判例全文 line
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【事件名】『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』の名誉毀損事件(3)
【年月日】平成17年6月16日
 最高裁(一小) 平成15年(受)第900号 損害賠償等請求事件
 (一審・東京地裁平成8年(ワ)第13874号、二審・東京高裁平成14年(ネ)第1133号)

判決


主文
 原判決のうち上告人敗訴部分を破棄する。
 前項の部分につき、被上告人の控訴を棄却する。
 控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由
 上告代理人河上和雄ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は、被上告人が、上告人に対し、上告人が執筆した雑誌の記事と単行本の記載によって名誉を毀損されたとして、不法行為に基づき、損害賠償と謝罪広告の掲載を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 当事者
 被上告人は、血液学を専門とする医学者であり、昭和55年から昭和62年までK大学医学部長であった。
 上告人は、「B」の名前で活動しているフリーのジャーナリストである。
(2) 上告人が執筆した雑誌の記事及び単行本の記載
 上告人は、「私の傍聴した『東京HIV訴訟』裁判(最終回)」と題する記事(以下「本件雑誌記事」という。)を執筆し、本件雑誌記事は「中央公論」平成6年4月号(平成6 年3月発行)に掲載された。また、上告人は、本件雑誌記事等をもとに、単行本「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」(初版本平成6年8月7日発行。以下「本件単行本」という。)を執筆して出版した。
 本件雑誌記事と本件単行本には、別紙1のアからエまでの記載(以下、これらを「本件記載」と総称する。また、アからエまでのそれぞれの記載については、「本件記載ア」などという。)がある。
(3) 血友病、治験、エイズ等
ア 血友病は、人体の血液凝固因子のうちの第[因子又は第\因子の先天的欠乏又は低下のため、出血が止まりにくい症状を呈する遺伝性の疾患である。
 血友病には、根治治療は存在せず、患者に対して血液製剤によって血液凝固因子を補充するいわゆる補充療法が行われてきた。血液製剤は、ヒトの血液を原料とするものであるため、感染症の危険を伴うものと考えられてきた。昭和58年当時、血液製剤の原料の大部分は、アメリカ合衆国等の外国で採取されたものが使用されていた。
イ 我が国では、非加熱の濃縮血液凝固第[因子製剤(以下「非加熱製剤」という。)につき昭和53年8月1日に製造承認がされたが、病原性ウィルスを不活化するために加熱処理をした濃縮血液凝固第[因子製剤(以下「加熱製剤」という。)は、昭和60年7月1日に、L株式会社(以下「L」という。)、M株式会社(以下「M」という。)、N株式会社(以下「N」という。)、財団法人O(以下「O」という。)、株式会社P(以下「P」という。)の製剤メーカー5社に対して製造承認がされた。その後、昭和61年3月1日に、Q株式会社(以下「Q」という。)に対して、同年11月19日に、R株式会社(以下「R」という。)に対して、それぞれ加熱製剤の製造承認がされた(以上の7社を「製剤メーカー7社」という。)。
ウ 医薬品について製造承認を受けるためには、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付しなければならない。
 治験とは、上記の臨床試験の試験成績に関する資料の収集を目的とする試験の実施をいう。
 治験は、通常、第T相試験、第U相試験、第V相試験の3段階に分けて行われる。第T相試験は、主として医薬品の安全性等を調査することを目的として、少数の健康な男性ボランティアに対して実施される。第U相試験は、主として医薬品の有効性、安全性等を調査することを目的として、当該医薬品の対象である少数の患者に対して実施される。第V相試験は、第T相試験、第U相試験で得られたデータを基に、一定規模の患者に対して実施される。
エ 治験統括医は、製薬会社から治験の実施を委託された責任者であって、治験期間、治験の対象症例数、治験薬の投与方法、検査項目、有効性及び副作用の判定基準等を決定して、治験計画書(プロトコール)を作成し、さらに、治験に参加する病院施設、担当医師等を決定し、治験の結果を収集して論文として完成させる職責を負っている。
オ 前臨床試験は、治験を依頼するのに必要な毒性、薬理作用等に関する試験であり、治験を依頼するためには、前臨床試験を終了していなければならない。前臨床試験としては、当該治験薬等の物理的化学的性質、品質、性状等に関する理化学試験、毒性、薬理作用、吸収、排泄等に関する動物試験等がある。
