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【事件名】「住基ネット侵入実験」発表中止事件
【年月日】平成18年10月3日
 東京地裁 平成16年(ワ)第24723号 損害賠償請求事件

判決


主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求
 被告は、原告に対し、3000万円及びこれに対する平成16年11月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 争いのない事実等(末尾に証拠等が記載されていない事実は、当事者間に争いがない。)
(1) 米国人である原告は、米国政府機関や企業に対して技術的脅威に対する認識の啓蒙とセキュリティトレーニング等の様々なサービスを提供しているセキュリティーラボ・テクノロジーズのCTO(最高技術責任者)であり、平成15年9月23日から10月2日、11月24日から28日まで、長野県の3町村で行われた住基ネット侵入実験(以下「長野県侵入実験」という。)を実際に行った者の一人である。
(2) パクセック実行委員会は、平成16年11月11日及び同月12日に、都内のホテルでPacsec2004 というコンピュータネットワークセキュリティに関する国際セミナー(以下「本件セミナー」という。)を主催者として開催した。パクセック実行委員会は、株式会社エス・アイ・ディー・シー(以下「SIDC」という。)及びドラゴステック社により構成されていた。パクセック実行委員会の委員長は、SIDCの代表取締役であるA、副委員長は、SIDCの取締役会長であるBであり、ドラゴステックの経営者であるCも委員として参加していた。パクセック実行委員会の事務局は、SIDCのメンバーを中心として構成されており、SIDCの取締役営業統括本部長であったDも、パクセック実行委員会の事務をサポートしていた(乙7)。
(3) パクセック実行委員会は、平成16年10月12日、総務大臣に対し、本件セミナーにつき、総務省の後援名義の使用承認を申請し、総務大臣は、同月22日、後援名義の使用を承認した。
(4) 原告は、本件セミナーの最終講演者として、同年11月12日の午後4時から講演(以下「本件講演」という。)を行う予定となっていたが、同日、その直前になって、本件講演を断念した。
(5) 総務省後援等の承認取扱要領(平成13年総務省訓令第41号。以下「本件要領」という。)には、以下の定めがある。
 1条 講演会、講習会、競技会、普及運動その他の行事、出版物の刊行等(以下「行事等」という。)に対し、総務省の後援、協賛、賛助、監修等(以下「後援等」という。)の名義の使用を承認する場合には、原則として、この要領の定めるところによる。
 2条 後援等の名義は、総務省として行事等の主旨に賛同し、積極的に支援する価値のあるものに使用させることとする。
 3条 承認に際しては次の各号の基準によるものとする。この場合において、総務省の信用を失墜させることのないよう十分配慮するものとする。
 (1) 行事等の主催者、製作者、発行者等(以下「主催者等」という。)が、次のいずれかに該当し、かつ、主催者等及び関係者が信用し得る者であること。
 ア 国の機関(独立行政法人、特殊法人等政府関係機関を含む。)
 イ 地方公共団体
 ウ 民法(明治29年法律第89号)34条に基づいて設立された公益法人又はこれに準ずる団体
 エ 新聞、ラジオ、テレビ会社等の報道機関等
 オ その他上記に準ずると認められるもの
 (2) 行事等の内容が、次に適合するものであること。
 ア 総務省の所管行政の推進、施策の普及又は啓発に積極的に寄与するものであること。
(以下略)
 4条
 (中略)
 4 承認後においても、主管局及び総務課は、次のとおり主催者等を監督指導するものとする。
 (1) 主催者等又は関係者が前条2号の趣旨に反する行為を行わないよう常に注意すること。
 (2) 主催者等又は関係者が1号の行為を行っている場合、又はその疑いがある場合には、主催者等に対しその行為の中止を文書により勧告すること。
