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【事件名】「裸婦画撤去」報道事件(2) 【年月日】平成18年6月14日 大阪高裁 平成17年(ネ)第3157号 損害賠償等請求控訴事件 (原審・京都地裁平成15年(ワ)第662号) 判決 主文 1 本件控訴を棄却する。 2 控訴費用は、控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。 2 被控訴人の請求を棄却する。 3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。 第2 事案の概要 1 事案の要旨 本件は、控訴人が発行する週刊誌(K)に、旧L弁護士会館(以下「旧会館というに飾られて」。) いたB画伯作による裸婦画(以下「本件裸婦画」という。)を新しいL弁護士会館(以下「新会館」という。)に展示するか否かについての被控訴人の言動に関する記事を掲載したこと等に関し、被控訴人が控訴人に対し、控訴人の上記行為により、被控訴人の名誉が毀損されたとして、不法行為に基づき、損害賠償金1100万円(内訳・慰謝料1000万円、弁護士費用100万円)及びこれに対する上記記事等の掲載の日である平成14年11月28日より支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払並びに謝罪広告の掲載を求めた事案である。 原審は、本件記事等が被控訴人の社会的評価を低下させるものであるとして名誉毀損性を認めた上で、これにつき真実であることを認めることができず、かつ、真実であると信じるについて相当な理由があったともいえないとして、被控訴人の請求のうち、慰謝料及び弁護士費用の請求の一部を認容し、その余の請求及び謝罪広告の掲載を求める部分を棄却した。 控訴人は、原判決を不服として控訴した。 2 争いのない事実等、争点、争点に関する当事者の主張については、原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」中、「1 争いのない事実等」、「2争点」及び「3 争点に関する当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。 第3 当裁判所の判断 【以下、原判決「事実及び理由」中の「第3 争点に対する判断」の部分を引用した上で、当審において、内容的に付加訂正を加えた主要な箇所をゴシック体太字で記載し、それ以外の字句の訂正、部分的加除については、特に指摘しない。】 1 争点1(本件記事及び本件広告が被控訴人の名誉を毀損するか)について (1) 本件記事の名誉毀損性 本件記事のような週刊誌の記事による名誉毀損としての不法行為は、問題とされる記事が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価(社会的評価)を低下させた場合に成立しうるものであるところ、当該記事が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、同記事を読む一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断するのが相当である。 そこで、上記基準に従って、本件記事が被控訴人の社会的評価を低下させるものであるか否か検討する。 ア 前記争いのない事実等及び証拠(甲1)によれば、以下の事実が認められる。 (ア) 本件記事中には、以下のaないしfの記載がある。 a 「『裸婦画はセクハラ』と取り外しを要求した無粋な女性弁護士」(本件記載@) b 「しかし、そんな祝事を控えたある日、女性弁護士から突然、声が上がったのだ現。“ 在飾られている裸婦画は、新館には展示するな”。理由はセクハラの危険ありというのだが、そんなアホなと笑われている。」(本件記載A) c 「『そんな彼女ならではの問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた。』(元同僚弁護士)」(本件記載B) d 「そしてL弁護士会のC副会長もこう言うのだ。『10月上旬に、新会館の備品などをどうするかという会務懇談会がありましたが、その会場でA弁護士は1枚の文書を配布。“あの裸婦画を飾り続けるのは女性へのセクハラに当たる”と主張した。』」(本件記載C) e 「30人ほどの懇談会出席者は、ただ困惑するばかりだった。」(本件記載D) f 「A弁護士がどんな審美眼を持っているのか知らないが、裸=セクハラというのは、あまりにも短絡的で幼稚な主張だ。」(本件記載E) (イ) 本件記事には、次のとおり被控訴人の実名を挙げた上、その顔写真を掲載して同人を特定する記載がある。 「そんな大家の絵をセクハラまがいと指摘したのは、A弁護士(39)だ。N大法学部出身。現在はO法律事務所に所属し、セクハラや家庭内暴力などに熱心な弁護士として知られている。」 (ウ) 本件記事は、本誌が「女の勲章」として企画した特集の1つであり、本件記事の前に「名も明かさず『遺産17億円』をQ市に寄付した粋な女性」との見出しの下に、遺言により約17億4000万円をQ市の文化観光資源保護基金に寄付した女性の記事が掲載されているのに対し、その直後に掲載されている本件記事には、「舞台は同じでも、こちらは無粋な話」との記載がある。 イ(ア) 以上の事実を前提として、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として本件記事を検討する。 