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【事件名】『植民地朝鮮の日本人』の記念文集引用事件 【年月日】平成17年7月1日 東京地裁 平成16年(ワ)第12242号 著作権に基づく損害賠償等請求事件 (口頭弁論終結日 平成17年4月12日) 判決 原告 A 原告 B 原告 C 上記3名訴訟代理人弁護士 正野嘉人 被告 株式会社岩波書店 被告 D 上記両名訴訟代理人弁護士 秋山幹男 主文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告らは、別紙書籍目録記載の書籍から別紙削除項目目録記載の記述部分を削除しない限り、同書籍を複製又は販売してはならない。 2 被告らは、連帯して、原告Aに対しては金200万円、原告B及び原告Cに対しては各金100万円、並びにこれらの金員に対する平成14年6月20日(出版の日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 被告らは、連帯して、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞及び産経新聞の各全国版に、別紙謝罪広告目録記載1の謝罪広告文を同2の掲載条件で各1回ずつ掲載せよ。 第2 事案の概要等 1 争いのない事実等 (1) 原告ら ア 原告A(以下「原告A」という。)は、第2次世界大戦前に朝鮮半島にあった京城三坂小学校(以下「三坂小学校」という。)の卒業生であり、日本経済新聞の記者であった者である。 原告Aは、昭和58年11月5日に出版された「鉄石と千草 京城三坂小学校記念文集」(以下「本件文集」という。)の編集責任者である(甲1、弁論の全趣旨)。 イ 原告B(以下「原告B」という。)及び原告C(以下「原告C」という。)は、いずれも三坂小学校の卒業生であり、本件文集にそれぞれ原稿を寄稿した(弁論の全趣旨)。 (2) 被告らの行為 ア 被告D(以下「被告D」という。)は、日本近現代史及び朝鮮近現代史を専攻する津田塾大学教授であり、岩波新書として別紙書籍目録記載の書籍(以下「被告書籍」という。)を著作した。 イ 被告株式会社岩波書店(以下「被告会社」という。)は、各種図書の出版及び販売等を目的とする株式会社であり、平成14年6月20日に被告書籍の第1刷を発行した(弁論の全趣旨)。 (3) 本件文集の概要 本件文集は、戦後に結成された三坂小学校の卒業生や教師などの集まりである三坂会の結成30周年を記念して出版されたものであり、6名の編集委員から成る編集委員会によって編集され、原告Aが編集責任者であった。本件文集においては、冒頭に、原告Aが執筆した三坂小学校の歴史及び当時の社会事情に関する記載や写真が掲載され、次いで三坂小学校の卒業生や職員等関係者が寄稿した文章が、座談会を交えて概ね年代順に並べて編集されており、巻末には原告Aが執筆した編集後記が掲載されている(甲1、5、6(11頁))。 (4) 被告書籍の概要 被告書籍の書籍カバー裏には、「日本の植民地支配は、政治家・軍人によってのみ行われたわけではなく、名もない人々の『草の根の侵略』によって支えられていた。1876年、日朝修好条規によって日本人が釜山に上陸してから、1945年の敗戦で引揚げるまで、最大時75万人いたといわれる在朝日本人70年の軌跡を描く。繰り返してはならない歴史を検証する」と記載されているところ、被告書籍は、概ねこの記載のとおりの内容を有する(甲2)。 (5) 本件文集と被告書籍の記載 本件文集には、別紙引用部分一覧表の「被引用部分」欄の記載があるところ(以下、番号に従って「被引用部分1」などという。)、被告書籍には、同「引用部分」欄の記載がある(以下、番号に従って「引用部分1」などという。)。 被引用部分1は、Eの「石に立つ矢のためしあり」のうち「(2) 朝鮮人児童教育と脱出行」という文章の一部である。被引用部分2は、「多元座談会 三坂校の終焉T」におけるFの発言の一部である。被引用部分3は、Gの「蓬●橋と日の丸の小旗」という文章の一部である。被引用部分4及び同5は、Hの「秋の時代」という文章の一部である。被引用部分6は、Iの「防空壕」という文章の一部である。被引用部分7は、Jの「私どもの時代」という文章の一部である。被引用部分8は、Kの「かるたとパカチ」という文章の一部である。 2 事案の概要 本件は、原告Aが、主位的に、本件文集が編集著作物又は共同著作物であり、同原告がその著作者であるところ、被告書籍の引用部分が同原告の同一性保持権を侵害するなどと主張して、被告らに対し、@著作権法112条1項に基づき別紙削除項目記載の記述部分を削除しない被告書籍の複製販売の差止め、A民法709条、719条に基づき損害賠償、B著作権法115条に基づき謝罪広告を請求し、原告ら3名が(原告Aは予備的に)、被告書籍の引用部分が原告らの名誉を毀損し、名誉感情を侵害するなどと主張して、@名誉権に基づき別紙削除項目記載の記述部分を削除しない被告書籍の複製販売の差止め、A民法709条、719条に基づき損害賠償、B民法723条に基づき謝罪広告を請求する事案である。 3 本件の争点 (1) 原告Aは被引用部分について編集著作物の著作者の権利を有するか否か (2) 原告Aは被引用部分について共同著作物の著作者の権利を有するか否か (3) 被告書籍による引用が原告Aの同一性保持権を侵害するか否か (4) 著作権法113条5項の著作者人格権侵害の有無 (5) 被告らの不法行為の有無 (6) 差止めの必要性 (7) 損害の有無及び額 (8) 謝罪広告の必要性 第3 争点に関する当事者の主張 1 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について 〔原告らの主張〕 (1) 編集著作物の創作性は、編集行為が独特の方式に基づいていること又は一定の目的の下になされていることにある。 (2) しかるに、原告Aは、編集後記に現れている思想、目的に基づいて本件文集を編集したものである。すなわち、本件文集をただの思い出集にはしたくない、大陸的なおおらかな風土の中で、祖父から受け継いだロマンと反骨の血、異民族の間で育ち、教えられた異文化への敬愛の目、敗戦、引き揚げで味わった屈辱と飢え等の中で培われた外地生まれの人間の思考、価値観を示したい、三坂小学校の教育が何を与えてくれたか、戦前の又は植民地の教育史の一断面として捉えてみたい、戦前、戦中、戦後に生きた自分たちの生き様史にも触れて朝鮮侵略統治の非道、戦争の悲惨さ、引揚げの無惨さ、自分たち外地人の存在感を次代の人々に1つの時代の資料として残したいという原告Aの思想、主旨、希望、目的に適合させるべく、目次、各章や各項のタイトル、配列等を考案、決定し、前文や結語等を著作し、また執筆者に対し、本件文集の主旨、目的に沿わない文章について訂正を求めたり、あるいは執筆者の承諾を得て自ら訂正したりした。 (3) 上記のとおり、本件文集はその素材の選択及び配列に特異性、創作性があり、その特異性、創作性は、原告A自らのジャーナリストとしての経験に基づく、本件文集刊行の基本方針についての思想、観念、意見、目的の現れにほかならない。 したがって、本件文集の編集行為の独自性及びその背後にある特別の目的は、原告Aの思想、目的に端を発しているのであって、原告Aは、本件文集全体について編集著作物の著作者の権利を有する。 (4) 被告らの主張について ア 原告A以外の編集委員は、原稿の収集や、座談会形式での文章の作成において自己の経験を提供するなど、事実上の協力をしたにとどまるもので、本件文集中の各文章の配列、目次の設定等については一切関与していないのであって、編集著作物の著作者の権利を有するのは原告Aのみである。 イ 仮に、原告Aが、他の編集委員会の委員と共同で著作者の権利を有しているとしても、著作者人格権の侵害行為については、保存行為として、各共同著作者が単独で排除請求ができるから、原告Aのみで本件請求をなし得る。 ウ 共同著作物の各著作者は、信義に反して著作者人格権の行使の合意の成立を妨げてはならないとされているから、本件では著作者人格権の侵害行為の排除請求をすることについて推定的合意がある場合に当たり、原告Aのみで本件請求をなし得るというべきである。 あるいは、原告Aは三坂小学校の元生徒らの集まりである三坂会の定例幹事会で本件文集の編集責任者に任命され、その後の編集作業の主要部分はすべて原告Aが行ったことなどからすると、同原告が著作者人格権を代表して行使する者に選任されたというべきである。 エ 編集著作物の背後にある特定の思想、目的に反する形で個々の各著作物が利用された場合には、編集著作物の著作者の特定の思想、目的に反した利用として、当該著作者の権利を侵害するといわざるを得ない。なぜなら、かように解さないと、素材の選択、配列等を無断で複製されたような場合にのみ編集著作物の権利の侵害を主張し得ることとなり、個々の著作物についていかにかかる独特の思想、目的に反する利用がされたとしても、著作者は何ら手立てを取ることができず、編集著作物の著作者には事実上著作者人格権が認められないのと同様の結果になってしまうからである。 しかるに、後記のとおり、被告Dは、本件文集及び各文章全体の趣旨を無視して、原告Aの編集の独特の目的を踏みにじったもので、原告Aの著作者人格権が侵害されたものというべきである。 〔被告らの主張〕 原告らが被引用部分と主張する文章部分の著作者は当該部分の筆者であり、本件文集に係る編集物の著作者の権利の対象となり得る部分ではない。 本件文集が一定の思想や目的の下に編集され、その思想や目的に合致した個々の著作物を収録したものであるとしても、個々の文章の著作者はあくまでも当該筆者であって、これらにつき本件文集に係る編集物の著作者の権利が成立することはない。 なお、仮に本件文集について編集物の著作者の権利が成立するとしても、原告Aを含む編集委員会の委員全員の共同の権利が成立する。共同著作物の著作者の権利は著作者全員の合意によらなければ行使できず、原告Aは単独で権利を行使できない。 また、引用部分の記載は、編集著作物として本件文集を利用しておらず、被引用部分は編集物の著作者の権利の対象とならない。 2 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について 〔原告らの主張〕 (1) 原告Aは、編集後記等に現れている思想、主旨、目的に沿うように、個々の著作者に修正を求めたり、承諾を得て自ら修正を行ったものである。なお、本件文集を構成する個々の文章は、かかる思想等に適合するように配置されている。したがって、原告Aは、個々の文章について共同著作物の著作者の権利を有する。 Jの文章(被引用部分7)でも、Kの文章(被引用部分8)でも、単に朝鮮時代を無邪気に懐かしがっているものではなく、編集後記に現れている思想、主旨、目的に沿うような趣旨、トーンで書かれており、これには原告Aの思想、趣旨、目的が反映されているもので、原告Aとの共同著作というべきものである。 また、本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉T」及び「同U」においては、原告Aが座談会形式ですることを考案し、郵便や電話での発言が多く混じっているものを、1回の座談会でのやり取りのように見えるように、各人の発言録をまとめたものである。したがって、Fの発言部分(被引用部分2)も原告Aが関与して著作したものであって、共同著作というべきものである。 (2) 被告らの主張について ア 共同著作物の著作者人格権の侵害行為については、保存行為として、各共同著作者が単独で排除請求ができるから、原告Aのみで本件請求をなし得る。 イ 共同著作物の各著作者は、信義に反して著作者人格権の行使の合意の成立を妨げてはならないとされているから、本件では著作者人格権の侵害行為の排除請求をすることについて推定的合意がある場合に当たり、原告Aのみで本件請求をなし得るというべきである。 あるいは、原告Aは、三坂小学校の元生徒らの集まりである三坂会の定例幹事会で本件文集の編集責任者に任命され、その後の編集作業の主要部分はすべて原告Aが行ったことなどからすると、同原告が著作者人格権を代表して行使する者に選任されたというべきである。 〔被告らの主張〕 原告Aは、被引用部分の共同著作物の著作者ではない。 原告Aが発言録をもとに発言をまとめたとしても、編集者として通常行う作業であって、共同著作物の根拠とはならない。 仮に本件文集について原告Aの共同著作物の著作者の権利があるとしても、共同著作物の著作者人格権は著作者全員の合意によらなければ行使できず、原告Aが単独でこれを行使することはできない。 3 争点(3)(被告書籍による引用が原告Aの同一性保持権を侵害するか否か)について 〔原告らの主張〕 (1) 著作権法32条にいう「引用」も著作者人格権を侵害し得ないものであって、著作者の同一性保持権を侵害することが明らかな要約による引用は許されない。 