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【事件名】『植民地朝鮮の日本人』の記念文集引用事件(2)
【年月日】平成17年11月21日
 知財高裁 平成17年(ネ)第10102号 著作権に基づく損害賠償等請求控訴事件
 (原審・東京地裁平成16年(ワ)第12242号)
 (平成17年10月12日 口頭弁論終結)

判 決
控訴人 控訴人X1
控訴人 控訴人X2
控訴人 控訴人X3
上記3名訴訟代理人弁護士 正野嘉人
被控訴人 株式会社岩波書店
被控訴人 被控訴人Y
上記両名訴訟代理人弁護士 秋山幹男


主 文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人らは、原判決別紙書籍目録記載の書籍から原判決別紙削除項目目録記載の記述部分を削除しない限り、同書籍を複製又は販売してはならない。
(3) 被控訴人らは、連帯して、控訴人X1に対しては金200万円、控訴人X2及び控訴人X3に対しては各金100万円、並びにこれらの金員に対する平成14年6月20日(出版の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被控訴人らは、連帯して、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞及び産経新聞の各全国版に、原判決別紙謝罪広告目録記載1の謝罪広告文を同2の掲載条件で各1回ずつ掲載せよ。
(5) 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
(6) 上記(3)ないし(5)につき仮執行宣言
2 被控訴人ら
 主文同旨
第2 事案の概要
 本件は、控訴人X1(以下「控訴人X1」という。)が、主位的に、「鉄石と千草 京城三坂小学校記念文集」(昭和58年11月5日出版。以下「本件文集」という。)が編集著作物又は共同著作物であり、同控訴人がその著作者であるところ、被控訴人Y(以下「被控訴人Y」という。)の著作に係り、被控訴人株式会社岩波書店の発行に係る原判決別紙書籍目録記載の書籍(岩波新書「植民地朝鮮の日本人」。以下「被告書籍」という。)の引用部分が同控訴人の著作者人格権(同一性保持権)を侵害すると主張して、被控訴人らに対し、@著作権法112条1項に基づき原判決別紙削除項目目録記載の記述部分を削除しない被告書籍の複製販売の差止め、A民法709条、719条に基づき損害賠償、B著作権法115条に基づき謝罪広告を請求し、控訴人ら3名が(控訴人X1は予備的に)、被告書籍の引用部分が控訴人らの名誉を毀損し、名誉感情を侵害するなどと主張して、@名誉権に基づき原判決別紙削除項目目録記載の記述部分を削除しない被告書籍の複製販売の差止め、A民法709条、719条に基づき損害賠償、B民法723条に基づき謝罪広告を請求する事案である。
 原判決は、控訴人らの請求をいずれも棄却した。
 控訴人らは、これを不服として、控訴を提起した。
1 当事者の主張は、次の2及び3のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要等」及び「第3 争点に関する当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。
 当裁判所も、上記の「本件文集」「被告書籍」のほか、「被引用部分1」などの語を、原判決の用法に従って用いる。
2 控訴人らの当審における主張の要点
(1) 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について
(ア) 原判決は、「編集著作物の著作者の権利が及ぶのは、あくまで編集著作物として利用された場合に限るのであって、編集物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合には、編集著作物の著作者の権利はこれに及ばないと解すべきである。」と判示する。
 しかし、もともと編集著作物において保護の対象となる「素材の選択又は配列の創作性」は、「具体的な素材についての具体的な編集者の特定の思想・目的に基づく選択・配列の独自性」である。すなわち、具体的な編集物における具体的な選択・配列等に、当該編集者の特定の思想・目的に基づく創作活動が表れているからこそ保護されるのであり、保護の対象はその「当該編集者の独特の思想・目的」にこそある。そして、当該編集物につき保護されるべき著作者人格権もまた、当該編集者の独特の思想・目的に起因するものであることも明らかである。
 したがって、編集著作物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合でも、その利用の態様が個別の著作物のみならず、編集者の上記「独特の思想・目的」に反し又はこれを侵害するような態様ならば、編集著作物の著作者自身がその侵害を排除できることはむしろ当然である。
