判例全文 line
line
【事件名】「パズル」の著作物性事件
【年月日】平成20年1月31日
 東京地裁 平成18年(ワ)第13803号 損害賠償請求事件
 (口頭弁論終結日 平成20年1月22日)

判決
原告 甲
被告 乙
訴訟代理人弁護士 伊藤真


主文
1 被告は、原告に対し、24万5294円及びこれに対する平成18年10月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを10分し、その3を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、86万9539円及びこれに対する平成18年10月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、原告が、被告が執筆して出版された書籍において、原告が創作した12問のパズル(別紙パズル目録の原告パズルAないしL。以下、その符号に従い「原告パズルA」などといい、総称して「原告各パズル」という。)が複製又は翻案されるとともに、氏名表示権及び同一性保持権が侵害されたとして、被告に対し、著作権侵害に基づく損害賠償金86万9539円(複製権侵害又は翻案権侵害に基づく財産的損害46万9539円並びに氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害に基づく慰謝料40万円)及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提となる事実等(当事者間に争いがないか、該当箇所末尾掲記の各証拠及び弁論の全趣旨により認められる。)
(1) 原告は、平成3年、「パズルの帝国」という書籍(廣済堂出版発行。以下「パズルの帝国」という。)を執筆し、その中に、原告パズルE、F、G、H、Iを掲載した(甲1、甲2)。
(2) 原告は、平成4年、「超脳パニックあるなし“クイズ”」という書籍(廣済堂出版発行。以下「超脳パニックあるなしクイズ」という。)を執筆し、その中に、原告パズルKを掲載した(甲6)。
(3) 原告は、平成6年、「頭がよくなる算数パズル事典」という書籍(大日本図書発行。以下「頭がよくなる算数パズル事典」という。)を執筆し、その中に、原告パズルB、C、D、Jを掲載した(甲1、甲2)。
(4) 原告は、平成9年、「面白くてやめられない漢字パズル」という書籍(中経出版発行。以下「面白くてやめられない漢字パズル」という。)を執筆し、その中に、原告パズルLを掲載した(甲8)。
(5) 原告は、平成11年、季刊誌「さわやか」第269号(社会保険研究所発行)に原告パズルAを寄稿した(甲1、甲2)。
(6) 被告は、平成11年、「なぞなぞ3・4年生」という書籍(高橋書店発行。以下「なぞなぞ3・4年生」という。)を執筆し、その中に、別紙パズル目録の被告パズルK(以下、「被告パズルK」という。)を掲載した(甲7)。
(7) 被告は、平成16年、「なぞなぞ1年2年生」という書籍(西東社発行。以下「なぞなぞ1年2年生」という。)を執筆し、その中に、別紙パズル目録の被告パズルL(以下、「被告パズルL」という。)を掲載した(甲9)。
(8) 被告は、平成17年11月、「右脳を鍛える大人のパズル」という書籍(主婦の友社発行。平成17年11月10日第1刷発行。以下「右脳を鍛える大人のパズル」という)を執筆。し、その中に、別紙パズル目録の被告パズルA、B、C、G、H、I、J(以下、その符号に従い「被告パズルA」などという。)を掲載した(甲1、甲3)。
(9) 被告は、平成17年11月、「左脳を鍛える大人のパズル」という書籍(主婦の友社発行。平成17年11月10日第1刷発行。以下「左脳を鍛える大人のパズル」という。)を執筆し、その中に、別紙パズル目録の被告パズルD、E、F(以下、その符号に従い「被告パズルD」などといい、被告パズルAないし被告パズルLを総称して「被告各パズル」という。)を掲載した(甲1、甲3)。
(10) 被告は、平成17年9月26日、「右脳を鍛える大人のパズル」の発行元である主婦の友社との間で、同書籍について、以下の約定で出版契約を締結した(乙20)。
 予定本体価格619円
 印税率本体価格の2%
 支払方法本体価格×印税率×発行部数の算式にて現金払い(銀行振込)
 初版部数2万5000部
 原稿料初版時のみ別途原稿料として25万円を支払う
(11) 被告は、平成17年9月26日、「左脳を鍛える大人のパズル」の発行元である主婦の友社との間で、同書籍について、以下の約定で出版契約を締結した(乙21)。
 予定本体価格619円
 印税率本体価格の2%
 支払方法本体価格×印税率×発行部数の算式にて現金払い(銀行振込)
 初版部数2万5000部
 原稿料初版時のみ別途原稿料として25万円を支払う
(12) 「右脳を鍛える大人のパズル」の発行部数は、平成18年10月5日現在、8万9000部である(乙18)。
(13) 「左脳を鍛える大人のパズル」の発行部数は、平成18年10月5日現在、7万5000部である(乙19)。
2 本件の争点
(1) 原告各パズルの著作物性の有無(争点1)
(2) 複製権及び翻案権侵害の有無(争点2)
(3) 損害額(争点3)
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点1(原告各パズルの著作物性の有無)について
ア 原告の主張
 原告各パズルは、いずれも創作的に表現された著作物である。
a) 原告パズルAのようなパズルにおいては、「そもそも、いくつのループを使うか、1つも使わないか」の判断がまず必要であり、さらに「2つのループの交差という点では同じでも、交差形状はきわめて多数存在する」のであるから、それらのうちどれとどれを採用するかは、作者の“腕の見せ所”であり、そこに著作物性が発生する。
b) 原告パズルBについて、被告は、昔から存在する問題にすぎない、辺の長さも数値は限られる、同一の図になることはいわば必然などと主張する。しかし、被告は、乙11号証として昭和41年発行の「少年マガジン」(1966年1月12日号)を提出し、実に40年前まで遡って資料を探索しているにもかかわらず、原告パズルBと同一・類似のパズルを提出することはできなかった。その事実こそが、原告パズルBが創作的表現であり、著作物であることの証明である。
 また、原告パズルBのようなパズルにおいては、ケーキの形はどうするか、何等分するか/どんな比率で分けるか、分割の起点をどこにするかなど、さまざまな「創作の岐路」、「表現の岐路」があり、各岐路でどれを選ぶかが作者の“腕の見せ所”である。
c) 被告が原告パズルCの先行例と主張する昭和53年発行の辰野千寿指導の「なぞなぞちえブック」(講談社発行・乙5)掲載のパズル(以下「乙5パズル」という。)は、解答がついていないので、「大きい立方体の6面全部を塗るのか、5面全部を塗るのか」が不明である。前者であれば、5面を塗る設定の原告パズルCとは別のパズルであり、原告パズルCの先行例とはならないし、後者だとしても、原告パズルCの文章表現は乙5パズルとは全く異なる。
 昭和41年発行の「頭の体操」(光文社発行・乙6)掲載のパズル(以下「乙6パズル」という。)も、「大きい立方体の6面全部を塗る」という設定であるから、5面を塗る設定の原告パズルCとは別のパズルであり、原告パズルCの先行例とはならないし、原告パズルCの文章表現は乙6パズルとは全く異なる。
 原告パズルCに著作物性が存在することは明らかである。
d) 「ビン内浮遊」という漠然とした定義のパズルが、原告パズルDよりも前にあったことは否定しない。しかし、昭和43年発行の田中実著「科学パズル」(光文社発行・乙7)掲載のパズル(以下「乙7パズル」という。)及び昭和43年発行の都筑卓司著「パズル・物理入門」(講談社発行・乙8)掲載のパズル(以下「乙8パズル」という。)も含め、先行例はすべて「一つのビンと一つの台秤」という設定である。一方、原告パズルDは、台秤を用いず、「二つのビンと一つの天秤」という設定である。
 換言すれば、乙7パズル及び乙8パズル等は「台秤の目盛の変化=絶対的な重さ」を扱うのに対し、原告パズルDは「天秤の傾きの変化=相対的な重さ」を扱っている。
 これは視覚的にも物理的意味においても重大な差異であり、極めて創作性の高いアイデア・表現である。
 原告パズルDは明らかに創作的表現であり著作物である。
e) 被告は、乙11号証として昭和41年発行の少年マガジンを提出しており、実に40年前まで遡って資料を探索している。しかし、その調査能力をもってしても、原告パズルEと同一・類似のパズルを提出することはできなかった。その事実こそが、原告パズルEが創作的表現であり、著作物であることの証明である。
f) 昭和45年発行の高野一夫著「数学のあたま」(講談社発行・乙9)掲載のパズル(以下「乙9パズル」という。)及び平成17年1月発行の多湖輝著「頭の体操四谷大塚ベストセレクション」(光文社発行・乙10)掲載のパズル(以下「乙10パズル」という。)は、原告パズルFとは異なるパズルであり、原告パズルFの先行例とはならない。
 すなわち、被告は、さまざまな天秤のパズルを「軽重判定」とひとくくりにするものの、一見同じようであっても、以下のアないしウは、数学的・パズル的には全く意味の異なる出題である。
ア 天秤がつりあっている時、何がいくつ載っているか、又は、天秤をつりあわせるため、何をいくつ載せればいいか。
イ 一方に何をいくつ載せ、他方に何をいくつ載せると、どちらに傾くか。
ウ (天秤の状態をいくつか示して)いちばん重い/軽いおもりはどれか。
 そして、乙9パズルが上記アであり、乙10パズルが上記イであるのに対し、原告パズルF及び被告パズルFは上記ウであるから、乙9パズル及び乙10パズルは、原告パズルFとは異なるパズルである。
 原告パズルFは、創作的表現であり著作物である。
 被告は、前提となる方程式自体は著作物ではないと主張するものの、方程式で解けるのは上記ア及びイであり、上記ウは方程式では解けないから、被告の方程式に関する主張は失当である。
 また、被告は、原告パズルFのようなパズルは、3元にほぼ限定され、係数は0〜2に限定されると主張する。しかし、乙9パズルでは係数5まで、乙10パズルでは係数6まで現れている。そして、仮に「3元限定かつ係数は0〜6限定」としても、係数の組合せ(順列)は、一つの式だけで、343通り(7×7×7)あり、二つの式では11万7649通り(343×343)に及ぶ。もちろん、これは単純計算であるから、「話100分の1」としても、係数の組合せ(順列)は1176通りある。この中から、どれを選ぶかが作者の“腕の見せ所”である。
g) 乙11号証の少年マガジン掲載のパズル(以下「乙11パズル」という。)及び昭和47年発行の都筑卓司著「新・パズル物理入門」(講談社発行・乙12)掲載のパズル(以下「乙12パズル」という。)は、原告パズルGの先行例ではない。
 すなわち、鏡2枚のパズルにおいては、大きく分けて、光の流れ(逆に言えば、視線の流れ)が「コ」の字型、「S」の字型、「ク」の字型がある(それぞれの左右対称形を含む)。
 原告パズルG及び被告パズルGが「コ」の字型であるのに対し、乙11パズル及び甲5号証の「右脳を鍛える大人のパズル」掲載のパズルは「S」の字型であり、乙12パズルは「ク」の字型である。
 被告は、乙11号証として昭和41年発行の少年マガジンを提出し、実に40年前まで遡って資料を探索しているにもかかわらず、原告パズルGと同一・類似のパズルを提出することはできなかった。その事実こそが、原告パズルGが創作的表現であり、著作物であることの証明である。
 また、被告は、頭の上に時計を置くことは必然であると主張するものの、上記乙11号証及び乙12号証の文献中の延べ8問の鏡のパズルの中で、時計その他の見るべき像の対象が頭上にあるものはなく、必然ではない。
 この種のパズルでは、「複数の鏡を使う」ことがアイデアであり、「具体的に何枚の鏡をどのように配置するか」が表現にあたる。
 原告パズルGのような鏡と像に関するパズルを出題する場合、鏡の枚数、鏡の位置(同一平面内に置くか、3次元空間まで広げるかなど)、視線の流れ(「コ」の字型にするか、「S」の字型にするかなど)など、さまざまな「創作の岐路」、「表現の岐路」があり、各岐路でどれを選ぶかが作者の“腕の見せ所”である。
h) 乙14号証掲載のパズルは、一見いくつもの解答を示しているようであるものの、文章をよく読むと、図@だけを正解としており、答えを一つしか示していない。
 原告パズルIは、それに三つを加えて4通りの解答を示しているから、全体として創作的表現であり著作物である。
i) 被告は、乙11号証として昭和41年発行の少年マガジンを提出しており、実に40年前まで遡って資料を探索している。しかし、その調査能力をもってしても、原告パズルJと同一・類似のパズルを提出することはできなかった。その事実こそが、原告パズルJが創作的表現であり、著作物であることの証明である。
j) 被告は、原告パズルKの問題文は昔から存するなぞなぞの一つであると主張する。しかし、被告は、乙11号証として昭和41年発行の少年マガジンを提出し、実に40年前まで遡って資料を探索しているにもかかわらず、原告パズルKが昔から存することの具体的な裏付けや証拠は示されていない。
k) 被告は、原告パズルLについても昔から存すると主張する。しかし、被告は、乙11号証として昭和41年発行の少年マガジンを提出し、実に40年前まで遡って資料を探索しているにもかかわらず、原告パズルLが昔から存することの具体的な裏付けや証拠は示されていない。
イ 被告の反論
 原告各パズルは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)には該当せず、著作物たり得ない。
a) 著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」であり、表現を離れた単なるアイデアは著作物とはいえず、著作権法上の保護の対象たる著作物たりえない。パズルにおいては、その題材となるアイデアや解法それ自体は著作物ではなく、具体的に表現された問題文や解答の説明文(表現)が著作物性判断の対象である。パズルのアイデアそれ自体は、本来、誰に対しても自由な利用が許されるべきものであって、特定の者に独占させるべきものではないことは、当然である。パズルにおいて著作物性が認められるのは、その問題や解答の具体的な記述(表現)が「創作的に表現したもの」と認められる場合に限られる。