 5 主催者等が前項2号の勧告に従わない場合は、主管局は関係局及び総務課と協議の上、承認を取り消す旨を速やかに通知するとともに、必要な措置を講じなければならない。
 (後略)
2 本件は、原告が、被告に対し、総務省の担当職員が、自ら又はSIDCをして、原告に対し、本件講演の発表内容の変更を求め、最終的に本件講演を断念させたことは、憲法21条2項にいう「検閲」当たり、仮にそうでないとしても、表現の自由を侵害する違法行為であり、また、手続的にも本件要領4条4項2号に反する違法なものであると主張して、国家賠償法1条1項に基づき、本件講演を断念したことによる精神的苦痛に対する慰謝料として3000万円及びこれに対する上記違法行為がされた日の後の日である平成16年11月13日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。
第3 争点及びこれに対する当事者の主張
1 本件における総務省の担当職員の行為が、憲法21条2項にいう「検閲」に当たるか否か(争点1)
(1) 原告の主張
 総務省の担当職員は、本件講演の前々日である平成16年11月10日になって突然、SIDCに対し、原告の発表内容の大幅な変更を求め、本件講演当日にも直接原告に会って話合いをすることなく、何ら合理的な理由がないにもかかわらず、原告の講演内容に大幅な変更を迫ったことは、憲法21条2項にいう「検閲」に当たる。
(2) 被告の主張
 原告の上記主張は争う。
 憲法21条2項にいう「検閲」とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す(最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁参照)。本件において、総務省の担当職員は、本件セミナーの後援者の立場から、主催者であるパクセック実行委員会に対し、総務省の考える問題点が解消されない限り、総務省の後援名義の使用承認を維持することができないと指摘したものにすぎず、原告に対して講演内容の修正や中止を求めたものではないのであり、網羅的一般的に発表前にその内容を審査するものでもないのであって、強制力を用いたものでもない。原告は、いつでも本件講演と同内容の発表ができるのであるから、発表を禁止されたということにもならない。
2 本件における総務省の担当職員の行為が、検閲に当たらないとしても、原告の表現の自由を侵害し、又は、本件要領4条4項2号に違反するものとして、国家賠償法1条1項にいう違法行為に当たるか否か(争点2)
(1) 原告の主張
ア SIDCは、住基ネットの構造や管理運用状況に問題があることを指摘する本件講演の内容を住基ネットの安全性を強調し続けている総務省に告げた上で本件セミナーにつき総務省の後援名義を取得することは困難であると判断し、本件講演の内容を説明せずに総務省の後援名義の使用の承認を申請したところ、本件後援名義の使用承認がされたが、セキュリティーラボ・テクノロジーズの行ったプレスリリースで本件講演の内容が総務省に知られ、原告の本件講演が中止に追い込まれたというのが本件の実態である。
 原告は、長野県侵入実験に関して長野県との間で契約上守秘義務を負い、本件講演の内容については事前に長野県の了解を得ており、セキュリティの専門家である原告が、侵入実験を行った3町村の住基ネット業務に支障が生ずるような講演をするはずがないのであって、本件講演において、長野県侵入実験の際に試みられた侵入方法の具体的内容や住基ネットや市町村の庁内LANの具体的な脆弱性について説明することは予定されていなかった。本件講演の講演資料には何ら問題がない。総務省がネットワークセキュリティについての問題に関する意識が高ければ、本件講演の内容が事前に告げられたとしても、総務省は、本件セミナーについて後援名義の使用を承認したはずである。
 SIDCは、総務省を始めとする官庁などを顧客とするIT関連業務(情報セキュリティーに関する情報提供など)を行っている会社であるから、総務省の担当職員の意向を尊重する対応を採るのは必然である。総務省の担当職員は、SIDC及び総務省の外郭団体である財団法人地方自治情報センター(LASDEC。以下「ラスディック」という。)の職員であるEを使って、原告に対して講演の結論の発表をしないように講演内容の修正を求めたものであり、上記行為は、原告の表現の自由を侵害するものであって、違法である。
