判例全文 line
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【事件名】政経学論文の共同著作事件
【年月日】平成19年1月18日
 東京地裁 平成18年(ワ)第10367号 著作権侵害差止等請求事件
 (口頭弁論終結の日 平成18年12月19日)

判決
原告 A
訴訟代理人弁護士 鈴木仁
被告 株式会社東洋経済新報社
訴訟代理人弁護士 大塚和成
同 西岡祐介
被告 B
訴訟代理人弁護士 富岡英次
同 外村玲子
同 佐竹勝一


主文
1 被告Bは、別紙論文目録記載の論文を発行し、販売し、贈与し、又は頒布してはならない。
2 被告株式会社東洋経済新報社は、別紙書籍目録記載の書籍を発行し、販売し、贈与し、又は頒布してはならない。
3 被告株式会社東洋経済新報社は、その占有する別紙書籍目録記載の書籍を廃棄せよ。
4 被告Bは、原告に対し、金50万円を支払え。
5 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
6 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の、その余を被告らの負担とする。

事実及び理由
第1 請求
1 主文第1項と同じ。
2 主文第2項と同じ。
3 被告株式会社東洋経済新報社は、既に発行した別紙書籍目録記載の書籍のうち、その所在の判明しているもの及び第5項の広告の掲載及び第6項の通信文の送付により返還を受け得るものをすべて回収せよ。
4 被告株式会社東洋経済新報社は、別紙書籍目録記載の書籍の在庫及び前項により回収した別紙書籍目録記載の書籍をすべて廃棄せよ。
5 被告らは、連名で、別紙広告文原稿等目録記載1のとおりの広告文を、同目録記載2の条件で、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞及び日本経済新聞の全国版朝刊の社会面に各1回、並びに同広告文を被告株式会社東洋経済新報社のウェブページのトップページに少なくとも1年間、掲載せよ。
6 被告らは、連名で、別紙通信文原稿目録記載のとおりの書状を、日本におけるすべての大学、大学校及び短期大学の各学長又は校長宛、及びこれらに附属する図書館の各館長宛、並びにすべての国立・公立図書館の各館長宛にそれぞれ1通ずつ送付せよ。
7 被告らは、連帯して、原告に対し、金50万円を支払え。
第2 事案の概要
 本件は、別紙原論文目録記載の論文(以下「本件原著」という。)を被告Bと共同執筆した原告が、被告Bが本件原著を原告に無断で一部省略して翻訳した論文(別紙論文目録記載の論文。以下「本件論文」という。)を作成し、被告株式会社東洋経済新報社(以下「被告東洋経済」という。)がこれを別紙書籍目録記載の書籍(以下「本件書籍」という。)に掲載して発行したとして、本件原著の著作権及び著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)に基づいて、被告Bに対し、本件論文の発行等の差止めを、被告東洋経済に対し、本件書籍の発行等の差止め、及び、本件書籍の回収及び廃棄を求め、また、被告らに対し、本件書籍の回収のための謝罪広告及び全国の大学、図書館等に対する本件書籍の回収を求める通知、並びに、不法行為による損害賠償として、弁護士費用相当額50万円の支払を求めている事案である。
1 前提となる事実(当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定される事実。証拠により認定した事実については、該当箇所末尾に証拠を掲げた。)
(1) 当事者
ア 原告は、千葉大学の教授である。
イ 被告Bは、早稲田大学の教授である。
ウ 被告東洋経済は、雑誌・書籍等の出版・販売等を目的とする株式会社である。被告東洋経済は、本件書籍を発行し、販売した。
(2) 本件原著及び本件論文
ア 原告及び被告Bは、本件原著(英語論文)を共同で執筆した(甲1)。
イ 被告Bは、本件原著の内容の一部を省略しつつ翻訳した本件論文を執筆した(甲2)。本件論文は、本件原著の二次的著作物である。
ウ 本件書籍において、本件論文は、「『第4章自然状態と私的所有権システムの生成*』B」という表題において掲載され、表題記載の冒頭頁(73頁)欄外には、注として、「* 本章はA and B(2004)に基づいている。証明などについては、元の論文を参照されたい。本章執筆の段階で『政治経済法』研究会の方々からいただいたコメントに感謝する。」と記載された(甲2)。被告Bは、本件原著を翻訳して本件論文を執筆すること、本件論文の執筆者として被告Bのみを表示すること、本件論文を本件書籍に掲載することのいずれについても、事前に原告の承諾を得てはいなかった。
(3) 本件書籍
ア 被告東洋経済は、平成18年3月23日、本件書籍1800部を発行し、販売した(甲2、乙2)。
イ 被告東洋経済は、平成18年10月2日、本件書籍の在庫及び返品合計941部を、同年12月16日、同66部を、それぞれ廃棄した(合計1007部。乙8、15)。同月18日において、本件書籍のうち、一般市販又は流通在庫(書店店頭、取次ぎが有する部数及び既に一般読者により購入された部数の合計。)493部、執筆者謹呈分として配付済みのもの176部、早稲田大学保管分124部であった(乙16)。
2 本件の争点
(1) 本件原著に関する原告の翻案権侵害の成否(争点1)
(2) 本件原著に関する原告の著作者人格権侵害の成否(争点2)
ア 同一性保持権侵害の成否(争点2−1)
イ 氏名表示権侵害の成否(争点2−2)
(3) 侵害の停止及び予防請求並びに名誉回復等の措置の要否(争点3)
(4) 原告の損害(争点4)
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(本件原著に関する原告の翻案権侵害の成否)について
(原告の主張)
(1)ア 本件原著は、原告と被告Bの共同著作物である。共同著作物に対する共有著作権は、共有者全員の合意によらなければ行使することはできない(著作権法65条2項)。被告Bは、原告に無断で、本件原著を一部省略しつつ翻訳し、本件論文を執筆したのであるから、原告が有する本件原著の翻案権を侵害したことは明らかである。
イ被告東洋経済は、本件論文を掲載した本件書籍を発行したのであるから、本件原著の無断翻案による著作権(翻案権)侵害について、被告らは共同不法行為責任を負うものである。
(2) 被告Bは、原告が、本件原著の紹介等について、包括的に許諾していたかのような主張をする。しかし、原告がそのような許諾を与えたことはない。
 また、そもそも本件論文は、本件原著を紹介することを目的としたものではないことは、本件論文が本件原著の内容の一部を省略しつつ日本語訳したものであることから明らかである。
(3) 被告らは、被告Bが、本件原著を早稲田大学政治経済学会(以下「本件学会」という。)に投稿した際に、同学会が定める論文投稿規程(以下「本件投稿規程」という。)に基づき、本件原著の著作権が同学会に帰属するに至ったのであるから、翻案権侵害は成立しないと主張する。