(イ) この点につき、原判決は、著作権法12条2項を根拠に、「編集物の一部分を構成する個々の著作物の利用に際しても編集著作物の著作者の権利行使を許したのでは、個々の著作物の著作者の権利を制限することになりかねない」とするが、同規定は、全体としての編集著作権の行使がその一部を構成する各著作物の著作権に影響を及ぼさないという当然の法理を明らかにしたにすぎない。そもそも、自己の著作物がその編集者の「特定の意思・目的」を侵害するような態様で利用された場合には、編集者が全体としての編集著作権の侵害として権利行使をすることについて、個々の著作物の著作権者の推定的承諾があると解すべきであるから、これを許しても何ら個々の著作者の権利行使を制限することにならないというべきである。
(ウ) また、編集著作物の一部を構成する著作物が、当該編集著作物に表れた編集者独特の「思想・目的」を侵害するような態様で利用された場合にも、当該編集者が権利行使できないというのでは、編集著作物の著作者の権利といっても画に書いた餅にすぎず、編集者には著作者人格権がないに等しいことになってしまう。次の(エ)ないし(カ)のとおり、被告書籍が控訴人X1の編集著作物の著作者人格権を侵害することは明らかであるから、控訴人X1がその排除を求め得ることは明らかである。
(エ) 本件文集は編集者である控訴人X1の独特の思想・目的に貫かれて成立しているものであるが、「編集後記」にも記されているように、当該「思想・目的」のなかには「戦前、戦中、戦後に生きた自分たちの生き様史にも触れて、朝鮮侵略統治の非道、戦争の悲惨さ‥‥‥も次代の人々に1つの時代の資料として残したい」ということも含まれている。
 一方、被控訴人Yによる被告書籍は、名もなき人々による草の根の侵略が日本の朝鮮植民地支配を底辺から支えたことを批判し、かつ、かかる構図を意識していない人々に反省を迫ろうという意図を前面に打ち出しているところ、その「草の根の侵略」及び同被控訴人自身が命名した「第2のタイプ」(上記構図を意識せず無邪気に植民地時代を懐かしんでいるタイプ)の典型例として、本件文集中の個々の著作物の一部を何か所も無断引用しているものであって、本件文集を貫く上記の「思想・目的」に真っ向から反する利用形態である。したがって、控訴人X1が編集著作物の著作者として、著作者人格権に基づきその排除を求めることができることは明らかというべきである。殊に引用部分2については、後記(2)(ウ)記載のとおり、原文にない文言を勝手に付け加えて引用しているものであって、控訴人X1の編集著作物についての著作者人格権を侵害していることが明らかである。
(オ) 著作権法32条1項は、公表された著作物についてのみ引用による利用を認めている。すなわち、公表されていない著作物については、引用は一切許されず、非公表の著作物の一部を引用すれば直ちに著作権侵害となる。
 本件文集は、初めから三坂会の会員にのみ頒布する目的で、当該会員数である1500部のみ印刷・刊行されたものにすぎず、公表されていないことは明らかである。したがって、被告書籍が控訴人X1の編集著作物の著作者人格権を侵害することは明らかである。
(カ) 著作権法113条6項は、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす旨を規定している。これは、著作物を創作した著作者の創作意図に疑いを抱かせたり、あるいは著作物に表現されている芸術的価値を損なうような形で著作物が利用されたりすることを防ぐことにあるといわれている。
 本件において、被控訴人Yは、本件文集が「朝鮮侵略統治の非道さ・戦争の悲惨さを次世代の人々に1つの時代の資料として残したい」という明確な趣旨・目的をもって編集されたものであり、各被引用部分がいずれも同被控訴人のいう「草の根の侵略」の典型例として引用されるにはふさわしくなく、まして同被控訴人のいう「第2のタイプ」(無邪気に植民地時代を懐かしむにすぎない。)の典型例とは到底いえないことが一見して明らかであったにもかかわらず、当該被引用部分の表現のみを取り出して自らに都合よくこじつけ、これを「草の根の侵略」の、そしてとりわけ「第2のタイプ」の典型例として繰り返し被告書籍に引用したものである。
 被告書籍に接した読者の通常の注意と読み方を基準とすれば、引用された本件文集の著作者らが、あたかも「草の根の侵略」の片棒をかついだ植民地の名もない人々の代表例であり、とりわけそのような構図への意識・反省も全くなく無邪気に当時を懐かしむだけの「第2のタイプ」の典型例の1つであるように理解することも明らかであるから、著作権法113条6項により、被告書籍が控訴人X1の編集著作物の著作者人格権を侵害することは明らかである。
(2) 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について
(ア) 原判決は、被引用部分2が単に「1か月に5銭の献金をした」という事実を表明した部分にすぎず、表現それ自体とはいえない上、同部分に創作性を認めることは困難であるという理由で、安易に著作者人格権の侵害を否定しているが、これは明らかに不当である。
(イ) このような細分割による部分観察を許すとすれば、「一部だけを取り出すと文章としての独創性を有しない部分」については、いくらでも改変して引用したり複製したりしても許されるということになってしまい、著作者の権利は有名無実化してしまう。他人の著作物からの引用であることを明示して引用するものである限り、「当該部分のみを見るとそれ自体として文章としての創作性を有するか否か」を問わず、勝手な改変・要約や元の著作物全体の趣旨・目的に明らかに反する趣旨での引用をすることは許されないというべきである。
