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【事件名】児童向け日本語教材の著作権侵害事件 【年月日】平成20年10月23日 東京地裁 平成19年(ワ)第25428号 損害賠償等請求事件 (口頭弁論終結日 平成20年8月5日) 判決 原告 A 同 B 同 C 同 D 上記四名訴訟代理人弁護士 片岡義夫 同 佐藤秀樹 被告 E 同訴訟代理人弁護士 斎藤勝 被告 国立大学法人東京外国語大学 同訴訟代理人弁護士 出澤秀二 同 野浩樹 同 丸野登紀子 同 廣田智也 主文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告らは、連帯して、原告Aに対し、79万0720円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告Eについては平成19年10月8日、被告国立大学法人東京外国語大学については平成19年10月10日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告らは、連帯して、原告Bに対し、87万0720円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告Eについては平成19年10月8日、被告国立大学法人東京外国語大学については平成19年10月10日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 被告らは、連帯して、原告Cに対し、87万0720円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告Eについては平成19年10月8日、被告国立大学法人東京外国語大学については平成19年10月10日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 4 被告らは、連帯して、原告Dに対し、91万0720円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告Eについては平成19年10月8日、被告国立大学法人東京外国語大学については平成19年10月10日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 5 被告国立大学法人東京外国語大学は、別紙目録1記載の東京外国語大学公式サイトから別紙目録2記載の電子ファイルを削除せよ。 6 被告らは、別紙目録1記載の東京外国語大学公式サイト上に、別紙目録3記載の謝罪文を別紙目録3記載の条件で掲載せよ。 第2 事案の概要 本件は、被告らにおいて作成した「Meu Amigo Kanji 80 Kanjis」(以下「被告教材80」という。)、「Meu Amigo Kanji 160 Kanjis」(以下「被告教材160」という。)及び「Meu Amigo Kanji 200 Kanjis」(以下「被告教材200」といい、被告教材80、同160及び同200を総称して「被告教材」という。)と題する外国人児童向け漢字教材並びに被告教材の試作品である「Gosto Muito de Kanji かん字80」(以下「被告教材試作品80」という。)及び「Gosto Muito de Kanji かん字160」(以下「被告教材試作品160」といい、被告教材試作品80及び同160を総称して「被告教材試作品」という。)が、原告ら及び被告Eが作成した「絵でわかるかんたんかんじ80」(以下「原告教材80」という。)、「絵でわかるかんたんかんじ160」(以下「原告教材160」という。)及び「絵でわかるかんたんかんじ200」(以下「原告教材200」といい、原告教材80、同160及び同200を総称して「原告教材」という。)にそれぞれ改変を加えたものであり、被告らにおいて、被告教材を作成して別紙目録1記載の東京外国語大学公式サイト(以下「東京外大公式サイト」という。)に掲載した行為は、原告らが原告教材につき有する著作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものであり、被告教材試作品を作成して東京外大公式サイトに掲載した行為は、原告らが原告教材につき有する著作者人格権(同一性保持権)を侵害する、と主張して、被告らに対し、著作権侵害及び著作者人格権侵害の不法行為に基づく損害賠償並びに著作者人格権侵害に基づく謝罪広告を求めるとともに、被告国立大学法人東京外国語大学(以下「被告東京外大」という。)に対し、著作権侵害及び著作者人格権侵害の停止又は予防として、別紙目録1記載の東京外大公式サイトに掲載した別紙目録2記載の電子ファイルの削除を求める事案である。 1 争いのない事実等(証拠を掲げていない事実は当事者間に争いがない。) (1) 当事者 原告らは、東京都武蔵野市の帰国・外国人教育相談室教材開発グループに所属し、同市の公立小中学校の外国人児童・生徒への日本語指導、日本語教育の研究及び外国人児童向けの日本語教材の開発を行っている者である。 被告Eは、被告東京外大の多言語・多文化教育研究センターにおいて勤務していた者である。 被告東京外大は、東京外国語大学を設置、運営する国立大学法人であり、教育研究活動を行うこと等を業務としている。 (2) 原告教材の作成等 原告教材80及び同200は、原告ら、F、G、H及び被告Eが、同160は、原告ら、F、G、H、I及び被告Eが、それぞれ共同で創作した共同著作物である。 原告教材80は、平成13年3月23日に、同160は、平成14年9月25日に、同200は、平成18年3月20日に、それぞれ発行された。 (弁論の全趣旨) (3) 被告教材の作成等 被告らは、被告教材試作品(甲7及び8)を作成して、平成19年1月ころ、東京外大公式サイトに掲載するとともに、被告教材(甲4ないし6)を作成して、平成19年4月1日に、東京外大公式サイトに掲載した。 2 争点 (1) 著作権侵害及び著作者人格権侵害の有無 (2) 差止請求の可否 (3) 謝罪広告請求の可否 (4) 故意・過失の有無 (5) 損害額 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点(1)(著作権侵害及び著作者人格権侵害の有無)について 〔原告らの主張〕 (1) 被告らは、@原告教材80における別表1ないし16の各(1)記載の記述に依拠して、被告教材試作品80における別表1ないし16の各(2)記載の記述を、A原告教材80における別表17ないし21、同23ないし31の各(1)記載の記述に依拠して、被告教材80における別表17ないし21、同23ないし31の各(2)記載の記述を、B原告教材160における別表32ないし41の各(1)記載の記述に依拠して、被告教材試作品160における別表32ないし41の各(2)記載の記述を、C原告教材160における別表42ないし50の各(1)記載の記述に依拠して、被告教材160における別表42ないし50の各(2)記載の記述を、D原告教材200における別表51ないし59、同62ないし64の各(1)記載の記述に依拠して、被告教材200における別表51ないし59、同62ないし64の各(2)記載の記述を、E原告教材200における別表60の(1)記載の記述に依拠して、被告教材試作品80における別表60の(2)記載の記述を、F原告教材200における別表61の(1)記載の記述に依拠して、被告教材80における別表61の(2)記載の記述を、G原告教材80における別表22の(1)記載の記述に依拠して、被告教材160における別表22の(2)記載の記述を、それぞれ創作した。 