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【事件名】職務発明提案書の著作権侵害事件
【年月日】平成20年1月29日
 東京地裁 平成19年(ワ)第18805号 知的財産に関する使用料請求事件
 (口頭弁論終結日 平成19年12月7日)

判決
原告A
被告 株式会社アルプス技研
同訴訟代理人弁護士 安西愈
同 松原健一
同 倉重公太朗


主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、金540万円及びこれに対する平成19年6月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、被告の関連グループ会社に勤務していた原告が被告にアイデアを提案し、被告が出願して登録を受けた特許発明について、原告の特許を受ける権利及び著作権を被告が侵害したと主張して、原告が被告に対し、不法行為に基づく損害賠償金540万円及びこれに対する不法行為の後(支払督促送達の日の翌日)である平成19年6月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提となる事実
(1)当事者
 原告は、昭和63年5月当時、被告の関連グループ会社である株式会社ハーテック(以下「ハーテック」という。)の従業員として、被告の研究開発室に勤務していた者であり、ハーテックが被告に吸収合併された後の平成3年4月1日に被告を退職した。(甲11、乙3、弁論の全趣旨)
 被告は、現在、技術者派遣、請負・受託開発事業等を主たる事業内容とする会社であり、平成元年7月ころ、ハーテックを吸収合併した。(甲11、弁論の全趣旨)
(2)アイデアの提出
 原告は、昭和63年5月17日、被告のアイデア提案制度に応募して、「環境音と芳りと風景が選択できる壁掛けパネル」を発案し、別紙「アイデア提出用紙No.512」のとおり、所定のアイデア提出用紙に発案の契機、内容等を記載し(同別紙1枚目。以下「本件用紙」という。)、構成の概略図(同別紙2枚目。以下「本件概略図」という。)及び三面図と外観図の図面(同別紙3枚目。以下「本件図面」という。)を添付した上、これら(以下「本件提案書」という。)を被告に対して提出した。(甲1)
 なお、本件用紙の末尾に、定型文言で、「尚、本提案は(株)アルプス技研より出願されます。出願時には、譲渡証書の提出をお願い致します。所属及び氏名を忘れずに!!」と記載されている。(甲1)
(3)被告の特許権
 被告は、次の各特許権(以下、順に「本件特許権1」、「本件特許権2」といい、その特許請求の範囲の記載に係る特許発明をそれぞれ「本件発明1」、「本件発明2」といい、本件発明1と本件発明2を併せて「本件各発明」という。)を有している。(甲4、5の各1、2)
ア 本件特許権1
 特許番号 特許第1890208号
 出願番号 特願平1−51952
 出願日 平成元年3月6日
 公開番号 特開平2−191988
 公開日 平成2年7月27日
 優先権主張番号 特願昭63−199943
 優先日 昭和63年8月12日
 優先権主張国 日本
 登録日 平成6年12月7日
 発明の名称 音響及び香りを有する表示体
 出願人 株式会社アルプス技研〔被告〕
 発明者 B
 発明者 A〔原告〕
 発明者 C
 なお、本件特許権1の特許請求の範囲、明細書及び図面は、別紙特許公報(右肩に「(11)特許出願公告番号特公平6−14270」とあるもの。以下「本件公報1」という。)記載のとおりである。
イ 本件特許権2
 特許番号 特許第1876403号
 出願番号 特願平1−51951
 出願日 平成元年3月6日
 公開番号 特開平2−232055
 公開日 平成2年9月14日
 登録日 平成6年10月7日
 発明の名称 香り供給装置
 出願人 株式会社アルプス技研〔被告〕
 発明者 A〔原告〕
 なお、本件特許権2の特許請求の範囲、明細書及び図面は、別紙特許公報(右肩に「J特許出願公告平5−87260」とあるもの。以下「本件公報2」という。)記載のとおりである。
(4)原告に対する表彰
 原告は、昭和63年12月17日、本件発明1の特許出願について、「あなたはアルプス技研グループの技術向上に貢献し標記のようにその提案は工業所有権の出願に至りましたよって当グループ研究発表会にあたりその功績を讃え表彰いたします」として、アルプス技研グループ研究開発室室長から表彰状を授与された。(甲6)
(5)本件各発明の譲渡証書
 原告と被告は、平成元年4月5日に原告から被告に本件各発明の特許を受ける権利を譲渡したことを証する内容の同日付け各譲渡証書(以下「本件各証書」という。)をそれぞれ作成している。(乙1、2)
(6)実施相当品の販売
