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【事件名】槇原敬之vs松本零士「約束の場所」事件 【年月日】平成20年12月26日 東京地裁 平成19年(ワ)第4156号 著作権侵害不存在確認等請求事件 (口頭弁論終結日 平成20年10月15日) 判決 原告 A 同訴訟代理人弁護士 内藤篤 同訴訟復代理人弁護士 根本かほり 同訴訟代理人弁護士 淡川佐保子 被告 B 同訴訟代理人弁護士 落合孝文 同 佐々木奏 同 池村聡 同 松田政行 主文 1 原告が、被告に対して、原告が平成18年8月10日に別紙歌詞目録記載の歌詞をトラック・ダウンする方法でコンピュータのハードウェアに蔵置したことについて、別紙文章目録記載の文章の著作権(複製権、翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権)に基づく損害賠償請求権がないことの確認を求める訴えを却下する。 2 被告は、原告に対し、金220万円及びこれに対する平成19年3月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 原告のその余の請求を棄却する。 4 訴訟費用は、これを20分し、その1を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。 5 この判決は、第2項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 原告が、平成18年8月10日に、別紙歌詞目録記載の歌詞をトラック・ダウンする方法でコンピュータのハードウェアに蔵置したことについて、被告の原告に対する、別紙文章目録記載の文章の著作権(複製権、翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権)に基づく損害賠償請求権がないことを確認する。 2 被告は、原告に対し、金2200万円及びこれに対する平成19年3月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 被告は、原告に対し、別紙広告目録・記載の広告を、同目録・記載の新聞に、同目録・記載の方法で掲載せよ。 第2 事案の概要 本件は、別紙歌詞目録記載の歌詞(以下「原告歌詞」という。)を創作した原告が、被告が創作した別紙文章目録記載の文章(以下「被告表現」という。また、被告表現のうち、第1文を「被告表現第1文」と、第2文を「被告表現第2文」という。)について、被告が、別紙テレビ番組目録記載のテレビ番組(同テレビ番組中の被告と原告との間の紛争を扱った部分を、以下「本件各テレビ番組」といい、個々のテレビ番組中の同部分を示すときは、同目録の番号を末尾に付記して、「本件テレビ番組1」などと表記する。)において、原告歌詞中にある別紙原告表現目録記載の歌詞部分(以下、「原告表現」といい、原告表現のうち、第1文を「原告表現第1文」と、第2文を「原告表現第2文」という。)が、被告表現を盗作したものである等と原告の名誉を毀損する発言をしたと主張して、被告に対し、原告が原告歌詞の実演をコンピュータのハードディスクに蔵置する方法により原告歌詞の実演の原盤を完成させた行為について、被告が被告表現についての複製権、翻案権及び同一性保持権に基づく損害賠償請求権を有していないことの確認、名誉毀損の不法行為に基づく損害金(慰謝料2000万円と弁護士費用200万円の合計2200万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年3月2日から民法所定の年5分の割合の遅延損害金)の支払並びに謝罪広告を求めている事案である。 1 争いのない事実等(争いのない事実以外は、証拠を摘示する。) ・ 当事者 ア 原告は、「A1」の芸名で活動を行う、著名な作詞家、作曲家、実演家である。また、原告は、数多くのアーティストに楽曲を提供している(甲3)。 イ 被告は、「B1」の名称で活動を行う人気漫画家である。 ・ 被告表現 被告は、原告歌詞が創作される前に、被告表現を創作し、公表した。 ・ 原告の創作行為 原告は、平成18年5月ころ、株式会社デフスターレコーズ(以下「デフスター」という。)からの依頼を受け、「C」というグループ名のコーラスデュオ(以下「C」という。)に提供するために、原告歌詞を創作した(弁論の全趣旨)。原告歌詞をCが実演したCD(以下「本件CD」といい、その楽曲を「原告楽曲」という。)は、同年10月4日に発売された(甲3)。また、原告楽曲は、当時、味の素株式会社(以下「味の素」という。)のテレビコマーシャルに使用されていた(甲74)。 ・ 被告の行為 ア 被告は、原告楽曲の演奏を聴き、原告歌詞のサビに使われている原告表現が、被告表現を模倣したものであると感じていたところ、新聞、雑誌、テレビ等のマスメディアから、原告表現が被告表現の盗作ではないかについての意見を求める内容の取材申込みが殺到し、被告は、これらの取材に応じた。そして、本件各テレビ番組を含む各マスメディアによって、平成18年10月19日ころから同年11月9日ころまでの間、被告は、原告表現が、被告表現を盗作したものと考えており、原告に対し、憤りを感じていること等が報道された。(甲12の1及び2、13ないし18、19の1ないし17、20の1ないし26、23、24、25の1及び2、26ないし29、30の1及び2、31の1、32の1、弁論の全趣旨) イ 本件各テレビ番組の内容は、別添テレビ番組内容表のとおりである。 ・ 被告が、本件各テレビ番組の取材に応じてした各発言行為は、公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった。 2 争点 ・ 著作権(複製権、翻案権)侵害、著作者人格権(同一性保持権)侵害に基づく損害賠償請求権の不存在の確認の訴えについて(請求の第1項に関するもの) ア 確認の利益の有無 イ 被告表現の創作性の有無 ウ 原告表現は、依拠性の点を除き、被告表現の複製又は翻案に当たるか エ 依拠性の有無 ・ 名誉毀損の不法行為に基づく請求について(請求の第2項及び第3項に関するもの) ア 名誉毀損の不法行為の成否 ・ 本件各テレビ番組において放送された被告の各発言は、原告の名誉を毀損するか ・ 違法性阻却の成否 a 本件各テレビ番組における被告の各発言は、事実を摘示するものか、あるいは、意見ないし論評の表明に当たるか b 本件各テレビ番組における被告の各発言が事実を摘示するものである場合、その摘示事実の重要な部分につき真実であることの証明があるか c 本件各テレビ番組における被告の各発言が意見ないし論評の表明に当たる場合、 ・ その前提事実の重要な部分につき真実であることの証明があるか ・ 意見ないし論評としての域を逸脱していないか ・ 本件各テレビ番組における被告の各発言に係る事実及び意見ないし論評の表明の前提事実の重要な部分が真実であると信じる相当の理由が存在するか ・ 本件各テレビ番組における被告の各発言(ただし、生放送における発言を除く。)について、被告は、情報提供者にすぎないとして、不法行為責任を負わないか イ 被告の名誉毀損行為によって原告が被った損害の額 ウ 謝罪広告の要否及びその内容 3 争点に対する当事者の主張 ・ 争点・ア(著作権侵害、著作者人格権侵害に基づく損害賠償請求権の不存在の確認の訴えに確認の利益があるか)について (原告) ア 即時確定の利益について 原告表現が被告表現の著作権を侵害していると仮定した場合、被告は、原告に対して、理論上、トラック・ダウンによる原告表現の複製に対して損害賠償請求権を有する。なお、侵害行為の確認対象として何を据えるかは、機能的な考察により定まるものであるから、当該行為(トラック・ダウン)を被告において具体的に知っていたか否かは、関係がないのである。 また、被告は、味の素のテレビコマーシャルを契機として知った、「原告表現の利用」という事態に対して大いに権利主張したのであるし、現在たまたま権利行使の意思がないと明言しているからといって、いまだに、原告表現は被告表現の盗作であると確信しているのであるから(被告尋問調書15頁)、原告の地位は甚だ不安定といわざるを得ない。 したがって、いまだに即時確定の利益は厳然として存在する。 イ 目的の選択の適切性について 原告表現は、もともと公表を予定して作成されたものであるが、公表すべき原告表現の最終形が象徴的に確定したのは、原告歌詞が歌い込まれた原盤「約束の場所」のマスターが確定した時点である。 原盤「約束の場所」が、マスターとして確定したのは平成18年8月10日であり、方法としては、コンピューターのハードディスク内に蔵置する方法であった(甲73)。この時点以降、原告表現は、正に機械的に複製されて、譲渡され、放送されたのであり、この時点における原告表現が被告表現の複製ないし翻案に当たらないということさえ確定すれば、その後の原告表現の利用についても、機械的に適法であることが確定する。 したがって、トラック・ダウンという行為を、損害賠償請求権不存在確認の対象とすることは、適切である。 ウ よって、請求の第1項に係る訴えは、確認の利益が認められる。 (被告) ア 被告は、「トラック・ダウン」なる複製行為の存在について、原告から開示されるまで、全く認識すらなかったものであり、上記複製行為に対して、損害賠償請求権を行使することは困難であった。さらに、このようなわずか1度きりの、それも通常第三者が知りようもない、極めて特殊な領域における複製行為に対し、被告がわざわざ微々たる損害賠償金のためにあえて損害賠償請求権を行使することは、社会通念上およそあり得ない。 これは、被告自身の認識としても同様であり、被告は、このような損害賠償請求権を行使する意向など、全く持ち合わせておらず、これまで一度たりとも、原告に損害賠償請求権を行使したことはないし、今後これを行使するつもりも全くない。このことは、既に双方から提出されている関係各証拠からも明らかであるし、被告本人尋問においても、被告として問題にしていたのは、著作権侵害か否かではないという趣旨を明確に述べている(被告尋問調書13頁ないし14頁)。さらに、被告は、「こうだと信じたら非常に思い入れの強い」者であり、「自分の良心と倫理観に従って行動」する者である以上(同調書21頁)、今後上記意向を翻す可能性はない。 なお、被告は、念のため、本訴第9回弁論準備手続期日において、原告に対する当該損害賠償請求権、すなわち、「原告が平成18年8月10日に、原告表現を含む原告歌詞をトラック・ダウンする方法でコンピュータのハードウェアに蔵置したことに対する、被告の被告表現の著作権(複製権、翻案権)ないし著作者人格権(同一性保持権)に基づく損害賠償請求権」を放棄する旨の意思表示をした。 したがって、請求の第1項に係る訴えは、即時確定の必要性を完全に欠くものであり、確認の利益を欠く不適法なものであることは、疑う余地もない。 イ 請求の第1項に係る訴えは、確認対象の選択が適切でないこと 原告が確認の対象としている「トラック・ダウン」なる複製行為は、社会通念上一般に「著作物の利用」と評価されない(それだけでなく、存在それ自体が一般に認識されていない。)極めて特殊な領域における複製行為であって、このような行為に対して著作権者が損害賠償請求権を行使するという例は、おそらく我が国の裁判実務上これまで一度もなく、今後もないであろうことは明白である。 これは、上記のとおり、「トラック・ダウン」なる複製行為が社会通念上およそ認知されていない特殊領域における複製行為であることに加え、このような行為に対する損害賠償請求権の不存在をいくら確認したところで、何ら紛争の解決に資するものでないからにほかならない。 本件において、本来、債務不存在確認の対象とされるべきは、原告表現が使用された楽曲の各種利用に関する差止請求権の不存在確認であり、その場合、レコード会社等が原告になるのであるが、レコード会社等が被告に対して債務不存在確認訴訟を提起するという動きは一切確認することができず、これは、レコード会社自身がその必要性を何ら感じていないからにほかならない。そうである以上、原告が本件訴訟において不存在確認の対象としている請求権は、紛争の解決にとって有効適切なものとは到底いえないのである。 以上のとおり、請求の第1項に係る訴えは、確認対象の選択が不適切である。 ウ したがって、請求の第1項に係る訴えは、即時確定の必要性を欠き、更には確認対象の選択が適切でない以上、確認の利益が認められない不適法な訴えである。 ・ 争点・イ(被告表現の創作性の有無)について (被告) ア 被告表現が表現している思想ないし感情及び被告表現の読み方 ・ 被告表現が表現している思想ないし感情は、「夢に向かって努力し続ければ、それは叶う。だから、あきらめてはならない。」というものである(上記の思想ないし感情を、以下「被告思想感情」という。)。 ・ 被告表現の読み方 a 被告表現第1文(「時間は夢を裏切らない」)について 被告表現第1文の「時間」という言葉には、青少年が努力する時間という意味が込められており、「夢」はそのままの意味で、将来実現をしたい願い、希望、目的等を意味する。そして、第1文を構成する各語は、通常の意味から大きく離れることをせず、読者に詩的思考(表現を詩として認識して解釈すること)を求めつつも、まずは容易に理解を得ることができるような工夫が施されている。 「時間」を主語として使用し(ここでは、裏切るという意図・行為の主体という意味において、「時間」を擬人的に表現しているということになる。)、「夢」を裏切りの対象としていることから、読者に少しだけメッセージの解読(詩的思考)を求めることになり、被告表現第1文に接した読者は、詩としての表現の受け手となるのである。すなわち、「時間は」を「裏切る」の主語に使用することによって、読者に「時間」を本来の「時間」の概念以外の観念として認識することを求めることになるのである。その結果、メッセージの受け手である読者(主として若者)は、通常の意味として使用されている「夢」との対応関係を解読して、その結果、「時間」を「努力する時間」として観念することになる。 さらに、読者は、「裏切る」を良好な人間関係に背く(欺く、謀る)という通常の意味で用いられているものではないことに気付くことになる。すなわち、「裏切る」という否定的な言葉を「裏切らない」として否定形で用いることにより、読者をして「夢が叶う」という肯定的な意味を想起させている。このように、否定的な言葉を否定形に用いる二重否定的な表現方法をとることによって、より積極的な表現として、強い印象を与えることになる。このような手法により、読者に、「裏切らない」を「叶う」と認識させることができることになる。 このような手法を採用した結果、被告表現第1文は、読者にとって「夢に向かって努力し続ければ、それは叶う。」という意味を容易に理解させることができるのである。この被告表現第1文の理解の容易さが、被告表現における構成上の大きな機能となっているものである。 b 被告表現第2文(「夢は時間を裏切ってはならない」)について 被告表現第2文における「夢」は、被告表現第1文における「夢」とは、少し意味を異にしており、「夢を持ち続けてきたあなた(メッセージを受け止める読者たち)」という意味を持つ。また、被告表現第2文の「時間」は、被告表現第1文の「時間」と同じ意味ではなく、「努力してきた過去の時間」を意味する。被告表現第2文は、この「努力してきた過去の時間」を途中で無にするなということを、「裏切ってはならない」という二重否定的な方法によって、強い印象のメッセージとして伝えているのであり、「裏切ってはならない」という帰結が「だから、諦めてはならない」という意味として受け取られることになる。要するに、被告表現第2文の解釈は、「時間は夢を裏切らない」という被告表現第1文を前提として与えられた読者が、次にこれと関連付けて、反転した被告表現第2文を読むことによって、この間に「だから」という「因・果」を意識することになるのである。「裏切ってはならない」を「諦めてはならない」と読むことができるのは、この手法によるのである。 なお、被告表現においては、「時間」と「夢」とを入れ替えて対句・ 反復的表現としているが、単に対句・反復にすることによって、リズムが出るだけではなく、詩的思考に至った読者に「時間」、「夢」、「裏切る」の意味を観念させることを狙ったものであり、対句・反復で置き換えることによって、努力する時間によって夢が叶うを因とし、「だから」諦めるなというメッセージの帰結に結びつけることができることになる。 イ 被告表現の創作性 ・ 被告思想感情を文章で表現するに当たり、被告表現によって表現することは、誰もが思いつくものではなく、創作性が認められる。被告表現に創作性が認められる点を具体的に指摘すれば、以下のとおりである。 a 被告思想感情を表現するに当たり、「夢」、「時間」、「裏切らない」という言葉をすべて同時に選択している。 b 「時間」、「夢」を、「裏切る」という動詞の主体とすることは、通常予定されていないが、被告表現においては、「時間」、「夢」が「裏切る」行為の主体として観念され、いわば擬人的手法として表現されている。 c 広辞苑第5版によれば、「裏切る」という言葉は、@敵に内通して、主人又は味方に背く、A約束・信義に反する行為をする、と定義されており、否定的で、かつ、印象の強い言葉であるが、被告表現では、このような否定的な意味を持つ言葉を、否定形で使用することにより、一種のダブル否定に近い手法として、「(夢が)叶う」という、より肯定的、積極的表現に昇華させ、インパクトを更に強くしている。 d 「時間」を「裏切る」という動詞の目的語とすることは、通常予定されていないが、被告表現第2文においては、「時間」を「裏切る」という動詞の目的語としている。 e 被告表現においては、被告表現第1文に対応する形で、被告表現第2文を反復的に続け、なおかつ、被告表現第1文と被告表現第2文とで、「裏切らない」(「裏切ってはならない」)という言葉を共通の述語として使用しながら、「時間」、「夢」の位置を入れ替えて使用するという2つの技法が凝らされている。 そして、当該技法を採用することにより、表現に独特のリズム感、言葉遊び的な要素が加わり、 かつ、 それに留まらず、 「時間」、「夢」、「裏切る」の意味を読者、聴衆に再度観念させて、だから「諦めてはならない」という意味にしている。ここに繊細かつ緻密な思考があり、この手法の優れた点があるというべきである。すなわち、当該手法によって、被告表現に触れた読者、聴衆に対し、被告思想感情が、より強いインパクトをもって伝達されることになるのである。 ・ また、インターネット上の各種ウェブサイトで、「夢」、「時間」、「裏切らない」というキーワードで検索したところ、「時間」、「夢」、「裏切らない」の言葉が組み合わさった文章は、原告表現以外に見つからなかった。 原告も、被告表現及び原告表現以外に、前記・のa、bの特徴を備えた文章の存在を立証できていない。仮に、原告の主張のとおり、被告表現がありふれた表現であれば、上記特徴を備えた文章は多数存在するはずである。 このことからも、被告表現が、ありふれた表現ではないことが明らかである。 ・ また、被告表現に創作性が認められることは、短詩の分野における第一人者であるPや作詞家として著名なQが、被告表現の創作性を高く評価していることからも明らかである。 ウ 原告は、創作性を認めるためには、絶対的な量が必要であり、短い文章には創作性は認められない旨主張する。 しかしながら、原告自身が、「我々のように『著作物が著作物たり得るためには絶対的な最小限度の分量が必要である』という考え方は、先行する判例には受け入れられていないようにも見受けられるかもしれない。」と自ら認めるとおり、創作性を認めるためには、絶対的な量が必要であるという原告の主張は、従前の裁判例や学説には全く受け入れられていない独自説であり、かつ、誤った考えである。 そもそも、「作品の絶対的な量」なる要件は、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」という著作権法2条1項1号のどこを見ても記載されておらず、条文から同要件を導くことはできない。つまり、原告の主張は、明らかに法律の文言に反する解釈である。 また、原告が主張する「作品の絶対的な量」とは、具体的にはいかなる量をいうのかが不明確である。原告の主張は、おそらく言語の著作物の場合は、字数が「絶対的な量」の基準になるという主張なのであろうが、それでは、何文字(あるいは何単語)を超えれば著作物として認めてもらえることになるのか、また、他の著作物の場合、そもそも何を基準に「絶対的な量」を判断するのかが分からず、原告は、この点について、論理的・説得的な回答を何ら提示していない。このように、「作品の絶対的な量」なる基準で著作物性を選別するという原告の主張は、一見基準としての明確さを備えているかのごとき錯覚を生じさせるものの、これはあくまで錯覚にすぎず、何ら基準として有効に作用するものではない。 さらに、原告の上記主張は、結論の妥当性という観点からも到底賛同できるものではない。すなわち、「絶対的な量」を要件とする以上、その量に達する表現のみが著作物として保護され、その量に達しない表現は、著作物としての保護は享受できないということになる。しかしながら、同じ思想感情を表現した表現物でありながら、「絶対的な量」を充たす表現が保護対象となり、独創的な表現でありながらわずかに「絶対的な量」を充たさない表現が保護されないという結論は、明らかに不当である。これは、著作権法が文化の発展に寄与することを目的としている以上(著作権法1条)、当然の帰結である。 以上のとおり、「作品の絶対的な量」をもって著作物性の有無を判断するという原告の主張は、現行著作権法の下では、全く理由がない。 (原告) ア 著作権は、アイデアには発生せず、著作物の表現部分に発生するものである。そうであるとすれば、文章が非常に短いものである場合、当該文章はアイデアを端的に表現したものになり、表現の創作性を発揮する余地はなくなる。したがって、非常に短い文章には、創作性は認められない。 被告表現第1文は、13音しかない短いものであるから、創作性は認められず、それをひっくり返してありふれた方法で対句にした被告表現にも、創作性は認められない。 イ また、被告表現は、被告思想感情を、「夢」と「時間」という言葉をキーワードにして対句的に表現したものである。こうしたコンセプト自体も特に物珍しいものでもないが、こうしたコンセプトから「夢」と「時間」というキーワードが導き出されることも、想定の範囲内のものであり、創作性を認めるべきポイントではない。 例えば、「夢」という単語を「裏切らない」という単語の主語として、被告思想感情を表現した文章としては、「夢はきっと愛もきっと裏切らないから」(平成19年発表)がある。 また、被告思想感情と逆の意味である「時間がかかってしまうと、夢は実現しなくなる」というコンセプトを、「夢」、「時間」、「裏切らない」の3単語を使用して表現した文章として、「時間だけが残酷に夢を裏切るけれど・・・」(平成11年発表)というものがある。 ウ そもそも、被告表現は、単独で作品として提示されたものではなく、より大きな作品の構成要素にすぎないという視点(「銀河鉄道999 銀河鉄道物語」という漫画のごく一部)が、ここでは重要である。著作権侵害の有無という観点から、そうした作品の一部と原告表現を比較する前提としては、作品構成要素にすぎないものが、それ単体で「著作物=作品」としてのまとまりを持っていなければならないはずである。 エ・ 被告は、「裏切る」という否定的な言葉を使用して、肯定的な表現としたこと、「時間」という言葉を「裏切る」という言葉の目的語としたこと、「裏切る」という言葉の主語に無生物を選択したことに、被告表現の創作性が認められる旨主張する。 しかしながら、被告思想感情を「夢」、「時間」といった単語を用いて表現する場合に、どちらかがもう一方を「裏切らない」という表現を用いることは、誰でも思いつく文章の1つである。また、「裏切る」という言葉の主語に無生物を選択することも、「時間」という言葉を「裏切る」という言葉の対象として選択することも、被告が強調するほど異常なことではないし、「裏切る」という言葉をポジティブな意味合いで用いることもよくあることである。 ・ 例えば、インターネットの歌詞検索サイトで、「裏切らない」の言葉を含む歌詞を検索すると、以下のとおりの歌詞がヒットした。以下の8つの表現のうち、6つまでが、否定形を用いることによって、「裏切る」というネガティヴな言葉を肯定的に用いている。 a 「時は裏切らない」(平成19年発表) b 「太陽は裏切らない」(平成14年発表) c 「青空裏切らない」(平成2年発表) d 「初めての恋に裏切られた」(昭和63年発表) e 「光は・・・裏切るのか」(昭和48年発表) f 「自由だけは裏切らない」(平成10年発表) g 「残した足跡決して裏切らない」(平成18年発表) h 「そうして流れた涙は決して裏切らないから」(平成18年発表) ・ また、「裏切る」という動詞の目的語に、「約束、信義、期待、予想、希望、友好関係」以外の単語を選択した文章も、以下のとおり存在する。 a 「温もりを裏切りたくない」(平成19年発表) b 「若さを裏切る」(平成7年発表) c 「費やした歩数を裏切らず」(平成16年発表) d 「時を裏切れ」(平成5年発表) ・ したがって、被告が指摘する上記の点は、被告表現の創作性を認める根拠とはならない。 オ 被告は、被告表現が用いた対句表現が優れていることを創作性が認められる根拠としているが、対句自体は、古典の昔から使い古された技法である上に、被告表現の対句法は、単に最初の文章をひっくり返しただけであって、正にありふれた対句といえる。 被告が主張する被告表現の対句の技法は、他の表現でも、例えば、「夢はあなたを捨てないよあなたが夢を捨てなければね」、「君たちは戦争に関心がないかもしれないが、戦争は君たちに関心がある」という文章が備えている。 カ 以上より、被告表現は、誰でも思いつく範囲内の文章でしかなく、創作性が認められない。 ・ 争点・ウ(原告表現は被告表現の複製又は翻案に当たるか)について (被告) ア 被告表現の保護範囲ないし本質的特徴部分 ・ 被告表現に創作性が認められる根拠は、前記・で主張したとおりであり、被告表現の本質的特徴、創作性の認められる部分をまとめると、以下のとおりとなり、同部分を原告表現が再現しているか否かが類似性の可否を決するポイントとなる。 @ 被告思想感情を表現するに当たって、「時間」、「夢」を「裏切らない」と表現している点(以下「本質的特徴1」という。) A 「時間」、「夢」を「裏切らない」との関係で、対句的、反復的に表現している点(以下「本質的特徴2」という。) ・ 原告は、被告表現が短文であるという理由だけで、被告表現の類似性の範囲をデッドコピーに限定すべきとする。 確かに、ある著作物の保護範囲に、文章の長短がある程度大きな影響を及ぼすことは事実であるが、保護範囲は、それのみで決定されるものではなく、究極的には、本質的特徴部分ないし創作性のある部分がどこになるかによって定まるものであり、原告の上記主張は失当である。 そして、被告思想感情を表現する際の表現の幅は無限にあるところ、被告表現は、被告思想感情を表現するに当たって、前記・のとおりの表現方法により表現したのであるから、その保護範囲をデッドコピーに限定する理由はない。 イ 被告表現と原告表現との対比 ・ 原告表現は、「夢」、「時間」、「裏切らない」という語を用いるばかりでなく、「夢」、「時間」をそれぞれ「裏切らない」としており、被告表現における本質的特徴1が完全に再現されている。 さらに、原告表現は、「夢」、「時間」を「裏切らない」との関係で、対句・反復的に表現しており、被告表現における本質的特徴2も、完全に再現されている。 ・ 被告表現と原告表現のわずかな違いとして、@被告表現は、「時間は夢を裏切らない」を先行しているのに対し、原告表現は、「夢は時間を裏切らない」を先行していること、A被告表現は、「時間は夢を裏切らない」と表現しているのに対し、原告表現においては、時間は(も)夢を「決して裏切らない」と表現していること、 B 被告表現は、 夢は(も)時間を「裏切ってはならない」と義務的に表現しているのに対し、原告表現においては、単に、夢は時間を「裏切らない」と表現していること、の3点のみが挙げられ、このような違いが、両者のニュアンスや、その意味するところにも極めてわずかながら影響を及ぼすであろうことは否定しないが、上記各本質的特徴に何ら差異はなく、上記違いは、類否の判断に影響を及ぼす程度のものとは到底いえない。 ・ 原告表現は、前記のとおり、被告表現の本質的特徴部分をすべて再現し、かつ、以下のとおり、被告表現全32字のうち、実に28文字部分、割合にして87.5%を共通にするのであって、むしろ、実質的にデッドコピーであるとすら評価できよう。 ・ したがって、原告表現からは、被告表現の本質的特徴部分が直接感得される。 ウ よって、原告表現が被告表現の複製又は翻案に該当することは明らかである。 (原告) ア 被告表現の保護範囲ないし本質的特徴部分 前記・で主張したように、被告表現には創作性は認められないが、仮に認められたとしても、その保護範囲は、被告表現のデッドコピーに限られるというべきである。被告表現のように短い文章の保護範囲がデッドコピーに限定されるという考え方は、判例も採用している。 そして、仮に、被告表現に創作性を認めるとすれば、創作性を基礎付ける点は、被告表現第1文に呼応し、更に昂ぶった対句として被告表現第2文の断定的な禁止表現を使うことにより、被告表現全体として一種悲壮な信念を表現したという点であり、すなわち、被告表現は、被告表現という1つのまとまりにおいて、初めて創作性が認められ得るにすぎない。 被告が被告表現の特徴として主張する本質的特徴1及び2は、前記・で主張したように、ありふれた表現方法であり、同部分に創作性を認めることはできない。 イ 被告表現と原告表現との対比 ・ 原告表現には、確かに、「夢」、「時間」、「裏切らない」という単語と対句表現が用いられているが、この点は、被告表現に創作性を認める根拠となる部分ではない。原告表現では、原告表現第2文に、被告表現と異なり、禁止表現が使用されていないため、被告表現に特徴的な悲壮感はない。逆に、原告表現においては、原告表現第1文を素直にかつ確かに請け合う語として「決して」という単語を、原告表現第2文に配したために、「長い時間をかければ夢は叶う」という信念に対する温かな確信を表現したものとなっている。 ・ 被告表現は、被告が主張するとおり、若者に向けた「夢はかなう。諦めてはならない」という命令(エール)であり、スローガン(主張)であり、被告の信念である。要するに、そういった主観的な主張の吐露なのである。また、被告という年長者から若者に向けたメッセージであるために、命令口調が用いられている。 これに対して、原告表現は、仏教の因果応報という教え、すなわち、原告にとっては、間違っていることがあるかもしれない自分の個人としての主張とは違う、「真理」の1つを説明したものである。要するに、自らの主張というものとは違う、自分の考えの外部にある客観的な法則の平易な説明なのである。そのために、原告表現の語尾は、言い切りの形になっているのである。 このように、被告表現は主観の吐露であるのに対して、原告表現は客観の説明であり、その意味において、両者は全く異なる表現である。被告の主張における、共通する字数が文章全体に占めるパーセンテージがいくらであるかの計算など何の意味もない。 ・ したがって、原告表現は、被告表現のデッドコピーではなく、むしろ異なる表現であるとさえいえるのであって、原告表現に被告表現の本質的特徴が再現されているとはいい難い。 ウ したがって、原告表現は、被告表現の複製、翻案に該当しない。 ・ 争点・エ(依拠性の有無)について (被告) ア 被告表現が複数の作品、メディアで繰り返し掲載されており、原告が被告表現に直接的ないし間接的にアクセスすることが極めて容易であったこと 以下で主張するように、被告表現は、複数のメディアに繰り返し掲載されており、原告が被告表現にアクセスすることは極めて容易であった。 また、被告表現は、人の言葉で再現することが容易な文章表現であることから、著作物にアクセスするルートとして、「公表媒体から直接著作物にアクセスする」というもののほか、「間接的に著作物にアクセスする」、すなわち、「人から人へと伝わる」という確固たるルートが存在する。被告表現は、短く、印象に強く残るインパクトある表現であるから、間接的なアクセスの機会は多いといえる。したがって、本件で依拠の機会を考える場合は、単に被告表現を公表した媒体のみを考慮するのではなく、それに加え、間接的な伝達というものの存在も当然考慮されるべきである。 ・ 漫画作品における掲載 被告表現は、以下の作品で掲載されている。これらの作品のうち、特に「銀河鉄道999」は、昭和44年生まれの原告が小学校高学年のころに記録的大ブームを巻き起こした作品であり、宇宙船が好きで、中学生時代にアニメ研究会に所属し、漫画好きを自認する原告、そして昭和54年に大ヒットした劇場版「銀河鉄道999」のテーマソングを担当したゴダイゴの大ファンであった原告が、同作品に掲載された被告表現にアクセスすることは極めて容易であったものといえる。 また、「ニーベルングの指環」については、世界初のインターネット連載漫画として当時大きな話題を呼んだ作品であって(乙32、40及び60)、インターネットに慣れ親しむ原告にとっては、やはり被告表現にアクセスすることは極めて容易であったものといえる。 さらに、いずれの作品も、漫画雑誌、複数の単行本、インターネット、モバイル等、複数のメディアを通じて公表されており、このような意味においても、アクセスの機会は相当に多いといえる。 a 被告の代表作の1つである「銀河鉄道999」において、被告表現は、以下のとおり記載されている。 ・ エターナル編第1話「未来軌道」(以下「銀河鉄道未来軌道」という。) 小学館「ビッグゴールド」平成8年9月号、平成9年4月号増刊号特別編集銀河鉄道999総集編、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第15巻」、同社単行本My First Big「光の大星雲、エターナルへ!」に収録されている銀河鉄道未来軌道には、以下のとおりの記載がある(被告表現部分に下線を引いた。)。 なお、平成8年7月から平成9年6月までの「ビッグゴールド」の平均発行部数は、10万部である。 @ 「時間は…時間は夢を裏切らない…時間は決してぼくの夢を裏切らない…って…そう信じてたんだ。だからぼくの夢も時間を裏切ってはならない義務がある!!そう信じて何がなんでも…」 A 「早く走ってもゆっくり走っても旅は時間と共に進むもの。鉄郎の信じているとおり、「時間は夢を裏切らない」それが宇宙を支配する絶対的大原則だと鉄郎が気付く時が来る。999の新しい旅立ちである。「夢もまた、時間を裏切ってはならない」その義務を果たす者だけが宇宙で生き残るのだ。宇宙の海とはそういう場所である。」 ・ エターナル編第3話「空間無限軌道」(以下「銀河鉄道空間無限軌道」という。) 小学館「ビッグゴールド」平成8年11月号、平成9年4月号増刊号特別編集銀河鉄道999総集編、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第15巻」、同社単行本My First Big「光の大星雲、エターナルへ!」に収録されている銀河鉄道空間無限軌道には、以下のとおりの記載がある。 @ 「時間は夢を裏切らない!!決して裏切らない!!」 A 「時間は夢を裏切らない…」「夢を裏切らない……」 ・ エターナル編第4話「無限大叙事詩第一楽章」(以下「銀河鉄道無限大叙事詩第一楽章」という。) 小学館「ビッグゴールド」平成8年12月号、平成9年4月号増刊号特別編集銀河鉄道999総集編、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第15巻」、同社単行本My First Big「光の大星雲、エターナルへ!」に収録されている銀河鉄道無限大叙事詩第一楽章には、「時間は夢を裏切らないと信じてね。」との記載がある。 ・ エターナル編第7話「太陽系消滅」(以下「銀河鉄道太陽系消滅」という。) 小学館「ビッグゴールド」平成9年3月号、同年10月号増刊号特別編集銀河鉄道999総集編2、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第16巻」、同社単行本My First Big「さらば、友よ!!」に収録されている銀河鉄道太陽系消滅には、「時間は夢を裏切らない」との表現が2か所で登場する。 ・ エターナル編第14話「セントエルモの火龍」(以下「銀河鉄道セントエルモの火龍」という。) 小学館「ビッグゴールド」平成9年10月号、平成10年3月号増刊号特別編集銀河鉄道999総集編3、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第17巻」、同社単行本My First Big「マドンナの首飾り」に収録されている銀河鉄道セントエルモの火龍には、以下のとおりの記載がある。 なお、平成9年度の「ビッグゴールド」の平均発行部数は、20万部である。 @ 「時間はあなたの夢をけっして裏切らない。」「あなたが…あなたの夢が時間を裏切らない限り。」 A 「自分の夢が時間を裏切らない」 ・ エターナル編第22話「海賊島」(以下「銀河鉄道海賊島」という。) 小学館「ビッグゴールド」平成10年6月号、同年8月号増刊号特別編集銀河鉄道999総集編4、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第18巻」、同社単行本My First Big「海賊島」に収録されている銀河鉄道海賊島には、「俺は望みは捨てないぞ!!時間はきっと俺の夢を叶えてくれる!!時間は夢を裏切りゃしない!!」との記載がある。 ・ 銀河鉄道物語第5話「心の旅人」(以下「銀河鉄道心の旅人」という。) 小学館「ビッグコミックスペリオール」平成17年2月15日増刊号銀河鉄道999、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第21巻」(上記各雑誌ないし単行本を、以下「乙23漫画本」という。)に収録されている銀河鉄道心の旅人には、以下のとおりの記載がある。 @ 「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない。」 A 「夢は叶う、無限の旅の中で夢は必ず叶います!!」、「あなたの夢が時間を裏切らなければ…」 ・ さらに、被告表現第1文は、宣伝部分や特集部分等、作品本編以外にも、以下のとおり随所に登場する。 @ 「時間は夢を裏切らない無限大の可能性のある少年少女よ!!」(小学館ビッグゴールド平成9年4月増刊号特別編集銀河鉄道999総集編154頁コラム部分) A 「時間は夢を裏切らない…星の海を超え、少年は再び運命と出会う。」(小学館ビッグゴールド平成10年3月増刊号特別編集銀河鉄道999総集編3・付録カラーポスター裏における映画告知部分) B 「時間は夢を裏切らない。」(小学館ビッグゴールド平成10年3月増刊号特別編集銀河鉄道999総集編3・83頁・コミック宣伝部分) b 被告の作品である「ニーベルングの指環」において、被告表現は、以下のとおり記載されている。 なお、ニーベルングの指環は、世界初のインターネット連載漫画(平成9年4月から平成10年2月まで、ウェブページ上で連載された。)ということでも多くの話題を集め、1日40万アクセスという当時としては世界一のアクセス数を記録した作品であり(乙32、40及び60)、その後、単行本2種が出され、CD−ROM版も販売されている(乙33)。さらに、インターネットや携帯電話を通じた電子書籍という形でも購読が可能である(乙34の1ないし3、及び32)。 ・ ワルキューレ編(本編)において、以下のとおりの表現が登場する。 @ 「時間は夢を裏切らない!!だから夢も時間を裏切ってはならない!!」 A 「時間は決して夢を裏切らない」 B 「時間は俺たちの夢を決して裏切らない」 C 「時間は夢を裏切らない」(2が所で登場する。) D 「時間は夢を裏切らないよ」 ・ ワルキューレ編(コラム) 単行本(B5版)中の被告のコラムとしても、「時間は夢を裏切らない」とのタイトルの下、被告表現の一部が、3度にわたり使用されている(乙39)。 また、単行本(A5版)中、インターネット連載の経緯に関する被告のエッセイでも、被告のモットーとして、被告表現第1文が紹介されている(乙40)。 ・ ジークフリート編(本編)において、以下のとおりの表現が登場する。 @ 「時間は夢を裏切らない」「夢が時間を裏切らない限り・・・」 A 「時間は夢を裏切らない!! 夢も時間を裏切ってはならない!!」 B 「時間は夢を裏切らない!!」「夢も時間を裏切ってはならない!!俺たちの義務だ!!」 C 「夢は必ず叶う!!時間は夢を裏切らない!!」 ・ジークフリート編(コラム) 単行本(A5版)中の被告のエッセイでも、被告表現第1文が登場する。 c 被告の作品である「天使の時空船レオナルド・ダ・ヴィンチの伝説」において、被告表現は、以下のとおり登場する。 なお、「天使の時空船レオナルド・ダ・ヴィンチの伝説」は、潮出版社「コミックトム」に連載された作品であるが、同作品は、漫画雑誌のみならず、潮出版発行の単行本第6巻、嶋中書店発行の単行本第3巻、中公文庫第5巻にもそれぞれ収録されている。 @ 「時間は夢を裏切らないわ」 A 「時間は夢を裏切らないだから夢も時間を裏切ってはならない」 ・ 雑誌における掲載 被告表現は、以下のとおり、各種の雑誌に掲載されている。 a 光文社発行の週刊誌「週刊宝石」平成8年5月9・16日号(以下「乙46雑誌」という。)における掲載 被告は、上記雑誌の「福永法源の心のサバイバル革命」にゲストとして登場し、まとめの言葉として、「僕は時間は夢を裏切らないと信じてきたんです。いつか時間が夢を運んでくれる。でも怠けると夢のほうが時間を裏切ってしまう。」と発言している。 なお、平成8年上半期(1月ないし6月号分)の「週刊宝石」の平均販売部数は、42万8654部である。 b 講談社発行の月刊誌「現代」平成8年6月号(以下「乙48雑誌」という。) 上記雑誌には、「時間は夢を裏切らない」という被告のエッセイが掲載されており、同エッセイにおいて、「時間は夢を裏切らない。夜汽車のゆっくりした時の流れの中以来、心に刻み込まれている不変の想いである。揺るぎない信念である。だから夢も時間を裏切ってはならないのだ。」という文章がエッセイのしめくくりの言葉として掲載されている。 なお、平成8年度の「現代」の平均発行部数は、15万部である。 c 全国社会福祉協議会発行の「ふれあいケア」平成9年11月号上記雑誌には、「時間は夢を裏切らない」という被告のエッセイが掲載されており、同エッセイにおいて、「@私は裏切らないというのは・・・自分の夢は必ず時間がかなえてくれる。裏切られることはない。その代わり、自分の夢も時間に対して裏切り行為を働いてはいけないということです。夢はこの両者が義務を果たしたときに、初めて成就します、という意味です。ただ、夢がかなうには時間がかかるんですけどね(笑)。」という文章が掲載されている。 d 青春出版社発行の「Big tomorrow」平成9年11月号(以下「乙51雑誌」という。) 上記雑誌において、「時間は夢を裏切らない。その代わり夢に対する義務があるから、時間も裏切ってはならない。」という被告の言葉が掲載されている。 なお、平成9年度の「Big tomorrow」の平均発行部数は、31万部である。 e 「仕事人’98」(平成10年2月発行) 上記雑誌に被告のインタビューが掲載されており、そこには、「私のモットーは、『時間は夢を裏切らない』。ゆっくりだけど必ず叶えてくれる。逆に言えば、夢も時間を裏切ってはならないという自分自身への義務でもあるんです。この2つがゆっくり融合していったら夢は必ず叶う。ですから時間の可能性を信じることが大事なんです。夢に向かってまっすぐ突き進む気力を失ってはいけません」との記載がある。 f 講談社発行のタウン誌「TOKYO1週間」平成10年3月10日号(以下「乙54雑誌」という。) 上記雑誌における映画「銀河鉄道999エターナル・ファンタジー」(以下「エターナルファンタジー」という。)に関する記事中に、「時間は夢を裏切らない」との記載がある。 なお、平成9年度の「TOKYO1週間」の平均発行部数は、30万部である。 g キネマ旬報社発行の映画専門誌「キネマ旬報」平成10年3月下旬号(以下「乙56雑誌」という。) 上記雑誌に掲載されたエターナルファンタジー特集記事の記事タイトルと本文に、作品のテーマとして「時間は夢を裏切らない」というフレーズが2か所記載されていれる。 なお、平成9年度の「キネマ旬報」の平均発行部数は、5万2000部である。 h 文藝春秋社発行の週刊誌「週刊文春」平成11年10月28日号(以下「乙58雑誌」という。) 上記雑誌に、「時間は夢を裏切らない」というタイトルで被告がエッセイを寄せており、文中には、締めの言葉として、「時間は夢を裏切らない。だから、夢も時間は裏切ってはならない」との記載がある。 なお、平成11年下半期(7月ないし12月号分)の「週刊文春」の平均販売部数は、61万5405部である。 i 光文社発行の週刊誌「週刊宝石」平成12年4月6日号(以下「乙60雑誌」という。) 上記雑誌に、「『銀河鉄道999』の鉄郎のセリフの中に「僕の夢は必ず叶う。時間は夢を裏切らない」という名言があります。」との記載がある。 なお、平成12年上半期(1月ないし6月号分)の「週刊宝石」の平均販売部数は、28万7599部である。 j PHP研究所発行の「月刊PHPほんとうの時代」平成13年2月号(以下「乙62雑誌」という。) 上記雑誌に、「時間は夢を裏切らない」という被告のインタビュー記事が掲載されており、「私は、『時間は夢を裏切らない』という言葉が好きです。時間というのは、自分の未来の可能性です。夢は願望と希望とそれを達成するための努力です。ですから、夢も時間を裏切ってはならないという義務があるのです。この義務を果たしたときに時間は夢をかなえてくれます。」との記載がある。 なお、平成12年度の「月刊PHPほんとうの時代」の平均発行部数は、10万部である。 k 財界研究所発行の「財界」平成13年9月11日号(以下「乙64雑誌」という。) 上記雑誌において、「時間は夢を裏切らない」というタイトルの下、「私のスローガンは、『時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない』です。この二つが出会えば、夢は必ず生じると、自分でそう信じています。」との記載がある。 なお、平成13年度の「財界」の平均発行部数は、12万部である。 l 朝日新聞社発行の「世界100都市」(13号) 上記雑誌には、「夢の道程標。時間は夢を裏切らない!!」という「時計」に関する被告のエッセイが掲載されており、以下のとおりの記載がある。 ・ 「いつの日か、いつの時代か、究極の『夢』を現実として築き上げてくれる未来の子供たちがいる。それを支えてくれるのが時間だ。『時間は夢を裏切らない!!』だから、『夢も時間を裏切ってはならない!!』