判例全文 line
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【事件名】『図説江戸考古学研究辞典』の著作権侵害事件(2)
【年月日】平成18年9月26日
 知財高裁 平成18年(ネ)第10037号、第10050号 著作権侵害差止等請求控訴・同附帯控訴事件
 (原審・東京地裁平成17年(ワ)第10790号)
 (平成18年7月18日 口頭弁論終結)

判決
控訴人・附帯被控訴人 X(以下「控訴人」という。)
訴訟代理人弁護士 柳原敏夫
被控訴人・附帯控訴人 柏書房株式会社(以下「被控訴人」という。)
訴訟代理人弁護士 北村行夫
同 杉田禎浩
同 大井法子
同 杉浦尚子
同 吉田朋
同 雪丸真吾
同 芹澤繁
同 亀井弘泰
同 大藏隆子
同 村上弓恵


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 附帯控訴に基づき、原判決中控訴人の損害賠償請求に関する部分のうち被控訴人の敗訴部分を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人は控訴人に対し、24万4444円及びこれに対する平成17年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人のその余の請求を棄却する。
3 被控訴人の附帯控訴中その余の部分を棄却する。
4 訴訟費用(控訴人の控訴費用を除く。)は、第1、2審を通じて、これを10分し、その1を被控訴人、その余を控訴人の負担とし、控訴人の控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決を、次のとおり変更する。
@ 被控訴人は、原判決末尾添付「書籍目録」記載の書籍を増刷し、又は販売し若しくは頒布してはならない。
A 被控訴人は、同目録記載の書籍を廃棄せよ。
B 被控訴人は控訴人に対し、1231万1108円及びこれに対する平成17年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 本件附帯控訴を棄却する。
(3) 訴訟費用は、第1、2審を通じて、被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 原判決中、被控訴人の敗訴部分を取り消す。
(3) 控訴人の請求をいずれも棄却する。
(4) 訴訟費用は、第1、2審を通じて、控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は、控訴人が、控訴人の亡父であるA(以下「亡A」という。)が描いた原判決末尾添付「原告絵画目録」1ないし4の各絵画(以下、それぞれ「原告絵画1」、「原告絵画2」のようにいい、各絵画を総称して「原告各絵画」という。)について、被控訴人の発行する原判決末尾添付「書籍目録」記載の書籍(以下「被告書籍」という。)において、原告各絵画を亡A に無断で複製し、原告絵画1については、その一部のみを切り取って使用したのみならず、亡Aの氏名を表示せず、さらに被控訴人がその後の交渉において亡Aに対して不誠実な態度を取り、亡A に精神的苦痛を与えたとして、被控訴人に対し、原告各絵画の著作権(複製権)に基づき被告書籍の発行・販売の差止め等を求めるとともに、原告各絵画の著作権(複製権)及び原告絵画1についての著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)の侵害に基づく損害賠償請求として合計1231万1108円(その内訳は、原告各絵画の著作権侵害(著作権法114条3項又は4項)につき26万6664円(原告各絵画のそれぞれにつき、通常の再使用料2万2222円の3倍である6万6666円)、著作権侵害による慰謝料として1000万円、原告絵画1の著作者人格権侵害につき4万4444円(同一性保持権侵害及び氏名表示権侵害につき、それぞれ通常の再使用料と同額の2万2222円)、弁護士費用相当額として200万円)の支払を求めている事案である。
 なお、亡A は、原告各絵画を、いずれも江戸時代に制作された原判決末尾添付「本件原画目録」1ないし4の各浮世絵(以下、それぞれ「本件原画1」のようにいい、各原画を総称して「本件各原画」という。)を参考にし、それらを模写して作成したものである。
 本件訴訟は亡A が提起したものであるところ、原審係属中に同人が死亡したことから、その長男である控訴人が、相続により原告各絵画の著作権及び本件損害賠償請求権を承継して、本件訴訟を受継した。
2 原判決は、原告絵画2及び3は、本件原画2及び3の単なる模写作品ではなく、これに亡A による創作的表現が付与された二次的著作物と認められるものの、原告絵画1及び4については、本件原画1及び4の模写の範囲を超えて、これに亡A により創作的表現が付与された二次的著作物であると認めることはできず、本件原画1及び4の複製物にすぎないものといわざるを得ないと判断し、控訴人の請求につき、原告絵画2及び3を使用して被告書籍を販売等することの差止め、被告書籍の原告絵画2及び3の掲載部分の廃棄、並びに、原告絵画2及び3の著作権(複製権)侵害による損害として28万8888円(原告絵画2及び3のそれぞれにつき4万4444円及び弁護士費用相当額20万円)及びこれに対する侵害行為の後である平成17年6月7日(訴状送達日の翌日)から支払済みまでの年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余の請求を棄却した。
 控訴人が原判決を不服として控訴を提起し、原判決中の控訴人敗訴部分を取り消して控訴人の請求を全部認容することを求めたところ、被控訴人は附帯控訴を提起して、原判決中の被控訴人敗訴部分を取り消して、控訴人の請求を全部棄却することを求めた。
