの説明をするのが自然であるというべきであり、それにもかかわらず、上記のような供述をすることは理解し難いところである(このような供述の不自然さから、原告は、本件催告書の作成において使用されたワープロソフトがワードではない可能性や、そもそも読売新聞西部本社の法務室に備えてあるパソコンにPDF作成ソフトがインストールされていない可能性があることを考え、上記のような供述をしたのではないかとの疑念が生じる。)。
 さらに、原告は、原告本人尋問において、本件催告書のうち、原告自身が創作性があると考える部分は具体的にどこであるかという質問に対しては、全体として創作性がある、又は自分で考えて作成したことに創作性がある旨の供述に終始しており(原告本人尋問調書9ないし12、23 、25頁)、具体的な創作的表現を指摘できず、また、本件催告書の作成に当たって留意した点などの本件催告書の作成経緯についても、一切触れておらず、この点も不自然といわなければならない。
(ウ)なお、原告は、原告本人尋問において、自ら作成した本件催告書の草案を原告代理人に確認してもらうために、そのデータをメールに添付することにより送信した旨供述するが、原告及び原告代理人の両名とも、現在、上記メールのデータを有しておらず(第3回口頭弁論調書)、この点も、不自然であるとの感は否めない。
(エ)ところで、代理人催告書(乙21)は、原告代理人が作成したものであることは争いがないところ、同催告書は、宛先会社に対して、同社が開設するウェブサイトから原告代理人作成に係る文章の削除を求めるという内容の催告書であるが、証拠(甲3、乙21)によれば、本件催告書は、代理人催告書と、1行の文字数及びフォントが同一であり(なお、 原告は、原告代理人による本件催告書の草案の修正は、原告が原告代理人に対して本件催告書の草案をメールで送信した上で、同草案を確認した原告代理人から電話で指示を受けて、原告が自ら行うという方法でされたものと思われる旨供述しており(原告本人尋問調書21、29頁)、同供述のとおりとすれば、原告代理人が、原告から送信されてきた本件催告書の草案の修正をした際に、その文字数及びフォントを、自己の業務で使用している書式と同一のものと変更し、この修正後のデータを原告に送信したものとは考えられない。)、また、前文として「冠省」という言葉を、結語として「不一」という言葉を使用している点で一致しており、 文章の構成も類似している(両者とも、@中止を求める被告の行為の指摘、A原告が有する権利の主張、B上記の被告の行為が原告の上記権利を侵害する旨の主張、C上記の被告の行為の中止の要求、D同要求に従わなかった場合、法的手段に訴えることの通告という構造になっている。)ことが認められる。
 さらに、本件催告書及び代理人催告書とも、公表権を有することを表現するために、「専有」という用語を使用しているところ、著作権法上、著作財産権については、「専有」という用語が使用されるが、著作者人格権については、同用語は使用されないのであるから、公表権について「専有」という用語を使用した本件催告書及び代理人催告書は、特徴的な用語の使用法をしており、その特徴的部分が一致していると認められる。しかも、原告は、原告本人尋問において、六法全書を見て本件催告書を作成したと供述しており、また、本件催告書には、「私が専有しています(著作権法18条1項)」と、公表権の根拠条文が記載されているところ、原告が、著作権法18条1項の条文を参考としながら、本件催告書を作成したのであれば、公表権を「専有」するという記載をした根拠が不明である。一方、原告代理人は、代理人催告書に限らず、本件訴訟における訴状及び準備書面においても、公表権を有することを表現する際に、「専有」という用語を使用していることから、このような用法による場合が多いものと推測される。
 これに対して、原告は、本件催告書と代理人催告書とが類似しているのは、代理人催告書の宛先会社が、本件催告書の宛先である被告と連絡を取り合って原告代理人の権利を侵害していると考えられたことから、「同じ相手には同じ書面で対応している」ことを示すため、代理人催告書を本件催告書と基本的に同じ構成としたからであると主張する。しかしながら、仮に、代理人催告書の宛先会社が、本件催告書の宛先である被告と連絡を取り合って原告代理人の権利を侵害しているとしても、同社に対し、本件催告書と同じ書面で対応していることを示す合理的な必要性は認められず、また、法律専門家である原告代理人が、そのような資格を有しない原告の作成した文章に追従して同じ構成の文章を作成することも、不自然というほかなく、原告の上記主張は、理由がない。
(2) 以上の諸点を考慮すると、本件催告書は、原告が作成したものではないと認められる。
2 争点(2)イ(本件催告書は、創作的な表現といえるか)について
 前記1のとおり、本件催告書を作成したのは原告ではないと認められるが、事案に鑑み、仮に、本件催告書を作成したのが原告であるとした場合に、本件催告書が創作的な表現といえるか否かについても、検討する。
(1) 著作権法2条1項1号所定の「創作的に表現したもの」というためには、作成者の何らかの個性が発揮されていれば足り、厳密な意味で、独創性が発揮されたものであることまでは必要ないが、作成者の個性が何ら現れていない場合は、「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきところ、言語からなる表現においては、文章がごく短いものであったり、表現形式に制約があるため、他の表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合は、作成者の個性が現れておらず、「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきである。