 原告各パズルは、いずれもありふれた古典的なパズルにすぎず、もとより、それらのパズルのアイデアは著作物ではない。
 そして、これらのアイデアに基づく具体的な問題も古くから多数作成されているところであり、平易かつ簡潔に問題文や解答を作成する場合には、必然的に同一・同様の表現とならざるを得ず、表現上の創作性は認められない。あるいは、認められるとしても、それに類似しているとして権利を及ぼすことのできる範囲は非常に狭くなる。
 原告各パズルは、古典的なパズルを、平易かつ簡潔に問題文及び解答としているものであり、「創作的に表現したもの」ではなく、著作物性が認められるものではない。
b) 原告パズルAの問題形式は、昔から存在する結び目問題にすぎない(甲1ないし甲3)。
 このひもの結び目問題の中で、簡単な形式で問題を作成するとすれば、左右にひもの端部を設け、U字部を3か所(本件では、上に2か所、下に1か所)として交点を6か所設けることは自然である。交点が4か所以下では一見して明らかとなりパズルとして成立しない。2つのループを交差させる形状を利用して問題とすることはアイデアの領域であり、そのことに著作物性が認められるものではない。
 交点を6か所設ける場合、作成することのできる問題のパターンは、交点におけるひもの上下の相違で計算されるので、64通り(2の6乗)しか存在しない。実際には、一見して答えが判明するような簡単なものも含まれるので、問題として成立するものはさらに少ない。
 原告パズルAは、平易かつ簡潔なものであり、必然的に同一・同様の表現とならざるを得ないような文章にすぎず、特段の創作的な表現が付加されているものでもない。
 原告パズルAには著作物性は認められない。
c) 原告パズルBは、底辺と高さが同じであればどのような三角形も面積は同じとなることを利用した幾何の応用問題として古くから存在する問題である(乙4)。
 4辺の合計が簡単に3等分できるように自然数の範囲で作問すると、一辺の長さは、6、9、12、15、24、30などの小さな3の倍数でしか作問できない。イラストも、分かりやすいようにするには、切り分ける一端は四角形の頂点の一つとならざるを得ず、デザイン的には上部の左右いずれかの頂点を選ぶのが自然である。イラストや辺の数値に表現の創作性を認めることは到底できない。
 解答の文章も、正確かつ簡潔に記述する以上、ほぼ同様の表現とならざるを得ない。原告は、別紙比較Bで解答の文章を対比しているが、底辺を等しく3等分することを示すため、「正方形のりんかくを3等分する」旨の記述は必然的な記述であり、また、高さを同じくするため、「四角形の中心とそれらの点を結ぶ線にそって切る」旨の記述も必然的な記述であって、これらの記述が著作物性を有するものではない。
 原告パズルBは、平易かつ簡潔に問題文及び解答としているものであり、「創作的に表現したもの」ではないから、著作物性が認められるものではない。
d) 原告パズルCは、昔から存在する立体図形の問題にすぎない(乙5、6)。
 平易な問題とするには、一辺が3ないし4個の直方体として問題を作成することになる。また、底面も考えるか否かについても、問題の難易とのバランス上の選択にすぎない。
 原告パズルCは、平易かつ簡潔に問題文及び解答としているものであり、「創作的に表現したもの」ではなく、著作物性が認められるものではない。
e) 原告パズルDのようなビン内の小鳥が浮遊した時の重さの変化の問題は、昔から存在する物理の典型問題にすぎない(乙7、8)。乙7号証においては、表紙のイラストにこの問題を利用しているほどである。
 このような重さの変化を天秤で対比することも一般的な手法にすぎない。原告が主張する台秤と天秤の違いはアイデアにおける問題である。
 原告パズルDは、特段の創作的な表現が付加されているものではなく、著作物性は認められない。
f) 原告パズルEのような影の問題では、「夕方(早朝)に写真に撮ったときには自分の影が写り込むはず、ということから方角が推測できる」というアイデアは昔から存在する。
 原告は、解答が実質的に全く同一と主張するが、短く平易に記述する以上、説明の論理・順序はある程度類似したものとならざるを得ない。
 原告パズルEは、上記アイデアを簡潔な表現でパズルにしたにすぎないものであり、特段の創作的な表現が付加されているものではないから、著作物性は認められない。
 なお、原告は、被告は41年前まで遡って過去の作品を精査したなどと主張するものの、その前提が誤っている。被告の協力者である丙氏から提供された資料と、被告代理人が講談社の資料室において2、3時間、子供用のパズル書籍を検索した結果を証拠として提出しただけである。他のパズルにおいては、その程度の検索でも、類似しているパズルがたくさん見つかることを示すものである。
g) 原告パズルFのような形(重さ)の異なる複数の種類の重りと天秤を用いた軽重判定の問題は、古くから出題されてきた問題の形式であり、基本的には多元一次方程式を形(重さ)の異なる複数の種類の重りで表したにすぎない(乙9、10)。
 原告パズルFには、特段の創作的な表現が付加されているものではなく、著作物性は認められない。
 原告は、2つの天秤で表す方程式が同じであることをもって、著作権侵害を主張するようであり、たしかに、原告パズルFの問題文と被告パズルFの問題文を3元の等式・不等式に還元すれば、〔2a+b+c=b+2c〕、〔a+2b+c>2a+2c〕という同じ式となる。しかし、平易かつシンプルな問題とするためには、3元で等式・不等式を作成することは必然であり(2元では問題として成立しがたいし、4元では複雑で難易度が高くなる)、かつ、各係数を0〜2にすることも当然であるから、問題に使用できる3元の等式・不等式の範囲は極めて限られる。かような等式・不等式の組み合わせ自体も、一つのアイデアにすぎないのであって、等式・不等式の組み合わせ自体は創作性のある著作物と認められるものではない。これを著作物とすれば、この3元の等式・不等式の組み合わせを原告が独占することになる。
h) 原告パズルGのような鏡にどのように写るかという問題は古来からあり、その場合に一番簡単に写った絵を示すためにアナログ時計の文字盤が利用されるのは、いわばこの種の問題の定番である(乙11、12)。
 そして、最も平易かつシンプルな問題の一つが2枚の鏡を組み合わせて自分の後方にある像を尋ねる問題である。この場合、頭より下に時計を置くことは極めて不自然であるから、イラストとしては、自らの頭の上に時計を置くことは必然である。鏡と人物・時計の位置関係については、パズルのアイデアの領域であり、また、そこに創作的な表現を認めることはできない。
 原告パズルGは、このような鏡2枚の問題の中でも最もシンプルかつオーソドックスな問題であり、問題文の表現も簡潔であり、特段の創作的な表現が付加されているものではなく、著作物性は存しない。
 原告は、「具体的に何枚の鏡をどのように配置するか」が表現にあたると主張するものの、これはアイデアの領域に属する事柄である。少なくとも、「2枚の鏡を45度ずつに組み合わせて自分の後方にある像を尋ねる」という極めてシンプル・基本的な問題構成について、創作的な表現として著作物性が認められる余地はない。
i) 原告パズルHのようなケーキを等分する問題は、古くから存在する問題である(乙13)。
 原告パズルHは、その問題文の表現も簡潔であり、特段の創作的な表現が付加されているものではなく、著作物性は存しない。
j) 原告パズルIのようなマッチ棒5本で「円」をつくるパズルは、古くから出題されている(乙14)。
 原告パズルIには、特段の創作的な表現が付加されているものではなく、著作物性は認められない。
k) 原告パズルJのように、マッチ棒1本で「一」が示され、2本で「十」が示され、3本で「千」が示されるというアイデアは古くから存し、また、マッチ棒パズルを考えていれば誰でも想起しうるアイデアにすぎない。
 原告パズルJは、上記アイデアを減算の形で簡潔に問題にしたにすぎず、特段の創作的な表現が付加されているものではなく、著作物性は存しない。
 なお、原告は、被告は41年前まで遡って過去の作品を精査したなどと主張するものの、その前提が誤っている。被告の協力者である丙氏から提供された資料と、被告代理人が講談社の資料室において2、3時間、子供用のパズル書籍を検索した結果を証拠として提出しただけである。他のパズルにおいては、その程度の検索でも、類似しているパズルがたくさん見つかることを示すものである。
l) 原告パズルKの問題文は、昔から存する「なぞなぞ」の一つであり、平易な短い文章であり、そこに格別の創作性を認めることはできない。
 仮に、かような平易かつ短い文章の作問に著作物性を認めるとすれば、結果としてなぞなぞのアイデアの独占を認めることにもつながってしまう。
 原告パズルKの著作物性は、認められない。
m) 原告パズルLの問題文は、昔から存する「なぞなぞ」あるいは「漢字の覚え方」の一つであり、平易な短い文章であり、そこに格別の創作性を認めることはできない。
 「親」という字について、「木の上に立って見る、と書く」と説明し覚えることは昔から言い習わされているところである。これをそのまま問題文として記述しているにすぎないのであって、そこに何らの創作性も認められない。
 「男」という字について、「田の下に力」、「田で力を出している」などと説明し覚えることは昔から言い習わされているところであり、これを問題文として「田の下の力持ちとして生きている人」と作問した文章自体に著作物性を認めることはできない。
 イラストも含めた頁全体として著作物を把握すれば、著作物性が認められる余地はあろうが、そうであれば、原告パズルLと被告パズルLとは全く異なっており、著作権侵害の問題にならないことは明らかである。
(2) 争点2(複製権及び翻案権侵害の有無)について
ア 原告の主張
 被告各パズルは、原告各パズルに依拠して、これを複製したものである。
 仮に、複製に当たらないとしても、被告各パズルは、原告各パズルに依拠して、これを翻案したものである。
a) 原告パズルAは糸のパズルであり、被告パズルAはひものパズルである。
 原告パズルAと被告パズルAとが酷似していることは一目瞭然であるが、さらに細かく対比するため、対応するものを上段と下段に配置したのが別紙比較Aである。
 原告パズルAのA、B、Cと被告パズルAのC、A、Bとは、それぞれ、全体の形状が酷似しているだけでなく、糸又はひもの交点が6か所であること、各交点における交差状況(糸又はひもの上下関係)が全く同じである。
 原告パズルAのDと被告パズルAの@とは、全体の形状が酷似しているだけでなく、糸又はひもの交点が6か所であることが全く同じであり、各交点における交差状況も6か所中3か所が同じである。
 これらを総合的に見れば、被告が原告パズルAについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
 被告は、原告パズルAと被告パズルAとではひもの本数が異なると主張する。しかし、原告パズルAは、「両端を持ってひっぱると、結び目がどこかにできるだろうか」(どこにできるかは不問)という出題ではなく、「どことどこにできるか」という出題であるから、読者は、原告パズルAのA〜Dを個別に考えなければならないのであり、被告パズルAの設定と同じである。
 また、被告は、交点数が4か所以下ではパズルとして成立しないと主張する。しかし、昭和48年発行の本間龍雄著「新しいトポロジー」(講談社発行・乙3)には、交点が3か所の事例と4か所の事例が示されている。
 原告パズルAと被告パズルAとは、4個のパターン中原告パズルAのA、B、Cと被告パズルAのC、A、Bという3個が一致していることは、被告も認めている。そこで、依拠なしでこういう一致が生じる可能性を計算すると、これは、「交点数6を選ぶ確率」、「交点数6の多数の形状から原告パズルAの形状を選ぶ確率」、「原告パズルAの形状の多数のパターンから原告パズルAのA、B、Cと一致した3個を選ぶ確率」の積として求めることができる。まず、乙3号証の上記文献には交点数3の事例があり、昭和53年発行の辰野千寿指導「なぞなぞちえブック」(講談社発行・乙2)には交点数13の事例があることからすれば、少なくとも交点数3〜13の11種類があるから、「交点数6を選ぶ確率」は11分の1以下である。また、交点数6の全形状を列挙・カウントすることは困難であるものの、少なくとも交点数6の形状として別紙交点数6の諸形状のとおり7種類の形状があるから、「交点数6の多数の形状から原告パズルAの形状を選ぶ確率」は7分の1以下である。さらに、交点を6か所設ける原告パズルAの形状のパターンは64通りであり、「原告パズルAの形状の多数のパターンから原告パズルAのA、B、Cと一致した3個を選ぶ確率」は1万0416分の1である。そうすると、依拠なしで原告パズルAと被告パズルAとの一致が生じる可能性は、これらを乗じた80万2032分の1、すなわち、約0.0001%以下である。換言すれば、依拠があった可能性は、99.9999%以上であり、依拠があったと判断すべきである。
b) 原告パズルBはケーキを等分するパズルであり、被告パズルBもケーキを等分するパズルである。
 原告パズルBの解答における図と被告パズルBの解答における図とを比較すると、原告パズルBにおいて4センチメートルとされているところが被告パズルBにおいては5センチメートル、原告パズルBにおいて8センチメートルとされているところが被告パズルBにおいては10センチメートルというように、機械的に1.25倍されているものの、事実上同一の図であることが一目瞭然である。
 また、原告パズルBの解答文と被告パズルBの解答文とを比べたものが別紙比較Bである。原告パズルBにおいて「りんかく」とされているところが被告パズルBにおいては「輪郭」とされているなど、微細な違いはあるものの、実質的に全く同一である。
