判例全文 line
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【事件名】「首里城」写真集の職務著作事件
【年月日】平成20年9月24日
 那覇地裁 平成19年(ワ)第347号 著作権侵害差止等請求事件

判決


主文
1 被告らは、原告に対し、連帯して、15万円及びこれに対する平成17年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の各請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを30分し、その1を被告らの連帯負担とし、その余を原告の負担とする。
4 本判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 被告らは、別紙書籍目録記載の書籍から別紙削除写真目録記載の各写真を削除しない限り、同書籍を複製し又は販売してはならない。
2 被告らは、原告に対し、連帯して、286万円及びこれに対する平成17年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告株式会社東亜フォトニクスは、原告に対し、那覇市天久905番地所在の株式会社琉球新報社発行の「琉球新報」及び那覇市おもろまち一丁目3番31号所在の株式会社沖縄タイムス社発行の「沖縄タイムス」の各朝刊社会面広告欄に、別紙謝罪広告目録1記載1の謝罪広告文を同目録記載2の掲載条件で、各1回ずつ掲載せよ。
4 被告財団法人海洋博覧会記念公園管理財団は、原告に対し、前項の「琉球新報」及び「沖縄タイムス」の各朝刊社会面広告欄に、別紙謝罪広告目録2記載1の謝罪広告文を同目録記載2の掲載条件で、各1回ずつ掲載せよ。
第2 事案の概要
 本件は、被告株式会社東亜フォトニクス(以下「被告東亜」という。)の元取締役であり、写真家である原告が、被告東亜及び被告財団法人海洋博覧会記念公園管理財団(以下「被告財団」という。)に対し、原告が撮影した別紙著作物目録記載の各写真(以下まとめて「本件各原写真」という。)を被告らが無断で複製して別紙書籍目録記載の写真集「写真で見る首里城(第4版)」(以下「本件写真集」という。)に掲載しているのは原告の複製権を侵害し、また原告の氏名を表示せずに本件写真集を複製及び販売しているのは原告の氏名表示権を侵害する不法行為である等と主張して、本件各原写真の複製権等に基づいて、本件各原写真の複製物ないし翻案物である別紙削除写真目録記載の各写真を削除しない限りでの本件写真集の複製及び販売の差止め、使用料相当額の損害の賠償を請求し、また本件各原写真に係る氏名表示権に基づく慰謝料の支払いを請求し、かつ弁護士費用相当額の損害賠償、謝罪広告の掲載及び上記各損害に対する平成17年7月1日(本件写真集の発行の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ請求した事案である。
 なお、原告はその訴状中で複製権の侵害を主張しているが、本件各原写真のうちには、もとの写真の一部を切り出して本件写真集に掲載されているものがあるから、翻案権の侵害も合わせて主張しているものと解される。また、原告は、前記のとおり販売行為の差止めも請求しているから、譲渡権の侵害も合わせて主張しているものと解される。
第3 当事者間に争いがない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実
1 当事者
(1) 原告は、写真家であり、平成9年10月1日に被告東亜に従業員として就職し、同年12月25日に被告東亜の株式を取得するとともに、同社の取締役となった。
 原告は、平成14年2月20日、被告東亜の代表者であるBに対し、自己が保有していた被告東亜の株式を譲渡するとともに、被告東亜の取締役を辞任した(弁論の全趣旨)。
(2) 被告東亜は、写真の作成及び貸出し並びに書籍等の制作及び編集等を業とする株式会社である。Bは、少なくとも平成9年ころから現在まで、同社の代表取締役である(弁論の全趣旨)。
(3) 被告財団は、亜熱帯性動植物に関する調査研究、首里城に関する調査研究及び沖縄県内に所在する国営公園等の維持管理を目的とする財団である(弁論の全趣旨)。
2 写真集の発行
(1) 被告東亜は、被告財団の委託を受けて、平成9年、那覇市内に所在する歴史的建造物である首里城等を写真と文章で紹介する写真集「写真で見る首里城」の初版(以下「本件初版」という。)を編集及び制作し、被告財団はこれを監修及び発行した。
 上記写真集は、その後、版を重ね、遅くとも平成17年ころ、被告東亜は、上記写真集の第4版に当たる本件写真集を編集及び制作し、被告財団はこれを監修して平成17年6月30日に発行した(弁論の全趣旨)。
(2) 本件写真集の巻末の奥付き(奥書)には、写真撮影者の表示としてBの氏名及び略歴が掲載されているが、原告の氏名等は掲載されていない。なお、上記奥付きには、編集制作者の表示として被告東亜の商号が掲載されている(甲1)。
(3) 本件写真集中には、別紙削除写真目録記載の各写真(以下、同一覧表の番号に従って、「本件掲載写真1」などといい、同一覧表記載の各写真をまとめて「本件各掲載写真」という。)がそれぞれ掲載されている。
 本件各掲載写真は、別紙著作物目録記載の各写真(以下、同目録の番号に従って「本件原写真1」などという。)の全体又は一部分に当たるものである。本件各掲載写真と本件各原写真の対応関係は、別紙写真対応一覧表記載のとおりである(弁論の全趣旨)。
第4 本件の争点
1 原告の写真撮影の有無
2 本件各原写真の創作性
3 職務著作の当否
4 著作権法15条1項にいう別段の定めの有無
5 著作権譲渡、複製等許諾又は氏名表示権不行使合意の有無等
6 被告らの過失の有無
7 過失相殺
8 損害の有無及び額
9 謝罪広告の必要性
第5 争点に関する当事者の主張
1 原告の写真撮影の有無(争点1)について
(原告の主張)
 原告は、本件各原写真をそれぞれ撮影し、これらの写真を創作した。
 なお、本件各原写真のうち本件原写真18は、原告が被告東亜に就職する以前の平成9年8月ころに撮影したものである。
(被告東亜の主張)
 否認する。
(被告財団の主張)
 否認ないし不知。
2 本件各原写真の創作性(著作物性)(争点2)について
(原告の主張)
 次のとおりの理由で、本件各原写真にはいずれも創作性がある。なお、原告が被告東亜の取締役を辞任した後も、被告東亜が改訂版である本件写真集に本件各掲載写真を継続して使用していること自体が、本件各原写真の創作性が高いことを示すものである。
(1) 本件原写真1について
 本件原写真1は、首里城の北殿北側の急勾配の城壁の下部に位置する右掖門(うえきもん)の構造的特徴がよく表れるように撮影した写真である。
 すなわち、右掖門は城壁群の要であるところ、右掖門の外側から見て右側には急勾配の城壁があり、左側には門から外部に向かって尖った隅頭(すみがしら)が張り出し、威圧感を与えているので、これらの特徴がよく表れるよう、右掖門を撮影した。
 また、原告は晴天の日を選び、周囲が無人になるのを待って撮影した。
 広角レンズを使用して撮影すると画面上に遠近感が強調されてしまうので、原告はその専門的な知識及び技術を活用して、縦4インチ横5インチのフィルムに撮影することができる大型のカメラを使用し、後記のあおりの操作を行って撮影した。
 より具体的には、いったんフィルム面とレンズ部とが地面と垂直になるように写真機を立て、レンズ部を上方に持ち上げて画面を構成し、次いで遠近感を強調しないよう、レンズとフィルムを調整して撮影する、いわゆるあおりの操作を行って、被写体が水平になるよう、被写体の水平方向のラインがいずれも真横になるように調整しながら撮影した。
(2) 本件原写真3について
 本件原写真3は、首里城内における日影台(にちえいだい)の位置関係がよく分かるよう、北殿(ほくでん)と奉神門(ほうしんもん)がいずれも日影台の背景となるように、撮影位置を選んで撮影された写真である。
 原告は、午前中に撮影すると北殿と奉神門が逆光で暗くなってしまうので、晴天の昼すぎころを選び、周囲が無人になるのを待って撮影した。
(3) 本件原写真4について
 原告は、晴天の日を選び、周囲が無人になるのを待って、広福門(こうふくもん)を真正面から撮影し、本件原写真4を作成した。
 本件原写真4の撮影に当たっても、水準器を使用して画面の水平及び垂直を調整し、前記(1)と同様に、大型写真機を使用し、大きな門の上部が後方に傾かず、歪まずに写るように撮影した。
(4) 本件原写真5について
 原告は、広福門が画面左手に、広福門の前の広場が手前に、同広場の後方に東シナ海が配置するよう、撮影位置及びアングル(角度)を選び、首里城の城壁の高台から撮影した。
 このときも、晴天の日を選び、かつ視界が無人になるよう、見学者が入場する前の午前中の早い時間を選んで、撮影した。
 また、本件原写真5の撮影に当たっても、水準器を使用して画面の水平及び垂直を調整し、前記( )と同様に、大型写1 真機を使用し、レンズ部をまっすぐに下方に傾けて撮影した。
(5) 本件原写真6について
 本件原写真6は、首里城内で随一の格式を有する首里森御嶽(すいむいうたき)の風格を表現するために、首里森御嶽の門の中心をその真正面から撮影された写真である。
 原告は、前記(1)と同様に、大型写真機を使用し、レンズ部をまっすぐにわずかに上方に傾け、かつ被写体が歪まないようにして撮影した。
 また、本件原写真6の撮影に当たっても、晴天の日を選び、周囲が無人になるのを待って撮影した。
(6) 本件原写真7について
 本件原写真7は、下之御庭(しちゃぬうなー)の広さと、広場周囲の構造物の位置関係がよく分かるよう、撮影位置とアングルを選んで撮影された写真である。
 原告は、下之御庭の広場の広さを違和感がない程度まで強調するために広角系レンズを使用して撮影した。
 原告は、前記(1)と同様に、大型写真機を使用し、レンズ部をまっすぐにわずかに下方に傾けて手前部分を強調し、かつ被写体が水平になるよう、また被写体が歪まないようにして、撮影した。
 また、本件原写真7の撮影に当たっても、原告は、晴天の日を選び、かつ視界が無人になるよう、見学者が少ない昼食の時間帯を選び、周囲が無人になるのを待って撮影した。
(7) 本件原写真10について
 原告は、小型飛行機に乗り、航空撮影用の大型写真機を使用して、パイロットに必要な指示をしながら、首里城を真上から撮影した。
 また、本件原写真10の撮影に当たっても、原告は、晴天の日を選び、かつ画面に雲の影が写り込むことがないよう注意を払いながら撮影した。
(8) 本件原写真11について
 本件原写真11は、北殿内部の展示状況をよく表現するため、北殿内部を俯瞰する画面になるよう、写真機の位置を天井近くにして撮影された写真である。
 北殿内部は赤みの強い照明で照らされていたところ、原告はこの照明の様子をそのまま残すため、人工の光源を使用せず、ぶれないように安定した三脚を使用し、露出時間を長く取って撮影した。
 また、本件原写真11の撮影においても、原告は、見学者が写り込むことのないよう、入場開始前の時間に撮影を行った。
(9) 本件原写真13について
 本件原写真13は、今帰仁城跡(なきじんじょうあと)の長い城壁の重なり具合がよく表現できるよう、城跡の高台から撮影された写真である。
 撮影した位置の手前には雑草が生い茂っており、通常の目の高さから撮影すると雑草が画面に入り込んでしまうため、原告は、大型の三脚を使用して、地面から高い位置で撮影した。
 原告は、樹木の影が手前に入るようにし、かつこの影のコントラストが強くなる位置、アングル及び時間(晴天の日射しが強い時間)を選んで、本件原写真13の撮影をした。
(10) 本件原写真14について
 本件原写真14は、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門とご神体である石門後方の樹林群の威厳をよく表現できるような撮影位置及びアングルを選んで撮影された写真である。
 原告は、平板になりがちな画面にアクセントを加えるため、手前に黒々とした樹木の影を入れて本件原写真14を撮影した。
 また、原告は、大きな脚立を使用して、石門中心部と同じ高さまで上がり、中型写真機を使用して撮影を行った。
 そして、原告は植物が元気な午前中の早い時間を選んだり、石門手前の歩道に設置されていた、撮影上邪魔なガードロープをいったん外したりして、本件原写真14を撮影した。
(11) 本件原写真15について
 本件原写真15は、勝連城跡(かつれんじょうあと)の二の郭から一の郭にかけての城壁の重なり具合がきれいに表現できるような撮影位置及びアングル(角度)を選んで撮影された写真である。
 原告は、城壁の高さを表現するために、地面の近くから広角レンズを使用して撮影を行い、遠近感を強調した。
 また、原告は、城跡の背景が青い空になるように、晴天の日を選び、かつ逆光にならない午前中を選んで撮影をした。
(12) 本件原写真17について
 本件原写真17は、深い樹林帯の奥まった位置にある御嶽(うたき)の様子をよく表現できるような撮影位置及びアングルを選んで撮影された写真である。
 すなわち、原告は、御嶽が深い木々の中にある様子を表現するために、植物が垂れ下がっている巨岩の下方から、上方を見上げるようにして撮影し、かつ、光線が差し込む様子を表現するために、画面左手から光芒が写り込む撮影位置及びアングルを選んで撮影した。
 また、原告は、本件原写真17の撮影に当たっても、水準器を使用して画面の水平及び垂直を調整し、見上げるようにして撮影しても被写体の歪みが生じないよう、前記(1)と同様に、大型写真機を使用し、レンズ部をまっすぐに上方に傾けて撮影した。
(13) 本件原写真18について
 本件原写真18は、沖縄県内の城跡の中でも最も美しい曲線の城壁を有する座喜味城跡(ざきみじょうあと)の様子をよく表現できるような撮影位置及びアングルを選んで撮影された写真である。
 すなわち、原告は、画面手前の城壁の曲線部分が最も美しく見える撮影位置及びアングルを選び、また城壁の緩やかな曲線部分を強調できる、コントラストが強く現れる日射しの強い季節と午前中の時間帯を選んで、かつ、趣のある上空の雲が十分に写り込むよう、若干多めに背景の空が入るようにアングルを調整して、本件原写真18を撮影した。
(被告東亜の主張)
 いずれも争う。
 本件各原写真は、いずれもピントが甘く、一般の素人が撮影した風景写真と何ら異ならない。本件各原写真には原告の独創的な創意工夫が見られず、創作性はない。
 大型写真機は、技術的要素が高いカメラであるが、建築物や美術工芸品等を撮影するときにこれを使用することがあるし、被告東亜では博物館や美術館等の撮影依頼に基づいて建築物を撮影することが多く、これを使用することが少なくない。
 また、大型写真機の操作法は、写真の専門学校に通った者や、写真撮影の技術を学んだカメラマンで、大型写真機を使用することがある者にとっては、通常のカメラにおけるのと同程度のものにすぎず、決して特殊な技術ではない。
 なお、本件各原写真は、いずれも、被告財団の担当職員の、被写体の選択や撮影の方法に係る指示に基づいて撮影されたものであった。
(被告財団の主張)
 いずれも争う。
3 職務著作の当否(争点3)について
(被告らの主張)
(1) 原告は、次のとおり、被告東亜の「業務に従事する者」に当たり、本件各原写真のうち本件原写真18以外の写真(以下「本件在籍中各原写真」という。)は、原告がその職務上作成した著作物である。
ア 被告東亜は、平成9年10月1日、原告を写真管理部長として雇用し、以後、原告は平成14年2月20日に退職するまで被告東亜の従業員であった。
 原告は、平成9年12月25日、被告東亜の取締役に就任し、被告東亜の従業員兼務取締役になった。
 原告は、この当時ころ、被告東亜の写真管理部長兼企画部長兼取締役になり、被告東亜を退職するまで従業員兼務取締役であった。
イ 被告東亜は、原告についても他の従業員と同様に、大筋において、出勤簿や勤怠管理表でその出欠を管理しており、また、原告について雇用保険や社会保険に加入させたり、源泉徴収簿兼賃金台帳で給与の支払いを管理していた。
ウ 被告東亜が原告に対し、就職当時に支給していた給与は基本給18万5000円及び役職手当6万円等の26万8600円であり、これは完全に従業員としての給与であった。
 原告が被告東亜の取締役に就任した後も、被告東亜は、原告に対し、従業員の給与及び役員報酬として、取締役就任以前と同額の合計26万8600円を支給してきた。