しかるに、原告Aは、前記のとおり、本件文集の編集物の著作者の権利又は共同著作物の著作者の権利を有しているところ、被告Dは、被告書籍中で、本件文集の一部分を、後記(2)のとおり、文章の基本的趣旨とは異なる趣旨でいくつかつまみ食いして引用している。すなわち、被告Dは、被告書籍において、名もなき人々による草の根の侵略が我が国の植民地支配を底辺から支えたことを批判し、かかる構図を意識していない人々に反省を迫ろうと意図しているが、本件文集の一部分をかかる意図に適合するよう、自己に都合よく要約して引用している。これは原告Aの同一性保持権を侵害するものである。 (2)ア 被引用部分1(Eの文章)の引用について Eの「石に立つ矢のためしあり」には、「学校というよりはむしろ、日本語の特別訓練所という観さえあった。」との記載があるが(被引用部分1)、ここでいう学校は三坂小学校ではなく、著作者のEが転出した先の東部小学校のことである。 しかし、被告Dは、引用部分1のとおり、被告書籍において、当該記載部分の前後の記載を省略して引用しており、また他の部分においては被告書籍を草の根の侵略の代表例として引用していることも併せ考えると、三坂小学校が日本語の特別訓練所であるかのような誤った印象を読者に与えている。 イ 被引用部分2(多元座談会の文章)の引用について 「多元座談会 三坂校の終焉T」も後記オのIの文章と同一の章に属し、後記オのとおりの章全体の趣旨の下に配置されているのみならず、この文章は原告Aが自らの編集方針に基づく記事の作成、配列を考える中で座談会という形式の文章にすることを思いついたもので、同文章自体にも前記1〔原告らの主張〕(2)記載のとおりの本件文集を制作した原告Aの思想、観念、目的が色濃く反映されているものである。 そして、この多元座談会において、Fは「献金も月に五銭」と発言しているが(被引用部分2)、当時の世相からは献金せざるを得なかったものであるし、またこの発言の前後の記述を見れば、この発言が、かかる世相を肯定的にのみ捉えてされたものではないことは明らかである。さらに、この発言では単に「献金」とあるのみで何のための献金かは分からない。 ところが、被告Dは、引用部分2のとおり、前記の章全体及び文章全体の趣旨、トーンを無視し、また献金を国防献金と断定し、朝鮮軍事支配への草の根の協力加担の例として引用した。 ウ 被引用部分3(Gの文章)の引用について Gの文章「蓬●橋と日の丸の小旗」は「私たちの昭和史」の章に属するが、同章は、学校史との並列・対比の中に、外地という異文化の植民地に生きた者の国家観のほか、異文化へのあこがれや、侵略統治の非道さ、侵略統治に対する自責の念が入り交じった朝鮮観をも滲み出させようという思想、観念、トーンから編集されたものである。 そして、Gの同文章では、「出征兵士の列車を送ることが、私の帰宅後の最大の日課となった」と、G本人の日課として述べられている(被引用部分3)。 ところが、被告Dは、引用部分3のとおり、かかる章全体の思想、観念、トーンを無視し、また出征兵士の見送りが三坂小学校の生徒たちの帰宅後の最大の日課となった旨誤った決め付けをして、Gの同文章の一部を自己に都合よく引用し、三坂小学校の生徒たちが内地と一体となって草の根侵略の片棒を担いだと断定した。 エ 被引用部分4及び5(Hの文章)の引用について Hの文章「秋の時代」も、前記ウのGの文章と同一の章の中にあり、前記のとおりの章全体の思想、観念、トーンで編集されている。 そして、Hのこの文章のうちの「昭和一五年一一月(中略)先生が或る日突然丸坊主になったり、背広から国民服に変ったり」、「昭和一六年四月 国民学校へ改称。」という部分(被引用部分4及び5)は、いずれも単なる事実を報告した部分にすぎず、かかる事実を肯定的に評価したものではない。むしろ、昭和15年11月の事実については、「驚く」と述べており、かかる事実を支持したり誇ったりしていないことは明らかである。 ところが、被告Dは、引用部分4及び5記載のとおり、章全体の思想、観念、トーンを無視し、かかる事実を、被引用部分2及び3の記述と並べて引用して記載し、三坂小学校がその生徒たちをも含めて、内地と一体となって、朝鮮支配の国策の前線基地として機能していたと断定した。 オ 被引用部分6(Iの文章)の引用について Iの文章「防空壕」が属する「<学校史>五、三坂校の終焉T」の章も、全体の基調として三坂小学校が有していた名もない社会の底辺にある民衆の、朝鮮人に対する愛情を含めた素朴な人間愛、教育者としての使命感によった具体的行動があったことを誇りをもって懐古するとともに、かかる理想も日本全体の帝国主義化の流れの中に埋没し、十分な成果を果たせないまま朝鮮の人々の心に肯定的評価を残せずに終戦により終焉を迎えざるを得なかったという現実の歴史を、戦争に対する否定的評価とともに明らかにし、自負、自戒、後悔の入り交じった複雑な心境を明らかにしようという姿勢、目的をもったものである。 Iの文章は、当時の世相から三坂小学校での生活が軍事色の強いものとならざるを得ず、植民地支配の支持の一端を否応なく持たされたにすぎないことを、肯定的に評価したりするのではなく、自戒、責念の意も込めて構成されている。 しかるに、被告Dは、別紙引用部分一覧表記載6のとおり、同文章が属する章全体の趣旨、トーンを無視し、また同文章の趣旨を無視して、一部分にすぎない「勉強の思い出より(中略)体力作りの思い出の方が断然多い」という単なる事実を述べた部分(被引用部分6)を、朝鮮の軍事支配への加担を肯定的に表現した文言であると断定し、草の根侵略の代表例であることの根拠として引用している。 なお、被告Dは、被告書籍において、Lなどについては個人の著作としてのみ引用している一方、Iについてはわざわざ三坂国民学校卒であることまで明記して、本件文集を出典として明示しているのであり、三坂小学校自体を草の根の侵略の代表例として表示しているものにほかならないものである。 カ 被引用部分7(Jの文章)の引用について Jの文章「私どもの時代」には、「再訪−日本人の反省」という題名を付した項目が設けられ、同項目は韓国の取引先から「日本人としての反省が足りない。当時、子供であろうとも、韓国人と仲よくしてくれていても、とにかく、日本人であったこと自体が罪なんですよ。」などと言われたことなどを明記して、「日本人の忘れたふりのできない事実である」と結ばれており、戦前に日本人がなした仕打ちへの反省が明記されているのは一目瞭然であって、単に朝鮮時代を無邪気に懐かしがっているものではない。 