3 当事者の主張は、次の2及び3のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「1 前提となる事実」、「2 争点」及び「第3 争点に関する当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。
 当裁判所も、上記の「原告各絵画」、「原告絵画1」、「本件各原画」、「本件原画1」などの語を、原判決の用法に従って用いる。
4 控訴人の当審における主張の要点
(1) 争点1(原告各絵画の著作物性・控訴人の主位的主張)について
(ア) 控訴人が最も重視するものは、実際に作品を制作する者が無意識のうちに確信している「制作現場のコモン・センス」というものである。模写に創作性があるかないかの議論も、すべてここから出発している。「制作現場のコモン・センス」からすれば模写に創作性があるかないかは、「模写制作の過程」において制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが確かに発揮されたかどうかで判断すれば済むことである。その意味で、写生や翻訳などほかの著作物や二次的著作物の制作の場合と全く変わらない。
 控訴人は、このような立場から、原告各絵画につき、「制作の過程」において制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが発揮された以上、そこから創作性を認めることができると主張した。すなわち、「模写制作の過程」における多様性、つまり第1段階の原画の「認識行為」においても、模写制作者の個性、好み、洞察力などの中身に応じて、おのずと各自の網膜に映る絵も百人百様であり、また第2段階の原画の「再現行為」においても、模写制作者の個性、好み、洞察力、技量などの中身に応じて、紙・画布に再現される絵もおのずと各人各様のものとならざるを得ないことをるる詳細に主張した。
 しかるに、原判決は、これを単に「模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても、それらはいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものであるにすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではない。」(原判決27頁9行〜12行)としか評価しなかった。つまり、「模写制作の過程」における制作者の行為は単なる技法のレベルにすぎず、「精神的創作」とはいえない「機械的・技術的な労苦」でしかない(加戸守行「著作権法逐条講義・三訂新版」20頁参照)と評価した。この原判決の立場は、創作性が認められるためには、制作過程において制作者の個性等が発揮されているだけでは不十分で、さらに制作結果において、原画など先行する著作物の創作的表現と比較してそれと異質であることを要求するものである。つまり、これは、創作性の概念を先行する著作物の創作的表現と比較して「他に類例がないとか全く独創的である」ことまで要求するものである。しかし、これは創作性概念の不当な修正というほかない。以下、詳述する。
(イ) 原画を模写する過程とは、分析すれば次の2つからなる。
@ 原画を模写制作者が認識する行為の過程
A 模写制作者が認識した原画を再現する行為の過程
 絵画における上記Aの再現行為とは、シャッターを押す一瞬で再現行為が完了してしまう写真撮影などと異なり、その終了までに一定の時間・期間を要し、なおかつその再現行為の間、絶えず原画と向き合い、そこで自己の認識を新たにし、また修正し、その新たな認識に基づいて新たな再現行為を行なうという、@の認識行為とAの再現行為がいわばループのように何度も行きつ戻りつのくり返しを行なうという特徴を持つ。
 上記の@の認識行為において重要なことは、一見、原画を見る者の網膜にはみんな同じ絵が映っているように見えるが、実はそうではないということである。というのは、認識とは一方で受動的なものであり、外界が存在して初めて光を通してその外界が網膜に映し出されるものだが、しかし同時に認識は能動的なものであり、外界は観察者の自己を外界に能動的に投入することにより、初めてその具体的な姿が観察者の網膜に明らかになるものだからである(認識の受動性及び能動性)。いわば、認識は外界と自己との行きつ戻りつの往還の中で形成される。この理は、絵の鑑賞・観察においても同様であり、その意味で、絵の鑑賞・観察とは、絵(外界)と鑑賞者・観察者との間の対話であり、絵は、それを見る人の「個性、好み、洞察力」などに応じてその姿を変えてくる。だから、その絵を鑑賞・観察する人の個性、好み、洞察力などの中身に応じて、おのずと各自の網膜に映る絵も百人百様でありそれぞれ異なってくる。そこで、模写行為のうち@の「認識行為」の段階において、既に、原画は、それを模写する者の数だけ異なった絵が彼らの網膜に映し出されているのである。
 次に、Aの再現行為において重要なことは、一見、模写とは模写制作者の網膜に映った絵を忠実に真似る(=再現する)ことだから、もし模写制作者の網膜に映った絵が同一でなおかつ模写制作者の技量が同一ならば、結果的にほぼ同じ絵が再現されるのではないかと見えるが、仮に模写制作者の網膜に映った絵が同一でなおかつ模写制作者の技量が同一だと仮定しても、決してそうとはならないことである。なぜなら、模写とは原画を忠実に真似る(=再現する)ことだが、それは単に表現された結果だけを真似ることではなく、そのエッセンスはむしろ「原作者の制作過程を追体験する事」にあるからである。ところが、模写制作者の前にあるのはあくまで結果(原画)だけであり、原作者の制作過程は現存しない。したがって、結局のところ「原作者の制作過程を追体験する」とは、模写制作者にとって我が目で確認しようがない「原作者の制作過程」を、めいめいが自分なりに想像してみるしかない行為にほかならない。その結果、「原作者の制作過程を追体験する」行為とは、否応なしに、各模写制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などが反映し、おのずと各人各様のものとならざるを得ないからである。その意味で、Aの再現行為の段階においてもまた、「忠実な再現」とはあくまでももともと様々な個性を持った各人にとっての「忠実な再現」にほかならず、結局のところ、模写する者の数だけ異なった行為が存在することになるのである。
