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【事件名】模写絵画の著作権侵害事件(商品パッケージ)(2)
【年月日】平成18年11月29日
 知財高裁 平成18年(ネ)第10057号 損害賠償請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成17年(ワ)第26020号)
 (平成18年9月11日 口頭弁論終結)

判決
控訴人 X
訴訟代理人弁護士 柳原敏夫
被控訴人 日本ビーンズ株式会社
訴訟代理人弁護士 伊藤真
同 片柳昂二


主文
 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴人の求めた裁判
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、2000万円及びこれに対する平成17年12月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、控訴人において、控訴人の父亡A(以下「亡A」という。)が制作した原判決別紙原告絵画目録の絵画(以下「控訴人絵画」という。)について、被控訴人がその製造販売した豆腐のパッケージに亡Aに無断で複製して使用したのみならず、亡Aが江戸時代の画家であるかのような虚偽の氏名表示をしたものであるところ、控訴人がこれらの行為による損害賠償請求権を相続により取得したと主張して、被控訴人に対し、著作権(複製権)侵害及び著作者人格権(氏名表示権)侵害等に基づき、損害賠償として合計2億7640万8264円(複製権侵害に係る2億0580万6198円、氏名表示権侵害に係る6860万2066円及び弁護士費用200万円)のうちの2000万円の支払いを求める事案である。
2 前提となる事実(後掲証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実並びに当事者間に争いのない事実。なお、当事者の呼称を改めたほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」の「1 前提となる事実」と同一である。)は、次のとおりである。
(1) 当事者
ア 亡Aは、昭和14年、東京美術学校日本画科を卒業後、挿絵の仕事をした後、40年にわたり、江戸風俗の研究家として、資料画の制作を行っていた。亡Aは、「江戸吉原図聚」、「江戸物売図聚」、「江戸庶民風俗図絵」、「明治物売図聚」、「江戸職人図聚」、「定本江戸商売図絵」などをそれぞれ執筆刊行するなどし、昭和62年には、吉川英治文化賞を受賞した(甲1の1及び2、甲3)。
 亡Aは、平成17年6月15日に死亡し、亡Aの長男である控訴人は、遺産分割協議の結果、亡Aが有していた著作権と本件の損害賠償請求権を取得した(甲22ないし24)。
イ 被控訴人は、豆腐の製造・販売等を業とする株式会社である。
(2) 亡Aによる絵画の制作
ア 亡Aは、控訴人絵画を制作し、上記「定本江戸商売図絵」(昭和61年5月15日発行。なお、昭和38年ころ、他の出版社より、「江戸商売図絵」として既に発行されていた。)に、収録した(甲1の1、4、検甲1)。
イ 亡Aは、控訴人絵画を、江戸時代に制作された原判決別紙本件原画目録の浮世絵(「近世職人尽絵巻」に収録された「豆腐屋」の浮世絵。以下「本件原画」という。)を参考にし、それを模写して制作した。
(3) 被控訴人による控訴人絵画の使用
ア 被控訴人は、平成4年10月ころから、原判決別紙被告各パッケージ目録記載のとおり、被控訴人が製造販売した豆腐のパッケージに控訴人絵画を印刷して使用した(被控訴人が製造販売するすべての製品において控訴人絵画が使用されたものではない。甲2、8、乙1の1ないし5、検甲2)。被控訴人は、平成17年3月12日ころ、亡Aより、上記パッケージに控訴人絵画を使用することは、控訴人絵画の著作権侵害であるとの指摘を受けたため、同月18日からは、控訴人絵画の使用を中止した(甲4、5)。
イ 被控訴人は、上記パッケージにおいて、その左下端に、「江戸時代A画」と、それぞれ表示した(甲2、検甲2)。
3 原審は、控訴人絵画は、本件原画の模写の範囲を超えて、これに亡Aにより何らかの創作的表現が付与された二次的著作物であると認めることはできず、本件原画の複製物にすぎないから、複製権侵害も、亡Aの著作者人格権(氏名表示権)侵害も、成立しないと判断して、控訴人の請求を棄却した。
4 争点及び争点に関する当事者の主張は、当審における控訴人の主張とこれに対する被控訴人の反論を以下に付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」の「2 争点」及び「第3 争点に関する当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 控訴人の主張
ア 争点1(控訴人絵画の著作物性・控訴人の主位的主張)について