原告教材の上記各記述とそれに対応する被告教材又は被告教材試作品の上記各記述との間において同一性を有する部分は、別紙対照表(1)ないし(8)の「原告が主張する類似点」欄記載のとおりであり、いずれも、思想又は感情を創作的に表現したものである。このように、原告教材と被告教材及び被告教材試作品とは、個々の創作的表現が類似しているから、被告教材及び被告教材試作品は、原告教材の表現形式上の本質的特徴を直接感得することができるものである。 (2) 被告らは、原告らに無断で、原告教材に依拠し、その具体的表現に修正等を加えて、原告教材の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる被告教材又は被告教材試作品を創作したものであるから、翻案権侵害及び同一性保持権侵害が認められる。 被告らの主張に対する反論は、別紙対照表(1)ないし(8)の「被告東京外大(下段・原告の反論)」欄及び「被告E(下段・原告の反論)」欄の各下段に記載したとおりである。 〔被告らの主張〕 原告らの上記主張は争う。 被告らの主張は、別紙対照表(1)ないし(8)の「被告東京外大(下段・原告の反論)」欄及び「被告E(下段・原告の反論)」欄の各上段に記載したとおりである。 2 争点(2)(差止請求の可否) 〔原告らの主張〕 被告東京外大は、原告らによる再三の要請にもかかわらず、東京外大公式サイト上に被告教材を公開し続けているから、同公式サイト上に掲載されている別紙目録2記載の被告教材の電子ファイルを削除し、被告教材の公開を停止する必要がある。 〔被告らの主張〕 原告らの上記主張は争う。 3 争点(3)(謝罪広告請求の可否) 〔原告らの主張〕 (1) 被告東京外大は、被告教材を東京外大公式サイト上に公開するに当たって、大々的にマスコミや東京外大公式サイト上において宣伝していたこと、原告らの警告に従うことなく著作権侵害行為を継続したこと、今日に至るまで原告らの社会的な名誉、声望を回復するための適切な措置をとっていないこと、被告教材について短期間に多数のダウンロードがあったことから、被告東京外大の著作者人格権侵害により毀損された原告らの名誉を回復するためには、被告らに謝罪をさせ、これを東京外大公式サイト上に掲載する必要がある。 (2) 被告東京外大は、著作権法117条1項が名誉回復措置の請求について規定していないから、共同著作物の各著作者が単独で名誉回復措置を請求することはできず、少なくとも、当該侵害者を除いたすべての共同著作者の同意がなければ名誉回復措置を単独で請求することはできないと主張する。しかし、著作権法117条1項が名誉回復措置の請求について規定していないのは、著作者人格権は一つのものであるから、その行使に共同著作者全員の合意を得るべきであると考えられる反面、共同著作者の一人の氏名表示が削除された場合等、共同著作者全員の合意を求めることが不合理であると考えられる場合があることから、明文で規定せず、個々の具体的事例に応じた裁判所の合理的判断に委ねることとしたものである。本件では、共同著作者の一人である被告Eが被告東京外大と共同して原告らの著作者人格権を侵害している事案であり、共同著作者全員の合意を得ることが不可能であるから、名誉回復措置の請求に当たり共同著作者全員の合意が不要である場合に該当することは明白である。また、原告ら以外の他の共同著作者は、原告らの名誉回復措置の請求について直接反対の意思表示をしていない。被告東京外大の上記主張は、失当である。 〔被告Eの主張〕 原告らの上記主張は争う。 〔被告東京外大の主張〕 原告らの上記主張は争う。 著作権法117条1項は、「共同著作物の各著作者又は各著作権者は、他の著作者又は他の著作権者の同意を得ないで、第112条の規定による請求又はその著作権の侵害に係る自己の持分に対する損害の賠償の請求・・・(中略)・・・をすることができる。」と規定しており、名誉回復措置の請求については規定していない。また、共同著作者の一人が侵害者である場合に全員一致の同意がなければ名誉回復措置の請求ができないとすることは不合理であると考えられるものの、そのような場合でも、当該侵害者を除いたすべての共同著作者の同意がなければ名誉回復措置を単独で請求することはできないというべきである。本件では、共同著作者であるF、G及びIの同意を得ていない。したがって、名誉回復措置として謝罪文の掲載を求める原告らの請求は、失当である。 4 争点(4)(故意・過失の有無) 〔原告らの主張〕 被告Eは、原告教材の共同著作者の一人であるから、著作権侵害及び著作者人格権侵害につき故意がある。被告東京外大は、被告Eが原告教材の共同著作者であることを知りながら同被告を雇用し、東京外大公式サイトを立ち上げ、被告教材を不特定の第三者に提供したものであるから、著作権侵害及び著作者人格権侵害につき故意がある。 〔被告らの主張〕 原告らの上記主張は争う。 5 争点(5)(損害額) 〔原告らの主張〕 (1) 著作権侵害による損害 被告教材80は、これまで1600部が無償配付されており、また、被告教材は、いずれも、東京外大公式サイトにおいて1万件のダウンロードがあるものと推測される(甲13)。 著作権使用料については、原告教材80(本体価格1300円)では、原告ら一人当たり本体価格の0.9パーセントとされていること(甲9)、原告教材160(本体価格1500円)では、原告Dが本体価格の1.6パーセント、原告A、同C及び同Bが本体価格の0.8パーセントとされていること(甲10)、原告教材200(本体価格1600円)については、原告A及び同Dが本体価格の1.0パーセント、原告B及び同Cが1.5パーセントとされている(甲11)から、原告らの著作権侵害による損害額は、以下のとおりとなる(著作権法114条3項)。 ア 原告A 合計41万5720円 (ア) 原告教材80 1300円×0.009×1万1600=13万5720円 (イ) 原告教材160 1500円×0.008×1万=12万円 (ウ) 原告教材200 1600円×0.01×1万=16万円 イ 原告B 合計49万5720円 (ア) 原告教材80 1300円×0.009×1万1600=13万5720円 (イ) 原告教材160 1500円×0.008×1万=12万円 (ウ) 原告教材200 1600円×0.015×1万=24万円 ウ 原告C 合計49万5720円 (ア) 原告教材80 1300円×0.009×1万1600=13万5720円 (イ) 原告教材160 1500円×0.008×1万=12万円 (ウ) 原告教材200 1600円×0.015×1万=24万円 エ 原告D 合計53万5720円 (ア) 原告教材80 1300円×0.009×1万1600=13万5720円 (イ) 原告教材160 1500円×0.016×1万=24万円 (ウ) 原告教材200 1600円×0.01×1万=16万円 (2) 著作者人格権侵害による損害 原告らは、被告らの著作者人格権侵害行為により、名誉を著しく毀損され、多大な精神的苦痛を被った。これを慰謝するに足りる金額は、原告一人当たり30万円を下らない。 (3) 原告らは、本件訴訟の提起を原告ら訴訟代理人に委任せざるを得ず、弁護士費用として合計30万円(一人当たり7万5000円)を要し、同額の損害を被った。 (4) 以上によれば、著作権侵害及び著作者人格権侵害の不法行為に基づく損害額は、原告Aが79万0720円、原告B及び同Cが各87万0720円、原告Dが91万0720円となる。 〔被告Eの主張〕 原告らの上記主張は争う。 〔被告東京外大の主張〕 原告らの上記主張は争う。 著作権法117条1項は、著作者人格権侵害に基づく損害賠償請求について規定していないので、他の共同著作者の同意なく著作者人格権侵害に基づく損害賠償を求める原告らの請求は失当である。 第4 当裁判所の判断 1 争点(1)(著作権侵害及び著作者人格権侵害の有無)について (1) 原告らは、原告教材と被告教材及び被告教材試作品とは、別紙対照表(1)ないし(8)の「原告が主張する類似点」欄記載のとおり、個々の表現において類似しており、被告らによる被告教材及び被告教材試作品の作成は、原告教材について原告らが有する翻案権及び同一性保持権を侵害するものである、と主張する。 著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分について、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、既存の著作物の翻案に当たらないと解するのが相当である(最高裁判所平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。 このように、翻案に該当するためには、既存の著作物とこれに依拠して作成された著作物との間において同一性を有する部分が、思想又は感情の表現であり、かつ、その表現が創作的であること(著作権法2条1項1号)が必要である。 そこで、原告らが原告教材と被告教材及び被告教材試作品との間で類似すると指摘する各個所につき、翻案に当たるか否かを個別に検討する。 (2) 原告教材80 ア 別表1について 別表1(1)の記述と同1(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、両者は、@教材を構成する課の数を20としている点、A教材で学習するすべての漢字が1頁以内に収められている点、B同一の課で学習する漢字の組合せとして、「一 二 三 四 五」、「六 七 八 九 十」、「上 下 中」、「山 川 水 火」、「大きい 小さい 貝 犬」、「玉 金 百 千 円」(「玉 お金 百 千 十円」)、「町 車 人 村」及び「天 気 雨 音」(「天気 雨 音」)という組合せを採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、@及びAの点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないというべきである。また、上記Bの漢字の組合せは、平凡かつありふれたものであって、記述者の個性が現れているとみることはできない。別表1(2)の記述は、同1(1)の記述と、著作権法によって保護されない、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 イ 別表2について 別表2(1)の記述と同2(2)の記述とは、@「上」、「中」及び「下」という抽象的な概念を表現するのに、机の上部平面、机の中、机の下部の床面にそれぞれ物が置かれているイラストを使用している点、Aイラストと「上」、「中」及び「下」の漢字とを線で結び付ける出題形式を採用している点、B上記@のイラストとAの出題形式とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないというべきである。別表2(2)の記述は、同2(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表2(2)のイラストは、同2(1)のイラストと机に置かれている物自体や机の表現方法が異なっていることから、同2(2)のイラストから、同2(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ウ 別表3について 別表3(1)の記述と同3(2)の記述とは、@「山」、「火」、「川」及び「水」を表す絵が含まれる1枚のイラストを使用している点、A例文中において、外国人児童にとって難読であると思われる漢字を用いずにその漢字が表す絵に置き換えている点、B上記@のイラストとAの例文とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表3(2)の記述は、同3(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記@について、イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表3(2)のイラストは、同3(1)のイラストと山、火、川及び水の表現方法が相当異なっており、同3(2)のイラストから、同3(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 エ 別表4及び同19について 別表4(1)(原告教材80)の記述と同4(2)(被告教材試作品80)の記述とは、@例文の題材として「わに」、「さる」、「うさぎ」及び「ねこ」という動物の組合せを選択している点、A上記@の動物の体を使って「耳」、「目」、「口」及び「手」の漢字を学習させる出題形式を採用している点、B上記@の動物の組合せとAの出題形式とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表4(2)の記述は、同4(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 別表19(1)(同4(1)と同じ)の記述と同19(2)(被告教材80)の記述とは、@例文の題材として「わに」、「さる」、「うさぎ」及び「ねこ」という動物の組合せを選択している点、A上記@の動物の体を使って「耳」、「目」、「口」及び「手」の漢字を学習させる出題形式を採用している点、B「さるの手」、「わにの口」、「うさぎの耳」及び「ねこの目」という例文の表現それ自体、C上記@ないしBを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点のうち、Bについては、その例文の表現自体が短文である上、平凡かつありふれたものであって、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。また、@、A及びCについては、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表19(2)の記述は、同19(1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 オ 別表5及び同20について 別表5(1)(原告教材80)の記述と同5(2)(被告教材試作品80)の記述、同20(1)(同5(1)と同じ)の記述と同20(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、@「石」及び「虫」という漢字を学習させるために石の下に虫がいる様子を表したイラストを使用している点、A「石の下に虫」という文章の表現それ自体、B上記@のイラストとAの文章とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点のうち、Aについては、その文章の表現自体が短文である上、平凡かつありふれたものであって、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。