判例全文 line
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【事件名】伝統工芸品“堤人形”の著作物性事件
【年月日】平成20年1月31日
 仙台地裁 平成15年(ワ)第683号 不正競業行為差止等請求事件

判決


主文
1 被告Cは、原告らが制作販売する「つつみ人形」の下記商品について、それぞれ対応する石膏型を使用して、製造し、販売し又はその販売のための展示をしてはならない。
 記
 @牛乗天神
 C鯉かつぎ(大)
 D福神川越
 P恵比寿大黒鯛かつぎ
 <21>政岡
2 被告Cは、その占有使用する前項の商品のうち、それぞれ対応する石膏型を使用して製造した商品を全て廃棄せよ。
3 原告らのその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は、原告らと被告Cに生じた費用の5分の2を被告Cの負担とし、原告らと被告Cに生じたその余の費用と被告Dに生じた費用を原告らの負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 被告らは、原告らが制作販売する宮城県伝統工芸品「つつみ人形」の下記商品について、その模造商品及び類似商品を製造、販売及びその販売のための展示をしてはならない。
 記
 @牛乗天神 A滝登り(小) B滝登り(大) C鯉かつぎ(大) D福神川越 E平敦盛(中) F猫(特大) G鯛くわえ猫 H猫(小) I波乗りうさぎ(大) J三番叟(小) K巳 Lとうがらしねずみ Mかぶねずみ Nとら O馬(特大) P恵比寿大黒鯛かつぎ Qけし雛(2体1組) R高砂人形2体(1組) S三番叟(大) <21>政岡 <22>巳(特大)<23>宝船(被告商品名「七福神」)
 (以上は、別紙1「類似商品比較」及び「類似商品比較2」の写真及び説明文のとおり)
2 被告らは、その占有使用する前項の模造品ないし類似品及びその製造設備、並びに「堤人形」、「つつみ人形」、「つゝみ人形」、「つつみのおひなっこや」、「堤のおひなっこや」、「堤人形 つつみのおひなっこや」及びその平仮名、片仮名、漢字を問わずこれに類似する商標ないし商品表示、ラベル、宣伝用看板、商品説明書、包装類を全て廃棄せよ。
3 被告らは、その営業用店舗、看板、その他の営業施設、並びにその営業活動について、「堤」、「つつみ」、「つゝみ」、「つつみのおひなっこや」、「堤人形つつみのおひなっこや」及びその漢字、平仮名、片仮名を問わず、これに類似する商標を使用してはならない。
4 被告らは、連帯して原告Aに対し金500万円、原告有限会社Bに対し金500万円、及びこれに対する平成15年1月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を付加して支払え。
第2 事案の概要等
1 事案の概要
 本件は、堤人形の制作家である原告A及び同人が設立した原告有限会社Bが、被告らの人形制作、販売等の行為によって、原告Aが有している著作権、商標権を侵害し、同時に誤認混同等の不正競争防止法違反行為をしたとして、著作権法、商標法及び不正競争防止法に基づいて製造、販売等の差し止め、侵害組成物廃棄等の請求並びに不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。
2 争いがない事実(争いがないか、明らかに争わない事実については証拠番号を付さない。)
(1) 当事者
 原告Aは、「堤人形」の制作家であり、原告有限会社B(以下、原告両名をあわせて、「原告ら」という 。)は、原告Aが、昭和63年1月12日に設立した堤人形の制作、販売等を営む会社である。
 被告Cは、「つつみのおひなっこや」の屋号で、堤人形、松川達磨等の製造、販売業に従事する者であり、被告D(以下、被告両名をあわせて、「被告ら」という。)は、原告有限会社Bの従業員であった者である。
(2) 堤人形の由来と伝統工芸の推移(甲2の4等)
 伊達政宗公は、慶長5年より、仙台に城下町を造ったが、奥州街道の北の入口を守る侍町の堤町や台の原周辺に、奈良時代より瓦を作る良質の粘土が豊富にあったことに着目し、藩内の産業発展と生活の安定に役立つ人形と焼物を侍の内職として作らせた。元禄時代、当時の伊達藩主綱村公が、江戸から陶工上村万右衛門を招いて改良を重ね、その後、足軽や町人によって内職として人形作りが盛んになった。天明の大飢饉の際に衰退したことがあったものの、文化の頃に、佐藤九平次という名人が現れ全盛期となったが、天保の大飢饉を境にして人形業者らが没落し幕末の政情不安もあって衰退した。
 明治時代に入ると、明治維新とともに藩主の庇護もなくなり、堤人形の制作は衰退し、明治晩年には、原告Aの家と訴外J家のみが堤人形を制作していた。
(3) 原告Aは、商標「つゝみ」について、昭和56年3月2日、商標登録の出願をし、同商標は、平成3年11月29日、登録番号を2354191号、指定商品を土人形として、商標登録され、平成13年9月20日に更新された(甲5)。
 また、原告Aは、商標「堤」について、昭和56年3月2日、商標登録の出願をし、同商標は、平成3年12月25日、登録番号を2365147号、指定商品を土人形として、商標登録され、平成13年9月20日に更新された(甲5)。
3 争点
(1) 争点1
 原告Aが粘土を素材として制作した土人形等に著作権が認められるか。また、被告らの人形置物等の製造販売行為(以下、「被告らの行為」という。)が、原告Aの著作権を侵害する行為に該当するか。
(2) 争点2
 被告らの行為が、原告Aの商標「つゝみ」及び「堤」を侵害する行為に該当するか。
(3) 争点3
 被告らの行為が、不正競争行為に該当するか。
4 争点に対する当事者の主張
(1) 争点1−著作権侵害について
 なお、個々の商品についての、著作権の取得と著作権の侵害行為に関する双方の主張は、別紙2「原告Aの著作権の取得について」、3「著作権の侵害及び不正競争行為について」のとおりである。
ア 原告らの主張
(ア) 著作権の取得について
 堤人形は、原告Aの祖父及び原告Aの父E(以下、「先代E」という。)が独自に創作したものが唯一残って著明となり、全国郷土玩具番付においても、昭和16年には「行司」、昭和30年には「前頭」、昭和43年1月1日には「横綱」へと昇格した。原告Aは、この伝統工芸品を一手に伝承して絵筆や顔料等を工夫した精緻で品格のある彩色を施す創作をなし、その成果として、昭和59年に、宮城県伝統工芸品の指定を受けるに及び、その著作権を完成させたのである。
 先代Eは、昭和初期に至り、繊細かつ緻密で品格のある形状と模様の斬新な人形へと変化させ、また、江戸期にない新型の人形や動物などのモチーフの新しい造形を目指し、土俗的な江戸期の堤人形とは完全に異なる美術工芸品を創作する新境地を見出した。その独自性を列挙すると、@江戸期の作品は、素朴で荒い土型で素焼きする土人形で、底がないのに対し、先代Eの作品は、小振りで精緻かつ優美な独自の石膏型から制作する、底を張った形状である。A江戸期の作品は、背中に彩色をせず正面から観察するだけであるのに対し、先代Eの作品は、背面にまで精緻かつ優美な彩色をして多角的に鑑賞できる。B江戸期の作品は、素朴な荒い土人形に筆使いも比較的太く、荒くくすんだ彩色で廃れやすい土俗的であるのに対し、先代Eの作品は、著しく進化した多彩な高級顔料を用いて繊細かつ精緻な筆使いで品格を醸し出す独自の彩色を施し、旧来の土俗的人形から質感のある創作工芸品とした。C先代Eは、彩色と模様について、伝統を尊重しつつ、常に新規の創作を重ねて絶えず異なる配色に変化させており、江戸期の作品との相違が顕著である。
 また、原告Aは、粘土を素材として浮世絵と歌舞伎風の人形及び置物能面等を創作的に表現した伝統工芸の著作物を発表し、これを「宮城県伝統工芸品」として指定を受けた唯一の工芸家として制作販売してきた。
 したがって、原告らの商品は、原告の先代Eと原告Aが江戸時代の土型から独自の創作をして石膏型を制作して粘土で型をとり、これを素焼きにしたものに独自の図柄と彩色を創作した工芸品であり、原告Aが、著作権を有していることは明白である。
(イ) 被告らによる侵害行為について
 原告Aは、著作者人格権として公表権(著作権法18条)、氏名表示権(同法19条)及び同一性保持権(同法20条)を有し、複製権(同法21条)、展示権(同法25条)及び譲渡権(同法26条の2)を有している。被告らの行為は、原告Aのこれらの権利を侵害する行為である。
a 侵害の行為態様について
 被告Cは、原告らの伝統工芸品の人形置物とその商品表示に着目して、昭和54年ころから、原告らの人形等を模倣して、製造、販売行為をしている。
 被告Cは、堤人形の制作に関し、先代から伝承したのではなく、原告有限会社Bの従業員であった被告Dに技術指導を要請した。
 被告Dは、原告有限会社Bに勤務し、堤人形の制作手伝いに従事していたが、人形等の色彩を彩る絵筆や顔料などを、原告らに無断で持ち出し、被告Cに提供する等その制作技術を無断で伝授した。被告Dは、これにより原告有限会社Bを懲戒解雇された。
 被告Cは、被告Dから技術指導を受け、原告らの商品の模倣品を製造、販売した。
 被告らの商品は、その形状、彩色とも原告らの商品に類似しており、一部の商品については、盛上り、角度、文様、皺などが全て完全に同じであるから、被告Dが被告Cのために原告らの石膏型を盗用して提供指導し、その石膏型を模倣して粘土から型をとった素材を素焼きとし、図柄と彩色を被告Cに指導して模写または模倣したことが明らかである。なお、被告らの商品は、原告らの商品に比べ、図柄や彩色が精緻さに欠け、色素もけばけばしいが、それは、あくまで原告ら商品の模倣に頼り、代々にわたり自ら築いた伝統工芸ではないからである。
b 同一性、類似性について
 別紙3「著作権の侵害及び不正競争行為について」の一覧表のとおりである。
イ 被告らの主張
 著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものをいう。したがって、原告Aが有するという著作権については、その創作部分を特定する必要があり、侵害行為の有無に関しても、原告らの商品の創作部分を被告らの商品が備えているか否かについて対比する必要がある。
(ア) 著作権の取得
 「堤人形」は、美術工芸品に属し、鑑賞されるものであるから、創作性についても、肉眼で見える外観について対比観察を行うべきである。
 創作部分とは、全体のうちに既に存在したものと同一または類似の部分及びありふれた部分を除く部分であり、その判断に際しては、物品の大小の相違は常識的なものである限り類似と判断される。また、模様は、モチーフ(主題)、描法などの表現方法、配列などの構図、柄の大きさ、色彩などを総合して判断する。
