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【事件名】研究データの学位論文事件(2)
【年月日】平成17年5月25日
 知財高裁 平成17年(ネ)第10038号 著作権侵害差止等請求控訴事件
 (原審・さいたま地裁平成16年(ワ)第1090号)
 (口頭弁論終結日 平成17年4月25日)

判決
控訴人 控訴人A
同訴訟代理人弁護士 菊池武
被控訴人 国立大学法人京都大学
同訴訟代理人弁護士 知原信行


主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は、被控訴人大学院工学研究科が平成6年9月24日訴外Bに授与した、学位記番号論2910工学博士(登録番号14553)の学位を取り消せ。
(3) 被控訴人は、原判決別紙対比表左欄記載の図表を含む学位論文を廃棄するとともに、各図書館等におけるその閲覧等を防止するため必要な措置を講じなければならない。
(4) 被控訴人は、控訴人に対し、200万円を支払え。
(5) 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
 主文と同旨
第2 事案の概要
1 事案の要旨
 京都大学は、訴外B(以下「B」という。)が執筆した学位論文に基づき、平成6年9月24日、同人に対して、工学博士の学位を授与した。控訴人は、上記学位論文が控訴人の創作に係る著作物を盗用して執筆されたものであり、京都大学による上記学位授与行為は控訴人の有する著作権及び民法上の人格権を侵害するものである旨主張して、京都大学を設置することを目的として設立された国立大学法人である被控訴人に対し、著作権法112条に基づき、学位の取消し、学位論文の廃棄及び閲覧等の防止措置を求めるとともに、民法709条に基づき、損害金(慰謝料)200万円の支払を求めた。
 原判決は、控訴人の本訴請求をいずれも棄却したため、これを不服とする控訴人が、本件控訴を提起したものである。
2 前提となる事実(末尾に証拠等を掲げた事実以外は、当事者間に争いがない。)
(1) 当事者等
ア 控訴人は、訴外丸善石油株式会社(昭和61年、合併によりコスモ石油株式会社となった。以下、合併前を「丸善石油」、合併後を「コスモ石油」という。)に入社し、丸善石油(コスモ石油)中央研究所に勤務していた者である(弁論の全趣旨)。
イ 被控訴人は、京都大学を設置することを目的として平成16年4月1日に成立した国立大学法人であり(弁論の全趣旨)、京都大学の大学院には工学研究科が置かれている(乙12)。
ウ Bは、昭和58年4月から丸善石油(コスモ石油)中央研究所において控訴人の上司であった者である(弁論の全趣旨)。
(2) 学位の授与
ア Bは、平成6年、「石油系残油の水素化脱硫ならびに分解に関する触媒工学的研究」と題する学位論文(以下「本件学位論文」という。)を執筆し、京都大学に提出した(甲5(各枝番を含む))。本件学位論文には、原判決別紙対比表左欄記載の各図表が掲載されている。
イ 京都大学は、平成6年9月24日、Bに対し、本件学位論文に基づき、工学博士の学位(学位記番号論2910工学博士(登録番号14553))(以下「本件学位」という。)を授与した。
ウ 控訴人は、京都大学に対し、平成12年4月19日付け書面で、本件学位論文の一部が盗用である旨を指摘した。京都大学は、控訴人に対し、同年7月6日付け書面で、調査の結果盗用の事実がなかった旨回答した。
 また、控訴人が、京都大学に対し、平成12年9月5日付け書面で再考を促したところ、京都大学は、同月13日付け書面で既に回答済みである旨回答し、控訴人が、平成15年9月10日付け書面で再考を求めた際も、京都大学は、同年10月10日付け書面で同様の回答をした。
(3) 本件報告書
 控訴人がBにより盗用されたと主張する、原判決別紙対比表右欄記載の各図表(以下「本件図表」という。)は、いずれも、昭和54年度から57年度にかけて、通商産業省(当時)所管の研究プロジェクトの一環として、丸善石油も組合員であった重質油対策技術研究組合の「残油水素化分解第二グループC研究室」(以下「C研究室」という。)が高硫黄・高金属常圧残油の水素化分解触媒の開発について研究した成果を年度ごとにとりまとめた、各年度の「試験研究成果報告書」(以下「本件報告書」という。)に掲載されたものである(甲1ないし4(各枝番を含む)、弁論の全趣旨)。
