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【事件名】『図説江戸考古学研究辞典』の著作権侵害事件 【年月日】平成18年3月23日 東京地裁 平成17年(ワ)第10790号 著作権侵害差止等請求事件 (平成18年1月18日 口頭弁論終結) 判決 原告 亡A訴訟承継人B 訴訟代理人弁護士 柳原敏夫 被告 柏書房株式会社 訴訟代理人弁護士 北村行夫 同 大井法子 同 杉浦尚子 同 雪丸真吾 同 芹澤繁 同 亀井弘泰 同 田部井宏明 同 大藏隆子 同 吉田朋 主文 1 被告は、別紙原告絵画目録2及び3の各絵画の複製物を掲載した別紙書籍目録記載の書籍を増刷し、又は販売し若しくは頒布してはならない。 2 被告は、別紙書籍目録記載の書籍の258頁における別紙原告絵画目録2及び3の各絵画を掲載した部分を廃棄せよ。 3 被告は原告に対し、金28万8888円及びこれに対する平成17年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 4 原告のその余の請求をいずれも棄却する。 5 訴訟費用は、これを10分し、その1を被告の、その余を原告の負担とする。 6 この判決は、第3項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 原告の請求 1 被告は、別紙書籍目録記載の書籍を増刷し、又は販売し若しくは頒布してはならない。 2 被告は、別紙書籍目録記載の書籍を廃棄せよ。 3 被告は原告に対し、金1231万1108円及びこれに対する平成17年6月7日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 本件は、別紙原告絵画目録1ないし4の各絵画(以下、それぞれ「原告絵画1」、「原告絵画2」のようにいい、各絵画を総称して「原告各絵画」という。)を描いた亡A(以下「亡A」という。)が、被告が発行する別紙書籍目録記載の書籍(以下「被告書籍」という。)において、原告各絵画を亡Aに無断で複製し、原告絵画1については、その一部のみを切り取って使用したのみならず、亡Aの氏名を表示しなかったこと、及び、被告が、その後の交渉において不誠実な態度を取り、亡Aに精神的苦痛を与えたとして、被告に対し、原告各絵画の著作権侵害及び原告絵画1についての著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)侵害に基づく損害賠償請求として合計1231万1108円の支払並びに被告書籍の発行、販売差止め等を求めている事案である。 亡Aは、本件訴訟係属中に死亡し、原告が本件訴訟を受継した。 1 前提となる事実(当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定し得る事実。証拠により認定した事実については、該当箇所末尾に証拠を掲げた。) (1) 当事者 ア亡Aは、昭和14年、東京美術学校日本画科を卒業後、挿絵の仕事をした後、40年にわたり、江戸風俗の研究家として、資料画の制作を行っていた。亡Aは、昭和38年5月ころから平成15年ころまでの間、順次、「江戸商売図絵」、「江戸吉原図聚」、「江戸物売図聚」、「江戸庶民風俗図絵」、「明治物売図聚」、「江戸職人図聚」、「江戸年中行事図聚」、「江戸見世屋図聚」をそれぞれ執筆刊行するなどした。亡Aは、昭和48年、「江戸吉原図聚」で第1回日本作家クラブ賞を、昭和62年、「江戸庶民風俗図絵」、「江戸職人図聚」等で第21回吉川英治文化賞を受賞した。 亡Aは、本件訴訟提起後である平成17年6月15日に死亡し、亡Aの長男である原告は、遺産分割協議の結果、亡Aが有していた著作権と本件の損害賠償請求権を取得し、本件訴訟を受継した。 イ被告は、一般書・専門書・辞事典・資(史)料集の出版・販売を業とする株式会社である。 (2) 亡Aによる各絵画の制作 ア亡Aは、別紙原告絵画目録1ないし4記載の各絵画を制作した。 原告絵画1は、上記「江戸商売図絵」(昭和50年7月30日発行)に、原告絵画2は、上記「江戸物売図聚」(昭和50年7月20日発行)に、原告絵画3は、上記「江戸商売図絵」(昭和38年5月25日発行)に、原告絵画4は、上記「江戸庶民風俗図絵」(昭和50年11月30日発行)に、それぞれ収録された(甲37〔枝番省略。以下同様とする。〕〜40)。 イ亡Aは、原告各絵画を、いずれも江戸時代に制作された別紙本件原画目録1ないし4の各浮世絵(以下、それぞれ「本件原画1」のようにいい、各原画を総称して、「本件各原画」という。)を参考にし、それらを模写して作成した。 (3) 被告による原告各絵画の使用 ア被告は、平成13年4月25日ころ、被告書籍を発行した。被告は、原告絵画1を被告書籍186頁に、原告絵画2及び3を被告書籍258頁に、原告絵画4を被告書籍360頁に、それぞれ掲載した。 イ被告は、被告書籍において、原告絵画1については、その一部を切り抜いて掲載しており、同絵画の下に、「『一刻価万両回春』寛政10年(1798)」と表示した。なお、被告は、原告絵画2の下に、「A『江戸物売図聚』(1979) 原典:享和3年(1803年)『怪談模々夢字彙』」と、原告絵画3の下に、「A『定本江戸商売図絵』(1986) 原典:文政頃(1818〜30年)『略画職人尽』」と、原告絵画4の下に、「陶器の蚊遣り松葉がくべてあるA『江戸庶民風俗絵典』(1970)」と、それぞれ表示している。(甲18) 2 争点 (1) 原告各絵画の著作物性(原告の主位的主張:争点1) (2) 原告各絵画の著作物性(原告の予備的主張:争点2) ア原画と模写作品の差異を前提とする模写作品の創作性(争点2−1) イ原告絵画1の著作物性(争点2−2) ウ原告絵画2の著作物性(争点2−3) エ原告絵画3の著作物性(争点2−4) オ原告絵画4の著作物性(争点2−5) (3) 被告書籍の販売等差止めの必要性(争点3) (4) 原告絵画1の著作者人格権侵害の成否(争点4) (5) 原告の損害(争点5) 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点1(原告各絵画の著作物性・原告の主位的主張)について (原告の主張) (1) 模写作品における創作性について ア著作権法において著作物性を認める要件である創作性は、他に類例がないとか完全に独創的であるという程度にまで独自性が要求されるものではなく、著作者の個性が著作物の中に何らかの形で現れていれば十分である。 絵画を描くという造形と色彩による表現行為には、極めて個性が現れやすいものであり、手描きのものであれば、その形象のうちに個人的特性を有しているものと解してよいから、例えば、50人の生徒が同一の静物を写生すれば、同じような絵が50とおり描かれるとしても、それぞれが創作性を有する別個の著作物として保護される。 イ模写とは、一般に「他人の著作した絵画または写真の著作物を、自分の筆で構図をそのままに描写すること」をいう。しかし、画家が名画の模写を行う場合は、単純な複製物を制作するのではなく、画家の全人格を打ち込んで対象となる原画を観察し、表現手法等を選択し、描写しているものである。風景や人物などの「対象をそのままに写しとること」を目的とする写生と模写とは、模写が過去の作品の主題や構図を対象としてとらえる点で、その対象が異なるにすぎないから、模写作品の創作性もまた、写生作品の創作性と同様に考えることができる。 ウもっとも、どの表現を選ぶかについて選択の幅がなければ、もはや誰が表現しても必然的に同じ表現となってしまうから、創作性が認められるためには、その前提として、表現における選択の可能性が必要である。完全な模写模造、すなわち、ガラス板をおいて丹念に技術的に模写するだけのような機械的模写は、表現上の選択の余地がないまま再現行為が完了してしまうから、創作性が認められず、原画の単なる複製物というべきである。 しかし、機械的模写ではなく、原画を横において、模写制作者自身の手でまねて描いた場合には、いかに模写作品が原画そっくりであったとしても、それは模写制作者が多様な選択肢の中から一つの表現を選択した結果というべきであるから、すべて創作性を認めることができるものである。亡Aが浮世絵を模写した絵画の複製権侵害を認めた裁判例(以下「新橋玉木屋事件」という。)も、原画をそのまま機械的に模写したものではないことを理由に模写作品の創作性を認めている。なお、被告は、判例研究者の多くは、同事件一審判決は、亡Aの描いた絵の著作物性の有無という論点を見落としたと指摘していると主張する。しかし、亡Aは、同事件においても、著作物性について本件と同様の主張をしていたのであるから、同事件一審判決が著作物性について考慮していないはずがない。 エ上記結論は、模写の制作過程からも明らかである。 模写作品は、通常、@模写制作者が、原画を自らの目により認識する行為と、Aその認識を模写作品に再現する行為という各過程を経て制作される。一般に、絵は、それを見る人の「個性、好み、洞察力」などに応じて、その姿を変えるものであるから、@の認識行為において、既に、各自の目に映る絵もそれぞれ異なることになる。さらに、Aの再現行為は、シャッターを押す一瞬で再現行為が完了してしまう写真撮影とは異なり、終了までに一定の時間を要するから、再現行為の間、模写製作者は、絶えず原画と向き合うことにより自己の認識を新たにし、修正し、新たな認識に基づいて新たな再現行為を行う(@認識行為とA再現行為間の往還)。A再現行為段階においても、「忠実な再現」とは、あくまでも様々な個性を持った各模写制作者にとっての「忠実な再現」にほかならず、結局、模写する者の数だけ異なった再現行為が存在することになる。