また、@及びBについては、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表5(2)及び同20(2)の各記述は、同5(1)及び同20(1)の記述と、表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記@について、イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表5(2)及び同20(2)の各イラストは、同5(1)及び同20(1)のイラストと石や虫の表現方法が異なっており、同5(2)及び同20(2)の各イラストから、同5(1)及び同20(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 カ 別表6及び同21について 別表6(1)(原告教材80)の記述と同6(2)(被告教材試作品80)の記述、同21(1)(同6(1)と同じ)の記述と同21(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、「町」、「村」及び「人」という漢字を学習させるために村や町を表すイラスト又は写真に「ここは( )です。」との例文を付した出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表6(2)及び同21(2)の各記述は、同6(1)及び同21(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 キ 別表7及び同22について 別表7(1)(原告教材80)の記述と同7(2)(被告教材試作品80)の記述、同22(1)(同7(1)と同じ)の記述と同22(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、複数の漢字の中から、その読みが特定のひらがなから始まる漢字を選び、指定された場所に分類させるという出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表7(2)及び同22(2)の各記述は、同7(1)及び同22(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ク 別表8及び同23について 別表8(1)(原告教材80)の記述と同8(2)(被告教材試作品80)の記述、同23(1)(同8(1)と同じ)の記述と同23(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、「赤」、「青」及び「白」の漢字の具体例として苺、空及び牛乳を選択した出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表8(2)及び同23(2)の各記述は、同8(1)及び同23(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ケ 別表9及び同24について 別表9(1)(原告教材80)の記述と同9(2)(被告教材試作品80)の記述、同24(1)(同9(1)と同じ)の記述と同24(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、迷路を用いて「上」、「下」、「左」及び「右」の漢字を学習させるという出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表9(2)及び同24(2)の各記述は、同9(1)及び同24(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 コ 別表10及び同25について 別表10(1)(原告教材80)の記述と同10(2)(被告教材試作品80)の記述、同25(1)(同10(1)と同じ)の記述と同25(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、枠の中に複数の漢字等を配置し、その枠の中で一定の関連性を有するものを線で結ばせるという出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表10(2)及び同25(2)の各記述は、同10(1)及び同25(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 サ 別表11及び同26について 別表11(1)(原告教材80)の記述と同11(2)(被告教材試作品80)の記述、同26(1)(同11(1)と同じ)の記述と同26(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、@「1年生」という漢字を学習させるために児童が新しいランドセルを背負っているイラストを使用している点、A「先生」という漢字を学習させるために小学校の先生が黒板を指し示しているイラストを使用している点、B上記@及びAのイラストと「一年生」及び「先生」を結び付けさせる出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表11(2)及び同26(2)の各記述は、同11(1)及び同26(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記@及びAについて、イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表11(2)及び同26(2)の各イラストは、同11(1)及び同26(1)のイラストと、児童や先生、背景等についての表現方法が相当程度異なっており、同11(2)及び同26(2)の各イラストから、同11(1)及び同26(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 シ 別表12について 別表12(1)の記述と同12(2)の記述とは、@「右」及び「左」という漢字を学習させるために視力検査の際に使用される記号(ランドルト環)を用いたイラストを使用している点、Aランドルト環を上下に並べ、その左側に視力検査を受けている児童のイラストを配置している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記@の「右」及び「左」を表現するために視力検査で左右の方向を示すのに使用されるランドルト環を用いることはアイデアであり、このアイデアを表現する方法は極めて限られているから、ランドルト環のイラストの表現につき記述者の個性が現れたものと認めることはできず、創作性があるということはできない。