 これらを総合的に見れば、被告が原告パズルBについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
 被告は、原告パズルBの解答と被告パズルBの解答とは、必然的に同一・同様の表現とならざるを得ないと主張する。しかし、平成2年発行の多湖輝著「頭の体操第12集」(光文社発行・乙4)掲載のパズル(以下「乙4パズル」という。)には、原告パズルBと被告パズルBにある「それらの点を結ぶ線にそって」という表現がなく、逆に、原告パズルBと被告パズルBにない「周りの長さを測り」という表現がある。
 原告パズルBと被告パズルBと乙4パズルとを比べると、別紙対比表のとおりである。乙4パズルと原告パズルBとは、主な要素がことごとく異なっているのに対し、原告パズルBと被告パズルBとではそれらがすべて共通しており、被告パズルBが原告パズルBに依拠したことが強く推認される。
 被告パズルBが原告パズルBに依拠していないとすると、@ケーキが他の立体(円柱・3角柱・5角柱・6角柱等)でも成立するのに、偶然に4角柱を選んだこと、A分割数が他の数(2・4・5・6等)でも成立するのに、偶然に3分することを選んだこと、B分割の起点が他点(右上・右下・左下等)でも成立するのに、偶然に左上からの分割を選んだことが重なったことになるから、仮に、それぞれの確率を順に、5分の1、5分の1、4分の1としても、3つの偶然が重なる確率は、これらを乗じた100分の1である。すなわち、別紙対比表で述べたような一致点を除いても、偶然ではない(依拠がある)可能性は99%である。
c) 原告パズルCは立方体とスプレーのパズルであり、被告パズルCも立方体とスプレーのパズルである。
 原告パズルCにおける図と被告パズルCにおける図とが酷似していることは一目瞭然である。
 原告パズルCの問題文と被告パズルCの問題文とを比べたものが別紙比較Cである。原告パズルCにおいて「スプレー」とされているところが被告パズルCにおいては「スプレーインク」とされているなど、微細な違いはあるものの、実質的に全く同一である。
 原告パズルCの文章表現が乙5パズルとも乙6パズルとも全く異なるのに対し、原告パズルCと被告パズルCとは、別紙比較Cのとおり酷似していることからすれば、依拠の事実は強く推認される。
 被告パズルCが掲載された「右脳を鍛える大人のパズル」は、児童書ではなく、大人向けの一般書であるから、被告は、「易しくかつシンプルな問題」にこだわる必要もなく、「平易かつ簡潔な表現」しかできないわけでもなかった。複雑・高度なものを含めて、多様な出題(題材)と多彩な表現が可能であった。にもかかわらず、別紙比較Cのとおり、文章が酷似しているのであるから、これが偶然とはいえない。
 これらを総合的に見れば、被告が原告パズルCについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
d) 原告パズルDは天秤とビン内“浮遊”のパズルであり、被告パズルDも天秤とビン内“浮遊”のパズルである。
 原告パズルDと被告パズルDとを比較すれば、原告パズルDにおいて「小鳥」とされているところが被告パズルDにおいては「カエル」とされているなど、微細な設定変更はあるものの、被告が原告パズルDについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。「鳥をカエルにした」とか「選択肢を設けた」というのは、「ひらがなをカタカナにした」程度のことにすぎない。
 原告パズルDには先行例がない以上、被告が原告パズルDに依拠したことも強く推認される。
e) 原告パズルEは影と方位のパズルであり、被告パズルEも影と方位のパズルである。
 原告パズルEにおける図と被告パズルEにおける図とが酷似しているのは一目瞭然である。
 原告パズルEの解答文と被告パズルEの解答文とを比べたものが別紙比較Eである。原告パズルEにおいて「日没直前」とされているところが被告パズルEにおいては「日没の少し前」とされているなど、微細な違いはあるものの、実質的に全く同一である。
 原告パズルEの先行例がない以上、アイデア・表現とも、被告が原告パズルEに依拠したことは明白である。
 被告パズルEが掲載された「左脳を鍛える大人のパズル」は、児童書ではなく、大人向けの一般書であるから、被告は、「易しくかつシンプルな問題」にこだわる必要もなく、「平易かつ簡潔な表現」しかできないわけでもなかった。複雑・高度なものを含めて、多様な出題(題材)と多彩な表現が可能であった。にもかかわらず、別紙比較Eのとおり、文章が酷似している(事実上、「である」調と「ですます調」の差しかない)のであるから、これが偶然とはいえない。
 これらを総合的に見れば、被告が原告パズルEについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
 被告は、設定でのアフリカとエジプトとの差異を主張するものの、エジプトはアフリカの一部であり、差異にあたらない。仮に差異だとしても、その差異こそが翻案にあたる。
 被告は、文章表現の差異を主張するものの、被告パズルEの文章は概ね原告パズルEの文章を抜粋・簡略化したものにすぎない。
 被告は、イラストの差異も主張するものの、原告パズルEを知る者が被告パズルEを見れば、イラストを一目見るだけで「あ、あれと同じだ」と感得することは明らかである。出題文を読めば、その感得はさらに強くなる。
 被告は、状況設定・条件設定・問いかけ文・イラストと4点に細分化して論じているものの、細分化すればするほど(極端にいえば文節・単語レベルまで分ければ)、「表現上の本質的な特徴」が希薄になっていくのは当然である。百歩譲って原告パズルEの上記4点について個別には「表現上の本質的な特徴」が不十分であるとしても、上記4点を総合すれば、原告パズルEは「表現上の本質的な特徴」を十二分に有している。
f) 原告パズルFは天秤による軽重判定のパズルであり、被告パズルFも天秤による軽重判定のパズルである。
 原告パズルFにおける図と被告パズルFにおける図とは、一見さほど似ていないように見えるものの、それは「ひらがなをカタカナに置き換える」レベルの、単純かつ機械的な“偽装”による結果である。原告パズルFにおける図において、2つの天秤の上下を入れ替え、灰色斜線の□を▲に、白い□を★に置き換えたものが、別紙比較Fの左の図であり、その右の図が被告パズルFにおける図である。■、▲、★の数を比較すれば、原告パズルFにおける図と被告パズルFにおける図が事実上同じものであり、原告パズルFと被告パズルFとが事実上同じものであることが分かる。
 原告パズルFの先行例がない以上、被告が原告パズルFに依拠したことが強く推認される。
被告が原告パズルFについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
 「□を★にした」とか「図の上下を入れ替えた」というのは、「ひらがなをカタカナにした」程度のことにすぎず、「表現を異にする」とは到底言えない。
g) 原告パズルGは鏡2枚と時計のパズルであり、被告パズルGも鏡2枚と時計のパズルである。
 原告パズルGにおける図と被告パズルGにおける図とは、「人物が左右どちらを向いているか」、「時計の輪郭は丸か四角か」という末梢的な違いはあるものの、パズルとしての本質は全く同一である。
 選択肢に微細な差異があるからといって、新たな表現・異なる表現とはいえない。
 原告パズルGの先行例がない以上、被告が原告パズルGに依拠したものと推認される。
 被告が原告パズルGについての原告の著作権を侵害していることは明らかである。
h) 原告パズルHはケーキを等分するパズルであり、被告パズルHもケーキを等分するパズルである。
 原告パズルHにおいては、印刷ミスにより、問題図と解答図が入れ替わっているものの、この印刷ミスは、一般読者でも容易に気付くものである(判決注・別紙パズル目録においては、問題図と解答図を入れ替え、正しい配置に修正した。)。
 そして、原告パズルHと被告パズルHとは、多少の設定変更などはあるものの、本質的には同一であり、被告が原告パズルHについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
i) 原告パズルIはマッチ5本で円をつくるというパズルであり、被告パズルIもマッチ5本で円をつくるというパズルである。
 原告パズルIは4通りの解答を示しており、被告パズルIはそのうち一つだけを示している。
 被告が原告パズルIの四つに加えて、五つ目、六つ目の解答を加えたのであれば、そこに創作性が生じることはあり得るものの、減らすことで創作性は生じない。
 被告が原告パズルIについての原告の複製権を侵害していることは明らかである。
 被告は、被告パズルIは5角形を描いているマッチ棒が「円」を表現するようにするところに問題のおもしろさを創り上げていると主張する。しかし、円周率の算出などにその発想が用いられているように、円は正多角形の角数(辺数)が無限大になったものと考えることができるから、原告パズルIにおいても、「マッチ5本を“閉じた図形”かつ“広義の正多角形”にする」というイラスト表現をしているといえるのであり、被告パズルIが「無から有を生じた」わけではない。
j) 原告パズルJは「1000−1=10をマッチで示せ」という趣旨のパズルであり、被告パズルJは「10+1=1000をマッチで示せ」という趣旨のパズルである。
 〔1000−1=10〕と〔10+1=1000〕とは、一見全く別のもののようにも見えるものの、数学用語の「移項」(平たく言えば左辺と右辺の入れ替え)をしただけであり、そこに創作性は生じない。
 被告が原告パズルJについての原告の著作権を侵害していることは明らかである。
 被告は、「1を移項した」だけで表現を異にすると主張するものの、被告の主張は、「1/2」を「0.5」に変えただけで、創作的表現を加えたというがごときものである。
 また、被告は「千からの変化」と「千への変化」という主張もしているものの、これは、迷路パズルで入口と出口を逆にしただけで、創作的表現を加えたというがごときものである。
k) 原告パズルKは「山があるのに登れない」で始まるパズルであり、被告パズルKも「山があるのに登れない」で始まるパズルである。
 原告パズルKと被告パズルKとを比べたものが別紙比較Kである。これによれば、下線(直線)部分は完全に一致しており、波線部分は意味的に一致している。
 被告パズルKが、ほぼ原告パズルKを抜粋したものであり、創作性はなく、被告が原告パズルKについての原告の著作権を侵害していることは明らかである。
 被告は、被告パズルKの答えが「地図」であるのに対し、原告パズルKでは、「1つは地図の中、もう1つは…」と記述されていることから、原告パズルKと被告パズルKとが全く異なる問題であると主張する。しかし、以下のとおり、被告の主張は失当である。
 すなわち、パズルや数学問題においては、「解答が1つに限定されるような出題」が望ましい/美しいとされる。そこで、実際に複数の解答が発生するという場合、「形式的に1つにする技法」を用いる。例えば、ある問いの答えがXとYの2つあるとき、以下の技法1及び2のような出題形式をとる。
 技法1 この問いには2つの答えがある。両方を答えよ。(答えはXとY)
 技法2 この問いには2つの答えがある。1つはXである。他方を答えよ。(答えはY)
 そして、技法2の作品が既に存在するとき、以下の派生1及び2のような作品は、独立・新奇の著作物と扱うことはできない。技法2から(あるいは技法1からでも)、派生1及び2を生じさせることは、ひらがなをカタカナにする程度の容易かつ安直な操作だからである。
 派生1 この問いには2つの答えがある。一方はYである。他方を答えよ。(答えはX)
 派生2 この問いに答えよ。(答えはXだけを示し、Yには触れず)
 原告パズルKは上記技法2を用いたものであり、被告パズルKは上記派生2の作品であるから、原告パズルKの答えが「地図」ではなく、被告パズルKの答えが「地図」であるからといって、両パズルの同一性を否定することはできない。
l) 原告パズルLは漢字を題材としたパズル3問であり、被告パズルLも漢字を題材としたパズル4問である。
 原告パズルLの一部と被告パズルLの一部とを比べたものが別紙比較Lである。これによれば、原告パズルLの「木の上に立って見ている人はどんな人だろう」とい。う問題と被告パズルLの「木の上に立って見ている人はだあれ?」という問題とが酷似している。また、原告パズルLの「『縁の下の力持ち』ではなく、田の下の力持ちとして生きるのはどんな人だろう。」という問題と被告パズルLの「田んぼをもち上げている力もちはだあれ?」という問題も類似している。
 これらを総合的に見れば、被告が原告パズルLの複製権を侵害していることは明らかである。
 原告パズルLは該当頁に3問しか収録されておらず、被告パズルLは該当頁に4問しか収録されていないにもかかわらず、そのうちの2組が一致・類似したのであるから、偶然の一致・類似とは考えられない。
m) 被告は、シンプルな問題を簡潔な表現で出題すれば、問題及び解答の表現は自ずと類似したものにならざるを得ないと主張する。しかし、以下のとおり、その主張は誤りである。
 すなわち、乙4パズルの解答が記載されたページは、図版があるとはいえ、わずか2行半、句読点を含めても65字という極めて簡潔な表現である。にもかかわらず、同ページと原告パズルBとを比較すると、別紙対比表のとおり、多くの差異がある。
 このように、短い文章や簡潔な表現であっても、差異が生じる方が一般的であり、自ずと類似したものになると断定することはできない。
n) 被告パズルAないしJが掲載された「右脳を鍛える大人のパズル」及び「左脳を鍛える大人のパズル」は、いずれも児童書ではなく、大人向けの一般書である。したがって、被告は、「易しくかつシンプルな問題」にこだわる必要もなく、「平易かつ簡潔な表現」しかできないわけでもなかった。複雑・高度なものを含めて、多様な出題(題材)と多彩な表現ができたはずである。すなわち、被告パズルAないしJが原告パズルAないしJに類似する必然性は全くなかった。