 原告らの商品は、江戸時代の土型から石膏型を制作して粘土で型をとり、これを素焼きにしたものに図柄と彩色を施した工芸品である。原告Aが独自の特徴と主張する点は、その制作者の個性が強く表出されているということはできず、また、単に型抜きしやすい石膏型を用いたりすることは普通一般に行われていることである。したがって、その創作性はかなり低く、原告らの商品の形状に表現上の創作性はない。
 また、原告らの商品の図柄、彩色についても、通常、着物や武具を着けた日本人形に図柄、彩色を施す場合になされるであろう、ごく一般的な図柄、彩色の域を出ていない。したがって、原告らの商品の図柄、彩色もまた、形状と同様、制作者の個性が強く表出されているとはいえず、その創作性はかなり低いものである。
 原告Aや先代Eは、江戸時代に創作され、その創作の時点では創作性の高かった堤人形に対し、制作者であれば通常行う程度の単なる修正又はありふれた技法の採用を行っただけで、その型、図柄及び彩色の全てについて独自の創作乃至思想又は感情の表現を行ったものと錯覚しているのである。したがって、別個の美術工芸的価値を生ずるに至ったものとは認められないことから、著作物には該当せず、著作権は生じない。
 また、堤人形の底付け、背面の彩色は、被告Cが堤人形の制作を始めた昭和20年ころには一般的であり、おそらく昭和の始めころから行われていたものと推測され、また、京人形や博多人形など、他の郷土人形でも普通に行われている。したがって、人形の底付け、背面の彩色は創作性の高いものではない。
(イ) 著作権侵害行為について
a 侵害の行為態様について
 被告Cの祖父にあたるFは、佐大商店という屋号で堤町に窯を築いて窯元(佐大窯)となり、堤焼瓶、茶碗、すり鉢等台所用品一式、堤人形、松川達磨及び土管等を製造、販売していた。その後、被告Cの実父であるGが、堤町地内に所帯を持って独立し、同時に「つつみのおひなっこや」の屋号で、佐大窯を使用して堤人形等の製造、販売を業とした。Gの死後は、その弟であるHがGの家業を引き継ぎ、同一場所、同一屋号により、堤人形の制作、販売等を業とした。被告Cは、中学1年生ころから、義父大三郎及び叔父らの指導を受けながら、堤人形、松川達磨等の製造、販売業に従事し、昭和35年ころ、大三郎から一切の家業を引き継いで堤人形の制作、販売等を行っている。
 被告Cは、古くは江戸時代に作られた土型を各先代から承継して所有し、その土型をもとに石膏型を制作し堤人形を製造し、伝統に従い、または「浮世絵体系」、「文様」、「図案辞典」等の多数の文献を参考にして、独自に色や模様付けをしている。原告Aの商品は、小売店で販売されておらず、被告Cが原告Aの商品を模倣することは不可能であり、その必要性もないので、被告Cが原告Aの商品を模写、模倣した事実は一切ない。
 したがって、被告Cは、原告らが制作した商品から模倣用の型を取ったことはなく、その型抜きをした粘土を素焼きにした商品を製造、販売、展示したこともない。
 被告Dが、被告Cのために、人形等の色彩を彩る絵筆や顔料などを原告らに無断で持ち出し、提供した事実や、原告らの石膏型を盗用して提供指導した事実はない。高砂人形に関し、被告Dは、被告Cが、自家用の装飾品とする目的で制作し、自宅の床の間に飾っていた人形に、被告Cの承諾のもと、彩色に手を加えただけである。
b 同一性、類似性について
 堤人形は、江戸時代に遡る古い歴史を有し、その伝統が受け継がれて今に至る。被告Cの本件各商品は、古くから承継されてきた土型から石膏型を作り、これを使用して制作されている。この方法は、原告らも同様であることから、原告らの商品と被告Cの商品とが類似するのはむしろ当然である。
ウ 原告らの反論
 Fは、堤町に移住後、明治30年ころに、店を構え、大正初期に、登り窯を築いて、土管やすり鉢等の台所用品の製造販売を専業としていたのであり、堤人形を製造販売していた事実はない。
(2) 争点2−商標権侵害について
ア 原告らの主張
 被告Cは、店舗の多数の看板や店舗入り口の屋号等に、「堤」人形及び「つつみ」人形の文字を用いている。
イ 被告らの主張
 被告らは、堤人形に「堤」または「つつみ」及び「つゝみ」の商標を使用しておらず、それらの商標をカタログ、包装用紙及びラベル並びに宣伝用看板、ポスターに使用していない。
(ア) 過誤登録又は公序良俗違反の抗弁
 原告Aは、各商標登録の申請にあたり、「ただ1軒の堤人形の制作家」であるという虚偽の主張をし、各商標登録はその結果認められたのであるから、過誤登録である。したがって、過誤登録された原告Aの各登録商標に商標権の効力は認められない。
(イ) 商標法3条1項3号該当による無効又は普通名称の抗弁
 堤人形は、仙台市堤町で古くから製造販売されてきた土人形として一定の知名度を獲得してきた。これは、あくまでも仙台市堤町で製造されてきた土人形の名称として著名であるにとどまり、原告らという特定の制作者の業務に係る商品であることが需要者に認識されているとはいえない即ち。、「堤人形」、「つつみ人形」、「つゝみ人形」の各商標は、堤焼きによる「土人形」の普通名称であり、「堤」、「つつみ」、「つゝみ」は「堤人形」の略称である。仮に略称でないとしても、商標である旨の主張がなされないまま一般に使用がなされた結果、普通名称化しており、現時点ではすでに普通名称である。
 なお、郷土人形を地名と人形の文字との結合により名付けることは、普通一般に行われていることであり、「堤人形」ないし「つつみ人形」についても、地名の「堤」又は「つつみ」と「人形」の文字との結合により従来から自然発生的に名付けられたものであり、先代Eが初めて用いたという事実はない。
 したがって、「つゝみ」、「堤」の原告Aの各登録商標は、地域名を表示するのみであって、原告らが制作した商品であることの出所表示機能を一つも果たさない。よって、「堤」、「つつみ」、「つゝみ」の各文字は産地・販売地表示であるから、原告Aの各登録商標の商標権の効力は、「堤」、「つつみ」、「つゝみ」、「つつみのおひなっこや」、「堤人形/つつみのおひなっこや」の各商標には及ばない(商標法第26条1項)。
(ウ) 特別顕著性の抗弁
 原告Aの各登録商標は、商標法3条2項の適用により、登録を受けたものである。
 商標法3条2項適用の登録商標は、本来、商標法3条1項により商標本来が機能とする自他商品識別力を有していないため、登録を受けられないとする商標について、使用した結果、その使用態様に限定して例外的に登録を認めたものである。
 したがって、原告の各登録商標に基づく商標権は、効力があるとしても、商標登録を受けた「つゝみ」、「堤」に限定され、「堤人形」、「つつみ人形」、「つゝみ人形」、「つつみのおひなっこや」に効力が及ばない。
(エ) 「つつみのおひなっこや」について
 被告Cの長男Iは、被告Cの同意のもと、平成16年8月27日、「土人形および陶器製の人形」を指定商品として、「つつみのおひなっこや」の商標登録(第4798358号)を、また、平成17年12月9日、「堤人形/つつみのおひなっこや」の商標登録(第4914397号)を受けている。
 Iが登録を受けた各商標は、原告Aの登録商標「つゝみ」、「堤」の存在も考慮された上で登録されたと思料されるので、Iの登録商標を構成する「堤人形」の文字は、原告Aの各登録商標に抵触するものではない。
 したがって、被告Cは、通常使用権者として、堤人形に「つつみのおひなっこや」の商標を使用することができ、かかる行為は原告Aの商標権を侵害するものではない。
ウ 原告らの反論
(ア) 商標法3条1項3号該当による無効
 被告Cは、原告Aの各商標が登録された際、特にこれを争わず、既にその拒絶査定不服に対する審決の確定から15年以上も経過している。本件訴訟についてみても、訴訟係属から約4年も経過した時に至って、主張されている。
 原告Aの各登録商標が、知財高等裁判所の判決に照らして正当なものである以上、被告らの主張は、時機に遅れた攻撃防御方法として却下を免れない。
 昭和初期のころ、堤町の土人形は、「おひなっこ」あるいは、「つつみのおひなっこ」と呼ばれており、「堤人形」ないし「つつみ人形」の呼び名は、先代Eが自己の創作人形に初めて用いた。したがって、「堤人形」ないし「つつみ人形」の名称は、江戸期以来の普通名称であるという事実はない。
 特許庁は、原告Aの本件商標登録出願を一旦は普通名称として拒絶査定したが、原告Aの資料提出による不服審判請求の結果、拒絶査定を覆し、普通名称であっても、商標法3条2項により商標登録を認めた。したがって、普通名称であることのみによっては、原告Aの登録商標は無効とはならない。
(イ) Iの登録商標について
 Iの登録商標「堤人形/つつみのおひなっこや」は、平成18年10月18日、特許庁において、無効審決が出され確定した。
 また、Iの登録商標「つつみのおひなっこや」については、平成18年10月31日、特許庁において、商標登録無効審判請求は、成り立たない旨の審決が出されたが、この審決は、平成19年4月10日、知財高等裁判所において、取り消された。
エ 被告らの反論−Iの登録商標について
 Iの登録商標「堤人形/つつみのおひなっこや」が、特許庁において無効審決が出された理由は、商標法4条1項16号(品質誤認的商標)に該当することのみであり、同審決において、同項8号(肖像、氏名等)、10号(周知商標)、11号(先願)、15号(混同的商標)及び19号(著名商標)に該当する商標ということはできない、との判断が示されている。
 したがって、「堤/つつみのおひなっこや」を付した商品が、原告Aの各登録商標を付した商品と誤認混同を生じさせるおそれはなく、また、「堤人形が普通名称であっ」て、自由に使用可能な名称であり、「堤人形」の文字の使用が、原告Aの商標権を侵害するものではないことも明らかである。
 他方、Iの登録商標「つつみのおひなっこや」については、特許庁における平成18年10月31日付け審決が知財高等裁判所にて取り消されたが、被告らは、この判決を不服として、最高裁判所に、上告状又は上告受理申立書を提出し、訴訟係属中である。
 したがって、「つつみのおひなっこや」の登録商標に無効理由はない。
 「堤の御雛っ子屋」又は「つつみのおひなっこや」を原告Aが屋号として使用していたことはなく、周知になることはあり得ないが、仮に周知であったとしても、著名性まではないから、商標法4条1項8号に該当しない。
(3) 争点3−不正競争行為について
ア 原告らの主張
(ア) 混同惹起行為(不正競争防止法2条1項1号違反)
 先代Eは、自己の創作人形に堤人形の商標を用いて広く全国に公表、販売し、その結果、全国一円の人形番付で、「人形の前頭」、更には、最高位の番付である「人形の東の横綱」を獲得し、堤人形の商標ないし商品表示が全国一円の需要者や好事家の周知を高め、数々の受賞と勲章にも輝き、これが多くの文献にも紹介されるに至り、その周知性が確固となった。原告Aも、先代Eからの堤人形の伝承に加え、更なる改良と創作に精進して原告らの商品を仕上げ、これを先代以来の「堤人形」ないし「つゝみ人形」の商標で公表、販売した結果、年賀郵便切手の採用や宮城県知事によるただ一人の「宮城県伝統工芸品堤人形」はもちろん、これがマスコミにも折りに触れて全国規模で報道されるなど、原告らの商品の形態と原告Aの商標が需要者への認識周知を一層強固にしている。