(ア) 法的「創作性」のレベル(法的評価)において、「創作性」の意味を、模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であると考えるのか、それともそこまで独自性が要求されるわけではなく、著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分と考えるのかという対立がある。前者の立場では、模写の制作過程においてどんなに制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが発揮され、その結果が作品に表現されようとも、それが模写の対象である原画の創作的表現と対比して異なるものでない限り創作性は否定されることになり、後者の立場では、どんなに原画の忠実な模写の場合であろうも、模写の制作過程において制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが発揮され、その結果が作品に表現されていれば、それで創作性が認められることになる。
 著作権法が前者の立場ではなく、後者の立場であることは明らかである。また、芸術の「制作現場のコモン・センス」に照らしても、もともと独創性を最も重んじるプロの芸術の世界においてすら、新たな表現とはあたかも無から有が生まれるものではなく、先行する著作物の既存の表現等の自主的、個性的な選択や組合せにほかならないのであって、純粋な「他に類例がないとか全くの独創的である」とは幻想にすぎない。
 この結論は、絵画一般においても妥当する。つまり、絵画における創作性とは、絵画の制作過程において制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが発揮され、その結果、制作者の個性が絵画の中になんらかの形で現れていればそれで十分である。さらに、絵画のうちの模写についても別個に扱う理由はないから、この結論は、模写においても妥当する。つまり、模写における創作性もまた模写の制作過程において制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが発揮され、その結果、模写制作者の個性が模写作品の中になんらかの形で現れていればそれで十分であり、たとえ結果的に、それが模写の対象である原画の創作的表現とどんなに似ていようが、創作性が否定されるわけではない。
(イ) また、事実的「創作性」のレベルにおいて、模写における創作性=模写制作者の個性の発揮をめぐって、模写の制作過程で制作者が発揮するものは人間の「機械的・技術的な労苦にしかすぎ」(加戸守行「著作権法逐条講義」三訂新版20頁)ず、「知的創造活動の現れ」とはいえないものか、それとも、これもまた、他の著作物制作と同様の「知的創造活動の現れ」なのかという対立がある。
 原画を模写する過程には、@まず、模写制作者が原画を認識する行為の過程と、A次に、模写制作者が認識した原画を再現する行為の過程とがある。
 @の認識行為において重要なことは、原画を見る者の網膜にはみんな同じ絵が映っているように見えるが、実はそうではないということである。というのは、認識とは一方で受動的なものであり、外界が存在して初めて光を通してその外界が網膜に映し出されるが、同時に、認識とは能動的なものであり、外界は観察者の自己を外界に能動的に投入することにより、初めてその具体的な姿が観察者の網膜に明らかになるものだからである(認識の受動性及び能動性)。この理は、絵の鑑賞・観察においても同様であり、その意味で、絵の鑑賞・観察とは、絵(外界)と鑑賞者・観察者との間の対話であり、絵は、それを見る人の「個性、好み、洞察力」などに応じてその姿を変えてくる。だから、その絵を鑑賞・観察する人の個性、好み、洞察力などの中身に応じて、おのずと各自の網膜に映る絵も百人百様でありそれぞれ異なってくる。
 Aの再現行為において重要なことは、模写とは模写制作者の網膜に映った絵を忠実に真似る(=再現する)ことであるから、もし模写制作者の網膜に映った絵が同一でなおかつ模写制作者の技量が同一ならば、結果的にほぼ同じ絵が再現されるのではないかと見えるが、万歩譲ってたとえ模写制作者の網膜に映った絵が同一でなおかつ模写制作者の技量が同一だと仮定しても決してそうとはならないことである。というのは、模写とは原画を忠実に真似る(=再現する)ことであるが、それは単に表現された結果だけを真似ることではなく、そのエッセンスは、むしろ、原作者の制作過程を追体験することにあるからである。ところが、模写制作者の前にあるのはあくまで結果(原画)だけであり、原作者の制作過程は現存しないから、結局のところ、「原作者の制作過程を追体験する」とは、模写制作者にとって我が目で確認しようがない「原作者の制作過程」を、各人が自分なりに想像してみることにほかならない。その結果、「原作者の制作過程を追体験する」行為とは、否応なしに、各模写制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが反映し、おのずと各人各様のものとならざるを得ない。その意味で、Aの再現行為の段階においてもまた、「忠実な再現」とはあくまでももともと様々な個性を持った各人にとっての「忠実な再現」にほかならず、結局のところ、模写する者の数だけの異なった行為が存在することになる。