時計の二本の針のように、相互に止まることなく回り続ければ、夢は、理想は、現実のものとなって姿を現すだろう。」 ・ 「白い雲が、目の前の緑の草原を横切って流れて行った、『時間はあなたの夢を裏切らない』、そう優しく励ましてくれるかのように青い空へ昇って行った。」 m 産経新聞社発行の「正論」平成15年4月号(以下「乙67雑誌」という。) 上記雑誌には、「この春旅立つ若い君たちへ時間は夢を裏切らない“大四畳半”で青春を過ごした男おいどんからの熱きメッセージ」というタイトルの下、被告のエッセイが掲載されており、同エッセイには、「頑張った時間はおまえの夢を裏切らない。その代わりおまえの夢も時間を無駄にしてはならない」、「頑張った時間はおまえの夢を裏切らない」、「時間は夢を裏切らない」との記載がある。 なお、平成15年度の「正論」の平均発行部数は、15万部である。 n 文部科学省発行の「マナビィ」平成18年9月号(以下「乙69雑誌」という。) 上記雑誌には、「時間は夢を裏切らない」というタイトルの下、被告のインタビューが掲載されており、同記事に、「私のモットーは、時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない、というものです。時間は夢を裏切らないと言える世代がうらやましいですよ。まだ無限大の時間が残っている。時間は夢を裏切らないですから。そして、自分の夢と同じくらい、人の夢も大切にしてほしいですね。」との記載がある。 ・ 書籍における掲載 被告表現は、以下のとおり、各種の書籍に掲載されている。 a 「二十歳のころ」(D+東京大学教養学部Dゼミ著、新潮社発行。以下「乙70書籍」という。) 平成10年12月に発行された乙70書籍は、当時新聞で大きく取り上げられるなど、大きな話題を集めたベストセラー本である(乙71の1ないし6)。同書籍には、被告が取材を受けた結果も掲載されており、クライマックス部分において、「時間は夢を裏切らない」とのタイトルの下、「私の作品のテーマは、要するに、『時間は夢を裏切らない』ということと、その反対語で『自分の夢も時間を裏切ってはならない』ということ、この二つの往復になると思う。」との記載がある。 乙70書籍には、原告が敬愛し、かつ、親交も深い音楽家であるEのインタビューも掲載されており(乙70)、このような意味においても、原告がアクセスすることは容易であった。 なお、乙70書籍自体は二分冊となっているが、これは、文庫化された際に分冊化されたにすぎず、ベストセラーとして世間で大きな話題を集めた際のハードカバー版では一冊にまとめられている。 乙70書籍は、単行本のほか、平成14年1月に文庫本でも発売されており、また、インターネット上でも閲覧することが可能である。 b 「B1の宇宙」(F著、八幡書店発行) 上記書籍には、以下のとおり、被告表現に言及した箇所がある。 ・ 鉄郎やハーロックたちにも遭遇し、「時間は夢を裏切らない」という言葉も粘土に刻まれている。(63頁) ・ 「(新)銀河鉄郎999」では、成長した鉄郎が、そのことを初めから自覚して宇宙へと旅立っていく。彼は「時間は決して僕の夢を裏切らない」「だから僕の夢も時間を裏切ってはならない義務がある!!」と叫ぶ。(78頁) ・ これこそが『(新)銀河鉄道999』で鉄郎が叫ぶ、『時間は決して僕の夢を裏切らない……』『だから僕の夢も時間を裏切ってはならない義務がある!!』というありようの内実なのである。(284頁) c 「17人の座右の銘」(G監修、きこ書房発行。以下「乙75書籍」という。) 17人の著名人が自らの座右の銘につき語るという乙75書籍には、「時間は夢を裏切らない!!」というタイトルの下、「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない。」との記載がある。 d 「B1の世界」(辰巳出版) 上記書籍には、「時間は俺たちの夢を決して裏切らない!」、「時間は夢を裏切らない。だから夢も時間を裏切ってはならない」との記載がある。 e 「完全版銀河鉄道999PERFECT BOOK」(株式会社宝島社発行。以下「乙77書籍」という。) 「銀河鉄道999」のガイド本である乙77書籍の背面帯部分には、大きく、「時間は夢を裏切らない夢もまた、時間を裏切ってはならない」と記載されており、さらに、「大宇宙辞典」という企画ページ中、「時間」の項には、「◆時間(じかん)@夢を裏切らないもの」との記載がある。 また、株式会社宝島社の乙77書籍紹介ページには、大きく、「宇宙を永遠に旅する999ワールドそのすべてを完全網羅!! 時間は夢を裏切らない夢もまた、時間を裏切ってはならない」との記載がある。 f 「B1999 公式キャラクターブック」(スタジオDNA発行。以下「乙79書籍」という。) プレイステーション版ゲームソフト「B1999〜Story of Galaxy Express999〜」に登場するキャラクターのガイドブックである乙79書籍の冒頭頁には、「時間は夢を裏切らない夢もまた、時間を裏切ってはならないその義務を果たす者だけが宇宙で生き残るのだその宇宙の海を鉄郎とメーテルは999号で旅立っていく…」との記載がある。 ・ 新聞における掲載 被告表現は、以下のとおり、各種の新聞に掲載された。 a 平成8年1月11日付け西日本新聞(以下「乙80新聞」という。) 乙80新聞の「私のふるさと」という被告のエッセイにおいて、「時間は夢を裏切らない、その時間は無駄ではなかった。」との記述がある。 なお、平成8年上半期の西日本新聞の平均販売部数は、83万5090部である。 b 平成9年9月11日付け朝日新聞夕刊(以下「乙82新聞」という。) 乙82新聞には、エターナルファンタジーに関連した記事中に、「松本は『時間は夢を裏切らない。夢はゆっくりかなうもの。だから、このシリーズも世代を超えた物語にしたい。雑誌への連載は、これまでに199回を数えたが、あと10年以内に999回まで書きたい』という。」との被告のコメントが掲載されている。 なお、平成9年上半期の朝日新聞(全国版・夕刊)の平均販売部数は、425万4855部である。 c 平成10年2月13日付け産経新聞夕刊(以下「乙84新聞」という。) 乙84新聞において、3面を使ったエターナルファンタジーの特集記事中、「時間は夢を裏切らない」の記載ある。 なお、平成10年上半期の産経新聞(全国版・夕刊)の平均販売部数は、92万8710部である。 d 平成10年3月1日付けスポーツ報知(以下「乙86新聞」という。) 乙86新聞には、「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはいけない」との記載がある。 なお、平成9年度のスポーツ報知の平均発行部数は、148万2820部である。 e 平成10年3月1日付け西日本新聞(以下「乙88新聞」という。) 乙88新聞には、被告のインタビューが大きく掲載されており、「僕の夢は必ずかなう。時間は夢を裏切らない。」との記載がある。なお、平成10年上半期の西日本新聞の平均販売部数は、85万7842部である。 f 平成10年3月8日付け読売新聞(以下「乙89新聞」という。) 乙89新聞には、「銀河鉄道999」16集の広告中に、「夢を裏切らない時間の旅」との記載がある。 なお、平成10年上半期の読売新聞(全国版)の平均販売部数は、1022万0512部である。 g 平成10年3月15日付け日本経済新聞(以下「乙90新聞」という。) 乙90新聞のエターナルファンタジーに関する記事中に、被告の言葉として、「きっと時間は夢を裏切らないから。」との記載がある。 なお、平成10年上半期の日本経済新聞(全国版)の平均販売部数は、300万7793部である。 h 平成10年3月22日付け静岡新聞(以下「乙91新聞」という。) 乙91新聞の「B1さんファンと交流」という記事には、「時間は夢を裏切らない。」との記載がある。 なお、平成10年上半期の静岡新聞の平均販売部数は、72万1158部である。 i 平成10年3月22日付け南日本新聞(以下「乙92新聞」という。) 乙92新聞のエターナルファンタジーを評した記事中、「時間は夢を裏切らない」との記載がある。 なお、平成10年上半期の南日本新聞の平均販売部数は、40万1524部である。 j 平成12年1月1日付け静岡新聞(以下「乙93新聞」という。) 乙93新聞では、2面を使用した元旦の特集記事「3001年宇宙の旅」において、「B1さん1000年後を語る」とのタイトルの下、「時間は夢を裏切らない。夢は時間を裏切ってはならない」との記載がある。 なお、平成12年上半期の静岡新聞の平均販売部数は、72万8146部である。 k 平成13年10月2日付け読売新聞(福島版)(以下「乙95新聞」という。) 乙95新聞には、被告が名誉館長を務める郡山市ふれあい科学館スペースパークの開会式典における被告の挨拶の紹介記事において、「時間は夢を裏切らないが、夢も時間を裏切ってはならないというのが信条。」との記載がある。 l 平成14年7月3日付け毎日新聞(福島版)(以下「乙96新聞」という。) 乙96新聞の被告の講演についての記事において、「時間は夢を裏切りません。」との記載がある。 m 平成14年10月13日付け毎日新聞(くりくり)(以下「乙97新聞」という。) 毎日新聞の子供用新聞である乙97新聞の特集記事中、被告が今の子供たちに伝えたい言葉として、「時間は夢を裏切らない。だから夢も裏切ってはならない。」との言葉が紹介されている。 なお、「くりくり」の発行部数は、約76万部である。 m 平成17年6月29日付け朝日新聞(西部本社版)(以下「乙99新聞」という。) 乙99新聞での被告のインタビュー記事において、「時間は夢を裏切らないだから夢も時間を裏切るな」、「時間は夢を裏切らない、だから夢も時間を裏切ってはならない。」との被告の言葉が記載されている。 なお、平成17年上半期の朝日新聞(西部本社版)の平均販売部数は、78万9752部である。 n 平成18年7月29日付け毎日新聞(香川版)(以下「乙101新聞」という。) 乙101新聞での被告の講演についての記事において、「当日は『時間は夢を裏切らない』をテーマに講演。」との記載がある。 なお、平成18年下半期の毎日新聞(香川版)の平均販売部数は、2万7974部である。 o 平成18年8月19日付け毎日新聞(香川版)(以下「乙103新聞」という。) 乙103新聞での被告の講演についての記事において、「B1さん(68)がこのほど、高松市のサンポートホール高松で、『時間は夢を裏切らない』をテーマに講演した。」との記載がある。 ・ テレビ出演 被告は、数多くのテレビ番組にゲストとして出演しており、その際も被告表現を公表している。 a 被告は、平成12年5月23日放送のNHKのテレビ番組「プロジェクトX」(以下「乙104番組」という。)にゲストとして出演し、エンディング前の、いわば番組のクライマックス部分において、「時間は夢を裏切らないと思っています。」、「(時間は)夢を裏切らない。その代わり、夢も時間を裏切ってはならない。」との発言をしている。 高視聴率番組「プロジェクトX」における被告表現の公表は、視聴者に強烈なインパクトを与えたことは明らかであり、例えば、「プロジェクトXでB1が言っていた言葉」としてこれを紹介するウェブサイトも存する。 上記番組は、高視聴率をマークした人気番組であり、再放送され、かつ、ビデオグラム化(DVD、VHS)もされていることから、原告がこれにアクセスすることは容易であった。 なお、乙104番組は、平成14年12月17日の再放送の際ですら、13.9%の高視聴率を獲得した。 b また、被告は、平成13年6月2日に放送されたNHK教育テレビのテレビ番組「美と出会う」においても、「時間は夢を裏切らない、その代わり夢も時間を裏切ってはならない」と発言している(乙160)。 同番組は、NHKハイビジョンで同月3日に、NHK総合テレビで同月9日に、NHK教育テレビで同年7月28日に、それぞれ放送されたほか、その後、NHKハイビジョンでは、平成15年6月1日にも放送された。 ・ 劇場用映画エターナルファンタジー 被告表現は、平成11年3月に全国で劇場公開されたエターナルファンタジーのテーマであった。同映画は、大いに話題となり、公開に前後し、被告や関係者は、方々で取材を受け、その都度、被告表現を公表していた。 エターナルファンタジーは、少なくとも、東京都内で11か所、神奈川県内で6か所、千葉県内で4か所、埼玉県内で2か所、大阪府内で14か所、兵庫県内で9か所、京都府内で2か所、奈良県内で2か所、和歌山県内で1か所、滋賀県内で1か所で上映されていた。これらの劇場では、映画作品の本編だけでなく、上記映画作品の公開に先立ち、予告編が多数上映されたであろうことは想像に難くなく、さらに、上記劇場では、被告表現第1文が記載されたポスターその他関連グッズ等が販売され、ポスターについては、上映期間はもとより、それ以前より館内掲示がされていたはずである。 また、被告表現の一部は、映画本編において名セリフとして使用されただけでなく、予告編においても使用されており、原告が被告表現にアクセスすることは容易であった。以下、具体的に述べる。 a 被告や関係者による使用 ・ エターナルファンタジー(レーザーディスク版)に収録された被告へのインタビューの中で、被告は、「時間は夢を裏切らない夢も時間を裏切らない義務がある」と述べている。 ・ エターナルファンタジーのメイキングCD−ROMに収録された被告のインタビューの中でも、以下のとおり被告表現を使用している。 @ 「そして夢を失わない限り、時間は決して君の夢を裏切らないよ。・・・そのかわり、時間に対する自分の夢も裏切ってはならないという義務がある。」 A 「・・・時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない、 というこの2 つが組み合わさって、 こう出てくる予定です。」 ・ 主人公星野鉄郎役の著名声優・Hも、公開初日の舞台挨拶にて、「時間は夢を裏切らない」との被告表現に言及している。 b ポスター、予告編その他による使用 被告表現第1文については、エターナルファンタジーのポスター、テレホンカードその他各種グッズにも使用され、また、劇場、テレビ、ラジオで流れる映画の予告編でも大々的に使用されていた。なお、エターナルファンタジーは、ビデオグラム化もされており、被告表現第1文が掲載された告知ポスターが、全国のレンタルビデオショップにも掲示されていた。 c 映画本編における使用 映画本編においても、「時間は夢を裏切らない。」とのセリフが登場する。 ・ 講演 被告は、学校や各種団体のほか、一般企業、学会等の多方面において、講演を行っているが、その講演では、例外なく被告表現を使用している。 ・ その他 a 製作記者発表(被告画業50周年記念作品「銀河鉄道物語」) 被告は、平成15年3月19日に行われたアニメ「銀河鉄道物語」の製作発表記者会見において、「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切らない。」と語っている。なお、上記製作発表記者会見は、「銀河鉄道物語第1巻」(DVD版)の特典映像として収録されている。 b 佐久市子ども未来館 長野県にある「佐久市子ども未来館」では、平成13年以降現在に至るまで、被告からの青少年に対するメッセージが上映されており、その中で、被告は、「時間は夢を裏切らない。その代わり、夢も時間を裏切ってはならない。」と述べている。 c インターネット 被告表現は、誰しもがアクセスできるインターネット上でも被告のインタビュー記事、対談記事として掲載されている。 イ 原告は、被告に対して、いったんは依拠性を認めたこと 原告は、平成18年10月11日、被告との電話での会話(以下「本件電話会話」という。)において、「どこかで見聞きしたことがあり、それが記憶に残っていたのかもしれない。すみませんでした。」(同発言を以下「本件被告主張依拠発言」という。)と述べ、依拠の事実を認めた。原告は、これを否定するが、以下のとおり、原告、被告及びI(以下「I」という。)の各尋問結果並びに客観的な事実に照らして、原告の同主張が虚偽であることは明らかである。 ・ まず、原告、被告及びIの尋問の結果で、一致する部分及び一致しない部分をまとめると、別紙発言対比表のとおりとなる(なお、別紙発言対比表では、供述が一致する部分を黄色、概ね一致する部分を水色、不一致部分を灰色で、それぞれ色分けした。)。 ・ 結果的に似てしまったことを謝罪したとするIの証言は虚偽であること a Iには真相を隠さなければならない動機があること 原告歌詞は、原告自身のソロ楽曲において使用されたものではなく、人気コーラスデュオである、Cのシングル曲となった原告楽曲のサビ部分において使用されたものである。したがって、原告表現が被告表現の著作権を侵害することが判決で確認されることとなれば、原告表現が含まれる原告歌詞を歌唱し、自身の名義でシングル曲としてリリースしたCが被る影響は決して小さなものではなく、デフスターとしては、このような事態は何としても避けなければならない。 さらに、Iは、現在、ソニーミュージックジャパンインターナショナルに所属しているとのことであるが、原告は、平成9年から数年間、同じソニーグループであるソニーミュージックエンターテインメント社(以下、「SME」という。)に所属していたため、今現在においても、多数の原告作品がSMEから販売等されている。原告表現が被告表現の著作権を侵害するものであることが判決で確認されることとなれば、原告作品を販売するSMEが受ける影響は決して小さいものではなく、SMEとしても、このような事態は何としても避けなければならない。 以上から明らかなとおり、Iは、その置かれた立場ゆえに、真相を隠さなければならない強い動機が認められ、原告に有利な証言をし、あるいは、真実を証言しない危険性を常に指摘することができる。 なお、これに関連して、I作成の陳述書(甲76。以下「I陳述書」という。)添付の資料1(以下「I資料」という。)の信用性についても、若干疑問を禁じ得ないことを付言しておく。すなわち、Iによれば、I資料は、10月11日に原告被告間の本件電話会話が行われ、その後一週間以上が経過した10月19日に作られたものであり(証人Iの尋問調書(以下「I尋問調書」という。)18頁)、かつ、「万が一のための準備」のために「何となく」作られたものである(同19頁)。そうすると、同資料は、記憶が鮮明なうちに作られたものでもないし、予め証拠として使うことを意図して作成されたものである以上、自身や原告サイドに有利に作成している疑念が払拭できない。したがって、同陳述書の記載内容中、特に原告に有利な部分については、上記の危険性を十二分に念頭に置く必要がある。 b Iは、本件電話会話における原告の発言のすべてを聞いていたわけではないこと Iは、本件電話会話における原告の発言のすべてを正確に聞いていたものではない(このことは、I証言において、Iも認めている。)から、仮に、Iが「そのような発言はなかった」と証言したところで、単にIが聞いていなかったにすぎない可能性や、正確に聞いていなかった可能性が常に指摘できる。 c 本件電話会話のうち1回目の電話での会話(以下「本件1回目会話」という。)において、被告は、Iに対して、「結果的に似ている以上謝罪すべきである」と言った事実はないこと Iは、原告が結果的に似てしまったことを謝罪したことの重要な根拠として、被告が、本件1回目会話において、原告から替わったIに対して、「結果的に似ている以上謝罪すべきである」と述べたことを挙げている。 しかしながら、被告は、そのような発言はしていない。Iも、被告が、盗作に対する謝罪を求めていたことは否定していないこと、原告も、本件1回目会話において、被告から盗作に対する謝罪を求められ、これを拒絶したことは認めていることから、本件1回目会話における原告との会話を終えた被告が、原告から替わったIに対して、突然、盗作に対する謝罪ではなく、結果的に似ていたことの謝罪を要求することは、不自然極まりなく、この点に関するIの証言は信用できない。 d Iは、原告の謝罪文言をはっきり聞いておらず、「原告は説得どおりに話したのだろう」という推測の下で証言しているにすぎないこと Iの証人尋問において、本件電話会話での原告の謝罪文言についての質問について、Iは、「僕はそう思っています」と意見や感想を述べる回答をしたり、「こういうふうに話したらどうですかという話をしましたので」と回答したり、その他の回答も曖昧であることから、Iは、単に「きっと原告は自分が説得したとおりに被告に謝罪をしたのだろう」と思い込んでいるにすぎず、実際に原告の発言をしっかり正確に聞いていたわけではないことが認められる。 e 「結果的に似てしまったこと」を謝罪したとするI証言は、自身の他の証言内容とも矛盾すること I証言によれば、被告は、原告が、「結果的に似てしまいすみませんでした」と謝罪したことにより、納得したことになっている。 しかしながら、その一方で、その趣旨に争いはあるものの、Iは、デフスターのJ社長と共に被告宅に謝罪に訪問していること自体は認めており、この時の被告の状況につき、被告が非常に怒っていたこと、しかも、「原告の記憶に被告表現が残っていたこと」についても謝罪を求めていたことを認めている(I尋問調書14頁、23頁)。このような事実は、「結果的に似てしまいすみませんでした」との謝罪により被告が納得したというI証言と完全に矛盾するといわねばならず、むしろ、原告が被告に対して、本件被告主張依拠発言を行ったという事実にこそ沿うものである。 f I証言では、本件騒動を合理的に説明できないこと 仮に、I証言のとおり原告が発言したとすると、そもそも、なぜ本件がこのような紛争に発展したのかにつき、合理的な説明をすることが全くできなくなるばかりか、本件のストーリー自体が極めて不自然、不可解なものとなってしまう。 すなわち、仮に、I証言のとおり原告が被告に「結果的に似てしまってすみません」と謝ったのであれば、被告としては、それはそれで納得するのであり、その後紛争に発展したことの説明が全くできない。この点は、被告が、「偶然似てしまったとしても、一言スマンと謝ってくれればそれでよかった」と度々発言していることからも明らかである。 仮に、I証言を前提にすると、被告は、原告から「結果的に似てしまってすみません」との謝罪を受けたにもかかわらず、「記憶に残っていたかもしれない、すみません」との謝罪を受けたと虚偽の事実を公の場で述べ、さらには、「偶然似てしまったとしても、一言スマンと謝ってくれればよい」などと公の場で発言しているということになり、これがあまりに不可解極まりない行動であることは誰の目にも明らかである。そして、このような被告の理解不能ともいうべき行動を合理的に説明することが不可能であることはいうまでもない。 被告は、原告から本件被告主張依拠発言を受けたにもかかわらず、原告がこれを公にすることを拒絶した。だからこそ、本件がこのような紛争にまで至っているのであって、これ以上の合理的な説明など存在しない。 g まとめ 以上のとおり、「結果的に似てしまったこと」を謝罪したというI証言は明らかに虚偽であり、信用性は全くない。 ・ 「騒ぎを起こしてすみません」、「作品を知らなくてすみません」と謝罪したとする原告供述は虚偽であること a 原告供述の信用性一般について ・ 原告には真相を隠さなければならない強い動機があること 自己の創作した楽曲が他人の著作物の盗作であることが現実のものとなることは、原告のような人気アーティストにとって、ダメージが大きいことから、本件において、原告には、依拠発言をしたという真相を隠さなければならない確たる強い動機がある。 ・ 原告の供述には陳述書と異なる部分が多く、信用性が低いこと 原告本人尋問における原告の供述は、原告作成の陳述書(甲7、65。以下「原告陳述書」と総称し、そのうち、甲第7号証の陳述書を「甲7陳述書」、甲第65号証の陳述書を「甲65陳述書」という。)と異なる部分が多く、この観点からみても、全体として信用性が極めて低い。 ・ 供述内容自体にも大きな矛盾点が認められること 原告は、一方で、原告表現は、瞬間的に頭に浮かんだ旨供述するが、他方で、原告表現の創作手法等につき、様々な供述をしており、両者は、明らかに矛盾している。このことから、原告表現を独自に創作したという原告の供述の信用性は疑わしい。 b 原告供述内容は、極めて不自然なものであること 原告供述は、その内容自体が極めて不自然であり、さらには、本件騒動を合理的に説明することができないものであり、信用性を強く疑わせるものとなっている。以下、詳述する。 ・ 原告が供述する電話をかけた際の状況は不自然極まりないこと原告は、最初に被告に電話をする趣旨につき、「最初、それを聞いたときには、クレームとかそういう感じのものではなくて、とにかく似たような考え方を持つ者同士で話をしてみたいというような、そういう物を作るもの同士の感じでそう言ってくださっているのかなと思って、ちょっと心の中で喜んだような感じを覚えていますね。」と供述する。 しかしながら、その一方で、電話をした際の状況については、「そのときは僕、そしてうちの事務所の社長のK、それと当時マネージャーをやっていたL、それと経理をやっていましたM、それとデフスターレコーズの方がIさん、そしてディレクターをやっていらっしゃるNさん、それとOさん、あとお名前は忘れてしまったんですが、もう一方デフスターの方がいらっしゃって、それでテーブルを囲んで話をするような形でした。」と供述し、総勢8名という実に大がかりな、一種厳戒体制ともいうべき体制で被告への電話に臨んだ事実を認め、さらには、「その内容が、やっぱり自分が作った曲だとはいえ、とてもデリケートな話なので、いろんなかかわる会社もたくさんあったので、極力会話を復唱するような形で大きな声を出して、何かおっしゃったことをそのままそうなんですかという形を取るようには心掛けました。」と供述し、原告自身、細心の注意を払いながら被告との電話に臨んだ事実を認めている。上記状況は、「クレームとかそういう感じのものではなくて」、「心の中で喜んで」、軽い気持ちで電話をしたという当初供述の状況とは、およそかけ離れたものであることは明らかであり、両供述は完全に矛盾し、このことは、当初の供述が虚偽であることを物語るのである。 ・ 原告が供述する2回目の電話での被告の態度は、不自然極まりないこと 原告の供述によれば、本件電話会話のうち、2回目の電話における会話(以下「本件2回目会話」という。)では、被告は、1時間もの長時間にわたり、原告に口を挟む隙も与えず、延々と一人で同じことを繰り返し、まくし立てていたことになるが、これが不自然極まりないことは明らかであり、原告のこの点に関する供述の信用性は全くない。 ・ 原告が供述する本件2回目会話での被告とのやり取り(謝罪の状況、謝罪後の状況)は、不自然極まりないこと @ 原告の供述によれば、1時間も延々と原告にほとんど話す隙を与えず盗作を追求し続けていた被告が、突如何の前触れもなく、「作品を知らなかったことを謝れ」と言ったことになるが(原告尋問調書8頁)、このようなことは不自然極まりなく、あり得ないことである。本件の場合、被告は、当初からあくまで盗作の謝罪を求めていたのであるから尚更である。 そもそも、被告は、原告が、様々な作品や媒体で長年使用していた被告表現を知った上で原告表現を作成したことを問題視していたのであり、特定の漫画作品を知っていたか否かなど、全く関係のない話であることはいうまでもない(被告尋問調書6頁)。原告の供述は不自然極まりなく、全く信用に値しない。 なお、原告は、「みんなに聞こえるように、知らなかったことを謝るんですかというふうに言って聞こえるように言った」とするが、Iはこれに即した証言をしておらず、このような事実に鑑みても、上記の原告供述は信用できない。 A 原告が供述する被告の不自然なまでの変わり身の早さ 原告の供述によれば、原告が、被告の求めに応じ、「作品を知らなくてすみません」と謝ったところ、それまで激怒していた被告の態度が一転したのだという(原告尋問調書9頁)。 しかしながら、それまで執拗に(原告主張によれば延々1時間も2時間も)、「盗作に対する謝罪」を要求していた被告が、盗作とは全く無関係の「作品を知らなかったことの謝罪」を受けたことにより、いきなり怒りが収まり、突然、原告にエールを贈るほどに上機嫌になるということは、どう考えても不自然であり、合理的な説明は不可能である。この点をみても、原告供述は全く信用することができない。 ・ 原告が被告から文書要求を受けていないのは、不自然であること 原告の供述によれば、被告からのエールを贈られた原告は、被告に御礼を言い、その和やかな雰囲気のままIに電話を交替したとのことであり、原告は、Iに交替する前、被告から直接文書による公表の要求は受けていないとのことである(原告供述調書10頁)。 しかしながら、被告が何らかの文章(謝罪文)を出すことを要求するに当たり、原告を無視して、いわば「取次役」にすぎないIにのみ話を持ちかけるというのは、どう考えても不自然である。被告が求める文章は、原告の謝罪発言を受けてのものである以上、まずは謝罪をした張本人たる原告に対して文書化を要求するのが当然の流れであって、被告から文書化要求を受けていないとする原告主張は、何ら信用できるものではない。 被告は、原告の本件被告主張依拠発言によりいったん気持ちが落ち着いたものの、原告にこれの文書化を要求したところ、拒絶されたことから、再び怒りを覚え、怒りをぶつけたが、Iに交替され、交替したIに対しても怒りをぶつけ、そして、改めてIにも文書化の要求をしたのである。 この点、Iも、原告から交替した際、被告が怒っていたこと自体は否定していない。原告供述を前提にすれば、この時の被告は、原告にエールを贈るほどに上機嫌だったのであり、仮に、原告供述が事実なのであれば、Iも、「怒りは完全に収まっていました」と、何のためらいもなくはっきり証言したはずである。 ・ 原告供述では、本件騒動を合理的に説明することができないこと 原告主張によれば、被告は、原告から「作品を知らなくてすみません」との謝罪を受けた結果、原告にエールを贈るほどに上機嫌になったというのであるから、本件が後に紛争に発展するに至る理由の合理的な説明が全くできないことになる。 また、原告供述を前提にすれば、被告は、当初盗作の謝罪を原告がウンザリするほど執拗に長時間求め続けた末に、突如として「作品を知らなくてすみませんと謝れ」などと、これまでの謝罪要求とは全く別の謝罪要求をし、原告がこれに応じるや否や、一転して原告に温かいエールを贈るほどに機嫌が直り、和やかに会話が終了したにもかかわらず、後日、原告から「記憶に残っていたかもしれない、すみません」との謝罪を受けたなどと虚偽の事実を繰り返し公の場で述べ、怒りを露わにしているということになる。これは、余りに不可解極まりない行動というほかなく、このような不可解な被告の行動は、合理的な説明がつくものではない。 c 以上のとおり、「こんな騒ぎになってしまいすみません」、「作品を知らなくてすみませんでした」と謝ったとする原告供述は、全く信用することができない。 ・ 原告は、被告に対して、本件被告主張依拠発言をしたこと−被告の証言が唯一真実であり、信用性が高いこと− a 被告供述のみが、本件を合理的に説明できること I証言や原告供述では、本件騒動を合理的に説明することは全くできないが、被告供述によれば、本件騒動を極めて合理的かつ自然に説明することができ、何らの困難も伴わない。 すなわち、被告供述によれば、本件は、極めてシンプルで分かりやすい紛争なのであって、要するに、原告が被告に本件被告主張依拠発言をし、一度は依拠の事実を認めたにもかかわらず、原告がそれを公にすることを拒絶したため、被告がこれに納得できなかったという事案にすぎないのである。 b 被告供述のみが、サイト掲載用文案を合理的に説明することができること 本件では、@本件電話会話において、被告が原告から何らかの謝罪を受けたことにより、一度は被告が納得したこと、Aその後、デフスターにより、デフスターのホームページに掲載する文章の文案(乙140の「(以下、文案)」との記載に続く記載部分。以下、乙140の文案を「乙140文案」という。)が作成され、原告被告双方に提示されたことについては、原告被告間に争いがない。そして、争いが認められるのは、@における謝罪の内容、Aにおける文案の意味である。 ・ 乙140文案は、原告被告間の電話会話のやり取りを反映したものであること デフスターが作成した乙140文案は、何の脈略もなくいきなりデフスターの独断と偏見により作成されたものではなく、原告被告間の電話でのやり取りを受け、これを反映するものとして作成されたものであり、このことは、I証言(I尋問調書11、12、17頁)及び被告供述(被告尋問調書9頁)から明らかである。 したがって、乙140文案の内容は、原告と被告との電話のやり取りの内容であるということになり、その帰結として、当該文案は、原告による本件被告主張依拠発言の有無を認定するに当たり、極めて重要な証拠であるということになる。 ・ 乙140文案は、本件被告主張依拠発言にのみ沿うものであること @ 「A1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て」との表現の存在 乙140文案には、「A1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て」という表現がある。ここで、「快諾」とは、通常の日本語の解釈をすれば、「快く許諾、承諾すること」を意味することから、文案の上記部分は、端的に、原告表現の利用について、被告が許諾をしたことを表現していると解釈するのが、最も文言に忠実な合理的解釈であることは明らかであり、これは、本件被告主張依拠発言にこそ沿う表現である。 乙140文案の内容を、I証言による謝罪内容である「結果的に似てしまってすみません」や、原告供述による謝罪内容である「騒ぎになってしまい、すみません」、「作品を知らなくてすみません」を表現したものだとする解釈は、「快諾」という客観的文言を完全に無視するものであり、到底採用することができない。 A 「A1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て」との表現の真の意味 乙第140号証に、「このホームページは月間1000万以上のアクセスがございますので、不特定多数の方がご覧になられます。よって、少し柔らかい表現が適切かと思われます。」と記載されているとおり、あくまで乙140文案は、ホームページに掲載するための「少し柔らかい表現」なのであり、Iもこの点をはっきり認めているところである(I尋問調書11頁)。 したがって、乙140文案の真に意味するところは、実際の文案である「A1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て」よりも、さらにショッキングな内容、すなわち、原告が盗作を認めることということになる。 ・ Iは、原告が本件被告主張依拠発言をしたからこそ、それに沿った文案を作成したこと 以上のとおり、乙140文案は、@原告被告間の電話でのやり取りを反映したものであり、Aその文言は、本件被告主張依拠発言にのみ沿うものである。 したがって、その当然の帰結として、Iは、原告が被告に対して本件被告主張依拠発言をしたからこそ、それに沿った文案を作成したことになる。この点、I証言(I尋問調書12頁)からも、被告だけでなく、原告にも了解してもらうという大前提の下で、乙140文案は作成されていることが明らかであり、また、同文案は、それを見た原告や原告の所属する事務所(以下「原告所属事務所」という。)が、すぐに「盗作を認めるような内容である」と解釈した文章である。 Iは、当時デフスターで「契約、経理及び総務等を担当する部署」であるレーベルアドミニストレーションルームの次長を務め、「契約の管理」をも担当していたのであるから、I自身も、文案が「盗作を認めるような内容である」と十二分に理解した上で、作成したことは、疑いの余地がなく、要するに、Iは、誰もが「盗作を認めるような内容」と受け取る文案を、原告被告双方から了解してもらうべく、双方に提示したのである。そして、Iが、何の理由もなくこのような文案を作成するとは到底考えられないのであって、原告が被告に対し依拠発言を行ったからこそ、このような文案を作成し、さらには、「できればこれでいきたい」と述べて原告に提示したのだと考えるのが、合理的である。また、上記のとおり、I自身、乙140文案は原告被告間の電話でのやり取りを反映したものであるとはっきり認めている以上、そのように解さなければならない。 仮に、本件被告主張依拠発言が存在しないとすれば、デフスターは、原告側がすぐに「盗作を認めるような文章」と解釈するような文章を、何の理由もなく作成し、「できればこれでいきたい」などと述べて原告に提示したことになり、不自然極まりなく、これを合理的に説明することは不可能である。 ・ 乙140文案と甲第65号証別紙の文案(以下「甲65文案」という。)を対比して判明する真実 乙140文案は、原告被告双方に提示されているが、時系列に従うと、10月12日に被告宛にファクシミリにて乙140文案が提示され、それから3日後の10月15日に、デフスターのJ社長が甲65文案を手渡しすることにより、原告に提示されている。そして、被告に提示された乙140文案と原告に提示された甲65文案の違いは、わずか二文字「快諾」と「了承」の違いだけであるところ、これは、被告に提示されてから、原告に提示されるまでの3日間で、乙140文案に、当該微修正のみが施されたということを意味する。 ところで、Iの証言(I尋問調書15、24頁)によれば、Iは12日に乙140文案を被告に提示した後、並行して様々な関係者に意見を求め、推敲を重ねたことになる。したがって、原告に提示された甲65文案は、この3日の間に色々な人の意見を聞いた結果を反映したものであり、推敲を重ねた結果の成果であるということになるが、結局のところ、被告の要請により「快諾」が「了承」に修正されているだけで、その余の部分は原案のまま全く修正されていない。 上記事実は、Iから乙140文案を示されて意見を求められたすべての関係者は、「A1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て」という表現をもって「問題ない」と考えたことを意味するが、関係者が、このように考えたのは、原告が本件被告主張依拠発言をしたからである。 ・ 以上のとおり、被告供述のみが、乙140文案の内容を合理的に説明できるのであり、原告による本件被告主張依拠発言が行われたことは明らかである。 c 被告証言のみが、被告がテレビコマーシャルに被告の? マークを表示するよう要求したことを合理的に説明できること ・ (C)マークの要求は、本件被告主張依拠発言の存在なくして説明ができないこと 本件では、被告が、原告楽曲が流れるテレビコマーシャルに、被告の(C)マークを表示するようIに要求し、Iがこれを拒否した事実が認められ、このような事実の存在については、当事者間に争いはない。 ところで、「被告の(C)マーク」は、「当該著作物の著作権者は被告であること」を意味する表示であるところ、被告が原告楽曲が流れるテレビコマーシャルに被告の(C)マークを表示するよう要求したということは、原告との会話により、原告表現が被告の著作物であることを確認したからであり、要するに、原告が本件被告主張依拠発言をし、原告表現が被告表現の影響の下で作成されたことを認めたからにほかならない。 ・ Iは拒絶の理由など説明していないこと Iは、被告の? マークの要求に対し、「表現を真似たことを認めることになる」と説明した上で、これを拒絶したと証言する(I尋問調書9頁)が、同証言は信用できない。 なお、仮にIが、「表現を真似たことを認めることになる」との理由を被告に説明していたとしても、これは、「表現を真似たことを、公に認めてしまうことになる」という意味であり、特段被告の主張と矛盾を来さない。 ・ 以上のとおり、被告供述のみが、テレビコマーシャルに(C)マークを表示することを要求したという、当事者間に争いのない被告の行動を合理的に説明できるのであり、このような理由によっても、原告が、本件被告主張依拠発言をしたことは明らかである。 ウ 原告表現は、依拠しなければ創作できない程に被告表現に酷似していること ・ 前記・で主張したように、原告表現は、被告表現の本質的特徴部分をすべて再現し、かつ、被告表現32文字のうち、28文字部分、割合にして87.5%を共通にするのであって、むしろ、実質的にデッドコピーであるとすら評価できる。 被告表現にこれほどまでに酷似した表現は、被告表現に依拠せずに創作することは不可能である。 ・ この点、短歌の選者として豊かな経験を有するPが、専門的見地から、「A氏の自作と称する歌詞が語を一部反転させたりして、模倣の非難を避けて逃れようとしている。むしろこの反転させたり、たんに1語か2語を入れ替えたりする場合がもっとも盗作や剽窃の実例として多い。・・・作者の詩想そのものと同一の語をなぞったA1氏の歌詞は、紛れもなく模倣である。この歌詞にはいささかの独自性がない。」と評し、さらに、h教授(以下「h教授」という。)が、著作権法学者としての見地から、「今回は著作権侵害にあたります。一般の人でも簡単に出てくる言葉か、オリジナリティーがあるかが重要。経験則から言えば、これほど似た言葉が全く偶然に出てくるとは思えません。」と評していることからも、原告表現の被告表現への依拠は明らかである。 エ 原告は、原告表現の創作者としてできるはずの原告表現に関する合理的な説明が全くできていないこと ・ 原告表現の意味についての原告の解釈 原告は、原告表現第1文の意味について、「夢を持ち続け、時間をかけ努力すれば、夢は叶う」という意味であると供述しており(原告尋問調書22頁18行目)、また、諦めるなというメッセージでもあると考えている(原告尋問調書23頁18行目、24行目)。さらに、原告は、「時間」と「夢」とを因・果で説明しつつ、両者は同じものであると供述している(原告尋問調書21頁12行目)。 ・ しかしながら、「時間をかけ努力すれば、夢は叶う」という意味を表現するためには、「時間は夢を裏切らない」としなければならない。「夢は時間を裏切らない」という表現は、本来、「時間は夢を裏切らない」という表現に続けて、「諦めてはならない」を意味するのである。 また、「時間」と「夢」とが同じ意味であるとしながら、それを因と果に用いるということは、理解できない。 原告は、被告表現第2文を安易に第1文に持ってきたため、上記のように、原告表現第1文は意味不明なものとなってしまったのである。 そして、原告が、原告表現について合理的な説明ができないのは、原告表現についての創作意図も創作手法も持ち合わせていなかったからである。 オ 原告供述(原告尋問調書27ないし29頁)、各種メディアでの原告の発言(乙173、174、176ないし180)によれば、原告は、作詞に際し、様々な作品や人の言葉からインスピレーションを得て、その影響の下、作詞を行っている事実が認められる。このような事実に、原告表現が、偶然とは思えないほど、被告表現に酷似している事実も合わせて鑑みれば、どこかで被告表現に触れ、インスピレーションを得た上で、これを自身の言葉に消化する作業を怠り、そのまま利用してしまったことは明らかである。 カ 被告表現は日常的な言葉であると誤信した可能性 原告は、日常的な言葉、生活感に溢れた親しみのある言葉を使用した歌詞が特徴のアーティストであり、身の周りの人の何気ない言葉や小説等のエピソードから影響を受け、これを作詞に活かすことも多い。 そのため、原告は、被告表現も、そういった「日常的な言葉」の1つであると誤信し、その著作物性や著作権者は誰かということを意識しないままに、これを原告表現に利用した可能性が指摘できる。 キ 小括 以上に指摘した事実からすれば、原告が被告表現に依拠して原告表現を作成したことは、疑いがない。 なお、仮に、原告が被告表現の利用の意思を欠き、原告の意識レベルがそのようなものであったとしても、依拠性を否定することはできない。すなわち、本人の意識の表面上では他人の著作物に関する記憶が残っていなくても、意識の深層にそれが残っており、その記憶が表現の作成に実質的に寄与している場合があり、このような場合には、「利用の意思」は認められないが、なお依拠を否定できないところ、原告は、その創作手法から、身の回りの表現を、いわば無意識のうちに自己の記憶に取り込み、それを作詞に利用している可能性があり、このような場合であっても、依拠性を否定することができないのである。 (原告) ア 原告表現は、原告が独学した仏教の概念である「因果」の概念を表現したもので、「(結)果」の概念を「夢」になぞらえ、「(原)因」の部分を「時間」になぞらえることで、「結果もでてないのに諦めてしまわないで、結果がでるまでの時間を使って精一杯努力すれば、結果も神様も決して君の努力を裏切る様なことはしない」というメッセージを表現したものであり、被告表現に依拠せずに創作したものである。 原告は、原告本人尋問において、「『夢』は結果ですね。どっちもなんです。例えば、過去についてのことも同じなんです。例えば、自分が今苦しい立場にあったときには振り返って自分が苦しくなったことの原因は何だろうと振り返ることができるというのが因果の法則なんです。だから『時間』も『夢』も同じものなんですよね」と供述しているが、同供述は、諺にいう「因果はあざなえる縄のごとし」、つまり「因果」という概念の持つ二面性を表現しようとしたものである。すなわち、上記供述は、努力(時間)の側から見た「原因としての努力をすれば結果は出る」という意味と、結果(夢)の側から見た「今ある結果は、努力があったから(あるいは、無かったから)こそのものである」という二面性を説明したもので、こうした時間と夢とは絶えず次の瞬間には互いに場所を交換しながら存在する、という現象を説明したものである。 また、そもそも、原告は、被告表現が掲載されていると被告が主張する各媒体に接したことはなく、被告表現に触れる機会がなかった。原告ばかりではなく、原告の周囲の者も被告表現を知っていた者はおらず、被告表現は、「銀河鉄道999」が初出し、アニメ化もされた1970年代後半ころに、発表されたのではなく、「銀河鉄道999」の人気のピークがとうに過ぎた平成18年5月ころに初めて公表されたため、知名度が低いのである。 イ 被告表現は有名ではなく、依拠の機会はないこと 被告は、被告表現が知られたものであることを立証するために多くの証拠を提出している。 しかしながら、被告が提出している各証拠において掲載されている表現は、被告表現とは異なるものであるから、上記各証拠で被告表現についての依拠の機会があったことを立証することはできない。 以下、被告提出の各証拠について検討を加えていくが、その際、原告と被告とは同業者ではなく、発行部数等において露出が少なくても依拠の機会を認めるべき特殊な事情が一切ないことを念頭におくべきである。 ・ 漫画作品における掲載について 被告は、漫画雑誌の発行部数の主張をしているが、漫画雑誌の購読者は読みたい漫画のみを読み、後は無視することも考えられるから、正確にどれほど人気があるものかを示すためには、雑誌の発行部数は関連性のない証拠にすぎない。 