判例全文 line
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【事件名】「裸婦画撤去」報道事件
【年月日】平成17年10月18日
 京都地裁 平成15年(ワ)第662号 損害賠償等請求事件

判決


主文
1 被告は、原告に対し、330万円及びこれに対する平成14年11月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを4分し、その3を原告の、その余を被告の各負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 被告は、原告に対し、1100万円及びこれに対する平成14年11月28日より支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は、本判決の日より30日以内に発売される「週刊新潮」誌上に1頁の下半分を使って、別紙1のとおりの謝罪文を15ポイント以上の活字を使用して掲載せよ。
3 被告は、本判決の日より30日以内に発行される朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞の各全国紙に掲載する「週刊新潮」の宣伝広告中に、同広告の4分の1のスペースを使って、別紙1のとおりの謝罪文を15ポイント以上の活字を使用して掲載せよ。
4 訴訟費用は、被告の負担とする。
5 仮執行宣言
第2 事案の概要
 本件は、原告が、被告に対し、京都弁護士会館(以下「旧会館」という。)に飾られていたE画伯作による裸婦画(以下「本件裸婦画」という。)を新しい弁護士会館(以下「新会館」という。)に展示するか否か議論があったところ、それに係る原告の言動として被告が発行する週刊誌(週刊新潮)に掲載した記事により、原告の名誉が毀損されたとして、不法行為に基づき、損害賠償金1100万円(内訳・慰謝料1000万円、弁護士費用100万円)及びこれに対する上記記事の掲載の日である平成14年11月28日より支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払並びに謝罪広告の掲載を求める事案である。
1 争いのない事実等(証拠によって認定する場合は末尾に証拠を示す。)
(1) 当事者
ア 原告は、平成2年4月に弁護士登録し、京都弁護士会に入会した弁護士である。
イ 被告は、書籍類の制作・出版・販売を目的とする株式会社であり、週刊誌「週刊新潮」等を発行している。
(2) 本件意見書の配布
ア 京都弁護士会は、新会館を建築し、平成15年4月ころには同会館に移転する予定となっていたところ、平成14年8月22日ころ、上記移転に伴い、同会の各委員会委員長に対し、新会館建設に伴う備品の移転について文書により意見を求めた(甲29)。
 なお、原告は、当時京都弁護士会の両性の平等に関する委員会の委員長の職にあった。
イ 当時京都弁護士会の副会長であり、新会館建設に伴う備品の移転について検討する委員会と、両性の平等に関する委員会の双方を担当する職にあったF弁護士(以下「F弁護士」という。)は、同月26日ころ、両性の平等に関する委員会に出席した際、同委員会に対し、当時旧会館の役員室に飾られていたE画伯の作品である本件裸婦画を新会館に移転し、同会館内に飾るか否かについて意見を求めた(甲30)。
ウ 京都弁護士会は、同年10月9日、@新会館建設の進歩状況及び記念式典等開催について、A新会館建設補助金及び寄付金の状況について、Bその他を協議内容とする会務懇談会(以下「本件会務懇談会」という。)を開催した(乙31)。
エ 原告は、同日、本件会務懇談会の開催に際して、別紙2のとおりの「意見書」と題する書面(以下「本件意見書」という。)をF弁護士に提出した(甲13、原告本人22)。
オ F弁護士は、同会務懇談会において、出席者に対し本件意見書を配布した。
(3) 本件記事の掲載等
ア 被告は、「週刊新潮」平成14年11月28日号(以下「本誌」という。)に、要旨次のとおりの記載がある別紙3の記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。
(ア) 「『裸婦画はセクハラ』と取り外しを要求した無粋な女性弁護士」との太字かつサイズの大きなフォントによる見出し(以下「本件記載@」という。)
(イ) 太字によるリード部分における「”現在飾られている裸婦画は、新館には展示するな”。理由はセクハラの危険ありというのだが、そんなアホなと笑われている。」との記載(以下「本件記載A」という。)
(ウ) 原告の元同僚弁護士の発言として記載した「そんな彼女の問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた」との記載(以下「本件記載B」という。)
(エ) F弁護士の発言として記載した「その会場でA弁護士は1枚の文書を配布。“あの裸婦画を飾り続けるのは女性へのセクハラにあたる”と主張した」との記載(以下「本件記載C」という。)
(オ) 「30人ほどの懇談会出席者はただ困惑するばかりだった。」との記載(以下「本件記載D」という。)
(カ) 「A弁護士がどんな審美眼を持っているのか知らないが、裸=セクハラというのは、あまりにも短絡的で幼稚な主張だ。」との記載(以下「本件記載E」という。)
イ 被告は、同月21日ころから、全国の書店、駅の売店、コンビニエンスストア等で本誌を販売した。
ウ 被告は、以下の(ア)ないし(ウ)のとおり、本誌の広告等を掲載した(以下、これらの広告等をまとめて「本件広告」という。)
(ア) 被告は、別紙4のとおりの本誌の宣伝広告を、本誌の販売に先立つ平成14年11月20日ころ、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞、東京新聞、報知新聞、サンケイスポーツ、スポーツ日本、東京スポーツ、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、東奥日報、河北新報、福島民友、北国新聞、信濃毎日、新潟日報、静岡新聞、京都新聞、神戸新聞、山陽新聞、中国新聞、愛媛新聞、四国新聞、大分合同、熊本日日、南日本新聞各紙に掲載した(乙4)。
(イ) 被告は、本誌の販売に先立つ平成14年11月20日ころ、別紙5のとおりの本誌の吊り広告を、JR中央線、JR山手線、JR京浜東北線、営団地下鉄銀座線、営団地下鉄丸ノ内線、小田急線、西武新宿線、東武東上線、京成電鉄、大阪地下鉄の各公共交通機関に合計1万3380枚掲出した(乙5)。