 以上から明らかなとおり、模写の制作過程において制作者が発揮する多様性、すなわち、第1段階の原画の「認識行為」における、模写制作者の個性、好み、洞察力などが反映しておのずと百人百様の絵が各自の網膜に映る行為も、第2段階の原画の「再現行為」における、模写制作者の個性、好み、洞察力、技量などが反映して、おのずと各人各様の絵が紙・画布に再現される行為も、写生や他の絵画制作の場合と全く異ならない。
 したがって、模写の制作過程において制作者が発揮する行為は、複製機器による複製技術の技法などと同等の「技法」にとどまるものではあり得ず、写生や他の絵画制作と全く同様に、制作者の個性、好み、洞察力、技量などのすべてを注ぎ込んで取り組む、その意味で、正真正銘の精神的創作行為にほからない。
 すなわち、以上をまとめれば、次のようにいうことができる。原画を脇において自らの手で描いた模写本来の場合には、できたものがたとえどんなに原画と似ていようが、模写制作者自身の自主的判断による表現上の選択である以上、創作性を認めることができる。これに対し、ガラス板をおいて丹念に技術的に模写するような例外的な場合には、「機械的・技術的な労苦にしかすぎ」ず、創作性を認めることはできない。
(ウ) さらに、模写が著作物か否かを判断する検討順序についても、写生や翻訳などほかの著作物や二次的著作物の場合と同様に、創作性があるかないかを正面から吟味検討して判断すべきであるか、最初から複製物に該当するかどうかを吟味検討して著作物であるかどうかを判断してよいかという対立がある。
 そもそも、著作物の定義は、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(2条1項1号)であり、そこには著作物成立の要件として複製物との関係、二次的著作物との関係は一切登場しない。つまり、この定義さえ満たせば著作物と判断される。そうだとしたら、著作物か否かの検討順序もまた、ストレートに、創作性があるかないかを吟味検討して判断すること、つまり、作品の制作過程において、制作者の精神的創作性が発揮された事実があったかどうかを認定し、判断することに尽きる。これに対し、作品が複製物や二次的著作物に該当するかどうかといった議論は、この本来の判断が済んだのちに初めて検討すべき副次的な問題にすぎない。
 したがって、あくまでも、著作物であるか否かをまず正面から問うべきである。
(エ) 以上によれば、本件を正しく判断するためには、次の前提が不可欠であるということができる。
a 著作物か否かを判断する検討順序
 写生や翻訳などほかの著作物や二次的著作物の場合と同様に、創作性があるかないかを正面から吟味検討して判断すべきであり、作品が複製物や二次的著作物に該当するかどうかといった議論は、この本来の判断が済んだ後に初めて検討すべき副次的な問題にすぎない。
b 模写行為の評価について
 模写の制作過程において制作者が発揮する行為をつぶさに観察し、これを正確に認識すれば、それは複製機器による複製技術の技法などと同等の「技法」にとどまるものではあり得ず、写生や他の絵画制作と全く同様に、制作者の個性、好み、洞察力、技量などのすべてを注ぎ込んで取り組む、その意味で、正真正銘の精神的創作行為にほからない。
c 創作性の意義について
 わが著作権法における「創作性」とは、「著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分である」と解すべきであり、これに対し、さらに「模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であることが必要である」ことを要求するのは明らかに不当な条件を課すものであり、誤りというほかない。
(オ) そうすると、原判決には、次のとおり、重大な誤りがある。
a 著作物か否かを判断する検討順序について
 上記(ウ)のとおり、控訴人絵画に創作性があるか否かを真正面から吟味検討すべきであるにもかかわらず、原判決は、「したがって、模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであり、新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の複製物であると解すべきである。」(17頁12ないし15行目)と複製物の問題に入り、模写作品に創作性が認められるか否かについて正面から検討することもなく、「模写制作者が自らの手により原画を模写した場合においても、原画に依拠し、その創作的表現を再現したにすぎない場合には、具体的な表現において多少の修正、増減、変更等が加えられたとしても、模写作品が原画と表現上の実質的同一性を有している以上は、当該模写作品は原画の複製物というべきである。」(18頁1ないし5行目)といった模写作品が原画の複製物であるかどうかの議論に終始して結論を導いた。
b 模写行為の評価
 上記(イ)で主張した模写行為の制作過程の事実を踏まえれば、そこで発揮された模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が制作者の「精神的創作」行為と評価されるほかないにもかかわらず、原判決は、「模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても、」(18頁23行目)と単なる「技術」レベルのこととしか評価しなかった。
c 創作性の意義について