本件記事は、氏名と顔写真の掲載により被控訴人を特定した上、読者に対し被控訴人、 が、「裸=セクハラ」という短絡的で幼稚な考え方を持っていること、そのような考え方の持ち主であることを前提として、本件裸婦画がセクハラの危険があることを理由として新会館に展示しないよう要求した被控訴人の言動が、L弁護士会の会務懇談会の出席者をはじめとする被控訴人の周囲の人々にとって、嘲笑の的となっているとの事実を摘示したものであり、読者に対して、弁護士である被控訴人の人格が短絡的で幼稚であり、その言動が無粋であるとの印象を与えるものである(なお、無粋という表現も、それ自体、一般の読者はマイナスの人格評価やマイナスの印象を抱くものと考えられる。)。しかも、本件記事は、上記認定したとおり、本誌が「女の勲章」として企画した特集の1つとして、「名も明かさず『遺産17億円』をQ市に寄付した粋な女性」との見出しの下に、遺言により約17億4000万円をQ市の文化観光資源保護基金に寄付した女性の記事の直後に、「舞台は同じでも、こちらは無粋な話」として掲載されたものであり、上記女性と対比する構成を取っている。以上のことからすると、本件記事は、寄付をした上記女性と被控訴人とをことさらに対比する構成と表現方法をとった上で、寄付をした女性を「粋な女性」と表現することで、被控訴人が「無粋」であることを強く印象づける内容になっているものというべきである。 以上の事実からすると、本件記事は、弁護士である被控訴人の人格について短絡的で幼稚であって、その言動は無粋であるとの印象を一般読者に与えるなど、被控訴人に対する社会的評価を低下させるものであるというべきである。 (イ) これに対し、控訴人は、無粋とは要するに粋でないことであり、粋であるか否かは個人的な趣味に関わるところであるから、このような表現を用いたからといって直ちに被控訴人の社会的評価を低下させたとはいえない旨主張する。 しかし、無粋という表現は上記説示したとおりであって、一般の読者はマイナスの人格評価やマイナスの印象を抱くものと考えられるから、これを個人的な趣味に関わることであって社会的評価に関係しないとの控訴人の主張は採用の限りではないし、上記説示のとおり、本件記事に記載された無粋という表現のみでもって被控訴人の名誉を毀損したものと判断しているのではないから、いずれにしても控訴人の上記主張は採用できない。 (ウ) また、控訴人は、「短絡的」、「幼稚」といった表現は、表現者の意見ないし論評と考えられるところであるから、このような表現を用いたからといって直ちに被控訴人の社会的評価を低下させたとはいえない旨主張する。 確かに、「短絡的」、「幼稚」という表現はある物事に対する評価としての一面を有している。しかし、一般の読者は、特定の人物を対象としてそのような表現をなされた場合、その対象者の人格が「短絡的」で「幼稚」との悪印象を抱く可能性が高く、弁護士である被控訴人がそのような対象者として表現されると、その人格のみならず弁護士としての能力についても悪印象を抱くと考えられる。控訴人が記載した上記「短絡的」、「幼稚」という表現は、本件記事の記載内容からして、表現者の意見ないし論評というより、被控訴人の人格に対する評価事実として記載した側面が大きいというべきであり、意見ないし論評としてその検討対象とすることは相当でない。 したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。 (エ) 控訴人は、本件記事は一般的・抽象的に、被控訴人その人が短絡的で幼稚であるなどと記述しておらず、一般の読者が普通の注意と読み方で本件記事を読んだ場合、被控訴人の本件裸婦画をL弁護士会の役員室に展示することはセクハラにあたるとの「主張」が短絡的で幼稚であり、無粋であるという趣旨であると受け取ることは火を見るよりも明らかであると主張している。 しかしながら、本件記事は、その見出しが本件記載@にあるように「女性弁護士」である被控訴人を対象に評しているものと一般読者が受け取るであろうことは明らかである。そして、一般的に主張が人格の発現ないし現実化の一態様であると考えられることからすると、「人格」を離れた「主張」はありえないばかりか、一般読者の普通の注意と読み方によれば、被控訴人が主張するように、人格と主張とをことさら切り離して読む、あるいは、考えるということは通常ありえないというべきであり、そうであるとすると、本件記事には、上記のとおり「裸=セクハラというのは、あまりにも短絡的で幼稚な主張だ。」との記載があるものの、被控訴人の人格について短絡的で幼稚との印象を一般読者に与えるものといって何ら差し支えないというべきである。 また、控訴人は、本件記事には、「嘲笑」という表現は全く存在せず、本件記事の「そんなアホなと笑われている」という記載のうち、「そんなアホな」という(関西弁の)意味は、人に対して「アホか」という場合と異なって、そのような主張・意見・事象は疑問であり、受け入れがたいことを意味するものであると主張している。 しかしながら、被控訴人が主張するように、「アホ」の語源は、「阿呆」(あほう)であり、「あほう」とは、愚かであるさま、ばかなこと、また、そのような人を意味する(広辞苑第4版68頁)のであり、したがってそんな、「アホなと笑われている」というのは、愚かだ、あるいは愚かな人だと笑われているという意味であり、そうであるとすると、嘲笑(あざけってわらいものにすること−広辞苑第4版1678頁)と同義であるというべきである。したがって、本件記事には、「嘲笑」という表現はないが、これと同義である表現を用いているといって差し支えなく、また、「そんなアホな」という意味を控訴人が主張するような意味を有しているとは到底いえないから、控訴人の主張は理由がない。 (オ) さらに、控訴人は、記事中の特定の記述が特定人の名誉を毀損するか否かはその記述のみによって判断されるべきであるところ、本件記載@ないしB及びDは、被控訴人の氏名その他被控訴人をうかがわせるような記載が全く存在しないから、被控訴人の社会的評価を低下させることはない旨主張する。 