(ウ) 被告は、別紙6の1ないし3のとおりの本誌の宣伝広告を、平成14年11月19日午後5時から同月27日午後5時までの間、自社のホームページ上に掲載した(乙6の1ないし3)。
 なお、上記期間中、同ホームページには3万9740件のアクセスがあった。
2 争点
(1) 本件記事及び本件広告が、原告の名誉を毀損するか。
(2) 本件記事及び本件広告について名誉毀損の違法性阻却事由等が存在するか。
(3) 損害額及び謝罪広告の要否。
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点1(本件記事及び本件広告が原告の名誉を毀損するか)について
(原告)
ア 本件記事について
 被告は、本件記事に原告の実名のみならず顔写真まで掲載した上、少なくとも本件記載@ないしEにおいて原告を誹謗中傷するような表現方法を用いて事実に反する記載をした。そのような記載の他、あえて本件記事の前に同じく京都の女性を登場させ、その女性が「粋な」女性であるとし、他方、原告が「無粋」な女性であるとして、両者を対比してその相違を際だたせるような構成をしている。
 そうすると、一般読者は、その普通の注意と読み方によれば、本件記事により、a原告は、本件裸婦画の芸術性を理解せず、京都弁護士会館内から同裸婦画を取り外すべきであるという無粋な要求をしている、b上記要求は、原告だけの奇抜な主張にすぎず、その主張を記載した書面を配布して、他の弁護士達を困惑させている、c原告は、裸は即セクハラであるという短絡的で幼稚な考えをもっており、法律家としてふさわしくない、d世間の人は、原告を嘲笑、非難している、という印象をもつことが明らかである。したがって、本件記事は、本件記載@ないしEそれぞれにより、又はこれらの各記載を総合して、原告の社会的評価を著しく低下させるものである。
イ 本件広告について
 広告は記事が掲載されている雑誌等の購入意欲を惹起させて、記事を読んでもらうために存在し、記事とは一体不可分の関係にある。したがって、本件記事が原告個人について記載されているものである以上、それと一体不可分である本件広告もまた、原告についてのものであることは明らかである。
 本件広告の記載は、いずれも「裸婦画はセクハラ」の部分がゴシック体、白抜きで強調され、裸婦画はセクハラであるとの短絡的な主張を原告が行ったという事実を摘示し、そうした原告を「無粋」と揶揄、中傷したものとなっている。
 このような本件広告を一般読者が見た場合、原告は短絡的で無粋な女性弁護士であるとの印象を抱くことは明白である。したがって、本件広告もまた原告の社会的評価を低下させるものである。
(被告)
ア 本件記事について
(ア) ある特定の記述が特定人の名誉を毀損するものであるか否かは、他の媒体や記事等によって得た知識を前提とすることなく、当該記述のみによって判断されるべきところ、本件記載@ないしB及びDには、原告の氏名その他原告を窺わせるような記載はまったく存在しないから、上記各記載が原告の社会的評価を低下させるとはいえない。
(イ) また、本件記載@ないしEは個別にその記載内容を検討しても、以下のとおりいずれも原告の社会的評価を低下させるものではない。
a 本件記載@について
 本件記載@からは、本件裸婦画がどのようなものなのか、原告はなぜ同裸婦画の取り外しを要求したのかまったく分からない。加えて、「無粋」とは要するに粋ではないということであり、粋であるか否かは多分に個人的な趣味に関わる側面があるから、「無粋」と表現されたとしても、必ずしも当該個人の社会的評価とは結び付かないというべきである。
 したがって、本件記載@のみから、原告の社会的評価を低下させたということはできない。
b 本件記載Aについて
 本件記載Aからも、本件裸婦画がどのようなものなのか、「新館」とは何かまったく分からない。また、「そんなアホな」や「笑われている」という表現は、いずれも原告の能力、識見を問題にするものではなく、「現在飾られている本件裸婦画は、新館には展示するな。理由はセクハラの危険あり」というような主張が疑問であり受け入れ難いことを論評するものにすぎない。
 また、それを読んだ一般読者も「そんなアホな」や「笑われている」のが「“現在飾られている裸婦画は、新館には展示するな”。理由はセクハラの危険ありという」主張ないし意見そのものと認識し、原告自身が嘲笑、非難されているとは読みとらない。
 したがって、本件記載Aのみから、原告の社会的評価を低下させたということはできない。
c 本件記載Bについて
 本件記載Bは、原告の元同僚弁護士という一人の弁護士が、本件裸婦画を新会館に展示することがセクハラに当たるか否かについて、原告とは異なる意見を持っているという事実を伝達しているにすぎない。
 したがって、本件記載Bのみから、原告の社会的評価を低下させたということはできない。
d 本件記載Cについて
 本件記載Cのみからは、一般読者が普通の注意と読み方をした場合、原告の社会的評価を低下させる何ものをも読み取ることはできない。
e 本件記載Dについて
 本件記載Dからは、本件裸婦画の展示がセクハラに当たる危険性があるという原告の意見には弁護士会内においても異論が多いことが読み取れるだけである。したがって、本件記載Dのみから直ちに原告の社会的評価を低下させたということはできない。
f 本件記載Eについて
 本件記載Eは、単に本件裸婦画の展示がセクハラに当たる危険性があるとの原告の意見について論評を加えたものであり、原告の社会的評価を低下させるものではない。
イ 本件広告について
(ア) 本件広告が原告の名誉を毀損するか否かについても、他の媒体、記事等によって得た知識を前提とすることなく、その記述のみによって判断されるべきである。ところで、本件広告の記載は「『裸婦画はセクハラ』と取り外しを要求した無粋な女性弁護士」というのみであって、原告の氏名その他原告を窺わせるような記載は存在しない。したがって、本件広告の記載のみによって原告の社会的評価を低下させるものではない。
(イ) また、そもそも本件広告は、本件記事が掲載された本誌の宣伝のために、読者の注意を引くように作成されたものであるから、一般にも、ある程度の誇張や曖昧な表現をもってなされていると認識されているところである。そのような本件広告の性質上、一般の読者が本件広告のみを見て事実の有無を断定的に判断することはない。したがって、その記載が原告の社会的評価を低下させることはない。
(2) 争点2(本件記事及び本件広告について名誉毀損の違法性阻却事由等が存在するか否か)について
(被告)
ア 公共の利害に関する事実
