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【事件名】大河ドラマ「武蔵」類似事件(2)
【年月日】平成17年6月14日
 知財高裁 平成17年(ネ)第10023号 番組公衆送信差止等請求控訴事件
 (旧表示・東京高裁平成17年(ネ)第486号、原審・東京地裁平成15年(ワ)第25535号)
 (口頭弁論終結日 平成17年4月26日)

判決
控訴人 A
控訴人 B
両名訴訟代理人弁護士 乗杉純
同 木内千登勢
被控訴人 日本放送協会
被控訴人 代表者会長C
両名訴訟代理人弁護士 前田哲男
同 中川達也
同 手島康子
同 梅田康宏


主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは、原判決別紙番組目録記載の番組を複製、上映、公衆送信、頒布又は翻案してはならない。
3 被控訴人らは、原判決別紙脚本目録記載の脚本を複製、公衆送信、出版又は譲渡してはならない。
4 被控訴人らは、原判決別紙番組目録記載の番組に関するマスターテープ及びその複製物を廃棄せよ。
5 被控訴人らは、控訴人らに対し、連帯して1億5400万円及びこれに対する平成15年1月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
6 被控訴人らは、控訴人らに対し、自らの費用をもって、株式会社朝日新聞社発行の朝日新聞、株式会社読売新聞社発行の読売新聞、株式会社毎日新聞社発行の毎日新聞の各全国版朝刊社会面に2段抜きで左右適当なスペースをもって、見出しを20級ゴシック、本文を16級明朝体、被控訴人ら名及び宛名を18級明朝体の写真植字を使用して、原判決別紙謝罪文目録記載の謝罪文広告を各1回掲載せよ。
7 被控訴人らは、控訴人らに対し、NHK総合テレビにおけるNHK大河ドラマの番組開始3分前から3分間にわたり、原判決別紙謝罪文目録記載の謝罪文を画面に掲載し、かつ内容を読み上げて放送せよ。
8 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
9 仮執行宣言
第2 事案の概要
 本件は、昭和29年に東宝株式会社がD監督の下で製作した劇映画「七人の侍」に関し、同監督の相続人である控訴人両名が、同映画とその脚本に対して有していた著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権と同一性保持権)に基づき、被控訴人日本放送協会が平成15年1月5日から放送を開始したNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の第1回(1月5日)放映分が前記著作権等を侵害したと主張して、同ドラマの製作者である被控訴人日本放送協会及び同ドラマの脚本を執筆した被控訴人Cに対し、番組の複製・上映等の差止め等及び損害賠償金1億5400万円の支払等を請求した事案である。
 原審の東京地裁は、平成16年12月24日、前記大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の第1回放映分は控訴人らの著作権及び著作者人格権を侵害するものではないとして、控訴人らの請求をいずれも棄却したので、控訴人らはこれを不服として本件控訴を提起した。
第3 当事者の主張
1 原審における当事者双方の主張は、原判決29頁下6行目の「出て言った」を「出ていった」に訂正するほか、原判決の「事実及び理由」欄の第2記載のとおりであるから、これを引用する。
2 当審における当事者双方の主張
(1) 控訴人ら
 当審における控訴人らの主張の詳細は、別紙控訴理由書記載のとおりであるが、その要旨は、次のとおりである。
ア 本件の特異性
(ア) 本件において模倣された作品は、極めて著名な作品であり、被控訴人らはその著名性にフリーライド(ただ乗り)しようと企てたものである。原著作物と翻案との対比は、専門家による対比を要せず、原著作物を知る一般人による対比で足りる。対象となる原著作物が著名である場合には、その翻案との類比の判断は容易であり、全体的な対比を行わなくても、一つ二つの特徴的な場面を抜き出しただけでも、一般人は両者を類似であると判断することができる。そして、著名な作品には(特にそれが娯楽作品である場合には)、象徴的な場面があり、その一つの場面が有名ブランドのロゴのように作品全体を表象し、名作の個々の場面は、作品の力と宣伝・口コミ等があいまって、その作品を見たことがない者にも印象付けられ、不正競争防止法の「他人の著名な商品等表示」と似た力を持つようになる。本件は、テレビドラマ「武蔵 MUSASHI」が映画「七人の侍」の象徴的な場面を盗用したという意味において特異である。