 被告は、平成元年から平成8年までの間に、本件各発明の実施相当品として、「メル・アート21」(以下「被告商品」という。)を合計100台程度販売したものの、その後、販売を打ち切り、平成10年12月に在庫処分として損金処理をした。(甲2、12、弁論の全趣旨)
2 争点
(1)特許を受ける権利の侵害の有無
(2)著作権の侵害の有無
(3)損害の額
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点(1)〔特許を受ける権利の侵害の有無〕について
〔原告の主張〕
(1)本件各発明は、原告の従事していた当時の職務や過去の職務に属しない発明であって、自由発明であり、職務発明ではない。
(2)本件用紙には、定型文言で「本提案は(株)アルプス技研より出願されます。出願時には、譲渡証書の提出をお願い致します。」とあり、その後、原告は、被告から求められて、本件各証書に押印した。
 本件用紙の定型文言や本件各証書による略式の合意は、職務発明でない場合に、あらかじめ使用者等に特許を受ける権利を承継させることを定めた契約などとして、特許法35条2項により無効である。
(3)したがって、原告は、本件各発明について、本来、発明者として特許権者となり得る地位にあったものであり、被告が本件各発明について特許出願をし登録を受けたことによって、これらの特許を受ける権利を侵害されたから、被告は、原告に対し、民法上の不法行為責任を負う。
(4)なお、原告が被告の行為に基づく特許を受ける権利の侵害による損害を知ったのは、本件訴訟における期日で陳述するために「準備書面(1)」を作成した平成19年7月6日であり、不法行為の3年間の消滅時効はいまだ完成していない。
〔被告の主張〕
(1)原告の主張を否認ないし争う。本件各発明は、自由発明ではなく、職務発明である。
 原告は、当時、ハーテックの従業員として被告の研究開発室に勤務しており、その日常業務の中には、アイデアを提案することが含まれていたから、本件各発明は、原告の職務に属する発明である。その対価の支払請求権は、被告が原告に対し本件各発明について特許を受ける権利を譲渡した平成元年4月5日から10年間が経過したことにより、時効によって消滅している。
(2)仮に、本件各発明が職務発明に当たらないとしても、原告は、本件各発明の後、被告に対して特許を受ける権利を譲渡している(本件各証書。乙1、2)。この譲渡契約は、特許法35条2項に掲げられたような、あらかじめ特許を受ける権利を承継させることを定めた契約ではなく、被告が本件各発明につき特許出願をした行為に違法性はない。
(3)仮に、特許を受ける権利について、被告による何らかの権利侵害行為があったとしても、原告は、平成元年3月6日の本件各発明の特許出願の当時、被告の研究開発室に勤務していて、出願の事実を知っており、同日から3年の経過によって、その不法行為の損害賠償請求権の消滅時効が完成している。
 被告は、本件訴訟において、この消滅時効を援用する。
2 争点(2)〔著作権の侵害の有無〕について
〔原告の主張〕
(1)本件提案書(甲1)は、本件用紙、本件概略図及び本件図面のそれぞれが原告の創作した著作物として保護される。
(2)本件提案書の表現と被告の出願した本件発明1に係る本件公報1(甲4の1)の表現とを対比すると、次の部分が類似している。
ア 本件用紙には、要旨、「グラビア印刷した風景6〜7枚とその環境音を録音したプレーヤーとその場所の芳り(芳香剤)とをコントローラーにより各々が対応するよう制御し、選択できるようにセレクトスイッチを設ける。従って風景、環境音、芳り(芳香剤)が揃って感じることができる。・・このようなインテリアが有れば心が安らぎ休息できる。」の表現があり、本件公報1には、【特許請求の範囲】の【請求項1】において、「複数の画面・・選択的・・各画面に対応した音響・・対応した香り・・選択操作・・指令信号を伝達するコントロール部」等の表現があって、両者は類似する。
イ 本件概略図には、基本構成のブロック図の図形の表現があり、本件公報1には、【第1図】、【第13図】、【第16図】、【第17図】、【第18図】及び【第23図】の図形の表現があって、両者は類似する。
ウ 本件図面には、三面図と外観図の図形の表現があり、本件公報1には、【第2図】、【第3図】、【第4図】、【第5図】、【第6図】、【第7図】、【第8図】、【第9図】、【第10図】、【第11図】、【第24図】、【第25図】、【第27図】、【第28図】、【第37図】及び【第41図】の図形の表現があって、両者は類似する。
(3)本件提案書の表現と被告の出願した本件発明2に係る本件公報2(甲5の1)の表現とを対比すると、次の部分が類似している。