 弁護士会は公益的な活動を期待されている法人で、そのような京都弁護士会において、その芸術性が一般に承認されているE画伯作の本件裸婦画を新会館に飾ることがセクハラに当たるか否か議論され、また、京都弁護士会の会員である原告が、そのことで同裸婦画を新会館に飾ることがセクハラに当たるとの意見を持ち、同意見を外部に表明していた。それらのことは公共の利害に関わり、一般公衆の関心事であることは明らかである。
イ 公益を図る目的
 被告の「週刊新潮」編集部(以下「被告編集部」という。)は、本件裸婦画について朝日新聞に掲載された記事を知り、同裸婦画をめぐる京都弁護士会での議論の内容や経過を広く読者に伝えることにより、セクハラについての認識や議論を深めることができると考えた。すなわち、その芸術性が高く評価されている本件裸婦画の展示までがセクハラとされることは行き過ぎではないか、このような形でセクハラの問題が議論されることの是非を広く世に問うべきであると考えた。
 被告は、このような考えから本件記事を掲載したものであり、本件記事が専ら公益を図る目的で掲載されたことは明らかである。
ウ 真実性
 原告は、本件会務懇談会に本件意見書を提出した。そのことは、すなわち、原告が本件裸婦画を新会館に展示することがセクハラに当たるので反対であるとの意見を京都弁護士会全体に表明したことに他ならない。
 したがって、本件記事においてなされている論評の基礎となる事実のうち、原告が、本件裸婦画を新会館に展示することはセクハラに該当するとの意見を持っており、これを弁護士会に対して表明したとの事実は真実であるから、その違法性は阻却されるというべきである。
エ 相当性
 本件記事を担当した被告編集部の記者であるG(以下「G」という。)は、F弁護士や原告と司法修習が同期の弁護士等への取材を通じて、本件記事においてなされている論評の基礎となる上記ウで記載した事実が真実であることを確認した。
 また、本件記事を執筆した担当デスクであるH(以下「H」という。)も上記取材をしたGからの報告を受け、G同様本件記事においてなされている論評の基礎となる事実が真実であることを確認した。
 したがって、仮に上記事実が真実でなかったとしても、被告が同事実を真実と信ずるについて相当の理由があるから、原告に対する名誉毀損について故意がないというべきである。
オ 論評としての域を逸脱したものではないこと
 そして、その芸術性いかんにかかわらず、本件裸婦画が裸婦画であるがゆえに新会館内に展示することがセクハラに当たるという意見について、短絡的で幼稚であり、無粋であると論評することは、不当ではなく、論評としての域を逸脱したものではない。
 そもそも「無粋」とは、広辞苑によれば「粋(いき)でないこと。通(つう)でないこと。やぼくさいこと。無骨。」という意味にすぎず、全く論評としての域を超えるものではない。表現自体も、罵倒的であったり執拗なものではなく、人身攻撃にわたるものではない。
(原告)
ア 本件記事は、原告の実名及び顔写真を掲載し、原告個人を揶揄、誹謗中傷する目的でなされたものであって、およそ公益を図る目的でなされたとはいい難い。
イ 本件記事から一般人が読みとる事実は上記第2の3(1)アのとおりであるところ、これらの事実はいずれも真実ではない。被告は、本件記事が論評であると主張し、その基礎とする事実を、原告が、本件裸婦画を新会館に展示することはセクハラに当たるとの意見を持っており、それを弁護士会に対して表明したとの事実である旨主張するが、本件記事の真実性の立証の対象は上記事実に限られるものではないし、そもそも「原告が本件裸婦画の展示をしないよう主張した。」という事実もない。したがって、いずれにしても本件記事が真実であるとはいえない。
ウ また、本件記事は、原告個人を特定しつつ、本件記事の前の記事である「粋な女性」との対比で、原告個人を「無粋」と断定して揶揄・中傷しているものであるから、人身攻撃にわたるものであり、論評としての域を逸脱していることは明らかである。そうすると、本件記事について名誉毀損の違法性阻却事由等があるとはいえない。
(3) 争点3(損害額及び謝罪広告の要否)について
(原告)
ア 損害額について
(ア) 慰謝料
 原告は、本件記事及びその宣伝活動である本件広告により名誉感情を著しく傷つけられるとともにその人格や職業上の見識に対する社会的評価を著しく低下させられ、弁護士としての仕事の能率も極端に低下することとなった。また、被告が京都弁護士会からの本件記事に対する抗議文にも真摯に対応しなかったことや、本件記事が個人のホームページで引用されることにより伝播されたこと、また、本件記事の読者から京都弁護士会に対して原告の懲戒申立てがなされる等したことによって、原告の精神的被害はさらに拡大した。
 以上のような原告の損害であるが、被告が発行する「週刊新潮」の発行部数やその売上げによる莫大な利益の額をも考慮すると、それを慰謝するための金員としては1000万円を下ることはないというべきである。
(イ) 弁護士費用
 原告は、本件訴訟の遂行を弁護士に委任したが、その費用は100万円を下らない。
イ 謝罪広告について
 原告に対して上記損害賠償金が支払われたとしても、本件記事の読者に対して、本件記事が原告の名誉を毀損していたことが直接に伝わるわけではない。
 したがって、原告の損害の回復のためには上記損害賠償金の支払いに加えて謝罪文の掲載が不可欠であり、原告は、被告に対し、別紙1記載の謝罪広告を「週刊新潮」誌上及び朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞の各全国紙に掲載する「週刊新潮」の宣伝広告中に掲載することを求める。
(被告)
ア 損害額について
(ア) 損害額については、弁護士費用も含め全て争う。
(イ) 弁護士会に対する懲戒申立てを受けただけで「懲戒歴」がつくということはないし、また、弁護士に対する懲戒申立てにはいわゆる「ためにする申立て」や、一見して理由のない申立て、報復のための申立て等が相当な割合で存在することは公知の事実でもある。したがって、原告に対して懲戒申立てがされたことをもって、直ちに、原告に精神的損害が発生したということはできない。
(ウ) また、原告は、「週刊新潮」の発行部数やその売上げによる莫大な利益の額をも損害額の考慮に入れるべきであると主張する。しかし、原告の上記主張は、「週刊新潮」の実販売部数や販売経費をまったく考慮していない点で不当である。
イ 謝罪広告について
 原告の主張は争う。
第3 争点に対する判断
1 争点1(本件記事及び本件広告が、原告の名誉を毀損するか)について
(1) 本件記事の名誉毀損性