 確かに、原告は、被告Bに対し、本件原著を早稲田大学の雑誌に投稿することについての承諾はした。しかし、原告は、本件原著の著作権を譲渡することについては承諾していない。すなわち、原告は、本件訴訟において被告らが上記主張をするまで、本件投稿規程の存在及び内容を知らなかったし、そもそも本件原著の著作権について被告Bとの間で話題に上ったこともなかった。したがって、原告において、本件原著の著作権譲渡については意識をしたことすらなかったのであるから、本件学会に対する本件原著の著作権譲渡の意思表示があったということはできない。
(被告Bの主張)
(1) 本件論文執筆に対する原告の承諾について
ア 原告と被告Bは、平成5年ころから平成8年まで、共同研究を行い、英文の論文を2本、共同で執筆し、平成7年ころに執筆した本件原著については被告Bが、残りの1本(平成8年執筆)については原告が、責任を持って公刊することを合意した。当該合意は、それぞれが担当した論文について、公表する時期、場所、投稿先の選定、申請、投稿に伴う手続、公刊までの準備、誤字脱字の修正、担当者との連絡等に関する詳細について特に定めず、それぞれ包括的な承諾を与え合うというものであった。もっとも、学術論文にとって初出の雑誌は重要なものであるから、いつ、どの学会誌に正式に論文を掲載するかについては、両者の合意を要することを当然の前提とするものであった。しかし、その前後の論文の紹介・プロモーションは、日本語によるものも含めて、相手方にゆだねるという黙示の合意も含まれていた。
イ 被告Bは、かかる原告との合意に基づき、本件原著を効果的に発表するべく、日本の学界やセミナー等において、本件原著の内容紹介を日本語で行った。例えば、被告Bは、平成15年に、金沢大学で開かれた日本選挙学会において、独自に「制、 度の政治経済学」と題し、本件原著の日本語の要約を学会員に配布して、パワーポイントを利用してより詳細な内容を示しながら、本件原著を口頭により、日本語で発表した(丙6)。その際、被告Bは、確認のため原告に資料を送付しているが、原告からは何らの異議をもなく、了承を受けている。その他にも、被告Bは、学会、大学、大学院などにおいて、本件原著について、口頭発表や紹介を行ったが、その都度本件原著に手を加えた原稿を原告に送付し、了承を受けていた。
 したがって、原告は、被告Bとの上記合意により、少なくとも本件原著を紹介することを目的とする翻訳、複製については、被告Bに対してこれを許諾し、また、本件原著の普及を目的とする本件原著の処分を被告Bに一任していたものというべきである。
(2) 学会誌投稿に際しての本件原著の著作権譲渡について
アa) 被告Bは、本件学会誌へ本件原著を投稿するように要請されたため、先に述べた原告との合意に基づき、原告の承諾を得て、本件原著を「TheWaseda Journal of Political Science and Economics」(以下「本件学会誌」という。)の第355号(平成16年発行)に掲載することに成功した。
 もっとも、本件学会誌に対する投稿規定である本件投稿規程においては「3.著作権につい、 て採用された論文等の著作権は、早稲田大学政治経済学会に帰属するものとする」と規定されている。したがって、本件原著の著作権は、本件投稿規程に基づいて、本件学会に譲渡されたというべきである。
b) 原告が、これまで論文を投稿したInternational Journal 等の学会誌の投稿規程には、次のように、著作権が学会に譲渡される旨規定されていた。
@ Games and Economic Behavior
 Upon acceptance of an article, Authors will be asked to transfer copyright.
 (訳:論文が採用され次第、著者は、著作権の譲渡を要求される。)
A Journal of Macroeconomics
 Upon acceptance of an article, Authors will be asked to transfer copyright.
 (訳:論文が採用され次第、著者は、著作権の譲渡を要求される。)
B Social Choice and Welfare
 Transfer of copyright to Springer-Verlag becomes effective if and when thearticle is accepted for publication.
 (訳:論文の出版が承認された場合、Springer-Verlag への著作権の譲渡が有効になる。)
c) 原告が過去に論文を掲載したり、投稿した学会誌以外の多くの学会誌の投稿規程にも、論文が採用された場合、著作権が譲渡される旨規定されているのが一般的である。
@ アジア経済
「『アジア経済』に掲載された論文などの著作権は、アジア経済研究所に帰属する。」
A 一橋経済学
 「論文の著作権は、『一橋経済学』(仮称)に帰属します。」
B 三田学会雑誌
 「研究ノート等の著作権は慶応義塾経済学会に帰属し、…」
C 経済論叢、調査と研究
 「『経済論叢』及び『調査と研究』に掲載された論文等の著作権は、経済学会(注:京都大学経済学会のこと)に帰属する。」
D OIKONOMIKA
 「掲載された論文等の著作権は本学会(注:名古屋市立大学経済学会のこと)に帰属します。」
E 現代ファイナンス
 「採用論文の著作権は日本ファイナンス学会とMPT フォーラムに属します」
d) 以上のとおり、多くの学術論文の学術雑誌等への投稿においても、本件投稿規程と同様の定めがされており、著作権譲渡の取扱いは常識的、慣行的なものである。原告も、自ら学術雑誌に投稿し、論文が掲載された経験から、学術雑誌の投稿の際に、本件投稿規程と同様、著作権譲渡の定めがあることを当然に知っていたものというべきである。
イ 原告は、被告Bから本件学会誌に投稿する旨の事前連絡を受け、特に異議を唱えることも、著作権を留保する旨の意思表示をすることもなかった。また、原告は、本件訴訟に至るまで、本件原著について著作権を有することの主張や、それを前提とした行動に出たこともなかった。したがって、原告は、本件原著の著作権の譲渡について承諾していたものと推認することができるものというべきである。
ウ なお、著作権を譲渡する際、翻案権(翻訳権:著作権法27条)が譲渡の目的として特掲されていない場合には、譲渡者に留保されたものと推定される(著作権法61条2項)。
 もっとも、日本の学術機関が、本件原著のように、日本の学者により英語で書かれた学術論文について、英文の著作権を譲り受けながら、これを日本語に翻訳して利用する権利を除外するということは、考え難い。
 また、一般的に、研究者、学者が論文を執筆し、雑誌に投稿する際、著作権を譲渡しながら、翻案権のみを留保するという意識は有していない。
 さらに、原告と被告Bは、本件原著の出版、紹介以前にも、共同で英語で書かれた論文の翻訳・出版を行ったことがあったが、その際、論文が掲載された雑誌や出版元から、金銭を支払うなどにより翻訳・収録の許可を受けなければならなかったこともあった。