また、Aの点については、ランドルト環の近くに視力検査を受けている児童のイラストを配置するというアイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表12(2)の記述は、同12(1)の記述と、表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ス 別表13及び同29について 別表13(1)(原告教材80)の記述と同13(2)(被告教材試作品80)の記述、同29(1)(同13(1)と同じ)の記述と同29(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、「出ます」及び「入ります」という表現を学習させるためにトンネルに児童又は電車が出入りする様子のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表13(2)及び同29(2)の各記述は、同13(1)及び同29(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表13(2)及び同29(2)の各イラストは、同13(1)及び同29(1)のイラストと、トンネルに出入りするものが電車であるという点で異なっている上、山の形も異なっていることから、同13(1)及び同29(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 セ 別表14及び同30について 別表14(1)(原告教材80)の記述と同14(2)(被告教材試作品80)の記述、同30(1)(同14(1)と同じ)の記述と同30(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、「あさ」及び「夕」の概念を学習させるために時間の経過を太陽の移動で表現したイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表14(2)及び同30(2)の各記述は、同14(1)及び同30(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表14(2)及び同30(2)の各イラストは、同14(1)及び同30(1)のイラストと、人物や太陽の表現方法や、朝、夕方及び夜を表すイラストがある点において異なっていることから、同14(1)及び同30(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ソ 別表15及び同28について 別表15(1)(原告教材80)の記述と同15(2)(被告教材試作品80)の記述、同28(1)(同15(1)と同じ)の記述と同28(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、「力」という漢字を学習させるためにダンベルを持ち上げる人間のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表15(2)及び同28(2)の各記述は、同15(1)及び同28(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表15(2)及び同28(2)の各イラストは、同15(1)及び同28(1)のイラストと、ダンベルやこれを持ち上げる人物の表現方法が相当程度異なっていることから、同15(1)及び同28(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 タ 別表16及び同31について 別表16(1)(原告教材80)の記述と同16(2)(被告教材試作品80)の記述、同31(1)(同16(1)と同じ)の記述と同31(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、各課において学習する漢字が、イラスト及び読みがなとともに、漢字、イラスト、読みがなの順に掲載されている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないというべきである。別表16(2)及び同31(2)の各記述は、同16(1)及び同31(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 チ 別表17について 別表17(1)(同1(1)と同じ)の記述と同17(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、両者は、@教材を構成する課の数を20としている点、A教材で学習するすべての漢字が1頁以内に収められている点、B同一の課で学習する漢字の組合せとして、「一 二 三 四 五」、「六 七 八 九 十」、「上 下 中」、「山 川 水 火」、「玉 金 百 千 円」(「玉 お金 百 千 十円」)、「町 車 人 村」及び「天 気 雨」(「天気 雨」)という組合せを採用している点、C「入ります」、「出ます」及び「立ちます」というように漢字を動詞で表記する場合にその表記を「ます」止めに統一している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、@及びAの点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。また、上記Bの漢字の組合せ及びCの動詞を「ます」止めに統一していることは、いずれも、平凡かつありふれたものであって、記述者の個性が現れているとみることはできない。別表17(2)の記述は、同17(1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 ツ 別表18について 別表18(1)(同3(1)と同じ)の記述と同18(2)の記述とは、「山」、「火」、「川」及び「水」を表す絵が含まれる1枚のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないというべきである。別表18(2)の記述は、同18(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表18(2)のイラストは、同18(1)のイラストと山、火、川及び水の表現方法が相当程度異なっていることから、同18(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 テ 別表27について 別表27(1)(同12(1)と同じ) の記述と同27(2)の記述とは、「右」及び「左」という漢字を学習させるために視力検査の際に使用される記号(ランドルト環)を用いたイラストが使用されている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の「右」及び「左」を表現するために視力検査で左右の方向を示すのに使用されるランドルト環を用いることはアイデアであり、このアイデアを表現する方法は一つしかないから、ランドルト環のイラストの表現につき記述者の個性が現れたものと認めることはできず、創作性があるということはできない。別表27(2)の記述は、同27(1)の記述と、表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 (3) 原告教材160 ア 別表32について 別表32(1)の記述と同32(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、両者は、@教材を構成する課の数が前者の33に対し、後者が34とほぼ同数である点、A教材で学習するすべての漢字が見開き1頁以内に収められている点、B同一の課で学習する漢字の組合せとして、「星 晴れ 雪 雲」、「春 夏 秋 冬」、「父 母 姉 兄 妹 弟」、「頭 体 首 顔 毛」及び「算数 国語 理科 社会」という組合せを採用している点、C漢字を動詞で表記する場合にその表記を「ます」止めに統一している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、@及びAの点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通するにすぎないというべきである。