しかるに、被告Dは、引用部分7のとおり、Jの文章の思想、趣旨を全く無視して、プロローグの一文のみを取り出し、勝手に自分に都合のよいように誤用し、無邪気に朝鮮時代を懐かしんでいる旨誤って要約し、無邪気に朝鮮時代を懐かしんでいるタイプの代表的な例としてあえて引用している。 なお、被告Dは、Jの文章の一部を、Jの氏名を表示せずに、本件文集の名称のみを出典として明示しているものであって、三坂小学校の元生徒たちの社会的評価を低下させることは明白である。 キ 被引用部分8(Kの文章)の引用について Kの文章「かるたとパカチ」も、植民地侵略統治の非道さや戦争の悲惨さなどをも後世の人々に伝えたいとの編集方針に従って配置されているが、その中には、「今にして思へば、朝鮮銀行がバックだったので、私達は相当恵まれていたのでしょうが、その当時は、何しろ生まれた時からこの状態で育ったのですから、当然と思い込んでおりました。しかし、人間というものは、時々、何かで境遇が変わって苦労すると、初めて有難いことが分かるものです。敗戦なんて頼みもしなかったものにぶつかり、おかげさまで、幅広く、奥深い人生を味あわしてもらいました。」とあり、また「あのまま、京城の生活をしていたら、このせせこましい内地なんて知らなくて、どんなにかおもしろい人生だったろうと思ったりしますが、果たしてどうであったか・・・・・・。」と結んでいるから、当時の日本の朝鮮支配が朝鮮に残した傷跡等についてもその後に理解し、味わったとも読むことができるものであって、無邪気に朝鮮時代を懐かしんでいるものではない(特に被告Dにおいて引用しなかった最後の「果たしてどうであったか・・・・・・。」という余韻の部分に無邪気に朝鮮時代を懐かしんでいるものではない意思を明白に見て取ることができる。)。 ところが、被告Dは、無邪気に朝鮮時代を懐かしむ者の典型として元在朝日本人の同窓会が出版した記念文集等をやり玉に挙げ、引用部分8のとおり、章全体の趣旨や、文章全体の趣旨、トーンを無視して、かかる者の代表例としてKの文章の一部を誤って要約して引用し、朝鮮人がこの文章を読んだらどう思うだろうかと非難し、また韓国で顰蹙を買っている旨論難している。 なお、被告Dは、Kの文章の一部を、同人の氏名を表示せずに、本件文集の名称のみを出典として明示しているものであって、三坂小学校の元生徒たちの社会的評価を低下させることは明白である。 〔被告らの主張〕 (1) 引用部分1(Eの文章)の引用について 別紙引用部分一覧表記載1のとおり引用したこと、引用部分1記載の学校が三坂小学校ではないことは認めるが、その余は否認ないし争う。 (2) 引用部分2(多元座談会の文章)の引用について 引用部分2は、被引用部分2(多元座談会の文章中のFの発言部分)の引用とはいえない。また、被告Dは、三坂小学校の生徒らが草の根の侵略の片棒を担いでいたともしていない。 (3) 引用部分3(Gの文章)の引用について 引用部分3は、被引用部分3(Gの文章の該当部分)の引用とはいえない。 (4) 引用部分4及び5(Hの文章)の引用について 引用部分4、5は、被引用部分4、5(Hの文章の該当部分)の引用とはいえない。 (5) 引用部分6(Iの文章)の引用について 別紙引用部分一覧表記載6のとおり引用したことは認めるが、その余は否認ないし争う。 被告Dは、被引用部分6をもって朝鮮の軍事支配への加担を肯定的に表現したものであると評価していないし、草の根の侵略の代表例としているものでもない。 (6) 引用部分7(Jの文章)の引用について 別紙引用部分一覧表記載7のとおり引用したことは認めるが、その余は否認ないし争う。 Jは、原告らが指摘するような、日本人が植民地朝鮮の人々にいかにむごい仕打ちをしたかをはっきり自覚し、かつそれを決して忘れてはならない旨を明記していない。被告Dは、Jを草の根侵略の典型例、代表例とはしていない。 (7) 引用部分8(Kの文章)の引用について 別紙引用部分一覧表記載8のとおり引用したこと、被引用部分の前後に原告らが指摘する記述があることは認めるが、その余は否認ないし争う。 被告Dは、被引用部分8をもって、草の根の侵略の典型例とはしていない。 4 争点(4)(著作権法113条5項の著作者人格権侵害の有無)について 〔原告らの主張〕 前記3の被告Dの各引用行為は、いずれも原告Aの名誉、声望を害する態様で本件文集を利用するものであるから、原告Aの編集物の著作者ないし共同著作物の著作者の著作者人格権を侵害するものと見なすべきである(著作権法113条5項)。 〔被告らの主張〕 否認ないし争う。 5 争点(5)(被告らの不法行為の有無)について 〔原告らの主張〕 (1) 名誉毀損 ア 被告Dは、被告書籍において、名もなき朝鮮半島在住の日本人が戦前の日本による朝鮮半島の植民地支配すなわち侵略をその底辺で支え、かかる侵略の強靱性の根拠となった旨を主張し、本件文集中の記載を引用しているものであるが、侵略という過激な表現を用いるときは、読み手に強烈な消極的イメージを与えるものである。 その上、被告Dは、本件文集中の一部の記載を引用する際に、個別の執筆者名を表示するのではなく、常に「京城三坂小学校記念文集編集委員会」と出典を明示して引用している。また本件文集中に元生徒1人のみが出征兵士を見送るのを日課としていた旨の記載があるのを捉えて、かかる見送りが三坂小学校の生徒全員の日課となったとしたり、単なる献金とあるのを国防献金としたりして、あえて強引にこじつけている。 「侵略」という言葉自体も極めて過激な表現であり、三坂小学校の元生徒らが侵略の代表であるかのように受け止められるときは、同生徒らの受けるダメージは極めて大きいところ、被告Aは被告書籍中で草の根の侵略の代表例として本件文集中の記載を引用して記載しているものである。 イ 被告書籍の結論部分に該当する「おわりに」の章の「第二のタイプ」の節は、「草の根の侵略者」としての自覚、反省を全く欠き、無邪気に植民地時代を懐かしんでいるにすぎない戦前の朝鮮半島在住日本人を非難し、反省を求める被告書籍の根幹をなす部分である。 被告Dは、この節の中で、本件文集だけから代表例として2つの文章の一部(被引用部分7及び8)を引用し、出典に関し「京城三坂小学校記念文集編集委員会」とのみ表示した上、引用部分の直後に「朝鮮人がこれを読んだらどう思うだろうか。」と明確な非難を加え、「これら『植民地下で通学していた昔の子供たちであるいまの年老いた日本人たちは、時には事前の連絡もなしに10人ぐらいまとまって学校へやって来て、放っておくと懐かしがりながら授業中でも勝手に学校の中を歩きまわる』ことがあり、韓国で顰蹙をかっている」とこきおろしている。 