 被控訴人らは、テレビドラマである自らの作品の一部に、「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を、一種の劇中劇のような形で取り込み、はめ込んだものであって、それによって被控訴人らの大河ドラマが全体として影響され変容したものではない。このような「はめ込み型模倣」は、これまでの裁判例にはなかったものであって、従来の手法による対比は有効ではない。被控訴人らは、新鮮味のない「宮本武蔵」に活力を与えるキャッチフレーズを探し、被控訴人ら番組を「七人の侍」風として打ち出すことを決意し、「七人の侍」の利用可能なストーリー・場面を、「武蔵 MUSASHI」の中に取り込んでいったものであり、新聞は、映画「七人の侍」に言及しながら被控訴人ら番組の紹介をした。このような宣伝文句に惹かれて被控訴人ら番組を見た者は多かったはずであり、被控訴人らの行為は、粗悪品に有名ブランドのロゴを付して販売したに等しい。
(イ) 模倣の対象が著名な著作物である場合には、模倣者が、無意識に翻案を作ることは考えにくく、殊に、有名な基本的ストーリーや象徴的な場面がその対象となる場合には、無意識の模倣はほとんど考えられない。仮に、翻案における芸術的な必要から、原著作物の基本的なストーリーや場面に似たものが必要となる場合でも、翻案者は、盗作といわれないために、他の方法で同様な効果を達成するように工夫をするはずである。翻案者にとっては、対象となる原著作物が著名である場合には、何をどの程度避ければ盗作といわれないかについて明白な予想ができ、原著作物の存在によって自らの創作意欲をそがれることはない。このような事情は、著作物の類比の判断について考慮されるべきで、原著作物が著名な作品である場合には、それが無名の著作物である場合と比べて、翻案との類似度が低くても、「感得」の要件が満たされると判断すべきである。
 控訴人ら映画「七人の侍」のように極めて著名な作品の場合には、類似は容易に認められ、現に多くの一般人が作品の厳密な比較をするまでもなく、「七人の侍」と「武蔵 MUSASHI」が類似していると感じている。平成5年改正不正競争防止法は、他人の著名な商品等表示に特別な保護を与えている(同法2条1項2号)。これは、改正前の不正競争防止法が、著名な商品等表示についても、「混同」の要件を必要としていたところ、表示が著名である場合には、実際には混同が生じているか疑わしい事例においても判例が混同を認定していたことが背景となっている。著作権法においても、類比の判断に著名性を考慮することにより妥当な結果が得られることになり、盗作と認定するための類似性の程度は、原著作物の著名性と反比例すると考えられる。本件は、不正競争防止法が直接適用される事案ではないが、不正競争防止法的考察は、本件を理解するために不可欠である。「現代の情報化社会において、様々なメディアを通じ商品表示や営業表示が広められ、そのブランド・イメージが極めてよく知られるものとなると、それが持つ独自のブランド・イメージが顧客吸引力を有し、個別の商品や営業を超えた独自の財産的価値を持つに至る場合がある。このような著名表示を冒用する行為によって、たとえ混同が生じない場合であっても、冒用者は自らが本来行うべき営業上の努力を払うことなく著名表示の有している顧客吸引力に「ただのり(フリーライド)」することができる一方で、永年の営業上の努力により高い信用・名声・評価を有するに至った著名表示とそれを本来使用してきた者との結びつきが薄められる(希釈化、ダイリューション)ことになる」(逐条解説不正競争防止法(平成15年改正版)経済産業省知的財産政策室編著45頁)。これは、不正競争防止法2条1項2号の趣旨を解説したものであるが、本件における、「七人の侍」の著名なストーリー及び象徴的場面を盗用した被控訴人らの行為は、「七人の侍」が有している顧客吸引力にフリーライドし、控訴人らの名声を害する不正競争の行為である。ちなみに、商品等表示が具体的にどの程度知られていれば「著名」といえるかについては、「通常の経済活動において、相当の注意を払うことによりその表示の使用を避けることができる程度にその表示が知られていることが必要であり、具体的には全国的に知られているようなものを想定している」(同47頁)。