 上記のとおり、模写の制作過程において制作者が発揮する多様性は、その第1段階の原画の「認識行為」において模写制作者の個性、好み、洞察力などが反映して百人百様の絵が各自の網膜に映る点も、次の第2段階の原画の「再現行為」において模写制作者の個性、好み、洞察力、技量などが反映して各人各様の絵が紙・画布に再現される点も、写生や他の絵画制作の場合と全く異ならない。したがって、模写の制作過程において制作者が発揮する行為は、複製機器による複製技術の技法などと同等の「技法」にとどまるものではあり得ず、写生や他の絵画制作と全く同様に、制作者の個性、好み、洞察力、技量などのすべてを注ぎ込んで取り組む、その意味で、正真正銘の精神的創作行為にほからない。
 以上をまとめれば、次のようにいうことができる。
@ 原画を脇において自らの手で描いた模写本来の場合には、出来上がったものがたとえどんなに原画と似ていようが、それは模写制作者自身の自主的判断による表現上の選択である以上、創作性を認めることができる。
A これに対し、ガラス板をおいて丹念に技術的に模写するような例外的な場合には、「機械的・技術的な労苦にしかすぎ」ず、創作性を認めることはできない。
(ウ) さらに、原告各絵画が著作物か否かを判断する検討順序についても、次のように解すべきである。この検討順序については、@写生や翻訳などほかの著作物や二次的著作物の場合と同様に、創作性があるかないかを正面から吟味検討して判断すべきであるという立場と、A最初から複製物に該当するかどうかを吟味検討して著作物であるかどうかを判断してよいという立場が存在するが、後者(上記A)は、著作物、複製物、二次的著作物といった著作権法の基本概念の相互関係に照らし、明らかに不当である。
 すなわち、そもそも著作物の定義は、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)というものであり、そこには著作物成立の要件として複製物との関係、二次的著作物との関係は一切登場しない。つまり、この定義さえ満たせば著作物と判断される。そうであるとすれば、著作物か否かの検討順序もまた、ストレートに創作性があるかないかを吟味検討して判断すること、つまり、作品の制作過程において制作者の精神的創作性が発揮された事実があったかどうかを認定し、判断することに尽きる。
 作品が複製物や二次的著作物に該当するかどうかといった議論は、この本来の判断が済んだ後に初めて検討すべき副次的な問題にすぎないのである。
(エ) 以上から、本件を正しく判断するためには、次の前提が不可欠である。
 まず、著作物か否かを判断する検討順序としては、写生や翻訳などほかの著作物や二次的著作物の場合と同様に、創作性があるかないかを正面から吟味検討して判断すべきであり、作品が複製物や二次的著作物に該当するかどうかといった議論は、この本来の判断が済んだ後に初めて検討すべき副次的な問題にすぎない。
 次に、模写行為の評価については、模写の制作過程において制作者が発揮する行為をつぶさに観察し、これを正確に認識すれば、それは複製機器による複製技術の技法などと同等の「技法」にとどまるものではあり得ず、写生や他の絵画制作と全く同様に、制作者の個性、好み、洞察力、技量などのすべてを注ぎ込んで取り組む、その意味で、正真正銘の精神的創作行為にほからないのである。
 わが著作権法における「創作性」とは、「著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分である」と解すべきであり、これに対し、さらに「模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であることが必要である」ことを要求するのは明らかに不当な条件を課すものであり、誤りというほかない。
(オ) ところが、原判決は、次のとおり、重大な誤りをおかしている。
 すなわち、著作物か否かを判断する検討順序について、原判決は、原告各絵画に創作性があるかないかを真正面から吟味検討することに向かわず、最初から、本件絵画が複製物であるかどうかを判断して、ここから著作物であるか否かについて結論を導いた。つまり、原判決は、模写の定義からいきなり、「したがって、模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであり、新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の複製物であると解すべきである。‥‥‥」(25頁24行以下)と複製物の問題に入り、模写作品に創作性が認められるか否かについて正面から検討することもなく、「他人の著作物を模写して、その創作的表現を再現したにすぎない模写作品については、著作権法上は、模写制作者により新たな創作的表現が付与されていない限り、元の著作物の複製に該当するものと解すべきである。‥‥‥」(28頁15行以下)といった模写作品が原画の複製物であるかどうかの議論に終始して結論を導いた。しかし、この検討順序は本来の順序を誤ったものである。
 また、 模写行為の評価についても、原告絵画が著作物か否かを判断するためには、原告絵画に創作性があるかないかを正面から吟味検討する必要があるものであり、模写行為の制作過程の事実を踏まえれば、そこで発揮された模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が制作者の「精神的創作」行為と評価されるほかないにもかかわらず、原判決はこれを「模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても‥‥‥」(27頁9行以下)と単なる「技術」レベルのこととしか評価しなかった。