 また、被告東亜は、平成12年4月分から退職するまで、原告に対し、従業員給与部分を30万8600円に、役員報酬を10万円に増額して毎月合計40万8600円を支給してきた。
 これらのとおり、被告東亜は、原告に対し、一貫して従業員としての給与を支払ってきており、本件在籍中各原写真の対価を支払ったことはなかった。
エ 被告東亜は、原告がその従業員となった後に原告から撮影機材一式を買い取ったが、この機材を原告に貸与してその業務に属する写真撮影を行わせていた。
オ 被告東亜では、原告のほかに従業員最低1名がともに行動して撮影を行っており、被告東亜が撮影許可を得た施設の使用条件に従って、原告に写真撮影を行わせていた。
 なお、原告が単独で撮影を行ったことがあったとしても、それは原告が被告東亜の取扱いを遵守せずに勝手に撮影に出かけたということにすぎない。また、カメラマンが単独で撮影を行う場合でも、被告東亜では事前に綿密に打ち合わせを行って撮影内容を指定しており、カメラマンに撮影のすべてを委ねたことはなかった。
カ 本件在籍中各原写真は、いずれも被告東亜が被告財団から請け負った写真集に使用するために、被告東亜の業務として撮影されたものであった。被告東亜は、原告ら撮影者と打ち合わせを行って、被告財団から受けた被写体及び撮影方法(どのような天候のときに、どの方向から、どのような形で撮影するか等)に関する指示を細かく伝達し、被写体や撮影方法を細かく指示して、本件各原写真等を撮影させた。
(2) 著作権法15条1項にいう「法人の発意」とは、当該著作物を作成するとの意思決定が、当該法人(等)の意思決定ないし判断に係ることをいう。
 しかるに、「写真で見る首里城(第3版)」(以下「本件第3版」という。)及び本件写真集に使用されている、本件在籍中各原写真は、次のとおり、いずれも被告東亜の発意に基づいて作成された。
 すなわち、被告東亜は、本件初版の企画立案を行い、平成6年6月2日、被告財団に対し、その出版を提案したところ、被告財団がこの企画に応じたので、以後、被告らの間で、本件初版の出版の協議が始まった。
 被告東亜は、被告財団に対し、被告東亜の業務として、本件初版の構成案の作成、提示及び変更、使用写真リストの作成や変更などを行いながら被告財団の担当者との間で協議を繰り返し、2年程度の準備期間を経て、平成9年に本件初版を出版するに至った。
 「写真で見る首里城(改訂版)」(以下「本件第2版」という。)も、初版の出版のときと同様に、被告東亜による企画立案、構成案の作成、提示及び変更、使用写真リストの作成、提示及び変更等と同時に被告財団の担当者との協議が行われた後に、平成11年6月10日に出版された。
 本件第2版においては、巻末の写真撮影者欄に原告の氏名が掲載されているが、原告は本件第2版の制作にまったく関与しなかった。
 「写真で見る首里城(第3版)」(以下「本件第3版」という。)においては、原告は被告東亜の担当者である企画部長として、その企画立案、構成案の作成、提示及び変更、使用写真リストの作成、提示及び変更等や被告財団の担当者との協議を行い、また同時に被告東亜の機材を使用して必要な写真を撮影し、本件第3版は平成14年2月28日に出版された。
 なお、本件第3版においては、原告が個人的に撮影した写真を使用する予定はまったくなかったが、原告は打合せ結果を無視して、本件原写真18(座喜味城跡の写真)を使用した。
 このとおり、本件第3版も、本件第3版及び本件写真集に使用されている本件在籍中各原写真も、被告東亜の発意に基づいて作成された。
 なお、被告東亜は、少なくとも本件第3版出版以前において、被告東亜の商号のみを写真集に記載する予定であったが、被告財団から個人名にして欲しいとの要請があり、また原告からも自己の氏名を記載して欲しいとの要望があったので、被告東亜及び原告のカメラマンとしての業績を宣伝できることも考慮して、被告東亜の商号ではなく、個人の氏名を写真集に記載した。
(3) したがって、本件在籍中各原写真については著作権法15条1項が適用され、その著作者は被告東亜になる。
(4) 原告の主張について
 被告東亜は、原告から、平成12年4月1日から遡って雇用保険被保険者資格を取得したいとの申し出があったので、同年8月11日、原告につき雇用保険被保険者資格の取得手続きを行ったのであって、被告東亜から原告に対して雇用保険への加入を強要したことはなかった。
(被告財団の主張)
 前記(被告東亜の主張)と同様である。
(原告の主張)
(1) 争う。次のとおりの理由で、本件各原写真は、被告東亜の発意に基づいて作成されたものではないし、原告は被告東亜の業務に従事する者でもなく、被告東亜の業務として本件各原写真を作成したものでもなかったから、本件在籍中各原写真について著作権法15条1項は適用されない。
ア 著作権法15条1項にいう「法人の発意」とは、単なる契機を意味するものではなく、使用者が著作物の創作をコントロールし得る権限(従業員に自らの方針に従って作成させ、従業員が作成した表現物を自由に修正し得る権限)を有し、かつ従業員の著作物の作成が使用者の権限下でされることをいう。
 確かに、原告は、被告財団との協議の結果定められた編集方針に従って、指定された被写体を撮影したが、本件各原写真を撮影する際のアングル、撮影方法等の選択は、原告に完全に委ねられており、原告は、自らの感性と技術に基づいて、写真撮影を行った。
 原告が1人で撮影に出かけたことも多かったが、2人で撮影に出かけた際も、同行者から指揮や命令を受けたことはなかった。
 被告は、原告に対して撮影の方針を示して従わせたこともなく、原告が作成した写真を自由に修正する権限も有していなかった。
 原告とB の意見が分かれて、同じ被写体の写真を別々に撮影し、後に発注者に選択を委ねたことすらあった。
 したがって、被告東亜には原告の撮影をコントロールし得る権限を有していなかったし、原告が被告東亜のコントロールの下で本件各原写真を撮影したわけでもなかったから、本件各原写真はいずれも被告東亜の発意に基づいて作成されたわけではなかった。
イ 著作権法15条1項にいう「法人等の業務に従事する者」とは、法人等と雇用関係にある者をいうと解されるところ、原告は本件在籍中各原写真の撮影当時、被告東亜の取締役であって、被告東亜との間で雇用契約を締結していたわけではなかったから、原告は、同条にいう「法人等の業務に従事する者」には当たらない。なお、被告東亜は、平成9年12月25日以降、原告につき雇用保険に加入せず、出勤簿やタイムカードによる勤怠管理を行っていなかった。
 仮に同条にいう「法人等の業務に従事する者」を法人等と雇用関係にある者に限定されないと解するとしても、法人等と雇用関係にない者につき同条を適用する場合には、法人等と雇用関係にある者について同条を適用する場合よりも、厳格に考えるべきである。
 しかるに、原告は、次のとおりの理由から、被告東亜の「業務に従事する者」に当たらず、本件在籍中各原写真について著作権法15条1項を適用することはできない。
(ア) 被告東亜においては、始業が午前8時30分、終業が午後5時30分と決められていたにもかかわらず、原告は、上記の勤務時間及び平日・休日の別に関係なく仕事をし、被告東亜から勤務時間を管理されたことはなかった。
(イ) 被告東亜の社内では、毎朝の始業前にミーティング及び朝礼を行い、毎夕方にミーティングを行っていたが、原告が被告東亜の取締役に就任してからは、Bに代わって原告が上記朝礼及び夕方のミーティングを主催するようになった。
(ウ) 原告は、写真部門の責任者として、写真貸出し業の運営を行い、また自ら写真撮影を行い、撮影した写真の整理作業を行っていたが、被告東亜からその方法等につき指示されたことはなかった。
(エ) 原告は、自らの判断で、いつ、どこの現場に行って撮影をするかを決めており、被告東亜から命じられて撮影をするということはなかった。また、撮影のアングル、手法については、まったく原告の裁量に委ねられていた。
(オ) 原告は、少なくとも平成12年3月までは、従業員としての給与ではなく、取締役の報酬を支給されており、残業代等を支給されたことはなかった。
 平成12年ころに給与を支給された形にしたのは、被告東亜の存続を図り、原告の地位や生活を守るために、形式的に従業員としての体裁を整えるべく、従業員に支給する体裁をとったからにすぎず、支給総額はそれ以前と同額であった。
 原告の役員報酬は、取締役就任当初は月額26万8600円であったが、その後、取締役としての地位にふさわしい、月額40万8600円にまで引き上げられた。
ウ 本件写真集の撮影者欄にはBの氏名が記載されているし、「写真で見る首里城」は第2版以降、撮影者欄に氏名のみが記載され、被告東亜の商号は記載されていないから、本件在籍中各原写真は、いずれも著作権法15条1項にいう「法人等が自己の著作の名義の下に公表するもの」に当たらない。
 むしろ、本件各原写真は、原告の著作名義で公表することが予定されていた。
(2) 被告東亜の主張について
 被告東亜において、原告は平成12年夏ころ以降にタイムカードを使用し、雇用保険に加入していたことがあったが、これは第三者から被告東亜が訴訟を提起されるおそれがあったので、被告東亜の存続や原告の地位や生活を守るために、形式的に従業員としての体裁を整えたものにすぎず、平成12年夏ころの前後を通じて被告東亜から原告が指揮命令を受けたわけではなかったから、上記のタイムカードの使用の事実等は、被告東亜と原告との間の雇用契約を裏付けるものではない。
4 著作権法15条1項の別段の定めの有無(争点4)について
(原告の主張)
 原告は、被告東亜に就職する前に、被告東亜の代表者であるBとの間で、原告が被告東亜に在職中に撮影した写真につき、原告がその著作者となる旨を合意した。
 上記合意は、著作権法15条1項にいう「別段の定め」に当たるから、原告が本件在籍中各原写真の著作者である。
 なお、Bは、原告に対し、原告が被告東亜に就職する前に、「一緒に撮影しよう。」とか「同等の関係でやっていこう。」などと発言していたのみならず、被告東亜に就職後の平成9年10月ころには、2回くらい、カメラマンに著作権があることを名文化しましょうと発言していた上、平成13年10月24日以前には写真の著作権を全く問題にしていなかったから、被告東亜は原告が本件在籍中各原写真の著作者であることを認めていたものである。
(被告東亜の主張)
 否認する。
 被告東亜は、原告との間で、原告が被告東亜に在職中に撮影した写真の著作者を原告とする旨を合意したことはない。
 被告東亜の就業規則19条では、撮影した写真の著作権が被告東亜に属する旨を定めており、在職中に職務上撮影した写真の著作者が被告東亜であることを前提としている。原告が被告東亜との間で上記合意をしたというのであれば、就業規則における定めとは異なる内容の合意をしたことになるから、書面を作成するのが相当であるところ、上記合意に係る書面は作成されていないし、原告は被告東亜に対し、被告東亜に在職中は自己が撮影した写真について使用料を請求したこともない。
(被告財団の主張)
 前記(被告東亜の主張)と同様である。
5 著作権譲渡、複製等許諾又は氏名表示権不行使合意の有無等(争点5)について
(被告東亜の主張)
(1) 被告東亜は、平成9年9月29日に原告を面接した際、原告に対し支度金名目で20万円を支払ったが、この金員のうちには、それまでに原告が撮影した写真の買取り代金が含まれていた。したがって、被告東亜において利用した、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真については、原告から著作権の譲渡を受けたか、複製、翻案、複製物ないし翻案物の譲渡(以下まとめて「複製等」ということがある。)をする許諾を受けていたというべきである。
(2) 原告は、被告東亜に就職した直後ころ、被告東亜に対し、被告東亜が当時運営していた写真貸出しサービス(フォトライブラリー)は、取り扱う写真の点数が少なすぎるので、自分の写真を被告東亜のライブラリーに加えて欲しい、被告東亜の写真として第三者に貸し出してもよく、この場合には原告は被告東亜に対して、当該写真の著作権を主張せず、かつ使用料を請求しない旨を申し出た。
 そこで、被告東亜は、原告の上記申し出に応じ、原告が被告東亜の職務外で撮影した写真を被告東亜のライブラリーに加えることにした。
 その後、原告は被告東亜の従業員に指示して、自己が職務外で撮影した写真を被告東亜のライブラリーに追加する作業を行わせた。
 上記のとおり、原告は、被告東亜に就職する以前に撮影した写真を被告東亜が自由に複製等することを許諾しており、被告東亜に対し、本件訴訟の提起に至るまで一度も、上記写真の使用料を請求したことはなかった。
(3) さらに、原告は、被告東亜を 退職するときに、自己が職務外で撮影した写真の取扱いを決めるよう求められた際、被告東亜に対し、自己が職務外で撮影した、被告東亜が保管中のフィルムに係る権利を放棄するとの意思表示をした。
 このとおり、原告は、被告東亜を退職する際、被告東亜に対し、本件原写真18等の、被告東亜の職務と無関係に撮影した写真に係る著作権等を放棄したか、又は被告東亜に上記著作権等を無償で譲り渡した。
(4) あるいは、原告は被告東亜を退職するときに、被告東亜に対し、本件原写真18等の、被告東亜の職務と無関係に撮影した写真で被告東亜において保管中のものを、被告東亜が自社の名義で複製等することを許諾した。
 その後、原告は、本件第3版の出版の際、被告東亜就職前に撮影した写真につき、何ら使用料等を請求しなかった。
(5) 原告は、被告東亜を退職する以前において、被告東亜との間で、自己が撮影した写真の著作権につき何らの取決めをしたことも、被告東亜に対して上記写真の使用料を請求したこともなかった。
 のみならず、原告は、被告東亜に在職中に、本件第2版及び第3版の企画及び制作に深く関与し、写真集「写真で見る首里城」が改訂を重ねていく性格の書籍であることを知っていた。
 しかし、原告が被告東亜を退職する際、原告が撮影した写真で被告東亜において保管中のものの使用料につき、被告東亜との間で何ら取決めをせず、上記写真を引き取ることもしなかった。
 そうすると、原告は、被告東亜を退職する際、被告東亜との間で、原告が撮影した写真につき、被告東亜において自由に複製等して使用することを、少なくとも黙示に合意したというべきである。
(被告財団の主張)
 前記(被告東亜の主張)と同様である。
(原告の主張)
 否認する。
(1)ア 原告が被告東亜との間で、自己が撮影した写真の著作権を、被告東亜に対して譲渡する旨や放棄する旨の合意書を作成したことも、口頭で上記のとおりの合意をしたこともなかった。
 原告が被告東亜のライブラリーに自己の写真を預けたのは、被告東亜の経営に参画する取締役として、被告東亜のフォトライブラリー事業を拡充し、被告東亜の売上げを伸ばそうとしたためであって、自己が撮影した写真の著作権を被告東亜に対して譲渡したり放棄したりする意思まではなかった。原告が被告東亜のライブラリーに預けた写真の使用料を請求していなかったのも、被告東亜の取締役として、被告東亜の経営に対する貢献度を高くし、後の業績向上によって、自己が受ける役員報酬の増加を期待していたからにすぎなかった。
イ 原告が被告東亜を退職し、その取締役を退任した際、被告東亜は原告に対し、原告が就職前に撮影した写真を返却することを約束し、その後、原告に対し、実際に、本件原写真18以外の就職前に撮影した写真のフィルムを全部返却した。
 これらの事実は、原告が被告東亜を退職し、その取締役を退任した時点においても、被告東亜が、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真について、原告にその著作権が帰属することを認識していたことを示すものである。
(2) 原告は、被告東亜との間で、 被告東亜に対し、本件原写真18等の、被告東亜の職務と無関係に撮影した写真で被告東亜において保管中のものを、被告東亜が自社の名義で複製等することを、明示ないし黙示に許諾したことはない。
 原告が被告東亜を退職し、その取締役を退任する際に、被告東亜との間で上記写真の使用料等について協議しなかったのは、被告東亜との間で、保管中の写真の整理が終わり次第直ちに返却する旨を合意しており、被告東亜が上記写真を使用し続けることを予定していなかったため、上記写真の使用料等につき取り決める必要がなかったからにすぎない。