 にもかかわらず、実際には被告作成の多数のパズルが、原告各パズルに同一・類似となった。しかも、以下のように、同一の被告著書中の複数の作品が同一の原告著書に対応しているという例が、3件も発生している。
 右脳を鍛える大人のパズルと頭がよくなる算数パズル事典とが3例
 (被告パズルB・C・Jと原告パズルB・C・J)
 右脳を鍛える大人のパズルとパズルの帝国とが3例
 (被告パズルG・H・Iと原告パズルG・H・I)
 左脳を鍛える大人のパズルとパズルの帝国とが2例
 (被告パズルE・Fと原告パズルE・F)
 これらの事実からは、依拠があったとしか考えられない。
イ 被告の反論
 仮に、原告各パズルに何らかの著作物性が認められるとしても、被告各パズルは原告各パズルとはそれぞれ表現を異にするものであるから、被告各パズルは原告の複製権を侵害するものではないし、翻案にも当たらない。
 また、原告各パズルへの依拠を否認する。原告各パズルは、いずれも古くからあるパズルであるから、原告各パズルと被告各パズルとの対比によって、依拠の事実が推認されるものでもない。
a) 著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、複製とはならないし、翻案にも当たらない。
 そして、当然のことながら、複製されたと主張される当該部分が、その部分だけで独立して、著作権法2条1項1号にいう著作物であると認められることが必要である。
 もとより、アイデアや解法それ自体は著作物ではない。パズルにおいては、その題材となるアイデアや解法それ自体は著作物ではなく、具体的に表現された問題文や解答の説明文(表現)が著作物性判断の対象である。パズルのアイデアそれ自体は、本来、誰に対しても自由な利用が許されるべきものであって、特定の者に独占させるべきものではないことは、当然である。
 また、特定のアイデアに基づいたパズルを平易かつ簡潔な表現で出題し、解答・解説する場合、個々の文やイラストとして見る限り、著作権法上の著作物としての性質(著作物性)の根拠となる表現上の創作性(創作的ないし個性的な表現)は、その存在の余地がなくなるか、あるいは、存在は認められても、それに類似しているとして権利を及ぼすことのできる範囲が非常に狭くなる場合が多くなることも当然の事理である。
b) 原告各パズルが、複雑・高度な問題ではなく、易しくかつシンプルな問題を、平易かつ簡潔な表現で出題し、解答・解説するものであることに鑑みれば、仮に著作物性が認められるとしても、それに類似しているとして権利を及ぼすことのできる範囲は非常に狭いものである。そのように権利範囲を画さなければ、同じアイデアや解法に基づいた平易な問題文や解答・解説文を作問することができなくなり、アイデアや解法の独占を認めることになるという不合理な結果を生じてしまう。
 そして、被告各パズルも、比較的大きな文字を用い、かつ、文庫サイズ1頁に1題として作成することが基本となっているため、必然的に、複雑な問題ではなく、シンプルな問題を簡潔な表現で出題するものとなっている。それだけに、同じようなパズルのアイデアに基づいて作問を行おうとすれば、問題及び解答の表現自体は自ずと類似したものにならざるを得ないのである。
c) 原告パズルA及び被告パズルAのようなひもの結び目問題は従来から存在する。そして、易しくかつシンプルな問題として、別紙写真目録1記載の写真のような二つのループを作り、その一方のループを他方のループの中に通すような形として六つの交点を作り、その交点の上下関係をさまざまに変えて(ただし、交点の入れ替えのパターンは非常に限定される。)作問することも、パズルのアイデアにすぎない。
 原告パズルAと被告パズルAとは、問題文の表現は全く異なったものであり、出題形式においても、1本の赤い糸による1題としての出題と4本のひもによる別々の問題としての出題というように全く異なっている。ひものイラストの表現においても異なっている。
 また、原告パズルAを四つの問題に分解しても、その出題順序も異なるし、原告パズルAのDと被告パズルAの@のように、具体的な交点の上下関係が異なる問題も含まれている。
 仮に、被告パズルAに対し、原告パズルAについての複製権侵害を認めるとすれば、別紙写真目録2記載の写真のような二つのループを交差させる形でのひもの結び目問題を原告が独占することを許すことになってしまうところである。
 仮に原告パズルAに著作物性が認められるとしても、原告パズルAと被告パズルAとの間に著作権法上の複製としての実質的同一性は存しない。
 易しくかつシンプルな問題として、二つのループを作りその一方のループを他方のループの中に通すような形として六つの交点を作り、その交点の上下関係をさまざまに変えて作問すること自体は、パズルにおける「表現上の本質的な特徴」ではない。著作権が著作者の死後50年の長きにわたり保護されることに鑑みても、誰もが同じアイデアに基づいてパズルが著作できることを前提として、その具体的な提示の仕方(文章やイラスト)において創作性が認められる部分(著作者の個性が認められる、換言すれば、著作者毎に異なった表現が創作される部分)が「表現上の本質的な特徴」である。
 原告パズルAと被告パズルAとは、1本の糸で表現するか4本のひもとして表現するかが異なり、問題の順序も異なる上、原告パズルAのDと被告パズルAの@のように、具体的な交点の上下関係においても異なるものが存在していることに照らせば、原告パズルAの「表現上の本質的な特徴」を被告パズルAから直接感得することはできない。
 したがって、被告パズルAは、原告パズルAを翻案したものではない。
d) 仮に、原告パズルBに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭く、被告パズルBは原告パズルBと表現を異にするものであるから、原告の複製権を侵害するものではない。
 原告は、別紙比較Bで解答の文章を対比しているが、底辺を等しく3等分することを示すため、「正方形のりんかくを3等分する」旨の記述は必然的な記述であり、高さを同じくするため、「四角形の中心とそれらの点を結ぶ線にそって切る」旨の記述も必然的な記述である。
 原告パズルBは、三等分に分ける方法を短くかつ簡単な文言で表現したにすぎないものであり、アイデアを表現する上での「創作的な表現」を見出すことはできない。原告が、被告パズルBから感得することのできる原告パズルBにおける表現上の本質的な特徴としてどのような点を主張するのかは明瞭でないものの、創作的な表現において、両パズルに翻案の関係を見出すことはできない。
e) 仮に、原告パズルCに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭く、被告パズルCは原告パズルCと表現を異にするものであるから、原告の複製権を侵害するものではない。
 「色を塗る」という設例をとるとすれば、刷毛で塗るかスプレーで吹き付けることを想定するのは当然であり、その同一から生じる表現の類似性をもって、複製権の侵害が基礎付けられるものではない。
f) 仮に、原告パズルDに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭く、被告パズルDは、三択の出題形式をとるなど、原告パズルDと表現を異にするものであるから、原告の複製権を侵害するものではない。
g) 原告パズルEは、「夕方(早朝)に写真を撮った時には、自分の影が写り込むはず、ということから方角が推測できる」というアイデアに基づいたパズルである。影の写り込みを問題とするために、限定する要件として、他に影が存在しないような砂漠や平原を舞台とし、日没(又は早朝)の時間帯を設定することになる。
 仮に、原告パズルEに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭い。しかし、原告パズルEと被告パズルEとは、問題文、解答・解説文、イラストとも、全く異なっていることが明らかであるから、原告パズルEと被告パズルEとの間に著作権法上の複製としての実質的同一性は存しない。
 状況設定(導入)についてみると、原告パズルEにおいては「私は去年、アフリカの砂漠を探検した。下図A・Bは、探検中撮った写真である。」とされ、被告パズルEにおいては「AとBはエジプトでの記念写真です。」とされており、写真ということが同じだけで、設定自体が異なり、文章表現も全く異なっている。
 条件設定についても、原告パズルEにおいては「撮影時期はちょうど1年前、2月の末ごろ…日没直前で雲1つなかった。撮影場所はごくありふれた砂地、やたら平らなところだった。1枚は東を、1枚は北を撮ったものだ。」とされ、被告パズルEにおいては「時期は7月中旬で、日没の少し前です。1枚は『東』を、もう1枚は『北』を撮影したものです。」とされており、撮影時期の説明や平坦な地という設定のための文章表現は全く異なっている。「日没前」、「1枚は東1枚は北」という説明自体の表現は似ているが、影が長く伸びることのために、日の出直後か日没直前に設定する必要があり、また、影が写り込むために1枚は東であり、もう1枚は別の方角である必要がある。そのことを短くかつ簡単な文言で表現するとすれば、概ね上記のような表現になるのであり、その点が原告パズルEにおける「表現上の本質的な特徴」ではないことは明らかである。
 問いかけ文について、原告パズルEにおいては「さて、A・Bどちらが東でどちらが北か、わかるかな。」とされ、被告パズルEにおいては「さて、AとBのどちらが『東』で、どちらが『北』でしょうか?」とされているものの、いずれの写真が東を撮影し、北を撮影したかを答えさせる問題である以上、この問いかけ文自体が創作的な表現であるとは認められないし、原告パズルEにおける「表現上の本質的な特徴」をなすものではないことは明らかである。
 原告パズルEのようなパズルにおいては、実際にあり得るような架空の状況設定を提示しつつ、条件設定(平坦な地など)を行う簡潔な文章こそが「表現上の本質的な特徴」である。この点、原告パズルEは、「探検」という状況設定を行い、「2月の末ごろ…日没直前で雲1つなかった。撮影場所はごくありふれた砂地、やたら平らなところ」という条件設定を丁寧におこなった表現となっているのに対し、被告パズルEは、エジプトでの記念写真という条件設定のみを行い、文章表現は大きく異なっているのは明らかである。また、イラストも全く異なっている上、被告パズルEの方が、ピラミッドの遠近や足下が写っていることをより強調したイラストとなっている。
 同じアイデアに基づくパズルである以上、仮に何らかの著作物性が認められるとすれば、そのアイデアに基づく問題設定上必要となるありふれた表現以外の創作的な表現に「表現上の本質的な特徴」を見出さなければならないのであり、原告パズルEにおける具体的な状況設定や条件設定の文言がこれにあたる。しかし、そのような原告パズルEにおける「表現上の本質的な特徴」は、被告パズルEからは直接感得することはできない。
 したがって、被告パズルEは、原告パズルEを翻案したものではない。
h) 仮に、原告パズルFに著作物性が認められるとしても、3元の等式・不等式の組み合わせ自体においてではなく、問題文の表現とあわせて一体のものとして初めて著作物性を肯定できるにすぎない。
 原告パズルFと被告パズルFとは、問題文及びイラストの表現において異なっており、原告パズルFと被告パズルFとの間に著作権法上の複製としての実質的同一性は存しない。
 〔2a+b+c=b+2c〕、〔a+2b+c>2a+2c〕という等式・不等式の問題自体はアイデアであり(あるいはありふれた表現にすぎないのであり)、「表現上の本質的な特徴」にはあたらない。かような等式・不等式の問題を天秤と重りに置き換えて問題とすることもアイデアにすぎない。仮に原告パズルFに著作物性を認めるとすれば、それは問題文などの具体的な表現における創作性に見出されることになるものの、原告パズルFと被告パズルFの具体的表現は大きく異なっている。
 原告が、被告パズルFから直接感得することのできる原告パズルFにおける表現上の本質的な特徴としてどのような点を主張するのかは明瞭でないものの、創作的な表現において、両パズルに翻案の関係を見出すことはできない。
i) 仮に、原告パズルGに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭い。しかし、原告パズルGと被告パズルGとは、問題文の表現が異なるだけでなく、被告パズルGには、原告パズルGの図1に対応するものが存在しないし、各回答の選択肢の順序も異なっている。原告パズルGと被告パズルGとの間に著作権法上の複製としての実質的同一性は存しない。
j) 仮に、原告パズルHに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭く、被告パズルHは原告パズルHと表現を異にするものであるから、原告の複製権を侵害するものではない。
k) 仮に、原告パズルIに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭く、被告パズルIは原告パズルIと表現を異にするものであるから、原告の複製権を侵害するものではない。
 被告パズルIは、5角形を描いているマッチ棒が「円」を表現するようにするところに問題のおもしろさを創り上げているのに対し、原告パズルIは、古来からある種々の「円」の表現を考えさせ、4通りの解答を求めている。
l) 仮に、原告パズルJに著作物性が認められるとしても、その類似を主張できる範囲は極めて狭く、原告パズルJがマッチ棒1本で「一」が示され、2本で「十」が示され、3本で「千」が示されるというアイデアを「千」からの減算で問題としたものであるのに対し、被告パズルJは「十」から「千」への変化にのみ着目して問題としているなど、被告パズルJは原告パズルJと表現を異にするものであるから、原告の複製権を侵害するものではない。
m) 原告パズルKと被告パズルKとは、「山があるのに登れない」という文章が共通しているだけであり、その余の文章に共通性はない。「山があるのに登れない」という文章それ自体に著作物性が認められないことは明らかである。