 さらに、創作性の意義についても、著作権法における「創作性」とは「著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分である」と解すべきであるにもかかわらず、原判決は、「模写作品において、なお原画における創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、当該模写作品については、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理由はないというべきである。したがって、原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在する場合には、模写制作者が模写制作の過程においてどのように原画を認識し、どのようにこれを再現したとしても、‥‥‥それらはいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものであるにすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではない。」(27頁3行〜12行)と判示し、たとえ模写制作の過程においてどれほど模写制作者自身の自主的な個性、好み、洞察力、技量が発揮されようとも、制作の結果においてそれが原画の創作的表現と対比して同様なものであっては「精神的創作」とは評価されないと判断した。この立場は、まさに、創作性の有無の判断を専ら「制作の結果」に求め、かつ、創作性の意味を「模写の対象である原画も含めて先行する著作物に対して、他に類例がないとか全く独創的であること」まで要求するものである。しかし、これが間違っていることは、既に述べたとおりである。
(カ) この点を敷衍して述べれば、次のとおりである。
 言うまでもなく、著作物であるためには、制作された成果物である作品に創作性が刻印されていなければならない。制作者がいくら頭の中でユニークな精神的創作行為を働かせたとしても、それが表現された作品の中に刻印されていない限り、著作物とは評価されない。しかし、そこから逆に、成果物である作品に創作性が感得できるからといって、それが著作物である保証は何もない。なぜなら、たとえば世の海賊版にはすべて原作品と同一の創作性を感得することができるからである。そこで、その成果物が著作物であるかどうかは、制作結果ではなく、その制作過程において、制作者自身の「精神的創作」行為が発揮されたかどうかで判断するほかない。海賊版が著作物でないと判断されるのはその機械的な制作過程が暴かれるからである。その意味で、創作性の有無の判断は、まず第1に制作の結果に着目するが、最終的な判断はあくまでも制作過程の検討を通じて行なうほかない。この点で、創作性の有無の判断を専ら「制作の結果」に求める原判決は誤っている。
 また、原判決は、創作性の意味について、「原画の創作的表現と対比して同様なものであってはいけない」旨判示するが、この考え方を著作物一般について当てはめれば、「原画に限らず、およそ先行する著作物の創作的表現と対比して同様なものであってはならない、言い換えれば、他に類例がないとか全く独創的であることが必要である」ということになる。しかし、これが、「著作者の個性が何らかの形で現れていればそれで十分である」と解する著作権法における「創作性」の解釈から逸脱した不当なものであることは、既に述べたとおりである。
(2) 争点2(原告各絵画の著作物性・控訴人の予備的主張)について
(ア) 原告絵画1について
 原告絵画1について、原審において、控訴人が「原画にはない亡A固有の表現」として具体的に主張した内容に対して、原判決は、これを「細部における些細な差異にすぎず、この差異により原告絵画1に新たな創作的表現が付与されたとみることはできない程度のもの」(31頁6行〜7行)、「両者を比較して、一見してその具体的差異を認識し得るものではなく」(同頁17行〜18行)、「いずれも些細な変更を加えたものにすぎず」(32頁8行〜9行)として、すべて否定した。
 しかし、絵画のモチーフが当該絵画の具体的な表現方法及び表現内容にもたらす影響という点からすれば、原判決の上記判断は誤りである。
 「モチーフ」の違いが表現方法などにどのような違いをもたらすか。この点、ピカソは次のようにいう「私は、何か表明したいことがあれば、その都度自分がそう表明すべきであると感じた流儀でそれを表現してきただけだ。モティーフが異なれば、自ずと異なる表現手段が必要とされるものである」(甲53、ダニエル・ジローディ著「ピカソ眼の記憶」(岩波書店昭和62年発行)28頁)。すなわち、モチーフと表現方法・手段とは不即不離、表裏一体の関係にあり、絵画のモチーフが異なれば、それに対応して、絵画の表現方法・手段もおのずと異なってくる。したがって、具体的に主張された表現方法の違いが、それぞれの絵のモチーフの違いに由来するものであれば、その違いは、たとえ一見「些細な変更を加えたもの」に見えようが、あるいはたとえ「一見してその具体的差異を認識し得るものではなく」とも、その表現方法はおのおの絵画制作者の自覚的、自主的な個性、洞察力等に裏打ちされた結果であり、それはまさしく「精神的創作行為」が発揮された場面として呼ばれるにふさわしいものである。
 上記の観点から、控訴人が一審で「原画にはない亡A固有の表現」として具体的に主張してきた内容をモチーフという観点から再構成してみると、別紙「控訴人対比表1」のとおりとなる。
 これによれば、原告絵画1は、江戸風俗の再現という亡A固有のモチーフに基づいて、これと相容れない本件原画1の重要な表現部分を意図的に削り取り、そのモチーフにふさわしい表現方法に置き換えられて表現されており、この点からしても、原告絵画1には本件原画1とは明らかに異質な亡A固有の表現方法が認められるというべきである。
(イ) 原告絵画4について