このように、被告Dは三坂小学校の元生徒たちがいかにも朝鮮植民地時代の草の根侵略の一翼を担った代表例であるかのように決めつけて記載しているのみならず、かかる元生徒たちが事前の連絡もなしに昔の学校を大勢で訪れて授業中でも勝手に校内を歩き回り、韓国内で顰蹙をかっている代表であるかの如く受け取られる記載を行っている。 ウ 以上のとおり、被告Dの前記ア及びイの行為は原告ら三坂小学校の元生徒たちの社会的評価を客観的に低下させるものである。 在朝鮮時代にはまだほんの小学生であった当時の日本人学校の生徒たちが、結果的に日本による朝鮮支配を底辺で支えた面があったと仮定しても、それを「侵略」という過激な文言と結びつけて非難するのは行き過ぎであり、表現の自由の限度を超え、違法というべきである。 被告Dは、「草の根の侵略」などの一見新規的、刺激的、面白い表現を思いついたことを奇貨として、単なる思いつきの歴史観に基づく著書によって儲けようなどという、安易で私利私欲に基づく目的、動機をもとに被告書籍を著作したものである。公共の利害に関するものでも、公益目的でされたものでもなく、被告書籍は表現の自由を享受するに値しないものである。 また、三坂小学校の元生徒らは公的存在ではなく、公正な論評の法理は妥当しない。 エ そうすると、被告Dの行為は原告らの名誉を毀損するもので、社会通念上許容される限度を超えていることは明白であり、原告らに対する不法行為である。 (2) 名誉感情の侵害 そもそも、当該行為の態様、程度等からして社会通念上許される限度を超える名誉感情に対する侵害であると評価される場合には、不法行為を構成するものと解するべきである。 ところで、原告Aは、朝鮮侵略統治の非道さ、戦争の悲惨さを次世代の人々に1つの次世代の資料として残したいという明確な趣旨、目的を持って本件文集を編集し、原告B及び原告Cはかかる原告Aの趣旨等に賛同して原稿を寄稿したり、又は原稿の収集等に協力したものである。しかし、被告Dは、被告書籍の中で繰り返し本件文集中の文章の一部を出典を明示して引用し、原告Aのかかる趣旨、目的を無視し、三坂小学校の生徒らが、日本の朝鮮に対する植民地支配の一翼を草の根で担った代表と決めつけ、原告らの名誉感情を強く害したもので、侵害の程度は相当大きい。 また、通常人の注意をもって文章全体をきちんと読めば、三坂小学校の生徒らが当時朝鮮において草の根侵略の代表として植民地支配の一翼を担ったものではなく、日本による朝鮮支配が朝鮮に及ぼした悲惨な影響に目をつぶって単に無邪気に朝鮮時代を懐かしんでいるものではないことが容易に分かるのに、被告Dは、本件文集全体や文章全体の趣旨、目的、思想等を無視ないし看過して、自己の主張に都合良くこじつけたもので、故意又は重過失があるというべきである。あるいは、本件文集の名称のみを出典として繰り返し明示して引用している点、被告Dが大学教授であって、かつ多くの著作を行っている文筆のプロである点からすれば、被告Dは三坂小学校の生徒らに対して積極的な加害意図すら有していたというべきである。 よって、被告Dの行為は、社会通念上許容される限度を超えており、不法行為となることは明らかである。むしろ、加害の意思をもって甚だしい人格攻撃を行った場合に該当し得る。 (3) 被告会社の不法行為 被告会社は、被告Dの著作権侵害行為、不法行為を何ら検討せずに看過して被告書籍の第1刷を刊行し、原告Aらのその後の度重なる抗議を無視して、何らの修正等も加えずに増刷をしたものであって、被告Dの著作権侵害行為又は不法行為に加功したものである。 〔被告らの主張〕 (1) 名誉毀損 ア 記事等が特定人の社会的評価を客観的に低下させるものであるときには、その特定人の名誉を毀損することになるが、被告書籍中の引用部分の各記載は原告らについて記述したものではなく、原告らの社会的評価を客観的に低下させるものではない。 すなわち、被告書籍は、三坂小学校の生徒個々人又は生徒全体が、過去に不当な行為を具体的に行った旨を言及したものではないし、原告らの過去の行為について言及したものでもない。 引用部分1ないし6は、いずれも、日本人小学生の生活を紹介したものであり、三坂小学校の生徒たちが日本による非道な朝鮮支配の一翼を担ったとしているものではなく、三坂小学校の元生徒らの社会的評価も原告らの社会的評価も低下させるものではない。引用部分7及び8も、無邪気に朝鮮時代を懐かしむ者の例として引用されてはいるが、当該引用部分の執筆者の名誉を毀損するものではないし、かかる執筆者らを始めとする三坂小学校の元生徒全員が被告書籍の「おわりに」にいう第2のタイプ(「無邪気に朝鮮時代を懐かしむもの」)に該当するとしているものでも、原告らが第2のタイプに該当するとしているものでもない。 したがって、前記引用部分の各記載は原告らの名誉を毀損するものとはいえない。 なお、引用部分8は、「が、果たしてどうだったであろうか。」との部分が省略されており、原文の真意を必ずしも正確に伝えていないおそれがあることから、第5刷以降は削除した。 イ 違法性阻却 被告書籍は、戦前の朝鮮半島の植民地支配を取り上げ、名もない人々がこの植民地支配を支えていたことを明らかにしたものである。そうすると、被告書籍は公共の利害に関する事項につき、専ら公益を図る目的で書かれたものであるということができる。 そして、被告書籍における、名もない人々の「草の根の侵略」、「草の根の植民地支配」が前記植民地支配を支えていた旨の記述は、戦前の朝鮮半島に渡った日本人の役割について、被告Dが歴史学者として歴史分析を行った結論であり、論評に該当する。 さらに、被告書籍中の引用部分の各記載内容はいずれも真実である。 そうすると、被告Dが被告書籍中でかかる記載を行ったことは、仮に原告らの名誉を毀損したとしても、公共の利害に関する論評として違法性を有しない。または公共の利害に関し、専ら公益目的を図る目的で事実の摘示をしたもので、摘示事実が真実であることが証明された場合であって、違法性を有しない。 (2) 名誉感情の侵害 名誉毀損に該当せず、単に主観的な名誉感情を害するにすぎない場合には、原則として不法行為とならず、これが不法行為となるのは、当該行為がなされた状況において、その行為が有する客観的な意味が相手方の人格的価値等を全く無価値なものであるとして否定するものであるか、又はその程度が著しいなど、違法性が強度で、社会通念上到底容認し得ない場合であり、実際上は加害の意思をもって甚だしい人格攻撃を行った場合に限られる。 