確かに、本件記事から本件記載@ないしB及びDそれのみを取り出して検討した場合、その中には記述の対象が被控訴人であることを特定するような記載は存在しない。しかし、本件記事が被控訴人の名誉を毀損するか否かは、一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきことは上記説示したとおりであるところ、本件記事中に被控訴人の氏名と顔写真が掲載されていることは上記認定のとおりである上、証拠(甲1)によれば、本件記事は、「女の勲章」という特集記事の中の一つとして掲載されているものであって、その構成上、一つの記事について一名の女性のエピソードを取り上げるものとなっていることが認められる。このような事実を踏まえると、本件記載@ないしB及びD自体には被控訴人の氏名等を特定する記載はないとしても、一般読者には、本件記事全体が被控訴人に関するものと受け止められることが明らかである。 したがって、控訴人の上記主張は、採用することができない。 (2) 本件広告の名誉毀損性 ア 確かに、証拠(乙4、5、6の1及び2)によれば、本件広告にはいずれも「『裸婦画はセクハラ』と取り外しを要求した無粋な女性弁護士」との記載がある一方で、被控訴人の氏名その他被控訴人をうかがわせる記載は存在しないことが認められる。 しかし、本件広告は、本件記事が掲載された本誌(本件記事)に興味を引き起こさせて一般消費者に本誌を購読させるための有力な手段であって、本件記事と離れて本件広告を考えることはできない。現に、本件広告により本件記事を含む本誌の内容が広く一般の消費者に宣伝・伝播され、それによってその購読数が増加している(公知な事実)。また、本件広告を見て本誌を購入した一般の読者は、本件広告の対象が本件記事の記載から被控訴人であることを認識し、同広告を見ないで本誌を購入し、本件記事の記載内容を読んだ読者も同広告を見てその対象が被控訴人であることを認識する。以上のとおり、本件広告と本件記事とは一体ともいうべきであって、そのいずれかを分断して考えることは相当ではなく、両者相まってその記載内容を踏まえるべきである。 そうすると、本件記事と相まって本件広告を読んだ一般の読者は、本件広告の記載から上記「女性弁護士」のことを被控訴人であると認識するというべきであるから、本件広告も本件記事と相まって被控訴人の社会的評価を低下させるものというべきである。 イ 控訴人は、被控訴人が、本件広告につき、本件記事とは別個に被控訴人の社会的評価を低下させるとして請求を構成しており、本件記事による名誉毀損としての不法行為とは別の侵害行為であって、訴訟物も異なると主張している。 しかしながら、被控訴人の主張は、前記のとおり(原判決6頁4行目から8行目まで本件記)、 事と本件広告とが一体不可分であり、本件広告もまた被控訴人についてのものであるというのであり、本件記事と本件広告とを別個のものと考えているわけではなく、一体不可分のものと考え、その一部である本件広告も名誉毀損部分が存在するというものであり、本件記事による名誉毀損としての不法行為とは別の侵害行為を主張しているわけではない(当裁判所も、本件広告による名誉毀損が、本件記事と別個の侵害行為(不法行為)であるとの主張であるとは理解していない。)。 また、控訴人は、本件広告が被控訴人の名誉を毀損するか否かは、公共機関の中吊り広告として、新聞紙上の広告として、又は、ホームページ上の広告として、本件広告を目にした一般の読者が、本件広告を目にした時点で、これにより、被控訴人の社会的評価を低下させる事実を読み取るか否かによって判断されるものであり、本件記事を読む読まないにかかわらず、本件広告により被控訴人の社会的評価が低下する場合でなければならないと主張し、最高裁判所昭和31年7月20日判決、東京高等裁判所平成10年12月22日判決を引用している。 しかしながら、上記判断に加え、本件広告(原判決添付別紙4、5、6の1〜3)の内容は、本誌の目次と(ほぼ)同一内容であり(甲1の2枚目)、しかも、控訴人が主張するように、本件広告が、本件記事が掲載された本誌の宣伝のために読者の注意を引くように作成されたものであることからすると、上記のとおり、本件広告は、本誌(本件記事)と離れて考えることはできないというべきである。すなわち、本件広告は、それ自体独立して存在することに意義はなく、本件記事と本件広告を分断して考えることは相当とはいえないから、本件記事と一体(不可分)の関係にあるものということができる。そうであるとすると、本件広告それ自体からは、そこに記載されている「女性弁護士」が被控訴人であると一般の読者が認識することはできないとしても、本件記事とあいまって本件広告を読んだ場合、一般の読者は、本件広告にいう「女性弁護士」とは被控訴人であると認識するものというべきであり、本件広告も本件記事とあいまって被控訴人の社会的評価を低下させるものというべきである。そして、控訴人が指摘する上記最高裁判決は、名誉毀損性の判断基準を示したものであるし、上記東京高裁判決は、当該記事の名誉毀損性を判断するについて、当該記事が掲載されている書物とは別個独立の書籍等を考慮すべきでない旨判示したものであり、本件とは事案を異にするものというべきである。 よって、控訴人の主張は理由がない。 2 争点2(本件記事及び本件広告について名誉毀損の違法性阻却事由等が存在するか)について (1) 本件記事のうち、本件記載@ないしEは、上記認定にかかるその記載内容からして、いずれも事実の摘示を含むものであることは明らかというべきである。ところで、事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、その行為には違法性がなく、仮にその事実が真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁判所昭和41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁、最高裁判所昭和58年10月20日第一小法廷判決・裁判集民事140号177頁参照)。 (2) そこで、本件記事について違法性阻却事由等があるか否かを検討する。 ア 公共の利害に関する事実 証拠(甲1、14、乙1、2の1及び2、乙3、11、16)及び弁論の全趣旨によれば、本件裸婦画は、裸の女性が立つ姿を描いた「R」と題された50号の絵画で、大阪府出身の日本画家B画伯の作品であること、同画伯の代表作品である「S」はQ市美術館が所蔵し、同じく代表作品である「T」は首相官邸に飾られている等、同画伯の作品はその芸術性が高く評価されていること、本件裸婦画は、長期間にわたり、旧会館の役員室に展示されていたこと(本件裸婦画を新会館の役員室に展示するか否かが議論される前に、本件裸婦画の展示が問題とされた形跡は見当たらない。)、平成14年10月31日のP新聞大阪版夕刊紙上において「アート?セクハラ?」「裸婦画、意見真っ二つ」「L弁護士会館」との見出しのもと、本件裸婦画の写真を掲載しつつ、これを新会館に飾ることの是非についてL弁護士会内で議論されているという内容の記事が掲載されたこと、このP新聞の記事を読んだ読者から同新聞社に複数の投書が寄せられたことが認められる。 ところで、本件裸婦画は、B画伯の高い芸術性を有する作品であると考えられるところ、本件記事は、このような高い芸術性を有すると考えられる本件裸婦画であっても、それが裸婦画であるがゆえに新会館のような公共的な場所で展示することの是非をめぐって弁護士会内でも意見が分かれていることを内容とするものであるばかりではなく、本件記事とその対象を同じくする記事が本件記事が公表される少し前に新聞紙上でも報道され、これに対して複数の読者から投書が寄せられていたこと、さらには、弁護士の職務及び弁護士会の社会的役割等を併せて考慮すると、本件記事で取り上げた内容は、社会の正当な関心事であるというべきであって、公共の利害に関する事実に係るものというべきである。 イ 公益を図る目的 証拠(乙21)及び弁論の全趣旨によれば、本件記事の担当デスクであるDは、本件裸婦画のように芸術性の高い絵画について、新会館のような公共の場所に飾ることがセクハラに当たるという考え方に疑問を抱いたことから、この点について世間に問題提起すべきである等と考えていたことが認められる。そうすると、本件記事の掲載は、専ら公益を図る目的でなされたものということができる。 被控訴人は、本件記事が被控訴人を個人的に揶揄、中傷するものであり、被控訴人の名誉・信用を著しく低下させる記載の仕方を施しているのみならず、被控訴人の実名だけでなく、わざわざ顔写真まで掲載して「無粋な女性弁護士」が被控訴人であることを明らかにして攻撃していることに照らせば、本件記事が「専ら公益を図る目的」で掲載されたものでないことは明らかであると主張している。 しかしながら、本件記事に表現上の問題があるにせよ、上記のとおり、本件記事が公共の利害に関する事実にかかるものであり、本件記事の担当デスクであるDが、上記認定のような動機から本件記事を掲載することとしたことに照らせば、本件記事の掲載は、専ら公益を図る目的でなされたものといって差し支えなく、ほかに被控訴人主張の事実を認めるに足りる証拠はないから、被控訴人の主張は採用できない。 ウ 真実性 (ア) そこで、本件記事の本件記載@ないしEにおいて摘示された各事実が真実であるか否か検討する。 なお、控訴人は、本件記事は、被控訴人が本件裸婦画を弁護士会館に飾ることはセクハラに該当するとの意見を持っており、これを弁護士会の内外に表明したこと、そのような意見は絵画の専門家や弁護士会において多数の会員の賛成するところではないという事実を中核とするものであるから、同事実について真実性の証明がなされた場合には、控訴人は不法行為責任を免れるべきである旨主張する。しかし、真実性により違法性が阻却されるためには、上記のとおり、摘示された事実のうち、重要な部分について真実であることの証明が必要であるところ、本件記事の重要な部分は、被控訴人が、本件裸婦画の取り外しを要求したこと及び本件裸婦画を新会館に展示することを止めるよう要求したこと、その理由がセクハラの危険があるということ、被控訴人の言動がL弁護士会の本件会務懇談会の出席者等の嘲笑の的となっていることなど、本件記載@ないしEであるというべきであり、控訴人が主張する上記の点のみをもって本件記事の重要な部分であるとは到底いえず、その部分の真実性が証明されたとしても、そのことにより、違法性が阻却されるとは言い難いといわなければならない。そこで、以下、本件記事の重要な部分である本件記載@ないしEにつき、真実性の証明があったといえるか否かについて検討する。 (イ)a 本件記載@について 本件記載@は、被控訴人が、L弁護士会に対し、本件裸婦画を新会館に飾ることはセクハラに当たるから取り外すべきであると要求したとの事実を摘示するものである。 証拠(甲13、証人C、被控訴人本人)によれば、被控訴人は、本件会務懇談会に出席することができなかったため、その会に先立ち、L弁護士会に対して、本件裸婦画についての記載のある本件意見書を提出したこと、本件意見書には「この裸婦像を、新会館に移すべきか、移すとしたらどこに飾るべきか、につきましては、現在、U委員会に意見照会をしていただいており、同委員会におきましては、8月、9月の委員会において検討、意見交換を行い、委員会として意見書を作成する予定であります。以上の進行状況でありますので、この会務懇談会におきましても、問題点として指摘をしていただけましたら幸いです。」との記載をする等、被控訴人個人の意見ではなく上記委員会で提出された意見を紹介しているにとどまることが認められる。