カ アメリカ合衆国防疫センターは、昭和57年7月、他に基礎疾患がなく、免疫抑制をきたすような治療を受けていない血友病患者についてカリニ肺炎が発生した例を報告し、その後、この病気はエイズと命名された。アメリカ合衆国血友病財団は、同年12月21日、エイズにり患している血友病患者が増大していることを報告した。
 アメリカ合衆国にあるLの親会社(以下「米国L」という。)は、昭和58年3月21日に、アメリカ合衆国において加熱製剤の製造承認を得た。アメリカ合衆国保健福祉省次官補は、同月24日、加熱製剤の製造承認がされたことを歓迎し、エイズに対してもいくつかの防御を血友病患者に与えることを希望する旨の声明を発表した。
 昭和58年5月16日から同月19日までの間にリスボンで開催された「輸血と免疫血液学に関する専門家委員会」第22回会議において、エイズが取り上げられ、エイズが血液及び血液製剤によって伝播される因子によって引き起こされる可能性があるとして、その対策を勧告した。
 我が国においては、厚生省(以下、省庁名、官職名は、いずれも当時のものである。)薬務局生物製剤課のC課長(以下「C課長」という。)が、アメリカ合衆国で血友病患者からエイズ発症者が出ているとの情報に接したことが契機となって、昭和58年6月、我が国におけるエイズの発生状況の調査及び血液凝固因子製剤に関するエイズ対策を検討することを目的として、エイズ研究班が設置され、被上告人が班長に就任した。同年8月に開催された第3回エイズ研究班会議において、血液製剤対策について検討するため、血液製剤小委員会が設置された。
キ 昭和59年5月に、D博士らのグループによってヒト免疫不全ウィルス(以下「HIV」という。)がエイズの原因であることが確認されたことから、エイズがHIVによって引き起こされることが認められるようになった。
(4) 我が国において加熱製剤の製造承認がされるまでの経緯
ア 昭和58年当時、非加熱製剤の我が国におけるシェアは、Pが51.1%と半数を占めており、他社は、Q16.6%、L11.3%、M8.4%、O8.4%、R4.2%であった。
イ Nは、昭和56年にドイツ連邦共和国において許可を得て加熱製剤の販売を行っていた。
 米国Lは、前記(3)カのとおり昭和58年3月21日にアメリカ合衆国において加熱製剤の製造承認を得て、販売を行っていた。
 Oは、昭和57年には加熱製剤を開発していた。
 Pは、昭和58年8月30日に、被上告人に対し、3種類の加熱方法によって加熱した加熱製剤のサンプルを届けて、その評価を依頼したものの、その時点では、どの加熱方法を採るかは決まっておらず、被上告人に届けたサンプルも治験や実際の使用を前提としたものではなかった。
ウ 昭和58年9月14日に開催された第1回血液製剤小委員会において、エイズよりも肝炎への対策の一つとして加熱製剤を試用する、治験は必要であるとの結論に達し、加熱製剤について治験を実施することが決定された。
 被上告人は、昭和58年9月に、Pに対して、同年10月8日までに、加熱製剤のサンプルを提出するように指示したが、Pは、同月7日、被上告人に対して、サンプルの提出を同月20日まで延期するよう要請した。しかし、Pは、同月20日までにサンプルを提出しなかった。
 厚生省薬務局生物製剤課は、昭和58年11月10日に、製剤メーカー7社等を対象として、加熱製剤の製造承認申請の取扱いに関する説明会を開催した。この説明会において、厚生省の係官は、治験について、@治験例数は、2施設以上で、1施設20例以上、合計40例以上とすること、A投与期間は3か月程度、追跡期間は2〜3か月程度とすること、B第T相試験は省略することが可能であることを説明した。
 被上告人らは、昭和58年12月13日に、製剤メーカー7社等を対象として、加熱製剤の治験の実施計画についての説明会を開催し、@第T相試験の実施を前提として昭和59年3月に第U相試験に着手すること、A第U相試験は、血友病治療全国委員会という組織を作り、そこで各社の治験を一括して受託し、多施設において実施すること、B製造承認申請は統一して行うこと、C治験期間は1年間、治験例数は各社の製剤ごとに40例以上とすることを内容とする治験計画案を示した。
 被上告人は、昭和58年末までに、製剤メーカー7社から依頼を受けて、加熱製剤の治験統括医となった。
 C課長は、昭和58年暮れころ、外資系製剤メーカーの従業員から、被上告人が治験に絡んで寄付金を要求しているという抗議を受けた。C課長は、昭和59年1月初め、血液製剤小委員会の委員長であったE医師、同委員会の委員であったF医師(以下「F医師」という。)、G医師(以下「G医師」という。)らに対して、治験の一律同時進行は無理である、第T相試験は必要であるのかという話をするとともに、被上告人が設立の準備をしていた財団法人S(以下「S」という。)の設立資金の調達と治験を絡ませているとの噂があるという話をした。