 本件記事のような週刊誌の記事による名誉毀損としての不法行為は、問題とされる表現が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させた場合、成立し得るものであり、当該記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、同記事を読む一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断するのが相当である。
 そこで、上記基準に従って、本件記事が原告の社会的評価を低下させるものであるか否か検討する。
ア 前記争いのない事実等及び証拠(甲1)によれば、以下の事実が認められる。
(ア) 本件記事中には、以下のaないしfの記載がある。
a 「『裸婦画はセクハラ』と取り外しを要求した無粋な女性弁護士」
b 「しかし、そんな祝事を控えたある日、女性弁護士から突然、声が上がったのだ。“現在飾られている裸婦画は、新館には展示するな”。理由はセクハラの危険ありというのだが、そんなアホなと笑われている。」
c 「『そんな彼女ならではの問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた。』(元同僚弁護士)」
d 「そして京都弁護士会のF副会長もこう言うのだ。『10月上旬に、新会館の備品などをどうするかという会務懇談会がありましたが、その会場でA弁護士は1枚の文書を配布。“あの裸婦画を飾り続けるのは女性へのセクハラに当たる”と主張した。』」
e 「30人ほどの懇談会出席者は、ただ困惑するばかりだった。」
f 「A弁護士がどんな審美眼を持っているのか知らないが、裸=セクハラというのは、あまりにも短絡的で幼稚な主張だ。」
(イ) 本件記事には、次のとおり原告の実名を挙げた上、その顔写真を掲載して同人を特定する記載がある。
 「そんな大家の絵をセクハラまがいと指摘したのは、A弁護士(39)だ。京大法学部出身。現在は乙法律事務所に所属し、セクハラや家庭内暴力などに熱心な弁護士として知られている。」
(ウ) 本件記事は、本誌が「女の勲章」として企画した特集の1つであり、本件記事の前に「名も明かさず『遺産17億円』を京都市に寄付した粋な女性」との見出しの下に、遺言により約17億4000万円を京都市の文化観光資源保護基金に寄付した女性の記事が掲載されているのに対し、その直後に掲載されている本件記事には、「舞台は同じでも、こちらは無粋な話」との記載がある。
イ(ア) 以上の事実を前提として、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として本件記事を検討する。
 本件記事は、氏名と顔写真の掲載により原告を特定した上、読者に対し、原告が、「裸=セクハラ」という短絡的で幼稚な考え方を持っていること、そのような考え方を前提として、京都弁護士会に対し、本件裸婦画を新会館に展示することが女性に対するセクハラに当たるとしてその取り外しを要求した原告の言動に対して京都弁護士会の会務懇談会の出席者をはじめとして原告の周囲の人々がこれを嘲笑の対象としている旨記載することで、原告の人格について短絡的で幼稚との印象とともに原告の言動について無粋であるという印象を与えるものとなっている。ところで、無粋という表現について、一般の読者はマイナスの人格評価やマイナスの印象を抱くと考えられる。
 また、本件記事は、上記認定したとおり本誌が「女の勲章」として企画した特集の1つで、本件記事の直前に「名も明かさず『遺産17億円』を京都市に寄付した粋な女性」との見出しの下に、遺言により約17億4000万円を京都市の文化観光資源保護基金に寄付した女性の記事が掲載されていること、本件記事に「舞台は同じでも、こちらは無粋な話」と両者を対比して記載しているところ、以上のことからすると、本件記事は、寄付をした上記女性と原告とをことさらに対比するような構成とともに表現方法をとった上で、寄付をした女性を「粋な女性」と表現することで原告が「無粋」であることを強く印象づける内容になっているものというべきである。
 以上の事実によれば、本件記事は原告に対する社会的評価を低下させるものであるというべきである。
(イ) ところで、被告は、無粋とは要するに粋でないことであり、粋であるか否かは個人的な趣味に関わるところであるから、このような表現を用いたからといって直ちに原告の社会的評価を低下させたとはいえない旨主張する。
 しかし、無粋という表現は上記説示したとおりであって、本件記事に記載された無粋という表現のみでもって原告の名誉を毀損したものでもないことは上記認定したとおりである。
 したがって、被告の上記主張は採用することができない。
(ウ) また、被告は、「短絡的」、「幼稚」といった表現は、表現者の意見ないし論評と考えられるところであるから、このような表現を用いたからといって直ちに原告の社会的評価を低下させたとはいえない旨主張する。
 確かに、「短絡的」、「幼稚」という表現はある物事に対する評価としての一面を有している。しかし、一般の読者は、特定の人物を対象としてそのような表現をなされた場合、その対象者の人格が「短絡的」で「幼稚」との悪印象を抱く可能性が高く、弁護士である原告がそのような対象者として表現されると、その人格のみならず弁護士としての能力についても悪印象を抱くと考えられる。被告が記載した上記「短絡的」、「幼稚」という表現はその記載内容からして意見ないし論評というより原告の人格に対する評価事実を記載した側面が大きく、意見ないし論評としてその検討対象とすることは相当でない。
 したがって、被告の上記主張は採用することができない。
(エ) 更に被告は、記事中の特定の記述が特定人の名誉を毀損するか否かはその記述のみによって判断されるべきであるところ、本件記載@ないしB及びDは、原告の氏名その他原告を窺わせるような記載が全く存在しないから、原告の社会的評価を低下させることはない旨主張する。
 確かに、本件記事から本件記載@ないしB及びDそれのみを取り出して検討した場合、その中には記述の対象が原告であることを特定するような記載は存在しない。しかし、本件記事が原告の名誉を毀損するか否かは、一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきことは上記説示したとおりであるところ、本件記事中に原告の氏名と顔写真が掲載されていることは上記認定のとおりである上、証拠(甲1)によれば、本件記事は、「女の勲章」という特集記事の中の一つとして掲載されているものであって、その構成上、一つの記事について一名の女性のエピソードを取り上げるものとなっていることが認められるところ、このような事実を踏まえると、本件記載@ないしB及びD自体には原告の氏名等を特定する記載はないとしても、一般読者には、それらの記載も原告に関するものと受け止められることが明らかである。
