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【事件名】「薬害エイズ事件」の名誉毀損事件(週刊新潮)(3)
【年月日】平成17年6月16日
 最高裁(一小) 平成15年(オ)第1333号 損害賠償等請求事件

決定


主文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

理由
 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
 よって、裁判官島田仁郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
 裁判官島田仁郎の反対意見は、次のとおりである。
 私は、本件上告を棄却すべきであるという多数意見には反対であり、原判決中上告人敗訴の部分を破棄して、被上告人の請求をすべて棄却すべきであると考える。その理由は、以下のとおりである。
1 原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) いわゆる「薬害エイズ」の問題については、既に昭和57年7月、米国防疫センターにより、血友病甲患者3名が重篤な免疫機能不全を示してカリニ肺炎を発症し、うち2名が死亡したことが公表されるとともに、その原因として、血液製剤を通して伝播する因子の可能性が示唆され、同年9月にはこの病気が後天性免疫不全症候群(エイズ)と命名された。そして、それまで使用されてきた非加熱の血液製剤によるエイズ感染のおそれが徐々に明らかになってきた昭和58年3月、D社は、米国食料医品局から加熱製剤の製造の承認を受け、同年5月には、非加熱製剤の回収を行うとの方針を明らかにした。その頃、我が国においても、読売新聞や朝日新聞等により、米国におけるエイズの患者の急増と血液製剤によるエイズ感染のおそれなどについての報道があり、同月26日、厚生省は後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究班(いわゆるエイズ研究班)の発足を決定したが、従前臨床医として多数の血友病患者の診療に携わってきた被上告人がその班長としての主任研究員に指名され、被上告人は以後昭和59年3月までその職務にあった。昭和58年6月13日には、エイズ研究班の第1回会議が開催され、厚生省薬務局生物製剤課(以下「製剤課」という。)のE課長から米国におけるエイズの流行と米国から大量の血漿を輸入している我が国への伝播のおそれとその対策の必要性等の説明があるとともに、D社が日本において非加熱製剤を自主回収したとの事実の紹介がなされたりした。同年7月4日付けで作成された製剤課の「AIDSに関する血液製剤の取り扱いについて」と題するメモには、「エイズ研究班に加熱製剤の使用を勧めさせる。」、「D社に対し加熱製剤の輸入承認申請を急ぐよう指示する。」、「国内メーカーへの打撃・・・・・この程度の打撃はやむなしとする。」、「米国において、エイズの感染のリスクを低下させることに成功したとされる製品が承認されており、各国に既に輸出している。我が国でも血友病患者等より同製品を輸入すべしとの声が高まると考えられる。」などとの記載がある。被上告人は、同年6月18日の読売新聞に、「輸入に頼っている血液製剤でエイズに感染する危険もあるので、私としては居ても立ってもいられない。輸入血液を60℃で10時間加熱し、ウイルスを不活性化する方法をとりたい。原因が分からないので、とにかく厳戒態勢だけはとっておきます。」とのコメントを発表したが、同年7月には、被上告人がF大学病院第一内科で治療に当たっていた血友病乙患者がエイズと疑われる症状で死亡した。しかし、被上告人は、同年8月19日に開催されたエイズ研究班第3回会議において、非加熱製剤による治療を継続すべきであると強く主張した。その後、米国においては昭和60年6月に非加熱製剤の製造が禁止され、我が国では同年7月1日加熱製剤の製造・輸入が承認されたにもかかわらず、被上告人は、自らが第1内科長を務めていたF大学病院において加熱製剤の使用を始めた同年8月に至るまで、血友病患者に対し非加熱製剤による治療を継続した。なお被上告人は、その間の昭和59年11月には、第4回国際血友病治療シンポジウムにおいて、F大学医学部の二つの症例を紹介した上、血友病患者のエイズは血液製剤により伝播すると思われると発表したりしている。