イ 総務省の担当職員は、上記修正を求めるに当たり、本件要領4条4項2号所定の文書による勧告を行っていないのであるから、違法である。
(2) 被告の主張
 原告の上記主張はいずれも争う。
ア 総務省の担当職員は、平成16年11月8日の時点で初めて原告が本件セミナーにおいて住基ネットや長野県侵入実験について講演することを知り、講演資料以外に本件講演の内容を知る資料を有していなかったところ、講演資料を見て、本件講演において、長野県侵入実験の際に試みられた侵入方法の具体的内容や住基ネット、市町村の庁内LANの具体的な脆弱性について説明を行うことが予定されていると推測し、上記説明がされた場合には、不特定の者が原告の講演内容を参考にして住基ネットや長野県侵入実験の対象となった町村の役場内に用いられているシステムに対して不正侵入を試みるなど不正アクセス禁止法などに違反する行為を誘発する可能性があり、住基ネットや実験対象となった町村が管理するシステムの安全性について誤解が生ずる可能性があると判断した。そこで、総務省の担当者らは、本件セミナーの後援者の立場から、主催者であるパクセック実行委員会との間で、問題点を解消すべく意見交換をしたものにすぎず、原告に本件講演内容の修正や中止を求めたものではない。原告は、主催者であるパクセック実行委員会と協議した結果、自主的に本件講演を中止したものであり、強制によって本件講演を中止したものではない。総務省の担当職員の上記行為は、正当なものであるというべきである。なお、SIDCについての原告の主張は憶測にすぎないし、ラスディックの職員であるEは、総務省の意向を代弁する立場にはなく、本件セミナーを聴講するため、たまたま本件セミナーの会場を訪れていたにすぎない。
イ 総務省の担当職員のパクセック実行委員会に対する指摘は、本件要領4条4項2号所定の勧告ではなく、同項1号所定の注意を行ったものにすぎず、文書で行う必要はないから、この点における違法もない。
3 原告の被った損害の額は幾らか(争点3)
(1) 原告の主張
 原告は、セキュリティ能力を極めて高く評価されているセキュリティの専門家であるところ、本件により専門家としての表現の自由を否定され、誇りをないがしろにされた原告の精神的苦痛を金銭に換算すれば、3000万円を下らない。
(2) 被告の主張
 原告の上記主張は、否認し、争う。
第3 当裁判所の判断
1 第2の1の事実に、証拠(甲1から3まで、甲7、甲8[枝番を含む。]、甲9、甲22[枝番を含む。ただし、一部。]、乙1、乙4、乙6、乙7、証人F、証人D、原告本人[一部])及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告は、平成16年8月終わりころ、Cから住基ネットに関する講演を行うことについて興味があるかと聞かれたことを契機として、Cを通じて、SIDC及びパクセック実行委員会向けのプレゼンテーションを含んだ提案をした。原告は、その提案において、長野県侵入実験についての原告の経験と、これまで報道機関によってあいまいにされていた技術的論点を明確にする機会を提供することなどを述べた。原告は、同年10月上旬、「JyukiNetDraft」という名称のスライド写真(甲7)をパクセック実行委員会にあてて電子メールで送信した。原告は、同年10月中旬、Cから、SIDCを含むチームによって、本件セミナーの講演予定者となることを承認されたことを伝えられた。