そのため、仮に模写制作者の目に映った絵が同一で、かつ、模写制作者の技量が同一であっても、ほぼ同じ絵がそれぞれ再現されるわけではない。したがって、模写制作においては、@認識行為及びA再現行為の各過程において、原則として模写制作者の創作性が発揮されているものというべきである。 オ美術界における理解も同様である。 a) 多くの傑出した模写を描いた横山大観は、自伝において、模写とは、各模写制作者自身の個性、好み、洞察力、技量などに応じて独力で、原画の@認識行為とA再現行為を行うものであるという趣旨を述べているし、美術研究家も、模写の創作性及びその芸術的価値について、同様の指摘をしている。横山大観や菱田春草らが自らの芸術追求のため盛んに模写を行うことにより精神性や技術を学び、それが後年の数々の名作を生み出す原動力となったことは、美術界においてよく知られていることである。 b) 模写制作における創作性の付与に関しては、13世紀の水墨の名画である牧谿作の「鶴の絵」を原画とする横山大観の模写作品や、江戸初期の画家俵屋宗達の名画「風神雷神図屏風」を原画とする尾形光琳と酒井抱一の各模写作品について、それぞれ原画と各模写作品を比較すれば明らかである。例えば、尾形光琳と酒井抱一の各模写作品においては、風神・雷神の配置、雲の描き方、二神の描き方などにおいて、様々な相違点が見られるのみならず、尾形光琳は、二神、雲を丹念に描写し、立体感と力強い動きを描き出し、二神の後ろに広がる雄大な空間を表現しているのに対し、酒井抱一は、二神の全身を立体的に表現し、雷神の鮮やかな白、風神の暗く重厚な緑との明暗を際立たせて対照的に描き、さらに風の強さや雄大な空間より、二神を描くことに関心を集中させているのである。 尾形光琳の模写作品は、重要文化財としてその創作性が高く評価されている。模写は往々にして、他人の原画の単なるまねごとであってオリジナリティがないと思われがちであるが、むしろ、日本画界においては、模写の創作性及びその価値が正当に評価されているのである。 (2) 原告各絵画は、いずれも亡Aが本件各原画を横に置き、@認識行為及びA再現行為の各過程において自らの創作性を発揮して制作したものであるから、いずれもいわゆる機械的模写ではない。したがって、原告各絵画は、いずれも創作性が認められるものであり、著作物性を有する。 (被告の主張) (1) 模写作品における創作性について ア原告各絵画は、いずれも著作物性を有しておらず、原告各絵画の著作権(複製権)侵害の余地はない。原告の主張は、「機械的模写」でなければ複製権侵害にならないという独自の見解を前提としている点において失当である。 イ一般に、絵画の模写とは、原画の存在を前提として、可能な限り忠実にこれを再現することを意味するのであるから、その性質は、本来、原画の複製である。模写制作において、高度な描画技術が駆使されていても、そのような努力はまさしく原画における創作性の再現を目的とする活動であり、新たな創作性の付与とは無関係である。模写製作者の技量不足、原画認識の見落とし、意図的改変等の様々な理由により、再現行為の結果(模写作品)と原画との間に差異を生ずることがあっても、それらがいずれも枝葉の部分の差異にすぎず、原画と模写作品との間において表現上の実質的同一性が維持されている場合には、なお模写作品は原画の複製物である。 新たな創作性の付与が認められた場合、例外的に、翻案に当たり、二次的著作物になるにすぎない。そして、「翻案」とは、「原著作物に依拠し、新たに創作性を付与して新たな著作物を創作すること」を意味するから、その著作物性は原著作物により与えられるものではなく、模写作品は、新たな創作性の付与の結果として、全体が一個の新たな著作物となるのである。 この点、原告は、画家が模写を行う場合、単純な複製物をつくるのではなく、人格を打ち込んで観察し、選択し、描写しているのであるから、風景を対象として描き出す場合と同様に、原則として創作性が認められると主張する。しかし、模写作品に新たな創作性が付与されているか否かは、いかに模写制作者が模写に当たって「額に汗をかいたか」ではなく、模写作品に模写制作者の個性が発揮されているのか、それとも原画の画家の個性が再現されているのにすぎないかについて検討する必要がある。模写の主体が画家ないし名画伯であろうと、原画をそっくりそのままに描けば、そこに模写主体の全人格を用いた観察があったとしても、それは複製のための全人格にすぎない。模写制作者が、原画が持つ色彩や技法を選択し、原画に忠実たらんと描写するための人格であり、これから外れることになる自己の個性を抑制しようとする人格であるから、そこには「どうすれば、あのような表現をキャンバス上に表現できるのか」という忠実な模倣への努力が注ぎ込まれただけであって、当該模写制作者が同じ対象物を前にしたら発揮するであろう主体性は何ら発揮されていない。原告の主張は、模写を原則として二次的著作物であるとする点で、原則と例外を誤っている。 なお、確かに、五十人の生徒が同一の静物を写生すれば、それぞれ別個の著作物として保護されることになる。しかし、他人の著作物に依拠せずに同じ対象を絵にすれば、構図の類似性にかかわりなく別個の著作物として保護されることは当然であって、他人の著作物に依拠して、その創作性を再現する行為が、元の著作物の複製に該当することとは別である。その対象が自然か著作物かについて区別することなく、模写の創作性もまた写生と同様に考えることができるとする原告の主張は失当である。特に、機械的模写か否かのみを判断基準として、「原画と差異ある複製物」を観念しない原告の主張を前提とすると、50人の描き手がいれば人物のひげの描き方は50人とも異なるから、ある肖像画(原画)にひげを加えただけの新たな肖像画作品はすべて二次的著作物となるが、その結論が不当であることは明らかである。 ウ模写により描かれた模写作品は、@原画の機械的複製としての模写(コピー機等の文字どおりの機械的模写及びトレーシングパーパーを用いる方法による模写のみならず、原画を見ながら、まるで原画のように描くことも、機械的複製である。もちろん、機械等に頼らずに原画同様に描くことは、卓越した芸術的才能が必要であるが、著作権法上は、いずれにせよ単なる複製にすぎない。)、A原画と全く同一ではないが、原画と実質的同一性を有する新作品を描き出す模写、B原画を見た描き手が新たに思想又は感情の創作的表現を付加した新作品の三種類に分類することができる。 デッドコピーでなくても複製に当たることは明らかであるから、模写作品が、原画の二次的著作物であるか、あるいは複製物であるかの判断基準として、機械的模写か否かによることは相当ではなく、原画を見ながら描いた結果、原画との間に多少の差異があっても、模写作品と原画が実質的同一性を有しているのであれば、模写作品は直ちに著作物とはいえないというべきである。したがって、上記各分類のうち、@及びAについては原画の複製にすぎず、著作物性を有しないというべきである。なお、同一性の有無は、絵画においては、描写対象、対象の巨視的な形態、細部の形態、色彩、線の太い細い、画風などを総合した実質的な同一性の有無により判断されるべきである。 原告各絵画は、本件各原画に多少の修正を施してはいるが、本件各原画と実質的同一性を有しているものというべきであるから、新たな創作性が付加されているものとはいえない。 2 争点2(原告各絵画の著作物性・原告の予備的主張)について (1) 争点2−1(原画と模写作品の相違点を前提とする模写作品の創作性)について (原告の主張) ア争点1において先に述べたとおり、絵画における模写作品は、いわゆる機械的模写でないかぎり、原画に酷似していたとしても創作性が認められるものというべきであるが、仮に模写作品と原画との間に何らかの差異が存在しなければ創作性が認められないという見解によるとしても、原告各絵画は、江戸風俗の再現という意図に基づいて、亡Aによって様々な創意工夫が加えられており、本件各原画にはない独自の創作性が付与されているものである。 イ亡Aは、江戸風俗画家の第一人者であり、原告各絵画は、江戸時代の絵画の模写を通じて、当時の絵画の中に示された江戸の風俗・風景・生活などについて、亡A自身の絵筆でもって復元・再現したものである。亡Aにとって、模写とは、単なる「絵画の写生」ではなく、いわば、亡A自身の絵筆によって、江戸の風俗・風景・生活を翻訳しているに等しいものである。亡Aは、原告各絵画の制作に際し、本件各原画を横に置き、亡A自身の目で本件各原画に描かれている江戸風俗の内容を注意深く観察し、その内容をできるかぎり損なうことなく正確に、亡A自身の表現方法をもって再現したのであるから、原告各絵画は、いずれも創作性を有するものである。原告各絵画と本件各原画との差異、すなわち亡Aが付与した新たな創作性については、争点2−2ないし2−5において詳述する。 (被告の主張) ア原告は、模写作品と原画との間に多少の差異があれば、常に創作性が認められるかのように主張するが、争点1において述べたとおり、模写作品において、原画に多少の修正が加えられていたとしても、原画と実質的同一性を有している場合には、原画の複製物にすぎない。したがって、原告各絵画が著作物性を有するか否かについては、原告各絵画と本件各原画の間に差異があるだけでは足りず、亡Aによる創作性が付与された結果、原告各絵画が新たに思想又は感情の創作的表現を付加した新作品となったと評価し得るものでなければならない。その意味で、原告の予備的主張は、模写作品と原画との間に多少の差異があれば常に創作性が認められるという点で、いずれも模写作品と原画との間の実質的同一性の有無に関する考察を欠いている点で誤りである。 イ模写作品に新たな創作性の付与が認められた場合、原画の二次的著作物となる。しかし、二次的著作物においては、依然として原画の表現を感得し得るという点で全くの新規な著作物とは異なる。