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【事件名】R・シュトラウス作品の保護期間事件(日本音楽著作権協会)
【年月日】平成18年3月22日
 東京地裁 平成17年(ワ)第2782号 不当利得返還請求事件
 (口頭弁論終結日 平成18年1月25日)

判決
原告 社団法人日本音楽著作権協会
同訴訟代理人弁護士 鈴木道夫
同 市村直也
同 藤原浩
同 木澤克之
同 風祭寛
同 石島美也子
被告 日本ショット株式会社
同訴訟代理人弁護士 飯島澄雄
同 飯島純子


主文
1 被告は、原告に対し、金1217万1113円及びこれに対する平成17年3月2日から支払済みに至るまで年6分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
 主文同旨
第2 事案の概要
 本件は、原告が、被告との間の著作権信託契約に基づいて、リヒャルト・シュトラウスを著作者とする音楽著作物に関し、原告が利用者から徴収して、被告に分配した著作物使用料のうち、平成12年1月1日以降の使用に係る1217万1113円について、上記著作物の著作権の存続期間は平成11年12月31日をもって満了したことから、原告の損失に基づき被告が法律上の原因なく利得したものであるとして、民法703条及び704条に基づいて、1217万1113円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成17年3月2日から支払済みに至るまで商事法定利率年6分の割合による利息の支払を求めたのに対し、被告が、上記著作権については、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律(以下「戦時加算特例法」という。)4条1項の適用により、存続期間が3794日間加算され、平成22年5月21日まで存続することになるから、受領した分配金は、法律上の原因なく利得したものとなるわけではないとして争っている事案である。
1 前提となる事実等(いずれも争いがない。)
(1)当事者
ア 原告は、著作権等管理事業法(平成12年法律第131号)に基づき、文化庁長官の登録を受けた著作権等管理事業者であり、音楽の著作物の著作権に関する管理事業(内・外国の音楽著作物の著作権者から著作権の全部又は一部の移転を受けるなどしてこれを管理し、レコード、映画、出版、興行、社交場、放送、有線放送等の各種の分野における音楽の利用者に対して、音楽著作物の利用を許諾し利用者から著作物使用料を徴収して、それを著作権者に分配すること等)を主たる目的とする社団法人である(なお、著作権等管理事業法の施行(平成13年10月1日)前の前身は、著作権ニ関スル仲介業務ニ関スル法律(昭和14年法律第67号)により許可を受けた著作権管理団体であった。)。
イ 被告は、楽譜演奏料収入の回収及びその管理、楽譜・音楽雑誌の輸出入、出版及び販売、レコードの輸出入及び販売等を目的とする株式会社であり、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国(以下「連合王国」という。)の法人であるブージー・アンド・ホークス・ミュージック・パブリッシャーズ・リミテッド(以下「ブージー社」という。)との間で、リヒャルト・シュトラウスを著作者とする音楽著作物について、下請出版契約を締結している。
(2)著作権信託契約
ア 原告(原告の前身である団体を含む。以下、同様に用いることがある。)は、昭和53年8月1日、被告との間で、原告を受託者、被告を委託者として、以下の信託期間及び対象による著作権信託契約(以下「本件信託契約」という。)を締結し、以降、被告の有する著作権についての管理を行っている(甲2)。信託期間昭和53年(1978年)8月1日から著作権存続期間対象委託者である被告の有する著作権(別紙1「楽曲リスト(R.シュトラウス作品一覧)」記載のリヒャルト・シュトラウスを著作者とする音楽著作物(以下「本件著作物」という。)を含む。)及び将来取得するすべての著作権
イ なお、平成14年4月1日から、被告の申出により、著作権信託契約約款(原告が締結する著作権信託契約の内容を定めるもの。甲3)4条の規定に基づいて、本件信託契約の管理著作物について、出版権等及び映画への録音に係る録音権が管理委託の範囲から除外されている。
(3)リヒャルト・シュトラウス
 リヒャルト・シュトラウスは、「アルプス交響曲」、「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、「英雄の生涯」、「サロメ」、「ばらの騎士」、「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「アラベラ」等の著名な作品で知られるドイツの作曲家であり、1864年に生まれ、1949年(昭和24年)9月8日に死亡した。リヒャルト・シュトラウスを著作者とする本件著作物に関する著作権の存続期間の終期については、1950年(昭和25年)から起算される(文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約パリ改正条約2条、3条、18条、著作権法6条3号、51条2項、57条)。
(4)別件の訴訟
 ブージー社は、平成14年、リヒャルト・シュトラウスが作曲した歌劇「ナクソス島のアリアドネ」の著作権を有するとして、同楽曲を上演した日独楽友協会に対し、同楽曲の上演権等の侵害に基づく損害賠償を請求する訴訟を提起した(以下、同訴訟を「別件訴訟」という。)。同訴訟では、同楽曲の上演権を含む著作権の存続期間が問題とされ、ブージー社は、昭和16年(1941年)12月7日の時点で、連合王国の法人であるフュルストナー・リミテッドが同著作権を有していたから、戦時加算特例法4条1項の適用により、存続期間は3794日間加算され、同著作権の存続期間は満了していない旨を主張したが、リヒャルト・シュトラウスが同著作権を行使することができなかったとはいえないとしてブージー社の上記主張は排斥され、同著作権は、リヒャルト・シュトラウスの死後50年の経過により、平成11年(1999年)12月31日をもって存続期間が満了し、消滅した旨の判断がなされた。そして、同判断は、同訴訟における、平成15年12月19日付けの最高裁判所による上告不受理の決定によって、最終的に確定した。
(5)リヒャルト・シュトラウスの著作物に関する著作権管理の状況
 リヒャルト・シュトラウスは、1912年2月29日、アドルフ・フュルストナー社との間で、「ナクソス島のアリアドネ」を含む本件著作物の著作権に関する契約を締結した(以下「1912年契約」という。乙1の1、6の1、11の1)。その後、アドルフ・フュルストナー社の経営者であったオットー・フュルストナーは、ヨハネス・エルテルに同社を委譲し、リヒャルト・シュトラウスがアドルフ・フュルストナー社に委ねた諸権利に関し、ドイツ帝国領土内については引き続き同社が、その他の地域についてはオットー・フュルストナーが有することとされた。オットー・フュルストナーは、1938年になって、連合王国においてフュルストナー・リミテッドを設立し、同人が有する権利は、フュルストナー・リミテッドに譲渡された。そして、フュルストナー・リミテッドは、1943年4月29日、同社の有していたすべての権利をブージー社に譲渡した。
(6)本件著作物に関する著作物使用料の被告への分配