(2) パクセック実行委員会は、平成16年10月12日付け後援名義使用承認申請書により、総務大臣に対し、情報通信セキュリティに関する問題を様々な角度から採り上げ、その重要性を教育・啓蒙すること及び世界中から経験、技術及び権威をもったセキュリティスペシャリスト、アナリストに講演させることで、最先端のセキュリティ技術やセキュリティ動向をわが国の技術者、管理者が知ることによって、民間企業や団体のセキュリティ強化、意識向上の一助とすることを目的として、本件セミナーにつき、総務省の後援名義の使用の承認を申請した。パクセック実行委員会は、上記申請に際し、本件セミナーの同年11月12日の第6セッションの講師として原告名が記載され、テーマについては近日発表と記載されたプログラムを添付したが、上記プラグラムには、その講演予定の内容は記載されていなかった。総務省は、情報の電磁的流通における情報の安全に関する事務を所管している情報セキュリティ対策室が上記申請を検討した結果、本件要領3条2号アの要件に当たると判断し、同年10月22日、パクセック実行委員会に対し、後援名義の使用を承認したことを通知した。
(3) Dを含むパクセック実行委員会関係者は、同月28日ころ、原告から送付された上記講演用資料のスライドを確認したところ、講演の内容が長野県の住基ネット又は他県の住基ネットへの侵入を誘発する可能性があると認識したが、原告に対して特段内容の確認をとることはせず、総務省に本件講演の内容を告げることもなかった。
(4) パクセック実行委員会は、同年11月初旬、原告が「住基ネットに関する考察」とのテーマで本件講演を行うことを公表し、セキュリティーラボ・テクノロジーズは、報道関係者あてに、原告が、本件講演において、長野県侵入実験中に見い出したセキュリティ要件について技術的発表を行うこと及び自ら「私の最大の関心事は住基ネットが侵入され、国民の個人情報が危険にさらされることでした。私たちが行った監査で侵入が可能であること判明しました。しかし日本のメディアでは、侵入が可能な理由についての詳しい報道はありませんでした。公務員あるいは悪意のあるものが政府機関からの市町村内全住民の個人情報を持ち去ることが可能な状態である事実が、政治色が濃い状況にて実験が行われた結果として国民にあいまいなかたちで公表されました。この講演では監査を行った結果、発見したことや脅威等を客観的に日本のみなさんに伝えたいと思います。」と語っていることなどをプレスリリースとして発表した。
(5) 総務省情報セキュリティ対策室の担当職員であるFは、同年11月初めころ、上記(4)のプレスリリースなどから、原告がセキュリティの専門家であって、本件セミナーにおいて、長野県侵入実験について講演を行う予定であることを知り、同月8日、Aに対し、原告の本件セミナーにおける講演の内容が、仮に市町村ネットワークへの侵入を助長するような内容であれば、総務省が後援するセミナーには好ましくないので、状況を教えるように伝えた。
(6) A及びDは、同月10日、Fのもとに、原告が作成した講演資料の日本語版をプリントアウトしたもの(乙3。以下「旧講演資料」という。)を持参し、パクセック実行委員会としても、本件講演の内容については、旧講演資料を見てわかる以外のものは把握していないので、旧講演資料を見て問題点の有無を判断してもらうしかないと説明した。
(7) Fは、旧講演資料を確認し、A及びDに対し、住基ネット自体において無線LANが使用されているかのような印象を与えるものがあること、長野県侵入実験では、実際には、住基ネット部分に侵入できていないのに侵入できたという誤解を招きかねないものがあること、「システムの脆弱性」という用語があり、住基ネットアプリケーションを操作することができたと誤解されかねないものがあること、具体的にどのような方法で侵入実験を行ったのかを明らかにすることでそれをまねた侵入行為を誘発しかねないことを指摘した。これに対し、A及びDは、別段反論することなく、後援者である総務省に迷惑をかけるつもりはなく、指摘はもっともと思われるので、至急原告と打ち合わせをして内容を適切なものに修正させる旨回答した。
(8) A及びDは、同月10日午後4時ころ、当時のSIDCのオフィスで、原告と面談した。その場には、B及びCが同席した。A及びDからFの意向を聞いた原告は、旧講演資料よりも新しいバージョンの講演資料を準備しているが持参しなかったので、今夜中に送信し、この新しいバージョンの講演資料についても必要な修正を行った上で送信すると述べた。Dは、Fに電話をかけ上記経過について話した。同日午後7時47分ころ、原告は、Dに対し、新しいバージョンの講演資料(英語版)のファイルを電子メールに添付してDに送信した。