 原告絵画4についても、原審において、控訴人が「原画にはない亡A固有の表現」として具体的に主張した内容に対して、原判決は、これを「煙の流れの描き方や籠の配置に多少の差異が見られるものの、これらの差異は、本件原画4が浮世絵であり、原告絵画4が画筆で描かれていることによる差異以上のものとは認められず」(36頁12行〜14行)として否定した。しかし、控訴人が具体的に主張する内容は、「浮世絵と画筆に由来する差異」などではなく、あくまでも絵のモチーフの違い等に由来するものであり、これを詳述すれば、別紙「控訴人対比表2」のとおりである。
 これによれば、原告絵画4もまた、江戸風俗の再現という亡A固有のモチーフに基づいて、これと相容れない本件原画4の重要な表現方法を意図的に削り取り、そのモチーフにふさわしい表現方法に置き換えられて表現されており、この点からしても、原告絵画4には本件原画4とは明らかに異質な亡A固有の表現方法が認められるというべきである。
(3) 附帯控訴に基づく被控訴人の主張に対する反論
(ア) 原告絵画2について
 原告絵画2については、亡Aの模写の特色は、彼にとって「江戸風俗の再現」として余計なもの、邪魔なもの(人間の劇的な感情・行動など)を原画から排除し、それに代わって「江戸風俗の再現」として必要なものを新たに付け加えたのであり、それが、原告絵画2では、本件原画2の「焼継師が幽霊に驚いて思わず天秤棒のひもから右手を離してしまった様子や、その首を肩にめりこんだようにすくめた様子は表現されておらず」(原判決32頁24行〜26行)のことである。
 このように、人物の立ち振る舞いという基本的な表現内容について、亡Aが独自の判断で原画とは無関係なものに置き換え、そして、この新たな表現内容を彼自身の美意識に沿って表現したものである以上、そこに亡A固有の創作性が認められるのは当然である。
(イ) 原告絵画3について
 原告絵画3についても、原告絵画2と同様に、亡Aは、彼にとって「江戸風俗の再現」として余計なもの、邪魔なもの(時代設定など)を原画から排除し、それに代わって「江戸風俗の再現」として必要なものを新たに付け加えたのである。
 それが、原告絵画3では、「本件原画3では、高貴な身分の者が焼継作業に従事しているが、原告絵画3では、江戸時代の町人の風俗を再現するため、焼継師のまげを町人の形に描き直し、ひげも描いていない」(原判決34頁24行〜26行)のことである。つまり、原画の平安時代(崇徳院の時代)の高貴な身分の者を、亡Aが独自の判断で江戸時代の町人に置き換えるという表現内容における重大な変更を行なったものであり(その意味で、これをなお模写と呼ぶのは厳密には適切でないかもしれない)、この新たな表現内容を彼自身の美意識に沿って表現したものである以上、そこに亡A固有の創作性が認められるのは当然である。
5 被控訴人の当審における主張の要点
(1) 控訴人の主張に対する反論
(ア) 争点1(原告各絵画の著作物性に関する控訴人の主位的主張)について
 控訴人は、模写制作の各過程(認識行為と再現行為)において、それぞれ模写制作者の創作性が発揮されることを理由として、「模写は機械的模写でない限り、(どれだけ模写が原画と酷似していようとも)二次的著作物である。」との原審における主張を繰り返しているが、このような主張は、控訴人独自のきわめて特異な見解であって、到底認められるものではない。
 控訴人は、原告各絵画が著作物か否かを判断する検討順序として、まず著作物性の判断をすべきであり、原画の複製物であるかどうかを先に判断すべきではないと主張している。しかし、模写作品においては、原画の創作性を超える新たな創作性の付与があるかどうかが、当該作品の著作物性の有無の判断基準であるから、「原画の複製物であるかどうか」と「原告各絵画の著作物性」は、正に同一の判断であって、それが分断できる(この2つに先後関係がある)と認識している一事をもっても、控訴人の主張の誤謬は明らかである。
(イ) 争点2(原告各絵画の著作物性に関する控訴人の予備的主張)について
 控訴人は、本件原画1と原告絵画1との差異及び本件原画4と原告絵画4の差異について述べるが、いずれも細部における些細な差異にすぎず、原告絵画1及び4において新たな創作的表現が付与されたということはできない。なお、控訴人は、原告絵画と本件原画とは、「モチーフ」が異なることを述べるが、そのような「モチーフ」の違いによって、新たな創作性の付与の有無が判断されることはない。
(2) 附帯控訴に基づく被控訴人の主張
 原判決には、原告絵画2を本件原画2の二次的著作物であるとして著作物性を認めた点及び原告絵画3を本件原画3の二次的著作物として著作物性を認めた点、並びに原告絵画2、3に関する損害賠償につき本来の使用料相当額よりも高額の損害金を認めた点において誤りがある。
(ア) 翻案解釈について
 原判決は、本件原画2と原告絵画2につき、「原告絵画2は、本件原画2における特徴的表現部分の一部をそのまま利用しながら、その特徴的表現の他の部分を変更し、江戸時代の町人の風俗の再現を意図した表現となっており、この点で新たに亡Aによる創作性が付与されていると認められ、原告絵画2は、本件原画2の二次的著作物として、その著作物性が認められる」(33頁14行〜19行)と判断した。原判決の上記判断の理由は、「本件原画2は、幽霊に驚く焼継師という怪談を描くことを主題として表現された絵であるのに対し、原告絵画2は、亡Aが江戸時代の風俗や町人の様子を描くという観点から、本件原画2の焼継師が幽霊に驚いて天秤棒のひもから右手を離した姿態や、幽霊に驚いて首をすくめている様子などの特徴的表現部分を変更して描写したものであり、あたかも江戸の町中を歩きながら後ろを振り返っているような焼継師の様子を淡々と描いている」(34頁2行〜8行)から亡Aの考え方が創作的に表現されているとするものである。
 しかし、特徴的表現部分の「変更」は、必ずしも新たな「創作性の付与」を意味しない。「変更」が単なる創作性の削除にすぎず、新たな創作性の付与ではない場合があるし、また、「変更」が単なる付加にしかすぎず、新たな創作性の付与でない場合もあるからである。すなわち、複製は、多少の修正、増減等があっても同一性を有するものの再製を含むので、「変更」の中には、「複製」と評価されるべき削除付加があり、この「変更」は「翻案」と厳格に区別されなければならない。