(2) そこで、本件催告書について、以下、検討する。
ア 本件催告書は、被告サイトに掲載されている本件回答書の削除を、本件回答書の公表権に基づき要求するという内容のものであり、その本文は、 本件第1文から本件第5文までの5つの文章から構成されている。
イ 本件第1文について
 本件第1文は、被告サイトに、本件回答書の本文が全文記載されているという事実を表現したものである。このように事実を記載した文章であるから、その表現方法の選択の幅は狭く、また、本件第1文の具体的な表現方法を見ても、平凡な表現方法によっており、ありふれたものであり、したがって、本件第1文には原告の個性は現れていないというべきである。
ウ 本件第2文について
(ア)本件第2文は、本件回答書の文章について、原告が公表権を有しているという主張を表現したものである。
 本件回答書について、原告が公表権を有しているというためには、@原告が本件回答書を作成したこと、A本件回答書が著作物であること、B本件回答書が未公表であることを主張する必要がある。
(イ)上記の@原告が本件回答書を作成したという点について、本件催告書は、「著作者である私」と極めて簡潔に表現しており、同表現に原告の個性が現れていないことは明らかである。
(ウ)上記のA本件回答書が著作物であるという点については、本件催告書は、「著作物です」と極めて簡潔に表現しており、同表現にも原告の個性が現れていないことは明らかである。
(エ)上記のB本件回答書が未公表であるという点については、本件催告書は、「上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物です」と表現している。
a この点、著作物は、当該著作物が発行された場合、又は、権利者若しくはその許諾を得た者によって公衆送信等された場合に、公表されたことになるところ(著作権法4条)、本件回答書は、ファクシミリにより丙弁護士にのみ送信されたものであり、その丙弁護士が原告にとっては「公衆」ではなく特定の者であることを主張する(著作権法2条5項参照)ために、本件催告書のように、「上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり」と表現することは、特段の工夫がされたということはできず、同表現に、著作者の個性が現れているということはできないというべきである。
b これに対し、原告は、「特定の個人に宛てたもの」との文言は、日常的に用いられる普通の用語ではないから、同表現には原告の創意工夫が認められる旨主張する。
 しかしながら、本件催告書は、法律上の権利に基づき、同権利の侵害行為の中止を要求する文章であるから、必ずしも日常的に用いられる用語を使用するわけではなく、「特定の」という文言も、公衆ではないということを示すための法律用語であるから、上記文言が日常的に用いられないことをもって、創意工夫が認められる旨の原告の主張は理由がない。
c また、原告は、本件回答書が公表されているか否かの点については、著作権法の条文に基づく細かな説明をせずに、「特定の個人に宛てたもの」と記載するに止めたことをもって、本件催告書に創作性が認められるかのような主張をする。
 しかしながら、自己の要求を簡潔に示した催告書においては、相手方に説明する必要のない事項については、適宜省略するのが通常であるところ、本件催告書においても、本件回答書が公表されているか否かの点については、特段、当事者間で問題となるとは予想されないから、本件回答書が公表されたとはいえないことの細かな説明も、通常、省略するものと解され、そのことに原告の個性が現れているということはできないというべきである。
 したがって、原告の上記主張は理由がない。
d また、原告は、著作権法上の公表権の根拠規定を摘示したことを創作性の根拠とするかのような主張をするが、法律上の権利の主張をする際に、当該権利の根拠規定を摘示するのは通常のことであるから、原告の上記主張は理由がない。
エ 本件第3文について
 本件第3文は、本件回答書を、被告サイトに掲載することにより公表したことは、本件回答書について原告が有する公表権を侵害する違法行為であるという主張を表現したものであるが、上記の主張内容を本件第3文のように表現することはありふれており、同表現には、原告の個性が現れていないというべきである。
 この点、原告は、本件第3文において、種々の民事上の救済や刑事罰の詳細を記載することはせず、単に「民事上も刑事上も違法な行為」という抽象的な言い方に止めた点に創作性が認められる旨主張する。
 しかしながら、本件催告書のように、自己の法律上の要求を簡潔に示した文章においては、差止めの対象とする行為の違法性を指摘する際に、単に「民事上も刑事上も違法な行為」という抽象的な言い方に止めることも、普通のことと解され、この点に創作性を認めることはできないというべきである。
 したがって、原告の上記主張は理由がない。
オ 本件第4文について
(ア) 本件第4文は、被告に対して、被告サイトから本件回答書を削除するよう求めることを表現したものである。
 被告サイトから本件回答書の削除を求める場合、通常、期限を設けた上で催告を行うものと解されるから、本件催告書が、本件回答書の削除の期限を設定したことは、極めて一般的なことであり、また、その表現方法もありふれたものであるから、同表現に原告の個性が現れていないことは明らかである。