 そもそも、原告パズルKと被告パズルKとは全く異なる問題である。このことは、被告パズルKの答えが「地図」であるのに対し、原告パズルKでは、「1つは地図の 中、もう1つは…」と記述されていることからも明らかである。
 原告パズルKと被告パズルKとは同一ではない。
n) 原告パズルLと被告パズルLとでは、「男」という字について、「田の下の力持ちとして生きている人」と「田んぼをもち上げている力もち」というように全く問題文が異なっている。
 原告パズルLと被告パズルLとは同一ではない。
o) 複製権侵害の主張において、依拠が推認されるのは、依拠されたとされる表現物(表現A)と依拠して作成されたとされる表現物(表現B)とを対比してみたときに、表現Aに依拠していなければ表現Bが作成されることはないと考えられる程度に細部まで一致している、誤植まで一致しているなどの事実が存する場合である。このような場合には、依拠の事実について事実上の推定が働くことになる。
 しかし、原告各パズルは、いずれも古くからあるクイズ問題のパターンであり、同様の問題は、先行する表現物においても多数存在していた。
 したがって、原告各パズルと被告各パズルとの対比からは、依拠の事実は到底推認されるものではない。
(3) 争点3(損害額)について
ア 原告の主張
 原告の損害額は、以下のとおり、86万9539円である。
a) 被告の複製権侵害又は翻案権侵害により原告が被った損害は、被告が「右脳を鍛える大人のパズル」、「左脳を鍛える大人のパズル」、「なぞなぞ3・4年生「なぞ」、 なぞ1年2年生」によって得た利益(各出版社から被告に支払われた印税等)を計算の基礎とすべきである。
b) 平成19年5月末日現在、「右脳を鍛える大人のパズル」は少なくとも第10刷まで発行されており、初版部数を2万8000部、増刷を各回3000部とすれば、累積部数は5万5000部(2万8000部+3000部×9回)である。定価は650円(消費税込)であるから、印税率を10%とすれば、被告が「右脳を鍛える大人のパズル」において主婦の友社から得た印税額は、357万5000円(650円×10%×5万5000部)である。
 「右脳を鍛える大人のパズル」には80問が収録されており、そのうち、原告の複製権又は翻案権を侵害しているのは被告パズルA、B、C、H、I、Jの6問であるから、「右脳を鍛える大人のパズル」における複製権侵害又は翻案権侵害による損害は、26万8125円(357万5000円×80分の6)である。
c) 平成19年5月末日現在、「左脳を鍛える大人のパズル」は少なくとも第10刷まで発行されており、初版部数を2万8000部、増刷を各回3000部とすれば、累積部数は5万5000部(2万8000部+3000部×9回)である。定価は650円(消費税込)であるから、印税率を10%とすれば、被告が「左脳を鍛える大人のパズル」において主婦の友社から得た印税額は、357万5000円(650円×10%×5万5000部)である。
 「左脳を鍛える大人のパズル」には83問が収録されており、そのうち、原告の複製権又は翻案権を侵害しているのは被告パズルD、E、F、Gの6問であるから、「左脳を鍛える大人のパズル」における複製権侵害又は翻案権侵害による損害は、17万2289円(357万5000円×83分の4)である。
d) 「なぞなぞ3・4年生」については、初版部数を2万5000部とすれば、定価は650円(消費税込)であるから、印税率を10%として、被告が「なぞなぞ3・4年生」について高橋書店から得た印税額は、162万5000円(650円×10%×2万5000円)である。
 「なぞなぞ3・4年生」の収録数は、出題に連番がないのでカウントするのが困難であるが、推定200問であり、そのうち、原告の複製権又は翻案権を侵害しているのは被告パズルKの1問であるから、「なぞなぞ3・4年生」における複製権侵害又は翻案権侵害による損害は、8125円(162万5000円×200分の1)である。
e) 「なぞなぞ1年2年生」については、初版部数を2万5000部とすれば、定価は630円(消費税込)であるから、印税率を10%として、被告が「なぞなぞ1年2年生」について西東社から得た印税額は、157万5000円(630円×10%×2万5000円)である。
 「なぞなぞ1年2年生」の収録数は、出題に連番がないのでカウントするのが困難であるが、推定150問であり、そのうち、原告の複製権又は翻案権を侵害しているのは被告パズルLの2問であるから、「なぞなぞ1年2年生」における複製権侵害又は翻案権侵害による損害は、2万1000円(157万5000円×150分の2)である。
f) 原告は、被告各パズルによる氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害により、多大な精神的苦痛を受けた。その慰謝料は、諸般の状況を総合して、40万円が相当である。
イ 被告の主張
 争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(原告各パズルの著作物性の有無)及び争点2(複製権及び翻案権侵害の有無)について
(1) はじめに
 著作物の複製(著作権法21条、2条1項15号)とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁判所昭和53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照)。ここで、再製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいうと解すべきであるが、同一性の程度については、完全に同一である場合のみではなく、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない、すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。
 また、著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法2条1項1号)、既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、複製にも翻案にも当たらないと解するのが相当である。(最高裁判所平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)
 このように、複製又は翻案に該当するためには、既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が、著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要である(著作権法2条1項1号)。そして、「創作的」に表現されたというためには、厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく、作者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきである。換言すれば、何らかの個性を発揮し得る程度に、いくつかの表現を選択することが可能なものである必要があり、文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や、表現が平凡かつありふれたものである場合には、作者の個性が表現されたものとはいえないから、創作的な表現であるということはできない。
 したがって、数学の代数や幾何あるいは物理の問題とその解答に表現される考え方自体は、アイデアであり、これを何らかの個性的な出題形式ないし解説で表現した場合は著作物として保護され得るとしても、数学的ないし物理的問題及び解答に含まれるアイデア自体は著作物として保護されないことは当然である。このことは、パズルにおいても同様であり、数学の代数や幾何あるいは物理のアイデア等を利用した問題と解答であっても、何らかの個性が創作的に表現された問題と解答である場合には、著作物としてこれを保護すべき場合が生じ得るし、これらのアイデアを、ありふれた一般的な形で表現したにすぎない場合は、何らかの個性が創作的に表現されたものではないから、これを著作物として保護することはできないというべきである。
 以下、原告各パズルと被告各パズルについて、その同一性ないし共通性を有する部分を認定し、この部分が著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものといえるかどうかについて、個別に判断する(なお、パズルによっては、原告各パズル自体の著作物性を判断し、これと被告各パズルとの類似性を併せて判断することもある。)。
(2) 原告パズルAについて
 原告パズルAは、1本の糸を用いて、この糸を上下に交差させた部分(以下「交点」という。)を6点有する形状のものをAないしDの4箇所にわたって設け、その糸の両端を引いた際に結び目がAないしDのいずれにできるかを当てさせる問題である。すなわち、複数の交点を持つAないしDの四つの形状の各糸の両端を引いた際に、AないしDの糸のいずれに結び目ができるか否かとの問題と実質同一の問題である。
 これに対し、被告パズルAも、同様に交点を6点有する形状の@ないしCのひもを並べ、それぞれ両端を引っ張ったときに結び目ができるもの一つを選ばせる問題である。そして、原告パズルAの糸Aは被告パズルAのひもCと、原告パズルAの糸Bは被告パズルAのひもAと、原告パズルAの糸Cは被告パズルAのひもBと、上下6箇所の交点が同一であるから同一形状のものであり、いずれも両端を引っ張っても結び目ができないものである。これに対し、原告パズルAの糸Dと被告パズルAのひも@は、両端を引っ張ると結び目ができる点では共通しており、全体の形状として類似しているものの、上下6箇所の交点のうち3箇所の上下が異なるから、同一形状のものではない。
 このような着想によるパズルは、平成11年発表の原告パズルAよりも以前から存在し、例えば、昭和44年発行の辰野千寿指導・大島正二出題「クイズの学校1」(講談社発行)には、5箇所の交点を有するひも2種類と、6箇所の交点を有するひも1種類の両端を引いた際に結び目ができるか否かを問う問題が掲載され(乙1。以下「乙1パズル」という。)、昭和53年発行の辰野千寿指導「なぞなぞちえブック」(講談社発行)には、13箇所の交点を有するひも1種類の両端を引いた際に結び目ができるか否かを問う問題が掲載されている(乙2。以下「乙2パズル」という。)。また、昭和48年発行の本間龍雄著「新しいトポロジー」(講談社発行)には、このような結び目が、1920年代以降、トポロジストによって数学的に研究されたことが紹介され、任意の結び目が与えられたときに、それがほどけるかどうかを判定する方法が述べられている(乙3)。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルAと被告パズルAに共通する6箇所の交点を持つ糸あるいはひもの形状それ自体は、図形と同一視できるものであるから、この6箇所の交点を持つ糸あるいはひもの形状それ自体を特定の者に独占させることは相当ではなく、これらの各糸あるいはひもの形状自体を著作物として保護することは相当ではない。また、複数の交点を持つ糸あるいはひもの両端を引いた際に結び目ができるか否かに着想を得たパズルを表現する場合、パズルの性質上、組み合わせる交点の数は一定の範囲に限られると考えられるものの、交点の数を6とするかその前後の数とするかについては選択の余地があり、また、交点の数を6と決めた場合でも、まず、全体の糸あるいはひもの数を4通りとするかその前後の数とするかについて選択の余地があり、さらに、糸あるいはひもの数を4通りとした場合でも、6箇所の交点を有する糸あるいはひもにおける、各交点における糸あるいはひもの上下関係や複数の交点の配置の選択の範囲は、少なくとも64通り(2の6乗)存在するのであるから(なお、左右対称のものを同一と見ても32通り存在する。)、この中から、両端を引っ張って結び目を作らないものを3通り、結び目を作るものを1通り選択して問題を作成する場合、その選択(組合せ)については、作者により様々な選択(組合せ)が考えられるものである。
 この観点からすると、原告パズルAは、6箇所の交点を有する、結び目を形成しない3通りの糸と結び目を形成する1通りの糸の合計4通りの特定の形状の糸の選択(組合せ)により、特定のパズルを具体的に表現した点において、作者による個性的な創作的表現があると認められるから、これを編集著作物性を有する著作物として保護すべきものと認められる。
 これに対し、被告パズルAは、6箇所の交点を有する、結び目を形成しない3通りのひもと結び目を形成する1通りのひもの合計4通りのひもを選択し組み合わせた点、及び、結び目を形成しない3通りのひもの形状(6箇所の交点の位置)が、原告パズルAと全く同じものを選択した点で原告パズルAと同一であり、他方、結び目を形成する1種類のひもについては、全体の形状として類似しているものの、6箇所中3箇所の交点において原告パズルAとはひもの上下関係が異なるひもを選択した点において、原告パズルAと異なるものである。
 以上によれば、被告パズルAは、6箇所の交点を有している形状のひも4種類を選択し、そのうち3種類を結び目を作らないひもとし、1種類を結び目を作るひもとした点、特に、結び目を作らないひも3種類について、6箇所の交点の組合せにおいて、原告パズルAと異なる組合せから成るひもを選択することも十分に可能であるのに、原告パズルAにおいて選択されている糸と全く同じ組合せから成るひも(同じ形状のひも)を選択した点、残り1種類の結び目を作るひもも、原告パズルAの糸とは6箇所の交点中、3箇所の交点の組合せが異なる形状のひもであるものの、全体としてみると原告パズルAの糸の形状と類似している形状のものを選択したことからすると、被告パズルAは、原告パズルAに依拠して作成されたものであり、全体として、原告パズルAの、上記のような、4種類の形状の糸の選択(組合せ)という表現上の本質的な特徴を直接感得することができるものであり、原告著作物Aを翻案したものと認められる。