 被告らは、原告らの商品表示として需用者の間に広く認識されている宮城県伝統工芸品「堤人形」及び商標登録済みの「堤」、その平仮名読みの「つつみ」並びに「つゝみ」と同一若しくは類似の商品表示等の表示を使用し、また、その表示を使用した人形を譲渡し、引渡し、譲渡若しくは引渡しのために商品カタログ等で展示するなどして、原告らの商品の形態及び営業と混同を生じさせる行為をしている。
 なお、個々の堤人形の形態そのものも、原告らの商品表示であり、被告らがこれに類似する被告Cの作品を製造、販売する行為も不正競争行為に該当するところ、個々の作品の類似点については、別紙3「著作権の侵害及び不正競争行為について」のとおりである。
 堤人形の宮城県伝統工芸品の指定は、原告Aのみに与えられたものである。
(イ) 著名表示冒用行為(不正競争防止法2条1項2号違反)
 原告らの人形は周知かつ著名商品であるが、被告らは、自己の商品表示として原告らの上記商品等表示と同一若しくは類似のものを使用し、その商品等表示を使用した人形を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引き渡しのために商品カタログ等で展示する行為をしている。
(ウ) 営業秘密にかかる不正行為(不正競争防止法2条1項4号違反) 原告Aは、旧来の堤人形を一段と昇華させた独自の著作物に仕上げ、人形の世界では、「東の横綱」と言われるまでに進化させ、その基本となる素焼用の土型も、彩色の材料と方法も公開せず、これを原告らの営業秘密として管理してきたが、原告有限会社Bの従業員であった被告Dが原告らの土型の複製や彩色方法の秘密を盗用して被告Cに伝授指導してこれを不正取得し、被告らは、これを使用して、譲渡等の不正競争行為を行った。
(エ) 原産地、質量等誤認惹起行為(不正競争防止法2条1項13号違反)
 被告らの行為は、原告らの商品の品質内容の誤認混同行為に該当する。
イ 被告らの主張
(ア) 混同惹起行為(不正競争防止法2条1項1号)
 「堤人形」の名称は、堤焼きによる「土人形」の普通名称として一般的に広く知られているが、原告Aの商標として知られているものではない。同様に、「堤人形」の形態は、堤焼きによる「土人形」の形態として知られているが、原告らの商品の形態として知られているものではない。したがって、「堤人形」の名称または形態に出所表示機能はなく、商品等表示ではない。
 仮に、「堤人形」の名称又は形態が商品等表示であるとしても、原告らの「堤人形」の名称又は形態は、原告らの商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されているものではない。これは、インターネットの代表的な検索エンジンの1つであるGoogleやYAHOO! JAPAN を用いた検索結果からも明らかである。
 また、宮城県伝統工芸品とは、宮城県が、伝統性の良さを見直し、これを宮城県伝統工芸品として指定することにより、製造者らの意欲の高揚、工芸品の健全な育成、振興を図ることを目的として設けられた制度である。その要綱第1、第2によれば、宮城県伝統工芸品の指定は、工芸品の製造者に対してなされるものではなく、工芸品に対してなされるものである。この指定を受けると、指定書が交付され、事業者らはその旨を表示することができる。なお、制作者個人に与えられる認定には、別途、「伝統工芸士」がある。
 本件の堤人形は、昭和58年度に、指定地域を「仙台市」として、宮城県伝統工芸品として指定された。したがって、堤人形を制作する被告らも、宮城県伝統工芸品である旨を表示することができるのであり、「宮城県伝統工芸品つつみ人形」の名称が、原告らの名称である事実はない。
 さらに、被告らの商品等表示は、原告らの商品等表示と同一または類似のものではなく、原告らの商品または営業と混同を生じさせるものでもない。
(イ) 著名表示冒用行為(不正競争防止法2条1項2号違反)
 前述のように「堤人形、 」の名称または形態は商品等表示ではない。仮に、「堤人形」の名称又は形態が商品等表示であるとしても、原告らの商品等表示として著名ではない。
(ウ) 普通名称
 「堤人形」及び「つつみ人形」の各文字は、商品の普通名称であるから、それらを使用しても、不正競争防止法19条1項1号の適用により、差止請求権(同法3条)及び損害賠償請求権(同法4条)の適用がない。
(エ) 原産地、品質等誤認惹起行為(不正競争防止法2条1項13号違反)
 宮城県伝統工芸品の指定は、工芸品の制作者ではなく、工芸品そのものに対してされるものであるから、指定を受けた伝統的工芸品(堤人形)を制作する被告Cは、それが宮城県伝統工芸品である旨の表示をすることが許される。
ウ 原告らの反論−混同惹起行為について
 被告Cが制作する堤人形が、昭和58年度に、宮城県伝統工芸品に指定された事実はない。また、原告らの人形は、多くの個人消費者に販売されており、被告らが模倣する機会はあったのであり、被告らが主張している相違点は、微細な点や技術的に未熟であったために真似しきれなかった点にすぎない。
(4) 損害
ア 原告らの主張
 被告Cは、原告らの著作権等の侵害行為により、少なく見積もっても、年間約1000万円の売上を計上して、その制作販売の手間により半分の500万円の利益を得ているものと推定される。したがって、原告らは、被告らの結託した行為により同額の損害を受けている。
 また、被告らの商品は、原告らのものと比べて粗雑かつ稚拙なものであり、原告Aの制作する伝統工芸品堤人形の彩色豊かな品質と著明度を汚すものである。したがって、原告Aは、被告らの著作権等の侵害行為により多大な精神的苦痛を受けているのであり、その慰謝料も300万円を下らない。
 よって、原告Aは、被告らに対し、被告らの行為によって、過去3年間において、少なくとも上記損害の半分の金750万円と慰謝料300万円との合計額1050万円の損害賠償債権を有しており、本訴訟において、その一部である500万円の支払を求める。
 また、同様に、原告有限会社Bは、被告らに対し、750万円の損害賠償債権を有しており、本訴訟において、その一部である500万円の支払を求める。
イ 被告らの主張
 被告らは、原告らに損害を与えていない。
第3 当裁判所の判断
1 争点1について
(1) 原告Aの著作権の取得について
ア 「最新の著作権」について
 原告らは、別紙4「原告Aの著作権一覧表」において、昭和45年から平成19年までの間に、各堤人形について、それぞれ改良を加え、最新の著作権を取得したと主張する。
 ところで、著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいうところ(著作権法2条1項1号)、ここに創作性は、人間の知的活動の成果として、著作者個人の工夫した表現について認められると解される。
 したがって、既存の著作物に基づいてそのまま機械的に表現した物及び既存の著作物と同一性を保ちつつこれに多少の修正、増減等を加えた物は、著作権法上、既存の著作物を有形的に再製した複製物(同法2条1項15号)に該当するから、これらの物に創作性を認めることはできない。
 堤人形は、江戸時代から仙台市堤町で制作されてきた伝統工芸品であり、その品名についても恵比寿大黒天神等の信仰土偶に由来するものと歌舞伎舞踊、神話、干支等に題材を求めた風俗人形に由来するものとがあり、先代Eや原告Aが制作した堤人形もこれらに工夫を加えながら改良されてきたものであるということができる。そうすると、堤人形は、原告らが独自に考案したものではなく、原告らの商品に著作権があるというためには、高度な創作性が必要となる。原告らが主張する「最新の著作権」の有無についての判断は、原告らが主張する創作あるいは新作の内容如何によるところ、原告らは個々の堤人形について上記の伝統工芸品や題材に対し、どのような創作的表現を施したのか別紙2「原告Aの著作権の取得について」、別紙3「著作権の侵害及び不正競争行為について」記載の限度で主張するのみで、個々の堤人形のどの部分に、どのような創作的表現を施したのか、具体的な主張をしていない。原告らの著作権の主張は、主張として不十分である。
 仮に、原告らの主張が、個々の堤人形を制作する際において、伝統工芸品に対し、より精緻な形に整え、鮮やかな彩色をした行為を改良であると主張するものであるならば、かかる行為は、技術的に優れた表現行為と評価される余地はあるものの、改良は同一性の範囲を超えるものではないから、創作的な行為と評価される余地はなく、主張自体失当というべきである。
イ そこで、以下においては、原告らが、上記別紙4「原告Aの著作権一覧表」において、原告A又は先代Eが原始的に取得したと主張する著作権について、個々の堤人形ごとにその有無を判断することとする。
ウ なお、原告らが先代Eが原始的に取得したと主張している著作権について、別紙4「原告Aの著作権一覧表」のとおり先代Eから原告Aへの承継年は各著作権ごとに異なっており、各承継原因について特定した主張はされていない。
 したがって、先代Eが原始取得し原告Aが承継取得したとの法律構成は、主張すべき事実を欠いている。
 もっとも、最終的には、先代Eの著作権は、同人の死亡によって、著作者人格権を除き(同法59条)、原告Aに承継されると解することが可能であり、先代Eが昭和53年に死亡したことと原告Aが先代Eの子であることは証拠(甲18など)上明らかな事実であるから、原告らが主張する承継年を先代Eの死亡年(昭和53年)と解することとして、検討する。
(2) 証拠(事実ごとに後掲)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、これらの事実によれば、個々の堤人形について、著作権の有無は以下のとおりとなる。
ア 共通する事実(甲2の15、18)
(ア) 江戸時代の堤人形の特徴
a 江戸時代の堤人形の制作過程は、前後2枚の土型を使用し、それぞれに粘土を押し付けたものを貼り合わせ、型抜き・整形・乾燥の後、焼成、胡粉で下塗りの後、彩色をする。もっとも、背面は雛人形を除けば彩色されない。底は制作される場合と制作されない場合がある。
b 土人形の美的評価のポイントとしては、@構図、A色彩、B描彩の3点がある。
 江戸時代の堤人形は、信仰土偶と風俗人形にわけられるが、美的評価の中心は風俗人形にあり、@浮世絵にヒントを得た立体浮世絵様式で、一挙手一投足に絶妙の動きを感じさせる形状であること、A明治時代中ごろより以前においては、赤色(緋色)に蘇芳を使用し、明治時代中ごろより以後においては、ドイツ製スカーレットに丹色を併合したもの等を使用したこと、B人形ごとに目、眉及び髪を描き分ける描彩が特徴としてあげられている。
(イ) 原告Aの家の堤人形制作
 明治晩年に堤人形を制作していたのは、原告Aの家と訴外J家であったが、大正末期ころからは、訴外J家も人形制作をやめ、原告Aの家が堤人形制作の中心となった。なお、訴外J家の有していた土型や未完成の素焼人形は、Hが承継した。