また、上記Bの漢字の組合せ及びCの動詞を「ます」止めに統一していることは、いずれも、平凡かつありふれたものであって、記述者の個性が現れているとみることはできない。別表32(2)の記述は、同32(1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性が認められない部分において同一性が認められるにすぎない。 イ 別表33及び同44について 別表33(1)(原告教材160)の記述と同33(2)(被告教材試作品160)の記述、同44(1)(同33(1)と同じ)の記述と同44(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、@太陽と数直線を用いて12時の前と後とを区切ることにより「午前」と「午後」を表現したイラストを使用している点、A上記@のイラストと「午前」及び「午後」の語とを結び付ける出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表33(2)及び同44(2)の各記述は、同33(1)及び同44(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記@のイラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表33(2)及び同44(2)の各イラストは、同33(1)及び同44(1)のイラストと数直線による「午前」と「午後」の区切り方等の表現方法が異なっていることから、同33(1)及び同44(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ウ 別表34及び同43について 別表34(1)(原告教材160)の記述と同34(2)(被告教材試作品160)の記述、同43(1)(同34(1)と同じ)の記述と同43(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、@「何回」という漢字を表すために児童が縄跳びをしているイラストを使用している点、A「何台」という漢字を表すために複数の自動車のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表34(2)及び同43(2)の各記述は、同34(1)及び同43(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記@及びAの各イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表34(2)及び同43(2)の各イラストは、同34(1)及び同43(1)のイラストと、縄跳びをしている児童や自動車の表現方法が異なっていることから、同34(1)及び同43(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 エ 別表35及び同45について 別表35(1)(原告教材160)の記述と同35(2)(被告教材試作品160)の記述、同45(1)(同35(1)と同じ)の記述と同45(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、「信号が赤のときは止まる」、「信号が青のときは歩く」及び「いっしょうけんめい走る」との文章の表現それ自体において同一性があると認められる。しかしながら、上記同一性を有する部分は、その文章の表現自体が短文である上、平凡かつありふれたものであり、記述者の何らかの個性が現れたものとは認められない。別表35(2)及び同45(2)の各記述は、同35(1)及び同45(1)の記述と、表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 オ 別表36について 別表36(1)の記述と同36(2)の記述とは、人の動作に関するイラストの内容に従ってその動作を表す文章を作成させる出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアにおいて共通するにすぎないというべきである。別表36(2)の記述は、同36(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 カ 別表37及び同46について 別表37(1)(原告教材160)の記述と同37(2)(被告教材試作品160)の記述、同46(1)(同37(1)と同じ)の記述と同46(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、@「矢」という漢字を学習させるためにウィリアム・テルがりんごに向けて矢を放ち、矢がりんごに当たった旨の文章を例文として使用している点、A「刀をもっています」との文章の表現それ自体において同一性があると認められる。しかしながら、上記@の「矢」という漢字を学習させるためにウィリアム・テルが矢をりんごに当てた旨の文章を用いることはアイデアであり、このアイデアを表現する方法は制約されていて選択の余地に乏しい。別紙37(1)及び同46(1)の文章は、上記アイデアを一般的な形で表現したものにすぎず、記述者の個性が現れたものと認めることはできない。また、上記Aの点についても、その文章の表現自体が短文である上、平凡かつありふれたものであり、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。別表37(2)及び同46(2)の各記述は、同37(1)及び同46(1)の記述と、表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 キ 別表38及び同47について 別表38(1)(原告教材160)の記述と同38(2)(被告教材試作品160)の記述、同47(1)(同38(1)と同じ)の記述と同47(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、@物の特徴に関する文章を読み、その特徴を有する物を表す漢字を回答するという出題形式を採用している点、A「田でつくります。」及び「ごはんになります。」という文章の表現それ自体において同一性があると認められる。しかしながら、上記@の点については、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。また、上記Aについては、その文章の表現自体が短文であり、平凡かつありふれたものであって、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。別表38(2)及び同47(2)の各記述は、同38(1)及び同47(1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。 