そのことを念頭においた上で、あえて念のために漫画雑誌の発行部数に注目すると、被告表現あるいはそれに類似した表現が掲載された「ビッグゴールド」という漫画雑誌は、成人男子向け漫画雑誌であるが、数ある成人向け漫画雑誌と比較すると、人気が乏しい雑誌であったというべきである(上記雑誌の発行部数は、人気雑誌の発行部数の約10分の1ないし6分の1である。)。なお、銀河鉄道心の旅人は、「ビッグコミックスペリオール」に掲載されているが、この雑誌の発行部数も、他の成人向け漫画雑誌の発行部数よりかなり少ない。しかも、銀河鉄道心の旅人は、「ビッグコミックスペリオール」の増刊号という、平均発行部数よりも部数が少ないと合理的に推測される号に掲載されている。 なお、被告は、ニーベルングの指輪が連載されたウェブページへのアクセスが1日40万であった旨主張するが、1人が数回アクセスすることもあるから、40万アクセスがあったから40万人がアクセスしたものということはできず、また、アクセスした人のうち、何人が実際にニーベルングの指輪を読んだかは分からない。 ・ 雑誌における掲載について まず、発行部数が明らかとなっているのは、乙46雑誌、乙48雑誌、乙51雑誌、乙54雑誌、乙56雑誌、乙58雑誌、乙60雑誌、乙62雑誌、乙64雑誌、乙67雑誌のみである。また、被告が挙げる雑誌のうち、表紙に被告表現が記載されているものはないから、当該雑誌を買わなくても、同雑誌に記載された表現を知っていたということにはならない。 次に、内容について検討すると、長い記事の一文として見落としやすい記事が、乙46雑誌、乙51雑誌、乙54雑誌、乙60雑誌、乙62雑誌である。残りの雑誌のうち、被告表現の本質的特徴であると被告が指摘する対句表現を用いているものは、乙64雑誌と乙67雑誌の記事内容部分のみであるが、これのみの掲載をもって、依拠性を認めることは常識的ではない。また、被告表現と実質的同一性がないが、記事の表題に被告表現第1文を使用している記事を掲載している雑誌(乙48雑誌、乙56雑誌、乙58雑誌、乙64雑誌)について言及すると、各雑誌の発行部数は、それぞれ、15万部、5万部、61万部、12万部であり、日本の生産者年齢(15歳から64歳)人口が約8500万人程度であることを考えれば、この程度の露出で、依拠の機会があったと認めるには足りない。 また、発行部数が明らかになっている雑誌について、発行年を分析していくと、乙46雑誌及び乙48雑誌が平成8年、乙51雑誌が平成9年、乙54雑誌及び乙56雑誌が平成10年、乙58雑誌が平成11年、乙60雑誌が平成12年、乙62雑誌及び乙64雑誌が平成13年、乙67雑誌が平成15年ということになる。すなわち、平成8年から平成15年の間、記事の内容あるいは見出しとして、年に1回、多くても2回、雑誌に掲載されたというにすぎない。これが例えば、一時期に集中的に掲載されたということであれば、いわゆる「流行語」として一般的に依拠の機会を認めることが妥当ということにもなり得るが、被告表現はそのような「流行語」の類では、全くないことは明白である。 なお、乙64雑誌における被告表現へのアクセスの可能性について反論すると、被告表現は、乙64雑誌の表紙に記載されているのではないから、同雑誌を読まないと被告表現へのアクセス可能性は認められないところ、同雑誌はビジネス雑誌であって、シンガーソングライターである原告が興味を持つような雑誌ではなく、実際にも、原告は、同雑誌を読んだことはない。 ・ 書籍における掲載について まず、被告の提出した証拠では、すべての書籍について、発行部数が不明であり、依拠の機会の立証として不十分である。その中でも、乙70書籍及び乙75書籍以外の書籍は、被告の作品「銀河鉄道999」のファン向けの書籍であって、ここへの掲載をもって、漫画や銀河鉄道999に興味のない一般人を対象とする依拠の機会を論じることは不適当である。 乙70書籍は、4分冊にも分かれるDゼミの対談集の第1巻であって、それなりに話題になったことを考慮しても、その1つ1つについて、日本人であれば誰でも知っているというほどの状態を認めることは難しい。また、Eのインタビューは第2巻に納められているから、Eのインタビューを根拠として、乙70書籍への原告の依拠可能性を論じることは余りに関連性が低い。 乙75書籍は、名言集であるが、発行部数が不明であるし、同書籍が話題になったことすら立証されていないから、この本をもって、被告表現を皆が知っていたという状態を立証することはできない。また、原告は、名言集に興味がなく、乙75書籍を読むはずがない。 ・ 新聞における掲載について まず、乙80新聞、乙85新聞、乙88新聞、乙91新聞、乙92新聞、乙93新聞、乙95新聞、乙96新聞、乙97新聞、乙99新聞、乙101新聞、乙103新聞については、地方紙であるので、東京在住の原告には依拠の機会がない。 乙86新聞は、スポーツ新聞であって、新聞媒体全体と比較して、発行部数が少なく、これに一度小さな記事の一部として掲載されたことをもって、依拠の機会を認めることは不合理である。また、原告は、スポーツ新聞を読まないので、乙86新聞へのアクセス可能性はない。 乙82新聞及び乙84新聞は、夕刊であるところ、夕刊は一般に朝刊の半分程度しか発行されていないから、上記各新聞に小さな記事として記載されたことをもって、依拠の機会を認めることは行き過ぎである。 乙89に掲載された「夢を裏切らない時間の旅」は、被告表現の本質的特徴とされる対句、あるいは時間を裏切るという表現がなく、実質的な同一性がない。 乙90新聞については、記事の体裁から明らかであるとおり、被告の指摘する表現は、全体の記事のごくごく一部であって見落としやすく、ここにおける1回の言及をもって、一般的な依拠の機会を認めることは不自然である。 ・ テレビ出演における発言について まず、乙104番組はおろか、プロジェクトX全体としての視聴率の立証もなされていない。 また、そもそも、乙104番組における被告の発言は、全体で45分の番組の間のたった数十秒のコメントであり、このテレビ出演後に当該発言が数種のメディア(個人のブログなどではなく)で取り上げられたというような付加的な事情がなければ、このコメントをもって、日本人であれば知っていたという状況を認めることはできない。 ・ エターナルファンタジーにおける使用について まず、エターナルファンタジーの興行成績を明らかにしなければ、それ自体あるいはその関連グッズによって、被告表現が広く知られていたと主張することはできない。 なお、エターナルファンタジーの予告編については、テレビでの放映実績(放送局及び放送期間、時間帯、回数)及び劇場での上映実績(上映館数、上映期間、上映回数)を明らかにしなければ、それによる依拠の可能性を主張したことにはならない。予告編というのは、テレビや劇場での露出を前提に制作されるが、宣伝予算が少ない場合は、テレビスポットや劇場での上映ができないということも往々にして考えられるからである。 ・ 佐久市子ども未来館における上映について 佐久市子ども未来館で被告表現が上映されていたとしても、東京在住の原告がこれに触れる機会がないことは明白である。 ・ インターネットでの使用について 膨大な情報が掲載されているネット上に掲載を行ったからといって、依拠可能性を主張することは無謀である。なぜなら、ウェブ上に掲載すれば「誰でもアクセスできる」というのは一面において真実であるが、インターネット上にある情報は、同時に、「探さなければ見つからない」情報でもある。そこで、原告に、当該ウェブページに関しての関心があったことまでを立証しなければ、依拠の可能性の立証として不十分だからである。 ウ 原告は、被告表現に依拠したことを認めたことはないこと 被告は、原告が、いったんは被告表現に依拠したことを認めた旨主張するが、被告の同主張は、虚偽であり、原告は、被告表現に依拠したことを認めたことはない。このことは、以下で主張するところから明らかである。 ・ 被告との電話での会話における原告の謝罪の内容 a 原告は、本件2回目会話において、被告から、被告表現を知らないことを謝って欲しい旨の要求を受け、同要求に対して、「知らなくてごめんなさい。」と謝ったが、本件被告主張依拠発言は言っていない。 被告は、原告の上記謝罪を受けると、急に機嫌が良くなり、一気に和やかな雰囲気となった。 b この点、被告は、原告に対して、「知らないことを謝れ」という要求をしたことはないと主張する。 しかしながら、当初から謝罪の言葉が欲しいと明確に願って電話をかけ、自らの主張については、非常に思い入れが強い被告であれば、依拠したことについての謝罪がどうしても得られない場合に、せめて知らないことについてだけでも謝って欲しい、と思うことは別段おかしいことでもない。実際、被告は、「(本件セリフ)はあらゆる媒体で発表しておりましたし、・・・はるかに前のものです。ですから、たとえ、万一知らなくても、同じものを書いてしまったら、創作者としては当然それについては頭を下げるのは、プライドと倫理観の問題です。ですから、それを問い続けたわけです」(被告尋問調書15頁)と供述しており、これはつまり、「知らなかったのなら、知らなくて書いてしまったことを謝れ」という主張そのものである。なぜなら、先行する作品の存在を知らずに同じ作品を作ったことを謝れ、という場合に、謝る側としては、「知らなくて、すみません」という以外に謝りようがないからである。被告としては、電話の中で、原告が被告表現に依拠して原告表現を作ったことを認めさせたかったのであろうが、次善の目的として、「知らなかったことを詫びさせる」意図もあったことについては、被告作成の陳述書(乙149。以下「乙149陳述書」という。)にも記載がある(「仮に偶然ここまで酷似する詩を作詞したのだとしても、作詞家のモラルとして、先に創作し…た先人に対し、敬意を示し、一言すまんというのが筋だと思っていましたので、そのような態度を期待してA1氏と接しました」)。 ・ 原告の供述が信用できること 原告の供述は、事件の発生当時に作成されたという意味で客観的な証拠であるI資料、I陳述書及びK作成の陳述書(甲10の1。以下「K陳述書」という。)に主要な点で合致しており、かつ、それ自体として具体的で写実的であり、信用できる。 a I資料からの考察 I資料は、Iが本件電話会話がされた直後の平成18年10月19日ころに、ソニーミュージックエンタテインメントの契約部のアドバイスを受けて業務上作成したものであり、その内容は非常に信用できる。原告は、本件訴訟に、I資料が証拠として提出されるまで、これを見たことがなかったが、電話の回数、1回目と2回目の電話の間にIの行った説得の内容、著作権侵害の点ではない点で形式的に謝罪を行ったこと、電話では被告が原告の謝罪を受け入れたこと、消費者向けのコメントをホームページに掲載することをIが提案して、被告はそれを受け入れたことという原告の供述の主要部分で一致しており、原告の供述の信用性を裏付けるものである。 次に、Iは、当時、「契約、経理及び総務等を担当する部署」に所属していて、デフスター側の制作スタッフではなく、被告からの連絡を受けて初めて原告に接触したものである。したがって、例えば、制作を共にしたスタッフという人的なつながりや原告への肩入れはなく、ただ単に、発生した問題を処理する係として本件に関わったのであり、その意味で比較的中立的な立場であり、その供述は信用できる。仮に、単なる事件処理係としてのIが、原告表現は被告表現に依拠して作成されたものであるという認識を抱いたのであれば、それに従って淡々と処理をすすめればよい(費用がかかったら、原告に請求すればよい)だけの話であったのに、Iはそれをしていないのである。それは、とりも直さず、原告が被告表現への依拠を一度も認めなかったからである。 b I証言からの考察 Iは、自らが記憶していることと、自らが記憶していないことを可能な限り区別して証言しており、その点でも、Iの記憶を忠実に表現しているものとして、信用できるといえる。 そして、I自身も、原告が、本件2回目会話で、盗作のことではなく、儀礼的な面で謝れるところを謝罪した、という記憶を述べている。もっとも、Iの記憶では、原告の謝罪は、結果的に原告表現が被告表現に似てしまったことで迷惑をかけたことを謝ったというものである。しかしながら、これは、Iの記憶ではそうであるということにすぎないことを、同人も認めている(I尋問調書7頁)。Iが、原告の謝罪の言葉をそのように記憶した理由は、本件2回目会話の前に、自らが「結果的に似たことを謝れば良い」と提案して、原告がそれを大枠で受け入れて電話をしたという経緯があるからであって、それも自然なことである。 c K陳述書からの考察 K陳述書は、当時の原告マネージャーとして、本件電話会話を真剣に聞いていた者の供述として信用性があるが、そこでは、原告が本件2回目会話の中盤で「知らなくてすみませんでした」と謝っていた、と記載されている。 d 原告本人尋問からの考察 原告本人尋問における原告の供述は、細部に至るまで甲7陳述書と一致しており、信用性が高い。なお、本件2回目会話の冒頭で、「こんな騒ぎになっちゃってごめんなさい」と謝罪したことについては、甲7陳述書には記載がないが、それは「知らなくてごめんなさい」という謝罪の方が重要であるので記載しなかったというだけのことであって、重要なことではない。 また、原告は、本件電話会話の際、原告の会社のスタッフと、デフスターのスタッフ総勢7名に囲まれて、大事な部分については受話器を押えたり復唱して確認しながら電話をしていたのであり、軽率な受け答えをする状況ではなかった。 さらに、原告は、本当に盗作をしていないので、何であれ謝りたくないと考えていたが、原告歌詞が第三者に提供され、既に公表済みのものであったために、本件を平穏に収める必要があり、妥協策として儀礼的に謝ることを提案されて、不承不承それに大枠で沿うような電話をかけたということも、内容として自然であるし、Iの証言とも整合する。 ・ 本件被告主張依拠発言について 被告は、被告本人尋問において、突如として、本件被告主張依拠発言を原告がはっきりと口にしたと供述した。しかしながら、それは端的に疑わしい。なぜなら、被告が最初に作成した陳述書(乙4。以下「乙4陳述書」といい、乙4陳述書と乙149陳述書を併せて「被告陳述書」という。)の中でも、「(本件セリフ)をどこかで見たか聞いたことがあり、影響されたかもしれない、申し訳ないという趣旨の発言」があったという曖昧な指摘があるのみであるし、 乙1 4 9 陳述書の中でも「『どこかで見たか聞いたかしたことがあり、それが刷り込みか何か記憶に残っていたのかもしれない』といった趣旨の発言」という曖昧な供述があるのみである。乙4 陳述書に対応する被告の主張(被告準備書面1)においても、原告の依拠の可能性を肯定する発言は、「『どこかで見聞きしたかもしれない』という趣旨」という、同じく曖昧なものとして指摘されている。 また、被告は、本件各テレビ番組において、原告の謝罪文言の説明をしたが、それには色々なパターンがある。被告は、実際には、本件被告主張依拠発言を聞いておらず、「知らなくてごめんなさい」、「騒ぎになってごめんなさい」という謝罪を、本件被告主張依拠発言の趣旨にとったから、いつまで経っても原告の謝罪文言を確定的に供述できないでいたのである。 なお、被告が本件各テレビ番組において説明した原告の謝罪文言は、以下のとおりである。 @ 本件テレビ番組1 「やっぱり何か刷り込みがあってそれをどっかで見たか読んだか聞いたかした記憶が書かせたのかもしれません」 A 本件テレビ番組2 「A1さんもはっきりそういうことを感じておいでです。その要するにどっかで聞いたか見たか、した可能性が極めて大きいので」 B 本件テレビ番組3 「刷り込みか、どっかで見たか聞いたかしたので使ったかもしれませんと」 C 本件テレビ番組5 「どこかで見て記憶していたのかも知れない」 D 本件テレビ番組6 「どこかで見たか、あの聞いたか何かの刷り込みで、それで使った可能性もあります」 E 本件テレビ番組7 「見たか聞いたか何かの記憶があったので、あったらしいので、それを使ったのかもしれません」 「そういう記憶があったのかもしれんと、それで書いたのかもしれない」 F 本件テレビ番組8 「自分のどこかで見た記憶の中かそういう刷り込みの中にあったのか知らないけど、そういうことからあの書いた可能性があります」 ・ 被告はその後も謝罪を要求したこと 仮に、被告の主張のとおり、原告が電話で素直に依拠の可能性を認めて謝罪の言葉を口にしたのであれば、「一言すまんと言ってもらいたかった」(乙149の8頁)被告としては、それで十分だったはずである。しかしながら、被告はなお謝罪を要求した。それはひとえに原告が、その可能性を含めて依拠を認めなかったからにほかならない。 被告は、その後メディアを通じて原告に謝罪を要求し続けたことについて、公の謝罪が欲しかったからだと弁明しているが、同時に、メディアに答える際に「原告には、公の謝罪を要求する」とは言わなかったことを認めている(被告尋問調書18頁)のであって、不自然である。 本件で、本当に起こったことは次のとおりである。すなわち、被告は、原告との電話の中で、原告が被告の次善の目的としての要求どおりの謝罪文言(「知らなくてごめんなさい」)を口にしたので、一瞬「やや落ち着いた雰囲気にな」った(被告尋問調書7頁)。ところが、時間が経つにつれて、この電話の最終目的である、原告に依拠を認めさせて謝らせるという目的は達成されていないことに、やはり不満を持つに至った。そこで再び、謝罪せよとの要求を強硬に掲げ、テレビ等での「一言すまんと言ってほしかった」とのコメントにつながるのである。こう考えれば、被告の行動は非常に明快に説明がつくのである。 ・ 被告の供述には一貫性がなく、記憶があやふやであること 被告は、一人で、自宅兼事務所の応接間で、本件電話会話をしていた(被告尋問調書16頁)ため、被告の応答の内容を確認する相手がおらず、その記憶が全体的に非常に曖昧である。被告本人尋問における主尋問も、誘導が非常に多く、被告自身の具体的な受け答えは少ない。また、被告の供述は、重要部分で被告陳述書と異なっており、しかも、全く理由を示さずに変遷しており、全体的に一貫性がない。 以下、この点を具体的に指摘する。 a 原告が被告に対して依拠を認めたとする原告の発言内容について、被告の指摘は、前記のとおりであり、被告陳述書では、「〜という趣旨」というあやふやな記憶であったものが、被告本人尋問になって、いきなり、何の変遷の理由もなく断定的になっていること、また、乙4陳述書で現れた「申し訳ない」という謝罪の言葉が、乙149陳述書では入っておらず、原告本人尋問になると復活するということから、この原告の依拠を認めた文言が、本当に発せられたものとは到底思えない。 b 前記のとおり、本件各テレビ番組においては、実に様々なニュアンスで、「自白発言」が語られている。 例えば、本件テレビ番組5においては、「どこかで見て記憶していたのかも知れない」と、原告が被告表現に触れたこと自体についての可能性(逆にいえば「見たことはないかもしれない」こと)を示唆しただけであると取れる指摘方法であるのに対して、本件テレビ番組1では、「やっぱり何か刷り込みがあってそれをどっかで見たか読んだか聞いたかした記憶が書かせたのかもしれません」と、被告表現を見たことは確実なものという前提において、それに依拠して創作したことについては可能性を示唆した、と取れる指摘方法である。また、本件テレビ番組7においては、この「自白発言」をもって「(A1さんは)ほぼ認められた」と、依拠による創作までも認めたとの趣旨の発言をしている。 このように、「自白発言」について、ここまでの幅広い捉え方がなされるというのは、すなわち、実際には「自白発言」なるものは被告の思い込みの産物にすぎないことを強く推認させるのである。 c デフスターのJ社長とIが、平成18年10月16日に被告宅で、デフスターとしての原告に対する管理責任を認めたか否かという点について、従前の陳述書では、デフスターは原告の管理監督責任があるはずであるという質問に対して、「『確かに管理監督責任はあったかもしれません、申し訳ありませんでした』」(乙149陳述書11頁)と、デフスターが明確に管理責任を認めたという内容になっている。また、その主張(被告第4準備書面の14頁)においても、デフスターがA1サイドとして管理責任を認めることは全く自然であるという主張が明確に述べられている。 しかしながら、被告本人尋問では、一転して、デフスターは管理責任は認めなかったと供述している。具体的には、被告の管理責任を認めるようにという要求に対して、「(デフスターは)よく調査してからまた御返事いたしますと、そうやって深々と頭を下げて帰られました」(被告尋問調書12頁)、「私は・・・監督責任、管理責任があるのではありませんかと、あるはずでしょうと、そういうふうに問い詰めました」「えええー、ということで、曖昧模糊として頭を下げて帰られました」(被告尋問調書13頁)と供述している。 被告の記憶としては、最初から、デフスターは「よく調査してからまた御返事いたしますと、そうやって深々と頭を下げて帰られました」ということであったが、そのデフスターの態度を、被告としては、デフスターが管理責任を認めたものだと解釈するのであろうか。仮にそうだとするのならば、それこそ、被告の独善的な解釈傾向を示す証拠であろう。被告は、不愉快なことがあれば相手を問い詰めて、相手が被告の立場等を配慮して、正面切って反論しないでいると、「オレの言うことを認めた」と吹聴する傾向があるに違いないのである。本件では、デフスターは黙っていたわけではなく、被告の機嫌を損ねないようにしながらも、「よく調査してからまた御返事いたします」、つまり、現段階では管理責任について認めないと伝えているのに、その部分については被告は無視しているのである。これは、「独善的な解釈傾向」の域をはるかに超えている。そして、被告がそういう解釈傾向、つまり、実際に起こった事象のうち、自分に都合の良いところだけ拡大解釈し、都合の悪いところは無視する傾向にあり、被告表現について強い思い入れを持って、かつ、原告が被告表現に依拠して原告表現を作ったと確信した状態で電話に出て、原告を問い詰め、「知らなくてごめんなさい」と言わせた以上、その原告の謝罪をもって、「『見たか聞いたか、その記憶があったので、それが刷り込みになって書いたのかもしれません、すみません』と言って依拠の可能性を認めた」とメディアに吹聴して回る、ということは何ら不思議ではないのである。 d Iが被告にファックスを送ったとき、電話をどちらがかけたかの記憶も曖昧である。乙149陳述書では、被告からかけたと断言し、被告本人尋問においては、被告代理人の明白な誘導を受けて、当初被告からかけたことについて同意している(被告尋問調書11頁)が、原告代理人の質問に対しては、あっさりIから電話があったと認めている(被告尋問調書21頁)。 このことから、主尋問において、被告代理人が誘導している部分については、被告としてはすべて記憶が曖昧であったのであろうと合理的に推測させる。 ・ 被告が指摘する、原告が自白に転じた理由は、説得力がないこと 被告は、本件1回目会話の中で、原告に対し、被告表現をあらゆるところで使用してきたこと、具体的には、「それだけでなく、新聞、テレビ、ラジオ、その他、文章で、雑誌等で、講演も含めて、至る所で」公表してきたことを説明し、原告は、同説明を聞いて、中断した電話の間にこのような回答をしなければならないと判断した旨主張する。 しかしながら、原告は、上記電話に1人で対応していたのではなく、7人もの関係者が集まって、中断時に、どういう回答をすべきか策を練ったのである。その場合に、依拠の可能性を認めるようなナイーブな謝罪が返ってくること自体が、非常に不自然な展開である。 さらに、こうした展開が不自然であるというのは、被告の「知られているはずだ」という説明が抽象的であり、信憑性に欠けることからも裏付けられる。 また、原告は、被告が一方的に「知っていたはずだ」と言い募ったからといって、自らがやっていないことについて、やったと言ってしまうような人間ではない。 ・ 乙140文案は、「許諾」を意図していない 被告は、乙140文案は、原告が依拠を認めたから、「快諾」という文字が使用されていると主張する。 しかしながら、同主張は、Iの証言にも、I陳述書にも反する。Iは、本件電話会話において、原告が儀礼的な謝罪をし、被告が同謝罪を受け入れると言ったことを受けて、お互いの表現を尊重して快くお互いの表現を使えるようなメッセージとして乙140文案を作成したのである。そして、乙140文案にある「快諾」という文字は、全く日常に使う意味での「快諾」、すなわち、「快く了承すること」であって、被告に許認可権のような権限があることを前提にした文言ではない(I尋問調書25頁)。「A1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て」という文言となったのは、年長者である被告を立てる形式をとりたかったからである(I尋問調書11頁)。また、時系列を考えても、原告が原告歌詞を作成・発表した後に、被告がクレームをつけて、和解に至っているのである(少なくとも、乙140文案作成時には、Iは和解したと認識していた)から、ここにおける表現は、正に時系列どおりに事態を説明したものにすぎないものでもある。 ・ デフスターは、被告宅訪問において、原告の盗作を謝罪していないこと デフスターのJ社長及びIは、平成18年10月16日の被告宅における会談で、被告に対して、原告が被告表現に依拠して原告表現を作詞したことについて承知しているという趣旨のことを述べたこともない(I尋問調書14、22、23頁)。なぜなら、IとJは、被告宅訪問をする前に、著作権侵害の点については一切コメントしないでおこうと確認していたからである(I尋問調書22、23頁)。Iも、証人尋問において、被告から、原告はこの問題についてどのように考えているのかということについて質問を受けたことは認めているが、「ろくな相づちは打っていなかった」、「そのときまああえて肯定もしないようにしていた」(I尋問調書14頁)と答えている。「よく調査してからまた御返事いたします」という返事を聞いても、デフスターは管理責任を認めたのだと認識する被告なのだから、ここでもIとJが肯定せずにいたことをもって、「A1さんの依拠を承知している」と認識したに違いないのである。 ・ 争点・ア・(本件各テレビ番組において放送された被告の各発言は、原告の名誉を毀損するか)について (原告) ア 本件訴訟の対象とする被告の発言 本件各テレビ番組における被告の発言のうち、名誉毀損の不法行為を構成する発言は、別紙被告発言表の「被告のコメント」欄記載の発言(以下「本件被告発言」と総称し、上記各発言を個別に示すときは、別紙被告発言表の「番号欄」及び「コメント」欄の数字を付して、「被告発言1−@」、「被告発言3」などという。なお、別紙被告発言表の「番号」欄の数字は、別紙テレビ番組目録の数字に対応しており、例えば、別紙被告発言表の「番号」欄の数字が1 のテレビ番組は、 本件テレビ番組1 を指す。)である。 イ 本件においては、被告の発言の名誉毀損該当性は、被告の発言映像のみによって判断されるべきと考える。なぜなら、本件は、原告が被告表現を盗作したと思い込んだ被告が、原告に謝って欲しいとメディアを通じて請求することを意図し、そしてそのとおりに被告が原告を糾弾する映像が放映された事案であり、事案の筋として、原告の名誉毀損という発生した結果に最も寄与したのは、被告の糾弾映像であることは論を待たないからである。第三者である放送局が、そこにどのような解説を加えようと、著名な人物が「被害者だ」と名乗って顔をさらしてインタビューに答え、しかも、盗作という破廉恥な理由で、名指しで原告を非難すれば、結局のところ、名誉毀損状態は発生するのである。 ウ 仮に、被告の発言が名誉毀損に該当するかは、それを伝えた番組全体に従って判断されるべきであると考えた場合であっても、本件被告発言は、名誉毀損に該当する。 摘示された事実がどのようなものであるかについての判断基準は、「一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断する」とされている。また、その基準の適用方法を具体化するに際しては、「テレビジョン放送をされる報道番組においては、新聞記事等の場合とは異なり、視聴者は、音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされるのであり、録画等の特別の方法を講じない限り、提供された情報の意味内容を十分に検討したり、再確認したりすることができない」ことを念頭において、@当該情報番組の全体的な構成、Aこれに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップ・テロップ等の文字情報、B映像の内容、ナレーション等映像及び音声に係る情報の内容、並びにC放送全体から受ける印象が考慮に入れられるべきである。 以下、この基準に従って、本件各テレビ番組の内容を整理し、検討していく。 ・ 総論 本件各テレビ番組のほとんどは、次のような内容である。 a 構成 番組の全体的な構成としては、@被告の主張に従って本件を紹介する資料映像、被告のインタビュー映像、番組内のコメンテーターによるコメントとの構成(本件テレビ番組2ないし4、6、8ないし12)、あるいは、A被告のインタビュー映像と、それをアナウンサーらがフリップ等でまとめて紛争の全体像を示すもの(本件テレビ番組1、5、7、13、14)の2つに分類できる。 b 発言内容やフリップ・テロップ等の文字情報 被告の発言(そこでは、自分のセリフとそっくりの表現が原告の歌詞にあり、原告が依拠の可能性を自ら口にしたことが語られる。)やコメンテーターの発言(概ね被告に同調的な発言が多い。)がテロップと共に示され、番組の用意したテロップとして「盗作」ないし「盗作疑惑」等の文字が使用された番組の「テーマ」が冒頭(あるいは終始)掲げられる。 c 映像の内容、ナレーション等映像及び音声に係る情報の内容固い表情で原告を告発する被告の映像、コメンテーター等の発言は、前述のとおり概ね被告を支持する内容のものであり、一方、原告については、原告所属事務所の発表をそのままアナウンサーが読み上げ、テロップも特につかないなどの演出が施される(本件テレビ番組1及び13では、原告については敬称を付けず、まるで犯罪者扱いである。) d 放送全体から受ける印象 本件各テレビ番組全体から視聴者が受ける印象としては、原告はやはり盗作をしたのだ、ということになる(本件テレビ番組6では、アナウンサーが原告に謝罪を促している)。 ・ 本件テレビ番組1について a 構成 この番組の構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 このうち、記念樹事件の紹介、R弁護士(以下「R弁護士」という。)の短いインタビュー及びSの短いインタビューは、「原告は盗作したのか否か」という観点からは何も言っていない。 しかしながら、本件テレビ番組1のほとんどを構成する被告のインタビュー及びスタジオ内での討論では(全体が972秒で、そのうちインタビューが約22%(211秒)、スタジオ討論が約47%(454秒)である。)、以下で指摘するとおり、原告が盗作したことを前提とする発言がなされている。これに対して、原告側の主張は、たった1こまに盗作した事実はないというテロップとナレーションで紹介されたのみであって、他の情報、すなわち、強烈な印象を与える被告による糾弾映像、スタジオにおける被告が正しいという内容のコメント及び原告を犯罪者扱いするテロップによって植え付けられる、「原告は盗作をしたのだ」というイメージを払拭するには、全く至らない。 b 発言内容及びフリップ等 ・ 被告は、インタビュー映像の中で、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりの発言をしているが、同発言は、原告が盗作をしたことの指摘である。 原告表現と被告表現が類似しているという指摘と、原告が依拠を認めたという指摘があれば、一般人の感覚では、被告は盗作を糾弾していると考える。なぜならば、盗作という概念は、法律上の概念でもあるが、同時に通常の概念でもあり、人の作品そのもの又はよく似たものを、それと意識して、自分のものとして発表することを意味する。したがって、似ていること、原告が依拠したことを認めたこと、という2点の指摘があれば、盗作である、と考えるのが一般的な人間の受け取り方というものである。 ・ 番組中、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄の「(テロップ)」の項目記載の3つのテロップのいずれかが表示されている。これらのテロップのうち、3番目のテロップは、原告を尊称抜きで呼び捨てにするものであり、刑事被疑者よりも惨めな扱いであって、完全に原告を犯罪者扱いするものである。被告に対しては、必ず尊称が使用されており、原告に対する上記の取扱いは、不当である。 ・ スタジオ内の討論では、被告表現と原告表現を比較したフリップと、原告と被告の主張を比較したフリップが提示され、それを背景にまず本件の概要の紹介がなされる。 その次に、まずT(以下「T」という。)が、「一部を認めるようなニュアンスの発言がA1さんからあったので」と断りを入れた後、本件について、被告がどのような解決を望んでいるかということのみを紹介する。この紹介に続いて、原告側がどのような解決を望んでいるかについての紹介はない。 その後、討論がなされるが、U(以下「U」という。)は、原告の依拠について、「あのー仮に、あのー潜在的に何かどこかで記憶していたものが出た」と発言をしているが、Tの話の振り方、U自身が、凡庸なフレーズではなくて「人間は考える葦である」といったような言葉を自作したといっても物笑いの種になるだけ、という例を引いた後に、上記発言を行っていることから、上記発言は、「本当は実際に見て盗作をしたということだろうけれども、まあもし仮に潜在的な刷り込みであったということだったとしても」という趣旨であると考えられる。そして、Uが、上記発言の直後に、「謙虚に謝っていいんじゃないか」と原告に謝罪を促していること、テロップが、「『A1氏の歌詞は”盗作”だ』」と断じていることからして、通常の視聴者は、原告が盗作をしたものと受け取ることが自然である。 ・ 以上より、本件テレビ番組1は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組2について a 構成 本件テレビ番組2の映像は、2つの部分に分かれる。 ・ 前半の構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄の「・前半部分」の項目に記載のとおりである。 前半映像は、被告が、「(原告表現は)全く同じです」(類似性)、「A1さんもはっきりそういうことを感じておいでです・・・どっかで聞いたか見たか、した可能性が極めて高いので」(依拠)のいずれをもはっきりと摘示する映像であって、最後に2コマだけ原告側の主張が紹介されているが、その紹介の仕方は、「協議中でコメントできない」というだけのものであって、盗作疑惑を否定する内容ではない。したがって、テロップ等を検討するまでもなく、原告は被告表現を盗作したのだという印象しか与えない構成になっている。 ・ 後半映像の構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄の「・後半部分」の項目に記載のとおりである。 後半映像のうち、最後の映像は、被告本人が、原告が意図的に依拠したことを当然の前提として(「万が一偶然でもですよ」)、原告表現と被告表現の類似性を指摘し、原告に対して謝罪請求をしているものなので、この印象が強烈であり、また、原告側の主張の紹介も盗作の否定ではなく、現在協議中ということに留まっていることから、後半映像は、ただ被告の主張を整理しただけの構成になっている。 b 発言内容、テロップ等 後半映像におけるテロップを検討すると、後半映像においては、テロップが3種類使用されているが、そのうち画面中央で大きく表示されたものは、「B1(68)盗作騒動に大激白!!」、「『銀河鉄道999』盗作騒動B1(68)A1(37)に抗議!」の2種類であり、瞬時に表示されて、その内容を視聴者が十分に吟味できないことからすると、原告が盗作したのだという強い印象を与えるものである。その後は、画面の右隅に「A1(37)が盗作?B1(68)が抗議」というテロップが出ている。これは、一応疑問形にはなっているが、結局原告が盗作していないという何の具体的な指摘もしないまま終わるので、視聴者としては、原告が盗作したはずであるという強い疑念を抱くに至るものである。 また、後半映像は、要旨被告映像の紹介であって、被告の発言内容が一番重要であるところ、後半映像では、被告は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりの発言を行っており、また、後半映像は、被告の盗作であることを当然の前提とした謝罪要求の映像で終わる。 なお、途中で、原告は電話で依拠を否定したという被告のコメントが入るが、盗作についての強い疑念を表明し、盗作であることを当然の前提とした発言の合間に、一言だけそのようなコメントが入っても、映像は一過性のものであること、盗作であることを前提とした発言と、電話で依拠を否定したことのうち、より強調されているのは、盗作であることを前提とした発言であること、ほとんどの被告コメントに同内容の字幕がついているのに、電話で依拠を否定した部分だけはテロップがないことを考えると、一般の視聴者の普通の注意力では、原告が盗作を電話で否定したという内容のコメントは、視聴者の注意を引かないか、聞き間違いと感じて忘れてしまう。そもそも、前半映像では、被告は原告が盗作を認めたと映像で主張しているのであり、全体の流れの中で一瞬だけ矛盾する映像は、記憶に残らないので、この映像を過大評価することはできない。 c 以上より、本件テレビ番組2は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組3について a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。単純に時間の長さを比較しても、ほとんどが被告主張の紹介と、被告主張を支持するかに見える資料の紹介に費やされており、その中でほんの2コマだけ流れる原告の主張は、記憶にも残りにくいし、説得力もない。 したがって、構成としては、被告の主張が正しいという印象を与えるものである。 b 発言内容、テロップ等 被告の発言は、原告表現が被告表現に酷似していることを前提としたもの及び原告の依拠の自白を指摘するもので、決定的な印象を与える。 テロップは、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおり、3種類あるが、最も長く画面に表示される「『A1氏の詞は盗作』B1氏が“抗議”」というテロップに関して、盗作であることについての疑問符がないので、盗作であることは当然の前提であるような印象を与える。 c 以上より、本件テレビ番組3は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組4について 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 原告側の主張も紹介されているが、その後に、被告の「使っちゃいましたと、そしたら、それでいいわけですよ」との発言(依拠を前提にした発言)があるので、原告側の主張の説得力は、瞬時に否定された形になっていて、意味がない。 スタジオでのまとめは、番組でずっと表示されている「A1 VS B1歌詞"盗作"騒動」という、盗作であることに疑問を呈さないテロップと、原告表現と被告表現が酷似することを示すフリップという強い印象を与える文字情報を背景にして行われているので、一般的な視聴者の普通の注意力をもってしては、原告は盗作をしたのだという印象だけが残る。 以上より、本件テレビ番組4は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組5 a 構成 まず、冒頭で、アナウンサーによる本件騒動の紹介がある。その後の構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 したがって、構成としては、ひたすらに被告の主張を、非常に臨場感のある生電話という方法を使って、紹介するという構成になっている。 b 発言内容、テロップ等 番組では、被告の生電話の内容を紹介するということのみを主眼においた構成になっているので、その中で被告が実際にどういう発言をしたかということが鍵になってくるところ、被告は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりに発言し、総合的に原告が盗作をしたのだという主張を展開している。 これに反する証拠としては、一瞬、原告の主張を伝える新聞記事の一部が大写しになるだけである。これに対しては、アナウンサーが読み上げた途端に、被告が自信たっぷりにあざ笑うために、原告の主張については一般人としては説得力がないと感じるのが通常の反応である。 c 以上より、本件テレビ番組5は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組6 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 単純に映像の長さを比較しても、また、そこで指摘される事実を比較しても、被告の主張の方が説得力があるように見える構成になっている。 b 発言内容、テロップ等 司会者の発言は、一般的には事案を紹介するだけであるアナウンサーの発言とは異なり、原告に謝罪を促す点で、あたかも中立的な立場にある者から見ても被告の主張が正しく思われるという印象を視聴者に与えるから、その意味で重要な発言である。 また、被告は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりに発言し、原告が盗作をしたと摘示している。 そして、盗作を否定する原告の主張の紹介は、テロップになっていない。 したがって、文字情報だけを比較しても、一般の視聴者であれば、原告が盗作をしたのだと考えるのが一般的な解釈というものである。 c 以上より、本件テレビ番組6は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組7 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 告が盗作を否定しているということは、2回、テロップ又はフリップで示されているが、それぞれたった一言だけ紹介され、それ以上の根拠は示されない。時間的な配分を見ても、被告の主張を、被告の生出演という一番インパクトの強い方法で紹介するという構成になっている。 次に、被告の生出演は、まず被告の主張を司会者が聞く段階があり、それに対してV、W弁護士(以下「W弁護士」という。)、X、Yが順にコメントをするが、一般的な視聴者が見て、被告の主張を真っ向から批判するコメントはないので、それらのコメントは、あくまでも被告の主張が正しいものであることを前提としてされている。 b 発言内容、テロップ 被告は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりの発言をし、原告表現は被告表現の盗作であるという指摘をしている。 被告が生出演をした場面では、Zと被告が対話する方法で、被告が改めて自らの主張を披露するが、その中で、Zが、まず原告表現と被告表現が似ているというコメントを行い、それに引き続いて、被告が被告表現と原告表現が似ていることを前提とする発言(「なるほどこれはあのそっくりじゃないか」)を行い、「そういう記憶があったのかもしれんと、それで書いたのかもしれないというところまでおっしゃったんですね」(依拠)、「本人がほぼ認められたんで」(依拠)ということを指摘して、原告表現は盗作であるということを訴え、結論として盗作をしたことについての謝罪を請求している。 その後、フリップで原告の主張が紹介されるが、それに対してZが「事務所サイドの、これ本人のコメントじゃないんですよ」とコメントするため、あたかも本人は盗作を認めているが、原告所属事務所がそれを隠そうとしているかのように聞こえる。 次に、コメンテーターがコメントするが、VとXのコメントは、盗作の成否に関しては意味のないコメントである。 なお、Zが、偶然の一致の可能性を示唆するが、被告は、「ただこの本の中にもたくさん書いてますしね。至る所の講演で十数年しゃべり続けている」として、偶然の可能性を否定するので、逆に、一般的な視聴者には、偶然という可能性はないのだという印象のみが残る。 c 以上より、本件テレビ番組7は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組8 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 原告側の主張の紹介は、3コマに限定されており、原告が否定しているということのほかに、原告に有利、かつ、調べればすぐに分かる事情(例えば、被告表現は、「銀河鉄道999」のブームが去った後の平成10年になってやっと発表されたものであること)は一切触れられていない。 また、本件の概要の紹介内容及び被告のインタビュー映像は、被告の主張に沿ったものであり、被告の主張をほとんど批評せずに伝える構成になっている。 b 発言内容、テロップ ナレーションは、被告が、原告に対し、原告表現が被告表現に酷似していると抗議したこと、及び原告表現と被告表現は似ていることを指摘している。ここで、確かに、ナレーションは、「盗作」という単語は使っていないが、普通の一般人であれば誰も、「自分の作品に似ている」というだけで盗作であるとは思っていない人間が、メディアを通じてまで抗議するとは考えないこと、画面上のテロップにしても、「A1さんに盗作疑惑!」というテロップを背景に「『銀河鉄道999』の台詞に酷似!」というテロップが表示されていることから、普通の人間の普通の注意力をもってしてみれば、このナレーションは、原告が盗作をしたと被告が主張していると受け取るものである。 被告のインタビュー映像では、被告は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりに答えて、盗作であることへの疑念を呈示している。 このように、原告が反論していることを言い訳のように示すばかりで、被告の発言を何ら批評せずに放送すれば、一般人の普通の注意力と理解力では、原告が、被告の言うとおり、盗作をしたものと認識するのが通常である。 c 以上より、本件テレビ番組8は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組9 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 視聴者は、前半部分の被告の説明に従った本件の概略説明を前提に、インターネット画面の写しとして展開される原告の主張と、顔をさらして怒りを顕わにする被告の主張を見比べるのである。前提とする情報が被告に偏ったものである上に、静止した文章の写しと、一方当事者のインタビュー映像であれば、明らかによりインパクトが強い被告の主張が正しく見えるということは一目瞭然である。 b 発言内容、テロップ 前半部分の被告の説明に従った本件の概略説明は、被告の主張そのままである。