絵画と絵画のような同種の表現形式の間において、原著作物に多少の手直しを加えたとしても、当該手直し部分にはなお原著作物の創作性が発揮されているといえる場合が多いから、差異の存在は、当然には新たな創作性の付与を意味しない。 したがって、当該模写作品が複製物か二次的著作物かについて、差異の有無だけに着目するだけでは十分ではなく、原画に対する増減修正により生じた差異が、原画の有する創作性を感得させつつも、同時に新たな創作性を有するものでなければならないのである。 (2) 争点2−2(原告絵画1の著作物性)について (原告の主張) ア絵画における描き手の創作性は、一般的には以下の各点において発揮される。 a) 対象に対する描き手の眼の位置 b) 同一の対象を描く空間の描き方 c) 画面の空間を決定する四角形の各辺の位置関係 このうち、a)の点は、絵画においては写実性の基本問題とされており、これにより線遠近法が成立する。描き手が眼の位置をどのように定めるかについての制約はないから、描き手によってそれぞれその位置が異なることになる。したがって、創作性のない機械的模写であれば、当然、「対象に対する描き手の眼の位置」も原画と同様となる。 イ原告絵画1においては、種々の点において、亡Aによる創作性が発揮されている。原告絵画1と本件原画1における全体的な差異は、以下のとおりである。 a) 原告絵画1は、対象に対する描き手の眼の位置が本件原画1と明らかに異なり、本件原画1の方がより高い角度から描かれている。 b) 原告絵画1は、画面の空間を決定する四辺の上の辺の位置が、本件原画1と明らかに異なる。本件原画1は、上の辺が右に大きく下がっており、垂直より平面の横の広がりを強調した空間の設定になっているが、原告絵画1は、この上の辺が水平線になっていることにより高さが確保され、通常、天井が高いがっちりした造りの酒屋によりふさわしい描写になっている。 c)@ 原告絵画1においては、左側の一段目の棚板の延長線が外の桶と交錯しないが、本件原画1においては、同延長線が外の桶と交錯している。原告絵画1は、本来、背景である外の桶が人物の邪魔にならないように、より自然な位置に配置されているのに対し、本件原画1は、外の桶がより前にせり出した配置となっている。 A 原告絵画1は、左側の樽・桶の垂直な線が、中央の柱と平行になっており、より整然とした遠近法で描かれているが、本件原画1は、平行ではなく、右に傾いている。 ウ原告絵画1は、人物の描き方が本件原画1と相違しており、亡Aによる創作性が発揮されている。 a) 中央の老人について @ 原告絵画1と本件原画1の老人の腰の位置はほぼ一致しているが、頭と右足の位置はいずれも本件原画1のほうが右に突き出しており、その分だけ腰の曲がり方が大きい。したがって、本件原画1の老人の右足は、右ひじを曲げずにまっすぐ伸ばしているいわば極端な姿勢であるが、原告絵画1の老人は、腰の曲がり方もより緩く、右足も緩やかに右ひじを曲げた自然な立ち姿になっている。 A 原告絵画1は、和服の外に見える老人の右手首とほうきがほぼ平行に描かれているが、本件原画1は、右手首の傾きがより大きく、両者が交錯している。 b) 右の小僧について @ 顔の大きさは、本件原画1は小さく描かれているが、原告絵画1は大きく描かれている。 A 本件原画1は、首が肩にめり込み、肩は怒り肩で盛りあがっているが、原告絵画1は、肩や首を自然に描き直している。 B 人体の長さは、本件原画1は短いが、原告絵画1は長い。 c) 老人の右脇の男性について @ 本件原画1は、首が肩にめり込んでいるが、原告絵画1は首を自然に描き直している。 A 本件原画1は、顔が小さく描かれているが、原告絵画1は大きく描かれている。 B 本件原画1は胴長であるが、原告絵画1はより短い。 エ原告絵画1と本件原画1は、例示しただけでも多くの差異が認められる。 したがって、亡A による創作性が付与されていることは明らかであって、原告絵画1は著作物性を有する。 (被告の主張) ア絵画における創作的要素としては、通常、対象物の選択、構図、形状、描線等が挙げられる。原告各絵画と本件各原画においては、線と形象はいずれも明らかに類似しているから、原告が指摘する差異は、いずれも構図の細部にすぎない。もちろん、絵画美術において、構図は創作性の一要素となり得るものではあるが、原告が指摘する事項は、構図そのものではなく、構図を構成する際の「描き手の眼の位置」(目線の高・低、すなわち角度。)にすぎない。しかも、その目線の高低は、二重写しにしたり、補助線を引くことによって辛うじて判定しうるものにすぎず、結局のところ、原告絵画1と本件原画1において、目線の高低差によって、構図における実質的同一性が否定されるものではない。絵画において、眼の位置さえ変えれば、その程度や他の要素の類似性を問わず、常に新たな創作性が付与されるものではない。 イ原告絵画1と本件原画1に差異が存することは、被告も争うものではない。しかし、それは、必ずしも描き手が眼の高さの位置を変えた結果によるものではない。なぜなら、本件原画1に描かれている対象物に対応して原告絵画1に描かれている対象物の各部分のサイズが変更されていても、その理由としては、目線の高さの変更のみならず、単に各サイズの変更にすぎない場合がありうるのであって、サイズの変更を目線の高さの変更によるとする原告の断定には何の根拠もない。すなわち、原告の主張は、本件原画1と原告絵画1との間の対応関係にある各対象物のサイズ(幅、高さ、奥行き等)が同一であるという前提に立脚するものであるが、その前提自体が客観的根拠を有しない。しかも、原告絵画1がより低い眼の位置で描かれたものであるなら、原告絵画1の外部の棚のある上がり框あるいは座敷の上がり框の上部の幅は、原告絵画1の方が本件原画1よりいずれも狭くなるはずであるが、実際には、本件原画1の方が狭くなっているのである。もっとも、格子の棧は明らかに異なっているが、それは角度の問題ではなく、原告絵画1においては、本件原画1の文章部分を複製しなかった結果、格子を全体として縦長に描いたため、棧と棧の間がゆったりと描かれたからであって、描き手の目の高さとは関係がない。仮に、原告絵画1及び本件原画1の間に目線の高さの差異があったとしても、それにより、吝薔な酒屋の主人が小僧をいじめることを主題とする本件原画1に対し、新たな創作性の付与が認められるか否かこそが重要であるが、原告はこの点について一切主張していない。眼の高さの違いなどは、何らかの思想ないし感情を一貫して表現するために行われた変更ではなく、諸般の事情から偶然生じたものにすぎない。 ウ原告は、そのほか、原告絵画1は、通常天井ががっちりした造りの酒屋によりふさわしい描写になっているとか、外の桶の線の描き方が異なるとか、中央の老人の立ち姿や手首とほうきの位置関係等の差異について主張し、あたかも原告絵画1には本件原画1とは異なる創作的要素が付加されたかのように主張する。 しかし、原告が指摘する各種差異は、原告絵画1が本件原画1に重ね合わせてなぞったり、複写機で複製したものではないことを意味するにすぎない。確かに、原告絵画1の方が「自然な立ち姿」になっているかもしれないが、本件原画1の主題、すなわち、老人がほうきまで持ち出して小僧をしかりつけようとしている姿を描こうとした状況との関係においては、むしろ不自然な立ち姿になってしまっている。原告絵画1は、本件原画1の著作者が表現しようとした店先での老人の興奮した姿を一見まねていながら、原告がいうところの「自然な立ち姿」に描き直した結果として、それを制止する番頭の姿やほうきという小道具とはふさわしくない描写になってしまっている。このような描画上の差異は、むしろ失敗した模写ないしは不徹底な模写を意味するにすぎない。原告が指摘する差異は、いずれも主観的なものであって、創作性の付与とは無関係である。 (3) 争点2−3(原告絵画2の著作物性)について (原告の主張) ア原告絵画2及び本件原画2には、右手の描き方に顕著な差異が見られる。 本件原画2は、怪談の挿絵であり、古井戸から出た化け物に驚いた焼継屋が思わず右手を荷箱をつるしたひもから離してしまった様子を描いたものである。原告絵画2は、あくまでも江戸風俗を描くことを目的として、本件原画2を参考にしながらも、焼継屋が荷箱をつるしたひもを握ったように右手を描き直すという意図的かつ極めて重要な変更がされている。 イ同様に、右足の描き方にも顕著な差異が見られる。本件原画2は、化け物に驚いて右手のみならず右足も浮き足立った様子が描かれているが、原告絵画2は、荷箱の中の陶器が揺れて壊れないように、右足も大股で歩く様子で描き直されている。 ウ原告絵画2と本件原画2には、例示したとおり、極めて重要な差異が認められる。したがって、亡Aによる創作性が付与されていることは明らかであって、原告絵画2は著作物性を有する。 (被告の主張) ア原告は、原告絵画2の右手の描き方が、極めて重要な変更であると主張する。しかし、絵画の創作性は、対象物の選択、構図、形状、描線等において主として発揮されるところ、本件原画2の主たる創作性は、幽霊を右斜め上に見上げた焼継師の後姿をとらえた構図にあり、右手の描き方は幽霊を見た驚きを表現した点で創作性の一部にすぎない。 イ原告絵画2は、本件原画2と、対象物の選択、構図は全く同一であり、天秤棒を担ぐ人物、天秤棒につるされた箱、その箱内の物品等といった対象物はすべて同一で、その形態も、左手足を前にして天秤棒を背負い、右足でつま先立っている人物の姿勢、さらに右後方へ振り返っているという顔の向き、まげの形状、着衣の形状や模様、すそやそでから手足の露出している範囲、天秤棒からつるされた箱に書かれた文字に至るまで同一である。線の太さにも大きな違いはなく、着衣の色の濃さに違いが認められるのみである。