 上記(ア)のとおり、著作権法における「創作性」は、著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分であるにもかかわらず、原判決は、「模写作品において、なお原画における創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、当該模写作品については、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理由はないというべきである。したがって、原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在する場合には、模写制作者が模写制作の過程においてどのように原画を認識し、どのようにこれを再現したとしても、・・・それらはいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものであるにすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではない。」(18頁17ないし26行目)と、たとえ模写制作の過程において模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が発揮されようとも、制作の結果においてそれが原画の創作的表現と対比して同様なものであっては「精神的創作」とは評価されないと判断した。
 この立場は、まさに、創作性の有無の判断を、もっぱら「制作の結果」に求め、かつ、創作性の意味を「模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であること」まで要求するものであって、「著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分である」と解するわが著作権法における「創作性」の解釈から逸脱した不当なものである。
イ 争点2(控訴人絵画の著作物性・控訴人の予備的主張)について
(ア) 絵画のモチーフは、絵画の具体的な表現方法及び表現内容に影響をもたらす。つまり、モチーフと表現方法・手段とは不即不離、表裏一体の関係にあり、絵画のモチーフが異なれば、それに対応して、絵画の表現方法・手段も自ずと異なるのであって、具体的に主張された表現方法の違いがそれぞれの絵画のモチーフの違いに由来するものであれば、その違いが、たとえ、「両者の差異は細部における僅かなもの」であろうが、「精密な描写を省略し、若干の簡略化がなされたという程度のものであるとの印象」であろうが、その表現方法は絵画制作者の自覚的、自主的な個性、洞察力等に裏打ちされた結果であり、それはまさしく「精神的創作行為」が発揮された場面と呼ばれるにふさわしいものである。
(イ) 上記の観点から、控訴人が「原画にはない亡A固有の表現」として主張してきた内容を再構成すると、別紙対比表のとおりとなるのであって、控訴人絵画は、「江戸風俗の再現」という亡A固有のモチーフに基づいて、これと相容れない本件原画の重要な表現部分を意図的に削り取り、そのモチーフにふさわしい表現方法に置き換えられているから、この観点からしても、控訴人絵画には本件原画とは明らかに異質な亡A固有の表現方法が認められるのである。
(2) 被控訴人の反論
ア 争点1(控訴人絵画の著作物性・控訴人の主位的主張)について
(ア) 著作物と認められるための要件である「思想又は感情を創作的に表現したもの」における「創作的に」の意味が「厳密な独創性をいうものではない」ことはいうまでもない。
 模写に新たな創作性が認められるためには、そこに「模写制作者による新たな創作的表現が付与されている場合」、すなわち、「新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することができる場合」に限られることは、著作物の定義に照らして当然である。二次的著作物の創作も新たなものを作り出すものでなければならないのであって、新たな創作があるが故に、新たな(原画とは異なる)法的な保護を与えているのであり、新たな保護を与えるに足りる創作的表現であることは当然である(ただし、そこにいう「創作性」が「独創性」までも要求されるものではない。)。
(イ) 事実的「創作性」のレベルにおいて、模写の制作過程で制作者が発揮するものが人間の「機械的・技術的な労苦にしかすぎ」ず、「知的創造活動の現れ」とはいえないものか、それとも、これもまた、他の著作物制作と同様の「知的創造活動の現れ」なのかという対立があるわけではなく、新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することができない場合には、その模写にどのように労力が費やされていようとも、「機械的・技術的な労苦にしかすぎ」ず、「知的創造活動の現れ」とはいえないものであり、また、新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することができる場合には、模写に二次的著作物性が認められるにすぎない。
(ウ) 原判決は、本件模写に原画とは異なる何らかの創作的な表現が付加されているかを具体的に検討して、控訴人絵画が著作物であるか否かを判断しているのであって、これに対する控訴人の主張はその前提を欠いているというほかはない。
