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【事件名】住基ネット・プライバシー侵害事件(福岡) 【年月日】平成17年10月14日 福岡地裁 平成15年(ワ)第29号(甲事件)、平成15年(ワ)第2941号(乙事件) 住民基本台帳ネットワーク差し止め等請求事件 判決 (当事者) 別紙当事者目録記載のとおり 主文 一 原告らの請求をいずれも棄却する。 二 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第一 請求 一 被告国は、各原告に対し、一一万円及びこれに対する甲事件原告らについては平成一五年一月二三日から、乙事件原告らについては平成一五年八月二六日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 二 被告福岡県は、 (1)住民基本台帳法三〇条の七第三項の別表第一の上欄に記載する国の機関及び法人に対し、原告らに関する本人確認情報(原告らの氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び原告らに付された住民票コード並びにこれらの変更情報をいう。以下同じ。)を提供してはならない。 (2)被告センターに対し、原告らに関する住民基本台帳法三〇条の一〇第一項記載の本人確認情報処理事務を委任してはならない。 (3)被告センターに対し、原告らに関する本人確認情報を通知してはならない。 (4)原告らに関する本人確認情報を、保存する住民基本台帳ネットワークの磁気ディスク(これに準ずる方法により一定の事項を確実に記録しておくことができるものを含む。以下同じ。)から削除せよ。 三 被告センターは、 (1)被告福岡県から受任した原告らに関する住民基本台帳法三〇条の一〇第一項記載の本人確認情報処理事務を行ってはならない。 (2)原告らに関する本人確認情報を、保存する住民基本台帳ネットワークの磁気ディスクから削除せよ。 四 被告福岡県は、各原告に対し、一一万円及びこれに対する甲事件原告らについては平成一五年一月二三日から、乙事件原告らについては平成一五年八月二六日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 事案の概要 本件は、平成一一年法律第一三三号による改正後の住民基本台帳法に基づき設けられた住民基本台帳ネットワーク(以下「住基ネット」という。)は、原告らの人格権である公権力による包括的管理からの自由権、氏名権及び自己情報コントロール権を侵害し、あるいは侵害する危険性を有するものであるとして、福岡県住民である原告らが、被告福岡県及び同センターに対して、人格権に基づき、原告らに関する住基ネットの差止めと本人確認情報の磁気ディスクからの削除を求め、被告国及び同福岡県に対して、国家賠償法一条に基づき、損害賠償金及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの民事法定利率による遅延損害金の支払を求めた事案である。 一 前提事実 法令の規定以外の以下の事実は、争いがないか後掲証拠及び弁論の全趣旨により認められる。 (1)当事者 ア 原告らは、それぞれ肩書住所地に居住し、住民登録をしている者である(甲一)。 イ 被告センターは、地方公共団体におけるコンピュータの利用を促進するために昭和四五年五月設立された法人である。 (2)住民基本台帳法 住民基本台帳は、住民基本台帳法(昭和四二年法律第八一号)に基づき、市町村(特別区を含む。以下同じ。)において、住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り、あわせて住民に関する記録の適正な管理を図るため、住民に関する記録を正確かつ統一的に記載した公簿である(法一条)。 住民基本台帳法は、平成一一年法律第一三三号により改正され、同法による改正後の住民基本台帳法(以下「法」という。)は、平成一四年八月五日から施行されている(法附則一条一項本文、平成一三年政令第四三〇号)。上記改正によって、次のとおり住基ネットが設けられた。 (3)住基ネット ア 概略 住基ネットは、地方公共団体の共同システムとして、住民基本台帳のネットワーク化を図り、それまでは各市町村内で利用されてきた住民基本台帳の情報を共有することにより、全国的に本人確認情報の確認ができる仕組みを構築し、市町村の区域を越えて住民基本台帳に関する事務処理を行うものである。 住基ネットは、後記のとおり、原告らの本人確認情報を保存、送信等するものであるが、住基ネットによる保存、送信等の対象となる本人確認情報は、住民票の記載事項(法七条)のうち、氏名(同条一号)、出生の年月日(同条二号)、男女の別(同条三号)、住所及び一の市町村の区域内において新たに住所を変更した者については、その住所を定めた年月日(同条七号)及び住民票コード(番号、記号その他の符号であって総務省令で定めるものをいう。以下同じ。同条一三号)の各事項(住民票の消除を行った場合には、当該住民票に記載されていたこれらの事項)並びに住民票の記載等に関する事項で政令(住民基本台帳法施行令(昭和四二年政令第二九二号)。以下「施行令」という。)で定めるものである(法三〇条の五第一項)。住基ネットにおいては、以下のとおり、本人確認情報を、市町村に設置されている住民基本台帳事務の電子計算機から、橋渡しをするための電子計算機(コミュニケーションサーバ。以下「CS」という。)に、電気通信回線により送信し、電気通信回線を通じて本人確認情報の通知を受けた都道府県知事が、これを磁気ディスクに記録して保存するものであり、この本人確認情報が、電気通信回線等を通じて、国の機関又は法人、他の都道府県、市町村等の機関に提供されることとなる。 イ 住民票コードの通知等 住民票コードは、法によって、新たに住民票の記載事項として定められた(法七条一三号)。 住民票コードは、無作為に作成された一〇けた数字及び一けたの検査教字(住民票コードを電子計算機に入力するときの誤りを検出することを目的として、総務大臣が定める算式により算出される数字をいう。)からなるものであり、全国を通じて重複しないように指定されている(住民基本台帳法施行規則(平成一一年自治省令第三五号)一条)。 (ア)都道府県知事は、総務省令で定めるところにより、当該都道府県の区域内の市町村の市町村長ごとに、当該市町村長が住民票に記載することのできる住民票コードを指定し、これを当該市町村長に通知するものとする(法三〇条の七第一項)。上記の指定及び通知について、都道府県知事は、総務大臣の指定する者(以下「指定情報処理機関」という。)に行わせることができる(法三〇条の一〇第一項柱書、一号)。 総務大臣は、被告センターを指定情報処理機関に指定した。 (イ)市町村長は、法の施行日に、同法施行の際現に住民基本台帳に記録されている者(政令で定める者を除く。) に係る住民票に、他の住民の住民票に記載した住民票コードと異なる住民票コードを選択して記載するものとされ(法附則三条)、住民票コードを記載したときは、速やかに、当該記載に係る者に対し、その旨及び住民票コードを書面により通知しなければならない(法附則五条)。 (ウ)市町村長は、住民票の記載をする場合には、当該記載に係る者につき直近に住民票の記載をした市町村長が当該住民票に直近に記載した住民票コードを記載するものとする(法三〇条の二第一項)。また、市町村長は、新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者につき住民票の記載をする場合において、その者がいずれの市町村においても住民基本台帳に記録されたことがない者であるときは、その者に係る住民票に、他の住民の住民票に記載した住民票コードと異なる住民票コードを記載するものとし(法三〇条の二第二項)、住民票コードを記載したときは、速やかに、当該記載に係る者に対し、その旨及び当該住民票コードを書面により通知しなければならない(法三〇条の二第三項)。 (エ)住民基本台帳に記録されている者は、その者に係る住民票に記載されている住民票コードの記載の変更を請求することができる(法三〇条の三第一項)。 ウ 本人確認情報の保存、送信等 (ア)市町村長は、住民票の記載、消除又は氏名、出生の年月日、男女の別、住所及び住民票コードの全部若しくは一部についての記載の修正を行った場合には、当該住民票の記載等に係る本人確認情報を都道府県知事に通知するものとする(法三〇条の五第一項)。 (イ)都道府県知事は、指定情報処理機関に、国の機関等への本人確認情報の提供等の本人確認情報処理事務を行わせることができ(法三〇条の一〇第一項。以下、指定情報処理機関に本人確認情報処理を行わせることとした都道府県知事を「委任都道府県知事」という。)。 この場合、委任都道府県知事は、本人確認情報を、指定情報処理機関に通知するものとする(法三〇条の一一第一項)。 上記通知は、総務省令で定めるところにより、委任都道府県知事の使用に係る電子計算機から電気通信回線を通じて指定情報処理機関の使用に係る電子計算機に送信することによって行うものとする (法三〇条の一一第二項)。 (ウ)都道府県知事及び指定情報処理機関は、総務省令で定めるところにより、当該通知に係る本人確認情報を磁気ディスクに記録し、これを当該通知の日から政令で定める期間保存しなければならない(法三〇条の五第三項、三〇条の一一第三項)。 エ 情報の提供 (ア)市町村長 市町村長は、他の市町村の市町村長その他の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったときは、条例で定めるところにより、本人確認情報を提供するものとする(法三〇条の六)。 (イ)都道府県知事 a 都道府県知事は、法別表第一の上欄に掲げる国の機関又は法人から同表の下欄に掲げる事務の処理に関し、住民の居住関係の確認のための求めがあったときに限り、政令で定めるところにより、保存期間に係る本人確認情報(法三〇条の五第一項の規定による通知に係る本人確認情報であって同条第三項の規定による保存期間が経過していないものをいう。以下同じ。)を提供するものとする(法三〇条の七第三項)。 b 都道府県知事は、次の各号のいずれかに該当する場合には、第一号又は第三号に掲げる場合にあっては政令で定めるところにより、第二号に掲げる場合にあっては条例で定めるところにより、当該都道府県の区域内の市町村の市町村長その他の執行機関に対し、保存期間に係る本人確認情報を提供するものとする。 一号 区域内の市町村の執行機関であって法別表第二の上欄に掲げるものから同表の下欄に掲げる事務の処理に関し求めがあったとき。 二号 区域内の市町村の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったとき。 三号 当該都道府県の区域内の市町村の市町村長から住民基本台帳に関する事務の処理に関し求めがあったとき。 (法三〇条の七第四項) c 都道府県知事は、次の各号のいずれかに該当する場合には、第一号又は第三号に掲げる場合にあっては政令で定めるところにより、第二号に掲げる場合にあっては条例で定めるところにより、他の都道府県の都道府県知事その他の執行機関(以下「他の都道府県の執行機関」という。)に対し、保存期間に係る本人確認情報を提供するものとする。 一号 他の都道府県の執行機関であって法別表第三の上欄に掲げるものから同表の下欄に掲げる事務の処理に関し求めがあったとき。 二号 他の都道府県の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったとき。 三号 他の都道府県の都道府県知事から法三〇条の七第一〇項に規定する事務の処理に関し求めがあったとき。 (法三〇条の七第五項) d 都道府県知事は、次の各号のいずれかに該当する場合には、第一号又は第三号に掲げる場合にあっては政令で定めるところにより、第二号に掲げる場合にあっては条例で定めるところにより、他の都道府県の区域内の市町村の市町村長その他の執行機関(以下「他の都道府県の区域内の市町村の執行機関」という。)に対し、保存期間に係る本人確認情報を提供するものとする。 一号 当該他の都道府県の都道府県知事を経て当該他の都道府県の区域内の市町村の執行機関であって法別表第四の上欄に掲げるものから同表の下欄に掲げる事務の処理に関し求めがあったとき。 二号 当該他の都道府県の都道府県知事を経て当該他の都道府県の区域内の市町村の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったとき。 三号 当該他の都道府県の都道府県知事を経て当該他の都道府県の区域内の市町村の市町村長から住民基本台帳に関する事務の処理に関し求めがあったとき。 (法三〇条の七第六項) e 都道府県知事は、次の各号のいずれかに該当する場合は、保存期間に係る本人確認情報を利用できる。 一号 法別表第五に掲げる事務を遂行するとき。 二号 条例で定める事務を遂行するとき。 三号 本人確認情報の利用につき当該本人確認情報に係る本人が同意した事務を遂行するとき。 四号 統計資料の作成を行うとき。 (法三〇条の八第一項) f 都道府県知事は、都道府県知事以外の当該都道府県の執行機関であって条例で定めるものから条例で定める事務の処理に関し求めがあったときは、条例で定めるところにより、保存期間に係る本人確認情報を提供するものとする(法三〇条の八第二項)。 g 都道府県知事は、指定情報処理機関に、次に掲げる本人確認情報処理事務を行わせることができる。 