(ウ) 引用部分2は、原文にはない「国防」や「強要」を勝手に付け加えて「生徒たちも月に5銭の国防献金を強要された」と決めつけ、まさに「草の根の侵略」の典型例として引用しているものであって、本件文集の「編集後記」に明確に表れている控訴人X1の「思想・目的」に真っ向から反する趣旨の文言として利用しているものである。よって、被告書籍の引用部分2の記載が控訴人X1の共同著作物の著作者人格権を侵害することは明らかというべきである。
(エ) 著作権法32条1項には、公表されていない著作物について引用が許されないことが、同法113条6項には、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為はその著作者人格権を侵害する行為とみなす旨が、それぞれ規定されているものであって、前記(1)(オ)(カ)に記載したのと同様の理由により、被告書籍が控訴人X1の共同著作物の著作者人格権を侵害することは明らかである。
(3) 争点(5)(被控訴人らの不法行為の有無)について
(ア) 名誉毀損について
 原判決は、被告書籍中に控訴人らの氏名は記載されておらず、また控訴人らが三坂小学校の元生徒であることは同小学校の関係者以外には一般には明らかでない上、本件文集の入手が容易であったと認めるに足りる証拠もないから、引用部分1ないし8の記載内容によって、直ちに三坂小学校の元生徒である控訴人ら個々人の社会的評価が客観的に低下するとは言い難いと判示する。 
 しかし、名誉毀損が成立するためには、当該事実を摘示された人物が世間に知られていることは要件ではなく、およそ当該人物を知る者がそれを目にする蓋然性が存在する限り、名誉毀損は成立するというべきである。被告書籍は、岩波新書の1つとして、既に第6版まで版を重ねて3万部以上も販売されているものであって、三坂小学校やその卒業生を知る者の目に触れる蓋然性も極めて高く、三坂小学校の社会的評価が客観的に低下するおそれが十二分に存在することは明らかである。
 そして、三坂小学校自体の社会的評価が客観的に低下する場合にその生徒であった控訴人らの社会的評価も低下するといわざるを得ないものであって、その場合に、三坂小学校の卒業生である個々人が自ら三坂小学校自体の名誉を守ることによって自らの名誉を防衛することも当然許されるというべきである。
 また、本件においては、被告書籍による名誉毀損が問題となっているのであるから、被告書籍が一般人の目に触れる蓋然性を問題とすべきであり、「本件文集の入手が容易でない」ことを社会的評価低下のおそれがないことの理由とはなり得ない。
 原判決は、最高裁平成6年(オ)第1082号同10年7月17日第二小法廷判決・裁判集民事189号267頁を引用するが、本件文集は、私的な目的のために制作された完全に私的な書物であり、公表もされていない「三坂会」という私的親睦団体の内部文書であるから、本件文集については、そもそも同判例のいう「意見ないし論評の法理」が妥当するものではない。また、問題とされる表現が人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、名誉毀損は成立し得るし、被告書籍による本件文集の各引用は、単なる「意見ないし論評」ではなく、各引用部分において、「『草の根の侵略』の典型例としての軍部等の植民地支配を底辺で支えた行為である」旨の事実の摘示、及び「無邪気に植民地時代を懐かしむにすぎない『第2のタイプ』の典型例である」旨の事実の摘示を含むものであって、いわゆる「公正な論評の法理」の対象外というべきである。
(イ) 名誉感情の侵害について
 原判決は、「本件各引用部分の記載内容によっても原告らが表現行為の相手方になっているかどうかは明らかでなく」と判示するが、これが摘示の公然性を欠くという趣旨ならば、名誉感情の侵害は、まさに相手方の主観的感情が問題である以上、公然性は問題とならないし、また、これが本件文集の執筆者、編集者らにとって、自分たちが非難の対象とされているかどうかが分からないという趣旨ならば、本件文集の対象頁を明示するなどして引用している以上、控訴人らに分からないはずがなく、いずれにせよ誤りであることは明白である。
 また、被告書籍の各引用部分の記載による控訴人らの名誉感情の侵害は、その内容、程度等からみて、社会通念上許容されるべき限度を超えているというべきであり、原判決が「社会通念上許される限度を超えているとはいい難い」としたのは明らかに事実誤認である。
3 被控訴人らの当審における主張の要点
(1) 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について
(ア) 控訴人X1は、編集著作物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合でも、その利用の態様が編集者の編集に当たっての独特の思想・目的に反するものである場合には、編集著作物の著作者の権利の侵害となると主張する。