イ 争点2(控訴人絵画の著作物性・控訴人の予備的主張)について
(ア) モチーフとは、文学、美術などで、創作の動機となった主要な思想や題材をいうのであって、絵画の題材(描く対象)の話(=モチーフ)と絵画を模写する動機、目的とを同一のレベルで対比すること自体が無意味である。
(イ) 本件絵画を含む「江戸商売図絵」収録の模写については、江戸の風俗を絵解きするために、各種の絵を資料としてこれを模写したのであって、それは絵解きとして用いるための転記にほかならない。そして、ここで行っている作業は、「原画の文字、背景は省略し、原画の不足は書き足して」いるにすぎず、新たな絵画を創作することでなはい。
 控訴人絵画における模写においては、上記目的から、題材は本件原画であり、その構図も全く変更せず、わずかな相違点があるだけのものであるから、モチーフが異なるという主張自体が失当である。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も、控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は、当審における控訴人の主張に対する判断を以下に付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第4 当裁判所の判断」に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 当審における控訴人の主張について
(1) 争点1(控訴人絵画の著作物性・控訴人の主位的主張)について
ア 控訴人は、控訴人絵画に創作性があるか否かを真正面から吟味検討すべきであるにもかかわらず、原判決は、模写作品に創作性が認められるか否かについて正面から検討することもなく、模写作品が原画の複製物であるかどうかの議論に終始して結論を導いたから、誤りであると主張する。
 しかしながら、控訴人絵画は、亡Aが本件原画を模写して制作したものであるところ、上記1で引用した原判決が説示するように、絵画における模写とは、一般に、原画に依拠し、原画における創作的表現を再現する行為、又は、再現したものを意味するものをいうから、模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであって、新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の複製物として著作物性がないものといわざるを得ない。そうであれば、模写作品である控訴人絵画に著作物性があるか否かを判断するに当たっては、控訴人絵画を本件原画と対比して、新たな創作的表現が付与されたものと認められるか否かを検討すべきである。
 したがって、原判決が、「模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであり、新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の複製物であると解すべきである。」(17頁13ないし15行目)とした上、「模写制作者が自らの手により原画を模写した場合においても、原画に依拠し、その創作的表現を再現したにすぎない場合には、具体的な表現において多少の修正、増減、変更等が加えられたとしても、模写作品が原画と表現上の実質的同一性を有している以上は、当該模写作品は原画の複製物というべきである。」(18頁1ないし5頁)と判断したことに誤りはない。
イ また、控訴人は、模写行為の制作過程の事実を踏まえれば、そこで発揮された模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が制作者の「精神的創作」行為と評価されるほかないにもかかわらず、原判決は、「模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても、」(18頁23行目)と単なる「技術」レベルのこととしか評価しなかったから、誤りであると主張する。
 しかしながら、上記1で引用した原判決が説示するように、著作権法は、著作者による思想又は感情の創作的表現を保護することを目的としているから、模写作品において、なお原画における創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理由はないのであって、模写行為の制作過程において発揮された模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が制作者の「精神的創作」行為と評価されるものであるとしても、その結果としての模写作品に新たな創作的表現が付与されたと認めることができなければ、著作物性を有するということはできない。
 原判決は、「原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在する場合」において、「模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても」に続き、「それらはいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものであるにすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではない。」と説示しているのであって、模写行為の制作過程で発揮された模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量を単なる「技術」レベルのことであると評価したというわけではないから、原告が主張するような原判決の誤りはない。