 したがって、被告の上記主張は、採用することができない。
(2) 本件広告の名誉毀損性
ア 確かに、証拠(乙4、5、6の1及び2)によれば、本件広告にはいずれも「『裸婦画はセクハラ』と取り外しを要求した無粋な女性弁護士」との記載がある一方で、原告の氏名その他原告を窺わせる記載は存在しないことが認められる。
 しかし、本件広告は本件記事が掲載された本誌(本件記事)に興味を引き起こさせて一般消費者に本誌を購読させるための有力な手段であって、本件記事と離れて本件広告を考えることはできない。現に、本件広告により本件記事を含む本誌の内容が広く一般の消費者に宣伝され、伝播され、それによってその購読数が増加している(公知な事実)。また、本件広告を見て本誌を購入した一般の読者は本件広告の対象が本件記事の記載から原告であることを認識し、同広告を見ないで本誌を購入し、本件記事の記載内容を読んだ読者も同広告を見てその対象が原告であることを認識する。以上のとおり本件広告と本件記事とは一体ともいうべきであって、そのいずれかを分断して考えることは相当ではなく、両者相まってその記載内容を踏まえるべきである。
 そうすると、本件記事と相まって本件広告を読んだ一般の読者は本件広告の記載から上記「女性弁護士」のことを原告であると認識するというべきであるから、本件広告も本件記事と相まって原告の社会的評価を低下させるものというべきである。
2 争点2(本件記事及び本件広告について名誉毀損の違法性阻却事由等が存在するか)について
(1) 本件記事のうち、本件記載@ないしEは、上記認定にかかるその記載内容からして、いずれも事実の摘示を含むものであることは明らかというべきである。ところで、事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、その行為には違法性がなく、仮にその事実が真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁判所昭和41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁、最高裁判所昭和58年10月20日第一小法廷判決・裁判集民事140号177頁。)。
(2) そこで、本件記事について違法性阻却事由等があるか否かを検討する。
ア 公共の利害に関する事実
 証拠(甲1、14、乙1、2の1及び2、乙3、11、16)及び弁論の全趣旨によれば、本件裸婦画は裸の女性が立つ姿を描いた「K」と題された50号の絵画で、大阪府出身の日本画家E画伯の作品であること、同画伯の代表作品である「L」は京都市美術館が所蔵し、同じく代表作品である「M」は首相官邸に飾られている等、同画伯の作品はその芸術性が高く評価されていること、平成14年10月31日の朝日新聞大阪版夕刊紙上において「アート?セクハラ?」「裸婦画、意見真っ二つ」「京都弁護士会館」との見出しのもと、本件裸婦画の写真を掲載しつつ、これを新会館に飾ることの是非について京都弁護士会内で議論されているという内容の記事が掲載されたこと、この朝日新聞の記事を読んだ読者から同新聞社に複数の投書が寄せられたことが認められる。
 ところで、本件裸婦画は高い芸術性を有する作品であるところ、本件記事は、このような高い芸術性を有する本件裸婦画であっても、それが裸婦画であるがゆえに新会館のような公共的な場所で展示することの是非をめぐって弁護士会内でも意見が分かれていることを内容とするものであって、この事実に本件記事と同じ対象をもってその内容とする記事が本件記事が公表される少し前に新聞紙上でも報道され、これに対して複数の読者から投書が寄せられていたことや弁護士の職務及び弁護士会の社会的役割等を併せて考慮すると、本件記事で取り上げた内容は社会の正当な関心事であるというべきであって、公共の利害に関する事実に係るものというべきである。
イ 公益を図る目的
 証拠(乙21)及び弁論の全趣旨によれば、本件記事の担当デスクであるHは、本件裸婦画のように芸術性の高い絵画について、新会館のような公共の場所に飾ることがセクハラに当たるという考え方に疑問を抱いたことから、この点について世間に問題提起すべきである等と考えていたことが認められる。そうすると、本件記事の掲載は、専ら公益を図る目的でなされたものということができる。
ウ 真実性
(ア) そこで、本件記事の本件記載@ないしEにおいて摘示された各事実が真実であるか否か検討する。
 なお、被告は、本件記事は、原告が本件裸婦画を弁護士会館に飾ることはセクハラに該当するとの意見を持っており、これを弁護士会の内外に表明したとの事実を中核とするものであるから、同事実について真実性の証明がなされた場合には、被告は不法行為責任を免れるべきである旨主張する。しかし、本件記事は、一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、上記(1)イ(ア)で認定判断したとおりの印象を与えるものであり、それゆえに原告の社会的評価を低下させるものとして同人の名誉を毀損するものと考えるべきある。したがって、被告が不法行為責任を免れるためには、その一部にすぎない被告の主張にかかる上記事実が真実であると証明されるだけでは足りないというべきである。
(イ)a 本件記載@について
 本件記載@は、原告が、京都弁護士会に対し、本件裸婦画を新会館に飾ることはセクハラに当たるから取り外すべきであると要求したとの事実を摘示するものである。
 証拠(甲13、証人F、原告本人)によれば、原告は、本件会務懇談会に出席することができなかったため、その会に先立ち、京都弁護士会に対して、本件裸婦画についての記載のある本件意見書を提出したこと、本件意見書には「この裸婦像を、新会館に移すべきか、移すとしたらどこに飾るべきか、につきましては、現在、両性の平等に関する委員会に意見照会をしていただいており、同委員会におきましては、8月、9月の委員会において検討、意見交換を行い、委員会として意見書を作成する予定であります。以上の進行状況でありますので、この会務懇談会におきましても、問題点として指摘をしていただけましたら幸いです。」との記載をする等、原告個人の意見ではなく上記委員会で提出された意見を紹介しているにとどまることが認められる。以上の事実を踏まえると、原告は、その当時、京都弁護士会に対して、本件裸婦画の新会館への展示について、両性の平等に関する委員会で議論しているところであるため、本件会務懇談会においても問題点の指摘をしてもらいたい旨述べていたにとどまるのであって、それ以上に、原告が本件裸婦画の新会館への展示について個人的な意見を述べていたということはないし、また、上記内容の本件意見書を提出したことをもって、原告自身の意見として本件裸婦画の「取り外しを要求した」ということも困難であり、その他に、本件記載@に摘示された上記事実が真実であると認めるに足りる証拠はない。