 この基準によれば、「七人の侍」のストーリー及び象徴的場面は、「著名」といえることになり、被控訴人らは、相当の注意を払うことにより、その使用を避けることができたはずである。不正競争防止法においては、「他人の商品又は営業と混同を生じさせる行為」が問題となるが、本件において誤認・混同が生じるのは、著作物の芸術的価値である。著名な作品(そのストーリー、象徴的場面及びそれらの組合せ)には、有名ブランドと同様に、顧客吸引力がある。それは、リメイク権、ゲーム化権等の翻案権のライセンス・販売という形で利用され、経済的価値を有する。リメイクについてみると、著名作品がその対象となる理由は、作品を構成する各要素が優れた芸術作品を作り出すために有用であることが実証されているというところにある。さらに、著名作品を既に鑑賞して満足した観客は、リメイクによってその満足感が再現されることを期待するので、新作を新たに宣伝し浸透させるための努力と費用を省くことができる。原作品が高い評価を得ている場合には、原作品を未見の者に対しても、その評判は顧客吸引力としてプラスに作用する。これは、有名ブランドが、未使用者に対してもその品質や価値についての安心感を与えるのと同様である。
 被控訴人らは、「七人の侍」のストーリー、象徴的場面及びそれらの組合せを模倣し、「武蔵 MUSASHI」が、名作「七人の侍」の感動を再現させるかのように宣伝し、「七人の侍」の有する経済的価値を利用し、不当に利益を得たものである。このような不正競争の意図は、本件の著作権侵害の存否を判断する際に考慮されるべきである。
(ウ) 著作権法は、著作権侵害につき故意を要件とはしていないが、本件は、被控訴人らが、原著作物が連想されることを意図して、フリーライドの目的で、原著作物の基本的ストーリー及び象徴的場面を利用したケースである。被控訴人NHKの放送総局長は、(大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」が「七人の侍」から)「ヒントを得たりアイデアを借りたりということはあるだろうと思います」と述べ(甲25)、被控訴人Cは、「15年ほど前(時期は定かでない)、書籍として出版されている(「七人の侍」の)脚本に目を通したことがある」とのことであり、一部のシーンについて、「もともと「七人の侍」を意図してやった」と認めている(甲11)。更に決定的なことは、11の類似場面のうち「朱実が腰につけていた鈴を半兵衛が投げるシーン」(原判決別紙対比目録2の被告番組の内容6)及び「武蔵が地面に突き立ててあった刀を抜くシーン」(原判決別紙対比目録2の被告番組の内容11)が、いずれも被控訴人ら脚本にはない場面であり、被控訴人NHKは、既に基本的ストーリー及び九つの類似場面により十分に「七人の侍」風であった脚本に、更に「七人の侍」を象徴する上記二つの場面(特に刀を抜くシーンは、「七人の侍」の中の最も有名なシーンといってもいいものであって、映画通でなくても、この場面だけで「七人の侍」と言い当てられるほどのものである。)を追加したのである。これら二つのシーンが、偶然に、又は演出の都合から、付け加えられたはずもなく、「七人の侍」風に被控訴人ら番組を見せかけるためであるとしか考えられない。
(エ) 以上のように、本件は、著名作品を対象とするフリーライド目的の盗作であるため、少なくとも、@著名な作品(その有名なストーリー・場面等の構成要素)が対象となっている場合には、それらの模倣を避けることはできなかったか、また、その努力をしたか、A模倣の目的が何であったか(経済的利益か、解説・批評か)、という要素が考慮されるべきである。
イ 原判決の判断の誤り