 被告は、ひもの結び目問題は昔から存在すること、ひもに6箇所の交点を設ける場合、その形状は64通りしか存在せず、そのうち一見して明らかなものを除くと問題として成立するものは少ないこと、を主張する。しかし、乙1パズルは、3種類の形状のひもの組合せであり、そのうち、2種類は、5箇所の交点から成る形状のものである。また、乙3パズルは、1種類の形状のひもであり、13箇所の交点から成るものであり、いずれも6箇所の交点のひもとは異なるひもを採用しているものであり、また、これらのパズルの存在から明らかなように、ひもの結び目のパズルは、昔から存在するとしても、全体のひもの数及び各ひもにおける交点の数と上下の交点の組合せにより、具体的な表現としては、様々な形状のひもの選択(組合せ)による表現が可能となるのであり、その表現方法において作者の個性が表れるものであることは明らかである。したがって、被告の上記主張はいずれも採用し得ない。
(3) 原告パズルBについて
 原告パズルBは、正四角柱をナイフにより三等分させる問題である。その答えは、正四角柱の表面の正方形に注目し、かつ、三角形の面積が〔底辺×高さ÷2〕で算出されることと、正方形の中心点から四辺への垂線の長さが同じになることに着想を得たものであり、「正方形のりんかくを3等分(16pずつ)し、正方形の中心とそれらの点を結ぶ線にそって切ればいい。」というものである。この答えは、正方形の面積を三等分するとの数学的解法を基にして、正方形における具体的な切取線を図示するものである。
 これに対し、被告パズルBも、正四角柱をナイフにより三等分させる問題であり、その答えは、「正方形の輪郭を3等分(20センチ)し、正方形の中心とそれらの点を結ぶ線に沿って切れば」との表現において酷似している上、その正方形の図面も、左上方の頂点と中心点、右辺の上方から3分の1の点と中心点、下辺の左方から3分の1の点と中心点とをそれぞれ結ぶという具体的な切取線において原告パズルBと一致している。ただし、原告パズルBと被告パズルBとでは、正方形の一辺の長さが12pと15pとで異なっている。
 このような着想によるパズルは、平成6年発表の原告パズルBよりも以前から存在し、例えば、平成2年発行の多湖輝著「頭の体操第12集」(光文社発行)には、正四角柱のケーキをナイフで五等分させる問題と、同じ着想に基づく答えが掲載されている(乙4)。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルBと被告パズルBとで共通する、正四角柱のものをナイフで三等分する場合に、三角形の面積が〔底辺×高さ÷2〕で算出されることと、正方形の中心点から四辺への垂線の長さが同じになることに着想を得て、表面の正方形の四辺を三等分することと、それらの各点と正方形の中心点とを結び、その線によって切るとの解答自体は、数学的解法(アイデア)そのものであり、これを特定の者に独占させるのが相当ではないことは明らかである。そして、原告パズルBの「正方形のりんかくを3等分(16pずつ)し、正方形の中心とそれらの点を結ぶ線にそって切ればいい」との解答は、被。告パズルBの解答もこれと実質同一であるものの、この数学的解法をそのまま表現したにすぎないものであり、それ自体で作者の個性が表れる創作的な表現とみることはできない。また、原告パズルBの正方形のイラストについても、被告パズルBの正方形のイラストがこれと類似しているものの、正方形の辺の長さを原告パズルBのように12pとするか、被告パズルBのように15pとするかも、任意の数字の選択にすぎず、さらに、その際に、切取線を、正方形の左上方の頂点の一つを選択してこれと正方形の中心点とを結ぶ線から作図を開始することもありふれた選択であり、これらの点についても表現上の創作性を認めることはできない。
 そうすると、原告パズルBの解答は、被告パズルBの解答がこれと実質同一ないし類似するものであるものの、具体的な切取線を記載した図面をあわせて考慮しても、数学的な解法(アイデア)をありふれた態様で表現したものにすぎず、作者の個性が表現された創作的な表現であると認めることはできない。
 以上によれば、原告パズルBは、被告パズルBがこれと実質同一ないし類似するものの、数学的解法をそのまま表現したものにすぎず、作者の個性が表れた創作的表現から成るものではないから、その著作物性を認めることはできない。したがって、原告の複製権ないし翻案権侵害の主張は、理由がない。
 原告は、原告パズルBにおいては、正方形を何等分するか、分割の起点をどこにするかなど、様々な創作の岐路、表現の岐路があり、各岐路でどれを選ぶかが作者の腕の見せ所であると主張する。しかし、三等分を選択すること、分割の起点として正方形の左上方の頂点の一つを選択すること自体は、一般的でありふれたものであり、原告パズルBにおけるこれらの選択を創作的な表現とみることができないことは前記のとおりである。原告の上記主張は採用し得ない。
(4) 原告パズルCについて
 原告パズルCは、ルービックキューブのように、白い小さな立方体を27個机上に積み上げて大きな立方体にして、机と接する面を除く5面に黒いスプレーを吹きつけた場合に、6面全部が白いままで残る小さな立方体の数を問う問題である。
 これに対し、被告パズルCは、白い小さな立方体を36個机上に積み上げて大きな直方体にして、机と接する面を除く5面に黒いスプレーを吹きつけた場合に、6面全部が白いままで残る立方体の数を問う問題であり、小さな立方体を積み上げて大きな直方体にする点や、着色の方法がスプレーによる吹きつけであること、小さな立方体の色が白であり、スプレーの色が黒であること、設問の書きぶりなどで原告パズルCと一致しているものの、大きな直方体を形成する際に積み上げた小さな立方体の数が36個である点や、大きな立体が立方体ではなく直方体である点などで、原告パズルCと異なる。 このような着想によるパズルは、平成6年発表の原告パズルCよりも以前から存在し、例えば、昭和53年発行の辰野千寿指導の「なぞなぞちえブック」(講談社発行)には、小さな立方体27個を積み上げて成る大きな立方体の5面又は6面に色を塗った場合に、色が塗られないままに残る小さな立方体の数を問う問題が掲載され(乙5)、昭和41年発行の「頭の体操」(光文社発行)には、小さな立方体27個を積み上げて成る大きな立方体の6面がペンキで真っ黒に塗られている場合に、3面が黒く塗られた立方体、2面が黒く塗られた立方体、1面が黒く塗られた立方体、全くペンキが塗られていない立方体の数を問う問題が掲載されている(乙6)。
 以上を踏まえて検討するに、まず、原告パズルCや被告パズルCのような、小さな立方体複数個を積み上げて大きな立方体ないし直方体とした場合に、大きな立方体ないし直方体の5面のいずれにも接していない小さな立方体の数がいくつであるかということは、数学的解答(アイデア)自体であり、これを特定の者に独占させることが相当ではないことは明らかである。したがって、被告パズルCは、原告パズルCと、この点において類似性を有するとしても、このことから直ちに原告パズルCの複製ないし翻案ということができないことは明らかである。
 また、原告パズルCは、小さな立方体を27個机上に積み上げ、机と接する面を除く5面にスプレーを吹き付けた場合に、6面全部が白いままで残る立方体の数を問うものであるのに対し、被告パズルCは、前記のとおり、白い小さな立方体を36個机上に積み上げて大きな直方体にして、机と接する面を除く5面に黒いスプレーを吹きつけた場合に、6面全部が白いままで残る立方体の数を問う問題であり、小さな立方体を積み上げて大きな立体にする点や、着色の方法がスプレーによる吹きつけであること、小さな立方体の色が白であり、スプレーの色が黒であること、問題文の基本的な書きぶりなどの点で原告パズルCと一致しているものの、スプレー缶やテーブルのイラストなどの点や問題文の細部において原告パズルCと相違しており、また、大きな立体を形成する際に積み上げた小さな立方体の数が36個である点や形成された大きな立体が立方体ではなく直方体である点において、そもそも異なる内容のパズルとなっているものであり、原告パズルCを複製ないし翻案したものということはできない。
 なお、このようなパズルを作成するにあたって、着色の方法がスプレーによる吹き付けであること、小さな立方体の色を白とし、スプレーの色を黒とすることなども含め、その具体的なイラストや問題文全体について工夫を凝らし、作者独自の個性的な表現を用いることは可能であり、このような場合には著作物として保護すべき場合も考えられるところである。したがって、原告パズルCは、上記のような数学的な解答(アイデア)自体やこれを一般的な表現でパズルの問題として作成し表現した部分について、広くその保護範囲を認め、この範囲で共通している他人作成のパズルについて著作権侵害を認めることは困難であるものの、具体的なイラストや問題文全体に作者の個性が表れている場合にのみ、これを著作物として保護し、その保護範囲も具体的なイラストや問題文の表現に則して、デッドコピーのような場合について限定的に認めることはあり得るところである。もっとも、原告パズルCについて、このような著作物性を認めたとしても、その保護範囲は具体的な表現に則して限定的に解すべきであり、被告パズルCがその複製ないし翻案といえないことは上記のとおりである。
 以上によれば、被告パズルCが、原告パズルCについての原告の複製権又は翻案権を侵害したものと認めることはできない。
(5) 原告パズルDについて
 原告パズルDは、天秤の左右の皿にそれぞれ小鳥を入れ、栓をした瓶を置いて天秤が釣り合っている場合において、片方の皿の瓶の中の小鳥が飛び跳ねたとき、天秤の釣り合いがどうなるかを問う問題である。これは、栓をした瓶の中の物体が、瓶に触れていてもいなくても、密閉されている以上、重量は変わらないという物理法則に着想を得たものである。これに対し、被告パズルDは、瓶の中にいるのが小鳥ではなく蛙である点、及び、問題文の具体的な表現が全体として異なる点を除いては、原告パズルDとよく似たパズルとなっている。
 このような着想によるパズルは、平成6年発表の原告パズルDよりも以前から存在し、例えば、昭和43年発行の田中実著「科学パズル」(光文社発行)には、台秤の上に置かれた密閉した瓶の中で鳥が飛んでいる場合において、鳥が瓶の底に降りたとき、台秤の目盛りがどうなるかを問う問題が掲載されている(乙7。以下「乙7パズル」という。)。また、昭和43年発行の都筑卓司著「パズル・物理入門」(講談社発行)には、台秤の上に置かれた密閉した箱の中に小鳥を入れた場合において、小鳥が箱の中で飛んだとき、台秤の目盛りがどうなるかを問う問題について、15頁にわたる詳細な解説が掲載されている(乙8)。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルDや被告パズルDに共通している、栓をした瓶の中の物体が、瓶に触れていてもいなくても、瓶が密閉されている以上、瓶全体の重量は変わらないという着想自体は、物理法則(アイデア)そのものであり、これを特定の者に独占させるのが相当ではないことは明らかである。そして、原告パズルDと被告パズルDは天秤を用い、密閉した瓶の中に動物を入れる点でも共通しているものの、上記アイデアに着想を得たパズルを表現する場合、重量の変化を問うために、重量を量ることのできる台秤や天秤を用いること、台秤や天秤で量れるように、台秤や天秤の皿の上に密閉した瓶を載せることはありふれた表現方法であり、密閉した瓶の中に自ら空中に浮遊できる鳥や蛙などを入れることも一般的な選択であると思われ、被告パズルDが原告パズルDとこの点において共通性を有するとしても、このことから直ちに原告パズルDの複製ないし翻案ということができないことは明らかである。
 もっとも、台秤や天秤あるいは鳥や蛙のイラストについては、個性的な表現を用いることは可能であり、このことは、原告パズルDと被告パズルD及び乙7パズルや乙8号証の文献等において具体的に表現されたイラストを比較すれば明らかである。そこで、原告パズルDも、イラストも含めた具体的な表現全体について著作物性を認めることができるとしても、その保護範囲は具体的な表現に則して、デッドコピーのような場合について限定的に認められるべきである。そうすると、被告パズルDは、瓶の中に入れた物体が蛙である点や天秤のイラストが原告パズルDと明らかに相違しており、また、問題文の具体的な表現も原告パズルDと相当異なっていることからすると、原告パズルDの複製ないし翻案に当たるものとは認められない。
 したがって、被告パズルDが、原告パズルDについての原告の複製権又は翻案権を侵害したものと認めることはできない。
 原告は、乙7パズルや乙8号証の文献に掲載された従来の問題が1個の瓶と1個の台秤の目盛りの変化という絶対的な重さを対象にしているのに対し、原告パズルDは天秤の傾きの変化という相対的な重さを対象にしている点で独創性があると主張する。
 しかし、重量が変化しないことを表現する手法としては、前者のみならず、後者も一般的なありふれた手法であって、瓶内浮遊のパズルにおける後者のような表現方法を原告に独占させることが相当ではないことは明らかであるから、原告の主張は、上記判断を左右するものではない。
(6) 原告パズルEについて
 原告パズルEは、日没直前に東と北を撮影した2枚の写真のいずれが東を撮影した写真で、いずれが北を撮影した写真であるかを問う問題であり、アフリカの砂漠と遠くに見える山とを被写体とした写真を用いている。これは、日没前に東を向いて撮影した場合には、足下付近から先を撮影した写真については西日による撮影者の影が写り込むのに対し、そうでないものについては、撮影者の影が写らないということに着想を得たパズルである。
 これに対し、被告パズルEも、日没直前に東と北を撮影した2枚の写真のいずれが東を撮影した写真で、いずれが北を撮影した写真であるかを問う問題であり、エジプトの砂漠と遠くに見えるピラミッドとを被写体とした写真を用いている。
 このような着想によるパズルは、本件訴訟に顕れた証拠で見る限り、平成3年発表の原告パズルE以前には見当たらない。