 このように、政治経済学者の学界においては、原著の著者や、著者から許諾を得た者であっても、原著の翻訳、出版の際には、原著の著作権の譲渡先である出版社の許諾を受け、場合によっては更にその対価を支払う必要があることについても、原告は十分認識していたというべきである。
 したがって、本件学会誌に論文を投稿する際に、本件投稿規程に基づいてされた著作権譲渡によって、日本人の著者により英語で書かれた本件原著の翻訳権、翻案権もまた、譲渡人に特に留保されることなく、本件学会に帰属するものというべきである。
エ 被告Bは、本件論文執筆について、原告の承諾を得ていなかった。しかし、これは、原告が、学者としては、本来の「論文」とは認めないような紹介論文には興味を示さないものと考えたからである。被告Bは、早稲田大学における研究会において、本件原著について発表したところ、特に政治学者から、同原著が高く評価されたことから、同研究会の報告書である本件書籍において本件原著を紹介しようと考え、本件論文を執筆することとした。被告Bは、本件原著の意義を正確に理解してもらうため、証明部分については本件原著を参照してもらうこととして、証明以外の部分については、あえて内容を改変せず、ほとんどそのまま日本語訳して、他の論文との関連性を読者に吟味してもらうこととした。被告Bは、当時、多忙であったこともあり、また、経済学者の中には、International Journal 誌に掲載されるような英語の論文以外は学術論文ではないと考える者も多いことや、原告も、英語論文しか書かない主義の学者であるから、紹介論文に興味を示すものとは思えなかったことから、本件論文において本件原著を連名で紹介すれば、事後承諾してもらえるものと考えたのである。
(3) 以上のとおり、原告は、本件原著の共同著作者である被告Bに対し、本件原著の紹介、普及を目的として、その翻訳、要約を含む翻案、複製について、包括的に許諾していたものというべきである。したがって、被告Bは、本件原著の紹介、普及という目的の範囲において、本件原著を単独で翻訳、要約するのみならず、本件論文を本件書籍において複製、出版することを被告東洋経済に対して許諾する権限を有していた。
 また、本件原著の著作権は、翻案権等を含めて、本件学会誌に対して投稿されたことによって、本件投稿規程に基づいて本件学会に譲渡されたものである。被告らは、早稲田大学における研究の一環として、本件論文を執筆し、本件書籍に掲載して発行したのであるから、本件原著の著作権者である同学会から、当然に明示ないし黙示の許諾を得ているものというべきである。
 したがって、原告の被告らに対する著作権に基づく請求は、そもそも原告が著作権自体を有しないというべきであるし、仮に原告が著作権を有していたとしても、原告が被告Bに対して、翻案等について包括的な許諾を与えていたというべきであるから、いずれも失当である。
(被告東洋経済の主張)
 学会誌投稿に際しての本件原著の著作権譲渡について、被告Bの主張を援用する。
2 争点2(本件原著に関する原告の著作者人格権侵害の成否)について
(1) 争点2−1(同一性保持権侵害の成否)について
(原告の主張)
ア 被告Bは、原告の承諾を得ることなく、本件原著を日本語に翻訳して本件論文を執筆した。これは、本件原著の共同著作者である原告の意に反して本件原著を改変した行為であり、原告の同一性保持権を侵害するものというべきである。本件論文は、本件原著の一部を省略しつつ日本語訳した本件原著の二次的著作物であることは、当事者間に争いがないのであるから、被告Bによる改変は、表現形式にとどまらず、その内容・本質にまで及んでいるものというべきであって、翻訳に伴う必然的な表現形式の改変であるという被告Bの主張は失当である。
イ 本件論文は、本件原著の紹介論文ではない。本件論文は、一部の省略等こそあるものの、本件原著の日本語訳なのである。本件論文の本文には、本件原著を紹介する旨の記載はなく、わずかに、脚注に本件原著を参照せよとの各記載があること、及び末尾に参考文献として本件原著が掲げられているにすぎない。原告は、本件論文を読んだ直後、被告Bに対し、本件論文が被告Bの単著として出版されたことは、原告の著作権を侵害するのではないかと質問したが、その際、被告Bは、原告の著作権を侵害することを認める旨の回答をしたのであるから、被告B自身、本件論文が本件原著の紹介論文ではないことを認識していたというべきである。仮に、紹介の目的があったとしても、原告に無断で、本件原著の一部省略などの改変を加えたことを正当化する理由となるものではない。
(被告Bの主張)
ア 争点1において先に述べたとおり、原告は、被告Bに対し、本件原著を紹介するための行為一切について、包括的に許諾を与えていた。そこで、被告Bは、本件原著を日本語に訳して紹介することを目的として、証明等の一部を省略したいわゆる「紹介論文」として、本件論文を執筆した。そのため、被告Bは、本件論文冒頭の表題に注を付し、同一頁の下部欄外に、同注の説明として、「本章はA and B(2004)に基づいている。証明などについては、元の論文を参照されたい」と記載した。同様に、本件論文3頁(本件書籍75頁)に「元の論文では第3のシステムとして両者の中間的なものも考えている。A and B(2004)を参照せよ」、本件論文5頁(本件書籍77頁)に「以下、証明はA and B(2004)を参照」とも記載している。さらに、文末の参考文献欄(本件書籍93頁)には、「A. and B(2004)"The State of Nature and Property Rights Systems," Waseda Journal ofPolitical Science and Economics, vol. 355, pp.27-49.」と、本件原著が明記されている(以下、これらの記載を総称して、「本件記載」という。)。
イ 著作物を翻訳、翻案する際、原作の表現を大幅に変更するのは当然であって、二次的著作物を創作する行為は、原著作物の内面形式を維持しながら、著作物の外面形式を変更するものである。このような改変は、翻訳等において必然的に伴う改変であって、技術上当然の避け難い表現変更である。著作者人格権侵害が問題となり、著作者の同意が必要となるのは、著作者の意に反する性格の改変であり、内面形式にわたる変更のように著作物の本質に触れるような改変を行う場合である。
 本件論文は、本件原著の一部を省略しつつ日本語に翻訳したものであるが、翻訳自体は先に述べたとおり、直ちに同一性保持権の問題となるものではないし、本件論文1頁目には、「本章はA and B(2004)に基づいている。証明などについては、元の論文を参照されたい」と注記されており、学術論文において、その証明を記載しないことがあり得ないことは、研究者にとって自明であるから、本件論文が本件原著を紹介することを目的としたものであることは、その体裁からして明らかである。
 したがって、本件論文における本件原著の改変は、本件原著を紹介するに当たって必要な範囲におけるもので、著作物の内面形式にわたるものではなく、また原告の学者としての名声や名誉感情を傷つけるものでもないといえ、著作者に与えられた同一性保持権により保護される利益を重大に損なうような態様のものであるということはできない。