 F医師、G医師らは、昭和59年1月12日、被上告人に対し、C課長から聞いた上記の話を伝えた。
 これに対し、被上告人は、昭和59年1月17日ころ、製剤メーカー各社に対し、書簡又は電話で、治験統括医を辞任する旨を伝えた。
 被上告人は、再び製剤メーカー各社から個別に依頼を受けて、昭和59年3月に治験統括医となった。
 被上告人が治験統括医に復帰した後に示した治験案は、第U相試験からの実施を内容とするものであった。
 そして、加熱製剤について、第U相試験が行われ、昭和60年4月から5月にかけて製造承認の申請がされ、前記(3)イのとおり、昭和60年7月1日に製剤メーカー5社に対して製造承認がされた。
(5) Sに対する設立資金の寄付等
 Sに対する寄付として、昭和58年5月25日にMから1000万円、同月31日にLから1000万円、同年6月15日にQから1000万円、同年7月7日にOから300万円、同月13日にPから1000万円が、「財団法人S代表A」名義の銀行口座に入金された。
 昭和59年11月に被上告人が主催した第4回国際血友病治療学シンポジウムの運営資金として、同年9月5日から同年11月12日までの間に、製剤メーカー7社等から、合計2550万円以上の寄付があり、その余剰金から1000万円が「財団法人S代表A」名義の銀行口座に入金された。
(6) 被上告人の発言等
ア 血友病患者でHIV感染者であるH(仮名、以下「H」という。)は、昭和60年7月16日、Oの東京事務所を訪問し、「Oは、ワクチンを専門にやっていて、加熱の技術力があり、凝固因子製剤の加熱化などは割と簡単にできるので、早くから皆さんに供給したくてうずうずしていました。」、「当時はPが加熱の開発が遅れていたので、それに合わせるために遅くなってしまったんですよ。」という話を聞いた。
 Hは、昭和60年8月15日、被上告人に対し、加熱製剤につき、「Lなんかは、もっと早く出せると言っていましたよ。」と言ったところ、被上告人は、「そういうふうに1社だけが出したところで、製剤の奪い合いになっても困るでしょう。ですから、これまで出していた全社の態勢ができるまで待たせたんだ。そうしないと皆さんもお困りでしょう。」と述べた。
イ 被上告人は、昭和63年1月19日、毎日新聞社のインタビューを受け、別紙2のとおり述べた。
ウ 上告人は、本件雑誌記事執筆後本件単行本執筆前である平成6年3月8日に、被上告人に対してインタビューを行った。そこで、被上告人は、別紙3のとおり述べた。
(7) 上告人の取材経過
ア 上告人は、平成4年3月下旬に、フリーのジャーナリストであるIの著作である「エイズからの告発」を読んだところ、それには、加熱製剤がアメリカ合衆国では昭和58年の時点で販売されていたこと、非加熱製剤で最大のシェアを有していたPは、加熱製剤の開発が遅れており、加熱製剤の導入が早まれば、シェアを失う危機にあったこと、被上告人が加熱製剤の治験を意図的に遅らせ、Pの開発が間に合うように「調整」したこと、被上告人は、P、L、O、Mから、Sのための寄付を受けていることなどが記載されていた。
イ 上告人は、平成4年5月から、血友病患者が国及び製剤メーカーに対して非加熱製剤によってHIVに感染したとして損害賠償を求めて東京地方裁判所に提起した訴訟(以下「東京HIV訴訟」という。)を傍聴するようになり、同訴訟の主張書面、書証、証人尋問調書を入手して読んだ。
 東京HIV訴訟の被告であったLの平成2年10月29日付けの準備書面には、米国Lは、昭和58年3月21日にアメリカ合衆国において加熱製剤の製造承認を受けたことが記載されていた。また、同訴訟の被告であったPの平成2年10月29日付け準備書面には、Pは、昭和59年1月になって品質試験、一般薬理試験、急性毒性試験等の前臨床試験を終えたことが記載されていた。
ウ 上告人は、東京HIV訴訟の原告弁護団を通じて、被上告人が昭和58年12月に製剤メーカー各社を集めて治験説明会を開催したこと、被上告人が昭和59年1月に突然治験統括医を辞任したことを知った。
エ 上告人は、本件雑誌記事執筆前に、昭和63年2月23日の衆議院予算委員会の会議録を読んだ。それには、厚生省薬務局長の答弁として、被上告人がL、M、N、O及びPの加熱製剤の治験について「代表世話人」となったこと、これらの5社の加熱製剤の製造承認がいずれも昭和60年7月1日であったこと、加熱製剤の治験開始の時期は、Lが昭和59年2月、Mが同年3月、Nが同年3月、Oが同年5月、Pが同年6月で、Pが最も遅かったことが記載されていた。
オ 上告人は、平成4年12月25日、C課長に対してインタビューを行い、C課長から、加熱製剤の治験の開始が遅れていたことに関心を持っていたこと、被上告人が治験に絡んで金銭を集めているとの噂が聞こえてきたので、そのことを人を通じて被上告人に伝えたことを聴取した。