(2) ところで、我が国における非加熱製剤は、昭和53年8月、製薬会社である株式会社G(以下「G」という。)ほか5社から一括して承認申請され、同時期に承認されたが、昭和58年当時の非加熱製剤の製造量のシェアは、Gが51%と圧倒的に多かった。Gは、同年3月、D社(H株式会社と提携)の乾燥加熱処理方法の成功のニュースを知ってショックを受け、乾燥加熱処理方法の開発に着手することとなった。一方、D社の日本法人であるI株式会社(以下「I社」という。)は、我が国における加熱製剤の承認申請に向けて、つとに厚生省と接触していたが、同年6月、被上告人に臨床試験を依頼し、被上告人はこれを快諾した。その頃、Gは、I社に抜け駆けされないように厚生省やエイズ研究班に働きかけるという方針を決定し、J副社長とK専務が被上告人に対する働きかけを担当することとなった。なお、被上告人は、同社の元会長Lが設立した財団法人M財団の理事に就任しており、L元会長とは親交があった。同年8月ころ、Gは、海外で既に認可されているD社の加熱製剤の我が国での承認が早まり、我が国の市場を独占することになりそうであるという情報を得、次いで、加熱製剤の安全性治験調査は同年10月ころから開始されることが決定したところ、加熱製剤の厚生省への届出メーカーは、I社ほかの4社であり、Gは届出をしていないので治験調査の対象から除外されるという情報を得た。そこで、Gは、同年8月末、急きょ被上告人のところに加熱製剤のサンプルを持参してその評価を依頼したり、同社も治験調査の対象に加わりたいとの要望を伝えたりした。同年10月26日、被上告人は、Gの担当者に対し、加熱製剤の治験統括医としての第T相試験(非加熱製剤を承認した時には必要とされなかったものであり、加熱製剤についても所管の製剤課はこれを省略してもよいとの見解を示していた。)のプロトコール案を渡すとともに、関係する製薬会社8社(以下「関係8社」という。)の第T相試験を同時に開始したい旨の意向を伝えた。そのころ、I社は、製剤課から第T相試験は不要であるが、何らかの臨床試験は必要であると言われていたところ、関係8社がすべて第T相試験を終えた後に第U相試験を8社一斉に実施したいとの被上告人の意向に沿って、同年11月に被上告人に第T相試験の依頼をした。被上告人は、昭和58年12月13日、関係8社の担当者を集めて、加熱製剤治験実施計画についての説明会を開催し、第U相試験を昭和59年3月に8社一斉に開始するので、それまでに第T相試験を済ませておくことなどという内容の計画を示した。昭和58年暮れころ、製剤課のE課長は、複数の外資系製剤メーカーの従業員から、被上告人が治験に絡んで寄付金を要求している旨の抗議を受け、昭和59年1月、血液製剤小委員会の委員長や委員らに対して、関係8社の加熱製剤の治験の一律同時進行は無理であるし、厚生省は第T相試験を要求していない旨告げるとともに、上記抗議された内容について、このような噂があるという話をして、被上告人に善処してもらうように依頼した。同委員らからこの話を聞いた被上告人は、同月17日ころ、製剤メーカー各社に対し、治験統括医を辞退する旨伝えた。しかし、被上告人は、同年2月から3月にかけて製剤メーカー各社から依頼されて、再び治験統括医に復帰した。その後、未だ第T相試験を経ていないGを含む5社において順次第U相試験が実施され、昭和60年4月から5月にかけて各別に承認の申請がなされたところ、これらの申請について一括して審議された上、同年7月1日、一括して製造ないし輸入の承認がなされたものである。
 なお、非加熱製剤の投与により、約5000人といわれる血友病患者の約4割に当たる約2000人がエイズウイルスによる感染被害を受け、400名を超える患者が死亡した。