このように、原告絵画2と本件原画2は、全体はもとより細部に至るまでほとんど同一であり、唯一の違いは右手の形状程度である。 本件原画2は、右後方の幽霊に気付いて驚いた姿を描いたものであり、天秤から手を離しているのは、幽霊に気付いたことに伴うもので、本件原画2における表現内容の有機的表現といえる。これに対し、原告絵画2は、天秤を担ぐ焼継師のみを複製するため、本件原画2の最重要部分の一つである幽霊の描写を省略したことに伴い、原画の表現における有機的一部としての「驚きを表現する右手」を、「通常かつ本来の天秤を担ぐ右手」(通常の商売人としての形態)の位置に描き直したにすぎない。しかも、そのような変更を加えておきながらも、後を振り向き幽霊に気が付いた焼継師の姿勢をそのまま利用しており、何らの変更を加えていない。したがって、原告絵画2における右手の変更は、本件原画2において創作的に描かれていた部分の創作性を捨象し、通常であれば誰もが持つ位置に、通常の形状で手を描いただけであるから、右手の描き方についてはその部分についての原画の創作性を再製しなかっただけにすぎず、そこに新たな創作性が付与されているわけではない。右足の描き方も同様である。 したがって、原告絵画2に原告が指摘する差異が存したとしても、それらは本件原画2から幽霊を削除し、姿勢を維持し、驚いた際の右手を変えて通常かつ本来の姿態に変更しただけであって、何らかの思想ないし感情を一貫して表現するために行われた変更であるとはいえないから、原告絵画2に、亡Aによる創作性が付与されているとは認められず、原告絵画2は著作物性を有しない。 (4) 争点2−4(原告絵画3の著作物性)について (原告の主張) ア本件原画3は、崇徳院の和歌に基づいて、高貴な身分の者を焼継の職人に当てはめて、狂歌に仕立てた遊び画である(だからこそ、「岩にせく瀧の模様の瀬戸もののわれても末にあわすやきつぎ」という歌が記載されている。)。したがって、本件原画3に描かれた人物は、当時の高貴な身分の者であって、原告絵画3に描かれている江戸時代の町人ではない。原告絵画3では、本件原画3を参考にしながらも、江戸時代の風俗を描くことを目的として、まげの形及びひげなどを当時の町人の姿に描き直すという、亡Aによる意図的かつ極めて重要な変更が行われている。 イ原告絵画3と本件原画3は、肩、首及び右腕の描き方が大きく異なる。江戸時代においては、人物の力んだ感じを表現するため、肩を怒らせ(怒り肩)、首を肩にめり込ませて(猪首)描くことが多く、本件原画3も、首が縮み、肩が盛り上がって描かれた結果として、右腕も上にあがっている。亡Aは、そのような誇張を改め、近代日本画の原点でもある写実性に基づいて、肩、首及び右腕を自然な位置に描き直したのである。さらに、本件原画3は、人物が力んだ様子を描くために、着物のしわの線も太く、力強く描かれているのに対し、原告絵画3では、焼継師という繊細な仕事にふさわしいように、力まない様子を描くために着物の線も優美に描かれている。 ウ原告絵画3と本件原画3には、例示したとおり、極めて重要な差異が認められる。したがって、亡Aによる創作性が付与されていることは明らかであって、原告絵画3は著作物性を有する。 (被告の主張) ア原告が原告絵画3について指摘している差異は、機械的模写ではないことを意味するにすぎない。本件原画3の主たる創作部分は焼継師の作業の姿形であるから、それをそのまま模倣し、焼継師が座って陶器の破片を持って作業をしているという対象物、人物の向き、あぐらをかいて座った人物がやや前傾で左手で大きな陶器の破片を、右手で小さな陶器の破片を持っているという姿勢、着衣の形状、模様、そでから手が露出している様子、陶器の破片の大きさ、形状、陶器のひびの入り方、人物と箱や陶器の配置に至るまで、すべて本件原画3と同一に描いた原告絵画3に新たな創作性の付与が認められないことは明白である。本件原画3の本質的要素である作業の姿形については、本件原画3と本件絵画3を重ね合わせない限り判別が困難なほど酷似しているのであるし、色彩についても、着衣の色の濃さ程度しか違いがない。 イ原告絵画3では、高貴な者が焼継という本来町人が行う仕事をしている姿を描いた本件原画3の設定を、町人がするというありふれた設定に戻したにすぎない。ひげとまげの変更は、対象設定の変更に伴うものにすぎないし、いずれも表現に些細な変更が加えられただけである。本件原画3において、ひげやまげの形は、表現内容の中心ではないのであるから、そのような非本質的部分に軽微な変更を加えたところで、何らかの創作性が付与されたものとはいえない。原告は、「高貴な身分の者」が焼継の作業をしているところを、「町人」に変更したことをもって、創作性の付与が認められると主張するが、亡Aがどのような理由、認識により故意に原画に修正、変更を加えたか、すなわち、模写製作者の意図や動機は、新たな創作性が付与されたか否かの判断とは無関係であって、あくまでも模写製作者の主観を離れて、模写作品を客観的に観察して判断することが必要である。髪型やひげは、江戸時代の身分制度においては重要な差異を有するものであったとしても、絵画表現としての差異は軽微であるというほかない。 したがって、原告絵画3に亡Aが指摘する差異が存したとしても、それらは何らかの思想ないし感情を一貫して表現するために行われた変更であるとはいえないから、原告絵画3に、亡Aによる創作性が付与されているとは認められず、原告絵画3は著作物性を有しない。 (5) 争点2−5(原告絵画4の著作物性)について (原告の主張) ア原告絵画4と本件原画4は、松葉の入った籠の配置、煙の配置が明らかに異なる。本件原画4は、煙及び籠にも一種の力強さが描かれているのに対し、原告絵画4では、煙は繊細に流れるような面相筆独特の線を使って優美に描かれ、他方、籠については、細線を密にして描くことにより、独特の質感を描き出している。 イ被告は、蚊遣り部分のみの創作性を否定するが、これは、静物画に対する偏見にほかならない。「リンゴ一つでパリを驚かせたい」というセザンヌの有名な言葉にもあるとおり、17世紀以降、静物画は純然たる絵画の一分野として確立され、創作性が認められている。原告絵画4は、「蚊いぶし」という文字と「蚊遣火」、「松葉の入った籠」により一画面を構成した亡Aの著作物(静物画)である。 ウ原告絵画4と本件原画4には、例示したとおり、差異が認められる。したがって、亡Aによる創作性が付与されていることは明らかであって、原告絵画4は著作物性を有する。 (被告の主張) ア本件原画4の蚊遣り部分のみにはそもそも創作性は認められない。仮に、この部分に著作物性が認められるとしても、原告絵画4には、本件原画4との実質的同一性を否定するほどの独特の質感は認められず、一見して著作権法上の複製物に当たることは明らかである。 イ原告絵画4に亡Aが指摘する差異が存したとしても、それらは何らかの思想ないし感情を一貫して表現するために行われた変更であるとはいえないから、原告絵画4に、亡Aによる創作性が付与されているとは認められず、原告絵画4は著作物性を有しない。 3 争点3(被告書籍の販売等差止めの必要性)について (原告の主張) 被告は、原告各絵画の複製権を侵害する被告書籍を平成13年4月ころ発行し、現在も販売、頒布している。 したがって、被告書籍の販売等の差止めと、侵害の停止又は予防に必要な措置として、被告書籍の廃棄が必要である。 (被告の主張) 争う。前記のとおり、原告各絵画は著作物性を有しないのであるから、被告書籍の販売の差止め等の必要性は、その前提を欠くことは明らかである。 4 争点4(原告絵画1の著作者人格権侵害の成否)について (原告の主張) (1) 被告は、原告絵画1を被告書籍に複製して掲載する際、その一部を無断で切り取って使用した。被告による原告絵画1の改ざんは、あらかじめ部分使用の申入れがされたとしても、亡Aが到底許諾することはできないほど、原告絵画1本来の表現を著しく損なうものであり、亡A の同一性保持権を著しく侵害するものである。 (2) 被告は、原告絵画1を被告書籍に複製して掲載する際、本件原画1の題名を表示するのみで、亡Aの氏名表示をしなかった。したがって、被告書籍においては、本件原画1の著作者があたかも原告絵画1の著作者であるかのような虚偽の表示がされており、亡A の氏名表示権を著しく侵害するものである。 (被告の主張) 著作者人格権侵害の主張は争う。前記のとおり、原告絵画1は著作物性を有しないのであるから、著作者人格権侵害もまた、成立しない。 5 争点5(原告の損害)について (原告の主張) (1) 著作権侵害に基づく損害賠償請求について 亡Aは、これまで、故意による無断複製行為に対しては、原則として、通常の再使用料(1点につき、2万2222円)の3倍の額をペナルティとして請求していた。損害の公平な分担の見地からしても、故意の無断出版の場合にも使用料相当額の損害賠償程度で済むのなら、事前に使用許諾を申し入れた者との間で不公平な結果が生じてしまうし、故意による脱税の場合に本来の課税以外に重加算税が課される制度が存在することからしても、通常使用料の3倍の損害賠償を求めることも合理的である。したがって、被告による原告各絵画の複製権侵害に基づく損害賠償としては、著作権法114条3項又は同4項により、26万6664円が相当である。 (計算式) 2万2222円×4点×3倍=26万6664円 (2) 著作権侵害に基づく慰謝料について 被告は、原告各絵画の著作権侵害行為を行ったのみならず、侵害行為後における交渉過程において不誠実極まりない対応により、亡Aに著しい精神的苦痛を与えた。