カ 上告人は、平成5年3月15日、東京HIV訴訟におけるC課長の証人尋問を傍聴した。C課長は、昭和58年11月に行われた厚生省の説明会において厚生省が第T相試験は必要ないと明確に述べれば、加熱製剤の治験がしやすくなると考えていたことを証言した。
キ 上告人は、平成5年8月に、Rの専務取締役であったJに対してインタビューを行い、被上告人がPと仲がよかったこと、加熱製剤の治験に関して、被上告人がPの立場に配慮していたこと、治験では、第T相試験を行うことに被上告人が固執していたこと、被上告人が長い治験期間に固執したのは、Pが他社に比べて加熱製剤の開発が遅れていたためであると考えられること、被上告人がSのために寄付金を集めていることに、C課長は批判的であったことを聴取した。
ク 上告人は、平成6年1月27日と同年2月4日に、F医師に対してインタビューを行い、F医師から、C課長に頼まれて、被上告人に対して、治験を依頼している製剤メーカーにSへの寄付を要求しているとの噂があることを話したところ、被上告人は、「もう終わった。」と答え、寄付の要求をしていないとは述べなかったことを聴取した。
ケ 上告人は、平成5年9月4日以降、数回にわたって、K大学の内部事情に詳しい関係者に取材をし、被上告人が自室の机の前の棚に10pほどの預金通帳の束を無造作に置いているのを見たことを聴取した。
コ 上告人は、本件雑誌記事執筆前に、U会の会報「全友第20号」を読んだ。それには、被上告人が昭和58年8月14日に同会の全国大会で行った講演が掲載されており、被上告人は、同講演において、Sについて、「私は今、お金を集めている。現在8000万円ほど集まっているが、皆様友の会としてもお力添えいただければありがたい。」と述べていた。
サ 上告人は、本件雑誌記事執筆前に、Hから、前記(6)アのHがOの東京事務所を訪問して聞いた話及びHが被上告人から聞いた話を聞いた。
シ 上告人は、本件雑誌記事執筆前に、前記(6)イのT新聞社の被上告人に対するインタビューの反訳書面を入手して読んだ。
ス 上告人は、前記(6)ウの被上告人に対するインタビューを行った。
(8) 本件記載による被上告人の社会的評価の低下等
ア 本件記載アについて
 本件記載アのうち最後の1文(「こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局A氏の欲≠ノほかならないのではないか。」)を除く部分は、被上告人が、昭和58年11月以降、加熱製剤の開発が遅れていた日本の血液製剤市場の最大手であるPに合わせて、加熱製剤の治験を遅らせ、その結果、我が国における加熱製剤の製造承認が昭和60年7月にずれ込み、米国より2年4か月遅れたという事実を摘示するものであって、被上告人の社会的評価を低下させるものである。
 本件記載アのうち上記の最後の1文は、被上告人が加熱製剤の治験を遅らせた事実及び本件記載イの事実を前提として、被上告人がPの利益を図った理由は被上告人の欲にほかならないという上告人の意見ないし論評を表明したものであって、被上告人の社会的評価を低下させるものである。
イ 本件記載イについて
 本件記載イは、被上告人が加熱製剤の治験の時期にSの設立資金とするために製剤メーカー各社から寄付を募っていたという事実を摘示するものである。この記載は、本件記載アと併せて読めば、被上告人がPの利益を図るために加熱製剤の治験を遅らせた理由は、被上告人が治験の時期にSの設立資金とするために製剤メーカー各社から寄付を受けていたことにあるというものであるから、被上告人の社会的評価を低下させるものである。
ウ 本件記載ウについて
 本件記載ウのうち最後の1文(「別の人物は、S設立の資金だけでなく、学会でのA氏の地位と体裁を保つための資金も大きな額になると推測する。」)を除く部分は、被上告人が加熱製剤の治験の時期に製剤メーカー各社からSの設立資金とするために寄付を募っていた事実と被上告人が治験統括医という立場にある事実を摘示しつつ、それらを前提として、被上告人が治験統括医という絶対的に優位な立場を利用して寄付を強要したのであれば大問題であるという意見ないし論評を表明したものであって、被上告人の社会的評価を低下させるものである。また、本件記載ウのうち上記の最後の1文も、被上告人の社会的評価を低下させるものである。
エ 本件記載エについて
 本件記載エは、被上告人が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、加熱製剤の承認に向けて取り残される製剤メーカーが出ないように治験を遅らせたという事実を摘示するとともに、この摘示された事実を前提として、被上告人が金のために医師の心を売り渡し、医師として到底許されない行為に及んだという意見ないし論評を表明したものであって、被上告人の社会的評価を低下させるものである。
オ 本件記載は、公共の利害に関する事実に係るものであり、かつ、専ら公益を図る目的に出たものである。
3 原審は、本件記載の真実性等につき、次のとおり判断し、被上告人の請求のうち損害賠償請求を400万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余の請求を棄却した。