ク 別表39について 別表39(1)の記述と同39(2)の記述とは、「野」及び「里」という漢字を学習させるために「春が来た」の歌を選択した点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表39(2)の記述は、同39(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ケ 別表40及び同48について 別表40(1)(原告教材160)の記述と同40(2)(被告教材試作品160)の記述、同48(1)(同40(1)と同じ)の記述と同48(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、複数の語句又は文章を「午前」と「午後」に分類させるという出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表40(2)及び同48(2)の各記述は、同40(1)及び同48(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 コ 別表41及び同49について 別表41(1)(原告教材160)の記述と同41(2)(被告教材試作品160)の記述、同49(1)(同41(1)と同じ)の記述と同49(2)(被告教材160)の記述とは、いずれも、時間割表を用いた出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表41(2)及び同49(2)の各記述は、同41(1)及び同49(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 サ 別表42について 別表42(1)(同32(1)と同じ)の記述と同42(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、両者は、@教材を構成する課の数が前者の33に対し、後者が34とほぼ同数である点、A教材で学習するすべての漢字が見開き1頁以内に収められている点、B同一の課で学習する漢字の組合せとして、「星 晴れ 雪 雲」、「春 夏 秋 冬」、「お父さん お母さん お姉さん お兄さん 妹 弟」、「頭 体 首 顔 毛」、「音楽 体いく 生活 図工」及び「算数 国語 理科 社会」という組合せを採用している点、C漢字を動詞で表記する場合にその表記を「ます」止めに統一している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記のうち、@及びAの点は、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通するにすぎないというべきである。また、上記Bの漢字の組合せ及びCの動詞を「ます」止めに統一していることは、いずれも、平凡かつありふれたものであって、記述者の個性が現れているとみることはできない。別表42(2)の記述は、同42(1)の記述と、表現それ自体でない部分や表現上の創作性が認められない部分において同一性が認められるにすぎない。 シ 別表50について 別表50(1)(原告教材160)の記述と同50(2)(被告教材160)の記述とは、各課ごとに学習する漢字が、イラスト及び読みがなとともに、漢字、イラスト、読みがなの順に掲載されている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表50(2)の記述は、同50(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 (4) 原告教材200 ア 別表51について 別表51(1)の記述と同51(2)の記述は、いずれも、各教材の目次の部分であり、学習する漢字及び熟語すべてが見開き1頁以内に収められている点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表51(2)の記述は、同51(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 イ 別表52について 別表52(1)の記述と同52(2)の記述とは、「悲しい」という漢字を学習させるために涙を流して悲しい表情をしている少年のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記同一性を有する部分は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表52(2)の記述は、同52(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表52(2)のイラストは、同52(1)のイラストと児童や背景等の表現方法が相当程度異なっていることから、同52(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ウ 別表53について 別表53(1)の記述と同53(2)の記述とは、「決める」という漢字を学習させるために、食べ物又はメニューを指で差している様子のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表53(2)の記述は、同53(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表53(1)のイラストでは、人物が描かれ、メニューを指で差している様子が描かれているのに対し、同53(2)のイラストでは、人物が描かれておらず、手首から先の部分で食べ物を指で差している様子が描かれている。このように、別表53(2)のイラストは、同53(1)のイラストと表現それ自体が相当程度異なっていることから、同53(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 エ 別表54について 別表54(1)の記述と同54(2)の記述とは、「申す」という漢字を学習させるために、王様又は皇帝と思われる者とその前にひざまづいて自分の名前を名乗っている者のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表54(2)の記述は、同54(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表54(1)のイラストでは、王様と思われる者が描かれているのに対し、同54(2)のイラストでは、皇帝と思われる者が描かれており、また、それらの者の前にひざまづいている者の顔や服装の表現方法も異なっている。このように、別表54(2)のイラストは、同54(1)のイラストと表現それ自体が相当程度異なっていることから、同54(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 オ 別表55について 別表55(1)の記述と同55(2)の記述とは、「放す」という漢字を学習させるために、鳥が空に放たれる様子のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表55(2)の記述は、同55(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表55(1)のイラストでは、人物や鳥かごが表現されているのに対し、同55(2)のイラストでは、これらが表現されておらず、手首から先の部分が描かれているという違いがある。