(ア) ストーリーについて、原判決は、「武蔵 MUSASHI」の脚本は、原作小説「宮本武蔵」の物語を基本として主人公の武蔵を軸にその視点からストーリーが展開されている点、野盗の急襲によって守備側の中心である半兵衛と追松があえなく討ち死にしてしまい、武蔵がほとんど独力で野盗の頭領である辻風典馬を倒す点で、「七人の侍」の脚本が農民や侍たち等の複数の視点からストーリーを構築し、侍たちが農民と協力して野武士を撃退するというストーリー展開をしているのと大きく相違するとした。しかし、これは「はめ込み型模倣」の当然の帰結である。被控訴人ら番組の時間の枠内で、「農民や侍たち等の複数の視点からストーリーを構築し、侍たちが農民と協力して野武士を撃退するというストーリー」を展開することは不可能である。被控訴人らにとっては、「野武士の襲来に悩まされる村人が腕の立つ侍を雇ってこれを撃退するというストーリー」さえ利用できれば、それに「七人の侍」の中のいくつかの象徴的シーンを絡ませることにより(「象徴場面型模倣」)、「七人の侍」風という評価を得る(「フリーライド型模倣」)ことは十分可能だったのである。
 被控訴人らは、無理な「はめ込み型模倣」をしたために、「武蔵 MUSASHI」には、@なぜ侍が集まってくるのか、A街中でもないのになぜ侍が頻繁に通るのか、B野武士が襲ってくる時期などの点で、多くの破綻が生じている。ここで注目すべきは、被控訴人らは、自らの作品に破綻が生じることを認識しながら、あえてそれを容認して模倣したと思われることである。被控訴人らにとっては、自らの作品の整合性や完全性よりも、「七人の侍」風に見える方がより重要だったのであろう(「フリーライド型模倣」)。
(イ) 原判決は、「怪しい男が実は女であったという場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点1)について、男性の身なりに扮装していた女性の胸に手を触れることによって、女性であることに気づくという場面は、他の作品にも見られるものであるとした。これは、被控訴人らが引用した映画「ナバロンの要塞」、「エル・ドラド」及び「ランボー怒りの脱出」のことをいうものであるが、上記いずれの作品も、「女性の胸に手を触れることによって、女性であることに気づく」という場面ではない。本件で問題となっている場面を分解してみると、「男性の身なりに扮装した怪しい人影をみつけ」、「走って追いかけ」、「つかまえて格闘となり」、「その際胸に手が触れて」、「女であることが判明し」、「狼狽する」という六つの要素に分かれる。上記参照作品との類似点は、「女であることが判明する」という1点のみである。本件で問題となっている場面は、むしろ極めてユニークなものであるといわざるを得ず、さらに、上記六つの要素の組合せは、単なるアイデアにとどまるものとはいえず、ユニークな表現であるというべきである。両者がストーリー全体のなかでの当該場面での位置づけが大きく異なることは、「はめ込み型模倣」であることに基づくものである。
(ウ) 「侍の腕試し場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点2〜5)について、 原判決は、「七人の侍」の脚本と「武蔵 MUSASHI」の脚本とでは、技量を試された侍の反応やその発する言葉は相違しているとしたが、これは「はめ込み型模倣」であることから当然に生じる相違である。原判決別紙対比目録1記載の類似点2〜5を全体としてみれば、それがアイデアの域を脱していて、表現であることは明らかである。原判決が例として挙げた塚原卜伝のエピソード及び宮本武蔵のエピソードは、いずれも「戸陰から打ちかかる」という表現ではない。本件の問題となっている場面は、傭兵を雇うためのテストとして、薪やこん棒で実際に打ちかかるというものであり、「江戸期の武芸者の逸話」とは、その目的も方法も異なっている。このように、控訴人らの設定はユニークなものであり、被控訴人らが江戸時代の武芸者のエピソードから同じ設定を独自に思い付いたものでないことは明らかである。
(エ) 「野盗との戦闘場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点7〜10)について、原判決の指摘する相違点は、いずれも「はめ込み型模倣」であることから当然生ずるものである。「武蔵 MUSASHI」における戦闘場面は、「七人の侍」の戦闘場面の矮小化されたものであり、ミニチュア版である。「武蔵 MUSASHI」の限定された枠の中で、原判決のいうような侍の個性や技量を考慮した作戦や、村人たちとの協力関係を含む戦闘を描き得るわけもなく、被控訴人らとしても、そのような意思はなく、単に豪雨の中の合戦が「七人の侍」風に見えればよかったのである。