 以上を踏まえて検討するに、まず、日没前に東を向いて撮影した場合には、足下付近から先を撮影した写真については西日による撮影者の影が写り込むのに対し、そうでないものについては、撮影者の影が写らないことから、2枚以上の写真を使用して、各写真の撮影方向を推理させるという着想自体が、一般的なものではない(日没前に東を向いて撮影すれば、足下付近から先を撮影する場合は撮影者の影が写り込むというのは、単なる経験則ないし事実であるものの、このことから上記のような内容のパズルを発想することは一般的ではない。)。また、この着想をパズルとして表現する場合、@影が写っている写真と影が写っていない写真を使用して、非常に単純なパズルとするか、A原告パズルEのように、「それが日没前に東を向いて撮影したものであるとすれば、撮影者の影が写り込むはずのアングルの写真(ただし、影が写っていないもの)」1枚ないし複数枚と、「それが日没前に東を向いて撮影したものであったとしても、撮影者の影が写り込まないはずのアングルの写真(ただし、影が写っていないもの)」1枚を用意しておき、どれが東を向いて撮影した写真であるかを問うという表現形式とするか、そのいずれを採用するかにおいて、作者にとって選択の幅があり、さらに、この場合においても、「それが日没前に東を向いて撮影したものであるとすれば、撮影者の影が写り込むはずのアングルの写真(ただし、影が写っていないもの)」を何枚用いるか、また、そのような写真についてどのような設定をするのか(原告パズルEでいえば、北を向いて撮影したとの設定。)、被写体をどのようなものに設定するかなどについても、一定の表現の選択の幅があるものである。
 以上からすれば、原告パズルEは、その着想自体が作者に特有のものであること、また、この着想をパズルとして表現する場合に、2枚の写真を用いている点、東を向いて撮影したとされる写真1枚については撮影者の影が写らないはずのアングルのものとしている点、それ以外の写真については、東を向いて撮影したとすれば、影が写り込む構図であるのに、影が写っていないものとしている点、同写真が北を向いて撮影したとされており、被写体としてアフリカの砂漠と山が用いられている点などにおいて、作者の個性が表現された創作的な表現であると認められる。
 そして、原告パズルEと被告パズルEとは、このような着想をパズルとして表現する場合に必要な2枚の写真を用いている点、東を向いて撮影したとされる写真1枚については撮影者の影が写らないはずのアングルのものとしている点、それ以外の写真については、東を向いて撮影したとすれば、影が写り込む構図であるのに、影が写っていないものとしている点、同写真が北を向いて撮影したとされている点において、いずれも表現上の特徴があり、この表現上の特徴において一致しているほか、写真にアフリカの砂漠又は砂地が撮影されているという表現上の特徴においても一致する。さらに、解答の表現も、相当に類似している。そうすると、被告パズルEは、原告パズルEと比べ、遠景に撮影されているのが山ではなくピラミッドであるという点において相違し、イラストにおけるこの表現上の差異により別個の創作性が付与されているとみることができるものの、上記のとおり、原告パズルEの表現上の各特徴を備えているものであるから、原告パズルEの表現上の本質的特徴を直接感得し得るものであって、原告パズルEの翻案であると認められる。
 また、被告パズルEは、平成3年に原告パズルEが公刊物に掲載された後の平成17年に発表されたものであり(上記第2の1(1)、(9))、また、上記のとおり、原告パズルEと被告パズルEの表現が相当に類似していること、原告パズルEが掲載されている「パズルの帝国」と被告の執筆した書籍との間には、ほかにも類似した問題が存在することに照らせば、被告パズルEが原告パズルEに依拠して作成されたことを認めることができる。
 被告は、影の問題では、「夕方(早朝)に写真に撮ったときには自分の影が写り込むはず、ということから方角が推測できる」というアイデアは昔から存在するものであり、また、原告パズルEは、上記アイデアを簡潔な表現でパズルにしたにすぎないものであり、特段の創作的な表現が付加されているものではないから、著作物性は認められない、と主張する。
 しかし、原告パズルEのような問題が昔から存在したことを認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりである。また、このようなアイデアからパズルを作成する場合、どのような内容のパズルとして具体的にどう表現するかについて、作者により選択の幅があることも前記のとおりであるから、原告パズルEは、作者の個性が創作的に表現されたものであるというべきである。被告の上記主張は採用し得ない。
 以上によれば、被告パズルEは、原告パズルEについての原告の翻案権を侵害したものと認められる。
(7) 原告パズルFについて
 原告パズルFは、3種類の缶を載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、3種類の中で最も軽い缶を答えさせる問題である。これは、連立方程式の応用問題であり、3種類の缶をX、Y、Zと置き換えれば、二つの方程式〔2X+Y+Z<2Y+2Z〕、〔X+2Y+Z=X+2Z〕となるから、この二つの方程式を天秤と3種類の缶でビジュアル化したパズルである。
 被告パズルFも、3種類のボールを載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、3種類のボールの中で最も軽いボールを答えさせる問題であり、3種類のボールをX、Y、Zと置き換えれば、上記の方程式と全く同じ方程式となるものである。
 このような着想によるパズルは、平成3年発表の原告パズルFよりも以前から存在し、例えば、昭和45年発行の高野一夫著「数学のあたま」(講談社発行)には、3種類のおもりを載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、一つの皿に特定の種類のおもりが5個載せられた別の天秤が釣り合うように他の皿に載せるべきおもりを答えさせる問題(方程式で表せば、〔X+2Y=3Z〕、〔2X=Y+3Z〕の際に、〔5Y〕と等号で結ばれるX、Y、Zの組合せを問う問題)が掲載されている(乙9)。
 以上を踏まえて検討するに、重量の異なる複数種類の物を載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、複数種類の物の軽重を問うことは、数学の連立方程式を天秤等を使用してビジュアル化するとのアイデアであり、このようなアイデア自体を特定の者に独占させることは相当ではないことは明らかである。しかし、重量の異なる3種類の物を載せた二つの天秤の釣り合いの状況から、3種類の物の軽重を問うパズルを表現する場合、連立方程式の組合せは無数に考えられるのであるから(現に、原告パズルFと乙9パズルに用いられた方程式は異なっているし、原告パズルFに用いられた連立方程式の元になった〔2X<Y+Z〕、〔2Y=Z〕の両辺に適宜X、Y、Zを左右に同数ずつ付加することによっても、無数の連立方程式を得ることができる。)、このようなパズルには作者により表現の選択の幅があるものということができ、原告パズルFは、特定の連立方程式を採用した上で、これを天秤等でビジュアル化したイラストで表現したパズルであり、全体として作者の個性が表われた創作的な表現であると認められる(特定の連立方程式をこのように天秤等でビジュアル化したイラストで表現したものを特定の者の著作物として保護しても、他に無数の連立方程式が考えられるのであるから、特段の不都合は生じないというべきである。)。
 そして、原告パズルFと被告パズルFとは、天秤に載せる3種類の物が缶であるかボールであるか、また、天秤の図柄においてこそ違うものの、イラスト全体としては顕著な差異はなく、いずれも〔2X+Y+Z<2Y+2Z〕、〔X+2Y+Z=X+2Z〕をビジュアル化した二つの天秤を用いて、3種類の物のうち最も軽いもの(方程式に即していえば、X、Y、Zのうち最も小さいもの)を答えさせるというパズルであり、実質的に同一のパズルであると認められる。
 さらに、被告パズルFは、平成3年に原告パズルFが公刊物に掲載された後の平成17年に発表されたものであり(上記第2の1(1)、(9))、また、上記のとおり、原告パズルFと被告パズルFとでは同一の連立方程式を採用しており、偶然に同一の連立方程式を採用する確率は極めて低いこと、原告パズルFが掲載されている「パズルの帝国」と被告の執筆した書籍との間には、ほかにも類似した問題が存在することに照らせば、被告パズルFが原告パズルFに依拠して作成されたことを認めることができる。
 被告は、平易かつシンプルな問題とするためには、3元で等式・不等式を作成することは必然であり、かつ、各係数を0〜2にすることも当然であるから、問題に使用できる3元の等式・不等式の範囲は極めて限られること、及び、かような等式・不等式の組み合わせ自体も、一つのアイデアにすぎないのであって、等式・不等式の組み合わせ自体は創作性のある著作物と認められるものではない、と主張する。
 しかし、等式・不等式の組合せ自体は一つの数学的な問題と解答(アイデア)であるとしても、多数の三元一次方程式の中から特定の組合せを選択すること、及び、これを天秤と3種類の物で表現することまで具体化していくと、作者の個性的な表現が可能となるものであり、これを特定の者に独占させたとしても、多数の三元一次方程式の中から原告パズルFとは異なるものを選択してパズルを作成することができるのであるから、特段の不都合は生じないというべきである。
 以上によれば、被告パズルFは、原告パズルFについての原告の複製権を侵害したものと認められる。
(8) 原告パズルGについて
 原告パズルGは、壁に掛けた2時を指すアナログ時計を2枚の鏡に反射させた際のアナログ時計の像の見え方を問うパズル(1枚の鏡は、映し出すアナログ時計の像を下方に反射させ、もう1枚はそれを時計の下にいる人の方向に反射させるように設置されており、「コ」の字型反射となる。)である。
 これに対し、被告パズルGも、掛け時計が午後3時を指している以外は、2枚の鏡を使用し、「コ」の字型反射としている原告パズルGと同じである。
 このような着想によるパズルは、平成3年発表の原告パズルGよりも以前から存在し、例えば、昭和41年発行の「少年マガジン1966年1月12日号」には、本を持って遊びに来た友達の姿を2枚の鏡に反射させた際の友達の像の見え方を問う問題(1枚の鏡は、映し出す友達の像を上方に反射させ、もう1枚はそれを奥側に反射させるように設置されている。)が掲載されており、ほかに、鏡を3枚使用したパズルも掲載されている(乙11)。また、昭和47年発行の都筑卓司著「新・パズル物理入門」(講談社発行)には、3時を指すアナログ時計を2枚の鏡に反射させた際のアナログ時計の像の見え方を問う問題(1枚の鏡は、映し出すアナログ時計の像を斜め下方に反射させ、もう1枚はそれを手前側に反射させるように設置されており、「ク」の字型反射となっている。)が掲載されている(乙12)。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルGのような、鏡に反射させた像の見え方を問うパズルを表現する場合、反射させる鏡の数を2枚とすることは、パズルとしてありふれた表現方法であると認められる。また、2枚の鏡の設置方法は自ずから限られたものであると考えられ、鏡に映し出す対象をアナログ時計とすることもありふれた手法であると認められる。
 そうすると、原告パズルGと被告パズルGとで共通する点は、2枚の鏡の使用と「コ」の字型の設置位置、及びアナログ時計を用いて鏡に反射させた時計の見え方を問うというところにあるにすぎず、このうち、2枚の鏡の使用と「コ」の字型の設置位置自体はアイデアであり、これを特定の者に独占させることは相当ではなく、また、アナログ時計の使用はごく平凡で、ありふれた方法での表現にすぎないものであるから、作者の個性が発揮された創作的表現であるとは認められないものである。したがって、被告パズルGは、原告パズルGと、この点において類似性を有するとしても、このことから直ちに原告パズルGの複製ないし翻案ということはできない。
 なお、原告パズルGについて、その著作物性を認める余地があるとすれば、このような2枚鏡と時計の見え方のパズルを少年の顔も含めてイラストに描いた点にあり、このような少年の顔等も含めて考えれば、作者の個性的な表現がみられることから、全体の具体的なイラストに著作物性を認めることになる。しかし、その保護範囲は、イラストも含めてデッドコピーされた場合のように限定的なものとなるのであり、原告パズルGと被告パズルGに描かれた少年のイラストは、全く異なるものであることからすれば、このような観点から著作物性を認めるとしても、被告パズルGが原告パズルGの複製ないし翻案であると認めることはできない。
 原告は、この種のパズルでは、「複数の鏡を使う」ことがアイデアであり、「具体的に何枚の鏡をどのように配置するか」が表現にあたり、また、原告パズルGのような鏡と像に関するパズルを出題する場合、鏡の枚数、鏡の位置(同一平面内に置くか、3次元空間まで広げるかなど)、視線の流れ(「コ」の字型にするか、「S」の字型にするかなど)など、さまざまな「創作の岐路」、「表現の岐路」があり、各岐路でどれを選ぶかが作者の“腕の見せ所”である、と主張する。
 しかし、この種のパズルにおいては、2枚の鏡を使うことがアイデアであることは当然として、その2枚の鏡をどの位置に設置するかについてもそれ程多数の選択肢がないのであるから、これを特定の者に独占させるのは相当ではなく、2枚の鏡の設置位置もアイデアであると考えるべきである。この種のパズルにおいては、鏡の枚数、その設置位置にいくつかのバラエティがあることは理解できるものの、相当程度限定されたパターンしか考えられないのであるから、鏡の設置位置などにおいて極めて特殊な個性的な選択をし、これを表現したもの以外は、上記のとおり、これを著作物として保護するのは相当ではない。原告の上記主張はいずれも採用し得ない。
(9) 原告パズルHについて