(1) 本件記載アが摘示する、昭和58年11月当時Pの加熱製剤の開発が遅れていた事実及び被上告人がPに合わせるために加熱製剤の治験を遅らせた事実について、真実であることの証明がされたということはできない。
 本件記載イが摘示する、被上告人が加熱製剤の治験の時期にSの設立資金とするために製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実について、真実であることの証明がされたということはできない。
 そうすると、本件記載アの最後の1文の意見ないし論評の表明は、その前提とする事実について真実であることの証明がないことになる。
 本件記載ウが摘示する、被上告人が加熱製剤の治験の時期にSの設立資金とするために製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実について、真実であることの証明がされたということはできず、そうすると、被上告人が治験統括医という絶対的に優位な立場を利用して寄付を強要したのであれば大問題であるという意見ないし論評の表明は、その前提とする事実について真実であることの証明がないことになる。
 本件記載ウの最後の1文について、真実であることの証明がされたということはできない。
 本件記載エが摘示する、被上告人が加熱製剤の承認に向けて取り残される製剤メーカーが出ないように治験を遅らせた事実について、真実であることの証明がされたということはできず、そうすると、「一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか。」という意見ないし論評の表明は、その前提とする事実について真実であることの証明がないことになる。
(2) 上告人がPの治験が一時期遅れていたと信ずるについては、相当の理由があるものの、被上告人がPのために治験を遅らせたこと、被上告人が治験の時期に製剤メーカー各社から寄付を募っていたことについては、これらを真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできないから、上告人が本件記載が摘示する事実を真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできない。
(3) したがって、本件記載について名誉毀損による不法行為の成立が認められる。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁、最高裁昭和56年(オ)第25号同58年10月20日第一小法廷判決・裁判集民事140号177頁参照)。一方、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきであり、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁昭和60年(オ)第1274号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。
 これを本件についてみると、本件記載が摘示する事実及び意見ないし論評の前提としている事実について真実であることの証明がないとしても、以下のとおり、上告人がこれらの事実を真実と信ずるについて相当の理由があるということができるから、その故意又は過失は否定され、名誉毀損による不法行為は成立しないものというべきである。
(2) 本件記載ア及びイについて
ア 前記事実関係によれば、被上告人は、Hに対して、加熱製剤を1社だけが出したところで、製剤の奪い合いになっても困るので、これまで非加熱製剤を出していた全社の態勢ができるまで待たせた旨述べ、T新聞社のインタビューに対して、加熱製剤の開発は、Lが先行し、Pは遅れていたこと、どの製剤も安心して使えるように、治験の進行を「調整」したこと、どのメーカーも同じような立場で競争してもらいたいことなどを述べており、これらの被上告人の発言は、加熱製剤の開発は、Lが先行し、Pは遅れていたが、被上告人が、遅れていたPに合わせて、加熱製剤の治験を遅らせたことを認める趣旨の発言であることは明らかである。前記事実関係によれば、上告人は、本件雑誌記事執筆前に、これらの被上告人の発言を知っており、また、被上告人は、上告人が本件雑誌記事執筆後本件単行本執筆前に行ったインタビューに対しても、Pの加熱製剤の開発が遅れていたこと、被上告人が治験を遅らせたことなどを述べていたことが明らかである。
 前記事実関係によれば、上告人は、その取材によって、米国Lは、昭和58年3月21日にアメリカ合衆国において加熱製剤の製造承認を受けたこと、Pは、昭和59年1月になって品質試験、一般薬理試験、急性毒性試験等の前臨床試験を終えたこと、L、M、N、O及びPの加熱製剤の治験開始の時期は、Pが最も遅かったことを知ったことが明らかである。これらの事実は、加熱製剤の開発について、Lが先行し、Pは遅れていたことを認める旨の被上告人の発言内容を裏付けるものということができる。