(3) 原告が自己が撮影した写真の使用を被告東亜に許したのは、原告が被告東亜の取締役として、被告東亜の経営に対して協力する意図を有していたからであって、原告が被告東亜の取締役を退任し、被告東亜の経営参画を止めた後になってまで、永久に自己が撮影した写真の自由な使用を許すつもりまではなかった。
 原告が本件第3版に自己が撮影した写真の掲載を不問に付していたのは、本件第3版の出版がされた時期が原告が被告東亜の取締役を退任した直後のことであり、本件第3版に撮影者として自己の氏名が明示されていたからである。
 したがって、少なくとも、原告が被告東亜の取締役を退任した後に企画・出版され、撮影者としてはBの氏名のみが表示され、原告の氏名が表示されていない本件写真集については、原告が撮影した写真の複製等に係る原告の許諾は存しない。
6 被告らの過失の有無(争点6)について
(原告の主張)
 被告らは、本件写真集の出版当時、本件各原写真の著作者がいずれも原告であることを知っていた。
 なお、被告財団においては、被告東亜の担当者と綿密に打合せ協議を行い、奥書部分の修正についても十分に協議しているから、原告が被告東亜の取締役を辞任したことを熟知していた。そうすると、被告財団においては、原告に掲載すべき写真の権利の帰属につき確認することが容易であったにもかかわらず、原告に問合わせ等をしなかった。
 したがって、被告らには、本件写真集の出版・販売によって原告の本件各原写真に係る氏名表示権及び複製権等を侵害したことにつき、少なくとも過失がある。
(被告東亜の主張)
 否認ないし争う。
(被告財団の主張)
 被告財団は、被告東亜に対して本件写真集の編集及び制作を発注したにすぎず、被告東亜の担当者との間で、出版のための打合せ協議を行い、本件写真集に使用される写真に係る権利が被告東亜に属するものと信頼しており、本件各原写真の撮影者ないし著作者が原告であることを全く知らず、これを知ることもできなかった。
 したがって、被告財団には、原告の本件各原写真に係る氏名表示権及び複製権等の侵害につき、過失はない。
7 過失相殺(争点7)について
(被告財団の主張)
 原告には、被告東亜に在職時又は退職時に、自己が撮影した写真の取扱いにつき被告東亜との間で取決めをすることを怠った過失がある。
 したがって、上記過失を斟酌して過失相殺するか、あるいは少なくとも原告に対する賠償額を減額すべきである。
(原告の主張)
 否認ないし争う。なお、被告財団の過失相殺の主張は、時機に後れた攻撃防御方法の提出であり、却下されるべきである。
8 損害の有無及び額(争点8)について
(原告の主張)
(1) 使用料相当額
 原告は、被告らの複製行為により、財産的損害を被った。
 著作権法114条3項により、原告が著作権の行使により受けるべき金銭(使用料)の額をもって原告の上記財産的損害の額と推定することができるところ、本件各原写真の使用料相当額は写真1点当たり10万円を下らない。
 したがって、原告の上記財産的損害の金額は本件各原写真全体で合計130万円を下らない。
(2) 慰謝料の有無及び額
 原告は、被告らによる氏名表示権侵害行為により、精神的苦痛を被った。
 原告の上記精神的苦痛を慰謝するために必要な慰謝料の金額は、本件各原写真1点当たり10万円を下らない。
 したがって、原告に対する慰謝料の金額は、本件各原写真全体で合計130万円を下らない。
(3) 弁護士費用相当額
 原告は、被告らによる氏名表示権侵害行為等の不法行為のため、本件訴訟の追行をその訴訟代理人に委任せざるを得なかった。
 したがって、原告の訴訟代理人に対する弁護士費用相当額の金員は、被告らによる上記不法行為と相当因果関係のある損害である。
 しかるに、本件訴訟の難易等にかんがみると、被告らによる上記不法行為と相当因果関係のある原告の弁護士費用相当額は、26万円を下らない。
(4) 損害のまとめ
 上記(1)ないし(3)のとおり、被告らによる氏名表示権侵害行為等の不法行為による損害は合計286万円を下らない。
(被告東亜の主張)
 いずれも争う。
(被告財団の主張)
 いずれも争う。
9 謝罪広告の必要性(争点9)について
(原告の主張)
 被告らは、本件写真集の出版等により原告の氏名表示権等を侵害したものであるが、上記出版の時点から本件訴えの提起までには既に1年半以上が、口頭弁論終結までには既に3年近くがそれぞれ経過し、本件写真集は相当部数頒布されて、原告の損害は拡大した。
 また、被告らが出版する「写真で見る首里城」の次の版の出版時期が近くなっているものと考えられ、仮に本件写真集の出版の差止めをしたとしても、実効が上がらない可能性もある。
 そうすると、被告らのやり得を許さず、本件各原写真の著作者たる原告の名誉を回復するためには、別紙のとおり、沖縄県内の新聞紙である琉球新報及び沖縄タイムスにそれぞれ謝罪広告を掲載することが必要である。
(被告東亜の主張)
 争う。
(被告財団の主張)
 争う。
第6 当裁判所の判断
1 原告の写真撮影の有無(争点1)について
(1) 証拠(乙イ1の1、乙イ2の1)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の右掖門の写真である本件原写真1は、平成13年10月19日、Dを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(2) 証拠(乙イ1の3、乙イ2の3)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の日影台の写真である本件原写真3は、平成12年4月22日、Dを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(3) 証拠(乙イ1の4、乙イ2の2)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の広福門の写真である本件原写真4は、平成12年4月17日、Bを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(4) 証拠(乙イ1の5、乙イ2の2)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の広福門前広場の写真である本件原写真5は、平成12年4月17日、Bを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(5) 証拠(乙イ1の6、乙イ2の4)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の首里森御嶽の写真である本件原写真6は、平成9年12月31日、Bを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(6) 証拠(乙イ1の7、乙イ2の5)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の下之御庭の写真である本件原写真7は、平成11年3月2日、Bを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(7) 証拠(乙イ1の10、乙イ2の8)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の御庭(うなー)の航空写真である本件原写真10は、平成12年9月20日、原告が撮影したものであることが認められる。
(8) 証拠(乙イ1の11、乙イ2の9)及び弁論の全趣旨によれば、首里城の北殿内部の写真である本件原写真11は、平成13年3月2日、B及びDを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(9) 証拠(乙イ1の13)及び弁論の全趣旨によれば、今帰仁城跡の写真である本件原写真13は、平成11年9月14日、Dを撮影助手として、原告が撮影したものであることが認められる。
(10) 証拠(乙イ1の14、乙イ2の5)及び弁論の全趣旨によれば、首里城付近の園比屋武御嶽石門の写真である本件原写真14は、平成11年3月2日、原告が撮影したものであることが認められる。
(11) 証拠(乙イ1の15)及び弁論の全趣旨によれば、勝連城跡の写真である本件原写真15は、平成11年9月、原告が撮影したものであることが認められる。
(12) 証拠(乙イ1の17)及び弁論の全趣旨によれば、斎場御嶽(せいふぁうたき)の写真である本件原写真17は、平成11年10月、原告が撮影したものであることが認められる。
(13) 証拠(甲2)によれば、座喜味城跡の写真である本件原写真18は、平成9年8月、原告が撮影したものであることが認められる。
(14) 小括
ア 上記(1)ないし(13)のとおり、原告が本件各原写真をいずれも撮影したものであり、うち本件原写真1ないし17は原告が被告東亜に在職中に、うち本件原写真18は原告が被告東亜に就職する前にそれぞれ撮影したものであった。
 そうすると、本件各原写真は、いずれも原告によって作成されたものである。
イ なお、被告東亜においては、原告が撮影した写真には「001−」で始まる整理番号ないし撮影者表示が付されて整理され、B等が撮影した写真には「002−」で始まる整理番号ないし撮影者表示が付されて整理されていた(弁論の全趣旨)。
 また、証拠(甲5)及び弁論の全趣旨によれば、本件各原写真のマウント(紙製等の一種の枠)は、本件各原写真を本件第3版の発行に使用した時点ころ又は遅くとも本件写真集の発行に使用した時点ころまでに、上記各使用の目的でいったん開封され(取り外され)、被告東亜の従業員によって新たなマウントに装填されたことが認められる。そして、証拠(B本人(調書9頁))及び弁論の全趣旨によれば、上記の新たなマウントに装填された際に、被告東亜の従業員が本件原写真18のマウントに撮影年月を「2001.6」(平成13年6月)と誤って記載したことが認められる。したがって、本件原写真18のマウントには上記のとおり、真の撮影年月とは異なった年月が記載されているものであるが(乙イ1の18)、これは誤った記載であって、この記載があることによって前記(13)の認定が左右されるものではない。
2 職務著作の当否(争点2)について
(1) 法人その他使用者(以下「法人等」という。)の発意に基づいて、当該法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物であって、当該法人等が自己の著作名義で公表するものの著作者は、作成時において契約等に別段の定めがない限り、当該法人等となるところ(著作権法15条1項)、同項にいう「法人等の業務に従事する者」に当該「法人等と雇用関係にある者がこれに当たることは明らかであるが、雇用関係の存否が争われた場合には、同項の『法人等の業務に従事する者』に当たるか否かは、法人等と著作物を作成した者との関係を実質的にみたときに、法人等の指揮監督下において労務を提供するという実態にあり、法人等がその者に対して支払う金銭が労務提供の対価であると評価できるかどうかを、業務態様、指揮監督の有無、対価の額及び支払方法等に関する具体的事情を総合的に考慮して、判断すべきもの」であると解される(最高裁平成13年(受)第216号・平成15年4月11日第二小法廷判決)。
 本件においては、本件在籍中各原写真の撮影(作成)当時、原告と被告東亜との間で雇用関係があったか否かが争われているから、同項にいう「法人等の業務に従事する者」に当たるか否かを判断するについては、上記のとおり、使用者たる被告東亜と作成者たる原告との間の関係に係る具体的事情も総合的に考慮して判断すべきである。
 ここで、証拠及び弁論の全趣旨によれば、原告と被告東亜との間の契約関係、被告東亜による指揮監督の有無及び内容、被告東亜が原告に対して支払った金員の性格等に関し、次の(2)のとおりの各事実が認められる。
(2) 前提事実
ア 原告の経歴
 原告は、昭和52年10月にE大学F学部を中退後、フリーカメラマンになり、平成7年7月には写真を顧客に貸し出して使用料を徴収する業務であるフォトライブラリーを運営する有限会社アートバンクの、平成8年4月には同様にフォトライブラリーを運営するJTBフォト株式会社の、平成8年8月には同様のフォトライブラリーを運営する株式会社沖縄カラーの契約カメラマンになった。
 なお、原告は、平成8年4月、沖縄県内に転居し、以後は主として沖縄県内で、沖縄固有の舞踊である琉球舞踊を撮影したり、沖縄固有の染め物である紅型(びんがた)の衣装を撮影したりしたほか、結婚式等でスナップ写真等を撮影したりして生計を立てていた(甲15(1、2頁)、乙イ4)。
イ 被告東亜の就業規則
 被告東亜は、平成5年2月21日、新たな就業規則を定め(以下「本件就業規則」という。)、同日から施行したが、この中には、次のとおりの規定があった。なお、同月20日、本件就業規則の制定に先立って、被告東亜の従業員Hは、従業員代表として、本件就業規則に対して特に異議がない旨を表明した(乙イ3、67(4頁))。
(ア) 従業員の定義等
 「この規則で従業員とは、第2章で定める手続により採用され、会社の業務に従事する者をいう。」(3条)
(イ) 採用(第2章第1節)
 「従業員を採用するときには、履歴書、家族調書その他必要なる書類を提出させ、原則として労力及び人物詮衡を行い社長の決裁を得て採用する。」(4条・採用条件)
 「新たに採用した者については、原則として採用の日から3カ月間を試用期間とする。」(6条1項・試用期間)
(ウ) 退職(第2章第4節)
「従業員が次のいずれかに該当するときは、退職とする。
(1号略)
 A 退職を願い出て承認されたとき、または退職願を提出して14日を経過したとき。
(3号ないし5号略)」(14条・退職)
(エ) 著作権の帰属
 「撮影したフィルム等の著作権については、従業員が業務上の職務いかんに拘わらず全て会社の権利に属する。」(19条)
(オ) 出退勤
 「従業員は、出退勤に際し次の事項を守らなければならない。出退勤時刻を各自のタイムカードに記録しなければならない。」(21条1項)
(カ) 労働時間及び休憩
 「1労働日の就業時間は、原則として9時間とし、これを労働時間8時間、休憩時間1時間とに分ける。」(23条1項)、
 「1日の労働時間は、8時間とする。」(同条2項)、
 「始業・終業の時刻および休憩時間は、次の通りとする。
  始業時刻08時30分
  終業時刻17時30分
  休憩時間12時00分から13時00分まで
  時間外就業の始業は18時00分からとする。」(同条3項)
ウ 本件初版の企画及び制作等
(ア) 被告東亜は、平成6年5月ころから、被告財団に対し、首里城の写真集の制作の企画を提案することを構想し始め、同年6月2日、被告財団に対し、概ね次のとおりの内容の提案を行った(乙イ17、18)。
a 3段階に分けて首里城の写真集を発行する。すなわち、被告財団が当時出版及び販売していた書籍「首里城甦える琉球王国」の続編となる、首里城の紹介のためのA4版48頁の写真集「首里城写真案内」及びB5版48頁の写真集「琉球王府首里城」を各1万部出版し、次いで、沖縄の美しい城である首里城をエッセイと写真で綴るA4版128頁の写真集「美しい首里城」を500部出版し、その後に被告が同様に当時出版及び販売していた書籍「首里城」の続編となる、首里城の紹介のためのB5版96頁の写真集「琉球の朱い城」を1万部出版する。
b 上記aのうち写真集「首里城写真案内」では、首里城の地理的位置の紹介のための航空写真や、古首里城内の案内記事、首里城内の各施設の写真による紹介等を盛り込む。
c 上記aのうち写真集「琉球王府首里城」では、その内容を3つのテーマに大別し、うち第1のテーマ「沖縄への誘い」の部では首里城の航空写真や沖縄県内で咲く花等の写真を盛り込み、うち第2のテーマ「琉球王府首里城」の部では諸門、正殿、南殿、番所、北殿等の諸施設の写真やイラスト等を盛り込み、うち第3のテーマ「資料」の部では第1期開園当時の首里城の案内記事等を盛り込む。
d 上記aのうち写真集「美しい首里城」では、上記のとおり、沖縄の美しい城である首里城をエッセイと写真で綴ることとし、具体的には、青い海の写真、首里城の航空写真、沖縄県内で咲くイジュ等の花の写真、四季ごとの首里城の写真等とこれらに係るエッセイを盛り込む。
e 上記aのうち写真集「琉球の朱い城」では、首里城正殿(その外部及び内部、調度類、各部、附属建物、各門、庭等)の写真等や、琉球王府の行政機構及び階級制度に係る記事、城郭の写真等を盛り込む。
(イ) Bは、被告東亜の担当者として、被告財団の担当職員と協議を重ね、出版すべき首里城の写真集の内容につき検討を重ねた。