一号 法三〇条の七第一項の規定による住民票コードの指定及びその通知 二号 法三〇条の七第二項の規定による協議及び調整 三号 法三〇条の七第三項の規定による本人確認情報の法別表第一の上欄に掲げる国の機関及び法人への提供 四号 法三〇条の七第四項の規定による本人確認情報の法別表第二の上欄に掲げる区域内の市町村の執行機関及び同項第三号に規定する当該都道府県の区域内の市町村の市町村長への提供 五号 法三〇条の七第五項の規定による本人確認情報の法別表第三の上欄に掲げる他の都道府県の執行機関及び同項第三号に規定する他の都道府県の都道府県知事への提供 六号 法三〇条の七第六項の規定による本人確認情報の法別表第四の上欄に掲げる他の都道府県の区域内の市町村の執行機関及び同項第三号に規定する他の都道府県の区域内の市町村の市町村長への提供 七号 法三七条第二項の規定による本人確認情報に関する資料の国の行政機関への提供 (法三〇条の一〇第一項) (ウ)住民基本台帳に記録されている者は、その者が記録されている住民基本台帳を備える市町村の市町村長に対し、自己に係る住民基本台帳カード(その者に係る住民票に記載された氏名及び住民票コードその他政令で定める事項が記録されたカードをいう。)の交付を求めることができる (法三〇条の四四第一項)。 (エ)住基ネットを利用している事務(以下「住基ネット利用事務」という。)は、平成一四年一二月時点で二六四事務である。 オ 使用回線等 市町村長の使用に係る電子計算機、都道府県知事の使用に係る電子計算機及び指定情報処理機関の使用に係る電子計算機は、それぞれ電気通信回線で結ばれ、本人確認情報の通知及び提供は、総務省令で定めるところにより、原則として相互の電子計算機間を電気通信回線を通じて行われる(法三〇条の五第二項、三〇条の七第七項、三〇条の一一第二項、同第四項)。 (4)各自治体と各被告間の住基ネットは、平成一四年七月一九日から仮運用がなされ、同年八月五日から本運用が開始された。 その結果、各自治体、被告福岡県、被告センターは、原告らの本人確認情報を被告らが運用するコンピュータネットワーク上において保有することとなり、他の都道府県、市町村、国の一定の機関・法人などは、原告らの同意なく、本人確認情報の提供を受けることができることとなった。 二 争点 (1)差止請求の可否 (2)国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求の可否 三 争点に関する当事者の主張 (原告らの主張) (1)差止請求の可否について ア 憲法一三条によって保障される人格権について (ア)公権力による包括的管理からの自由権 憲法一三条は幸福追求権を保障しているが、同条は、個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる法的利益を人格権として憲法上保障する場合の根拠規定となる。 公権力による一方的、包括的な管理の客体におかれないという法的利益は、人格的生存に不可欠であり、人格権の一内容として憲法一三条によって保障されている。 (イ)氏名権 氏名は、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であるから、人格権の一内容を構成するというべきであり、憲法一三条によって保障されている。 (ウ)自己情報コントロール権 従前、憲法一三条は「私事をみだりに公開されない」という意味でのプライバシー権を保障していた。しかし、現代の情報化社会においては、自己の自律的な生存を確保するためには上記の意味でのプライバシー権を保障するのみでは不十分であり、自己情報をコントロールする権利をもプライバシー権の一内容として憲法一三条によって保障されていると解するべきである。 ここにいう自己情報とは、すべての個人情報を含むと解するべきであり、氏名、出生の年月日、男女の別及び住所(以下これらの情報を「四情報」という。)はもとより、住民票コード及び変更情報(四情報とこれらの情報を併せると本人確認情報となる。) についても、自己情報に含まれる。特に住民票コードについては、これを四情報に付されることにより、特定の基準に基づき自動化された手続によって利用できる個人データの集合体(以下「個人データ・ファイル」という。)が成立しうること及び行政機関に分散している個人情報を名寄せする際の手段となりうることから、四情報と同様に自己情報に該当すると解するべきである。 また、コントロールとは、自己に関する情報を、何時、どのように、どの程度まで他者に伝達するかを自ら決定することをいい、具体的には、閲覧請求権、訂正・削除要求権、利用・伝播統制権が認められると解するべきである。 イ 人格権に基づく差止請求の要件について 上記ア記載の人格権は、その権利の重要性に鑑み、物権と同様に排他性を有すると解するべきであり、人格権が現に侵害されている場合及び侵害される蓋然性がある場合には、人格権に基づく差止めが認められると解するべきである。本件においては、表現の自由をはじめとする他の人権との衡量が問題となる場面ではないから、要件は上記で足り、他の何らかの要件を加重するべきではない。 原告らは、次に述べるとおり、人格権を現に侵害されており、又は侵害される蓋然性があるから、原告らは、人格権に基づき原告ら個々人の情報の削除及び法に基づく被告らの行為の差止めを求めることができる。 ウ 被告らの行為による人格権の侵害 (ア)住民票コードの付番は、前記ア(ア)及び同(イ)記載の権利(公権力による包括的管理からの自由権及び氏名権)を侵害すること 住民票コードは、従前各行政事務処理において用いられていた限定番号とは異なり行政事務間で共通の番号であるこぐ住基ネット利用事務は平成一四年一二月時点で二六四事務に拡大されていること及び住基ネット利用事務を現在法定された事務に限定する歯止めはなく、将来無限に拡大される可能性があることから、公権力が、住民票コードを手段として個人データ・ファイルを成立させ又は名寄せする危険がある。 このように、住民票コードは、公権力による包括的管理の危険を有するものであって、個人に対し住民票コードを付する行為は、それ自体、国民の公権力による包括的管理からの自由権を侵害するものである。 また、住民票コードは、従来の氏名に代わって個人情報を流通・処理する際の手段となるものであるところ、行政の窓口担当者などが個人を氏名でなく住民票コードで識別する事態が確実に予測されるから、住民票コードを付する行為は、氏名権をも侵害するものである。 (イ)住基ネット自体が、前記ア(ア)及び同(ウ)記載の権利(公権力による包括的管理からの自由権及び自己情報コントロール権)を現に侵害し又は侵害する蓋然性があること a 住基ネット自体が自己情報コントロール権を侵害するものであること 本人確認情報のうち四情報は、原告らが、原告らの居住する市町村に対して、住民基本台帳に関する事務を処理する範囲内で収集、保管、利用することを容認し、提供した情報である。 しかし、住基ネットは、本人確認情報を当該市町村外にまで流通させるシステムであり、原告らの容認していた利用範囲を超えるものであるから、自己情報コントロール権を侵害する。 