ア 本件用紙の言語の表現と本件公報2の「特許請求の範囲1」の「送風手段を有する香り送風路に・・連通する給気・・」及び「従来の技術」の「精神欲を満足させる手段の1つとして香りによつて臭覚を刺激・・」の表現とが類似する。
イ 本件図面の図形の表現と本件公報2の【第2図】の図形の表現とが類似する。
(4)本件提案書の表現と被告商品のカタログ(甲3、以下「被告商品カタログ」という。)の表現とを対比すると、次の部分が類似している。
ア 本件用紙の言語の表現と被告商品カタログの「画面はタイマーによる自動切り替え。」、「専用フィルムは100種類以上・・」、「壁掛けタイプの超薄型。」、「・・CDプレーヤー標準装備。」及び「一流パフューマーが調合した香りは、3種類。」の表現とが類似する。
イ 本件図面の外観の図形と被告商品カタログの外観写真とが類似する。
(5)したがって、原告の創作した著作物である本件提案書の表現と被告による本件公報1、本件公報2及び被告商品カタログの表現との間には、前記のとおり類似する部分があって、これらはいずれも本件提案書に依拠しており、被告によって、その著作権(複製権)が侵害されたから、被告は、原告に対し、民法上の不法行為責任を負う。
〔被告の主張〕
(1)原告の主張を否認ないし争う。
(2)本件提案書は、原告が職務上作成した職務著作(著作権法15条)であり、法人その他使用者として、被告が著作者となる。
 あるいは、被告は、本件各発明の特許を受ける権利について、原告から譲渡を受けた際、本件提案書の著作物の権利についても、当然にして、著作権自体の譲渡を受け又はその利用の許諾を受けたものである。
(3)したがって、本件提案書に関して、原告の主張するような被告による著作権の侵害行為はない。
3 争点(3)〔損害の額〕について
〔原告の主張〕
(1)原告の被った損害は、平成元年から現在までの間に生産、販売された被告商品のうちの100台について、特許法102条3項の「特許発明の実施に対し受けるべき金銭の額に相当する額の金銭」として、販売単価の2.5パーセントとするのが相当であり、また、著作権法114条3項の「著作権」の「行使につき受けるべき金銭の額に相当する額」として、販売単価の2.5パーセントとするのが相当である。
(2)被告商品は、本体価格が79万円、フィルム1枚5万8000円が4枚、音響システムが3万9000円、アロマ1個1500円が3個、CDが2500円、セットアップ料が1万2000円であるから、1台当たり、108万円となる。
 790000+58000×4+39000+1500×3+2500+12000=1080000
(3)したがって、原告の損害額は、合計540万円となる。
 1080000×100×0.025+1080000×100×0.025=5400000
〔被告の主張〕
 原告の主張を否認ないし争う。
第4 当裁判所の判断
1 争点(1)〔特許を受ける権利の侵害の有無〕について
(1)本件各発明の性質について、原告は従事する職務と無関係の自由発明であると主張し、他方、被告は原告の職務に属する職務発明であると主張するので、検討する。
 前記第2の1の前提となる事実及び証拠(乙3、4)並びに弁論の全趣旨によれば、昭和63年5月当時、原告が被告の関連グループ会社であるハーテックの従業員として被告の研究開発室に所属し、室長のもと21名で構成される研究開発室の室員であったこと、その当時、研究開発室専従員の業務として「アイデア提案」を含めた9項目、それ以外の室員の業務として「アイデア提案、収集」を含めた6項目が掲げられていたことがそれぞれ認められる。
 これに対し、原告の陳述書(甲11)中には、「私は技術系の社員として、昭和62年7月1日から平成3年4月1日まで被告のグループ会社であり被告に吸収合併(平成1年7月)される前の株式会社ハーテック(以下「当会社」という。)の技術部に在籍していた」、「入社当時の昭和62年7月1日からその提案を提出する前の昭和63年5月16日までの当会社における主な業務は客先仕様による一般企業で使用される電気機械の受注品の製作であり在職中に自らも数機種の設計製作に携わっており、本提案に類する独自開発の自社製品は手がけてはおらず、技術分野も特定されてはいなかったのです。」、「昭和63年5月17日付で新製品に関する全社の提案公募に私が提案した本提案が採用(昭和63年8月頃)されることになりましたが、この提案による発明は特許法(職務発明)第35条1項及び2項を準用すると当会社及び私の現在又は過去の職務に属する発明ではなく自由発明に該当する」、「(被告の研究開発室で業務分担が決まったのは本提案後の昭和63年5月28日です)」との記載がある。