原告側としては、「知らなかったことを謝った」ということを何度もメディアには説明したのであるが、番組ではその旨の指摘はない。 被告のインタビュー映像では、被告が、原告表現が盗作であることを当然の前提に、自分が正しいという趣旨のコメントを、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおり繰り広げている。 番組の文字情報を見れば、一般の視聴者は、被告が正しい、原告は盗作をしているのに反論までして何て反省のない奴なのだ、という認識を抱くに至るというのが普通の反応であると考えられる。 c 以上より、本件テレビ番組9は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組10 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 この番組は、本件を被告側から理解した上で、被告が原告を罵倒する映像を流すことで、「原告は盗作をした上に非常識にも『逆謝罪』を要求するような奴である」ということを主張する構成になっており、構成上完全に原告の名誉を毀損するものである。 b 発言内容、テロップ まず、本件の被告側に立った概略説明としては、ナレーションで「銀河鉄道999のセリフを盗作したとして」という説明があり、また、「これまで沈黙を貫いてきた」という、あたかも原告が弱みに感じていたから何の反論もしなかったかのような事実に反する指摘がある。 また、原告が謝罪を要求したことについても、「なんとその内容は、B1さんに対しての逆謝罪要求」とナレーションしている。「逆謝罪要求」という単語は、一般的ではないので耳に付きやすいが、本来は謝罪すべき人間が逆に謝罪を要求するというニュアンスを与える単語である。さらに、その逆謝罪要求が非常識であることを強調するために、「なんと」という単語まで付け加えている。 その後は、原告が盗作したことを当然のものとして決め付けている被告が、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおりの悪口雑言をカメラに向かって披露している。 いい大人が、他人に向かって公の場で堂々と悪口雑言を垂れるなどという映像ほど、インパクトの強い映像はない。また、その映像のインパクトを超える説得力をもって原告を擁護する映像は、全くないのであるから、一般の視聴者としては、被告は正しいのだ、原告は盗作をした上に「逆謝罪」を要求するほど非常識な人間なのだ、という印象を抱くのが通常である。 c 以上より、本件テレビ番組10は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組11 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 原告が謝罪請求をしたことについては、何の補助的な説明もなされないのに対して、被告については、当事者がインタビューに応じるというインパクトの強い映像が使用され、かつ、スタジオでのコメントにおいても、原告の主張の紹介はなく、被告の主張の紹介のみがされている。 したがって、全体の構成としては、被告の主張を紹介するものであり、一般の視聴者としては、このように、被告側の意見のみで構成されているものを視聴すれば、被告が正しい、したがって、原告は盗作をした上謝罪を要求する非常識な人間だという印象を受けるものである。 b 発言内容、テロップ 本件の紹介後、被告は、原告が盗作をしているという決め付けを前提として、「自分で墓穴を掘ってるみたいなものです。墓穴を自分で掘れ」という侮辱的な表現を交えながら原告を非難している。スタジオにおいても、こういう侮辱的な発言をする被告に対する批評は一切なく、それらの発言は当然のものとして受け止められている。むしろ、一時は丸く収まるという、評価されるべき状態であったものが、原告の謝罪要求によって、法廷闘争という一般人的には忌み嫌われる騒ぎに発展する危険が出てきたことに対する非難がされている(「何でこんな風になってしまったんだろう」)。最後のコメンテーターの発言も、被告が本件について自分が絶対に正しいと考えていることを伝えるものである(「とにかく、もうばかばかしいってことの一辺倒ですね」)。 映像を見ると、原告が謝罪要求をしていることを事実として伝える部分以外は、原告を支持する映像もコメントもなく、かえって原告を非難するコメントや、インパクトの強い被告のコメントがあるのみであって、一般の視聴者が普通の注意をもって見た場合に、原告が正しいと考え得る要素が1つもない。したがって、これは「盗作者である原告が、不埒にも被告に謝罪を請求した」という事実を指摘するものとして理解されるべきである。 c 以上より、本件テレビ番組11は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組12 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 番組の構成は、冒頭にインパクトの強い被告のインタビュー映像を持ってきていることからも分かるように、被告の主張を紹介する映像の構成になっており、本件の紛争を紹介しているものではない。つまり、全体の構成としては、「被告がこのように怒っているのは、例の盗作事件で原告が反論したからです。具体的には被告はこのように怒っています」という構成になっている。このことは、原告の主張の補助的事実が挙げられることはなく、また、被告の映像以外で、原告の主張を検証する要素が全くないことからも明らかである。 b 発言内容、テロップ 前記aで主張したところからすれば、番組で重要なのは被告の発言ということになるが、被告は、徹頭徹尾、原告が盗作したことを当然の前提として、侮辱的発言を繰り返し、いまだに原告に謝罪を要求している。これに対する原告の謝罪要求については、盗作を否定する根拠の部分には触れず、「正々堂々と裁判で決着していただきたい」という要求だけを抜粋して報道している。原告が盗作を否定したことはナレーションで流れるが、その具体的な根拠までは示されず、原告が正当な主張として、謝罪を請求していることが全く伝わらない。 したがって、文字情報としては、被告の強い口調による原告請求の否定だけが目立ち、原告の謝罪要求は、そういう要求が存在することだけは伝わるが、正当な要求であるという趣旨は全く伝わらない。 したがって、この構成でこの文字情報を受領した場合、一般の視聴者であれば、盗作をした原告が不当に反論したので被告が怒っているとしか捉えない。 c 以上より、本件テレビ番組12は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組13 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。 構成としては、本件騒動の紹介という印象が強いが、下記bに示すとおり、そこで話されている内容は、被告寄りのものであって、原告を支持する内容のものはほとんどない。 b 発言内容、テロップ テロップでは、被告には常に尊称が付されているのに対して、原告は常に呼び捨てにされており、これを目にした視聴者は、原告は犯罪者以下の扱いをされても仕方がない、つまり、盗作疑惑については「黒」である、という感想を抱く。 発言内容は、最初のアナウンサーの本件紹介では、被告を茶化す表現がないのに対して、原告に対しては「おA1さん」と、馬鹿にしたような表現がある。 被告映像において、被告は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「発言内容等」欄記載のとおり、侮辱的な発言をしている。 スタジオの解説では、コメンテーターのaが、被告から聞いてきたとおりの虚偽の事情説明をして、被告の主張を補強している。司会者のbは、被告表現のようなセリフは「他の人が考え付いたとしても不思議ではないようなフレーズだと思うし、その辺って・・・」とは言っているが、曖昧な言い方であるし、意見を求められたcも、偶然の一致の可能性については返事をしていないので、見ている方としては偶然の一致の可能性が本件で認められるのかについては結論が出ないまま次の話になっているという印象を受ける。 次に、司会者が中心となって、ベテラン作曲家はフレーズについて確認をしつこくするというコメントをしたり、dアナウンサーが「自分の中の好きな言葉とか、曲というのはストックされている」とコメントし、司会者が無意識の複製について示唆すると、コメンテーターのxが自信に満ちた口調で「それ(無意識の複製)は気をつけなくちゃいけないし。・・・僕はその銀河鉄道999読んだことがないってことは立証しようがない」とコメントしている。これらのコメントは、原告を呼び捨てにするフリップやテロップを背景に語られるわけで、それを視聴する視聴者は、上記3人のコメントが、暗に原告を非難するものであると受け取ると考えられる。 したがって、番組の映像は、その文字情報によって、名誉毀損的なものになっており、その指摘する事実は、原告が盗作しているにもかかわらず、被告に謝罪請求したことは、勝ち目のないことであるということになる。 c 以上より、本件テレビ番組13は、原告の名誉を毀損する。 ・ 本件テレビ番組14 a 構成 構成は、別紙テレビ番組内容原告要約表の「構成」欄記載のとおりである。その構成の中で実際に話されている発言内容を見れば、これが中立的に本件の紛争を検証しているというよりも、積極的に被告の主張を擁護している内容のものであることは明らかである。 b 発言内容、テロップ 被告のインタビュー映像は、「盗人猛々しい」という被告のコメントから始まっている。「盗人猛々しい」というのは、悪事を働いたものが逆に食って掛かることを非難する単語であるから、正に、公の場所で、原告は「盗人である」と言ったと同義なのである。 また、被告表現が初登場したのは15、6年前であるという被告のコメントが、そのままテロップ付きで流れている。被告表現の初登場の時期については、後に、平成8年であるという説明がなされているが、その際に「被告の指摘は間違っているのだが」という番組としての指摘はない。 また、原告が被告に電話で依拠を認めたというセリフが、被告の口から語られる。原告からの謝罪請求に対しては、被告が原告による盗作を当然の前提にした被告の発言がある。 その後、スタジオでの討論に移るが、その際のテロップは、中央に大きく「なぜ謝らぬ?」となっており、左に被告の写真、右に原告の写真が掲載されているので、同テロップを左から右に読むことからすれば、これは被告が原告に対して「なぜ謝らぬ?」と不満をぶつけているように理解するのが、通常の視聴者の感性である。 スタジオ討論では、e弁護士(以下「e弁護士」という。)が、被告の主張が正しいと思えるという内容の説明をする。e弁護士は、一般人から見れば法律の専門家に見えるわけだから、その人物が被告の擁護をするということは、被告が正しいと思うのが通常である。次に、小説家であり、一般には知識人として認知されているf(以下「f」という。)が、結論としては先人に敬意を示すべきだとして、やはり被告を擁護する。知識人であるfが被告を擁護する以上、被告が正しいと思うのが一般の感性である。 したがって、番組の発言内容は、被告を支持する内容のものであり、一般人から見れば、盗作をした原告が謝罪を請求するのはおかしいという事実を指摘するものであって、原告の名誉を毀損するものである。 c 以上より、本件テレビ番組14は、原告の名誉を毀損する。 (被告) ア テレビ番組中の表現により第三者の名誉が毀損されるか否かは、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断すべきであり、当該番組により摘示された事実がどのようなものであるかという点については、当該報道番組の全体的な構成、これに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声に係る情報を総合的に考慮して、判断するのが相当である(最高裁平成15年10月16日第1小法廷判決・民集57巻9号1075頁(以下「平成15年最判」という。)参照)。したがって、本件においても、原告が主張する被告の発言部分のみをもって判断するのではなく、番組全体を総合的に考慮し、一般の視聴者が受ける印象及び認識を基準に検討することになる。 以下、上記の基準に照らし、個別に検討する。 イ 本件テレビ番組1について ・ 本件テレビ番組1の構成は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載1のとおりである。 ・ 「くそ面白くない」(被告発言1−@)について 当該発言は、番組冒頭部分で放送されており、被告が本件を不快に思っているという主観が紹介されているものであるところ、別紙テレビ番組内容被告要約表1のとおり、本件テレビ番組1は、被告の主張を一方的に紹介するだけでなく、原告の主張もナレーション、テロップ及びフリップを使用して十分に紹介しており、締めくくりのコメントでも述べられているとおり、番組全体としては、「双方の主張が真っ向から対立している」という構成になっている。 さらに、著作権は表現の自由を制約する強力な権利であるから慎重に検討すべし、という専門家(R弁護士)の意見も紹介されている。 以上によれば、本件テレビ番組1に接した一般の視聴者としては、上記発言につき、原告は盗作を否定しているにもかかわらず、被告が一方的に不快感を示しているにすぎないという受け取り方をするといえ、当該発言により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 また、そもそも上記発言は、単なる被告の心情が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「人の言葉になってしまうのは耐え難い」(被告発言1−@)について 前記・と全く同様に、当該発言により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 また、そもそも上記発言は、単なる被告の心情が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「無念」(被告発言1−A)について 前記・と全く同様に、当該発言により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 また、そもそも上記発言は、単なる被告の心情が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「こういう発想の仕方というのは少年の日から天文とか時の流れに興味がある人間と自分自身の体験が重なり合わないと絶対に生まれない」 (被告発言1−B)について 当該発言は、その前後の文脈に照らせば、単に被告表現が被告の生き方、信念に結び付いた表現であり、被告として思い入れが強いということが述べられているにすぎず、原告の社会的評価とは何ら関係がない。 なお、原告は、当該発言が「盗作を強く示唆する」事実を摘示するものであるとの主張を行うが、別紙テレビ番組内容被告要約表記載1のとおり、本件テレビ番組1は、被告の主張に対応する原告の主張も十分紹介しており、原告が盗作を否定しているということは再三放送されているのであるから、本件テレビ番組1に接した一般の視聴者としては、上記発言につき、被告が一方的に述べているだけであり、原告はこれを認めているものではない、という受け取り方をするといえ、当該発言により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 ・ 「堂々と使われてしまって人の言葉となると無念」(被告発言1−C)について 前記・と全く同様に、当該発言により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 ・「やっぱり何か刷り込みがあってどっかで見たり聞いたりした記憶が書かせたのかもしれません、ということで」(被告発言1−D)について 当該発言は、被告が原告と電話で直接話した際に、原告がどこかで被告表現に接していたかもしれない旨を認めたことを述べているものであるが、その直後に別紙テレビ番組内容被告要約表記載1のイ・の部分が放送され、原告として盗作の事実はないと主張していることがナレーション、テロップを伴い大きく紹介されているほか、イ・の部分において、当該発言に対応する原告の主張として、「『フレーズを知らなかった』と話したが、盗作をめぐっての結論は出ず」という主張がgリポーターから読み上げられ、フリップでも紹介されていることが認められる。そして、これらに加え、上記のとおり番組全体として原告主張も十分に紹介されていることに照らせば、本件テレビ番組1に接した一般の視聴者としては、上記発言につき、被告が一方的に述べている主張にすぎず、原告もこれを否定している以上、真偽のほどは定かでない、という受け取り方をするものといえ、当該発言により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 ウ 本件テレビ番組2について ・ 「A1さんもあのはっきりそういうことを感じておいでです、というのはつまりどこかで聞いたか見たかした可能性が極めて大きいので、と。」(被告発言2−@)について 当該発言は、番組冒頭、別紙テレビ番組内容被告要約表記載2のイ・の部分で放送されているが、まず、当該部分からは、原告が何をはっきり感じているのか不明であるばかりか、前半部分と「つまり」以降の部分との関連性も不明であり、かつ、テロップ表示もされていないことから、一般の視聴者の注意を引く態様になっていない。 さらに、番組全体の構成としても、被告の発言としては、テロップ表示も含めて、終始「原告は知らなかった」という内容で放送されており、テロップ表示では、「知らなかった」という点が特に強調されている。 また、確かに、ナレーション中には、原告が、一度記憶に残っているかもしれないという回答をした旨の内容が含まれているものの、原告は弁護士と協議中でありコメントできないという内容や、両者の主張がかみあわず、対立しているという内容も含まれており、かつ、被告の発言としては、むしろ原告が被告表現を知っていたか否かという点は問題にしておらず、「偶然であろうが、先行作品と酷似する表現を作品中に使ってしまったことが判明したのであれば、創作家として一言謝るべきである」という点がクローズアップされていることからすれば、番組全体としても、一般の視聴者をして原告が被告表現を盗作したと受け止める内容には到底なっていない。 以上によれば、被告発言2−@により原告の社会的評価が低下するとは到底いえない。 ・ 「信念として使っている言葉、文章が前後を入れ替えた形で使われた」(被告発言2−A)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載2のイ・の部分で放送されているが、単に、被告が大切に、自分の信念として使用している被告表現が、「夢」と「時間」を入れ替えた形で他人に使われた、ということを述べているにすぎず、上記のとおり、番組全体としては、偶然か否かを問わず、先行作品と似た表現を作品中に使用してしまったことが判明したのであれば、創作家として先行作品を生み出した作家に謝るべきである、という被告の見解が報道されているものといえ、上記発言に接した一般の視聴者は、客観的に被告表現と類似する原告表現が存在する、という認識を抱くにすぎず、それ以上に、原告が盗作をしたといった認識を抱くとは到底いえない。 以上によれば、被告発言2−Aにより、原告の社会的評価は低下しない。 ・ 「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならないとその2つが出会った時に夢は叶うよということを私は作品でも、それから青少年団体の講演会でも延々と使い続けているわけですね。」(被告発言2−B)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載2のイ・の部分で放送されているが、番組全体の構成を踏まえても、被告が自分の信念として大切に使用している被告表現の意味を説明するとともに、自己の作品や講演で被告表現を使い続けていることを単に述べているにすぎず、上記発言に接した一般の視聴者は、被告が被告表現を長年にわたり使用しているという認識を抱くだけであり、それ以上に、例えば、原告が盗作をしたといった認識を抱くとは到底認められない。 したがって、上記発言の放送により、原告の社会的評価が低下することはない。 ・ 「全く同じです」(被告発言2−C)について 前記・と同様であり、当該発言により、原告の社会的評価が低下することはない。 ・ 「A1さんはどこかでこれを見ていたんじゃないかと思うんですね、そうじゃないとあそこまで似かよらない」(被告発言2−C)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載2のイ・部分で上記・に続く発言として放送されているが、番組全体の構成からみても、前後の文脈に鑑みても、当該発言は、単に、「被告表現と原告表現は非常に酷似しているのだから、被告表現と無関係に創作するとは思えない」という被告の感想が述べられているにすぎず、当該発言に接した一般の視聴者は、客観的に被告表現と類似する原告表現が存在する、という認識を抱くのみであり、進んで原告が盗作をしたという認識を抱くとは到底認められない。 したがって、上記発言により、原告の社会的評価は低下しない。 エ 本件テレビ番組3について ・ 「ご本人が、刷り込みか、どっかで見たか聞いたかしたもので、使ったかもしれませんと。」(被告発言3)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載3のイ・の部分で放送されており、原告が、被告に対して、被告表現にどこかで触れたかもしれない旨を話したということを内容とするところ、本件テレビ番組3においては、被告の主張だけでなく、盗作を全面的に否定し、被告表現を知らないという原告の主張を、テロップ表示と共にはっきり放送しており、かつ、被告が盗作として主張する根拠としては、両表現が酷似する点のみ紹介されているにすぎないことに照らせば、本件番組に接した一般の視聴者としては、上記発言はあくまで被告の一方的な言い分にすぎず、原告としては被告の作品を読んだことがなく、被告表現も知らないという主張をしているという受け止め方をするものと考えられる。 したがって、上記発言は、原告の社会的評価を低下させるものではない。 ・ 「はっきりいうとそのときにごめんといってくれればそれで済まして」(被告発言3)について 前記・と同様であり、当該発言により、原告の社会的評価が低下することはない。 また、当該発言は、単に被告が、原告が謝ればそれで済ますという願望を意味するにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係でもある。 オ 本件テレビ番組4について ・ 「そこまで同じになるというのはやっぱり変じゃないのかなあ」(被告発言4−@)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載4のイ・部分で放送されているが、前後の文脈からも明らかなとおり、ここでは単に余りに両表現が似ていることを被告が疑問視している旨を述べているにすぎない。 さらに、本件テレビ番組4全体の構成を見ても、原告が被告と電話で話をした際に、被告表現をどこかで聞いたかもしれないことを認めたという点については、テロップ表示もなく、ナレーションにより軽く触れられたにすぎないこと、直後に、盗作を全面的に否定する原告の主張がテロップ表示と共に十分に紹介されていること、最終部分で、再度原告は盗作を否定しており、両者の主張は平行線である旨述べられていることに照らせば、放送局が第三者的立場から公平に報道をしているものと認められ、上記番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「創作家としてのプライドというのはどこへ行ったんだろうかなあ」(被告発言4−@)について 前記・と同様に、本件テレビ番組4に接した一般の視聴者は、当該発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「一言、すまんとかごめんなさいを言ってくれんかなあ」(被告発言4−A)について 前記・と同様に、本件テレビ番組4に接した一般の視聴者は、当該発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 さらに、そもそも当該発言は、単に被告の願望が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・「使っちゃいましたと、そしたらそれでいいわけです」(被告発言4−A)について 前記・と同様に、本件テレビ番組4に接した一般の視聴者は、当該発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 さらに、そもそも当該発言は、単に被告の願望が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 カ 本件テレビ番組5について(生放送中の発言) ・ 「呆れている」(被告発言5−@)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載5のイ・部分で放送されているが、前後の文脈に照らせば、被告としては、被告が非常に大切にしている被告表現と原告表現が酷似していることに対し、呆れていると述べているにすぎず、原告が被告表現を知った上でこれを無断使用したという文脈として捉えることはできない。 また、番組を全体的に見ると、アナウンサーが代弁する形で、スポーツ新聞に掲載されている原告の被告に対する反論をしっかり番組中で紹介し、被告に対しても告知しており、さらに、画面上でも原告反論が掲載された記事部分をアップで表示している事実が認められるのであり(別紙テレビ番組内容被告要約表記載5のイ・)、当該番組は、公平な第三者的立場にある放送局が、あくまで、一方当事者の意見として、被告の発言を取り扱っているものである。 したがって、本件テレビ番組5に接した一般の視聴者は、当該発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 また、そもそも当該発言は、単なる被告の心情が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「何しろそっくりですしそれからこれは私が講演会の演題として延々と使っている私のテーマです。」(被告発言5−@)について 当該発言は、前記・と同じく、別紙テレビ番組内容被告要約表記載5のイ・部分で放送されているが、単に原告表現と被告表現が似ていること、被告表現は被告が講演会でも長く使用している被告のテーマというべき表現であることが述べられているにすぎず、そもそも原告の社会的評価とは無関係である。 また、本件テレビ番組5の全体的構成に照らせば、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「ここまでそっくりだったらいくらなんでもそれはないよ」(被告発言5−@)について 当該発言は、単に両作品の表現が酷似していることに対して、「それはないだろう」という単なる被告の心情が述べられているにすぎず、そもそも何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 さらに、本件テレビ番組5の全体的構成に照らせば、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「やっぱりどこかで見て記憶していたのかもしれないと、そういうことで」(被告発言5−A)について 当該発言は、原告が被告に対して被告表現をどこかで見て記憶していたかもしれないと述べた事実を摘示するものであるが、前記・のとおり、番組を全体的に見ると、アナウンサーが代弁する形で、スポーツ新聞に掲載されている原告の被告に対する反論をしっかり番組中で紹介し、被告に対しても告知しており、さらに、画面上でも原告反論が掲載された記事部分をアップで表示している事実が認められるのであり、本件テレビ番組5は、公平な第三者的立場にある放送局が、あくまで、一方当事者の意見として、被告の発言を取り扱っているものである。また、上記発言は、特にテロップ表示され、一般の視聴者の注意を引く態様にもなっていない。 したがって、本件テレビ番組5に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「ごめんと一言言ってくれればそれでいいわけですよ」(被告発言5−B)について 当該発言は、単なる被告の心情が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 さらに、本件テレビ番組5に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「そんなことは電話では一言も言わなかったですよ」(被告発言5−C)について 当該発言は、原告が被告と電話で話をした際に、原告が被告に対し、「そこまで盗作呼ばわりされたら先生の銀河鉄道というタイトル自体、先人が作った言葉ではないか」ということは言わなかったことを述べているにすぎず、何ら原告の社会的評価を低下させるものではない。 ・ 「一言ごめんといってくれれば男同士あうんの呼吸で、それでいいと」(被告発言5−D)について 当該発言は、単なる被告の心情が述べられているにすぎず、何ら事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 さらに、本件テレビ番組5に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 キ 本件テレビ番組6について ・ 「男同士ですからね、ごめんと一言ね『ああ似てしまいました』」(被告発言6−@)について 当該発言は、直後に、「偶然でもいい」という発言が続くことからも明らかなとおり、単に原告表現と被告表現が酷似するということを捉えているにすぎず、何ら原告の社会的評価を低下させるものではない。また、そもそも、上記発言は、単なる被告の願望が述べられているにすぎず、事実の摘示は行われていないことから、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「そういってくれればね」(被告発言6−@)について 前記・と同様に、当該発言は、単なる被告の願望であり、事実の摘示は行われていないことから、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「ごめんと一言ね『ああ似てしまいました』」(被告発言6−A)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載6のウ・部分で放送されているところ、直後に、「偶然でもいい」という発言が続くことからも明らかなとおり、単に原告表現と被告表現が酷似するということを捉えているにすぎず、何ら原告の社会的評価を低下させるものではない。また、そもそも、単なる被告の願望が述べられているにすぎず、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「そういってくれればね」(被告発言6−A)について 前記・と同様に、当該発言は、単なる被告の願望であり、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「どこかで見たか聞いたかなんかの刷り込みで、それで使った可能性もあります、と。」(被告発言6−B)について 当該発言は、原告が被告に対して被告表現をどこかで見て記憶していたかもしれないと述べた事実を摘示するものであるが、番組を全体的に見ると、原告が盗作疑惑を否定しているという事実を紹介していることが認められ、本件テレビ番組6は、公平な第三者的立場にある放送局が、あくまで、一方当事者の意見として、被告の発言を取り扱っているものである。また、番組中の被告の発言に、度々「偶然でもいい」とあるとおり、番組全体から伺える被告の意図は、「原告表現は先行作品である被告表現に酷似する表現である以上、仮に偶然であっても創作家として先人に対して一言謝るべきである」というものであり、上記発言は盗作の根拠として用いられているものでもない。 したがって、本件テレビ番組6に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、また、盗作の根拠として受け止められることもないから、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ク 本件テレビ番組7について ・ 「見たか聞いたか何かの記憶があったのでそれで使ったと・・・ご本人がおっしゃった」(被告発言7−@)について 当該発言は、原告が被告に対して被告表現をどこかで見て記憶していたかもしれないと述べた事実を摘示するものであるが、番組を全体的に見ると、原告が盗作疑惑を否定しているということがきちんと紹介されており、両表現の意味は全く異なり、偶然に創作された可能性もあるという意見が出演者から出されていること等に照らせば、本件テレビ番組7は、公平な第三者的立場にある放送局が、あくまで、一方当事者の意見として、被告の発言を取り扱っているものといえる。 また、番組全体から伺える被告の意図は、「原告表現は先行作品である被告表現に酷似する表現である以上、仮に偶然であっても創作家として先人に対して一言謝るべきである」というものであり、上記発言は盗作の根拠として用いられているものでもない。 したがって、本件テレビ番組7に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、また、盗作の根拠として受け止められることもないから、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「何かそういう記憶があったかのかもしれん、それで書いたのかもしれない、というとこまでおっしゃったんですよね」(被告発言7−A) (生放送中の発言)について 前記・と全く同様に、本件テレビ番組7に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、また、盗作の根拠として受け止められることもないから、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「本人もほぼ認めたんで」(被告発言7−B)(生放送中の発言)について 前記・と全く同様に、本件テレビ番組7に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、また、盗作の根拠として受け止められることもないから、当該発言により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ・ 「それはあのー、そういう能力があればですね。偶然っていうのは。ただ、この本の中にもたくさん書いていますしね。あのいたるところの講演で10数年しゃべり続けている訳です。」(被告発言7−C)(生放送中の発言)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載7のイ・の部分で放送されている。前段の発言(「それはあのー、そういう能力があればですね。偶然っていうのは。」)は、司会者が被告に対し、偶然に原告表現が創作された可能性につき問いかけたのに対し、被告が、能力があれば、偶然に原告表現を創作できる可能性があることを認めている発言であり、何ら盗作の根拠として受け止められるものではない以上、当該発言により原告の社会的評価が低下することはありえない。 また、後段の発言(「ただ、この本の中にもたくさん書いていますしね。あのいたるところの講演で1 0 数年しゃべり続けている訳です。」)は、単に被告が被告表現を長く広く使用しているということを述べているにすぎず、原告の社会的評価とは無関係である。 さらに、本件番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、単に被告の一方的な主張として受け止めるにすぎず、当該発言の放送により原告の社会的評価が低下するものとは到底考えられない。 ケ 本件テレビ番組8について ・ 「物書きの倫理から言ってね、普通はやらないけどなあと。創作者、作家としての基本中の基本でしょ」(被告発言8−@)について 当該発言は、被告が創作家の倫理につき述べているものであるが、その後、「偶然か・・・パクリかはわからないけど、あ〜ゴメンと言ってくれればね、男同士あうんの呼吸でそれで終わりにしたいんです。」という被告の発言が放送されていることに照らせば、本件テレビ番組8に接した一般の視聴者は、上記発言につき、たとえ原告表現が被告表現に偶然似てしまったとしても、創作家として、先行コンテンツを産み出した先人に謝るべきであり、それが創作家の倫理であるということを述べていると受け取るにすぎず、当該発言により原告の社会的評価が低下することはない。 さらに、番組全体の構成として、盗作を否定しているという原告の主張も大きく放送し、かつ、出演者によるフリートークの場で、原告を擁護する発言や、偶然似た作品が創作された場合は著作権侵害には該当しないという弁護士の発言がなされた可能性が高いことに照らせば、本件テレビ番組8は、公平な第三者的立場にある放送局が、あくまで、一方当事者の意見として、被告の発言を取り扱っているものといえる。 したがって、本件テレビ番組8に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎず、原告はこれを否定している、という受け止め方をするのであり、やはり原告の社会的評価を低下させるものではない。 ・ 「自分のどこかで見た記憶の中かそういう刷り込みの中にあったのか知れないけどそういうことから書いた可能性があります、と」(被告発言8−A)について 前記・とほぼ同様に、本件テレビ番組8に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎず、原告はこれを否定している、という受け止め方をするのであり、上記発言は、原告の社会的評価を低下させるものではない。 コ 本件テレビ番組9について ・ 「そんなに大勢考えられるなら、私は漫画家として成り立ちませんわ」(被告発言9−@)について 当該発言は、「『銀河鉄道999』については、個人的な好みから一度も読んだことはありません。歌詞は全くのオリジナル。」という原告コメントに対する反論意見として述べられているにすぎず、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組9全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 ・ 「訴えたければ訴えてご覧よ、いくらでも証拠は山ほど出してあげるよ」(被告発言9−A)について 前記・と同様に、当該発言は、「メディアを使って騒ぎ立てるのではなく、正々堂々と裁判で決着して頂きたい。」という原告コメントに対する反論意見として述べられているにすぎず、番組全体の構成に照らしても、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 さらに、当該発言は、単に原告が訴えてくれば被告として証拠を出すということを述べているにすぎず、そもそも原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「アホらしくて、これは反転した話なんですよね、なぜ私が謝らなければならないんですか。誠に男らしくありませんね、これはね」(被告発言9−B)について 当該発言は、「公式な謝罪を頂きたいと考えております。」という原告コメントに対する反論意見として述べられているにすぎず、番組全体の構成に照らしても、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 さらに、当該発言は、単に被告が、なぜ自分が謝らなければならないのかという感想を述べているにすぎず、そもそも原告の社会的評価とは無関係である。 サ 本件テレビ番組10について ・ 「何というあほらしいことをいうね、フッ」(被告発言10−@)について 当該発言は、 「私は盗作をしていないことに絶対の自信があります。」という原告コメントに対する被告の意見として放送されているものであり、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組10全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、被告の単なる心情を表わしているものにすぎないのであって、特定の事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「今頃になって何をいうのかというね、何を言うのか、この野郎!ですよ」(被告発言10−A)について 当該発言は、「『銀河鉄道999』については、個人的な好みから一度も読んだことはありません。」という原告コメントに対する被告の意見として放送されているものであり、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組10全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、被告の単なる心情を表わしているものにすぎないのであって、特定の事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「どっちが謝罪をしろというのかこのやろう。『正々堂々と裁判で決着していただきたい』って、やってもいいのか〜?お前。いつあなたこれ書いたと。俺は20年位前から、あるけどどうすんのか?並べるだけで分かるでしょ。それでこれ、なんか挑発したいんだな〜というな、それはみえみえなんでね。あのー。その場合は、はっきり言います。漫画家をなめるなと。」(被告発言10−B)について 同発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載10のイ・の部分で放送されている。当該発言は、「B1氏が本当に盗作だとお考えならば、メディアを使って騒ぎ立てるのではなく、正々堂々と裁判で決着して頂きたいというのが私の意向です。さもなければ公式な謝罪を頂きたいと考えています。」という原告コメントに対する被告の意見として放送されているものであり、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記各発言の放送により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組10全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記各発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記各発言は、いずれも被告の単なる心情を表わしているものにすぎないから、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「万人をだましおおせても、世の中に一人だけだませない人間がいる。それは自分自身だということを肝に銘じろ」(被告発言10−C)について 当該発言は、番組最終部分で、被告の原告に対するメッセージとして放送されているところ、本件テレビ番組10全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、特定の事実を摘示しているものではなく、抽象的なメッセージにすぎず、原告の社会的評価とは無関係である。 シ 本件テレビ番組11について 「自分で墓穴を掘っているみたいなもんです。墓穴を自分で掘れ。全責任は自分にかかってくるし、万人をだましおおせても、世の中に一人だけだませない人間がいる。それは自分自身だということを肝に銘じろ。それぐらいですね、私の言うことはね。」(被告発言11)について 当該発言は、原告の主張を紹介した後、それに対する被告の見解という位置付けで放送されているところ、本件テレビ番組11全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、いずれも被告の単なる心情を表わしているものにすぎないのであって、特定の事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ス 本件テレビ番組12について 「男らしくないやつだな。ごめんと一言いってくれればそれで全部決着がつく」(被告発言12−@)及び「ほざけほざけ」(被告発言12−A)について 上記各発言は、盗作を全面否定する原告のコメントに対する被告の意見として放送されているものであり、一般の視聴者も一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記各発言により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組12全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、いずれも被告の単なる心情を表わしているものにすぎないのであって、特定の事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 セ 本件テレビ番組13について 「なぜ墓穴を自分で掘るんだ。あのそういう不思議なーあの感覚でしたね。(裁判を)やられたければ勝手にやられればよろしいと。結果はもう非常にはっきりしているわけです。裁判というのは証拠品の羅列になりますからね。だからはっきり言いますと、今からでも遅くはないよと、それだけですね。」(被告発言13)について 上記発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載13のイ・部分で放送されており、盗作を全面否定する原告のコメントに対する被告の意見として放送されている。したがって、一般の視聴者も、一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記各発言の放送により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組13全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、出演者の中から原告を擁護する発言も出されており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、被告の単なる心情を表わしているものにすぎないのであって、特定の事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ソ 本件テレビ番組14について ・ 「15、16年頃前からでしょうか。」