(オ) 原判決は、登場人物である島田勘兵衛(七人の侍)と内山半兵衛(武蔵 MUSASHI)の類似性を否定したが、村人が侍を雇って野武士と対決するというストーリーの中で両者が現れた場合には、それぞれの物語の中で雇われた侍の誰が誰に対応するかは自ずと分かってくる。被控訴人らは、内山半兵衛を島田勘兵衛に似せたつもりはなく、歴史上の人物である後藤又兵衛を参考にしたと主張し、確かに、「武蔵 MUSASHI」の中で、内山半兵衛はそれに沿うようなセリフを述べている。これは、「武蔵 MUSASHI」が侍の数を7人ではなくて8人にしたと同様に、盗作と言われた場合の抗弁と取れないこともない。後藤又兵衛という立派な人物をモデルにした内山半兵衛が「武蔵 MUSASHI」の中で果たす役割については、多くの疑問点がある。
 「武蔵 MUSASHI」の追松についても同様のことがいえ、村人に雇われるというような形でなくても登場させることは十分可能であった。「七人の侍」の久蔵は、脚本全体を通してみると、人間味のある性格の人物として描かれているが、その脚本の前半に限ってみると、勘兵衛が評するように「自分を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴」で近づき難い存在である。これに対し「武蔵 MUSASHI」の限られた枠の中では、ニヒルな外見の中にある人間味が表れるだけの物語を盛りこむことができず、必然的に追松のような人格として描くことになるが、これは、「はめ込み型模倣」による当然の制約である。
(カ) 「戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現」について、原判決が指摘する最後の戦いの場面は、雨中での戦いとして極めて著名な場面である。D監督は、西部劇に負けない活劇シーンを撮ろうと思い、雨の合戦シーンであれば、西部劇には真似ができないだろうと考えた(甲27の101頁)。「武蔵 MUSASHI」の騎乗の野武士と徒の侍が泥まみれになりながら戦うシーンは、「七人の侍」のクライマックスを連想させる。新聞の番組紹介は、「野武士の首領を倒した武蔵は豪雨の中で「俺は強い」と叫ぶ」(甲16)として、この場面の豪雨に言及している。本件は、典型的な「象徴場面型模倣」であって、「豪雨」という自然現象も、他の「七人の侍」を象徴するいくつかの要素と組み合わされれば、「七人の侍」という作品のみを指し示すキーワード(ジグソーパズルのピース)になるのである。
(キ) 「注意を引きつけるために物を投げる場面」(原判決添付別紙対比目録1及び2記載の6)は、「はめ込み型模倣」の手法を二重に使った手の込んだものである。すなわち、被控訴人らは、その基本的なストーリーの中に、「侍の腕試し場面」をはめ込んだ上に、その中に、「七人の侍」の島田勘兵衛が、子供を人質に取って屋内に立てこもる盗人の注意を引くために握り飯を投げつけ、握り飯に気を取られた盗人の隙をついて斬りつける場面を連想させる設定をはめ込んだのである。原判決は、控訴人ら脚本と被控訴人ら番組とでは「具体的な描写が異なる」というが、この相違は、「はめ込み型模倣」であることから必然的に生じたものである。
(ク) 「武蔵が地面に突き立ててあった刀で戦う場面」(原判決添付別紙対比目録1及び2記載の11)について、原判決は、「戦闘においてあらかじめ地面に突き立てておいた刀等を用いて戦うという設定自体は、時代小説等においてしばしば見られるものであり」としたが、被控訴人らが原審で提出した証拠は、いずれも将軍足利義輝にかかわるものであり、「七人の侍」のように侍が野武士と戦うという場面で使われる設定ではない。この設定が、野武士と村人に雇われた侍たちの豪雨の中での合戦で使われれば、それは、足利義輝の故事ではなく、「七人の侍」の中の最も有名な場面を連想させるものである。被控訴人ら番組に追加された上記場面は、「はめ込み型模倣」であるため、不自然さを否めない。
(2) 被控訴人ら
 控訴人らの当審における主張は、「七人の侍」を絶対視して、他者の正当な創作行為を「七人の侍」の焼き直しと決めつけた上、根拠のない憶測に基づいて被控訴人らにフリーライドの意図があったと非難するものであり、以下に述べるとおり、いずれも失当である。
ア 本件の特異性について
(ア) 控訴人らは、侵害されたとする著作物が著名な作品である場合には特別な配慮がなされるべきであると主張するが、作品が著名かどうかによって著作権法上の保護の範囲に差が生じる理由はない。著名な作品であるからといって、アイデアや単なる設定の類似について、著作権侵害を主張することができるようになるわけではない。