 被告は、本件意見書を提出したとの事実から、原告が本件絵画を弁護士会の役員室に展示することはセクハラにあたるので反対であるとの意見を京都弁護士会全体に表明したことに他ならない旨主張する。しかし、本件意見書はわざわざ委員会の意見としての形式が取られていることからすると、上記意見書を提出したことを原告個人の意見の表明と解することは困難である。
b 本件記載Aについて
 本件記載Aは、本件裸婦画を新会館に飾ることはセクハラに当たるから取り外すべきであると京都弁護士会に対し要求した原告の行為が、弁護士会等原告の周囲の人々から嘲笑の対象になっているとの事実を摘示するものである。ところで、証拠(乙16、17、20、証人G)によれば、Gは、脚本家であるN(以下「N」という。)、京都国立近代美術館の学芸課長であるO(以下「O課長」という。)、京都弁護士会の会員であるP弁護士(以下「P弁護士」という。)等に取材を行ったこと、これらの人物は本件裸婦画をセクハラを理由として新会館に展示することは適切ではないとの意見には強く否定的であったことが認められるが、そのことから直ちに、原告の言動が嘲笑の対象になっているとまで推測することは困難であって、その他に本件記載Aに摘示された上記事実が真実であると認めるに足りる証拠はない。
c 本件記載Bについて
 本件記載Bは、原告の元同僚弁護士が、被告の記者に対し、原告が本件裸婦画について本件記載@のような意見を持っていることを前提として、「そんな彼女の問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた。」と発言したとの事実を摘示するものである。ところで、証拠(乙18、証人G)によれば、Gは、原告と司法修習が同期であるとする弁護士に対して取材したところ、同弁護士は、この取材に対して、「こういうことを言う人がいると聞いても、私は余りびっくりはしませんな。」、あるいは「ああ、あの人だったら言いそうだなあ、元気なお人だから言うかもしれへんと思いますよ。」と述べていることが認められる。そうすると、上記弁護士は、「驚いた」ということとはむしろ逆の内容の返答をしていたというべきである。そのことに加えて、Gの作成した上記原稿(乙18)にも、同弁護士が「そんな彼女の問題提起ですが、なぜ、あの絵なのと驚いた。」旨の発言をした旨の記載はない。以上のことを踏まえると、本件記載Bに摘示された上記事実が真実であると認めることができず、その他、同事実が真実と認めるに足りる証拠はない。
d 本件記載Cについて
 本件記載Cは、本件会務懇談会の会場において、原告が1枚の文書を配布し、本件裸婦画を新会館に展示するのは女性へのセクハラに当たると主張したとの事実を摘示するものである。ところで、原告は、本件意見書で本件会務懇談会が開催された当時には、本件裸婦画の新会館への展示については両性の平等に関する委員会で議論しているところであるため、本件会務懇談会においても問題点の指摘をしてもらいたい旨述べていたにとどまるのであって、それ以上に、本件裸婦画の新会館への展示について個人的な意見を述べていたことがないことは上記2(2)ウ(イ)aで認定したとおりである。同事実に原告が本件会務懇談会に出席していなかったことを踏まえると、本件記載Cに摘示された上記事実が真実であると認めることができず、その他、同事実が真実と認めるに足りる証拠はない。
e 本件記載Dについて
 本件記載Dは、本件会務懇談会の30人ほどの出席者が原告の本件記載Cにかかるような主張に対し困惑したとの事実を摘示するものである。そもそも原告が本件会務懇談会において本件記載Cに摘示されたような主張をした事実を認めることができないことは上記2(2)ウ(イ)aで認定したとおりである。また、証拠(乙14、証人F76)及び弁論の全趣旨によれば、本件会務懇談会においては本件意見書が配布はされたものの、本件裸婦画については特に議論されなかったことが認められる。以上の事実を踏まえると、本件会務懇談会の出席者が原告の上記のような主張に対して困惑するという事態は起こり得る余地がなかった。したがって、本件記載Dに摘示された上記事実が真実であると認めることはできず、その他、同事実を真実と認めるに足りる証拠はない。
f 本件記載Eについて
 本件記載Eは、原告は「裸=セクハラ」という考えを持っているとの事実を摘示するものである。これを認めるに足りる証拠はない。したがって、本件記載Eに摘示された上記事実を真実を認めることはできない。
(ウ) 以上によれば、本件記事のうち、本件記載@ないしEにおいて摘示された各事実及び本件記事において被告が論評の対象と主張する原告がその芸術性のいかんにかかわらず、本件裸婦画が裸婦画であるがゆえに新会館内に展示することがセクハラに当たるという意見をもち、これを弁護士会に表明したという事実は、いずれも真実であるということはできない。
エ 相当性
(ア) そこで、次に、被告が、本件記事において摘示された事実及び本件記事においてなされた論評の前提とされた事実の重要な部分を真実と信じたことに相当の理由があるか否か検討する。
 証拠(乙11、15ないし22、証人G)及び弁論の全趣旨によれば、Gが本件記事に関して以下のとおりの取材等を行ったことが認められる。
a Gは、平成14年11月14日に行われた編集会議の後、本件記事についての取材を行うよう、本件記事の担当デスクであるHから指示を受けた。
b 本誌の前の週の号である「週刊新潮」平成14年11月21日号には、「原稿廃棄物」というコーナーにおいて、「京都弁護士会館の『裸婦はセクハラ』騒動」という見出しの下、本件記事の内容に関連するような記事(以下「本件関連記事」という。)が掲載されていた。本件関連記事では、本件裸婦画を新会館に飾るか否かについての問題を提起した人物は「女性弁護士数人」であると記載されている。
 Hは、本件関連記事の担当デスク及び担当記者と打合せを行った上で、Gに対し、上記「女性弁護士」が原告であること、同記事の際に取材に応じた男性弁護士がF弁護士であること等を伝え、上記取材の指示をした。
c Gは、同日夜、F弁護士へ電話をかけ、取材を行った。
d Gは、同月15日、京都に赴き、京都弁護士会館において同会館のQ事務長と面談した。