 原告が、平成12年(2000年)1月1日以降に本件著作物を利用した利用者から徴収して、著作物使用料分配規程(管理する著作物の使用に伴う対価として徴収した著作物使用料等の分配方法を定める規程。甲3)に基づいて被告に分配した著作物使用料は、別紙2「日本ショット兜ヤ還請求額・種目別明細」の「返還請求額」欄記載のとおりであり、その合計額は1217万1113円である。なお、原告は、平成16年1月13日、「ナクソス島のアリアドネ」について、著作権信託契約約款29条2号に基づく管理除外措置(著作物の使用許諾、著作物使用料等の徴収を必要な期間行わない措置)を採り、同年2月1日から、その他のリヒャルト・シュトラウスを著作者とする管理著作物についても、同様に管理除外措置を講じた。また、原告は、現在、本件著作物を、著作権消滅作品として取り扱っている。
2 争点
 本件著作物の著作権について、戦時加算特例法4条1項の適用があるか(本件著作物の著作権の存続期間の終期については、リヒャルト・シュトラウス死亡の翌年である昭和25年(1950年)1月1日から起算されるところ、原則に従えば50年の経過により、平成11年12月31日に存続期間が満了することになるが、戦時加算特例法4条1項が適用されるとすれば、存続期間について3794日間が加算され、いまだ満了していないこととなる。)。
3 争点(戦時加算特例法4条1項の適用の有無)についての当事者の主張
(被告の主張)
(1)戦時加算特例法4条1項の適用
 戦時加算特例法4条1項が適用されるためには、昭和16年(1941年)12月7日に、連合国又は連合国民が著作権(同法2条3項により、旧著作権法(明治32年法律第39号、以下「旧著作権法」という。)に基づく権利(同法28条の3に規定する出版権を除く。)の全部又は一部をいう。)を有していたことが必要であるところ、リヒャルト・シュトラウスを著作者とする本件著作物の著作権については、アドルフ・フュルストナー社及びオットー・フュルストナーを経て、上記時点で、連合王国の法人であるフュルストナー・リミテッドが有していたものであり、同法人は、戦時加算特例法4条1項の連合国民に該当する(同法2条2項2号、日本国との平和条約25条)から、本件著作物の著作権については、戦時加算特例法4条1項により、存続期間が3794日間加算され、平成22年5月21日まで存続する。
(2)1912年契約の解釈
 リヒャルト・シュトラウスは、1912年契約において、同人の著作物に係る権利の管理をアドルフ・フュルストナー社に任せているが、これは、同人の著作物に係る著作権をアドルフ・フュルストナー社に信託的に譲渡したものである。そして、戦時加算特例法4条1項は、連合国民が、音楽著作権又はその一部である支分権について信託的譲渡を受けていた場合を排除するものではないので、信託的譲渡を受けたアドルフ・フュルストナー社から、同社の権利を、オットー・フュルストナーを介して承継したフュルストナー・リミテッドは、同項の適用に当たり、著作権を有していたということができる。
 以下、支分権ごとに、譲渡の内容を述べる。
ア 複製権
 旧著作権法1条1項において認められていた複製権については、1912年契約において、リヒャルト・シュトラウスから、アドルフ・フュルストナー社に対して譲渡され(1条)、その譲渡に係る対価が7万5000ドイツマルクと定められた(4条)。
イ 上演権
(ア) 旧著作権法1条2項において認められていた上演権については、1912年契約において、リヒャルト・シュトラウスからアドルフ・フュルストナー社に対する独占的管理権が付与された(8条)。この独占的管理権の付与は、音楽著作物の著作権の譲渡と同一の機能を有するものであり、音楽著作物の利用開発手段としての信託的譲渡に相当する。
(イ) 別件訴訟では、@1912年契約7条において、「作品の上演権は、楽曲についても歌詞についても全範囲にわたり、すべての国、すべての言語について、シュトラウスが留保する。」と定められていること、A1912年契約8条で用いられている「ubertragt」(「ubertragen」の3人称。)は「委任する」という意味に理解されることから、上演権は、アドルフ・フュルストナー社に譲渡されたのではなく、管理を委託されたにすぎないと判断された。しかし、上記の判断は、以下のとおり、誤りである。
a @の点は、1912年契約7条が、当時のドイツにおける著作権法の改正に係る事情を背景とした、みせかけの権利留保規定であることから、上演権の譲渡を否定する根拠とはならない。すなわち、ドイツの1870年の著作権法50条2項では、楽譜として発行された音楽的著作物についてその楽譜に「上演権が作曲家に留保される」旨の表記がされていないとき、作曲家の許諾を得ることなくその楽曲を自由に公に演奏できる旨規定されていた。1901年に施行された「文学的及音楽的著作権法」(以下「1901年ドイツ著作権法」という。)では、上記のような上演権留保表示(以下「本件留保表示」という。)を楽譜に記載しなくても作曲家に上演権が認められた反面、同法施行前に本件留保表示をせず、保護を受けなかった楽曲については、本件留保表示をすることが求められたため、本件留保表示の記載のないもので上演権が保護される著作物と保護されない著作物とが併存することとなった。この状況において、作曲家及び出版者は、本件留保表示を付すことが保護の要件となっているものか否かに関わらず、無許諾上演を未然に防ぎ、上演権の保護を確実にするために、本件留保表示を楽譜に付す方策を採らざるを得なかった。1912年契約の7条は、このような自衛的慣行に従って設けられた条項であるから、リヒャルト・シュトラウスに上演権を留保することにその目的があるのではない。
 「ナクソス島のアリアドネ」の楽譜の表紙裏面には、「Das Rechtder Auffuhrung ist vorbehalten. All rights of public formance reserved.Dr. Richard Strauss」(上演権はリヒャルト・シュトラウスに留保される)との表示がされているが、同楽譜の最初の頁の左下には、「Copyright 1916 by Adolph Furstner」(著作権1916 アドルフ・フュルストナー社)、「Copyright renewed 1940 by Furstner Ltd.」(著作権更新1940 フュルストナー・リミテッド)及び「Copyright assigned 1943 to Boosey & Hawks Ltd.」(著作権譲渡1943 ブージー・アンド・ホークス・リミテッド)と表示されており、前記上演権留保の表示が、1912年契約7条に対応する、みせかけの留保にすぎないことがわかる。
 さらに、「アラベラ」や「無口な女」は、ブージー社において、リヒャルト・シュトラウスが著作権を留保していると認識している楽曲であるところ、これらの楽譜には、「ナクソス島のアリアドネ」の楽譜にあるのと同様の上演権留保の表示がされ、さらに、「アラベラ」には、「Copyright 1933 by Richard Strauss」(著作権1933 リヒャルト・シュトラウス)及び「Copyright renewed 1960 by FranzStrauss」(著作権更新1960 フランツ・シュトラウス(リヒャルト・シュトラウスの子) ) との表示が、 「無口な女」には、「Copyright 1935 by Richard Strauss」(著作権1935 リヒャルト・シュトラウス)との表示がされている。「ナクソス島のアリアドネ」について、本来の意味で上演権の留保がされていたとすれば、「アラベラ」や「無口な女」と同様の表示になっていたはずであるが、前記のとおり、そのように表示されておらず、このことからも、「ナクソス島のアリアドネ」について、上演権の留保がみせかけであったことが理解できる。