また、原告らは、当該市町村から、何時、誰に対して原告らの本人確認情報が提供されたのか、その情報については誰がどのように利用しているのか、本人確認情報が漏曳されたのか等について全く知り得ない状況に置かれており、この点も、自己情報コントロール権を侵害するものである。 b 包括的管理による人格権の侵害の蓋然性があること 前記ウ(ア)記載のとおり、住民票コードの付番は公権力による包括的管理の危険を有するものであるから、住民票コードを用いる住基ネットも、公権力による包括的管理の危険を有するシステムといえる。 特に、既に住基ネットの利用が開始された二六四事務については、名寄せ等の現実的危険が発生しており、人格権が侵害される蓋然性があることは明白である。 c 個人情報の保護措置が不十分であるため、原告らの自己情報コントロール権が現に侵害され又は侵害される蓋然性があること 法は、それ自体では個人情報の保護措置が十分ではなく、外部及び内部からの不正アクセス及び目的外利用による個人情報漏曳の危険を有している。 特に、住基ネットが本人確認情報をデジタル化して保存、提供等するシステムであるために複製が容易であること、インターネットの発達により、一旦情報が漏曳した場合には、短時間のうちに大量かつ広範囲に頒布するおそれがあることからすれば、原告らの自己情報コントロール権が侵害される蓋然性は高い。 第三者からの住基ネットへの不正アクセス及び漏曳の危険性が具体的なものであることは、平成一五年九月から一一月ころにかけて長野県内の町村で行われた住基ネットへの模擬侵入実験(以下「長野県侵入実験」という。)の結果からも明らかである。 エ 法の違憲性 法は、上記ウのとおり、法律内容自体が原告らの人格権を侵害し又は侵害する蓋然性のある内容となっており、次に述べるとおり違憲であるから、法に基づく住基ネットもまた原告らの人格権を侵害するものである。また、被告らの行為も違憲な法に基づくものとして当然に違憲となる。 (ア)合憲性判定基準 人格権は自由権であるから、他者の人権の保護の要請との衝突による場合にしか制約されることがないところ、原告らが住基ネットから離脱しても他者の人権と衝突することはないのであるから、公権力によってこれを侵害することは全く許されない。法は、上記ウのとおり原告らの人格権を侵害し又は侵害する蓋然性のある内容となっているから、違憲である。 仮にそうでないとしても、人格権と表現の自由といった自由権同士が衝突する場面とは異なり、本件は、公権力による人格権の侵害が問題となっているのであるから、合憲性判定基準としては、原則として個人の同意・承諾の有無を基準に考えるべきであり、個人の同意・承諾が存しない場合には、人格権の侵害を甘受してもやむを得ないと判断できるだけのやむにやまれぬ必要性・利益が存在するかどうかという基準、又は厳格な合理性の基準によって判断すべきである。 (イ)本件についてみるに、次のとおり、人格権の侵害を甘受してもやむを得ないと判断できるだけのやむにやまれぬ必要性・利益は存在しないし、同一目的を達成する他の手段も存在するのであるから、違憲というべきである。 すなわち、被告は電子政府・電子自治体実現のためには住基ネットが不可欠であると主張するが、IT国家先進国と言われているカナダやアメリカ合衆国では住基ネットと同様のシステムは存在しないのであるから、必ずしも住基ネットが必要であるとはいえない。 また、住基ネットによる住民の負担軽減についても、二六四事務の中には一般的に申請することがほとんど無い事務も含まれており、国民一人当たりの負担軽減は僅かなものでしかないから、住民に利便性があるともいえない。 さらに、行政の経費節減についても、被告らの試算では人的経費、将来のバージョンアップ費用、従来の収入源であった発行手数料の減少等について考慮しておらず、根拠のない主張となっている。 また、被告らは、住基ネットヘの参加希望者のみを対象にする個別選択制を採用することも十分可能であった。 オ 個人情報を保護するための所要の措置(以下「所要の措置」という。)なく法を施行したことの違法性 法は、既述のとおり、それのみでは十分な個人情報を保護するための措置を講じておらず違憲であるから、法附則一条二項は、住基ネットが稼働する平成一四年八月までに個人情報の保護に関する法律の施行を義務付けた条項であると解される。 にもかかわらず、被告らは、同月、所要の措置を講じないまま法を施行した。 したがって、被告らの上記行為は、法附則一条二項に反し、違法である。 (2)国家賠償法一条に基づく損害賠償請求の可否について ア 法は、前記(1)で述べたとおり、その内容が違憲であるから、内閣総理大臣及び総務大臣は憲法九九条及び一三条により、福岡県知事は憲法九九条及び一三条並びに地方自治法二条一五項により、それぞれ違憲な法を施行しない義務及び原告らの人格権を侵害しない義務を負っている。 イ 被告福岡県に対する請求 (ア)それにもかかわらず、福岡県知事は、違憲な法を施行した。福岡県知事の不法行為は以下のとおりである。 a 当該市町村長が住民票に記載することのできる住民票コードを指定し通知すること(法三〇条の七第一項) b 住民票コードの指定及び通知を指定情報処理機関に委託すること(法三〇条の一〇第一項一号) c 市区町村長から、本人確認情報を取得すること(法三〇条の五) d 本人確認情報を磁気ディスクに記録し、保存すること(法七条、三〇条の五第三項) e 国の機関・法人等へ本人確認情報を提供すること(法三〇条の七第三項) f 指定情報処理機関に対し、国の機関・法人等への本人確認情報の提供等の本人確認情報処理事務を委任すること(法三〇条の一〇第一項) g 指定情報処理機関へ本人確認情報を通知すること(法三〇条の一一第一項) (イ)原告ら、上記不法行為によって精神的苦痛を被った。同苦痛を慰謝するためには、一人当たり一〇万円が相当である。 また、弁護士費用は一人当たり一万円が相当である。 ウ 被告国に対する請求 (ア)総務大臣は、法が違憲であるにもかかわらず、福岡県知事に上記イ記載の違法行為を、被告センターに下記aの違法行為を行わせたことに加え、自らも下記bの不法行為を行った。 a 被告センターの違法行為 (a)住民票コードの指定及び通知を行うこと(法三〇条の一〇第一項一号) (b)委任都道府県知事から、本人確認情報を取得すること(法三〇条の一一第一項) (c)本人確認情報を磁気ディスクに記録し、保存すること(法七条、三〇条の一一第三項) (d)国の機関及び法人へ本人確認情報を提供すること(法三〇条の一〇第一項三号) b 総務大臣の不法行為 (a)都道府県知事が行う、本人確認情報の指定情報処理機関、他の都道府県の都道府県知事等への通知の方法等について総務省令を定めること(法三〇条の一一第二項) (b)指定情報処理機関に、被告センターを指定したこと (c)住民票コードの記載に関する必要な事項を政令で定めること(法三〇条の四) (d)市区町村長の都道府県知事に対する本人確認情報の通知に関する事項を政令で定めること(法三〇条の五) (e)都道府県知事の、国の機関又は法人、他の都道府県の都道府県知事などに対する本人確認情報の提供に関する事項を政令で定めること(法三〇条の七) (f)住民基本台帳カードに関する事項を政令等で定めること(法三〇条の四四) (g)平成一三年政令第四三〇号により、平成一四年八月五日から住基ネットを運用することとしたこと (イ)さらに、総務大臣が所要の措置を講じないまま法を施行したことは違法であるから、以下の行為も不法行為となる。 