すなわち、被告は、亡Aが個人(経済的弱者)という不利な立場にあることを奇貨として、加害者として誠実に紛争解決に当たることをしなかったのみならず、当初著作権侵害を認め、謝罪しておきながら、新橋玉木屋事件において既に解決された争点を蒸し返し、「そもそも模写である原告各絵画は著作物でない」などと、40年来、江戸風俗の資料画を描くことに専念してきた亡Aの画家としての業績・存在を正面から否定するに等しい主張をし、さらには原告訴訟代理人の啓蒙的説得にもかかわらず、開き直ったかのような態度に出ることにより、亡Aの画家としての誇りを根こそぎ傷つけた。著作権侵害という不法行為後である交渉過程における被告の不誠実な対応は、慰謝料増額事由として考慮すべきであり、亡Aが蒙った筆舌し難い精神的苦痛を慰謝するためには、その慰謝料は1000万円を下らない。 (3) 著作者人格権侵害(原告絵画1)に基づく損害賠償請求について ア同一性保持権侵害について 被告による原告絵画1の同一性保持権侵害によって亡Aの蒙った精神的苦痛を慰謝するためには、その慰謝料は原告各絵画1作品当たりの再使用料である2万2222円を下らない。 イ氏名表示権侵害について 被告による原告絵画1の氏名表示権侵害によって亡Aの蒙った精神的苦痛を慰謝するためには、その慰謝料は2万2222円を下らない。 (4) 弁護士費用について 被告による原告各絵画の著作権侵害は明白であるから、本来なら訴訟前の話合いにおいて速やかに解決されるべきところ、先に述べたとおりの被告の不誠実な対応により、亡Aは本件訴訟を提起することになり、訴訟遂行のために弁護士費用の支出を余儀なくされた。本件訴訟追行に関する弁護士費用は少なくとも200万円を下らない。 (5) 合計1231万1108円 よって、原告は、被告に対し、著作権侵害及び著作者人格権侵害に基づく損害賠償並びに不法行為に基づく損害賠償として、上記損害合計1231万1108円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成17年6月7日から支払済みに至るまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。 (被告の主張) (1) 著作権侵害について 原告各絵画に著作物性が認められない以上、被告が賠償すべき損害はない。 仮に、被告に著作権侵害に基づく損害賠償義務が存するとしても、損害額が原告の通常の再使用料の3倍になるとの主張は争う。 (2) 著作権侵害に基づく慰謝料請求について ア被告は、本件訴訟提起前の事前交渉において、亡Aに対し、無断使用の事実を認め、謝罪したことはない。原告は、被告が当初から無断使用の意図を有していたかのように主張するが、被告にはそのような意図はなかった。 イ被告は、原告から、原告各絵画は亡Aが描いたものであり、無断使用については誠意ある金額を支払うように求められたため、法律上支払義務があるか否かはさておくとしても、円満解決のために原告各絵画の使用料として一定金額を支払ってもよいと考え、交渉に応じた。 ウ被告は、確かに交渉過程において、原告各絵画に著作物性がないと主張したが、これは、亡Aの主張に対し、自らの法的主張を行ったにすぎないのであるから、それにより亡Aの画家としての業績・存在が否定されるわけでもなく、亡Aの画家としての誇りが根こそぎ傷つけられることもない。もちろん、被告にそのような意図もないし、原告を経済的弱者であるとみなして不誠実に対応したものでもない。亡Aが主張する慰謝料額1000万円も明らかに過大である。 (3) 著作者人格権侵害について 原告絵画1に著作物性が認められない以上、被告が賠償すべき損害はない。 仮に被告に同一性保持権侵害及び氏名表示権侵害に基づく損害賠償義務が存するとしても、損害額がそれぞれ2万2222円以上となるとの主張は争う。 (4) 弁護士費用について 被告が負担すべき弁護士費用相当損害金が200万円以上であるとの主張は争う。先に述べたとおり、被告は当初から著作権侵害を認めて謝罪していたわけではなく、途中から開き直ったわけでもない。むしろ、被告は、紛争解決のために、法的争点は度外視して、亡Aに対して使用料支払を申し入れたが、亡Aがこれに応じなかったのである。 第4 当裁判所の判断 1 争点1(原告各絵画の著作物性・原告の主位的主張)について (1) ア原告各絵画が、本件各原画を模写して作成されたことについては、当事者間に争いがない。「模写」とは、「まねてうつすこと。また、そのうつしとったもの。」(岩波書店「広辞苑」参照)を意味するから、絵画における模写とは、一般に、原画に依拠し、原画における創作的表現を再現する行為、又は、再現したものを意味するものというべきである。したがって、模写作品が単に原画に付与された創作的表現を再現しただけのものであり、新たな創作的表現が付与されたものと認められない場合には、原画の複製物であると解すべきである。これに対し、模写作品に、原画制作者によって付与された創作的表現とは異なる、模写制作者による新たな創作的表現が付与されている場合、すなわち、既存の著作物である原画に依拠し、かつ、その表現上の本質的特徴の同一性を維持しつつ、その具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が原画の表現上の本質的特徴を直接感得することができると同時に新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することができる場合には、これは上記の意味の「模写」を超えるものであり、その模写作品は原画の二次的著作物として著作物性を有するものと解すべきである。 イ機械や複写紙を用いて原画を忠実に模写した場合には、模写制作者による新たな創作性の付与がないことは明らかであるから、その模写作品は原画の複製物にすぎない。また、模写制作者が自らの手により原画を模写した場合においても、原画に依拠し、その創作的表現を再現したにすぎない場合には、具体的な表現において多少の修正、増減、変更等が加えられたとしても、模写作品が原画と表現上の実質的同一性を有している以上は、当該模写作品は原画の複製物というべきである。すなわち、模写作品と原画との間に差異が認められたとしても、その差異が模写制作者による新たな創作的表現とは認められず、なお原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在し、原画から感得される創作的表現のみが模写作品から覚知されるにすぎない場合には、模写作品は、原画の複製物にすぎず、著作物性を有しないというべきである。 ウ原告は、絵画彫刻においては、機械的模写でない限り、模写については模写制作者による創作性が認められることは、模写制作の各過程(認識行為と再現行為)において、それぞれ模写制作者の創作性が発揮されることからも明らかであるから、仮に原画と模写作品が酷似していても、常に創作性が認められると主張する。しかし、著作権法は、著作者による思想又は感情の創作的表現を保護することを目的としているのであるから、模写作品において、なお原画における創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、当該模写作品については、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理由はないというべきである。したがって、原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在する場合には、模写制作者が模写制作の過程においてどのように原画を認識し、どのようにこれを再現したとしても、あるいは、模写行為自体に高度な描画的技法が採用されていたとしても、それらはいずれもその結果として原画の創作的表現を再現するためのものであるにすぎず、模写制作者の個性がその模写作品に表現されているものではない。 また、原告は、美術界における模写行為の創作性及びその芸術的意義を強調し、尾形光琳と酒井抱一の各模写作品を比較検討し、その表現上の違いから、尾形光琳らによる創作性の付与を指摘すると共に、尾形光琳の模写作品は重要文化財として高く評価されているし、横山大観らも多くの模写作品を残しているとも主張する。しかし、模写作品が二次的著作物として著作権法上の保護を与えられるべきか否かについては、個々の模写作品毎に、著作権法に基づく法的な判断、すなわち、著作権法における著作物性の概念を前提に判断されるべきであり、本件においては、本件各原画と比べた原告各絵画の著作物性について論じれば足り、美術界において論じられている模写行為の創作性及び模写作品の芸術的意義一般について論じる必要性はないし、また、著名な画家が過去に制作した模写作品の著作物性を本件において論じる必要性もない(尾形光琳と酒井抱一あるいは横山大観の各模写作品の著作物性については、別途詳細に議論されるべき問題であり、本件においては、本訴の訴訟物である原告各絵画の著作物性について検討すべきである。)。原告各絵画が本件各原画の二次的著作物か複製物にすぎないかは、本件各原画と原告各絵画を比較し、原告各絵画について新たな創作的表現が付与されたと認められるか否かにより判断すべきである。 さらに、原告は、絵画を描くという造形と色彩による表現行為には、極めて個性が現れやすいものであり、手描きのものであれば、その形象のうちに個人的特性を有しているものと解してよいのであり、風景や人物などの「対象をそのままに写しとること」を目的とする写生と模写とは、模写が過去の作品の主題や構図を対象としてとらえる点で、その対象が異なるにすぎないから、模写作品の創作性もまた、写生作品の創作性と同様に考えることができる、と主張する。 確かに、多数の人が、同一の風景、人物あるいは静物を対象として写生し、これを絵にすれば、構図の類似性があっても自ずから個性が表れるものであり、それぞれのものが別個の著作物として保護されることは当然である。