 被告東亜は、平成8年5月、被告財団に対し、上記検討結果をもとに前記(ア)の企画案を修正した、B5版96頁の1冊の写真集の構成案及び当該写真集に使用すべき写真のリストである「『写真で見る首里城』−初版製作用−当初使用写真リスト」を提出し、上記写真集の構成及び使用すべき写真を提案した。
 すなわち、上記構成案では、全体で合計170点の写真等(図面等7点を含む。)を使用することとされ、うち口絵部分では、首里城公園全景の写真を、本文部分では、首里城内の歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)、広福門及び奉神門の各写真、御庭の広場、南殿(なんでん)、番所(ばんどころ)、正殿(せいでん)及び北殿の各写真、城郭の右掖門、木曳門(こびきもん)及びアザナ等の各写真、首里城外に面する久慶門(きゅうけいもん)、首里城外に位置する守礼門(しゅれいもん)及び首里杜館(すいむいかん)の各写真、美術工芸品及び伝統芸能に係る各写真、首里城の沿革や沖縄県内の城等に係る記事を盛り込むこととされていた。
 また、上記構成案では、各頁の写真の被写体、全景か正面かといった撮影の大まかの方向、写真の割付けの仕方等が指定されていた。
 他方、上記使用写真リストでは、合計165点の写真のうち、沖縄県立図書館、沖縄県立博物館、沖縄県教育庁文化課、沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館、被告財団及び内閣府沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所が収蔵する多数の写真並びに被告東亜が権利を有する写真62点(新規に撮影する写真を含む。)等を使用することとされていた(乙イ17、19、20)。
(ウ) Bは、被告財団の担当者と、前記(イ)の構成案をもとに、さらに協議を行い、被告東亜は、平成8年6月、被告財団に対し、前記(イ)の構成案の内容を修正した新たな構成案である「『写真で見る首里城』出版構成案」を提出して、本件初版の構成及び使用すべき写真を提案した。
 上記構成案では、概ね首里城に入場してから退場するまでの経路を考慮して各部が配され、また、見出しを設けてこれに岩礁のイメージを表現する写真を使用することとされていたほか、使用される写真のうちには、前記(イ)の構成案よりも写真の撮影の方向等がより細かく指定されているものがあった(乙イ17、21)。
(エ) 被告東亜は、平成8年7月16日、被告に対し、前記(イ)の写真リストを修正した新たな使用写真リストである「『写真で見る首里城』−初版製作用−最終使用写真リスト」及び見積書を提出して、本件初版の構成及び使用すべき写真を提案した。
 上記使用写真リストでは、使用する写真の変更に伴って、前記(イ)の使用写真リストと国営沖縄記念公園事務所及び被告東亜の写真の点数等が変更されていた(乙イ17、22、23)。
(オ) 被告東亜は、平成8年ころ、被告財団に対し、提供した者ごとに写真を分類した体裁の、本件初版に使用すべき写真の最終的なリストである「『写真で見る首里城』−初版使用写真リスト」を提出して、本件初版の構成及び使用すべき写真を提案した。
 上記使用写真リストでは、沖縄県立図書館、沖縄県立博物館、沖縄県教育庁文化課、沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館、被告財団、国営沖縄記念公園事務所等が収蔵する写真を多数使用することとされていたほか、被告東亜が権利を有する写真59点を使用することとされていた。
 また、上記使用写真リストでは、今帰仁城跡の写真は、被告東亜が既に作成していた写真を使用することとされていた(乙イ17、24)。
(カ) 被告東亜は、その後、本件初版を完成させ、平成9年5月9日、被告財団に対し本件初版2万部を納入した(乙イ17、25)。
エ 原告の就職
(ア) 原告は、平成9年9月20日、琉球舞踊の家元から依頼を受けて、首里城の御庭で行われたイベント「中秋の宴」で撮影をしていたところ、Bは、原告に対し、どこの報道カメラマンか、どのような種類の写真の仕事をしているかなどと質問し、また、いつもはカメラマンに声をかけないが、今日は特別に声をかけた旨、原告の撮影の仕方に関して、動き方が違い、感心した旨等の発言をし、さらに原告に対し、一度被告東亜の本店事務所に自己が撮影した写真を持参して訪問するよう勧めた。
 これに対し、原告は、Bに対し、自己が契約しているフォトライブラリーの仕事は売上げが上がらないし、琉球舞踊の撮影の仕事も苦労が多いなどと打ち明け、Bの勧めに従って、被告東亜の本店事務所を訪問することにした(甲13の1、甲15(2ないし4頁)、甲16、弁論の全趣旨)。
(イ) 原告は、平成9年9月22日、自己が撮影した写真及び履歴書を持参して被告東亜の本店事務所を訪れ、Bと面談した。
 Bは、この際、原告に対し、被告東亜では国や県等から受注する仕事が多く、首里城や学術品等の撮影の仕事が多いなどと被告東亜の業務内容について説明し、また以前に沖縄県出身のカメラマンを雇用したが、続かなかったこと等を打ち明け、かつ自分と一緒に仕事をしよう等と発言して、被告東亜への就職を勧めた。
 これに対し、原告は、Bに対し、フォトライブラリーの仕事では収入が低く生活ができないこと、当時沖縄の芸能や文化等の写真を撮影していること等の、当時自己が置かれていた状況を説明したが、被告東亜へ就職するかどうかについては、確答しなかった(甲15(4、5頁)、16、乙イ4)。
(ウ) 原告は、その後、被告東亜に就職するかどうか迷ったが、同月27日、再び被告東亜の本店事務所を訪れ、Bと面談した。
 Bは、この際、原告に対し、自分と対等の関係で仕事をしようとか、原告のスポンサーのつもりであるとか、原告が仕事を開始するのは早い方がよいとか、原告が過去に撮影した写真を被告東亜に持ち込んでもよいとか、賃金は原告が指定してよいなどと発言した。
 原告は、Bの発言に納得して、Bとの間で、被告東亜に就職すること及び平成9年10月1日から仕事を開始することを合意した(甲13の2、甲15(5、6頁))。
(エ) 被告東亜は、平成9年9月29日ころ、原告に対し、原告が被告東亜に就職する上での支度金として、20万円を支払った(乙イ5)。
(オ) 被告東亜は、平成9年10月1日、原告を部長として雇用し、原告の給与を、基本給18万5000円(うち年齢給9万9100円、職能給8万2200円、加給3700円)及び部長の役職手当6万円等の合計26万8600円と定めた(原告本人(調書16頁)、乙イ6)。
オ 被告東亜の社内体制及び原告の取締役就任
(ア) 原告が被告東亜に就職した当時、被告東亜では、通常の写真撮影業務のほか、マイクロフィルムの撮影業務や製本業務等も行っていた。この当時は、原告のほか、Gも部長職にあり、原告とG以外の従業員は3名程度であった。
 原告は、被告東亜に就職後、被告東亜の写真撮影業務に従事したほか、被告東亜の通常の写真撮影業務を取り扱う企画部門の部長になって同部門を担当した。他方、このころGは、マイクロフィルムの撮影業務等を取り扱う部門の部長として、同部門を担当した(甲12、乙イ67(3頁)、弁論の全趣旨)。
(イ) 原告は、被告東亜に就職した後、Bから、被告東亜の株式を取得して株主となり、かつ被告東亜の取締役に就任するよう勧められた。
 上記の当時、被告東亜の取締役は、代表取締役であるB と、平取締役であるGの2名であった。
 被告東亜では、平成9年12月25日、定時株主総会を開催し、原告を取締役に選任するとの決議をした。原告は、これに対し、被告東亜の取締役への就任を承諾するとの意思表示をし、同日、被告東亜の取締役に就任した。
 また、被告東亜では、同日、取締役会を開催し、原告の役員報酬を、従業員としての給与部分を含めずに、月額25万円とすること等を決議した。
 他方、原告は、遅くとも平成10年2月ころ、自己が所有し、使用していた大型カメラ等の撮影機材一式を、被告東亜に対して少なくとも合計118万円程度で売り、この売買代金と自己資金の合計150万円をもって、被告東亜の株式3000株を取得し(1株の額面500円)、被告東亜の株主になった(甲15(6、7頁)、乙イ7、8、69の1)。
(ウ) 原告は、前記(イ)のとおり被告東亜の取締役に就任した後、通常の写真撮影業を行う部門及びフォトライブラリー部門の責任者として、被告東亜の業務に従事したほか、被告東亜の営業の管理責任者として、営業全般に関与した。
 なお、このころにBが定めた被告東亜の業務指針である社訓では、毎日の最終会議で当日の作業結果及び翌日の作業計画の報告を行うべきものとされ、特に営業報告はBら取締役3名出席の下に行うべきものとされていたほか、毎週土曜日の朝にBが被告東亜の従業員に研修及び指導をすることが予定されていた。
 原告は、毎日の始業前にB及びGと会議を行い、その後に被告東亜の全従業員が参加する朝礼を取り仕切り、また上記の社訓に従い、夕方の最終会議を取り仕切って所要の報告等を行った(甲12、15(7、8頁))。
(エ) 被告東亜では、通常、撮影前に打合せを行い、従業員等が2名1組で撮影作業を行うこととされ、従業員等が単独で撮影作業を行う場合でも、事前に撮影対象や、撮影場所、時間、使用する自動車を届け出て、撮影作業を行うこととされていた。
 特に、官公庁等から具体的に被写体等を指定されて行う写真撮影や、撮影作業に時間がかかる、大型カメラを使用した写真撮影においては、事前に発注者の担当職員等と協議し、撮影計画を練ってから、撮影作業を行っていた(乙イ66、67(6、7頁))。
(オ) 原告は、発注者の指示に基づき、被告東亜の社内で決めた方針に従って、写真撮影を行ったが、撮影した都度、当日の作業の報告書である撮影日報を作成し、撮影時刻、当日の天候、気温、撮影者、撮影対象や使用機材等を被告東亜に報告した(乙イ2の1ないし11)。
(カ) 被告東亜では、遅くとも平成12年8月ころから、タイムカードを利用して出勤退勤の管理をするようになった(甲15(10頁))。
(キ) 原告は、少なくとも自己が被告東亜に対して撮影機材一式を売った時点(遅くとも平成10年2月ころ)以降に、被告東亜の業務に関連して撮影した写真については、被告東亜が所有する上記撮影機材を使用して撮影を行った(弁論の全趣旨)。
カ 原告の社会保険加入等
(ア) 原告は、平成10年2月2日、被告東亜を事業主とする健康保険及び厚生年金保険に加入した(乙イ11、12)。
(イ) 原告は、被告東亜に就職したときに、被告東亜を事業主とする雇用保険にいったん加入したが、被告東亜は平成10年2月以降、原告について雇用保険料(ただし、事業主負担分。以下同じ。)を納付しなくなった。しかし、被告東亜は、平成12年ないし13年ころ、再び原告について雇用保険料を納付するようになった(乙イ14、15の1ないし8、62、67(3頁))。
キ 原告の給与等
(ア) 原告は、被告東亜から、被告東亜に就職した平成9年10月には、合計21万円強の給与の支給を受け、同年11月及び12月には、毎月25日に合計26万8600円の給与の支給を受けた(乙イ15の1)。
(イ) 原告は、被告東亜から、被告東亜の取締役に就任した後である平成10年1月以降、毎月25日ころに、前記オ(イ)の役員報酬月額25万円及び従業員としての給与(以下「従業員給与」ということがある。)1万8600円の支給を受けた(合計月額26万8600円で、前記(ア)の給与の総額と同額であった。乙イ15の2、3、乙イ67(3頁))。
(ウ) 被告東亜は、平成11年12月10日、取締役会を開催し、原告の同年11月分以降の役員報酬を月額39万円とする旨の決議をし、同年11月分ないし平成12年3月分については、毎月25日ころに、原告に対し、上記金額の役員報酬を支給した。
 しかし、原告の従業員給与の金額は従前と同額の月額1万8600円であった(合計月額40万8600円)。
 なお、原告に支給された平成12年1月分ないし3月分の金員の明細に係る紙片は、被告東亜の台帳の役員報酬の頁に貼付されているが、基本給や役職手当等の役員報酬の性格とは相容れない内訳が記載されており、かつ、平成11年の同趣旨の明細の紙片と体裁が一致することにかんがみると、単に貼付すべき頁を誤ったものと推認でき、前記(イ)と同様に、役員報酬と従業員給与とを合計した金額(月額40万8600円)を支給していたものであったと認められる。また、Bの本人尋問における供述中には、原告が役員報酬のみを受けていた旨の部分があるが(調書16頁)、Bは(台帳に)「書いてあるとおりだと思います。」及び「うちのほうで提出している労務関係の表があると思うんですけれど、それを見ないとちょっと分からないですね。」とも供述しており(調書15、17、18頁)、被告東亜が平成12年8月に那覇公共職業安定所長宛に提出した原告の兼務役員雇用実態証明書中には、従業員給与及び役員報酬の双方を支払っている旨の記載がある(乙イ64)ことにもかんがみると、Bの上記供述部分は同人の誤解に基づくものであったと認められる(乙イ15の3ないし5、乙イ69の2、弁論の全趣旨)。
(エ) 被告東亜は、遅くとも平成12年4月ころ、原告につき、役員報酬を月額10万円に減額し、他方原告の従業員給与を月額合計30万8600円に増額して、以後毎月、毎月25日ころに、これらの合計月額40万8600円を原告に対して支給した(乙イ15の4、5、乙イ63、弁論の全趣旨)。
(オ) 被告東亜は、平成12年11月ころ、原告につき、従業員給与を月額合計27万8600円に減額し、以後毎月、毎月25日ころに、被告東亜は原告に対し、役員報酬10万円との合計月額37万8600円を支給した。
 なお、被告東亜が平成12年11月ころに原告に対して下した辞令(乙イ75)には、原告に対する給与を、年齢給18万0800円、職能給8万5800円、役職手当7万円等の合計37万8600円とする旨の記載があるが、実際には上記のとおり、上記合計額には、役員報酬部分が含まれており、役員報酬と従業員給与との区別が曖昧であった(乙イ15の4ないし7、乙イ75)。
(カ) 被告東亜は、平成13年9月20日、取締役会を開催し、下請けのIの制作不備の問題に対処するため労力を費やし、売上げ等が減少したので、経営を回復するために役員報酬を見直す必要があるとして、原告及びGの同月分以降の各役員報酬を従前の月額10万円から0円に、Bの同月分以降の役員報酬を従前の月額80万円から50万円にそれぞれ減額するとの決議をした。
 原告の役員報酬は、上記決議に従って、同月分以降から支給されなくなった。
 このため、原告が被告東亜から支給を受けた平成13年9月分以降の金員は、従業員給与月額27万8600円のみになった(乙イ15の6ないし8、乙イ69の3、弁論の全趣旨)。
(キ) 被告東亜では、平成13年12月18日、取締役会を開催し、Gの役員報酬を同年11月分以降から月額29万4000円に引き上げるとの決議をし、被告東亜はGに対しては同年11月分以降の役員報酬を支給したが、原告に対しては依然として役員報酬を支給しなかった(乙イ69の4、弁論の全趣旨)。
(ク) 被告東亜では、少なくとも平成20年ころまで、株主に対する利益配当を行ってこなかった(B本人(調書27頁))。
ク 原告の写真持込み等
 原告は、被告東亜に就職した後、上記就職前に自己が撮影した写真を多数持ち込み、被告東亜のフォトライブラリーに登録した。
 原告は、上記登録の際、被告東亜との間で、写真の取扱いにつき何ら契約書を取り交わさなかった。
 なお、被告東亜では、遅くとも平成11年以降、フォトライブラリーに写真を登録する際に、写真家との間で定型の書式による契約書を締結してきており、同契約書中では、写真の利用方法を被告東亜に包括的に委ね、著作権者の表示の方法についても被告東亜に一任する旨の約定(4項)が設けられていた。
 もっとも、被告東亜のフォトライブラリーにおける写真利用者向けの写真貸出規定では、利用者が写真を使用する際、掲載誌や印刷物等に被告東亜及び写真家の名称を明記するよう求めていた(9項)(甲20の2、乙イ71の1、2、弁論の全趣旨)。
ケ 本件第2版の企画及び制作等
(ア) 被告東亜は、平成10年12月14日、被告財団に対し、本件初版の改訂を提案し、企画書「『写真で見る首里城』改訂版作成企画書」、構成案及び使用写真リストを提出して、本件第2版の構成及び使用すべき写真を提案した。
 なお、上記提案を始めとする本件第2版の制作作業においては、Bのほかに、原告も被告東亜の担当者として被告財団との協議に参加したり、企画書の作成等に関与したりして、上記制作に幅広く関与した。