e Gは、同日昼ころ、取材の申し込みをするため、原告及び他2名の女性弁護士に電話をかけたところ、原告及び1名の女性弁護士は不在であったが、もう1名の女性弁護士が所属する弁護士事務所の事務員は、Gに対し、同女性弁護士は「Aさんがやっていることで、うちは関係ない」と言っている旨の発言をした。
f Gは、同日、京都国立近代美術館のO課長に対し、電話で取材を行った。O課長は、Gに対し、本件裸婦画の作者であるE画伯の略歴や同氏の作品の芸術性の高さについて述べた上、「そんな人が描いた絵を『セクハラ』ですか。」、「芸術に対して余りに理解が無いような気がしますわ」等と述べた。
g Gは、同日、いわゆる全国紙の京都支局の記者に対しても、本件裸婦画を新会館に飾ることに関する問題の現地での受け止められ方等について取材したところ、同記者は、Gに対し、上記問題は京都ではさほど話題になっていないこと、京都はいわゆる革新系の弁護士が多い土地柄であること等を述べ、コメントが得られそうな弁護士の名前を伝えた。
h Gは、同日、上記の情報に基づいて京都弁護士会所属の弁護士数人に電話で取材を行った。同取材に応じたP弁護士は、Gに対し、上記問題について、「はっきり言って、弁護士が議論するような話じゃないね。」、「今回の話はその絵が特定の人に向けられた性的な嫌がらせでないというのは明らかですね。法律家の発言としては、根拠の厳格性に乏しいですし、そういう意味では節度の無いものだと感じます。」等と述べた。
i Gは、同日、原告と司法修習が同期であった弁護士3人に対しても電話で取材を行った。3人のうち2人は不在であったが、内1人は匿名を条件に取材に応じ、Gに対し、「A先生は、女性問題について一所懸命な方だと聞いています。」等と述べた。
j Gは、同日、原告に直接会って取材を行おうとしたが、会うことができなかった。そこで、Gは、Hに連絡をしたところ、原告については東京へ帰ってから電話で取材を行えばよいとの指示を受けたため、同月16日、東京に戻り、Hに取材結果を報告し、データ原稿を作成して提出した。
k 同日午後9時ころ、Gは、被告編集部から原告の自宅に電話をかけた。
l Gは、Hの指示を受け、脚本家のNに電話で取材を行ったところ、同人は、Gに対し、上記問題について、「言葉が見つからないくらいバカな話だよ。」等と述べた。
m Hは、Gの上記取材結果を基に、本件記事を執筆した。
n なお、Gは、上記取材を通じて原告が本件会務懇談会に提出した本件意見書を入手することはできなかった。
(イ) 以上を前提に、被告が本件記載@ないしEを真実と信じたことについて相当の理由があるか否かを検討する。
a 本件記載@について
 本件記載@の事実について、上記2(2)エ(ア)で認定した事実からすると、被告は、原告が、京都弁護士会に対し、本件裸婦画を新会館に飾ることはセクハラに当たるから取り外すべきであると要求したとの事実を摘示しながら、その要求したとされる本件意見書を入手しないまま本件記載@をしたものであるし、また、本件関連記事においても、本件裸婦画を京都弁護士会館に飾るか否かについての問題を提起した人物は「女性弁護士数人」であると記載されていて、Gもこれを認識しつつ取材を行ったのにもかかわらず、法律事務所の事務員の上記発言のみから原告のみが上記摘示にかかる要求を行ったものであると軽信してそのように記載したものであるというべきである。以上の事実を踏まえると、被告が本件記載@を真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、その他、それを認めるに足りる証拠はない。
b 本件記載Aについて
 本件記載Aの事実について、Gが取材を行った人物のうち、O課長、P弁護士及びNは、本件裸婦画を新会館に飾ることが「セクハラ」にあたるという考えには強く否定的であったことが認められるが、そのことから直ちに、原告が嘲笑されているとまで推認することは困難である。そうすると、被告が本件記載Aを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、その他、それを認めるに足りる証拠はない。
c 本件記載Bについて
 本件記載Bの事実について、証拠(乙18、証人H)によれば、上記エ(ア)iで認定した匿名で取材に応じた弁護士がGの取材に対し、「そう思うと、ああ、あの人だったら言いそうだなあ、元気なお人だから言うかもしれへんと思いますよ。けれど全く、何にも意味の無い話ですわなあ。」と発言していたこと、Hは、同表現から、本件記載Bのとおり上記弁護士が原告の問題提起に驚いた旨記述したことが認められる。しかし証拠(乙18)によれば、上記弁護士は、Gの取材に対して、本件記載Bに記述されたような趣旨の発言をしたことはなく、かえって、「私は余りびっくりはしませんな。」との発言をしていることが認められる。同弁護士の同発言自体も、仮に原告がそのような意見を持っており、これに沿った発言をしていたとしても予測ができるという趣旨のものであって、同発言から同弁護士が驚いていたと記述することは必ずしも当を得ない。以上のことを踏まえると被告が本件記載Bを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、その他、それを認めるに足りる証拠はなく、かえって、被告は、上記弁護士に対する取材結果に基づかない事実を記載したといわざるを得ない。
d 本件記載Cについて
 本件記載Cについて、Gは、F弁護士が、「原告が、会務懇談会において本件意見書を配ったそうだ」と述べた旨供述する(G167等)けれども、証拠(証人F13)及び弁論の全趣旨によれば、F弁護士は、本件会務懇談会に出席しており、自ら本件意見書を出席者に配布したことが認められ、このような経過を踏まえるとF弁護士が上記のような発言をすることは考えられず、Gの同供述はにわかに採用することはできない。その他に、被告が本件記載Cを真実であると信じるについて相当の理由があったと認めるに足りる証拠はない。かえって、証拠(証人G244)によれば、G自身、原告に対する取材の際に、原告は、会務懇談会に出席していないのではないかと思っていたことが認められる。そうすると、被告が本件記載Cを真実であると信じたことについて相当の理由があるということはできず、かえって、被告は、真実ではないと考えていながら、あえてあたかも真実であるかのように記載したものというほかない。
e 本件記載Dについて