ウ さらに、控訴人は、原判決の立場は、まさに、創作性の有無の判断を、もっぱら「制作の結果」に求め、かつ、創作性の意味を「模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であること」まで要求するものであって、「著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分である」と解するわが著作権法における「創作性」の解釈から逸脱した不当なものであると主張する。
 しかしながら、上記イのとおり、著作権法は、著作者による思想又は感情の創作的表現を保護することを目的としているのであるから、模写行為の制作過程において模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が発揮されたとしても、その結果としての模写作品に新たな創作的表現が付与されたと認めることができなければ、著作物性を有するということはできない。なお、ここにいう新たな創作的表現とは、模写作品に接する者が原画の表現上の本質的特徴を直接感得することができると同時に、新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することができるものであれば足りるのであって、「模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であること」までをも要するものではなく、このことは、上記の著作権法の目的に照らして明らかである。
 原判決は、「模写作品において、なお原画における創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、当該模写作品については、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理由はないというべきである。したがって、原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在する場合には、模写制作者が模写制作の過程においてどのように原画を認識し、どのようにこれを再現したとしても、・・・それらはいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものであるにすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではない。」(18頁17ないし26行目)と説示するところ、これは上記と同じ趣旨をいうものであるから、著作権法における「創作性」の解釈に誤りがあるということはできない。
エ 控訴人はその他るる主張するが、控訴人の主張は、以上の判示(引用した原判決の判示を含む。)と異なる独自の見解に基づくものであって、採用することができない。
(2) 争点2(控訴人絵画の著作物性・控訴人の予備的主張)について
 控訴人は、モチーフと表現方法・手段とは不即不離、表裏一体の関係にあり、絵画のモチーフが異なれば、それに対応して、絵画の表現方法・手段も自ずと異なるのであって、表現方法の違いがそれぞれの絵画のモチーフの違いに由来するものであれば、その表現方法はおのおの絵画制作者の自覚的、自主的な個性、洞察力等に裏打ちされた結果であり、それはまさしく「精神的創作行為」が発揮された場面と呼ばれるにふさわしいものであって、控訴人絵画は、「江戸風俗の再現」という亡A固有のモチーフに基づいて、これと相容れない本件原画の重要な表現部分を意図的に削り取り、そのモチーフにふさわしい表現方法に置き換えて表現しているから、控訴人絵画には本件原画とは明らかに異質な亡A固有の表現方法が認められると主張する。
 しかしながら、絵画のモチーフの違いに由来する表現方法が「精神的創作行為」の発揮された場面と呼ばれるにふさわしいものであるとしても、その結果としての模写作品に新たな創作的表現が付与されたと認めることができなければ、著作物性を有するということはできないのであって、模写作品が原画と異なるモチーフに基づくものであるからといって、当然に、模写作品に著作物性が認められるというわけではない。
 したがって、原判決が、「控訴人絵画は、本件原画の模写の範囲を超えて、これに亡Aにより何らかの創作的表現が付与された二次的著作物であると認めることはできず、本件原画の複製物にすぎないものといわざるを得ない。」と判断したことに誤りはない。
第4 結論
 以上のとおりであって、控訴人の請求は理由がなく、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、棄却されるべきである。

知的財産高等裁判所第4部
 裁判長裁判官 塚原朋一
 裁判官 高野輝久
 裁判官 佐藤達文
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