 上記企画書では、上記構成案の内容に沿って、延べ18頁、合計6箇所の文章及び延べ20点の写真を変更することとされており、より具体的には、表紙等のデザインを変更するほかに、首里城全景の航空写真並びに奉神門、龍潭(りゅうたん)、久慶門及び首里杜館等の各写真を変更し、新たに各2点の写真を使用した下之御庭及び継世門(けいせいもん)の頁を設けることとされていた。
 上記構成案の巻末の奥付きでは、掲載された写真の撮影者等を示す表示として、Bのほかに原告の氏名及び略歴が掲げられていたが、編集制作者を示す表示として、被告東亜の商号が掲げられ、写真及び資料を提供した者を示す表示として、沖縄開発庁沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所等の公の施設ないし団体や個人の名称が掲げられていた。また、上記奥付きの下方の四角形の枠で囲まれた発行者等を表示する記載部分では、発行所の表示として被告財団の首里城公園管理センターの名称が、編集制作者の表示として被告東亜の商号がそれぞれ掲げられていた。
 上記使用写真リストでは、被告東亜において、縦4インチ×横5インチの大判のフィルムを使用し、大型カメラで今回新規に撮影して掲載すべき写真として、首里城全景の航空写真、龍潭から首里城方向を見た写真、龍樋(りゅうひ)の入り口から瑞泉門を見上げた写真、下之御庭の全景の写真、奉神門の正面等の写真、御庭全景の航空写真、継世門の全景及び正面の写真、首里杜館の全景及びその内部の情報展示室の写真、園比屋武御嶽石門の写真並びに龍潭の写真がそれぞれ掲げられていた(延べ14点)。
 また、上記使用写真リストでは、首里森御嶽の写真は、既に撮影されている写真を使用することとされていた(甲15(9頁)、乙イ17、26ないし28)。
(イ) 被告東亜の担当者であった原告ないしBは、その後、前記(ア)の企画書等をもとに、被告財団の担当職員と協議を重ね、本件第2版の内容につき検討を重ねた。
 被告東亜は、平成11年3月、上記協議結果をもとに、最終案として、前記(ア)の企画書等の各内容をそれぞれ改めた企画書、構成案及び使用写真リストを作成し、被告財団に対し、この企画書等を提出した。
 被告東亜は、上記の際、本件第2版の見積書を被告財団に提出した。
 上記改訂後の企画書においては、変更する箇所のある頁数は変わらなかったものの、変更する文章が8箇所に増加した一方、変更する写真の点数は18点に減少した。
 上記改訂後の構成案においては、改訂前の構成案と異なって、変更する文章の案が示されていた。
 上記改訂後の使用写真リストにおいては、前記(ア)で被告東亜において新規に撮影すべきものとされていた写真のうち、龍樋の入り口から瑞泉門を見上げる写真、奉神門の写真2点及び継世門正面の写真は国営沖縄記念公園事務所が収蔵する写真を使用することに変更された。そして、被告東亜において新規に撮影すべきものとされていたその余の写真のうち、龍潭から首里城を望む写真、下之御庭の写真(本件原写真7 、御庭全景の航空写真) (ただし、本件原写真10とは異なるもの。)並びに首里杜館の全景及びその内部の情報展示室の各写真(合計5点)は原告が撮影した写真を使用することとされ、首里城全景(2点)、継世門全景、園比屋武御嶽石門及び龍潭の各写真(合計5点)は、被告東亜の原告以外の者が撮影した写真を使用することとされた。
 また、上記改訂後の使用写真リストにおいては、前記(ア)で既に撮影済みの写真を使用することとされていた首里森御嶽の写真につき、原告が被告東亜の業務上撮影し、被告東亜が国営沖縄記念公園事務所に納品した本件原写真6(整理番号97−20−34−01)を使用することとされた(乙イ17、29ないし32、弁論の全趣旨)。
(ウ) 被告東亜は、前記(イ)の使用写真リストの体裁を改め、提供した者ごとに写真を分類した最終の使用写真リストを作成し、平成11年5月13日、被告財団に対し、上記使用写真リストを提出した。
 上記使用写真リストによると、本件第2版に使用されている写真延べ178点のうち、被告東亜が提供した写真の点数は延べ67点であり、さらにこのうち原告が撮影した写真は前記(イ)の5点のみであった(乙イ17、34)。
(エ) 被告東亜は、平成11年3月16日、被告財団から本件第2版2万部の発注を受け、遅くとも同年6月11日以降、被告財団に対してこれを納入した。
 その後、本件第2版は、首里城公園内の被告財団の施設ミュージアムショップ球陽等で販売された(乙イ17、33、35)。
コ 本件第3版の企画及び制作等
(ア) 被告東亜の担当者であった原告ないしBは、被告財団の担当職員と協議した上で、平成13年5月、被告財団に対し、本件第2版の改訂を提案し、企画書「『写真で見る首里城』第3版作成企画書」を提出した。
 上記企画書では、延べ33頁、合計87箇所の文章及び延べ36点の写真を変更することとされており、より具体的には、表紙等のデザインを変更するほかに、首里城全景の航空写真のほか、瑞泉門、漏刻門、広福門、系図座・用物座(けいずざ・ようもつざ)、北殿、右掖門及び白銀門(はくぎんもん)等の首里城の写真を新規に撮影してもとの写真を変更し、かつ沖縄県内の他の施設の紹介に関し、今帰仁城跡、座喜味城跡、園比屋武御嶽、玉陵(たまうどぅん)、斎場御嶽、中城城跡(なかぐすくじょうあと)及び勝連城跡の各写真を新規に撮影して掲載することとされていた。
 なお、上記提案を始めとする本件第3版の制作作業においては、Bのほかに、原告も被告東亜の担当者として被告財団との協議に参加したり、企画書の作成等に関与したりして、上記制作に幅広く関与した(原告本人(調書27頁)、甲15(9頁)、乙イ17、36)。
(イ) 原告ないしBは、その後、前記(ア)の企画書をもとに協議を行い、本件第3版に使用すべき写真を検討した。
 被告東亜は、上記検討の結果を受けて、平成13年6月ないし8月ころ、その後の検討のたたき台となる使用写真リスト「『写真で見る首里城』第3版製作用−当初使用写真リスト」を作成し、被告財団に提出した。
 上記使用写真リストでは、首里城全景の航空写真のほか、龍潭から首里城を望む写真、歓会門城郭付近から瑞泉門方向を望む写真、日影台、広福門の正面及び全景、系図座・用物座の内部及び全景並びに北殿の内部の各写真、物見台(ものみだい)への階段から二階御殿(にーけーうどぅん)の庭を見た写真、右掖門正面、白銀門、守礼門全景、首里杜館の全景及び内部、玉陵並びに園比屋武御嶽石門の各写真、首里城跡、座喜味城跡、勝連城跡及び中城城跡の各航空写真、斎場御嶽の写真を被告東亜において大判のフィルムを使用して新規に撮影することとされていた。
 また、上記使用写真リストでは、原告が撮影した御庭全景の航空写真、下之御庭、首里森御嶽及び首里杜館内部の情報展示室の各写真(合計4点)をそれぞれ本件第2版に引き続いて使用することとされていたが、首里城全景の航空写真等の各写真は、上記のとおり新規に撮影する写真と差し替えられることとされていた(乙イ17、37)。
(ウ) 被告東亜は、被告財団の担当職員との協議の結果を受けて、平成13年6月ないし8月ころ、本件第3版の構成案を作成し、被告財団に提出した。
 上記構成案では、本件第2版と同様に、巻末の奥付きで、掲載された写真の撮影者等を示す表示として、Bのほかに原告の氏名及び略歴が掲げられ、編集制作者を示す表示として、被告東亜の商号が掲げられ、写真及び資料を提供した者を示す表示として、内閣府沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所等の公の施設ないし団体や個人の名称が掲げられていた。また、上記奥付きの下方の四角形の枠で囲まれた発行者等を表示する記載部分では、発行所の表示として被告財団の首里城公園管理センターの名称が、編集制作者の表示として被告東亜の商号がそれぞれ掲げられていた(乙イ17、38)。
(エ) 被告東亜では、前記(ウ)の構成案及び前記(イ)の使用写真リストで示された方針に従って、平成13年6月ないし8月ころ等に、原告らが前記1のとおり、首里城の建築物等の写真撮影を行った(本件原写真1等)。
 なお、本件在籍中各原写真のうち本件原写真3ないし5、7、10、11、13、14、15及び17は、原告がその後の写真集等の作成等に役立てるべく、前記1のとおり、被告東亜の業務として本件第3版の企画書提出以前に撮影しておいたものであった(乙イ17、弁論の全趣旨)。
(オ) 原告ないしBは、平成13年6月ないし8月、被告財団の担当職員と、本件第3版の英語版の作成の当否や、本件第3版の発行部数(日本語版及び英語版)について協議する等した(乙イ17)。
(カ) 被告東亜は、被告財団の担当職員との協議の結果を受けて、平成13年6月ないし8月ころ、前記(イ)の使用写真リストを修正した使用写真リスト「『写真で見る首里城』第3版製作用−最終使用写真リスト」を作成し、被告財団に対して提出した。なお、被告東亜は、このころ、被告財団に対し、本件第3版の見積書を提出した。
 上記使用写真リストでは、前記(イ)の使用写真リストでは被告東亜において新規に撮影すべきものとされていた写真のうち、龍潭から首里城を望む写真、日影台(本件原写真3)、広福門の正面及び全景(本件原写真4及び5)、北殿内部(本件原写真11)、右掖門正面(本件原写真1)、白銀門、守礼門全景、首里杜館の全景及び内部の休憩所、園比屋武御嶽石門(本件原写真14)並びに斎場御嶽(本件原写真17)の各写真並びに座喜味城跡及び勝連城跡の航空写真(合計14点)については原告が撮影した写真を使用することとされたが、首里城全景の航空写真、歓会門城郭付近から瑞泉門方向を望む写真、系図座・用物座の内部及び全景並びに北殿内部の売店の各写真、物見台への階段から二階御殿の庭を見た写真、玉陵の写真並びに首里城跡及び中城城跡の各航空写真(合計9点)については被告東亜の原告以外の者が撮影した写真を使用することとされた。
 もっとも、上記の座喜味城跡の航空写真とされていた写真は、実際には航空写真ではなく、原告が被告東亜に就職する前に地上から撮影した本件原写真18(整理番号001−04545)であった。
 また、上記の勝連城跡の航空写真とされていた写真も、実際には航空写真ではなく、原告が被告東亜に就職後に地上から撮影した本件原写真15(整理番号001−04023)であった(乙イ17、39)。
(キ) 被告東亜は、被告財団の担当職員との従前の協議の結果を受けて、最終的な見積書の提出に役立てるために、前記(ア)の企画書の内容を改めた企画書を作成し、平成13年9月、被告財団に対して提出した。
 上記企画書の内容は、新規に撮影した日影台の写真に改め、キャプション及び解説文を挿入することが加えられたほかは、前記(ア)の企画書「『写真で見る首里城』第3版作成企画書」の内容と概ね同一であった(乙イ17、40)。
(ク) 被告東亜は、被告財団の担当職員との従前からの協議の結果を受けて、本件第2版からの変更点等をまとめた「『写真で見る首里城』製作依頼内容」と題する書面を作成し、平成13年10月、被告財団に対して提出した。
 また、被告東亜は、同月20日、被告財団に対し、本件第3版の最終見積書を提出し、同月22日、被告財団の首里城公園管理センターの施設であるショップ紅型から、本件第3版の2万部の発注を受けた(乙イ17、41ないし43)。
(ケ) 被告東亜は、平成13年10月22日、本件第3版の同月下旬以降の制作スケジュールをまとめた実施工程表を作成し、これを同月23日、被告財団に対して提出したが、上記実施工程表中には、本件第3版の制作担当者としてBの氏名が記載され、工程管理者として原告の氏名が記載されていた。
 被告東亜は、このころ、印刷会社である有限会社東宝印刷に対し、本件第3版の印刷作業を依頼した(乙イ17)。
(コ) 被告東亜は、文章の作成を依頼した作家から最終原稿をとりまとめ、本件第3版の最終的な構成案を作成し、平成13年10月30日、被告財団に対し、同構成案を提出した。
 上記構成案でも、前記(ウ)の構成案と同様に、巻末の奥付きで、掲載された写真の撮影者等を示す表示として、Bのほかに原告の氏名及び略歴が掲げられたり、編集制作者を示す表示として、被告東亜の商号が掲げられるなどしていた(乙イ17、45)。
(サ) 被告東亜は、平成13年11月ころ、本件第3版の最終的な企画書を作成し、同月2日、被告財団に対して提出した。
 上記企画書の内容は、アザナ、継世門及び二階御殿に係る各頁の位置付けが異なるほかは、前記(キ)の企画書(乙イ40)のそれと概ね同様であった。
 他方、被告東亜は、本件第3版の価格の決定のための資料として、「『写真で見る首里城』初版の発行の経緯」と題する書面を作成し、これを被告財団に提出した(乙イ17、46、47)。
(シ) 被告東亜は、前記(カ)の使用写真リストの体裁を改め、提供した者ごとに写真を分類した最終の使用写真リストを作成し、平成13年12月13日、被告財団に対し、上記使用写真リストを提出した。
 上記使用写真リストによると、本件第3版の版下に使用されている写真延べ180点のうち、被告東亜が提供した写真の点数は延べ78点であり、さらにこのうち原告が撮影した写真は、本件第2版に引き続いて使用された下之御庭、首里森御嶽及び首里杜館内部の情報展示室の各写真並びに御庭全景の航空写真と前記(カ)の14点の写真のみであった(合計18点)(乙イ48)。
(ス) 被告東亜は、平成13年12月ないし平成14年1月、被告財団の担当者と協議した上で、数回にわたって本件第3版の校正を行い、平成14年3月29日、被告財団に対して本件第3版1万7000部とその英語版3000部とを納入した。
 なお、本件第3版の制作が完了し、被告財団に対して上記のとおりの納入がされたのは、後記サ(ウ)のとおり、原告が被告東亜を退職し、その取締役を退任した(平成14年2月20日)の後のことであった(乙イ17、49、50)。
(セ) Bは、本件第3版が印刷された後、初めて、本件第3版95頁の「世界遺産に登録された『琉球王国のグスク及び関連遺産群』」の項目に掲載された座喜味城跡の写真のもとが、被告財団の担当職員が当初予定した航空写真ではなく、地上から撮影された本件原写真18に替わっていたことを知った(B本人(調書8頁))。
サ 原告の退職等
(ア) 原告は、平成13年夏ころから、被告東亜の社内でBと意見が対立し、口論するようになった。
 原告が、同年10月24日、Bと口論したときに、原告が撮影した写真の著作権に話が及んだところ、Bは、原告に対し、写真の著作権は被告東亜にある等と発言したので、原告はBと激しく衝突した。その後、同日夜にかけて、原告はGを交えてBと議論したほか、同月26日にはB から本件就業規則の19条を示されて、上記発言と同趣旨の説明を受けた(原告本人(調書11、12、13頁)、甲15(10、11頁))。
(イ) 原告は、その後、B に対し、自己が以前に被告東亜に対して売った撮影機材の買戻しを要求したところ、B は、取締役会を開催して協議することにした。
 被告東亜では、平成14年2月9日、取締役会を開いたが、話題が原告の退職及び退任の件に切り替わり、原告はBらと協議の上、被告東亜を退職し、取締役を辞任することにした(甲15(11.12頁))。
(ウ) 原告は、平成14年2月20日、被告東亜の本店事務所に赴き、被告東亜の企画部長を同日付けで退職する旨の退職届及び被告東亜の取締役を同日付けで退任する旨の辞任届にそれぞれ押印してBに提出し、もって被告東亜の従業員を退職し、かつ被告東亜の取締役を退任した。
 原告は、この際、Bに対し、自己が以前に被告東亜に対して売った撮影機材の買戻しを再度要求し、Bと代金額を巡って協議した後、Bとの間で、自己が売った価格で原告が上記撮影機材を買い戻すことを合意した。
 また、原告は、この際、Bに対し、自己が撮影した写真のフィルムをすべて引き渡すよう要求した(B本人(調書7頁)、甲15(12頁))。
(エ) 被告東亜は、その後の平成14年5月2日ころ、原告に対し、原告が被告東亜に就職する前に撮影し、被告東亜に持ち込んだ写真のうち本件原写真18以外の写真のフィルム800点余を返却したが、原告が被告東亜に就職した後に撮影した写真のフィルムは引き渡さなかった。
 なお、被告東亜が原告に対して本件原写真18のフィルムを引き渡さなかったのは、被告東亜の従業員の手違いで本件原写真18のマウントに撮影年月を2001年6月(平成13年6月)と記載したため、被告東亜において原告が被告東亜に就職した後に撮影したものと誤解されたからであった(B本人(調書9、24頁)、甲15(12、13頁))。