しかし、他人の著作物を模写して、その創作的表現を再現したにすぎない模写作品については、著作権法上は、模写制作者により新たな創作的表現が付与されていない限り、元の著作物の複製に該当するものと解すべきである。原告の主張は、他人の著作物の創作的表現をそのまま再現する行為を新たな創作行為であると主張するものであり、風景や人物あるいは静物を対象としてこれを描写し、絵として描く行為と、他人の著作物を模写し、その創作的表現を再現する行為とを同一に論じることはできない。 (2) 以上によれば、原告の主位的主張は採用することができない。 2 争点2(原告各絵画の著作物性・原告の予備的主張)について (1) 争点2−1(原画と模写作品の相違点を前提とする模写作品の創作性)について 争点1において述べたとおり、模写制作者が自らの手により原画を模写した場合においても、原画に依拠し、その創作的表現を再現したにすぎない場合には、具体的な表現において多少の修正、増減、変更等が加えられたとしても、その差異が模写制作者による新たな創作的表現とは認められず、なお原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在し、原画から感得される創作的表現のみが模写作品から覚知されるにすぎない場合には、当該模写作品は原画の複製物というべきであり、また、模写作品に、原画制作者によって付与された創作的表現とは異なる、模写制作者による新たな創作的表現が付与されている場合、すなわち、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が原画の表現上の本質的特徴を直接感得することができると同時に新たに別な創作的表現を感得し得ると評価することができる場合には、その模写作品は原画の二次的著作物として著作物性を有するものと解すべきである。以下、同判断基準に基づいて、原告各絵画の著作物性の有無について検討する。 (2) 争点2−2(原告絵画1の著作物性)について ア本件原画1は、江戸時代の酒屋の店先において、酒屋の主人らしき老人が、右手にほうきを持って店先に立ち、今にも店の外に逃げ去ろうと走り出しながら右手を老人に向けて振り返っている店の小僧らしき人物を叱りつけようとするところを、番頭らしき人物が土間から老人をなだめて止めようとしている様子を描いた浮世絵である。本件原画1においては、小僧や番頭の首が肩にめりこみ、さらに前に突き出したように描かれており、老人の顔も、前のめりに突き出したように描かれていることにより、酒屋の店頭における主人の怒りとあわてて逃げ出す小僧の様子が躍動的に描かれているものといえる。また、本件原画1においては、同時に、江戸時代の酒屋の店先の様子が細かく描写され、左の棚の上段には酒樽、菰樽が、下段には桶や貧乏徳利が描かれ、天井には八間と呼ばれた照明が下がっている様子や、格子の前に水の張った桶、ひしゃく、貧乏徳利が置かれ、座敷には帳面や硯、筆が置かれている様子が描かれている(甲1)。 イ原告絵画1は、江戸時代の商売の様子を描いた絵画とその解説文を掲載した書籍に発表されたものであり、本件原画1の模写作品である。原告絵画1においては、大きさや角度などの多少の相違はあるものの、本件原画1と同様に、左の棚の上段には酒樽、菰樽が、下段には桶や貧乏徳利が描かれ、天井には八間と呼ばれた照明が下がっている様子や、格子の前に水の張った桶、ひしゃく、貧乏徳利が置かれ、座敷には帳面や硯、筆などが置かれた様子が描かれている。人物については、登場人物である酒屋の主人らしき老人、老人に怒られ逃げだそうとしている小僧及び老人をなだめようとしている番頭らしき人物の3人の配置、姿態、場面設定は本件原画1と同一である。ただし、原告絵画1においては、本件原画1と比べ、老人の腰の曲がり方をやや緩やかにし、右足や右ひじも緩やかに曲げるように描いているほか、本件原画1に見られた小僧や番頭の首が肩にめり込んでいたり、怒り肩になっていた浮世絵に特徴的な誇張的表現を通常の首や肩の表現に改め、さらに、小僧や番頭及び老人の顔の表情が本件原画1とはやや異なる表情で描かれている。なお、本件原画1には、「銭積」と題する文章が記載されていたのに対し、原告絵画1には文章は記載されていない(甲1、19)。 ウ本件原画1と原告絵画1を比較すると、浮世絵と筆書きという描写手段は異なるものの、描かれている3人の人物の配置、姿態、場面設定は同一であって、ほうきを持ち出して店頭に立ち、店外に駆けだして逃げ出そうとする小僧を今にも叱りつけようとする老人の主人を必死に止めようとする番頭という、江戸時代の酒屋における店先の出来事を躍動的に描こうとした本件原画1の特徴的な表現部分をそのまま再現しているものというべきであり、また、3人の登場人物の次に本件原画1の重要な特徴的表現である酒屋の店先の様子も、酒樽、菰樽、桶、貧乏徳利が置かれた棚や、八間(照明)、格子とその前に置かれた水の張った桶、ひしゃく及び店内の帳面や硯、筆などの小物類の配置及びその形状に至るまでほぼそのまま再現しているものである。そして、本件原画1と原告絵画1との間に存する上記差異は、両者を全体として比べてみた場合に、上記のような本件原画1における特徴的表現がそのまま原告絵画1に再現されていることからすれば、細部における些細な差異にすぎず、この差異により原告絵画1に新たな創作的表現が付与されたとみることはできない程度のものであるといわざるを得ず、原告絵画1は、本件原画1と表現上の実質的同一性を有するものというべきである。原告は、描き手の眼の位置、画面の空間を決定する四辺の上の辺の位置、棚板の延長線が外の桶と交錯するかどうか、中央の柱と樽、桶の垂直線との位置関係などについて、本件原画1と原告画1との差異を指摘し、亡Aによる新たな創作性が付与されていると主張する。 しかし、原告が指摘する描き手の眼の位置や棚板の延長線と外の桶の位置、中央の柱と樽、桶の垂直線との位置関係などは、本件原画1と原告絵画1とを重ね合わせたり、補助線を引くことによって辛うじて判定し得る程度のものであるにすぎず、両者を比較して、一見してその具体的差異を認識し得るものではなく、また、両者間において、画面の空間を決定する上の辺の位置に差があることを考慮しても、これにより原告絵画1に何らかの創作的表現が付与されたものとは認めることもできない。 また、原告は、老人の腰の曲がり方やほうきを握る手の形が本件原画1と原告絵画1においては異なるのみならず、本件原画1においては、小僧と老人に右脇の番頭らしき人物の首が肩にめりこんでいるように描かれ、両名について力強さを強調した浮世絵の描き方がなされているのに対し、原告絵画1ではこれをより写実的に描いている点において、江戸時代の風俗の再現を目指す亡Aの創作性が発揮されているとも主張する。 しかし、原告絵画1は、上記のとおり、江戸時代における酒屋の店先での出来事、すなわちほうきを持ち出して店頭に立ち、店外に駆けだして逃げ出そうとする小僧を今にも叱りつけようとする老人の主人を必死に止めようとする番頭という、江戸時代の酒屋における店先の出来事を躍動的に描こうとした本件原画1の特徴的な表現部分をそのまま再現しているものであり、原告絵画1における登場人物の顔や首、腰の曲がり方の本件原画1との差異は、本件原画1において浮世絵独特の筆致で描かれていた当時の町人の姿態に関する特徴的表現について、いずれも些細な変更を加えたものにすぎず、亡Aにより新たな創作的表現が付与されたものとまで認めることはできないというべきである。原告の主張はいずれも採用することができない。 (3) 争点2−3(原告絵画2の著作物性)について ア本件原画2は、「番頭空屋敷」と題する怪談を描いた浮世絵であり、右下に描かれた古井戸から幽霊が飛び出した様子と、これを見て、前後に各一つの木箱をつるして左肩に担いだ天秤棒のひもから驚きのあまり思わず右手を離してしまった焼継師の姿が後方から描かれている。本件原画2においては、焼継師が幽霊に驚いた様子を表現するために、その首が肩にめり込んだようにすくめて描かれているのと、驚きのあまり天秤棒のひもから右手を離している点が、焼継師に関する特徴的な表現部分である(甲2)。 イ原告絵画2は、江戸時代の物売りの様子を描いた絵画とその解説文を掲載した書籍に発表されたものであり、焼継師の一般的な姿態を描くことを目的として、本件原画2の幽霊や古井戸、文章部分を模写せず、その中の焼継師の姿態のみを一部変更して描いたものである。すなわち、原告絵画2においては、焼継師が幽霊に驚いて思わず天秤棒のひもから右手を離してしまった様子や、その首を肩にめりこんだようにすくめた様子は表現されておらず(いずれも本件原画2における特徴的表現部分である。)、むしろ、あたかも江戸の町中を歩きながら後ろを振り返っているような焼継師の様子を淡々と描いているだけであり、そのため、焼継師の右手は天秤棒から右側の木箱をつるしたひもを掴み、また、本件原画2においてすくんだように描かれていた首は、すくんでいない状態に描かれているものである(甲20)。 ウ本件原画2と原告絵画2は、いずれもともに天秤棒から二つの箱をつるして歩きながら後ろを振り向いている焼継師の後ろ姿が描かれている点で共通する特徴的表現を有するものの、本件原画2においては、古井戸から飛び出した幽霊に驚く焼継師の様子を描くという主題に基づいて、その右手を天秤棒のひもから離した様子や首をすくめた様子を上記のように描いている点がその特徴的表現の一つであるのに対し、原告絵画2においては、江戸時代の町人の風俗や生活振りを描くために、焼継師が天秤棒に二つの木箱をつるして普通に歩く様子を描写しているものであり、このため右手及び首の具体的表現を上記のとおり変更したものである。