 本件報告書の「あとがき」には、「研究開発規模〔開発費(このうち3/4が国庫補助)および担当者〕」の記載があるところ、昭和54年度、55年度の各報告書では、控訴人は担当者として記載されておらず(甲1の3、2の3)、昭和56年度の報告書では、同年9月1日からの「統括責任者」及び「研究担当者」の一人として(甲3の3)、昭和57年度の報告書では、「統括責任者」として(甲4の3)、それぞれ控訴人の氏名が記載されている。
3 争点及びこれに関する当事者の主張
 次のとおり当審における控訴人の追加的な主張の要点を付加するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の3ないし5記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決4頁24行目、5頁14行目及び15行目、6頁5行目及び14行目の各「被告」を「京都大学」と改め、5頁18行目の「作成し、」の次に「これに基づき京都大学がBに対し本件学位を授与した行為により、」を加える。)。
4 当審における控訴人の追加的な主張の要点
(1) 本件学位論文は、本件図表をそのまま使用しており、それらを除外すれば論文として成り立たないものである。学校教育法や京都大学学位規程によれば、そのような場合には学位を授与すべきでないにもかかわらず、京都大学は、これらに違反して、公正な審査をせずに、本件学位を授与したものである。
(2) 本件報告書のデータ、資料は、多額の研究費を投入して得られたものであるから、それにもかかわらず、これと無関係なBに対して、上記データ等をそのまま借用した本件学位論文に基づき本件学位を授与した京都大学の行為は、不法行為に該当し、被控訴人は、慰謝料の支払義務を負う。学位の授与は、社会的に大きな意味を持つものであるから、大学の自治にのみ委ねられるものではない。
(3) 本件図表は、生のデータ自体ではなく、それをグラフによって創作的に表現したものである。生のデータをグラフ化する場合には、一様でない表現が可能である。したがって、本件図表は著作物に当たるものというべきである。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所も、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決8頁19行目の「念のため、」を「念のため、仮に本件図表が著作物に当たるとした場合における」と、同頁21行目の「重質油対策技術研究組合」を「丸善石油も組合員であった重質油対策技術研究組合」と、同頁22行目の「従業員等」を「従業員」と、同頁26行目の「よって、」を「よって、仮に本件図表が著作物に当たるとしても、」とそれぞれ改める。)。
1 控訴人は、本件学位論文が本件図表をそのまま使用したものであるのに、京都大学は、学校教育法や同大学学位規程に違反して、公正な審査をせずに本件学位を授与したものである旨主張する。
 しかしながら、上記主張は、京都大学が、学校教育法等に違反してBに対し本件学位を授与した行為により、控訴人の本件図表についての著作権を侵害したことをいう趣旨と解されるところ、前記引用に係る原判決説示のとおり、本件図表について控訴人の著作権を認めることはできないのであるから、控訴人の本件各請求は、その前提を欠き、本件学位の授与が学校教育法等に違反するか否かについて検討するまでもなく、理由がないことが明らかである。また、仮に、上記主張が、上記著作権の侵害と関係なく本件学位の授与の違法をいう趣旨であるとすれば、本件学位について第三者である控訴人がその授与の適否を争うためには、少なくとも、控訴人にこれを争う法的利益があるといえることが必要であると解すべきところ、本件において、控訴人がそのような法的利益を裏付ける何らかの権利、利益を有することの主張立証は存在しない(なお、前記前提となる事実記載のとおり、本件報告書のうち、昭和56年度の報告書では、同年9月1日からの「統括責任者」及び「研究担当者」の一人として、昭和57年度の報告書では、「統括責任者」として、それぞれ控訴人の氏名が記載されているものの、昭和54年度、55年度の各報告書では、控訴人は担当者として記載されていない。