(オ) 原告は、平成14年2月25日ころまでに、被告東亜から雇用保険被保険者離職証明書の発行を受けたが、同証明書の離職の理由欄には、「前々年度(前々期)、委託先が、未完成物を納品した為、修正作業を行い、6300万円の損害賠償の訴訟を起こしている。この事件は会社として運営に大きく負となり、会社再建計画として人員削減が検討された。取締役会で話し合いを行い、A氏に退職をうながした結果、受理された。退職勧奨」との、原告の退職が人員整理のための勧奨退職であった旨の記載がある(乙イ14)。
シ 本件写真集の企画及び制作等
 被告東亜は、原告が被告東亜を退職し、その取締役を退任した後である平成16年9月13日、被告財団に対し、本件第3版の改訂を提案し、企画書、使用写真リスト及び校正案を提出したり、被告財団の担当職員との間で協議を行うなどした。 前記第3の2のとおり、被告東亜は、その後、本件写真集を製作し、被告財団の発注に応じて、平成17年6月30日に、被告財団に対して本件写真集2万部を代金合計1200万円で納入した。
 本件写真集は、第3版の内容が一部変更されており、本件原写真の全部又は一部分がそれぞれ掲載されている。
 なお、本件原写真18は、Bらが被告財団の担当職員と相談の上、費用の節約のために本件第3版に引き続いて掲載することにしたものであった(B本人(調書9頁)、乙イ17、51ないし60)。
(3) 判断
ア 前記(2)エ(オ)のとおり、原 告は平成9年10月1日に被告東亜に就職し(雇用契約の締結)、以後被告東亜との間で雇用関係を有するに至ったものであるが、同日以後、前記(2)サ(ウ)のとおり原告が退職届をBに提出する以前において、原告が被告東亜に対して従業員を退職するとの意思表示をしたり、又は被告東亜との間で従業員の地位を喪失させる等の合意をしたことを認めるに足りる証拠はない。
 そして、前記(2)カ及びキのとおり、原告が被告東亜の取締役に就任した後も従業員としての給与の支給を受け、被告東亜を事業主とする社会保険に加入し、一定期間保険料納付が中断したものの、雇用保険に加入していたことにかんがみると、原告は、平成14年2月20日に被告東亜を退職するまで、被告東亜の従業員たる地位を有していたものというべきである。
 そうすると、本件在籍中各原写真の撮影当時(平成9年12月31日ないし平成13年10月19日)において、原告は被告東亜の従業員兼取締役であったというべきである。
 ところで、上記撮影当時においては、会社法施行前の旧商法(明治32年3月9日法律第48号)が適用されるところ、旧商法においては、株式会社の平取締役は業務執行をする権限を有していなかったから(旧商法260条参照)、原告による写真撮影という労務の提供は、被告東亜の従業員たる地位に基づいてされたものといわざるを得ない。
 したがって、本件在籍中各原写真の著作者との関係では、原告が被告東亜と雇用関係にある者であり、被告東亜の業務に従事する者に当たるというべきである。
イ 原告の主張について
(ア) 原告は、被告東亜が、平成9年12月25日以降、原告につき雇用保険に加入せず、出勤簿やタイムカードによる勤怠管理を行っていなかったから、原告は著作権法15条1項にいう「法人等の業務に従事する者」に当たらない旨を主張する(前記第5の3(原告の主張)(1)イ)。
 しかしながら、前記(2)カ(イ)のとおり、原告はまったく雇用保険に加入していなかったわけではない。被告東亜は、原告につき、事業主として一定期間雇用保険料を納付しなかったことがあったものの、その後に再び雇用保険料を納付したのであって、被告東亜による雇用保険料納付の中断の事実等をもって、直ちに原告が被告東亜と雇用関係になかったということもできない。
 また、被告東亜において、原告に関して出勤簿による勤怠管理が行われていたことを認めるに足りる証拠はないが、だとしても、上記のような勤怠管理がされていなかったことの一事をもって、直ちに原告が被告東亜と雇用関係になかったということはできない。
 そして、前記(2)オ(カ)のとおり、被告東亜においても、遅くとも平成12年8月ころ以降はタイムカードを使用して勤怠管理を行っていたのであって、それ以前のタイムカードの不使用の事実をもって、直ちに原告が被告東亜と雇用関係になかったということはできない。
 そうすると、雇用保険料不納付等を理由として、原告と被告東亜との間の雇用関係を否定することはできず、原告の上記主張を採用することはできない。
(イ) 原告は、被告東亜の勤務時間及び平日・休日の別に関係なく仕事をし、被告東亜から勤務時間を管理されたことはなかったし(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(ア))、少なくとも平成12年3月までは、取締役の報酬のみを支給されており、残業代等を支給されたことはなく、平成12年ころに給与を支給された形にしたのは、被告東亜の存続や原告の地位や生活を守るために、形式的に従業員としての体裁を整えるべく、従業員に支給する体裁をとったからにすぎないから(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(オ))、原告は前記「法人等の業務に従事する者」に当たらない旨等を主張する。
 しかしながら、前記(2)オ(ア)のとおり、原告は被告東亜に就職した当初から、管理職たる部長であったのであって、一般の従業員とは異なって、残業代等が支給されないのはやむを得ないことであるし、前記(2)イのとおり、被告東亜では勤務時間が一応定められており、また、前記(2)キのとおり、被告東亜は、原告に対し、役員報酬とは別に、ないしは役員報酬と合わせて、従業員給与を支給していた。
 そして、上記のとおり、原告に対して残業代等が支給されない以上、原告の勤務時間を厳格に管理する必要は乏しいから、被告東亜による原告の勤務時間の管理が緩やかになっていたとしても、このことの一事をもって、原告の従業員たる地位が否定されることになるわけではない。
 また、被告東亜において、会社運営上の問題をクリアするために、支給総額を変えずに、役員報酬部分を減額し、他方従業員給与部分を増額したことがあったとしても、原告との間の雇用関係の有無が左右されるものではない。
 そうすると、残業代等の不支給等を理由として、原告と被告東亜との間の雇用関係を否定することはできず、原告の上記主張を採用することはできない。
 なお、被告東亜は、社内の基準に従って定められた、原告の当初の従業員給与の大半にあたる金員を、原告が取締役に就任した後に役員報酬として支給し、各月の役員報酬と従業員給与の合計額が不変になるようにしたり、平成12年11月分以降の役員報酬及び従業員給与の合計額を、従業員給与の算定方式に従って算出したりしており、少なくとも原告については、役員報酬と従業員給与の区別が曖昧であった。上記のとおり従業員給与の算定方式が使用されていたことがあったことにかんがみれば、原告が被告東亜から毎月支給を受けていた金員は、役員報酬というよりは従業員給与の性格を強く帯びていたものということもできる。
(ウ) 原告は、原告がミーティング等を主催し、また写真部門の責任者として、写真貸出し業務の運営を行い、また自ら写真撮影を行い、撮影した写真の整理作業を行っていたが、被告東亜からその方法等につき指示されたことはなかったから、原告は前記「法人等の業務に従事する者」に当たらない旨等を主張する(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(イ)、(ウ))。
 しかしながら、前記(2)オ(ア)のとおり、原告は被告東亜に就職した当初から、管理職たる部長であったし、また前記(2)オ(ウ)のとおり、原告が被告東亜の取締役に就任した後の平成10年2月ころからは、被告東亜の営業の管理責任者として、営業全般を統括していたのであって、代表取締役社長であるBから逐一具体的に指示されていなかったのはむしろ当然である。原告がB等から具体的に指示を受けず、ある程度自由に作業の方法を決定できたのは、原告が被告東亜の従業員のうちでも管理的な高い地位を占めていたからにすぎないのであって、この一事をもって原告と被告東亜との間の雇用契約が否定されることも、原告が前記「法人等の業務に従事する者」に当たらないということもできない。
 そうすると、原告の上記主張を採用することはできない。
(エ) 原告は、自らの判断で、いつ、どこの現場に行って撮影をするかを決めており、被告東亜から命じられて撮影をするということはなかったし、撮影のアングル、手法については、まったく原告の裁量に委ねられていたから、原告は前記「法人等の業務に従事する者」に当たらない旨等を主張する(前記第5の3(原告の主張)(1)イ(エ))。
 しかしながら、前記(2)オ(エ)のとおり、被告東亜では、通常、撮影前に打合せを行い、従業員等が2名1組で撮影作業を行うこととされ、従業員等が単独で撮影作業を行う場合でも、事前に撮影対象や、撮影場所、時間、使用する自動車を届け出て、撮影作業を行うこととされていたし、特に、官公庁等から具体的に被写体等を指定されて行う写真撮影や、撮影作業に時間がかかる大型カメラを使用しての写真撮影においては、事前に発注者の担当職員と協議し、撮影計画を練ってから、撮影作業を行っていたものであった。
 また、原告は、発注者の指示に基づき、被告東亜の社内で決めた方針に従い、かつ被告東亜が所有する撮影機材を使用して、写真撮影を行ったが、撮影した都度、当日の作業の報告書である撮影日報を作成し、撮影時刻、当日の天候、気温、撮影者、撮影対象や使用機材等を被告東亜に報告していた。
 そうすると、原告の上記主張はその前提を欠くものであるといわざるを得ないが、仮に原告が被告東亜の方針に反して、単独で撮影作業を行うことが度々あったり、必要な報告を怠ったことがあったとしても、それは原告が単に被告東亜の社内の作業の方針に従わなかったというものにすぎず、到底前記アの結論を左右するものではない。
 そもそも、著作権法15条の趣旨は、雇用関係等にある者がその職務上作成する著作物については、使用者たる法人等が通常その作成費用を負担し、創作に係る経済的リスクを負担していること、法人等の内部で職務上作成された著作物につき社会的に評価や信頼を得、また責任を負うのは、社会の実態として、通常当該法人等であるとみられること、上記のような著作物については、著作者を当該法人等とする方が著作物の円滑な利用に資することから、著作者を使用者たる法人等とした点にあるものと解される。
 そうすると、著作権法15条1項にいう「法人等の業務に従事する者」に当たるか否かを決するに当たって斟酌すべき当該法人等の指揮監督の内容は、必ずしも当該著作物の創作性に寄与するものであることを要せず、業務遂行や労務管理等のための一般的なものでも差し支えないものというべきである。
 ここで、写真家が行う写真の撮影は、単純な機械的作業ではなく、被写体や構図が概ね指定されていたとしても、撮影者によって撮影の手法や構図の取り方に裁量の余地があるものであるところ、少なくとも本件在籍中各原写真に関しては、原告は被告東亜が指定した被写体や撮影方法等に従い、上記趣旨の裁量の限度において、撮影を行ったにすぎないものであって、原告が完全な自由裁量で本件在籍中各原写真の撮影を行ったものではなかった。
 したがって、原告が被告東亜における作業においてある程度の裁量を有していた事実があったからといって、前記アの結論は左右されるものではなく、原告の上記主張を採用することはできない。
ウ なお、仮に本件在籍中各原写真が原告の従業員たる地位に基づいて撮影されたものであったということができないとしても、原告と被告東亜との間の関係を実質的にみたときには、@原告は大まかであるとはいえ被告東亜から被写体等の指定を受けて写真撮影を行い、撮影の結果を被告東亜に報告しており、被告東亜の一般的な指揮監督下において写真撮影という労務を提供していたものであったし、A被告東亜が原告に対して支給していた金員は、原告が作成した写真の点数や被告東亜において使用した点数に関わりなく支払われ、著作権の譲渡や複製等の許諾の対価の性格を帯びておらず、従業員に対する毎月の給与の性格、すなわち原告の労務提供の対価たるべき性格を有していたものであったから、原告は被告東亜の「業務に従事する者」に当たるということができる。
エ 前記(2)ケ及びコのとおり、原告は、被告東亜の指示に基づき、成果物を発注者に納入する目的ないし被告東亜の写真集等の作成等(本件第3版の制作はその1つである。)に役立てる等の目的で、被告東亜の業務の一環として、本件在籍中各原写真を撮影したものであったから、原告による上記各撮影は、いずれも、原告の職務上行われたものであったということができる。
 そうすると、本件在籍中各原写真は、いずれも、著作権法15条1項にいう「法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物」に当たる。
オ 前記(2)ケ及びコのとおり、本件在籍中各原写真は、いずれも、被告東亜の指示に基づき、成果物を発注者に納入する目的ないし被告東亜の写真集等の作成等に役立てる等の目的で、原告が被告東亜の業務の一環として作成(撮影)したものであったから、その作成が被告東亜の発意に係るものであったことは明らかである。
 そうすると、本件在籍中各原写真は、いずれも著作権法15条1項にいう「法人等の発意に基づき」作成されたものに当たる。
 なお、同項の趣旨は前記イ(エ)のとおりであると解されるから、上記「法人等の発意」を、使用者が著作物の創作をコントロールし得る権限を有し、かつ従業員の著作物の作成が使用者の権限下でされることをいうものと限定的に解することはできない。
カ そして、前記エのとおり、本件在籍中各原写真は、原告が、いずれも、被告東亜の指示に基づき、成果物を発注者に納入する目的ないし被告東亜の写真集等の作成等に役立てる等の目的で、被告東亜の業務の一環として、本件在籍中各原写真を作成(撮影)したものであったが、前記(2)ケ及びコのとおり、少なくとも本件第2版及び本件第3版の巻末の各奥付きには、編集制作者として被告東亜の商号が表示されているし、証拠(B本人(調書21頁)及び弁論の全趣旨)によれば、被告東亜では写真の著作名義を自社として記載することを欲していたことが認められる。
 そうすると、本件在籍中各原写真はいずれも、被告東亜の著作名義で公表することを予定して作成されたものであったと推認することができる。
 したがって、本件在籍中各原写真は、いずれも、著作権法15条1項にいう「法人等が自己の著作の名義の下に公表するもの」に当たる。
 なお、原告は、本件在籍中各原写真が原告の著作名義で公表することを予定して作成されたから、本件在籍中各原写真は被告東亜の著作名義の下に公表するものには当たらない旨を主張する。しかしながら、本件在籍中各原写真が原告の著作名義で公表することを予定して作成されたことを認めるに足りる証拠はなく、前記(2)コの本件第3版の写真撮影者に係る表示において原告の氏名が記載されていたことがあったからといって、この記載の事実から直ちに、本件在籍中各原写真が、その作成当時原告の著作名義で公表することが予定されていたともいうことができない。したがって、原告の上記主張は前提を欠き、失当であるというべきである。
キ 結局、本件各原写真のうち本件在籍中各原写真は、いずれも、著作権法15条1項の職務著作に係る著作物に当たるから、その作成当時に契約や就業規則等に別段の定めがない限り、被告東亜がその著作者とされる。
 しかし、前記1のとおり、本件原写真18は、原告が被告東亜に就職する以前である平成9年6月に撮影したものであったから、その著作者は原告であり、被告東亜が著作者となる余地はない。
3 著作権法15条1項にいう別段の定めの有無(争点4)について
(1) 原告が、被告東亜に就職した時点又はその前後に、被告東亜の代表者のBとの間で、原告が被告東亜に在職中に撮影した写真につき、原告がその著作者となる旨を合意したことを認めるに足りる証拠はない。
 そもそも、被告東亜のような、写真や書籍等の制作を業とする法人等においては、制作した著作物の著作者が誰であるか、著作権が誰に帰属するかという事柄は、極めて重要なものであって、仮に制作後に差止め請求等を受けるときは、投下した資金等が無駄になることがあるのみならず、納入先ないし販売先等にも重大な営業上の悪影響ないし経済的損失を被らせる事態を生じさせる可能性があるものであって、従業員等がその職務上作成した著作物について著作者となる余地を残すとき等には、就業規則等に盛り込んだり、契約書等の書面を作成して、その合意内容を明確にするのが通常である。