b Aの点についても、「ubertragen」の語は、譲渡の意味であるから、リヒャルト・シュトラウスからアドルフ・フュルストナーへの上演権の譲渡を裏付けるもので、それを否定する根拠とはならない。
 すなわち、1901年ドイツ著作権法の8条には、「ubertragen」の語が用いられているところ、その意味は、「譲渡」であるし、ドイツ法律用語辞典によれば、「ubertragen」は、法律用語として「譲渡」の意味以外には使用されず、「委任」を意味する言葉としては、「uberlassen」の語が適切である。1912年契約8条では、アドルフ・フュルストナー社が、リヒャルト・シュトラウスに代わって劇場と交渉、契約し、使用料を徴収すること、その管理の対価として、ドイツ語で上演された全公演収入の5%、外国語で上演された全公演収入の10%のロイヤリティを受け取ることとされている。また、同条に明記されていないが、アドルフ・フュルストナー社は、同社の名前において第三者に対し訴訟を提起している。これは、20世紀初頭当時の劇場上演権の管理について、劇場代理人が著作者のために上演権の開発を行い、その対価として通常徴収額の10%を得て、著作者の利益のために行動する義務を負うとの権利関係を、信託的譲渡であると解していることと同じものである。
 このように、上演権の管理の譲渡は、単なる管理の委託などではなく、著作権の一支分権である上演権の信託的譲渡になるため、アドルフ・フュルストナー社(後に、フュルストナー・リミテッドやブージー社)は、自己の名前で、かつ、リヒャルト・シュトラウスの計算で、上演権を管理していたのである。
(ウ) 別件訴訟では、1912年契約7条において、前記(イ)記載のとおりに定められ、8条において、「シュトラウスまたはその承継者は、販売と上演権の管理を、全面的または部分的または個々のケースについて引き受ける権利を維持している。しかし、シュトラウスまたはその承継者は、上演権の管理を全面的にも部分的にも他の音楽出版社または第三者に委譲することはできない。シュトラウスまたはその承継者が上記の上演権を自ら引き受けない限り、アドルフ・フュルストナー社は、上記で委譲された上演権の管理を行う義務を有する。」と、それぞれ定められていることから、同契約上、リヒャルト・シュトラウス又はその承継者が、自ら(他者を履行補助者とする場合を含む。)、「ナクソス島のアリアドネ」の上演をする権利を有していたこと、また、同楽曲の販売と上演権の管理を引き受ける権利を有していたことが認定されているが、これは、以下のとおり、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社間の1933年1月29日付け契約書(以下「1933年契約」という。)(乙30)及びブージー社とリヒャルト・シュトラウス著作権財団との間の1987年11月20日付け合意書(以下「1987年合意書」という。)(乙32)の内容と整合しないものである。
 すなわち、1933年契約では、アドルフ・フュルストナー社に譲渡された権利をリヒャルト・シュトラウス自ら管理するためには当該契約を取り消さなければならないことを規定しており、リヒャルト・シュトラウスは、この1933年契約を締結した結果、アドルフ・フュルストナー社への権利譲渡を取り消さない限り自ら権利を行使することが不可能となった。そして、ショット・ムジーク・インターナショナルの代表者であるAのB弁護士宛ての書簡(乙29)や、リヒャルト・シュトラウスの孫に当たるCから原告宛ての平成16年(2004年)11月18日付け書簡(乙22の1〜22の2)によれば、実際にも、リヒャルト・シュトラウスは、自身による権利行使をしなかったものである。そうすると、リヒャルト・シュトラウスが戦時中日本において自ら権利を行使することは、理論上不可能であった。
 さらに、1987年合意書では、リヒャルト・シュトラウス著作権財団が、ブージー社が有する権利の権利処分を望むか、同社による音楽出版分野での活動の中止を望む場合には、リヒャルト・シュトラウス著作権財団が、ブージー社との間で取り決める条件において買戻しをする優先権を有する旨が定められており、ブージー社が有する権利は、買戻しをしなければならないほどの強力な権利であることが明らかである。
 したがって、アドルフ・フュルストナー社に譲渡された権利は、単なる管理権ではなく、買戻しを要する強力な権利であり、リヒャルト・シュトラウスの権利行使の可能性はなかったものである。
ウ 演奏権
 1912年契約の9条において、「シュトラウスは、演奏会における演奏権、すなわち、舞台作品以外の作品、または作品の個々の部分の排他的演奏権を、ドイツ作曲家組合(Genossenschaft Deutscher Tonsetzer)(GDT)に委譲する。」と定められているが、同条では、さらに、「演奏会における演奏権使用に関するアドルフ・フュルストナー社の取得割合は、アドルフ・フュルストナー社とドイツ作曲家組合の間に存在する協定比率によって査定する。」との定めもされている。ここでは、リヒャルト・シュトラウスがアドルフ・フュルストナー社に対していかなる権利を付与したのかは明記されていないが、上記の、アドルフ・フュルストナー社の取得割合が、ドイツ作曲家組合との間の協定比率によって査定されるとの定めからすれば、アドルフ・フュルストナー社がリヒャルト・シュトラウスから演奏権について隠れた(黙示の)信託的譲渡を受けたことがうかがえる。そして、同条項によれば、ドイツ作曲家組合が解散された場合は、同契約8条の上演権の管理についての内容が適用されることとされており、この場合には、アドルフ・フュルストナー社に対する演奏権の信託的譲渡が明示されることとなる。また、連合王国においてフュルストナー・リミテッドが設立された際、同地域にドイツ作曲家組合の管轄は及ばないので、フュルストナー・リミテッドが演奏権について直接の管理権を行使するようになった。
 なお、ドイツ作曲家組合を承継した国策音楽著作権使用料徴収協会(以下、「STAGMA」という。)の正式な承継者である音楽演奏権・機械的複製権協会(以下、「GEMA」という。)は、戦時中、STAGMA及びGEMAと日本地域における作品の管理契約をしていた者はおらず、フュルストナー・リミテッド及びブージー社のみが日本においてリヒャルト・シュトラウス作品の演奏権の管理をすることができたと述べている。
エ 録音権
 1912年契約2条において、リヒャルト・シュトラウスは録音権をドイツ作曲家組合(GDT)に管理させること、アドルフ・フュルストナー社は徴収した使用料のうち一定の割合を得ることが定められており、これは、前記ウの演奏権における場合と同様、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社との間で隠れた信託的譲渡がされていることを示している。また、GEMAは、戦時中、フュルストナー・リミテッド及びブージー社のみが日本においてリヒャルト・シュトラウス作品の録音権の管理をすることができたと述べている。
(3)小括