そして、本件図表32カ所のうち、昭和56年度の報告書記載分は4カ所、昭和57年度の報告書記載分は4カ所にすぎず、その余の24カ所は、控訴人が担当者として記載されていない昭和54年度、55年度の報告書記載分である。また、重質油対策技術研究組合は、「水素化処理触媒およびこれを用いた重質鉱油の水素化脱硫分解方法」の発明について昭和59年6月15日に、また、「炭化水素類の水素化分解方法」の発明について同年11月22日に、いずれも控訴人を含む、コスモ石油(当時は丸善石油)の従業員3名を発明者として特許出願し、いずれについても設定登録を受けた後、コスモ石油に特許権を譲渡したところ、控訴人は、コスモ石油に対し、上記各職務発明についての対価を請求したが、いずれの発明についても控訴人は発明者ではなく対価請求権を有しないとの判決が確定している(乙5ないし8)。これらの事実からすれば、本件図表を含む本件報告書の内容は、控訴人以外の者の研究開発の成果ではないかと窺われ、控訴人がこれについて対外的に主張し得る何らかの権利等を有しているとは認められない。)。
2 控訴人は、本件報告書のデータ、資料は多額の研究費を投入して得られたものであるから、これと無関係なBに対して、上記データ等をそのまま使用した本件学位論文に基づき本件学位を授与した京都大学の行為は、不法行為に該当し、被控訴人は、慰謝料の支払義務を負う旨主張する。
 しかしながら、本件図表について控訴人の著作権を認めることができないことは前記のとおりであり、また、本件報告書のデータ、資料について控訴人が何らかの権利等を有していることを認めるに足りる証拠もないのであって、多額の研究費が投入されたなどの事情があったとしても、本件学位の授与行為が、第三者である控訴人に対する関係で違法性を有し、不法行為を構成すると認めることはできず、控訴人の上記主張は理由がない。
3 控訴人は、生のデータをグラフ化する場合には、一様でない表現が可能であるから、データをグラフ化した本件図表は、著作物に当たる旨主張する。
 控訴人の指摘するように、実験結果等のデータをグラフとして表現する場合、折れ線グラフとするか曲線グラフとするか棒グラフとするか、グラフの単位をどのようにとるか、データの一部を省略するか否かなど、同一のデータに基づくグラフであっても一様でない表現が可能であることは確かである。
 しかしながら、実験結果等のデータ自体は、事実又はアイディアであって、著作物ではない以上、そのようなデータを一般的な手法に基づき表現したのみのグラフは、多少の表現の幅はあり得るものであっても、なお、著作物としての創作性を有しないものと解すべきである。なぜなら、上記のようなグラフまでを著作物として保護することになれば、事実又はアイディアについては万人の共通財産として著作権法上の自由な利用が許されるべきであるとの趣旨に反する結果となるからである。しかるところ、本件図表は、その個々の正確な意味内容は本件全証拠によっても必ずしも明らかではないものの、その体裁に照らせば、いずれも、C研究室が高硫黄・高金属常圧残油の水素化分解触媒の開発について行った実験の結果等のデータを、一般的な通常の手法に従って、データに忠実に、線グラフや棒グラフとして表現したものであると認められる。したがって、本件図表は、著作物に当たらないものといわざるを得ず、控訴人の上記主張は理由がない。
4 以上によれば、控訴人の被控訴人に対する本訴請求をいずれも棄却すべきものとした原判決は相当であって、控訴人の本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第3部
 裁判長裁判官 佐藤久夫
 裁判官 若林辰繁
 裁判官 沖中康人
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