 しかるに、本件全証拠によっても、原告が被告東亜との間で、原告が在職中に職務上作成した写真につき、その著作者を原告とする旨の契約書等を作成したことを認めることはできない(なお、原告は、その本人尋問において、被告東亜との間で原告が撮影した写真の著作権の帰属について文書を作成したことはない旨を供述している(調書23頁))。
 むしろ、反対に、前記2(2)イ(エ)のとおり、原告が被告東亜に就職する以前から、被告東亜の就業規則においては、従業員がその職務上作成した著作物の著作権は被告東亜に帰属する旨が定められていたのであって、上記著作物に係る被告東亜の社内における方針は、著作権法15条1項の原則のとおり、著作者を被告東亜とするものであったということができる。
(2) この点、原告の本人尋問における供述(調書(4、5頁))及び原告の陳述書(甲15(6頁))中には、Bが原告に対し、2度にわたって、著作権について明文化したものがないので、カメラマンに著作権がある旨の文書を作成しようと述べた旨の各部分があるところ、上記各部分は原告の主張(前記第5の4(原告の主張))に沿ったものである。
 しかし、上記各部分はBの本人尋問における供述(調書2、3頁)と齟齬する上、原告本人尋問の供述中には、Bが上記のとおり述べた際に、「そうですね」とのみ答えて、その後に文書が作成されたかどうかをあえて確認しなかった旨の部分(調書5頁)があるところ、証拠(原告本人(調書5、10、25頁)、B本人(調書14頁)、甲21、22、乙イ68)によれば、@原告は被告東亜に就職する前から、自己が撮影した写真の著作権について強い関心を有していたこと、A被告東亜に就職した後、原告は、度々、Bに対し、著作権に関して疑問を投げかけたことがあったこと、B原告は、被告東亜に就職する前に、株式会社交通公社フォトライブラリ等と契約した際、契約書を作成して必ず著作権の帰属等について明らかにしていたこと、C原告は、被告東亜に就職した後の平成10年12月ころ、著作権に関わる事項を取り扱う公の団体である社団法人著作権情報センターに対し、著作権に関わる資料や定期的刊行物の有無等を問い合わせたことがあったこと、D原告は、被告東亜の職務において、被告東亜が外部の契約カメラマンと締結する契約書の作成等に携わり、写真の取扱いを明文化する作業を行ってきたことがそれぞれ認められるから、原告が上記のとおりBの発言を聞いたのみで、その後にBに対し何ら文書の作成を求めなかったというのは、原告が被告東亜の取締役に就任したことを考慮しても、不自然な感をぬぐえないものであり、Bの発言に係る上記各部分を信用することはできないといわざるを得ない。
 仮にBが原告が職務上撮影した写真の取扱いにつき何らかの発言をしたことがあったとしても、前記のとおり、原告が被告東亜との間で、著作権の帰属につき何ら文書を作成していないことにかんがみれば、未だ構想の域を出なかったといわざるを得ず、未だ、被告東亜の代表者たるBとの間で、原告がその職務上作成した写真の著作者を原告とする旨を合意するに至っていなかったものというべきである。
 なお、前記2(2)エのとおり、Bは原告が被告東亜に就職する以前に、原告に対し、一緒に仕事をしようとか、対等の関係で仕事をしようとか、原告のスポンサーのつもりであるなどと発言していたからといって、弁論の全趣旨によれば、上記各発言は原告の就職を勧誘するためにされたものにすぎなかったことが認められるから、原告と被告東亜との間で、原告が職務上作成した写真の著作者を原告とする旨の合意がされたことを裏付けるものではないというべきである。また、Bが平成13年10月24日以前には、原告が職務上作成した写真の著作権をまったく問題にしていなかったとしても、これはBが当時、上記写真の著作者は被告東亜であると認識していたことに基づいていたにすぎないものと推認できるから、前記結論を左右するものではないというべきである。
 そして、これらのほかに、本件在籍中各原写真等の著作者に関する原告と被告東亜との間の前記別段の定めにつき、前記結論を左右するに足りる証拠は存しない。
(3) 結局、原告が、被告東亜に就職した時点又はその前後に、被告東亜の代表者のBとの間で、原告が被告東亜に在職中に撮影した写真につき、原告がその著作者となる旨を合意したということはできず、原告と被告東亜との間において著作権法15条1項にいう「別段の定め」がされたとはいえない。
 そうすると、本件在籍中各原写真の著作者は被告東亜であって、原告ではないというべきである。
 そして、原告は被告東亜から本件在籍中各原写真の著作権を譲り受けたわけではないから、原告は本件在籍中各原写真につき、著作者のみが有する権利である氏名表示権はもちろん、複製権や翻案権等の著作権を何ら有するものではない。
 したがって、その余の争点につき判断するまでもなく、原告の被告らに対する、本件在籍中各原写真の氏名表示権等に基づく各請求はいずれも理由がない。
4 本件原写真18の創作性(争点2のうち本件原写真18に係る部分)について 前記3のとおり、本件各原写真のうち、本件原写真18を除く写真、すなわち本件在籍中各原写真に係る請求は、原告が著作者人格権等を有せず理由がないから、以下、本件原写真18についてのみ判断する。
 本件原写真18は、沖縄県内の城跡の1つであり、世界遺産にも登録されている座喜味城跡を地上から撮影した写真であるところ、その構図は大略、2層になっている石積みの城壁のうち下層の城壁が画面の概ね下半分を占め、また上層の城壁が画面の中央付近から6分の1程度の高さを占め、画面の上部3分の1強の高さの部分を背景たる青空が占めており、かつ下層の城壁の一部が画面中央付近から画面下端に向けて右手方向にカーブし、この城壁のカーブしている部分が影になっているというものであって、概ねその全部が明るくなっている上層の城壁とは異なり、上記の影になっている部分が下層の城壁に明暗のコントラストを作り、城壁のカーブを強調する効果をもたらしているものである。
 ここで、被告東亜の原告以外の従業員が平成14年7月に撮影した座喜味城跡の写真(乙イ65の1)は、本件原写真18とほぼ同様の位置から、ほぼ同様のアングルで撮影されたものであるところ、上記写真は、本件原写真18とは、背景となる青空が画面に占める割合、上層の城壁の左右方向の位置、下層の城壁で囲まれる地面部分の緑色の草木の量が異なるほか、上記写真が下層の城壁の明暗を作ったものでない一方、前記のとおり、本件原写真18では下層の城壁の明暗をあえて作っている点が大きく異なり、したがって城壁のカーブを強調するか否かが大きく異なっている。
 上記のとおり、同じ座喜味城跡をほぼ同じ位置及びアングルで撮影しても、相当印象が異なる写真が作成されている点にかんがみると、本件原写真18は機械的に撮影されたごくありふれたものである等とは到底いうことができず、本件原写真18は、その表現の仕方につき、原告の思想ないし感情が創作的に反映された、美術の著作物に当たるというべきである。
 なお、本件原写真18は、乙イ65号証の1の写真に比して、ピントが若干甘いものの、このことの一事をもって本件原写真18の創作性を否定することはできない。
5 本件原写真18の著作権譲渡、複製許諾又は氏名表示権不行使合意の有無等(争点5のうち本件原写真18に係る部分)について
(1)ア 被告らは、被告東亜は、平成9年9月29日に原告を面接した際、原告との間で、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の買取りの趣旨で金員を支払ったから、本件原写真18等については、原告から著作権の譲渡を受けたか、又は複製等の許諾等を受けた旨を主張する。
イ しかしながら、著作者が自己の著作物につき複製権や翻案権等の著作権を他人に譲渡するときは、以後自己が作成した物であるにもかかわらず複製や翻案等を行うことができなくなるという重大な結果を生じることになるし、著作権の譲渡を受ける者としてもその後の独占的利用を確保する必要があり、かつ権利を主張する第三者が出現するときはその営業活動上重大な不都合を生じることになるから、著作権の譲渡に当たっては、契約書等の書面を作成して、その合意内容を明確にするのが通常である。
 しかるに、本件全証拠によっても、原告が被告東亜との間で、本件原写真18等の、原告が被告東亜に就職する以前に作成した写真の著作権を被告東亜に譲渡する旨の契約書等の書面を作成したことを認めることはできない。
 その上、前記2(2)エ(エ)の支度金20万円のうちに、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の著作権の譲渡代金が含まれていたことを認めるに足りる証拠はない。前記2(2)エのとおり、Bは熱心に原告に対し被告東亜に就職するよう勧めていたものであったし、証拠(甲16)によれば、原告は、被告東亜に就職した初日(平成9年10月1日)に早速、国営沖縄記念公園・海洋博覧会地区に出かけて、被告東亜の業務として、イベントの集合写真を撮影したことが認められるから、上記支度金は、原告の就職を後押しし、原告に当面生じる費用の支弁を援助する趣旨のものであったと推認することができる。
 結局、被告東亜が、平成9年9月29日に原告を面接した際、原告との間で、本件原写真18等の、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の著作権の譲渡を受けた旨の、被告らの上記主張は理由がない。
ウ また、被告東亜が平成9年9月29日に原告に交付した支度金の趣旨が前記イのとおりである一方、上記支度金のうちに原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の複製等の許諾の対価が含まれていることを認めるに足りる証拠はないから、被告東亜が、平成9年9月29日に原告を面接した際、原告から、本件原写真18等の、原告が被告東亜に就職する前に撮影した写真の複製等の許諾を受けた旨の、被告らの上記主張は理由がない。
(2)ア 被告らは、原告は、自ら希望して被告東亜のフォトライブラリーに本件原写真18等を提供し、この場合には原告は被告東亜に対して、当該写真の著作権を主張せず、かつ使用料を請求しない旨を申し出たのであって、被告東亜に就職する以前に撮影した写真を被告東亜が自由に複製等することを許諾した等と主張する。
イ 確かに、前記2(2)クのとおり、原告は自ら進んで自己が被告東亜に就職する以前に撮影した写真を被告東亜のフォトライブラリーに提供したものであったところ、証拠(原告本人尋問(調書21、22頁))によれば、原告は被告東亜に対し、フォトライブラリーに提供した写真につき、使用料を要求したことも、被告東亜から使用料を受領したこともなかったことが認められる。
ウ しかしながら、前記2(2)オ(ウ)のとおり、原告は被告東亜の従業員であった間、フォトライブラリー業務を担当していたところ、証拠(原告本人尋問(調書24頁))によれば、原告が被告東亜のフォトライブラリーに自己が被告東亜に就職する前に撮影した写真を提供したのは、フォトライブラリーの売上げを伸ばすことで、被告東亜の経営に貢献するためであったことが認められる。
 そして、本件写真集に対する本件原写真18の使用は、被告東亜が制作する写真集への使用であって、被告東亜が外部の第三者に使用を許して使用料を徴求する場面とは、その様相が異なることは否定できない。
 加えて、前記2(2)サ(ウ)のとおり、原告は被告東亜に対し、その退職に際して自己が撮影した写真のフィルムを返還するよう要求しており、他方被告東亜も、原告に対し、原告が退職した後に、原告が被告東亜に就職する前に撮影して、被告東亜に預けた写真のフィルムのうち、本件原写真18以外の写真のフィルムを返還したものであった。
 そうすると、原告が自己が被告東亜に就職する以前に撮影した写真を被告東亜のフォトライブラリーに登録した等の事実から、少なくとも、原告が被告東亜に対し、被告東亜に就職する以前に撮影した写真を、原告が被告東亜を退職した後においても、被告東亜において、被告東亜が制作する写真集等に自由に複製等することを明示又は黙示に許諾したとまでみることは困難である。
(3)ア 被告らは、原告が被告東亜を退職するときに、被告東亜に対し、自己が職務外で撮影した、被告東亜が保管中のフィルムに係る権利を放棄するとの意思表示をしたから、本件原写真18等の、被告東亜の職務と無関係に撮影した写真に係る著作権等を放棄したか、又は被告東亜に上記著作権等を無償で譲り渡した等と主張する。
イ しかしながら、原告が被告東亜に対し、自己が職務と無関係に撮影した写真に係る著作権を無償で譲渡又は放棄したことを認めるに足りる証拠はない。
 むしろ、前記2(2)サ(ウ)及び(エ)のとおり、原告は被告東亜に対し、その退職に際して自己が撮影した写真のフィルムを返還するよう要求しており、他方被告東亜も、原告に対し、原告が退職した後に、原告が被告東亜に就職する前に撮影して、被告東亜に預けた写真のフィルムのうち、本件原写真18以外の写真のフィルムを返還したものであった。
 また、前記(2)イと同様に、原告が本件第3版に自己が被告東亜に就職する前に撮影した写真が使用されていることを知りながら、被告東亜に対して使用料を要求しなかったのは、自己が被告東亜の従業員及び取締役であった当時に、その掲載がほぼ決まっており、退職当時には制作作業が終盤にさしかかっていたからにすぎなかった(原告本人(調書28頁)、弁論の全趣旨)。
 そうすると、原告が被告東亜を退職する際に、自己が被告東亜に就職する以前に撮影し、被告東亜のフォトライブラリーに登録する等して、被告東亜においてフィルムを管理中であった写真の著作権を被告東亜に対して無償で譲渡ないし放棄したというのは困難である。
(4)ア 被告らは、原告は、被告東亜に在職中、本件第2版及び第3版の企画及び制作に深く関与し、写真集「写真で見る首里城」が改訂を重ねていく性格の書籍であることを知っていたにもかかわらず、原告は、被告東亜を退職する以前に、被告東亜との間で、自己が撮影した写真の著作権に関し何らの取決めをすることも、被告東亜に対して上記写真の使用料を請求することもなく、また当時被告東亜において保管中であった上記写真の使用料につき、被告東亜との間で何ら取決めをせず、上記写真を引き取ることもしなかったから、原告は、上記退職の際、被告東亜との間で、原告が撮影した写真につき、被告東亜において自由に複製等して使用することを、少なくとも黙示に合意した旨を主張する。
イ 確かに、前記2(2)オないしコのとおり、原告は被告東亜に在職中は、そのほとんどの期間において被告東亜の営業の大半を担当していたのであって、本件第2版及び第3版の制作にも能動的かつ大幅に関与していたから、被告東亜を退職する前後において、写真集「写真で見る首里城」が、本件第3版で打ち切りになり、以後同種の写真集を発行することがない性格のものではなく、それ以降も改訂を重ねる可能性があったことを認識していたものと容易に推認できる。
 また、前記2(2)ケ及びコのとおり、本件第2版は本件初版で掲載された写真を、本件第3版は本件第2版で掲載された写真を、それぞれ相当数引き続き掲載していることにかんがみれば、原告は、被告東亜を退職する前後において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版において、本件第3版に掲載された写真を引き続き掲載する可能性があることを認識していたものと容易に推認できる。
 そうすると、原告は、被告東亜を退職する前後において、本件原写真18も、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版に引き続き掲載される可能性があったことを認識していたものと推認できる。
 他方、前記(1)及び(2)のとおり、原告は、被告東亜を退職する際も、それ以前においても、被告東亜との間で、原告が被告東亜に就職する以前に撮影した写真の著作権の帰属や、既に使用された写真集や書籍等の取扱い、上記退職の前及び後に使用された上記写真の使用料につき、何ら書面でも口頭でも取決めをしなかったものである。
 そうすると、本件第3版を制作した時点で、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも本件原写真18を引き続き掲載するべく、この限りで本件原写真18の複製等を黙示に許諾したとみる余地や、あるいは、被告東亜を退職する前に原告が被告東亜の社内でその幹部職員として果たしていた役割の大きさや、被告東亜の元取締役として、退任及び退職後の会社の業務運営に無用な混乱を生じさせないという道義的な責任から、その後の改訂が明らかな本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版に引き続き掲載するべく、この限りで本件原写真18の複製等を黙示に許諾したとみる余地も十分あるところである。