 以上から、1941年12月7日の時点で、譲渡あるいは信託的譲渡を受けて、リヒャルト・シュトラウスの著作物の出版権、上演権、演奏権及び録音権を有していたのは、アドルフ・フュルストナー社の権利をオットー・フュルストナーを経て承継したフュルストナー・リミテッドであり、戦時中、リヒャルト・シュトラウスは日本において自ら権利を行使することができず、フュルストナー・リミテッド及びそれを承継したブージー社のみが独占的に権利を行使し得た。したがって、これらの権利については、戦時加算特例法4条1項の適用が認められるべきである。
(原告の反論)
(1)存続期間の満了
 リヒャルト・シュトラウスは、昭和24年(1949年)9月8日に死亡していることから、本件著作物の存続期間は、平成11年12月31日をもって満了した。
(2)被告の主張に対する反論
ア 被告は、以下の理由から、1912年契約において、リヒャルト・シュトラウスの著作物の著作権がアドルフ・フュルストナー社に信託的に譲渡され、同社の権利を承継した連合国民であるフュルストナー・リミテッドが、1941年12月7日時点で上記著作物の権利者であったから、戦時加算特例法4条1項が適用されると主張する。
(ア) 「ubertragen」の意味は、別件訴訟で裁判所が解釈した「委任」ではなく、また、別件訴訟の控訴理由でブージー社が主張した「委譲」でもなく、「譲渡」と解するのが正しい。
(イ) 1912年契約7条において、リヒャルト・シュトラウスが上演権を留保する旨定められているが、この規定は虚偽表示である。1901年ドイツ著作権法のもとでは、上演権が保護されるための条件として、本件留保表示の記載が必要な著作物と不要な著作物が並存していて混乱を招きやすい状況にあり、本来留保表示が不要なものでも確実に上演権を保護するための方策として留保表示を記載するというのが当時の自衛的慣行であり、上記7条は、この慣行に従って設けられたものにすぎない。
(ウ) 演奏権や録音権についても、契約書上、アドルフ・フュルストナー社へのロイヤリティ取り分が明記されているから、これらの権利についても、リヒャルト・シュトラウスから同社に対して、隠れた信託的譲渡がされていると解釈するのが合理的である。
イ しかし、以下に反論するとおり、1912年契約は、リヒャルト・シュトラウスがアドルフ・フュルストナー社に著作権の管理を委託したにすぎないものと解するのが合理的である。
(ア) 「ubertragen」の訳語について、被告は、1901年ドイツ著作権法8条において、この用語が「譲渡」の意味で用いられており、法律用語としても「譲渡」の意味で使用するのが一般的であることを指摘して別件訴訟での判断に反論するものであるが、別件訴訟では、1912年契約全体の合理的解釈の結果としてその内容を確定したものであって、用語だけに着目したものではないから、別件訴訟での判断に対する合理的な反論となっていない。
(イ) 被告は、1912年契約の7条の規定が虚偽表示であると主張するが、@被告の主張するような1901年ドイツ著作権法を背景とした自衛的慣行があったかどうか必ずしも明らかでないこと、A被告の主張を前提にしても、1901年ドイツ著作権法の成立から10年以上が経過した1912年の段階で、そのような慣行が存続していたのは不自然であること、B仮にこのような自衛的慣行があったとしても、それをリヒャルト・シュトラウスと音楽出版者であるアドルフ・フュルストナー社との間の契約書で記載しなければならない合理的理由は認められないこと、Cさらに、別件訴訟の判断が示すとおり、上演権を留保していることを前提にしてはじめて説明が可能となる代理権条項や取立て代行規定が別途存在すること、D「権利を留保する」という文言は、後記(ウ)の1935年契約にも明記されており、そこでは、リヒャルト・シュトラウスに一切の権利を留保する旨の明確な意味が与えられていること、Eリヒャルト・シュトラウスは、音楽家自身の著作権の確立のために主体的に運動を展開しており、上記文言に文字通りの意味を込めたと解するのがそれに合致すること、を総合勘案すると、1912年契約の権利留保条項は、文字通りの意味を有し、リヒャルト・シュトラウスに上演権を留保したものと解釈するのが妥当である。
(ウ) リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社との間の、1935年3月31日付けの契約(以下「1935年契約」という。)は、「アラベラ」に関する著作権契約及びそれ以前に締結された著作権契約の解釈について合意するという内容になっており、当時のリヒャルト・シュトラウスの著作物についての著作権管理について定めるものである。そこでは、「これらの作品の映像及び音声の複製に関する一切の権利は複製の手段…を問わずシュトラウスに留保されることを了解する。」「シュトラウスは以前の契約に従い出版者フュルストナーに管理を委託する。」などの記載が端的に認められ、1912年契約の前記解釈が正当であることを裏付けている。
(エ) 1935年10月31日付けのリヒャルト・シュトラウスからオットー・フュルストナーに宛てた書面(乙4)(以下「1935年書簡」という。)及び1945年1月7日付けのリヒャルト・シュトラウスからブージー社に宛てた書面(乙5)(以下「1945年書簡」という。)では、個別の作品に言及せずに、リヒャルト・シュトラウスが契約関係の承継について包括的に同意を与え、また、契約関係の承継に当たっての契約条件をリヒャルト・シュトラウス自ら確認しており、さらに、1945年書簡では、ブージー社に委ねる権利が「管理権」である旨明記されている。
(オ) 被告が、演奏権や録音権について主張する隠れた信託的譲渡という構成は、それ自体明確ではなく、前記のとおり、1935年契約等の文言などからすれば、被告主張のような解釈をすることは困難である。
(カ) ブージー社は、別件訴訟の控訴理由書及び上告受理申立書の中で、本件訴訟で被告が主張する信託的譲渡という法的構成があることを前提にしながら、あえてその選択肢を捨てて、独占的管理権による戦時加算特例法の適用を主張していたのであり、ブージー社自身が、信託的譲渡の構成が契約書の解釈上難しいことを自認していたと考えられる。
ウ 仮に、被告が主張するような信託的譲渡であるという構成を前提にしたとしても、被告も自認するとおり、信託的譲渡は、音楽出版者が音楽著作物を管理するための一つの手段なのであるから、別件訴訟において、東京高等裁判所が判示したように、「戦争という特殊な社会情勢のため、フュルストナー・リミテッドないしブージー・アンド・ホークスがリヒャルト・シュトラウスの著作権を日本において行使し得ないという状況の下では、日本において同著作権を行使する権利をリヒャルト・シュトラウスに認めるというのが契約の合理的解釈である」というべきであり、この意味でも、被告の主張には理由がない。被告は、この点について、「権利の取戻しをリヒャルト・シュトラウスが行った事実がないので、リヒャルト・シュトラウスが戦争期間中日本で自ら権利を行使することができなかった」と主張するが、戦時加算特例法は、その趣旨において、あくまでも権利行使の可能性を問題にするものであり、戦時下でリヒャルト・シュトラウスに権利行使を認めるのが契約の合理的解釈であって、リヒャルト・シュトラウスにおいて権利行使が可能である以上、実際に権利の取戻し(行使)を行ったか否かに関係なく、戦時加算特例法の適用は否定されるというべきである。
第3 争点(戦時加算特例法4条1項の適用の有無)に対する当裁判所の判断
 戦時加算特例法4条1項は、昭和16年(1941年)12月7日に、連合国民が有していた著作権(同法2条3項により、旧著作権法に基づく権利(同法28条の3に規定する出版権を除く。)の全部又は一部をいう。)に適用される。