しかるに、被告書籍中の記載は、原告らの名誉感情を害するものとはいえないし、またかかる例外的な場合に該当せず、違法性を有する余地は全くない。 6 争点(6)(差止めの必要性)について 〔原告らの主張〕 被告書籍中に別紙引用部分一覧表の引用部分欄の各記載のとおりの引用部分が残存する限り、原告Aの著作権侵害行為のほか、原告らの名誉毀損、名誉感情の侵害の不法行為が継続することになる。 そこで、かかる違法状態を除去するためには、この引用部分を削除することが必要である。 〔被告らの主張〕 争う。 7 争点(7)(損害の有無及び額)について 〔原告らの主張〕 (1) 原告Aの著作権侵害による損害 原告Aは、被告らの著作権侵害行為により損害を受けたが、この損害は、被告らが被告書籍の刊行によって得た利益相当額を下らない。 そして、被告書籍の単価は1冊当たり780円であるが、被告書籍は3刷で合計3万部程度刊行され、出版社の粗利益は2割を下らず、被告Dの著作権料は1割を下らない。よって、原告Aが、被告Dの行為によって受けた損害は、合計234万円を下らず、被告会社の行為によって受けた損害は、合計468万円を下らない。 (2) 原告らの不法行為による損害 ア 原告Aは、本件文集の事実上唯一の編集者であり、本件文集を精魂込めて制作したにもかかわらず、被告Dが原告Aの本件文集制作の方針、意図等を無視し、自らが卒業した三坂小学校が日本による非道な朝鮮支配の一翼を担ったと不当に決めつけ、公然と繰り返し論難したため、多大な精神的損害を被った。かかる精神的損害を金銭に見積もるときは、200万円を下らない。 イ 原告B及び原告Cも、被告Dの前記アの行為によって相当の精神的損害を受けたが、かかる精神的損害を金銭に見積もるときは、各100万円ずつを下らない。 〔被告らの主張〕 争う。なお、被告会社は、被告書籍を第1刷から第6刷までで合計2万9800部印刷し、うち2万8044部を販売した。 8 争点(8)(謝罪広告の必要性)について 〔原告らの主張〕 被告書籍が権威あるシリーズとして世に認識されている岩波新書シリーズの1冊として合計3万部程度刊行されたこと、著者である被告Dが津田塾大学の教授として、特に朝鮮近現代史、日本近現代史の権威として高名で、朝鮮近現代史に関する著作が多いこと、既に全国の多くの読者が被告書籍を読んでいるところ、岩波新書シリーズの読者層からすると、かかる読者が引用部分のみから、三坂小学校の関係者も無邪気に朝鮮時代を懐かしんでいるだけの草の根の侵略の1つのタイプの典型と認識しているであろうことからすると、原告らの名誉を回復するためには、既に被告書籍を読んだ読者の誤解を解くことが不可欠で、請求の趣旨のとおり、朝日新聞等に謝罪広告を掲載することが必要である。 〔被告らの主張〕 争う。 第4 当裁判所の判断 1 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について (1) 編集著作物は、編集物でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものをいい(著作権法12条1項)、編集著作物の著作者の権利は、当該編集物の部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない(同条2項)。同条は、既存の著作物を編集して完成させたにすぎない場合でも、素材の選択方法や配列方法に創作性が見られる場合には、かかる編集を行った者に編集物を構成する個々の著作物の著作権者の権利とは独立して著作権法上の保護を与えようとする趣旨に出たものである。 そうすると、編集著作物の著作者の権利が及ぶのは、あくまで編集著作物として利用された場合に限るのであって、編集物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合には、編集著作物の著作者の権利はこれに及ばないと解すべきである。 この点につき、原告らは、編集著作物を構成する個々の著作物が編集著作物の著作者の特定の思想、目的に反して第三者に利用された場合に、上記著作者が何らの手立てを取ることもできないのは不当であるなどと主張する。しかし、編集著作物はその素材の選択又は配列の創作性ゆえに著作物と認められるものであり、その著作権は著作物を一定のまとまりとして利用する場合に機能する権利にすぎず、個々の著作物の利用について問題が生じた場合には、個々の著作物の権利者が権利行使をすれば足りる。また、編集物の一部分を構成する個々の著作物の利用に際しても編集著作物の著作者の権利行使を許したのでは、個々の著作物の著作者の権利を制限することにもなりかねず、著作権法12条2項の趣旨に反することになるといわざるを得ない。 (2) 被告書籍においては、別紙引用部分一覧表の引用部分欄記載のとおり、本件文集中の各記載が引用されている(甲1、2)。 そうすると、被告書籍中における本件文集の利用態様は、あくまで本件文集を構成する個々の著作物の一部のみを個別に取り出して引用するというものであって、本件文集を一定のまとまりのある編集物として利用していると見ることはできない。 したがって、原告Aが本件文集について編集著作物の著作者であるか否かにかかわらず、被告Dの引用行為が原告Aのかかる権利を侵害したと解する余地はない。 (3) 小括 よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告Aが編集著作物の著作者であることを根拠とする原告Aの請求には理由がない。 2 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について (1) 共同著作物とは、2人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の寄与を分離して個別的に利用することができないものをいう(著作権法2条1項12号)。したがって、共同著作物というためには、著作者と目される2人以上の者の各人につき創作的関与が認められることが必要である。 以下、原告Aが各被引用部分が属する文章に創作的に関与したか否かについて判断する。 (2) 被引用部分1、3ないし8について ア 前記のとおり、本件被引用部分1、3ないし8は、本件文集中のE、G、H、I、J、Kの各文章の一部である。 イ 本件被引用部分1、3ないし8が属する各文章には、それぞれ上記の各執筆者名が掲げられており、それぞれが執筆したものと認められ、他方、原告Aのこれらの各文章に対する創作的関与を認めるに足りる証拠はない。 