 その上、前記2(2)コのとおり、本 件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を掲載する予定であったところ、Bが了知しないうちに、原告が被告東亜に就職する前に地上から撮影した写真である本件原写真18を掲載することに切り替わっていたものであるが、弁論の全趣旨によれば、上記のような事態は、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担当者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものと認められるから、原告においては、本件第3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認することができる。
ウ しかしながら、本件第3版には、本件原写真18の著作者であることが明確にされてはいないものの(本件第3版には、被告東亜の関係者以外の者が撮影した写真が多数掲載され、掲載された写真の点数全体との関係では大きな割合を占めているところ、その奥付きには、B及び原告以外の者について、写真提供者としてしか記載されていないし、B及び原告等が撮影した写真で、本件第3版に掲載された写真は相当数に上るのに、B及び原告が一括して写真撮影者として、その経歴とともに奥付きに記載されており、少なくとも本件原写真18との結び付きが不明確である。)、その奥付きには曲がりなりにも掲載された写真の撮影を行った者として原告の氏名が記載されていたのであって、原告がその本人尋問において、「それならば、私の名前を配置するべきだと思うし、もしご本人だけのものであるならば、自分で全部撮ったものを載せるだろうっていうふうに、ある意味では信頼していました。」と、自己の氏名が表示されない写真集に掲載することを許容するつもりはなかった旨を供述していること(原告本人尋問(調書28頁))にもかんがみれば、仮に原告が本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも本件原写真18を引き続き掲載すること、すなわち本件原写真の複製等を黙示に許諾したことがあったとしても、上記許諾は、当該改訂版に写真撮影者として原告の氏名を表示することを前提としていたものというべきである。
 しかるに、本件第3版の改訂版である本件写真集には、その奥付き等に原告の氏名の表示は一切存しないから、少なくとも原告の氏名の表示がない本件写真集に掲載して出版するべく、本件原写真18を複製等することに対しては、原告の許諾はなかったものといわざるを得ない。
 また、前記2(2)サ(ウ)及び(エ)のとおり、原告は被告東亜に対し、その退職に際して自己が撮影した写真のフィルムを返還するよう要求しており、他方被告東亜も、原告に対し、原告が退職した後に、原告が被告東亜に就職する前に撮影して、被告東亜に預けた写真のフィルムのうち、本件原写真18以外の写真のフィルムを返還したものであったし、前記2(2)サ(エ)のとおり、被告東亜が原告に対して本件原写真18のフィルムを返還しなかったのは、被告東亜の従業員が本件原写真18の撮影年月を誤ってマウントに記載したために、被告東亜において原告が被告東亜に就職した後に撮影したものと誤って理解されていたことに基づくものにすぎなかった。
 そうすると、原告が被告東亜を退職する際に自己が撮影した写真のフィルムを引き取らなかったとは必ずしもいえず、上記フィルムを引き取らなかったことを根拠とする被告らの前記アの主張は前提を欠くものである。また、フィルムの返還に係る上記各事情にかんがみれば、原告が被告東亜から本件原写真18のフィルムの交付を受けていないことから、原告が被告東亜に対し、本件原写真18のフィルムの所有権を放棄したとか、本件原写真18の複製等を許諾したとみることも困難である。
 そして、前記イのほかに、上記結論を左右するに足りる被告らの主張及び立証はいずれも存せず、被告らの前記アの主張を採用することはできない。
(5) 小括
 以上のとおり、原告が被告東亜との間で、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版に掲載するべく、被告東亜に対し、本件原写真18を複製等することを許諾したということも、上記改訂版につき氏名表示権を行使しない旨を合意したことも、いずれもあったとはいえないから、被告東亜が本件原写真18を複製して本件写真集を制作したことは、原告に無断でされたものであるといわざるを得ず、原告の本件原写真18の複製権、譲渡権(以下まとめて「複製権等」ということがある。)及び氏名表示権を侵害するものというべきである。
6 被告らの過失の有無(争点6)について
(1) 前記2(2)サ(エ)のとおり、被告東亜の従業員の手違いで本件原写真18のマウントの撮影年月が誤って記載され、被告において原告が被告東亜に就職した後に撮影したものと誤解されたため、被告東亜は原告から本件原写真18の複製等の許諾を得ることなく、本件原写真18を複製して本件写真集を制作し、被告財団に対して本件原写真が複製された本件写真集を販売(譲渡)したものであって、その結果、原告の本件原写真18に係る複製権等を侵害したものであった。
 そうすると、被告東亜には、原告の本件原写真18に係る複製権等の侵害につき、少なくとも過失があったというべきである。
(2) そして、被告財団も、本件写真集に掲載する写真の著作者及び著作権の帰属につき確認すべき注意義務を負っているところ、被告財団の主張によっても、被告財団の担当者は、被告東亜に対して制作の発注をしたり、被告東亜の担当者との間で打合せ協議を行ったのみで、本件原写真18の著作者等を何ら確認していないものであった。
 他方、被告財団において、被告東亜の担当者の説明等を信頼して、本件原写真18の著作者等の確認作業を省略したことがやむを得なかったと評価すべき事情は存しない。
 そうすると、本件写真集を発行した被告財団にも、原告の本件原写真18に係る複製権等の侵害につき、少なくとも過失があったというべきである。
(3) 以上のとおり、被告らには原告の本件原写真18に係る複製権等の侵害につき、少なくとも過失があり、原告に対して本件原写真18に係る複製権等の侵害の不法行為に基づく責任を負うが、被告らは共同して本件写真集の発行に関与したものとみうるから、被告らの共同不法行為と評価すべきものであって、被告らの原告に対する損害賠償義務は不真正連帯債務になる。
7 過失相殺(争点7)について
 被告財団は、原告には、被告東亜に在職時又は退職時に、自己が撮影した写真の取扱いにつき被告東亜との間で取決めをすることを怠った過失があるから、原告の損害賠償請求につき過失相殺すべきである旨を主張する。
 確かに、原告は、退職及び退任の後に、被告東亜の業務に生じる悪影響を回避するため、遅くとも退職及び退任の際ころまでに、被告東亜との間で既に被告東亜において使用された写真の著作権の取扱いにつき、書面を作成して合意しておく方が、その道義上も相当であったともいい得る。
 しかしながら、上記のような合意をしてその後の悪影響を排除すべきであるのは、被告東亜であって、原告が上記のような合意がないことによる不利益を甘受すべきいわれはないというべきである。
 そうすると、本件原写真18の取扱いにつき仮に原告に何らかの落ち度があったと評価し得る余地があるとしても、原告の損害賠償請求につき過失相殺の根拠となり得る過失と評価すべきであるとまではいうことができない。
 したがって、被告財団の上記主張は失当である。
8 損害の有無及び額(争点8)について
(1) 証拠(甲20の1)によれば、被告東亜のフォトライブラリーにおいては、写真を貸し出す際、その用途によって異なる金額の使用料を徴求しており、書籍や雑誌等の記事にカラー写真を使用する場合の使用料を1点当たり2万5000円以上、パンフレット、カタログやPR誌にカラー写真を使用する場合の使用料を1点当たり3万5000円以上(ただし、表紙や見開きページ以外に使用する場合)と設定していることが認められる。
 ここで、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を使用する予定であったところ、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担当者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものであって、原告は、本件第3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認することができることにかんがみると、被告東亜における上記使用料の水準を超えて、原告の損害の金額を推定することは相当でない。
 したがって、原告の複製権等の侵害による損害について著作権法114条3項を適用して損害額を推定する場合の、同項にいう「著作権(中略)の行使につき受けるべき金銭の額」は、本件写真集が公の団体である被告財団から発注を受けた、首里城を紹介する趣旨の写真集であって営利性が必ずしも高いとはいえないこと、本件原写真18は沖縄県内の他の世界遺産を紹介する頁に掲載された、8点の写真のうちの1つにすぎないことにもかんがみれば、2万5000円をもって相当と認められる。
(2) また、本件原写真18が、原告自身もその制作に関与した本件第3版に引き続いて本件写真集にも掲載されたことや、本件原写真18の掲載の方法等にかんがみれば、被告らによる、原告の本件原写真18に係る氏名表示権の侵害によって受けるべき慰謝料の金額は10万円をもって相当と認められる。
(3) そして、前記(1)及び(2)の損害の認容額、本件訴訟の難易等にかんがみると、被告らによる、原告の本件原写真18に係る複製権等及び氏名表示権の侵害の不法行為と相当因果関係のある原告の弁護士費用の金額は、合計2万5000円をもって相当と認められる。
(4) したがって、原告の被告らに 対する本件損害賠償請求は合計15万円の限度で理由があり、その余は理由がない。
9 謝罪広告の必要性(争点9)について
 本件原写真18は、本件写真集の最終頁である沖縄県内の他の世界遺産を紹介する頁に掲載された、9点の写真のうちの1つにすぎず、その掲載部分の大きさは縦4cm、横5cm程度と頁全体の大きさに比して極小さく、本件写真集の全体がB5版95頁、掲載した写真の点数延べ177点(イラスト等3点を含む。)であるのに比して、極小さい割合を占めているにすぎないものである。
 他方で、本件写真集に本件原写真18が掲載されたのは、単に本件第3版の内容を維持したからにすぎず、本件第3版の制作には原告自身も担当者として深く関与していたものであった。
 また、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を使用する予定であったところ、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担当者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものであって、原告は、本件第3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認することができるものである。
 そうすると、原告が本件原写真18の著作者であることを確保し、原告の名誉及び声望を回復するためには、被告らから前記8の損害の賠償を受ければ十分であって、この損害賠償を超えて、さらに別紙のとおりの謝罪広告の掲載まで必要であるとはいうことができない。
 したがって、原告の被告らに対する謝罪広告の掲載請求はいずれも理由がない。
10 結論
 以上の次第で、原告の被告らに対する損害賠償請求は主文掲記の限度で理由があるが、その余は理由がなく、原告の被告らに対する謝罪広告の掲載請求はいずれも理由がない。
 他方、本件において著作権等の侵害となる写真は受注先である被告東亜の元従業員たる原告が撮影した1点のみで(しかも、原告が本件の訴えを提起するまで、前記9のとおり、被告東亜は本件原写真18を、原告が職務上撮影したものと誤解していた、前記8のとおり、原告に。) 生じる損害の金額は極少額である一方、同請求を認めるときは、被告らにおいて、既に多額の資本を投下して発行済みの本件写真集を販売等することができなくなるという重大な不利益が生じることになる。
 ここで、前記9のとおり、本件原写真18は、本件写真集の最終頁である沖縄県内の他の世界遺産を紹介する頁に掲載された、9点の写真のうちの1つにすぎず、その掲載部分の大きさは縦4cm、横5cm程度と頁全体の大きさに比して極小さく、本件写真集の全体がB5版95頁、掲載した写真の点数延べ177点(イラスト等3点を含む。)であるのに比して、極小さい割合を占めているにすぎないものである。
 加えて、本件写真集に本件原写真18が掲載されたのは、単に本件第3版の内容を維持したからにすぎず、本件第3版の制作には原告も担当者として深く関与していたものである。
 また、前記2(2)コのとおり、本件第3版には当初座喜味城跡の航空写真を使用する予定であったところ、当時本件第3版の制作作業を担当していた原告が、被告財団の担当者と協議しながら、掲載する写真を本件原写真18にしたものであって、原告は、本件第3版の制作当時ないし退職前の時点において、本件第3版以降の写真集「写真で見る首里城」の改訂版にも引き続き本件原写真18が掲載されることを意欲していたとも推認することができるものである。
 そうすると、本件初版、本件第2版及び本件第3版がいずれも増刷されておらず(弁論の全趣旨)、本件写真集がさらに出版される可能性が小さいことも併せ考えれば、原告の被告らに対する前記差止め請求は、権利の濫用であって許されないというべきである。
 よって、主文のとおり判決する。

那覇地方裁判所民事第2部
 裁判官 田邉実


(別紙)書籍目録
書籍名 写真で見る首里城(第4版)
発行所 財団法人海洋博覧会記念公園管理財団首里城公園管理センター
編集制作 株式会社東亜フォトニクス
発行年月日 平成17年6月30日

※ 削除写真目録(70頁〜77頁)添付省略

(別紙)謝罪広告目録1
1 広告文(ただし、空欄となっている日付は広告掲載の日とする。)
 謝罪広告
 当社が編集制作した「写真で見る首里城第4版」に、貴殿が撮影し著作権を有する写真が掲載されているのに、撮影者として貴殿の氏名の表示が欠けておりました。当社は、貴殿の著作者人格権を侵害したことを認め、ここに深くお詫び申し上げます。
 平成 年 月 日
 株式会社東亜フォトニクス
 代表取締役 B
2 掲載条件
(1) 紙面の大きさ
 縦2段、横10cm
(2) 活字の大きさ
 上記紙面に見出し及び本文が掲載し得る範囲で最大の活字

(別紙)謝罪広告目録2
1 広告文(ただし、空欄となっている日付は広告掲載の日とする。)
 謝罪広告
 当財団が発行した「写真で見る首里城第4版」に、貴殿が撮影し著作権を有する写真が掲載されているのに、撮影者として貴殿の氏名の表示が欠けておりました。当財団は、貴殿の著作者人格権を侵害したことを認め、ここに深くお詫び申し上げます。
 平成 年 月 日
 財団法人海洋博覧会記念公園管理財団
 代表者理事長 C
2 掲載条件
(1) 紙面の大きさ
 縦2段、横10cm
(2) 活字の大きさ
 上記紙面に見出し及び本文が掲載し得る範囲で最大の活字

(別紙)
※ 著作物目録(80頁〜86頁)添付省略

原写真 複製物等  
本件各原写真の番号 削除写真目録中の写真の番号 原写真の標題 原写真の撮影年月 マウントの表題
右掖門 平成13年10月 同左
14
日影台 平成12年4月 同左
広福門 正面 平成12年4月 広福門
広福門 全景 平成12年5月 広福門前広場
首里森御嶽    
下之御庭 全景 平成11年4月 (奉神門)下之御庭
10 11 御庭 全景−航空写真 平成12年9月20日  首里城公園
11 12 北殿 内部   同左
13 15 今帰仁城跡 平成11年9月 同左
14 17 園比屋武御嶽石門 平成11年11月 同左
15 18 勝連城跡 平成11年9月 同左
17 20 斎場御嶽 平成11年10月 同左
18 21 座喜味城跡 平成13年6月 同左
 (注)撮影年月は、マウントの記載によっているので、誤りがあるものがある。
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/