 前記事実関係によれば、上告人は、その取材によって、厚生省は昭和58年11月の時点で第T相試験は必要ないとしていたにもかかわらず、被上告人は第T相試験に固執しており、P以外の製剤メーカーからは、それは、加熱製剤の開発が遅れていたPに配慮して長い治験期間をとろうとしていると考えられていたこと、L、M、N、O及びPの加熱製剤の製造承認がいずれも昭和60年7月1日であったことを知ったことが明らかである。これらの事実は、被上告人が、Pに合わせて、加熱製剤の治験を遅らせたことを認める旨の被上告人の発言内容を裏付けるものということができる。
 以上によれば、本件記載執筆当時、上告人が、本件記載アの摘示事実、すなわち、被上告人が、昭和58年11月以降、加熱製剤の開発が遅れていた日本の血液製剤市場の最大手であるPに合わせて、加熱製剤の治験を遅らせ、その結果、我が国における加熱製剤の製造承認が昭和60年7月にずれ込み、米国より2年4か月遅れたという事実を真実であると信じたことには相当の理由があるということができる。
イ 本件記載イを、本件記載アと併せてみると、本件記載イは、製剤メーカーから被上告人に対してSの設立資金の寄付がされていたために、被上告人が加熱製剤の治験を遅らせた旨の記載の一部であるから、本件記載イの「治験の時期」は、実際に治験が行われた時期に限られることなく、治験の実施が具体化する前後の時期を含むものと広く解することができる。
 前記事実関係によれば、上告人は、その取材によって、被上告人が昭和58年8月14日に、Sについて、「私は今、お金を集めている。現在8000万円ほど集まっているが、皆様友の会としてもお力添えいただければありがたい。」と述べていること、C課長は、被上告人が治験に絡んで金銭を集めているとの噂が聞こえてきたので、F医師に対して、そのことを被上告人に伝えるよう頼んだこと、F医師は、被上告人に対して、治験を依頼している製剤メーカーにSへの寄付を要求しているとの噂があることを話したところ、被上告人は、「もう終わった。」と答え、寄付の要求をしていないとは述べなかったことを知ったことが明らかである。
 以上によれば、本件記載執筆当時、上告人が、本件記載イの摘示事実、すなわち、被上告人が加熱製剤の治験の時期にSの設立資金とするために製剤メーカー各社から寄付を募っていたという事実を真実であると信じたことには相当の理由があるということができる。
ウ 上記各事実を前提とする意見ないし論評の表明である本件記載アの最後の1文(「こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局A氏の欲≠ノほかならないのではないか。」)については、意見ないし論評の域を逸脱するものということはできない。
エ したがって、本件記載ア及びイについて名誉毀損による不法行為は成立しないものというべきである。
(3) 本件記載ウについて
 上記のとおり、本件記載執筆当時、上告人が、被上告人が加熱製剤の治験の時期にSの設立資金とするために製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実を真実であると信じたことには相当の理由があるということができる。また、前記事実関係によれば、被上告人は、昭和58年6月にエイズ研究班の班長となったこと、同年9月には同研究班に設置された血液製剤小委員会で加熱製剤について治験を実施することが決定されたこと、同年12月末までに被上告人が治験統括医となったことが明らかである。
 そして、上記各事実を前提とする意見ないし論評の表明である、被上告人が治験統括医という絶対的に優位な立場を利用して寄付を強要したのであれば大問題であるという部分については、意見ないし論評の域を逸脱するものではないということができる。
 また、本件記載ウの最後の1文(「別の人物は、S設立の資金だけでなく、学会でのA氏の地位と体裁を保つための資金も大きな額になると推測する。」)については、前記事実関係によれば、被上告人は、T新聞社のインタビューにおいて、シンポジウムを複数回開催し、その資金について製剤メーカー各社から寄付を受けていることを認めており、このような資金が大きな額になることや被上告人の学会での地位や体裁を維持することにつながることは容易に推認されるから、本件記載執筆当時、上告人が、上記の最後の1文を真実であると信じたことには相当の理由があるということができる。
 したがって、本件記載ウについて名誉毀損による不法行為は成立しないものというべきである。
(4) 本件記載エについて
 上記のとおり、本件記載執筆当時、上告人が、被上告人が加熱製剤の治験の時期に製剤メーカー各社から寄付を受けていた事実を真実であると信じたこと、被上告人は加熱製剤の承認に向けて取り残される製剤メーカーが出ないように治験を遅らせた事実を真実であると信じたことには、相当の理由があるということができる。