(イ) 控訴人らは、被控訴人らが「七人の侍」の象徴的場面を「武蔵 MUSASHI」にはめ込んでフリーライド目的を達成しようとしたと主張する。しかし、被控訴人らは、「七人の侍」風を打ち出して視聴率を上げようなどと意図を持ったことは全くない。被控訴人らが「武蔵 MUSASHI」を「七人の侍」風と表現したことはないし、そう評されることを意図した事実も一切ない。確かに、被控訴人らとは無関係に、「武蔵 MUSASHI」の死闘アクション部分を「七人の侍」風と評する者がいたかもしれないが、有名作品名を挙げて「・・・風」と表現することは、ほめ言葉としてよくあり、著作権侵害の有無とは無関係の問題である。また、被控訴人ら番組は、吉川英治の著名な小説「宮本武蔵」を原作とするものであって、被控訴人NHKは、そのことを明らかにして番組の広報・宣伝をしており、「七人の侍」にフリーライドする理由も必要も全くない。
(ウ) 控訴人らは、「武蔵 MUSASHI」のいくつかのシーンは「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を一種の劇中劇のような形で取り込み、はめ込んだものであると主張する。しかし、「武蔵 MUSASHI」の各シーンは、前後の脈絡、テーマ、演出意図と密接な関係を持って配置されているのであるから、劇中劇のようにはめ込まれているという事実はなく、そのような「はめ込み」によって「七人の侍」にフリーライドしているという事実もない。
(エ) 控訴人らは、後続の創作者には、先行する著名作品との類似を避ける義務があると主張する。確かに、後続の創作者が先行する作品に依拠し、かつ、表現においてそれと類似する作品を創作することは許されないが、著名な作品とのアイデアないし設定等の類似を避けるべき義務は、後続の創作者に課せられていないし、課せられるべきでもない。著作権法は、特許法等の産業財産権とは異なり、新規性・進歩性を要求せず、しかも、審査手続や登録を前提とせずに、原則として創作から著作者の生存中及びその死後50年間という、特許権等と比較して格段に長期間の独占権を著作者に与えている。産業財産権にせよ著作権にせよ、ある者に独占権を付与することは、他方において第三者の自由を制約することになるから、独占権の付与には、第三者の自由の制約を正当化できるだけの合理的な根拠が必要である。著作権法が、特許法等と比較して、いわば無造作に、しかも極めて長期間の独占権を付与していることを正当化できるのは、その独占権の対象が具体的な創作的表現に限られており、思想やアイデア等を公有のものとする前提が採られているからである。
(オ) 控訴人らは、被控訴人らに「故意」があったと主張するが、被控訴人らには、そもそも著作権侵害行為がなく、したがって、故意も過失もない。また、控訴人らの主張する「フリーライド」の意思が被控訴人らにないことも、上記のとおりである。
(カ) 控訴人らは、本件は不正競争の事案で著作権侵害がその手段となったものであるから、@著名な作品が対象となっている場合にそれらの模倣を避けることはできなかったか、またその努力をしたか、A模倣の目的が何であったか、という要素を考慮すべきであると主張する。しかしながら、そもそも、被控訴人らが「七人の侍」の顧客吸引力に着目してこれにフリーライドする意図を有していなかったことは上記のとおりであり、客観的にも、「武蔵 MUSASHI」が「七人の侍」の顧客吸引力を利用するものではないから、不正競争の事案などではなく、控訴人らの主張する判断基準は、本件に当てはまらない。
 また、著作権法と不正競争防止法とは、保護法益、制度目的、法原理及び規制方法・対象等を全く異にするものである。控訴人らの主張は、両者を混同するものであって、到底採用することができない。
イ 原判決の判断の誤りについて
 控訴人らは、原判決が認定した表現上の相違点を自認しながらも、それらの相違は、「はめ込み型模倣」等の当然の帰結であるとして切り捨て、アイデアや設定の類似に注目させようとしている。しかし、異なる部分を切り捨てて、類似の部分だけに注目すれば、いかなる場合であっても常に類似していることになるから、そのような判断手法が著作権侵害の成否判断において正当な主張であるということはできない。
 控訴人らが「はめ込み型模倣」等の当然の帰結として切り捨てた結果、類似点として残るのは、いずれもアイデアやありふれた設定であり、それらは公有のものである。