 被告は、本件著作物の著作権について、アドルフ・フュルストナー社及びオットー・フュルストナーを経て、当時、連合王国の法人であるフュルストナー・リミテッドが有していたものであるから、戦時加算特例法4条1項が適用される旨主張するので、以下、本件著作物の著作権に関する契約等の事実経過について検討し、その上で、同項の適用の有無を検討する。
1 事実認定
 前記前提となる事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1)リヒャルト・シュトラウスの生年及び没年
 リヒャルト・シュトラウスは、「アルプス交響曲」、「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、「英雄の生涯」、「サロメ」、「ばらの騎士」、「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「アラベラ」等の著名な作品で知られるドイツの作曲家であり、1864年に生まれ、昭和24年(1949年)9月8日に死亡した(争いがない。)。
(2)1912年契約
 リヒャルト・シュトラウスは、1912年2月29日、アドルフ・フュルストナー社との間で、要旨、次の内容の契約を締結した(乙1、6、11(いずれも枝番を含む。以下同じ。))。
「第1条
 …
 さらに、シュトラウスはアドルフ・フュルストナー社に、「ナクソス島のアリアドネ」と「町人貴族」に対してシュトラウスが作曲した音楽に対する独占的、無制限の複製権と販売権を委譲する。
 …
 第2条
 …
 しかし、特に蓄音機、送信装置、鍵盤楽器、オーケストリオンなど各種の機器や楽器への複製権ならびに映画への利用権は一緒に委譲されない。シュトラウスはこれら権利を留保し、 ドイツ作曲家組合(Genossenschaft Deutscher Tonsetzer)に管理させる。機械的音楽に関する権利と映画に関する権利の利用収入からドイツ作曲家組合管理費と扶助基金用決定額を控除した収益から、アドルフ・フュルストナー社は…の配当金を受け取る。…シュトラウスが、機械的音楽装置によって作品を再生する権利、そのための複製(レコード、音楽ロール( Walzen) 、穴あき楽譜ロール(perforierte Notenrollen)など)の複製権と販売権ならびに映画化権を作曲家組合に管理させずに、第三者に使用または販売を委託しようとする場合、アドルフ・フュルストナー社に先買権がある。…シュトラウスが機械的音楽装置による演奏権の利用と映画利用による演奏権または販売権を、自身または第三者により、これら権利のうちの1つの権利を行使する場合、シュトラウスは、かかる利用からの収益の…をアドルフ・フュルストナー社に支払う。
 第7条
 作品の上演権は、楽曲についても歌詞についても全範囲にわたり、すべての国、すべての言語について、シュトラウスが留保する。全ての出版物には、出版社が「上演権は作曲家が留保する」旨の短い表示をつけるものとする。シュトラウス自身とその承継者は、シュトラウスが保有するこの作品の上演権を、全世界でも個々の国でも、他の音楽出版社または第三者に委譲しないものとする。シュトラウスは、さらに、当該劇場がアドルフ・フュルストナー社の演奏用楽譜を発注すること、または発注したことを、劇場に対する許諾条件とする。
 第8条
 シュトラウスは、上記作品が法的に保護されている限り、また本契約第9条に別途規定されていない限り、アドルフ・フュルストナー社に上記作品の全体または個々の部分の販売と上演権の管理の権利を委譲する。それに対し、アドルフ・フュルストナー社は、シュトラウスの名前で、上演権について劇場と折衝し、上演権に関する契約を締結し、上演許諾料を徴収する。シュトラウスは、アドルフ・フュルストナー社に、この目的のため特別代理権を与える。シュトラウスまたはその承継者は、販売と上演権の管理を、全面的または部分的または個々のケースについて引受ける権利を維持している。しかし、シュトラウスまたはその承継者は、上演権の管理を全面的にも部分的にも他の音楽出版社または第三者に委譲することはできない。シュトラウスまたはその承継者が上記の上演権を自ら引受けない限り、アドルフ・フュルストナー社は、上記で委譲された上演権の管理を行なう義務を有する。
 …
 第9条
 シュトラウスは、演奏会における演奏権、すなわち、舞台作品以外の作品、または作品の個々の部分の排他的演奏権を、ドイツ作曲家組合(Genossenschaft Deutscher Tonsetzer)に委譲する。演奏会における演奏権使用に関するアドルフ・フュルストナー社の取得割合は、アドルフ・フュルストナー社とドイツ作曲家組合の間に存在する協定比率によって査定する。しかし、演奏には、アドルフ・フュルストナー社が出版し同社に発注された演奏用楽譜だけを使用するものとする。ベルリンのドイツ作曲家組合が万一解散する場合は、アドルフ・フュルストナー社が興行会社、協会などを通じての作品演奏権の販売を引受け、かかる演奏による収入金額から…を受け取るものとする。この場合、演奏会における演奏権の管理には、第8条所定の劇場演奏に関する規定が適切に適用される。」
(3)1933年契約
 リヒャルト・シュトラウスは、1933年1月29日、アドルフ・フュルストナー社との間で、それ以前に交わした契約の条項の明確化と変更に関するものとして、要旨、次の内容の契約を締結した(乙30)。「1.多くの契約で、出版社は、作曲者に留保されている上演権の管理をまかされている。一方、録音権、映画権、コンサート演奏権は特別の機関に譲渡される。作曲者は、自身で管理を引き受けるためにいつでもその管理契約を解除することができる。
 …
 上演権をみずから管理するためにこの権利を作曲者が行使する場合、作曲者は劇場ならびに利害関係者に当該条件のもとでの契約終了を通知し、彼らは上記権利の管理に関する全ての問題について作曲者と直接条件交渉しなくてはならず、事前に出版社と合意していた使用料を作曲者に直接支払わなくてはいけない。」
(4)1935年契約
 リヒャルト・シュトラウスは、1935年3月31日、アドルフ・フュルストナー社との間で、「アラベラ」に関する契約より前にされた著作権に関する契約の解釈について、要旨、次の内容の契約を締結した(乙33)。
 「上記の契約がおこなわれた時点においては現在のような映像及び音声複製のための技術的装置は存在せず、また現時点でみられるような技術効率が達成されていなかったことを考慮し、これらの権利から生ずる収入に関し以下のとおり合意した。
1 これらの作品の映像及び音声の複製に関する一切の権利は複製の手段、また技術手段の既存あるいは将来における発見のいかんを問わずシュトラウスに留保されることを了解する。これらの権利には既存の複製方法における権利、すなわち録音権、シンクロ、映画録音権(音声映画制作権及び音声映画上映権、放送権及び最後に音声映画放送及びテレビ放送)が含まれる。
 …
3 上記権利がSTAGMAまたはその他の公認の協会により管理されていない場合、シュトラウスは以前の契約に従い出版者フュルストナーに管理を委託する。出版者フュルストナーはシュトラウス及び相続人のためにこれらの権利の利用について第三者と交渉し、シュトラウスと合意した条件でその第三者に許諾を付与できる権限を有する。」
(5)1935年書簡
 リヒャルト・シュトラウスは、1935年10月31日付けで、オットー・フュルストナーに宛てて、要旨、次の内容の書簡を送付した(乙4)。