 言い換えれば、元の著作物に新たな変更(その部分それ自体が創作的表現と評価される程度のもの)を加える場合であっても、その部分の変更によって、元の著作物に依拠しつつも全体として異なる著作物となることによって、初めて二次的著作物たり得るものなのである。
 このように、変更によって原著作物に新たな創作性が付与されて「翻案」になる場合と、新たな創作性が付与されず単なる「複製」にとどまる場合があるにもかかわらず、原判決は、この「変更」と「翻案」の区別を漫然と判断しているため、原告絵画2、3について二次的著作物であるとの誤った判断をしたものである。
 これを詳述すれば、「翻案」とは、「原著作物に依拠し、新たに創作性を付与して新たな著作物を創作すること」である。すなわち、翻案物は、それ自体が著作物の一種であり、また著作物性は原著作物によって与えられているものではなく、新たな創作性の付与の結果として著作物性が与えられるものである。そして、二次的著作物が原著作物と融合した新たな一個の著作物であることからすれば、結果としての創作性とは、著作物全体として評価されなければならない。したがって、付加された表現が創作的であっても、全体として新たな一個の著作物といえない場合は、二次的著作物とはなりえない。
 二次的著作物とならない「変更」と二次的著作物となる「翻案」は次のような類型に分類することができる。
@ 原著作物の創作性の削除は単なる「変更」である。
A 原著作物に対する創作性のない付加は単なる「変更」である。
B 原著作物に対する創作性のある付加は、それにより全体として新たな著作物といる場合は「翻案」であるが、創作性ある部分の付加であっても全体として新たな著作物といえない場合(なおも原著作物を感得させる)は「翻案」とはいえず、@及びAと同じく単なる「変更」である。
 なお、言うまでもなく、創作性は客観的に判断されるべきであるから、削除ないし付加をしたものがどのような意図で行ったかは、創作性の判断を直ちに左右するものではない。
(イ) 原告絵画2、3について
 原告絵画2について、原判決は、原告絵画2は本件原画2の創作的部分を削除し、焼継師の様子を淡々と描いている旨判示している。
 しかし、原告絵画2は、本件原画2の特徴的表現部分を削除し、本件原画2の焼継師が幽霊に驚いてる姿を通常の焼継師に描き換えたものにすぎない。本件原画2で描かれている焼継師の構図からすれば、普通に天秤棒を担ぐ人物は、右手も天秤棒から右側の木箱をつるしたひもを掴むであろうし、首もすくめない。つまり、原告絵画2は、本件原画2の有する天秤棒を担ぐ、ある体形の男性の姿との整合性を保つことに対応して、頭部と手等にわずかな変更を加えたものにすぎない。したがって、原告絵画2におけるこれらの表現内容は「変更」であり、原告絵画2には新たな創作性は何ら付与されていない。仮に、右手を天秤棒から右側の木箱をつるしたひもを掴み、首をすくんでいないように描いた表現に何らかの創作性があるとしても、全体として見れば些細な変更にすぎず、この程度の変更によっては二次的著作物とはなり得ない。
 また、原告絵画3について、原判決は、「本件原画3と原告絵画3を比較すると、いずれも正面からあぐらをかいて作業をしている焼継師の姿及び割れた瀬戸物の破片が散らばっている様子などが描かれている点でその特徴的表現部分において共通するものの、本件原画3では、高貴な者が焼き継をするという狂歌の場面を主題として高貴な人物が描かれているのに対し、原告絵画3においては、江戸時代の町人の風俗を再現するために、町人である焼継師を描いており、この点で、本件原画3における特徴的表現を変更した表現となっているものである。」(35頁1行〜7行)と判示している。
 原判決は、本件原画3の高貴な人物という点を特徴的表現ととらえ、原告絵画3について、これを変更し町人の姿になったことによって二次的著作物であると判断している。しかし、高貴な者が焼き継をするという点が本件原画3の特徴的部分であったとしても、これを削除することが直ちに創作的となることを意味するものではない。そして、これに換えて一般的な町人の顔を付加したとしても、その町人への顔のすげ換えは、本件原画3の姿態を利用し、そこに適合するサイズのものをはめ込んだにすぎない。
 その結果、原告絵画3の作成者である亡Aは、一般的な焼継師の姿を描いた点でテーマの変更をしてはいるが、その依拠の度合いは、圧倒的な原著作物の利用とそれへの適合なのである。描かれたものが町人であるという事実によって、あるいはその描画表現に創作性が認められる場合であっても、新たな創作性を付与したとはいえない。この点で、原告絵画3についても、本件原画3の創作的表現を削除し、その後に創作性のない些細な変更を行ったにすぎないのである。
 以上のとおり、原告絵画2、3は、いずれも、対応する本件原画2、3の創作性のない表現の付加にしかすぎず、新たな創作性の付与がなされているとはいえない。したがって、原告絵画2、3は、いずれも複製と評価されるべき削除加筆の領域を出るものではなく、二次的著作物ではない。
(ウ) 損害賠償について
 上記のとおり、原告絵画2、3がいずれも対応する本件原画2、3の複製物である以上、被控訴人が原告絵画2、3を利用した行為は著作権侵害とはならず、損害賠償を認めた原判決は誤りである。
 仮に著作権侵害があるとしても、原判決が、原告絵画2、3の著作権(複製権)侵害による損害額として、控訴人の通常の使用料相当額(1作品当たり2万2222円)を超えた額を認めたことは、誤りである。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、控訴人の請求は、原告絵画2、3の複製物を掲載した被告書籍の増刷又は販売若しくは頒布の差止め、被告書籍の258頁における原告絵画2、3の各絵画を掲載した部分の廃棄並びに24万4444円及びこれに対する平成17年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度において理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付加訂正するほか、原判決の「第4 当裁判所の判断」のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決38頁14行目から39頁4行目までを、次のとおり改める。