 本件記載Dについて、G自身、原告に対する取材の際に原告は会務懇談会に出席していないのではないかと思っていたことは上記認定したとおりである上、証拠(乙14)によれば、Gが作成したF弁護士に対する取材のデータ原稿にも本件会務懇談会では「とくに議題にはならなかったそうです。」との記載があるが、本件会務懇談会の出席者が困惑した旨の記載は一切存在しないことが認められる。以上の事実を踏まえると、被告が本件記載Dを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、その他、それを認めるに足りる証拠はなく、かえって、被告は、本件取材結果を独自に解釈し、想像した事実を記載したものというべきである。
f 本件記載Eについて
 本件記載Eについて、Gは、原告に対し取材を行ってはいるものの、証拠(乙19)によれば、その際、原告が本件意見書を配布した経緯についてやり取りがあったのみで、特に原告に対して原告のセクハラに対する考え方について議論したり、これを確認したりしたことがなかったことが認められ、その他には、原告が本件記載Eが摘示するような考え方を持っていると信じることについて相当の理由があったことを認めるに足りる証拠はない。以上のことを踏まえると、被告が本件記載Eを真実であると信じたことについて相当の理由があると認めることができず、その他、それを認めるに足りる証拠はなく、かえって、被告は、Gの上記認定した取材結果を独自に解釈して原告の意見を作り上げたものというべきである。
(ウ) そうすると、被告が本件記載@ないしEにおいて摘示した事実のいずれについても、真実と信じたことに相当の理由があるということもできない。したがって、本件記事による被告の名誉毀損行為について、違法性阻却事由等は存在しないというべきである。
3 争点3(損害額及び謝罪広告の要否)について
(1) 損害額について
ア 慰謝料
 原告が本件記事による名誉毀損により被った精神的苦痛に対する慰謝料の額を検討する。
(ア) 事実の真実性・相当性の程度
 本件記事のうち、本件記載@ないしEは、いずれも真実と認めるに足りる証拠がない上、逆に真実ではないというべき記載も存在し、被告が本件記載@ないしE記載の各事実について真実であると信じたことについて相当の理由も認めることができない。かえって、本件記事の中にはG自身の取材を通じて得られた内容と相違する事実をあたかも真実であるかのように記載されたものも存在することは上記2(2)ウ(イ)で認定説示したとおりである。以上のことを踏まえると、被告の上記名誉毀損行為等の違法性は軽視することはできない。
(イ) 本件記事の流布の程度
 被告は、本誌について新聞、公共交通機関内及びホームページ上に本件広告をし、同広告が全国規模で行われていたことは上記第2の1(3)ウで認定したとおりである。また、証拠(甲18ないし20、乙6の1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば、「週刊新潮」は定価がおよそ300円であり、1つの号について約72万部を全国で発行していること、本誌発行当時、インターネットの雑誌紹介に原告の氏名と本件記事のタイトルが掲載され、原告の氏名で検索すると記事の紹介がなされる状態であったこと、「R」のいうホームページにも本件記事がそのまま掲載されていたことが認められる。以上の事実を踏まえると、本件記事は全国に広く流布し、これに伴って原告の被った精神的損害も拡大したというべきであるのに対し、他方、被告は、本誌の売上げにより相当程度の利益を上げたものと推認され、それを覆すに足りる証拠はない。
(ウ) 原告の被った具体的な不利益
 本件記事は、原告の氏名や弁護士という職業を特定した上、その顔写真をも掲載していること、原告やあるいは被告が原告の言動として取り上げた事実について「無粋」、「短絡的で幼稚な主張」等と表現していることは上記認定のとおりであったところ、原告は、本件記事により社会的評価を低下させられた他、証拠(甲1、2、21ないし28、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件記事が掲載された平成14年11月当時、原告は京都弁護士会の綱紀委員であったが、本件記事の読者と思われる者から原告を対象者として京都弁護士会に対し、原告が「京都弁護士会館に飾られている裸婦画について、『セクハラになるので新館には展示するな』と発言したようであるが、同発言は、男女差別、女尊男卑であ」る等として懲戒申立てがなされ、原告は、答弁書の作成等を余儀なくされたこと、原告は、本件記事によって受けた精神的苦痛により、事実上弁護士業務を停止していた時期もあったことが認められる。
 ところで、被告は、懲戒申立てがあったからといって原告に損害が発生したとはいえない旨主張する。しかし、弁護士は、その職務の性質上、懲戒の申立てをされること自体でその職務上の信用等に事実上あるいは心理上の影響がまったくないとはいえないし、当時原告が京都弁護士会の綱紀委員であり、懲戒申立ての相当性を審査すべき立場にあったことは上記認定のとおりであったことも考慮すると、被告の上記名誉毀損行為による損害額の算定にあたって、かかる事実を考慮しないことは相当ではないというべきである。
(エ) 上記認定した本件記事の表現や構成の態様、それによる名誉毀損行為の違法性の程度、原告の被害の程度、他方、被告が本誌の発行により得ている利益及びその他本件に現れた一切の事情を総合すると、原告が本件記事の名誉毀損により被った精神的苦痛に対する慰謝料としては300万円が相当である。
イ 弁護士費用
 弁論の全趣旨によれば、原告は、本件訴訟を提起し、本件訴訟追行を弁護士に委任したと認められるところ、上記慰謝料の認容額その他本件に現れた諸般の事情を考慮すれば、被告の行為と相当因果関係がある損害として弁護士費用30万円を認めるのが相当である。
(2) 謝罪広告について
 本件記事は、一応公益を図る目的により掲載されたことが認められること、既に本件記事が掲載されてから一定程度の時間が経過していること、被告に対して330万円にのぼる慰謝料等の支払いを命じることにより、原告の名誉の回復は相当程度可能であると考えられること、その他本件に現れた諸般の事情を考慮すれば、上記慰謝料等の支払いを命じる以外に、原告の名誉を回復するために謝罪広告を必要とするとまで認めることはできない。
第4 結論
 以上によれば、原告の請求は、主文第1項の限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、64条を、仮執行の宣言につき同法259条1項を適用して、主文のとおり判決する。

京都地方裁判所第6民事部
 裁判長裁判官 中村哲
 裁判官 竹内努
 裁判官 酒井智之


別紙略
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