(被告発言14−@)について 当該発言は、別紙テレビ番組内容被告要約表記載14のイ・の部分で放送されている。当該発言は、そもそも、被告が被告表現を始めて使用した時期に関する発言であり、原告の社会的評価とは何ら関係がなく、その放送により原告の社会的評価が低下することはない。 ・「謝れとは何事かと。話が逆ではないか。謝る気なんかないです」(被告発言14−A)について 当該発言は、「公式な謝罪を頂きたい。」という原告コメントに対する被告の意見として放送されているものであり、一般の視聴者も、一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組14全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、「謝る気はない」という被告の単なる心情を表わしているものにすぎないのであって、特定の事実を摘示しているものではなく、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 「盗人猛々しいとはこのこと。開き直りです。」(被告発言14−B)について 当該発言は、盗作を完全否定し、かつ、「『銀河鉄道』という言葉も先人(宮沢賢治)の言葉ではないか」というコメントをした原告に対する被告の反論意見として述べられているにすぎず、一般の視聴者も、一方当事者の反論として受け止めることは明らかであって、上記発言により原告の社会的評価が低下することはない。 本件テレビ番組14全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、原告の社会的評価を低下させるものではない。 ・ 「万人をだましおおせたとしてもだませない人間がこの世の中に一人だけいると、それは自分自身だ。」(被告発言14−C)について 当該発言は、番組最終部分で、被告の原告に対するメッセージとして放送されているところ、本件テレビ番組14全体の構成を見ても、盗作を完全否定する原告の主張を全面的に紹介し、それに対応する形で被告の反論を紹介する公平なものとなっており、同番組に接した一般の視聴者は、上記発言につき、一方当事者である被告の言い分にすぎないと受け止めるものといえ、その放送は原告の社会的評価を低下させるものではない。 さらに、そもそも上記発言は、抽象的なメッセージにすぎず、原告の社会的評価とは無関係である。 ・ 争点・ア・a(本件各テレビ番組における被告の各発言は、事実を摘示するものか、あるいは、意見ないし論評の表明に当たるか)について (被告) ア 本件被告発言は、「事実を摘示するもの」と「意見ないし論評を表明するもの」とに分類できる。 個々の発言がいずれの範疇に属するかについては、判例上、「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」が「事実」であり、「証拠等による証明になじまない物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議など」は「意見ないし論評の表明」に該当するとされていることから、以下、同基準に従って、分類する。ここで、法的な見解の表明は、「意見ないし論評の表明」に属する。 イ 事実を摘示するもの 本件被告発言のうち、「事実を摘示するもの」と認められるのは、別紙事実摘示部分被告主張一覧表の「被告発言」欄の各発言であるが、摘示されている事実は、@原告表現と被告表現が酷似していること(以下「事実@」という。)、A被告表現は被告が長い間使用していたものであり、被告にとって思い入れの深いものであること(以下「事実A」という。)、B原告が被告とのやり取りにおいて、被告表現を「どこかで見聞きしたかもしれない」という趣旨のことを述べたこと(以下「事実B」という。)、C原告が被告とのやり取りにおいて、「『銀河鉄道999』を読んだことはない」という趣旨のことは述べなかったこと( 以下「事実C 」という。)、D原告が被告に無断で被告表現に酷似する原告表現を作成したこと(以下「事実D」という。)に、それぞれ分類することができる。 ウ 意見ないし論評を表明するもの 本件被告発言のうち、「意見ないし論評を表明するもの」と認められるのは、別紙意見表明部分被告主張一覧表の「被告発言」欄の各発言であるが、その内容は、@被告創作にかかる、被告が強い思い入れを抱いている被告表現が先行作品として存在しているにもかかわらず、これと酷似する原告表現が原告の著作として取り扱われることに対する意見ないし論評(以下「意見論評@」という。)、A原告が被告に無断で被告表現と酷似する原告表現を作成したことに対する意見ないし論評(以下「意見論評A」という。)、B原告が被告表現に接することなく原告表現を独自に創作することはあり得ないとの意見(以下「意見論評B」という。)、C原告が一言謝罪すれば被告は原告を許すとの意見(以下「意見論評C」という。)、D原告が被告に対して謝罪要求をしたことに対する意見ないし論評(以下「意見論評D」という。)に分類できる。 エ 原告は、本件被告発言において摘示されている事実は、「原告が盗作したという事実」であると主張するが、これは、「原告が著作権侵害(=盗作)をしたという事実」が摘示事実であると主張するものにほかならない。 しかしながら、「法的な見解の表明それ自体は、それが判決等により裁判所が判断を示すことができる事項に係るものであっても、そのことを理由に事実を摘示するものはいえず、意見ないし論評の表明に当たるものというべきである」とする最高裁判例(最高裁平成16年7月15日第一小法廷判決・民集5 8 巻5 号1 6 1 5 頁、 以下「平成1 6 年最判」という。)によれば、「原告が盗作したという事実」は、「意見ないし論評」に当たるのであって、これを「事実の摘示」であると捉える原告の主張は、そもそもその前提において失当であるといわざるを得ない。すなわち、仮に、被告発言が、一般の視聴者の注意と視聴の仕方を基準に判断した場合に、「原告が盗作したという事実」を述べているのだと評価されるとしても、上記最高裁判例に従えば、これは、事実の摘示ではなく、意見ないし論評の表明にすぎない。 なお、「原告が盗作したという事実」を意見ないし論評の表明と解した場合、その意見ないし論評の表明の前提となる事実は、@被告表現と原告表現とが類似している事実と、A原告が被告表現に依拠して原告表現を作成した事実であり、これらの事実は、結局、先に述べた事実@ないしDに含まれる。 (原告) ア・ 被告は、本件被告発言を細断した上で、事実を摘示するものと意見ないし論評の表明に分類している。 しかしながら、人間である以上、特に口頭での表現においては、事実摘示にしろ意見表明にしろ、複数のまとまりをもった文章で行うことが自然である。したがって、被告の発言を細切れにして、その切れ端の1つ1つがそれぞれいずれに属するかを検討する被告の態度は、そもそも不自然である。 このように、事実の摘示と意見・論評の表明の分類は、表現部分の前後の文脈や表現形式等も考慮した上で、「全体として何が言いたいのか」ということを常識的に汲み取って行われるべきであるということについては、裁判例も既に言及済みである。すなわち、最高裁平成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁(以下「平成9年最判」という。)は、「新聞記事中の名誉毀損の成否が問題となっている部分について、そこに用いられている語のみを通常の意味に従って理解した場合には、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも、当該部分の前後の文脈や、記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張ないし強調を行うか、比喩的表現方法を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないしえん曲に前記事項を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である。また、右のような間接的な言及は欠けるにせよ、当該部分の前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると、当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば、同部分は、やはり、事実を摘示するものと見るのが相当である」と摘示している。 ・ そこで、表現部分の前後の文脈や表現形式等も考慮すると、本件被告発言は、大別して、@原告が盗作をしたという事実を摘示している発言と、A原告が盗作をしたことを前提として謝罪請求や不平不満などの意見を述べる発言とに分類できる。 なお、「被告表現は被告が長年使用していたものである」という事実摘示について、被告は、「被告にとって思い入れの深いものであること」という事実摘示であるとのみ捉えているが、平成9年最判に照らしても、不自然である。なぜなら、被告は「原告が被告表現を盗作したこと」をテーマとした取材の中で当該事実摘示を行っているものであるからである。当該事実摘示は、「長年使用してきたのだから、原告も被告表現を必ず知っていたはずだ」という意味での、依拠に関する事実摘示でもあると考えることが素直であり、したがって、当該事実摘示は、上記@の原告が盗作をしたという事実を摘示している発言と捉えるべきである。 ここで、本件において、上記@の事実は、原告表現と被告表現が酷似していること(類似性)、原告が被告表現に依拠して原告表現を作成したこと(依拠性。なお、被告表現が著名であることの摘示は、依拠性に関連する事実摘示と捉えられる。)を要素としているといえる。それらの要素は、一体となって盗作したという事実を示すものであるから、それらの要素すべての発言について真実性が認められなければ、違法性は阻却されないものである。 イ 本件被告発言を前記ア・の基準に従って、事実摘示部分(@)と意見表明部分(A)とに、具体的に分類すると、別紙事実摘示部分及び意見表明部分原告主張一覧表のとおりとなる。 ・ 争点・ア・b(本件各テレビ番組における被告の各発言が事実の摘示をするものである場合、その摘示事の重要な部分につき真実であることの証明があるか)について (被告) ア 事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される。 そこで、前記・で主張した、事実@ないし事実Dが真実であるかについて検討する。 イ 事実@について 事実@に関して、被告表現と原告表現が酷似していることは、客観的に明らかである以上、事実@は真実である。 この点に関して、原告は、被告表現と原告表現には類似性が認められないと主張するが、かかる原告の主張が失当であることは、前記・で主張したとおりである。 ウ・ 事実Aについて 被告表現は被告が長い間使用していたものであり、被告にとって思い入れの深いものであることは、各書証(乙4、14、15、17ないし20、22ないし43、45、46、48、50、51、53、54、56、58、60、62、64、66、67、69、70、74ないし80、82、84、86、88ないし93、95ないし97、99、101、103ないし105、109ないし139、160、171)のほか、被告本人尋問でも被告が述べているところである(被告尋問調書13頁〜15頁、27頁)。よって、事実Aは真実である。 ・ 事実Bについて 原告が、被告とのやり取りにおいて、被告表現を「どこかで見聞きしたかもしれない」という趣旨のことを述べている以上、事実Bは真実である。 この点に関して、原告はそのような事実はないと否定しているが、この原告の主張が失当であり、虚偽であることは、前記・で主張したとおりである。 ・ 事実Cについて 原告は、被告とのやり取りにおいて、「『銀河鉄道999』を読んだことはない」という趣旨のことは述べてはおらず、事実Cは真実である。 これは、原告陳述書で、被告とのやり取りの中で、被告に対して、「『銀河鉄道999』を読んだことはない」と明言したとは記載していないことに加え、原告本人尋問及び被告本人尋問でも、原告が、被告に対して、「『銀河鉄道999』を読んだことはない」と明言したとの供述は何ら存在しなかったことからも(原告、被告の各尋問調書)、裏付けられるところである。そもそも、本件で被告が問題にしたのは、被告が様々な媒体等で長年使用している被告表現を原告が知っていたか否かであり、「銀河鉄道999」の読書経験の有無などではない。 ・ 事実Dについて 原告は、被告表現と酷似する原告表現を作成するに際して、被告の許諾は得ていない。この点は、当事者間で全く争いがないところであり、事実Dは真実である。 ウ 以上より、事実@ないし事実Dは、いずれも真実であり、本件被告発言のうち、事実を摘示するものである別紙事実摘示部分被告主張一覧表の「被告発言」欄の各発言については、違法性が阻却される。 (原告) 前記・で主張したように、本件被告発言のうち、事実を摘示するものは、別紙事実摘示部分及び意見表明部分原告主張一覧表の「被告のコメント欄」の各発言のうち、その右の「分類」欄が@とされている各発言であり、これらは原告が盗作をしたという事実を摘示しているところ、前記・で主張したように、原告表現と被告表現との間に実質的同一性は認められないこと、前記・で主張したように、原告表現は被告表現に依拠して作成されたものではないことから、上記各発言が摘示する事実は真実ではない。 ・ 争点・ア・c・(本件各テレビ番組における被告の各発言が意見ないし論評の表明に当たる場合、その前提事実の重要な部分につき真実であることの証明があるか)について (被告) 他人の名誉を毀損する発言が、意見ないし論評を表明するものである場合、「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、・・・その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである」とする最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁(以下「平成元年最判」という。)により、「公共性」、「公益性」の他、「前提事実の真実性」及び「論評としての域の範囲内」という要件が備われば、違法性が阻却されることになる。 そこで、前記・で主張した意見論評@ないし意見論評Dの前提とされている事実が真実であるかについて検討するに、同事実は、事実@ないし事実Dにほかならず、前記・で主張したように、事実@ないし事実Dはいずれも真実であるから、意見論評@ないし意見論評Dの前提とされている事実が真実である。 したがって、意見表明部分被告主張一覧表の「被告発言」部分の各発言について、違法性が阻却される。 (原告) 前記・で主張したように、本件被告発言のうち、意見・論評の表明としての発言は、別紙事実摘示部分及び意見表明部分原告主張一覧表の「被告のコメント欄」の各発言のうち、その右の「分類」欄がAとされている各発言であるが、同発言の前提となっている事実は、原告が被告表現に依拠して原告表現を作成したというものである。そして、同前提となる事実が真実でないことは、前記・で主張したとおりである。 ・ 争点・ア・c・(本件各テレビ番組における被告の各発言が意見ないし論評の表明に当たる場合、意見ないし論評としての域を逸脱していないか)について (被告) 本件被告発言のうち、意見ないし論評の表明に該当するものは、別紙意見表明部分被告主張一覧表の「被告発言」欄記載の各発言であるが、いずれの発言も、論評としての域を逸脱するものとはいえない。 この点、上記の本件被告発言には、「訴えたければ訴えてご覧」(甲20−14)、「男らしくありませんなぁ」(甲20−14)、「何というあほらしいことをいうね」(甲20−16)、「この野郎」(甲20−16)、「漫画家をなめるな」(甲20−16)、「万人をだましおおせても、世の中一人だけだませない人間がいる。それは自分自身だということを肝に銘じろ」(甲20−16)、「墓穴を掘れ」「なぜ自分で墓穴を掘るんだ」(甲20−19、甲20−23)、「男らしくねえやつだな」(甲20−21)、「ほざけほざけ」(甲20−21)、「盗人猛々しい」(甲20−14)など多少感情的な発言があるが、平成16年最判では、「ドロボー」、「ドロボー本」、「わしの絵を無断で盗んで乱用している」、「著作権侵害のドロボー本」、「汚い商売しとるよな」、「おまえの文は10円だ!わしの絵が1190円だ!!」といった、「著作権侵害」を直裁に意味する、被告発言と比してより直接的・攻撃的な表現が、いずれも論評の域を逸脱するものではないとされている以上、本件における被告発言が論評の域を逸脱するものでないことは明らかである。 さらに、そもそも被告は、訴訟に関する発言を自ら積極的に行ったのではない。原告が、いったん、被告に対し電話で依拠を認めて謝罪しておきながら、事実の公表には頑として応じないばかりか、「B1氏が本当に盗作だとお考えならば、メディアを使って騒ぎ立てるのではなく、正々堂々と裁判で決着して頂きたい・・・」という、本件電話会話を無視する事実無根のコメントを突如発表したため、これを受けてなされたものである。このような事実関係にあっては、被告が多少の感情的な発言を行ってしまうことも社会通念上許容されるべきであり(さらには、テレビ局が被告の感情的な発言を引き出そうとしたであろうことも、当然考慮されなければならない。)、被告の上記各発言は、いまだ論評の域を逸脱するものとは到底認められない。 (原告) 本件被告発言のうち、いくつかは論評の域を逸脱したものである。 意見ないし論評の表明が論評の域の範囲内であるかについて判断した最高裁判例は少なくとも3例ある(平成元年最判、平成16年最判、最高裁平成17年6月16日第一小法廷判決・裁判集民事217号141頁(以下「平成17年最判」という。)。これらの判決は、結論において、問題となった表現が論評の域を脱していないと判断したが、この3例と比較しても、本件被告発言の悪性は群を抜いている。 まず、平成元年最判は、通知表の交付をめぐる混乱についての批判、論評を主題とする意見表明の中で、「教師としての能力自体を疑われる」、「お粗末教育」との表現を用いたもので、各教師に対する個人攻撃や、人格非難にわたるものでないことは明確である。 平成17年最判は、帝京大学医学部長であった原告を評価する文章である「こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局y氏の“欲”にほかならないのではないか」、「加熱治験の代表責任者としてのy氏は、メーカーに対しては絶対的優位に立っており、その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ」、「一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか」が問題となったが、これらの文章には、いわゆる悪口雑言の類ではない、至極真っ当な評論としての表現が行われているだけであることは一見して明らかである。 最後に、平成16年最判においては、「ドロボー」、「ドロボー本」と繰返し記述するとともに、古典的な泥棒の格好をした原告の似顔絵を描いたことが、名誉毀損表現として問題になったところ、同判決は、上記の表現が論評としての域を出ない理由として、@人身攻撃に及ぶとまではいえないこと、A原告の主張を正確に引用した上で、原告の本の違法性の有無は裁判所において判断されるべき、と記載していること、B当該表現は、原告がその以前に行っていた被告に対する誹謗、揶揄を伴う批判に対する再反論であることなどを挙げている。 翻って本件を検討すると、本件は平成元年最判の事件とは異なり、個人間の紛争であるから、ともすれば意見表明が個人の人身攻撃に陥りやすいものであるが、実際、「男らしくない」という原告の人格非難が含まれている(甲20−16、20−21)。また、原告を非難する際の言葉遣いとしても、「何というアホらしいことを、というね」、「この野郎」、「漫画家をなめるな」(甲20−16)、「墓穴を自分で掘れ」(甲20−19)、「ほざけほざけ」(甲20−21)、「盗人猛々しい」(甲20−24)等、冷静な評論とはいえない悪口雑言が並べ立てられていることは、平成17年最判と比較すれば一目瞭然である。 また、本件においては、上述のとおり原告に対する人格非難が行われていること(平成16年最判理由@と比較)、被告は、「盗作の有無は裁判所が判断するべきである」という冷静なスタンスには立っていないこと(「『正々堂々と裁判で決着して頂きたい』って、やってもいいのか〜お前。」(甲20−16)、「なぜ自分で墓穴を掘るんだというね、・・・(裁判を)やられたければ勝手にやられればよろしいと。結果はもう非常にはっきりしているわけです。・・・だからはっきり言いますと、今からでも遅くはないよ」(甲20−19))(以上、同最判理由Aと比較)、確かに、原告は、ウェブページで反論を行っているが、その内容は極めて冷静かつ正当な反論であって、何らの誹謗中傷も、揶揄にわたる表現も含んでいないから、被告の上記各発言が「罵詈雑言を受けて怒りに駆られて言い返した」言葉遣いとして許容される余地もないこと(同最判理由Bと比較)から、同最判の事案とも異なる。 ・ 争点・ア・(本件各テレビ番組における被告の各発言に係る事実及び意見ないし論評の表明の前提事実の重要な部分が真実であると信じる相当の理由が存在するか)について (被告) ア 前記・で主張したとおり、本件被告発言は、「事実を摘示するもの」と「意見ないし論評を表明するもの」とにそれぞれ分類ができるところ、前者の「事実を摘示するもの」の場合には、最高裁判例により、「名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもつぱら公益を図る目的に出た場合には、・・・事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しない」(最高裁昭和41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁(以下「昭和41年最判」という。))とされており、公共性・公益性の要件を満たす限り、真実性の立証ができなくとも、「真実と信ずるについて相当の理由があるとき」には、故意・過失がなく、不法行為は成立せず、他方、後者の「意見ないし論評を表明するもの」の場合には、最高裁判例により、「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものというべきである。そして、仮に右意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、事実を摘示しての名誉毀損における場合と対比すると、行為者において右事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される」(平成9年最判)とされており、公共性・公益性に加え、「論評としての域の範囲内」の要件を満たす限り、「前提事実の真実性」が立証できなくとも、「真実と信ずるについて相当の理由があるとき」には、やはり故意・過失がなく、不法行為は成立しない。 ところで、本件被告発言は、いずれも公共の利害に関するものであり、かつ、目的の公益性も存在することは争いがなく、前記・で主張したように、本件被告発言のうち、意見ないし論評の表明に分類されるものは、論評の域を逸脱するものではない。 そこで、以下では、上記各最高裁判例に従い、本件被告発言が上記要件を備えており、被告には、故意・過失がなく、不法行為が成立する余地がないことを主張する。 イ 被告が適示した事実が真実であると信ずる相当の理由が存在すること本件被告発言のうち、「事実を摘示するもの」と認められる発言において、摘示されている事実は、前記・で主張したとおりであるが、以下のとおり、これらの事実が真実であると信じる相当の理由が存在する。 ・ 事実@について 以下の理由から、事実@が真実であると信じる相当の理由が存する。 a 被告表現と原告表現が酷似していることは、客観的に明らかであること b 著作権法の第一人者(h教授)や短詩評論の第一人者(P)などの専門家も原告表現と被告表現との類似性を認めていること(甲15、乙7)、 c 原告表現に接した一般人が、「2ちゃんねる」その他のインターネット掲示板で被告表現との類似性を指摘していること(I尋問調書1頁、甲76、甲14、乙168) d 原告表現に接した消費者が、テレビコマーシャルのスポンサーである味の素に、原告表現と被告表現との関連性について問い合わせをしていること(I尋問調書1頁、甲76、原告尋問調書1頁) e 原告表現と被告表現に接した一般人も、「2つの表現はそっくりである」という率直な感想を抱いていること(乙154の2−No.11、乙154の3−No.13、−No.21ないし24、乙154の5−No.15、乙154の7−No.56、乙154の8−No.6、乙154の13−No.6等) f レコード会社であるデフスターも、博報堂から調査依頼を受けた直後から、原告被告間の直接対話を斡旋するなど問題を解決すべく、極めて迅速な対応に動いており、原告表現と被告表現がそのまま放置することができない程度に類似していると判断したといえること g 原告も、原告本人尋問において「ああ、すごい、同じような感じの表現をするんだな」と述べており(原告尋問調書16頁)、原告自身も原告表現と被告表現の類似性を事実上認めていること h 原告表現は被告表現をわずかに改変するものにすぎないこと ・ 事実Aについて 被告表現は、被告が長い間使用していたものであり、被告にとって思い入れの深いものであることは、各書証(乙4、14、15、17ないし20、22ないし43、45、46、48、50、51、53、54、56、58、60、62、64、66、67、69、70、74ないし80、82、84、86、88ないし93、95ないし97、99、101、103ないし105、109ないし139、160)のほか、被告本人尋問でも被告が述べているところである(被告尋問調書13頁ないし15頁、27頁)。 したがって、被告が、事実Aが真実であると信ずる相当の理由が存在するのは当然である。 ・ 事実Bについて 事実Bは、結局、原告が被告とのやり取りにおいて、被告表現を「どこかで見聞きしたかもしれない」という趣旨のことを述べたか否かである以上、当該事実が真実であると信ずる相当の理由があるか否かは、原告及びその関係者たるデフスターの被告に対する言動などを判断材料とせざるを得ない。 そして、以下の事実を踏まえると、被告が、事実Bが真実であると信ずる相当の理由が存在することは、疑いの余地がない。 a 本件電話会話で、少なくとも、原告から被告に対し謝罪があったこと(その趣旨は別として、謝罪があったことは当事者間で争いがない。I尋問調書6頁ないし8頁、20頁、甲76、4頁、原告尋問調書7ないし9頁、被告尋問調書5、6頁、17頁、27頁) b 原告も、本件電話会話において、被告の聞き間違え、すなわち、被告が携帯電話による会話ゆえに、「やはり、見たか聞いたか、その記憶があったので、それが刷り込みになって書いたのかもしれません。すいません。」と聞き取った可能性につき、これをはっきり認めていること(原告準備書面(2)23頁) c 当事者間に争いのない事実として、@原告の謝罪後、被告は、一転して優しい口調になり、原告に対してエールを送っている事実(原告尋問調書9ないし10頁、被告尋問調書6、7頁)、A原告からの謝罪を受けた被告が、デフスターのIに対して、原告表現が使用されているテレビコマーシャルに、被告が著作権者であることを示す(C)マークを入れるように要求をしている事実(I尋問調書9、10頁、甲76の5頁、原告尋問調書10頁、被告尋問調書9頁)が認められ、被告は偶然に類似作品を創作した場合には著作権侵害とはならないという認識を有している以上(被告尋問調書24頁等)、原告被告間でのやり取りの中では、被告が原告表現の著作権者であることを認めるやり取りがあったといえること d 原告被告が共に作成することを了承した上で(I尋問調書9頁、原告尋問調書18頁)、レコード会社のデフスターが作成した乙140文案が、原告や原告所属事務所が見ても一見して原告の盗作を認める内容であること(原告尋問調書18頁ないし20頁) e レコード会社であるデフスターのJ社長とIが、原告被告間の直接対話を斡旋するばかりか、わざわざ被告方へ来宅して被告に直接謝罪をしたこと(当事者間に争いはない。) f 上記eの際、J社長とIは、被告に対し、著作権に触れるような話は意図的にしないようにしており、それゆえ、被告に対し、曖昧な返答を繰り返し、被告としては、現に原告の記憶に被告表現が残っていたと認めていると受け止めたこと(I尋問調書23頁) g 被告が、被告表現を多くの媒体で繰り返し公表をしており、原告が、被告表現にアクセスすることは極めて容易であり、さらには、間接的な伝達も無数に行われており、原告が、被告表現にアクセスする機会は無数にあったこと h 原告表現と被告表現とが酷似していること ・ 事実Cについて 原告は、自らの陳述書(甲7、65)で、被告とのやり取りの中で、被告に対して、「『銀河鉄道999』を読んだことはない」と明言したとは記載していないことに加え、原告本人尋問・被告本人尋問でも、原告が、被告に対して、「『銀河鉄道999』を読んだことはない」と明言したとの供述はしなかったことから、被告が、事実Cが真実であると信ずる相当の理由が存在する。 ・ 事実Dについて 原告は、被告表現と酷似する原告表現を作成するに際して、被告の許諾は得ていない。この点は、争いがないところであり、事実Dは真実である以上、被告にて、事実Dが真実であると信ずる相当の理由が存在するのも当然である。 ウ 被告の意見ないし論評の表明の前提事実が真実であると信ずる相当の理由が存在すること 本件被告発言のうち、意見ないし論評を表明するものの内容は、前記・で主張したとおりであるところ、意見論評@ないしDにおいて前提とされている事実は、事実@ないしDにほかならない以上、前記イのとおり、意見ないし論評の表明の前提事実が真実であると信ずる相当の理由が存在する。 (原告) ア 相当性の抗弁とは、事実を真実と誤信したことにつき相当の理由がある場合は、行為者の故意ないし過失を否定するという理論であるが、同理論は、表現の自由と名誉権の調整を図る理論であって、典型的な適用場面として、マスメディアによる報道の場合が念頭に置かれている。マスメディアは、発生した事件の外部者であり、強制捜査権もなく、どんなに取材を尽くしても、決定的な証拠を獲得することができず、誤解の混在しやすい伝聞や間接的な状況から事件の全貌を判断せざるを得ない場合もあり(すなわち、ある程度「推測によって補いながら」判断せざるを得ない。)、推測というものが誤解の危険と隣り合わせであることを考えれば、常に真実性の保証を求めることが報道を余りにも萎縮させることから、相当性の抗弁の理論が問題となるのである。 したがって、決定的な証拠に触れた事件の当事者による告発においては、相当性によって免責をする必要性はない。すなわち、決定的な証拠に触れたのであれば、それ以上の推測を許さない厳然たる事実が存在するだけであるから、推測の過程における「仕方がない誤り」を救済する必要がないのである。 本件では、被告は、直接、原告と本件電話会話をしていたのであるから、推測の余地はなく、相当性の抗弁を検討する必要性はない イ 本件では、本件電話会話において、原告が、被告表現をどこかで見聞きしたかもしれないという趣旨の発言をしたか否かという事実について、真実と誤信したことの相当性が問題となっている。 本件における真実は、「原告は、『知らなくてすみません』及び『こんな騒ぎになっちゃってすみません』と言っただけである」ということであるが、それにもかかわらず、被告は、本件被告主張依拠発言があったと発言している。上記の原告の発言を本件被告主張依拠発言と聞き違えることは考え難いから、被告は、真実ではないと知りながら、虚偽の事実指摘をしたことになる。 ウ なお、念のため、被告が、本件電話会話において、原告が本件被告主張依拠発言をしたという認識に至ることが相当であるかについて、以下、検討する。 被告が上記認識に至ったのは、思い込みによる曲解であるが、被告が、同思い込みが「相当」であるとする理由として、@本件電話会話で原告から謝罪があったこと、A本件電話会話は、携帯電話での通話であって聞き違えたこと、B本件電話会話において、被告が被告表現の著作権者であることを原告が認めるやり取りがあったこと、Cデフスターが乙140文案を作成したこと、Dデフスターが被告宅を訪れ、謝罪したこと、E被告表現が有名であったこと、F被告表現と原告表現が酷似していることを指摘する。 しかし、上記Aの点については、被告自らこれを否定している(被告第3準備書面36頁、被告尋問調書6頁)。上記Bの点については、そのような事実はない。被告が(C) マークを要求したが、デフスターに断られ、結論として、被告は、(C) マークを表示しないことに黙示に同意した事実は、原告表現について、被告には著作権がないことを、被告も認めざるを得なかったことを示すものである。上記Eの点については、被告表現は、証拠上、8回しか公表されていない(乙41、64、75、86、95、112、125、127)のだから、著名であるという認定はできない。上記Fの点については、仮に、被告表現と原告表現とが酷似しているととしても、同事実だけで、「知らなくてごめんなさい」という言明を、「どこかで見聞きしたかもしれない」という趣旨に解することは不合理である。ましてや、被告表現は、一般的な名詞(夢、時間)と動詞(裏切らない)だけを使用した、ごく短いセリフであるから、偶然に似る可能性は高いと考えるのが常識的である。上記@、C、Dの点については、それらの事実があるからといって、「知らなくてごめんなさい」、「こんな騒ぎになっちゃってすみません」という原告の発言を、本件被告主張依拠発言の趣旨に解釈するのは、解釈や推測の域を超えている。 ・ 争点・ア・(本件各テレビ番組における被告の各発言ついて、被告は、情報提供者にすぎないとして、不法行為責任を負わないか)について (原告) ア 総論 マスメディアによる名誉毀損における情報提供者の責任についての被告の主張は、「情報提供者の提供した情報が、多少編集されながらも、言わんとするところはそのままでマスコミによって公表された場合であっても(さらには、提供した情報どおりに報道された場合であってすらも)、原則として、情報提供者は責任を負わない。なぜなら、メディアは自己の裁量で編集を行うから、情報提供者としては自分の提供した情報が報道されるに至るとは予測ができないからである。」というものと解される。この情報提供者責任論で否定されるのは、事実的な因果関係(あれなければこれなし)ではないはずである。なぜならば、例えば、情報提供者が「Xを傷害致死、少なくとも業務上過失致死では罪に問える」と記者に言ったことが報道された場合、そこに事実的な因果関係があるのは明らかであるにもかかわらず、情報提供者責任論は、情報提供者の責任を否定しているからであり(東京地裁平成13年7月30日判決・判例タイムズ1118号182頁参照)、同理論は、因果関係の相当性の問題なのである。 しかしながら、相当性の判断というのは、常に具体的な事情や行為者の特質を考慮してなされるものである。それにもかかわらず、「これこれの場合には、原則否定」といった場面の限定もせず、一義的に「原則として」情報提供者の予見可能性が否定される、というのはいかにも相当性判断になじまない。不法行為で相当因果関係が問題になるのは、当該案件において特殊な事情が存在することについて予見可能性を問うのが酷な事案(教科書的事例としての、血友病患者であることを知らずに、軽くたたいて失血死に至らしめたような事例)なのであって、一律にメディア報道において、こうした「特別の事情の予見可能性」を全否定する根拠はない。 また、情報提供者の責任が問題となる場面は、情報提供者の表現の自由(憲法21条)と、対象者の名誉権(憲法13条)の衝突の場面なのであるから、因果関係の相当性の検討においても、情報提供者が「原則として」責任を免れるというのは乱暴な議論であって、後に挙げるような様々な要素を比較考量して決すべき問題なのである。 そもそも、判例上も、情報提供者責任論が席巻しているとか、通説であるというほどの状況にはなく、情報提供者責任論を採用する判例においても、例外を認める基準がまちまちであるところに端的に表れているように、その射程距離は短い。 したがって、本件に情報提供者責任論を適用すべき理由はなく、むしろ、今まで判例が重視してきた様々の要素(@メディアの性格、A情報提供者のメディアへの影響力、B情報自体の話題性、C「それ以上ウラが取れない」種類の情報であるか、D情報提供者の公表についての積極的意図)に目を配りながら、本件において、被告であれば、どの程度のことを予見できたか、また、すべきであったかを総合的に考慮すべきである。 イ 各論 ・ メディアの性格 メディアの性格として、テレビ用の映像取材の特性は、事前に取材のテーマを知らされ、どこからどこまでの話が撮影されているかについては明確に認識できる客観的な状況の中で、話すことがそのまま放送される可能性が高いということを認識しながら取材に応じるという点である。 また、被告は、終始一貫して原告は被告の盗作をしたと決め込み、そのことについて謝ってほしいと強く願っていたこと、被告の認識においてすら、原告が本件電話会話ではあくまでも依拠の可能性を認めただけであったにもかかわらず、記者に対しては、依拠の可能性を認めたことをもって原告の「依拠の肯定」とすり替えて盗作を言い立てたこと、原告表現は盗作であるということを世間に知らしめたいと思っていたこと(本件テレビ番組5において、被告は、「そんならそれでもうあの浸透しきっているんで、放っておいてもこちらにとっては笑い話みたいなもので、あのどうでもいいと、但しいいたいことだけは全部言ったということですね」と発言している。)からすると、被告は、とにかく原告の盗作を世間に伝えたかったのであり、そうすると、被告も、本件各テレビ番組において、被告の情報提供が名誉毀損的態様で放送されざるを得ないということを容認していたと考えるのが素直である。 なお、メディアとしての特性についてもう一点言及するならば、本件各テレビ番組は、いわゆる芸能ニュース番組であるという点である。芸能番組ないし芸能ニュースは、興味本位で芸能人の公私の活動を報じるものであって、綿密な取材とは程遠い種類のメディアであることは、常識的に理解されているものである。したがって、取材に答える方としても、特にその情報に話題性がある場合、恐らくそれが放送される蓋然性が高いということを予見するのが常識的である。 ・ 情報提供者のメディアへの影響力 被告は、長期連載の人気漫画「銀河鉄道999」の作者として、漫画界の重鎮といっていい存在であり、また、同作品や「宇宙戦艦ヤマト」がテレビ放送されたことから、テレビ業界でも当然ながらよく知られた人物である。本人も強調しているとおり、公演なども多数こなし、様々な局面でテレビ出演なども多く、こうした意味ではテレビメディアへの影響力は強力なものがあるというべきである。 ・ 情報自体の話題性 本件は、漫画界の大御所である被告が、人気シンガーソングライターである原告に対して、本件当時オリコンチャートで4位を記録していた(甲19の4)ヒット曲の歌詞について、盗作疑惑という、昨今関心の高いテーマに関する疑惑を呈するというものであって、どの要素をとっても話題性十分である。 しかも、被告は、自らが原告の盗作を糾弾した、株式会社小学館の発行する「女性セブン」(甲14。以下「女性セブン」という。)が公表された後、これに対する反応として取材が殺到したことを認識しており、したがって、抽象的な話として本件に話題性があるというに留まらず、現に、非常にマスコミの関心を呼んでいるということを自覚してカメラの前に立ったのである。それにもかかわらず、今になって話題性を否定するというのは、裁判上の形式的な反論にすぎないのである。 ・ 「それ以上ウラが取れない」種類の情報であること 本件の事実指摘で重要なのは、原告が本件電話会話で、依拠(の可能性)を認めたのか否かということであるが、原告の本件電話会話での発言を実際に直接的に耳にしたのは、電話の当事者のみである。このような状況において、正に電話の当事者であった被告が、それ以上ウラの取れない話として、「原告は『見たか聞いたか・・・して刷り込みで創作したかもしれない』という趣旨のことを言って盗作をほぼ認めた」とカメラの前で証言すれば、それはそれ以上ウラの取りようのない話として強烈なインパクトを有し、したがって、そのまま報道される可能性が高いのである。 被告は、原告も本件電話会話の当事者なのだから、報道機関は原告にウラを取ることができた、したがって、これはウラの取れる話であった、テレビに出演しなかった原告が悪いという反論を行う。 しかしながら、上記反論は、以下の2点において間違っている。 まず、本件電話会話の内容を客観的に証明する録音等はないから、原告が本件の疑惑を否定するのであれば、「被告が主張しているような自白めいた事実はない」と答えるに決まっていることは、報道機関は常識的に推測できる。そこで、「ウラを取ることができない」というのは、情報提供者の主張に沿うものとしてのウラを取ることができない、という意味であると解すべきである。 次に、原告は、自らテレビに出演することこそなかったが、本件電話会話の内容として、「知らなくてごめんなさい」と謝って収めたという報告を、マネージメント事務所とデフスターに対して行っており、マネージメント事務所の者が、報道機関に対して同じ内容のコメントを発表していたから、原告は反論しているのである。当事者同士の間で、言った言わないの水掛論になる場合、報道機関としてはいずれが正しいかを自らの取材結果に従って判断して報道するということもままある。そもそも、報道機関がそうした判断をせずに、事実の報告しかしないのであれば、報道機関の存在意義は相当に小さい。そうした報道機関の価値判断において、より積極的に報道機関に情報提供したものが、より正しく見えるということも常識的に推認できる。むしろ、被告は、自らが正しいということを世に知らしめたかったのだし、そのためには、自己の主張を最大限報道機関に提供することが得策だと考えたからこそ、自らの顔をさらし、1つのインタビューに2、3時間もかけて対応し、決定的な情報として、少なくともすべての映像インタビューで原告が電話で依拠を認めたと話し、一時は1日中マスコミ対応をするほどの労力をかけたのである。したがって、本件においては、原告が電話で依拠を認めたという事実指摘は、性質上ウラが取れないばかりか、被告自身が「誰も(対立相手である原告であっても)説得的には反証できない決定的な情報」として、報道されることをむしろ望んで提供したものである。 ・ 情報提供者の公表についての積極的意図 a 強い信念 被告自ら認めるとおり、被告は思い入れが強く、すべて自らの信念に従って行動している(被告尋問調書21頁)。したがって、本件各テレビ番組及びその他雑誌等の媒体に対する膨大な量のインタビュー対応は、断ることができずに問われるままに意図しなかったことを言わされたものではなく、原告の盗作を糾弾しようとの強い信念の下に対応し、被告の言いたいこと、つまり、原告は被告表現に依拠し、被告表現に酷似した原告表現を制作した(盗作)という事実を、あらゆる機会を利用して言いまくったということなのである。 また、被告は、自分の作品に関係する自己主張をする傾向にある。甲第78号証は、映画スターウォーズ第1作の初期設定集のうち、レイア姫という登場人物についての初期設定の部分をまとめたものであるが、これについて、被告は、自己の作品の登場人物である有紀蛍というキャラクターに影響されていると断言している(「『スターウォーズ』の企画書をハワイで手に入れてみたんだけど、そこにあったレイア・オーガナ姫の最初の設定が、そのまんま有紀蛍だったんです。徐々に変形していってアメリカナイズして今のスタイルになりましたけど、だから『スターウォーズ』の原型に何らかの影響があったんですね。」甲80)。見比べてみると、似ているのは宇宙を舞台にした物語に登場する意思の強い若い女だということくらいで、後は絵姿から、キャラクター設定から、何一つ似ていない。 さらには、アニメシリーズ「宇宙船艦ヤマト」について、被告は、同作品の著作者が自分であるとの思い込みに基づき、同シリーズのプロデューサーであるi(以下「i」という。)を相手どって、著作者の地位に基づく謝罪広告等を求める訴訟を提起したが、第1審は、客観的な証拠に基づいて、同シリーズの著作者はiであると認定し、被告の請求を棄却した(同事件は、控訴審で裁判外で和解が成立して、被告は「ヤマト」に関して共同著作者であるとの和解内容でiとの関係では落ち着いたとのことだが、客観的な証拠に基づいて、被告が著作者ではないと認定された事実そのものは、覆しようもないことであろう。)。本件も、このような被告の思い込みの激しさから、常識的にはできないような権利主張を繰り広げたということなのである。 b 虚偽の情報提供 前記・・のとおり、原告被告の本人尋問の結果、本件各テレビ番組における被告の本件被告発言は虚偽であったことが判明した。 c 長時間にわたる取材対応 長時間にわたって取材対応をするのは、その主張するところの事実を確実に伝えて欲しいからだ、と考えるのが経験則上も自然である。 被告は、1つの取材に2、3時間かけて、テレビ出演だけで14回対応し、このほかに雑誌・新聞の取材を少なくとも6回受け、また、テレビへの生出演と電話出演を計2回行っている。しかも、これが、平成18年10月19日過ぎの数日間と、同年11月7日あたりの数日間に集中したのであり、このような取材対応の積極性は他に類を見ない。 d 初回の報道後の取材対応 報道が度重なった後の情報提供については、それ自体として、報道される高度の蓋然性が認められ、また、この事情は、情報提供者が主観的にも、自己の提供する情報が確実に放送されるであろうという確信を持って情報を提供しているということも推測できる。 特に本件では、女性セブンに対する大反響として殺到した取材申込みに応じたものであり、被告としては、この取材に応じた内容が報道されないわけはないと内心思っていたに違いないのである。 しかも、被告は、女性セブンについては、発表前にゲラを確認したことを自ら認めている(乙149)以上、本件では原告所属事務所がコメントをしていないことを確認したはずであるから、このまま他の取材に応じても、恐らく原告所属事務所は目立った対応をせず、したがって、自分の意見だけが報道される蓋然性があることについて認識したはずなのである。 e 乙140文案の公表 物証を示せば、主張というのは説得的に見えるところ、被告は、和解交渉中にやり取りされて廃案になった掲載文書案(乙140文案)、すなわち、交渉というものにおける信義則からは第三者に見せることをはばかるべきものを、誰にも許諾をとらず公表し、これによって、要らぬ憶測を呼んで自己の正当性を強調しようとした。 しかも、被告は、乙140文案が、原告の謝罪を表したものではないことを認識しているにもかかわらず、第三者から見れば何となく原告が悪いように見えるだろうと考えて、これを積極的に公表しているのである。