 「私は、私の作品に関する各種の権利を長年にわたりアドルフ・フュルストナー社(貴殿が最後の唯一の事業主だった)に与えてきました。私は、貴殿が当該アドルフ・フュルストナー社を貴殿の長年の同僚であるヨハネス・エルテル氏に売却したこと、及び私が同社に譲渡したすべての権利の世界について貴殿が責任を担っていることを承知しています。
 さらに、私は、貴殿がドイツ帝国領土においてこれらの権利を行使し、活用することを、現在ヨハネス・エルテル氏が経営するアドルフ・フュルストナー社に対して、10年を期限として委ねていることを知り、ここに貴殿のかかる措置に全面的に同意します。
 …
 また、私は、貴殿が、貴殿に留保されている権利を、国内外の会社に(資本参加の際に)譲渡することについては、貴殿が少なくとも50%の割合でその会社から利益配分を受けるとの条件で、同意します。」
(6)1945年書簡
 リヒャルト・シュトラウスは、1945年1月7日付けで、ブージー社に宛てて、要旨、次の内容の書簡を送付した(乙5)。
 「私は、フュルストナー・リミテッドとブージー&ホークス・リミテッド(295リージェント・ストリート、ロンドン)間で締結された1943年3月2日付契約に基づき、フュルストナー・リミテッドがブージー&ホークス・リミテッドに私の作品に関する権利を譲渡したことについて、ここに同意を与えると共に、ブージー&ホークス・リミテッドに以下の権利を委ねる。
1 私の上演権の管理権
 …
 フュルストナー・リミテッドに課せられているのと同じ制限的諸条件に従うことを条件とする。
2 私の機械的複製権、映画化権、及びラジオ放送権を管理する権利
 ブージー&ホークス・リミテッドが私の作品に関する権利を取得したその国々について、私とアドルフ・フュルストナー・ベルリン社間で締結された1935年3月31日付契約の諸条件に従う。」
(7)アドルフ・フュルストナー社の権利の承継(争いがない。)
 アドルフ・フュルストナー社の経営者であったオットー・フュルストナーは、1935年ころ、ヨハネス・エルテルに同社を委譲し、リヒャルト・シュトラウスがアドルフ・フュルストナー社に委ねた諸権利に関して、ドイツ帝国領土内については引き続き同社が、その他の地域についてはオットー・フュルストナーがこれを有することとされた。
 1938年になって、オットー・フュルストナーは、連合王国においてフュルストナー・リミテッドを設立し、同人が有する権利は、フュルストナー・リミテッドに譲渡された。
 そして、1943年4月29日、フュルストナー・リミテッドは、同社の有していたすべての権利をブージー社に譲渡した。
(8)別件訴訟
ア 平成14年、ブージー社は、リヒャルト・シュトラウスが作曲した歌劇「ナクソス島のアリアドネ」の著作権を有するとして、同楽曲を上演した日独楽友協会に対し、同楽曲の上演権等に基づく損害賠償を請求する別件訴訟を提起した。別件訴訟では、同楽曲の著作権の存続期間が問題とされ、ブージー社は、昭和16年(1941年)12月7日の時点で、連合王国の法人であるフュルストナー・リミテッドが同著作権を有していたから、戦時加算特例法4条1項の適用により、存続期間は3794日間加算され、同著作権の存続期間は満了していない旨を主張したが、下級裁判所において、以下のとおり、リヒャルト・シュトラウスが同著作権を行使することができなかったとはいえないとしてブージー社の上記主張は排斥され、同著作権は、リヒャルト・シュトラウスの死後50年の経過により、平成11年(1999年)12月31日をもって存続期間が満了し、消滅した旨の判断がなされた。そして、同判断は、最終的に、平成15年12月19日付けの最高裁判所による上告不受理の決定によって確定した(争いがない。)。
イ 別件訴訟の第1審(東京地方裁判所平成15年2月28日判決)では、以下のような判断が示された(甲6)。
 「リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社の1912年2月29日付けの契約書の記載に加え、その後もアドルフ・フュルストナー社の有する権利の承継者に対してリヒャルト・シュトラウスが
 承継の同意と契約条件の確認を行ってきたこと等…の事実からすると、本件楽曲の著作権は、リヒャルト・シュトラウス及びその相続人が有しており、アドルフ・フュルストナー社、オットー・フュルストナー、フュルストナー・リミテッド及び原告は、いずれも、リヒャルト・シュトラウスからの委託により、著作権の管理を行っていたに過ぎないものと認められ、リヒャルト・シュトラウス及びその相続人には、上演権や上演権を管理する権限が留保されているから、自ら権利行使することは可能であったものと認められる。」
ウ 別件訴訟の控訴審(東京高等裁判所平成15年6月19日判決)では、判決の理由において、第1審における裁判所の判断が引用されるとともに、以下のような判断が示された(甲7)。
 「これらの条項(1912年契約の7条及び8条を指す。)からは、本件基本契約(1912年契約を指す。)上、リヒャルト・シュトラウスないしその承継者が、自ら(他者を履行補助者とする場合を含む。)、本件楽曲の上演をする権利を有していたこと、また、本件楽曲の販売と上演権の管理を引き受ける権利を有していたことが明らかである。甲第16号証(ショット・ムジーク・インターナショナルの代表取締役AのB弁護士あての書簡)中にも、リヒャルト・シュトラウス自身が、自ら上演をしたことがあった事実が指摘されている。
 …
 仮に、控訴人(ブージー社を指す。)の主張するような、独占的管理権をフュルストナー・リミテッド、ひいては、控訴人が有していたとしても、戦争という特殊な社会情勢のため、フュルストナー・リミテッドないし控訴人が、本件楽曲の著作権を日本において行使し得ないという状況の下では、日本において同著作権を行使する権利を、リヒャルト・シュトラウスに認める、というのが、本件基本契約についての合理的解釈であるというべきである。」
2 検討
(1)戦時加算特例法4条1項は、昭和16年(1941年)12月7日に、連合国民が有していた著作権に適用される。そして、ここでいう著作権とは、同法2条3項により、旧著作権法に基づく権利(同法28条の3に規定する出版権を除く。)の全部又は一部を意味するところ、本件で問題となっている本件著作物に関する著作権は、上演権(同法1条2項)、演奏権(同項)、及び録音権(同法22条の6)であると解される(甲5)。そして、戦時加算特例法が、日本国との平和条約15条(C)の規定に基づいて制定されたものであり(同法1条)、その趣旨が、戦時中、連合国又は連合国民が有していた著作権については、日本においてこれを行使し得ず、実質的な保護が図られなかったことから、存続期間の例外を定めたという点にあることにかんがみると、同法4条1項の適用に当たっては、戦時中、当該著作権の行使が日本において完全に否定されていたか否かという観点から、「連合国及び連合国民が有していた著作権」と評価できるか否かを検討すべきものと解される。
(2)被告は、アドルフ・フュルストナー社が、1912年契約において、リヒャルト・シュトラウスの著作物について、上記著作権(上演権、演奏権及び録音権)の信託的譲渡を受け、同社の権利が、オットー・フュルストナーを介して、フュルストナー・リミテッドに承継されたから、昭和16年(1941年)12月7日に、連合国民であるフュルストナー・リミテッドが、本件著作物の上記著作権を有していた旨主張するので、以下、支分権ごとに検討する。
ア 上演権
(ア) 上演権については、1912年契約の7条及び8条において定められているところ、前記1?のとおり、1912年契約7条では、上演権についてリヒャルト・シュトラウスに留保される旨が記載されている。そして、同契約8条では、上演権の管理の権利がアドルフ・フュルストナー社に委譲されることとともに、アドルフ・フュルストナー社が、シュトラウスの名前で上演権に関する契約の締結等を行い、シュトラウスがアドルフ・フュルストナー社に、そのための特別代理権を与えること、シュトラウスが上演権の管理を引き受ける権利を維持していることが記載されている。
 これらの記載によれば、リヒャルト・シュトラウスが、本件著作物について、上演権を有し、その管理を引き受ける権利を有していたと解するのが相当であり、この点は、別件訴訟においても同様に判断されているところである。また、このことは、前記1で認定した、1933年契約において、「作曲者に留保されている上演権」との記載があること、1935年書簡において、アドルフ・フュルストナー社の事業を同社とオットー・フュルストナーとで分割することとなった際に、リヒャルト・シュトラウスが同意を与え、その後の権利関係の移動について条件を付していること、さらに、1945年書簡において、フュルストナー・リミテッドからブージー社への承継についてリヒャルト・シュトラウスが同意を与え、権利行使に当たっての条件を確認していること等とも整合するものである。
 このように、リヒャルト・シュトラウスにおいて、本件著作物について、上演権を有し、あるいは、その管理を引き受ける権利を有していたのであるから、戦時中に日本における上演権行使の可能性があったものと認めることができ、アドルフ・フュルストナー社の権利を承継した連合国民であるフュルストナー・リミテッドが、上演権を有していたと評価することは相当ではないと解される。
(イ) 被告は、この点について、まず、1912年契約の7条は、当時の慣行に基づいた、みせかけの権利留保規定である旨主張する。すなわち、1901年ドイツ著作権法のもとでは、上演権の保護を受けるために、上演権を作曲者に留保するとの本件留保表示の記載が必要な著作物と、同表示の記載が不要な著作物とが並存して混乱しやすい状況にあったため、本件留保表示の記載が不要な著作物についても、上演権の保護を確実にするために、自衛的に本件留保表示を記載する慣行があり、上記条項は、この慣行に従ったものであると主張する。そして、その裏付けとして、同慣行があった旨を述べたDの2005年4月26日付け意見書(乙12)、著作権がアドルフ・フュルストナー社にあること(及びフュルストナー・リミテッドに更新され、ブージー社に譲渡されたこと)の表示のほかに、リヒャルト・シュトラウスに上演権がみせかけだけ留保されている「ナクソス島のアリアドネ」の楽譜(乙13)、反対に、著作権がリヒャルト・シュトラウスにあることを表示しつつ、上演権が
 実際にリヒャルト・シュトラウスに留保されている旨の表示をしている「アラベラ」及び「無口な女」の楽譜(乙14、15)を提出する。しかし、原告も指摘するとおり、上記自衛的慣行の存在は、上記証拠によっても明確ではなく、他に、これを認めるに足りる証拠もない(仮に、1901年のドイツ著作権法施行当時、同慣行が存在していたとしても、それから10年以上が経過した1912年において、引き続き同様の状況が継続していたかは明らかではない。)。また、上演権の保護の確実を期するために同慣行の存在が必要であったとすれば、第三者が閲読し得る楽譜等の出版物において本件留保表示を記載することが重要であると解され、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社との個別の契約書において、上演権をリヒャルト・シュトラウスに留保することが、上演権の保護に資するものと解することはできない。
 上演の際の許諾条件として、当該劇場がアドルフ・フュルストナー社の演奏用楽譜を発注すること又は発注したことを定めていること(1912年契約7条)も、上記慣行が存在したことを示す合理的な理由となるものではなく、かえって、リヒャルト・シュトラウスに上演権が留保されていることを前提として、アドルフ・フュルストナー社に一定の経済的利益を確保することを主眼とする規定と推測することができる。さらに、同契約8条では、アドルフ・フュルストナー社がリヒャルト・シュトラウスの名前で上演許諾料の徴収等を行うことや、そのためにアドルフ・フュルストナー社に代理権が与えられることなどが記載されており、これらの記載は、リヒャルト・シュトラウスに上演権が留保されることと、より整合する内容である。
 したがって、同契約7条の上演権留保の記載がみせかけのものであるとの被告の上記主張を採用することはできない。
(ウ) また、 被告は、 別件訴訟において、 1 9 1 2 年契約の8 条の「ubertragen」の語を「譲渡」ではなく、「委任」を意味するものと判断されたことに関連して、「ubertragen」は、譲渡することを意味するものであるから、上演権の譲渡を裏付けるもので、それを否定する根拠とはならない旨主張し、1901年ドイツ著作権法における用法(乙7、8)及びドイツ法律用語辞典における説明(乙9)が同解釈を裏付けるものである旨主張する。
 しかし、別件訴訟では、1912年契約の関連条項の内容を総合的に検討した上で、上記の判断が示されており、同判断は「ubertragen」の用語のみに着目したものではない。前記(1)のとおり、戦時加算特例法4条1項の適用においては、日本での権利行使の可能性との関係で連合国民が有していた権利と評価できるかどうかの点、すなわち、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社とが、いかなる権利関係にあったのかが問題となるところ、上記用語のみの解釈から、1912年契約における両者の明確な権利関係を導き出すことは困難である。
 したがって、上記被告の主張を採用することはできない。
(エ) 被告は、1933年契約において、アドルフ・フュルストナー社に譲渡された権利をリヒャルト・シュトラウス自ら管理するためには契約を取り消さなければならないことが規定され、また、ブージー社とリヒャルト・シュトラウス著作権財団との間の1987年合意書でも、同様の行為がされており、アドルフ・フュルストナー社は、単なる上演権の管理権などではなく、リヒャルト・シュトラウスが契約を取り消さなければ行使し得ない強力な権利を有していたと主張する。
 しかし、前記(1)及び(ア)において述べたとおり、1912年契約ではリヒャルト・シュトラウスに上演権が留保され、同人による権利行使が可能である一方、1933年契約におけるアドルフ・フュルストナー社の権利は、リヒャルト・シュトラウスが希望すれば、上記の手続を経ることによって同人による管理が可能となる性質のものにすぎないから、このような権利の存在は、戦時加算特例法4条1項の適用には影響しないというべきである。しかも、1912年契約から75年を経過した後に締結された1987年合意書によって、前記(ア)の結論が左右されるものでもない。
 したがって、被告の上記主張を採用することはできない。
(オ) さらに、被告は、ドイツ法のもとで財産権として保護を受けるのは、著作物の経済的利用に関する権利であり、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社との間で、そのような権利を有していたのはアドルフ・フュルストナー社であった旨を述べた、Eの2006年1月17日付けメモランダム(乙36)を提出する。