(3) 関係する製薬会社から、昭和58年5月から同年7月までの間に、「財団法人N代表O」名義の銀行口座に、合計4300万円(うちGからは1000万円)の寄付金が振り込まれ(同財団法人は、この4300万円を含む1億円を資産として昭和61年7月に設立され、被上告人が理事長に就任した。)、昭和58年6月にストックホルムで開催されたWFH(世界血友病連盟)会議に出席した被上告人を含む参加者15人分の渡航費等として、合計1200万円余り(うちGから約412万円)が支払われ、昭和58年10月から同年11月までの間に、被上告人が主催する家庭療法委員会への出席者の飲食費等として、合計350万円(うちGから50万円)が支払われ、昭和59年9月から同年11月までの間に、同年11月に被上告人が主催した第4回国際血友病治療学シンポジウムの運営資金として、合計2550万円以上(うちGから400万円)が支払われ、昭和57年から昭和59年までの3年間に、合計91件、約1625万円が被上告人に提供された。
(4) 被上告人は、平成6年4月、2名の血友病患者に対する非加熱製剤の投与に関して、全国の血友病患者等217名から殺人未遂容疑で刑事告発され、平成8年1月、非加熱製剤によりエイズに感染して死亡した血友病患者1名の遺族から、殺人容疑で告訴され、同年2月、血友病患者1名から殺人未遂容疑で告訴された(以上(1)から(4)までを一括して、以下「事実1」という。)。
2 上告人は、平成8年2月から同年4月にかけて、およそ事実1に沿った内容を紹介しながら、被上告人が加熱製剤の使用を遅らせ、非加熱製剤の使用を続けたことを批判し、その刑事責任を追及する趣旨で、第1審判決別紙(3)ないし(5)の各記事(以下併せて「本件各記事」という。)を掲載した週刊誌3冊を順次発売したものである。被上告人は、本件各記事によりその名誉ないし名誉感情を毀損ないし侵害されたとして損害賠償を求めるものであるが、対象として取り上げられた主要な部分を要約すると、「血友病患者に対する非加熱製剤の使用によるエイズ感染の症例が幾つか発生したことから、そのおそれが現実化した段階で、加熱製剤を早期に輸入したり、国内生産できる体制を早期に確立するなりすれば、多くの血友病患者がエイズに罹患して死ぬようなことが避けられたのに、被上告人は、当時加熱製剤の開発が大幅に遅れていたGを救済するために、エイズ研究班の結論を加熱製剤の緊急輸入見送りの方向に変更させたり、加熱製剤の治験期間を遅延させたりした。その結果、Gは国内第1位のシェアの地位を維持することができ、製薬会社各社の間で最大の利益を受け、被上告人はその見返りに多額の金銭を得た。被上告人のこのような行為により、国内メーカーが加熱製剤を生産できるようになった昭和60年7月まで加熱製剤の製造・輸入の承認が先送りされたために、その間、血友病患者に非加熱製剤の投与が続けられ、その結果、血友病患者の4割、約2000人がエイズに感染し、400人が死亡するに至った。」(以下この部分を「事実2」という。)という箇所と、以下に本件対象部分として取り上げる箇所である。 
3 原審は、本件各記事はいずれも公共の利害に関する事実に係ることについて専ら公益を図る目的で書かれたものであるということを認めた上、事実2の部分は、上告人において真実性の立証があるか、そうでなくても真実と信じたことについて相当の理由があったものと認めることができるとした。その上で、「エイズ薬害で『G』の殺人被疑者たち」という大見出しや「元凶は血友病の権威」という見出しをはじめ、「『G』を救済した戦犯たち」とか「大量殺人の被疑者たち」という顔写真の説明部分等の数か所の記載部分(以下併せて「本件対象部分」という。)については、これらの記載は被上告人が殺人罪を犯した者であるという事実を摘示するものであるところ、それについては、真実性の立証がなく、真実と信じたことについて相当の理由があるともいえないとして、これらの部分に限り、名誉毀損ないし名誉感情侵害による損害賠償責任を認めた。