この点について、原告らは、原告Aにおいて、編集後記中に現れた方針に従うように、各執筆者に修正を求めたり、執筆者の承諾を得て自ら修正を行ったなどと主張するが、具体的にこれらの各文章における修正の過程や程度を明らかにする証拠はなく、上記各文章について原告Aの行為が執筆者に対する助言の範疇を超え、創作的関与と評価できるほどのものであったことを認めるに足りない。 ウ よって、上記各被引用部分のもととなった各文章につき、原告Aと各執筆者の共同著作物であるということはできない。 (3) 本件被引用部分2について ア 本件被引用部分2は、本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉T 第一部」と題する項目におけるFの発言部分の一部である(甲1)。そして、上記座談会は、原告Aが複数の三坂小学校関係者に対して、個々人の文章や手紙又は電話による質問をもとに、異なる時点、異なる場所でされた回答等をあたかも同一の場所で座談会を開いたかのような体裁の文章に仕上げたものである(甲6)。 そうすると、上記座談会については原告Aの個性が表れており、同原告の創作的関与がされたもので、同文章につき原告Aは少なくとも共同著作物の著作者の権利を有するものということができる。 イ しかしながら、被引用部分2についてみると、Fが小学校1年生当時、1か月に5銭の献金をしたという事実を表明した部分にすぎず、表現それ自体とはいえない上、同部分に創作性を認めることは困難である。 そうすると、被告Dが被引用部分2を利用したとしても、表現それ自体ではない部分又は創作性のない部分を利用したに止まるから、原告Aの権利を侵害したということはできない。 (4) 小括 以上のとおり、その余の点について判断するまでもなく、原告Aが被引用部分について共同著作物の著作者の権利を有することを根拠とする原告Aの請求には理由がない。 3 争点(5)(被告らの不法行為の有無)について (1) 証拠(甲1、2、乙3)によれば、被告書籍の概要及び発刊の目的、被告書籍中の記載に関し、次の事実が認められる。 ア 被告書籍中では本件文集中の記載が引用されているが、引用する部分と引用された部分の関係は、第4刷までは別紙引用部分一覧表番号1ないし8記載のとおりであり、第5刷以降については、引用部分8が削除され、同一覧表1ないし7記載のとおりである。 イ 被告書籍は、戦前の朝鮮半島における日本人の活動等について論及したものであるが、冒頭の「はじめに」では、「日本による朝鮮侵略は、軍人たちによってのみ行なわれたわけではなかった。むしろ、名もない人々の『草の根の侵略』『草の根の植民地支配』によって支えられていたのである。その意味で、政治家や軍人たちによってそそのかされたとはいえ、日本の庶民が数多く朝鮮へ渡ったことは、日本の植民地支配の強靱性の根拠になった。」と述べられている。 そして、発刊の目的が、@我が国の植民地支配の特色を実証的に明らかにし、Aこれまであまり知られていない在朝日本人の言動を描き出して、日本の朝鮮政策や日本人の朝鮮観に与えた影響を探り、B在朝日本人の振る舞いが朝鮮人の目にどのように映っていたかを考えることであるなどと述べられている。 ウ 被告書籍の「はじめに」を除くと7番目の章にあたる「Z 『内鮮一体』の現実」は、満州事変以後終戦までの期間につき、朝鮮半島に在住していた日本人たちの行動を記載したものであり、かかる日本人たちが軍人たちと一体となって、朝鮮半島の植民地支配を支えていたという被告Dの見解を例証する内容のものである。この章の「小学校と普通学校」と題する文章の中で、引用部分1ないし6が引用されている。 エ 最後の章である「おわりに」は、概ね戦前の朝鮮半島に在住していた日本人が戦後にどのような行動をとっているかについて言及した部分であるが、この中で、被告Dは、戦前に朝鮮半島に在住していた日本人が自らの朝鮮在住時代に対してどのように接するかにつき、3つのタイプに分類している。すなわち、被告Dは、「自分たちの行動は立派なものだったとするもの」を第1のタイプ、「無邪気に朝鮮時代を懐かしむもの」を第2のタイプ、「自己批判しているもの」を第3のタイプとしており、これら3つのタイプについて例示している。 そして、この章の「第二のタイプ」と題する文章の中で、「それらを見ていると、次のような一節にぶつかることも多い。」と前置きした上で、第4刷までは本件引用部分7及び8が、第5刷以降は本件引用部分7のみが具体例としてそれぞれ挙げられており、さらにその記載の直後に、「朝鮮人がこれを読んだら、どう思うだろうか。これら、『植民地下で通学していた昔の子供たちであるいまの年老いた日本人たちは、時には事前の連絡もなしに一〇人ぐらいまとまって学校へやって来て、放っておくと懐かしがりながら授業中でも勝手に学校の中を歩きまわる』ことがあり、韓国で顰蹙をかっている(中野茂樹、三八)。」との記載がある。 (2) 名誉毀損について ア そもそも、被告書籍には、原告ら個人に関する事実や評価が記載されてはいないから、被告書籍によって直接原告らの社会的評価が低下することは、およそ考えられない。 この点について、原告らは三坂小学校の元生徒らの社会的評価の低下のおそれをいうが、被告書籍中に原告らの氏名は記載されておらず、また原告らが三坂小学校の元生徒であることは、三坂小学校の関係者以外には一般には明らかでない上、本件文集の入手が容易であったと認めるに足りる証拠もないから、引用部分1ないし8の記載内容によって直ちに三坂小学校の元生徒である原告ら個々人の社会的評価が客観的に低下するとは言い難い。 イ なお、他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠く。そして、意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合は、上記著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解される(最高裁平成6年(オ)第1082号同10年7月17日第二小法廷判決・裁判集民事189号267頁)。 前記(1)認定の事実によれば、引用部分1ないし6は、戦前の朝鮮半島在住日本人の植民地支配加担の具体例という位置付けで記載されているものと解されなくもない。しかしながら、本件においては、上記各引用部分の記載内容は、被告Dの見解を例証する歴史的事実であり、その引用紹介が全体として正確性を欠くものとはいえないから、これが違法となることはない。 