a 平成一四年八月五日までに所要の措置を講じないことが明らかになったにもかかわらず、法の施行期日を延期しなかったこと b 本人確認情報の安全確保に関する法三一条に定める都道府県及び市町村に対する必要かつ十分な指導を行わなかったこと (ウ)内閣総理大臣は、上記(ア)記載の政令制定に関する不法行為責任を、総務大臣と連帯して負う。 加えて、所要の措置を講じないまま法を施行する行為は違法であるから、以下の不作為も不法行為となる。 a 法附則一条二項に定める「個人情報の保護に万全を期するため、速やかに、所要の措置を講ずる」ことをしなかったこと b 平成一四年八月五日までに所要の措置を講じないことが明らかになったにもかかわらず、法の施行期日を延期しなかったこと (エ)原告らは、上記不法行為によって精神的苦痛を被った。同苦痛を慰謝するためには、一人当たり一〇万円が相当である。 また、弁護士費用は一人当たり一万円が相当である。 (被告らの主張) (1)差止請求の可否について ア 憲法一三条によって保障される権利について 憲法一三条の規定する幸福追求権は、個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体と解され、新しい人権の憲法上の根拠となり得るものである。しかしながら、プライバシーの概念は多義的であり、その内容は流動的であるから、同概念を、プライバシー権という一つの統一的な憲法上の権利として把握し、憲法一三条によって保障されていると解することはできない。したがって、原告らの、プライバシー権という憲法上の権利を前提とし、自己情報コントロール権がこれに含まれるとの主張は失当である。 また、プライバシーに関わる事項として憲法一三条によって保障される内容は、「みだりに私的生活領域へ侵入されたり、他人に知られたくない私生活上の事実又は情報を公開されたりしない」利益と解するべきであって、原告らが主張するプライバシーに係る情報をコントロールする権利まで憲法によって保障されていると解するべきではない。 したがって、原告らの、原告ら主張の人格権が憲法一三条によって保障され、その人格権が侵害されたことを前提とする主張は失当である。 仮に原告ら主張の人格権が憲法一三条によって保障されているとしても、次のとおり差止請求及び国家賠償請求は認められない。 イ 人格権に基づく差止請求の要件について 差止請求の要件としては、@差止めができる排他的な権利の存在、A権利侵害の危険性、B差止めの必要性が必要である。 プライバシーが排他性を有する物権類似の絶対権ないし支配権といえるかについては、未だ統一的な理解を得ていないから、プライバシーを排他性を有する絶対権ないし支配権として捉え、侵害の事実のみによって差止請求が認められると解するべきではない。 ウ 住民票コードを付する行為について 原告らは、住民票コードを付する行為が人格権を侵害する旨主張するが、住民票コードは、全国を通じて重複しない番号、記号その他の符号であって、無作為に作成された一〇けたの数字及び一けたの検査数字からなるところ、住民票コードは、住民基本台帳に記載された四情報を電子計算機及び電気通信回線を用いて効率的に送信させるために技術上新たに設けられた符号にすぎず、個人の人格的利益とは無関係である。したがって、住民票コードを付する行為は、原告らの人格権を侵害しない。 エ 住基ネットについて 原告らは、住基ネットが原告らの人格権を侵害する違憲なものであり、住基ネットを規定する法の施行は違法であると主張するが、以下に述べるとおり住基ネットを規定する法の内容は合憲であり、その施行も適法である。 (ア)住基ネットの合理性、必要性及び利便性 従前、住民基本台帳制度の目的は、市町村における住民に関する事務の簡素化と住民に関する記録の適正な管理にあった。 近年、住民の移動や交流が全国的な規模で広がるに至り、この状況を受けて、市町村や都道府県の区域を越えた本人確認システムを構築し、行政サービスの向上と行政事務の効率化のために法が制定されたのであり、目的には合理性がある。 そして、上記目的のために住基ネットは不可欠なシステムであることは明らかであるし、加えて、行政サービスのほとんどをインターネットで行えることを目指した電子政府・電子自治体構想の基盤ともなるから、必要性が認められる。 さらに、住基ネットによって、かつては行政機関等への申請や届出の際、膨大な件数の住民票の写しが提出されていたが、二六四事務については住民票の写しの添付等の負担が解消され(住民側の利便性)、市町村側は、窓口業務の簡素化に伴い行政経費が削減されるといった利点もある(行政機関側の利便性)。 (イ)原告らの包括的管理による人格権の侵害の主張について 法の予定する住基ネットは、個人の情報を一元的、統一的に管理するシステムとはなっていない。 そして、法では、保有情報、利用事務、提供先等が限定されていることからすれば、原告らが主張するような、個人の情報を容易に名寄せし包括的に管理する危険を有するものでもない。 (ウ)個人情報漏曳の危険性もないこと 法は、十分に個人情報保護に関する措置を講じているから、法が原告らの人格権を現に侵害し又は侵害する具体的危険はなく、原告らの主張する危険は抽象的危険にとどまる。 すなわち、法及び同法を受けた総務省告示「電気通信回線を通じた送信又は磁気ディスクの送付の方法並びに磁気ディスクへの記録及びその保存の方法に関する技術的基準」(平成一四年総務省告示三三四号、平成一五年総務省告示第三九一号、同第六〇一号。以下「総務省セキュリティ基準」という。)は、個人情報保護の措置として、保有情報の限定(法三〇条の五第一項)、本人確認情報の利用、提供の制限(法三〇条の六、法三〇条の七第三項ないし同第六項、法三〇条の八及び法別表)、本人確認情報を保有しない提供する関係機関及び国の責任の明確化、住民票コードの利用制限、外部からの侵入防止対策等を規定している。 また、原告らは、長野県侵入実験の結果によって住基ネットの具体的危険が明らかになったと主張するが、長野県侵入実験では結局住基ネット自体へは侵入できなかったのであるから、むしろ住基ネットの安全性が確認されたと評価すべきである。 (エ)所要の措置なく施行したことが違法であるとの原告らの主張について 法附則一条二項は、所要の措置を講じなければ法を施行してはならないとの趣旨ではない。 むしろ、同条一項では、法は、公布の日から起算して三年を超えない範囲内において政令で定める日から施行することとされており(平成一三年一二月二八日政令第四三〇号)、所要の措置を講じたか否かにかかわらず同日の施行が義務付けられていたから、被告らの施行行為は適法である。 (2)国家賠償請求の可否について 国家賠償法上の違法性が認められるためには、被告国らの公務員が個別の国民に対する職務上の法的義務に違反したことが必要であり(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁)、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたことが必要であるが(最高裁平成五年三月一一日第一小法廷判決・民集四七巻四号二八六三頁、最高裁平成一一年一月二一日第一小法廷判決・判例時報一六七五号四八頁)、本件においてそのような違反行為は存しない。 第三 争点に対する判断 一 争点(1)(差止請求の可否について) (1)人格権に基づく差止請求の要件について 原告らは、人格権に基づき差止めを求めている。 そこで、いかなる要件の下に人格権に基づく差止請求が認められるか検討するに、まず、当該人格権が、差止請求権という物権的請求権と同様の排他的な請求権が認められるにふさわしい内容を有しており、かつ、その内容及び外延が明確なものである必要があるといえる。したがって、このような意味での権利性を有しないが、憲法一三条で保障されている人格的利益は、不法行為の保護法益となることはあっても、差止請求権を有しないことになる。 次に、人格権に基づく差止請求権は、物権的妨害排除請求権及び物権的妨害予防請求権と同様の請求権であるから、違法な行為により、当該人格権が現に侵害されているか、あるいは、侵害されるおそれがある場合に、差止めが認められることになる。 したがって人格権に基づく差止請求の要件としては、少なくとも@上記のような内容及び明確性をもった人格権を有すること、A人格権を現に侵害し又はこれを侵害するおそれがあること及びBその侵害が違法であること(以下「違法性」という。)が必要であるといえる。 なお、これらの要件以外の要件が必要か否かについては、本件の判断に必要がないので、言及しない。 (2)住民票コードを付する行為による氏名権の侵害を根拠とする差止請求の可否について 原告ら主張の氏名権が、不法行為の保護法益たる人格的利益に止まらず、上記のような内容及び明確性をもった権利性を有する人格権に当たるか否かについては疑問があるが、仮にそうであるとしても、次のとおり、住民票コードを付する行為は、原告ら主張の氏名権を侵害し、あるいは、侵害するおそれがある行為ではないから、差止請求は認められない。 すなわち、前提事実(3)イ認定の事実及び弁論の全趣旨によれば、住民票コードは、住民基本台帳に記載された個人情報を電気通信回線を用いて効率的に送信するために技術上設けられた、無作為に作成された数字であって、いったん付された住民票コードも、本人の請求によりいつでも変更することが可能なものであるから、氏名等に代わる機能は付されていないことが認められる。また、行政機関の住民に対する呼称として、氏名等に代わり住民票コードの数字が用いられるという性質のものではない。さらに、今日においては、膨大な情報を管理する便宜上、情報整理のための番号等を用いて個人ごとの情報を管理することは、日常生活のさまざまな場面において通常に行われていることである。したがって、住民票コードを付する行為が原告らの氏名権を侵害し、あるいは侵害するおそれがある行為とはいえない。 したがって、住民票コードを付する行為による氏名権の侵害を根拠とする差止請求は認められない。 (3)公権力による包括的管理からの自由権に基づく差止請求の可否について 原告らは、将来、住基ネット利用事務が無制限に拡大し、住民票コードを各行政機関の保有する個人情報を結合する手段として用いることにより、公権力による個人の包括的管理が行われる危険性がある旨主張する。 しかしながら、もとより法にそのような個人の包括的管理を行う旨の規定はなく、前提事実及び後記(4)イ(ア)c記載のとおり、法に基づいて流通する個人情報は本人確認情報に限定されていること、住基ネット利用事務を拡大するためには法改正を行う必要があること及び法は各手続について法定しており、法定の目的以外での本人確認情報の利用を禁止していることからすれば、法に原告らの主張するような包括的管理の危険性があるとは認められない。原告らの主張は、法の規定が無視される抽象的危険を述べるにとどまるものであって、これを採用することはできない。 (4)自己情報コントロール権に基づく差止請求の可否について ア 原告らの主張について 原告らは、自己情報コントロール権が憲法一三条によって認められていることを前提として、住基ネットが自己情報コントロール権を侵害するものであるから、差し止めるべきである旨主張する。 ここで、原告らが自己情報コントロール権と称する権利が憲法一三条によって保障されるプライバシー権の一内容であるか否かは別としても、本人確認情報は、これをみだりに収集、開示されたくないと考えるのは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきであるから、これをみだりに収集、開示されないという限度での人格的利益は認められる。 しかしながら、原告ら主張の自己情報コントロール権については、その内容及び外延が必ずしも明確ではない上、本人確認情報は、その利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性を否定することはできないものの、それ自体は、個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるものではないから、上記人格的利益が差止請求権を与えるにふさわしい内容を有する人格権としての権利性を有するかについては疑問があり、この点において差止請求が認められない可能性が高いというべきである。 また、仮に原告らの主張するとおり、上記人格的利益に差止請求権が与えられるほどの人格権としての権利性が認められるとしても、以下に判示するように違法性の要件を欠くため、その余の要件該当性を検討するまでもなく、結局差止請求は認められない。 イ 違法性について (ア)住基ネットの合憲性について 原告らの主張する行為が仮に原告らの主張するとおり自己情報コントロール権を現に侵害し又はこれを侵害するおそれがあるとしても、その侵害は、法律に基づいて行われるものであるから、一般的には、法令に基づく正当行為として違法性が認められない。 これに対し、原告らは、法の内容そのものが原告らの人格権を現に侵害し又は侵害する蓋然性があるため違憲なのであるから、違憲な法に基づいて設けられた住基ネット及び法に基づく被告らの行為もまた当然に違憲、違法となる旨主張するので、以下、法の合憲性について判断する。 a 合憲性判断基準 仮に原告らの主張する人格権が認められるとしても、同権利は無制限に保護されるものではなく、公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法一三条に定められているところである。