したがって、原告絵画2は、本件原画2における特徴的表現部分の一部をそのまま利用しながら、その特徴的表現の他の部分を変更し、江戸時代の町人の風俗の再現を意図した表現となっており、この点で新たに亡Aによる創作性が付与されているものと認められ、原告絵画2は、本件原画2の二次的著作物として、その著作物性が認められるものである。 被告は、本件原画2の主たる創作性は、幽霊を右斜め上に見上げた焼継師の後姿をとらえた構図にあり、原告絵画2における右手の描き方などはその部分についての本件原画2の創作性を再製しなかっただけにすぎないなどと主張する。 確かに、原告絵画2は、本件原画2における後ろを振り向いた焼継師の姿態をそのまま利用していることは上記のとおりである。しかし、本件原画2と原告絵画2との関係は、いずれも江戸時代の町民の日常生活の一端を描いた本件原画1と原告絵画1との関係とは異なるものである。すなわち、本件原画2は、幽霊に驚く焼継師という怪談を描くことを主題として表現された絵であるのに対し、原告絵画2は、亡Aが江戸時代の風俗や町人の様子を描くという観点から、本件原画2の焼継師が幽霊に驚いて天秤棒のひもから右手を離した姿態や、幽霊に驚いて首をすくめている様子などの特徴的表現部分を変更して描写したものであり、あたかも江戸の町中を歩きながら後ろを振り返っているような焼継師の様子を淡々と描いているものであり、この点で亡Aの考え方が創作的に表現されているものというべきである。被告の上記主張は採用することができない。 (4) 争点2−4(原告絵画3の著作物性)について ア本件原画3は、崇徳院の和歌(瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ)に基づいて、本来、町人が従事した焼継師の仕事を崇徳院のような高貴な身分の者が従事しているという架空の様子を描くと共に、崇徳院の和歌と焼継師の仕事とを掛け合わせた狂歌(岩にせく瀧の模様の瀬戸もののわれても末にあわすやきつぎ)とを組み合わせた遊び画である。本件原画3には、まげを結い、ひげをはやした高貴な人物が、薄笑いを浮かべながらあぐらをかき、割れた瀬戸物に筆で焼継用の薬を塗っている様子及び割れた瀬戸物の破片が散らばっている様子が正面から描かれている(甲3)。 イ原告絵画3は、江戸時代の商売の様子を描いた絵画とその解説文を掲載した書籍に発表されたものであり、江戸時代の焼継師の一般的な姿態を描くことを目的として、本件原画3の狂歌部分を模写せず、焼継師の姿及び割れた瀬戸物の破片が散らばっている様子を抜き描きしたものである。また、本件原画3では、高貴な身分の者が焼継作業に従事しているが、原告絵画3では、江戸時代の町人の風俗を再現するため、焼継師のまげを町人の形に描き直し、ひげも描いていない(甲3、19)。 ウ本件原画3と原告絵画3を比較すると、いずれも正面からあぐらをかいて作業をしている焼継師の姿及び割れた瀬戸物の破片が散らばっている様子などが描かれている点でその特徴的表現部分において共通するものの、本件原画3では、高貴な者が焼継をするという狂歌の場面を主題として高貴な人物が描かれているのに対し、原告絵画3においては、江戸時代の町人の風俗を再現するため、町人である焼継師を描いており、この点で、本件原画3における特徴的表現を変更した表現となっているものである。したがって、原告絵画3は、本件原画3の特徴的表現の一部を再現しながら、新たに亡Aによる創作的表現が付与されているものであり、本件原画3の二次的著作物として著作物性が認められるものである。 被告は、創作性の有無については、原画制作者の主観を考慮すべきではなく、本件原画3の主たる創作部分は、焼継師の作業の姿形であるから、それをそのまま模倣した原告絵画3に新たな創作性の付与がないことは明白であるし、まげやひげの変更も、焼継の仕事を町人がするというありふれた設定に変更したことに基づく些細な変更にすぎないなどと主張する。 確かに、原告絵画3は、本件原画3における焼継師の作業の姿形をそのまま利用していることは上記のとおりである。しかし、本件原画3と原告絵画3との関係は、いずれも江戸時代の町民の日常生活の一端を描いた本件原画1と原告絵画1との関係とは異なるものである。すなわち、本件原画3は、高貴な者が焼継師に従事しているという狂歌と組み合わせた遊び絵であるのに対し、原告絵画3は、江戸時代の町人の風俗やその生活振りを描くという目的から、町人の焼継師を描いたものであり、焼継の仕事をしている焼継師の様子を淡々と描いているものであることは上記のとおりであり、この点で亡Aの思想が創作的に表現されているものというべきである。被告の上記主張は採用することができない。 (5) 争点2−5(原告絵画4の著作物性)について ア本件原画4は、月夜の晩に、家の座敷で三味線を弾く男性と、子供をあやしている女性の間に、蚊を追い払うために置かれた「蚊遣り」(蚊いぶし)と蚊遣りから立ち上る煙、松葉の入った籠、うちわ、徳利などが置かれたお盆などが描かれた浮世絵である(甲4)。 イ原告絵画4は、本件原画4から蚊遣り、蚊遣りから立ち上る煙、松葉の入った籠のみを描いた模写作品であり、江戸風俗に関する絵画とその解説文を掲載した書籍に発表されたものである(甲21)。 ウ本件原画4において描かれた蚊遣りや煙、松葉の入った籠と原告絵画4を比較すると、原告絵画4は、江戸時代の家族団らんを描いた本件原画4において背景の小道具としてその形状が明確に描かれていた日用品を、単に、江戸時代の日用品を紹介する目的で、描いたにすぎないものというべきであって、煙の流れの描き方や籠の配置に多少の差異が見られるものの、これらの差異は、本件原画4が浮世絵であり、原告絵画4が画筆で描かれていることによる差異以上のものとは認められず、原告絵画4については、本件原画4に描かれている蚊遣りと松葉の入った籠について、亡Aにより新たな創作的表現が付与されたものとは認められない。よって、原告絵画4は、本件原画4に描かれている蚊遣りと松葉の入った籠と表現上の実質的同一性の範囲内のものであるといわざるを得ず、これを亡A により創作された二次的著作物と認めることはできない。 (6) 以上によれば、原告絵画2及び3は、本件原画2及び3の単なる模写作品ではなく、これに亡Aによる創作的表現が付与された二次的著作物と認められるものの、原告絵画1及び4については、本件原画1及び4の模写の範囲を超えて、これに亡Aにより創作的表現が付与された二次的著作物であると認めることはできず、本件原画1及び4の複製物にすぎないものといわざるを得ない。 被告が被告書籍を平成13年4月25日ころ発行するに当たり、亡Aからの使用許諾を得ることなく原告絵画2及び3を被告書籍に複製してこれを掲載したことについては当事者間に争いがないから、被告は、亡Aが有していた原告絵画2及び3についての著作権(複製権)を侵害したものと認められる。 3 争点3(被告書籍の販売等差止めの必要性)について (1) 被告書籍の販売等差止めの必要性について 被告が原告絵画2及び3の著作物性を争っていることを考慮すると、将来、原告絵画2及び3の複製物を掲載したまま、被告書籍を販売し、頒布し、あるいは増刷発行するおそれがあることを否定することはできない。 被告書籍は、本文459頁、並びに、江戸遺跡資料、江戸遺跡参考文献及び索引120頁で構成されており、原告絵画2及び3の複製物は、被告書籍の258頁下欄に掲載されている(検甲1)。このように、被告書籍において、原告の著作権を侵害する部分は全体のうちの1頁にすぎない。しかし、被告書籍は、上記各頁がハードカバーで一体として製本されており、被告書籍をこのまま販売又は頒布し、あるいは増刷発行すれば、原告絵画2及び3について原告が有する著作権の侵害を不可避的に伴うものである。また、被告は、原告絵画2及び3の著作物性を争っており、被告からは、本件口頭弁論終結時までに、被告書籍中、上記頁を削除して被告書籍を販売又は頒布し、あるいは増刷発行する予定であるなどの主張、立証も全くない。 以上からすれば、被告は、原告絵画2及び3の複製物を掲載した被告書籍を販売又は頒布し、あるいは増刷発行するおそれがあり、この被告の行為は、不可避的に原告の著作権を侵害するものであるから、同被告書籍の販売、頒布又は増刷発行の差止めを求める原告の請求は理由がある。なお、原告絵画2及び3の複製物を掲載した部分を廃棄した被告書籍については、その増刷、販売、頒布の差止めを認める理由はないから、原告の差止め請求は、主文第1項掲記の限度で認めることとする。 (2) 在庫の廃棄請求について 被告書籍は、本文459頁及び索引そのほか120頁で構成されており、原告絵画2及び3の複製物が被告書籍の258頁下欄に掲載されていることは上記のとおりである。原告は、被告書籍全体の廃棄を求めているものの、原告の著作権を侵害するのは上記頁だけであるから、著作権侵害行為の停止又は予防に必要な措置としては、被告書籍の上記頁中、原告絵画2及び3を複製して掲載した部分の廃棄を認めることで十分であり、被告書籍全体の廃棄を認める必要はない。 4 争点4(原告絵画1の著作者人格権侵害の成否)について 争点2−2において先に述べたとおり、原告絵画1は著作物性を有しないのであるから、亡Aによる著作物とみることはできず、したがって、原告絵画1について著作者人格権侵害もまた、成立しない。 5 争点5(原告の損害)について (1) 著作権侵害に基づく損害賠償請求について 被告は、前記のとおり、平成13年4月25日ころ、亡Aの使用許諾を得ないまま、過失により、原告絵画2及び3を掲載した被告書籍を発行した。 原告各絵画の使用料金は、事前に許諾を求めてきた者について、1作品1回当たり2万2222円である(甲34)。また、亡Aは、これまで、亡Aが描いた模写作品の無断複製行為に対しては、原則として上記料金の3倍額である6万6666円をペナルティとして請求し、これを受領していた(甲35、36)。 