(被告東洋経済の主張)
 同一性保持権侵害に関する主張は争う。
(2) 争点2−2(氏名表示権侵害の成否)について
(原告の主張)
ア 被告Bは、本件原著の二次的著作物である本件論文を公表する際、本件原著の共同著作者である原告に無断で、原告の氏名を表示せず、被告Bのみを著作者であると表示したのであるから、原告の氏名表示権が侵害されたものというべきである。
イ 被告Bは、本件論文に、「A and B」なる記載があることをもって、原告の氏名を表示したものであると主張する。しかし、このような記載をもって、本件論文が、本件原著の内容の一部を省略しつつ日本語訳したものであり、本件原著が原告と被告Bの共同著作物であることを表示したものと認めることはできない。また、本件論文を公表する際、原告が氏名表示の有無について決定し得る機会が与えられていなかった以上、原告の氏名表示権が侵害されたことは明らかである。
(被告Bの主張)
ア 本件論文の形式的な氏名表示が、被告Bのみとなっていることは争わない。しかし、本件論文は、本件原著を紹介する目的で執筆されたものであり、被告Bは、そのことを本件記載により明らかにしている。特に、本件論文の表題の注記において、本件原著が原告及び被告Bの共同著作物である旨について明示しており、本件原著の実質的な内容を自己の単独の著作物として公表しているものではない。
イ 本件論文は、本件原著の紹介論文でありながら、その大半が本件原著の日本語訳であるという特殊性を有しているから、本件論文における本件原著の著作者表示については、かかる特殊性を考慮する必要がある。この点、本件論文を執筆したのは被告Bであるから、本件論文の表題部に、共著者として原告を列記することは、かえって実態に反することになる。もちろん、本件論文の副題として、表題の直下に本件原著の紹介論文であることを明記するとともに、本件原著の共著者を連名で記載することが最も妥当であるかもしれないが、本件論文のように、表題に注記をして、同頁の欄外に明記することによっても、本件論文が本件原著に依拠すること及び原著作物の共同著作者として原告を表示しているということができるものというべきである。また、表示としての当否はともかくとして、本件記載を見た一般の経済学者・研究者は、原告が被告Bとともに本件原著の共同著作者であることを十分理解することができるものである。したがって、原告の氏名表示権が侵害されたということはできない。
(被告東洋経済の主張)
 氏名表示権侵害に関する主張は争う。
3 争点3(侵害の停止及び予防請求並びに名誉回復等の措置の要否)について
(原告の主張)
(1) 侵害の停止及び予防請求について
ア 被告東洋経済が発行した本件書籍1800部のうち、同被告の在庫780部及び贈呈用として早稲田大学が保管する124部については、いずれ断裁廃棄される予定とのことであるが、既に贈呈された176部(以下、「本件贈呈分」という、。) 既に市販され、あるいは書店もしくは取次店にある720部(返品などにより、その数は変動している。以下、実数はともかくとして、書店店頭、取次ぎが有する部数及び既に一般読者により購入された部数の合計を総称して、「本件流通分」という。)については、侵害の停止及び予防措置を講じなければ、原告の著作権が侵害され、または侵害されるおそれがあるものというほかない。特に、本件論文は学術論文であり、本件書籍の読者の大部分を占めると思われる研究者らによって、被告Bの論文として引用されることにより、その都度原告の著作権の侵害が繰り返され、拡大することとなる。
 被告Bは、本件論文は紹介論文であるし、証明が記載されていないから引用される可能性はないと主張する。しかし、本件論文が、専ら被告B一人の研究の成果として読まれるだけで、原告の著作権が既に侵害されているものというほかない。また、本件論文が本件原著の紹介論文であるという前提自体が誤りであることは、争点2−1において先に述べたとおりである。そして、引用しようとする者の目的等は多様であるから、証明が記載されていないからといって、必ずしも引用の可能性がないと断言できるものではない。実際、孫引き的な引用は絶えず行われているものであり、むしろ、日本人である読者にとって、本件論文は、英文である本件原著よりも読みやすいし、かつ、本件原著が専門性の極めて高い雑誌に掲載されたことと比較して、本件書籍が一般の流通にも置かれていることから、本件論文が引用される可能性は、本件原著よりも格段に高いものというべきである。
イ 被告らによる原告の著作権侵害及び著作者人格権侵害の停止又は予防のためには、被告Bに対しては、本件論文の、被告東洋経済に対しては、本件書籍の、更なる発行・販売・贈与等を差し止める必要性があることは明らかである(請求の趣旨第1項、第2項)。
 また、先に述べたとおり、本件論文が引用されるおそれが高いのであるから、これを予防するためには、被告東洋経済により本件書籍を全部回収して廃棄する必要がある(請求の趣旨第3項及び同第4項)。特に、本件贈呈分については、所有者が最も引用のおそれが高い中核的な読者であると推測されるので、回収の必要性が高いところ、これらは被告東洋経済が直接贈呈したか、あるいは本件書籍の執筆者等が贈呈したものであるから、被告東洋経済にとって、所在が明らかであるか、または容易に明らかにできるもので、回収は容易である。
 本件流通分については、所在不明のものが多いであろうから、本件書籍を回収することにつき、しかるべき広告をすること以外に、侵害の停止及び予防に有効な措置はない。したがって、被告ら連名で、原告の著作権を侵害したことについての謝罪と本件書籍の回収を求める別紙広告文原稿等目録記載の広告(以下「本件広告」という。)を、新聞全国版及び被告東洋経済のウェブページのトップページに掲載することが必要である(請求の趣旨第5項)。
 本件流通分のうち、既に大学その他の研究教育機関及びそれらの附属図書館が購入し、所有する分については、その読者層に鑑み、特に引用のおそれが高く、また、その他図書館が所有する分については、1冊が多数の読者の閲読に供されることにより引用の可能性が高まることから、特に書面による通知によって回収を図る必要性が高いというべきである。したがって、被告ら連名で、本件広告と同様の内容の別紙通信文原稿目録記載の通知(以下「本件通知」という。)を、日本国内のすべての大学等の各学長等及び附属図書館の各館長並びに国公立図書館の各館長に対して送付することが必要である(請求の趣旨第6項)。
 被告らは、本件書籍のうち、被告東洋経済が所有・占有していないものについて廃棄を求めることはできないなどと主張する。しかし、原告は、まず本件書籍を回収し、所有と占有を回復したうえで廃棄することを求めているのであるから、被告らの反論は誤解に基づくものである。
(2) 名誉回復等の措置について
 被告Bは、故意により本件原著に関する原告の著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)を侵害したのであるから、原告の名誉回復等の措置としても、本件広告(請求の趣旨第5項)及び本件通知(請求の趣旨第6項)が必要である。