このような文書の存在については、被告が公表しなければ誰も知り得ないのだから、被告がマスコミに対して積極的に提供したとしか考えられない。被告が、本件を何が何でも自分の主張の流れのまま公表してやるという強い意思を持っていることは、このことからも明らかである。 ・ 以上の要素をすべて考慮すれば、被告であれば、本件被告発言に係る情報を提供すれば、名誉毀損の結果が発生することを予見できないわけがないこと、むしろ、それを積極的に望んでいたことが明らかである。 (被告) ア 本件被告発言は、本件各テレビ番組において放送されたが、そのうち生放送中におけるリアルタイムの発言である、本件テレビ番組5における本件被告発言5−@ないしD及び本件テレビ番組7における本件被告発言7−AないしCを除く発言(以下「本件被告録画発言」という。)は、すべて、放送に先立ち、テレビクルーによる取材撮影が行われ、各番組が編集をしたVTR素材によって放送されている。このように、本件各テレビ番組における本件被告録画発言は、各放送局がそれぞれ独自に保有する番組編集権に基づき、自己の裁量と責任の下で、編集した上でされたものであるから、仮に、同放送が名誉毀損に該当するとしても、被告が本件被告録画発言をしたことと、これを放送した各テレビ番組が及ぼす影響との間には、相当因果関係が認められず、被告は、上記各テレビ番組に対して、責任を負う立場にない。以下、詳述する。 ・ 放送局は番組編集権を専有しており、情報提供者は編集に関与しないこと テレビ番組において、どのような話題を番組中で採り上げるか、そして、どのような表現、態様でこれを採り上げるかということは、すべて放送主体である各放送局が、その編集権に基づき、独自の裁量、責任でこれを決定するものであり、取材に応じて情報提供を行い、撮影されたにすぎない者がこれに関与することはできない。このことは、言論・表現の自由を保障する日本国憲法21条に基づく当然の帰結であって、放送法3条が「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」と定めているほか、社団法人日本民間放送連盟(以下、「民放連」という。)の「放送倫理基本綱領」にも、「放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。」と明記されているところである。 このように、放送番組については、あくまで各放送局が第三者から完全に独立して、固有の編集権のみに基づき、放送の可否を含めたすべての事項が決定されるのであり、単に取材に応じて情報提供を行い、撮影を受けたにすぎない者の関与はそもそも全く予定されておらず、情報提供者としては、自身が提供した情報が番組中で放送されるのか、放送される場合どのような態様等で放送されるのかといった事項については、まったく関与することができない。 本件においても、取材に先立ち、テレビ朝日から、「今回の件で、私どもは、A1さんの事務所にも意見を求めております。放送にあたっては公正を保つため、双方の意見を紹介するつもりです。もし、A1さんの事務所が完全にノーコメントに徹した場合は、やむを得ず、放送が取り止めになる場合があります。ご了承願います。」という連絡が来ているところであり(乙151)、基本的に他局も報道機関等として同様のスタンスを取っていたはずである。 ・ 放送局は、番組を放送するに際し、第三者の名誉を毀損せず、公正な番組にする責務があること 上記のとおり、放送局は、固有の編集権のみに基づき、情報提供者を含めた第三者から完全に独立して放送内容等を決定するものであるが、その一方で、編集権の行使は慎重にこれを行わなければならず、番組を放送するに際し、第三者の名誉を毀損せず、公正な番組にする重大な責務がある。この点は、放送法3条の2第1項が、「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。」とし、同項4号が「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と規定していることからも伺えるほか、上記の「放送倫理基本綱領」にも、「放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。」とそれぞれ明記されている。さらに、民放連の「放送基準」にも、「・個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。・ニュースは市民の知る権利へ奉仕するものであり、事実に基づいて報道し、公正でなければならない。・ニュース報道にあたっては、個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように注意する。・取材・編集にあたっては、一方に偏るなど、視聴者に誤解を与えないように注意する。・社会・公共の問題で意見が対立しているものについては、できるだけ多くの角度から論じなければならない。」と明記されている。このことは、民放連の「報道指針」においても、「報道姿勢」として、「誠実で公正な報道活動こそが、市民の知る権利に応える道である。われわれは取材・報道における正確さ、公正さを追求する。・予断を排し、事実をありのまま伝える。未確認の情報は未確認であることを明示する。」と明記され、「人権の尊重」として、「取材・報道の自由は、あらゆる人々の基本的人権の実現に寄与すべきものであって、不当に基本的人権を侵すようなことがあってはならない。市民の知る権利に応えるわれわれの報道活動は、取材・報道される側の基本的人権を最大限に尊重する。・名誉、プライバシー、肖像権を尊重する。」と明記されているところでもある。 このように、放送局は、自己が放送する番組につき、それが第三者の名誉を毀損しないようにしなければならないという、極めて高度な注意義務を負っている。そして、その裏返しとして、取材撮影に応じた情報提供者は、自己が提供する情報は、当然このような義務を遵守した態様において番組中に使用されるという認識の下、取材撮影に応じ、情報を提供しているのである。 ・ 情報提供者にすぎない者は、原則として番組について責任を負う立場にないこと 上記のとおり、放送局は、それぞれが放送する番組につき、固有の編集権を有しており、番組放送の可否、番組内容等は、情報提供者を含む第三者が関与することなく、当該編集権のみに基づき決定され、その反面、編集権の行使に当たっては、第三者の名誉を毀損等しないようにしなければならないという極めて高度な注意義務を負う。すなわち、仮に、情報提供者が取材撮影に応じ、何らかの情報を提供したとしても、当該情報を基にした番組を放送するか否か、放送する場合にどのような内容、態様等で放送するかは、すべて放送局が独自に決定し、また、放送を決定した場合、放送局は、第三者の名誉を毀損等しない番組として放送する義務があるのであって、そうである以上、このような編集権行使の結果、放送された番組については、放送局が責任を負い、情報提供者は責任を負わないのが大原則である。当該結論は、我が国判例上、テレビ番組による名誉毀損の判断に際し、摘示された事実がどのようなものであるかという点につき、「当該報道番組の全体的な構成、これに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声に係る情報を総合的に考慮して、判断すべき」である(平成15年最判)とされており、ここで挙げられている各判断要素は、正に放送局の編集権によってのみ決定されるという事実からも明らかである。 そして、情報提供者が番組につき責任を負うのは、情報提供者が提供する情報に基づいて番組が制作された場合に第三者の社会的評価を低下させることが明らかであって、情報提供者がその情報をそのまま放送することについて予めマスコミと意を通じた上で情報を提供している場合や、自己の提供した情報がそのまま番組になることを承諾していた場合という極めて例外的なケースに限られ、以下のとおり、本件はこのような例外ケースには到底該当するものとはいえない。 ・ 本件各テレビ番組において、被告の情報提供行為と本件各テレビ番組が及ぼす影響との間には相当因果関係が認められないこと a 被告は、本件各テレビ番組ごとに取材を受けているわけではなく、同じ局の各番組で同じ取材VTRを、番組ごとに独自に編集し、使用している場合もあり、各番組によって、使用されている部分や使用態様も全く異なること 本件各テレビ番組は、番組ごとに編集は異なるものの、映像自体は局ごとに共通しているものもあり(例えば、少なくとも本件テレビ番組1 0 と本件テレビ番組1 1 で使用されている映像素材は共通する。)、取材撮影それ自体は、各時期(本件の紛争の存在が明るみになった時期及び原告がホームページ上で被告に対する反論コメントを掲載した時期)において各局1、2度ずつ程度しか行われておらず、必ずしも「各番組ごと」すべてにつき、個別に取材撮影が行われているものではない。 そして、各番組は、それぞれの編集方針に基づき、@番組中で被告のインタビュー映像を放送するか否か、Aインタビュー映像のどの部分を放送するか、Bインタビュー映像をどのように編集して使用するか、Cインタビュー映像を番組のどの部分で、どの程度の長さ使用するか等々につき独自に決定をし、その結果として放送されたのが、本件各テレビ番組であり、被告はこれら決定に一切関与していない。 例えば、上記@についていえば、同じ局の番組であっても、インタビュー映像を使用する番組と使用していない番組が存在する事実が指摘でき、上記A及びBに関しては、それぞれの番組によって大きな違いが現われている。すなわち、被告は、各取材において基本的に同じようなことを聞かれ、同じ回答をしているものであるが、テレビ番組内容表からも一見して明らかなとおり、同じインタビュー映像を使用していても、使用部分がそれぞれ番組ごとに異なることに加え、同じ趣旨を述べている部分を使用している場合であっても、テロップの有無、字テロップの色・フォント、ナレーションの有無・調子、効果音・BGMの有無、カットの有無(例えば、本件テレビ番組6では、明らかに発言を途中でカットする編集が行われている。)等々は、各番組ごとに千差万別である。Cについては、各番組によって、インタビュー映像を使用する長さやその取扱い、中断の有無、インタビュー映像以外にどのような素材で番組を構成するかといった点が、それぞれ全く異なる。 そして、これらの事実は、各番組がそれぞれ各放送局固有の編集権に基づきインタビュー素材を編集し、放送が決定されており、被告がこれに関与していないという事実を如実に表わしている。 b 被告は、どの番組でインタビュー素材が使用されるかにつき、予め十分な説明を受けていないこと 本件各テレビ番組で放送された被告のインタビュー映像は、同じ放送局の様々な番組で使用されているが、被告は、予めどの番組でインタビュー素材が使用されるかということにつき、十分な説明を受けていない。 c 被告は、インタビュー素材がどのように編集されるかにつき、事前に全く説明を受けていないこと 前記aで主張したとおり、各番組で使用されたインタビュー映像は、それぞれ番組ごとに独自の編集作業が加わっているが、当然のことながら、被告は、当該編集作業に一切関与していない。また、最終的にどのような形で編集され、放送されるのかという点につき、被告が放送前に素材チェックをしたという事実も一切なく、取材の様子が、どの番組でどのように放送されるのかという点は、被告自身、実際に番組を見るまでは知りようがなかったのである。この点、被告の感覚としては、実際に放送されたインタビュー素材は、撮影素材の概ね20分の1以下程度であるという認識を有している。 d 被告は、各放送局がインタビュー素材を番組に使用するに際し、注意義務を十分に尽くすものと認識していたこと 被告は、各放送局から取材を受けるに当たり、取材映像を番組として放送するか否かは、社会的責任が大きい各放送局がその裁量と責任の下で決定するものと理解しており、かつ、番組として放送する以上は、原告サイドの見解を載せたり、第三者的立場の専門家のコメントを紹介する等、当然原告の名誉を毀損等しない形の公平な番組にするであろうとの認識の下で取材を受けている。したがって、被告のインタビュー映像を使用した番組が放送された場合に原告の社会的評価を低下させることが明らかであって、被告がその情報をそのまま報道することについて予め各放送局と意を通じた上で情報を提供しているといった事実や、被告が提供した情報がそのまま番組になることを承諾していた事実は一切存しない。 ・ 以上のとおり、本件被告録画発言は、すべて各番組が各マスコミ固有の編集権に基づき制作、放送されているものである以上、これらが名誉毀損に該当するか否かにかかわらず、被告の情報提供行為と各番組が及ぼす影響との間には相当因果関係が認められず、被告は、そもそもこれに対する責任を負う立場にない。 イ 原告の主張に対する反論 ・ メディアの性格について 原告は、情報提供者である被告としては、提供した情報が、そのまま放送される可能性が高いことをむしろ容認していたと主張する。 しかしながら、前記のとおり、各番組はすべてテレビ局の責任と裁量の下、編集・放送されており、被告は、各番組において、取材映像のどの部分が使用されるかは、全く説明されておらず、また、どのような編集がなされるかも全く説明されていない。 ・ 情報提供者のメディアへの影響力 原告は、被告がテレビ局に対して有する影響力は、多大なものがあるとするが、決してそのような事実はない。 被告は、一漫画家にすぎず、テレビ出演を業とするものでなく、自作を原作とするアニメーション番組の放送はこの場合の影響力というべきではない。 ・ 情報自体の話題性 被告は、本件騒動が、ある程度の話題性を有していたことは、結果としては否定しないものの、だからといって、ワイドショーの生放送時間帯に合わせた著名人の緊急記者会見などとは違い、「被告の映像取材」それ自体が、非常に報道されやすい情報であったとはいえない。 ・ 「それ以上ウラが取れない」種類の情報であるか 本件各テレビ番組は、原告にも取材を試みている以上、原告やデフスターに確認して裏をとることも困難なものであったとはいえないし、事実、「そのような事実はない」という原告サイド及びデフスターのコメントも放送されている(乙154の14No.27)。 ・ 情報提供者の公表についての積極的な意図 a 虚偽の情報提供 前記・で主張したとおり、被告は虚偽の事実など適示していない。虚偽の事実を主張しているのは原告である。 b 長時間にわたる取材対応 被告が、1回の取材対応に2、3時間かかり、一時期は終日マスコミ対応をしていたことそれ自体は事実であるものの、いずれも各局からの取材申込みに公平に対応した結果にすぎないのであり、被告としては、マスコミを積極的に利用したり、意図的な宣伝をしようとした事実など存在せず、いずれにせよ、因果関係とは何ら関係のない事情である。 c 乙140文案の公表 説明のために物証を示すこと自体、何ら非難されるべき行為ではなく、また、乙140文案が公表されたのは、本件各テレビ番組のうちの一部にすぎない。 ・ 争点・イ(被告の名誉毀損行為によって原告が被った損害の額)について (原告) 以下の事情を考慮すると、被告の名誉毀損行為によって被った原告の精神的損害は、2000万円を下らない。そして、原告は、本件訴訟の提起、遂行を原告代理人らに依頼したが、その費用は200万円を下らない。 ア 事実の流布の範囲・情報伝播力 本件では、被告による積極的なマスコミへの出演(生出演、電話出演及び映像出演、雑誌への取材対応を含む。)の結果、日本中のマスメディアが原告が盗作をしたものという前提で報道を行ったが、被告のマスコミへの出演態様、回数は、生出演が1件(甲19の15)、電話出演が1件(甲19の11)、映像出演が14件(甲18ないし20)、取材対応が6件であり、これによる被告の事実摘示の伝播の結果は、少なくとも、新聞・雑誌記事によるものが6件(甲12、17、23、24、26、30の1)、テレビ番組によるものが27件(甲18ないし20)、インターネットによるものが6件(甲13、25の2、27ないし29、30の2)であり、近年まれに見る流布及び伝播力の範囲である。 イ 報道目的(目的の正当性) 本件では、原告は、電話で依拠及びアクセス自体を認めたことはなく、被告もそのことを本音としては認めている以上、被告が積極的に虚偽の盗作疑惑を言い立てたという疑いが強いから、本件被告発言には、目的の正当性は認められない。 ウ 事実摘示の方法(断定的な表現の有無、侮辱的な表現、事実摘示の回数・継続性) 被告は、あたかも原告が盗作を認めたかのように見える本件被告主張依拠発言を、原告がしたと断言した。また、被告は、その他にも、「堂々と使われてしまって人の言葉となると・・・無念」(甲19の4)「A1さんもはっきりそういうことを感じておいでです。・・・どっかで聞いたか見たか、した可能性が極めて大きいので、と」(甲19の7)「本人がほぼ認められた」(甲19の15)「盗人猛々しい」(甲20の24)と、繰り返し、断定的な表現を使って原告の名誉を毀損した。また、被告は、「男らしくない」という原告の人格非難を行い(甲20の16、甲20の21)、原告を非難する際の言葉遣いとしても、「何というアホらしいことを、というね」、「この野郎」、「漫画家をなめるな」(甲20の16)、「墓穴を自分で掘れ」(甲20の19)、「ほざけほざけ」(甲20の21)、「盗人猛々しい」(甲20の24)、「『正々堂々と裁判で決着して頂きたい』って、やってもいいのか〜お前。」(甲20の16)等々、侮辱的な言辞を用いた。 また、被告は、異例の長さの期間にわたって、上記のような発言を報道機関に対して行っている。 エ 名誉を毀損された者の社会的地位 原告は著名なシンガーソングライターであり、自分のイメージを傷つけられた場合に、芸能活動(つまり営業活動)に大きく支障を来たす立場にある者である。 オ 名誉を毀損された者が現実に被った不利益・損害等(社会的信用の低下、精神的苦痛、財産的損害、名誉を毀損された者の落ち度) 原告が指摘されたのは、「盗作」という、創作を生活の糧とする者にとっては、その勝負どころである創作という土俵において、実は他人のものを盗んでぬけぬけとしている、という致命的な指摘である。 実際、原告表現は被告表現の盗作であるという被告の指摘を理由として、原告楽曲の収録された味の素のカップスープのテレビコマーシャルは放映を中止された。 また、原告は、被告の名誉毀損行為によって、精神的な被害を負って、一時は創作活動もままならなかった(甲7、10の1)。創作活動というのは、正に精神的な活動そのものだからである。創作を糧とする原告に精神的なダメージを与えるということは、スポーツ選手の利き腕に障害を負わせるのと同じことなのであって、その意味で本件における原告の精神的な損害というのは非常に深刻なものである。 上記の味の素のカップスープのテレビコマーシャルは、原告楽曲を宣伝する大きな役目を果たしており、それが、原告表現の盗作疑惑を理由として中止されるというのは、原告楽曲の売上自体に大きな悪影響を与えると同時に、原告のイメージにも大きな悪影響を与えるものである。そのため、既に話が進んでいた別のテレビコマーシャル2つとのタイアップ交渉が一時中断し、原告は営業上の不利益を被った。 また、被告が報道機関に対して大々的にキャンペーンを張ったため、あらゆる報道機関から原告所属事務所に問い合わせが入り、正常に業務を運行できる状態ではなくなった。 そして、原告は、上記の損害を受けたことについて何の落ち度もない。 カ 事後的事情による名誉の回復 原告は、「楽曲『約束の場所』の歌詞に関して」と題する文書(甲75。以下「甲75文書」という。)を発表して、自己の正当性を訴えたが、元来、名誉毀損状態の回復というのは、「加害者又は第三者の行為により、かつて加害者の伝達した情報が虚偽であって名誉毀損等に該当するものであることが世人の周知のところとなったと認められる場合」を指すから、これだけでは、法理論上、原告の名誉は全く回復されない。 のみならず、原告の甲75文書の発表を契機として、原告に対する更なる名誉毀損や侮辱が、被告によって盛んに行われた以上、甲75文書は、事実上も原告の名誉回復に寄与しなかった。 したがって、本件においては原告の名誉は、いまだに、全く回復されていない。 (被告) ア テレビコマーシャルの放送中止は、被告のマスコミでの発言行為とは関係がないこと 原告表現を含む「約束の場所」を使用したテレビコマーシャルの放映中止は、被告の発言がマスコミに報じられる以前から、スポンサーの味の素にて検討されており、味の素としては、中止の意向を有していた。それゆえ、テレビコマーシャルの放送中止と被告の発言行為とは相当因果関係が認められない。 すなわち、被告の発言が最初にマスコミに報じられたのは、平成18年10月19日に発売された「女性セブン」(甲14)であるのに対し、スポンサーの味の素にてテレビコマーシャルの中止が検討されたのは、女性セブンの発売日よりも一週間も早い10月11日の時点である(I資料の「10月11日」の欄の3行目に、「博報堂+Def」「MTG@博報堂。味の素のCM曲変更の意向に対し、B1、A1両氏の確認を取る方向へ」と記載されている。)。既に尋問の結果からも明らかなとおり、本件においては、被告が関係者に指摘するに先立ち、2ちゃんねる等のインターネット掲示板で盗作疑惑が指摘され、味の素に対しても消費者から問い合わせが入るような状態だったため、味の素は、原告及び被告への確認を取る前の段階で、テレビコマーシャルの曲の変更はやむなしと判断していたのである。 この点、原告は、被告の名誉毀損行為を理由としてテレビコマーシャルの放送が終了したと主張し、その証拠として甲7陳述書を援用するが、広告代理店を通じスポンサーの意向を確認したレコード会社担当者のIが作成したI資料のほうが正確であることは明白であり、原告の主張は単なる根拠なき憶測にすぎない。 また、テレビコマーシャルの中止という事情が、いかなる法的構成において、原告の損害となるかについては不明であり(原告は、原告楽曲の販促活動を邪魔されたと主張するが、そもそも原告楽曲は、原告のソロ楽曲ではなく、Cの楽曲であり、原告は原告楽曲の販促活動を行う立場にない。)、原告はこの点何ら主張立証しておらず、このような意味においても、原告の主張は失当である。 イ CMソングの採用一時撤回に関しては、何ら客観的資料が提出されていないこと 原告は、被告のマスコミでの発言により、別のテレビコマーシャルへの楽曲提供のオファーが一時撤回されたなどと主張する。 しかしながら、原告は、上記主張に関する証拠として、甲7陳述書及びK陳述書を援用するのみであり、何ら客観的な資料(例えば、相手方からの通知文書など)を提出していない。 加えて、上記各陳述書の記載は、いずれも具体性を欠いた抽象的な内容に留まるものであり、真実、CMソングのオファーが一時撤回されたのかは疑問の余地があり、立証が不十分であるといわざるを得ない。 また、このような事情が、いかなる法的構成において、原告所属事務所ではなく(後述するとおり、原告が主張する事情は、いずれも原告個人ではなく、「原告所属事務所」のそれである。)、原告本人の損害となるかを何ら主張立証しておらず、原告の主張は失当である。 ウ 原告所属事務所の活動停滞は何ら立証されておらず、また、この活動停滞は原告所属事務所の損害であって、原告の損害ではないこと 原告は、原告所属事務所が正常に業務を遂行できる雰囲気ではなくなったと主張するが、原告は著名人である以上、多かれ少なかれ自らに関連する事項に関して取材依頼がなされることは通常想定されるところであり、原告もそれを許容していると考えられるが、本件の場合が、それらの通常想定される取材依頼に比して、過大であったことは何ら立証されていない。 加えて、原告が正常に業務を遂行できなかったと主張しているのは、あくまでも、原告所属事務所や同事務所に所属するスタッフのことにすぎず、このような事情がいかなる法的構成において、原告本人の損害となるかを何ら主張立証しておらず、この点においても、原告の主張は失当である。 エ 各種報道は、被告が行ったものではなく、また、その内容も原告を非難するものではないこと 被告は、どこかで独自に本件の情報を入手した雑誌「女性セブン」の取材を受けた後、同雑誌の記事を受けて行われた他の新聞・テレビ等のマスコミから取材依頼を受けたものである。すなわち、被告からマスコミに情報をリークしたという事実は、一切ない。 そして、各報道はあくまで当該各報道機関が行ったものであり、被告は一取材対象者にすぎず、当該行為にて、仮に、原告が精神的苦痛を被ることがあったとしても、被告行為との相当因果関係は認められない。加えて、原告が、被告による名誉毀損の証拠として提出する資料(雑誌・新聞・テレビ番組など)では、被告の主張を一方的に説明するようなものではなく、原告側の見解も紹介しており、原告を一方的に非難するものではない。 オ 原告の主張する損害額は不当に過大であること 原告の請求する2000万円との金額は、独身の男性が交通事故で死亡した場合の慰謝料の基準額(2000万円ないし2200万円)(財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部編「民事交通事故訴訟・損害賠償額算定基準」上巻105頁)と同等の金額を請求するものであり、不当に過大であることは明白である。 被告の発言行為により、原告の創作活動が停止に追い込まれたのであればともかくも、原告は、被告発言行為とは無関係に、被告発言の影響を受けることなく、その後も創作活動を続け、目を見張る活躍を見せている。 上記の事情から、原告の請求する2000万円との金額が不当に過大な請求であることは明らかである。 カ 以上のとおり、原告には何ら損害は発生しておらず、損害論に関する原告主張はいずれも失当である。 ・ 争点・ウ(謝罪広告の要否及びその内容)について (原告) 本件では、以下のとおり、@原告の受けた損害が、被告に謝罪広告を命ずることによって全面的に消去せしめられるような種類・性質のものであり、A名誉毀損状態が、裁判時になお残存するものであることは明白である。 したがって、本件では謝罪広告請求が認容されるべきである。 ア 原告の受けた損害が謝罪広告によって治癒される性質のものであること 本件における「原告バッシング報道」は、被告による謝罪請求を核にして行われたものである。つまり、本件各テレビ番組のほとんどが、被告が原告にクレームを行っている映像をそのまま紹介する(原告の請求を説明するための資料映像を含む)ことによって、原告が盗作したという名誉毀損的なものに仕上がっている。 原告は、盗作をしたという印象を与える根拠として、被告のクレーム映像以外の根拠を指摘したものとしては、本件テレビ番組1におけるスタジオでの討論、本件テレビ番組3における街頭インタビューや乙140文案の公表、本件テレビ番組14における、スタジオでの被告表現の使用状況の指摘及びコメンテーターによる指摘のみである。 なお、上記の本件テレビ番組1での討論は、被告が指摘した事実を基にした討論である点で、やはり被告の指摘の派生的な結果であって、被告による謝罪請求が、被告自身の口から「間違っていた」と表明されれば、論理的に当該討論も間違っていたことが明らかとなる。 本件テレビ番組3で提示されている乙140文案は、被告が提供したものであり、被告による謝罪請求の一環であるといえる。また、同番組における街頭インタビューは、やはり被告の指摘事実を前提として告げられた通行人の感想を収録したものであるから、被告の指摘事実が誤っていたことが明らかになれば、自動的に当該街頭インタビューも間違っていたことが明らかとなる。 本件テレビ番組14における被告表現の使用状況の指摘については、本訴訟で被告が主張しているものであるから、それにもかかわらず謝罪請求が認容されれば、自動的に、上記番組における使用状況の指摘についても、被告の正当性を支えるものではないことが自明となる。上記番組においてe弁護士が行った、被告表現に著作権があり、原告表現との類似性が認められるという指摘も、結局は被告の主張に沿った指摘なのであるから、本判決で、それらが否定されて謝罪広告が認容されれば、その正当性も否定される。fの、先人に敬意を表するべきだ(それは暗に原告に謝罪を要求するものである。)という意見も、逆に被告の謝罪広告が実行されれば、間違ったものであったということが明白となる。 したがって、原告の損害は、本件においては、被告への謝罪広告請求が認容されることによって、見事に回復されるのである。 イ 名誉毀損状態が、裁判時になお残存するものであること 本件では、加害者又は第三者の行為により、かつて加害者の伝達した情報が虚偽であって名誉毀損等に該当するものであることが世人の周知のところとなっていない。 それだけでなく、被告はいまだに原告が盗作したとの主張を微塵も変えないのであって、継続的に原告の名誉が毀損され続ける恐れを否定できない。 また、本訴訟の尋問期日のことは、日刊新聞、スポーツ新聞各紙やインターネット上の各ニュースで取り上げられた(甲81)点からしても、本事件に対する社会的関心は今なお大きく、本事件は、事件として全く風化していないといえる。これらは、一応客観報道として、「どちらの言い分が正しいか」というトーンで一貫しているが、これは、当初被告が原告を捕まえて「盗作だ」と告発した状態が、提訴によっていわば凍結された状態で、現状継続している、とみるべき事態である。こうした状態が謝罪広告を排除する因子になるとすれば、およそ裁判で謝罪広告を求めることは不可能ということにならざるを得ない。 したがって、本件において、原告の名誉毀損状態は、裁判時になお残存するものである。 (被告) ア 原告は、@原告の受けた損害が、被告に謝罪広告を命ずることによって全面的に消去せしめられるような種類・性質のものであり、A名誉毀損状態が、裁判時になお残存するものであることは、明白であると主張する。 しかしながら、「(民法723条が)名誉を毀損された被害者の救済処分として、損害の賠償のほかに、それに代え又はそれとともに、原状回復処分を命じ得ることを規定している趣旨は、その処分により、加害者に対して制裁を加えたり、また、加害者に謝罪等をさせることにより被害者に主観的な満足を与えたりするためではなく、金銭による損害賠償のみでは填補されえない、毀損された被害者の人格的価値に対する社会的、客観的な評価自体を回復することを可能ならしめるためである」(最高裁昭和45年12月18日第二小法廷判決・民集24巻13号2151頁)以上、名誉回復措置を求めるのであれば、金銭による損害賠償のみでは填補されえないことを主張立証する必要がある。 この点、原告は、原告主張に係る損害が金銭賠償のみでは治癒され得ないことを何ら主張立証しておらず、その主張自体が失当であるといわざるを得ない。 イ 原告は、被告発言後も、被告発言行為とは無関係に、何らこの影響を受けることもなく、その後も創作活動を続け、多大な活躍をしている。 また、原告は、自らのウェブページ上で、被告のマスコミでの発言に関して、反論を行っている(甲75)。原告は、その中で、「今回私が創作した歌詞は全くのオリジナルであり、私なりの思いを素直に表現したものです。」と被告の発言に形式的に反論を行うだけではなく、「B1氏が本当に盗作だとお考えならば、メディアを使って騒ぎ立てるのではなく、正々堂々と裁判で決着していただきたいというのが、これも当初からの私の意向です。さもなければ、上記の事態に鑑み、公式な謝罪を頂きたいと考えております。今回B1氏が思い込みにより一方的に「A1が盗作した」との主張を始められたにも拘らず、何の謝罪もなく今回の騒動をまたもや一方的に収束なさるおつもりであるのならば、同氏のそうした態度は大変不快です。」と、被告への積極的な主張を行い、自らを擁護している。 このような事情に鑑みれば、名誉毀損状態が裁判時、すなわち、口頭弁論終結の時点には存在しないことは明らかである。 ウ したがって、謝罪広告請求に関する原告主張はいずれも失当である。 第3 当裁判所の判断 1 争点・ア(著作権侵害、著作者人格権侵害に基づく損害賠償請求権の不存在の確認の訴えの確認の利益の有無)について 原告は、被告に対して、平成18年8月10日に原告歌詞をトラック・ダウンする方法でコンピュータのハードウェアに蔵置したことについて、被告の、原告に対する、別紙文章目録記載の文章の著作権(複製権、翻案権)及び同一性保持権に基づく損害賠償請求権がないことの確認を求めているが、被告は、平成20年8月29日の第9回弁論準備手続期日において、上記の各請求権を放棄する旨の意思表示をした。そして、被告の上記意思表示は、債務の免除の意思表示と解され、免除の効果は、権利者の一方的な意思表示によって生じるものといえる。そうすると、被告の上記各請求権は、仮に、その発生が認められたとしても、上記の意思表示により消滅し、原告が、将来、被告から上記の各権利を行使されるおそれは存在しない(なお、被告が、今後、上記各権利を行使するおそれがあることを認めるに足る証拠もない。)。 したがって、原告の上記の請求権が存在しないことの確認の訴えは、確認の利益が存在しないことが明らかである。 以上のことからすると、原告の上記訴えは、不適法な訴えとして、却下されるべきである。 2 争点・ア・(本件被告録画発言について、被告は、情報提供者にすぎないとして、不法行為責任を負わないか)について 事案に鑑み、まず、争点・ア・について検討する。 ・ テレビ番組を放送する放送事業者(以下「テレビ局」という。)は、その放送内容についての編集権を独占しており、いかなる内容の番組を製作、放送するかは、専らテレビ局が決定し、第三者は、テレビ局自体の許諾がない限りこれに関与することはできないのが通常であると認められる。したがって、テレビ局から取材を受けて、テレビ局に対して情報を提供した者は、自己の提供した情報がテレビ局によって編集される過程に、関与することはできず、特段の事情のない限り、自己の提供した情報が、実際に放送されるのか、また、放送されるとしても、どのような内容に編集されて放送されるのかについては、予想ができないものと認められる。このことは、取材の状況をテレビカメラによって撮影し、それを録画するという方法による取材の場合も同様である。 そして、テレビ局は、その放送内容を中立、公正なものとし、その放送によって不当に第三者の名誉を毀損しないよう努めるべき高度の注意義務を課されており、このことは、放送法3条の2第1項が、「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。」とし、同項4号が「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」と規定していること、民放連の放送倫理基本綱領も、「放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。」と規定していること(乙150)、民放連の「放送基準」も、「・個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。・ニュースは市民の知る権利へ奉仕するものであり、事実に基づいて報道し、公正でなければならない。・ニュース報道にあたっては、個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように注意する。・取材・編集にあたっては、一方に偏るなど、視聴者に誤解を与えないように注意する。・社会・公共の問題で意見が対立しているものについては、できるだけ多くの角度から論じなければならない。」と規定していること(乙152)、民放連の「報道指針」も、「報道姿勢」として、「誠実で公正な報道活動こそが、市民の知る権利に応える道である。われわれは取材・報道における正確さ、公正さを追求する。・予断を排し、事実をありのまま伝える。未確認の情報は未確認であることを明示する。」と規定していること(乙153)からも明らかである。したがって、テレビ局に対して情報を提供する者としても、通常、テレビ局が当該情報を利用した番組を放送するに当たっては、公正、中立性を保持するため、裏付け取材等を十分にするなどして、当該情報の正確性について慎重に吟味した上で、当該情報の利用の可否を決し、さらに、当該情報を利用するとしても、第三者の名誉を不当に毀損しないよう、番組内容を編集、製作していくものと考え、また、このようなテレビ局の行為を前提として、情報を提供するものと解される。 したがって、仮に、情報提供者の提供した情報を利用したテレビ番組がテレビ局によって放送され、同放送が第三者の名誉を毀損するものであったとしても、上記情報提供者が、テレビ局から、事前に、当該テレビ番組の具体的な構成等について説明を受けていたことなどにより、当該テレビ番組の内容が、第三者の名誉を不当に毀損するものとなることについて、取材時に予め具体的に認識していた場合や、上記の認識を取材後に有するように至った場合でも、その内容の修正を求めることができる状況にあった等の特段の事情のない限り、上記情報提供者の情報提供行為と上記名誉毀損の結果との間には、相当因果関係は認められず、情報提供者は、名誉毀損の不法行為責任を負わないものと解するのが相当である。 ・ そこで、本件において、前記・の特段の事情が存在するか否かについて検討する。なお、本件テレビ番組5及び7における本件被告発言5−@ないし5−D及び本件被告発言7−Aないし7−C(以下「本件被告直接発言」という。)については、同発言の放送とそれによる損害との間の相当因果関係の存否は争われていない。 ア 証拠(甲14ないし18、19の1ないし17、20の1ないし26、23、24、25の1及び2、30の1及び2、31の1、32の1、75、76、乙4、149、原告本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。 ・ 被告は、平成18年10月初めころ、知人から、原告歌詞の存在を知らされ、原告歌詞を聞いたところ、原告歌詞のサビの部分で使用されている原告表現が被告表現に酷似していると思い、原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成したものと考え、原告に対して激しい怒りを感じた。そこで、被告は、原告歌詞を使用したテレビコマーシャルの製作会社、同テレビコマーシャルのスポンサーである味の素及びレコード会社であるデフスターに対して、原告歌詞の一節が被告表現に類似していることについての問い合わせをした。 ・ その後、被告は、同月11日に、原告と電話で話した際、原告に対し、原告表現が被告表現に似ていることについて問い詰め、謝罪を求めた(この詳細な経緯については、後記5・ア・で認定する。)。また、同月中旬ころ、女性セブンのライターから、原告表現が被告表現に似ていることについての被告の考えを聞きたいという趣旨の取材の申入れがあり、被告は、同申入れを受け、女性セブンのライターに対して、自己の考えを話したところ、同月発売の女性セブンには、原告が被告表現を盗作して原告表現を作成し、被告が、この行為に非常に憤慨しているという記事が掲載された。上記女性セブンの発売を契機として、被告のもとに、多くの新聞社、出版社、テレビ局から、女性セブンの上記記事に関する取材が殺到し、被告は、これらの取材に応じた。そのうちテレビ局からの取材は、被告宅において、VTR撮影の形で行われ、1回の取材に約2ないし3時間を要し、上記の取材をした各テレビ局は、取材した内容を編集して、これを、同月19日から同月22日までの間に、本件テレビ番組1ないし4、6ないし8において放送した(ただし、本件テレビ番組5における本件被告発言5−@ないし5−Dは、生放送番組である同番組に、被告が直接電話で参加して行ったものであり、また、本件テレビ番組7における本件被告発言7−Aないし7−Cは、生放送番組である同番組に、被告が出演して行ったものである。)。 ・ その後、原告は、同年11月7日ころ、同人の開設する公式ホームページに、原告は「銀河鉄道999」を一度も読んだことがなく、原告歌詞は原告のオリジナルのものであり、被告がテレビ番組で行った原告に対する批判について、被告に謝罪を求める旨の記載をした。上記ホームページの記載を受けて、被告のもとに、テレビ局等更に多数のマスコミから取材の申入れが殺到し、被告は、これらの取材に応じたが、そのうちテレビ局からの取材は、同年10月に行われた上記のテレビ局による取材と同様の態様で行われた。上記の取材をした各テレビ局は、取材した内容を編集して、これを、同年11月7日から同月9日までの間に、本件テレビ番組9ないし14において放送した。 ところで、本件証拠上、被告は、各テレビ局から上記の取材を受ける際、その取材結果を放送するテレビ番組がどのような内容のものとなるのかについて、具体的に認識していたり、また、上記の各テレビ番組の放送の前に、その具体的な内容についての説明を受け、これを了承していたという事情は認められない。 さらに、前記・のとおり、テレビ局から取材を受ける者は、自己の受けた取材状況を録画した映像が放送される場合、その放送内容は、不当に第三者の名誉を毀損することのないように製作されるものと考えるのが通常であると解され、証拠(乙149、151)によれば、被告に対して、上記の取材の申入れをしたテレビ朝日の本件テレビ番組4の番組担当者からも、事前(同年10月18日)に、テレビ朝日としては、原告からも意見を求めること、放送に当たっては、公平性を保つため、双方の意見を紹介すること、原告から取材ができない場合は、放送が取り止めになる可能性があることが記載されたファックスが送信されてきたことが認められる。したがって、被告としては、テレビ朝日のみならず、各テレビ局は、放送において、被告の意見のみを紹介するのではなく、原告に対する取材も行い、その意見も紹介すること、番組の内容は、被告と原告との間の紛争を公平に報道するものになることを認識したものと認められ、実際に自己の取材状況を録画した映像を放送するテレビ番組が、原告の名誉を不当に毀損する内容となるものとは予想し得なかったものと推測される。 そうすると、本件においては、前記・の特段の事情は認められないから、仮に、本件各テレビ番組(原告が、本件被告録画発言を行った番組に限る。)が原告の名誉を毀損するものであったとしても、本件被告録画発言と名誉毀損の結果との間に相当因果関係は認められず、被告は、原告に対する名誉毀損の不法行為責任を負わないものと解するのが相当である。 イ これに対して、原告は、以下の点を総合考慮して、取材対象であった被告も、本件被告録画発言について、名誉毀損の不法行為責任を負うべきであると主張するので、この点について検討する。 ・ メディアの性格に係る原告の主張について a 原告は、テレビ放映のための映像取材の場合は、取材対象者は、自己が話した内容がそのまま放送される可能性が高いことを認識している旨主張する。 しかしながら、テレビ局は、取材対象者との取材状況を録画した映像を放送する場合でも、当該映像をそのまま放送するのではなく、放送すべきと考えた部分を適宜選択し、それらをつなぎ合わせ、ナレーションやテロップを付する等の編集作業を経た上で、放送するのが通常であり、実際にも、本件各テレビ番組1ないし4、6、7(本件被告発言7−@に係る部分に限る。)、8ないし14において放送された被告の取材状況を録画した映像は、上記の編集作業を経ていることが明らかである(甲19の4、7、8、10、14、20の3、14、16、19、21、23、24)。したがって、原告の主張は、その前提において誤りがある。 また、たとえ、被告の取材状況を録画した映像について、編集作業がほとんど加えられずに、ほぼ、そのままの状況で放送されたとしても、その番組の中で、紛争の相手方である原告の意見が紹介されたり(原告がテレビ局からの映像取材に応じる可能性を一律に否定する根拠はない。)、当該映像における被告の発言に対して、番組出演者から意見が述べられるのが通常であるところ、このような編集がされた場合、当該テレビ番組が視聴者に与える印象が大きく変わる可能性は十分にあるから、取材映像部分がそのまま放送されるという映像取材の特性は、それだけでは、前記特段の事情の有無の判断に影響を与えないというべきである。 b また、原告は、被告は、原告が被告表現を盗作したことを世間に伝えたかったのであり、したがって、被告は、各テレビ局が被告の取材状況を録画した映像を原告の名誉を毀損する態様で放送することを容認していた旨主張する。 しかしながら、前記アのとおり、被告は、実際に放送されるテレビ番組の内容を知らされておらず、また、当該テレビ番組が、原告の名誉を不当に毀損する内容となる蓋然性があると予見し得なかったものと推測されるから、仮に、被告が、当該テレビ番組が原告の名誉を不当に毀損するような内容となることを主観的に容認していたとしても、それだけでは、被告がテレビ局の取材に応じたことと、この取材状況を録画した映像を放送したテレビ番組によって生じた結果との間に相当因果関係を認めることはできないというべきである。 c さらに、原告は、本件各テレビ番組は、芸能ニュース番組ないし芸能ニュースコーナーであるところ、芸能ニュース番組は、興味本位で芸能人の公私の活動を報道し、放送に当たって、綿密な取材を行わないから、原告は、自己の取材が放送される蓋然性が高いものと認識していた旨主張する。 しかしながら、本件各テレビ番組が、他の通常のテレビ番組とは異なり、綿密な裏付け取材を行わず、取材をした一方当事者の意見を、第三者の名誉を不当に毀損するような態様で、一方的に紹介する傾向にある番組であることを認めるに足る証拠はなく、また、仮に、上記各番組がそのような番組であったとしても、被告は、取材に応じたときに、当該取材の録画映像が、そのような番組で放送されるものであることを認識していたことを認めるに足る証拠もないから、原告の上記主張事実を認めることはできない。 ・ 情報提供者のメディアへの影響力に係る原告の主張について 原告は、被告が漫画界の重鎮であること、被告の作品はテレビで放送されたことがあり、テレビ業界でもよく知られていること、テレビ出演も多いことなどを指摘して、テレビ局への影響力が強力であると主張する。 しかしながら、前記のとおり、テレビ局は、中立・公正な立場から、放送する番組についての編集権を独占しており、原告が指摘するような事情を考慮しても、取材対象者である被告がテレビ局の編集作業に介入することができないことは明らかであり、原告の主張には理由がない。 ・ 情報自体の話題性に係る原告の主張について 原告は、原告歌詞が被告表現を盗作したものであるとの疑惑は、話題性が高い旨主張する。 確かに、情報提供者が提供した情報が話題性の高い場合は、当該情報について放送される可能性は高くなるが、当該情報の話題性が高いからといって、当該情報が放送される際に、前記・aのような編集が加えられず、第三者の名誉を不当に毀損する態様で放送されると断定することはできないから、この点が、前記の特段の事情の有無の判断に影響するとはいえない。 ・ 裏が取れない種類の情報に係る原告の主張について 原告は、被告が、テレビ局からの上記取材において提供した情報は、その真実性を確認するための取材ができない性質のものであり、そのことから、被告の取材状況を録画した映像は、そのまま報道される可能性が高い旨の主張をする。 