 原告Aの祖父は、焼き物と人形の製造、販売を行っていたが、東北本線が仙台まで開通し仙台に焼き物(いわゆる雑器)が大量に貨車輸送され始めたことに伴い、製造販売を人形に絞った(原告本人兼原告代表者4頁)。
 先代Eは、京都の人形師であった井浦狂阿弥に師事し、動物をモチーフとした人形を制作し、数々の賞を受け(甲27の1から27の33まで)、昭和43年には現存日本郷土玩具絵入番附で東の横綱と認められるまでになった(甲12、原告本人兼原告代表者5頁)。
 原告Aは、先代Eの後を継いで、現在堤人形を制作している(甲2の1ないし2の16、甲12)。
 原告Aは、時代の移り変わりも考え、江戸期や先代Eから引き継いだ堤人形の形状や模様を修正して洗練させながら、堤人形を制作し(原告本人兼原告代表者3頁、37頁)、また、原告有限会社Bを設立して、先代Eが「堤人形製造所」の屋号で人形の製造販売をしてきた個人営業を法人化した(甲31)。
 原告らの商品は、店舗で販売することは少なく顧客の直接注文に応じて販売する方法をとっており(原告本人兼原告代表者35頁)、原告らの商品のパッケージには、「堤人形何々」と人形の名前が記載されているのみで、原告らの氏名、社名は記入されていない(原告本人兼原告代表者36頁)。
(ウ) 被告Cの堤人形制作
 F家では、Fが大正7年にかめやどんぶりなどの堤焼の制作を始め、以後、堤焼の焼物職人として働きつつ、冬季内職として松川達磨を制作していた(甲29、被告C13頁)。
 被告Cの義父大三郎は、遅くとも昭和56年ころには、副業として堤人形を制作するようになり、F家の堤焼製作を手伝っていた被告Cは、堤人形の制作を手伝うようになり、現在、堤人形を制作している(甲20の1、乙13、被告C24頁)。
イ 牛乗天神について
(ア) 平成17年1月27日に実施した検証(以下、「検証@」という。)の結果によれば、江戸期に使用されていた土型は写真番号62であり、その素焼きは写真番号64である。
 また、先代Eが制作した石膏型は、写真番号65であり、その素焼きと彩色した人形については、証拠として提出されていない。
 なお、昭和50年から60年ころに使用していた石膏型は、写真番号67及び68であり、そのころ以前の土型ないし石膏型と異なり、台が制作されている。
(イ) 江戸期に使用されていた土型と先代Eが制作した石膏型とを並べる(検証@写真番号69)と、牛の顔の位置、天神の顔の向き、天神の袴の形において同一性を認めることができる。
 よって、先代Eの作品は、江戸期に制作された堤人形に多少の修正を加えたものといえる。
 また、牛乗天神に台を付けることで何らかの創作性を表現していると評価することはできない。
(ウ) 検証@の結果によれば、原告Aが制作した牛乗天神は、写真番号59の左側である(甲6写真No 1の1から4までの左側に同じ。)。
 他方、先代Eが独自に考案したとされる色合いと図柄を直接証明する証拠は見当たらない。
(エ) 原告らは、原告Aが、先代Eの作品を基本として、文様、色等を少しずつ変化させていると主張するが、先代Eの作品から原告Aの作品へどの程度の変化があったのかを認めるに足りる証拠はない。
(オ) よって、牛乗天神について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ウ 滝登り(小)について
(ア) 原告らの作品は、甲6 No 2の1から4までの左側である。
(イ) 原告らは、先代Eが、愛好家の要望に応え、江戸期の土型を参考にして、創作的に小さめの人形を制作したと主張する。
 しかし、すでに存在する形状のものを単に縮小して制作したものは、既存の著作物に多少の修正、増減を加えたにすぎず、既存の著作物との間に同一性を認めることができる。
 原告らは、具体的に創作性のある部分を指摘し、主張することなく創作的に手ごろな大きさの人形を制作したと主張するのみであるから、創作性を認めることはできない。
(ウ) 彩色について、原告らは、先代Eは、独自に色彩・図柄を考案し、また、原告Aは、先代Eの作を基本に、常に文様・色等を少しずつ変化させていると主張するが、これらの主張を認めるに足りる証拠はない。
(エ) よって、滝登り(小)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
エ 滝登り(大)について
(ア) 原告らの作品は、甲6 No 3の1の右側である。
(イ) 原告らは、先代Eが、江戸期の土型を全体に彫刻し直し、型を作り直し、底を張ったと主張する。
 しかし、江戸期の作品に比べてどのように彫刻し直したのかを認めるに足りる証拠はなく、底を張ることを思想又は感情の創作的表現と評価することもできない。
(ウ) 彩色について、原告らは、鯉の色彩・文様、着物や袴の色彩・図柄において先代Eの個性ににじむ色合い・図柄であると主張する。
 しかし、赤色の鯉、水色の水、白色の水しぶきなどいずれもありふれた色合いであり、鯉の文様、着物や袴の図柄においてどの部分が先代Eの個性ににじんだ創作的な表現であるのかを特定した主張はなく、これを認めることができない。
(エ) よって、滝登り(大)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
オ 鯉かつぎ(大)について
(ア) 検証@の結果によれば、江戸期に使用されていた土型は写真番号80、その素焼きは写真番号82、原告Aが制作した鯉かつぎ(大)は、写真番号79である(甲6写真No 4の1及び3に同じ。)。
 また、先代Eが制作した石膏型は、写真番号85であり、先代Eの作品は、甲21の1の上段である。
 江戸期の作品は証拠として提出されておらず、江戸期に施された彩色を認めるに足りる証拠はない。
(イ) 江戸期の素焼きと先代Eの作品とを見比べると、鯉をかつぐ者の顔の向きがやや異なるものの、鯉の向き、鯉のうろこの方向、鯉をかつぐ者の位置・足の踏ん張る形において、同一性を認めることができる。
 したがって、先代Eの作品は、江戸期に制作された堤人形に多少の修正を加えたものといえる。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、原告Aないし先代Eの作品について、江戸期のものに比べて明るく繊細に仕上げ、鯉、着物、袴の色、麻の葉の彫り模様を除く模様について独自性があると主張するが、検証@の写真番号79によっても、何に比べてどのように独自性があるのかはっきりとせず、原告らの主張を認めることはできない。
(エ) よって、鯉かつぎ(大)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
カ 福神川越について
(ア) 検証@の結果によれば、原告Aの素焼きは写真番号25の左側であり、色彩を施した福神川越は、甲6写真No 5の1から4までの左側である。
(イ) 原告らは、先代Eは、宮城県民芸協会頒布会の注文に応じて、コレクターが所有していた人形本体のみを参酌して新たに独自の形状の石膏型を創作したと主張するが、参酌した人形は、証拠として提出されておらず、参酌した人形と比べてどの部分に先代Eの独自性があるのかは不明である。先代Eが福神川越を制作した経緯を認めるに足りる証拠もない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、恵比寿の着物の色柄、足元の波の色柄は特に斬新な色彩であり、江戸期の作品と比較して、全体に艶やかであると主張するが、江戸期の作品と比べて、色や図柄をどのように変化させたのかを具体的に認めるに足りる証拠はない。
(エ) よって、福神川越について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
キ 平敦盛について
(ア) 検証@の結果によれば、江戸期に使用していた土型は写真番号90であり、その素焼きが写真番号92である。
 先代Eが制作した石膏型は写真番号93であり、その素焼きは証拠として提出されていない。
(イ) 江戸期に使用していた土型と先代Eが制作した石膏型とを比べると、馬の頭の角度、平敦盛の頭、背中の角度と膨らみ具合、馬の胴体と尻尾の形、台座である水際部分の形、波の文様において、同一性を認めることができる。
 よって、先代Eの作品は、江戸期に制作された人形に多少の修正を加えたものといえる。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、色合いが斬新であり、江戸期のものに比べてより緻密な仕上がりであると主張する。
 原告Aの作品は、検証@の写真番号88(甲6写真No 6の1から4までの左側と同じ。)である。
 江戸期に制作されていた人形、及び先代Eが制作した人形の彩色を認めるに足りる証拠はない。
 そもそも、仕上がりの緻密性は彩色技術の問題であり、思想又は感情の創作的表現とは異なるから、著作権の取得の主張としては失当である。
 他方、色合いの斬新性については、先代Eが制作した人形の彩色を認めるに足りる証拠はなく、原告Aないし先代Eの作品について、どの部分のどの色が江戸期の作品等既に制作されていた人形と比べて斬新であるかが明らかでない。原告らの主張を認めることはできない。
(エ) よって、平敦盛について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ク 猫(特大)について
(ア) 原告らは、原告Aの作品(甲6 No 7の1から4までの左側)は、江戸期の型を微調整して使用して制作したと主張しているので、形状そのものに原告Aの創作性が加えられていると認めることはできない。
(イ) 彩色に関し、原告らは、先代Eは、胴体の文様、尻尾のぼかし、愛らしい顔の表情などをオリジナルに制作したと主張する。
 しかし、江戸期の作品の彩色がどのようなものであったのかを認めるに足りる証拠はなく、また、先代Eがどのような経緯で原告らが主張するような彩色を施すに至ったかを認めるに足りる証拠もない。
(ウ) よって、猫(特大)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aが著作権を取得したと認めることはできない。
ケ 鯛くわえ猫について
(ア) 原告らは、原告Aは、江戸期の型に対し、猫の顔、耳、背中のライン、鯛の鱗、尻尾等の形を彫刻し直し、制作した作品の原型から石膏型を制作したと主張する。
 しかし、江戸期の作品がどのような形状であったのかを認めるに足りる証拠はなく、猫の顔をどのような表情に変化させたのか、耳の形や背中のラインをどのような形に変化させたのか等、原告Aの創作性を認めることはできない。
(イ) 原告らは、江戸期の作品と比べて艶やかな色合い、繊細で華麗な文様と色合いであると主張するが、かかる主張は、あくまでも彩色技術の問題であるから、創作性の主張としては失当である。
 また、原告らは、猫の表情、胴体の文様、鯛の華麗な線描き等が先代Eのオリジナルであると主張する。