上記の事情を総合すれば、亡Aは、事前に使用許諾を求めてきた者に対しては本来の使用料相当額よりも低い金額(1作品1回当たり2万2222円)で使用許諾し、無断使用については本来の使用料相当額よりも高い金額で使用許諾していたものと認めるのが相当であるから、本件においては、著作権法114条3項の「著作権・・・の行使につき受けるべき金銭の額」は、原告絵画2及び3それぞれにつき、4万4444円であると認めるのが相当である。したがって、被告の著作権侵害行為により亡Aに生じた使用料相当の損害額は、8万8888円となる。 (計算式) 4万4444円×2点(原告絵画2及び3)=8万8888円 (2) 著作権侵害に基づく慰謝料請求について ア証拠(甲8〜14)及び弁論の全趣旨によると、亡Aと被告との間の事前交渉について、以下の各事実が認められる。 a) 原告は、被告書籍に原告各絵画が使用されていることを発見し、平成17年2月23日、亡Aを代理して、被告に電話で申入れをしたところ、同日、被告社員であるC(以下「C」という。)が、亡A宅を訪問した。原告は、Cに対し、@被告は、原告各絵画を無断使用したのであるから、被告における通常の使用料金は基準にしないでほしい、A無断使用について途中で気づきながら、被害者から申入れがなければそのまま放置しておくという態度は不誠実極まりなく、このことを踏まえて、誠意をもって慰謝する金額を明示してもらいたい旨申し入れたところ、Cは会社に持ち帰って検討し、後日、返事をする旨回答した(争いがない)。 b) 原告は、同年3月9日、被告の常務取締役D(以下「D」という。)と面談した。Dは、原告各絵画の使用について、17万7776円を支払うと提案したが、原告は、無断使用であるから通常使用料の3倍を請求するなどとして、合計33万3333円を請求した。Dは、会社に持ち帰り検討したいので、もう一度、話合いの場を持ちたいと提案したところ、原告はこれを承諾した(争いがない)。 c) 原告は、同月22日までの間、被告から連絡がなかったので、同日、被告に電話で問い合わせをして、翌日に連絡するように伝えた(争いがない)。 d) Dは、同月23日、原告に対し、電話で被告の回答を伝えたところ、原告は、被告の回答には同意できなかったので、弁護士に委任して交渉する旨申し入れた(争いがない)。 e) 亡Aは、同月30日、被告に対し、@被告と被告書籍の著作者連名による謝罪文の交付、A被告ウェブサイトにおける謝罪広告、B被告書籍の出荷停止、回収、裁断処分等、C31万1108円の損害賠償金の支払いを求める通知書を送付した。同通知書には、新橋玉木屋事件を解説した論文の一部が添付されており、「なお、通知人は、以前、画集『定本江戸商売図絵』の絵画を無断盗用されたことがあり、加害者が誠意ある対応を取らなかったため、訴訟の結果、加害者の敗訴判決がNHKの全国ニュースで放送され、不幸にして、その社名は著作権の著名な事件名として永遠に刻まれることになりましたので、参考にして下さい。」と記載されていた(甲8)。 f) 被告は、同年4月5日、亡Aに対し、@被告が本件書籍において原告各絵画を複製して掲載したこと、A原告絵画1について亡Aの氏名を表示していないこと、B原告絵画1の複製に際し、その一部のみに限定したことは認めるが、C原告各絵画は本件各原画の複製にとどまるものであり、亡Aの創作性が付加されていないため、いずれも著作物ではないから、被告が原告各絵画の著作権を侵害していることを前提とする亡Aの請求には応じられない旨回答した(甲9)。 g) 亡Aは、同年4月7日、被告に対し、@誠実な交渉が可能であれば交渉による解決を検討するが、そのためにはプロの画家である亡Aの不信感、憤りについて被告が理解する必要があること、A江戸時代の研究では老舗である被告が、原告各絵画が本件各原画の複製にすぎないと認識したのであれば、むしろ本件各原画を使用するほうが、紛争のおそれもない、B亡Aの見解については、近日中に回答する旨記載したファックスを送信した(甲10)。 h) 亡Aは、同年4月20日、被告に対し、「当方の見解」と題する書面を送付した(甲11)。同書面には、@ガラス板を置いて丹念に技術的に模写するだけのような「機械的模写」でない限り、模写作品には模写制作者の個性=創作性が認められる、A亡Aは、日本美術の伝統を持ちつつ、それに写実性を加えることによって近代化することを企図している、B写実性の基本問題として、「対象に対する描き手の視点=眼の位置」の問題があり、創作性の付与が認められない機械的模写では、眼の位置が同一となるが、原告絵画1と本件原画1を比較すると、対象に対する描き手の眼の位置が異なる、C原告各絵画と本件各原画には、種々の相違点が認められることなどからすると、原告各絵画は、機械的模写ではなく、亡Aによる創作性が付加された新たな著作物であるから、被告が原告各絵画の著作物性を認めるのであれば最終的な解決に向けて交渉するが、認めないのであれば、亡Aによる詳細な説明にもかかわらず不当に訴訟を強いられたことについて、相当額の損害賠償を請求する旨記載されていた(甲11)。 @) 被告は、同月28日、亡Aに対し、@複製とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいうのであるから、機械的模写のみならず、原著作物に修正や増減があったとしても、それが新たな創作性の付与といえず、かつ、原著作物の本質的要素の同一性が維持されている場合には、模倣にすぎず、複製に当たる、A絵画の同一性判断は、模写対象、対象の巨視的な形態、細部の形態、色彩、線の太い細い、画風等を総合した実質的な同一性が問題となるのであって、手法が機械的複製か否かにより判断されるものではないと回答した上で、さらに、同年5月10日、亡Aが指摘した原告各絵画と本件各原画の相違点については、いずれも例えば視点の差などの理由から生じたものではなく、本件各原画の本質的部分をすべて模倣した上で、些細な部分を意識的に本件各原画と異なるものにしたにすぎなかったり、本件各原画の特徴を削り取り、ありふれた姿勢に変更したにすぎなかったり、わずかな違いにすぎなかったりすることから、いずれも亡Aの創作性が付与されているものではなく、原告各絵画は本件各原画の複製に該当し、著作物性を有しないと回答した(甲12、13)。 j) 亡Aは、同年5月11日、被告の回答には良識がないとして、交渉をうち切った(甲14)。 イ本件において侵害された亡Aの権利は、財産権である著作権(複製権)であり、上記認定の交渉経緯について、被告による原告絵画2及び3の著作権侵害行為があったことを前提としてみても、これにより、原告の人格的利益が著しく侵害されたとまでは認められず、被告の不法行為によって原告に生じた損害については、財産的損害の賠償により回復されることに照らせば、これに加えて慰謝料請求を認める必要があるものとはいえない。 原告は、被告は、原告各絵画の著作権侵害行為を行ったのみならず、当初は著作権侵害を認めて謝罪しておきながら、その後においては新橋玉木屋事件で既に解決済みの模写作品の著作物性という争点を蒸し返して開き直り、亡Aの画家としての業績・存在を正面から否定するに等しい主張をするなど、不誠実極まりない対応をしたなどと主張する。 しかし、仮に被告が当初は謝罪していたとしても、交渉の過程において、後になって法的反論を試みることが許されないものではない。新橋玉木屋事件は、同事件の原告が亡Aであり、審理の対象が江戸時代の浮世絵の模写作品であったことこそ本件訴訟と同様であるものの、本件訴訟とは被告も、対象となった模写作品もそれぞれ異なるのであるから、新橋玉木屋事件における裁判所の判断が、原告各絵画の著作物性について被告が争うことを禁止するものではない。原告の主張は、原告の主張を被告が認めなかったことに対する不満を意味するにすぎず、交渉過程において、相手方の主張を認めなかったことが常に不誠実な対応と評価されるのであれば、交渉における自由な議論が成立しないことは自明のところである。本件各証拠によっても、被告が反論に名を借りて殊更亡A を誹謗中傷したり、侮辱的表現や著しく不適切な表現を用いたことを認めるに足りる証拠はない。原告各絵画の著作物性を争うことと、亡Aの江戸風俗研究家及び画家としての業績を否定することとは、その性質上、明らかに別な事柄であって、前記認定事実によれば、被告の交渉態度を不誠実であると評価することはできない。 (3) 弁護士費用について 本件における原告の請求の内容、事案の性質、訴訟に至った経緯、難易度、審理経過など、そのほか一切の事情を総合考慮すれば、被告による著作権侵害行為と相当因果関係があるものとして被告に負担させるべき弁護士費用としては、20万円をもって相当と認める。 第5 結論 以上によれば、原告の請求は、被告に対する原告絵画2及び3を使用して被告書籍を販売することの差止め及び被告書籍の原告絵画2及び3の掲載部分の廃棄並びに損害金合計28万8888円及びこれに対する著作権侵害行為(平成13年4月25日ころの被告書籍の発行)の後であることが明らかな訴状送達の日の翌日である平成17年6月7日から支払い済みまで年5分の割合に基づく遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、その余の請求は、いずれも理由がないから、これを棄却する。 よって、主文のとおり、判決する。 東京地方裁判所民事第46部 裁判長裁判官 設樂隆一 裁判官 鈴木千帆 裁判官 荒井章光 (別紙)書籍目録 題名 図説江戸考古学研究事典 編者 江戸遺跡研究会 発行者 E 発行所 被告 発行日 平成13年4月25日 |
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