 しかし、編集著作物は「編集物で、その素材の選択又は配列によって創作性を有するもの」について認められるものであり、編集著作物の著作者の権利が当該編集著作物の部分を構成する著作物(素材)に及ばないことは明らかである(著作権法12条)。本件の場合は、素材としての個々の著作物の一部を利用したにすぎず、本件文集中の「素材の選択又は配列を行った部分」を利用したものでは全くない。したがって、本件利用が編集著作物の著作者の権利を侵害する余地はなく、控訴人X1の主張が失当であることは明らかである。
(イ) 控訴人X1は、本件文集は「公表された著作物」に当たらないから、その利用は許されないと主張するが、本件において編集著作物の著作者の権利の侵害が成立する余地のないことは上述のとおりであり、本件文集が「公表された著作物」であるかどうかは問題とならない。しかし、念のために指摘すると、被控訴人Yは本件文集を東京都千代田区(以下省略)の書店「アジア文庫」で購入したものである(乙1)。本件文集は書店で一般に販売されていたものであり、「公表された著作物」に該当することは明らかである。
(ウ) また、控訴人X1は、被告書籍における各引用部分の記載が名誉・声望を利用する行為に該当する旨を主張するが、本件において編集著作物の著作者の権利の侵害が成立する余地のないことは上述のとおりであり、同控訴人の主張は失当である。
(2) 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について
(ア) 原判決は、本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉T」について、同文章につき控訴人X1が共同著作物の著作者の権利を有するとしている。
 しかし、上記座談会部分が原判決の記載するような過程を経て制作されたものであるとしても、控訴人X1が行ったのは関係者の回答等を座談会形式で編集したことであり、座談会の発言者の発言内容それ自体は控訴人X1の創作したものではない。したがって、被引用部分2につき控訴人X1が共同著作物の著作者としての権利を有するとした原判決の認定は誤りである。
(イ) しかし、仮に本件文集中の座談会部分が控訴人X1と発言者との共同著作物であるとしても、引用部分2が、本件文集の創作的表現部分を利用したものといえないことは、原判決が認定しているとおりである。
 すなわち、被引用部分2は、Aの発言部分のうちの「献金も月5銭」の部分であり、単なる事実の記載にすぎず、創作的表現とはいえないから、被告書籍における被引用部分2の利用が、共同著作物の著作者としての控訴人X1の権利を侵害したということはできない。
(ウ) 控訴人X1は、本件文集は「公表された著作物」に当たらないから、その利用は許されないと主張するが、本件において共同著作物の著作者の権利の侵害が成立する余地のないことは上述のとおりである。なお、本件文集が「公表された著作物」に該当することは、上記(1)(イ)において述べたとおりである。
(エ) また、控訴人X1は、被告書籍における各引用部分の記載が名誉・声望を利用する行為に該当する旨を主張するが、本件において共同著作物の著作者の権利の侵害が成立する余地のないことは上述のとおりであり、同控訴人の主張は失当である。
(3) 争点(5)(被控訴人らの不法行為の有無)について
(ア) 名誉毀損について
 控訴人らは、被告書籍は三坂小学校の社会的評価を低下させるので、その生徒であった控訴人らの社会的評価も低下させ、控訴人らの名誉を毀損すると主張するが、被告書籍は、三坂小学校の生徒が不法な行為を具体的に行ったと記述するものではなく、控訴人らについて言及したものでもない。したがって、被告書籍は、控訴人らの名誉を毀損するものではあり得ない。
 なお、引用部分1ないし6は、その記載内容から何ら三坂小学校の生徒の社会的評価を低下させるものでないことが明らかであり、控訴人らの社会的評価を低下させるものでもない。引用部分7及び8は、本件文集の被引用部分7及び8を、無邪気に朝鮮時代を懐かしむものとして引用しているが、本件文集の該当部分の執筆者の社会的評価を低下させるものとはいえない。また、当該執筆者だけでなく三坂小学校の生徒全員や控訴人らが第2のタイプに属するとしたものでもない。したがって、引用部分1ないし8の記載は、いずれも控訴人らの名誉を毀損するものではない。
 控訴人らは、原判決が、被告書籍が公正な論評に該当するとした点につき、これを誤りであるとして、縷々主張するが、いずれも公正な論評の法理や原判決を誤解したものであり、失当である。また、そもそも被告書籍は控訴人らの名誉を毀損するものではないので、公正な論評に該当するかどうかを問わず、名誉毀損は成立しない。
(イ) 名誉感情の侵害について
 原判決が、公然性がないから名誉感情の侵害の不法行為が成立しないとしたものでないことは、明らかであり、控訴人らの主張は、失当である。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所も、控訴人らの請求はいずれも理由がなく、棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加補正するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第4 当裁判所の判断」記載のとおりであるから、これを引用する。