以上の事実を踏まえると、被控訴人は、その当時、L弁護士会に対して、本件裸婦画の新会館への展示について、U委員会で議論しているところであるため、本件会務懇談会においても問題点の指摘をしてもらいたい旨述べていたにとどまるのであって、それ以上に、被控訴人が本件裸婦画の新会館への展示について個人的な意見を述べていたということはないし、また、上記内容の本件意見書を提出したことをもって、被控訴人自身の意見として本件裸婦画の「取り外しを要求した」ということも困難であり、ほかに、本件記載@に摘示された上記事実が真実であると認めるに足りる証拠はない。 控訴人は、本件意見書を提出したとの事実から、被控訴人が本件絵画を弁護士会の役員室に展示することはセクハラにあたるので反対であるとの意見をL弁護士会全体に表明したことにほかならない旨主張する。しかし、本件意見書は、わざわざ委員会の意見としての形式が取られていることからすると、上記意見書を提出したことを被控訴人個人の意見の表明と解することは困難である。 控訴人は、本件意見書作成名義が被控訴人個人名義であること、U委員会では、平成14年8月〜10月は本件裸婦画についてほとんど議論していないし、また、本件裸婦画を見たことがなく、議論ができない委員がほとんどだったのに、あえて否定的な意見のみを記載していることを根拠に、被控訴人が本件意見書をもって、U委員会の意見の紹介という形をとって、本件裸婦画が新会館に飾るにふさわしくないとの意見を述べたものであると当審において主張している。しかし、証拠(甲31、被控訴人本人4頁以下)によると、平成14年9月30日の委員会では本件裸婦画について議論がされており、その際の議論を踏まえ被控訴人が上記委員会の委員長であったことから、その担当として意見書を提出したものであることなどの事情に照らすと、上記意見書を提出したことを被控訴人個人の意見の表明と解することは困難であるとの認定は正当というべきであり、控訴人の上記主張は採用できない。 b 本件記載Aについて 本件記載Aは、本件裸婦画を新会館に飾ることはセクハラに当たるから取り外すべきであるとL弁護士会に対し要求した被控訴人の行為が、弁護士会等被控訴人の周囲の人々から嘲笑の対象になっているとの事実を摘示するものである。ところで、証拠(乙16、17、20、証人E)によれば、Eは、脚本家であるF(以下「F」という。)、M美術館の学芸課長であるG(以下「G課長」という。)、L弁護士会の会員であるH弁護士(以下「H弁護士」という。)等に取材を行ったこと、これらの人物は、本件裸婦画をセクハラを理由として新会館に展示することは適切ではないとの意見には強く否定的であったことが認められるが、そのことから直ちに、被控訴人の言動が嘲笑の対象になっているとまで推測することは困難であって、ほかに本件記載Aに摘示された上記事実が真実であると認めるに足りる証拠はない。 c 本件記載Bについて 本件記載Bは、被控訴人の元同僚弁護士が、控訴人の記者に対し、被控訴人が本件裸婦画について本件記載@のような意見を持っていることを前提として、「そんな彼女の問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた。」と発言したとの事実を摘示するものである。ところで、証拠(乙18、証人E)によれば、Eは、被控訴人と司法修習が同期であるとする弁護士に対して取材したところ、同弁護士は、この取材に対して、「こういうことを言う人がいると聞いても、私は余りびっくりはしませんな。」、あるいは「ああ、あの人だったら言いそうだなあ、元気なお人だから言うかもしれへんと思いますよ。」と述べていることが認められる。そうすると、上記弁護士は、「驚いた」ということとはむしろ逆の内容の返答をしていたというべきである。そのことに加えて、Eの作成した上記原稿(乙18)にも、同弁護士が「そんな彼女の問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた。」旨の発言をした旨の記載はない。以上のことを踏まえると、本件記載Bに摘示された上記事実が真実であると認めることができず、ほかに同事実が真実と認めるに足りる証拠はない。 d 本件記載Cについて 本件記載Cは、本件会務懇談会の会場において、被控訴人が1枚の文書を配布し、本件裸婦画を新会館に展示するのは女性へのセクハラに当たると主張したとの事実を摘示するものである。ところで、被控訴人は、本件意見書で本件会務懇談会が開催された当時には、本件裸婦画の新会館への展示についてはU委員会で議論しているところであるため、本件会務懇談会においても問題点の指摘をしてもらいたい旨述べていたにとどまるのであって、それ以上に、本件裸婦画の新会館への展示について個人的な意見を述べていたことがないことは上記2(2)ウ(イ)aで認定したとおりである。同事実に被控訴人が本件会務懇談会に出席していなかったことを踏まえると、本件記載Cに摘示された上記事実が真実であると認めることができず、その他、同事実が真実と認めるに足りる証拠はない。 e 本件記載Dについて 本件記載Dは、本件会務懇談会の30人ほどの出席者が被控訴人の本件記載Cにかかるような主張に対し困惑したとの事実を摘示するものである。そもそも被控訴人が本件会務懇談会において本件記載Cに摘示されたような主張をした事実を認めることができないことは上記2(2)ウ(イ)aで認定したとおりである。また、証拠(乙14、証人C76項)及び弁論の全趣旨によれば、本件会務懇談会においては本件意見書が配布はされたものの、本件裸婦画については特に議論されなかったことが認められる。以上の事実を踏まえると、本件会務懇談会の出席者が被控訴人の上記のような主張に対して困惑するという事態は起こり得る余地がなかった。