 しかし、江戸期の作品の彩色がどのようなものであったのかを認めるに足りる証拠はなく、また、先代Eがどのような経緯で原告らが主張するような彩色を施すに至ったかを認めるに足りる証拠もない。
(ウ) よって、鯛くわえ猫について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aが著作権を取得したと認めることはできない。
コ 猫(小)について
(ア) 原告らは、原告Aの作品(甲6 No 9の1から4までの左側)は、江戸期の型を微調整して使用して制作したと主張しているので、形状そのものに原告Aの創作性が加えられていると認めることはできない。
(イ) 彩色に関し、原告らは、原告Aは、胴体の文様、表情などをオリジナルに制作したと主張する。
 しかし、江戸期の作品の彩色がどのようなものであったのかを認めるに足りる証拠はなく、また、原告Aがどのような経緯で原告らが主張するような彩色を施すに至ったかを認めるに足りる証拠もない。
(ウ) よって、猫(小)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aが著作権を取得したと認めることはできない。
サ 波乗りうさぎ(大)について
(ア) 波乗りうさぎは、波の上にうさぎが後ろ足を跳ね上げて乗っている形状である(甲6 No 10の1から4までの左側)。
(イ) 原告らは、波乗りうさぎは江戸期には存在しない人形であり、昭和37年ころ先代Eが干支シリーズとして新規に創作したと主張し、原告Aも先代Eが新しい新型の人形づくりに努力したと供述する(原告A6頁)。
 しかし、波の上にうさぎが後ろ足を跳ね上げて乗っている絵柄は、昭和期以前の水滴(乙67)や明治期の鬼瓦(乙68)にも描かれているので、先代Eが創作した型であるとは認められず、先代Eが波乗りうさぎを制作する際にどの表現部分に独自の工夫をこらしたのかを認めるに足りる証拠はない。
 したがって、先代Eの作品は、その形状において、創作性を認めることはできない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、縁起物としてうさぎが元気に飛び跳ねる様を白のきら(雲母)で輝きを表し、波を水、白、青の3色で躍動感を表したと主張する。
 しかし、波を水、白、青の3色で描き、水しぶきを表現するために白のきら(雲母)を用いて輝きを描いたからといって、創作性のある彩色であるということができず、先代Eが、波乗りうさぎを制作する際にどのような工夫をこらしたのかを具体的に認めるに足りる証拠はない。
(エ) よって、波乗りうさぎ(大)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
シ 三番叟(小)について
(ア) 原告らは、先代Eが、愛好家の要望に応え、江戸期の土型を参考にして、創作的に小さめの人形を制作したものであり、正面、後とも、小さいながらよく整った名作であると主張する。
 しかし、三番叟は能楽あるいは歌舞伎の舞踊に由来するもので、すでに存在する江戸期の形状を単に縮小し、その形状を整えて制作したものは、既存の著作物に多少の修正、増減を加えたにすぎず、既存の著作物との間に同一性を認めることができる。
 原告らは、具体的に創作性のある部分を指摘することなく創作的に手ごろな大きさで、形の整った人形を制作したと主張するのみであるから、創作性を認めることはできない。
(イ) 彩色に関し、原告らは、江戸期の作品と比べて、繊細かつ綺麗な仕上がりであると主張するが、かかる主張は、彩色技術の問題であるから、創作性の主張としては失当である。
 また、原告らは、顔の表情、着物の色、鶴の文様、胸飾りの紺地に白の線描き、足元の三本の飾り帯の文様において、独自の特徴があると主張するが、江戸期の作品がどのような彩色であったかを認めるに足りる証拠はなく、顔の表情のどの点に独自の特徴があるのか等その独自性を認めることはできない。
(ウ) よって、三番叟(小)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ス 巳について
(ア) 巳は、とぐろを5段に巻き、口に大判を銜えている形状である(甲6No12の1、3及び4)。
(イ) 原告らは、巳は江戸期には存在しない人形であり、先代Eが干支シリーズとして昭和51年ころ、新規に創作したと主張し、原告Aも先代Eが新しい型の人形づくりに努力したと供述する(原告A6頁)。
 しかし、巳がとぐろを数段巻いている状態の人形や口に大判を銜えている状態の人形は郷土玩具などとして、他にも制作されている(乙33の5)から、先代Eの作品は、これらの形状を組み合わせたもので先代Eの創作とは認められない。また、先代Eが巳を制作する際にどの表現部分に独自の工夫をこらしたのかを認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、へびの表情を愛らしく表現し、白へびに金粉をまいた点に独自の特徴があると主張する。
 しかし、へびの顔のどの部分(例えば目)をどのように描くことで愛らしさを表現したのかを認定することはできず、また、へびの体を白を基調として金色を付けるように描くことは、縁起物としてのへびの人形の彩色としてありふれた組み合わせといえる(乙33の5)から、創作性を認めることはできない。
(エ) よって、巳について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
セ とうがらしねずみについて
(ア) とうがらしねずみの形状は、正面から見てとうがらしのへたを左、先端を右に配置し、とうがらしの両端を上方に向けて湾曲し、そのとうがらしの上にねずみの上半身をのぞかせており、ねずみの顔は中央よりも左側に位置し、向きは正面である(甲6No13の1)。
(イ) 原告らは、とうがらしねずみは江戸時代には存在しない人形であり、先代Eが干支シリーズとして新規に創作したと主張し、原告Aも先代Eが新しい型の人形づくりに努力したと供述する(原告A6頁)。
 とうがらしとねずみを組み合わせた土人形として、とうがらしの両端を上方に向けて湾曲させたもの、とうがらしの後ろからねずみが上半身をのぞかせているものは、花巻、弘前、伏見などの郷土玩具として制作されている(乙33の6)から、先代Eの作品に創作性があると認めることはできない。先代Eがとうがらしねずみを制作する際にどの表現部分に独自の工夫をこらしたのかを認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 色彩に関し、原告らは、とうがらしの赤、ヘタの緑が、ねずみの白に対照的かつあでやかで鮮やかであると主張し、ねずみの表情を、目、口、鼻、耳等全体をかわいらしく表現したと主張している。
 しかしながら、これまでにもねずみを白、とうがらしを赤、ヘタを緑と彩色する人形は制作されている(乙33の6)から、色の組み合わせはありふれたものといえる。また、色の鮮やかさは、彩色技術の問題であるから創作性の主張としては失当であり、ねずみの表情についても、目、口、鼻、耳等をどのように描くことで独自のかわいらしさを表現したのかを認めることはできない。
(エ) よって、とうがらしねずみについて、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ソ かぶねずみについて
(ア) かぶねずみは、正面から見て、かぶの実の中央からかぶの茎がかぶの実に沿って生え、その茎の途中からかぶの葉が実を覆うような形になっており、その葉の上にねずみが乗っているものである。先代Eと原告Aが制作したかぶねずみは2種類あるが、その形状における相違点は、正面から見てかぶの茎が右に向いているか、上を向いているかであり、それによってかぶの葉及びねずみの位置が異なるが、それ以外は同じ形状である(甲6No14の1)。
(イ) 原告らは、かぶねずみは江戸期には存在しない人形であり、先代Eが干支シリーズとして新規に創作したと主張し、原告Aも先代Eが新しい型の人形づくりに努力したと供述する(原告A6頁)。
 この点、先代Eが制作したかぶねずみ以外に、かぶとねずみを組み合わせた立体的な形状が存在したことを認めるに足りる証拠はない。
 かぶは、正月の食物として喜ばれる縁起物であり、ねずみと組み合わせることは水墨画の手法に見られるものである(乙46、47)。また、ねずみの描法として、かぶをとらえたねずみが水墨画の図案として紹介されている(乙47)ことを考慮すると、かぶとねずみの組み合わせに創作性を認めることができないし、先代Eがかぶねずみを制作する際にどの表現部分に独自の工夫をこらしたのかを認めるに足りる証拠もない。
 したがって、かぶねずみについて、先代Eの創作性を認めることはできない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、先代Eの作品は緑の葉に白かぶと白ねずみで彩りを整えている点に、また、原告Aの作品は真っ赤なかぶ、緑の葉、白ねずみが対照的な彩りである点に、それぞれ独自の特徴があると主張する。
 しかし、かぶの葉が緑であること、ねずみが白であること、かぶが白または赤であることは、いずれもありふれた色彩であり、それらを組み合わせることもありふれた色彩の組み合わせにすぎないから、独自の特徴と認めることはできない。
(エ) よって、かぶねずみについて、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告A、または先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
タ とらについて
(ア) とらの形状は、上から見て、四肢をたたんで胴体に沿わせた状態で顔は口を開き、目と眉毛と鼻と額を盛り上げ、左側を向き、尻尾は胴体の背中にぴったりと沿わせているものである(甲6No15の1)。
(イ) 原告らは、とらは江戸期には存在しない人形であり、先代Eが干支シリーズとして新規に創作したと主張し、原告Aも先代Eが新しい型の人形づくりに努力したと供述する(原告A6頁)。
 とらを人形として表現したものは、島根県出雲地方や福岡県の首振りとら、茨城県那珂湊の横向きとら、大阪の神農のとら等日本各地で多数制作されており、それらの中には原告らの商品と同様とらの四肢があり、胴体と顔を同じ方向に向け、尻尾を胴体の背中にぴったりと沿わせているものがある(乙33の7、8)から、先代Eの作品は既に考案されていた題材を取り上げたものといえるから、創作性を認めることはできず、先代Eがとらを制作する際にどの表現部分に独自の工夫をこらしたのかを認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、とらの顔を、口、歯、目、眉、耳等を猛々しく表し、全体的に、背中・顔を黄、手足を白として、体の縞模様と色のバランスを取っていると主張する。