そして、法による原告ら主張の人格権に対する侵害が公共の福祉による制限として許容されるか否かは、法の立法目的に合理性があるか、法の予定する住基ネットの必要性があるか、住基ネットによる本人確認情報の利用態様が一般的に許容される限度を超えない相当なものであるかという基準によって判断すべきである(最高裁平成七年一二月一五日第三小法廷判決・刑集四九巻一〇号八四二頁参照)。 そこで、以下、上記基準に従って法の合憲性を判断する。 b 法の立法目的の合理性及び住基ネットの必要性について <証拠略>によれば、法の目的は、次のとおりである。すなわち、高度に情報化された現代社会において、既に民間部門では、コンピュータ・ネットワークシステムが構築、活用されており、顧客サービスの向上や業務の効率化が積極的に進められてきている。このような中にあって、行政も、全国的な広がりをもった住民の移動や交流という実態に合わせて、行政サービスを的確かつ効率的に提供していく必要性があり、そのためには、市町村や都道府県の区域を越えた本件確認システムが不可欠であり、行政部門においても、民間部門と同様に、情報通信技術を的確に活用することが必要不可欠といえるところ、住民基本台帳の全国的な電算化が進んでいることから、これをネットワークで接続すれば、全国的な本人確認システムが安価に構築できるし、住民にとっては面倒な行政手続が簡略化され、行政側の事務負担の軽減を図ることが可能となる。住基ネットは、このような発想から生まれたシステムであって、その目的は、行政サービスの向上と行政事務の効率化である。このような法の立法目的には十分な合理性があると認められる。 そして、このような行政サービスの向上と行政事務の効率化という立法目的を達成するためには、住基ネットが重要な役割を果たすと考えられるし、また、ネットワーク社会における本人確認手段としての住基ネットは、住民が行う行政機関への申請、届出のほぼ全てをインターネットで行うことを可能とする、いわゆる電子政府・電子自治体を実現するための基礎となる不可欠なシステムともいえる。したがって、住基ネットの必要性も認められる。 なお、原告らは、電子政府・電子自治体の構想が始まったのは平成一二年以降であるところ、法の閣議決定が平成一〇年三月一〇日であるから、電子政府・電子自治体の実現が法の立法目的であるとはいえない旨主張する。 しかしながら、電子政府・電子自治体構想は、高度情報通信ネットワーク社会に対応するための動きの一つといえるところ、<証拠略>によれば、そのような動きは平成八年ころからあったと認められるし、すでに述べたとおり、法は電子政府・電子自治体の実現のみを立法目的とする制度ではないから、法の閣議決定日と電子政府・電子自治体構想との先後関係の一事をもって、法の立法目的の合理性が住基ネットの必要性が左右されるものではない。 c 本人確認情報の利用態様の相当性について (a)本人確認情報を秘匿する必要性の程度について 四情報については、これをみだりに収集、開示されたくないという期待を保護する必要はあるものの、これらは従前から原告らの居住する市町村の住民基本台帳に記載され、何人も閲覧可能な状態に置かれていたものであり(法一一条)、一定の社会生活の範囲では従前から収集、開示が行われ得た情報なのであるから、行政事務を遂行する上で必要な範囲では秘匿すべき必要性は高くない。 また、住民票コードについては、法によって新たに住民票の記載事項とされたものであるが、すでに述べたとおり、住民票コードは無作為に作成された数字であり、それ自体から個人情報が推知されることはないことから、行政事務を遂行する上で必要な範囲では、秘匿すべき必要性は高くない。 そして、法においては、本人確認情報の収集、開示の範囲が、原告らの居住する市町村を越えて、他の市町村、都道府県及び国にまで拡大されているが、その利用事務はいずれも行政手続に関する事務に限られており、法の予定する収集、開示の範囲は、一般的に許容される限度を超えない相当なものと認められる。 したがって、本人確認情報は、法の予定する利用事務の範囲内では、いずれも秘匿すべき必要性は高くないと認められる。 (b)情報の提供等の態様について また、住基ネットを利用して行われる情報提供等は、前提事実(3)エのとおり、利用事務、提供先等が法定されており、提供先も行政機関等に限られていることから、法による情報提供範囲の拡大は、その態様においても一般的に許容される限度を超えない相当なものと認められる。 (c)住基ネットを通じた情報提供による利便性について <証拠略>によれば、住基ネットを通じた情報提供によって、国民側は、従前、住民票の写しの提出が必要であった行政手続において、その提出が不要となることなど、負担の軽減が認められ、市町村側も、同写しの提出に伴う行政事務を省略化、効率化することができるから、住基ネットを通じた情報提供による利便性も認められる。 (d)個人情報保護措置について 法は、次のとおり様々な角度から個人情報保護措置を講じている。 @ 保有情報の制限等 法は、都道府県及び被告センターの保有データを本人確認情報に限定している(法三〇条の五第一項、三〇条の一一第一項)。 A 本人確認情報の利用及び提供の制限等 法は、本人確認情報の提供先である行政機関及び利用目的を法律で規定し、限定している(法三〇条の六、法三〇条の七第三項ないし同第六項、法三〇条の八、法別表)。 そして、都道府県知事及び指定情報処理機関に対し、法律の規定によらない本人確認情報の利用及び提供を禁止し(法三〇条の三〇)、本人確認情報の提供を受けた者に対しては、目的外の利用又は提供を禁止している(法三〇条の三四)。 さらに、市町村長その他の市町村の執行機関は、法律に規定された事務等で本人確認情報の提供を求めることができることとされているものの遂行のため必要のある場合以外に、住民票コードの告知を求めることはできないとされている(法三〇条の四二)。 B 秘密保持義務 法は、住基ネットに関係する者(指定情報処理機関の役員、職員、これらの職にあった者、市町村又は都道府県の職員で本人確認情報の電子計算機処理等に関する事務に従事する者、これらの職にあった者、市町村長又は都道府県知事から本人確認情報の電子計算機処理等の委託を受けた者、これらの者であった者、国の機関又は法人が提供を受けた本人確認情報の電子計算機処理等に従事する職員、これらの職にあった者等)に対し、その事務に関して知り得た本人確認情報に関する秘密又は本人確認情報の電子計算機処理等に関する秘密を保持すべき義務を課している(法三〇条の一七第一項、第二項、三〇条の三一、三〇条の三五、三五条)。 そして、これらに違反した場合には、罰則を科している(四二条)。 C 安全確保義務 法は、本人確認情報の漏洩等を防止するため、都道府県知事、指定情報処理機関、前二者から委託を受けた者、本人確認情報の提供を受けた市町村長等、都道府県知事等、国の機関等に対し、本人確認情報の漏洩の防止等のため必要な措置を講ずるよう定めている(法三〇条の二九、法三〇条の三三)。 