(9) 原告は、同月12日午前零時6分、修正した新しいバージョンの講演資料(英語版)を電子メールに添付してDに送信した。
 Dは、上記講演資料を日本語に翻訳したが、原告が講演しようとしている内容について総務省の指摘した事項は修正されていないと感じた。しかし、本件講演の時間が差し迫っており、原告が直接総務省と協議することもやむを得ないと判断し、原告に対し、上記資料の日本語版(甲8の2、乙4[ただし2頁以降]。以下「新講演資料」という。)を総務省の情報セキュリティ対策室に送信するように連絡した。原告は、直接総務省の担当職員と話し合う機会を持つことを希望する旨記載をした電子メールに、新講演資料を添付し、情報セキュリティ対策室に送信した。
(10) 総務省の担当職員は、新講演資料を確認し、「技術的な発見」、「Windowsにおける脆弱性」、「住基アプリケーションで発見された脆弱性」、「いくつかの重大な欠点」という用語が使用されており、旧講演資料について指摘した問題点が解消されていないばかりか、その懸念が拡大していると判断した。住基ネットを担当している総務省自治行政局市町村課のGは、所用で不在となったFに代わり、Dに対し、住基ネット及び庁内LANの具体的な脆弱性の指摘はしないこと、住基ネットと庁内LANの混同をなくすことが必要であり、旧講演資料の結論以下の4枚の部分を削って発表するという選択肢もあり得ることを告げたが、この際も、Dから何らの反論もされなかった。この際、Gは、上記原告からの電子メールには、原告と総務省の担当職員とが話し合う機会を持つことを希望することが記載されていたこと、本件講演の時間が差し迫っていたことから、Dに対し、総務省の担当職員が本件セミナーの会場に赴いて直接原告と協議することを提案したが、Dは、原告の講演内容については、主催者側が責任をもって調整をすると述べたことから、Gは、総務省の担当職員を会場に向かわせることはせず、上記電子メールに対して直接返信することもしなかった。
(11) Dは、原告に対し、Gから聞いた内容を手短かに伝え、新講演資料には問題があるとした上で、主催者であるパクセック実行委員会の意向として、旧講演資料の結論以下の部分を削除して話をすることにしてほしいなどと述べた。これに対し、原告は、旧講演資料を使って講演するつもりはないこと、ネットワーク図はインターネット上で公開されているものであるから問題はないはずであることなどを述べ、Dの話に納得せず、総務省の担当職員と話したいと希望した。Dは、直ちに総務省の担当職員が原告と話をすることは困難な状況であったため、総務省の担当職員に代わって本件セミナーを聴講しに来ていたラスディックの担当職員と話をしてもらうほかはないと考え、ラスディックのEを呼び出し、Aは、Eに対し、原告が講演内容について総務省の担当職員と協議したいと希望していることを説明した。
(12) Eは、総務省がパクセック実行委員会に対し、原告の講演内容について指摘したことは聞いていたが、その詳しい内容や経緯については何も知らなかったため、Gに電話をかけて事情を確認したところ、Gは、Eに対し、後援者である総務省の意見として、新講演資料に懸念される事項があることや旧講演資料の結論以下の4枚の部分を削って使うという選択肢もあることなどを説明済みであると伝えた。Eは、Aからセミナー会場の控え室まで来てほしいと言われてこれに応じ、原告のいる控え室に行き、原告に対し、総務省の担当職員が、旧講演資料の結論以下の部分を削った上で講演することは差し支えないと述べていることを伝えた。これに対し、原告は、新講演資料を配付せず、口頭で説明する方法(ノンペーパー方式)は採れないかと提案した。Eは、原告の提案について判断する立場にはないと説明し、あらためてGの指示を仰ぐことにした。Eから指示を仰がれたGは、パクセック実行委員会のメンバーと直接電話で話すことを希望し、DがGと電話で話したが、その際、Gは、後援者である総務省としては、上記新講演資料の問題点に配慮するならばノンペーパー方式で行うことは構わない旨述べた。
(13) Dは、原告がパソコンの画面上に示した新講演資料の問題点について原告