(3) 以上のとおり、原告は、被告Bに対し、著作権法112条1項に基づいて、本件論文の発行等の差止めを、同条2項及び同法115条に基づいて、本件広告及び本件通知を求め、被告東洋経済に対し、同法112条1項に基づき、本件書籍の発行等の差止めを、同条2項に基づいて、本件書籍の回収及び廃棄、並びに、本件広告及び本件通知を求めるものである。
(被告Bの主張)
(1) 争点1及び2について先に述べたとおり、本件においては、何ら著作権侵害及び著作者人格権侵害は認められない。
 また、先に述べたとおり、本件論文は、いわゆる学術論文ではなく、本件原著を紹介する紹介論文であることが冒頭において明記されている。他の学者が論文を執筆する際、本件論文の内容を引用する場合には、一般的にいわゆる「孫引き」が好ましくないものとされていることから、本件論文ではなく本件原著を参照することは明らかである。しかも、本件原著は早稲田大学等から入手可能な書籍であり、一般の研究者が原典を参照することは容易である。したがって、今後、本件論文が被告Bの著作として引用されるおそれはない。
(2) 仮に、被告Bの行為により、原告の何らかの権利が侵害されたとしても、原告の求める侵害の停止又は予防措置等は、法的救済方法として適切かつ相当なものではない。
 原告は、被告東洋経済に対し、本件書籍の回収と、回収した本件書籍の廃棄を求める。しかし、廃棄請求は被告が所有し、占有するものでなければ強制執行の対象とはならないから、本件贈呈分及び本件流通分のうち、第三者の任意の意思に基づいて「返還を受け得るもの」は、被告東洋経済が所有し、占有するものであるということはできない。したがって、原告のかかる廃棄請求は不適切である。
 また、本件広告及び本件通知は、第三者の任意の協力による回収を目的とするものであり、その実効性に疑問があり、法的救済措置として不適切、不相当である。
 さらに、原告は、本件通知を日本国内のすべての大学等及び図書館等に送付することを求めているが、大学等及び図書館等の総数自体、把握することが困難であるうえに、本件流通分は最大でも720部にすぎないことからすると、このような通知は原告の救済としては過大であるというべきである。
(3) 被告Bは、原告の明示の承諾がない限り、今後、本件論文を複製すること等はしないし、本件書籍の再版等についても承諾する意思はない。また、本件書籍を取得した第三者に対しては、本件論文が本件原著に基づくものであること、本件原著は原告と被告Bの共同著作物であることについて記載した文書を送付することなどを予定している。なお、早稲田大学が保管する本件書籍124部については、今後、廃棄処分される予定である。
(被告東洋経済の主張)
(1) 被告東洋経済は、原告から平成18年4月3日付けの「著作権侵害停止等の請求書」と題する通知を受けた際、初めて本件原著の存在を知った。被告東洋経済は、直ちに本件書籍の出荷を停止したのみならず、その後、本件書籍を絶版とすることを決定したため、今後、本件書籍を増刷、販売、贈与する予定はない。仮に、本件書籍に掲載された他の論文について書籍化する場合には、本件論文を削除した上で、全く別の書籍として発行する予定である。早稲田大学が謹呈用に保管していた分(124部)についても、今後、贈与される予定はない。また、被告東洋経済は、本件書籍の印刷部数1800部中、同被告が所有していた1007部(在庫及び返品等の総数)について、平成18年12月16日までに廃棄した。被告東洋経済は、同月18日時点で、本件書籍の在庫を有しておらず、一般に流通しているのは493部にすぎない。今後、書店からの返品も予想され、書店における実売部数は、ほとんど存在しないということができるものである。被告東洋経済は、今後、本件書籍が返品されれば、適宜断裁処分する予定である。したがって、本件書籍の発行等を差し止める必要性は存しない。
(2) ア被告東洋経済は、本件書籍を、従来からの取引慣行に基づいて、@委託又はA買切という取引形態により出荷している。
 一般に、出版業界において、@委託とは、一定期間を定めて、小売店に書籍、雑誌を配本し、小売店は委託期間内であれば、自由に返品できる取引をいい、その実質は返品条件付売買である。この取引形態は、出版社から取次ぎ会社等に書籍を出荷した時点をもって出版社に売上げが計上され、更に出荷された書籍自体も書店が管理責任を負うため、法律的には出荷された時点で所有権は出版社から移転するものと評価されるが、所有権移転後も取次ぎ・小売店に、書籍を返品する権利を認めるという形態である。したがって、委託取引においては、出荷された本件書籍の所有権は被告東洋経済になく、かつ小売店・取次ぎは、書籍を返品する権利はあっても、義務を負わないので、被告東洋経済が委託の形態により流通した本件書籍を回収することは、法律上不可能である。
 また、A買切とは、返品を認めない取引形態であり、単純な売買である。
 したがって、当然に、出荷された書籍の所有権は出版社から移転するので、被告東洋経済が買切の形態により流通した本件書籍を回収することも、法律上不可能である。
 さらに、本件贈呈分についても、本件書籍の所有権は、贈与によりそれぞれ贈呈先に移転しているため、被告東洋経済がこれを回収することは法律上不可能である。
イ 以上のとおり、被告東洋経済は、本件流通分及び本件贈呈分について、所有権を有しておらず、また、回収を求める法的根拠を有さないのであるから、原告の被告東洋経済に対する本件書籍の回収を求める請求や、回収を前提とする本件広告及び本件通知を求める請求は、いずれも認められるべきものではない。なお、被告東洋経済は、平成18年12月中旬ころから、本件書籍に関する訂正の広告文を自社のウェブページにおいて掲載している。
4 争点4(原告の損害)について
(原告の主張)
(1) 弁護士費用50万円
 原告は、被告らに対し、本件訴訟提起前、本訴請求と同様の対応を求めたものの、今日に至るまで任意の履行はなく、このため本件訴訟提起を余儀なくされた。本件訴訟のために必要な弁護士費用は金50万円である。
 したがって、原告は、被告らに対し、連帯して、不法行為に基づく損害賠償として、弁護士費用相当損害金50万円の支払を求めるものである。
(2) 被告東洋経済の過失について
 本件論文は、早稲田大学における研究会の研究成果を発表する目的で、同大学政治経済学術院教授である被告Bによる著作物であるとして、かつ、同院の院長(当時)であったC教授の監修をも受けたうえで、被告東洋経済に提供されたものである。したがって、被告東洋経済が、本件論文を本件書籍に掲載して発行等したことについては、同被告に過失は認められない。
 しかし、原告は、平成18年4月3日、代理人を通じて被告東洋経済に対し、本件論文にかかる権利侵害の事実を通知したのであるから、同通知後に、仮に被告東洋経済が本件書籍を更に発行、販売、贈与等していたとすれば、その行為については、故意又は少なくとも過失が認められるものというべきである。
 いずれにせよ、被告東洋経済は、上記通知後もなお、しかるべき措置を行わないという不作為によって、原告をして、本件訴訟提起のやむなきに至らしめたという不法行為による賠償責任を免れないものというべきである。