 しかし、猛々しいというのは、主観的な表現であり、上記の他のとらの人形と比べて、とらの顔の中で、口、歯、目、眉、耳をどのように描くことで猛々しく表現しているのかを具体的に認めることはできず、また、背中・顔を黄、手足を白とし、とらの体に縞模様を描く人形も他に制作されている(乙33の7、8)から、先代Eの作品に創作性を認めることはできない。
(エ) よって、とらについて、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告A、または先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
チ 馬(特大)について
(ア) 原告らの商品である馬の形状は、四肢を伸ばし首をまっすぐに上げ、顔は前を見た状態であり、その彩色は、体を白とし、胴体部分には赤を基調とし白の縦縞をやや間隔をあけて施した飾りふさをつけ、飾りふさの真ん中には波にはねるうさぎを描き、黒の鞍を載せ、臀部上部を青に白の曲線を4、5本描いている(甲6 No 16の1)。
(イ) 江戸期の土型からの素焼きと原告Aが制作した石膏型からの素焼きとを並べる(検証@の写真番号95)と、馬の目、口、耳の彫り具合、馬の首周りの肉付き、鞍の置き方、鞍に描かれたうさぎの姿と波の形、及び飾りふさの形において同一性を認めることができる。
 したがって、原告Aが制作した馬は、江戸期に制作された馬に多少の修正を加えたものといえる。
(ウ) 原告らは、彩色について、全体に鮮やかな色彩であると主張するが、色の鮮やかさは彩色技術の問題であり、思想又は感情の創作的表現とは異なるから、著作権の取得の主張としては失当である。
(エ) よって、馬(特大)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aが著作権を取得したと認めることはできない。
ツ 恵比寿大黒鯛かつぎについて
(ア) 恵比寿大黒鯛かつぎの形状は、正面に向かって右側に恵比寿、左側に大黒が並び、恵比寿と大黒がその間に鯛をかつぐ状態であり、その彩色は、恵比寿は、胴体を桃色を基調とし、腹部に三つ葉模様を施し、袴は赤を基調とし、白と青の縦縞を施し、大黒は、胴体を緑を基調とし、左右の前袖と前身ごろに木の実模様を施し、袴は薄茶を基調とし、白の曲線模様を描いている(甲6No17の1から4までの左側)。
(イ) 原告らは、先代Eが、宮城県民芸協会頒布会の注文に応じて、新たに原型を作り、石膏型を制作したと主張する。
 この点、先代Eが石膏型を制作した当時、江戸期に使用していた土型は残っておらず、コレクターが人形本体を保有していた(争いのない事実)のみであったが、正面に向かって恵比寿が右、大黒が左と並び間に鯛を担いでいる人形は他にも制作されていた(乙38の9、乙39の7、8)。他方、先代Eが新たに原型を作り彫刻した際にどのような工夫をこらしたかを認めるに足りる証拠はない。
 したがって、先代Eの作品である石膏型からの素焼き(検証@の結果 写真番号107から123までの左側)は、石膏型を制作した当時に堤人形のモチーフとして既に存在していた恵比寿大黒鯛かつぎを基にして、その同一性の認められる範囲で多少の手直しを加えて制作されたものと推認することができる。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、先代Eの個性が色合いに出ており、江戸期の作品よりも色彩が豊かであること、恵比寿、大黒の着物の文様、恵比寿と大黒とで目や眉の表情が異なること、及び鯛の色の各点に独自の特徴があると主張する。
 しかし、仮に江戸期の作品に比べて色彩が豊かであったとしても、先代Eが色彩、文様、顔の表情、鯛の色づけに、どのような工夫をこらし、自らの個性をどのように表現したのかを具体的に認めるに足りる証拠はない。
(エ) よって、恵比寿大黒鯛かつぎについて、その形状、または彩色のいずれにおいても、先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
テ けし雛(2体1組)について
(ア) 原告ら商品のけし雛の形状は、男と女の各1体が1組となって、ともに正座し、丸く握った両手を両膝の上に置き、かすかに背を丸めた状態であり、その彩色は、ともに、顔は白を基調とし、赤を基調とした着物を着、膝の部分に男は青の、女は赤の、縦縞をそれぞれ入れて描いている(甲6No18の1、2の左側)。
(イ) 原告らは、先代Eは、昭和44年ころ、残存していた江戸期の人形を基に、彫刻をし直し、大きさ、形とも昔のものと違うオリジナルで制作したと主張する。
 しかし、単に大きさを変えることに創作性を認めることはできず、他に、江戸期の作品に比べて、先代Eがどの部分に独自の工夫をこらしたかを認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、全体に鮮やかであり、顔の色、目、髪の色、顔の左右のびん、男の子の着物、裃、袴の文様などを改良したと主張する。
 しかし、全体的な鮮やかさは彩色技術の問題であって創作性の主張としては失当であり、他方、江戸期の作品を参考にして彩色を改良することは、同一性の範囲内での修正と評価でき、その他に先代Eが独自に工夫をこらした部分を認めるに足りる証拠はない。
(エ) よって、けし雛(2体1組)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ト 高砂人形について(2体1組)について
(ア) 原告ら商品の高砂人形の形状は、直立した老夫婦が1組となって、それぞれの右手は、男が熊手を女が竹箒を、それぞれの棒の真ん中付近を握り、正面に向かいやや右斜めに傾けて持った状態で、その色彩は、男は薄い青を基調とし、紺の格子柄を付けた着物と緑色と金色の波模様の羽織とを着て、白を基調とし松の模様を付けた袴を履き、女は、水色を基調とし、松竹梅の模様を所々に付けた着物と白を基調とし花柄を前身ごろ下部分に付けた羽織とを着たように描かれている(甲6No19の1)
(イ) 原告らは、高砂人形が江戸時代には制作されておらず、先代Eがオリジナルに制作したと主張し、原告Aも先代Eが新しい型の人形づくりに努力したと供述する(原告A6頁)。
 しかし、高砂は、夫婦愛と長寿を内容とする能の作品に由来するもので、高砂人形が古くから能装束に基づいて夫婦融和の象徴として各地で制作されている人形であることは公知の事実であり、先代Eが、高砂人形を制作する際にどの部分に独自の工夫をこらして作り出したがを認めるに足りる客観的な証拠もない。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、完全な先代Eのオリジナルであると主張する。
 この点、先代Eの作品は証拠として提出されておらず、先代Eが高砂人形の色づけを行う具体的な制作工程を推認するに足りる証拠はないが、原告Aの作品は先代Eの作品を基に制作しているとの原告らの主張を考慮すると、先代Eの作品は、原告Aの作品とほぼ同様の彩色であったと推認することはできる。
 そこで、原告Aの作品の彩色について検討すると、夫婦融和の象徴としての縁起物に、松や松竹梅の図柄を描き、薄い青、白、水色といった明るい色彩と金という煌びやかさを連想させる色彩を用いることはありふれた彩色であるといえる一方、先代Eが高砂人形を制作する際にその当時既にあった他の高砂人形とは異なる彩色を施したと認めるに足りる証拠はない。
(エ) よって、高砂人形について、その形状、または彩色のいずれにおいても、先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ナ 三番叟(大)について
(ア) 原告ら商品の三番叟(大)の形状は、能、歌舞伎等の一場面を題材として製作されたものであり、右足を横にし左足を膝部分で曲げて立たせた状態で座り、右腕を腹部の前に横に出し、右手は鈴を握った状態である(甲6No20の1)。
(イ) 原告らは、三番叟が江戸期に作られていた人形であるが、先代Eが、宮城県民芸協会頒布会の注文に応じて、残っていた人形とは異なる、先代Eのイメージで個性的に創作した人形であると主張する。
 しかし、三番叟は、能、歌舞伎等の伝統芸能に由来し、前記の原告ら商品のような全体の形状を持つ人形は他にも制作されている(乙34の7、乙37の10、乙38の6、乙39の6)一方、先代Eが三番叟(大)を制作する際にどの部分に独自の工夫をこらしたかを認めるに足りる証拠はない。
 したがって、先代Eの制作した三番叟は、堤人形のモチーフとして既に存在していた三番叟を基にして、その同一性の認められる範囲で多少の手直しを加えて制作されたものと推認することができる。
(ウ) 彩色に関し、原告らは、三番叟の彩色に関し、色合い、文様ともに、繊細で艶やかであり、江戸時代の人形とはイメージが異なると主張するが、色合いと文様の繊細さや艶やかさは彩色技術の問題であり、思想又は感情の創作的表現とは異なるから、著作権の取得の主張としては失当である。
(エ) よって、三番叟(大)について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aまたは先代Eが著作権を取得したと認めることはできない。
ニ 政岡について
(ア) 原告ら商品の政岡の形状は、着物を着て直立した女性が、右肩に童を腰掛けさせ、左手を童の膝あたりにそえた状態である(甲6No21の1)。
(イ) 原告らは、原告Aが政岡の彫刻をし直し、底型を新たに作り、石膏型を作り直したと主張する。
 この点、江戸期の土型は検証@写真番号135であり、先代Eが制作したとされる石膏型は同138であるものの、原告Aが制作した石膏型は、証拠として提出されていない。他方、政岡は、浄瑠璃、歌舞伎に由来し、原告ら商品と同じような形状の政岡の人形は、他にも制作されている(乙38の10、乙39の9)。
 また、原告Aが、石膏型を作り直した経緯が明らかではなく、原告Aが制作の際どの部分に独自の工夫をこらしたかを認めるに足りる証拠もない。
(ウ) 原告らは、政岡の着物、帯の文様、童の羽織、袴の文様などを独創的に創作したと主張しているが、文様のどの部分がどのように独創的であるのか明らかではなく、創作性を認めることはできない。
(エ) よって、政岡について、その形状、または彩色のいずれにおいても、原告Aが著作権を取得したと認めることはできない。
ヌ 巳(特大)について
(ア) 原告らの商品の巳(特大)の形状は、宝珠と2匹のへびを組み合わせたものであり、正面から見て、球面の水平上の上半分に炎の形を5つ段階的に付し、2匹のへびを球面の下半分に左右からくねらせて、真ん中に寿との文字を記した状態で、その彩色は、炎の部分を赤、へびを白、宝珠を銀を基調とし上部に水と黄の2層を施し、文字部分を青で記している(甲9No1の1)。
 なお、原告らは、球体の彩色に関し、製品として販売したものは金であったと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 原告らは、巳(特大)は、江戸期に存在せず、先代E修行後の独自の新規創作物であると主張し(原告ら第6準備書面)、他方で、原告Aが昭和63年ころに新作したと主張している(原告ら第7準備書面、原告ら第19準備書面)ため、結局、誰がどのように新しく制作したのかは不明確な主張となっている。