第4 当裁判所の判断
1 本件訴訟は、前述したように、被控訴人Cの脚本の下に被控訴人日本放送協会(NHK)が製作し平成15年1月から放映を開始した大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の第1回(1月5日)放映分の中に、映画監督Dほか2名の共同執筆に係る脚本を基に東宝株式会社が昭和29年に製作した劇映画「七人の侍」との間で、原判決対比目録1、2記載のとおり、脚本と脚本及び番組と映画との関係で類似した点があり、これらが、Dが前記脚本及び映画に対して有する著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権と同一性保持権)を侵害するか否かが、大きな争点である。
 当裁判所も、著作権法27条にいう「翻案」とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいい、したがって、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解するのを相当とする(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。前記映画は、原判決も指摘するように、前記番組に比しはるかに高い芸術性を有する作品であることは明らかであるものの、以下に述べるとおり、前記番組が前記映画との間で有する類似点ないし共通点は結局はアイデアの段階の類似点ないし共通点にすぎないものであり、前記映画又はその脚本の表現上の本質的特徴を前記番組又はその脚本から感得することはできないというべきであるから、前記番組がDの有する前記著作権(翻案権)を侵害するものではない。その理由は、Dの有する著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)に対する判断を含め、次のとおり付加するほか、原判決「事実及び理由」欄の第3の1〜4のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決38頁下7行目の「7人」を「6人」に訂正する。)。
2 当審における控訴人らの主張に対する判断
(1) 本件の特異性と題する部分について
ア 控訴人らは、対象となる原著作物が著名である場合には、その翻案との類比の判断は容易であり、全体的な対比を行わなくても、一つ二つの特徴的な場面を抜き出しただけでも、一般人は両者を類似であると判断することができること、被控訴人らは自らの作品(被控訴人原作小説という著名な作品の翻案)の一部に「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を一種の劇中劇のような形で取り込み、はめ込んだもの(はめ込み型模倣)であって、従来の手法による対比は有効ではないこと、翻案者にとっては、「七人の侍」のように対象となる原著作物が著名である場合には、何をどの程度避ければ盗作といわれないかについて明白な予想ができることなどを理由に挙げ、それが無名の著作物である場合と比べて、翻案との類似度が低くても、「感得」の要件が満たされると判断すべきであると主張する。
 しかしながら、著作権法の保護を受ける著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法2条1項1号)であり、それが著名であるか否かによって、その保護に差異があるということはできない。そして、「翻案」(著作権法27条)とは、前述のように、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいうところ、著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得するものであるか否かも、対象となる原著作物が著名であるか否かによって差異があるということはできないから、控訴人らの上記主張も採用することができない。
イ また、控訴人らは、本件は、不正競争防止法が直接適用される事案ではないが、不正競争防止法的考察は、本件を理解するために不可欠であり、不正競争防止法2条1項2号の趣旨を引用して、本件における、「七人の侍」の著名なストーリー及び象徴的場面を盗用した被控訴人らの行為は、「七人の侍」が有している顧客吸引力にフリーライドし、控訴人らの名声を害する不正競争の行為であるなどとも主張する。