 また、上記のとおり、上告人は、その取材によって、C課長は、被上告人が治験に絡んで金銭を集めているとの噂が聞こえてきたので、F医師に対して、そのことを被上告人に伝えるよう頼んだこと、F医師は、被上告人に対して、治験を依頼している製剤メーカーにSへの寄付を要求しているとの噂があることを話したところ、被上告人は、「もう終わった。」と答え、寄付の要求をしていないとは述べなかったことを知っていたものである。
 以上によれば、本件記載執筆当時、上告人が、被上告人が製剤メーカー各社から寄付を受けていたので、被上告人が加熱製剤の承認に向けて取り残される製剤メーカーが出ないように治験を遅らせたという事実を真実であると信じたことには相当の理由があるということができる。そして、この摘示された事実を前提とする「一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか。」という意見ないし論評の表明も、意見又は論評の域を逸脱するものではないということができる。
 したがって、本件記載エについて名誉毀損による不法行為は成立しないものというべきである。
5 そうすると、本件記載について名誉毀損による不法行為の成立を認めて、被上告人の請求を一部認容した原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決のうち上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、被上告人の請求は理由がなく、これを棄却した第1審判決は正当であるから、上記部分につき、被上告人の控訴を棄却すべきである。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第一小法廷
 裁判長裁判官 才口千晴
 裁判官 泉 コ治
 裁判官 島田仁郎


(別紙1)
ア それにしても、なぜA氏は治験の開始時期を遅らせたのか。厚生省が治験の説明会を業者向けに行なったのが83年11月である。これでもアメリカが治験を許可した83年3月から8カ月遅い。それをA氏は開発の遅れていたPにあわせて全体の治験開始をさらに遅らせ、84年2月にやっと始めさせた。
 「Pはうんと遅れてたんだ。(一方)Lはもうずうっと前からやっていたんだ。だから差がつくわけだ」
 A氏は1988年2月4日の『T新聞』とのインタビューでこのように述べ、さらに、
 「治験をやるのは僕らだからね。向こうが急いでやってこられたから、僕がちょっと調整する意味もあった」
 と話している。
 日本の血液製剤市場の4割を占める最大手、Pにあわせて全体の治験を「調整」した結果、日本での加熱製剤の認可は最終的に85年7月にずれこんだのだ。アメリカより2年4カ月遅い。
 こうして本来ならHIVに感染しなくてもすんでいたはずの多くの患者に感染させてしまった理由は、結局A氏の欲≠ノほかならないのではないか。     
イ 治験の時期、A氏がメーカー各社から寄付を募っていたことはつとに知られている。A氏が理事長をつとめる財団法人「S」設立の資金としての寄付である。
ウ A氏は一体いかほどの資金提供を受けたのか。通帳を確認する姿が幾度となく目撃されたのは、A氏が継続的に資金を受けとっていたということであろう。
 加熱治験の代表責任者としてのA氏は、メーカーに対しては絶対的優位に立っており、その立場で寄付を強要したとなれば大問題だ。
 別の人物は、S設立の資金だけでなく、学会でのA氏の地位と体裁を保つための資金も大きな額になると推測する。
エ 資金提供を受けていたから、どの社もおちこぼれないように治験を遅らせたA氏は、一体いかほどの金に染まって医師の心を売り渡したのか。

(別紙2)
 (記者)先生、例えば加熱処理の時に2年4か月遅れておりますね。
 (被上告人)いや、あれはあのね、僕がもちろん関係しておりますから。今でも、まあ、血友病に関しては僕がまだやらねば…。
 (記者)先生が全部治験も…。
 (被上告人)やったんです。(中略)僕たちがなぜやったかというと、少なくとも良いという人がいるんだ。それから、害があってはいけない。同じだったら、同じという人がいたら、私どもはやる。やりたい、やるべきだ。それから、害があるというのは絶対やってはいけない。それで、私は害があるかないかを示したかった。証明したかった。そうした、ね。というのは、私は自分の患者さんをモルモット代わりにする、というのに耐えられなかった。(中略)そう、それでフェイズ1を省略したのです。
 (記者)でも、それをやると、患者さんがストレートになっちゃいますよね。