そして、総務省は、これを踏まえ、総務省セキュリティ基準により具体的な基準を定めている(乙一の一ないし三)。 D 国又は都道府県の指導等 法は、国、都道府県、主務大臣、都道府県知事等に対し、それぞれ、この法律の規定により都道府県や市町村等が処理する事務について、必要な指導、助言、勧告等を行うものとしている(法三一条第一項、第二項、三〇条の二二)。 E 報告及び立入検査 法は、本人確認情報処理事務等の適正な実施を確保するため必要があると認める場合に、総務大臣、委任都道府県知事に対し、指定情報処理機関に対する実施状況の報告要求や立入検査を認めている(法三〇条の二三第一項、第二項)。 F 自己の本人確認情報の開示等 法は、何人も、都道府県知事又は指定情報処理機関に対し、自己の本人確認情報について、開示、訂正を請求できると定めている(法三〇条の三七、三〇条の四〇)。 G 第三者機関による本人確認情報の保護 法は、本人確認情報の保護に関する事項を調査審議し、これらの事項に関し建議したり、あるいは、意見を述べることのできる本人確認情報保護審議会を都道府県に、本人確認情報保護委員会を指定情報処理機関に、それぞれ設置している(法三〇条の九、三〇条の一五)。 また、総務省においても、住基ネットシステム緊急対策本部及び住基ネットシステム調査委員会を設置している(乙イ一二)。 なお、原告らは、長野県侵入実験の結果は、住基ネット本体の本人確認情報に対する危険性が具体的に発生していることを示すものである旨主張するが、<証拠略>によれば、同実験は、その内容が住基ネットシステム自体の安全性を検証したものか疑問である上、同結果についても、住基ネット本体への侵入は失敗していること及び他の自治体(品川区)で行われたペネトレーションテストにおいても、住基ネットに対する不正侵入が成功しなかったとの結果が出ていることから、長野県侵入実験の結果によって、住基ネット本体に個人情報漏洩等の具体的危険が発生していると認めることはできず、他に個人情報漏洩等の具体的危険が発生していることを認めるに足りる証拠はない。 (e)以上のとおり、本人確認情報は、法の予定する利用の範囲内では秘匿すべき必要性は高くなく、その情報の提供等の態様は相当であり、住基ネットを通じた情報提供による利便性も認められ、個人情報保護措置も講じられているから、住基ネットによる本人確認情報の利用態様は、一般的に許容される限度を超えない相当なものであるといえる。 なお、原告らは、法が個別選択制を採用しなかった点についても言及するが、法において個別選択制を採用するかどうかは立法裁量の問題であり、また、既に述べたとおり、個別選択制を採用するまでもなく、住基ネットによる本人確認情報の利用態様には相当性が認められるので、この点の原告らの主張は採用できない。 d 以上のとおり、法は、立法目的の合理性、住基ネットの必要性、本人確認情報の利用態様の相当性をいずれも備えているから、合憲というべきである。 (イ)所要の措置なく施行したことの違法性について 原告らは、法を所要の措置を講じないまま施行したことが違法である旨主張するので、まず法附則一条二項の趣旨について検討する。 法附則一条二項は、「この法律の施行に当たっては、政府は、個人情報の保護に万全を期するため、速やかに、所要の措置を講ずるものとする。」と定めており、個人情報の保護のために設けられた条項であるところ、既に述べたとおり、法そのものによって個人情報保護は図られていること及び同項の文言をみると「施行に当たっては」「速やかに」所要の措置を講ずる「ものとする」と規定されており、法の施行までに所要の措置を講じなければならないとの定め方にはなっていないことから、同項は、所要の措置を講じなければ法を施行してはならないとの趣旨ではないと解され、原告の主張は採用できない。 したがって、所要の措置なく法を施行しても、同項違反であるとはいえない。かえって、被告国は、法の規定(法附則一条一項)に従って、公布の日から起算して三年を超えない範囲内で法を施行したのであるから、被告らの法の施行は適法であるといえる。 (ウ)したがって、住基ネットの施行は、憲法に適合する法令に基づく適法な施行であるから、正当行為として、差止請求の要件のうち、違法性の要件を満たさない。 ウ 以上によれば、自己情報コントロール権に基づく差止請求も認められない。 (5)結論 よって、原告らの差止請求はいずれも理由がない。 二 争点(2)(国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求の可否)について 国家賠償法一条一項にいう「違法に」とは、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することである(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁)ところ、前記一(4)イで判示したとおり、法は合憲であり、かつ、その施行も適法であるから、原告らの主張する不法行為は、いずれも合憲な法令に基づく適法な行為として、被告らの負担する職務上の法的義務に違背するものではなく、違法性がない。 よって、原告らの国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求も理由がない。 第四 結論 以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。 よって、原告らの請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。 福岡地方裁判所第3民事部 裁判長裁判官 一志泰滋 裁判官 本田能久 裁判官 三島聖子 別紙 当事者目録 甲事件原告 甲野太郎<ほか一三名> 乙事件原告 乙山松夫<ほか九名>(以下、甲及び乙事件原告らを単に「原告ら」という。) 原告ら訴訟代理人弁護士 村井正昭 同 名和田茂生 同 藤尾順司 同 武藤糾明 同 岩能豊和 同 佐々木かおり 同 小島肇 同 山本一行 同 小澤清實 同 梶原恒夫 同 深堀寿美 同 稲尾吉茂 同 井下顕 同 後藤富和 同 中山篤志 外一三二名 甲及び乙事件被告 国(以下「被告国」という。) 同代表者法務大臣 南野知恵子 被告国指定代理人 山口英樹<ほか六名> 甲及び乙事件被告 福岡県(以下「被告福岡県」という。) 同代表者知事 麻生渡 被告福岡県指定代理人 中原潤一郎<ほか七名> 上記被告両名指定代理人 丸山秀三<ほか二名> 甲及び乙事件被告 財団法人地方自治情報センター(以下「被告センター」という。) 同代表者理事 芳山達郎 被告センター訴訟代理人弁護士 橋本勇 同 小倉秀夫 同 大下信 |
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