(被告Bの主張)
 原告の主張する損害については争う。
 本件訴訟提起前、被告らは、原告の請求に誠実に対応し、話合いを継続していたにもかかわらず、原告が突然本件訴訟を提起したものである。被告らは、話合いにより円満に解決すべく努力したが、原告の過大な要求には応じることができなかったのである。
(被告東洋経済の主張)
(1) 原告の主張する損害については争う。
(2) 被告東洋経済は、原告から通知を受けて以後、被告Bとともに、解決のため、最大限の努力と提案を行ってきた。
 被告東洋経済は、原告に対して、本件書籍の発行部数が1800部であること及び一般市販・流通在庫は、主要大型書店でも数冊在庫がある程度で、街中の書店には出荷されない程度であることを明らかにした上で、本件論文に関する訂正文を在庫に綴り込むことや、本件贈呈分について、被告東洋経済並びに被告B及び本件書籍の監修者であるC教授の連名で訂正の文書を送付することなどを提案した。もっとも、本件流通分については、被告東洋経済が所有権を有さないため、回収することは不可能であるから、本件論文が原告との共著である旨を示した訂正文書を本件書籍に挟み込む措置を取次ぎや書店に依頼することを提案した。また、本件書籍の謹呈先の開示請求については、個人情報保護の観点から、原告の要望には応じなかったものである。しかし、原告は、本件書籍の本件流通分を含めた完全な回収に固執し、さらに、被告東洋経済が原告の提案を検討中に、突然本件訴訟を提起したものである。
(3) 以上のとおり、被告東洋経済は、原告から著作権侵害について通知を受けて以降、被告B及び早稲田大学とともに、本件を解決するため、最大限の努力と提案を行ってきたものである。被告東洋経済としては、原告の明白に過大といえる請求に応じることはできないが、本件提訴後も、在庫分を廃棄し、ウェブページにおいて訂正に関する広告文を掲載するなど、出版社としての社会的責任に鑑み最大限の努力をしている。
第4 当裁判所の判断
1 争点1(本件原著に関する原告の翻案権侵害の成否)について
(1) 本件論文は、本件原著について、その内容を一部省略しつつ、これを日本語に翻訳したものであること、並びに、被告Bが、本件論文を作成するに当たり、本件原著の共同著作者である原告からその承諾を得ていなかったことは、当事者間に争いがない。したがって、被告Bは、本件原著の内容を省略したこと、及び、これを翻訳したことにより、原告の有する本件原著の翻案権を侵害したものと認められる。
(2) この点について、被告Bは、@原告は、本件原著の紹介等について、包括的に許諾していた、被告らは、A被告Bが、本件原著を本件学会誌に投稿した際、本件原著の著作権は、翻案権も含めてその一切が本件投稿規程に基づいて本件学会に譲渡されたと主張する。
 しかし、@原告が、被告Bに対して、本件原著の紹介等についてその一切を許諾していたことを認めるに足りる証拠はない。かえって、被告Bは、本件原著についてセミナー等において報告する際には、原告に原稿等を送付して事前に了承を得ていたと主張しているのであり、本件原著の紹介等についてその一切について許諾を得ていたのであるならば、原告の了承を受ける必要性は存しないのである。また、仮に原告が、被告Bに対し、本件原著の紹介について、事前に許諾を与えていたとしても、被告Bは、本件原著を一部省略しつつこれを翻訳した上で、本件論文を被告Bの単独著作物として本件書籍に掲載したのであるから、このような行為を本件原著の「紹介」と評価することはできない。また、A本件投稿規程は、「採用された論文等の著作権は、早稲田大学政治経済学会に帰属するものとする。」と定めているのであり(丙1)、翻案権が譲渡の対象として特掲されているものではないことからすれば、翻案権は論文執筆者に留保されたものと推定される(著作権法61条2項)。そして、証拠(丙1)によると、本件学会誌は、政治経済学の研究者による、研究論文、研究ノート(判例研究・学会展望論文も含む)・展望論文、書評の投稿を募集しているものであるから、研究者が、学術研究の成果物である上記各論文等を投稿する際において、これらの表現形式を改変する翻案権までも譲渡していると解すべき合理的理由も存しない。したがって、仮に、原告が本件学会誌に本件原著を投稿することを承諾したときに、原告が本件投稿規定の内容を認識し得る状況があったとしても、本件投稿規程において、翻案権が特掲されていない以上、本件投稿規程により、本件原著の翻案権が本件学会に譲渡されたということはできない。被告らの主張はいずれも採用することができない。
2 争点2(本件原著に関する原告の著作者人格権侵害の成否)について
(1) 争点2−1(同一性保持権侵害の成否)について
ア 本件論文は、本件原著について、その内容を一部省略しつつ、これを日本語に翻訳したものであること、並びに、被告Bが、本件論文を作成するに当たり、本件原著の共同著作者である原告からその承諾を得ていなかったことは、前記のとおり、当事者間に争いがない。したがって、被告Bは、原告に無断で本件原著を日本語に翻訳したうえ、その内容を一部省略して翻訳したのであるから、原告の有する本件原著の同一性保持権を侵害したものと認められる。
イ 被告Bは、本件論文が本件原著の紹介論文であることは、その体裁上明確であって、原告が被告Bに対し、本件原著を紹介するための行為一切について、包括的に許諾を与えていたことからすると、本件論文は、紹介目的に沿って、本件原著の一部分を省略しつつほぼ忠実に日本語訳したものであるから、その改変内容は、紹介目的に必要な範囲におけるものであって、同一性保持権を侵害するものではないと主張する。
 しかし、原告が、被告Bに対し、本件原著の紹介について、一切の包括的許諾を与えていたと認めることができないことは、争点1において認定したとおりである。また、仮に被告Bが本件原著の紹介目的を有していたとしても、被告Bは、共同著作者である原告の意思に反し、本件原著の内容の一部(証明等の事項)を省略しつつ、日本語に翻訳して本件論文を作成したのであるから、かかる目的の存在が、当該改変行為を正当化できるものではない。しかも、本件論文には、本件原著の紹介を目的としていることが明記されておらず、本件論文において、本件原著は21本の参考文献の一つとして、参考文献一覧の15番目に記載されているにすぎないこと(甲2参照、本件論文が) 本件原著に「基づいている」こと、証明等については本件原著を参照してほしい旨が記載されているにすぎないことからすると、かかる記載によって、本件論文が本件原著の紹介目的で執筆されたものであることを意味するということすら認めることができない。
 また、被告Bは、翻訳行為自体は、著作物の内面形式を維持しながら、その外面形式を変更するものであるから、同一性保持権侵害の問題になるものではない、とも主張する。しかし、著作者の承諾を得て行う翻訳については、客観的に見て許容し得ない範囲の誤訳を除いて、このようなことがいえるとしても、本件のように著作者の承諾を得ない翻訳については、英語の表現形式を日本語に変更するものであるから、同一性保持権の侵害にもなるというべきである。