 また、公表権を侵害する行為に対しては、著作者は、差止請求権を有しているから、公表権侵害行為の中止を求める際にも、その理由として、単に、当該行為が違法であることを示すだけでなく、当該行為に対して差止請求権を有していることを示すことも、極めて一般的なことと解され、本件第4文において、被告サイトからの本件回答書の削除の要求の理由として、「このような違法行為に対して、・・・私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので」と記載することに、原告の個性が現れているということはできないと解される。なお、原告は、差止請求権の根拠規定を摘示したことを創作性の根拠とするかのような主張をするが、法律上の請求をする際に、当該請求の根拠規定を摘示するのは通常のことであるから、原告の上記主張は理由がない。
 また、本件第4文では、本件回答書の削除要求は、公表権に基づくものであるにもかかわらず、原告は、本件催告書の請求の主体である自分のことを、本件回答書の著作者ではなく、著作権者であると表現しているが、原告自身、このように、自己を著作権者と表現したことに特段の意図を有していなかったこと(原告本人尋問の結果)を考慮すると、この点に原告の個性が現れているということはできないと解される。
(イ)この点、原告は、本件第4文において、差止請求権以外の救済ないし刑事罰については、あえて言及しなかった点に創作性が認められる旨の主張をする。
 しかしながら、本件催告書は、被告サイトに掲載されている本件回答書の削除を求めるものであるから、差止請求権以外の請求権等について言及する必要性はなく、それらの点について言及しなかったのは当然ともいえる。また、本件催告書で記載された要求に従わない場合に、原告が採りうる法的手段を示すという意味で、原告の有する各種の請求権に言及することは考え得るところであるが、本件催告書のように、自己の要求を簡潔に示した文章においては、自己の催告に従わなかった場合に採るべき法的手段を逐一具体的に指摘しないことは、普通のことと解され、上記の言及を行わなかった点について創作性を認めることはできないというべきである。
 したがって、原告の上記主張は理由がない。
カ 本件第5文について
 本件第5文は、本件催告書による原告の催告に被告が従わない場合に、法的手段に訴えることを表現したものであり、同意思を表現するものとして、本件第5文のような表現形式を採ることはありふれており、本件第5文に原告の個性が現れていないことは明らかである。
 この点、原告は、本件第5文の「相応の法的手段」の具体例を示さなかったことに創作性が認められる旨の主張をする。
 しかしながら、前記オ(イ)で判示したように、本件催告書において、自己の催告に従わなかった場合に採るべき法的手段として、その具体的内容を逐一指摘しないことは、普通のことと解され、この点に創作性を認めることはできないというべきである。
 したがって、原告の上記主張は理由がない。
キ 本件催告書全体の構成について
(ア)本件催告書の構成は、本件第1文において、本件催告書によって中止を求める対象となる被告の行為を指摘し、本件第2文において、原告の権利内容の主張をし、本件第3文において、本件第1文で指摘した被告の行為は、本件第2文で示した原告の権利を侵害する違法な行為であることを主張し、本件第4文において、被告に対して、本件第1文で指摘した行為の中止を求め、本件第5文において、本件第4文の催告に従わない場合に、原告が法的措置を採ることを示すというものである。
 被告サイトに掲載されている本件回答書の削除を、本件回答書の公表権に基づき請求するという内容の催告書を作成する場合、種々の構成が考えられるが、上記の構成を採ることは自然であり、実際、代理人催告書も、上記と同じ構成を採っており、各種の催告書の文例にも、上記の構成と同様の構成を採っているものがある(乙1、3)。
 したがって、本件催告書全体の構成に、原告の個性が現れているということはできないと解される。
(イ)これに対し、原告は、本件催告書は、法律上の論点をすべて網羅することはせず、必要な限度において論点を取捨選択し、これを理解しやすい順番に並べたものであり、この点に、創作性が認められる旨の主張をする。
 確かに、本件回答書についての公表権に基づき、被告サイトから本件回答書の削除を要求する文章を作成する場合、取り上げるべき論点、記載すべき事項についての選択が可能であり、また、その記載の順序についても、種々のものが考えられるが、著作権法上、言語の著作物として保護されるのは、そのような選択に関するアイデア自体ではなく、具体的な表現であると解すべきである。したがって、素材や表現形式に選択の幅があったとしても、実際に作成された言語上の表現がありふれたものである限り、創作性は認められないと解するのが相当であるから、原告の上記主張は理由がない。
(3)以上より、仮に、本件催告書を作成したのが原告であるとした場合は、本件催告書は、創作的な表現ということはできないというべきである。
3 したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
第4 結論
 以上の次第で、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 清水節
 裁判官 佐野信
 裁判官 國分隆文
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/