したがって、本件記載Dに摘示された上記事実が真実であると認めることはできず、その他、同事実を真実と認めるに足りる証拠はない。 f 本件記載Eについて 本件記載Eは、被控訴人は「裸=セクハラ」という考えを持っているとの事実を摘示するものであるが、これを認めるに足りる証拠はない。したがって、本件記載Eに摘示された上記事実を真実を認めることはできない。 控訴人は、被控訴人は原審において、「理事者室といえども、職場の一部であり、不快感を有する者が存在する場合に掲示するのは問題ではないか」との意見や、「ロビー等では不可、理事者室なら可というのは一貫していない」との意見と被控訴人の意見は同じだと思うと供述したのであるところ、上記意見は、本件裸婦画を弁護士会の理事者室に展示することはセクハラに当たるとの基本的な見解に立って理解できるものであり、被控訴人が本件意見書を出した時点で、裸婦画を弁護士会の理事者室に展示することはセクハラに当たるとの意見を持っていたことを自認しているものであると当審において主張している。しかし、被控訴人が上記のような供述をしたとしても、それをもって、被控訴人が、「裸=セクハラ」という考え方を有しているということにはならず、控訴人の独自の見解・解釈としかいうほかない。 (ウ) 以上によれば、本件記事のうち、本件記載@ないしEにおいて摘示された各事実及び本件記事において、控訴人が論評の対象と主張する「被控訴人がその芸術性のいかんにかかわらず、本件裸婦画が裸婦画であるがゆえに新会館内に展示することがセクハラに当たるという意見をもち、これを弁護士会に表明した」という事実は、いずれも真実であるということはできない。 (エ) 控訴人は、名誉毀損性を判断するについては、本件記事を1つの記事として捉えているにもかかわらず、真実性を検討するについて、本件記載@ないしEを個別に検討することは矛盾であると主張している。 しかしながら、本件記事の重要な部分が、本件記載@ないしEであると考えられるところ、真実性の証明は、本件記事の重要な部分が対象となることは上記のとおりであって、そうであるとすると、本件記事の重要な部分と考えられる本件記載@ないしEの真実性につき、個別に検討することは当然のことであり、本件記事の名誉毀損性を判断するについて、1つの記事として捉えることとなんら矛盾するものではないから、控訴人の主張は理由がない。 エ 相当性 (ア) そこで、次に、控訴人が、本件記事において摘示された事実及び本件記事においてなされた論評の前提とされた事実の重要な部分を真実と信じたことに相当の理由があるか否か検討する。 証拠(乙11、15ないし22、証人E)及び弁論の全趣旨によれば、Eが本件記事に関して以下のとおりの取材等を行ったことが認められる。 a Eは、平成14年11月14日に行われた編集会議の後、本件記事についての取材を行うよう、本件記事の担当デスクであるDから指示を受けた。 b 本誌の前の週の号である「K」平成14年11月21日号には、原稿廃棄物と「」いうコーナーにおいて、「L弁護士会館の『裸婦はセクハラ』騒動」という見出しの下、本件記事の内容に関連するような記事(以下「本件関連記事」という。)が掲載されていた。本件関連記事では、本件裸婦画を新会館に飾るか否かについての問題を提起した人物は「女性弁護士数人」であると記載されている。 Dは、本件関連記事の担当デスク及び担当記者と打合せを行った上で、Eに対し、上記「女性弁護士」が被控訴人であること、同記事の際に取材に応じた男性弁護士がC弁護士であること等を伝え、上記取材の指示をした。 c Eは、同日夜、C弁護士へ電話をかけ、取材を行った。 d Eは、同月15日、Qに赴き、L弁護士会館において同会館のI事務長と面談した。 e Eは、同日昼ころ、取材の申し込みをするため、被控訴人及びほか2名の女性弁護士に電話をかけたところ、被控訴人及び1名の女性弁護士は不在であったが、もう1名の女性弁護士が所属する弁護士事務所の事務員は、Eに対し、同女性弁護士は「Aさんがやっていることで、うちは関係ない。」と言っている旨の発言をした。 f Eは、同日、M美術館のG課長に対し、電話で取材を行った。G課長は、Eに対し、本件裸婦画の作者であるB画伯の略歴や同氏の作品の芸術性の高さについて述べた上、「そんな人が描いた絵を『セクハラ』ですか。」、「芸術に対して余りに理解が無いような気がしますわ。」等と述べた。 g Eは、同日、いわゆる全国紙のQ支局の記者に対しても、本件裸婦画を新会館に飾ることに関する問題の現地での受け止められ方等について取材したところ、同記者は、Eに対し、上記問題はQではさほど話題になっていないこと、Qはいわゆる革新系の弁護士が多い土地柄であること等を述べ、コメントが得られそうな弁護士の名前を伝えた。 h Eは、同日、上記の情報に基づいてL弁護士会所属の弁護士数人に電話で取材を行った。同取材に応じたH弁護士は、Eに対し、上記問題については、「っきり言って、弁護士が議論するような話じゃないね。」、「今回の話はその絵が特定の人に向けられた性的な嫌がらせでないというのは明らかですね。法律家の発言としては、根拠の厳格性に乏しいですし、そういう意味では節度の無いものだと感じます。」等と述べた。 i Eは、同日、被控訴人と司法修習が同期であった弁護士3人に対しても電話で取材を行った。3人のうち2人は不在であったが、内1人は匿名を条件に取材に応じ、Eに対し、「A先生は、女性問題について一所懸命な方だと聞いています。」等と述べた。 j Eは、同日、被控訴人に直接会って取材を行おうとしたが、会うことができなかった。そこで、Eは、Dに連絡をしたところ、被控訴人については東京へ帰ってから電話で取材を行えばよいとの指示を受けたため、同月16日、東京に戻り、Dに取材結果を報告し、データ原稿を作成して提出した。 k 同日午後9時ころ、Eは、控訴人編集部から被控訴人の自宅に電話をかけた。 