 原告パズルHは、ナイフを4回使って表面にデコレーション文字が書かれている円柱型ケーキを同じ形に8等分するという問題であり、その答えは、ナイフを1回使って表面の文字を薄く切り取ってから、円柱を底面に平行に切って高さ方向に2分するとともに、頂面の円を十文字に切って4分すれば、同じ形で8等分を得られるというものである。
 これに対し、被告パズルHは、ナイフを3回使って、円柱型ケーキを8等分するというものであり、円柱を底面に平行に切って高さ方向に2分するとともに、頂面の円を十文字に切って4分するとの切り方において、原告パズルHの切り方と一部同じ切り方である。
 このような着想によるパズルは、平成3年発表の原告パズルHよりも以前から存在し、例えば、昭和53年発行の多湖輝著「頭の体操第6集」(光文社発行)には、ナイフを3回使って円柱状のケーキを8等分するという問題が掲載されている(乙13)。
 以上を踏まえて検討するに、円柱を底面に平行に切って高さ方向に2分するとともに、頂面の円を十文字に切って4分すれば、8等分を得られること自体は、数学的解答ともいえる単なるアイデアであり、これ自体を特定の者に独占させるのが相当ではないことは明らかである。また、この着想によりパズルを表現する場合、円柱型ケーキをナイフで切ることは、ありふれた表現方法にすぎないものと認められる。したがって、原告パズルHと被告パズルHとで共通する点は、ナイフを3回使用して円柱型ケーキを8等分するという、単なるアイデアとありふれた表現の部分だけであるから、被告パズルHを原告パズルHの複製ないし翻案ということはできない。
 なお、原告パズルHは、このような着想に従って円柱状のケーキを8等分するのであれば、ナイフを3回使えば足りるにもかかわらず、8等分する準備として、ケーキの表面の文字をそぎ落とすこととし、そのために1回多くナイフを使うこととしている(全部で4回ナイフを使うこととしている)点において、作者の個性が表現されたパズルとなっていると認められる。しかし、ナイフを3回使用するとの被告パズルHは、ナイフを4回使用してケーキの表面の文字をそぎ落とすとした点に表現上の特徴がある原告パズルHと実質的に同一といえないことは明らかであるし、そのような原告パズルHの表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないというべきである。
 そうすると、いずれにしても、被告パズルHは、原告パズルHの複製にも、翻案にも当たらないから、複製権侵害も、翻案権侵害も認められない。
(10) 原告パズルIについて
 原告パズルIは、マッチ棒5本又は4.5本(0.5本とは、1本のマッチ棒を半分の長さに折った一方のこと)で、3通りの円に関する字(「¥」、「エン」、「円」)又は円の形(マッチ棒を一直線に並べて頭の方から見た形)を作らせるという問題である。
 これに対し、被告パズルIは、マッチ棒5本で「¥」という字を作らせる問題である。
 このようなマッチ棒5本で円に関する字を作るというパズルは、平成3年発表の原告パズルIより以前から存在し、例えば、昭和59年発行の芳ヶ原伸之著「奇想天外パズル」(光文社発行)には、マッチ棒5本で円を作るという問題(解答においては、「¥」を完全な円とし、中央に縦に置いたマッチ棒が上方に飛び出た「円」や、「エン」は完全とは言えないとする。)が掲載されている(乙14)。
 以上を踏まえて検討するに、マッチ棒5本で円を作るというパズル自体は従来から知られていたものであり、原告パズルIと被告パズルIとで共通する「¥」という字をマッチ棒5本で作成すること自体は、アイデアそのものであり、これを特定の者に独占させることが相当ではないことは明らかである。したがって、被告パズルIは、原告パズルIの複製とも翻案とも認めることはできない。
 また、原告パズルIは、マッチ棒5本で「¥」、「エン」、4.5本で「円」という字を作成し、これに加えて、「一直線に並べて頭の方から見る」という4通りの解答を答えさせる点や、問題文の具体的表現において、作者の個性が表現された創作的な表現であると認められるものの、被告パズルIは、「¥」のみを解答させる問題である点で原告パズルIと相違し、問題文の具体的表現も原告パズルIとは異なっており、4通りの解答を答えさせる点を表現上の特徴とする原告パズルIと実質的に同一といえないことは明らかであるし、そのような原告パズルIの表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないというべきである。
 そうすると、いずれにしても、被告パズルIは、原告パズルIの複製にも、翻案にも当たらないから、複製権侵害も、翻案権侵害も認められない。
(11) 原告パズルJについて
 原告パズルJは、〔1000−1=10〕、〔10−1=1〕が成り立つ場合を答えさせる問題である。これは、漢数字の「千」がマッチ棒3本、「十」がマッチ棒2本、「一」がマッチ棒1本で描けることに着想を得たものであり、その答えは、「千」の字からマッチ棒を1本ずつ取っていくものである。
 これに対し、被告パズルJは、〔10+1=1000〕をマッチ棒3本で答えさせるパズルであり、マッチ棒2本から成る「十」にマッチ棒1本を足し、「千」という字を作るものである。
 このような着想によるパズルは、本件訴訟に顕れた証拠で見る限り、平成6年発表の原告パズルJ以前には見当たらない。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルJと被告パズルJに共通する、漢数字の「千」がマッチ棒3本、「十」がマッチ棒2本、「一」がマッチ棒1本で描けるという着想自体は、単なるアイデアであり、このアイデア自体を特定の者に独占させることが相当ではないことは明らかであるから、このような場合に、被告パズルJを原告パズルJの複製あるいは翻案と認めるのは相当ではない。
 なお、このようなアイデアをパズルとして表現する場合、〔1000−1=10〕、〔10−1=1〕が成り立つ場合を答えさせるということは、いずれも一般的な表現方法である。そうすると、仮に、原告パズルJが、具体的な設問と解答に、イラストも含めて考えれば、全体として作者の個性を発揮した創作的表現であると認められる余地があるとしても、その保護範囲は極めて限定されたものであるというべきである。
 そして、被告パズルJは、〔10+1=1000〕という計算が成り立つ数をマッチ棒3本で表すという問題であり、原告パズルJとはその具体的な表現が明らかに相違しているから、原告パズルJと実質的に同一とはいえないし、そのような原告パズルJの表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないというべきである。被告パズルJが原告パズルJと同一性を有するのは、漢数字の「千」がマッチ棒3本、「十」がマッチ棒2本、「一」がマッチ棒1本で描けるという着想であって、表現それ自体でない部分において同一性を有するにすぎないものと認められる。
 したがって、いずれにしても、被告パズルJは、原告パズルJについての原告の複製権又は翻案権を侵害したものと認めることはできない。
(12) 原告パズルKについて
 原告パズルKは、「山があるのに登れない」、「海があるのに泳げない」、「川があるのに渡れない」などという条件を満たすのは、地図の中ともう一つはどこかを問う問題である。これは、地図と力士のしこ名においては、「山」や「海」など特定の場所が登場するのに、そこで通常行うことのできる行為(例えば、「山」であれば「登る」、「海」であれば「泳ぐ」こと)はできないということに着想を得た問題である。
 これに対し、被告パズルKは、「山があるのに登れない」、「川もあるのに泳げない「道にまよわない」、 ものは、なあに?」と問う問題であり、答えは「地図」である。
 このような着想によるパズル又はなぞなぞは、本件訴訟に顕れた証拠で見る限り、平成4年発表の原告パズルK以前には見当たらない。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルKと被告パズルKとで共通している点は、地図において、「山」や「海」あるいは「川」など特定の場所が登場するのに、そこで通常行うことのできる行為(例えば、「山」であれば「登る」、「海」であれば「泳ぐ」こと)ができないという着想をパズル又はなぞなぞとして表現する点である。このような着想をパズル又はなぞなぞとして表現する場合、「特定の場所」が登場することと「そこで通常行うことのできる行為」ができないこととを組み合わせる必要があり、そして、地図において、「山」や「海」あるいは「川」などを特定の場所として選択して、「登れない」、「泳げない」などと表現することはごく平凡でありふれたものであって、その共通する点だけでは、作者の個性が表現された創作的な表現であるとは認められない。したがって、このような場合に、上記の着想と一部のありふれた表現が共通している被告パズルKを原告パズルKの複製あるいは翻案と認めるのは相当ではない。
 また、原告パズルKは、「山」、「海」、「田」、「川」、「花」を組み合わせ、かつ、着想しやすい「地図」を敢えて明らかにして、「地図」以外の解答を求めている点において、作者の個性が表現された創作的な表現であると認められるものの、被告パズルKは、「海」、「田」、「花」を素材としていない点、原告パズルKが「川」を「渡る」と組み合わせているのに対し、「泳ぐ」と組み合わせている点、原告パズルKが「それはどこだろう?1つは地図の中、もう1つは……」という出題形式であるのに対し、「道にまよわないためのものは、なあに?」という出題形式にしている点において、原告パズルKと相違するものであり、原告パズルKと実質的に同一といえないことは明らかであり、原告パズルKの表現上の本質的な特徴を直接感得することもできないというべきである。
 したがって、いずれにしても、被告パズルKは、原告パズルKの複製にも、翻案にも当たらないから、複製権侵害も、翻案権侵害も認められない。
(13) 原告パズルLについて
 原告パズルLは、「良い女」、「木の上に立って見ている人」、「田の下の力持ちとして生きる」人が、それぞれどんな人かを問う問題である。これは、「娘」、「親」、「甥」という漢字が、複数の漢字の組合せ(例えば、「親」であれば、「立」と「木」と「見」)から成り立っていることに着想を得たなぞなぞである。
 これに対し、被告パズルLは、「田んぼをもち上げている力もちはだあれ?」、「木の上に立って見ている人はだあれ?」を問うものであり、その答えは、「男」、「親」である。
 このような着想によるパズル又はなぞなぞは、本件訴訟に顕れた証拠で見る限り、平成9年発表の原告パズルL以前には見当たらない。
 以上を踏まえて検討するに、原告パズルLと被告パズルLとで共通している点は、ある漢字が複数の漢字の組合せから成り立っている場合に、これを人にたとえて問い、その漢字を答えさせるというものであり、具体的には、「親」という漢字についての問いは共通しているものの、その余は対象とする漢字を異にするものである。しかし、漢字が複数の漢字の組合せから成り立っている場合に、これを人にたとえて問うということ自体は、アイデアであり、このアイデア自体を特定の者に独占させるのが相当ではないことは明らかである。また、両者は、具体的には、「親」という漢字においてのみ共通の問いを発するものであるものの、「立」・「木」・「見」という漢字の組合せから成る「親」という漢字を、人にたとえるなら、類似の表現にならざるを得ないのであり、その表現に作者の個性が表れているとみることもできない。したがって、被告パズルLを原告パズルLの複製あるいは翻案と認めることはできない。
(14 ) 以上によれば、被告パズル A、E、Fは、それぞれ原告パズルA、E、Fについての原告の複製権あるいは翻案権を侵害したものと認められ、その余の原告各パズルについての原告の複製権侵害及び翻案権侵害の主張は、いずれも理由がない。
2 争点3(損害額)について
(1) 著作権法114条2項に基づく損害について
ア 上記認定の事実によれば、「右脳を鍛える大人のパズル」の執筆により、被告が得た利益は、原稿料25万円と印税110万1820円(619円×2%×8万9000部)の合計135万1820円である(上記第2の1(10)(12))。同書籍には80問が収録されており(弁論の全趣旨)、そのうち被告が原告の複製権を侵害したのは被告パズルAのみであるから、被告が原告の複製権侵害の行為により受けた利益は、上記135万1820円に80分の1を乗じた1万6897円とみるのが相当である。
イ 上記認定の事実によれば、「左脳を鍛える大人のパズル」の執筆により、被告が得た利益は、原稿料25万円と印税92万8500円(619円×2%×7万5000部)の合計117万8500円である(上記第2の1(11)(13))。同書籍には83問が収録されており(弁論の全趣旨)、そのうち被告が原告の複製権を侵害したのは被告パズルE及びFであるから、被告が原告の複製権侵害の行為により受けた利益は、上記117万8500円に83分の2を乗じた2万8397円とみるのが相当である。
(2) 慰謝料について
 被告が原告パズルA、E、Fを複製又は翻案した被告パズルA、E、Fを著作者である原告の氏名を表示することなく「右脳を鍛える大人のパズル」及び「左脳を鍛える大人のパズル」に掲載したことにより、原告は、原告パズルA、E、Fについて有する氏名表示権を侵害されている。また、被告パズルA、E、Fは原告に無断で原告パズルA、E、Fに改変を加えたものであり、原告が有する同一性保持権をも侵害している。そして、本件訴訟に顕れた事情を総合すれば、氏名表示権侵害及び同一性保持権侵害に基づき原告が被った精神的苦痛を慰謝するには、20万円をもって相当と認める。
3 結論
 よって、原告の本訴請求は、主文掲記の限度で理由があり、その余は理由がないから、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 設樂隆一
 裁判官 関根澄子
 裁判官 古庄研


注) 更正決定により12 頁の「原告の協力者」を「被告の協力者」と更正

別紙 略
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/