 この点についての証拠として提出されている乙第3号証(「研究開発室メンバーの紹介)及び乙第4号証(「日常業務リスト」)は、いずれも、研究開発室から研究開発室各員宛てに、昭和63年5月28日付けで作成された文書であると認められる。しかしながら、本件提案書が被告に提出された同月17日の前後から本件提案書が被告に採用されたとする同年8月までの間に、原告の勤務上の所属関係に異動があったことや内部での変動があったことを窺わせる証拠はないから、上記の各文書の日付にかかわらず、本件提案書の提出の当時、原告がハーテックの従業員の身分のまま、被告の研究開発室に所属する室員として、上記の各文書に記載されたアイデア提案等の職務にも従事していたと認めるのが相当である。仮に、原告が指摘するような研究開発室各員における業務分担が文書上明記されたのが昭和63年5月28日であったとしても、同日に業務分担が突然に決められたというのは不自然であり、むしろ、乙第3、第4号証によれば、アイデア提案等の業務自体は、従前から研究開発室に属する業務であったと推認するのが相当である。甲第11号証中、上記認定に反する部分は、採用することができない。
 上に認定したところによれば、原告とハーテックとの間の雇用契約上の関係にかかわらず、原告と被告との間に、特許法35条の適用の前提となる使用者と従業者の関係があり、本件各発明の基となったアイデアの提案は、被告との関係で原告の職務に属するものであったということができるから、本件各発明については、職務発明ととらえることが適切である(なお、原告は、本件訴訟において、裁判所からの釈明に対し、一貫して、本訴請求は職務発明に基づく対価請求ではない旨を主張している。)。
 本件各発明が職務発明ではなく自由発明であるとの原告の主張は、採用することができない。
(2)仮に、本件各発明が職務発明でないとしても、いずれも成立に争いのない乙第1、第2号証によれば、原告は、本件各発明の特許出願後に本件各発明について特許を受ける権利を被告に譲渡したことが認められる。
 原告は、上記譲渡が特許法35条2項に違反して無効であると主張する。しかしながら、上記譲渡は、本件各発明の特許出願後に締結された譲渡契約に基づくものであり、あらかじめ使用者に特許を受ける権利を承継させる契約等に基づくものであるとはいえない。被告に対するアイデアの提案を目的とする本件用紙(甲1)に、その定型文言のような記載(「尚、本提案は(株)アルプス技研より出願されます。出願時には、譲渡証書の提出をお願い致します。所属及び氏名を忘れずに!!」)があることは、上記のように解することの妨げとなるものとはいえない。
 原告の上記主張は、採用することができない。
(3)前記(1)及び(2)で述べたところによれば、本件各発明が職務発明である場合はもとより、原告の主張する自由発明であったとしても、被告が本件各発明につき特許出願をして特許の登録を得たことは、何ら、原告の特許を受ける権利を侵害するものでないことは明らかである。原告の特許を受ける権利の侵害があったとの主張は、失当である。
2 争点(2)〔著作権の侵害の有無〕について
(1)原告は、本件提案書について、本件用紙、本件概略図及び本件図面のそれぞれが原告の創作した著作物であり、被告が被告商品カタログ等に本件提案書と類似する表現を用いて、原告の著作権(複製権)を侵害した旨主張する。
 しかしながら、仮に、本件提案書に著作物性が認められるとしても、前記1(1)で述べたところによれば、本件提案書は、被告の発意に基づき被告の業務に従事する原告が職務上作成した職務著作であるということができるから、被告が著作者であると認められる。
 仮に、本件提案書が職務著作でないとしても、前記1(2)で述べたとおり、本件各証書によって、原告から被告に対する特許を受ける権利の承継が有効にされたと認められる以上、少なくともその際に、本件提案書の著作物としての利用についても、特許出願や製品化に向けて必要となる範囲内においては、原告から被告に対する許諾がされたものと推認するのが相当である。原告の指摘する侵害の内容は、被告による本件公報1、本件公報2及び被告商品カタログの各記載を問題にするものであって、上記の許諾の範囲内にあるものと認められる。
(2)以上のとおりであるから、被告に、本件提案書についての原告の著作権を侵害する行為があったとはいえず、原告の著作権が侵害されたとの主張は、失当である。
3 結論
 以上によれば、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することととし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第47部
 裁判長裁判官 阿部正幸
 裁判官 平田直人
 裁判官 柵木澄子


(別紙添付省略)
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