 被告Bの主張はいずれも採用することができない。
(2) 争点2−2(氏名表示権侵害の成否)について
ア 被告Bは、本件原著の二次的著作物である本件論文を公表する際、本件原著の共同著作者である原告に無断で、被告Bのみを本件論文の著作者であると表示したにすぎず、本件原著の共同著作者として原告の氏名を表示しなかったのであるから、原告の氏名表示権が侵害されたものと認められる。
イ 被告Bは、本件論文に本件記載があることをもって、本件原著が原告及び被告Bの共同著作物である旨について明示しており、氏名表示権を侵害するものではないと主張する。しかし、先に述べたとおり、本件記載は、本件原著が本件論文の参考文献の一つであること、本件論文が本件原著に「基づいている」こと、証明等について本件原著を参照してほしい旨を示すものにすぎず、本件原著の共同著作者が原告であることを意味する記載であるということは到底できない。
3 争点3(侵害の停止及び予防請求並びに名誉回復等の措置の要否)について
(1) 被告らに対する本件論文及び本件書籍の発行等の差止め請求について
 被告Bは、原告の明示の承諾がない限り、今後、本件論文を複製し、再版等することはしないと主張する。同様に、被告東洋経済は、本件書籍を今後発行する予定はなく、平成18年12月16日までに在庫は廃棄し、今後も返品分は廃棄処分とする予定であると主張する。確かに、証拠(乙8、15、16)によれば、被告東洋経済は、本件書籍を1800部発行したものの、平成18年10月2日にその在庫941部を断裁処分し、同年12月16日には、その後返本されて戻ってきた在庫66部を断裁処分し、合計1007部を既に断裁処分していることが認められるものの、一般に市販されたか流通在庫として残っている本件書籍が合計493部存在していることからすると、今後も被告東洋経済に対し本件流通分の返本が継続的になされることが予想される。しかし、被告らが本件訴訟において本件原著の著作権侵害及び著作者人格権侵害を明確に争っていることを考慮すると、将来、被告Bが、本件論文を発行、贈与、頒布等したり、被告東洋経済が、その方針を変更し、本件書籍を発行、販売、贈与、頒布するおそれがあることを完全に否定し、本件論文及び本件書籍についての発行、販売、贈与、頒布行為の差止請求を棄却することは相当ではない。
(2) 被告東洋経済に対する本件書籍の回収及び廃棄請求について
 証拠(乙9ないし14)及び弁論の全趣旨によると、被告東洋経済は、本件書籍を、従来からの取引慣行に基づいて、返品条件付売買である委託方式又は単純な売買である買切方式により書籍の取次ぎ・小売店に販売したことが認められる。また、本件贈呈分については、贈与により、本件書籍の所有権が受贈者に移転したことは明らかである。したがって、被告東洋経済は、本件流通分及び本件贈呈分の所有権を有しておらず、かつ、これら各書籍の所有者に対し、返還を求める法的権利を有していないものというべきであるから、被告東洋経済に対し、本件書籍の回収と回収分の廃棄を命ずることは相当ではない。また、本件流通分及び本件贈呈分は、既に被告東洋経済から発行され、販売、贈与、頒布されたものであって、同被告による本件原著の著作権侵害行為は既に終了したものであるから、本件流通分及び本件贈呈分について、侵害行為の停止又は予防に必要な措置を定める著作権法112条2項に基づき、同被告にその回収を命ずることはできない。
 原告は、本件論文が引用されるおそれが高いのであるから、これを予防するためには、被告東洋経済により本件流通分及び本件贈呈分を全部回収して廃棄する必要があると主張する。しかし、本件書籍が発行され、販売、贈与され、頒布されたことにより、本件原著の著作権侵害行為が終了したものと評価することができるのであって、その後、本件論文が引用されることは、新たな著作権侵害行為であるということはできないから、本件書籍を回収することは、著作権法112条2項が定める著作権侵害の停止又は予防に必要な措置ということはできない。したがって、原告の主張は採用することができない。
 もっとも、被告東洋経済が今後も本件書籍の返本を受ける蓋然性は高いのであるから、同社が占有するに至った本件書籍の在庫については、同社の所有のものとしてその廃棄を認めることが相当である。
(3) 本件広告及び本件通知について
 原告は、著作権法112条2項に基づき、被告らに対し、本件書籍の回収のための本件広告及び本件通知を求めている。しかし、上記のとおり、本件書籍が発行、販売、贈与、ないし頒布されたことによって、本件流通分及び本件贈呈分については、被告らによる著作権侵害行為は終了したものというべきであるから、第三者に譲渡された本件書籍を回収するために、本件広告及び本件通知を命ずることは、被告らとの関係では、著作権法112条2項が定める侵害行為の停止又は予防に必要な措置ということはできない。
 また、原告は、被告Bに対しては、同法112条2項のみならず同法115条に基づいて、著作権侵害についての謝罪及び本件書籍の回収のための本件広告及び同趣旨の本件通知を求める。しかし、本件書籍は、合計1800部しか発行されておらず、そのうち1007部は既に廃棄処分とされていることは、前記のとおりであり、さらに、証拠(乙16)及び弁論の全趣旨によれば、早稲田大学が贈呈を受け所持している124部についても廃棄予定であることが認められ、また、本件書籍が早稲田大学が文科省の支援を受けたCOE プログラムの研究成果を掲載した書籍であること(乙16)からすれば、本件贈呈分の残り176部の受贈者及び本件流通分493部のうち既に販売されたものの購入者は、学者、研究者が多く、一般の人は多くはないことが推認され、これらからすれば、新聞の全国版に謝罪広告をすることは、過大な請求であるといわざるを得ず、本件原著の著作者人格権侵害について、原告の名誉を回復するために適当な措置と認めることはできない。
 また、原告は、被告Bに対し、本件書籍の所有者に対し、本件書籍の回収に対する協力を求める内容の本件広告及び本件通知を求めているものの、原告も被告Bも、本件書籍の所有者に対し、このような作為を求める請求権を有していない以上、被告Bに対し、このような行為をなすことを命じることも相当ではない。
 さらに、原告は、被告Bに対し、著作者人格権侵害について原告の名誉を回復するために本件広告を被告東洋経済のウェブページに掲載することを求めている。しかし、被告Bが、被告東洋経済に対し、本件広告をそのウェブページに掲載することを求める請求権を有しない以上、被告Bに対し、このような行為を命ずることは相当ではない。
 また、本件通知については、原告が求める本件通知の送付先が、日本国内のすべての大学等の各学長等及び附属図書館の各館長並びに国公立図書館の各館長であり、その通知先について特定を欠くのみならず、本件書籍の発行部数1800部のうち、現在において、流通に置かれていたり、個人や大学、図書館等が所有している可能性がある部数は、本件贈呈分176部を合わせても最大で669部にすぎないこと(乙16)を合わせ考慮すると、著作権法115条に基づいて、被告Bに対し、本件通知を命ずることも、原告の名誉を回復するために適当な措置としては過大であり、これを認めることはできない。