また、引用部分7及び8は、戦前の朝鮮半島在住日本人のうちの一部の者が戦後に行っている無邪気な言動により、韓国人の心情が害されているとの趣旨で記述されている。しかしながら、本件においては、これらの各引用部分の記載が原告らに対する人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとはいえない。 ウ したがって、被告書籍の執筆・発行は原告らの名誉を毀損する不法行為に当たるものではない。 (3) 名誉感情の侵害について 表現行為が著しく侮辱的、誹謗中傷的であって、社会通念上許される限度を超え、一般的に他人の名誉感情を侵害するに足りると認められる場合でない限り、名誉感情の侵害を理由とする不法行為は成立しないというべきである。 本件においては、前記(2)と同様、本件各引用部分の記載内容によっても原告らが表現行為の相手方になっているかどうかは明らかでなく、社会通念上許される限度を超えているとはいい難いから、被告書籍の執筆、発行は、原告らの名誉感情を侵害する不法行為に当たるとはいえない。 (4) 小括 以上のとおり、被告Dの行為が名誉毀損にも名誉感情の侵害にも当たらない以上、被告会社の行為も不法行為には当たらない。よって、名誉毀損及び名誉感情の侵害を理由とする請求は、いずれも理由がない。 4 結論 以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとして、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第47部 裁判長裁判官 部眞規子 裁判官 東海林保 裁判官 田邉実 (別紙)書籍目録 書籍名 植民地朝鮮の日本人 著者 D 発行者 M 発行所 株式会社岩波書店 (別紙)削除項目目録 「植民地朝鮮の日本人」(D著、株式会社岩波書店発行)のうち、下記各部分。 1 「Z『内鮮一体』の現実 1931〜45」の章のうちの小題「小学校と普通学校」部分のうちの、 (1) 「普通学校(朝鮮人学校)は『学校というよりはむしろ、日本語の特別訓練所という観さえあった』(京城三坂小学校記念文集編集委員会、八七)という。」なる記述部分 (2) 「三七年五月に日中戦争が本格化したころから、京城の三坂小学校の生徒たちの帰宅後の最大の日課は出征兵士の列車を見送ることになった。三九年四月に入学した生徒たちは、月当たり五銭の国防献金も強要された。四〇年一一月には、先生が突然丸坊主になり、背広から国民服に変わった。四一年四月には校名が三坂国民学校と改称された(京城三坂小学校記念文集編集委員会、一一一、一六六〜一六七)。」なる記述部分 (3) 「四五年三月に京城の三坂小学校を卒業したIは、勉強の思い出より、『体力作りの想い出の方が断然多い』(京城三坂小学校記念文集編集委員会、一二三)と言っている。」なる記述部分 2 「おわりに」の章のうちの小題「第二のタイプ」部分のうちの、「『私ももう一度、人生を繰り返すチャンスがあれば、再びアカシヤの花の香り漂う京城の街に住み、緑したたる南山の麓三坂小学校で、懐かしい旧師のもとに昔の仲間たちと、ともに学ぶ道を躊躇なく選ぶ』『あのまま、京城の生活をしていたら、このせせこましい内地なんて知らなくて、どんなにかおもしろい人生だっただろうと思ったりします』(京城三坂小学校記念文集編集委員会、二四二、四一二)。」なる記述部分 (別紙)謝罪広告目録 1 謝罪広告文 Dは、その著作「植民地朝鮮の日本人」(岩波新書790)において、「京城三坂小学校記念文集 鉄石と千草」が同窓生及び旧職員のためだけにわずか1500部しか発行されておらず「公表」されているとはいえないにも拘らず、その一部のみを無断で引用し、しかも同文集はその編集後記等において単純に母校や京城における生活を懐かしむだけでなく、「朝鮮侵略統治の非道・戦争の悲惨さ」等も後世に伝え、「教えられた異文化への敬愛の目」も明確にするという編集方針に立ち、各寄稿者らの個別の著作物もそのような編集姿勢に明白に裏打ちされ、又はそれに適合した内容であるにも拘らず、これをあえて看過ないし無視し、「被侵略者たる朝鮮の人々の気持ちを無視して無邪気に当時の思い出を懐かしんでいるにすぎない」旨決めつけ、もって「日本による朝鮮侵略を支えていた名もない人々による『草の根の侵略』『草の根の植民地支配』の代表例」として同文集の一部分のみを恣意的に繰り返し引用したことによって、同文集の編集代表者たるA氏及び各引用部分の著作者らの有する同一性保持権を侵害し、又は同人らの著作者人格権を侵害したことを認め、ここに心から謝罪申し上げます。と同時に、このような違法・不当な引用により、同文集の編集者・寄稿者らをはじめとする京城三坂小学校の関係者らが、「草の根の侵略」者の代表であるかのように「植民地朝鮮の日本人」の読者らに思わせ、これにより同校関係者らの名誉を毀損し、かつ同人らの名誉感情もいたく傷付けたことについても、心から謝罪申し上げます。株式会社岩波書店も、このようなDの著書を、そのまま刊行・公表することにより、同文集の編集代表者たるA氏及び各引用部分の著作者の有する同一性保持権を侵害し、又は同人らの著作者人格権を侵害した事実・並びに同人らをはじめとする京城三坂小学校の関係者らの名誉を毀損し、かつ名誉感情もいたく傷付けた事実を認め、ここに心から謝罪申し上げます。 同校文集「鉄石と千草」が前記のような編集方針に基づき、我が国による朝鮮の侵略支配への反省・痛みを十分意識したものであり、決して「植民地朝鮮の日本人」(岩波新書)にいわゆる「草の根の侵略」の一例とはなりえないこともここに再度確認申しあげ、今後上記「植民地朝鮮の日本人」の増刷又は在庫の刊行をする場合には、「鉄石と千草」からの引用部分はすべて削除することもここにお約束申し上げると同時に、これまで「植民地朝鮮の日本人」を手に取られた読者の方々には、京城三坂小学校及び同校の上記文集が決して「草の根の侵略」の一例ではない(同文集からの引用部分の引用は明らかに誤っていたこと)を認識・理解して頂きますよう、お願い申し上げます。 平成 年 月 日 〒○○○−○○○○ (住所省略) D 〒○○○−○○○○ (所在地省略) 株式会社岩波書店 「植民地朝鮮の日本人」の読者の皆様 京城三坂小学校の御卒業生及び元教職員の皆様 2 掲載条件 大きさ 3段抜き 幅6cm(6cm×3段) 掲載場所 朝刊の社会面広告欄 (別紙)引用部分一覧表
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