このように、別表55(2)のイラストは、同55(1)のイラストと表現それ自体が相当程度異なっていることから、同55(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 カ 別表56について 別表56(1)の記述と同56(2)の記述とは、「相談」及び「意見」という漢字を学習させるために、数人がテーブルを囲んで相談し、意見を述べている様子のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表56(2)の記述は、同56(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表56(2)のイラストは、同56(1)のイラストとテーブルを囲む複数の人物や背景等の表現方法が相当程度異なっていることから、同56(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 キ 別表57について 別表57(1)の記述と同57(2)の記述とは、「昔」という漢字を学習させるために、古代人ないし原始人のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表57(2)の記述は、同57(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表57(2)のイラストは、同57(1)のイラストと古代人ないし原始人やその背景の表現方法が相当程度異なっていることから、同57(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ク 別表58について 別表58(1)の記述と同58(2)の記述とは、「中央」という漢字を学習させるために、スケートリンクの中央にフィギアスケートの選手が立っている様子のイラストを使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表58(2)の記述は、同58(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表58(2)のイラストは、同58(1)のイラストと人物の表現方法や表現されたスケートリンクの形状が相当程度異なっていることから、同58(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 ケ 別表59について 別表59(1)の記述と同59(2)の記述とは、「深い」という漢字を学習させるために深い海のイラストを、「速い」という漢字を学習させるために新幹線のイラストをそれぞれ使用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表59(2)の記述は、同59(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 原告らは、上記イラストの表現それ自体についても同一性が認められると主張する。しかしながら、別表59(2)のイラストは、同59(1)のイラストと、深い海のイラストについては、人物の表現方法や船や魚の表現の有無等に違いがあり、新幹線のイラストについては、新幹線自体の形状が異なっていることから、同59(1)のイラストの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない。原告らの上記主張は採用することができない。 コ 別表60及び同61について 別表60(1)(原告教材200)の記述と同60(2)(被告教材試作品80)の記述、同61(1)(同60(1)と同じ)の記述と同61(2)(被告教材80)の記述とは、いずれも、漢字の学習にしりとりを用いた出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表60(2)及び同61(2)の記述は、同60(1)及び同61(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 サ 別表62について 別表62(1)の記述と同62(2)の記述とは、「様」という漢字を学習させるために封筒の書き方を題材とした問題を作成している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表62(2)の記述は、同62(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 シ 別表63について 別表63(1)の記述と同63(2)の記述とは、「油」という漢字を学習させるために、@目玉焼きの作り方に関する文章の表現それ自体、Aフライパンに入れるものを「油」を含む複数の漢字から選択させる出題形式を採用している点、B上記文章の横にフライパンのイラストを配置している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記@の点については、別表63(1)(原告教材200)の「目玉やきを作ります。フライパンに油を入れます。それからたまごを入れます。」という文章の表現それ自体は、平凡かつありふれたものであり、記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。また、上記A及びBの点については、いずれも、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表63(2)の記述は、同63(1)の記述と、表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 ス 別表64について 別表64(1)の記述と同64(2)の記述とは、野球場で野球をしている様子のイラストを用いて「打つ」、「投げる」、「走る」及び「受ける」という漢字を学習させるとともに、野球をする上で必須のランナー、バッター、ピッチャー、キャッチャーの語の意味を学習させるようにした出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら、上記の点は、表現それ自体ではなく、アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表64(2)の記述は、同64(1)の記述と、表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 (5) まとめ 以上によれば、原告教材と被告教材又は被告教材試作品とは、いずれも、著作権法によって保護されない、表現それ自体でないアイデア又は表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎず、被告教材又は被告教材試作品を作成し、東京外大公式サイトに掲載する行為が、原告教材について原告らが有する翻案権及び同一性保持権を侵害するということはできない。 2 結論 よって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、65条1項本文を適用して、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 阿部正幸 裁判官 平田直人 裁判官 瀬田浩久 別紙目録1ないし3及び対照表(1)ないし(8)省略 別表1〜64 略 |
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