4 争点4(原告の損害)について
 本件における原告の請求の内容、事案の性質、訴訟に至った経緯、難易度、審理経過など、一切の事情を総合考慮すれば、被告Bによる著作権侵害行為及び著作者人格権侵害行為と相当因果関係があるものとして被告Bに負担させるべき弁護士費用としては、50万円をもって相当と認める。
 原告は、被告らに対し、連帯して、弁護士費用相当損害として、50万円の支払を求めている。しかし、被告東洋経済が、本件論文を本件書籍に掲載して発行等したことについて、被告東洋経済に過失が認められないことは、当事者間に争いがない。原告は、著作権侵害等についての通知後に、被告東洋経済が更に本件書籍を販売した行為があれば、その行為を、また、原告が被告東洋経済との交渉において求めた対応措置を被告東洋経済が行わなかった不作為を、被告東洋経済の不法行為と主張するものである。しかし、被告東洋経済が、原告から通知を受けた後、本件書籍の頒布等を行ったことを認めるに足りる証拠はない。また、被告東洋経済は、原告からの要求を受け、本件書籍の出荷を直ちに停止し、その在庫の断裁処分を決定している(乙1、2)。さらに、原告が要求した本件書籍の回収等の要求に応じなかったこと(乙5)は、本件流通分及び本件贈呈分については被告東洋経済がその所有権を有しないこと、及び、著作権法上、原告にも、本件流通分及び本件贈呈分について、その回収を求める権利までないことを考慮すれば、直ちに不法行為であると評価されることはないことは明らかである。したがって、被告東洋経済が、原告との交渉過程において、原告の求める措置を履行しなかったことが、原告に対する関係で不誠実であって、不法行為に当たると評価することはできない。
 よって、原告の被告東洋経済に対する不法行為に基づく請求は、理由がない。
第5 結論
 以上によれば、原告の被告らに対する請求は、被告Bに対する本件論文の発行等の差止め、被告東洋経済に対する本件書籍の発行等の差止め及び同書籍の在庫の廃棄並びに被告Bに対する損害金50万円の支払を求める限度において理由があり、その余の請求は、いずれも理由がないから、これを棄却する。
 よって、主文のとおり、判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 設樂隆一
 裁判官 間史恵
 裁判官 荒井章光


(別紙)
 論文目録
 下記の書籍(別紙書籍目録記載の書籍)に、第4章として掲載されている「自然状態と私的所有権システムの生成」と題する論文
 記
 書名 再分配とデモクラシーの政治経済学
 発行者 D
 発行所 被告株式会社東洋経済新報社

(別紙)
 書籍目録
 書名 再分配とデモクラシーの政治経済学
 監修者 C
 編著者 B E
 発行日 平成18年3月23日
 発行者 D
 発行所 被告株式会社東洋経済新報社

(別紙)
 広告文原稿等目録
1 広告文原稿
 謹告
 先般、弊社が発行した「再分配とデモクラシーの政治経済学」のうちの第4章、Bの単独執筆の論文として掲載されている「自然状態と私的所有権システムの生成」とは、A千葉大学教授とBの共著である“The State of Nature and Property RightsSystems” 2004,The Waseda Journal of Political Science and Economics No.355,p27 を、Bが、A教授の合意を得ることなく、無断で翻訳し、公表したものであり、上記の論文を含む本書籍の出版によって、A教授の著作権を侵害したことを、B及び弊社は、同教授に対し、深くお詫び申し上げます。
 また、上記の次第で、弊社は、本書籍を回収致したく、本書籍を弊社の後記担当者までお送り戴けましたなら、本書籍代金および送料をお返し申し上げます。つきましては、本書籍に添えて、上記返金についての振込先銀行口座または現金書留をお送りするべき御住所をお知らせ戴けますようお願い申し上げる次第です。
 東京都中央区日本橋本石町一丁目2番1号
 株式会社東洋経済新報社
 代表取締役D
 本書籍返本受領担当者
 部署:
 氏名:
 電話:
 東京都新宿区西早稲田一丁目22番3−1802号
 早稲田大学教授B
2 条件
 広告掲載サイズ
 少なくとも、縦150mm・横150 mm
 その他の条件
 ア 被告らは原告に対し、広告掲載申込に先がけ、そのゲラおよび掲載の位置を提示して原告の承諾を得ること。
 イ 被告らは原告に対し、各新聞紙における広告掲載日を事前に通知すること。

(別紙)
 通信文原稿目録
 前略
 先般、弊社が発行し、ことによると、貴学・貴図書館において御購入または受贈によって御取得を戴いたかもしれない書籍「再分配とデモクラシーの政治経済学」のうちの第4 章、Bの単独執筆の論文として掲載されている「自然状態と私的所有権システムの生成」とは、A千葉大学教授とBの共著である“The State of Nature andProperty Rights Systems” 2004,The Waseda Journal of Political Science and EconomicsNo.355,p27 を、Bが、A教授の合意を得ることなく、無断で翻訳し、自らの著作物として公表し、これを弊社が出版したものであり、この事実は訴訟(東京地方裁判所平成18 年(ワ)第10367 号)によっても確認されております。
 上記の論文を含む本書籍の出版によって、A教授の著作権を侵害したことを、同教授に対し、深くお詫び申し上げるとともに、かかる次第で、弊社は、本書籍を回収致したく、まことにお手数ではありますが、貴学・貴図書館において御取得を戴いた本書籍を弊社の後記担当者までお送り戴けましたなら、御購入の場合は本書籍の代金に加え、いずれにしても御送料をお返し申し上げる所存であり、つきましては、本書籍に添えて、御購入と受贈の別、各冊数、ならびに上記返金についての振込先銀行口座または現金書留をお送りするべき御住所・部署・お名前等をお知らせ戴けますようお願いを申し上げる次第です。
 尚、仮に、貴学・貴図書館が本書籍をお持ちでありながら、規則等の上で、回収に応じて戴けない場合は、同書籍の貸出・閲読を禁ずる等、A教授の著作権侵害を予防するためのしかるべき利用制限措置をおとりくださるようお願い申し上げる次第であり、同手続に必要な申請書等ございましたら弊社担当者までお送り戴けますようお願い申し上げます。
 草々
 東京都中央区日本橋本石町一丁目2番1号
 株式会社東洋経済新報社
 代表取締役 D
 本書籍返本受領担当者
 部署:
 氏名:
 電話:
 東京都新宿区西早稲田一丁目22番3−1802号
 早稲田大学教授 B

(別紙)
 原論文目録
 “The State of Nature and Property Rights Systems”
 A and B
 2004,The Waseda Journal of Political Science and Economics No.355
line
 
日本ユニ著作権センター
http://jucc.sakura.ne.jp/