 前記形状の巳の人形が他に制作されていたことを認めるに足りるだけの証拠はないが、巳の形状からその出典は歌舞伎等に由来すると認められるから、先代Eが新たに制作し、最終的に原告Aに包括承継されたとしても、原告らの商品である上記巳(特大)の形状について、創作性を認めることはできず、原告Aに著作権を認めることはできない。
(ウ) 彩色について、縁起物としての巳(特大)に関し、巳を白とし、炎を赤とし、宝珠を銀を基調とすることはありふれた彩色であるといえる。
(エ) よって、巳(特大)について、その形状及び彩色において、原告Aが著作権を有していると認めることはできない。
ネ 宝船について
(ア) 江戸期の土型は検証@写真番号146から148までであり、先代Eが制作した石膏型は、同149の左側である。原告Aが後に制作した宝船の背面の石膏型は、同149の右側である。
 先代Eと原告Aが制作した石膏型からの素焼きは、同150及び151である。
(イ) 原告らは、宝船の形状について、江戸旧来の土型の欠落や破損により、先代E及び原告Aが独自の石膏型を制作したと主張する。
 江戸期の土型と先代Eが制作した石膏型とを見比べると、七福神の顔の向き、船首と船尾とのバランス、帆の膨らみ、波の形において同一性を認めることができる。
 他方、背面部分については、江戸期の作品では、まったく制作されておらず、原告Aが、背面からも鑑賞できるようにするために新たに制作したものである。
(ウ) よって、先代Eの作品は江戸期に制作された宝船に多少の修正を加えたものといえる。
 他方、江戸期に制作された堤人形は、正面から鑑賞するように制作されていたのに対し、原告Aは、正面と背面の両方から鑑賞できるように、宝船の正面の七福神などの位置にあわせてその後ろ姿を浮き彫りにする等して背面を制作したのであり、その背面は正面に合わせたにすぎないのであるから、原告Aの宝船の作品について、その背面部分の表現に原告Aの創作性を認めることはできない。
(エ) 原告らは、彩色について、制作ごとに原告Aのひらめきや完成等により異なっていると主張するが、主張として不特定であり、原告Aまたは先代Eの創作性を認めることはできない。
(オ) よって、宝船について、その背面部分の形状及び彩色について、原告Aが著作権を有していると認めることはできない。
2 争点2について
(1) 証拠(事実ごとに後掲)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 被告Cの表示態様について
(ア) 被告Cが「つつみのおひなっこや」との屋号で営む達磨屋の入口は、左右ガラスの引き戸となっており、その向かって右側のガラス戸には、白で、小さく「宮城県伝統工芸指定」と書かれ、そのすぐ左側には、大きく「松川ダルマ「堤人」、 形」と書かれている。また、向かって左側のガラス戸には、白で、大きく「つつみのおひなっこや」と書かれている(甲7[1−1])。
(イ) 被告Cは、達磨屋の近くに自身の店の看板を数枚掲示しているが、その看板には、おおむね「宮城県伝統工芸指定」、「堤人形」、「つつみのおひなっこや」との記載がある(甲7[1−2]から[1−4]まで)。
(ウ) 被告Cは、自身の店の中に、「宮城県伝統工芸品堤人形」と札を置いて、堤人形を販売のために展示している(甲7[2])。
(エ) 被告Cは、被告Cの店を紹介する広告として、別紙5の1及び2のような文書を用いている(甲8)。そこには、「宮城県伝統工芸指定堤人形」と題して、堤人形の歴史や被告Cの家が堤人形を制作するに至った経緯などが記載されている。
イ 証拠に提出された各文献(甲4の2、12、18、27の1から27の33まで等)の記載を総合すると、江戸時代元禄のころから仙台の堤町で生産された土人形は、かつては、「おひなっこ」、「つつみのおひなっこ」、「堤のお雛っこ」等と、また、当該土人形を取り扱う店舗を「堤のおひなっこ屋」、「おひなっこ屋」等と称していたこと、上記土人形の生産は、文化・文政のころに最盛期を迎えたが、明治以降は、西洋文化の流入等により、衰退の一途をたどり、当該人形を取り扱う店舗は、大正末期には訴外J家、原告Aの家の2軒だけとなって、昭和期に入ると訴外J家は人形制作をやめ、原告Aの家だけが業として、土人形の制作に携わっていたことなどが認められる。
 また、堤町で生産された土人形は、かつて、「おひなっこ」、「つつみのおひなっこ」、「堤のお雛っこ」等と称されていたが、大正13年9月には「堤人形」と呼称されるようになっていた(甲26、原告本人兼原告代表者4頁、42頁)。その後も、仙台市や仙台市博物館などが発行する文献や地方自治体などが発行する賞状や文書において、仙台の郷土玩具である土人形の名称を表すものとして、「堤人形」が使用された。「堤人形」の名が一般に広く認識されるようになった背景には、昭和初期以降人形の制作を唯一継続していた佐四郎、先代Eらが、当該人形の保存、発展に大きく貢献するなどの努力によるものであったものと推認することができる。
ウ 原告Aは、小さいころに、近隣の一部の人から、おひなっこやの息子などと呼ばれていた(原告本人兼原告代表者4頁)。
エ 昭和42年1月10日発行の広辞苑第1版22刷には、「つつみにんぎょう【堤人形】堤焼の人形。→つつみやき(堤焼)」とあり、「つつみやき【堤焼】陶器の一種。元禄の頃から仙台の堤町で江戸の陶工上村万右衛門の創製したもの。特に人形は「堤人形」として有名。」と記載されている(乙14)。
(2) 検討
 商標の本質は、自己の営業に係る商品を他人の営業に係る商品と識別するための標識として機能することにあり、この自他商品の識別標識としての機能から出所表示機能、品質保証機能、広告宣伝機能が生ずるものである。商標法は、「文字、図形、記号若しくは立体的形状若しくはこれらの結合又はこれらと色彩との結合であって、業として商品を生産し、証明し、又は譲渡する者がその商品について使用をするもの」であれば、前記のような自他商品の識別標識としての機能を有すると否とにかかわりなく、すべて商標である旨定義し(第2条)、商標権者は、指定商品について登録商標を使用し(25条)、あるいは指定商品について登録商標に類似する商標を使用し又は指定商品に類似する商品について登録商標若しくはこれに類似する商標を使用する者等(37条)に対し、当該商標権に対する侵害として、その侵害の停止等を請求することができる旨規定する(36条)が、同法1条に定める同法の目的、3条の商標登録の要件についての各規定及び前記商標の本質に鑑みれば、同法における商標の保護は、商標が自他商品の識別標識としての機能を果たすのを妨げる行為を排除し、その本来の機能を発揮できるよう確保することにあると解すべきである。
 したがって、登録商標と同一又は類似の商標を商品について使用する第三者に対し、商標権者がその使用の差止等を請求しうるためには、前記第三者の使用する商標が単に形式的に商品などに表されているだけでは足らず、それが、自他商品の識別標識としての機能を果たす態様で用いられていることを要するというべきである。
ア 「堤人形」について
 「堤人形」の語は、前記認定のとおり、遅くとも昭和期には、仙台市の堤町で生産された土人形を指称するものとして使用され、その後も、公的にも仙台の郷土玩具である土人形の名称を表すものとして、普通に使用されていたことが認められる。そして、一般世人の郷土玩具ないし土人形のもつ素朴な美しさに対する再認識が高まるにつれ、「堤人形」は、仙台市の堤町で生産された土人形を指称するものとして、需用者の間に広く認識されてきたものと認めるのが相当である。
 したがって、「堤人形」の表示は、仙台市の堤町で生産された土人形を表す普通名称といわなければならない。
イ 「堤人形」、「つつみのおひなっこや」の使用について
 被告Cは、その店のガラス戸、看板に「堤人形」、「つつみのおひなっこや」と表示し、「堤」またはその平仮名書きである「つつみ」なる文字を使用しているが、その使用態様は、客観的には堤人形の販売所であること、仙台市の堤町にある雛人形屋であることを示し、他方、その表示に接した需用者は、もっぱら、「仙台市の堤町で生産された土人形の販売所である」という被告商品の産地、普通名称、被告Cの店舗の種類を示す表示であると認識するに止まり、それ以上に被告商品の出所が被告Cであることを示す表示であるとまでは認識しないと解するのが相当である。
 したがって、被告Cが使用する前記文字は、自他商品の識別標識としての機能を果たす態様で用いられているとはいえない。
ウ 別紙5の1及び2の広告の内容について
 別紙5の1及び2の広告に用いられている「堤人形」は、その説明内容が堤人形の歴史などであることを考慮すると、あくまでも仙台市の堤町で生産された土人形であることを意味するものとして用いられていると解することが相当である。
 したがって、被告Cが前記文字を使用する別紙5の1及び2の広告は、自他商品の識別標識としての機能を果たす態様で用いられているとはいえない。
エ 小括
 以上より、被告Cが使用する「堤人形」、「つつみのおひなっこや」、別紙広告の「堤人形」等は、自他商品の識別機能を果たす態様で使用されていないから、原告の商標権を侵害する行為と認めることはできない。
3 争点3について
(1) 混同惹起行為について
ア 証拠(事実ごとに後掲)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(ア) 宮城県では、「県内の地域においてはぐくみ受け継がれてきた伝統性の良さを見直し、宮城県伝統的工芸品として指定することにより、その工芸品を製造する事業者等の製造意欲の高揚及びその工芸品の健全な育成・振興を図ることを目的」として、宮城県伝統的工芸品振興対策要綱が定められている(要綱第1)。
 その要綱第5には事、「業者等は、第2の規定により指定を受けたときは、当該工芸品が伝統的工芸品として指定されていることを知事が別に定める方法により表示することができる」ものと定められている(乙24)。
(イ) 原告Aは、昭和59年2月16日、宮城県知事から、工芸品名を「堤人形」とする宮城県伝統工芸品の指定を受けた(甲1の1)。
(ウ) 宮城県産業経済部新産業振興課長の見解によると、堤人形について、再度、宮城県伝統的工芸品の指定を行うことはなく、他方、堤人形を制作しても、宮城県指定の伝統的工芸品である旨を表示しても支障ないとされている(乙23)。
イ 検討
 不正競争防止法2条1項1号は、「他人の商品等表示…として需要者の間に広く認識されているものと同一若しくは類似の商品等表示を使用し、又はその商品等表示を使用した商品を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し…他人の商品又は営業と混同を生じさせる行為」を不正競争と規定しているが、同号の趣旨は、人の業務に係る商品の表示について、同表示の持つ標識としての機能、すなわち、商品の出所を表示し、自他商品を識別し、その品質を保証する機能及びその顧客吸引力を保護し、もって事業者間の公正な競争を確保するところにある。