 (被上告人)ストレートでやれ、C君が言ったのです。それでね、僕は非常に困ったわけです。そうでしょ。そうしたらF君が来て、僕に「先生は金を集めるために、こういうことをやっているんじゃないか。」と、C君が言っていると伝えてきた。で、僕は、金を集めるなんてことしないよねえ。だから僕、降りたんです。ぱあっと。そいで「君が、君たちがやってくれ。おれは知らん。」と。たった1か月だけ。しかしこれはね、厚生省の責任ではない。患者さんに対する私、医者の基本精神です。しかし、実際は、その間も治験だけはやっておったんだけどね。治験だけはやっておったけれども、正式にそういうT相の治験も一緒に並行してやってもらいたい。で、並行しておった…。
 (記者)あれは先生、申請はPだけが遅れたとかいうのは…。
 (被上告人)うんうん、またそれはうんと後なの。Pはうんと遅れてたんだ。Pは遅れたけれども、そのね、まあLはもうずうっとね、前からやっていたからね。
 (記者)もうやってますね、アメリカで。
 (被上告人)だからね、早くやったらね、もう差がつくわけだ。
 (記者)差が当然つきますね。
 (被上告人)うん、つく。(中略)僕はなぜ、そういうことをするかというと、これはね、確かに早くやったところの人が早くなるのは当然だ。治験は一番早くスタートしていましたから、早くできあがった。しかし、これを調査会にかけますことはね、私も調査会の経験がかなりある。そうすると、1例だけがぽつっと出てきて次が申請しておるという形のときにはね、調査会で調整するんですよ。ていうのは、それだけを許したりするということは、普通はやらないのね。まあ、少なくとも2、3社が一緒になって。というのは、そりゃ、うんと離れているといっても、治験をやるのは僕らだからね。向こうが急いでやってこられたから、ね。だから、僕がちょっと調整する意味もあった。というのはね。やっぱり私どもとしては、どの製剤も一応、患者さんはみな安心して使えるんだということでやらないと、後で必ずいざこざが起こる。うん、もう僕はそれまでにね、何回もやってきたから。(中略)
 (記者)あの先生、それで資金援助は、あのシンポジウムの…。(中略)
 (被上告人)で、第3回以降はね、今度はPさんだけにしないで、それぞれにイーブンで出しましょう、ということになって…。
 (記者)そりゃ、売上げの多寡で…。
 (被上告人)売上げの多寡は私は知らない。だけど、そりゃ、多少は「うちは高すぎる」っておっしゃれば「そうですか」って。とにかく僕は「これだけ欲しいんです」とね。で、余りましたものは、あまり金は残す必要はないのですから、それはみな…。というふうにしてきたわけです。そういうこともあって、なるべくね、一つの会社だけが遅れてしまうとか、一つの会社が潰れるというのはね、そうじゃなくて、僕はみな同じような立場で競争してもらいたいんだ。

(別紙3)
 (被上告人)F君はね、これは僕は、少し僕と意見が違います。それは、そのね、F君は僕が、その、早めにちょっと先ほどのご質問の時にあって、これだけ、ああ、この方にはちょっとしましたけど。私が、ちょっと、お、遅らしたというような事情、があるんですよ、治験を。で、治験をやるのにはね、これは先生、非常に重要ですよ。これはあなたは間違っておりますから。それはね、これが効くということを証明しなければいけません。それから、副作用がないということを。効くということは、前よりも条件がいいということを証明しなければいけないわけです。それから副作用がないということを証明しなければならない。ね。それから私の場合は、早く許可をもらいたいと思いました。それはもう、今までの話でもお分かりと思いますが、これはあなたの書かれたのでは、私が遅らしたということだけが強調されておりましてね。
 (上告人)先生は、先ほど、私が治験を遅らせたということを、ご自分でおっしゃいました。
 (被上告人)いいえ。遅らしたと言ってるけど。これは間違いであると、これは抗議を申したいと。(中略)
 (上告人)あの、治験で一番遅れていたのはPでございましたですね。
 (被上告人)はあ、Pはあのう、日本の人は駄目でしたから、アメリカのV社に助けてくれと、ね。というのはね、V社、Pという名前をつけてV社のものがそれまでに入ってきたんです。で、いかに早く許可をもらうかというためには、いいですか、熱しない前の製剤を使った患者さんに、同じ製剤の熱したものを使って、そして効果がどうであったかということを比較するのが一番の、まあ早道なんです。そのために、いいですか、Lを前に使った人はLをすぐやったんですが、今度ほかの、いわゆるPやら、V社のものを使った、Mのものを使った人はこういう前のものを、やらな…。今のような方式を使わないときには、これは、もう成分からの分析とかそれからダブルブラインドからやらなきゃならなくなりますんです。それじゃ時間がかかります。それで私は行って、いつごろ待ったらいいのかと言ったら、ひと月くらいならばできるというような返事でしたから、それでは、まあ血友…、LはLで先行しましょうと、ね。であとも、その次々にやったんです。
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