1 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について
(1) 原判決の23頁6行目の「また、編集物の」から9行目の「いわざるを得ない。」までを削除する。
(2) 控訴人X1は、編集著作物においては、編集者の特定の思想・目的に基づく素材の選択・配列の独自性が保護されるのであり、当該編集物につき保護されるべき著作者人格権もまた、編集者の独特の思想・目的に起因するものであるから、編集著作物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合でも、その利用の態様が個別の著作物のみならず、編集者の独特の思想・目的に反し又はこれを侵害するような態様ならば、編集者自身が著作者人格権に基づいて侵害を排除できる旨を主張する。
 しかしながら、編集著作物は、素材の選択又は配列に創作性を有することを理由に、著作物として著作権法上の保護の対象とされるものであるから、編集者の思想・目的も素材の選択・配列に表れた限りにおいて保護されるものというべきである。したがって、編集著作物を構成する素材たる個別の著作物が利用されたにとどまる場合には、いまだ素材の選択・配列に表れた編集者の思想・目的が害されたとはいえないから、編集著作物の著作者が著作者人格権に基づいて当該利用行為を差し止めることはできない。
 本件においては、被告書籍中における本件文集の利用態様は、あくまで本件文集を構成する個々の著作物の一部のみを個別に取り出して引用するというものであるから、素材の選択・配列に表れた編集者の思想・目的を侵害するものとはいえない。したがって、控訴人X1の主張するその余の点につき判断するまでもなく、同控訴人の編集著作物の著作者の権利に基づく請求は、理由がない。
2 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について
 控訴人X1は、被告書籍における被引用部分2の利用につき、他人の著作物からの引用であることを明示して引用するものである限り、当該部分それ自体が文章としての創作性を有するか否かを問わず、勝手な改変・要約や元の著作物全体の趣旨・目的に明らかに反する趣旨での引用を行うことは許されない旨を主張する。
 しかしながら、著作権法は、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照)、著作物中のアイデア、事実など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分を利用する行為に対しては、著作権法上の権利は及ばないものと解すべきである(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
 本件においては、被引用部分2は、本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉T 第一部」におけるAの発言中の「献金も月に五銭。」との部分であるが、当該被引用部分は単に事実を述べたものにすぎず、同部分に創作性があるとも認められない(被告書籍が引用部分2において、文末の括弧内に本件文集を記載しているのは、当該事実を認定した根拠たる資料を特定する意味で掲記しているにすぎない。)。したがって、控訴人X1の主張するその余の点につき判断するまでもなく、同控訴人の共同著作物の著作者の権利に基づく請求は、理由がない。
3 争点(5)(被控訴人らの不法行為の有無)について
(1) 原判決25頁19行目の「記載のとおりである」の次に「(ただし、引用部分7の文末括弧内における本件文集の引用頁には、従前どおり「四一二」との記載が残されている。)」を加える。
(2) 原判決の27頁3行目から28頁21行目までを、次のとおり改める。
 「(2) 名誉毀損について
 控訴人らの挙げる被告書籍中の記述のうち、引用部分1ないし6は、被告書籍の7番目の章である「Z 『内鮮一体』の現実」中の「小学校と普通学校」と題する項において、戦前の朝鮮半島での日本人たちの行動の例として記載されたものであり、その内容は1931年以降、同地の小学校においても当時の軍国主義的な世情を反映した状況にあったことを描写したものであって、もっぱら小学校における生徒の観点から事実関係を記述したもので、特定の個人の人格を評価したり、行動を非難したりするものではなく、特定の個人の社会的評価に影響するものでもない。したがって、引用部分1ないし6は、なにびととの関係においても、名誉毀損を構成するような記述とは認められない。