 この趣旨を踏まえるならば、同号の不正競争行為というためには、単に他人の周知の商品等表示と同一又は類似の表示を商品に付しているというだけでは足りず、それが商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で用いられていることを要するというべきである。けだし、そのような態様で用いられていない表示によっては、周知商品等表示の出所表示機能、自他商品識別機能、品質保証機能及び顧客集引力を害することにはならないからである。
(ア) 「宮城県伝統工芸品堤人形」の使用について
 前記認定の事実によれば、「宮城県伝統的工芸品」の指定は、工芸品に対してなされるものであり、工芸品の制作者である個々の工芸士に対してなされるものではなく、「宮城県伝統的工芸品」との表示も、当該工芸品が宮城県によって伝統的工芸品に指定されていることを表しているにすぎず、工芸品の制作者を特定する表現は用いられていない。
 とすれば、被告Cが、堤人形の販売箇所に「宮城県伝統工芸品」と表示したとしても、それは、商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で用いられているとはいえないから、被告らの行為は誤認混同惹起行為に該当しない。
(イ) 「堤」、「つつみ」、「つゝみ」の使用について
 被告商品は、仙台市の堤町で制作された土人形であるところ、「堤人形」という表示そのものは、前記認定のとおり、同表示に接した需要者をして、仙台市の堤町で制作された土人形であることを理解させる表示にすぎず、結局、「堤」、「つつみ」、「つゝみ」という表示も、仙台市の堤町を意味するにすぎない。
 したがって、被告商品を「堤人形」との名称で販売し、また、被告Cの店の看板に「堤」、「つつみ」、「つゝみ」という表示を用いたとしても、それは、他の地域で制作された人形と区別させるための認識手段にとどまり、堤人形の制作者を特定する等商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で用いられているとはいえないから、被告らの行為は誤認混同惹起行為に該当しない。
(ウ) 堤人形の形態について
 さらに、原告らは、原告Aの作品形態そのものが原告らの商品表示であるとして、被告らが類似の堤人形を制作し、「堤人形」として販売する行為が、誤認混同惹起行為であると主張する。
 しかし、前記認定のとおり、堤人形の制作は江戸期以来の伝統を受け継ぎ改良を加えながら行われていること、「堤人形」が、堤町で制作される人形の普通名称であること、本件の各人形について、原告Aに著作権を認めることはできず、被告Cの商品形態そのものが商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で用いられているとはいえないから、被告らの行為は誤認混同惹起行為に該当しない。
 原告らは、昭和初期、堤町では、唯一原告Aの家のみが堤人形を制作し、後世に伝えてきたと主張するが、原告Aの家のみが堤人形を制作、販売し度重なる苦難を乗り越えてその伝統を守り抜いてきたとしても、それは、堤人形の制作家がたまたま一時的に1つとなったにすぎないのであるから、その事実をもって堤人形を制作し、「堤人形」として販売する行為が、いずれかの者の商品表示となったとまで認めることはできない。
(2) 著名表示冒用行為について
 不正競争防止法2条1項2号は、「自己の商品等表示として他人の著名な商品等表示と同一若しくは類似のものを使用し、又はその商品等表示を使用した商品を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示…する行為」を不正競争と規定しているが、同号の趣旨は、著名な商品等表示について、その顧客吸引力を利用するただ乗りを防止するとともに、その出所表示機能及び品質表示機能が希釈化により害されることを防止するところにあり、それ故に、同号は、自己の「商品等表示」として他人の著名な商品等表示と同一若しくは類似のものを使用する行為を不正競争行為としている。
 この趣旨を踏まえるならば、同号の不正競争行為というためには、単に他人の著名な商品等表示と同一又は類似の表示を商品に付しているというだけでは足りず、それが商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で用いられていることを要するというべきである。けだし、そのような態様で用いられていない表示によっては、著名な商品等表示の顧客吸引力を利用し、出所表示機能及び品質表示機能を害することにはならないからである。
 原告らは、原告Aの作品そのものが原告らの著名な商品表示であるとして、被告らが類似の堤人形を制作し、「堤人形」の名称で販売する行為が、著名表示冒用行為に該当すると主張する。
 しかし、前記判示のとおり、被告Cの商品形態そのものが商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で用いられているとはいえないから、被告らの上記行為は著名表示冒用行為に該当しない。
(3) 営業秘密にかかる不正行為について
ア 証拠(事実ごとに後掲)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(ア) 被告Dは、昭和30年3月31日、先代Eの元に弟子として就職し、堤人形の制作に従事した。
 被告Dは、堤人形の制作工程のうち、主に型抜きと絵付けを担当していたが、筆や顔料を購入する担当者ではなかった(原告本人兼原告代表者42頁、被告D12頁)。
(イ) 被告Dは、昭和54、5年ころ、被告C宅に赴いた際、被告Cが縁起物として自宅の床の間に飾るために制作した七福神と高砂を見つけ、被告Cに対し、「もっときれいに細かくやったらどうだ」等と助言した。すると、被告Cが、被告Dに対し、「被告Dなりにやってくれ」等と持ちかけたので、被告Dは、被告C宅にあった筆と絵の具を用いて、前記2体の人形に絵付けを行った。
 被告Cは、後に、被告Dが絵付けをした七福神と高砂を用いて、絵はがきを作成した(被告D8頁、9頁、被告C9頁)。
(ウ) 原告有限会社Bは、平成15年4月28日、被告Dを、被告Dが同業者に深く関わったことを理由として懲戒解雇した(甲11、原告本人兼原告代表者29頁)。
(エ) 被告Dは、平成15年6月9日、宮城県地方労働委員会に、懲戒解雇の取消しと48年間の勤続に対する慰労金415万円の支払いに関するあっせんを求めて、個別労使紛争あっせんを申し立てた(甲11)。
 あっせん申請書には、被告Dの主張として、「郷土の伝統産業の存続させるため同業者(永年の友人)の要請に応じ技術指導したまでである。突然の懲戒解雇は納得できない。」と記載されている(甲11)。この同業者とは、被告Cのことである(被告D10頁)。
 なお、被告らは、被告Dの被告Cに対する技術指導を否認し、被告Dは、あっせん申請書の作成経緯について、労働委員会の係の指導により技術指導との表現をしたが、その記載内容は正確ではないという趣旨の供述をし(被告D10頁)、被告Cは、被告Dから原告らの型を渡されたり模様づけについて教えてもらったりしたことはないと供述している(被告C20頁)。
 しかし、被告Dは、甲11を自ら作成しているのであるから、その記載内容について、労働委員会の係の指示に従ったために不正確となったとの供述は不合理であり、また、被告Cは、被告Dとともに本件の被告として訴えられており被告Dをかばうために被告Dの供述に併せた可能性もあるから、この部分の被告らの供述を信用することはできない。
(オ) その後、あっせん行為は行われず、申立ては、取下げにより終了した(原告本人兼原告代表者40頁、被告D22頁)。
イ 検討
 以上の事実に上記認定事実を加えて検討すると、被告Dが、被告Cに対し、技術指導として、被告Cの所有する高砂人形や宝船に彩色を付け加えたことは認めることができるが、被告Dが、原告Aの使用する筆や顔料の購入先を被告Cに教示したり、原告Aが制作した素焼きの土人形や原告Aが使用する筆を盗取して被告Cに渡したりしたことを認めるに足りる証拠はない。
 そして、被告Dが高砂人形や宝船に加えた彩色は、彩色の模様自体を細かくするものであり、特に営業上の秘密に該当しない。
 検証の結果によれば、被告Cの商品である@牛乗天神、C鯉かつぎ(大)、D福神川越、P恵比寿大黒鯛かつぎ、<21>政岡は、原告ら商品の型を被告らが何らかの方法で盗用して石膏型を作成し(@牛乗天神−平成17年1月27日付検証調書添付の写真168及び169の向かって左側に写っている被告の石膏型、C鯉かつぎ−平成17年1月27日付検証調書添付の写真188に写っている被告の石膏型、D福神川越−平成17年2月3日付検証調書添付の写真60に写っている被告の石膏型、P恵比寿大黒鯛かつぎ−平成17年2月3日付検証調書添付の写真45及び46に写っている被告の石膏型、<21>政岡−平成17年2月3日付検証調書添付の写真2に写っている被告の石膏型)、それに基づき制作したものであると認めることができる。被告らがどのような方法を用いてこれらの型を盗用したのかについて、これを認めるに足りる証拠はないが、不正競争防止法2条1項4号の不正取得行為によって取得した営業秘密であるということができ、被告Cはこれにより原告らの営業上の利益を侵害するおそれがある。その他の商品について、被告Cが原告らの商品の型を盗用したとの事実を認めるに足りる証拠はない。
ウ 小括
 そうすると、上記被告Cの商品については、盗用した型に基づく商品の製造、販売及びその販売のための展示をしてはならないし、この型に基づき制作した商品については廃棄するべきである。原告らは侵害行為による損害の賠償を請求するが、これを認めるに足りる証拠はない。
(4) 商品の品質内容の誤認混同行為について
 原告らは、宮城県伝統工芸品と表示することは、商品の品質内容を誤認混同させる行為であると主張する。
 しかし、前記認定のとおり、宮城県伝統工芸品の指定は、工芸品の制作者ではなく、工芸品そのものに対してなされ、指定された工芸品の制作者は、制作した工芸品について、宮城県伝統工芸品の指定を受けたことを表示することができるのであるから、被告Cが、自ら制作した堤人形について、宮城県伝統工芸品指定との表示をしたとしても、その商品の品質内容を誤認混同させる行為であると認めることはできない。
4 結論
 以上検討したところによれば、原告らの本訴請求は主文の限度で理由があるから、主文のとおり判決する。

仙台地方裁判所第3民事部
 裁判長裁判官 小野洋一
 裁判官 伊澤文子
 裁判官 小川貴紀
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