と話した結果、ノンペーパー方式で講演するとしても、上記問題点に触れるのであれば講演を認めるわけにはいかないと説明し、原告は、本件講演を中止した。
 なお、原告は、その陳述書(甲22[枝番を含む。])及び本人尋問において、上記認定に反する供述をするが、上記供述は、本件講演につき、既に公表されている情報について明確化するだけであるとか、異常な環境の下でテストを行ったことを発表することに意味があっただけであると殊更上記プレスリリースの内容と食い違う不自然な供述をしており、D、Fの各陳述書(乙7、乙6)及び同各証人尋問の結果に照らしても採用することができない。
2 争点1及び2について
 前記1で認定した事実によれば、 本件セミナーの主催者であるパクセック実行委員会(その事務局は、SIDCのメンバーが主体で構成されていた。)は、本件講演の内容を告げずに本件セミナーにつき総務省の後援名義の使用の承認を受け、平成16年10月28日ころ、本件講演のスライド資料を確認し、本件講演の内容が長野県の住基ネットや他県の住基ネットへの侵入を誘発する可能性があることを認識したが、総務省に対し、本件講演の内容を告げなかったのであり、そのため、総務省の担当職員は、前記プレスリリースにより同年11月8日の時点で初めて、原告が本件セミナーにおいて住基ネットや長野県侵入実験について講演することを知ったものであること、総務省の担当職員は、本件講演の内容について、前記プレスリリースのほか、旧講演資料及び新講演資料以外にそれを知る資料を有しておらず、パクセック実行委員会からも、これらの資料の記載事項以外のものは何ら提供されなかったことから、本件講演においては、長野県侵入実験の際に試みられた侵入方法の具体的内容や住基ネット、市町村の庁内LANの具体的な脆弱性について説明を行うことが予定されていると推測し、上記説明がされた場合には、不特定の者が原告の講演内容を参考にして住基ネットや長野県侵入実験の対象となった町村の役場内に用いられているシステムに対して不正侵入を試みるなど不正アクセス禁止法などに違反する行為を誘発する可能性があり、住基ネットや実験対象となった町村が管理するシステムの安全性について誤解が生ずる可能性があると判断し、後援者として、主催者であるパクセック実行委員会に対し、前記認定のとおり、旧講演資料及び新講演資料から推測される本件講演の問題点や懸念される点を指摘し、それらの解消を求めたものであり、原告に対し、本件講演内容の修正や中止を求めたものではないこと、上記指摘に対し、パクセック実行委員会からは何らの反論がなく、原告は、パクセック実行委員会と協議した結果、自主的に講演を中止したので、総務省は、本件要領4条4項2号所定の勧告に及ぶに至らなかったものであることが明らかである。
 総務省の担当職員の上記行為は、思想内容等につき網羅的一般的に発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止するものではなく、また、原告が本件セミナー以外で本件講演の内容を発表することを禁止するものではないから、憲法21条2項にいう「検閲」に当たらないことは明らかである。また、総務省の担当職員の上記行為は、パクセック実行委員会の対応に照らしても、やむを得ないものというべきであり、違法なものということはできない。仮に、原告が本件講演において長野県侵入実験の際に試みられた侵入方法の具体的内容や住基ネットや市町村の庁内LANの具体的な脆弱性について説明することを予定していなかったとしても、総務省の担当職員は、パクセック実行委員会からそのことを説明されていないのであるから、上記結論を左右しないというべきである。なお、上記のとおり、総務省の担当職員の上記行為は、本件要領4条4項2号にいう勧告には当たらない。
 したがって、争点1及び2に関する原告の主張はいずれも理由がない。
3 結論
 以上の次第で、原告の本件請求は、その余の争点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第37部
 裁判長裁判官 中村也寸志
 裁判官 北澤純一
 裁判官 齊藤学
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