l Eは、Dの指示を受け、脚本家のFに電話で取材を行ったところ、同人は、Eに対し、上記問題について、「言葉が見つからないくらいバカな話だよ。」等と述べた。 m Dは、Eの上記取材結果を基に、本件記事を執筆した。 n なお、Eは、上記取材を通じて被控訴人が本件会務懇談会に提出した本件意見書を入手することはできなかった。 (イ) 以上を前提に、控訴人が本件記載@ないしEを真実と信じたことについて相当の理由があるか否かを検討する。 a 本件記載@について 本件記載@の事実について、上記2(2)エ(ア)で認定した事実からすると、控訴人は、被控訴人が、L弁護士会に対し、本件裸婦画を新会館に飾ることはセクハラに当たるから取り外すべきであると要求したとの事実を摘示しながら、その要求したとされる本件意見書を入手しないまま本件記載@をしたものであるし、また、本件関連記事においても、本件裸婦画をL弁護士会館に飾るか否かについての問題を提起した人物は「女性弁護士数人」であると記載されていて、Eもこれを認識しつつ取材を行ったにもかかわらず、法律事務所の事務員の上記発言のみから被控訴人のみが上記摘示にかかる要求を行ったものであると軽信してそのように記載したものであるというべきである。以上の事実を踏まえると、控訴人が本件記載@を真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。 b 本件記載Aについて 本件記載Aの事実について、Eが取材を行った人物のうち、G課長、H弁護士及びFは、本件裸婦画を新会館に飾ることが「セクハラ」にあたるという考えには強く否定的であったことが認められるが、そのことから直ちに、被控訴人が嘲笑されているとまで推認することは困難である。そうすると、控訴人が本件記載Aを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。 c 本件記載Bについて 本件記載Bの事実について、証拠(乙18、証人D)によれば、上記エ(ア)iで認定した匿名で取材に応じた弁護士がEの取材に対しそう思うと、「、ああ、あの人だったら言いそうだなあ、元気なお人だから言うかもしれへんと思いますよ。けれど全く、何にも意味の無い話ですわなあ。」と発言していたこと、Dは、同表現から、本件記載Bのとおり上記弁護士が被控訴人の問題提起に驚いた旨記述したことが認められる。しかし、証拠(乙18)によれば、上記弁護士は、Eの取材に対して、本件記載Bに記述されたような趣旨の発言をしたことはなく、かえって、「私は余りびっくりはしませんな。」との発言をしていることが認められる。同弁護士の同発言自体も、仮に被控訴人がそのような意見を持っており、これに沿った発言をしていたとしても予測ができるという趣旨のものであって、同発言から同弁護士が驚いていたと記述することは必ずしも当を得ない。以上のことを踏まえると控訴人が本件記載Bを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、その他、それを認めるに足りる証拠はなく、かえって、控訴人は、上記弁護士に対する取材結果に基づかない事実を記載したといわざるを得ない。 d 本件記載Cについて 本件記載Cについて、Eは、C弁護士が、「被控訴人が、会務懇談会において本件意見書を配ったそうだ。」と述べた旨供述する(証人E167項等)けれども、証拠(証人C13項)及び弁論の全趣旨によれば、C弁護士は、本件会務懇談会に出席しており、自ら本件意見書を出席者に配布したことが認められ、このような経過を踏まえるとC弁護士が上記のような発言をすることは考えられず、Eの同供述はにわかに採用することはできない。ほかに控訴人が本件記載Cを真実であると信じるについて相当の理由があったと認めるに足りる証拠はない。かえって、証拠(証人E244項)によれば、E自身、被控訴人に対する取材の際に、被控訴人は、会務懇談会に出席していないのではないかと思っていたことが認められる。そうすると、控訴人が本件記載Cを真実であると信じたことについて相当の理由があるということはできず、かえって、控訴人は、真実ではないと考えていながら、あえてあたかも真実であるかのように記載したものというほかない。 e 本件記載Dについて 本件記載Dについて、E自身、被控訴人に対する取材の際に被控訴人は会務懇談会に出席していないのではないかと思っていたことは上記認定したとおりである上、証拠(乙14)によれば、Eが作成したC弁護士に対する取材のデータ原稿にも本件会務懇談会ではとくに議題には「ならなかったそうです。」との記載があるが、本件会務懇談会の出席者が困惑した旨の記載は一切存在しないことが認められる。以上の事実を踏まえると、控訴人が本件記載Dを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はなく、かえって、控訴人は、本件取材結果を独自に解釈し、想像した事実を記載したものというべきである。 f 本件記載Eについて 本件記載Eについて、Eは、被控訴人に対し取材を行ってはいるものの、証拠(乙19)によれば、その際、被控訴人が本件意見書を配布した経緯についてやり取りがあったのみで、特に被控訴人に対して被控訴人のセクハラに対する考え方について議論したり、これを確認したりしたことがなかったことが認められ、ほかに被控訴人が本件記載Eが摘示するような考え方を持っていると信じることについて相当の理由があったことを認めるに足りる証拠はない。以上の事実を踏まえると、控訴人が本件記載Eを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はなく、かえって、控訴人は、Eの上記認定した取材結果を独自に解釈して被控訴人の意見を作り上げたものというべきである。 (ウ) そうすると、控訴人が本件記載@ないしEにおいて摘示した事実のいずれについても、真実と信じたことに相当の理由があるということはできない。したがって、本件記事による控訴人の名誉毀損行為について、違法性阻却事由等は存在しないというべきである。 3 争点3(損害額及び謝罪広告の要否)について (1) 損害額について ア 慰謝料 被控訴人が本件記事による名誉毀損により被った精神的苦痛に対する慰謝料の額を検討する。 (ア) 事実の真実性・相当性の程度 本件記事のうち、本件記載@ないしEは、いずれも真実と認めるに足りる証拠がない上、逆に真実ではないというべき記載も存在し、控訴人が本件記載@ないしE記載の各事実について真実であると信じたことについて相当の理由も認めることができない。かえって、本件記事の中にはE自身の取材を通じて得られた内容と相違する事実をあたかも真実であるかのように記載されたものも存在することは上記2(2)ウ(イ)で認定説示したとおりである。以上のことを踏まえると、控訴人の上記名誉毀損行為等の違法性は軽視することはできない。 (イ) 本件記事の流布の程度 控訴人は、本誌について新聞、公共交通機関内及びホームページ上に本件広告をし、同広告が全国規模で行われていたことは上記第2の1(3)ウで認定したとおりである。また、証拠(甲18ないし20、乙6の1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば、Kは定価がおよそ300円であり、1つの号について約72万部を全国で発行していること、本誌発行当時、インターネットの雑誌紹介に被控訴人の氏名と本件記事のタイトルが掲載され、被控訴人の氏名で検索すると記事の紹介がなされる状態であったこと、「Jのメールマガジン」というホームページにも本件記事がそのまま掲載されていたことが認められる。以上の事実を踏まえると、本件記事は全国に広く流布し、これに伴って被控訴人の被った精神的損害も拡大したというべきであるのに対し、他方、控訴人は、本誌の売上げにより相当程度の利益を上げたものと推認され、それを覆すに足りる証拠はない。 (ウ) 被控訴人の被った具体的な不利益 本件記事は、被控訴人の氏名や弁護士という職業を特定した上、その顔写真をも掲載していること、被控訴人やあるいは控訴人が被控訴人の言動として取り上げた事実について「無粋」、「短絡的で幼稚な主張」等と表現していることは上記認定のとおりであったところ、被控訴人は、本件記事により社会的評価を低下させられたほか、証拠(甲1、2、21ないし28、被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件記事が掲載された平成14年11月当時、被控訴人は、L弁護士会の綱紀委員であったが、本件記事の読者と思われる者から被控訴人を対象者としてL弁護士会に対し、被控訴人が「L弁護士会館に飾られている裸婦画について、『セクハラになるので新館には展示するな』と発言したようであるが、同発言は、男女差別、女尊男卑であ」る等として懲戒申立てがなされ、被控訴人は、答弁書の作成等を余儀なくされたこと、被控訴人は、本件記事によって受けた精神的苦痛により、事実上弁護士業務を停止していた時期もあったことが認められる。 ところで、控訴人は、懲戒申立てがあったからといって被控訴人に損害が発生したとはいえない旨主張する。しかし、弁護士は、その職務の性質上、懲戒の申立てをされること自体でその職務上の信用等に事実上あるいは心理上の影響が全くないとはいえないし、当時被控訴人がL弁護士会の綱紀委員であり、懲戒申立ての相当性を審査すべき立場にあったことは上記認定のとおりであったことも考慮すると、控訴人の上記名誉毀損行為による損害額の算定にあたって、かかる事実を考慮しないことは相当ではないというべきである。 (エ) 上記認定した本件記事の表現や構成の態様、それによる名誉毀損行為の違法性の程度、被控訴人の被害の程度、他方、控訴人が本誌の発行により得ている利益及びその他本件に現れた一切の事情を総合すると、被控訴人が本件記事の名誉毀損により被った精神的苦痛に対する慰謝料としては300万円が相当である。 イ 弁護士費用 弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、本件訴訟を提起し、本件訴訟追行を弁護士に委任したと認められるところ、上記慰謝料の認容額その他本件に現れた諸般の事情を考慮すれば、控訴人の行為と相当因果関係がある損害として弁護士費用30万円を認めるのが相当である。 (2) 謝罪広告について 本件記事は、一応公益を図る目的により掲載されたことが認められること、既に本件記事が掲載されてから一定程度の時間が経過していること、控訴人に対して330万円にのぼる慰謝料等の支払を命じることにより、被控訴人の名誉の回復は相当程度可能であると考えられること、その他本件に現れた諸般の事情を考慮すれば、上記慰謝料等の支払いを命じる以外に、被控訴人の名誉を回復するために謝罪広告を必要とするとまで認めることはできない。 第4 結論 以上によれば、被控訴人の請求は、330万円及びこれに対する平成14年11月28日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限度で認容し、その余は理由がないから棄却すべきところ、これと結論を同じくする原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。 大阪高等裁判所第2民事部 裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 小原卓雄 裁判官 吉岡真一 |
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