 一方、引用部分7及び8は、被告書籍の最後の章である「おわりに」中の「第二のタイプ」と題する項、すなわち戦前の朝鮮半島に在住していた日本人が戦後に自らの朝鮮時代の行動にどのように対応しているかについての被控訴人Yの分類による「無邪気に朝鮮時代を懐かしむもの」に該当する例として、記載されたものであるが、前記認定のとおり、被告書籍の冒頭には、「はじめに」として、「日本による朝鮮侵略は、軍人たちによってのみ行なわれたわけではなかった。むしろ、名もない人々の『草の根の侵略』『草の根の植民地支配』によって支えられていたのである。」との記載があり、また、引用部分7及び8に続けて、「朝鮮人がこれを読んだら、どう思うだろうか。これら、『植民地下で通学していた昔の子供たちであるいまの年老いた日本人たちは、時には事前の連絡もなしに一〇人ぐらいまとまって学校へやって来て、放っておくと懐かしがりながら授業中でも勝手に学校の中を歩きまわる』ことがあり、韓国で顰蹙をかっている(B、三八)。」との記載があるものであり、これらの記載と併せれば、引用部分7及び8は、被告書籍において、戦前の朝鮮において「草の根の侵略」に該当する行為を行っていた自らの立場を意識することなく、無邪気に朝鮮時代を懐かしむという無自覚・無神経で、非難されるべき言動の例として記載されているものであり、これを読む者からは引用された当該記載の執筆者の人格ないし言動を非難する趣旨の記載として認識され得るものというべきである。被告書籍においては、引用部分7及び8には、「(京城三坂小学校記念文集編集委員会、二四二、四一二)」と記載されるのみであり、被告書籍巻末の参考文献一覧に掲げられた「京城三坂小学校記念文集編集委員会編『鉄石と千草』三坂会事務局、一九八三年」と併せることで当該記載の出典を特定し得るものの、当該記載の執筆者の氏名は記載されていない。しかし、本件文集には被引用部分7及び8に執筆者(寄稿者)の氏名が明記されており、本件文集は1500部が発行され、東京都千代田区神田神保町の新刊書販売書店で入手可能であった(甲7、乙1)というのであるから、被告書籍に記載された本件文集の出典頁から、被引用部分7及び8の執筆者(寄稿者)を知ることが困難とはいえない。このような点を考慮すれば、被告書籍における引用部分7及び8の記述は、被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)との関係では名誉毀損に該当する余地があるといえないでもないが、控訴人らは、いずれも当該被引用部分の執筆者(寄稿者)ではないから、引用部分7及び8の記載が控訴人らとの関係で名誉毀損を構成するものとは認められない。
 また、控訴人らは、被告書籍における引用部分1ないし8の記載は、三坂小学校の社会的評価を低下させるものであり、同時に、同小学校の卒業生である控訴人らの社会的評価をも低下させるものであると主張する。 しかし、引用部分1ないし6の記載は、1931年以降、朝鮮半島の小学校においても当時の軍国主義的な世情を反映した状況にあり、三坂小学校もその例外ではなかったことを記述するものではあるが、同小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難し、その社会的評価を低下させるようなものとは認められない。引用部分7及び8は、戦前の朝鮮半島在住者が現在において過去の行動に対してどのような態度をとっているかを記述したものであるから、被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)の当該執筆時における認識等を非難するものとは解し得ても、三坂小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難し、その社会的評価を低下させるようなものとは解されない。
 以上によれば、被告書籍の記載が控訴人らとの関係で名誉毀損に該当する旨をいう控訴人らの主張は、採用できない。
(3) 名誉感情の侵害について
 上記(2)において判示したとおり、被告書籍における引用部分1ないし6は、特定の個人の人格を評価したり、行動を非難したりするものではなく、三坂小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難等するようなものでもないから、これらの引用部分が控訴人らの名誉感情を害するものとは認められないし、また、被告書籍における引用部分7及び8は、被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)の名誉感情を害するものではあり得るにしても、それ以外の特定の者や、三坂小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難等するものではないから、控訴人らの名誉感情を害するものとは認められない。」
4 結論
 以上によれば、控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条1項、61条、65条1項本文を適用して、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 佐藤久夫
 裁判官 三村量一
 裁判官 古閑裕二
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日本ユニ著作権センター
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