しかしながら、名誉毀損に関する本件紛争の核心となる本件電話会話における原告と被告とのやり取りについては、当該電話の一方当事者である原告も直接体験しており、また、後記5・ア・のとおり、その場にはデフスターの社員等の関係者も臨席していたのであるから、そのときの状況に関する被告の説明の真偽については、原告等に対して取材をすることにより確認することが可能であり、原告の上記主張には、前提において誤りがある。 ・ 情報提供者の公表についての積極的意図に係る原告の主張について a 原告は、被告が、原告の盗作を糾弾しようとの強い信念の下に、各テレビ局からの取材に応じたこと、テレビ局からの取材において虚偽の事実を述べたこと、多数のマスメディアからの取材に、長時間をかけて対応したこと、乙140文案をマスメディアに示して、自己の正当性を強調したこと等の点を挙げて、被告が、自己の意見をマスメディアによって公表したいという強い意図を有し、それを実現するために各テレビ局からの取材に応じた旨主張する。 しかしながら、前記・のとおり、テレビ局は、放送する番組についての編集権を独占しており、かつ、番組内容を公正中立なものとし、第三者の名誉を不当に毀損しないものとする高度の注意義務を課されているのであるから、仮に、被告が、自己の意見が正しいものとして放送されることについて強い意欲を有していたとしても、被告の意見が前提とする事実が、真実と異なっていたり、あるいは、真実かどうか疑わしいものであれば、基本的に、被告の意見が一方的に正当なものとして放送されることはなく、前記アで判示したところからすれば、このことは被告も十分に認識していたものと考えられる。したがって、原告の上記主張に係る事実が存在したとしても、それだけでは、前記特段の事情を認めるに足りないものといえる。 b 原告は、被告からの取材の結果を掲載した女性セブンの記事の内容から、被告は、各テレビ局も、被告の意見のみを紹介する蓋然性があると認識していたはずであると主張する。 しかしながら、一般に、雑誌とテレビ放送ではメディアとしての性質が異なることが明らかであり、雑誌においては、一方当事者の意見が正しいものとして掲載されたとしても、前記・のような高度の注意義務を課されるテレビ放送において、そのような内容で放送がなされるとは必ずしもいえないこと、前記アのとおり、被告は、平成18年10月18日に、本件テレビ番組4の番組担当者から送付されたファックスを読むことにより、各テレビ放送は、被告と原告との間の紛争を公平に報道するものと認識していたと認められることから、女性セブンの記事の内容から、直ちに、被告が、テレビ局からの取材状況を録画した映像を放送するテレビ番組が、原告の名誉を不当に毀損する内容となる蓋然性があるとの認識を有していたということはできないというべきである。 ・ 小括 原告は、前記・ないし・のほかにも、本件において、被告が各テレビ局からの取材に応じ、本件被告録画発言をしたことと、本件被告録画発言の放送によって生じた結果との間に相当因果関係が認められることに係る事情を縷々主張するが、いずれも、それだけでは前記特段の事情を認めるべき事情とはなり得ず、また、原告主張に係る事情を総合考慮しても、前記特段の事情は認められないというべきである。 3 争点・ア・(本件被告発言は、原告の名誉を毀損するか)について 前記2で判示したように、仮に、本件被告録画発言の放送により、原告の名誉が不当に毀損されたとしても、その結果と、被告が上記各番組のための取材において、本件被告録画発言をしたこととの間に相当因果関係は認められないから、被告は、上記各番組の放送についての不法行為責任を負うものではない。 そこで、以下では、本件テレビ番組5及び7の放送における、本件被告直接発言が、原告の名誉を毀損するものといえるかを検討する(なお、前記のとおり、生放送の番組中で行われた本件被告直接発言について、被告は、被告が情報提供者にすぎないことを理由に、名誉毀損の不法行為の責任を負わない旨の主張をするものではない。)。 ・ 放送をされたテレビ番組の内容が人の社会的評価を低下させるか否かは、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断すべきである。 また、放送をされたテレビ番組によって摘示された事実がどのようなものであるかという点についても、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断するのが相当である。そして、放送をされるテレビ番組においては、新聞記事等の場合とは異なり、視聴者は、音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされるのであり、録画等の特別の方法を講じない限り、提供された情報の意味内容を十分に検討したり、再確認したりすることができないものであることからすると、当該情報番組により摘示された事実がどのようなものであるかという点については、当該情報番組の全体的な構成、これに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象を総合的に考慮して、判断すべきである(平成15年最判参照)。 上記の観点から、本件テレビ番組5及び7における本件被告直接発言が原告の名誉を毀損したといえるか否かについて、具体的に検討する。 ・ 本件被告発言5−@ないし5−Dについて ア 本件テレビ番組5の内容について 本件テレビ番組5の内容は、以下のとおりである(その詳細は、別添テレビ番組内容表の別紙Dのとおりである。)。 ・ まず、冒頭で、アナウンサーが、当日の番組のテーマとして、被告が、原告に対し怒っていること、原告に謝罪を求めていることを紹介し、その際、被告の上半身の静止映像が大きく映し出され、同画面の下半分部分には、大きな字で、「B1生激怒A1盗作を謝れ!」との表示がされている。その後、新聞記事の紹介に移り、テレビ画面には、スポーツ新聞の記事が映し出され、同記事の「B1『謝れ』A1にパクられた」との大見出しの部分が、続いて、記事の本文部分(本文部分には、被告が無断使用と指摘したのは、「夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない」という原告歌詞のサビの部分であること、被告は、原告表現は、「銀河鉄道999」で使われた「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」に合致すると主張していることが記載されている。)が、テレビ画面上に大きく映し出される。その際、アナウンサーが、漫画家の被告が、Cが歌っており、シンガーソングライターの原告が作詞作曲した原告楽曲の歌詞の一部が、「銀河鉄道999」の台詞を無断使用したと主張しているとの新聞記事の内容を説明し、実際に、被告が無断使用と指摘している部分を聞いてもらいたい旨述べて、原告楽曲の上記の部分の演奏が放送される。 上記演奏終了後、原告表現と被告表現を上下に並べて、「時間」を青色に、「夢」を赤色に着色して記載した電子フリップが画面上に大きく映し出される。 ・ 被告が番組に電話で参加し、以下のとおりの発言をする。 a まず、アナウンサーからの、最も怒っている点はどこかとの質問に対して、「怒っているっていうよりも、あの正直言って、呆れているような状態でしてね。何しろそっくりですし。それから、これは私が講演会の演題として、延々と使っている、あの文言なんですね。テーマです。それから自分の信念でもあるわけですね。ですから、不思議ーな気がしてるんです。腹立つより先にね、不思議な気がしてましてね、どうしてこういうことになるんだろうかと、ここまでそっくりだとね、いくら何でもそりゃないよというのが私の感想なんですね。」と答える。 上記の被告の発言の間、前記・で判示したスポーツ新聞の記事、原告表現と被告表現を上下に並べた電子フリップが、画面一杯に映し出される。 b 次に、アナウンサーから、被告と原告とが電話で会話をした事実の確認を求められ、被告は、それを肯定し、続いて、アナウンサーから、そのときのやり取りについて質問されたことから、「そしたら、最初はね、知らなかったと、おっしゃってたんですが、担当のデフスターレコードの方が、それから替わって話をしてたら、もう1回替わるということで、やっぱりその、どこかで見て記憶していたのかもしれないと、いうことで、それじゃあ、それをあのー文書で、えー下さいよということをA1さん本人に言ったわけですね。そしたら、あのそれは、あのだめですということで、えー、今度は、その、あのデフスターレコードの方2人、社長さんと担当の方が主任さんが見えて、家へ来て謝っていきました。謝られてね。だったらそういうことで、ご本人から直接聞かせてくれませんかと言うけど、そのまま、あのずーっと連絡がない。」と答える。 上記の被告の発言の間、前記・で判示したスポーツ新聞の記事、原告表現と被告表現を上下に並べた電子フリップ、原告の静止映像、他のスポーツ新聞の「A1の歌詞は盗作B1氏激怒」との大見出しが、順に画面一杯に映し出される。 c さらに、被告は、アナウンサーから、被告としては、原告から謝罪が欲しいということであるとの確認を求められ、これに対して、「そうです。ごめんと一言言ってくれればね、もう、あのーこれは男たるものね、あうんの呼吸で、そうれでいいわけですよ。訴えるとかね、そういうような大げさな問題じゃなくて、それで私はもうこれ十何年間もこれで、この言葉を、あのー講演会なんかの、あの演題として使ってますし、作品の中にも時々含んでいますんでね。ですからあのー、そう言ってくれれば、あの問題ないんです。それで行きわたっておりますんで。」と答える。 上記の被告の発言の間、前記・で判示したスポーツ新聞の記事が、画面一杯に映し出される。 d そして、アナウンサーから、「あのー、B1さん、実はですね、このスポーツニッポンにこういう記事が出てまして、A1さんの所属事務所は、A1が自分の言葉で作ったものなんだと、これ完全否定しているんです。『銀河鉄道999』を読んだことすらないとし、そこまで盗作呼ばわりされたら、先生の銀河鉄道というタイトル自体、先人が作った言葉ではないかと言いたくなると、不快感をあらわにしていると」との発言があり、これに対して、被告は、「そんなこと何も言わなかったですよ、私には」と答える。 上記のアナウンサーの発言中、スポーツ新聞の記事の「A1の所属事務所は『A1が自分の言葉で作ったもの』と完全否定。『銀河・・・』を読んだことすらないとし『そこまで盗作呼ばわりされたら、先生の“銀河鉄道”というタイトル自体、先人が作った言葉ではないのかと言いたくなる』と不快感をあらわに。」という部分が、画面一杯に映し出される。 アナウンサーは、被告の上記発言を受けて、「ああ、そうですか、じゃあ初めて、ま、こういうスタンスの表現をこの新聞でお知りになったと」と発言すると、被告は、「そうです、そうです。そういうことを何故言うのか分からないですね。」と答える。 ・ いったんコマーシャルが入り、コマーシャルの後、冒頭で、原告楽曲の原告表現部分の演奏が放送され、画面には、前記・で判示した原告表現と被告表現を並べた電子フリップが表示され、アナウンサーが、同番組で現在流れている楽曲が原告楽曲であり、原告が作詞作曲をしたものであること、この歌詞の一部に被告の作品である「銀河鉄道999」における台詞と同じような部分があることを説明する。 アナウンサーの上記説明を受けて、出演者の1人が、「時間と夢が逆になっているだけっていう感じがしますよね。」と発言する。 その後、アナウンサーが被告に対して、被告は原告に謝罪してほしいということだが、原告は、被告に謝罪しないので、被告は、原告に対して訴訟を提起する予定があるのかと質問したところ、被告は、「いやそんなことは考えておりません。ええ、もうあの、そんならそれでもう浸透しきっているんで、放っておいてもこちらにとっては笑い話みたいなもので、あのどうでもいいと、ただし言いたいことだけは全部言ったと言うことですね。だからそんなにきつい意味で言っている訳じゃないんですよ。一言ごめんと言ってくれればね。男同士あうんの呼吸でそれでいいという位の、あの、えー非常にそんなに自分にとってむごい思いじゃあないんですよね。」と答える。 上記の被告の発言の間、画面には、上記・で判示したスポーツ新聞の記事及び原告表現と被告表現を上下に並べた電子フリップや、被告の話を聞く出演者の様子が映し出される。 さらに、出演者が、被告に対して、被告表現は被告にとって非常に大切な言葉であるのではないかと問いかけると、被告は、「そうです。自分の信念でもあるし、テーマでもあるわけなんです。生きるための、それは自分の体験を語っているわけだから。」と答え、本件テレビ番組5は終了する。 ・ 本件テレビ番組5の放送中、画面の右上の部分に、「歌詞は盗作!?“謝れ”B1氏の怒り」との文章が2段となって表示されている。 イ 前記アで認定した本件テレビ番組5の内容に基づいて、本件被告発言5−@ないし5−Dが原告の名誉を毀損したか否かについて検討する。 ・ 前記アで判示したとおり、本件テレビ番組5は、まず、被告が、原告に盗作をされ、怒っているという内容のスポーツ新聞の記事を紹介して、被告と原告との間で生じた紛争の概要を説明し、その上で、被告に、電話で生放送番組に直接出演してもらい、上記スポーツ新聞の記事に関する詳細な説明と、それについての被告の意見を述べてもらうという構成の番組である。 ・ まず、スポーツ新聞の記事の紹介の部分では、前記アのとおり、「B1『謝れ』A1にパクられた」との大見出しの部分及び本文の部分が、画面上に大きく映し出され、アナウンサーが、被告が、Cが歌っている、原告の作詞作曲に係る原告楽曲の歌詞のサビの部分が、「銀河鉄道999」の台詞の一部を無断で使用したと主張しているという、新聞記事の内容を説明し、その後、原告表現と被告表現を上下に並べて、「時間」を青色に、「夢」を赤色に着色して記載した電子フリップが画面上に大きく映し出される。 この部分の放送により、視聴者は、Cが歌っている原告楽曲の作詞作曲は原告がしていること、原告楽曲の歌詞のサビの部分は、被告の作品である「銀河鉄道999」に登場する台詞と似ていると被告が主張し、原告に謝罪を要求していること、被告が指摘する原告楽曲の歌詞の部分は「夢は時間を裏切らない時間も夢を決して裏切らない」というものであり、「銀河鉄道999」の台詞の部分は、「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない。」というものであること等の、被告と原告との間の紛争の概要について理解できるものといえる。そして、上記のとおり、「A1にパクられた」、「B1『謝れ』」との新聞記事の大見出しが、画面一杯に映し出され、また、前記アのとおり、画面右上には、終始、「歌詞は盗作!? “謝れ”B1氏の怒り」との文章が2段となって表示されていたこと、原告表現と被告表現は、フリップに上下に並べて表示されており、両表現は、一瞬見ただけでは、似ているとの印象を受けるものといえることから、上記放送部分を見た一般の視聴者としては、原告が、被告表現を盗作して、原告表現を作成したとの疑いを持つものと解される。 ・ そして、前記・の説明の後、被告が電話で生放送番組に直接出演し、前記アのとおり、「呆れている」、「何しろそっくりですしそれからこれは私が講演会の演題として延々と使っている私のテーマです。」、「ここまでそっくりだとねいくらなんでもそりゃないよ」との発言(本件被告発言5−@)をする。この本件被告発言5−@は、前記・のとおり、被告と原告との間の紛争の概要についての説明があった上でされたものであるところ、同説明を前提とすれば、被告が、原告表現が被告表現に酷似していると言って原告に謝罪を要求するのは、原告が、被告に無断で、被告表現を使用して原告表現を作成したからであると理解するのが通常であるから、同発言を聞いた一般の視聴者としては、被告は、同発言により、原告が、被告に無断で被告表現を使用し、これと酷似した原告表現を作成したということを示したものと理解するものと解される。 さらに、前記アのとおり、被告は、「やっぱりその、どこかで見て記憶していたのかもしれないと、いうことで」との発言(本件被告発言5−A)をするが、同発言が、被告が原告と電話で会話したときの原告の発言を説明したものであることは、同発言がされた状況から明らかであるところ、前記・のとおり、被告と原告との間の紛争の概要についての説明があった上でされたものであるから、同発言を聞いた一般の視聴者としては、被告は、同発言により、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという趣旨を示したものと理解するものと解される。 続いて、前記アのとおり、被告は、「ごめんと一言言ってくれれば・・・それでいいわけですよ」との発言(本件被告発言5−B)をするが、同発言は、前記・のとおり、被告が、原告に対して、被告表現を盗作したことについて謝罪を求めているという、被告と原告間の紛争が説明された上でなされたものであり、前記アで判示した同発言がなされた状況を考慮すると、同発言を聞いた一般の視聴者としては、被告は、同発言により、原告が被告表現を無断で使用して、被告表現と酷似した原告表現を作成したことを示したものと理解するものと解される。 以上のように、本件被告発言5−@ないし5−Bが摘示する内容は、上記のとおりであるところ、前記・のとおり、一般の視聴者が、本件テレビ番組5の、被告と原告との間の紛争について記載したスポーツ新聞の記事の紹介部分を見れば、原告が、被告表現を盗作して、原告表現を作成したものとの疑いを抱くものと解され、一般の視聴者が、原告表現と被告表現が並べて配置されたフリップを短い間見た場合、両表現は、似ているものとの印象を受けるものといえる。その上で、被告が同番組に電話で生出演し、本件被告発言5−@ないし5−Bの発言をしていることからすれば、一般の視聴者としては、同発言により、通常、原告が、被告表現に依拠して、被告表現と似た原告表現を作成したという印象を抱くものというべきである。 ・ ところで、前記アのとおり、被告の本件被告発言5−Bの後、アナウンサーが、原告所属事務所の言い分を紹介している。 しかしながら、アナウンサーが紹介した原告所属事務所の言い分は、前記ア・dのとおり、原告は、「銀河鉄道999」を読んだことがなく、原告表現は、原告が自ら創作したというものであるところ、被告は、原告が被告との直接の会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという発言をしており、原告側の上記言い分は、被告の上記発言に対する反論としては不十分であるから、説得力は乏しいといわざるを得ない。さらに、アナウンサーによる原告所属事務所の言い分の紹介の後に、被告が、「そんなこと何も言わなかったですよ」との発言(本件被告発言5−C)をしているところ、同発言は、前記アで判示したアナウンサーと被告との間の会話の流れからすると、被告が原告と電話で話をした際には、原告は、被告表現に依拠せずに原告表現を創作したということは何も言わなかったという意味であると解するのが相当であり、一般の視聴者もそのように理解するものと解され、この発言により、原告側の上記言い分を否定し、その信用性を大きく減殺している。また、被告は、生放送番組である上記番組に、電話で直接出演をして、自己の主張を述べているのに対して、原告側の主張は、スポーツ新聞に記載されたものを紹介するだけで、原告側の主張をテロップやフリップにして表示するという作業もしていないから、視聴者としては、被告の主張に重みを置くものと解される。 したがって、上記のとおり、アナウンサーが原告側の言い分を紹介していたとしても、一般の視聴者が、被告による前記発言によって、それまでに抱いた上記の印象が変わることはないと解される。 なお、本件被告発言5−Cについて、被告は、アナウンサーの紹介した、原告側の上記言い分のうち、「銀河鉄道999」のタイトル自体も、先人が作った言葉ではないかと言いたくなるという部分に対するものであると主張するが、本件テレビ番組5が報道している原告と被告との間の紛争においては、原告が被告表現に依拠して原告表現を作成したか否かが大きな問題となることは、一般の視聴者も理解できると解されるから、一般の視聴者は、本件被告発言5−Cは、原告側の言い分のうち、より重要な部分である、依拠性を否定した部分に対する反論と理解するものと解すべきである。 ・ その後、前記アのとおり、コマーシャルを挟んで、被告は、「一言ごめんといってくれればね、男同士あうんの呼吸で、それでいいと」との発言(本件被告発言5−D)をしているが、同発言は、本件被告発言5−Bとほぼ同様の表現であり、前記・のとおり、一般の視聴者としては、同発言により、原告が被告表現を無断で使用して、被告表現と酷似した原告表現を作成したということを示したものと理解するものと解される。 ・ 以上より、一般の視聴者としては、本件被告発言5−@ないし5−Dから、原告が、被告表現に依拠して、被告表現と似た原告表現を作ったという印象を抱くものというべきであり、原告側の意見の紹介やアナウンサー等の発言、テレビ局によるナレーション、フリップ等によって、上記被告発言に基づく印象が覆されるものではない。 ・ これに対し、被告は、本件被告発言5−@ないし5−Dによっては、原告の名誉が毀損されていないとして、その理由を縷々主張するが、前記で判示したところに照らして、被告の上記主張はいずれも理由がない。 ・ したがって、本件被告発言5−@ないし5−Dによって、原告の名誉は毀損されたというべきである。 ・ 本件被告発言7−Aないし7−Cについて ア 本件テレビ番組7の内容について 本件テレビ番組7の内容は、以下のとおりである(その詳細は、別添テレビ番組内容表の別紙Fのとおりである。)。 ・ 本件テレビ番組7は、原告楽曲についての被告と原告との間の紛争の概要を説明する前半部分と、被告が生放送番組である同番組に直接出演して、事情説明と自己の意見を述べ、さらに、各出演者が各自の意見を述べるという後半部分から構成されている。 ・ 前半部分の内容について a 番組の冒頭で、「A1さん謝れ」とのテロップが画面中央下側に表示され、アナウンサーが、「今日は、盗作されたとされる銀河鉄道999の作者B1さんにお越し頂いて、色々と詳しく伺っていこうと思います。」等と述べ、画面が、被告宅で被告を取材した状況を録画した映像へと切り替わる。 b 被告宅での取材の状況を録画した映像においては、最初は、被告宅の様子が暫くの間紹介され、その後、原告が歌唱している姿、本件CDのCDジャケット、原告歌詞の歌詞カードの原告表現部分の映像が放映され、その中で、原告楽曲の歌詞の一部が被告表現を盗作したものでないかとの疑惑の概要、すなわち、Cの新曲である原告楽曲の作詞作曲をしたのは原告であること、原告楽曲のサビの一部分が盗作ではないかとの物議をかもしていること、その部分は、「夢は時間を裏切らない時間も夢を決して裏切らない」というものであること、被告は、原告楽曲をテレビの歌番組で聞いて、原告楽曲の歌詞の一部である原告表現部分が被告の作品の台詞に似ていることに気付いたことの説明をしたナレーションが流れ、いったん、被告のインタビューの映像が放送された後、再び、ナレーションに戻り、1977年に連載が始まった被告の代表作である「銀河鉄道999」には、「時間は夢を裏切らない夢も時間を裏切ってはならない」という台詞があることが説明され、さらに、被告表現と原告表現を上下に並べたテロップが画面一杯に表示され、同テロップに基づき、原告表現と被告表現とは、夢と時間という言葉が入れ替わり、言い回しに違いがあるが、似た印象を受けるとの説明がされ、続いて、被告表現は、「銀河鉄道999」以外の作品でも度々使われているほか、被告の講演会でも繰り返し使用されてきたとの説明がされ、その後、再び、被告のインタビュー映像に切り替わる。 被告のインタビューの映像においては、被告が、レコード会社に電話をして、被告表現の無断使用を抗議し、その翌日、原告本人と直接話をしたとのナレーションに続き、被告の「ご本人に、これあの知っていて使ったんですかと聞いたら、全然知りませんでしたっていう返事だったんです。それで、1回また変わって、そしたら、いや、やっぱり何か、ちょっとひっかかるものがあって、記憶があるような気もすると仰ってて、それではもう1回替わりますと相手の方が言われたので、替わって、そしたら、何か見たか聞いたか何かの記憶があったので、あったらしいので、それを使ったのかもしれませんということをご本人が言われたわけです。どこか公の場所で、あのーホームページじゃなくて、言って、言うか表示をしてくれませんか、と言ったら、そしたらそれはできませんということで、あの膠着状態に入ってしまった。」との発言が放送され、その際、画面には、被告の上記発言の要約がテロップとして表示される。 前半部分の最後に、「A1さん側は、盗作疑惑を否定」とのナレーションとともに、その内容がテロップで表示される。 c 前半部分の画面の右上部分には、「B1さん生出演『A1さん謝れ』」とのテロップが、上下二段となって表示されている。 ・ 後半部分の内容について a 冒頭で被告が紹介され、続いて、出演者であるZが、原告表現と被告表現は似ているとの意見を述べ、アナウンサーが、原告表現と被告表現を左右に並べ、「時間」を青色に、「夢」を赤色に着色して記載したフリップを示して、原告表現と被告表現を読み上げ、両表現では、夢と時間の部分が入れ替わっている旨の説明をし、それを受けて、Zが、「あと決して裏切らないと、裏切ってはならないって部分もね、ニュアンスは若干違いますけれど。」と付け加え、被告に、原告表現を知った経緯について質問をする。 b 被告が上記質問に答えて、原告楽曲を知った経緯を説明している中で、原告と電話で直接会話をしたという話になり、Zから、その会話の内容について質問されたことから、被告は、「最初は何も知らんということだったんですが、もう1回あのー担当者と替わって、そしたら何かそのそういう記憶があったのかもしれんと、それで書いたのかもしれないというところまで仰ったんですね。」と答え、そのとき、Zから、「それは本人がですか。」との質問が入り、これに対して、被告が、「そうです。ご本人がね。」と答え、引き続き、「それじゃあ、それを公にして下さいよって言ったら、できませんということなんですね。ですから、不思議ーな気がしましてね。」との発言をする。 上記発言後、Zから、「それで終わっている状態ってことですね。」との質問がされたことから、被告は、「そうです。それ以降はもう一切音信不通ですね。ただ、あのーレコード会社の人は、あの社長さんと主任さんがですかね、あの担当の方が見えて、あのー謝っていきました。」と答え、さらに、Zから、その謝罪の内容について質問されたことから、引き続き、「要するに申し訳ありませんでしたと、それからA1さんも概ねそのことをそういうふうに理解をしておりますので。じゃあ何故一緒に来てくれなかったんですか、と言ったら、連絡がとれないんですとね、そういう話なんですよ。」と答える。 c その後、さらに、Zからの質問と被告の発言が続いた後、Zから、今後のことについての質問があり、被告は、「故意か偶然かはわかりませんけれどね、本人がほぼ認められたんで、そんなら一言ね、うっかり似てしまいました、ごめんよと、言ってくれれば、男たるもの、その何て言うか、あうんの呼吸でね、まあそれじゃあ分かったと、頑張ってねと。37歳だとお聞きしましたんでね。」と答える。 d その後、アナウンサーから、原告所属事務所に電話取材をしたこと、その結果、「盗作はしていません。今後、A1をB1氏に会わせるつもりはありません。」とのコメントをもらった旨説明し、原告所属事務所の上記コメントは、フリップとして、画面全体に映し出される。 上記の原告所属事務所のコメントに対して、Zは、原告自身のコメントではなく、事務所のコメントであると発言し、これを受けて、被告は、「そうなんですね。ですからそこのところが何でそんなにボードラインを引かなきゃならないのかですね、シェルターに入ったみたいな状態ですよね。だからそれはご本人のためにもあまりいいことじゃないと思うんです。堂々と出て、ここで並んで共に語り合えれば分かる訳ですよ。それで何度も言うんですが、もうあうんの呼吸ですよ。ああ、そうでしたかと、そいじゃあ、これで終わりにしましょうというあっさり、私、九州出身ですから、九州人は極めてさっぱりしてますんでね。それで終わりですよ。」との発言をする。 e その後、出演者のVが、原告くらいの力量があれば、被告表現を見なくとも、原告表現を創作することができるのではないか、ただ、被告の言っていることも分かる、という発言をし、それを受けて、Zが、被告に対し、原告が、被告表現を知らずに、原告表現を発想した可能性があることを問うと、被告は、「そういう能力があればですね。偶然っていうのは。ただ、この本の中にもたくさん書いていますしね。至るところの講演で十数年しゃべり続けているわけですね。ですから、そういう意味では、先にもしそれがあるということが分かったら、私だったらね、正直に、先にあったんですね。ごめんなさいと、それでいいわけですよ。」と答える。 続いて、出演者のW弁護士が、「著作権法の世界でいうと、全く同じものを偶然、あの別の人が創作した場合には侵害には全くならないんです。ですから、法律的には何も問題もないんですけれども、あのー大切なのは、盗作とか著作権侵害ってことよりも先行のコンテンツに対してですね、どうリスペクトを示すかっていうのが、この世界では結構大切なんですね。」、「A1さんが、その刷り込みがあったかもしれない、もしかしたら記憶のどこかに入ったかもしれない、そういう言い分なんだとしたら、やっぱり一言いうべきだな、と思います。でも、偶然だったら、いやあ、これ偶然なんですよっていう説明をすればいいことなんですね。著作権の世界だと、例えば、その、川端康成さんの名作で『雪国』ってありますよね。『国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった』、その一部分だけを取り除い、いや使っても盗作にはならないっていうのが著作権の、まあその」と述べていたところ、Zが、「それは法律上の話ですよね。」と割って入り、引き続き、W弁護士が、「そうなんです。でもやっぱりその部分を使ったら、その先行のコンテンツに対するその部分に対する尊敬とかそういうものをちゃんと示さないといけない。それはやっぱり業界であり、社会であり常識の問題としてあるんだと思うんですよね。」と述べる。 また、出演者のYが、原告表現は、夢は時間を裏切らないと断定しており、成功した人が作った表現であるが、被告表現の方は、夢は、求めても適わないことの方が多いことを前提に、夢も時間を裏切ってはならないとしたものであり、原告表現と被告表現は、語尾が異なるだけで、意味が逆になってしまったという意見を述べる。この意見に対し、Zが、「確かに偶然の可能性もあるということですね。」と問いかけると、Yは、「分からない。そんなの分からないけど」と答える。 f 後半部分の多くの場面で、画面の右下部分に、「B1さん生出演『A1さん謝れ』」とのテロップが、上下二段となって表示されている。 イ 前記アで認定した本件テレビ番組7の内容に基づいて、本件被告発言7−Aないし7−Cが原告の名誉を毀損したか否かについて検討する。 ・ 前記アで判示したとおり、本件テレビ番組7は、被告宅における被告のインタビュー映像を交えて、原告と被告との間で生じている紛争の概要を説明した前半部分と、被告が、生出演して、自己の意見を述べ、出演者が、それぞれコメントをするという後半部分とから構成されている。 ・ 前半部分について まず、前半部分においては、前記アで判示したとおり、原告表現と被告表現を上下に並べたテロップや被告の自宅におけるインタビュー映像を交え、また、原告楽曲の演奏を挿入しながら、Cの新曲である原告楽曲の作詞作曲をしたのは原告であること、原告楽曲の歌詞のサビの部分が被告の代表作である「銀河鉄道999」の台詞を盗作したものではないかとの問題が生じているとの被告と原告との間の紛争の概要について説明をし、これにより、一般の視聴者は、上記の紛争の概要を把握することができると解される。 そして、上記の紛争の概要がほぼ説明された後の、前半部分の終盤において、前記アのとおり、被告が、「見たか聞いたか何かの記憶があったので、それを使ったのかもしれませんということをご本人が言われた」との発言(本件被告発言7−@)をした映像が放送されるが、上記のとおり、同番組では、その前に、被告と原告との間の紛争の概要が説明されていたこと、同発言は、被告が、レコード会社に電話をして、被告表現の無断使用を抗議し、その翌日、原告本人と直接話をしたとのナレーションに続いてされたこと、本件被告発言7−@を要約したテロップが表示され、視聴者も、被告の上記発言内容を理解しやすい状況であったことから、一般の視聴者としては、被告が、本件被告発言7−@により、被告が、原告と電話で話をし、その中で、原告は、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたということを示したのであると理解するものと解される。 そして、前記アのとおり、原告表現と被告表現を並べたテロップが表示されているが、両表現は、一瞬見た感じでは、似ているとの印象を受けるものである上に、ナレーションで、両者は似た印象を受けるとの説明がされていることから、一般の視聴者としては、原告が、被告表現を無断で使用して原告表現を作成したのではないかとの疑念を抱くものと解され、これを前提として、被告が本件被告発言7−@をすることから、一般の視聴者としては、上記発言により、原告が、被告表現に依拠して、原告表現を作成したとの印象を抱くものと解される。この点、本件被告発言7−@の直後に、原告の意見として、「A1さん側は、盗作疑惑を否定」との紹介がされているが、被告は、上記のとおり、原告との実際の電話でのやり取りについて具体的に説明し、原告が依拠を認めた旨の発言をしているのであるから、上記のような簡単な意見の紹介では、被告がした本件被告発言7−@により視聴者に与えた印象を減殺することはできないというべきである。 ・ 後半部分について a 次に、後半部分においては、前記アで判示したとおり、前半部分の概要説明を前提にして、被告が、生放送番組である本件テレビ番組7(後半部分)に直接出演し、「何かそういう記憶があったのかもしれんと、それで書いたのかもしれない、というところまでおっしゃったんですね」との発言(本件被告発言7−A)をするが、同発言が、被告が原告と電話で会話したときの原告の発言を説明したものであることは、同発言がされた状況から明らかであるところ、同発言は、前記のとおり、被告と原告との間の紛争の概要についての説明があった上でされたものであるから、同発言を聞いた一般の視聴者としては、被告は、同発言により、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めた趣旨のことを示したものと理解するものと解される。なお、本件被告発言7−Aがされた際は、その内容のテロップは表示されていないが、同発言に次いで、出演者のZが、被告に対し、依拠を認めたのが原告本人であるのか確認の質問をしたところ、被告が、これを肯定する発言をしていることから、一般の視聴者としては、上記発言の内容を聞き逃すことなく、十分に理解するものと認められる。 そして、前記・のとおり、本件テレビ番組7のこれまでの内容から、一般の視聴者としては、原告が、被告表現に依拠して、原告表現を作成したものとの印象を抱いており、その上に、被告が番組に生出演して、本件被告発言7−@と同趣旨の発言をしたことにより、一般の視聴者の上記の印象は一層強まるものといえる。 さらに、前記アのとおり、被告は、本件被告発言7−Aに続いて、レコード会社の人が被告宅を訪問し、謝罪した旨の発言をしており、同発言により、本件被告発言7−Aの信憑性がより高められたものといえる。 その後、前記アのとおり、被告は、「本人がほぼ認められたんで」との発言(本件被告発言7−B)をするが、前記アで判示した本件テレビ番組7のそれまでの流れから、一般の視聴者としては、同発言が本件被告発言7−Aと同じこと、すなわち、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたということを意味するものと容易に理解できるというべきである。 したがって、本件テレビ番組7の以上の部分までを見た一般の視聴者としては、本件被告発言7−Aないし7−Bにより、原告が、被告の作品である「銀河鉄道999」に使用された台詞である被告表現に依拠して、原告楽曲の歌詞の一部である原告表現を作成したものと理解するのは明らかである。 b その後、前記アで判示したとおり、アナウンサーが、原告所属事務所の言い分として、「盗作はしていません。今後、A1をB1氏に会わせるつもりはありません。」とのフリップを示し、原告側の上記言い分を紹介している。 しかしながら、原告所属事務所の上記コメントは、盗作はしていないという単純な否認であり、被告が、番組に出演して、上記のように、原告と電話で直接話をして、その中で、原告が被告表現に依拠したことを認めたという内容の発言をしたことと対比すると、具体性を欠き説得力に乏しいといわざるを得ない。しかも、上記コメントは、原告自身のものではなく、原告所属事務所のものとして紹介されており、前記アのとおり、出演者のZからも、この点を指摘されているところ、当該番組のそれまでの内容から、被告と実際に電話で会話をしたのは原告であり、原告が所属する事務所の関係者ではないことが前提となっているのであるから、一般の視聴者としても、原告所属事務所のコメントでは説得力が弱いものと感じるものと解される。また、原告所属事務所の上記コメントの第2文は、原告を被告と会わせるつもりはないという内容であるところ、被告は、前記アのとおり、テレビの生放送番組に直接出演して、多数の出演者の前で、自らの意見を述べており、その上で、上記のコメント部分を受けて、原告に対して、シェルターに入ったような状態は原告のためにいいことではなく、堂々と出てくるよう促しており、原告の所属する事務所の上記コメント部分は、被告の上記の態度と比較すると、原告が、被告から逃げているとの印象を与えていると解せられる。 したがって、本件テレビ番組7では、原告側の言い分がフリップを使用して紹介されているが、同紹介によって、一般の視聴者が、被告の言い分等により形成した印象を覆すということはないというべきである。 c また、前記アのとおり、出演者のVが、原告であれば、被告表現を見なくとも、原告表現を創作することができるのではないかとの意見を述べており、原告が原告表現を被告表現に依拠せずに創作した可能性を指摘しているが、その直後に、被告の言い分も分かる旨述べていること、前記のとおり、同番組に生出演した被告が、原告と電話で直接話をして、その中で、原告が被告表現に依拠したことを認めたと述べていることを考慮すると、Vの上記指摘によって、視聴者がこれまでに抱いた印象が変わることはないと解される。 なお、前記アのとおり、Vの上記発言を受けて、Zが、原告が、被告表現に依拠せずに、原告表現を発想した可能性について指摘したところ、被告が、「それはあのー、そういう能力があればですね。偶然っていうのは。ただ、この本の中にもたくさん書いてますしね、いたるところの講演で10数年しゃべり続けてる訳です。」との発言(本件被告発言7−C)をするが、上記のような話の流れや被告のそれまでの発言内容からすると、一般の視聴者としては、本件被告発言7−Cの内容は、被告表現は有名であるから、原告は、被告表現を知っていたに違いない、すなわち、原告は、自らの能力によってではなく、被告表現に依拠して原告表現を作成したものであるとの指摘をしていると理解するものと解され、また、これまでの番組から受けてきた上記の印象から、被告の上記の指摘は正しいとの印象を抱くものと解される。 d 次に、前記アで判示したとおり、本件被告発言7−Cの後、出演者のW弁護士が、他人が創作した表現と全く同じ表現を創作したとしても、それが偶然であれば、著作権法上は全く問題とならない旨の説明をしているが、同説明は、原告が被告表現に依拠していない可能性があることを直接指摘するものではないこと、前記アのとおり、W弁護士は、結局は、他者の表現と偶然同じ表現を創作した場合でも、先行のコンテンツに対してリスペクト(尊敬の念)を示す必要があると述べていることから、W弁護士の上記発言によって、視聴者がそれまでに抱いていた印象が変わるということはないと解される。 e さらに、前記アで判示したとおり、その後、出演者のYが、原告表現と被告表現とは、意味が全く異なる旨の発言をしており、同発言により、原告表現は、被告表現とは別の観点から創作された表現であり、被告表現に依拠して作成されたものではない可能性もあるとの指摘がされたということができる。 しかしながら、前記のとおり、視聴者が、本件テレビ番組7のこれまでの内容から、原告が被告表現に依拠して原告表現を作成したものと理解するのは、原告が、被告に対して、直接、依拠を認めた旨の被告の発言によるところが大きいこと、原告表現及び被告表現は、その意味内容を直ちに理解できるものではないから、視聴者としても、極めて短い時間に、しかも、1回聞いただけで、Yの上記発言を理解して、原告表現が被告表現とは意味内容が全く異なるとの印象を抱くに至るとは考え難いことから、Yの上記発言によっても、視聴者が被告の前記発言により抱いた印象が覆されるということはないと解される。 ・ 以上より、一般の視聴者としては、本件被告発言7−Aないし7−Cから、原告が、被告表現に依拠して、原告表現を作ったという印象を抱くものというべきであり、原告側の意見の紹介や、他の出演者等の発言、テレビ局によるナレーション、フリップ等によって、上記被告発言に基づく印象が覆されるものではない。 ・ これに対し、被告は、本件被告発言7−Aないし7−Cによっては、原告の名誉が毀損されていないとして、その理由を縷々主張するが、前記で判示したところに照らして、被告の上記主張はいずれも理由がない。・したがって、本件被告発言7−Aないし7−Cによって、原告の名誉は毀損されたというべきである。 4 争点・ア・a(本件被告発言は、事実を摘示するものか、あるいは、意見ないし論評の表明に当たるか)について 名誉毀損の成否が問題となっている表現が、事実を摘示するものであるか、意見ないし論評の表明であるかは、当該表現が、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的に又は黙示的に主張するものと理解されるときは、当該表現は、上記特定事項についての事実を摘示するものと解するのが相当であり(平成9年最判参照)、他方、上記のような証拠等による証明になじまない事物の価値、善悪、優劣についての批評や議論などは、意見ないし論評の表明に属するというべきであるが、当該名誉毀損の成否が問題とされるのが法的な見解の表明である場合は、それが判決等により裁判所が判断を示すことができる事項に係るものであっても、そのことを理由に事実を摘示するものとはいえず、意見ないし論評の表明に当たるものというべきである(平成16年最判参照)。 ・ まず、前記3及び4から、原告の名誉を毀損し、かつ、その結果について相当因果関係の認められる本件被告発言は、本件被告直接発言に限定されるものであり、その内容は、以下のとおりである。 ア 本件被告発言5−@ 「呆れている」、「何しろそっくりですしそれからこれは私が講演会の演題として延々と使っている私のテーマです。」、「ここまでそっくりだとねいくらなんでもそりゃないよ」 イ 本件被告発言5−A 「やっぱりその、どこかで見て記憶していたのかもしれないと、いうことで」 ウ 本件被告発言5−B 「ごめんと一言言ってくれれば・・・それでいいわけですよ」 エ 本件被告発言5−C 「そんなこと何も言わなかったですよ」 オ 本件被告発言5−D 「一言ごめんといってくれればね、男同士あうんの呼吸で、それでいいと」 カ 本件被告発言7−A 「(A1氏が)何かそういう記憶があったのかもしれんと、それで書いたのかもしれない、というところまでおっしゃったんですね」 キ 本件被告発言7−B 「本人がほぼ認められたんで」 ク 本件被告発言7−C 「それはあのー、そういう能力があればですね。偶然っていうのは。ただ、この本の中にもたくさん書いてますしね、いたるところの講演で10数年しゃべり続けてる訳です。」 ・ 本件被告直接発言の意味について 本件被告直接発言によって示されたこと(摘示事実ないし表明された意見)は、前記3で判示したとおり、以下の内容となる。 ア 本件被告発言5−@について 原告が、被告に無断で被告表現を使用し、これと酷似した原告表現を作成したということ イ 本件被告発言5−Aについて 原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実 ウ 本件被告発言5−Bについて 原告が、被告表現を無断で使用して、被告表現と酷似した原告表現を作成したということ エ 本件被告発言5−Cについて 被告が原告と電話で話をした際には、原告は、被告表現に依拠せずに原告表現を創作したということは何も言わなかったということ オ 本件被告発言5−Dについて 原告が、被告表現を無断で使用して、被告表現と酷似した原告表現を作成したということ カ 本件被告発言7−Aについて 原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実 キ 本件被告発言7−Bについて 原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実 ク本件被告発言7−Cについて 原告は、被告表現に依拠して原告表現を作成したものであるということ ・ 検討 前記・で判示した本件被告直接発言によって示されたことが、事実の摘示に当たるのか、あるいは、意見ないし論評の表明に当たるかについて、以下検討する。 ア 本件被告発言5−A、5−C、7−A、7−Bについて まず、本件被告発言5−A、7−A、7−Bは、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実を摘示したものであることは明らかである。 また、本件被告発言5−Cは、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠せずに原告表現を創作したとは言わなかったという事実を摘示したものであることは明らかである。 イ 本件被告発言5−@、5−B、5−Dについて 本件被告発言5−@、5−B、5−Dは、原告が、被告に無断で被告表現を使用し、これと酷似した原告表現を作成したということを示すものであるが、これは、@原告表現と被告表現とが酷似するということ、A原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成した事実の、2つの事項を示しているものと解するのが相当である。 そして、上記Aの部分は、事実の摘示であることが明らかである。これに対し、上記@の部分は、原告表現と被告表現とが酷似するというものであり、判決等により裁判所が判断を示すことができるものであるが、著作物の類似性(実質的同一性)という法的見解と解され、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明に当たると解するのが相当である。そして、同意見ないし論評が前提としている事実は、原告表現と被告表現の各文言(「夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない」と「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」)である。 