4 しかし、本件各記事は、客観的な前提事実として事実2を摘示するとともに、併せて、P・医療被害情報センター事務局長からは、「彼は刑事裁判に付されて当然の犯罪者ですし、すでに殺人罪で告発されていますが、少なくとも十年ぐらいの実刑に問われて当然だと思います」との、また保田行雄弁護士からは、「現在、O氏を殺人と殺人未遂・・・で告発し、検察にも受理されています。・・・・・O氏については殺人や殺人未遂が無理でも傷害致死、少なくとも業務上過失致死では罪に問えると思いますよ。殺人罪ということになれば、大量殺人ですから、死刑もあり得るでしょう」との談話があった旨紹介しながら、本件対象部分を適宜挿入しているものであるが、これを全体として読めば、本件対象部分の記載自体は、被上告人が殺人を犯したという生の事実を指摘するものではなく、記載した客観的な事実を前提として、有識者の意見等も参考にすれば、被上告人の行為は正に大量殺人を犯したにも等しく、殺人罪をもって処罰するに値するので、殺人者としての責任が追及されるべきであるという、上告人の意見・論評を述べたものに過ぎないことは明らかである。
5 したがって、上告人が真実性の立証ないし真実と信じたことについて相当の理由が必要とされるのは、事実2の部分にとどまり、意見・論評である本件対象部分には及ばないと解すべきである。本件各記事を読んだ良識ある一般の読者は、摘示された事実1及び事実2について真実であると思ったとしても、それだからといってストレートに被上告人が大量殺人を犯した殺人者であると思うものではない。果たして被上告人が殺人者といえるかどうかは、摘示された事実が真実であることを前提に、読者それぞれが自分の頭で評価・判断をするのはいうまでもないことであって、本件対象部分がいかに強烈に印象付けようと試みたとしても、もし仮に摘示された事実が殺人とはいえない内容のものであれば、読者が被上告人を殺人者と思うはずはない。人の刑事責任を追及することにおいては同じであっても、殺人があったことは明らかで、ただ犯人性が争われているケースにおいて「あの人が殺人者である」と指摘するのと、本件のように「あの人はこれこれのことをした」、「だからあの人は殺人者である」と指摘するのとでは、免責に必要な証明の範囲を異にするのは当然であり、前者の場合には、殺人者であることの真実性が問題とされねばならないが、後者の場合には前提事実の真実性を問題とすれば足りるのである。
6 なお、例え真実性の立証があるか真実と信じたことについて相当の理由がある事実を前提としての意見・論評であっても、その内容なり表現が、社会一般の常識に照らしてあまりにも過激であって許された論評の域を逸脱する場合には、名誉毀損による不法行為責任を免れてよいものではない。読者の好奇心をあおるために、意見・論評に名を借りて過激で興味本位な人身攻撃を繰り返すような記事が、不法行為責任に問われねばならないのはいうまでもない。しかし、本件各記事は、表現がいささか相当性を欠く部分があるとはいえ、これを全体的に見れば、被上告人の行為の刑事責任を真摯に追及・指弾したものであると、私には思われるのである。そして、本件訴訟の直接の当事者ではないが被上告人の行為により被害を受けた患者やその遺族の気持ちを思い、被上告人の当時の社会的地位の高さ・権力の大きさとその責任の重さにかんがみると、事実1及び事実2が真実であると信じた者が、被上告人に対してこの程度の内容の意見・論評をこの程度に表現したからといって、それが社会的な相当性を逸脱するほど不当に程度を超えたものといわなければならないものとは到底思われない。 
7 なお、上告人は、憲法違反を理由として上告をしたのみであり、上告受理の申立てはしていない。そして、原判決に憲法違反はないと認められるところ、本件対象部分が意見・論評であるか事実の記載であるか、また、その許された程度を超えたものであるかどうかについては、あえてこれを当審において取り上げて判断するまでもないというのも、一つの考え方であろう。しかし、私は、上記のように,被上告人の請求を一部認容した原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるのみならず、それは当審において是正されるべき重大なものであると思料するので、原判決中上告人敗訴部分を破棄して、被上告人の請求をすべて棄却すべきであると考える。

最高裁判所第一小法廷
 裁判長裁判官 島田仁郎
 裁判官 泉徳治
 裁判官 才口千晴
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