 しかし、ドイツ法における財産権の意義及びその範囲が、戦時加算特例法4条1項の適用を考える上で、直ちに影響するものではなく、前記(ア)において認定した、リヒャルト・シュトラウスとアドルフ・フュルストナー社の権利関係からすれば、リヒャルト・シュトラウスにおいて上演権の行使が可能であったと評価できるから、上記メモランダムにおける見解によって、前記結論が左右されるものではなく、被告の上記主張は採用できない。
イ 演奏権
(ア) 演奏権については、1912年契約の9条において定められているところ、同条項によれば、前記1?のとおり、演奏権は、リヒャルト・シュトラウスからドイツ作曲家組合に委譲されたことが認められる。ドイツ作曲家組合は、後に、その法人格がSTAGMA、GEMAと承継されるが、上記権利が、フュルストナー・リミテッド、ブージー社等の連合国民たる主体に譲渡されたことを示す証拠はなく、そうであれば、ドイツ作曲家組合、STAGMA又はGEMAにおいて、日本での演奏権行使の可能性が認められるのであって、アドルフ・フュルストナー社の権利を承継した連合国民であるフュルストナー・リミテッドが、演奏権を有していたと評価することは相当ではない。
(イ) この点、被告は、1912年契約の9条においては、演奏権使用に関するアドルフ・フュルストナー社の取得割合が定められており、このことから、本条項において、リヒャルト・シュトラウスからアドルフ・フュルストナー社に対する、演奏権についての隠れた信託的譲渡があった旨主張する。
 しかし、1912年契約の9条におけるアドルフ・フュルストナー社の演奏権使用に関する取得割合は明確ではなく、また、被告が主張する隠れた信託的譲渡の法的内容も不分明であるから、アドルフ・フュルストナー社及び同社を承継したフュルストナー・リミテッドが、演奏権を有していたと評価することができないことは、上記(ア)記載のとおりである。
 したがって、被告の上記主張は採用することができない。
(ウ) なお、被告は、連合王国においてフュルストナー・リミテッドが設立された際、同地域にドイツ作曲家組合の管轄は及ばないので、フュルストナー・リミテッドが演奏権について直接の管理権を行使するようになり、同社が戦時中、日本において演奏権を行使し得る存在であった旨主張し、同旨を述べるGEMAの2005年8月26日付け意見書(乙34)を提出する。
 しかし、同意見書は、「戦争期間中(1941年12月8日〜1952年4月27日)日本地域において、STAGMAおよびGEMAを代表するいかなる法人、代理人、個人とも相互管理契約を結んでいなかったことを正式に確認します。」との記載から明らかなように、戦時中、STAGMA又はGEMAが日本において演奏権の管理を行う契約を締結していなかった事実を示すものにすぎず、同意見書により、これらの団体による演奏権行使の可能性が否定されるものではない。しかも、同意見書中の、「1953年になってはじめてGEMAはJASRACと相互管理契約を締結し、JASRACはGEMAの管理楽曲を日本で管理できるようになりました。」との記載は、同時点で、GEMAが演奏権を有することを前提にしたものであると解され、それ以前から、演奏権がGEMAにあったことを示唆するものということができる。
 また、同意見書は、1935年契約の条項の存在を指摘して、フュルストナー・リミテッドが日本において演奏権を管理し得る存在であった旨を述べるが、1935年契約は、冒頭に、「上記の契約が行われた時点においては現在のような映像及び音声複製のための技術的装置は存在せず、また現時点でみられるような技術効率が達成されていなかったことを考慮し、これらの権利から生ずる収入に関し以下のとおり合意した。」と記載されているとおり、新たに生じた技術的装置等に対応するために締結されたものであり、1912年契約に基づく演奏権に関する権利関係を変更させるものとは認められないから、1935年契約の個別条項の存在に基づいて、前記意見書の見解を正当化することもできない。
 したがって、被告の上記主張を採用することはできない。
ウ 録音権
(ア) 録音権については、1912年契約の2条において定められているところ、同条項では、前記1?のとおり、録音権はリヒャルト・シュトラウスに留保されることと、ドイツ作曲家組合がその管理を行うことが記載されており、これによれば、リヒャルト・シュトラウスが録音権を有していたと認められるから、日本における録音権の行使の可能性が認められるのであって、アドルフ・フュルストナー社の権利を承継した連合国民であるフュルストナー・リミテッドが、録音権を有していたと評価することはできない。
(イ) この点、被告は、1912年契約の2条においては、録音権使用に関するアドルフ・フュルストナー社への配当金が定められており、このことから、本条項において、リヒャルト・シュトラウスからアドルフ・フュルストナー社に対する、録音権についての隠れた信託的譲渡があった旨主張する。
 しかし、被告が主張する隠れた信託的譲渡の法的内容は不分明である上、アドルフ・フュルストナー社への配当金が定められてることから隠れた信託的譲渡が認められる理由も不明確であるから、アドルフ・フュルストナー社及び同社を承継したフュルストナー・リミテッドが、演奏権を有していたと評価することができないことは、上記(ア)記載のとおりである。
 したがって、被告の上記主張は採用することができない。
(ウ) さらに、被告は、連合王国においてフュルストナー・リミテッドが設立された際、同地域にドイツ作曲家組合の管轄は及ばないので、フュルストナー・リミテッドが録音権について直接の管理権を行使するようになり、同社が戦時中、日本において録音権を行使し得る存在であった旨主張し、同旨を述べるGEMAの2005年8月26日付け意見書(乙34)を提出するが、同意見書によって、前記認定が覆されるものではなく、被告の上記主張を採用できないことは、前記イ(ウ)において検討したとおりである。
3 まとめ
 以上によれば、本件で問題とされる、本件著作物の上演権、演奏権及び録音権については、昭和16年(1941年)12月7日の時点で、リヒャルト・シュトラウスなど、連合国民でない者による日本での権利行使の可能性があったというべきであり、アドルフ・フュルストナー社を承継したフュルストナー・リミテッドが、上記時点で、前記の権利を有していたと評価することはできない。
 したがって、戦時加算特例法4条1項は適用されない。
第4 結論
 以上の次第で、本件著作物の著作権について、戦時加算特例法4条1項は適用されず、同権利の存続期間は、昭和25年から50年を経過した平成11年12月31日をもって満了したことになり、平成12年1月1日以降に、同権利の使用料として原告から被告に分配された1217万1113円は、原告の損失に基づいて被告が法律上の原因なく利得したものとなるから、原告の不当利得返還請求及び本訴状送達の日の翌日である平成17年3月2日から支払済みに至るまで商事法定利率年6分の割合による利息の支払請求(上記不当利得返還請求が認められる場合に、本訴状送達時から被告が民法704条の「悪意の受益者」となることについては争いがない。)が認められる。
 よって、原告の請求を認容することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第29部
 裁判長裁判官 清水節
 裁判官 山田真紀
 裁判官 片山信
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