ウ 本件被告発言7−Cについて 本件被告発言7−Cが、原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成した事実を摘示するものであることは明らかである。 5 争点・ア・b(本件被告発言が事実を摘示するものである場合、その摘示事実の重要な部分につき真実であることの証明があるか)について 本件被告直接発言が事実の摘示により原告の名誉を毀損する場合においては、当該行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、その行為は違法性がなく、また、当該事実が真実であることが証明されなくても、その行為者において当該事実を真実と信じるについて相当の理由があるときは、当該行為には故意又は過失がなく、いずれのときにおいても、不法行為は成立しないと解すべきである(昭和41年最判参照)。そこで、まず、本件被告直接発言が摘示する事実が真実か否かについて、検討する。 ・ 前記4で判示したとおり、本件被告直接発言が摘示する事実は、以下の3つに分類することができる。 ア 原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実(本件被告発言5−A、7−A、7−B) イ 原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠せずに原告表現を創作したとは言わなかったという事実(本件被告発言5−C) ウ 原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成したという事実(本件被告発言5−@、5−B、5−D、7−C) ・ 前記・の摘示事実のうち、まず、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実について、真実であることの証明があるか否かについて検討する。 ア 事実認定 ・ 証拠(甲7、10の1、65、76、乙4、140、149、証人I、原告本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件電話会話がされた状況、その内容、その後の経緯等について、以下の各事実が認められる。 a 被告は、平成18年10月ころ、テレビコマーシャルで使用されていた原告楽曲の歌詞のサビの部分である原告表現が、自己が使い続けている被告表現に非常に似ているものと感じ、同月11日、上記テレビコマーシャルの広告代理店である博報堂に、その点について問い質すための電話をしたところ、博報堂から、原告楽曲を実演している歌手のCの所属事務所であるデフスターの連絡先を教えられたことから、デフスターに電話をした。これに対して、デフスターは、事実確認をした上で、折り返し連絡をする旨述べたので、被告は、デフスターからの電話を待つことにした。 また、その前日の同月10日に、博報堂から、電話で、デフスターに対して、原告歌詞の一部が「銀河鉄道999」の台詞に似ているという書き込みがインターネット上に記載されており、そのことについて、上記テレビコマーシャルのスポンサーに消費者からの問い合わせがあったので、調査して欲しい旨の依頼があった。 b デフスターの社員であるIは、デフスター所属の歌手のCの新曲であり、コマーシャルソングにもなっている原告楽曲について、著作権侵害でないかとのクレームが寄せられたことから、困惑したが、被告と話合いをして、何とか大事に至らないよう解決できないかと考え、同月11日、原告所属事務所(有限会社ワーズアンドミュージック)に電話をかけ、原告に、前記aの事実を伝え、今後の対応について相談した。その際、Iは、原告が直接被告と話し合うことを期待して、被告が、この宇宙で同じ考え方を持つ者が2人いるということは非常に珍しいことであり、原告と是非話をしてみたいということを言っていた旨伝えた。原告は、Iの上記の話を聞いて、少しうれしく思ったこともあり、被告に電話で話をすることにした。 そこで、同日、Iを含めてデフスターの社員が、合計4名、原告所属事務所を訪れ、原告が被告に電話で話をする場に同席することになった。また、その際、原告所属事務所の者も、原告のほかに3名が、原告と被告との電話での会話の場に同席することになった。 このような状況で、Iが被告へ電話をかけ、直ぐに原告に電話を替わり、原告と被告との会話が始まった(本件1回目会話)。被告は、本件1回目会話を始めるに当たって、@被告表現に依拠して原告表現を創作したことを認めてもらい、素直に謝罪してもらうこと、A仮に、原告が被告表現に依拠せずに、原告表現を創作したとしても、これだけ酷似した歌詞を作詞したのであるから、創作家のモラルとして、先に創作した原告に対して敬意を示し、謝罪をしてもらうことを期待して、電話に出た。なお、その際、同席する者はいなかった。 c 被告は、本件1回目会話において、原告表現は被告表現と酷似していること、被告表現は、被告の作品である「銀河鉄道999」で掲載されているほか、若者に対するエールとして、講演会でも必ず使われているのであり、被告にとって大切な言葉であること、原告も被告表現を知らなかったはずはないことなどを述べ、原告に抗議し、謝罪を要求した。 これに対して、原告は、被告表現を知らなかった旨答えたが、被告は、納得せず、怒った口調で、原告は、被告表現を知っていたはずであると繰り返し述べ、また、自分は、著作権に関連する団体の役員の地位にあるから、原告の行為を自分が許しても、他の者が許さないだろうとも述べ、執拗に謝罪を要求した。 原告は、被告から、執拗に謝罪を要求されたことから、いったん受話器を手でふさいで、その場にいた原告所属事務所やデフスターの社員に、状況を説明して、相談したところ、盗作をしていないのであるから謝罪する必要はない旨のアドバイスを得て、再び、被告との会話に戻り、被告に対して、被告表現を盗作していないので、謝罪はしない旨告げて、電話をIに交替した。 被告は、原告から電話を交替したIに対し、怒った口調で、原告の態度を非難し、原告は、被告表現を知っていたはずであること、仮に、知らなかったとしても、作家であれば、自分の作品を発表する前に、類似した表現がないかを調査するのが当然であり、原告表現が被告表現に似ている以上、原告は謝罪すべきであると述べ、電話を終えた。 d Iは、本件1回目会話を終えた後、原告が被告を怒らせてしまい、事態が悪化したことに焦りを感じ、事態を何とか収拾しなければならないと考え、本件1回目会話を切る直前に被告から言われた上記のことをヒントに、原告表現が被告表現に結果的に似てしまったことを原告に謝罪させることにより、事を収められるのではないかと期待して、原告に対し、その旨の説得をした。原告は、結果的に似てしまったことについての謝罪であれば、盗作を認めたことにはならないと考え、また、原告楽曲の提供先のデフスターの担当者からの説得であったこともあり、そのような謝罪をすることにし、再び、被告に電話をすることにした(本件2回目会話)。 e Iは、被告に電話をかけ、再び電話をかけた事情を簡単に説明して、原告に替わり、本件2回目会話が始まった。原告は、冒頭で、被告に対して、騒ぎになったことについての儀礼的な謝罪をし、その後、被告から、厳しい口調で、本件1回目会話と同様の話が繰り返され、謝罪を執拗に要求された。 原告が、被告の上記の謝罪要求を頑なに拒絶していると、被告は、被告表現を知らなかったことに対して謝罪をするよう要求したことから、原告は、電話で、被告の上記要求を口に出して、被告に確認し、その場にいた者たちの反応を伺ったところ、そのような謝罪ならしてもよいのではないかとの雰囲気を感じ取り、また、原告としても、そのような謝罪であれば応じても構わないと考え、被告に対して、被告表現を知らなかったことについて謝罪した。すると、被告は、急に、機嫌がよくなり、口調も柔らかく、優しくなり、原告にエールを送り、一緒に仕事をしたいなどと話した。 その後、Iが、原告から電話を替わると、被告は、Iに対して、原告の謝罪を受け入れると述べ、また、その謝罪を新聞等で公にすることを要求した。これに対し、Iは、新聞で公表するのは困難であると考えたが、何としても、事態を穏便に解決したいと思い、デフスターのホームページに、被告の納得する説明文を載せることを提案し、被告は、この提案を了承した。なお、Iは、被告にした上記提案について、原告や原告所属事務所関係者にも説明し、その了解を得た。 f 本件2回目会話を終えた後、間もなく、被告から、原告所属事務所に電話がかかり、その電話を原告所属事務所の社員がとって、Iに替わり、Iが被告に応対した。被告は、上記電話において、原告楽曲が使用されているコマーシャルに、被告の(C)マークを表示することを要求したが、Iは、それは無理であると答えたため、被告は、上記要求をあきらめた。 g Iは、本件電話会話を終え、原告所属事務所を辞した後、被告に提案した、デフスターのホームページに掲載する文章の文案(乙140文案)を、1人で作成し、同文案を記載した文書(以下「本件I作成文書」という。)を、同月12日に、被告にファックス送信した。 Iが被告にファックス送信した文書は、「先日は突然のお電話を致しまして、大変申し訳ございませんでした。また、今回、多大なるご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともに、ご理解いただけましたことに対し、深く感謝致します。早速ではございますが、以下の文章が、当社のホームページ上で掲載すべきコメントの案でございます。先日も申し上げましたとおり、このホームページは月間1000万以上のアクセスがございますので、不特定多数の方がご覧になられます。よって、少し柔らかい表現が適切かと思われます。また、インターネット、携帯電話以外の手段は、現在、これ以上の波及効果のあるものも少なく、また紙面等の押えも時間が掛かるだけ修正が遅れてしまうため、先ずはネットワークから掲載を致したく。もし可能であれば、以降タイミングやシチュエーションを図りながら、今回のクノール・カップスープの件とは別に、単独でこのメッセージとのコラボレーションをお話し合いで具現化していきたく存じます。取り急ぎ、乱筆をご容赦いただき、引き続きよろしくお願い申し上げます。」との記載に引き続き、「『約束の場所』を通じている〜時間は夢を裏切らない、だから決してあきらめてはいけない〜というメッセージは、漫画家・B1さんが日本の若者に向けたエールとして常に発せられています。この度はA1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て、Cもそのエールを歌として皆様にお伝えするものです。」との文案(乙140文案)が記載されている。 Iは、本件I作成文書を被告に送付するとともに、被告に電話をし、乙140文案について、被告の意見を求めたところ、被告は、同文案中の「快諾」を「了承」に変更して欲しい旨要請したが、最終的な結論については、弁護士と相談してから返事をする旨述べた。 h Iは、ホームページに掲載する文章として、乙140文案でよいかについての被告からの回答を待っていたが、同月14日になっても、被告の回答が得られなかったので、乙140文案の「快諾」を「了承」に訂正した文案(甲65文案)を、原告に交付するよう、デフスターの社長のJに依頼した。同依頼を受けたJは、同月15日、甲65文案が記載された紙を原告に直接交付し、その際、原告に、「できればこれでいきたい」と述べた。原告は、Jから交付された紙に記載された甲65文案を一読して、甲65文案は、原告が被告表現を参考にして原告表現を作ったように読めると考え、受け入れ難いと思ったが、原告所属事務所では、原告は、何事もマネージャーに相談して決めることにしていたので、その場で拒絶はせず、持ち帰って検討することにした。 そして、原告は、甲65文案を了承するかについて、マネージャーと相談し、その結果、断ることに決め、マネージャーが、同月16日に、その旨デフスターに連絡した。 i Iは、同月15日、被告に、乙140文案についての回答を聞くために、電話をしたところ、被告から、原告が被告宅に謝罪に来ないことを責められ、また、謝罪文の掲載を要請された。Iは、被告の上記の変貌に困惑し、今後の対応を検討し、まず、被告の上記要請を原告に伝えたが、原告は、謝罪を拒否した。 そこで、Iは、紛争を穏便に解決するため、レコード会社として、被告に直接会ってお詫びをして、何とか、被告に納得をしてもらおうと考え、同月16日、Jと一緒に、被告宅を訪問した。 IとJは、前日に、原告から謝罪を拒否されたことから、被告宅に訪問するに当たって、被告から、原告の謝罪意思について問い質されることが予想されるが、原告に関係した発言はしないよう注意することを打ち合わせていた。 IとJは、被告宅を訪問すると、まず、レコード会社として、迷惑をかけたことについて、儀礼的に謝罪をした。これに対して、被告は、前日の電話のときと同様、原告が謝罪に来ないことを責め、原告の謝罪文を要求し、また、原告がどのように考えているのかについて問い質したり、デフスターの管理責任の問題に言及したりしたが、Iらは、よく調査してから返事をするなどとして、上記の質問をはぐらかし、正面からは答えなかった。 g このような経緯で、被告と原告との話合いは決裂し、その後、被告は、本件各テレビ番組等の各種のマスメディアにおいて、原告が被告表現に依拠して、原告表現を作成したこと、及び原告は、被告との電話でそのことを認めたという趣旨の発言をすることになった。 h Iは、被告と原告との間の上記の話合いの経緯について、今後のために記録をしておいた方がよいとの助言を受け、同月19日ころ、上記の経緯を表にしてまとめたI資料を作成した。 ・ 以上の認定に対して、被告は、本件電話会話において、原告は、「どこかで見聞きしたことがあり、それが記憶に残っていたのかもしれない。すみませんでした。」(本件被告主張依拠発言)と述べ、依拠の事実を認めた旨主張して、その理由として、以下の事情を指摘するので、この点について検討する。 a 被告は、本件電話会話において、本件被告主張依拠発言がなかったとすると、その後の被告の行動は極めて不合理なものとなる旨主張する。 ・ すなわち、まず、被告は、自分の作品を知らなかったことに対する謝罪をさせることは、社会通念上考えられず、まして、被告は、原告に対して、それまで、被告表現に依拠したことに対する謝罪を求めていたのであるから、突然、被告表現を知らなかったことに対する謝罪を要求することは到底考えられない旨主張する。 確かに、一般的には、自己の作品を知らなかったことに対する謝罪を求めることは、不自然であるとも考えられる。 しかしながら、被告は、被告本人尋問において、原告表現が被告表現の著作権を侵害したか否かは問題ではなく、原告表現が、偶然であっても、結果的に被告表現に似てしまったのであれば、素直に謝罪すべき旨供述しているおり(被告尋問調書13ないし15頁)、本件各テレビ番組においても、別添テレビ番組内容表(この内容については争いがない。)のとおり、同様の発言をしている(別添テレビ番組内容表の別紙Aの20、32、別紙Eの13)から、他人の創作した表現と同一の表現を創作した場合、それが偶然であっても、その先行の創作者に謝罪をすべき場合があるとの考えを一般的に有しているということができる。そして、たとえ、偶然であっても、先行の表現に類似した表現を公表したことが非難に値するという考え方は、各種表現の創作者としては、自己の表現を公表する際に、それに類似した先行の表現が存在しないかを調査すべき一定の責任があることを前提としているものと解されるから、被告が、原告に対して、自己の作品を知らなかったことに対する謝罪を求めたということもあながち不合理であるとはいえない。 また、前記・のとおり、I資料は、Iが、将来に必要となるかもしれないとの思いから、被告と原告との間の話合い等の経緯をまとめたものであり、自らの体験を、その直後に記載したものであって、その作成当時は、被告と原告との紛争が、訴訟にまで発展することを具体的には認識できない段階であったものと認められるから、そこに記載されている事項の正確性は、比較的高いものと解するのが相当であるところ、I資料においては、10月11日の欄に、「B1氏の意向を受け、『結果的に似てしまったこと、このフレーズに対し調査しなかったこと』に関してコメントするよう説得」との記載があること、Iの証人尋問においても、本件1回目会話において、Iは、被告から、「作家たるもの自分の作品を公表する際には、よく調べて出せ、そこは詫びろ」と非難された旨証言していること(尋問調書19頁)から、被告は、本件1回目会話において、Iに対して、仮に、原告が被告表現を知らなかったとしても、原告表現を公表する前に、被告表現の存在を調査しなかったことについても謝罪すべきであると非難したものと認められる。 さらに、被告は、被告陳述書において、本件1回目会話に出るに当たって、第1次的には、原告が依拠したことに対する謝罪をしてもらいたいと期待していたが、仮に、原告が偶然に原告表現を作詞したとしても、創作家のモラルとして、謝罪をしてもらうことを期待していた旨述べている(乙149の8頁)から、被告が、被告表現に依拠したことに対する謝罪を求めていながら、突然、被告表現を知らなかったことに対する謝罪を要求する言動に出たことが、不自然であるということもできない。 したがって、被告の上記主張は理由がない。 ・ 次に、被告は、原告が、被告の要求どおりに、被告表現を知らなかったことに対する謝罪をしたところ、一転して、怒りが収まり、原告にエールを贈るほど上機嫌になることは不合理である旨主張する。 しかしながら、前記・及び・・で判示したように、被告は、原告と本件電話会話をするに当たって、第1次的には、被告表現に依拠して原告表現を創作したことを認めてもらい、素直に謝罪してもらうことを期待していたが、仮に、原告が、被告表現に依拠せずに、原告表現を創作したとしても、創作家のモラルとして、先に創作した原告に対して敬意を示し、謝罪をしてもらうことを期待していたところ、前記・のとおり、原告は、被告からの依拠に対する謝罪要求に対しては、頑なにこれを拒否していたのであるから、それまでの要求を断念し、次善のこととして、知らなかったことに対する謝罪を求めることも不自然であるとはいえず、また、この謝罪要求に原告が応じたために被告の怒りが収まったということも不自然ではない。 したがって、被告の上記主張は理由がない。 ・ さらに、被告は、仮に、被告が、被告表現を知らなかったことに対する原告の謝罪を受け入れ、怒りが収まったのであれば、同日に、原告楽曲を使用したテレビコマーシャルに被告の? マークを表示するよう要求すること及び後日になって、本件各テレビ番組等で、原告に対して謝罪を要求するということは不合理である旨主張する。 しかしながら、本件2回目会話で、原告が依拠を否定しながらも、知らなかったことについて謝罪をしたことで、被告は、原告をいったん宥恕したが、電話を切った後に、再び、当初の期待のとおり、依拠を認めさせる必要があるものと翻意することも考えられないではなく、前記・のとおり、被告は、(C)マークの表示の要求を拒絶されたことに対して、特段の抗議をせずに、上記要求を断念していることからすると、とりあえず、上記の表示を入れられないか要望を伝えてみようと考えて、直ちに、原告所属事務所に電話をかけてみたということも考えられる。また、本件各テレビ番組等において、原告に対して謝罪要求をしたことについても、同様に、いったんは宥恕したが、日時の経過により、納得がいかないという不満の念が強くなったことから、再び謝罪要求を行うようになったということも考えられるところであり、必ずしも、あり得ないことではないというべきである。 ・ また、被告は、本件2回目会話において、原告が被告主張依拠発言をしたからこそ、原告をいったん宥恕したが、原告がその公表を拒んだため、憤慨し、その後、本件各テレビ番組等で、原告に対して、依拠をしたことに対する謝罪を求めたのであり、原告が被告主張依拠発言を行ったことを前提とすれば、被告の上記行動が合理的に説明できると主張する。 しかしながら、被告は、被告本人尋問において、被告が一貫して原告に訴えたかったのは、原告に一言すまんと言って欲しいということであると供述し、また、別添テレビ番組内容表のとおり、本件各テレビ番組においても、「はっきり言うと、そのときにごめんと言ってくれればですね、それで済ましたって。」(別紙Bの19)、「一言ごめんと言ってくれればね、男同士あうんの呼吸でそれでいいと」(別紙Dの17)、「男同士ですから、ごめんと一言ね、ああ似てしまいました、偶然でもいいんですよ、そう言ってくれればね。」(別紙Eの6)、「ごめんと一言ね、ああ似てしまいました。偶然でもいいんですよ。そう言ってくれればね。」(別紙Eの13)、「謝罪というほど大袈裟じゃなくて、うっかり使ってしまいましたと、ただよく似てるのは分かりましたんで、ごめんなさいという程度でいいわけですよ。それが男同士のあうんの呼吸という台詞を私は使っているわけですよ。」(別紙Fの84)、「あーごめんと言ってくれればね、男同士あうんの呼吸でそれで終わりにしたいんです。」(別紙Gの16)との発言をしている。 被告による上記の一連の発言は、原告が一言謝罪すれば、男同士のあうんの呼吸で、許すという意味であるところ、上記の一連の発言と、原告が謝罪をしたにもかかわらず、それを公表しなければ許さないという被告の前記態度とは、明らかに矛盾しており、したがって、原告が被告主張依拠発言をしたことを前提としても、その後の被告の行動が合理的に説明できるものではない。 ・ 以上の点を総合考慮すると、原告が、本件被告主張依拠発言をしたものと認めることはできないというべきである。 b 次に、被告は、原告が本件被告主張依拠発言をしたのでなければ、Iが、デフスターのホームページに掲載する文章として提案した乙140文案を説明できない旨主張する。 確かに、前記・で判示したように、乙140文案には、「この度はA1さんの作詞に対しB1さんのご快諾を得て、Cもそのエールを歌として皆様にお伝えするものです。」との文章があり、同文章は、原告表現の利用については、被告の許諾が必要であることを前提としているかのように受け取れる余地がないではない。 しかしながら、前記a・で判示したとおり、被告は、本件1回目会話において、Iに対して、仮に、原告が被告表現を知らなかったとしても、原告表現を公表する前に、被告表現の存在について調査しなかったことについても謝罪すべきであると非難し、これに対し、Iは、調査不足で、被告表現と似た原告表現を公表してしまったことを重く受け止めていることが認められる(I尋問調書5頁)。したがって、Iとしては、表現上の依拠をしていなくても、類似の表現を公表するには、先行の表現の創作者から一定の了解を得る必要があると考えていたものと推測され、この観点からすれば、被告表現の存在を調査せずに、被告表現と似た表現である原告表現を公表したことを詫びるために、乙140文案の表現となったものと解することも十分に可能である。 また、前記・で判示したように、被告が問題としている原告表現は、Iの所属するデフスターの歌手であるCが実演する原告楽曲の歌詞の一部として使用されており、しかも、原告楽曲はテレビコマーシャルにも使用されていたことから、Iとしては、何としても、事態を穏便に解決したいと思っていたところ、本件1回目会話において、被告を憤慨させてしまったこともあり、相当に焦燥感にかられていたものと推認される。したがって、Iは、乙140文案を作成する際にも、被告の納得を得ることを最優先と考えて、被告の許諾が必要であるかのような乙140文案の文章を作成したものと推測することも可能である。しかも、乙140文案を記載して被告に理解を求めた本件I作成文書には、前記・で判示したとおり、原告が被告表現を利用したことに対する謝罪の文言は一切なく、このことから、Iは、原告が被告表現を利用したものと認識していなかったものと推認される。 したがって、乙140文案の表現から、Iが、本件電話会話において、原告が本件被告主張依拠発言をしたとの認識を有していたということはできない。 c 以上のほか、被告は、本件被告主張依拠発言の存在について、縷々主張するが、前記で判示したところに照らして、いずれも理由がないことは明らかである。 イ したがって、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実の重要な部分について、真実であることの証明がなされたということはできない。 ・ 次に、前記・の摘示事実のうち、原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠せずに原告表現を創作したとは言わなかったという事実の真実性について検討する。 本件電話会話の内容は、前記・で判示したとおりであり、原告は、被告に対して、被告表現に依拠せずに原告表現を創作した旨の発言をしていると認められるから、上記摘示事実の重要な部分について真実であることの証明がなされたということはできない。 ・ 最後に、前記・の摘示事実のうち、原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成した事実が真実であるか否かについて検討する。 ア 被告表現へのアクセスの容易性について ・ 被告表現は、原告表現が創作された平成18年5月ころまでに、以下のとおりの媒体において公表されたことが認められる。なお、被告は、被告表現とは異なるが、被告表現の一部の表現や、被告表現に他の言葉を加えた表現も創作しており、それらの表現は、以下の媒体以外にも、各種媒体で公表されているが、本件テレビ番組5及び7において、被告が、原告の依拠性を指摘した発言である本件被告発言5−@、5−B、5−D、7−Cは、依拠の対象の表現を被告表現に限定しているのであるから(少なくとも、一般の視聴者はそのように理解している。)、これと異なる表現へのアクセスの容易性を考慮する必要はないものと解される。 a 「銀河鉄道心の旅人」における公表 小学館発行の「ビッグコミックスペリオール」平成17年2月15日増刊号銀河鉄道999、同社単行本ビッグコミックスゴールド「銀河鉄道999第21巻」(乙23漫画本)に収録されている「銀河鉄道心の旅人」の最後の頁には、「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない。知的生命体の全てが、心の中に抱いている信念である。星の海を旅する者全てもそう信じている。地球人と姿形はまったく違っている生物であっても、その想いに変わりはない。」との記載がある(乙23)。 b 「ニーベルングの指輪ジークフリート編」における公表 「ニーベルングの指輪ジークフリート編」は、新潮社から、CD−ROM版の単行本として、平成11年12月に発行されたが、同漫画の中に、以下のとおり、被告表現が記載されている(乙41)。 ・ 髑髏の絵のある墓石が1頁全体に描かれ、その墓石の髑髏の絵の下に、「西厂2199年9月9日先祖の名を持つ2の小惑星にその子孫蛍と澪足跡を印したり。代々我が一族を律しきたる言之葉をココに記す!!『時間は夢を裏切らない!! 夢も時間を裏切ってはならない!!』」との記載がある。 ・ 登場人物の台詞として、「『時間は夢を裏切らない!!』『夢も時間を裏切ってはならない!!』俺たちの義務だ!!」との記載がある。 c 財界研究所発行の「財界」平成13年9月11日号(乙64雑誌)における公表 乙64雑誌において、「時間は夢を裏切らない」というタイトルの下、「私のスローガンは、『時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない』です。この二つが出会えば、夢は必ず生じると、自分でそう信じています。」との記載がある(乙64)。 なお、平成13年度の「財界」の平均発行部数は12万部である(乙65)。 d 文部科学省発行の「マナビィ」平成18年9月号(乙69雑誌)における公表 乙69雑誌には、「時間は夢を裏切らない」というタイトルの下、被告のインタビューが掲載されており、同記事に、「私のモットーは、時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない、というものです。時間は夢を裏切らないと言える世代がうらやましいですよ。まだ無限大の時間が残っている。時間は夢を裏切らないですから。そして、自分の夢と同じくらい、人の夢も大切にしてほしいですね。」との記載がある(乙69)。 e きこ書房発行の「17人の座右の銘」(乙75書籍)における公表 17人の著名人が自らの座右の銘につき語るという乙75書籍において、「時間は夢を裏切らない!!」というタイトルの下、「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない。」との記載がある(乙75)。 f 劇場用映画エターナルファンタジーのメイキングCD−ROMに収録された被告のインタビューの中で、「・・・時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない、というこの2つが組み合わさって、こう出てくる予定です。」との表現が使用されている(乙111、112)。 g 京都産業大学の開設するホームページにおいて、被告が同大学で講義をしたことについての記事があり、その中で、被告の学生へのメッセージとして、「体験を重ねながら自分の進路を見つけてください。自分で選んだ道には、泣きごとを言わずに進んでください。時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない。未来は心の中にすでに実在しているのです。」との言葉が紹介されている(乙125)。 h 「ウォールアート『絆の道』」と題するホームページにおいて、被告が講演会をしたことが紹介されているが、その講演会の演題として、「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」と記載されている(乙127)。 ・ 被告表現が掲載された媒体は、前記・のとおりであるが、本件において、原告が、それらの媒体に接したことがあることを立証する直接の証拠はなく、また、上記各媒体自体が、原告が興味を抱く性質のものであったり、同媒体の記載内容に原告の興味のあるものが含まれていることについての証拠もない。むしろ、前記・で挙げた証拠から認められる上記媒体の内容からすると、その読者は、かなり限定されるものと推測されるところ、本件証拠上、原告がその限定された範囲の者に含まれるとは考え難い。 また、被告表現は、非常に短い文章であり、前記・で判示した媒体の中には、被告表現が当該媒体に記載された他の文章と区別して認識するのが困難な場合もあり、そのような場合は、仮に、当該媒体に接したことがあるとしても、必ずしも、被告表現に注目し、被告表現が記憶に残るものとは限らないといえる。 したがって、被告表現は、前記・のとおり、各種媒体で公表されてはいるが、それだけでは、原告が、被告表現に接したものと推認することはできない。 なお、仮に、乙86新聞や乙95新聞における記載のように、被告表現と同一ではないが、それに類似しているとも考え得る表現を被告表現に含めてみても、本件証拠に現れたそれらの表現の露出の程度からすると、原告が被告表現へ接したものと推認することができないという上記の認定が、左右されるものではない。 イ 被告の主張に対する原告の認否 被告は、本件電話会話において、原告は、本件被告主張依拠発言をし、被告表現に依拠して原告表現を創作したことを認めた旨主張するが、前記・で判示したとおり、本件電話会話において、原告は、本件被告主張依拠発言をしたとは認められず、また、本件証拠上、その他に、原告が、依拠を認める旨の発言をしたとは認められない。 ウ 原告表現と被告表現との類似性等 ・ 被告は、原告表現は、依拠しなければ創作できないほどに被告表現に酷似している旨主張するので、この点について検討する。 a 確かに、被告表現と原告表現とは、「時間」、「夢」の一方を主語に、他方を目的語とし、「裏切らない」という動詞を使用している点、第1文と第2文で、主語と目的語を入れ替えて、反復させている点で共通しており、上記共通部分は、両表現の特徴的な部分であるといえる。特に、被告表現及び原告表現において、「夢」や「時間」といった抽象的な言葉を主語及び目的とし、それらを入れ替えた2つの文章が、いずれも意味が通じるようになっており、この両表現の共通点は、ありふれたものとはいえず、大きな特徴があるといえる。 b しかしながら、被告表現第2文においては、「裏切ってはならない」となっているのに対し、原告表現第2文においては、「決して裏切らない」となっており、この表現上の相違から受ける印象は相当程度異なる。つまり、「裏切ってはならない」と命令形の文章とすると、裏切ることが少なからずあるが、すなわち、実際には、努力しても夢が叶わないことが少なからずあるが、そのようなことはあってはならないという願望を表しているものと、通常、理解されるのに対し、「決して裏切らない」と断定した形の文章とすると、裏切ることはないこと、すなわち、努力すれば夢は必ず叶うことを表現しているものと、通常、理解されるのであって、両表現から観念される意味合いは相当異なるというべきである。 また、被告表現及び原告表現とも相当短い文章であり、このように短い文章においては、「裏切ってはならない」と「決して裏切らない」という相違は、必ずしも小さなものではない。むしろ、被告表現第2文が、「裏切ってはならない」という表現となっている点も、被告表現の特徴的な部分であるといえ、このような特徴的な部分を原告表現が有していないこと、上記・のとおり、両表現から受ける意味合いが相当異なることからすると、両表現の相違は大きいということができる。 c したがって、原告表現は、依拠したのでなければ説明できないほど、被告表現に酷似しているとはいえず、被告の上記主張は理由がない。 ・ また、被告は、原告表現第1文「夢は時間を裏切らない」は意味が通らないことを前提として、原告は、原告表現の創作者としてできるはずの原告表現に関する合理的な説明が全くできていない旨主張する。 確かに、被告が被告表現第1文の意味について主張するように、原告表現第1文の「夢」をそのままの意味に、「時間」を努力する時間の意味に解すると、原告表現第1文は、その文章表現から機械的に意味を理解することは困難であるが、原告表現第1文の「夢」を結果の意味に、「時間」を努力の意味に解すると、原告表現第1文は、「結果は努力を裏切らない」という意味となり、むしろ、「時間」を主語に、「夢」を目的語にした表現よりも自然な表現となる。したがって、被告の上記主張は、その前提において理由がない。 また、そもそも、被告表現や原告表現のように、非常に短い表現に、人生のスローガンのような大きな抽象的意味を持たせた韻文表現においては、その表現から、意味内容を機械的に理解することは困難な場合も少なからずあるが、それでも、その表現の意味するところは、漠然としながらも理解できるものであり、そのことにより、かえって、表現上の含蓄が深まるということも十分あり得るのであるから、原告表現を機械的に分析して意味が通らないとする被告の主張は、この点からも理由がないというべきである。 ・ なお、被告は、被告表現第1文の意味に関して、「時間は夢を裏切らないんです。自分の世代で成就しなかったら、次の世代に託せばいい、それくらいのつもりで生きることが重要なのです。・・・長い時間をかけてその夢に向かって歩むのです。」(乙39)、「私は『時間は夢を裏切らない』をモットーとしている。どうにもならない時は、待つに限る。ただし、その間、夢だけは持っていなければならない。そして、願い続けていれば、いつかきっと夢はかなう。」(乙40)と語っており、このことからすると、被告は、被告表現第1文を、努力していれば、たとえ時間はかかるとしても、その結果が実現するまで、時間は待っていてくれるという意味で理解していたと解され、また、被告の上記主観的な理解を離れて、被告表現第1文を客観的にみても、そのような意味で理解することが十分可能であると思われる。 これに対して、「夢」と「時間」を因果の関係にとらえ、原告表現第1文の「夢」を結果の意味に、「時間」を努力の意味に解し、原告表現第1文を、長い時間の観念を入れず、努力は報われるという意味に理解することもできるものと解され、そうすると、被告表現と原告表現との意味合いは相当異なってくるものといえる。 このような観点からも、原告表現と被告表現との類似性を根拠に、原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできないというべきである。 エ 小括 以上より、原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成した事実の重要部分について、これが真実であることの証明があったということはできない。 ・ 小括 したがって、本件被告直接発言が摘示する事実は、いずれも、その重要部分について真実であるとの証明があったということはできない。 6 争点・ア・c・、同・(本件被告発言が意見ないし論評の表明に当たる場合、その前提事実の重要な部分につき真実であることの証明があるか、意見ないし論評としての域を逸脱していないか)について 特定の事実を基礎とする意見ないし論評の表明による名誉毀損について、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあって、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときは、表明に係る内容が人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきである(平成元年最判、平成9年最判、平成16年最判参照) これを本件についてみるに、前記4で判示したとおり、本件被告発言5−@、5−B、5−Dのうちの、原告表現と被告表現とが酷似していることを示した部分は、意見ないし論評の表明に当たるところ、上記発言行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったことは、当事者間に争いがなく、また、同意見ないし論評が前提としている事実は、原告表現と被告表現の実際の文言であるところ、原告表現が「夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない」というものであること、被告表現が「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」というものであることは争いがないから、前提事実について、これが真実であることの証明があったものと認められる。また、本件被告発言5−@、5−B、5−Dは、いずれも、意見ないし論評としての域を逸脱していないことは明らかである。 したがって、本件被告発言5−@、5−B、5−Dのうちの、原告表現と被告表現とが酷似していることを示した部分については、その発言行為は、違法性を欠くというべきである。 7 争点・ア・(本件被告発言が摘示した事実の重要な部分が真実であると信じる相当の理由が存在するか)について ・ 前記4で判示したとおり、本件被告直接発言が摘示する事実は、以下の3つに分類することができ、前記5で判示したとおり、これらの摘示事実は、いずれも、その重要部分が真実であるとの証明があったということはできない。 ア 原告が、被告との電話での会話において、被告表現に依拠して原告表現を作成したことを認めたという事実(本件被告発言5−A、5−C、7−A、7−B) イ 原告が、被告との電話での会話において被告表現に依拠せずに原告表現を創作したとは言わなかったという事実(本件被告発言5−C) ウ 原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成した事実(本件被告発言5−@、5−B、5−D、7−C) ・ア 本件被告直接発言が摘示する事実のうち、前記・ア及びイの事実は、いずれも、被告が直接体験した事実に反する事実であるから、同事実を真実であると信じたことにつき、相当の理由があったということはできない。 この点、被告は、一見して原告の盗作を認めるような内容の乙140文案が、Iから送られてきたことから、原告が本件電話会話において、本件被告主張依拠発言があったと信じるにつき相当な理由があった旨主張するが、前記5で判示したとおり、被告は、本件電話会話において、直接、原告と会話をしたのであり、原告がそのような発言をしていないことは自ら体験しているのであるから、後に、乙140文案がIから送付されてきたからといって、本件電話会話において原告が本件被告主張依拠発言をしたものと信じることはあり得ず、被告の上記主張は失当である。 被告は、その他、相当の理由があることについて縷々主張するが、前記5で判示した本件電話会話の内容からすると、いずれも理由がないことが明らかである。 イ また、本件被告直接発言が摘示する事実のうち、前記・ウの事実は、被告が直接体験した事実ではないが、前記5で判示したとおり、被告は、原告が被告表現に依拠して原告表現を創作したとの疑いを持ち、この点を問い質し、原告に謝罪をさせるために、原告と電話で話をしたが、その電話の会話の中で、原告は、被告表現を知っていたということについて、頑なにこれを否定していたこと、本件証拠上、その他、被告が、原告の依拠性を信じたことに相当の理由があるとする事情を認めることはできないことから、原告が、被告表現に依拠して原告表現を作成したと被告が信じたことについて、相当の理由があったということはできない。 ・ したがって、本件被告直接発言が摘示するいずれの事実についても、被告が、その重要な部分が真実であると信じたことに相当の理由があったということはできない。 8 争点・イ(被告の名誉毀損行為によって原告が被った損害の額)について 本件被告直接発言が摘示した事実は、前記4のとおり、原告が被告の作品中に使用した被告表現に依拠して、原告楽曲の歌詞の一部である原告表現を作詞したというものであり、これにより、一般の視聴者に、原告が他人の楽曲を盗作したとの印象を抱かせるところ、前記争いのない事実等で判示したように、原告は、著名なシンガーソングライターであり、一般の視聴者に盗作疑惑を抱かれることは、その活動にとって致命的なものとなりかねないこと、被告が問題とした原告表現は、当時、味の素のテレビコマーシャルに使用されており、話題性が高かったこと、原告楽曲をCが実演した本件CDは、当時、相当にヒットしていたこと(甲19の4)、本件テレビ番組5及び7は、いずれも、いわゆるキー局により放送され、その番組の平均視聴率は、本件テレビ番組5が5.5%、本件テレビ番組7が8.5%であること(甲35、42)等、本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すると、原告が、本件被告直接発言の放送によって被った精神的損害を慰謝するには、本件テレビ番組5及び7それぞれにつき、100万円が相当と解する。 なお、諸般の事情にかんがみれば、弁護士費用としては、金20万円を相当とする。 9 争点・ウ(謝罪広告の要否及びその内容)について 民法723条が、名誉を毀損された被害者の救済として、損害賠償のほかに、それに代え又はそれと共に名誉を回復するに適当な処分を命じ得ることを規定した趣旨は、その処分により、加害者に対して制裁を加えたり、また、加害者に謝罪等をさせることにより被害者に主観的な満足を与えたりするためではなく、金銭による損害賠償では填補され得ない、毀損された被害者の人格的価値に対する社会的、客観的な評価自体を回復することを可能ならしめるためであると解すべきである。したがって、謝罪広告は、名誉毀損によって生じた損害のてん補の一環として、それを命じることが効果的であり、かつ、判決によって強制することが適当であると認められる場合に限り、これを命じることができると解するのが相当である。 本件においては、本件テレビ番組5及び7が放送されてから、本件口頭弁論終結時まで、ほぼ2年が経過していること、証拠(乙185ないし189)によれば、原告は、本件テレビ番組5及び7の放送後も、その音楽活動において、同放送前と同様、目覚ましい活躍をしているものと認められること、原告は、自ら開設したホームページ上で、被告の各種マスメディアにおける発言に対する反論を行っているところ(甲75)、同ホームページでの反論は相応の効果を有するものと推測されることなどを総合考慮すると、謝罪広告を命じることは相当ではないものというべきである。 第4 結論 以上の次第で、原告の請求は、220万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年3月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、被告の著作権に基づく損害賠償請求権がないことの確認を求める訴えは、確認の利益がないから却下し、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第29部 裁判長裁判官 清水節 裁判官 坂本三郎 裁判官 佐野信 別紙 歌詞目録 題:「約束の場所」 詞:無理かも知れないように 思えても僕は 一番叶えたい事を夢に 持って生きていくよ 日が暮れたのに気づかず 夢中で頑張って 出来るようになった逆上がりも あの頃の僕の大事な夢だった どれだけ時間がかかっても 夢を叶えるその時まで あくびもせかす事もせず 未来は待ってくれていた 夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない その二つがちょうど交わる場所に心が望む未来がある 夢を携えて目指すその場所に 僕がつけた名前は「約束の場所」 それがどんなに大きな夢に 思えても僕は 一番叶えたい事を 夢に持って生きていくよ あのときやっぱり 諦めなきゃよかったと ふとした拍子に 思い出しては 悔やむことなんてしたくはないから 途中でもし死んでしまっても ひたむきに夢と向き合えば きっと同じ未来を描く 誰かが受け継いでくれる 夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない その二つがちょうど交わる場所に心が望む未来がある どんな夢も同じさ誰かの幸せ願う 君の夢も叶う「約束の場所」で どうか君の夢を諦めないで 途方もない夢としても 叶う未来には 途方もない数の笑顔があるはず 夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない その二つがちょうど交わる場所に心が望む未来がある 夢を携えて目指すその場所に 僕がつけた名前は「約束の場所」 僕らの夢が叶うその時を未来は待ってる 「約束の場所」で 別紙 文章目録 時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない。 別紙 広告目録〈省略〉 別紙 テレビ番組目録〈省略〉 別紙 テレビ番組目録〈省略〉 別紙 原告表現目録〈省略) 別添 テレビ番組内容表〈省略〉 |
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