 しかしながら、本件が不正競争防止法が直接適用される事案ではないことは、控訴人らも自認するとおりであるところ、不正競争防止法は、「事業者間の公正な競争及びこれに関する国際的約束の的確な実施を確保するため、不正競争の防止及び不正競争に係る損害賠償に関する措置等を講じ、もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」(不正競争防止法1条)ものであり、「著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする」(著作権法1条)著作権法とは、その立法趣旨、保護対象等を全く異にするから、不正競争防止法2条1項2号の趣旨が著作権法に関する紛争である本件に及ぼされるものということはできない。そして、著作権法上、著作物が著名であるか否かによって、その保護に差異があるということはできないことは上記のとおりであり、原告の上記主張も採用することができない。
(2) 原判決の判断の誤りと題する部分について
 控訴人らは、対象となる原著作物が著名である場合には、それが無名の著作物である場合と比べて、翻案との類似度が低くても、「感得」の要件が満たされると判断すべきであることを前提とした上で、被控訴人らは、自らの作品である「武蔵 MUSASHI」(「宮本武蔵」という著名な原作小説の翻案)の一部に、「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を、一種の劇中劇のような形で取り込み、はめ込んだ「はめ込み型模倣」ないし「象徴場面型模倣」であって、「怪しい男が実は女であったという場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点1)、「侍の腕試し場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点2〜5)、「野盗との戦闘場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点7〜10)、島田勘兵衛(七人の侍)と内山半兵衛(武蔵 MUSASHI)及び久蔵(七人の侍)と追松(武蔵 MUSASHI)の人物設定、「戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現」、「注意を引きつけるために物を投げる場面」(原判決添付別紙対比目録1及び2記載の6)及び「武蔵が地面に突き立ててあった刀で戦う場面」(原判決添付別紙対比目録1及び2記載の11)について、原判決が相違するとした点は、いずれも「はめ込み型模倣」ないし「象徴場面型模倣」の当然の帰結にすぎない等と主張する。
 しかしながら、対象となる著作物が著名である場合には、それが無名の著作物である場合と比べて翻案との類似度が低くても「感得」の要件が満たされると判断すべきであるとの前提を採用し得ないことは、上記(1)のとおりである。そして、「七人の侍」と「武蔵 MUSASHI」を対比すると、いくつかの類似点ないし共通点が認められるが、これらはいずれもアイデア等、表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって、後者の表現から前者の表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは、原判決も詳細に説示するとおりである。控訴人らの上記主張も採用することができない。
3 結論
 以上によれば、被控訴人Cの脚本及び被控訴人日本放送協会の番組は、控訴人ら脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権と同一性保持権)並びに控訴人ら映画の著作者人格権(氏名表示権と同一性保持権)を侵害するものと認めることはできないから、控訴人らの被控訴人らに対する請求をいずれも棄却した原判決は相当である。
 よって、控訴人らの本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第2部
 裁判長裁判官 中野哲弘
 裁判官 岡本岳
 裁判官 上田卓哉
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