「(1) 著作権侵害に基づく損害賠償請求について
 被控訴人は、平成13年4月25日ころ、亡Aの使用許諾を得ないまま、過失により、原告絵画2、3を掲載した被告書籍を発行した。
 証拠(甲34)及び弁論の全趣旨によれば、亡Aは、「江戸職人図聚」所収の絵画等、原告各絵画と同様の模写作品につき、1作品1回当たり2万2222円の使用料の支払をもって、これを複製して使用することを許諾していたことが認められる。これによれば、被控訴人が被告書籍に原告絵画2、3を掲載した著作権(複製権)侵害行為による損害額は、4万4444円(2万2222円×2=4万4444円)というべきであり(著作権法114条3項)、これを超える額(同条4項)を認めるべき事情はうかがわれない。
 この点に関して、控訴人は、亡Aが生前故意による無断複製行為に対して通常の使用料(1点につき2万2222円)の3倍の額をペナルティとして請求していたとして、被控訴人による原告各絵画の著作権(複製権)侵害による損害額(著作権法114条3項又は4項)としては、通常の使用料の3倍の1作品当たり6万6666円が相当である旨を主張し、証拠(甲35、36)によれば、亡Aが無断使用者に対して1作品当たり6万6666円の金額を請求した事例のあることが認められる。しかしながら、著作権法114条3項は、著作権者は故意又は過失によりその著作権を侵害した者に対し、その著作権の行使につき受けるべき金銭の額に相当する額を自己が受けた損害の額として、その賠償を請求することができる旨を規定している。これによれば、控訴人が原告絵画2、3の著作権侵害による損害額として請求することができるのは、使用料である1作品当たり2万2222円に相当する額というべきであり、亡Aが生前著作権を侵害した者に対して訴訟外において使用料の3倍の額を請求した事例があるとしても、使用料を超える額を同項の規定に基づく損害額として請求することができると解することはできない。また、本件において、亡Aが被控訴人の著作権侵害行為により上記使用料を超える額の損害を被ったことを認めるに足りる証拠もない。したがって、上記のとおり、被控訴人による原告絵画2、3の著作権(複製権)侵害による損害額は4万4444円(1作品当たり2万2222円)にとどまるというべきであり、控訴人の主張は採用できない。」
2 当審における控訴人及び被控訴人の主張に対する判断
(1) 控訴人の主張について
(ア) 争点1(原告各絵画の著作物性に関する控訴人の主位的主張)に関する主張について
 控訴人は、模写制作の各過程(認識行為と再現行為)において、それぞれ模写制作者の創作性が発揮されることを理由として、機械的模写でない限り、創作性が認められるものとして、模写作品は著作権法上の著作物に該当するものであり、また、原告各絵画の著作物性を判断する際の検討順序としては、まず著作物性の判断をすべきであって、原画の複製物であるかどうかを先に判断すべきではないと主張する。
 しかしながら、前記引用に係る原判決(25頁20行〜28頁21行)において詳細に説示するとおり、一般に模写作品とは、原画に依拠して原画における創作的表現を再現したものを意味するものであって、模写制作者により、模写作品に原画に見られない新たな創作的表現が付与されていない限り、原画の複製物にとどまるものとして、著作物性を否定されるものであるところ、本件において、原告各絵画が本件各原画を模写して作成されたものであることは当事者間に争いがないから、原告各絵画の著作物性を判断するに当たっては、本件各原画と比較し、原告各絵画について新たな創作的表現が付与されているかどうかを検討すべきものである。控訴人がるる主張するところは、要するに、模写制作の各過程(認識行為と再現行為)において、それぞれ模写制作者の創作性が発揮されるものである以上、「出来あがったものがたとえどんなに原画と似ていようが」創作性が認められるというのであり、原画と模写作品との間に表現上の同一性が存在しても、原画の複製物ではなく、著作物として保護されるというものであって、著作物が思想又は感情を「創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であることを無視した独自の見解というほかなく、控訴人の主張は、著作物性の判断に当たっての検討順序をいう点を含め、採用することができない。
(イ) 争点2(原告各絵画の著作物性に関する控訴人の予備的主張)に関する主張について
 控訴人は、絵画のモチーフと表現方法・手段とは不即不離、表裏一体の関係にあることから、絵画のモチーフが異なれば、それに対応して絵画の表現方法・手段もおのずと異なってくるものであり、@本件原画1と原告絵画1との間では、本件原画1が、黄表紙の挿絵という性格を持ち、そのため、読み物の地の文やセリフの文のスペースを確保する必要があり、また、読み物の場面、すなわち「逃げる小僧、追う主人、止める番頭」という劇的な場面を描くことを目的とするというモチーフを有するのに対して、原告絵画1は、江戸風俗を描くという本来の意図に沿って江戸時代の典型的な酒屋を描く、すなわち江戸時代の酒屋でどのような人達がどのような道具を使ってどういう風に商売をしていたのかを明らかにするというモチーフを有するものであって、このようなモチーフの違いから、両者の間には、別紙「控訴人対比表1」記載のとおりの描き方の特徴の差異が存在するものであって、これによれば、原告絵画1は、江戸風俗の再現という亡A固有のモチーフに基づいて、これと相容れない本件原画1の重要な表現部分を意図的に削り取り、そのモチーフにふさわしい表現方法に置き換えられて表現されており、この点からしても、原告絵画1には本件原画1とは明らかに異質な亡A固有の表現方法が認められる旨、Aまた、本件原画4と原告絵画4との間では、本件原画4が、人情本の挿絵で、絵自体の主題は3人の登場人物たちであり(ただし、模写の対象となったのは、その場面に登場する小道具)、当該場面は、後ろにひっくり返らんばかりに反り返った女性が子供を抱き上げた瞬間が、左側の男性の姿勢も含めて、全体として右上に向かってダイナミックな動きで描くというモチーフを有するのに対して、原告絵画4は、江戸風俗を描くという本来の意図に沿って江戸時代の日常生活用具の1つとして「蚊いぶし」を描くというモチーフを有するものであって、このようなモチーフの違いから、両者の間には、別紙「控訴人対比表2」記載のとおりの描き方の特徴の差異が存在するものであって、これによれば、原告絵画4もまた、江戸風俗の再現という亡A固有のモチーフに基づいて、これと相容れない本件原画4の重要な表現部分を意図的に削り取り、そのモチーフにふさわしい表現方法に置き換えられて表現されており、この点からしても、原告絵画4には本件原画4とは明らかに異質な亡A固有の表現方法が認められる旨を主張する。
 しかしながら、仮に模写作品のモチーフが原画のそれと異なることによって模写作品の表現方法・手段が原画のそれと異なるものとなるとしても、その結果として、原画に存しない創作的表現が模写作品に新たに付与されているのでなければ、模写作品は二次的著作物とはならない。すなわち、単にモチーフが違うということのみをもって、模写作品が二次的著作物として原画と別個の著作物と評価されるものではない。
 そして、控訴人がモチーフの違いからもたらされた描き方の特徴と主張する、上記の原告絵画1、4の本件原画1、4との表現上の相違点は、いずれも実質的には原審において主張したものと同一であり、前記引用に係る原判決(29頁14行〜32頁11行、35頁26行〜36頁19行)の説示するとおり、これらの相違点をもって本件原画1、4に新たな創作的表現を付与したものと認めることはできず、原告絵画1、4は、本件原画1、4に描かれているものと表現上の同一性の範囲内のものといわざるを得ない。したがって、原告絵画1、4は本件原画1、4の複製にとどまるものであって、亡Aにより創作された二次的著作物と評価することはできない(なお、本件原画1における中央上部及び左下部の空白部分(文字の記載されている部分)が原告絵画1においては異なっている点や、原告絵画4において「蚊いぶし」の文字を追加し、墨線主体で描いた点などは、当審において新たに明示した相違点であるが、これらの点を考慮しても、原告絵画1、4をもって、本件原画1、4の二次的著作物と評価することはできない。)。
(2) 被控訴人の主張について
 被控訴人は、模写において原画の特徴的部分が変更されている場合であっても、「変更」が単なる創作性の削除にすぎず、新たな創作性の付与ではない場合や、「変更」が単なる付加にしかすぎず、新たな創作性の付与でない場合もあることに照らせば、原画の特徴的表現部分の「変更」が必ずしも新たな「創作性の付与」を意味するものではないとした上で、原告絵画2においては、焼継師が幽霊に驚いてる姿という本件原画2の特徴的部分を削除し、これを通常の焼継師に描き換えたものにすぎず、また、原告絵画3においては、高貴な者が焼き継をするという本件原画3の特徴的部分を削除して、これに代えて一般的な町人の顔を付加したものであって、いずれも創作性のない些細な変更を行ったにすぎないから、原告絵画2、3は、いずれも複製と評価されるべき削除加筆の領域を出るものではなく、二次的著作物ではないと主張する。
 しかしながら、原告絵画2、3については、前記引用に係る原判決(32頁12行〜35頁25行)の説示するとおり、いずれも亡Aの創作的表現が付与されているものであり、本件原画2、3の二次的著作物として著作物性が認められるものというべきである。
 被控訴人は、上記のとおり、原告絵画2、3は、本件原画2、3の特徴的部分を削除した上で創作性のない些細な変更を行ったにすぎないと主張するが、原告絵画2においては、焼継師は首をすくめない状態で右手で天秤棒から右側の木箱をつるしたひもを掴んでいるもので、全身の姿勢において本件原画2とは異なる姿が描かれているものであり、また、原告絵画3においては、焼継師が町人風のまげを結った人物とされているもので、人物画において見る者の注目をひく枢要部である頭部・顔面において本件原画3とは異なる容貌が描かれているものであるから、いずれも、些細な変更にとどまるものではなく、また、上記の変更により、作品全体としても本件原画2、3とは異なる印象を受けるものであるから、原告絵画2、3は、亡Aによる創作的表現が付与され、作品全体としても本件原画2、3と異なる創作的表現を感得することができるものとして、二次的著作物に該当するというべきである。
3 結論
 以上によれば、控訴人の本訴請求は、原告絵画2、3の複製物を掲載した被告書籍の増刷又は販売若しくは頒布の差止め、被告書籍の258頁における原告絵画2、3の各絵画を掲載した部分の廃棄並びに24万4444円及びこれに対する平成17年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度において理由があり、その余は理由がない。
 よって、控訴人の本件控訴を棄却することとし、被控訴人の附帯控訴に基づき、原判決中被控訴人に28万8888円及びこれに対する平成17年6月7日以降の年5分の割合による遅延損害金の支払を命じた部分を、24万4444円及びこれに対する同日以降の年5分の割合による遅延損害金の支払を命ずるものと変更し、附帯控訴中その余の部分を棄却することとして、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 佐藤久夫
 裁判官 三村量一
 裁判官 古閑裕二
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